ただ一つの壁

 

序、遊園地での出来事

 

世界には、軍隊でさえ入り込めぬ危険地帯が存在している。或いはいにしえの巨大生物たちが闊歩し、時には神話の存在が我が物顔に横行するその場所のことを、フィールドと呼称する。

フィールドは様々な状況で発生する。とはいっても、多くが原因不明で片付けられてしまう。理由は簡単である。どうして発生したか、解明できない場合が殆どだから、である。あらゆる意味で人知を越えた存在。それが、フィールドと呼ばれる、人外の土地なのだ。

そんなフィールドの一つが。少年の目の前にある、遊園地であった。

遊園地と言っても、人気は無い。朽ち果てた柵、塗装のはげかけたマスコットキャラの幟、いずれもが死を予感させる不気味な雰囲気を醸し出している。勿論従業員はおらず、中からは妖気さえ漂っている。電力などとっくの昔に遮断されているのに、奥の方にはけばけばしいネオンも瞬いていた。

通称クレイジーランド。

数年前、閉園間近だったこの遊園地で、突如フィールドが発生。従業員と客の殆ど全てが巻き込まれ、脱出できたごくわずかを除いて死亡判定を受けた。何しろフィールドは一瞬で遊園地を覆い、殆どの人間は脱出する暇さえなかったのだ。フィールド災害の中でも最大級と言われる事件であり、一度に判定された死者の数は実に千を超えた。

そして数年経っても、このフィールドは存在している。理由は幾つかあるのだが、最大のものは他でも無い。普段はこのフィールドが姿を見せない、非常に特殊なものである事が挙げられるだろう。

幼い頃、少年はポンポンと呼ばれていた。

このフィールドで死亡判定を受けたガールフレンドに、である。

十五歳になった今でも、その頃の事を思い出すことが出来る。そして、当時の悔しさは、今でも時々全身をむしばむ。

力を得た今、少年はこの遊園地に戻ってきた。

ヘッドギアをかぶり直す。マウンテンバイク競技に使う頑丈なものだ。プロテクターの状態も確認。こちらも同じである。多少ぶつけたくらいでは何ともない。そのまま武器に出来るくらいだ。

バックパックには、彼の武器となるものを入れてきてある。それも確認した。弾数も、持てるだけは持ってきた。

全ての準備が整ったことを確認すると、少年は歩き出す。

かって、彼の全てを奪った、呪われた土地に。

無線はどうせ役に立たないだろうが、既に電源は切ってある。彼が所属するV社にも内緒で出てきたのだ。辞表も机の中に入れてきた。何、ここから生きて帰ることが出来たら、土方でも何でもして生計を立てるだけのことだった。

両親さえ、あのときの事故で死んだ。

死んだことは分かっている。何しろ、目の前で、落ちてきた隕石にぐしゃりと潰されたのだから。

しかし、まだ望みがある者が一人いる。

まるで大海に落ちた砂粒のごときかすかな望みだが、この時のために生きてきたのである。

この忌まわしきフィールドを潰し、出来ればその者を救いたい。そう思って、少年はこの呪われた土地に出向いてきたのだ。

此処が今日出現することも、事前に調査済みである。

長かった年月の恨みを晴らすように。

少年は、朽ちた扉を開けて、クレイジーランドへと入り込んだ。さび付いた扉は、開けるとき、異様に大きな音を立てた。

馬鹿な獲物を、歓迎するかのように。

久しぶりの食事を、堪能するかのように。

 

1、出陣までのひととき

 

少し前に、出現した新しい大陸アトランティス。

紆余曲折の末に、此処を邪神の手から解放したスペランカーは、膝を抱えてじっと空を見つめていた。

アトランティスの空を、くるくると飛んでいる小さな影がある。

おかっぱの赤い髪の毛を持つ小さな魔女だ。箒に跨がり、妖精を従えている姿は、まさに小さくとも魔の申し子であった。

無言でそれを見上げていたスペランカーの元に、「長老」が歩み寄ってくる。いわゆる半魚人である長老は、人間から見ると意図的に生理的嫌悪感をあおられるような造形をしていたが、スペランカーは平気だった。

「スペランカー様。 書状が届いております」

「ありがとう。 でも、「様」はいいよ」

「いえ。 どうか、それだけはお受けください」

そう言われると、スペランカーは弱い。

様々な事件と激しい戦いの末、このアトランティスに生きている者達にとって、神の代理ともなっているスペランカーである。あまりそういう振る舞いはしたくないとかねてから口にしているのだが、ただいるだけで良いと懇願されて、結局此処に居着いてしまっている。

何より、どこの国からも干渉を受けないというのがとても大きい。科学的文明も決して劣っていないし、静かに過ごすには何とも最適な場所なのだった。

ただ、巫女の衣服らしいひらひらはもう着ないことにした。あまり変な期待をさせると、却って彼らをがっかりさせると思ったからだ。

黄色い声を上げて、小さな魔女は、まだ上空を飛んでいる。

彼女から視線を外すと、スペランカーは手紙を読む。きれいなJ国語のひらがなで書かれているが、文法が少しおかしい。翻訳ソフトでも使って書いたのかもしれない。

しばらく四苦八苦しながら文を読み進め、やっと文意を悟ったときには、随分時間が経ってしまっていた。

「はあ。 要は仕事か」

「スペランカー様であれば、生還できぬフィールドなどありますまい。 何なら、我らの精鋭がお供いたしまする。 多少の妖物など、容易に蹴散らしてご覧に入れましょう」

「ううん、大丈夫。 今は一人でも多くがアトランティスを良くするために働いて」

「もったいなきお言葉にございます」

長老に、小さな魔女を預けると、スペランカーはその場を離れる。原野がずっと続いているが、ぽつんと見える4WDの黒塗り。

近くで、車を運転できる骸骨の戦士が待っている。別に歩くと言っているのだが、好意だの何だのと言ってはスペランカーを楽させたがる。ただでさえひ弱なのに、此処にずっといるともっと弱ってしまいそうだ。

スペランカーが礼を言いながら車に乗ると、骸骨は丁寧な日本語でしゃべった。一生懸命覚えてくれたことを思うと、申し訳なくなる。

「どちらに赴きましょうか」

「空港までお願いします」

「イエッサー。 直ちに」

4WDは、それこそ蠅が止まりそうな超微速で前進を開始。ごつごつの原野でありながら、とてもゆっくり走り始めた。助手席に座ったスペランカーは、短く刈った髪を掻き上げながら、携帯を取り出す。

この辺りは、何とか携帯が使えるのだ。

携帯から、ネットに接続。フィールド探索者達の情報サイトにログインした。そして、さっきの手紙に合致する情報を見つける。

「クレイジーランド、か」

「何処かの遊園地ですか?」

「遊園地と言えば遊園地なんだけど、恐ろしいところだよ」

スペランカーでさえ、聞いたことがある、史上最大級のフィールド災害。その主役こそが、クレイジーランドだ。一度に千を超える死者を出し、フィールド探索者を志す人間は、モグリでもその名を聞くことになる。

歴戦の猛者達が挑んでも未だに攻略できていない難攻不落のフィールドという意味でも有名である。

「このアトランティスよりも、手強いのでしょうか」

「若干、似ているかもしれないよ。 あまり詳しくは知らないんだけれど、この遊園地って、確率のゆらい? ええと、確率の、なんだっけ」

「ゆらぎ、でしょうか」

「そうそう。 それの中に浮かんでいて、滅多に表には出てこないんだって」

骸骨がとても賢いことに感心しながら、スペランカーは己の乏しい知識を披露した。いろいろ詰め込んでもすぐに忘れてしまう効率の悪い頭である。やっと覚えることが出来た事は、とても嬉しいものなのだ。

空港が見えてくる。

アトランティスと、他の国の、唯一の接点だ。スペランカーが飛行機で別の国に行くときは、わんさと半魚人やミイラ男や骸骨達が押しかける。流石に歴戦のフィールド探索者達も、それを見るとぎょっとするようだ。

今回は、打ち合わせをするために、ここに来た。

他の国からすれば、此処が唯一の接点だからだ。空港にはレストランやホテルも建てられ始めているが、まだ規模は小さい。一応国連の関係者なども来たりするが、それは国賓として、長老が王宮と呼んでいる神殿に連れて行くことが多いようだ。

レストランでは、人間も働いている。しかし、外に出ると原生の大型生物に襲われる可能性もあるため、空港の中に住居が作られている状況だ。アトランティスの住民と、地球人の間にある溝は、結構深い。

帽子を取って深々と紳士的に礼儀する運転手骸骨に見送られて、スペランカーはレストランに。各国の要人も来るから、結構高級な雰囲気だ。あまりにも高級すぎて、庶民なスペランカーはちょっと落ち着かない。

凄くきれいな、金髪のウェイトレスさんが来た。流ちょうな英語でしゃべっている。メニューも当然英語なので、四苦八苦しながら電子辞書で訳し、紅茶を頼む。紅茶一つが、かなり高い。最近会社の方だけでは無く、別の収入も出来たとはいえ、ちょっとこんな紅茶をあまり飲んでもいられない。

紅茶は来た。小さなカップで、濃厚芳醇な香りで。確かにものすごく美味しい。だが、はっきりいって、値段を考えるととても楽しめなかった。

さて、そろそろ、来る頃なのだが。

そう思っていたところで、無遠慮な声が、後ろから飛んできた。

「おう、またせたなあ」

「しー。 高級レストランですよ」

ウェイトレスさんが、その声の主をぎろりとにらむが、水を掛けられた蛙ほども感じていない様子である。

そのまま、どっかとスペランカーの向かいに腰掛ける。スペランカーは、なぜか自分が恥ずかしくなってしまった。

スペランカーの向かいに座ったのは、フィールド探索者としては中堅どころに位置する人物である。その豊満な肉体と、妖艶な体の造形とは裏腹に。中身は中年男性のごとき有様で、羞恥心もあったものではないという、とてもがっかりな美人さんである。

今回、彼女は中継役で、一緒に戦うわけでは無い。

一緒に戦う仲間は、既に現地に向かっているという話だ。

フィールド探索者が、営業の代わりをすることはかなり珍しい。普通こういう席には、交渉を知り尽くし、歴戦のフィールド探索者を相手にしても物怖じしない、ベテランの営業が来るものだ。今回彼女が来たのには、何か複雑な裏側の事情があるらしいのだが、スペランカーは知らされていない。

「で、何が美味しいのさ」

「いや、こんな高級なお店には、あまり縁が無いので。 私には、よく分かりません」

「店員さーん? ちょっといいー?」

結構遠慮の無い声でいきなりウェイトレスさんを呼びつけるので、スペランカーは顔から火が出そうだった。周囲には各国要人やそのSPらしい人もいる。スペランカーはこの国代表として話をする事もあるので、顔見知りも多い。だから、余計に恥ずかしくて仕方が無い。

結局お姉さんは店員さんからおすすめだという難しいフランス料理を聞かされて、それを注文した。お高い料理だが、それに関しては全然気にしていない様子だ。多分お金持ちなのだろう。

しかも、いざ料理が来てみると、テーブルマナーは完璧だ。鶏肉をクリームで煮込んだもののようだが、跳びやすいクリームが全く皿の外に出ていない。音も全く立てずに、見事な手さばきでさくさくと口に運んでいた。

食べ終えてから、話を始めるお姉さん。料理の感想を口にしないところを見ると、味は微妙だったのかもしれない。いや、この人だったら、遠慮無くまずいとか言いそうだから、普通だったのか。

「で、あんた。 今回はクレイジーランドに出向くんだって?」

「はい。 滅多に出現しないらしいですから、情報も殆ど無くて、ちょっと怖いですけれど」

「いいよため口で。 あんたとあたし、そんなに経歴に差も無いじゃん。 年はそれに、あんたの方が上だろ?」

「え? うーん。 じゃあ、分かりました」

好意に甘えることにする。お姉さんは、持ってきた書類を見せてくれた。

今回、事前に交渉は済ませてある。どういう政治的な力が働いたのかはよく分からないが、書類だけが此処でスペランカーに手渡される。一応この仕事も長いから、さっと書類に目を通す。

仕事のお給金は、いつもよりだいぶ高い。支給される物資も悪くない。

「ほんとにそんな条件でいいの? あたしだったら蹴るけどなあ」

「リスクが大きいから?」

「そうだよ。 あんただって、その能力、いろいろ弱点はあるんだろ? ましてや今回のフィールド、相性はある意味最悪なんじゃ無いのか?」

「でも、頼れる友達もいるから、平気です」

能力の弱点なんか、百も承知だ。実際それを突かれて、ひどい目に遭ったこともある。

だが、痛いのは嫌だが、耐えることは難しくない。

それに、普通の生活していても、日に何十編も「死ぬ」ような体質である。今更それを恐れてなどいられない。以前異星の神と戦う羽目になったときなどは、それこそ一度の仕事で万を超える「死」を経験したほどだ。

「そうかい。 あんた、見た目と違って、勇気があるねえ」

ちょっと恥ずかしくなって、照れ笑いをした。

書類ももらったので、一度引き上げる。お姉さんはこれから別のフィールドを探索するとかで、すぐに飛行機でよその国に行った。この使い走りも給金に含まれていたのだろうと思うと、ちょっとうらやましいかもしれない。

そして、家として使わせてもらっている神殿の一室で、荷物を整えた。

これでも、現役のフィールド探索者だ。すぐに仕事に出られるように、いつも準備はしてある。

今回は長期戦になる可能性があるから、缶詰も一杯持って行く。かに缶とマヨネーズを詰め込んで、それで終了。

長老が、見送りに来た。

「貴方なら大丈夫であろうと思いますが、万が一もございます。 お気をつけください」

「大丈夫。 きっと戻ってくるよ」

戻ってこないと、あの子がまた一人になってしまう。まだ長老や、他のこの国の人たちとも打ち解けていない。打ち解けないまま、孤立してしまうだろう。

だから、スペランカーは。

まだまだ、存在的な意味で、死ぬわけにはいかなかった。

 

2、狂気の遊園地

 

スペランカーが現地に到着すると、既に現地は厳戒態勢が取られていた。

フィールドの危険性は、この世界の人間には常識である。マスコミの類も来ているが、絶対に中には入れない。入ったら最後、まず生きては出てこられないからだ。

マスコミがわいわい騒いでいるのは、此処が米国で、しかも結構都会だからである。

元々遊園地を企画していたらしい広い空き地に、突如クレイジーランドが出現したのである。何ら前触れも無く、だ。

よく分からないのだが、確率のゆらぎとかいうのが、この辺りにクレイジーランドを出現させた、ということなのだろう。

最初に元の遊園地がフィールド化してから、二月ほどで、影も形も無くなってしまったらしいクレイジーランド。それから現在までに十三回世界各地に出現している。今回は十四回目の出現だが、出現してから平均して十日程度で消えてしまっているので、攻略するのなら急ぐ必要がある。

だが、分厚い見物人やマスコミの壁が、なかなかスペランカーを通してくれない。ましてやこの国の人たちは、基本的にとても体格が良いのである。押し通るわけにもいかなかった。

「ちょっと、通してくださーい!」

「あ、先輩! こっちです!」

「川背ちゃん? うひゃあっ!」

ぎゅうと押されて、即死。

しばらく無言で潰されていたが、息を吹き返すと、ハイハイするようにして、やっと人混みを抜けることが出来た。押しつぶした人が死んでいないか不安になったが、多分悪意無しとカウントされたのだろう。

フィールド探索者は、何かしらの能力を持っているのが普通だ。

スペランカーのそれは、ある神に起因した不老不死。ただし、その副作用として、運動能力も知能も著しく低くなっている。更に非常に死にやすい。ちょっとしたことでも死んでしまうのだ。すぐに蘇生するのだが、その際には電気ショックのような痛みがあるし、あまり嬉しくない。

また、死んだときに体が欠損した場合、周囲から補って蘇生する。これが問題で、悪意のある他者から攻撃を受けて死んだ場合は、攻撃した相手から欠損箇所を自動で補う。このカウンター能力が発動するのでは無いかとスペランカーは心配したのだが。とりあえず、大丈夫だったようだ。

幼い頃からつきあっている能力だが、これのせいで発育も悪い。ただし、これあるおかげで、無能な自分でもお仕事が出来てご飯を食べられるのだという側面もある。

埃を払いながら立ち上がると、後輩の川背が苦笑いしていた。スペランカーと同じようにショートカットにしている彼女は、非常に活動的な半ズボンを常に愛好している。スペランカー同様童顔で小柄だが、しかし体の方は結構グラマラスで、特に胸は何を食べたらそんなになるのか、羨ましいくらいだ。

呪いのせいで発育が止まっているスペランカーとしては、童顔であってもきちんと発育した川背が、時々羨ましく思える。

それに川背はスペランカーと違って、バリバリの武闘派である。空間をよその空間とつなげる能力を持つほか、戦闘時はルアーがついた伸縮自在のゴム紐を使って、まるで曲芸のような機動を見せる。単純な戦闘能力は非常に高く、噂によるとマイナー企業の戦闘タイプ探索者としては最強に近いという話もあるそうだ。

スペランカーのことを慕ってくれる川背のことは、いつも頼れる後輩として心の支えになる。

「大丈夫ですか、て聞くまでも無いですね」

「うん。 他の人は?」

「今回は、何チームかに分かれて入るみたいです。 僕と先輩は、この辺りから自由に突入してくれ、だとか」

「そんな、いい加減な」

そういえば、フィールドの周囲は軍隊が固めていることが多いのに、今回に限っては殆どその姿も無い。

多分、この件には、裏で何か大きな力が働いているのだろう。

このようなやり方はまずいと、あまり頭が良くないスペランカーでも分かる。同士討ちにも発展しやすいし、連携がとれていない戦力分散など、まさに愚の骨頂だ。

小声で、川背が言う。

入ってから、話しましょうと。

多分、川背も感じているのだろう。何かこの件には裏があると。

 

クレイジーランドに侵入した少年は、ヘッドギアを直すと、無言で歩き始めていた。

真っ正面から侵入したにも関わらず、今の時点で歓迎の敵影は無い。此処が今まで誰にも攻略されなかったのが、不思議なくらいだ。空は青く、コンクリの地面も長年放置されているとは思えないほどきちんと整備されている。

時計を見ると、異常に遅く進んでいた。フィールド内で、時間がおかしな進み方をする事は良くある。多分この中の時間の進み方は、外に比べて早いのだろう。今頃外は、軍隊が固めているか、マスコミが押しかけているか、どちらかの筈だ。

全体をざっと歩いて回る。

既に、フィールド化する前の地図は入手して、頭に叩き込んである。その地図と、驚くほど差異が無かった。

「事前の調べ通りだな」

つぶやいて、周囲を見回した。

此処がフィールド化した時、少年は何が何だかよく分からなかった。訳が分からないうちにガールフレンドと引き離され、両親が殺されて。無我夢中で逃げ回って、遊園地の外に這い出た。

守るなどと言う発想は無かった。

ただ、自分だけが逃げ延びたいと、本能のままもがいて。何もかもを見捨てて逃げた。後ろで、ケタケタ笑う声がずっとしていて、狂気を発しそうだった。

振り返ったら、多分死んでいただろう。

狂った遊園地からの生還者として、少年は里親には恵まれた。優しい里親は子供がいない老夫婦で、心に重い傷を負った少年を優しく迎え入れてくれた。実際、この人たちのことを、少年は親だと思っている。今回も、このクレイジーランドに出向くことを、最初に話したのは、里親の二人だった。

そして、この人達に迷惑を掛けないために、敢えて話していないことも幾つかある。

全く人影が無い遊園地には、動物の姿も無い。これだけ人影が無ければ小鳥くらいは来そうなものだが、空にも全く何の影も無いのだ。白々しく浮かんでいる雲は、作り物だと思えるほどに動かない。

否、多分本当に作りものなのだろう。

自分に特殊能力が備わったのは四年前。V社という小さなフィールド探索社に所属したのは二年前。

一応、実戦もこなした。単独でのフィールド攻略では無く、メジャー企業の探索者のアシストだったが、命も奪った。その時に、フィールドが放つ独特の雰囲気は肌に刻み込んだ。

あのときとは比べものにならないほどに、異様な空気が濃い。

視線も感じる。

じっと、遊園地の何処かから、何者かが獲物である少年を見ているのが分かった。

人の気配。さっと茂みに隠れる。視線の主とは違うようだが、此処では他の誰とも関わらない方が良い。

脳天気そうな、平和そうな雰囲気の女が歩いてくる。見るからに鈍そうで、童顔で平坦な体つきをしていた。ヘルメットをしてバックパックを背負っているが、とてもひ弱そうだ。

見覚えがある。

絶対生還者のスペランカー。

あいつが来るとは驚きである。このフィールドの特性から言って、大物が来る事はないと踏んでいたのだが。

スペランカーはフィールド探索者としては経歴も実力も中堅どころだが、その性質がとても有名で、極めて困難なフィールドに投入されることが多い人物だ。影では、神殺しというあだ名まである。駆け出しである少年でも、そのことは知っている。

間違ってもここに来ることは無いと、少年は思っていたのだが。

不意に、襟首を掴まれて、地面にたたきつけられた。

「がっ!」

「先輩、捕まえましたよ」

「川背ちゃん、乱暴しないであげて?」

ホールドされたまま、引きずり起こされる。もがくが、ものすごい腕力だ。とても逃れられるものではない。

体格からいって、体を押さえているのは女か。川背というのは聞いたことが無いが、フィールド探索者か。

隠れていた少年の背後に音も無く入り込み、一気に制圧するとは、相当な体術の腕前だ。体術の訓練も受けていたのに、此処まで見事に制圧されたのは初めてだ。歯を噛むが、どうにもならない。ここに来た時点で、他のフィールド探索者との戦闘も想定していたというのに。厳しい訓練を自分に貸してきたつもりだったが、それはまさしくつもりでしかなかった、ということだ。

腕を極められたまま歩かされる。歯がゆくて悔しくて、涙が出そうだった。

スペランカーは、じっとこっちを見ていた。視線は冷たくない。むしろ、暖かかった。里親達のように。

「君は? ここに来たフィールド探索者の一人?」

「……」

「話したくないのならいいよ。 でも、見たところ、素人さんには見えないけれど。 子供だし、記者さんとかじゃないよね」

「先輩、この子、身のこなしから言って、絶対素人じゃありませんよ」

苦笑した後ろの女が、手を離してくれる。万力みたいな腕力だったから、不意にはなされてつんのめりかけた。

振り返ると、童顔の女だった。少年と背も殆ど変わらないくらいで、むしろ低い。半ズボンで髪の毛を短髪にしているから、大きい胸がなければ男の子と勘違いするかもしれなかった。

川背というのは聞いたことが無いが、此奴の名前だろうか。フィールド探索者としてはあまり有名では無いはずだが、この業界に入ったのが最近の少年が、もの知らずなだけかもしれない。

「あんたたち、相当な凄腕みたいだが、此処じゃ通用しない。 帰れ」

「そう言われても、お仕事できてるんだから」

「そうじゃない。 その仕事ってのがやばいんだ。 ここに来たら、生きては帰れない可能性が高いぞ」

「どういう意味?」

それを言うわけにはいかない。此奴らが信用できると分かるまでは。

今、唯一の家族といえる、里親に迷惑が掛かるからだ。

「しばらく中を歩いてみたけれど、誰もいない。 攻撃も受けない。 それが、関係しているのかな」

「言うわけにはいかない」

女どもは顔を見合わせる。少年を制圧した女の方が、だいぶ賢そうだった。しかし、スペランカーは。初めて会ったのに、どうしてか妙な安定感がある。これほど見ていて危なっかしいというのに。

どうみても川背という方が賢そうなのに、先輩と呼ばれていて違和感が無いのだ。

「先輩、やっぱりおかしいですね。 他のチームの名簿も知らされていませんし、それにこの子、多分新人か、それに近い実力の筈です。 正式にこんな危険なフィールドの攻略メンバーになったとは思えません」

「そういえばアトランティスの時も、ウィル君一人が侵入しただけで結構騒ぎになったよね」

「はい。 フィールド探索の名簿は厳重に管理がされているはずなのに、どうしてこんな事になったのか」

スペランカーが考え込む。小首をかわいらしくひねっているのだが、どうも計算しているような雰囲気では無い。

「君、名前は」

「本多宗一郎」

「あ、J国人か。 私達と同じだね。 じゃあ、宗一郎君。 貴方は、此処の何を知っているの? 私たち、此処を攻略するつもりで来てる。 力になれると思うけれど」

「悪いけど、あんた達が何国人だろうが、関係ない。 フィールド探索者って時点で信用は出来ない」

肩をすくめたのは、川背の方だった。

また、即座に後ろに回られて、手首をひねられる。呻く。如何に相手が現役のプロとはいえ、これほど力の差があるとは。

「放っておいてくれないか。 俺には、あんた達に危害を加える気は無い」

「何を意固地になってるんだろう。 先輩、縛っておきますか?」

「川背ちゃん、離してあげて」

「え?」

川背という女は、疑念を呈したようだが、それでも渋々ながら後ろ手にひねっていた手を外してくれた。

手首をさする宗一郎に、スペランカーは笑顔を浮かべる。

「じゃ、勝手に手助けさせてもらうよ。 この様子だと、そもそもフィールドを攻略するってこと自体が難しそうだから」

「知るか。 勝手にしろ」

妙にスペランカーの笑顔がまぶしくて、宗一郎は視線を外した。

宗一郎にとって、女はあいつしかいない。そう決めたのだから。

 

宗一郎は、ついてくる女どもにはかまわず、ゲートをくぐる。アトラクションの名前は、西部ガンマンポリスとか、よく分からないセンスである。文字は何年も経っているとは思えないほどきれいで、ペンキが禿げた様子も無い。この辺りは、コンクリと同じだ。

ゲートを一歩くぐった瞬間。

周囲のあらゆる方向から、獰猛な殺気が叩きつけられる。

今までは、それぞれの縄張りに入っていなかった。だがここからは違う。ここからは、この異常な遊園地を支配する連中の縄張りに、それぞれ足を踏み入れていく事になるのだ。

リュックから、ボールを取り出す。

テニスに使う小型のボールだ。宗一郎の能力は非常に面倒くさい制約があり、「最初の内」は、これくらいしか使うことが出来ない。

辺りはとにかく安っぽく、非常に埃っぽい。いかにもステレオタイプの西部劇で出てきそうな寂れた街。足下を、丸まった枯れ草が、かさかさと音を立てて飛んでいく。

不意に、スピーカーの音。

そして、異常なハイテンションで、アトラクションの説明が垂れ流された。

「ハーイ、このアトラクションに足を踏み入れた紳士淑女ボンクラ諸君! 此処では、君たちの生存能力を示してもらう! ていっても、この遊園地じゃどこでも生存能力を示してもらうんだけどなあ! ギャーハハハハ!」

「わー。 古典的なナレーションだね」

本当についてきたスペランカーが、後ろで脳天気な事をほざいている。

既に此処は死地だ。実際、川背という女は、どう使うのかルアーがついたゴム紐を、バックパックから既に取り出していた。

「この奥には、人権団体に訴えられそーなボスが鎮座しておられますぜえ? レイシスト扱いされたくなければ、さっさと引き返すがよろしよ、なんつて! ギャハハハハ! ていっても、もう生かしちゃかえさねーけどな!」

バタンと、酒場の扉が開いて、虚ろな目をした男達が出てくる。唸り声を上げながら、その男が、拳銃を抜くのと。

稲妻のような速さで飛んだルアーが、その手に当たるのは殆ど同時。

ルアーははじかれる角度まで計算されていたのだろう。男の後ろにあった壁に引っかかる。ゴムが凄まじい勢いで伸縮し、川背という女が跳躍。そのまま、ガンマンの顔面に、ドロップキックを叩き込んでいた。

川背は壁を蹴ってゴム紐の伸縮を利用し、自身を屋根の上に引っ張り上げる。どういう動きか。

男は、しばらく呻きながらもがいていたが、やがて動かなくなった。

だが、それで終わるわけも無い。

バタンと音が彼方此方でして、次々にガンマンが出てくる。いずれも古き時代の西部劇に出てくるような、カウボーイハットにウェスタンブーツ、よれよれのシャツに無精ひげと、ステレオタイプの姿をした者ばかりだ。

宗一郎も動く。テニスボールから手を離し、神経を集中。

インパクトの瞬間を見極めると同時に、蹴りを叩き込んだ。

「オラアッ!」

プロの打球など足下にも及ばない早さで、右手にいたガンマンの顔面に、テニスボールが炸裂。のけぞって倒れるガンマン。テニスボールは、重力を無視した動きで手元に戻ってくる。

跳躍。ガンマンが、弾丸を放つのが見えた。動きは遅いが、昔の西部劇で良くある、早撃ちの姿勢そのものだった。だが、動きが遅いので、どうにかかわせる。

川背という女は、屋根を飛び回りながら、空中からガンマンの銃をルアーでたたき落とし、蹴りを叩き込み、またゴム紐をふるって屋根に引っかけ、さながらバッタのように飛び回っている。

また一人、川背に顔面に着地されたガンマンが、地面にたたきつけられる。走りながら、もう一丁ボールを蹴った。ガンマンのカウボーイハットが、吹き飛んで宙に舞った。テニスボールの破壊力を完全に超えている。

これが、宗一郎の能力だ。まだ、二割も出せてはいないが。

「こっちこっち!」

いつのまにか奥の方にまで行っていたスペランカーが、川背を死角から撃とうとした一人に大声で呼びかける。ガンマンの意識がそれた瞬間、川背が即応。バネのしなりを利用して飛び、またドロップキックを叩き込む。

ゴムの反動の威力があるから、凄まじい。吹っ飛んだガンマンは寂れた酒場の壁に突っ込み、大穴を開けて動かなかった。

宗一郎も、無言で残敵を掃討する。跳躍して、着地。もがいて立ち上がろうとしていたガンマンを踏みつける。ぎゅっと音がして、ガンマンは動かなくなった。

殆ど体力も消費していない。川背という女、予想以上に強い。それにスペランカー、弱いように見えて動きに無駄が無かった。能力についても聞いているから、最初はあまり期待していなかったのだが。良い意味で、期待を裏切ってくれた。

ただ、最初からこんな数の敵が出てくるとは思わなかったが。

スピーカーから声がする。

「おおー? これはこれは、なかなかに強い紳士淑女だ。 じゃあ、難易度挙げていくぜえ? 騎兵隊って知ってるか? この国発展の過程で活躍した英雄なんだが、何しろ荒くれ揃い、中にはただ現地の住民をおもしろ半分に殺してたっつーどーしよーもねーくず共も混じっててなあ。 その偉大なるくず共のご登場だ! パンパカパーンってな! ギャハハハハ! てめーらみてーな有色人種なんか狩りの獲物か強姦する相手くらいにしか考えてねえから覚悟しな! ヘイ、カモーン!」

セットのような街の外から、馬蹄の響きが轟き始める。

青い制服を着た、ライフルを背負った騎兵達が見えた。馬の脚力を利用して、街の周囲を回りながら、突入のタイミングを計っている様子だ。

まだ、テニスボールしか使えないか。宗一郎の能力は、この状態では、まだパワーを上げられないのだ。

倒れていたガンマン達は、煙のように消えてしまっている。アトラクションには邪魔だとでもいうのだろう。

最初に、大量のたいまつが飛んできた。多分家の中に逃げ込まれると面倒だから、という理由だろう。

とっくの昔にアトラクションの域を大いに逸脱してしまっているが、もう主催者には関係が無いと見える。

すぐにセットのような家々にも、給水塔にも、火が回る。

ライフルの狙撃音が響き渡り始めた。騎兵隊による、機動ライフル射撃だ。騎乗での射撃には相当な腕がいるはずだが、難なくこなしている辺り、たいしたものである。

スペランカーが咳き込んでいる。だが、火が回り始めている家からは、要領よく逃れていた。

わざと袋小路を背にすると、ボールを取り出す。

そろそろ、リミッターを一つ、外せる頃だった。

騎兵が一人、燃えさかる柵を背にする宗一郎を見つけて、馬を止めて確実に止めるべく狙撃に入った。遠くから見ると、ひげだらけの非常に大柄な人物だ。青い軍服を着込んでいて、じゃらじゃらといろいろ勲章をつけている。

だが、撃つのを待ってやる事もない。

テニスボールを離して、蹴る。

地面すれすれに飛んだテニスボールは、途中時速三百キロを超え、更にホップして男の顔面を襲った。

吹っ飛んだ男が、地面に倒れ、他の騎兵に踏み折られる。

だが、ボールが戻ってくる前に、別の騎兵が宗一郎を撃った。ライフル弾が肩をかすめる。灼熱が走るが、気にしない。

更にもう一撃、蹴り込む。無言で、更に一撃。騎兵が次々吹っ飛ぶが、敵の戦意も旺盛である。

脇腹を、銃弾がかすめた。不意に、スペランカーが飛び出して、宗一郎の前に手を広げて立つ。

複数の銃弾が、その体を貫く。

スペランカーが間に合わなければ、宗一郎が蜂の巣だっただろう。

殆ど、間を置かず。

彼女を狙撃した騎兵達が、胸から腹から鮮血を吹き出し、ばたばたと落馬した。

無言で、二つテニスボールを落とすと、同時に蹴る。足への負担も大きくなるが、気にはしていられない。

顔面から吹き飛ばされた騎兵が落馬する。狭い袋小路の向こうと言うこともあって、むしろ狙いやすい。

敵の数も減ってきている。宗一郎が倒すよりも明らかに減りが早いのは、多分川背という女がこのセットの外で大暴れして、騎兵を叩き落としまくっているからだろう。相当に強いフィールド探索者だ。

「あいたたた、もう、躊躇無く撃ったよあの人達」

「……」

穴だらけになっていたスペランカーが、頭を振り降り立ち上がる。

体の傷はふさがりつつあるが、服は穴が開いたままだ。白い肌が見えて、宗一郎は無言で視線をそらした。

既に、騎兵の姿は無い。

スピーカーも燃え落ちて、残っていなかった。

煙に咳き込みながら、セットのような村を出る。外には、さっきまでの遊園地とは全く違う、赤茶けた原野が広がっていた。当然のように、死んだり気絶した騎兵達は、影も形も無かった。

川背が歩いてくる。何発か掠ったようだが、戦闘能力に問題は無い様子だ。

「先輩、ご無事ですか?」

「私は大丈夫だけど、宗一郎君がちょっと怪我してる。 手当てできる?」

「持ってきています」

既に、後ろを振り返ると。

セットさえ無くなっていた。

手当など良いというのだが、殆ど無理矢理赤茶けた原野の中座り込まされる。野牛のものらしい骸骨があって、妙にリアルな作りだった。

「これ、アトランティスと同じなのかな」

「ああ、フィールド内にフィールドが、て奴ですか。 僕は見ていませんけれど、複雑な構造だったらしいですね」

女どもが会話しながら、てきぱきと手当をしてくる。殆ど何もすることは無かった。一応宗一郎もバックパックに医療キットを入れてきてはいるのだが、包帯を巻くのも消毒もずっと相手が上手い。

不意に、野牛の骸骨がケタケタ笑い出した。

「ギャーハハハ、やるなあ。 原住民狩りの達人、お偉い第七騎兵隊の英雄中佐殿も、てめーらが相手じゃちょっと分が悪かったか!? じゃあ、てめーらにはとっておきの相手を用意してやるぜえ」

「ちょっと、手当くらいはさせてくれないかな」

「ノンノン、それはできねえ相談だ。 遊園地のアトラクションってのは、基本的にノンストップなもんなんだよ。 休みたいなら、これが終わってからにしな? OK?」

驚いたことに、骸骨はスペランカーの言葉に応答している。

手当を川背が素早く済ませてくれたので、立ち上がる。顔を見ずにありがとうと言うと、背中を叩かれた。

「礼なら、僕より先輩に」

「ああ。 ありがとう」

「んーん、どういたしまして」

「年頃の男の子って扱いにくいなあ。 相手の顔くらいみながら話したら?」

どうしてか、川背という女は怒っているらしい。理由はよく分からないが、スペランカーはまあまあと取りなしている。結局、どうしていいか分からない。

辺りの風景が歪んでいく。手際よく医療キットをバックパックに詰め込んだ川背が、警告の声を上げた。

「来ます!」

「ギャハハハハ、休憩タイム終ー了ー!てな! そんなんとってやってねーけどな。 じゃあ、アトラクション、本番行くぜ! その前に、ちょっと歴史のお勉強だ! この国じゃ、外来の白人を、原住民はとても手厚く扱った。 未知の病原菌にやられて全滅し掛かった彼らに、手をさしのべて助けたのも彼らだった。 それなのに、後から後からやってきた白人は、恩知らずにもどんどん原住民を迫害して、土地を奪った。 まあ、どこにでもある人間のくだらねー歴史だよな。 こんなんばっかりだから、学校で子供は歴史なんかに興味をしめさねーのさ。 大人を尊敬しろ−、なんて子供にいっても聞くわけねーよな、大人よりずっと偉大なはずのご先祖様とかがこれなんだからよ、ギャハハハハ! で、だ。 その過程で、白人と原住民は対立して、互いを化け物みたいに思うようになっていったんだぜ。 そして、これが! 白人達が考えてた、原住民の姿って奴だ!」

空から、何か降ってくる。

川背がスペランカーを抱えて飛び退く。宗一郎も、一瞬遅れて、はね飛ばされながらもつぶされるのは避けた。

其処には。

化け物としか形容できない存在がいた。

大きさは五メートルか、それ以上はあるだろう。頭だけの存在だ。巨大な羽根飾りをつけていて、しかも頭だけで宙に浮かんでいる。しかも首のある辺りには巨大な穴があり、そこから息を吸い込んでいるのが見えた。

何か、化け物が吠える。

頭の下から、鉄球が射出された。化け物の半分ほどもある、巨大な鉄球だった。それも、一個や二個は無い。連続して、次々に、だ。

「こんなむちゃくちゃな!」

「むちゃくちゃなもんかよ! 昔探偵物でC国人を出すのは御法度なんてルールがあったのを知ってるか? C国人はみーんな超能力が使えるとか、思われてたからなんだぜ!」

スペランカーの抗議に、テンションが高い声が、馬鹿笑いしながら応える。

化け物はゆっくり前進しながら、無数の巨大鉄球を放ち続けていた。鷲鼻の、見るからに憎々しげな顔をしたネイティブアメリカンの、巨大な顔である。

鉄球を飛び越えた宗一郎は、空中でテニスボールを蹴る。二個連続。

だが、顔面に当たったテニスボールは、その場で溶けるように消滅してしまう。力が、まだ足りないか。

スペランカーが左回りに走るのを見て、川背が自身は正面から。悪いが時間稼ぎに利用させてもらう。ジグザグに跳んで鉄球をかわしながら、川背が至近に肉薄。羽根飾りにルアーを引っかけ、反動を利用して蹴りを相手の顔面に叩き込む。それも六回。だが、化け物がぐっと体を振るい、ゴムの反動の威力をそらす。ルアーを手元に戻し、今度は地面に投擲。そして、至近に迫った鉄球の機動から、自分の体を反らした。

宗一郎は、自分の至近に迫った鉄球に、わざと軽く接触する。

それだけで、とんでもない負荷が掛かった。

元々あまり大柄では無い宗一郎である。体がひねられるようにして、何度か地面にたたきつけられ、バウンドする。掠っただけでこれか。立ち上がろうとした宗一郎を、スペランカーが突き飛ばした。

鉄球が、スペランカーをぺしゃんこにした。凄まじい量の血が、辺りにぶちまけられる。唇を噛んだ宗一郎は、バックパックからサッカーボールを取り出す。

今なら、いける。

「おおらああっ!」

全身の気迫を込めて、宗一郎はサッカーボールから手を離し、右足だけで立ち、左足を後ろに高々と振り上げた。完璧なTの字が、一瞬だけ作り出される。

次の瞬間、振り子の原理で、左足を振り抜く。

己の痛みを、全部サッカーボールにぶつけた。

轟音と共に飛ぶサッカーボールが、化け物の顔面に炸裂。鼻骨が砕けたのが分かった。呻いて、化け物が体をのけぞらせる。鉄球が放出されるが、明らかに明後日の方向に飛んでいった。

だが、まだ足りない。

戻ってきたサッカーボールを、もう一度蹴る。今度は、さっき以上のパワーを、左足に乗せた。

渾身の気迫で振り抜いたサッカーボール。

化け物の右目を直撃。血を噴きながら、化け物は絶叫した。

その首に、ルアーが結びつく。跳躍した川背が、反動を利用して化け物を飛び越す。そして地面に降り立つと同時に、強烈な負荷を掛ける。

巨体が、揺らぐ。

腹の穴が、露出された。

間違いなく、あれが弱点だ。戻ってきたサッカーボールを足下で止めると、再び左足を、振り抜く体勢に入る。

鉄球が、飛び出そうとしているのが見えた。今度は苦し紛れながらも、狙いは正確とみた。逃げるか。いや、此処は。

次の瞬間、鉄球が砕けるのが見えた。スペランカーの能力か。あの鉄球、実は独立した生物で、しかも全部で一つだったのか。

化け物の、動きが完全に止まる。次の鉄球を作り出しているようだが、完全に隙が出来た。

好機。

振り抜く。

負けるものか。チキンレースに関しては、誰にも負けない自信がある。

「いっけええええええええっ!」

体が燃え上がるような闘気を込めて、ボールを蹴り抜いた。

光そのものとなったボールは、空気との摩擦で灼熱の球体となりながら、化け物の腹に吸い込まれていった。

川背がルアーから手を離し、別のルアーをどこからともなく取り出すと、慌てて遠くの地面に引っかけ、反動を利用して逃げる。

化け物の全身がぶくぶくとふくれあがると、その全てから鉄球がはみ出した。同時に冗談のような量の血が辺りに振りまけられ、断末魔の絶叫が上がった。

内側からばらばらに引きちぎられた化け物が、溶けて消えていく。

同時に。

辺りの荒野が消えていく。

そして、朽ちかけた、撮影セットのような、アトラクションのなれの果てが現れだした。

「この、このアトラクションは、西部劇をついたいけ、ん出来る、画期的な、内容です」

壊れたスピーカーから、声が漏れている。

周囲はゴーストタウンそのものだ。安っぽいガンマンの人形や、綿がはみ出た馬のぬいぐるみ、潰れたまま散らばっている備品、そしてうずたかく積もった埃。誰もに見捨てられた、遊園地の末路が其処にあった。

スペランカーは。振り返ると、着衣がぼろぼろになっているが、もう息を吹き返していた。ヘルメットも潰れかけている。

「あー、もう。 痛かったよー」

「先輩!」

「川背ちゃん、大丈夫?」

「僕は全く平気です。 それより、宗一郎君。 貴方、本当にプロ!? わざと鉄球に当たったでしょ!」

むうっと、川背が頬を膨らませている。

能力を使ったフィードバックで、全身が引き裂かれそうに痛いが、それは黙っていた。

「俺の能力は、体が損傷を受ければ受けるほど強化されるんだ。 チキンレースみたいなものなんだよ」

「それにしても、やり方を考えなさい。 怪我、見せて」

「大丈夫だ。 あんた達の腕は分かったし、凄く、本当に助かった。 でも、ここから先は」

「駄目。 君一人じゃ、無理でしょ。 死に行こうとする人を、そのまま行かせるわけにはいかない」

スペランカーが、今までの脳天気な様子と違い、ぐっと沈んだ声で言った。

不思議な威圧感がある。

逆らえないし、視線をそらすことも出来なかった。川背が用意したらしいジャンパーを応急に上から着込むと、スペランカーは言う。

「このフィールドにおかしな事があることは、私たちも分かってるの。 それで、君はその正体を知っているんだね」

「……だが、これは」

「言いづらいなら、次のフィールドで聞くよ。 どうも多重構造になってるみたいだし、次のアトラクションも、またフィールドになってるんでしょ」

その通りだ。

座らされて、応急処置をされる。

しゃべったら、この二人も巻き込まれるのでは無いか。そう思ったが、もうひいてはくれそうになかった。

 

3、裏に潜むもの

 

クレイジーランドを囲んでわいわいと騒いでいるマスコミが、さっと左右に分かれた。自主的にやったのでは無い。黒服の集団が、そうさせたのだ。

リムジンから降り立ったのは、サングラスをした眉毛の太い老人である。白衣を着ていて、周囲からはかなり重要な人物として扱われているようだった。

「Dr、W。 此処が、件の」

「ふむ、クレイジーランドか。 どれ」

老人はしっかりした足取りで、マスコミの間に作られた路を通って、クレイジーランド入り口の手前に立つ。そして、恭しく差し出された書類を受け取った。

現時点で、ここに入った、フィールド探索者の名簿だ。ざっと目を通すが、中堅以上の連中はいない。

だが、面倒な名前が、名簿の中にある。

「スペランカーか。 あやつは特化型だ。 これは、まずいのではないのか」

「はい。 しかし此処はフィールドの特性が少々特殊でして、かの者の神殺しも、おそらく最後には通用しないかと思われます」

「だといいがな」

世の中に、絶対などと言うことは無い。

Wはダークサイドの人間であり、フィールド探索者から見れば宿敵に等しい存在である。その中でも、Wは大魔王の異名を持つKと並ぶほどの大物であり、それが故に今回の件でも出張ることになった。

もっとも、フィールド探索者の方でも、この件は不可侵に近い。本来だったら、これほどの被害を出したフィールドを、放っておく訳が無いのだ。早々にM辺りが出向いて潰していることだろう。

だが、此処は存在している。

勘が良い連中は気づくことがある。それに、長年組織が運営されると、邪魔になる人間も出てくる。

光にも、闇にもだ。

そのため、たまにこういうフィールドが作られるのだ。歴史の影に、何度もあった事だ。

「む? この本多宗一郎というのは聞いたことが無いな」

「V社の駆け出しです」

「V社というと、あのきな臭い噂がつきまとう彼処か。 ふん、まだ十五歳か。 不幸なことだ」

既に、このフィールドに入ったことで、この少年の命運は決していると言っても良い。

中に、決して凶悪な怪物がいるわけでは無い。むしろ、平均か、それ以上程度の存在しかいない。

だが、ここからは、出られない。

「いや、分からんな。 そろそろこのフィールドも、役割を終えるときかも知れん」

Wは鼻を鳴らすと、部下を促して、外に。

マスコミの連中を無視して車に乗り込むと、さっさと出すように命じた。黒塗りの車は、渋滞に巻き込まれることも無く、その場を後にする。

マスコミの者達は、去って行った車に、不自然なほど目を向けなかった。

 

「ホンダホンイチロー?」

「本多宗一郎」

「わかんなーい。 ポンポンでいい?」

杏色の髪の毛の女の子がそう言う。

引っ越し先で出会った、リルという少女だ。E国系ということだったが、J国語はそれなりにしゃべることが出来た。

元々、引っ越しで幼稚園を移ったばかりだったという事もある。孤独だった宗一郎と、元々閉鎖的なJ国の気風になじめず孤独だったリルは、互いの境遇が近いこともあって意気投合。

程なく、両親も含めた家族ぐるみのつきあいが始まった。リルはいざ慣れてしまうと人なつっこい娘で、J国の風習や習慣にもすぐなじんだ。むしろ、どちらかと言えば孤独が好きな宗一郎の方が、クラスになじむのに苦労したかも知れない。

小学校に上がると、運動神経が良くて力も強く、元々スポーツが著しく上手であったこともあって、宗一郎はクラスの中でも孤立することは無くなった。小学生の価値観は単純で、腕力がものを言うことが多いのだ。そのそばにいつもくっついているとはいえ、リルもいじめられることも無く、ごくごく平凡な、幸せな日々が続いた。宗一郎は孤独癖が抜けなかったから、クラスでもどちらかと言えば恐れられるリーダーであり、故にリルがからかわれることも無かったのかも知れない。

悲劇が起こったのは、両親の仕事で、閉鎖寸前の遊園地に調査がてら遊びに行った時のことである。

あの日のことを、宗一郎は忘れない。

なぜか、その日は朝からリルがぐずっていた。宗一郎といればいつもご機嫌そうにしている彼女が、こうもぐずるのを初めて見た。

嫌な予感がひしひしとしたが、これは仕事だ。両親に、行かない方がいいと、その時言うべきだったのかも知れない。否、言ったところで、どうにもならなかっただろう。或いはリルだけは無事に済んだかも知れないが、結局その後は孤児として暮らすことになっただろう。

異国出身で、しかも孤児になる。

しかも閉鎖的な気風のこの国である。まともな未来があるとは、とても思えなかった。

今、宗一郎は。

あの事件から数年経って。やっと、フィールドでも通用する筈の力を手に入れた。あのときから、ずっとリルを助けることだけを考えて生きてきた。里親達にも、随分迷惑を掛けた。

だからこそ。

必ず、生きて帰らなければならなかった。

ヘッドギアを直すと、アトラクションに入る。野生動物園とか書かれている、アフリカのジャングルをモチーフにしたアトラクションらしい。実際アトラクションの入り口にも、やたら爽やかな笑顔を浮かべた猿の立て看板が掛けられていた。

まだ、他のフィールド探索者とは遭遇していない。今のうちに、出来るだけ攻略を進めておかなければならなかった。後、スペランカーと川背を、振り切る隙を早めに見つけなければならないだろう。

入ると、早速むわっとした熱気が、辺りを包んだ。

完全にアトラクションの域を超えている。周囲は本物の熱帯雨林だ。ギャアギャアと何かの威嚇する声。足下を、非常にカラフルな蛇が通り過ぎていった。こっちには興味が無いという風情だ。

「ハーイ、次のアトラクションだ。 まさかあの戦士を倒すとは思わなかったぜベイベー」

「彼処だね」

スピーカーは、巨木の枝の上にあった。だがスペランカーが指さした次の瞬間には、スピーカーは川背の放ったルアーつきゴム紐に絡め取られ、引っぺがされていた。

川背が地面に捨てて、踏む。相変わらず、稲妻のような手さばきだ。本当に人間か疑いたくなる。

「オウ、これは熱烈な歓迎痛み入るぜ。 嬢ちゃんらはSMプレイが好みかい?」

「貴方は何者? こんな事して、楽しい?」

「俺が何者かってのは、まだ先の話だ。 HAHAHA。 ところでおまえら、この米国をはじめとして、西欧が近代化するのに当たって、忘れちゃいけない要素は何だと思う?」

「……」

川背という女が、心持ちスピーカーを踏む力を強くしたようだった。

だいたい、宗一郎にも見当がついた。

「それは労働力さ」

周囲に、無数の気配が現れる。

ジャングルの中にも、人間は住んでいる。いずれも、腰布だけを纏った、半裸の男達だった。

槍を持っているものがいる。筋骨たくましく、凄まじい威圧感だ。原始的な素材で作られたネックレスを首に掛けているものもいて、それは体ほどもある大きな弓を持っていた。矢筒からは、極彩色の羽で飾られた矢が覗いている。

数は、二十、いや三十を超えるだろう。

共通しているのは、皆、顔に豊富なひげを蓄えていること。そして、こちらに対して、明確な敵意を向けていると言うことだ。ぎらついた目には、油膜に似た怒りが浮かんでいる。

「産業革命ってのは知ってるだろ? あれ以降、こき使われた民衆も流石に限界が来てなあ。 で、民衆の権利とかやらが開発されたわけだが、そうなると今度は安くて使い捨てられる労働力がなくなっちまった。 で、代替品が求められたわけだ! ここまでいえば、後は分かるか! ギャハハハハ!」

スピーカーの向こうで、ケタケタ笑っている誰かがほざいているが、宗一郎は知っている。これは、実際にはもう少し根が深い問題だ。

奴隷を使う文化は、洋の東西を問わずにあった。まあ、奴隷をどれくらいひどく扱うかはだいぶ違ったようだが、それでも根本的には同じだ。

そして、アフリカの民を奴隷として大量に貿易したのは確かに白人の商人達だが、この時代の、腐敗しきったアフリカ側の体勢にも問題があった。どちらにしても、被害を受けたのは無辜の民ばかりだが。

現在でも、この問題は尾を引いている。差別と、憎しみと、それ以上の悲しみによって。人類の抱えてしまった業の一つであり、何百年も掛けて解決していかなければならない問題であった。国家レベルでのモラルハザードは、容易に何百万という人命を奪うものなのだ。

「当然、こんな遊園地に遊びに来てる連中は、みーんなおなじに見えてるぜえ? 肌の色なんて関係ねえ! よそから来た奴は、みんな敵って事だ! ギャハハハハ! さあ、ショータイムだ! オーストラリアに上陸した白人共みたいに、ゲーム感覚で現地人を皆殺しにしてみろや、ああん? ほら、はやく殺れよ、正当防衛だから問題ね……」

無言で、川背がスピーカーを踏みつぶした。

敵意の輪が、徐々に縮まってくる。テニスボールをリュックから取り出した宗一郎の肩を、スペランカーが掴んだ。

「待って」

「話なんか通じない。 だいたい、こんな連中の言葉が分かるってのか」

「先輩、今回ばかりは同感です。 殺さずに制圧して行くしか無いでしょう。 それに、此処はフィールドの中。 さっきのガンマンや騎兵と同じく、この人達が本当に人間か分かりません」

「うん。 そうなんだけど、何か様子がおかしいよ」

槍と、弓矢がこちらに向いている。

弓矢は原始的な作りだが、それでもこの密林にいる猛獣たちを仕留められるだけの性能を持っていることは間違いない。毒が塗られている可能性も高いだろう。

スペランカーは、丸腰のまま前に出る。

ざっと、包囲の輪が殺気を強めた。にこりと、スペランカーが笑みを浮かべた。

「敵意はないし、あなたたちを何処かに連れて行きもしない。 だから、通してくれると、嬉しいな」

「……」

しばしのにらみ合いの末。

ひげが白い男が、何か言う。スペランカーは笑顔のまま、じっとその場に立っていた。周囲をしきりに伺っていた男が、何か鋭い声を上げた。川背があごをしゃくった。意味は分かる。

川背も、既に手ぶらになっていた。

テニスボールをしまって見せる。男達はしばしこちらを見つめていたが、やがて森の奥へ、ぞろぞろと消えていった。

「先輩、あの人達」

「多分、本物の人間だね。 それも、現在のじゃ無くて、過去のだよ。 息づかいとか、気配とか、さっきのガンマンと明らかに違った。 どういうこと……」

破裂音。

側頭部を打ち抜かれたスペランカーが、その場に横倒しになった。ヘルメットにあいた大穴から、脳みそが大量の血と一緒に溢れている。

川背が無言で、宗一郎を掴んでブッシュの中に。二発、三発。至近に着弾。ライフル弾だ。当たれば一撃で行動不能になる。

また、スピーカーからの声が聞こえてきた。

「おやおやぁ? 原住民、殺さなかったのかい? そっか、レイシスト扱いされるのが嫌だったのかあ! このお茶目さん! じゃあお上品な紳士淑女の皆様に応じて、こっちも趣向を変えて、今度の相手は人狩りをしにきた外道ハンターどもだ! ギャハハハハ、これならぶっ殺すのに躊躇はいらねえよな!」

悲鳴。

側頭部に大穴を開けた大柄な白人男性が落ちてきた。何度か痙攣した後、動かなくなる。

スペランカーが頭を振り降り立ち上がった。傷は、きれいに消えていた。

何度見ても凄まじい能力だ。

「ひどいなあ。 もう」

「先輩!」

「気をつけて、上にいるよ! わあっ!」

スペランカーが、トラップらしい縄に捕らえられて、宙づりにされる。大量の落ち葉ごと、枝からつり下げられた袋状の縄の中に、スペランカーは消えた。

ああなると、スペランカーは何も出来ないはずだ。

けたけたと、周囲から笑い声がする。銃撃は激しくなり、ブッシュの中にも飛び込んできた。何発か掠る。

「スピーカーの向こうの野郎が何企んでるか知らないが、反撃するぞ。 このままだと、むざむざ死ぬだけだ」

「同意。 トラップに気をつけて。 相手の数は十から十三。 捕まったら、助けてる余裕はないよ」

「分かってる!」

立ち上がりざまに、テニスボールを一蹴り。

向こうで枝が大きく揺れ、一人落ちてきた。助かっても、しばらくは身動きできないだろう。

川背も飛び出す。

熱帯樹にルアーを引っかけ、ゴムの反動で高々と飛び上がり、枝の上に消えた。ものの一秒半も掛かっていない。

ハリウッド映画のワイヤーアクションも吃驚の動きだ。

負けていられない。宗一郎は走り、木々の間をジグザグに駆け抜けながら、敵の位置を特定する。

上の方で光った。

二発、至近に着弾。股を抉られるが、皮膚を軽くこすっただけだ。もう一発。肩をかすめた。強烈な耳鳴り。

そういえば、耳の至近を弾丸が通り過ぎると、気絶するとか聴いたことがある。茂みに飛び込みつつ、ハンドスプリングで飛ぶ。そして、オーバーヘッドキックで、さっき見た光に、テニスボールを蹴り込んだ。

ぎゃっと悲鳴が上がり、一人落ちてくる。

川背は上で凄まじい攻防を繰り広げているようで、こっちへの銃撃が明らかに減ってきた。好機だ。近くで銃声。いる。

木を蹴って、枝の上に上がる。もう一つ、枝を上がった。木登りは苦手では無い。見えた。一人、こちらに側頭部を見せている。多少足場は悪いが、気にしない。跳躍しながら、テニスボールを蹴り込む。

気づくが、もう遅い。

鷲鼻の白人男性の顔面に、テニスボールが直撃。鼻が砕け、歯が何本か折れて吹っ飛んだ様子だ。そのままバランスを崩して、ライフルごと落ちる。

上に殺気。避けきれない。

猛烈な蹴りを食らって、吹き飛ばされた。受け身はどうにか取ったが、もろに地面にたたきつけられる。

上。必死に横にはねる。

何発か、ライフルの弾が地面に突き刺さった。避けていなかったら、即死していただろう。

ブッシュに逃げ込み、木を背に隠れる。

ジェットエンジンの音か。見ると、小型のロケットを背負った男が、滞空していた。宇宙服みたいなものを着込んでいるから、顔は見えない。だが、残忍で、獰猛な殺気はびりびりと感じた。

上で、激しく銃声が響いている。川背が、五人か六人かを相手に、一人で奮戦しているのだろう。このロケット男は、宗一郎が何とかしなければならない。全身が、ひどく痛む。だが、これなら。

サッカーボールを出す。

あのロケットがどれくらいの性能があるかは分からないが、確実に仕留めないと次は無いだろう。雰囲気からして、多分格上の相手だ。飛び道具も、持っていて不思議では無い。

ロケット男は、ゆっくり滞空しながら、こちらを探している。ブッシュの中を、出来るだけ音を立てずに移動。木を利用して、視界の死角をついて、背後に回り込む。

狙うは、一旦こちらを探すのを諦めて、川背への攻撃に移ろうとした瞬間だ。勿論、木の上にいる狙撃手に気づかれないように、動かないといけない。大変な作業だ。

振り向いたロケット男が、いきなり小型の銃をぶっ放す。弾頭がロケットになっていて、木を根元から粉砕した。凄まじい音と共に、熱帯樹が倒れてくる。小型の猿が、顔をゆがめ、歯をむき出しにして鳴きながら逃げていった。

一種の擲弾筒か。しかしあの装備から言って、さっきの現地人達とは違う。此奴は、未来から来たのか。何でもありだなと、宗一郎はつぶやく。

今のは、ほんの隣の木に炸裂した。

狙いがわずかにずれただけで、宗一郎は死んでいただろう。歯を噛む。スペランカーの言葉は、本当に正しかった。ただ、当の本人は、縄に捕まってしまっているが。

ゆっくり滞空しながら、左にロケット男がずれていく。こっちを見ている。

一か八か。

銃が、発射された。同時に、前に飛ぶ。

後ろで、爆発。

宗一郎は、飛んだ。そして宙返りしながら、オーバーヘッドキック。サッカーボールに、渾身の蹴りを叩き込む。

サッカーボールが、爆発の中に吸い込まれていく。

そして、ロケット男の顔面を、完全に打ち砕いていた。

二人、三人と、上にいた狙撃手が落ちてくる。そして、静かになった。着地した川背が、服の汚れを払いながら、スペランカーの方を見た。

「今、下ろします」

「うん。 ごめんね?」

周囲に死体は一つも無い。やはり、作為的なものを感じてしまう。

スピーカーの声は聞こえない。そして、周囲の「アトラクション」が消える様子も無かった。

スペランカーが、落ち葉まみれになって、ぶるぶるっと身震いした。座り込んでいる様子が、妙に幼い。

この女は、強力な邪神に呪いを受けて、この能力を得たと聞いている。一方で、精神の成長も、止まってしまっているのかも知れない。だが、時々見せる安定感は、見かけとはまるで釣り合わなかった。

「ああもう、ひどい目に遭ったよ」

「先輩、枯れ葉とってあげます」

「お願い、川背ちゃん」

医療キットを出すと、自分の手当を軽くする。受けた覚えの無い擦り傷や火傷が結構あった。

ロケット男の擲弾筒でついた傷である事は、疑いなかった。

「宗一郎君、何だか向こうは仕掛けてくる気が無いみたいだから、今のうちに話してくれる?」

「……」

「宗一郎君?」

「分かった。 だが、気分が良い話じゃ無い。 それに、聞いただけで多分あんた達にも危険が及ぶぞ」

V社の人間にも、この話はしていない。里親達にもだ。

自分で調べていく内に、偶然見つけてしまった。数年間掛けて調べ上げてきた膨大な資料の中に、不審な点があり。それを突き詰めていく内に、偶然発見してしまったのである。まさに、禁断の扉を開くというのが相応しい状況だった。

考えて見れば。

此処に派遣されている時点で、この二人もきっと、何かしらの関係があったのだろう。それでも、やはり罪悪感は強かった。

「此処は、処刑場なんだ」

「処刑場?」

「そうだ。 元のフィールドなんか、とっくの昔に潰されてる。 フィールド探索者の会社と、その敵対者が裏で手を組んで運営してる、自分たちに都合が悪い存在を潰すためだけに仕立てた、闇のフィールド。 それが、此処なんだよ」

 

密林の中を、歩く。

多分三時間か、四時間くらいは歩いたはずだ。一度川背が樹冠まで出て偵察してくれたのだが、見渡す限り密林で、山や川さえも無かったという。はぐれた場合、再会できる可能性は皆無に近い。

結果、まとまって行くしか無かった。

手慣れた様子で、川背が木に目印をつけながら、影を頼りに進む。そして、歩きながら、話した。

数年前。

小学生だった宗一郎は、今クレイジーランドと呼ばれているこの遊園地に、ガールフレンドのリルと、自身の両親、リルの両親と共に来た。元々潰れる寸前だったという事もあって、お世辞にも面白い場所だとはいえなかった。両親の仕事で主要な遊園地はだいたい行ったことがあった事もあり、特に宗一郎は退屈だった。

だが、リルは嬉しそうにしていて、アレに乗りたい、コレに乗りたいと、盛んにおねだりした。それを見ていると、宗一郎は悪い気分もしなかった。

「へー。 まあ、そのくらいの年だと、男の子と女の子って仲良しだよね」

「一旦距離が離れるのが、だいたい小学校高学年くらいですね。 危険が大きい若年交配を避けるための、本能です」

「あの、話を続けてもいいか」

意外と現実的な方向から話を分析する女どもに、ちょっと宗一郎は辟易した。

この頃、まだ二人きりの時は、リルは宗一郎をポンポンと呼んでいた。よそではやめるようになっていたが。

そして、リルがそういう習慣を持っている相手は宗一郎だけ。それが、宗一郎の、密かな自慢だった。

確か、ジェットコースターに乗った直後のことだった、と思う。

不意に、空が血の色に染まったのだ。今なら分かる。あのとき、この遊園地が、フィールド化したのである。そしてひょっとすると、それさえもが、仕組まれたことだったのかも知れなかった。

一瞬で、辺りは阿鼻叫喚の地獄と化した。

「え? アトラクションの外でも襲われたの?」

「ああ。 ピエロが化け物になって、ナイフやら爆弾やらを、辺りの人間に投げつけ始めたし、空には巨大な化け物が現れて、隕石を降らせ始めた。 必死に客を出口に誘導しようとする警備員が真っ先に殺られて、巨大な化け猫が人間を食い始めて。 後は、もうどうしようもなかった」

今でも、あのときのことは悪夢として見る。

両親も、リルの両親も、そこで死んだ。いにしえの魔法使いのような、おぞましい化け物が降らせた隕石で両親が。リルの両親は、リルを守ろうとして、化け猫に引き裂かれて、食われてしまった。

リルの手を引いて、必死に逃げようとした。

だが、鋭い悲鳴に振り返ると、彼女は地面から生えていた手に掴まれていた。

「助けて! 助けてっ!」

小さな手を引っ張ったが、どうにもならなかった。

手はあっさり宗一郎の手からリルをもぎ取り、闇の中に消えてしまったのである。

右往左往する宗一郎は、もうどうにも出来なかった。後は、周りの阿鼻叫喚を見捨てて、逃げるしか無かった。

気がつくと、遊園地の外に出ていた。軍隊が来て、宗一郎を保護した。

それからは、事情聴取を受けた後、里親の所に預けられた。

しばらく無言が続く。それにしても、敵はどうして仕掛けてこないのだろう。

「ひどい目に、あったんだね」

「あんたも相当ひどい目に遭ってきたんだろ? 俺が特別だとは思っていない」

最初は、自分を悲劇の主人公だと考えてもいた。

だが、あの遊園地について調べて行くにつれて、その考えは変わった。フィールド探索者のことを調べるようになったからだが、彼らがだいたい悲惨な過去を抱えていることを知ったからだ。

一度、インタビューされたので、応えた。

Mみたいに強い人が、あの遊園地の化け物達をやっつけてくれれば嬉しいと。だが、Mも、サー・ロードアーサーも、Rも、有名どころのフィールド探索者は誰も動かなかった。業を煮やして、自分でどうにかすることを考え始めたのは三年前。

自分の手を、リルの手が離したときの感触は、ずっと宗一郎を苦しめ続けた。

だから、それが逆の意味で励みになった。それこそ、全身全霊を込めて、調査と鍛錬に没頭した。能力が目覚めたときには、それはそれは嬉しかった。これでリルを助けにいけると、歓喜のあまり涙まで出た。しかし、里親が駄目だと言った。だから、自分で行動できる年になるまでは、体を鍛え、情報を集めて待つことにした。

クレイジーランドが出現するたびに、他のフィールド探索者が攻略してしまうのでは無いかと、気が気では無かった。しかし、誰も攻略に成功しないまま、時ばかりが過ぎていった。

無数の調査記録を調べてみて、不思議なことに気づいたのは最近のことである。

クレイジーランドが、可能性の揺らぎの海というものに浮かんでいて、時々世界の何処かに現れるという事については掴んだ。

しかし、どうも攻略に掛かった面子の様子がおかしいのである。

千人を超える犠牲者を出した特大のフィールドである。それなのに、どうしてか超一流のフィールド探索者は、誰一人として攻略に参加していないのだ。そればかりか、手が空いているにも関わらず、動かない場合もあった。参加しているのは、中堅どころ、それも名前が適当に売れ始めたような者達ばかりなのだ。

やがて、妙な記述にも気づいた。

世界でフィールド探索者の敵として活動している人物が、どうしてかこの時期だけは動きが鈍いのである。大魔王Kに至っては、Mとの戦闘を中断して、引き上げていった事さえある。

疑念を一度感じると、後は雪だるま式だった。

そして、見つけたのだ。マスコミには黙殺されていたが、不思議な証言をしていた生還者がいたことを。彼はクレイジーランドから生還はしたが、即座に消息を断っていた。彼は、行方不明になる前に、興味深い事を書き残していたのだ。

私は、会社に殺されるだろう。

その男は、そう周囲に言っていたというのだ。何でも、フィールドを攻略できていれば生き残れたのだが、そうでなく逃げ出したのだから無理だとか、言っていたそうだ。真意はよく分からない。だが、彼が闇の一端に触れたのは確実だった。

「ふうん。 でも、それって推測でしか無いよね」

「他にも、いくらでも証拠はある。 決定的な証拠も、幾つか握った」

「それで、此処に送り込まれたの?」

「いや、自力で来た。 可能性の揺らぎを計算して、此処に現れることは算出した」

もっとも、何とか宗一郎が入れたV社はフィールド探索者としては弱小で、いろいろなものに見境なく手を出していたり、中堅以上のフィールド探索者がいなかったりと、この件には関わっていない可能性が濃厚だという。

ジャングルを、どれだけ歩いただろうか。

夜になる気配もなく、いい加減疲れた頃。あのふざけたスピーカーの音が、響き渡る。

「ハーイ、紳士淑女の諸君、元気かなあ?」

「元気なわけがあるか、この外道」

「HAHAHA、元気で結構! お待たせして申し訳ないなあ。 ちーと準備に手間取っちまってな。 ようやく、おまえらに対抗できそうな障害を用意できたぜ」

さっと、川背が前に出て、周囲を伺う。

宗一郎は後ろを確認。何かにつけられている様子は無い。

「おまえら、チンパンジーは知ってるよな」

「だから何」

「ブッブー、はーずれー。 おまえらがチンパンジーだと思ってるのは、「ピグミー」チンパンジーって言う小型でおとなしい品種なんだよ。 実際のチンパンジーは平均握力が二百五十キロ、垂直跳びで人間の身長以上を軽く超え、凶暴で他の猿を殺して喰うことも平然とやる連中でなあ」

げたげたと、声は笑っている。

今度の相手は、チンパンジーか。

話には聞いたことがある。チンパンジーは元々人間よりもずっと戦闘能力が高い類人猿で、本気になったら人間を殺す事など造作もないという。勿論武器を持った人間やフィールド探索者にはかなわないが。

だがしかし、この密林で、こちらを殺すつもりになったチンパンジーに襲われるのは、正直ぞっとしない。

鈍い音。

何か、果実が落ちてきた。それも二個や三個では無い。雨のようにだ。どれもこれもバスケットボールくらいある、頭が砕けるような大きさのものばかりである。

やばい。相手は地の利を利用して、こちらを本気で殺しに掛かってきている。このサイズの果実だと、ヘルメットでも防ぎきれない。直撃したら、頭が砕ける。

しかも、明らかにスペランカーを狙っていない。これはひょっとすると。

「先輩、大丈夫ですか!?」

「……川背ちゃん、私は平気だから、宗一郎君を守って」

「分かりました!」

スペランカーは、じっと上を見上げている。気づいたのだろう。

おそらく敵は知能がある。それも、非常に狡猾な、である。やはり、事前の調査にあった仮説の一つが、真実だとしか思えない。

近くに、木の実。木の上に上ろうにも、凄まじい砲火の密度で、それどころでは無い。走り回って避けるが、一瞬でも足を止めたら、頭に果実が直撃するだろう。まず、走り回らないといけない。

凄まじい音。

振り返ると其処には、歯をむいた小山のような巨体があった。

話には聞いていたが、至近で見るとその威圧感は凄まじい。勿論此処はフィールドだから、強化もしているのだろうが。チンパンジーとは、これほどガタイが良い生物だったのかと驚かされる。筋肉は隆々としているし、顔も中年男性のようだ。歯をむいて威嚇している様子は、動物園で培った愛らしいイメージとは根本的に違っている。

チンパンジーの目は、スペランカーにだけ向いている。多分、徹底的にスペランカーを無力化するつもりなのだろう。一旦浚って上に逃れ、後は頭上からの果実攻撃で、時間を掛けて仕留めに来るつもりか。

だが、スペランカーは、リュックからダイナマイトを取り出す。

そして、ライターに着火。鋭い威嚇の声を上げて、跳躍したチンパンジーが、ものすごい勢いで木の上に消えた。スペランカーはライターの火を吹き消すと、ちょっと呆れ気味に言った。

「判断力も高いみたいだね」

再び、雨あられと木の実が降り注ぐ。

スペランカーは相手にせず、まず実働戦力である川背と宗一郎を潰すつもりなのだろう。敵は最低でも二匹以上いる。その証拠に、さっき一匹が降りてきたときも、木の実は容赦なく降り注ぎ続けていた。

川背は。

いない。今、一匹が降りてきた隙に、木の上に上がったらしい。

頭上で凄まじい威嚇の声。多分、川背が交戦を開始したか。しかし、チンパンジーの声色がかなり多いのはどういうことか。

二匹以上はいると思っていたが、或いは群れ一つが相手と言うことなのか。確かチンパンジーは群れを作って行動するはず。そうなると、十頭以上がいると見て良いかも知れない。

「不利なのは分かってるけど、下にいたらそもそも勝負が出来ないね」

「あんたはここにいろ。 あんたの戦闘スタイルじゃ、足手まといになる」

「言ってくれるね」

返事を聞かず、宗一郎は跳躍。落ちてくる木の実が、明らかに減ってきている。それでも、かなり正確に宗一郎を狙ってきているが、弾幕が弱っているのは事実だ。木の枝に上がると、更に上を目指す。至近に木の実。木の枝の、根元を狙っていた。

「くっ!」

敵の姿さえ見えない。戦略上の優位を維持したまま、こちらを消耗させきるつもりか。チンパンジーのくせに、並の人間より賢いように見える。いや、これはおそらく違う。後ろにいる奴の、差し金だろう。

木の実が飛んできた方向から、手が空いている奴のいる地点を予測。慎重に上がる。太い木の枝を中心に上っていくが、やはりそれでも、木の実の射撃はかなり怖かった。腕力が人間とは根本的に違うから、飛んでくる速さも正確さも凄まじい。

木が細くなってきた。

幹に当たっても、凄まじい振動が来る。直撃を受けたら、多分即死するだろう。

上の方に、飛び交う影。見えた。

テニスボールを取り出す。あの高さなら、如何にチンパンジーでも、直撃を浴びれば地面に落ちて即死するはずだ。

ふと、気づく。川背がゴム紐を使って飛び回っているが、チンパンジーは木の実を投げて応戦しつつも、一つの木に集まっている。これは、或いは。

作戦が読めた。

テニスボールを手から離すと、蹴る。木の実をもいで、投げようとしていたチンパンジーの顔面に炸裂。バランスを崩したチンパンジーだが、しかし立て直すと、鋭い怒りの声を上げながら、飛び回った。感情が制御できないのだろう。

二つ、三つと、宗一郎の所に木の実が集中してくる。

位置を変えて、もう一つ。川背がルアーつきゴム紐を投げつけ、チンパンジーの一匹の右腕に引っかけると、遠心力と木をてこに使って、一気に空中に放り出した。流石にこうなるとどうしようもなく、チンパンジーが無様な悲鳴を上げて落ちていく。

下で、激しい音。

「ギャーッ! ギャーッ!!」

仲間を殺られた事に、チンパンジーも流石に怒ったらしく、凄まじい怒りの声を上げる。一瞬、川背と目が合う。邪魔にだけはなるなと、言っているように見えた。分かっている。テニスボールを蹴る。川背だけを見ていたチンパンジーの顔面に炸裂。さっきよりも威力が上がっている。今度は見事に落ちていった。

だが、次の瞬間。

顔の至近を、真後ろから飛んできた果実がかすめた。振り返っている余裕は無い。下の方にある木の枝に飛び込む。後ろから殺気。木の枝を回るようにして、降りる。その隙に一瞬だけ見えた。ひときわ大きいチンパンジーが、長い腕を振るって、迫ってきていた。

群れのボスだろうか。顔の恐ろしさも、動きの鋭さも、他とは全然違った。

川背が、他の個体を、一つの木にまとめている。此奴を、少なくとも宗一郎が引きつけておかなければならないだろう。だが、早い。振り切れない。

消防士がするようにして、一気に木を滑り降りる。手のひらに鋭い痛み。木の枝が、手のひらを擦って傷つけているのだ。半樹上生活をしている向こうとは体のつくりが違う。

チンパンジーが、飛びつくようにして迫ってきた。掴まれたらおしまいだ。宗一郎の腕など、その場でへし折られるか、引きちぎられてしまうだろう。チンパンジーは歯も凄い。顔面の皮を食いちぎられたという報告例もある。

下で、爆発音。

巨木が、凄まじい勢いで倒れていく。その上に群がっていたチンパンジーたちが、一斉に悲鳴を上げながら落ちていった。スペランカーが、ダイナマイトを使ったのは間違いない。川背が一つの木に追い込み、そしてスペランカーが木の根元を爆破することで一網打尽にする。

宗一郎が思っていたよりも、ずっとあの二人は連携がとれている。スペランカーも、アホだと思ったが、経験が多分それを補っているのだろう。少なくとも、宗一郎よりずっと修羅場をくぐって、それを自分の力に変えている。

地面に着地。横っ飛びに離れる。

踏みつぶそうと、落ちてきた群れのボス。部下達があらかた倒されたのを見て、流石に愕然としている。至近で、テニスボールを蹴り込む。だが、相手の反応が早い。

長い手が一閃して、顔面を狙ったテニスボールをはじき返した。

とんでもないパワーだ。

「ギャーッ!」

絶叫したチンパンジーが、逆上して宗一郎に躍りかかってくる。地面でも、動きがかなり速い。とてもでは無いが、テニスボールを蹴り込む余裕など無い。鞭のように振るわれる腕が、ついに宗一郎をとらえる。

吹き飛ばされ、地面にたたきつけられた。

上では、まだ川背が敵残党との死闘を繰り広げている筈だ。とても、救援など期待は出来ない。

飛び退く。だが、チンパンジーの動きは恐ろしく速い。今の一撃で、肩が抜けた。空いている手でサッカーボールを取り出す。一か八かだ。至近距離から、叩き込んでやる。だが、チンパンジーは、意に介さず懐に飛び込んでくる。

全力で蹴る姿勢を取っているにも、関わらずだ。

あの長い腕で、至近まで入られて殴られたら終わりだ。握力だけでなく、腕力だって人間の非では無いのだ。チンパンジーの体格を、樹上で苦も無く支えるほどのパワーである。人間の体なんか、それこそ簡単にばらばらにしてしまう。

一瞬、早い。

全力を込めたサッカーボールを、蹴り込む。

だが、至近で射出されたサッカーボールを、チンパンジーのボスは。

あろう事か、凄まじい反射で、その場ではじき返して見せた。明後日の方向に飛んでいくボールを見て、流石に宗一郎は愕然とする。だが、チンパンジーのボスも無事では無かったようで。はじくのに使った右手は、ぐしゃぐしゃになっていた。

鋭い叫び声。

怒りの雄叫びだろう。

今のが渾身だった宗一郎は、身動きがとれない。無事だった左腕を、チンパンジーが振り上げる。それが、嫌にゆっくり見えた。アレが振り下ろされたら、首の骨くらい簡単に折れる。

終わったと、宗一郎は、妙にあっさり諦めてしまっていた。身動きがとれないのだ。詰みに等しい状況である。だが、いいのか、諦めて。リルは、まだ生きているかも知れないのに。

「えーい!」

ものすごく貧弱な体当たり。だが、それでも数十キロにはなる体が、思い切り後ろからぶつかった。

だから、チンパンジーが、体勢を崩す。スペランカーだった。

一瞬の虚脱から立ち直ると、宗一郎はテニスボールを取り出す。戻ってくるサッカーボールを蹴るには、パワーが足りない。チンパンジーが、一生懸命体当たりしたスペランカーを、苦も無く引きはがす。引きはがすとき、押さえ込むようにしているのを見て、宗一郎は確信した。

冷静に、テニスボールを、残った全てのパワーで蹴り込む。

チンパンジーは左手で防ごうとするが、間に合わない。スペランカーの体当たりが、こんな形で生きてくるとは。王手を掛けられていた状態から、逆に相手を詰めた。

チンパンジーの顔面に、テニスボールが直撃。

ひときわ鋭い悲鳴が上がり、巨体が宙に投げ出された。そして二度、三度とバウンドする。ダメージが大きいから、破壊力も絶大だ。首の骨が折れる手応えもあった。

不意に、側に少し小さなチンパンジーが落ちてきたので、宗一郎は驚いた。川背が、叩き落としたのは間違いなかった。

へたり込む。

周囲の光景が、徐々に切り替わっていく。明らかに本物の密林だったのが、作り物へと変わっていった。それも、何年も前に手が入ることが無くなり、朽ち果てたあわれなビニールハウス内のアトラクションに、である。

汚れきり、埃で塗装されたプラスチックの塊が、無造作に散らばっている。

それは哀れでもあり、おぞましくもあった。

着地した川背が、辺りを見て目を細める。

「先輩、どう思います?」

「ふう、ごめん。 ちょっと休もう?」

「そうですね。 休んでから、考えましょうか」

川背は、そうスペランカーには笑顔を浮かべる。スペランカーのことが大好きなんだなと、宗一郎は肩を押さえながら思った。

脱臼した肩を入れるのはさほど難しくない。だが、川背が手際よくやってくれたので、痛みも最小限だった。あれだけの機動で飛び回っているのである。出来るようになるまでは、さぞやひどい怪我もしたのだろう。

「痛いところは?」

「大丈夫だ」

「そうじゃなくて、痛いって事は、体が警告を発してるって事なの。 君がダメージをパワーに変える能力者だって事は分かったけれど、放っておくと後でとんでもないことになるよ」

てきぱきと、手当てされる。

朽ちたビニールハウスを出る。あれだけの長時間歩き回ったのに、外から見ると極しょぼいアトラクションだったのだと丸わかりだ。一種の植物園だったとも思えない。雰囲気だけを楽しむ施設だったのだろう。

出るときに、大きな猿のぬいぐるみがあった。オランウータンのように見えるが、彼方此方細部が違っている。この辺りもいい加減で、何だかこの遊園地がはやらなかった理由が、宗一郎には分かった。

少し休んだ方が良いとスペランカーが提案したので、小休止。時計を見ると、侵入から既に二十一時間が経過していた。そろそろ、睡眠を取った方が良いかもしれない頃合いだ。

川背が見張りに立って、三交代で休憩を取ることにする。四時間ずつ眠って、それから次に向かう感じだ。三交代で一人見張りを残して睡眠を取るので、一人八時間ずつ眠ることが出来る。

十二時間のロスは痛いが、しかし。

今更、一分一秒を争っても仕方が無いという気もする。

寝ると決めたら、すぐにすやすや寝始めるスペランカーを横目に、川背が言う。

「あまり先輩を馬鹿にすると、怒るよ」

「していない。 というか、今はもうしていない。 判断は的確だし、貧弱な身体能力で頑張っている。 能力を封じられても、今回の戦いでキーになっていた所は凄いと思った」

川背は短い髪を掻き回すと、なら良いと短くつぶやいた。

それ以上は、会話も発生しなかった。

買ってきたゼリー状の栄養ドリンクを口にすると、宗一郎もさっさと寝ることにする。

空はずっと同じ色のまま。

今のところ危険は無くても、此処が異界なのだと、よく分かった。

 

4、もう一枚の闇

 

休憩をすませた後、アトラクションを探して遊園地の中を歩く。電気系統はどういうわけか生きているようで、街灯はついていたし、トイレも動いていた。先にスペランカーが使っても大丈夫なことを確認してから、交互に用を済ませた。

ただし、当然食料類は売っていない。ご丁寧に、自動販売機は、どれもが完全に停止していた。宗一郎はテニスボールをぶつけて一つ壊してみたが、中にはジュースの一本も入っていなかった。

ある程度探し回った後、諦めてござを広げて携帯食を食べる。川背が料理をしたそうにしていたが、今は仕方が無い。全員、缶詰で腹を満たして、それで終わりだ。ただ、スペランカーが持ってきたJ国のかに缶は美味しかった。

腹にものを入れると、若干、絶望感が薄れるのが分かる。

同時に、乱れていた感情も、落ち着いてくるのが分かった。

やはり、一人で此処を攻略するのは絶望的なことだったのだと、今は分かる。それに、この二人も、処刑場に何らかの理由で送り込まれたことは事実なのだ。真相を知っても、今更大きな差は無いだろう。

ただ、やはり罪悪感はある。

他のフィールド探索者が潰したのか、燃え上がっているアトラクションもあった。しかし、誰とも出会わない。

「他のチームと合流できたら、戦力を強化できないかな」

「期待できないと思います」

川背が、スペランカーの希望的観測を否定した。

確かにこれだけ歩いても、他のチームの痕跡が見つからないのである。他のチームも、おそらくは絶望的な戦いをしているのだろう。

足を止めた。

さっきまで何も無かったように思えるのに。

目の前に、アトラクションが出現していたからである。海賊狩りとか、看板には書かれていた。そして、手にフックをつけた、眼帯のいかにもそれらしい海賊の人形が、左右に揺れている。

「あっと、厄介だな」

「そういえば、先輩。 海は苦手なんですか?」

「苦手じゃ無いけれど、ね」

だいたい、見当はつく。

スペランカーの戦闘スタイルから言って、海に落ちると復帰が難しいからだろう。勿論、落ちないようにフォローしてやれば良い。

「武器類は?」

「武器は、一つしか持ってきてないよ。 これは、ごめん。 多分普通の相手には通じないから、使えないと思って。 ただ、装備としては、ダイナマイトがもう一セットあるけれど。 今回は会社がどうしてか奮発してくれてね。 装備が若干充実してるんだ」

「そうか」

多分それは、会社も事情を知った上でやっているのだろうと宗一郎は思ったが、黙っていた。川背もそれには気づいたのだろう。何も言わなかった。

アトラクションに足を踏み入れる。

この遊園地全体を維持している奴がどこにいるか分からない以上、片っ端から潰していくしか無い。

ゲートをくぐると、其処は大海原だった。八メートル程度の非常に小さな木造船に、三人は乗っていた。一応ついているマストはぼろぼろ、帆は朽ちかけ。船の両脇には二対の櫂があるが、あまり役立ちそうには見えない。一瞬、このまま干殺しにするつもりかと思ったが、大砲の音がその予想を打ち消す。

「わ、海賊船だ」

スペランカーが、脳天気な声を上げる。確かに、どくろのマークを帆に染め抜いた、とてもわかりやすい海賊船がこちらに向かってきているのが分かった。川背がルアーつきのゴム紐を取り出す。

同時に、どこに仕込まれているのか、スピーカーから声がした。

「レディースアンドジェントルメン! ギャハハハハ、待たせたなあ。 よーやくおまえらと遊べるぜえ」

「ということは、他のフィールド探索者達は」

「察しが良いじゃねえか。 おまえらが手強そうだったからな、まずは他を叩き潰すことにしたんだよ。 今、終わったところだ。 三チーム七人、きれいに全滅だ! ギャハハハハハ!」

何がおかしいのか、笑い声はずっと続いていた。

スペランカーが、みるみる表情を怒りに染めていくのが分かった。一方で、川背は冷静なままである。

「何がそんなにおかしいの?」

「ああん? 敵を潰したら楽しいに決まってるだろうが!」

「そんなの、決まっていないよ。 敵は倒さなければいけない場合もあるし、それが死につながることだって多い。 でも、誰も彼もがそれを楽しいと思ったら、大間違いなんだから」

「おまえ、よわっちく見えるが、歴戦の戦士なんだろ? そんな風に考える奴には、何だか久しぶりに会ったなあ。 まあいい。 てめーが要みたいだし、今回も悪いが、徹底的に封じさせてもらうぜ?」

大砲が、至近に着弾。

小型船が、大きく揺れた。

「宗一郎君、漕いで。 とにかく、接近戦に持ち込もう。 船を沈められたら、手も足も出ない」

「分かった。 任せろ」

傷ついたときに出せるパワーは、何もボールを蹴るときだけに発揮できるわけでは無い。船を漕ぐのにも、当然応用することが出来る。

しっかり眠ってある程度回復したとはいえ、まだまだ体中が痛い状態だ。パワーは常人以上のものを余裕を持って発揮できる。

スペランカーは、漕がない。多分力仕事では役に立てないと、知っているからだろう。その代わり、いそいそと双眼鏡を取り出す。川背は、ゴム紐を振り回し始めていた。

「甲板上、何かいる。 それと、海面も。 右に進路変更」

「よし、任せろ」

宗一郎は、即座に櫂の力を調整して、右に。海面が盛り上がり、巨大な魚があごをかみ合わせた。キス類の魚であるようだ。キス類の中には、とんでもなく巨大に成長するものがいると聞いたことがあるが、本当らしい。

左、左、右。速度落とし、今度は加速。スペランカーの指示に従って、調整。魚が彼方此方から浮かんできて、がちん、がちんと巨大なあごをかみ合わせた。直撃をもらったら、かなり面倒なことになるだろう。こんなぼろ船、一瞬で粉々だ。また、至近に大砲が着弾。

派手に水柱が上がる。船が大きく揺れて、放り出されそうになるスペランカーを、素晴らしい反射神経で川背が支えた。

「おー、麗しい友情だねえ。 じゃ、アトラクションの解説行ってみようか、ギャハハハハ!」

「黙って」

「そう邪険にするなよ、こっちも仕事なんだからよ」

櫂を必死に漕いで、更に加速。海賊船が、更に大きく見えてきた。大砲の数はそれほど多くない。だが、問題は。甲板の上に見える相手だった。

あれは、どう見ても。死人だ。

船衣に身を包んでいる屈強な男達は、いずれもが朽ち果てていた。骨が露出し、眼球は白く濁り、肉は腐り果てている。おぞましい死者達は、めいめいにサーベルや拳銃を持ち、こちらを今か今かと待ち受けている。

「海賊ってのは、昔から全世界中にいた。 どこの国でも、政治が腐るとアウトローに期待するのは同じでなあ。 ピカレスクロマンって奴はそういう事情からも人気があったが、それと最も相性が良かったのが此奴らだ。 だから、自由だの反体制の英雄だのと美化する空気もあったが、実際の此奴らは、賊の中でも最も凶暴で、邪悪な奴らだったのさ」

何しろ、遠慮する必要が無い。

山賊などの場合、住民から略奪するにしても全部やってしまうと次が無くなる。だから、手加減する必要がある。

しかし海賊は違う。何しろ、獲物はいくらでもいるのだ。

特に現在、海賊としてのイメージが強い大航海時代の海賊共は、まさに邪悪の中の邪悪。人類史上、最も残虐で非道な連中といって過言無い者達であった。この時代、海上の安全は、大型の海洋国家でさえ確保できなかった。治安の維持が出来ていないことを良いことに、海賊共は思うままに、残虐と非道の限りを尽くしたのである。

とにかく、奪い尽くし、殺し尽くす。海上だけではなく、沿岸の街や村も、その餌食となった。本能のままに虐殺し、略奪する、人間の最も邪悪な部分を露出しきった存在が、海賊であった。

現代でも、海賊の非道ぶりは話題になっている。

だが、それは。何も、現代に限った話では無いのである。

ピカレスクロマンで美化された連中と、現実は根本的に違うのだ。

「だーかーら。 ギャハハハハハ、おまえら、容赦なく海賊をぶっ殺せ! 奴らを皆殺しにしたら、アトラクションから出してやるよ! カリブの海賊ご一行様、あの世でも宝求めて海をさまよう化け物どもだ」

川背が、スピーカーを見つけた。船の側面の、舳先近くにつけられていた。

もぎ千切ると、海に放り捨てる。

「先輩、揺れますけど、気をつけてください」

「分かった! 宗一郎君、左に進路。 その後、すぐ右」

巨大な魚が、水面から躍り出てくる。その魚が、海賊船からの視界を遮った瞬間。

川背が。ルアーを投擲。正確な狙いで、船の側面に、ルアーを引っかける事に成功した。

宗一郎はそれに併せて、一気に加速する。大砲。後方に着弾。船が激しく揺動するが、川背は全くひるまなかった。

飛ぶ。ゴム紐の反動を利用して、重力を無視したかのように、きれいな放物を描いて。

同時に立ち上がった宗一郎は、テニスボールを足下に落としながら、蹴る。ひょいとしゃがんだスペランカーの上を、テニスボールは飛び、大砲を直撃。砲身の中に吸い込まれたテニスボールは、ジャムを引き起こした。

爆発。

海賊船が、火を噴きながら揺れる。その爆炎の中、川背が消えた。

もう、海賊船は至近だ。再び座ると、宗一郎は櫂を漕ぐ。もうもうと上がる煙の中、川背が海賊を相手に奮戦しているのが分かった。突破口さえ作れば、後は。人間が相手なら、たとえ死人であっても、どうにかなる。

「油断しないで」

宗一郎の心を見透かしたように、スペランカーが言う。頷く。いつの間にか、このひ弱な女に対する、不思議な信頼感が芽生え始めている。あれだけ普段は頼りないし危なっかしいのに、どうしてだろう。

修羅場での、安定感が尋常では無い。

さっきの猿たちとの戦いでも、あれだけ的確に動いていたし、不老不死というだけではなく、根本的な所から宗一郎の及ばない相手なのかも知れない。

海賊船に、ついに肉薄。

上では、凄まじい戦闘音が響いていた。吹っ飛んだ死人が、海賊船から投げ出されて、海に落ちる。魚が死人を丸呑みにして、かみ砕くのが見えた。落ちたら一巻の終わりだ。

「使って」

「分かった」

フックつきのザイルを、スペランカーが出してくる。振り回して放り投げ、甲板に引っかける。一発で上手く行って、ちょっとほっとした。もそもそとのんびりスペランカーが腰のベルトに安全装置をつけていた。腕力が無い人間がザイルを使って上るときに使う、返しの入ったものだ。

宗一郎はそのまま、ザイルを掴んで船を駆け上がる。激しい煙が上がる中に飛び込むと、至近で死人と鉢合わせした。

船衣を着込んだ死人は、見上げるような大男で、しかし朽ちかけていた。かっては太かっただろう腕は骨が露出し、分厚かっただろう胸板は腐った筋肉が崩れ落ちている。顔には、明らかに腐ったから出来たのでは無い、大きな欠損がいくつも見えた。

無言で、飛び下がりながらテニスボールを蹴り込む。胸の中央に直撃したテニスボールが、貫通して向こうに抜ける。音を聞いて、他の死人たちも、集まってきた。

甲板に、まだスペランカーは上がってこない。

走りながら、まず足を狙ってボールを蹴り込む。動きが鈍い死人たちだが、銃を持っていて、それで狙いを正確につけて来る。弾丸がかすめた。連続で三発。川背がかなりの数を引き受けてくれているが、それでも流れ弾がかなり怖い。

穴を体の真ん中に開けられても、平気な顔をして歩いてくる死人だが、流石に足を潰されると、その場に倒れて身動きがとれなくなる。呻きながら迫ってくる死人を走って攪乱しつつ、倒れている一体の頭を蹴り飛ばした。もろくなっている頸椎が外れて、頭がとれて吹っ飛んだ。

跳躍。

煙から飛び出して、見る。

船長。舵の方で、悠然と戦況を見ていた。あいつを潰せば。

「宗一郎君!」

振り返る。

数体の死人が、動きを止めた宗一郎に銃口を向けていた。一斉に発射される。

だが、飛び込んできたスペランカーが、蜂の巣になり、短いダンスを踊る。地面にたたきつけられたスペランカーは、動かない。

死人が、のけぞった。スペランカーの体に穴が開いたのと、同じ箇所がえぐり取られている。スペランカーはじきに蘇生するだろう。しかし、放っておいていいものなのか。いいわけがない。

「このくそったれが!」

瞬時に、頭が沸騰した。

サッカーボールを出すと、蹴り込む。二発、弾丸が至近をかすめるが、気にしない。強烈に加速したサッカーボールが、死人の頭を粉砕する。戻ってくるサッカーボールを蹴ろうとする瞬間、肩に灼熱。弾が入って、抜けたのだ。だが、気にしてなどいられない。

「おらああっ!」

空気をこすって、凄まじい摩擦を起こしながら、ボールが飛ぶ。直撃を受けた死人が、木っ端みじんになった。戻ってきたボールを更に蹴る。死人が、呻きながら下がる。呼吸を整えながら、振り返る。

スペランカーが、頭を振り降り立ち上がる所だった。

「いたた、もう。 駄目だよ、後ろにも目をつけてなきゃ」

「すまない。 何回助けられたか」

「いいから。 それより、あっち。 血が結構出てる。 出来るだけ、急いでけりをつけて」

ボスを指さすスペランカー。

海賊の頭領はにやりと半分骸骨になっている顔で笑う。そして、ゆっくりこちらに歩み寄ってきた。

右手はフックになっていて、しかもギミックが仕込まれているのが分かる。スペランカーが、後ろは任せろといって、煙の中に消えた。こちらは肩を打ち抜かれて、出血がひどい。向こうは死人で、生前の力は無い。

どちらも、条件は同じだ。

無事な左手で、海賊のボスがサーベルを抜く。構えからして、かなり強い。距離を慎重に測りながら、サッカーボールをバスケットボールのように地面と手の間にて往復させる。間合いは、だいたい見切った、と思った瞬間。

海賊の手から、フックが伸びた。鎖つきのフックが、あっという間に空間を蹂躙し、宗一郎の肩を抉っていた。

傷口を痛烈に抉られて、思わず横転する。

フックつきの腕には鎖が仕込まれていたようで、しかも今は不気味な術式の力を得て、まるで蛇のように自在に動いている。今度は足を狙ってきた。飛び退く。だが死人とはとても思えない速さで船長が間合いを詰めてきた。

サーベルが、まるで稲妻のように奔った。

腹をざっくり切られて、鮮血が吹き出す。

着地。横っ飛びにはねる。頭の中が、真っ白になりそうだ。フック。横から。ガードが間に合わない。

横殴りにたたきつけられたフックが、凄まじい重さで、宗一郎の小柄な体を吹っ飛ばした。甲板で、二度、三度、バウンドして転がる。

船長が歩み寄ってくる。

「何だ小僧。 貴様、その程度の腕前で、良くこの黒髭に挑もうとしてきたものだな」

「黒、髭!?」

声は、頭の中に直接響いてきた。

立ち上がろうとしたところを、至近まで迫っていた黒髭に蹴り上げられる。空中に浮かんだところを、伸びたフックで叩き落とされ、甲板にたたきつけられた。肋骨にひびが入るのが分かった。

「がっ! げほっ! く、黒髭というと、エドワード=ティーチか」

「おう、それくらいは知っているか。 もっとも、生前の姿とは随分違うがな。 こんなふざけた腕やら眼帯やらはしてなかったし、何より俺のトレードマークは火薬を編み込んだ髭だったんだがなあ。 まあ、海賊ってイメージに俺を乗っけて召還したらしいから、仕方ねえけどよ」

船長は、自分のことを知っている相手に会って、少し嬉しいようだった。

黒髭。

歴史に実在した、伝説の海賊である。現在、どくろのマークやら眼帯やらステレオタイプの海賊のイメージがあるが、その原型となっている一人こそ、この黒髭だ。その残虐なやり口と義賊を気取った行動からピカレスクロマンでは人気があり、最後の壮絶な戦闘などでも人気を得ている。近年でも人気は衰えず、彼をモデルにした海賊のキャラクターはJ国の漫画にも登場しているほどだ。カリブの海賊と言ったら、まずこの黒髭の事なのだ。最初にあのふざけた声がカリブと言っていたときに、気づくべきだった。

もし黒髭だとすると、宗一郎が挑むには格が上過ぎる相手だ。川背とスペランカーが、総力で挑むほどの相手だろう。だが、宗一郎には、まだ奥の手がある。

一撃、一撃入れられれば。

今のダメージなら。

それに、黒髭と言っても、今は無理矢理何かしらの術で召還されたかして、だいぶ弱体化しているはずだ。必死に宗一郎が立ち上がると、黒髭はサーベルを構えた。

「さあて小僧、立ち上がった努力は認めてやる。 だが、そろそろ死ね」

「死なない。 俺には、救わなきゃいけない相手がいる」

「誰でも、背負ってるものくらいはあるんだよ。 俺だって、それは同じだ。 その重さは、悪いが強さにも勝敗にも関係しねえ。 精神力には影響するが、それが加味する力は、あまり大きくはねえんだ。 人生が全部戦いだった俺が言っているんだから、この言葉は本当だぜ?」

間合いを計ろうとするが、あごの下から突き上げられた。目にもとまらない早さで、フックつきの腕が一閃したらしい。更に、上から一撃。踵を叩き込まれたらしかった。

甲板にたたきつけられる。

まずい。視界が、もう定まっていない。

真っ暗な中で、声だけが聞こえてくる。歯を噛む。体中痛くて、どこを傷つけられたのかも、分からなかった。

必死に呼吸を整える。

金属音。そして、つり上げられる。サーベルをしまって、あいている手で宗一郎を掴み挙げたのか。

何度か瞬きする。必死に相手を見ようとした。

「まだ闘志を捨てないか。 小僧、名前は」

「本多、宗一郎」

「ほう、アジア系か。 根性のある奴は嫌いじゃねえ。 だが、俺にもやるべき事があってな。 悪いが、死ね」

どんと、激しい衝撃。

視界が、急にはっきりする。船が、揺れている。理由は、分からない。だが、分かったのは、黒髭が体勢を崩したと言うことだ。

黒髭の腕を蹴って、離させる。後方に飛んだ。黒髭が、フック付きの腕を振り回してくる。全てが、スローモーションで見えた。サッカーボールが、転がってくる。自分の所に戻ってくるように、フィールド探索者になったときに注文して作ってもらった特注品だから当然だ。足下にサッカーボールが来る。フックが喉を狙ってくる。

一瞬の差。

蹴る。

渾身の、全てのパワーを込めて。

「おおおおおおおおおおおっ! らあああああああああっ!」

肺の空気を、全て絞り出すように、宗一郎は絶叫。

ボールが、光ったように見えた。

フックが、宗一郎に届く寸前。

ボールが、黒髭の体をとらえた。驚愕に、伝説の黒髭が顔をゆがめるのが分かった。海賊の胴が、丸ごと消し飛ぶ。腐敗した肉体が飛び散る中、黒髭はどうしてか、笑っていたように見えた。

ボールは凄まじい勢いでマストもへし折り、敵の残党も数人消し飛ばして、遠くへ飛んでいった。帰ってくるまで、しばらく時間が掛かるだろう。

倒れている黒髭が、笑った。

「ふん、俺も焼きが回ったな。 宗一郎、おまえの名前、覚えておくぞ。 俺はもう死人だが、何かの機会でまたこの世に来ることがあったら、おまえと会えることを楽しみにしておく」

「光栄だ」

「一つ教えてやる。 俺を呼び出した奴は、人間に見えた。 おまえら、フィールド探索者だろう? この件の裏には結構でかい闇がある。 気をつけろよ」

知っていると、応えている暇は無かった。

気がつくと、周囲は海では無かった。枯れ果てたウォータースライダーに、汚い船が転がっていた。

川背が着地し、ルアー付きのゴム紐をしまう。獅子奮迅の働きで、殆どの死人を引き受けてくれていたのだ。感謝の言葉も無い。

スペランカーは、どういうわけか死んでいて、再生途中のようだった。しばらくして、ぼろぼろの服のまま息を吹き返す。川背が慣れた手つきで、コートをかぶせていた。

「ダイナマイト、使ったんですか」

「うん。 このままじゃ宗一郎君が死んじゃうから、船の竜骨を折ったの。 逃げる暇が無くて、私も粉々だったけど」

てへとか、スペランカーが舌を出す。

川背が、宗一郎の手当をしてくれた。スペランカーが、文字通り捨て身で助けてくれたから、あの邪悪だが偉大な戦士に勝てたのだ。

悔しい。

だが、勝ったのだ。全身がひどい傷で、肋骨にもひびが入っている。だが、もう引くわけにはいかなかった。

外に出ると、目の前にアトラクションがあった。

お化け屋敷らしい。

「あれ。 今度はいきなりだね」

「他のチームが全滅したというのが理由じゃ無いでしょうか。 どっちにしても、相手の思惑に乗ってやる必要は無いと思います。 少し休憩を入れてから行きましょう」

「うん」

「いや、出来るだけ早く行きたい」

宗一郎は、今でこそ、多分フルパワーでの攻撃が出来る。それに、出来るだけ急がないと、おそらく敵は更に的確に、こちらに対する策を練ってくるはずだ。今回は海上戦と言うこともあり、スペランカーの強みと川背の強みが、半ば消されていた。水中から巨大な大蛸でも襲いかかってきたら、それこそ手も足も出なかった可能性が高い。

そうしなかったのは、理由があると言うよりも。

むしろ、手持ちの札から用意できなかった、というのが正しいのだろう。

「駄目。 少し休まないと」

「今の俺は、最大限の破壊力を発揮できる。 直撃を浴びせれば、どんな敵でも倒す自信がある」

「でも、それも先輩のアシストがなかったら無理だったでしょ? 今は、少し休んで、少なくとも自由に動けるようになって」

そう言われると、弱い。

言われるまま宗一郎は従ったが、どうしてか不快感は無かった。

 

「魔術師」は、複数のモニターを見て、戦況を確認していた。録画したデータを巻き戻し、何度も相手の戦術を、頭に入れる。

彼こそは、このフィールドの主。クレイジーランドの主であった。辺りには、無数のジャンクフードの食べかすが散らばり、さながらカオスの様相を呈している。

電話が鳴る。面倒くさいが、仕方が無い。受話器を取ると、彼のクライアントの一人だった。

「戦況は?」

「せっかちだなあ。 残り三人だよ、爺さん」

「ふん、まさかその三人というのは、スペランカーと、海腹川背が混じっているのでは無いだろうな」

「ああ。 あんな強いのが入ってるとは予想外だったが、次で仕留めてみせるさ」

虚勢では無い。実際、既に弱点についてはハッキリ分かった。

スペランカーは機転が利くが、動きが鈍いし、本人の身体能力も低い。檻にでも閉じ込めれば、恒久的とは言わずとも、かなりの長時間動きを封じられる。その上、先ほどの海上戦で、装備の殆どを使い切るのも確認した。

神殺しの異名を持つ奴は、神的存在、たとえばこの人工フィールドの要となっているあれとかに対しては、殆ど必殺の力を持っている。だが、それはさせない。次は魔術師が出る。

そして、海腹川背。

奴はしょぼい能力を、身体能力と優れた戦術展開で補填している典型例だ。もう少し経験を積めば、一流の仲間入りが出来るだろう。中堅としては驚異的な戦闘力を持っていて、はっきり言って正面からは戦いたくない。

だが、致命的な弱点も見つけていた。

もう一人ははっきり言って雑魚だ。一発は大きいが、それだけである。弱体化しきった黒髭相手に、あれほど手こずるようでは話にならない。

「ふん、まあいい。 期待はしていないが、もし倒すことが出来たら報酬は倍増ししてやる」

「どうした。 あいつらに、殺す理由があるのか?」

「それはおまえが知ったことでは無い」

電話を切られる。

鼻を鳴らすと、魔術師は手札を出す準備に掛かる。

彼は、殺し屋だ。フィールド探索者の会社が複数出来るようになってから、この仕事が魔術師の間で始まった。フィールド探索者と、それと敵対する勢力が、裏で手を結んで、ごくまれに邪魔な者を始末するようになったのである。

このクレイジーランドはその一つ。

コレが壊されれば、また新しい暗殺用のフィールドが作られるだけのことだ。ちなみに、前回暗殺用フィールドを壊して突破したのは、あのMである。昔から、あの男は様々な意味で伝説的な存在だったのだ。

この仕事が、どうして需要を得ているのか。その根源は何なのか。それは、よく知らない。魔術師としても、能力者殺しとして特化している彼は、あくまで殺し屋であって、クライアントの意向に沿うだけの存在だ。

「タマ、行くぞ」

後ろにある、檻の一つに語りかける。

そして、魔術師は腰を上げた。

 

アトラクションに入ると、其処は薄暗い洋館だった。後ろで、戸が閉まる。

薄暗いホールの前には、いかにもな曲がった階段があり、上には薄汚れたシャンデリアが揺れている。ホールの左右には雰囲気のある扉。壁には、当然のように、リアルすぎて妖怪じみた人物画。分厚いカーペットを踏むと、ぶわりと埃が舞い上がる。

いかにもというか、あまりにも雰囲気ができすぎている。スペランカーが、ぶうと口をとがらせた。

「またホラー系? 芸が無いなあ」

「そういうなよ、紳士淑女諸君。 ギャハハハハ、喜びな、此処がファイナルステージだ!」

「何がファイナルステージだ!」

川背が速攻でスピーカーを見つけ出し、ルアーを引っかけて引きちぎった。踏みつぶし、砕いている間にも、別の箇所から声が飛んでくる。

「そうおこんなよ、ベイベー。 で、だ。 この声の主である俺様は、一番奥で待ってるからよ。 今回はガチで勝負だ。 せいぜいがんばんな」

無言で、スペランカーが宗一郎の前に出た。

どんと、左の扉から音がした。早速来たか。

「おそらく中は迷路でしょう。 消耗戦を挑むつもりでしょうか」

「それなら、狭い場所にこもった方が有利だけれど、どうも簡単にはいきそうにないね」

何度か、ドアが激しくノックされる。

かなり大きい奴が、ドアの向こうに潜んでいそうだ。ゴム紐を伸ばす川背。戦うつもりと言うことか。

「ドアが開いた瞬間、サッカーボールを蹴り込んで。 それから僕が突入するから」

「いいのか、温存しなくて」

「敵のボスが出てくるって事は、もう手札が残り少ないって事。 それなら、各個撃破して後顧の憂いを断った方が良い」

頷くと、宗一郎はサッカーボールに意識を集中する。ドアのちょうつがいが外れた。多分、次の突進で、内側から壊れるはずだ。

どんと、鋭い音。

だが、次の瞬間、階段上の扉が、二つ同時に開かれた。そして、半透明の生命体が、呻きながら階段を滑り降りてくる。

更に、さっきまで激しい突進で壊れかけていた扉と逆方が音も無く開き、そこから巨大なコウモリが数十匹、飛び込んでくる。

そして、床だ。

床から、複数のチェーンソーが突如生え、切り裂き始める。いきなりこのホールに、凄まじい敵の戦力が集中してきた。

総力戦が、開始された。

 

エージェントに仕掛けさせた監視カメラの映像を、Dr、Wはじっと見つめていた。特注のリムジンの中で、である。

わざわざクレイジーランドの正門まで出向いたのも、自身が囮になる事で、エージェントが侵入しやすくなるようにするためだ。元々武闘派であるWだが、普段は身の安全も考えて、出来るだけ表には出ないようにしている。

それが、今回は出る必要があった。

「潰し屋め。 どうやら勝負に出たようだな」

「あの魔術師は、過去から条件を満たした相手を召還する存在だと聞いていますが、チンパンジーといいスライムのような怪物といい、ちょっと条件が合わないような気が……」

「馬鹿が。 それはあのフィールドの、元々の主の手下だ」

「ああ、なるほど」

できの悪い部下に教えてやる。

監視カメラの中では、スペランカーと川背、それに宗一郎という三人が、凄まじい猛攻を捌いている様子が見える。中心になって暴れているのは川背だが、明確に苦戦している様子が見て取れた。

敵の主体は動く死体だが、これが明らかに問題である。しかも狭い洋館の中で、味方の誤爆を防ぐために、小さく動き回らなければならない。

敵が柔らかい。

それが、彼女の戦闘スタイルの妨げになっている。

また、スペランカーも、再生力が高いスライムにまとわりつかれて、千日手になっていた。スライムも傷つけても再生するスペランカーに二の足を踏んでいるが、しかし他への手助けもさせていない。

そして宗一郎少年は、猛烈な数での力押しに対応し切れていない。

スペランカーと川背の連携は見事だが、それも分断されがちだ。

さすがは潰し屋。今までの戦闘から、見事なまでに敵の弱点を見切り、それぞれ各個に潰しに掛かっている。Mのような規格外は例外としても、能力者といえど所詮は人間。一番手強いのは、人間なのだ。

「これは、勝負ありましたかね」

「いずれにしても、一喜一憂する事では無いな」

このフィールドは、その性質の特異さから、すぐにフィールド探索社とその敵手たちから目をつけられた。

おりしも、Mによって処刑用フィールドが破砕されていた時期だった、という事もある。千人以上の死者を出した大規模ハザードという事もあり、制御が必要だったという事もあって、すぐに両者は動いた。

実際には、Mが攻略を担当し、あっという間にフィールドの制圧に成功。

そして、フィールドの特性を乗っ取る形で、今の状態が、数年にわたって維持されることとなった。

このフィールドの主として配置されたのは潰し屋だが、実際には誰もが運営に携わっている。Mが所属しているN社も、Wの主敵であるC社もそれは同じ。だが、その裏には、もう一枚深い闇がある。

Wはそれを知っている。

だが、敢えて、口にすることは無かった。

「戦況が、動きました」

「ほう?」

どうやら、スペランカーが勝負に出たようだ。

普段は非力なくせに、いろいろ楽しませてくれる奴だ。Wはクーラーボックスを開けると、缶ビールを取り出す。

「飲むかね」

「後でいただきます」

「そうか」

ビールを喉に流し込む。ここから先は、更に楽しめそうだった。

 

5、闇のまた闇

 

死闘の中、ホールを飛び出る。一番苦戦していた宗一郎をかばうと、スペランカーが最後尾になって、扉に立ちはだかった。奥へ。此処は引き受ける。そう叫ぶと、川背が宗一郎を引きずるようにして、奥へと走っていく。

そしてスペランカーは。

小さな体で、扉に立ちふさがった。

「来るならどうぞ! でも、簡単には通さないから!」

もう服はぼろぼろ、靴も無い。バックパックはとっくに駄目になって、手にブラスターを握り込んでいた。

これだけは手放せない。意思と関係なしにだ。

スライムも、オオコウモリも、ぼろぼろの服をかろうじて体に掛けているスペランカーを見て後ずさる。一番最後に部屋に入ってきた巨大な猫だけが悠然としている。

猫を除く殆どの種類の敵が、スペランカーを殺してはひどい目に遭い、また蘇生してくるスペランカーを見たからである。

やはり、川背の推論は正しかった。敵は殆どの戦力を、最初のホールに投入してきていたのだ。だから、ホールから出ようと判断したスペランカーが扉に向かうと、露骨に動きを乱した。

ゆっくり、下がる。下がった分だけ、敵が詰めてくる。

ヘルメットを投げ捨てると、びっくりして下がるが、すぐ前に出てきた。

川背たちは無事に奥までいけたか。

正直な話、これほどのフィールドのボスと、宗一郎を単独で戦わせるのは無謀すぎる。川背と宗一郎は相性が最悪だが、それでも二人いれば隙も作れる。機動力で勝負するタイプの川背なら、きっと大砲である宗一郎を生かして、好機を作ってくれるはずだ。

化け猫が、前に出てくる。

巨大な猫だ。ライオンが子猫に見えてくるほどである。しかも、全身から異常な圧迫感を感じる。

「貴方が、私の相手をしてくれるの?」

「おまえの弱点は既に見切っている」

驚いた。日本語で返事だ。

そういえば、雰囲気が日本猫である。そして、尻尾が無数に分かれている。これは、ひょっとして。

「あなた、化け猫!?」

「ほう。 それが分かれば十分か。 さて、どうする。 我にその神殺しの武器を使えば、後に控えている主にはおそらく間に合わなくなるぞ。 かといって、そなたにはもはや、我を押さえ込めるほどの手札があるまい」

扉を破って入ってきたこの化け猫は、口から炎を吐き、無数の悪霊を操作して、川背をさんざんに苦しめていた。宗一郎は雑魚の大群を相手に援護の余裕も無く、どうにか逃げる隙を作るので精一杯だった。

通路の奥に、少し下がる。

その分、化け猫が前に出てきた。

猫科の動物らしく、凄まじい圧迫感だ。飼い猫がかわいらしいのは小さいからである。元々単独で狩りをする動物である猫は身体能力が高く、頭もいい。大型化すれば、熊やライオンに劣らない、危険な猛獣になる。

そして、この猫は。スペランカーを無力化する方法も、当然知っているだろう。さっき言っていたのは嘘では無い。

ただ、柔らかく押さえ込む。それだけでよいのだから。ただし、スペランカーも、最後の切り札を使えば、それに対抗は出来た。

もう二歩下がる。

しなやかな歩みで、その分化け猫が進んできた。

もう少し、時間を稼がなければならない。そして、もう少し。もう少し。化け猫に、奥に進んできてもらわなければならない。

通路は薄暗く、電気の切れかけたランプが余計な闇を演出していた。

ブラスターを、猫に向ける。

猫は驚いたように、動きを止めた。

「大丈夫。 川背ちゃんがついてる。 だから、きっとどうにかなる」

「……」

「どうしたの? 来ないの?」

猫は、一歩下がって、扉から出る。

狭い通路の中では、如何に素人同然のスペランカーでも、当てられる。それを冷静に判断したのだろう。

化け猫だとすると、霊的存在に近い。ブラスターであれば、文字通り一撃必殺だ。だが、スペランカーも、最低で数時間、下手をすると一日以上は身動きがとれなくなる。そうなれば、決戦には間に合わない。

これは、賭だ。

もう二歩下がる。時間を、稼がなければならない。

 

川背は息を切らし始めている宗一郎を気にしながら走った。先輩が時間を作ってくれたのだ。

一秒でも早く、この忌々しい館を抜けなければならない。

それにしても、嫌らしい敵ばかりだった。本当に、此処は処刑場なのだろう。他のチームに誰がいたのかは分からない。だが、七人ものフィールド探索者が命を落としたのだとすると、やりきれなかった。

無言で、宗一郎を突き飛ばし、自身は横っ飛び。

天井から落ちてきた大岩が、床にめり込んだ。

「駒は無くても、トラップは健在、か」

「大丈夫か」

「僕は平気。 君は?」

「俺は、まだ行ける」

そう言いつつも、膝に手を当てて、宗一郎は苦しそうに息をしていた。

無理も無い。相応には鍛えているようだが、フィールド探索者としてはずぶの素人で、しかもあれほど痛めつけられた直後なのである。これだけ動けるだけでも、奇跡的である。川背が同じくらいの年の頃は、どうだったか。

川背は幸い、戦士としての素質に恵まれていたから、中堅どころという腕前であっても、これだけ動ける。スペランカー先輩のような優秀な隣人にも恵まれて、良質の戦いを経験したこともあって、今では危なげなく探索できる。

だからといって、宗一郎のような子を甘やかすのは逆効果だ。可能な限り、厳しく接しなければならないと、川背は感じていた。

少し速度を落としつつも、それでも急いで洋館を走り抜ける。部屋に飛び込む。ガーディアンは、いない。次の部屋に。次に次に。

あらゆる扉を開けて、通路を抜けて。

そして、三階に出たとき、露骨に違う空気が、場を包んだ。

「なるほど、何かと煙は高いところが好き、か」

「まあ、そういうことだ。 ようこそ、レディスアンドジェントルメン! 此処が、この俺、魔術師潰し屋の戦場だ!」

両手を広げる魔術師。

見た目は、三十そこそこの男だ。黒いローブに全身を包んで、顔だけを露出している。その顔は、まるである種の犬のようで、お世辞にも美男子とはいえなかった。

だが、全身からは凄まじい魔力を放っているのが分かる。威圧感も凄まじい。

歴戦を重ねてきている相手だというのは、一目で分かった。

だが、何かがおかしい。

「おまえ、どういうことだ!」

「あん?」

「以前あったときと雰囲気が違う!」

「以前? ああ、そうか。 このフィールドから生還したのか? それはそれは、流石にこの俺も気づかなかった」

げらげらと、高いテンションで魔術師は笑う。

「もう気づいているようだから言うが、俺は人間だ。 このフィールドは、とうの昔に攻略されていて、処刑場に改変されているのさ」

「……それで?」

「つれないなあ。 キュートなのにもったいねえぜ。 まあ、いいか。 俺としても、てめーみたいに強い相手をひねり殺すのは快感だ。 自分がもっとつええって、実感できるからな! ギャハハハハ!」

ふわりと、川背の体が浮いたのは、その時であった。

「そちらの小僧は敵じゃ無いが、貴様は危険だ、海腹川背。 だから、貴様の力は、徹底的に封じさせてもらう」

「これは、無重力!?」

「そうだ。 貴様の機動力は素晴らしいが、それはいずれも重力を利用したものだ。 この無重力空間で、貴様は半分も力を発揮できまい!」

地面にルアーを放って、引っかける。そして、床に張り付くようにして、完全に動きを封じられることだけは避けた。

だが、見上げると。

既に天井も壁も無い。そして、魔術師は、両手に魔力の炎を、盛大に灯していた。

「ギャハハハハハ! 蛙のように這いつくばったまま死ね!」

無数の光が、空にともる。

それは、おそらくは隕石。非常にまずい。潰し屋なんて名乗っているところから、対人戦に特化している事は想定していたが、これほどとは。そして、宗一郎に関しても、動きづらいのは同じ筈だ。

辺りを、爆炎が包む。

川背は吹き飛ばされながらも、どうにか勝ちの目を探す。

 

至近に、隕石が着弾。爆風で吹き飛ばされるが、思ったほど衝撃は大きくなかった。

空中で回転しながら、宗一郎は見た。

地面近くにルアーを引っかけた川背が、地面すれすれを飛ぶようにして、隕石をかわしているのを。しかし、動きがやはり鈍い。魔術師が指摘したとおり、重力が無ければ実力を発揮できないのだろう。

「ハーハハハ! 半減させてその動きかよ! すげえなオイ! でもなあ、空中にいる俺には攻撃出来ねえだろ」

「それは、どうかな!」

川背がルアーを放る。だが、至近まで迫ったそれは、魔術師の眼前ではじき返される。頭上にボールを蹴って、宗一郎は慣性を制御、地面に。いつの間にか周囲は、月面のようになっていた。

「悪いが、そんな豆鉄砲じゃ、俺のシールドは破れねえよ。 てめーがそのゴムのパワーで全力強化した蹴りだったらともかくなあ。 おおっと、そのリュックについても知ってるぜ。 そもそも近づかせねえから、覚悟しろ!」

敵の注意は、完全に川背に向いている。

サッカーボールを取り出す。

狙うは、奴が攻撃に転じる瞬間。隕石を降らせるほどの術式だ。奴がフィールドを乗っ取り、宗一郎の両親を殺した魔術師の能力を取り込んだとしても、簡単に使えるものではないだろう。

当然、その瞬間。シールドは弱体化する。

魔術師が、手から稲妻を放つ。川背では無く、ゴム紐を狙って。魔術の雷だからか、ゴム紐は苦も無く切断された。川背は苦労しながらも、次のルアーを投げて、地面に着地。きっと、空を見上げた。

だが、至近で爆発が起こり、吹き飛ばされる。どうにか姿勢制御する川背だが、今の一撃は致命的だった。

全身が傷だらけであり、もう半分も機動力を発揮できないだろう。

「詰んだな! ついでに言えば、そっちの小僧の大砲も、俺には通じん!」

「それはどうだろうね」

「わかりきってるんだよ。 そんな経験の浅いガキが、これだけの激戦の中で、札を出し切ってないはずもない!」

揺さぶりには、屈しない。

短い間だが、激しい戦いの中で冷静でいる事の強みは、嫌と言うほど学ばせてもらった。そして、此奴が事実上最後の敵である事も確認できた。それならば。もはや、これ以上温存する必要も無い。

命だって、投げ出せる。

リルの笑顔が浮かんだ。もしも、生きているのなら。絶対に助け出す。

あのとき逃げ出した自分の罪は、必ず晴らす。

川背が、傷だらけなのに、攻勢に出る。魔術師が吠えた。空に、無数の隕石が出現した。

その瞬間。

宗一郎は、渾身の力を込めて、サッカーボールを、魔術師に蹴り込んでいた。

 

後退しながら、次の部屋に。

スペランカーは化け猫をブラスターで牽制しつつ、ゆっくり、だが確実に、川背たちがたどった道を進んだ。

だが、途中で、それも途切れる。

岩で、廊下が塞がれていたのだ。一つや二つでは無い。数十の岩が、路を塞いだ跡があった。

「さて、どうするつもりだ。 増援には向かえぬぞ」

「うん。 でも、それは、こちらも同じかな」

ブラスターを向けたまま、考える。

このフィールドの均衡を崩すには、どうしたら良いのか、だ。

宗一郎の話を総合すると、このフィールドは自然発生したものを乗っ取り、人工的に処刑場に改造した可能性が高い。

そんな無理をするには、よほど大がかりな機構が必要なはずだ。

しかも、此処はボスがわざわざ指定してきたほどの、重要なフィールド内フィールド。つまり、此処にその制御機構があるとみて良いだろう。

ずっと考えて、やっとそれだけ思いついた。しかも、一人で思いついたのでは無い。

話を聞かれている可能性が高かったから、時々隙を見て川背と小声で会話して、やっと此処まで辿り着くのに、ずいぶんが時間が掛かってしまった。頭が悪いことが、こういうときはとても腹立たしい。

だから、敢えて川背の通った路を、此処までたどった。

ブラスターを向けたまま、進む。途中何度か転んで死んだりしたが、化け猫は手出ししてこなかった。

敢えて、途中から川背の通った路を外れる。

今、おそらくボスとやらは川背たちと交戦中の筈。こちらまで見ている余裕は無いはずだ。

もしも、大がかりな機構があるとしたら。

階段を見つけた。下に、下にと降りていく。化け猫は、無言でついてきた。

一番下。明らかに地下のその部屋で、スペランカーは、おぞましい光景を見た。

「これが、このフィールドの、クレイジーランドの秘密!?」

「そうだ。 そして、我がようやくたどり着けた場所だ」

辺りには。

無数の、人間大の硝子瓶が並んでいた。其処に入れられているのは透明な液体で、それにはどれもこれも、おぞましい肉塊が浮かんでいる。形容しがたい姿をした、蠢く肉塊だった。

一番奥。

小さな女の子が、裸で膝を抱えたまま、硝子瓶に入れられていた。七歳か八歳くらいだろうか。口元には呼吸用の機材がつけられているが、あれは生きているといえるのか。生きているとしても、何というむごい扱いか。

さっき、休んでいるときに、宗一郎がぼそりと漏らした。

リルという女の子を助けるために、ここに来たと。

「此処は、一体何なの!?」

「このフィールドと呼ぶ空間は、そもそもこの遊園地の園長が、絶望と共に作り出してしまったものなのだ。 経営が上手く行かず、借金苦で犯罪組織にも脅されていた園長は、闇の中で狂気から異世界への扉を開いてしまった。 遊園地で生じたフィールドは未曾有の被害を出したが、問題はその後だ。 このフィールドに、訳が分からない奴が多数押しかけてきた」

そして、瞬く間に。

園長が変じた大魔王を殺して、此処を作ったのだという。

「此処にあるのは、フィールドで死んだ従業員や、客の死骸のなれの果てだ。 いずれもが、フィールドを疑似構築するために、此処で「生かされて」いる。 そして彼らの思念が、フィールド内にフィールドを作っているのだ」

「どうして、そんなことを知っているの」

「園長は、我の飼い主だった。 とても心優しくて、子供の笑顔を見るのが大好きな人だった。 だが、経済は、社会は、園長に優しくなかった。 優しい園長だったからこそ、闇に落ちるときには、正真正銘の魔王になってしまった」

吐露には、絶望、悲しみ、人間への怒り。様々な感情が、ない交ぜになっていた。

化け猫は、多分スペランカーが此処を見つけ出せるように、何らかの方法で誘導してくれていたのだろう。

一番奥に、何か光る石があった。

「その女の子だけは、まだ人間として生きている。 園長が、魔王になる寸前に一家心中しようとして手に掛けた自分の娘に似ていたからだろう。 フィールドのコアになっているのも、その娘だ。 疑似神である光る石とコアを切り離せば、フィールドは崩壊する」

「そうなれば、貴方は」

「いいんだ。 死なせてくれ。 我は、あの男に従いながら、ずっとこの機会を待っていたのだ。 園長は魔王になり、そして死んでからも魔王のままだ。 せめて消えるときくらいは、子供の笑顔が大好きだった、あの優しい園長に戻してほしい。 あの男は、この戦いが終わったら園長を生き返らせてくれると言ったが、我はもう疲れたのだ」

嘘の可能性もあった。

だが、スペランカーは信じた。

「ごめんね」

「かまわぬ。 本当は、その武器で撃たれて死ぬことこそが、奴の考える我の役目だったのだ。 どちらにしても、たいした違いは無い」

「絶対に勝つから」

「神殺しよ。 いや、絶対生還者。 早く、我は主人に会いたい。 殺ってくれ」

スペランカーは頷くと。

光る石に、ブラスターを叩き込んでいた。

 

不意に、重力が戻る。

同時に、隕石が消え失せた。魔術師のシールドに、サッカーボールが食い込む。激しい火花を散らしながら回転するサッカーボールを見て、魔術師は顔中に怒りと焦りを浮かべた。

「お、おおおおお、おおああああああっ! あ、あの猫、裏切りやがったかああああっ!」

だが、それでも。

幾多のフィールド探索者を屠り去ってきた魔術師だ。ボールを力尽くで、はじき返してみせる。凄まじい力だ。

だが。

その瞬間には、既に川背が動いていた。

頭上。天井が戻っていた。

其処には既にルアーが引っかかり、川背がさながらナイアガラの滝を下るような勢いで、魔術師に蹴りを叩き込む。凄まじい連続攻撃に、シールドが砕ける。割れ砕けたシールドが、宗一郎の脳裏に、光を走らせた、

此処で決めなければ。

戦士では無い。

残ったのは、もうテニスボール一つだけ。

手元に落とす。そして、己の命さえ乗せて、全てのパワーを集中する。

リルの笑顔が浮かぶ。

必ず、助け出してやる。あいつをぶっ殺して、この処刑場を抜け出すのだ。

全てが、ゆっくり見えた。

魔術師が、川背を雷撃で、至近から焼くのが見える。だが、それで、集中は完全にこちらから外れた。足下にある、小さなボールが光を放つ。

外すことなど、あり得なかった。

「いいいいいいいいっ、けええええええええええええっ!」

肺の中の全ての空気を絞り出しながら、宗一郎はボールを、蹴った。

ドンと凄まじい音がしたのは、ボールが音速の壁をぶち破ったからだろう。更に二度、空気の壁をたたき割る音。魔術師が、振り返る。その顔が、驚愕と、恐怖に歪んでいく。リル。宗一郎は、まばゆい光の中、つぶやいた。

魔術師が相当な無理をして、詠唱。シールドを瞬時に再構成しようとする。

だが、焼かれながら落ちていた川背が、その時。リュックを振り、魔術師の足に直撃させた。魔術師がのけぞり、絶叫。足が、踝から下が、きれいに消えていた。

ボールが、再構成され掛けたシールドを、瞬時に打ち砕く。

そして、魔術師を直撃した。

「が!」

超速回転しながら、ボールが魔術師を吹き飛ばす。

そして、もろともに。

朽ち果てた天井を貫き、空へ飛んでいった。

断末魔の絶叫。

川背が、傷つきながらも、地面近くでとんぼを切り、着地するのと同時に。

遙か向こうで、魔術師が木っ端みじんになる。

そして。

朽ち果てたアトラクションの天井は壊れ、光が差し込み始めていた。

「宗一郎君!」

そのまま、後ろ向きに倒れる。

手を伸ばす。

リルは。

生きていたなら、これで、きっと救われるはず。ずっと、復讐と、リルを救うことだけを考えて生きてきた。

だから、それを果たした今は。もう。

「馬鹿っ! 貴方が死んだら、リルって子はどうすればいいの! その子のためにも、生きなさい!」

川背の声が聞こえてくる。

そうか。そうかも知れない。

まだ、生きる努力をする価値はある。

 

スペランカーが息を吹き返すと、辺りは薄暗い部屋だった。

あの、悪夢のような部屋は残っている。だが、女の子以外の肉塊は、動きを止めていた。辺りの機械を四苦八苦して操作して、女の子を硝子瓶から出す。考えて見れば、自分も素足で服はぼろぼろで、裸同然の格好だった。

女の子を横たえる。何か着るものは無いか。辺りを探して、やっと子供用らしい服を見つける。埃をかぶっていたので、咳き込みながら払う。そして、女の子に着せた。

息は、している。

だが、医者に連れて行かなければ危ないだろう。

全身の虚脱感がひどい。ブラスターを使ったあとだから、当然だ。階段を下りてくる音。川背に違いなかった。

「先輩?」

「川背ちゃん、こっち!」

「今、行きます」

川背も、ひどい有様だった。全身火傷だらけで、美人さんが台無しである。互いの有様を見て、苦笑する。だが川背は、バックパックから要領よく無線を取り出して、すぐに救援を呼んでくれた。

たとえ此処が処刑場でも。

マスコミが周囲で張り込んでいて、しかもその眼前でフィールドが消滅したのである。救援を呼ばなければならないだろう。

「リル?」

弱々しい声。

川背に遅れて、歩いてきたのは。宗一郎だった。

さっきまでの切り詰めた雰囲気はもう無い。多分、人生を今まで復讐のためだけに捧げていて、それが消えてしまったからだろう。

「リル!」

絶叫した少年は、まだ意識が戻らない女の子に駆け寄る。

少年だけ年を取ってしまったが。しかし、これは、この地獄のような場所に、唯一起こった奇跡だったのかも知れなかった。

 

「し、信じられん。 あの潰し屋を……」

Wの前で、部下が驚愕の声を上げている。鼻を鳴らしたWは、携帯電話を取り出すと、盟友の一人であるKに連絡した。

「儂だ。 今、クレイジーランドが崩壊したよ」

「ほう。 やったのはあの絶対生還者スペランカーか?」

「そうだ。 アトランティス利権を狙っていた連中のもくろみはこれで白紙だな。 おまえさんも、一枚噛んでいたんだろう?」

「何、一度や二度の失敗で諦めるか」

げらげらと、電話の向こうでKが笑っている。電話を切ると、今度は別の相手に掛ける。Mである。

「久しいな、M」

「結果は今こちらでも確認した」

「あのマスコミ共を手配したのは貴様だろう。 どういう事だ」

「私の時がそうだったからな。 勝ち残ったのなら、この狂った茶番にもうつきあうこともないし、相応の敬意は払うべきだ。 あの二人は、もう処刑場に送られることもないように、私から手配するさ」

鼻を鳴らすと、Wは電話を切る。

勝ち残ったら、相応の敬意を払うべき、か。

Wは知っている。

能力者は、決して普通の人間からは好まれていない。だから、あまりにも強力に成長しきった能力者が、増えないように。手を打つ必要があるのだ。

だから、いつ頃か。この処刑が。

正式には、間引きともいえる行為が始まった。

中堅のフィールド探索者が、時々こうやって間引かれる。非常に強力に育つ可能性がある者は、こうやって減らしていかなければならない。

能力者と普通の人間は、昔から数限りない争いを繰り返してきた。そのたびに、闇で多くの死者が出た。だから人間側の実力者と、能力者側の権力者たちが、光と闇、全ての陣営が顔をそろえて、一度決めたのだ。

能力者の数を調整することを。

人口の比率に比べて能力者が増えすぎた場合は、処刑場を作る。そして、中堅程度の実力者を、間引くのだ。どうせ下級の連中は、フィールドに挑む内にばたばたと死んでいく。

最高ランクの実力者は、みなこの処刑を切り抜けた者たちばかり。

それはMもKも、例外では無かった。

ピエロともいえたのはあの魔術師、潰し屋だ。奴は魔術師も含めた、能力者全ての安定のために自分が踊っているとも知らなかった。実力はたいしたものだったのかも知れないが、それも所詮人間の手のひらの上。

この世は、とてつもなく巨大で、邪悪な闇によって動いているものなのだ。

それは、光側の人材も、闇側の人材も巻き込んで、大きく動いている。社会そのものが、巨大な化け物と言っても良い。黒幕が一人か二人、悪いことをしているのでは無い。人間という生物全部が、社会という巨大な化け物を形成しているのだ。

「今回のデータは使えそうだ。 記録しておけ」

「はい。 Dr」

Wは、もう一本の缶ビールを開けた。

勝利者への、祝杯だった。

 

6、狂気の終わり

 

少しためらった後、宗一郎は病室を訪ねた。清潔な白い空間に。絶対に助けなければならないと数年間思い続けてきた幼なじみがいた。呼吸器はないが、ベットで殆ど身動きしない。腕についている、栄養の点滴が少しだけ痛々しかった。

まだ、リルは眠ったままだ。だが、様態は安定しているという。脳波の様子からも、目覚める可能性は充分にある、ということだった。

あの、クレイジーランドが攻略された。

それも、少しニュースにはなったが、すぐに話題から消えていった。世の移り変わりは早い。宗一郎は養父母の所に戻り、リルのことをどうするか相談している最中である。今のところ、V社が名前を売るために面倒を見ることを申し出てきているから、それも加味する必要があるだろう。どれだけ裏があるとしても。金を出してくれると言うことは、それなりにありがたいのだ。

宗一郎が病室を出ると、スペランカーがいた。

「宗一郎君。 リルちゃんは?」

「よく寝ている」

二人並んで、病院を出た。

今回は、本当に世話になった。本当は敬語でしゃべらなければならないのだが、どうしても上手く使えない。

「ありがとう。 あんた達がいなければ、リルを救うどころか、あの魔術師にも勝てなかった」

「ううん。 そんなことは良いから、今は自分の未来を考えて」

「俺の、未来か」

スペランカーは、アトランティスに戻るという。

アトランティス攻略に、スペランカーが大きな貢献をしたことは、宗一郎も知っていた。だが国賓扱いだったというのは驚いた。まだ国際問題的には解決しないとならない事も多いらしく、人々のためにも象徴としていた方が良いのだそうだ。

「いつか、手が足りないときは呼んでくれ。 あんたのためなら、地球の裏側にだって行く」

「ありがとう。 頼もしいよ」

手を振って、スペランカーは空港へ去って行った。

弱いのに、強い。

不思議な戦士だ。だが、多分スペックだけが、戦士の強さでは無いと、証明している存在なのだろうとも、宗一郎は思った。

携帯電話が鳴る。

電話を取ると、リルの主治医からだった。

リルが、目覚めた。

涙がこぼれてきた。その場に立ち尽くしてしまう。

ありがとう。

何に対して礼を言ったのかは分からない。

だが、奇跡が起きたのは。事実だった。

 

(終)