深海に逃げ延びて

 

序、転落

 

隕石が落ちて。

何もかもが滅茶苦茶になって。

滅びたのは、何も恐竜だけではない。環境の激変に耐えられなかった生き物は。他にもたくさんたくさんいた。

何故だろう。

そんな事を、いつも夢に見てしまう。

手を伸ばした先には、見える。

真っ赤に染まる空。

海越しに見える空は、まるで地獄。

其処にあるのは、恐怖の塊。

私はただ手を伸ばすけれど。自然という最強の存在に駆逐されていく同胞達を、どうすることも出来なかった。

もう駄目だ。

逃げろ。

意思が伝わってくる。私は、必死に逃げる。

もはや世界は、住みやすくもない。優しくもない。海の中でさえ、何もかもが激変していく。

絶望だけが満ちていく世界の中で。

ただ冷たく暗い海の底だけが。私にとっての、安息の場所となりつつあった。

 

ぼんやりと、私。新庄逸美は天井を見つめる。

そういえば、今はいつだっただろう。低血圧の私にとって、朝は地獄だ。いつも頭ががんがんする。

生理の時に到っては、身動きできないほどつらい。

だから、予定よりずっと早く起きることで、対処している。学校のギリギリまで寝ていられる人間が、心底羨ましいとさえ思う。

今年で、高校三年になるけれど。

大学に行くとしても、底辺しか選択肢は無い。

流石に水際と言われるような大学では無いけれど。それでも、将来が闇なのは、今の時点で確定していた。

あくびをしながら、一階に下りる。

仲が良くも悪くもない両親。

二人とも普通のサラリーマンとパート。

ただのアホな妹と、スポーツが出来るだけで脳みそが空っぽでももてる弟。ありふれた、何の変哲もない家庭。

私だって、美人にはほど遠い。

そこら辺にいくらでも転がっている、少し神経質そうな女。

何一つ優れたものがない家族。

それが私の身内だ。

適当にパンをかじる。アホの妹は、先に学校に出た。何でも勧誘された部活に出るためだとか。

碌な噂を聞かない部活だけれど。

彼奴の場合、仲間に誘ってくれたと言うだけで嬉しいのだろう。

不機嫌極まりない私がパンをかじっていると。

何も言わず、父が仕事に出て行った。母はもう少ししたら、パートに出かけていく。どうせ今日も何も無い。

いっそのこと、空から隕石でも。

頭が痛い。

何故か、隕石と考えると、頭痛がするのだ。

頭を振って、痛みを追い払う。もう一つあくびをするけれど、まだ意識はしっかり覚醒しない。

適当に家を出る。

母は、見送りもしないし。何も言葉なんて、掛けては来ない。

 

住んでいるのは、都会。

というよりも、政令指定都市にされ、二年で急成長した湾岸の町だ。それまでは、かなり田舎で、ろくに人もいなかったのだけれど。

どうしてかはわからないけれど。ここ数年で、日本各地で急成長している街が出ているらしい。

景気も、それにともなってぐっと良くなっているそうだ。

世界的な不景気だというのに、である。

出産率もかなり上がっているそうで、人口の問題も解決できそうだという話もある。何だか、遠い世界の事のようだけれど。

駅の側で十個以上のビルが同時に建設されているのを見ると、あながち嘘では無いと思えてくる。

この国はゆっくり沈んでいくだけだと思っていたのだけれど。

これを見ると、多少は未来に希望も出てくるから不思議だ。

ぐっと近代的になった電車に乗って、三駅分行く。

途中でクラスメイトに会ったので、適当に話をする。電車に乗っているくらいから、少しずつ血圧も上がって来て、意識もはっきりしてくる。このくらい頭が冴えていれば、相応の会話も出来る。

昨日のバラエティの話を適当にしながら、気付く。

何だか、深い海に潜るようなイメージが、最近夢の中に出てくるようになった。

あれはいったい、何なのだろう。

夢占いについて、話している同級生達に聞いてみるけれど。

知識がある者はいなかった。携帯のインチキサイトを知っているくらいだという。そんなもん、どうでもいい。

だいたい、深い海に潜る夢なんて、対応しているはずもない。どうせぽちぽち適当にボタンを押して、ランダムに出てくる結果を見るだけのものだ。

それでも、教えてくれた相手には、笑顔で礼を言わなければならない。女子のコミュニケーションとはそういうもの。

失敗すれば、弾かれる。

男子のコミュニケーションは気楽で良いなと思うけれど。

私は暴力が嫌いなので、男子になりたいとは思わなかった。

駅に電車が着く。

適当に喋りながら学校へ急ぐ。

空には、勿論隕石なんてない。

 

所詮底辺大学くらいしか狙えない私には、先生も色々言ってくる。たとえば、である。就職しないかとか。

現在、好景気。それもバブル期に近い状態が到来しているという。

だから仕事はたくさんある。

今なら好条件で、そこそこの会社に入ることも出来る。高卒の人間でも、会社に入ってさえしまえば。

仕事が出来れば、チャンスがある。

そう先生は熱っぽく訴えるけれど。

はっきりいって、そう上手く行くとは思えないのだ。

大きくあくびすると、帰路につく。

面倒くさい。正直な話、私は努力しても、終末点が多寡が知れているとしか、思えないのだ。

勉強したってこの程度である。

今更、何が出来るだろう。

仕事をしたって、何か良いことでもあるのだろうか。むしろ、暗いところに閉じこもって、膝を抱えて静かにしていたい。

昔は事実、そうしていたことも多いのだ。

学校を出たら、早めに結婚して、家庭を持って。子供を育てて、それで老後へ。何ら意味のない人生のように思えるけれど。

バブル後の空白期のせいで、この国ではそれさえ出来ない人がたくさん溢れている。そう思えば、ある意味幸せだ。

帰宅すると、いそいそとパジャマに着替えて、ベッドに転がる。

もう何もする気が起きないので、そのまま寝てしまおうかと思ったのだけれど。不意に、また頭に痛みが来た。

天井を見上げる。

息を呑む。

其処には、夢によく見る、灼熱の空が広がっていたからである。

我に返る。

どうやら、夢を本当に見ていたらしい。全身にびっしょり汗を掻いていた。ため息をつくと、風呂を沸かす。

両親も、妹も弟もまだ帰ってこない。

一体今のは何だろう。

面倒くさくて仕方が無いけれど。はっきり言って、それ以上に気味が悪かった。何だろう、あの空は。

うちは自慢だが、家族揃って大きな事故に会ったこともない。

面倒くさい事件に巻き込まれたこともないし、トラウマを抱えてもいない。それなのに、なんでこんな夢を執拗に見る。

そもそも夢の中で私は。

あれは、どう考えても人間では無いような気がする。

風呂から出ると、食欲がない。

それでも無理矢理腹に入れたのは。食べないと、おなかがすいて、夜中に目が覚めることを、経験的に知っているからだ。

ようやく両親が帰ってきた。

適当に夕食を済ませたというと、適当に返事をされて。それで適当に会話も終わる。

自室で軽く勉強をして、テレビを見て。

くだらないバラエティにうんざりしていたとき。また、異変が起きた。

自分が、深海の。

それも、海底にいるように思えてきたのだ。

それなのに、息がどうしてか出来る。

一体私は、どうしてしまったのだろう。

じっと手を見る。

人間の手だ。

それにこれは、私にとっては夢では無いのかもしれない。

一念発起すると、PCを立ち上げる。

そして、夢占いのサイトを探してみた。解説しているサイトもあるので、ざっと見てみる。

案の定、何の役にも立たない。

頭を抱える私。

部屋のドアがノックされる。

アホそのものの笑顔を浮かべて、妹が立っていた。

此奴はよく分からないけれど、部活でみんなに「とても良くして貰った」とき、わざわざ私に報告に来る。

こっちが面倒くさがっていることも分かっていない。

妹が言うには、バレンタインデーで、みなとチョコを交換することにしたのだという。いわゆる友チョコというやつだとか。

どうでもいい。

適当にあしらって部屋に帰らせる。

それに、彼奴は期待しているけれど。

私は知っている。

期待すればするほど、後でダメージを受けるのだと。

彼奴が報われた事なんて、あるのだろうか。

何でも前向きに考えて、同級生といつも笑顔を作って接して。それで帰ってくるのは。

いや、もうどうでもいい。

とりあえず勉強も済ませたし、電気を消して寝る。

ろくでもない夢ばかりみる昨今だけれど。

寝る時間を調整する権利くらいは、私にもある筈だった。

 

1、這い寄る違和感

 

いきなり、視線を感じた。

慌てて顔を上げるが、此方を見ている奴なんて何処にもいない。授業の最中。居眠りをしかけていた私は、嘆息して勉強に戻る。

そもそも、私なんて見て、楽しいとは思えない。

中肉中背。

胸だって大きいわけでもない。

化粧映えもしない平凡な顔。

自慢では無いけれど。何一つ自慢するところがないのが、私というどーでもいい存在なのだ。

たとえば背が高ければ、それなりにいかせる事がある。

小さくてもそれは同じ。

だけれど私の場合は、何もかもが長所にはなり得ない。平凡を通り越して、盆暗なのだ。頭や運動神経までも。

どうして私のようなのが存在するのか。

普通普通というけれど。

誰もが、何かしら出来るものを持っているのが当たり前。

私の場合、それさえもない。

特技の一つでも身につけたらと言われるのだけれど。どうやら、それも無理。というのも、過去に一度、真面目に取り組んだことがある。それをあっさり追い抜かれて、もうやる気をなくしたのだ。

馬鹿馬鹿しくて、もうどうでもいい。

それが私の、人生に対する。

それ以上に、自分に対する所感だ。

また、視線を感じる。

苛立ち紛れに、授業が終わってから、話を聞いてみる。誰も此方を見ていないという。だとすると、誰だろう。

一瞬、何かと目があった気がする。

慌てて視線を戻す。

あり得るはずがない。今、視線を感じたのは、窓の外だ。此処は四階である。視線なんて、感じるはずが。

この学校には、怪談話の類も無い。

ましてや今は真っ昼間である。

私は怪談なんて信じないけれど。

流石に状況を考えて、ぞくりと背中に悪寒を感じていた。

授業を終えて、休み時間に軽く勉強する。

最近は受験組と就職組で別れるようになってきていた。受験組は集まって軽く勉強会みたいなのをするし。

就職組は好き勝手に、遊ぶ話をしている。

とはいっても、この学校の生徒には、あまり頭が良い奴もいない。

盆暗の私も此処では平均点。

それだけが救いだ。

次の授業に入る。

高校の三年になると、流石に体育はほぼ無くなる。それだけが救いとは言えるけれど、面倒な事に変わりは無い。

黙々と授業をするけれど。

やはり視線を感じる。

「苛つくなあ……」

ぼそりと呟く。

男子からも女扱いされていない私を、一体誰がこうちらちら見ているのか。外からだとすれば幽霊なのか。

んなわけがあるか。

授業が終わった後、私の機嫌が露骨に悪いことに、周囲がびびる。

「逸美、どうしたの? 鬼みたいな顔しているけれど」

「知らん」

「うわ、機嫌悪……」

「さっきの視線がどうのこうのって?」

自意識過剰じゃないのと笑おうとした奴をにらむ。

そいつは瞬時に押し黙った。

「おい、お前らっ!」

立ち上がると、クラスメイトに向けて叫ぶ。

自分でも、こんなに恐ろしい声が出るとは、直前までは予想も出来ていなかった。事実、びびりまくった生徒達が、此方を見る。

「言いたいことがあれば言え、このクズどもがっ!」

しんと黙り込む教室。

男子までもが青ざめてびびっている中。私は席に着くと、嘆息する。

分かってはいるのだ。

多分教室にいる誰かでは無い。

そうなると、鳥か何かだろうか。

普段私とグループになっている連中が、そそくさと距離を取るのが分かった。正直どうでもいいので、放っておく。

生理かな。

多分そうじゃないの。

或いはダイエット中かも。

そんな声が聞こえるけれど。

いちいち相手にしない。

そこで、もう一つ、おかしな事に気付く。

私は、こんなに耳が良かっただろうか。

 

違和感が、少しずつ大きくなっていく。

路を歩いていると、一切つんのめらないのだ。

私は以前から運動神経が良い方では無くて、転ぶまで行かなくても、階段などではつんのめることが珍しくも無かった。

それなのに、である。

夢を見る頻度も上がってきている。寝ると、ほぼ確実に、落ちてくる隕石と、逃げるために深海へ向かう夢を見るのだ。

あんな光景、見た覚えは無い。

夢にだって、見るはずが無い。想像の域を超えているからだ。いやまて、どうして私は、あんなものを見た見ていないと思い込んでいるのだろうか。

夢は記憶の整理。

そういえば、そんな話を聞いたことがあるけれど。

少し前までは、可能性にまで思い当たらなかったはず。其処でようやく気付いた。思考回路が、妙に速く動いている。

私は一体、何者になっているのだろう。

家に帰ると、ベッドに大分。

しばらくぼんやりするけれど。

違和感が収まらない。

むしろどんどん大きくなってきている。

水が欲しい。

それだけじゃない。

お刺身が食べたい。

なぜだか知らないけれど、無性に魚が食べたいのだ。だから帰りにスーパーに寄って、ししゃもをわざわざ買い込んでいるほどである。

ししゃもはそれほど高くないし、食べ出があるから好きだ。その上頭から尻尾まで全部食べられる。

お刺身はもっと好きだけれど。

高いし、日持ちも悪いので、あまり買えない。

家族も、私の異変に、気づきはじめたようだった。

普段は無関心な母親までもが、ししゃもをもぐもぐしている私を見て、不安そうに眉をひそめる。

「逸美、どうしたの」

「知らない」

「知らないって」

「本当に知らないの。 嗜好が変わったの」

昔だったら、尻尾は残していたかも知れないけれど。

子持ちのししゃもは大好きだ。頭から尻尾まで、丸ごと平らげるようにしている。私を見て、流石に母は引く。

変わっていくのは、それだけじゃない。

明らかに、嗅覚や視覚も、良くなってきている。

視力が良い子の中には、2.0を超える人間もいると聞いている。流石に其処までは到達している様子は無いけれど。

今までは見えなかった小さい文字が、確実に読めるようになっている。

テレビなどでも、かなり距離を置かないと、近すぎると感じるようになり始めていた。

色々と、おかしい。

この年になって、急激にステイタスが上がるはずがない。

運動神経については分かる。

体が出来ていくに従って、伸びていくものだからだ。

だが視力や聴力は、どんどん衰えていくのが普通だ。何より、今まで駄目だったものが、急に良くなるはずもないではないか。

一体何が、私に起きているのか。

おかしいのは身体能力だけじゃない。嗜好の変化だって、変だ。どうして急に、魚が大好物になったのか。

たとえば、妊娠して酸っぱいものが好きになる、とかなら分かる。

だがそんな事は無いし、何より急に魚が好きになると言う事に、説明がつかないでは無いか。

おかしいのはそこだけでは無い。

そもそも、である。

こんな風に、おかしい事を、順序建てて論理的に分析できている時点で、色々と変なのである。

元々の私は。

そんなに頭が良くなかったし。

何より、こんな風に、分析する習慣さえなかった。

何もかもが、おかしくなってきている。

自室に籠もると、何度も頭を掻き回す。そして、気付いている。

家の外に誰かがいて。

私をじっと見張っているのだ。しかもそいつは一人では無い。どうやら交代しながら、見張りを続けているらしいのだ。

不快きわまりない。

最初は譫妄かなにかと思ったが、どうやら違うらしい。というのも、何度か外に様子をうかがいに行って。

見張りをしている奴らしき存在の、残した品を発見したからだ。

元々私は運動神経も鈍くて、頭も良くない。

だから腹が立つことはあっても、相手をとっちめようとか、どうにかしようとかは、全く思い当たらなかった。

しかし今は違う。

どうにかしてブッ殺してやりたいと考えている事に気付いて、愕然としてしまった。一体私は、どうなってしまっているのか。

妹が来た。

満面の笑みである。何かあったのかと聞いてみると、誇らしげに話してくれる。

「みんなと待ち合わせの場所に行ったら、誰もいなかったの」

「それで?」

「うん。 ひろちゃんに電話してみたらね」

ひろちゃんというのは、最近妹を虐めているグループの一人だ。

妹だけは、虐められていることさえ気付いていない。

殴られようがぶたれようがにこにこしている。元々人並み外れて頑丈な妹だけれど。最近は少し目に余る様子だった。

「今度また誘ってあげるって。 今度っていつなのかな」

「お前、本当に気付いていないのか」

「え?」

「まあいい」

とりあえず、私を見張っている奴をブチ殺す前に、する事が出来た。

そして此方には。

躊躇う理由が、一切無い。

 

身体能力が上がったという事は、戦闘能力も増したと言うことだ。

妹が言うひろちゃんとやらは、近隣でも有名なワルで、万引きや置き引きの常習犯。警察にも目をつけられているほどの奴だ。

妹だけが、良い奴だと思っている。

そしてそれを何ら感謝せず、妹を虐待し続けるクズの中のクズ。

最初は此処まででは無かったらしいのだけれど。警察が一度軽い補導で済ませてから、何をやっても大丈夫と勘違いしたらしい。近年は凶悪化の一途をたどり、学校でも喝上げや暴力沙汰を繰り返しているらしかった。

近年の不良は、昔とは違って、いちいちそれっぽい格好などしない。

だからこそ、余計にタチが悪いとも言えた。

そいつらのグループは。

今、半殺しになって、私の足下に転がっていた。

こんなに容易いとは思わなかった。

金品を強奪しようと襲いかかってきたところを、半殺しに仕返しただけである。もっとも、居場所を調べて、奴らの前をこれみよがしに通っては見せたが。

自分たちの前を通る方が悪い。

そんな理屈で此方を襲撃してくるのは目に見えていた。

だから、わざと、その土俵に乗ってやったのである。

いきなり金属パイプで殴りかかってくるとは思わなかったが。しかも殴りかかってくるときの、嬉しそうな顔。

金属パイプを奪い取った後は。

全員の手足をへし折って。

更に顔面に、一生消えない傷を付けてやった。動けなくなった所に、痛みを徹底的に加える。

内臓を傷つけないようにするのが、大変だったが。

一人ずつ、徹底的に、容赦なく。

なぶり殺しにして行く。

勿論比喩だが。

ぶちのめした後、猿ぐつわを噛ませているから、悲鳴も漏れない。恐怖に見開いた目が、大小を失禁するごとに、焦点を失う。その度に水をぶっかけて。死なない程度にたたきのめして。

完全に再起不能になってから、次へ取りかかる。

やはり私は変だ。

淡々と、どうしてこんな事が出来るのだろう。

「んー! んーんーんー!」

なんでこんな事をする。

何の恨みがある。

そんな事を喚いているのは。妹が言っていたひろちゃんである。妹に売春まがいの事までさせようとしていたこともわかっていたし、此奴は徹底的にぶっ潰す。病院から、一生出られないようにしてくれる。

手足の関節を徹底的に粉砕して。

二度と立ち上がれないようにしてから、何度も内臓を傷つけないように、殴る。

金属パイプは、既に血と肉片で真っ赤だった。

何度か白目を剥いて気絶したころ。

ようやく呼んでおいた警察が来た。私は金属パイプを、ひろちゃんの左足にブッ刺すと、そのまま場を離れる。

勿論手袋をしての行動だ。

残留物など残すはずも無い。

どやどやと此奴らが根城にしていた廃工場に、警察が乗り込んでくる。それを横目で見ながら、私は場を後にした。

恐ろしいほどに、冷静。

自分が殺人以外の暴力はだいたいしたというのに。

どうして此処まで、心静かにいられるのか。

完全に怪物だな。

私は、自嘲していた。

それにおかしな事もある。堂々と場を離れる私を見て、警察は何もしない。ひょっとして、私は、認識されていないのだろうか。

分からない。

私は一体。何がどうして、こうなっているのだろう。

 

家に帰ると、手紙が届いていた。

「工場での見事な処理、全て拝見させていただきました。 生きていても社会に害を為す事しか出来ない連中。 ああやって処置するのは、適切な行動に思います」

しらけた。

見ていた奴がいたのか。

あれほど怖かった視線なのに。今では、どうでも良くなりつつある。自分に備わった圧倒的な自信から、だろうか。

違う。

価値観が、変わりはじめているのだ。

目に見えるほどの変化が、起きている。それを自覚するしかない。

「ついては、貴方を同胞の会合へ招待したいと思います。 気が向いたら、是非とも足をお運びください」

堂々と住所が書かれていたけれど。

しかし、おかしな事に。

読み終えると、いきなり手紙が燃え上がり、灰になっていった。何かの薬品でも仕込んでいたのか。

いや、違うな。

冷静に私は判断する。そんな都合が良い反応が起きる薬品なんて、ある筈も無い。手を火傷もせず、燃え上がる手紙を冷静に捨てた私は。違和感が、全身をむしばんでいるにもかかわらず。

平然としていた。

きっと私のような状態になった奴がたくさんいて。

そいつらは集まることで、身を守っているのだろう。

ちなみに手紙の送り主は。エンドセラスと名乗っていた。

 

2、闇夜に沈む

 

今までに無いほど、はっきり夢を見た。

隕石によって壊滅する世界。

いや、それは違っている。

元々壊滅寸前だった世界に、隕石が致命的な打撃を与えて。滅び掛けていた恐竜たちが、とどめを刺されたのだ。

それは、自分たちも同じ。

いや、自分たちは。

深い深い海の底へ逃れて。其処で、命をつなぐ路を選んだ。

だが、それは。

世界の主役から、転落することも意味していた。

環境が安定した深い海の底は。餌も少なく、静かで、それが故に極めて変化に乏しかった。

地上に残った連中は。仁義無き争いの中、必死に種としての生存能力を磨いていって。今更其処へ戻っても、どうにもならないことは目に見えていた。

暗い海の底。

負け犬となった私達は。

ただ静かに、種としての存続だけを願って。

誰の目にもつかないよう。

争いも起こさないよう。

身を寄せ合って、静かに暮らしていた。

そうか。

これは、私では無くて。私の先祖達の記憶。しかし、私の先祖は半魚人か何かだろうか。昔の小説に出てくる深き闇に住まう種族か。いや、そんなはずは無い。むしろ私は、水に潜るのも苦手で。

運動神経は並だったし。何より、水泳がそもそも苦手極まりなかったのだ。

目が覚める。

夢の事は、ばっちり覚えている。

もう昼近いけれど、どうでもいい。昨日は遅くまで勉強していたのだし、それでいい。成績は目に見えて向上していて、今から充分に六大学が狙える。それどころか、早稲田慶應、下手をすると東大に手が届くかも知れない。だから両親は、自堕落に生活していても、何も言わなかった。

何より、受験シーズンだから、学校は空いている。

私は温水プールに出かけると、黙々と泳いだ。

以前は全く泳げなかったのに。

今ではどういうわけか、特に潜水が極めて上手になっていた。しかも、気がつくと、明らかに五分以上潜っている。

人間の潜水限界時間を、軽く超過していた。

流石に周囲の視線が集まるかと思ったのだけれど。

それもない。

不可思議なことに、周りは私を殆どみない。ロッカーで着替えているときも、近くまで来て、慌てて気付いて避けるという光景を四回見た。

ひょっとして私は。

異常なほどに、周囲からの影が、薄くなっているのか。

学力は問題ない。

だから、図書館に出かけても、親はなにも言わない。いや、ひょっとしてこれは、私に対する興味が薄れてきているから、かも知れない。だとすると気色が悪いけれど。今はそれより、この異常を分析する方が先に思えていた。

古生物の資料を集める。

かなりの量が集まった。

テーブルに本を積み上げると、まずは初心者向けの、簡単な古代生物の解説書からひもとくことにする。

隕石について。

地球には、かって何度も巨大な隕石が落ちている。直径十キロクラスの隕石となると、地球の生態系を壊滅寸前にまで追い込む破壊力があったという。いわゆるプレートテクトニクス、大陸移動によって隕石のクレーターはあまり多く残っていないけれど、発見されているものもあるという。

恐竜を絶滅に追い込んだ、有名な6500万年前の隕石も、既に海底から見つかっているそうだ。

ぼんやりと、夢に該当しそうな生き物を調べて見る。

あっさり、該当の存在がピックアップされた。

シーラカンス。

恐竜の時代から生き延びている原始的な魚類。現在でも一部は、深海にて生存しているけれど。

かっては世界中で一般的に見られた、極めて繁栄した種族だった。

中には三メートルを超える者もいたという。

無知な私でさえ知っているほどの、有名な存在だ。生きた化石と呼ばれ、近年深海から再発見された種族。

大絶滅を生き延びるのに、彼らは。

環境が安定していて、競争が極めて緩やかな、深海に逃げるという手段を採用したのである。

本を閉じると、私は。なるほどと思った。

これはある意味、一つの戦略としてはありなのかも知れない。

生き延びるために、競争が激しい豊かな場所から、貧しくても穏やかな世界に逃げ込む。事実そうして、恐竜たちが滅びた今も、シーラカンスは生き延びているのだ。

近くの水族館にも、足を運んだ。

シーラカンスの模型を見上げる。

無数のひれに体を覆われた、不可思議な魚だ。

じっと見上げていると。

ふと、隣に誰かが立った。

髪をショートボブにした、大人しそうな女子だ。多分年の頃は同じくらい、だろうか。平均的で十把一絡げな私と違って、アイドルにスカウトされてもおかしくないほどの美少女である。

非常に儚げで、吹いたら飛びそうな弱々しい女だけれど。

私は気付いていた。

此奴、最初から私を見ていて、そしてまっすぐ近づいてきていた。

「あ、あの。 こんにちわ」

「誰? 忙しいんだけれど」

「私、篠崎田奈といいます。 よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げられる。

此方も名乗る。そうすると、知っていると言われた。

「まさか、監視をしていたのはあんた?」

「いえ、違います。 私は、最近になって、貴方の存在を知って。 仲間から、接触するように言われました」

仲間、ね。

友達と言わず、仲間というのには、何かの含みでもあるのだろうか。

それに此奴弱々しそうでありながら、明らかに不機嫌な此方に対して、全く物怖じしていない。

意外に度胸は据わっていると見て良い。

場所を移そうと言われたので、舌打ちはしたけれど。言われるままについていく。

別に暇だし、それで構わない。

「貴方は、シーラカンスみたいですね」

「は?」

「貴方の中に眠っている存在が、です。 私の中には、アースロプレウラが眠っています」

「アース、なに」

見せられたのは、とんでもなくデカイ百足か何かの絵だ。

ぞっとした。

この女、ひょっとして電波系か何かか。しかしその割りには、どうしてだろう。どうも、おかしな事をいっている雰囲気が無い。

近くの喫茶店に入る。

女は魚介のパスタを頼む私を見て、自分はコーヒーだけを頼んだ。

意外に渋い嗜好らしい。

「それで、シーラカンスって何よ」

「近年、異常な身体能力向上が起きませんでしたか」

「……」

起きた。

それだけじゃない。

考え方や、価値観までそれで変わった。

妹を虐めていた連中を半殺しにして病院送りにしたし、それだけじゃない。このまま勉強していけば、上手くやれば東大にだって入れる。

しかしこれは、一体どういうことなのか。

「私も、同じ事が起きました。 そして、こういう能力が、今では使えるようになっています」

篠崎だとかいう女が外を見る。

そうすると、いきなり木の枝が、みしみしとしなりはじめた。しかも、一本だけである。

ぞっとした。

明らかに、此処から何か出来る距離では無い。

外にいる誰かと示し合わせてのトリックでは無いのかとも思ったけれど。そうではないと、私は看破していた。

なぜなら、私自身も。

おかしな力らしきものは、使いこなせはじめているからである。

「強要はしませんが、仲間になってくれると嬉しいです。 同じような境遇の人が、何人もいますから」

「気が進まない」

「そうですか。 でも、貴方を強引に仲間にしようとする人もいます」

なるほど。

さてはあの、エンドセラスとやらだろうか。いや、此奴がそもそも、エンドセラスとやらの同胞という可能性もある。

まあ、どっちでもいい。

両方を確認して、都合が良い方につけばいい。

どうしてだろう。私の中には、あまりにも静かすぎる自分がある。冷静な判断力。というよりも、心が落ち着きすぎていて、漬け物石か何かのようだ。

「今日はここまでね」

「アドレスを渡しておきます。 ただ、このアドレスは時々不意に変わりますので、注意してください」

「スパイか何か?」

「対立している相手が、結構危険なんです。 私も、命を狙われたことが、何度かあります」

命のやりとりと来たか。

だが、今の私みたいな連中がうようよいるのなら、それも納得がいく。政府としても是非手駒に欲しいだろうし。

能力を得た連中が、好き勝手に振る舞いたいとも思うだろう。

喫茶店から出ると、その場を離れる。既に夕方を過ぎていた。これから家に帰ると、昔だったら文句を言われたかも知れないけれど。

帰宅すると。

私を見て、両親は何も言わなかった。

 

何回かの試験で、東大が合格圏に入った。

教師達は大喜びである。

この学校から、はじめて。東大合格者が出るかも知れないと、皆で騒いでいた。まあ、成績は外に見える形で出ているのだし、当然か。

しかし、である。

クラスで私は、周囲から殆ど何も構われなくなっていた。

イジメでは無い。

私が意図的に、周囲との関わりを避けているのだ。面倒くさいからである。

はっきりわかったが。

あのアースロプレウラがどうこう言っていた女が使っていたのと、同じようなのが私にも備わってきている。

そして、かなり使いこなせるようになっていた。

私の力は、おそらく。

いや、少し違うかも知れない。認識はしているし、必要とあれば接触もしてくるからである。

具体的に何が起きているのかはよく分からないのだけれど。

私の場合、使えるものが使えれば、それで良かった。

まずは東大に入って、それからだ。

日本の大学は、入ってしまえば後が楽。まああまりにもさぼっていれば、単位が取得できずに泣きを見ることになるけれど。それはそれ。

就職が不安な現在でも、流石に東大に入っていればそれもない。

教師ももう、私に就職しろとは言わなくなった。

「新庄ー。 新庄逸美ー」

不意に呼ばれる。

顔を上げると、校内放送だった。

職員室に来るように、という事である。何が起きたのだろう。

最近は学校にも滅多に来ていない。今日もたまたま、状況を確認するための一斉登校日だからきただけだ。

此処で呼ばれると言うことは、何だろう。

東大に確実に受かれとでも、檄を飛ばすつもりだろうか。

正直どうでも言い。

自分のために東大を受かるつもりはあるけれど。それはそれ、これはこれ。教師に檄なんて飛ばされたって、嬉しくない。

だって、今まで此奴らと、頑張ってきてなどいないからだ。

面倒だなと思いながら、職員室へ。

私を呼んだ担任はいない。

近くの先生に聞いてみると、生徒指導室だという。

生徒指導室。何だか嫌な予感がする。

妹の「友人」達の件がばれたのだろうか。いや、それは無いはず。あいつらからは、まともな証言だって得られないはずだ。

とにかく、生徒指導室へ行く。

何度かあくびが漏れたのは、余裕からでは無い。面倒くさいというのでもない。一応、徹夜で勉強しているからだ。

能力が劇的に向上したとは言え。いや、だからこそ分かる。

簡単に入れる大学では無い。

努力しても無駄なんてのは、負け犬の寝言だ。能力が上がった今だからこそ、余計にどれだけ努力が重要なのか、分かるのである。

生徒指導室の戸をノックしかけて、固まる。

中に、何かとんでも無いものがいる。

思わず飛び退く。

しかしそいつは、次の瞬間には、もう生徒指導室の中にはいなかった。私の背後に、立っていた。

「おや、勘が良いじゃ無いか、ひよっこの割りには」

凍り付くような声。

其処に立っていたのは、女。

長身の、非常に美しい女だ。何というか、ハリウッド映画か何かで、ヒロインでもやっていそうな風格がある。

着込んでいるのは、紅いスーツ。ばかでかい胸がはち切れそうである。

スーツは明らかにオーダーメイドで、多分何十万とするものだろう。白いYシャツまでもが、高価な品とみた。

「あ、あんたは。 学校の関係者じゃないな」

「私の名はエンドセラス」

「!」

そうか、此奴か。

篠崎とは違うとは思っていたけれど。まさか、本人が直接出向いてくるとは。

全身が締め付けられるような強烈な圧迫感に、膝を折りそうになる。

此奴は、違う。

篠崎の時も、普通とは違う雰囲気を感じたけれど。此奴の場合、目の前に触手だらけの巨大な肉塊がいるような恐怖感が、炸裂するように迫ってくる。

「手紙を送ったのに、無視するとは良い度胸だな」

「今、受験で忙しい。 あんたの対立組織も来たけれど、保留って返してる」

「ほう」

エンドセラスという女は。

意外に頭が回るようだなと、紙を取り出す。

それは、私の成績表か。

いつのまにか、生徒指導室の戸が開いていた。中では、血を流して、担任が転がされている。

此奴の仕業か。

「殺したの?」

「いや、そんな事はしていない。 面倒だから、眠って貰っただけだ」

「……」

ヤバイ。

私でさえ、結構念入りにあの不良どもをぶっ潰したのに。此奴と来たら、多分証拠を残そうが残さまいが、もみ消せるだけの力を持っているのだ。それが、この圧倒的な自信からうかがえる。

それだけじゃあない。

いつのまにか、周囲に人が無数にいる。

誰も彼も、目の焦点があっていない。

「お前、結構貴重な能力を持っていることを自覚しているか? 使いようによっては、暗殺も諜報も想いのままだ」

「何のこと、かしらね」

「あまり私を舐めるなよ、小娘」

ずしんと、強烈な圧迫感が来て、地面に叩き付けられる。

何が起きたのだろう。

一瞬起きて、理解した。

このエンドセラスとか言う女に、殺気を叩き付けられたのだ。それだけで、足が立っていることを放棄した。

小便を漏らしそうだ。

絶対的な力の違いが、恐怖を呼び起こして、全身を縛り付けている。

怖い。

震えが止まらない。

「東大に」

「ほう」

「受かるまでは、決めたくないんだけれど。 待って、貰えないかな」

「くだらん。 東大など、入ったところで、何の意味がある」

此奴は。

私が配下にくだらなければ、殺す気だ。

目から分かる。

気配から分かる。

まずい。

本格的にまずい。

全身が恐怖に縛り付けられて、動かない。そして一旦仲間になると言ったら、もう抜けることは、出来ないだろう。

何か。此奴の気を、一瞬でもそらすことが出来れば。

逃げ延びる自信はある。

「私、底辺大学しか、狙えなくて。 今、やっと充実して、いるの。 だから、せめて東大に入るって事くらい、叶えさせて貰えない、かな」

「順番が逆だ。 膝下にひれ伏せ。 そうすれば、東大だろうがマサチューセッツ工科大学だろうが、入れてやる」

「……っ」

反発が、徐々に大きくなってくる。

こんな奴の、下になんて。降ってなるものか。

かといって、あの篠崎というのの仲間になるのも嫌だ。私は、正直。誰の部下にも、なりたくない。

不意に、チャイムが鳴った。

エンドセラスが顎をしゃくると、目の焦点を失っている男子生徒が、スピーカーを外して、窓から放り捨てる。

窓硝子を開けなどしない。

ガシャンと、硝子が割れる大きな音が響いた。

一瞬。

それで、恐怖による拘束が解ける。

息を吐くと、私は。

目を閉じて、一気に闇へと沈下した。

 

エンドセラスは、驚いて立ち尽くしていた。

その場で無様に這いつくばっていたはずの、新庄逸美の姿が消えたからである。

おかしい。

すぐに携帯で、部下達に連絡を取る。部下の中には、相手の気配が無くても、探知出来る者がいる。

「新庄逸美が消えた。 探せ」

「此方からも信号がロスト!」

「何……っ!?」

気配遮断の能力だと思っていたのだが、ひょっとして違うのか。

同じようなことが出来るエンドセラスとしては、まさか中途半端にしか覚醒していない相手に、遅れを取るとは思えない。

そうなると、根本的に違う能力、という事か。

しかし、正体が見えない。今までに監視を継続させ、蓄積させたデータを見る限り、あまりにも異質な能力だとは思えない。

集めたデータからは、分析できない能力だとでもいうのか。

「警戒線を張れ。 絶対に逃がすな」

舌打ちする。

おそらく、現在生きている能力者としては世界でも最古参のエンドセラスである。不老不死では流石には無いが、既に人間としては本来老境には行っているはずの年齢で、その間若いまま。ずっと鍛え抜いてきたから、能力の練度は桁外れ。総合能力では、世界最強の自負もしている。

最近力を伸ばしているティランノサウルスでさえ、自分に比べればまだまだひよっこだと言えるほど。

しかし、それでも。

足下を掬われる事はあるものだ。

戦場では、油断した奴から死ぬ。

昔から、わかりきっていた事だというのに。

職員室に入る。

既に部下の手によって完全傀儡化しているので、調べ放題だ。筆石に、この学校の前データを洗わせる。

勿論、新庄の家にも部下を急行させたが。

「おかしいな……」

新庄逸美のデータが、存在しない。

というか、もっとおかしな事が、幾つもある。

「新庄逸美とは、何者でしょう」

部下がいきなり、そんな事を言い出す。

何を馬鹿なと吼え掛かって、そして言葉を飲み込んだ。まさか、これは。

筆石に連絡する。

彼奴は彼奴で、素っ頓狂なことを言い始めていた。

「あ、あの。 すみません。 我々は、一体誰を探しているんです?」

「……」

なるほど、そう言う能力か。

エンドセラスは、思わず側にいた数人を引きちぎりたくなったけれど。それでも我慢して、咳払いした。

まだ自分は、能力の影響下には無い。

筆石は四キロ先にいたから、少なくとも其処までは干渉可能な能力とみた。いくら何でも、世界そのものに干渉することは不可能だろう。似たような能力者は見た事があるけれど、それは数十年技を磨き抜いた末、辿り着いた境地で、なおかつ極めて限定的にしか事を行えていない。

そうなると、恐らくは。

自分自身に干渉するタイプの能力だ。

恐らくは、磨き抜いたエンドセラスだから、唯一能力の束縛から逃れ得たと見て良い。一旦部下達を下がらせる。

此処からは、エンドセラスと、あの巫山戯た小娘の一騎打ちだ。

情報を再展開しても、恐らくは無駄。

能力の特性上、多分その場で忘れてしまうだろう。

廊下を歩き出す。

まだ、遠くには行っていないはずだ。

それならば、捕捉は可能。

あれを敵対組織に渡すわけにはいかない。鍛えれば文字通り最強のアサシンに化ける逸材だ。

まだ未完成な今でさえ、この有様。

成長したら、一体何処まで化けることか。

「学校を出る。 お前達は、後でアジトに集合せよ」

「わかり、ました」

腑に落ちない様子で、部下達が引き上げていく。

連中は、何のためにここに来たかさえ、忘れてしまっているようだった。

「さて、私をコケにして、無事に帰れると思うなよ……」

獰猛な殺気をばらまきながら、エンドセラスは自分の車に乗り込む。

金持ちのエンドセラスだけれど。

普段使っているのは、意外にも軽自動車だ。ただし流石に危険なので、防弾仕様にはしているが。

軽自動車は自動車税も安いし、燃費も悪くない。

何より小回りが利く。

長年生きてきたエンドセラスだが、どうしてか車の運転だけは苦手で。特に駐車場に停めることは非常に下手なのだ。

そこで、軽自動車を使っているという側面もある。

いつも部下にはベンツだのポルシェだのを勧められるのだけれど。

買わないのは、誰にも言えない、こういう理由があるのだ。

勿論、部下に運転させるときは、普通に高級車を用いるが。それはプライベートと公用の区別という奴である。

新庄逸美の家は調べてある。

流石にティランノサウルスも仕掛けては来ないとは思うが。まあ、念のためだ。手を打った方が良いだろう。

車のエンジンを掛けながら、何名かの部下に確認を取る。

「ティランノサウルスに付けている監視はどうなっている」

「今の時点では、仕掛けてくる様子はありません」

「一応監視を強化しろ」

「は……」

電話を切ると、エンドセラスは、車を発進させた。

どちらかと言えば、ハリウッドで女優をやっていそうな大柄なエンドセラスが、パステルブルーの軽自動車に乗っていると違和感が炸裂してしまうけれど。

しかし、周囲は誰もおかしいと思っていない。

これもまた。

エンドセラスの、能力なのだ。

 

3、捕縛の後に

 

闇からわき出すようにして、私は普通に戻った。

多分、あの大きな女だけは振り切れなかった。他の奴らからは、綺麗さっぱり私の事を消し去ってやったのだけれど。

仕組みはよく分からない。

分かっているのは、普通の人間程度なら、今はもう裸で目の前を歩いても、不思議には思われないという事だ。

全力で能力を展開すれば。

両親でさえ、私の様子がおかしくても、気付かないだろう。

其処にあるオブジェか何かとして扱う。

そういうものなのだ。

具体的な能力の仕組みは、私にも分からない。ぶっちゃけた話、私を殺そうと武装して待機している兵士達の目の前を歩いても、撃たれることは無い。

そう言う力なのだ、これは。

透明に見えているはずは無い。

其処には私が見えているはず。

しかし、誰も私の事を、構おうとはしなくなる。

きっとこれは、私があのシーラカンスにちなんだ能力を得たから、ではないだろうか。誰にも構われず、歴史の表舞台から消えることで、命を紡いだ、逃げの生物。シーラカンス。

深海で生き延びた彼らは。

誰にも構われないという事で、その命脈を保ったのだ。

学校から大分離れて。歩いていると。

不意に、すぐ側を、パステルブルーの軽自動車が走っていった。

乗っていたのは、あの大きな女だ。

エンドセラスとか言うあの女。私自身は認識できなかったようだけれど、おそらく忘れていない。

先回りするつもりだと見て良いだろう。

能力が完璧に効かなかった、というわけではないようだけれど。

しかし、私の事を認識しているというのがまずい。私を引きずり出すために、どんなことでもする可能性が高い。

もう、どうでもいいかな。

呆れとともに、感じてしまう。

そもそも私が死んで困る奴なんて、いるのだろうか。

ふと、それで気付く。

この能力を得た時点で、私はそもそも、世界という海の表からは姿を消したに等しいのだ。

案の定。

家の前には、エンドセラスが車を停めていた。

あからさますぎるほどの嫌がらせだ。どうでもいいが、どうしてあの女、軽自動車に乗っているのだろう。

滅茶苦茶金は持っていそうなのに。

不思議な事に。

民家の前に堂々と車を停めているエンドセラスを見ても、誰も何も言わない。此奴が私の事を忘れなかったのは、或いは。

私と似たような力の持ち主なのか。

いや、違う。

影からうかがうだけで分かる。あれは桁外れの力の持ち主だ。単純に強い力を持っているから、能力の影響を受けなかったとみていい。

他の奴は、あらかた影響を受けたのに、此奴だけ平然としている理由がそれか。

家の周囲はブロック塀で覆われているのだけれど。

エンドセラスは高級スーツで、平然とブロック塀に背中を預けている。つまり、スーツが多少汚れても気にもしないほどの財力があると言う事だ。

煙草を吸う様子は無いけれど。

腕組みして待っている様子は、非常に恐ろしげである。

妹が帰ってきた。

にこにこしている。何か、また別のグループから、イジメでも受けたのだろうか。彼奴はそうだと認識できないから、他の奴が構うだけで嬉しそうにする。ある意味、それで幸せなのかも知れない。

妹に、エンドセラスは構わない。

家のすぐ側にいるエンドセラスにも、妹はまるで動じること無く、家に入っていった。

「そろそろ、帰ってくるころだな」

不意にエンドセラスが、そんな事をいった。

サングラスを掛ける。

いきなり迫力が数段マシだ。あれはマフィアか何かの女ドンでも不思議では無い。何処かの傭兵団のボスか何かでも驚かない。

「いるなら出てこい。 この家を潰されたくなければな」

そう言われて、出るわけには行かない。

無言で私は、壁に張り付いて、向こうの様子を見る。エンドセラスは、少なくとも今の時点では、此方には気付いていない。

エンドセラスが、ブロック塀に手を掛ける。

セメントでくっつけられているはずのブロックの一つが。飴細工か何かのように簡単に、引きはがされていた。

流石に瞠目してしまう。

「私がその気になれば、五分でこの程度の家屋はぺしゃんこだ。 中の人間もろともな」

どういうことだ。

私がいるという確固たる確証があって、やっているのか。それに、エンドセラスは平然としていて、これから殺人をするというのに、まるで気に病んでいる様子が無い。人なんて殺し慣れているというのか。

あり得る話だ。

こんな無茶な能力を持っていれば、常識なんて完全に逸脱するのがむしろ普通だろう。あの篠崎という女も属しているグループと、激しい殺し合いでもしているのかも知れない。

呼吸を整える。

弟が帰ってきた。弟は不思議そうに、一部が欠けたブロック塀を一瞥したけれど。気にした様子も無く、家に入っていった。

弟はかなり長身で、バスケ部のレギュラーをしている。

その弟よりも。

エンドセラスは、更に背が少し高かった。

「その様子では、いるな」

ぐっと息を呑む。

どうすればいい。

流石に家族を見捨てるのは嫌だ。

別に私は、家族に対する情が深い方じゃ無い。妹や弟とはベタベタに仲良くしている訳でも無いし。

親と喧嘩もしょっちゅうする。

だがそれでも、殺されるのは嫌だ。

あのエンドセラスという女、本気だと見て良いだろう。

しかし彼奴の下に入ったら、何をさせられるのだろうか。能力を生かした仕事となると。暗殺か何かか。

冗談じゃ無い。

人を殺すのなんて、もっと嫌だ。

面倒くさいからである。

妹を虐めていたグループを半殺しにして分かったが。他人を叩き潰したり殺しかけたりするだけで、あれだけの騒ぎになる。

人が死ねば、もっと騒ぎは大きくなる。

私の平穏が、つまりは得られないという事だ。そのような状況下に自らを置くなどは、マゾに等しい。

唇を噛む。

今更篠崎に助けを求めても。

いや、どうにもならない。エンドセラスに利用されなければ、あっちに利用されるだけだ。

仕方が無い。

観念した私は、ゆっくりとエンドセラスの前に姿を見せる。

「参った。 降参」

「手間を掛けさせてくれたな」

エンドセラスが、ゆっくり此方に歩いて来る。

そして、私は。

いきなり、腕一本で、虚空につり上げられていた。

喉を締め上げる握力が、あまりにも凄まじい。悲鳴を上げることさえ、出来なかった。首を絞められるというのは、こうも苦しいことなのか。

「最初から手紙に応じていれば、此処までしなくても良かったのにな」

「……っ、……!」

「二三十発は殴ってやりたいが、お前は戦闘タイプの能力者では無いな。 私が殴れば死んでしまうし、残念だが止めてやろう」

不意に手を離されて。

地面に叩き付けられた私は。それでも、尻餅はつかなかった。

へたり込み、咳き込む私を。

エンドセラスは、ゴミでも見るかのような目で、見据えていた。

「さっさと歩け。 車に乗れ」

「……どうするつもりよ」

「まずは私のアジトに連れて行く。 逃げようなどと考えるなよ」

車に乗せられると、私は観念した。

この様子では、逃げる事など、とうてい無理だろう。

 

連れて行かれたのは、小さなビル。

道中で、エンドセラスが、高圧的な口調で色々教えてくれる。

奴の組織は、発展途上国のいくつかを既に掌握していて、強力な資金力を持っていると言うこと。

更に言うと、それらの国の特殊部隊も、この国でその気になれば動かせること。

この国の中枢にも、勢力が噛んでいること。

そして、実際の年齢は。

百歳を超えている、ということ。

別に驚かない。

この桁外れの能力、それくらい妖怪じみていてもおかしくは無いからだ。

「本来は、ある程度意思を尊重してやるのだがな。 お前は態度が悪かったから、半ば強制だ」

はいはい、さいですか。

逆らうことも許されていない。

途中で猿ぐつわを噛まされたからだ。その時に触られたのだけれど、文字通り万力のようなパワーだった。

ビルの中には、普通にテナントも入っていたけれど。

猿ぐつわを噛まされた私が、エンドセラスに連れられていても、此方を見る奴はいない。全部エンドセラスの部下なのか。或いは、エンドセラスの能力なのか。

四階にあるオフィスに放り込まれる。

其処には、いかにもな連中が数人、此方を見下ろしていた。

「エンドセラス様、此奴は?」

「メガテウシス、お前には朝言ったはずだが」

「へ? ええと……」

小首をかしげているのは、小柄な女。やたら可愛らしい。

篠崎は物静かな美少女だったが。このメガテウシスと呼ばれた奴は、明るくて花のような雰囲気だ。

着込んでいるのもいわゆるゴスロリスタイル。髪型もツインテールにしていて、極めてあざとい。

これで人形か何か抱いていたら完璧だっただろう。

「新庄逸美だ」

「分かりません、ごめんなさい」

「これではっきりしたな。 此奴の能力は、認識遮断だ」

「認識遮断?」

可愛らしく小首をかしげるメガテウシス。

他の奴らが黙っている様子を見ると、此奴がナンバーツーなのかも知れない。そもそもメガテウシスって何だ。

どういう生物だ。

「自分自身の認識を、周辺から遮断する。 能力は他人にかけるのでは無くて、自分に対する認識を、自分という単位で世界から切り取るのだ」

「へえ……!?」

納得がいっていない様子のメガテウシス。

私の方は、なるほどと思った。

確かにそれならば、納得がいく。

大男が、後ろに回ると。猿ぐつわを無言で取ってくれた。もの凄く筋骨隆々としていて。そして、まるで置物のように寡黙だった。

「いいの、大声出すかも知れないよ」

「出しても無駄だ」

「ああそうでしょうよ」

このビルの中にいる連中は、全てエンドセラスの手が掛かっているとして。

ざっと見たが、窓は完全に防音仕様。

更に言えば、である。

今時、悲鳴が聞こえたくらいで、通報する奴なんていない。そんな事は、わざわざ言うまでも無い事だ。

「それで、こんな所に連れてきて、私をどうするつもり」

「まずはこれを身につけろ」

放り投げてこられたのは腕輪だ。

多分付けたら外れなくなって、無理に外そうとするとドカンとか、そういうのだろうか。ぷいとそっぽを向くと。

恐ろしい薄ら笑いを、エンドセラスが浮かべる。

「此処にいる能力者は皆私の腹心だし、何より私自身が此処にいる。 あまりくだらないことをしていると、どんどんつらい目に遭うぞ」

「嫌だよ。 どうせ外せない腕輪で、外そうとしたらドカンとかでしょ」

「察しが良いな。 お前に最初発信器を付けていたのだが、それは途中でお前の能力の影響で無力化されてしまったからな」

正確には、違うはずだ。

発信器の周波数が、私の能力の影響で、認識されなくなったのだろう。発信器自体は、今でも私についているはず。

だが、それをいちいち指摘しても仕方が無い。黙っている私に、エンドセラスは高圧的に続ける。

「此奴は私の意思で爆破できる。 ちなみに起爆したら腕一本どころか、体が半分は消し飛ぶぞ」

「そんなもの、付けるわけ無いでしょ」

「付けなければこの場で殺す。 人間の死体の一つや二つ、処理は簡単だ。 それにお前は、能力を見てはっきり理解できた。 もしも相手側に渡ったら危険すぎる。 配下にならないなら、処分するしか無い」

薄笑いが浮かんで来た。

相手に廻ると面倒だから処分する。

そうなりたくなければ、命を握らせろ。

確かに言っている事は理屈にあっているけれど。どれだけ勝手な話なのか。この腐れ婆、絶対に殺す。

そう呟いたけれど。

聞こえてはいないようだった。

「ねえ、戦ってる相手って、そんなに危険なの?」

「戦っている相手というと、対立組織の事か? 対立している能力者集団は幾つかあるが、連中はさほど危険では無いな」

ならば何故。

それで、思い当たる。

まさか此奴らの仮想敵は。

重要なことは、エンドセラスも喋らない。これ以上の事は、流石に喋ってはまずいから、だろうか。

いずれにしても、これではっきりした。

此奴らとは組めない。

配下に入る訳にもいかない。

しかし、かといって。家族はどうすれば良いのだろう。そもそも、である。東大に行くためにしていた勉強は。

ため息が漏れる。

どうやら、他に手は無いらしい。

「じゃあ、しょうがない。 どうやらこの世界と、おさらばするしかないみたいだね」

「ほう……」

エンドセラスが顎をしゃくる。

同時に、周囲にいた連中が、一斉に殺気を放った。今の私は、それを感知できる。

殺される。

だけれど、私は。殺される気なんて、さらさらなかった。

自分の胸に手を当てる。

そして、さっきの比では無い。全力で、能力を展開していた。

そうすれば何が起きるかも分かっていたし。

自分の判断がどれだけくだらないかも知っていたけれど。

家族を死なせず。

此奴らのいいなりにもならず。

平穏に暮らして行くには、これ以外にもはや、手段は残されていなかった。

 

エンドセラスは思わず腰を浮かせたが。

その後、気付く。

何が起きたかは、言われずとも分かった。

しかし、それ以上何も出来なかった。何しろ、奴の。確かシーラカンスの能力者。名前を思い出せないが。そいつの家が何処にあるかも、分からなくなってしまったからである。まさか、此処までの力を秘めていたとは。

してやられた。

メガテウシスに到っては、ぽかんとして辺りを見回している有様だ。何が起きたかさえ、認識できていない。

「あれ、私、どうして此処にいるんでしたっけ」

頭に来たので、メガテウシスの頭を掴んで、壁に放り投げる。

漫画みたいに頭から突き刺さるメガテウシス。

ビルが揺動する。

それだけ、私が怒っているという事だ。本気でぶん投げたらビルの壁を突き抜いて隣のビルに突き刺さり、どちらも崩落させてしまう。

ひどい、いたいともがいているメガテウシスを、無言でギガントピテクスが引っこ抜いた。これでもそこそこの戦闘タイプ能力者だ。この程度の事では死なない。涙目になって此方を見るメガテウシスだが。エンドセラスにして見れば、アホな娘を躾けた程度に過ぎない。

この程度で死ぬようなら見込みもないし。

何より、そんな柔な鍛え方はしていない。

「もうあれは、この世の者では無くなってしまったな」

独りごちる。

エンドセラスは能力者としての自分を極めた。だからこそに分かる。能力者については、世界の誰よりも詳しい。

あの能力を、一度全力で展開すれば。

そうすれば、どういうことになるか。

あれはシーラカンスの力。

である以上、求めているものも明らかだった。平穏と、安息。それを乱そうとすれば、自分だけの深海に逃げ込むのは、ある意味必然であったとも言える。

デスクに置かれている電話が鳴る。

出るように促す。

そもそも此処の電話番号は、特殊な処理をしていて、普通だったら絶対に掛かってこない。

掛かってくるという事は。

それだけの大事というわけだ。

コンクリの破片を頭から払いながら、泣く泣くメガテウシスが電話に出る。二三会話をしていたが。すぐにメガテウシスが黙り込む。

そして青ざめた顔で、受話器を差し出してきた。

ぶるぶる震えているメガテウシスは、受話器の口を押さえることさえ忘れている。

「え、エンドセラスさま」

「どうした」

「アナシタム共和国でクーデターが発生したそうです」

思わず、周囲の者達が後ずさる。

それだけ、エンドセラスが、凄まじい怒気を放ったからだ。

アナシタム。

アフリカにある小国である。

いわゆるアフリカの年に独立を果たした国家の一つ。だが、他のアフリカの国々と同じように、国際社会の中で必ずしも自由を謳歌出来たわけではない。この国も貧困から来るゲリラの横行と情勢不安を抱えていて、長年強力な指導者を欲していた。

この国は、エンドセラスが次に落とそうと考えていた場所である。

既に小国を幾つか、エンドセラスの組織は、掌握しているのだけれど。この国が有している幾つかの資源が、今後大きな戦略物資として機能するはず、だったのだ。この国だけでは生かせない資源も、エンドセラスが支配下に置いている国々を包括的に用いれば、十全に活用できた。

その筈なのに。

ぎりぎりと歯を噛むエンドセラスは。

かって海中で、最強最大を誇った頭足類。当時の海中で、食物連鎖の頂点に立っていた最強の存在に相応しい迫力で、辺りを睥睨していた。

「どうやら、アナシタムに行かなければならないようだな」

「エンドセラス様が自ら、ですか」

「彼処を任せていた三人は、情報戦特化型だ。 クーデターがそれでも起きたという事は、奴らでは手に負えない相手が来た可能性が高い。 たとえば、大国の諜報組織とか、な」

「まさか」

あり得ないとは言い切れない。

今の時点でエンドセラスは、米国には敵対しない方向で、発展途上国にて勢力を伸ばしている。

米国としても、幾つもの小国を事実上掌握しているエンドセラスを苦々しくは思っているだろうが。

それでも、国際情勢を鑑みるに、安易に手出しは出せずにいる。

この状況を利用して、もう幾つか国を落としておく予定だったのだが。此処でもし米国が関与しているとすると。

エンドセラスの最終的な計画に、気付かれた可能性もある。

そうなると厄介だ。

「一ヶ月で落としてくる」

「分かりました。 それまでは、此方でどうにかします」

「余計な判断はしないように」

「は……」

ようやく調子を戻しはじめたメガテウシスが頭を下げる。

ずっと黙っていたギガントピテクスが、咳払いした。

「新庄逸美は良いのですか」

「誰?」

小首をかしげているメガテウシス。

だが、エンドセラスは驚く。

まさか、他の誰もが奴の能力に屈した中。此奴だけが、対抗できているとは、思わなかった。

しかも名前まで覚えているでは無いか。

自分でさえ、名前は失念してしまったほどなのに。今、再認識できたが。

流石に逃げ去った新庄を認識は出来ていなかったようだが。

ただのでくの坊だと思っていたのだけれど。

これは案外に、使える奴なのかも知れない。

「メガテウシス。 お前の所で、ギガントピテクスを前線に投入。 能力に磨きを掛けさせろ」

「え? 此奴はただ腕力が大きいだけの出来損ないですよ」

「……言うとおりにしろ」

「ひっ! わ、分かりました」

出来損ない、か。

メガテウシスはそう言うが、事実ギガントピテクスは、桁外れのシーラカンスの能力に、抵抗出来ている。

これは或いは。

何か此奴の能力は、想定されていたものとは、別なのかも知れない。

ならば、前線に投入して戦わせていれば、その内能力が開花する可能性もある。

エンドセラスは既に百の年を重ねてきているけれど。

不老不死では無い以上、次の百年に到達できるかは分からない。ならば部下を鍛えぬかなければならないのは、当然のことだ。

後継者となる存在にも、未だに思い当たる相手がいない。

それならばなおさらだろう。

残念ながら、メガテウシスは力不足が目立っている。能力自体は悪くないのだけれど、才能を鼻に掛けるところがある。

此奴は跡継ぎにはなれない。

そう、エンドセラスは、内心で見切りを付けていた。

あのティランノサウルスが配下に加わってくれれば、一も二も無く奴を後継者にしたいのだけれど。

世の中は、上手く行かないものである。

彼奴はおそらく、今後エンドセラスの敵としてしか、存在しないだろう。

「すぐに飛行機を用意しろ。 空港には、私だけで行く」

「護衛は付けないのですか」

「不要」

どうせアナシタムには、飛行機で三十時間は掛かる。

しかも直線距離で行く事は出来ない。アフリカ奥地の小国と言う事もあって、行くにも色々なルートを駆使しなければならないのだ。

今から行くと、二日後の昼に着けば良い方だろう。

シーラカンスは惜しかったが、正直もうそれどころではない。

今後の世界に対する戦略のためにも。

こんな所で躓く訳にはいかなかった。

 

4、なくなる場所

 

自分が取り返しがつかないことをした事は理解できていた。

だからこそ。

これだけの激烈な反応が発生すると。青ざめてしまう。分かってはいたのに、である。何だか愚かしいなと、自分でも思った。

その場にいる。

それなのに。

エンドセラスさえもが、私を認識できなくなった。

その場にいながら、私が見えていないのだ。

文字通り、世界からはじき出されたのだと、私は理解できた。

見えていないのである。

そのまま、そろり、そろりと、ドアへ。そしてドアを開けて、堂々と外に出るけれど。それを誰も不思議と思わない。

私のことをまだエンドセラスが口にしていたけれど。

それが限界。

化け物じみた奴だけれど。それでも、私の自爆技に等しいこの能力の前には、無力に等しかった。

そして何ら意味が無い事に。

私自身も。もはや世界にとって、無力な存在になり果てていた。

無言でビルを出る。

私を認識しているものは、誰一人いない。

これが深海に潜ると言う事か。

世界という海を離れて。暗く静かな、自分だけの空間に逃げ込んだのだ。

周囲には、今まで見えなかったものが、たゆたっている。

幽霊というものだろうか。

分からないけれど。はっきりしているのは、それが無害であると言う事。此方を認識しても、何も出来ないという事だ。

私にとって、世界とは何だったのだろう。

分からないけれど、はっきりしているのは。この状況になって、妙にすっきりした、という事だ。

何もかもから解放された。

パン屋に入ったので、適当に万引きしてみる。

勿論悪い事だと分かっているので、レジに代金はおいた。ただし、今後は、そうも言っていられなくなるだろう。

パンを食べてみるけれど。

味が全くしない。

幼い頃、粘土を口に入れてみた事があるけれど。アレに近いかも知れない。何というか、食べたという達成感もないのだ。

電車に乗る。

途中の改札は、反応さえしなかった。

電車で待っていると、不思議と私がいるところに、誰も入り込んでこようとはしない。或いは見えているのだろうけれど。私の事を、個として認識できていないのかも知れなかった。

悪戯をしてみても面白かったかも知れない。

実際、物理的に干渉はできているのだ。

その気になれば、色々な事が出来る。それこそ、エンドセラスがさせようとした、暗殺だって。

電車に揺られて、最寄り駅に。

黙々と、歩いて家に。

家に入っても、周囲の反応は同じだった。

私を慕っていた妹でさえ。

私に、無反応である。

誰もが、私の事を認識できていない。たとえば、夕食を適当に食べていても、誰も此方を見ない。

誰かがいると、分かっていないのだ。

それでいながら、私がいるころの反応はしている。

部屋に入ってくるようなことはしないし。

私が座っている席に、割り込んでくるような真似もしない。

私は幽霊になったのでは無い。

単純に、誰からも相手にされなくなったと見て良いだろう。それでいながら、何かが其処にあるということだけは、誰もが理解していて。理解しているだけで、其処へ触ろうとしない。

悪用しようと思えば。

いくらでも出来る能力だ。

だけれど、分かるのだ。

これはもう解除できない。そして私は、このまま生きていくしか無い。

 

ベッドに転がって、ぼんやりと天井を見上げる。

勉強なんて、する気にもなれなかった。

というよりも、して何の意味があるのだろう。

東大には受かれるかも知れなかったけれど。この能力はその気になれば、何処にでも入れて。何でも略奪できる。

生活には一生困らない。

はっきりいって、最悪の意味での、搾取能力だ。

勿論車などの事故には気をつけなければならないし。病院にも多分掛かる事は出来ないけれど。

何となく分かるのである。

私の体は、今までに無いほどはっきり強くなっている。

多分癌以外の病気ではびくともしないだろうし。

それでさえ、私を殺せるか分からない。

好きなだけ寝ていても、何も言われないけれど。その代わり、誰も此方に構わない。ある意味、本当に空気になってしまったかのようだ。

もうエンドセラスも、此方を追っては来ないだろう。

事実家の外に奴が来ている形跡も無い。

更に言うと、監視をしている様子も無い。

というか、恐らくは。

奴は名前だけはどうにか覚えられていたようだけれど。私の実家の位置さえ、もう把握できていないだろう。

前は私を認識できていたようだけれど。

今ではもう、私の姿さえ、把握できていないようだ。

それなら、無理もない。

世界そのものから、自分を追い払う能力。

確かに、生きるにはこれ以上も無いほど、特化した力と言っても良い。

だけれど、これは。

私だけが、生き残るために特化した能力なのかも知れない。

暇極まりないので、妹の学校に行ってみる。

妹は見ての通りなので、学力もお察しである。学校で虐められていても、そうだとは気付かないほどなのだ。

以前病院送りにしたグループは、流石に戻ってきていないけれど。

学校で見ていると、妹は散々悪口を言われ、面と向かって馬鹿にされていた。それでもにこにこしているのが、痛々しくてならない。

不快な阿呆の後頭部を掴むと、そのまま壁に叩き付ける。

頭から血を流して、地面に転がるそいつを踏みつけて、唾を吐きかけてやった。

不思議な事に。

そうしている間、誰も反応しないのに。

私が離れた途端、皆が騒ぎはじめる。

妹はわんわん泣き始めるし、最悪だ。

さっさと教室を離れる。この様子では、影から守ってやっても無駄だ。というよりも、何をしても妹のためにならないだろう。

何というか、何もかもがあほらしくなってきた。

弟の様子も見に行く。

こっちはというと、周囲から愛されているようで、何もする必要は無い。

スポーツが出来るだけのあんぽんたんだが。

それが故に、もてるということもあるのだろう。

あくびをすると、側から離れる。

両親の働きぶりも、見に行こうと思った。

父は係長として、そこそこに頑張っている。とは言っても、零細企業の係長だ。あまりえらいとは言えない。

見ただけで無能と分かる親族が経営している会社だ。

実質上は年老いた部長が取り仕切っているようで、彼が死んだ後は会社が没落するのが目に見えている。

こんな所で働いていて、大変だな。

私は、そう思った。

母はというと、パートから仕事を変えていた。今は小学校の学童保育をしているようだ。

市などから仕事が来るので、その度に近隣の小学校を移るらしい。

見たところ、呆け防止にも丁度良いのだろう。

それに元々子供が嫌いでは無いようだし、適職かも知れない。

周囲には色々と問題のある大人もいるようだけれど、手は出さないで置く。妹はとにかく見ていて頼りないけれど。母はもういい大人だ。

私が影で動いたって、碌な事は無いだろう。

見ているだけでは、正直退屈だ。

気がつくと、受験シーズンも過ぎてしまっていた。

完全にいないものとなってしまった私は。

当然、東大もまっとうな方法では受ける事が出来なかった。

 

東大の受験会場に潜り込んで。

問題をくすねて、試験そのものは受けてみた。

名前を書いて、提出。

その前に、一応申込用紙も出していたし。学校に忍び込んで、手続きもしておいた。だから、一応受ける事自体は出来たのだけれど。

その後、問題を思い出しながら、自己採点をしてみる。ケアレスミスも考慮して、少し厳しめに採点するが。それでも充分だった。

合格はした。

ただし、何ら実体の無い合格だ。

私が座って試験を受けている間、周囲は私に全く気付いていない様子だったし。

何より、学費が振り込まれることは、多分無いだろう。

銀行か何かから、お金をくすねてくることは出来るけれど。

毎日、家の冷蔵庫から食事をくすねているだけでも、心が痛んでいるのだ。それでいながら、家族は誰も、私が食べていることに気を払わない。

何というか、自分だけが高みの見物をしているようで、気分が悪い。

歩いていると、ふと気付く。

大勢の学生が行き交っている中、見覚えがある奴が近づいてくる。

彼奴は、確か。篠崎田奈。

よく見ると、私よりそれなりに年下のようだ。以前会ったときよりも、かなり幼く感じる。

或いは、ひょっとすると。

前は舐められないように、化粧をして年を誤魔化していたのかも知れない。

あり得る話だ。

側を通り過ぎる。

不意に、声を掛けられたのは、その時だった。

「新庄さん?」

「!」

足を止め、振り返る。

此方を見てはいない。しかし、明らかに気付いているようだった。

「何処に、いるんですか?」

「……」

無言で少しずつ距離を取る。

だが、今度こそ、篠崎は此方を見た。

じっと見ている。

どうして、気付かれたのか。

「やはり、新庄さんですね。 東大の受験会場に来るんじゃ無いかと思って、張っていました」

「エンドセラスさえ此方を認識できなくなったのに、どうしてお前が」

「それは、私がちょっと変わり種だからです」

変わり種。

どういう意味だろう。いずれにしても、此奴とはあまり関わりたくは無い。

エンドセラスの所を逃げ出して、もう何ヶ月か経つ。

彼奴はどこぞの国を抑えているとか、そう言う話までしていた。多分巨大な国際シンジケートのボスなのだろう。

そいつと対抗しているような連中が、きれい事で動いているはずが無い。

それならば此奴らも、同じだ。

私は別に頭が良くは無かったけれど。今はそうでもない。一応東大に入れるのだし、相応の知能は身についたとは思っている。

だからこの程度の判断は朝飯前だ。

「利用されるのはごめんでね」

「待って。 少し前に情報が入りました。 エンドセラスさんの一派が、一人有用な人材を取りこぼしたって。 恐らくは、貴方の事ですね」

「それが何か」

「やはり、そうでしたか」

田奈は前々からとても容姿が整っていたけれど。

以前会ってから半年ほどで、更にそれが磨かれたような気がする。行き交う学生達も、かなりの数が、田奈を見ていた。

私とは、別の存在だ。

元々周囲から認識されなくなったとは言え。というか、私は元々、平均的な容姿。平均的な能力。

シーラカンスの力に目覚めて、平均からは脱したけれど。

容姿は変わっていない。

何処にでもいる、目立つ事も無い女だ。

可愛らしくも無ければ、別にみるべきと頃もない。恋をしたって化粧したって、変わりはしない。

性格だって良くは無い。

能力に目覚めてから暴力的にはなったけれど。

その前だって、私を慕う奴なんて、妹くらいしかいなかった。

「もう、放って置いてくれないか」

「どうしてですか?」

「私は静かに、一人で暮らしたいんだ」

これについては、本音だ。

私にとって、一人で暮らすと言うのは、生涯の夢。

そして今、その願いは、叶っていると言える。それなのに、どうしてだろう。どうして、受験会場に何て来た。

どうして此奴の言葉に、心が揺れている。

「貴方は、どうして受験会場に来たんですか?」

「……黙れ」

「貴方には、未練がある筈です。 そうでなければ、此処で貴方に会うと言うことは、無かったでしょう」

近づいてくる篠崎。

背は私より低いはずなのに。

足が地面に張り付いたように動かない。

一歩の距離まで、近づいて。そして、何かを渡された。

「おそらく貴方は、能力を極限まで展開してしまっている状態になっている筈です」

「それが、どうした」

「中和剤です。 飲めば、多少は力を抑えられます。 それを飲むかどうかは、判断をお任せします」

そんな事、言われなくても。

渡されたのは、錠剤だ。

だが、それを、どうしても地面に投げ捨てられなかった。

「試験は受かりましたか?」

「恐らくは、な」

「能力を制御しないと、それも無駄になります。 よく考えて、出来るだけ早めに、決断をしてください」

ぺこりと一例だけして。

篠崎は、その場を離れていった。

 

部屋で、ぼんやりとする。

ベッドの上で、膝を抱えて。渡された錠剤を見つめる。

これを見ていて、どうなるというのか。

飲めば、多分またエンドセラスに追い回されることになる。でも、確かテレビで見た。奴が言っていたアナシタムという国は、クーデターが失敗。結局現政権が権力を取り戻し、盤石な状態になりつつあると。

そのテレビにも、エンドセラスが映っていた。

大統領の後ろで、腕組みしてサングラスをして。演説を睥睨しながら見つめていた。

アレはおそらく、権力をしっかり掌握した事を、確認するためだったのだろう。そして、自分の存在を、アピールもしていたはずだ。

大統領は完全に傀儡。

小国とは言え、人口は五百万を超えているはず。幾つも小国を抑えているとなると、数千万の人間が、あの化け物の膝下にいるのだ。

あんな化け物に追い回されるのは、ぞっとしない。

かといって、篠崎の組織だって、似たようなものの筈だ。やはり、どちらにも、荷担はしたくない。

でも、全てを無駄にするのは。

深海に潜ったシーラカンスは。

今も、深海で静かに暮らしている。

その周囲には、安定した環境。

餌も殆どいない中。

暗闇に紛れるようにして。シーラカンスは、身を寄せ合って、今でも静かに静かに生きている。

私も、それと同じだ。

錠剤を、どうしよう。

何度も口に運ぼうとしたけれど。

その度に思いとどまる。

私は。どうしたいのだろう。

海上に出れば、追われる日々が待っている。貧弱な私では逃げ切れないし、どうせもう日常に戻る事は出来ない。

しかし深海にいれば、そのまま究極のニートとでもいうべき状態を継続することになる。せっかく受かった東大も、今までの努力も、全て無駄になる。

その上私の能力は、制御が効くほど優しいものでもない。

結局私は。

もはや、八方ふさがりなのだと、自嘲するほか無かった。

 

錠剤を飲む前に。

最後に、篠崎達の様子を見に行った。これだけ能力を展開していても、篠崎だけは、私に気付いているようだった。

場所は、都会の一角。

ある廃ビルの中。

廃ビルと言っても、電気は通っている。どうやら倒産した、中規模の家電店らしい。埃を被った古い家電が放置されており、二階建てで、ゾンビ映画の撮影に使えそうなほど、雰囲気がある廃墟だ。しかしながら、二階の奥には、電気が通った部屋があって。其処に十数人の能力者が集まり、ミーティングをしていた。

おしとやかな篠崎は、その中で秘書のような役割を果たしているようだ。しかも此奴は、話を聞いている限り、オルガナイザーもしているらしい。以前話したから知っているが、大人しそうな見かけと裏腹の、かなり出来る奴である。

集まっている連中は、ポニーテールの健康的な女を中心にしている。あれは私と同年代だろうか。

ポニーテールの女はパンツルックで、野性的な雰囲気さえある。美少女と言うには既に無理が出始めている年に見えるから、私と同年代だろうか。ティランノサウルスと呼ばれているが、さもありなん。

見ているだけで分かる。凄まじい戦闘能力を内包している。あれはエンドセラスに拮抗できるかも知れない。

地球の歴史上、おそらく最強を誇る陸上肉食生物。それがティランノサウルスである事くらい、私だって知っている。

「エンドセラスの組織は、また一つ小国を落としに掛かっているみたいだね。 更に奴は資金力とマンパワーを増強することになる。 流石に米国も警戒をはじめたみたいだけれど」

「それについて、調べを付けています。 どうやらエンドセラスは、米国に能力者の人員提供を行う事で、ある程度の目こぼしを認めさせたとか」

ホワイトボードに資料を貼りながら、篠崎が説明していく。

時々此方を見ている。

気付いていると言う事だ。

パイプ椅子に座っている連中は、殆どが能力者だろう。中には肉弾戦闘能力を有していなさそうな奴もいる。老若男女も様々で、一貫性が無かった。

「参ったな。 そろそろ実質支配下にある国が十を超えるんじゃないの」

「それだけない。 大きな影響力を持つ国を含めると、既に二十に迫っていると見て良いだろう」

「そうなってくると、ますます新参能力者狩りが、苛烈になってくると判断するべきだろうね。 新参の能力者がどんどん増えているようだけれど、みなエンドセラスに屈服するか、我々で助け出すか、二択を選ばされる事になる。 今後は、特殊な能力者ほど、中立ではいられなくなる」

「我々に対する圧力だって」

黙り込んで腕組みしている、リーダー格らしい女が、挙手した。

ユタラプトルと呼ばれている。

この間エンドセラスの所で見たメガテウシスと雰囲気が似ているけれど。此奴が組織のリーダーか。

いや、一応リーダーのようだけれど。

実働的に最有力なのは、ティランノサウルスのようだ。これは正直な話、組織が下手をすると空中分解しかねないなと、私は思った。

「最悪の事態は、エンドセラスが核を搭載したICBMを入手すること。 今奴が支配を伸ばしはじめている中東の小国で、それが実現する可能性がある」

「おっと、それはまずい」

「でもどうすればいい」

困惑する連中。落ち着いているのは、篠崎とティランノサウルスだ。

自分が行くと、ティランノサウルスは言う。

気は進まない様子だが、何人かがそれに同調した。此奴らは、あの化け物と戦う事を、怖れていないのか。

或いはこの平和な国の裏側で。

能力者同士の、血で血を洗う争いが繰り広げられているのか。

私でさえ、身体能力は生半可な人間とは比較にもならない。ティランノサウルスに到っては、その気になれば完全武装した軍隊を、真っ正面から壊滅させるだけの実力を有していると見て良いだろう。みるだけで、それだけの使い手という事が分かるのだ。特殊部隊の一個中隊に、一人で匹敵する。

米国は、喉から手が出るほど欲しいはずだ。

私は、結局闇に沈むことを選ぶか。

血なまぐさい海上に出るか。

二つに一つの中から、選ぶしか無いのだろう。

死ぬのは嫌だ。

だから、三つ目の選択肢は、ない。

私は、錠剤を飲むことにした。

ただし、連中の会合から、離れてから、である。

能力の制御が効かない状態は、結局の所、困る。そう自分に言い聞かせながら、錠剤を口にして。

そして、数分後には、電話が掛かってきた。

篠崎からだった。

「貴方の存在を、他の人達も認識しました。 能力を中和したんですね」

「ああ。 考えてはみたんだけれどな。 結局、家族に目に見えない形で迷惑を掛けながら、だらだら生きるのは性に合わない」

「そうですか。 それで、どうするおつもりですか」

「出来れば、お前達にも、エンドセラスにも、荷担はしたくないんだけれどな」

私の能力は、あまりにも強力。

その気になれば、米国の大統領を白昼堂々暗殺する事だって出来る。

だからエンドセラスだって、落ち着いて戻ってきたら、私を確実に捕まえに来るだろう。

とろくさい肉の塊が、地上でのうのうと生きていけないのと同じ事。私に、平穏な未来なんて、ないのである。

シーラカンス達と違って。

私は結局、浮上することを選んでしまった。

シーラカンスではあるけれど。

人間でもあり。

そして、自分の尊厳を、結局持ってしまっているから、だろうか。

「代替案があります」

「へえ?」

「最近、私達にCIAが接触してきています。 CIAの嘱託職員に、貴方を推薦しましょうか」

なるほど、その手があったか。

エンドセラスの様子を見る限り、米国とはまだ緊張感がある関係を維持している。更に言えば、篠崎のいる組織も、米国に屈しているわけでは無さそうだ。

私は、どちらに逃げ込むことも出来るとカードをちらつかせながら、CIAの保護下に入れば良い。

そうすることで、誰も好き勝手には出来なくなる。

自分を強固な武装で固めている永世中立国と同じやり方だ。

「いいの、あんたはそれで」

「敵に回られるよりずっとマシです。 エンドセラスさんも、おそらくそれで納得すると思います」

「その年で、随分ハードな事を考えているんだね」

「ここ半年で、二十六回実戦を経験しました。 今後は多分更に増えると思います。 弱いままではいられませんから」

篠崎は、おそらく電話の向こうで、あのアイドル顔負けの造作で。儚い笑顔を浮かべているのだろう。

元は、此処まで出来る奴では無かったはずだ。

経験が、此奴を、地獄で生きられる化け物に押し上げたのである。

そういえば此奴は、アースロプレウラと言っていたか。

遙か昔、地上がシダで覆われていたころ。生きていた巨大なヤスデの仲間。装甲で全身を覆い、シダの森で我が物顔に歩き回っていた、覇者。

能力者としても。

それに人間としても、私とは桁外れの存在であっても、不思議では無いだろう。

二日後に。

篠崎が渡りを付けてくれたらしいCIAが、連絡を取ってきた。

さて、此処からだ。

上手にやらなければ、尻の毛までむしられかねない。

面会の連絡を取り付けて電話を切ると。

下から、母が呼んでいるのが分かった。

食事だという。

東大に受かったから、今日は豪華な夕食を用意したという事だった。

家族も、今後は下手をすると、戦いに巻き込まれる。

水面に浮上した。

もはや安定した深海ではない。周囲は修羅の世界。鈍重なだけの肉塊なんて、即座に餌にされてしまう、悪夢の場所。

生きるためには、自分なりに、戦わなければならない。

身を守るためには、自衛のための力を、身につけなければならない。

私の双肩に掛かる責任は。

決して軽いものではなかった。

 

(終)