終焉と朝日

 

序、目覚め

 

少しずつ意識が戻ってくる。ええと、なにがあったんだっけ。そうカルネは自問自答する。

そして、少しずつ思い出す。

極限状態まで絞り込んだ体で、クローン達を教育していたのだ。

そうだ、F22ラプターの操縦方法を教えて。

そして、自分の持つハッキングの奥義を全てクローン達に授けた。

最後の一滴まで。

知識を絞り出し、提供した。

目覚めたと言う事は。つまり、そういう事なのか。いや、にっちもさっちもいかなくなって、起こされた可能性もある。その場合は、ゾンビ化待ったなしだ。

しばしぼんやりとしていると、少しずつ視界がはっきりしてきた。

また意識が茫洋とする。

恐らく麻酔を嗅がされて、手術されているのだろう。何となく、そう思ったけれど。その割りには、それほど体に負担が掛かっていないように思える。

何年、経過したのだろう。

少しずつ、意識がはっきりしてきて。

そして、顔を覗き込んでいる奴が分かった。

何人かは、年老いたクローン達。そして、一人。米国副大統領、アーノルド=バークスである。

ああ、此奴が起きていると言うことは。

そうか、やり遂げてくれたのか。

うっすらと笑おうとして、失敗。

咳き込む。

人工呼吸器をつけられているのだが、見た事もない形状だ。技術が信じられないくらい上がっているのか。ベッドなどの感触も、以前とはまったく別物である。数日かけて、意識が戻ってきて。

そして、ようやく人工呼吸器を外して貰ったのは。

一月くらいが経過した頃だった。

「エイズウィルスの除去完了。 内臓もあらかた回復していますよ、カルネさん」

「ええと……名前は?」

「0212937です」

「そっか……」

クローンだから見分けもつかない。だから番号で呼ぶ。

その通りに、ずっとやってきた訳か。

少しずつ、話を聞く。奈木のクローンだろう彼女は若々しく、表情も言動も奈木よりは01に似てとても素直だった。

クソみたいな環境で育たなければ。こんな優しそうな子に育ったのか。

そう思うと、本当に反吐が出る。

とはいってもこの状況。恐らく、その反吐が出るような環境は全て滅び去り、過去のものとなったのだろう。

順番に話を聞いていく。

およそ250年の研究で、ゾンビ化の解析が完了したそうだ。

ゾンビ化の仕組みについて、説明を受ける。

やはり教育システムの継承はしっかり行われていたらしく。すらすらと0212937は説明し。質問にも、立て板に水で応えてくれた。

満足して、最後に一番どうでも良いことを聞く。

「で、此処はひょっとしてヘイメル基地?」

「はい。 元とは比べものにならない程大きくなっていますけれど」

「見てみたいな」

「あと数日で歩けるようになります。 それまで我慢してください」

愛用の携帯ゲーム機を渡される。

驚いた。

殆ど完璧に保存されているし、ロムの内容までばっちりだ。しかもゲーム機が軽くなっている。要するに、見かけは同じだが、軽く頑強に改良されている、と言う事だ。

笑みを浮かべて、しばしベッドでゲームをする。ゾンビ化の兆候は無い。

しばしして、副大統領が来た。

「カルネくん、体の様子はどうかね」

「まあまあですね」

「……エイズをこんな短時間で駆除し、死ぬ寸前になっていた君を此処まであっさり回復させるとは……。 200年以上分の技術進歩があったとはいえ、恐るべき状況だ」

「副大統領は知らないかも知れませんが、あの子達はとても真面目で素直ですよ。 そして恐ろしく腕が立ちます。 頼むから、誠実に接してください。 そうすれば牙を剥くこともないでしょう」

苦虫を噛み潰すように、副大統領が顔を歪めた。

この男も、ゾンビパンデミック前はパワーエリートどもの跳梁跋扈をどうにも出来ず。悪化していく世界情勢の中で、政治屋として動いているだけに過ぎなかった。

壊滅的なゾンビパンデミックが起きて、ようやくリーダーとしての素質が開花したとはいえ。

それでも、実際に現場を動かしていたのはカルネ達である。

誠実な政治家として振るまえと言われても。

どうしていいのか分からないのかも知れない。

咳払いすると、副大統領は少しずつ話をする。現在、このヘイメルは巨大都市と化していて。カルネが必死に保存した世界各地のインフラが、全て集約されているという。

三つの原子炉と工場の数々。

戦車や戦闘機、戦闘艦艇。

その全てが、過去のものとはまるで別物だそうである。

原子炉にいたっては、核融合炉が実用化されているらしく。汚染物質を垂れ流していた核分裂炉は過去の遺物になった。

「戦車に至っては、時速200q出るのを見た。 最高速度ははるかに上だそうだ。 しかもその速度で、的に百発百中、200qに至るまで4秒。 乗せて貰ったが、殆ど加速も感じない。 しかもその気になれば一人で動かせる超兵器だ。 エイブラムスの120ミリ程度では至近からの射撃でも装甲に傷一つつかん所も実際に見せてもらった。 当然水陸両用、空挺まで出来るとか。 技術力があまりにも上がりすぎていて、頭がクラクラする」

「彼女らはとても頑張ってくれた、ということです。 そして一緒に歩んでいけるという事でもありますよ。 その気になれば、彼女らは副大統領を眠ったまま消せたんですから」

「……それで、どうすればいいのだ」

「まずは彼女らの代表とよく話し合ってください。 ボクほどではないにしてもとても頭が良いですから、選挙で口にしていたような詭弁は一切通じませんよ」

副大統領が渋い顔をする。

事実を告げているだけだが、それはとても苦いからである。

「まったく、やりづらいな」

腰を上げると、副大統領は前より元気になった様子で病室を出て行った。

そういえば。副大統領だけではなく、カルネも体が少し若返った気がする。眠る直前、カルネは無理がたたって、実年齢の34よりも、かなり肉体年齢が行っていた気がするのだ。

エイズを体にぶち込んで、内臓もメタメタに敢えてしていた。そうしなければゾンビ化を防げなかったからである。当然肉体への負担も強烈で、頭もまともに働かない日だって少なくなかった。

だが、今はかなり体が軽いし。肉体年齢は20代に戻っているのではあるまいか。

ゲームを少し遊んでみるが、かなり調子が良い。というか、ゲーム自体が軽くて、とても滑らかだ。さてはキャラのステータスだけは残して、ロムまで改良したな。苦笑いが零れた。

しばし無言でゲームを遊んだ後。

一旦、外に出てみることにする。

着替えが用意してあったので、リネンからそれに着替える。奈木のクローンが手伝いを申し出てきたけれど、首を横に振り。まずは最初の作業として、自分で着替えた。服は敢えて21世紀風のものを用意してあった様子である。

白衣ばかり着ていたから、たまには違うのもいいだろう。

ちょっとカジュアルな雰囲気の服だが、まあこれでいい。

ただ元々ひょろっとしていたカルネである。あまり活動的な格好だと、ちょっと馴染みがない。

奈木やそのクローンにはこれが実用的だったのだろう。

要するに実用性を重視した服が使われていたわけで。それをカルネ用にしたててくれた、と言う訳だ。

服、か。

着替えながら思う。

顔の造作なんかはどうでもいい。美人なんか見ていて三日で飽きる。

カルネが覚えている奈木は、ずっと厳しい表情をしていたが。そのクローン達は同じ顔でも表情は柔らかかった。同じ顔でも、それで随分印象が変わる。逆に言うと顔なんてそんな程度のものである。それこそすこぶるどうでも良い。

体を動かすのに、周囲の気温差から守るのに必要な服。

まずそれが重要であり。

化粧などより余程意味がある。

ましてや余裕も無い生活だっただろう。実用性が最重視されるのも、まあ当然の話である。

それにカルネだって、その実用性最重視の傾向に文句を言える口では無い。

十年以上無菌室で過ごしていたし。何より薄暗いシェルターの中で、不要な電気は全てシャットアウトしていた。

だから、光をとても強く感じてしまう。

奈木やサリーや井田のクローン達が、忙しく行き交っている。

井田のクローンは、飛行する車いすを使って、視覚を補うゴーグルをつけ。常人となんら代わらない補佐を受けながら動けているようだった。

廊下を歩いていると、それだけで既に技術レベルが違っている事が分かる。

監視カメラの類は、少なくとも見える範囲には無い。

皆がインカムをつけて作業をしているが、それも耳を圧迫する形状ではない。わずかに皮膚から浮いていて、体に負担を掛けない構造になっている様子だ。

立体映像が彼方此方にあり。

直接操作が可能な様子である。

SFの世界にしか存在しなかった超技術が、殆ど実現されている。

どういう仕組みなのだろう。

大学で教鞭を執っていたカルネには、どれもこれもが興味深い。仕組みの解説を受けてみたい。

だが、それは後だ。

棟から外に出る。

生憎、満天の青空とはいかなかった。雲7、青空3というところだろう。

幼いクローン達が、規則的に列を作って、運動をしている。

軍用犬も性格や用途に分けて、クローン達と一緒に行動し。周囲を徹底的に警戒している様子だ。

建ち並ぶ建物はむしろ背が低い。

地震に備えて、極めて頑強に作られているらしい。昔は高い建物を建てることがステータス、なんて時代もあったのだが。

そういう時代は過去になったわけだ。

遠くにはロケットの発射台らしいものがある。それも、かなりスマートな形状だ。

ずらりと並んでいるのは、さっき副大統領が言っていた最新鋭戦車だろうか。余裕で時速200q以上をだし、カルネの時代の戦車の主砲ではゼロ距離射撃でも傷一つつかない。

形状は21世紀の最新鋭MBTと大して変わらない様子だが。

敢えて目立つ色にしている。

生半可な攻撃は通用しないのだろう。

昔は、発見されると戦車でもひとたまりもない、という攻撃力過剰の時代があった。今は、防御力が強化され。戦車クラスになると、歩兵ではひとたまりもないのだろう。

病室から出ることは告げたが。

迎えが来た。

奈木のクローンの一人らしい。20代半ばくらいだろうか。

びしっと敬礼を受けたが。本人はガチガチの軍装ではなく。M16のずっと子孫だと思われるアサルトライフルを担いでいるものの、ごくカジュアルな格好である。或いはこの格好で、銃弾などを防御できるのかも知れない。

0200424と名乗られたので、敬礼を返す。

一人前のクローンだという話をされたので。

そうか、一人前かと頷いた。

カルネが命がけで、全てをクローン達に教えた。クローン達は、恐らくその技術継承を終えるタイミングを一人前とし。受け継いだ技術、そして英知を理解するタイミングで、第一線に出るようになったのだろう。

勿論研修で、それより若い段階から前線に出ていた可能性もあるが。

恐らく「一人前」の意味は、カルネが最後の全てを託したときと、あまり変わっていない可能性が高い。

すっと空中に0200424が指を走らせると、立体映像が出現。

操作を幾つかすると。

すぐにジープが飛んできた。

昔ジープのシートというと、鉄か何かと言う程堅かったのだが。

今はごくごく快適なシートが使われている。

また、オートで敵性勢力を撃退するための装備もついている様子で。手動で動かせるらしい重機関銃だけではなく、小型の垂直打ち上げ式のミサイルまで搭載している様子である。この分だと、自動迎撃装置や爆発反応装甲を搭載していてもおかしくない。このジープだけで、或いは21世紀の最新鋭MBTを余裕で相手取れるかもしれなかった。しかも無人兵器としても活用出来るようである。

興味津々に装備類を見ていると。

01を思わせる優しい笑みを0200424が浮かべた。

いつも作り笑いをしていた奈木とは違う、心の底から優しい笑み。

どうやら、クローン達は、とても満足度が高い生活の中にいるらしい。

一種の全体主義だなと、皆の活動を見ていて思ったのだが。

それでいながら、きちんとプライバシーは維持しているようだし。

何よりも三つしか個性がない。

虐めも発生しようがないだろうし。

むしろ、問題は今後、なのだろう。

「まずは基地内を案内します」

「順番は此方で指定できる?」

「はい。 地図を出しますね」

また立体映像で地図が出てくる。

ヘイメル基地は元々十万以上の人員を収容できる大型の軍用基地で、空軍基地と海軍基地も兼ねていた。

だが今は、広大な敷地どころか、メガロポリス並みである。

多分大統領は、今頃司令塔に出向いて、クローン達の首脳部と話し合いをしているのだろう。

これからどうコールドスリープしている人達を蘇らせるか。

どうしても、話し合う必要があるからだ。

「港はいい?」

「はい、良いですよ」

「……それにしても、軍事機密とかは大丈夫なの?」

「カルネさんのようなスペシャルを除いてしまえば、現状のテクノロジーを即座に把握できる人はあまり多く無いと思います。 それに、悪さが出来ないように、二重三重のセーフティが掛けられていますので」

そういうものか。

頷くと。ジープが移動を開始。

サスペンションが完璧なのか、移動中揺れることはまったくない。車輪はついていたのだけれど、まるでホバーか何かで動いているかのようだ。

運転している様子も無い。

全自動で動いている、と言う事なのだろう。

途中、かなりの数のクローンとすれ違う。年齢層は様々。かなりの高齢者も見かける。

昔は、人類の英知の最先端を行っていたのだが。

今はお上りさんだな。

そうカルネは苦笑する。

IQ204と180の差はあるにはある。しかしながら、大まじめに英知の錬磨を続けたクローン達は。カルネでも簡単には差を埋められないほど、文明を進歩させてくれた。これならば、宇宙進出も、夢物語ではないかも知れない。

そして外に出てもゾンビ化は起きる様子が無い。

薬も完璧、ということだ。

ヘイメルは一度ゾンビ化で完全に壊滅した。常人が足を踏み入れれば。あっと言う間にゾンビ化するのは確定だった場所だ。ゾンビパンデミックの終盤、此処に逃げ込んだ艦隊の者達も、事前にコールドスリープ装置を用意して、飛びこむようにして逃げ込んだ。その様子は、映像で見ていた。皆、怯えきっていた。

港に到着。

事故どころか、あまりに滑るような滑らかな動きの結果、酔う事さえなかった。

ジープから降りて、ほうと感心の声を上げる。

戦車がMBTに統一されていったように。

そもそも空母打撃群というものが、必要ないとされているらしい。

それぞれ規格統一された戦闘用艦艇が並んでいる。

いずれもが、攻撃、防御、ヘリや戦闘機などの発着ができるらしく。戦闘機は内部に格納し、ごくごく短いカタパルトで撃ち出すように出撃させ。そしていずれの戦闘機も、VTOL機を思わせる機動が可能で。戻るときも、カタパルトなどいらないようだった。

いずれもが、戦闘艦艇と空母、更にイージスシステムを兼用している訳だ。

そしてこの形状。

恐らく宇宙空間に進出した時を意識しているなと、カルネは見抜く。

宇宙に出る事が必要だ。

そうクローン達を教育したのはカルネだ。

そんなカルネの言葉を、クローン達は大まじめに捉え。各地から物資を集積しつつ、技術を進歩させ。

宇宙進出の準備をしていたのだろう。

船にも乗せて貰う。

サイズは200メートル前後と、そこまで巨大ではない。だが内部はごくごく少人数で動かせるように工夫が凝らされており。

艦橋も機能も分散され。

ダメージコントロールも、非常に容易な様子だった。

「今の段階では、私達でないと動かせないように認証にロックが掛けられています」

「OK。 目覚めた人類達が、何をやらかすか分からないから、妥当な行動だね」

「理解していただけて嬉しいです。 此方で火器管制を見る事が出来ます」

「ん」

案内して見せてもらう。

ずっとコールドスリープしていて体が弱っていたけれど。時々、自動で補助が入る。彼方此方に仕込まれている監視システムが、体勢を崩したりした人間を支えてくれるようになっているのだろう。

既存の技術からブレークスルーを起こしているわけでは無いが。

それでも大した進歩だと、感心する。

火器類を見せてもらったが、これ一隻で21世紀に最強を謳われた米軍の空母打撃群を余裕で全滅させる能力がある様子だ。搭載しているミサイルは極めて小型の上に飛行速度はマッハ80に達し、当時の対艦ミサイル100発分を軽く超える火力を出せるという。また火砲は全てレールガンやレーザーに統一されている。電力に関しては、極限まで改良された炉を用いているが。核融合炉ではないらしい。

核融合炉では無いのかと聞くと、換装は出来ると言われた。

当然のように潜水も出来るとか。

21世紀の軍事関係者が見たら、白目を剥くだろう。文字通りの超兵器である。

しかも、こんな船が30隻もヘイメルに存在し。更に一世代前の船や、ゾンビパンデミック時の船も、港には並べられている。多分無事だった中で、回収出来た全ての船なのだろう。

此処に、人類の文明と軍事力が、文字通り全て集まっている、と言う事だ。

そして、その戦力は、決して21世紀の米軍に劣るものではない。全盛期の米軍とやりあっても、普通に此方が勝つだろう。

2世紀分の技術進歩は残酷だ。乾いた笑いが漏れてきた。

他にも、基地内を見せてもらう。

これはカルネも。

今の技術の把握は、そう簡単では無さそうだった。

 

1、目覚めの時

 

カルネは年老いた奈木とでもいうべき姿をしたクローン達の代表052828と握手すると。此処まで文明を保持してくれたことを、心から感謝する。

副大統領はやりづらいと顔に書いていたが。

多分だけれども、心が悉く見透かされているようで、色々と落ち着かないのかも知れない。

小手先の弁舌が通じる相手ではない。

ゾンビパンデミックの前は、米国でも裏口入学が横行し、金持ちやコネ持ちの子息は、学力関係無しに名門に通い。そして殆ど遊んで暮らしながら、貧乏人から搾取を続けていた。

米国だけではなく、どこの国でもそうだった。

金持ちは優秀。

そういう妄想を必死に押しつけようとメディアの操作だけは躍起になってやっていたが。それが真実かどうかは、現実が示していた。

そもそも今のヘイメルは。人類の中でも滅多にいない、IQ180の者達だけで回されている状況。

それは愚劣な社会上層に巣くった寄生虫たちと。無能なメディアを相手にし続けた副大統領には、やりづらくて仕方が無いだろう。

しかも此処の者達は、「一人前」になると、いずれもが21世紀末の、いや技術が発展した「現在」のトッププロフェッショナル並みの知識と技術を身につけたスペシャリスト。それは相手が難しいだろう。

軽く状況を話した後。

052828は切り出す。

「順番に、段階を踏んでコールドスリープしていた方々を治療し、目覚めて貰う予定になっています。 最初に、まずは実験として若い方に一人。 それでゾンビ化を防げることが立証されたので、続けてカルネさんと副大統領。 そしてその後は、対策チーム。 その後は……と、段階を踏んでコールドスリープの解除を行う予定です。 勿論その過程で軋轢が生じることは想定されています。 軋轢の解除のためにお手伝いいただけますでしょうか」

「ボクは全然かまわないけれど、副大統領、貴方は」

「私は一向にかまわないが、しかしこのスペシャリスト達に囲まれた状態では、人々は怯えるのではあるまいか」

「そもこれは好機です」

咳払いした後、カルネは一つずつ説明していく。

ゾンビパンデミックの直前には、世界の文明は崩壊しつつあった。

富の分配の不公正が極限に達し。

社会には厭世観が蔓延し。

カルトが横行。科学技術の否定や、無責任な自己責任論が社会を席巻していた。

格差は差別を生み。

スクールカーストが当たり前のように肯定されるようになり。

社会の仕組みそのものが瓦解しつつあった。

それを立て直すべきである。

そうカルネが説明し。困惑している副大統領に、更につげる。

「当時世界を裏側から動かしているつもりになっていたパワーエリートや財閥の関係者はもう一人も生きていません。 しかも今、此処にはスペシャリストがこれほどの数揃っています。 連携して、人間という生物の社会構造を変えるときが来たとボクは思いますけれども」

「……具体的にはどうすればいいのかね」

「少しゾンビパンデミックの仕組みを見せてもらいましたが、システムとしてはアブラムシが行う自滅行為に似ています」

「アブラムシ?」

咳払いする大統領に、軽く説明する。

アブラムシはいうまでもなく草木につく害虫で、蟻と共存し、蜜を与える代わりにその身を守って貰うと言う習性を持つ。

蟻は自然界、特に昆虫に限定すれば極めて強力な生物であり。

蟻の護衛を受けると言う事は、それだけ数を増やしやすいことを意味している。

だが、増えすぎてしまえば、アブラムシが巣くう植物も枯らしてしまうことになる。

そこでアブラムシは、増えすぎると、天敵を呼ぶのである。

そして自主的に間引きを行うのだ。

「ゾンビパンデミックは、人類という種族そのものが自らを間引いた行動だった、と言う事です。 そして、生物というのは基本的に弱肉強食の世界で生きているのではありません」

「弱肉強食ではない?」

「生物の世界では、環境に如何に適応したかが勝負を分けます。 良い例がゴキブリでしょうね。 ゴキブリは幼児でも簡単に殺せるほど戦闘力が低いですし、決して強い昆虫ではありません。 生態系では下位にいます。 しかしながら、その圧倒的な適応力で、幾度もの大量絶滅を乗り越え、三億年も地球に君臨し続けています。 21世紀でも人間より遙かに強靭な生命力で、どうやっても根絶できずに都市で我が物顔に歩き回っていたではありませんか」

なるほどと、何とか理解しながら副大統領は頷く。

そしてカルネは、前にぐっと顔を出す。

「良いですか。 此処にいるクローン達は、皆先天的に大きな障害を抱えていた者達のコピーです。 無責任な自己責任論が横行していた社会では、真っ先に「弱者」として排除されていた人達です。 ですが、このクローン達がいなければ。 人類はとっくの昔に絶滅していました。 遺伝子に欠陥があった。 これは「健康」ではありません。 しかし「健康では無かった」からこそ、クローン達はこの世界に、新しい光を作り出す事が出来たのです」

副大統領は冷や汗を拭い始める。

カルネは大きくため息をついた。

「昔猛威を振るった社会主義のようなやり方を真似する必要はありませんし、ましてや全体主義を採用する必要もないでしょう。 ただ今後は、スクールカーストが作られるようなマッチョ文化を排除し。 それぞれの能力を幼い頃から見極めて、それぞれの人間の得意分野を生かしていく社会にしなければならない。 それには、旧来の学校教育は明らかに不的確です。 この輝かしい文明を作り上げたクローン達と連携して、全てのシステムの改良が必要になるでしょう」

「そ、そうかね……」

「ボクも協力いたします。 ただボクは政治屋ではありませんので、音頭を取るのは副大統領。 貴方にお願いします」

「……分かった」

あまり納得はしていないようだが。

カルネの言葉よりも、多分この圧倒的な文明そのものに説得力を受けたのだろう。副大統領は、頷いてくれた。

ただどうみても納得していない。

最悪の場合、052828と連携して、人間社会を再構築するのもありか。

頭を掻くと、副大統領には休んで貰う。

多分色々と見て、さっきの話を聞いて、疲れ果てているはずだ。

カルネ自身は興味がぐんぐんわき上がってきていて、今の文明を知りたいと言う欲求に突き動かされている。

正直コールドスリープしている人間達を起こさなくても良いのではないか、とさえ思えてくるが。

それは駄目だ。

特に最後に残った者達は、皆命を賭けて世界のために戦ってくれた。彼らの努力は無駄には出来ない。

カルネには、彼らを裏切る事は出来なかった。

現在のOSから、順番に技術を見せてもらう。

やはり、技術のブレイクスルーは起きていない。過去の技術を全て発展させて、構築したのが今の技術だ。

マニュアルなどの整備は完璧で。読んでいてすらすらと内容が頭に入ってくる。

素晴らしいの一言だが。

カルネがこの文明構築に加わりたかった、という悔しさもある。

「MBTは各国の戦車の長所を統合し、発展継承して更に強化していったんだね」

「はい。 現在は第十世代戦車になります」

「第十世代か。 戦車は分かった。 次はあの船。 ひょっとして、宇宙空間での使用は想定しているの?」

「ふふ、流石ですね。 現時点ではその途中です。 いずれ宇宙空間で、もっと大型の、外宇宙へ行くための船を作る予定です」

頷く。

どうやら正しくカルネの言った事が継承されている様子だ。

地球に残された資源は限られている。

人類は宇宙へと進出していかなければ未来はない。

それに、だ。

ただでさえ、この地球で人類はあまりにも無法の限りを尽くしすぎた。ハンティングが面白いという理由でアメリカリョコウバトを絶滅させたのは有名な史実だが。それ以外にも、頭を抱えるような残虐性と嗜虐性で、人類は地球を滅茶苦茶にして来た。

それを宇宙で繰り返してはならない。

だが、このクローン達となら。

きっと、やっていけるはずだ。

後は奈木か。

話を聞くと、実の所、まだ遺伝子情報から直接クローンを作る方法は確立していないという。

あと二十年ほど掛かると言う話だった。

それまでは奈木は起こせない。

まあそれはそうだ。

しかし、カルネは、此処で一肌脱ぐと決めた。

「ボクもその研究に参加する。 ボクが加われば、恐らくその二十年を、十年に短縮できるはずだ。 三つの視点しかない状態では、如何に高IQでも限界がある。 新しい視点を入れれば、ぐっと研究は進む」

「しかし、よろしいのですか」

「かまわない。 ボク達は、君らがいなければこうして現世に戻ってくる事は出来なかったし。 何より奈木がいなければ、君らが生まれる事もなかった。 だから今度はボクが協力する番だ。 それに……今の技術を貪欲に吸収したいという気持ちも強いのでね」

そういう打算もある事を告げると。

052828は、苦笑いした。

そして、手配してくれると言った。

 

それから、順番に事が進められていった。

カルネと一緒に活動していた研究チームや、各地で苦闘していた人々が、まず最初に起こされる。

キザリはモニタを通じてしかあった事がなかったが。クローン達がヘイメルまでコールドスリープ装置を運んでくれていたので。直接会う事が出来た。

エカテリーナは予想通りがっちりした人で。市川は想像以上に厳しそうな雰囲気だった。

アンチエイジングの技術もあるらしいと聞くと、エカテリーナは是非受けたいと言いだしたので、皆で笑う。

エカテリーナがどれだけ人類滅亡を食い止める役割を果たしてくれたかは、此処の全員が知っている。

そのくらいの権利は、認められて当然である。

モリソン、バズ、ブライアンと、皆目を覚ましていき。そして、事実上の第二陣としてコールドスリープからは三十人ほど、最後までゾンビパンデミックに抗った中心人物が目覚めることになった。

現状把握を順番に行い。

次は三百人を目覚めさせるという事で合意。

生活スペースも確認。

少なくとも、25万人が生活するのに充分な住居と環境が整っているし。その気になれば、一千万人くらいは生活出来る空間がある。

副大統領は青い顔をしていた。

別の国籍の人間も、これからどんどん起きてくる。

当然、ゾンビパンデミック前は米国と対立していた国の人間もいる。

それらに対して、かなり大胆な社会構造改革を問わなければならないのである。そして主導する必要もある。

下手をすると血を見る可能性もある。

クローン達と、具体的にどうやって行くかは既に話をしてある。青図については、今後更に有識者を加えて。クローン達全員が、スペシャリストになっていった経緯を確認して、それを教育に取り入れていく。

ただ、はっきりいって難しい。

カルネが行った英才教育をベースに、行われていった教育だが。

これは人間全てに適応するのは色々と厳しい。

また、自動化が極めて進んでいるので。仕事が見つからない人も出てくる筈だ。現時点で、この巨大なメガロポリスは、かなりの機械と更には犬で守られている。人間が介在する余地はあまり多く無い。

クローン達に混じって仕事が出来る人間は、かなり限られてくる。

仕事の様子を見て、それをカルネは悟っていた。

キザリが来る。

そして、クローン達の動きを見て、舌を巻いたと素直に言う。

「統率が取れているなんてもんじゃない。 あれは完全に制御された一種の真社会性に近い。 これを普通の人間にも導入するのは無理がある」

「落としどころを見つけるしかありませんよ。 ただ、次の世代に関しては、幼い頃から適性試験を行っていって、学校教育とは別の教育システムを確立していくことが出来るでしょう」

「必ずしも人間のIQは高い訳じゃあない。 クローン達は全員がスペシャリストだが、それは皆のIQが極めて高い上に、元々の状況から野心を抱く以前の問題だったからだ」

「厳しいと」

キザリは、そうではないという。

ただ、やはり簡単にはいかないと、言葉を換えながらもカルネの発現を肯定した。

「君の言う通り、地球の資源は限界だ。 ヘイメルから版図を広げるのは止めた方が良いだろうし、宇宙進出を最優先するべきだ。 だが、このままでは宇宙でまた蛮行が繰り返されることになる」

「……一つ、考えがあります」

「聞かせてくれ」

「今、遺伝子データのみから人間を再現する仕組みを研究しています。 完成は十年ほど後になると思います。 好みだの何だので交配するのは極めて効率が悪いと思いませんか」

「デザイナーズチルドレンか?」

ちょっと違う。

デザイナーズチルドレンというのは、遺伝子を好き勝手に弄くることで超人を作り出すような事だ。

実際にも精子バンクなどは利用されていて。

高い知能を持つ子供がほしい人間が、利用していたケースはある。

だが残念ながら、高IQの遺伝子が混ざっても。高IQの人間同士を掛け合わせても。あくまで高IQの子供が生まれやすくなるだけで。必ずしも生まれるわけではない。

更に言えば、高IQの人間ほど、気むずかしく、更にその能力を発揮するのが難しくなる傾向がある。

カルネはまだ幸運だった方で。

良い例が奈木だ。

奈木なんかは、周囲から完全にバカだと思われていたようだし、明確な迫害まで受けていた。

実際には、奈木を迫害していた方がバカだったのだが。

「21世紀に至るまでの文明で、人間はどうしても「万物の霊長」であり。 「ありのままの人類が素晴らしい」という妄想から抜け出ることが出来ませんでした。 反動的に人間を全否定する考えも存在しましたが、上手く行った試しはありません」

「ふむ……」

「健康というものにたいする神話が打ち砕かれたのは、キザリ、貴方も今回の一件で良く思い知ったはずです。 それならば、次は「ありのままの人間が素晴らしい」という神話も砕くべきでしょう」

「少し急進的過ぎる気もするが……。 しかし、あのクローン達が、彼処までの凄まじい秩序と効率で動き。 虐めも差別もなく。 更には此処まで文明を発達させ、英知を引き継いだことを考えると、一理はある」

キザリも国境無き医師団で活動してきた人物だ。

各地で人類の業は嫌と言うほど見てきたはず。

それなのに、どうしてか人類は、どうしても21世紀になっても。自分達に対する異常なナルシズムを捨てる事が出来なかったし。

暴虐を肯定するだけの、現実にもそぐわない「弱肉強食」という言葉をひたすらに盲信してきた。

「……子供の育成はシステム化してしまうべきでしょう。 学校教育はもはや必要ありません。 今後はクローン達が作り上げた実績をベースに、テクノロジーをそれぞれ得意な分だけ吸収し、出来る範囲内で動く。 文字通り適材適所を完璧にこなせる社会に切り替えて行くべきです。  そこには「ありのままの人間」を無条件で賛美する、カビが生えた人間賛歌は必要ありませんし。 自己責任論も必要ありません」

「少し、考えさせてほしい。 それが人道的なのか、今非常に頭を使っている」

「分かりました。 実の所、ボクも最後まで残ってクローン達の面倒を見ている途中に、考えていた事なんですよ。 それで今、ボクが教えた事が、クローン達によって此処までのものに昇華されている。 その現実を見て、今こそ人間を変えるべきだとボクは思っているんです」

「……人間を変えるべきだという事については賛成だ。 いずれにしても、あのゾンビパンデミックを経験した後、何も人間を変えないというのは……人間の生存を許してくれた地球に対しての冒涜ですらあるだろう」

キザリは部屋を出て行く。

カルネはこれは難航するなと思ったが、仕方が無い。

クローンの上層部を呼んで、教育システムについて説明を聞く。話を聞く限りカルネが教えたものの超発展強化版だが。

残念ながら改良がいる。

というのも、一人一人がそもそも同一性能というクローンだったから、上手く行った教育だから、である。

それについては、クローン側も理解していた。

「適性の把握ですか」

「そうなる。 それと、あらゆる適性が無かった場合は、能力から見て、もっとも向いているテクノロジーを教育し、スペシャリストに育成する仕組みに切り替えたい」

「我々も教育の過程で、それぞれスペシャリストにする方向を変える風に舵を取っていますが、それを更に発展させると」

「難しい?」

年老いた奈木、サリー、井田。それぞれの顔をしたクローンの重鎮達は、顔を見合わせる。

少し考えてから。

052828は頷いた。

「分かりました。 リソースの一部を、教育システムの開発に回します」

「頼む。 今後、十把一絡げの学校教育は、多くの芽を摘むだけだ。 一定ラインの学力を確保する事が出来る学校教育は、社会のシステムが複雑化するにつれて、その負の側面が大きくなりすぎた。 今後は会社などのシステムに関してもメスを入れていかなければならないし、政府もそもそも一つしか存在しなくなる時代が来る。 その時に備えて、準備は進めなければならない」

話し合いを終えると、少し疲れたので、自宅に戻って休む。

送り届けるのは、全てオートでジープがやってくれる。

AI制御のテクノロジーも、比べものにならない程進歩していて、本当にクローン達が頑張ってくれたんだなと感心するばかり。

もらった自宅も極めて快適で。

内装を自分好みに変えるのも楽。

ともかく、前の世界に戻るのはもう無理そうである。

一風呂浴びてから、ベッドに転がり、考えを進めていく。

多分、今いるスペシャリストの間でも、今後の新規社会については議論が紛糾する。これについては、さっきキザリと揉めたことからもほぼ確実だ。

そして今後は、連携してゾンビパンデミックに対応した以外の人間も起きてくる。

此処が恐らく第二の正念場になる。

最悪の場合にも、備えておかなければならない。

もし人間側が暴発した場合。

勝つのは間違いなくクローンだ。

練度と言いそもそもそれぞれがスペシャリストであるという状況からいっても。はっきりいって勝負にならない。

奈木の「一人前」クローン達は特に顕著で、戦闘になったらシールズの精鋭でも多分勝てない。ましてや扱える古い武器を使って、今ヘイメルにある最新鋭兵器に勝てるかと言ったらノーだ。多分クローン達が直接出てくる前に、自動兵器に鎮圧されるだろう。

だが、ゾンビパンデミックの前からそうだったが。

人間はまず感情で動く。

相手を気持ち悪いと思ったら、その時点で相手を全否定して良いと考えるようになる。勿論その生命人権も含めて。

軋轢は確実に起きる。

それをどうやって鎮めるか。

あの副大統領に出来るのか。

ゾンビパンデミックの際には、有識者に任せる度量を見せてくれた。その点では信頼出来る。

だが、25万程度とはいえ。

この世界に最後に集められた人類は国籍なども全て雑多だ。

翻訳装置はクローン達が作り上げてくれたので、意思疎通は難しく無い。だが、それでも。

いつの間にか眠っていた。

奈木の事を思い出して、髪の毛を掻き回す。

周囲に約束を守る奴は一人もいなかった。

筋を通す奴も同様。

だから自分は約束を守る。

彼奴らと同じになりたくないから。

そう奈木は言っていたし。其所から、奈木とは連携して動く事が可能になった。

十年後くらいに奈木に目覚めて貰うとして。

その時に、クローン達が作り上げたこの状況がぶちこわされてしまっていたら、それこそ全て台無しだ。

こっちも約束は守らなければならない。反吐が出るほど嫌っている世界のために、奈木はあれだけの活躍をしてくれたのだ。

人間賛歌などお笑いぐさだとカルネは思っているが。

これに関しては、もし守れなかったら。

カルネは全てに対して、会わせる顔がなくなる。

少し考えてから、エイズをぶち込んでまで残ってくれた面子に連絡を入れる。この連絡も、21世紀のSNSより遙かに楽になっている。

有識者達が集まったのが、翌日の朝。

話をする。

やはり皆の顔は渋い。

簡単には受け入れられないという顔も多かった。

だからこそ、カルネは言った。

「本来ならボク達は滅亡していた。 だが、そんなボク達を救ったのは、社会的に虐げられていた人達だった。 それに対する恩を忘れるようでは、昔で言うなら畜生以下だし、今で言うならその辺に落ちている軍用犬の糞以下だ。 人間の尊厳がどうこうという事を口にするつもりはないけれど、ボクは奈木との約束を破るつもりはないし、そもそも本当に真摯にボク達を守り抜いてくれたクローン達に恩を仇で返したくは無い。 いや、返してはいけない」

「それは、確かにその通りだ」

「だがどうするのだ」

疲弊しきった顔で副大統領が言う。

まあ正直な所、カルネが説明した案を、これから起きてくる25万人に説明して、納得させるのは厳しいだろう。

故に、カルネは切り札を出す。

「利便性で懐柔しましょう」

皆がぽかんとしたので。

カルネは更に畳みかける。

「現状、はっきりいって生活に不満は感じられませんよ。 それを起きてくる者達に叩き込んで、不満を感じないようにしてしまえばいいだけです」

 

2、軋轢を消して

 

コールドスリープしていた人々を起こしていく作業は順調に進む。同時に、クローンの数も増やすことを決める。

これはクローン達の数と武力を増しておいて、バカに一目で分かるようにするためである。

やりあったら勝てない、と。

カルネの発案である。

副大統領は最初難色を示したが、そもそも最初から統治にあまり自信が無かった様子だったし。

最終的には同意してくれた。

クローン側も話に乗った。クローン達も最初から、コールドスリープ解除時の混乱については、対策を色々してくれていた。そもそも住居は当面ありあまっている。更にゾンビパンデミック前の貧富格差が存在しない。

今こそ、世界そのものを変える時なのだ。

生活スペースは平等。

そして、カルネの予想通り。

まずは生活して貰う、という戦略が当たった。

現在の技術力で作られた家屋は、21世紀のものとは比較にならない程便利だ。しかも現状、皆タダで生活出来る。

今後仕事はしてもらうにしても。

適性に沿った仕事で、更に言えば21世紀のどこの国でも行われていたような、非人道的な仕事は無い。

いずれも自動機械がかなりの部分でサポートをしてくれる。

はっきりいって、このまま文明を発達させていけば、人間は働かなくても良い時代が来る可能性さえある。

ならば、過酷な労働と劣悪な治安。邪悪な病。

人々を脅かしていたそれらを打ち払った状況に馴染ませてやれば。

人間は文句などいわない。

一種の愚民化政策とも言えるかも知れないが。

「ありのままの人間」を神聖視し、その結果此処まで再興した文明を全部台無しにするよりは、一兆倍マシだ。

副大統領は懸念されていた反発を殆ど受けることなく、順番に今後の戦略について発表。生活の利便性にならされた人々は、二つ返事でそれを受け入れていった。

勿論、差別を口にする者はいた。

クローンを見て「気持ち悪い」という輩はやはり出たし。

特に井田のクローンは先天性の障害が多い事もあって、かなりの数陰口をたたく者もいた。

アホで恩知らずな人間はやはり多い。コールドスリープした者達の中にもいた

井田のクローンは、データの管理だけではなく、数々の既存のシステムアップデートに大きく関与してくれていた。文明進歩の功労者だ。

AIを大きく進歩させ、人工無能に等しかったゾンビパンデミック前のものとは比較にならないレベルにまで育て上げたのは井田のクローン達だし。

現状のOSは、ゾンビパンデミック前に存在していたものとはあらゆる意味で性能が違いすぎる。

利便性を実際に体験させてから。

これらを作ったのは井田のクローン達である事を理解させ。

そして能力の高さを分からせる。

更には、ゾンビパンデミックに耐性を持っていた彼らがいなければ、此処にいる全員が死んでいたこともはっきり分からせる。

勿論すぐには無理だ。

ゾンビパンデミックに耐性を持っている事を不審がり、ゾンビパンデミックをクローン達が引き起こしたのでは無いかとか疑う者も出た。

故に、クローン達を作ったのはカルネ達生き残りの首脳部である事も示しておく。

陰謀論の類はデータで叩き潰す。

それでもどうしようもない輩はいるものだが。

それについては、取り締まるしかなかった。

25万人いれば、どうしてもいるのだ。

しょうもない輩が。

いずれにしても、目覚めてから一ヶ月で、副大統領には「統合政府議長」に就任して貰う。

そしてクローン達の代表と一緒に、今後の政務について話し合う議会を設立し。

最後までゾンビパンデミック対策に取り組んだ者達を暫定の議員に据えて、政務を行う仕組みを作ってもらった。

勿論クローン達は、この時の事を想定し。

また過去の歴史についてもしっかり学んでいてくれたので。

愚行を犯す輩は絶対に出る事を覚悟してくれていたし。

警備システムはしっかり完備してくれていたので。

犯罪はいずれも未然に押さえ込まれた。

隙が無ければ犯罪は起きにくくなる。どうしても犯罪に手を染めたがる輩はいるが、それはもはや一種の心の病だ。病院にて治療を受けて貰うのが最善だろう。

10年計画で、少しずつコールドスリープから目覚める人を増やしていく。

元々の集落などの単位で、目覚めるようにしていくので。目覚めた時隣人が年上になっている、というような事は避けられるようにはしていく。

また、発達したアンチエイジングによって。

カルネも、実年齢よりかなり若い体を取り戻す事に成功し。

新しい技術を貪欲に吸収しつつ。

どうしても起きる摩擦や諸問題を解決するべく、動いていく。

以前はカルネが教える側だったが。

今度はカルネが教えを請うケースもあった。

ゆうに二百年分を遙かに超える技術の進歩を全て把握するには、カルネでさえ五年以上かかった。

それが既存の技術の延長線上だとしてもである。

忙しい毎日が続く。

別にカルネはゾンビパンデミック前の人類最高頭脳だった訳でも無い。眠っていた25万人の中には、IQが高い者も多く。

抜擢して、技術の把握と、改良については、どんどん意見を出して貰う。

コールドスリープから目覚めた人々は、最初は不満を零すことも多かったが。

非常に快適な生活と。

貧富の格差がない安定した生活。

何よりも、常に銃を持って周囲を警戒しなければならないような状況ではなくなり。

社会そのものがとても進歩したことを把握すると。

徐々に、不満も減っていった。

クローン達との壁はどうしてもあったが。

それも、少しずつ解消はされていった。能力の高さについては、どうしても分かるから、なのだろう。

今までの、口だけしか能がなく。

選挙の度にコネと金がものをいい。

罰ゲームを強いられているような状況ではなくなった、というのが大きい。

とはいっても、現時点では民主制よりも全体主義に近い状況である事に変わりは無く。

統合政府は独裁政権だと、文句を口にする者も少なくなかった。

残念ながらこれは事実だ。

そして独裁政権である状況を改善するには。まずは人類の生存に戦略性を強く持たせて。権力を分散できるだけの状況を作るしかない。

それには、まだ。

状態が不安定すぎる。

 

時間は経過していく。

六年が過ぎて、カルネは既にクローン達と一緒に、技術の改良を開始し始めていたが。

やはり有能で、しかも全員がスペシャリストだというクローン達は頼りになる。

昔は問題を起こす助手達に、大学ではいつも頭を悩ませていたのだが。

今ではそれもない。

起きだしてからも、モリソンは黙々とデータの集約をしており。ある意味、カルネよりも馴染むのが早かったかも知れない。

いずれにしても、カルネは研究室を確保。

まだ一人前では無いクローンを十人ほどつけてもらい。ゾンビパンデミック前のどの大学よりも極めて優良な環境で、研究を行う事が出来ていた。

他の、最後まで生き残った者達も概ねそう。

カルネが回収した生き残り達も、既に治療を済ませてコールドスリープ装置から出ている者も多い。

案の定、「あの」ヨセミテジョニー氏は問題ばかり起こして、周囲に噛みついてばかりいるようだが。

しかしながら新しい快適な家と、更には猛獣から皆を守る警備の仕事を任されると、嬉々としてそれにつき。

有能な奈木のクローン達と一緒に、集落に近付こうとする猛獣を撃退する仕事をしてくれていた。

今日分のデータが上がってくる。

「カルネさん。 此方のデータの確認をお願いします」

「OK。 どれどれ……」

資料を出してきたのは、部下につけてもらったクローンの一人。奈木のクローンである0239911である。

サリーのが一人、井田のが一人。奈木のが七人。残りの一人は、コールドスリープから目覚めた比較的有望な学生。

田舎の離島にいたらしいが。

今はそんな事も関係無い。

クローン達が使っていた教育プログラムを2年ほど受けて、ある程度マシになった状況で助手をしてくれている。

明らかにクローン達より能力が見劣りするのは分かっているらしく。

此処で揉まれることによって、少しは実力を向上させたいと、張り切っている様子だった。

「うん、問題ないね。 それじゃあ、まとめてくれる。 後で議長にボクが持っていくから」

「はい。 やっておきます」

奈木のクローン達は親と違って笑顔が多い。

ただ、今後はそうもいかなくなる。

学校教育の撤廃と、新しい教育システムの浸透については、不安視する親も多く。

実際にスペシャリストが育っている実績を見せても。

感情的に反発をする者も多かった。

その一方で、今助手をしてくれている学生のように。きちんと現状に馴染もうとしてくれている者もいる。

今後は軋轢の回復が課題になってくる。

そして、ゾンビパンデミックの仕組みについては、周知しているのだが。

どうしても薬を飲むのを嫌がる者もいる。

飲むタイプの薬でどうにかできる所まで改善されているのに。

昔から、医者よりオカルトを信じる輩は実在したが。

今も、それは変わっていない。

飲まないとゾンビ化が起きる。

ゾンビ化を解明し、対策をとって皆を助けてくれたのはクローン達だ。

そう説明し。薬の必要性を説いても。

どうしても、何年もゾンビパンデミック解消から時が過ぎると。

薬を嫌がる者は出てくる。

そう言った者達を丁寧に説得しなければならない医師達は、皆疲れ切っているようで。

どれだけ有能なサポートがいても、それには変わりが無い様子だった。

まとめられた資料が来る。

目を通して、問題点を指摘。

修正して貰う。

一度の修正で全部片付くように指示を出したが。スペシャリストになるべく教育を受けているクローン達はすぐに動けるのに対して、やはり最後の一人だけはそうもいかない。

動きが悪い。

それについて、無能と罵るつもりは無い。

此処でしっかり勉強していき。

そして、最終的にはクローン達と一緒に戦えるようになって貰えればそれでいい。

二度の修正が必要になったが。

声を荒げるような真似はしない。

カルネの要求は基本的に高いので。

一度でこなせるとは思っていない。

クローン達の能力が高すぎるのであって、別に最後の一人の能力が、平均に比べて別段劣るわけでもない。

ともかく資料が出来たので。

議長に届けに行く。

議長はかなり忙しい様子だったが、前より明らかに顔色は良い。アンチエイジングを受けたおかげで、老年に片足を突っ込みかけていた体は、かなり若返って見える。

ただ、議長はゾンビパンデミックで奥さんを亡くしている。

それについては、時々悔しそうな顔を見せている、と報告を受けていた。

資料を渡し、説明をする。

翻訳システムの改良型について、である。

人間の言語はどうしても表記がぶれる。同じ事を言っても、違う人間が言うと受け取り方を変える者はどうしてもいる。

その表記揺れを補正するシステムだ。

主にヘッドホンと一種の片眼鏡型のデバイスで構成される。

上手く相手と意思疎通が出来ない場合。

これを用いて意思疎通を行う。

古い時代、「コミュニケーション能力」とやらが、社会で大きな問題になっていたが。翻訳技術の進歩と同時に、この相手への意思疎通能力のブレを改善する事が出来るのでは無いかと言う案が上がっていた。

それをカルネが現状の技術と一緒に組み込み。

実用化に移したものである。

なお、ヘッドホンは自動で調整が行われ。耳に直接触れることも、音が漏れることもない。

片眼鏡も同様。

そもそも目に問題を抱えていた井田のクローン達が自分達で改良を重ねていった事もある。

ハードウェア面での完成度は尋常では無い。

実際に使ってみて、会話をして見る。

カルネは想像する限りの罵声に切り替えながら、議長と話をしてみる。

議長も、同じように、罵声の限りを混ぜながら、それに返してくる。

ところが、ヘッドホンからはごくごく穏当な声が聞こえてくるし。

相手の表情もかなり緩和されて見えた。

元々、相手のご機嫌伺いに等しい「コミュニケーション能力」は、個々人の才覚にかなり大きく依存していて。

出来ない人間は、大人になろうがどれだけ勉強しようが無理だった。

その無理な部分を機械で補えるのである。

これほどの発明もあるまい。

なお当然、カルネが一から考えたものではない。

既存の技術の延長線上で発展していた技術に、カルネが改良を加えたものである。

ヘッドホンを外すと、議長は頷く。

「君はマッドサイエンティストだと思っていたが、これに関しては素晴らしいな。 勿論実験をして、問題が無いかを確認してから、是非量産に移してほしい。 やはり文化圏の差異が原因で、トラブルが絶えない。 クローン達に対して無礼な口を利くものもまだまだいるようだ」

「マッドサイエンティストとは随分な仰りようですが、素直に褒め言葉として受け取っておきます。 では」

量産の許可は貰った。

技術をこつこつと高めてくれていたから出来たものである。

そして、クローン達だけでは、これを作るのにもっともっと時間が掛かっていただろう。問題は一つ、完全にとはいかないにしても解決した。

元々人類は、視力が弱い場合に眼鏡を使ったり。

歯が駄目になった場合に義歯を使ったりしていたのである。

これはその延長線上。

使う事が「人間としての退化」等という理屈は通用しない。

研究室に戻ると、並行で進めている幾つかの研究について、報告が上がって来ていた。その中には、クローン技術の進歩についての中間報告もある。

どうやらカルネが知恵を出したことにより。

遺伝子情報から、一からクローンを組み立てる事が可能になりそうだ。

だがまだ幾つかクリアしなければならない技術的問題が存在し。

それを突破するために、まだまだ研究をしなければならない。

また、コールドスリープから目覚めた人々の中には、結婚し子供を作っている層も出始めているが。

それとは別に。この技術が完成すれば、様々な遺伝子をデータに登録して、其所から無作為に抽出した組み合わせで子供を作る事が出来る。

今まで親というものはマッチングが難しかったし。

何よりも、「優秀な」遺伝子を組み合わせたところで、「優秀な」子供が出来るとは限らない。

議長に最初話したように。

この技術が完成すれば、結婚という問題だらけのシステムから、ついに人類は脱却できる。

しかもクローン達が、子供を育成するシステムについては練り上げに練り上げてくれている。

さっき議長に渡してきた「コミュニケーション能力向上用システム」なんぞ、余技に過ぎない。

この技術が完成すれば、まさに人類は新時代を迎えることが出来るだろう。

次の研究を見る。

ロケットについてだ。

ロケットは、ロシア、日本の技術者達と共同して、既に数機、無人のものを打ち上げている。

その目的はデブリのキャプチャで。

進歩したレーザー兵器によって、地球の周回軌道上に浮かんでいる大量のデブリを焼却し始めている。

小型の質量弾も搭載しており。

此方はデブリを破壊するのではなく、軌道をそらすのに用いる。

軌道をそらして地球に落下させることにより。

処理を安全に行うのだ。

ロシアの出身者は、ロシアに戻りたいとぼやくものもいたけれど。

せっかくの統合政府。

そしてこの暮らしやすい土地。

更には、宇宙進出を前提とした長期戦略。

何よりも、そもそもロシア出身者が多数派でもなく、もはや強国でもないことを鑑みて(もはや国そのものが存在しないが)、不平を必要以上に零す者はおらず。比較的協力的に動いてくれている。

エカテリーナは一時期、ロシア出身者達に、ロシアの再興を議長に提案してほしいと頼まれたらしいが。

突っぱねたそうである。

剛直な彼女らしいなと、カルネは苦笑いしたものだ。

ロケットについては、今まで打ち上げたものの改良計画で。わざわざカルネがハンコを押すほどのものでもないのだが。

目を通すだけ通してほしいと言われたので、そうしているだけである。

目は通した。

技術的に問題は無いし、何より改善点も悪くない。

頷くと、素通りさせる。

さて、次。

セキュリティについてだ。

進歩した武器は、人に向けるとロックが自動でかかるように改良されている。また、居住区画を巡回している自動兵器群は、いずれもが犯罪に対して目を配っている。

だがこれが威圧的で怖い、という声があるのだ。

とはいっても、犯罪をやろうとする輩がまだ一定数いるのは事実。

皆が豊かに暮らせていても。

どうしても不満を口にする者はいるのだ。

しかしながら、自動兵器群が怖いと言うのは、少し改良の余地がある。

ゾンビパンデミックの際に、活躍してくれたセントリーガン達の子孫とも言える自動兵器群は。

今までは実用性を最優先に作られていた。

搭載しているAIも性能が極めて高く。

事実、コールドスリープから目覚めた人達が、犯罪を成功させたケースは存在していない。

形状についての改善案が幾つか出てきていたので、目を通す。

これについては、クローンの方がむしろ困惑しており。

最後の一人の方が、良い案を出していた。

ただし、それが実用的で、実践に耐えるかというと話が別。

しばらく幾つかの案を確認した後。

円筒形の育児用ロボット、家庭作業補助用ロボットと同一のデザインについて、許可を出す。

ただし犯罪抑止のためには威圧感がどうしても必要だ。

それはカラーリングで誤魔化す必要がある。

更には、家庭用や育児用のロボットとまったく同じデザインにすると、見分けがつかなくなる可能性もある。

パトライトが良いだろう。

ただ常時警報を鳴らすのも問題だし。

改善を提案し、幾つかの折衝案を出して貰う。

全てが終わった頃には、夕方が来ていた。

昔は過重労働が当たり前だったが、補助システムが充実しているので。現時点ではこの時間でもかなりの残業である。

これは昔には戻れないなと、伸びをしながらカルネはあくびをしていた。

また、一旦研究の方向性を決めた後は。

PCに作業をぶち込んで、自動で任せる事が出来るケースも増えている。

昔は計算などではこのケースが多かったが。

今はそれ以外にも、任せられる作業はとても増えていて。研究者としてのカルネの負担は減っていた。

「それじゃ、今日はここまで。 皆、切り上げて」

「はい。 それでは」

一糸乱れぬ統率で研究室を出て行くクローン達と、少し遅れて慌てて出ていく最後の一人。

さて、この壁をどうにかするには。

まだ時間と努力が必要だ。

自宅に戻った後は、ゲームをして過ごす。

昔のゲームには必須だったローディング時間が事実上全て0になっているので、大変快適である。

これはOSも同じで。

アップデートもほぼ時間0でやってくれるので、極めて有り難い。

連絡が来る。

議長からだった。

「明日の予定だが、一つ追加を頼みたい。 アラブ系の集落のコールドスリープ覚醒者から要請があって、巡礼をしたいそうだ」

「またそれは厄介ですね」

「ムスリムの聖地巡礼については、宇宙進出後にどうするかという問題があるが……」

「地球を離れるといっても、文明の中心地点を地球から宇宙に移す、というのが正しい状況ですので、その説明が必要でしょう。 ただし、地球に降りる方法について、検討が必要ですね」

勿論地球にも拠点は当面残すつもりだが。

聖地を巡礼したいという人間については、ある程度意向は尊重しなければならない。

多分、当人達と話し合いをする必要があるだろう。

ただ、宗教については、宇宙進出が完了した後は人類が卒業しなければならないものだとも思う。

しかしながら、宗教に代わる心のよりどころがまだ存在していない。

人間は心のよりどころなくして生きられないケースも多く。其所につけ込んでカルトが猛威を振るったのも事実である。

一時は哲学がその心のよりどころになる事を期待されたが。

それも残念ながら上手く行かなかった。

流石にこればかりは、カルネの責任では無い。

人類全体が、何百年も掛けて議論して、解決していかなければならない問題か。

いずれにしても、当面の巡礼については、方法が幾つもある。

クローン達には、輸送機を操縦できる者も多いし。その性能は昔日の比ではない。日帰りでメッカまで行って来て、戻る事も可能だろう。

ただ何でも宗教的な要求をほいほいと聞いていると、そのうちまた対立が始まる。

ある程度の線引きは必要なはずだ。

頭を掻き回す。

分かってはいたが、面倒な話である。

「かなりデリケートな問題になると思いますので、有識者も含めて明日話し合いをしっかり行いましょう」

「分かった。 久々に面倒な問題だな……」

「議長、頼りにしていますよ」

皮肉混じりだと理解したのか。

議長は通信を切った。

さて、まだまだ問題は山積しているが、クローン達の有能さは尋常では無い。ただ、やはりというかなんというか。多様性が存在しなければ、既存技術の延長線のものしか作れないのは問題だ。

今回の件も、そもそも信仰らしい信仰がないクローン達には解決が難しいだろう。

此方でやるしかない。

ゲームを一旦中止すると、休む事にする。

解決しなければならない問題には。昔と違って、きちんと専門家を介在できる。

それだけでも、マシと思わなければならなかった。

 

3、先にあるもの

 

かなり頭が痛いが、何となく奈木には分かった。コールドスリープ装置が開けられたのだ。と言う事は、全てが片付いたのだろう。

覗き込んでいるのは、誰か。

しばしして、頭がはっきりしてくると。

だんだん分かってきた。

自分だ。

つまりクローン達。

何人かが、英語で成功だ、始祖様が目覚められたと言っている。と言う事はサリーや井田も目を覚ましたのだろう。

しばし好きなようにさせ。

そして、意識がはっきりしたところで聞く。

「私が眠ってから何年経った?」

「280年弱ほどです」

「そう、じゃあ上手く行ったから起こした、と言うことで良いの?」

「はい」

半身を起こす。

それから、手を開いたり閉じたりする。

特に体が鈍っている様子は無いが、それでも周囲を確認。サリーや井田、自分のクローンだと一目で分かる者達だけではない。

医療センターらしい場所で、他にも働いている人間がいる。

ということは、ゾンビパンデミックは解決したわけだ。

ぼんやりしていると、ハーイと声を掛けられる。

こんな声を掛けて来ると言う事は。

目を向けると。

かなり老けているけれど、間違いなくカルネだった。

「おはよう奈木。 予定より少し前倒しで起こせたよ」

「とりあえず、ゾンビパンデミックは解消した、と言うことで良いのかな」

「そういうこと。 クローン達が全部解決してくれた。 原因の特定も、対策薬も、全て作ってくれた」

話をそのまま聞く。

今も実験をしているが、やはりゾンビパンデミックそのものは健在。

実験用に考え無しにクローンを作ると、即座にゾンビ化するという。しかも受精卵の段階で。

その実験の様子を見せて。

薬を飲むようにと、しっかり啓蒙しているらしいのだけれど。

時々どうしても薬を飲むのを嫌がる者もいるので、無理矢理にでも説得して薬を入れるのが大変だと、カルネはぼやいていた。

「とりあえず、一泳ぎしたいかな」

「どうぞどうぞ。 ただ、いきなり? リハビリとかしないの?」

「そのリハビリを兼ねて泳ぎたいの」

「そっか」

カルネは頷くと、周囲に声を掛けて、色々と作業を進めていく。

話を聞く限り、今後も奈木とサリーと井田のクローンは作っていくそうだ。極めて優秀であるから、というのが理由であるらしい。

そして奈木のクローン技術。

細胞からクローンを作るのでは無く。DNAの情報だけでクローンを作る技術が完成していなかった。

故に、ゾンビパンデミックが収束してからも、まだしばらく眠って貰っていた。

そういう理由であったらしい。

ただカルネがクローン達に協力。

技術を更に進歩させ。

それによって、もう少し掛かりそうだった技術の完成と奈木の覚醒が早まったのだとか。

話半分に聞きながら、外を歩く。

まるで未来都市だ。

技術の継承に成功し。それを発展させたのだなと、一目で分かる。

奈木はとうとう子供達、要するにクローン達に愛情を持てなかった。

それをクローン達も理解していたはずだ。

だけれども、クローン達は皆明るく笑っている。とても幸せそうにしている。

奈木は母親になれない身だし。

最後まで母親になれなかった。

だけれども、親がいなくても子は育つのか。

クローン達は、皆元気でやっている。

01達、最初のクローン達はもう生きていないだろう。話を聞く限り、今生きている一番古い世代のクローンは五桁ナンバー、一人前になったクローン達が20万番代だという事で。

色々感慨も深い。

数人を育て上げるのに四苦八苦した。

奈木がコールドスリープした後は、カルネが苦労を引き継いだ。

その結果が、この未来都市だ。

ふとアンジュを見たような気がして振り返ったが。似た犬だった。或いは、血を継いだ遠い子孫かも知れない。

犬は軍用犬として、基地の守りに必要だった。

ヘイメルはもう元が軍事基地とは思えない程……いや面影はあるが、極めて巨大に発展している。

カルネと並んで歩いているが。

皆何か片眼鏡にヘッドホンみたいなのをつけて。それぞれ英語と別の言葉で会話したりしている。

口調は片方が荒々しいのに。

もう片方は穏やかだったりして。

喧嘩になっていない。

色々と問題が解決してきているんだなと、奈木は静かに思った。

子供達が、走って訓練をしている。クローンが殆どだが、そうではない子供もいた。子供達を先導している、奈木の子孫らしいクローンが、一礼して去って行く。子供の隊列は、犬とロボットに守られていた。

「指導プログラムが優秀でね、学校教育はもうなくなる。 反発は多かったけれど、基本的に子供は適性を見て、それぞれに学習プログラムを割り振る仕組みが出来ている。 これでスクールカーストなんて悪しき風習はなくなる」

「私の時代に、そんなものは無くなってほしかったな」

「人類は其所まで進歩が早くない。 それにしても、頑健だね。 起きたばっかりなのに」

「そりゃあ、ヘイメルで散々苦労したから」

奈木は髪を掻き上げると、プールに到着。

一旦カルネと別れる。

前は軍基地の余熱で湧かしていた温水プールだったけれど。

今はしっかりとした設備の温水プールに生まれ変わっている。

内部にはそれなりの人数がいたが、パーソナルスペースの確保はばっちり。更にロボットが巡回していて、犯罪の心配性も無さそうだった。

しばらく、無心に泳ぐ。

少しタイムが落ちたかなと思ったけれど、これはリハビリだから仕方が無い。休憩を入れた後、また泳ぐ。少しずつ、タイムを戻していく。

泳いで頭の中を空っぽにする。

その間、周囲を丁寧に観察して行った。

現時点で、こう言う施設ではクローンとそうではない人々が半々、と言う所か。

いずれにしても、顔につける機械によって、誰も喧嘩はしていないし。喧嘩が起きそうになったら即座にロボットが介入している。

技術が無茶苦茶に進んだんだなと、一目で分かる。

あの廃墟に等しいヘイメル基地から、良く此処まで頑張ってくれたものだと、奈木は感心した。

たっぷり泳いだ後、呼び出される。

サリーと井田も、もう起きている様子で。

「議会」で、顔を合わせる。

拍手で迎えられたので、ちょっと気恥ずかしかったが。

クローン達半分。後は他の色々な世界の国々の人々がもう半分、と言う所だろう。それにしても、議会にいるクローン達は長老格なのだろう。年老いた自分、である。少し、それは驚かされた。

「この三人こそ、クローン達の始祖にて、世界をゾンビパンデミックから救った最大の立役者。 一度滅びた人類は、この三人の奮闘で、この未来都市に住むことが出来るようになった。 英雄である」

そう朗々と言ったのは。

多分前に見た副大統領だろう。

今は議長らしいが。

まあそれはどうでもいい。

少し居心地が悪いなと思っている中、色々と告げられる。

まずサリーは、今後も技術顧問として、この統一政府の重鎮として残るそうだ。本人をちらりと見たが、笑顔で返される。

まあ、カルトの教祖として祀り上げられていたらしいけれど。

今は正真正銘本物の英雄。

そして彼女の人柄の良さは奈木も保証する。多分大丈夫だろう。

井田も同じく技術顧問として残るそうだ。

ただ、200年以上にもわたる技術の進歩にはまだついて行けないらしく、しばらくは技術を学ぶところから始めなければならないと、ぼやいていた。

最後に奈木だが。

約束通り無人島を貰う。

そこで静かに暮らしたい。

そういうと、少しだけ議長は残念そうにした。

多分まだ不安定なこの世界の、議長にとっての権力基盤か何かにしたかったのだろう。だけれどそうはいくか。

サリーも井田も、敢えて「技術顧問」を選んでいる。

議員では無い。

これは要するに、技術者として今後世界に貢献したいと思っても。今後の人類の政体に権力面から関与したいとは思っていないと言う事だ。

サリーは温厚で心優しい女性だったけれど。

一方で、カルトの教祖に祀り上げられていたと言う事は、人間の最悪の面を嫌と言うほど見ているはず。

ならば、その判断も妥当だろう。

英雄であり、クローン達の「ご神体」である三人が、そろって政治への関与を拒否した。

それを見て、議長を苦笑して見ている者もいれば。

議長がこれ以上権力を握ることは無いと判断したのか、安心して拍手している者もいる。

クローン達は、皆奈木の望みを知っている筈なので。

今更に翻意しなかったことに、納得した様子だった。

悪いけれど。

後はあの子達に任せる。

その後は、幾つかのスピーチを聞かされるが、まあそれはどうでもいい。貰った翻訳機兼「コミュニケーション補助」機によって、極めて退屈だろうスピーチが、大変に分かりやすくしかも心地よく聞こえる。

これはとても便利だ。

ただ、最後にカルネが壇上に上がって。

演説した話には、本当に聞き応えがあった。

「今まで人類は、無能な権力者や不当に富を蓄えたものを正当化するために、実際の自然界ではありもしない弱肉強食という言葉を振り回し、また弱者を虐待する事を正当化するために、自己責任という言葉を振り回してきました。 実際に今回のゾンビパンデミックでは、その「弱者」に分類される、先天的に大きな障害を持ったこの三人のクローンが活躍し、誰もが安楽に作れる都市を建造しました。 それに、我等最後まで残った皆も、エイズウィルスを体に投与。 ギリギリの状態を攻めながら、必死に世界の再建の種をまきました」

カルネは、普段は軽口ばかり叩いている様子だけれど。

今日はかなり真剣なようだ。

というか、今までたまりにたまった鬱憤を、全力でぶつけているように見えた。

「ありのままの人間が美しいという妄想は今日を最後に捨て去りましょう。 視力を補うために眼鏡を、失った歯を補うために義歯を、なくした手足を補うために義足や義手をつけてきた我等です。 医療にしても、本来は自然界で死ぬ個体を生きながらえさせるために行われる行為で、「ありのままの人間」であれば死んでいる状況を覆させるためのものです。 今後人類は、新しい段階に進みます。 今までヒステリックに叫ばれてきた、無責任な人間賛歌は今日死にます。 今後は、人間は適者生存の本来の理を主にし、それぞれの能力を活用出来るこの社会とともに生きていく。 其所には差はあっても理不尽な格差はない。 コネや金など、今後は人類社会で何の役にも立たない。 文明を幾度も崩壊させてきた、無能な金持ちやコネだけ持っている人間の居場所は今後無くなる。 それを理解してください」

一礼すると。

カルネはスピーチを終える。

拍手は困惑と共に起こった。だが、言うべき事は理解出来たはずだ。

今後人間は、足りないものを機械に補って貰いながら生きていく事になる。それは恥ずかしい事でもなんでもない。

眼鏡をつけることが恥ずかしいか。

義歯を入れる事が恥ずかしいか。

人間は古くから足りないものを英知で補ってきた。それなのに、無法を正当化する時ばかり弱肉強食を口にしてきた。

そんな腐った慣習がこれで終わる。

「生命力に欠ける」とか、そういった寝言を言う輩は。薬を飲まずにゾンビ化すればいい。生命力に応じてゾンビ化が起きるのだ。自然現象であり、人間という生物がそのまま選択した行動である。だったら、「自然に生きて自然に死ぬ」事が現状のゾンビ化だ。ゾンビ化して死ねば良い。

起きてからカルネと歩いている間に、以上のゾンビ化の真相と、その防ぎ方は既に聞いている。

もしもありのままの人類が美しいなら。

薬を飲まずにゾンビになるという選択肢が今後提示されたわけだ。

さぞや人間賛歌を語りたい者には満足な結果だろう。

議会が終わる。

まだ不満がある者は多いようだが。クローン達の代表に、影で呼び止められる。始祖様、と言われると少しくすぐったいが。しかし、聞かなければならないだろう。

「無人島については用意しました。 また、世話などのロボットも既に手配は済んでおります」

「ん。 じゃあ、行く準備が出来たら声を掛けるよ」

「いつまでも、此処にいてくださってかまわないのですよ。 望むなら仕事も用意します」

「……私はね、やる事はやりきったんだ。 だからもう、後はゆっくりさせてほしい」

いずれにしても、奈木は正直な話、もう人間と接するのは疲れたのだ。

成し遂げた以上。

約束に従って、そのまま静かに暮らしたい。

それが本音であり。

それ以上の何も望まない。

この様子を見ると、恐らく人間はゾンビ化を克服した後、外宇宙に旅だって行くことだろう。何十年も何百年も掛けて。

だが、それについていくつもりはない。

やる事はやった以上。

これ以上人間社会につきあってやる道理などないのだから。

自宅に戻る。

カルネが連絡を入れてきた。

「約束は果たすけれど、今後もアドバイザーとしてたまに気が向いたらで良いから手伝ってくれないかな」

「……私さ、もう人間と関わるの面倒なんだよ。 そもそも彼奴らが私を人間扱いした事一度もないし、さっきだって見てたけれど、やっぱりクローン達を同じ人間だと思っていない連中が結構いた。 これだけの文明を作ってくれて、今では安楽に暮らせる状態で、何より滅亡を防いでくれた最大立役者なのにね。 そんな生物だって人間がはっきりしている以上、私はもう側にはいたくないんだよ」

「そうだね。 でも、もしも気が向いたら、でいいから」

「しつこいな。 まあ貴方には世話になったし、他の最後まで残った大人達に関してだけは、他とは違うと私も思ってる。 たまに、気が向いたら、ね」

通話を切る。

今更奈木なんて必要ないだろうに。カルネもまた妙なことをするものだ。ベッドで横になって、ぼんやりする。

もう眠ろう。

そう思って、奈木は普通に眠った。

何も拘りもなければ、特にこれと言って惜しいものもない。クローン達に言えば、始祖様と尊敬してくれているのだから、何でもしてくれるだろうけれど。

そんな風に、クローン達をこき使うつもりにもなれなかった。

 

それから数日、もらった無人島に出る準備をする。

軽く話を聞いたが、晴菜の痕跡はクローン達が探しておいてくれたという。残念ながら、晴菜が死んだ村は完全に森に飲み込まれており、痕跡の類は一切見つからなかったそうである。

クローン達は無能とはほど遠い。

他の誰がやっても結果は同じだろう。

わかった、とだけ応える。

そして、これでついに最後の未練が完全に切れた。

それからは、しばし無言でプールにて泳ぐ。何かしらの引き継ぎが必要な事態が発生するかも知れない。

だが、そもそも奈木にはゆっくりする権利があるし。

巨大都市であり人類最後の砦と化したヘイメルは、奈木がいなくても回る。

奈木の劣化していない細胞が必要だった状況も既に終わっているし。

今、此処に奈木がいる必要性は一切無い。

だからただ遊んでいても文句を言われる道理は無い。そもそも昔と違って、労働そのものが過酷では無いし。

休みがてらに、泳ぎに来ているクローンも、コールドスリープから目覚めた連中も多かった。

クローンの一人が、無人島の設備について説明をしてくれた。

奈木の気分が落ち着くのを待っていてくれたのだろうか。

無人島に用意されている家と、その内部の設備の全て。そして世話としてついてくれるロボット。

ロボットはいわゆる円筒形のもので、家事手伝いを基本全てしてくれる。

奈木もこの系統のロボットは知っている。育児で随分世話になった。

見かけはよく似ているが、中身は別物レベルで発展継承されているのだろう。これを、十機以上提供してくれるそうだ。

無人島にはそれなりに広いビーチがあり、危険な生物もいない。

沖合まで出れば流石にサメとか出るかも知れないが、浅瀬には有毒性の生物もいないそうである。

これについては事前に調査済みだそうだ。

おない年くらいに見えるクローンは、説明を終えると眉根を下げた。

自分とは思えない程人なつっこい優しい笑顔である。

「始祖様は、やっぱり行ってしまうんですか?」

「うん」

「……始祖様の意思は堅いのですね」

「堅いよ。 というよりも、今までは約束に従って協力していた、だけだからね」

そしてその約束も果たした以上。

もう人間社会に関わる理由も道理もない。

そもそも平均的な人間は約束なんて守らないし、道理も通さない。筋だって通す事は一切無い。

平均的な人間に対しての敵意が。

奈木を行動させた。

そして平均的な人間は、絶滅から救って貰ってさえ変わっていない。

カルネの演説を聴いて、周囲の連中の困惑した様子。

街を観察して、クローン達に対する侮蔑の目。

全て見て来た。

クローン達と他の人間の軋轢は間違いなくこれから起きる。奴隷扱いする輩も出てくるだろう。

感謝なんて平均的な人間はしないのだ。

自分から見て「気持ちが悪い」相手に対しては。

「気持ちが悪い」というだけで、人権どころか生命も否定して良いと考えるのが平均的な人間である。

関わる事は、もう嫌だった。

「言っておくけれど、もしも此処までしてるのにコケにしてくる輩がいたら、反乱起こしていいからね」

「……始祖様、気遣っていただけるのは嬉しいのですけれど。 でも、私達は今後は建設的に生きていきたいと思っています。 確かにどうしようもない行動を取る人は私も少なからず見て来ました。 それでも、私達は一緒にやっていく路を選びます」

「出来た娘でよかったよ。 私にはそうは思えない。 多分、今後もね」

「出るのは何時でも大丈夫です。 残っていていただければ、なお嬉しいです」

心からそう言っているのが分かる。

何しろ自分なのだから。

環境が変われば此処まで代わるものなのか。

奈木は嘆息すると、クローンに下がって貰った。

もう数日だけ。

此処にいる事にする。

だけれども、やはり外に出ると、どうしても軋轢を目にする。あの片眼鏡とイヤホンをつけていてなお、平均的な人間はクローンに対する侮蔑を隠そうとしない。

奈木に対してスクールカーストでマウントを取ってきた連中と本質的に同じだ。はっきりいってどうしようも無い。

極限まで進化した車いすを使い移動しながら作業をしている井田のクローンを見て、指を差して陰口をたたいている連中を見て。

奈木は此処を出る事を決めた。

あのクローンが気にしなくても。井田が笑って許したとしても。

奈木は不愉快だ。

荷物をまとめて、船に。

出る事が分かっていたからだろう。カルネが見送りに来てくれた。

握手をする。

四十路になっているだろうに、若々しい。

それにしても、随分小さい。

オツムのスペックと「健全な肉体」は何一つ関係無いとよく分かる。

他にも、最後まで残った大人達は、あらかた見送りに来た。議長も、である。

「正直な話をすると、私の権力基盤はまだ安定しきっていない。 出来れば君が後ろ盾になってくれると助かるのだが」

「……」

「分かっている。 気が向いたら、手伝ってくれ」

議長とも握手をする。

少し疲れているように見えた。副大統領という不安定な地位から、人類の指導者になった議長は。

いずれにしても、今後もっとも人類が迎える難しい局面に立たなければならない。

クローン達を指さして笑うような連中が、平均的な人間だ。

命を文字通り救って貰い。

これだけの未来都市で何不自由ない生活まで用意して貰ってなお。自分の美的感覚で相手を判断する。

そんな輩を制御していくのは、今後も骨が折れるだろう。

船が出る。

前に乗った輸送船とは偉い違いだ。カルネは手を振って、最後まで見送ってくれる。

クローンの中には、何人か世話係でついていこうかと提案してきた者がいたが、拒否した。

クローン達は人間とやっていく事を決めたのだ。

それならば、やっていけばいい。

奈木は愛想を尽かした。

それにつきあう必要はないし。

神格化して崇拝する必要もない。

船はとても滑らかに動く。船の中で、船のコンソールに入っているAIに説明を受けるが、これはサービスで貰えるという。

要するに、無人島の周囲を移動するのに、以降は自由に使っていいそうだ。

動力についても問題は無く。

もしも故障が発生した場合も、無償で直してくれるそうだ。

頷くと、振り返る。

もうヘイメルは見えない。

思うに、学校に通っていた時間と、それ以降の時間。

実は前者の方がなんだかんだで倍近い。

だが、後者の方が。ゾンビパンデミックと戦っていた時間の方が、遙かに濃くて。そして有意義だった。

また前者の時間に戻るチャンスだと、言いたい人はいるかも知れない。

だがヘイメルで見た人間は、コールドスリープ前と何ら変わらなかった。

もしも変わっていたら。

残る事を考えても良かったが。

今はまっぴらごめんだ。

程なく無人島に着く。

常夏の静かな島だ。砂浜で囲まれ、中央には豊かな緑。そして丁寧に整備された家屋。相応な豪邸である。

内部は塵一つ無く綺麗に掃除されていて。

ちょっと居心地が悪いくらいである。

なおプールもある。屋内ではないけれども、自動濾過装置などもついている様子だった。

ロボットが一体。

円筒形のロボットが来て、話しかけてくる。

「奈木様。 何かご入り用のものがありましたら、いつでも御申し出ください。 可能な範囲で用意いたします。 料理などについても、此方で行います」

「いや、料理は私が自分でやるよ。 材料だけ準備してくれる」

「かしこまりました。 料理については補助に徹します」

「家事も出来るだけ自分でやるから、細かい部分のお手伝いだけお願いね」

さて、どこからやっていくか。

まずは家の中を見て回る。

報酬なのだから、自由にして良いのは当然だ。

レプリカ品だろうけれど、かなり良さそうな美術品もある。奈木の好みに合う。クローン達が準備したのだろう。

同一の人間なのだから、感性があうのは当然か。

服も相応にある。

だが、実用性の高い服ばかりだけではなくて。多分エカテリーナ辺りが準備したような、何だか何処に着ていけば良いのか困惑するような服も揃っていた。まあ、ロボットが手入れはしてくれるだろう。

水着に着替えて、まずはプールで泳ぐ事にする。

無心に泳いで、現在のヘイメルで見た反吐が出る変わっていない人間の事は忘れる。

個別教育システムが完成した今、学校教育は終わらせるとカルネは言っていたけれど。

それまでには、奈木のような目に会う子供も出るだろう。

また、人間の密度が上がれば、どうしても虐めは発生する。

過渡期は一番大変なはずだ。

まあ、もうそれも関係無い。

やるべき事は全て果たした奈木に。

もはや、これ以上の責任はないし。協力しなければいけない理由も無い。

小さくあくびをすると、後は風呂に入って寝る。

造船技術も素晴らしく進歩したのだろう。ヘイメルから此処まで船で来て、まるで疲れる様子も無かった。

だから、むしろ快適に眠る事が出来た。

さあ、やっとゆっくり眠る事が出来る。

静かに眠る事が出来る。

一度だけ、晴菜のことを思い出す。

そして、その後は。

もう、無心に奈木は眠る事とした。

 

エピローグ、コキュートスは開き

 

宇宙ステーションが建造され。キャプチャした隕石や彗星、月から採掘した鉱石を利用して、更なる宇宙ステーションが建造されていく。

地球の周回軌道上からは既にデブリが全て除去され。

外宇宙への進出に向け、着々と準備が進められている。

昔は、スペシャリストは一握りしかいなかった。

今は違う。

教育システムが徹底的に改良された結果。

誰もがスペシャリストだし。

あらゆる意味で才覚に欠けていたとしても。それでも補助されて仕事をする事が出来る。

そもそも21世紀には結婚というシステムそのものが破綻しかけていたが。

現状では遺伝子情報が記録され。

そこから無作為に作られた子供達が、基本的に世界を回していた。

いわゆる三大クローン。

奈木、サリー、井田のクローン達は、今でも人類の最大数を満たしているが。

既にオリジナルのコールドスリープを生き延びた最初の世代は、もはやこの世にはいない。

現状、火星に宇宙ステーションが建造開始されており。

もう少しでアステロイドベルトまで居住領域が届く。

アステロイドベルトには既に先遣隊が出ていて。

ロボット中心の先遣隊は、めぼしい隕石にロケットブースターをつけて軌道を変更し。建造中の宇宙ステーションに向けて飛ばす作業をしていた。

ゾンビパンデミックは、現在でも厳密には終わっていない。

ゾンビ化を食い止める薬。

人間を滅ぼす事を決めた遺伝子の作り出すプリオンを無効化する薬があるから、ゾンビ化しないだけ。

それは誰もが初等教育で習う。

ゾンビ化は間近にあり。

そしてそれから人類を救った英雄達の子孫が三大クローン達。

今でも三大クローン達は第一線で活躍を続けていて。今後もそれは変わらないと言われていた。

今、奈木タイプのクローンである晴菜が、手を振って宇宙船を誘導する。

宇宙服も、21世紀の頃のごてごてしたものとは違い。

かなりスリムになっていた。

昔はクローンは番号で呼ばれていたらしいが。

今はそれぞれが、個別に名前を貰っている。

まずは此処から、他の人間に歩み寄ろう。

100年ほど前に、クローン達の代表が決め。それから、ずっと受け継がれてきている。その決定をした代表も既におらず。名前が番号の世代も、かなり数が減ってきている。

流石に始祖と同じ名前は恐れ多いのか。奈木という名前を名乗る奈木タイプのクローンは殆どいないのだが。

誘導された宇宙船が、隕石をキャプチャ。

ドッグに運び。

自動で隕石の解体が始まる。

バラバラに分解して、鉱石を取りだす。内部は銅を中心に、貴重な鉱石がみっしり詰まっている。

良い鉱石だ。

今日は後三つほど、隕石が飛んでくる予定で。

その内もう一つを晴菜が引き受ける予定だった。

宇宙服に装備されているバイザーで確認し。隕石の距離を測る。次の隕石が接近しているのを確認。

宇宙船に合図を送り、キャプチャする。

音速で言うと、マッハ50ほどで飛んできているこの隕石。アステロイドベルトに先遣隊が設置したマスドライバでマッハ5000程まで加速され。そして途中にある減速装置で段階を踏んで速度を落とし。ここに来たときにはマッハ50にまで落ちている。

勿論事故が起きた場合も、地球には衝突しないように計算軌道はされている。

宇宙船に合図を送る。

とはいっても、この辺りは殆どが自動化されている。晴菜の仕事は、しっかり作業が行われているか、見届けることだけだ。

隕石のキャプチャ完了。交代の時間だ。

宇宙船に戻ると、交代要員に引き継ぎ。一礼をかわして、自室に戻る。

周囲の様子を見られるモニタを確認すると、地球に降りるシャトル便を確認。メッカに巡礼するムスリム達だろう。一礼して、信仰に敬意を払う。

始祖本人は結局最後まで嫌がったが。

三大クローンは、最後まで始祖達を信仰していた。

晴菜もそう。

奈木がとても大事にしていた親友の名前を貰った晴菜は。人類が絶滅したも同然の状態から盛り返す最大の貢献者となった一人、広中奈木。始祖様を敬愛している。自室には、無人島で撮ったらしい写真を飾っているし。彼女の肉声のテープは宝物だ。

結局まだ人類は信仰から卒業できていないし。

新しい信仰を産み出してさえいる。

そろそろ人類は信仰から卒業するべきだ。そういう声も上がってはいるが。

今の時点で、信仰のぶつかり合いは起きていない。だから、晴菜はこれで良いと思うのである。

苦労の末に、何とか指導者達が人類をまとめ上げ。

宇宙へ進出する体勢を整えたのだ。

ゾンビパンデミックで、人類の巻き添えを食って滅びてしまった種族も多い。

地球に残された資源は多く無い。

それらを思うと。

やはり今は、まだ心のよりどころが必要では無いのだろうか。

連絡が入る。船長からだった。

「当船の抑制薬の在庫が少し減っている。 在庫を増やすように注文をしたので、留意してくれ」

「分かりました」

抑制薬というのは、勿論ゾンビ化プリオンの抑制薬だ。

現在では生産と携帯がそれぞれの宇宙船やステーションに義務づけられている。

三大クローンが未だに最大数のもそれが理由で。

もしもゾンビパンデミックが起きた場合。耐性がある三大クローンが中心になって、無人兵器と一緒に鎮圧する必要があるからである。

そして人間の遺伝子解析は既に完全に完了し。

未知の業病を遺伝子由来で引き起こしかねない場合は、即座に対応する手段も整えられている。

人類は歴史で学ぶことがなかったが。

今は違う。

ゾンビパンデミック前と後では。

人類は歴史に学ぶという知恵をつける事が出来たのだ。

抑制薬の在庫を確認。

確かに少し在庫が心許ない。今日ステーションに帰った後に、補給しておく必要があるだろう。

メモを取って、他の船員とも共有しておく。今晴菜はこの船の副艦長のような仕事をしているので。

必要な行動だ。

幾つかの質問が帰ってきたので、それにも応えておく。

不安を取り除くのも。

管理職の仕事である。

一通り作業が終わったら、無重力状態の船の中を移動して、残り二つの隕石回収のノルマが達成されるかを確認。

作業をしているのは、奈木より少し年上の男性だが。

彼もクローン世代の人間である。

三大クローンでは無く、無作為に作り出されたクローンの一人で。

昔は反対運動もあったらしいが。

今ではすっかり自然に受け入れられている。

遺伝子の多様性がどれだけ重要かを人類が理解し。そして例え欠損があってもそれに何か意味が出るかも知れないと分かった今。あらゆる遺伝子の組み合わせが試されている。何かしらの障害が発生した場合も、それを補助する仕組みも整っている。

いずれ、まったく既存の人類とは異なる新人類が出現するかも知れないが。

残念ながらまだそれは出ていない。

隕石のキャプチャは成功。

誘導し。隕石の加工を行いながら、宇宙ステーションに帰還する。宇宙ステーション内は引力があり、内部には20万人が暮らしている。現状、この二十万人クラスの宇宙ステーションが基本で。

今後は、更に大きいものも建造予定だ。

作業の内容について全て報告を終えると、後は引き継ぎをして、自宅に戻る。

自宅で少し休んでからは、プールに行く。

始祖も泳ぐのが大好きだったらしいが。

晴菜もそうだ。

いや、まて。

話によると、始祖は頭を空っぽにするために泳いでいたという。楽しんでいる晴菜とは違うかも知れない。

黙々と泳いでいると、連絡用の端末が鳴る。

自ら出て、端末を確認。

抑制薬が船に納入された、という内容だった。

在庫量も確認し、充分であることをチェック。後で現物を見ておく必要もあるけれど。今はこれでいい。

もう二泳ぎほどしてから、自宅に戻る。

自宅のモニタから地球を見る。

地球はとても青い。

今は、宇宙で暮らすのが当たり前になって来ている。始祖達は既にもう皆天寿を全うしたが。

その苦闘はこうして実を結んだのだ。

やがて人類は外宇宙に出るだろう。

学校教育は既に役割を負え。

個別のスペシャリスト教育がそれに取って代わっている。

過去の遺物であるスクールカーストは、完全にこの世から消滅し。また人間の仕事密度についても考慮がなされ。結果、虐めという現象はこの世界から消えた。

生物の生活密度が虐めを引き起こすという論文は既に出ていたのだが、結果がそれを実証した。

無責任な人間賛歌や、仲間という言葉で同調圧力を強要する社会は終わった。

奇しくもその切っ掛けになったのが、ゾンビパンデミックだと言う事は忘れてはならないし。

人類はまた同じ過ちを繰り返してはならない。

外宇宙に出れば、いずれ宇宙人に遭遇し。そして交流が開始されるだろう。

もしも過去の人類だったら、絶対に戦争になっていた筈だ。

今の人類だったら、或いは。

希望があるかも知れない。

人類は英知にて、決められた滅びを打ち破った。

そして、古き思想から脱却することが出来た。全ては始祖達の活躍が故だ。

いつの間にか眠っていた。

起きだして、次の仕事に出向く。

スケジュールを確認。

今日は、七つの隕石をキャプチャしなければならない。アステロイドベルトからもたらされる資源は鉱物ばかりでは無い。隕石には水も含まれている事が多い。それらの中には未知のウィルスなどがひょっとしたらいるかも知れない。まあ今の時点でそんなものが発見された事はないが。現在は、資源化の前に徹底的な調査が為されるようになっている。

さて、今日も仕事だ。

昔は死ぬまで人間をすり潰していたようだが、今はそんな事もない。

晴菜は自室を出る前に始祖に一礼をすると。

気分を入れ替えて。

仕事に向かった。

 

(世紀末ゾンビサバイバル小説、コキュートスは開く・完)