切れる糸

 

序、一番の難所

 

奈木が眠り、一番大変な時期が来た。しかも、奈木のクローンである奈木01から連絡が来たとおり。ヘイメル基地の側で山火事が起きた。

完全に管理外になった火事だ。

乾燥している時期だと言う事もあるし、動かせる消防車も限られている。

ドローンから消火剤を。

貴重な貴重な消火剤を撒いて、ヘイメルを守る。あらゆる物資が集約されているヘイメルに、猛火を近寄らせるわけには行かない。

作業を黙々と行ったが。

負担は非常に大きかった。

何とかヘイメルに向かう火は食い止めたが。山火事はそのまま広がり、朽ちた街を幾つも飲み込み。

その後、季節外れのハリケーンで収まった。

人間がいなくなった影響が、世界中で出始めている。

まず無人になった街を、獣が徘徊するようになった。

回収出来る物資は、全て回収してしまっているのだけれども。

しかしながら、こればかりはどうしようもない。

人間がいないか、家を覗く獣もいる。

獣たちは、人間が家に住んでいることを知っていた。そして、いないと確信した今。最大の天敵の消滅を喜び。

その住処を闊歩し始めたのだ。

駆除したいところだが、ドローンの数も足りないし、処理も出来ない。

街の再建を行う時に手間になるが。今はもう仕方が無い。

ただ、原発などの施設に関しては、近寄らせるわけには行かない。軍事基地もである。コールドスリープ装置がある場所もだ。そういった場所に獣が近寄ろうとした場合は、カルネが優先して構築した防衛網にて、駆除するようにしていた。

アラートが鳴っている。

どうやらまた火事だ。

今度は山火事では無い。無人の軍事基地の一箇所で、恐らくレンズ効果によって火事が起きたのだ。

すぐにドローンを用いて消火。

クリティカルな施設への被害は抑えるが。

保有していた幾つかの兵器が駄目になった。

完全に燃え落ちた訳では無いが。

これは交換用に割切って考えるしか無いだろう。

基地の状況を見直し。

消火設備なども確認。

今回は幾つかの要因が重なって、消火設備が動かなかった。或いは、動く前にカルネが対応した、というところか。

いずれにしてもまだ甘い。

今後カルネもコールドスリープするのだ。できれば、だが。

死ぬ覚悟は決めた。

他の起きている生き残り達も、どうもそれを悟っている節がある。何度も釘を刺された。

だが、誰かが。

正気のまま起きていなければ。

奈木のクローン達は、想定通りの速度で学習を進めている。だが、それでも遅すぎるのである。

IQ180というのは、平均の学習能力の、1.8倍という事である。まあ簡単に言えばそうなる。

確認できる中でも人類史上最高の知能を誇ったノイマンですらIQは300。つまり常人の三倍の学習効率だった、と言う事だ。

それこそ億人に一人もいない「天才」と呼ばれる人間ですら平均の三倍程度。

要するに人間にはその程度の差しか無い。

カルネはIQ200オーバーだが。

自分より頭の良い奴を大学では何回も見たし。

それに苦手分野は勉強しなければ覚えられない。

そういうものだ。

万能の存在などいない。

ましてや180というのは、各国のスペシャリストにわずかに届かないレベルのIQである。

やはり、どう楽観的に見ても、研究は100年以上は掛かる。

最悪の場合、今コールドスリープしている人々は見捨てて。保存されている遺伝子データから、人類をクローン再生する他ない状況が来るかも知れない。

いずれにしても、楽観は敵。

基本的に、最悪の事態を想定して動かなければならなかった。

火事の翌日。

子供達が怖がっているのが分かったので、丁度良いタイミングだとカルネは判断。世界を襲った災厄について、ビデオで見せておく。

ゾンビパンデミック。

半年で壊滅した世界。

それらを映像つきで見せると。子供達は怖がって泣いた。普段は何があっても泣かない奈木のクローン達でさえ泣いた。

それはそうだろう。

これほどの恐怖、そうそうあったものではない。

噛めば感染するゾンビのなんと可愛い事か。

感染経路が今でも分からず。

防ぐには遺伝子的に致命的な欠陥があるか。それとも、死にかけになるまで、自分を痛めつけなければならない。

それらを余すこと無く見せる。

効果は絶大だった。

「君達は、これと戦わなければならない。 ボク達も戦ったけれど、ついに倒す事はならなかった。 ボク達の力不足は事実だけれど、世界中の人間が集めた情報は、ヘイメルにある。 他の場所にも万一を考えて保存してある。 君達や、君達の後輩達なら、きっとやれると信じているよ」

泣いている子供達を見るとあまり気分が良くない。

カルネは奈木ほど拗らせていない。

子供は普通に可愛いと思う。

だからこそ、この光景は胸が痛いが。だが、ゾンビパンデミックの恐怖は、実際にトラウマとして叩き込んでおかなければならない、絶対に叩き潰す意思を固めさせなければならない。

歴史上、人類には天敵が存在しなかった。

道具を使うようになってからは、それが加速した。

コレラやペスト、エイズと言った凶悪な病気も存在したが。

いずれも人類を滅ぼすには到底至らなかった。要するに、その程度の病気だった、という事である。

始めて登場した、人類の天敵。

それを撃ち倒すために。

この子達が、立ち上がらなければならないのだ。

本来はまだ小学校にも通えない子達が。心が痛むが、やってもらわなければならない。他に、もはや方法がないのだから。

たとえばもう数年時間があったら、或いはクローンの急速育成などが確立していたかも知れない。

現在第一世代のクローン達は、ホルモンなどを弄くってある程度早熟にしているが。あまり投入量が多すぎると確実に成長に阻害をきたす。もっとも大事な第一世代が体を壊してしまっては意味がない。

だから、子供として足りない分は。

大人が補うしかないのである。

ブライアンも市川もコールドスリープし、エカテリーナも体調が悪い今。カルネが子供達の面倒を見るノウハウを、徹底的に確立しなければならなかった。

元々奈木のクローン達は飲み込みも早いし、運動神経も優れている。

こればっかりは才覚だ。

運動神経については、運動部の真面目に鍛えている奴が、煙草を吸っていい加減に過ごしているような不良に負けたりするケースがあるが。やはり才覚が大きく影響してくる。ただ、それにも限界はある。

精々勝てるのは素人まで。

何より幼い頃から計画的に鍛えていれば、その辺の素人には絶対に遅れを取らなくなる。そういうものだ。

かならず見回りはさせ。

異常は絶対に報告させる。

何か気付いたことを報告させ。それがどんなくだらない事でも絶対に褒める。そして、くだらないと思っても、何か問題につながっている可能性があるから、徹底的に調査する。

そうすることで、ジャガーの侵入を防げたり。

港湾部から入り込んでいたワニに事前に気付けたことが、一度や二度では無かった。

また幼すぎる子供は、寮から出さないようにとも指示はしている。

これは大型の猛禽類。

昔は米国のシンボルとも言われたハクトウワシなどが健在だから、である。

良く映画などに出てくるように、鷲が幼児をかっさらって飛んで行く、というような事は出来ないにしても。

赤ん坊を殺傷する事くらいは簡単にやってのける。

鴉が鳩を殺すところを見た事がある者はいると思うが。鳥類は、今栄えている哺乳類より新しく出現した生物で。恐竜がいた頃は、文字通り何もできずに隅っこでブルブル震えていた哺乳類と違い。恐竜と生態系のニッチを争って激しく錬磨し合っていた存在である。

自力で空を飛び、歩き、水に潜る。

この全てをこなせるのは、鳥類と昆虫くらいしか存在していない。

現状の世界では。

大人を殺傷する程強大な鳥類はダチョウやヒクイドリくらいしか存在していないけれども。

子供、特に幼児は、大型の猛禽類の爪や嘴によって殺傷されうる。

更に毒蛇、蠍、後は一部の強力な毒を持つ昆虫などの対策も、全て生きるための知識として仕込んでいく。

対処法も、である。

だが実は、奈木が第一世代にはもっとも危険な動物と対処法については教えてくれているし。

何より軍用犬がしっかりそれらに対処できるように訓練しているので。

今の時点では、不用意に幼児が寮を出ないようにすること。

それに注意するのが一番大事だった。

子供達が規則的に動いているのを見て。

全体主義者などは、素晴らしいと言うかも知れない。

しかしながら、これはそもそも、三種類しか人間がいないと言う絶滅同然の状態だから出来る事であって。

奈木達のクローンはこれから何があっても生き延び。

そしてゾンビパンデミックの仕組みを研究し、解き明かさなければならないのだ。

咳き込むカルネは、やはり肺の様子がおかしいと思ったが。

それについては、何とか我慢する。

エカテリーナは今はお休み中なので。

キザリと分担して、授業を行う。

第一世代の子供達には授業を行って、少しずつ学力をつけて貰い。第二世代に覚えた事を教えて貰う。

ドリルの類は作ってあるし。

紙だって大量に余っている。

奈木が最後の半年を使って、準備を徹底的に進めてくれていたのである。

本当に細かい所まで気がつくので、とても助かった。

今はマニュアルに沿って子供達に教育する。第一世代だけでも一人前にすれば、それでカルネの仕事は終わりだ。

正確には、それまで生き延びるのが。

カルネの仕事である。

子供らしからぬ集中力で、奈木とサリーと井田の第一世代クローン達は勉強を受け終える。

知っているのだ。

この勉強が、生きるために必要である事を。

バズに交代。

軍事訓練をやってもらう。

奈木が銃などの扱いの基礎は教えてくれていたのが本当に助かる。

また、どうしても銃などはやはり奈木のクローンにしか扱えない。

井田はまだ起きているが、子供達の様子を見ながら、やはり教育についてまとめてくれている最中だ。

銃器の扱いを現地で教えるわけにはいかない。

バズは相当に神経が参っているようだ。

何度も愚痴を聞かされる。

「まだ小学校に行っている年齢の子達じゃないですか。 それなのに、銃を持たせるのは、どうしても賛成できません」

「あの基地では、どうしても子供が銃を持たなければ身を守れないんですよ。 ジャガーが入り込んだこともあったでしょう。 軍用犬だと束になってもジャガーにはかなわない……いざという時には銃火器で撃退するしかないんです」

「でも、まだ幼い子供達です!」

「分かっています。 ボクだって心苦しいですよ」

正義感が強いな、と思う。

それは得がたい資質だ。

ゾンビパンデミックの前。真面目な人間も、正義感が強い人間も、馬鹿にされる対象だった。

比較的真面目な人間が行く軍でさえも。

真面目な人間は、肩身が狭かった。

世界中にストレス社会が拡がっていて。

周囲を冷笑するような事が流行り。

冷笑するだけで、自分は何もしないような輩が「格好良い」とされる事がとても多くなっていた。

それは早い話が世界が劣化していた、と言う事。

バズのような真面目な男は、とても暮らしづらかっただろう。

モリソンも手分けして授業をしていたが。それも終わる。

後は夜分の巡回をして貰い。

そして子供達は眠らせる。

カリキュラムの進展を確認しつつ。各地でのアラートを処理。

一部だけ確保出来た牧場や農場。豚や牛の肉の供給源についても、いつまでもオートで世話が出来るか分からない。

物資の流通も、遠隔操作の車や船で行っているが。

それもいつまで続けられるか。

最低でも百年。

最悪で数千年。

クローン達が、ヘイメルに立てこもり、研究を終えるまで。何とか物資はもたせなければならない。

長期保存出来る食糧にも限界がある。

新しい食糧も生産しなければならないし。

その内、食糧や生活必需物資、更には高度な機械類などを生産する役割を担ったクローンも必要になってくるだろう。

いずれにしても、今いる第一世代全員に研究して貰うわけには行かない。

ヘイメルにある設備などをフル活用して。後の世代まで生きていくためのシステムの第一歩を構築する。

それが子供達には求められる。

大人としては押しつけてしまう業だ。

バズの抗議を聞いた後。カルネは咳き込んで、ベッドに潜り込む。エカテリーナはまだ眠っているようだし、キザリと話す。

頑健だったキザリも、どんどん調子を崩してきている様子で。

いなくなった後の事を考えなければならない。

「君のカルテを見たが、薬を増やす。 処方箋の通りに飲んでくれ」

「分かりました。 其方はどうです」

「俺は……余り良くないな。 やはり無理な内臓機能の悪化に加えてエイズを入れたのはまずかった。 だがこれくらいしないと、ゾンビ化を確実には防げなかった。 何とか、あの子達が十歳相当の肉体年齢になるまでは頑張るつもりだが……」

「エカテリーナは」

キザリが口をつぐむ。

それから言った。

もって後一年、と。

そうなると、後三ヶ月ほどで井田がコールドスリープに入る事もある。状況は、更に厳しくなるだろう。

「健康に体を揺り戻す事は出来るが、そうすると恐らくゾンビ化が始まってしまう。 本当に悪辣な病気だ。 ウィルスかプリオンかすら分からないとは……」

「研究のデータ、ゾンビのデータ、ゾンビ化しなかった人達のデータも全てまとめてあります。 あの子達なら、きっと時間さえあれば、解決してくれるはずです」

「そう信じたい。 更にゾンビ化を引き起こしている何かが、タチの悪い変異を起こさなければ良いのだが……」

病気は変異する。

今のゾンビ化を引き起こしているのが何だかは分からないが。いずれにしても人体に二次的に何かしらの事を引き起こしている。

それは確実である。

その何者かが、未知の寄生虫なのか、それとも既知の存在なのかすら、残ったリソースでは研究しきれなかった。

子供達に、任せるしかないのだ。

キザリに言われた通りに薬を飲む。バズとモリソンも薬を飲んでいる。

後はアラートが出ている部分を黙々と片付け。

ルーチンワークになっている物資の集積作業を続ける。

食糧の生産などは、一応現時点では問題なく動いているが。

それも時々ガタが出る。

人間がいなくなると、建物は痛みが早くなる。ヘイメル基地も、基礎の建造物が何千年も保つかはわからない。

勿論コンクリなどの材料はあるが。

いつまで綱渡りを続けられるか、それは正直な所分からないのだ。

一段落した所で、ベッドに。

咳き込む。

咳がどんどん酷くなってきている。

まだ、まだまだだ。

倒れるわけにはいかない。

キザリも後数年もたない。カルネがどうにかするしかない。バズはそもそも軍事以外は教えられないし。

モリソンは教育そのものに向いていない。

モリソンもいっぱしの学者だったのだけれども、何というか専門分野以外はたどたどしくなってしまうタイプで。

どうしても子供達に接するのは上手じゃない。

カルネが、やるしかないのだ。

咳が収まった所で、何とか無理矢理眠る。体力を少しでも戻さないと。それでいながら不健康でいなければならないのだから、もう何とも。

悪辣すぎる病気の仕様に悪態をつく元気もない。

今、稼働している大人は五人。エカテリーナが危ない今。

四人になろうとしている大人は。必死になんとしてでも、残らなければならない。

 

1、子供達の苦闘

 

井田さんは、目も悪いし下半身も殆ど動けないけれど、01達にとても優しかった。画面の向こうから勉強を教えてくれるキザリさんはいつも厳しかったけれど。その厳しい分を補うように優しかった。

お母さんより優しかったかも知れない。

どうして優しいのか。

井田さんに聞いてみると。01に、こう応えてくれた。

自分はずっと酷い目にあわされ続けて来た。

悲しい思いもたくさんした。

だからこそ、後に続く子供達には、同じ目に会って欲しく無い。

僕は人を愛することもできない。君達もそれは同じ。だけれども、愛するの形は一つだけじゃない。

僕なりの愛情を、君達に引き継ぎたい。

ただそれだけの事だ。

そう言われて、そういうものかと01は思った。難しいと思う部分もあったけれど。ただ分かったのは。

井田さんに悪意はなくて。

そして、その優しさが、01達には随分と救いになったと言う事だ。

お母さんと同じように。

サリーさんと同じように。

井田さんもコールドスリープ装置に入った。

もう、泣いている場合では無かった。

毎日、順番を決めて見回りをして。軍用犬たちの世話をして。年下の子供達の面倒も見る。

面倒を見るのは円筒形のロボット達が手伝ってくれるけれど。

時々癇癪を起こしたりする子はどうしてもいる。

そんな子の相手をするのは、どうしても01達。

幸い、何が気に入らないのか、話してみるとすぐに分かる。それだけは救い。多くの場合はお母さんに会いたい、というのが原因だった。

だから眠っているお母さんの所に連れていく。

そして起こせない理由をゆっくり丁寧に話す。

普通の子供はこうはいかないと聞いているけれど。

幸い、泣いている年下の子供達は。時間さえ掛ければ、どうにかそれで納得してくれるのだった。

見回りに出ていた02と07から報告を受ける。

軍用犬にまだ引っ張られているけれど。

それでも、軍用犬も、世代交代したりして、01達に育てられた世代も出てきている。大型犬はあまり永く生きられない。01が物心ついた頃には、もう年寄りだった軍用犬もいて。

頭がおかしくなって子供を襲いかねないという理由から、隔離されたりもしていた。

淡々と死んで行く様子は悲しかったけれど。

それでも、新しく生まれた軍用犬たちは、01達のために役に立ってくれている。

信頼関係は、丁寧に構築していかなければならない。

「がいえんぶ、異常なし。 特に変なものはなかったし、犬も反応しなかったよ」

「大きな鳥が飛んでいましたわ」

「うん、それだけ」

頷くと、用紙を渡す。

お母さんが、毎日のメモとして作ってくれたものだ。これにチェックを入れて、見たものとかを書く。

お母さんに教わった言葉は「英語」というそうだ。

お母さんは「日本語」というのも使いこなしていたけれど。01には必要ないと言って、教えてくれなかった。

どうしても覚えたいなら、教材はあるから、後で覚えるようにとも言われた。

用紙を受け取って、内容を確認。

頷くと、ファイルにとじて。内容をPCに打ち込む。この作業は、毎日交代で行うようにしていた。

複数の目を通すことによって、ミスを減らす。

そういう目的があるそうだ。

01が基本的にリーダーシップを採るようにしていたけれど。

サリーさんの子供である07や、井田さんの子供である05は。やはり少し01と考え方が違うようだし。感覚も鋭い部分が違う。

一方、他の子は殆ど01と考えが変わらない。

この貴重な「違い」を生かさなければならないと。

何度もお母さんには言われたのだった。

日課の見回りが終わると、運動を行って、基礎体力をつける。

基礎体力分だけ泳いだ後は、05と07に年下の子達を見てもらって。01達はみんなで泳ぐ。

タイムはほぼみんな変わらないけれど。

ちょっとずつ違う。

見回りに行ったりするスケジュールで、余計に動いていたりすると、それでわずかに筋肉の量が違ってくるらしい。

01達は、そもそも「クローン」といって、本来自然に生まれてくる子供とは違う、お母さんとまったく同じ存在らしいのだけれど。

それでも、細かい行動の違いによって、だいぶ体などに変化は出てくる。

それと、お母さんは無理にいつも笑ってくれていたけれど。

01は気付いていた。

お母さんは、笑うこと自体が凄く大変で。

必死に何とか笑顔を作っていたのだと。

理由は分からない。

水泳が終わった後は、授業を受ける。

何組かに別れて、それぞれ違う勉強をする。

来年くらいから、それぞれ完全に違う分野の勉強をして貰う、という話を聞いた。お母さんが残した映像や、昔お母さんが受けた授業の映像などを見て、自習するものも増えていくという。

今日はエカテリーナさんの授業を受ける。

たくましい人だけれど。

どうも最近、そのたくましさに陰りを感じる。

算数や英語の授業を受けて。一つずつ丁寧に課題をこなして行く。エカテリーナさんは、上手く出来る度に褒めてくれるので嬉しい。

キザリさんは褒めてくれるけれど、淡々と、なのだ。

カルネさんは、見ていて面白がっている様子はあるけれど。自分の事のように喜んではくれない。

よく分からないけれど。

エカテリーナさんは、クローンじゃない子供がいたことがあるらしくて。

それが原因なのかも知れなかった。

「よーし、ガキ共、良く出来た。 アタシが同じ年の頃よりもずっと出来るよ。 これからも頑張るように」

「はい!」

「いつもしかめっ面だった奈木とは偉い違いだね。 一体あの子の親やら周囲の奴らは、どんな風に接していたのやら」

そう言って、ため息をつくエカテリーナさん。

授業が終わると、画面の向こうに早々に消える。

授業の間の時間は、自由時間だけれど。

基本的に「復習」をするように言われている。

徹底的に、今やった勉強を反復することで。分からなかったことなどを潰して行く。殆ど分からなかったことは無いので、廻りと軽く話して。それぞれ理解が難しかった部分を相互に補い合う。

そして、その復習が終わった後は。

各自自由にのんびりしたり、或いは外を見回ったり、年下の子供達の様子を見に行く。

「さそりだ!」

声が上がったので、即座に01が飛び出す。手元には、トングという道具。さそりを捕まえるためのものだ。

子供達の寮の前で、犬たちが吠えている。

さそりがハサミを振り上げて、犬に威嚇しているが。

01がさそりを即座に捕まえて、外に捨てに行く。

無駄に殺したくは無いのだ。

「セントリーガン」の間を抜けて。「装甲車」が固めている一番外に出ると、トングを離して、サソリを草むらに離す。

サソリはまだ此方を威嚇していたが。

もう来たら駄目だよ、と話しかけると。

少し威嚇した後、草むらの中に消えていった。

さそりにも色々いるのだけれど。

映像で見せられたさそりは、今のよりもっと大きかった。トングを使うのも、素手ではとても危ないから。

絶対に素手では触らないように。

下手に踏んだりもしないように。

それはお母さんに、きつく言われた。

蛇よりも対処が楽なので、01には苦では無かった。外に逃がしてきたことを、同年代の皆に伝えた後。周囲を調べて、他に危ない動物がいないか調べる。

これで少し時間を食ってしまったので。

午後の授業は、いつもより遅い時間まで続いたけれど。

それを授業をしてくれたカルネさんは責めなかった。

カルネさんは、とにかく分かりやすく授業をしてくれる。此方を見て楽しんでいるような所があるのだけれど。

それは我慢すればいい。

何でも昔、カルネさんはお母さんと激しく戦ったこともあるらしい。

画面で見るカルネさんは、あまり背も高くない、小柄なお姉さんだけれども。頭だけはお母さんより良くて。それが勝因になったのだとか。

詳しく話を聞きたいけれど。

授業に集中して、出来るだけ効率的に全て片付ける。

科学の授業が終わった後は。

寂しがっている年下の子達の世話をしたり。

また見回りをしたりする。

余裕のある時間はあまりない。

時間がある時は、遊んで良いと言われている。

そういうときは、05と一緒に「テレビゲーム」を遊んだり。07と一緒に縫い物をしたり。

或いは黙々と、何も考えずに泳いだりもする。

見回りに行っていた04が、ガラガラヘビが出たと言っていた。見張りに出るとき必ず連れていく軍用犬が、仕留めてくれたという。

普通脅かせば逃げていくのだけれど。

たまに虫の居所が悪いと、ガラガラヘビは好戦的になる。

そういう場合は、可哀想だけれど軍用犬たちにかみ殺してもらうしかない。

悲しいけれど、それが事実だ。

夜も更けた。

04から受けた報告に目を通して、そしてカルネさんに報告。

ファイルにとじて、そして眠る事にする。

ぐずって泣いている子がいるけれど。

ロボットが上手にあやして、寝かしつけてくれる。

泣き声が五月蠅い、とは思わない。

お母さんは根気よく泣いている子に接していた。

01もそうありたい。

あまり長い間一緒にいられなかったけれど。

01の目標はお母さんだ。

 

草ぼうぼうになって来た基地の廻りを、皆で掃除する。その時ヘッドホンをつけて、ついでに授業を受ける。

ながらの授業になるので、簡単な内容だったけれど。

とりあえず、周囲を軍用犬に見張って貰いながら。

セントリーガンや装甲車が動きにくくなるような場所に生えている草を、全て刈り取って行った。

刈り取った草は乾燥させた後、一箇所に積み上げる。

その後、一人で動く車が、何処かに運んでいく。カルネさんの話では、せっかくだから活用するらしい。

日差しが強くて、日焼けしそうだ。

毎日背が伸びるような気がする。

この間から、エカテリーナさんが授業に出てこなくなった。

カルネさんから言われたけれど、体の調子を崩して、お母さんと同じように眠ったのだという。

説得に苦労したそうだ。

まだやれる。

そうエカテリーナさんは言っていたらしいけれど。

エカテリーナさんが住んでいる場所には一人しかいないらしくて。

無理があった場合、取り返しがつかない。

だから、早めに眠って貰ったのだという。

エカテリーナさんの抜けた穴は、ちょっと01から見ても頼りないモリソンさんや。何だかいつも悲しそうに此方を見ているバズさんが埋めて勉強を教えてくれるそうだけれども。

エカテリーナさんは、たくましい見かけに反して、何だか此方を優しい目でいつも見ているので。

いなくなったのは悲しかった。

カルネさんも咳をいつもしているし。

隠してはいるけれど、キザリさんだってあまり調子は良く無さそうだ。

カルネさんには言われている。

いずれこの世界から、大人はいなくなる。

その時には、ヘイメルだけで、世界を滅ぼしたゾンビ化に立ち向かわなければならなくなると。

そのための勉強。

そのための引き継ぎ。

分かっている。

ゾンビ化の映像は見た。

放っておくと、みんなああなってしまう。

まだ生きている人達は、みんなゾンビ化を避ける為に眠っている。01達が頑張らないと、その人達は助けられない。

草を積んだ車が行くのを見送ると。

寮に戻って、話半分に聞いていた授業の復習を行う。

02と08が、作業時に聞き逃していた場所があった。01も何カ所か、良く聞けていない場所があった。

相互補完して、復習を完遂すると。

もう休憩時間が終わっていた。

だけれど、今日はカルネさんが優しい。

「今日はあれだけ草刈りして疲れたろ。 ちょっと休んでいていいよ」

「ありがとうございます!」

「礼には及ばないよ。 午後、今日はちょっと軍事訓練やるし」

となると、05と07は除外か。

頷くと、言われた通りに眠る。

軍事訓練は消耗が激しいので、やる日はいつもよりたくさんご飯が出る。それと、休む事自体も授業扱いになる。

ただ、05と07はその間別の授業を受けているわけで。

話について聞くと、色々教えてくれる。

だけれども、余計な勉強をして時間を無駄にしないように、とも言われている。

自分で何を勉強するか考えるのはもう少し知恵がついてきてからでいいそうだ。

カルネさんはその辺り、エカテリーナさんと違って、何というか高圧的というか上から目線というか。

言っている事は分かるのだけれど。

01達を尊重してくれない。

とても頭が良い人なのは分かるのだけれど。多分お母さんと戦ったのも、その辺りが原因では無いのかなと、01は思っていた。

少し昼寝してから、軍事訓練をする広場に出る。

今の体格では、まだ拳銃しか扱えないという話だったが。

今日は腹ばいになって、アサルトライフルやスナイパーライフルを扱う訓練をするという。

身体測定を時々しているのだが。

そろそろ出来るだろうという判断を、バズさんがしたらしい。

言われた通りの体勢をとる。

すぐに出来るのを見て、バズさんが複雑そうな顔をする。

バズさんは、どうも最初からある事通りに教えているらしいのが01にも伝わるのだけれども。

実際言われた通りにすると上手く行くので。

01は信頼している。

ただ、お母さんもそうだったらしいのだけれど。

言われた通りに的を撃つと、どうしても狙った場所からわずかにずれる。的そのものにはあたるのだけれど。

みんなそうだったので、バズさんがぼやいた。

「この辺りは奈木と同じだな。 クローンだからって、こんな所まで似るのか……」

「ごめんなさい……」

「いや、謝らなくても良い。 的には当たっているから。 当たりさえすれば動けなくなるから、あとは当たる距離から撃てばいい」

黙々と、練習を続ける。

やっぱり言われた通りにやっても、どうしてもクリーンヒットがない。

その後は、銃の仕組みや組み立て方について教わる。

M16といったか。

この銃を、お母さんも扱ったという。

覚えている。

見張りに出るときとかは、常にこれを担いでいた。コレを使って、ジャガーを倒した事もあると言う。

実際、毒蛇やさそりも出る事を考えると。

お母さんが自衛用の武器を常に持ち歩いていたのは、当然だったのだと思う。

此処にいた、子供達を守れる人は、自動兵器と犬たち、それにお母さんだけだったのだから。

犬たちには出来る事に限界がある。

銃は撃ってみると分かるけれど、破壊力が犬の牙の比じゃない。

こんなもので撃たれたら、本当にひとたまりもない。

それに反動が強烈だ。

腹ばいになって衝撃を殺さないと、とてもではないけれど戦えたものではないだろう。

近代戦は移動しながら戦うものだという話を聞いた。

今の時代の武器は威力が大きすぎるので、弾を受けてしまうと大男でもどうにもならないという。

大男というのが、映像でしか見ていないので分からないけれど。

要するにバズさんよりもっと大きな人でも、どうにもならないということなのだろう。

それだけじゃない。

装甲車や、もっと強そうなM1エイブラムス戦車でも、敵に見つかってしまうと駄目、という状況もあったらしい。

だから見つからずに先に敵を仕留める。

それが基本なのだとか。

スナイパーライフルも教わる。

もっと大きな銃で、反動も大きい分凄かった。

これについても、使い方や仕組みはすぐに覚えたけれど。

でもやはり。

的には当たるけれど、的の中心部には絶対にあたらない。

これもお母さんと同じらしい。

バズさんが、頭を抱えた。

「どう教えても奈木は的に当てる事しか出来なかったが、それは君達も同じか」

「ごめんなさい」

「いいんだ。 クローンなんだから仕方が無い。 ただ、相手にとどめを刺すときに接近する場合、絶対にリスクが生じる。 無駄玉でもいいから、必ず相手が死んだと確信するまで、とどめを刺すために近付かないように」

「分かりました!」

敬礼して、そして復習する。

それぞれで互いに意見を出し合うが。やはり、相互補完にしかならない。バズさんに意見を聞くと、時々詰まるけれど、ちゃんと誠実に応えてくれる。

待つ時間は別に気にしない。

バズさんには時間がいる。

そう思っているだけだ。

一通り授業が終わった後、寮に戻る。

点呼を取って、全員いる事を確認。

今三世代の子供達が動いていて、四世代目を作る事を検討している最中である。子供は文字通り「製造」するのだけれど。

本来の人間は違うらしいから。

お母さんも、本当の意味ではお母さんでは無い。

まだ幼い子達に声を聞かせて、それで世話をする。

声を聞きたがるのが幼い子供だ。

それは自分でも記憶があるから、よく分かっている。お母さんの声を聞くと、とても安心した。

絵本をお母さんの声でロボットが読んでくれているときは。

とても気持ちよく眠る事が出来た。

子供達の安全確認が終わった後、01は02と一緒に見張りに出る。

この時期になると、夜のかなり遅い時間まで明るい。

そして暗くなるときは、一気に何も見えなくなる。

実の所。

昔は、夜がずっと明るかったらしいのだけれども。

今では、星明かりがある日はともかく。星明かりが無い日は、どこもかしこもが真っ暗である。

人間は、そんなに世界に光をばらまいていたんだな。

そう、暗闇に落ちていく基地の中。手の灯りと、連れていく軍用犬たちを頼りに見張りをする。

軍用犬たちも臭いには敏感だけれど、夜闇はあまりよく見えていない様子なので。きちんと灯りを使って周囲を照らしながら歩く。

カルネさんが手を入れてくれたらしく。

街灯がある場合は、近付けばつくように設定してくれた。

それで多少は視界がカバーされるけれど。

それでも見えない場合はどうしようもない。灯りを使って、しっかり丁寧に、危険な動物が入り込んでいない事を確認する。

見回り終わり。

犬たちを連れ戻ると、最年長以外の子供達はもうぐっすりだった。

明日に備えて、もう休む。

どんどん勉強は難しくなる。

そう言われているし。

理由も分かっている。

ともかく、今はやれている。

このまま、何も起こらないことを、祈るほか無かった。

 

2、無情

 

平気な顔をして動き回っていたモリソンがいきなり倒れた。バイタルが急激に低下している。

バズに手伝って貰って、診察に入る。

エカテリーナもコールドスリープに入った今。

世界で、本職としては最後の医者になったキザリが、診察を手伝ってくれた。

「急性の脳梗塞だ……」

「すぐに手術をします。 今日の授業は、全て自習にするよう伝えてくださいバズ」

「了解」

子供達に、連絡を入れるバズ。

カリキュラムも、その日何をやるかは決めている。だから、それにそって授業をして貰うだけだ。

実は午後から軍事訓練を予定していたのだが、それについては後回しにする。

別に今日やる必要はない。あの子らは真面目だ。最悪泳いでおいて、とだけいえば、体力維持の水泳をきっちりやってくれる。今のうちは正直な話、体の基礎を作る運動をしてくれるだけでも本来はいい。

モリソンは数少ない生き残り。

その命と、一日の授業は天秤に掛けられない。

即座に手術開始。

オペを進めていく。だが、その途中、キザリにいわれる。

「モリソンはもう駄目だな。 コールドスリープ装置に入れるんだ」

「やはり専門的な処置が必要ですか」

「……いや、必要なのは手篤い看護と時間、何よりエイズの排除だ。 恐らく処置が早かったから命に別状は無い。 だが復帰までにはリハビリと、長い療養が必要になる。 エイズをぶち込んでいる状態で出来る事じゃない。 このオペが終わったら、目を覚まして貰う事も……ないだろうな」

「このタイミングで……よりにもよって……っ!」

カルネは思わず唇を噛む。

どうして。

思わず呻かざるを得ない。

一番大丈夫そうだったのに。どうして此奴が、いきなり倒れるのか。

まとめてくれた資料については、随分助かった。憶病な奴だったけれど、それでも資料の整理能力は確かで。全世界のネットワーク構築、監視システム構築、維持システム構築に、多大な貢献をしてくれた。

神とやらがいるのなら。

少しは人類に報いようとしたらどうだ。

悪態をつきたくなるが。

キザリの指示通りオペを済ませ。

何とか、致命的な事態を避ける。モリソンも、復興後の世界には必要な人間だ。死なせる訳にはいかない。

全ての行程が終わる。

血だらけの手袋などを処置していると。意外な事に、モリソンが目を覚ました。もっとヤワだと思っていたのだが。

流石に、あまり自主性は見せなくても。

この地獄に残る事を選択しただけのことはあったか。

「僕、倒れたんだな」

「はい。 残念ですが、このままコールドスリープしてもらいます」

「……すまないなあ。 君の事は正直怖くて仕方が無かった。 出来る事も多くなかったし、あまり役に立てなかった」

「役にはたって貰えましたよ」

カルネがそういうと。

モリソンは、目を閉じて、そしていう。

「ゾンビ化して周囲に迷惑を掛けなかっただけ良かった。 大体の事はもうまとめておいたから、自由にデータは引きだして使ってほしい」

「ありがとう」

「……あの子達も怖かったけれど、今は希望を感じる。 クソナードの僕が、少しでも世界に役立てたなら、それだけで本望だ」

ナードなんて。

いうもんじゃ無い。

マッチョ文化の負の側面。

毎年銃乱射事件の引き金になり。多くの有能な人材を潰してきた腐ったスクールカーストの用語。

そんな事をしているから、人類は21世紀に入っても資源の浪費と無駄な争いを止められなかったし。

スクールカーストを肯定するような輩は、自分が正しければ相手を殺しても良いと本気で思うような輩だった。虐めを肯定し、弱者が暴発したら被害者面をした。

だからこんな状況になった。

ゾンビパンデミックの対策だって、世界政府が成立するくらい人類が精神的に円熟していれば。

全然結果は違っていただろう。

少なくともモリソンは、アホみたいなマッチョ文化に踊らされて、自分を肯定していたような連中より100倍もマシだったし。

責任感や正義を馬鹿にしてせせら笑い法を無視して蓄財していた連中が何の役にも立たなかったのに。

彼らしい方法で、人類の英知を残すために本当に尽力してくれた。

涙が零れてきた。

苛烈な性格だとカルネは自覚はしているが。

だからこそ、いう。

「ナードなんて言葉は、この事件が終わったら過去の遺物にしますよ。 だから、ゆっくり眠って待っていてください」

「……後の体が弱い子が、僕のような目にあわないといいなあ」

「あわせませんよ」

コールドスリープ装置にモリソンを入れると。

目を乱暴に拭う。

これでさえ、今のコンディションでは勧められる行為では無いのだが。

今は泣いている暇すら無かった。

手術やら何やらで、一日潰れた。疲弊も酷い。

まずはキザリに礼を言う。

キザリは、頭を振ると。自分の場合は、手術している余裕も無いし、そのままコールドスリープ装置にといった。

彼なりに思うところはあったのだろう。

国境無き医師団に所属し、危険な紛争地帯にも出かけていって、医は仁術の言葉通りの活動を続けてきた。

だが国境無き医師団ですら、金が絡むと余計な事をする輩が出てきていたと聞いている。

勿論キザリはそれを見て来ただろう。

だから、モリソンが。

ゾンビパンデミックの前だったら、役立たずだとかナードだとか嘲笑されていただろうモリソンが。黙々と自分のするべき事を果たし。憶病ながらも出来る事はしっかりやったのを見て。

思うところはあったに違いない。

手術着などの処置を終えて、バズと一緒に後片付け。

その後、やっと奈木達のクローンと話す。

01と話して、こなしたカリキュラムや、今日の自習について聞く。

思ったよりも、ずっとちゃんとやってくれていた。

「其方で何かあったんですか?」

「モリソンが倒れた。 でも、ボクが手術したから問題ないよ」

「そう、ですか」

「モリソンは最後まで自分に出来る事をやってくれた。 ボクは彼を尊敬する」

奈木01は、それを聞くと頷く。

素直な子だ。

すっかり拗らせて人間嫌いだった奈木と違って。

本当に、素直だった子をグチャグチャに歪めてしまったんだなと。彼女の環境に同情せざるを得ない。

恐らく同じように歪められ。

そして自殺などで命まで奪われた子も珍しく無かっただろう。

更にそれを指さして、周囲は笑ったわけだ。

弱いのが悪いと。

まあ、こうなったのも同意だなと、焦土と化した世界を見る。

あらゆる全ての悪徳が。

人類そのものを焼き尽くした。

ゾンビパンデミックは、切っ掛けに過ぎなかった。ただ、それだけだ。

ため息をつくと。

カリキュラムを組み直して、そして明日以降に何をするか01に伝える。頷くと、01は幾つか質問をして来たので、それに答えておく。質問も、実肉体年齢とは思えない程鋭い。

更に言えば環境からか。

とても言動も責任感に満ちていた。

八人の第一世代クローンのまとめ役。

他の子らと頭の出来は代わらない。だけれども、誰かがまとめ役にならなければならない。

ならば、責任感を持たなければならない。

そう自分で結論するに至ったのだろう。

奈木が教えたとは思えない。

立派だ、この子は。親のいうままに勉強をさせられて。考えも無しに飛び級して、若くして大学教授に流されるままなったカルネよりずっと。

親はそういえば、カルネが若くして大学教授になったとか、周囲に自慢して廻っていたっけ。

周囲から散々白い目で見られ。

ガキのくせに偉そうにと散々陰口をたたかれているのに気づきもせず。

反吐が出る話だった。

「分かりました。 明日の授業については、皆に周知しておきます」

「よろしく」

通信を切ると。

バズに、もう休むように言われた。

エイズを入れて体の機能の大半を極限まですり減らしているのはバズも同じ。まだそれでも体力はバズの方がありそうだが、いずれにしても無理は出来ない。

とっとと休む。

今日は、モリソンを事実上失った。

残った大人は。

世界に三人しかいない。

 

良くない寝覚め。

カルネは起きだすと、軽く体操をした後、モリソンの遺産であるデータを確認する。最後まで、丁寧にまとめてくれていて助かる。

全て回収して、ヘイメルに送っておく。

キザリも危ない。

バズだって、体力がある分、いつ何が起きてもおかしくない。

癌などは、体力があると進行が早かったりする。

今の状態でまだ若いバズが癌になられると、初期状態でも対処のしようがなくなる可能性がある。

まずは01と点呼を取る。

朝の連絡をきっちり入れて来たので、それに応じ。

昨日寝る前に汲んでおいたカリキュラム通りに、勉強と運動をするように指示。昨日の分の軍事訓練をバズが。それ以外の授業は、キザリと手分けして行う。

バズは昨日のモリソンの様子を見ていて思うところがあったのか。

軍事訓練のハードルを上げるようだった。

銃の撃ち方の授業は切りあげ。

戦術についての講義を開始する。

その上で、倉庫の在庫を調べて、まだ01達でも扱える小型の拳銃を探してくれた。軍用の拳銃ではなく、警官などが使っている小型のものである。それでも反動は相当に大きいのだが。

カルネが集約した物資の中に。

SWATや州警察が使っていた物資があったのだ。

拳銃については、まずは扱わせ。

そして、立射が出来る事を確認。

01達は、もう銃というものの概念を理解しているからか、立射の態勢などは一度教えるだけですぐにとることが出来た。

この辺りは高IQの奈木が元になっているだけの事はある。サリーと井田のクローンである07と05は、軍事訓練は必要ない。それに時間を割く余裕があるなら、科学や医学の授業を受けて貰う。

バズは悔しそうにはしていたが。

前のように、いちいち劣等感を拗らせる事も無い。

説明しながら、黙々と訓練をさせる。

01も、言葉は必要ないと思ったか、最小限の受け答えだけをしていた。

その様子を横目に、07に数学の授業を進める。

05はキザリが見てくれているので。サリーのクローンである07に、ミドルハイスクール相当の数学を教える。

すらすらと解いていくのは、サリーと同じだ。

ただ、それでもケアレスミスは出る。

ミスを指摘して、修正をさせる。

厳しく押さえつけるだけでは駄目だ。07もミスはすぐに直し、同じ失敗をしないようにはどうすればいいのか、考えているようだった。

ほどなく午前中の授業が終わる。

昼の間に泳いでいる01達を横目に、バズとキザリで話し合う。

「もう少しで、自習に大半を移せるようになると思います。 キザリ、どうですか体の方は」

「まだもつ」

「……分かりました、信じます。 あの子達は」

「想定通りの速度で知識を吸い込んでいる。 もう少し時間があれば、しっかり仕上げられるんだが」

悔しそうなキザリ。

バズもそれは同じだ。

バズについても、体について聞くが。

頷くと、覚悟を決めた様子で言う。

「俺は後三年もてば良い方だと思う」

「分かりました。 後はボクがやりますので」

「……本当に済まない」

「大丈夫。 何とかしますよ」

違う。

正確には、何とかしなければならない、だ。

この三人の中で。

多分カルネだけが死ぬ事になる可能性が高い。

子供らを可能な限り見守る必要があるし。

それには、相応の無理が伴うからだ。

午後の授業開始。

昨日の遅れを取り戻すために、軍事訓練。具体的な戦術を教えていく。カルネは05と07に、プログラミングを教える。

二人とも大したもので。

基礎的なプログラムくらいは、すぐに組んでみせる。今は簡単なクラウドの構築をすらすらとやっていた。

軍用のサーバだから、しょっぱいクラウドだったらすいすい動く。

この辺りは教えるだけで、もう大丈夫そうだ。

だが、基礎が出来たのは奈木も同じだった。

応用まではいけるだろう。

問題は現代技術の深奥。

そこに入ってくると、流石に三人のクローンでは。三人と同じように厳しくなってくる。

かなり奈木達が、自分が手間取ったポイントをまとめてくれていたけれど。

それでも自習だけでは心許ない。

授業が終わった。

02と06が、軍用犬を連れて見回りに行く。

それを見届けると、カルネは栄養剤を口に入れていた。

疲れがたまる。

頭も使いすぎている。

銃の手入れをして、いつでも戦えるようにしているバズを一瞥。今日の戦術の講義で、本格的な模擬戦を行ったらしい。

文字通り真綿に水の知識吸収を見せるクローン達に、もうバズも精神的に遅れを取っていない。

出来る事を出来る範囲でやる。

その境地に、到達できたようだった。

カルネは淡々と、資料を整理し。

01達の後の世代のために、今までの授業での問題点を洗い直し、自習で対応出来る、もしくは01達が教える事で対応出来るようにまとめておく。

やってみると大変だ。

モリソンが如何に大変な作業を、文句も言わずにこなしていたのか、よく分かる。

見回りが終わったので、01が報告をしてくる。

日に日に目つきが鋭くなり、奈木に似てくる。

だけれども、性格そのものはやはり素直だ。

他の子供達の事も気遣っているし。

何よりも、モリソンやバズに対して、明らかにIQが劣っていることが分かっていても、それでも馬鹿にするようなことは無い。

子供は残忍だ。

自分より劣っていると思った場合、容赦なく残虐な言動をする事が多い。

だけれども、01はその手の言動はしない。

多分、だからこそ。

周囲から、01のオリジナルである奈木は迫害されたのだろう。

「よし、OK。 眠りについてからも、サソリやガラガラヘビには気を付けて。 今の時期は入り込んでくる事があるからね」

「分かりました。 お休みなさい」

「お休み」

通信を切る。

軍用犬がいてもこればかりはどうにもならない。

奈木が連れ込んだアンジュも既にこの世にはいない。大型犬の宿命だ。ただ他の軍用犬との間に子供を残したので、命脈はつないだ。

眠る前まで作業を続ける。

バズに先に休むように告げ。

そして、気付いた。

指先が、少し荒れている。まずい。

薬を塗っておく。キーボードを打鍵しすぎた。元々体は小さい。体力もない。栄養だって、この状態だ。栄養そのものは考えているが、美味しいものは殆ど食べていない。それがストレスになる。

エイズを入れている状況、少しの負の要素が、致命的な事につながりかねない。

音声認識に切り替えると。

残りの作業は、音声で打ち込んだ。

これも限界があるなと、やってみて分かる。

今時のOSには音声入力機能くらいは普通についているが。打鍵の方が明らかに早いし。

今度は喉に負担が掛かる。

前から嫌な咳が出ているのだ。

これ以上負担を掛けるのは好ましくない。

少し予定時間よりも遅くなったが。それでようやく眠る。

体の負担が。

目に見えて、増えてきている。

ベッドで睡魔に身を任せながら、カルネは思うのだ。01の肉体年齢が、もう少しで10歳になる。

キザリは頑張ってくれているが、多分あと一年もたない。

バズはああ言っていたが。カルネが見た所、後二年半か三年半、と言う所だろう。

奈木は二十歳の頃には、普通に世界でも一流の大学で教鞭を執れるレベルにまで知識を増やして、色々出来るようになっていたが。

それでも、一人になったカルネが。今の第一世代クローン達が、二十歳になるまで見守るのは厳しいだろう。

せめて五年。

出来れば六年。

指先を見る。

薬を塗ればすぐに治るものでもない。こういう小さな積み重ねが、残りの時間を容赦なく奪っていく。

健康に揺り戻せばゾンビ化が待っている。

それだけは、絶対にするわけにはいかない。

溜息を零す。

眠りについたが。悪夢を見た。

そして、その悪夢の内容さえ、覚えていなかった。

 

クローン達の肉体年齢が11になった。

昔は誕生日を祝う風習があったけれど。正直それどころではない。だが、気晴らしもいるとキザリが提案。

クローン達に、昔の誕生日を祝う風習について教えて。

そして、その日だけは基礎訓練以外の授業は無し、とした。

ケーキなどももう01達は作れる。

現在五世代のクローンがいて。一番下の子達も含めて60人ほど。そろそろ、クローンの製造についても教えておかなければならない。

というのも、である。

バズの調子が、目に見えて悪くなってきていたからである。

バズはモリソンが倒れてから、何というか目の色が変わった。

01達に、軍人として自分が知る事の全てを教え込み始めた。裏技なども、一足飛ばしに教え込んでいった。

文句一ついわずに、01達はそれを吸収していく。

信頼していると、言葉では示さず。授業内容で、バズはそれらを教え込んでいった。

キザリが心配するほどに、バズは反比例して消耗していき。

二ヶ月ほど前に、ヘリや戦車の操縦についても01達が一応の知識を得て。そして四人でエイブラムスを動かし、機動射撃をこなして見せたのを見て、涙を流していた。

これなら、もう自分でなくても大丈夫だ。

近代戦の知識は全部教えた。

そう、何度も呟いていた。

燃え尽きたなとカルネは思ったが。それについては何も言わなかった。

第二世代のクローン達も背がだいぶ伸びてきていて、第一世代のクローン達に授業を受けて、知識を継承していっている。

既に01から受ける報告も最小限になっていて。

向こうであらかたの問題は解決できるようになっていた。

それが、バズが気を張っていたのを。緩める結果にもつなげたのだろう。

誕生日でケーキを作っているのを見て、バズはずっと泣いていたが。

その翌日の早朝。

自分から、申告してきた。

「後二年はもたせるつもりだったが、すまない。 もう限界らしい」

「……ええ。 鬼気迫る授業でしたからね。 01達は、もう並みの大人の軍人なら互角以上に渡り合えますよ」

「いや、特殊部隊にも入れると思う。 ともかく、これで限界だ。 それに、あの子達が自分で誕生日の祝いまでする事が見られた。 もう、思い残すことは無い」

キザリが、有難うという。

カルネも頷いた。

バズの健康診断の結果を見る。

確かに、内臓などの消耗が凄まじくひどい。これは恐らくだが、もうそう長い間はもたない。

エイズを取り除いてしまえば、対策は幾らでも出来るけれど。

それが出来ないのが口惜しい。

「キザリ先生。 貴方は……どうですか」

「俺は……予想よりは頑張れそうだ。 もう半年、出来れば一年、一年半以上は耐えてみせる。 君の頑張りを無駄にはしない」

「お願いします。 俺は不甲斐ない。 後二年、俺がやれていれば」

「君は最後の合衆国軍人だ。 君の先輩達の誰もが、君に拍手するだろう。 それが出来ない奴はクズだ。 胸を張って、堂々と義務として休むと良い」

キザリの言葉は、多分バズの一番嬉しいものを選んだのだろう。

カルネにはよく分からないが。

バズは、確かに嬉しいようだった。

すっかり窶れたバズは敬礼すると。

コールドスリープ装置に入る。

カルネも、更に消耗が激しくなってきているが。それでもどうにか後四年、出来れば五年は保たせなければならない。

ため息をつく。

こうして、残りの大人は二人。

そしてこのシェルターで、起きているのはカルネだけ。

マダガスカルにはキザリだけになった。

「気付いていたかね」

「何のことですか」

「バズは君の事を愛していたようだったよ。 状況が状況だから、何も言わなかったのだろうけれど」

「……ボクはあまりそういうのには興味がないですので」

まあ、愛しているといわれても困るだけだったが。

事実、高IQの反動だろう。

カルネは、男女関係に殆ど興味が最初から無かったし。

何よりも、周囲の同級生達の様子を見て、うんざりもしていた。

それにだ。

だいたいカルネは、生きて此処を出るつもりは無い。

キザリも一年半は頑張ってみせるといったが、実際にはどれだけもつか。その後は、それこそ命を捨てる覚悟で、カルネが頑張るしかないのである。

「カリキュラムについて、目を通しておいてください。 軍事訓練の基礎はバズがクローン達に教え込んでくれていましたが、今後はイージスや空母を動かすマニュアルについてもボクからクローン達に教えておきます」

「そんな知識もあるんだな」

「マニュアルを読んだだけです。 もう少しクローン達が増えれば出来るようになりますよ」

「そうだな。 米国の兵器は、誰でも扱える手軽さが最強の武器だ」

最後の同志となったキザリと幾つかの打ち合わせをすると、授業に入る。

01には、バズがコールドスリープ装置に入った事だけを、授業後の報告時に告げる。少し躊躇った後。

最初に見たときの奈木にだいぶ似てきている01は(髪を伸ばしているので、刈り込んでいた奈木とは印象が少し違うが)、気付いていたと言った。

「バズさんは、命を絞り出すように戦いの全てを教え込んでくれました。 おかげでもうこの基地にある武器は戦闘機と船以外は全部使えます。 教えて貰った近代戦術も全て覚えました。 でも、バズさんがその分消耗を早めているのは、見ていて分かりました」

「01、いや奈木01。 ボクも、それにキザリも。 いつバズのように倒れるか分からない。 その時のために、来年くらいから、世界のネットワークの管理と保守についても、教えておく。 君達の親である奈木やサリー、井田との授業記録は全て残してあるから、最悪其方を見て勉強するんだよ」

「はい」

「そしてもう一つ。 君達の最大の目的は」

「ゾンビパンデミックの解明と、ゾンビ化を防ぐ研究を完成させる事です」

頷く。

それを理解してくれているなら、もし明日カルネが倒れても。きっとこの子達なら、何とか出来るだろう。

少し、疲れが溜まった。

ベッドに転がり込んで休む。

周囲からは、もう人の生活音はしない。機械音しかしない。

最近は、もう衛星写真などから、人間を探すのも止めた。ドローンを巡回させてはいるが。人間が生き残っている手応えもない。

幾つかの工場設備については、余裕を見てどんどんヘイメルや、ヘイメルの隣接地に運び込み。

組み立てを行っている。

これらについては、マニュアルも回収してある。

最悪、クローン達に再現して貰う事になるだろう。再建、か。

もう、引き返すことは不可能だ。

キザリにもカルネにも明確に残された時間が見えてきた。

クソッタレな世の中だったけれど。

残った時間。

それでも精々、しっかり義務は果たす。

それが、カルネの意地だ。

 

3、近付く自立の時

 

キザリさんが授業に出なくなった。

01はそれを周囲と話し合っていたが。理由はだいたい分かっていたので、敢えて話には上げない。

授業は自習の比率が増えてきていた。

カルネさんには言われている。

お母さんと最初に会った頃に、髪以外はそっくりになって来たと。

クローンだから当然だけれども、と。

今、肉体年齢は14歳。

お母さんはこのくらいの体で、あのカルネさんと追いかけっこをして。そして苛烈な駆け引きの末に、ようやく捕まったとか。

カルネさんの頭の良さは、話していてよく分かる。

一回り皆よりも頭が良いというのは、05や07とも一致する見識だった。

数学を専門とし始めた07。データの管理を専門にし始めた05。

物理的に兵器を動かしたり、見回りをしたりを専門にしはじめた01達。

子供と言っても、やる事はみんな違い始めている。

見回りに関しては、一世代、二世代下の子達にやってもらうようになりはじめた。犬の世話も。

軍事訓練も、手分けして年下の子達にするようになり。

そして01達は受けた授業を、後で共有する仕組みを自分達で開発し、始めていた。

実はカルネさんにも言っていないけれど。05や07とも、情報のやりとりはしている。

これはもしもの事があったとき。

特に体が弱い05や07に、何かあった時に備えてのセーフティネットだ。

水泳も黙々と行う。

水泳をお母さんがやっている映像を見たのだけれど。体力に優れる軍用犬たちを悠々と引き離し。

軍用犬がばてるまで、いやばてても平然と泳ぎ続けていた。

学力については、実はもう同年代のお母さんを凌いでいるとカルネさんに言われている。

ただし体力については、同年代のお母さんの方が上だったそうだ。

更にいうと、お母さんはとても劣悪な教育を受けていたのだという。

それらを加味して考えると。

01達は恵まれた環境で勉学を受けていて。

故に力を当たり前のように引き出せている。

いつもお母さんは冷たい感じがしたけれど。

それは、きっとお母さんがとても悲しい環境で、辛い目にあい続けたのが原因だろうとも。01は思うのだった。

夕方。

全ての授業が終わり。見回りなども終わった後。カルネさんに告げられる。

「キザリがコールドスリープ装置に入ったよ。 皆には伝えておいて」

「はい。 無理をしている様子は、見ていて感じました」

「そうだよね……。 バズがコールドスリープ装置に入ってから一年半、本当に頑張って見せたからね。 本当はもう半年頑張るって言っていたんだけれども。 それでももう無理だからって、眠って貰ったんだよ」

何処か悲しそうなカルネさん。

気持ちは良く分かる。

カルネさんは、最後の一人。

今、地球上で動いている「クローンでは無い」最後の一人の人間だ。

ゾンビ化を防ぐために、恐ろしい病気を体内に入れ。そして無理矢理動き続けている執念の人。

人間の英知を残すために、最後の命を振り絞って耐えている人。

お母さんは約束を守るためにカルネさんと協力したという。

その約束というのは。

ゾンビパンデミックの前の世界では。

殆ど誰も守っていなかった、と言う事なのだろう。

お母さんは01達の前では無理矢理笑顔を作っていたけれど。01はごく自然に笑うことが出来る。

でも、聞かされている。

つらい環境に置かれると、自然に笑顔も奪われていくのだと。

お母さんがどんな環境にいたのかはあまり考えたくない。きっと、世界の事が憎くなってしまう。

お母さんは約束した。

それを引き継いだ。

01が頑張るのは、それだけで充分。

そして、命を振り絞って戦う大人達を何人も見た。

故に引くわけにもいかないのである。

「クリティカルな事から、授業で教えてください。 後は最悪、マニュアルや授業記録を見てどうにかします」

「頼もしくなって来たね」

「……お母さんみたいに立派になりたいだけです」

「奈木は凄かったなあ。 でもね、奈木も最初っから凄かったわけじゃない。 色々あって、強引に眠っていた巨人が叩き起こされた、というのが正しいんだよ」

よく分からない。

だけれども、カルネさんは、もう眠るように言ったので。素直に従う事にする。

カリキュラムの作成については、カルネさんがやってくれている。

今は負担を減らすために。

どうしてもカルネさんが見なければならない授業以外は。

自習で済ませるようにしていた。

 

早朝から、ランニングを兼ねて見回りをする。軍用犬を連れて、二つ下の世代の子達と一緒に、基地を隅々まで見て回る。

前は手が足りなかったけれど。

今は手が足りているから、基地を隅々まで確認できる。

それぞれガラガラヘビや蠍、場合によってはジャガーなどに対応出来るように。現状はスリーマンセルで動き。それぞれM16や軍用拳銃、一番下の世代は警察用の拳銃を持って見回りをする。

またサリーさんや井田さんの子供達。05や07の弟妹達は、その間にセントリーガンや装甲車の稼働チェックをする。

毎日全台の稼働は出来ないので、端から一台ずつ、ローテーションを組んでやっていく。

そうすると、細かい不具合や、経年劣化が出たりする。

それらを全てまとめて、夕方にカルネさんに報告する。

報告後はカルネさんが、工場に自動でセントリーガンや装甲車を移動させて、修理を行ってくれる。

また物資も生産して、基地に運び込んでいるが。

その物資の生産する工場についても、近々仕組みを説明してくれるそうだ。

見回りが終わると。

雪が降り始めている中、手を叩いて01は皆を集める。

世代ごとに、子供達が並ぶ。

下の世代の子達ほど、秩序がないけれど。それは仕方が無い。どうして秩序が必要なのかは、後からゆっくり教えていけば良い。

カリキュラムに沿って、授業にそれぞれ別れて向かう。

大半は自習か、それとも年上の子が教える。

今日は、01は珍しく、03、04、07と一緒に、軍用艦の操縦についてだ。

ヘイメルに停泊している駆逐艦。

イージス艦というらしいのだけれども。その一隻に乗り込むと。遠隔で、それぞれの機能を教えて貰う。

カルネさんは明らかに咳が増えてきていて。

それがとても心配だ。

顔色も良くない。

だけれども、カルネさんは、クリティカルな事から教えると言っている。

この駆逐艦は、地図上でしか分からない太平洋を越える能力があると言う。

つまり、いずれはこれや他の船に乗って。お母さんが生まれた、名前でしかしらない日本に行く事があるのかも知れない。

勿論研究第一だけれど。

物資を回収したりするために、ヘイメルを出る可能性があるという話は聞いている。

此処にある軍事物資は、ゾンビパンデミック前に世界最強を誇っていた米軍の最新鋭のもので。

軍事以外の物資も相当量が蓄積されているという。

だけれども、それでも備蓄には限界がある。

他の場所にも備蓄してある物資を回収しにいったり。

或いは原材料を得て、其所から物資を生産したり。

そういった作業のために、武装してヘイメルを出る必要が生じる可能性はあるとか。

そのために、空母、強襲揚陸艦、巡洋艦、駆逐艦と教わっていく。

潜水艦は特に危ないので、最後だそうだ。

船が終わった後は、シミュレーションをやってから飛行機。

実はヘリはもう教わっているのだけれど。

飛行機もかなり難しいと聞いている。

手分けして、操作を行う。今日は授業はこれだけ。昼などの休憩時間に泳ぐ事も出来ないので、その分は後で自習するようにともいわれている。

今は流石に、年下の子達だけで充分身を守れる。

故にこういうことも出来る、というわけだろう。

実はお母さんも、流石にイージス艦を動かす事まではしていなかったらしく。

少しだけわくわくした。

出港したイージス艦を、指示通りに動かす。

乗る前に、マニュアルでの研修は受けているけれど。

流石に難しくて、色々と困った。

やがて、水平線の向こうにヘイメルが消える。

海だけの世界。

わあと、嬉しそうに声を上げる07。おっとりしている07は、実は年下の子達に一番慕われているけれど。

07のお母さんであるサリーさんは、01のお母さんよりも、更に酷い目にあっていたのだという。

それでも01の記憶にあるサリーさんは優しかった。

多分、優しいという、得がたい素質を持っていた人だったのだと思う。

そんな人が、馬鹿にされていたのだとも聞いている。

それは良くない世界だなとも、01は思った。

船は思ったより揺れるので、無言で03が07の側に。いざという時に、支えるためである。

助け合わないと生きていけない。

それは物心ついた頃には、身に染みついていた。

「よし、機能を一通り試すよ。 どうせもう予算も何も関係無い。 ミサイルもぶっ放してみようか」

楽しそうにカルネさんが言うが。

何処か、何かが壊れそうで、聞いていてはらはらした。

一つずつ、イージスの機能を試してみる。

艦橋と呼ばれる場所で大体の操作はできるのだけれど。

艦橋に一人だけ残して、後のメンバーはみんな別の部屋にいって、其所から操作する事もあった。

マニュアルを実際に見てはいたけれど。

触ってみると色々と違う部分も多い。

ミサイルは怖い音を立てて垂直に飛んで行った。先にばらまいておいた練習用の目標にぶつかって爆発する。

バルカンファランクスというおっきな銃も撃ってみる。

普通は自動で迎撃を行うらしいのだけれども。

手動で動かす事も出来る。

手動と自動、両方試したが。

音と反動が凄くて。戦争というのは、怖いなと言う印象しか受けなかった。

だけれども、動かせるようになっておくことは必要なのだと、カルネさんはいう。頷いて、全てを覚えていく。

やがて、全ての機能を試した後。

ヘイメルに帰港。少しだけだったけれど、楽しい、そして怖い船旅だった。

イージス艦は、基本的に他の艦と連携して、敵のミサイルを迎撃する艦なのだという。米軍は殆どの駆逐艦がこのイージスに切り替わっており、それだけミサイルに対する防御に力を入れているそうだ。

とはいっても、ゾンビパンデミックで事実上世界が滅んだのは十年以上も前の話で。

艦隊をそもそも動かせない現状では、そんな事は何の意味もないのだが。

船を下りる前に聞かされる。

次は一つ下の世代の子達と合同授業で、空母を動かすと。

ヘイメルにも原子力空母がいる。

二十人弱で本来は動かせるものではないのだけれど、臨戦態勢を取らず、機能を絞ればどうにかなるらしい。

今のうちに、やれることを全部やっておくつもりなのでは無いか。

無理を露骨にしているカルネさんを見ていると、そうとしか思えない。

船に揺られて、思ったより疲れた。

休む前に点呼を取る。誰も欠けていない。

嫌と言うほど徹底的に皆で管理し合っているからか。今の時点で、欠けた子は一人もいない。

それぞれのパーソナルスペースも用意して、干渉しないようにもしている。

ただ、このままクローンが増えるとそうも行かなくなる。

今後は、既存の設備を複数人数で利用するか。

パーソナルスペースを増やすか。

どちらかを思案しなければならない。

カルネさんにこのことは言われていないが。

いずれ、01が考えなければならなかった。

一旦解散した後、他の同じ世代の子達と、一つ下の世代の子達を集める。

そしてイージスの動かし方を説明。

05も熱心に聞いていた。

いざという時は、自分達も乗るつもりなのだろう。他の子達は熱心にメモを取っていたが。

02が挙手して聞いてくる。

「01お姉ちゃん。 それで、次も船に乗るの?」

「うん。 少し期間を空けてから、下の世代の皆と一緒に空母を動かすって」

「急、だね」

02は、何も言わずとも、01の副官をしてくれている。

基本的に番号が若い方を兄、姉として呼ぶように徹底しているのだけれど。

ただ、やはりクローン。

能力に差は無い。

水泳などの量で多少の誤差は出る。

だけれど、最近は特に、同年代では殆ど誤差が出なくなってきた。カルネさんが組んでいるカリキュラムで、差が出ないように調整しているらしい。

だから本来は、ため口を利かれても仕方が無いし。

受け入れようとも思っていたのだけれど。

02が率先して見本を見せてくれるので。他の子達も、みんな同じように、一歩引いた対応をしてくれる。

これが地味に助かる。

そして02は、とても鋭い。

何かあるだろうなと01が察していることを、やはり洞察しているようだった。

カルネさんは見ている。

監視カメラを一瞥した後、手を叩いて解散。

そのまま休む。

寝るのも立派な仕事。

自習で、世界が滅ぶ前の様子を見たけれど。信じられないほどの数の人達が、信じられないほど無茶な労働をして。体を壊してみんな自分勝手なことを言って。耐えきれなくなって自分から命を絶って。戦争だって、彼方此方でしていた。

イージスに搭載されていた武器の恐ろしさは自分で触ってみて分かったが。

あれが必要な世界だった、と言う事だ。

今は、カリキュラムをそこそこ厳しめに組んでくれているけれど。

寝る前に多少皆でわいわいゲームをする余裕くらいはあるし。

勿論予習をしたり、軽く泳いだりするのも自由だ。

01は年下の子達と、色々なキャラクターがごちゃ混ぜに戦うゲームを一緒にしたりもするけれど。

泳ぐ方が性にあっていた。

お母さんは、泳ぐ事に関しては鬼気迫るものがあって。

同年代だった頃のお母さんのタイムを聞かされて、最近は驚くようになっていた。

前は大して変わらなかったのに。

今はかなり差がついている。

泳ぐ様子も見たが。

目つきからして何かが違う。

楽しそうではまったくなく。

ただひたすらに、黙々と泳ぎ。そしてタイムを具体的に言われるのも嫌な様子で、前より速いか遅いかだけを聞いていた。現状維持はあっても、前より遅くなるようなことは、まずないようだった。

同じように、01も泳ぐ。

バタフライで泳いでいるが。

それにしても、あの鬼気迫る泳ぎにはとても及ばないと思う。

お母さんが使っていた競泳水着を使って、しばし無心に泳いだ後。

切りが良いところで眠る。

お母さんは、自分だ。

それは分かっているけれど。

どうして此処まで違っているのだろう。

01は、弟妹達と接するのが楽しい。みんなの見本であり、みんなを助けたいと芯から願う。

でも、お母さんは違った。

それは、今ならよく分かる。

勿論お母さんの事は今でも好きだけれども。

いつも険しい顔を無理矢理隠して、接するのだけで疲れていた事は分かっている。

ベッドで寝返りをうつ。

そうだ。基地を拡張する予定がある。

工場の資材が揃ったとかで、数年以内に拡張する予定があった。

その時に、ついでに寮も増設しよう。

カルネさんとその辺りは相談して。

許可が出たらやってしまおう。

それがいい。やっぱり、みんな一人で生活するのが一番だ。ましてや、このゾンビパンデミックの解決策を探して。皆を目覚めさせる段階になったら、人々が住む場所が必要になるのだ。

自分達用の住処だって、真っ先に必要になってくるだろう。

考えている内に瞼が重くなり。

そのまま睡魔に身を任せる。

しばし、無心に睡眠を貪り。

決まった時間に起きた。

最初に起きだすのは、いつも01だ。

これは、意図的に訓練して、そうするようにしている。

同年代の子達をみんな起こして回ってから、色々と準備。カルネさんが用意してくれたカリキュラムも確認しておく。

カルネさんとも軽く話す。

カルネさんに言われているのだ。必ず起きたら声を掛けるように、と。

だからこうして声を掛けるのだけれども。カルネさんがどうしてそんな事を言うのかは、何となく分かっていた。

下の世代の子達が起きてくる。

大半は自力で起きてくるが、前日のカリキュラムがきつかったことは、起きてこられない事もある。

その頃には、既に自動での調理器を使い。

また自分達でも食材を料理して。食事の準備を始める。一部の子達は、更に下の世代の子に、料理を教える。自分に教えるのだから楽だ。

ある程度の人数が起きて来たら、壁に書かれている表に従って行動。

犬を連れての巡回。何チームかが出ていく。

残りのチームは犬の世話。

そして食事のお片付け。

カリキュラムの準備。

もう少し小さいときは、此処まで流れるようには動けなかった。相応に人数が揃って、01の背が伸びてきたから、出来るようになって来た、と言う事だ。

02が声を掛けて来る。

「お姉ちゃん、第三巡回分隊の様子がおかしい」

「分かった、見に行こう」

すぐに何人かに声を掛けて、M16をひっつかんで急ぐ。

犬たちが凄まじい吠え声を上げている。

どうやら海をわざわざ経由して侵入してきたジャガーが、犬に唸り声を上げていて。血を流して倒れている011を、他の二人が庇って、銃を構えていた。

ジャガーの侵入は滅多にないが。

傷つけられたのは初めてだ。

頭にかっと血が上る。

そして、腰だめして射撃。

容赦ない横殴りの射撃を受けたジャガー。いずれも弾は急所には当たらなかったが、何発かが掠め、皮膚ごと肉を抉る。

文字通り跳び上がったジャガーに、犬たちが殺到。

凄まじい勢いで肉を食い千切る。

デザートイーグルの安全装置を外すと、皆を掣肘して、02が前に出る。至近距離から二発。

体がだいぶしっかりしてきたからか。

前みたいに、デザートイーグルをぶっ放すと、吹っ飛びそうになる事もなくなっていた。

ジャガーが死ぬと、すぐに犬たちを遠ざける。

ジャガーの血の味を覚えさせるのはあまり好ましい事じゃない。

更に、倒れている011を、後から来た者達が、ストレッチャーに乗せて運んでいく。カルネさんと相談して、これから対応だ。

011はお母さんのクローンの第二世代。

01の下の世代に当たる。

犬たちも気付かない背後から忍び寄ってきたジャガーに最初に気づき、発砲しようとした所を、横殴りに一撃を食らったようである。

一撃で、ガードした腕の骨をへし折られ。

吹っ飛ばされ、受け身を取るもかなり体をきつく叩き付けられていた。また、爪が肉を深く抉っていた。

心配そうにしている子達を、カリキュラム通り授業に行かせる。

カルネさんが指示。

「01、02、それと05と07だけ残って。 05は書記、07は支援。 01が手術をする」

「分かりました」

「丁度良い、いずれ手術の経験は必要だった。 それと万が一もあるから、狂犬病のワクチンも打っておかないと」

「はい」

狂犬病のワクチンは、何度か打たないと効果がないし。前に打ってから、時間経過で効力も弱まる。

そして狂犬病の恐ろしさは良く01も分かっている。

発症してしまうと、生還率ほぼ0。生還例は数件のみ。

ゾンビパンデミックのように、生還率0よりはマシだが。それでもわずかな差しか無い。

ジャガーにへし折られた腕の縫合手術を行う。サリーが手際よく消毒や輸血パックなどの用意をしてくれて。カルネの遠隔の指示通り、服を脱がせた011の手術をしていく。

肋骨にもダメージがあり。

内臓にも出血が見られた。

猛獣のパワーの凄まじさを思い知らされる。傷口の消毒も、念入りに行った。

やがて容体が安定。

傷口の雑菌の処置も完了した。

その間に、02がジャガーを調べてくれたが。幸い狂犬病は検出されず。爪にも、特に危険な雑菌はいなかった。

一日が丸々潰れてしまったが。カルネさん曰く、そもそも手術の授業をいずれ時期を見て一日がかりでやる予定だったそうである。

まだ興奮している犬たちは、隔離。

他の犬を傷つける可能性もあったし、子供達を襲う可能性もあった。

犬、特に大型犬は、本気になったら人間では勝てない。

ましてや軍用犬となると、その気になれば即座に人間を八つ裂きにしてしまう事が出来るのだ。

可哀想だけれど、当然の処置である。

かなり興奮していた犬たちは、数日こうしてもらう。

そして、011を、医療用のベッドに移動。

たくさん空いているので、別にこれについてはかまわない。

しばらく快癒まで掛かるらしいけれど。

これから交代で、手当の授業を行うと言う。

カルネさんは、不謹慎で申し訳ないけれどと前置きした上で言う。

「君達は、奈木と同じで出来すぎる。 奈木も単独でジャガーを撃退した事があったけれど、君達もジャガーに襲われて死者も出さず、その後の対応でも殆ど慌てなかった。 だからこそに、失敗したときが心配だ。 ボクも前に何度か失敗して、その度に酷い目にあった経験がある。 痛い思いをした011は可哀想だけれど、今回は皆のためだと思って我慢して貰おう」

「よく、言っておきます」

「……それにしても、ジャガーに奇襲を喰らってきちんとガードして吹っ飛ばされても受け身を取って、致命傷を避けるんだから大した物だよ。 普通反応できずに、ガードどころか首を一撃でへし折られている所だ」

前倒しで、医療のカリキュラムを消化できるのは、必ず皆のためになると、カルネさんは強調する。

まだ意識がない011を見て。

その時、始めてカルネさんに対して、ちょっとした怒りが湧いたかも知れない。

だけれども、論理的に考えてみれば、それも確かなことだ。

だから、ぐっと怒りを飲み込む。

元々、クローン達を育てる寮と、医療棟は併設されている。夜間の医療棟の見張りは、自動でロボットが行ってくれる。外にはセントリーガンや犬もいる。

幼いときに世話になった、円筒形のロボットだ。

組まれているプログラムは違うが。ようやく出番が来たといわんばかりに数機が現れて、011の処置を始める。

第一世代の残りを呼んで、今日の手術について内容を共有。

終わった時には、深夜になっていた。

眠る事にする。その前に、カルネさんに報告する。

カルネさんに声を掛けると、かなり激しく咳き込んでいた。少し心配になったが。咳が止むのを待って声を掛ける。

カルネさんは、口の辺りを拭いながら、声を掛けて来る。

「ごめんね、見苦しいところを見せた」

「体、大丈夫ですか」

「……大丈夫じゃない。 でももたせてみせる。 ボクはしっかり約束は守る。 自分で決めたことはやる」

何度か粗く呼吸した後。

ぐったりした様子で、机に突っ伏したまま、画像の向こうでカルネさんは言う。

「奈木もそうだったんだよね。 廻りは嘘つきだらけ、約束は守らない、筋は通さない、スクールカーストは絶対。 相手が間違っていれば何をしても良い、虐めは正しい行為、虐められる方が悪い。 そんな場所……昔の学校にいたから、廻りに反発して約束は守る事を本当に大事にしてた。 ボクもそれを見て、約束を守ろうといつの間にか想う様になっていた」

「映像でしか見ていないんですが。 それでお母さんは、あんなにいつも厳しい顔をしていたんですか」

「そうだよ01。 ボクも似たようなもんさ。 ボクの場合は奈木と違って虐めに遭うことは無かったけれど、周囲の大人より知能が高いボクは殆ど怪物扱いで、近付いてくる奴も殆どいなかった。 大学になってから同じくらい頭が良いのに出会ったけれど、その時にはもう色々手遅れだったし。 それに大学でも、チビが生意気だって、何度も言われたもんだよ」

「私達は三種類しか個体が存在しない状態で、多様性も何も選べない状況です。 色々な人がいて、考え方で学べる筈なのに。 たくさん悲惨な戦争や、愚かな行為をして来たはずなのに。 どうして」

カルネさんが苦笑いする。

きっと、01の言っている事は。

古い時代では、笑い飛ばされるような事だったのだろう。

だけれども、たった三種類。

しかも生物として普通にある姿である、生殖して子供を産む事も出来ない三種類の人間しかいない今の状況ですら。

お母さんや、カルネさんが置かれていた状況が、如何に間違っているかはよく分かる。

「01、頼みがあるんだ。 もう少し掛かるけれど、いい?」

「はい」

「あらゆるデータをボクが集約しているのは知っていると思う。 そのファイルの場所も」

「……」

何をカルネさんが言いたいのかは分かった。

だが、敢えて黙って聞く。

「彼方此方の大学の、あらゆる授業の映像データだ。 教科書なんかの電子化したデータもある。 論文もたくさんある」

「知っています」

「ボクは勿論、君達がスペシャリストになるまでは耐えてみせる。 だけれども、もしボクが志半ばで倒れたときは……まとめてある資料を、君がみんなに広めるんだ。 クローンの作り方ももう分かっているね。 基地の拡張の仕方、建物の作り方、家畜の飼い方。遠くの拠点の場所、行き方。 全てデータに残してある。 ネットワークはまだ生きているから、当然まだそれらの拠点は生きてる。 もしも異常が起きた場合は、君達で復旧してほしい。 移動手段は……分かっているね」

頷く。

後はゆっくり眠るように。

そう、カルネさんは言った。

01は自室に戻る。連続で色々波乱が起きる。目を擦ったのは、なんでだろう。カルネさんの哀しみが伝わってきたからだろうか。何処かで自分の約束を守れないとカルネさんが考えている事が伝わったからだろうか。

最悪の場合は。

01が、どうにかしなければならない。

幸い、下の世代の子達は、かなり頑張ってくれている。

来年には、更に20人がこの基地に加わる。基地にいる01の妹弟達が200人に増える頃には、カルネさんには安心してコールドスリープに入ってもらえる筈だ。

やはり、涙が流れてくる。

どこかで、01も、カルネさんがもちそうにないと、思っていたのかも知れなかった。

 

4、覚悟の果て

 

もう、誰も助けてくれる人はいない。

健康診断の結果を見て。

薬を必要量調合。

充分な分量はまだまだある。そも此処は、いざという時に米国が指揮を執るために作り上げた場所。

核攻撃にも耐えるように作ったシェルター。

物資は豊富に蓄えられている。

もうみんなコールドスリープ装置に入って、残っているのはカルネだけ。内臓ももうやられる寸前。

頭だって、働かなくなる日が増えてきていた。

喀血することも時々ある。

無茶が祟っているのだ。

精神がやられているだけではない。肉体がそれ以上にやられているのである。それでも、あと少し。あと少しと言い聞かせながら、耐えてきた。

そろそろ限界だ。

分かっている。

だが、まだもう少し足りない。あと少しでスペシャリストにまで育つ。

カレンダーを見る。

ゾンビパンデミックが始まってから、二十年。

奈木のクローン達は、そろそろ何処の大学でも教鞭を執れるレベルに。そう、眠る前の奈木と同レベルの水準にまで成長しつつある。だが、あと少しだけ、カルネの奥義を伝えたい。

そうすれば、もっと楽になる。

これから彼女らには、手分けしてゾンビパンデミックの対策研究をして貰うのだ。

IQ180。

それも全員がスペシャリスト。

ただ、それでも研究の完了には100年以上は掛かるだろう。今は三桁ナンバーまでしかいないが。

恐らく研究が終わった頃には、五桁ナンバーまで行っている筈だ。

朝早く。

呼び出しのベルが鳴る。

必死に額の汗を拭う。その拭う作業ですら、非常な苦痛だった。

リモートでつないだ画像。

コールドスリープで眠る直前の奈木にそっくりになった01が映る。ただ、表情は奈木よりもずっと柔らかかった。人を近づけない雰囲気も無い。きっと悪意に塗れて育たなければ、奈木もこうなっていたのだろう。ただ、厳しい訓練を受けた鋭さも同居はしていた。

「カルネさん、01です」

「おはよう。 もうちょっと……頑張って。 今日のカリキュラムで、ラスト。 F22ラプターに乗って貰う」

「カルネさん、それで無理をして……」

「こればっかりは、本番を間近でサポートしないとバズに怒られるからね。 他のカリキュラムは、もう転送してある。 皆にやってもらって」

頷くと、01がモニタから消える。

子供達が、わいわいと作業をしているのだろう。

耐えたぞ。

ふっと、微笑む。

今日のカリキュラムはF22の基本操縦だけではない。

まだ教えていなかった、ハッキングなどの裏技もある。これについては、やりかたをさっと教えるだけ。

だけれど、今の01達ならどうにか出来る筈だ。

呼吸を整える。

意識が何度も飛びそうになる。

エイズは押さえ込めている。

だが内臓が限界なのだ。コールドスリープ装置に這い込めるかどうか。だが、駄目でも悔いはしない。

やりとげてやった。

神とやらがいたら、中指を立ててやりたい。

お前の作り出した悪意の塊に、ボクは最後まで屈しなかった。

そして、悪意の塊を叩きつぶせる体制を作り上げてやった。どうだ、悔しいか。悔しいだろうゲス。

呼吸を整えながら、待つ。

やがて、酷く長く感じる時間の後、01が姿を見せる。パイロットスーツを着て、F22に乗り込む所だった。

その後、順番に指示をしていく。

勿論マニュアルを読み込んでいる01はミスをしない。というか、F15やF16、F35をはじめとして、この基地にある戦闘機はあらかた乗れるようになっているのだ。だから、本当は、プログラムを優先するべきだったかも知れない。

滑走路から一気に空に躍り出る、地球史上最強の戦闘機。

後継がデチューンモデルになったほどの最強の空の王者。

唯一制空戦闘機の名を有することを許された、人類の作り上げた最高傑作の一つ。

それを01が、見事に乗りこなしている。

幾つかの空戦テクニックをこなしてみせる。

01が呟く。

「素晴らしい戦闘機ですね。 これは世界最強と言われるのも頷けます」

「ロシアが開発していたSu-57もカタログスペックでF22を意識していたけれど、あれは実際にはロシアでさえF22に勝てるとは思っていなかった品だ。 ……ネットワークを確保したロシアの基地には、そのSu-57も保全されているから、研究が長期化するようならば、ヘイメルに運んでくるのもかまわないよ。 乗り比べてみるのも良いかもね」

「分かりました。 その時には」

指示通り、ほぼ完璧にテクニックをこなして行く01。良かった。これなら奈木も、安心して眠っていられるだろう。

他の皆も。

瞼が重い。

必死に起き、着陸を指示。01は無言で、綺麗に着陸を成功させた。

今度は05に切り替える。

そして、ハッキングの裏技について教えていく。

元々世界有数のハッカーと互角以上にやり合えるレベルにまで成長していた05だ。すぐにカルネの持っていた裏技を、自分のものにしていった。

最後の一つが終わる。

何か、何処かで線が切れそうになっている。

不意に、意識が戻る。

背中を押されたように思った。

「カルネさん!」

「……01」

いつの間にか、01がモニタに映り込んでいた。モニタを掴んで呼びかけていたらしい。

頷くと、薄笑いを浮かべる。

今、死の淵に、落ちそうになった。

押し戻してくれたのは、誰だろう。

奈木か。サリーか、井田か。

それとも、一緒にずっとやってきたみんなか。

或いはその全員かも知れない。

「早くコールドスリープ装置に!」

「分かった。 どうやら、死ぬなと運命は告げているらしい。 何とか、やってみるよ」

文字通り、這うようにして、コールドスリープ装置に。

中に潜り込むと、操作をゆっくり、順番にしていく。

死ぬな、か。

さっき背中を押してくれたのは、本当に誰だったのだろう。でも、約束は。

そうだ、せっかくだから。

奈木本人に、約束を果たしたと言ってやりたい。

コールドスリープ装置が、閉じていく。

あの子達は、もう。

01達はもう。悪意に満ちた世界で、生きていける。

だから、安心して、眠る事が出来るのだった。

 

(続)