射命丸文と鳥籠

 

序、クオリティペーパーの結末

 

ここは生きる場所がなくなったり、信仰を失ったりした者達が最後に流れ着く秘境の一つ。幻想郷。妖怪や信仰を失った神々がいまだ存在する秘境の中の秘境。

博麗大結界という障壁により、外部と隔たれ認識されない最後の隠れ里。

山多いこの土地には、今とても窮屈に暮らしている勢力が存在している。

天狗である。

天狗と言えば誰もが知る有名な妖怪だが。この幻想郷が500年ほど前に出来てからというもの、天狗達は変わった。

当初は情報集めにはまり。

それが瓦版になり。

やがて新聞になった。

かくして天狗達は新聞造りにはまるようになったのだが。その新聞が、作る過程においても、出来た代物も、ロクなものではなかったのだ。

まず天狗は強い。

しかも習性として群れを成す。

この幻想郷における最大の山岳地帯の頂上付近に縄張りを持つ天狗達だが、彼ら彼女らは元々幻想郷で最強の妖怪勢力、鬼の支配下にあった。そのうちはまだ良かった。

だが鬼が幻想郷のスラムとも言える地下世界、地底に去ってからというもの。

天狗は鬼の代わりに抑え役となって妖怪の山に引っ越ししてきた守矢神社が現れるまで。

完全に抑えが効かない暴走状態に陥った。

かくして天狗達は弱い妖怪達から無理矢理取材をし。

デタラメな記事をばらまき。

しかも内容を身内で審査し合うという。

最悪極まりない組織の腐敗に陥る事になった。

その腐敗がやがて暴かれたことで。

幻想郷の支配者階級である最高位妖怪賢者と。人間側の代表であり、幻想郷最強の噂もある巫女、博麗大結界の管理者。博麗霊夢の監査も入り。今は組織が再建されている最中である。

この機に組織の腐敗を嫌って若い天狗数名が組織を離脱。

その中には、次期の天狗の長候補。若手の最有力天狗、姫海棠はたての姿もあり。

現在天狗はもっとも厳しい状況にあると言えた。

あくびをしているのは、そんな天狗の中でも。

間違いなく最強。

戦闘の実力で言えば長である天魔を超えるとも言われる存在。

射命丸文である。

見かけは修験者の格好をした人間の女の子、という感じであるが。一目で分かる胡散臭さと強さに自信を持った目。それに背中の翼が、人では無いことを告げている。

幻想郷最速を自称し、戦闘力も唯一鬼に洒落臭い口を利けたレベルであるこの天狗は。1000年を生きる古参の鴉天狗だが。

古参にもかかわらず硬直化した組織のために出世も出来ず。

今も下っ端としてこき使われている。

組織の監査が入った今も同じ。

ガチガチに監視されている天狗の組織の中でも、一際窮屈な目に遭っている射命丸は。今日もふらつきながら、考え事をしていた。

それはそうだ。

射命丸は元々幻想郷のトリックスター。

書く新聞は三流でも、持ち込む情報はホンモノ。

情報をかぎ分ける力に関しては本当のものがあり。

そのため、幻想郷に存在する多数の組織が、それぞれ独自にコネを持っている程である。

その上戦闘力も高いのである。

賢者が警戒するのも当然ではあった。

今も賢者の使い魔の視線を感じながら、射命丸はあてもなくぶらついている。何度か悪戯をして、次にやったら封印処置と言われているのである。もうこれ以上は、余計な事は出来なかった。

射命丸は頭が回る。

だから本当に次はないことは分かっている。

次に何かやったら、問答無用で殺される。正確には殺されるのと同じ目にあう。

情報に強いからこそ。

自分の立場が如何に危ないかはよく分かっているのである。

天狗の本拠である風穴に出向く。

他の天狗達が、賢者の指導の下必死に新聞を作っている中。射命丸はとうとう新聞造りまで禁止された。

まあ色々やったのが悪いのだが。

だからこそ、雑務くらいしかやる事がない。

咳払い。

顔を上げると。其所には上司である大天狗がいた。いわゆる鼻の長い、人間が想像するような天狗の姿をしている。とはいっても、人里に出る時には人間に変装したりするのだが。

「射命丸。 ヒマだろう。 これを見てくれるか」

「これは?」

「守矢に渡された」

守矢、か。

頷いて、ざっと見る。

何とか新聞と書いてあるが、一目で分かる。これは人間が書いたものだ。それも外の世界のもので、比較的新しい内容だろう。

さっと目を通すが。

なんとくだらない代物か。

失笑が湧いてくる。

今、外の世界の新聞は、腐敗に腐敗し。墜ちに墜ち。全くという程信頼を失ってしまっていると聞いているが。

なるほど、賢者が危惧するのももっともである。

最新の新聞は、以前見たもう少し古い新聞よりも更に酷い内容に堕している。これはもう新聞とは言えない。

天狗の新聞は、射命丸でも分かる酷い代物だった。

射命丸も、自身の新聞が三流以下のものだとは知っている。

だがこれはあまりにも酷すぎる。

意図的にねじ曲げられた情報。

客観的視線の完全欠如。

天狗も似たようなことをしていたが、これらの新聞は「それっぽく」書く技術ばかり進歩しているからより始末に悪い。馬鹿は読んだら信じてしまうかも知れない。天狗の新聞は、はっきり言って馬鹿でも信じないような代物だ。少なくとも今山に残っている天狗達のものは。

だがこれは、信じる人間が出て来そうな分、より有害度が高い。

使い路など、悪用以外には考えられない。

事実悪用されているのだろう。この様子では。

もしも有用に使うのだとしたら、靴を拭いたりとか、或いは芋を焼くのに使ったりだとか。

それくらいしか射命丸には思いつかなかった。

幻想郷で、これと同レベルの代物をばらまかれたらたまらない。

賢者が危惧するのはまあ当然だろう。

更に、だ。

仮説だった、姫海棠はたての変貌。

まともな新聞を作るようになったあの小娘。

これで仮説が一気に補強された。

外では失われたのだ。

記者の魂という概念が。

まともな新聞を作ろう。

客観的な情報を公正に人々に届けよう。

そう考えている記者が外の世界にはいなくなったのである。いるとしても、創作の中くらいにしか見られなくなったのだろう。

だから幻想郷に概念が入ってきて。

天狗から外れつつあったあの姫海棠の小娘の中に入り込んだ。

だからあいつはある意味もう天狗では無い。

そういう事だ。

頭を掻いている射命丸に、少し不安そうに大天狗が聞いてくる。

「それでどう思う、射命丸」

「どうもこうも。 これは酷いとしか言えませんね。 我々の書いているものよりも遙かに酷い」

「……」

「この新聞の銘柄は見た事があります。 外では「クオリティペーパー」と称されているものの一つです。 以前も実は読んだことがありますが、以前より更に桁外れに劣化していますね」

射命丸の言葉は容赦が無いが。

昔嘘だらけの情報を面白おかしくばらまいていた(お得意さんには独自のルートから仕入れた有用な情報を渡していた)射命丸だからこそである。

情報を嗅ぎつける力だけは、射命丸のはホンモノだ。

だからこそに、この新聞が如何にだめかなんて一発で分かる。

「それは分かっている」

「ふむ?」

「何故守矢が我々にこれを流したかの意図を聞きたい。 参考にしておきたいと思ってな」

「……そうですね」

守矢か。

外の最新技術を知っている、もっとも新参の勢力。新参でありながら現時点でその戦力は幻想郷の勢力随一。

今でも定期的に外の情報を仕入れているらしい守矢は。

将来的に、幻想郷を武力でリードし、秩序を作ろうとしている事が射命丸には見て取れる。

今の時点ではコネも作っておきたいのだが。

それはそれ。

この場合は、素直に大天狗に話はしておいた方が良い。

以前ある方法でだが。

射命丸は、自分が組織をいつでも裏切る準備をしていることを、天狗の組織上層部に見抜かれている事を知った。

その上今は幻想郷の管理者階級にまで睨まれている。

下手に動けないのである。

だからこそ、下手に動けない範囲内で、出来るだけ周囲を引っかき回したいし。

そのためには、ある程度誠実に振る舞うのも仕方が無い。

虫酸が走る話ではあるのだが。

「表向き考えられる理由は以下のようなものでしょうね。 1、我々がコレを真似して、賢者に拳固を喰らう」

「それは勘弁願いたいな。 天魔様は今体調を崩してしまっている」

それはそうだろう。

次期後継者候補と目していた姫海棠はたてに逃げられたのだ。

しかもあいつは誠実な新聞を不意に作り始めて、賢者の信頼まで買っている。

天狗の組織が衰えるのと反比例するかのように。

天狗の腐敗した組織から離脱した若造どもはどんどん賢者の信頼を篤くしているのである。

天魔が体調を崩すのも無理はない。

天狗といえど妖怪。

妖怪は精神生命体なのだから。

「2としては、これを悪い見本として、まともな新聞を作る」

「それでは麓の連中と同じになるのではないのか」

「まだそんな事を言っているのですか。 まんまあれを参考にしろと言われているではありませんか」

「ぐっ……」

大天狗が悔しそうにするが。

射命丸には飯が美味くなりそうだという言葉しか無い。

此奴が思ったよりずっと強い事を今はある理由から知っているが。

だが力は射命丸より劣っている。

それでいながら、ずっと上司としてふんぞり返っている無能な老天狗。

良い感情を抱いている訳がない。

「3としては、我々に自信をつけさせるため」

「そのような事を守矢が?」

「当面我々から賢者と博麗の巫女の監視は外れないでしょう。 恐らく今の会話も聞かれている筈です」

射命丸は堂々と言うが。

別にコレは全くの事実なので、何も隠すことなど無いし。

何より大天狗自身だって知っている。

今更の話である。

これぐらい図太くないと。

射命丸のような、性根から腐っていると周囲から認識されている妖怪は、やっていけないのである。

勿論この腐りきった性根を直すつもりはない。

「我々に自信をつけさせて、監査が終わるくらい自立させる。 しかしながら自立したとしても、もはや天狗には昔日の力はない。 守矢の脅威にはならないし、じっくりと侵略していけばいい、くらいでしょうか」

「……どうもしっくりこないな」

「仮説ですので」

「そうか」

大天狗は小首をかしげているが。

なおこの仮説は、射命丸も自分で正しいとは思っていない。

ただ仮説を述べただけだ。

世の中には、言葉を聞くことも出来ない輩もいる。仮説と前置きしているのに、それを理解も出来ずキャンキャン噛みついて吠えるような輩がそれだ。

一応大天狗は、仮説と前置きしたら、ちゃんと認識する事は出来た。

そんな連中よりは、オツムが上と言う事であろう。

別に自慢できる事でもないが。

「4として、単に我々を混乱させるため」

「これ以上の攪乱策だと……」

「ですがこれは今まで以上に説としては信憑性が薄いかと思います。 守矢は二柱……最近は巫女の小娘も力をつけてきているので三柱と言って良いですかね。 三柱だけで我々を半日もあれば滅ぼす力を持っています。 それに我々以外の山の妖怪が全て荷担していると見て良い。 河童も既に技術を全て守矢に奪い取られた今、我々を更に弱体化させておく事にはあまり意味がないかと思います」

そんな必要さえない。

そういう事だ。

幻想郷は比較的外の世界に比べると穏やかだが。守矢の二柱はとにかくやり口に容赦が無い。

外の世界の現実を見て来た連中である。

それはそうだろう。特に主神の二柱は、文字通り神話の時代から力を蓄えてきている連中だ。

人間の世界の愚かしい営みもずっと見て来た者達である。

それは勿論、やり口は容赦なくて当然であろう。

さて、4つの仮説を述べたが。

射命丸には別の仮説がある。それはあえて此処では口にしない。大天狗は頷くと、風穴の奥に出向く。

天魔に今の話をするのだろう。

臥せっている天魔には、ちょっとした話でも気晴らしになる筈だ。

射命丸の話など、宛てにならないことは承知の上で話をして。それで多少は気分転換をして貰う。

そのくらいの気持ちなのだろう。

別にそれでかまわない。

射命丸にとっても、天狗の組織なんてどうなろうと知った事じゃあない。はっきりいってお互い様だ。

実の所、山を下りた姫海棠の方につこうかと思った事もある。

様子も何回か見に行った。

だがあれは駄目だ。

無能、と言う意味では無い。しっかりしすぎている。姫海棠はたては現在、それこそ脂が乗りに乗っている。

外で失われた概念が入り込んだばかりだからだろう。

強い使命感とプロ意識を持ち、本気で公正で客観的、かつ読みやすい新聞を届けようと努力を重ねている。

元が「名家」のお嬢様とはとても思えない行動力であり。

外で如何に失われた概念が神格化されていて、強い価値観だったのかよく分かる。

そして、だからこそ射命丸にはあれは受けつけない。

あんな真面目が服を着て歩いているような連中の所に混じるなんて、射命丸にはできっこない。

現在、天狗の組織は規模が小さくなる一方だ。

今月に入ってからも、鴉天狗が四名、白狼天狗が四名、組織を抜けた。

半数は姫海棠の作った山の麓の集落に合流。

残りは守矢の指揮下に入ったようだ。

彼らが抜けるときに辞表を置いていったが。彼らは等しく、ずっと天狗の組織にいたのに評価されず。下っ端のまま据え置かれていた連中だった。

要するに射命丸と同じような立場の連中だったのだ。

勿論千年を生きているにもかかわらず下っ端のままである射命丸に比べたら全然マシと言えるけれど。

それでも相当に鬱屈が溜まっていたのだろう。

賢者の側もそれに対して監視を強めている様子である。

ただ、今回の新聞については、賢者も知っているのに素通りさせた。

要するにこれは。

天狗の組織をもう少し弱体化させて、危機感を煽るべきだという賢者の思惑と。

天狗の組織を弱体化させ、流出した人員を確保しておきたいという守矢の思惑が。

それぞれ一致したのでは無いか、というのが射命丸の仮説である。

姫海棠はたては守矢の風祝、つまり巫女(人)であり三柱目の神でもある東風谷早苗と今では刎頸の友とも言える仲になっている。

つまり天狗が守矢に降ろうが。

姫海棠の集団に合流しようが。

守矢にはどっちでも美味しい。

賢者の側も、もう少ししっかり危機感を抱いて貰わないと、天狗の組織の再編などとても無理。

そういう認識がそれぞれ一致しているのだとしたら。

今回の新聞送り届けのような行為は、更に続く可能性もある。

射命丸は外をふらつきながら、自宅に戻る。

気配があるから、いるのは分かっていた。

別にどうでも良い。

家に入ると、ぺこりと座っていた。

人間の幼い子供に猫耳と尻尾をつけたような姿の式神。橙である。

幻想郷の賢者の中で、最もアクティブに動いている最高位妖怪八雲紫の式神の更に式神。元が猫又というあまり格が高くない妖怪だからか、あまり実力は高くは無い。だがすばしっこくてフットワークが効くので、お使いとしては重宝しているようだ。

今も、射命丸の所にその目的で来たのだろう。

「射命丸、お帰り」

「あやや、私の家にどうしました可愛い猫又のお嬢さん」

「橙でいいよ」

「ははは、わかりました。 それでは橙さん、どうしたのですか」

茶番だと分かりきっているが、それでもあえて笑顔を作る。

此奴は見かけ相応に精神が幼く、思った事をそのまま主君に伝える。

勝手に家に上がり込んでいたという無礼を咎める事も出来るが、それをすれば此奴は泣いて主君に訴えるだろうし。

八雲紫の式神である八雲藍が此奴を文字通り猫かわいがりしている事は、射命丸も知っている。

ただでさえ悪い立場を、これ以上は悪化させられない。

勿論その辺全部読んだ上で、賢者は射命丸を挑発しているのだろうが。

「はい、紫様からのお手紙だよ」

「あやや、これは申し訳ない。 言われれば取りに行ったのですが」

「いいよ。 私知らない所に行くの大好きだし」

「ははは、そうですか」

手紙を受け取ると、空間に裂け目が出来て、橙がそれに消える。紫の力、空間操作。通称「スキマ」である。

目を細めて手を振って去る橙を見送ると。

射命丸は、早速手紙を開いた。

内容は、至極シンプルなものだった。

「新聞造りの再開を許す、と。 ふふ」

謹慎期間解除という訳か。

まあずっと謹慎させておくのも問題だろうと思ったのだろう。ただ、恐らく意図は別の所にあると見た。

余計な事をするようなら、今度こそ殺す。そういう意味もあると判断して良いだろう。

別にかまわない。

射命丸はスリルが大好きだ。

そうでなければ、このくせ者だらけの幻想郷でトリックスターなんてやっていられないからである。

くつくつと笑うと、早速幾つかある情報の中から、良さそうなものを見繕うとする。

今、天狗の新聞造りについては再建途中。勝手な記事を作る事は許されていない。これから風穴に出向いて、記事について確認してくる必要があるだろう。

さて、楽しむとするか。

そう射命丸は、内心で思っていた。

 

1、可能な限り隙を突く

 

射命丸文は、元々鴉だった。だから妖怪としての分類は「妖獣」に相当する。妖獣とは獣が妖怪に転じたもので、この幻想郷にはそこそこの数が存在している。

妖獣は基本的な特徴として、身体能力が高い代わりに頭があまり良くない。妖怪の弱点である精神攻撃に強い反面、術に対して造詣は高くない。

また妖獣に成り立ての獣は気が大きくなっている事が多く。

人間を襲って喰らう事故を起こす妖怪は、殆どが現象としての自我を持たない妖怪か。もしくは気が大きくなっている成り立ての妖獣である。

少なくとも今の時代はそう。

昔は比較的軽率に人を妖怪が殺し、威に変えている時代もあったのだが。

今では人を基本的に妖怪は殺さない方針に変えている。

そんな中で、妖獣は比較的肩身が狭い立場なのだが。

射命丸は色々と例外的要素が強い。

そもそも射命丸は頭の回転の速さを売りにしている。

精神攻撃にも決して弱くない。

つまり、精神生命体としての妖怪と。妖獣としての強さと。両方を強みに変えている希有な例外と言う事だ。

勿論妖獣が、どいつもこいつも頭が弱いという事は無いし。

立場が悪いと言う事も無い。

だが射命丸の場合はそれにしてもちょっとばかり例外が過ぎるのだ。だから、天狗の組織の中でさえ浮いている。

千年前と言えば、人間の命が極めて安かった時代だ。

射命丸も鴉の頃に、行き倒れた人間の死骸をついばんだ事もある。

天狗になってからは、山の妖怪として恥ずかしくない行為をと諭され。表向きは大人しくはしていたが。

それでも昔から、最大級の問題児であった事は間違いない。

射命丸は他数名の古参の妖怪とともに、新聞を作りに情報を得に出向く。

とはいっても、今回は情報そのものは既に手に入れている。

それに対しての裏を取り。

そして記事を書くための取材だ。

取材のやり方については、がみがみ色々と賢者に言われているので、それに沿ってやらなければならない。

他の天狗達も青ざめているが。

まあそれは仕方が無いとも言えるだろう。

ペナルティがきついのである。

天狗の組織は、硬直化し、腐敗している。

そんな組織に所属している以上、娯楽は少ない。

娯楽を奪われる事は死活問題なのである。

そもそも情報を扱うことを娯楽としていたことが、此処まで賢者の逆鱗に触れていたことに気付けていなかった鈍い天狗もいるが。

射命丸は、むしろそのギリギリの駆け引きを楽しんでいた側だ。

だからこそ、今回のような取材はむしろ楽しい。

出向いた先は迷いの竹林。

今日は、取材対象が此処にいるという話だったので、来たのだが。

相手は射命丸を嫌っていることが確定である。

さて、上手く行かないだろうな。

だがそれでも別にかまわないが。

竹林に降り立つ。周囲には妖怪の気配もあるが、少なくともすぐに襲いかかってくるような奴はいない。

最近は成り立ての妖獣については監視がつくようになってきているし。

妖怪も、人間を脅して威を示すときは、ちゃんと殺さないように手加減するべく気を遣っている。

ましてや今降り立ったのは、弱っているとは言え天狗である。

いきなり喧嘩をふっかけてくる事はまずない。

「さて、射命丸どの。 どういたそうか」

「何、此処にいるだけで相手から来ますよ」

「……?」

「それは私の事か」

不意に現れる気配。

予想通りである。

姿を見せたのは、藤原妹紅。モンペを履いている女だ。銀の髪は長く、足下まで届くほどである。美人ではあるが、目つきが鋭すぎて愛嬌がない。

此奴がとんでもない妖力と戦闘経験値を持ち、彼方此方にある妖怪の組織の長とまともにやり合えるほどの使い手であることを射命丸は知っている。射命丸とやりあったら、多分妹紅が勝つだろう。

此奴より強いと断言できる人間は、現時点で幻想郷には博麗の巫女しかいない。

しかも此奴は、肉体が破損しただけでは死なない妖怪の殺し方を知っている。その上未確認情報だが不老不死だという話もある。

いずれにしても射命丸より更に長生きらしいと言うのは確実なようなので、尋常な人間ではあるまい。

「やあや妹紅さん。 お久しぶりです」

「ああ。 出来れば此方は会いたくなかったがな」

「仕事帰りですか」

「その通りだ」

妹紅は最近人里で自警団をやっている。

やる気が薄い博麗の巫女と違って真面目な上、だらけきっていた人里の自警団を鍛え直した立役者として。現在では人里で顔役としての地位を確保しているようだ。

本人は面倒くさそうだが。

自警団はそれなりの長時間働き、しかも夜間も仕事をすると聞いている。その帰りとなれば、機嫌が悪いのも当然だろう。

だが、それでもあえて射命丸はギリギリを攻める。

「実は面白い話を聞いていましてね」

「ほう……」

「何、ゴシップではありませんよ。 賢者からの取材依頼です」

それを聞いて、妹紅が目を細める。

何を目論んでいる、という顔だ。

ただ此奴の場合、分かっていて表情を此方に向けている。

天狗五体。射命丸込み。

それでも勝てる自信があるから、と言う事だろう。事実、射命丸以外の天狗達は、完全に尻込みしている。

最悪の場合、一瞬で焼き鳥にされる事を知っているからだろう。

妹紅の戦闘力は、情報を集めることが好きな天狗の間では噂になっている。

事実百年ほど前に、たかが人間が偉そうにと突っかかった鴉天狗が、まとめて薙ぎ払われた事件が起きており。

あいつには手を出さないようにしようという暗黙の了解が、天狗の中で作られたほどである。

「人里の自警団についてのインタビューなのですが」

「まだ鍛えている途中でな。 お前達とやり合えるような奴はいない」

「いえいえ。 何でも妖怪を講師として招いているとか?」

「ああ、だが人の姿をしてもらっているし、人を食うのを許したりはしていない」

イライラし始める妹紅。

だが此奴も賢者との関係性の重要さは理解しているのだろう。

射命丸が、意図的にイライラするように話しているのを察した上で。手を出しては来ない。

昔はもっと此奴はぎらついていた。

妖怪と見れば即殺しに来る程だった。

だが、今は落ち着いている。

理解者である存在。人間の里に定着した妖怪、獣人である上白沢慧音が出来たからだろうか。

それとも復讐対象として追っていた月の姫君と実際に散々殺し合って、何か今までため込んでいた黒いもやを吐き出しきったからだろうか。

見た感じ妹紅は、女ではあっても男がほしそうな雰囲気には見えない。

男が出来てデレデレになる若い女はいるが。此奴はもうそんな精神じゃあないだろう。

だからこそに。

射命丸は、更にギリギリを攻めていく。

「妖怪との戦闘のために、妖術を教えるというのは……どういう気持ちですか?」

「なんだお前、どういう意味だ」

「ふふ。 貴方の妖術、凄まじい殺気を感じるんですよね。 習得手段も、恐らく何処かで師匠についたのでは無く我流でしょう。 或いは無理矢理やり方を妖怪の体から聞きだしたとか」

「……」

空気が変わる。

生唾を飲み込む鴉天狗達。

これから人里に出向いて、その訓練の様子を取材したいというだけの事を聞くはずだったのに。

射命丸がガンガン妹紅を挑発しているのを見て、青ざめている。

こんなだから若手に離脱されるんだが。

まあそれはいい。

面白いので続けていく。

「貴方と同じような覚え方はさせたくない、違いますか?」

「そうだな。 お前の言う通りだ」

「ふふ、辛かったですか?」

「お前に話す事じゃない」

相当に苛ついているな。

これが賢者の指示でやっている取材でなかったら、とっくに殴りかかってきただろう。射命丸の後ろにいる四体の鴉天狗達は即座に消し炭。

射命丸自身も、撃墜されるまでそう時間は掛かるまい。

だが、それを確認したかったのだ。

妹紅の反応からよく分かった。

妹紅は、賢者の指示で自警団に具体的に組織的訓練をしている。恐らくは、腑抜けきっていた自警団をしっかり鍛え直すために。

幻想郷の妖怪達も、緊張感を保たせるために。

人を脅かしたら相応のリスクがあるならば。

更に工夫をしなければならない。

襲った場合の仕置きが手厳しくなるならば。それだって、相応に工夫しなければならなくなってくる。

里の自警団が相応の戦闘力を持つ集団に仕上がれば。

妖怪も人間も緊張感を持ち。

結果として鍛え上げられるのだ。

射命丸は知っている。

幻想郷の外には、訳が分からない程強い神々が山ほどいる。昔は兎も角、今では人間だって恐ろしい兵器をたくさん持っている。

河童が凄い兵器を作ったと一時期は色々自慢していたが。

そんなものは外の世界の兵器に比べればゴミも同然。

話によると、その気になれば幻想郷を一発で消滅させるくらいの兵器は人間も持っているらしい。

流石に神々や月の連中には及ばないだろうが。

人間は今や其処まで強くなっている、と言う事だ。

妹紅に手段を選ばず自警団を鍛えさせているのはそれが故。

幻想郷に秩序を作ろうと賢者が骨を折っているのは知っている。

だが同時に、幻想郷に住まう人妖も強く鍛えようとしている。

それらは全て。

何かがあった時。

博麗の巫女が、即応出来ないかも知れないから。

博麗の巫女は切り札として、どうでもいい問題なら他の奴でも対応出来る体制を整える必要があるから。

そんなところだろう。

見透かすことが出来た。それでいい。

一方妹紅はしらけた目で此方を見ている。射命丸がしてきた挑発の目的を察したのかも知れない。

ただ、別に察せられても困る事はないと判断しているのだろう。

反応はごく静かだ。

「具体的な訓練の内容を……」

「眠いんだがな」

「何、お時間は取りませんよ」

「……見せろ」

射命丸の手帳が取りあげられる。

一瞬の早業だった。

余裕が消し飛ぶ。

射命丸も、油断すると足下が留守になる自分の弱点は知っていたつもりではあるのだが。此処まで露骨にやられると流石に頭に来る。

だがお互い様ではあるのか。

妹紅はふっと鼻で笑った。

「何だお前、結構可愛い字を書くな。 性格は最悪のくせに」

「返して貰えますか?」

「他の天狗共、今から質問内容に答えてやる」

あわあわしている他の天狗達。

形勢逆転した妹紅は、順番に質問に答えていく。射命丸は笑顔を保つので精一杯。正直キレそうだった。

天狗達は必死にメモを取る。

自警団の機密までは教えてくれないが、今どんな妖怪が稽古をつけに来てくれているかとか。どんな妖術を身につけたとか。

差し障りがない範囲で妹紅は答えてくれる。

メモを取りようが無い射命丸を嘲笑うかのように。

やがて質問内容全てによどみなく答えると、ぽいとメモを射命丸に放って寄越す。それだけじゃない。それを取った瞬間、今度は射命丸のカメラを取られた。首に紐で掛けていたのに。どうやった。引っ張られた感触はなかった。

「外の世界の技術を使ったカメラか。 時間をおいて撮れる奴だな」

「……」

「どうした? やりたいなら受けて立ってやるが? 私もお前には相当頭に来ていたからな」

妹紅は余裕だが、全身から吹き上がる殺気と妖気はホンモノだ。

そしてこの妖気だけで分かる。

射命丸では勝てない。

不意を突いても此奴は不老不死。恐らくカウンターに仕掛けられた自爆技か何かで木っ端みじんにされるだけ。

ぐっと必死に怒りを堪える。

此奴、相当の海千山千だ。想像を上回っていた。

「おい、其所の天狗」

「へ、は、はい」

「お前がこのカメラで私を撮れ。 良いのが撮れたら、それを使う事を許可してやる」

「……っ、はい」

絶句する鴉天狗。

それはそうだろう。射命丸が完全にキレる寸前なのは此奴程度でも理解出来るだろうし。妹紅はそれを煽っている。此処にいる五人の鴉天狗をまとめて秒で畳める自信があるからである。

そしてその自信は実力に裏打ちされている。

以前仕入れた情報だが。吸血鬼の館紅魔館を実質上仕切っているメイド長が、妹紅の実力を極めて高く評価していた。それも、うちのお嬢様以上だと言っていたとか。

本人に直接聞いてはいないが。

あいつは確か、吸血鬼のお嬢さんを相当高く評価していたはず。

それが其処まで言う程だ。

目の前で空気が揺らめくほど放たれている高密度の殺気と妖気から考えても、此奴の実力はその発言に違わない。

射命丸のようなタイプでは。

どうにもならない相手である。

写真が撮られる。

腕組みして、竹の一本に背中を預けた妹紅を何カ所から撮る鴉天狗。

写真を実際に見て、その中の一つを妹紅が指定。

更に言われる。

「出来上がった記事は見せに来い。 もしも勝手に新聞にしたら、正式に賢者に抗議させて貰う」

「ひっ!」

「……分かっていますよ」

カメラを震えながら渡してくる鴉天狗から、射命丸が受け取る。

正直キレそうだが。

考えてみれば、妹紅にも似たような事をしていたと言う事だ。そして妹紅は射命丸が嫌いだ。

やり返されることは最初から想定するべきだった。

ただ此処まで今でも好戦的だとは思っていなかった。その油断は確かにあったが。

一礼すると、その場を後にする。

明日以降は、取材第二段として、人里で実際に訓練している様子を取材する。賢者主導の取材だから、余計な事は出来ない。

面子は今回と別だが。苦労は大して変わらないだろう。

妹紅は露骨過ぎるほどの嫌がらせをして来た。

例えば今の、カメラを他の鴉天狗に撮らせる奴。カメラが好きな者の怒るツボを的確に知っている。

射命丸とさっきカメラを触った鴉天狗の間を裂きに来ている。

とはいっても、絆なんて元々無い相手ではあるが。

天狗の縄張りに戻る途中、謝罪される。

「射命丸どの、先は済まなかった。 ああしないと、恐らくは……」

「分かっていますよ。 それにしても首紐で掛けていたカメラをどうやって私から奪ったのか……」

「それですが、恐らく透過の妖術でしょうな」

「詳しく」

聞いた事がない妖術だ。

それによると、ものを世界から「浮き上がらせ」て。何もかもからすり抜けるようにする妖術があると言う。

つまり妹紅が使ったのはそれだろう。

極めて鮮やかな手管だった。

あいつが人里に常駐したら、生半可な妖怪なんかでは手も足も出まい。最強の妖怪である鬼も、支配者階級である四天王クラスが出ないと勝負にならないだろう。それでも勝てるかは微妙かも知れない。

日本の鬼は、例えばインドの鬼神である羅刹や夜叉などと比べるとかなり弱い。彼方には三界を征服する、つまり神々を組み伏せるようなのがいるが。こっちの鬼は人間の豪傑に敗れる程度の存在だ。

紫は。幻想郷の賢者は何を考えている。

あいつが人里にいるだけで、妖怪に対しては相当な威圧になる筈だ。

今回の取材も、意味があるとは思えない。

似たような取材は、前にもやった事がある。

今回もやっていると言うことは、進捗について詳しく知らせることで。妖怪達を引き締める意図があるのか。

色々考えているうちに、妖怪の山に到着。

即座にスクランブルを掛けて来た守矢の巫女含む山の妖怪に囲まれる。

人員の確認をされ。

書類にサインをした後。護衛という名目つきで縄張りまで周りを囲まれ、送り届けられる。

振り切るのは多分無理。守矢の巫女はもう射命丸より強い。

ともかく、非常に窮屈な中、天狗の縄張りまで戻る。ずっと射命丸に対して、守矢の巫女は冷たい目をしていた。

昔アホ面下げて幻想郷ライフを楽しんでいた小娘の面影はもう無く。

既に殺し合いを経験し。顔役として成長している「神」の姿が其所にあった。

やりづらい話である。

縄張りに戻ると、取材のまとめは他の天狗に任せ。射命丸自身は、大天狗に状況を報告に出向く。

相変わらずの監査作業の厳しさよと大天狗は嘆いたが。

射命丸は、此処であえてくさびを入れて行く。

「賢者は秩序を作るための布石を着実に打っているという事でしょう」

「幻想郷の秩序なら、充分にあっただろう」

「果たしてそうでしょうか。 少なくとも、弱い妖怪は虐げられたり死んだりして当然というものは、秩序としては脆弱かと思いますが」

「……そうか」

射命丸はちなみに意見が違う。

これだけの組織があるのだ。好き勝手に相食ませれば良い。

放っておけばどうせ守矢が制圧するこの幻想郷だ。

それを防ぐためなら、守矢の二柱を賢者に迎えるとか色々な手がある。

それをせずに幻想郷の現状を守ろうとしている八雲紫には、恐らくだが何か論理性以上の私情がある。

探り当てられれば。

射命丸にとっては、大変楽しい話になりそうだ。

勿論新聞になどするつもりはない。

ギリギリを兎に角徹底的に攻めていく事になるが。それでも、この幻想郷に今何が起きているかを知りたい。

その欲求は強い。

あれ。

ちょっとまて。自分にも、また変な欲求が生まれているような気がする。これは、もしかして。

ほくそ笑む。

もしそれが真実であるのなら、それはそれで面白い話である。

集会所に出向くと、鴉天狗達が記事をまとめていた。元々賢者がするように指定していた質問に対する回答。

それらを箇条書きでまとめ。

その後、出来るだけ客観的な記事にする。

出来上がる新聞はクッソつまらないが。嘘が書いてあったり情報を誘導しようとしていたりで有害なものよりはなんぼかマシだ。

周囲の天狗達のつまらなそうな顔。

射命丸だってつまらない。

だが、今は別の楽しみが出来はじめている気がする。

腕組みした後、新聞を見て、それぞれで校正を掛ける。勿論すぐに真っ赤っかになるので、それを刷りだして、また校正。

一人でやっている時はそこまではやらなかったのだが。

今は複数人で新聞を作るのが当たり前になっており。

必然として文章は練られるようになり。

誤字も減った。客観性も担保されるようになった。

客観性は兎も角、誤字の減少。これだけは有り難い話である。誤字は射命丸くらい頭が回っても、一人ではどうにもならないのだから。

「とりあえず今日の分はこれでいいでしょう」

「いやはや、本当に大変ですなこれは……」

「射命丸どの、我等はいつまでこんな新聞を作らなければならないのでしょうな」

「そんなもの、決まっているでしょう。 最後までですよ」

青ざめる天狗共。

鼻で笑いたくなるが、まあ仕方が無い。

これでは賢者が博麗の巫女と一緒に激怒するのも道理である。射命丸自身も、あまり擁護できない。

まだこんな甘い考えでいるのか此奴らは、とは思う。

とはいっても、この新聞がつまらないと感じるのは射命丸も同じではあるが。

昔書いていた、天狗のための新聞ではないのだ。

つまらないのも道理であるが。

別にそれ自体はどうでもいい。

どうでも良くなった。もっと楽しそうなものが見つかったのだから。

さて、次の取材だ。

人里に、人間に変装して取材しに行くのは、実は久しぶりである。博麗神社などや命蓮寺などには行った事があるのだが、それも賢者の監視がバリバリについている中であった。

もしも射命丸が暴れれば、賢者が動く前に百人は軽く殺せる。人里の中心部を、文字通り灰燼と帰す事も可能だ。

だがそもそも人里にいる人間の「恐れ」が妖怪にとっての生命線になっている。

それがなくなってしまえば、幻想郷のか弱い妖怪など存在できなくなる。人を見境無く殺すというのはそういう事だ。

多産だった昔だったらともかく。

どういうわけか人間の数が安定している今は、絶対に許されない行為である。

くつくつと笑う。

勿論そんな事をするつもりはない。

だが賢者は、動きが読めない射命丸に対して、最大限の警戒をするはずだ。其所でこそ、何か尻尾を出すかも知れない。

それが、射命丸には面白かった。

 

2、光があるとすれば

 

そも新聞という媒体が、天狗達の間でどうして流行りだしたのか。

それは人間の作ったものが幻想郷に流れ着き。

それを見て面白そうだと言うことで始めたのである。

結局の所、幻想郷でも上の方にいる妖怪である天狗も、人間の影響をとても強く受けているのだ。

それもここ最近の、である。

今日は、この間藤原妹紅を取材したときとは別のメンバーと一緒に、射命丸が人里に出向く。

どうもリーダー格がいた方が取材がやりやすくなると判断したらしく。

紫の指示で、こういうチームで動くようになりはじめていた。

それだけ天狗がポンコツだと思われていると言う事も意味するが。実際組織としては最底辺なので、苦笑しか出来ない。

ただ射命丸の謀反心を悟っていたのは立派だ。

それに関してだけは褒めてやってもいいと思う。

他の天狗なんか束になっても勝てない実力を持っているからこそ、射命丸は驕る。言動に余裕も出る。

ただし妹紅のような格上におちょくられると、流石に苛つきもする。

頭が半端に回るものだから、勝てない相手とは戦わない。

スペルカードルールでの戦いなら兎も角。

本当に格が違いすぎる場合は、スペルカードルールでの戦いでさえ命がけになってくる。

幻想郷に伝わる、誰でも出来る死なない決闘方、スペルカードルール。

それも、決して万能では無いのだ。

出立前に、手を叩いて皆を集める。

天狗の組織を離脱することを危惧されている若い天狗ばかりである。最近はベテランまで天狗の組織に見切りをつけて守矢に降るケースが出て来ている。

大天狗は胃を痛めているし。

天魔は臥せっている。

いい気味だが、それについては顔に出さない。

「やあやみなさん。 それでは、今日も取材には細心の注意を払いましょう。 まず人に化ける事からですね」

「それは出来ますが……」

「やってみなさい」

射命丸の言葉に、困惑しながら人間に変装する若い鴉天狗達。

いずれもが、まあまあ。

無難という所である。

頷くと、射命丸はそのまま次の注意喚起に入る。

「人里で今自警団の訓練を付けている藤原妹紅さんは、とても強い人間です。 ……正直本当に人間かはかなり怪しいのですが、立場的には人間です。 そして彼女はとても気が短い……。 人里で問題を起こした場合、賢者は黙っていないでしょう。 私も含め、皆首をこうされる事を覚悟してください」

首を折る動作をしてみせると。

他の鴉天狗達はすくみ上がった。

妹紅自身は、射命丸を超える反応速度で動くことすら出来る。

もしも下手をしたら、その場で気がつかないうちに殺されるだろう。

「悪意ある妖怪が入り込んでいたから退治した」と妹紅が言えば、誰もが納得するのは確実。

今では置物になっている里の長老よりも、更に里の人間に信頼されているようなのだから。

「それでは行きましょう。 格好はしっかり。 変装するといっても、それぞれ仕事の際に身支度を整えるのは重要ですよ」

「分かりました」

少し時間をやるので。

身支度をさせる。何人かに細かく指摘をして、化粧が乱れていたり、服装が乱れていたりする点を指摘し。なおさせる。

本来は必要ないことではあるのだが。

こういう場合は、最初から身支度をしっかりさせておき。

射命丸の足を引っ張らないようにさせる。

どうせ妹紅は射命丸を今回も散々挑発してくるはず。

その場合、馬鹿どもがドジを踏んだ場合、噴火するかも知れない。

そうなったら後は相手に口実を与えるだけだ。

賢者の本音からすれば。

射命丸は殺してしまいたい所なのかも知れないのだから。

いや、その可能性が極めて高いと言えるだろう。

準備が終わった所で、天狗の縄張りを出る。即座に来た守矢のスクランブルに対して、領空通過の書類を書き。護衛と称した見張りを受けながら里に出る。

ちなみにスクランブルを掛けて来たのは今回は諏訪子である。

守矢の二柱の片方。

いにしえの諏訪の主神であり。

最悪の祟り神であるミジャグジさまの総元締めだ。

健康的な田舎の女児にしか見えないが、その実力は圧倒的で、単独で今の弱体化しきった天狗なんか余裕で滅ぼすだろうし。

今の姿はあくまで仮のもの。

実体は巨大な蛇の神である可能性が高い。

カエルをイメージした姿をしているのは、諏訪を巡る古代の争いで、守矢のもう一柱である神奈子に敗北したから。

諏訪子は舌なめずりしながら、此方を護送しつつ背中を見ている。

美味そうな鴉だ。

そんな風に見ているのかも知れない。

鴉を食べる風習はいにしえにはあった。

鴉天狗なんて、此奴に比べたら下も下。

それは、食物にしか見えなくてもおかしくない。

射命丸自身は最悪逃げ切る自信があるが、他の鴉天狗は即座に全滅だろう。領空を抜けるまでに誰かが喰われなければ良いのだけれども。

くつくつと内心で笑いながら、射命丸は行く。

そして、領空を抜けると。

護衛と称した監視は、戻っていった。諏訪子は、中空でじっと此方を、非常に冷たい目で見下していたが。

顎をしゃくって、完全に萎縮している鴉天狗達に行くよう促す。

さて、今日は重要な日だ。

賢者側も緊張している筈だ。

何か、動きがあるかも知れない。

その動きがあったのなら。

確実に掴みたい。

 

人里。

幻想郷にある、人間の集落である。

基本的に外壁で囲まれ、門によって閉じられているが。その外には田畑が拡がっているし。

何より此処はあくまで中心集落であって、所々に孤立した小規模集落が存在している。勿論それらも人里なので、妖怪が出向く際には注意が必要になる。人間を取って食うとか言語道断である。

今回出向いたのは、中心集落の一角。

妹紅が、腕組みして様子を見守っている中。

背丈も筋骨も様々な退治屋達が、丁度訓練をしている所だった。

そもそも幻想郷にいる人間達は、五百年前に声を掛けられて集まって来た妖怪退治屋達の子孫である。

五百年前、幻想郷が出来る頃には。既に本職の妖怪退治屋がヒマを持て余し始めるほど、妖怪は弱体化が進んでおり。

この申し出を受けた退治屋は少なくなかった。

それ以前は、それこそ鬼の不意打ちを刀一閃で返り討ちにするような豪傑がいたり。

人間を遙かに超える実力を持った妖僧を弟子たちごと打ち破ったりする強力な退治屋がいたりと。

人間は妖怪に対して無力ではなく。

むしろ妖怪を押しているほどだった。

だから、今の弱体化した里の様子を見ると、射命丸は苦笑が漏れる。

射命丸も、幻想郷に移る前は、何度も危ない目にあった事があるのだから。

今丁度やっているのは、人里の隅にある空き地での組み手だった。少し背が高い男と、背は低いが筋肉質の男が組み手をしている。

体に割れやすい的をつけて、それを割ったら勝ちという奴だ。

取材内容は決まっているので、余計な質問は出来ないが。

その取材内容の範囲内で、余計な質問を可能な限りして行きたい。

射命丸が舌なめずりしているのと裏腹に。

鴉天狗達はひそひそ話していた。

「随分あいつら強くなっていないか?」

「ああ、前は妖獣とかが人を食っても、退治には随分手間取っていたんだが……」

「動きも統率が取れてる」

「何だかやりづらくなりそうだな」

まあその通りなんだが。

少しは考えて喋ってほしい。

射命丸が咳払いすると、全員背を伸ばす。

此処での会話は、賢者に筒抜けだと思え。

そう、山で周知したはずなのに。

愚かしい奴らだ。

小さい方が勝った。互いに礼をすると、並んでいる列に戻る。

妹紅が名前を呼ぶと、また二人出て来て、組み手を始めた。

どうやら一戦ずつでアドバイスをする訳ではないらしい。

内容は全て覚えていると言う事か。

まあそれは良いとして、妹紅はこっちに気付いている筈だが。どうして何もアクションを起こさない。

他に何かあるのか。

ぞわりと、背筋に寒気が走った。

振り返ると、冷たい目をした博麗の巫女だった。

大きな赤いリボンをつけた、幻想郷最強を謳われる人間。人間側の、幻想郷の管理者。

博麗大結界の守護者にて、歴代の博麗の巫女最強の存在でもある。

いつの間に此奴、後ろに。

もう射命丸よりだいぶ強い事は知っていたが。

少し前から、それを飛び越して、一皮も二皮も剥けた印象だ。

戦士として一回り明らかに強くなっている。

理由はよく分からない。

組み手が終わる。

妹紅が咳払いした。

「よし、此処まで。 博麗の巫女、論評を頼む」

「……」

博麗の巫女が、射命丸を無視して前に出る。一瞬だけ視線を送ってきたが、余計な事をしたら殺すという意味が視線にこもっていた。

おおこわ。

とはいっても、昔はともかく今の博麗の巫女の場合、冷や汗が射命丸でも流れるほど恐ろしい。

それだけ強くなっていると言う事だ。

並んでいる退治屋達の前に立つと、博麗の巫女は順番に説明していく。

「あんたはちょっと力が足りない。 もう少しこう……」

説明は思った以上に的確だ。

その後、妹紅と対戦を再現してみせる。

体術の方が得意だという話は聞いていたが、ゆっくり動いて分かりやすく組み手を再現してみせる辺り、それは事実なのだろう。

妹紅自身も凄まじい体術の使い手だからそれにあわせられる。

そういう事だ。

「此処で、この突きは余計だった。 これが敗因。 こう動くくらいなら、一度引いて、相手の攻撃を誘うべきだった」

「そういう事だ。 次の組み手は……」

退治屋達も表情が真剣だ。

前は妹紅に反発する奴もいると聞いていたが。

そういう連中は全員をぶちのめしたのか、それとも何かしらの方法で言う事を聞くようにして行ったのだろう。

組み手が終わった後は、それぞれの得意な妖術について。

術も、里の退治屋共は、皆強くなっている。

炎を出す奴。

水を出す奴。

雷を出す奴。

封印が得意な奴。

色々いる。

ここ百年ほどは、里の退治屋の弱体化が著しく。幻想郷の妖怪達の平和呆けにあわせて、此奴らもすっかり腑抜けていた印象なのだが。

それがすっかり解消されている。

今の此奴らは相応に強い。

今、後ろで青ざめている鴉天狗どもなら、退治できるかも知れない。

射命丸は。まあ、まだ此奴らに負けるほどひよこではない。それだけだ。

「少し鍛錬が足りないわね。 もう少しこう丹田に力を入れるようにして、力を絞り出してみなさい」

「応ッ!」

博麗の巫女が、一人ずつにアドバイスをして回っている。

昔は愚連隊同然だった退治屋共も、目つきが変わっている。それぞれが極めて真剣に取り組んでいた。

やがて、妖術の訓練が終わると。

何か運ばれてくる。

美味そうな飯だ。にぎりめしと、度数が極めて低い甘酒。修行の後のご褒美という所か。運んできたのは、付喪神の多々良小傘。いわゆる唐傘お化けだが、傘にカバーさえ掛ければ人間にしか見えない。水色の髪と、赤青のオッドアイという特徴はあるが、基本的に女の子にしか見えないので。変装は特に必要ないし。

今では退治屋達も、美味しい飯を作ってくれると言う事で。何よりも人里に強いコネを持ち、慕われている命蓮寺の食客となっている事で。昔は嫌っていただろう小傘に好意的な様子だった。

うまいうまいとにぎりめしを食べている退治屋達。

いつの間にか、妹紅が射命丸の前にいた。

「待たせたな。 それで今日の取材は?」

「此方が質問内容です」

「ほう?」

先にメモを渡す。

射命丸愛用のメモ帳をとられるのは不愉快だからだ。射命丸よりも妹紅のが明確に強い事は良く分かった。

だから、先に対策をしておく。

ペースを握られないようにしておくためだ。

「では答えてやろう。 まず第一に妖怪が指導に加わっているかと言えばイエスだ」

「恐らく紅魔館の門番でしょう」

「ノーコメント」

「ははは。 次をお願いします」

退治屋達の動き。

和の拳法よりも、中華拳法がどうにも似ているような気がした。

そして技を伝承する相手がいないと、紅魔館の門番。中華拳法使いの妖怪、紅美鈴は嘆いていた。

美鈴は元々人間に友好的な妖怪で、人里でもそれほど忌避されていない。

拳法の腕前を見せつけて、それを恐れに変える。

そういうギブアンドテイクもあるから、退治屋達に対する修行をつける事を買って出たのだろう。

紅魔館も、人間に威を示そうと色々苦労している。

美鈴を貸し出すのも、その一環というわけだ。

「第二の質問だが、現時点で成果が上がっているかと言えばノーだ。 妖怪が大人しいのが理由だな」

「暴れる妖怪が出たり、人が食われたときに、博麗の巫女と対立する可能性はあると思いますか?」

「人里の守りは退治屋の仕事だってか?」

「そういう事です」

血の巡りが早すぎるのも考え物だな。

そう思いつつ、射命丸はメモを取る。

妹紅がスペシャリストを集めて鍛えれば、それは当然退治屋共も自信をつける。そうすれば、何でもかんでも博麗の巫女だよりな状況に不満を覚える可能性が高い。

だが、今博麗の巫女が来ていた。

そしてその実力を、妹紅と一緒に退治屋達に見せていた。

それに博麗の巫女は妖怪に対してはスペシャリストだ。

努力嫌いのくせに、妖怪の弱点や退治方法については貪欲に勉強して学ぶ癖があると聞いている。

戦いに負けたくないからだろう。

負けたら死ぬ、というのもある。

人間は簡単に死ぬのだ。

だから、負けないためにも。勝つための最大努力を欠かさないようにする。そういう事なのだろう。

「お前に答える必要があるかは疑問だが、今の段階ではお前が危惧しているような事は起きる可能性は低い」

「ほう」

妹紅が名前を呼ぶと、年配の退治屋が出てくる。

此奴はそろそろ引退の年だが、それでも妹紅より遙かに年下である。妹紅が幻想郷に現れたのは三百年ほど前。

つまりそういう事だ。

「人を襲った妖怪が出たときの対処法を答えてくれるか」

「ああ。 まずは若いのが抑えに掛かる。 同時に飛ぶ能力を持った退治屋が四人一組で博麗の巫女を呼びに行く。 もう四人は命蓮寺に出向く」

「よし。 訓練通りに出来るか」

「勿論」

自信ありげである。

目配せすると、さっと退治屋達が別れる。

いざという時の配置についても、すぐにそれぞれが認知し行動できると言う事だ。

なるほど、かなり鍛えられているな。

頷くと、次の質問に移る。

「次の質問に答えていただきますか」

「人里内での監視については、幾つか強力な結界を張っている。 妖怪が人間に変装して人里に入る事は既に誰もが知っていることだから別に咎める事はない。 だが人間に対する殺意や殺気を放った場合は……」

「即座に里の自警団に知らされると」

「そういう事になる」

その場合、人間の方が厄介そうなのだが。

妹紅は、それも見越したように言う。

「人間から人間に対する殺意でも当然仕組みは発動する。 ちなみにこの一角に関しては、常に結界が反応しっぱなしだから、ずっと賢者の式がモニターで監視中だ」

「ハ。 それは大変な事で」

「……」

妹紅がうっすら笑う。

それで何となく分かる。

お前達が、笑ってられる立場か、というのだろう。

それは分かる。

事実天狗の縄張りも、ほぼ全域に同じ仕掛けが施されているのだろうから。

「次の質問です。 人里の外での事故についてはどう対策を?」

「妖怪の山などに所用ではいる人間がいるのは事実だ。 現時点では人員が足りないから全員には対処できない。 だが、今後は退治屋が護衛に当たるか、緊急時の連絡装置を持たせる予定だ」

「そんなものが通じないほどの不意打ちを受けた場合は」

「ほう。 つまりお前のような速さで殺された場合と言う事か」

妹紅の挑発には乗らない。

あくまで薄笑いを浮かべたまま、対応を続ける。

今日は私物を取られていない。

だから、余裕もある。

「あくまでたとえですよ。 そもそも守矢直通のロープウェーのおかげで、我々に対する威は充分にたまっていますので、わざわざ人を襲う理由もありませんからね」

「ハ。 まあお前の口からは、「最近」人を食った臭いはしない。 手からは、人を殺した臭いもしない。 だからそれについては信用しても良い」

「それは光栄です」

「幾つかそういうときのための対策は既に練ってある、とだけいっておく」

流された。

そして妹紅は口をつぐむ。

これ以上、この件については答えないと言う事か。

射命丸は知っている。

賢者は。最高位妖怪である八雲紫は、幻想郷のために身を粉にして働いている。文字通り、である。

外の世界の強力な神々と折衝し、この小さな楽園を維持するために四苦八苦を続けているし。

内部の人妖に対しても、手をさしのべている。

そもそも命蓮寺の。人妖を平等に扱い、弱者の保護を掲げる組織の存在にけちをつけていない時点で、奴の考え方が分かるし。

人里ではぐれ者になった存在に対して、一定の落としどころがあるように、導いている事も知っている。

例えば貸本屋をやっている本居小鈴という小娘がいるが。

此奴はある理由から、人間をあやうくやめかけた事がある。それどころか、その時に人間を殺しかけた。

本来なら博麗の巫女に頭をかち割られる案件だが。

小鈴を救ったのはその場を直接見たわけでは無いが。状況証拠からして紫だ。

また、幻想郷の人間側の戦力として、有力な一人。

魔女の霧雨魔理沙だが。

此奴も幼い頃に人里を飛び出し、幻想郷の妖怪達でさえあまり近寄りたがらない危険地帯、魔法の森で一人暮らしをしている。

これについても本来だったら出来る筈が無い。

手引きをしたのは紫では無いかと射命丸は疑っている。

要するに、命蓮寺とは違うアプローチで、紫は幻想郷の弱者保護に積極的だと言う事である。

人里の自警団と、裏側から連携していてもおかしくない。

ただそれによって心労と仕事は増えるだろうが。

「それでは次の質問に答えていただきたく」

「……里の自警団については、今は私が教育をしている最中だ。 妖怪に対して無差別の敵意を向ける奴もいるし、ある程度分かっていて対応している奴もいる。 それだけを答えておく」

「あやや、良いのですかそれで」

「妖怪は人を襲い、人は妖怪を恐れ、勇気をふるって妖怪を退治するか。 そのルールに反するというのだろう?」

妹紅は余裕の様子だ。

後ろでは、小傘に退治屋の連中が礼を言っている。

おにぎりが美味い。

また腕を上げた。

甘酒も自作しているのか。だったら作り方を教えてほしいと。

そもそも小傘は子供と遊ぶのが昔から好きだった。親の見ていない所で、小傘に遊んで貰って、それが救いになった奴は随分いるらしいと聞いている。射命丸は子供が大嫌いなので理解はあまり出来ないのだが。ともかく生まれついて子供が好きなのだろう。子供を作れない付喪神という妖怪の性質なのかも知れない。

そんな小傘だから。今いい年をした大人でも、まだ内心小傘が好きな男はいる様子だ。もっとも、小傘が交際を申し込まれたり求婚されても断ったりしていることは、妖怪の間では有名な話だが。

人間に半端に近い。

それが小傘が妖怪の間で良く想われていなかった理由の一つであることを、射命丸は知っていた。人間の中でも、子供達の親の一部が嫌っていた理由でもある事も。

咳払いすると、妹紅は言う。

「そもそも相手を知らない事で産まれる恐怖と、知る事で産まれる畏れは別物だ。 あいつは戦闘に関してはどうと言うことは無いが、たたらの技術や料理、それに遊びの技術で相手を驚かせる事を知っている。 凄いと人間が思えば、それは畏れにつながる」

「ほう」

「紅魔館の門番についてもそうだ。 前は腕試しに拳法勝負を挑む人間がいるくらいだったが、今では余すこと無くその練りきったクンフーを見せる事で里の退治屋達に畏れを見せる事に成功している」

「……」

寺子屋にいる上白沢慧音にしてもそうだと妹紅は言う。

普通の人間では到達できない深い知識と識見が、人間に対する畏れを生じさせる。

勿論。人間に実像を知られず怖れられる方が良い妖怪はいる。

それについては射命丸も何人か心当たりがいる。

また、実際問題夜の闇の権化のような妖怪も、地底にいけばまだまだ幻想郷にも存在している。

これにも心当たりがある。

だが、妹紅の言う事は。

いや、まて。

そうか、そういう事だったのか。

目を細める妹紅。

射命丸は、笑顔を作ると、メモを取り終えた。

「有難うございます。 質問に答えてくれて」

「射命丸。 お前今何かに気がついたな」

「ふふ、そうかも知れませんね。 あ、そうそう。 取材を受けてくれたお礼に、私の方からも一つ貴方に言っておきます」

「言って見ろ」

頷くと、射命丸は笑顔を作ったまま。

目が笑っていない事を自覚して、答える。

「全ては掌の内ですよ。 妹紅さん、貴方が気付いていないことすらもね」

「……」

「それでは、取材ありがとうございました。 写真だけ撮ったら、今日は引き上げさせていただきます」

「勝手にするといい。 ただし写真はお前が撮れ」

そう指名されたのは、まだ若い鴉天狗である。

何で、という顔をしたが。

妹紅は笑顔のまま強烈な圧力を掛けてくるので、青ざめてちびり掛けたようだった。実力の差がわかる程度の力はあるのだ。

生唾を飲み込む鴉天狗。

更に妹紅は注文をつける。

射命丸のカメラを使え、と。

泣きそうになる鴉天狗だが、射命丸は笑顔でカメラを渡す。今は機嫌が良いから、別に怒る事はない。

というか、こんなに機嫌が良いのは久しぶりだ。

恐らくだが。

姫海棠はたてに入り込んだ概念とは別のもの。

別の、新聞記者に対する概念が。外では失われた概念が、射命丸に入り込んだのである。だからこうも気持ちが良い。

こうも気分が良い。

メシを食べ終わった後、またひと修行している自警団の様子を写真に撮る鴉天狗。その中の一枚を、妹紅が使うように指示してくる。

それについてもああだこうだは言わない。

別にピンぼけしているわけでもないし。

写真としては悪くない。

此方に対して博麗の巫女が刺し殺しそうな視線を向けてきているが、まあこれはそもそもばらまく新聞じゃない。

だから、気にする必要もあるまい。

人里を後にする。

完全に真っ青になっている鴉天狗が、おそるおそる聞いてくる。

「しゃ、射命丸どの?」

「何も問題はありませんよ。 妹紅さんがいじわるをしてくるのは想定済みでしたから、何も怒っていません。 むしろ大変でしたね」

「……は、はい」

「カメラの腕も上達しているようで何よりです。 コンテストの頃より上手くなっているんじゃないですか?」

ほっとした様子の鴉天狗。

実の所、機嫌が悪い時だったら、後で半殺しにしているのだが。

別に今は良い。

それに、幾ら強いと言っても人間の藤原妹紅に舐め腐った態度を続けて取られたのも不快きわまりないが。

今回の件があるから帳消しだ。

くつくつと笑いながら歩く。人里を充分離れた時点で変装を解除。鴉天狗の姿に戻る。

実は、この修験者の格好をした翼持つ女の子、という姿も。実際の所は偽装に過ぎない。幻想郷では女の子の姿をするのがスタンダードだからである。

鴉天狗は元々幾つもの妖怪や信仰が重なりあって作り出された妖怪だ。古くから妖怪は、人間の影響を強く受けてきた。

姿も昔と今ではかなり違う。

それについては、幻想郷の最高位賢者である紫も同じである。

「さて、帰りますよみなさん」

青ざめている鴉天狗達に声を掛ける。

それにしても情けない事よ。一つくらい質問して見せれば良かったものを。人間と違って、肉体が破損しても死なないのだ。

それくらいの心意気は見せてもらいたいものだ。

 

3、掌の上は狭く小さく

 

射命丸が新聞を刷っていると、不意に周囲が真っ暗になった。

ああ、スキマに拉致されたな。

そう判断したが。そうなると、もう逆らってもどうしようもない。

射命丸は「最速」を自称する程に身体能力には自信があるが、妖術については幻想郷のトップ勢にはとても及ばない。

もしも射命丸や他の天狗が言われる程強かったら、天狗はその性質から言っても、幻想郷を好き勝手に蹂躙していただろうし。

何よりも以前鬼に支配されていたとき。

射命丸以外の天狗が、皆頭を下げて言う事を何でも聞くしか無い、なんて状態にはならなくても済んだはずだ。

射命丸が顔を上げると。

其所には何か得体が知れない紐のようなものに腰掛けて、此方を見ている八雲紫の姿があった。

幻想郷の最高位妖怪。

紫を基調とする衣服に身を固め。手には傘。口元は扇で隠し。何もかもを胡散臭さで偽装した妖怪の中の妖怪。

最高位の妖怪ではあるが幻想郷最強というわけでもなく。

賢者の中でも実力はトップでは無いと聞いている。

そもそも幻想郷の最高権力者は、今眠っている龍神だから、紫はその手下という事になるのだが。

まあそれはいい。

「やあや。 お招きとは有り難い。 何用ですか賢者どの」

「この間の取材を見ていたけれど、何に気付いたのかしら?」

ぴんと、周囲に何かが張り巡らされた。

恐らくはよく分からないもの。多分射命丸の動きを封じるためのものだと判断していいだろう。

凄く切れ味が良い糸辺りだろうか。

射命丸にとっては天敵に等しい存在である。

風を使う術も射命丸は得意なのだが。この空間では、風なんか言う事を聞いてはくれないだろう。

「一つ取引がしたく」

「……言って見なさい」

「ふふ、そう言うと思いましたよ。 貴方は幻想郷に来た者は、基本的に知恵を持つ存在なら何でも受け入れる。 病気や特定外来生物以外はね」

「いいから続けなさい」

紫は苛立っている。

やはりこの間の人里の様子を見ていたな。

そして妹紅が気付いたように。

射命丸が何かを悟ったことに気付いたのである。

それは、一番警戒している相手が何かに気付いたなら、賢者としては動かざるを得ないだろう。

いや、この場合。

状況に応じて消すためか。

その可能性は決して低いとは言えない。

だが、別にそれでも良い。

どうせ射命丸の真実について知ったら。紫は、射命丸を殺すわけにはいかなくなるのだから。

「貴方は現在、幻想郷に秩序を作ろうとしている。 それは少し前から感じていたのですが、それが決定的だと判断したのはこの間の取材です。 人里の自警団は、明らかに妖怪と連携する動きをしていた」

「ほう……」

「そもそも人里の人間が、妖怪を良く想っていないことなど誰でも知る周知の事実ですのにね。 この間は誰もが妖怪、付喪神だと知る多々良小傘に対して、威圧する者さえいなかった。 作ってきた料理を、誰もが何も疑いなく口にしていた。 それどころか、妖怪からものを教わることに抵抗さえ覚えていなかった。 一年前の自警団だったら、こうはいかなかったでしょう」

紫は何も喋らない。

そう、肯定したのと同じだ。

「だいたい分かってきましたよ貴方の目的が。 幻想郷はカオスになりすぎた。 不良天人や、一時期暴れたあの外来人などの、幻想郷を本当に破壊しかねない不確定要素が現れたときに、対処できるかはかなりのギリギリのラインになる。 だから貴方はそのラインを上げたくなった。 そういう事でしょう」

「……続けなさい」

「博麗の巫女は確かに強い。 だけれども、今までの彼女はぐうたらでそれほど仕事に積極的でもなかったし、妖怪とみれば見境無しにしばき倒すような存在でもあった。 だがこの間見た彼女は目つきからして違っていた。 あれも貴方の差し金でしょう」

「面白い事を言うわね」

すっと、糸が近付いた気がした。

下手に動くと指どころか手足が飛ぶな。

そう射命丸は思いながらも、目を細めてみせる。

なぜなら、その行動自体が紫の真意を言い当てているのと同じだからである。

「麓に降りたうちのひな鳥。 姫海棠はたてにご執心の様子は此方でも確認していますが、あれは外からあのひな鳥に失われた概念が入り込んだからでしょう。 真実を客観的に伝える公正な記者。 つまり記者の魂という概念が」

「……」

「どうやら私にも同じ概念が入り込んだようなんですよ。 ただし私に入り込んだのは、真実をただ探求する己の欲のみで記事を書く記者。 いうならば幻想郷にはいない毒虫、蠍のような記者の魂ですが」

射命丸はこの間、外の世界の新聞を見た。

あれはもはや、操り人形が書いているタダの紙屑だ。文字列には主観的な思想が思う存分入り込んでおり。それは金によって左右もされている。

別に射命丸が頭が良いから分かるのではない。

あんなもの、読めば誰にでもそうだと分かる。

完全な客観性など確保するのは不可能だが。

それでも可能な限りは客観性をというのが外の新聞、特に「クオリティペーパー」の信念では無かったのか。

そんなものは其所には既にない。つまり、概念として失われてしまったのである。だから幻想郷に入り込んで来た。

そう、今の射命丸には。

どちらかと言えば真性の悪だが。

記者の魂が入り込んだのだ。

「どうです。 まだ私を切り刻みますか?」

「いや、やめておくわ。 ただし、一つだけ」

「何ですか?」

ずぶりと、音がした。

体中に、糸が食い込んだのだ。

切り刻むのをやめると言ったのに。

射命丸も、流石に余裕が無くなる。

元々射命丸は、ペースが崩されると脆い。更に言えば、明らかに自分より強い相手にペースを崩されると特に脆い。

冷や汗が流れる。

体中に食い込んだ糸が、激烈な痛みを伝えてくる。

下手に動けばバラバラになるし。

痛みに耐えながら、立ち尽くすしかない。

紫がその気になってもバラバラにされる。

完全にコントロール外の事態に、射命丸は脆い。それを、改めて再確認させられていた。

うめき声が漏れる。

紫は冷え切った目のまま、近付いてくる。

「私を見透かそうとするのは流石に百年早いわよたかが鴉如きが。 私がこの幻想郷に秩序を持ち込もうとしているのは、貴方のような存在には理解出来ない理由からよ。 何でも自分の理屈に落とし込むのはやめなさい。 本気で反吐が出るわ」

「……っ……!」

また糸が体に強く食い込む。

糸でさえ無いのかも知れないが。

不安定な姿勢のまま、激痛に耐え立ち尽くすのを強要されるのは、非常に射命丸でも苦しかった。

ましてや此処は紫のホームグラウンド。

更に言えば紫は、今まで五百年射命丸が見て来て初めてというレベルで激高しているのである。

紫は射命丸の性根が腐っている事を知っている。

幻想郷の住人には、良い性格をした奴が多い。

博麗の巫女でさえそうだ。

あいつもどちらかというと、特に昔は冷酷な秩序維持を黙々と行う暴力装置と自分を位置づけていた。

だが、それよりも更に。

射命丸の事を、紫は嫌っていた。

見透かされ、同列にされることを本気で怒った。

そういう事なのだろう。

「この楽園から放り出してやってもいいのだけれど、幻想郷は特定外来生物以外は受け入れる場所なの。 貴方は私を侮辱しただけだから、殺さずにはおいてあげる。 この幻想郷を壊そうとした不良天人さえ私は殺さなかった。 貴方を殺してしまっては、貴方と同じレベルになってしまうものね」

いつの間にか。

顔を掴まれ、目を覗き込まれていた。

千年の鬱屈に対して。

灼熱の怒りが、明らかにそれを凌駕していた。

紫はどちらかというと温厚な統治者だ。

だが温厚な奴ほど、怒らせれば怖い。

プライドを傷つけたのでは無い。射命丸と同レベルの思考で幻想郷の管理をしていると思われたことが、本気の怒りを呼んだのか。

冷や汗が流れる中。

乱暴に突き飛ばされる。

バラバラになるかと思ったが、糸はなくなっていた。

肉体が破損しても死なない妖怪だ。

今まで肉体が破損したことは何度もある。

だが、今回のは。

呼吸を必死に整え、立ち上がろうとするが上手く行かない。今刻まれたのは、肉体だけではなく、精神もか。

肉体の修復が上手く行かない。

あの糸。

多分妖怪の精神も、同時に傷つけるもの。多分呪いか何かを強く含んでいるものだったのだろう。

「此処で殺してしまっても良いのだけれども。 射命丸、貴方には別の仕事を与えるわ」

「選択権は……無さそうですね」

「あるわけないでしょう。 相手が本気で怒っているかどうかくらい、見て分からない程貴方は阿呆だったかしらね」

「……いいえ」

悔しいが、今の紫には逆らえない。

幻想郷最速を此処では発揮するどころでは無い。少しばかり喋りすぎたのかも知れない。本気で紫を怒らせることがどういうことを意味するか。恐らくは、不良天人でさえ。紫を本気で怒らせてはいなかった。今、射命丸は、それをやってしまったのだ。

本当の意味で、死の恐怖を感じたのはいつぶりか。

格上の鬼を怒らせたときだって、これほどの深刻な恐怖を感じることはなかった。

鬼は射命丸をぶん殴る事はあっても、それで手を打ってくれたからだ。

紫は違う。

普段怒らない奴だからこそ、本気で怒った今は、あらゆる全てを凌駕する凄まじい脅威となっている。

「まずは手にしている秘密を全て此処で吐き出しなさい。 嘘をついているかはすぐに分かるわよ」

「……それだけは、勘弁願いませんか」

「スキマで頭をこじ開けてあげましょうか」

「ああもう畜生っ!」

メッキが剥がれる。

立ち上がれもせず、紫に対して反撃どころでも無い。

そして嘘をついたら即座に殺される。

この状態では、射命丸でもお手上げだ。

一つずつ、順番に知っているスキャンダルを吐き出していく。屈辱だが、こればかりは仕方が無い。

呼吸を整え痛みに耐えながら、時には賢者に対するスキャンダルさえも必死に掴んできたのを。全てさらけ出す。

これは最大限の屈辱だが。

それでも、今射命丸は全力で眠れる象を叩き起こし、その怒りを全力で買ってしまっている事を知っていた。

射命丸にとって、命の次に大事な情報。

これらを使って、様々な事をしてきた。

取引材料にもしてきたし。

多くの組織を引っかき回してもしてきた。

場合によっては、幻想郷にとって最も重い罰を犯した妖怪を庇った事もある。庇いきれなくて最終的に其奴は封印されたが。射命丸がそれを通報していれば、被害が減ったかも知れない。

それらも全て吐き出しきると。

紫はいつの間にか、必死に起き上がろうとしている射命丸の側で、また目を覗き込んでいた。

「それでは命令よ。 これから貴方には監視付きとはいえ、また新聞を作ることを命じます。 自由に作って良いわよ」

「それは、嬉しい話ですね」

「ただし、その新聞は私だけが読みます。 天魔にはこのことは伝えておくわ。 他の妖怪の組織の長にもね」

「……っ」

つまり鴉天狗射命丸文は。

これから鳥籠に捕らわれると言う事を意味している。

鴉を鳥籠に入れるとか正気か。

おのれ。

屈辱に顔を歪ませる射命丸だが。紫の怒りはホンモノだ。今までのとは完全に違う。もしもこれから何か下手な事をしたら、瞬時にさっきの糸で精神ごとバラバラに切り刻まれるだろう。

そうなったら妖怪として本当に死ぬ事になる。

速さなんて関係無い。

多分あの糸は、スキマの応用法の一種。

紫にとっての切り札の一つなのだろう。それを出させるほど、射命丸はこの賢者を怒らせていたと言う事だ。

「真実を知りたい。 そう考える記者の魂を得たこと、理解したわよ。 ただし貴方が真実を知った場合、それを如何にして悪用するかだけを考える。 外の世界のプライドも魂も失った、ただのキーボードを叩くだけのデク人形と化した新聞記者と違ってね。 それも私は理解している。 貴方を500年も見て来たのだから」

「……」

「いきなさい。 貴方はこれから鳥籠の中よ。 常に私が貴方を見ている事を、忘れないようにね」

いつの間にか。

自室に放り出されていた。

同時に、大出血する。

全身の傷口が開いて、一気に血が噴き出したのである。

射命丸は言う間でも無く一人暮らしだ。

これくらいはペナルティと、紫は言っているのだろう。必死に血だらけになりながら、声を張り上げる。全く、体が動かない。声を出す事しか出来ない。

誰か。誰か。

情けない事だ。射命丸が、こんな風に助けを求めた事なんて、この500年一度もなかった。

やがて、答えがある。

あの忌々しい、姫海棠の小娘のものだった。

どういうことだ。あいつがどうしてここに来ている。

たまに用事があるときに戻ってくる事は知っていたが、それでもどういう偶然か。いや、此処で射命丸の悲鳴が聞こえるタイミングで、あえて紫が戻したと見て良い。あの、忌々しい賢者が。

ぎりぎりと歯がみするが、そもそも全身切り刻まれて動けない状態だ。

これ以上は、罵ることさえ出来なかった。

ドンドンと扉を叩く音。更に、蹴り開ける音。

部屋に飛び込んできた、誰かの影。

其所までで、射命丸の意識は途切れていた。よりにもよって、あいつに。徹底的に嫌い抜いていたひな鳥に。

最大限の屈辱を与えられ。

それでいながら、もはや為す術がないことが。射命丸の心を、ズタズタに傷つけていた。

 

目が覚める。

どうやら、永遠亭に運び込まれたらしい。

体はまだ良く動かない。

自分を見ていたのは、月の兎だ。制服を着て、兎耳を頭につけているような人間の女の子に見える者。鈴仙。正式名は鈴仙・優曇華院・因幡。長ったらしい名前だが、確か正式には鈴仙だけが本名だと聞いている。

元々此奴は月の住人だったのが、幻想郷に数十年前に入り込んで来た変わり種である。人間が攻めてくるという話を聞いて、前線を脱走したと聞いている。そういう情けない奴である。

月の民に戦闘訓練を受けただけあって戦闘技術は高いが、兎に角気が弱いことで知られていて。

射命丸も此奴の事は侮りきっていた。

だが、何か此奴にあったのか。

以前よりも、視線がしっかりしている。

腰が据わったというか。

少し見なかった内に、随分と雰囲気が変わっていた。

今もナースコールを冷静に押して、更に丁寧にバイタルの情報を見ていた。此奴の看病は極めて評判が悪かったのに。

「目を覚ましましたか」

「ええ、最悪の気分ですが」

「全身がズタズタにされていて、精神にも大きなダメージを受けていました。 今、お師匠様を呼んできます」

鈴仙が落ち着いた様子で病室を出て行く。

見ると、手足にギプス。体中の関節もやられているようだった。

くそ。

舌打ちが漏れる。

最後に助けに入ってきたのは間違いなくあいつだ。姫海棠の小娘。最大限の屈辱を与えるように、紫は仕組んだのだ。

お前が私を計ろうとするなど百年早い。

そう紫は言ったのである。

勿論そう口に出したわけではないが、そう言ったのと同じだ。

頭が半端に回るから、それが分かってしまう。射命丸の命の次に大事な情報も、根こそぎ奪われてしまった。

紫はあの情報を悪用しないだろう。

更に射命丸は鳥籠に捕らわれてしまった。体内に何か仕込まれていてもおかしくは無いだろう。

少しばかり、調子に乗りすぎたのだ。

今までも幻想郷のトリックスターとして、射命丸は文字通りやりたい放題の限りを尽くしてきた。

それで泣いていた弱い妖怪は数も知れない。

だから、報いを受ける時が来た。

あの抹香臭い命蓮寺の住職だったら、そんな事を言うかも知れない。

だが、だからこそ。

射命丸はあがきたいのである。

どうにもならなくなってしまった今は、舌禍を悔やむばかりだ。紫を見透かすような言動さえ慎んでいれば。

悔しくて、涙が零れてくる。

痛くて泣いた事なんて、妖怪に成り立てだった頃くらいしかない。

悔しくて泣いたのなんて、鴉天狗になって、組織の理不尽さを思い知らされた時以来だろうか。

もう何百年も前だ。

それ以降、ずっとアルカイックスマイルを作って、射命丸は己のことを隠し続けてきた。そしてトリックスターとなって、全てを掌の上で転がしてきた。

何もかも。自分を好き勝手にもてあそんで来たものへの復讐のつもりだったのかも知れない。

世界に対する復讐か。

結局上手くは行かなかった。

自嘲が零れる。

私はどうやら、此処までのようだなと。

己の首に手刀を突き刺そうかと思ったが、手がギプスだったことを思い出す。それだけじゃあない。

精神に軋みが生じる。

やはり、紫に色々仕込まれたらしい。

自殺防止もその一つなのだろう。悔しくて、どうすることも出来なかった。

いつの間にか。此処永遠亭。腐敗した月を離れた月の民が暮らす、迷いの竹林の深奥にある組織の長。

古代神話の知恵の神、八意永琳が側にいた。

医者の格好をした、長身の美しい女の姿をしている。だがその威圧感は医者のものではない。

ただでさえ強い月人だが、此奴は主である名目上の永遠亭の長である蓬莱山輝夜にあわせて力を抑えており。

本来の実力は、恐らく幻想郷でも龍神に次ぐだろう。

カルテを見ながら、八意永琳は射命丸に言う。

「獣の尾を迂闊に踏みましたね」

「……」

「貴方は頭の回転も速い。 しかし、どれだけ頭を使えると言っても、限界はあるのですよ」

「うるさい」

余計なお世話だ。

射命丸から、丁寧な言葉以外が出て来たのを見ても、永琳は怒らない。

こいつはずっと前から、射命丸の本性を見抜いていたのだろう。まあ、射命丸とは生きている年齢の桁が幾つも違うのだから当然か。

「全治まで二ヶ月というところです。 それまで大人しくしていなさい」

「貴方の月の技術で何とかならないのですか」

「なりません。 貴方の体は、それほど深々と傷つけられていました。 貴方自身も自覚しているように、精神の深奥に細工されるほどにね」

「……」

凄まじい形相を浮かべていたかも知れない。

だが、永琳は涼しい顔をしていた。

「細工された精神はどうにも出来ません。 せいぜい、貴方が本気で怒らせた相手の言う事を聞くことですね」

「……」

「鈴仙の言うことを聞いて、リハビリに励むように。 それと、嫌な顔一つせず此処に貴方を背負って来た姫海棠のお嬢さんにも礼は言うようにしなさい」

「それは仕組まれたんだ……」

つい真実を零してしまう。

だが、知っていると言われた。

見透かされている事は、これほどまでに頭に来ることなのか。射命丸は、ようやくそれを理解出来たかも知れない。

天狗は阿呆ばかりだった。

だから射命丸の真意を見透かせる奴などいなかった。

勝手に射命丸が何を考えているか決めつけて、ゲラゲラ笑っている奴は幾らでも見て来た。

力がついてきてからボコボコにして二度と偉そうな口を利けないようにしてやったが。

相手が何を考えているかなど、特殊能力でも使わなければ普通は分からない。それなのに、それを分かったつもりになっている輩はいる。

人間にも、妖怪にも。

だが、此奴や紫くらいになると、本当に分かってしまうのだろう。

口惜しい。

射命丸も、そこまで力を伸ばせれば。

だが、規格外の天才とは言え、あの博麗の巫女にさえ今の射命丸では勝てない。勝てない相手が多すぎる。

永琳がその場を外してくれる。

きっと、精神を整理する時間をくれたのだろう。

冷酷な月人だと思っていたが、慈悲の心くらいは持ち合わせているというわけだ。

涙が零れてくる。

自分への情けなさでだ。

こんな風に泣いたのはいつぶりだろう。

怒りに泣いたのは何度もあった。

だが、自分の弱さに泣いたのは、いったいいつぶりか。

大概の天狗はすぐに力を追い越すことが出来た。叩きのめして、徹底的に優位に立つことが出来た。

だから射命丸どのと周囲から呼ばれるようになった。

射命丸を怖れなかったのは、あの姫海棠の小娘と、生真面目な白狼天狗の犬走椛くらいである。

いつの間にかそれが腹立たしくてならなかったが。

それも本当は。射命丸に対して、相手を尊重しての行動だったのかも知れない。

涙が止まらない。

自業自得の末とは言え。

もう、射命丸に自由はない。

新しい概念が入り込んだ。その代償は、あまりにも大きかったのだった。

 

4、天狗は今日も空を征く

 

屈辱を必死に隠して、それでも現場に復帰する。

その前に、自分を助けた姫海棠の所にはいった。

此奴も前と違う。

背筋はすっきり伸び、視線もしっかりしていて。以前の生意気な小娘の面影はもうない。入り込んだらしい外の概念。新聞記者の魂と一緒になった此奴は、もう天狗とは言えないのかも知れない。

礼を言う。姫海棠はたては死体蹴りする事もなく。無理はしないようにしなさいよとだけ言った。

分かっている。礼を言うことが苦痛なのだ。それは、姫海棠はまだ分かっていないようだった。

自宅に戻る。ドアを蹴破ったのは犬走椛らしい。それは山に戻ったときに話を聞かされた。

そして、瀕死になっている射命丸を見つけた姫海棠は。

山の妖怪に顔が利く自分がいくと言って、射命丸を背負い。血だらけになるのも厭わずに、永遠亭に行ったという。

確かに他の天狗だったら、守矢の麾下に入っている妖怪達が書類だ何だですぐに通してはくれなかっただろう。

守矢と直接コネがあり、早苗とも親友である姫海棠はたてだから、間に合った。

そういう計算も、紫には合ったのかも知れない。

血だらけになった自室を見て、ため息をつく射命丸。

ドアをはじめとして、色々直さなければならない。

この部屋も手入れしなければならないだろう。

もう一度溜息が漏れた。

そして、壊れかけているドアがノックされる。

天狗の中での一番の下っ端。白狼天狗に属する、犬走椛だった。白狼天狗はどいつもこいつも弱く、此奴も例外じゃない。だけれども、此奴だけは射命丸を怖れなかったし、冷静に意見もしてきた。

それについては、永遠亭でも思った。

此奴の事は今でも大嫌いだ。

生意気だし、不愉快だ。

だが、それでも。今は話を聞かなければならなかった。

「何用ですか」

「一つだけ、伝えておくことがあります。 射命丸どの」

「……なんですか」

「姫海棠はたては、貴方を助けるために守矢に後で土下座をしにいきました」

無言になる。

表情がなくなったことに気付いたはずだ。

それでも、犬走は臆する様子が無い。

「彼女はたまたまあの日、用事があって姫海棠家に来ていました。 貴方の家から聞こえた悲鳴を聞いて、周囲が逡巡する中一番最初に動いたのも彼女です。 それに、コネがあるとはいっても、スクランブルを掛けて来た妖怪達がルールがあると言って困惑する中、後で頭を下げる責任も取ると言って永遠亭に貴方を運び込んだのも彼女です。 その意味を、理解してください」

「理解はしていますよ」

そうだ。あいつならそうする。

あいつの中には、どちらかと言えば良い意味でのプライドが宿った。それは、良い行動も誘発する。

誰ものためになる新聞。

公正で客観的な情報を届け、誰も不幸にしない新聞。

悪事を暴くにしても、死体蹴りをするような真似はせず。ルールに沿った必要な処置だけを書く新聞。

そんなものを書くようになった奴が。

元の姫海棠はたてと違う行動を取るのは当然だ。

分かっている。

この屈辱を晴らす方法がないという事は。

そして大きな借りを、あんな小娘に造ってしまったと言う事も。

「それでは、失礼します」

「……」

「それにしても、貴方ほどの使い手を、彼処まで一方的に叩き伏せて死の寸前にまで追いやったのは一体誰なんですか。 鬼はあんなやり方はしない。 博麗の巫女だったら、多分家ごと吹き飛ばしていたでしょう」

「秘密です」

少しだけ考え込んだ後。

射命丸がアルカイックスマイルを作っていないことも加味したのだろう。

犬走椛は一礼だけして去って行った。

鳥籠に捕らわれた。

小娘に借りまで作らされた。

だが、それでも良いのかも知れないと、今は何処かで割り切れ始めていた。

くつくつと笑う。

元々幻想郷のトリックスターとしてあったのだ。このような目にあう事は、いずれ想定しなければならなかったのである。

その時が来た。

それだけだ。

それに、鳥籠には捕らわれたが。しかしながら今後は紫の監視下で、堂々と情報を探せるという意味もある。

何よりも、自分の中で際限なく膨れあがっていた自尊心が、一度壊れた。

ひょっとすると、これには大きな意味があったのかも知れない。

この自尊心は、射命丸の存在そのものを、蝕んでいたのかも知れないのだから。

深呼吸すると、まずは家を直すことから始める。

自称でも幻想郷最速。家を直すまでは、一日かからない。

病み上がりだから今日はこれくらいでいい。

窓から外を見ると、鴉天狗達がまた五人一組で何処かに取材に出向くのを見た。

勿論賢者の指示によるものだろう。

射命丸文はもうあの中には混じらない。

ある意味だが。

もう、この地位にて苦しみ続けた。

鴉天狗では無くなったのかも知れなかった。

 

(終)