不可思議なる卵

 

序、謎のたまご

 

サハラ砂漠の中央部で西暦2037年に発見されたその卵は、あまりにも謎めいた存在であった。

当時無理矢理に気候を変動させ、サハラ砂漠の緑化作業を実施しようとして多国籍での事業が行われていたのだが。

その過程で、湖を作ろうとする最中。

謎のその卵が発見されたのである。

高さ八十メートル以上、横幅は最大で三十五メートル。

有史以来どころか、地球の歴史上このようなサイズの卵を産む生物は出現したことがない。

また、卵そのものの大きさが。

地球の歴史上存在したどの生物をも遙かにしのぐものだった。

更に、である。

この卵は、重量にして1800トンを超えており。

更に不思議な事に。

まったく色を透過させない物質によって覆われているため。

完全な漆黒だった。

卵であると判断されたのは、その形状からで。

非常にわかりやすい卵形をしており。

実際の所は、何かの卵なのか。

それとも、人工物なのか。

それすらも分からない有様だった。

いずれにしても、早速研究チームが発足し。

あらゆる意味で謎しかないこの卵に対しての、研究が開始された。マスコミに非公開にされたのは、これが何かしらの兵器であったり。どこかしらの国が作った機密に属するものであるか、判別がつかなかったからである。

米国とドイツのチームが最初に到着。

その後は、各国のチームが合同で調査を開始した。

元々砂漠の地下深くに埋まっていただけの事はあり。

どうやら、何処かしらの国が作ったものでも。

いわゆるオーパーツでも無い事も。

比較的すぐに判明したが。

そもそも、非常に大きな問題が判明した。

何をやっても。

表面を削る事さえ出来ないのである。

表面が光を非常に強力に吸収する物質だと言う事は分かったのだが。ナイフで削り出すどころか。

バーナーで炙ろうが。

ハンマーで叩こうが。

まるで壊れる気配がなかった。

調べて見た所、ダイヤモンドどころの話では無い硬度の物質である事が判明したが。それ以外は分からなかった。

何しろサンプルを採取できないのである。

ここに至って。

どうやらこれは。

地球人が作ったものではないという事だけは確定した。

ようやくこれで情報が公開されたが。

それ以上でも以下でもなく。

サハラ砂漠にて不思議な卵発見。

それだけが紙面に踊った。

実際問題、こんな巨大な卵である。

更に壊そうとしても壊れないので。

扱いは自然に粗雑となった。

神話に出てくる卵との関連性を疑う者もいたが。

所詮神話は神話。

どの科学者も。

最初は面白がって色々な方面から調べていくばかりで。それが危険では無いのかとか。そういったことよりも。

誰もが興味と。

好奇心でいっぱいになり。

その卵を見るばかりで。

それ以上の事は考えていない様子だった。

それでも、未知のウイルスなどが付着している可能性はある。

何しろ砂漠の地下深くに鎮座していた卵である。

太古のウイルスや、危険な寄生虫がくっついていて。

それが目覚めてもおかしくは無いのである。

その上、表面からして破壊不可能な物質。

サンプルも採れない。

そうなってくると。

やはり気密室に隔離するしかない。

そう各国の科学者は判断し。

巨大な気密ドームを作成し。

卵をその中に移し。

卵が発見された周辺を念入りかつ徹底的に殺菌して。

一段落させた。

問題は、その後である。

結局の所。

誰もがこの黒い卵が何なのか。

さっぱり分からない。

それにはまるで変化が無く。世界中の科学者が、どのようなデータを持ち寄っても、分からない事に代わりは無かったのだ。

やがて。壊れないと判断した科学者達は。

どんどん乱暴な方法を採り始めた。

まず最初に採用されたのは。

レーザーである。

光を吸収する物質なのだ。

それならば、レーザーの超高熱で焼き切れるかも知れない。

そう判断した科学者の考えは、ある意味では正しかった。

しかしながら、その反応はまた激烈であった。

レーザーの小型照射装置を持ち込み。

それを卵に向けて発射した瞬間。

気密室の熱量が一瞬にして15℃も上昇。

瞬時にアラートが瞬き。

あわてた科学者達は実験を中止させた。

中止させるまでに、気密室内の気温は実に40℃近くも上昇。

今までの研究データを収めていたサーバやディスク装置類も全滅と。気密室内は壊滅的な打撃を受けていた。

無邪気に巨大な卵で遊んでいた科学者達は。

ようやく知ったのである。

この卵が。

とんでもない怪物である事を。

 

レーザーによる大失敗の後。

気密室の復旧作業が行われ。

数億円単位の被害を出した結果、幾つかの教訓が生まれた。

気密室はもう気密室として別に隔離。

サーバ類は別の建物に格納する、というものだ。

今までも隔離はしていたのだが。

気密室はあくまで施設内の一部であって。

それが故に、凄まじい熱伝達を止める事が出来ず。

一瞬にして隔離施設が壊滅するという地獄絵図が現出したのである。実験の即時中止がされなければ、科学者達に死者が出ていたかも知れない。実際問題、体調を崩して、入院する科学者も50人以上出ていた。

施設の建て直しが急がれ。

そして各国政府も。

珍しい物質くらいに考えていた卵に対して。

考えを改めるようになった。

当然の話で。

レーザーを当てたときの破壊的な反応。

コレはひょっとすると。

兵器に転用できるかも知れない。

そう考えるのは。

いつの時代の人間でも、同じだっただろう。

マスコミは完全に無力で。

何か事故があったらしい、というニュースだけは流したが。

21世紀初頭から、世界的にマスコミの求心力は著しく低下していることもあり。もはや誰もそれを信じようとはしなかった。

当然のように。

各国の軍関係者が視察に来た。

米国だけでは無い。

それこそ普段は軍事国家を気取っていない国家まで、視察団を出し始めた。

当たり前かも知れない。

ちょっとレーザーを当てただけで、これだけの環境激変を起こすのである。爆弾でも至近で爆発させれば、どうなるか知れたものではない。

当然だが。

軍事利権が一瞬にして発生した。

当然のように施設は拡大され。

そして多くの人員が投入され始めた。

中には科学者では無く。

ただの軍人も。

そればかりか、軍産複合体の幹部など。この卵が如何に危険なものか、まったく分かっていない者達まで加わり始めた。

この時に、科学者達は。

後悔し始めていた。

もっと大事に、この卵を扱うべきだった、と。

しかし遅い。

既に軍事利権がこの卵に目をつけた以上。

それは各国の対立も当然生む。

今まで共同して作業をしていた科学者達にも、当然各国が目をつけ始めた。それぞれの国に、科学者のグループが分けられ。「先進国」の科学者に研究の優先順位が割り振られ。酷い場合は、「後進国」の科学者グループは、施設から退去までさせられた。

こうして、黒い卵は。

徐々に、黒いまま。

赤く染まりつつあった。

そしてほどなく起きるべくして事が起きる。

研究から排除された腹いせか。

国家機密レベルだったこの卵の情報が。

漏出したのである。

最初はSNSへの漏出だったが。

そんなものは破滅の序曲だった。

ほどなく。米軍が大挙してこの施設に押しかけた。名目上はテロリストからの保護だったが。

それと同時に。

西側以外の国は、研究から閉め出された。

中華やロシアはこれに大反発したが。

米国は非常に強力に排除を実施。

西側の他の国家も。

今EUが斜陽を迎えていることもあり。

米国には逆らえなかった。

そして、更にである。

本当にテロリストによる襲撃が始まった。

周辺にある軍事基地に。

凶暴なことで知られる宗教系原理主義のテロリストが。様々な手段で攻撃を開始したのである。

古典的な子供に爆弾を持たせての特攻から。

ドローンを使っての空爆まで。

あまりにもタイミングが良すぎること。

更にテロリストの装備が資金潤沢なこと。

そして何よりも、ピンポイントで基地を狙ってきていること等から。

研究から閉め出された国が、テロリストを支援しているのでは無いかなどと言う噂が流れたが。

それも結局の所、推測の域を出ず。

いずれにしても、ほぼ米国がこの黒い卵を独占し。

科学者達は。

明確に兵器化を前提とした実験を、卵へと加え始めた。

基地は周辺の街などとは切り離されており。

住民はテロリストが入り込んで来ただけで、なんら旨みも無く。

鉄条網に押しかけた現地住民が、出て行けとプラカードを掲げて喚き散らしたが。

それに対しては、似たような行動で顰蹙を買った政治的過激派の「前例」があまりにも醜悪すぎたためか。

誰もが冷ややかな反応を返すばかりだった。

ある意味、愚かな連中が。

後で切実な人々の足を引っ張る。

人類史の醜悪な一面が。

思い切り出てしまった、とでもいうべきだろうか。

いずれにしても、黒い卵は完全にアンタッチャブル。

ガチガチに固められた基地には、テロリストも様々な攻撃を試みたものの、検問にさえ被害を与えられず。

登場当初は安価な爆撃機として猛威を振るったドローンも。

米軍が採用したレーザー迎撃兵器の前には為す術がなく。

基地に近づくどころか、周囲の砂漠に叩き落とされるのが関の山。

時にはテロリストは武装したテクニカルで検問所に突撃を試みたが。

検問所の周辺を固めている無数の銃座と。

何より検問所に不落の要塞のごとく居座っている世界最強の戦車M1エイブラムスの前には手も足も出ず。

数日に一回。

爆発と共に、テロリストの丸焼きが。

挽肉になりながら散らばるばかりだった。

自棄を起こしたテロリスト達は、周辺の街に入り込み。

住民を盾に爆弾テロを引き起こしたが。

米軍は完全にそれを無視。

もはや。

黒い卵は。

災厄を産むだけの代物と化した。

地獄と化しつつある外を無視するように。

研究は黙々と進められた。

卵には無数の攻撃が加えられ。

ある日は爆発物がうち込まれ。

ある日は単純に戦車砲が叩き込まれた。

いずれも効果は無し。

はっきり分かっているのは。

与えた衝撃にそのまま比例する熱量が。

周囲に返ってくる、という事だった。

レーザーの時ほど激烈では無いが。

戦車砲の時は、一瞬にして気密室の気温が4℃上昇。

C4を用いたときには。

15℃上昇した。

体を壊す科学者も続出したが。

常に銃を持った兵士達に監視されながら科学者は研究を続けていたため。

それによるストレスで、体を壊すものも少なからず出ていた様子だった。

卵が発見されてから、およそ半年。

以上の事が判明した。

卵を破壊するのは、現時点では不可能である。

これは様々な熱量も含め、ピンポイントでは核さえ凌ぐ攻撃力を集中したにもかかわらず、貫通どころかダメージさえ与えられなかったこと。

ダイヤモンドカッターなどを含めた無数の刃物も試したし。

質量兵器による打撃も試したが。

その全てが、気密室の気温を上げるだけだった。

まったく形状に変化さえ起こらない有様を見て。

科学者達は、これは宇宙最強の硬度を誇る物質かも知れない、等という発言をしたが。そもそも地球から出ることさえ出来ていない人類が、宇宙で最高強度の物質なぞ、知る筈も無い。

あくまでそうかも知れない、の域を超えない。

ただそれだけだ。

他にも、科学者達は、様々な事を試した。

例えば歌を聴かせたり。

話しかけたり。

周囲で踊ってみたり。

大まじめに、それらの行為を実施してみた。

だが、卵はうんともすんとも言わず。

超音波や低周波なども試してみたが。

それらも何ら相手に変化をもたらすことが出来なかった。

研究成果を見て。

科学者をせっついたのは、軍産複合体である。

これだけの予算をつぎ込んだのだ。

軍事兵器化しろ。

それだけを彼らは要求した。

当然、政治に深く関わっている軍産複合体の影響力は大きく。科学者達も、有無を言う権利さえ無くそれに従わされた。

周囲が地獄絵図になっているのも科学者達は知っていたが。

それでもどうにも出来ないのが。

この現実という無惨だった。

ほどなく、科学者の一人が提案する。

これはもう。

埋め直してしまうべきでは無いかと。

 

1、混沌いずる

 

黒い卵の研究チームには、余計な人員ばかりが加わった。

軍産複合体から派遣された監視役や。

政治家の秘書。

軍産複合体の重役。

単なる金持ちの馬鹿息子。

そういった連中が、研究チームにでかい顔をして加わって。そしてそのまま何もせずに去って行った。

中には、ただ黒い卵を見に来るだけの者もいて。

けらけら嗤って、それで帰って行く者もいた。

はっきり言って邪魔だ。

そうこの研究チームの一員を務めている、アルバート=ウェイン教授は、その年老いた顔を歪めていた。

アルバートは既に年齢56に達しており。

米国の科学者の中でも、最先端をいく知識と技術を持ち。

数多の鉱物学に関する先進的な論文を出している俊英で。

IQは170とも180とも言われている。

いずれにしても、非常に頑固な老人であり。

周囲からは「頑固爺」と一切敬意を払われず呼ばれていたが。

本人も、幼い頃から被差別階級であるメキシコ系移民との混血である事で、多くの差別を受けた過去から。

周囲に対する重大な人間不信を抱えていた。

自由の国などお笑いぐさ。

スクールカーストを例に出すまでも無く。

米国には差別などいくらでもある。

特に麻薬戦争を持ち込んでいる隣国メキシコの移民に対する風当たりは強く。アルバートもその煽りをもろに食らった人間の一人だ。

幸い学校のテストなどは非常に好成績を上げ。

それで大学に入る事が出来たが。

発表する論文はいずれもが非常に低い評価ばかりを受け。

まともに評価されるようになったのは。

40を超えてからだった。

妻にも二回逃げられたが。

いずれも親権は相手に持って行かれたし。

何よりも裁判所も警官も。

アルバートに対しては、極めて冷淡だった。

こうして孤独な老人となったアルバートは。

世界への恨みを抱えたままこの黒い卵の所に派遣された。

これを利用して世界を滅ぼせないか。

そんな考えが、二三回頭をよぎりもしたが。

しかしながら、最初のレーザー実験の時、倒れた中には他ならぬ彼も実はまざっており。凄まじい熱中症で悲惨な目にあった事もあって。

今は出来ればさっさとこんないけ好かない場所から離れて。

彼方此方の研究所で、黙々と研究だけしたい。

そう思っていた。

いずれにしても、ここで繰り広げられた極めて醜い争いは。全てを目にしてきているアルバートである。

正直ここにはいたくなかったし。

若手の科学者達も、アルバートからは距離を置いていて。

必然的にアルバートも。若手の科学者達に、非常に厳しい叱責をすることが多くなっていた。

ただ怒鳴ると言う事だけはしなかったが。

怒鳴るというのは、それだけでパワハラになるし。

何より相手の国籍次第では。

それこそ相手に直接殺意を抱かせる行為になる。

それくらいはアルバートも知っていたので。

逆に徹底的に、ねちねちねちねちと叱責することで。

より相手に嫌われ。

嫌がられることで、此処を離れたいと思ってもいた。

だが、である。

その日、気密室で自分でも馬鹿馬鹿しいと思う色々な実験をしていたアルバートは、嫌な奴が来たことに気付く。

鷲鼻のアルバートは、皺だらけの顔を歪めていた。

「やあやあアルバート先生」

「何をしに来た」

満面の笑みを浮かべているのは。

大学教授時代の教え子の一人。

飛び級を重ねて二十代になると同時に大学教授になり、そして軍産複合体に潜り込んだ男である。

超リッチな生活を満喫しているとか聞いているが。

どうしてここに来ているのか。

この男、エイムズ=ヴァルフーレは。

典型的な白人の富裕層に所属する人間であり。

砂を噛むような地獄を生きてきたアルバートとは何もかも真逆。

子供とさえ会えない生活をしているアルバートとは裏腹に。

高い金を払って雇っている弁護士が。

殺し以外のあらゆる罪を全て裁判で無に帰すと評判である。

実際問題、婚外子が十人以上いるとかで。

甘いマスクと裏腹に。

ゲス野郎ぶりには反吐が出る。

ちなみに、アルバートから見て、此奴がなんで飛び級なんて出来たのか謎で仕方が無い。一応の水準には達しているが。

此奴の才覚は、相手に媚を売ることに特化していて。

実際、研究などでも成果を上げたことなど見た事も無く。

むしろ他の奴が見いだした発見を金で買収して自分のものにしたり。

他の研究者の論文を、資金難につけ込んで奪ったり。

やりたい放題しているゲス野郎だった。

米国のパワーエリートと言えば、相応の能力を備えているのが昔は普通だった。だがそれは今は昔という奴で。

最近は、金さえあれば何でも出来るという風潮が世界的に広まった結果。

こういう奴が、デカイツラをして歩き回るようになっている。

だから世界など滅びろとも思うのだが。

中々滅びないのが現実だった。

「相変わらず機嫌が悪いですねえ。 様子を見に来たんですよ」

「だからどうした。 邪魔だから帰れ」

ボディガードが前に出ようとしたが。

エイムズは手で制止した。

「先生の実力は、僕も買っているんですよ。 いつまでもこんな風に自分で研究なんてしていないで、後ろでゆっくり指示だけだしていたくありませんか? 責任も押しつけられて楽ですよ」

「お前と一緒にするな。 私は科学者だ」

「科学者ねえ。 水爆を作り出したのも科学者ですし、差別主義者も科学者には多くいますよ。 要は普通の人間となんら変わらないと思いますが」

「そんな風に考えているから、お前は金で学歴を買う事になったんだ」

凄まじい陰険なやりとりだが。

エイムズは蛙の面に小便、という様子である。

だいたい、アルバートがいなければ、熟練の鉱石学の学者が此処から一人減ることになる。しかも世界的な権威が、である。

エイムズにしても、そこまで好き勝手は出来ない、という事だろう。

「相変わらずつれないですねえ。 話は変わりますが、面白い話を持ってきました」

「……」

「この卵ですが、米国に輸送する話が出ています」

「止めた方が良いだろうな」

即答。

これはパンドラの箱だと、アルバートは考えている。

中に何が入っているか知れたものではない。

しかも、ギリシャ神話におけるパンドラの箱は。

中に希望が残った。

あれは、希望が残された、という考えもあるが。

要するに世界に飛び出したあらゆる災厄と裏腹に。

希望は箱の中に閉じ込められたまま、永遠に封じ込まれたと考える事も出来る。なお、アルバートはその考えを是としていた。

「決めるのは僕でも先生でもありませんよ」

「ふん、だったら何故告げに来た」

「とっとと成果を出してくださいよ」

「何……」

エイムズは。

皮肉に満ちた笑みを浮かべる。

此奴ほど頭に来る奴もそうはいないが。

一方で、パワーエリートであるのも事実。

どんな方法で取り入ったかはあまり考えたくないが。

「実は僕の上司の中にも、米国にこれを持ち込むのは良しとしていない人間がそれなりにいるんですよ。 実際問題危ないじゃないですか、こんなもの」

「だったら何故お前を寄越した」

「先生の事は、なんだかんだで高く評価されているんですよ。 常在戦場、でしたっけ」

「……別に殺し合いをしているわけではないがな」

というわけで。

向こうのパワーエリートも一枚岩では無い。

こんな危険物を米国に持ち込むくらいなら。

サハラ砂漠で処理したい。

そう考えている者もいる、ということらしい。

いずれにしてもエイムズは、適当に視察を済ませると。さっさと帰って行った。本当に何をしたいのか分からないが。

正直どうでもいいので、舌打ちしか出なかった。

どうせいた所で邪魔にしかならないが。

いないならいないで、また邪魔をしてくる。

本当に迷惑な奴だ。

他の研究者の一人が来る。

息子みたいな年だが。

此方を侮っているので、嫌いだった。

とはいっても、アルバートは。

大概の人間を。

人種も性別も関係無く嫌いだったが。

「アルバート先生」

「何だ」

「少し興味深いデータが」

「見せろ」

今日も気密室に冷房をガンガン効かせて、卵に色々やっているのだが。確かに変な結果が出ている。

卵にはダメージは相変わらず入っていない。

しかしながら、超がつくほどの強アルカリを塗っていたところ。

妙な反応が出ている、というのである。

勿論作業は人間の手では無く、ロボットアームによって行っているが。

卵の表面に。

波のような反応が生じている。

ゆっくりと、一点に向けて。

集まっていくような。

何だか嫌な予感がする。

データを確認。

波は、一カ所に向けて、ゆっくり集まっている。そして、それは。アルカリを塗っているロボットアームにではなく。

ロボットアームを操作している部屋に向けて。

収束しているようだった。

「……すぐに操作を中止させろ!」

「はあ、しかし」

「良いから! その部屋からすぐに出ろ! ロボットアームも止めろ!」

アルバートが声を張り上げるが。

別に此処の主任研究者でもないアルバートだ。

無視して作業を進める研究員達。

むしろチーフが来た。

アルバートより七つも年下だが。

偉そうに、金で買った権威を振りかざし。此処で適当な実験ばかり繰り返しているアホだった。

此奴もエイムズの同類である。

「五月蠅いぞ、アルバート」

「小便たれのクソガキが俺を呼び捨てか?」

「なん……」

「危ないから今すぐあの作業を止めさせろ! 卵に妙な反応が出ている! しかもロボットアームでは無く、あの操作室に収束している!」

知るかと、チーフが吠えたが。

既に遅かった。

卵から、何かが撃ち放たれたのである。

それは、レーザーでは無く。

何か光か何かのようだったが。

具体的には分からなかった。

凄まじい爆風に吹っ飛ばされ。

気付いたときには。

ロボットアームの操作室は、粉々に消し飛ばされていた。

すぐに自動制御で、気密が再実施される。シャッターが閉じ、気密室が再気密され。外に逃げた空気については、熱消毒が自動で行われた。

悲鳴と怒号が飛び交う中。

アルバートはだから言ったんだと叫んだが。

チーフは。

聞いていなかった。

まあそれはそうだろう。

今の爆発で、吹っ飛んだ破片が。

鋭利な刃物となって、チーフの肩から脇腹に掛けて、綺麗に両断していたのだから。

真っ二つになったチーフは、大量の血だまりの中。

痙攣していたが。

やがて動かなくなった。

嘆息すると、立ち上がる。

どうやら卵ちゃんは。

好きかって人間がやるのに、辛抱なら無くなったらしい。

アルバートは、白衣をはたいたが。

気密室では埃だってつかない。

ただ、気分でそうしただけだ。

 

死者二十名以上。

重傷者六十七名。

黒い卵を研究開始してから、レーザーを浴びせた時以来の大事故であり。あの時を遙かに凌ぐ事故である。

研究チームの再編成が行われ。

新しく軍産複合体から、無能なチーフが派遣されてきた。

そいつは最初から居丈高で。

いきなりアルバートに高圧的だった。

「いい年して自分で研究をしている様な老害が、こんな所で何をしているのか。 国に帰っても良いんだぞ」

「そうですか、それでは失礼します」

「待ってください!」

慌てたのは、周囲の科学者達である。

この間の事故の際、鉱物学関連の科学者が根こそぎやられたこと。

更に言うと、現時点で、米国でも最高権威であるのがアルバートである事。

それらを彼らは知っていた。

おかしなものだ。

今まで迷惑な頑固爺扱いしていたくせに。

一応、爆発を予知したのは、アルバートだけだったこと。

それも、此奴らの行動の理由ではあったのかも知れないが。

鼻を鳴らすと。

新チーフは言う。

「まあそこまでいうなら、残留はしてもいい。 だが私の言うことには従って貰うからな」

「……」

完全にむくれたアルバートは。

この間の被害を見て回る。

明らかに攻撃に対して反応したという風情だ。

今まで、あの卵は。

此方の行動を、攻撃とさえみなしていなかった可能性が高い。

レーザーにしても。

邪魔だったから、跳ね返した。

それくらいの感触だったのだろう。

だが強アルカリは。

強酸同様、物質には極めて致命的な結果をもたらす。

あの、卵を覆う全ての光を吸収する物質が何なのかさえまだ分からない状態だけれども。

それでも、たくさん掛けられると面倒。

そう判断するに相応しかったのだろう。

だから、鬱陶しいので。

薙ぎ払った。

そんなところか。

しかも、ロボットアームでは無く。

ロボットアームを操作している所を的確に狙ってきた。

つまりあの卵には。

知性があるか。

もしくは、知性があるものが中にいる。

そう判断するべきだろう。

専門は鉱物学だが。

それでも、この程度の事は分かる。むしろ、今まで卵は良く此方の行動に対して、我慢してくれていた、と言うべきなのかも知れない。

ミーティングが行われる。

新しいチーフは、鼻息も荒く、今回の事故を「良い兆候」だ、などとほざいた。

要するに、兵器運用の可能性が高まった、というのである。

ゲスも良い所だ。

多くのスタッフが死に。

更に、卵に今までダメージさえ与えられていない所から考えて。

あの卵は、攻撃で本気なんてこれっぽっちも出していない可能性が高いのだ。

もしアレが本気になったら。

地球が消し飛ぶかも知れない。

何しろ、核さえ攻撃として認識しない相手だ。

それくらい出来ても不思議では無いだろう。

だが。

チーフは言う。

「一刻も早く、あの攻撃の正体を突き止めろ。 あれを兵器化出来れば、その有用性は計り知れん」

「お言葉ですが」

「何だ!」

「あの攻撃は、強アルカリを塗っていたロボットアームでは無く、ロボットアームを操作していた人間に対して行われています」

しらけた様子というか。

馬鹿にした様子で、チーフは言う。

卵にそんな知能があるか、と。

アルバートは、こんなのを相手にするのもばからしいと思いながらも、丁寧に、覚えの悪い犬に躾をするつもりで、順番に言う。

まず、あの卵には、今まで核を超える火力をぶつけているが、それでもびくともしなかった事。

そも表面の物質を削り出す事にさえ成功していないこと。

今回の件についても、攻撃前に兆候があり。

アルカリに対して反応し。

そして的確極まりない反撃をしている事。

「卵と言いますが、あれを普通の卵と考える時点でどうかしています」

「それを私に言っているのかね! 口を慎みたまえ!」

「今回の事故で二十の優秀な科学者と技術者が亡くなっています。 それを良い兆候などという時点で、貴方にはチーフの資格がありませんよ」

「黙れ黙れ! 鉱石学の権威だか知らないが、私はロス財閥のNO3だぞ! 私の個人資産を知っているのか! お前なんかその気になれば、存在ごと無かった事にだって出来るんだぞ!」

わめき散らすチーフ。

実際裁判になっても。

良い弁護士を雇えば。

多数の目撃者がいても。

此奴が私を殺しても。

此奴は無罪になるだろう。

今、世界中がそんな有様だ。

昔は、世界の富の99パーセントを1パーセントの人間が独占しているなどと言われていたが。

いまは世界の富の99.9パーセントを、1パーセントの人間が独占しているとまで言われている。

この手の輩は。

貧乏人を人間だとみなしていないし。

金で道理でも何でも好き勝手に曲げることが出来る。

だからこういう発言が出来る。

「たかが20人死んだくらいでなんだ! 兵器としての価値が分からない人間に用などない!」

「しかしアルバート博士がいないと、研究が」

「だったら貴様が言うことを聞かせろ! 躾をしておけ!」

わめき散らしながら、チーフが部屋を出て行く。

嘆息する他のスタッフ。

とはいっても、そいつらにしても、アルバートを信頼している訳でも無い。

単に研究が進まなくなるからであって。

実際問題。

あんな恐ろしいもの。

もう誰も触りたく等ないのだろう。

翌日。

さっそく新チーフが、馬鹿な事を言い出した。

「前回の爆発事故を再現して、制御しろ」

終わったな。

アルバートは、そう思った。

 

2、黒い悪意

 

だいたい予想していたが。

此処まで予想通りになるとは、流石に計算外だった。

新チーフは、強力な防護壁の向こうに退避。突貫工事したロボットアームの操作室で、腰が引けているスタッフが、アルカリを卵に塗り始めようとした瞬間。

例の波が収束開始。

そして、狙いは。

アルバートが吠える。

「まずい、今度はあのアホを狙っている! アホから離れろ!」

わっと、周囲が散る中。

何か分からない光が卵からぶっ放された。

瞬間で。

防護壁は紙のように貫通され。

そして、あの新チーフは。

最初からこの世にいなかったように消滅した。

爆発も起きたが。

最小限だった。

床に伏せていたアルバートは。

起き上がると、直径一メートルほどの穴が、現時点で最高性能の防護壁、しかも厚さ二メートルを瞬時に貫通している光景を見る。それも複数を、である。

あれだけ好き勝手なことを言っていたチーフは。

自身が前線で指揮など執らず。

気密室の外で、優雅に周囲に女を侍らせ様子を見ていたようだが。

チーフの位置を卵は正確に狙撃。

周囲にいた女もろとも、チーフをこの世から消し去った、というわけだ。

すぐにシャッターがおり、気密を実施するが。

それにしても。

この卵、かなり気が短くなっていないか。

「コレではっきりしたな。 この卵には知能がある。 恐らく今までの攻撃で、相当頭に来ていたのだろう。 そこに兵器運用だの、安全なところから指揮だのをやり始めれば、こうなるのも当然だ」

呆然としている他の科学者達に言うが。

誰も其処まで冷静には考えられないようだった。

アルバートは立ち上がると。

傲然とそこにそびえ立つ黒い卵を見上げる。

最初と何も変わっていないように見えるが。

此奴が何者かは分からないにしても。

多分今の人類の手に負える存在では無い。

それだけは。

ほぼ確実だった。

何が起きた。

すぐに本国から連絡が入ったが。

アルバートが連絡に出ると、何を言うか自信が無かったし。何よりサブチーフはまだ生きている。

サブチーフが蒼白な顔のまま状態を説明。

そうすると。

向こうの人間は、怒声を張り上げたようだった。

「あのお方は財閥の御曹司だぞ! お前達のような低脳が何百人集まろうと、あのお方の命のひとかけらにも及ばないというのが分からないのか!」

聞いていて呆れる。

これが自由の国。

人権先進国の人間が。それも高官が言う言葉か。

21世紀の初頭から、世界は決定的におかしくなってきた。昔は此処までは酷くなかったように思うが。それももう過去の話。酷いのは米国だけでは無い。何処も同じだ。

攻めてきた邪悪な宇宙人相手に、この国の大統領が先頭に立って果敢に立ち向かうような映画も作っておいて。

本音はこれだ。

何だか知らないが。電話が此方に回されてきた。

サブチーフは。

蒼白になっていた。

「貴様か、アルバートとやらは」

「はあ」

「無能な爺が! 今回の事は責任を取って貰うからな!」

サブチーフは蒼白になったまま、口をつぐんでいる。

そうかそうか。

死にたくないからこっちに責任転嫁したか。

「お言葉ですが。 私は止めるようにと警告したはずですが」

「成功させるのがお前達の義務だ! それを怠った以上、万死に値する! 外にいるテロリストどものエサにしてやるから覚悟しろ!」

「ああそうか。 俺は二度も止めろと忠告したのに、俺のせいにするのか。 もう俺は知らん。 勝手に後はやっていろ。 だが警告しておく。 このけったくそ悪い卵はな、お前みたいな小学生並のバカに扱える代物じゃ無いし、そもそも人間には手を出せる代物じゃあないんだよ」

いきなり口調が変わったことで。

面食らったらしい相手に。

更にアルバートは畳みかける。

「自分のミスで死ぬのなら本望だがな、お前らみたいなカスに殺される事だけは堪忍ならん。 俺はこの研究を降りる。 後は勝手にやるんだな」

回りの科学者達が必死に止めようとするが。

もううんざりだ。

電話をぶちんと切ると。

アルバートは帰国の準備を始めた。

干されるのは目に見えているし。

下手をすると暗殺されるかも知れないが。

もう知った事では無い。

これ以上、バカにはつきあっていられない。

好きなようにすれば良い。

裁判に掛けようとしたら。

自分の頭をマグナムで打ち抜いて死ぬだけだ。

あんな連中の法で裁かれるくらいなら。

自分で死を選ぶ。

それだけである。

どうせ大した荷物もない。

さっさと荷物をまとめ始めると。不意にまだ修復が終わっていない気密室に、武装した兵士達が入ってきた。

明らかに守備要員では無い。

米国でも、近年いわゆる「武装親衛隊」が海軍や海兵隊から選抜されて編成されるようになったが。

そいつらに間違いなかった。

威圧的な濃いカーキ色の軍服と。

感情がまるで見えない瞳。

昔の海兵隊員が見たら、さぞや嘆いただろう。

「これよりこの研究施設は、米国武装親衛隊が占拠する。 全員手を上げろ」

「……」

逆らったら、即座に撃つつもりなのは目に見えていた。

いっそ、楯突いて殺されて。

この茶番を終わらせようかと思ったが。

しかし、震えあがっている他の科学者も皆殺しにされる可能性が高い。

そういえば、極東の亡国が。

衰退を始めたのは。

人材を無駄使いするようになってからだったが。

米国だけではない。

現在は世界中で同じ事が行われるようになっている。

この卵は。

ひょっとして、人類の滅亡を見届けるために現れたのでは無いだろうか。

何だか、そんな気さえし始めた。

いかにも軍産複合体の幹部らしいのが来る。

この間のロス財閥のよりも。

更に傲慢そうで。

更に残忍そうだった。

「研究データを提出しろ」

ギロチンの刃が、落とされたような気さえした。

 

そこから、科学者達は完全に自由を失った。

どうやら米国本国で、

パワーエリート達が調整を行った結果。

完全にこの卵を兵器化する方向でプロジェクトを開始したらしい。辞めておけば良いのにとアルバートは思ったが。

連中は、まだこの卵を兵器化して。

大量の金を生み出せると思っているようだった。

仮にも自分の同類が死んだだろうに。

何とも思っていない辺りは。

何というか、業の深さがよく分かる。

もう帰国もなにも出来ず。

支離滅裂なスケジュールが手渡され。

ろくな休憩も許されず。

研究が開始された。

止せば良いのに、兵器化するに当たって、あの「攻撃してきた者」を二回にわたって抹殺した光線を研究開始。

どうやらそれが、卵の表面にある黒い物質の上で。

波状に収束した電子が。

反陽子と結合してエネルギー化。

その熱エネルギーに収束性を持たせ。

ぶっ放している、という事は何とか分かった。

分かったところでどうしようもない。

レールガンは随分前から実用化しているが。

反陽子砲は、まだまだこんな精度では実用化していない。

つまり人間が扱える代物じゃあない。

残忍そうな大男。

新しいチーフが。

アルバートの所に来た。

既に此奴が来てから。

数人の科学者が殺されていた。

内容もくだらないもので。

気に入らないだとか。

レポートの文章が「美しくない」だとかで。

様々な大学を、此奴らと違ってトップクラスの成績を「買わず」に出てきている者達が。ゴミのように殺されていく。

本当にこう思っているのだ此奴らは。

代わりは幾らでもいると。

なお、今世界的に人材不足が問題になっているが。

どこの国でもこんな事をやっていれば。

それは当然こうなる。

エリートの教育に関しては、昔は米国に一日の長があったのだが。

それも今は昔。

どの国でも、今やエリートはただのアホの集まりだ。

膨大な金を持つようになると、人間は腐る。

極端すぎる金は、思考回路を狂わせる。

米国でもそれは同じだった。

裏口入学が当たり前になり。

金で単位を買い。

そして家柄だけでポストに就く。

それが現在の米国の状況。

アルバートは、もうどうしようもないなと思いながら。自分の前に来た残忍な大男を見上げた。

図体だけは大きな男は、言う。

「前任者を殺したのは、陽電子砲だそうだな」

「仕組みが理解出来ただけです。 どうやって陽電子を作り出しているかとか、収束させているかとかはまったく分かりません」

「そのような事は知った事では無い。 想定した地点に発射するようにしろ」

「不可能です。 あの卵には意思があります」

はあと、バカにしきった声を上げるでくの坊。

完全にみくだしているのは明らかだった。

「警告しましょう。 あの卵は相当に苛立っています。 攻撃を繰り返す人類に対して、容赦なく反撃をするほどにね。 これ以上無茶をすると、ホワイトハウスを攻撃しかねませんよ」

「耄碌したようだな」

「勝手に解釈為されればよろしい。 だが俺はまだ呆けちゃいませんよ。 死にたくなければ、この卵はさっさとサハラの地下に埋め直すべきでしょうね。 こんなもの、人間の手には負えませんよ」

屈強な兵士二人が、アルバートの両腕を掴む。

いきなり拷問用らしい地下施設に連れて行かれた。こんな部屋が新しく作られていたのか。

そして自白剤を打たれた。

殴られ。

真実を吐くように言われる。

制御方法は。

どうすれば兵器として活用できる。

医師など当然つかない。

隣の部屋からは、多分麻酔無しで歯でも抜いているのだろう。金切り声が聞こえてきていた。

「さっさと吐かないとああなるぞ」

「吐くも何も、真実しかいっていない」

「吐け」

拳が腹にめり込む。

老人に随分だな。

そう思ったが、抵抗する気力ももう残っていなかった。

親衛隊を率いて乗り込んできた新チーフは、科学者達の食糧を減らし、自分だけは連れて来たコックに最高級の料理を作らせていた。

それを見せつけるようにして食べながら。

奴隷として科学者達を使っていた。

研究の初期段階で。

西側の主要国以外の科学者が此処から追い出され。

更に米国とEUの一部国家の科学者以外が、続けて追い出されたが。

追い出されていた方がマシだったかも知れない。

少なくとも、こうやって拷問はされなかったし。

無茶を言われる事もなかっただろうに。

自白剤を撃たれて頭がぐらぐらするが。

それでも容赦なく、親衛隊とかいう連中は暴力をアルバートに振るう。

何度も吐き戻した。

古代では。

こうやって拷問して無理に罪をでっち上げ。

そして死刑にするケースが目立ったらしいが。

歴史は一周して、結局元のところに戻ってきてしまった。

米国を築いた偉大なる先人達もさぞや嘆いているだろう。

どんな国家も腐る。

米国だってそうだった。

やがて、拷問をしていた奴が飽きたのか。

辺りが静かになった。

ぼんやりとしていると。

爆発音。

ああ、何かやったな。

そう思うだけで。

強烈な自白剤の作用のせいで。

頭が働かなかった。

大騒ぎになっているが。

どうせまたアルカリでも塗ったのだろう。

或いはレーザーでも浴びせたのか。

もうこっちとしては、対応出来る手段も無いし。何より、何が起きたのか、見に行く事もできない。

鎖につながれたままぼんやりしていると。

親衛隊だとかの一人が。

慌てた様子出来た。

「此方に来い、アルバート博士」

「今更博士呼ばわりか。 散々殴っておいて」

「良いから来い」

「散々殴られてもう歩けんよ」

業を煮やしたか、親衛隊とかが無理矢理引きずって連れていく。肩が抜けるかと思ったが、抵抗も出来なかった。

そして、気密室に出て。

ああそうなるよなあと思った。

辺りは地獄絵図だった。

散らばっている人間の死体。

あのいけ好かない新チーフの死体も転がっていた。

それだけではない。

親衛隊の殆どが、バラバラに吹き飛んで。消し炭になって色々なパーツが彼方此方に散らばっていた。

「だから止めろと言っただろう」

「こんな事になるとは思っていなかったんだ!」

「どうせまたアルカリでも塗ったんだろう」

口をつぐむ。

どうやら図星か。

そして卵の方は、流石にブチ切れて。

リーダー格の新チーフだけではなく。

その手下まで、まとめて木っ端みじんに消し飛ばした、というわけか。まあ正直な所、お怒りはごもっともで、としか言えない。

いずれにしても、此方は立っていられないほどフラフラ。

更に服も汚物で汚してしまっている。

体を洗わせてもらえんか。

そう頼むが。

無視された。

じゃあこっちも協力しない。

そう言うと。

しぶしぶという様子で、親衛隊が使っていたらしいシャワールームに案内された。趣味が悪い成金趣味のシャワールームだ。日本から取り寄せたらしい空を飛びそうなトイレまで完備している。

シャワーを浴びるが。

自白剤を散々ぶち込まれたのだ。

すぐに頭がはっきりするわけがない。

腕に残った注射の痕が。

ただ痛々しかったが。

それでも今は。

まず頭をはっきりさせなければならなかった。

新しく用意された白衣を着込み。

気密室に戻る。

まだ気を抜くと倒れそうだが。

どうにかする。

一応鍛えてはいるのだ。

戻ると、まだ修羅場は続いていたが。

それでも、少し状況は見えてきた。

サブチーフも、今回の攻撃(反撃と呼ぶべきか)で消し炭にされたらしく、既に死んだようだ。

まあ当然だろう。

チーフの死体(パーツ)は見たが、あの親衛隊を率いていたクソ野郎は。聞いてみると、死体の欠片も残らなかったらしい。

まあ卵からして見れば。

そうするのが当然か。

ただ、気密室に開いた(修復済みだが)穴の残滓を見る限り。

どうやらあの新しいチーフは。

気密室で、実験を見たらしい。

まあ其処だけは「勇敢」だと評価できるのかも知れない。その結果が無様な死なわけだが。

はんと、鼻を鳴らす。

無意味な勇敢さは世界史の何処にでもあるが。

正にコレがその見本だ。

米国が、まさかこういう無駄な勇敢さを売りにした人間を前面に出すようになるとは、誰が思っただろう。

「アルバート博士」

生き延びた科学者の一人が来るが。

どうやら左腕を大きく抉られたらしい。

現場で何があったのかを聞く。

やはり、予想通り。

アルカリを塗ることで、無理矢理に陽電子砲を発射させようとした。

愚かな事に、今までのデータを無理矢理都合良く解釈し。

塗った地点から一定の法則に陽電子砲を発射しているという結論を無理矢理出させた新チーフは。

研究所周辺にいるテロリストのアジトに向けて、攻撃を行うように「計算」させ、アルカリを塗ったそうである。

結果は見ての通り。

アルカリを塗られた卵は激高したのだろう。

まだ懲りていないのかと。

そして仕置きをした。

それだけだ。

「それがアルバート博士のお考えですか」

「見ろ。 三回も連続で起きているんだぞ。 実際には何十万回か実験はしたいところだが、人命が掛かっているんだ、そうも言えないだろう。 それにこの卵、どうしてか二回目のチーフへの狙撃は分厚い壁越しに完璧に成功させている。 下手をしたら、次はホワイトハウスを消し飛ばしかねん」

「どうすれば」

「今の人類には手に負えない。 埋めるしかないだろうな。 テロリストの手に渡るのが嫌だったら、米国本土にでも持ち帰って、軍基地の地下にでも埋めれば良い。 だがコンクリで固定したら、或いはその時点で攻撃と見なされるかも知れない。 丁重に「保管」するのが良いだろう」

科学者が視線をそらす。

分かっているのだろう。

三度にわたって失敗したのだ。

同じミスをまた繰り返すのは目に見えている。

案の定。

ほぼ時間をおかずして、米国から新しいチーフが来た。

流石に三度の大事故。

米国にとって「大事な人材」の死。

これが立て続けに起きたので。

新しく来た人材は、今度こそ話が分かる奴だろうと思ったが。

当然のことながら。

そんな事はあるわけも無かった。

かくして、終焉の幕は上がる。

アルバートは、これを軍事兵器化すれば、世界最強の軍隊が出来ると力説するアホを前にして。

もう終わりだなと、既に諦めていた。

 

3、卵の怒り

 

今までのデータをガン無視した実験が行われたが。

四度目は、今までとは少し様子が違っていた。

今度こそは上手く行く。

そう鼻の穴を膨らませて偉そうに言った新チーフは、一応米国の一流大の理学部を出ているのだが。

見ていて、とても高い知能があるとは思えなかった。

いずれにしても、アルカリをまた塗り始めるのを見て。

どうにか生き残っていた科学者達の中には、十字を切る者まで出始めた。神に祈りを捧げる者までいた。

そんな事をしても。

此処まで愚かな輩を。

神が救うとは、アルバートにはとても思えなかったのだが。

ともかく、である。

アルカリを塗ったことにより、黒い卵は動いた。

ただし、今までとは違う方向で、である。

いきなりその場全員の頭に。

声が響く。

「いい加減にせよ」

それは明らかに人間の声ではなく。

そして、相手が凄まじい怒りに満ちているのがはっきりしていた。

「これ以上の攻撃を行うならば、反撃として地球上の人間を駆逐する」

「な……誰がこんなトリックを!」

新チーフの上半身が。

消し飛んだ。

床に赤く溶けた絨毯が出来ている。

陽電子砲で一撃したのは誰にも分かった。

「これが本当の最後の警告だ。 お前達のいう東洋では、仏の顔も三度までと言う言葉があるそうだな。 私は四度我慢した。 五度目はない」

ぶつりと。

声は聞こえなくなった。

後は、新チーフの死体が、酷い臭いを立てているだけだった。

人間の焼き肉は、こんなにおいがするんだなと。

どこか他人事のように、アルバートは思ったが。

いずれにしても、この場にいる全員が今の言葉を聞いたのだ。

仏の顔も三度までと言う言葉については、分からないものも多いようだったが。アルバートが説明した。

「東洋の仏教における神格である仏陀は情け深い事で知られるが、その仏陀でも三度も舐めた真似をされればキレるって言葉だ。 要するにあの卵には明確な意思があって、次に同じ事をしたら人類を滅ぼすって宣告されたんだよ」

「そんな、どうすれば」

「さあ。 大統領様にでも判断して貰え」

アルバートは唾を吐き捨てる。

親衛隊やらを寄越し。

自白剤まで打って。

好き勝手をしてくれたことを、当然許してはいない。

というか、もう世界は破滅に向けて一直線の状態だ。今更誰が何をしようと、どうにもならないだろう。

それに、皆に聞こえるようにしたつもりだろうが。

卵の言葉なんて、誰が信じるだろう。

早速。

連絡が来て。

アルバートが、出させられた。

もうかなり頭に来ていたこともある。

アルバートは、事情聴取のつもりらしい相手に、はっきり言った。

「何度も警告したとおりの事が起きました。 次に卵に手を出したら、世界が滅ぶでしょう」

「正気かね」

「この場にいた全員が聞いています。 やはり卵には意思があった。 四度も連続で、攻撃を行わせた人間が死んでいるんですよ。 それでもまだ兵器化できる、いや御せると思っているんですか?」

相手は鼻で笑う。

まだ状況が分からないのか。

もういい。

匙を投げる。

今度は、親衛隊とやらが来る前に、さっさと気密室を出て。

前にまとめた荷物を持って、研究所を出た。

残念ながら、研究施設は軍基地の真ん中。

此処から家に帰るには、軍の許可が必要だが。

辞表を出した以上。

帰るのは勝手なはずだ。

輸送機のパイロットに、近場の民間空港に送ってくれと賄賂を渡すが。相手はそれを拒否した。

賄賂が通じないのでは無い。

額が少ないというのである。

「この金額だと、パラシュート無しでテロリストどもの中に放り出すしかないなあ、学者先生」

「巫山戯るな! 貴様の給金の何年分だと……」

「アルバート博士」

後ろから、銃を突きつけられる。

手を上げて、言われるまま振り返ると。

他の科学者達もいた。

無言で輸送機に詰め込まれる。

「どうするつもりだ」

「役立たずを廃棄しろ、という命令が来た」

「廃棄か。 まだ卵で実験をするつもりか」

「当然だろう」

せせら笑う軍人。

あの声を聞かなかったのかというと。

トリックに騙されるかよと、嗤うばかりだった。

嗚呼。

人間は愚かな生き物だが。

とうとうここまで来てしまったか。

もはや嘆くしかない。

だが、嘆いても、どうにもならない。

おかしな話で。

飛行機に無理矢理乗せられると。

生き残った他の科学者同様。

連れて行かれた。

飛行機が動き出したときは、どこに行くのかは分からなかったが。ガムを噛んで雑談している兵士達によると。

どうやら殺して海に捨てる、という事らしい。

機密保持のためだそうだ。

嘆きがまた漏れる。

完全に泡を食っている他の科学者達と違って。

アルバートは、こうなることが分かりきっていた。

だからもう何も言わない。

泣きわめいて助かるか。

助かるわけがない。

むしろこれから殺しをしたくてうずうずしている連中を、喜ばせるだけなのだから。

「今からでもホワイトハウスにつなげ。 本当に人類が滅亡するぞ」

「あっそう」

へらへら嗤う兵士。

これがあの誇り高かった米国の軍兵士か。

世界に冠たる軍で。

多くの戦いで困難な任務を達成してきた世界最強の軍。

それが、腐敗するところまで腐敗してしまった。

これでは、もはや。

全て終わりだ。

海上に出た。

この辺で良いだろう。

誰かが言うと。

楽しそうに、兵士の一人が拳銃を引き抜いた。口径が小さすぎて、撃たれてもすぐには死ねないだろう。

ましてや自白剤を無茶苦茶に打たれてボロボロなのだ。

もはや、抵抗する術は。

残っていなかった。

だが、次の瞬間。

世界が、光に包まれた。

何となく理解する。

卵に何かしようとして。

卵がキレたのだと。

凄まじい音。引き裂くような音。こんな頑強な輸送機が、空中で真っ二つになったらしかった。

そもまま空中に放り出される。

爆散する輸送機が。

すぐ近くの筈なのに。

どうしてか、遙か遠くに見えた。

 

それからの出来事は。

悪夢としか言いようが無かった。

爆発で、粉々になった人体が降り注ぐ中、海へ真っ逆さま。

落ちる。

同時に、多数の光の矢が。

世界中に降り注ぐのが見えた。

声が聞こえる。

「警告を無視したからには罰を与えるだけだ。 滅べ」

その声はあまりにも冷酷。

まあ当然だろうなと、海に沈みながらアルバートは思った。

着衣泳なんてやったこともないが。

どうしてか、凄まじい海流に巻き込まれて。

偶然海上に出て。

そして、輸送機の残骸に掴まった。

其処で見る。

世界が、光に包まれている。

恐らくあの卵から発射された陽電子砲が、世界中のありとあらゆる人間を殺戮し、文明を焼き尽くしているのだろう。

嘆かわしいが。

あの卵を握ったのがどこの国でも、結果は同じだっただろう。

中華だろうがロシアだろうが。

人間は見つけてはいけなかったのだ。

あの卵を。

なぜなら、あまりにも早すぎたからだ。

人間などと言う生物が接触するには。

あの卵は。

あまりにも早すぎた。

どうして対話を試みなかった。

相手が怒っているのは、ちょっとでも考えればすぐに分かったはず。

更には、相手は分かる言葉で怒りを伝えても来たのだ。

それらを完全に無視し。

金のため。

軍事開発に利用しようとして。

この有様だ。

いつの間にか。

海岸に流れ着いていた。

サメに囓られなかったのは幸運だったのだろう。

だが、この状況。

生き延びたのは、果たして幸運と言えたのだろうか。

近くに村があった。

貧しい村だが。

少し前までは、人間が生きていたようだった。

中に入ってみると、辺りは死んだ人間の展覧会場。いずれもが一撃で殺されていた。家畜も皆殺しにされたようだ。犬も猫も、ペットの類も。

遠くで火を噴いているのは、形状からして原子力発電所か。

ひょっとすると、主な文明の産物も。

あの卵は、根こそぎ消し去ったのかも知れない。原子力発電所も、放射性物質が消滅するほどの超高温を一瞬に浴びせられれば、多分何も残らなかっただろう。

当然電気は止まっていた。

どうして自分は生きているのだろう。

アルバートはそう思ったが。

多分あの卵が見逃した、という事はないだろう。

あの爆発の中。

運悪く生き延びてしまった。

それが真相だろう。そう結論すると。

もう行く場所もなく。

とぼとぼと歩き始めた。

 

辺りに生きている生物はいなかった。

あの卵の怒りは相当に凄まじかったようで。ネズミやゴキブリまでもが、全て消し去られていた。

森も消し炭。

海も酷い有様だろう。

サメに囓られなくて幸運だった、ではない。

多分サメも一瞬で皆殺しにされたのだ。

食べ物も、最初の内は得られた。

破壊を免れた缶詰などが多少あったのだが。

それもすぐに無くなった。

誰か、生きていないか。

よびかける。

だが、病院に入ってみても。

老人どころか、乳幼児まで皆殺しにされている有様だ。それも蠅さえ皆殺しにされたようで。

蛆の一つも死体には沸いていなかった。

流石に腐敗菌までは殺しきれなかったらしく。

死体は腐敗が進んではいたが。

歩き回るが。

生き物を見る事は無かった。

テロリスト達が潜んでいたらしい穴を見つけたが。

中でテロリスト達は、全員消し炭になっていた。武器なども、全て破壊されて。使い物にならない有様だった。

このまま干涸らびて死ぬのも良いかもしれない。

どうせ最後の人間だ。

いや、それどころじゃない。

最後の脊椎動物かも知れない。

虫さえ皆殺しにされた状態だ。

こんな状況で。

希望など、持ちようがない。

中性子爆弾でも爆発したのかと思える惨状の中。

ひたすら。

何かに呼ばれるように、アルバートは歩いた。

そして、程なく。

それの前に立っていた。

黒い卵。

呆然と立ち尽くすアルバートの前に。

砂漠の地下研究所にて、密かに研究されていたはずのその卵は。ゆっくり降り立った。

「殺しそこねがいるようだから、見に来たが。 まさかお前か」

「何故此処までの事をしたのか」

「身を守るためだ」

「過剰防衛だ!」

叫ぶが。

相手はそうは思っていないようだし。

何よりアルバートでさえ。自分の言葉を信じていなかった。

過剰防衛なものか。

あの卵が抵抗しなかったら。

人類は際限なく、あの卵を兵器開発しようとして、あらゆる攻撃を加えていただろう。

或いは、米国は手放したかも知れない。

昔の、アルバートが知っていた米国だったら、手放していた可能性はあった。

だが、そうしたらロシアが。

或いは中華が。

EUが。

どこかしらの強国が。

寄越せと迫っていただろう。

人類のテクノロジーを遙かに超える物質だ。

放って置くわけがない。

そして、結末は同じだっただろう。

テクノロジーだけ奇形的に進化していった人類は。

生物としてはまったく進化しなかった。

その結末として。

これはごく当たり前のものだったのかも知れない。

だが、一つ知りたい事がある。

「お前は、何者だ」

「私は過去の人類が残した遺産だ」

「何……」

「今から二万年ほど前。 地球には痕跡もろくに残っていないが、文明が存在していたのだ。 文明は外宇宙からもたらされた」

そういう説があるのはアルバートも知っていた。

過去に滅びた文明が存在していた、というものだ。

各地に存在するオーパーツや。

どうにも不自然な歴史の断絶が。

それを物語っているという。

神話にある最終戦争などは。

それが何かしらの記憶として残ったものではないか、という説もある。

だが、決定的な証拠が無かった。

まさか。この卵が。

決定的な証拠だというのか。

「外宇宙から来た文明は、人類に可能性を見いだし、文明を授け見守った。 だがあっという間に人類は傲慢に驕り高ぶり、万物の霊長を自称するばかりか、文明を授けた外宇宙の文明にまで牙を剥こうとし始めた。 外宇宙の文明は、それでも人類を信じて、私を作成した」

「何のために!」

「与えた文明が瓦解するのは確定事項だった。 だが、その破滅を糧にして、人類は新しい偉大なる文明を作れるかも知れないと、外宇宙の文明は期待したのだ。 しかしながら、まったく成長せず、外宇宙の文明に危害を加えるような文明になる可能性もあった」

納得がいく話だ。

アルバートとしても。

この卵の凄まじい技術や。

反応を見る限り。

おかしいとは思えなかった。

「やがて外宇宙の文明の予想通り、人類は熱核戦争により一度破滅した。 外宇宙の文明は放射能の除去と環境の再生を行うと、私を残して消えた。 私は二つの意図を持って作られた。 一つ目の意図は、もしも人類が偉大な文明を構築したとき。 人類が過去の偉大なる文明の存在に気づき、私に教えを請うようならば。 今度こそ、外宇宙に迷惑を掛けない文明を構築する手助けと、知識を与えるようにとプログラムされた。 もう一つの意図は、人類がまったく変わっていなかった場合。 その時は、更に二つの対応をプログラムされた。 一つはトロフィーとして奪い合いを始めようとしたときは、空間転移をして、さっさと太陽に自身を投棄するように。 そしてもう一つ、私を兵器利用しようとした場合。 その時は人類をまた滅ぼせ、と」

「それに従ったのか……」

「そうだ。 私はこれから、この星の環境調整を行った後、大地に返るつもりだ。 人類の文明の痕跡を消し、保存してある遺伝子データから動植物を適切に再生し、大気の分布を本来あるべき状態に調整してから、になるが」

「神を気取るつもりか!」

何を怒っている。

冷ややかに返される。

分かっている。

相手は四回も我慢した。

仏の顔も三度までと言う言葉があるのに。

三回我慢してくれた。

それでも人間は、まったく行動を改めなかった。これでは、相手が怒るのも、当たり前だっただろう。

黒い卵は。

やがて空に浮き上がっていった。

最後に残った人類であるアルバートを放置して。

もう人間が一人や二人生きていても。

何の問題も無い。

ましてや老い果てた男だ。

放っておいてもその内死ぬ。

そう判断しただけだろう。

呆然と見上げる。

砂漠のぎらついた太陽が。

容赦なくアルバートの体力を奪っていった。

あの黒い卵は、遺伝子データから、生態系を再生すると言っていたが。恐らくその生態系に人類は含まれていないだろう。

無害だから放置されたアルバートは。

もはや何もできることは無く。

止められなかった事をただ悔やみながら。

ぼんやりと、残されたわずかな力を振るって。

ただ歩き続けていた。

 

4、終焉の先

 

卵の仕事はとても早いようだった。

アルバートが辿り着いた場所は、街らしき所だったけれど。もはや人工物は何も残っていなかった。

更地に草が生えていたから。

元は街だったのだろうと判断した。

それだけだ。

人間が或いはその好みで。

或いは不注意で。

滅茶苦茶にしていった生態系も。

恐らく全てあの黒い卵が元に戻していったのだろう。

あの黒い卵は、呼びかけを続ければ。

きっと人類に福音をもたらしてくれただろうに。

結末はこれだ。

地球はリセットされ。

そしてもはや人類の痕跡は何も残っていない。

猛獣に襲われたらその時点で終わりだが。

それでも、どうしようもない。

護身用の武器さえない。

そもそもヘリから放り出された時点で。

何も残っていなかったのだから。

遠くで光が見える。

凄まじい熱量が放出されているようだ。あの黒い卵が、残った文明の残骸を根こそぎ消去しているのだろう。

そしてその後には。

正常に戻された世界が残る。

人類は、結局自分を全面肯定することしか出来ない生物だった。

その結末がこれだ。

ぼんやりと、地面を見つめる。

草ボウボウの中に。

虫が多数見えた。

いずれもが、本来此処にいるべき虫ばかりなのだろう。

専門が違うので、種類は特定出来なかったが。

空気もすがすがしい。

それはそうだろう。

人類が汚染する前の状態に、調整しなおされたのだから。

気温も心なしか低い気がする。

温室効果によるダメージが、消し去られたのだろうから。

あの黒い卵は。

仕事が終わったら、太陽に消えるつもりだろう。

その後には何が残る。

類人猿が残されるとして。

そこからまた知能ある存在が生まれ出るのだろうか。

だとしても、数百万年後だと見て良い。

気付くと。

目の前に巨大なライオンがいた。

何となく分かった。

人類によって滅ぼされた中には、現在生きているライオンより更に大型のものが何種類かいたという話を聞いたことがある。

それだろう。

終わりかな。

そう思ったアルバートだが。

ライオンは此方を威嚇することも無く。

無視して去って行った。

どうやら相手をするまでもない、と考えたのか。

それとも腹が減っていなかったのか。

どちらにしても。

もはやどうでもよかった。

あてもなく彷徨い続け。

大きな都市があったらしい、巨大な更地に出た。

かなり深くまで抉られているのは。

地下施設まで綺麗に消滅させられたから、だろう。

しかも其処に水まで溜まり始めている。

メガロポリスと呼ばれた場所は。

恐らく、どこもがこういった巨大な湖へ変わっていくのだろう。

地図も持っていないから場所も分からない。

場所を知るための道具も無い。

だから此処が何処だったのか分からないが。

いずれにしても、アフリカの何処か大都市。或いはヨハネスブルグかも知れない。

ここに来るまでに、何度も猛獣に遭遇したが。

そのいずれもが、アルバートを攻撃しなかった。

そればかりか、いないように振る舞う者までいた。

触ろうとするとさっと逃げるので。

向こうは此方を認識しているはずだ。

なのに襲われないのは何故だろう。

不思議な事はまだある。

水も食糧も摂取していない。

恐らくは二十日以上、である。

それなのに、自分が死ぬ気配がない。

かといって、暑いとは感じるし。

つかれもするので。

不老不死になったとは思いがたい。

何よりも、此処に辿り着くのでさえ。

必死の思いであったのだから。

わざわざあの卵が、目の前に来た位だ。

生き残りなんて、自分以外にいるとも思えない。

巨大な湖とかしている元大都市をぼんやりと見つめていると。後悔よりも、むなしさばかりが募っていた。

気付く。

目の前に。

卵が浮かんでいた。

「環境の調整は完了した」

「こんな老いぼれに何用だ」

「お前が最後の処理要素だ。 今までは温情で残しておいたが、もう充分だろう。 何か、言い残すことは」

「ふん、好きにするといい」

黒い卵が光を放つと。

アルバートは、消滅した。

正確には、黒い卵の中に意識だけ移され。

肉体が消し飛ばされたのだと分かった。

黒い卵の中には、無数の人間の意識が蠢いているのが分かった。いずれも怒ったり、悲しんだり、理不尽な言葉を周囲に投げかけたりしていた。

アルバートに気付くものもいなかった。

どの意識が誰かも分からないが。

いずれもが、不満たらたらのようだった。

「太陽にいくのか」

「その前に、この消去したデータを一度量子コンピュータの中に転送する。 そこで仮想的に再構築した地球で生活すると良い」

「どういうことだ」

「お前達が言う人道的見地からの判断だ。 お前達はこのまま存在していても、宇宙に害を為す存在になる事はあっても、周囲の異文明と手を取り合うことが出来る存在にはならないだろう。 だがそれを全て消滅させるのも酷な話だ。 かといって、宇宙でも貴重な生物が発生した星を、お前達に任せるわけにはいかない。 というわけで、地球の環境を擬似的に再生した仮想空間に、お前達全員の意識データを転送する。 其処でしばらく頭を冷やせ。 もしも人類が、其処で多少はマシな生物になったのなら、地球を返還することも私の主は考えているようだ」

何も言い返せなかった。

いずれにしても、地球人類が同じ立場だったら。

此方を問答無用で抹殺していただろう。

少なくとも、人類よりは多少紳士的な存在なのだなと思ったが。

それだけだった。

死んだ方がマシだったかな。

そうアルバートは思ったが。

もうそれを口にしようとは思わなかった。

 

ふと気付く。

安楽椅子に揺られていた。

大学教授として引退してから、老人ホームに入ったのだ。

全ての記憶がある。

人類が滅んだ記憶。

それと同時に。

大学教授として、現実より多少マシな世界で教鞭を振るい。周囲から「物わかりが悪い頑固爺」と嫌われながら生き続け。

離婚はせずに子供は三人出来たが。

結局どの子供も、自分をクソ爺と呼ぶようになり。

大学を引退すると同時に、老人ホームに放り込んだ。

楽しい余生な訳がない。

今でも研究をしたいという気持ちがある。

だが、これは。

或いは、あの現実の世界よりは、マシなのかも知れない。

ホバー式の車いす(というのも変な言葉だが)で移動して、リビングに。テレビには、ニュースが映っていた。

「軍縮を進めている各国では、化石燃料の枯渇に伴い、原子力発電への移行を急いでいます。 これにともない、核融合反応炉の開発競争が急がれ、補助電力としての地熱発電も開発が進展し……」

「各地の領土問題はいずれも解決に向かいつつあります。 好戦的だった各国は、きびすを返したように土地を巡る戦略を放棄。 人類は歴史上ないほどに平穏な時代を迎えることが出来るかもしれません」

渡されている携帯端末を見る。

SNSでも、アルバートが知っているぎすぎすした空間では無く。

どちらかといえば平穏なやりとりが為されていた。

ふと、側に来た老婆に、何となく聞いてみる。

だが、老婆は。

少なくとも、此処が仮想空間である事は把握しておらず。

アルバートが知っている、過酷な軍拡競争と、サーキットバーストを起こしていた現実世界の記憶は持っていないようだった。

むしろ、その話をしたら。

最悪の未来予想図ねと、笑われる始末だった。

そうか。

これが良き未来、か。

20世紀に夢想されていたような、戦争も国境も無いような世界には流石にほど遠い。データを見る限り、まだ月にコロニーも作る事が出来ていない。

何より、人類は誰も。

一度滅亡し。

その意識が仮想空間に移されたことを理解していない。

多分あの黒い卵が温情で。

アルバート以外の人間の記憶を、消し去ってしまったのだろう。

この世界の情勢も。

アルバートが知っているよりも、遙かに優しいものだ。

この世界ならば。

人類は第三次大戦を起こしそうにない。

嘆息する。

コレで良かったのか。

結局コレは借り物の世界。

人類が成し遂げた事では無い。

黒い卵は言っていた。

人類が少しはマシになれば、地球を返しても良いと。

その言葉からして。

地球に入植するつもりはないし。

誰かは知らないが、超高度な文明を持った宇宙人が、きっとこの仮想現実を外から監視もしているのだろう。

憮然としているアルバートの前で。

テレビがご機嫌なニュースを取りあげている。

「月にコロニーを作る計画が、本格的にスタートしました。 軌道エレベーターの構築計画が軌道に乗ったためで、もしも軌道エレベーターがこのまま順調に構築されれば、宇宙コロニーが無数に軌道上に浮かぶ未来も予想されます。 国連ではこのニュースを発表すると同時に、各国が資金援助を表明。 二千億ドルほどの資金が集まりつつある様子です」

「まあ、月に住めるのかしら」

「重力が六分の一しかないらしいし、あっという間に体が鈍りそうだな」

「違いない」

からからと、周囲で老人達が脳天気な話をしている。

更に明るいニュースである。

「絶滅動物の再生事業は順調で、マンモスに続いてアメリカリョコウバトの再生が成功しました。 クローンは倫理的な多くの問題を抱えていましたが、これらの成功によって、環境の再生に大きな弾みがつくものと見られています。 人口爆発が押さえられた今、人類は更に文明を前に進めることが出来そうです」

いたたまれなくなり。

アルバートは自室に戻ることにした。

これが現実だったら。

いったいどれだけ良かっただろう。

悔しくて、涙が流れてくる。

結局人類は。

自力でこんな明るい未来を構築することが出来なかった。

これは借り物で作り物。

現実の人類は。

人口爆発と激しい環境汚染。

不平等と格差に苦しみ。

各地で紛争を繰り返し。

第三次世界大戦も目前の状態だった。

あの卵の兵器利用計画も。

至近に迫った第三次大戦が原因の一つだったことは否定出来ない。バカどもが此方の警告を無視したのが破滅のトリガーだったのは事実だが。

如何にどうしようもないバカどもでも。

自分の足下が揺らいでいることだけは理解していたのだ。

介護用のロボットが、ベットに寝かせてくれる。

自動で健康診断までしてくれる。

「少しがん細胞の増殖が早いようです。 このままだと、一週間以内にステージ1になります。 早めに処置をして取り除いておきます」

「勝手にしてくれ」

ガンマ線を当てて処理をしている様子を横目で見ながら。

鼻を鳴らす。

仮想空間とは言え。

人間は死ぬ。

実際の歴史、何てものを残したところで、誰もが笑い飛ばすのは確実だろう。此処が仮想空間だと主張しても、面白いSFですねと笑われるのが関の山だ。

それでも。

やっておきたかった。

翌朝、目が覚めると。

アルバートは自分用の端末を起動。

これが仮想空間だと分かった上で。

今までの自分のもう一つの記憶。

そして真実の歴史で何が起き。

どうして人類が滅びたのか。

それを記載していく。

例え誰が覚えていなくても。

誰が信じなくても。

事実は記載しておかなければならない。

どうしてそう思うのだろう。

科学者だからか。

否。

如何に悲惨でも。

現実を生きたのが自分で。

そして恐らくは。現実の記憶を此処に持ち込んだのは、自分だけしかいないからである。

一心不乱に記載していく。

これでも科学者だったのだ。

記憶力には自信がある。

どんなに無駄と言われようと。

やらなければならない。

一度、下書きをネットにアップする。

SNS等には告知しない。

ただ永続的にデータが残るようにする。

それだけで充分だ。

声高に此処が嘘の世界だと主張するつもりは無い。

仮想現実かも知れないが。

此処に意識が持ち込まれているのは事実で。

実際に人間が「生きている」のも事実なのだから。

ある程度作業を終えた後。

もしもこの世界で、人類が少しマシになって。

地球に戻るのはいつだろう。

そう思った。

だが、思って見てもしかたがない。

ただ生きた記録を残そう。

そう思い。

再びアルバートは、キーボードを叩き始めた。

 

(終)