死者を探る
序、壊滅の記録
奈木がボロの自転車を無理矢理動かして、どうにか峠を越える。ひっくり返った車、焼き払われた車。バリケードを作ろうとしたらしい跡。点々としている人骨。無惨な有様である。
この先には、県でも有数の都市があったのだが。
既に、完全に焼き払われた後。
焼き払われていることは、木に登って確認済みである。故に、今はむしろ安全とも言えるだろう。
ゾンビが集まってきているかも知れないが。
ただ、先に見た感触では、ゾンビはいなかった。
元々知能なども何も全て失っていて、食べられるものに対して盲目的に集まるようだから。
エサなどありそうもない場所には来ないのだろう。
そもそも。
このゾンビパニックにて、どうして奈木が無事なのか。それが分からないし。ともかく、生きていくための準備はしなければならない。
水、食糧、衣服。
今後を考えると、どれもが必要だ。
人間はむしろ会いたくない。
多分、生き残っている人間がいたら、非常に危険だ。それと並んで、野犬などが今後は脅威になる筈。
身を守るための手段もほしい。
何か無いだろうか。
ゲームじゃあるまいし、剣やら銃やらが落ちている訳が無いし、あった所で使いこなせ等しない。
米国では銃が当たり前に売っているらしいが。
此処は日本だ。
アフリカや中東では、買ってきた子供を兵隊に仕立てて、爆弾テロを起こさせたりアサルトライフルを持たせて戦場で消耗品にしたりするらしいが。
此処は日本だ。
いずれにしても、もうそういったタチが悪い組織もどうにもならないだろう。
もしもシェルターとかに逃げ込んだ人間が無事なら、今頃何かしらの動きは見せている筈なのに。
それも無いと言う事は。
シェルターも駄目だったという事になる。
だとすると、やはりどうして奈木が無事なのかが気になる。
ずっと恐らくゾンビの元……ウィルスだか細菌だか知らないが、に感染していた晴菜と一緒にいた。
その晴菜も、ゾンビ化がやけに遅かった。
街に入ると、もう建物はあらかた薙ぎ払われていて。電線も殆ど無かった。
前にいたところよりも、更に徹底的に薙ぎ払われたらしい。
徘徊するゾンビも勿論いない。
ただし、此処では何も得られそうにはなかった。
ぼんやりと、周囲を見て回る。
勿論、いきなりゾンビに囲まれる可能性もあるし。
ボロの自転車では、強行突破は無理だ。
だから、周囲を見渡せないような、大きめの焼け跡がないような場所を選んで通っていく。
大きめの道路だったらしい場所は、溶けたアスファルトで凄惨な有様になっていて。
如何にものすごい爆弾が使われたのかはよく分かった。
やったのはどこの軍隊だろう。
自衛隊だろうか。
それとも、米軍だろうか。
はっきりしているのは、たくさんの爆弾が使われたこと。そしてゾンビが掃除されたと言う事。
更に言えば、学がない奈木にも分かるが。
こんな事やってもゾンビ相手には無駄だと言う事だ。
ゾンビそのものは処理出来るだろう。
だが、近くにいただけでゾンビになる事はどうしようもできない。これは実例をたくさん見て来ている。
もしも奈木が例外だったのなら、それはそれで危険だ。
何をされるか、文字通り知れたものでは無い。
良くモルモットにされる、という言葉が出てくるが。
恐らく、想像を絶する程の目にあわされるだろう。
かといって、人間てのは、よく分かったけれど、一人ではどんな生物よりも脆弱極まりない。
このままではどうしようもないだろう。
せめて同じ体質の人間でも見つけられれば。役割分担でもして、多少は生存率を上げられる。
人類はもう駄目かも知れないが。
いずれにしても、奈木は生き延びたいと思う。
そしてそれはエゴかも知れないが。
エゴを否定する人間達は、全体主義を代わりに押しつけてきて。差別を否定する割りにスクールカーストを肯定し。
自立自尊を謳いながら、事実上の強制労働と奴隷制を押しつけてきたではないか。
はっきりいって、今はエゴのままに動きたい。
晴菜を失った今は、その気持ちがなおさらに強かった。
黙々と自転車をこいでいたが、ブレーキを反射的に掛けていた。
焼けが甘いというか。
かなり乱雑に電信柱が倒れている。流石に電線は絡まったりはしていないが、此処で何かに襲われると厄介だ。
ゾンビもそうだし。
或いは生き残った人間が、タチの悪い集団と化しているかも知れない。
視界も悪いし。
逃げ場もない。
さっさと引き返して、少し迂回する。そうすると、妙な音が聞こえてきた。虫の羽音かと思ったが、違う。
何か、飛んで近づいて来ている。
すぐに隠れる。とはいっても、近くにある大きな残骸の影に逃げ込むしかないが。そこには先客がいた。
唸り声を上げる大型犬。
相当にボロボロだが、首輪はついている。
元飼い犬か。
バッグから取りだした、なけなしのソーセージを見せてやる。犬は実の所、これで簡単に懐柔できる。
途端に尻尾を振り始める犬に、わかり安いようにソーセージを放り投げてやると。自身はまた、移動して、様子を窺う。
あの音。
鳥とか虫とかじゃないだろう。
影に隠れて様子を見ていると、どうやらいわゆるドローンらしい。
戦争にも使われているという話だけれど。
早い話がラジコンだと聞いた。
昔、一世代か二世代前は、趣味として大流行したらしいのだけれども。それが一時期からぱたりと聞かなくなり。
特にヘリのラジコンなどの技術は、丸ごと失われてしまったらしい。
海外ではそれがどんどん進歩し続け。
そして結果として、いつのまにか軍事兵器にまで成り上がった。
確か日本では、ドローンの類にはかなり制限が掛かっている筈だったのだけれども。しかしながら、見ている限りあれは日本製のものなのだろうか。
もっとも、政府ももう機能していないだろうし。
正直よく分からない所だけれど。
見つかったら、どうせ碌な事にならないな。
そう判断して、さっさと移動する。先ほどの大型犬が、わんわんとドローンに対して吠えていたけれど。
完全にドローンは無視。
周囲をゆっくりと、丁寧に舐めるように観察し続けていた。
考えてみれば、熱とかを察知する機能がついているのかも知れない。
ゆっくりと、ドローンの動きを見ながら。煤だらけになるのを厭わずに、移動を続ける。今更煤も何もない。
顔だってしばらく洗えていないのだ。
ほどなくドローンは何処かへ飛んで行った。
しばしその場に隠れ。ドローンがいなくなった事を確認してから、ため息をつく。もう、何も信用できない。
廃墟を歩く。
地面から飛び出した水道管から水が出ていた。勢いよく、ではなく。ちょろちょろだけれども。
自転車の荷物から、ステンレスの容器を取りだし。
まだ燃えている辺りを見つけ。
火に掛けて、湧かす。
湧かしてから飲む。
気休めにしかならない事は分かっているけれど。
それでも、やっておいて無駄にはならない筈だ。
先ほどの大型犬はどうにか撒けたけれど。同じような幸運は何度も続くとはとても思えない。
それに、食糧がない。
焼かれていない街を探したいが。
どうせゾンビの巣窟だ。
どうもゾンビは痛むのが多少遅いようなので。まだ動き回っている奴がいる可能性は低くない。
追われても逃げられるのと。
ゾンビがいる場所に飛び込んで、食糧を取ってこられるかはまるで別の話だし。
どうもゾンビがいるだけで、感染する可能性が上がる様子なので。
とてもではないけれど、近付くことは出来なかった。
しばらく焼け跡を漁っていると。
運良くツナ缶を見つける。
他にも何個か、レトルトを見つけるけれど。
流石に温めないレトルトなんて、食べられたものじゃない。
しかしながら、こんなものが散らばっていると言う事は。パニックの伝播が想像以上に早くて。
持って逃げる暇など無かったのだろう。
またあの羽音。
ドローンだ。
荷物を急いで詰め込むと、周囲を見回す。町外れに森がある。逃げ込むなら、彼処だろう。
自転車にはかなり無理をさせているが。
それでもどうにか、頑張ってもらうしかない。手汗でハンドルがボロボロ。唇を噛んで、急いで作業をし。詰め終わった所で、その場を離れる。
だが、どうやらドローンに見つかったらしい。
ついてくる。
何度か、角を曲がって撒くべく努力するが。あからさまに相手の方が速力がある。
少し前の中東では、軍事基地に攻撃を仕掛けるドローンまで開発されていたと聞いている。
それは、自転車に乗った中学生になんて。
体育会系だろうが関係無く、とてもではないが振り切る事は無理だろう。
奈木は森の中に乱暴に入り込むと、自転車を飛び降り。引っ張りながら、森の中を急ぐ。
救助なんてものがあるとは思っていない。
生き残った人間がいたら、多分それは敵だ。
もしもゾンビの中で何故か生き残れていたと分かれば、確実に解剖されるだろうし。
そうでなくても、ろくでもない金持ちとかのオモチャにされるのはほぼ間違いないはずだ。そんな事になるくらいなら、自分から死んでやる。
呼吸を整えながら、ドローンの羽音を聞く。
本当にトンボみたいにホバリングできるんだなと思いながら。此方を明らかに捕捉しているドローンを睨む。
何とかして逃げないと。
だけれども、身一つで逃げたら、もう後が続かない。
ドローンが動いていると言う事は、操作している人間がいるという事で。
いずれもたついていると、本隊が来ると見て良い。
そして本隊が来たら。
多分もう逃げる事は不可能なはずだ。
ぐっと息を飲み込むと、更に森の奥深くへと自転車を引きずって走る。
この辺りから、もう森だか山だか分からないくらい緑が深い。サバイバルの知識があれば、或いは生き残る事は難しく無いかも知れない。
だけれども、今はそれどころじゃない。
ドローンは当然のようについてくるし。
生きた心地がしなかった。
石でも投げてやろうかと思ったが。
ミサイルでも撃ち返して来かねない。
木陰を縫いながら、正確に飛んでくるドローンは。
逃げられるものなら逃げて見ろと、嘲弄しているかのようだった。
ああ逃げ延びてやる。
呟きながら、走る。
不意に、死体に遭遇。
足を思わず止めてしまう。
ゾンビだが、体を食い千切られている。
これは間違いなく野犬の仕業だ。中型犬が多数、だろう。大型犬だったら、もっと噛み跡が大きいはずだ。
恐れていたとおりになった。
野犬がもっとも危ないという事は分かっていたが。こんな所までゾンビが進出し。それで野犬が人肉の味を覚えたとなれば最悪だ。
絶対に奈木にも襲いかかってくる。
流石にないとは思うが、狂犬病をもっているかも知れない。
奈木はたまたま知識がある。
周囲の生徒達は、狂犬病のことを知りもしなかった。
親が危ないカルトにはまりかけた事があって、それで自力で調べたのだ。
発症すればまず助からない恐怖の病気。
それなのに、何処かのバカがワクチンに反対とか運動を始めて。日本に再上陸したら地獄絵図になる事が確定とまでいわれている脅威の病気だ。
人間にも当然感染するし。
この状況で感染したら、100%アウトだろう。
ドローンはまだいる。だけれど、これは引き返すしかない。そして、引き返そうとした瞬間。
凄まじい叫び声がした。
一斉に、十頭以上の野生化した犬が藪から飛び出してくる。
此方も自転車に飛び乗ると、大慌てで森を突っ切る。小さな林道があるので、其所へ飛びこむと。
全力でペダルを漕ぐ。
勿論犬の速力は、短距離走者なんか比較にもならない。
すぐに追いついてくる犬。
しかもこっちは林道だ。
ドローンは、或いは。生き残った奈木が逃げ惑い、犬に食われそうになっているのを、面白がって見ているのだろうか。
勿論ドローン自身ではなく、その向こうにいる奴が、だろうが。
慌てて木に飛びつくと、這い上がる。危ない所で、足に噛みつかれる所だった。木の枝に飛びつくと、姿勢を固定。そして鞄をフルスイングして、ドローンが至近にいたのを、叩き落とす。
まさか、こんな反撃が来るとは思っていなかったのだろう。
ドローンがもろに鞄の一撃を食らって、墜落。
更に、やはり火薬を積んでいたのだろう。
下で爆発した。
野犬たちが悲鳴を上げて、一斉に逃げ散る。
何匹かは聴覚をやられたようで、悲鳴を上げながらくるくる回っていた。体中滅茶苦茶に痛いが、好機は今しか無い。
無理矢理飛び降りると、体にいう事を聞けと叫びながら、自転車に飛び乗り、一気に林道を駆け下る。
途中ゾンビが一体、ふらふらと林道に這いだしてくるが。
気付く前に、その至近を掠めて。
そして一気に車道に出た。
車道に出ると、かなりの数のゾンビが、右往左往している。どうやら街から焼け出された連中らしい。
呼吸が荒い。
それはそうだ。あれだけの無理をしたのだから、当然だろう。
一気に車道を突っ切る。
緩慢に追ってくるゾンビもいるけれど、全部無視。
噛まれることを怖れるよりも。
今はまず、ゾンビそのものから離れなければならない。
それにあのドローン。
あんなものを飛ばす奴がいるという事は。多分、一度撃墜されたくらいで諦めるとはとても思えない。
次はヘリで来るかも知れない。
もし人間狩りとか楽しんでいるような奴だったら、それこそ何をされるか。
こんな状態だ。
奈木が通っていた学校も、スクールカーストと崩壊した学級で散々な有様だったけれども。
もはや、それ以上の地獄が拡がっている。
ともかく、逃げるしか無い。
まだ燃えている街に突っ込む。
ゾンビを振り切るには、他に方法も無いだろう。かなり熱いけれど、それでも何とか無理矢理突っ切って。
そして一息ついたときに気付いた。
自転車が。
パンクしていた。
1、捜索
カルネは各地の生き残りと連携して、生存者を探していた。既に各国は存在せず、皮肉な話ながら離島の軍事基地や場合によっては海に逃れた者と連絡を取り合いながら国籍を関係無く通信を取り合うしかなく。
その通信そのものも、いつゾンビ化によって途切れてもおかしくない状況だ。
今、連絡が入ったのは、日本の離島に避難した自衛隊の部隊から。
規模は連隊ほどで。
日本では護衛艦と呼んでいるイージス艦や、他の小型艇に乗って混乱する本土を脱出したわずかな部隊。
それに、基地の外に島民1000人ほどである。
何でも、離島から遠隔で基地にアクセスし。ドローンを操作して確認していたらしいのだけれども。
人間を見かけたらしい、というのである。
あり得ない話じゃない。
つい最近まで、ゾンビ化せず生きていた人間がいた、という情報については、既に副大統領の許可を得て拡散している。
今はもう、機密も何も無い。
少しでも情報を拡散し、垣根なく拡散共有しないと、反撃の糸口さえ掴めない。
自衛隊はまだ話が分かる方だったが。
中東で生き残っている一部の人間がとにかく頑迷で。
自殺的な行動を取るのを、必死に専門のネゴシエーターが食い止めている状況である。
ともかく、生存者についての情報を回して貰う。
ドローンのカメラの映像を回して貰うのに、二十分もかかった。
昔世界中で動画を見ることが出来た事が、嘘のようだ。
ゾンビが出てから半年も経っていないのに。
「これは、何日前の映像だ」
「一週間前だ」
「……すぐに捜索の規模を拡大してほしい」
確認できた人間は、中年の男性で。
車を運転して、ゾンビを蹴散らして市街を無理矢理突破している。ゾンビを多数轢き殺していることについては、今は責める事では無い。
それよりも、この男性。
ゾンビ化していないと思われる。
何処に逃げたのかは分からないが、いかなる犠牲を払ってでも捕獲しなければならないだろう。
「身元は分からないか」
「分からない。 そもそもこの車そのものが、レンタカーを盗んだもののようだ」
「この状況では仕方が無いだろう。 他にデータは」
「……申し訳ないが」
車は長いトンネルに入り、それっきりだという。ドローンは出口側に廻ったが、何しろ山越えをしなければならない状態。
車の方が速力があったのか、見失ったという。
そしてドローンをもう一機トンネルに突入させたが。
点々と散らばっている車とゾンビ。
更には、クラッシュしている車もあって。
確認作業は難航しているという。
「確か日本では、道路に車を確認する機能が張り巡らされていると聞いたが」
「確かに存在するが、それはあくまで大都市部や高速道路、国道などでの話で、しかも警察が管轄している。 今、警察のシステムを大急ぎで生き残った自衛隊にて復旧しているが、それもいつまで掛かるか……」
「くそっ!」
カルネが拳をコンソールに叩き付けるが。
そもそもあまり体の方は頑丈では無い。
小さな手がむしろ痛い。
悶絶してブルブルしているカルネ。ボイスオンリーの通信で良かったと思う。
「それで其方では進展は」
「……今、統合ネットワークを主体的に作っているが、やはり現状でも逃れた者のゾンビ化が進んでいる。 つい最近も、海上に逃れていたクルーザーがゾンビ化に見舞われ、乗員が全滅するのを確認したばかりだ」
「そうか……」
「引き続き、調査を頼む」
通信を切る。
手をふーふーしている内に、学者の一人が来る。殆どの学者は、専門分野以外は何もできない。
それでいいのだけれども。
こう言うとき、飛び級で博士号を取り、比較的ITにも強いカルネがこき使われるのは仕方が無い。
ただ、出来ればネゴは別の人にやってほしい。
人員が足りないし、そもそも本格的にまずい組織とのネゴは専門家があたっているが。
その専門家も数が足りていないし、相手が頑迷で疲れ切っている様子だ。
カルネが無理をしなければならないのは、仕方が無いのかも知れない。
「日本で生存者が見つかったのは本当かね」
「いえ、ボクが話したところに寄ると、どうも「生存者がいた」事を確認しただけのようですね」
「そうか……」
「今引き続き探しています。 しかし見つけたところで、取り押さえるのはどうしたものか……」
決死隊を出せと言うのは酷に過ぎる。
ゾンビ駆除に出た軍も警官も、一人もゾンビ化しなかった例は無い。空軍を除いて、である。
気密服でも駄目なのだ。
何をやっても駄目なのは目に見えている。
戦闘機が大丈夫と言う事は、ある程度距離を置いていれば平気なのだろうという事は分かるのだが。
何しろ離島で遠隔発生するゾンビである。
人類が直面した「病気」としては、間違いなく史上最悪の代物だ。
そして各地の牧場などを調査しているが。
豚、牛、鶏など。
あらゆる全てに、ゾンビ化は見られていない。
昆虫などもしかり。
誰もが頭を抱えるこの状況。
専門家でさえ、突破の糸口は見えないのが実情だった。
副大統領が来たので、敬礼する。
何しろこのシェルター、狭いので。副大統領とは、日に何度か顔を合わせる。ゾンビ化がもし発生したら、ひとたまりもないだろう。逃げる場所すらない。
最悪の事態に備えて、指揮系統を分散したいところだが。
その分散する候補地すらないのが現状だ。
「今日のミーティングを行う。 二時間後にレポートをまとめてくれ」
「分かりました」
「以上だ」
疲れきった様子で、副大統領が行く。
誰がいつゾンビ化してもおかしくない。
極限状態は人の精神をごりごりと削って行く。このままでは、近いうちに自殺者が出るな。
そうカルネは、淡々と分析していた。
生存者の報告は、世界各地で、散発的に上がるようになって来ていた。
多数のドローンを遠隔で操作しているカルネだけではない。日本で一件、ロシアで一件、ベトナムで一件。それぞれ、ゾンビの中で生き残っているらしい人間の痕跡が見つかっている。
そして今、それらしい痕跡の中に、日本でもう一件見つかった事を報告すると。
良い事だと副大統領は、苦々しく笑う。
分かっているのだ。
何をしてでも抑えろなどとは言えないし。
やろうとしても人員がいない、という事を。
仮にこの状況で生き延びている人間がいるとして、相当な疑心暗鬼に陥っているだろうし。
それを医療施設に連れて行って研究するのだって、生半可な労力で出来る事ではないのである。
まだ幾つか空母打撃群は無事だが。
其所から決死隊を出すにしても、決死隊は文字通り命を捨てて任務に当たるしかない。戻る事は絶対に出来ないだろう。
それを強要は出来ない。
だから、情報は確実性が必要なのだ。
「日本と言えば、ドローンを撃墜して逃げた子供がいたとかいう話だが……」
「ドローンを飛ばして確認しているようですが、最後に確認したのが八日前です。 優先度は下がります」
「……他は」
「急報です。 ロシアで追跡していた生存者ですが、ゾンビとなっているのが見つかりました」
そうか、と大統領が肩を落とす。
ロシアとの協力体制はただでさえ厳しい状況にあり、ネゴが相当に大変だと聞いている。
極寒の地でもゾンビは何ら関係無く爆発的に拡大を続けたこともあって、恐らく原因は細菌ではないだろうとも言われてはいるのだが。
しかしながら、そもそも細菌が原因だったらとっくにサンプルから見つかっているはず。だいたい、こんな強烈な感染能力、細菌だと絶対にあり得ない。離島まで勝手に飛んで行くような細菌があってたまるか。
ウィルスでも同じような状況だろう。
だとしたら、もっとタチが悪いものの可能性もある。
呪術なんて事はあり得ないとしても。
ともかく、科学陣の働きに人類の命運が掛かっているのだ。
「休憩時間は取った上で、その上でベストを尽くしてほしい。 以上だ」
副大統領が会議を締めると、皆が散る。
基地の軍人達もやきもきしているようだが。
それ以上にカルネ達科学者陣の責任が重い。
しばし黙々と仕事をこなしていたが。やがて、ドローンの一機が、妙な発見をした。
痕跡は痕跡だが。
ゾンビの痕跡だ。
問題は、それが恐らくは、数日前まで生きていた、という事である。
小さな民家の近くにドローンがホバリングして、内部を確認する。
そして状況を調査。
ゾンビ化した子供が、内部で這い回っているが。それにしては新しすぎる。やはり、最近まで人間として生きていた可能性が高い。
すぐにドローンを呼び集めて、ゾンビを回収。
近くの研究所に運んで、遠隔で調査する。
またサンプルかよと文句を言われたが、数日前まで人間だったと説明して、とにかく調査させる。
今はサンプルが一つでもほしいし。
ゾンビ化への仕組みは絶対に調べ尽くさなければならないのである。
ゾンビを運んだ後、室内を調査。
痕跡を調べていくが、人間だった時は冷蔵庫などを調べているが。ゾンビ化した途端に冷蔵庫を箱としか認識出来なくなっている。
やはり知能が完全に退化するらしい。
PCを発見。
そこそこ裕福な家庭だったのだろう。
四苦八苦して、どうにかして接続。内部を確認すると、どうやら遺書らしきものが見つかった。
子供が書いたのだろう。
カルネも大人とは言えないが。
それでも、稚拙ながら悲しい遺書がテキストファイルで残されていた。
「パパがゾンビになった。 ママもその日のうちにゾンビになった」
胸が痛い文章である。
家から二人がフラフラ出ていって、たまたまその子供。調査によると、アンドレイ=ケイというらしいが。子供は助かった。
幸いというのかなんというのか。
両親が二人とも肥満体型であり。冷蔵庫には豊富な食糧が元から蓄えられていたのが幸運だったらしい。
ドアを締めると。
子供は黙々と冷蔵庫から少しずつ食糧を取りだし、生活を続けていった様子である。
かなり生々しい描写が目立つ。
まだ九歳の子供が。
いきなり家に閉じ込められ、それっきりなのである。
「今日は何処かで爆発音がした。 でも、お巡りさんも消防車も出ていく様子が無い」
調べて見るが、少し前に空爆が行われている。
なお、米国で行われた最後の空爆だ。
その空爆以降、軍は空爆での事態打開を諦めた。ゾンビが増えすぎた上に、軍が事実上壊滅していたからである。
これ以上効果があるかも分からない作戦に、貴重な物資を使えない。
そう判断したのだ。
「外はゾンビだらけ。 ガンシューティングみたい。 でも、ガンシューティングとは違って、ゾンビはこっちによってこない。 みんなうーうー言いながら彼方此方を歩き回っているだけ」
その通りだ。
ゾンビは敢えて積極的に人間を襲わず、食べられそうなものなら何でも食べる。
このため、ありがちなショッピングモールに立てこもるというのは成立せず。
ショッピングモールは真っ先にゾンビが押し寄せて。
中の人間よりも、陳列されている肉やら野菜やらがそのままゾンビに食い尽くされた。人間は隠れていたものもいたようだが。しかし結局全部ゾンビ化した。噛まれなくてもゾンビになるのだ。
ガンシューティングのゾンビとは違うのである。
強さではゲームのゾンビの方が遙かに上だろう。
しかし厄介さでは。
ヒーローがいてもどうにもならないこのゾンビは。はっきりいって、タチが悪いにも程がありすぎる。
「食べ物がだいぶ減ってきたけれど、まだ大丈夫。 でも、視界が歪む。 頭がくらくらする」
遺書の内容で、少しずつ精神がおかしくなってきている。
恐らくはゾンビ化が始まったのだ。
だがこの少年、一ヶ月以上耐え抜いている。
何が原因で、ゾンビ化しなかった。
何か、ヒントは無いのか。
通院歴なども調べる。
歯科医の通院歴はある。欧米では歯並びを極めて重視するため、ある程度豊かな家の子供は必ず歯の矯正を行う。
この家でも例外では無かったようで。
アンドレイ少年も、やはり歯並びをよくしていた。
それについて、やたらとぶちぶちと遺書に書いている。
歯並びなんて良くするくらいだったら。
その時間で、もっと遊びたかった、と。
気持ちは分からないでもないが。
しかしながら、もうどうしようもない。
やがて、文章が壊れはじめ。
そしてゾンビ化したと推定される日時には。テキストファイルの更新は止まった。内容はデータ化して取り込む。
見直してみれば、何か発見があるかも知れないからだ。
調査している間に、アンドレイ少年のゾンビを検査していたチームから連絡が来る。やはり、ただの死体だという結論しか出ないそうである。
溜息が零れる。
前もそうだったが、今回もか。
「それよりも、ドローンでまだ動いているゾンビを片っ端から捕まえてくれないか。 データがほしい」
「無茶を言うな。 ドローンを修理する手段が無いし、そもそも燃料だって有限だと分かっているだろう」
「そんなものはどうでもいいだろう!」
「本命が見つかったときどうする!」
言い争うが。
すぐに割って入ったのは、屈強な軍人だった。ここの警備責任をしている何とか中佐である。
ええと、なんだったけ。
名前は思い出せない。
「二人とも、喧嘩している余力があったら出来る事を続けろ。 皆がいつゾンビになってもおかしくない。 時間は有限なんだ」
「ちっ……」
元軍医だったらしい、解剖を担当した男が吐き捨てると去って行く。
カルネもため息をつくと、礼だけ言ってドローンの操作に戻る。
そうこうしているうちに、ベトナムから情報。
生存者の痕跡が、ただの勘違いだと判明した、と言う事だった。
もう一つ、日本からも情報。
レンタカーに乗っていた中年男性だが、どうやら車を運転している間にゾンビ化したらしい。
トンネルの中で、焼死体として発見されたそうだ。
要するにそのまま車の中でゾンビ化し。
車は暴走ミサイルと化して、トンネル内に止まっていた他の車に激突。爆発炎上した、と言う事なのだろう。
サンプルの回収は不可能だと言われて、分かっていると静かに応えた。
感情を抑えるのが、難しくなりつつあった。
ミーティングで残念な報告をした後、再び各地の情報確認と、ドローンでの調査を進める。
そうしているうちに、ろくでもない情報が入る。
インドネシアの離島。
わずかに人が生き延びていた其所でゾンビが発生。一時間ほどで連絡が取れなくなったという。
二千五百人からが逃げ込んでいたはずだが。
これはもう、絶望と判断するしかないだろう。
一応グアムからドローンを飛ばして確認して貰うが。残念ながら、現地は地獄絵図だった。
島がまるごと燃えているような有様で。
どうやらゾンビ化にパニックを起こした、駐留していた軍が。辺り構わず焼き払ったらしい。
ゾンビになった数十人だけではなく、住民が皆殺しの憂き目にあっただけでは無く。
更に軍の火薬庫に引火。
大爆発して、生き残りも全滅したらしいと、痕跡を調べた者から連絡を受ける。
近くに停泊していた第四艦隊の空母打撃群から遠隔で調査したらしいのだが。その空母打撃群にしても、とうとう二隻目でゾンビが発生し。また揉めに揉めた後、離脱させて全員の自殺という悲しい判断をせざるを得なかった様子だ。
早く何とかしてくれ。
悲鳴のような依頼が飛んできているが。
此方だってそうしたい。
危険なのは同じなのだ。
多分だが、宇宙ステーションにでもいない限り、安全は無いだろう。
なお、現在国際宇宙ステーションには六名の宇宙飛行士がいるのだが。彼らには地上に戻らないように通達してある。
最悪の場合、彼らに最後の人類になってもらわなければならないのだ。
勿論数が少なすぎて、近親交配で瞬く間に全滅するだろうが。
それでも、最後の希望になって貰わなければならない。
ひょっとしたらアダムとイブよろしく。或いは上手く遺伝子が突然変異を起こして生き残れるかも知れない。
最後の最後まで、彼らには希望でいてもらわなければ困るのだ。
日本から連絡が入る。
続報だ。
九日前に足跡を辿った生存者の痕跡を発見したという。かなりの距離を移動したらしく、それで別の生存者かも知れないと検証していて連絡が遅れたそうだ。
そんなものはどうでもいいから、即座に情報を共有してほしかった。
言い訳をする自衛官に伝えながら、データを確認する。
今回は、かなりくっきりと画像が撮れている。相手はドローンを滅茶苦茶警戒しているらしく。恐ろしく用心深いそうだ。
「以前撮った写真とデータが酷似しています。 ええと……データベースから判明したパーソナルデータですが、名前は広中奈木。 学校が機能していれば、中学二年生ですね」
「確かこの辺りがパンデミックで崩壊してから、相当に経過しているはずだが、自力でサバイバルしているのか」
「それを生き抜いてきたことになります」
「……アクセスを試みてほしい。 総力で」
まず第一に、見た感じこの状況で生きていると言う事そのものが凄い。
日本の治安は、悪くなっただの何だの言われていたが、それでも他の「先進国」に比べれば遙かに優れていて。金持ちが暮らすような高級住宅街並みの治安が当たり前、という国だった。
そんな国で安楽に生きてきた筈が。
この極限状態で生き延びていた。
ゾンビ化していないのも不思議である。
どうして生き延びていたのか、確認しなければならない。
捕まったら研究所に運ばれて、解剖されるとでも思っているのだろうか。ちらりと、医療班を見る。確かにやりかねないが。しかしながら、今はそれをやっては絶対にいけない。今宇宙ステーションにいる六人と並ぶ希望とも言える。
現在、これまでに長期間ゾンビ化せずに生き延びた例は十件ほど確認できているが。
このナキという中学生は、その中でももっともアグレッシブに彼方此方を動き回っている様子だ。
それでゾンビと遭遇しないはずもなく。
抗体か何かを持っている可能性は決して低くない。
もしも抗体が見つかれば。
それはいにしえの神話に残る甘露やら何やらの、文字通り救いの霊薬になる。
現状で、人間はもう百万人生きていないのでは無いかと言われている状態である。此処から盛り返すには、もはやあらゆるものを利用するしかないのだ。
だが、サンプルが一件だけではたりない。
カルネはカルネで、自分がやるべき事をしなければならない。
すぐにドローンを飛ばし、今まで調査していない箇所を調べる。もしもさっき話題に上がったナキという中学生の情報が本当なら、其方に注力して、米軍も全力を挙げなければならないだろうが。
それでもまずは。
此方でも、出来る事をしなければならないのである。
レポートは残す。
副大統領は喜びそうだが。
それはそれとして、此方でもあらゆる手を打たなければならない。
そうこうする内に、また悲報が届く。
中東で生き延びていたシェルターでゾンビが発生。今までの高圧的で頑なだった態度は何処へやら。一転して見苦しい悲鳴と共に救援を求めて来たらしいが、此方ではどうにもできない。
一時間もしないうちに、そのシェルターからの通信は途絶。
結果は明らかだった。
また、一つ人類の希望の灯が消えた。
哀しみを押し殺して。
次の段階へ、進まなければならなかった。
2、地底の牢獄
何か起きている。
それは分かっていたが、確認の方法が無かった。
栄養の点滴だけつけられて、人工呼吸器をつけられて。そして、眼もロクに見えない状況で、ベッドに放置されているのである。
此処が何処かも分からないし。
そもそも自分が誰なのかも、曖昧になって来ていた。
ぼんやりしていると。
金切り声と、銃声。そして悲鳴が轟き。
それも収まると。
やがて静かになり。
代わりに、何かが徘徊する音が聞こえるようになった。
そうだ。
自分の名前はスレイマン=アシャダー。
石油王とでもいうのか。
ともかく石油成金の一族の末端。
家督相続の権利では、十番目くらいになる末子の一人。病弱で、倒れてからはずっと病院だったはず。
うっすら周囲が見えてくる。
ずっと眼はろくに見えなかったのに。
どうしてだろうか。
手は動かない。
床ずれしているのか、背中が痛む。看護師を呼びたいが、どうやらそれも無理そうだ。なぜならば、部屋の外を、世にも恐ろしい死体が歩いて通り過ぎていくのが見えたからである。
あれは、なんだ。
西欧で流行っているゾンビ映画の扮装か。
しかし、それにしてはあまりにも真に迫っていた。一体今のは、何なのだろう。
そもそも窓もないこの部屋は何だ。
まるで地下牢では無いか。
しばし動こうともがくが、どうやらそれどころではないらしい。しばらく抵抗して、無理だと判断。
ぐったりと、力を抜いた。
やがて銃声がして、部屋に飛びこんできたのは。
上から二番目の兄。テイラム=アシャダー。それに護衛らしい、目つきがおかしいSPが何人か。
ドアを閉じると、ヒステリックに喚く兄。相変わらずだなと、スレイマンは思った。
長男のパグダが怪物的な精力を誇り、もう老人という年齢というのに老いる様子も無く若々しく。
このままだと飼い殺しだ。
そう何度もテイラムは騒いでいた。
体が弱かったスレイマンは何度も兄に殴られたし、不満や鬱屈を思うままにぶつけられたのだけれど。
そもそも後を継げるなんて思ってもいなかったので、哀れな兄弟達だなと、静かに見守るだけだった。
殴っても泣きもしないし怯えもしないスレイマンを、テイラムは気味悪がるようになり。アシャダー家で作った病院に入ってからは見舞いにも来なくなったが。それはそれで、殴られる事も無くなったので良かったとは思っていた。
「なんで生きているスレイマン!」
「今目が覚めたところですよテイラムにいさん」
「……ともかくこのうすのろを運び出せ! 生きていればそれでいい!」
生きていて良かった、という雰囲気ではないな。
医療の知識なんか無さそうなSPが強引に医療器具を外すと、無理矢理スレイマンをベッドから剥がすように背負い。そして連れていく。
病室を出ると、辺りは地獄絵図。
腐った死体の山だ。
酷い臭いだし、何よりあからさまにどう考えても生きていないものが動いている。何が起きているのか。
「とっとと離れてシェルターにむか……」
SP達に促して、移動を促そうとしたテイラムの頭が、後ろから撃ち抜かれた。
SPの一人の仕業だった。
呆然とするスレイマンに。
SPが言う。
「何もおかしいと思わなかったのか。 だから貴殿は継承権を得られなかったのだ」
「な、何が……」
「スレイマン殿下。 このゾンビどもは、幻でも撮影でもございません。 世界中がこのような有様です。 そしてゾンビに近付いただけでゾンビになる。 我等もそう長くは保たないでしょう」
「い、意味が分からぬ」
SP達が促すと、運び出される。
そして、病院の屋上に出ると。
アシャダー家が掌握していた国軍のヘリが来て、カプセルを降ろし始めた。そのカプセルに詰め込まれる。
敬礼をかわすSPとヘリの乗務員。
カプセルの中から、見る。
ヘリから機銃掃射が行われ、SPがその場でばたばたと倒れていった。
なんだ。どういうことだ。
青ざめている内に、移動が開始される。途中、カプセル内に据え付けられていたらしい通信機から。
老境に入っている長男、パグダの声が聞こえた。
「驚いたな、本当に動けるようになっているのか」
「パグダ兄様、これは一体……」
「まあいいだろう。 説明してやる。 もうこの世界は人間のものではなくなっているんだよ。 下を見てみると良い」
見ると、大量の死体が折り重なり。
ひくひくと動きながら、蠢いている。
正に地獄の光景だ。
吐こうにも、吐くものがない。
「ゾンビ映画そのものの光景だろう。 アメリカの田舎でゾンビが出て、あっと言う間に世界中が汚染された。 今では人間は一億人もいないだろうと言われていてな。 我等も必死に逃れたが、今や石油精製施設も動いておらぬし、金など紙屑にもならん」
自嘲的な言葉。
いつでも大物然としていたパグダの声に、陰りが見える。
「このゾンビ共は感染経路が分かっていなくてな。 だが、どうしてか病弱な者の中に、たまにゾンビ化せずに生き延びている者がいるらしい。 病院のデータはまだ生きていて、お前の生命反応があった。 だから、跡継ぎをちらつかせて、あの阿呆に行かせた、というわけだ」
「こんな状態で、跡継ぎだなんて」
「スレイマン。 覚えておけ。 人間てのはな、最後の一人になっても自分が常に正しいと思う生き物だし、最後の一人になっても金を独占したいと思うものなんだよ」
文字通り悪竜が蠢く世界で生きてきた長兄の言葉だ。
その言葉には、重みがあったし。
何よりも、さっきのSP達の行動についても説明がつく。
確かにもうゾンビ化が避けられないのであれば。テイラムの頭をSPが撃ち抜いたのも。更にはゾンビ化する前に殺されるのを受け入れたのも。よく分かるというものだ。
程なくカプセルが切り離される。
別の病院に降ろされたのだ。
内部は前よりはましなようだが、それでもゾンビが徘徊している。同時に投入されたロボットが、ゾンビを全て駆除しながら、スレイマンの病床を確保。後は遠隔で調べるらしい。
どうせロクに身動きは出来ないのだ。
逃げる事などできようもない。
それに、少しずつ、頭がぼんやりしてきた。
色々と、疲れたからだろうか。
血だの何だのを、色々と採られる。
されるがままにしていた。
たまに、スピーカー越しに長兄と話す。
「其方はシェルターか何かですか」
「シェルターは駄目だったな。 此処は離島の別荘だ。 一応気密処理はしているが、それも時間の問題だろう」
「ゾンビ化は、気密処理も貫通するんですか」
「そういうことだ。 米軍の生き残りが情報共有を図ってきていて判明したんだがな、気密服もまるで役に立たないらしい」
それで兄たちは。
「父上はどうなさったのです」
「父はシェルターに逃げ込んで、今は側近もろともゾンビだ」
「……国民は」
「生き残りを探しているが、まあ全滅だろう。 砂漠の集落に生き残りがいるらしいとは聞いているが、それも本当かどうか」
なんということだ。
これでは正に、地獄がこの世に顕現したかのようだ。
神よ。
思わずスレイマンは呟いていた。
体が弱い人間は信仰にすがることも多いのだが。
スレイマンは典型的なそれで。
常に聖典を手元から話さず。
信仰を実行することを最大の日課としていた。
病弱故に倒れ。
ベッドに寝かされて意識もなかった間、礼拝もできなかった事を思うと、色々と忸怩たるものがある。
様々なデータを採られた後、別の声がスピーカーから聞こえる。
どうやら、若い、いや子供の米国人のようだ。通訳もついている。
「ようやく生存者が確保出来たと喜んでいるようだが、どうやらお前もあまり望みはないらしいぞ、スレイマン」
「どういうことです」
「体が急速に腐敗しているそうだ。 血液などの数字を見ると、どうして生きていたのかが不思議らしい。 今から仮死状態に追い込んで、状況を見ると言っている」
「仮死状態……」
先を読んだか。
ロボットが四肢を押さえつける。ロボットと言っても人型のものではない。病院で使われる、昆虫型のものだ。
悲鳴を上げようとする所に、口元に酸素吸入器がつけられ。
恐らく麻酔が流し込まれた。
意識が一瞬で消し飛ぶ。
そして、何かふわふわとした気分の中。
何処か遠くで、声が聞こえた。
「ふむ、やはりな……だそうです」
「何がやはり、なのかね」
「生命活動を極限まで絞った結果、ゾンビ化の進行が止まっています。 結論から言うと、恐らく抗体でも持っていない限り、健康で元気な人間ほどゾンビになりやすい……という事でしょう」
「は、そうか」
元気では無いから。
ゾンビにならなかったのか。
そういう事なら、確かに納得がいく。だが、それも、ゾンビ化が進んでいるという話だったし。もう駄目なのだろうなと、スレイマンは何処かで自重した。
婚約者もいた。
だがこの様子では生きてはいないだろう。
そもそも瀕死の状態の婚約者につきあわせることもない。せめて生き延びて、誰かと幸せに暮らしてくれていればとも思うのだが。
それも望み薄か。
世界の人口が億を切ったと言っていたが。アメリカでゾンビ化が発生した後、中東まで地獄になっている状況を考えると。そんな甘い状況では無いようにスレイマンには思えてくる。
多分もう、人類は絶滅寸前なのではあるまいか。
「もうゾンビになるな。 ……とカルネ博士は仰っています」
「あの病室にいたままだったら、助かったのか」
「いや、それもないだろうとも。 目を覚ましていたと言う事は、どの道長くはもたなかっただろうという事です」
「そうか。 まあ少しはデータを役立ててくれよ。 役に立たぬ弟だったが、人類の役に立つと言うのなら本望だろうて」
揶揄の声。
何だろう。
もの凄く不愉快だ。
長兄は。パグダは、恐らく邪魔になる弟テイラムをこの任務に狩り出し、そして命を使い捨てにさせた。
多分継承権を譲ってやるとでも言ったのだろう。
テイラムは狂信者だった。
神がゾンビになど自分をする筈が無い。そう盲信していた。だからこの任務を受けたのだろう。
そして、人間を減らすために。
そう、物資を保つために。
忠実なSPを何人か、始末のためにも送り込んだというわけだ。
長兄らしいと思う。
呪われろ。
そう思ったが。
だが、神への信仰が、憎悪からスレイマンを引き戻す。もうゾンビになるというのなら。少しでも、データを残したい。
抗ってやる。
必死に、意識を保とうとする。
だが、それも限界が来る。
精神力ではどうにもならない事がたくさんあることを、スレイマンは知っていた。自分だって同じだ。ましてやスレイマン自身、精神力が強い方でもない。それでも、最後の最後に。
誰かの役には立ちたかった。
不意に、祈りの言葉が聞こえた。
それがぎこちないものである事は分かった。
恐らく、米国人の博士……恐らく飛び級で博士になっただろう者の言葉であろう事は理解出来た。
長兄はいつも神に舌を出しているような輩だったし。
この状況で、祈りの言葉など口にしてくれるはずが無い。
ああ、と。
涙が流れるのを感じながら。
何処か遠くに意識が行くのを、必死にスレイマンは引き留める。
ゾンビになり果てるとしても。
少しでもデータを採らせてやらなければならない。
喋る。
今、自分がどんな精神状態か。
起きてから、どんな風に変わっていったか。
それが少しでも役に立つかも知れないからだ。
長兄が鼻で笑っているのが聞こえるが、無視。
どうせろくな終わりを迎えない。
むしろ、ぎこちない此方の言葉で、米国人の博士が、称賛の言葉をくれた。
「もうゾンビになり果てようとしているのに、驚異的な精神力だ。 どう精神が変わっていくかの報告、全て受けつけた。 後は此方で解析させて貰う。 任せろ」
「お願いします、異境の賢人よ」
「……今、楽にしてやる」
「お願いします」
ぶつりと、意識が途切れた。
最後の瞬間。
多分、毒物か何かを入れられたのだろうなと、スレイマンは思った。
だが、見た。
最後の一瞬。
光が、スレイマンを包んでいた。
中東におけるいわゆる石油王。石油成金の一族の長であるパグダは、一部始終を聞きつつ、アイスクリームを口にしていた。
本土の地下シェルターは駄目だった。
だが此処は、核攻撃を想定し、大深度地下に作られたシェルターだ。中東では、いつ核を使ったテロが起きても不思議では無かったし、こういう備えをしている王族は幾らでも存在していた。
パグダの父もそうだったが。
本土のシェルターに逃げ込んだのが運の尽き。
既にゾンビ化したもので溢れている本土のシェルターからの通信は、とっくに途絶えていた。
米国の小娘と話す。
正確にはその通訳とだが。
「それで、愚弟は役に立ったかね」
「貴重なデータを得られた。 誰よりも役に立てただろう」
「そうかそうか。 それで約束通りにしてくれるのだろうな」
「分かっている」
そう。
抗体の仕組みが分かったら、真っ先に投与してくれるという話だ。そうすれば、ゾンビ化を免れる。
もう中東で生きている人間は五万といないだろう。
ならば、パグダが抗体を持ち、ゾンビ共を蹴散らして本土に戻れば。その時中東の全てがパグダのものとなる。
偉大なるササン朝や、オスマントルコですらなしえなかった完全なる歴史的偉業。それがパグダの手の内に入るのだ。
それだけで、笑いが止まらなかった。
「スレイマン様が……」
「ほう。 完全に殺しても、ゾンビとしては動こうとするのだな」
「焼却処理します」
「勝手にせい」
それこそどうでもいい。
今度はワインを取りださせると、口に含む。中々良いワインだ。
この大深度地下シェルターには、五十年は暮らせる物資が揃っている。そしてまだ五十年は生きる自信もある。
米国の生き残り共が死ぬ事はあっても。
自分は大丈夫だ。
その圧倒的自信が、パグダにはあった。元々長寿の家庭であり、その中でもパグダは、医者が太鼓判を押す健康体なのだ。
抱く女が性病を持っていない事を注意すれば問題ない。
そう、信じ切ってもいた。
さて、少しテレビでも見てから寝るか。
そう思ったパグダは、騒ぎに気付く。すぐにモニタがついて、監視をしているオペレータから連絡があった。
「シェルター内にゾンビが出現しました!」
「何だと!?」
「い、如何なさいますか」
「隔壁を閉鎖しろ! それと脱出のじゅん……」
モニタの向こうで、オペレーターが倒れる。
そして、立ち上がったときには。
白目を剥き。
急速に体が腐敗し始めていた。
既にモニタの向こうには、多数のゾンビが徘徊し始めている。
何故だ。
パグダは思わず口から泡を飛ばしていた。
此処は離島。
しかも大深度地下のシェルターで。それも気密にしているんだぞ。どうして、ゾンビ化が起きる。
あり得ない。こんな事はあって良い筈が無い。
緩慢に立ち上がると、周囲の者達を促して、脱出に移る。
脱出用の設備も整えてある。だが、他のモニタを見て愕然とする。離島の地上部分も既にゾンビだらけ。
どうして、こうなる前に連絡を入れてこなかったのか。
使い捨てにしたり、見殺しにした兄弟達の呪い。
そんな言葉がパグダの脳内をよぎった。
だが、それも、すぐに恐怖に取って代わる。隔壁が降りていない。つまり、此処はもう駄目だと言う事だ。
悲鳴を上げて、急いでゆさゆさと体を揺らしながら、脱出機構へ。
エレベーターが存在していて、その先に潜水艦がある。
シェルターよりも更に狭いけれど、流石に海底まではゾンビも追ってくる事はないだろう。
だったら、海底で生き延びてやるだけだ。
だが、誰かがパグダの服を掴む。
それが、ゾンビ化した愛人だと気付いて、パグダは絶叫した。見れば、周囲ではゾンビ達が、パグダの食糧を貪り喰い始めている。
金切り声を上げて、愛人を振り払うと、エレベーターに。
何度も必死に呼び出しスイッチを押し、来たエレベーターに乗り込む。
「冗談では無い! このわしが死ぬわけが無い! 死ぬわけが無いんだ!」
喚きながら、たまに気分を落ち着けるために飲んでいる阿片を口にする。
だが、見てしまう。
エレベーターの鏡に映っている、自分の姿を。急激に腐敗していく、その末路を。頭を抱えて喚くパグダの後ろで、ドアが開き。
其所から、入り込んでくるのは、潜水艦で待機していた部下達。正確にはその成れの果てだった。
ゾンビがどっとエレベーターになだれ込んできて。
そして、やがて静かになった。
3、灼熱の墓所
パグダらのいた大深度地下シェルターが全滅した。
カルネはそれを聞くと、大きくため息をつく。医師達は、必死にデータの分析を進めているので、其方は任せてしまう。カルネはレポートを書くと、副大統領の所へ、提出しにいった。
副大統領は憔悴しきっていて。
そして、話を聞くと、大きな溜息をついた。
「やっと見つけた生存者もゾンビ化し、そして有力なシェルターがまた全滅か……」
「一つ、仮説が立ちました」
「言って見たまえ」
「やはり生命活動が活発なほど、ゾンビ化の進行はしやすいようです。 逆に言うと、極限まで体の機能を使っていない仮死状態であれば、ほぼゾンビ化はしないと思われます」
副大統領に睨まれたので。
カルネは嘆息すると、説明を付け加える。
要するに、だ。
体が弱い人間の方が、どうしてかゾンビ化はしにくい。これについては、ほぼ確定事項である。
しかしそういう人間も、絶対では無い。
抗体を持っている人間がいるとしたら、それは完全に状況が違うにもかかわらずゾンビ化していない者。
健康でありながら、ゾンビ化していない生存者、という事になるだろうとも。
説明を終えると、副大統領は頭を抱えたまま言う。
「それで私はどうすればいいのかね」
「各国との連携を続けてください。 もっとも、もう各国どころか、各地の生き残りというべきでしょうが」
「分かった……」
他の研究者も、色々と作業はしているが。
目立った成果は出せていない。
カルネにしても、今回の貴重なデータを生かすことは出来るが。それが決定打につながる事はないことも理解していた。
スレイマンは驚異的な精神力で、自分を持たせてくれたばかりか。ゾンビになる時どんな風に心が変わっていったか、最後の最後まで話をしてくれた。これについては、必死に通訳がメモを取っていたし、録音もしてくれていた。分析班が必死に分析してくれているが。
カルネに出来るのは、生存者の探索と。
その確保のための作業である。
他の研究者も状況の分析について報告をしてくるが、副大統領は、いずれにもあまり興味が無いようだった。
まあ精神がやられるのも無理はない。
カルネも一通り研究をまとめた後は、一眠りする。起きている間は、ずっと研究続きなのだ。
どうにかして、決定的な証拠を掴まないと。
人類は確実に滅亡する。
それにしても、核戦争すら想定した、大深度地下シェルター。それも、離島で気密をしていても駄目か。
下手をすると、宇宙ステーションの六人すら危ないのではあるまいか。
もしも宇宙ステーションですらゾンビ化が発生するようなら、文字通りお手上げである。対処の方法がない。
だが、人間だけがゾンビ化する現状。
何か突破口がある筈だ。
それをかならず、引きずり出さなければならない。
夕刻。
ドローンを操作して、生きた人間の痕跡を探しているカルネの所に、医療チームが来た。居住まいを正して話を聞く。
今、一番連携しなければならない相手だから、である。
「一つ分かった事があります」
「聞かせてほしい」
「スレイマン氏のデータを確認した所、ゾンビ化の過程で急激に体内で増えている物質を発見しました」
「……続きを」
頷くと、医師は言う。
というか、急激に増えていると言っても、あまりにも少量すぎて今までは気づけなかったそうである。
だが、必死にスレイマン氏が持ち堪えてくれたおかげで。
可視化に成功化したそうだ。
その物質は、一種の脳内分泌物で。
簡単に言うと、いわゆる脳内麻薬の一種である。
快楽をもたらすためのものではなく。
むしろ心を落ち着かせるためのものだという。
それが微量。
どういうことだろうか。
「何か仮説は」
「スレイマン氏はとても落ち着いて死に向かい合っていました。 それが多幸感を呼んだ……というわりには、不自然な脳内物質です。 だとすると、ゾンビ化の影響の一旦であり、そして全身に腐敗が広がる前兆の可能性があります」
「その物質を抑制すれば、ゾンビ化は防げると」
「その可能性は低いかと。 恐らくゾンビ化の副産物として出ているだけに過ぎないでしょう」
そうか。
しばし考えた後、報告書だけを受け取り、研究に戻って貰う。
スレイマン氏は、もっと色々なデータを残してくれたはずだ。そしてあの医療陣は色々気にくわない部分もあるが、それでもやるべき事はやってくれる。近年は医療崩壊が進んでいた米国だが。それでも技術で言えばドイツ、日本などと並ぶ世界トップの医療を持っていたのだ。
かならずや、その最精鋭であればどうにかしてくれるはず。
勿論、あくまで自己暗示にすぎない。
大深度地下のシェルターでも駄目だったのだ。である以上、此処がいつやられても不思議ではない。
黙々と作業を続けていると。
英国の生き残りから、連絡が来た。
生存者発見の報だ。
今度は、どんな状態なのか、確認を取らなければならない。すぐに、現地の生き残りと連絡を取る。
英国政府はかなり早い段階で壊滅したが、一部の機能が幾つかの基地の地下に潜って生存している。
また島国の特性上、離島の基地も多く。
それらの中には、まだ機能を残しているものも多い。
動揺は広がっている様子だが。
それでも、昔は諜報において世界屈指だったという事もある。
有益な情報を、このゾンビパニックの初期から、幾つも届けてくれていた。
「ウェールズの山岳地帯に、わずかな生存者がいる」
「規模は」
「それぞれが別々に行動しているので正確な数は掴みきれていないが、十数人、というところだろう。 出来れば救助して、離島に移動させたいが」
「副大統領と相談する」
通信を切る。
今の状態、何がゾンビ化につながるか分かったものではない。先のスレイマン氏にしても、ひょっとしたら病院にいたままなら、そのまま眠るように死ねていたかも知れない。下手な所にあるヘリを使った場合、その時点で生き残りをゾンビ化させてしまう可能性が否定出来ないのだ。
まもなく、副大統領を含めた何名かの主要人物が揃う。
副大統領の目の下には、露骨に隈ができていた。
話を聞くと。副大統領は、開口一番に言った。
「監視に留めるべきだ」
「いずれ確実にゾンビ化すると思われますが」
「下手に手を出す方が、余計に危険が大きい」
副大統領は、恐らくスレイマン氏の事をまだ気に病んでいるのだろう。その場でカルネが祈りの言葉を調べ、暗誦しているのをみて、忸怩たる表情をしていた。俗物だと思っていたが。
多分心が弱っているからだろう。
或いは、脆くなっているのかも知れない。
「英国の離島の基地にしても、下手に今は他と接触を執らない方が良いだろう。 ともかく、遠距離から監視しつつ、可能な限り有用な情報を得てほしい。 モールス信号や、光通信での連絡は取れないだろうか」
「試みてみる」
「頼むぞ」
通信を切る。
副大統領は、胃薬を取りだすと、貴重な水を使って嚥下した。副大統領がいなくなった後、軽く皆で話す。
「相当に参っているようですね。 ボクとしても分からないではないですが」
「皆限界が近い。 カルネ、お前の所からは新しい情報が次々上がっては来るが、何かおかしな事をしていないだろうな」
「どういう意味です」
「言葉の通りの意味だ!」
激高して、親のような年齢の科学者が立ち上がる。
慌てて周囲が引き留めて。
バツが悪そうな顔で席に着く。
彼らは殆ど成果を上げられていない。カルネはここのところ、スレイマン氏の情報をはじめとして、次々に成果を上げている。
焦っているのかも知れない。
だが、今は焦っても駄目だ。
勿論時間が限られていて。此処がいつゾンビ化するかも分からない状況であるのには同意する。
だが、それはそれとして。
このような行動を、大人が見せてどうする。
カルネは正直軽蔑したくなるが。
今は極限状態だ。だから、それを加味して許すことにする。相手は額に青筋を浮かべているが。
そんなものに忖度するつもりはない。
「ボクだって成果は上げられていませんよ。 幾つかの手がかりは掴みましたが、それだけです。 成果が上がるとしたら、それは抗体の発見……それ以外にはあり得ないでしょうね」
「そんな事は分かっている!」
「抑えて」
「……ともかく、あまり周囲を刺激しないようにしなさい」
カルネはへいへいと応えると、席を立つ。
馬鹿馬鹿しい。
そういえば、米国は一時期能力主義などと言う話があったが、あれは大嘘だ。
結局の所日本で流行った言葉である忖度が上手い奴が出世する。それは米国も同じである。
腐敗した国家は基本的に何処もそう。
先進国なんて自称している国も、どこもかしこもがそうで。
基本的に人間なんてどこの国でも大差ないのである。
この老人共も、周囲から忖度され。若い頃は忖度し。出世してきたのだろう。
一応飛び級制度も存在しているが。
飛び級で大学を出た後、想う様に働けている人間なんて、本当に一握りの中の一握りだ。
カルネにしたってそれは恐らく同じで。
多分だが、こんな事態が来なければ。そして幾つもの幸運が来なければ。能力を発揮する事なんて出来なかっただろう。
大体、この状況においても。
あのアラブの金持ち一家は、アラブの支配権を欲しがっていたし。
あの老人共は、忖度しないという事で、カルネを責め立てている。
これでは、ゾンビ化を引き起こしているのがウィルスだか神だか未知の存在だか何だかは知らないが。
いずれにしても、人間の醜態を指さして笑っていることだろう。
まあ確かに笑いたくなる気持ちも分かるし。
カルネも別にそれについてどうこう言うつもりは無い。自分の境遇を笑いたくなるくらいなのだから。
情報を引き続き集める。
多数のドローンを同時操作して米国内の生き残りを探しつつ、他の国にもノウハウの共有を行う。
ドローンについては案外技術が遅れている日本は、色々と四苦八苦しているようだが。
法関連で散々足を引っ張っていた無能な議員達が根こそぎ初期に死んだのは、幸運だったのかも知れない。
動き自体は早く。
今ではかなりの数のドローンを飛ばして、生存者の捜索を効率よく進めている様子だった。
とはいっても、時間が限られているのも事実。
もう、猶予などない。
時間が来たので、眠るように促され。
無理矢理に眠らされる。
今は、眠る時間すらも惜しいのだけれども。
こう言う仕事をする人間は、一定の睡眠を取る事が法で決められている。
作業効率が落ちるからだ。
一眠りして、そして起きだすと。
英国の状況に変化が生じていた。
どうやら例の山間の集落にモールス信号を送ったところ、返答があったらしいのだ。相変わらずフラフラの様子の副大統領も交えて、その結果について聞く。英国の諜報部生き残りは、余り良くない情報だがと前置きしてから伝えてくる。
「まず山にいる彼らだが、古くから山に住んでいる者達で、麓がどうなっているかまったく知らなかったらしい。 今時テレビもネットも使っていない生活を送っていた様子でな」
「それで良くモールス信号が通じたな」
「だからこそ、だろう。 彼らは少数民族ではあるが、二次大戦の頃は勇敢な兵士として名を轟かせていた。 その中の一人が、モールス信号の読み方を覚えていた」
「ああ、そういう」
未だに、自称先進国の山間部に、そんな変わり者の集団が生活していたのか。
それはそれで驚きだが。
だが、余り良くない情報、というのが気になる。
咳払いした後、向こうから伝えてくる。
「結論から言うと、彼らに協力の意図はないそうだ」
「何!?」
「彼らは山の民と自称しているが、そもそも英国に対して古くから強い反感を抱いていたらしい」
「……」
英国と言っても、そもそも「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」等というように、国名からして一枚岩ではない。事実複数の民族が混成している国家であり、歴史的に見ても島国の中で民族ごとに別れて血で血を洗う争いを続けて来た。アイルランドのテロリスト集団としてIRAは有名だったし。そもそも英国が世界国家だった時代にも、国内に大きな扮装の種を抱えていたのだ。
そういう変わり者の集団が生き延びていても、何ら不思議では無い。
「これ以上の交渉をするつもりもなく、ドローンを近づけるなら撃墜するとまで返答があってな」
「よろしい。 それならば放置しておくと良いだろう」
「いや、しかし……」
「今は紛争をしている場合では無い。 どの道その者達は助からないだろうし、助ける手段も限られている。 特に今は、ワクチンもまともに仕上がっていない状況だ。 自殺したいというなら勝手にさせておけばいい」
副大統領の言葉は辛辣だが。
しかしながら、ある意味真理でもあった。
英国側が黙ると。
回線を切り、軽く会議をする。
こんな時にも一枚岩になれない人間の愚かさをぶちぶちと老科学者が言うが。そんな事は言われなくても分かりきっている。
大体これが病気なのかさえも、実際には疑うべき状況なのだ。
科学者である以上、神の御技である等という寝言を信じるつもりはないが。
しかし、こうもあまりにも不可解すぎる事例が続くと、もはやどうしようもないというのが素直な所である。
お手上げだ。
一旦自室に引き上げると、しばらく机に突っ伏す。それを見て、咎める者は誰もいなかった。
ストレスを解消する手段がない。
ゲームの類は殆ど此処には置かれていない。
かといって体を動かすのは得意ではない。
イライラが募って頭を掻き回す。もう何もかもがどうでも良くなったので、昼寝する事を告げて、もう寝る。
しばらく無心に無理矢理眠るが。
無理に眠っても却って疲れるだけだ。
溜息をつきながら起きると。
後はしばらく、何も口にせず、黙々とドローンを操作し続けた。
六時間ほど後だろうか。
痕跡を見つける。
米国、ミズーリ州。
その一角にある片田舎の街で。
最近まで人間が活動していた痕跡を発見。ゾンビも彷徨いているが。或いはまだ生きているかも知れない。
即座にドローンを集めて、あらゆる方向から探索を開始。
結果、熱源探知の結果、数名の人間の痕跡を発見。しかし、このわかり安い熱源。どういうことだろうか。
それだけじゃあない。
探査していると、見つける。
フラフラだが、生きて歩いている人間だ。かなり年老いている様子で、咳き込んでいる。だがゾンビに襲われている様子も無い。
犬が老人を引いている。
恐らく盲導犬という奴だろうが。それにしても、どういう状態だ。殆ど鼻も利いていないのかも知れない。
ドローン数機で囲むと、流石に盲導犬が唸る。
盲目の老人が歩けるほど、米国の田舎は安全な場所じゃない。当然盲導犬も相応の訓練がされている。
盲導犬が止まったので、老人も止まるが。
しかし、ドローンが声を掛けると、気付いたようだった。
「誰か、そこにいるのか」
「申し訳ありません。 周囲の状況が見えていますか?」
「誰かいるのかい」
「……」
駄目だ、聞こえていない。
少しドローンの距離を取らせる。すぐに周囲に声を掛け、生存者の発見と、確保の方法について考える。
前回のスレイマン氏の事もある。
下手に健康になられると、その場で大事な情報源が、という事になりかねない。
ゾンビは音に反応したりはしないが。
いずれにしても、老人がのたのた歩き回っていて、時間を稼ぐことは難しいだろう。ゾンビが襲っていないのも、或いは単に自分達の同類と見ているのか。それとも。他に何か理由があるのかも知れない。
「おい、ジョナサン、もう帰るのか」
「……」
盲導犬は基本的に吠えない。滅多な事がない限り。
そのため盲導犬に掛かる負担は尋常ではなく。元々寿命が長いとは言えない大型犬で、更に寿命を縮めることになる。
見た所、このジョナサンという盲導犬も、相当の高齢な様子だ。
どうしてこの老人が生き延びていられたのか、よく分からない。
兎に角、情報解析を最優先で行う。
医療班は、どうやってデータを取るのか、検討開始。
出来れば血液のサンプルがほしいが。
キットによる検査を、あの盲導犬が邪魔しなければ良いのだが。
海上にいる空母打撃群から決死隊を募るという話も出たが、即座に却下。文字通り戻れない任務になる。
ただでさえ、いつ空母打撃群が機能不全になるか分からない状況なのだ。
今は、貴重な人員を死なせる訳にはいかないのである。
「とにかく呼びかけて、サンプルの採取を。 最悪の場合、力尽くでも」
「こんな状況で、生存者を減らすつもりか!」
「助ける方法などないし、先の短い老人だぞ!」
「この人でなしが!」
後ろでぎゃいぎゃいと元気に騒いでいるが。
カルネにはあまり興味が無い。
淡々とドローン経由で話しかけて。健康診断をさせてほしいと訴える。近付きすぎると、盲導犬に飛びかかられそうなので、耳元で訴えかけられないのが兎に角口惜しいが。やむを得ない。
困惑していた様子の老人だが。
やがて盲導犬が引っ張るからか、散歩を切り上げて戻り始めた。
そうこうしている内に、老人の身元が割れる。
グリムール=パーカー。67歳。
ミズーリ州で元々教師をしていた人物で、今は年金暮らしである。
帰路も確認するが。
この辺りは、ゾンビパニックが始まってから、かなり時間が経っている。「新鮮な」ある程度動きが良いゾンビはあまり多くは無いが。
それでも、動いてエサを探しているゾンビはいる。
ゾンビを巧みに避けている盲導犬は、相当に賢いのだろう。
だが、犬は呆けると飼い主も分からなくなる。
この老人も、健康にはとても見えない。目も耳もロクに動いていないようだし、此処に放置すればいずれゾンビに襲われてひとたまりもなく殺されてしまうだろう。如何にゲームなんかに出てくる強力なゾンビに比べれば弱いと言っても、非力な老人ではどうしようもない。
家に辿りつくと、何人かのゾンビが彷徨いていたが。
その間を平然と縫うようにして、老人が歩いて、家に入る。
ゾンビはそれに目もくれなかった。
やはり、同類と見ているのか、或いは。
ドアの中にすっとタイミングを見てドローンを入れる。内部を確認するが、それほど汚れている様子は無い。
勿論トイレも躾けられている様子で。犬はきちんと専用のトイレを使っていた。
家は相応に裕福だったのだろう。
だが老人の家族の姿はない。
一人暮らしを最初からしていたとは考えにくい。
家の中には多数の家具が存在していて。
幾つかは中身が散乱していた。
家族がどうなったのかは、敢えて言う必要もないほどに、明らかだった。家の中でゾンビ化して出ていったのか、外でゾンビ化して戻っていないのか、其所までは分からないが。
ずっと盲導犬はドローンに対して唸っている。
嫌な感じの咳をしている老人に、丁寧に呼びかけているが。やはり聞こえている様子が無い。
補聴器も使っていないのだろうか。
それとも、もう補聴器を使う考えに至らないのかも知れない。
調べて見ると、鬼教師として有名な人物だったらしいのだけれども。
今はそれが信じられないような穏やかな老人だ。
いずれにしても、ゾンビ化はしていない。
せめてサンプルはほしい。
近付く度に、盲導犬が間に入ってくるので、どうしてもサンプルの摂取が出来ない。後ろではまだ決死隊がどうのこうのと話していたので、カルネはいい加減にしろと叫んだ。
「そんなに決死隊を送りたいならあんた達でいけばいいだろ。 ボクは現実的に事を進めたいんだよ」
「このガキ……ッ!」
「ガキいうなら、ボクよりマシな意見を出して見ろ!」
「……っ!」
激高した一人が、近くにあったバールを掴む。そのまま殴りかかろうとしてきたが、流石に周囲が止めた。
喚きながら暴れるそいつを、周囲が連れていくが。
カルネにも決して良い感情を向けていないのは明らかだった。
ため息をつくと、老人に何度も呼びかける。
その内老人はテレビをつける。
見えていない筈なのに。
テレビとの間に入ってみたりもするが、老人の単なる生活習慣らしく。何も反応しなかった。
少し悩んだ後。
犬の鳴き声を流して見る。
老人が反応した。
やはり、こっちの方は何とか分かるのか。
今、外では殆ど犬がいない。
ゾンビに食われたと言うよりも。野犬になるか、もしくは餓死したのだろう。この辺りは確かゾンビパニックの時、大規模な軍による野犬狩りゾンビ狩りが行われた筈で(参加した人員は全員ゾンビ化したが)、犬の声そのものが殆どしない。
空爆はされていないが。
しかしながら、空爆してしまった都市にも。
この老人のような生き残りは、或いはいたのではないのか。
「ジョナサン、犬がいるようだ。 危ないから追い払え」
盲導犬が、年老いているとは言え敏捷に、ドローンに飛びかかってくる。
天井近くまで逃れるが。
くるくると廻りながら、ドローンを確実に狙っている。
老人は落ち着かない様子で部屋の中を歩き回り、斧を手にした。何処の家でも護身用に持っている斧だが。老人が持つと危なっかしい。
このドローンには、あまり多くの機能はついていない。
呼びかけるためのスピーカーなどはついているが。
戦闘用のドローンではないのである。
とはいっても、実際には戦闘用と言っても、小型のミサイルキャリアだったり、爆弾のキャリアだったりするのが主で。
緻密に動き回る事が出来る訳では無いのだが。
何度も呼びかけていると。
やがて、斧を手にふらふらしていた老人が、盲導犬に話しかける。
「誰かの声がする。 野犬に襲われているのかも知れない。 ジョナサン、様子を見てきなさい」
「……」
盲導犬が、しばし周囲を見回した後。
老人を促して、別の部屋に逃げる。そして、器用にドアを締めたので、ドローンは入れなくなった。
仕方が無い。
同時並行で集めていた何機かのドローンを使って、窓を開けて、其所から侵入する。ゾンビが入ると面倒だから、窓は閉め直す。もうゾンビになると、窓を開けるという知能さえなくなる。
家の間取りは既に確認済み。
老人が立てこもった部屋に、ドローンを使ってドアを開けて入り込む。
盲導犬が落ち着かない様子で、別方向から入ってきたドローンを牽制するが。老人はソファに座ったまま、茶を飲みたいと言った。
仕方が無い。
盲導犬を黙らせるしかない。
ドローンの一機を囮にして、盲導犬を引きつける。その隙に、採血キットを使って、老人の血を摂取。更に毛髪や皮膚片なども採取した。かなりの緻密な作業が必要になったが、これでも伊達にドローンをこのパニックが始まってから操作し続けていない。
後は飛びかかってくる盲導犬を避けると。
一機だけを監視に残して、他は研究施設に戻す。後は燃料を考え、ローテーションでの監視を続ければ良いだろう。
研究施設に、老人の生体組織を届けるまで一時間。
既に研究施設は、動くゾンビもいなくなり。
静かになっていた。
自動で採ってきたサンプルを検査。
非好意的な視線を受けながらも、データを採取したので、医療班に渡す。医療班は調べて、すぐに舌打ちした。
「地元の病院は何をやっていやがる。 酷い健康状態だ。 それとこの老人は癌だ。 それもステージ3だな」
「盲導犬と二人暮らしでは仕方が無いだろう。 それにあの年の老人は、癌の一つや二つ持っているものだ」
「とはいっても……」
「そもそもゾンビパニックの前に、医療は崩壊していただろう。 盲導犬を飼うのが精一杯だったのでは無いのか」
そういうと、
バツが悪そうに視線を背ける老人。
北欧のように、老人は動けなくなったら介護を放棄して死ぬに任せる、というような事は無かったが。
その一方で米国は、金がない人間からは凄まじい医療費を容赦なく取り立てる方針を採った。
結果として、金が無い人間は病院に行くことも出来ず。
バタバタと死んで行く事となった。
保険に入ればマシにはなるが、その保険だって決して安いものではないし。
此処にいる医療班だって、色々忸怩たるものを感じていたのだろう。
いずれにしても、これでほぼ確実だろう。
実際にはもっと統計を取りたいが。
はっきりしたことがある。
「不健康な人間、体が虚弱な人間は、ゾンビ化に対して強い耐性を持っている」
「少数の例でそう決めるのは危険すぎる」
「そんな事は分かっていますよ。 でもボクが見つけてきた生存者は全てそうだ。 多分それは、抗体に関係する話では無く、ゾンビ化する原因の何かが関係しているものだと判断するべきだろう。 何しろ虚弱、不健康という事以外に、共通点がない」
「老人が……!」
ドローンの監視映像の中で、グリムール老人が胸をかきむしって、ソファで苦しんでいる。大量に喀血していた。
此処からでは、どうにもならない。
医師達も首を振る。
やがて、盲導犬が悲しそうに鳴き声を上げた。
老人は、元々大量に体の中に巣くっていた病気によって、もうどうにもならない状態だったのだ。
心停止を確認。
サンプルを採る。
ゾンビ化する事は無かったが。
やはり、老人は長くは生きられなかった。
盲導犬は、余程慕っている主だったのか。動かなくなった老人に寄り添い。そのままエサも食べなくなり、数日で死んだ。
サンプルを死後数回採取。
絶対に無駄にはしない。
そう呟きながら。データを全て活用するべく、保存する。
また助けられなかった。
今後も誰も助けられないのか。
決死隊を送ったところで、結果は同じだっただろう。
そもそも、あの老人は後数日の命だったのだ。
しかし、そうなってくると。
スレイマン氏との差は何だ。老人は最後までゾンビ化する事はなかったが、スレイマン氏はゾンビ化した。
やがて、死体が痛み始めたので。
ドローンを用いて、家を焼く。丸ごと火葬するのだ。
モニタの向こうから、カルネは敬礼する。
そして、データの解析を医療班に任せると。生存者を探して、ドローンを散らせる。
これは、ひょっとするとだが。
思った以上に、生存者はいるかも知れない。
その代わり、その生存者は殆ど死にかけの者ばかりと見て良い。
健康な人間は、もうあらかたやられてしまっているだろう。離島にさえ、遠隔でゾンビ化が発生する状況なのだ。
やはり、健康な生存者を発見できれば。それが抗体を持っている可能性が高い。
だが、健康な生存者は、この状況下、相当な人間不信に陥っている可能性が極めて高いのも事実だ。
どうやって見つけた後、説得するか。
医療班が、駄目だと喚いている。
やはり老人の残したサンプルから、特に珍しいものは見つからないらしい。それを周囲がなだめて、必死に解析を続けている。
此処のストレスも甚大だ。
もしゾンビ化が発生したら、もう後はひとたまりもないだろう。
美味くも無いレーションを取りだすと、ばりばり囓る。チョコの奴だ。美味しいと食べ過ぎてしまうというので、敢えてまずくしてあるというサディズム溢れるレーションである。昔に比べればまだ美味しいらしいのだが。
通信が入る。
日本の自衛隊からである。
「生存者の痕跡を発見。 かなりの長距離を移動している様子で、今探索範囲を拡げて調査中」
「調査頼む。 此方からも、発見した生存者から取得したデータを送る」
「有難う。 解析する」
自衛隊の方でも医師を確保している。其方で、何か新しい研究成果が見つかるかも知れない。
カルネは黙々と、自分で出来る調査を続ける。
後ろでぎゃあぎゃあ騒いでいる連中はどうしようもないが。
まだ人類は屈してはいない。
4、山奥にて
奈木が自転車を止めた所は、恐らく高速のサービスインだった場所だ。今は点々と車が散らばっていて。ゾンビの姿も見当たらない。
自動販売機は存在していて。
古めかしいそれは、まだ稼働していた。
インフラも殆ど駄目になっているというのに、所々動いている自動販売機はある。それはとても有り難い。
逃げ始めてから結構時間が経つ。
もうコンビニにおいてある食べ物は、缶詰やレトルトを除くと、食べられる状態ではなくなっている。
また、乱暴に喰い破った跡もあり。
ゾンビにやられたんだなというのは、一目で分かる有様だった。
一方でゾンビ達は、缶詰やレトルトには手を出していない。
知能は皆無に等しく。
食べ物と一目で分かるものしか口にしない。
また意外にも腐っているものは口にしない様子で。
ゾンビが彷徨いている辺りでも。
コンビニに、腐った食べ物が放置されているのはよく見かけた。
どうしてか感染しない。
それはもう半ば確信に変わりつつある。
だけれども、盲信は出来ない。
トイレに行くと、水は流れたし、紙もある。有り難い。利用させて貰う。人心地がついたところで、周囲を確認。
電気が動いているなら、或いはスマホも充電できるかも知れない。
調べて見ると、サービスインの中には朽ちたゾンビが数体。ゾンビ映画だと、人間の接近に気付いて襲いかかってくる場面だけれど。もう飽きるほど奈木はゾンビを見て来た。残念ながら、彼らにそんな機転は利かないし。何より腐り果てると本当に動けなくなって果てる。
コンセントを発見。
充電器を使って、スマホに充電する。
充電しながら電源を入れるが、電波は駄目だ。ネットにもつなごうとしてみるが、とうとうSNSはそもそもつながらなくなっていた。まあインフラが寸断されている状況だし、当然と言えば当然なのだろう。
酷い臭いだが。
臭いには慣れた。
ぼんやりと、充電を待つ。
ネットにはつなげなくても、何か活用は出来るかもしれない。何より電気がいつまで動いているか分からない。
たまたま、新しい自転車を確保出来たのは幸運だったが。
残念ながら、前の自転車と大差ないレベルのポンコツだ。
いつ壊れても不思議では無い。
それに、涼しい場所に行くと、ゾンビに出くわす可能性が増える事も、奈木は理解していた。
だから、どうしても暑い場所……ゾンビが早々にいたんで動けなくなる場所を、選んで移動するしかない。
充電が終わる。
今まで確保してきたお金を使って、携行食になりそうなものを自動販売機から買う。もちそうにないものは買わない。レトルトも幾らかは確保してあるのだが。こう言う状態になってよく分かった。
アレは家で皿が安定して確保出来る状態で、やっと意味を成すものだと。
湯を沸かすこと自体は出来るが。
しかしながら、皿がなければレトルトはどうしても食べられない。
そういうものだと、今は諦めて。
缶詰を主体に、食糧を確保していた。
缶詰は昔と違って缶切りがなくてもどうにかなる。
お金をレジにおいていくような事はしない。
もう誰もお金を取りに来る人なんていないし。
窃盗だと分かってはいるけれど、今更どうしようもない事だった。
誰か友達は生きていないかな。
一応、少数の友達はいた。
おかしな話で、殆どは学校とは関係無い場所での友達ばかり。
スクールカーストで地獄絵図になっている今の学校では。悪目立ちする奈木のようなタイプには、友達は出来ない。昔は、高校くらいになると変わり者はむしろ人気が出たらしいのだけれど。
スクールカーストがガチガチに固まっている今の学校では、それもない。
主に友達だったのは、ネットで知り合った子や。
水泳の大会で知り合った、別の県の子だった。
そういえば、スクールカーストにガチガチに食い込んでいる同級生から、そんなのは友達とは言えないとかしたり顔で言われた事があったが。
じゃあ友達の定義とは何なのかと聞き返したら、いきなり発狂して暴れ始めた事があったっけ。
いずれにしても、ゾンビで滅茶苦茶になる前から。
この世界は滅茶苦茶だったんだな。
そう、誰にも電話が通じないことを確認してから、奈木は思い。悲しくなった。
移動を開始する。
高速道路だが、周囲は車が点々としていて。殆ど誰も見かけない。見かけるのは、たまにゾンビ。
車の中でゾンビ化すると、そもそも車から出られなくなるらしく。
バッテリーが上がった車の中で蒸し上がり。
そのまま、破裂してしまったり。
干涸らびてしまったりしているようだった。
それでもまだぴくぴくしているゾンビもいるが。今更どうこうしようとも思う事はない。
そのままスルーして移動。
途中でトンネルを見つける。
トンネルはあまり良くない。
中が涼しいので、ゾンビが集まるのだ。車のドアも開けられなくなるゾンビだが、トンネルには集まる。
そしてそんなゾンビを狙って、野犬が出たりする。
こっちの方が、むしろ厄介だったりする。
流石に狂犬病はないと信じたいが。
現状、野犬の群れに襲われたらまず助からない。このボロ自転車では、どんだけ頑張っても逃げ切れないだろう。この間は運が良かっただけだ。
犬の持久力は人間のそれを遙かに凌ぐ。振り切ったと思っても、どうせすぐに追いついてくる。
野犬の群れにそもそも遭遇しない。遭遇したら終わりだ。
それくらいで考えると。
トンネルは避けた方が良い。
少し戻って、高速道路を降りる。一応東京に向かっている筈だ。東京に出れば、何か活路があるかも知れない。そう思って、高速道路や国道を乗り継いで、東京へ黙々と向かっているのだが。
しかしながら、まだまだ掛かるだろう。
高速を降りた後、山道になったので、トンネルを避けながら国道を探す。途中ファミレスを見かけたけれど。ゾンビが群がって朽ちた跡があった。地獄のような光景だが、もう見慣れた。
ガソリンスタンドもあるが、電光掲示板の表示がバグっている。それにガソリンが漏れているようで、嫌な臭いもした。あれは下手をすると爆発する。さっさと離れるに限るだろう。
急いでその場を離れる。
坂道になってきたので、体力温存のために自転車を降りた。今は少しでも体力を温存しながら動きたい。
国道の標識だけは朽ちていなかったが。
しかしながら、電線が時々バチバチ言っているので、それには閉口させられる。
パトカーや消防車がうち捨てられているのを発見。この辺りで、ゾンビを食い止めようとしたのだろうか。
いや、ゾンビを駆除して戻る途中に、警官も消防隊もゾンビになってしまったのだろう。
とにかく、移動を続ける。
もう多分、国も社会も存在しないこの世界。
一番危ないのは生きている人間だ。
人間に遭遇しないように、ひたすら奈木は急ぐ。
生きるための手段を安定させるために。
(続)
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