灰色の花
序、汚染
馬車が止まる。
胡散臭そうに此方を見ている御者にお金を渡すと、バッグを担ぎながら、私は地面に降り立った。
此処にいても、既にひどい臭いが漂っている。
間違いない。
此処が、今度の私の仕事場だ。
「お役人さんよ。 本当に此処でいいのかい?」
「おかまいなく」
国定魔法使いの、藍色の三角帽子を直しながら、私は笑みを返す。
髭もじゃの、いかにも悪人面な御者は。鼻を鳴らすと、舗装もされていない路をさっさと戻っていった。
私はそのまま、ぼうぼうとしげり放題の草をかき分けて、奥に。普通だったら足が血だらけになるだろうけれど。保護の魔法でロングスカートごと守っているからへいき。此処が初めての仕事場じゃあないし。
何より、困っている人達がいるなら。
少しでも力になるのが、私のお仕事なのだ。
国定魔法使いとしては、下から数えた方が早い下っ端だけれども。
そもそも、魔法使いそのものが減りつつある今。
私のような下っ端でも。魔法使いとしては、存在する意義がある。それに、今の時代。こんな仕事、やりたがる人もいないし。
そろそろ、夕方だ。
二つある月の内、赤い月が上がり始める頃。
魔法の力は、月が二つとも出ているときに、一番強く発揮される。馬車の時間を調整しておいてよかった。
河原に出た。
手をはたいて、周囲を見回す。
其処にあったのは。
もはや水とさえ認識したくない、どす黒く濁った液体が流れる場所。
三ヶ月ほど前。
急に、王都に流れ込む水が、汚くなったと苦情が入り始めた。調査してみると、王都に流れ込むテールズ川が、途中から急激に汚染されていることが分かったのだ。其処で、私が派遣された。
他の魔法使いは、もっと大変な案件の処理に右往左往。
誰も手伝ってはくれない。
護衛も、手伝いもいない中。
私はこの川が汚染された理由と。その解決をしなければ、王都に帰る事が出来ないのである。
さて、やるか。
腕まくりをすると、まずはバックから取り出す。
円が何重にも描かれた紙。
転送の魔法陣だ。
魔法陣に手を突っ込んで、自分の家にある道具を取り出す。あまりかさばるものは、バッグには入れられない。
だから転送の魔法陣を使って、後から現場に持ってくるのだ。
さてさて、まずは。
取り出したるは、容器。
これに汚染された川の原液を入れる。ひどい臭いがしていて、自分で触るのはいやなので、使い古した容器を使う。
サンプルを採取した後、続いて周囲を見回して。
比較的汚染されていない場所を見つけた。
再び、魔法陣から取り出したるは、折りたたみ式のコテージ。折りたたみ式といっても、掌サイズまで圧縮できる魔法のコテージだ。ちなみにテントくらいのサイズしかないので、あまり快適では無いけれど。
防犯機能と防音機能はついている。
コテージを設営して。
その後は、続いて取り出す、赤い魔法のポーション。これを周囲に撒くことで、このコテージを認識出来ないようにする。
いちおう、悪い人とかが出るかも知れないから、その対策だ。
それにしても、ひどい臭い。
頭がおかしくなりそう。
どこからこのひどい水が流れてきているのかを確かめること。そしてその解決。解決後は、川の浄化。
この三段階を、順番にやっていかないといけないだろう。
下っ端で、まだ三年しか役人をやっていないけれど。これでも宮仕えだ。順番に仕事をしていくことくらいはどうにでもなる。
私はまずコテージに潜り込むと。
ひどい臭いがしているサンプルを調べる事から始める。
今日は、まずはこのサンプルの危険性について調査。というのも、このひどい臭いだ。ひょっとすると、強毒性かも知れない。
そんな危ないものだったら、汚染源に近づいただけで、ふらっと倒れてしまうかも知れない。
これでも私は魔法使いだから、そう簡単に死んだりはしないけれど。
それでも、念には念。
容器に順番に魔法を掛けて、一つずつ調べていく。
今日は、これだけで終わってしまいそうだ。
七つ目の魔法を試した頃には、大体どういう毒物が水に流れ込んでいるかは、分かってきた。
まずこのひどい臭いだけれど。
これは腐敗臭だ。
つまり何かが腐って、この川の何処かから、その汁が流れ込んできている、という事かも知れないし。
或いは、たくさんゴミがあって。
そのゴミから、水が流れ込んできている可能性もある。
ひょっとすると、もっと考えたくない理由かも知れない。
あまり経験が豊富とは言えない私だけれども。それでも、色々ろくでもない事例は見てきている。
前に、先輩の役人と一緒に行った案件では。
異世界から、ずっと文明が劣った世界の人達が、この世界に攻めこもうと、空間に穴を開けようとしていた。
空間の穴をすぐに塞いでお帰り願ったけれど。
あの人達は、好戦的な文明とつながったらどうなるか、考えもしなかったのだろうか。自分たちの強さに、余程の自信があったのかも知れない。
別のお仕事では。
ドラゴンに遭遇した。
この世界では、ドラゴンというのは、自然の摂理から離れた生物全てを指す。そのお仕事で遭遇したドラゴンは、首が七つもあって、体はボール状。足は四十以上あり、無数の触手のようになっていて、這いずりながら移動していた。
軍隊では手に負えなかったそのドラゴンを、役人の中では一番えらい魔法使いが、焼き払ってお仕事はおしまい。
私も、そのお手伝いは少しだけしたけれど。
いやはや、冷や汗が流れた。
この世界は、無数の世界が重なる特異点と呼ばれる存在らしくて。色々と、他の世界ではあり得ない力も働いている。
魔法も、その一つ。
修行がとても厳しくて、なかなか身につけることは出来ないけれど。
幸い、私は身につけることが出来たし。
今はこうして、お仕事にもありつけている。
魔法使いになれなかったら、今頃きっとお嫁に出されて、子育てで大忙しだっただろう。
子供が産めればラッキーで。
産めなければ、家に追い返されていたかも知れない。
そういうものだ。
だから私は、自分一人で、こんな所に仕事に出されていたって。それを悪い事だとは思わない。
魔法使いをしているから、他の世界の事も少しは分かるけれど。
他の世界が、この世界よりマシだとはとても思えない。
恐ろしい武器が年がら年中飛び交っていたり。
肌の色や髪の色で人間の価値が決まったり。
そう言う世界は、いくらでもある。
実力で生き方が決まるこの世界は、他の世界と比べて良いのかは分からないけれど。少なくとも、私には悪くない。
だから、こうして今日も、やって行けている。
一通り、汚水の分析は終わった。
外を見ると、流石にもう真っ暗。明かりの魔法を使って出歩くことも出来るけれど、危ないから止めておきたい。
いざというとき、助けを呼べないのは困るのだ。
夜になると、月は一つしか出ない。
二つある月が出ているときが、魔法が一番力を発揮する時間帯で。その時は、自動で掛けておいた魔法が、色々と助けてくれる。
だから、朝と夕方。
それが、魔法使いが、最も活動する時間帯なのだ。
一通りレポートを書いてから、眠ることにする。
明日も、朝は早い。
早い内から、川を遡って、腐敗水がどこから出ているかを確かめなければならない。いずれにしても、相当な分量が川に流れ込んでいると見て良い。ひょっとすると、ドラゴンのしがいでもあるのかも知れない。
そうなると、小物の肉食獣が群れている可能性もある。
やはり、魔法使いが、一番力を発揮できる、朝か夕方。
その時間を選ぶのが、お仕事の鉄則だ。
コテージの入り口に、固定の魔法を掛ける。これで、押し入ったりすることは、まず出来ない。
パジャマに着替えると、調合しておいた、睡眠導入剤を一気に呷る。
この睡眠導入剤は、魔法が掛かっているから。
丁度早朝の手前くらいに、目が覚めるように体を調整してくれる。とても有り難いお薬なのだ。
ちなみにレシピを書いたのは、魔法の修行をつけてくれたお師匠様。
私と同じように、耳が人間と少し違っている種族の出で。それで、色々と、私に魔法の秘儀を授けてもくれた。
睡眠導入剤をいれると、流石にすぐに眠くなってくる。
寝床にくるまると。
私はもう、意識が遠くへ飛んでいくのを感じていた。
1、小川の嘆き
魔法使いは、正確には夢を見ない。
眠っている間。
魔法使いの魂は体を抜け出して。別の世界に赴いているのだ。お師匠様に教えて貰った事実である。
別の世界で、魔法使いの魂は。
肉体こそ持たないけれど。絶対的な力を発揮する事が出来る。
中には、夢の中で赴く世界で、普段とは違う性格になって、悪さの限りをする魔法使いもいるらしい。
そう言う魔法使いは、夢の向こうで、邪神と呼ばれる事もあるそうだ。
そして邪神として討伐されてしまって。
生きて此方に戻ってこられないこともあるらしい。
たまにそうやって、死んでしまう魔法使いがいる。
私の兄弟子だった人も、そうだった。
とても穏やかで優しい人だったのだけれど。多分それが原因で、心の中に色々ため込んでしまっていたのだろう。
夢の向こうの世界では、とても邪悪な存在として怖れられ。
人々を蹂躙し。
村を焼き街を破壊し。
多くの人々を殺して廻り。
それを覗いていたお師匠様に、罪作りなことは止めなさいと、何度も説教されていた。
その度に、寂しそうにほほえんでいた兄弟子のことを、今でも忘れられない。
良い魔法使いほど、夢の向こうの世界では、性格が豹変することが多いと言う事も、私はその時聞かされた。
夢の中でくらい、好き勝手をしたい。
そう思うものなのだとか。
そして兄弟子は、邪神として殺されて。眠ったまま、息を引き取った。それが悪い事なのかどうかは、私にはよく分からない。
私はと言うと。
夢の向こうでは、特に悪い子でも良い子でも無い。
神様として扱われるのが面倒くさいから、ずっと雲の向こうで隠れている。だけれども。私が赴く世界では、最近文明が発達してきていて。雲の上まで、人が来るようになって来ている。
そろそろ隠れる場所を変えるべきかも知れない。
或いは、夢を見ているとき。
もっと別の世界に行くと言う手も、あるのかも知れなかった。
目が覚める。
夢の向こうの世界と此方の世界では、流れている時間が違う。大きくあくびをして、伸び。
パジャマから。
魔法使いのローブに着替える。
順番に、チェック。
保護の魔法、OK。
これがあれば、矢くらいなら、喰らっても跳ね返せる。不意に後ろからくまに殴られたって平気だ。
下っ端魔法使いの私でも、それくらいは出来る。
監視の魔法、OK。
これは、監視対象。この場合は私だけれど。その健康状態を、確認し続ける事が出来る魔法だ。
もしも問題が起きたら、すぐに連絡が、設定されている所へ行くようになっている。勿論、役所である。
観察の魔法、OK。
これは不意打ちを避けるための魔法。
周囲に悪意や害意を持った存在がいないか、常時見張ってくれる魔法。私のはそれほど強力では無いけれど。
熟練の魔法使いになってくると、この効果範囲が街全体くらいまで拡がるのだとか。
この三つが、三種の神器と言われる魔法で。
他にも、状況に合わせて。
安全を確保するための、色々な魔法を掛けてから、出かけることになる。
今回の場合は。
まずは呼吸の魔法。
泥沼とかに填まってしまった場合の対策だ。多分川だから大丈夫だとは思うけれど、ねんのため。
この魔法を掛けておくと。
数日くらいは、息が出来ない場所でも、平気になる。
続いて、水よけの魔法。
これは毒を含んだ水が、体に害を与えるのを避けるため。
ちなみにこれらの魔法は、全部同時に使い続けるのでは無くて。掛かっている魔法の道具を身につけて発動させる。
熟練の魔法使いになると、一度に十個くらいの魔法を同時に発動させられるらしいのだけれど。
私は精々三つくらい。
つまり、それは、危ないときに手が足りなくなってしまうことを意味する。
だから、普段から魔法が掛かっている道具に、今回は頼るのだ。
コテージを出る。
丁度、陽が昇り始める頃。
月はまだ二つ出ている。
調べ物には、絶好の時間帯だ。
コテージの側に、旗を立てておく。こうしないと、自分でも場所が分からなくなる事があるからだ。
リュックを背負って、河原に。
そして、上流へ向かって、歩き始める。
ひどい臭いがする。
臭いをカットする魔法も使いたいくらいだけれど。
そうすると、いざというときに、危険を察知できなくなる可能性が出てくる。私は鼻の方も人間とは少し違うタイプだから、感覚を遮断されるのは、結構響くのだ。
時々、ひどく草が枯れている。
それだけ、汚染が酷いと言うことだ。
腐敗しただけの水では、こうはならない。
そうなると、やはり。
何か、とんでもないものが、上流の方で腐っているのだと見て良いだろう。
でも、あまり上流の村からは、水がおかしくなっているという報告は来ていないらしいので。
この近くに、原因がある筈なのだ。
黙々と歩く。
足を止めたのは。
不意に、水が清浄になっている事に気付いたからだ。
おかしい。
少し前まで、水は濁りきっていた。つまり、汚染の原因を通り過ぎた、という事だ。
魔法の帽子を被り直すと。
私は、何度か目の下の辺りを擦った。
癖だ。
昔から、こうすることで、集中力を高める。一度、川下に向けて、戻るべく歩き出すのだけれど。
そうすると、まただ。
今度は、川が一瞬にしてどす黒く染まっていた。
しばし考え込む。
これは、明らかにおかしいのだけれど。それは正直な話、子供の感想だ。一応これでも役人をしているのだから、何が起きているのかを確かめるまでが、しっかりした仕事になる。
ゆっくり、確実に。
一歩ずつを踏み出して、確認。
そして、ついに特定。
ある一線を越えると。
とてつもなく汚い川が、綺麗になり。戻ると、その逆になる。つまり、この一線で、何かが起きている、という事だ。
ただ、分からないのが。
魔法使いの私にも、その何かが何なのか、まったく見当がつかない、ということ。これでも何度か一人で仕事に出て。その中には、原因がさっぱり特定できない怪事件があったのだけれども。
それらだって、調べて見れば何のことは無い。
魔法をしっかり使っていけば、特定は難しくなかったのだ。
今回だって、出来る。
自分に言い聞かせて、私は気持ちを入れ直す。
まず、異変が起こる線を特定。その周囲に、魔法の粉を撒いていく。月が二つ出ている時間は、そう長くない。
手際よく進めないと、あまり面白い事にはならないだろう。
その後、水上を歩く魔法が掛かった長靴に変える。これは、水を土のように踏んで歩くことが出来る魔法の道具だ。
川の上を歩きながら。
やはりおかしな線がある事を確認。
何度か確認しながら、粉を撒いていく。
対岸でも、同じ事をして。
一通り作業が終わると、丁度月が一つ、沈んでいった。
魔法は既に定着させているから、粉が消えるようなことは無い。しかもこの粉は、地面に定着するのでは無くて、空中に漂い続けるのだ。
まずは、この状況を、立体映像に確保。
その後は、一度コテージまで戻る。
コテージに入ると、特殊なハーブ入りの水で、顔を洗う。臭いが染みついてしまうと大変だ。
ローブも後でしっかり洗っておきたいけれど。
こればかりは、仕方が無い部分もある。
確保した映像を浮かべると、私は魔法陣に手を突っ込んで、分厚い辞典を家から持ち出した。
この辞典は。
今までに起きた様々な難事件が記載されているもので。直接役所にある記憶倉庫につながっているのだ。
勿論、来る前に、突如水が汚染されるような事件については、事前に調べてきているのだけれども。
もう一度。
事象を見ながら、順番に確認していく。
何か、該当するものはないか。
あるならば、解決策はどうすればいいのか。一つずつ見ていくことで、少しずつ、真相に近づいていく。
気がつくと。
夕方になっていた。
魔法が一番強く使える時間だ。
でも、今はやめておいた方が良いだろう。しっかり解決策を洗い出してから、作業に取りかかるべきだからだ。
ただ、レポートは書いておく。
私に何かあったとき。
後任の人間がスムーズに作業を進められるからだ。それに、目を留めた先輩が、何かアドバイスをくれるかも知れない。
まあ、それは期待しない。
もっと危ない目に会ったようなお仕事でも。先輩がレポートを見て駆けつけてくれたことはないし。
助けてくれた事も無かったからだ。
持ち運び用の机に突っ伏して、いつの間にか眠ってしまっていた。
ずっと資料を調べていたら、眠ってしまったのだ。仕方が無い。それに、夢の向こうの世界で。
今日は、人間に邪魔されなかった。
一度夢を見ると、向こうの時間感覚で、数百年は帰ってこられない事もある。神と呼ばれる存在になると、とにかく体感時間が全く違うのだ。それに、根本的に、精神が変質することもある。
その世界によっても変わる。
魔法使いが、変人ばかりだったり。気むずかしい人間ばかりだったりするのは、これが原因の一つだ。
何しろ、普通に眠ると言う事が、出来ないのだから。
私は弟子入りしてから、魔法が使えるようになると。すぐに、この夢の世界での神化を経験するようになった。
誰でもこれについては同じだ。
熟練した魔法使いになると。出来るだけ眠る機会を減らすようにしている人さえもいる。精神を回復させるお薬を使って、脳を眠らせないようにするのだ。そうすることで、リスクだとその人が考える、夢の世界行きを避ける。
中には、神のような感覚を味わうことで、人としておかしくなると考えている人もいて。そう言う理由から、眠る機会を減らしている場合もあるようだった。
あくびをしながら、目を擦る。
目を通した資料は、既に千ページ近くなっている。
最初に目をつけていた事象は全部外れ。
だから、関連がありそうなページを、片っ端から漁っていたら。こんな時間になってしまったのだ。
そして、力尽きて眠ってしまった。
レポートをいれる、魔法の転送棚を確認。
向こうには届いているけれど。誰か先輩がアドバイスを書いてくれているようなこともない。
みんな忙しいし。
何より、後輩に構っている余裕なんかないのだ。魔法使いは多くは無いけれど。それぞれが仲が良いというようなこともない。
人間と同じだ。
派閥も作るし、嫌いあいもする。
ただ、流石に他の世界で見るような。差別し合ったり、殺し合ったりということまではしないが。
気分転換に、外に出る。
ひどい臭いが漂う中。
飛び交っているのは、青黒い光だ。外はもう真っ暗なのだけれど。川の上の方に、何かが飛んでいる。
スピリットワームと呼ばれる虫。
彼らは、とにかく汚い川を好んで住むという性質を持っていて。それで、こういう場所には良く姿を見せる。
元気に飛び回っているスピリットワームは想定内だったので。安心して、くすりとしてしまった。
何匹かは、コテージの周囲にも来るけれど。
虫除けの魔法がコテージには掛かっているので。気にする様子も無く、そのまま帰って行く。
コテージの中に戻ると。調査作業に戻る。
そして二つ、三つと。類似しそうな事件を見つけて。メモを取っていった。
朝方まで待って。
月が上がると同時に、コテージを出る。
夜行性のスピリットワームは、既に姿を消していて。その代わり、泥水の中で泳いでいる姿がある。
私よりもずっと大きなお魚だ。
半分腐った体が見える。
間違いない。
ドラゴンの中では最も下位の存在である、マッドワームだろう。下位といっても、その大きさは、小さくても私の背丈の十倍以上。
汚水の中を好んで暮らしていて。
たまに、町中の下水に姿を見せる事がある。
性質はとても大人しくて、汚水を濾しとって栄養にしている。つまり、川を綺麗にしてくれる。
だから如何に恐ろしい見てくれでも、排除はしない。
それが魔法使いの決まり事だ。
ドラゴンの中には、人間の言葉が通じる個体もいるけれど。マッドワームは知能が低い。ドラゴンといっても、文字通りピンキリなのだ。
一応、念のため。
意思疎通の魔法は使ってみる。
「ドラゴンさんドラゴンさん、私の事が分かりますか?」
ちらりと此方を見るマッドワームだけれども。
すぐに背を向けて、川を下流に向けて泳ぎ去って行った。嫌われたのかも知れないし。或いは意思疎通の魔法を、五月蠅いと思ったのかも知れない。いずれにしても、意思疎通はできなかった。
残念だけれど、落胆するほどでもない。
再び、印をつけた所に出向く。
ひょっとすると、調べたものの中に。該当する解決策が、あるかも知れない。
現場に到着。
私はつけておいた印が、おかしくなっていないことを確認。やはり線を超えると、急に川が綺麗になっている。
まず最初に考えたのは、空間がおかしくなっている事。
これは、この世界だから起きる事でもある。色々な世界が混じり合っているため、時々別の世界とつながってしまうことがある。それは人為的だったり、偶然だったり。理由は様々だ。
この空間の穴の場合、調べる方法は幾つかあるのだけれど。
今回は最も簡単な、フラワズ法を使う。
これはフラワズという魔法使いが造り出した方法で。簡単に説明すると、空間の特性を記憶する魔法を込めた紙を使って、空間に異常が起きていないか調べるというものだ。この紙は、空間に急激な異変が起きると、突然青くなる。
しかし、である。
当然持ち込んでいたフラワズ法用の紙を用いてみたけれど、変化は生じない。つまり、空間がおかしくなっていない、ということだ。少なくとも、異世界とはつながっていないと見て良い。
この世界の、別の場所とつながっている可能性もあるけれど。
その場合、検証が大変になる。
後回しだ。
そうなると、次に考えられるのは、幻術だ。
悪い魔法使いがこの辺りにいるという話は聞いたことが無い。そうなると、高位のドラゴンだろうか。
高位のものになると、ドラゴンは魔法使いよろしく、魔法を使うことがある。
何らかの理由で、この場所に入られるのを嫌がって。魔法によって、此方を幻惑している、というものが、考え得る理由だ。
この場合は、残留する魔法について調べる。
熟練の魔法使いになると、対魔法用の魔法を使えるものだけれど、私はまだまだ無理なので、魔法に反応する紙を使用する。
でも、これもだめだ。
線を超えるとき、反応しない。
だとすると、この世界の、別の場所につながっているという可能性が考えられるけれど。
これは確認が大変だ。
そもそも、そんな事をして、何の意味があるのか。
この腐敗水は。
一体何のために。誰が垂れ流しているのか。
時間が、そろそろ来る。
他にも可能性がある幾つかのものを試してみたのだけれども、いずれもダメ。たとえば、綺麗な上流から下流に向けて紙で作った船を流して見るというやり方も試してみた。これはいうまでもなく、空間がきちんとつながっていなければ、船は消えてしまう。
でも、船は消えない。
いきなり汚水に入ったことを驚くように沈んでしまう。
「困りましたね……」
思わず独りごちてしまった。
やはり。
この世界の何処かに、つなげられていると見て良いだろう。そうなってくると、犯人は。悪い魔法使いか、ドラゴンか。恐らくは、その二択だ。
人間種族以外にも魔法使いはいる。
私自身がそもそもそうだ。
だけれども。今の時代、単純な犯罪者以外で、人間社会と対立している魔法使いなんてまずいない。
何百年か前に起きた大戦争の結果、世界が衰退しつつある今。
人間社会は一つにまとまって。亜人種も、積極的にそれに協力して。世界の衰退を食い止めている。
私も、そういう事情がなければ。
役人なんて、していたかどうか。
思い当たった事がある。
線の上流、下流。
いずれからも、石を幾つか採取する。これも調べて見ると、少しばかり調査が進むかも知れない。
コテージに戻る。
この調査は。手強そうだと、私は思っていた。
2、夢の向こう
夢を見ていると分かっていても。
私は、強制的には目覚めることが出来ない。これに関しては、魔法使いみんながそうだと聞かされている。体の方が、どれだけ寝るかは、精密にコントロール出来る。しかし心が体感時間でどれだけ夢の向こうの世界にいるかは。一切コントロールすることが出来ない。
だから、邪神として殺されてしまう魔法使いが出てくるのだ。
そうでなければ、さっさと逃げ帰ってしまえば良いのだから。
魔法使いにとって。
眠ると言う事は、それだけハイリスクな行為なのである。
私は夢の向こうで、むすっとしていた。
隠れる場所を、火山の下に変えたのに。
五月蠅くて仕方が無いからである。
何だかよく分からないけれど。火山の周囲を掘り返しているようなのだ。或いは、火山の熱が目的かも知れない。ただ、此方としては、五月蠅くてかなわない。空の上でも人間が来るから、山の下に隠れたのに。
今度は、海の中にでも、隠れるべきなのだろうか。
ドカンドカンと、響き続ける音。
いい加減我慢の限度が来たので、場所を変えることにする。夢の向こうの世界では、それこそ何でも出来る。
ただし、その世界の人間が、総掛かりになると、かなわない。
これはどんな優れた魔法使いでも同じ。
よく分からないのだけれど。
夢の向こうの世界に行くとき、課せられるルールらしい。まあ、どうしてなのかは知らない。
昔、そういう決まり事を、誰かが作って。
そしてこの世界が、その決まり事で動くようになったのかも知れない。推測に過ぎないけれど。
地上に出る。
人間達が、私を見て、わっと逃げ散った。
荒神様がお怒りになっておられる。
鎮め賜え。
叫んで右往左往している人間達。踏みつぶさないように気を付けながら、私は海へと出る。
もう、追いかけてくるな。
そう、内心で呟きながら。
そのまま、深い深い海の底まで、潜る。
最深部まで潜ってしまえば、流石に人間達も追いかけてくる事は無いだろう。これ以上の面倒事はごめんだ。
深海に赴くと。
流石に、ゆっくりと、静かに過ごすことが出来る。これはとても嬉しい。周囲には、生物もあまり多く無い。
これならば、人間も、騒がしくすることは無いだろう。
そう、思った。
甘かった。
あまりにも、考えが甘かったのだと、すぐに思い知らされることになる。
沈んでくる、鉄の塊。
それもたくさん。あまりにも膨大な鉄の塊に、何が起きたのかを、すぐに悟らされる事になった。
戦争だ。
海の上で、人間が殺し合いをしている。
そして、この鉄の船は、人間が乗っているものだ。どれだけの鉄を使おうが、沈む時は沈む。
たくさんの死骸も、一緒に沈んできて。
深海に住むわずかな生物たちのエサになった。
それは別にどうでも良い。
私の上に、鉄の塊が落ちてきて、直撃しなければ。流石に、自省しろと言っても無理がある。
海上に出ると。
私は殺し合いをしている二つの勢力の人間共に。
膨大な稲妻を、叩き込んでいた。
木っ端みじんに消し飛ぶ鉄の船。どれもこれも、一瞬で炎上して、乗っていた人間ごと沈んでいった。
気がつく。
目が覚めていた。
呼吸を整えながら、パジャマの胸元をかき寄せる。
私はどういうわけか、夢の向こうでは、雄々しい男神になっている。それも、非常に豊富な髭を持つ、筋骨たくましい男神に。
中肉中背の私とは、性別から始まって、何から何までもが逆だ。どうしてこんな風になるのかは、分からない。
他の魔法使い達もそう。
子供のうちから、妖艶な女神に変わってしまう例もあるらしくて。余計な知識を身につけてしまうと、後が色々面倒だそうだ。
逆に、神々が現れる世界では。
その正体が、似ても似つかぬ存在だなどとは、とても想像できないだろう。
外を見ると、もうすぐ朝。
つまり、予定通りの時間に起きる事が出来た、という事だ。
温めておいたスープを口にする。
塩っ気がとても強いけれど。これは魔法を使うと、塩分を大量に消耗するからだ。定期的に摂取しないと、倒れてしまうこともある。
一口、二口とスープを口にして。
満足したところで、コテージを出た。
コテージの中では、スープなどは傷まないように、停滞の魔法が掛けられている。虫除けもされているから、そのままで大丈夫だ。
それにしても、嫌な夢だ。
おかしな話だけれど。魔法使いは夢の中で赴く世界を変えると、神としての姿までも変わる。
私の場合、最初にいた世界では、巨大な蛇の神様だった。
今は三番目の世界。
そろそろ、潮時かも知れない。人間が総力で向かってきたら勝てないのが、魔法使いなのだと決まっているのだから。
何か、取り返しがつかない事が起きてからでは遅い。
この仕事が終わったら。
帰って、師匠に相談しよう。
きっと話に乗ってくれるはずだ。最初の夢の世界で、私は巨大なハンマーを振り回す雄々しい男神と戦って、相打ちになった。
それで死ぬ所だった。
運良く目覚めなければ、恐らくそのまま死んでしまっていただろう。そうならなかったのは、本当に運が良かっただけ。
何度も、強運は続かない。
そんな事は、私にだって、分かっているのだから。
現場に到着。
準備してきた道具を試す。
この汚水だけが、何処かからか飛ばされてきている場合の対応について。調べて見て、道具を揃えてきた。
紙でお魚を造り。
其処に魔法を二つかける。
一つは、お魚がすぐに水で溶けないようにする魔法。
もう一つは、お魚が、私の指示で動くようにするものだ。
このお魚を、二回。
一回は上流から下流に。
二回目は、下流から上流に。それぞれ動かす。
もしも、汚水だけが飛ばされてきているのなら。
どちらでも、お魚は姿を消さないはずだ。
早速、試してみる。
そして、今度こそ。正解に辿り着いたようだった。お魚の動きを見ていると、仮説が証明されたことがはっきりする。
膨大な汚水は。
この世界の何処かからか。
此処へ、飛ばされてきているのだ。
一度、役所にレポートを送る。
それから、横になって考える。どうすれば、転送の魔法をシャットアウトすることが出来るか。
そもそも、あの汚物は。
本当に、何かしらの物理的手段で生じているのか。ひょっとすると、どこか。戦争中にでも出来たゴミの山か何かから、転送されて流し込まれているという可能性だって、否定は出来ないのだ。
その転送の仕組みについては、分からない。
これから調べて。
魔法が働かないように、対応しなければならない。
其処までして、一人前の役人だ。
順番に資料を確認していく。一方的にゴミを転送して捨てていたという事例は、過去にも存在している。
たとえば、ドラゴンなどが、自分の巣の汚物を魔法で掃除していた例などがそれに当たる。
しかし、今回もそうだとは限らない。
汚水は確かに腐敗した要素を含んでいることが明らかだったけれど。人間がやっている可能性も否定出来ないし。これが糞尿だとする確証もない。
どちらにしても、早く対処しなければならないのは事実だ。
一応、川下の方では、汚水浄化の魔法を使い始めているらしい。これはリアルタイムで更新される役所の帳簿に書かれていた。
だけれども、私が此処で解決すれば、その分の魔法の力を、他に割く事が出来るのである。
労力は無限じゃない。
更に言えば、代わりは幾らでもいるなんて時代は、とうに終わっている。
私がやらなければいけないのだ。
幾つかのデータを調べて、その中から洗い出す。
まずは、魔法を停止させることだ。
しかし、今回のケースの場合、魔法で一方的に汚水を送ってきている。つまり、送ってきている先を特定して。其処にブロックを掛けなければならない。
場合によっては、それだけでは問題解決にならないだろう。
もしもだけれど、ドラゴンが今回の事件を引き起こしている場合。最悪、ドラゴンとの戦いも視野に入れなければならない。
私だと正直勝ち目は無いだろうから、その時は役所に声を掛けなければならないだろう。色々と面倒くさい。
自分の肩を叩く。
流石に調べ物ばかりで、少しばかり疲れた。スープを口にして、一息ついて。そしてまた仕事に戻る。
あくびが零れた。
誰も見ていないとは言え。
ちょっと行儀が悪い。
幾つかのデータを確認して、使えそうな魔法の道具をピックアップ。幾つかは家には無いから、役所から取り寄せるしかない。つまり、それだけ高度な魔法の道具が必要な案件、という事だ。
申請書を書いて、提出。
道具が来るまで、半日はかかるだろう。
まずは、自分の家から持ち出した道具を試して、出来る事から順番にやっていく。これは、全てのお仕事の鉄則。
最初から解決に直線距離で進んでも、上手く行かないことは多いのだ。
私ももう三年目だから、それくらいは知っている。
何度も行き来していると。
踏んだ枯れ草が目印になっていて、分かり易い。だけれども、時々汚水がたまりになっていて、油断すると思い切り踏み込んでしまうので要注意だ。
この世界では。
もう生きたお魚は殆どいない。
川が汚れても、お魚をとって生活している人が困る事は無い。水だって、そこまで大量に消費されるわけでもない。
それでも、仕事をするのがお役人。
私はそれでお給金を貰っている。だから、頑張る。
現地に到着。まず仕掛けるのは、魔法が来ている位置を特定する魔法の道具。川の両岸に植えるように刺す。
棒状の構造物で、そうやって使うのだ。
更に、ボールを取り出す。
このボールには固定の魔法が掛けられていて、川に浮かべるとその位置に留まる。川から流れてくる魔力を測定することで。その出所をじっくり時間を掛けて調べていくことが出来るのだ。
二つの道具を仕掛けると。
私は折りたたみ式の椅子を出して、腰掛ける。
ひどい臭いについては、既に対策をしている。
マスクを掛けて、単純に遮断。
それで、しばらくは待つだけ。
魔法の道具で、測定が終わるまでしばらく掛かる。そして、その測定が上手く行くかが、そもそも分からない。
だから此処からは、腰を据えていくしかない。
座っていると、眠くなってくる。
睡眠は出来るだけコントロールしたい。だから眠るときには睡眠導入剤をいれるし。起きているときは目を覚ますように可能な限り努力する。
あくびをかみ殺すと。
持ってきた辞典を開いて、この測量が失敗した場合に備えて、幾つかの魔法の道具を見繕っておく。
なに、どうせ長期戦だ。
今回はまず最初に一番簡単なものを試してみただけ。
ダメなら次に取りかかるつもりだし。
最初から、上手く行くとは思っていない。つまり、失敗したところで、何とも思わない。だから気も楽だ。
辞典を見ていると、いつのまにか、月の一つが沈んでしまっていた。だけれども、長期戦だから構わない。
自分を守る魔法についてはちょっと心細いけれど。
いきなり爆発したりはしないだろう。
辞典を読みながら、のんびり待つ。
そして待っている内に。
夕方。
もう一つの月が上がってくる。
ボールを確認。
どうやら、まだまだまったくサンプルが足りないらしい。拳大のこのボールが、満タンになるくらいのサンプルがいるのだけれど。
汚水と一緒に流れてくる魔力が、あまりにも少なすぎるのだ。
つまり、これは余程上手に魔法を使っているか。
それともその逆で。
よっぽどへっぽこな魔法で、無理矢理此方に汚水を流してきているか、のどちらかになる。
今の時点では、前者を想定する。
楽な方を想定すると、後で予測が外れたときに、損害が大きくなるからだ。それに、悲観的に考えておいた方が、色々と対策もしやすい。
棒の方は確認。
こっちはダメだ。まったくというほど、まともなデータが取れていない。
そうなると、ボールはそのまま。
次の道具を試すことになる。
スコップを使って、河原を少し掘る。と言っても、土を掘り返すと言うよりは、石をどかしていくという方が正しいか。
小さなスコップだから、作業効率は良くないけれど。
棒を刺していた穴を広げていくだけだから、それほど難しくも無い。さっさと作業して、穴を広げて。
其処にバケツを突っ込む。
この魔法のバケツには、川に浮かべているボールと同じように、魔力をキャプチャする魔法が掛けられている。
川の先に仕掛けるのは、魔力がどんな風に流出しているか、どうにも見えてこないからだ。魔法使いの端くれだから、ある程度は見えるのだけれど。今回のケースだと、微弱すぎてどうにも。
しばし装置を仕掛けた後、一旦コテージに戻る。
次の道具について受け取らなければならないし。
棒は家に戻さないといけない。
それに、レポートも書かなければならない。
役人の仕事は大変なのだ。
ぼんやりとしている内に、夢の世界に入っていた。睡眠導入剤を使わなくても眠れたのは、良いことでは無いと思う。それだけ無意味に疲れていたのだし。そもそも私達には、夢を見ることは命がけなのだ。
深海に人間はしばらく来なかったけれど。
それも、しばらくでしかなかった。
やがて、深海に対して、人間が手を伸ばし始める。様々な機械を使って、深海を静かな静寂の世界ではない場所へ変えてしまう。
騒がしい。
いらだたしい。
私は夢の中では、相当に気が短くなる。
とはいっても、夢の中での体感時間は百年単位だ。そんな長い間、騒音を立てられ続ければ、流石に苛立ちもする。
やがて、限界が来た。
周囲の海を徹底的に荒れ狂わせて、人間が近づけないようにしたのだ。これで、しばらくは大丈夫だろう。
それも、しばらくでしかないことはわかりきっていた。
あと二日か、三日か。
この世界を離れないと危ないだろう。またあの雄々しいハンマーを持った雷神のような神が討伐に現れるかも知れない。その時は、私も殺される可能性がある。夢の中で殺されると。
魔法使いは、そのまま死んでしまう。
目が覚める。
どうにか、凌いだらしい。
知り合いの魔法使いの中には、淫乱極まりない女神になって、夢の世界を楽しみに楽しんでいる者もいるのだけれど。
その子だって、半ば焼けばちだ。
淫乱な信仰は、長くは続かない。
おもに地母神系の信仰はどうしてもその傾向にある。世界が乱れると男性の権限が強化されるのは、何処の世界も同じ。
女性機能を信仰に組み込んでいる地母神系の信仰は、どうしても性と直接的に結びつくことが多く。
どの世界でも、最終的には排除される傾向が強い。
自然神も同じ。
私は夢の中では、どちらかというと自然の権化となる事が多いのだけれども。人間が自然を克服すればするほど、自然神への畏敬は薄れる。
つまり、それだけ危険が大きい。
そろそろ危ないかも知れない。もう、出来るだけ早く師匠に相談して、夢を見るとき向かう世界を変えないと。
人間が総力で向かってきたらかなわない。
人間の信仰が敵対的になれば、別の神格によって淘汰されてしまう。
その未来が、見えている。
だからこそに、もうもたついてはいられないのだ。
川に向かう。
ボールに溜まった魔力を確認。まだ必要なデータの二割くらいだ。これではいくら何でも遅すぎる。
バケツの方は。
こっちもあまり早いとは言えない。
多少魔力をキャプチャできているけれど。どうにもこれはダメかも知れない。
次の道具を試す。
鎌のようになっている器具で。これにも固定の魔法が掛かっている。
丁度刺すようにして、汚水が流れ込んでいる地点に。
これは魔力を集約してキャプチャする機能がついていて。そこそこに高級な品だ。作るのが大変だし、一度しか使えない。
まあ、師匠クラスの魔法使いになると、これを量産したり出来るのだけれども。それにもコストが掛かってしまう。
これを試してみる。
他にも。バケツの中に、赤いボールを幾つか入れる。
これはバケツの能力を向上させる魔法の道具なのだけれど。これも消耗品だ。さて、少しは効果が出ると良いのだけれど。
ふと、気付く。
川から此方に鎌首をもたげている姿。
この間泳いでいた、マッドワームだ。
マッドワームはドラゴンではあるけれど、生物的には蛇に似た姿をしているお魚の一種らしい。陸上に上がる事もある。他の世界にも、似たような姿をした細長いお魚がいるけれど、そういうのと似ている。ただ大きさが桁外れだ。
単眼で。顔の中央に、大きな目が一つだけある。
目と目が、もろにあう。
攻撃を仕掛けてくるような凶暴なドラゴンでは無いけれど。ただ、少しだけ緊張した。話しかけてみる。
「何か御用ですか」
「……」
やはり、マッドワームは応えない。
どぶ川に飛び込むと、泳ぎ去って行く。結構力強く、ばしゃばしゃと音を立てて泳いで行った。
コテージに戻って。
そして、愕然。
誰かが荒らした跡がある。外からは、私にしか分からないようにしてあったのに。見ると、どうも獣のようだ。
でも、普通の獣が荒らすはずがない。幾つか対応出来るように、魔法を掛けてあるからだ。
それを突破したとなると。
マッドワーム以外のドラゴンが、この近辺にいる。
獰猛な奴だろうか。
でも、人を襲うようなドラゴンが、こんな所に出るというのは、聞いたことが無い。あのマッドワームにしては、残留物がおかしい。となると、ただ興味本位で、コテージを漁ったのだろうか。
にしては、周囲に残された爪痕がえげつない。
警告しているように見える。
或いは、あのマッドワームは。
おかしな奴がいるから気を付けろと、わざわざ教えに来てくれたのだろうか。そうかも知れない。
コテージそのものは無事だったけれど。周囲に仕掛けた魔法はあらかたやられている。
防衛用の魔法を掛け直すと、コテージの中に。
すぐに、役所に連絡を入れた。
役所で長をしている魔法使いは、師匠よりだいぶ年下の、人間の男性だ。かなり性格が悪くて、潰して丸めたような顔をしている。髭がもの凄くて、しかもそれをカッコイイと思っているようだった。
実際には何というか、汚らしく感じるのだけれど。
「ドラゴンが出た?」
「支給コテージの周囲が荒らされていました。 人を殺すほどの能力があるかは分かりませんけれど、念のために増援をお願いします」
「君のレポートを見たが、まったく調査が進んでいないのではないのかね。 それを誤魔化すつもりがあるのではないのかな」
「どうしてそうなるんですか?」
自分でも、声が冷えるのが分かった。
作業の成果はレポートとして送っているはずだ。師匠とこの人が対立しているのは知っているけれど。
嫌がらせが露骨すぎて、苛立ちが募る。
私も、師匠とのコネがあるから。こういうことをされれば、使う。向こう側も、苛立ちながら、応えてくる。
「その辺りに人を食うようなドラゴンが出たって報告は無い。 君も既に三年目なのだし、一人でどうにかしなさい」
「何かあった場合は労災を請求しますが、よろしいですね。 それとこのやりとりは、録音させて貰います」
「好きにしたまえ」
「そうさせていただきます」
通信が、ぶつりと切れた。
これは話にならない。
もっとも、実際にドラゴンが出た場合は、丁度良い。このことをネタに、昇級を要求できる。
外を確認。
何かが現れた場合に備えて、魔法を何倍にも強くしておく。これで、いきなり寝込みを襲われても、対応は出来るだろう。
それにしても、このタイミングでの襲撃。
とても偶然だとは思えなかった。
昔々この世界は。
偉大な文明が栄えていた。
魔法によって色々な世界に足を伸ばし。それらの世界で、神々と讃えられた人々が、文明を担っていた。
今でも、魔法使いが夢を見ると。別の世界で神々になっているのは、その名残。
古き時代は、起きたまま神々として、異世界に足を伸ばす事が出来て。そして、それらの世界で、暴虐の限りを尽くしていた。
しかし、それらの世界で、反感を買い。
そして魔法使いは、この世界に閉じこもった。多くの犠牲が出て。それが故に、世界は衰退した。
師匠の説。
今では、賛同する魔法使いもあまり多くない。異端と呼べる説だ。
でも、私は。
夢を見るとき、異世界に出向いて。
性格が変わる自分を知っているから。その説をあながち笑い飛ばすことはできないとも感じる。
自分が出向いた先で、圧倒的な力を得て。
それを好き勝手に振るう事が出来て。
自制することが出来る人間は、どれくらいいるのだろう。
実際、非常に真面目で理性的な魔法使いが。夢の先で神になると、暴虐の権化になる例は、珍しくもないらしい。
今は数を減らしている魔法使いが。
みんな昔は、起きたまま異世界に足を運んで。
其処で好き勝手をする事が出来ていたのなら。
それは恐らく。
地獄というのも生ぬるい、悪夢。それが世界を覆い尽くし。数多の弱者を蹂躙し、劫火に包んでいったのだろう。
目が覚める。
半身を起こすと、頭を振る。パジャマがぐっしょり汗に濡れていた。
昨日から、ぶっ通しで調査を続けていたのだけれど。
気が抜けた瞬間、落ちてしまった。
夢の先の世界は、ひどい有様だ。
どうやらついに、人間は私を敵として認識したらしい。関わりたくないから避けてきたのに。
捕獲して、実験材料としようとする者までいる様子だ。
戦いになった。
たくさん殺して。
しかし、人間が全て敵になってしまうと、かなわない。
自分は邪神として認識されていて。もはや、あの世界でやっていけるとは、とうてい思えない。
世界を逃げて、秘境にまで辿り着いたけれど。
既に体がぼろぼろ。
人間達が造り出した別の神々が、追ってきていて。そして、戦いになって、どうにか退けたけれど。
次の戦いには、勝てそうにない。
まずい。
一度戻らないと。
でも、此処で戻ると、師匠に迷惑を掛ける。命には代えられない。でも、一気に解決でいれば。
頭を抱える。
思惑がまとまらない。
多くの世界と違って、この世界では、人々の争いは緩やかだ。親兄弟で殺し合うようなことはないし。犯罪だって、そんなには起きない。
神として三つの世界を、一万年以上も見てきた私が言うのだから間違いない。
でも、それでも。
競争は、存在していて。
汚い人も、嫌な人もいる。
その中で、好きな人のために少しでも動ければと思う一方で。自分の命がやっぱり惜しいとも思うのだ。
コテージを出る。
夕方だ。
様子を見に行く途中の川で、マッドワームが泳いでいた。此方を一瞥さえしない。川の汚染は、更にひどくなっているようだった。
バケツは。
半分という所だろうか。
これは、時間さえあれば、解決していた可能性が高いけれど。しかし、今はその時間がないのだ。
鎌。
こちらは、どうか。
川から引き抜く。
魔法で念入りに調べて、そして大きなため息が零れた。
当たりだ。
座標が特定できた。意外にも、川が流れ込んでいる先。王都の地下が、この汚染の発生源らしい。
振り返ると。
其処には。
巨大なトカゲのような姿をした存在。
ドラゴンの中では、マッドワームより少し上等な。アースドレイクだ。大きさは、マッドワームと殆ど変わらないけれど。簡単な魔法を使う事が出来て。個体によっては、人間と会話する事も出来る。
魔法使いを殺傷したという話は聞かないけれど。
ただ、何しろ大きさが大きさだ。魔法が上手に使えない時間に襲われていたら、かなり危ないかも知れない。
間近で見ると。
その威圧感は、桁外れだ。
「こんにちわ」
「……」
会話が出来ない個体だろうか。
アースドレイクは蜥蜴に似た姿をしているが、額に第三の目がある。このことから、いわゆるムカシトカゲに近い種類では無いかと言う説もあるそうだ。
いずれにしても、生物の範疇を超えているからドラゴンと呼ばれている。魔法を使えるのも、その証拠。
しかし、ある意味では。
私達魔法使いも、既に同じ存在と言えるのかも知れない。
「此処で何をしている、人よ」
「……汚水を処理するために、調査に来ました」
「汚水か。 お前達の都の地下からこの汚染が来ている事は、分かっているのだろう」
「今、分かりました。 この汚染が何かを知っている、のですね」
応えないアースドレイク。
ただ静かに。
居心地が悪い沈黙が流れていく。時間を稼いで、魔法が使いづらい時間に使用としているのか。
いや、その場合。アースドレイクも、動きが鈍くなるはずだ。二つの月が出ている時間に、魔法の力が最も強くなる。
このルールは、人間だけに適用されるものではない。アースドレイクをはじめとして、ドラゴンたちにも適用されるものなのだ。
そして、魔法である以上、例外は無い。
「今、多くの人々が、飲み水の汚染で苦しんでいます。 今から都に戻って、地下を調査します」
「やめておけ……」
「どうして、ですか」
「其処でお前は、見てはならぬものを見る事になるだろう」
アースドレイクは、それ以上を言うつもりは無いらしい。
つまり、あの爪痕は。
最初から、警告のつもりだった、という事か。
あのコテージを見つけて。
いや、というよりも、ボールや鎌などの魔法の道具を見つけて。私が調査に来ていることに気付いた。
そしてこの汚染事件の闇を知っているから。
調査を止めさせようとして、来た、と言う所なのか。
何にしても。一度師匠に相談しなければならない。今眠ったら、恐らくもう生きて起きる事は出来ないだろう。
コテージに戻ると、荷物を畳む。
そして、リュックに詰め込んで、街道へ急いだ。
馬車を上手に捕まえられたのは、僥倖。
急いで都では無く、師匠のアトリエに向かって貰う。まずは、師匠に全てを相談してから。役所に行く。
これはひょっとすると。
師匠達エンシェントと呼ばれる高位の魔法使いと。役所にいる魔法使い達が共同で当たらないと、解決は難しいレベルの問題かも知れない。
馬車を飛ばして貰う。
御者は不機嫌そうにしながらも。
チップをはずむと、最大速度で、師匠のアトリエに急いでくれた。
3、汚泥
其処にあるのは、恐らく古代の遺産。それも、どちらかと言えば、負の遺産だろうと、師匠は言った。
最初に、向かう夢の世界を変える魔法を私に掛けてくれた師匠は。鷲鼻をふんふんと不機嫌そうに鳴らしながら。私の調査結果を精査して。
アースドレイクの言葉を伝えると。
間違いないだろうと言う。
「ドラゴンには、嘘をつくって概念がない。 善だとか悪だとかじゃなくて、そう言う概念を知性を発達させる過程で得なかったんだろうね」
「この汚染、止められるんでしょうか」
「無理に止めるとまずいかも知れないな」
それよりも、と師匠は言う。
次はもう少しうまくやれ。
もう三回目だと。
勿論、仕事の話じゃない。夢の先にある世界の話だ。
私は、此方ではそれほど他人と衝突はしない。まあ、この間のように、役所の上長と衝突する事はあったけれど。
それ以外に、此処までこじらせることは無い。
多分対人関係のストレスが、夢の先の世界では、露骨に出ているのだろうと、師匠は言う。
「まあ、夢の世界で大人しく過ごせている奴が、こっちでは凶暴で嫌な奴って事は珍しくも無いからね。 どっちかっていうとこっちじゃ大人しいお前が、向こうじゃ乱暴な神になるのも仕方が無いんだろうさ」
師匠に礼を言って、外を出る。
穴蔵のようなアトリエの中は、ひんやりしていて。
外に出ると、むっとした蒸し暑さが、体を包む。これは排熱によるもので。本来は此処まで暑くは無い。
アトリエの周囲だけが、異常に暑いのだ。
だからだろう。
都でも、郊外にアトリエは作られていて。師匠も、移動するときは、空間を転移して役所に出向く。
今回は、まず指定された座標を確認して。
手に余りそうなら、増援として来てくれるという話でまとまった。私としては、それでも良いけれど。
いきなりそれこそ最高位ランクのドラゴンにでも出くわしたり。
いにしえの時代の、本気で此方を殺す気の罠にはまったりしたら。生きて帰ることが出来るか分からない。
勿論準備は最大限にしていくけれど。
それでも古代の魔法が相手となると。心許ない。
ちなみに役所の方でも。
増援は出してくれなかった。
意地悪していると言うよりも。単純に手が足りないのだ。
魔法使いは、其処まで数を減らしてきている。
師匠も、今日は忙しい中で、無理矢理時間を作って会ってくれたのだ。世界はもう、ほころび掛けているのかも知れない。
都の一角。
朽ちかけた四角い建物。
此処が座標から推定される、入り口。
古い時代の下水処理場らしい。そういえば、謎とされていたのだ。古い時代の下水処理場は動いている。
しかし、排水は何処に出ているのか。
少なくとも、都を流れている河では無かった。
ならば、何処に。
カンテラをつけると、地下に潜っていく。周囲を浮いているのは、自動で身を守ってくれる魔法の剣。
弱めのドラゴンくらいなら、これだけで対処できる。
後は、炎や質量兵器から身を守る魔法の盾も、自動で展開してくれている。それも、四重に。
これらでも、防げないものは防げない。
何しろいにしえの魔法使い達は、他の世界を好き勝手にしていたのだ。こんな壁なんて。まあ、それでも、当時より発達しているものだってある。きっともろに罠に踏み込まなければ、大丈夫だろう。
自分に言い聞かせながら、進む。
床も壁も。
見た事がない材質だ。
石でも無ければ、コンクリートとも違う。
金属とも違う気がするし。恐らくは、セラミックでもない。
固いのだけれど、踏むと妙に温かい感触がある。
よく分からない、他の世界でも見た事さえない素材だ。
うっすら発光していて、場所によってはカンテラもいらない。これは色々な世界で見てきた、灯りに該当するどの技術とも違う。
或いは、もっと進んだ文明。
事実上、神を退けられる世界から来た技術かも知れない。
深く深く降りていく。
配管がある。これは都にある家々から来ているものだろう。所々バルブが設置されているけれど。
操作しようとは思わなかった。
今の時点では、罠はないし。ドラゴンも出てこない。
だけれども、濃厚な魔力が満ちている。いつ何が起きても不思議では無いだろう。落とし穴や、針天井などの罠も、存在していても不思議では無い。
オーバーテクノロジーまみれだ。
魔法の気配は当然あるけれど。
師匠みたいなエンシェントと呼ばれる魔法使いでさえ、再現できるものなのかが、非常に怪しい。
そのくらいの、とんでも無い技術が。
惜しまれることもなく、投入されているのだ。
階段は、何処までも続く。時々踊り場があるけれど、これは転んだ場合に、何処までも落ちてしまうのを避けるためだろう。
もはや人が入らなくて久しい設備だけれど。
昔は使われていたのだ。
それが、構造から、よく分かる。
階段を下りきったところには、大きくて、頑強な扉。
強力なセキュリティが掛けられているけれど。残念ながら、セキュリティの装置そのものは死んでいる。扉に触れるだけで、空いてしまうのだ。せっかくのオーバーテクノロジーが台無し。
何だかいびつだ。
これを作ったのは、間違いなく古い時代の魔法使い達。或いは他の世界から連れてきた奴隷を使ったのかも知れない。
この国というか。
この世界の古い歴史については、私も聞いてはいるけれど。役人になってから仕事をするようになると。偉大な文明の影に隠れた闇を、幾つも目撃する機会があった。此処も恐らくはそうだろう。
あのドラゴン、アースドレイクの言葉から考えても。
この先には、何があっても不思議では無い。
階段を下りて降りて。
やがて、終わる。そして、今度は。足場のような狭い通路が、何処までも複雑につながっている空間に出た。
用意してきた、光の弾を飛ばす。
足の下に何があるか、確認したかったからだ。複数の光の弾が、足場を避けて下に降りていく。
そして、見た。
真っ黒な汚水が、渦巻いている。
此処が、この下水処理場の最下層。
でもあんな汚水が渦巻いているのに、どうしてひどい臭いが上がってこないのだろう。それは処理済みだからだろうか。
いや、違う。
多分作業する人に悪影響が出ないように、魔法でブロックがされている。それに、足場から身を乗り出そうとすると、押し返される。
これも安全装置の一種だろう。
流石に魔法使いも、あの汚水の中に落ちたら、命の保証は無い。それにあの渦巻き方。何か魔法的な処理をしている可能性も高いのだ。
師匠に渡されていた、通信装置を起動。
連絡を入れる。
「最下層に到着。 現時点で、罠とは遭遇していません」
「気をつけな。 そこからが本番だよ」
「はい」
通信を切ると、三角帽子を直す。
気合いを入れて臨まないと行けないのは、ここからなのだ。師匠も言うとおりである。
まず、この空間の広さから確認。
光の弾を飛ばして、確認していくと。
ほぼ正方形の空間である事が分かった。
足場から天井までは大体六歩。逆に足場から水面までは三十歩。
水平方向には、前後左右に、恐らく二千歩という所だろう。
光の弾を汚水に潜らせて確認した所。
汚水の深さは尋常では無く、大体二千歩くらいはあるのが確実だった。要するに、この空間は、正方形の立体なのだ。
「浄化設備は」
呟きながら、見て回る。
一角に、魔法で作られたらしい装置があるけれど。どうにも、汚水を浄化しているようには見えない。
むしろこれは。
足場から乗り出して、強い魔力を放っているそれを確認。
ひょっとすると、生体装置だろうか。
機械らしくない。
昔の魔法使いは、生物を機械にしてしまう事が珍しくなかったと聞いている。色々融通が利くから、というのがその理由であったらしい。
今では、ひどいからという理由以前に。
その技術そのものが失われてしまっているので、誰もやらない。ただ、一部の魔法使いは、研究をしていると聞いた事がある。
操作盤を発見。
足場の一角にある。
触ってみると、まだ生きていた。
頷くと、操作盤に触れる。パスコードは、どうにか役所に残っていた。それをうち込んで、立体映像の操作システムを起動。
古いシステムだけれども。
どうにか、使ったことがあるものが出てきてくれた。
一つずつ、順番に確認していく。
そして、どうやら間違いないと、判断できた。汚水は、此処から上流の川に、転送されている。
しかもこの生体装置が。転送している。
だが、どうして急に。
ログを解析してみるけれど。
少し前から、急に作業が行われている。しばらくは放置していたのに、いきなり、という感触だ。
一体何があったのか。
もう少し詳しく、ログを解析しないといけないだろう。データを回収すると、振り返る。
あの長い長い階段をまた上らないといけないのは、かなり苦しいけれど、仕方が無い。実は此処に直行するシステムもあるのだけれど。壊れてしまっている。それは既に確認済みなのだ。
アースドレイクは、言っていた。
知らない方が良いこともあると。
それは、つまり。
この件には。ろくでもない事実が、浅からぬ関わり方をしている。そして、あのドラゴンは、恐らくそれを何かしらの理由で知った、という事なのだろう。
ドラゴンの中には、下位であっても何千年も生きるものがいると聞いている。魔法使いも基本的にそうだ。
ろくでもない事実を知っても、不思議では無い。
そしてそのろくでもない事実は。
恐らく、目前にまで迫っている。
下水処理場を出て、都の通りに出たのは、既に真夜中。
足が棒になりそうだ。
自宅まで、ふらふらしながら歩いて帰る。といっても、都の彼方此方にある移動ポータルを使って、何カ所かで魔法によるショートカットをしたが。このポータルも、魔法使い達が直しているけれど。年に何カ所かが、壊れて使えなくなる。幸い壊れる場合、ショートカットそのものが一瞬で機能しなくなるし。転送事故が起きないことだけは、救いとは言えた。
ログを詰め込んだボールを大事に抱えて家に入ると。
幾つかの回復用の魔法を自動で起動させて、自室のベッドに。裸になって転がっているうちに、汚染物質を全部除去してくれる。
パジャマを着直すと。
ボールを魔法で作られた端末にセットして、解析を開始。
ログが流れ始める。
とにかく膨大だ。この都が出来た頃からあるとなると、下手をすると万年規模のデータが残されていると見て良い。
汚水がこっちに来るようになったのは、つい最近。
とくに、苦情が上がり始めた前後の日付を確認して。内容について、精査していくと。おかしな事が分かる。
水位が限界とでたのだ。
つまり、あの下水処理場は、何かしらの理由で、汚水を処理できなくなった。そして、水を捨て始めた、ということか。それも、どうしてか。此方の世界の、しかも上水の種類源になる川の上流に。
そんなばかな。
どんな設計をすれば、そうなるのか。
一旦レポートを作成。
ログの一部も、証拠として添付する。もう一度彼処に出向くとしたら、その時はこのログの解析が完全に完了してからだ。何度も足を運ぶには、彼処はあまりにも遠すぎる。正直、しんどすぎる。
レポートを書き上げた後。
幾つかのピックアップツールを使って、ログから抜き出し作業を始める。
エラーについてだけ、まず抜き出してみる。
そうすると、ここ二百年ほどで、急激にエラーが増加しているのが分かった。それでも、二百年分。
内容について、確認していくと。
機械の故障が殆ど。
もっとも、自動修復機能で、すぐに回復している。連絡が市役所に来なかったのも、それが故だろう。
単なる経年劣化によるものだ。
これが原因とは考えにくい。
汚水の水位が上がり始めたのは、10年ほどまえ。
十分に確保されていたはずの汚水槽が、どんどん水位が上がっている。何か致命的な事があったのだとしたら、この近辺の筈だ。
つまり10年も前に。
この事件は、始まっていたとみるべきだろう。
そして、私は気付く。
ログを確認する限り。
汚水を処理している形跡が、ないのである。
下水道の管理については、むしろ完璧。下水管は自動修復が行われる魔法が掛けられていて、それはまだ生きているし、暴走もしていない。
そうなると、この施設は。ひょっとして、汚水を処理していないのか。そもそも、汚水は。何処に消えている。
それだけじゃない。
更によく分からないデータが出ている。
何処かからか供給されていた綺麗な水が。10年前に、ぴたりと停止しているようなのだ。
これは本当に一体、何が起きているのか。
ログを専門家に投げたいところだけれど。魔法使いの中でも、壊れた機械のログを見る専門家は、とにかく忙しい。
ましてや、役所をまとめているのは、あのバーコード禿。
此方の増援に応じるとは思えない。
資料を確認しながら。
自分で解析するしかない。
どうにも嫌な予感がしてならない。
ひょっとすると、私は。
この設備について、本当に知ってはならないことを、知ろうとしているのでは無いのか。あのアースドレイクが、警告していたように。
最悪の事実とは、どういうものだろう。
どうにも、見当がつかない。
嫌な予感ばかりが大きくなる中。
私は資料を揃えて、ログの解析作業を、始めていた。
淡々とした、味けのない仕事だ。こればかりは、他の人に頼みたいと強く思うのだけれど、どうにもならない。
うっかり眠りそうにもなる。
師匠に、向かう夢の先を換えてもらったとは言え。良い気分がしないのは、これもまた事実だ。
十年前の、何かあったと思われる前後のログを、三日がかりで調べる。
その間。
例のバーコード禿が。役所に出勤してきた私の所に、直接文句を言いに来た。
「くだらない仕事に、いつまで掛かっているのかね」
「ドラゴンが姿を見せ、ずっと手が入れられていなかった遺跡に単身向かい、ログを回収してきて、解析してくる仕事です。 ましてやこの膨大なログ。 すぐに終わる筈がないと思うのですが」
「減らず口はいい! さっさと結果を出したまえ」
「無理を仰らずに。 では、このログの中から、原因をすぐに洗い出して見せてくれませんか」
バーコード禿の前に、部屋全体が埋め尽くされるほどの立体映像を出してやる。他の魔法使い達が、こっちを見て、吃驚したようだった。
普段は此処まで反論しない。
今日は流石に、理不尽すぎるものいいに、腹も立っていた。
昔は、代わりは幾らでもいるという脅しが通じたらしいと聞いた事がある。人間が余っていて、幾らでも仕事をしたいという人がいたそうだから。
今は違う。
魔法使いの数は限られていて、下っ端の私でも、いなくなれば問題が多い。
そんな事くらいは。
200年ほど魔法使いをしているこのバーコード禿が、知らないはずもないのだけれども。
師匠の立場を悪くしたくは無いから、仕事をしっかりしている。
だけれども。
此奴の言うままに、やりたい放題を許す気はない。
「今、ログを解析中ですので。 結果が上がったら、解決をするべく、師匠に相談に向かいます」
「……っ」
額に青筋を浮かべたまま、バーコード禿がデスクに戻る。
幾つかの魔法を同時に流して、ログを洗い出す。ログはそれこそ、数秒ごとに新しいものが吐き出されている。
こんなもの、本来は専門家がしっかりみるべきなのに。
どうして私みたいな、入って三年目の人間が。何もかもを押しつけられて、対応しているのだろう。
いい加減投げ出したくなってきた。
それに、非常に他の先輩達が忙しい事も分かっている。あのバーコード禿が無能なのも事実だけれども。
重点的にログを探っていた魔法の一つが反応。
妙なログを発見した様子だ。
エラーを探すものではない。
今まで出ていた、通常メッセージが、途切れていることを、その探査魔法は、発見していた。
この通常メッセージは。
ひょっとすると、原因が、全て分かったかも知れない。
まだ仮説になるけれど。
これが本当だったら、全て説明がつく。
ログをまとめると、私は。師匠の所に向かう。膨大なログの処理に関しては、私のデスクで、続行させた。
もしもこれが違った場合は。
この作業をオートで実施しておくことに、損は無いはずなのだから。
ちなみに、ログ解析の作業を停止することは。例え役人の長でも、絶対にやっては鳴らないタブーになっている。
勿論セキュリティはしっかり掛けた。
他の先輩達に一礼すると。
私はさっさと、役所を出た。
4、神々のエゴ
新しく赴いた世界で。
私は荒々しい、火山の神だった。
どうしてもこればかりは、傾向に変わりが無い。どうしてか私は、雄々しい男神や。凶暴な龍神になる事が多い。
今度は龍神の方だ。
まだあまり文明が優れていない世界。
多くの世界同様。
収斂進化で姿が似た人間が、少しずつ文明を構築している。この世界の文明発展率は、それほど高くない。
何か知らのブレークスルーが起きていないから、だろうか。
文明は、いわゆるブレークスルーの発生により、一気に、爆発的な広まりを見せる事が多い。
そして、この世界では。
神々が多数いて。
派閥を作って争いながら。
人間の信仰心を奪い合っている状況だ。信仰心が、この上もないほど、大きなエサになるためである。
私はそんな中で。
ただ鎮座しているだけで、信仰を集める事が出来る立場にいる。だから、その場でぼんやりしているだけでいい。
たまに、縄張りを荒らしに来る若い神にヤキを入れたり。
不敬を働く人間に対して、噴火してやれば良かった。
事実、火山の下には。
膨大な溶岩が渦巻いている。これだけの火力を温存しているのだ。生半可な事で、静まる理由がない。
ふと、意識が薄れ始める。
どうやら、そろそろであるらしい。
気がつくと、ベッドに寝ていた。
目を擦りながら起きる。
昨日は、師匠の家で、泊まり込んだのだ。
「おはようございます……」
弟子として使っていた部屋はそのまま。部屋を出ると、師匠はまだ寝ている。お寝坊さんだし、家事も苦手。
殆どの場合、魔法で全部やらせてしまうほどのぐうたらだ。
手先も不器用。
世界最高の魔法使いの一人であり、エンシェントなんて呼ばれる人なのだけれども。それでも、私生活はこんなものだ。
洗濯物を片しながら、ログの解析結果を見る。
仮説は、恐らく当たっている。
問題は、対策だ。
いつまでも、あんな場所に汚水を転送させ続けるわけにはいかない。かといって、ふさわしい場所などあるだろうか。
ないとしたら。
私が作るしかないだろう。師匠と協力した上で、である。
師匠がようやく起きてきた。
「何だ、騒々しいねえ」
「師匠、解析結果が上がっています。 多分私の仮説が正しいのだと思うのですけれど、目を通して貰えますか」
「どれ……」
パジャマから面倒くさそうに着替えながら、師匠はログを凄い勢いで見ていく。この辺り、さすがは世界最高ランクの魔法使い。
やがて師匠は。
結論を出した。
「うむ、どうやら間違いないねえ」
「やっぱり。 この下水、そもそも浄化なんてされていなくて、よその世界に捨てられていたんですね。 そして捨てる分の水を、しかも綺麗な状態で、よその世界から略奪していた」
「いにしえの負の遺産さ」
「……」
ひどい話だ。
魔法使い達が、下位世界の。つまり夢で赴く世界に対して、絶対者を気取っていた時代の産物。
その頃の魔法使い達は。夢で赴く世界の人間を、これ以上もないほど残忍に見ていた。この場合は。ただ、ゴミを。汚水を。捨てるだけの相手として。
しかしこの様子では。
恐らくは、相手側の世界が、ついに対策を可能としたのだろう。一方的に捨てられていた汚水を、遮断することに成功したのだ。如何に、量は少ないと言っても。汚水を押しつけられ、綺麗な水を略奪されでは。彼らとしても、我慢の頂点に達しても不思議では無いのだから。
解決策は、幾つかある。
まず、本当の浄化設備にすること。
これ自体は、コストは掛かるけれど、問題は無いはず。実際、現実には、他に稼働している浄化設備が存在している。
魔法を使うのでも、機械を使うのでも良いはずだ。
そして、あの地下施設には。
その浄化設備を設置する、充分な余裕がある。
難しくは無いはずだ。
ただ、このやり方だと、かなり大きめのコストが掛かる。それで反対意見が出る可能性はある。
もう一つの案は、あまりやりたくない。
別の世界を探し出して、其方に捨てる、というものだ。
これはすぐにでも実行できるけれど。汚水を捨てながら、綺麗な水を奪い取らなければならないだろう。
前と同じ。
相手の世界が、遮断くらいで済ませてくれれば良いけれど。
反撃に、何を仕込んでくるか分からない。
勿論、神々の本体がいる世界だ。
簡単に攻め込める場所では無い。
それでも、決して面白い事にならないだろう。それが私の結論だ。
それにしても、此処のことを知っていたというのは。あのアースドレイクは、何者だったのだろう。
ひょっとして。
いや、それはあまり考えたくない。
また、ほかの手として。
汚水を海の真ん中当たりに投棄する、という手もある。
広大な海の浄化作用を利用する、というわけだ。
しかしながら、現在の海はかなり汚染が進んでいる。古い時代、無数の世界の盟主を気取っていた頃の、負の遺産だ。あらゆる資源を奪いつくした中には、海水もあった。今では、海は。
魚も殆ど住んでおらず。
一部の汚染に強いドラゴンが、人間に敵意を向けながら、巡回している場所になっているのだ。
これ以上汚水を捨てたりしたら。
ドラゴンたちも、黙っていない可能性が高い。しかも海の深部には、エンシェント級の魔法使いでも、一人では手に負えないような凄いドラゴンがいるという噂を聞いたことがある。
彼らが複数本気になって上陸してきたら。
恐らくは、ろくなことにならないだろう。
レポートをまとめる。
師匠はレポートに目を通すと、鼻を鳴らす。
「おもしろみがない答えだねえ」
「ごめんなさい。 でも、他に良い案も思いつかなくて」
「一番最初の、今度はきちんとした浄水施設にするってのが、正解だろうね。 ただ問題は、あのバーコード禿が、予算を出すかどうか」
「それですね……」
幸い。
あの地下ダンジョンには、恐ろしい罠は存在しなかったし。ドラゴンが住み着いているような事も無かった。
アースドレイクがどこから来たのかは気になるけれど。
今は後だ。
「師匠、手を貸しては貰えませんか」
「私が出れば、更にややこしいことになるだけだよ。 多分あのバーコード禿は、人手をとられることを、一番嫌うだろうね。 後は自分で考えな」
「……」
人手、か。
現在、流れ込んでいる汚水を浄化するのに、魔法使いが二人作業している。
一時的に人手は増えるけれど。
浄化設備を作り上げれば、その二人のコストはなくなり。もっと厄介な仕事に、廻す事が出来るだろう。
その線で、説得するしかない。
正直胃が痛い問題だけれども。
他に手は無いと判断して良いだろう。
「ただ、浄水設備をあんたが作れと言ってくる可能性がある。 その準備だけはしておくんだね」
「……そうですね」
「常に最悪を予想して行動するんだ。 分かっているね」
師匠はかぎ鼻を、ふんふんとならした。
それだけ機嫌が悪いのだ。
恐らく、それだけあの無能上司の事を考えるのが、不愉快なのだろう。私だって、それは同じだ。
レポートをまとめて、役所に持ち込む。
対応について、協議しなければならないからだ。
例のバーコード禿上司も出てきている。非常に不愉快そうな顔をしているのは。「私が一人で全て解決できなかったから」らしい。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
これだけの事件を、一人で勝手に解決しようとして。異世界からの手痛い反撃を受けたり。強力な海棲ドラゴンによる攻撃を誘発していたら、それこそ役所にとっては大損害だろう。
そんな目先の計算も出来ないのだ。
今の時代は実力主義だ。実績はあるのだろう。しかし、年老いて、偏屈になって、思考が柔軟性を欠いてしまっている。師匠憎しのあまり、目の前のことも分からなくなっている。
こういう魔法使いにだけはなりたくないなと、私は思った。
現在、役所の総合トップをしているのは、既に一万二千年以上生きている魔法使いで。師匠の更に師匠に当たる。
年齢は意外にも若々しい青年だが。
これは魔法で操作しているからだ。
いにしえの。
神々と呼ばれた魔法使い達の、本当の意味での。この世界における、数少ない生き残りである。
レポートを配ると。
彼が最初に、発言してくれた。
「なるほど。 確かにこれは、一人で解決できる問題では無いなあ。 工数も掛かるのはやむを得ない」
「しかし、ワイズマン・ホーバード」
「君は黙っていなさい」
あっさり黙らされるバーコード禿。
此方を凄い目で見ていたけれど、正直どうでも良い。今の時代、人材は使いこなせない方が悪い。
それだけ、人材が枯渇している世界なのだ。
もしも数少ない魔法使いの一人である私に何かあったら。問題にされるのは、バーコード禿上司の方だ。
「現状の汚水の浄化に二人。 これだけで工数がかなりもったいないことになっているのは分かるね。 しかし魔法を使うとしても、長年汚水を溜めて異世界に飛ばすだけだった施設を、ちゃんとした浄水設備に切り替えるのは、流石に其処の彼女だけでは無理だろうね」
腰を上げたのは。
先ほどバーコード禿を黙らせた、ワイズマン・ホーバードだ。
エンシェントの中の一人。しかも、エンシェントの中のエンシェント。師匠の師匠をしているだけあって、文字通り世界を代表する賢者である。
夢の向こうの世界では、長年温厚な最高神として、何ら問題なく世界をまとめているのだという。
大したものだけれども。
その実力に見合った威厳が、全身に満ちている。まだ若々しい青年だというのに。
「それでは、これから私も出向いて、浄化設備をすぐに完成させてしまうとする。 幸い、仕事はしばらくないからね」
手伝うように。
私はそう言われて、頷く。
準備はしてきているのだ。どうせ先輩と仕事をする事になるだろうとは思っていたのだから。
不愉快そうにしている上司だけれど。
彼では、ワイズマンに意見をする事は出来ない。
どうせ別の異世界にでも汚水を捨てれば良いとでも言うのだろう。だけれども、今回はたまたま、元々捨てていた世界が、温厚な手段を執ってくれたのだ。次は戦争になりかねない。
時間稼ぎのために、立場が弱い相手を痛めつけているようでは。
昔、この世界が衰退する原因を作った事件を、繰り返すだけだ。
それではいけない。
準備に何が必要か。
言われたので、私は事前にまとめておいた物資と、リストを順番に提示していく。幾つかは却下されたけれど。
概ね許可が出た。
そして、すぐに作業を始めるとワイズマンは宣言して。
そのまま、一緒に下水処理施設に向かうこととなった。
ワイズマンは、先頭に立って歩いて行く。流石に元々、世界の頂点に立つ一人だ。前を歩いているだけでも、安心感が違う。
「今回の件は、色々と苦労を掛けたね」
「いえ、そんな」
「私の若い頃はね。 代わりは幾らでもいる。 そういう言葉で、どんどん人材を使い潰していたんだよ。 そして気がついたときには、人材と呼べる存在がいなくなってしまっていた。 だから、世界はこんなになってしまっている。 私にも、責任の一端はあるからね。 協力は、させて貰うよ」
物腰は柔らかいけれど。
やはり話していると、何というか。強烈な。それこそ、巨大なドラゴンを前にしているような圧迫感がある。
いや、或いは本当にそうなのかも知れない。ドラゴンの定義は、そもそも。
汚水が溜まった最下層に到着。
順番に魔法の道具を並べていき。汚水浄化の準備を整えていく。貴重な道具もあるけれど、仕方が無い。
他の世界と戦争をするよりは、遙かにマシなのだ。
魔法の道具だ。順番に組み立てれば、勝手に動く。これもいにしえの技術を応用したものだから。
巨大な機械の塊。
それを、汚水へといれる。
いれるのには、ワイズマンの空間操作魔法を使って貰った。私では、流石に力不足だ。
機械は動き始めると。
一気に汚水を吸い込み、普通の水へと変えはじめた。
コストで言えば、相当なものだ。少なくとも、今までのように、よその世界に捨てて、綺麗な水と取り替える、というような単純な動作よりも、はるかに掛かる。しかし、それでも。
今は、これが最善の選択と信じる。
汚水の濃度が、見る間に下がっていく。
「川への投棄はどうしますか」
「このまま浄化が進めば問題ないだろう。 其方は放置で構わない」
「分かりました」
やがて、川へ投棄している空間の穴が見え始めた。汚染水位がそれだけ下がって来ているのだ。あっという間に、透き通った上澄みができはじめている。
強力な装置だけれど。
何十年かに一度、メンテナンスをしなければならない。
その時にまた貴重な道具を使う。
機械による浄化が進んでいる間に、私は汚水処理場そのものの操作を実施。異世界へ開けられていた穴。そして異世界から吸い出していた水を、遮断。
これで、後は。
機械によって飲めるレベルまで浄化された水が、あの川の上流に投棄されるだけになる。勿論、気分的にはそうする気にはならないけれど。川は基本的に、汚れを飲み込むものだ。流石に元汚物を、そのまま口にするわけでは無い。
「作業、終わりました」
「それでは、戻るとしましょうか」
ワイズマンに促され、頷く。
そして、綺麗になって行く汚水を見て。私は、気付いた。
奥から、何かが此方を見ている気がした。
あのアースドレイク。
あれは、ひょっとして。
元は、この汚染された場所そのものが、命を持ち。そして非道を許せずに、ついに動いた。
つまり、汚染された水を堰き止めたのは、この施設そのものだったのだろうか。
まさか。
あり得る話では無い。
魔法で作られた施設と言っても。意思を持つなんて、いくら何でも出来すぎだ。あり得るはずがない。
でも。
確かに私は今、あのアースドレイクの気配を感じた。
その気配は、遭遇したときよりもずっと静かで。
ようやく、正しい事を行ってくれたなと、言っているように思えたのだった。
(終)
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