「<世界>と<社会>とそのハザマ」
■ 趣味の登山中、剥き出しの<世界>の恐ろしさについて、考える事がある。何も天災や猛獣との遭遇に限らす、縦走中の岩場から少し足を滑らせただけで、運が悪ければヒトは簡単に死ぬ。では何故、その脆弱な人間が地球上で幅を利かせ、「覇権」を確立できたのだろうか?
■ 本作『暗黒!マリーのアトリエ』内でも、この点についての考察が含まれている。曰く「道具を非常にうまく使いこなすこと、どんな存在よりも巧みな集団戦をこなすこと。そして最後に、魔術の存在である。」
■「魔術」以外の部分では、現実世界でも当てはまるのではないだろうか。そしてその「魔術」も、ドラゴンや様々な魔物が存在する、という本作の設定からすると、人間による「覇権確立」には必要な要素と思われる。
■ そして、未だ人間による「覇権」が確立しきれていない所。人間の<社会>が、剥き出しの<世界>と接する場所である「辺境の村」が、本作の主人公、マリーの生まれ故郷であった。
■ マリーの生まれ故郷、シグザール王国の辺境であるグランベル村は、卓越した指導者の下、村人総出での集団戦でドラゴンや様々な魔物や動物を狩り、得られた物を都市部で売却することで急激な成長を遂げている。故に、マリーも日常的に「狩り」に加わり、自分達の生活がどのようなモノによって成り立ってるのか、子供時代から悟ることとなる。
■ 言い換えれば、<世界>の脅威を「集団戦」という人間が最も得意とする戦法によって単に撃退するのではなく、<社会>の論理の中に貪欲に呑み込んでしまう。
■「『村人』は、弱者ではない。」という、本作の目次ページに大書されたテーゼは、「<世界>と<社会>のせめぎ合い」によって常に揉まれ、常に創意工夫を求められ、現実主義的行動様式を磨かれた末、という前提があって、初めて意味を持つのではないだろうか。
■ そんなマリーは保有魔力の高さから「錬金術師」となって技術を村に持ち帰ることを期待され、グランベル村から資金援助を受けて、シグザール王国首都、ザールブルグの錬金術アカデミーに入ることになる。しかし、初めは文字を読むことさえ出来ず、後付ながら高度な理論体系を持つ錬金術をほとんど学ぶ事が出来ず、4年間の学業の末にはなんとか一年生の教科書をほとんど独学で理解できるようになったものの、卒業試験では「歴代最悪」な成績となった。
■ しかしながら、マリーを待ち受けていたのはアカデミーから与えられたアトリエを拠点に「五年間で『先生』が納得できる物を作り出す」、という、一風変わった「再試験」だった。
■ これ以上のグランベル村からの資金援助を断り、マリーは「栄養剤」等、自分のスキルにあった錬金術の成果物を売ることで自活を始める。とはいえ、錬金術の素材をザールブルグで買い付けるほどの資金は保有して居らず、冒険者を雇ってザールブルグ周辺に出かけて採取していく必要があった。
■ 錬金術素材の回収作業中、猛獣や魔物の出現等、危険があった場合はマリー自らも戦闘に参加する必要がある。そのため4年の学業生活ですっかり力と勘を落としてしまった戦闘力と魔力を磨き、行動を共にする新米冒険者をも鍛え、回収した素材を使っての錬金術による成果物においても徐々に質・量共に良い出来の成果物を作ることでスキルアップを果たしていく。
■ <世界>と<社会>のせめぎ合いの末に得られた超合理主義的な思想、そして「内なる獣性」と密接に絡み合う戦闘力はマリーの“業”であり、“強さ”の根源である。それは、「村人」であった頃も、<世界>の究明を目的とする「錬金術師」となって以降も、変わらない。
■ そんな中、大きな転機が訪れる。
■ グランベル村の長の娘にしてマリーと親友であるシアから、アデリーという子供を預かって欲しい、との依頼が来る。アデリーは「覚醒暴走型」の能力者であり、元々不安定な精神状態に、新たなストレスが掛かると魔力の暴発によって周囲を吹き飛ばしてしまうのだという。そして、「強力な魔力を持つ人間が側にいて、幼い頃から力の使い方を丁寧に教え込めば、後天的に力の制御ができるようになる可能性がある。」故に、マリーへ依頼する事になり、マリーはこれを受け入れる。
■ マリーはアデリーを育て上げ、奴隷身分から解放されるだけの給金を支払うまでの過程で、アデリーと自分に「似たところ」があると気付く。グランベル村で鍛えられた膨大な戦闘経験を通じて「内なる獣性」を超合理的思想と矛盾しない形で飼い慣らし、自覚的に制御することで<社会>の中に留まるマリー。そして身体の中に膨大な魔力、<世界>の非合理とも言える「死を撒く力」を持っているが故に、<社会>的に虐待を受けてきたアデリー。
■ マリーの元で他人に触れられるだけで暴発しかねなかった「人間不信」等を徐々に克服していくうちに、アデリーはマスター(マリー)の母性的な優しさを感じつつも、その「優しさ」が向けられる範囲が狭いことに気付き、それを悲しむ。
■ マリーは錬金術の腕を上げ、新しく成果物を得る毎に「歓喜」と結びつく「内なる獣性」の爆発を、ザールブルク周辺の森等で強力な生物を斃し、貪り喰らう事で発散するようになっていく。そして「血の臭い」を振りまきながら帰ってくるマリーを見せつけられるたびに、アデリーは悲しむ。
■ しかし、聡明なアデリーはマスターの研究が確実に<社会>に貢献していることを理解し、生態系を崩さぬよう、理性による「制御」の元での「内なる獣性」の発散がマリーの研究には不可欠であることを理解している。理解はしているが、悲しい。
■ ただ「悲しむ」だけでは何も変えられないと理解しているアデリーは、奴隷身分から解放され、また、錬金術の技術によって「内なる死を撒く力」を押さえる道具をマリーから与えられ、正式にマリーの養子となる頃には、「マスターの内なる獣性」の爆発を、自らの力で押さえることが「恩返し」であると考えるようになり、マリーから受けていた武術の鍛錬に、更に精進を重ねることになる。
■ 元々は不器用で、錬金術の繊細な調合には不向きだったマリー。また、当初は文字さえ読めず、故に卒業試験では「歴代最悪」な成績となったマリー。当初は他人から触れられるだけで「死を撒く力」を暴発させかねなかったアデリー。また、当初は家事労働に比べて、武術については才能が無かったアデリー。二人とも、「努力」、経験蓄積量で課題を克服していく点でも似たもの同士、とも言えるだろう。
■ しかし、先に述べたように二人で決定的に違っていたのは「<社会>に纏わる意味論」のすれ違い、つまり「<世界>と<社会>のせめぎ合う」辺境の村出身のマリーと、虐待を受けつつも、基本的に「<世界>と隔絶された<社会>」、つまり都市部で生きてきたアデリーとのすれ違い、とも言える。
■ マリーは錬金術によって作られた道具を作ってアデリーの「死を撒く力」を押さえ、アデリーは武術でマリーの「獣性」を押さえんとするようになる。養子ながら「親子」としてお互い不可分でありながら、決定的に違った思想を持つ二人。しかし、お互いの思想を尊重しつつ、お互い譲り合うことはない二人。
■ 国家的陰謀に巻き込まれたり、予想外のアクシデントに巻き込まれたりしつつも、不思議な「共生」関係を築くマリーとアデリー。非常に興味深い関係ではなかろうか。
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