希望と絶望
序、囚われの籠
捕まった。それは奈木も分かっていた。麻酔が切れる度に、何度も麻酔を嗅がされて。そして運ばれているようだった。
何をされるのか分からないけれど。
どうせ碌な事はされない。
意識がしっかりし次第、絶対に逃げ出してやる。そう考えるけれど。その度に麻酔で意識が飛ぶ。
カルネとか言ったか。
完全に上を行かれた。声を聞く限り、同年代にも思えたが、名前からして多分日本人では無い。
日本語も使える、と言う事だろう。
日本語は世界的な基準から見ても相当な難読言語で、読み書きを自在にこなすとなると相当な才媛の筈だ。ましてや米軍の残党という話が本当なら、或いは飛び級で大学とか行っている子かも知れない。
そういう子が米国にはいると聞いているが。
しかしながら、エリート教育の本場という幻想も、実際には日本と同じように金持ちが裏口入学していた現実が近年報道され、打ち砕かれている。
天才でも、多分肩身は狭かろう。
そう思った。
やがて、寝かされているのに気付く。手足はバンドで固定されていた。周囲に人はいない。消毒の嫌な臭いがする。
服は脱がされて、リネンに変えられていた。
不愉快だけれど、抵抗する力も湧いてこない。多分散々麻酔を嗅がされたからだろう。悔しいが、身動きも出来ず。
そのまま、天井を見ているしか無かった。
点滴もつけられている。
多分この様子だと排泄も垂れ流しだろう。
おむつか何かつけられているかと思うと、非情に悔しいが。
ともかく今は、機会を窺うしかない。
カルネとか言う奴は、あれから喋りかけてこない。いずれにしても隙を突いて絶対に逃げてやる。
そう決めて、奈木はしばらく黙って静かにしている。
今のところ、切り刻まれる様子も、犯される様子も無い。
仮にそうなったとしても、最後の最後まであがいてやる。このまんま、この腐った世界で死んでたまるか。
もう人間なんてどうでもいい。
最後の一人になってでも生き残ってやる。
それが本音だ。
しばしして。声が聞こえてくる。
「ハーイ。 そろそろ頭がしっかりしてきた頃かな」
カルネだ。
ハーイなんて挨拶、本当にするんだなと、それだけは少しおかしい。まあ不思議な事ではないのだろう。
「それにしても随分手間取らせてくれたね。 とりあえず今の時点で分かっている事を伝えておくよ」
ガン無視。
というか、意識がないように見せておいた方が良い。だがカルネはお見通しのようで、一方的に通告してくる。
「ゾンビ化について、今まで分かっている事が幾つかある。 その中でもっとも大きな一つが、どうも健康では無いほどゾンビになりにくい、ということだ」
なるほど。
晴菜がどうしてゾンビになるのが遅れたのか。
それについてはよく分かった。理屈が通っているとも思う。
それが本当だとしたら、納得がいく。そして、あくまで耐性であって、なる時はなるのだろうとも。
「だが君は、無能では無い自衛隊のドローンからも、うちの軍の本職からも逃げ切るほどの健康ぶりで、とうとう米軍でもっともドローンを良く知ってるボクが出る事になったんだよねえ。 まあ君がどうして逃げ続けるのかはどうでもいい。 話を進めるよ」
バンドが堅いな。
そう思う。
多分此処は、病院だった場所、なのだろう。
ゾンビパンデミックの初期に、病院はそのまま巨大なゾンビの巣になってしまった。まあ当然だろう。
その後、自衛隊がちまちまお掃除をして、ゾンビを片付けたのだろう。ドローンを使って。
そして今は、遠隔で操作しながら。おっかなびっくり奈木を弄くり回そうとしている訳だ。
ちなみにカルネがいう事は話半分くらいにしか聞いていない。
というか、奈木は。
もう人間が喋る言葉を信用するつもりは無い。
「君の体を調べた結果、一つ分かった事がある。 それは、君に生殖能力がないっていう事だ。 君はミドルハイスクールの二年生のようだが、まだ生理が来てないだろ。 ちょっと遅いと思わなかったか?」
それは知っている。
生理が来るのが嫌に遅いという事は自覚があった。
実の所、もう少しして駄目なようなら病院に行こうという話もしていたのだが。そんな話が此処でされるとは。
「此方で調べて見た所、どうやら君の性的能力は機能していない。 遺伝子を調べた所、先天性の欠陥だ。 正直な所、残念だとしか言えない。 ゾンビ化しなかった理由は、これで説明がついたも同然だからね」
すこぶるどうでもいい。
男に興味なんかないし。
男と寝るつもりもない。
子供を作るつもりだってない。
スクールカーストでガチガチの学校で、人間の醜さは嫌と言うほど見て来たのだ。あんな連中と交わるつもりは無い。
「だが、逆に言えば。 君にはそれ以外の身体的欠陥がない。 ひょっとすると、それが突破口になるかも知れない。 人類を救える可能性がある。 これから力を貸して貰えないだろうか」
「……知るかっ!」
流石に頭に来たので、もう意識がないふりもやめだ。
どうせ向こうは気付いているし。
これ以上狸寝入りを続けても意味がない。そして相手は、もう此方が協力する気が無いことだって分かっているだろう。
「人類なんか滅べば良い! 私はお前達なんかの好きになんかされるか!」
「此方は遠隔操作で作業をしているんだよ。 抵抗されると色々面倒なんだけれどなあ」
「だったら精一杯抵抗してやる」
「じゃあ仕方が無い。 出来れば同意の下協力してもらいたかったけれど、眠っていて貰うからね」
多分麻酔を嗅がされたのだろう。
奈木は意識を殆ど一瞬で失った。
強烈な麻酔を喰らうと、しばらくは夢も見ない。
ぼんやりと泥のように意識が濁るが。
どうしてか。
その間、何かしら体を弄くられていることは分かった。多分あらゆる事を。屈辱的なことを。
されているのだろう。
何か聞こえる。
「身体能力は抜群に高い。 筋肉量が多い」
「調べて見た所、水泳のエース選手だったらしい。 年齢による身体能力差が大きいミドルハイスクールで、一年生でレギュラーだったそうだ。 そのために学校でもあまり良い扱いを受けていなかったとか」
「優秀な人間なのに?」
「悪目立ちするだけで叩かれるのは君も経験があるのでは無いのか」
カルネの声。
舌打ちしている様子だ。
なるほど、多分だが、カルネも恐らくはつまはじきにされていたのだろう。日本では飛び級制度なんてものはないけれど。声を聞く限り同年代のカルネだ。こんなプロジェクトに関わっていると言う事は、何度も飛び級をしている筈で。
周囲の人間からはきっと疎まれていたのだ。
ならばどうして。
こんなどうでもいい世界のために、身を粉にして働こうとするのか。
倫理観からか。
そんなもの、周囲の大半の人間が持ち合わせていなかった。必死に他人のあら探しをし、スクールカーストを肯定し、虐めを肯定し、あらゆる正義と努力を嘲笑い。そして楽にいい加減に生きるためには、他人を殺す事を何とも思わない連中ばかりだった。
全員がそうだとはいわない。
例外もいたにはいたが、それは変人と呼ばれていた。
奈木は努力すればするほど肩身が狭くなる事実を。
虐めが肯定され、倫理観が全否定される社会を見てきた。
だからこそ、あんなものは滅びて当然だとも思う。
それに晴菜を失った今となっては。
もう守るものだってない。
ああ、もう。
どうして麻酔は覚めないのか。余程強烈な奴を嗅がされたのか。いや、何だか思考が動いていると言う事は、多分麻酔は切れている。そうなると睡眠剤か。余程強烈なのを嗅がされたのか。
それもちょっと不可思議だ。
いわゆるクロロホルムは、漫画みたいに効かないと聞いているし。
そもそも夢は、眠りが浅いときに見るものだと聞いている。
だとすると。
目が覚める。呼吸を整えながら、現状を確認する。リネンが変えられているし、麻酔された間に色々されたのだろう。
いや、現在進行形で、ロボットアームが何かしている。
声は聞こえない。
多分操作している向こう側では、色々話してはいるのだろうが。
「精神力で無理矢理起きたのか。 中々非常識だな……」
「離せバカっ!」
「結束バンドを強化。 ちょっとこの様子だと、ベッドごと壊れて逃げ出しかねない」
「……っ」
わざと聞こえるように指示を出しているのが分かって口惜しい。
確かに無理矢理暴れれば、ベッドを壊せるかと思った。だが、よほど強靭なベッドらしく。多分ちょっとやそっと暴れたくらいでは、壊れそうにもない。
そうなってくると、しばらく様子を窺うしかない。
まだ視界が定まらない。
ぼんやりする周囲を見回すが。首すらも、ロクに動かせない状態だ。
カルネが話しかけてくる。
「この世界に不満が大きいみたいだね」
「そっちもじゃないの?」
「大きいよ」
「……」
即答しやがった。
だが、カルネは黙々淡々と奈木の体を弄くり回している。麻酔そのものは効いているようで、痛みはないが。
多分今は、開腹して中身を見ているのだろう。
口元の人工呼吸器が煩わしい。
「だけどねえ。 もしも此処で出来る事をやらないと、ボクを馬鹿にした連中と同じになっちゃうからさ。 訳が分からないマナーだとかスクールカーストだとか、更には見かけだけで相手を全判断して、自分を正義だと信じて疑わない。 それが普通の人間で、普通の人間はアホなんだよ。 人間は客観性を持てるようには出来ていない。 でもボクはこれでも客観的にものをみて、判断出来る存在であろうとは思っているんだよ。 だから、アホどもと一緒にならないためにも、この仕事をしているのさ」
「……この世界を再建すれば、蔓延るのはそのアホ共じゃないの」
「その通りだろうね。 そしてこんな状態になった以上、人類は詰みだ。 元々資源も尽き掛けていたし、宇宙に出られればまだワンチャンあったんだけれどね……この星で人類は命運尽きるだろう」
現実的な言葉だ。
だが、それでもカルネは、迷ってはいないようだった。
「ただ、それでも何かあるかも知れない。 少なくとも今の人口で科学技術を保持できれば、再建時に資源を使い切る前に宇宙進出出来る算段がつくかも知れないし、或いは今人類を覆っている弊風……人間原理主義とでもいうのかな。 無意味で無能な人間賛歌を振り回す風潮もどうにか出来るかもしれない。 ボクは別に世界一の天才でも英雄でもないけどね、そんなものに賭けてみたいのさ」
「……」
「別に君にボクと同じ夢を見ろとはいわないさ。 人間はそれぞれ考えかが違うのが当たり前だからねえ。 ただ、今回ばかりは無理にでも協力して貰う。 どうしたって、君がいるからね」
反吐が出る。
人間がカスだと分かっていても夢を見たい。
未来に賭けたい。
仮にこの事態を収束できたとして。英雄の座についたカルネはすぐに追われることが目に見えている。
教科書には載るかも知れない。
だがそれだけだ。
個人としては飼い殺しにされるか、後から這い出てきた連中が偉そうにのさばって、地球を食い潰していくのを見ている事しか出来ない筈である。
奈木だってそうだ。
最初はワッショイワッショイと持ち上げられるかも知れないが。
ただそれだけである。
そもそも子供が産めない、という時点で色々なハンデがつくだろうし。
この地球を再興するとなったら、どうせ前よりろくでもない状態になるのは目に見えている。
世界史の先生が言っていたか。
混乱期は権力を集中し。
安定期は権力を分散する。
それが人間の文明がやってきた事で。それが上手に出来る文明は、長持ちするのだと。逆に失敗すると、文明レベルでの崩壊を迎えるのだと。
ロクな教師がいない中、数少ないまともな教師だった。
だけれどあの先生も、部活の顧問を押しつけられ。三ヶ月と持たずに体を壊して辞めていった。
何でも、クラスでスクールカースト起因の虐めもあったらしく。
それをどうにもできない事も、ストレスに拍車を掛けていたらしい。
教師も生徒も、根性がない奴と笑っていたが。
その根性で来年度のエースをもぎ取った奈木に対しては生意気呼ばわりしていた。
本当にどうしようも無いクズしかいない。
奈木は正々堂々とエースの座を得たのに。
どんな手でも使うような輩は褒め称えるくせに。
真面目にやる人間は馬鹿にする。
文明を再建する過程で、奈木はどうせ利用されるだけ利用されて、ガムのように吐き捨てられるだろう。
或いは暗殺されるかも知れない。
用済みの英雄など、いらないからだ。
仮に奈木の体から抗体だの何だのが見つかったとして。
それに感謝する人間なんぞ、出る筈も無い。
その確信が、奈木にはあった。
「……何か見つかりそう?」
「いや、まだまだデータの精査がいるね。 どうしたのさ」
「絶対に脱出してやる。 精々精査とやらを急ぐんだね」
「これは困った。 君を捕まえるのに、相当苦労したんだよ。 また逃げ出されてはたまらん」
カルネは本当に困っているようで。
それはちょっとおかしかった。
というのも、脱出のしがいがあるからだ。
また麻酔を嗅がされて、意識が薄れる。
今度は夢を見た。
正真正銘の夢だ。
晴菜が生きていて、一緒に学校に通う夢である。スクールカーストなんてものは存在しなくて。アニメに出てくるような変わり者がたくさんいて。それでいながら差別されていない夢のような場所。
アニメはいいなあと思った事がある。
変わり者でも差別されない。
見た目が変でも差別されない。
真面目に努力しても生意気だと言われないし。複雑怪奇な作法の類や、スクールカーストのせいで同年代の間でも生意気だとか言われない。
挙げ句の果てに意味不明なマナーを振りかざすマナー講師もいないし。
学校を出た後ブラック労働で過労死することだってないだろう。
子供が産めないと分かった奈木だが。
多分二次元の世界だったら差別されないんだろうなと思うと、そっちに生まれたかった。この夢は、多分その願望が形になったものだろう。
分かっている。夢だという事は。
だからこそ、一時の夢を貪りたい。
ふと、目が覚める。ロボットアームは動いていない。おなかも閉じられているようだった。
しーんとしているという事は、作業が一段落しているのだろう。
機械類は動いているようだし、監視カメラも動いている。結束バンドは、更に強化されているようだった。
まだ体が重いが。
ゆっくり周囲を見回して、確認をしていく。
窓はあるにはあるが、鉄格子がはまっている。あんなもの、流石に外しようがないだろう。
ドアは。
鉄製だ。あれも体当たりで開けられるような代物ではない。
多分特別な患者が入れられる病室だったのだろう。それを即席で改造したとか。或いは、国の研究機関とか。表沙汰に出来ないような実験をしている様な研究機関の一室を使っているとか。
そんなところだろう。
栄養の点滴と、おむつが鬱陶しい。
リネンもいらだたしかった。
さて、しばらくは様子を見て、隙を見て絶対に脱出してやる。最初の勝負はカルネに一本とられたが。
今度は逆に裏を掻いてやる。
伊達にずっと逃げ続けたわけじゃない。
いつまでも好きにはさせないからな。
そう、奈木は誓っていた。
1、希望の小さな光
カルネはレポートを書いて副大統領に出す。会議が行われ、すっかり窶れきっている副大統領は、ホラー映画の登場人物のような笑みを浮かべていた。
米国もなんだかんだでマッチョ文化の世界だ。
とにかく強そうな人間の方が選挙では有利である。大統領選でもそれは同じ。強そうな指導者に票を入れる。単純な理屈だ。
副大統領も、前は屈強でいかにも強そうだったが。
いつゾンビ化するか分からない恐怖。
日に日に悪化していく状況もあって。
今はすっかり焦燥しきっているようだった。まあ、これについては正直な所、カルネも同情せざるを得ないが。
「そうなると、現時点では生殖機能の欠如以外に、広中奈木に体の欠陥や病気は見つかっていないということだな」
「健康そのものです」
成果を強調するように、医療班の人間が胸を張る。
実の所、ドイツのチームに精査させた方が良いのではないかと思ったのだけれども。好きなようにやらせた。
どうせどっちがやっても同じだ。
カルネも手術の様子を見たが、確かに健康そのものの体だった。先天性で子供が産めない事以外は。
とはいっても、カルネだって恐らくは、この高IQは「異常」に分類される筈。
人間は見かけを最大重視するが。
それ以外にも自分と同じであることを最重視する。
結局の所、カルネが此処で浮いているのは、周囲と違うから。
そして今まで、飛び級でエリートコースを突っ走った者達が、ロクな人生を送れなかったのも。
周囲と違うから。
歴史に名を残している天才は例外なく変人だが。
彼らは本当に運が良かったのだ。
理解者に恵まれたり。
それに天運が味方したりしなければ。
下手をすれば、悪魔憑きだとか言いがかりをつけられて殺されたり。或いは親に見捨てられてのたれ死んだりしていただろう。
歴史上、そうやって屠られていった有用な人材は幾らでもいたはずで。
広中奈木が、無政府主義者というか、虚無思想というか。そういうのに取り憑かれたのも、なんとなくカルネには分かるのである。
「抗体の類は見つかったか」
「いえ、それはまだ。 ただこのデータをベースにして、色々と試行錯誤をして見る予定です」
「すぐに実行に移せ」
「分かりました」
会議を終えることを副大統領は告げて、自室に戻っていく。
あの窶れぶり。
ゾンビが此処で出るとしても、副大統領はすぐにはゾンビ化しなさそうだなと、少し失礼なことをカルネは思った。
健康な人間からゾンビになる。
それはもう鉄則としてあるのだ。
ふんと鼻を鳴らして自慢げな医療班が滑稽だ。誰が奈木を捕まえたと思っているのだろうか。
そもそも、奈木を捕まえられなかったのは無能だからだと、陰口をたたいているのを聞いている。
反吐が出る話だった。
確かに奈木が嫌気が差すのも分かる。
こんな状態でも人間は、何ら変わりはしないのだから。カルネが多少忖度でもしてやれば、態度を変えたのだろうか。
馬鹿馬鹿しい話である。
まあこの様子では、カルネの功績は黙殺されそうだなと思いつつ。自衛隊と連絡を取る。
基地の防空システムと。
基地内の生存者について、聞きたいと思ったからである。
ネゴシエーターも呼んで貰う。
その間に、奈木のセキュリティを確認。
流石にガチガチに固めてある。物理的に脱出不可能な状態になっているが。ただ、ベッドに縛り付けたままだと、ストレスでおかしくなる。だから定期的に睡眠薬を嗅がせている状態で。
あまり体に良いとは言えない。
とはいっても、奈木はプロが操作するドローンの監視をかいくぐり、巧みに逃げ回ったのだ。
ただでさえ見張りもおけないこの状況。
ガチガチに守りは固めるしかない。
奈木が寝ているのを確認した後。
自衛隊と連絡を取る。
向こうも、自分達が作ったへっぽこプログラムに振り回されていたようだが。やっとそれを黙らせられた様子である。
「広中奈木の確保と情報の共有は受けた。 今後の成果を期待する」
「此方こそ場所の提供など感謝する。 其方の進捗を聞きたい」
「今、防空機能を眠らせた基地にドローンを侵入させて、内部の生存者を探しているところだが……」
「何か問題があるのか」
口が重い。
色々と動きが鈍いなあと思う。
米軍の他に自慢できる取り柄は、失敗をフィードバックできる事で。しかもそれが早い事だ。物量だけが取り柄では無い。
実際先の大戦では、その失敗のフォードバックが、戦況の挽回を早めた。
確かに異常物量も大戦の勝利に貢献はしたが。
まあ、どこの国でもそれが出来る訳では無い。相手に期待しすぎることは、却って円滑な行動を阻害させる。
「問題があるなら手伝おう」
「……防空システムを黙らせた途端、大量のゾンビが押し寄せている。 今、ドローンを総動員して駆除にあたっている状況だ」
「どういうことだ」
「今まで防空システムが過剰反応していた結果、大量の鳥を撃ちおとしていた。 その鳥を狙って、近場の街に潜んでいたゾンビが押し寄せている」
ああ、そういう事か。
自衛隊は無人兵器にはそれほど強くなかったはず。
米軍もそこまで無人兵器に突出して強い訳では無いが、現在セントリーガンや自走式の装甲車などは実用化していて、戦場に投入されている。
ドローンも自衛隊のはそこまで性能が良くなかったはずだから。
ゾンビそのものがそれほど強くないとしても、駆除は苦労しているだろう。
「此方から援軍を出す。 在日米軍基地から、動かせるドローンを回す」
「……しかし、それは」
「今は少しでもデータがほしいときだ。 更に言えば、時間が一秒でも惜しい」
「分かった。 頼む」
カルネは咳払いすると、大統領に今の話のレポートを作って持っていく。
大統領は目の下に隈を作っていて。
陰気な目でカルネを見ると、許可を出してくれた。
すぐに展開中の第七艦隊を経由して、在日米軍基地にアクセス。近場の基地二つから、ドローンを回す。
見ると数百人ほどのゾンビが、ドローンの火炎放射器にめげずに鳥の死骸を貪り喰っている。
どこにこんなに潜んでいたのかと呆れたくなるが。
ともかく今は駆除が優先だ。
操作をしながら、時々奈木の様子も確認。
今の時点で逃げる兆候は無い。
だが、セキュリティシステムを組んで、無人機を使って周囲に構築していくのは手間で。順番にやってはいるが、色々大変だ。
最悪の場合、施設全体に睡眠ガスを流して奈木を捕まえられるようにもしたいのだけれども。
そこまでの許可が自衛隊から下りるかは分からない。
そもそも日本の施設だ。
魔改造のやり過ぎは、色々と反感を買うだろう。
ドローンの操作そのものは、カルネが行う。
というのも、又聞き状態になっているわけで。カルネがしっかり面倒を見なかった場合、責任が取れないからだ。
その間、奈木の監視は別の人間に代わって貰う。
退屈そうだが、奈木がどれだけサバイバルスキルに長けているかは、此処にいる皆が知っている。
そして、逃がすことがどれだけ致命的かも。
監視はそのまま、油断せずやってもらう。
ゾンビの駆除を可能な限り効率的に行うが。やはりドローンは稼働時間に色々と課題がある。
行ったり来たりを繰り返しつつ。
火炎放射器やら、小型のミサイルやらで、ゾンビを消し飛ばしていくが。
それでもわらわらわらわらと湧いてくる。
少し妙だなと感じ始めたのは。
ゾンビの撃退を開始してから、一時間ほど経過してからである。
この基地、何かあるな。
そう判断した。
自衛隊の方と連絡を取る。
「どうした、駆除は順調のようだが」
「何故新しいゾンビが次々に来るのかが分からない。 近隣のゾンビが全て集まって来ていないか」
「そういえば、おかしいとは思っていた。 防空システムが沈黙してから、ずっとこんな調子で……」
「セントリーガンを空輸する」
それで少しは時間を稼げるはず。
第七艦隊からヘリを飛ばし、高高度から投下する。パラシュートで地面に落としたセントリーガンを、更にドローンで空輸。
自衛隊の基地(駐屯地と言うらしいが)に設置して、ゾンビをより効率よく駆除する。
その手続きをし終えてから。
もう一度様子を見ると、やはり相当数のゾンビがまたお代わりで入っている。
これは明らかに異常だ。
奈木の様子を確認。
今は起きて、結束バンドを外そうと色々しているようだが。まあ好きなようにさせておく。
睡眠薬を定期的に入れているが。
たまに起きて動いた方が、奈木としても気分転換になるだろう。それにあの結束バンド、200キロあるような奴が暴れても外れない代物だ。一度素っ裸にした奈木が外せる訳がない。
それでも監視は続けるように指示をした後、自衛隊と話す。
幾つかの不審点を問い詰める。
そうすると、しばしして。
やっと口を開いた。
「実は、ゾンビパンデミック初期に確保した、妙なゾンビの研究を行っていた施設だったんだ」
「基地内にそんな施設を」
「最初期に懸念されたのは、野党の動きだった。 米国でもそうだったと思うが、近年うちの国の野党は……」
ああ、そういえば。
日本は政治家がとにかく無能な国だった。与党も駄目だが野党も駄目。
とはいっても、近年はこれといって先進国に出来る指導者はいなかったが。ともかく、日本人が政治に対して嫌気が差しているという話は聞いたことがある。
まあ米国でも、あまりにも五月蠅いリベラル思想に皆嫌気が差して、過激派の大統領を当選させたケースがある。
対岸の火事とは言えない。
「今生存者がいる可能性があるのは、その施設内だ。 我が国でも最高レベルの気密を駆使していて……」
「そんな凄い施設なら、どうして連絡が取れない」
「スタンドアロンにしているからだ。 先も行ったとおり、懸念していたのは……」
「そういう事か」
頭を掻く。
元々東西の勢力が衝突する緩衝地帯だった日本だ。一時期はスパイ天国などと言う言葉もあった。
だから施設をガチガチに固めていたというのは分かる。今回は、それが徒になってしまった訳だが。
いずれにしても、早く内部と連絡を取ってほしいと促すが。
それについても、相手の口が重い。
ネゴシエーターに代わる。
もう面倒くさいと思ったからである。
しばらくはゾンビ駆除に専念する。セントリーガンが到着したのが四時間後。セントリーガンがゾンビを全自動で駆除し始めたので、ドローンの操作を切り上げて、一旦引き上げさせる。
しばらくはこれで良いだろう。
ヘリについても、第七艦隊から飛ばしたものの乗務員は、特に体の異常を訴えたりはしていない様子だ。
まあ一度超高高度まで上がって、其所から物資を投入したのだ。これでゾンビ化が発生したらたまったものではないが。
しばらくハンカチを被って休む。
医療班が、ゴタゴタを見て鼻で笑っているようだが。
そっちはそっちでさっさと成果を出せ、と言いたい。実際問題、まだ奈木が健康体だという成果しか出せていないのだ。抗体の類が都合良く見つかるとはカルネだって思っていないけれど。
とにかく今は成果が必要なのである。
二時間ほど仮眠を取った後。
ネゴシエーターと話す。
うんざりした様子で、しばらく口をつぐんでいたネゴシエーターだが、やっとそれで真相が分かった。
「ドアが開かない!?」
「スタンドアロンのシステムを頑強に作りすぎて、今の手持ち装備でドアを穏当に開ける手段がないそうだ。 内部にいた研究者達が籠城を決め込んでいる事もある。 また、内部の人間に、外部の状況を確認する手段もないらしい」
「アホか!」
「いや、そういってやるな……」
ネゴシエーターが遠い目をする。
確かに国内のマスコミやら野党やらはまるで信用ならず。与党だって無能揃い。官僚も大差ない。
それは分かっていたが。
いくら何でもそれはやり過ぎだろう。
ただ、完全密封状態で生命活動が確認できるのだとしたら。
無理にドアを開けてしまうのは、それはそれでまずいという事も自衛隊は考えているらしい。
確かに気密服さえ貫通するゾンビ化だ。
今の無茶苦茶な箱っぷりが、内部の何か生きているものを守っている可能性は高い。
その一方で、セントリーガンの様子を確認すると、弾の補給をしながら、まだゾンビと交戦している。
もうキルスコアは四桁に達していて。
これはこれではっきり言って異常だ。
駐屯地の近くには相応の街があって。地下にはかなりの数のゾンビがいる事が確認はされていたが。
それが全部集まってくる理由が分からない。
ゾンビには知能がない。
とっくにそれは判明している。
だとすると、たかが撃ちおとされた鳥を求めて、此処に集まってくる理由が存在しないのである。
「ともかく、それならドアを壊さず内部と連絡を取る方法を……」
「今自衛隊内で有識者会議の準備をしているそうだ」
「準備……」
「テレビ会議の準備に手間取っているらしい。 国内で生き残っている自衛隊の部隊の幹部達を全員招集する必要があるとかで」
頭を抱えたくなるが。
もういい。
とりあえず、今は奈木の確保の維持。更には集まってくるゾンビ駆除の続行である。
更に第七艦隊から、追加のセントリーガンと弾薬を投下して貰う。
第七艦隊の物資もかなり減ってきているが。幸い軍事物資は使いようが無いので、快く聞いてくれるのはありがたい。
なおセントリーガンの弾丸そのものは、自衛隊の基地の備蓄から貰う。自衛隊は元々弾丸にも事欠くほど予算を締め付けられていた組織だが、今回は仕方が無い。ドローンで輸送できる分には限界があるし、何よりヘリでの空輸には危険が伴うからである。
ゾンビを三千人ほど蜂の巣にして動けなくし。
焼き払ったのは、翌日の朝。
丸一日近くゾンビと戦ったことになる。
途中からはオートで戦闘と補給をこなすセントリーガンに任せたが、夜になってからはゾンビの数が増えて、自力で調整をしなければならない場面も増えた。そのため、時々叩き起こされて、カルネも辟易した。
奈木は逃げ出していない。
だが、まだ自衛隊は「有識者会議」とやらを続けているらしい。
会議に異常な時間を掛ける組織だとは聞いていたが。
もう此方は知らない。
とにかく、解析の結果を待ちつつ。
他の生存者を探して、少しでもサンプルを増やす作業をするだけである。
自動で巡回させていたドローンが回収してきたデータを精査して、生存者の可能性を探すが。
やはり前に比べてかなり痕跡が減っている。
また、各地で生存者の可能性が示唆されていた者達が、もう残念ながらゾンビになってしまっているのが発見されており。
色々と徒労を感じてしまう。
その場は任せて、眠れるときに眠る事にする。特に奈木の監視は絶対、と言い残すと。カルネはすっかり乱れた生活リズムを嘆きながら、頼むから何も起きてくれるなよと呟きつつ。
ベッドに潜り込んだ。
自衛隊の有識者会議とやらが終わったのは、翌日の夕方だった。会議で疲弊しているらしいが。
そもそももう少し負担を減らせ。会議をスムーズに回せと言いたい。
いずれにしても、結果を聞くと。
研究施設の地下から、内部の照明の一箇所を操作できることが判明したらしい。其所を使って、モールス信号を送れば。
或いは反応があるかも知れない、と言う事だった。
研究施設は窓もロクにない箱形だが。それでも、溶接された強化硝子の内側の灯りは確認できる。
それを使って、モールス信号で会話できるかも知れない、というのだ。
なるほど。確かに利はある話だ。
だが、そもそもそんな施設があるなら、マニュアルを整備しておけと言う話で。
それが出来ていない時点で、色々と文句は言いたいが。
ただどんな国にも欠点はある。
日本は政府や会社の役員などの社会上層は無能だが、末端の人間は良くやれているほうなので。
それを責めるのは流石に気の毒だろう。
ともかくやって貰う。
生き残りがいるなら、反応してくれるはず。
ただモールス信号を理解出来る生き残りがいて。
それに気付いてくれれば、だが。
ゾンビの方は。
現時点では、新手はいないかと思ったが。補給を済ませたセントリーガンが、基地に展開し始める。
と言う事は。新手だ。
画面を確認。
どうやらまた、数百人単位で、ゾンビが押し寄せ始めているようである。知能を失い、エサに見境無くかみつく此奴らが、集まってくるのはある意味異常だ。研究施設に何かある可能性が高い。
モールス信号による通信を開始したようだが。
はてさて結果は。
しばらくセントリーガンの様子を、まずいレーションを口に入れながら見る。まともな料理を食べたいが、そうも言っていられない。此処は離島のしかも地下。まともな食糧がある外に出るだけで危ないのだ。
セントリーガンは確実に的確にゾンビを吹き飛ばして行く。
使われている弾丸は、使う人間の反動によるダメージを考慮しなくても良い事から、大口径のものだ。
故にゾンビはほぼ一撃確殺で仕留められる。
だが、それにしても数が多い。
機械特有の正確極まりないエイムで、確実にゾンビを仕留めていくセントリーガンだが、銃身が下手をすると焼き付く。
交代をしながら戦線を維持する程度のプログラムは組んでいるが。
まだまだゾンビが増えるようなら厄介だ。
第七艦隊に問い合わせるが、これ以上のセントリーガンは廻せないという。ヘリの燃料の問題、今回の件における有効性の確認、何よりヘリの乗務員の安全の問題があるから、という話だった。
まあそれはその通り。
戦闘機に乗っていたパイロットがゾンビ化した例はないが。
それでも、可能な限り陸地から離れたいという気持ちは分かる。
既にゾンビ化が発生した空母打撃群の艦船は四隻。
その全てで、乗員に自殺と自沈を指示するしかなかったのだ。
特にその内三隻を出している第四艦隊の空母打撃群は、色々と兵士達が参っている様子で。連日自殺者が出ているらしい。
いわゆるセラピーが一時期米国では流行したが。
そんなもので、自殺が食い止められはしなかった。
残念な話だが、そういうものだ。
仕方が無いので、ドローンを操作して、ゾンビの出所を探る。そうすると、おかしな事が分かる。
周辺の都市にいる生き残りのゾンビが、こぞって集まって来ているのだ。基地もとい駐屯地の廻りにある都市のゾンビだけではない。その隣街のゾンビも動き始めている。だからこの数か。
弾丸がかなり消耗していると連絡がある。
駐屯地の、備蓄弾薬の三割を既に消耗したという。
在日米軍の基地の在庫も確認するが。
それもかなり厳しい状態だ。
ともかくドローンで弾丸を空輸して、セントリーガンの防衛線を維持。さて、自衛隊の有識者会議とやらは何か成果を出せるか。ぼんやりしながら、ふと奈木を一瞥する。眠っている。
今は向こうもおねむの時間か。
ただ、油断は出来ない。
絶対に目を離すなと指示を出すと、カルネは黙々と、戦線の維持に労力を注ぎ続けた。
2、不可解なる誘引
米軍第七艦隊司令官、ウィルキンス=カプラン中将の不機嫌そうな顔を見て、兵士達は皆うんざりしていた。
カプランは「不機嫌おじさん」と兵士達に渾名される気むずかしい人物で、中将になってからもそれは代わらない。
栄光ある第七艦隊の司令官を務め、米国海軍の事実上の旗艦である強襲揚陸艦ホワイトイーグルに鎮座しているカプランは、仕事は出来る反面、人望はなく。いわゆる典型的な、上にはウケが良いが部下には嫌われるタイプの上司だった。故大統領には個人的な面識もあり、会談の際には笑顔も浮かべているが。普段は笑顔など浮かべず、特に部下に対してはしかめっ面しか向けない男だった。部下に対して公平かというそうでもなく。理不尽な理由で降格したり、無茶な命令を出す場合も多く。いつか部下に殺されるのでは無いかと言う噂も流れていた。
だが流石にゾンビパンデミック後はそれどころではなくなり。
カプランも流石にまずいと感じたか、理不尽な命令を出すことも減っている。
この状況下で、モチベーションを削ぐことがどれだけまずいかは、わかる程度の知能はあるという事だ。
最低限の知能と、ゴマをする才能があるからこそ、コネがあって出世出来たわけで。それさえなければコネがあっても出世出来なかっただろう。
カプランは今日特に機嫌が悪いが、理由は分かりきっている。
生き残っている米国首脳部から、二度も顎で使われたからである。
よりにもよって貴重な最新兵器のセントリーガンを、危険を冒して日本に空輸しろとはどういうことか。
話を聞くと、生存者を守るためらしいが。
その生存者が生きているかも分からない状況だとも聞いて。更にカプランは激怒。三度目の要請はついに断っていた。
何でも良いから、ゾンビ化だけは勘弁してくれよ。
兵士達が噂をする。
ヘリのパイロットを筆頭に乗務員は露骨に避けられていて。
決死の任務をこなしたというのに、誰も感謝していない。
これらの状況を全て見て。
ヘリを操縦して、物資を空輸したパイロット、キタル=ヘイムズ少尉は、げんなりしていた。
今の任務に、実は不満は無い。
市民の住んでいる街に空爆とか、特殊部隊と連携してテロ組織のボスを暗殺とかよりも、ずっと楽な任務だし。気分的にも悪くない。
だいたいいつ誰がゾンビ化してもおかしくない状態だ。今更びくびくしていられるか。
キタルはそう考えて、任務が終了した後自室にさっさと戻る。嫌になるほど滅菌処理を受けさせられたが。
どうせそんなもの通用しない。
気密服を着て出ていった連中が、一人としてゾンビ化を食い止められなかった事実があるのだ。
びくびくしても仕方が無い。
もしも駄目だとしたら、その時は最初から駄目だったのだと判断して、諦めるしかないだろう。
二段ベッドが並ぶ劣悪な生活環境。休憩時間を貰ったので、ベッドで横になって適当に小説を読む。
新しいものではなく、古い名作だが。
流石にすり切れるほど読んでいると、どんな名作でも読み飽きてしまう。
だから昼寝を誘引するための媒体として最近はむしろ利用しており。
適当に眠くなってきたので、眠る事にする。
そして、しばらく眠っていると。
呼び出しがあった。
頭を掻き回しながら起きる。
呼び出しがあった場合には、すぐに起きられるように訓練もしている。正直色々とアレだが。
まあこればかりは仕方が無い。
どうせあの不機嫌おじさんに報告でもしろと言われるのか。
それとも、暴発しない程度に虐めでも受けるのか。
事実不機嫌おじさんの兵士いびりは有名で。
第七艦隊の栄光ある司令官が落ちたものだと、兵士達は噂していることも多かった。同僚の中には、理不尽極まりない理由で降格させられて、深く恨んでいる者も実際に何人かいる。
髭を剃ったりして身だしなみを整えると。
呼ばれた部屋に出向く。
そして、喚び出された先には、モニタがずらりと並んでいた。
まあ何というか。
接触によるゾンビ化の危険を少しでも避けたいんだろうなと言う意図は伝わる。
だが今までの情報によって、そもゾンビ化は潜伏期間があり。しかも一度感染すると絶対に助からないという事前情報がある。
だからこそ抗体を探して皆必死になっている訳で。
こんな事をしても、今更無意味だと思う。
まあともかく言われるまま席に着く。
第七艦隊の艦長達と。現在米国の残党で最高位の副大統領がモニタに映っているが。副大統領は、見ていて心配になるほど窶れていた。
まあそれはそうだろう。
噂にしか聞いていないのだが。
こうしている間にも、状況は連日悪化していると聞いている。
何とか生存者ネットワークの構築には成功したものの。
それ以上の事は一切出来ないという有様らしく。
またどうにか確保出来た、抗体を持っていそうな人間の検査も。
医療班が倒れるほどのオーバーワークで頑張っている中、どうしようもない状況だとも聞く。
普通だったら、発狂死しているかも知れない。
まあ、そもそも状況を見るだけで異常さが分かる。
抗体を持っているかもしれない人間の確保のためだけに、栄光ある第七艦隊が動いているのである。
それだけで、米国がどれだけ追い詰められているのか、よく分かるというものだ。
「ええと君はキタル少尉だったな。 幾つか話を聞きたい」
「イエッサ」
「まず、ヘリの乗務員の様子はどうだね」
「特に問題はありません。 ヘリから物資を投下したと言っても、そもそも高度二万メートル以上からです」
二万メートルが安全かというと、分からない、である。
何しろ千q離れた島ですらゾンビが発生する。
他の空母打撃群でも、船員がゾンビ化する事態が発生していると聞いている。
そういう状況で、安全などとは口が裂けてもいえないし。
今のところ健康です、としか応えられない。
ヘリのパイロット歴20年。
前は陸軍にいて。
婚期も逃し。
そして今は第七艦隊の艦上ヘリのパイロットを務めているキタルではあるけれど。
今まで声が掛かったどの紛争よりも今は酷いし。
何が何だか分からない。
それ以外に、言えることは一つも無かった。
「そうか。 健康なようで何よりだ。 それで、日本上空へ行って見てどうだったかね」
「……」
何だか変だな。
キタルは素直にそう思った。
そもそも、日本上空と言っても高高度である。そんなところから、何か分かるわけもない。
ただパイロットとして空輸をしただけ。
それだけだと応えると。
露骨に不機嫌おじさんが不機嫌になったが。
副大統領が咳払いすると、それで静かになった。
珍しい話だ。
副大統領も、決して善人だとは聞いていない。むしろ大統領の席を狙っているという話も聞いている。
だが、この事態になってから。
それどころではなくなり。
更には心労で、生きるので精一杯になっているのだろうか。
だとすれば気の毒な話である。
同情だけはする。
立場は皆同じなのだから。同情するので精一杯。それ以上は期待して貰っても困るというのが実情だ。
そもそもむさいおっさんのパイロットを呼びつけて、しかも幹部が勢揃いである。何かろくでもない事が起きたのは誰でも分かる。
「ヘリのパイロットとして君は相当なベテランだと聞いている。 もう一度、日本上空に行ってくることは可能かね」
「はあ、やれと言われればやりますが……」
「それでは、頼みたい」
ぶつりと通信が切れる。
何だったんだとぼやきながら、眠気覚ましに顔を洗っておく。三度目の出撃に関しては、備えておく必要があると判断していた。だから仮眠をしていた訳で。本格的には眠れない覚悟もしていた。
しばし自室で命令を待つ。
命令そのものを出すのは第七艦隊だ。あの不機嫌おじさんが許可を出さない限り、出撃は出来ない。
しばしして、不機嫌おじさんからの司令が来る。
皆が露骨に避けている中。
同じくヘリで日本上空に行った皆と、愚痴を言い合う。
「少尉、様子がおかしいですね」
「米軍も今海上に出ている連中を除くと壊滅状態だからな。 最強の制空制圧戦闘機、F22も何もできない。 陸の基地にいる奴らはみんなやられちまった。 配備されていない基地の連中ばかりいきていやがる」
「それもいつ死ぬか分からない、ですか」
「そうだ」
ヘリに乗り込む。
荷物は。
あれ、これは何だ。さっき空輸したセントリーガンではない。まあ、此方は荷物を言われた通り空輸するだけだ。
黙々と作業をこなす。
そして、空母から飛び立つと、日本に向けて飛ぶ。
不安そうに、後ろで話をしているのが分かる。そこそこ大型のヘリとはいえ、移動途中だ。
話は皆でするし。
何より今は皆が不安で押し潰されそうなのだ。
話をするなとか、そういう事は言えない。
「もう人間は百万生きているかも怪しいそうだ」
「ゾンビは弱いのにな。 ゾンビゲーだったら、とっくに人間が勝ってるような相手なのに、感染力が強くて、感染の方法が分からないってだけで、こうも無茶苦茶にやられるなんて……」
「多分黒死病以来の危機だとか言われているらしいぜ」
「ああ、ありうるかもな」
黒死病か。
今でも語りぐさになっている、欧州を襲った恐怖の病気。
ローマ帝国は衛生観念に優れ、蒸気機関の開発まで後一歩の所までいっていたと聞くが。その崩壊後は文明は露骨に後退。不衛生な文化が浸透し、それは近年に至るまで変わっていない。
流石に路上に豚を放すような文化はなくなったが。
比較的最近の欧州でも、そもそも週に一回風呂に入れば良い方、何て時代も存在していた。
最近でもシャワーだけで済ませる者は多いし。
特に軍などでは、シャワーで済ませるしか無い事態も珍しくは無い。
とはいっても、異様なきれい好きで知られる日本でも、ゾンビ化は容赦なく侵攻した事実はあるし。
今回のゾンビ化は、恐らくそれとは関係がないのだろう。
間もなく高度が一定に達する。
兵士達に点呼を取る。
不可解そうに点呼に応じてくるが。
一人が、疑問を呈した。
「少尉、どうかなされましたか」
「そもそも、幹部達の会議に俺が呼び出される時点でおかしいんだよ。 何かあったらでは遅いからな。 お前達、ゾンビ化したらもうどうにもならないから、それは覚悟を決めておけよ」
「……了解」
黙り込む兵士達。
キタルだって不満だ。
恋人は何人かいたが、結婚にまでは行き着けなかった。子供も当然いない。天涯孤独の身だが。この状況だと、今更結婚だの子供だのどころでは無い気がする。
そもゾンビパンデミックの前から、世界は加速度的に悪くなっていた。
ポリコレがどうので世界が急速に窮屈になっていたし。
様々な要因から、誰もが血に飢えているのが目に見えていた。
中東はゾンビパンデミックで壊滅してしまったし。あからさまに真っ黒な旧共産圏の大国も、どれもがゾンビパンデミックで消滅してしまった。
だが、それで良くなったかというとノーで。
米軍の残党を中心に、生存者がネットワークを作れただけでも奇蹟に等しい。
だがその奇蹟も、無理矢理に作り上げたもので。
いつぷつりと空中崩壊してもおかしくないだろう。
燃料にしても無限では無い。
空母はいわゆる原子力空母だから、動かすだけであれば何年でもいけるだろうが。航空機やヘリはそうもいかない。
他の艦船もそうだ。
どうしても何処かの港で補給をしなければならない。
そして当面帰港が出来ない現状。
どの艦でも、日本で言う「爪に火をともす」くらいの覚悟で、回していくしかない状況になっている。
いずれ燃料どころか、食糧だって尽きかねない。
その時は、ゾンビ化どころか。
兵士達は皆飢え死にの憂き目に遭うことだろう。
日本上空に到達。
物資を降ろすように指示。
パラシュートがついた物資を、兵士達が投下していく。投下された物資は、順次パラシュートの花を咲かせながら、地上に向けて落ちていった。
風向きなどを完全に計算してからの投下だ。
投下の過程も観察。
兵士から、OKの声が上がる。
後は地上まで落ちるのを確認してから戻る。
「お、おい、あれ……」
兵士の一人が困惑の声を上げる。
そして、どうしたと声を掛けると。地上を画像解析していた兵士が、声を上擦らせる。
「物資を投下した基地に、ゾンビが群がっています! 数百はいます!」
「そもそも三度目の物資投下依頼があるとは聞いていたが、今回の緊急任務はそれが理由か?」
「は、離れましょう!」
「……そうだな」
部下達は怯えきっている。
この上空でも、真下にゾンビがいるという事そのものが怖いのだろう。
このゾンビは、噛まれなくても感染する。
それはもう、事実として知れ渡っている。
此処にいるだけで危ないかも知れない。
そう思うだけで、兵士達が怖れるのは無理もない話だった。
ただのゾンビなんて、兵士達は怖れないだろう。走ったり少し喋るくらいだったら、嬉々として戦ったはずだ。
映画のゾンビは良心的だ。
噛まれなければ大丈夫なのだから。
軍が出ていけば鎮圧は簡単なのが目に見えている。
そんなゾンビでは、戦車や戦闘ヘリには、対抗できないのが当たり前である。フル装備の兵士であっても、近年の戦車は簡単には撃破出来ないのだから。
しかし現実に現れたこのゾンビは、神の災いであると言う噂が流れるほど、理不尽極まりない。
ガンシューティングのゾンビが可愛く思えてくるほどの悪夢だ。
ヘリを早々に引き返させる。
青ざめている兵士達。
PTSDになる奴が出るかも知れない。
急いだ方が良いだろう。
戻る途中、通信が入る。
「受け入れ体勢が整っていない。 しばらく上空で待機せよ」
「ラージャー」
「……?」
何だ。
燃料が貴重なこの状況、受け入れ体勢が整っていないとは、どういうことだ。何かトラブルでも起きたのか。
十分ほど待つ。
ヘリの燃料は一応きちんと入れて来ているが、そもそも燃費が悪いのが軍用兵器の最大の弱点だ。
世界最強と名高い主力戦車M1エイブラムスもそれは同じだし。
ヘリに至ってはもっと燃料をどか食いする。
この輸送ヘリよりもかなり小型の攻撃ヘリでさえ、燃料を相当に食い荒らすのに。この輸送ヘリは文字通りの大食いだ。
米国に時々いる、四百sも体重があるような肥満体型の人間は、それこそ凄まじい食べ方をするが。
この手の輸送ヘリも、無駄な飛行は一切許されないほど、大量の燃料を食うのである。
待機というのは、余程の事だ。
しばしホバリングして待つが。
返事がないので、もう一度通信する。
「燃料が足りなくなる。 急いで貰えないか」
「……もう少し待ってほしい」
「兵士達に不安が広がっている。 このままだとPTSDになる可能性もある。 ただでさえ極めて危険な任務だという事は分かっている筈だが」
「分かっている。 だが、此方も……」
まさか。
しばしして、慌てた様子で管制が入った。
飛び立ったのとは別の船。強襲揚陸艦に降りろという指示である。ああ、何かあったなと言うのはすぐに分かったが。
着陸を済ませて、迎えに出た整備士に敬礼する。
そして、悟る。
イージスの一隻が、離れて行っている。
まさか。
いや、それ以外にはあり得ない。銃撃の音も聞こえてきている。そうなると、そういう事なのだろう。
あのイージスには近付いてもいない。
兵士達が何人か、こわごわとイージスを見ている。
敬礼している者もいた。
「ゾンビが出たのか……」
「ああ。 今制圧作業をしている。 制圧が終わり次第、皆自殺して、船も自沈させる予定だ」
「何てこった」
既に四隻でゾンビが出て、全てで自沈処理をしたと聞いているが。第七艦隊でもついに出たか。
誓ってあのイージスには近付いてもいない。
このヘリが原因ではないだろう。
本当に何がどうしたら、ゾンビ化が発生するのか。
それを突き止めるための任務だという事も分かってはいるのだが。それにしても、不安が過ぎる。
「すぐに消毒を」
「ああ、分かっている。 だがもしもゾンビ化のウィルスとかに汚染されていたら、手遅れだと思うがな」
「……」
「OK。 怖いのは分かる。 俺もちびりそうなほどだ」
冗談めかして言い、乗組員も急かして消毒に向かう。
ヘリにも、大げさなくらいの消毒を行っているのが見えた。馬鹿馬鹿しい話だが、やって多少は不安を紛らわせられるのならそれで良いのだろう。
消毒が終わると、キタルは独房に案内されて、其所に放り込まれた。これでは軟禁だろうと思ったが、相当に神経質になっているようだ。
あの不機嫌おじさんのことだ。
そもそもこの強襲揚陸艦に、このヘリを降ろすのさえ相当嫌がったのだろう。
しかも、今は船と船の間での、人員の行き来は禁止されている。ゾンビパンデミックが発生した場合の、被害拡大を防ぐためである。
それを破ってどうして空母では無くこっちにヘリを降ろさせたのか。
独房でぼんやりしながら、さてこれからどうするのかと思っていると。
また爆発音がした。
いや、コレは恐らく。
さっき離れていったイージスが、自爆したのだろう。
結構凄い音だ。
戦争で、大きな音が飛び交うのには慣れていたつもりだ。戦闘ヘリのパイロットをした事もあるから、間近で戦車が吹っ飛ぶのを見た事もある。中東で、ロシアがばらまいたモンキーモデルの戦車が、びっくり箱になるのを見た。あの時も凄まじい音がしたものだけれども。
今のは、それ以上に凄まじい。
何というか、体の芯から響くような音だった。
船が沈んでいく。
あの船には、さっきテレビ会議に出ていた船長も乗っていたはずで。当然船と運命を共にしたのだろう。
兵士達はパニックに陥ったはずで。
自分だって、生き残りたかったはずだ。
外の兵士達が話をしているのが聞こえる。
「ゾンビ化の進展が早くて、自爆出来なかったらしいぜ……」
「砲撃で沈めたのかよ」
「対艦ミサイルだとよ」
「おいおい……冗談じゃねえぞ畜生っ!」
確かにそれは冗談じゃない。そもそも対艦ミサイルの火力は凄まじく、当たり所が悪ければ文字通り戦闘鑑が一撃で沈む。
人間に向かって使う兵器では無い。
そうとまで言われている程のオーバーキル兵器だ。
そんなものを人間の乗る船に使って。しかも、味方が乗っている船に。味方が生きている船に使ったのだ。
使った奴は多分PTSDだな。
そう、何処か遠い目で、軟禁されているキタルは思った。
この日を境に、第七艦隊の空気が変わった。
疑心暗鬼と恐怖が、全体に蔓延するようになった。
まだ一隻目でこれだ。
二隻目が出たら、更にパニックが加速するだろうな。そうキタルは、何処か他人事のように思っていた。
3、加速する混乱
第七艦隊から投下したのは、今後恐らく使う必要がないと思われた無人兵器。AIで動く装甲車である。
セントリーガンだけでは火力が足りないと判断したので。
カルネが副大統領に頼んで、要請して貰ったのだ。
激しく反発する第七艦隊の司令官を、何とか説得して。しかも、ヘリの乗組員は、前と同じ人間を選抜。
だが、ヘリが飛び立った直後。
ついに第七艦隊でも乗員がゾンビ化する船が出てしまった。
すぐに自沈処理と、艦隊からの離脱を計ったが。そのイージスでは、ゾンビ化の蔓延速度が早く。
離脱行動だけは出来たが、自爆に対するあらゆる処置が失敗。
結局、第七艦隊からミサイルを叩き込んで、爆破処理をしなければならなかった。
だから嫌だったんだ。
そう吠える第七艦隊の司令官は、目が血走っていて。そして、ヘリを飛ばしたからだと決めつけ、カルネを睨んだ。
口から泡を飛ばしている様子は尋常では無く。
周囲の幕僚も青ざめているのが見えた。
何でも不機嫌おじさんと言われている人物らしく。
上にはこびへつらい、兵士達には高圧的という、典型的な「出世する無能」であるらしいのだが。
今の状況、第七艦隊を従えていると言う事は、ある意味副大統領よりも権限が大きいのかも知れない。
それが恐らく、精神の箍を外してしまったのだろう。
そして本人はそれを自覚しているかどうかはともかく。
多分、恐怖で精神がおかしくなっているかについては、自覚できていない。
不機嫌おじさんは、しばらく通信は控えてほしいと一方的に通達すると、通信を叩ききった。
副大統領が、ふらふらと自室に戻っていく。
こっちも倒れそうだが。
カルネだって正直な話泣きたいくらいである。
だが、それどころではない。
ともかく、基地に押し寄せる謎のゾンビを、どうにかしなければならない。どうしてゾンビが引き寄せられているのか分からない。
地上に降ろした三両の無人装甲車が稼働開始。
パラシュートなどをパージした後、動き出す。
上部に据え付けられている120ミリ滑空砲が咆哮し、更に副砲として備えられている機銃がうなりを上げると。ばたばたとゾンビが消し飛ばされる。ばたばた、ではないだろう。文字通りゴミでも蹴散らすかのように、である。
セントリーガンを休ませるために前衛に出た三両の装甲車は、ゾンビを文字通り踏みつぶしながら前進。
グレネードをゾンビの密度が多いところに叩き込み、まとめて蹴散らしに掛かる。文字通り一方的だ。
ゾンビ映画に戦車や装甲車が出てこないわけである。
生物では、もはや此奴にはかないっこない。
ティラノサウルスでも勝てないだろう。
鉄の巨大猪は、武器を振り回して、文字通りゾンビの群れを一掃。そして、密度が薄まった所で一旦後退。
使う弾丸などがセントリーガンとは違うため、多少補給にも余裕ができる。
とはいっても、120ミリの砲弾は巨大だし、再装填にも時間が掛かる。今来ているゾンビはどうにか撃退出来たが。
こんな規模のゾンビの群れが何度も出てきたら、流石に対処ができなくなるだろう。
まあ、その場合は踏みつぶして回るだけだが。
セントリーガンが残党を片付けている間に。
自衛隊と連絡を取る。
そして、成果を確認した。
「モールス信号はどうなっている」
「……今試していて、向こうからも反応があったのだが」
「それで?」
「どうもおかしいのだ」
そもそもだ。
セントリーガンの砲列が戦闘を開始している時点で、生存者がいるなら何らかの生きているアピールとかをしてもおかしくない。
何もかも全自動というわけでは無く、基本的な部分では人間が動かしているのだ。
そのくらい、軍施設で働いている人間が知らない筈も無い。
自衛隊はとにかく口が重い。
無能では無いのは認めるが。
これは確実に駄目な部分だなと、カルネは思った。此方は最後の希望である奈木を調査しつつ、逃げるのを防ぎつつ。更には軍基地の防衛に手も貸しているのである。少しは何というか、協力体制というのをもっととってほしい。
イライラが募る中。
重い口をやっと自衛隊のニサだかが開く。二佐という階級らしいのだが、はっきりいってどうして中佐にしないのか分からん。
旧軍と区別したいのかもしれないが。
そもそもわかりにくいのだから、真ん中の佐官という事で中佐で良いだろうに。
どうでも良いことまで頭に来始めたカルネに気付いたか。
ぼそぼそと自衛隊の方から話をしてくる。
「結論から言うと、モールス信号に対して返信はあった。 内部で電気を操作して、モールスを返してきている」
「それで、結論は」
「駄目だ。 滅茶苦茶で、とてもではないが解読できない。 色々なモールスを見てみたが、滅茶苦茶になっている」
「はあ!?」
自衛官は俯く。
何度かモールスを送ってみて、返答が三回。
だが、その全てが。
支離滅裂な返答だというのだ。
「生命反応はある。 だが、内部の人間が正気を保っているとは思えない」
「もう内部に突入しては」
「もし生きていた場合、ゾンビ化してしまう」
「地下からの突入は」
それも無理だと言われて、カルネもとうとうブチ切れた。
手をこれだけ貸して、結果はそれか。
内部の人間がおかしくなっていて、まともな返信がされません。それで許されると思うのか。
いずれにしても、そもそもスタンドアロンにしているとしても、完全気密だとも思えない。
地下のシェルターでさえ発生するゾンビだ。
これはもう、許可を貰って突入するしかないだろう。
レポートを書いて、副大統領に出すが。
その途中、怒りで指が震えて、何十回キーボードの入力ミスをしたか分からない。そもそも打鍵の速さには自信もあったのだけれども。そのカルネがミスをしまくるくらいである。
何というか、どれだけ怒りがたまっているのか、自分でもよく分かる。
そして。
レポートを出して会議を招集すると。
副大統領は、七十代の老人のように窶れきった笑みを浮かべた。何もかもに絶望しきった笑みだった。
「それで私にどうしろというのかね」
「突入作戦の許可を」
「その責任を取れというのかね」
「膨大なセントリーガンと弾薬、更には大量の人員を投入しています。 第七艦隊は危険もおかしています。 これ以上のロスは許されません」
大統領は、何か薬を口にして飲む。
胃薬だろう。
まあストレスで胃が溶けそうだろうし、仕方が無い。カルネは、それでも糾弾しなければならない立場だった。
「ご決断を。 ボクらはこのままだと、もたついている間に自滅します。 今は一秒がそれこそ過去の一年より貴重です。 一秒でも早く決断しなければ、どんどん人類の生き残りは減っていきます! そもそも広中奈木からも、本当に抗体が見つかるかは分かりませんし、見つかったところでどこまで健康体に効果があるか……」
「我々の努力を無にするような事を言うな!」
「努力は認めているが、それが成果につながっていないでは無いか!」
反発する医療班に、カルネも言い返す。
バンと、音がした。
天井に向けて、この場の軍事責任者が発砲したのだ。
「双方其所までにしろ。 カルネが画期的成果を上げているのは事実だ。 天才の成果に、凡人が努力で負けてどうする。 反発する前に、とっとと抗体を見つけるなり、抗体がないならそう結論するなり、成果を出してから文句を言うべきではないのか」
「……」
「カルネも少しばかり口が過ぎる。 それと副大統領、負荷が大きいのは分かりますが、もはや躊躇している状況ではありません」
「……」
副大統領は無言でサインをすると。
後は勝手にしろと視線で告げて、会議室を出て行った。
皆がストレスでおかしくなりかけている。
もうカルネも。
いつまで此処が崩壊せずに済むのか、あまり自信は無かった。
自衛隊に連絡。
自衛隊は最後まで渋っていたが。そもそも、あらゆる手段を尽くして出てきた結論が、モールス信号から見て内部の人間は発狂している、では。此方も強硬手段を採らざるを得ない。
そんな状況で。
これ以上はもたついてはいられない。
一応気密処置はとる。
まず気密のためのバルーンで入り口を覆う。殺菌処理をする。この辺り、完全に気休めだが。
それでもやっておいた方が良い。
その後、バルーン内で殺菌した装甲車で、入り口をぶち抜く。
分厚い研究所の入り口だが、流石に120ミリの至近処理射撃の前にはどうにもならない。
轟音と共に吹っ飛ぶ。
そして、内部にドローンを入れて、状況確認を開始するが。
すぐに、自衛隊からは悲鳴に近い声が上がり。
カルネも、真顔でドローンから送られてくる画像を見つめることになった。
蠢いているのはゾンビ達。
そこら中にいる鼠の群れ。ゾンビは鼠に囓られて、大半が白骨化している。研究員の成れの果てであることは確実だった。
生命反応は、この鼠たち。
恐らくゾンビ化した研究員が、鼠を食べようとして逃げられたのが増えたのだろう。
では電源は。
ドローンを飛ばして内部を確認していくと、原因が分かった。
増えた鼠が、ブレーカーに挟まって、焼け死んでいる。
そして此処のブレーカーは冗長化されており。
そのために何度切れても復活し。
その度に電気がついたり消えたりしていた、と言う事だ。
乾いた笑いが漏れてくる。
ただ一つ疑問がある。
どうして此処にゾンビが集まって来ているか、だ。
外ではまた集まって来ているゾンビを、装甲車二両とセントリーガンが蹴散らしているが。やはり相当な数が集まり続けている。
この原因は何だ。
内部はスタンドアロン化されており、電源も微妙。更には、電子機器類は固定されており、外すことも出来ない。
まずガスを撒いて、鼠を皆殺しに。
ケージに残っていた動物も、エサが切れてあらかた死んでいたので、もう流石に殺処分は仕方が無い。
その後、自衛隊の倉庫から電子機器を持ち込み。
ドローンのロボットアームを使って、何とか苦労しつつ、復旧作業を行う。
幸い、UPSが生きていた事。
サーバ類の電源には悪戯されていなかったこともあって。
何とか復旧は出来た。
ドローン経由でサーバに接続。研究データを引っ張り出す。独自システムを使っていると言う事で、自衛隊側にも協力して貰うが。それにしても、何だこれ。javaか何かで組んでいるようだが。
あまりにも独創的(良い意味では無い)すぎて、宇宙に浮かぶ猫のような顔になってしまう。
しばらく四苦八苦してデータの吸い上げを行った後。
自衛隊側から、重い言葉が出た。
「研究そのものは、ゾンビパンデミックがこの基地に到達した二週間後で止まっています」
「要するに気密もスタンドアロンのシステムも用を為さなかったと」
「……はい」
「そして、彼らは命を賭けて何かを残してくれたのか」
しばらく黙った後。
自衛官は頷いた。
モスキート音というものがある。
世代によって聞こえなくなる音で。一時期は、公園などに集まる不良少年を追い払うために用いられたケースがあったようだ。
此処ではゾンビに対する駆除作戦について研究していた様子で。
その中に、ゾンビを遠ざけるものについて、研究があった。
最初はモスキート音を中心に研究を続けていたのだが。
ところが、途中で大きな発見があった。
特殊な電磁波に、ゾンビが集まるらしいことが分かったらしいのである。
資料によると、衛星画像を解析した結果、本来だったら地下などの冷えた空間に潜むはずのゾンビがわらわら出てきては干涸らびている場所が世界中に何カ所か確認されているという。
まあ正直な所、別に外で干涸らびているゾンビは珍しく無いので、誰も気にも留めていなかったのだろうが。
此処の研究所では、明らかにおかしいケースをピックアップ。
それへの研究に途中でシフトをチェンジした。
外に出る手段もない。
ゾンビ化も恐らく止められない。
そんな中で、研究者達は必死に時間との勝負を続けながら、研究を進めた。専門外の人間も、必死に研究に参加した。
いずれゾンビ化する事は、研究日誌を見る限り分かっていた様子だ。
サーバー室に鼠が入り込まないように、どうにかする会議までしている。
やがて、一人が見つける。
特定波長を流せば、ゾンビが集まるという事に。
そして、既に基地が壊滅していることを確認した後。
誰かが実験を開始。
最初は弱い弱い波長だった。だが、街に集まっているゾンビは、波長を流す度に反応した。
そして、実験のデータを取っているときに。
研究員のゾンビ化が始まった。
最後に残っていたのは、波長についての説明。これを使えば、ゾンビを集める事が出来る、というものだった。
そして、その電波を出すための装置は。
鼠に囓られて、最大出力に設定されていた。
すぐにドローンのロボットアームで調整。
これが一手間どころでは無かった。何しろ装置が壊れかけていたからだ。それも急あしらえの装置で、一目見て仕組みを理解するわけにもいかなかった。此処の研究チームは、最後の最後まで努力したんだなという事が分かって、色々と印象も変わった。ただ、セキュリティに自信が無かったにしても。もう少し、外と情報のやりとりをしてほしかったと言うのがカルネの本音だ。
一度息を吐いてから、機械の構造を頭に入れる。
その前に、奈木の方を確認。
起きているようだが、ぷいっとカメラから視線を背けている。変な動きをしないように、監視役のオペレータに注意すると。
自身は、ロボットアームの微細な調整を行う。
しばしして。
電波を止めることに成功。
ゾンビは不意に動きを止めると、しばらく立ち尽くし。
そして、諸々が街に散って行った。
追撃はかけない。
その余裕が無いから、である。
装甲車も燃料を食うし、弾丸だって有限。更に言えば、セントリーガンは銃身が焼け付きかけている。
防衛でさえ手一杯な状況だ。
近場の街から、かなりの数のゾンビを排除できた。どうせ今年は越せなかっただろうけれども。
それでも駆除が先送り出来たのは大きい。
更にこれが病気か何かなのだとしたら。
苗床のゾンビは、早く朽ちた方が良いに決まっているのだ。
すぐに、電波によってゾンビを集められるという情報を世界中に拡散する必要がある。レポートを書いて、大統領に出す。
大統領は、何日どころか、一月以上寝ていないような顔をしていたが。
それを聞くと、緩慢に頷いた。
「また解明に、一歩近づけた、と言うことかね」
「はい。 ゾンビは知能を喪失していることが分かっています。 それが特定波長の電波に反応するという事は……ゾンビ化を引き起こす何かに関係している可能性が極めて高いという事です。 しかも、電波を発していた装置を調べた結果、電波が届く範囲内にいたゾンビは、衛星写真と照合した結果、必ず動きを見せています。 これは大きな一歩かと思います」
「それは我々で独占するべき情報ではないのか」
「今はそんな事を言っている場合か!」
カルネが叫ぶと。
科学者の一人が、口をつぐむ。
この後に及んで国同士の対抗意識とか、ゾンビパンデミックが収まった後の事とか、考えていられる状況だと思っているのか。
今は一年後人類が生き残る事さえ怪しいのである。
有用な情報は可能な限り共有し。
そして研究できる人間は、徹底的に研究を進めていかなければならない。
そもそも、もしもこの地獄を人類が乗り切る事が出来たら。
もうくだらん国家など廃止して、統一政権を作るべきだと思う。異常すぎる貧富の格差も解消できる好機である。
それを、生き残った後にアドバンテージを得る事を考えるなんて。
人間の欲は、どこまで際限がないのか。
カルネにだってうまいものをくいたい、くらいの欲はあるが。
いっそのこと、健康なことよりも欲が多い事を、ゾンビ化の条件にしてほしかったくらいである。
「分かった。 カルネくんの言う通りだ。 すぐに各国の生き残りに情報を伝達し、共有を」
「……はっ」
「副大統領は見ての通り疲弊が酷い。 少し休ませてやってほしい。 今倒れられると皆が困る」
中佐がいうので、皆が改めて副大統領を見て。
そしてその様子が酷すぎるので、頷くしかなかった。
皆即座に持ち場に戻る。
副大統領は、ストレスが激甚すぎるのだろう。自室に戻ると、すぐに眠り始めたようだった。
この様子だと、或いは。
此処でゾンビ化が起きても、副大統領がゾンビ化するのは、最後かも知れない。
そうカルネは思った。
持ち場に戻った後、現状の生き残りを確認。研究を進められそうな人間をピックアップして貰うが。
特に中東と中華、正確に言うとユーラシア東部の被害が酷く、この辺りは殆どわずかな生き残りしかいない。
昔は人間の最大過密地帯だったのに。
アフリカはそもそも内戦を続けるどころか、人間と猛獣の立場が逆転。
レンジャーが猛獣を守るどころか、そもそも猛獣が人間を一切見かけない(文字通りの意味である)状態になっており。アフリカ大陸周辺の離島でぽつぽつと人間が生きているに過ぎず。彼らの中に研究が出来そうな者はいない。
欧州はまだマシな方だが。
それでも大陸で、組織だって行動できる者はいない。
スイスなどのシェルター大国でも、状況は大して変わらない。
事実、スイスの山間部にある一部の小村を除くと、もう生き残りはいないようだった。
「英国の研究機関の生き残りがかろうじて、か……」
「それも元々大した大学ではないぞ」
「ボクにもそれは分かっていますが、それをいうならばどこもですよ。 世界の一流校やそこの研究者はあらかたやられてしまっている」
「嫌みかね」
「ボクだって飛び級して博士号取得しましたけどね。 それでもそもそも、専門分野が違うんですよ」
実際問題、医学が専門だったら、医療班に任せないでカルネ自身で研究を進めている。それくらい切羽詰まった状況なのだ。
非協力的な上にプライドばかり高い連中が集まっている今のこのチーム。
はっきりいってさっさと抜けたい。
抜けられないからこの場にいるだけだ。
オペレータが話に噛んでくる。
「日本のチームは」
「どうにも。 向こうは優秀な人間はとことん出来るが、平均で言うと微妙だな。 その微妙な者達ばかりが生き延びている」
「末端はレベルが高いようですが」
「その末端が壊滅している。 自衛隊の今回の対応の遅さを見ただろう」
ああと、何だか分かったような顔をされ。遠い目をされる。
カルネは大きく嘆息すると。
次の作業に取りかかる。
医療チームと連携して、奈木の体から抗体を探す作業。
更には、ドローンを飛ばして、生き残りを探すこと。
まだ生き残りがいるかも知れない。
とはいっても、奈木のように極めて強い人間不信になっている可能性は否定出来ないし。何よりも、この状況でどこまで生き延びられるか。
今後は下手をすると、クローンで人間を作る事を視野に入れる必要があるか。
いや、それだといくら何でも効率が悪すぎる。
米軍でもクローンはやっと開発が始まったばかりの技術。
確かに奈木のように生殖能力が先天的に存在しなければゾンビ化しないというのなら、試してみる価値はあるかも知れないが。
クローンは結局の所、劣化コピーを作る技術に過ぎない。
最終的には劣化しきって人類は滅ぶ。
まだデザイナーズチルドレンを作れるほど人類の科学技術力は進歩していないのである。
中華の調査に取りかかる。
第七艦隊から、幾つかの無人基地を経由。
中共は壊滅してしまったので、中華の生存者は軍の一部と、民間人が少しだけ。
彼らにも協力して貰って、中華の軍事基地とのアクセスを試みる。
ドローンを飛ばすためだ。
一時期は世界最高のドローン技術などと、マスコミが持ち上げていて。色々センセーショナルな映像が動画サイトなどにアップされたが。
実際に皮を剥いてみると。
インターネットすら封じ込まれた極端な管理社会の中で。
「幻想」が作られていたに過ぎなかった。
わずかな生き残りの証言を総合する限り、それが真実だった。
四苦八苦しながら、中華基地へのハッキングを試みて。そして何とか成功させる。額の汗を拭うと、そこからドローンを飛ばす。
どうも民衆が反乱を起こしたときに鎮圧することを主眼としたドローンばかり生産していた様子で。
地雷を世界中に売りさばいて設けていた中華の割りには。輸出していないのはおかしいなと思ったのだが。
実際に操作してみて、理由がよく分かった。
品質がバラバラすぎるのだ。
外部に発表しているカタログスペックは確かに素晴らしかったが。
兵器の品質がいずれも不揃いで。
カルネは舌打ちしながら、どうにかこうにか二十機ほどのドローンを飛ばし、生き残りがいそうな場所を探した。
シェルター類に関しては、もう駄目だろう。
中共は大量のシェルターを作っていたようだが。その全てが沈黙している。物資を蓄えて籠城している可能性もあるが。もしも中共に生き残りがいるのなら、いると喧伝しているはずである。
それすら出来ない状態か。
それとも、全滅しているか。
確率は後者の可能性が極めて高い。
どこの国も、後ろ暗い事はやっているのが普通だ。だから、それについてはもう口には出さない。
都市部を徹底的に確認していくが。
破壊の痕跡が酷い。
どうやら、ゾンビパンデミックの際に。中共が機能不全を起こすと同時に、無法地帯化したらしい。
軍が暴走する暇すらなかった。
都市部は略奪を働く暴徒がそのままゾンビ化したような有様で。
火をつけている最中に暴徒がゾンビ化。
そのまま焼け死んでしまったらしいケースも散見された。
まだ歩き回っているゾンビもいるが。
やはり他と同じく、涼しい場所に潜み。夜になってから出てきている様子だ。
ただ、ゾンビの欠損が酷い。
衛生面で問題があったからだろう。
涼しい場所と言っても、害虫や害獣が多数潜んでいた事は疑いない。ゾンビが隠れている場所を確認するが。
やはり、内部は鼠やゴキブリの天国だった。
がりがりバリバリと音がするが。
それらはゾンビを鼠やゴキブリが囓り続けている音である。人類が滅んだ後も鼠やゴキブリはびくともしないだろうとカルネは確信した。
実際問題、ゾンビというエサがいなくなっても、鼠はまったく困らないだろう。
核戦争が起きても生き延びるだろうと言われているのだ。
人間は核戦争が起きたら、原始時代に戻るのが確実であるのに。
びくともしない、と言う事だ。
それは現実を見ても、はっきり分かる。
とりあえず、都市部の状況を、中華の生き残りと相談しながら、ドローンを操作して確認する。
中華の生き残りも、民間のドローンを使って生存者を探していた様子だが。
ともかく数が少なすぎる。
山間部にわずかに避難した者や。
周辺のシェルターの、それも民間のものに逃げ延びたもの。
それくらいしか生きていないのである。
ドローンの数も限られていたし。
そもそもドローンそのものが、ゾンビパンデミックの際に大量に失われてしまったのだ。理由は略奪、強奪、そしてその後の破壊が原因である。
秩序が失われた結果、野獣とかした人々が。
売り物になりそうなものを殺し合って奪い合い。
その間にゾンビ化してしまったのである。
元々極めて苛烈な相互監視社会だった中華だ。
一度崩壊してしまうと、後はなし崩しだった。その爪痕が、カルネが監視している画像の先にも、爪痕として残されている。
無人のマンションが大量に建ち並んでいる。
どうやらゾンビも入り込んでいない様子だ。
噂に聞く、建てられるだけ建てられたマンションか。
一時期の苛烈なバブルで、無意味に大量のマンションが建てられたと聞いていたが。
なんということか。
崩れかかっているものもある。
一体どんな業者が、どんな材料を使って作ったのか。
正直頭が痛いが。
もうそれは仕方が無い。
文句を言っていてもしょうがないので、調査していないというこの辺りを徹底的にドローンで調べる。
しかし、生存者の救出などに向いていないこのドローンでは厳しいと、カルネは判断した。
軍事基地などの自動防空システムを停止できないかと、ネゴシエーションを頼む。
もういっそ、充電器などを空輸。
其所を起点に、米軍のドローンを飛ばしたいくらいだ。
調べて見た所、自動防空システムは既に死んでいる。
中共が瞬く間に壊滅した時に、自動防空システムの管理者も根こそぎやられてしまったらしく。
それが自動で動くものなら良かったのだが。
そこまで都合が良いものではなく。
メンテナンスが続かない状況が連続した結果。
どうやら動かなくなったらしい。
らしいというのも、分からないと言うのが実情のようで。これは正直な話、大型のドローン。グローバルホークなどを飛ばして確認して見るしかないだろう。
第七艦隊はただでさえ状況が悪い様子だが、頼むしかない。
第七艦隊に回線をつなぐ。
不機嫌おじさんが出たが、いつも以上に不機嫌そうだ。それは貴重な僚艦を失ったばかりだしそうだろうと思ったが。
開口一番に、不機嫌おじさんは言った。
「報告が遅れたが言っておく。 空母アブラハムの艦長が自殺した。 今、副艦長が艦長に昇進する手続きをしているところだ」
「!」
「貴様らが余計な仕事を持ち込んだせいだ! ストレスが艦隊全てを覆い尽くしてしまっているっ!」
口から唾を飛ばす不機嫌おじさん。
真顔のまま無言になるカルネ。
何というか、これは。
利己的すぎて、あまりにも。
そもそも、人類を生き残らせるための活動だ。第七艦隊とか、米軍とか、米国とか、もう殆ど関係無い。
この不機嫌おじさんは、それも理解出来ていないのか。
「しばらく連絡は控えてくれ。 此方は暴動を抑えるのに手一杯だ」
「そうもいかない。 今回の調査で、ゾンビを操作できるかも知れない方法が発見された」
「だったらなんだ。 奴らに勝手に朽ちてくれとでも命令できるのか」
「少し落ち着いてほしい。 勝手に朽ちてくれと命令できるかはともかく、ゾンビを効率よく処理することは可能になるかも知れない。 成果は確実に上がっていると言う事だ」
唾を吐き捨てる不機嫌おじさん。
まさか目の前で、カメラ越しとはいえ、こんな事をやる奴がいるとは思えなかった。
ドラマとかではやる奴がいるが。
それにしても、本物を目にするのは初めてである。
「知った事か! 俺は第七艦隊の司令官だ! 第七艦隊は俺のものだ!」
「貴方の私物では無い」
「いいや俺の私物だね! これ以上第七艦隊を、お前の好きには……」
ばんと、銃声。
不機嫌おじさんが、カメラの向こうでずり落ちる。
頭から血が流れているのが見えた。
何が起きた。
第七艦隊で、何が起きている。
呆然としているカルネは、急いで副大統領に連絡。
これは、対策が必要かも知れない。
4、滅びの白鷲
第七艦隊は大混乱の中にある。それは、強襲揚陸艦の独房の中でも、キタルにも理解出来た。
部下達は無事だろうか。
そう思っていたら、ばたばたと兵士達が走り回っているのを悟る。独房の外を覗くと、殺気だった兵士達が、叫んでいた。
「司令官が死んだって本当か!」
「本当らしい!」
「ゾンビ化かよ」
「いや違う、射殺されたそうだ」
何だと。
まああのクソ親父、いつ殺されてもおかしくは無いとは思ってはいた。何しろこの極限状態である。
更にそんな極限状態で、ヒステリックに振る舞っていたのだ。暴発した部下の、凶弾に倒れてもおかしくないし。
更に言えば、同情はできない。
不機嫌おじさんは部下に対して極めて高圧的で、リンチに近い事をさせる事もよくあったと聞いている。
幸いキタルは殆ど関わる事がなかったから、その現場を見た事は無かったが。
こんな状況になれば、人間は精神の箍が外れる。
しばらくして。
独房から出して貰う。
大佐の階級章をつけた人間が、何か話をしているのが分かった。
「あー、現状を説明する。 第七艦隊司令官、ウィルキンス=カプラン中将が射殺された」
ああ、そうだろうな。
そうキタルは思ったが、待ての体勢のまま話を聞く。そもそもあの迷惑おじさんに閉じ込められたのであって。別に閉じ込める理由も無いと思ったのだろう。解放されたのは、それが理由という事か。
「犯人は幕僚長のカービス准将で、その場で自殺した。 何でもここのところ、暴力を含むハラスメントを日常的に受けていたらしく、ゾンビ化が発生したのもお前のせいだとか言われて、精神がかなり参っていたらしい」
「まあ、撃ち殺してくれて良かったよな」
「自業自得だぜ」
周囲の声が、不機嫌で迷惑な中将に対する全てだった。
事実キタルも、あのおっさん事故死してくれないかなと思っていたし。
ただ、それが人の犠牲によって為されてしまったのは、悲しい事だと思う。
「現状より、第七艦隊はフレックス少将を司令官として、再編成を行う。 再編成人事は副大統領と相談するため、数日は身動きが取れない。 諸君らは、周囲の警戒にのみ注力してほしい。 分かっていると思うが、このタイミングでゾンビ化が発生する事が一番致命的だ。 くれぐれも、周囲には気を配ってほしい」
それにしても。
天下の第七艦隊司令官が、パワハラが原因で部下に射殺されるとは。
極限状態が続いているのは分かるが、それにしても分不相応な地位に就いたというのが、あの「元」不機嫌おじさんの不幸だったのだろうなと、キタルは思った。いずれにしても、これはしばらく混乱が続く。
部屋について確認するが。独房から出た部下達もろとも、他の兵士と同じような六人部屋を貰う。
元々動く街とさえ称される強襲揚陸艦ホワイトホークだ。
人が住むスペースは相応に存在している。
ただ、とにかく空気が悪い。
キタルと部下達は、あからさまに避けられているし。顔も覚えられているらしく、食堂では露骨に距離を取られていた。
「聞いたか。 今度は中国に物資を輸送するらしいぜ」
「もう生き残りいないんだろ。 無駄な事で危険を冒すのか」
「まだそれについては分からないって上層部が判断してるんだろ。 実際色々成果は上げているらしいが……」
「ゾンビ化はとまらねーじぇねーか。 成果ってのは、ゾンビ化を全て終わらせることを言うんだよ」
無茶苦茶を言っているなと思う。
今、ゾンビに対する解析を一手に引き受けているのが、副大統領をはじめとするチームだという事はキタルも聞いている。
そしてあの不機嫌おじさんがガキがと怒鳴り散らしていたことから。
相当に若いメンバー。多分飛び級で教授になっているような者がその中に混じっていることも分かっていた。
天才児という奴なのだろうが。
それにしても、子供に未来を託さなければならないのはぞっとしない。
何より大人が不甲斐ない。
不機嫌おじさんが退場したのは、むしろ良いことだったのかも知れない。
「それで、今度はどうするんだよ。 中国に輸送機飛ばすのか」
「どうもそれで調整しているらしいんだが……」
「冗談じゃねえぞ畜生!」
「落ち着けよ」
ヒステリックな声が響く。それはそうだろう。怖いのはキタルにも分かる。適当にコーヒーをのみながら、食堂を離れる。
出来るだけ、人との接触は避けろ。
必要な時だけ会話しろ。
そういう達しも出ているが。
何の意味もないことは既に分かっている。
ゾンビ化が発生したら終わりだ。
不意に船内通信が入る。
高慢そうな男の声だった。
「中将に昇進した、この第七艦隊司令官となったフレックスだ。 以降、協力してほしい」
協力してほしいと言う声では無いなとキタルは思ったが、黙ってその場で話を聞く。
何だか回りくどいしゃべり方をする男で。
自慢を交えつつ、先任者が死んで当然だったとか、余計な事をべらべら喋る。確かにその通りではあるのだが。此処で言う事では無いだろう。
「私は先任者とは違う。 皆に安心を約束しよう」
自慢げな通信は。
とんでもない内容で終わった。
「以降、第七艦隊から輸送機は飛ばさない。 副大統領からの命令は、不当な命令ということで拒否する方針を採る」
まて。
そもそも、命令に従ったから、ゾンビの調査が一段階進んだのである。座して待てとでもいうのか。
これは一波乱あるぞ。
そうさとり、キタルは身震いしたが。
更に恐るべき事を言う。
「場合によっては、第七艦隊は独立行動を開始する。 我等は人類の希望の方舟となるのだ」
まずい。
バカが自滅したと思ったら。
とんでもないバケモノが藪から出てきてしまった。
声は正気だ。
だからこそにタチが悪い。
これは下手をすると、船内でクーデターが起きるな。その時の事を考えると、キタルは憂鬱でならなかった。
生き残った人間が殺し合う。
ぞっとしない話だ。
(続)
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