白鷲燃ゆる
序、このような時でさえ
米軍第七艦隊旗艦にて事実上のクーデター発生。それを聞いて、カルネは椅子から転げ落ちかけて、反動で頭をデスクにぶつけた。
元々背が高いとは言い難く、しかも手も小さいので。頭を小さな手でぶるぶる震えながら抑えていると、周囲が奇異の目で見てくる。
痛いのだと気付いてほしいが。
まさか笑っているとでも思っているのではあるまいか。
ともかく即時連絡である。
なお、ホワイトホークに第七艦隊は即座に呼応しているわけでは無い。この辺り、第七艦隊の副司令官をしていたフレックス少将(中将になったと自称している)は、其所まで人望があったわけでは無い様子だ。
しかもフレックスは、大統領を自称する事も視野に入れていると公言しているらしく。それこそ、もはやどうしようもないとしか言いようが無かった。
眠ったばかりなのに叩き起こされたらしい副大統領がデスクにつく。
目にはもはや怨念さえ漂い始めていた。
ゾンビが見たら、回れ右するかも知れない。
これでも最大国家である米国の副大統領である。今はもはや世界の規模が一万分の一程度にまで縮小してしまっているが。それでも、この状況では、副大統領は主体的に動かなければならない。
米国の旗艦であるホワイトホークは、事実上米国海軍の代表。
それも、世界に七つも空母打撃群を持つ最強の米国海軍の象徴である。
この時期に。
よりにもよって己の野心を剥き出し、クーデターを行うようなアホに渡しておくわけにはいかないのだ。
そそくさと、提出されるのが。
フレックスの経歴書だった。
典型的なパワーエリートの出身で、確たる武勲もなく、ただコネだけで出世してきた男である。
何一つ目立つ事もなく。
親族の人脈で黙々と出世を続け。
そして誰にも注目されず。その内政界に出る者だとされていた。それを誰も疑っていなかった。
しかしながら、米国ドルどころか、通貨そのものが存在しなくなり。
国そのものが事実上消滅し。
人類が破滅の一歩手前でギリギリ踏みとどまっている今の状況下で。
考えてみればフレックスのアイデンティティ。
世界を動かしてきた経産複合体の黒幕。
コネ。金。権力。
それらの全てが、宙に浮いてしまったのだ。
元々は、元からある金を勝手に浪費しながら無能呼ばわりされ。他の貧乏人が入れない病院にいずれ入り。其所でのうのうと余生を送れる超イージーモード人生に生まれた男だったのだろう。
学生時代のエピソードなどもまとめられているが、高い成績に興味すらないらしく。
裏口入学の形跡もあるが。
そもそも勉強が面倒だった様子で。
金で単位を買ったらしい。
まあ、現状では殆ど情報は出てこないが、数十兆円を簡単ポンに動かせる合衆国の真の黒幕達、パワーエリートの一人である。
仮に殺人を十件二十件行っていたところで。
FBIだって黙らされて、動く事は出来なかっただろうが。
他のパワーエリートがクズ揃いであった事もあって、フレックスは存在そのものが完全に浮いており。
逆に注目されないという、妙な存在になっていた。
どうも事実はそういう事のようだった。
この時点で、色々と言いたいことがある人もいるだろう。実際カルネも、大まじめに勉学して、大まじめに飛び級して、大まじめに大学教授に若くしてなったからこそ分かる。こんなアホを国家の重鎮に据えてバカじゃねーのと。
しかしながら、これでも米国はまだマシな方。
昔はマフィアが強大な権力を振るっていて、アルカポネの頃は推定無罪どころか、まっとうな法ではマフィアを裁くことさえ出来なかった。マフィアが国を乗っ取る可能性さえあった。
それがマフィアの勢力を押さえ込み。
世界最大の経済力と軍事力を維持し続けるに至ったことは。
豊富すぎる物資を考えたとしても、それはそれで立派だ。
どこの国も問題だらけだったのが20世紀。
その問題を抑えきれなくなったのが21世紀。
恐らくだが、ゾンビパンデミックが起きなくても、何かしらの壊滅的な事件は起きていたかも知れない。
そういう世界なのだ。
「分かった。 フレックスに説得は通じそうか」
「無理ですね。 更には現時点で、先任者のカプラン中将の評判があまりにも悪すぎること、更には事実上のナンバー3であった空母アブラハムの艦長フィッキン少将が自殺していたことなどもあって、現状では対抗できる人間がいません」
「かくして世界はバカに核兵器を渡してしまったと」
「……」
カルネがぼやくと。
誰もが睨んできた。
事実だろうに。
だが、カルネが見た所、多分フレックスはそれほどの兵士達を従えているわけではないと思う。
多分簡単な手で逆転は可能なはずだ。
「第七艦隊と通信は出来るのか」
「いや、現状では向こうからのみ通信が出来るように設定されているようでして」
「フレックスが血迷った行動を取ると、下手をするとせっかく構築したネットワークが瓦解します。 それを計算に入れているとは思えませんが、ボクは急いだ方が良いと思いますよ。 どうせ第七艦隊も混乱状態でしょう」
何が言いたいと此方を見る副大統領。
カルネは、親指を立てて、首をすっと斬る動作をして見せた。
「この際ですし、使っちゃいましょうよ切り札。 それに、ホワイトホークが黙れば、多分第七艦隊の統制も壊れます。 その後に再編成すればいいでしょう」
「……今は一人の犠牲も出したくない」
「出さなくてもいけますよ。 フレックスにだけはどの道死んで貰わないといけないと思いますけれども」
「やり方を説明してくれたまえ」
カルネは頷く。
そして、極めて単純で。悪辣な方法を披露した。
とはいっても、フレックスが所属していたパワーエリート達。世界を事実上動かしていた異常金持ち達に比べれば。
とても優しい手段に過ぎないが。
方法そのものが極めて簡単である事を悟った副大統領は、しばし黙り込んだ後。静かに、GOサインを出して。
そして、結果が出るのを此処で見たい、と言った。
どうやら部屋で寝ていてもまるで気が休まらないらしい。
気持ちは分かる。
だから、カルネも頷くと、すぐに作業を開始する。
まず第七艦隊だが。
向こうから通信はシャットダウンしている。
だが、それは第七艦隊に対して。
第七艦隊に搭載しているドローンはそうではない。事実、第七艦隊を経由して、ドローンを操作したりもしていた。
第七艦隊自体も、グローバルホークをはじめとする大型ドローンを有しており。
このドローンに装備されている機能を用いれば。
第七艦隊の兵士達に対するアクセスは可能だ。
後は、真実を話してやれば良い。
フレックスには何もできないし。
それどころか、その行動がタダのアホだと言う事を。
すぐに実行に移す。
何機かいるグローバルホークにアクセス。衛星経由だが、すぐにアクセスはできた。ジャミングは出ているが、残念ながらこういった一部のセーフティが存在している。第七艦隊が乗っ取られたときに備えて、一部の機能にはアクセス出来るようになっている。恐らくそれ自体はフレックスも知っている筈だが。
ドローンへのアクセス機能については、ジャミングで大丈夫だろうと思い込んでいたのだろう。
グローバルホークの整備をしている兵士に話しかける。
スピーカー機能があると気付いて、驚いたらしい兵士だが。
順番に状況を説明。
そして、何よりも。
フレックスはこのままだと、決死隊を編成して、燃料を補給するべく近くの港に給油艇を派遣させるつもりだと指摘する。
勿論そんなもの派遣すれば、乗組員の命は無い。
確実にゾンビ化するだろう。
孤島で生き残っている米軍基地はあるにはあるが。
それらの全てに、こんな大規模艦隊の補給をする能力は無い。
フレックスは第七艦隊で世界を征服して、世界の支配者になるつもりのようだけれども。それには移動する事が必須になる。
元々日本近海にいた第七艦隊を、少し動かすだけでこれだけ消耗しているのだ。
もしも他の艦隊を武力制圧などと言う事になれば。
他の艦隊も必ず抵抗する。
そうすれば、米国海軍同士での戦いになる。
これらを順番に説明していく。
グローバルホークのカメラから確認していたが、数十人の兵士が群がって、話を聞いている。
最初は整備士だけだったのだが。
声を聞いて、集まって来たらしい。
それはそうだ。
いきなり司令官が無体な話をしだして。
そして誰もが困惑していたのだ。
更には、此処の兵士達だって、もう金が何の役にも立たない事くらいは知っている。フレックスがパワーエリート出身だと言うことを知って、激高する者も多いようだった。
「何の苦労もせずに第七艦隊の司令官になるつもりかよ! 銭ゲバ野郎!」
「その上他の艦隊を攻撃するため、輸送艇の人員を使い捨てにするつもりだと……!」
「どうせ必要な犠牲だとか宣うに決まっていやがる!」
「絶対に許せねえ!」
兵士達が見る間に盛り上がっていく。
どうせ現状、フレックスは他の艦との接触を許していないはず。
つまりこの第七艦隊旗艦、強襲揚陸艦ホワイトホークに乗っている兵士だけ扇動できれば、それで充分だ。
後は、グローバルホークのカメラで、様子を見る。
元々フレックスに何だか分からないうちに従っていた兵士達も多かったらしい。彼らに、今の真相を録音させて、艦内に流させる。艦内に情報が流れると、完全に流れが変わった。パニックに陥ったフレックスは、艦橋に立てこもろうとしたが、兵士達の方が動きが速かった。
艦橋勤務の兵士が、フレックスの頭に銃を突きつけて。そして引きずり出してきたのは二時間後。
彼らはみんな知っている。
米国において、パワーエリートがどれだけ暴虐を振るってきたか。
好き勝手に利権を貪り。
大統領さえ好き勝手に操作し。
自分達だけで何もかもを享受して。
貧困層は病院にさえロクに行けない社会にしてしまった。
そんな連中を恨んでいない奴などいないのだ。勿論兵士達は全員そうである。士官にはパワーエリート出身の者もいるが、そんなのは若いうちにすぐに佐官や下手をすると将官に出世する。
一目で周囲の兵士達と違う事が分かる程だ。
フレックスは、パワーエリートの出身者で派閥を作ろうとしていたようだが。
そもそもその前に此方で先手を打たせて貰った。
かくしてフレックスのクーデターは一日で終わった。
日本に三日天下とかいう言葉があるらしいが。
それをも凌ぐ一日天下である。
いや、実質は一日もいかないか。
即座に甲板に引きずり出されたフレックス。何人かの、関係無い士官も、銃を突きつけられて、床に這いつくばっている。
兵士達の目は殺気立っていて。
どうやって殺すか、大声で相談していた。
「仲間を攻撃させようとしていたんだぞこの野郎……第六艦隊には俺の弟もいるんだ!」
「決死隊を編成して、輸送艦をゾンビ共のいる港に行かせるつもりだったとも聞いているが、本当か!」
「応えろ、この野郎!」
コンバットブーツで蹴り挙げられて、フレックスが情けない悲鳴を上げた。
元々坊ちゃん育ちだ。
多分軍に入った後だって、荒事なんて経験したこともないだろう。
裏口入学がまかり通っている状況だ。
殆どまともに勉強したこともないだろうし。それを生かす機会もなかった。
金を異常に集中させると、こういうことが起きる。
その実例が。
今、カルネの目の前にて、繰り広げられていた。
「ど、どうせこの世界は終わりなんだ! それだったら、好きかってしたいじゃないか!」
「そうか、じゃあこっちも好きかってさせてもらうぞ。 此奴を海に放り込め!」
「や、やめろ、やめろっ!」
今、第七艦隊は停止しているが。
しかしながら、それでも着衣泳になる。
此奴みたいなボンボンが、着衣泳の訓練をきちんと受けているとも思えない。
どうせ適当に受けたことにして、その間愛人とでもよろしくやっていたのだろう。或いは、海に人食い鮫がウヨウヨいるとでも思っているのだろうか。
実際に人間を襲う鮫は数種類。
実の所外洋でも、人食い鮫が襲撃してくる可能性はそこまで高くは無い。
勿論いる所にはいるし。襲われたら助からないが。
ざっと調べた所、今第七艦隊が停泊している辺りには、それほどサメの数は多くは無い筈だ。
グローバルホークから音声を流す。
聞き出して欲しい事がある、と兵士達に通告。
兵士達が何だよと此方(カメラとスピーカー)を見るが。咳払いして、幾つか話をする。
「お前達も知っている通り、そいつはアホだ。 昔は金を持っていただけのただのアホがそいつだ」
「そんなのを要職に就けやがって……」
「文句は死んだ先代大統領に言ってくれ」
実際には、先代大統領がそんな事を言われても困り果てただろう。パワーエリート間の権力調整。
それが実際には大統領に出来る事で。
大統領にはそれ以上の権限は無い。
米国内にて蔓延するパワーエリートどもを駆除する力が大統領にあったら。貧富の格差は此処まで拡大していなかっただろうし。何より、こんなアホ共がしれっと高官になることもなかった。
だが、ここは。
死人を最大限に活用させて貰う。
それだけである。
「そのアホを殺す前に、人事を発表しなければならない。 誰かまともな上級指揮官に心当たりは」
「……ホワイトホークの艦長、ミスラ大佐かなあ」
「あの人はまともだな。 たたき上げだしな」
「おっかないおっさんだけど、言う事はまともだ……」
調査してみる。
他の艦の艦長とも差はあまりない。経歴に関してはずば抜けていて、四十年も軍にいる。たたき上げで米国海軍の旗艦艦長に上り詰めるくらいだから、文字通りこの国最強のたたき上げ指揮官だろう。
副大統領を見る。
頷いた。もう疲れ果てていて、死人のような顔だが。
「ならば、君達でその愚かな男をリンチするのでは無く、ミスラ大佐に任せて貰いたい」
「……それも道理か」
「分かった、連れてくる」
「ミスラ大佐に任せるぞ! こんな奴、殺す価値もないしな!」
その言葉が、フレックスに対する最大の屈辱だということは、カルネにも分かっていたが、敢えて言わせる。
本来なら内乱罪で即座に処刑だ。
それがリンチ程度で済ませてやったのである。
すぐにミスラ大佐が来る。
今回の件で軟禁されていたらしいが、凄みのある筋肉質の老人だ。もう少し若ければ、映画で特殊部隊を率いて活躍しそうな風貌である。四角くて強そうな老人だ。ムービーヒーローが年老いたら、こんな感じになるだろうか。
ミスラはフレックスを一瞥すると、周囲の兵士に指示。
「この薄ら青白い若造めに手錠を掛けて、独房に閉じ込めろ。 エサだけは与えてやれ」
「処刑ではないのですか」
「今はこんな輩でも、死なせるわけにはいかん。 ゾンビが発生した僚艦の末路を忘れたのか。 今は、一人でも無駄死にさせるわけにはいかんのだ」
「……分かりました」
兵士達が、悲鳴を上げながらもがくフレックスを連れていく。
独房なんて、閉じ込められたこともなかっただろう。
カメラ越しに敬礼するミスラに、副大統領が告げる。
「これより君を第七艦隊の臨時司令官に任命する。 それにともなって、階級も少将に昇進させよう」
「虚名ですな」
「分かっている。 だが、誰かが虚名を背負わなければならない」
「分かりました。 他の艦長共はいずれも経験が足りない。 この老いぼれが、しばらくは司令官を務めさせていただきましょう」
中々良い人物では無いかとカルネは思う。
副大統領にも物怖じせずはっきり言うし。現状に対する理解もはっきりしている。更には、フレックスを殺さずに場を収め。兵士達に信頼もされている。
本来だったらこのミスラ大佐。多分ホワイトホークの艦長で、軍歴を終えることになっただろう。
大佐以上になると、大体はパワーエリート出身者が独占しているからだ。
それも、コレで終わりだ。
後は、この頑固そうな老人と連携して、少しずつ事態を改善していかなければならない。
第七艦隊との通信復旧。
副大統領が、事態について告げる。そして、新しく第七艦隊の司令官として、ミスラ大佐が就任したことを告げる。今は少将だが。
不満そうな者もいるにはいたが。
フレックスよりはマシだと思ったのだろう。従ってくれる。
後は、此処からだ。
一度、副大統領には休憩して貰う。カルネも、自室で少し休もうかと思ったが。会議が終わると同時に、声を掛けられた。
「緊急事態です」
「今度は何だ……」
「見れば分かります」
連れて行かれて、画像を見る。
乾いた笑いが漏れた。
広中奈木が、拘束を外して、ベッドから立ち上がっている。どうやってあの結束バンドを外したのか。
ともかく、ベッドから自由になった奈木は、じっとカメラを見ていた。
「部屋からは出すな。 催眠ガスも吸わせすぎると体に良くない。 仕方が無い、今度は此方と交渉か……」
間違いなくフレックスより百倍は手強い相手だ。
カルネは、此処からの苦労を考えて、既にげんなりしていた。
1、獅子
結束バンドを調べた奈木は、時間を掛けて、意識がある間ゆっくり少しずつそれを緩めていき。
そして最終的に外すことに成功した。
右手の分を一つ外すと。後は簡単。
どうもカルネはばたばたしているらしく、殆ど声を掛けられる事もなかった。体の中を調べるのも終わったのだろう。
結束バンドを二つ外し、三つ外し。
時間との勝負だと分かっていながら、全て外して、そして栄養の点滴も引っこ抜いた。ちくりとしたけれど、別にどうでも良い。
体には何カ所か開いた跡があったけれど。
もう傷は塞がっている様子だ。
問題はリネンしか着ていない事だが。服とか、途中集めて来た装備とか返してほしい。ともかく、栄養の点滴を外した以上、此処に閉じ込めておけば死ぬ。
別にもう死ぬことはどうでもいい。
人間が滅びるところを見たいと言う欲求さえ生じ始めているが。
それはそれとして、死ぬ事など怖くも何ともなかった。
それよりも、カルネはどう動くかだ。
今、部屋の中で奈木は好きなように動ける状態になっている。窓は。鉄格子がはまっているな。
入り口のドアは。
こっちも駄目だな。多分内側からこじ開けるのは無理だろう。
部屋の中に、手術用のドローンは見当たらない。
ただ監視カメラはずっと動いている。
結束バンドを外すところは見ていた筈だ。
恐らく、そう時間を掛けず、対応はしてくるはず。カメラの死角に入ると、奈木は大きくため息をついた。
カメラ、もぎ取ってやろうか。
そう思ったが、流石に其所までの腕力は無い。
ゾンビ映画の、チェーンソー振り回すような筋肉ムキムキの主人公ではないのだ。
サバイバルを続けて来て、筋肉は多少増えたかも知れないけれど。
しかしながら、ここしばらくベッドに縛り付けられていて。
それで筋肉量は落ちたはずだ。
元の木阿弥である。
事実少しからだが重いように思う。
ずっと寝かされていたのなら、当然だろう。
「まさか結束バンドを外すとはね。 大したものだ」
カルネの声だ。
無視する。
どうせ捕まえるつもりなら、ドローンを入れてくるか、それとも部屋に催眠ガスを流すか。
だけれども、こっちはもう、好き勝手にされるつもりは無い。
部屋には刃物の類は無いけれど。
その代わり壁がコンクリだ。
もしも、催眠ガスを流すつもりだったら。
これ以上陵辱されるくらいなら。
壁に頭をフルスイングで叩き付けて死んでやる。
そのつもりで、立ち上がると。何度か壁を見た。
死ねばどうなるかは分からない。
唯物論だったか。
この世には物質しかない、という思想。
あの世なんて存在しないというものらしいが。
しかしながら、ゾンビが出てきているのである。人間の知らない何かがあっても不思議では無い。
ゾンビが科学に属するものかのか、オカルトなのかは分からないが。
いずれにしても、あの世なんて死んでみなければあるかないかは分からない。
「とりあえず話をしよう。 君からもう少しデータがとりたいんだ。 人類のために協力してほしい」
「お断りだ」
「そういうと思ったよ。 そして無理強いするつもりなら、君は多分壁にでも頭を打ち付けて死ぬつもりだろう?」
「……」
分かってるじゃないか。
頭の出来が違うから、だろうか。
だけれども、それで動揺する理由は無い。今更そんな事で動揺しているほど、神経は細くない。
前は違った。
だが、ゾンビが闊歩する中で生き抜いてきたのだ。
そんな細い精神は、とっくに捨てた。
そして、生にさえ執着は無い。
というよりも、もはや何一つ失うものなどない。
である以上、奈木には。
生など、なんら価値など無かった。
「取引と行こう。 此方としても、ゾンビの中で動ける人員はほしいと思っていた所なんだよ」
「どういうつもり」
「此方では無人機を使ってずっと動かざるを得なかったし、生存者もその関連から手遅れになる事が多かった。 だけれども、ゾンビの中でも感染せずに動ける君がいるならば、話は別だ」
走狗になれってか。
反吐が出る。
カルネはなおも言う。
「取引に応じる旨みが無いっていうんだろう? だったら、一つ此方からも条件を提示させて貰う」
「何の条件だよ」
「ゾンビに対する抗体が見つかった後、人類がもし救われたら……君には一生他の人間と接触しなくて良い家と、生活に必要な物資を全てあげるよ。 今の君には、それが一番の報酬だと思うけれど?」
確かにそれはいい。
だが、はっきりいって、信用できない。
口をつぐんでいると。
カルネは更に言った。
「ドアのロックを解除する。 外に服やら装備やらは用意しておいた。 服は酷く汚れていたから、洗濯しておいたよ。 今後は米軍の設備を使ってかまわない。 フロもトイレも使用し放題だ」
ドアは空いたが。
出ようとしたところを、催眠ガスを流してくるかも知れない。
しばらく慎重に様子を窺った後。
閉じ込められていた病室を出た。
廊下は意外にも綺麗だった。
どこかの病院だったのだろうが。どうせゾンビパンデミックの時に、一度ゾンビの巣窟と化したはずだ。
これはどうやったのだろう。
周囲を見ていくと、何となく分かった。
ドローンを突入させて焼き払い。同時に火が掛かった場所を即座に消火していった訳だ。焦げた跡と、すぐに消火した跡が見受けられる。
そしてゾンビを外へ捨てていった訳だ。
消毒を行った跡もある。
人型の染みが所々に残ってはいるが。それは壁に縋り付くようだったりで。いずれにしても、床は綺麗な状態だった。
これは奈木を捕獲するために作った施設なのか。
だとしたら、随分と手間を掛けたものだ。
無人機やロボットだけを使ってやったのだとすれば。
相当に大変だっただろう。
ドローンが来て、距離を取って止まる。
「其所の奥がリネン室だ。 服とかはそこにある。 どうせリネンで素足だと、外に出てもまともに動けないだろう? せめて服は着なよ」
「其方で脱がせておいて……」
「医療行為だ、勘弁してほしいね」
「知るかっ!」
吐き捨てると、リネン室を覗く。
確かに服も靴もある。下着も。全部、非常に綺麗に洗濯されていた。病院用の洗濯機は特別仕様なのか、その辺はよく分からないが。いずれにしても、逃げ回る間ロクに洗濯も出来なかったのは事実。
汗と血と泥がしみこんだ服が。
綺麗になっているのはありがたい話だった。
途中、何度か服屋で新しい衣服はせしめたのだけれども。
それでも体を洗う機会が少なかったから、着ている服は酷い状態だったのだ。これは、人心地がつく。
ともかく服を着直して、靴も履く。
靴の方も綺麗になっていて、ずいぶんとさっぱりした。
そういえば眠っている間に頭も洗われていたのだろう。まあ元々猿呼ばわりされるベリーショートだったから、切られてもどうでも良かったのだけれども。
あらゆる罵声を学校では浴びせられたな。
思い出す。
水泳部で悪目立ちしたせいで、部活の先輩がスクールカースト上位の女子にあらゆる事を吹き込んだせいだ。
ビッチだとか、日に何人も男と寝ているとか、散々噂を流された。
噂のせいで、変な男が寄ってくるようになったし。
おかげで男なんか見るのも嫌になった。
女も見るのはいやだったけれど。
自分自身も女だったから、それはもう仕方が無かった。だが、同年代の人間とは口も利きたくない。
例外は晴菜だが。
もうこの世にはいない。
リュック内の装備類は殆どそのままだったけれど、食料品は、缶詰などを除いて全て破棄されていた。
その代わり、まずいと噂のレーションが追加されていた。
ああこれが噂の、と思ったが。
別にどうでも良い。
リュックを背負って外に出ると。
ドローンは律儀に待っていた。
「逃げられたら簡単に捕まらないことは分かっているから、仲良くしよう。 此方もリソースが厳しいんだ」
「それで、何をすれば良いわけ? 私、ゾンビ映画の主人公みたいに戦ったりとかできないよ」
「そんな事は分かってる。 てか、あんなの特殊部隊の人間だって無理だから」
「ふーん」
しらけた目で見上げる奈木に。
カルネは言う。
「現在、我々で探しているのは、ゾンビパンデミックが起きたのに、奈木のように健康な状態で生き延びられている少数の人間なんだよ。 実はそれらしい候補がいくらかいるんだけれども、手が足りなくて探せていない」
「その探すのを手伝えと」
「そういう事。 ドローンだとどうしてもやれない作業があるからね。 ゾンビ化しない奈木に手伝って貰えると本当に助かる」
「……」
はっきりいって、言う事は一言だって信用していないが。
これ以上追いかけ回されるのも嫌だというのも本音としてはある。
どうせ、言うことを聞かなければ、病院から出す事だってしてはくれないだろうし。
何より、フロとまともな食事は魅力的だ。
洗濯機が使えれば、多少はマシな状態で、動き回る事も出来るだろう。
応えないまま、病院を見て回る。やはり戦いの痕跡が残っている。診察室は、ぐちゃぐちゃになったのを、何とか復元した様子だ。カルテなどには、露骨に考えたくない汚染が残っているものもある。
此処でゾンビ化していないのだ。
やはり奈木は、ゾンビ化しないのだろう。
勿論過信は出来ないが。
もしゾンビ化するくらいだったら、その辺の石で頭を砕いて死んでやる。それだけである。
入り口は分厚い鉄格子で阻まれている。
やはり奈木の脱走を相当に警戒していたらしい。とはいっても、不愉快なことに奈木の体を調べ尽くした今は。
むしろ別の方向で利用したいという考えの方が、カルネの中では勝っている、と言う所だろうか。
冷酷な奴だな。
そう奈木は思った。
「で、取引は?」
「条件が一つある」
「何」
「生存者が見つかったとして、そいつと口を利かなくても良いのならやってもいい」
ふーんと、揶揄するようにカルネが言うが。
馬鹿にする奴は見慣れている。もう正直な話、だから人間とは関わり合いになりたくないのだが。
いずれにしても、カルネは条件を呑んだ。
だったら、此方も条件を呑むか。
学校にいた同級生は、どいつもこいつも嘘ばかり吐いた。約束を守る奴なんて殆ど存在しなかったし。如何に残忍か、如何に嘘つきかを誇る者ばかりで。そういう人間の方が人気があった。
つまり人間は。
非人道的で残忍な者の方が好きなのである。これは男女関係無くそうなのだろう。学校を見てきた限りでは。そう、社会の縮図である学校を見てきた限りでは間違いなくそうだ。
社会の復興は冗談ではないが。
それに関わらなくて良いと言うのなら。奈木は協力してやってもいい。
そして全てが終わった後。
静かに過ごせるのなら、もうそれ以上は、何もいらない。
人間とは二度と顔を合わせたくないし。
口だって利きたくない。
今、カメラ越しにカルネと話しているのだって、はっきり言って反吐が出るレベルなのである。
「OK。 条件を呑もう。 外には自転車を用意してある。 米軍で使っている最高品質のものだ。 海外にも銀輪部隊なんて自転車をメインに運用する部隊があるんだが、米軍でも装備として最高品質の自転車は用意している」
「どうだか……」
「今まで使っていた粗悪品よりは百倍マシだぞ」
「……」
無言のままでいると。
向こうでも、恐らく相談などをしているのだろう。
しばしの沈黙が続いた。
ほどなく、鉄格子が開く。
どちらにしても、おなかを開けたりまでしていたのだ。必要な分のデータはとったという判断なのだろう。
だから、以降は好きに活用させて貰うと。
或いは体の中に発信器とか入れられているかも知れない。
いずれにしても、何一つ信用はしていない。
ドアを開けると、むっとした夏の熱気と。それと何処かから漂って来る腐臭。見ると、黒焦げになった大量の死体の山。ゾンビだったもの、ゾンビに殺されたか自殺した者の末路だろう。
埋葬、か。
それすらする余裕は無いと言うことだ。
自転車は確かにあった。見るからにシャープで、何というか何百万円もしそうな雰囲気がある。
武装は分からないが。
電動の補助装備もついている様子である。
坂道などを登るのが楽そうだ。
しばらく触って確認。軽く漕いでみる。随分ベッドにくくりつけられていた割りには、思ったよりは動く。
というか、最初は体が重かったから。
多分落ちた分の力になれてきた、と言う所なのだろう。
少し自転車を動かして見て、試行錯誤している内に、カルネがまた声を掛けて来た。
「まずは此方の先導についてきてほしい。 米軍基地に案内する。 内部のゾンビは駆除済みだ」
「……そもそも此処は何処?」
「日本の呼び方で言うと……秋田だな」
「東北……」
東京を目指して右往左往していたのに、東北か。
何となく理由は分かった。
ゾンビの発生数が少なく。
そこそこに病院を確保しやすかったのだろう。
ゾンビパンデミックは、日本を瞬く間に蹂躙した。東北も例外ではなかった。そしてこの様子では、もはや東北に生存者もいないだろう。いたとしても、米軍が探しているような、隠れ潜んでいる存在。
つまり奈木がこれから探せと言われるような人間だ。
まあどうでもいい。
米軍基地へ移動。自転車で三十分ほど行くと、もう人間がいない軍基地が見えてきた。元から非公開の場所だったのかも知れない。
入り口には車止めがついていたが、もはや意味はない。
テロなんてやれる人間はこの世に残っていないだろう。
基地内に入ると、確かにフロがあった。レーションもかなり残っていた。ただレーションははっきりいって食べられたものではなかった。むしろ、冷凍食品があったのが救いだ。米もある。
炊飯器は一応大きいのがあったので、それを使ってご飯と冷凍食品で適当に食事にする。栄養が駄目なのは分かっているが、最近食べていた温めてもいない缶詰よりは遙かにマシである。
フロも使わせて貰う。
途中の廊下で、ゾンビが朽ちて動かなくなっていた。蠅も集っていない。ハエにも食べる場所さえない、ということだ。
完全に白骨死体と化したゾンビは。何かを求めてもがくように、床に横たわっていた。
横を通ると、フロに。
途中、ゾンビが大量に群がった部屋があった。或いは食料庫だったのかも知れない。
ゾンビが見境無く食べられそうなものを食べる事は知っている。
だが、この有様では。
さぞやおぞましい光景だったのだろうなと、奈木は思った。
フロから上がって、随分とさっぱりした。
リネンとおむつだけの状態から、やっと脱して。風呂にも入って。すっきりである。此処を拠点にして動くのかと思ったら、早速指示される。
「悪いけれど、この装置を、指定の場所まで運んで配置してほしい」
「人を探すんじゃなくて」
「いや、まずはゾンビを駆除する」
「!」
駆除方法が見つかったのか。
装置というのはかなり大きい箱で、何に使うのかさっぱり分からなかったが。重さは実はそれほどでもなく、自転車に積み込むのはそれほど苦労しなかった。
積み込んだ後は指示を受けながらくくりつける。どうやら装備品を輸送することを前提にしている自転車らしく、バカでも操作できるようにというコンセプトで、簡単に装備をくくりつけられる様子だ。
最悪、リュックもこうしてくくりつけてしまっても良いかも知れない。
フロは助かった。
だからそのまま、言われた地点に移動を開始。酷い臭いがする。温泉だろうか。温泉といっても、体に良くない温泉だってある筈だ。
山を上がって行く。
更に臭いが酷くなっていく。
点々としている白骨死体。
この陽気だ。
外に放置しておけば、ゾンビ化していようがしていまいが、死体はいずれこうなるのが目に見えている。
言われたままに、装置を置いたのは。
どうやら公園だったらしい場所だ。かなり広い。そして、入り口には、ボール遊び禁止だとか、子供が入るのは禁止だとか、無茶苦茶が書かれた看板が掛けられていた。そういえば、昔の子供は公園で遊ぶのが普通だったとか。
いつからだったのだろう。
公園で遊んではいけないとか言う、みょうちきりんなルールが出来たのは。
それは子供だって家の中でゲームするしかなくなるだろうに。
それなのに、ゲームが悪いとか言い出すのだから。
もう、この国は駄目だったのだろう。
ともかく、装置をしかける。
もう一機、ロボットアームがついたドローンが来た。
「このロボットアームを、此処と此処につけてほしい」
「?」
「これも作業の一つ」
「……」
無言で言われたままやる。
こういう伝言作業は、上手く伝わらないとどうしても時間が掛かるが。カルネは伝え方が上手な様子で、上手くつなげる事が出来た。
すぐに上手く行ったのだが。
カルネから意外な事を言われる。
「後で軍基地でIQテスト受けてくれる?」
「別に良いけれど、学校の点数はいつも平均以下だったよ」
「そんなもん、なんの参考にもならないね。 日本の学校教育システムの惨状はこっちでも把握してる。 まあこっちも似たようなもんだったけど」
「……」
米国では、毎年のようにスクールカースト起因の銃乱射事件が学校で起きていたっけ。多分日本でも、銃が売られていたら起きていただろう。米国の学校は一時期危険すぎて、機関銃で武装した警備員がいたとかいう話も聞いている。
スクールカーストがガチガチに固めている場所で、まともな教育なんて為されるとはとても思えない。
古い時代、貴族なんかが行く学校では、成績を金で買うのが当たり前だったらしいと聞いた事がある。
日本でもそれは同じ。
人物本位での入試やら、裏口入学やら、という奴だ。
更に言えば、日本の政治家は高学歴ばかりだったが、そいつらが優秀かどうかなんかは、はっきりいって小学生にも分かる。
米国も似たような状況だったのだろう。
そのまま、公園を出て坂を下りる。軍基地に入ると、バリケードみたいなのがせりあがって、封鎖される。
何のつもりだ。
閉じ込めたつもりなのだろうか。
ドローンが遅れて追いついてきた。案外ドローンの足は遅いんだなと、今更に奈木は思った。
「映像見てくれる?」
カルネに言われて、基地内のモニタの前に行く。映っているのはさっきの公園だ。
ゾンビが、周囲から大量に集まり始めている。それだけじゃあない。周囲の街からも、ゾンビが這い出し始めている。
「やはりな。 命がけの実験は無駄じゃなかったんだな……」
「?」
「特定周波数にゾンビが集まることを偶然発見したのは日本の研究チームだ。 これで、ゾンビの安全かつ確実な駆除が実施できる。 ただ、ゾンビを駆除したところで、まだ感染を防ぐという手段が見つからない。 それをどうにかしなければならない」
山に集まってくる大量のゾンビ。公園が埋め尽くされていく。
何機かのドローンが撒いているのはガソリンか。程なく。ドローンが無線機を抱えて跳び上がり。着火。
後は、ゾンビが灼熱地獄の中、踊り狂うのを見ているだけになった。
息を呑む。
凄まじい、腐肉が焼かれる臭いが此処まで届く。
用を為さなくなった公園が丸焼きされていく。いや、始めて用を為したと言えるのかも知れない。
子供が遊ぶ事も許されず。
誰かが立ち入ることすら許されず。
ただ其所にぽつんと存在するだけになった公園。
そんなものに何の存在意義があるのだろう。
大量のゾンビを集めて焼くのに使う。
そういう明確な存在理由ができただけで、あの公園には。初めて、いや作られて、変なルールで本来利用するべき人々が追い出されてから。
やっと存在する理由が出来たのではあるまいか。
しばし、ぼんやりと見つめている。
山の方で、もがいている人影が大量に炭クズになって行く。ゾンビは元々、野犬に食い千切られても鴉に目玉を抉られても、気にしている様子が無かった。ということは、燃やされてもどうでもいいのだろう。
そして、ゾンビがこれだけ燃やされると言う事は。
もう世界のルールは完全に代わってしまっている。
人が主役の世界は終わり。
多分、違うルールが世界を支配するようになりはじめる。
そんな気さえした。
「よし、全世界に通達。 ゾンビの駆除はこれで一気に進められる。 各地に潜んでいるゾンビを一気に排除できるぞ」
カルネの声が聞こえるが。
奈木には、それは多分周囲の同僚に向けているものだと思った。
奈木に話しかけている雰囲気ではなかったからだ。
酷い臭いだなと思ったが。
カルネは奈木のことを忘れてはいなかった。
「ありがとう、最初の任務、助かった。 風呂に入った後、健康診断を受けてほしい」
「散々体を弄くり回しておいて、今更健康診断?」
「今回の件もそうだが、ゾンビ化していないのがおかしすぎるんだよ。 不健康なほどゾンビ化しにくいという事は確定だし、君は最初から遺伝子疾患を抱えて生まれてきているから、ゾンビ化しにくいというのも分かる。 だがその仕組みが分からなければ、ゾンビ化を防げない」
ため息をつく。
どうせ遠隔で色々されるんだろうけれど。
もうそれについてはどうでもいい。
軍基地でフロを浴びた後、ずっと監禁されていた病院に出向く。其所で、CTをはじめとする健康診断を受ける。
その間、カルネはずっと、ドローンで見ていた。
他の奴も見ているのだろうと思うと。
気分は極めて悪かった。
2、狼煙
ロシアの一角。
最大出力の電波を流しているそこには。恐らく数十万のゾンビが集まりつつあった。元々寒冷な気候である。
近年は夏場が異様に暑くなってきている場所もあるが。何しろツンドラの大地だ。相応に寒くても不思議では無い。
そして寒ければ寒いほど、ゾンビは残りやすくなる。
三度の実験を経て、ゾンビが特定周波の電波に引きつけられるという事が立証されたので。
こういう場所で、一気に徹底的に残ったゾンビを駆除する。
そうすることで、生き延びている生存者がいれば、恐らくは姿を見せやすくもなるはずである。
ガソリンを撒いて着火。
一気にゾンビが燃え上がった。
苦痛の声さえ上げず、呻きながら蠢いているゾンビ達。
元々動きは速くないのである。
ただ、これによってゾンビ化の原因である何か……まだ分からないが、それが上昇気流などに乗る可能性はある。
ガソリンの量は抑えなければならない。
そもそも、作戦に使用するガソリンが、それほど余っていない。
極めて効率よく。
なおかつ、ゾンビに対して致命的なように。考え抜いて、人類が扱える資源を、使っていかなければならなかった。
処理が完了すると、ロシアの生き残りが歓喜の声を上げる。
モスクワからゾンビ共がいなくなった。
そう喜んでいるのだ。
しかし、カルネはそう素直に喜べない。
ゾンビは元々人間だ。
流石に彼処まで腐り果てていたら、もはやどうすることもできなかったが。ある意味では病人だったのかも知れない。
それをこうも大量に焼くことになるとは。
なお、ゾンビを求めて大量のグリズリーも姿を見せていたが、一緒に焼いてしまう。
人間の味を覚えた猛獣は駆除しなければならない。
今後、人間が減った世界では、脅威度が段違いに増すからである。
呻きながらほぼ無抵抗に焼かれていくゾンビと違い。
グリズリーは、悲鳴を上げながら転がり回っていたが。それもやがて、焼きグリズリーになって死んで行った。
逃げようとしたグリズリーも、先にドローンを飛ばして、機関銃で蜂の巣にして皆殺しにする。
繰り返すが。
人の味を覚えた猛獣を生かしておくわけにはいかないのである。
他にも北欧、南米の最南端近くなど、寒冷地点で似たような作戦を順次実行していく。これらの地区では、ゾンビが大量に残っており。今後の事を考えると、駆除は必須だったからだ。
ゾンビがどうして出現するのかはわからないが。
その元を少しでもこうして減らさなければならない。
それは自明の理だった。
勿論、ゾンビを焼いた煙がどう動くかは、気象衛星から確認。
それが人間が生き延びている場所へ近付かないように、注意深く作戦を実施しなければならなかったが。
三日で、およそ五百万のゾンビを駆除。
既に動けなくなっているゾンビはもういい。活動可能なゾンビは、こうやって効率よく駆除しなければならない。
初期のように、空爆をしなくていい。
文字通り誘き寄せて焼くだけ。
ドローンと燃料があれば簡単に駆除できる。
後は。
ゾンビ化を防ぐ方法だ。
七回目の作戦が完了した時点で、会議が行われる。
副大統領は心労が限界に達したか、数日寝込んでいたが。死人のような顔色のまま、会議に出た。
医療班もあまり顔色は良くない。
奈木からこれといったデータが取得できていないのが原因だろう。
カルネが思うに。
何か、根本的な見落としがあるのではないのだろうか。
普通科学者は、未知の現象を見ると喜ぶものだが。
今回はそんな事も言っていられない。
此処にもゾンビ化の恐怖が、いつ訪れても不思議では無いのである。時間が、文字通り足りないのだ。
作戦の実行と成果を説明すると。
無言のまま副大統領は頷く。
カルネには、あまり好意的な視線は向いていない。
第七艦隊の独立軍閥化を食い止め。
切り札になりうる奈木を説得し。
そしてゾンビの駆除作戦を大成功させている。
だからこそ、カルネは此処で、白い目で睨まれている。英雄だと思われている事などありはしない。
ガキの分際で出しゃばりやがって。
そう誰もが見ていた。
古い言葉に、アメリカンドリームというものがあったが。
そんなものは今では死語だ。
ガチガチに富が固定化された米国では。結局ゾンビ化の手前の頃には、パワーエリートが全てを支配する世界になり。新参が其所に割り込む余地など存在しなかった。アメリカンドリームなど夢物語だった。それを象徴するように。今、若くして成果を上げているカルネは。
周囲から、こうして拒まれている。
「後はゾンビ化の仕組みを調べ上げることだな。 広中奈木が協力的になってくれたということで、データは得られやすくなっているはずだ。 一秒でも早く、ゾンビ化の仕組みを解明してほしい」
「……はい」
「では、私は休む。 今も胃が溶けそうでね……」
副大統領が自室に戻っていくと。
カルネを睨んで、医療班も戻っていく。
溜息をつくと、軍人達も持ち場に。カルネは孤立していた。これだけ成果を上げているというのに。
こんな生物に、救う価値などあるのだろうか。
そんな風に、奈木が思いそうなことを考えてしまう。
影響を受けているのかも知れない。
だが、やると決めたからにはやる。
人類が復興しても。奈木が考えているように、また一部のクズが富を独占して。真面目に働く人間は奴隷扱いされる社会が来るのかも知れない。そして資源が尽き掛けている現在、そんな社会が来たら未来など存在し得ない。
だがそれでも。
カルネは可能性に賭けてみたいのである。
それだけだ。
デスクに戻ると、朝の体操をしている奈木と軽く話す。奈木はカルネをまだ警戒しているが。
それでも、会話に応じてくれるようにはなりはじめていた。
「ハーイ。 その体操は」
「誰かがベッドに縛り付けてくれたからね。 こうやってちっとは体を動かさないと、鈍って仕方が無い」
「あれだけ動けるのに?」
「鈍りすぎて気持ち悪いくらいだよ」
そうかそうか。
カルネは運動がからきしだからよく分からないが。奈木はどうやら生まれついてのアスリートらしい。
アスリートな人間の中には、放っておくと二時間でも三時間でも走っているような者がいるが。
奈木はそういうタイプなのだろう。
体操を終えた後、奈木は自転車で基地内を走り周り始める。
少しドローンを引いて様子を見る。
協力関係はまだ完全だとは言い難い。
此処で逃げられると困る。
最悪の場合、体の中に仕込んだ発信器を使って、また追い回すことになるだろう。こんな事はしたくないのだが。
しかし奈木に散々振り回された後だ。
しかも状況は最悪の一途を辿っている。
手段など、選んではいられないのである。
運動を終えた奈木に。軽く話す。
次に何をしてほしいかを、である。
「移動手段は此方で用意するから、生存者を探してほしい」
「私が直接に?」
「とはいっても、そのまますぐに、というわけではないけれど。 これから足を用意するから、まず仙台にまで行って貰う。 其所でゾンビの駆除を、少し前と同じように行ってから、生存者を探して貰う事になるかな」
「……」
奈木は必要がなければなんぼでも喋らない。
多分だけれども、言葉というコミュニケーションの手段に、殆ど期待していないのだろう。
これも分かる気がする。
基本的に人間は見た目で相手を判断する生物だからである。
言葉なんて正しく使っていても何の意味もない。
相手が気持ち悪ければそれで全て。
気持ち悪いと思ったら、人権も全て否定するし、殺しても何とも思わないのが大半の人間である。
まず人間が相手を否定するときは、「気にくわない」が最初に来る。
気持ち悪いとかはそれを構成する一要因に過ぎない。
相手が「気にくわない」なら、自分は正義だと人間は想う様になるし。
そうなれば際限なく凶暴化する。
歴史がそれを証明している。人間とはその程度の生物で、はっきり言ってしまうと種のレベルでクズなのである。
だから奈木は人間には一切期待していないのだろう。
その辺りは、カルネにも理解出来る。
それでも希望を持ちたいのがカルネだが。
その思想を、奈木と共有したいとも思う事は別になかった。
軍用車両でも、重武装のものは出せない。とにかく燃料をバカ食いするからだ。
その代わり、遠隔操作できる自動車なら出せる。
軍用のジープが好ましいのだけれど。
ジープもやはり燃費が良いとは言いがたい。
そこで軍用に支給されている軽自動車を使う。
事故にあうととにかく脆いのが欠点だが。その代わり日本の軽自動車は、事故にさえあわなければ修理工場が潰れるほどの強度を誇る。米軍でも軽自動車を幾らか購入していて。公務以外では利用している事も多かった。
車の所まで案内すると。
奈木は露骨に眉をひそめた。
「免許なんて持ってないよ」
「自動運転する」
「そんなの実用化していたっけ?」
「自動操作の軍用兵器が実用化しているんだよ。 自動運転の車くらい、軍に作れないと思う?」
そう言うと、奈木は考え込むが。
実は半分は嘘である。
自動運転の車は、実の所軍でもまだ開発途上だ。少なくとも、多数の車が行き交う状況で動かせる程の完成度は無い。
今は、現実問題として、道路を走り回っている車はいない。
だからこそ使える手段であり。
本来なら、奈木のような貴重な人材を使える代物では無い。
遠隔で自動操作モードをオンにして、奈木には助手席に乗って貰う。リュックを抱えて車に乗る奈木だが。
背はそれほど高くない。
軽とはいえ、米国人の体格に合わせて大型に作ってある車だから、少し小さく見える。
そのままドローンを追随させ、基地を発進させた。
しばらくは、先行しているドローンを見比べながら、自動運転に任せればいい。
先に幾つかやっておく事がある。
ゾンビの駆除作戦が終わった後。
続いてやるのは、遠ざける作戦だ。
各地に、大出力の電波発生器を据え付ける。或いはテレビ局やラジオ局などを利用して、ゾンビを集めてしまう。
都市部などで、これを全て行い。
ゾンビを集め、事実上無力化する。
もしも予想以上の数が集まるようなら、駆除作戦を考えるが。
それ以外の場合は、集めて勝手に朽ちるのを待つ。
そもそも、暑さから体を守るために地下に潜んでいるゾンビがたくさんいるような街では。
ゾンビを暑い中に引っ張り出し。
焼き焦がして朽ちるのを早める。
こうすることで、まずはゾンビという物理的な危険を排除する。また、排除し終わった後、一部はサンプルとして回収、解析する。
今も減り続けている人類だ。
こうしてゾンビを駆除して行かないと。
どんどん詰みへ近付いていくことになる。完全に詰む前に、手はきっちりと打たなければならない。
幾つかの指示を終えた後、少し休む。奈木はまだ車にちょこんと乗って、移動の最中だ。
道には、混乱の中擱座したり、交通事故を起こした車が点々としている。そういった障害物を自動で避けるくらいのオツムは、今奈木が乗っている車を動かすAIにもある。
ただ、国道の何カ所かは、そういった車で塞がってしまっていたので。
必然的に脇道にそれるしかなくなり。
その結果、仙台まで行くのには、時間が掛かる事になった。
仙台の方でも、先に病院と拠点の準備をしておく。ドローンを操作していたのはそのためである。
病院の確保とゾンビの駆除、内部の消毒作業。
これらを先に済ませておく。
実は既に、奈木には心当たりがある場所を探って貰う計画を立て、それの了承はえていたので。
事前から準備していたから、行き当たりばったりでは無いが。
それでもカルネの稼働能力にも限界がある。
だから今、最後の調整作業をしていたのである。
二時間ほど掛けて、仙台に奈木は到着。自転車も勿論折りたたんで一緒に届けたので、移動は楽な筈だ。
拠点に案内すると、案外悪く無さそうな顔をした。
軍基地ではないのだが。
軍で昔から確保していた、いわゆるセーフハウスだ。
少し小さめだが、窓などは防弾で。
一通りの設備が整っている。
なお、此処の管理人は、ゾンビパンデミックの初期に逃げ出してしまい、その結果ゾンビがこのセーフハウスを汚染することはなかった。
いずれにしても、普通の人間だったら、即座にゾンビ化してしまうだろうが。奈木なら大丈夫。
それに、もし奈木がゾンビ化する場合。
それはそれでサンプルになる。
我ながら酷い事を考えているともカルネは思うが。
奈木もその辺りは承知の上だろう。
五時間ほど休憩時間を作る。奈木も頷いて、ベッドでごろんとなると、後は寝息を立て始める。
向こうも此方を信用していないだろうが。
それはそれとして、肝が据わっている事だ。
あくびをしながら、カルネは情報を集める。どうやら仙台の一角。小さな廃ビルに、人間の痕跡がある。
これを調べて貰いたいのだ。
この廃ビル、地下深くまであって、ドローンを行かせるのが難しい。そこで奈木に護衛用の軍用ロボット(とはいっても人型のものではなく、ごく小さなセントリーガンだが)を同行させ、一緒に探索して貰う。
人間が生きていける条件は整っている。
ひょっとしたら、生存者を発見できるかも知れない。
その間に、カルネは別の場所でドローンを飛ばし、生存者を探る。ゾンビの駆除が終わった地域にドローンを飛ばし、呼びかけるのだ。
自動で上空を旋回し、生き残りに呼びかけるプログラムを組む。
後はオペレーターにモニタを監視させ。生存者がいないかどうかを監視するシステムを組むと。
ハンカチを被って、少し仮眠を取る。
今の時点では、これといった酷い事は起こっていないが。
またいつ、第七艦隊の反乱未遂のようなことが起きるか分からない。
こうしている内にも、各地で生き残っている小集落や、離島に生き延びた人々の壊滅の情報が入っているのだ。
休むのでさえ忸怩たるものがあるが。
それでも、休まなければ肝心なときに動けなくなる。
少し睡眠導入剤を入れて、それで眠る。
目を覚ましたときには、予定通り夕方少し過ぎ。
あくびをして、奈木の状態を確認。奈木はストレッチらしい運動をしていて、筋肉を取り戻そうとしているようだった。
「ハーイ。 おはよう。 こんばんわというべきかな」
「……それで、行く場所をナビしてくれる?」
「OK。 ドローンを飛ばすから、現地までは自転車で行って。 少し前に此処でも駆除作業は行ったから、多分ゾンビに遭遇する事はないと思うけれど、気は付けてね」
「分かってる」
自転車を展開すると、飛び乗る奈木。
結構奈木の体に比べて大きい自転車なのに、もう完全に乗りこなしている。運動のセンスが違うのだろう。
とことん惜しいと言うか何というか。
こういう規格外が迫害されるのは、人間社会の明確な欠点だ。出来る事は出来る奴にやらせれば良いのに。
カルネ自身も、現状は日本で言う針のむしろの上だ。
悪目立ちしていると周囲からは冷たくあたられているし。暴力を振るおうとする大人までいる。
流石に暴行は受けていないが。
ひょっとすると、隙あらばと考えている奴もいるかも知れない。
こんな状態でもだ。
多分奈木と、共通している認識がある。
人間の愚かさには際限がない。
これについては、カルネは奈木と同意見だろう。
黙々と奈木が移動してくれる。やっぱり清潔と安定した食糧は、それだけこの過酷な世界で魅力的だった、と言う事だ。
その間にカルネは、状況を確認。
生存の可能性があるが、呼びかけに応じないシェルターの事をチェックする。一応通信手段はあるのだが、内側からブロックしていて、ファイヤーウォールが突破出来ずにいたのだ。
仕方が無いので、カルネが直接ハッキングに掛かり。
三十分ほどでファイヤーウォールを貫通。
内部を確認して見るが。
内部は、しんとしていた。
人気がまったくない。
安定した環境だから、ゾンビがいるならば、ほぼ生前の姿のままだろうと思ったのだけれども。
どうにもそんな様子さえ無い。
小首をかしげながら、内部の監視カメラを順番に探していく。人の姿どころか、生活痕跡さえない。
センサー類も調べていくが。
それでも、である。
誰かが死んでいれば、相応の痕跡が残るのだが、その様子も無いし。
ましてや生きていれば、更に計器類に痕跡が残る。
足跡とでもいうのか。
人間は、生きているだけで、その存在を周囲に察知させるものなのである。それが一切無い。
なんだこのシェルターは。
奈木が突入を開始したようなので、サポートはオペレーターに任せる。
地上部分の探索については、セントリーガンがついているし、気にしなくてもいいだろう。
だいたい散々ゾンビ相手にサバイバルをこなせていた奈木が、その辺の野良ゾンビに遅れを取るとも思えない。
もしも問題が起きるとしたら、天然のトラップ。剥き出しになった電線とか、硝子の破片とか。天井の崩落とか。そういうのに巻き込まれた場合だろう。それについても、事前にある程度は調べてある。オペレーターにも、注意するように指示はしてある。
ただ、それでも信用は出来ないので。
時々声を掛けて、状況を聞く。
五月蠅そうにしながらも、オペレーターは状況を説明してくれる。まずは地上部分から、順番にあたっているそうだ。
奈木は無言で淡々と歩いている。
意見を一度聞いてみるが。
人がいるようには思えない、と応えてきた。
此方も同感だ。
ゾンビを全部誘き寄せて焼いた跡だから、というのもあるだろうが。それにしても、人がいるとは思えない。
このビルは元々テナントが入っておらず。
内部に食糧の類がない。
ビルが完成する前に、ゾンビパンデミックが起きてしまい、放棄されてしまった場所なのである。
ゾンビは知能がなくなっているから、エサがないとなれば近寄らない。問題は熱波を避ける場合だが。その場合はより涼しい地下に行く筈。このビルは剥き出しの窓硝子から光が入っていて、涼しいとは言い難い。
ゾンビは近寄る理由が無いし、人間だってそもそも此処で暮らすのは厳しいだろう。
だからから、か。
この周辺に、人間の痕跡が残っていたのだ。
奈木が屋上まで調べたので、地下を調べ始める。それを横目に、カルネはシェルターの方をチェック。
システムを完全掌握したので、最深部の部屋にあるカメラを確認。
やはり誰もいない。
つまり無人のまま閉じてしまったシェルターだと言う事なのだろうか。
小首をかしげながら、一旦隔壁を全部解除する。
そして、あっと思わず声を上げていた。
隔壁の一つ。
完全に紙のようになった死体が、乾燥して挟まっていた。
分厚い隔壁が、凄まじい速度で閉じたのだろう。
血肉が飛び散る暇さえもなかったようだ。
ゾンビパンデミックが発生してから随分時間が経っている。それで足跡も消えてしまっていたのか。
ログを確認。
そして、大体起きた事が分かったのは、奈木が地下を調べ始めてから、二時間ほどしてからだった。
このシェルターの主は、ゾンビパンデミックが起きると。
自分一人で、シェルターに逃げ込んだ。
家族も使用人も全員を無視。
相当な富豪だったらしいのだが。
元々極めて自己中心的な思考の持ち主であった様子で。それが故、なのだろう。このエゴと暴力が蔓延する社会で、上層まで辿りついたというわけだ。
そして最後も、そのエゴに相応しいものだった。
一人でシェルターに逃げ込み、家族も使用人も見捨てて悦に入っていたシェルターの主は。
完全な防備のシェルターに逃げ込んだことに満足すると。
最深部へ移動しようとした。
其所なら、なお完全に安全だと思ったのだろう。
だが、其所で運命は彼を見放した。
センサーの一つが誤動作したのである。
結果、隔壁が閉じた。
洪水が起きても耐えられるように作られていた、最強の隔壁である。死んだ事さえ気付かず、肉片が飛び散る暇すらも無く。人間の残骸である皮一枚になってしまったシェルターの主は。
こうして今、カルネに発見されたというわけだ。
首を横に振り、シェルターに×をつける。
駄目だ。
そういえば、シェルターに逃げ損ねた家族はどうなったのだろう。確認するまでもないか。ゾンビ化してみんな彼方此方に散っていたのだ。
溜息を零す。
そして、奈木も、目を細めて報告してきていた。
「駄目だね」
「!」
オペレータを押しのけ、画像を覗き込む。セントリーガンのカメラに映っているのは、十人ほどの死体。
ゾンビパンデミックの初期に逃げ込んだは良いが。
此処の占有権を巡って争ったのだろう。
そして此処を独占した奴が、他の人間をバールなどで殴り殺し。
食糧が尽きた後は、此処で動けなくなった。
元々抵抗を受けて、傷を負っていたらしく。それが悪化していたのだ。最後までゾンビ化しなかったのは、この者に対する罰だったのかも知れない。
空腹と痛み、絶望に苦しみ続けながら死んだ、と言う事だ。
地下部分の最深部で、これが見つかった事で。この場所での生存者の可能性はなくなった。
周囲を念のために調べて貰うが、駄目だ。ボイラーも既に燃料が尽きてしまっている。ということは、水道もポンプがないから動かない、という事である。
一旦引き上げて貰う。
反撃の狼煙を上げたつもりだったが。やはりそう甘くは無いか。
大きな嘆息をすると、カルネはレポートを書く。
医療班の成果次第では、カルネはもう少し楽が出来るのだけれども。
やはりこれほどの状況だ。
そう上手く行かないのは、もう前提として動くしかないのかも知れなかった。
3、今だ隠れた謎
緊急会議が招集された。
どうせろくでもない事が起きたのは決まっている。奈木は寝ているし、知らせる必要もないだろう。
各地でのゾンビ駆除、もしくは収集作業が順調である事を確認したカルネは、会議に出る。
厳しい表情の医療班。
それに副大統領が、雁首揃えていた。
医療班は、カルネを露骨な敵意を込めて睨む。もうどうでもいいが、サンプルは出来る範囲で集めているのだから、成果を上げてほしい。
ゲームに出てくる悪の製薬企業でももうちょっと優秀だぞと思ったが。まあ流石に現実とゲームを比べるわけにも行かない。
カルネは今まで、自分の出来る範囲でベストは尽くしてきた。
助けられなかった人もたくさんいたが。
それでも奈木という最高のサンプルは確保したし。
ゾンビ化しない奈木という切り札を手に入れたという実績もある。
仮死状態とは言え、ヨセミテジョニー氏も確保しているし。
可能性があるシェルターの調査作業についても、自分で相当に進めた。駄目なものは駄目だと分かる事が大事なのだ。かの発明王が口にしたように。
だけれども、医療班はどうか。
カルネに文句を垂れるばかり。一度などは殴りかかろうとして来た奴までいる。
貴重なサンプルである奈木の体をかなり乱暴に弄くった上、それで成果が上げられていない。
はっきりいって、その状態でカルネに文句を垂れるのは。
日本で言うところの逆恨みだ。
「重大な事態が発生した。 潜水艦シーガルで、ゾンビパンデミックが発生した」
「……」
シーガルか。
調べて見ると、第一艦隊に所属している潜水艦だ。現在は大西洋にいる。
米国が多数保有している潜水艦の一つで、練度も高い。原潜ではないが、そもそも巡航ミサイルを叩き込む目的の艦艇では無く、空母打撃群を対潜警戒するタイプの潜水艦である。
潜水艦は元々乗務員に掛かる負担が大きく、今回のゾンビパンデミックで各艦隊の生き残りが慌てて出航したときから、海上に浮上していたのだが。それを「堕落」と批判している者も多かった。
なお、シーガルは既に自沈処理をしており、こうしてゾンビパンデミックが発生した艦は六隻目となる。
もはや絶望しかない中。
副大統領は言う。
「海上にいたとは言え、空気に触れていない潜水艦の乗務員がゾンビ化するというのは、尋常な事では無い。 意見を聞かせてほしい」
「地下シェルターにいた人間もゾンビ化しています。 それも離島のシェルターにいた人間がです。 ボクが思うに、ゾンビ化にはウィルスよりももっとタチが悪い何かが関与しているとしか考えられませんね」
「それが何だか分からないのかね」
「調べるのは医療班の仕事です。 ボクはサンプルを集めているでしょう」
口をつぐむ副大統領。
この副大統領にしても、魑魅魍魎蠢く世界で生き抜いてきた怪物のような政治家だろうに。
それがこうも弱気になってしまっているのだ。
今のこの事態が、どれだけ切迫していて。危機的だかは明らかだ。
ここの軍人をまとめている中佐が、咳払いした。
「小官も同じように感じます。 カルネ博士はしっかり自分の役割を果たしているのに、医療班はそれを逆恨みしているように思えますが」
「何だと、ふざけ……」
「成果を上げろと言っている!」
流石に屈強な軍人と医者だ。
一喝は、あからさまに中佐の方が苛烈で。医療班はこぞって黙るしかなかった。だが、良くない傾向だと思う。
不意に、発言したのは。
此処に逃げ込んできた一人。
歴史学者のヒューリー博士だ。
既に60才を越えている人物で、大学などで教鞭は執っておらず、主に研究に従事している。
此処にいたのも、たまたま。
カルネらが招集され、離島のシェルターであるこの米国最後の砦に逃げ込んだとき。大学にいた、というのが理由である。
歴史学者でも何かの役に立つかも知れない。
そんな酷い言われ方をしていたが。
歴史学者が調べた事によって、大きな発見が幾つも出ている。そしてそもそも歴史的失敗は、同じ事を繰り返さない教訓にも出来る。人類がどう発展してきたかという事も知ることが出来る。
人類は順調に発展してきたわけでは無い。
ローマ帝国が衰退する過程で、膨大な技術が失われていった。この結果、人類の文明は数世紀分後退した。
他の文明圏もしかり。インドなども多くの技術が失われ、ロストテクノロジーとなってしまっている。
これらの失われた技術は、それぞれ多くの苦労の末に産み出されたもの。
そのまま連続性を持って保持されていれば、どれだけ人類の苦労が減ったか分からない。
それを暴力と欲望で踏みにじり続けた結果。
人類は月にコロニーさえまだつくれていない。
結局人間は未だに歴史に学ぶことが出来ていないが。
歴史学者はそういう意味では、過小評価されている上、その真価を発揮できていない存在だとも言える。
だからカルネは、ヒューリー博士を悪く思ってはいなかった。
「少し良いですかな」
「何かね、ヒューリー博士」
「この場の状況は大変によろしくない。 カルネ博士は事実わしからみても立派な成果を上げているし、それに対して過去の権力にしがみついている医療班が成果を上げられずに逆恨みをしている」
「……」
屈辱に青ざめる医療班を無視して、ヒューリー博士は更に言う。
老人の言葉は、辛辣極まりなかった。
「恐ろしい強さの、虐殺する気満々の騎馬民族が迫ったとき、欧州も中華も、団結して戦えたと思うかね? 事実はノーだ」
「今、その状態が近いというのかね」
「そうなるね。 実働部隊と後方部隊の連携が取れていない。 実働部隊は成果を上げているが、後方部隊が足を引っ張って権利ばかり主張している。 そしてカルネ博士への負担は増えるばかりだ」
「此方だって……」
医療班を中佐が黙らせる。
まあ、此処ではとても有り難い。
「思うに、君らは何かしらの思い込みをしているのではないのかね。 一から情報を洗い直してみてはどうかね。 歴史学の鉄則だが、医療にも当てはまるようにはわしには思えるが」
咳き込むヒューリー博士。
カルネは、これ以上何も言うことは無かった。
いずれにしても、潜水艦ですら駄目となると、ゾンビパンデミックが発生するともはや助かる路は無いと見て良い。
海底都市を造っても、其所でも同じ事が起きるだろう。
原因が空気では無いのかも知れない。
だとすると、何が原因なのだろう。
副大統領にも、ヒューリー博士は辛らつな言葉を向けた。
「貴方も、此処でリーダーシップを発揮しなければ、人類の希望は潰えますぞ」
「……分かっている」
「それならば結構。 では部外者は黙るとしますかな」
ふむ。
カルネも援護して貰った所だ。老歴史学者の言う事はもっともだし、それより何より、時間がないのも事実。
効率化を進めないと危ないだろう。
「とにかく、此方ではサンプルを集めます。 其方もネットワークを利用して、世界中の生き残りと少しでも研究の開発を進めてほしいのですが」
「……」
医療班は正論に黙り込み。
そして、それ以上文句は言わなかった。
仙台近辺の生き残り捜索は、基本的に「ながら」で進める。奈木が普通に頭がいいので、任せても大丈夫だろう。
此方が会議している間に奈木にIQテストを受けて貰ったのだが、普通に高水準の数字をたたき出している。コレは恐らく、学校での試験は取れないタイプの人間だった、と言う事だろう。
馬鹿馬鹿しい話だが、わかり安いもの以外に価値は無いとか口にする人間が未だに実在している。
アスリートの中には、知能を殆ど運動に突っ込んでいるタイプの人間がいて。そういう者は、時に科学者として優れている場合もある。
多分奈木の場合もそれだ。
水泳だけしか、学校ではその知能は生かされなかったと言う事で。
何とももったいない。
とはいっても、カルネがいた米国でも、教育制度が素晴らしかったかというとそうでもないし。
結局の所、人間の文明はまだまだ発展途上で。有能な人材を取りこぼしまくっていた、と言う事なのだろう。
情けない話だが。
だからこそ、こんな状態になっている、というわけだ。
カルネ自身は、ドローンを操作して、各地の生き残りを漁る。医療班が、不意に注文をつけてきた。
「サンプルがほしい。 出来ればまだ子供のゾンビだ」
「はあ、子供のゾンビならたくさん解剖していませんでしたっけ」
「条件が悪かった。 出来ればあのナキという日本人と同等か、それに近いほどゾンビ化が遅れていた子供がいい」
確かカルネが見つけたサンプルの中に、子供の生存者だったゾンビもいた筈だが。
それを指摘すると、医療班の中年男性は視線を背ける。
まさか、データが上手く取れていなかったとでも言うつもりだろうか。
「仮説が出てきた。 その仮説を証明するには、新しいサンプルがほしい。 ひょっとすると、上手く行けば……ゾンビ化を防げるかも知れない」
「詳しく伺いましょうかね」
「簡単に言うと、何かの寄生生物が、二次的にゾンビ化を引き起こしている可能性が出てきた」
「寄生生物」
思わず聞き返してしまう。
寄生生物で人間に必ずいるものといえば顔ダニくらいだが、アレはそもそも無害だし、誰にでもいる。勿論奈木の顔にもくっついているはずである。
かといって、もっと小さいミトコンドリアとかになってくると、アレはアレで其所まで害をなせるとは思えない。
確か、ミトコンドリアが人類を乗っ取って、バイオハザードを引き起こす作品があったっけ。
とはいっても、ミトコンドリアが反乱を起こすのだったら、とっくに分かっているはずである。
「ともかくだ、何かしらの寄生生物によって、二次的にゾンビ化を引き起こす何かが作られている可能性が高いという結論に至った。 その仮説を証明したい」
「別にかまいませんが、ともかく此方は生き残りを徹底的に探すだけです。 サンプルは見つかったら知らせます。 そも優先度も何も、この状態では生き残りと言うだけで貴重ですので」
「分かっている」
吐き捨てると、医療班は行く。
嘆息。
面倒な事を言ってきたものである。まあ、何とかするしかないだろう。今まで成果を出せていなくても、医療班もスペシャリスト揃いの本職達だ。ドイツの医療チームがいればまだ良かったのだが。ドイツはゾンビパンデミックの初期に、特に酷い被害を受けて、生存者に医療関係者はほぼいない。
世界一の医療技術が無になったのはとても悲しい話だが。
ともかく、今は出来る範囲でやる事をやるしかないのだ。
世界中の生存者候補を調べる。
各地の生き残りも、遠隔でドローンを飛ばして調べているが。どうにも厳しい状況である。
奈木を飛行機で飛ばせればいいのだが、流石に日本から大陸に渡らせるのは難しいし、条件が厳しすぎる。
奈木のようにゾンビ感染しない特例を見つけられればいいのだが。
奈木を調べ回した医療班が、そもそもどうして感染していないのか、「身体機能に欠陥があるから」という以上の結論を出せなかったのだ。
と言う事は、どうにかしてサンプルを増やすしか無いと言う事だ。
頭を掻き回すと、各地のネットワークと情報共有する。ゾンビをかなりまとめられたことで、ドローンでの映像の解析率も上がっている。軍事衛星を使えば、生き残りの痕跡も探しやすくなっているはずだ。
勿論あくまで「なっている」のレベルに過ぎず。
そもそも生き残りが殆どいない現状。
それはもはや、どうしようもない願望に過ぎないのだが。
一日待って、様子を確認。軍事衛星をフル活動させて、生き残りを探る。もはや防空圏も妨害電波も存在しない。
ただ発生電波に群がるゾンビの群れと。人がいなくなった街。燃え落ちた荒野が残るばかりだ。
逆に言うと、その中から人間の痕跡を探さなければならない訳で。
その苦労は、当然想像を絶するものだった。
奈木から連絡。
生存者の可能性がある所がまた一つ駄目だ。単に燃料が残っていたボイラーが動き続けていただけらしい。
次に移って貰う。
仙台にはまだ何カ所か、人が生きていそうな痕跡がある。ゾンビが綺麗にいなくなった今が好機なのである。他の街でも、ゾンビを強制移動させる事に成功している間に、出来るだけ情報を調べたい。大都市は可能性がある。もしも奈木のような体質だったら、ゾンビ化しない可能性も高い。
無言で調べている内に。
ゾンビパンデミックの初期に、焼き払わなかった都市の一つ。
ニューオーリンズである。
米国には、歴史の初期にフランスから買い取った土地がかなりある。実は領土の半分ほどがそうである。
ニューオーリンズもその土地の一つで。
経済的にも重要な都市として栄えてきた場所だ。
ゾンビパンデミックの初期から大きな被害を受けた場所で、壊滅するのも早かったのだけれども。
しかしながら、壊滅が早かった事もあり、空爆を免れ、町並みは焼き払われずに残っている。
様々な調査から。
此処で人影が活動していることが分かっている。
此処はゾンビも既に殆どが朽ちていることも分かっているため、ドローンも最近は派遣していなかったのだが。
調べて見る価値はあるか。
他の生き残りとも情報共有しながら、軍基地からドローンを飛ばす。
前に飛ばしたときには、大量のゾンビ達が蠢いている地獄絵図が拡がっている状態だったので。
その時は閉口して、以降は後回しにしようと考えたのである。
しかし仙台でも生き残りがある程度の時期までいた。
そうなると、空爆はやはり早計だったのかも知れない。
空爆で命を落とした生き残りは、やはりかなり多かった可能性が高く。そうなると、愚策だった、と言わざるを得ないのだろうか。
しかし、今はそれを悔やんでいる場合では無い。
念のため、電波を照射して、生き残ったゾンビを引っ張り出す。
思ったより多めのゾンビが出てきたので、そのまま誘導して、運河に誘き寄せて捨てる。腐肉が大量に海に投棄される訳だが。これはもう、仕方が無い。カニやら海老やらに処理して貰う事にする。
人間の尊厳を投げ捨てているようなものではあるけれど。
しかし、今はガソリンすらも惜しいのである。
それこそ、昔何処かのアニメ会社が生態を偽装したレミングスのように、ゾンビが電波を発生させているドローン(正確にはそれからつり下げられた電波発生源)に引き寄せられ、海に落ちていく様子は凄まじい。
それでも、やはりこの辺りは初期からゾンビパンデミックのエジキになったこともあって。
他の都市ほど、凄まじい数のゾンビが姿を見せる訳では無かった。
一通り、ゾンビが片付いた後。ドローンを入れる。
もう形を殆ど無くしていて、身動きが取れないゾンビが這いながら電波の発生源に向かおうとしていたが、無視。
生存者を探して回る。
痕跡を見る限り、人間のような何かが、夜中に動き回っている。動きからして機敏で、ゾンビだとは思えない。
熱源を追って調べていき。
小さなビルに突き当たった。
あまり可能性は高くは無い。
だが、生きている可能性は否定出来ない。
そのままビルに入る。窓などは激しく割られていて、パンデミック初期の混乱がよく分かる。
貴金属や金を火事場泥棒しようとしたのだろう。
そんなもの、何の価値もなくなるというのに。
目先の利益に釣られて、逃げる機会を失し。
そして例外なくゾンビになった訳だ。
哀れすぎて言葉も掛けられない。
まあ地獄で精々焼かれていると良い。地獄があれば、だが。
ドローンを潜入させ。
そして、奥を調査していく。中に点々と続いている痕跡がある。ゾンビが侵入した様子だが、激しい攻撃で損壊して、動けなくなった様子だ。
よくあるゾンビ映画と違って、別にゾンビは力が強くなったりもしていない。リミッターが外れて、云々の理屈は通じない。生きている、つまり回復力がある状態でさえ、リミッターを外し続ければ体が壊れるのに。
ゾンビになっている状態で、体のリミッターを外したりしたら。
それはもう、短時間で駄目になるに決まっている。
奥まで調べていくが。
なるほど、どうやらまだ熱源は生きている。だが、しかしながら、これは駄目だなと思いながら、カルネはドローンを操作して、熱源の主を確認。
ジャガーである。
人間と同サイズ。
多分物好きに飼育されていた個体だったのだろう。動きが鈍かった、つまり野生のジャガーほど動きは良くなかったのは、それが理由だ。
威嚇するジャガーの周囲には、大量の人肉や食べ残しが散らばっていた。
夜な夜な街を徘徊しては、状態が良いゾンビを襲って食っていたのは間違いの無い処である。
或いは、パンデミック初期には、生きている人間を襲って喰らったかも知れない。
だが、どちらにしても。
行かしておく訳にはいかなかった。
ドローンが搭載している機銃が火を噴き、有無を言わさずジャガーを蜂の巣に変える。他に熱源は無し。
此処は空振りだ。
他にも、ライオンや虎などを飼っている物好きな金持ちがゾンビ化し。ペットが逃げ出した場合の惨禍をあまり想像したくない。
他の熱源も探してみるが。
どうやら空爆しなかった結果、ペットだった生物がかなり生き残っているようで。
あるビルでは、アナコンダに威嚇された。
多分まだ生に近い状態だったゾンビを喰らって、それっきりだったのだろう。蛇は極めて燃費が良い生物で、場合によっては一食で一年保たせることが出来るケースもある。此方も、駆除せざるを得ない。
人間を獲物と認識した時点で。
生かしてはおけないのである。
勿論ジャガーやアナコンダに罪は無い。
身勝手な人間が、自己顕示欲や興味で勝手に飼っていた。それが逃げ出しただけだ。だが、人間の害になる以上、カルネから見れば見逃してはおけないのである。
アナコンダも蜂の巣にすると。
次を探す。
四ヶ所ほど、可能性がありそうな痕跡を探るが。
一箇所では、なんとドローンを潜り込ませた途端にゾンビに飛びかかられて。少しばかりひやりとした。
勿論回避して、蜂の巣にした。
どうやら、地下空間に入り込んだゾンビが、其所から出られなくなっていたらしく。電波で活性化していたらしい。
奥まで調べて見るが、やはり電気系統が生きていただけ。
ただ、どうやら。
求めていたサンプルが見つかったらしい。
呻きながら何かが冷蔵庫にかじりついている。しかも、かなり小柄である。
調べて見るが、ドローンに反応しない。
子供だ。
ただ、重度の知的障害があるらしい。身体障害もかなり重度だ。どうやって生きていたのかは分からないが。いずれにしても保護しなければならないだろう。
ドローンを複数呼んで、確保。
数機のドローンで運び出す。
或いは、あのゾンビは、この子供の親だったのかも知れない。
だとすると、襲われなかったのは奇蹟に等しかったのだろうか。
勿論、ゾンビ化すると、親だろうが子供だろうが、容赦なく襲いかかる事は今までのケースで実証されている。
何ら関係無い他人だった可能性が一番高いのだが。
少し、感傷に浸りたかった。
確保してある病院に、子供を空輸。医療班に連絡して、状況を告げる。恐らく、可能な限り考えられる最高のサンプルだ。勿論非人道的な言い方である事は分かっているが。今は何もかも選んでいられない。
医療班が、病院での調査を開始。
麻酔を打って、呻いて暴れる子供を黙らせると。
調査を開始。
同じ生存者の奈木はティーンエイジャーだが。この子供は、どうみても七〜八歳だ。発育が遅かった可能性もあるが。少し調べて見る必要がある。
カルテなどを調べて見ると、一致例がない。
私生児か。
いや、ちがう。
調べて見ると、どうやら親が見放した子供を孤児院が売りさばき。奇形の子供を集める趣味がある最低な金持ちが買い取った、というのが生存の理由であるらしい。たまにいるのだ。そういう狂人が。勿論善意からではなく、オモチャとして飼育するためである。最悪の連中だが、まあもうもれなく地上には生きていない。
そんな風にして買い取られた子供が他にも先ほどの建物にはいたようだが。健康な順にゾンビになり。動けるものはさっきのゾンビ達と同じように運河に落ちるか、或いはさっき撃ち倒したゾンビがその一人だったのかも知れない。
ともかくゾンビにならなかったこの子供は。
奈木とは別のベクトルで、希望になりうるかも知れない。
ただ、どうやって生きていたのかは気になる。冷蔵庫もろくに開けられない様子だったのだが。
医療班は大急ぎで調べていたが。
間もなく、妙なことを言い出す。
「腹の中が空っぽだ。 どうやってこの子供、生きていたんだ」
「身体障害もある。 まともに動けたとは思えない。 ゾンビ化した子供達のエジキに何故ならなかった」
「他にもゾンビはいたのだろう? もっと二次的な資料がほしい」
無言のまま、建物を調べたデータを渡す。
確かにかなりの数のゾンビが、建物から這いだした形跡がある。
建物はビルだが、このビルが丸ごとその金持ちの持ち物で。一階だけは擬装用の店舗が入っており。
二階から上は飼育施設だった様子だ。
店舗は特徴的な造りで、金持ちとしても売り上げなどは一切期待していなかったらしい。その特徴的な作りに引っ掛かり、さっきのゾンビが右往左往していたのだろう。
そして見つけた生存者は。
バックヤードの冷蔵庫に降りてきていた。
一階と二階の間には電子錠の掛かった扉があり。
其所に監視カメラもついている。
今は電子錠が壊されて、ドアがぶらんぶらんになっているが。これはゾンビパンデミック初期に、中から逃げ出そうとしたものがやったようだ。
アクセスして、監視カメラの映像を調べて、そう結論。
なお此処で悪趣味な外道行為に浸っていた金持ちは、真っ先にゾンビ化。障害を持った子供達を襲おうとしたが、返り討ちに遭い。窓から放り出されて、地面で潰れていた。
子供達の「飼育」用に家政婦も雇われていた様子だが。
いずれも訳ありの家政婦ばかりだった様子で。
ゾンビパンデミックの初期に一階店舗の売上金(雀の涙だが)を持ち逃げ。或いは金庫をどうにかしようとしている内に、ゾンビ化。そのまま、餌を探して家から出て行った様子だ。
子供達はいずれもが独立した部屋に入れられていて。
ゾンビ化すると、黙々と餌を探して部屋を出て行ったようである。
餓死した子供はいない。
多分だが、金持ちが「まったく動けない」レベルの重度の障害者に興味を持っていなかったのだろう。
とことん吐き気がする邪悪だが。
ともかく、色々な幸運が重なって、サンプルになりうる。人類の希望になり得る子供を確保出来たことになる。
医療班に資料を渡して。後は他の生存者を探す。
この様子なら。
大都市でなら、或いはまだ生き残りがいる可能性を、否定出来なかった。
4、世の無常
奈木が探していた生存者が、凄惨な姿で見つかった。
ベッドで縛り付けられていたところを、ゾンビに襲われ、生きたまま食い千切られたらしい。
映画に出てくるゾンビほどの脅威度はないが。
身動きできない人間が遭遇すれば、こうなる。
文字通り全身をよってたかって食い千切られたらしく。血だらけのベッドと、バラバラになった骨が辺りに散らばっていた。
生きたまま食われた、と言う訳だ。
どうやら治療の最中にゾンビパンデミックが生じてしまったらしく。身動き取れないところにゾンビが乱入。
こうやって、食い散らかされてしまった様子だ。
気の毒だが、帽子を下げる以外にない。
奈木は慣れたものなのか。
一瞥だけすると、次はどこに行けば良いのかと、静かすぎるほどの声で聞いてくる。オペレーターがとなりで青ざめていた。
「其所で仙台の生存者の可能性がある場所は最後だ。 今度は南下して、大洗に移動してほしい」
「此処からだとかなり距離があるけれど」
「大丈夫、車を同じように使ってほしい。 其方では幾つかセーフハウスも確保してあるし、電気もある。 まともな食糧もある」
「……分かった。 移動する」
奈木は不機嫌そうに建物を離れる。ゾンビはもう仙台から駆除済み。今、大洗でも駆除を開始している。
大洗と言えば、関東最大の水族館があったか。
もう残念ながら、水族館の魚たちは全滅してしまっている。こんな状態では仕方が無いが。
奈木が移動を開始するのと同時に、大洗でのゾンビ駆除を開始。
大量のゾンビが、海に誘導され。
海の生物が、動く腐肉に群がりはじめ。やがて凄まじい波しぶきが立ち始めた。腐肉でも平気で口にする海棲生物は多い。何もカニや海老だけではない。
大洗は爆撃されなかった事もあり、更にはこの手の近代都市にしてはかなり整備が進んでいることもある。
珍しいやり手の市長が回していた場所で。
逆にゾンビパンデミックの際には、多くのゾンビが此処に集まり。大量の物資を貪る事になった。
そして街の地下に大量に巣くったゾンビ共は。
今、引きずり出されて。そして海で魚のエサにしている。
内陸部だと、集めて焼く必要があったが。沿岸部だと、海に捨ててしまえば良いのでそれで楽だ。
生き残った人間が、家族をどうしてこのような目にあわせたと非難するかも知れないが。
正直な話、もはや人道を優先している余裕は無い。
医療班にサンプルは渡した。
それならば、カルネは可能性が高い生存者を、どうにかして探していくしかない、というのが実情なのだ。
時間は限られている。
此処、米軍の最後の中枢だって。いつゾンビ化が始まってもおかしくない。
カルネだって、ゾンビにいつなる事か。
奈木は寡黙な子で、ずっと車の中で静かにしている。車の中で、音楽を掛ける事も無い。オペレータが不気味だと言ったが。別にそうは思わない。静かな方が好きな奴もいる。どうして自分と違う相手を、気味悪がる事しか出来ないのか。
この時代になってもこれだ。
本当に人間とはどうしようもない。
この状況でも、自分から見て気味が悪いとか、そんな事をほざいているのである。
人間が滅ぶのも、当然なのかも知れなかった。
もう、どうでもいいとさえ、時々思いたくなるが。
それでも、他とは一緒になりたくない。
だから、希望の道を探す。
国道はやはり事故車でかなり移動しづらい状態だ。自動運転で、車を何度も右往左往させながら、一日がかりで大洗に近付く。場合によっては、擱座している車をどけたいとさえ思うが。
今動かしている車に、その機能は無い。
ガソリンスタンドに到着したので、奈木に指示して、ガソリンを補給させる。
まだ自動で動いていたのは助かった。下手をすると、ガソリンスタンドに電気を補給しなければならなかっただろう。
「ゾンビの駆除、概ね完了、と。 奈木がつく頃には、生存者の可能性ももう少し解像度を上げてまとめられるかな……」
「いるのかな、生存者なんて」
「ニューオーリンズで一人見つけたところ」
「ふうん……」
奈木のことだ。
訳ありだと言う事はもう理解しているのだろう。誰が生きていようが、興味も無い、という雰囲気だ。
この子を此処まで歪ませたのも、人間の業。
そしてその業は、このような状態に世界が落ちても、何ら変わる事がない。
まあどう客観的に見ても人間は駄目だが。
それでも何とかあがいてみたい。
そう、カルネは思うし。
そう思わなければ、やっていられなかった。
(続)
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