血と花

 

序、シュワルベ

 

シュワルベ=ザッツは二十代半ば。盗賊団の長という、難儀な商売についている男である。本当の年齢は誰も知らない。ただ、物心ついた頃から、数え初めて二十年になる。だから、二十代半ばだと推察しているのだ。

長身の彼は常に布で頭を撒いて、目元だけを空気に露出させている。素顔をさらすわけにはいかないからだ。口数も極端に少なく、声を聞いたことがある部下は少ない。剣の腕前は相当なもので、熊を撃退して見せた事がある。冒険者としても充分にやっていけるのではないかと、常日頃から部下達はささやいていた。それはボスに対する信頼の薄さと同時に、リーダーを失った時にどうすればいいか分からない、彼らなりの不安の発露であった。

シュワルベは周囲に女を近づけることもなく、普段は洞窟の奧で静かに酒杯を傾けている。アルコールが薄い酒で、ただ雰囲気を楽しんでいるだけだ。目は普段から濁りがちで、気力が伺えない。ただし、それはあくまで雰囲気だけ。何かあると、真っ先に彼は姿を現し、見事な手際で解決する。無理矢理群れを率いさせられた一匹狼というのが、彼の周囲の人間が共通して抱いている印象だ。だから、部下達の不安も蓄積する。それを取り除く気もないらしいシュワルベは、昨日も今日も一人酒を飲み続けていた。

彼が外に出る理由は決まっている。何かトラブルがあった時か、体を鍛える時か。部下達が気付くよりも早く、小さな洞窟の最奥にいる彼が出てくることもある。だから彼の姿を見ると、誰もが緊張する。それも知ったことではないという様子で、シュワルベは洞窟を出て、日の光に目を細めた。夏がそろそろ終わろうとしているが、日差しは相変わらず強い。

シュワルベの様子から、ただ体を鍛えに出てきたと部下達は判断、周囲にだらしなく転がったり、あくびをしながら見張りに戻る。不思議な主従関係である。シュワルベも部下達をとがめる様子無く、洞窟側の小川に降りていった。

巻いている布を取ると、無精髭に覆われた彫りの深い顔が現れる。カミソリで髭をそり落としながら、シュワルベは水面に映った自分の顔を見る。肌は浅黒く、短く切りそろえた髪もまたカラスの羽のように黒い。一体自分は何なのだろうと、問い続けた時もあった。だが今はそれもない。ただ怠惰に、闇の中をうろつくだけの人生を過ごしていた。

顔を洗うと、修行にはいる。愛剣を抜くと構え、立ち位置を素早く入れ替えながら舞うようにして剣を振るう。南方に伝わる、シミターと呼ばれる曲刀を使った武術だ。装甲が薄い相手との戦いを想定した剣であり、動きもそれに合わせている。つまり、切り込みが浅い代わり、とにかく動作の全てが速い。重装の相手には不利な戦い方だとも聞いているが、少なくともシュワルベはまだ負けたことがない。剣もシミターではなく、襲った相手から奪い取った普通のショートソードだが、同じ事である。

しばし剣を振るい続け、腕を維持したシュワルベは、洞窟に戻る途中、側にある丘に登った。川を挟んで二つの小さな丘があり、僅かに森が薄くなっているこの周辺は、隠れるにはもってこいの場所なのだ。手をかざすと、遠くに見える。ザールブルグの偉容が。

影に生きてきたシュワルベなのに、なぜかこの光景は嫌いではなかった。

 

シグザール王国首都、ザールブルグ。大陸屈指の治安を誇る大都市である。だが人類社会屈指の治安を誇る都市であっても、犯罪は起こる。なぜなら、暮らしているのが人間だからだ。そして官憲の目を逃れて逃げおおせた者の多くは、地下に潜ることになる。

この場合の地下というのは、辺境の治安が不十分な都市や、いまだ大陸の大半を覆い尽くす森の事を指す。安定した治安を誇るシグザール王国でも、辺境はいまだに怪しげであり、そちらへ逃げ込むと捕縛は難しい。もっとも、そこまで上手く逃げおおせる者は殆ど居ない。そのため、九割方の犯罪者は森へ逃げ込む。そしてその殆どが、猛獣や魔物の餌食になるか、行きだおれる。中には、犯罪者の手配書が回ってくると、山狩りを行って駄賃を稼ぐ村もある。犯罪に手を染めるのは容易だが、其処から逃げ切るのは非情に難しいのが現状だ。

社会的な公平度も比較的高いシグザールでは、逃散農民も少ない。これらの事情が重なった結果、いわゆる盗賊団や山賊団と言った者達は、他国に比べて少ない。辺境に行けばちらほら見られるが、それも大規模なものは殆ど存在しないのが実情だ。ヴィント王が豪腕でまとめ上げているこの国では、いわゆる社会の隙間で甘い蜜を啜る都市型犯罪組織も規模が小さく、彼らの力も小さい。運良く国境を突破してドムハイトや別の隣国に逃げ込む盗賊もいるにはいるが、そういった国では更に高圧的な官憲や、悪化した治安下で鍛えに鍛えられたしたたかな者達が待ち受けている。更に最近では、ドムハイトとシグザールの間で実験的に犯罪者の情報交換まで始まりつつある。

シグザール王国では、犯罪は割に合わないのである。

それでも、犯罪に手を染める者はいる。根っからの社会不適合者もいれば、単に犯罪が趣味のものもいる。多くは生活が出来ずに、犯罪に手を染めてしまう者だ。どんなに良くできていても、社会には矛盾がつきものだ。そしてそれの犠牲になるのは、常に弱い者なのである。

シュワルベの両親も、そんな弱い人間の一人だった。

ザールブルグから離れた辺境の村でシュワルベは育った。物心つく頃には、シュワルベは自分の側にいる「親」が、周囲の子供達の「親」と違うことを知っていた。シュワルベは厄介者でしか無く、雑用係であり、愛情を注がれる対象ではなかった。泣けば殴られ、笑えばぶたれた。ただ影のようにその場にいることだけが、シュワルベの存在意義であった。肌の色も、目の色も違った。年を取れば取るほど、体格も違ってきた。

もちろんシュワルベにも人並みの欲求があった。最初は「親」の気を引いて、どうにかかわいがられようとした。それが無駄だと悟ると、なぜかわいがられないのかと考えるようになった。周囲の子供達が羨ましかった。しかしトラブルを起こすと死ぬほど酷い目に遭わされるので、なにも出来なかった。そんな彼は、当然のように格好のいじめのターゲットとなった。

地獄のような毎日の中、シュワルベは耐えた。そんな日々の中、彼の小さな世界を激震させる情報は意外なところから来た。一人で寂しく遊んでいたシュワルベが、いじめっ子達が現れたのを見て、物陰に逃げ込んだ。そしてそこでじっとしているうちに、今度は大人達が来た。そして、聞いてはならない大人達の会話を耳に入れてしまったのである。おおまかに、内容は幼い子供にも理解できた。

彼は産み捨てられた子供だったのである。

彼の「実の両親」は、王都で何か「悪いこと」をしでかしたという事。丁度悪いことに、母が妊娠していたという事。父の兄弟に、産まれたシュワルベを渡して、逃げ去ったと言うこと。官憲が来て調べ、子供に罪はないという事になり、シュワルベはそのまま預けられたと言うこと。

大人達は笑いながら、シュワルベの両親を馬鹿にしていた。親が親なら、子供も子供だとか。親が犯罪者だから子供も無能なのだとか。どこか冷たい怒りが、シュワルベの中に宿ったのは、そのときだった。

不思議と、冷静だった。何かがシュワルベの中で変化したのかも知れない。それから、シュワルベは急に堂々とするようになった。彼自身も気付いていなかったが、親へ媚態を使おうという気がなくなった事が、精神的な余裕を産んでいたのだ。いじめっ子達は彼の変化に気付いた。自然といじめはやんだ。というのも、シュワルベが容赦なく反撃するようになり、そして単純なけんかではいじめっ子達程度では歯が立たなかったからである。

シュワルベは考えた。決して阿呆ではなかったシュワルベは、すぐに一つの疑問にたどり着いた。ならば、なぜ奴隷に売り飛ばさなかったのか。考えてみれば、妙な話であった。だが、それもすぐに解決した。大人達が話していたのを耳にしていたのだ。何でも、彼の「実の両親」が所有している国公認の財産があって、シュワルベを育てているのはその権利を「親」がほしがっているためなのだという。成人して権利を扱えるようになったら、すぐに自分たちのものにして、奴隷に売り飛ばすつもりだというのである。

我慢の限界が来たのは、そのときだった。

シュワルベはたまたま村を訪れていた旅の冒険者が持っていた剣を盗み出した。皆の目を盗んで動き回るのが、その頃には誰よりも上手になっていた。そして夜を待ち、寝ている「親」どもを刺し殺し、森へ逃げ込んだ。

それから、森や小さな街を転々としながら、シュワルベは育った。生きる術は勝手に身についた。自由になったのに、むなしい日々であった。生まれついて才能があったシュワルベは、見ているうちに戦闘技術を吸収して、再現できるようになっていた。金がない時は、働くか、時には追いはぎをした。

数年前から、今の洞窟に住み着くようになった。一人で居ると、静かで落ち着いた。そして望みもしないのに、周囲に人が集まるようになった。どれもシュワルベと似たような境遇の者達だった。彼らはシュワルベではなく、その戦闘能力を当てにしていた。別に拒む理由もないから、たまたま見つけた洞窟周辺を根城にして、一緒に暮らすようになった。炊事も洗濯も彼らにやらせた。シュワルベが「部下」に要求したのは、それだけだった。

組織化した盗賊行為を行うようになったのは、それからである。といっても、シュワルベは頼まれれば出かけていって戦うだけであった。部下達が追いはぎをしているのを止めもしなかったし、興味もなかった。面倒だから派手に暴れるなと言うべきだったのかも知れない。熊をも撃退するシュワルベの武力を当てにした部下達は、調子に乗り、官憲や冒険者を侮りきっていた。

悲劇は、起きるべくして起こったのかも知れない。

部下達の行動がエスカレートしているのに、シュワルベは気付いていなかった。彼にも責任が大きい。面倒でも、部下を制御するべきだったのだ。彼にはその能力もあった。しかし、シュワルベには部下と主という自覚さえなかった。自分の怠惰きわまる行動が、彼らの蛮行をエスカレートさせていることにも。

 

…やがて、彼の間隙だらけな王国は、僅かな圧力を受けただけで、一夜にして崩壊することになる。

 

1,甘美なるもの

 

頑丈な革手袋をしたマリーは、顔の産毛を処理するかのように、慎重に作業を進めていた。既にアデリーは眠りについている。だからこそに、逆に注意しなければならない。

いつもの作業机ではなく、金床の上に乗せているのは、適当な形に磨き上げた光石だ。大きさは小指の爪ほど。其処へ、丹念に針で模様を刻み込んでいく。やがて、模様が書き上がった。額の汗を拭う。光石は鉱物としては比較的柔らかいが、やはり長時間の加工は神経をすり減らす。

既に季節は夏。それも終わろうとしている。ここ数ヶ月、じっくり金を蓄えながら、ずっとこの研究に没頭してきた。アデリーを心配させないように、慎重に、念入りに。また、少しずつ再構築してきた信頼関係を崩してはいけない。事故を起こしたら、また全てがもとの黙阿弥だ。

光石の溝にインクを垂らす。指先で、光石に魔力を注ぎ込む。光石は、すぐに飽和量まで魔力を吸い尽くした。今回で同一の実験は三回目。不安も少しあるが、何とかなるだろうという安心感も大きい。光石の上に木の板を固定。光石の魔力を解き放つべく、呪文を詠唱。自分の魔力を注ぎ込んだのだ。ごく短いものでよい。

「はじけよ、雷電!」

バチンと鋭い音がして、光石が跳ねた。手で押さえていた木の板に鈍い手応え。ひっくり返してみると、予想通りの出来であった。光石に刻んだ模様の通りに、木の板にインクが飛び散っていたのである。

これで爆発媒体としての光石の性能は確認できた。後は、参考書通りに、クラフト弾を組んでみるだけである。

重要な素材となるウニの実は山ほど用意してある。近くの森で幾らでも採取できるからだ。多少作業工程は面倒くさいが、準備は整った。後はやるだけだ。

ただ、殺傷能力を試す実験がどうしても必要になるだろう。単純にマリーの魔力を放出する雨雲の石の場合は、自分の力のことだから、だいたいの破壊力が推察できる。しかしこれはマリーの魔力を起爆剤として用いるだけなので、どうしても破壊力が実感できないのだ。破壊力が小さすぎては駄目だし、大きすぎて自分を巻き込んでも意味がない。

作業に移る前に、もう一度チェックするべく、借りてきている本を開く。ヘルミーナ著の「爆弾の全て」と言う、物騒なタイトルの本だ。中には「城壁破砕用」とか、「対大型生物用」などという物騒な代物も載っており、それらにはふんだんに火薬を用いる。マリーが手始めに作るのは火薬なしのクラフト弾だから、本のごく最初の方に載せられているが、爆発物の原理を知るためには全体に念入りに目を通す必要がある。

もう一度クラフト弾の項目に目を通し終えた時、ドアがノックされる。この時間、このノック音は。

「開いてるわよ」

「すみません、遅くなってしまいまして」

ドアを開けて、自分の体ほどもあるかごを重そうに背負ってアトリエに入ってきたのは、黒い服を着た妖精である。名はピローネという。黒い服は妖精族で最下層の地位を示す。主に成人になったばかりの若者達が着る服であり、ここから実績を積み上げて、少しずつ色を変えていく。通常、緑服まで出世するのに、百年程度はかかるそうだ。

この間パテットに頼んだ、材料採集人が彼だ。格安の料金で、離れた場所に錬金術の素材を集めに行ってくれるので、非常に助かっている。ただし、契約書の条項は細かく、指定した材料以外は見向きもしないなど、若干融通が利かない。ただ、彼は若くとも妖精族。猛獣や魔物に襲われて逃げ帰るというような事もない。確実な仕事が、マリーにとっては嬉しい。

料金を手渡して、用意しておいた夕食を出す。夕方アデリーに買ってきて貰った小麦のパン。釜には火が残っているので、ベーコンを温めて、何種かの野菜も炒め、パンにのせる。料理が得手とはいえないマリーだが、これなら味に影響はない。すぐに出来た夕食を手渡すと、若干緊張した様子でピローネは頭を下げる。

「ありがとうございます」

「ん、ちょっと確認させてね」

かごを代わりに受け取って、中身を調べる。今回集めてきて貰ったのは、主にフェストと、ヘーベル湖の新鮮なキノコ類や薬草類だ。生ものは鮮度が高く、充分な品質である。こいつら妖精族は、人間より足が速いのではないかとマリーは時々思う。

「ありがとう、充分な品質よ」

笑顔でピローネの頭を撫でると、机の引き出しから出した報告書にペンを走らせる。これも契約の一部だ。契約者は雇った妖精の作業にいちいち評価を下し、一ヶ月に一回彼らの上司になる妖精に提出してあげなければならない。この場合はパテットに手渡すわけである。

他の妖精はどうだか知らないが、パテットが連れてきただけあってピローネは優秀だ。マリーが素材に眉をひそめたことは、殆ど無い。もっとレアリティが高い品物はパテット自身に頼むので、此方でも不自由は殆ど無い。

「今度は三日後に来て。 次の回収素材は、そのとき指示するわ」

「はい。 よろしくお願いします」

すぐに闇の中、ピローネは消える。この従順な態度も、人間が絶対的多数と暴力によって世界を支配しているからだ。彼らが本当はどう思っているかなどは分からない。ただ、マリーとしては、そんな事は関係ない。使えるものは使う。それだけの事である。

合理的なグランベル村での生活が、マリーをリアリストに育て上げた。それが悪いことだとか酷いことだとか、そんな事はマリーにとってはどうでもいい。重要なのは、如何にグランベルを豊かにするか。そして真の意味で自立するか。それだけしかない。

そんなリアリストなマリーであるのに、アデリーのことは可愛くて仕方がないのだから不思議だ。そういえば、マリーの両親も似た傾向があった。彼らはマリー以上のリアリストだというのに、子供達には甘かった気が、今さらながらにする。

人間とは、つくづく勝手な生き物である。マリーは自分の事を外側から見て、そう思った。

こり始めていた肩をもむと、仕事に取りかかる。現実に今どう生きるかが、最重要だ。

光石を取り出すと、適当な大きさに砕く。そして中和剤を満たしたボウルに放り込む。しばし時を重ね、できあがった球体を取り出す。魔力吸収が早いため、もう中和剤は完全に澄んでいて、使い物にならなくなっていた。

針で模様を刻んでいく。革手袋越しの作業だから、とても集中力がいる。幾つか仕上げた頃には、流石のマリーも疲れ切っていた。

すっかり夜は更け、遙か向こうの繁華街以外、街は静まりかえっている。裏庭に出ると、星が降るようだった。伸びをして体をねじると、少し腕を回してリラックス。気分が落ち着いたところでアトリエに戻り、沸かしておいたお湯に指先をつけ、念入りに揉む。服を脱いで体を布で拭くと、寝間着に着替えてベットに潜り込んだ。普段はとても涼しい屋根裏だが、それでも今夜は少し蒸し暑い。

アデリーは静かに眠っていた。悪夢を見ていないのなら、それだけで重畳だ。おなかが出ていたので、服を直して、布団をかけ直してやる。腹にはまだ薄く鞭の跡が残っていた。

 

クラフト弾は、鋭く尖った無数のとげに覆われたウニの実を用いて作る炸裂弾である。

この兵器のもっとも重要な部分は、中心核。ここに起爆用の素材である光石を用いる。クラフト弾はもっとも簡単で奥が深い炸裂弾であり、此処が重要である。

光石は、一旦中和剤に溶かしてから使う。光石は特性上、別に中和剤に入れなくとも魔力吸収するのだが、中和剤に溶かして熱すると、形を失う。そこを熱を落としながらじっくりボウルを回すことで、球状の光石を労せずして作ることが出来るのだ。時間は掛かるが、手作業よりも遙かに精密な球を作る事が出来る。

そうして作った光石球には、まんべんなくとげでつついて、穴を作る。穴を開けた箇所からは、魔力がより強くほとばしり出る。これを利用するのだ。

続けて、外殻となる、球体を用意する。此処で使うのは、薄いが頑丈な皮で知られるブララの実。ブララの実を二つに切り、中身を全て取り出す。空の空洞部分に、今度はウニの実から取り出すことが出来る果肉やとげを詰めていくことになる。ウニの実は果肉が酸っぱすぎてまずい上に、水分が多く、腐りやすい。刺激臭も酷い。更に、その果肉を守っている無数のとげは鉄のような硬度だ。それを利用する。ちなみにブララの実は安くて美味しい庶民の味方。使った後は、実を美味しくいただく。

さて、作業の続きである。両こぶしを合わせたくらいの大きさであるブララの実の内側、丁度切りしろに、丈夫な皮を内側から膠で張り付ける。此処を持って持ち運ぶのだ。かごに入れて持ち運ぶくらいなら大丈夫だと書かれているが、投げる時に力が入りすぎても、この皮のベルト部分なら破裂はしない。それが仕上がったら、ウニの実を詰め込む。とげをそのまま大量に入れた後、慎重に分量を見て、果肉を入れる。そして中心部に光石を安置。先に術式を組んでおいて、一言で炸裂するようにする。光石の大きさは親指と人差し指で作った丸程度でかまわない。これを二本の紐で縛り、紐の先端をそれぞれのりしろにくっつけて、たとえ中身が偏っても中心を保つようにする。

もう一つの半円にウニの実ととげを詰め込んで、光石が入るくぼみを開けた後、切りしろに膠を塗って、上下を貼り付ける。そして外側にも薄い皮を巻いて、膠で固定。膠が固まるのを確認してから、これを日が当たるところに一週間ほど放置する。このとき、水がかからないようにするのと、野犬が漁らないように気をつける。

なぜなら、野犬が間違って咥えようものなら、頭が吹っ飛ぶからだ。

日照と気温湿度にもよるが、最短三日から最長一週間ほどすると、中の実がほどよく腐り、ガスが出て内側から丁度いい具合にぱんぱんにふくらむ。このガスは火気を近づけると炸裂する性質と、圧力をクラフト弾の内側から生じさせる効果がある。ぱんぱんにふくれたなと判断できたら、暗い物陰に移す。これで完成だ。

原理は簡単。光石を起爆すると、まず周囲の皮に穴が開く。同時にガスに着火。それに加えて、魔力爆発が起こる。二重の爆発が破壊力を相乗効果で高める。そして肝なのが、鋭いウニの実のとげだ。爆発と同時に周囲にすさまじい勢いで飛び散り、辺りの生き物を激しく殺傷する。

作る際のコツは、ウニのとげを上手い具合に配置すること。ガスでふくらむ時に、皮に穴を開けてしまっては台無しだからだ。その場合、爆発こそしないが、作り直しになってしまう。作るのに時間が掛かるため、これはかなりもったいない。クラフト弾を構築する過程がかなり手間なので、無駄は致命的なのだ。

言うまでもなく、夏は腐敗期間を短くカウントできるし、冬は逆に時間が掛かってしまう。中心素材が年中採れるウニの実と光石とは言っても、ブララの実はそういうわけにはいかないし、いつでも作れるわけではないのだ。代替用品はあるが、高いし加工も難しいし採取も難儀だ。

また、クラフト弾の特徴の一つは、事故が起こった時に、被害が最小限で済むと言うことである。もし火薬式の爆発物の場合、もし事故が起こると、マリーのアトリエくらいは周囲の家屋もろとも綺麗に吹っ飛ぶ。もちろんマリーはアデリーもろとも、気がついた頃にはあの世にいるだろう。これに対し、クラフト弾は爆発の圧力と熱よりも、ウニの実のとげが高速飛散することによる殺傷力に重点を置いており、アトリエが吹っ飛ぶような火力はない。それに、仮に作りが甘くて殻が破れても、爆発は最小限で済む上、誘爆の威力も抑えられる。

いろいろな理由から、クラフト弾は爆弾製作初心者のマリーに最適なのである。作るのに相当な手間が掛かるが、それでもかなり便利だ。

時期が今しかないとはいえ、かなり作業は大変だった。暑いし、手元は汗でゆるみがちだ。アデリーに言って、余ったウニの果肉を肥料屋に売りに行かせる。残飯類は肥料屋に売り払うと小金が稼げる。もちろん肥料は外の屯田地帯にて用い、最終的には作物になって帰ってくる。

ウニの実のとげを切り落とすのも結構難儀だ。とげだらけのこれは栗に似ていて、持つところがない。だから菜箸で押さえつつ、ハサミで少しずつ切り落としていく。やがて持つところが出来れば作業は格段に楽になる。大量のとげを、ブララの実の中に詰めていく。二つに切った実の中に詰め終わるまで、たっぷり半日はかかった。

ブララの実は堅く安定しているが、それでも湿気で僅かに変形する。つまり、早めに処置をしないと作業は失敗してしまう。テーブルの上には、火を通したブララの果肉が置いてある。甘酸っぱくて栄養価が高くて、この時期には最高の食べ物だ。光石に紐を結びつけて、固定にかかる。しかし、これが難しい。膠で固定する作業が、かなり大変だった。

何度か失敗しながら、紐は少し長めに取り、むしろ外側まで出してしまった方が上手くいくと気付くまで、一刻以上掛かった。丁度アデリーが帰ってくる。浮かない顔だ。

「マスター、今帰りました」

「ん、お帰り。 そこにブララの果肉があるから、おやつに食べてて」

「マスターは何も食べないのですか?」

「あたしは仕事が終わってからね」

答えながら、固定できた光石の感触を確認。上出来だ。余った紐を切り落とすと、膠を実の切断面に塗り、上下を素早く合体させる。そして切り口に外側から膠を塗り、薄い皮を張り付ける。

やっとこれで一つ形が出来た。これを外で「発酵」させて、丁度いい按配になったら炸裂させてみる。いきなり実戦で用いるのは危険すぎる。どちらにしても、最初の一つは試作品だ。

作ってみて分かったが、組み立てるだけで半日がかりの大仕事だ。慣れても一日に二つ作るのが限界だろう。竈を見る。アカアマテングダケが良い具合に煮えていた。中和剤二百本を注文されているが、此方も手は抜けない。ただでさえ、資金的には苦しい状況が続いているのだ。

額の汗を拭うが、タオルがぬるい。この陽気では仕方がないが、うんざりである。発作的に暴れたくなるが、我慢我慢。冒険に出た時にでも、猛獣やら魔物やらに八つ当たりすればいい。

二つ目に取りかかろうとして、アデリーがまだブララの実に手をつけていない事に気付く。出来るだけ笑顔を作って聞く。

「どうしたの? 早く食べて」

「マスター、それ、何ですか?」

「これ? これはね、クラフトって言う道具」

気付いたなとマリーは思った。アデリーは引っ込み思案だが頭は良い。おそらくこれが大量殺人を可能とする道具だと悟ったのだろう。光石の加工は見せていないはずだが。ただ、驚きはしない。子供は異常に勘が鋭いことが多く、魔力が極めて強いこの子もその類に漏れない。マリーも似たような子供だったからよく分かる。

少し考えた後、マリーは折れることにした。

「分かったわよ。 一緒に食べよう」

「…はい、マスター」

「そんな顔しないの。 ほら、パン持ってきて。 ベーコンも焼いた方が良いかな」

アデリーはてきぱきと動く。とても嬉しそうだった。わずかでも、マリーが恐ろしい道具を作る時間を、遅らせることが出来たからだろう。

 

数日後、栄養剤を納品したマリーは、帰り際に近くの森に寄った。手には完成したクラフト弾の試作品がある。思ったより皮は厚く、安定感がある。逆に安定しすぎている感触からか、綺麗に爆発するか不安が生じ始めていた。

道を外れ、森の奧へ。遠くで狼の咆吼が聞こえる。鹿か何かを狩っているのだろう。マリーには関係がない。しばらくすると咆吼はやんだ。鋭い悲鳴が一つ。狩りが終わったに違いない。森は深くなり、薄暗くなりつつある。ふと側の木を見ると、ヤモリが素早く上へ駆け上がっていった。

変色した落ち葉を踏みながら、マリーは奧へ奧へ。やがて不意に草原に出る。周囲には木が生えていない。森の中に不意に円形の空間が出現した事になる。空間の真ん中には、切り株が一つ。

此処は木こりや狩人など、この森で暮らしている人間が目印代わりに作った避難地の跡だ。この間見つけた。

マリーは時々此処に来ては、武術の鍛錬や実験に使っている。普通こういう避難地は、来た人間が草を刈り木を倒して維持するのが不文律になっている。だがマリーが訪れた時には、もっと便利な避難地が出来た後らしく、放置されていた。それをマリーが手直しして使っているのだから、文句を言われる筋合いはない。

切り株にクラフト弾を乗せる。もう一つのクラフト弾は、念のために側の森の中に隠しておいた。二つが誘爆しても安全なように場所を見極めると、マリーはクラフト弾に触れ、キーとなる言葉を注ぎ込む。

「炸裂せよ」

反応した。クラフト弾から、魔力的な圧力が生じる。起爆処置は成功だ。後は逃げるのみ。

飛び退くと、マリーは走る。草原を駆け抜け、森の中へ。更に何本かの木を追い越して、来る途中に目をつけておいた大木を盾にして、クラフトと距離を取る。木に背中をぴったり付け、呼吸を落ち着ける。予想では、広場より外に爆発が及ぶことはないはずだ。3,2,1、ゼロ。マリーのカウントが終わるのと、同時だった。

聞いたこともない炸裂音だった。思わずマリーは耳を塞いでいた。魔術によって生じた爆発は、マリーは何度も見たしその音だって聞いた。それらとは、完全に異質な、さながら内部から無数の釘がきしるような音だった。殆ど一瞬の後、連続して高速で何かが木に突き刺さる音がする。

もう、何も気配はない。おそるおそる木の陰から顔を出す。クラフト弾は跡形もなく消し飛んでいた。爆発したのだ。腐敗臭が酷い。ガスを利用して炸裂威力を高めているのだから当然か。

近づいてみる。広間に入った時、思わず足を止める。右手にあった若木に、ウニの実のとげが数本突き刺さっていたからだ。それも深々と、である。この分だと、障害物がなければ、マリーが隠れてきた場所までとげは届く。殺傷力は話が別になってくるが。

広場の地面には、至る所にとげが散らばっていた。地面にもまんべんなく突き刺さっているし、草も酷いダメージを受けている。茎がえぐれていたり、葉に大穴が開いていたり。虫の死骸もあった。木っ端微塵に吹っ飛んでしまっていた。

もっとも巨大な被害を受けていたのは、クラフト弾を置いた切り株である。原型が残らないほどに崩れており、まんべんなく突き刺さったとげは、いくつもの穴を作っていた。しかも、マリーが指を入れても、とげには届かないほどに深い。

これは、すごい。

密集隊形を取った敵小隊の中に放り込んだら、一撃で殲滅が可能だろう。そこまで上手い状況を作れないとしても、特に人間相手の戦闘では充分に実践的な兵器だ。マリーは思わず生唾を飲み込んでいた。

この間、光石を砕いた時に、腹の底からわき上がってきた感情が戻ってくる。滝が逆流するように、腹の奧からせり上がってくる。呼吸が速くなる。瞳孔が狭まる。体が、歓喜に震えていた。声帯が制御できない。意味をなさない言葉が漏れる。

「お、お、おおお、おおっ!」

試してみたい!

これを、殺戮に、使ってみたい!

おおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!

天に向かって、マリーは咆吼した。殺気と歓喜とを狂気で味付けして、天と良識に叩きつけた。体中が煮えるようだった。火照ってうずいて、獲物を前にしたナチュラルボーンキラーのように打ち震えた。

興奮が収まらない。残しておいたもう一個を全速力で取りに戻ると、切り株の上にセット。もう一度起爆してみる。今回だけ異常に良く出来ていたという可能性は否定できないからだ。実験は反復して行い、正しいことを念入りに確認せよ。自分に都合が悪い結果からも目をそらしてはならない。イングリド先生に教わった心得の一つだ。

二つ目も、一つ目と同じように、綺麗な爆発を見せた。同じように広場を傷つけ、同じように穴だらけにした。よだれが零れそうだった。マリーは知った。性行為の快感どころではない、絶対的な悦びが世にはあることを。

これぞ、マリーの、悦びだった。

笑いが漏れる。ほとばしり出る。止まらず、垂れ流し続ける。

狂乱の中にあって、マリーの脳裏に浮かんだのは、どうしてか悲しそうにアトリエで待つアデリーの後ろ姿だった。

 

片付けを済ませてアトリエに戻る。予定通りの時間であるし、アデリーは特に待った様子もなく、昼ご飯の準備を済ませていた。

帰ってくる間に興奮を冷ましたが、これが大変だった。そのままでは無理そうだったので、杖で木を数本へし砕いて、蹴りを叩き込んで割り折ってきた。そして見かけた不運な野犬を一匹八つ裂きにしてきた。直接的な暴力がストレスを解消に向かわせるのは人間の特性である。マリーについてもそれは代わらない。アデリーに狂気の一端を見せるわけにはいかないから、こうやって綺麗にとばしておかなければいけなかったこともある。

本当はスラム街当たりでチンピラを二三匹半殺しにしてこようかとも思ったのだが、後が面倒くさそうだからやめた。トチ狂った連中が報復に来てアデリーを人質にでもしたら、マリーも自制心に自信が持てない。流石に屑とはいえ十人以上も殺したら、この町では肩身が狭くなるだろう。アデリーも悲しむだろうし。殺すのなら、殺しても社会的に問題のない存在にしなければならない。だから、野犬を見つけて殺してきたのだ。

アデリーは片付けと準備を手際よくしていたが、やはり若干浮かない顔だった。彼女はサラダ類とトーストを並べ終えると、マリーと向かい合って食事机につく。そして、決心したように言う。

「マスター、その、手…」

「ん? ああ、これ。 気付かなかったよ」

「痛くありませんか?」

「へーきよ、これくらい」

マリーの手の甲に、少し大きめの傷が出来ている。興奮を冷ますために森で暴れている時、枝で傷つけたのだ。消毒はしたし、傷が悪化する恐れはない。もちろん、今は痛みも引いている。

昼食はすぐに終わる。マリーは努めて笑顔を作ってアデリーにいろいろとくだらない話をして、彼女もそれに答えて儚げにほほえんでいた。

しばらくフェストを砕いて研磨剤を作る。今、クラフトを作ったら、また意識がぶっ飛びそうな予感があったからだ。今日決めていたノルマ分を片付けると、キノコを刻んで、栄養剤を作る。今回はエルフィン洞窟で採取してきたものを混ぜ込んで、強精剤とまではいかないにしても、効果が高く長持ちするものを作ってみようとマリーは考えていた。どちらにも有害物質は含まれていない。だが、アカデミーの教科書にも載っていないオリジナルの調合でもある。だから最初は実験する。試すのはマリー自身で、である。

最後に岩を砕いてボウルに入れ、地下室の魔法陣に置いてくる。最近中和剤がとにかくたくさん入り用で、幾らあっても足りない。ピローネは体が小さく力が弱いので、ヘーベル湖の水をたくさん持ってくるのは苦手だ。これだけはマリーが自分で行わなければならない。

一通り仕事が済むと、夕食の時間だ。アデリーは頭が良いし覚えるのも早い。料理も今ではマリーよりもずっとうまい。天性の才能だろう。なにより、仕事が終わると料理が出来ているというこの快感。使用人雇用の何をためらっていたのか、今になると分からない。

暖かいスープに木製のスプーンを入れながら、マリーは言った。

「ねえ、アデリー」

「はい」

「頼りにしているわ。 あたし料理も家事も下手だから、あなたが居てくれてとても助かる。 これからもよろしくね」

そのとき、マリーは見た。アデリーの頬に涙が伝うのを。

やっと一つ帰ってきた。安堵と同時に不安もあった。アデリーがなぜ涙をこぼしたのか、マリーには分からなかったから。

 

珍しくマスターはアデリーより先に寝た。アデリーもマスターが作ったものを壊さないように触れないように気をつけながら、夕食を片付けて、それから眠りに入る。マスターがしているように、釜の火を確認。マスターに喜んでほしいから、アデリーはいつも必死だった。

失敗が怖かった。今まで何度か失敗した時、心臓が凍りそうになった。マスターはいつも笑って許してくれたが、それもいつまで続くかは分からなかった。信頼できないのではない。頭では分かっている、マスターがアデリーを大事に思ってくれている事は。理解できていないのは、体の方だ。

地下室に降りて、隅で服を脱いで、体を拭く。家を出てから、傷は増えなくなった。だが深く刻まれた幾つかの傷は、直るところが想像できなかった。今の生活では、肉体的な暴力に対する恐怖はほとんど感じない。天国のようだ。それなのに、体はまだ怯え続けている。

寝室に入ると、もうマスターはベットで健康的な寝息を立てていた。アデリーも自分の布団に潜り込んで、目を閉じる。今日も、良い夢は見られそうになかった。

気付いていた。マスターの体から、血と死の臭いがしていたことに。マスター自身が、何かを殺してきて、その血に酔ったのは間違いなかった。多分人間ではないだろうが、それでも殺戮に酔ったのだ。怖かった。それ以上に、悲しかった。

「両親」は、アデリーが何をしても愛してはくれなかった。最初にやめたのは、泣くことだった。覚えていないほど昔、泣くと両親はいつもアデリーを殴った。骨が折れたこともあった。回復の術を使う母がいたおかげで、致命的な怪我をすることはなく、他の人たちもアデリーの怪我にも気付かなかった。村の隅の小さな礼拝堂。神様はいつも助けてくれると、父は言っていた。願いを聞いてくれるとも。アデリーも必死に祈った。それなのに、アデリーの願いは、いつまで経っても聞き届けてはくれなかった。

背が伸びてくると同時に、暴力はますますエスカレートしていった。鞭が使われるようになった。両親はアデリーの全てが気に入らないようだった。一挙一動にヒステリックに声を上げ、ぶち、叩き、殴った。それなのに、他の人の前では、神様の像のような、とても優しそうな笑顔を向けていた。その笑顔を向けてくれることは一度だってなかった。アデリーは神様に祈ることをやめていた。祈ったって、笑顔の一つだって両親は向けてくれなかったからだ。それを両親はなじって、更に鞭が飛んできた。

どうやら自分の持って生まれた能力が、両親を怒らせているらしいとアデリーは気付いた。アデリーの力は、死だった。死にしか使えない力だった。それが「癒しの力」を持っていて、それを誇りにしている両親にとって悲しいことなのだと、アデリーは知った。

だから力の媒体となる両腕を、切り落とそうとした。力が使えなくなれば、きっと笑ってくれると思ったからだ。

だがアデリーの弱い力では、斧は持ち上がらなかった。料理用の包丁は触らせてもらえなかった。だから庭の石で何度も手首を掴んで叩いた。血だらけになった。痛かった。でも、これさえすめば、きっと両親が笑ってくれると思えば、なんともなかった。周囲の人がそれを見つけた。無理矢理にやめさせられた。

それから両親の暴力はさらにエスカレートした。アデリーが「恥を掻かせた」となじった。「神に仕える身」から、「頭のおかしい子供」が産まれるのは、許せないことなのだと。

アデリーは森に置き去りにされた。森をさまよう彼女の前に現れたのは、大きな大きな恐ろしい化け物だった。山のように大きなそれは、木を押し倒しながら現れた。すごい息の音がした。もの凄く大きな口が開いて、牙をむいて、アデリーを食べようとした。

意識が戻った時、辺りは平地になっていた。泡を食った両親が、村の人たちに何か必死に弁解しているのを聞いた。勝手に逃げ出したのだとか、最近暴れることが多かったとか言っていた。

知らない人が来て、連れて行かれたのは、その翌日のことだった。捨てられたことを悟った。永久に笑ってもらえないことを知った。

それから数ヶ月。マスターに随分優しくしてもらって、涙がまた戻ってきた。笑顔を向けてもらうという信じられない体験もした。トールさんも優しかったが、マスターのそれは、よく分からない、もっと包んでくれるようなものだった。全く知らない感覚で、それが故に怖かった。何を望んでいるのか、何をしたいのか、分からないからだ。

もう一つ怖いこともあった。マスターの中に、あの森で見たような、凶暴な何かが潜んでいることを、アデリーは感じていた。それは時々顔を出す。アデリーに牙をむくことはなかったが、マスターの中で確実に息づいていることは事実だった。それが、今日何かに牙をむいたのは間違いなかった。そして、ばりばり、むしゃむしゃ、音を立てて食べてしまったのだ。背筋が凍りそうだ。

マスターは好きだ。いつも優しいし、ぶたない。アデリーの言葉を待ってくれるし、仕事をくれるし、存在を認めてくれる。しかし、その何かは怖くて仕方がなかった。アデリーは今でも殆どの人の目を見ることが出来ない。発作的に飛んでくる暴力が怖いからだ。両親から貰ったのはそれしかなかった。だから眠る時は、いつもぎゅっと身を縮める。

隣でマスターが幸せそうに寝ている。アデリーには分かる。今日何か良いことがあったのだと。そしてそれは、きっと殺しに関係したことなのだと。

しないはずなのに。血の臭いがまた、どこからか漂ってきた。怖くて、切なくて、アデリーは身を縮める。

アデリーは血が嫌いだ。どこに行ってもある。かっては自分からずっと血の臭いだけがしていた。今度はすてきなマスターに出会えたのに。マスターから血の臭いがしている。やっぱり、世界は怖い。

薄明の世界が、彼女の周りには広がっていた。だが、今の環境から離れたく無いとも、アデリーは思っていた。

マスターの思うとおりに、言うとおりに。必死に言い聞かせる。捨てられたくない。ぶたれたくない。今と同じがいい。だから、だから、だから。

いつのまにか、アデリーは眠りに落ちていた。ぎゅっと小さな手で布団を握りしめて。

 

マリーが目を覚ますと、アデリーは静かに寝息を立てていた。だがあまり幸せそうではない。昨日涙を初めて見せてくれた。頬には、また涙の跡がついていた。

何かまずいことでも言ったかなと、マリーはベットに腰掛け、頬杖をついてアデリーを見ながら思った。どちらにしても、そろそろ仕事に余裕が出てきていることもある。やっておかなければならないことがある。

力の制御方法の伝授だ。

幾ら夏だとは言っても、朝方は涼しい。裏庭に出て、杖を何度か素振りする。釜の火は問題が無く、薪を数本足しておくだけで良かった。充分に体を温め終えると、アデリーが起きてくるのを待つ。

起きてきたアデリーが、マリーを捜して裏庭に出てきた。笑顔を作って朝の挨拶をすると、告げる。

「今日は二人で出かけるわよ」

「えっ? どちらへ、ですか?」

「ゲルハルトって人が経営している、鍛冶屋」

力を制御するには、肉体面の制御も必要だ。これはどこの魔術師もやっていることである。体が弱い魔術師でも、何かしらの肉体鍛錬はかならず欠かさないものなのだ。

「荷物持ちですか? 頑張ります」

「違うわよ。 貴方用の武器を買うの。 力の使い方、教えてあげる。 そのままだと、危なくて仕方がないからね」

信頼関係にはまだ不安が残っているが、もうそろそろ良いだろうという判断もある。それに、一緒に体を動かして、信頼関係を深めるという効果も狙っている。自信を醸成するにも、力を使えるようにしておくことは必要だ。

「武器は何が良いかなあ。 最初はナイフか棍かなあ。 ん?」

マリーが考えながらうろうろして、振り返ると、アデリーは真っ青になっていた。触ることが出来るようになってからの方が良かったかとマリーは一瞬後悔したが、アデリーの方が驚くべき事をして見せた。

「わ、わかり、ました。 がんばります」

「…そっか。 なら、あたしと一緒に、今日から少しずつ力の使い方を覚えようね」

マリーはアデリーの瞳に宿った決意に気付いた。それが何の決意までかは読み取れなかったが、それでも少し嬉しかった。

進歩には、違いなかったのだから。

 

2,修練開始

 

朝、マリーは食事を済ませてから、アデリーをつれて外に出た。鍛冶屋に向かうためだ。隣のおばさんと目があったので、笑顔で礼をすると、そそくさと逃げていった。まあ、こればかりは仕方がないだろう。何しろ、このアトリエは異臭と爆発騒ぎの常習犯だ。

マリーも自分の噂は幾つか知っているが、人間の話なのか分からなくなるようなものも多かった。正体が分からない相手に対しては、人間は空想で像を結ぼうとする。それに悪意が混じっていると、時にとんでもない完成品が出来てしまうことがあるのだ。

マリーも周囲とあまり交流しようとしない所がある。しかし、これにはマリーにも言い分がある。これ以上交流関係を広げても、維持できる自信が無いのだ。冒険者ギルドや酒場などではそれなりの評判を維持しているのだから、勘弁してほしいというのが本音である。

アデリーと一緒に歩きながら現在の貯蓄を計算して、次にいつヘーベル湖に出かけるかを考えておく。早めに計画を立てておかないと、護衛の冒険者とのスケジュール調整も難しい。近くの森にも、少し長めの滞在をしたいと考えていた。クラフト弾の材料がほしいからだ。それに、あのウォー・マンティスどもが完全に駆除されたかも調べておきたい。あのときは死ぬかと思った。何か異変が始まっているのかも知れない。

アデリーは無言で着いてきている。外に出すことが多くなったせいか、だいぶ肌が焼けてきている。健康的で実に結構な話だ。ただ、大きな藍色の目は常に辺りをうかがっていて、自分への脅威に備えようとしているのが痛々しい。髪の毛も整えてあげたい。どちらかといえばがさつな部類に入るマリーも、長い髪の手入れはしているから、これは人並みに出来るのだ。髪型を変えると気分は随分違うものになる。アデリーのショートヘアには少し癖があるので、伸ばして編んだら面白いかも知れない。

ゲルハルトの店は、今日も開いていた。中からは規則的な金属加工音がする。これはいつもより早めかも知れない。金属加工を始めるのはだいたい昼頃なのだが。ひょっとすると大口の仕事でも入ったのか。

煙突からは薄白い煙も出ている。どうやら、読みは当たったらしい。そうなると、ちょっと手間が掛かるかも知れないが、それは仕方がない。注文だけでも済ませておかないといけないだろう。

幸い、入り口には開店中の札が掛かっていた。蝶番が着いているドアを開けて中にはいると、ゲルハルトの姿は無い。店の奥に引っ込んでいるのだろう。

「おう、悪いな。 少し待っててくれ」

「はーい。 いいですよー」

「お、その声はマリー嬢ちゃんか。 すぐ行くから、座って待っててくれや」

威勢の良い返事を受けて、マリーは部屋の奥にある椅子にアデリーを座らせた。自分自身は立ったまま杖のチェックである。最近かなり力が戻ってきているため、軽くて仕方がない。杖を変える気はまだ無いが、今日また少し重くして貰うつもりだ。重さは破壊力に直結することが出来る。もう少し重くすれば、人間の頭蓋骨をたやすく粉砕できる。今でも、骨くらいなら簡単にへし折れるが。

店の奥からゲルハルトが出てきた。カウンターの奧は仕事場になっているらしいのだが、どういう仕組みかはマリーも知らない。村の鍛冶場には入ったことがあるが、あれとは比較にならない規模だろう。

ゲルハルトのたくましい体は汗に濡れ、激しい仕事をしていたことがよく分かる。額の汗を黒く焼けた手の甲でこすりながら、遮光石のめがねを少し持ち上げて、ゲルハルトは言う。ひっと、隣でアデリーが息を飲み込んだ。まあ、確かにインパクトはあるし、話したことがなければ怖いかも知れない。

「うーっす、おはよう。 待たせてすまねえな」

「おはようございます。 此方こそ、朝早くすみません」

「わはははは、社交辞令ながら妙な話だな。 互いに謝り合ってやがる。 で、その子が例の子か?」

「ええ。 この子がアデリーです。 アデリー、挨拶なさい」

「お、おはよ、うござい、ます。 アデリー、で、す」

がくがく震えながら頭を下げるアデリーに、ゲルハルトは小首をかしげていた。以前杖のメンテを頼んだ時に、アデリーの話はしてある。だから用件は言わずとも伝わっているはずなのだが。マリーが小首をかしげ返す前に、ゲルハルトは言う。

「少し早くねえか?」

「大丈夫ですよ。 いざとなっても、あたしが暴発だけは押さえますから」

「そういうならいいけどよ。 まあいっか。 嬢ちゃんを信じるよ」

そういって、カウンターからゲルハルトは出てきた。髪の毛が残っていない頭部に今日は鉢巻きを巻いているが、それは汗ですっかり濡れていた。加齢臭も酷い。デリケートな頃の女子には厳しいだろう。その上アデリーの倍ほども背丈があるゲルハルトは、荒々しい容姿だ。子供によっては脱兎のごとく逃げ出すかも知れない。

ゲルハルトはがさつな人物だが、それでも子供の扱い方はそれなりに心得ていた。腰を落とし、真っ青になっているアデリーと視線の高さを合わせる。そして人なつっこい笑顔を豪快に浮かべて、頭を撫でようとしたのでそれは止める。しばし腰が引けているアデリーを見つめていたゲルハルトは、待つように言い残して店の奥へ消えた。

「大丈夫だって。 もの凄く気が良いおじさんだから」

「ご、ごめんなさい、私、私…!」

「謝らない。 向こうだって気にしていないから」

戻ってきたゲルハルトは、意外なものを持っていた。マリーはナイフか棍だと思っていたのだが、剣だった。それもカタナと呼ばれる、異国で主流に使われるタイプのものだ。流石に最小サイズのワキザシと呼ばれるものであったが。

他にもいろいろと妙なものばかりゲルハルトは持ってきていた。先が二股になっているジュッテと呼ばれる刃物と、三つ叉になっているサイという刃物。サイは二本セットで用いる、使用難易度の高い武具だ。冒険者の中にも、使っているものは殆ど居ない。

基本的に実用的な武器といえば長柄系である。一番使えるものはなんと言っても槍だ。剣を腰から下げている冒険者が多いのは、持ち運びに便利だからである。次に実用的なのは、軽くて使いやすい双棍やナイフ。

カタナは芸術的に美しいことはもちろんだが、切れ味が鋭く、強力な武器の一つだ。ただ、保ちが致命的に悪いという欠点がある。切れ味がすさまじい分刃も繊細で、何人も斬っているとすぐに駄目になってしまうのだ。ただ、考えてみれば、後衛で自分を守ることだけ考えていればいい人間には、一撃必殺のカタナは実用的な武器かも知れない。サイも使い手が少ない分、極めれば短期戦にもってこいだ。ジュッテは防御重視の武器であり、慣れればかなりの長時間、敵の攻撃をしのぐことが出来る。

なるほど、ゲルハルトはマリーと一緒に冒険に出る時の事まで考えて、アデリーの武器を選んでいたわけだ。これは一本取られた。年の功という奴だろう。

武器を三セット机に並べ終えた後、しばらくゲルハルトは腕組みして考え込んでいた。アデリーの体格から腕力を分析、今後の成長と、それに合わせて最適な武器を選択しているのだろう。この辺りは、異常なまでに積み重ねた経験からもたらされるため、マリーには口の出しようがない。ゲルハルトはプロだ。プロの言葉に反論する場合は、それなりに理論を積み重ねないと失礼に当たる。

椅子に座ったアデリーは真っ青なまま、床を見つめ続けていた。幼い彼女に、明確な夢やら、将来の展望やらがあるわけがない。あるとしたら、漠然とした希望だけだろう。それを考慮して、ゲルハルトは選択しなければならない。これには大人の責任が伴う。決して安易に判断してはならないのである。

子供の成長には、大人、特に親が責任を持たなければならない。それが出来ない人間は、子供を育てるべきではない。子供の成長が、村全体に大きく関わってくるグランベルで育ったマリーは、強くそう考えている。

アデリーの場合、マリーが不完全ながら親の一部の役割を果たさなければならず、また足りない部分をゲルハルトに任せなければならない。親の部分が極めていびつにつながってしまうわけであり、将来に不安は残る。マリーはその辺りで不安が消しきれない。魔力をどう扱うかという点に関してだけなら、育て上げる自信はあるのだが。何事も、人間を相手にしていると、難しい。

結局ゲルハルトはワキザシを持たせてくれた。値段はそこそこに張ったが、これは予定通りの出費である。ついでに杖も調整して貰う。先端部分にグラセンと呼ばれる合金を用いたカバーを新たにかぶせたため、竜を模したキャップがメタルコーティングを受けて、更にまがまがしくなった。振り回してみると、かなり良い感触である。力がかなり戻っていることもあり、これならば、成体の狼くらいまでなら、前衛の援護なしに撃破が可能だろう。

ゲルハルトの店を出ると、見かけた車引きで昼飯を食べる。最近少し野菜が不足していたので、特殊なドレッシングを売りにしているサラダを食べに行った。サラダといっても新鮮な野菜を用いると腹を下したり虫がわいたりする可能性があるので、一度火を通したものに、ドレッシングで味付けしたものが多い。特に芋を潰してドレッシングを掛けたものは美味しい。ドレッシングは好きなだけ使って良い方式で、陶器の小皿に入れられて並べられている。辛党のアデリーは、少し食べてから、自分でドレッシングの量を調整していた。潰した白芋が、赤く染まっていた。

 

アトリエに戻ると、裏庭に二人で出る。まずは構えから教えた。直接触ることが出来ればかなり楽なのだが、自分で構えを取って見せて、少しずつ言葉で修正していかなければならないので手間だ。

カタナ使いは珍しいが、幸い村に一人居た。今グランベルで村師をしているホーランド氏で、マリーも基礎の武術をさんざん教わったし、術の使い方と精神制御もこの人に習った。つまり、今度はマリーが受け継いだ知識を渡すのである。

鞘に入れたままのワキザシを構えたアデリーと向かい合って指事をしていると、なんだか懐かしい。十年ほど前には、マリーはこうやって教わっていたのだ。幼い頃から高い素質を持っていたマリーは、村でも期待を受けていた。マリーの場合は、期待に応えれば周囲に喜んでもらえるのが嬉しかったので、めきめき力をつけた。そのうち自発的に村のためならと考えるようになっていた。分かっていたからだ。自分を育て上げてくれたのが村の人たちで、それは将来の村を期待してのことだったと。

半刻ほどもかかって、ようやくへっぴり腰だけは直して、どうにか戦闘用の構えだけは取らせることが出来た。まあ、アデリーはどう考えても戦いが日常の世界に生きていた子ではないし、最初はこんなものだろう。

「よし、少し休憩しようか。 その構えは、全ての基礎になるから、忘れないようにね」

「はい。 その…」

「説明は、少しずつ出来ることが増えてからしてあげる。 それまでは、しっかり力を伸ばしていくこと」

地下室で冷やしておいたタオルを渡してあげる。マリー自身は釜の火を確認して、栄養剤の状態をチェックしてから、煮沸してから良く冷やしておいた井戸水を一気にあおった。

 

「力ってのは、ナイフとか剣とかと同じ。 どう使うかは、使う人次第なの。 だから力に使われるんじゃなくて、力を使う側になっていくほうが建設的なんだよ。 最悪なのは、力を持っているのに使わないってやり方。 美徳だと考える人もいるようだけれど、それはただの無駄だよ。 少なくとも、現実的な考え方じゃない」

太陽が地平の彼方に沈みかけている。マリーの言葉を、なんだか寂しそうにアデリーは聞いていた。乗り気ではないのは分かっているし、多分持たされているものが人殺しの道具だとも気付いている。

だが、それはアデリーの力に関しても同じ事なのだ。

能力者が掃いて捨てるほどいるこの世界、生まれつき力を持っている人間はいくらでもいる。こればかりはアデリーに同情は出来ない。皆同じだからだ。

「持ちたくもない力を持って生まれてきた不幸」だの、「こんな社会的地位で産まれて来たくなかった」だの、三流の物語に登場するような脳天気主人公が主張するような寝言などくそ食らえである。状況を現実的に見て、如何にその中で生きていくか。それが一番大事なのだ。

マリーはそれを体に叩き込まれて育ってきた。残念ながら、ほとんどの人間にとって、弱者というのは搾取するためだけの存在に過ぎない。中には、弱者を生かしておいて何の意味があるなどと考えるような連中もいる。それが現実なのだ。だから、弱者である現状を打破して、強者にならなければいけないのだ。

マリーはアデリーを人間社会における弱者にはしたくない。だから強くする。力を使えるように鍛錬して、自分で何か考えるようになるのは、その後だ。後でどう考えようとマリーは関知しない。考える事が出来るだけの能力を、今作っておかねばならない。誰かが側にいるだけで良いというのは、一見美しい話だが、それも結局依存して生きることを意味するわけである。いざというときのために、一人で生きていける能力の醸成は絶対に必要だ。

マリーの言葉が届いているかは分からないが、アデリーはまた構えを取り直す。さっき勢い余って転んだのだ。今は訓練用の棒を持たせている。マリーも同じ長さの棒を持って隣に立っていた。

影が長く伸び、だんだん薄くなっていく。

剣を高く構えて、振り下ろす。訓練にはこれが一番良い。へたくそが剣や長柄武器を振るうと、この動作がしっかり出来ていないので、自分の足を切ってしまうことが多い。それだけでも避けることが出来るようになる。まずはこの振りをしっかりこなせるようになってもらい、足捌きやより実戦的な突きはその後。

ひゅっと風を切って、アデリーが棒を振り下ろす。すぐ側について見ていたマリーは、上達が少し遅いかも知れないと思いながらも、ほめる。

「よし、今のは良くできたよ。 次、同じようにやってみて」

「はい」

「ん、ちょっと今度は振りが遅いね。 握るところを、右手の方ね、少し上にずらしてごらん。 そうすれば、ずっと良くなるよ」

「はい」

ひゅっ、ひゅっと音を立てて、棒が空を切る。家事仕事で少しずつ力はついてきているが、それでも剣を振るには厳しいか。マリーも見本を見せながら、素振りは四十回に及んだ。丁度動きが鈍くなってきたところで、マリーは手を叩いた。

「よし、終了。 今日はここまで」

「はい」

「終わった時は、お疲れ様でしたって言うの。 まあ、他にもいろいろと作法はあるんだけど、ここは道場じゃないから、これでいいや」

というか、正座で礼をしてお疲れ様でしたというその作法が、本当に正しいのかマリーは知らない。親しいカタナ使いはホーランド氏しかいないからである。他のカタナ使いに言ったら大笑いされるかも知れないが、それはもう仕方がない。

とりあえずきちんと振ることが出来るようになったら、少しずつ重りを増やしていって、最終的にはワキザシと同じ重さにする。それからはワキザシで振りの練習を行いつつ、実戦での型を教えていく。最後に棒を使っての戦闘訓練だ。マリーのように一度自己流の域にまで達してしまえば、後はぐっと楽になる。逆に言うと、そこまでの過程が大変なのである。

アデリーは現在九歳。初潮まで成長状態から言っても多分二年か三年はあるはず。それまでに精神鍛錬を学んでおけば、暴発の危険性は著しく小さくなる。この子は見たところ、マリーと同じく思春期を過ぎても能力が弱くならないタイプだ。早めに教えることを教えておかないと、致命的な結果が待っている。しかし、この手の事は、急いで教えても成果は出ない。

疲れているだろうアデリーは、それでも夕食を作った。よそで頼もうかと言ったのだが、首を横に振り、一生懸命作っていた。ちょっと分からないが、マリーはアデリーがそれに自身の存在意義をかけているような、そんな印象を受けた。

訓練は少し当初の予定よりも減らす必要があるかも知れない。この様子だと、アデリーは倒れそうになっても家事をやろうとするかも知れない。

悩みは別にして、アデリーの作った夕食は、一日ごとに美味しくなっていく。確実にマリーの料理よりももう美味しいだろう。そして今日は、体を動かしたので、更に格別な旨さだった。

 

3,引き返せない道と、待ち受ける死

 

アデリーが眠った後ばかりを選び、一月ほどをかけて作業し、マリーはクラフト弾七発を完成させた。教科書に指定されたとおりに保存を行い、材料もけちってはいない。最後の一つが出来ると、ランプの明かりの下、マリーは舌なめずりした。

もし、マリーが武術による精神修養をしていなかったら、此処で歯止めがきかなくなっていただろう。近辺の家々を回っては、寝ているところにクラフトを放り込んで起爆し、夜な夜な大量虐殺を繰り返したかも知れない。しかし、マリーはグランベルでの生活を通して、高い精神制御技能を身につけていた。自制は並の人間よりも遙かにきく。ただし、それも完全ではない。

試してみたいという気持ちは、炎となって、心の中で燃えさかっている。

不思議なものである。人の中には無数の心がある。一見矛盾しているものも多くある。マリーの中にいる、クラフトで大量虐殺したいという狂気と、アデリーを立派に社会で生きていけるように育て上げたいという母性は、確かに共存しているのだ。

一晩寝てから、冒険者ギルドへ向かう。もちろん大量虐殺したいなどという希望は、安定した社会下ではかなえられない。だから合法的に大量虐殺できる仕事を探すのだ。マリーはギルドでは顔なじみであり、仕事の斡旋なら比較的融通が利く。そこで、法的に問題がない大量虐殺の仕事を物色するのである。まあ、どうしても無理なら人間でなくても良い。それに近いサイズの生物が望ましいが。

ギルドでクーゲルに出会う。平時だというのに、青い鎧に身を包み、巨大な戦槍を手にしている。彼も似たような欲求の持ち主であり、今ならその気持ちがよく分かる。

彼は掲示板の前で足を止めており、マリーを見ると一礼してきた。冒険者同士では、どんなに経歴に差があっても、こうやって対等に礼をするのがマナーとなっている。つまり、マリーはクーゲルには冒険者として認識されているわけだ。マリーも礼を返しながら挨拶した。礼をされた方が先に声を掛けるのも、マナーの一つである。郷に入っては郷に従うのだ。

「おはようございます、クーゲルさん」

「応。 おはよう、マリー殿。 貴殿もこの仕事を見に来たのか?」

「と、いいますと?」

「何だ、知らぬか。 本業は錬金術師だと聞いていたし、それも無理がない話ではあるか」

大げさに腕組みすると、クーゲルは言う。

「近頃、畜生働きがあってな。 ザールブルグの東、ウェルンバルト街道辺りの話だ」

「それはまた、酷い話ですね」

ウェルンバルトというと、かなり近い。プロの手口ではないだろう。文字通りの自殺行為だからだ。

「その辺りに以前から小規模な盗賊団の噂があったが、畜生働きの発生によってギルドも本腰を入れてな。 連中の大体のメンツはもう割り出されたらしい。 それで、退治のための人員募集が掛かったわけだ」

畜生働き。店や隊商を襲い、口封じのため皆殺しにするやり方である。極めて下劣な犯行であり、これを行った場合、どこの国でも死刑が確定する。こういった凶悪犯罪を行う人間は国を渡り歩いて目を眩ますことがおおいため、これに関してだけは各国で情報交換を行っている。戦時中の国でさえ、である。

詳しく情報を聞いてみると、事件があったのはごく最近のこと。犠牲になったのは二十人ほどの隊商であり、犠牲者の中には十三歳の少女もいたそうだ。犠牲者は例外なく腹をかっ捌かれて内蔵をまき散らされており、周囲には既にカラスが大量に集まり、目も当てられない凄惨さだったらしい。盗賊団の行動が少しずつエスカレートしていた事は懸念されていたのだが、それまでは窃盗や恐喝程度しかしていなかった彼らが此処までの凶行に走った理由は分からない。

現在、既に逃走防止のため、腕利きの冒険者達が周囲の山林や街道を張っているそうである。そして現在は、敵本拠攻撃殲滅用の人員募集がなされているというわけだ。

願ってもない好機である。今回の任務、敵は全て生死を問わずである。つまり、幾らでも殺して良いわけで、むしろ殺すことが推奨されている。クラフトの対集団殺傷能力を試す絶好の機会だ。

「丁度時間も空いているし、あたしは参加します。 クーゲルさんは?」

「儂はもちろん参加する。 そろそろ人間を殺したくなっていたところでな」

「それはそれは。 まあ、お互い頑張りましょう」

全く自分の嗜好を隠そうとしないクーゲルに、マリーは苦笑いせざるを得なかった。マリーも同じ穴の狢だが、此処までの境地には至れない。

その日の夕方には、討伐部隊のメンツが決まった。今回は近接戦闘タイプの冒険者中ではトップクラスに入るクーゲルと、豊富な魔力量と経験が売りのマリーが主力となり、他に何名かが参加する。

指揮はマリーに任される。これは単純に、指揮官をやりたがる人間が他にいなかったからだ。マリーはギルドから評価されているが、それでもクーゲルの評価と比べるとまだまだである。

本来ならクーゲルが指揮を執るポジションなのだが、彼はそういうことを好まない。また、他のベテラン参加者にも、同じように総指揮を好まない者が揃っていた。

ルーウェンとミューもメンバーに入っていた。ハレッシュは用事があるらしく欠席。嬉しいのは、シアが参加してくれる事だ。

合計で十七名が討伐に向かう。盗賊団の規模は三十人程度と言うことが分かっている。腕利きの用心棒がいるらしいが、能力者は確実に少数であるため、戦力的には充分だ。また、仕事が終わったら、軍が後片付けと現場検証のために訪れるそうである。軍司令官としては穏やかならぬ心境ではないかとマリーは思ったが、あるいは何かしらの目的があるのかも知れない。

盗賊団のメンツは大体分析が出来ている。殆どが街から逃げ出した犯罪者ばかり。数は三十人程度と分かっているが、そのうちの七割の顔が判明している。ただし、用心棒は正体が知れない。レアな能力を持つ人間かも知れないので、充分に注意する必要がある。

人員が決まったところで、ギルドの奧へ通される。幾つか会議室が用意されていて、そこからギルドのお偉いさんより説明を受けるのだ。難度が高いミッションや、対人戦闘が発生する場合は、こういう手続きを踏むことが法で義務づけられている。理由は簡単である。この業界、死は非常に近いところにあるからだ。特に人間を相手にした仕事の場合、何が起こるか全く分からない事が多い。

外から建物を見た限りでは考えられないほど長い廊下を歩く。左右には魔法のランプがつるされていて、照度は保たれていた。天井は低めで、床は無骨な石畳。やがて、木のかんぬきが掛かっている小部屋に案内された。一応、全員が入ることが出来る。中央には木製の丸テーブルがあり、それを囲むようにして座った。

今判明している構成員の手配書が配られる。説明をするのはマリーも何度か会ったことがある、このギルドのナンバースリーだ。栗色の髪の毛が頭部の後ろ半分にまで減退している中年男性で、やたら豪勢な髭が目立つ人物である。やせ形であり、今でも歩き方などに現役時代の名残が見える。彼は課長という地位を持っている。十年前に引退したという噂を聞いたことがあるだけで、どんな能力者なのか、それとも腕っ節だけで這い上がったのか、マリーは知らない。

「構成員は以上です。 何か疑問点はありますか?」

「あ、はい」

「マルローネさん、何でしょうか」

「小物ばかりですけれど、こんな連中がよくも畜生働きなんて大胆な事をしましたね」

マリーは手配書の人間達と直接的な面識はない。だが、記載されている経歴で大体の判断が出来る。此処にいる誰でも相手できるような輩ばかりだ。そうなってくると、よほど用心棒とやらが図抜けた存在なのだろうか。それほどの使い手なら、噂になりそうなものだが。

「おそらく閉鎖空間で生活しているうちに、現実感が無くなっていったのだとしか分析できません。 徐々に悪化していった犯行手口や、用心棒頼りで何回か素人冒険者の小集団を撃退した事で、変に自信をつけてしまったのでしょう」

「はあ、つまり対処が遅れて、二十人殺されたって言うことですか?」

「そういわないでください。 あの辺りは軍の管轄区で、我々は表だって動けなかったのですから。 だいたい、なんで軍が処理しないで、我々に話が回ってきたのかも、よく分からないのです」

「そう、でしたか」

この間のウォー・マンティスの事を思い出して、マリーは押し黙った。なんだか軍の動きがおかしい。やはり、何かが起こっているのではないだろうか。どちらにしても、軍が動いているとなると、マリー一人では調査も対応も出来ない。情報がもっと欲しいところだ。

この辺り、マリーは現実的である。それぞれの社会的立場が身近な小村で生まれ育ったから、課長の苦悩も分かるのだ。既に思考はどう現実的に事態に対処するかへ動いている。それを見届け、課長は少し疲れた様子で言った。

「他に何か」

「応。 聞きたいことがある」

「クーゲルさん、なんでしょうか」

「デッドオアアライブと表示されているが、本当に皆殺しにしてもかまわないのだな」

「どうせ連中は、捕まえたところで縛り首です」

さらりと流す辺り、課長も肝が据わっている。実際問題、斬った張ったの世界に生きている人間は、心を病んでいる事が多い。マリーにしても、自分の中に異常な部分があることはしっかり自覚している。脳天気で無邪気なミューだって、何かのきっかけで狂気が鎌首をもたげるかは分かったものではない。そういった相手に日常的に接しているのだから、無理もない。

人間は混沌の箱だ。中には何が入っているか分からない。そして無数の扉の鍵は、どこに落ちているか分からないのだ。

他にも幾つか質問が出たが、たいしたものはなかった。続けて地図が広げられる。連中のアジトはまだ正確には分かっていないが、大体の位置は絞り込めているらしく、大きく丸がつけられていた。

街道の一つが側を通っている。周囲は小高い丘になっていて、森も深い。盗賊が隠れるには絶好の場所だ。指先で顎を支えながら、マリーは素早く地形を頭に入れていった。地図を見ただけで、マリーも印が理にかなっていると思う。マリーも隠れるとしたら、そこを選ぶだろう。

続けて、今ギルドが雇った冒険者がどこで伏兵しているかも記される。かなり遠巻きだが、包囲網は理にかなったものであり、鉄の網に等しい。ただ、攻めるのは難しい。森そのものを要塞化している可能性が高い上、敵は地の利を得ている。力攻めすれば、負けるとは思わないが、勝てるとも思えない。死人が多数出るだろう。その上、敵には「用心棒」もいるのだ。一人一人での能力では勝っているが、地の利の存在は、時にその差を簡単にひっくり返すのだ。

「用心棒は儂が抑えよう」

「いいんですか? 派手にバラしたいんじゃ」

「儂の目的は、あくまで殺す価値がある相手を殺すことだ。 カスなど幾ら斬ったところで腹の足しにもならぬ」

そうなると、クーゲルの舌は随分肥えていることになる。虎を惨殺してもまだ満腹している様子はなかったのだし。

「分かりました。 じゃあ、作戦は大体決まりですね」

「えっ? マ、マリー?」

「ああ、ミュー。 いま説明するわ」

マリーの能力と、此処にいる人材の戦力を考慮すれば、取るべき作戦など決まっている。唯一の懸念点が、戦力未知数の用心棒だったのである。奴さえ無力化できるのであれば、この戦、勝ったも同然だ。

皆に作戦を説明する。ミューの顔が、みるみる蒼白になっていった。そういえばこの子は、まだ人を斬ったことがないはず。これは戦闘後、多分吐くだろうなと、マリーは思った。

 

「おろか者が!」

シュワルベがナンバーツーの頬を殴りつける。拳が直撃し、脆くも吹っ飛んだ部下は、地面に転がって泥まみれになった。こいつが、畜生働きの実行を主導したのである。血だらけの部下達は、露骨に不満をたたえていた。彼らは例外なく山ほど金品を抱えていた。

「何をしたか、分かっているのか!」

更にシュワルベは吠えた。部下達は顔を見合わせ、更に不満を募らせていく。つまり、自分たちが何をしてしまったか分かっていないのである。

シュワルベが気付いた時にはもう遅かった。部下どもは愚かにも街道を通る隊商を襲って、しかも皆殺しにしたのである。部下達の行為に基本的に興味を示さないシュワルベだったが、それが自分の危険につながるとなれば話は別であった。

頭に巻いた布の下、両目を怒りにたぎらせて、シュワルベは吠える。彼は腕に自信を持ってはいたが、最強の使い手などというたわけた自負は持っていなかった。確かに剣の勝負でいまだ負けたことはないが、それはそれ、これはこれである。彼は何度も見たことがある。本能が戦闘を避けろと告げるような、すさまじい強者を。騎士にもいたし、冒険者にもいた。そしてそいつらが、大挙して向かってくるのは間違いない。

部下どもは忘れてしまったのだ。勝利を重ねることにより。

自分たちが弱者であり、強者の影で生きている存在に過ぎないという事実を。

「るっせえな。 てめえがいつもみたいに追い払えばいいだろうがよ!」

不満が臨界に達したらしく、部下がほざく。救いがたい阿呆だ。勝手に慕ってきたくせに。尊敬などしていないのは知っていたが、それにしても目に余る放言だった。

「びびってんのか? びびってんじゃねえのか? ああんっ?」

「護衛とやらがついてたけどよ、ぜんっぜんたいしたこと無かったぜ。 何あんなカス相手にびびってんだよ。 ヤキが回ったんじゃねえのか?」

「だいたい偉そうなこといってんじゃねえっ! てめえが! いつ! リーダーらしいことしたってんだよ!」

「貴様ら…!」

シュワルベと、部下達の間で、空気が帯電していく。シュワルベとしても、彼らをあまりに放任していたという引け目はあった。どちらかが武器に手を掛けたら、おそらく殺し合いになっていただろう。

自信とは妙なものだ。シュワルベが闇に踏み込んだのも、不意に舞い込んだ心の余裕と、それに起因した自信だった。そして部下どもが致命的な失敗をしたのも、シュワルベが手を貸すことによって生じた、本来あり得ない勝利だった。

彼らは今回の成功によって自信を抱き、錯覚してしまったのだ。

シュワルベは剣から手を離した。部下どもの目には嘲りが浮かんでいた。ため息も出なかった。

罪の意識もあった。だからシュワルベは、最後に元部下達に忠告した。

「忠告しておく。 さっさと逃げるんだな。 今ならひょっとすれば、間に合うかも知れない」

帰ってきたのは、嘲笑ばかりだった。

洞窟の奧に引っ込む。部下の一人が、命乞いをする母親の前で子供を切り刻んで見せたとか、楽しそうに自慢していた。人間が理性とかいうこけおどしの皮を被っているのは社会生活のためだが、それが必要性を失い、全て綺麗に剥がれ落ちてしまっていた。

シュワルベも自覚はある。本能のままの人間などこんな生き物である。血に酔った盗賊団は、狂気の宴を繰り広げていた。中には殺した相手の肉をちぎって持ってきている者もいた。もちろん焼いて食っていた。

この洞窟も安全ではない。すぐに逃げるべきだが、どうもそんな気にはなれなかった。せっかく得た安住の地であったから、という理由もある。だがそれ以上に、シュワルベは今更ながらに自分がしてしまったことの意味と、責任の重さを感じていたのだ。

外で馬鹿騒ぎしている連中と、一緒に死ぬ覚悟を、シュワルベは決めた。

 

4,けだものの牙

 

マリーら二十名弱の冒険者が現地、街道を少し外れたキャンプに到着したのは、事件発生から四日後のことであった。既に現地では伏兵をしていた冒険者達が出迎えに来ていた。彼らの内一人は、まだ未熟だった弟が隊商の護衛をしていたとかで、憎悪を瞳に燃やしていた。動かせる伏兵をかき集めると、マリー達と併せて二十五人になる。ただし、マリーは彼らを予備選力としてしかカウントしておらず、主戦場に投入する気はない。今回の目的は、勝つことではない。

敵を、皆殺しにすることだ。そのためには、逃走経路に伏兵は絶対に必要なのだ。

地形を改めて確認する。作戦は事前に皆に通達してあるため、後は持ち場を確認するだけでよかった。

今回シアが一緒に来ているのは、今まで十回以上留守にしていて、短期間での留守番でアデリーがミスをしなかったという実績を考慮してのことである。もしものことを考えて、ドナースターク家の使用人長が、毎日様子を見に行くことにはなっている。彼女は子供が好きであったから、この任務は苦にならないようだった。いざというときのトラブルシューティングも教え込んである。マリーが見たところ、アデリーは最近また悲しそうにはしているが、暴発とは結びつきにくい精神状態だ。多分、大丈夫。

作戦はシンプルである。敵を追い込んで、クラフトで殲滅。ただそれだけ。その課程についても、細かく決めてある。作戦が失敗する可能性はごく低い。だが、嫌な予感がずっとしていた。

軍の動きがおかしいことは、シアとクーゲルにだけ告げてある。そのシアは、これから偵察に向かう。戦術判断力を持つ彼女の偵察行動はいわゆる「大物見」に相当する。戦術眼を持つ将校の偵察行為をこう呼び、危険性は高いが、当然ながら作戦遂行に極めて有効な役割を果たす。彼女自身、能力面から言ってもこれはもっとも得意とするところだ。信頼性は極めて高い。

森にシアが消える。結構待ち時間は長かったが、それでも一刻は掛からなかった。帰ってきたシアは、敵に見つかった様子もなく、むろん怪我もしていなかった。

「敵は此方に気付いているわ」

「そりゃあ、気付くように動いてきたもの」

「そうね。 気付いていないふりをする程度の知能はあるみたい。 それで、配置だけれど」

シアが本幕の中に設置されたテーブルに置かれた、地図の上に指を走らせる。敵の布陣は予想通りである。現地点と敵が根城にしているらしい洞窟とをむすぶ線のほぼ中間点。丘の頂上付近、緩やかに続く坂の上に伏せている。近づいてきた此方を、トラップで足止めして、坂の上から奇襲するつもりだ。

攻撃部隊を率いて貰うベテランの冒険者に、十人連れて行って貰うこととなった。連れて行って貰うメンツの中には、ミューもルーウェンも入っている。

ルーウェンは以前の仕事で人を斬ったことがあると言っていた。ミューは今回が初体験になるわけだ。他にも二人、まだ人を斬ったことのない若手がいるという。彼らに積極的に斬ることが出来る機会を作るように、マリーは前線の指揮官に頼んだ。顔にもの凄い向かい傷がある女戦士は、鷹揚に頷いて、頼みを聞いてくれた。

彼女はマリーも名前を聞いたことがある、かなり優秀な戦士だ。見事に作戦を遂行してくれるだろう。盗賊団が作るお粗末なトラップ程度なら、すぐに見抜いて後進に的確な場所を示すだろうという安心感も強い。

第二部隊は残りの人員を集めて、丘の下、街道にほど近い窪地に伏兵する。そしてマリーはそちらの指揮を任せたベテランに、クラフトを配った。使い方を説明してから、自身はシアと一緒に、敵主力が伏せている地点とは別の丘へ登る。

丘の頂上部で、周囲を確認。二身半ほどの助走距離は充分にある。片膝を地面について、杖を右手で水平に構え、左手で支える。力が戻り始めているので、ついに出来るようになった術を、今回久しぶりに実戦投入する。杖は魔法媒体ではないのだが、今回は必要である。そういうルールでこの術を用いると、マリーが決めているからだ。

魔術には制約が多い。特に高度なものには、だ。

詠唱はかなりの時間かかる。長時間の詠唱を行って初めて発動できる術を大魔法という。だから、近接戦闘で使えるものは殆ど無い。今回のマリーがやろうとしている術のように、殆どは対集団殲滅用であったり、強力な回復用であったり、殆どが個人戦では役に立たない。しかも高度の集中が必要になるため、詠唱中は極端に無防備になる。マリーのようにある程度の近接戦闘能力を持っている場合でもそれに代わりはない。

丘の上に登ったのは、攻撃地点が見えるからだ。距離は大体四半里程度。ピンポイントで炸裂しなくとも良い。至近に着弾すればそれで充分だ。

高速で詠唱するという技を持っている術者もいるが、マリーは基本的にマイペースで詠唱を行う。その方が威力が安定するからである。周囲の警戒をシアに任せて、マリーは詠唱を続ける。その全身から、高密度の魔力が迸る。

アカデミーに入る前のことだ。マリーは同じように、ザールブルグの近辺で成長した盗賊団を滅ぼしたことがある。あのときは一兵卒として参加した。ベテランの高い戦闘力と手慣れた作業に助けられたこともあったが、死者は出なかった。今回と同じようにマリーは遠距離攻撃術をぶっ放し、六人を炭にした。

だが、あのときはどういう訳か、この間のクラフトのように、全身を駆けめぐる興奮が無かった。遠かったからだろうか。自分の手で殺さなかったからだろうか。クラフトも同じ自分の手で作り出した破壊であったのに。なぜあのときは興奮したのだろうか。それこそ、目にした何かをその場で八つ裂きにしなければ収まらないほどに。

やはり、人間は不可解な箱だ。開ける扉によって、幾らでも変わってくる。充填された魔力が、マリーの全身をも含め、巨大な矢となる。光の三角錐が、杖の先を頂点に、獲物を狙う。

「サンダー……!」

マリーが、発動の基点となる詠唱を紡ぎ上げる。

「カイゼル・ヴァイパー!」

地獄への道案内をする巨大槍が、撃ち放たれた。

 

シュワルベは朝から嫌な予感がしていた。彼は腰を低くして説得するのが大嫌いだったし、やったこともなかった。それに部下どもを凶行に走らせた責任を取る意味で、最後まで一緒にいるつもりだった。だが、本能的な胸騒ぎはそれとは関係がない。

元部下の一人が接近してくる冒険者の集団が居ると仲間達に知らせているのを聞いた時、彼は最後の時が来たと思った。元部下達は待ち伏せすると言いだし、丁度それに適した斜面頂上近くに伏兵し展開した。判断としては誤っていない。場所も理想的だ。だが、嫌な予感はずっとし続けていた。

結局シュワルベは、論理的に何が危険なのかを判断できなかった。それが獣のように山野を駆けめぐり、生きてきた男の限界であったともいえる。彼の判断基準は、人間としての部分ではなく、獣としての部分に起因していた。一流の競技者などには時々あることだ。

シュワルベは洞窟から出た。元部下達は彼に見向きもしない。というよりも、作戦について彼に判断を仰ごうとさえしなかった。

ぎらぎらした目で、彼らは「獲物」が来るのを待ちわびていた。負けたなと、シュワルベは思った。駆け出しの冒険者でさえ、気配や殺気くらいは関知するのだ。これでは伏兵の意味をなせていない。もう一回だけ、忠告してやろうかと思った、そのとき。

空より破滅が降り注いだ。

吹っ飛んだことしか分からなかった。気がつくと、本能的に行った受け身のおかげで、どうにかすぐ側の尖った石に後頭部を強打せずに済んでいた。全身が痛い。ショートソードに手を伸ばす。

「痛え、痛ぇーっ!」

地面に転がった誰かが無様に悲鳴を上げていたが、それもすぐに聞こえなくなった。突撃してきた集団が、無言のまま突き伏せたのだ。目にも留まらぬ早業だった。今まで相手にしてきた連中とはレベルが違う。悲鳴を上げて逃げ散る元部下達。やっと思い出したのだろう。自分たちが弱者に過ぎないということを。やっと感じたのだろう。目の前に、巨大な死が迫っているということを。

シュワルベは悟る。敵は伏兵することを予想し、そればかりか位置までもを特定し、接触の寸前に遠距離から術で攻撃してきたのである。奇襲するどころか、逆に奇襲されてしまったのだ。こうなってしまうと、もう烏合の衆ではどうにもできない。狼に追われた兎のように逃げ散るしかない。

必死に身を起こす。辺りには転々と黒こげの死体。そしてその部品。見れば、攻めてきたのは冒険者共だ。経験が足りなそうな奴まで口に布を巻いていて、気配を最大限に消していたと分かる。指揮を執っているベテランの敵女戦士は毅然としていて、時々突っかかっていく盗賊達を身の丈ほどもあるバスタードソードで切り伏せながら、組織的に追撃を行っていた。必死に逃げようとするシュワルベの元部下達は、明らかに特定の地点へと追い立てられている。まずい。全滅する。

狙うとしたら、あの女戦士だ。そうすれば混乱が生じ、ひょっとしたら逃げるチャンスが産まれる可能性もある。

だが、それも果たせはしなかった。

「何だ、この程度か」

後ろから飛んできたその声を聞くだけで、シュワルベは総毛だった。振り向きざまに飛び退く。槍の穂先を此方に向けて、構えている者一人。青い鎧を着た、老境にさしかかった男だ。分かる。この男から発せられている、獰猛すぎる殺気が。自分に対する、エサとしての興味が。

接近にさえ気づけなかった。レベルが違う。シュワルベは喉が鳴るのを感じた。

「せっかく小娘に大半を譲って来てやったのだ。 少しは儂を楽しませろ。 うん?」

「きさまが、将、か!?」

「儂はいつでもただの一修羅よ。 クーゲル=リヒター。 貴様は?」

「シュワルベ=ザッツだ!」

先にシュワルベから仕掛けた。守勢に回ったら、即座に斬り伏せられるという予感があったからだ。必殺の一撃を突き込むが、男は槍を回し、余裕ではじき返してくる。二度、三度と上から横から斬りつけるが、剣筋が読まれているかのように、生き物のように動く槍が刃を寄せ付けない。土を引っかけながら軽くバックステップし、脇を通り抜けざまに斬り伏せようとするが、クーゲルは槍を軽く旋回させるだけでシュワルベの進路を塞いだばかりか、一瞬止まった所に、驚くべき身軽さで後ろ回し蹴りを叩き込んできた。とっさに引いても、威力を殺しきれなかった。腹部に、直撃。

木を一本へし折りながら吹っ飛び、数度バウンドして止まる。途中、岩で左腕を打ち付けてしまった。顔を巻いていた布が落ちる。内蔵が潰されたか、腹が焼けるように痛かった。

「どうした、それで終わりか?」

歩み寄ってくるクーゲルの声には露骨な失望がにじんでいる。この男は獣だ。虎より濃厚な殺気を放っている。シュワルベを殺すことを夢想し、ずっと楽しみにしていたことは間違いない。

もう、周囲には元部下達の声はしない。あの女戦士も追撃戦に参加して丘を降って行ってしまった。クーゲルは槍を構え直す。次で、来る。シュワルベには何となく分かる。あの男はシュワルベを嘲笑するためではなく、力を引き出すために挑発してきている。根っからの戦闘マニアだ。

チャンスは、一回。シュワルベの能力は、あまり発展性が高くないのだ。

最悪なのは、クーゲルは多分、シュワルベが切り札を使ってくることに気付いている。その理由は、口元だ。

奴は、あまりにも、楽しそうだった。

雰囲気で分かるが、こいつは痛めつけることよりも、殺すことに快楽を感じている。それも、強者をひねり殺した時に、もっとも興奮するタイプだろう。それが喜んでいるということは、シュワルベが何か仕掛けると、知っているのだ。

勝てる気がしない。だが、何とかこいつを突破して、あいつらを救いに行かなければならない。元々、連中もシュワルベと似たような境遇なのだ。今になって気がつく。だから、シュワルベは一緒にせめて死んでやろうと思ったのだと。

忘れていた。どいつもこいつも、必死に、卑屈に、シュワルベを頼ってきたのではないか。どうにかしてほしいと、願っていたではないか。それを放置して、凶行に手を染めさせてしまったのは、自分なのだ。

ゆっくり間合いを計る。速さでも、パワーでも、経験でもシュワルベはクーゲルに勝てない。切り札を投入しても、それだけでは絶対に勝てない。もし勝てるとしたら、もう一つ、何かトラブルが起こるしかない。

だが、運命の女神は非情だった。

遠くで、爆発音がとどろく。シュワルベの体が、気付いてしまった。

もう、守るべきものは、無くなってしまったのだと。

 

マリーの前に、焦げ付いた黒い帯がある。術の発動と同時に、後ろに反動ではじき飛ばされる時、出来たものだ。満足げに頷くと、マリーは立ち上がる。魔力を根こそぎ使ってしまったため、少し体が重い。

サンダー・カイゼル・ヴァイパー。最大射程四半里に達する遠距離攻撃術だ。超高密度の魔力を帯びた雷塊を放つ術であり、着弾点で炸裂、周囲を殺傷する。言うまでもなく、マリーの保有する必殺術の一つである。アカデミー入学以前であれば三回までは連続で放つことが出来たが、今は一回がせいぜいなのが情けない。

ターゲットへの着弾を確認したマリーは、急いで丘を駆け下りた。既に戦いは始まっている。後は追い立てた盗賊共を、一網打尽にするだけだ。

下では、既に戦いが始まっていた。殲滅はしなくて良い。足だけを止めろと、マリーは指事済みである。下で指揮を執っていた男は、それに忠実に従い、駆け下りてくる盗賊共に矢を浴びせ、動けないように木陰に固まらせていた。追撃部隊は、今度はU字状に陣形を広げ、敵を上手く一カ所に追い込んでいる。

状況は一瞬で把握。マリー自身は殆ど魔力を使い切ってしまっているが、それでもこれで勝ちは決定だ。駆け寄って指示をしようとした次の瞬間、茂みから左腕を失っている男が、奇声を上げながら躍りかかってきた。

同時に、頭上から落ちてきたシアが、すとんとマリーの前で身をかがめる。にこりと笑った彼女と、一瞬愚かにも動きを止めてしまった盗賊の、視線が交差する。刹那の後。

男の顎が、地面を削りながら弧を描いて抉りあげた、シアの「はたき」によって粉砕される。そしてよろめいた男が倒れるよりも早く。踏み込んだシアが振り下ろした「はたき」が、男の頭蓋を顔面ごと粉砕していた。

「ありがと、シア」

「ふふ、どういたしまして」

鮮血と脳漿をばらまきながら倒れる男。シアは「はたき」を振って脳漿を落としながら、先に歩き出した。

マリーも反応はしていたが、流石に近接戦闘の技量はシアの方が格段に上だ。シアは能力者だが、その展開効果は極めて地味。手や足の一部に魔力を集中、瞬間的なバネを高めるというものだ。ルーウェンの使っているような全身の能力を強化する「オーヴァードライブ」系ではなく、あくまで限定強化である。

これをシアとその父君であるトール氏は、戦闘時に最大活用している。さっきの大物見も、これを使って身を軽くして行った。今の奇襲も、落下時の衝撃をこの能力によって緩和して行ったのだ。

敵の生き残りは半分ほどだろう。時々飛び出そうとしては、射すくめられて木陰に戻っている。マリーはクラフトを詰めてある荷車に手を伸ばして、他の冒険者にも習うように言う。

さあ、いよいよ本番だ。

「いい、説明したけれど、ワードを唱えてから五秒で炸裂するわ。 至近で炸裂しようものなら死ぬわよ。 遠くに投げようとしないで、確実に近くの敵を狙って。 当たらなくても大丈夫」

「了解!」

説明を終えた時には、マリーの体中を、既に高濃度のアドレナリンが駆けめぐっていた。全身が燃えるようだ。目に宿った狂気が、体をおかしくしてしまいそうだ。だが、まだ爆発させるには早い。マリーは誰にも顔を見せないように敵が隠れている方を見ながら、叫んだ。

「よし、では全員ワードを唱えて後に投擲! 炸裂せよ!」

「応っ! 炸裂せよ!」

盗賊達は、自分たちに向けて放られた、丸い物体が何だか理解する時間を与えられなかったに違いない。

光が迸る。

大量の金属がきしるような音。

炸裂音。爆裂音。粉砕音。

それは生命の発するものではなく、何かを生産する音でもなかった。悲鳴であり、うなりであり、絶望だった。

波状に連なるそれらが収まり、マリーの下へ、臭い煙が届けられる。

一瞬で、全ては終わった。

よだれを拭う。精神の歯止めがきかなくなりつつある。必死に体を律しているマリーの隣で、冒険者の一人が、唖然と口を開けっぱなしにしていた。

「す、すげえ……!」

彼の驚きも無理はない。数本の木は完全に中間部分が吹っ飛び、他の木も穴だらけになっている。上半身が吹っ飛んでいる者、左半身が消し飛んでいる者、殆どの盗賊が即死していた。マリーの広範囲攻撃術でもこれほどの威力はない。大魔法級の破壊力だ。焦げ付いた臭いの中、マリーは真っ先に歩き出す。シアが少し後ろで言った。普段は穏やかな彼女だが、その気になれば凛然とした声を出すことも出来る。

「撃ち方やめ! 残敵の掃討開始!」

見渡す。懐から手配書を取り出して、チェックをつけていく。先に矢に当たって死んだ奴もいるし、手配書に無い奴もいた。さっきシアが頭を砕いた奴も、チェック済みだ。首から上が吹っ飛んでいる死体発見。身体的な特徴から、こいつがリーダー格らしかった。チェックをつける。歩きながら、マリーは集まってきた他の冒険者を見回す。上から逆落としをかけていた部隊の指揮をしていた女戦士が、的確に答えてくれた。さすがはベテランだ。よく状況を把握している。

「味方の被害は!?」

「負傷者四名。 死者はない」

「そう。 上々ね」

彼女から、追撃戦の間に仕留めた奴のことを聞いて、更に手配書にチェック。うめき声に気付く。木に潰されている盗賊を、茂みの間に発見した。詠唱しながら、マリーはチェックをつけた。

「た、たすけて、たすけてくれ、たすけて、たす……」

「片眼のニック、死亡確認、と」

マリーの手から放たれた雷撃が、まだ生きていた片眼のニックの顔面を直撃、とどめを刺した。つかつかと近づいて、うつぶせに倒れたニックの死体を蹴り上げる。そのまま仰向けに転がすと、容赦なく蹴りを何度か叩き込んだ。そして腕の骨を蹴り折り、内臓を蹴り潰す。さらに肋骨を踏み砕いた。頬まで飛んできた死血を、舐めとる。

戦闘後、敵に対して必要以上に残酷になる戦士は少なくない。蒼白になっているのは、まだ若い戦士達だった。先ほどからミューは、案の状視界の隅で地面に伏せ、胃の中身を逆流させていた。乱戦の中人を斬ったらしく、派手に返り血を浴びている。ルーウェンが背中をさすってやっているのがほほえましい。

顔に幼さを多分に残した、まだ若い駆け出しらしい冒険者が、おそるおそる言った。彼の剣にも、もちろん血がべっとりついている。

「そ、その、そこまでしなくても!」

「こいつらは寒村に貴重な塩や医薬品を運んでいた隊商を襲って皆殺しにした。 殺した中には、十三歳の女の子もいた。 その女の子をよってたかって回したあげくに、肉の一部を切り取って食った。 これくらいは、当然、よ!」

首を蹴り折る。死んだニックの口から、大量の血がこぼれ落ちた。

マリーが指摘した罪は、盗賊として、特に残虐な行為ではない。盗賊なんて連中は、基本的にそんな奴らばかりだ。たまたまこの国ではその盗賊共が少ないだけで、よその国では当たり前だと、マリーはベテランから話を聞いたことがある。

マリーは分かっている。興奮を発散させるために、正義を利用していることを。分かっていても、今のマリーの体は、精神の支配を上回っていた。

不意にマリーは天に向け、吠え猛った。とどろき渡る殺気と悪意と憎悪と興奮が、森の中を駆けめぐり、辺りを踏みにじり、狂気の炎で焼き払った。死体の殆どには、ウニの実のとげが深々突き刺さっていた。猛烈な音波により、それらが細かに震えるようだった。

まだだ、まだ足りない。マリーは大切な儀式を思い出し、それに自分の狂気を乗せた。

「よおおおおし! 勝ち鬨だ! 勝ち鬨をあげろおおおおおおおおっ!」

「オウっ! エイ、エイ、オウ!」

「エイ、エイ、オウ!」

しばし、大量の血にまみれた森に、鋭い勝ち鬨の声が、響き続けていた。

 

マリーがシアと一緒に戦場を回り、後片付けをしている時に、そいつを見つけたのは必然だった。マリー達は戻ってこないクーゲルを探していて、その足下にそいつは転がっていたのだから。

美味しかったかとクーゲルに声を掛けようかとマリーは思ったが、やめた。クーゲルの足下の男が、完全に心を折られているのが、目に見えていたからだ。クーゲルが楽しんだのなら、そいつは心が折られるどころか、体の全てが折られ砕かればらまかれていたことだろう。クーゲルは、死臭虫に集られたかのように不機嫌だった。

「どうしたの、それ」

「盗賊共の全滅を悟り、戦意喪失しおったわ。 くだらぬ」

「…あんな屑共が、そんなにあんたには大事だったわけ?」

「俺が…しっかり手綱さえ…とっていれば…」

男は言う。懺悔する。自分を慕ってきたのに、もっと面倒を見てやれば良かったと。暴力的な脅威から守る以外のことも、してやればよかったと。そして何より、もっと早くに止めておけば良かったと。

「ふーん。 ということは、あんた自身は人を斬っても居ないし、畜生働きには参加もしていないって訳ね」

「人は…斬ったことがある。 だから…同罪…だ」

男はうつむき、言った。戦う余力も残っていないし、逃げる気力もしかり。

「殺せ」

「いやよ」

マリーは即答する。着いてきていた若い冒険者に、縄を掛けさせる。

「罪を感じるのなら結構。 生きて、この世って地獄で死ぬまで苦しみなさい」

マリーの目には三割の憐憫と、七割のサディズムが宿っていた。用心棒だと冒険者達に認識されていた男は、実は頭領であったという事実も興味深いものであったが。それに、こいつはこの場で殺すには惜しい。畜生働きを起こした盗賊共が一番悪いが、それを止めることが出来なかったこいつにも、責任はあるからだ。法によって判断して貰うのが一番であろう。つまり、殺して楽にはしてやらない。もっと苦しむが良い。

男は抵抗する様子もない。手配書を見ても、この男の顔はない。いわゆるブラックリスト狩りを中心に行っている冒険者に聞いてみても、知っている人間はいなかった。となると、本当に大した罪を犯していない可能性もある。

周囲を探して残党狩り。といっても、死体しか見つからなかった。手配書の盗賊は綺麗に全滅。戦いは終わった。

天幕に集まり、それぞれの功績をギルドから派遣されている監視員に報告して、作業終了。一端安全な近くの村の郊外に出た後、全員に酒と食事が配られる。これらは村長が用意してくれた。自分たちで討伐を行うことの手間から考えれば安いものだし、当然のことであろう。

軽く酒宴が行われた。マリーはあまり飲む気になれなかったので、他の何人かと一緒に、村の外で遠くを見ていた。ザールブルグの城壁の上で見る景色ほどではないが、未開発な森を遠くまで眺めることが出来るので、なかなかにすばらしい。一方シアはいつもの癖からか、酒を村の娘達と一緒に配ったり、料理をしていた。しまいには手際が悪いのを見かねて、仕切りだした。それで俄然酒宴が盛り上がる。

蒼白になったミューは、まだ気分が悪いらしく、村の防御壁の上に登って、風に当たっていた。隣ではルーウェンが、無言でずっと剣を磨いている。他の若い人間の中にも、酒を飲む気にはなれない者が多いらしい。マリーの凶行を間近で見た若い男などは、さっさと宿に引っ込んでしまっていた。対し、ベテランは意気揚々と酒宴に興じている。

夕刻、討伐隊は解散となった。此処まで運んできた盗賊達の死体を城壁近くの無縁墓地に埋葬し、後はめいめい散っていった。クーゲルも槍を担ぎ直すと、森の中に消えていく。多分これから猛獣を探して惨殺するためだ。楽しみにしていた相手がこんな体たらくでは、筋金入りのキリングマニアである彼は、満足できなかったのだろう。

マリーももう少し殺して気分を発散させたかった。さっきぐちゃぐちゃに蹴り潰したニックと、その後に上げた勝ち鬨だけでは、まだ僅かに発散しきれていない部分が残っていた。

余った酒を分けて貰うと、酒瓶に入れる。そして郊外に出ると、まだ暑気冷まししていたミューと、剣を無言で磨いていたルーウェンに声を掛ける。

「ミュー、ルーウェン、ちょっとつきあってくれる?」

「うん? 何だよ」

ルーウェンは無口だったが、実は気分が悪かったかららしい。いつもより口調が荒い。ミューはもっと状況が悪く、真っ青なまま無言で此方を見た。酒宴が終わった後、ずっと着いてきていたシアと頷きあうと、マリーは言う。

「ちょっとね、調べたいことがあるの。 手伝ってくれない?」

「なんだよ、今日はもう楽にしたいんだ」

「そういわずに、ね」

にっこりと笑みを浮かべてみせると、ルーウェンはばつが悪そうに顔を背けて、分かったと言った。紳士的なこいつは実に扱いやすい。ミューはもとよりマリーのおまけだ。単に今回は初めての殺しで体調を崩しているから、動きが鈍いだけである。

「で、調査って?」

「この間、森で酷い目にあったって話はしたわよね」

「ウォー・マンティスの大群に襲われたってあれか?」

「そう。 ちょっとくわしく説明は出来ないんだけれど、今回の事件、それと背景が少し似ているの。 だから、少し調べておこうと思ったわけ」

マリーは更に言う。たまたま前回の事件では、ほとんど死者が出ずに済んだが、いつもそうなるとは限らない。このままだと更に危険な事件が発生する可能性もあり、放ってはおけないと。

マリーの中に凶暴な一面がある一方、社会的な道徳観念もあることを、ミューもルーウェンも知っている。二人ともアデリーとは顔見知りで、マリーが本気でかわいがっていることを知っている。アデリーがマリーから寄せられる愛情に困惑しつつも、それを喜んでいることも。マリーの冷徹な点は、それさえも計算に入れていることであったかも知れない。

「分かったよ」

「ならば善は急げよ。 夜になるまでには、調査を終えてしまいましょう」

マリーが二人を連れて行くのには理由がある。シアもそうなのだが、嫌な予感がひしひしとしたからだ。以前足をつっこんだことでもあるし、対処出来ることなら、マリーにも手を打つ必要があった。

森では、夜はあっという間に来る。バックパックから松明を取り出し、人数分配ると、マリーは急ぐよう皆に促した。

 

死体が片付けられたとはいえ、血の臭いは猛獣を呼ぶ。それを狙って、この辺りをクーゲルがうろついている可能性は高い。奴は飢えており、猛っている。そして下手をすると、その戦いに巻き込まれる。それを皆に告げてから、マリーは周囲の探索を始めた。いつでも、一番恐ろしいものは、人間なのだ。

盗賊共が根城にしていた洞窟はすぐに見つかった。マリーはこっちを探索していなかったが、他の冒険者達が調べ済みだ。盗賊共に殺されて体を食われた娘の亡骸の一部は既に回収されている。数日以内には親の元に届くだろう。洞窟の中には何もなかったと報告は受けているが、何か釈然としないものを感じるのだ。

「マリー! 帰ろうよー! もう此処には何もないってばー!」

ショックですっかり気弱になっているミューが言う。食いしん坊の彼女が、さっきの酒宴で何も口に出来なかったということからも、その衝撃の大きさはよく分かる。もっとも、ミューはまだ症状が軽い方だ。人を斬って数日間寝込んだ新米の話を、マリーは聞いたことがある。

「そうね、確かに何もない感じだけれど…」

「そもそも、何がどうなってるんだよ」

「もう少し力がついたら教えてあげる」

不満げなルーウェンの言葉にさらりと返すと、マリーは丘の頂上まであがって、周囲を見回した。何も見つからない時の基本行動だ。手をかざして、闇に包まれつつある山を見ていたマリーは、僅かに血の臭いをかぎ取っていた。

山全体が血の臭いだらけだし、これが異常だということにはならない。臭いを分析する能力者も世界には存在するが、マリーにはできないし、この場にもいない。舌打ちすると、後ろ髪を引かれながらも、マリーは皆に引き返すように言う。

遠くで、咆吼が聞こえた。足が止まってしまう。血に飢えたクーゲルが辺りをうろついている現状、彼の声という可能性もある。釈然としないまま、マリーは皆と一緒に山を後にした。自分の勘に自信はある。だが、それを元にした投機的な冒険をしてはいけない。

ひょっとすると、此処はあくまで何かしらの陽動か、実験ではないのか。その可能性にも思い当たる。だがその意味が分からない。情報を集めるにもコネクションが無いし、下手に踏み込んでしまうと藪をつついて蛇を出しかねない。

シアに肩を叩かれる。彼女は、優しい笑みを浮かべていた。

「推察は、材料が揃ってからでも遅くないわ」

「そう、ね。 仕方がないか」

「今回は貴方の力量を周囲に見せられただけで十分よ。 ほら、帰りましょう」

ルーウェンとミューが揃ってため息をついた。一緒に行動する度に、この二人の息が合ってきているのが面白い。どちらにしても、護衛役の二人の腰が引けてしまっている現状、何かしらと遭遇したら不利だ。選択肢は実質上他に無かった。

結局マリーの心は晴れなかった。山を下りる時、彼女をあざ笑うように、遠くで何かの遠吠えが聞こえた。

 

5,藪の中の蛇を食す

 

ザールブルグの中央公園。そこそこに丁寧に整備されたリラクゼーション施設のベンチで、マリーはふて腐れていた。夏の盛りは過ぎたので、日差しは心地がよいし、空気も乾いて気持ちが良い。それなのに、マリーは機嫌が悪い。足下の小石を蹴飛ばす。池に落ちた小石が、ぽちゃんと音を立てた。

クラフトの性能実験が成功したというのに、マリーの気分は良くなかった。ザールブルグに帰還して後、どうもマリーは振るわない。この間の仕事での収入は大きく、しばらく生活に心配はないというのに。冒険者ギルドにも更に顔が利くようになり、評価も上がって仕事もやりやすくなっているというのに。

フェストを砕くのに失敗して、乳鉢を倒してしまったことが何回かあった。中和剤の魔力を充填させすぎて、水を足してやり直しになったことが二度あった。いずれも頭をかき回し、外で素振りをしてストレスをとばして、次は成功した。だが、気分は全く晴れなかった。新しい調合にも挑戦してみた。材料さえ揃えば、もう初級の調合はあらかた出来る。しかし、新しいものを作っても、やはり気は晴れない。

光石の加工を好きな時間に出来ないというのも、ストレスの一因にはなっている。これがないと魔力蓄積媒体は作れず、殆どの場合、中級以上の道具の作成に移れない。だが、それが決定的な理由では無いとも分かっている。研究も進んでいない。だが、これもおそらくは、根源的な理由とは違うだろう。

不愉快な根源的理由は、自分でも分からない。この間の仕事で、しこりが残っているからか。アデリーがずっと浮かない顔をしているからか。多分、どれもが原因だろう。アデリーは心に深い傷を負っているし、長い目で信頼関係を気付いていかなければならないのだと分かっている。軍が何かを目論んでいるとして、それがマリーに対処できるレベルでのことなのかは分からない。いずれも、すぐには解決できるようなことではないのだ。

アデリーは朝の訓練をマリーと一緒に行うことに、苦痛を感じている様には見えない。一緒に早朝走ることも嫌がらないし、進んで素振りもやる。極めてまじめだから、随分形は良くなってきた。だが、この子の全てに余裕がない。何を悩んでいるのか、それとなく聞いてみたこともあったが、上手くいかなかった。マリーが信頼されていないというわけではなく、多分保護者には話せないようなことなのではないかと、分析はしている。

親友が出来れば少しは変わるかも知れない。悩み事を話せる同性同年代の友達は貴重だ。だがグランベルならともかく、ザールブルグのマリーの知人は限られている。アデリーと同年代の人間など知人には居ない。近所の人たちの間では、マリーの評判は最悪だし、子供はもろに親の影響を受ける。近所で友達を作るのは難しいだろう。

特にマリーが懸念しているのは、下手をするとアデリーが虐めの標的になるということだ。気が弱い上に心優しいアデリーは、社会的な立場の弱さもトラウマもあるし、多分普通の子供と対等な関係をなかなか築けまい。その上、子供は相手の弱さを敏感に感じ取る。下手をすれば、あっという間にアデリーは壊れて暴発するだろう。

「あー、もう!」

うめいて、頭をかき回す。

また悪い癖が出ていると分かっている。しかし、何をするべきか、今は分からないのだ。何かをためらうという状況であれば、今はもう迷わず踏み込んでいるだろう。この間の件で反省したからだ。しかし今回は、文字通りの暗中模索。どうしたものか、全く見当がつかない。焦るほどの気力もなく、怒るほどの火力もなく。数日が、自堕落に過ぎていった。そして、今である。

遊ぶ子供らを眺める。無邪気に笑って、無邪気に転げ回って。ほほえましい行動だし、マリーは子供が嫌いではない。だが、今は苛立ちの材料にしかならない。ベンチから立ち上がって、ため息混じりに長い髪をかき回しながら歩き出す。アトリエに戻る。ずっとぼんやりしているわけにも行かないからだ。子供の一人を見る。何の悩みもなさそうに笑っていて。

それで気付く。

不意に、気付く。

雷光が走ったような衝撃だった。

アデリーは、マリーが研究を進めていて、一度でも喜んでくれたか。

あの子は知っているはずだ。マリーが何を研究しているのか。賢いあの子は、言下に時々臭わせたことで、悟っているはずだ。それなのに。

進んでいるはずなのに。好転しているはずなのに。何一つ変わっていないように思える。これが原因なのではないか。

この間も、帰ったマリーを、あの子は笑顔で迎えてくれたか。それは否だ。寂しそうに見つめていた。喜んでいないはずはない。なぜ、寂しそうなのだ。笑うことが出来ないだろうことはわかる。心に傷を負った子なのだ。だが、それにしても、それにしてもだ。どうして嬉しそうにさえしない。

立ちつくしたマリーは、思わず天を仰いでいた。

だからといってどうしたら良いのだろうか。マリーには分からない。クラフトの実験成功は、マリーの知識と実力を大幅に増した。光石の加工技術も上がったし、理論的にもアデリーの暴発を抑えるものの見当がつきつつある。研究さえしっかり進めれば、タイムリミットまでには多分作れるという自信だってある。

それなのに、何であの子は悲しそうなままなのだ。どうして何も事態が変わったように思えないのだ。

ひょっとすると。もしアデリーの力の暴発を抑えることが出来たとして。そのときアデリーが喜んでくれないのではないか。その可能性に思い当たると、マリーは足下が崩れるような虚脱感に包まれた。

今まで、マリーは実力で何でもやってきた。アカデミーの卒業試験に落ちた時だって、実力で落ちたのだから仕方がないと思ったし、その後の特別試験に全力で向かおうとも思った。そう、自力で出来た。シアに手伝って貰ったこともあったが、自分の能力が完全に及ばない世界ではなかった。

今回のこれは、手が届かない。何をやっても、どうにかなるビジョンが見えないのだ。

こんな時、普通の奴はどうする。神にでも祈るか。首を振ってその考えを追い払う。マリーのプライドが、それを許さない。プロの話を聞くか。たとえば、孤児院にでも足を運んでみるか。それは前から考えていたが、しかし却下だ。だって、アデリーと一緒に一番居たのは、くそったれの「両親」を除いてしまえば、マリーだけなのだから。マリーに分からないことが、他の奴に分かるものか。

誰かに頼ることの意味を、マリーは知らないわけではない。事実シアには随分手伝って貰ったし、それによる絆も感じている。だが、これは話が別だ。

どうしたらいい。どうしたらいい。

いつの間にか、マリーはアトリエに着いてしまっていた。どう帰ったかも分からない状況、結論など出ているわけもない。何も分からない。分かるのは、状況が着実に悪化し続けていると言うことだけ。

そして、研究が、それに拍車を掛けてしまっていると言うことだけだった。

もちろん、研究をやめるわけにはいかない。改善をすればいいのだろうが、それもやり方が分からない。

自分の家の前で立ちつくして、ぼんやりしているマリーに、後ろから声を掛けてきた者が居る。振り向くと、其処にはイングリド先生が居た。

 

結局アトリエに帰らず、マリーはイングリド先生に連れられて公園に戻った。イングリド先生はいつものようにとぎすましたカタナのような雰囲気で、マリーの様子を観察していたが、やがて言った。

「今日は様子を見に来たのだけれど。 業績を上げているというのに、浮かない顔ね、マルローネ」

「はい、その…」

「使用人の子のこと?」

ぞくりとした。背筋を悪寒が這い登る。なぜ、知っている。イングリド先生はベンチに座るように促すと、マリーを見下ろしながら言う。

「貴方の生活を監視していないとでも? アカデミーの財力から見ればたかが知れていると言っても、資金と時間を投入しているプロジェクトなのですよ?」

「あ、はい……。 そう…でしたね」

「それで、あの子と上手くいっていないのでしょう。 大体見当はつきますが、貴方が仕事やら研究やらを一生懸命やればやるほど、あの子が寂しそうにしているとか、喜ばないとか、そんな所でしょう」

図星。一撃で状況を見抜かれる。

やっぱりこの人には勝てない。マリーは蒼白になって汗を地面に垂らしながら、かみしめるようにして思った。

「村でも、子供に接していなかったわけじゃないんです。 弟の世話だってしましたし、もっと小さな子だって世話しました。 それなのに、あの子は全く状況が違う。 可哀想な境遇で、心を閉ざしてしまったのは分かります。 でも、手をつければつけるほど状況が悪化するのは、正直つらいです」

「私もね、昔は似たような状況だったのよ」

「え?」

「何その顔は。 私だって子供だった時代があったに決まっているでしょう」

よほど唖然としていたらしい。イングリド先生はいつもより更に不機嫌そうだった。体が震えるのを抑えるのが難しい。

「あまりアドバイスは多くできないけれど。 隠し事を出来るだけしないようにしなさい」

「はあ。 でも、大量殺人のための道具を作ってるとか、興奮が収まらないから犬をぶち殺してバラしてきたとか、どう説明したら良いものか」

「違います。 そうではなくて、もっと貴方には言わなければならないことがあるでしょう?」

言われて気付く。

もし、今のあの子が、一番恐れていることとは、何だ?

マリーがあの子を実の家族同然に大事にしていることには気付いているはず。ならば、あの子は何を恐れている?何が怖いのだ?

実の両親が連れ戻しに来ることか?そんな奴が来たら、マリーがあの子の見ていないところでぶち殺して、人間の形では無いところにまで分解して、近くの森の奧にでも撒いてくる。大体あの子は実の両親にもう何も感情を抱いていないはず。ならこれは致命的なおそれの原因ではないだろう。

悶々とするマリーを見かねたか、イングリド先生は助け船を出してくれた。

「相変わらず、鋭いようでどこか抜けているわね、あなたは」

「ふえー、ごめんなさいー」

「もっと根本的な所を考えなさい。 これ以上の手助けはできないけれど、きっと貴方なら気づけるはずよ」

後、クラフトの威力は報告書で見たが、なかなかのものだったと、イングリド先生はほめてくれた。マリーは結局、夕方まで、公園で考え込んでいた。

 

「ただいまー」

「お帰りなさい、マスター」

いつも通りのやりとり。アトリエのドアを開けると、アデリーはきちんと迎えに出てくれた。挨拶の仕方も上手になってきている。頭を下げる角度も申し分ない。ただ、やはりいつもと同じように、寂しそうだった。

結局、考えても明確な結論は出なかった。この子が何を望んでいて、マリーがそれから遠ざかっているのか、分からなかった。

今できるのは、信頼関係を築いていくことだけ。それには、隠し事を出来るだけ減らしていくことから始めなければならなかった。多少悲しませても良い。最終的に、アデリーが幸せになれるのなら、それでかまわない。

夕食に豚肉と野菜を幾らか買ってきた。アデリーが早速調理を始める。包丁で野菜を刻む音が、とても手慣れていて耳に良い。マリー自身はテーブルについて、次に作るアイテムの研究である。クラフトの実験が成功したことで、魔法効果を代行できるアイテムの製造に興味がわいてきている。今までの料理の延長のような調合だけではなく、もっと高度な調合がそれには必要になってくる。そして、それを実行する際には、アデリーに言っておくべき事がある。

「アデリー、料理しながらで良いから、聞いてくれる?」

「はい、何ですか?」

「これから、研究をもっとしなくちゃいけないの」

野菜を刻む音が、一瞬止まった。だが、すぐにまた響き始める。ただし、さっきと比べて、律動感に乱れが出ている。

「あたしが錬金術師だって事は前に説明したよね。 で、錬金術師ってのは、研究をしなければ何にも出来ない職業なの。 今でも生活分くらいのお金稼ぎなら出来るけど、それ以上となってくると、ね」

「その、私、よく分かりません」

「それでもいいから聞いて。 あたしの最終目的は、錬金術をある程度極めて、産業の種としてグランベル村に持ち帰ること。 そして村を今よりずっと豊かにすること。 でもね、当面の目的は。 アデリー、あなたが幸せになれるようにすることよ」

今度こそ、包丁の音が止まる。

「この間の爆発も、貴方の力を抑える道具を開発するための実験だったの。 貴方が社会で生活して行くには、その自分でもどうにも出来ない力を抑えることが必要なのは分かるわよね? だから武術も教えてるし、研究もしてるの」

九歳の子供には難しい話かとマリーは思ったが、それでも続ける。今、言っておかなければならないと思ったからだ。

「だから、あたしの研究を怖がらないで」

アデリーが振り向いて、マリーはショックを受けた。彼女は、今までで一番悲しそうにしていたからだ。

その後、言葉は無かった。地の底より重い沈黙の中で、マリーは夕食にする。

失敗だった。だが、あきらめないとも思う。何に悲しんでいるかは、じっくり解き明かしていけばいいのだ。

道筋が出来たことで、マリーは少し気が晴れるのを感じていた。

 

王宮。無数の騎士達に守護されたそこにも、影や闇は存在している。今はヴィント王の豪腕にて押さえ込まれてはいるが、それも死後には噴出すると見込まれている。とにかく、王はあまりにも偉大すぎた。次代は苦労することになるだろう。

混乱の時代には競争制。そして平和な時代には世襲制が一番望ましい。ただし、国が安定期に入り始めたこの状況では、完全な世襲制に移行するのは望ましくない。貴族の地位が税収によって得られるように、この国では競争制がいまだ維持されている。ただし、それは混乱ととても近い位置にある。

ヴァルクレーア大臣は、王の片手として、その混乱を制御し続けてきた者の一人だ。時には食い合わせ、時には暗殺者を送って潰し。それによって回避された事件は数知れない。今回の混乱も、どうにか出来そうではあったが、しかし一部に彼の判断ではどうにもならない箇所があった。彼は複数の部下達から集めた情報を整理すると、重い気を奮い立たせて、王の元へ向かった。

王は寝台に横になり、いつものように侍女に体を揉ませていた。最近特に体に気を遣うようになってきた彼は、マッサージを一日何度も行わせている。食事にも気を遣っており、多分この国で一番健康的な生活を行っているだろう。老人は鬱陶しげにヴァルクレーアを見上げると、顎でしゃくって、用件を促した。大臣は額の汗を拭いながら言う。

「軍に妙な動きがあります」

「軍属錬金術師共が派閥を作って相争っているというあれか」

「はっ。 ご明察」

「それで、何が起こった」

大臣は深々と頭を下げると、ありのままを報告する。

「クリーチャーウェポンというものを研究する一派が現れつつあります」

「ほう?」

「火薬式兵器はいまだアカデミーがノウハウを握っており、高度なものほど外部に流れるような錬金術師の目には触れません。 それに業を煮やした一部の連中が始めたようです」

「それで?」

王は説明を静かに聞く。火薬式兵器の研究開発をメインに進めさせてはいるが、もしそれよりも優れているものなら乗り換える。それが現実主義者であるヴィント王の考え方。そのためにも研究を競争させている訳で、王の命令外の研究を行っても有用ならかまわないというのが軍事研究の基本姿勢だ。だから、それに問題が生じなければ、わざわざ大臣に報告をさせない。大臣も報告はしない。

大臣は全てを語る。クリーチャーウェポンとは、基本的に人間の手で人為的に作り出せる生物を、軍事目的で利用するものなのだという。広義で言えば馬などもそれに分類される。錬金術師達は、それを錬金術によって作り出そうとしているのだとか。性能はかなり高いものができはじめているらしい。

「事実、この間実験が行われました。 同一規模の盗賊団を、冒険者の混成部隊、軍の特殊部隊、クリーチャーウェポンに殲滅させるというものです。 結果は見事なもので、冒険者部隊、特殊部隊よりも遙かに早く殲滅を行うことができたとか」

「ふむ…」

「素体は狼を用いているそうで、人間に対する従順さ、命令を聞く頭脳、申し分ないようです。 ヤクトウォルフという呼称を用いています」

「それで、何が起こった」

王は大臣の前置きを必要だと感じながらも、くどいと思い始めている。大臣は額に吹き出した汗を必死に拭いながら言う。

「はあ、実は……。 内部分裂か、アカデミー側の横やりかは分からないのですが、ウォー・マンティスを素体にクリーチャーウェポンを研究していた軍属錬金術師が失踪しまして。 研究成果も全てが消滅しておりました」

「…そのヤクトウォルフという研究物については、問題が生じていないのだな?」

「御意」

つまり、内部で勝手につぶし合いをした可能性があるわけだ。競争が激化すると、たまに発生することである。上手く制御しないと、やがて部署同士の対立が激化していくこととなる。

ヴィント王はつまらなそうにうめく。マッサージが少し強すぎたようで、無表情な侍女が力を入れ直して、ゆっくり揉み始めた。

「ならば内部で調査を進めつつも、その研究を進行させよ。 火薬式兵器の研究についても怠るな。 場合によっては、アカデミーに技術譲渡依頼を行え。 分かっているとは思うが、有用な方に全力を注ぐように、改めて錬金術師共に伝えよ」

「はっ。 それではそのように」

「急げ。 ドムハイトは待ってはくれぬぞ」

錬金術師は研究者であり、わがままな開発者でもある。なかなか思うように動かない彼らを上手く使わないと、すさまじい勢いで軍拡を行っているドムハイトに、国土を蹂躙されることになる。平和攻勢が難航している現在、あまり残された時間はない。

大臣は王の頭脳が衰えていないことに安心すると、一礼して部屋を出た。そのまま自室で部下達に指示を飛ばしてから、邸宅へ戻る。権力の大きさに対して、彼の家は質素である。他の貴族達も似たような状況だ。「贅沢に暮らしたい」という理由でドムハイトに寝返った貴族が大戦時に居たが、そいつは史上最悪の恥知らずな裏切り者として語り継がれ、二年ほど前にヴァルクレーアの部下が暗殺した。

自宅では、妻が待っていた。以前王の世話をしていた侍女であり、腕利きの諜報員でもあった。去年までは現役の諜報員として前線で働いていたが、子供が出来ると同時に荒事から引退。今では大臣のサポートを同時にしている。ちなみに、結婚したのは三年前。

当然のことながら、彼女は王のスパイでもある。ただこれは貴族や王族としては当然のことであり、むしろ公認の監視者を受け入れることで、絶対の忠誠を立てることにもなるのだ。鋭敏なヴィント王の怒りを買わないように、ヴァルクレーアも苦労しているのである。

「今日も遅くなってすまないな。 何かあったか?」

「特に何も。 ああ、そうそう。 以前失踪した錬金術師ですが、どうやらアカデミーに潰されたらしいことが分かりました。 アカデミーとしては、未熟すぎる錬金術を濫用されると困るという判断で、強硬手段を執ったようですわ」

「なるほど、な。 まあいい。 もともと奴は研究者としては三流であったし、制御もきかなくなりつつあった。 アカデミー側には謝礼をいれておけ。 われわれももてあましていたとな。 ただし、ヤクトウォルフの研究は守れ。 奴らにもそちらには手を出さないように釘を刺しておけ」

「見え透いたことをなさりますな。 まあ、手は打っておきましょう」

冷徹な応酬であったが、侍女が息子を連れてくると、二人の表情は一変する。二人とも親の表情となって、見ている方が恥ずかしくなるほど微笑ましくあやしはじめた。冷徹な陰謀を張り巡らせていたさっきまでと同じ人間とは思えないが、これも一つの側面である。

親子のやりとりを見ながら、侍女は気を遣って部屋から出て行った。其処には幸せな時間があった。

 

肩で息をつくクーゲルの前には、彼の身長を五割ほども上回る、巨大な狼の亡骸があった。しかもこの狼、肌が鉄のように硬く、動きは雷のように鋭く。流石の彼も、かなりの苦戦を強いられたほどである。事実、いくつも傷を貰っていた。

槍だけではなく、全身血にまみれたクーゲルが、肺の中身を絞り出した。手にした戦槍は、根本まで鮮血に染まっている。朱が闇の中、しずくとなってたれ落ちていた。

拍手の音。

「さすがはクーゲル様。 お見事です」

「応。 なかなかの馳走であったわ」

ゆっくり振り返る視線の先には、まだ若い女騎士がいた。

彼女はかなり小柄で、背丈はクーゲルよりも頭二つ分小さい。その上童顔なので、良く年を間違われる。ただ、騎士としては非常に有能であり、若手のホープと期待されている人物だ。誇り高く自信深い性格だが、ただ、外見はかなり深刻なコンプレックスになっている。そのため少しでも大人っぽく見せようと赤い髪を伸ばしているが、それが却って子供っぽさを後押ししてしまっている事に、本人だけが気付いていない。大きな目は吊り気味で、妙に濃い眉毛が顔の中で目立っている。ちなみに武具は、騎士としては珍しくバトルアックスを愛用している。腕力も常識外に強いのだ。

この娘はカミラ=ブランシェ。能力者としても優秀だが、頭も切れる。クーゲルが最後に仕上げた部下の一人であり、今では軍で師団長参謀格の仕事をしているらしい。今日出会ったのは偶然だった。獲物を求めて、飢えた虎のように落ち葉を蹴散らして走り回っていたクーゲルが、月の光に引かれるようにして、たまたま見つけたのである。

娘の周囲には、十を超える同一種の狼。仲間を殺されたというのに寝そべって微動だにしていない。彼らの腹は一様にふくれていた。こいつらの性能実験に、今回の盗賊団殲滅が関わっていたのだという。その仕上げに、クーゲルが頼まれたのだ。

「いや、結構結構。 クーゲル様相手に此処まで戦えるなら、性能は充分でしょう」

「そうだな。 初見で複数に襲われたら、流石の儂でも危ないだろう。 ふはははははははははは、今日の獲物は物足りなくて苛々しておったが、これで充分腹も膨れたわ」

「忌憚ないご感想をいただけますか?」

カミラは声まできんきんと甘く子供っぽい。少しでも低い声でしゃべれば印象も変わるのだが、その辺も気付いていない。アホと天才は紙一重だが、その見本のような娘だ。似たような気質の人間を、クーゲルは一人知っている。錬金術師の、マルローネである。

「そう、さな。 戦闘能力は虎以上、頭の出来も悪くはない。 ただ、もう少しダメージサインを示さないと、調整が大変になるぞ。 痛みを克服することは、必ずしもプラスにはならぬ」

「ん、なるほど……。 分かりました、改良を施しましょう」

「うむ。 では、儂はそろそろ帰るぞ」

「あ、お待ちください」

面倒くさげに振り返ったクーゲルに、カミラは妙に艶っぽい笑顔を浮かべる。

「この狼、ヤクトウォルフって言うのですけれど。 クーゲル様も、性能調整に、協力していただけませんでしょうか」

「…狙いはそれだけではあるまい」

「もちろん。 作ってる錬金術師どもが、どうも我々のことを舐め腐っているようでしてね。 私の管轄下では巫山戯たことはさせていないんですけれど、部下が見ているところではそうもいかないらしくて。 民間の冒険者としてで良いので、部下の教育をお願いしたいのですが」

しばしの沈黙。月の光に横顔を照らされたクーゲルは、笑っていた。

「いいだろう。 丁度退屈していたところだ。 久しぶりに後進を揉んでやるか」

クーゲルは鬼教官として名高かった。彼の新兵教育キャンプは、地獄の一丁目などと呼ばれていた程である。

「食え! その後我に続け」

カミラが手を振ると、狼たちは一斉に立ち上がり、仲間の死体をむさぼり食い始めた。クーゲルはそれらの横を通り過ぎると、カミラの傍らに並ぶ。

複数の駒が揃い、動き出す。ザールブルグの闇が、大きくうごめき始めていた。

 

(続)