憂鬱なるダイエット

 

1,戦艦オルヴィアーゼ

 

衝撃を殺す作りになっているにもかかわらず、戦艦オルヴィアーゼの艦橋にまで、その振動は伝わってくる。状況を分析報告するオペレーター達が、ひっきりなしに警告の声を上げていた。

「左舷第二副砲大破! 砲撃要員からの連絡ありません! 隔壁自動閉鎖中!」

「右舷後方より対艦ミサイル接近! 5,7,11! 更に増えます!」

「前方の敵シールド艦、相対速度を保ったまま後退中! 後方の二艦、相対速度を保ったまま追撃中! 振り切れません!」

「艦長っ!」

悲鳴混じりの、事態打開を期待する声に、艦長は反応しない。現在、三角錐のフォルムを持つ緑銀色の宇宙戦艦オルヴィアーゼは、前方斜め左右後方の三方向から包囲されつつ、容赦のない攻撃を浴びていた。何故この様な状況になったのかには、様々ないきさつがある。何にしても、同格のサイズを持つ宇宙海賊戦艦三隻に包囲され、滅ぼされようとしているという事実のみが、今処理すべき現実であった。この艦の性能としては相手に負けては居ないが、しかし三対一で、包囲されているという状況が痛すぎる。

艦長席に座るは、年齢不詳の娘である。髪は深い藍色で、瞳は薄いグリーン。地球時代の人類には考えられない組み合わせだが、現在は珍しくもない。丸眼鏡を掛けた少し丸っこい顔立ちは、整っているわけでもなく醜いわけでもなく十人前。何より覇気のない眠そうでけだるげな目が容姿に魅力を感じさせない最大要因の一つであった。それにくわえて、どういう趣味なのか、口にくわえて上下に揺らしている草の茎も、可憐だとか美しいだとかいった形容を排除する要因の一つとなっている。太ってはいないが、スタイルがよいわけでもない。むしろ哀れなまでにちんちくりんだ。何より、窮屈そうな、白をベースにグリーンで縁取りし、勲章をまぶした軍服がどうしても似合わない。全体的には窮屈そうなのに、袖口などは妙にだぶだぶで、しかし長さが足りなく指先がちょっとだけ出ている状況である。よく見れば、着方と扱いが下手なのだと一目で分かる。本来は丈がきちんとあった軍服なのである。

一方で、隣に立つ恰幅のいい大男が副艦長だ。実に堂々たるカイゼル髭を蓄えた彼は、この上もなく軍服と無数の勲章が似合っている。額の髪の毛は若干薄くなりがちだが、それもまたらしさを協調する要因の一つであった。ゆっくり手を振って指示を任せる艦長に対し頷くと、莫大な肺活量で声を絞り出した。

「AMM六番から二十番まで発射! 対艦ミサイルを打ち落とせ! 対ミサイルパルスレーザー準備!」

「AMM、六番から二十番まで発射! パルスレーザー、出力全開!」

モニターの一つに、迫り来る対艦ミサイルと、それを迎え撃つべく発射されるAMMが映し出される。艦から水平方向に打ち出されると、ミサイルを打ち落とす為に作り出されたミサイルはエンジンより火を噴き、艦に数倍する速度で飛ぶ。そして敵ミサイルの至近で炸裂、相手を爆発に巻き込んで叩き落とすのだ。次々にAMMが対艦ミサイルを迎撃、爆発が虹色の輪となって広がり行く中、それを突破して二発の敵ミサイルがモニターの眼前に躍り出た。悲鳴を上げてとっさに自分を庇うオペレーター。走る二筋のレーザーが、ミサイルを輪切りにし、宇宙の塵に変えたのは直後であった。シールド技術の発達と、対弾装甲の発達によってボタン戦争時代が終わったのはしばらく前の話だが、それでも大威力を誇る対艦ミサイルが間近に迫り繰るのを見て、気分がよい者など居ない。ミサイルを凌いでも、苛烈な攻撃に終わりはない。

「エネルギー弾反応、三十一! 五時方向より接近中! 敵複式主砲によるものと思われます!」

「シールド展開! 凌ぎ切れ! 回避行動!」

「回避行動実行! ……全弾は避け切れません! 直撃、来ます!」

超光速観測技術が完成している現在、宇宙空間の戦闘では、光速で飛ぶビーム兵器ですら必殺とは行かない。ただし、それらを避けるのもまた非常に難しい。足回りが早いオルヴィアーゼですらそうだ。再び艦橋に衝撃が走る。悲鳴混じりの声を上げながら、オペレーターの一人が報告する。

「シールド出力低下中!」

「主砲発射準備。 メインエンジン、第三エンジン、エネルギー投入準備」

その時、初めて場に艦長の声が割り込んだ。少し低すぎ、落ち着きすぎているこの声が、この艦を浮沈艦及び連合でもっとも長い戦歴を持つ英雄にしたてあげている原動力だ。オペレーターはすぐに動く。

「主砲発射準備! エネルギー注入開始!」

「艦長、シールド艦への砲撃は、効果が薄いと思われますが」

「誰も奴に砲撃する等と言っていない。 さっさと準備しろ」

「はっ! 主砲発射準備!」

「第三エンジン出力上げろ」

シールド艦は大出力のシールドを装備している艦で、主に艦隊戦では部隊の盾として活躍する。今眼前にいるタイプの大型シールド艦だと、要塞砲でも一撃なら何とか防ぎきるほどの性能だ。不可解な命令が続く。多少戸惑いながらも、まだ生きているエンジンルームに、オペレーターが艦長の指示を通す。第三エンジンは左舷に設置された補助エンジンで、方向を徐々に右に向ける時に使用する。主砲にエネルギーが集中しつつあるが、同時にシールド艦からは照準がそれていく。敵艦も此方の進路変更に伴い、徐々に方向転換しながら、包囲の体勢を崩さない姿勢を見せた。それに伴い、艦長から更に命令が飛ぶ。

「メインエンジンの出力落とせ。 その分のエネルギーをシールドに」

「は、はい!」

「艦長! 敵右舷後方艦、減速中! 停止します!」

「……! なるほど、そう言う事でしたか」

副長の言葉に、艦長は頷く。彼女は時々指示を出しながら、敵艦を誘導していたのだ。小惑星帯の中に。そして、敵艦の予想進路軌道上に、小惑星が来るように。流石に敵もそれに気付き、包囲を続けたまま進路移動中に小惑星にぶつかって四散、というようなことは避けた。だが、もう勝負は付いた。慌てて進路を変えようとする右舷後方艦。事態に気付かず、腹を向けるオルヴィアーゼに火線の滝を叩き付けてくる左舷後方艦。右往左往するばかりのシールド艦。エンジン切り替えの結果小規模な円運動をしながらの高速旋回が続き、程なく艦の正面に、先ほどまで右舷後方にいた敵艦の姿が入る。ゆっくり立ち上がった艦長が、手を横に振った。爪を綺麗に切って磨いた指先が、空を切る。桜貝のような小さな可愛い爪が、死神の鎌となって敵艦を屠り去る。

「主砲斉射! 第三エンジン停止、メインエンジン、出力全開! 副砲、及び外壁近くにいる人員は、艦中央部への避難を急げ!」

敵艦があわててシールドを張ろうとするが、遅すぎる。それにくわえ、隕石を回避するためのエンジン出力上昇が、シールドへのエネルギー供給を下げているのだ。シールドを張る事が出来ても、何も変わりはしなかったであろう。同サイズの艦では最強の性能を誇るオルヴィアーゼの主砲は容赦なく放たれ、対応が遅れた敵艦先頭部を直撃貫通した。敵艦にオレンジ色に縁取られた大穴があき、火花を噴きながら艦が内側からひしゃげ、間をおかず艦そのものが炸裂した。宇宙に虹色の花が咲く。閃光が戦場を覆い尽くし、海賊艦の砲撃が停止した。僚艦を失った海賊艦はフルに探査能力をオンにし、今の旋回行動で少なからず打撃を受けたはずのオルヴィアーゼを探し求める。だが、彼らは見当違いの方向を探していた。だから見つけられなかった。僚艦の爆発を突破したオルヴィアーゼが、その先へ抜けて逃走したと考えるのが自然。まさか、爆発の中で前面エンジンを噴かして留まり、敵艦が腹を晒すのを待っていたなどとは、百戦錬磨の彼らでも思いつかなかったのだ。傷ついた状態で、灼熱の火球の中に飛び込むだけでも自殺行為なのに、その中に留まるというのである。確かにエネルギー反応はごまかす事が出来るが、正気の沙汰ではない。

オルヴィアーゼの左舷後方に張り付いていた艦は、爆発によって生じた火球のとなりを通り過ぎようとする。探査範囲の外まで逃げたのだと結論したであろう事は、誰にでも分かる。シールド艦も慌ててその後を追う。ひっきりなしに熱による深刻な損害を伝えてくるオペレーターの、悲鳴混じりの声がやかましい。艦長はふたたび手を横に振り、シールドを押さえ被害を拡大させてまで充填していたエネルギーの解放を命じた。

「主砲斉射! 対艦ミサイル、残り全弾発射用意!」

「主砲、蓄積エネルギー稀少、損害深刻です! 多分、これが最後の砲撃になります!」

「構わない。 てえっ!」

再び放たれた光の槍が、回避行動など思いも寄らなかった海賊艦を貫く、しかも側面からである。シールドを解除していた上に、横っ腹に狙撃を受けてはひとたまりもない。例えオルヴィアーゼの主砲威力が衰えていたとしても、である。同時に主砲も自らのエネルギーに耐えきれず、熱で脆くなっていた発射口を内側から吹き飛ばしてしまった。ダメージは発射口に留まったが、主砲制御室から悲鳴が殺到し、今までにない激しい揺れが艦を襲う。しかしこの状況においても、艦長は涼しい顔であり、それが致命的な混乱を防ぐ。エネルギー砲に貫通され、前後に千切れた海賊艦は、小爆発を繰り返し、やがてエネルギー炉の爆散に巻き込まれて宇宙の塵となった。あわてて前面エンジンとバーニアを噴かし、後退しようとするシールド艦に、熱球から躍り出た満身創痍のオルヴィアーゼが、残る全ての対艦ミサイルを叩き付ける。シールド艦は淡い光の幕を張り、防御しようとするが、対応が何から何まで遅い。更に、ミサイルの性能が軍製の物と海賊保有の物では基本的に違う。三体一の状況ではあまり目立った差が出てこなかったが、一対一の今の状況では、歴然たる力の差を伴って現れ出る。五十を超すミサイルの集中砲火と、合わせてエネルギー残量を全く気にせず突撃しながら滅茶苦茶に放たれるレーザーの前に、ついに分厚いシールドが崩壊する。宇宙空間に広がる淡い光の壁の残骸を縫って、四本の対艦ミサイルがシールド艦を直撃。突き刺さって炸裂し、分厚い装甲を無惨に噛み破る。三つ目の火球が、戦場を毒々しく彩った。

「敵艦隊全滅。 当方の勝利です!」

「あ、危なかった……」

勝ったと喜ぶよりも、深刻極まりない被害に、何とか生き残ったと安心するオペレーター達。すぐに生存反応が調べられ、消火活動が始まる。点呼が始められ、悲惨な状況が明らかになってくる。勝利とは言い難い結果だ。事実艦に乗り込んでいた人員三百八十名のうち、実に八十三名が命を落とし、残りも無事な者は殆ど居ない。主砲は失い、エネルギーはほぼ使い尽くし、対艦ミサイルは撃ち尽くし、そして装甲に関しては考えたくないほどに傷ついていた。

「味方より通信。 第三艦隊からです。 救援に駆けつけてくれたようです」

「ようやく来たか、低能が。 状況を説明し、フィランドウォータル星系宇宙軍基地までの牽引を頼め」

頬杖を付いて面白くも無さそうに艦長が呟く。後は任せると言い残し、剛胆に欠伸さえしながら自室に引き上げていく常勝の提督を、苦笑混じりに副長が見送り、細かい指示を出し始めた。しかし、今日の戦闘はこれだけでは終わらなかった。

「……?」

がたがたという音に、皆振り向く。艦橋出口の一つ、居住区へ向かう自動ドアが今までの戦闘の影響で歪み、四分の一しか開かなくなっていたのだ。華奢で非力な艦長の細腕では、どう押しても引いてもびくともしない。強引に通ろうにも、少し体の横幅が間隙に対してあまっている。すぐに艦長は指揮座に戻ると、艦のマニュアルを引っ張り出して読み始めた。副長が恐る恐る言った。

「あの、艦長。 何なら我々で開けますが」

「いや、そんな事よりも、被害の軽減と味方への通信に全力をあげてくれ。 んー、んー、んー。 ええと、このハンドルを右に回して……硬いな。 んー」

確かに指揮官としては正しい言葉だが、照れ隠しが多分に含まれているのは確実。結局艦長の休憩は、味方の艦隊が到着するまでお預けとなった。艦長は自力で、ドアを開けられなかったのである。

艦長は戦闘指揮官としては有能だが、個人としてはとてもぶきっちょである。いつもそれを自分一人で解決しようとして結局出来ない。このため、いつも不機嫌そうな艦長が、一種マスコット的な色彩を帯びてくる。不思議な個性であった。

 

2,ダイエット開始

 

ガス状惑星の衛星軌道上に建造されたフィランドウォータル星系宇宙軍基地が、艦長室に設置されたモニターに映し出される。直径四十キロの衛星を丸ごとくりぬいて作り上げた宇宙要塞であり、内部には重力発生機構も装備され、軍関係者の居住区もある。何度かの大規模な会戦で主要拠点としても活躍した、非常に実用的な要塞である。激戦の結果モニターの調子は悪く、時々画像にノイズが混じり込んだが、同基地であることは問題なく分かる。戦艦オルヴィアーゼの艦長アシハラ=ナナマは読んでいたハードカバーに栞を綴じ込むと、大あくびをしながら自室を出た。

地球人類が宇宙に進出し、様々な種族を蹂躙駆逐しながら勢力を拡大していった、いわゆる(開拓時代)。それより十三世紀を経て、今銀河系には七つの人類系星間国家が存在している。その一つが、百五十億の人口と、千三百五十の星系、十四の宇宙艦隊、八万隻の宇宙艦を保有する北部銀河連合である。千を超す星系と言っても、実際に人が住んでいるのはその三%に過ぎない。残りは無人か、自動資源採掘装置、或いは軍基地が置かれているだけの存在だ。まだまだ人類の技術は発展途上で、どんな星にでも人が住むというわけには行かないのだ。

オルヴィアーゼはそんな連合の戦艦にて、英雄の二字を冠すに相応しい存在である。

同艦の歴史は古い。三世紀前に、七つの星間国家が統合し連合が誕生してすぐに建造され、今まで何度と無く改良と機能追加を行われ、同国の主力艦を勤め上げてきた。艦の型式は現在銀河系における上から二番目の(木星級)に分類されるが、船員の練度、武装の精度、いずれをとっても恐らく同型の中で最強の性能を誇る。初代艦長アースマルズが不世出の英雄であった事に始まったこの艦の伝説は、十二人の歴代艦長を経てもまだ健在で、現在のアシハラ艦長の元でも揺らぎはない。一方で船員の死亡率の高さも有名であり、オルヴィアーゼに配属される者は名誉を得ると同時に死神の友になるとも良く言われる。どちらにしても、同国を代表するこの戦艦は連合随一の知名度を誇る存在であり、この艦を主役に作られた映画だけで十を超えているのである。

二十五年間続いた、隣国氾銀河央制永世法国との戦争が一段落した現在、オルヴィアーゼの主任務は艦隊戦ではなく、主に宇宙海賊の掃討になっている。宇宙海賊というと、実際には軍の目を盗んで民間船を襲撃し、警備艦が駆けつける前に逃走するといった連中が殆どだが、連合辺境であるこの近辺にいる者達は違う。以前この星系にあった小軍事国家、パルツアル同盟が瓦解した事によって、高度な軍事技術に裏打ちされた最新兵器が大量に拡散した為である。流石に現在の軍の最新装備に比べると旧式だが、並の海賊に比べると装備の優秀さは段違いである。海賊も元ゲリラや軍人である者が多く、特に同盟時代に培われた他星系への差別意識と支配意欲が強く、襲撃は精密かつ残虐を極めている。戦争が終わった後、軍がこの宙域にオルヴィアーゼを始めとする主力級の戦艦を複数投入したのは当然の事で、それでもまだまだ掃討作戦は完了していない。パルツアル星系主星に駐屯する軍部隊が解放軍を気取るテロリストに襲撃を受ける事も珍しくなく、オルヴィアーゼの忙しい日々は続いていた。そして昨日、オルヴィアーゼは単体で巡回中に、待ち伏せしていた三隻の海賊艦に襲われる事になったのである。

スクラップ寸前まで追い込まれたオルヴィアーゼが、タグボートに牽引されて、軍基地ドッグに接舷する。接舷の瞬間、船は激しく揺動し、仏頂面で指揮シートに座っていた艦長は激しく椅子の背に体を打ち付けていた。特に頭を強く打った為、鈍痛は相当なレベルに達した。健康そのものなピンク色の指で頭を抱えてシートに蹲る艦長に、不安げな瞳を副長ハズヴァール=ギュントが向ける。

「大丈夫ですか、艦長」

「すごくいたい」

「今の衝撃で、外壁の一部が剥落しています。 閉鎖したエリアの空気が漏れだしている模様」

「もう一揺れ来るぞ、気をつけ、ふぐうっ!」

警告を飛ばした艦長自身が、空気の吹き出しによる再度の揺れで指揮シートに頭をぶつける。眼鏡のレンズ製造技術は地球時代と比べ者にならないほど進歩しており、この程度の衝撃では割れないし壊れない。しんとする艦橋の中で、真っ赤に腫れ上がったおでこを撫でながら、涙目で艦長が顔を上げた。威厳は欠片もない。振るえる指先で、眼鏡をなおしながら、艦長が言った。

「全員下艦を許可する。 今より四十八時間の待機後、通常任務に復帰する事」

疲れ切った表情で、乗員が下艦していく。彼らに続いて、戦死者を乗せた棺も順次下艦していった。言うまでもない事だが、宇宙戦闘で死体が残る事はむしろ幸運な事になる。下艦後の二日休暇は連合宇宙艦隊の伝統だが、しかし本当に休む事が出来る者がいるかどうか。多くの者は、同僚の死に悲しみを抱き、悶々と二日を送るだろう。激しい戦闘の後には、心を病んでしまう者も少なくない。艦長の愉快な言動で、それらが僅かでも回避出来るのは、悲劇の中の救いであった。

一般の兵士はこれで短時間の休暇だが、艦長と副長、それに一部の幹部は、これから更に仕事がある。戦闘の過程を纏めて報告書にし、戦死者の遺族に連絡文書を出さねばならない。更に戦闘記録から敵艦の情報を割り出し、撃破報告書も出す必要がある。大きく嘆息しながら、艦長は軍本部に出向く。本部は軍事衛星の中央部に作られているドーム状の建物であり、五十七階建て、千人ほどの人員が常に務めているほど巨大なものだ。開きにくくなっている戸やがたついている階段に苦労しながらボロボロになっている艦を降りると、士官にのみ貸し出されている軍用自動車に副長と一緒に乗り込み、携帯端末のプラグを自動車のコネクタへと差し込む。運転席に乗った副長が無言でエンジンを掛けるのを見ながら、艦長はどんくさい動作で作業に取りかかっていた。艦を降りた頃には、既にオルヴィアーゼのコンピューターは本部のコンピューターと接続されている。その中の一つ、戦術コンピューターにアクセスしながら、副長に言う。

「ダイエットするぞ」

「は? はあ、ダイエットでございますか?」

「そうだ。 ダイエットするぞ」

軽妙なエンジン起動音の中で、艦長は頷いた。アシハラ艦長は年齢不詳の見かけだが、もう三十路だ。体内に入れて老化を防ぐ特殊な医療ナノマシンの普及と働きで現在人類の生体寿命は百五十才を超えており、艦長も見かけはともかく肉体的には地球時代で言う二十代前半から十代後半くらいの若々しさを保ってはいる。ただ、肉体は健康そのものであるが、何しろやせっぽっちで非力なので、むしろもっと肉を付けた方がよいのではないかと良く周囲に言われる。ダイエットとは完全に無縁な人種なのだ。

「今、戦闘記録を洗っているが、本当は洗う必要もない」

くわえた草の茎を乱暴に上下に揺らしながら、アシハラは言う。

「とりあえず、軍内部にいるバカの洗い出しは後回しだ。 今回の戦いは、むしろ奇貨と言って良い。 この機に、根本的にダイエットを実行しておくぞ」

「……ああ、なるほど! そう言う事でしたか!」

「何の事だ」

副長の顔に理解が浮かび、艦長が不機嫌そうに大きく草の茎を揺らした。艦長が言っているダイエットとは、自身の事ではない。オルヴィアーゼに対するものなのである。艦長は草の茎を食いちぎらないように注意しながら、腹の中のもやもやをぶちまける。

「そもそも、私は気に入らないと言っていたんだ。 上層部の指示の元、下らない機能ばかりどかどかと追加しおってからに。 おかげで戦術コンピューターには負担がかかるし、オペレーターは数値を間違えるし、時には誤動作すら。 ああ、いらだたしい!」

「確かに今回の戦闘でオルヴィアーゼは、以前の会戦よりかなり動きが鈍かったと小官も感じておりました」

「だろう? 本来だったらあんな危険な戦術を採らなくても、速攻で正面のシールド艦を粉砕するか横を抜けるかして、逃走するか後方に付いていた敵の更に後ろに回り込むかしたかったんだ。 それが無駄な機能のせいでエンジンの出力が落ちに落ちて、危険な手を取らざるを得なかった。 戦死者の半分も、上層部の無能生命体共に殺されたようなもんだ」

艦長が、車のシートに小さな拳を叩きつけた。半強制的に同意させられた副長は、シートに傷がないのを見て少し安心して息を吐いた。まあ、それは杞憂とも言える。軍用車は、艦長のちっちゃな拳で傷付けられるほど柔ではない。

実のところ、艦長にしてみれば今日初めて吐く愚痴ではない。似たような言葉は、以前からこぼしていた。ただ、今回は今までと違い、かなり不利な状況下での戦闘であり、故に以前からの不満点が生じた大きな被害と露骨に混じり合った感がある。

巨大な本部の建物が見えてきた。相変わらず悪趣味なボールだとごねながら、艦長は窓を開けて、遠くの空を飛んでいく宣伝用ガス式飛行船を無邪気かつ物凄く嬉しそうに視線で追った。

 

スムーズに地下駐車場に車を止める副長の運転技術を適当に褒めると、艦長は敬礼する警備兵に敬礼を返しながらエレベーターに乗り、一気に四十七階へと出る。ここから先は、副長は同行出来ない。アシハラの階級は少将だが、副長ハズヴァールの階級は中佐に過ぎず、将官のみが立ち入りを許可された四十七階へは入れないのだ。

入り口のカメラに網膜を映し、身分証を呈示して、ようやくエレベーターの前に設置された頑丈な扉が開く。四重の扉は開くのにも時間を要し、イライラしながら艦長はつま先でリズミカルに床を叩き続けた。

四十七階の構造自体は極めて単純である。大きな司令官室と、それを円状に取り巻く通路。通路には完全武装のロボットが配置されていて、前を通り過ぎるたびに身分証を呈示しなくてはならない。口を尖らせて文句を言いながら艦長は司令官室に入り、茶を啜っていた第三軍司令官ルパイド大将に敬礼した。

「アシハラ少将、ただいま帰還しました」

「はい、アシハラさん。 今回の任務は大変だったと聞きました。 お疲れさまです」

やかましいっ! 裏切り者と余計で無駄な装備のせいで、余裕で勝てる戦にさんざんな被害を出したわ! どうしてくれる、この無能生物!

自らの姉であり、ライトブルーの美しい髪を持つルパイド=ナナマ大将にアシハラは食ってかかった。妹と違い、大人の魅力溢れるルパイド大将は、荒れ狂うちんちくりんの艦長の怒りをかるがると受け流す。どちらかといえば長身のルパイドとアシハラを並べ、姉妹だと外見だけで判別出来る者は少ない。かっての基準だと、二十代後半に見えるルパイドは、自らの美しい髪をくるくると指で巻きながら言った。

「裏切り者に関しては、今内偵を進めています。 正式な審議はこれからですが、オルヴィアーゼが不自然な待ち伏せ攻撃を受けた事、2ヶ月はオルヴィアーゼが動かせない状態になった事は事実で、貴方の指揮能力に問題があったわけではないともすでに戦術コンピューターが結果を出しているので、反対するものも居ないでしょう」

「今回のオルヴィアーゼ再生修理は、小官も設計段階から参加させて貰う! いいな、姉さんっ!」

「そうはいっても、あまり無茶な資金は出せませんよ?」

「その逆だ! この機にダイエットする! くだらん機能を根こそぎ落として、動きやすい状況に戻すんだ!」

姉があまりいい顔をしないので、更にアシハラの苛立ちは募った。姉の考えている事も分かる。そもそもオルヴィアーゼは連合の中核を為す戦艦であり、軍のスポンサーである企業が幾つも宣伝がてらに出資している。ごてごて余計な機能が付いたのも、華々しい功績を挙げ続けるオルヴィアーゼを広告塔にするべく、スポンサー共が発憤した結果だ。である以上、スポンサーの顔を立てる為にも、今までは追加される意味のない装備を容認してきた。何故か揚陸用の支援掃討砲が追加された時も、アシハラは黙っていた。どういうわけか速度が遅い小惑星破壊用の重力弾が追加された時も黙っていた。使いもしない強襲接舷用の装甲粉砕レーザーが取り付けられた時だって我慢した。あげく陸上戦用の超高精度レーダーが追加された時だって、静かに我慢した。しかしこれらの装備が、オルヴィアーゼの十八番である艦隊戦で一体何の役に立つというのだ。事実殆どの装備は実戦投入されず、CM目的で行われた訓練時にのみ意味がない性能を発揮してスポンサーを喜ばせ、戦術コンピューターとオペレーターに無意味な負荷を掛け、そして今回の被害を招いたのである。

万能戦艦。実に格好が良い響きだが、そんなものが目的に特化されて作り上げられた艦に遠く及ばないのは、数百年も前に証明されている。大型戦艦四十隻分の資金と資財をついやして作り上げた超巨大万能戦艦が、攻撃用に特化した荷電粒子砲艦わずか三隻に撃沈されてからと言うもの、その手の大艦巨砲万能主義は愚の骨頂とされてきたはず。撃沈された超巨大万能戦艦(グレート・ガルガンチュア)の名を取って、ガルガンチュアニズムと言われた悪弊を、今また甦らせてどうしようというのだ。

「剣幕は認めますけど、どうやってスポンサーを説得するつもりですか?」

「そんなの知るか! ていうか、姉さんの仕事だろう!」

「知りません。 自分の艦の事は自分でしなさい。 責任は自分で取るように、といつも言っているでしょう?」

突き放したような物言いだが、むしろアシハラはにっと口の端をつり上げた。姉妹の符号という奴である。自己責任の範囲内で好き勝手に暴れて良いというお墨付きを貰ったアシハラは、きびすを返すと司令室を大股で出ていった。

幾つかの階で雑務を済ませた後、地階でエレベーターを降り、副長と合流する。たばこを吹かして待っていた副長は、大股で歩くちんちくりんの艦長に併せてゆっくり歩き、言った。

「首尾は如何様でしたか?」

「問題ない。 無能な上層部の中では、多少は話せる相手だ」

「あのルパイド大将が無能、ですか?」

「言葉の文だ、気にするな」

第四次フィランドウォータル星系会戦で、三倍の戦力差をひっくり返して完勝を手にした英雄を、流石に本音から無能呼ばわりする勇気はアシハラにもない。今回彼女が遭遇した状況よりも厳しい戦闘に耐え抜いた英傑だ。英雄は英雄を知る。アシハラは、口では悪く言っているが、ルパイドを尊敬し認めている。この世の誰よりも。無能というのは、スラング以上の言葉ではない。再び警備兵達に敬礼すると、車に乱暴に乗り込む。懐から取りだした新しい草の茎をくわえると、古い方をゴミ箱に放り捨て、アシハラは言った。

「修理ドッグに向かうぞ。 確かさっき見た情報だと、今日はキルト技術大佐が詰めているはずだ」

「今確認した所によれば、その情報で正しいようです。 すぐに向かいます」

「うむ。 奴なら多少おだてれば、いいように扱えるだろう」

「いつもながら、もう少し言葉をお選びになってはどうですか」

あきれ果てた様子の副長に敢えて応えず、車の窓を開けて艦長は外を見やる。もう飛行船はいない。がっかりした様子の艦長に、副長は付け加えた。

「修理ドッグには、三十分ほどで到着します」

「あー。 飛行船、何処に行ったのだ? 副長は何か知らないか?」

「知りません」

 

3,ダイエット続行

 

修理ドッグには、無惨な姿となったオルヴィアーゼが停泊していた。既にずたずたに切り裂かれ彼方此方溶解した装甲板の取り外しが開始されており、内側から破裂した主砲砲塔もまたしかり。普通の戦艦だったらスクラップにされている所だが、何しろこれは三百年以上の戦歴を誇るオルヴィアーゼだ。連合の中核戦艦にして、四十を超える会戦に参加し、同格の戦艦だけで六十七隻を撃破した最強のファイターシップである。格上である太陽級の戦艦すら、七隻を撃破している文字通りの連合の看板。歴代の艦長だってアシハラを含めて皆超一流の人材が揃えられていた。それをやすやすと壊すわけには行かない。中枢部を取りだして、使える部分は再利用して、新しく部品を追加して、また一線級で使うのである。

今までも何度と無く似たような危機に落ち、その度に修理と補修とヴァージョンアップをくり返し復活してきたオルヴィアーゼ。アシハラの記憶が確かならば、九回の根本的バージョンアップを行っている。アシハラが艦長になってからヴァージョンアップをしたことはないが、根本的な技術革新があった時には艦が無事でも解体してヴァージョンアップをする事が過去何度かあったとも聞いている。一方で、スクラップ寸前まで壊された事も七回あり、そのうちの二回では艦長が戦死している。

「磁力靴をお忘れ無きよう」

「分かってる。 同じ失敗は二度しない」

副官の言葉に、新しくて瑞々しい草の茎を上下に揺らしながら、アシハラは言う。ドッグは作業に対する利便性を確保する為、重力を軽減している。そのため、訓練を受けた作業員以外は磁力靴を履く事が義務づけられている。以前ドッグを訪れた際にそれをうっかり忘れたアシハラは、天井に頭をぶつけて酷い目にあった事がある。しかもこういった場所では慣性がそのまま働いている分、余計に衝突事故は痛いのだ。

「ああーら、アシハラちゃん。 お久しぶりねええ。 心配してたんだからあああ」

「来たな……」

くねくねとまがりくねるテノールで、しなをつくる声。アシハラはげんなりして振り返り、いきなり抱きすくめられた。何とか草の茎を口から離さないようにして、作り物の豊胸の中でもがく。長身、二メートル近いこの巨漢が、キルト技術大佐だ。女装癖は公認されたものであり、相当な技術だが、しかし元々の作りがどうしても筋骨隆々四角い顎の男性なので、強烈なインパクトを見た人間に与える。ちなみに妻と三人の子供が居る。奥さんは非常に落ち着いた大人の女性で、夫の趣味を笑顔で許してくれるのだとかで、世の夫諸君にとっては実に羨ましい話だ。たくましい腕に抱きしめられて脱出ならないアシハラは、やっとの事で喉の奥から息を吐き出す。

「やめんか、暑苦しい!」

「いいじゃなーい、あたしとあなたのな・か・な・ん・だ・し♪」

「は、な、せええええええええ!」

「いやーん、かああああ、いいー! 父性本能をくすぐるわああ!」

キルトは髭が濃い。結構まめに剃っているという話だが、それでも強烈な摩擦を覚えて、艦長は涙目になって暴れた。見かねた副長が、落ち着いたバスで助け船を出航させる。

「キルト技術大佐、今日は遊びに来たわけではありません」

「あら、そうなの?」

不意にキルトが力を緩めた為、暴れていたアシハラはおもいっきりはじき返される形で飛び出す事となり、逆立ちした状態で壁に正面衝突してずり落ちた。無言のまま立ち上がって、振るえる指先で眼鏡を直すアシハラの前で、直立不動にて敬礼するキルト。真面目に振る舞おうと思えば、幾らでも真面目になれる男なのである。

「失礼いたしました、アシハラ少将。 本日のご用件は何でしょうか」

「……ダイエットするぞ」

「はあ、ダイエットですか? 小官の知る所によると、閣下は充分に痩せており、ダイエットの必要性は薄いと感じますが」

「おまいは分かってて言っているな! オルヴィアーゼをダイエットするといっとるのだ私は!」

「なるほど、そう言う事でしたか。 閣下の思慮に到達出来ず、失礼しました」

ウィンクすると、キルトは艦長と副長を揃って主任技術者室に招いた。どピンクに統一された部屋かと思えば、普通に機能的な高級軍人の執務室で、少しだけ安心してアシハラは執務デスクの向かいに座った。座ってみると、スムーズに回転する愉快な椅子であり、思わず艦長は椅子をくるくる回して遊んでしまう。しばし一人遊びで楽しむと、艦長は咳払いした。艦長の奇行に慣れている副長もキルトも、何も言わない。

「まあ、大佐も分かっているとは思うが、今回の大損害の原因は足回りが非常に悪くなった事にある。 余計な装備を付けすぎて、艦が重くなりすぎたのだ。 そこで、だ。 ダイエットをしたいのだが、何か良い案はあるか?」

「うーん、難しい所ですねえ。 まず第一に、もう修復設計図は来ているのですけれど、現状維持が指示されています。 ある程度の艦長による設計介入は許されていますけど、これを大幅に介入補正するとなると、流石にスポンサーが黙っていませんよ。 軍の上層部だって、きっと同じでしょう」

「んな事は分かっている! だからおまいに相談にきたんだろうがっ!」

草の茎を噴き飛ばしかねない勢いで、アシハラが机を叩く。戦闘時のタフさが嘘のような気の短さだ。さっきまで大喜びでくるくる回っていた娘と同一人物とも思えない。やれやれと頭を振る副長を睨み付けると、艦長は更に言った。

「戦争だから、死人が出るのは仕方がない事だ。 だが欠陥のある装備を使って、無駄に部下を殺したくないのだ。 どれも使いようによっては一流の装備だと言う事は知っているが、それも使い道がない状態で無闇に集まると時に味方へ牙を剥く凶器となり果てる」

「確かに、不要な装備が搭載されすぎているという点に関しては、小官も以前から思う所がありました」

「だろう?」

「……分かりました。 今大まかな案を出してみましょう」

敬礼してキルトが言うと、アシハラはゆっくり頷いて、腕組みして椅子に座った。またくるくる回り始める艦長に、顎を撫でながら考えていたキルトは、数分のブランクをおいて言った。

「例えば、システムを区画分けするのはどうでしょうか」

「ん? 区画分け?」

「はい。 いっそのこと、不要装備はまとめて制御するようにしておいて、普段使う実戦装備は戦術コンピューターの主要区画に納めておくのです。 後の制御システムは、圧縮でもして、もしも使う時にでも呼び出せば良いでしょう。 エネルギー供給と戦術コンピューターの負担はこれで押さえる事が出来ます。 オペレーター対策には、ダミーの情報を流すプログラムでも私が組んでおきます。 ただ、兵器をおくスペースの問題がありますが」

「なるほど、確かに面白そうな案だが……実行出来るのか?」

スポンサーの監査員は、時々思い出したように抜き打ちで様子を見に来る。更に、完成の際にはシステムをチェックにも来る。オペレーターの中には、当然スポンサーに情報を売る者もいるだろう。もしばれたら、厳重注意どころでは済まない。多分スポンサーから圧力が掛かり、別の部署に左遷されるだろう。だが、そんな事は怖くない。これ以上無駄な損害を出すわけには行かないのだ。

「十日ぐらいは掛かるかと。 何しろ、小官一人で行わなければならないかと思いますので」

「ふむ……そうか。 分かった、後で個人的に礼をさせて貰う。 何と言ったか、あの高級なくまのぬいぐるみ、あれでいいか?」

「ああーら、うれしいいいん! アシハラちゃん、愛してるー!」

「だああああかあああらああああ、抱きつくなー! は、な、せえええええええ!」

再び逞しい腕に抱きしめられ、脱出も出来ずに艦長はもがき苦しむのであった。

 

副長とも別れて、高級士官用にあてがわれている宿舎に向かう。三十代の将官は現在連合内部でも彼女を含めて七人しかおらず、そのなかでも彼女が最も年下だ。二十代の将官は現在連合に存在しないから、一番年若い将軍が彼女と言う事になる。

ドアに親指を押し当て、指紋及びDNAを照合して、鍵を開ける。家にはいる時に、体を簡易スキャンされ、結果警備機構が解除される。

「おかえりなさいませ、アシハラ少将」

「んー、ただいま。 風呂つけといてな」

頭を下げる執事ロボットに上着を預けながら、部屋に設置されている家庭用コンピューターに指示を出す。家政婦の格好をした執事ロボットは、アシハラの希望により、彼女より背が低い女性型が選ばれている。家でまで大きな男に見下ろされたくないし、大きな女にも見下ろされたくないのだ。兎に角姉に見下ろされて育ったので(向こうに悪意はなかったのだが)故に今は無音の反発がこういう形で現れている。

「ライト、点け。 テレビ、全チャンネルオープン」

ソファにぽんと腰掛けて、バネの感触を楽しんでいるうちに、壁面にセットされたテレビがチャンネルを画面上に分割して付く。あるチャンネルは踊り狂うアイドルグループを映し出し、あるチャンネルはニュースを映し出す。その中には、昨日の戦いの様子をレポートしたものもあった。海賊艦が火球になった所で、過剰防衛ではないかと騒ぐレポーターもいたが、失笑ばかりがこみ上げてくる。最後のシールド艦にしても、軍の一線級装備と交戦するほどの性能であり、こんなものを逃したら非武装の民間人に多大な被害を及ぼす。更に、増援を呼ばれていたら、此方が負けていた。あの時点では、一気に撃沈する以外の選択肢はない。わざわざ声高に説明する必要もない、正しい事であった。そしてそれを理解してくれる人が、姉を始め何人かいる。だからアシハラはそれで良かった。

そのまま執事ロボットに命じて、ワインを持ってこさせる。風呂に入る前に、高級なワインを一口だけ頂くのが最近の密かな楽しみであった。下士官の頃はこんな豪華な生活は出来なかったので、今は思う存分満喫する事にしている。

「携帯端末」

「はい。 アシハラ少将」

ワインを飲み干しながら、端末から今回の戦死者達の名前を呼び出す。それを自分のパソコンに移し換えて、テレビを消し、それを代わりに映し出す。戦いが終わり、帰宅してからの、それが彼女の日課であった。ワインを飲み終えた頃、頬杖を付いてモニターを眺める彼女の頬には、いつのまにか涙が伝っていた。

 

4,ダイエット完了

 

ふかふかのベットで、うさぎさんの等身大抱き枕を抱きしめて眠るアシハラ。だが、決して寝顔は安らかではない。このうさぎさんの抱き枕は、実は初任給で買った物であり、同僚達に随分バカにされたものであった。当時の同僚の半数はもう生きておらず、残りの全員も彼女より既に階級が低い。どんな嫌な奴も、死んでしまえば悲しいものである。何度もアシハラはそれを思い知らされてきた。夢にも、いつも見る。

彼女が小学校に入った頃、法国との戦いが本格化した。最初戦争は連合が優勢であり、何処の要塞を占領したとか、何処の会戦で勝ったとか、景気のいい話が幼いアシハラの元にも訪れていた。だが、小学校四年に入って三ヶ月ほどした時、法国の名将ブリームヒルトが直属の三個艦隊を率いて猛攻に転じ、勝ちに奢っていた連合の艦隊を各所で撃破した。慌てた連合は法国首都の攻略を一時諦め、軍を纏めてブリームヒルトとの直接対決に乗り出したのである。ブリームヒルトの進軍は急を極め、何とかその後備を連合の第七艦隊が捕捉したのが、アシハラの住んでいたフィバーサルド星系であった。最悪な事に住民が多数暮らしている第二惑星の衛星軌道上が主戦場になった。しかも、連合側の部隊は続々と到着、ブリームヒルトの艦隊を包囲しつつ、惑星軌道上で追いつめようとした。戦いの火の粉が飛んできたのは、必然であったかも知れない。法国の太陽級戦艦が十三発のミサイルとオルヴィアーゼ主砲の直撃を受け、第二惑星首都に墜落、爆発したのである。民間人の死者だけで一万人という悲惨な事件であった。

 

幼いアシハラは、その時疲れていた事もあり寝込んでいたが、頬を数度叩かれて目を覚ました。ぼやける視界が次第にはっきりしてきて、徐々に姉の顔が至近に見えてくる。同時に、足に鈍痛が走った。

「あつっ!」

「起きて、アーシィちゃん。 早く」

「おねーちゃん、いたいー」

目を擦りながら足を見る。眠気が一片に吹っ飛んだ。硝子の破片で、足は大きく切り裂かれ、血が布団にぶちまけられていた。周囲を見回すと、更に悲惨な光景が広がっていた。部屋が半分無くなっていたのである。自分を抱きしめ、真剣な顔で周囲のものを纏める姉。その意味を知ったのは、偶然それが目に入ってしまってからであった。

父が、潰れていた。

何度幼心に死んでしまえと願ったか分からない、アル中男。ギャンブルに母の稼ぎを全てつぎ込み、家ではアルコールを呷って暴力ばかり振るっていたろくでなし。それが、潰れた部屋の瓦礫から、器用に体の右半分だけだして潰れていた。遠くから聞こえてくるサイレンが、父の体中にまぶされている鮮血が、何より眼窩から飛び出している眼球が、妙に現実感を与えてはくれなかった。体が震えてくる。足の痛みが、どうでも良くなってくる。

「大丈夫、お姉ちゃんが側にいるからね」

「お、おかあさん……は?」

「……さあ、避難所に行きましょう。 向こうに行けば、大丈夫だから」

敢えて姉が言葉をそらした意味を、幼くとも頭だけは回ったアシハラは、いやという程悟っていた。

へたりこんでしまうアシハラを手際よく背負うと、姉は荷物を前に抱え、靴を乱暴に履き、パジャマのまま外に飛び出す。外に出て、より大きな惨状が見えてきた。明々と染まる街の空。衝撃で崩れ、吹っ飛んだ家々。アシハラの家に飛び込んできたのは、それらの破片の一つであったのだ。消防車が走り回り、警官は総動員されて必死に人員整理を行っていた。手際よい姉の行動で、何とか避難所に入り込む。周囲は怪我人の山であり、医者と名が付く人間は総動員されて治療に当たっていた。足がない者も居た。手がない者も居た。首がとれかけている者も居た。血の臭いが濃すぎて、鼻がおかしくなっていた。

ふと、隣を見る。小さな子供が寝かされていた。その隣で親らしいおばさんが泣いていた。視線をゆっくり移動させ、一瞬後に後悔する。その子には、腰から下が残っていなかったのである。しかも、子供はまだ生きていて、血だらけの手をアシハラに伸ばしてきた。ひゅう、ひゅうと呼吸音がした。

「ひ、ひっ! ぎゃああああああああああああああああああああっ!」

絹を裂くような悲鳴が、アシハラの喉から迸った。今更ながら、であった。

 

汗まみれになって起きたアシハラは、また昔の夢を見た事に気付いて、うさぎさんのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。恐怖と後悔が、内臓の下から沸き上がってくる。シャワーを浴びて汗を流す事にして、執事ロボットを呼びつける。コップに水を一杯もってくるように命じると、アシハラは再びベットに横になった。うさぎさんを抱きしめる力が心なしか強くなる。

あまりにもこの夢ばかり見るので、一時期不眠症になった、恐怖の顕現。それ以来ホラー映画など怖くも何ともなくなった、強烈すぎる幼児体験。どうしてあの可哀想な子供を怖がってしまったのだろうという、痛烈すぎる後悔。

悲惨な事故からしばしして、街は平穏を取り戻した。軍人になった姉の稼ぎで暫くは暮らしていたが、適正がある事が分かったアシハラは自分から軍に志願した。

浮気ばかり繰り返す淫売な母と、ギャンブル狂でアル中の父。彼らから解放されたというのに、気は全く晴れなかった。強烈な幼児体験は人格に大きな影響を及ぼし、いつのまにかアシハラは幼児退行、成長拒否の傾向が見られるようになった。アシハラの無意識が、退行する事で恐怖の意味を理解出来ないように、真実から逃げられるようにとし向けたのである。色々な意味で無駄な努力であったが、それでもそのお陰でアシハラは致命的な崩壊をせずに済んだ。ちんちくりんのまま大人になってしまったし、幼稚な言動が目立つようにはなったが、それも仕方がない事だったのである。長期のカウンセリングの結果、今は過渡期にあると医者に言われている。本来の精神と、幼子としての精神が混じり合い、共存しているというのだ。今後どうなるかは分からないとも。大きく息を吐くと、アシハラは枕元にある薬瓶を取る。白い錠剤が一杯詰まった茶色の瓶。錠剤の正体は精神安定薬だ。執事ロボットが差しだしたコップを取って、二錠を喉に流し込む。高鳴っていた心臓が、徐々に落ち着いていった。

シャワーを浴びて、私服に着替える。以前キルトにおしつけられた、ひらひらのどピンクドレスは流石に普段着として着る気になれないので、普通のパンツルックにタートルネックの黒いサマーセーターをのそのそとぶきっちょに着込む。普通の人間の倍くらい時間を掛けて作業を終えると、ソファに腰掛けながら、草の茎を取りだし口にくわえる。これが一番、心を落ち着かせるのに効果がある。草の茎は昔は花屋から取り寄せていたのだが、最近は工夫して自分で育てていて、金がかからない。貧しい中苦労した経験があるアシハラは、ぶきっちょなのにこういう所で几帳面だった。

「今日はどうするかな……」

ソファに深く腰掛けると、テレビを一チャンネルずつ回していく。一片に全チャンネルを映さないのは、単にそう言う気分だからだ。目に止まった番組の一つに、ドキュメンタリがあった。姉ルパイドが指揮を執り、法国との戦いが終わる原因になった第四次フィランドウォータル星系会戦を特集したものである。アシハラにとっても、感慨深い戦いである。何しろ因縁深いオルヴィアーゼの艦長になってから、ずっと探し求めていた獲物、ブリームヒルトを彼女が仕留めた戦いだからである。草の茎を上下に揺らしながら、アシハラはぼんやりと画面に見入る。軍事研究家とやらが、兵力分布を示すモニターを棒で差しながら、詳しい解説を付与している。

「法国の名将ブリームヒルトも、この頃は判断力の低下が目立ち、兵力運用に鈍さが生じていました。 ルパイド中将(当時)は劣勢の味方を良く纏めながら反撃のチャンスを伺い……」

そして機を見計らって敵中に精鋭部隊を投入した。精鋭部隊は混乱する敵中枢を突破し、その時太陽級戦艦ノゼに乗っていたブリームヒルト元帥を、オルヴィアーゼ艦長になったばかりのアシハラが死闘の末仕留めた。結果、それが決定打になり、法国軍は総崩れになった。年齢としては異例と行っても良い少将にアシハラが抜擢されたのも、その功績によるものだ。

その時も、四十人以上死んだ。火球になるノゼを見て沸き上がる部下達の中で、アシハラは一人冷めていた。今回も八十人以上が死んだ。その度に、アシハラは部下の名前をモニターに出し、覚えた。その度にあの夢を見て、何度かは吐いた。自分の命は惜しまないが、部下がこれ以上無駄に死ぬと悲しい。普段の行動からは想像も出来ないが、それが艦長の本音であり、危険を冒してでもダイエットしようとする行動の原理であった。そして、本気であるが故に、実行には慎重にならざるを得ない。地獄を見たアシハラだからこそ、痛みや恐怖を味わう意味を知っていた。

アシハラは、そんな娘であった。

 

時間はあっという間に過ぎていった。その間一般の兵士達は警備の任務に就いたり、シミュレーターで英気を養ったり、訓練を行ったり。アシハラはデスクワーク組の軍人と様々な打ち合わせをしたり、或いは暇を見ては副長と一緒に修理ドックに向かい、オルヴィアーゼの状況を確認した。

装甲板が張り替えられ、使い切ったミサイルが補充される。主砲は丸ごと交換され、内側から破裂した旧砲塔は博物館に展示されるとかでトラックに乗せられ、運ばれていった。今日来る途中寄ったぬいぐるみやさんで貰ったストラップを楽しそうに上から下から眺めていた艦長は、不意に視線をオルヴィアーゼに戻す。

「うん?」

「艦長、いかがなさいましたか?」

「あー、みろ、副長。 シールドユニットが、別の型式になっているようだが」

「ヴァージョンアップするのでしょう」

「またくそ無能なスポンサー様のご意向か。 どーでもいいけど、きちんと使える型式だろうな」

アシハラは副長に対して、使える型式かどうかの返答を期待していたので、段階をおいて聞きたださなくてはならなくなった事に多少の苛立ちを覚えていた。熟練の軍人である副長だが、これではまだオルヴィアーゼの指揮を任せるわけにはいかないだろう。副長に対しては、そう言った返答が要求される。艦長が有能すぎると、大変に厳しいポジションである。

「実戦での成果を上げている型式です。 出力は今までと同様、展開速度が若干早まる事を期待出来ます」

「うむ……」

配電盤が取り替えられる。これについては、アシハラは黙っていた。

そして二ヶ月後、オルヴィアーゼは復活した。以前とほとんど違わぬ、ただ僅かに、絶対的な改造を携えて。不沈艦が密かにダイエットを行った事を知る者は少ない。だが、それによって、この後の戦にわずかな影響が出たという意味では、価値のある事例であった。

 

5,リバウンド防止

 

パルツアル星系において、再びオルヴィアーゼの勇姿が見られるようになると、連合の第三艦隊における士気は確実に上がった。更にオルヴィアーゼの高性能な装備は、以前の戦いで艦が大破した際にも、様々な情報を拾う事に成功していた。その中の一つ、シールド艦が爆発の寸前に送った悲鳴混じりの通信から、二ヶ月間かけて第三艦隊は海賊の本拠地を割り出した。ルパイドは自らも二十三隻の撃沈記録を持つ名艦パームハームに乗りこむと、オルヴィアーゼの麾下に三十隻を配置、大小千隻の圧倒的な大軍を持って出撃した。これは分艦隊を構成出来るほどの戦力であり、法国との戦いが終わった現在としては最大級の動員数となる。

宇宙海賊内部での長年の抗争の結果、三つあった組織が一つに統合されている事までは今までにも分かっていた。問題は根拠地だ。パルツアル星系の何処かにある事までは分かっていたのだが、それ以上は不明であった。致命的だったのは、皆の視線が、第三惑星と第四惑星の間に広がるアステロイドベルトに向いていた事である。太陽系のものほどではないが、五十五万を超す小惑星を浮かべるアステロイドベルトの何処かに連中が基地を作っていると皆思いこんでいたのだ。明らかになった情報によると、海賊は中規模の要塞を、カイパーベルト地帯に構築していた。最辺縁にある第九惑星の外側にある、太陽系によく似た彗星の巣に、連中の本拠地はあったのである。ちなみにこの情報をもたらした艦は、十隻以上の海賊艦に襲われ、撃沈されている。法国側にも警戒を要請し、敵の進路を丁寧に塞ぎながらルパイドの艦隊は進み、やがて決戦の時がやってきた。

 

オルヴィアーゼは三十の僚艦を従え、アステロイドベルトを無音で航行していた。臨戦態勢は既に整えられ、オペレーター達は緊張した様子で、情報を逐次報告してくる。最前衛であるこの部隊の果たす役割は大きい。

新しく張り替えられた指揮シートの上で、アシハラは既にプリントアウトし目を通し終えている資料に、もう一度目を通していた。やる気が無さそうで子供っぽい艦長だが、事前にするべきことは常に全て行っているのだ。幾つかの書類がファイルされ、その中には機密書類もある。一番上に乗っているファイルには、補充人員の名簿が書かれている。簡単な経歴も添付された精度が高い物で、二ヶ月で補充されたクルーには、優秀な人材が取りそろえられていた。しかしながら実戦経験がない兵士が少なくないので、この戦いで鍛え上げなければならない。今ひとつは、非公式の書類で、アシハラと副長とキルトしか存在を知らない。要は切り替えスイッチの操作マニュアルである。戦術コンピューターのOSに特殊なコードを紛れ込ませる事により、不要装備を一括してまとめて管理し、なおオペレーターの監視端末にはダミーのデータが行くようになっている。操作はそれなりに複雑で、アシハラも三回読まないと覚えられなかった。指揮シートにあるOSにある平凡なプログラムと、手元にあるスイッチの一つにさりげなく隠されていて、しかも普通に触っただけでは絶対に切り替わらない。

書類はまだある。脇に避けられているのは、テディベアの資料であり、帰ってきてからキルトに送る御礼の値段を調べたものであった。地球時代に作られたテディベアの中には博物館行きの物も少なくなく、大人向きのぬいぐるみの決定版とも言える存在だ。キルトが欲しがっていたのはそんな凄まじい代物ではないが、それでも庶民の年収くらいの価格がするものがごろごろある。収賄にならないように比較的安い物を選んだが、それでも相当に財布が軽くなってしまった。

アシハラがちっちゃな手でめくり、中身を確認しているのは、海賊の資料であった。現在判明している海賊のボスは、実に厄介な相手であった。戦歴的にはアシハラに及ばないが、それでも相当に手強い。以前アシハラが見た写真よりはだいぶ老け込んでいたが、それでも資料の中の写真は精悍で逞しい。

「副長、バスター=トラウルの名は知っているな」

「はい。 パルツアル同盟時代の英雄です。 天才的な手腕を持つ一方、病的な極右思想の持ち主で、軍隊所属時代から様々な問題は起こしていたとか」

「……まあ、公式の見解はそんなとこだろ」

それは連合の宣伝工作によって作られた資料だ。実際にアシハラが手にしている極秘資料には、もう少し泥臭い情報が詰まっていた。

「降伏勧告は通ると思うか?」

「難しいでしょうね。 そもそも奴らの予想保有戦力は、いまだに木星級艦が最低でも四、他の艦艇を会わせると五十隻に達する模様です。 むろん主力は略奪した商船を改造した物が殆どで、我らの五十隻には戦力的に及ばないでしょうが、それにくわえて奴らの手元には小惑星を改造した軍事基地もあります。 正面からの攻撃では、そうやすやすと倒せないでしょう」

アシハラの見解は少し異なるが、それはそれ、これはこれだ。アステロイドベルトを抜け、カイパーベルトに近づくと、いよいよ艦内の緊張が高まってきた。何時攻撃を受けてもおかしくない状況である。何処から奇襲を受けても大丈夫なように陣形を張ってはいるが、それでも一瞬の油断が命取りになる。そんな中、艦長は内偵の結果を記した最後の資料に目を通していた。全く緊張の度合いはみえず、不貞不貞しくさえあるその姿は、少なからず艦内の者達を落ち着かせる。

「敵艦隊補足!」

艦内にサイレンの音がけたたましく鳴り響いた。オペレーターが、収集した情報を次々に呈示してくる。

「二時方向、仰角七度!」

「正面から出てきましたな」

「……まあ、そうだろうな」

「艦数、およそ四十! エネルギー反応増大中!」

つまり敵は基地の防衛要員を残し、残る全ての艦をもって出撃してきた事になる。勿論別働隊を背後に回り込ませようとしている可能性もあるから、油断は出来ない。普段は事前に戦略的な指示だけして、後は重要局面まで黙っている艦長だが、今回の戦いは違った。立ち上がると、不意に通信士官へと言葉を向ける。

「敵艦隊と通信回線開けるか?」

「は? はい、やってみます!」

「艦長、降伏勧告をなさるつもりですか?」

「そのつもりだ」

副長は、常識的な意見を述べる事が自身の仕事だと自覚してくれている。まだまだ能力的には不足分があるが、こういった所はアシハラには有り難い。

「無益かと思います。 正面に展開している敵艦隊だけで、我らより数が上です。 降伏勧告をするにしても、本隊が追いついてくるまで待った方がよろしいかと」

「やかましい。 黙ってみていろ」

「敵艦隊とのホットライン繋がりました! メインモニターに映し出します!」

メインモニターを占拠したのは、パルツアル同盟の黒を基調とした軍服を着込んだ壮年の男であった。逞しい体つきで、目には強い意志の光がある。四角い顎に生えた髭はよく手入れされていて、几帳面な性格を伺わせた。後ろには副官らしい女の姿もある。どちらにしても、海賊と言うよりはほとんど正規軍と変わらない格好だ。

「武名高いアシハラ=ナナマ艦長と話す事が出来て光栄だ。 私がバスターだ」

「ん、知ってる。 私の要求は、ただ一つ。 降伏しろ。 そうすれば後ろのその女も、部下達の何人かも、ひょっとしたら助けられるかも知れない」

「常勝を誇るアシハラ艦長にしては、随分と弱気な発言だな」

「そりゃあ、おまいらの犯した罪から考えれば当然だろう。 軍を襲撃しただけなら、私情的に分からないでもない。 でも民間船を散々襲って、何回も乗員を皆殺しにした以上、殆どの奴は極刑をまぬがれん。 私だって許そうとは思わない。 だから、助けられるなどと言う約束は出来ない」

不可思議そうに横目で自分を見る副長。何故わざわざこんな会話をしているか理解出来ない、という顔だ。アシハラとバスターの会話はまだ続く。

「どちらにしても、降伏は出来ない。 出来ればお帰り頂きたいのだが、そうもいかないだろう」

「もういい加減にしたらどうだ?」

「どういう意味だ」

「バスター=パルツアル。 それがお前の本当の名だろう」

アシハラは涼しい顔で言う。オペレーター達が驚愕の視線を向けてくる。バスターも、少しだけ目を細めていた。

「同盟を纏めていたパルツアル家の最後の生き残り。 悪政から信望を失い、瓦解した国家を必死に立て直そうとした悲運の名将。 周囲の期待に応えて軍を率い、何度と無く連合の軍勢を退け、頻発する反乱軍を鎮圧し、そして今祖国復興の為に海賊などしている」

「……」

「法国との秘密同盟が切れた現在でも、再起のチャンスを伺って海賊をしているのはご苦労な事だ。 だがな、もう殆どのパルツアルの民は、同盟の復活など望んではいない」

「黙れ! 侵略者が何を言うか!」

黙り込んでいるバスターの後ろで激高した者がいる。副官らしい若い娘だ。アシハラと違って、随分綺麗でしっかりした印象を受ける。彼女の他にも野次を上げる者が居る。

「内乱も、貴様ら連合の人非人共によって引き起こされたものではないか! それに我らは祖国復興を目的とする解放軍だ! 海賊などではない!」

「確かに内乱を誘発させたのは、連合の旧指導者層だ。 だがそれが綺麗に成功したのは何故だ? 同盟の失政が続いていて、既に民心が離れていたからだろう。 体制を批判する者への弾圧、焚書、思想統制、挙げ句に暗殺。 それらまでたきつけた記録はないぞ?」

アシハラの言葉は全く上下にぶれず、落ち着いている。戦場にいる彼女の声は、正に鉄壁の防御陣である。それが、感情にまかせて言葉を吐き捨てる敵副官と決定的に違っていた。

「バスター、既に貴様がかっていたスパイは捕獲した。 まさかオルヴィアーゼのクルーの中にいたとは思わなかった。 侵略への憎悪は、死をも怖れぬ蛮勇を奮い立たせるのだな」

パルツアル出身のクルーが、そのスパイであった。彼は連合によって国が滅びた際、無法地帯化した旧同盟首都で両親を失っていた。オペレーター達が蒼白になって互いに見会う。

「現在、もうパルツアル星系は安定した政治機構に組み込まれ、税率も下がり、民衆は平和な暮らしに戻ろうとしている。 お前が真にパルツアルを思うのであれば、政治に参加し、むしろ内側からパルツアルの独立を促すべきではないのか?」

「そうだな、そういう選択肢もあった。 しかし私には決定的に向かない事だ」

アシハラは草の茎を口から離し、疲れ切ったバスターの、次の言葉を待った。副長が驚いてその様子を見る。アシハラは下士官だった時は草の茎を口から離していた事もあると聞くが、高級士官になってからはいつでも何処でも草の茎をくわえている娘であった。

「ゲリラの鎮圧に向かった先で、兵士達が非戦闘員を虐殺するのを止められなかった時、私はそれを知った。 上官が焚書を行い、助けると約束した非武装の(反乱軍加担者)を処刑した時、私はそれを思い知った。 非才な私に出来るのは、軍を率いる事だけなのだと。 民衆を慈しむのは、私の仕事ではない。 私には、悪鬼の如く戦う事しかできないのだとな」

「バスター将軍……」

「私を将として認めてくれるか。 ならば、将としての流儀に従って、勝敗を決めようではないか。 どうせ君の部隊は囮で、本隊がもう急行しているのだろう? あの名将ルパイド将軍が考えそうな事だ。 私は軍人として、最後に最強の敵手と戦ってみたい」

「……たわけが」

再び草の茎を口にくわえるアシハラ。強く噛んだ為、茎はずたずたになってしまっていて、ゆらりと崩れた。敬礼すると、バスターは通信を切った。

「海賊共の全艦に降伏を勧告しろ」

「駄目です、応答ありません!」

「敵艦隊、砲門開きました! ミサイル射出確認!」

「やむを得ないな。 艦長!」

副長の言葉に席に着くと、アシハラは懐から新しい草の茎を取りだし、古いのをゴミ箱に吐き捨てながら言った。

「全艦攻撃開始。 容赦は必要ない。 一隻残らず叩き潰せっ!」

 

最前衛に位置するオルヴィアーゼに、海賊艦の猛攻が集中する。無論周囲の護衛艦もオルヴィアーゼの援護をするが、それだけでは捌ききれない。宇宙空間を直線的に切り裂き、無数のミサイルが飛来する。護衛艦から放たれたAMMがそれを迎撃に向かい、両者の中間点で光の塊が連鎖爆発した。すぐにそれを突き破って、エネルギービームとミサイルが飛んでくる。当然此方も黙っておらず、AMMと併せて無数の対艦ミサイルが放たれ、各艦が主砲を容赦なく撃ちはなった。対ミサイルレーザーが光の槍を吐き、飛来するミサイルを叩き落とす。激しいやりとりの中、処理能力を超えた一撃が、敵味方に次々とヒットしていった。艦体から光をはき出しながら、巡航艦がバランスを崩し、後退していく。

「巡航艦イズラフィールW中破! 後方に下がり、以降は援護に回ります!」

「駆逐艦ナガサキ小破! 続けて集中攻撃を受けています! 至急支援を請うとの事です!」

「敵戦艦撃沈! 隣の敵巡航艦を巻き込んだ模様!」

「主砲斉射! 目標、敵艦隊先頭部戦艦!」

「はっ! ロックオン、主砲斉射!」

オルヴィアーゼの修復された主砲が火を噴き、最前衛に位置していた敵戦艦を一直線に襲う。多段式主砲で駆逐艦を砲撃していた戦艦は対応が遅れ、シールドを派手に削り取られていく。先ほどの意趣返しとばかりに、オルヴィアーゼの左舷にいた護衛艦が対艦ミサイルを六発放ち、そのうちの半数が着弾した。真っ二つに裂け、エネルギーの奔流に内側から引き裂かれる戦艦。喚声が上がるが、すぐに止む。光の塊を突破して、海賊艦の中で最も大きな艦が飛び出してくる。白と黒をベースに塗装され、まるでマッコウクジラのように先頭部が張り出した、強烈な威圧感を周囲に与える巨艦であった。

「敵艦照合! 戦艦ロンドオブライト! パルツアル同盟時代の、同国主力艦の一隻です!」

「敵艦隊、陣形再編! ロンドオブライトに続き、突撃してきます!」

「近接戦闘用意! 弾幕を張れ!」

矢継ぎ早に飛ばされる副長の指示。同時に各艦が火力を完全解放し、敵先頭部に集中攻撃を浴びせた。ひるまず敵は突進し、無理矢理突破に掛かる。後退を具申する幕僚もいるが、アシハラは手をひらひら振って無言のまま拒絶を示した。戦いは紡錘陣形の海賊艦隊を、凹レンズ型に陣形を変動させた連合艦隊が迎え撃つ様相を示している。海賊艦隊は陣容こそ分厚いが、その代わり装備が貧弱。連合艦隊は陣容が薄いが、練度と装備が優秀。両者の総合力はほぼ五分であり、後は指揮官の力量に掛かってくる。乱射戦から乱打戦に代わりつつある戦況を見て、幕僚の一人が汗を飛ばしながらアシハラに進言してきた。

「両翼を伸ばし、敵を左右から挟撃しましょう」

「だめだ。 フォーメーションをFに変動させろ」

「は、はあ。 了解しました。 各艦に指示を出します」

各艦はそのまま縦に陣容を厚くし、損害を受けた味方艦を守りつつ、突撃してくる敵艦隊に集中的に砲火を浴びせる。左舷にいた護衛艦に直撃弾が集中し、後退していく。無理に突破を計った海賊艦隊も損害大きく、特に前衛の敵は激しく損傷している。

敵は、要塞に籠城するか逃亡する事を成功させる為、先陣のアシハラ艦隊を総力で迎撃に掛かる事を戦略の第一目標とするだろう。それが幕僚達の、開戦前の一致した見解であった。故に、わざと敵より少な目の戦力を用意して敵を引きずり出し、急行している主力と協力して粉砕する。それが当初の此方の目的であった。だが、見たところバスターはそれを百も承知で出撃してきている。さっきの愚直な姿を見た後だと心苦しいのだが、それでもやはり何かの策を警戒するのが、将としての性であった。

やがて戦いは乱打戦のまま、ついに接近戦へと移行した。こうなってくると装備が優れた軍の方がどうしても有利だが、海賊側もなかなか良く戦った。それぞれの艦が総力戦を行う中、傷つきながらも弾幕をかいくぐってロンドオブライトがオルヴィアーゼの至近に躍り出る。立ち上がったアシハラが、手を横に振った。

「第三エンジン出力全開! メインエンジン出力落とせ! 七番から十六番まで、対艦ミサイル斉射準備!」

「はっ! ミサイル七番から十六番まで発射準備!」

「敵艦主砲、エネルギー集中!」

巨艦ロンドオブライトの先頭部が前後左右に開き、荷電粒子砲がその巨体を現す。粒子加速器で荷電粒子を発射するこの兵器は、兎に角巨大になりがちであり、しかしその破壊力は文字通り折り紙付きだ。ロンドオブライトの搭載荷電粒子砲の場合、その大きさからして破壊力は要塞砲並。斜めに滑るようにして宙を走るオルヴィアーゼに、極太の荷電粒子ビームが叩き付けられた。当然シールドがそれを防ぐが、強力なオルヴィアーゼのシールドを、情け容赦なく荷電粒子砲が抉り去る。強烈なエネルギー同士の摩擦が、宇宙空間に虹色のサイクロンを出現させ、やがてシールドが敗北した。

艦橋にまで猛烈な衝撃が来る。幾つかのモニターに砂嵐が映り、激しい爆発音が艦内からも響く。

「第三、第四副砲大破! 砲手の救出に入ります! 第六副砲、応答無し!」

「第三ブロックで火災発生! 隔壁閉鎖開始!」

「対艦ミサイル発射!  荷電粒子砲を狙え! メインエンジン停止! 陣後方の駆逐艦ナガサキとオカザキZに、反陽子爆雷支援砲撃要請! 続けて対艦ミサイル残り全弾、発射準備! 主砲にエネルギー注入開始!」

荷電粒子砲を耐え抜いたオルヴィアーゼは、副砲を三つ失い、側面装甲の一部を溶解されつつも、斜めに回避を開始したロンドオブライトの右舷真横に回り込む事に成功、先に準備していた十発の対艦ミサイルを乱射する。ロンドオブライトもAMMを発射、至近で両者がぶつかり合い、火球のネックレスを出現させた。ロンドオブライトは回頭しながら、再び主砲にエネルギーを集中する。その巨体が、大きく揺動した。

連合駆逐艦の主力装備である反陽子爆雷。駆逐艦は小さく装甲も薄いが、その代わり強力な爆雷を装備している。反陽子の対消滅反応を利用した兵器で、その破壊力は対艦ミサイルをも凌ぐ。しかも小さくて防ぎにくい。それが二発、ロンドオブライトの右舷後方に炸裂したのである。無論シールドで防いだようだが、そのダメージは遠目にも相当なものであった。装甲が薄く戦艦と戦うには分が悪い駆逐艦はすぐに後退し、他の味方艦の支援に入る。火力を集中されて撃沈される連合戦艦もあり、戦況は今だ予断を許さない。

「反陽子爆雷、着弾確認!」

「よし! 第三エンジン停止! メインエンジン微加速! 側面補助エンジンにエネルギー注入急げ!」

「第三エンジン停止します! メインエンジンにエネルギー注入!」

「艦長、この状況で前進しては、敵と正面衝突します!」

「やかましい。 言うとおりにしろ」

スパークを引きずりながら、ゆっくりと回頭を続けるロンドオブライト。その先頭部分には、既に荷電粒子砲の光が宿っている。同じく、微速接近するオルヴィアーゼの先頭部主砲にも、既にエネルギーの光が宿っていた。両者の射撃線が、交錯する。

「側面補助エンジン点火準備! 主砲斉射!」

溶けた装甲版の残滓を赤い糸として引きずりながら、虚空にて旋回するオルヴィアーゼ。その先端部、主砲が全火力を解放、至近から極太のエネルギー砲を敵艦へ叩き込む。同時にロンドオブライトが主砲を斉射、両艦の主砲が正面から激突し、巨大な光の輪を間に作り上げた。主砲性能はほぼ互角。膨大なエネルギーが宇宙空間へ投げ放たれ、周囲にいる艦をも巻き込んで激しく荒れ狂った。閃光の中、アシハラは更に指示を飛ばす。側面エンジンが火を噴き、真横へとオルヴィアーゼを押しやった。主砲同士の激突の余波に弾かれるようにして、オルヴィアーゼはわずかに軌道をずらす。そして微速前進しながら、主砲を撃ち尽くした。主砲のエネルギーが空になった事をオペレーターが伝えてくる。艦そのものの余剰エネルギーもほとんど無い。視界が晴れ、モニターにあり得ない光景が映り込む。オルヴィアーゼはわずかに横にずれ微速前進した結果、ロンドオブライトとニアミスをするような形ですれ違いかけていたのだ。頭を逆向きに、殆ど並んだ二隻の巨艦。そして、その状況を予想しきっていたアシハラが、勝利を掴んだ。ダイエットが成功したのだ。以前のままでは、機動性能が不足して、絶対に上手くいかなかっただろう。正面衝突していたところだ。

「対艦ミサイル斉射。 一発残らずたたき込め」

ロンドオブライトの真横を通りすぎながら、オルヴィアーゼがありったけの対艦ミサイルを叩き込む。実に二十発以上のミサイルが、シールドも何もない至近距離から叩き込まれる。AMMなど間に合うわけがない。爆圧が、オルヴィアーゼを巻き込む。シールドに掛かる凄まじい負荷。斜め後方から吹き上がる、巨大な死の息吹。オルヴィアーゼの背を押すは、パルツアル同盟の断末魔であった。目を閉じたアシハラの脳裏には、敬礼するバスターの姿が確かに映った。

「敵艦撃沈! 完全破壊です!」

「全員、敵将に敬礼。 その後、残敵の掃討に移る」

皆立ち上がって、後方の火球を映すモニターへ敬礼した。その後は、特に指示を出す事もなかった。精神的支柱を失った敵艦隊は総崩れになり、もうアシハラが指示を出すまでもなかった。僅かに俯いているアシハラ艦長の耳に、味方艦隊の来援を知らせるオペレーターの声が届いた。

 

カイパーベルト内の、極寒の彗星内部に作り上げられた基地。傷つきながらも、エネルギーの補給を受けたオルヴィアーゼは、真っ先にそれへと着陸した。誰も知らなかった事だが、この時艦長はダイエットした(無駄システム)の一部を活性化させ、いざというときに備えていた。しかし予想に反して抵抗はなかった。陸戦要員が周囲を探索したが、海賊の本拠地はもぬけの殻であった。すぐに揚陸艦が続き、一個師団ほどの陸戦要員が内部を制圧に掛かる。彼らも、結局何も探し出せなかった。爆弾等も仕掛けられてはおらず、無言のままアシハラは彗星を後にした。

状況から見て非戦闘員や後方要員はまとめて既に脱出していたらしい。ただし、戦闘能力を持つ艦は全て置き去りにされていて、掃除さえして引き払っていた。逃走する意味が、ルパイドやアシハラの予想していたものとは別だったのである。バスターは最後に、味方を逃がす為の囮となったのだ。四十隻近い海賊艦は、皆彼の意志に殉じたのであろう。二十五倍もの艦隊に囲まれたというのに、投降しようと言う者は一人も居なかった。結局強制的に捕縛された三隻に乗っていた者を残して、全てが戦死した。

法国にでも亡命申請をするか、或いはもっと遠くの国にでも逃げるのか。何にしても、彼らが連合の領土に入る事はもう不可能だ。法国がパルツアルの生き残りに価値を見出したら、ひょっとしたら亡命申請が通るかも知れない。不思議と、どうしてか、アシハラはそうなると良いなどと考えていた。

彗星にはほぼ何も残っていなかったが、全くの無人であったわけではない。生命維持装置に入ったままの赤子と幼子が何人か、要塞内に残されていた。彼らを連れて逃走するのが無理だと判断しての事であろう。断腸の思いであったに違いない。

パームハームに接舷して乗り移り、ルパイドに大まかな状況を説明すると、姉は静かに言った。そうですか、と。アシハラは、姉さんは強いなと思った。

司令官室の外には、副長が待っていた。一緒にオルヴィアーゼに帰る途中、アシハラは独語していた。草の茎が、いつもより心なしか大きく揺れた。

「海賊共のダイエットか。 ……悲惨なものだな」

「艦長、なにかいいましたか?」

「いや、何でもない」

味方を逃げ延びさせる為に、自らの身を犠牲にしたバスター。逃げ延びる為に、置き去りにされた哀れな子供達。ルパイドが善処はしてくれると言っていた。だが、あくまで施されるのは善処に過ぎない。痩せる為に切り捨てられたもの。状況が厳しければ厳しいほど、それは非情になり、悲惨になる。どれほどの涙が流されたのだろうか。艦長は想像出来なかった。

「艦長」

「あん? 何だ、副長」

「それ、前から気になっていたのですが……美味しいのですか?」

「微妙だな。 苦くて決して美味くはない。 だが心を落ち着かせるには、これが一番いいんだ。 少なくとも、私にはな」

口から離した草の茎は、だいぶしおれ始めている。少し先を切って、くわえなおしながら、艦長は続けた。

「えてして、有益なものは、だいたい苦いだろ。 程度の差はあれどな」

「有益なもの、ですか」

「そして一方にとって有益でも、必ずしも他方にとっては有益とはかぎらん」

頭痛がする。時々来る発作だ。帰ったら、また薬を飲まなければならない。オルヴィアーゼのダイエットは成功したが、自分自身の心身にはまだまだ山ほど課題が残っている。草の茎を噛んで、精神を集中しながら、アシハラは今後するべき事を考えていた。

艦に戻った後、新しく判明した様々な情報の資料を自室でめくる。その中の一つに、あまり愉快でない真実が載っていた。

基地で発見された子供の一人は、バスターの息子であった。更に付け加えると、彼の後ろに見えた副官らしい女性と、バスターの子供であった。

ベットに寝転がり、薬を飲んだ後、鈍磨していく精神の中を漂いながら天井を眺める。戦争は所詮戦争であった。涙が一筋、意識とは関係無しに流れていた。

 

6,現状維持

 

ベットの中で根転けている少年が一人。部屋にずかずか入ってくるのは、若々しい、ちんちくりんの母親であった。母親の名はアシハラ=ナナマ。子供の名は、バスター=ナナマという。布団の中でもぞもぞと動いている息子に、草の茎をくわえた母親は、据わった目で言う。

「起きろ、馬鹿息子。 もう昼になるぞ」

「いいじゃんよー、今日は日曜日なんだし」

「私が起きろと言ったら起きろ。 さもないと」

「ひっ! ぎゃあああああああああっ! ギブギブ! ごめん、ごめんよかあちゃんっ!」

卍固めを掛けられたバスター少年は、必死に布団から飛び出す。自分と背丈がもう並んだ息子が、パジャマのボタンをかけ直しながら居間に降りていくのを見送りながら、アシハラは呟く。

「彼奴が生きている間は、戦争が無いと良いんだがな……無理な事だと分かってはいるが」

当然の事ながら、ぶきっちょなアシハラに、手料理など夢のまた夢である。家事専用の執事ロボットに料理を作らせながら、食卓に着いたアシハラは新聞の頁をめくる。着替えて歯磨きを終えたバスター少年は、漫画を読みながら、上目づかいに母を見た。

「ねえ、かあちゃん」

「あん?」

「今度、授業参観があるんだ。 もし良かったら、来てくれないかな」

「……ああ、いけたらな」

高級軍人のアシハラは、なかなか息子の授業参観にも出てやれない。その割りには、バスター少年はすくすく育っているが、決して安心は出来ないとも思っている。大きく嘆息すると、アシハラは新聞をたたんで、不機嫌そうに言った。

「今日は遊園地でも行くか」

「本当? おれ、一度行ってみたかったんだ!」

「準備しとけ、昼には出かけるぞ」

「うんっ!」

ぱたぱたと駆けていく息子。アシハラがたたんだ新聞には、こう書かれていた。

『法国との同盟破棄。 全面戦争再開か。 国境地帯に、法国軍艦隊終結しつつあり』

「たったの八年。 すまないな、バスター。 授業参観には、多分出られない。 今日ので埋め合わせにしといてくれ」

ひとりごちた後、携帯端末を操作して、かっての副長ハズヴァール=ギュントを呼び出す。今やアシハラは大将であり、第三艦隊司令官。ハズヴァールは分艦隊司令にまで昇進している。第三艦隊旗艦は当然のようにオルヴィアーゼである。通常連合における艦隊では、旗艦は太陽級戦艦と決まっている為、これは異例だと言える。

法国との状況は三ヶ月ほど前から、悪化の一途を辿っている。新聞にまで載っていると言う事は、もう事態が抜き差しならないと言う事だ。今日遊園地に行ったを最後に、当分家には帰って来れないだろう。いや、永久に帰れない可能性もある。本当なら、今日自宅でのんびりしている事だって、許し難い事なのである。

通話はすぐに繋がった。嫌みなほどに、あっさりと。

「ああ、副長か。 ん、そうだな。 今はハズヴァール少将と呼ぶべきか。 お互い年を取って出世したものな。 ははは。 ああ、此方は問題ない。 前線の状況はどうなっている? ……ああ、ああ、そうか。 何かあったら、すぐに私につなげ。 空港まですぐに向かう」

「かーちゃん! かーちゃん!?」

「ん? ああ、息子だ。 では、またな」

通話を切ると、アシハラは後を執事ロボットに任せて、最後の平和な一日を血が繋がらない息子と楽しむ事にした。

明日からは、またダイエットを常に考えねばならない日が始まる。再び、心の贅肉が得られぬ日が始まる。

「おれ、ジェットコースターに前から乗ってみたかったんだ! かーちゃんと一緒に!」

「そうか。 私もだ」

息子の言葉に、アシハラは不覚にも笑顔を零していた。

 

(終)