腐り果てても
序、コンクリートの墓所
鏡を見て、奈木は表情が険しくなっているのを悟ったけれど。こればかりはどうしようもないとも思った。
ここしばらく地獄で生きてきたからだ。
学校のスクールカーストでがんじがらめの世界も地獄だったが。
それとはまた方向性が違う地獄。
スクールカーストで我が世の春を謳歌していた連中はみんなゾンビになった。だが、それをどうとももう思わない。
今いるのは、多分静岡くらい。
東京にかなり近づいて来たが。散々迷走した結果、具体的な現在位置が分からない。たまたま充電できる状況が来たので、スマホを充電した。コンビニで充電器を漁ったりもしたが。
いずれにしても、もうGPSが動いていないのか。
現在位置や、ナビ機能は動いてくれなかった。
電話機能も駄目。
電池を食うからあまり使いたくは無かったが。
それでも何度か試してみたが。
もう時報やら、警察消防やらも機能しておらず。
そもそも相手につながる事さえなかった。
ため息をつくと、もうスマホは灯りや計算機と割切って、充電だけ出来るときにはしておく。
いつかは使えるかも知れないが。
昔主流だったガラケーに一度さわってみて、軽くて小さいので驚いた。
スマホは大きく重く、そして脆い。
これは退化では無いかと思うのだ。
少なくとも、過酷な環境で走り回ってみて、始めて軽くて小さいという事の利点を奈木は知った。
水泳部で記録を伸ばすことだけ考えていた頃には、絶対に思いつきさえしなかっただろうけれど。
昔は勉強が出来なかった。
だから頭も悪いと思っていた。
今も、頭は良いなんて想っていない。
だけれど、頭は使わなければいけないとも思っている。
頭が悪いのなら何とか動くようにしなければならない。今まで水泳にしか使っていなかった頭を、生き残るために使わなければならないのだ。
そうしなければ。
晴菜だって浮かばれない。
ビルを出て、周囲を見回す。
コンクリートジャングルという程度の都市ではあるけれど、そもそも名前を見てもどの辺りかぴんと来ない。
そもウィキペディアにも接続できない状態だ。
ともかく、方角を見ながら移動するしかないのだけれど。途中で色々トラブルがあったせいで、なかなか東京へは向かえない。
一度南に進んで海にまで行って。其所から東へ進めば、その内東京にはたどり着けるとは思うけれど。
考えてみれば、東京に行くことが本当に安全か。
選択肢は増える。
だけれども、それ以上に東京がまだ残っているのか。それすらもが、色々と疑わしい。
ゾンビだって、今まで見てきたのは鈍重だけれども。
ゲームの奴みたいに、走るのとか武器使うのとか、変形したりするのがいないとも限らない。
学校のスクールカースト内でくだらない駆け引きばかり学んでいた頃には、それこそどうでも良かったことが。
今は何よりも重要になって来ている。
ともかく、頭を使え。
自分に言い聞かせながら、奈木はまだ生きているビルを慎重に調べながら、使えそうな物資を漁る。
この街に来てから、幸い自転車で良さそうなのを見つけた。乗り捨てられていたというか、恐らく乗っていた人がゾンビ化してしまったのだろう。多少汚れていたが、もう気にしない。
多分自分はゾンビ化しない。
既にゾンビパニックが始まって、大分経つ。既に季節は夏。
周囲で生きている人間をほぼ見かけない。
今生きている人間は、十中八九シェルターだの離島だのに退避した連中だけのはずだ。
まだドローンが時々いるので、それについては分かる。
人間はまだ滅んでいない。
だけれど、どうせ人間に見つかっても碌な事にならないのも確信としてある。このゾンビ化だって、人間が関与していないとは言い切れない。
最初は米国で始まったこの事件だけれど。
どっかの国の軍用ウィルスとかが暴走した結果かも知れないし。
もしそうだとしたら、この事件を引き起こした奴は、安全な場所でのうのうぬくぬくとしている可能性もある。
ドローンもそいつが飛ばしているかも知れない。
絶対に何も信用できない。
顔を叩くと。
猜疑心の塊になっていることは自覚しつつも。
奈木は歩く。
ここ数日ドローンは見ていないが、それでも時々遠くに飛んでいる何かは見かける。飛行機か何か分からないが、何かいる。と言う事は、その全てが追っ手ではないとしても。幾つかは何かしらの方法で追跡を仕掛けて来ているのだろうとみて良い。
どうやっているのかはわからないが。いつ武装した大人に囲まれるか分からない。いつだって、油断は出来なかった。
足を止める。
目を細めて、前の方を見る。
ゾンビが数体、彷徨いている。この辺りでは、もう動くゾンビは殆ど見なくなったのだけれども。
ともかく避けた方が良いだろう。
少し自転車で距離を取って、様子を見る。ゾンビは男女ごたまぜで、十人くらい。そもそも全身が腐敗しているのだから、もう何か混ざっている、くらいしか分からない。それにしても、生前は見かけで相手の全てを判断し、場合によっては差別しても良いと公言していただろうに。あのような姿になってしまうと、哀れを通り越して悲惨である。
ゾンビ達はうろうろしていたが、やがて地下街に入っていった。
地下街なら暗いし腐敗も遅れるだろうけれど。
どうして逆にそれなら、昼間の暑い今、外に出てきたのだろう。
ゾンビは殆ど物音も聞こえていないし、臭いも分かっていない。それは奈木が散々実験して確認している。
何かあるのかも知れない。
しばらく見ていると、ビルからドローンが出てきた。ドローンがゾンビを追い立てたのか。
よく分からないが、ゾンビ達は餌でもないドローンを見ている。
そして、ドローンが飛んで行くと、緩慢にドローンを追っていった。
アレは、どういうことだろう。
こわごわと、ビルの内部を覗いていく。
腐敗して動けないゾンビがかなりの数いる。蠢いているが、多分さっき出てきたゾンビは、腐敗が進まず動けている状態のものだったのだろう。正直な話近付きたくもない。入り口近くにもかなりいるので、噛まれたりするかも知れない。
ふと、気付く。
至近距離に、ドローンが来ていた。
慌てて飛び退く。
自転車に飛び乗って、全力で逃げに掛かるが、ドローンが追跡してくる。ゾンビは前の方でうろうろしていて。商店街の地形を利用して、挟み撃ちに掛かって来ている状態だ。
引っかけられた。
それを理解はしたが、今更どうしようもない。
ドローンがどうやってゾンビを引きつけたかは分からないが。
ともかく、一機がゾンビに奇行を採らせて奈木を引きつけ。
そしてもう一機が、奈木に接近してきた、と言う事だ。
ゾンビを強引に突っ切る。
動きが緩慢なゾンビ達は、あーうー言いながら奈木に追いすがろうとしたが、自転車で無理矢理突っ切ったのでそれっきり。
本当だったら、この時点で感染しているはずだが。
どうしてか奈木は感染しない。
その自信があった。
ドローンが二機、巧みについてくるけれど。
奈木は路地裏にドリフトしながら走り込み。
そして、其所を一息に突っ切ると。
小さな開きっぱなしの八百屋の残骸に突っ込んだ。なお、野菜や果物は、全部ゾンビのエサになったのか、すっからかんである。
奥に飛びこんで、しばらく息を殺す。
ドローンが鋭敏な動きで追ってきていたが、やがて八百屋の前を通り過ぎていった。
自転車に乗ったまま、周囲を冷静に確認。
此処は冷えている。
ゾンビに襲われても不思議では無い。
それに、ゾンビより今はドローンの方が恐ろしい。何があのドローンの目的か分からないからである。
「広中奈木。 いるなら出てきなさい」
いきなり声がしたので、首をすくめた。
何だ。
どうして名前を知っている。
「此方は少ないリソースを活用してお前を追っている。 これ以上手間を掛けさせるな」
苛立った声。
絶対に出て行ってやるものか。
舌を出したいが。
ロクに体も洗えていない状態だ。
今体の臭いは正直嗅ぎたくないし、人前にだって出たくない。容姿なんてどうでもいいが、汚れている事が問題だ。
元々猿呼ばわりされていた奈木である。
ルックスなんてそれこそどうでもいいと思っているが。
それでも、ボロボロに汚れた姿を笑われるのは頭に来る。
「とにかく出てきなさい。 此方も限られた時間で其方を探しているんだ。 何もしないから出てきなさい」
その割りには高圧的な呼びかけだ。
奈木は絶対に出ていってやるものかと思いながら、外を窺い。ドローンが巡回している隙を突いて、また路地裏を突破。そのまま体勢を低くして、ゾンビがいない場所を抜けて、一気に商店街を突っ切った。
名前までしられているとは。
下り坂を急いで走り抜けながら、最悪だと呟く。
この様子だと、もっと効果的な追跡をしかけてくるかも知れない。
捕まったらそれこそ何をされるか知れたものではないし。
何しろこんな状況だ。
強姦されるくらいだったらむしろ幸運。
下手をすると、生きたまま切り刻まれて食われてしまう可能性だってある。
死んだ方がマシだといえるような実験をされる可能性だって高いし。
或いは全部お前のせいだとか言われた挙げ句、リンチにかけられて殺されるかも知れない。
名前を調べ上げるくらい、学校のデータベースでも漁れば簡単だろう。
それに相手の苛立った声が、奈木に対する敵意を告げていると言ってもいい。絶対に捕まらない。
森の中に逃げ込むと、自転車を藪に隠し。リュックを背負ったまま木の上に上がる。リュックはかなり重いが、もう自在に抱えて木登り出来るようになっていた。熊撃退用の唐辛子スプレーもたまたま入手できた。ゾンビパンデミックの際に、どうでもいいと判断されて放置されたのだろう。
それを倉庫跡で見つけたのだ。
事実、昨日野犬に絡まれたときは、思いっきり噛ましてやり。直撃を喰らった野犬は悲鳴を上げて転がり回っていた。
更に、ちょっと臭いを嗅いだだけで野犬が逃げ散ったので。
凄まじい効果である。
多少はマシどころか、ちょっとやそっとの人間に襲われたくらいでは、撃退は難しく無いだろう。
手に入れた道具類を確認した後、周囲を丁寧に確認し。
ドローンが潜んでいないかをチェック。
何をしかけてくるか知れたものでは無い。
この辺りに隠れた事を察知したら、森ごと焼きだそうとしてくる可能性だって低くは無い。
呼吸を整えると、また移動を開始。
滅茶苦茶に移動していたから、方角も何も無かった。
また海に出るとか、東京に向かうとか、考え直しだ。国道を通ったから、あのドローンに追跡されたのかも知れない。
考えてみれば上空から丸見えだ。
野獣の襲撃を警戒しなければならないが。
もう少し山深い所を通る必要もあるかも知れない。
とはいっても、あまり深い森はこの辺りにはない。富士の樹海じゃあるまいし。未開発地域も通ってきたが、それでもものには限度がある。
それに、山深い所ほど、方角が確認しづらい。ずっと森が続いているわけでもない。
通ってくる途中、再開発だか何だか知らないが、滅茶苦茶にソーラーパネルの残骸が散らばっているのを見かけた。
何かの利権だか知らないが。
貧乏人の懐につけいって、貴重な動植物を蹂躙陵辱し、はした金に替えるくだらないビジネスだというのは奈木だって知っている。
実際に彼方此方の森が無惨な姿にされているのを見ると、忸怩たるものがある。
更に言えば、それがゾンビパンデミック後に何回か来た台風で根こそぎぐちゃぐちゃにされ。
挙げ句の果てにそのまま放置されているのを見ると。
何のために此処にいた動植物は蹂躙陵辱されたのかと、苛立ちすら覚える。
しばし、口を引き結んで自転車を漕ぐ。
幸いスポーツシューズは頑丈だが。
問題は自転車の方で。
こっちはいつパンクしてもおかしくない。
もっと本格的なのがほしいが。
自転車屋はもうまともに存在していないし。たまに見かけても、どうみても安物ばかりだった。
どうせパンデミックが起きたときに、火事場泥棒が盗んでいったのだろう。
売る相手なんていはしないのに。
まあ、盗んでいるのは奈木も同じか。
こればかりは、もはやどうしようもないことだが。
下り坂をしばらく行った後、今度は上り坂に出る。此処で、やっと方角を確認する余裕が出来た。
スマホを起動して時刻を確認。
左右をチェックして、方角を確認。
いっそ海に出るかと思う。
海の近くは防砂林もあるし、隠れるには丁度良いはず。しかし、南を調べて見ると、さっき逃げてきた方向だ。つまり彼方此方走り回る内に、北に逃げていた、という事になる。
溜息が零れた。
何というか、間が悪いというか何というか。
仕方が無いので、しばらく山を上がって、其所から南に降りられる道を探す事にする。山の上からなら、海岸線が或いは見えるかも知れないが。
いや、厳しいか。
さっきの街に来る途中の国道でも、海など見えなかった。
見えるとしたら、もっとずっと南に行った先だ。
自転車で世界一周とか、やっていた人は凄かったんだな。
それを思いながら、奈木は無心に自転車を漕ぐ。
耳は鋭敏になっている……いや違う。
今まで人間が出していた環境音が一切無くなっただけだ。
だからドローンに接近されればすぐに分かる。別に奈木の耳が良くなった訳でも何でもないか。
途中から坂がきつくなってきたので、山を歩いて上がり。体力を温存する。いわゆるヘアピンカーブが続いて、山深い森の中の道を行く。車に追突されたり轢かれたりする恐れだけはないが。
それでも、此処は少し涼しいし。
ゾンビに出会い頭ばったり、という可能性を否定出来ない。
だからこそ、体力は常に温存しつつ、動かなければならないのだ。
更に言えば、休める場所があったら、少し早めでも休んでいく習慣を作っている。
何度か、夜中にゾンビに追い回されたからである。
寝ぼけ眼で顔を上げたら、ゾンビが食いつく寸前だった、と言う事が今までに二回あって。
それで嫌でも覚えた。
どうしても、人間油断するものだと、奈木は自分自身で理解した。
だからこそ、どんどんサバイバルのスキルは上がっている。
とはいっても、まだまだだ。
さっきのように、ドローンに結局捕捉されるようでは意味がない。
それにドローンを操っている奴は、奈木の名前を知っていた。と言う事は、奈木だと分かる痕跡を残してしまっていたと言う事で。
今後は、更に警戒しなければならないだろう。
森を抜けて、遠くを見る。
南の方角を確認できたので調べて見るが、駄目だ。海はとても見えない。
確か地平線が十キロくらい先だとか言う話だから、最低でも十キロ以上はいかなければ海にはたどり着けないという事だ。
しかも此処は山の結構高い所。
最低でも十五キロくらいは見繕わなければならない。
当然直線で南にいける都合が良い道路なんてある訳がないので、もっともっと距離を考えなければならないだろう。
ヘアピンカーブ地帯を抜ける。
そうすると、緩やかな下り坂に出た。
こういう所が一番危ないな。そう思いながら、奈木は危ない所は一気に駆け抜けるべく、速度を上げた。
1、追跡逃亡
自衛隊から送られてきたデータをカルネは見て、鼻を鳴らした。自衛隊はそれほどいいドローンを持っていないという事もあるが。
逃げている広中奈木という中学生。
カルネとおない年とは思えないアグレッシブさだ。
今まで見つけてきた生存者は、いずれも病弱で、発見さえしてしまえば確保は難しく無かった。
だがこの広中奈木。
途中で追跡してきたドローンを撃墜し、野犬の群れを追い払って逃走。
途中、ドローンで何度か発見し追い詰めたものの、野獣めいた勘と機転を利かして、何度も逃げる事に成功している。
自衛隊は無能とは言い難い。
装備に金が掛けられていないという事や、何だか妙に閉鎖的な人間関係といった駄目な部分もある。
だがそれはそれで、相応の精鋭が揃っているし。軍に支給されている装備のレベルだって高い。
今生き延びている自衛隊の残党だって、相応の精鋭が揃っているのだが。
ドローンの操作が不慣れだということを加味しても。
此処まで逃げ延びられるのは凄いと言うのか何というのか。
痕跡を探って見つける度に逃げられると言うことで、自衛官はぷんぷんと怒っていたが。カルネは静かになだめた。
「そもそも相手を警戒させているのでは無いのか。 こんな状況下に置かれたら疑心暗鬼にもなる。 其所をドローンで追いかけ回されているとなれば、逃げ出すのも無理はないだろう」
「こんな状況だ! 協力するのは当然だろう!」
カルネは四カ国語を使えるが、日本語は使えるので、通訳はいらない。
ただ、敬語は苦手だ。
日本語の敬語やビジネスルールは意味不明。日本人にさえ理解出来ないという話なので、カルネに分かるわけがない。
「相手側の気持ちを考慮して動いてくれ。 恐らくは相当に心細い状況で、危ない目にもあっている。 ゾンビより人間の方が危険だと考えていても不思議では無い」
「それは、そうかも知れないが。 だが、ものには限度がある!」
「北風と太陽の逸話は知っているだろう」
「偉そうに子供が説教するつもりか!」
ぎゃんぎゃん騒ぎ始めるので、閉口してネゴシエイターに代わる。しばらくして、相手が落ち着いたので、また会話を再開。
米国でもマッチョ文化はスクールカーストの階級に直結し、いわゆるジョックは運動が出来る奴というのが定番だった。
日本でもそれは同じようで。
スクールカースト上位は、基本的に暴力が得意で残忍な人間で占められる。そしてそれを自覚さえしていない。
日本で銃器が売られていたら、多分年に何度も乱射事件が起きていただろう。米国と同じように。
その悪しき文化は。
日本では「体育会系思考」と呼ばれ。
そして体育会系の人間は、就職でも有利なようだった。
専門的に仕事が出来る人間よりも、脳みそまで筋肉で出来ているような輩の方を優先するから社会が衰退するのだが。
まあそれはそれでいい。今はそれを指摘しても仕方が無い。
相手が落ち着いたのだから、建設的に話を進めて行くしか無い。
「ともかくだ。 広中奈木は明らかにゾンビの群れを突っ切っているにもかかわらず、ゾンビ化の傾向も見られず、それどころか野獣のような勘と敏捷性で君らから逃げ続けている。 抗体を持っている可能性は高く、必ず捕獲してほしい」
「分かっている。 どうにかするつもりだ」
「決死隊を出すのは最終手段だ。 説得とネゴシエーションを続けてほしい。 専門家がいないなら、此方からレクチャーする。 今は人手が足りないのは当たり前だし、恥ずかしがることは無い」
「……」
不愉快そうに向こうが通話を切る。
どうも日本人のプライドの居場所はよく分からない。ただ米国でもこういったよく分からない沸点は存在するようだし。世界共通でタブーというものはあるようなので。それについて怒るつもりはない。
自分の方でも自動でドローンを巡回させていたが、流石に生き残りはかなり探すのが厳しくなりつつある。
先月くらいまではまだまだ生き残りが見つかったのだが。
今月に入ってからは、「生きていた」腐乱死体の方が、見つかる可能性が上がり始めていた。
それでもまだ生き残りはたまに見つかる。だから、カルネも必死にドローンを血眼で動かしていた。
今、追っている生き残りは四人。
最筆頭の確保対象である広中奈木は、自衛隊に任せるとして。
残り三人の内、一人はロシア。
ロシアは夏場でも涼しいこともあり、ゾンビがまだまだ元気に動き回っている。新しくロシアで痕跡が発見されている生者は、ロシア軍の残党がドローンを飛ばせる状態にないため。離島の基地からかなり遠隔で、ドローンを飛ばして調査を行っている。
もう一件はタイ。
此方は山奥でくらしていた僧侶達の集団のようで。
ドローンを飛ばして交渉をしているのだが。
元々厳格な仏教国のタイ。
僧侶達は頑迷で。
しかも山奥に籠もって、修行に没頭するような者達である。
タイ軍の生き残りに頼んで交渉をして貰っているが、どうも芳しくないらしく。此方については望み薄だ。
今、カルネが直接追っているのは、サンフランシスコの一角。
爆撃を免れた小規模集落に、人間の痕跡が最近まであったこと。
他の地域でもドローンを飛ばして調べてはいるのだが。
この小規模集落は、巨大なコーン畑を作って収入を得ていた場所で。ゾンビパンデミックの直後、ゾンビの大軍がコーン畑に殺到、コーンを食い尽くしてしまった。その時に、ゾンビの大軍に集落も飲み込まれたので、生き残りがいる事は絶望視されていたのだけれども。
ところが、ゾンビがみんな夏場の熱にやられ。腐敗しにくいといっても限度があるため動けなくなり。
そしてすっかり静かになった頃を見計らって。
動き出した者がいる様子なのだ。
今ドローンを三機回して確認しているが、どうやら米国に昔から存在した、核戦争に備えてシェルターを自前で作り、立てこもっていた人間の様子で。
地下でずっと引きこもっていたらしい。
ただし、今までの情報を総合するに、五体満足の人間である可能性は低い。
何かしらの重篤な病気を持っているか。
或いは持っていて気付いていないか。
そのどちらかだろう。
広中奈木のように、健康体で逃げ回っている可能性もあるが。
しかしながら、その広中奈木にしても、本当に健康体かどうかは、捕まえてみないと分からない。
ともかく、此方でも健康体のゾンビにならない者が確保出来れば最高である。
サンプルというと言い方は悪いが。
人類にとっての希望になる。
それが一人でも多ければ良いのは、当たり前の事だ。
家の周囲には強力な防御システムが構築されているので入れない。内部には石油が備蓄されているらしく。
それによる自家発電で、防御システムを稼働させているらしい。
家の周囲にはゾンビの残骸の山。
ゾンビパンデミックの時に、この家に入ろうとしたゾンビが、片っ端から据え付けられている銃座に撃ち抜かれてミンチになったのだ。
ドローンもある程度距離を保たないと危ない。
この家の防衛システムは生きているのである。
家から時々、誰かが出てくるのが分かっているので。ドローンで監視を続けているのだが。
家の周囲を要塞化しており、庭も広いため、何度も出し抜かれた。
其所でドローンを三機に増やし、監視の強化をしているのだが。それでも中々捕まえられない。
此方も手強い相手である。
勿論何度も呼びかけているが、返答は無い。
まず、本当に家主が生きているかを、確認しなければならないだろう。
時間がない。
こうしている間にも、小規模な集落などから、次々とゾンビ化の報告が入っているのだ。生き残った人間で作ったネットワークも、常に再構築をし続けている状況で。いつ崩壊してもおかしくない。
時間が無い中、孤立した人間と連絡を取り、コミュニケーションを成立させるのはとても難しい。
当たり前だがマナーだの何だのは此処ではカスの役にも立たない。
必要なのは意思疎通で。
相手の立場に併せなければならない。
相手はゾンビパンデミックの中を生き延びてきている訳で。それを考慮して動かない限り、ドローンを敵視するだろうし。此方に対して警戒するのも当然だ。
しばし、出方を窺っていると。
動きがあった。
庭の一部。
少しだけ地面が盛り上がって、カメラが出てくる。誰かが覗いていると思って良いだろう。
此処からだ。
咳払いすると、話しかける。
「見ているものがいるなら、聞いてほしい。 此方合衆国軍の生き残りだ。 このゾンビパニックの生き残りを探している」
カメラはぴたりと動かなくなり。
じっとドローンを見ている。
今までは話しかける機会もなかった。声は聞こえていたかも知れないが。出来れば会話をしたい。
状況次第ではネゴシエーターに代わるが。
ネゴシエーターは今、隣でタオルを被って寝込んでいる。
過労が祟っているのである。
「知っているかも知れないが、ゾンビパンデミックが起きている。 映画のゾンビと違って、噛まれても感染はしないが、その代わり感染経路が分からない。 この状況で生き延びている貴方には是非協力を願いたい」
「……」
「此方も生き残りはあまり多く無いし、いつゾンビ化してもおかしくない状況だ。 状況が打開された場合、相応の謝礼は支払う。 人類社会の再建がなった暁には、英雄の座も約束する」
これは本当だ。
広中奈木もそうだが。もし人間の希望たり得る存在が見つかったら。教科書に載るレベルの偉人となるだろう。
しばし、カメラはドローンをじっと見ていたが。
その間も、他の場所で動きがないか、ドローンには念入りに調べさせる。更には監視衛星も動かして、周囲の熱源を探査させる。
監視衛星は残念ながら、この状況では出来る事が少ないのだが。
それでもどうにかやってもらう。
生き残りの数が減っている今。
見つかった、ゾンビへの切り札になり得る人に対しては。それこそ日本語で言う、三つ指突いて向かえに行くレベルの対応をしなければならないのだ。
不意に声が聞こえる。
がらがら声だった。
かなりの老人のようだ。
そもそも、核戦争が起きるかも知れないと言う可能性を考慮して、自宅をシェルター化するのが流行ったのは二昔前である。
その時代の住人となると、老人であっても不思議では無い。
ましてやこの重武装化。
相当な偏屈である事はほぼ確定である。
「最近のゾンビは喋るし道具も使う! お前を信じる道理は無い!」
「では聞くが、貴方の家に押し寄せたゾンビは道具を使ったり喋ったりしたか?」
「……」
「ボクが知る限り、パンデミックで出現したゾンビは例外なく知能を失っている。 道具を使うどころか走る事も出来ないし、筋肉も弱っていて生前より弱い。 体が腐敗しているのだから当たり前だ。 貴方は今まで立てこもっていたのなら、それを知っているのではあるまいか」
沈黙が続く。
老人、これは相当に疑い深いな。
データが来る。
住んでいるのは、ヨセミテ=ジョニー。
周囲から頑固爺と呼ばれていた、筋金入りの人物だ。まあこのコンクリの城ともいえる要塞のような家を見ればそれは分かるか。
何でも、医者嫌いで知られていて。
ここ二十年、病院に来た履歴がない。
そうなると、どんな病気に体がやられていても不思議では無い。今までの生存者は、だいたいの場合何かしらの重篤な疾患を抱えていた。
このヨセミテ氏も、その可能性が上がった事になる。
ただし、その割りには、今までドローンによる監視を出し抜いてきた機敏な行動には疑問も残る。
或いはヨセミテ氏の家族とかがいるのかも知れない。
非嫡出子は米国ではそこまで多くは無い。
人口の二割が非嫡出子だった一時期の中華のような状態ではないが。
難民天国である以上、非嫡出子はどうしてもいる。
ヨセミテ氏についてのパーソナルデータを調べるが、屈強そうな老人で。ばかでかいライフルを持ってグリズリーを自慢げに仕留めている写真が残っていた。家族もいたらしい。この辺りも、情報が曖昧だ。
どうやら、米国政府も信用せず。
要塞化した家で、自給自足を続けていた、筋金入りの変人らしい。
だとすると、家の中がどうなっているか、まったく分からない。
「ガキ。 何者だ」
「大学院を飛び級で卒業して博士号を取得したところをゾンビパニックに巻き込まれた一大学教授だ」
「その年で大学教授だと。 ××ばかりだな今の連中は。 ガキに好き勝手にやられやがって」
「……」
往事のハリウッド映画のような下品な言葉が飛び出したので、流石にカルネも閉口したが。
げらげら笑いながら、老人は揶揄してくる。
「で、今の大統領は何をしてる。 布団の中でブルブル震えてるのか」
「本当に何も知らないんだな」
「何だと」
「大統領はゾンビパニックの初期に死んだ。 今指揮を執っているのは副大統領のアーノルド=バークスだ」
黙り込むヨセミテ老人。
流石に事態の重大さを悟ったのだろう。
米国には、大統領が死んだときのセーフティネットが幾つか存在しているが。それでも、大統領が死んだ場合、その後任が選出される。
逆に言うと、今はそれさえ出来ず、副大統領が指揮を執っている。
それだけで、ヨセミテ老人にも、事態の重篤さが分かったのだろう。
しばらく黙っていたが、少し不安そうに声が震えているヨセミテ老人が話しかけてくる。
「それで、何を聞きたい」
「まず其方には何人いる」
「わしだけだ」
「……OK。 このゾンビパニックは、そもそも感染経路が分からない。 今生きていると言うだけで貴方は貴重な存在だ。 軽く健康診断を受けてほしい。 血液のサンプルや、体の状態が知りたい」
しばらくして。
どうすればいいと聞かれたので、ほっとした。
核戦争よりも悲惨な事になったことを、ようやく悟ってくれたのだろう。
大半のゾンビ映画。
噛まれなければ感染しないタイプのものだったら、生き残る事が出来ただろうヨセミテ老人も。
この状況ではどうにもならないと悟ったのだろう。
ほどなく、外に姿を見せる。
熊でも撃ち殺せそうな巨大な銃。いわゆるベアバスターを構え。老人だが屈強な肉体をもった人物だ。
らんらんと目を輝かせていて。夜道で遭遇したら、若いストリートギャングくらいだったら跳び上がって逃げるかも知れない。
スラッシュ映画の殺人鬼役で出てきても不思議では無い容姿で。
口元に蓄えた髭が、無慈悲さを示すかのようだ。
まあ容姿なんてどうでもいい。
今はこの老人が、ゾンビ化せずに生きていると言う事だけが重要なのだ。
「わしは武装している。 変なことをしたら、即座に叩き落とすからな」
「少し待っていてほしい。 今、検査用のキットを搬入している」
「血を採る以外に何をする」
「簡易の検査だ」
医療班に声を掛ける。
医療班も、すぐに反応。今までになく健康そうな相手を見て興奮していたが。しかし、実際にキットが来ると、すぐにヨセミテ老人は眉に皺を寄せた。
「注射器とかは使わないのか」
「今はそんな事をしなくても大丈夫だ」
「……怪しいな。 やっぱりお前ゾンビの仲間じゃないのか」
「痛みなどもない。 すぐに終わる。 腕を出してくれ」
警戒しているヨセミテ老人が、ベアバスターを向けてくる。グリズリーですら一撃で仕留める凶悪な銃である。しばらく此方は動かずに、丁寧に説得を続ける。
目には凄まじい猜疑心が宿っていて。
一言でも言い間違えたら、撃ってくるのは確実だった。
それに庭中に銃座がある。
ヨセミテ老人がその気になれば、ドローンは瞬く間に蜂の巣にされてしまうだろう。いや、木っ端みじんか。
しばらくネゴシエイターが話を続けたが。
ヨセミテ氏はかなり興奮していて、こんな医療器具は知らないとか、騙そうとしているとか、ずっとわめき散らしていて。気が滅入った。
その内、息を切らしたのか、ヨセミテ老人がうーんとうなると。その場に膝を突いてしまう。
さっとキットを使って血液などのサンプルを採取。
わめき老人が発砲しようとするが、どうにも様子がおかしい。心臓病かも知れない。
すぐに資料を搬送させる。
同時に、ヨセミテ氏に声を掛ける。
「深呼吸して。 貴方は心臓に持病があるのか」
「し、知らん。 時々胸が苦しくなる……」
「今、病院に搬送する」
「医者など信用できるか! バカみたいな金を取って、わしを破産させるつもりなんだろう!」
この国の医療は。
そう言われても仕方が無い状態になっている。
それは事実だ。
しかしながら、もはや米国そのものが存在しない。
ぐったりしているヨセミテ老人を、ドローン六機がかりで運ぶ。気密もなにもないのは分かりきっている。それに、研究所である程度の医療は出来る。
ゾンビは駆除し終わっている研究所にヨセミテ老人を運び込み、遠隔で本格的な健康診断をする。
医療班が首を横に振った。
「なんでこんな状態になるまで放っておいたんだ。 体中病巣だらけ。 心臓も動いているのが不思議なくらいだ」
「巫山戯るなっ! わしは健康だっ! 家に帰る!」
「頼む、もう少し静かにしていてくれ。 貴方のデータが、希望になるかも知れないんだ」
「適当なことばかり言いおって! さては貴様ナチの手先だな!」
思わずくらっと来る。
今時ナチ。
この老人の脳内は、一体いつから更新されていないのか。それともアカかと言われたので、腰から崩れそうになる。
そういえば、赤狩りとか言うおぞましい行為が米国で行われた時期があった。あるコミックヒーローは赤狩りに作中で荷担し。その結果、今では赤狩りをしていたのは偽物という驚きの理屈で当時の黒歴史を誤魔化されている。
だが、そんな事はカルネの世代では普通知らない。カルネがたまたま飛び級して大学教授になっているような例外だから知っているのであって、下手するとナチがどういう組織だったか、場合にとっては太平洋戦争の存在さえ知らない学生まで今はいるのだ。
咳払いをすると、医療班が口を挟んでくる。
「緊急治療が必要なレベルだ。 出来れば即座に実施したいが」
「巫山戯るな! 医者など信じないぞ! インテリはどいつもこいつもマルクス主義にかぶれているに違いないんだ!」
「マルクス主義なんて、今時余程の極左でも口にしないぞ……。 いにしえのインテリには必須知識だったらしいが……」
「黙れ黙れっ! アカとナチと嘘つきはみんなそう言うんだ!」
とにかく暴れるヨセミテ老人。
本当にタフな人物だ。
体内が病巣だらけだというのが信じられない。というか、医師達が、どうしてこれで動けるのか謎だと戦慄していた。
ともかく麻酔を嗅がせて、応急処置に入る。
遠隔作業で緊急手術が出来るが、出来ればそのまま仮死状態にしたいと提案する。多分健康になると、ヨセミテ老人はゾンビ化する。それについては、今まで幾つもの類例がある。
はっきりいって、手術でさえ危ないのだ。
今は延命処置が必須だからやったほうがいいが。
もしも健康状態が劇的に改善したら、ゾンビ化が始まりかねない。
ヨセミテ老人は家に引きこもっていたとは思えない程屈強な骨格をしていて、遠隔での手術は、此処にいる医療班でも相当苦労していたが。
それでも、一応応急の処置は終わった。
同時に、身体機能を低下させて、一種のコールドスリープに入って貰う。
これは米軍が研究していた技術で、まだ民間には出回っていない。
ともかく身体機能を低下させないと、恐らくゾンビ化が始まる。そう思って作業をしていると。
アラートが鳴る。
どうやら、研究所の外に、ゾンビが何体かいる。
軍基地から出してきたセントリーガンを起動して、ゾンビを消し飛ばす。麻酔が切れそうになっていると、医療班が驚愕の声を上げた。何というか、グリズリーのような老人である。
グリズリーを仕留めている写真では楽しそうに笑っていたが。
熊との命がけの勝負どころか、むしろ必死に逃げるグリズリーを、余裕綽々で追いかけ仕留める様子が想像できてしまう。
麻酔が切れかかっているヨセミテ老人をコールドスリープ装置に放り込んで、やっと静かになる。
ゾンビ化の兆候はないし。
バイタルもギリギリ最低のラインでどうにか止まってくれた。
良い事だ。
このまま、データを幾つか採らせて貰い、ゾンビ化についての研究を進める。医療班にも、いつまでも何も分からないとは言わせない。
レポートを急いで仕上げる。
もの凄く疲れたが。
それにしても、核に備えて立てこもっていたいにしえの亡霊のような老人が、こんな風に役に立ってくれるとは思わなかった。
データが出てくる。
医療班は、必死にデータを洗っているが。
しかしながら、あまりこれといった新しい情報は無い様子だ。だが今回は、今までとは違う。
ヨセミテ老人を生きたまま確保出来たのだ。
研究施設は何があっても守り抜かなければならない。
レポートを書き上げたので、副大統領に見せる。
副大統領は疲弊しきっていたが。
おおと、感動の声を上げた。
「素晴らしい! 後は医療班の働き次第だな!」
「それと、このヨセミテ老人は重度の病身でしたので、ゾンビ化はしなかったのも頷けるのですが……やはり健康体のまま動けている人間のサンプルが必要だと思われます」
「日本にいるナキというティーンエイジャーだな」
「はい。 ボクの方で自衛隊に協力を申し出ます。 もう少し米国本土で生き残りを探っては見ますが、これ以上は厳しいでしょう。 今確実に生きている人間を追う方が、ある意味では堅実です。 ただ、正直な話、今までの事例を見る限り、ナキにも何か重篤な病気がある可能性も否定はできません」
時間も無いし、手段は選んでいられない。兎に角可能性が高い方からやるしかない。そう、内心で付け加える。
ただ、一つはっきりしたことがある。
こんな状況だ。
今までの「常識」なんて、何の役にも立たない。実際問題、ヨセミテ老人なんて筋金入りの変人だった。
世の中には「常識」とかいう偏見を絶対視して、それを持っていない人間を人間扱いしない輩がいるが。
それらは「いた」となり果てた。
もし人類の文明が再建できたとしても。
今までのような文明をまた作ったら、多分同じ失敗が繰り返されることになるだろう。
それだけは避けなければならない。
いずれにしても、とにかく総力を挙げなければいけないが。
会議が終わると、カルネはすぐに自衛隊の方と連絡を取る。かろうじて無事はお互い様である。何しろ、陸地から1000㎞離れていて、人の行き来がなかった離島ですらゾンビが発生しているのだ。
いつ誰がゾンビになってもおかしくないのである。
すぐに向こう側も出たが、驚くべき事を聞かされる。
「広中奈木だが、現状範囲を絞って探索している」
「逃げられたのか」
「いや、それもあるが」
「逃げられたのだろう。 それでは困る。 現状、ゾンビ化せずに活発に動いている人間の唯一の例なんだぞ」
ボイスオンリーの通信の向こうで、相手が苦虫を噛み潰しているのが分かるが。
それはもう仕方が無い。
今は責めて解決する事はない。
「ともかく、一刻も早く接触を。 出来れば確保してほしい」
「それは分かっている。 ただ問題が発生している」
「何だ問題とは」
「ゾンビの駆除に出て全滅し、放棄された基地に生存反応がある。 大きさからして人間の可能性が高い」
何だとと、思わず立ち上がっていた。
もしそれが本当にゾンビ駆除に出て生き延びた軍人だとすれば、それは確かに優先順位も上がる。
「現在、軍事基地の防空網をシャットダウンしているところだ。 終わり次第、ドローンを入れて内部を確認する」
「両方同時には出来ないのか」
「電子戦部隊は基地の無力化に総力を挙げているし、そもそも自衛隊の電子戦部隊は……」
「ああ、そうだったな」
頭を掻く。
日米安保条約などの色々な条件があった結果。
自衛隊の電子戦能力は決して高いものではない。
昔はそれで良かったのだが。
今はむしろそれが邪魔になってくる。
ただ、そういった基地でも、自動での防空機能はついている。ドローンによるテロや犯罪が深刻化した現在である。米軍が中東などの紛争地帯から得た技術をフィードバックして、自衛隊でも導入していたのだ。全ての基地に導入する前にゾンビパンデミックが起きてしまったが。
そして、導入が済んでいた基地で、よりにもよってそんな事が起きたとなれば。
まあ自衛隊側が戦力を割くのも分かる。
「此方から人員を回そうか」
「いや、此方で対処する。 其方は其方で対応を続けてほしい」
「……意地を張っても今は意味などないぞ」
「意地では無く。そもそも其方のシステムを流用した独自システムを使用している。 人手が増えたところで結果は代わらない」
なんということか。
溜息が零れるが、これは相手も正直泣きたいだろう。
少し悩んだ後、広中奈木の探索の方に、米軍のドローンを出したいと説明。
相手が難色を示したので。
ネゴシエーターに代わって貰う。
今はもう国家もない状態だ。
だからこそ、各国の軍の中では比較的倫理面がしっかりしている(頑固だが)自衛隊には頑張って貰わないといけない。
「……分かった。 此方は基地の防空システム無力化に全力を注ぐ。 ドローンは其方でどうにかしてくれ」
どうやら向こうさんも、散々巧妙に逃げるナキには辟易しているらしい。
同年代の様子だし、カルネとしては知恵比べに興味はある。
許可は得た。
現在海上に展開している米軍第七艦隊空母打撃軍から、何隻か動かして貰う。
もう、時間的猶予は無い。
出来れば一週間以内に。
広中奈木を確保したい。
2、迫り来る黒い鳥
飛行機が飛んでいる。
奈木はそれに気付いて、思わず森に逃げ込んだ。木立の間から、飛んでいる飛行機を確認。
小型の飛行機で、何だか形状もよく分からない。
多分だが、人が乗っているようには見えない。
そうなるとドローンだろうか。
だとすると、軍用のドローンと見て良い。
今まで飛んできていたオモチャとは別物にすら感じる。
もし今まで飛んできていたドローンが、自衛隊の奴だとすると。ひょっとして、在日米軍のものかもしれない。
在日米軍が生きていないとすると。
海の上とかから飛ばしてきている可能性もある。
動きもぬるぬるしていて。
昔の人が見たら、UFOとかと勘違いしたかも知れない。
武装もしっかりついている。
多分電子戦装備、と言う奴だ。
南下どころでは無く、ここ数日は森と、その側の国道をうろうろしている。兎に角ドローンが多いので、出歩くに出歩けなかったからだ。スマホもずっと電源を切ったまま。此方から捕捉される可能性も否定出来なかったからである。
幸い、山間にも朽ちたサービスインはあり。
水などはあったし。トイレも利用する事が出来た。
水道がまだ動いているのは驚異的だが。
浄水場が動いているとは考えにくい。
多分だけれども、水はもう綺麗とは言えないはず。
だから湧かして飲んでいる。
その湯気とかも見つかると厄介だから。屋内で火を焚かなければならないのが面倒極まりなかった。
もう電気はかなり怪しくなっていて。
IHなどの調理器具は動かない。
今拠点にしているインターもそう。
四苦八苦しながらガス湯沸かし器をどうにか使っているが。
それでもガスが切れたらおしまいだ。
リュックに詰められるものだって、容量的に限度がある。
このまま行くと、やっぱりつかまって。
そして、目を覆うような人体実験のエジキにされる可能性が高い。
冗談じゃない。
絶対に逃げ切ってやる。
そう呟きながら、変な形をしたドローンが行くのを、息を殺して待つ。
この辺りの山は再開発だか何だかが理由だろう。杉だらけで、鹿の一匹もいない。当然それをエサにする動物もいないので、比較的安全ではあるけれど。
それもいまだけだ。
人間が一切合切管理しなくなれば、杉林なんてすぐに駄目になるし。駄目になったら植生が無茶苦茶になる筈。
そうなれば鹿も出るだろうし。
他の動物もどんどん進出してくる。
その中には猪や熊もいる筈だ。
猪はこの間実物を見たが、あんな恐ろしいもの勝てる訳がない。とにかく気付かれる前に逃げ出せて良かった。
本当に日本では、野生の動物と至近で接触する機会がなかったんだなと思い知らされた。
あんなのと日常的に接触していたら。動物を舐めるような作品など、描けるわけがない。
人間が動物をいとも簡単に倒すような格闘漫画が幾らでも出ていたようだけれども。あんなのは全部大嘘だ。
世界一強い人間でも、素手では猛獣には絶対勝てっこない。勝てた場合も、不意を突いたとか、相手がそもそも本気では無かったとか、そんな条件がつくだろう。
いつまでも、サバイバルなんて簡単に口には出来ないし。
その内銃が絶対に必要になってくる。
一応ナイフは手元にあるけれど。
こんなもの、野犬にも通用しないだろう。
しばらくすると、ドローンは姿を消したが。しかしながら、何処かで飛行音がずっとしている。
いるな。
そう判断すると、身を低くしたまま、移動を開始。
途中で自転車を拾って、杉林の中を移動する。
坂になっている場所を急いで駆け下りると、見つけておいた洞窟に逃げ込む。そして自転車をそこにおくと。
足跡を辿って、途中から藪に飛び退いた。
其所でじっとしている。
多分来る筈だ。
案の定、来た。
さっきの飛行機のような奴では無くて、もっと小さいドローンだ。数機いる。それが、前に見たドローンよりずっと敏捷に動いて、坂を駆け下りるようにして追ってくる。今までのドローンとは別物だ。
やっぱりものが変わったのだ。
前のが自衛隊の奴だったのかは分からないが。
少なくとも今のは、多分間違いなく何処かの軍のドローンで。他の国の基地とかを攻撃できる能力を持った奴だと見て良い。
足跡を追うと、すぐに洞窟に殺到するドローン。やっぱりなと呟く。
この足跡を追って下がり、脇に飛び退く戦術。
バックトラックとかいうらしいが。
熊などは普通に行って、ハンターを襲う事があるそうだ。
何かの本で見た。
まさか自分でやる事になるとは思わなかったけれど。
確かに効果はある。
あの自転車はもう限界だった。別の所に自転車を確保してあるので、それを使うだけである。
藪の中から、出来るだけ音を立てずに、移動。
この辺りは庭といって良いほど調べてある。いざという時、追い詰められたらどうするか、ずっと考えてもいた。
今。その通りに動きつつ。この後どうするかも考えているのだが。
問題はこの先が無事な都市で。
ゾンビの徘徊が確認できている事だ。
足を止める。
目を細めた。
何か嫌な予感がする。
またバックトラックして、十メートルほど下がった脇にある茂みに飛び混むと、しばらく口を塞いで音を消す。
案の場だが、上空からドローンが降りてきている。
何だか怖そうな装備がついていて。
とてもではないけれど、穏当に済ませるつもりなど無いことが一目で分かった。
ここしばらくの経験で。
サバイバルの知識ばかりが増えていく。
スクールカーストから解放されて、頭がぐっと楽になったのだろう。水泳もしていない分、頭を使えてもいる。
水泳そのものは嫌いじゃない。
泳ぎたいとは思うけれど。今は、水泳に使っていた頭を、生き残るために使わなければならない。
そうしたら、どうしたことか。
今まで自分はバカだと奈木は思っていたのだが。サバイバルでは、驚くほど覚えが良くなって。
今では、昔見た知識とかを応用して、スムーズに動けるようになっている。
これは恐らく、尻を叩かれたことによって、頭が働くようになった、と言う事なのだろう。
いずれにしても、捕まって等やるものか。
茂みの中を、音を立てずに移動する方法も既に身につけている。
匍匐前進で、ゆっくり音を立てずに移動を続け、そして包囲を抜ける。
国道の近くの茂みに隠れて、周囲を伺う。
目を細めた。
多分いる。しばらくこのまま動かない方が良いだろう。今までとは、完全に格が違う相手だと、奈木も悟っていたし。
相手も今までのように高圧的でも、追い詰めれば簡単に泣くだろうとか思っている様子も無い。
淡々とハンターとして、獲物を追い詰めに来ている。
この冷酷さ、やっぱり相手は本職と見て良い。そして此処まですると言うことは、捕まったら本当に、想像も出来ないような残虐な目に確実にあわされる。
冗談じゃあない。
絶対に好き勝手になどされてなるものか。
ただでさえ地獄のスクールカーストで、ろくでもない学校生活を送ってきたのである。そして未来だって無い事を、部活で散々体に叩き込まれてきた。
男子は運動が出来て暴力が強ければ虐めを受けることはない。
だけれど女子はそうではない。
いわゆるボスがいて。それに如何にゴマをするかが大事になる。更に言うと、複数ボスがいて、その周囲にいる取り巻きとの人間関係なども理解しなければならない。はっきりいって意味不明の世界だ。
奈木も、ボス格の女子に、生意気だとか言われた事がある。
同年代の相手に対して、生意気もクソもあるか。
スクールカーストを当然と考える人間としては、それは妥当な考えなのだろう。彼女らは自分は正しいと信じ切った目をしていた。奈木はスポーツで鍛えていることを知っていたからか、虐めを直に受ける事はなかったが。クラスでは虐めを行っている奴もいて。虐められる方が悪いと公言もしていた。
要するにそういう風に考える奴が正義なのが今の学校。
クズの掃きだめだ。
そんなところから抜け出たと思ったらこれである。
誰だったか。
世界は心の持ちようで天国にも地獄にもなるとか小説で書いた奴がいるらしいが。そんなものは精神論だ。
スクールカーストが蔓延していたり。
ゾンビが徘徊していたり。
そんな世界で、どうしたら天国になるというのか。心の持ちようなど、所詮はただの気休めだ。
そんなもので、生きていく事は出来ない。
それともなにか。
年に何万人も自殺者が出ていたが。
それは心の持ちようが悪かった愚か者だとでも言うのだろうか。
いずれにしても、もう奈木はルールなんかに従うつもりはないし。ルールに沿って動いている奴に好きかってされるつもりだってない。
みんな死ねば良い。
そうとさえ思う。ともかく、さっさとこの場を離れたいが。恐らく相手も此方に対する決定打を掴めていない。
だから、さっきから隠れて様子を見ているのだ。
しばし千日手を続けた後。
先に動いたのは、相手だった。
やはり上空から、何だか変な飛行機みたいな形をしたドローンが降りてくる。ゆっくり国道の周囲を探し始める。
壊れた車や、焼け焦げた車の周辺を探っているようだ。
多分その辺りに隠れたかどうかを調べているのだろう。
彼奴がいるという事は。
小さいドローンはまだ周囲にたくさんいるはず。事実上、動く事は出来ない。だが、ドローンはずっと飛んでいられる訳でも無いはずだ。根比べをすれば、きっと此方に光が見える。もし見えない場合は、幾つかまだ策を練ってある。
ドローンが数機、不意に動く。
野犬だ。数匹の野犬が、恐らく縄張りの確認に来たのだろう。その野犬に対して、突然ドローンが銃撃を浴びせる。
逃げる暇さえなく、野犬がばたばたとなぎ倒され。
容赦なく野犬を鏖殺したドローンが、また定位置に戻る。
この火力にしても凄まじい。
今まで追ってきていたドローンも火薬を積んでいたが。
これはちょっと桁外れだ。多分一機何千万とかするのではないのだろうか。
生唾を飲んで、様子を見守る。
かなり低い位置に来たドローンが、藪の中をじっくり観察し始める。探しているな、と判断。
バックトラックをした辺りは、特に念入りに調べている。
まだまだ。
根比べをするつもりだったら、徹底的にやってやる。こちらは、もう数ヶ月も、周囲全てを敵として、戦い続けて来たのだ。
第七艦隊所属のイージス、アーレイ・バーク級の一隻であるゼッテンから報告が来る。米国のイージスの代表格ともいえるアーレイ・バーク級はゾンビパンデミックが発生してからも、慌てて離港した三十七隻が健在で。その大半が、幾つかに別れた空母打撃群と行動を共にしている。
なお現在軍同士での激突は考慮していないため、特に負担が大きい潜水艦は常時海上に出て音も自由に出して良い、という状態にしているが。
この「醜態」に対して、不満が出たのは最初の頃だけだった。
ゾンビパンデミックでまだ米軍が機能していた頃は、これはロシアの陰謀だ中華の陰謀だという話があったのだが。
ゾンビパンデミックがわずか四日でロシアの政府を機能停止させ。六日で中華の共産党を全滅させてしまうと。
その陰謀論も消え失せ。
今では誰もが妥協している。
イージスであるゼッテンは、「だらしなく浮かんでいる」潜水艦の一隻と併走しながら、日本にドローンを飛ばしており。
その中間報告を飛ばしてきていた。
カルネはそれを見て、鼻を鳴らす。
確かにこれは、素人には手に負えない。
「数日間追跡しましたが、まだ捕らえられていません。 バックトラックをはじめとして、あらゆるサバイバルの技術を使いこなしています。 本当にミドルハイスクールの生徒ですか」
「それに関しては信頼して良いだろう。 多分元々才能が眠っていたのが、今回の件で開花したという事だ」
「とにかく、生半可な方法では捕まえられそうにありません。 多少手荒になりますが、許可をいただけますか」
「多少手荒とは、どうするつもりだ」
電気ショックを使うと言う。
頭を抱える。
確かに電気ショックで相手を無力化する装備はあるが、電気ショックは凄まじい苦痛を相手に与える。
ただでさえ周囲に対する不審で、凄まじいサバイバルスキルを開花させて平然と軍のドローンからも逃げ切っているような相手だ。
そんな事をしたら、絶対に協力しないだろうし。
それどころか、脱走されかねない。
「ネゴシエイトは試みたか」
「勿論呼びかけていますが、反応がありません。 恐らく此方と交渉するつもりがないと思います」
「……多分違うな」
「はあ?」
何でも無いと流すと、腕組みして考え込む。
此処まで徹底的な逃げを打ち、あらゆる手段を使っての逃走を行われると、正直此方としてもその先を読むしか無い。
特殊部隊を出せるなら楽だ。
空母打撃群のうち、特に第七艦隊は強力な海兵隊員を未だに保持していて、その気になれば展開だって出来る。
流石に世界最強の精鋭である米国海兵隊に掛かれば、即座に捕獲は出来るだろう。
しかしゾンビパンデミックが起きたのは日本も同じで。
展開しろというのは、当然死んでこいというのと同じである。そんな命令は出すわけにはいかない。
気密服を着ていても貫通してくるのだ。
そんな地獄に、まだ残っている貴重な人間を投入できない。
ゾンビパンデミックの前は、人的資源をゴミのように浪費していたが。
今はその愚行を世界規模で行っていた金持ち共は、みんな地獄の釜の底だ。
ともかく、どうにかして現状の戦力で捕らえるしかない。
ナキは恐らくだが。
社会そのものに、徹底的な不信感を抱いてしまっているのだと見た。
学校ではスクールカーストが病理をばらまき。社会に出れば、ブラック労働が待っている。
結局すり潰されるために生きるようなものだ。
そんな社会に、どうして妥協してやる必要がある。
子供だってゾンビパンデミック前の社会が病んでいたのは分かる。カルネも在学時代も今も散々苦労しているタチだ。ナキがそうだろうという事は、嫌でも分かる。
そんな社会の再構築に協力しろと言っても、嫌だと即答する心理は理解出来るし。実際問題相手に忖度する人間だけを抜擢して、真面目に働く人間をすり潰して回っていた社会をどうして復興しなければならないのかと、強い敵意を抱くのも分かるのだ。
なお日本でのブラック労働は有名だが。
はっきりいってどこの国でも労働基準法なんてものは守られていなかった。守られていたのはごく一部の企業だけだ。
そしてここからが重要なのだが。
ナキは恐らく、もう一人で生きていけているし。
それに不満を抱いていない。
人間の中には、周囲とベタベタしていないとストレスを溜めるタイプと。一人で静かに生きる方が好きなタイプがいる。
これは意外に知られていないことなのだが。
五月蠅い事自体が駄目な人間も存在するのだ。
実はカルネも静かな方が良いタイプなのだが。社会とは妥協して生きている人間である。ナキはその妥協が嫌になったのではあるまいか。
しばし考え込む。
問題は時間が無いと言う事。
プロである米軍の情報戦部隊が手こずっているのである。このままだと、冗談抜きに情報戦部隊のやり口を学習して、逃げ切られる可能性もある。追っている内にゾンビの密集地に追い込んでしまい、ロストしてしまう可能性だって否定出来ない。生き残れると強いはまったく別の問題である。
何しろ今回のゾンビパンデミック。
体に疾患がある人間の方が、耐性があるという事が分かってしまったのだから。
やむを得ない。
此処からは、もう手の内を見せるわけには行かない。
「何機かドローンを提供してほしい」
「遠隔操作だぞ。 其方は西海岸近くの離島だろう。 いくら何でも」
「今、軍事衛星を経由してドローンの数機とリンクをつないだ。 ボクが直接ナキを捕獲する。 今まで通りに作戦を進めてほしい。 それと並行してボクも動く」
「……了解した」
不満そうだったが。
それでも、相手は受け入れてくれた。
そのまま、遠隔でのリンクを接続。数機のドローンを、ゼッテンから飛び立たせる。
ドローンはそれほど時間を掛けずに、在日米軍の基地に到着。其所で補給を受けてから、本格的にナキの捕獲に向かう。
山深い場所だ。
こういう所だと、昔ベトナムで米軍が手酷く失敗した苦い思い出がこみ上げてくる者もいるかも知れない。
ベトナムほど酷くは無いにしても、日本は起伏が多く、山も森も多い。ドローンにはあまり有利な環境では無い。
熱源探知も、そもそも野生の動物がかなりいるため、あまり有効ではない。
これは現場を確認して分かったが。
プロが揃って手こずるのも道理だ。
カルネは、それでも生存者を多数自力で見つけてきた実績を持っている。今回は、非常に厳しいが。
それでも、何とかコンタクトを取るところまでやらなければならない。
しばしして、広域に包囲を敷いているドローンを確認。その中に紛れ込みながら、相手の足取りを追う。
なるほど。これは下手をすると、軍用犬を投入しても撒かれるかも知れない。
犬は臭いの新旧を区別できないという致命的な弱点を持っている。相手は廃棄されたインターを利用しながら、その周辺を徹底的に調査し。確かに報告通りバックトラックまで使って、複雑な移動経路をとりながら、ドローンを手玉に取っている。
今までは、ゾンビパンデミックを認識出来ていなかったり。そもそも重病で身動きできなかったり。そういう相手ばかりだったが。
今回は、下手な特殊部隊並みに動き回る捕捉しづらい相手だ。
その上、明確な拒絶の意思も持っている。取り押さえた後に、説得しなければならないかも知れない。
そして厄介な事に。
もし健康体だった場合には、それこそ世界を救う切り札になり得るのだ。
しばし観察して、そしてカルネは気付く。多分もうこの辺りにはいないだろうと言う事を。
気温のデータを確認。そして、舌打ちした。
「逃げられたな」
「そんな馬鹿な」
「恐らく朝方だ。 ドローンの巡回経路を把握し、その隙を突いてこの藪から此方の藪に移動。 そして此処で自転車を使い、一気にドローンの探知範囲外に出たと判断して良いだろう」
すぐにドローンの展開範囲を変えさせる。
さて、手強い相手だが。此方も時間がない。
一気に決めさせて貰う。
そう、カルネは呟いていた。
3、砂漠の集落
砂漠での生活は現在でも過酷だ。
中東の砂漠の一角。
もはや戦略的価値が皆無であるため、テロリストさえこないオアシスの小さな村。其所は、今も変わらない生活をしていた。
世界が終わろうとしている。
そこで暮らしている者は知っている。
そして聞かされてもいる。
その砂漠の集落から出ないように。
出来るだけ人間の接触を許さないように。
今は、砂漠の中にも道路が作られたりしているケースがあるのだが。早い段階で道路にバリケードを作り。
見張りと銃座をおいている。
人間が来たら、まず警告。
その後発砲しろ。そういう指示も受けた。ゾンビパンデミックの感染経路が分からないため、そうしないといけないということだ。
バリケードに貼り付いていたキネスンは、この集落で生まれ育った若者だ。色々閉鎖的な習慣に嫌気は差していたが。外の世界が丸ごと潰れたとなると、それはそれで悲しいと思う。
審判の日が来たのだという老人もいたが。
とてもそうだとは思えなかった。
ゾンビパンデミックに巻き込まれた中には、幼い子供もたくさんいただろう。そんな幼い子供に何の罪があるのか。
そんな子供も巻き込むような行為をする存在が、神だとは思えない。
もしも審判の日が来たのなら、わかり安く悪党が地獄に落ち。善人が天国に導かれる筈だとも。
そんな風に考えてはいたが。
しかし閉鎖的な集落である。バリケードから一旦離れ、水分の補給をしながら、キネスンは文句を言うことも許されず。昔の政府に支給された型落ちのアサルトライフルを手に、バリケードを守っている見張り櫓に登る。
近づいて来た奴がいたら、まずは警告しろ、か。
メガホンが手元にあるが。
これもちゃんと動くかどうか。
夕方近くまでただ働きさせられて。家に戻ると、弟たち妹たちの世話をしなければならない。
あらゆる意味で灰色の人生だが。
それでも、外の世界の過酷さを聞く限り。この集落の方が、まだマシにはキネスンには思えていた。
弟達妹達を寝かせた後。親父に呼ばれる。
猜疑心が強い目をした親父は、三年前に新しい妻を娶ったが。あまり良い噂を聞くことはない。
そもそも古い考え方が主流の閉鎖集落だから、噂がどんどん暴走することは分かっているのだが。
それでも、新しい妻にも。目の下に隈を作って、いつも不愉快そうにしている父にも。
良い印象は抱けなかった。
そのまま連れて行かれたのは、長老会議だ。あれ。一人足りない。発言権がないキネスンは黙っているしかないのだが。
呼ばれたと言うことは、何か大事があったという事だ。
長老の家で行われる会議では、酒も出る。
会議の後に少しだけ飲むことを許される。それがなければ、こんな場所には絶対に出たくは無い。
長老が。既に生きたまま干物になっているような老人が、話し始める。深いしわが刻まれた目の奥には、強い闇が宿っているようだった。
「米国から連絡が来たが、王家が全滅したそうだ」
「……」
困惑した様子で見回す。
王家は確か、この地獄が始まるやいなや、民を見捨ててシェルターに逃げ込んだとか聞いている。
その後ずっと音沙汰無くて、連絡が来たのは結局米軍からだった。
そして、今度は王家が全滅した、か。
それでどうすればいいのだろう。
はっきりいって、この国の王家に何か良い感情を持っているかというと、それはノーだ。石油利権を独占して、テロリストと武器の売買をして。強い方については金を稼ぎ、場合によっては人間をも売り買いして金に換えていた。
王家の人間は俗物揃いで、クズの集まりだという事は、こんなオアシスの集落でさえ知れ渡っている。
死んだところで、ああそうですかとしか言えない。
「知っての通り、王家はシェルターに逃げ込んでいた。 それでもゾンビが出現したと言う事だ。 バリケードの監視を更に強めてほしい。 ゾンビは近付いたらほぼ確実に感染するらしい。 此処は今のところ無事だが、それでもゾンビがいつ現れるかも分からない」
「もう車で突破してくる輩なんていないだろう」
「いや、そうとも限らない。 少し前で、日本で車に乗っていた生き残りが運転中にゾンビ化した例があったという」
「……」
日本などと言われても、イメージが湧かない。
ともかく、生きている奴は今でも生きていて。
それがいきなり暴走ミサイルになって、バリケードに突っ込んでくる可能性がある、と言う事か。
いずれにしても注意を促された後、会議を終える。親父は先に帰ったので、多少許されている酒を口にする。
新しい若い妻と寝るのがそんなに大事か。
この辺りでは、基本的に恋愛結婚というのは存在しない。
キネスンも婚約者がいるが、兎に角意地汚い女で、正直今から結婚するのが憂鬱でしかない。
親父と新妻は似た者同士のようだからどうでもいいが。
正直、こんな世界は滅びてしまえとでも言いたいのが本音だった。
酒を入れた後帰るが。
途中、ふと気付く。
オアシスの方が騒がしい。
嫌な予感がしたので見に行くと。ライトで照らして、周囲の者達がわいわいと騒いでいた。
「どうしたんだ」
「あれ、何だと思う」
「何だ、ネッシーでも出たのか」
「そんなんじゃねえ! ほら、見てみろ!」
ライトを貸してもらったので、見てみると。
オアシスの中に何かいる。やがて、それが此方に近付いてくるのに気付くと。誰もが悲鳴を上げた。
ゾンビだ。
どうしてオアシスに。
考えられる可能性は一つしか無い。集落にゾンビが湧いた、と言う事だ。
誰かがアサルトライフルを持ってきて、ゾンビを滅多打ちにする。ゾンビそのものは弱いと聞いている。
だから、殺してしまえば。
だが、周囲がすぐに苦しみだす。
何が起きるかすぐに悟ったキネスンは、すぐに実家に飛んで戻ると。よろしくやっている親父と新妻は無視して、弟妹達を起こし、車に乗せる。眠そうにしているが、それどころではない。
もうオアシスの周囲は、阿鼻叫喚の有様だ。
車を発進させる。
子供達が、後ろが燃えていると叫ぶが。
見るなと大声で怒鳴って、急いで砂漠の中を走る。バリケードにさしかかる。見張り櫓にいた連中が声を掛けて来るが、道路を外れてバリケードを迂回。何だ彼奴と言っているようだったが、無視。
もうこのオアシスは駄目だ。
どうしてゾンビはオアシスの中から現れた。不意に、無線が入る。無線は渡されているから、それから声が聞こえてきた。
「キネスン、何処にいる!」
「もう村は駄目だ。 逃げる」
「……そうか」
後ろで阿鼻叫喚の声。
どうやら村の自警団長からだったようだが。逃げる判断は間違っていないと思ったのだろう。
だが、声には諦めも感じられた。
分かっている。
キネスンだって、多分駄目だ。
途中で車を停める。
そして、弟妹達を降ろす。言い含める。
「良いか、俺はもう駄目だ。 だからお前達は、街を目指していけ。 ひょっとしたら、生き残れるか……」
だが、あまりにも事態は非情。
次男が苦しみはじめ、ぐるんと眼球が裏返る。一気に腐敗しはじめるのを見て、長女が悲鳴を上げ。そして砂漠で子供達が逃げ散った。
嗚呼。
なるほど、あの諦観の声。駄目である事は悟っていたからなのだろう。見ると、逃げ散った子供達も、見る間にその場でゾンビ化していく。これは、恐らくはキネスンも駄目だろう。
車の戸を閉じる。
エアコンをいれなければ、あっと言う間に灼熱地獄になる。
だが、ゾンビになるのなら、その方が早くいたんで、すぐに無害になるだろう。すぐに苦しくなりはじめる。
どうやら、終わりの時が来たようだ。
いずれにしても、はっきりしている事がある。
キネスンの村は腐っていた。
それは認める。
長老はあんなだったし、古い習慣でグダグダに縛られて。ろくでもない場所だった。外も大概だと聞いているが。キネスンの村だって大差ない。
だが、だからといって。
子供達まで殺すような輩は神ではない。
すくなくとも審判の日が来たからゾンビが溢れたのでは無い事だけは確かだった。
誰だか知らないが。
こんな世界にした奴は呪ってやる。
周囲で、太陽熱に炙られ始めた弟妹達だったものを見やる。すぐにキネスンもそうなる。無線が入った。多分偶然だろう。もう無線の向こうからは、ゾンビが呻く声しか聞こえなかった。
間もなく、意識が揺らいでいって。
キネスンは、自分がゾンビ化したことを悟った。
そして、何もしてやるものかと決めた。
数日もしない内に、多分車の内側で、腐肉の塊が爆発するだろう。
それでいい。もうこれ以上、人をゾンビ化させることは無い。
ふと気付くと、キネスンは弟妹達と白い世界にいた。多分此処は、心の中の天国。いまわの際に見る事が出来る最後の楽園。でも、それでもいい。もう、迷惑は掛けなくて良いのだから。
砂漠の中にある幾つかの集落の一つが、一夜にして壊滅した。ゾンビパンデミックが起きたのだ。
もはや中東では、人類は絶滅危惧種になりつつあったが。
それが加速したとも言える。
ナキを捕まえるべく準備を進めていたカルネは、途中でそれを聞かされて、溜息をつかざるを得なかった。
この状況だ。
疑心暗鬼で誰もがおかしくなるのは当然である。
ドローンを飛ばして壊滅した集落を確認した所、どうやらゾンビ化した者が一人出て。以降はなし崩し。
というよりも、恐らくはもう既に皆が何かしらの理由で感染していて。
満を持してゾンビ化した、という所なのだろう。
この辺り、噛みつかれなければゾンビ化しない映画とかとは違う怖さだ。其方はまだ対策のしようがあるのだが。
現在中東は別の人物に引き継いで、対応を聞いているのだが。
現時点で分かっている生き残った砂漠の集落は七つ。合計して住んでいる人間は二千人を超えない。
大陸と呼ばれる地域では、もう殆ど人間は生きておらず。
砂漠地帯や高地などで、ほそぼそと身を寄せ合うようにして暮らしている状況である。総数も把握し切れていない。
国によっては、文字通り全滅してしまった場所もある。
ただの一人であっても。
今は死なせられない。
壊滅の生々しい様子は、無線などで拾えていたようだが。それが分かっても、防ぎようがない。
シェルターの壊滅の過程を調査したものがあるが。
基本的にゾンビ化した場合、潜伏期間の間に周囲も思いっきり巻き込んでいるので。
ゾンビが出た時点でほぼアウト。
気密服を常時着て過ごすわけにも行かないし。
なによりも気密服が効果がないのである。
手の打ちようが無い。
米国本土の研究施設には、ドローンを使ってゾンビを持ち込み、解析を続けているのだけれども。
どうしても。
ウィルスや細菌の類は見つからない。
病気では無い可能性が高い、という意見が会議では何度も出たが。かといって、呪いだの審判の日だのという言葉は、流石に誰も口にはしなかった。
副大統領が呻く。
「感染者が出たらもうどうにもならないとして……それでもとにかく、防げる方法を少しでも模索しなければならない」
「分かっています……」
「それでは、皆各自の仕事に戻ってほしい」
「は……」
敬礼すると、皆散る。
カルネは散った皆を見送ると。
自分のデスクに戻った。
今、自分が既にゾンビ化していないとは、言い切れないのである。
時間がない。
本当にこのままだと人類は全滅する。今まで流行してきた病気とは格が違うのだ今回の代物は。
エイズやエボラですら、此奴に比べればまるで子犬のようなもの。
デスクにつくと、周囲がばたばたしているのに気付く。
「また一つ砂漠の集落でゾンビ化が発生している! 生存は絶望的だ!」
「おいおい、連鎖的じゃないか……!」
「オアシス同士はかなり距離があるし、人間同士の行き来だって殆ど無いはずなのに、どうして……」
「愚痴った所で仕方が無い! ともかく壊滅した集落を徹底的に調べろ! 生存者がいるかも知れないし、探せ!」
怒声が響いている。
カルネは口を引き結ぶと、自分の作業に移りながらも、小耳に挟んで壊滅の状況を確認していく。
そうすると、妙なことに気付いた。
このゾンビパンデミック。
発生してしまえば終わりだ。
というか、何かしらの理由で誰かに感染すると、周囲にいる人間全部が感染した頃に、ゾンビ化する。
多分それで確定なのだろう。
そして体が弱いほどゾンビ化はしにくい。
それもほぼ確定と見て良い。
だが、その割りにはだ。
何か妙なところがある。
まず誰かがゾンビ化して、其所から連鎖的爆発的に一気に拡がっていく。これは壊滅していくシェルターなどで、幾つか見られた現象なのだ。
勿論、その誰かがゾンビ化する何かに感染していて。
短期間で周囲の人間を全部ゾンビ化させ。
その結果が感染爆発が起きたように見える、というのは分かっている。
だがそれにしても、何か恣意的ではないか。
トリガーか何かのようなものがあるのではないだろうか。
ドローンの配置が完了した。
最悪の場合、生還が不可能な任務に海兵隊員を送り込まなければならなくなる。それだけは避けなければならない。
今度の包囲網は、ほぼ完璧だ。
ナキが逃げた方角は分かっている。
何処に潜伏しているかも、である。
後はあぶり出した後、説得する。ネゴシエーターには、既にナキのプロフィールは渡してある。
後は、包囲を抜けられないように。
偏執的なまでに、徹底的な包囲網を敷くだけだ。
「カルネ、少し良いか」
「はい?」
作業をしていたので、少し苛立ったが。
話を聞く。
今は誰もが手詰まりなのだ。実際、少し前にヨセミテ老人を保護し、貴重なサンプルを確保したカルネだって例外では無い。
何しろ、不健康な方がゾンビになりにくいという事実が分かっただけで。
何故そうなのかが、まるで分からないからだ。
それでは対策のしようが無い。
全員に病気になっておけ、とでもいうのか。
医者もいないこの状況で、である。
「これを見て欲しい。 壊滅したシェルターの航空写真だ」
「……オアシスから感染が拡がっているように見えるが、そもそもこの集落は先にゾンビ化の感染が広まっていて、そう見えるだけに思えるが」
「恐らくはそうだろう。 だがそれにしては、ドミノ倒しのような広がり方が気になってな」
今は誰もが、少しでも情報が欲しいのだ。
頷くと、確かにその通りだと返す。
少しだけほっとした様子の相手は、更に続けた。
「無線を調べたが、ゾンビがオアシスから上がって来た、という報告が出ている」
「水が感染源と言う事は無い。 それについては確認してある」
「ああ、同意見だ。 だが、最初にゾンビ化したものが、どうしてオアシスに?」
「ゾンビは食べられるものは何でも口にする事が分かっている。 冷たい水を飲みたかった……」
其所まで口にして。
何か決定的な違和感を覚えた。
水。
いや、感染源ではない。
それはカルネ自身も散々調べた。そもそも離島でいきなり発生する時点で、水が感染源ではあり得ない。
そうなると、砂漠での過酷な環境で少しでも身を長持ちさせるためか。
可能性は否定出来ない。
しかしゾンビに思考能力は無い。
本能か。
夜にオアシスから上がったというのも、夜なら腐敗しにくいと判断しての事だろうか。それも、本能が、である。
細菌やウィルス、ましてや寄生虫の類という事は絶対にあり得ない。
特に寄生虫は絶対にない。
それは確定なのだが。
そういえばゾンビは、食糧を口にし。更には冷たいところを好むように動く傾向が見られている。
その一方で、野獣に襲いかかって返り討ちにされたり。
ゾンビを食い千切った野犬が、別にゾンビ化しない事も、既に観測されて確認済みである。
そうなると、だ。
この行動は何だ。何処かが、とてもちぐはぐだ。
さっと調べて、結論を出す。
「ハリガネムシ……」
「カマキリなどに寄生するアレだな」
「ああ。 ハリガネムシは宿主になったカマキリを、水場に連れていく習性がある。 水がある場所で、一気に宿主を抜け出し。 体の中が空っぽになったカマキリは死ぬ」
「それに近い事が起きているというのか」
まだ何とも言えない。
だが、もしもそうだとしたら。
見直さなければならないかも知れない。
繰り返すが、寄生虫の類はあり得ない。細菌やウィルスが、一部の寄生虫のように、宿主の脳を自分に都合良く改変することはあり得ない。
だとすると、何だ。
立て続けに滅びた二つ目の集落の情報が来たので、共有する。
それを見ると、どうやら此方では、砂に埋もれていたゾンビが現れてから、連鎖反応的に集落が壊滅している。
ゾンビが砂に潜っていた。
砂漠の気温差は日中と夜間で凄まじい。
つまり、それを避ける為だったと思われる。
だが、一気に感染が爆発したのが、ゾンビが現れてから、というのが気になる。何か複雑な仕掛けがあるのではないのか。
しかし、仕掛けというのは簡単である程、多数の犠牲者を一気にエジキにしやすいものなのである。
複雑すぎると、どうしても途中で途切れる。
少し、解析が必要だが。
医療班を横目で見る。
彼らも彼らでプロだ。
任せるしかない。
ただ、分かった事は、共有した方が良いだろう。あまり気は進まないが、医療班のリーダーに話をしておく。
相手はしばらく気むずかしそうに聞いていた。前々からカルネをガキと侮って、ロクに話を聞かないどころか。一度などは、殴りかかろうとして来たような相手だ。極限状態が続いているとは言え、良い気分はしない。事実仮説を話している間も、相手はじっと冷たい目でカルネを見ていた。
「分かった。 参考にする」
「時間がない。 少しでも早く調査を進めてくれ」
「言われなくても分かっている!」
追い払うように怒声を張り上げてきたので、此方もむっとして黙り込む。一触即発の雰囲気だったが。
しかし、カルネから引く。
こんな所で体力を消耗している場合では無い。
カルネ自身だって。
いつまでもつか、わからないのだから。
4、接触
かなりゾンビが多いな。
そう奈木は思いながら、潜伏したアパートの跡地で、缶詰を開けていた。アパートのドアは開きっぱなし。中にいたゾンビが出て行ってからは、多分誰も入ってきていない。
ゾンビはエサを探したり、涼しいところに潜む習性はあるようだが。
知能は0になり。
帰巣本能のようなものも持っていない様子だ。
アパートの一室となると、正直逃げ場がないのであまり入りたくはないのだが。実は此処に閉じこもったのには理由がある。
一つ先の街に、ドローンが集まっているのだ。
どうやら奈木が其所まで逃げたのだと判断し、包囲網を敷いているらしい。
しばらくは此処で大人しくしていて。
別方向から、海に抜けたい。
そう考えている所だった。
サンマの蒲焼きの缶詰を食べると、多少は人心地がつく。
此処のアパートの部屋はあらかた調べたが。
クーラーが止まって内部で破裂したゾンビや。
まだ動ける内に、ゾンビが部屋をどうにか出ていった結果、中が綺麗に残っている部屋など。
様々である。
奈木は全ての部屋を確認し。
缶詰などを集めて、もう二日ほど、此処で生活していた。シャワーは浴びることが出来なかったが、久々に風呂に入ることは出来た。冷たい水だったが。それでも、夏場だから大丈夫だ。
これが冬になったら悲惨だろうなとは思う。
だがモルモットにされたらもっと悲惨だ。
それが嫌なら、徹底的に頭を使って、捕まらないようにするしかない。
そしてこのアパートも。
いつまでも安全では無いだろう。
夜になると、ゾンビがぞろぞろと街の中に出てくる。この街には、かなり大きな地下街があって。
其所に潜んでいるゾンビが、さながら百鬼夜行のごとく姿を見せるのだ。
鴉や野犬などは、それを知っているらしく。
夕方などから、地下街の出口付近で待ち構えている。
ただ、如何に鈍重とは言え、この辺りのゾンビはまだ腐敗が進んでいないこともある。時々、鴉や野犬の悲鳴も聞こえる。数で襲いかかられて、そのままムシャムシャと食い千切られてしまうのだろう。
まあどうでもいい。
食べられるだけ食べて。その後は、壁に背中を預けて眠る。銃だの護身用の道具があれば少しはマシなのだけれど。
バールやレンチも見つけていない。
それにこれから夜になる。
外はゾンビの大行列だ。
此処もそれなりの規模の街だったらしく。それが丸ごとゾンビ化したのだ。涼しくなると、それがエサを求めて外に出てくる。
ゾンビ同士で共食いはしないようだけれども。
それは恐らく、単純にゾンビがもう腐っているからで。
仲間意識のようなものは、今まで散々ゾンビを見て来て、確認できていなかった。
ドローンがいつ来るか分からない。
だから電気はつけられない。
ドアは締めておけば、それだけでゾンビは対策できる。
問題はドローンが来た場合で。
そうなると不利。
だから、敢えてドローンが入りにくい上、逃げるにも有利な一階奥の部屋を使用している。
ゾンビよりも人間の方が危険度が高い。
そう既に、奈木は結論していた。
しばし、うめき声と腐臭がする中眠る。ぐっすり眠る、と言う事はもう随分していない。
そんな事をしたら、多分もうとっくに死んでいただろう。
浅い眠りをいつでも出来るようにする。
それが、いつの間にか出来るようになっていた。
水泳の才能はあったのか分からない。
他のどの部員よりも泳いでいただけだ。努力量で、単にさぼっていた他の部員よりも結果を出していただけの可能性もある。
だが、サバイバルに関しては才能だと思う。
そうでなければ、こうまで早く順応できないし。
何よりも自衛隊や、或いは米軍か分からないが。生き残っている人間のドローンから、逃げられ続けはしないだろう。
鋭い犬の悲鳴が上がった。
ゾンビ目当てに出てきていたのが、返り討ちにあったのだろう。
放置でかまわない。
少し目が覚めたが、また眠る。
そして、明け方になると、ゾンビ達はまた地下街に戻っていく。彼らは殆ど栄養も必要としないのか、よく分からない。いずれにしても、そこまでたくさん食べる必要は無い様子だった。
トイレを済ませると。
自転車などを確認する。なお、アパートに入った時点で、監視カメラは全部壊しておいた。
此処から居場所を見つけられてはたまらないからだ。
自転車OK。
その他にも、このアパートでは、収穫があった。大きめのサバイバルナイフである。
どうやらマニアがいたらしく。幾つかサバイバルナイフをコレクションしていたのである。
なお持ち主は、外で潰れているのを見つけた。
ゾンビ化した後、何かの理由で窓から外に出ようとして、そして転落したらしい。気の毒な話だが。ナイフはとりあえず此方で利用させてもらう。
だがレンチやバールの方が実用性は高いとも思う。
ナイフはどうしても「切る」しかできないが。レンチやバールはリーチが長い上に打撃が重い。
その意味は、サバイバルを始めてから、嫌と言うほど良く分かっていた。
さて、明日辺りからまた移動を開始するか。
そう判断して、部屋に戻った後。
勘が告げてくる。
すぐに部屋を飛び出すと、自転車に飛び乗る。案の定というか、かなりの数のドローンが、飛んできているのが見えた。
物陰に隠れて様子を見るが。
不意に静止して、そしてまた散って行く。
飛行機みたいな奴もいる。
あれが司令塔なのは分かりきっているのだが、彼奴が来ていると言う事は。此方が予想しているより早く、居場所を突き止めてきた、と言う事か。
相手もプロだ。
或いは、此方の動きを読んでいたのかも知れない。相手を侮る事は絶対にしない。自分が如何に脆弱な生物かは、奈木自身が一番よく分かっている。相手の方が基本的に絶対に強い。
それをよく分かっている。
だから、油断も容赦もするつもりはない。
恐らくだけれども、先の街で包囲を敷いていたのでは無い。多分痕跡を探しながら、ゆっくり包囲を縮めてきていたのだ。
そうなると、まだ此方の居場所を把握していない可能性もある。
このままやり過ごせれば良いのだけれど。
しかし楽観は敵だ。
事実、すぐに数機のドローンがアパートに集りはじめる。どうやら痕跡を発見されたな。そう奈木は判断した。
すぐに動く。
自転車を引いて、路地裏を移動。そのまま、体勢を低くして、別のアパートに移る。此処も、先に目を通しておいた場所だ。地下駐車場が存在していて。幸いゾンビが住み着いていない。
潜むなら此処だ。
そう決めていた。
さっさと地下駐車場に入り込むと、残っている大型車の影に隠れる。
そういえば、どうしてだろう。
近場で見かけるワゴンは、乱暴な運転をする人ばかりだった。このワゴンに乗っている人も。乱暴に走り回っていたのだろうか。
ともかく、しばらく此処で籠城する。
ゾンビはいない。それも確認済みだ。そしてゾンビの稼働時間は過ぎた。これからゾンビが入ってくる事は、ドローンが追い立てでもしない限りはない。
さて、どう動く。
しばしして。
いきなり爆発音がしたので、思わず首をすくめていた。
無茶苦茶だ。
多分近くをあのドローンのどれかが爆破したのだろう。立て続けに、もう一回爆発音が響く。
その後、凄まじい絶叫が聞こえた。
野犬の群れが、丸ごと巣からたたき出されたらしい。燃え上がって、そのまま転げ回っている様子だ。
また爆発音。
この街を、丸ごと消すつもりか。奈木を捕まえるつもりではなく、殺すつもりに切り替えたのだろうか。
煙が流れ込んでくる。
口を押さえて、しばらく耐える。流石にこれは厳しい。このままだと、息だって出来なくなる。
まずい。限界だ。
動ける内に、這って移動。非常階段から、アパートの内部に入り込む。勿論地下駐車場の出口から出るような真似はしない。
非常階段から出て、左右を確認後。
自転車を持って来られなかったことを失敗だったと思いながら、二階に上がる。煙がかなりマシになったので、何度か咳き込んだ。
「ハーイ、やっと見つけたよ広中奈木」
不意に声がする。
前に威圧的な声を掛けて来た人物とは違う。
妙な訛りがあるし。
そもそもハーイとか古い海外のアニメとか洋画でしか聞いた事がない。多分、この大規模で無茶苦茶な作戦を敷いた奴だ。
そうさとり、顔を上げる。
いた。飛行機みたいなドローンが、此方に銃口を向けている。
「多分ゾンビがいない地下を探して、其所に潜んでやり過ごそうとすると思ったからね、あぶり出させて貰ったよ」
「……」
「先に自己紹介しておこうか。 ボクはカルネ=バーキン。 米国政府の生き残りで、このゾンビパンデミックの収束を模索しているチームの一人だ」
知るか。
だが、周囲は既にドローンに包囲されている。また爆発音が響く。この様子だと、周囲を炎で包み、退路を塞ぐつもりでもあるのだろう。
何度か咳き込んで、膝から崩れる。
さっきかなり煙を吸い込んだし、何よりしっかり休めている訳では無いのだ。だけれども、必死に頭を働かせる。
カルネだかカポネだか知らないけれど。
捕まってやるものか。
背中に痛み。
殆ど一瞬で、意識が飛ぶ。
麻酔弾か何か撃ち込まれたな。そう思ったけれど、もう精神力だけではどうにもならない。
意識が落ちる。
確保。
そう、冷静に告げる声が聞こえた。
(続)
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