魔人ゼクス=ファーレン

 

序、人間の作りし魔

 

その日は、とても過ごしづらかった。前日の雨が涼を呼ぶどころか、却って蒸し暑さの要因となってしまっていた。うだるような気候の中、誰もが文句を言いながら仕事をしている、そんな日であった。水の街であるザールブルグでも、暑いことに変わりはない。井戸や上水道から水をくみ上げて、道に撒く主婦の姿が、街の彼方此方で見かけられた。

昼過ぎから雲が少し多くはなってきたものの、暑さは収まる気配もなかった。熱射病で倒れる人間も出始め、仕事を早めに切り上げる店舗もあった。事実売り上げはどの業種も軒並み最低であろうとは、がらがらの店を見れば誰にでも想像がつく。特に車引きは、どこもそうそうに店じまいしていた。

街の様子を見ていて、南門の警備責任者であるフィッチャー少佐は、ただ大変だなと思った。フィッチャーは今年で四十の大台に乗る。堅実な手腕で着実に出世してきた男であり、何処にでもいる普通の軍人である。面倒見も良くも悪くもなく、関係者以外顔を覚えられないような無個性な人物だ。ただ、真面目なことは周囲から評価されている。この暑いのにもかかわらず、フィッチャーは己の長所を最大限に活かし、油断無く辺りを見回っていた。

部下達に自分と同じ事を強制しないという点が、フィッチャーの長所であり短所でもあった。ただ、フィッチャーには彼なりの考えもある。能力者が多い軍でも、このうだるような環境では力を発揮できないというものだ。事実、殆どの軍人は、原始的な方法で涼を取るしかなかった。団扇を使ったり、暗がりに逃げ込んだり。いずれもその場凌ぎにしかならず、体力は容赦なく削られていく。当然鍛えているといっても体力には限界もあるし、フィッチャーは部下達を責めようとはしなかった。

能力を使って氷を作る者もいたが、売るほどの量は生産できない。そういった連中は、大体自分か身内だけで涼を取るので精一杯であった。

悲惨なのは武装したまま警備をしている兵士達で、汗みずくになって歩き回らなければならず、当番が終わるとほとんど倒れるように暗がりで休んでいた。あまりにも暑いので、警備の交代サイクルを早くして、休む時間を多くすることで軍は対応していた。兵士の中には、冷たい井戸水を被ってから警備に出る者も多かった。本来はあまり良くないことなのだが、フィッチャーは黙認した。

例年にはない暑さであったが、それも夕刻にはゆるみ始めた。空があかね色に染まり始めた頃から、軍は警備のシフトを元に戻し、街も平常に戻りつつあった。ようやく一安心した兵士達が気を抜きかけた、その瞬間のことであった。

異変に気付いた者は、一握りしかいなかった。だが、確実に存在はした。軍でも有数の使い手達が顔を上げた。何か、遠くにとてもまがまがしい気配を感じ取ったのだ。フィッチャーは気配こそ読めなかったが、彼らの反応から何かが起こったことは察知した。彼らが動くよりも早く、騎士団が早鐘を打ち鳴らす。何かあったのだと兵士達が気付き、めいめいに武具を取る。暑くて暗がりで休んでいた兵士達も、すぐに頭を切り換え、武具を身につけて持ち場に移る。

南門に警備していた兵士達が、一番最初にそれを見た。敗走してくる騎士団の者達である。片腕を失っている者や、身動き取れずに担架で運ばれてきている者。酷い怪我をしている者が多かった。騎士団の小隊長が、あわただしく指示を飛ばして、負傷者を内部に運ばせる。フィッチャー少佐が出て行くと、小隊長は敬礼しながら言った。彼自身も、片眼を包帯で覆っており、生々しく鮮血がにじみ出している。

「すぐに警戒態勢を」

「はっ。 しかし、これは一体」

「すまぬが、軍事機密だ。 だが、最大限の警戒をしてもらうことになる」

基本的に、騎士団は軍の上部組織である。フィッチャーは文句を言う事も出来ず、不満を抱えながらも引き下がった。

フィッチャーが驚いたのは、騎士団長エンデルクがすぐに出てきたことである。エンデルクといえば、この国の誰もが知っている超有名人だ。エンデルクが陣頭指揮を開始したのを見て、兵士達が気を引き締める。よほどの重大事件が発生したのは明白だったからだ。

響く規則正しい無数の足音。屯田兵の一個師団が、南に移動を開始したのだ。屯田兵達は荒くれが多く、見るからに強面が揃っている。警備の者達は緊張した。略奪は厳禁とはいえ、荒くれ揃いの屯田兵達は、何かしらのトラブルを高い確率で起こすのだ。だが屯田兵は街には入らず、道を使って南へ。そのまま何部隊かに別れて展開し、街道の警備を開始した。

南門の上に登ったフィッチャーは、一体何が始まったのか分からず、困惑しながらも部下を落ち着かせるべく指揮をする。今日は家に帰れそうもないなと、フィッチャーは誰にも聞かれていないところで愚痴をこぼした。

どちらにしても、ヒラの部隊とはいえあの騎士団を敗走させるような相手だ。エンデルクが出てきたことからも、生半可な相手では無いと言うことは一目瞭然。まさかこの国が誇る聖騎士達が出て行って破れるようなことはないとは思うが、すぐに決着はつかないかも知れない。

妙なこともある。屯田兵の動きが、あまりにも手際が良すぎるのだ。普通軍が動く時はかなりの準備が必要になる。長距離の遠征となると相当量の食料が必要になってくるし、事前に動きがある。今回は近距離での展開とはいえど、事前に殆ど彼らが動く予兆がなかった。一個師団の戦力がこれほど迅速に動くのは珍しい。

そうこうしているうちに、南門に騎士達が入ってきた。聖騎士も混じっている。すぐに降りて彼らを出迎えたフィッチャーの前に現れたのは、エンデルクだった。思わず硬直するフィッチャーに、エンデルクはむしろ柔らかい口調で接してくる。

「此処に司令部を置く。 君たち警備部隊にも協力して欲しい」

「はっ! 光栄であります!」

「うむ。 君たちは総力で治安維持に当たって欲しい。 我らが南に現れた敵の対処をする。 案ずるな。 集落には絶対に近寄らせぬ」

「敵、ですか」

不審を言葉に含ませてみるが、エンデルクはそれ以上教えてくれなかった。よほどの相手なのだろうと、フィッチャーは思った。

心の奥底が高揚してくる。沸き上がるような気力が、フィッチャーの全身を熱くした。素晴らしい充足感が、頭の回転を加速する。やるべきことが、次々に頭の中に浮かんできた。

すぐに警備兵達をまとめる。南門は、既に騎士団に引き渡した後だ。普段の任務は根こそぎ解除である。その代わり街の中に展開して、治安維持を開始する。この状況である。必ず混乱に生じて悪さをする人間が出てくる。しかも徒党を組んで暴れる可能性も高い。軍がよそに注意を向ける現状、奴らを抑えるのは、自分達しかいないのだ。

部下が集まると、フィッチャーは言った。

「これより、我らは騎士団と協力し、ザールブルグの治安維持に当たる! 我らの本来の職務を、最大限に行う時だ!」

「はっ!」

兵士達が声を揃えて唱和した。良い雰囲気だ。うだるような暑さなど、どこかに忘れ去ってしまった。

「重要地点に立ち周囲に目を配る班と、警戒して回る班に分かれる。 どちらも四人一組だ。 何かあっても、全員が同時には動くな。 必ず二人ずつに別れて、片方は様子見に徹しろ」

配るのは笛だ。掌に収まるほどのサイズだが、かなりの高音が出る。

「一組では手に負えそうにない時はこれを使え。 すぐに周囲の味方が駆けつけてくるはずだ」

「少し大げさなような気もしますが。 ザールブルグでそれほど大きな争乱が起きた例は、ここ数十年ないようですし」

「大げさなものか。 あの騎士団が、総力を挙げている状況だぞ。 前例など関係がない」

警備兵達が生唾を飲み込む。ようやく思い出したのだろう。この国の騎士団が、大陸でも屈指の精鋭であることを。特にエンデルクは、この大陸で最強の剣豪とも言われている。フィッチャーは皆を見回すと、言った。

「思い出せ。 我らの任務は、民を守ることだ。 この状況、民を守り抜いてこそ、騎士団に笑われずに済むだろう。 警備兵の誇りを見せろ! 騎士団が総力を挙げている現状、我らこそが、今民を守る最後の盾となっているのだ!」

警備兵達が顔を見合わせ、頷きあう。

フィッチャーはその後、他の部署の警備兵達とも話し合い、徹底した警備態勢を敷いた。隙のない警備は街の治安を保ち、それから事態が収束するまで、特に大きな混乱は発生しなかった。状況から考えれば驚異的な話である。周辺諸国がこの話を聞いて、シグザールの人材の多さをうらやましがったことは、後に語りぐさになった。

混乱時、何かのきっかけで、精神的に一回り成長する者がいる。フィッチャーは、その典型例であった。

 

1,双乱

 

王宮を急ぎ足で行くヴァルクレーア大臣は緊張していた。ヴィント王が近年にないほどに機嫌が悪いと、部下達から聞かされていたからである。だからレポートを可能な限りの速度で頭に叩き込み、他の仕事を全て後回しにして飛んできたのである。

王の機嫌が悪いのも当然の話。エアフォルクの塔がクリーチャーウェポンらしき複数の何者かによって占拠され、警備をしていた騎士に多数の死傷者が出たのである。しかも貴重なクリーチャーウェポンもかなりの被害を出しており、後方に下げて調整を行っている最中だ。塔を奪回する目処は立たず、今騎士団が対応に追われている。しかもこの惨事、どうも前後の証言を検討する限り、ドムハイト側の陰謀によって発生した可能性が高いのだ。王は警戒するように、ずっとヴァルクレーアを含む部下達に言っていた。それなのに、裏をかかれたのである。

ヴィント王は英明の君だ。部下が不始末をしでかしたからと言って、怒りにまかせて手打ちにするような蛮行とは無縁だ。それでも、場合によっては怒る。しかもこの国を数十年にわたって切り盛りし、地獄のドムハイト戦役も乗り越えた人物だ。怒った時の圧倒的迫力は言語を絶する。海千山千のヴァルクレーアが震え上がるほどなのだ。気の弱い者であれば、その場で失神してしまうだろう。

使用人達に連れられて寝室に入ると、王はベットに腰掛けて、侍女に肩を揉ませていた。一見怒っていないように見える。だが、ヴァルクレーアには分かった。肌がちりちりする。空気そのものが発火しそうだ。

一見穏やかだが、その実王は怒気を爆発させる寸前だ。対応を間違えると大変なことになる。生唾を飲み込むと、ヴァルクレーアは頭を下げた。こう言う時はまず謝ることで、相手の怒気を削ぐ。誰に対してでも有効な技術だ。

「申し訳ありません、陛下」

「愚か者。 エアフォルクの塔の警備は厳重にしろと、あれほど言っておいたであろう」

「ははっ。 返す言葉もありません」

太った体を必死に折り曲げて謝るヴァルクレーアを見て、王は鼻を鳴らした。ベットに横になると、体を伸ばして、今度は指先のマッサージをさせる。頭を下げたまま、ちらちらと王の様子を伺うヴァルクレーアに、ヴィント王は吐き捨てた。

「とはいっても、エンデルクやお前のことだ。 警備は万全だったのだろう。 カミラを調整のために抜いたとはいえ、それくらいでどうにかなるほど、儂が育て上げた騎士団の層が薄いわけがないからな。 敵には予想以上の使い手がいたと言うことだな」

「御意。 万が一に備え、王宮の警備を厳重にします」

「うむ。 それにしても、ドムハイトの姫君の力を侮っていたようだな。 この年になっても、不覚を感じることはあるものよ」

ヴィント王は白くて良く整えられた髭をなで回した。怒りが徐々に形を為し始めているのを感じて、ヴァルクレーアは心中嘆息した。だが、まだまだ油断は出来ない。

ヴァルクレーアから見ても、火竜と戦った後のエンデルクは、人間的に大きくなった。騎士団も問題なく運営されている。あのカミラが大教騎士に移った時には心配もされたが、結局大した混乱が無く、仕事が滞ることはない。異能者揃いの騎士団がまとまっているのだから、エンデルクの手腕は疑うことがないし、成長した今となってはなおさらだ。軍司令官としての手腕は微妙だが、それは正規の軍人達が支えて補えばいい。

そのエンデルクの警戒をかいくぐったのである。尋常な使い手の仕業ではない。レポートの内容から、その使い手とは噂に聞く、ドムハイト諜報部隊の長「じい」ではないかとヴァルクレーアは考えていたが、まだ確証はない。王の怒りをどうにか抑えた後に、後でまとめてレポートにし提出することにした。咳払いする王。顔を上げる。やはり王はまだ怒っていた。

「今回は良い教訓だろう。 今後は外部の警備だけではなく、内側にも充分に注意を払え」

「はっ。 騎士団にはそのように伝えます」

「うむ。 レポートの提出を急がせよ。 後、ドムハイトの状況だが、分かったか?」

「情報が錯綜していまして、確報がなかなか得られない状況です。 それでも、幾つかの情報が入ってきています」

ドムハイトの王都は、此方とは比較にならないほどの混乱にある。当然の話である。ヴィント王が姫君と呼んだアルマンが、ついにクーデターを決行したのである。

既に貴族の多くが捕らえられ、命を落としたそうだ。現王も既に胴と首を切り離され、他の王族も軒並み粛正されているそうである。官僚とは名ばかりの、税金を漁る豚共も、まとめて処刑台に送られており、王都は戒厳令が敷かれているとの報告もあがっている。しばらく血の粛清は続くことであろう。

アルマンは豪族の多くを掌握しており、私軍を既に組織し始めている。当然不満分子は多く、王都の治安は最悪であろうが、残念なことに今シグザール側にも介入の余力がない。此処で介入を行えれば、ドムハイトを二つに割るくらいは簡単であっただろう。逆に言えば、この二つの事件が、相互独立しているとはとても考えられない。シグザールの介入を防ぐために、このテロを仕掛けてきたと考えるのが自然だ。

それらを説明すると、王は頬杖をついて、顎をしゃくる。侍女がすぐに髪をとき始めた。もう真っ白になっているヴィント王の髪だが、手入れが良いためすぐには抜けない。平伏するヴァルクレーアに、王は地獄の底から響いてくるような声で言った。

「何で儂が怒っているか、分かるか?」

「も、もうしわけありません! 分かりません!」

「嘘をつくなっ!」

王は別に立ち上がりもせず、足を踏みならすようなこともしなかった。ベットの上から一喝しただけである。それなのに、ヴァルクレーアは震えが殺せなかった。

「シグザールは、この二十年、どうやってドムハイトに対する優位を築いてきた。 常に技を磨き、相手の油断を突いてだ。 もちろん、足下の掬いあいは幾らでもあった。 だが、主導権を握ってきたのはいつも我らであった! それは何故か! 油断しなかったからだ! エアフォルクの件では儂にも落ち度があったから、まだ我慢も出来る。 だが、アルマンの動きを掴み損ね、今回の策を読み切れなかった件については我慢ならん!」

今回のこの事件がアルマンと、奴の麾下の諜報部隊の仕業だとすると、確かに状況は完全にコントロールされている。総合力で圧倒的に勝っているからと言って、油断すればどうなるか。今度は奈落の底に引きずり下ろされるのは、このシグザールだ。床に額をこすりつけながら、ヴァルクレーアは声の震えを必死に殺した。

「も、もうしわけありません。 もう二度とドムハイトに主導権は渡しません」

「エンデルクに通達。 どのような手を使っても良い。 塔に巣くったクリーチャーウェポンを八つ裂きにしろ。 急がないと、アルマンがドムハイトを掌握しきる。 そうなると、多分十年以内にドムハイトは元の強国に戻る。 そうはさせてはならないのだ。 だから急げ」

「は、はっ」

「ただし、被害は出来るだけ抑えろ。 今でさえ街の混乱が心配だ。 警備兵共が頑張っているようだが、長期の治安維持は難しかろう。 騎士団外の人材を使うのも良いが、信頼できる人間だけを厳選しろ。 分かっているとは思うが、ドムハイトの陰謀の事や、クリーチャーウェポンのことまでは必要以上に知らせるな」

這い蹲るようにして平伏していたヴァルクレーアは、行って良いと王が言うと同時に跳ね起きて、寝室を出て行った。生きた心地がしなかった。王の言葉は、まさに雷喝というにふさわしかった。いまだに心臓が胸郭の中ではね回っている。自室に飛び込むと、マリーブランドの精神鎮静剤を少し服用し、良く冷やした井戸水で飲み下した。呼吸が整ってくると、胸をなで下ろしながら、部下達を呼んだ。ヴァルクレーアは所詮中間管理職。王の命令を如何に伝達するかが、主な仕事だ。そして、王が本気で不審を感じたら、いつでも仕事を首にされてしまう。そして影の仕事が多かったヴァルクレーアの場合、引退以外で首と言ったら、文字通りの意味となる。

すぐに現れた部下達に、伝令を任せる。司令部を構築したエンデルクとまず話し合い、状況を確認するのが一つ。そのために、エンデルクに時間を作ってもらわなければならない。忙しいだろうが、それは誰も同じだ。前線だけでは、戦争は出来ないのだ。

もう一つは、冒険者ギルドに連絡。使えそうな援軍を回してもらう。最後に、アカデミーに使者を走らせる。クリーチャーウェポンは錬金術によって製造された。アカデミーに情報をある程度流して、いい対抗策がないか聞く必要がある。アカデミーといえば、エンデルクと共にフラン・プファイルを斃したマルローネを有しているはず。あの人材は、今回の混乱を治めるために使えるはずだ。早速手配してもらうべく、話を通さなくてはならない。また、同じく火竜を屠ったドナースターク家のシア嬢は、在野の人材としては最高の一人だろう。是非話を通して、参戦させたい。

それらの手を素早く打つと、次へ思考を進める。

王は相当に苛立っている。わざわざヴァルクレーアにわかりきった念を押してきたことからも、それがよく分かる。最近不安なのが、凡庸なプレドルフ王子が即位した後である。ヴァルクレーアは今後も簒奪などするつもりはないが、王がどう考えているかは分からない。もし王子に扱いきれないと思われたら、闇討ちされる可能性さえもある。当然、場合によっては公然と処刑されるだろう。プレドルフが即位した後も安心は出来ない。状況によっては、他の文官達や、武官と権力争いになるかも知れないのだ。

恐ろしい話だった。エンデルクやカミラを相手に謀略戦をやる自信など、ヴァルクレーアにはない。特に奸臣だったカミラは、生活に余裕が出てきてからというもの、確実に変わりつつある。カミラが忠臣となれば、国家の柱石となるだろう。その時、ヴァルクレーアが邪魔だと判断したら、容赦なく排除に来るはずだ。その時には、牙も奴に味方するだろう。生き残る事など、出来ない。

それらを防ぐためには、できるだけ王のご機嫌を伺わなければならない。ヴァルクレーア程度の能力の持ち主なら、幾らでもいるのだ。ヴァルクレーアに出来るのは、丁寧に仕事をこなして、有能で忠実であることをアピールすることくらいだった。

自分が必要以上に卑屈になっていることに気付いて、ヴァルクレーアは深呼吸した。卑屈になっていては、海千山千の強者共と交渉することなど出来ない。すぐに部下達が戻ってきて、エンデルクが会議を行うことを告げてくる。ヴァルクレーアは頷くと、出来るだけ動揺を悟られないように外面を整えながら、城を出て南門へ向かった。

 

エンデルクがザールブルグ南門の外に設置した天幕にはいると、既に関係者が全員揃っていた。壮観であった。

カミラを除く、ザールブルグにいる聖騎士全て。更に騎士が十五名。いずれも常識外の使い手ばかりだ。騎士の一人は、体の彼方此方に包帯を巻いている。事件が起こった時に、エアフォルクの警備を担当していた男である。他にも、クーゲルが聖騎士達の末席に座っている。事件に深く関わっていることもあり、引退後とはいえ騎士団では聖騎士並の待遇が為されている彼は、今回も当然の措置として呼ばれていた。他にも、ヴァルクレーア大臣が、居心地悪そうに最上座の隣に座っている。ゲスト扱いの彼は「陰謀屋」と呼ばれて騎士達にはあまり好かれていないが、後方支援のためには重要な人材であり、無碍には出来ない。他にも何名か、騎士団以外の人間がこの場にいる。ザールブルグの市長と、展開している第三屯田兵師団の幹部達も来ていた。

騎士団は基本的に一枚岩であり、任務のときに文句を言う人間はいない。個人レベルでの反目はあるが、それもあくまで平時の話だ。エンデルクが一番奥の最上座に着くと、今回の司会を任されている聖騎士ジュストが声を張り上げた。

「それでは、状況確認会議を開始します」

手際よくレポートが配られる。状況を全て把握しているのは、エンデルクとクーゲル、他にはヴァルクレーアと少数の聖騎士だけだ。師団長級の軍人にも何人かいるが、彼らは例外なく駐屯地にいて、此処には来られない。部分的に話を知っている騎士は多いが、いずれも真相にはたどり着けないように巧妙に情報を操作している。

情報を全て公開するわけにも行かないので、レポートは二度リテイクして、書き直させた。だからこの会議でも、発言には気を使わなければならない。こういうのはカミラの独壇場であった。今は代わりに三人の文官が裏で働いているが、それでもやや力が足りないのが現状だ。騎士団はカミラに、汚い仕事を任せきっていた。今更ながらにカミラの能力の高さと、その依存率の高さが思い知らされている。

エンデルクもこの件については熟考を重ねた。頭を使う仕事では、カミラに遠く及ばないのはわかりきっているから、手数を増やして穴を埋めたのだ。幾つか危険なポイントについては言い訳を考えてある。エアフォルクの塔は特殊な刑務所だと説明してあるし、塔を占拠したのはドムハイトが軍事開発したらしい謎の魔物とした。塔の周辺で騎士達と一緒に警備を行っていたクリーチャーウェポンは皆既に余所に移したので、これらについては目につくこともないだろう。後は時々エンデルクが口を挟んで、変な方向へ話が進まないように管理していけば良い。

ジュストが話を進めていく。エンデルクは腕組みして状況を今知ったように装いながら、冷静に周囲の反応を見ていた。

そもそも事件が発生したのは、三日前の夜のことであった。騎士団は一個中隊をエアフォルクの塔周辺に展開。クリーチャーウェポンも問題なく警戒任務を行っており、誰も異変には気付かなかったという。

「ふん、どうだか。 警備に手を抜いていたのではあるまいな」

無粋な発言。揶揄気味にほざいたのは、屯田兵師団の幹部の一人キリルクであった。指揮能力はそこそこにあるのだが、性格に難があり、連隊長以上に出世できないでいる。その上個人的な武勇には恵まれず、騎士になる夢も二十代で放擲したという。以降、人生を浪費しているような、やけばちな事ばかりしている男だ。

挑発的な態度に、ジュストは鼻で笑った。事実鼻で笑う程度の相手に過ぎない。ジュストといえば、クーゲルにも匹敵する実力を誇る騎士である。その上人格的な問題も比較的小さいため、武勇伝もあまた有しており、大陸中に名が響いている。ジュストから見れば、戦闘能力からも、名声からも、キリルクなど小蠅程度の相手でしかない。

ジュストは怒りで真っ赤になるキリルクを捨て置くと、説明を続ける。

異変は唐突であった。突然塔の最上部が、派手に吹き飛んだのだという。即座に警戒態勢を取った騎士団が見たのは、塔の頂上でうごめく無数の触手であった。それは吹き飛んだ頂上部分を覆うと、それきり動かなくなった。隊長は即座に部下達を率いて塔に入り、異変の正体を確かめるべく、上へ登った。

錬金術師達は一人も居住スペースにいなかった。全員が屋上にいて、あの爆発に巻き込まれたのだと言うことは、即座に分かった。隊長は研究物を持ち出すよう手配し、少数の精鋭と一緒に、頂上部分にあがろうとして、気付いた。

上から這い降りてくる、途轍もなく嫌な気配に。

即座に臨戦態勢を取る騎士達の前に、それが現れたのは、程なくのこと。頭に包帯を巻いたままの隊長が、重苦しい声で言った。

「形状は蛸に似ていました。 全体が毛だらけという点を除けば、ですが」

「タコぉ!? 海にいるあれか? そんなものに騎士団は負けたのか?」

「北の海には、船より大きいタコの伝説がある。 タコとイカをはじめとする頭足類はかなり大きくなる生物で、頭も良い。 森に住んでいるヒュージ・スクイッドの恐ろしさは聞いたことがあるだろう。 南方には小山のように大きいジャイアント・スクイッドという陸上種もいる。 侮ることは出来ないぞ」

揶揄の声を強くしたキリルクに、エンデルクが釘を刺した。流石にエンデルクに逆らうわけにはいかず、キリルクは黙り込む。咳払いすると、隊長は続けた。

「下っ端とはいえ、我らも騎士団の一員。 扉を破って現れたそれに、いやそれの一部かも知れませんが、ともかく総攻撃を浴びせました。 剣で斬りつけ、駄目なら槍で、更に複数の能力も浴びせました」

剣ははじかれ、槍も駄目だった。触手は凄まじい強度と柔軟性を誇り、生半可な刃物では刺さりそうにもなかった。だが流石に騎士団である。即座に戦術を切り替え、能力による殲滅を展開。うごめく触手に十を超える火球が炸裂し、流石に半ばから吹き飛んだ。火球を放った隊長は周囲を叱咤。騎士団の者達は一端体制を立て直すべく、資料を手早く集めて後退に掛かった。だが、最後尾に立っていた隊長は見た。先以上の大きさの触手が、高速で伸び下がってくる様を。しかも通路から溢れるように、無数にだ。

「今度は火球も通用しませんでした。 何人か押しつぶされ、私も壁に叩きつけられました。 私は必死に時間を稼いで、部下達が逃げられるように努力はしましたが……。 必死に逃げ延びた突入部隊の者達は、私も含めて、見ました。 自分たちが何をしていたのかを」

隊長は声を震わせた。彼の部下が多数命を落としたことは、既にこの場の全員が知っている。

「塔が、既に奴に丸ごと飲み込まれていました」

隊長の声は戦慄を含んでいた。塔全体が、既に有機質のぬらぬらした肉体に覆われていたのだという。塔からは十本以上も巨大な触手が生え、うごめいていたのだそうだ。隊長の報告に、流石にせせら笑いを浮かべていたキリルクまでもが黙り込んでいた。最初に口を開いたのは、聖騎士の一人であった。

「なんと。 そのように巨大な魔物が実在するのか」

「エアフォルクの塔とやらは、石造りの五階建てだと聞いたぞ。 そうなってくると、敵のサイズはドラゴン以上ではないのか」

「そんなサイズの魔物になってくると、信憑性の高い記録もないだろう。 効率の良い討伐の方法はあるのか? 剣や槍では埒が明くまい。 ドムハイトが繰り出してきた存在だとすると、恐らく制御のためのシステムがあるとはおもうのだが」

雑談が巻き起こる。事実この後、隊長の部隊は塔そのものと化したクリーチャーウェポンに更に追撃を受け、被害を増やしたのだが、それは報告するまでもなかった。そして現在、塔からは、翼の生えた二体のクリーチャーウェポンが現れ、上空を旋回しているという。奇襲も難しい状況だ。塔から伸びた触手は今では人間の背丈の三十倍ほど長さがあり、うかつには近づけないそうだ。奇襲が出来ない状況で、そのリーチを持つ相手に、仕掛けるのは難しい。

魔物は勘も鋭い。その後、二度の接近を試みたが、すぐに察知されて引き返した。翼を持つクリーチャーウェポンは高い飛翔性能を持つ可能性があり、いつザールブルグに襲いかかってきてもおかしくない。大げさな迎撃態勢を敷いたのも、それが原因だ。連中がドラゴン程度の戦闘能力の持ち主であれば、ザールブルグに近づいた時点で八つ裂きにしてやるのだが、そうとは限らない。まだ交戦は行っていないため、最大限の警戒をする必要がある。今回の件はほぼ確実にドムハイトの陰謀だが、そうなると並の相手だとは思えないのだ。クリーチャーウェポンの知識が無く、滅び去った竜軍の例を出すまでもない。人間は知識がない相手に対しては、信じられないほどに脆いのである。逆に既知の相手に対して、不覚を取ることは滅多にない。

エンデルクは周囲に雑談するに任せて、死ぬ思いをして隊長が持ち帰ってきた資料類の分析を部下達に始めさせてはいる。一度便所に行く振りをして席を立つと、ヴァルクレーア大臣が着いてきた。先ほど使者から話は聞いている。彼も難しい立場なのだ。

「騎士団長」

「何ですかな、大臣」

「先ほどの件なのだが、貴殿はさっき報告を聞くまでもなく、大体の事情は知っていたのだろう? あの塔に現れたクリーチャーウェポンの撃退方法なのだが、心当たりはあるのか」

「今、全力で調査中です」

エンデルクはヴァルクレーアの立場に、今では敬意を払っている。カミラが権力階層からいなくなって分かったのだが、政治面の担当者が有能だと、組織は実にスムーズに回るのだ。ヴァルクレーアは間違いなく有能な政治謀略担当であり、だから王にも重宝されている。ゆえに聞かれたままに、機密情報を話した。今この男に対して情報を出し渋ると、怒り狂った王にどのような仕打ちを受けるか知れたものではない。この大陸最強の男であるエンデルクも、ヴィント王は怖いのだ。直接王にあった事のある人間は、誰もがそう思っているのは間違いない。

結論から言うと、短時間での撃退は難しい。以前対竜軍戦で死体処理に用いたフラムを用いての爆殺を考えているのだが、それも出来るかどうか。現在、塔の周辺は、敵が厳重に警戒している。その位置まで接近するのはとても難しいだろう。その上、下手をすると触手は際限なく再生してくる可能性がある。それもどうにかして対処を見つけなければならない。工兵が作業をする時間を稼ぐ戦術が、まだエンデルクには思いつかない。

「そうか、やはりすぐの討伐は難しいか」

「はい。 大臣も、全力でバックアップをして欲しいのですが」

短期での討伐は難しいといっても、瞬く間に塔を飲み込んだような相手だ。放っておくと、もっと巨大化するかも知れない。現在監視班から来ている報告では、これ以上サイズが増すような予兆はないという事だが、油断は出来ない。

「分かっている。 今、冒険者ギルドに交渉して、手練れを回してもらう予定だ。 それにアカデミーにも既に急使を走らせた。 錬金術師には錬金術師だ。 あのイングリドなら、何か良い案を思いつくかもしれん」

「有難うございます。 此方も出来るだけ被害を減らすべく、鋭意努力中です」

大臣は気の毒なほど汗を掻いていて、何度も額をハンカチで拭いていた。太った肌が汗で照り返っている。この様子からも、王がどれほど怒っているかは分かる。愉快な事態ではない。

ヴァルクレーアは状況を把握し終えたという事で、一度王宮に戻っていった。前線からの報告班が、ひっきりなしに情報を運んでくる。敵は今のところ動きを見せないが、安心は出来ない。敵よりも、今は味方の状況に気を配る必要があった。既に屯田兵達は陣の展開を終了。ザールブルグを死守する態勢を整えた。エアフォルクの塔に一番近い村には、屯田兵の一個大隊が既に到着。いざというときには、民間人を逃がす盾くらいにはなるだろう。もちろん、そのまま撃退できれば言うことはない。

軍を投入して、兵力にものを言わせる手が、今のところ一番の有力候補だ。これなら確実に勝てる自信はある。大型の投石機であれば、確実に巨大なクリーチャーウェポンといえどもダメージを与えることが出来る。攻城用クロスボウであれば、塔の壁くらい簡単に貫通する。人間の攻撃がそれなりに利くことは、必死に逃げ出してきた隊長の報告からも割れているのだ。攻城兵器なら即座に大打撃を与えることが出来るだろう。事実、今攻撃用に、森の中を運搬中だ。ただ、森の中を輸送しなければならないので、多少の手間が掛かっている。展開にはまだ少し時間が掛かるだろう。

問題は、この件が確実に単独で動いてはいないと言うことだ。下手に大戦力を繰り出すと、ドムハイトの間諜に隙を突かれる可能性がある。王の周囲は牙が固めているから安心だとしても、都市部はそうではない。民間人を標的とした大規模テロだけは何とか阻止しなければならない。それには、手練れをあまり裂くわけにはいかないのだ。

とはいっても、騎士団の監視をかいくぐり、エアフォルクの塔であれだけのことをした相手である。数だけ動員して警備しても、テロを防ぐのは難しいだろう。受け手に回るのが精一杯の状況だ。塔のクリーチャーウェポンを片付けるまでは、攻勢に出ない方が良い。

今までエンデルクは、牙と共同作戦をとって、ドムハイトの間諜を散々斬り捨ててきた。それなのに、敵にはまだこれほどの余力が残っていた。そして今、状況の主導権さえ相手に奪われている。戦とは何があるか分からないものだと、エンデルクはつぶやいた。バフォートに教わったことだ。マルローネの戦いを見ていても知った。複数の経験が、かってとは一枚上の段階に、エンデルクの精神を強くしている。だから、今は心を乱さずにいられる。

自分用の天幕に引っ込むと、エンデルクは気分転換しようと井戸水を呷った。よく冷えていて、美味い。腹だけではなく、頭もよく冷える。頬を叩いて気分転換終了。腰を浮かせかけたエンデルクに、飛び込んできた兵士が敬礼した。

「報告します」

「うむ、何だ」

「朗報です。 冒険者ギルドが、手練れを何名か寄こしてくれるそうです」

「そうか。 それで?」

エンデルクは続きを言うように促す。それだけの用事で、わざわざ天幕に伝令が来るわけがない。伝令は頷くと、続きを述べる。

「その中には、以前騎士団長と共に火竜と戦った、あの鮮血のマルローネも含まれているそうです」

「どういう事だ。 あの娘は最近、むしろ冒険者を使う側だと聞いているのだが」

「事情はよく分かりません。 ただ、かなりの戦力になるのではないかと思いますが」

「言うまでもないことだ。 実力は私が一番よく知っている。 戦力としてあの娘をカウントできるのは、実にありがたい」

ありがたいが、不審でもある。エンデルクが見たところ、奴は生粋の戦士でありながら、同時に利益を最優先する面も持っている。後者の性質はかってのエンデルクに似ているが、もっと狂気という側面が強く、物質的な感触がある。何にしても、味方にした時に、これほど心強い者もいない。聖騎士並みの実力を持つマルローネは、確実に味方に利をもたらしてくれるだろう。ただ、対価もかなり高いだろう。金銭を要求されるのか、或いは大きな借りが出来るのか。そしてマルローネは、確実に利益を回収していくだろう。あれは、そういう娘だ。

其処まで思考を進めて気付く。多分ヴァルクレーア大臣が手を回してくれたのだろう。これはありがたい。エンデルク自身が説得に向かう暇はないからだ。

天幕を出ると、別の伝令が側に跪く。情報は多い方が良いので、エンデルクは足を止めて、話を聞く。

「朗報です。 錬金術アカデミーが、全面的に事態の打開に協力してくれるそうです」

「そうか」

今度の報告は、素直に喜べなかった。確かに事態解決には役立つだろうが、せっかく開発した技術を相当持って行かれるだろう。だが、錬金術アカデミーの助力がなければ、迅速な解決は図れそうもない。これもヴァルクレーア大臣が手を回してくれたのだろうが、複雑な気分であった。

まだ、打つべき手は多い。何人かに当てて使者を出すと、錬金術アカデミーに提出するレポートを書くべく、エンデルクは頭脳担当の文官達の元へ向かった。

 

アルマン王女は、王宮のテラスでその光景を見ていた。なじみ深い街が、紅蓮に包まれる。側に傅いている侍女達は、一言も発しない。王女も、何も部下達には求めていなかった。

ドムハイト王都は燃え上がっていた。比喩の話ではない。街の各所では、暴動が発生し、それに伴って火災が広がっていたのだ。

少数の責任感ある警備兵達が必死に民間人の避難を誘導していたが、それも上手くいっていない。何しろ暴徒化した民間人達が彼方此方で暴れ回っており、貴族と見れば容赦なくリンチに掛けていたからだ。軍は完全に二手に分かれ、激しい戦いを街の彼方此方で展開していた。だが、アルマン派が圧倒的に有利な状況であり、旧体制派は急速に崩壊しつつあった。

一刻も早くクーデターを収束する。それが一番被害を減らす。アルマンはそう言って、ありとあらゆる残虐行為に手を染めた。既にこの王都で生きている貴族はいない。王族達もあらかた討ち果たされ、もはやアルマンだけが王位継承権の持ち主だ。王宮の外には、悪行の担い手として、無数の首が並べられている。民の生き血を貪ってきた貴族達のものだ。どれも苦しそうで、無念そうだった。王族達の首もある。民衆はそれに石を投げこそすれ、同情する者は一人も居なかった。

民衆の中には、既にアルマンに協力する意思を示している者達も多い。だが、まだこの国は混乱の中にある。シグザール王都ザールブルグに仕掛けたテロに相手が掛かりっきりになっている内に、全てを決着させなければならない。アルマンはここ一週間、殆ど寝ていなかった。精神疲労が肉体を蝕み、気を抜くとすぐに意識が墜ちそうだった。

最近、アルマンは部下達に剣を買ってこさせた。バフォートが使っていたものに、似た剣である。もちろん本物には及ぶべくもないが、これが僅かに寂しさを紛らわせてくれた。今では、いつも腰につけている。そして今も、無意識のうちに剣に触っていた。

「陛下、少しお休みくださいますよう」

侍女の一人が頭を下げた。表情が消えていくアルマンの様子を、いつも悲しそうに見ていた娘だ。かなりの武術の心得があり、護衛としては申し分がない。周囲はいつの間にかアルマンを陛下と呼ぶようになっていたが、この娘も例外ではなかった。それが少し寂しかった。アルマンは表情を消したまま、娘の方を見もせず応える。

「いえ、まだしばらくは起きています。 市街地の火災が収まったら、休みます」

「しかし陛下」

「今も兵士達は命を賭けて戦っているのです。 私一人休むわけにはいきません」

「陛下は兵士達の希望であり頭脳となるお方です。 我々が状況を死守しますから、少しでもお休みください」

アルマンは首を横に振った。死守では駄目なのだ。好転させなければならない。

そうこうするうちに、若い兵士が一人駆け込んできた。全身返り血で真っ赤だ。侍女達も皆武術の心得がある者だから、誰も眉一つ動かさない。

「陛下」

兵士が咳き込む。血の臭いが強くなった。内臓が傷ついているのかも知れない。無理をおして、仕事をしているのだ。

「報告します。 西地区の抵抗、沈黙しました。 火災が収まりつつあります」

「西地区には監視用の四個中隊を置いて、残りは東地区へ振り分けなさい。 状況好転につき、兵士達は、三交代で二刻ずつ休憩」

「ははっ」

「それと、貴方も医師に見てもらいなさい。 今の命令は他の兵士に伝えさせます。 貴方達は私の宝です。 無理をしてはいけません」

兵士が頭を下げた。涙が彼の頬に伝っているのを見た。今までの王族は、下々の者達を気遣いさえしなかった。アルマンは複雑だ。こんな普通のことを、何故誰もしなかったのか。命を賭けて仕事をしている者を、労るのは当然のことなのに。侍女の一人が、伝令として走る。兵士は護衛兵に肩を借りて、医務室に向かった。殆ど野戦病院のような状況だが、勝ち戦だからまだ状況はましなほうだ。助からないかも知れないが、それでも兵士は満足そうだった。

アルマンは王宮に籠もりっきりではない。何度も前線陣地に出かけては、司令官達に命令を細かく伝えている。その時馬車で移動するのだが、それが格好の休憩時間だった。といっても、休むことが出来てもせいぜい一刻。それに、何度も襲撃を受けて、護衛も死んだ。その中には、幼い頃から一緒に育ってきた腹心もいた。それでも、前線に出るリスクに見合う効果は充分にあった。

テラスから、西地区の火災が収まっていくのは確認していた。だが、東地区の抵抗はいまだ頑強だ。南地区は既に鎮圧完了。北地区はもうそろそろ抵抗が収まるだろう。此処で抵抗勢力にとどめを刺すべきだ。アルマンはそう判断した。

護衛達を引き連れて、王宮のホールへ。巨大な階段が正面にあり、大きな柱が左右に立ち並んでいる。ただし、階段の上にある肖像画には複数の矢が突き立ち、抜かれていない。この場で、じいが縛り上げて連れてきた先王の首を自らはねた。いまだその返り血が、階段の手すりに付着している。バフォートが教えてくれた剣の技で、最初に殺したのが自分の父親だという事実が、アルマンの心に影を少なからず落としていた。

部下達が集まってきた。皆鎧は返り血に汚れ、怪我をしている者も少なくない。今は小康状態になったが、クーデター開始時の戦闘の激しさは言語を絶するものだったのだ。アルマンも何カ所か負傷したほどである。右腕の傷が、まだ少し痛む。

現在、軍事面で最高の力を持つフリード将軍が敬礼した。バフォートが育てた将官の一人で、家柄の関係から出世できないでいた。今回、迅速に混乱を収束させている功労者だ。まだ若い男だが、目の奧に宿る光は、猛獣のように鋭い。彼は王宮で総指揮を執り続けていて、その手腕はアルマンから見ても見事だった。

「何事でしょうか、陛下」

「東地区に向かいます。 近衛兵団を投入。 一気に片をつけます」

「ははっ!」

「私も向かいます。 護衛と馬車の用意を!」

兵士達はすぐに周囲に散り、四半刻も経たない内に準備が整った。豪華さをそぎ落とし、動く要塞のような防御を誇る馬車に乗り込むと、アルマンは騎兵達と共に、戦果の傷跡に包まれた王都を行く。アルマンが首脳部を掌握した近衛兵団およそ二千が、それに続く。

クーデターを急がなくてはならない。豪族達は今、状況を見定めている。アルマンに着くことが得であると彼らに思いこませなければならない。この惨禍を、王都の外に拡大してはいけないのだ。

更に言えば、近衛兵団は此処しばらくの平和で弱体化しきっている。今回の件で戦闘訓練をしっかり積ませて、後に手足として使えるようにしておかなければならない。アルマンは様々なことを同時にこなさなければならなかった。役に立たない兵力を鍛え直すには、丁度いい状況だ。

戦争の音が近づいてくる。反対派の必死の抵抗で、王都が大きな被害を受けることはわかりきっていた。だが、それでもやらなければならなかった。

途中、馬車に矢が飛んできた。御者がすぐに馬を止め、分厚い鎧を着た護衛達が人間の盾になって防ぐ。分厚いラウンドシールドが矢を防ぎきり、死者は出なかった。襲撃の規模が小さかったことも良かった。近衛兵達が怒濤のように襲いかかり、滅多切りにして襲撃者を斃した。血に酔う彼らが殺した中には、まだ十代半ばの少年もいた。

馬車の中からは、外を見ることが出来るようになっている。逆に外から中を見ることは出来ない。アルマンは全てを見ていた。近衛兵団の狂態には目をくれず、すぐに先に行くよう指示を飛ばす。

途中、二度襲撃があった。どちらでも家臣を失わずに済んだ。鎧ばかりきらびやかな近衛兵団の兵士達の中には、大した行軍距離でもないのに、目的地に到着しただけでへばっている者までいた。バフォートは常々近衛兵団の弱体化を嘆いていたが、アルマンはその目で事実を確認することが出来た。

馬車から降りる。前線の指揮官達が、すぐにやってきて跪いた。近衛兵団の指揮官であるシュレディンド元帥はあまり有能ではなく、家柄だけでこの地位に就いている人物である。保身にだけは長けていて、いち早くアルマンに屈したため、粛正せずにおいている。彼も慌てて下馬すると、アルマンの後ろに跪いた。

最初に口を開いたのは、バフォートの配下であったこともあるユーリス将軍だ。長い銀髪をポニーテールにしている、背の高い女である。今年で三十になる。一人の戦士としては三流以下だが、指揮官としての能力は信頼感がある。若くして高位に就いているだけあり、ドムハイトでも有数の用兵家だ。フリードの妹で、右腕と目される人物である。顔立ちは兄弟で全く似ておらず、異父兄弟ではないかと噂が流れたこともあるという。くだらない話である。

「陛下、わざわざのご足労、痛み入ります」

「状況は?」

「はっ。 状況は圧倒的に有利ではありますが、敵の抵抗も頑強です。 まだ四つ敵の拠点が残っていて、制圧には四刻から六刻はかかるでしょう」

「やはりまだ少し掛かるようですね。 手が足りないかと思って、近衛兵団を連れてきました。 彼らを投入した場合、どうなりますか」

ユーリスは大きな優しそうな目の持ち主で、一見物腰は柔らかい。だが実際はかなりの毒舌家で、周囲の評判は悪い。今もその毒舌ぶりを、遺憾なく発揮してみせる。

「足手まといは不要なのですけれど」

「なっ! 我が近衛兵団を足手まといだと!」

「あなたたちが実戦を殆ど積んでいないのは事実です。 あなたたちの今後のためにも、実戦は経験してもらう必要があります。 ユーリス将軍、あまりわがままを言わず、彼らを活用する事を考えてもらえませんか」

「はあ、まあいいですけれど」

ユーリスは露骨にため息をついてみせると、側に控えていた副官に部隊の手配を命令する。額に青筋を浮かべているシュレディンドだが、アルマンが視線を向けるとさっとうつむいた。

「元帥」

「は、はい」

「近衛兵団は私の身を守る部隊です。 身を守るためには、実戦を豊富に積んでおくことが絶対条件です。 これからも厳しい状況が続きます。 今までのように、貴族化してしまっていては、役に立ちません。 しかし、今までは今までです。 これからのためにも、実戦の中で腕の錆を取っていただけませんか」

「も、もったいないお言葉です。 もちろん、そのようにいたします」

アルマンは、部下達にもめ事を起こさせるわけにはいかなかった。だから、元帥もある程度フォローしておく必要があった。同時に激励もしなければならないのだから、実にいらだたしい。一動作で、常にいくつもの成果を上げていかなければ、追いつかない状況なのだ。

自分が急速に気難しく、なおかつ神経質になりつつあることを、アルマンは知っている。それなのに、表情ばかりを取り繕うのが上手くなってきている。人間とはどのような状況でも、順応できるものなのだと思った。

一通り指示を済ませると、天幕で休ませてもらう。二刻ほど寝ようと思って横になったところで、声がした。シグザール側で総力を挙げて作戦展開をしているじいの部下のものだ。ドムハイトの諜報部隊は、伝書鳩とつなぎ狼煙を使い、二日ほどで情報を伝達することが出来る。この速度が、ドムハイト諜報部隊をかって最強の存在とした要因の一つであった。

「我が君、これから休まれるところ申し訳ありません」

「どうしました」

「シグザール王国側の対応が、想像以上に素早いです。 即座に一個師団を展開、騎士団も総力を挙げて対処に掛かっています。 錬金術師共がクリーチャーウェポンと呼んでいたあのバケモノが如何に強くとも、騎士団が総力で討伐に掛かれば、おそらく数日も耐えられないかと思われます」

わざわざじいが泣き言をつげに来るわけがない。何かを求めに来ているのだ。アルマンは落ちかけた頭を再起動する。脳細胞をフル活動させて、程なく結論を出す。

「それで、求めているのは、犠牲の拡大の許可ですか?」

「御意。 都市部で無理にテロを実行すれば、此方の被害は増えますが、相手の足止めも可能かと」

「それは許可できません。 民間人の被害は、出来るだけ出してはなりません」

「しかし、既に多くの民が血を流しております。 今更躊躇していては、ドムハイトは立ちゆかなくなりますぞ」

冷厳なまでに的確に、諜報員は言った。

アルマンが望んでいるのは、シグザールとドムハイトが拮抗した状態で平和が続くことだ。それに対し、じいは最終的にドムハイトが勝つことを望んでいる。そのためには、眉一つ動かさず、幼子の首でも刎ねるだろう。じいとはそう言う人物だ。だから最強の諜報員として、シグザール王国までも恐怖させている。

「シグザール王国側に隙は」

「ありません。 特に騎士団の精鋭は、あのじいでもうかつには近づけないほどの連中です。 唯一仕掛ける隙があるとすれば、人口密集地区くらいです」

既にドムハイト王都は火の海ではないですかと、間諜は言った。彼らまで失望させてはならない。このクーデターを成功させた、最大の立役者なのだ。しかし、アルマンとしては、もうたくさんだった。

政敵を殺すのはいい。アルマンの政敵達は、どいつもこいつも民間人の生き血をすすり贅沢三昧をしていた怪物共だ。殺したところで何の痛痒もない。むしろ社会のためには必要な駆除作業だ。だが腐った政治の犠牲になっていた民間人達を、多く死なせるのは嫌だ。ザールブルグにいる民は、安定した政治の元平穏な時を過ごしているという。そんなところにテロを起こしたら、恨みは数百年先まで持続するだろう。短期的には良いかもしれないが、長期的には確実にマイナスだ。

しかし、それを言うだけでは、何も解決しない。反論するにはそれなりに説得力のある代案を用意するのが大人のやり方だ。しばし考えた後、アルマンは指を鳴らした。

「じいに通達。 此方の駒の数が多く見えるように、攪乱作戦を実施しなさい」

「は。 しかし、それには手が足りませんが」

「私に名案があります」

既にじいが回収してきたクリーチャーウェポンの基礎的なデータは頭に入れている。再現できるほどの技術はないが、それでも性質を利用するくらいのことは出来る。数分掛けて説明すると、納得した諜報員は下がった。これでどうにか都市部での無差別大規模テロは避けることが出来た。

一息ついたアルマンは、気が抜けた瞬間に落ちていた。次に目を覚ましたのは二刻後。

目を覚ました時には、近衛兵団が五十人以上の戦死者を出し、戦闘は優勢でありつつもいま敵拠点は頑強な抵抗を続けていた。

ドムハイトとシグザール。両大国の王都で行われる血なまぐさい宴に、いまだ終わりの時は来ない。

 

2,出陣

 

うだるような暑さであった。それなのに、街は騒がしかった。面倒な話だと思いながら汗を拭き分厚い参考書を捲り、賢者の石の基礎理論を詰めていたマリーの所に、訪問があった。さしものマリーも、その急な事態には驚かされた。

正確には、その人達の訪問には驚かされたのである。一人ずつならば、時々あった。だが全員一度の訪問は、初めてであったのだ。

居間で茶をすすっているのは、錚々たる面々であった。右から、アカデミーの事実上の支配者であるイングリド先生。その隣で腕組みしているのは冒険者ギルドの長であり、ディオ氏の一世代前の伝説であったファーネル老。そして伝令で来ている、聖騎士キルエリッヒである。ディオ氏もいる。大きな体で窮屈そうに客席について、アデリーの入れた茶を面白くもなさそうに飲み干していた。

アデリーは思ったより冷静で、全員に茶を配り終えると、二階に上がった。邪魔をしてはいけないと言うことを理解しているのだ。マリーは資料類を片付けると、出来るだけ丁寧に愛想笑いを作ってみせる。

「何が起きたんですか」

四人は顔を見合わせる。誰から言い出すか難しいところだからだろうと、マリーは分析した。社会的な地位が一番高いのはファーネル老だが、実力が一番あるのはイングリド先生だ。かといって騎士団からの命令を受けてきているキルエリッヒをないがしろにするわけにも行かないし、隠然たる影響力を持つディオ氏も同じである。咳払いしたのは、ファーネル老だった。こう言う時に場をまとめるのは、やはり最年長者だ。

「察しての通り、大変な事件が起こった」

「やはりそうですか。 屯田兵が派手に動いているのを確認しました。 警備兵も街中に展開しているようですね。 何が起こったんですか」

「街の南に、未知の巨大な生物が出現した。 正体すらもまだ分かってはおらぬ。 おそらくは魔物だと思われるが、まだ確証はない」

嘘だなと、マリーは即座に感じた。それならば、イングリド先生が来る必要性がないからだ。おおかた騎士団が開発していたあの鳥の同類が暴れ出して、対処に追われていると言うところだろう。

ただ、騎士団にはくせ者が多い。単純にミスして鳥の同類が暴れ出したと言うよりは、ドムハイト辺りの陰謀が関わっていそうだと、マリーは分析した。もしそれの対処に協力するとなると、かなり危険なミッションになる。状況から言って、座して傍観すると言うわけにはいかないだろう。ザールブルグの経済基盤が揺らいだら、ドナースターク家としても面白い事態にはならないからだ。

マリーの冷静な読みを知ってか知らずか、ファーネル老は独自のペースで喋り続ける。非常にゆっくりしているが、聞き取りづらくはない。言葉に緩急をつけているからだ。この辺り、同じ老人でも非常に眠くなるしゃべり方で有名な魔術師モーロックとはずいぶん違っている。

「既に騎士団が総力を挙げて撃退に向かっている。 君にも手伝って欲しい」

「民間人のあたしがですか? 騎士団の人材の量から言っても、戦力が足りないとは思えないんですけれど」

「君は騎士団長と組んだとはいえ、あのフラン・プファイルを斃した実績がある。 実力は既に聖騎士級だと、冒険者ギルドでは判断している。 故に、手を貸して欲しいと言っているのだ」

微妙にずれた返答だが、疑問を拒む空気をマリーは感じた。下手に突っ込むと、藪をつついて蛇を出す結果になりかねない。大人の世界の駆け引きは、何処で妥協するかが基本となる。しかし交渉に入るにはまだ情報が足りない。多少困ったマリーはイングリド先生を見る。

「ええと、アカデミーも総力を挙げて協力するんですか?」

「そう言うことになります。 マルローネ、貴方には冒険者ギルドに協力するように、指示を出しておきます」

それだけ短く言うと、イングリド先生は軽く頷いた。意味が分かると憂鬱である。後でアカデミーに来いというわけだ。向こうである程度の事情が分かるとしても、どうせろくな話ではないことくらいわかりきっている。アカデミーも今回の件については何かしら掴んでいるか関わっているかしていて、それで呼ばれたのだろう。

イングリド、ヘルミーナの両先生は別格として、アカデミーには万能の人材は少ない。特に戦闘をこなせる人材は、殆どいないのが実情だ。戦闘能力を持つ手駒であれば、警備兵や傭兵がいるが、それも大した数ではない。学生達は戦力になどとてもならない。前身が魔術師であるベテランにはかなりの使い手が何人かいるが、それでも騎士団の精鋭と比べるとかなり劣るだろう。マリーは数少ない、比較的高めの戦闘能力を持つアカデミー関係者というわけだ。

ヘルミーナ先生は気に入らなければ仕事などしないだろうから、戦力としては当てにならないだろう。イングリド先生は、何か他に仕事があるのかも知れない。マリーを繰り出すことから考えて、十中八九それはアカデミーの防衛だろう。これがドムハイトのテロだとすると、どういう理由でアカデミーを守る必要性があるのだろうと、マリーは思った。考えられる可能性は一つしかない。アカデミーも騎士団が開発していた何かよく分からない動物に、関係していると言うことだ。それをドムハイトが、既に掴んでいると言うことだろう。

続いてディオ氏が口を開く。

「既に冒険者の中から、何人かの手練れが参加することが決まっている。 中にはナタリエやミュー、ルーウェンやハレッシュもいる。 あんたには、彼らの生存率を少しでも上げて欲しいんだ」

「はあ、あたしが、ですか?」

「実利主義で論理主義のあんただ。 多分下手に情が篤い奴よりも、多くの味方を救うことが出来るだろうよ。 それと、今手元に医療品があったら譲って欲しい。 少しでも多く欲しい時なんだ」

ディオ氏は人情深い人物だ。だからこそに、多くの人間を救うために、マリーに期待すると言うわけだ。

一見矛盾しているようだが、これはマリーとは別ベクトルの大人の考えである。自分の理論を敢えて殺し、より多くの命を救う行動を取る。これこそが、社会的に責任を持つ大人の行動である。

「分かりました。 参加させていただきます。 それに、あたしの作る薬でいいのなら、あるだけ放出します」

「助かるわ。 少し割高で買い取らせてもらうわね」

最後に口を開いたのはキルエリッヒだった。この様子からすると、既に騎士団は犠牲を出しているのかも知れない。もしそうだとすると、敵の戦闘能力は完全に未知のものか、そうでなければドラゴンなど比較にもならないレベルだろう。或いは先ほどのファーネル老の説明を遙かに超えて、途轍もなく巨大なのかも知れない。

作戦開始は今晩から。当然、明日以降の予定は全てキャンセルだ。全員が帰るのを見送ると、マリーは二階にいたアデリーを呼ぶ。アデリーは表情も動作も冷静ではあったが、心拍数は少し乱れていた。

「アデリー、今の話、聞いてた?」

「いえ。 失礼に当たると思いましたから」

「相変わらず真面目ねえ。 あんたの場合は、ほんとに聞いてないのが目に見えてるからなあ」

腕組みしたマリーは、逆に嘆息してしまった。アデリーは正直でまじめな分、心に奥行きがない。大人の知らない秘密の引き出しをたくさん抱えているくらいが、将来大成出来るものなのだ。アデリーの場合は、もう修正がきかない所まで成長してしまったから、今後はその性格を利用して、周囲の信頼を築いていくしかない。それに関しては成功しているから、悲観的な材料ばかりではないのが救いか。少し考え込んでから、マリーは情報を厳選してアデリーに伝える。

「ザールブルグの南に、巨大な魔物だか何だかよく分からない存在が出たの。 これからあたしは討伐に向かうけど、あんたはシアに状況を告げてきて。 場合によっては手伝ってもらうことになるから。 それで、あんたはどうするかだけど」

「私も戦います」

「……そうね。 もう並の騎士くらいには働けるかな。 分かった、じゃあみんなの補助くらいはしてもらおうかな。 と、その前に」

待つように言い残すと、地下に降りて、リヒト・ヘルツを引っ張り出す。以前獲得した、アダマンタイト鋼を用いた強力な剣だ。装飾も美しいが、刀身に刻まれた血抜きの溝を始め実用的な工夫が多数施され、マリーのお気に入りになっている。数度素振りしてみる。手に吸い付くような圧倒的な一体感が素晴らしい。だが、この剣はマリーよりも、もっとふさわしい使い手がいるだろう。今こそマリーの奥の手であるこのリヒト・ヘルツを使う時である。一度や二度使ったくらいで駄目になるような柔な作りではない。逆に、下手に温存するくらいならきちんと使った方がよい。誰かに貸して、戦況を好転させるのに使用する。

何人か使い手の候補を考えながら、二人同時にアトリエを出る。アデリーは一礼すると、ドナースターク家に小走りで向かった。マリーは剣を手にしたまま、アカデミーへ。途中、警備兵が非常に多く出ていて、街の空気自体がピリピリしていた。不安そうに小声で会話する住人達をちらほら見かける。警備兵が泥棒らしい若い男を取り押さえていた。いつもより数段警戒が厳しい。この様子では、熟練の火事場泥棒でも下手な動きは出来ないだろう。

アカデミーに着く。門には、本日休校の看板が掛かっていた。その上、既に厳戒態勢を敷いていて、いつもの数倍の警備兵が周囲を警戒していた。もっとも、連中にはイングリド先生も期待していないだろう。裏側にある通用門に行って名前を告げると、強面の警備員が黙って通してくれた。裏口からはいると、来慣れたアカデミーも新鮮な印象がある。

マリーが見たところ、隠れることが出来そうな場所には、あらかたトラップが仕掛けられている。なにげなく放置されている縄を見て、危ないなとマリーは思った。イングリド先生のことだから、マリーの作った生きている縄よりもっと複雑な命令を与えることくらい造作もないだろう。忍び込んだドムハイトの諜報員は、たちまち縛り上げられてしまうに違いない。元々の作りも戦闘を意識した頑強なものだし、アカデミーは先生がしっかり守りきるだろう。何しろ、此処は先生の庭だ。超一流の使い手であり錬金術師でもあるイングリド先生が、心血注いだ要塞である。尋常な戦力では、攻略などおぼつかない。

校舎の中に足を踏み入れる。意外に人の気配が多かった。中でも警備員が彷徨いているし、教師達の中には研究を続けている者もいる。来る途中に図書館の側を通ったのだが、気配から言ってドルニエ校長はいるらしかった。こんな日でも、アカデミーは動き続けている。若々しい圧倒的な活力を感じて、マリーは少し嬉しい。

先生は研究室で待っていた。今になっても、まだ先生の方が実力はかなり上である。緊張するマリーに、イングリド先生は厳しい表情のまま人払いをした。周囲から気配が消えると、先生は色が違う双の目を細めた。

「その表情だと、この事態の裏はある程度読めているようね」

「はあ、まあ。 騎士団が作ったらしい大きな鳥とは以前交戦しましたし、聖騎士らしい達人に脅しを掛けられたこともありましたから」

「そう」

腕組みして考え込んだイングリド先生。何処まで話すべきなのか、思案しているのだろうとマリーは見た。だが、予想は外れた。イングリド先生は指を一つ鳴らす。研究室に入ってきたクライス。恭しく盆にのせて運んできたのは、小瓶に入った液体であった。

クライスが机上に瓶を残し、退出するのを確認してから、イングリド先生は話し始める。

「貴方の予想通り、今回の混乱の要因となっているのは、錬金術を駆使して作り上げた生物兵器よ。 そのまま、騎士団ではクリーチャーウェポンと呼んでいるわ」

「ああ、やはりそうでしたか。 そうでなければ、アカデミーが巻き込まれる理由もありませんしね」

「少し違うわね。 騎士団に我らが手を貸していたのではなく、アカデミー出身の二流三流の錬金術師達が、騎士団に協力していたのよ。 だから我々とは水際での対立も多く、何度か交戦寸前まで緊張した事もあったわ。 今回は、騎士団から依頼されて、尻ぬぐいに協力しているの。 見返りを相当にふんだくる予定よ」

「そうだったんですか」

マリーが考えていたよりも、一枚裏の事情があったというわけだ。世の中はマリーの知識以上に複雑に絡み合っている。まだまだ修行が必要だ。その事情を知ると、ヘルミーナ先生の不可解な動きも理解できる。あれは騎士団の作っていたクリーチャーウェポンを探っていたわけだ。

「それで、この薬は?」

「騎士団では、クリーチャーウェポンを制御するために、わざと身体的な欠陥を作っていた事が分かっているわ」

「欠陥、ですか」

「そう、欠陥よ。 ある種の栄養を体内で作れないように、どのクリーチャーウェポンも内臓を弄っていたようね。 それにより、不足栄養を与えることで、効率の良い管理を実現していたらしいわ」

イングリド先生の説明に、マリーは感心して何度も頷いた。三人寄れば賢者の知恵と言うが、低能錬金術師でも集まれば良い案が出せるものだ。確かにそれは実に効率がよい支配方法である。

犬を例に出すまでもないが、人間に逆らったら死ぬと言うことがわかりきっていれば、動物は逆らえなくなる。後は隙さえ見せなければ、最高の道具として戦場で使用することが出来るわけだ。それを上手く駆使すれば、思考能力を完全に奪うことさえも可能であろう。

人間は太古から、そうやって様々な動物を利用してきた。犬も馬も鳥も。南方では象という大きな動物を戦争に利用することがあるという。様々な家畜動物も、利用方法が違うだけで、同類と言って良い。思考能力を奪い去った暗殺者も、その一種であると言える。錬金術師達が行ったのはその延長に過ぎない。ただ、新しい技術を用いていて、少しばかり複雑なだけだ。

イングリド先生がそれをどう調べたのかは気になるが、今はそれよりも、クリーチャーウェポンとやらの製造技術だ。それを知ることが出来れば、確実にマリーは更に先へ進むことが出来る。目を輝かせるマリーに、イングリド先生は薬の瓶を軽く振って見せた。液体は粘性が低く、瓶の中で軽快にはねる。

「この薬は、その欠陥につけ込むものよ。 不足栄養によく似た性質を持っているのだけれど、同じようにして吸収すると、全身が壊死していくわ。 人間にとっては致命傷にはならないけれど、クリーチャーウェポンには必殺の致死毒よ」

「なるほど、それであたしを」

「そう言う事よ。 今交戦を予定している相手は、騎士団の情報によると五階建ての石塔と同じサイズがあるそうよ。 でもその瓶の薬を根こそぎ叩き込めば、確実に倒せるでしょうね」

ヘルミーナ先生とイングリド先生を除けば、マリーが一番任務達成の信頼度が高いと言うわけだ。イングリド先生はアカデミーからあまり離れることが出来ないし、ヘルミーナ先生はそもそも戦力としてはカウントできないだろう。

「技術の回収に関しては、ヘルミーナ先生が動いているわ。 貴方は錬金術の評判を落としかねない暴走クリーチャーウェポンを、正体が割れる前に全力で粉砕することだけを考えなさい」

「はい。 それで、ミッションの報酬は」

「そうね。 これはマイスターランクの学生にも滅多には許さないのだけど、今の貴方の実力であればいいでしょう。 賢者の石の製造方法について、非常に貴重な文献を見ることを許しましょう」

「ほんとですか!? ありがとうございます」

笑顔で礼を言いながらも、マリーは心中舌打ちしていた。さすがはイングリド先生だ。上手くかわされた。不愉快だが、まあいい。賢者の石の製造技術でも、充分以上に魅力的だ。そのために命を賭ける価値はある。

頭を下げて研究室を出る。クライスが途中の廊下で待っていた。既にアカデミー内は騒然としていて、密談をする学生が多く見られた。マリーに合わせて、小走りでクライスが着いてくる。

「何?」

「あの薬は、危険な毒物です。 騎士団の動きといい、何が起こっているのですか」

「好奇心は子猫を殺す、っていうわよ。 自分の身を守る位の力をつけてから、そう言うことは調べた方が良いと思うけど」

「それは分かっていますが」

クライスは何か言いかけたが、結局口の中に飲み込んだ。不可解な奴だと思いながら、マリーはアカデミーを出た。何とクライスは外まで着いてきた。苛立ちを感じ、髪の毛をかき回しながら、マリーは振り返る。

「言いたいことがあるなら、はっきりしなさい」

「……いえ、何でもありません。 危険ではないのかと思ったのですが、貴方は既に聖騎士並みの実力を持っているのでしたね」

「別に実力は関係ないわよ。 あたしが今やろうとしていることは、錬金術の究極に到達しようということ。 そして、何かの究極を求めると言うことは、それなりの危険を伴うものよ」

こんなわかりきったことを言わせるなと、マリーは釘を刺す。クライスはそれ以上食いついては来なかった。

夕方だというのに、外はまだ暑かった。こう言う時は、自慢の髪が鬱陶しい。汗を吸うと手入れが非常に大変だからだ。美にはそれなりの労苦が伴う。戦いの前だというのに、気候は最悪。この暑さが続くようでは、長時間の戦闘は難しいなと、マリーはアトリエに歩きながら考えていた。

 

アトリエに帰り着くと、シアが待っていた。作戦開始は今晩からと言うことで、既に武装している。フラン・プファイル戦では怪我をしたが、今では傷の跡は殆ど残っていない。アデリーは裏庭で素振りをしていて、風を切る音がアトリエの中まで響いてきていた。

殺気だった街の空気は、夕方になっても解消していない。騎士団は慎重に作戦を進めているらしい。場合によっては、自分が出る前に戦いが終わるのではないかとマリーは思っていたのだが、そうはなりそうもない。

「暑いわねー」

「本当だわ」

向かい合って席に着くと、ぼやき合う。シアが来たのはかなり前らしく、もうカップは空になっていた。シアは肌の色素が薄いため、直射日光が苦手だ。耐えられないわけではないのだが、積極的に夏の日の下に出ようとはしない。昔聞いた話によると、夏そのものが苦手なのだそうだ。

シアはマリーが注ぐ茶を頬杖しながら見つめる。やはり若干精気に欠ける。ここ数年でもっとも暑いこの夏は、彼女の活力を著しく削いでいる。グランベルにいた頃は、近くの川で泳いで避暑をしたのだが、此処ではそうもいかない。というよりも、流石に今はもう年齢と社会的地位が軽率な行動をさせてくれない。色々と面倒くさくなったものである。

ちなみに、シアは非常に泳ぎが達者だ。一緒に川に遊びに行くと、魚も驚くようななめらかな泳ぎを見せていた。いつかまた見てみたいところだ。

しばしぼんやりしていた二人だが、茶にミルクを注ぎながらシアがぼやく。

「私の所にも、協力依頼が来たわ」

「やっぱりねえ。 騎士団も、なりふり構わず戦力を集めているみたいね」

「それだけ手強い相手なんでしょうね。 マリー、貴方何か知ってるでしょう」

「断片的な話なら、イングリド先生に聞いたわ」

おそらくシアも感じているだろうが、マリーは騎士団が自分たちの実力を買っているとは思っていない。要は捨て駒だ。

今回の相手は、騎士団にも殆ど知識のない相手なのだろう。未知の存在との戦闘は、基本的に極めてリスクが高い。ただし、知識さえ得てしまえばそう苦労することもない。

騎士団にとって最良の選択肢は、捨て駒をぶつけて、情報を集めることだ。今回はそれが出来ないから、出来るだけ被害を減らすべく、こういう事をしているのだろう。別に腹は立たない。マリーも騎士団にいたら、同じ事を考えただろうから。そして、生き残れば、かなりの報酬が期待できる。

ある程度事情をかいつまんで話している内に、すっかり陽は落ちた。時間だ。アデリーは素振りを終え、しっかりサスマタを握りしめて、アトリエの中に戻ってきた。

「今回は、荷車は持っていきますか?」

「もちろん。 薬剤類を積んでいくわ。 後はクラフトとフラムも」

辺りは松明を持って巡回する警備兵が多く、いつもよりぐっと明るかった。南門に出ると、予想以上に多くの人手が集まっていた。整然と並んでいる騎士団と、雑然と散らばっている冒険者達の対比が面白い。ミューとルーウェンとハレッシュが隅にいたので、手を振って声を掛ける。三人が此方を見る。彼らの間から、石壁に背中を預けてリンゴを囓っていたナタリエの姿も見えた。

軽く挨拶してから、周囲を見る。ベテラン以上の冒険者ばかりだ。騎士団の隅には、腕組みしたクーゲルがいた。冒険者達の中で、比較的力が足りない連中の真ん中には、何とディオ氏がいる。鎧を厳しく着込み、腰には大振りの剣をつけていた。それも、数打ちの駄剣ではない。遠目にも分かる、相当な名剣だ。完全に実戦装備である。知ってはいたが、相当な戦気だ。今でも彼は充分以上に最前線で戦える実力がある。

ディオ氏の考えはよく分かる。力が足りない者達を、自分が的になることで一人でも守ろうというのだろう。義に厚いあの人の考えそうなことだ。或いは気迫から言って、今回を最後の戦いにするつもりかも知れない。

「ふえー、総力戦だね。 ディオさんまで来てるよ」

「敵は一体何だよ。 ドラゴンの大軍か?」

ミューの暢気そうな声に、ナタリエが不安を湛えつつ言った。マリーは五階建ての塔に匹敵する巨大な何者かとは聞いているが、言って良いものか判断を迷った。アデリーがそのままストレートに言う。

「マスターの話によると、とても大きな何者かだそうです。 五階建ての塔ほどもあるとか」

「なっ! そんなでかい生き物が実在するのかよ!」

「ドラゴンよりずっとでかそうだな。 ははは、厳しい戦いになりそうだ」

真っ青になるルーウェンと対照的に、楽天的にハレッシュは笑っていた。

フレアが冒険者や騎士達の間を回って、夜食を配っていた。殺気立っていた者も、フレアの軟らかい表情には声を荒げる事はせず、手渡されるパンを受け取っている。マリーの側にも、フレアは来た。

「あなたたちも出るのね。 アデリーちゃんも、大丈夫?」

「この子の実力は、もう並の騎士を凌ぐわよ。 不足はないわ」

「そうなの。 …マリー、貴方のやり方を批判する気はないけれど、私は同じ事をしたくないわ。 可愛い子供を死地に連れて行くなんて」

「私は大丈夫です。 だから、そんな顔をなさらないでください」

まっすぐ見つめて言うアデリーに、フレアはそうねと短く返して、会話を切った。フレアから手渡されるパンは、焼きたてで、口に入れるとほんのり甘かった。指先を舐めているナタリエは、他の者達の所に行くフレアの後ろを、辛そうに見つめていた。

ナタリエにとって、ディオ氏は第二の父親であるし、フレアは姉のようなものだ。世間一般の家族よりも、恐らく絆は強いだろう。無言でアデリーがナタリエの肘を掴んだ。はっとした様子で、ナタリエは表情を崩した。

「あ、すまない。 オレ、呆けてたか」

「ん、いいフォローだわ」

マリーはそう娘をほめながらも、もう意識は会話に向けていない。シアに僅かに遅れて、南を見る。感じたのだ。いる。途轍もなく巨大な気配。ひょっとすると、人間が今までの歴史で生み出した、もっとも強力な戦闘用の道具かも知れない。

騎士団が動き出す。ディオ氏が声を張り上げた。

「者ども、行くぞ! 俺はあくまで支援に徹する! 死にたくなければ、前線では基本的にマリーの指示に従え!」

此処までフォローしてもらったからには、マリーも動かなければならない。手を叩いて、皆を見回す。

「はい、集まって。 今回の戦いは相当に厳しいわよ。 どんな敵が出てくるか分からないけど、前衛は絶対に後ろには攻撃を通さないつもりでね。 それと、後衛は力を惜しまないこと。 最初から全力で、相手の見かけが何だろうと、容赦なく叩き殺すつもりでね」

「応ッ!」

「良い返事ね。 みんな、生き残るわよ!」

誰もが知っている。この中で、死ぬ者が恐らく出るであろうと言うことを。

人間は得意とする集団戦に持ち込むべく、群れを作る。ただし、生存率を上げる意味も、其処には含まれている。その点では、海の中で巨大な群れを作る小魚と同じだ。

戦いの時は、刻一刻と近づいている。流石のマリーも、緊張せざるを得なかった。

 

騎士団は実際に塔に攻撃を仕掛ける前に、不十分とはいえ情報収集を行っていた。現在大教騎士となっているカミラ=ブランシェも、もちろんその過程で尋問を受けた。クリーチャーウェポン製造の最高責任者だったのだから当然である。尋問といっても精神的な苦痛を伴うようなものではなく、単に情報開示の要求だ。

南門の本陣に招かれたカミラは、この空気は久しぶりだなと思った。辺りは物々しく兵士達が警備し、何人かの騎士に敬礼を受ける。敬礼で返しながら、本幕に歩く。既に夜。騎士団の主力部隊と、エンデルクと共にフラン・プファイルを撃破したマルローネとシアを中心とした冒険者達による混成部隊は、既に出発している。ただ、積極的に攻撃に出る混成部隊と違い、騎士団はまだ距離を取って様子見だ。本陣にはいると、エンデルクとジュストの他、何名かの騎士団幹部が待っていた。

大教騎士となっている現在のカミラも、幹部待遇である。大教騎士となる前に聖騎士だった事もあり、カミラを侮る者などいない。今では不思議と心が落ち着いていて、他人の嘲笑がさほど気にならないが、以前は違った。こういう場に出ると、誰が自分を如何に馬鹿にしているのか、そればかりが気になっていた。

招かれるままに席に着く。エンデルクは数日寝ていないのか、相当に疲れている様子であった。その証拠に、かなりせっかちに本題に入った。

「早速だが、細かい部分での情報調整に入りたい。 このレポートにもあるが、敵の正体は人間を材料にしたクリーチャーウェポンで間違いないのだな」

「レポートの通りです。 宝石ギルドの幹部であったファーレンと、その子飼いであった暗殺者ゼクス。 私が提供した二つの肉体を錬金術師達がいじくり回し、作り出した要人護衛型クリーチャーウェポン。 それが奴です」

「要人護衛型というと」

「私がクリーチャーウェポン製造のポジションにいた時にはまだ未完成だったのですが、現在の状況から言って、基礎的なコンセプトは継承しているようですね。 一言で説明すると、生きた要塞です。 頑強な防御能力を有し、体内に護衛対象を匿うことで、確実に暗殺から防御する。 更に手足となるクリーチャーウェポンとの精神的なリンク機能も保有している。 もっとも、此処まで巨大ではなく、当初は家くらいのサイズを想定していたのですが」

「なるほど、他の二体との連携も、その能力を使ってのことか」

ジュストが重々しく言ったので、カミラも頷いた。残り二体については、カミラも良くは知らない。基礎的な設計構想だけは知っているが、それだけだ。だが、それがかなり役立つことを、ジュストが出してきた似顔絵を見て、すぐに悟ることとなった。というよりも、錬金術師達が、カミラの想像以上に無能だったのだ。

「残り二体だが、此方がスキュラー、此方がヘカトンケイレスで間違いないかね」

「はい。 この似顔絵が正確であれば」

芸のない奴らだと、イラストを見ながらカミラは死んだ錬金術師達を評していた。カミラが作り上げた基礎構想から、死んでも逃れられなかったのだ。普通人間は暴走すると、あらぬ方向へ思考を飛ばすものだ。だが、錬金術師達は、結局己の創造性を、カミラの敷いた道の上でしか発揮できなかった。文字通りの無能者である。今になればよく分かる。カミラがいて、ようやく彼らはまともな人間並みの活動が出来たのだ。

ただ、その評価には、以前のような悪意が混じっていなかった。不思議とカミラの心からは、わき出すような悪意がほとんど消えてしまっていた。理由はよく分からないが、尊敬を受けていると感じるようになった最近は、特にその傾向が顕著だった。

スキュラーとヘカトンケイレスの説明をすると、騎士達は呻く。オーダーメイド型の強力なクリーチャーウェポンだけに、カミラも贅沢な機能を盛り込むように命じた。もっとも、対費用効果は疑問であったから、量産型の開発を優先させたのだ。

今回の事件は、カミラにも責任がある。だが、彼女だけが悪いのではない。警備は可能な限りのものを敷いていたし、責任を追及できる相手がいない。ともかく、今はファーレンを撃破する事が最優先だ。

「大教騎士にも、協力を仰ぎたい」

「……王は何と」

「今回だけは特例だそうだ。 私からも個人的に頼む。 前線で、貴殿の弟子達を、出来るだけ守ってやって欲しい」

エンデルクの言葉に、カミラは呻いて唇を噛む。それを言われると弱い。今回の作戦には、ザールブルグに駐屯している騎士の殆どが参加する。もちろん、カミラが此処数ヶ月鍛えてきた者達も含まれているのだ。彼らはカミラを慕っている。周囲が決してカミラを馬鹿にしているわけではないのだと、教えてくれた恩人でもある。出来るだけ死なせたくない。

エゴの怪物であったカミラは、今でもこういう点では感情の束縛から逃れられない。自分を馬鹿にする連中を許せないから、カミラは強くなった。今では自分を尊敬してくれる者達が死ぬのは嫌だから、全力を尽くす。女は感情の生き物だとか言う評価があるらしいが、自分に関してはそれは当てはまるなと、カミラは思った。

「布陣を見せて欲しいのですが」

「陣形の変更は出来ないぞ。 それに、君の配属位置もだ」

「そんなことは分かっています」

騎士団の裏側を握っていた頃と、今は状況が違う。地位もそうだが、何よりも精神面の変化が大きい。カミラはこの国を代表する騎士として、この乾坤一擲の戦に望みたかった。その表情を見て、エンデルクは咳払いすると、もっとも過酷な戦闘が予想される一点を指さしたのであった。

もちろん、カミラに異存はなかった。ただ、問題が一つある。陣立てを変える権限がもう無いとは言っても、これは公人の義務として指摘しなければならなかった。

「この位置の第十七大隊、もう展開を終えていますか?」

「む? それがどうかしたか」

「今説明したヘカトンケイレスの能力ですが、仮に1.5倍に拡大したとすると、もろに射程圏内に入ります。 今までのように偵察に騎士団の精鋭を使うのであれば察知されないでしょうが、如何に鍛えているといっても新兵もいるレンジャー部隊では荷が重すぎます。 もう三百歩後退させた方が良いでしょう。 もし此処を破られると、防衛線が崩される可能性があります」

「……すぐ伝令を手配しろ!」

伝令にエンデルクが叫ぶ。駆け出す伝令の背中を見ながら、カミラは多分伝令が間に合わないことを悟った。騎士団と冒険者部隊が攻撃を開始する前に、軍が崩されると、混乱が波及する可能性がある。

此処でカミラが考えるべきは、聖騎士としての武力を、如何に活かすかだ。兵士達を守るために、盾となって散るというような発想はない。ただし、出来るだけ被害は減らしたいとは素直に思う。現在森の中に張られている陣を素早く頭に叩き込むと、予想される敵の行動や、攻撃を受けた際の味方の逃走経路などを考える。

程なく、カミラは愛用のバトルアックスを背に、天幕を出た。既に配置は決まっているから、一言だけ断って来た。エンデルクは一戦士としては文句なしに大陸最強だが、総司令官としての手腕は並だ。此処はカミラ自身が動くしかない。

案の定というべきか。森の中で、戦気が交錯し始める。カミラは久しぶりに能力を展開すると、森の中を疾風のように駆け始めた。

 

それには意識があった。人間だったということを自覚出来るようになったのは、いつの頃であったか。自分でも、はっきりとは把握していない。

最初はぼんやりとした感覚しかなかった。その感覚は、記憶にあるものと著しく違っていた。光を感じた。肌に何か触れた。ゆっくり意識を研ぎ澄ませていくうちに、自分の様子が分かってきた。

あまりにも、元と違いすぎていた。

手はなく、足はなく。目はおぞましいまでに増え、手でも足でも無い得体が知れない器官が、頭足類の触手のようにうごめいていた。それが体から生えているのだ。しかも自分自身は、栄養液が満たされた巨大な瓶の中に入れられていた。一度意識が覚醒してしまうと、己の惨状に発狂しそうになった。だが、意識はどういう訳か沸騰せず、ある程度の混乱をきたすと、後は自然に沈静化していってしまうのだった。だから発狂はしなかったが、その代わり憎悪が蓄積していった。

瓶の外はよく見えた。人間が彷徨いていた。複数。どいつもこいつも、此方を道具としか見ていなかった。それを見ながら、徐々に記憶を取り戻していった。

最初に疑問に思ったのは、××××はどうしたのかと言うことだった。名前は思い出せなかったが、とても大事な人のはずだった。恋人とは違った。他の種類の、大事な人だった。意識を集中すると、少しだけ思考を働かせることが出来た。幸い目は無数にあったから、探した。見つからなかった。

大事な人が、ファーレンという名前だと言うことを思い出した。ファーレンが母親のような人だと言うことも。時間はたっぷりあった。他のことも、少しずつ思い出してきた。自分の名前も。ゼクスと言った。

宝石ギルドを壊滅させた奴を襲おうとして、返り討ちにあった。そして騎士団に捕まり、拷問を受けて失神して。それ以降の事は覚えていない。憎むべきは、あの背が低い強力な騎士と、金髪の酷く冷たい目をした女だ。二人のことを考えると、憎しみで目の前が真っ赤になった。

そのうち、体が動くようになってきた。小柄な老人が、少しずつ何かの薬を入れていることに、ゼクスは気付いた。気付いたが、放っておいた。まだ勝てないという実感があったからだ。奴らは強い。満足に体が動かない状態では、戦いたくない。奴らを殺し、ファーレンを助け出す。それだけが、ゼクスの全てとなりつつあった。

それに気付いたのは、力がほぼ蓄えられた頃であった。周囲を彷徨く人間共の目を盗みながら、ゼクスは己の能力を徹底的に検証していた。その過程で見てしまったのだ。体の下部にあるものを。巨大なイソギンチャクのようにふくれあがった体から、人間の指が何本か生えていた。おぞましい光景であったが、問題は其処ではない。その指自体に、見覚えがあったのだ。

全身が震えた。絶叫しそうになった。指は、白くて、自分のものではなかった。そう、それは。それは、助けに行かなければならないと考えていたあの人の指。それが、こんな形で、体から生えていると言うことは。

憎悪が絶望に塗り込められ、急激な変化を起こしていった。ゼクスは知った。ファーレンが既にこの世になく、そればかりか己が取り込んでしまっていると言うことを。おのれおのれおのれ。ゼクスは吠えたが、言葉にならなかった。かくなる上は、シグザール王国騎士団も、あの金髪の女も、そして周囲を彷徨いているこの人間共も、皆殺しにしてやる。ゼクスは一人誓う。この世で唯一、肉親だと感じたあの人のために。

周囲の人間は、ゼクスの抑えきれなくなった殺気にも反応できないような盆暗共であった。恐れる要素は何もなく、ただじっくりと力を蓄えることが出来た。

やがて力を完全に使えるようになった。

ゼクスは周囲の人間達を皆殺しにし、そして憎きシグザール王国騎士団を滅ぼすべく、動き出した。もはや何もかもが憎悪に塗りたくられていた。自分の命など、どうでも良かった。ただ復讐心だけが、その体に満ちていた。

そうして、ゼクスは暴れ始めた。憎きあの者達を殺すために。

 

3,死闘

 

最初に狙撃を受けたのは、屯田兵第三師団第十七大隊であった。

兵員およそ300からなるこの部隊は、森林での戦闘を得意とするレンジャー部隊であり、練度も申し分ない。レンジャー部隊であるため、軽装が主体だが、優れた使い手が揃っているため、決して戦闘能力は低くない。何人か騎士を輩出したこともある、名門の部隊である。歴史も長い。第三師団が創立されたのは80年ほど前だが、その時から存在し、ドムハイトとの大戦でも多くの死者を出しながら生き残った。他の部隊との統合や再編成も何度かあったものの、現在に至るまで部隊規模は殆ど変わらず、まず精鋭と考えて良い部隊としてまとまっている。

今回の作戦でも、第十七大隊はベテランの指揮官に率いられ、10の小隊に別れて油断無く展開していた。目的は敵が動き始めた場合、即座に対応。攻撃能力を探り、周囲に情報を伝達することである。攻城兵器はまだ到着していないし、騎士団が攻撃を仕掛けるには、まだ情報が足りない。一種捨て石に近い役割だが、それが無ければ戦いには勝てない。斥候を嫌がる若者もいるが、この隊で揉まれている内に、やがて誇りが芽生えていく。そうして隊に二年もいると、立派な兵士が一人育ちあがるというわけだ。

当然の話であるが、隊には能力者もいる。気配探知型の能力者は部隊特性上必要なので、優先的に回されている事情もある。部隊長は彼らから報告を受けながら、距離がおよそ900歩から変わらないことを、一刻前から確認していた。もちろん、相手が移動を開始したら、即座に反応するつもりであった。この距離の殺気を探知できる相手となってくると、聖騎士くらいである。もし相手の実力がそれに準じるとすると、それに合わせて戦略も変えなければならない。この部隊の任務は重い。

木の幹の影に身を伏せ、相手を伺い続けていた大隊長の側に、伝令が跪く。まだ若造で、気配の消し方が下手だ。

「隊長」

「何だ」

「増援が来るそうです。 聖騎士が一人」

「それは心強いな」

あごひげを蓄えた隊長は、そう言って振り返り、見た。

伝令の胸に、巨大な銛のようなものが突き刺さっている。長さは四尺ほどもあるだろう。伝令は、まだ生きている。だが大量の鮮血を口から吹き出すと、仰向けに倒れた。唖然としている周囲の兵士達の中で、一番最初に立ち直ったのは、やはり歴戦の隊長だった。

「総員戦闘準備!」

叫んだ隊長は、見た。周囲の兵士達に、次々と突き刺さる黒い銛を。馬鹿なと、隊長は呻く。900歩以上離れているのに、その状態から、これほど精確な狙撃を、連続して繰り出すことが出来るとは。敵の有効射程は、この距離を遙かに凌ぐと考えて良い。

「距離、変わっていません!」

「伝令をすぐに飛ばせ! 敵は四半里以上の距離から、精密狙撃を連続して放つことが出来る! 布陣の変更が必要だ!」

頷き、駆けだした兵士が、背中から銛に貫かれて横転する。即死だ。後退の指示を飛ばした隊長は、己の愚を悟る。二百歩以上下がっても、敵の狙撃は正確性を落とさない。隊長は怒りに青ざめた。恐らく、敵は最初から知っていたのだ。その上で、隊の気が緩む瞬間を待っていた。そして、機会を捕らえて、皆殺しに掛かってきたのである。

一度に十以上も飛来する銛は、恐るべき精確さで、次々と歴戦の兵士達を貫いていった。阿鼻叫喚の渦と化す中、それでも隊長は必死に周囲を叱咤し続けた。1400歩ほど離れたところで、狙撃が止む。狙撃可能距離は、この前後か。改めて周囲を見回す。生き残った兵士は、半数を少し超える程度のようだった。置き去りになった負傷者もいるだろうが、十人か、或いはその半分か。

もともと隠密行動部隊は、いざ攻撃を受けた時の被害が大きい。わかりきっていたことだが、この損害はほとんど壊滅といって良いほどのものだ。歯ぎしりする。己の不甲斐なさで、目の前が真っ赤になった。だが、それでも隊長は、指揮官としての責務を果たす。己の怒りを抑え込み、周囲に指示を飛ばす。

「すぐに追加の伝令を出せ! 敵の狙撃可能距離は、およそ1400歩! 我らは後退し、再編成をはかる!」

「た、隊長! あれを!」

指示を飛ばしていた隊長は、見る。遙か向こうの森で、巨大な火柱が上がる様を。凄まじい破壊力だ。多分空にいるもう一匹の仕業だろう。一目で分かる。逃げ遅れた兵士は全滅だ。ぎりぎりと歯を噛む隊長は、周囲に無数に浮かび上がる気配を察して、剣に手を掛けた。いずれも強い殺気と敵意を放っている。

「全員、散れ! 何としても伝令を守り、生き残れ!」

隊長は、現れた無数の影に、咆吼しながら突撃した。部下達が、一人でも多く生き残れることを祈って。

 

多くの兵士達が展開している森は、いつもと雰囲気が根本的に違っていた。縄張りを侵された猛獣たちは、為す術無く巣穴に身を潜め、大挙して押し寄せた人間達を恨みがましく見つめていた。邪魔な場所にいる猛獣は容赦なく狩り立てられた。

マリー自身は、兵士達とは関係なく、騎士団の指示を受けて南へと進んでいた。既に街道は外れて、森の中。辺りは薄暗く、組織的に陣を張っている屯田兵達とすれ違う他は、人間の姿はない。それなのに、既に此処は動物たちの縄張りではなくなっていた。いつのまにか、どの部隊よりも突出していた。すれ違う部隊がいなくなる。

荷車を引いているマリーに、アデリーが聞いた。緊張している様子はなく、ただ好奇心からの行動だろう。きちんと気配を消し、声が周囲に漏れないように抑えているので、マリーは怒らなかった。

「マスター。 騎士団と私たちって、何だか、兵隊さん達とずいぶん動きが違うみたいですけれど、どうしてなんですか?」

「それはね。 戦略上の役割が違うからよ」

「そうなのですか?」

「兵隊さん達は、基本的に大人数での組織戦を行う訓練を受けているの。 あたし達は、少人数での戦闘を得意としているのよ。 其処まではわかる?」

兵士達は整然と動いているのに対し、騎士団も冒険者達の選抜精鋭部隊も雑然としている。一見してそれは明らかだ。アデリーは頷いた。側でこっそり聞いているナタリエやミューのためにも、マリーは続けた。

「大人数での組織戦は、基本的に面の制圧を目的としているのよ。 それに対して、あたし達は点の粉砕を得意としているの。 ようするに、敵の浸透を阻むのが兵隊さん達の仕事。 足が止まった敵を倒すのが、あたし達や、騎士達の仕事になるわけ」

「なるほど、分かりました。 それにしても、どんな敵なんでしょうか」

「さてね。 ただ、これだけの戦力を動員すると言うことは、相当に危険な相手なんでしょうね」

アデリーはまだ気付いていない。これほどの戦力を動かすと、どれほどのコストがかかるか。腐敗した軍や生まれついての貴族なら、それに気付かないかも知れない。しかし、このシグザール王国でそれはない。これほどの動員を行う必要がある敵だから、膨大な消費コストに目をつぶっているのだ。

イングリド先生から聞いた話を思い出す。もし今暴走しているクリーチャーウェポンとやらが、これだけの大動員にふさわしい実力を持っているとなると、今後の戦争の歴史は変わるかも知れない。昔から、一人で一軍に匹敵するなどと唄われた武人は多い。だが実際に一個師団を正面から相手に出来るような能力者は、史上存在していない。覚醒暴走型の能力者でさえそうなのだ。人間には限界がどうしても存在する。だが、クリーチャーウェポンはその壁を越えるかも知れない。

現在の戦争は、結局の所人力で行われている。マリーが考えている未来の戦争は、完全な量産が可能になった火薬を用いてのものだ。火薬の破壊力は、将来的に人力を遙か凌駕すると、マリーは確信していた。今までは、である。今はそれも揺らぎつつある。暴走しないように制御システムを整えたクリーチャーウェポンの破壊力次第では、それが主力になるかも知れない。

ともかく、全ては現物を見てからだ。騎士団が総力を挙げているくらいだから、マリーが到着した時には既に死んでいたというような貧弱な相手ではないだろう。それに、感じる巨大な気配は、いまだ衰えていない。近づけば近づくほど、剥き出しの殺気を感じて、心地よい。殺気をまき散らしながら向かってくるような相手の方が、叩き殺しがいがある。

以前ドムハイトの竜軍が消滅した事件があったが、それもクリーチャーウェポンの仕業だとすると、ますます楽しみである。何度か舌なめずりしている内に、距離はどんどん詰まっていった。

爆音が響いたのは、後900歩ほどかと、マリーが気配との距離を測った頃であった。同時に怒号と悲鳴が響き渡る。激しい気配がぶつかり合い、此処まで殺気が染み渡ってくる。まだベテランになったばかりの冒険者の中には、露骨に動揺するものもいた。集団戦の経験がないのだろう。ざわつく混成部隊に、マリーは一喝した。普段とは打って変わったどす低い声が、辺りの雰囲気を瞬時に凍結させる。

「うろたえるな! 此処はもう戦場だ!」

「その通りだ。 まずは前進し、状況を見る!」

ディオ氏がフォローしてくれたので、マリーは軽く一礼した。シアが小脇にはたきを挟むと、ナタリエと、他の何人かを呼び集めながら言う。皆機動力を売りにした者達ばかりだ。

「大物見してくるわ」

「よろしく」

細心の注意を払えとか、気をつけてとか、そんな事は言わない。シアに対しては、却って失礼だからだ。マリーは鋭く周囲に指示を飛ばし、前衛と後衛を分ける。アデリーはマリーの側にいたそうだったが、短く首を振って拒否。

軍ほどの組織行動は出来ないにしても、部隊を種別に分けた方が、活動はしやすくなる。前衛の真ん中にディオ氏が歩む。これ以上もないほどに優秀な副司令官だ。マリーは頷くと、多少行軍速度を落とした。荷車は、側にいた若手の魔術師に任せる。冷気の遠距離攻撃を得意とする術者で、フラムを誤爆させる可能性は低いだろう。眼鏡を掛けた青年は、ぶつぶつ言いながら荷車を引いた。

喚声が近づいてくる。森の向こうで、何かが吹き上がった。大量の土砂が、森よりも高く跳ね上げられたのだと、すぐに気付く。雨のように辺りに砂が降り注ぐ。マリーは舌打ちすると、足を止めた。

クリーチャーウェポンとやらの気配が大きい。しかも、地上だけではなく、上空にも二ついる。森の中で圧倒的な威圧感を放っている一体の上を旋回しているが、ただ飛んでいるだけではないだろう。既に軍は激しい交戦状態に入っているらしい。さて、これ以上近づく前に、敵の戦力と能力を知りたいところだが、上手くいくかどうか。

「気配を消して! 戦闘態勢を取ったまま、シア達の帰還を……」

「伏せろっ!」

「!」

ディオ氏が気付くのと、マリーが飛び退くのは殆ど同時。マリーがいた空間を抉るようにして、中空から、無数の銛のようなものが降り注いだ。地面に突き刺さる銛。誰かの体を貫通するもの。瞬時に散開した冒険者達は、流石に皆歴戦の猛者だ。

マリーは即座に状況分析を終える。上空にいた一体の攻撃か。そうなると、マリー並の遠距離攻撃射程を持っていることになる。マリーは、木を易々貫通している銛を見て、舌打ちした。逃げるのは失策だ。この射程距離と破壊力だと、逃げるところを後ろから一方的に狙撃されることになる。下手をすると全滅だ。

「前衛展開! 長距離狙撃戦に入る! 後衛狙撃準備! 遠距離狙撃可能な能力者は、詠唱開始!」

「応っ!」

「負傷者を後ろに下げろ! すぐに第二射が来るぞ!」

すぐにこの場では役に立てない中距離狙撃型の能力者が走り、呻いている負傷者を抱えて後ろに下がる。ディオ氏は既に抜いていた剣を構えると、遙か先にいる敵にまっすぐ向き直った。マリーは腰を落とすと、カイゼルヴァイパーの体勢にはいる。シアが先行している。ひょっとすると、飛んでいる奴をたたき落としに掛かる可能性もあるが、それは今は気にしない。向こうでやってくれることを期待するしか無い。そしてシアなら、判断力も攻撃能力も信頼できるからだ。

アデリーがサスマタを構えたまま、目を閉じるのが見えた。それによって感覚をとぎすまし、人間の精神の極限まで集中するのだ。詠唱を続けながら、マリーは感心した。相当に腕を磨き上げないと、出来ないことだ。殆ど間をおかず、無数の銛が再び飛来する。飛び出したディオ氏が剣を振るい、二つ、三つとたたき落とす。それに続いたルーウェンとミューが、卓越した手際で銛をたたき落とした。

攻撃の間隔がかなり短い。しかも恐ろしく正確だ。今の狙撃では、最初のように死者は出なかったが、数人の負傷者が出ている。アデリーも銛を一つたたき落とした。見事な手際で、母として嬉しかった。遠距離狙撃能力者が、次々と己の得意とする術で、空を飛ぶクリーチャーウェポンに反撃を開始する。雷撃も、火球も、光の矢もあった。三割ほどが的を外したが、残りはことごとく上空の気配を直撃する。絶え間ない連続攻撃だが、上空の気配が落ちてくる様子はない。

「マスター!」

アデリーの声。それより僅かに早く顔を上げていたマリーは、見た。周囲で、一斉に気配が沸き上がる。見ると、撃ち出されていた銛から昆虫のように細い手足が複数生え、耳障りな声を上げながら、殺気を撒き始めたのである。

上空、長距離からの正確な狙撃能力に加えて、使用した銛までもが生体素材で、追加攻撃を可能とする。なるほど、凄まじい能力だ。この様子だと狙撃回数には限界があるが、それまでに此方が全滅しない保証はない。

「ディオさん! 何人か連れて、狙撃対策を!」

「応! 任せておけ!」

「他の全員は一旦狙撃中止! 銛状の生物を撃退に全力を注ぐ!」

言うか言わないかのうちに、銛のような黒い生き物は、羽を体と垂直にひろげ、鋭い頭を武器に飛び掛かってきた。黒い甲殻の下に薄い注ェが見えるから、おそらくは昆虫であろう。常識外の大きさだが、このサイズの昆虫なら世界各所に生息している。飛び掛かってきた一匹を杖で防いだマリーは、重い手応えに口笛を吹いた。想像以上に鋭い一撃だ。

銛状の虫が、旋回して戻ってくる。羽音が凄まじい。だが、一度撃ち出されてしまうと、大した速度は出せないらしい。重いが、遅い。マリーは口の端をつり上げると、杖を振り回し、銛の側頭部を容赦なく捕らえた。樫の木をへし折るような音と、心地よい手応え。頭を陥没させた銛は空中で悲鳴を上げ、ふらふらと落ちていった。更に、もう一匹が逆から飛んできた。だが、もう速度は見切った。紙一重でかわすと、掌から直接電撃を叩き込んでやる。悲鳴を上げながら、生きた銛は空中ではじかれたように姿勢を崩し、落ちてから手足を縮め、動かなくなった。六本ある手足を縮めて動かなくなる様子は、大きなナナフシのようだ。事実、ナナフシを改良した生物なのかも知れなかった。口から吹いている泡が臭い。体液も似たような状況であり、食べる時には悪臭抜きをしなければいけないだろう。

狙撃後の追撃は、恐るるに足らず。マリーは一声吠えると、軽めの雷撃を放ち、アデリーを後ろから狙っていた一匹を消し炭にした。この程度の近接戦闘能力の持ち主なら、マリーでも充分手に負える。一つずつ能力を解析していくしかないが、対応策を練り終えられるか。既に数人が命を落とし、その数倍が負傷している。回復系の術者が被害の軽減に努めているが、それも追いつかない。殺戮を楽しんでいる場合ではない。

再び狙撃。十を超える銛が飛来する。だが、今度は銛の軌道が大きくそれた。マリーは振り返り様に、背中から串刺しにしようと躍り掛かってきた銛を掴むと、膝に叩きつけてへし折った。硬いが、鉄ほどの強度はない。紫色の体液をたらしながら痙攣している銛を投げ捨てると、マリーは戦略の転換を決めた。

ハレッシュが、銛を二匹まとめて捕まえると、地面に叩きつけてへし折っていた。アデリーが躍り掛かってきた銛を紙一重にかわすと、サスマタに引っかけて上空に投げ上げる。落ちてくるところを、ミューが一刀両断した。一体一体の実力はそれほどでもない。程なく、掃討戦は終わった。既に五名が命を落としているが、まだ戦う余力はある。というよりも、今の内に戦略を切り替える必要があった。

「総員突撃! 接近戦に持ち込み、最前線を援護する!」

今の狙撃がそれたのは、何らかの方法で、前線の人間が上空のクリーチャーウェポンに痛打を浴びせたからだ。シアの可能性もあるし、先行していた騎士団の精鋭かも知れない。分かっているのは、この間合いでは此方に著しく不利だと言うことだ。

余力のある者が、怪我人を背負う。そのまま全員で、森の中を走る。遅れが出ないように速度を均一にしなければならないのが少し面倒くさいが、やらなければ被害が増える。マリーをはじめとして、遠距離支援型の能力者は、身体能力がそれほど高くはないのだ。先に進むと進むほど、辺りは死骸が点々としていた。兵士だけではなく、銛状の生物もかなりの数が死んでいた。屯田兵も気が荒いだけではなく、実力を兼ね備えた者達だ。対抗能力を既に身につけ始めているのかも知れない。

狙撃の数が、露骨に減っていた。狙いも不正確になりつつある。前線で何かがあったのは疑いない。此方への負担が減った分、前線の負担が大きくなっている可能性も低くない。急ぐ必要があった。

走りながら、飛んでくる銛を右に左に弾き返すアデリー。マリーは荷車に駆け寄ると、強壮剤を何個か懐に入れた。早めに口に入れて、体力を補給しておく。そろそろ、気配が近い。やがて、森が開け、濛々とあがる黒煙と、それの姿が間近に見えた。

 

機動力が高い能力者を連れて森を疾走するシアは、木の枝を蹴って跳躍しながら、油断無く周囲に気を配っていた。

マリーもそうらしいのだが、最近自分の限界が今までになく近くに感じられるようになった。内臓が非常に頑丈になって、無理が効くようになったからというのもある。能力の錬磨に余念が無くなったため、却って限界が見えてきたのだ。

シアの能力は、元々魔力に依存するものではない。技を練り上げることがその殆ど唯一の強化方法であり、それが故に限界はどうしようもない越えがたきものだ。父から受け継いだ奥義である時の石版を使えるようになってからは、特に強く己の天井も見えるようになってしまった。肉体の強化にも限界がある。シアは、多分もうこれ以上飛躍的に能力を上げることは出来ないだろう。

だからこそに、周囲に気を配ることで、己の能力不足を補おうと、常日頃からシアは考えていた。修練も惜しまず、精神を絞り上げていたのもそれがためだ。だからこそに、今ではマリー以上の圧倒的な気配探知能力を展開できる。敵の位置も精確に把握出来るし、対処能力も高い。

周囲には死が満ちていた。散らばる無数の死体。この様子だと、屯田兵の死者は既に百人を超えているだろう。前線は潰走状態に陥っている可能性もある。場合によっては、即座に引き返す必要性がある程に、状況は悪い。一人を、マリーに状況を伝えに走らせる。その上で念入りに周囲を観察。遺骸に突き刺さっているのは、例外なく黒い銛のようなものだ。一体これは何だ。生物の気配があるが、正体までは分からない。

森が開ける。

木の幹に張り付いたまま、シアは見た。なぎ倒された木々の真ん中に、聳え立つ巨大な影。確かに五階建ての石塔ほどの大きさがある。というよりも、見れば分かるが、塔そのものが生物化している。恐るべき巨大さだ。

更に上空に二つの影。その内の一つが、マリーのいる方へ、黒い銛状のものを連射した。巨大な風船のような姿。気配を殺して観察するシアに、側で伏せているナタリエが言う。

「何だろ、あれ」

「さあ。 何だって構わないから、今は能力を分析しなさい」

軽快に木床を踏みならすような音は、上空の影の一つ。風船状の丸い奴が銛を発射する度に響いている。しかも奴は四方八方に間断なく銛を打ち続けていた。風船状の体は、複数の節に別れていて、そのいずれにも巨大な眼がついている。下部からは無数の触手が伸びていて、空中をまさぐるようにしてうごめいていた。銛の方を観察してみる。着弾地点と速さから言って、有効射程距離は四半里以上出ている。達人並の長距離狙撃である。しかも、それを間断なく行っているのだ。ひょっとするとあれは単体ではなく、複合生命体なのかも知れない。共生を進めた結果、複数の生物がさながら一つの個体のようにして生きている存在がいると、シアは聞いたことがある。その一種かも知れない。

もう一匹、空を飛んでいる奴がいる。それはエイのようだが、下半身から無数のひれをぶら下げ、悠然と空を泳いでいた。北に移動し続けている石塔の怪物とリンクしているのか、それの上空をゆっくり飛び、辺りに睨みを利かせている。エイは今のところ動いていないが、十中八九、あの風船に匹敵する実力を持っているだろう。さてどう動くか。落とせるようなら、この場で。駄目なようなら、能力を見極めた上で一端撤退し、騎士団と状況の協議にはいる。

「貴方は、ドナースターク家のシア様ですね」

不意に掛かった声に、ナタリエが声を上げそうになったので、慌てて口を押さえた。殺気立つ他の者達を視線で威圧し、静まらせる。少し前から接近に気付いていた。顔を上げたシアは、木の幹に逆さに張り付いていた小柄な騎士を見た。眼鏡を掛けたその顔には見覚えがある。この間大教騎士となった、カミラ=ブランシェだ。若くして騎士団の頂点に近い座を得たというだけ有り、相当な切れ者だと聞いている。距離は十歩ほど。双方、既に間合いに入っていると考えて良い。

「如何にも。 貴方は、聖騎士カミラですか?」

「その通り。 話が早くて助かります」

音も立てずに、カミラは地面に降りた。流石に聖騎士の中でもトップクラスの実力を持つと言われるだけのことはある。並の手練れではない。少し動きを見るだけで分かるが、シアとは殆ど年も変わらないだろうに、その戦闘能力は、底が知れない。喋っているのに、影のように気配もない。

世界は広い。幾らでも上には上がいる。頂点を極めたなどと思えるのは一体いつなのか。また鍛える気力が湧いてきて、シアは嬉しかった。

「貴方と此処で会えるとは幸運でした。 大物見の最中ですか?」

「そうです。 貴方は救援に来たら既に部隊が壊滅していたという所ですか?」

カミラは無言で頷く。大教騎士は名誉職の色彩が強く、権力は殆ど持っていない。多分、今回は顧問のような立ち位置で、最前線の支援に来たのだろう。もっとも、このカミラは昔から黒い噂が絶えなかった。他にも何枚か裏の事情があるかも知れない。

「貴方になら、事情を話しても良いでしょう。 少し部下達を下げてもらえませんか?」

それきたと思った。塔から巨大な触手が伸び、通路にあった木をへし折る。途轍もない長さだ。地面に近いところから生えている奴などは、五十歩以上先まで届くだろう。その上あのパワーだと、人間の能力では抑えるのが途轍もなく難しそうだ。破城槌は役に立たないかも知れない。周囲に倒れている無数の木は、あのようにしてなぎ倒されたのだ。そして塔の化け物は、まっすぐザールブルグに向かっている。移動速度から言って、今晩から明日の朝に掛けて目的地に到達するだろう。そうなったら、被害は甚大だ。

「ナタリエ、皆を連れて二十歩ほど下がりなさい」

「大丈夫なのか?」

「私が貴方より劣るとでも?」

「…分かった、あんたの言うとおりだな。 でも、何かあったら、すぐオレを呼べよ」

ナタリエは多少の不満を残しつつも、距離を取る。カミラはそれを確認すると、横を二百歩ほどの距離をおいて通り過ぎていく塔を見る。上空の風船に、マリーのいる辺りから長距離能力狙撃が打ち込まれた。そこで、エイが動く。驚くべき素早さで着弾する前に風船の前に回り込み、口から無数の火球を吐いて、弾幕を作った。炎も、冷気の塊も、いかづちも、その壁の前に沈黙し、相殺されてしまう。一目見て分かるが、強い魔力を含んでいる。そのため、魔力に依存する能力は、多くが防がれてしまうのだ。もっとも、至近距離なら話が別になってくるが。

「上空からの精密長距離連続狙撃。 更にそれをサポートする支援火力。 全く違う生物なのに、異常な連携密度。 その上、あまりにも対軍戦闘を意識しすぎている。 あれは自然に発生するものではありませんね」

「その通りです、ドナースターク令嬢。 風船のような姿をしているのが、ヘカトンケイレス。 エイのような姿をしているのが、スキュラー。 そして、塔そのものになって、ザールブルグに向かって進行しているのが、ゼクス=ファーレン。 いずれも、錬金術を使って作り出した、クリーチャーウェポンです」

マリー側からの狙撃が止んだ。効果が低いと見て、戦略を切り替えたのだろう。或いは、狙撃を継続できない、何かが起こったか。

以前遠目に見た時よりも、カミラの雰囲気は人間らしい。以前は張り詰めた焦りと憎悪ばかりがあったのだが、今の彼女には、僅かながら人間らしい心配や後悔がある。ひょっとすると、いやほぼ確実に製造に関わっていたのだろうと、シアは思った。

「能力を、説明してもらえますか? 出来るだけ詳しく」

「ヘカトンケイレスは、浮力を利用した生体工場です。 上空に浮遊しつつ、指定された対象を護衛します。 一定距離内の敵は全て狙撃しますが、知能はありません」

奴の体内は空洞になっていて、その中で無数のナナフシに似た生物が育成されているのだという。体内は適正な湿度と温度に保たれ、急速にナナフシは成長する。そして大人になると、今度は特殊な分泌物によって半冬眠状態にされ、弾丸として蓄えられる。この生態を維持するために、ヘカトンケイレスは日に人間の体重の五倍ほどの草を必要とするのだそうだ。このナナフシ自体も広域攪乱用のクリーチャーウェポンとして作られたのだが、様々な欠点があり、結局実用化は見送られたという。

体の周囲に着いている目と、下部から伸びている触手で、ヘカトンケイレスは敵の接近を察知する。接近を確認すると、糞を発酵させて作り出した圧縮ガスと、大気中から取り込んだ魔力を使って、ナナフシを撃ち出す。もともとヘカトンケイレスは、体内で圧縮した空気を使い、頬袋に蓄えた木の実を撃ち出して身を守る希少種のリスから作り出したのだという。他にも体内で蟻を育成して森の中で暮らす大型のナマケモノ、更に無数の目を持ち敵の接近を察知するイソギンチャクの一種が素材として使われている。

ヘカトンケイレスの体内蓄弾はおよそ20000と聞いて、シアは目を細めた。その数だと、尋常な戦力では近づくだけで蜂の巣だ。

「強力ですね。 量産はしなかったのですか?」

「スキュラーと同じく、複数種類の生物を使ったクリーチャーウェポンは、成功例が殆どありません。 あれはたまたま出来た成功例で、しかも致命的な欠点があります」

「というと」

「弾を育成するのに、四ヶ月程度掛かります。 その上冬眠する性質があって、いつでも使えるわけではありません」

この様子では他にも欠点はあるのだろうが、今までの情報だけで充分だ。更に、幾つか見えてきたこともある。多分ヘカトンケイレスは、殺気を放つ相手は護衛対象以外何でも攻撃するのだろう。それでは実戦で役に立たない。四半里以上の狙撃能力を持つ者はそうそういないが、だが戦う前に味方を全滅させてしまっては意味がない。

「スキュラーについては?」

「スキュラーは、護衛の要である空中狙撃手ヘカトンケイレスを、更に護衛するために製造したクリーチャーウェポンです。 北方の海に生息する空を舞うエイを素材にしました」

シアも聞いたことがある。体内に特殊な浮き袋を保有し、空をゆっくり舞うエイが北方の海にはいるのだという。ただし掌サイズで、しかも餌は虫だ。毒もない。低空しか飛べず、しかも短時間だという。そうなると、今空を舞っている家ほどもサイズがあるエイは、よほど異常な改良が加えられているのだろう。

スキュラーは弾幕を展開して、長距離の狙撃からヘカトンケイレスを護衛する。本体の火力も相当なもので、八半里程度の距離であれば、半径十歩ほどを吹き飛ばす火球を放つことが出来るという。かなりの精度でだ。此奴は基本的に、ヘカトンケイレスを護衛することにしか興味がない。ただ、周囲に殺気がない場合は、ヘカトンケイレスの援護射撃を行うこともある。つまり思考にノイズが多く、それが実用化に踏み切れなかった要因だ。

また、今二体が飛んでいる辺りは、ゼクス=ファーレンの触手の攻撃可能範囲内だ。攻撃するならスキュラーからだが、たたき落とすまでが難しい。その上、一旦スキュラーの撃墜が成功しても、直後からヘカトンケイレスの猛攻に晒されることになる。思案を開始し始めたシアに、カミラが言う。

「スキュラーの撃退は、私に任せてください」

「秘策が?」

「一応。 見ていて、どれほど能力が元から強化されているかは把握しましたから」

素早く状況を頭の中で組み立て、シアは作戦を組み直した。まずは上空の二体を潰すことだ。最終的には攻城兵器でゼクス=ファーレンを屠るとしても、二体を片付けないと軍は近づけない。投石機も攻城用クロスボウも、有効射程距離は200歩程度なのだ。

「分かりました。 それなら、此方はヘカトンケイレスを無力化します。 騎士団の本隊は、どれほどで到着しますか?」

「後半刻もあれば」

「それまでに、私の親友が此方に支援に来るでしょう。 ならば、共同作戦を展開できそうですね」

シアは頷くと、ナタリエを呼ぶ。そして、作戦を説明した。主力となるのは、ナタリエのメタモルフォーゼだ。勝負は一瞬。もし失敗したら、ヘカトンケイレスの掃射を喰らって全滅する。多分シアやカミラでさえ生き残れまい。青ざめたナタリエだが、シアは肩を叩いた。

「今度は大丈夫ね?」

以前、ナタリエは、自分の失敗で同業者を死なせてしまったことがある。それがこの娘が辿った苦難の第一歩だった。今回は、それを乗り越える良い機会だ。シアの分析では、今のナタリエだったら必ずこなせる。ぎゅっと唇を噛んでいたナタリエは言った。

「大丈夫だ。 オレ、やるよ」

「よろしい」

シアはカミラに向き直り、小さく頷いた。作戦開始。

信頼によって生じている共闘関係ではない。ただ、どちらがしくじっても全滅する状況である。それが故に、シアは手の限りを尽くす。詠唱を開始するナタリエ。シア自身も、印を切り、詠唱を開始した。

 

第十七大隊の生き残りから報告を受けたエンデルクと第三師団の司令部は、陣の配置換えに大わらわであった。カミラの言葉が現実になっていた。敵の狙撃有効射程距離は1400歩という常識外のもので、しかも連続で精密狙撃が可能だという。人知を越えた能力である。しかも、既に他の部隊にも被害が出始めている。急いで統率を引き締めないと、潰走しはじめる部隊が出る可能性もある。

タイタス・ビースト改はそれ以上の射程距離を誇ったが、あれは条件さえ整えばどうにでもなる、攪乱専用のものであった。直接的な死を運ぶ能力で、これほど強力なものは史上類を見ない。どうしようか思案していたエンデルクの耳に、聞き覚えのある声が届く。

「どうした、騎士団長。 ガラにも無く慌てきっておるではないか」

「ヘイムット将軍! どうして此処に」

天幕の入り口に立っていたのは、国境警備を行っている第三軍団の司令官、ヘイムット将軍であった。エンデルクも何度か側で作戦指揮を見ているが、感嘆しかしたことがない。歴戦の老雄の名にふさわしい見事な手腕を持っている、この国を代表する名将の一人である。地位的にはほぼ同格だが、相手の経歴に敬意を表して、エンデルクも敬語を使うほどの相手だ。第三師団の司令官はすぐに敬礼し、ヘイムットに座を譲った。ヘイムットは曲がった腰で四苦八苦しながら着席すると、水を要求。白い髭を撫でながら言う。

「王から要請があってな。 王都防衛の総指揮を執りに戻ってきたわ。 流石にこの年になると、輿に乗っていても骨が折れるわい」

「これは心強い」

心底からエンデルクは言った。今のエンデルクは、自分の限界がよく分かっている。戦闘能力では大陸最強である自信はまだあるが、戦闘指揮は別問題だ。

現状、ドムハイト側から進行してくる可能性は低い。あったとしても、組織的な行動は不可能であろう。ヘイムットが此方に来たところで、何ら影響はない。元々ヘイムットは避暑のために戻る途中だったそうなのだが、そこを無理を言って参戦してもらったのだと、副官が告げてくる。

陣を一瞥すると、すぐにヘイムットは説明を要求。脇からすぐにクリーチャーウェポンの能力解説をする。頷きながら、ヘイムットは言った。

「それなら、撃退方法は一つしかないのう」

「何でしょう」

「まず、敵の射程距離ぎりぎりに、重装歩兵隊を配置。 行軍速度に合わせて、射程距離を踏み越えたり離脱したりを繰り返す。 そしてその隙に、聖騎士を含む精鋭を敵中枢に投入、一気に撃破する」

理にかなっている。陽動の危険も少なく、更に騎士団の腕の見せ所となる。エンデルクが感心していると、不意にヘイムットが此方を向いた。

「あの有能な聖騎士の娘はどうしておる」

「カミラの事ですか?」

「おお、そう。 大教騎士になったと聞いているが、王が今回戦線投入を許してくれたのだろう? まさか遊ばせてはおるまいな」

「既に最前線に向かいました。 先行した冒険者の精鋭部隊と共に、既に敵の射程距離圏内にあります」

ヘイムットは大げさに考え込む。そして、机上の陣を表す駒を動かし始めた。エンデルクは眉をひそめる。

「その位置ですと、二刻後には攻城兵器部隊が敵の射程距離に入りますが」

「それで構わん。 あの娘のことだ。 今頃はもう、手持ちの戦力を上手く使って、狙撃を行う敵の処理に掛かっているだろう。 その後は、敵主力が控えているだろうし、負担は少しでも早く減らしてやった方が良い」

攻城兵器部隊の前には、重装歩兵隊が配置される。彼らが盾になり、四方から同時に攻城兵器が迫るわけだ。そして有効射程にはいると同時に、一斉攻撃を仕掛ける。被害はそれなりに出るだろうが、基本的な戦略を抑えている。重層的な防御陣を汲んで、敵の浸透を妨害しようと考えていたエンデルクと第三師団長よりもより攻撃的だが、現実的な案であった。

「騎士団長。 貴殿の事だ。 前線の指揮の方が得意だろう。 此処は儂に任せて、騎士達を率いて前線に行かれよ。 総指揮と陽動は、儂が行っておく」

「感謝します。 ヘイムット将軍」

「ただ、急げよ。 時間が掛かるほど、損害が出る」

一礼すると、エンデルクはすぐに天幕を出た。周囲に展開している騎士団に伝令を飛ばす。そして彼自身は待機していた聖騎士達の間に進み出ると、剣を抜き、天に向け吠えた。

「総員、我に続け! 気配は最小に抑えつつも、全速力で敵に向かう!

歓声が沸き上がった。

 

大教騎士になってから、カミラに対するクーゲルの視線がめっきり冷たくなった。理由は分かりきっている。戦士としての頂点を目指す、今までの熱意が、吹き消されたかのように無くなったからだ。

クーゲルが望んでいたのは、自分の意思を継ぐ者の誕生だろう。圧倒的な破壊衝動のまま殺戮の刃を振るい、返り血に酔う。最強の戦士とは、結局の所そう言う存在だ。カミラも、それで良いと思っていた。

木々がなぎ倒され、広くなった森の中に進み出る。倒木を踏み越え、姿をさらす。

力の限り突っ走って、何もかもを超えてきた。その頂点にあるものが、全ての支配だと思っていた。だが今は、何だか凶熱が冷めた。もちろん鍛錬は欠かしていない。力の維持は、しっかり行っている。

だが、全てを支配し君臨しようという気は、もう無かった。

クーゲルには、弟子として申し訳ないと思う。だが、何か枷が外れたようで、カミラは今とても動きやすかった。空を見上げる。ヘカトンケイレスの目が、此方を捕らえた。ゼクス=ファーレンの能力は、内部にいるVIPを保護すること。それはすなわち、周囲のクリーチャーウェポンを自らに従わせることだ。この能力は未完成だ。故に完成品のクリーチャーウェポン達には通用しなかった。不可解な話である。今シグザール王国軍を苦しめているのは、未完成で実用性がないと判断されたオーダーメイドのクリーチャーウェポン達だ。

命を弄る事に、背徳感はない。必要に応じて行ったことだからだ。ゼクスとファーレンを生態素材にしたことだって同じである。怨恨が籠もってはいたが、どちらも殺さなければならない存在だった。二人は、破れたら死ぬ世界で、敗北したのだ。

スキュラーとヘカトンケイレスは、既に此方に気付いている。攻撃禁止ワードは仕込んであるが、どうせ通用しないだろう。だから、潰す。せめて、この手で。

「来い!」

叫ぶ。言わずとも、来た。

無数の生きた銛が発射される。カミラは既に詠唱を終え、能力を展開済みだ。地面に突き刺さる生体弾を右に左にかわしながら、ゼクス=ファーレンに近づいていく。轟音と共に、塔から生えている太い触手が振り下ろされた。地面に直撃。倒木をへし折り、小型のクレーターを作る。

飛び退いたカミラの目に映るのは、スキュラーが口から放った火球だった。それも一発や二発ではない。連鎖して巻き起こる爆発。それをかいくぐるようにして、銛のような大量の生体弾が飛んでくる。分かってはいたが、凄まじいまでの防御能力だ。考え無しに強化を施した錬金術師共を内心で罵りながら、カミラは走る。

一瞬ごとに攻撃が精確になってくる。横薙ぎに飛んできたゼクス=ファーレンの触手を飛び越え、バトルアックスを振り下ろす。斧圧で生体弾と火球をまとめて相殺、爆炎を突き抜けて、触手の上に。既に破片や掠めた生体弾が、体に無数の傷を作っていた。

思い出す。自分に憧れていると言っていた、後輩の騎士達の顔を。自分を侮らず、きちんと命令通りに訓練をこなしていた若手騎士達の事を。触手を駆け上がる。別の触手が、上から横から飛んでくる。更に、乗っている触手がうねり、振り落としに掛かってきた。投石機で飛ばされたかのような勢いで、触手を蹴る。塔のかっては石だった壁に着地、凹凸を手で掴んで、全身をバネに力を充填。触手がうなりを上げて飛んでくる。叩きつぶされる寸前、カミラは垂直に塔を駆け上がった。破片が鎧を叩き、頬を抉る。

最上部に到達。そのまま全力で塔の天井を蹴り、同時にバトルアックスを投擲。己自身は空へ跳ぶ。

策は、此処からだ。

ヘカトンケイレスが、生体弾で迎撃してくるが、遅い。自分の僅か下を掠めていく生体弾を見送る。唸りを上げて、バトルアックスがヘカトンケイレスに襲いかかる。だが、友を守るかのように、スキュラーが割って入ってくる。大量の火球をバトルアックスに浴びせ、それでも勢いを殺せないと分かると、推進力を最大に、体当たりを仕掛けた。スキュラーは人間の六倍ほどのサイズを誇る。既に黒こげになっていたバトルアックスは、その体にめり込むも、突破は出来なかった。大量の鮮血を吹き上げながらも、己の守護対象を守りきったスキュラの頭上に、カミラの姿。スキュラーが取る行動を予想しきり、わざと楕円軌道でバトルアックスを投げつけたのだ。

スキュラーの上に着地。それで気付く。此奴を別の方法で量産すれば、上空から敵を強襲する部隊が作れた。残念だが、今はそれを試している暇がない。もったいないが、スキュラーは此処で処分だ。

身を捻ってカミラを振り落とそうとするスキュラー。だが一瞬早くカミラが突き刺さったままのバトルアックスを掴んでいた。ガントレットを挟んでなお、皮膚が焼けるように熱い。だが、カミラは眉一つ動かさない。そのまま、首筋を一文字に切り裂く。作った人間だからこそ知っている急所。それ故に一撃必殺。致命傷だ。悲鳴を上げて落下するスキュラー。その背中にすがりついているままのカミラは、見た。自分に向けて発射される、無数の生体弾を。

避け得る間合いではない。

これも、当然の結果か。カミラは静かに笑うと、それでも生き残る最大限の努力をした。

 

エイが落ちる。ナタリエは見た。赤い髪の女騎士に、無数の銛が突き刺さる様を。思わず息を呑んでしまう。地面に直撃。何かの玩具のように、エイの巨体が拉げた。大量の鮮血がぶちまけられる。轟音。更に、拉げた半ば千切れたエイを、巨大な触手が、真上から叩きつぶした。

悲鳴を上げなかったのは、奇跡に近い。その場に伏せている十人近く、一人を除く誰もが唖然としていた。シアが立ち上がる。彼女だけが、平然としていた。

「作戦通り行くわよ」

「あの、人は」

「集団戦とは、こういうものよ」

ナタリエの言葉に、シアはあくまで静かに応えた。この人の精神は、ナタリエが知る領域をもう踏み越えているのだと、悟る。そして、この人も、己が傷つくことに何らためらいを感じていないと言うことも理解する。

ナタリエは戦慄していた。だが、伊達に今までの戦いで鍛え抜かれてきた訳ではない。シアに匹敵するあのマリーに、散々連れ回されて、ナタリエは強くなった。もう以前の自分とは違うのだ。

シアが、躍り出た。チャンスは一瞬。それまでに気配を悟られたら、死ぬ。周囲の数人も詠唱を開始。ナタリエは相手を殺すためだけに、思考を全力で働かせる。

既に護衛がない風船からは、まだ間断なく四方八方に銛が発射され続けている。それの全周についている目が、確かにシアを睨んだ、ような気がした。シアに向け、無数の銛が発射される。残像を残しながらそれをかわしつつ、シアが接近。地面に、その軌道を追うようにして銛が生えていく。塔から生えている触手も、うねりながら、シアを捕捉に掛かった。

叩きつけられた触手が、地面にクレーターを作る。詠唱がまだ終わらないことがもどかしい。シアは右に振るったはたきで銛をたたき落とし、左に旋回しながら紙一重で触手をかわす。かわし様に、はたきで数撃を叩き込む。挑発しているのだ。だが、敵の動きは一瞬ごとに正確性を増す。そして装甲が薄いシアは、一撃でも食らったら終わりだ。だが、その危険な境遇を楽しむかのように、シアは舞い続ける。

詠唱が終了しかける。その寸前、見る。つぶれたエイの死体を押しのけるようにして、あの小柄な女騎士が、よろよろと起き上がる。あの状況で生きていたのか。体の彼方此方に銛が突き刺さり、何カ所か骨も折れているようだが、確かに騎士は生きていた。急所を外したのか、それとも並外れて頑丈なのか。いや、触手が直撃する前に、僅かに身を逸らしたのだと、立った位置から悟る。だが、それでもただで済むはずがない。思わず声を上げかけたのは、触手の一本が、シアを掠めた勢いで、騎士に向かったからだ。

騎士の口が動く。声は届かなかったが、ナタリエは見た。

「私に、構うな」

シアが、能力を展開。騎士に向かった触手に、はたきで閃光が迸るような一撃。僅かに軌道がずれる。騎士はよろめきながらも避けるが、至近に着弾。吹き飛ばされる。風船が、飛ばされる騎士を見るのが分かった。詠唱終了。全身の魔力が吹き上がる。髪が黄金に、そして長くなる。瞳が青くなり、僅かに背が伸びる。肌が少し白くなり、心の中に抑えがたい殺戮衝動が浮き上がる。

ナタリエは、マリーにメタモルフォーゼしたのだ。そのまま、隣の能力者から借りた杖を、上空に構える。シアはそう長く保たない。事前に詠唱していた術を、全力で開放する。極限まで高まったいかづちが、ナタリエの手に、周囲に光の矢を作った。

「サンダー……!」

風船の目が、此方を睨む。しかしもう遅い。周囲の能力者達も、既に術の詠唱を終えていた。杖の先端に集まった光が、十字を形作る。全身の魔力を吸い上げ尽くされるような感覚を、わずかにナタリエは心地よいと思った。

「ロードヴァイパー!」

マリーのより一回り小さないかづちの蛇が、巨大な口を開けて風船に襲いかかった。緩慢に避けようとする風船を直撃。爆音。更に、無数の氷の矢が突き刺さり、風の刃が大きくその丸い体を切り裂く。体の下から生えている無数の触手が吹っ飛び、目玉を抉られ、風船が耳障りな悲鳴を上げながら、高度を落としていく。

だが、奴の射撃能力は健在だった。即座に反撃が来る。メタモルフォーゼが解け、全身の力が抜けるナタリエは、自分に向け迫る無数の銛を見た。避けられない。防げない。せめて、今できることは。

立ち上がる。そして、両手をひろげる。受けるのは自分一人でいい。仕留めきれなかったのは、自分の責任だ。もう、これ以上、自分のミスで誰かを死なせてなるものか。髪が、黄金から焦げ茶に戻りつつある。優しい両親の姿が、脳裏に浮かんだ。時間がゆっくり流れていく。両親の名をつぶやいたナタリエは、風が髪を嬲るのを感じた。

真横から叩きつけられた風圧が、銛を根こそぎ吹き飛ばしたのだ。あの騎士だった。肩から二の腕から脇腹から折れた銛を刺したまま、どうやら左手は骨が折れているまま、斧を振るったのだ。風圧が銛を蹴散らしたが、彼女の頑張りもそこまでだった。息荒く立っていた彼女は、そのまま横倒しになる。駆け寄ったナタリエが抱き起こすと、騎士はもう意識を手放していた。

風船は高度を落としつつも、まだ健在。ゆっくり降下しながら、周囲に銛を打ち続けている。もう少し高度が落ちないと、シアも届かないだろう。もうメタモルフォーゼする魔力は残っていない。そして、見る。

銛から足が生え、耳障りな音を立てながら羽を広げる。此奴らは生きているのだと、シアが少し言っていた。だが、まさかこんな形で、だとは。絶望し掛ける周囲の能力者。だが、騎士を地面に横たえると、ナタリエはナイフを構えた。

「来るなら来い! オレが、相手になってやる!」

無数の黒い巨大昆虫が、四方八方から飛びかかってきた。雄叫びを上げながら、ナタリエは二度と同じ過ちを繰り返さないため、突撃した。

 

狙撃の角度が低くなったことに、マリーは気付いた。間違いない。誰かが空中にいるクリーチャーウェポンを撃墜したのだ。だが、狙撃が続いていると言うことは、いまだ奴は健在だと言うこと。とどめを刺さねばなるまい。

一丸となって走る。途中、何度も横殴りに飛んでくる銛のような昆虫を、前衛が体を張ってたたき落とす。何人かは途中命を落とし、もう何人かも深手を負う。だが、ついにマリーは皆を叱咤しながら、たどり着く。

森が、開けていた。強引に森を切り開きながら進む、巨大な生きた塔。無数の触手が生えているそれは、激しくシアと戦っていた。そして、その途中。木に引っかかった球状の巨大な生物。ほぼ精確な球だが、その全周に目が着いている。異常な姿に、声を上げる冒険者も多かった。

木床を踏みならすような音と共に、虫が発射される。やはり、シアがたたき落としたのは此奴か。騎士団が来る前に、此奴くらいは掃除しておかなければなるまい。近いだけあり、横殴りに飛んでくる銛の威力は獰猛だった。木々を簡単に貫通している。その上発射間隔が短い。生半可な盾など役にも立たない。

「ルーウェン! ミュー! ハレッシュ! 突撃! ディオさん、防御お願い! あたしがロードヴァイパー叩き込むまで、何とか保たせて!」

「応ッ!」

それでも、マリーが鍛えてきた者達と、伝説の冒険者であるディオ氏は屈しなかった。マリー自身は塔が作った森の中の道に飛び出す。慌てて着いてきたアデリーに、いや他の冒険者達にも叫ぶ。

「塔を背にする! 奴はそうすれば、此方を撃てない!」

一目で分かった。風船クリーチャーウェポンは、塔を攻撃していない。考えてみれば当然のことだが、もし無差別に周囲を攻撃するのなら、真っ先に蜂の巣になるのはあの塔だ。塔の方は、シアが必死に引きつけている。問題は、辺り中で奇声を上げて羽を広げている虫共だ。奴らを蹴散らしながら、ミューと、ルーウェンと、ハレッシュが敵本体に向け走る。だが、敵の連射は彼らの接近よりも、遙かに速い。

「アデリー! 詠唱が終わるまで、虫共を近づけさせないように!」

「はいっ!」

マリーの全身から、魔力が吹き上がる。金色の髪が押され、波打つ。飛び来る無数の虫共。息を吐いたアデリーが、マリーの前に立ちはだかり、サスマタを一閃。一匹を右に叩きつけ、一匹を頭上からはたき落とす。無数の倒木がある見通しの悪い地形だが、アデリーは死角からの攻撃もものともしなかった。

後ろで間断なく響いている戦闘音。あれだけ相手が大きいと、シアといえども致命傷を与えるのは難しかろう。クーゲルなどの破壊力が大きい能力の持ち主か、攻城兵器を使うのが望ましい。つまり、シアの負担を減らすためにも、一刻も早くマリーは此方を片付ける。

鋭い声を、風船クリーチャーウェポンが上げた。マリーから吹き上がる魔力を見て、危険な存在だと認識したか。思考力があるとは思えないから、生命体の本能からの行動であろう。連続して、塔を背にしているマリーに向け、虫を打ち込んでくる。既に数十に達する虫を弾き続けてきたディオ氏だが、流石に対応が遅れた。

十を超える虫が、マリーに向けて飛んでくる。気付いたアデリーが立ちはだかる。一つ目、二つ目、迎撃に成功する。三つ目はそれた。四つ目が、アデリーの腕を掠める。良く日焼けした肌が切り裂かれ、血がしぶく。アデリーが体勢を崩す。五つ目は、完全に反応が遅れたアデリーの脇を抜け、マリーの頭を掠めて、髪を一房持っていった。そして残り全てが、反応しきれないアデリーと、その背後のマリーに向け、まっすぐ躍り掛かってきた。

避けきれない。体勢を崩したアデリーと、詠唱中のマリーでは。いやにゆっくり、銛のような形状をした虫共が、飛んでくるのが見える。

「おぉおおおおおおおおおっ!」

絶叫。燃えるようなオーラを放ったのは、ルーウェンだった。彼の十八番、瞬間的な全身能力強化、オーヴァードライブだ。シアに迫る速度を出し、ルーウェンが飛び出してくる。軌道上に立ちふさがる。割って入った彼が、五発の内四発までを打ち落とす。だが最後の一つが、勢いを殺しきれず、肩に突き刺さる。もろに吹っ飛ぶルーウェン。体勢を立て直したアデリーが、短く叫んで、続けて飛んできた二本を続けざまに打ち落とす。マリーの詠唱が完成したのは、その時だった。

空に浮かび上がる、無数のいかづちの弾。一度空に跳ね上げられたそれは、風船の周囲に一呼吸の後着弾。そして、炸裂した。

辺りが閃光に覆われる。虫たちが吹っ飛ぶ。風船が悲鳴を上げて、触手を振るわせる。それを断ち割るようにして、ミューが敵前に躍り込む。大上段にカタナを振りかぶったミューが、短い気合いの声と共に、剣撃を浴びせる。縦一文字に、風船が切り裂かれる。更に、体勢を低くしたハレッシュが、気合いの雄叫びを上げながら突撃。直径が軽く人間の身長の五倍を超える風船に、全気力を燃やしたハレッシュが突っ込んだ。激しい激突音。ミューの入れた確かな亀裂を、ハレッシュの槍が押し広げ、やがて貫通した。

爆発が巻き起こった。

正確には、風船が破裂したのだ。だが、そのあまりにも大きな音と、中から漏れ出して爆発的に広がった異臭が、そう錯覚させた。思わず鼻を押さえる周囲の者達。興奮した虫たちが、奇声を上げながら滅多やたらに飛び回る。咳き込みながら、アデリーが絶叫した。

「ルーウェンさん! ハレッシュさん! ミューさん!」

今の風船の破裂で、近くにいたミューとハレッシュは、耳を押さえたまま地面に転がっている。感覚がやられてしまっているだろうから、今回の戦いではもう役に立たないだろう。

ゆっくり進軍を続ける塔は、まだ健在だ。シアもそろそろ疲れが濃厚に見えてきている。マリーは周囲に向け、叫んだ。

「まずは残った虫の駆逐を! 負傷者の回復を急いで!」

「応ッ!」

「シア! 一旦距離を取って! 次の攻勢は、騎士団が来てからよ!」

無言で頷くと、シアは飛び退く。残像を残しながら、ジグザグに跳ね退く彼女を、塔から伸びている長大な触手が追い撃つが、いずれも捕らえることは出来なかった。安全圏まで下がってきたシアは、下がり際に羽を振るわせていた虫を数匹叩きつぶすと、額の汗を拭う。彼女の全身を覆う魔力がかなり弱まっている。マリーも飛び掛かってきた虫を一匹たたき落とすと、シアに駆け寄る。

「状況は」

「見ての通り。 敵狙撃手沈黙。 後はあの塔だけよ」

まだ一番厄介な相手が残っているが、これで大戦力が接近できる。攻城兵器も近づくことが出来る。アウトレンジ戦法の恐怖を味わうのは、今度は敵の方だ。負傷者に飛びつこうとしている虫に、軽めの電撃を放ってたたき落とす。風船がまき散らした虫共が、大挙してこの場に戻ってきていた。ディオ氏が縦横無尽に剣を振るい、負傷者を一カ所に集めている。アデリーが顔を上げた。

「ナタリエさん」

「ん? あっちよ」

マリーが指さすのは、塔が作ってきた、蹂躙の轍の向こう。気配を必死に殺してはいるが、この距離なら何とか本人だと識別できる。集まってくる虫共の数は増える一方だが、対処はそう難しくない。栄養剤を荷車から引っ張り出して飲み干すシアを尻目に、アデリーは走っていった。

マリーは追わない。辺りの虫を駆逐しながら、負傷者の回収を進めていく。アデリーは多少怪我しているが、虫くらいなら充分手に負えるだろう。それよりも、近場の小さな気配を探っては、負傷者を助けて回る必要がある。気絶して、虫に集られていた何人かを、引きずり出すようにマリーは助けた。塔は離れていくが、今は仕方がない。騎士団と連携しないと、奴は仕留められない。

アデリーに、何人かついていく。やがて、彼らは、ナタリエと、シアと先行していた者達を担いで連れてきた。負傷者の中には、意識のない聖騎士の姿もあった。どうにか聖騎士は命に別状無いが、もう身動きは取れないだろう。負傷者の惨状に、悲しげな顔をするアデリー。既に手は血だらけだった。全身傷だらけのナタリエが、地面に横たえられたまま、アデリーに手を伸ばす。マリーはそれを横目に、薬を荷車から取り出して、医療班に渡し続けていた。持ってきた分量は、すぐに無くなってしまいそうだ。騎士団も輸送してくるはずだが、さて足りるかどうか。

「泣くな、アデリー。 オレは、怪我したけど、悲しくはないから」

「ナタリエさん」

「今は、オレに構うな。 あいつを、どうにかするんだ」

塔は、まだ進軍を続けている。騎士団はまだかと、マリーは舌打ちした。やがて、巨大な気配が複数近づいてくるのに気付いて、マリーは吐き捨てた。

「ようやく来たようね」

「まあ、こんな所でしょう。 状況から考えれば上出来よ」

「そう、ね。 個人的にはもうちょっと早く来て欲しかったけど。 何人ついて来られる?」

マリーが振り返ると、手を挙げたのはシアとディオ氏をはじめ数人に過ぎなかった。アデリーも、遅れて挙手する。医療班の一人が、腕にもう手際よく包帯を巻いていた。まだ行けるだろう。

ただ、全員が攻撃に参加するわけにはいかない。まだ周囲に虫は多く、医療班の支援をする人間が必要になってくる。もちろん、あの巨体と長く頑強な触手を前にして、怖じ気づいた者もいるだろう。第一、奴が発している気配は尋常なものではない。気の弱い者であれば、発狂してしまうかも知れない。

「騎士団が到着し次第、情報を交換し、総攻撃を開始する」

戦力規模は既に四半減しているが、まだマリーには切り札がある。悠然と我が物顔に行く巨大な塔を視線で追いながら、マリーは今後のことを考えていた。

 

4,怪物

 

狙撃が完全に沈黙した。恐らくは先行しているカミラと、あのマリーらがやったのだろう。森の中を疾走するエンデルクは、背後に向けて叫ぶ。

「ヘイムット将軍に伝達! 敵の狙撃は沈黙した! 攻城兵器の突撃実施を要請する!」

「分かりました!」

若手の騎士が一人引き返していく。森の中は見た事のない黒い巨大昆虫で満ちていたが、どれも騎士団の相手ではない。片っ端から蹴散らしつつ、エンデルクは走る。これが、カミラの言っていたヘカトンケイレスが放つ生体弾だろう。幽霊のような脅威という意味を込め、ゲシュペンストとか便宜的には呼んでいたはずだ。

気配がどんどん近づいてくる。後ろを走っているクーゲルが、舌なめずりしているのが分かった。エンデルクも体の芯がぞくぞくして、何度も無意味に逃げようとする虫を斬った。結局エンデルクは今でも戦いが好きだ。集団戦の意味や、己の役割を組織内で果たすことの重要性を知った現在でも、それに変わりはない。

やがて、敵の姿が見えてきた。見上げるような巨大さである。更に全身から無数の長大な触手が生えており、それが辺りの木々をなぎ払い、移動をサポートしている。騎士の一人が、悲鳴を上げた。奴の触手が吹き飛ばした木が一本、此方に飛んでくるのが見えたからだ。

エンデルクは剣を抜くと、大上段に構え、気合いと共に振り下ろす。鋭い剣圧が、木を空中分解せしめる。吹っ飛んだ木くずの雨が鎧に掛かった。軽く払いながら、エンデルクは連れてきている救護班に振り返る。

「虫共に気をつけて、奴の後方へ急げ。 おそらくは先行部隊が其処にいる。 救援を行え。 在野の人材とはいえ、恐るべき狙撃手を屠った勇者達だ。 最大限の敬意を払えよ」

「ははっ!」

「聖騎士キルエリッヒも同行しろ。 護衛を行い、更に情報を収集するのだ。 我らは少し位置をずらし、奴の移動経路から少しそれて陣を張る。 状況を見て、側背攻撃を仕掛けるぞ」

頷いたキルエリッヒが、火のように赤い、長く美しい髪を翻して、医療班と共に走り出す。奴の実力なら、虫の十や二十は何でもないだろう。前線の者達は狙撃に苦労しただろうから、すぐの突撃は難しいだろうが、後は虫の処理さえすれば一気に状況を改善できる。ただ、カミラの話を信じる限り、錬金術師達は無茶な強化改造を様々に施している。油断は出来ない。

陣を展開し、辺りの虫を駆逐しながら状況を見ている内に、キルエリッヒが帰ってくる。敵の狙撃手が沈黙したが、カミラも意識がない状態に陥っていることを聞くと、流石にエンデルクも慄然とした。ただ、あのマルローネとシアが健在であるということは幸いだ。今後の戦力がまだ期待できる。伝説の冒険者であるディオ=シェンクがまだ健在であることを聞くと、後ろのクーゲルは鼻を鳴らしていた。

騎士団は、ほぼ戦力を温存している。この状態からなら、総力を挙げてあの塔を攻撃することが出来る。

「タイミングを合わせて、総攻撃を仕掛けるぞ」

「応ッ!」

全員が唱和するのとタイミングを合わせたかのように、塔に巨大な雷撃が直撃した。エンデルクは苦笑した。続けて、火球が炸裂する。触手の一本が半ばから千切れ、地響きを立てて地面に落ちた。やはり、触手にも耐久力がある。無限の再生は不可能だろう。

「気の早いことだな。 だが良い機会だ。 全騎士団員、我に続け! 一気に不埒な怪物を駆逐する!」

突撃開始。エンデルクは見た。塔が足を止め、此方に向かって方向転換を開始したことを。だが、関係ない。走る。森が切り開かれ、触手を振り回す巨大な塔が姿を見せる。間近で見ると、相当な偉容だ。ただの塔であった時には存在しなかった、圧迫感が確かにある。雄叫びを上げながら、この大陸でも屈指の使い手達が、総力を挙げて攻撃を開始した。

 

ロードヴァイパーを叩き込んだマリーは、触手の一本を引きちぎっただけだと知って、舌打ちした。流石にあの巨体である。至近でフラムでも炸裂させないと、足は止められそうにない。

さっきキルエリッヒが来たので、状況を説明。同時に騎士団の医療班が来たので、負傷者達は根こそぎ任せることが出来た。残りの人数の内、遠距離攻撃型の術者全員で狙撃を叩き込んだのだが、やはり小揺るぎもしなかった。この様子では、フルパワーのロードヴァイパーでも同じだろう。相手が石壁の外皮を持っている以上、クラフトは効果が低い。やはりフラムしかないか。

近くで見ると、奴の外皮は石だけではなく、気色の悪い肉塊でも覆われている。だが、何カ所かは窓も見えるし、入り口はふさがりきっていない。あの中にフラムを叩き込んで起爆すれば、それなりの打撃を与えることが出来るはずだ。問題は、其処まで近づくことが難しいと言うことなのだが。

森の中で喚声が上がる。塔が向きを変えた。殺気が露骨に強くなる。せめて塔の中にあるだろう奴の本体が露出すれば、一撃必殺の切り札が使えるのだが。さて。マリーが一歩踏み出しかけた瞬間。塔の上部が開き、途轍もない咆吼が辺りを蹂躙した。

オオオオオオオオ、ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!

それを、塔が上げたのだと気付いた時、攻撃は始まっていた。塔から触手が今まで以上の数生え、更に長く伸びた。内側から塔がはじけ飛びそうなほどに、強烈な肉感が塔に生じる。ディオ氏がアデリーを抱えて飛び退く。マリーとシアも、慌てて飛び退いた。振り下ろされた触手が、間合いの外のはずの、マリー達がいた辺りを直撃。クレーターをうがっていた。

森に、一筋の亀裂が走ったようだった。慌てて距離を取り直すマリーは、荷車に駆け寄る。騎士団に向かっても、触手が振り下ろされる。それをエンデルクの剣圧が爆砕した。吹っ飛んだ触手をかいくぐるようにして、キルエリッヒの業火が襲いかかる。肉を焼く臭い。他の騎士団能力者達も集中砲火を浴びせる。流石の火力である。巨体が揺らぐ。だが、恐らく致命傷は与えられないと、マリーは見た。

「ディオさん、行ける?」

「何か案があるのか?」

うなりを上げて、巨大な触手が振り回される。雄叫びを上げたクーゲルがチャージを仕掛け、塔が揺動する。だが、倒れない。舌打ちしたクーゲルが飛び退くのを、頭上から太い触手が叩きつぶしに掛かる。無数の術がそれをめった打ちにするが、威力は衰えない。視界の隅に、吹っ飛ばされる騎士が見える。触手が、逃げ遅れた騎士を容赦なくミンチにする。このままだと、被害が増える。クーゲルは逃れて間合いを取りながら、此方に来た。

「君も生き残っているとは聞いていたが、大したものだな」

「クーゲル、お前」

「兄貴に用はない」

クーゲルとディオ氏は冷然と短い言葉を交わすと、視線を逸らした。塔の上部が炸裂し、石塊が地面に落ち、土煙を上げた。塔から破裂するように吹き出したのは、あの黒い虫だ。心なしか、塔の移動速度も速まりつつある。

塔の側面に、連続して火球が炸裂した。側面を走りながら、キルエリッヒが叩き込んだのだ。更にエンデルクが剣圧を浴びせる。触手が一本千切れて、体液をまき散らしながら吹きとぶ。再び雄叫びがあがる。

「二人とも、いやどちらでも良いです。 いいですか、此処に猛毒があります。 以前から、アカデミーが開発していたものです。 あいつを仕留めるには、これを叩き込むしかありません」

「マスター!」

アデリーが絶叫した。振り返ったマリーの前にシアが躍り出て、はたきを振るった。激しい攻防の結果、飛び散った石のかけらが此方に飛んできたのだ。シアは見事にはじき返したが、マリーだけでは避けきれなかっただろう。恐らく十万に達する黒い虫たちが、辺りに舞い降りていく。たちまち騎士団との激しい攻防が開始されたようで、彼方此方でちかちかと光が瞬き始める。

オオオオオオオオオ! コロス! キシダン、キシダンノモノタチ! ホウセキギルド、ツブシタモノタチ! ミナ、ミナゴロシ、ミナゴロシダ!

塔の上部から漏れる咆吼が、徐々に人間の声に近づいていく。なるほど、そう言うことか。事情を悟ったマリーは、乾いた唇を舐める。マリーは取り出す。リヒト・ヘルツだ。そして、薬の瓶。

「中枢にこれをたたき込めるのは、恐らくお二人のどちらかでしょう。 あたしは、いやあたし達は、全力でそれを支援します」

「待って。 それなら、私がやるわ」

振り返った先には、詠唱を終え、火球を触手にたたき込んだキルエリッヒ。全身に既に無数のかすり傷を作っている。落ち着いた雰囲気を持つ大人の彼女だが、今は強い憂いを浮かべていた。美しい顔だけに、それは痛々しい。何か事情があるのだと、一目で分かる。

跳躍した聖騎士ジュストが、風を纏った剣で、振り下ろされた触手を一刀両断する。完全に足を止めている塔は、触手をふるって荒れ狂う。膨大な数の虫にまとわりつかれた騎士団は動きを鈍らせ、一部の精鋭が必死に塔に対する攻撃を加えている状況だ。このままだと、じり貧になって敗れる。

悩んでいる暇はない。キルエリッヒは剣を使う人間の中では、この国でもトップクラスの実力者だ。ディオ氏も実力的には劣らないが、此処は彼女に任せるべきだと、マリーは判断した。未来を担う若手だと言うことが大きい。無言で、リヒト・ヘルツを託す。数度素振りすると、キルエリッヒは頬についた汚れを擦り落としながら頷いた。

「シア、フラム仕掛けられる?」

「大丈夫。 ただし、総力で支援してね」

「それなら俺がやる。 クーゲルは、キルエリッヒを守れ」

「兄貴に言われるまでもない」

自然に役割分担をした兄弟を見て、マリーは安心した。マリーはアデリーの肩に手を置き、言う。

「あたしは今から、最大術を準備する。 詠唱には全力を注ぐから、虫は一匹も近づかせないように」

「はい!」

他の能力者達は、マリーと一緒に支援狙撃だ。振り下ろされた触手を、エンデルクが両断する様が見えた。だが敵の触手は多く、しかもまだまだ虫が頂上から放出され続けている。

 

シアはフラムを受け取ると、その重みを確認した。騎士団の激しい攻撃で、敵はその外皮を何カ所かで剥がされている。その中に投げ込むとして、問題は火力を如何に塔の全てに伝達するかだ。窓のすぐ側に放り込んだところで、ダメージはたかが知れている。しかも、だ。シアは魔力の半分ほどを既に消耗している。何処まで保たせることが出来るか、自分でも分からない。

仕掛けるのは塔の三階。それも内部。生還するのはかなり難しい。時の石版を使う必要があるだろう。

「ディオさん。 詠唱を行うので、より入念な支援をお願いします」

「任せておけ。 俺にとって、最後の晴れ舞台だ。 絶対にやり遂げる。 裏方であっても、それは同じ事。 貴方には、傷一つつけさせん!」

かって伝説となった男が、全力で剣を構える。シアは頷くと、短く叫んだ。

「行きます!」

「応ッ!」

二人が、同時に地を蹴る。触手の数本は、即座に反応した。風を切り、振り下ろされる一本。雄叫びを上げながら先行したディオ氏が、横殴りに一撃を浴びせる。エンデルクのものに迫るほどの剣圧が、触手を半ばから粉々にした。体の負担が大きいのが一目で分かる。エンデルクとではもう基礎能力が違うからだ。

塔もやられっぱなしではない。二本目の触手は、直上から打ち落とされてきた。ディオ氏は地面に剣を突き刺すと、跳ね上げるようにして振る。剣圧と触手がぶつかり合い、一瞬だけ動きが止まる。雨のように鮮血が降り注ぐ中、シアはディオ氏に遅れてサイドステップ。地面に叩きつけられた触手に飛び乗る。

「急げ!」

二本の触手が、左右から迫るのが見えた。僅かに早い右を、ディオ氏の剛剣が切り落とす。だが、左には対応が遅れる。無理な体勢から繰り出した一撃、パワーが乗らない。シアは触手の上を走り、一気に三階を目指す。短い悲鳴。ディオ氏が、触手に吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる音。振り返りはしない。此処でシアがやらなければ、更に被害が増えるのだ。

詠唱完成。肺の空気を全て絞り出すようにして、シアは全身の魔力を整えた。うねる触手の上を走りながら、能力を展開。

「時の!」

三階の窓が、至近まで迫る。ギロチンの刃のように、触手の一本が窓に向けて振り下ろされる。やはり此奴は元人間。此方の意図を悟っている。

「石版っ!」

加速開始。時が、凍結する。

飛び込む。既に、フラムに起爆命令は出してある。塔の三階は、まるで生物の体内だった。辺りは肉がうごめき、血管が縦横に張り巡らされている。騎士団員の死体が何カ所かに転がっているが、喰われたり溶かされたりはしておらず、意外と綺麗な状態だった。粘つくような時の中、シアは左右を見回し、状況を把握。階段の隅が良い。爆発の威力が、もろに上下に突き抜ける。仕掛ける。もう、術の効果が落ち始めている。

振り返る。見る。窓が塞がれている。さっきの触手だ。見回すが、出口はない。迷い無く、走る。さっきの窓へ。振りかぶる。そして、叩きつける。

「はああああああああああっ!」

弾性が強い触手に、一撃、二撃、三、五、十、十九、二十六、そして五十。嵐のような連打を叩き込む。硬い。複数の触手が、外に張り付いたか。しかし、硬いが、だが破れる。七十、九十三。腕がしびれてくる。百二十六。ついに、内側から吹き飛ばす。うがった穴から、考えなく飛び出す。空中に、身を躍らせる。

見た。血だらけのディオ氏が、大上段に剣を振りかぶる様を。彼は、地面に一撃を叩き込む。爆圧がクッションとなる。既に時間感覚が元に戻りつつあったシアは、空気の膜にもろに突っ込み、肺が破れるような痛みを感じた。耳の奧に鋭い痛みが走る。僅かに遅れて、柔らかい地面に突っ込む。虫の死骸を蹴散らし、転がる。

「逃げ、るぞ!」

ディオ氏が肩に担いでくる。何も言う気力はない。触手の一本が追ってくる。逃げられる間合いではない。眼鏡を失っているディオ氏が、大きく目を見開く。シアも、死をこれまでにない至近に感じた。

空を、一筋の光が貫く。それが、クーゲルのチャージだと気付くのに、シアは少し時間が掛かった。

 

触手を二本まとめて貫いたクーゲルは、全身に浴びた返り血に舌なめずりしていた。流石だ。キルエリッヒは頬を叩いて集中すると、耳を塞いだ。3,2,1。カウントが終わると、同時。

塔の中枢部が、炸裂した。

辺りを光が覆い尽くしたような光景。吹っ飛んだがれきが、此処まで飛んでくる。悲鳴が轟音にかき消される。空を舞っていた虫たちが、気絶して落ちてくる。エンデルクが呻いて耳を押さえる。火柱が、塔の上下を貫き、空に伸びるのが見えた。

灼熱の風が吹き付けてくる。さすがはマリーブランドの威力。キルエリッヒは耳の穴から指を抜くと、剣を抜き、もらった毒薬をたっぷりと塗りたくった。周囲では、黒い巨大虫が生きたまま焼かれ、狂ったように飛び回っていた。

分かっている。もう、相手の正体は理解できている。

ゼクスだ。

同じ騎士の元で育った、血のつながらぬ弟。結局社会にとけ込むことが出来ず、騎士の愛情を拒否し続けた、悲しい男。宝石ギルドの件で死んだと聞かされていた。だが、それ以上にむごい運命に晒されていた。

今、姉として出来ることは、楽にしてやる事くらいだ。剣が、燃え上がる塔に照り返されて、赤々と輝いた。キルエリッヒは、声を張り上げた。

「クーゲル様、支援を!」

「任せいっ!」

走る。半ばからへし折れた塔の上部が、膨大な煙を巻き上げながら、地面に激突する。地震の時のように、辺りが揺動した。塔の下部も、内側から破裂するようにして倒壊する。そんな状況でも、触手はまだうごめいている。見えた。塔の上部から、何かがはい出そうとしている。悟る。それが、おぞましい肉塊の本体だと。ゼクスなのだと。

迷いはない。ただ走る。真横から叩きつけられる触手を、クーゲルが叩きつぶした。更に千切った触手を、嬲るように突き刺している。触感がたまらないのだろう。

けえええええええええええっ!

ゼクスが絶叫した。倒れた塔の内側から、噴出するように触手が飛び出す。まだ再生するのか。いや、違う。どの触手も細く、脆い。触手が、ゼクスを覆っていく。球体状に変化していく。上部に、山羊のような頭がある。腹に、巨大な目玉がある。その目が、見開く。キルエリッヒを見る。

「き、き、きるえり、っひ!」

ゼクスの声だ。今、楽にしてあげるからと、キルエリッヒは口中でつぶやいた。強い、途轍もなく濃度の高い魔力。此奴は要人護衛用の生物兵器のはずだ。今までも反撃用の能力は触手として展開してきたが、これは明らかに強い攻撃の意思が感じられる。上空に変化。クーゲルが、キルエリッヒの前に躍り出る。エンデルクが、剣を構える。ジュストが、目をつぶり、下段に剣を降ろした。

死ねええええええええええっ!

ゼクスが絶叫した。同時に、体が左右に引きちぎられる。いや、違う、体の中にある何かをせり出したのだ。眼球だ。眼球と、神経組織が、剥き出しになる。それには、強い魔力が宿っていた。激しいスパーク。周囲が青く見えるほどに凄まじい。関係ない。クーゲルと共に走る。

「サンダー……!」

後ろから、マルローネの声。そして、悟る。ゼクスは、むしろマルローネを狙っている。もはや動かない触手を飛び越え、キルエリッヒは見る。巨大ないかづちが、ゼクスの剥き出しの目から撃ち放たれようとしている事を。そして、見たこともないほどに強力な神の祝福も。レアスキルの神の祝福を、これほどの強度で展開するとは。打ち破ることが、出来るのか。

「おおおおおおおおおおおおっ!」

最初に飛んだのは、ゼクスの真横から突進してきたエンデルクだった。渾身の一撃を上段から、更に切り上げつつ横を抜ける。

続けて、ジュストが剣を振り上げ、水平に構え直す。そして、踏み込み、渾身の刺突を繰り出した。風を纏った一撃が、真横からゼクスを打ち抜く。神の祝福に覆われた体が、激しく発光する。だが、それでも、いかづちの収束は止まらない。

剥き出しになった眼球が、光を放つ寸前。キルエリッヒは反射的に目を閉じた。後ろのマルローネが、術を発動する気配を感じたからだ。騎士団長から、あの娘の最大術は聞いている。その恐るべき威力と同時に、特性も。

「サトゥルヌス・ヴァイパー!」

降り注いだ光の槍が、ついにゼクスの神の祝福を貫通する。今までの攻撃で負荷が掛かっていたところに、逸らしようのない直角の攻撃が入ったのだから当然だ。ゼクスが絶叫した。全身から煙が上がる。だが、ゼクスは、それでも雷撃を放つ。極太のいかづちが、まっすぐにキルエリッヒに、さらには背後のマルローネに向けて、牙をむこうとする。

踏みしめた地面を、全て砕くような勢いで、クーゲルが跳んだ。そのまま、全力でのチャージを浴びせる。強い魔力を含んだ一撃同士のぶつかり合い。キルエリッヒは、全身から煙を上げつつも、満面の笑みを浮かべているクーゲルの側を駆け抜けた。

距離が、ゼロになる。

醜い顔だった。山羊のようで、毛だらけで、鼻が長くて。だが、どこかにゼクスの面影があった。ゼクスが見上げる。キルエリッヒは、ごめんねとつぶやくと、剣を振り下ろした。

リヒト・ヘルツは、深々と目に突き刺さった。いかづちが拡散する。空に向けて絶叫するゼクス。触手が暴れ出す。キルエリッヒははじき飛ばされ、地面で数度転がった。

暴走し始めている。塔から伸びた触手が、空に向けてうごめく。何かを欲しがっているようだった。ゼクスは死んだ。その確信はある。ならば、どういう事だ。刺した場所が悪かったのか。慌てて瓶を取り出す。残りはまだ少しある。痛む全身を引きずり起こす。剣に手を掛け、引き抜いた。

伸びた触手は、塔の残骸に集まっている。泣くような声。呻くような声。聞き覚えがある。キルエリッヒは戦慄した。これは。宝石ギルドの影の支配者だった、ファーレン卿。ゼクスの母親代わりだったと聞いたことがある。まさか、一緒にまとめて怪物化させられたのか。

どのみち、殺される運命だったのは確かだ。彼女らはやってはいけないことをしたのだから。だが、これは、あまりにも、あまりにもむごい。吐き気がこみ上げてきた。歴戦の戦士であるキルエリッヒも、思わず目を背けたくなる現実が、其処にあった。

車輪の音。顔を上げる。到着したのだ。攻城兵器が。うなりを上げて跳んでくる巨石が、触手を叩きつぶした。撃ち放たれた攻城用クロスボウが、まだうごめいている肉塊を吹っ飛ばした。更に破城槌が突っ込んでくる。殆ど動かなくなりつつある触手を、容赦なく突撃したそれが、粉砕した。

何も、言うことが出来なかった。ただ、うつむくしかできなかった。キルエリッヒは、最後に聞いたのだ。ファーレンの言葉を。

「殺して」

ファーレンは、そう言い続けていた。

無数の死体が散らばっていた。キルエリッヒは、勝ったのだと思った。勝ったのだと、うつむいたまま自分を慰めた。肩を叩く誰か。マルローネだった。

マルローネは何も言わず、リヒト・ヘルツを受け取り、一礼した。マルローネは確か、宝石ギルド壊滅の立役者の一人だ。だが、彼女を責めるのはまた筋が違っている。キルエリッヒは天を仰いだ。

そこには、何事もなかったかのように、まばゆく輝く太陽があった。

 

5,宴の先に

 

戦いの翌日、エンデルクの元に被害報告書が届けられた。

第三屯田兵師団の死者、622名。騎士団の死者、31名。冒険者の精鋭部隊の死者、10名。負傷者はその三倍強。勝ちはしたが、決して喜ぶことの出来る結果ではなかった。死者の中には第十七大隊の司令官をはじめとして、有能な武人が多数いたのだ。エンデルクは即座に報告を王に行ったが、問題はこれからだ。後始末が残っている。

森の被害は甚大だ。豊かな恵みをもたらす森を、元に戻す計画が必要となる。大きな被害を受けた部隊の再編成も必要だし、報償も準備しなければならない。更に、戦いの経過の報告書も作らなければならない。

カミラは命に別状無いが、数ヶ月は戦線に立てないという報告もある。もっとも、カミラの場合は今回が特例の参戦だったから、若手騎士達の教育に支障が出るくらいだ。カミラのことであるし、それも上手くやるだろう。そちらは心配がない。

問題は別にある。ドムハイトの砦の一つに、狼が多数集められているというのだ。今回の件で、どれほど情報が漏洩したのかが気になる。クリーチャーウェポン製造を行うのは、多少の資料くらいでは無理だ。気の長い研究の積み重ねが重要で、時間的にも数年は必要となる。すぐに牙を始めとする諜報部隊を差し向けたが、軍もさらなるテロに備えなければならない。仮にこれが陽動だとしても、備えなければならないのが腹立たしい。焦っても主導権は取り返せない。だが、取り返す術も思いつかない。

デスクで書類を決裁していたエンデルクの元に、ヴァルクレーアが来た。王の機嫌はまだ良くならないらしく、顔色は悪い。

「騎士団長、戦勝の挨拶に来たぞ」

「いえ、被害は大きく、誇れぬ勝利でした」

「それでも、化け物をザールブルグには近づけさせさえしなかった。 兵士達は、己の役割をきちんとはたしたのだよ」

「……そう、ですね」

エンデルクは素直に喜べなかった。戦死者以外にも、多くの欠損が生じていた。たとえば有能な部下の一人、聖騎士キルエリッヒが、転属を願い出ている。地方の村か何かの領主となって、自分を見つめ直したいそうだ。今回の功績から考えればこれくらいの褒美は当然だが、エンデルクは痛いと思った。また、優秀な部下が離れてしまう。早々には、代わりの人材は育たないのだ。

「とにかく。 同じ手は二度と喰わぬ。 主導権は、すぐに取り返してやろう」

「何か妙案でも」

「ああ」

ヴァルクレーアは頷く。そして王が出してきたという、驚くべき案を説明したのであった。

 

玉座にあるアルマンに向けて、ティセラ将軍が頭を垂れる。バフォートとも親交があった彼女は、アルマンのクーデターには初期から参加していた。中年を通り越し、すっかり体がたるみきった彼女は、床に叩頭するのも難しそうだった。

ティセラの仕事は、王都周辺に網を張り、クーデターから逃れようとする貴族や王族を捕縛し、同時に外側からの干渉を防ぐことだった。そして王都が完全にアルマンに掌握された今、仕事が一段落し凱旋したのである。

「ティセラ将軍、顔を上げてください」

「はい、陛下」

アルマンは気付いた。ティセラの表情が、アルマンの顔を見て微妙に変化したことを。失望ではない。驚きだ。何に驚いたのかは分からないが、それを問いただしても仕方がない。部下に命じ、報償を書いたスクロールを渡す。恭しく報償を受け取ると、ティセラは肥満した体を揺すって、重そうに歩いていった。

王都は制圧した。シグザール側ももうテロを鎮圧したようだが、陽動によってまだ少し時間が稼げる。面会はまだまだある。順番に通される人間達は、戦勝を祝う豪族達の使者が殆どだった。短期間でのクーデターを成功させたアルマンは、とりあえず王として豪族達に認められたのである。

一息ついたと言って良い。ただし、本当の勝負はこれからだ。面会が終わると、夕刻になっていた。それから執務に掛かる。護衛達を連れて執務室にはいると、じいが待っていた。肩を叩きながら席に着くアルマンに、じいは言った。

「我が君。 陽動作戦は、無事に成功しました。 シグザール王国は密かに牙を囮の砦に派遣しており、ザールブルグはいまだ防衛体制を整えております」

「そうですか。 それで、今日の用件は何でしょうか」

「お人払いを」

頷くと、手を叩いて護衛を下がらせる。机上の水を飲み干すまで、じいは待ってくれた。

「エル・バドールはご存じでしょうか」

「確か西の大陸でしたね。 非常に技術が進歩しているという話ですが」

「どうやら、シグザール王国が、エル・バドールとの交易を強化しようと目論んでいる形跡があります」

アルマンは考え込む。じいは常に此方の頭脳を計っている。無能だと判断されたら、いつ愛想を尽かされてもおかしくない。すぐに結論は出た。あまり愉快な内容ではなかった。

「幾つか考えられますが、我が国を経済的に更に圧迫するつもりですか」

「ご明察にございます。 更に、航海技術を発達させれば、我が国を南部の海域から侵略する事も出来ます」

由々しき事態であった。もちろん、それだけの計画はすぐには動かせないだろう。しかし、座して待っていれば、すぐに破滅させられると考えていい。しかし、交易自体は結構な話だ。民は潤うし、技術的な流通もある。邪魔するよりは、建設的な行動に出たい。

「我が国も、エル・バドールと交易する手段を考えられませんか」

「今から競争を行えば可能でしょうが、しかし国内の復興のことを考えると」

「厳しい状況は今も同じです。 何とか並行して進めてみましょう」

「御意。 それでは、じいめはこれにて」

アルマンが視線を外すと、もうじいはいなかった。

出来れば無駄に血は流したくない。窓を見ると、まだ返り血の曇りが残っている。戦いの爪痕は、この後何年も消えはしないだろう。

手を叩いて、侍女達を呼ぶ。決済すべき書類を持ってこさせる。額に浮いた汗を侍女に拭かせながら、アルマンは判を押し続けた。ふと、鏡を見て気付く。

顔から、完全に笑顔が消え去っていた。笑い方も、忘れてしまっていた。

 

無惨に蹂躙された森の中、焼け落ち崩れた塔の跡に、花を供えている影一つ。アデリーだ。アデリーは鉢植えを何株か持ってきて、丁寧に此処に植えていた。数日前から朝練の後に来ては、周囲の掃除も行っていた。人間の死骸はもうあらかた回収されてはいたが、時々誰かの遺品らしいものが見つかる。とても悲しかった。それに、完全に放置されている、この亡骸のことも。

あの戦いの時。アデリーは、必死に集ってくる虫たちを撃退しながら、気付いていた。この塔そのものとかしていた怪物が、人間だったことに。恐らく、マスターの使う錬金術か、それに近い技術で作り出されたことに。

アデリーが顔を上げると、崩れた塔の残骸上で調査している人間一人。見たことがある。確か、ヘルミーナさんという人だ。そうなると、クルスもいるはず。いた。ヘルミーナの側で、作業を手伝っているようだった。

声を掛けると、ヘルミーナさんは此方を一瞥した後、降りてきた。アデリーが花を植えているのを見て、小首を傾げる。側に着地したクルスが、丁寧に礼をしてくれた。

「確か、アデリーと言ったわね。 様々な血を吸った土壌における植物の育成実験かしら?」

「え? 違います。 この塔になってしまった人が、可哀想でしたから」

「ふうん。 そう」

ヘルミーナさんは興味がなさそうだった。だが、驚きはしない。こういう反応をする人は、マスターで慣れている。

「ヘルミーナさんは、何をしに来たんですか?」

「私は調査に来ただけよ。 この戦いの結果を見る限り、イングリドもそれなりに頑張ってはいるみたいね。 私だったらもっと手早く片付けて見せたけど」

フフフフフと、ヘルミーナ先生は笑った。その後は、もうアデリーには興味が無くなったらしく、会話を一方的に断ち切って去っていった。アデリーは作業を再開した。持ってきた株は、溜めておいたお小遣いで買ったものだ。来年はこの辺りが綺麗な花畑になるといいなと、アデリーは思った。

街道に出て、気付く。クルスが待っていた。手には陶器の鉢植えの花を一つ。小さくて赤い、可愛い花だ。感情の読めない目で、クルスは言う。

「これ、マスターからです。 どうぞ、アデリー様」

「ありがとうございます」

「どうしました?」

「いえ。 興味なさそうだったのに、どうしてだろうと思いまして」

「マスターは、気紛れな人です。 それだけです」

小走りでクルスが去る。戻って移植するのも気が乗らない。植えるのは明日にしようと思って、アデリーは帰路を歩む。

多くの人が、今回の戦いでは傷ついた。アデリーは軽傷で済んだが、みんな大けがをした。死んだ人もたくさんいた。ナタリエさんは、まだベットから起き上がれないでいる。

マスターはどう思っているんだろうと、アデリーは思った。さっきのヘルミーナさんと同じように考えているのだろうか。そうだとしたら、少し悲しかった。

城門につく。マスターがいた。待っていてくれたらしい。小走りで駆け寄ると、マスターは頭を撫でてくれた。どうしてか、心地よい。このまま、考えることをやめてしまいたかった。

「帰ろうか」

「はい」

アデリーは頷く。マスターが死者を悼んでいるのかは分からない。きっと悼んではいない気がする。でも、今は迎えに来てくれただけで、満足するべきだ。

帰り道を、一緒に歩く。久しぶりに優しい空気が、周囲にある気がした。

 

(続)