射命丸文曇天を行く
序、無気力との戦い
此処は幻想郷。
外の世界では存在を否定され、生きていく事が出来なくなった妖怪や神々が住まう最後の理想郷の一つ。
隔離された結界に守られた、居場所が失われた者達の小さな楽園。
其所にある、最大の山岳地形こそ、妖怪の山である。
現在、妖怪の山には三つの大きな勢力がある。一つは天狗。いうまでもなく、日本でももっとも有名な妖怪達。もう一つは河童。此方も同じく。そして最後の一つは、外界より来たりし現在妖怪の山を事実上掌握している存在。守矢神社である。
少し前まで、圧倒的な力を持つ守矢神社は、幻想郷の最大懸念存在であり。文字通り導火線に火がついた爆弾と同じだと思われていた。事実多くのトラブルも引き起こしていた。
だが、実際の所。妖怪の山から支配者階級妖怪である鬼が去り。その末に混乱が生じた結果、天狗が好き勝手をし始めた事が守矢の力を増しに増した原因だという事が判明してしまった。
更に、頭を抑えていた鬼達がいなくなって、天狗がやりたい放題をしてきた事も白日の下に晒され。
現在天狗は幻想郷の支配者妖怪の一人、八雲紫と。同じく管理者である博麗の巫女によって厳しい監視を受けており。非常に息苦しい状況にある。
何より厳しいのは、天狗の趣味である新聞造りを、一部の若手の天狗以外が禁止されたことで。
昔は幻想郷でも強い妖怪と認識されていた天狗。特にその中枢を担っている鴉天狗達は。
皆生気が抜けたように、だらだらとしていた。
守矢といつ開戦してもおかしくなかった。その時が来たら勝ち目など無く、鏖殺されるしか無かった。
何しろ相手は日本神話のダークサイドを司る武神。それも二柱。更に天狗に反発する妖怪の山の妖怪達殆ど全て。
河童は元々組織を作るのに向かない種族で、数は多くとも戦闘力は低く。援軍としては期待出来なかった。それどころか、利害次第では、守矢につく可能性も高かった。
そんな絶望的な状況は覆り。武力で潰される恐れはなくなった。
しかし、その代わり。幻想郷の管理者を本気で怒らせている。
妖怪の山は、奇しくもそれで安定した。守矢に開戦の大義名分がなくなったからである。
妖怪の山の中腹から少し頂上より。此処は天狗の縄張り。
木の枝の上に寝そべって、あくびをしたのは射命丸文。
行者のような格好をし、背中に翼を持つ女の子に見える彼女は。千年を経た鴉天狗。
天狗の中でも最強を謳われ。天狗の指導者である天魔に匹敵する実力者であると評される者である。
悪辣なブンヤとして幻想郷中で悪名を馳せ。嫌がる相手に無理矢理取材し。
新聞にする事件が無ければ自分で火を起こして事件を作り。
そして多くの妖怪を泣き寝入りさせてきた。
たくさん恨みを買っているが、それでいながら飄々としている天狗の中のトリックスター。
それが射命丸である。
幻想郷最速を昔は自称していたが。近年は博麗の巫女の実力が上がってきており、もう勝ち目が無い事を射命丸も自覚しているし。
妖怪達が作る勢力の長達の中には、射命丸の上位互換のような存在もいる。
あくまで幻想郷最速という称号は。自称に過ぎず。
ましてや幻想郷最強にはほど遠い事も、射命丸は知っていた。
もう一つ自覚していたことは。
完全に何もかも、やる気を無くした、という事である。
千年間天狗の組織のために尽くしてきた。それに対して、天魔を一とする天狗の組織は、射命丸に報いる事もなかった。
だからいつか組織を乗っ取り。復讐してやろうと思っていた。
そんな射命丸にとっては、妖怪の山のひりついた空気はスリリングであったし。いつ謀反をどう起こしてやろうかと、考えるのも楽しかった。実際問題、根回しもしていたのである。
だが。想像もしていない場所から、そのもくろみは打ち砕かれてしまった。
魔法の森の魔法使い。霧雨魔理沙。
確かに人間としてはそこそこに強いが、所詮は幻想郷で流行っている決闘方、スペルカードルール限定の実力。
鴉天狗の一人、姫海棠はたて。
天狗の名家のお嬢であり、所詮は可愛いひな鳥に過ぎないと思っていた程度の若造。
この二人が、予想外の動きをした結果。
守矢より天狗の方に問題があると気がついた八雲紫と博麗の巫女が電撃的に動き。天狗を押さえ込んでしまったのである。
今の博麗の巫女の実力は、はっきりいって堕落しきって弱体化した天狗では、束になってもかなわないレベルであり。此処に本気で怒った八雲紫まで加わると、射命丸がどう動いてもどうにもならない。
というわけで、今は唯一の心の安全弁だった新聞を作るどころか、縄張りから出る事さえ禁じられ。
それどころか、紫の手で強制的に監査を入れられた挙げ句、腐敗が一掃されて手の出しようが無くなった天狗の組織を呆然とみやるしかなくなり。
射命丸は、はしごを外された感触で、呆然とダラダラ過ごすしかなくなっていた。
肝が抜けたような気分だ。
そんな風にまで射命丸は思う。
今まで自分が「悪事」を散々重ねてきた事なんて分かりきっている。死んだら地獄行き確定だろう事も。
だが別にそれに対して後悔はしていない。そういう生き方を敢えて選んできたし。自分はそういう存在だとも知っている。
報いを受けたとも思っていない。報いなんて、地獄が実在するこの世界でも、ほぼ誰も受けていないではないか。因果応報なんて、千年生きてきて殆ど実例は見た事だってない。事実射命丸が今退屈なのは、因果応報の結果だろうか。否。単に大きな事件に巻き込まれただけである。
射命丸はこう思っているだけだ。
退屈だ、と。手詰まりが、こうもつまらないとは思わなかった、と。
まさか、自分が想定もしていなかった所から、こんな風に事態が動くなんて、思いもしなかった。
想定外の一撃は楽しいのだが。その結果がこれでは、射命丸としてはもはや悪さのしようがない。
悪さが出来ないのは、あまりにも退屈すぎる。
今の博麗の巫女は近年めきめき力をつけていて、昔の手を抜いてあしらえた相手ではなくなっている。射命丸はそんな博麗の巫女に思い切り目をつけられていて、下手な事をすれば本当に殺される。
流石に、今殺されるのは面白くない。殺されたら地獄行きは確定。そうなれば、流石の射命丸も顔を引きつらせるくらいの目にあうくらいは分かっている。
あの五月蠅い幻想郷担当閻魔の説教だけでも、流石の射命丸も耐えられないくらいなのだ。地獄の責め苦はそれどころではあるまい。それくらいの計算は、射命丸にも当然出来るのだ。
だから、こうしてダラダラしているしかない。
ふと、気付く。
空を飛んで行く鴉天狗。悠々と縄張りを出て、人里に向かって行く。
天狗の組織を劇的に変えた事件を起こした元凶の一人。
姫海棠はたてだ。
昔は、名家の馬鹿な箱入りとしか思っていなかった。事実、その通りだった。現実も理解せず、狭い天狗の社会の中だけで思考が完結し。新聞のコンテストで射命丸に勝つことしか考えておらず(射命丸にとってもコンテストなどただの気晴らしでどうでも良い事だった)。周囲からも浮き、空回りするし自分の立場も分かっていない滑稽な若造に過ぎなかった。
ところが、だ。
天狗の組織に大監査が入った事件の直後から、あの「ただの若造」は大きく変わったのである。
歩き方からして変わった。
背筋はぐっと伸びたし、歩き方も飛び方もしっかりするようになった。目にも今までの無根拠な自信ではなく、使命に満ちた光が宿るようになった。
言動も筋が通るようになり、両親とも別居。今では一人で、粗末な家を敢えて建てて其所で暮らしている。しかもしっかり家の中も掃除が行き届いていると聞いている。世間知らずのお嬢が、地の能力が多少高かろうが、いきなり此処まで変われるはずが無い。
それまで鼻で笑うひな鳥だったのが。
いつの間にか鳳凰に変わっていたような気分である。
思わず顔を上げて、人里に飛んで行ったはたてを見やる。
歯牙にも掛けていなかった相手。今でも、戦闘能力では、射命丸の足下にも及ばない。
元々実力を自覚している様子も無かった。天狗の中では比較的マシ、という程度の実力ではあったが。それでも幻想郷の強豪達には手も足も出ない程度の戦力しか有していなかった。それについては今でも同じ。
変わった後も、別段強くなった訳では無い。
新聞を取りだしてみる。
はたての発行している新聞、花果子念報である。
元々はたてはユニークスキル「念写」の持ち主で、これを使って新聞を書いていた。
この新聞が他の天狗の新聞と同レベルかそれ以下の代物で。射命丸も鼻で笑う程度のものだった。
射命丸も、自分も含めた天狗が新聞造りに向いていないことは知っている。
そんな射命丸でも笑うほど質が低い新聞、だったのだ。
だが、今は明確に違っている。
攻撃的な論調は今も同じだ。
しかしながら、新聞の内容が正確なのである。
丁寧で誠実な取材。写真を撮った事に対する責任。何より取材対象と綿密に打ち合わせをしている事が一目で分かる内容。
天狗達の間で人気のある新聞が、八雲紫の式神である九尾の狐、八雲藍に片っ端から駄目出しされていった中。
今のはたての新聞と、若手の天狗数名のものだけは、発行の許可を得た。
読んで見るとはっきり言って面白くない。
しかしながら、藍の話を聞いた限り、決定的に違っている。
「面白くない」という意見は同じ。
だが、取材をされた側が、嫌がっていないというのである。
天狗の新聞の取材を受けると、ほぼ確実にクレームが飛んでくるのが今までの常だった。新聞の内容次第では、妖怪の勢力の長が、天狗の本拠地に乗り込んでくる事さえあった。
それがないのである。なぜなら、掲載されているのが「色眼鏡無しの情報」だからだ。
あらゆる意味で客観性を重視し。
「真実」を読者に届ける。
それを最重視していることが分かるのだ。
もちろん昔のはたてはそんな奴ではなかった。自分の新聞の駄目さについては自覚しているようだったが。
こんな考えを持っている、要するに立派で真面目な奴では無かった。
天狗相応のものの考えをする、その上箱入りの世間知らずに過ぎなかった。それは射命丸が良く知っている。これでも天狗の重役で、姫海棠家とはつきあいがあるし。はたての両親が、娘を溺愛してスポイルしている事も良く分かっていたからである。
今ではまるで。
古い時代に外の世界にいた、プライドを持って真実を書こうと試みる記者のように思えてくる。
そんなものは、外の世界ではとっくに絶滅し。
今は金を出してくれる存在に都合が良い文字列をばらまく輩ばかりがのさばっていると聞いていたのだが。
鼻を鳴らす。
若手の天狗達のうち、新聞造りをしている者は、大体妖怪をターゲットにしているのだが。
はたてはガンガン人里にも行く様子で。
人里の美味しい料理屋や、腕が良い職人等まで記事にしている。
人里に、変装して妖怪が入り込む事は珍しくもない。そういった妖怪の中には、はたての新聞をつまらないと言いながらも、参考にしている者は珍しく無い様子だ。
いつの間にか、射命丸の「面白いかも知れないが内容はまったく当てにならない」と評価されていた新聞と。
はたての「面白くはないが誠実で情報は正確」とされる新聞が。
比較されるようになっていたのである。
不快感がせり上がってくる。
こんなものと。
新聞なんてどうでも良いと思っていたはずなのに。射命丸にとっては、ただの精神の安全弁だった筈なのに。
若造の作る新聞が、いつの間にか隣に並んでいて比較されていたことを思うと、どうにも気分が良くない。
座って姫海棠の新聞を見る。無意識の内に、チェックを真面目にしていた。
最新刊も、やはり面白くない。
だが内容は正確だ。
射命丸は幻想郷でも屈指の情報通で、裏情報には非常に通じている。書かれている事が本当かどうか位は一目で分かる。
そして此処には本当の事が、取材対象にとって極めて誠実に書かれている。
天狗の取材と聞くと、どんな妖怪も顔をしかめて嫌がった。それを見ているのが、はっきりいって射命丸にとっても内心面白かった。
しかしこの新聞を受け取った妖怪は、嫌な顔をしているだろうか。
そうは思えない。
面白くない新聞だと思うかも知れないが。
不快感は感じないだろう。
文章の攻撃性も、徐々に弱まっている様子である。
確実に進歩している、と言う事だ。
それに、である。
何より気にくわないことがある。昔は五月蠅いくらい突っかかってきていたはたてなのに、だ。
最近は、射命丸をまるで意識している様子も無いのだ。
こういう所でも、一皮剥けた、と言うべきなのだろうか。
実は、はたての両親から、相談を受けたのである。
少し前に、あまり天狗に都合が悪い新聞を書いているのを見つけて、思わず躾のために叩いてしまった。
それが原因だろうか。
娘が変わってしまった、と。
馬鹿な話だ。
適当に話は聞いてやったが、寿命が無限に等しい妖怪だって、変わる。子供はいつまでも子供では無い。
人間ほど成長は早くないにしても。
自分の娘が、いつまでも掌の上でぴいぴい泣いているひな鳥だとでも思っている方がおかしいのである。
射命丸は子供を生んだことはないが。
それくらいのことは知っている。
後続の鴉天狗は大体鴉天狗同士の子供だし。鴉から鴉天狗になった射命丸のような古参は今では少なくなってきている。更にこの間の監査の後、何名かが処分された事で更に減った。
溜息が漏れる。
ふと気付くと、あまり好意的ではない視線を向けている、白狼天狗の姿。
射命丸と犬猿の仲として知られる、犬走椛である。
同じように行者風の姿をしているが。剣と盾を手にしていて、より戦闘的な格好をしている。
一応縄張りの哨戒を担うのが白狼天狗の役割で。
暇に任せて河童と大将棋と呼ばれる独自の将棋を打ってばかりいる不真面目な同僚達と違って、真面目な此奴は。
前ははたて同様、射命丸に突っかかって来る五月蠅いひな鳥に過ぎなかった。
今では、はたてが態度を変えて、射命丸を歯牙にも掛けなくなった結果。此奴だけが何というか、昔と変わらない。
だから、むしろ笑顔を浮かべてしまう。
「射命丸殿。 このような所で昼間からさぼりですか」
「何もする事がないのでね」
「貴方は確か、実力に応じた仕事をするべきだという話をしていたはず。 それならば、鍛錬が足りない白狼天狗の面倒でも見たらどうでしょうか。 勿論私も鍛錬ならばつきあいますが」
そう敬語で喋る椛だが。
決して視線は好意的では無いし、言葉だって辛辣だ。
勿論実力は射命丸の足下にも及ばない。というか、白狼天狗というのは別名木っ端天狗。名前の通り最弱の天狗であり。白狼天狗が束になっても射命丸一人にすらかなわないというのが実情だ。
天狗は妖怪の中では強い方かもしれないが。
それぞれの妖怪勢力の長や、幻想郷の管理者と比べると、天地ほどの実力差がある。
普段から、たまにそれを口にする射命丸に、逆に椛は辛辣かつ痛烈な正論をぶつけてきた事になる。
勿論それで叩きのめされても、真面目な此奴は意に介さないだろう。
修行不足で負けたのだから仕方が無い。
自分のせいだから精進するだけ。
そんな風に思うだけ。
はっきりいって、叩きのめしがいがない。昔の、実力をわきまえていないはたてだったら、嬲りがいがあったかも知れないが。今のはたては、嬲ったところでうんともすんとも言わないだろうし。黙々と実力を蓄えて反撃に備えてくるはずだ。それでは面白くも何ともない。
「どうせ大天狗どのが白狼天狗の訓練については見ていますからね。 何しろ八雲の九尾殿のお達しだ。 私にやる事はありませんよ」
「それでも何かすることはある筈です。 少なくとも此処で昼寝をする以外に、ね」
「……分かりましたよ。 本拠に戻って資料の整理でもします」
頭を掻きながら枝を離れ飛び立つと、じっと此方を睨んでいる椛の視線を背中に受けながら、天狗の本拠に戻る。
あくびをもう一つする。
もっと血なまぐさい展開が来ると思っていたのに。
これは完全に想定外だった。
そういえば。未来予知の能力があるスカーレットのお嬢様。吸血鬼の館紅魔館の主であるレミリア=スカーレットは。幻想郷を巻き込む大乱になったら、まず自分の所が守矢のターゲットになる可能性を想定していたはず。守矢の二柱の実力は凄まじく、本気で来られたら多分紅魔館では勝ち目が無かっただろう。それなのに平然としていた、と言う事は。或いはこの結末を知っていたのか。
本拠の風穴前に降り立つと、歩哨に敬礼しながら自室へと戻る。自分のために与えられている部屋があるのだ。
退屈だが、此処で資料整理するしかない。
頭を掻きながら、資料をまとめていく。
作業をしながら、頭を回す。
スカーレットのお嬢様が余裕綽々だったのは、この未来を知っていたのだとすれば説明がつく。
そういえば、以前未来予知を頼んだとき、妙に余裕があった。その時既に、この結末を知っていたのか。
だとしたら、盲点だった。其所まで読むべきだったか。
「射命丸」
「あやや、何でしょう」
上司である大天狗が、資料を整理中の射命丸に声を掛けて来る。白狼天狗の訓練は終わったと言うことだろうか。
まあ良い。とりあえず資料の整理も退屈なだけだし、話を聞くとこにする。
「如何なさいました? 今は私が出るようなことは起きていない筈ですが」
「賢者から連絡があった。 試験的にお前を含む数名の鴉天狗に、新聞を作る事を許可するそうだ。 ただし、条件付きでな」
口を引き結ぶ射命丸に、ついてくるように大天狗は促す。
仕方が無い。
資料整理よりはマシだと思い。射命丸は、上司について部屋を出るのだった。
1、地底の取材と
地底。
比較的自由な世界である幻想郷で、罪を犯した妖怪や、平和な地上が嫌になった好戦的な妖怪が行き着くスラム。
昔地獄としても実際に使われていた「旧地獄」が存在していたり。
更には妖怪の山の支配者階級だった、妖怪の中の妖怪「鬼」が此処に今いることもあって。
特に山の妖怪は、此処には近付きたがらない。
鬼は絶対的支配者で、しかも酒豪であり。暴力に起因するものではあったが、妖怪の山に絶対秩序を敷いていた。
天狗が好き勝手を出来るようになったのも鬼がいなくなったから。
天狗にとって頭が上がらない存在であるニワタリ神、庭渡久侘歌が妖怪の山に居を構えているのも、古くは鬼を監視するため。鬼に対する絶対的な制圧能力を持つニワタリ神に、妖怪の賢者が頭を下げて幻想郷に来て貰ったのも。そもそもそれだけ鬼の力が強く。幻想郷のパワーバランスを担っていたからだ。
天狗は鬼が健在の頃は好き勝手をすることが一切できず。
故に、鬼がいなくなってからは、逆にその反動で暴走したという経緯がある。
なお、射命丸の他に古参の鴉天狗が三名、今地底に降り立ったが。皆、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
新聞を作ってこいとは言われたが。
よりにもよって地底の妖怪が相手である。
地底の妖怪には凶暴な者も多く、取材を受けるどころか、その場で殺すつもりで襲いかかってくる者までいる。
今日は見かけないが、つるべ落としの妖怪であるキスメと呼ばれる者などは、その典型である。あまりにも人間に対する殺傷衝動が強すぎるために地底に封印されたのに、地底でもまるで変わらず見境無しに周囲を攻撃する。このため、鬼ですら辟易していると聞いている。
事実射命丸も取材を試みたことがあるが。
話しかけた瞬間首を刈ろうと襲いかかってきたので、それどころでは無かった。
実は地底でも、最近は地上ともう少し交流を持とうと試みているため。
幾つか整備をしているとは聞いていた。
人間や、地上の妖怪向けの観光施設を作ろうというのである。
更にこれらの凶暴な妖怪だけが住んでいる訳では無いとアピールするためにも、新聞をという話だったらしいのだが。
当然、そのいう事情なら。
今までのような新聞を作る訳にはいかない。
あの退屈な。
姫海棠はたてのような新聞を作らなければならないだろう。
溜息が漏れる。他の天狗達も、愚痴を言い合っていた。
「よりにもよって地底の取材か。 とりあえず手分けして取材をするとして……」
「ああ、鬼の顔役は私が担当しますよ。 貴方方は地霊殿をどうぞ」
射命丸が笑顔で手を上げると、他の天狗達はほっとした。
そもそも鬼ですら恐怖の対象なのに、その頂点である「山の四天王」(今では「元」がつくが)は天狗にとってはもはや絶対君臨者である。
それに対してある程度話が出来る射命丸は。
天狗の中でも、昔から重宝はされていた。
他の天狗達は、地霊殿(地底の管理者であるさとりの妖怪姉妹の居城である)やら、比較的温厚な地底の妖怪を探して散って行く。
鼻で笑うと、射命丸は雑多なスラムを見やった。
幻想郷の町並みは、外の世界に比べると100年以上遅れていると聞いているが。それよりも更に雑多で粗末で、継ぎ接ぎだらけ。
色々と情報は仕入れているのだが。
外の世界で言う「アジア」と呼ばれる地域が、大体こんな感じであるらしい。
それらの地域では、今でも夜の闇が健在で。
妖怪は比較的大手を振って歩けるらしいので。羨ましい事だとも思う。
もはや日の本では、妖怪は幻想郷にしか居場所がない。神格持ちや、伝説に残る大妖怪級でもない限り、幻想郷の外に出るだけで消滅してしまう。
黙々と歩いて、見かけた妖怪に話を聞く。
射命丸を見ると露骨に嫌な顔になる妖怪も多かったが。
それでも、目的である妖怪。
元山の四天王にて、最強の鬼。伊吹萃香の居場所は教えてくれた。
萃香は元々酒呑童子として知られた妖怪であり。外の世界では「三大妖怪」とも呼ばれた文字通り最強格の妖怪である。そもそも元山の四天王が酒呑童子の関係者ばかりであり、皆が退治されてからは幻想郷に引きこもった。
現在では他の鬼達同様、元山の四天王は基本的に地底などで静かにしているが。
そんな中で萃香は比較的自由に幻想郷を歩き回り。
時々悪戯をしたりもしながらも。
現在の幻想郷を見守ってはいる。
頭の左右から大きな角を生やして、手には幾らでも酒が湧いてくる瓢箪を持つ彼女は。童子にしか見えないが、同時に無双の剛力の持ち主でもある。
天狗なんかそれこそ束になっても蹴散らされる実力者だが。
これでも神々にはとても及ばない。
仏教の天部は、萃香クラスの実力を持つ夜叉や羅刹を数千単位でそれぞれ従えているのが普通だし。
強力でわかり安い萃香の能力も、そもそも格上の神には通じない。
結局の所萃香は幻想郷の守護者になる事は出来ても、それ以上の事は出来ない。
それは本人も分かっているのだろうか。
常に酔っ払っていて、素面でいる所は見た事がない。
だが、本人が素面にはそもそも戻りたくない様子だし。時々ぞっとするほど深い陰鬱を見せたりもするので。
結局酔っ払って千鳥足でいる今の方が、あらゆる意味で幸せなのかも知れない。
ほどなく、萃香を見つける。
普通の人間の二倍も背丈がある大柄な鬼と腕相撲をしていたが。苦も無く相手をひっくり返し、地面に半ば埋めてしまう。
埋められた鬼も平然と立ち上がってきて、流石だと萃香を褒め。萃香も精進しろと、相手に激励を掛ける。
勿論今は酔っているが。
むしろそれでも、格は落ちているようには見えなかった。
わいわいと集まっていた妖怪達が散ると。瓢箪の蓋を取りながら、萃香は射命丸に声を掛けて来た。
「何の用だ。 話があるんだろう」
「あやや、流石ですね。 まだまだ隠行の修行が必要だなあ」
「……それで?」
「真面目に取材をしたいと思いましてね」
まことに不本意ながら、と内心で付け加えるが。
多分それを萃香は見抜いている。
ごくごくと瓢箪の酒を飲み干すと。文字通りの蟒蛇である最強の鬼は、酒臭い息を吐いた。
「他の天狗も何体か来ているな。 地上でのごたごたが一段落したのか」
「はあ、まあ」
「自浄作用くらい働かせろ。 ちょっと目を離しただけですぐに暴走しやがって。 此方は紫と山に戻る話までしていたんだぞ」
「あやや、ご機嫌斜めのようで」
鬼達は、退屈な地上に飽きて地下に去ったとされているが。
実の所、真相は萃香達にしか分からない。
萃香自身は今でも地上に出てきては、強豪妖怪と遊んでいるし。鬼の中でも気が良い何人かは、時々人間に変装して人里に出向くことさえあるようだ。勿論人間をさらう鬼は既にいない。現状、人間を食うことは基本的にはしない。それが幻想郷での暗黙の妖怪達のルールだ。人間には一部を除き知らせてはいない事ではあるが。人間を喰らうのは事故扱いで、妖怪に成り立てでこのルールを理解していない妖怪や、外部から入ってきたばかりの妖怪の仕業である。それらも必ず仕置きを受ける。
いずれにしても、萃香や少数の例外を除く大半の鬼は地底から出てこない。
何かしら、理由があるのかも知れない。
「そもそもなあ。 お前が余計な事ばかりしなければ……」
ぐだぐだと説教が続くが。
笑顔で射命丸は聞き流す。萃香が説教をするのは滅多にない事で。多分博麗の巫女も見た事はないのではあるまいか。
普段は酔っ払って辺りをふらついている萃香は、力が異常に強いだけの、気が良いのんき者に見えるかも知れないが。
真面目になる時はなるし。
妖怪の山にいた頃は。外の世界にいた頃の、妖怪の頭領だった時の風格を要所要所で見せていたものだ。
懐かしいなと思いながら萃香の説教を聞き流すと。
適当な所で、取材について説明する。
しらけた様子で話を聞いていた萃香は。不意に、その内容を聞いて、はたての名前を出した。
「あのひな鳥が出している新聞みたいな内容だな」
「あやや、良くご存じで」
「それはそうだ。 私も取材を受けたからな」
「……」
思わず無言になる。
大半の天狗は怖れて近づきもしない萃香に、堂々と取材を申し込んでいたのかあの小娘が。
恐らく鬼を取材した新聞という事で、限られた相手にしか撒かれなかったのだろうが。
それでも、予想の先を行く状況に、思わず言葉を失っていた。
「それについて丁度話もあったところだ。 ちょっと顔を貸せ」
萃香が千鳥足で歩き始める。
射命丸も、興味が出てきたので、一度メモ帳とペンをしまって。現在この地底にて、事実上の支配者であるさとりの姉妹とは別の意味での君臨をしている強大な鬼についていくことにした。
再開発というのか。
スラムの一部を、屈強な鬼達が立て直しし始めている。資材をどこから集めているのかはよく分からないが。
汚い家を綺麗に。
破落戸が屯しやすい路地裏を無くし。
更には、客を迎えやすい宿を作り。
スラムでの荒々しい喧噪も、届きにくいようにと色々工夫をしているようだった。
多分客を迎えるための場所なのだろう。近くには温泉も湧いている。地熱が強いので、少し人間には熱すぎるかも知れないが。あの博麗の巫女辺りは、平然と入りそうだ。
意外に綺麗な連携をとって、鬼達が動いている。
雑多なスラムの住人だが。単純な力によって制御しやすいという利点もある。絶対的最強さえ存在すれば秩序が生まれるのだから、ある意味楽と言えば楽だ。なお、指揮を執っているのは山の元四天王の一人。星熊勇儀である。
萃香と違って長身の女性鬼である。同じように非常に強力な鬼で、単純な腕力だけなら萃香以上とも言われている。気が良い鬼ではあるのだが、その分怒らせたときもとても怖いし。何より非常に好戦的なので、山にいた頃には、ある意味萃香より怖れてもいた。
有能な指導者である事は間違いなく。
今も鬼達や荒くれの妖怪達を綺麗に制御して。恐らく紫の配下らしい妖怪と打ち合わせしつつ、再開発を進めている。
大したものだなと、射命丸は思ったが。
これを見せてどうしようと言うのだろう。
萃香は酔眼のまま工事をみやりつつ、聞いてくる。
「なあ射命丸。 天狗の中で最強だったお前は、どうして天魔になろうともっと努力しなかった」
「あやや、私はそんな器ではありませんよ」
「お前が天魔の寝首を掻こうと狙っていたことくらい、知らないとでも思っているのか」
「またまたご冗談を」
まあ事実だし。そもそも天魔が射命丸の謀反心を察していた様子なので。萃香が知っていても不思議では無いだろう。
天魔にならなかった理由はただ一つ。
機会がなかったからだ。
射命丸には人望が無かった。時間を掛けて人望を集めてはいった。事実謀反のために、天狗の四割ほどを掌握する事にも成功はしていた。
だが、射命丸も何処かで気付いてはいたのだろう。
自分は上に立つ器ではないと。
力が強いだけでは、指導者はやっていられない。
例えば。現在幻想郷を事実上回している八雲紫は、決して幻想郷最強ではない。妖怪としては最強かも知れないが、それも「最強の一人」に過ぎないし。あからさまに紫より強い者も何名かいる。
今では真っ向勝負をすれば、博麗の巫女の方が力は上なのでは無いか、とさえ言われている程で。
紫もその真偽については明言を避けている。
射命丸の実力では天魔の座を奪うのは厳しい。奪えてもその後が続かない。だから実力以上の結果が出せる機会を狙っていたのだ。
「私はな、お前に期待していたんだよ」
「ほう、これは驚きですね」
「お前は年を重ねて知恵を付けていた。 だらけていた他の天狗と違って力もつけていたし、根回しも欠かさなかった。 それを放置していたのはどうしてだと思う」
「そんな事を言われましても」
のらりくらりとかわすが。
萃香は全て察している様子で、話を進めて行く。
「お前は勉強熱心で努力も怠らなかったが、良き指導者のあり方だけは学ぼうとも調べようともしなかった。 今の天魔は確かに無能だ。 それについては指導が足りなかった私も正直情けないとは思っている。 だがな、天狗に活力があれば、決して無能なままではいなかったと思うし。 お前が相応の上に立つべき器量を身につけていれば……私が紫に推薦して、お前を天魔にしてやったんだがな」
言葉を失う。
反論も出来ず、呆然と射命丸は立ち尽くしていた。
今まで、ずっと努力は欠かさなかった。妖怪としての力は、自分なりに磨いてきたし。得意分野は伸ばしてきた。
だが、伸ばすべき分野が違ったというのか。
世の中はきれい事では回らない。
そんな事は当たり前だ。
だから、幻想郷を裏から情報にて支配する。そのための仕組みも、くみ上げているつもりだった。
だが、萃香は全て見透かしていた。
何も言えず、思考すら止まった。
自分の手の内にあった機会を。射命丸は、全て取りこぼしていた、というのだろうか。
「天狗は内側から何か変わったか? ほら、見ろ」
地底は変わりつつあると、萃香は顎で示す。
地底は元々、旧地獄を一として、カオスの世界だった。
管理者もゆるゆるの管理しかしておらず。
此処に住まうのは完全に悪い意味での自己責任。妖怪としての死を迎える覚悟だって、いつでもしなければならなかった。
それが、この再開発計画が終わったらどうなるのか。
勿論、荒くれはいなくならない。
だが、今見ている再開発計画は、とても強力でエネルギッシュな秩序によって動かされている。カオスとは真逆だ。
萃香がこれを主導したのだとしたら。
まさか、地底に鬼が移動したのは。
「さて、取材だったな。 話なら聞いてやる」
「……」
「どうした、頭の回転を売りにしているお前らしくも無いな。 少し頭を冷やして来るんだな」
どっかとその場に胡座を組むと、萃香は飲み始める。
萃香はものの密度を操る能力を持っており、自分を大きくしたり、小さな分身をたくさん作ったり出来る。
此処から遠隔で指示を出すのも難しくはないのだろう。
完全に思考が飛んだ射命丸は。
言われるまま、その場を離れる。ぼんやりと、物陰に座り込むと。とにかく、頭を冷やすべく努力する。
だが、どうにもならない。
まさか、まさかまさか。
自分がほしいものがずっと側にあって。
それを手に入れられる条件が整っていたのに。
見えていなかったのか。
努力はしていた。それについては、誰にも汚させない。だが、その努力の方向が間違っていたのか。いや、違う。努力の方向性は間違っていなかった。では、何を間違った。
いや待て。
そもそも、射命丸より姫海棠の小娘が努力をしたか。
そんな事はないはずだ。
ならば、何故。
殺気。
不意に、真上から。鎌を振りかぶった、殺意の塊が降ってくるのが見えた。キスメである。
けたけたと笑いながら、射命丸の首を狩りに来ている。
妖怪は肉体を破損しただけでは死なない。精神を破損したときに、死を迎える。
ぼんやりと、射命丸は首を狩りに来る残忍な血みどろの妖怪を見やる。桶に入った子供にしか見えないが、無邪気な笑顔で首を狩りに来る殺気と。今まで殺してきた数については本物だ。
たまには、斬られてやってもいいか。
そうぼんやりと思っていると。不意に割って入った影がある。
桶を掴むと、地面に叩き付け、踏みつける。
星熊勇儀だった。
「この辺りで喧嘩はするなって言ったよなあ。 ああん?」
勇儀がめりめりと音を立てながら、桶を踏みつぶしていくと。流石にキスメも恐怖の悲鳴を上げ。
蹴飛ばされると、飛んで逃げていった。
勇儀はしらけた目で射命丸を見る。
「狡猾だけが取り柄の鴉が腑抜けやがって」
腑抜けか。
確かに、今の射命丸はそうかも知れない。
自分を支えていた自信が、根元から打ち砕かれたのだ。確かに魂も抜けるというものである。
作業に勇儀が戻っていく。
呆然と、助けられたこと。一方的に殺戮されそうになったこと。それを自分が受け入れようとしていたこと。
それらについて、まとまった思考すら出来ず。
射命丸は、ただ呆けたまま、膝を抱えて身を守ることしか出来なかった。
2、野望の源泉
幻想郷がしっかりとした形になったのはおよそ500年前。
そして幻想郷と外の世界を隔てる博麗大結界が完成したのは明治と呼ばれていた時代の事である。
千年を経た鴉天狗である射命丸は、当然それらについては知っている。幻想郷にいる者には、千年、万年と生きている者もいるが。射命丸は幻想郷設立の頃からいると言う意味では、古参の一人だ。後の者は、幻想郷の仕組みが出来てから、ここに来た。如何に年を重ねていようと、そういう意味では新参だとも言える。
元々鴉だった射命丸は。
妖怪になり。
天狗になり。
知恵も力もつけていく過程で、この世界がどれだけ歪んでいるかを、よくよく理解していった。
幻想郷は比較的マシな場所だが。
それでも管理者である八雲紫の苦労が絶えないことを、射命丸は良く知っている。外の世界に至っては、自己責任論が暴走した結果、現在は手がつけられない状態になっている事も。
射命丸は博麗大結界を突破して外に出る力は持っていない。
だが、それでも外の情報を手に入れる手段は幾つでもある。
だからこそに、思っていたのだ。
この狭い世界であろうとも、トップになりたいと。
残念ながら、自分より年長の天狗はたくさんいた。だから、組織の中で、着実に地位と権力を稼ぎ。それに相応しい実力を得ていくしか無かった。
そしてようやくそれをなせる力を得たときには。
思わぬ所から不意打ちを受け。
全ての体制がひっくり返ってしまった。
どうしてこうなった。
妖怪の時間感覚は人間とは違う。数年単位で権力が移動したりはしない。妖怪なりのやり方で、トップを奪おうと努力をし続けていたはずだ。それなのに、何が間違った。どうして。
そもそも、他の天狗よりはまだマシなやり方をしていたはずだ。
他の古参天狗と同じような、邪魔な山の妖怪を数に任せて消すような行為には荷担しなかった。
いずればれると分かっていたし。
そうなったとき、巻き込まれて被害を受けたくもなかったからである。
だが、それが徒となり。
こうして、何もできぬ身となってしまった今は、どうすれば良いのだろう。
しばし、ぼんやりしている内に、眠ってしまったらしい。
気がつくと、少しは気も晴れていた。
萃香がいた所に赴く。
萃香はまだ酒を飲んでいたが、射命丸を見もせずに言う。
「頭を冷やして来いって言っただろう。 なんで腑抜けのまま戻って来やがった」
「私は……何をすれば良かったのか……」
「……一つ良いことを教えてやる」
萃香は相変わらず飲んでいる。酒の臭いが凄まじい。それでも分かるのは、酔っているのに、ある程度素面だという事だ。
けふりと、げっぷをすると。
萃香は口を拭っているようだった。射命丸の方からは見えない。
「姫海棠はたてはな、「変わった」んだよ。 文字通りの意味で。 本人にとって大きな衝撃だった事件が切っ掛けではあるが、もう一つ理由がある」
「……その理由とは」
「幻想入りだ」
「!」
まて。
つまり、はたては。あの小娘は。
精神的に大きな成長を遂げたときに、それだけではないプラスアルファの何か良く分からない強化を受けたのか。
幻想入りというのは、基本的に「外」では失われたり、存在し得なくなったものが、自然に幻想郷に入る事を意味している。
妖怪や神々だけではない。
廃れたものや、もはや必要とされなくなったものが入ってくる事もある。そういったものが、幻想郷の住民に影響を与えることもある。
例外として、物理的に、幻想郷にまだ外で現役の存在を持ち込む事もあるのだが。
それが出来るのは賢者や神々など、ごく限られた存在。最低でも博麗大結界を超える能力……射命丸を超える妖力が必要になってくる。
つまり萃香がいう事を信じるのであれば。
外から何かが。今回の場合、どう考えても物理的では無い、恐らくイデオロギー的な何かが入ってきて。
姫海棠はたてと一体化した。その結果、考え方が根本的に変わり。あれだけの変化が急激に起きた。
今のはたては元とは殆ど別人だ。
それならば、確かに納得は行く。
はたては最近、頻繁に「記者のプライド」という言葉を口にすると聞いている。
それは、「真実を包み隠さず届け」「誠実に情報を客観的に発信する」事だという。
そんなもの、誰が持っているというのかと、天狗は皆笑っていたが。
結果として、はたて式の新聞と。それをいち早く飲み込んだ若手だけが、今は自由に新聞を作る事が許されている。
まさか。
ようやく、頭が働き始めた。そういう、事だったのか。
外の人間達も、多分天狗と同じ反応を示したのだ。金に貪欲なのは外の人間達の記者も天狗と同じだろう。
情報の精度よりも、金を出してくれる人間が喜ぶ情報。
客観的な情報よりも。金を出してくれる人間が満足する情報。
それを誰もが欲しがった結果。
外の新聞は、天狗のものと同じような代物になり果てているのではあるまいか。
そして、元々外の概念だったのだろう、記者のプライド、魂といったものは。
幻想入りしてきたのだ。
或いは、タイミングは少しずれているのかも知れない。姫海棠の親の話では、一時期から射命丸に対するライバル心は兎も角、自分が認められていないことに苦しんでいた様子だと聞く。実際射命丸にもそう見えていた。
血を分けた親の観察でそうだったとすると、更に精度が上がる。
要するに、姫海棠はたてには何かしらの切っ掛けで「記者の魂」が宿ったのだ。タイミングは恐らく、天狗の里に監査が入る少し前くらい。少なくとも、親との決定的な亀裂が入る前には、姫海棠はたては変わり掛けていた。もう今は、本人も変化を受け入れている。
そういう事なのだろう。
萃香がにやりと笑う。
鬼の長だけあって。童子の様な姿格好でも、笑みには凄まじい迫力があった。
「やっと少しは自慢の頭が動き始めたようだな、腹黒鴉」
「ちなみにこの再開発も、同じようなものなんですか」
「ああ、そういうことだ。 外の世界でもはや無くなったもの……自立自尊の精神という奴だな。 今ではそれと似て非なる得体が知れないタチが悪い安酒のような思想が流行し、すっかり廃れたらしい。 結果として本来の自立自尊の精神というものは、幻想入りして、地底がその影響を受けているって訳だ」
けたけたと、萃香は笑う。
だが、その笑いは、どちらかと言えば好意的な笑いだった。
「加速度的に外の世界が悪くなっているのは事実だが、結果として幻想郷はこうして良い方向に変わっている。 はたては個人としてその影響を強く受けた一人だ。 いっそのこと、天狗同士で取材でもして見たらどうだ」
「……助言感謝します。 それはそれとして、取材をしたいのですが」
「くくっ、ようやく本調子に戻ったようだな。 素面じゃあないが、それでもいいなら受けてやるよ。 ただし、書く新聞の内容次第ではブチ殺すぞ」
なお、はたての新聞について聞いてみたが。
面白くはないが、一方でぐうの音も出ないほど正確で、充分満足したという。
そもそも新聞は「面白さ」を追求するものでは無いのだろうと、萃香は言う。それについては、良くは分からない。
だが、萃香は有言実行するタイプだ。今までの調子で取材したら、冗談抜きに殺されるだろう。
やむを得ない。
少し、自分のやり方を変えていくしか無い。少し窮屈だが、仕方が無い事だ。
なお、内輪で配られたからだろう。
萃香に渡されたらしい新聞は見ていない。見せて欲しいと頼むと、即座に懐から出してきてくれた。
この扱い。
面白くはないと言いつつも、気に入っているのかも知れない。
「ふむ……」
驚く。相変わらずまだたどたどしい。攻撃的な文章も緩和されたとは言え、それも完全では無い。とげとげしさは、まだ少しずつ彼方此方に残っている。
だがそれ以上に丁寧だ。前に見た、文字通りの「妄想新聞」だったものとはまるで違う。
丁寧に、客観性を保って執筆が行われている。
これは何度推敲したのだろう。自分らしさを残しつつ、客観的で、読んだ本人も満足できる正しい情報。
その妥協点を探すために。
どれだけあの若造は、苦労したのだろう。
今までくだらん上につまらんとだけ思っていたのだが。
こうして見ると、まったく感じ方が違ってくる。
新聞の内容は、鬼の頭領の今、というもので。
萃香がどのように日々の生活を送り。そして周囲に具体的にどう接しているか、というものだ。
数日間共に行動して、生活も一緒にして取材をしたらしく。
何名かの萃香の友人(と萃香が思っている相手も含む)との交流や。
なんと鬼式の料理の作り方まで記載されていた。
実際に自分でも作って、味を比べることまでやっている。
本当に丁寧な取材運びだ。
なお、この様子からして、萃香と綿密に打ち合わせした上で、許可を得て新聞にしていると見た。
そういう風にせよと天魔に投げやりに言われた事を思い出す。
本気で姫海棠の小娘は、それをやっているという事になる。しかも、この新聞をばらまいていない。
つまるところ、前は鬱屈し拗らせていた自己顕示欲を。
新聞に対する熱意へと昇華させることに成功している、と言う事だ。
「あやや、なるほど。 つまらんと言いながらも、貴方が喜んでいるのがよく分かりましたよ。 これは確かに丁寧な新聞だ。 面白いかは別として」
「この写真な。 彼奴が昔使っていた隠し撮りじゃねえんだよ」
「……それもですか」
「彼奴は自分の能力を、もう強みだと思ってねえ。 多分事件の発生を知る事には使っているかも知れないが、写真は相手の同意を取った上で撮っているし、新聞の内容についても此処まで綿密に打ち合わせしている。 本当に、姫海棠のお嬢様の中に入った、失われた概念ってのは。 実に誇り高くしっかりしたものだったんだろうよ。 腐敗した世界では、はじき出されるような、な」
皮肉が萃香の言葉にはたっぷりこもっている。
それはそうだろう。
今までの天狗の新聞とも似たところがある。
金を出してくれる相手のため、というのではなく。自分達の自己顕示欲のため、という違いこそあれど。
都合良く情報を改ざんし。
取材も相手にとって極めて陰湿で。
新聞にて悪評をばらまかれ、怒ることも出来ず泣き寝入りしている妖怪もたくさんいた。
勿論射命丸にとって知った事では無い。少なくとも、今まではそうだった。だが、この状況。紫と博麗の巫女に目をつけられていて、下手をすれば殺される状況。どうやらやり方を変えなければならないか。
頭を掻く。
今まで積み重ねた悪評が、今後は枷になってくる。
やり方が根本的に変わると、今まで積み上げた技術が、どうしても足を引っ張る事はあるのだ。
勿論情報そのものを集める力。
スクープを嗅ぎつける力そのものについては、無駄にはならない筈だ。
いくら気晴らしとはいっても。作っていたのが自分でも認める三流新聞といっても。
それでも、趣味に手を抜いていたつもりは無い。
あくびをする萃香に、咳払い。
そして新聞を返すと、メモ帳とペンを取りだす。少し考えてから、今までのメモ帳から、ページを数枚破り取った。今後新聞にしようと思っていたのだが。これでは使えそうにない。
それに、姫海棠は内輪向けに鬼の記事を書いたが。
本人に密着した記事にした。
それならば、射命丸は。
今本人がやっている事業について、書いてみるか。
取材を順番に進めていく。
再開発の様子と苦労、指揮する際のコツなどを聞いていくが。萃香の発言を聞く限り、やはりかなり難しい様子だ。
言うことを聞かない妖怪はどうしても出てくるし。
そいつらがせっかく綺麗にした町並みを汚くしたりもする。
ただ鬼が怖いのか、悪戯以上の事はしないが。
今では悪戯をする雑魚を見張るために、手を割かなければならないと、萃香は愚痴を言っていた。
更に、再開発についても。
河童に設計図を出させているのだが。
どいつもこいつも自分勝手な設計図を出してくる上に。
その内容も「自己流」すぎて、複数の設計図を混ぜ合わせるとちぐはぐになるし。脅さないと納期は守らないしで、散々だという。
それはそうだろうなと思いながら、メモ帳にペンを走らせる。
写真も撮るが。
今までのような隠し撮りの習慣は何とかしなければなるまい。
再開発地区を背に、胡座を掻いて酒を飲んでいる萃香の写真を撮らせて貰うが。どうにも射命丸自身がぴんとこない。
こそこそと木の陰に隠れて、其所から写真を撮る。
どうしても、その方が良いアングルになる。
萃香が呆れていた。
「おい、写真見せろ」
「勿論見せますよ。 私も貴方を敵にするほど無謀ではありません」
「……この写真の方が良いな」
隠し撮りスタイルで取った写真は、真っ先に弾かれる。
こっちの方がスクープっぽくて良いのに。
そう思ったけれども。
萃香の発言を考えるに、下手な事を言うと殺される。萃香は今ヘラヘラ笑っているが、内心は結構腹に据えかねている。それが射命丸には分かる。多分天狗の中で、鬼ともっとも接してきたからである。
射命丸は鬼に対してもある程度洒落臭い口が利けるという事で、天狗の中でも折衝役として重宝されてきた。正確には、他の天狗が鬼をとことんに怖れていたので、射命丸ばかりが鬼と折衝してきた。
だから萃香とはつきあいも長い。
つきあいが長いと言う事は、相手の逆鱗も心得ているし。
相手が本気になったら射命丸なんて殺されて塵も残らない。妖怪としての死を迎えること位はわきまえている。
「記事の内容については一度見せに来い。 ……あいつも、そうしていた」
「分かりました。 そのように」
「今の時点でも、私は紫と話し合いを続けている。 このまま行くと次期天魔は姫海棠はたてになるぞ」
思わず、作り笑顔が引きつる。
よりにもよって、そうなるか。
勿論敢えてプレッシャーを掛けるつもりで、萃香はそう言っているのだろうけれども。それにしてもあまりにもプライドを抉る発言である。文字通り顔が引きつる、と言う奴である。
一度、地霊殿の取材に向かっていた天狗達と合流。
一様に疲れ切っていた。
此方の考えを読むさとりの姉。そもそも心が虚無のさとりの妹。地霊殿の支配者にて、現在地底の最高管理者は、二人揃ってとことんくせ者だ。さとりは戦闘そのものはそれほど得意ではないのだが、スペルカードルールでの戦いでは文字通り圧倒的な実力を発揮してみせる。
それも心理戦に極めて長けているというか、特化しているからで。
隠し撮りで勝手に新聞を作る今までのスタイルを崩され。
相手に対して丁寧な取材を行わなければならない状況に落とされれば。
天狗達も苦労するだろう。
此処にいるベテラン鴉天狗達は、皆新聞のコンテストで優勝をいつも狙っていた面子ばかりであるのだが。
全員が疲れ切っている様子からして。
完全に勝手が違う状況で、相当に疲弊させられたことはよく分かった。
皆で集まると、一度妖怪の山に戻る。
好意的では無い視線が、縄張りでは無い場所を飛んでいると無数に突き刺さってくる。今回はこれこれこういうスケジュールで通る、という話を先にしているので。守矢から迎撃のスクランブルは掛けてこないが。そうでなかったら、緑の巫女が撃墜しにきていただろう。
その一方で、姫海棠が守矢に降り立つのが見えた。
一時期守矢の巫女とかなり関係がギスギスしていたようなのだが。
関係修復に成功したらしい。
勿論取材もするつもりなのだろう。
せせこましいプライドと感情、何より身の程知らずの虚栄心に振り回されていた頃の小娘はもういない。
人間の子供もいつまでも子供では無い。
それは分かっているが。
人間とは時間の感覚が違う妖怪の小娘が、あんなに成長が早いとは。それも萃香に言われた要因があったとはいえ、ああも変わるとは。
流石に予想外が過ぎた。
疲れ切っている鴉天狗達と別れる。鴉天狗の一人は、取材の際にさんざんさとりの妹の方に振り回されたようで、無言で自宅に向かっていた。射命丸は責任者として、天魔に報告もしなければならない。
うんざりしてはいるが、仕方が無い。
自室に入るとレポートを書き。そして天魔に献上した。
なお、嘘を書くつもりはない。天魔は御簾の向こうで射命丸の提出したレポートを読んでいたようだが。
大きな溜息をついたようだった。
「私に取っても新聞は楽しみの一つであった。 そしてそもそも、この幻想郷では、力がものを言うとも思っていた。 だが、このような所から、その大原則が崩されるとは思わなかった」
「この射命丸めも同じ思いです。 恐らく新聞の発行の再許可を取り付けるには、全員のやり方を変えなければならないでしょう。 勿論大天狗様、貴方のも含め」
「ううむ……」
側に控えていた大天狗が腕組みして唸る。
困惑しているのはよく分かるが。ただ大天狗は、組織の腐敗について昔から頭を痛めていたらしく。
今回の大規模監査とその結果については、受け入れていた方の天狗だ。
そもそも反発する天狗もいたにはいたが、監査の後に間髪入れず粛正も入った事があって、反発どころか震え上がってしまっている。
幻想郷の賢者が本気で怒っている上、博麗の巫女まで完全にキレている。
その状態で、反抗する勇気を持つ天狗などいない。
射命丸も、それに関しては例外では無い。今の博麗の巫女は、歴代最強と言われている上に、膨大な戦闘経験を積んだ結果昔より数段強いのだ。
「これより、萃香様の記事を書きますので、失礼いたします」
「この状況下で鬼との関係を崩す事があってはならぬ。 萃香様は阿諛追従を最も嫌われる方だ。 気を付けるようにな」
「分かっておりまする」
一礼すると、自室に。
さて、記事の組み立てから見直す必要があるか。
今まで射命丸は、読んでいて面白い新聞というのを重点に置いてきた。これは天狗の身内で読んでいて、という意味である。
取材した相手が抗議してきたこともあるが。そもそも大前提として、天狗に抗議できる相手は限られる。
その限られた相手が来た場合は、譲歩せざるを得なかったが。
そうでない場合は、幾らでも相手の尊厳を陵辱してきた。
である以上、今後は恐らくだが。
単純に正確で相手もぐうの音が出ない情報を、客観的な視点から書いていかなければならないだろう。
今までは面白さを追求することに重点を置いていたが。
それは恐らく、今外の世界で主流になっている、「金を出す相手に阿諛追従する新聞」と本質的に変わらない。
結局の所。
射命丸は、もっとも馬鹿にしていた外の世界の人間達と。
同じ事をしていた、と言う訳か。
そして外の世界で駆逐されてしまった考えが。
今、幻想郷で。逆に射命丸達に鋭い牙を剥いている。
これもまた、皮肉な話ではあった。
二日がかりで記事を書き上げると、地底に戻る。他の天狗達はまだ四苦八苦している様子である。
途中、守矢についた妖怪がスクランブルを掛けて来たので、地底に行く旨を告げる。振り切るのは簡単だが、今下手な動きをすると紫が出てくる。だから相手に譲歩する。
そうすると、妖怪が数名出てきて、射命丸を地底に行くまで監視し。地底入り口で帰りの時間について聞いて来た。
流石に口の端が引きつる。
まあ正直な話、天狗は守矢に潰される寸前まで行っていたし。妖怪の山の妖怪達に恨みも買いに買っている。
事前に話をしておかなければ、これくらいの扱いを受けて当然なのかも知れないけれども。
それでも、色々と勘に障った。
「そういえば、姫海棠のお嬢さんにはスクランブルを掛けないようですが」
「守矢の巫女様に許可を得ているし、あの娘は問題を起こさない。 何かきっかけがあって変わったらしいが、それから我々は一度も悪さをされていない」
「……はあ、なるほど」
かなり積極的に取材をしているようだが、相当にクリーンな取材をずっと続けていると言う事か。他の悪目立ちする天狗とあからさまに違う事もあって、山の妖怪達からも評判は良い様子だ。
これでは次の天魔に、という話が幻想郷の上層部で出るのも頷ける。
元々姫海棠はたては真面目だったのだろう。
皆遊び半分のコンテストに本気で取り組み。射命丸に勝てないと、本気で悔しがっていた。
それを見て内心皆で笑っていることに気付いてもいないくらいに、真面目で純粋だった。
だから幻想郷入りした概念が、入り込んだ。
そういう事でもあるのだろう。
さて面倒だが、仕方が無い。地底に戻ると、萃香を探す。
萃香は、再開発地区の周囲にはおらず。川辺で、何だか正体が分からない妖怪に、石切を披露していた。
あの様子だと、まだ子供の妖怪のようだけれども。
ある程度ものを教えた後、地上に連れて行くのだろうか。此処はどちらかというと、弱い妖怪が来る場合、余程の罪を犯した状況。
見た限り、あの子供の妖怪がそうだとは思えない。
キスメのように、子供の姿をしていても邪悪で凶悪な妖怪は存在しているが。
アレは凶暴性を隠そうともしていない。
どうみても、萃香が遊んでやっている子供の妖怪は、そうではない。
ほどなく、さとりの妖怪の姉の方が子供の妖怪を迎えに来て、手を引いて連れていく。何だか仲が良い姉妹のようだ。
今更隠行が通じる相手でも無いし。そのまま、見送っている萃香の側に降り立つ。
「見ていましたが、訳ありのようですね」
「まあな。 それで新聞は」
「草稿は出来ましたよ。 後は許可をいただきたく」
「どれ」
新聞を受け取ると、萃香は読み始める。
見かけは子供でも、一時期はこの国の妖怪の大将格だった存在だ。学もあるし頭もそれなりに回る。
妖怪と言う存在は、この国では神々に絶対に勝てない。普通の人間にさえ時に負ける。余所の国の悪魔は、神の加護を得た人間で無ければ手も足も出ないらしいが、この国の妖怪は違う。
人間の一英雄「豪傑」にさえ退治される。
だが、それでも。一つの闇の形の長であった存在なのだ。萃香の頭は決して劣悪では無い。
たまに童心に返って罪のない悪戯をしたりはするが。それはそれ、また別の話なのである。
萃香はふっと笑うと、草稿を返してきた。
「思ったより良く書けてるじゃないか。 天狗の身内だけで楽しもうって文章じゃ無くなってるな」
「アドバイスを生かすくらいは出来ますよ。 これでも新聞を書いて随分と長いので」
「その割りにはお前の新聞、天狗以外には評価などされていなかっただろう」
「それを言われると辛いですが」
アルカイックスマイルのままの射命丸に舌打ちする萃香。嘘をつけ、と睨まれる。
実際には三流だと自分だと分かった上でばらまいていた。それもただ自分が楽しむためだけに。
それについては見透かされているようだ。
勿論三流の新聞なりに楽しんでは作っていたし、手も抜いてはいなかったが。
今回は、明確にそれとは違う内容ではある。
草稿を返された後、幾つか指摘を受けた。
「だいたいは良いが、此処と此処、修正」
「あやや、何か気に入りませんでしたか?」
「部外秘だ」
「ああ、そういう。 分かりました。 それではこう直すのでどうでしょう」
しばし話をした後許可を貰う。普通に話をしようと思えば、萃香は幾らでも論理的に喋る事が出来る。酔っ払いの童子という姿とは裏腹の、鬼の長としての顔だ。
萃香がぐいぐいと酒を呷っているのを見ながら、更にメモ。今後は駄目出し無しで、一気に仕上げたい。
勿論今まで射命丸の記事を良く想っていない妖怪に対して取材する場合、相手の目が厳しくなる可能性は高い。
それでも相手が客観的で正確な情報だと思えるように。
最初から此方も備えていかなければならないのだ。
だから、最初は物わかりが良い上に力が強い相手。例えば命蓮寺の住職や、或いは聖徳王辺りを狙うのが良いかも知れない。
「この写真は、まあこれでいいだろう。 後は完成稿を見せろ。 分かってると思うが、私の部下はまだ山にも結構残っている。 下手な事をしたら……」
「大丈夫、今無意味に命を散らすつもりはありませんよ」
「ふん、まあお前は計算は出来る奴だ。 その言葉、自分で裏切るなよ」
そのまま一礼して、山に戻る。
そして、新聞を完成させた。他の天狗達は、まだ四苦八苦していた。
3、新聞のあり方
結局最初に新聞を仕上げても、他数名の鴉天狗の新聞が上がるまで待たなければならなかった。
何しろ今回の新聞は、そもそも内輪で楽しんだり、コンテストをするための物では無いからである。
ちなみに萃香には完成稿を渡して、本人も満足していた。
むしろ姫海棠のよりは読みやすいそうである。文章に残っている棘がないから、というのが理由らしい。
その代わり、正確性と記事に籠もった誠意は向こうの方が上だなと、ずばりと言われた。
やはりパパラッチとしての習性が、まだまだ強く射命丸の中には残っている様子だ。こればかりは、時間を掛けて対応していくしかないのだろう。
幻想入りという現象は、射命丸もたくさん見て来た。
幻想入りして、直接山に乗り込んで来た守矢という勢力も身近にいる。
博麗大結界の境目にある無縁塚には、外から幻想入りしてきたよく分からないものがたくさん存在していて。河童が良く珍しいものを漁りに来る。
昔は墓地だった彼処も、命蓮寺が誰でも使える管理された墓地を用意してからは。今ではもう人間が近寄ることは殆ど無くなり。河童や一部の物好きな妖怪くらいしか近寄らなくなった。
まさか、天狗の中にも幻想入りの影響を受ける者が出るとは思わなかったし。それによって天狗の組織そのものが強い影響を受けるとも思わなかったが。
起きてしまった以上は対応するだけだ。
新聞が仕上がった後。全員で揃って、天魔に新聞を献上する。
その後、同じものを、そのまま八雲紫の所から来た藍に献上する。藍による監査は今でも続いていて、九尾の狐が天狗達を見る目はかなり厳しい。
勿論新聞についてもかなり厳しい目で見ていた。
天魔は露骨に退屈そうだったが。藍は全員分の新聞に目を通した後、天狗達を見回す。どう見ても、好意的な視線では無い。
「誰に入れ知恵を受けました?」
「皆、応えるように」
「は。 私は古明地さとり様に……」
「アドバイスは最低限にと教えたはずだったのにね」
不愉快そうに、八雲藍が帽子を取って頭を掻き回す。そして帽子を被り直すと、全員分の新聞に酷評をくれた。
射命丸の新聞も、当然同じだった。
「本来新聞とは、情報を届けるものです。 その情報とは正確で、客観的にみて公正である事が絶対条件です。 此処にいる者達の中には、知っている者もいるのではありませんか? 外の世界での新聞が、既にその公正さを失い、情報を伝えるものとしては役に立たなくなっていることを」
苦笑いする射命丸と。困惑する古参の鴉天狗数名。
知らない奴もいる。
天狗の中には、外の世界に興味を持たなくなった者もいるのだ。まあ幻想郷が形になってから500年である。
無理もない話であると言えばそうだろう。
ただ、藍のこの見下した視線。
やはり、外の新聞。更には、それを作っている記者も。似たような状態になっているのではあるまいか。確率は極めて高いと判断して良いだろう。
まああくまで憶測だ。
射命丸は、情報通ではあるが。自分で博麗大結界を突破出来る実力は無い。それが出来る実力がある妖怪は知っているが、それほど親しくは無い。話を聞き出すには、相当に根回しをしなければならないだろう。
「ともかく、しばらくは限られたメンバーだけに新聞造りを許します。 今度は同じようにして、別の数名の天狗を選出なさい。 彼らに新聞造りをさせます。 ノウハウは貴方達から伝えなさい。 伝達能力をそれで確認します」
「八雲の九尾殿。 天狗の皆は、長い監査と粛正もあって不安になっております。 確かに不届きなる行為をしていた者達はいましたが既に罰せられており。 更には楽しみも無ければ皆堕落は必定。 せめてもう少し、新聞造りの規模を拡げていただきたく」
「いずれそうしましょう。 しかしながら、それには段階を踏みます。 貴方たち天狗が、どれだけ新聞造りで他の人妖に迷惑を掛けてきたかをしっかり考えなさい」
「……」
大天狗が意見をするが。藍の対応はとても冷たかった。
ともかく新聞を持って藍が消えると、退出を許される。風穴を出た後、早速酒を取りだす天狗もいた。
「やってられん。 確かに我等に非があったことも認めるが、あんなつまらん新聞を今後ずっと書かなければならないのか」
「口を慎め。 賢者の能力を忘れたか。 守矢の境内ならともかく、此処は覗かれる範囲内だぞ」
「うぐっ……確かにそうだ。 それに鬼に戻ってこられてはかなわん」
「それに、今回書いてみて思ったが、我等は想像以上に恨みを買っている。 我等だけに楽しい新聞は、他の誰にも楽しくない。 それが可視化されたと言うだけでも、収穫ではないのかな」
そう言っているのは、昔は最強硬派の一角だった鴉天狗だ。守矢が現れた直後には、開戦を主張していた一派の一人である。
とはいっても、守矢との圧倒的な実力差を見て心が折れ。
更にこの間の監査で処分者が出ると、今はすっかり怯えきって態度が軟化しきっている。
人間もそうだが、極端な思想の持ち主は、別の極端へと行きやすいのである。妖怪も、その辺りは同じだ。
ある意味、姫海棠もおなじか。そう思うと、少しおかしかった。
「射命丸殿、何かおかしいか」
「いやいや、萃香様に面白い話を聞かされていましてね」
「萃香様と普通に話せる胆力については認めるが……何のことだ」
「いやね、外の世界の話ですよ。 実は外の世界でも、今は新聞というものがとても強い風当たりを受けているそうでして」
そうなのかと、天狗達が驚く。こんなに面白いのに、と零した者もいた。
いずれにしても、これでは意識改革までは遠いだろう。
くすりと一笑だけすると。射命丸はその場を離れた。
新聞を作るのは駄目だろう。だが、取材だけなら良い筈。
それも身内に対する取材なら、誰も止めることは無いだろう。それに、気になることもある。
鬼はその存在的に嘘をつくことが出来ない。強い妖怪ほどそうだが、種族的に弱点を持つのである。これは鬼もそう。
当然鬼の長である萃香も例外では無い。
多少の冗談は言えるようだが、本質的な面での嘘をつくことは不可能な精神構造をしているのだ。
だから大物として振る舞う一方。
時々本物の幼児のように、無邪気でしょうもない悪戯をしたりもする。
力が強すぎるから危険分子になっているのではあるが。本来は嘘をつけない気の良い子供大人。
それが萃香の本質だ。
勿論それを直接言うつもりは無い。萃香も一切合切手加減などしてくれる筈も無いのだし。
一応、許可は取っておくか。
一日ゆっくり家で休んだ後。次に選出された五名が、今度は博麗神社に飛んで行くのを見送ると。
天魔の所に出向く。そして、素直に萃香に聞かされた話をする。勿論、天魔交代に関する話は省いて、である。
天魔は少なからず驚いていた。
「幻想入りした概念が、姫海棠はたてを変えたと……」
「萃香様が嘘を言っているとは思えません。 しかしながら、勘違いしている可能性はあるかも知れません。 新聞を作らず、しかも身内相手の取材であれば、恐らくは賢者も文句を言いますまい。 取材をすることを許可していただきたく」
「……いや、今はどれだけ慎重に動いても危険な時期だ。 一応指示は仰ごう」
「御意……」
まったく、腑抜けが。
頭が回ることは認める。射命丸の謀反に備えていることも知っている。だが、根本的に弱腰で、天狗の暴走を招いたのも天魔の手腕に問題があったからだ。
そもそも天魔は、鬼に山が支配されていた頃。自分が主体となって天狗をまとめ、鬼に対して意見しなければならない立場だったのに。常に天狗が鬼に脅かされる原因を作った者でもある。
まあ山を担当していると噂の、以前見かけた賢者の一人。摩多羅隠岐奈が状況に一切関与しなかった事も原因の一つではあるのだろうが。
それでも此奴の弱腰は、射命丸から見てもイライラする。
萃香が首をすげ替えることを検討していた。そして今も改めて検討し始めている事を考えると。
この組織の長としての弱腰が原因なのだろうと思えてくる。
そもそもいにしえの武神二柱を擁する守矢が来た時点で、優柔不断に対応し続け、相手の神経を逆なでし続けた結果がこれだ。早々に相手に恭順の姿勢を見せれば、もっと今頃柔軟に動けていただろうに。
まもなく、天魔が八雲に連絡を取るが。姿を見せたのは、不機嫌そうな紫だった。いつもの紫を基調とした服を着た、人間とあまり変わらない姿をした妖怪の長。うさんくささに全振りして、その素の姿は見せない狡猾でしかし苦労人の幻想郷の支配者。
式神では無く、賢者本人が来るか。
寝起きなのか。胡散臭い様子よりも、不機嫌そうな様子の方が更に目立つ。更に更に。恐らく紫は幻想入り云々の事情を知っていると見た。
これは作る新聞は三流であっても。
長年幻想郷で情報を集め続け。
賢者でも把握していないような秘密の情報を複数握っている、射命丸ならではの勘である。
「身内への取材、新聞を作らないから許してほしいと?」
「このままでは天狗のストレスも甚大にございまする。 確かに我等の失態を考えると、大人しくしているべきだという事は分かるのではありますが。 其所はなにとぞ、多少の気晴らしと考えお許しください」
「……問題が起きるようなら即座に中止します。 どうせ言い出したのは射命丸、貴方でしょう」
「あやや、その通りです」
大天狗が取りなしてくれるが。
紫は其方には目もくれず、即座に射命丸の進言だと見抜く。この辺り、過剰労働に晒されていつも疲れ切っていても。流石にこの幻想郷を事実上回しているだけの事はある。流石は賢者。
その名前に恥じない経験を蓄積している、という事である。
この幻想郷で誰がどんな問題を起こすかは、知り尽くしている、と言う事だ。
「射命丸、貴方は誰に取材をするつもり」
「それは勿論、今回の騒動の原因ですが……」
「ならば、そのままでは許可は出来ないわね」
「……」
苦虫を噛み潰し、此方を見ている大天狗。
紫は口元を扇で覆い。更に手にしている傘で、何度か床を叩いた。
跪いたまま、相手の判断を待つ。
紫も、天狗が変な暴発をすることは避けたいはずだ。
破れかぶれになって天狗が暴れ始めれば、せっかく安定した妖怪の山がまた滅茶苦茶になる。守矢に侵攻の口実も与えるし、妖怪の山を守矢が完全制圧したら幻想郷は大乱に叩き込まれる可能性も高い。
そうなれば紫の負担も大きくなる。
紫の現状の心身に掛かる負担が壊滅的なことくらいは、幾つかの状況証拠から射命丸も掴んでいる。
この後に及んで、負担を増やそうとは、流石に紫も考えないだろう。
「守矢神社と「此方で」話をしておきます。 取材は守矢神社「で」個人的に行いなさい」
「へえっ……」
流石に射命丸も想定外の言葉だった。思わず情けない声が漏れてしまう。
彼処は敵地である。
守矢の二柱がその気になったら、射命丸は生きて帰ることなど絶対に出来ない。ましてや今や守矢の巫女である早苗も実力をつけてきていて、射命丸では多分勝てないと思う。
姫海棠が彼処に出入りしているのは知っているが。
彼処で取材しろというのか。
流石にこの返しは想像していなかった。
わなわなと拳が震えるが。ともかく、此処は我慢だ。少しでも、権利は勝ち取らなければならない。何より、この状況は打開しなければならない。
それより、何よりだ。
萃香が言った言葉が本当だったとしたら。次の天魔は姫海棠はたてだ。
事実今の彼奴は、昔とは別物。ただの可愛いひな鳥だった姫海棠はもういない。強かで、それでいながら自己を強く持ち。更にきちんと幻想入りした概念と一体化している。手強い相手である。
幻想郷の妖怪は精神生命体だ。
肉体が破損しても死なないが、精神が破損すると致命傷になる。
巨大な屈辱を受けると、回復まで相当に時間が掛かる。射命丸は、唇をぐっと噛んだ。血が出る。だが、気にしてはいられない。
紫はじっと射命丸の様子を見ていた。
どうでるか。それ次第では、対応を変えるつもりだろう。
大天狗は冷や冷やしている様子である。天魔に至っては、完全に地蔵と化している。あらゆる意味で関わり合いになりたくないのだろう。
しばしして。口を乱暴に拭った射命丸は、アルカイックスマイルを無理矢理作り、顔を上げていた。
「分かりました。 その条件で取材だけをさせていただきます」
「……流石の胆力ね。 それならば好きにしなさい」
すっと、音もなく紫が消える。空間を操作する能力を利用して、この場を離れたのだ。
スキマと呼ばれる力らしいが。その全容は射命丸も知らない。隠し玉もまだ持っているらしいのだが。
もしそれが開示されるとしたら、幻想郷が壊滅する可能性がある最大級の危機の時だけだろう。
この程度の肉体の破損なんて、即座に治せる。だから、切った口も修復してしまう。
大天狗が、心配そうに声を掛けて来た。
「取材だけのために、命を賭ける事もあるまい。 守矢の二柱はそなたを良くは想っておらぬだろう」
「ええ。 場合によっては鴉の田楽にされるでしょうね」
古くから外の世界の信州では鴉を田楽にして食べた。守矢の二柱はその信州から来た存在だ。
当然、命がけになる。
だが、射命丸には。むしろそれくらいが、スリルがあって良かった。
何もする気にならず。枝の上であくびをしながら腐っているくらいなら。内臓を鷲づかみにされるようなスリルを味わった方がまだマシだ。
それを悟ったか、大天狗は長いため息をついた。
「分かった。 ただし賢者は恐らくお前に対する対応力も試している。 頼むから、守矢とのもめ事だけは起こしてくれるなよ。 本当に鬼が山に戻って来かねん。 そして儂の見る所、鬼よりも守矢の方が更に実力が上だ。 そうなったら、更に肩身が狭い中、我等は鬼の手駒として守矢にぶつけられかねん」
「勿論承知していますよ……」
立ち上がると、風穴を出る。
さて、此処からだ。
取材だけは許可して貰っているのだ。色々と、今まで蓄えた経験を使い。好きにさせて貰うとする。
今までにやってきた事を、無駄にしてたまるか。
少しずつ、射命丸の心も、燃え始めていた。
案の定スクランブルを掛けて来た山の妖怪数名に話をすると、相手はぎょっとした。よりにもよって。射命丸が。今のタイミングで。それも守矢にというのだろう。
すぐに慌てて伝令が飛んでいく。
によによしながらその様子を見守ると、周囲で距離を取っている妖怪達は、露骨に青ざめていた。
射命丸は、各勢力の強者や鬼、それに博麗の巫女にはかなわない。だが此奴ら雑魚に対してはそれこそ絶対的な力を持っている。他の天狗を束にしても勝てるくらいなのである。当たり前の話だ。
ほどなく、空間転移してきたのは、守矢の巫女。東風谷早苗だ。正確には風祝だが、まあそれはいい。緑色の髪を持つ、守矢の事実上の巫女。空を飛び神の力を自在に引き出す、半人半神。既に人間を半分止めている、ある意味守矢神社の三柱目の神。外の世界では女子学生だったらしいが、今はもう関係あるまい。
顎をしゃくる早苗。そのまま無言でついていく。射命丸に向けられる目は酷く冷え切っていた。
あまりどうやら此方を良くは想っていないらしい。前は、神社に出向けば相応の営業スマイルで迎えてくれたのだが。
此奴も、短時間で成長している事がよく分かる人間(少なくとも半分は)。
良い意味でも悪い意味でも強かになっている、という点では姫海棠と同じか。首を刈り取ってやりたいが、我慢だ。
それにしても空を飛ぶのも、空を飛んでいるときの動きも慣れてきている。昔は体術からして素人丸出しだったのに。今ではスペルカードルール戦では幻想郷屈指の実力だし、様々な術も身につけている。神事にあまり興味が無く、妖怪退治の方に長けている博麗の巫女と比べると器用で。様々な神事も身につけているようだ。
体術に関しても、動きを見ていると分かるが、相当に修練をしているらしい。
人里の方で鍛え直しと称して、紅魔館から中華拳法使いを招いて講習を開いたり、腕が覚えがあるものが技を教えたりしているらしいが。
或いは積極的にそういったものに参加しているのか。
それとも親代わりの守矢の二柱に教わっているのか。
妖怪の山の、体術が得意な妖怪に、鍛錬を頼んでいる可能性もある。
早苗は戦闘経験をそのまま力に加えていく天才型の博麗の巫女と違って、努力型だ。この様子だと、相当の努力を積み重ねて実力を伸ばしているのだろう。
これは近々、博麗の巫女と並び立つなと思っているうちに、守矢神社の境内に降り立つ。
ロープウェーは今日は稼働していない。
明日から縁日をするらしく、多数の河童が来ていて、縁日の準備をしていた。守矢はロープウェーが出来てから、積極的に信仰を集めている。幻想郷の金の流れにもかなり関与していて。最も稼いでいる組織かもしれない。ただし気前よく金も使っている。
河童達は一瞬だけ射命丸を見てぎょっとしたようだが、そそくさと縁日の作業に戻る。勿論相手にしない。今日は河童など取材はしない。
縁日の準備を仕切っている河童の有力者である河城にとりを探す。いた。そしてその前に、件の人物を見つけた。勿論姫海棠はたての事だ。
「それでは、テキ屋としての稼ぎの利率は……」
「滅茶苦茶勉強してきてるな。 流石に全ては言えないけれど、大体予想に近いと応えておくよ。 てか驚いたよ。 誤差が小さくてな」
「いや、お金の動きを調べて計算しただけよ。 思ったより暴利で儲けてはいないのね」
「こちとらヤクザな商売な上に、そもそもいつが商機か分からないし、大体出費も小さくはないんでね。 人間は盟友って私は言ってるが、実際にはお客様でもある。 顧客を失ったら干上がっちまうのは当たり前だろ。 だからみんな楽しめる分の金で祭にしているつもりさ。 ただでさえ、こっそりキュウリ貰ったりしてるんだしな」
頷きながら、メモを取り。更に新聞の内容をその場で書き起こして、綿密な打ち合わせをしている。やりとりはまるでつばぜり合いで、非常に熱を帯びていたが、にとりが不快感を感じている様子は無い。
姫海棠はたての背筋はしっかり伸びているし、戦闘力は低くともとにかく狡猾な河童に、一歩も引いていない。目にも強い意思の光が宿っている。
これが少し前まで、妄想新聞を書いていた天狗か。何度見ても信じがたい。
早苗が咳払いをする。
「まだ取材に少し掛かるようですが、射命丸さん、どうなさいますか」
「此処にいても邪魔になりますね。 居間か何か借りられますか」
「……此方にどうぞ」
屋根の上で全体を見ているのは諏訪子か。田舎の純朴な子供みたいな容姿をしているが、あれでこの国の祟り神の総元締め。まつろわぬ神々の中でも特に危険なミジャグジ神の頂点だ。
もう一人の武神である神奈子の方は現場指揮か。この様子だと多分ロープウェーの下の方でも色々作業があるのだろうし、其方を見ていると見て良い。
それにしても、神社の結界の質が変わった様子だ。
前は諏訪子と神奈子のものだけだったが、更に強い力が加わっているのを感じる。早苗が張ったのか。
侮れないほど力を増しているなと、思わず射命丸は舌を巻いていた。
妖怪は人間より長く長く生きるが、急激に力は伸ばせない。普通はそうだ。だから時に天賦の才を持った人間に、初見殺し能力を使ってもなお遅れを取る。
居間に案内する時も、早苗には隙など微塵もなかった。これは本格的にもう射命丸では勝ち目がない。今の博麗の巫女は歴代最強を謳われるが。現時点での早苗は、今代以外の博麗の巫女ならば充分勝てるだろう。
茶を出してくれる早苗。
射命丸は遠慮無くいただきながらも、さらりと爆弾を投下する。
「以前、随分うちの姫海棠とは仲が悪かったようですが、今は懇ろの様子。 何があったんですか?」
「それは取材ですか?」
「いいえ、雑談です」
「お互いに理解をしあった、とだけ言っておきます」
理解、ね。
結構良い茶菓子だ。
どこぞの地方では、好まぬ客には茶漬けを出して、帰るように促すとか言う話だけれども。少なくとも守矢では、相手がどんな存在だろうが客であれば一定の歓迎は示すと言う訳か。
茶だって適温で美味しいし。この茶菓子にしても、多分外から仕入れているかなり良い物のはず。
守矢は何かしらの方法でリアルタイムでの外を知っているなと、射命丸は思ったが。それについてはわざわざ口にする必要もない。
早苗は姿を消すが。
この結界では、常時監視されているのと同じ。下手をすると、一瞬で揉み潰されるだろうし。
余計な動きをすることは出来ない。
胆力のない妖怪だったら、この状況では怯えきってしまうかも知れないが。まあ射命丸は伊達に修羅場をくぐってきていない。もっと危険な相手と、細い糸の上を歩いて渡るような交渉を何度もして来ている。
この程度の労苦は、文字通り朝飯前、である。
ほどなく、姫海棠が来る。早苗に話は聞かされていたらしいが。意外に相手は、此方を冷たい目では見ていなかった。
むしろ、余裕のある態度である。
親とは絶縁状態。他の天狗とも、若手以外とは殆ど最近は話もしないと聞いているのだけれども。
逆に天狗以外の人妖とは、むしろ交流範囲を拡げているのかも知れない。
少なくとも、孤独とか、格好良く言えば孤高とか。そういった雰囲気はなく。むしろ肩の力が抜けた印象である。
前はツインテールに結っている髪の毛は、幼く見えたものだが。
今の姫海棠は、むしろそれを己の一部として使いこなしている印象である。
化粧というのは難しいもので。身繕いも同じ。
身の丈にあっていないものは、容易に本人を振り回す。だが逆に、使いこなせば武器になる。
今の姫海棠は。己の格好を武器に昇華することに成功している。
しばらく間近で話してはいなかったが、これは手強い相手だと、射命丸は内心で呟いていた。
そして評価も改めた。
もう小娘ではない。天魔候補という言葉があの萃香から出てくるのも、無理はない人材である。
「立ち会いましょうか、はたて」
「いいわ早苗。 此方は大丈夫だから」
「そう。 何かあったら呼んでください」
「ありがとう」
名前で呼び合っていやがる。前は新聞の書き方が攻撃的である事を指摘された姫海棠が、一方的に早苗を敵視していた筈だが。それも完全に和解を果たした、と言う事なのだろう。それどころか、親友らしい気のあった動作で、役割分担しているのが分かる。自然に心配する言葉も出ていた。
さて、向かい合って座る。
先に口を開いたのは、姫海棠の方だった。
「まさか貴方が私を取材する日が来るとは思わなかったわ。 今だから分かるけれども、貴方私の事をひな鳥か何かとしか思っていなかったでしょう。 事実その通りだったから、今なら貴方の態度の数々も納得出来るけれど」
「ほう。 随分と自虐的ですね」
「自虐も何も事実よ。 身の程もわきまえず滑稽な価値観に振り回されていただけの可哀想な小娘。 自分がそうだったことくらいは理解しているわよ。 勿論今だってそう立派な新聞記者になったつもりはないけれどもね」
「……」
メモを取りだす。
はたては案外なれた様子で、茶を啜る。
見た感じ、まだまだ戦闘での手腕では射命丸の方が上だろう。だがこの落ち着きは、明らかに前とは人物が違う。
そしてこの落ち着き。明らかに守矢の巫女にも強い影響を与えている。
あの事件。
天狗の本拠に、紫と博麗の巫女が殴り込みを掛けてきた時の事は、射命丸もよく覚えている。
飛んでくる二人を見て、これぞ好機と、クーデターを起こすタイミングを狙っていたからである。
だが、実際には射命丸自身が博麗の巫女にいの一番で見つけられ、取り押さえられてしまった。
自慢の速度も、空間転移能力の前には意味を成さない。
ぶん殴られて目を回し、気がついたときには全て終わっていた。
情けないが、そういう状態だったのだ。
更に目を回している間に、全てが変わってしまっていた。此奴がそうであるように。
「自分が変わった事に自覚はありますか?」
「ええ。 天狗が少しずつ新聞を再開しているのは知っているけれど、もう競うことには何の興味も無いわ。 コンテストを再開するとしても、参加するつもりはないわよ」
「……驚きましたね」
「客観的に自分が書いた新聞に目を通して、良くもまあこんな酷いものを書いていたなと思ったわ。 今なら分かる。 あれは新聞では無いわ。 ただの妄想作文よ」
はっきり言うものだ。
そして、姫海棠は更に暗にこうも言っている。
他の天狗の新聞も同類だと。
此奴は考え方を変えた。情報を正確に取得し、客観的に分析して他者に伝える。それが新聞だと想う様になった。
天狗の身内で楽しんでばらまき、そのためには取材対象を泣かせることなど何とも思わない。
それが天狗の当たり前の考え方だったのに。
どうやら、完全に脱却した様子だ。
「それでは、今後はどうするつもりです?」
「天狗の縄張りから離れることを今考えているわ」
「!」
「妖怪の山を抜けるかまでは考えていないけれどもね。 もしも上手く調整して貰えるようならば、妖怪の山の麓……人里にも足を運びやすい、幻想郷の中心付近に家を移したいわね。 どんな場所にでも、すぐに行けるように」
茶を平然と啜る姫海棠。
これは、なるほど。思考が追いつかない。あまりにも違いすぎる。だが、根本的には、同じなのだろう。昇華した。進歩した。それも、急激過ぎる速度で。
外の言葉で、現在では殆ど意味を成していないものがある。
男子三日会わざれば刮目して見よ、というのがそれだ。三国志の時代の中華に語源があるともされる言葉である。
実際問題、運動などでは、成長期の人間は短期間で別物のように伸びることは確かにある。
しかし本当に短時間で精神的成長を此処まで遂げる実例を目の当たりにしてしまうと、射命丸としては言葉も無い。
ましてや姫海棠はたては人間では無い。
妖怪である。
妖怪の時間感覚は人間とは基本的に違っている。萃香が言っていた様に、幻想入りした概念が此奴に入り込み融合したとしても。
それにしても、本人は違和感を感じないのだろうか。
感じていないだろう。
感じられるのは強い誇りと充実感だ。
「自分の今の新聞には満足していますか?」
「いいえ。 早苗に、守矢の巫女に時々講評を聞くけれど、まだ文章の棘が抜けていないわ。 あくまで客観的かつ正確な情報を届けるためには、文章の棘や攻撃的な論調は不要よ。 ただ正しい文章であれば良い。 個人の癖が出ることまでは否定はしないけれども、誰かが喜んだり悲しんだりするために新聞はあるんじゃあない。 事件について誰かが正確に把握するためにあるのよ」
「それでは、貴方が幻想郷を揺るがしかねないスクープを把握した場合どうしますか」
「賢者に最初に連絡するわね。 この幻想郷がとてもデリケートなバランスで成り立っている事は私も良く知っている。 場合によっては、賢者にのみ新聞を渡し、マスターデータは廃棄するかも知れないわ」
ふむ。スクープを見つけたからと言って、プライバシーを土足で踏み躙るつもりもないし。
報道の自由の美名の基に、多くの人妖が苦しむような情報を無分別にまき散らすつもりもないという事か。
なるほど、よくよく分かった。
此奴はもう天狗とはいえない。少なくとも姫海棠のお嬢さんでは無い。「己の記事にプライドを賭けた新聞記者」という、外で恐らく絶滅した存在と天狗の融合体とみるべきだろう。
鴉天狗という妖怪に分類して良い物かかなり悩む。
だが、はっきりしているのは。
鳶が鷹を産んだ。
鴨が白鳥になった。
そういう例えが出てくるレベルで、小娘だった姫海棠はたては変わった、という事である。
他にも幾つか質問するが。
すらすらとよどみなく答えが返ってくる。
己の信念を確固たる物へと変えている、という良い証拠だ。そしてその信念は傲慢なものではなく。
取材対象に敬意を払う誇り高いものでもある。
いやはや、まぶしすぎる。
射命丸のような、闇そのもの。パパラッチという言葉以外が当てはまらない鴉天狗から見れば。今のもう天狗とは言い難い姫海棠はたては、見上げる先にある陽だ。
だからこそ。羨ましいとは思わない。
別の妖怪だなと、感じるだけである。
仲間意識という、天狗を縛っている最大の鎖からも、既に姫海棠は解放されている。そこまで把握できれば充分である。
やりとりをまとめると、姫海棠に見せる。
しばしそれについて話をして、幾つかを修正した後。姫海棠は頷いた。これでかまわない、と。
取材をするだけ。新聞にするつもりはないと、早苗から説明はしっかり行っている様子だが。
姫海棠はふっと鼻を鳴らした。
「貴方の気晴らしだけではないのでしょう? 何かを確かめ、結論がほしかった、そういうことじゃないの」
「ふふ、そうですよ。 そしてもう結論は出ました」
「そう」
「恐らく貴方と競うことは今後ないでしょう。 貴方が天狗から離れるか、それとも天魔に引き留められて留まるかは分かりませんが。 今後も天狗は変わりませんよ。 しばらくして状態が落ち着けば、また天狗達は新聞を作り始める。 前と違って窮屈ではありますが、それでも天狗にはそれしか娯楽がないからです。 そして若い一部の天狗を除くと、貴方のようになれる天狗はいない」
腰を上げる。程なく、早苗が姿を見せた。
帰ることを告げる。姫海棠は、もう少し此処に残って、他の河童にも取材をしていくつもりらしい。
出来るだけ多くの河童に取材をして、記事の精度を上げたいそうだ。
さっき小耳に挟んだ内容だけでも、河童からしても有意義な記事だろう。悪辣なテキ屋というイメージが人里で定着しているからである。人里からの金がなくなれば、河童は趣味の発明や機械いじりに支障をきたす。永遠亭のウサギの頭目のように、詐欺そのものが趣味ではない以上。金を出してくれる相手と、ある程度友好的にやっていくのは必須なのである。
境内を離れようとした時。
早苗に呼び止められる。
「貴方は、変わらないつもりですか?」
「私は若く見えますか?」
「見かけなら、私と同じくらいに見えますね」
「私は知っての通り実年齢千才を越えています。 妖怪としては際だって長寿ではありませんが、貴方や若い天狗とは時間の感覚が違うんですよ。 私くらい生きていると、その思考回路は大河のようなもの。 無理に変えれば、川の周囲……つまり精神ですね。 妖怪にとっては命に関わるレベルで、精神に大きな影響が出ます」
だから、別にすぐに変われる訳では無いし。
変わろうとも思わない。
ただ、もしも今後よりよき変化を求められるのであれば。少なくとも表面上は、変わってやるのも良いのかも知れない。
早苗は少しだけ、悲しそうにする。
まだ此奴も、隙があるな。射命丸に隙を見せるようでは。だが、それは伸びしろがある事も示している。
東風谷早苗が、あらゆる状況で一切射命丸に隙を見せないレベルになったら。
天狗は無理にでも変わらなければ終わるだろう。
その時には、姫海棠に感化された若手が、天狗の組織を離れるか。或いは天狗の中で独立派閥を造るかも知れない。
まあいい。いずれにしても、これは面白くなってきたかも知れない。此処から老獪という射命丸ならではの武器を利用して、少しずつまた状況をコントロールしていけばいいのだから。
慇懃に礼をすると、守矢を離れる。
じっと諏訪子が此方を見ていたので、軽く手を振る。向こうは凶暴な笑みで返してきた。おお怖い。
苦笑しながら、その場を離れ、妖怪の山、天狗の縄張りへ。
有意義な時だった。
いずれにしても。
射命丸も、このまま終わるつもりなど、なかった。
4、曇天の続く先
新聞は作らないが、天魔にレポートは提出する。大天狗も勿論それを見る。
御簾の向こうでレポートを見ていた天魔は、しばしして、大きくため息をついた。
「実はな、姫海棠の者達から嘆きの声が上がっている」
「子離れが出来ていないだけでしょう」
「そうはいうが、妖怪の寿命を考えれば、簡単に子離れができるものでもあるまい」
「妖怪であろうが人間であろうが、子離れ親離れに失敗すれば悲惨なのは変わりがありますまい」
射命丸が冷酷に返すと。
それ以上、天魔は何も言わなかった。
レポートの内容は簡潔である。
姫海棠はたては明確に変わっている。新聞についても、本気で今のスタイルで作り続けるようだし、今後天狗がコンテストをするとしても見向きもしないだろう。場合によっては天狗という妖怪の組織から離脱する可能性も視野に入れるべき。もし離脱時は、それに同調して若手の天狗が相当数天狗の組織から抜ける可能性がある。
以上の衝撃的なレポートは、射命丸にしては珍しく、嘘偽りのない客観的真実である。勿論新聞にするつもりはない。
何故正確性を重視しレポートを書いたか。
大天狗が青ざめている。
御簾の向こうで、天魔も青ざめているのが分かる。
これが見たかったからだ。
ざまあ見ろ。それが今、アルカイックスマイルを浮かべている射命丸の内心に浮かんでいる言葉である。
「分かった。 姫海棠はたてとは私が直接話そう。 今、あの者に離脱されると色々と困る。 勿論譲歩をしなければならないだろうな」
「天魔様」
「大天狗よ、賢者と博麗の巫女を同時に敵に回し、監視体制を作らせてしまったのは、我等天狗の怠慢の結果である。 それについては私も深く反省している。 今後は、折り合いをつけていかなければなるまい。 もしも姫海棠はたてのやり方が突破口になるのであれば。 闇に沈んだ古き伝統に、少しずつ光を入れて変えていかなければならないだろう」
頷くと、大天狗がその場を離れる。
射命丸も一礼すると、風穴を出た。
外では、博麗神社に取材に行っていた天狗達が、青ざめて雁首揃えて、話をしていた。どうも事前に新聞造りを許された数名と話し合って、取材内容を記事にしているようなのだが。上手く行かないようなのである。
「取材は受けてはくれたが、どうにも博麗の巫女の対応が冷淡でな。 殆どまともな情報が得られずじまいよ」
「丁度良い、射命丸どの。 何か助言をいただけぬか」
「どれ、良いでしょう」
さっと見せてもらうが。
取材内容に対して、博麗の巫女が殆ど知らないとか、興味が無いとか、けんもほろろに返している。
これは駄目だ。
此処から新聞に仕上げようとすると、多分八雲藍に大目玉を食らう。彼奴は言っていた。伝達能力を確認すると。伝達が出来ていないと判断されると見て良いだろう。
「取材のし直しですね。 これは下手をすると賢者に殺されますよ」
「そんな、取材のし直しとは……」
「腰でも低くすれば良いのか。 或いは美味い食い物でも持参するか……」
「いや、違いますよ。 それでは却って相手を怒らせるだけです。 要するに、博麗の巫女が他人に知られても困らない真実を扱えば良いんですよ」
ぽかんとしている天狗達に、丁寧に教える。
やがて、一人ずつ話を飲み込んだ天狗達が、なるほどと頷いていった。
「しかしそのような新聞、作って何が面白いのか……」
「賢者が問題視していたのは、新聞を作られた側が害しか受けていなかったということを忘れましたか?」
「幻想郷では、強者が弱者に従うものであろう」
「だったら我等は賢者に従うしかありませんよ。 鬼に従うのも当然なのでは?」
うっと、反論していた天狗が黙り込む。
事実、幻想郷に強者が偉いという風潮があるのは事実だ。だが、その一方で、人間がいなければやっていけないのもまた事実。人間の噂や考え次第で、妖怪が一瞬で滅ぶケースさえある。
安易な、強いから偉いなどと言う理屈は。
魑魅魍魎蠢く幻想郷でさえ通用しないのである。
ただし、そのような厳しい世界の中でも。
射命丸は今後も強かにやっていくつもりだが。
今、天狗達に助言をしたのも、関係強化のため。こうやって恩を売っておけば、いずれ役に立つ。
当面、天狗にとっては冬の時代が続く。
それは分かりきっている。
だからこそ、広く深く根を張り。来るべき時に備えておくのである。
それが、射命丸がやってきた生き方。
最後に勝つために、今後のため準備をしておくのだ。
やがて天狗達が再度博麗神社に飛んで行く。今度取材するネタは、博麗の巫女が怒らないようなものにきちんとなっていればいいのだが。このままでは何度でも駄目出しを喰らうだろう。
それでかまわない。
プライドが折れた奴ほど、操りやすいのだ。
最近も、射命丸が自身でその状況を味わった。
他の奴も味わうが良い。
射命丸は、勿論自分の性格が最悪である事は分かっている。だが、こういうやり方でしか生きられない者はいるのだ。
次の好機は、当面巡っては来ない。
だからこそ、しっかり下準備をして。次の機会に備える。
何かしらの大きな異変でも起きるか。
或いは博麗の巫女が代替わりでもするか。
それらの事が起きてから、動けば良い。そして幸いなことに、射命丸には時間がそれこそ幾らでも。
ほぼ無限に等しい程にあるのだ。
自宅に戻ると、情報を整理していく。賢者さえも知らないとっておきの情報も、幾らか射命丸は抱えている。暗号化して誰にも読めないようにしているが、これらの情報こそ射命丸の真の武器。
新聞などどうでもいい。
ある意味、真実でさえもどうでもいい。
無表情のまま、今後の青図を頭の中に描き続けながら。
射命丸文は、己にとっての機会を窺い続けた。
曇天が拡がっているとしても。
いつかは、自分にとって都合が良い天気が来る。
それが晴れか嵐かはそれぞれ次第。
射命丸にとっては、誰もの価値観が壊れるような、大嵐が来る事がとても望ましかった。
(終)
|