生存の模索

 

序、薄ら暗い地下の世界

 

フランス。アルザス地方。ストラスブール。

古くは、アルザス地方と言えば欧州の火薬庫の一つ。第一次大戦の遠因になった地域でもある。

此処がドイツに抑えられたことで、フランスは大きく弱体化。

それだけ多くの資源を有する土地だった、と言う事だ。

フランスは一次大戦でも二次大戦でも大した活躍は出来なかった国だ。かのナポレオンを輩出し、他にも世界に冠たる英雄を多数出してきた国ではあるのだが。近年ではあまり元気がない。

世界大戦でも、結局勝ち馬に乗っただけで。ほぼ自力では何もしていない。

それ以降も、難民問題などで問題を多数抱え。ナポレオンが生きていた頃の、大陸屈指の国家の面影はない。

そして現在。

ゾンビパンデミックが起きた今。

三十万弱の人口を有していたストラスブールは、そのままの数のゾンビを抱えたまま。暗闇に沈み込んでいた。

スイスの一部。

山間部に点々としている生き残りとアクセスをとったカルネは。

連携してドローンを動かし。

電波発生器を飛ばす。

そして最大出力で、ゾンビを引き出す。

この、命と引き替えに日本の研究チームが完成させてくれたゾンビを誘き寄せるシステムは、本当に素晴らしい。

ゾンビがもりもり引きずり出されてくる。

流石に今回は出力を手加減無しで行ったから、ストラスブール以外の街からもゾンビが群れを成して押し寄せてきている。今回はガソリンを使わず、夏の熱気で焼いてしまうつもりだ。

さぞや周囲は凄まじい臭いに覆われるだろうが。

こればかりは、もはや仕方が無かった。

恐らく百万を超えるゾンビが、電波発生器に群がる。ドローンで吊して、直接触れないようにする。

そして、日光で焼き。

腐敗を促進させる。

数日間掛けて、ドローンを駆使してこの作業を行い。

そして、奈木が大洗に移動を開始した頃、ようやく駆除作戦が終わっていた。

干涸らびたゾンビの群れが、大地にうずたかく積もっている。

完全に体の組織が駄目になった結果、動けなくなったのだ。共食いをしないというか、そもそも腐った肉は口に入れないらしいので。ゾンビ同士が食い合うことはない。この辺りは、駆除が進みにくい理由の一つでもある。

焼きたいところだが、そうもいくまい。

いずれにしても、近隣の街からゾンビは消えた。ただ、まだ少数のゾンビが電波に引き寄せられているので、誘引作戦はそのまま続行。

カルネ自身が片手間にドローンを操作。

周辺の街を調べる。

あまり状況が良くない。

欧州でもシェルターに籠もる者はいた。

核戦争が身近だったからだ。

核に対して、単純に凄い破壊力の爆弾、くらいにしか思っていない者も多く。原子力発電所などからは、放射性廃棄物を垂れ流しにしているケースも多かった。

それを憂慮する者も多く。

そしてシェルターに潜る者も多かったのだ。

まずは生存者の痕跡を探していくが。

ドローンが探っていくも、どうも芳しくない。中華の調査もあまり進展がよろしくない状況なのだが。

フランスも駄目か。

そう思っていたとき、衛星が熱源を捕らえる。ドローンを向かわせるが、それなりの数の熱源が存在している。

地下シェルターでは無い。

白いフードを被った集団が歩いている。

数は十人ほど。

これは、まさか生存者の集団か。もしもそうだとしたら、ゾンビの群れの中、平然と動き回っていたことになる。凄まじい話だ。

すぐにドローンを接近させ、話しかける。

鈴を鳴らしながら歩いていた集団は、ドローンに気付くと足を止める。フランス語で話しかけるが、相手は反応しない。

そして、気付く。

フードの下にあるのは、人間じゃない。ゾンビでもない。

干涸らびた死体だ。

どうやら、カートを遠隔で操縦して。それに死体を乗せ。時々鈴を鳴らすように仕掛けをしていたらしい。

誰がこんな真似を。

困惑するカルネ。周囲に飛ばしているドローンを駆使して、カート操作電波の発生源を探る。これをやったやつがいる筈。もうこんな状況では、マスコミどころか、殆どの場所で電波さえ発生していないのである。

そもそもどう考えても、ゾンビがこんな事をするわけがない。

人間がやったのだ。

カルトか。

そう思って、近隣のカルトを検索する。今更カルトだろうが何だろうが、生きてさえいればそれでいい。

なお、カルネのドローンが離れると。

白フードの死体集団は、再び鈴を鳴らしながら動き始めていた。

間もなく、電波の発生源を特定。

現在大出力でゾンビを引き寄せているのとは、帯域が違う電波だ。郊外の小さな家である。

調べて見ると。

内部には、朽ち果てた死体と、手記があった。

どうやら科学者気取りの変人が住んでいたらしい。手記を開いて、中身を確認。錬金術や黒魔術を広く囓っていた様子で。様々なトンチキ理論が書かれていた。

その中に、ゾンビへの対処法というものがあり。

ゾンビパンデミックの初期。死体を墓場から掘り出して、カートにくくりつけ。そして自動運転プログラムを搭載して、あの「白装束集団」を作った経緯が記されていた。

理屈は何度読んでも理解不能だったが。

それで、審判の日に祝福を与えるのだとか書かれている。

意味が分からなすぎて困惑するが。

その作業を終えてから、変人はゾンビ化せず、自分で頸動脈をナイフで斬り自死。周囲がゾンビパンデミックで壊滅していくのを見ずに死んだ。

彼なりに、世界のために殉じたと言う事だけは理解出来る。

方法は完全に間違っていたが。

しかし、馬鹿にするのも気が引けた。

とりあえず、先の「白装束集団」は焼いてしまう。

また、この朽ち果てた死体も、ドローンで外に運び。焼却処理。燃料が惜しいが、この人物なりにこの世界のために殉じ。

そして、死ぬ事を恐れもしなかった。

やり方は間違っていた。

だが、この変人なりの試行錯誤をした事は事実で。

試行錯誤をした事自体に、カルネは敬意を払う。いずれにしても、埋葬くらいはしてやるべきだろう。

ドローンを操作して、簡単な埋葬を終えると。

調査を進める。

ゾンビはもうあらかた周囲から離れた。何処の世界中でも、こんな様子でゾンビが駆逐されている。

だが、ゾンビを駆逐したところで、殆ど意味がないこともわかっている。

こうしている内にも、毎日何処のシェルターが全滅した、何処の離島が壊滅したと、情報が入ってきているのだ。

いわゆる陽圧室というものがある。

恐らく空気感染だろうと当たりをつけた人間が、気圧を操作して外部からの空気侵入を防ぐためにそれに閉じこもったのだ。

だが結果はゾンビ化。

今、陽圧室の中で、ゾンビが蠢いていると、監視カメラからの映像を拾ったオペレーターから連絡を受ける。

絶望に満ちた声だったが。

カルネはそう、とだけ応えて。

黙々と生存者を探す。

痕跡を調べていくと、見つける。どうも妙な痕跡がある。さっそく軍基地で充電していたドローンを飛ばして確認。

調査しにいくと。

その周辺は、戦争でもあったかのような有様だった。

この辺りにもいるのか。シェルターに閉じこもって生活している者が。

まあ、欧州、特にフランスは近年難民問題等で混乱が酷く。世界情勢の悪化もあって、治安の悪化に歯止めが掛からなかった。

シェルターに逃げ込んで、其所で生き延びようとしている人間はいてもおかしくない。

兵器類は弾を使い切っているようで、ドローンが防空圏内に入っても反応しない。

呼びかけてみるが。

反応もやはり無かった。

シェルター化している家の中にドローンを入れて、内部を確認する。

どうやら煉瓦造りの古くからの家を、コンクリで固めて要塞化したらしく。内部はむしろ質素な造りだった。

地下部分への扉は密閉式になっていたが。

どの道シェルターなど貫通するのがこのゾンビの感染である。

今の時期にゾンビ化していないのなら。

間違いなく重度の病気持ちか、それとも奈木のような生物として致命的な欠陥を持っているか。

そのどちらかであるだろう。

どちらにしても、まずはアクセスを試みる。

シェルターの入り口は幾つか規格が存在していて。こういうシェルターに立てこもる人向けに、一時期はシェルター化の工事などが流行った。

分厚い鉛製の扉を、幾つかの操作の結果開ける。

何故鉛製かというと、放射能汚染を防ぐためである。

故に兎に角重い。

重厚な音を立てて入り口が開くが。内部からの反応がない所から言って、多分生存は絶望的だろうな。

そう思いながら、ドローンを入れた。

内部はしんとしている。

それなりに広い空間だが、所詮は家。

中に人間がいるのなら、すぐに分かるはず。

熱源探知。

奥を調べて見ると、どうやら生物が存在している。問題はそれが人間だとは限らない事だ。

四つ部屋があり。

それぞれが分厚い扉で閉ざされていた。

どうやらこのシェルターの主は、家族を己の生き方につきあわせていたらしい。

鉄格子を焼き切って開けると。

内部には、もはや原形を留めていない死体が。

餓死かと思ったが、どうやら銃で自害した様子だ。死んでから、かなり時間が経っている。

隣の部屋ではゾンビ化が発生したようで。

なるほど、それに絶望したのか。

ゾンビは涼しい環境でまだかなり形が残っていたが、そのまま焼いてしまう。

次の扉。同じようにゾンビ化している。

ドローンに搭載しているガソリンは充分。

そのまま焼いてしまった。

最後の部屋だが。

ベッドがあり、人間の形で眠っている。熱源はこれだ。生存者だろうか。ベッドに呼びかけると。

規則的に上下していた布団が動きを止めた。

一度距離を取ってから、呼びかけを続ける。

相手はしばらく警戒している様子だったが。やがて、顔を見せた。

かなり酷い状態だ。

顔中焼けただれている。これは恐らく、この家の主に虐待を受けていたと見て良いだろう。

理由は恐らくだが。

容姿が気に入らなかったから、だろうか。

見た感じ、顔の崩れ方が凄まじい。生まれながらに、色々と体の構造に問題があったのだろう。

ロクに病院にもやらず。

地下で幽閉していた、と言う事か。

唸り声を上げる生存者。

此方を何か得体が知れないものと認識しているらしい。可哀想な話だが。もはや法に問える事はなにもない。

法が、存在しないのだから。

言葉は通じない。

やむを得ないので、催眠ガスを流して眠らせ。ドローンで外に引っ張り出す。数機のドローンで外に運び出し、そして確保している病院に移動させる。サンプル確保と医療班に告げるが。

重度の障害持ちで。

ほぼ確実に先天性の遺伝子疾患持ちだろうと告げると、嘆いていた。

「それではサンプルにならない可能性が高い……」

「生存者がいたことを喜べ。 それに先天性の遺伝子疾患持ちだというのなら、奈木と同じ条件だ」

「……分かっている」

気持ちを切り替えたか、医療班が確保してある病院にアクセス。フランスの生存者達と話し合いながら、調査を開始する。

カルネはシェルターの内部を調査。

調べて見た所、手記が出てきた。

祖父、両親、子供の四人でゾンビパンデミックの少し前から地下に閉じこもっていたらしく。

どうやら、手記はこの祖父が残したものらしい。

内容を確認していく。

何かのヒントになる可能性が高いからだ。

フランスにゾンビパンデミックが発生したのは、米国大統領がゾンビ化するという衝撃的事件の翌日。

後はユーラシア全土で呼応するようにゾンビパンデミックが発生したが。

フランスは七日ともたずに政府機能が消滅。

そのまま、ゾンビ化の恐怖に蹂躙された。

手記を見ると、ラジオが七日で途絶えたとか、信憑性の高い描写が多い。元々日記をつける習慣のあった人物らしく、それが有り難い。

そして、分かるのだ。

元々シェルターに入ったときには、家庭は崩壊していたのだと。

自害したのがこの祖父。

ゾンビ化していたのがあの子供の両親だったようだ。

元々両親が揃って、孫を虐待していたらしく。

祖父は常にそれを気に病んでいた様子だ。

ゾンビパンデミックが発生すると、シェルターに閉じこもっているような変わり者どうしで、アマチュア無線で連絡し合っていたらしいのだが。どうも無線中に、シェルターにいる相手が、ゾンビ化してしまったらしい。

それで半狂乱になった両親が。

それぞれを、鉄格子のような部屋に隔離。

後は、食糧を分け合って、この「悪夢」が通り過ぎるのを待つ事にした様子だ。

だが、悪夢は通り過ぎてなどくれなかった。

元々障害のある子供を虐待していた両親の内、母親がゾンビ化。

殆ど時間をおかずに父親もゾンビ化した。

そしてこの二人。

孫への虐待を快く思っていない祖父を、「信用していなかった」らしい。

祖父は文字通り独房に閉じ込められ、何もできない状態にされてしまっていたそうだ。

孫はベッドで虐待に怯え、ずっと布団を被ったまま。

呻きながら、部屋を徘徊する両親。

狂気の中で、祖父は日記に書き残した。

もう、何もしてやれることがないからだ。

食糧は供給されている。孫も、かろうじてその食糧を食べる事が出来るくらいの知能はある。

本来は容姿に関する障害で、知能が劣悪だったわけではない。

醜い、悪魔の子だと言って虐待した両親によって、栄養状態が著しく悪く。そして言葉も教わらなかっただけだ。

もはやゾンビ化は時間の問題。

本来一神教では自殺は禁じられている。

だが、それでも。

祖父はこんな世界にしてしまった神を、許せなかったのだろう。

信仰してきた神に対して、祖父はあらん限りの呪いの言葉を、日記に書き殴っていた。

そして孫をどうにもしてやれないのだけが心残りだと書き残すと。

口に銃を咥えて引き金を引いたようである。

賢明な判断、とは言えない。

どうせゾンビ化は時間の問題だったのだろうから。

無言で、日記の内容を記録したカルネは、ため息をついていた。

生存者は見つかっているが。いずれも重度の病気持ちか、重度の先天性疾患持ちである。このままでは、人類を治療する方法が見つかる前に、此処が壊滅するかも知れない。そうなったらおわりだ。

ネットワークを毎日接続しなおし。

そして情報を共有している事だけが、今事実上出来ている事。

ゾンビの駆除だけでは問題は解決しない。

多分全部ゾンビを焼いてしまっても、生き残りがゾンビ化し続けるだろう。それだけは、確実だった。

それから八時間ほどストラスブールをドローンで調査したが。

生存者の痕跡は見つけられず。

次へ移ることにする。

せめて、生存者がいるなら、生き残れる環境を作る。

それに意味があると、今は信じたかった。

 

1、死の行進

 

英国がEUから脱退してから。

ゾンビパンデミックが発生するまで、さほど時間は掛からなかった。

英国政府は消滅し。

歴史ある英国の王室もそれに殉じた。

英国は問題だらけで、EUからの離脱も、その問題がEUという瓦解寸前の共同体にあると多くの者が感じていたことが要因となった。他の国からの、内部干渉というのも実際にはあったのだが。

ともかく、英国はEUから離脱し。

それほど時を置かず、ゾンビパンデミックで消滅。

現在、英国の生き残りは、山間部の小集落などに分散して数千人ほどと。離島に合計して一万ほど。

そして慌てて騒ぎの最初に港を離れたわずかな艦隊が。

途方に暮れて、海上を彷徨っている。

そういう状況だ。

古くはロイヤルネイビーなどと言われ。世界最強の海軍の名前を恣にしていた英国艦隊だが。

米国の独立辺りから陰りが見え。

第一次大戦、第二次大戦でも本土こそ守れたものの、結局米国に良い所を持って行かれる形になり。

それどころか、その前にはインドで経済を完全崩壊させ、数千万人に達する餓死者を出させるなど、凄まじい失政で世界中に迷惑を掛けておきながら。

余所の国を英国の植民地などと称して悦に入る。

そんなどうしようもない国になり果てていた。

そも、英国はかの悪名高いヴァイキングの末裔、ノルマンディー公ウィリアムが建てた国。

そのモラルが腐りきっているのも。

今更と言えば今更であるのかも知れない。

海上に脱出できた船はわずか六隻。空母は脱出できず、巡洋艦二隻、イージス駆逐艦三隻、揚陸艇一隻という内訳である。

その巡洋艦の艦長であるワームズ=エイルは。

自国の歴史を見て。

その蛮行の数々に、頭を痛めていた。

海上に逃れたは良いが。

そもそも、かなりの数の軍人が過密状態で乗っている状況だ。

そして主導権を握った米国の残党に言われているが。

ゾンビ化が発生すると、助かる可能性はない。

船は自沈させるしかなく。

覚悟はしておくように。

更には、船同士で人員を行き来させないように。

距離を保ち。ゾンビ化が発生した場合は、現状は諦めて、自殺と自沈で処理するようにと、通達を受けていた。

完全に米軍の指揮下に入った状態だが。

元々英国は軍にしても経済にしても衰退が著しく。

同じようにして既に壊滅してしまっているドイツと状況は大して変わらない。

これでも内陸国よりはマシなのだというのだから、もはや言葉も無い。ワームズは今日も各艦と連絡を取り合い。ゾンビ化が発生していない事を確認してから。日々減っている食糧を実感しながら。まずい乾パンをかじっていた。

士官だけでもまともな食事を。

そんな声もあったが、ワームズは一蹴した。

それで恨みを買ったかも知れないが。しかし、士官だけに贅沢を許せば、多くの海兵に更なる恨みも買っただろう。

食糧は限られている。しかも定員オーバーの状況である。

魚をとってある程度は凌いでいるが、それも一時しのぎにしかならない状況である。

また、燃料の問題も大きい。

殆どの艦は、港を脱出する際に、燃料をまんたんにできなかった。

補給艦や輸送艦と一緒に脱出できなかったのが致命的で。

輸送艦を脱出させることに成功した他の政府の艦と接触する事もままならない現状。

このままだと、海上で食糧も何もなく。

動く事さえ出来ず。

滅ぶのを待つだけだった。

かろうじて、遠隔で軍基地と通信し、ドローンを飛ばして生存者を探すことは出来ているし。

米国との情報ネットワークも確立は今のところ出来ている。

米国からの情報共有によると、どうもゾンビ化は健康なほど進展しやすいという話らしく。

むしろ大きな先天性疾患を持っている人間や、重病を保っている患者の方が、助かっている可能性があるという。

だから、米国に倣って、必死にドローンを飛ばして、生存者を探させ。

もし生存者を見つけたら、米国に情報を引き渡すしかない。

船医はいるにはいるが、毎日ストレスでおかしくなりかけている船員達の面倒を見るので手一杯。

とてもではないが、研究に参加など、出来る状況では無かった。

一通り、今日の作業を終えると。

連絡が入ってくる。

ウェールズの山間部にあった集落で、ゾンビ化が発生。生き残った住民が半狂乱になり、同士討ちが始まっているという。

SASのわずかな生き残りであるブル中佐が来る。

ブルは屈強な大男で。どちらかと言えば長身のワームズよりも更に頭半分背が高い。金髪碧眼のワームズに対して、見るからに四角く肌も浅黒く。赤毛はまるで好戦的な性格を示しているかのようだ。

敬礼したブルに、敬礼を返す。

連絡を入れてきたブルは、非情な提案をしてくる。

「ゾンビ化が発生した以上助かりません。 軍基地に配備されたグローバルホークで処置を。 既に出す準備は出来ています」

「米軍からの情報によると、生存者が出る可能性もある」

「信じられませんな」

ブルは典型的な狂信的愛国者で、SAS神話を根強く信仰している人物の一人である。

今までも幾多の紛争に出撃して、夥しい戦果を上げてきた猛将ではあるものの。残虐すぎる性格から、部下の間からも狂犬と呼ばれていることをワームズは知っている。

此奴に任せたら、それこそ村を大型の爆弾で丸ごと消し飛ばしかねない。

生存者が出て。

それが人類の希望に。

いや、もっと卑近な例えで言えば、この船の皆が助かる可能性につながるのなら。

そうしなければならない。

「グローバルホークは出して良い。 村から外に脱出しようとする者を許すな」

「心得ました」

淡々とブルは言うが。

絶対に心得ていない。

すぐにグローバルホークとの映像をリンク。過密状態の船内は、艦橋だけではなく。全ての場所がギスギスしていた。

グローバルホークは米軍などにも配属されている大型ドローンで、もはや戦闘機に近い。

無人機だが、戦闘力は相応のものがあり。

実戦にも投入され、高い戦果を上げている。

すぐにゾンビ化の結果無人になっている基地から、グローバルホークが出る。

滑走路にいるゾンビを、まずは機銃で消し飛ばしてから出発する様子は、色々な意味で末期的だが。

ともかくグローバルホークが問題の村の上空に辿りつくと、既に村は燃えていた。

動いている人間がいるが、大半はもうゾンビ化してしまっている様子である。

早速殺しに掛かろうとするブルに、ワームズは指示。

「米軍から情報提供があった例の電波を流してほしい。 ゾンビはそれに引き寄せられるはずだ」

「悠長ですな」

「今は一人でも生き残りが必要なのだ」

「多少荒っぽくなりますが」

数機のグローバルホークが散開。

村から逃げ出した住民がいないか、熱源で探知。

更に、ゾンビを引き寄せる周波帯の電波を流す。効果は確かに絶大で、あからさまにゾンビ達が動きを変えた。

だが、ブルの血の気が多すぎる。

そのまま、殆ど確認もせずに、村に機銃を叩き込む。

ゾンビが瞬時に消し飛ぶが。

もし生存者がいても、これは巻き込まれる可能性が高いのではあるまいか。

頭を振りながら、ドローンの第二陣を出す。

これは森林火災用の消火ドローンで。

まずは燃えている村を鎮火させる。

ゾンビは何体かが電波に引き寄せられ、それをよりにもよってミサイルで消し飛ばす。

残虐で冷酷な人間ほど称賛される傾向があるのが人間社会だが。

それでも限度がある。

まだ生存者がいる可能性が高い村に。

よりにもよってミサイルを叩き込むとは。

ブルは無言のまま、近くの山林を熱林探査。

見つけた熱源には、片っ端から機銃を叩き込んでいた。正直な所、狂犬という言葉以外は出てこない。

「駆除完了。 探査は勝手にやってください」

「うむ……」

探査のドローンを飛ばす。

村の火は既に消えていたが、それでも集落としての形はもう保っていない。

古い時代の要塞化された集落のように、バリケードで周囲を固め。対空砲火まで準備していたのに。

それらの全てが役に立たなかった、という事である。

ドローンを回して、熱源を探査。

荒っぽくやったからか、家の中などには、滅茶苦茶に飛び散った人間の残骸が散らばっている。

ゾンビだったのか、生存者だったのかさえも分からない。

これでは、どうしようもない。

敬礼すると、残った死体を集めて、全て焼却処分する。野獣が人間の味を覚えたら大事だから、こうしなければならないのだ。

大きな溜息が何度も出る。

英国は昔は世界帝国などと言われたが。

その本土は、古くからずっと内部での抗争を続けて来た。

この山間部の村は、負の歴史の集合体のようなもの。

麓の人間を信用せず。

前時代的な生活を選んで。

そして独立を自称し。

閉鎖的な環境で、ずっと暮らし続けて来た。

遺伝子疾患だって色々持っていたはずだ。本当にゾンビ化は、遺伝子疾患があれば起きないのか。

程度があるのか。

その辺りが、不審でならない。

通信が入る。

米軍のドローンを操作するプロであるカルネとか言う小娘だ。若くして博士号を持っているとかで。

今、米軍の情報関連で中心となって活動している。

生存者も相当数見つけているという話だが。

それならさっさとワクチンなり対応策なりを見つけてほしい。

それがワームズの本音だ。

鬱病になりかけていることを、ワームズも理解している。だから、カルネとの通信どころか。

出来れば他人とも会話などしたくなかった。

「何用か」

「本題から入らせて貰う。 ドローンの映像をハッキングして確認させて貰ったが、何だあのやり口は。 方針を変えると言っただろう」

「現場の人間が……」

「統率は貴方の仕事の筈だ」

ガキのくせに舌が回る。

ワームズは舌打ちした。そもそも子供が絶滅危惧種状態なのである。噛まれれば感染するようなゾンビと比べて、どうして感染するか分からない現実のゾンビ共は、どれだけ厄介な事か。

「初期の対策だった空爆が愚策だったことは既に分かっている筈だ。 生存者は意外なところから見つかっている。 そして生存者が一人増える度に、人類の生存の可能性が上がる。 今後は控えて貰いたい」

「……了解した」

「以上だ」

通信をぶつりと切られた。

ブルはどうしていると部下に当たり散らすと、寝ていると返答。叩き起こして来いと叫ぶが、部下は怯えるばかりだった。

あの狂犬を怒らせたら、命が幾つあっても足りない。

そういう事なのだろう。

そして、今、この状況の船で不和を生じさせるのは文字通り致命的だ。ブルだって血迷って何をするか知れたものではない。

特殊部隊のボスだからと言って、ムービーヒーローのような強さを持つわけではない。

しかしながら、本気で破壊工作をさせたら、文字通り何をしでかすか分からないのだ。部下の怯えも最もだった。

ワームズは大きくため息をつくと、自室に戻る。

つい最近まで笑っていた妻の写真を、ベッドに腰掛けてじっと見つめる。

どうしようもなかった。

ゾンビパンデミックは、聖書の蝗よりも凄まじい勢いで押し寄せ、またたくまに英国を蹂躙し尽くした。

家族を助けたいという兵士達を、必死に説得して海上に出たが。

妻を助けに行きたかったのはワームズだって同じだった。

ドアがノックされる。

何かあったのかなと思った。誰かと声を掛けるが、返答は無い。何だか妙だ。銃を手にして、ドアの影に伏せる。

そして、ドアを開けると。

視界が歪んだ。

凄まじい吐き気が襲ってくる。

銃を構えるどころでは無い。

歪む視界の中で、目が裏返った何かが、呻いているのが聞こえた。そして、他の兵士達も、悲鳴を上げたり。うめき声を上げながら彷徨いている。

嗚呼。

思考回路が急激に失われていく中。ワームズは何が起きたのかを悟った。米軍の艦隊でも、既に数隻でゾンビ化が発生していると聞いたが。

此処でも起きてしまったか。

何とか、必死に無線機を取りだすと、隣の艦。揚陸艦バタルフィに連絡。

声を絞り出す。

「我が艦、汚染……自沈……不可能……」

「イエッサ。 明日の勝利のために」

「……」

無線を取り落とす。

すぐに揚陸艦から、他の艦へも連絡が行くだろう。

ふと気付く。

目の前が燃えている。

もう砲撃を受けたのかな。

いや、違う。

ブルが地獄の業火に焼かれているのだ。悪魔が、地獄で罪人を焼いている。ブルは情けない悲鳴を上げながらもがいていて。

恐ろしい悪魔が、ワームズも促した。

「お前もこれから焼かれるのだ」

「分かっている……」

そう。ワームズは何もできなかった。だから、地獄で焼かれるのは当然だろう。せめて妻に一目会いたかったけれど。

それももはやかなわない。

やがて、地獄の拷問が。

ワームズの身を包んだ。

 

英国軍巡洋艦ウィリアムズ撃沈。

対艦ミサイル五発を喰らって、爆沈し、そして沈んでいった。

しばらくは海上に生存者が浮かんでいたが。それもすぐにゾンビ化して、沈んでいく。

英国軍の、最後の巡洋艦となったエドワードUの艦長ファタルは、敬礼して沈んでいくウィリアムズを見つめていた。

ファタルは、ウィリアムズの艦長ワームズと面識があった。

湿っぽい男で、英国の過去の蛮行を自分の事のように悔やんでいる節があった。歴史になまじ詳しいと、色々と抱えてしまうものだな。そう「ごついおっさん」と呼ばれているファタルは思った。

最後にワームズは、ゾンビパンデミックの発生を告げてきて、それで撃沈を促した。立派だったと思う。

ブルのような狂犬を押しつけられ。

鬱病寸前になっていたというから。

最後の意地だったのかも知れないが。

部下達に指示を出す。

「煙を受けないように注意しろ。 すぐにウィリアムズから離れるように」

「イエッサ」

「酷い話でありますな」

「米軍でも既に六隻がやられているという。 あの小娘、カルネといったか。 とにかく生き残りを探せと言っているが、それも当然の話だな」

海上に逃れて。

何処かで安心してしまっていたのかも知れない。

離島ですらゾンビが発生するのに。

海上に逃れたくらいで、ゾンビ化が防げる筈が無いのである。

ファタルは、完全にウィリアムズが沈没し。

充分に距離を取ったことを確認してから、各艦に集結地点を指示。再集結し、艦隊を編成する。

とはいっても、規模が小さすぎて、艦隊と呼んで良いのかさえも分からないが。

それに艦ごとに大きく距離をとるのだ。

もはや、艦群、とでも言うべきなのかも知れなかった。

他の艦長も、今頃さぞや青ざめているだろう。

ロイヤルネイビーの栄光は過去の話。

もはや、いつゾンビ化が発生しても不思議では無い。恐怖に怯えるしかない、哀れな海の漂流者に過ぎないのだから。

味方を落ち着かせるために、点呼を取る。

食糧も確認。

最悪の場合、無人島にでも停泊して、食糧を確保する必要があるかも知れないが。今の時代、無人島なんてどれだけあるだろう。それも、食糧が充分に確保出来る、である。

この船を其所まで動かせるかも分からないし。

何よりも、その後どうするのか。

何もかも、八方ふさがりだ。

点呼が終わった後で、訓戒する。

ウィリアムズの艦長、ワームズ大佐は立派だった。ゾンビ化しかけていたのに、他の艦に注意を促し、即座に対応を指示した。

これは軍人というだけではなく、人として模範とすべき行動である。

自己犠牲は必ずしも褒められた行動ではない。

だが、ワームズ大佐は間違いなく英雄となり命を落とした。

それを胸に刻み込め。

そう言って敬礼し。敬礼を受けると。多少は船の雰囲気が引き締まった気がする。後は、少しでも長く耐えて。情報を集めて。

そして好機まで、生き残るのみだ。

部下にドローンを飛ばして、生存者を探させる。

ゾンビ集めと駆除も、並行で開始させる。

各地でもゾンビ集めは開始しているが。実際に、効果があることを先の作戦でも確認できた。

英国の地下水道に潜んでいるゾンビ共を、これでまとめて引っ張り出し、全て処理することが出来るだろう。

後は生存者を徹底的に、必死に探す。

今回の件で、部下達も肝が冷えたはずだ。

米軍の艦隊で起きていた、という恐怖が。

自分達の所でも起きたのだから。

やはり人間は、自分の身で味あわないと、恐怖を実感することが出来ない。それをファタルは今更ながらに知った。

そして、自分達が、明日をも知れぬ身であることも。

艦隊の再編成が完了。

今後はファタルが事実上のトップとして、英国の生き残りをまとめていかなければならない。

なお、SASの残存戦力は、ブルと大半が巡洋艦ウィリアムズに乗っていたので、ほぼこれで壊滅してしまった。

世界最強の特殊部隊も、これが末路だと思うと、少し寂しくもある。

だが、ゾンビパンデミックの初期、どこの国の特殊部隊も真っ先に前線に投入され。その悉くが全滅した事を考えると。

まだ長くもった方なのかも知れない。

艦隊を英国本土に近づけ、そこから遠隔でドローンを操作する。

カルネという子供にばかり、人類を救う最後の希望を託すわけにはいかない。

此方は此方で、出来る事をやらなければならないのだ。

二日で計画を策定。

英国の各地に、ゾンビを引き寄せるための強力な電波発信機をドローンを使って設置。誘引作戦を開始する。

ゾンビは腐りきれば動かなくなることが分かっている。

生存者がいるなら、多分これで姿を見せてくれる可能性が高い。そして、今までの情報共有を聞く限り。思ったよりも、生存者はいる可能性が高い。勿論万人単位では存在していないだろう。

だが、あと何十人か、生存者を発見できれば。

或いは。

ふと気付く。海の向こうに、虹が架かっている。

多分ウィリアムズが爆沈した影響だろう。

無言で頷くと。

ファタルは、部下達に、指示を出した。

「カルネとか言う子供に負けていて恥ずかしいと思え。 絶対に我等で生存者を探し出し、人類の救済に貢献するぞ」

「イエッサ!」

部下達も、少しは気合いが入ったらしい。

厳しい事は確かだ。

だが、この状況を少しでも改善し。

そして未来を掴まなければならない。

 

2、葬列

 

大洗についた。

奈木も知っている街だ。

関東最大の水族館があり。有能な市長が誘致作業をどんどん成功させて、地方の小規模都市とは思えない程潤っていた。

有名なアニメの舞台にもなり。

そして偉そうな一般客よりも、いわゆるオタク層のファンの方が、余程金を落とすし、紳士的に振る舞う事も認知して、それを元に戦略を練った。

だが、それらも全て過去の話。

ゾンビパンデミックが始まってからは、経済も何も全てが無くなった。

なお、漁師の中には、今も海を彷徨っている者がいると聞いている。

その漁師達も、今は陸に近づけない。

奈木は周囲を見回して、こぎれいだなと思った。

老舗も存在しているし。

近代的な施設も存在している。

なお原発もあるのだが。

それは自動でまだ動かしているらしい。

原発というのは、基本的に一度火を入れると、ずっと動かさなければならないそうだ。

核融合発電が実現していたら、そうでも無くなったらしいのだけれども。

何度かあった不幸な事故の結果。

更には、色々な勢力が余計な手出しをした事もあり。

核融合発電は遅れに遅れた。

その結果が、余計に環境への汚染が大きい火力発電。環境そのものを滅茶苦茶にするメガソーラー。鳥にとってはギロチンに等しい風力発電と、利権と結びついて問題まみれの発電システム。

結局人間は愚かだったのだと、この街に来ても思い知らされる。

ゾンビの駆除は事前に済んでいる。近くが海なので、そのまま海の中に誘導すればいいのである。

来年はさぞや太った海老や蟹が大豊作になる事だろう。

食べたいとはまったく思わないが。

周囲を見回す。

カルネには事前に指示を受けている。

何カ所かに熱源や、人間の痕跡かも知れないものがある。

それを順番にあたる。

まだ酷い臭いがしている。這いだしてきたゾンビが、辺りを徘徊しながら、海に飛び込んだのだ。

海は絶対に見たくない。大量の水死体が浮かんでいるのは確実であるから。その水死体もまだ動いている可能性もある。あらゆる意味で近付きたくない。

それに、今までは大丈夫だったけれど。

考えてみれば、あくまで経験則。

奈木だって、ゾンビ化するかも知れないのだ。多分無いとは思うが。

呻きながら歩いているゾンビを確認。

すぐに物陰に隠れる。

ゾンビ単体は大した脅威では無い。

だけれども、やはり囲まれるとまずい。ゾンビは足を欠損しているようで、それで動きが鈍い様子だ。

海に向けて這いずっている。

同じようにして、呻きながらまだ動いているゾンビを見つける。

かなり体の腐敗が酷い。

そのまま自転車で踏みつぶしても良いくらいだが。出来ればリスクは避けた方が良いだろう。

どぼんと、大きな音。

多分それなりの高さから、ゾンビが海に飛び込んだのだろう。

生存者が自殺したのかも知れないが。

だとしても、どうしようもない。

口を押さえて、しばらく待つ。やがて這いながら移動していたゾンビはいなくなり。呻きながらもがいているゾンビも、いつのまにか海の方へ去っていた。

自転車で、さっと大通りを抜ける。

窓から落ちて、そのまま動けなくなったらしいゾンビが、日光で丸焼きにされている。すぐに完全に壊れるだろう。

ゾンビは人体が如何に繊細なのかを教えてくれる。

体は簡単に壊れ。

壊れると力を発揮できなくなる。

よくあるゾンビ映画の、リミッターが外れて云々は。実物が出てきてしまうと、その理屈が根本から崩れてしまう。

SF映画でも、宇宙戦争はどうなるこうなると議論がされているらしいが。

多分実際に宇宙で戦争が行われたら、その結果は今の人類が考えているものとは、まったく別の様式になるのだろうなと、奈木は思った。

磯の香りよりも。

腐敗臭が酷い。

街の一部は焼けていた。

ゾンビパンデミックの初期に、何らかの理由で失火したのか。

それともゾンビを食い止めようと自主的に火を放ったのかまでは分からない。

だけれども、そもそもゾンビを焼いてもこの問題は何の解決にもならないのだ。

ゾンビに食い殺されるケースは例外的で。

殆どの場合はゾンビ化する事によって人は死に到る。

ドローンが来て、ナビを受ける。

高台に向かってほしい、と言う事だ。

ナビのまま、移動。

途中、一切口は開かなかった。

高台に出ると、焼死体が山のように積み重なっていて。鴉や蠅が凄まじかった。鼠もいる。

此奴らはゾンビ化しない。

混乱時に、色々あったのだろう。

具体的に何があったのかは、正直考えたくも無い。

指示された方向を見て、そのまま移動を開始。

リュックからバールを取りだす。

ほしいと言ったら、軍の倉庫から出してくれたのだ。

あらゆる意味で利便性が高いので。

出す意味はあると思ったのだろう。

昔だったら、これ一つ出すのにも書類が色々必要だったのだろうけれど。そもゾンビに汚染されて放棄された基地だ。死蔵されている装備の一つや二つ、放棄する体で渡すことくらいは、何でも無かったのだろう。

熱源に移動。

確認すると、どうやら小さな家屋だ。慎重に周囲を回って、内部を確認していく。窓から中を覗き込むと、しんとしているが。

駄目だなと、奈木は判断していた。

腐臭が酷い。

明らかにこの中から。

それも、これは嗅ぎ慣れている。

人間の腐臭だ。

ドアをバールでぶち抜いて、入る。

比較的新しい家は、どういうことかドアが薄くなる一方で、特に腕力が優れている訳では無い奈木でも、無理矢理こじ開けて入る事が出来る。一時期錠前破りでピッキングというのが流行したらしいが。

その内ドアをドリルで穴を開け。

その穴から内側の鍵を開ける、という手法が流行したらしい。

ドアは薄い方がおしゃれ。

そんな変な風潮が流行った結果だそうだ。

話半分にカルネのそういう雑学を聞いてはいたが。

実際に自分で試してみると、その薄さは歴然。そしてドアを開けると、酷い腐臭で、思わず口を押さえていた。

ドローンに入って貰う。

ドローンはすぐに戻って来た。

熱源を確認したのだろう。

「ヒーターが焚きっぱなしになってる。 あと、中は見ない方が良い」

「……」

言われなくても、入りたくない。

中から大量のゴキブリが出てきた時点で、結果は明らかだ。

なお、ゾンビ化しているかどうかを確認したら。していると言われた。となると、不自然に死んでいたと言うことだろう。

むわっとした熱気が遅れたように吹き付けてくるが。

それだけで、此処にはもう誰も生きていないと分かるのだった。

次。

軍で確保したセーフハウスを確認する。

発電機もあるので、それが動くかを、指示通りに順番に確認。ガソリンについても、近くのガソリンスタンドで手段を何段階か経て補給する。

軽の筈なのに、ガソリンを大量に入れられるのは。何というか、米国仕様だからなのだろう。

体が大きい米国人というイメージがあるが。

実際には、一部を除くとあまり日本人と平均身長は変わらないらしい。

桁外れに大きい人もいるが。

しかし実際の所は、そこまで巨体を誇るわけではないようだ。

でも、大きな車に人気があるのは。

やはりマッチョ文化故、なのだろう。

奈木にはよく分からないが。

ともかくガソリンを補給。

セーフティハウスの電源を入れ。

そして内部が安全なことを確認してから、荷物の出し入れを行った。カルネの話だと、これから数日の拠点が此処になるという。

此処が駄目なら、次は都心に順次向かって行くことになるとか。

前は東に東京を目指していたのだが。

今度は西に東京を目指すことになるとは。

大きな溜息が零れてしまう。

運命が好き勝手に奈木を翻弄しているのが分かるし。それに後に一人で静かに暮らす、という約束を取り付けたとは言え。

それをカルネが守る保証も無い。

カルネはかなり頭が切れる。同年代で大学教授までやっているのだから当たり前だ。

だが、そんな奴だからこそ、油断は出来ない。

価値観も違うだろうし。

その気になれば、平然と掌を返すだろう。勿論今も、奈木はカルネを信用などはしていない。

安全確認が終わった後は、順番に可能性がある場所を見ていく。

かなり大きなビルに出た。

シャッターが降りているが。内部のテナントが恐らくホビーやアミューズメントばかりだったのだろう。

ゾンビが近寄った形跡が無い。

此処に籠城した可能性がある、ということか。

しかも熱源もあると。

裏口に回る。

此処はちょっとバールでは無理か。

蹴りを叩き込んでみるが、ゲームみたいに蹴破る事は難しい。それを見て取ると、すぐにドローンが来て交代。

多分複数の用途のドローンが、近くの軍基地にストックされているのだろう。

バーナーで、ドアを焼き切り始める。

ほんの五分で、恐らくゾンビに対しては鉄壁の要塞だった裏口が開いて。奈木は中に入る。

そういえば、カルネも前に比べてかなり無口になっている。

ただカタカタスピーカーの向こうで音がしているので、ずっと多数のドローンを操作しているのだろう。

英語で会話らしいのも聞こえるから。

向こうは苛烈な仕事をこなしている、と判断して良さそうだ。

ビルに入ると。

目を細める。

上の方でごそごそと音がする。誰かいる可能性が高い。ただしそれが生者とは限らない。ドローンと一緒に移動。電源は死んでいて、いわゆる防犯装置も当然動いていない。そうでなかったら、今頃警報とか鳴っていただろう。

無言で移動を続け、店舗に出る。

ゲームがかなり陳列されている。カルネがワーオとか言った。リアルで言う奴は初めてである。

「此処、潰さないようにしないと。 宝の山だ」

「日本のゲーム好き?」

「大好きだね。 ビデオゲームをヒットさせたのはボクの国のアタリだが、育て上げたのは日本のNESだ。 そっちではファミコンって呼ばれてる名機だ」

「……そう」

アタリというと、あれか。最初のゲームバブル崩壊を引き起こした。その一連の事件、アタリショックという言葉は奈木も聞いた事がある。

ゲーム業界を壊滅的な状態に追いやった大事件だそうで。幾つかの酷い出来のゲームが発端になったが、実際にはバブルの過熱の結果それらが引き金になったにすぎないらしい。カルネに聞いた事を覚えている。それだけだ。

まあ、興味が無いので、それはいい。棚などの影に何か潜んでいないか確認しつつ、薄暗い部屋の中を確認。

バックヤードを見て回るが。

少なくとも一階に、誰かが立ち入った形跡は無い。

そも地面に埃が積もっている。

人間が動き回る場合、こうはならない。

二階に上がるが、階段を使う。エレベーターは死んでいる。

二階にもテナントが入っているが、食事処などはなく、とにかくエンタメやホビーに特化したビルだった様子だ。

此方は本屋。

特に漫画を中心に扱っているものだったらしい。

新刊が乱雑に積まれている。多分、最後の新刊だったのだろう。このまま人類が滅ぶ可能性がある事を考えると。

此処の新刊が。

或いは人類が残した、最後の本になるのかも知れない。

棚が兎に角多いので、奇襲が怖い。棚ごと倒してくるかも知れない。

ドローンは天井近くに入りついて、周囲を見てくれるが。それでもどうしても死角は出てくる。

ゆっくり移動して、確認を続けながらバックヤードに。

バックヤードには、慌てて逃げ出した痕跡があったが。

それ以外には、何も無かった。

三階も同じような本屋。

四階は空のテナント。

五階は事務所だが。熱源は此処らしい。だが、どうも可能性は薄いなと、奈木は思っている。

今までの階に、降りてきている形跡が無い。

五階は事務所で、オーナーなどの部屋がある様子だが。これでは多分、人間はいないだろう。

奥を確認する。

オフィスはひんやりとしていて。

とてもではないが、誰かがいるようには思えない。

ドローンが先行して見て回るが、誰も隠れている様子は無いし、熱源もないという。

そうなると、奥のオーナーの部屋か。

其所だけマンションのようになっていて、生活空間がある。

生存者が潜んでいる可能性は、極小だがないとはいえない。

また、ドローンがドアを焼き切る。

そして入り込んだドローンが確認をし、そして奈木が内部にゆっくり入る。ドアを蹴り破ろうとすると、色々と問題が起きることが多いのだ。静かに、内部に入り込む。内部はしんとしていたが。

不意に何かが動いた。

バールを降り下ろそうとしたが、止める。

飛びついてきたのは、やせ細った犬だった。

多分血統書付きのラブラドールだろう。だが、エサが足りていないのか、露骨に痩せこけている。

エサをくれ。

そうねだっているのが分かるが。さてどうしたものか。

「慣れているようだけれど注意して。 狂犬病は気にしなくて大丈夫だとは思うけれど、噛まれるとどんな感染症になるか分からない」

「分かってる」

「……熱源を調べて」

「……」

奥に入る。

エサを自動でやるシステムがあって。エサが空になっていた。

奥の方には、発電機があった。

多分途中の階で売っていた、自家用のものだろう。これにわずかに残った燃料が、多少稼働していて。

それが熱源になっていた様子だ。

自宅にサーバを構築していたらしく。

ドローンの指示のまま、ガソリンを持ち込んで、発電機を再起動する。そしてそのまま、サーバの電源を入れ。

ドローンの指示でUSBケーブルをつないで、カルネが情報を吸い上げた。

その間に部屋を調べるが。

人間は見当たらない。

どうやら、犬を残して、さっさと逃げたらしい。

馬鹿な奴だ。

犬がいてくれれば。鋭敏な嗅覚を利用して、色々と役に立ってくれただろうに。カルネに道中聞かされたのだが。人間は三世代での生活を始めた事、更には犬を飼い始めた事が決定的な切っ掛けとなって、他の生物に対する優位性を得たと言う。

燃料補給のついでに、犬の餌も確保。

軍用犬用のものがあったので、それを拝借した。

尻尾を大喜びで振りながら、犬が餌を喰らっている間に確認。幸い、予防接種は各種を受けている。

近年は反ワクチン運動だとかで、犬にワクチンを打たない阿呆がいるらしいが。

幸い、この犬の飼い主はそうではなかった。

ただ、阿呆には変わりは無い。

犬はそもそも、唯一人間に寄り添ってくれることを選んだ生物だ。他の愛玩用生物とは一線を画している。

一緒にいれば、色々と役に立っただろうに。

もっとも、飼い主が無事だとは思えない。

犬が行儀良くイヌ用トイレで糞をしているのを見て、奈木はげんなりした。

あのトイレも持って行ってやらないと、色々面倒だろう。

カルネは喜んでいた。

西洋圏の方が犬を可愛がると聞いていたが。どうやらそれは事実らしい。

「サーバからデータは吸い上げた。 めぼしい情報は無いが、此処にもゾンビパンデミックが来そうだとか、SNS関連の書き込みのキャッシュが残っている。 幾つかのアカウントを使い分けていた様子で、店の宣伝をするアカウントと、自分用のアカウントで色々情報を発信していた様子だが……有益なものはないね」

「じゃあ次だね。 犬は連れていくの?」

「このままだと野犬化するから、その場合はまとめて焼き殺さなければならない。 人間になついている犬は貴重だ。 保護しよう」

「はいはい」

本音が透けている。

そう指摘しようと思ったが、助けられる命なら助けた方が良いだろう。

奈木は額の汗を拭うと、発電機を落とす。これはどうするかと聞くが、別にいらないと言われたので。

電源だけ落として、外に出た。

流石にゲーム屋のバックヤードを漁ってほしいとか、カルネは言い出さなかった。今の状況から考えて、ゲームを遊ぶ余裕は流石にないのだろう。

カルネみたいなタイプは、相当なヘビーゲーマーだろう事は簡単に奈木にも予想できる。

色々葛藤はあるだろうけれど。

此処は我慢して貰うしかない。

犬はついてきた。

血統書によると、なんかしゃれた名前がついていたが。とにかく発音しにくい。余所の国のブリーダーが販売したらしい。

相当な金持ちだったんだなと。どうせゾンビ化しただろう飼い主のことを思うが。

もう、どうでも良かった。

自転車の後部座席に乗せると、案外上手に乗る。

落ちるなよと言い聞かせて、そのまま一度セーフティハウスに戻った。

次の地点を探す。

次は、人間を見つけたい。

 

カルネは極端に無口になったが、指示は出してくる。恐らく向こうでトラブルが起きているなと奈木は思ったが、口にはしない。

犬には軍用犬用の首輪をつけて、エサを食わせて。側にトイレも置いておく。

次に移動する時には、連れて行ってやる。

そう言い聞かせると、ある程度はわかるのか、喜んでいた。

だがこの犬、連れていく途中で気付いたのだが。どうも妙に奈木に最初からなついている。

ひょっとして、だが。

前の飼い主に虐待でもされていたのではないのか。

カルネはSNSのログを見たようだけれども。其所に色々書かれていたとしても。奈木にしる方法は無い。

まあ、犬に気を取られている暇は無い。

とにかく、アンジュバルグとかいうわかりにくい名前なので、アンジュとだけ呼ぶ事にして。犬もそれで反応したので、それで今後は通す。

何かの役には立つだろう。

ただ、現時点では元気がないので。大洗を探索する数日の間に元気を取り戻して貰って。次くらいから一緒に活躍してほしい所だ。

次のターゲットは、比較的大きなモールだ。ゾンビが殺到して、手当たり次第に食い物を漁った形跡が露骨過ぎるほどに残っている。普通の人間だったら、瞬く間にゾンビ化するなと、奈木は思う。

ゾンビ化しない、いや恐らく極端にしにくいだけだろうが。

そんな奈木は、そもそも体に致命的な欠陥を抱えているわけで。

究極まで殺人に特化した存在の中で、それが故に動けている。それも絶対では無い可能性が高い。

このモールの奥の方に、妙な反応があると言う。

カルネも多分、ドローンをこき使って、彼方此方を調べているのだろう。世界中の彼方此方を。

奈木はその切り札の一つと言う訳なのだろうか。

まあ、今は雑念を払い。

活動するだけ。

奥の方の店舗に、ゾンビが殺到しなかった形跡がある店がある。どうやら食い物を扱っていなかったらしい。

周囲には、ゾンビの残骸。

コンクリに染みついた腐汁や人骨などが散らばっていたが。

それも鴉や鼠に囓り尽くされている。

無事だっただろうゾンビも、既に海に投身済み。

今気にしなければならないのは、不完全な状態で、身動きできなくなっているゾンビに、奇襲を食らう事だ。

人間に襲われることは、ほぼ想定しなくてもいい。

店に入る。

ひんやりとしているから、ゾンビを警戒する必要がある。

どうやら土産用の細工物を売っていたらしい。それも、アニメ関連のグッズのようだ。大洗は幾つかのアニメの「聖地」になっていたらしい。アニメ関連のファンはとても金払いが良く、素行も普通の観光客を凌いでいたそうだから、偏見さえ持たなければ普通に良客だったと聞いている。

大洗はそんな良客を歓迎して、かなりの収益を上げていたらしいが。

やはりいわゆるアニメ関連のファン、いわゆるオタクは世界的な迫害に晒されている事に変わりは無い。いや、晒されていた、か。

クラスでも、大洗の悪口を言っている女子を見た事があったか。

キモイのがたくさん集まってるらしいとか言いながら、ゲラゲラ笑っていたっけ。

全員ゾンビ化して、もっとキモくなったのは自業自得と言うべきか。

そもそもキモイという言葉自体が不愉快だったので、まあゾンビ化して何の感慨も湧かない。

奈木も猿呼ばわりされていたし、スクールカースト上位の連中から目をつけられていたから分かるのだ。

肩身が狭い思いをしている人間の事は。

店の中にドローンが入る。

カルネは目移りするとだけ言ったが、それ以降はだんまり。多分何のグッズか知っているのだろう。

奈木には分からないが。

それをキモイとか言うつもりも無い。

誰かにとっては大事だった。それだけで尊重しなければならない。スクールカースト上位にふんぞり返っていて、社会に出てから一切通用しなくなり、自称フェミニストになって狼藉の限りを尽くす連中と奈木は同じになるつもりはない。

影を特に注意する。

ゾンビに噛まれたら、動けなくなるかも知れない。

今の時点では多分平気だとは思うけれど。

しかしながら、あまり良い気分はしないし。それに、絶対に無敵だ等という保証だってない。

腐臭はないから、ゾンビはいないとは思うのだが。

カウンターの影から、奥を探す。

何かいる。

腐臭ではない。これは汚物の臭いだ。

ドローンに向けて頷くと、奥へ。周囲を見回すが、あまりこれといった目立ったものはない。

ゆっくり、奥に入り込むと。

ベッドに寝込んでいる何かを見かける。

老人だ。

この店を、一人で回していたのだろうか。

周囲を確認。何か他に隠れているかも知れない。ドアを開けてここに入ったのだが。ドア自体にはひっかき傷もあった。ゾンビはドアを突破出来なかったのだ。

ドローンが即座に確認。

「お手柄だよ奈木。 衰弱しているけれど、生きている」

「なら、私が触らない方が良いね」

「その通り。 奈木は大丈夫でも、奈木自身は汚染されている可能性が高い。 此方ですぐにドローンを手配する」

どうやら、殆ど瀕死のようで、すぐにドローンが来る。

車も自動で来た。確保してあった大型車らしく、病人を搬送するストレッチャーもあった。

看護師もいれば完璧だったのだろうが。

流石にそれは無理だ。

ストレッチャーに老人を移すのを手伝う。

水も食糧も殆どとっておらず、糞便も垂れ流しだったが。かろうじて生きていた。

どうやら籠城していた所で、水も食糧も尽き、瀕死にまで陥っていたらしい。

この状況における、極めて貴重な生存者だ。

とにかく、生き延びてほしい。

すぐに水分を補給。栄養の点滴も刺す。大型車が移動していく。病院に搬送するのだろう。

大きな溜息が出た。

カルネが、ドローンごしに褒めてくる。

「ざっと見たけれど、多分重度の病気持ちで、それで生きていたタイプだね。 応急処置をした後は、軍基地でコールドスリープしてもらう事になると思う」

「それ、実用化していたの?」

「軍事で実用化していても、民間に降りていない技術って結構あるんだよ。 勘違いされている事も多いけれど、軍事由来の技術は彼方此方で転用されてる。 新幹線なんかにも戦艦とかを作る時のノウハウが生かされてるし、車いすの材料のジュラルミンは有名な零戦などのノウハウがそのまま使われているからね」

「……」

そうか。

カルネは嬉しそうだが。

此方としては分からないので、そうかとしか言えない。

「ただ、軍事機密になるから、充分に練られた後民間に降りてくることが多いね。 まあこんな状態だから、もう機密も何も無いんだけれどさ」

「……」

「奈木は相変わらず無口だなあ。 ボクとしては同年代の人間と色々話したいんだけれどね」

言葉からカルネの孤独を感じたが。

自分の腹を開けた相手を、あまりそういう風に友達っぽく接したくないというのもあるし。

何より奈木の中にある強い人間不信が、カルネのような他人にぐいぐい行くいわゆる陽キャを拒絶している。

カルネは基本的なスペックが異常に高い上に、社会的にもガンガン活躍している人間である。

日本では、「内向的」というだけで社会的に死を迎えているのと同じ。多分海外でも似たような傾向はあるはずだ。

だから、どうしてもカルネには心を許しきれない。

咳払いすると、カルネはしばらく黙る。

多分また何か揉めているのだろう。五分ほどしてから、次の指示が来た。

「次の場所にナビするから向かって。 生存者は、一人でも多く助けたい」

「……分かってる」

移動を開始。

思ったよりもこの大洗という場所。

生存者を発見できるかも知れない。

 

3、眠れ

 

カルネは、大洗と他の場所の調査を同時にこなしていたので、かなり頭を使っていた。途中でチョコレートを何度も口にしたが。糖分が薄くて頭の働きが悪い。とりあえず、大洗で見つけた老人の生存者は、やはり調べて見ると癌だった。間違いない。体が弱っているほど、ゾンビ化しにくいのだ。

だが、そもそも生殖能力が先天的にない奈木のような特例。致命的な病気を持っていなければゾンビ化しないという条件がつくのでは、人類に未来は無い。

ゾンビ化する条件の一つが分かっただけに過ぎず。

今後は更に、研究を進めていかなければならない。

新しい病気が出た場合、ワクチンが開発されるまでには、ゾンビパンデミック前でも一年はかかった、という話がある。

今の状態だと、更に時間が掛かる可能性もある。

情報共有をして。

完全に仕組みさえ分かれば。

或いは人類が滅ぶ前にワクチンなり対抗手段が確立できる可能性もあるが。

いずれにしても、残り少ない人類をどうにか救うためには、ある程度の自動化も必要になる。

だが、AIの研究は、民間の人間が思っているほど進んでいない。

猫の映像を判別する、というだけでAIは相当な労力を必要とした。

今も全自動で動く車の研究が行われているが。

これだって、車が行き交っている状態ではとても使えたものではない。

セントリーガンにしても、ほぼ無差別殺戮兵器状態で、実際には前線に投入されていない。フレンドリーファイヤが怖かったからだ。基本的に前線を構築するための兵器であって、乱戦の中敵味方を的確に識別して戦える性能は持っていないのである。

これに関しては、自衛隊の駐屯地防衛戦で活躍した装甲車も同じ。

そういうものなのだ。

レポートを書き上げる。

会議の回数を減らしたいと提案したいが、今世界の状態を共有し続ける事はとても重要だ。

だから、レポートはわかり安く。

要点を全て詰め込み。

可能な限り短時間で会議を終わらせ。

そして負担も小さくしなければならない。

あらゆる面での苦労が強いられるが。それでもやり遂げなければならないのが辛い所だ。

会議にレポートを持って出る。

生存者を確認したことを報告。調査した地域についても。

副大統領は、もう入院するべきと言う顔色である。文字通りの土気色だ。ここまで来ると、マッチョ文化が基本の米国では、副大統領である事に不的確であるとかマスコミが騒いでいたかも知れない。

まあもうマスコミはいない。

どうでも良いことだ。

「データを生かしてほしい」

「分かっております……」

医療班もレポートを出す。

やはりどうやら、ゾンビ化の原因物質らしきものが分かってきたという。どうやら蛋白質ではないようで、体内で爆発的に増加するようなのだが。問題がやはり出てくる。そもそも、人体で培養できるものではない、ということなのだ。

何故これでゾンビ化するのも分からないが。

この爆発の火種。

感染源となる物質が、どう考えても人体内部で生成されるものではない。

やはり寄生虫か何かが関与している可能性が高い、という研究成果だった。

しかし、既に確保されている何名かの生存者を調べても、共通した寄生生物は存在していないという。強いていうなら顔ダニやミトコンドリアとかだが。それだと、そもそもなんで今までゾンビパンデミックが起きなかったのか説明がつかない。

まったく未知の、何か検査しても見つかりづらい寄生虫が。

例えば検査しにくい脳などにいる可能性が高いと医療班は説明。

しかしながら、ゾンビの解剖結果でもそれは見つかっていないし。

何よりも、そもそも寄生虫なのかさえ分からない。

いずれにしても、それがどういう形でか人間に感染し。そして二次的にゾンビ化を引き起こしている。

それはほぼ確定だと、医療班は説明した。

副大統領は、頷いたが。

それでどうすればいいと聞かれると、医療班は黙り込むしかない。

まあそうだろうなあと、カルネは呆れた。

いずれにしても分かった事がある。

何か寄生虫か、もっと小さい者か、或いは何か良く分からない存在が体内に潜り込んでいるとする。

そいつが空気中にある何かと反応するか、或いは特定の条件を満たすと、ゾンビ化するための物質を大量生産する。

出所は分からない。

体に欠陥がある場合、それが起こらない。

つまるところ、ゾンビ化しにくい人間は、徹底的にゾンビ化しない。ゾンビ化しやすい人間は、基本的に何をやっても防げない。

それが現状だ。

陽圧室の仕組みを取り入れていたシェルターでも、容赦なくゾンビ化は引き起こされているので。

単純なウィルス性の空気感染の可能性は低いと判断されていた。

奈木の体を調べたデータを散々今洗い直しているが、生殖機能の先天的欠如という条件が、どうしてゾンビ化物質の量産につながらないのかがどうしても分からない。

医療班は殆ど寝ずに調査を続けている様子だが。

それでも分からないと言う事は。

或いは人類の現在科学では、対応のしようが無い代物なのかも知れない。

もしその結論が出た場合はどうするか。

考え込んでいると、副大統領が口を開く。

「医療班の一部を分ける」

「は……はあ」

「生存者のDNAは確保していると思う。 カルネ君、君も協力してほしい」

「はい?」

何を言い出すかと思ったが。

副大統領は、もはや怨念すら感じる声で言った。

「最後のセーフティネットを作る。 軍用クローンの施設は確保していたな。 其所にゾンビ化しなかった人間のDNAを蓄積してほしい。 デザイナーズチルドレンは作れないだろうが、広中奈木をまた作り出す事は可能なはずだ」

息を呑む声が聞こえた。

要するに、副大統領は、いま生きている人間が全滅するケースを想定し始めた、という事である。

医療班が立ち上がろうとしたが、側にいた中佐が止める。

「軍事基地は徹底的に要塞化を。 今残っている合衆国本土の自立兵器を全て集めてほしい。 カルネくん、生存者捜しのリソースを四割、其方に割いてくれないだろうか」

「……分かりました」

「あらゆる現在科学の知識も、其方に蓄えてくれ。 幸い広中奈木は調査の結果、かなりの高IQである事も分かっている。 教育を間違えなければ、知識をそのまま無駄にすることも無いだろう。 最悪、広中奈木をクローンし続けながら、対処法を一人で産みだして貰う事になるかも知れない」

壮大な計画だが。

まあ何というか、最後の手段とも言える。

「燃料の類も可能な限り其方に回してくれ。 候補基地などは選出を任せる。 米国の最後の力を注ぎ込んで、人類の未来を作る計画は現在進行中だが、もはやセーフティネットを作らなければならない状況だ」

ああ。何となく分かった。

カルネには、副大統領の心理が理解出来た。

医療班は無能では無い。

それについてはカルネも同意だが。

それでも能力的に厳しいと、副大統領は判断したのだ。

そして既存のセーフティネット。多くはシェルターなどだが。それらは役に立たないとも、副大統領は判断した。

「遺伝子データバンクの資料も其方に移してくれ。 最悪の場合、数千年単位で広中奈木によって研究を進めてもらい、その後人類を再生しなければならないかもしれない」

「……」

「私はもう長くない可能性が高い。 いや、此処にいる皆がそうだろう。 これは最優先計画だ」

「分かりました……」

肩を落とす医療班の面々。

カルネも死ぬ事は覚悟していたが、こればっかりは仕方が無いとしか言えない。すぐに、作業に取りかかる。

奈木にも指示を出す。

米国に残っている全ての軍事基地を調査はしてある。

クローン技術を行える基地もある。

まだ未熟な技術だが、一応クローンで子供は作れる。先天的に子供を作れない奈木も、細胞のデータから子供を作るという方法ならやれる。問題はその後。奈木のデータは既にとってあるから、もうクローンは作成開始した方が良いだろう。クローンがまともに動けるようになるまで、最低でも数年はかかるのである。クローンの急速発育は、まだ技術的に実現していない。いきなり高い軍事教育を受けた大人のクローンは作れない。戦場を屈強なクローン兵士が席巻していない理由だ。

それにしても、だ。

昔は何処の国でも、子供が作れない人間は価値なし、とされていた。

だがその価値が、世界そのものをひっくり返した事になる。

人間は子供を作れない人間に、最後の希望を託さなければならなくなったという事か。色々な意味で苦笑するしかない。今まで、子供を作る能力がなかった人間を、散々迫害していたくせに。

まさに人間という種族に対する、強烈極まりないしっぺ返しとも言えた。

工事の予定は頭の中で組み立てて、即座に出力する。といっても、出来る事が少なすぎる。軍事基地の廻りに、現在出来るだけの無人兵器を配備する。燃料や物資を輸送する。簡単なデータサーバを構築する。せいぜいこれくらいしか出来る事がないので、ぱっぱとやるだけの事だ。

すぐに作業を開始する。

奈木に連絡。既に夜になっていたが、奈木は途中にも連絡を入れてきてくれていた。四ヶ所が悉く駄目。後二箇所あるので、明日探すという。

それで良いと告げる。

夜に動くのは、現状色々と厳しいからである。

犬はやはり元の飼い主に虐待されていたのだろう。奈木にはもうベタベタに懐いていて、とても微笑ましい。

最近野生化した犬をドローンで焼き殺してばかりだったので。

本来犬が嫌いでは無いカルネとしては。正直奈木の立場が羨ましい。

ため息をつくと、作業を進める。

ある程度形になるまで、今夜は休む事は出来ないだろう。それと、米国の近くに停泊していた第三艦隊からは、指定の基地にありったけの余剰物資を投下させる。第三艦隊の司令官は不思議そうにしていたが。この作戦については、流石に知らせるわけにはいかない。

対空防御システムは必要ないだろう。

ただ、船はいる。

もしも最後の生存者が奈木だけになった場合には。クローン達の育成者として、奈木に活動して貰いたいからだ。

遠隔操作で動かせる船は限られている。

軍港に何隻かあるが、いずれも厳しいロックが掛けられていて。奈木に其方に行って貰うのは、最後の手段になる。

また、その船にも食糧などは積み込んでおかなければならない。

クローンの最大の問題点は、遺伝子がどんどん劣化していくことにある。

要するに、奈木自身にはコールドスリープして貰い。

本人の細胞を時々取りだして、其所からクローンをしていく事になる。

本来は、現状クローンの作成に一体一千万円以上掛かる。

これもまた、軍事クローン技術が、まだ世界を席巻していない理由の一つだが。

もう金に価値は無い。

そういう意味では、この計画そのものは、実行に移しやすかった。

複数の場所で、複数の作業を開始。

勿論生存者も探すが、同時に軍事基地への集約作業を優先して開始する。奈木には大まかに生存者の居場所を伝えて。それを探して貰う。

そして、最悪の時に備えて。

一定時間奈木と連絡が取れなくなった場合。つまりカルネがゾンビ化した場合に、奈木にメッセージが行くようにしておいた。

後は、準備をしておけばいい。

副大統領は諦めかけている。

医療班はムキになっているが、やるべき事は進めている。

他の生き残りに、この計画については教えない。ただ、宇宙ステーションにいる六人には、何かしらの手段で、地上に降りてきて貰うかも知れない。ただし、降りれば即ゾンビ化確定だ。

可能な限り軍基地近くに降りて貰い。

すぐにコールドスリープして貰う事になるだろう。

翌朝から、集約作業が始まる。

米国西海岸の軍事基地の一つ、ヘイメル軍事基地に集約作業を開始。大型無人機を利用して物資を輸送すると同時に、陸路も使って、AIを搭載した車によって物資を大規模輸送し始める。

海路も用いる。

沿岸基地というのが、この場合は助かる。

内部にあるサーバにアクセス。

いずれもが軍事用サーバだが。

これだけではちょっと足りないか。他の基地から、物資としてサーバを搬入。簡易のデータベースサーバとファイルサーバに仕立て、ネットワークに組み込む。この辺りはマクロで簡単ポンに出来るようにはしてある。伊達に博士号までとっていない。自宅には相応の環境もある。自宅にある自作PCを持ち出したい所だが。そもそも自宅が爆撃された区域にあるので、もう残っていないだろう。

秋葉原にも行って見たかったなとぼやくが。

今行っても何も無いだろう。

これから、画期的な発見がある可能性はある。

だが、副大統領が決断したように。

もう人類は駄目である可能性が極めて高い。

各地の生き残っている人間に、電源を確保するように指示。可能な限りの燃料が必要になるとも。

今の人間の数なら、数万年単位でどうにか出来る燃料ならある。

それぞれと連携を取りながら、燃料を集めて貰う。滅んだコロニーからも、燃料を集めて貰う。ゾンビ化のリスクを懸念する声も上がったが、集落の近くに集めるだけで良いと指示。

まだコールドスリープについての指示は出さない。

彼らを見捨てる訳では無い。

コールドスリープについてもらい、生き残りに賭けて貰うのである。

人間の文明を毛嫌いしている奈木に全てを託さなければならないという危険性はあるのだが。

現状健康で。

しかも動ける人間が、奈木しかいない。

文字通り、土下座してでも奈木に頼むしかない。

皮肉な事この上ない話だが。

人間は破滅を免れるために。「社会性がない」「生意気」「態度が気にくわない」と自分のお気持ちで散々罵倒していた相手に対して、土下座をして命乞いをしなければならなくなったのである。

失笑ものだ。

カルネだって、人間の愚かさには散々愛想が尽きていたが。

これほどの皮肉な結末があるだろうか。

奈木から連絡が入る。

二箇所を確認。一箇所目は駄目だったが。二箇所目で発見があったという。

「残念ながら死んでいるけれど、これは死んだばかりだね。 蛆も湧いていない」

「そうか……遅かったか」

「でも、ずっと眠っていたんだと思う」

裕福な家庭だったのだろう。

寝たきりの状態で、家庭で生命維持装置をつけられていたそうだ。

まだ生命維持装置をつけられてはいたようだが。

それでも亡くなったという事は。元々そう長くは無い命だった、ということだ。そして無菌室状態で。

ハエなどが侵入する余地もなかった、という事である。

「貴重なサンプルだから、回収する。 それから、続けて品川に移動してもらうから、準備を始めて」

「一気に品川?」

「少し計画を早めなければいけなくなったから。 後で詳しく説明するよ」

「……分かった」

奈木は気付いたはずだ。

あれだけの状況で、鋭い勘を発揮して、米軍の指揮するドローン部隊から巧みに逃げ回った程の凄腕である。

下手をすると、逃げる事を考え始めるかも知れない。

流石に今逃げられると極めてまずい。

先に、全てを話しておくべきか。

いずれにしても、準備を始めてくれている奈木。品川のセーフハウスは既に準備が整っているので、其方に移動する途中、で良いだろう。

貴重なサンプルをドローンで回収しつつ、奈木には移動の準備をして貰う。かなりの物資を順番にヘイメル基地に集める。それと同時に、横浜にある軍港に、沖縄にある基地から遠隔操作可能な無人輸送船を移動させる。この輸送船は都合が良い事に大量のレーションを積み込んでいる。

操縦者向けの生活設備もある。

ただ、内部にゾンビが数体いるから、先に駆除がいる。まあ、横浜に着いてから、ドローンで焼いてしまえば良い。

ヘイメル基地に、第一便の航空輸送物資が届く。

輸送用の巨大な航空機が開き、どんどん周囲にAI制御のセントリーガンと装甲車を展開。

ヘイメル基地は空軍用の滑走路もあり、ヘリも各種多数いる。AI制御に対応はしていないが、世界最強の戦闘機F22が4機、後継機のF35が10機いる基地でもある。

もしも奈木がある程度人類の復興の見通しを立てたら、此処を起点に各地に移動することが可能になる。

基地内にゾンビは既にいない筈だが(誘引電波でおびき出したので)、それでもドローンでの調査。

案の定、身動き取れなくなっているゾンビがいくらかいたので、焼き払って処理しておく。

車での輸送分が来る。

大型車両のAI制御は難しく、あまり輸送に使える大型自動制御車両は多く無い。あくまでAIを組み込んだのは、装甲車やセントリーガンなどの純軍事用が先立ったのだ。軽自動車の奴は、あくまで実験的で。しかも各社自動車企業から、データをフィードバックし、軍でカスタマイズしたものである。

サーバを組み立てる。

一番気を遣うのは、情けない話だが、サーバの配線廻りだ。

ドローンのロボットアームでは、どうしても厳しい。自分の手でやればすぐに終わる作業が、時間が掛かって仕方が無い。

奈木が、品川に移動を開始する。

そのタイミングで、話をしておく。

「品川の後は、都心に。 その後は横浜に移動して貰うんだけれど……横浜が駄目だった場合には、米国本土に来て欲しいんだ」

「カルネと合流するの?」

「いや、ボクは多分駄目だと思う」

「……話してくれる?」

勘付いているか。

移動中の車に乗っている奈木に、軽く話をする。隣でオペレータが不安そうにしているが。

奈木は今後人類最後の希望になり得るのだ。

映画なんかではラストホープという言葉がたくさん出てくるけれど。現実的な意味での、本当のラストホープは彼女が人類史上初ではあるまいか。

クソみたいなスクールカーストで、彼女はストレスを激甚にため込んでいた筈だ。自殺していなかったことは本当に良かった。

もしそうなっていたら。

もうとっくに人類は詰んでいた。

スクールカーストとか言うクソみたいな因習は、下手をすると人類を滅ぼす所だったのだ。

今後のために、それは記録をしていかなければならないだろう。

簡単に説明を行い。

現状、研究を最大限の速度で進めているが、どうも解明と防止方法の確立には間に合いそうに無い事。

コールドスリープして人体の活動を極限まで抑えれば、ゾンビ化は防げること。

各地の生き残りには、既にコールドスリープを始めて貰う事。

勿論ぎりぎりまで粘ってはみるが、カルネ達もコールドスリープを開始する事。

研究資料は奈木の所に送り。奈木と、そのクローン達で資料を研究し、ゾンビ化の防止を見つけて欲しい事。

それら全てを正直に話した。

此処で嘘をつくのは逆効果。

高IQの上に、そもそも人間を手酷く恨んでいる奈木は、絶対に嘘を見破る。カルネの言葉でも、である。

苛烈な追いかけっこを思い出す。

奈木をあれだけの人間不信に追い込んだ連中と同じ行動を取ったら、また奈木は逃げ出すだろう。

そうなったら、もはや手に負えない。

此方がほぼ限界に近付いてしまっていることを告げ。

そして、協力を仰ぐしかないのである。

話を終えた後、横目で医療班を見る。

ごつい奴もいる。

多分スクールカースト上位にいただろう。結局の所、マッチョ文化では背が高くて筋肉があればもてた。医者になれるほど学業成績が良ければなおさらだ。ああいう連中にとってはさぞ屈辱だろう。自分がずっと信じていて、よりどころにしていたスクールカーストが、人類を滅ぼしかけているのだから。

スクールカーストの依存率は、その上位に所属し、悪しき成功体験を積み重ねた者ほど強い。

ゾンビパンデミックの直前は別の意味で地獄だった。

そういった連中の内、社会に出てから上手く行かなかった輩が、過激派の思想に染まって。

反ワクチンとかエセフェミニズムとか過激派リベラルとか、ろくでもない思想で社会をメタメタにしていたっけ。

連中は既に全部ゾンビ化したから、もうどうでもいいが。

いずれにしても、奈木にはあまり気が進まない筈だ。

「条件はどうなる?」

「……クローンは全て君だよ奈木。 もう既にクローンの作成は始めているが、残念ながらクローンをいきなり大人にしたり、教育をしたりする技術は確立できていない。 君にクローン達の面倒を見てほしいんだ」

「だから、私は一人で静かに暮らしたいんだけれど」

「全てが終わった後……そうしてほしい。 そうできるように此方でも、準備をしておく」

大きな溜息が聞こえた。

奈木は聡明だ。

一世代や二世代で、世界最高の医療班がどうにも出来なかったゾンビ化を、食い止められる訳がないと悟っているのだろう。

その通りだ。

このペースで行くと、仕組みの解明にまだ数年。

対処薬の作成に更に数十年はかかると見て良い。

しかも、世界最高のスタッフが全力で働いてそれだ。

例えば、治療不可能と怖れられた後天性免疫不全症候群、エイズ。ゾンビパンデミック直前には、致命的な病気ではなくなっていたが。しかしその状態に持っていくまで、二十年以上掛かった。

このゾンビパンデミックは、エイズとは比較にならない超危険な病気であり。

現在人間にだけ感染が確認されるからまだいいが。

変異して他の動物にも感染するようになったら、文字通り地球が滅びる可能性が極めて高い。

どうしても食い止めなければならないのだ。

「正直な話、人間を背負わせるだけじゃない。 変異して他の動物にも感染するようになったら、宇宙でも貴重なこの地球の生命が滅ぶ。 もうこの状況から文明を再建するのは不可能かも知れないけれど、それでも何とかしなければならない。 それが、何とか出来うる可能性を持った人間の責任なんだよ」

「それを私がやらなければならない理由は」

「君は周囲のバカが気づけなかっただけで、IQも高いし他の能力も軒並み高い。 つまり出来る。 それだけだ」

「どうしようもないね」

奈木は本当に不愉快そうだった。

もうカルネも、言葉も出ないと言うのが事実だ。

世界各地で、燃料の調達が進んでいる。一部では、充分な燃料が集まった。

コールドスリープの装置を空輸する。

空輸物資は怖いかも知れないが、使い方は簡単だ。それに、この装置を起動し入るまでの間くらいは、ゾンビ化する事もないだろう。

地下シェルターで暮らしている人はそのまま使って貰ってかまわないが。

そうでない人達には、ある程度のシェルターが必要になってくる。

また、まだある程度の人数が生き残っている離島などでは、コールドスリープ装置を自作して貰う。

技術については既に共有済みで。

生産を始めて貰っている。

人間は眠るときが来たのだ。

奈木は全てを聞いた後、もう何度かため息をついた。本当に、度し難くて仕方が無いと思っているのだろう。

気持ちは良く分かる。

そして奈木には、周囲を罵倒する権利がある。そもそも、人間があまりにも身勝手すぎるのは、カルネから見ても同意できる。

奈木を散々迫害してきた文明のために。

どうして奈木が、これから身を粉にして、働き続けなければならないのか。それこそ、理不尽の極みというものだろう。彼女は怒る権利があるし、拒否する権利だってある。だが、奈木は。そうしなかった。

「分かった。 ただし、全て終わったら、今度こそ人間と関わらなくても良いようにして貰うからね。 何百年後かしらないけど」

「うん。 それは約束する」

「それと、サンプルはどうするの?」

「それについては、健康体のクローンを作成する準備が出来ている。 勿論人体全てをクローンするんじゃなくて、いわゆるクローン療法に使うための臓器生成とかで実験が出来るようにしておく」

勿論、必要に応じてまるまる実験用のサンプルも作れる準備はしておくが。

此処では言わない。

というか、奈木ならその内気付くだろう。

引き継ぎが終わった頃。

品川に着く。

酷い有様だ。文字通り、巨大な死の街である。

東京の一端であり。新宿駅などと並んで世界最大クラスの利用率を誇った巨大な駅と、巨大な街。まるでダンジョンとしか言いようが無い複雑怪奇な仕組みの駅は、カルネが見ても把握に時間が掛かりそうだ。それが丸ごと死者の街となったのだ。

文字通りの摩天楼はそのままコンクリの墓所と化している。

ゾンビは既に引きはがし済みだが。それにしても死体の残骸や我が物顔に行き交う鼠や鴉。そして荒らされに荒らされた街。もはや生気は感じられない。燃え落ちているビルも少なくない。

此処からは、最小限の護衛用ドローンと奈木だけで、生存者を探して貰う。

その間に、世界各地の生き残りに、コールドスリープの準備を開始して貰う。

もっとも、どれだけの人数がコールドスリープできるかは、甚だ疑問だが。

展開中の空母打撃群や各国の艦隊には、それぞれ軍港に向かって貰う。

軍港にコールドスリープ用の装置を準備し。

順次それに入って貰う事になる。

情報伝達の時に、それを連絡。生き残った人々の指導者は、皆無言で口をつぐんでいた。まだ生きているかも知れない少数の人間は見殺しか、と叫ぶ人もいたが。もはや、それは諦めるしかない。

勿論ぎりぎりまで努力はする。

そうカルネが告げると、まだ生き残っている、推定三十五万ほどの人々の命のことを考え。

誰もが黙らざるを得ないようだった。

人類は指数関数的に増えていたが。

80億に達していた人間は、たった半年ほどで二万分の一以下にまで減った。既に文明を維持することさえ困難になりつつある。

そして恐らく、もう人類に未来はない。

仮に奈木が頑張っても、世界中に人類がまた文明を作るのは無理だ。生き残った少数で最高効率の文明を作り、宇宙進出すればまだ可能性はあるが。

ロシアの生き残りが提案。

コールドスリープ装置の提供が出来ると言う。

数は十万ほど。

頷くと、米国も二十万ほど提供できると話す。

日本はこれから生産して、一月で十万作れるという話だ。つまり、一月もてばどうにかなる。

とはいっても、この一月で、人口は更に三分の一になっている。

多分全ては使い切れないだろうなと、カルネは内心思った。いずれにしても、口には出来ないが。

これから人類は、眠る準備に入る。

そして、機械類のコントロールは、カルネに回して貰う。

しばらくは滅茶苦茶忙しくなるが。

その分死ぬほど不健康になる。

要するにゾンビ化もしにくくなるはずだ。副大統領なんて、半分死にかけているし、多分ゾンビ化はしないだろう。

此処にいる人間も、負担が小さい人間からコールドスリープして貰う。

ゾンビ化のリスクを少しでも減らす必要があるからである。

八時間ほど掛けて。

世界中の全ネットワークが、カルネの下に集約された。

その間に、可能性がある五箇所を奈木が回ってくれた。

生存者はなし。

少しずつ元気が戻って来ているらしい例の犬、アンジュを連れていきたいと言われたので、許可する。犬が側にいれば、かなり役に立ってくれる筈だ。リードについては、移動中にペットショップを見つけたらしく、其所で確保したそうである。軍用のは少し堅苦しいので、こっちに変えるそうだ。

さて、順番に、残った時間で出来る事をやっていかなければならない。

沖縄から出航した輸送船。

各地の軍港に移動し始めた艦隊達。

こうしている間にも、コールドスリープ装置が間に合わず、届く各地の集落や組織壊滅の知らせ。

負担は、減る様子も無かった。

 

4、静かなる終焉へ

 

ロシアの生き残り達は、軍で確保している小さな島に身を寄せ合って過ごしていた。そして、既にカルネにネットワークを譲渡。

コールドスリープ装置を輸送機で手配すると。

順次コールドスリープ装置に入った。

頑健で。強靭で。優秀な人間。

そう自負していたエリート達。

だが、そういう人間ほどゾンビ化する。それを聞かされたとき、此処に生き延びているロシアの精鋭達は、皆絶望した。

文字通り、今までの人類の価値観が、全てひっくり返された気分だったのだろう。

だが、ロシア人最後の医師であるエカテリーナ=スグラニコフは、別に驚かなかった。

健康だろうがどうしようもない。

そういう病気には、人類はずっと直面してきていたはずだ。

近年ではエイズがそうだったし。

もっと近年ではエボラもそうだった。

健康な肉体。優秀な知性。

お笑いぐさだ。

人間の平均値はそれほど変わらない。何かが優れていれば、その分劣っているものがあるのが当たり前だ。天才と呼ばれる人間は例外なく変人変態の見本市。それを実際にエカテリーナも見て来ていた。

軍人達はもう仕事もない。

順番に先にカプセルに入って貰う。

そしてエカテリーナは、自身にエイズウィルスを注射器で直接ぶち込んだ。

青ざめる周囲の同僚に、エカテリーナは鼻を鳴らす。

「恐らくこれでゾンビ化は起こらない。 私は最後までカルネにつきあうつもりだ。 貴方たちは先にコールドスリープ装置に入ってほしい」

「……分かった。 偉大なるロシアに栄光あれ」

敬礼をかわす。

既に四十を超えているエカテリーナは、若い頃の美貌など既に捨ててしまっている。年齢的にも子供も産めない。

エリートエリートともてはやされ。

あらゆるダーティーな手段で国際社会での競争をして来たロシアの最前線で、色々非人道的な事をして来た。

実はエイズをぶち込まなくても、体は病巣だらけ。

日本ではブラック企業とかいうんだっけ。

ロシアも公務員の一線級は似たような状態だ。ウォッカをかっくらって好きかってしている訳がない。

単に海外に情報を出さなかっただけで。

国内はずっとガタガタだった。

調子が良いように見せていただけだ。

自分以外が全員コールドスリープ装置に入った事を確認すると、カルネに連絡。エイズを体内にぶち込んだことを告げる。流石にカルネも驚いたようだが。鼻を鳴らす。

「今更エイズなんてこわかないね。 治療薬もあるし、そもそもアタシの体内はとっくに病巣だらけだ」

「そうか。 勇気に敬意を表するよ。 サポートを、最後の最後まで頼みたい」

「OK。 そっちの青びょうたんの医者共よりは役に立って見せるさ」

「有り難い」

流石に今のは言いすぎたか。向こうの医療班も死ぬような目にあいながら努力しているだろうし。

もう国も国境もないのだから。

それに、元米国副大統領の決断も正しいと思う。

断腸の思いだっただろうが。

それでも、良く決断してくれたものだ。

カルネもまだ十代だっていうのに、死ぬような思いをしながら、体を酷使して頑張っている。

すっかり美貌を失ったエカテリーナも、少しは手伝ってやろうじゃないか。

今は夏だが。

冬までどうせ掛かるだろう。

ツンドラの地が再び雪に覆われる頃には、多分エカテリーナやカルネ、それにごくわずかなサポートメンバー以外はコールドスリープ装置か、もしくはゾンビ化している状況の筈。

人類の絶滅は避けられないかも知れないが。

そこから再起の可能性があるなら、やってやる。それだけだ。

ウォッカを久しぶりに呷ると、一眠りする。

最後に男と寝たのはいつだったっけ。

忘れた。

仕事が忙しすぎて、それどころではなかった。

ほろ酔いの中、静かになった基地の中で。

エカテリーナは、失笑していた。

 

(続)