闇のアトリエ

 

序、決戦

 

四方八方から躍りかかってくるホムンクルスの群れ。どれもこれも小柄で、さほど強そうには見えないが。

いずれもが、現実を改変するという、とんでもない能力を備えているのだ。

瞬く間に、激しい乱戦になる。

エルフィールは生きている縄を振るい、近づくホムンクルスをなぎ払う。だが、一瞬後には、打ちのめしたはずの影はその場にいない。現実を改変して逃れたのだ。だが、それは既に想定済み。

縄からホムンクルスが逃れた直後、反応の早い騎士が何名か動く。移動地点を即座に割り出し、敵を斬り伏せる。連続して、現実改変能力を使うことは出来ないのだ。

大柄な騎士が、空中に投げ出される。蹴り上げたのは、小柄なホムンクルスだ。現実を改変して、相当なパワーを蹴りに乗せたのだろう。だが、それも既に経験済みの事象。聖騎士ジュストが風で彼を受け止めつつ、振り返りもせずに剣を振るった。ホムンクルスは剣から逃れるが、逃れた先にはエリアレッテがいる。

エリアレッテが今度は蹴りを叩き込み、地面に打ちつけられたホムンクルスは潰れた果実のようになって死んだ。

激しい乱戦の中、アイゼルが光の術式を展開し、キルキが熱量で壁を作る。ノルディスはホムンクルス達とけが人を円陣の内側に引っ張り込んで応急処置。フランソワはというと、一応的確に術式を展開して、騎士達の支援をしていた。顔は青ざめているが、それなりに動けている。

数はほぼ互角。

だが、対処方法を知っていると言うことはかなり大きい。かっては三体相手でもどうにもならなかった状況だが。今では、五分以上の戦闘を展開できるようになっていた。若干不利なのは、回避主体のロマージュだが、彼女もそうそう下手は打たず、主に中衛に入って味方の補助に徹し、アシストでの戦果を積み上げていた。

エリアレッテが、頭を掴んでいた一人を放り捨て、影の鏡に歩み寄っていく。

「タイマンといこうか、影の鏡」

「何がタイマンだ!」

目に怒りを宿した影の鏡は、絶叫しながら抜き手をエリアレッテに繰り出す。

その真横から、風の塊が叩きつけられ。現実を改変した影の鏡は、地面を擦りながら後ろに逃れた。

聖騎士ジュストが、風の術式を展開したのだ。

「だから言っただろう? 聖騎士ジュスト、二匹の内片方をお願いします」

「良いだろう。 引退する前に、借りは返しておきたいからな」

エルフィールは振り返りざまに、イリスに抜き手を繰り出した一匹を縄で薙ぎ払い、空中に逃れたところに跳躍して、回転しながら踵を叩き込んだ。

現実改変能力。確かに恐るべき力だが、種さえしれていればこんなものだ。人間の対応能力を舐めてはいけない。対処策さえ分かれば、どんなに恐ろしい力であっても、ある程度対抗できるのだ。

また一匹、ホムンクルスが叩き潰される。ミューが剣を鞘に収めながら、周りを見回した。

「もうやめておきなよ。 死に急ぐことも無い」

「ほざけ!」

狂気の雄叫び。それは、己のあり方を否定されて、絶望と狂気の中で初めて目覚めた悲しい感情。元々感情を持たないように設計されていたホムンクルス達が、数百年人間を観察し、その中で仕事をし、そしてやっと得た心。

あまりにも、悲惨な心。

今まで、歴史を影で動かしてきたホムンクルス達が、次々と血を噴いて倒れていく。

激しい乱戦の末、勝敗は明らかとなる。ホムンクルス達は手強いと知るや、一斉に撤退を開始。逃げるためのものではないと、一目で分かる。

何か、来る。

エリアレッテと丁々発止の駆け引きを繰り広げていた影の鏡が、天に向かって雄叫びを上げた。

じっと黙っていたイリスが、エルフィールの側に駆け寄ってくる。

「どうする? あの子達の味方する?」

「馬鹿なことを言わないで!」

「お。 でも、さっき怒ってたでしょ」

「それとこれとは話が別です! むしろ、一人でも、死なせずにこんな戦いは終わらせたいです」

イリスは、涙ぐんでいた。

今までどれだけ酷い目に遭っても、エルフィールと話が合わなくても、陰湿なやりとりをしても。決して心は折れなかったように見えたイリスだったのに。

まさか、ホムンクルスの創造主がホムンクルスであり、なおかつ最初から自分自身も含めて全て道具として考えていたなどと知ったとなれば。むしろ、人間的な感情があったからこそ、ダメージは大きかったのだろう。

その主とやらはいない。

逃げた、という事は考えにくい。人間の可能性を見極めたと言っていたから、自決でもしたか。その割には、何かまだもくろんでいるようにも思えたが。

床が揺れる。

徐々に、揺れが大きくなってくる。

「おまえ達、生きてここから出られると思うな!」

「もてなし用に、番犬でも出してくれるのかな」

「戯れ言をほざくな!」

影の鏡があざ笑いながら、エリアレッテに無数の光の刃を放つ。

だが割って入った騎士団員が、光の壁を展開。防御の術式。しかも、あれは非常にレアな、いわゆる神の祝福だ。光の刃がことごとく壁にそらされ、エリアレッテが跳躍する。剣を振り下ろし、そして振り返りざまに、斬った。

影の鏡の右足から大量の鮮血が吹き出す。

同時に聖騎士ジュストは、以前は手も足も出なかった相手を、肩口から真下に斬り下げていた。見ていたが、術式で動きを止めたところを、二手動く先を読んで斬ったのだ。さすがは年の功である。

「これが、人間の力だ」

エリアレッテが、けが人をかばうようにして前に出る。エルフィールは、揺れの正体を見極めるまでは、一旦距離を取った。イリスが、ノルディスの方にけが人を引きずっていく。フィンフが、それを無言で手伝った。

「もっともこれは、厳密には「人間の力」ではないのだったか。 おまえ達の主の主だったか? いずれにしても、後天的に付加された力だって事だな。 だが、それを使いこなしたのは私たちだ。 何千年も私たちを見ていて、それさえ理解できなかったのか?」

エリアレッテは、剣を振り上げると、無造作に振り下ろす。

剣を受けたという現実を改変して逃れた影の鏡は、だが回し蹴りをもらって吹っ飛んだ。さすがは次期騎士団長候補。圧倒的だ。というよりも、こんなものである。最初は一方的な展開になるかもしれないが、元々身体能力がそれほど高いわけでも無いのだ。手の内が分かってしまえば、これは妥当な結果である。

揺れが、止まった。

まだ、立ち上がる影の鏡。ジュストに斬られた方はもう駄目らしい。痙攣している同胞を一別すると、影の鏡は口の血をぬぐって、手を天に向けた。

「ならば、自分たちが得た過剰すぎる力に酔いながら滅びるがいい!」

影の鏡の足下から、徐々に黒いものが広がっていく。

それは床からせり上がり、影の鏡の全身を、飲み込んでいった。

巨大な軟体動物にも見えるそれは、少しずつ、だが確実に、形をなしていく。質感は凄まじい。

元々巨大な洞窟だけあり、まるでその怪物が、全てを飲み込んでいくかのように見えた。いにしえの怪物が、この洞窟に顕現する。そんな光景が、悪夢では無く、現実として目の前に広がっていた。

さて、どうするか。

おそらく、手は一つしか無かった。

 

大乱戦から人知れず抜け出したイングリドは、時々突っかかってくるホムンクルスをひねりながら、一人離れた場所まで移動していた。半透明の床を蹴って跳躍し、天井の出っ張りを掴む。そして片腕だけで全身を引っ張り上げて、つらら状になっている天井の出っ張りに、体を隠した。

さて、ここからは単独行動だ。

ヘルミーナも動いているはずだが、此処にまでは流石に来られないだろう。少なくとも、この場では、イングリドが、自分の弟子達があの怪物を何とかするのを手助けしなければならない。多少しんどいが、どうにかなるだろうか。

天井を伝うようにして行く。下では、徐々に巨大な闇が形を無し始めていた。

どうやら最初は気体として存在し、状況に応じて形を変えるタイプのクリーチャーウェポンらしい。非常に研究素材として興味深いが、今はそれどころでは無かった。

一つ、確認しなければならないことが、あるのだ。

かって、エル・バドールで。幼い時分のイングリドは、不遇以上の虐待の時を過ごした。

天才を作り出す政府特務機関で作り出されたイングリドとヘルミーナは、幾つかの偶然から、外に出ることが出来た。最初、イングリドは完成品として外に出されたと思っていたのだが。

どうも、事情は違ったらしい。

あの機関の出身者であったエル・バドールの間諜、セルレンに話を聞く限りだと、完成品の研究はそれ以降も行われていたという。

それら研究の源流に、ホムンクルス作成があったことを、イングリドは既に掴んでいる。人権問題から結局放棄せざるを得なかったホムンクルスによる社会の基礎労働力獲得計画が、歪んだ形で超人作成機関へと変貌を遂げたのだ。

あくまで内緒のことだが、ヘルミーナはエル・バドールに出向いたとき、その黒幕の生き残り達を探し出してひねり殺したらしい。それについては痛快だが、しかし。まだ、幾つかイングリドとしては、調べておかなければならないことがあった。

この洞窟、いやおそらくは主の住処が。どれほど持つかは分からない。

イングリドが下にいる連中だったら、多分テラフラムを使って、一網打尽をはかるだろう。それをやられると、非常に面倒だ。早めに此処を離れなければならない。洞窟自体も大きなダメージを受けるだろうし、何より目的が果たせなくなる。

戦場を迂回して、着地。

さて、マルローネ達はどうしたか。あの二人には、「主」とやらが用事があったらしい。特殊な場所に飛ばされたらしいことは確認している。まあ、助けに行く時間も余裕も無いし、自力で何とかしてもらうしか無い。

音も無く歩く。ホムンクルス達は明らかに劣勢だった。しかし、命をかけて、狂気をはらんで、戦いを続けていた。気持ちは分からないでも無い。イングリドとヘルミーナが幼少期に受けた狂気の教育も、その延長だったのだ。

道具として作られて、道具として死ぬように強制される。

人間は人間に対してさえ、そんなことが出来る。だから、ホムンクルスを作った。否、ホムンクルスを「主」が与えたのだろう。

さっき、ここに来る途中、見た壁の穴に潜り込む。奥へ。

狭いトンネル状の穴を抜けると、居住区らしい場所に出た。狭い通路がどこまでも続き、まるで蜂の巣のように、最小限の睡眠スペースが並んでいる。機械類には興味があるが、後回しだ。奥へと歩いて行く。

見れば、寝台にはどれも使った跡があった。ホムンクルス達は世界各地で歴史に干渉し、たまに戻ってきて此処で眠っていたのだろうか。こんな狭いところで眠り、そして道具として仕事に従事して。

ホムンクルス達が反乱を起こしたのも、分かる気がする。ヘルミーナの研究が完成したとき、人間はホムンクルスと共存できるのだろうか。

少なくても、数百年は無理だと、イングリドは思った。

主とやらに話を聞ければ、こんな事はせずとも済んだのだが。だが、今はとにかく、奥へと歩く。

最奥に、大きな部屋。

まるで蜂の巣のようだった他とは根本的に違っている。寝台もないし、機械類も並んでいた。書物の類が無いが、そうなると機械によってデータを処理しているのかもしれない。

遠くで、激しい音が響き始めた。どうやら本格的に交戦を始めたらしい。もたもたしていると、何もかもが台無しになる。

素早く部屋の中を見回して、見つける。

どうやら、無駄足にはならなかった様子だ。取り上げたそれは、小型の折りたたみ式箱に見えた。だが、優れた文明の産物だ。マニュアルはと、周囲を見回す。天井から埃が落ちてきた。何か、大きな術式が炸裂したのだろう。

持ってきたバックパックに、関係のありそうな道具を全て突っ込む。マニュアルも、どうにか見つけた。かなり分厚いし、古代エル・バドール語だが、時間をかければ解析は出来るだろう。

さて、ここからはさぼってはいられない。

手伝うかと思い、イングリドは戦場へと足を向けた。

 

どこまで行っても続く似たような景色。

たまに壁に模様を描いているが、一応今まで迷ってはいない様子だ。既に書かれた模様とは、遭遇していない。

マリーはアデリーと一緒に、閉鎖空間にあるらしい廊下を延々と歩いていた。

壁には戦闘の様子が映し出されている。エルフィールと騎士団、それに手練れ達は、激しい攻勢に出ている。しかし、どうも決め手に欠けるらしく、巨大な怪物を仕留めるには至っていなかった。

「母様」

「ん」

アデリーの言葉に、マリーは頷く。そして杖を構え、詠唱を開始した。

気配が近づいてきている。それも、前後からだ。

主とやらが、何を考えてマリーを此処に飛ばしたかは分からない。だが、当然のことで、意味はあるのだろう。そうでなければ、わざわざ好きこのんでマリーとアデリーだけを、こんな所に閉じ込める意味が無い。

見えてきた。

ホムンクルスだ。それも、動きがおかしい。呻きながら近づいてくる。

敵意は無い様子だが、数がとにかく多い。しかも、ホムンクルスは戦闘に関しては素人でも、騎士団精鋭に及ばないとしても、それなりに身体能力が高いことが多い。あの数で近づかれると、面白いことにはならなさそうだった。

距離が縮まってくると、ホムンクルス達の異様な風体が目についた。

上で案内をしていたホムンクルス達は、闇に溶け込むような黒ローブをまとっていた。ローブの下はしっかり確認していないが、やはり見えた範囲では黒の服を着ていたように思える。

だが今多数近づいてきているホムンクルス達は、全身が汚れきっていて、着ている服も垢にまみれた白いワンピースだ。顔だけは、上にいた連中と、更に言えばイリスと殆ど同じである。しかも、女性だけでは無く、男性もいるようだ。どれもこれも、幼い顔立ちばかりだが。

その上、歩き方にがおかしい。重心が安定していない。酔っ払いのような有様だ。

軽く雷撃を飛ばす。

「近寄らない! 話があるなら聞くから」

「あー。 うああ、うー」

おびえたように少し下がる。だが、結局、牽制を無視して歩み来る。今のは殺気を込めていたのだが、それを察知できないと言うことは、動物的本能は得ていないらしい。

アデリーがサスマタを構えて、背中を守りに入る。ざっと見ただけで、ホムンクルスは七十か八十、それ以上はいる。顔は吐瀉物か餌かよく分からないもので汚れきっていて、目の焦点も合っていない。

アデリーが、サスマタを構えたまま言う。

「母様。 出来るだけ、ぎりぎりまで攻撃は控えてください」

「どうして?」

「殺気も戦意も感じられません」

確かに、それは分かる。だが、もし食欲を感じているとしたらどうか。この数である。更に多くが潜んでいる可能性もある。

ロードヴァイパーなら、一撃で数十を焼き払うことも可能だ。だが、それも近づきすぎると、難しくなる。

だが、気になる。

マリーは、詠唱を止めた。そして、自らホムンクルスに歩み寄る。最悪の場合は、杖をふるってたたきつぶして進むしか無い。視線が同じにならないと、話をしづらいかもしれないと思って、腰を落とす。

「ねえ、あたしそれほど気が長い方じゃないんだ。 出来るだけ短めに、用件を言ってくれると助かるかな」

先頭の一体が、転びそうな危なっかしい足取りで、マリーの至近まで来た。アデリーが少し後退する。

マリーは、待つ。

得体が知れない病気を持っている可能性や、集団で捕食しようと襲いかかってくる危険もある。だから、いつまでもは待てない。だが、アデリーが言うとおり、殺気や悪意は感じない。

だから、辛抱強く、反応を待った。

「で、でた、い」

「ん?」

「こ、こから、でた、い」

意外にも、シグザール語である。いや、これは違う。

前に何度か遭遇したことがある、思念を直接相手に飛ばすタイプの能力だ。頭がキーンと響くこの独特の感じ、覚えがある。

アデリーもおそらく、感じたのだろう。サスマタを下ろす。

呻きながら通路にひしめいているホムンクルス達は、歩みを止めていた。

「分かった。 それで、どうして出られないの?」

「私、たちを、えさにする、のがいる。 ガル、ム、と、呼ばれてる」

「ガルム、ね」

確か北方の宗教に出てくる、冥府の番犬だったはず。もちろん、何か意図があって、その名をつけているのだろう。

そのガルムとやらをたたきつぶせば、出られるという訳か。

いずれにしても、ここから出る手段も見つからないのである。そいつを叩き殺す事に、異存は無い。獲物を殺す事は、元々大好きなのだ。

「分かった分かった。 あたしがアデリーと一緒に、そいつをぶっ殺してあげる。 だから、出口に案内してくれる?」

ぱくぱくと口を動かしていたホムンクルスは、ひときわ大きな声で呻いた。

近くだと、酷い臭いがしていた。一体普段、何を食わされているのか。口の周りについている吐瀉物のようなものが、普段食べさせられているものなのかもしれない。或いは、小麦粉で作るオートミールにいろいろ混ぜて腐敗させたようなものであろうか。どっちにしても、あまり美味しくはなさそうだ。

道を空けてくれた。

何だか嫌な予感がしていたのだ。ちょうど干潮で浅瀬に出来た路を歩くようにして、ホムンクルス達の中を歩く。近くで見ると、感情は希薄だが。だがしかし、懇願を感じる。この様子だと、同胞を作られては、そのたびに食われていた、というところだろうか。

「あなたたちは、ひょっとして失敗作?」

「母様!」

「わか、ら、ない。 でも、ここに来た、ら。 でられ、な、い」

「そうか。 そうだろうね」

主とやらは、自分でさえ用事が済めば処分するという雰囲気であった。それならば、作業の過程で出たホムンクルスを、わざわざ生かしておく事もないだろう。しかし、それならば、なぜ、マリーを処分物の廃棄場に送り込んだ。

何となく、見当がつく。

「ね、アデリー。 あの主って子供にも、或いは慈悲があるのかな」

「分かりません。 ただ、母様よりは雰囲気が柔らかかったように思います」

「いうね、この」

「いつも言わせているくせに」

見抜かれたか。マリーは苦笑すると、歩く。

後ろからは、多分百を超える、薄汚れたホムンクルス達の群れがついてきた。

 

1、地獄そのもの

 

形をなすのを、わざわざ待つことも無かった。

だから、騎士団は連続して火炎の、冷気の、或いは雷撃の術式を実体化しつつある怪物に打ち込んでいた。だが、いずれもが効果を示さない。まるで怪物の肌に飲み込まれるかのようにして、かき消されてしまう。

接近戦組は、距離を取って状況を見守るか、けが人の後送を続けている。既にエルフィールが見るところ、退路は確保できている様子だ。

「自棄になってどうするつもりだ。 我らも、戦いが終わったのであれば、貴殿らを皆殺しにするつもりは無い。 静かに生きるつもりなら、このデモンズ高地を特区扱いして、滅ぼすこともしないと約束する。 何が目的か、言うが良い」

多分、駄目だと分かった上で、聖騎士ジュストが呼びかける。

だが、やはり予想通り、返事は無かった。

イングリド先生が来る。いつの間にかいなかったようだが、ちゃんと戻ってきてくれたか。

「先生?」

「どこへ行っていたんですか?」

「ちょっと野暮用よ」

くすくすと、イングリド先生は笑う。

ミルカッセはというと、どうやら決意を固めたらしい。エルフィールは彼女が何をするつもりなのか、だいたい分かった。だから、慌てて耳栓を取り出す。以前の吸血鬼戦以降、ミルカッセと一緒に出るときは、必ず持ち歩くようにしているものだ。

「私、歌います。 魔を滅する歌を」

「どうやら、それしか方法はなさそうだな」

形をなしつつある敵。

それはどうしてか。

巨大な、バッタのようにも見えた。

「まずは、ここにいる貴様らを、皆殺しにする」

声がした。影の鏡によるものだ。響いてくる。特に大きい声というわけでは無いのだが、辺りが振動するのが露骨に分かった。多分、発音の方法が違うからなのだろう。人間の声と違うから、音にも違和感がある。

イリスが隣で拳を固めてうつむいている。多分、どうにかして、影の鏡を救いたいのだろう。

「その後は、台座への路へ向かい、再起動させる。 そしてこの大陸をまず破滅においやり、その同時発生災害で他の大陸の人間どもも駆逐する。 そしてとどめに大空の王を量産し、残った人間も木っ端みじんにしてやる」

けたけたと、笑う声。もはや、正気を保っていないのは、明白であった。

エルフィールには、狂気が良く理解できる。己のアイデンティティを粉々にされたのである。特に影の鏡は、自我意識が他のホムンクルスよりも強いように見えた。なおさらに、許容できるものではなかったのだろう。

「やめて、ください」

「ああん?」

イリスの必死の叫びに、バッタが咆哮する。無数のイナゴの羽音にも、それは聞こえた。

この間、エアフォルクUの事件の後、彼方此方の神話を調べた。確か何処かの神話では、終焉と共にイナゴの魔王が訪れるという。蝗害を神格化した存在と言うことだが、或いはこの怪物こそ、その原型なのかもしれなかった。

「確かに、酷い話です! 私だって、あの「主」を許せないと思います! でも、こんな事をして、何になりますか!」

「黙れ! ならばこの絶望を如何とするか!」

「何も絶望することは無い。 此処を特区として貴殿らに解放すると言っているだろう」

「ああ、貴様らの世代ではそれも実現するかもしれんな! だが、人間の歴史を知らぬものが、何をほざく! いずれ人間は技術を! 知識を奪うために! 此処に大挙して襲いかかり、蹂躙し、略奪し、殺戮し、犯し! 全てを奪い去って、あげく滅ぼしていくに違いないのだ!」

ならば、そうされないように、立ち回れば良いでは無いか。

そう、エルフィールは内心つぶやいた。

実際、妖精族のように、そうしている連中もいる。妖精族は、労働力というカードを上手に使って、危険な人間と交渉し、ある程度の社会的地位を得ているしたたかな連中だ。ましてやホムンクルス達の中には、技術という素晴らしいカードがあるのだ。この地形自体も、難攻不落の要塞として活用できるはずである。軍事力だって、人間から見ても早々手を出せないほどのものを持っている。

むしろ、もっと酷い状況で、したたかに生きている人間だっている。エルフィールは幾つかの幸運が味方したとはいえ、その一人だ。

聖騎士ジュストも少し呆れたようで、ため息をつく。彼としてみれば、感情にまかせてカードをきちんと使えない相手との交渉は疲れるのだろう。勿論、今は交渉をする段階でさえ無いが。

既に相手は完全に形をなしている。さっきまでの液体状ではないから、攻撃も通りやすいはずだ。

それにしても、本当に巨大なバッタだ。昆虫は近くで見ると構造の違いから嫌悪感を感じさせる場合もあるが。このバッタの場合は、目が人間であったり、縦に裂けた口の中に、人間を思わせる巨大な臼歯が並んでいることから、その嫌悪感がより刺激されるようだった。

テラフラムで、たたきつぶすか。

そう思ったが、一旦やめる。ミルカッセが、歌う体勢に入ったからである。エルフィールは、耳栓をした。

以降は、冷酷に。

戦術だけを、判断することになる。

「かわいそうな人。 貴方の心に、届くことを祈ります」

唇を読むと、ミルカッセはそう言っていた。つまり、彼女は、あの怪物をまだ人間だと見なしていると言うことだ。ホムンクルスで、どちらかと言えば神に近い存在だと思うのだが。

或いは、それさえも。ミルカッセにとっては、人間的な弱さにカテゴライズされるのかもしれない。もしそうだとすると、彼女は聖人か、それに近い存在だといえる。強烈な浄化の能力も併せて、後に歴史に残るかもしれない。ミルカッセのことは、嫌いでは無い。お節介すぎることも含めてだ。必死にエルフィールに愛情を教えようとしてくれたことも、今思えば、ミルカッセの本音なのだろう。

悲しすぎる過去を背負っているからこそ、其処まで愛情を深めることが出来たのだ。それが分かるから、彼女の言葉が嘘では無いと、エルフィールは理解できる。

ミルカッセが、神に祈るポーズのまま。歌い始めた。

辺りに、強烈な魔力が満ちていく。最近気づいたのだが、ミルカッセが秘めている生体魔力は、ひょっとするとマルローネさん並なのでは無いか。特に歌っているとき、全身から放っているとんでもない魔力は、杖の力を使って見ることが出来るようになった今、まるでまばゆい星のようであった。

蝗王は、屈しない。

巨大な魔力の奔流を浴びても、そのまま、足を進めてくる。蝗王の足はバッタのように脆弱では無く、毛むくじゃらで、まるで人間の腕のようだった。鋭いとげとげも無数に生えていて、先端部分は刃のようになっている。ジュストが周囲に、戦闘態勢と叫んでいるのを、唇から読む。

騎士団も、本気になった。

膨大な魔力の奔流が満ちる中、最初に仕掛けたのはジュストだった。

印を切ったジュストが、気合いと共に風の塊を放つ。巨大な暴力的風圧が、蝗王を叩き伏せる。巨体であるからこそ、風の破壊的力を全て受ける事になった蝗王。

だが、屈しない。

風圧に外骨格が吹き飛び、熱が氷が体を抉る。そうやって体が削れはするが、見た端から再生していく。傷口が泡を吹き、それが消えた頃には、真新しい組織が生々しい姿を空気にさらしているのだ。

逆に、敵が反撃に出た。巨大な手を振り下ろして、前衛にいた騎士をたたきつぶしに掛かる。シールドを張りに掛かるが防ぎきれない。エルフィールは無言で生きている縄を伸ばして、逃れられなかった騎士を引っ張り出し、回収。

側にいたアイゼルに、指を鳴らしながら言う。

「援護して」

今度は自身が前に出た。

蝗王の全身から、無数の触手が伸びる。そして振動。

触手の先端が、光ったと思った瞬間。エルフィールは、全身に痛烈な損傷を感じていた。思わず膝をつきかけるが、本能のまま生きている縄に指示して、空に躍り上がる。巨大な手のひらが、地面を殴打したのを下に見ながら、自身の全身が焦げていることに気づく。

何だ、今の光。熱量か。

天井まで到達したエルフィールは、白龍を受け取ると、天井を蹴って加速。

イングリド先生が前に出た。振り下ろされた触手を、拳で迎撃。風圧ではじき返す。騎士達も次々術をたたきつける。口笛を吹きながら、エルフィールは蝗王の頭上を狙って飛び降りるが。

着地したのは奴の頭の上にも関わらず。

一瞬後、エルフィールは地面にいた。

「何っ!?」

飛び退く。だが、よけきれない。

横殴りに振るわれた触手が、エルフィールを直撃。壁に叩きつけていた。それだけではない。触手はエルフィールを押さえ込んだまま、振動を開始する。耳栓が落ちた。ミルカッセの歌が聞こえる中、影の鏡、いや蝗王の声がした。

「電力全力解放! 黒焦げにしてくれるわ!」

光が、全身を駆け巡った。

そうか、現実改変能力は、この形態になっても有していたと言うことか。それに気づくのと、意識が落ちるのは、殆ど同時であった。

 

ハンマーが、金属を叩く音。

ふと顔を上げると、父さんがいた。狭い、あの家だ。父さんと一緒に、作った、村の外れの小さな家。どうしてか、イリスも膝を抱えて、側に座っている。

そうか、此処は。或いは。

だが、父さんがここにいるなら、寂しくは無いか。だが、不思議とイリスは、実体だとは思えなかった。

ハンマーの音が止む。

父さんが。あれだけ離れていても、顔をしっかり思い出せた父さんが。エルフィールをじっと見た。

「エルフィール。 まだ、ここに来てはいかん」

「え……?」

「おまえは、自分の路をいけ。 己の最善を尽くして、それでもまたここに来てしまったときには、受け入れてやろう。 だが、今はまだ来てはいかん」

イリスが、エルフィールの服の袖を握った。

視線を直接合わせてくる。あれほど毒舌で、それが可愛いイリスなのに。どうしてか、しおらしかった。

「おまえが死んだら、その子はどうなる。 その子は、おまえの娘も同じだ。 おまえ以上に、孤独を怖がっているんじゃないのか」

「イリスは、みんなに愛されてます。 私なんかいなくたって」

「それは違う。 どうしてイリスが、執拗におまえを救おうとしたのか。 それを、考えて見るといい」

それは、気づいてはいた。

実際、イリスはエルフィールのことを最低のマスターだと思っていたはずだ。ヘルミーナ先生に泣きつくか、或いはアイゼルの所に行きたいというか。そんなことを言い出せば、エルフィールは便宜を図る気だった。

しかし、不思議なことに。イリスはそうはしなかったのだ。

そうか。確かに、父さんの言うとおりなのかもしれない。

父さん以外にも、エルフィールに肉親としての愛情を注いでいる存在はいたのだ。

「そうですね、確かに」

「それに、おまえは友もいる。 完全に孤独だった私とは違う。 今、死を受け入れようとするな」

やはり父は偉大だ。

エルフィールは頷くと、涙をぬぐった。

「分かった。 今は、帰るね。 だけど、近いうちに。 いろいろ兼ねて、会いに行くから。 弔いについても調べておくからね」

「そうか。 あまり、無茶はするなよ」

イリスの頭をなでながら、エルフィールは生きたいと思う。

ふと気づくと、逆さにつるされていた。下には、蝗。口を開けているのは、食いちぎるつもりであったか。

生きている縄が全力で突っ張って、あごが閉じるのを防いでいたらしい。そうか、生きている縄達、やはり可愛い奴らだ。エルフィールは、一つずつ、体の機能について確認していく。そして、不意に動いた。

白龍を振るい、自分の足を掴んでいた触手を殴打。

そして体をひねって、白龍を蝗王の顔に向ける。流石に驚いたらしく、蝗王が声を上げた。

「あの電力を受けて死ななかった、だと!?」

「あいにく、昔から頑丈でね!」

幼い頃から、喧嘩をするときには、頭二つ分大きい男の子に、角材で殴られたりしていたエルフィールである。怪我をしても、自分で薬草を探してきて直していた。多少の痛みをこらえるくらいは何でも無い。白龍を打ち込む。殺戮を恣にしてきた杭が発射され、敵の姿が無くなる。予想通りだ。上方に殺気。まだ落下中のエルフィールは、避けられないが。

だが、巨大な打撃音。巨体が揺るぎ、横倒しになるのが分かった。

頭上にいたのは、エリアレッテだ。エルフィールの意図を、きちんと汲んでくれたらしい。巨大な剣を、完璧なタイミングで振るってくれたというわけだ。

反転して、着地。

イリスが駆け寄ってきた。目尻に涙が浮かんでいる。

「呼んでくれてた?」

「当たり前です!」

「そうか、ありがと。 おかげで、戻ってこれたよ」

生きている縄に指示して、白龍の再装填を開始させる。最古参の三本だけが、最近こなせるようになった。

全身が痛いが、だが耐えられる。騎士達もかなり数は減らしているが、負傷者はノルディスがキルキと、フランソワとそのホムンクルスと共同して、安全地帯まで引っ張って治療に専念している。

蝗は凄まじい回復力を発揮して、顔を横に裂くような傷を受けたにも関わらず、それでも再生が始まっている。現実改変能力で、巨体にも関わらず必殺の打撃をかわし、なおかつ一方的な再生能力を持つ。確かに非常に面倒な相手であった。

だが、現実改変能力に関しては、一度見た。

他も、組み合わせが面倒だと言うだけだ。

一度囮の攻撃を出して、そこから本命を淹れる。ロマージュが、視界の隅で、見事に足の一本を叩き斬るのが見えた。回避主体と言っても、元々武術の使い手である。呼吸が合えば、あんなものだ。

「何か、対処策は」

「ありますよ」

エリアレッテに、耳栓をまたしながら、凄絶な笑みを返す。

かなり面倒だが、これならば一瞬で片をつけることが出来るだろう。問題は、その後だが。

多分、ここにいる面子なら、やれる。

そう、エルフィールは判断した。

 

通路の先から、熱気が漂ってきていた。

明らかに、何かがいる。マリーは一旦少し下がると、壁の影から向こうを伺った。防御系の術式は、展開に時間が掛かるから現実的では無い。殺るか、殺られるかだ。

歩きながら、ホムンクルス達に話を聞いた。

ガルムは、とても大きくて、一日に決まった数のホムンクルスを喰っていくのだという。しかし、毎日ホムンクルスは補充される。その中には、意識が無いようなものや、生きているとはいえないような状態のものも含まれていることがあり、そういったもの達を差し出して、命脈を保ってきたのだそうだ

もちろん、それがない日は、なすすべが無い。ガルムが満足するまで、同胞がむさぼり食われるのを見ているしか無かったのだそうだ。そんな状態だから、当然ホムンクルス達の間にも反目が生じる。

食料は、与えられる。ただし、ガルムのいる部屋でだ。

ガルムは満腹すると後は何もしないらしいのだが、気まぐれにホムンクルスを殺す事もあるという。そんな奴がいる部屋で、這いつくばって食物を食べなければならないのである。いつ上から降ってくるか分からない爪におびえている内に、彼らには感情と、恐怖と狂気が宿っていった。

地獄。

まさに、その言葉が相応しい状況である。

アデリーは激しく憤って、いつになくむくれていたが。マリーには、そう単純に怒れなかった。

さっき主の話を聞く限り、人類の発展を見極めるという目的のため、相当な犠牲が払われてきた。ホムンクルスの中で、人類史の闇で動いていたような連中は、むしろ幸運だったのかもしれない。

殆どのホムンクルスはこうやって実験体として、使い捨てにされてきた。

おかしな話だ。主自身も、そうやって実験体として作られ、使い捨てにされる存在だったのだ。それなのに、何も反発はしなかった。やはり、ホムンクルスは、脆弱すぎる存在なのである。

そして、人の社会には、或いは将来的に、必要になる存在なのかもしれなかった。

いずれにしても、ガルムとやらを屠らなければ、ここからは出られそうに無い。

通路の奥に、扉がある。ホムンクルスの話によると、あの熱気の漂う扉は、別に鍵も掛かっていない。

中にロードヴァイパーを叩き込むか。或いは。

アデリーが、前に進み出た。

ガルムの大きさは、背丈が人間の二倍半、長さが四倍程度と聞いている。それならば、アデリーレベルの使い手なら、充分に正面から渡り合える。問題は身体能力だが、それに関しては実際に戦ってみてみるほか無い。

「私が戦います。 母様は、分析を」

「……分かった。 無理はしないようにね」

多分、アデリーはマリーの考えを読んだ。だから、先に動いたのだ。

マリーは、後ろにいる中から、もう助かりそうに無いのを一人か二人見繕って、それを囮にしてガルムを叩こうと思った。実際、それが一番犠牲が少なく済む方法だから、である。

しかしアデリーはそれを許容しなかった。実際アデリーの能力ならば、犠牲無しの勝ちという結果も作り出せる。

アデリーは堂々と扉に歩み寄り、開け放つ。

同時に、窯場みたいな熱が、むわっと通路に解放された。

マリーもそのままの位置で、杖を構えて、狙撃の準備に入る。アデリーはサスマタを構えたまま、部屋の奥に進んだ。アデリーが足を止める。

マリーは素早く音を立てずに進み、ドアの影から、部屋の中をうかがった。既に、いつでも術式を解放できる状態だ。

中は、さっきホムンクルスの口から聞いた通りの地獄であった。マリーが、思わず口笛を吹いたくらいである。

部屋の中央には、おおざっぱな洗浄しかされていないと分かる大皿。その向こうに、巨大な口を持つ、犬に似た生物がいた。皮膚は赤く、首にはとげだらけの輪をつけている。目は人間のものだが、体つきは筋肉質で、専門の猟犬に似ていた。その猟犬もどきが、うずくまってこちらを見ている。

そして、部屋の左右には、うずたかく積み上げられている骨。どこからどう見ても人骨だ。

一体何体分の骨なのか。見当もつかないほどである。ざっと見ても、数百はくだらないだろう。

「主の手によって、計画に終わりの時が来たようだな」

ガルムが、いきなり流ちょうにしゃべった。ちょっと驚かされる。人間とは違って、舌だけを使って発音しているようだ。

立ち上がった地獄の番犬は、ホムンクルス達が言っていたよりも、だいぶ大きいように思えた。プレッシャーが尋常では無い。

これは、アデリーでも勝てるかどうか。久しぶりに武者震いを感じる。シアと一緒に戦ったら、さぞ楽しいだろう。

「我の仕事もこれで終わりだ。 かといって、我が外に出たところで、世を乱すだけだ」

「生態系を乱さないように、生活することは考えられませんか」

「無駄だ。 そも我の胃は、人間の肉しか受け付けぬ。 元々この世界に、我の居場所は無いのだ」

ガルムの声は寂しさを湛えていた。思ったよりも、ずっと理性的な奴だ。この様子だと、気まぐれにホムンクルスを殺していたのではなく、助かりそうに無い者を優先して楽にしていたのかもしれなかった。

だが、それが故に。不幸ともなっている。

この哀れな怪物は、ただホムンクルスの失敗作を処分するためだけに設計されて、この世に生を受けた。そしてその役割さえ終わってしまった今。世界にとっての異物でしか無い。

しかも、人間しか受け付けない以上、外に出せば災厄になる。此処で仕留めなければならなかった。

「ただの無様な掃除屋である我は、その役割さえも喪失した。 しかし、我にも誇りがある。 戦士として、この世界に生きていたという証がほしい。 だから最後に、汝らに頼みたい」

「何でしょうか」

「我と全力で戦ってはもらえぬか。 見たところ、汝らは人間の中でも屈指のつわものであるらしい。 汝らとの戦いであれば。 きっと我も、満足して死ぬことが出来るだろう」

無骨な。

それ以上に、不器用な奴だった。

大きくため息をつくと、マリーは狙撃の態勢を解除して、部屋に入る。きっとダーティな戦い方をすると、アデリーが後でへそを曲げる。それに、今、連携を取ってくれなくなる恐れもあった。

「分かりました。 貴方が満足できるよう、頑張ります」

「うちの子、シグザール王国でも最強の一角にはいる聖騎士よ。 滅多に無い機会だから、一杯楽しんでいって」

「そういう汝も、相当なつわものとみた。 ハハハハハハ、どうやら我も、最後の最後で、ようやく意味がある行動を取ることが出来そうだ」

あの主という存在、残酷だ。

ただホムンクルスを処分するだけの生物なら、こんな知能やら誇りやらを与えることなど無かっただろうに。いろいろな実験を兼ねていたからこそ、こういう完成品になったのだとしても、いくら何でも酷すぎる。

或いは、人間の未来を見ると言うことそのものが、残酷なことなのかもしれない。

際限なく残虐にならなければ、達成できないほどに。

「ただ不要とされたもの達を処分して来ただけのこの下らぬ命だが、今、此処で! 真なるつわものとの戦いにて燃やさせてもらう! 我が名はガルム! 冥府の番犬の名を与えられし者だ!」

ガルムが吠え猛る。

アデリーは低く腰を落とすと、名乗りを上げた。

「シグザール王国聖騎士、アデリー! 行きます!」

「錬金術師、マルローネ。 勝負、受けるわ」

広い部屋の中を、雷撃の嵐が吹き荒れる。

殺気が三つぶつかり合う中、激しい戦いが、今開始された。

 

2、その結末は

 

アイゼルが詠唱を終了。そのまま、光の帯をたたきつける。たたきつけた先にあった太い触手は、数秒の蠕動の末、はじけ飛んだ。

背中から脇から腹から、次々に再生する蝗王の触手。だが、世の中に無限などと言うものは存在しない。そう自分に言い聞かせながら、アイゼルは次の詠唱に入る。キルキが、隣で最大級の冷気系の術式を展開した。巨大な氷の塊が、無数のつぶてとなって蝗の巨体に降り注ぐ。

だが。

触手をひと薙ぎして、氷のつぶてを無造作に払いのけると、蝗はさながら空間が壊れるような雄叫びを上げた。鼓膜が悲鳴を上げて、アイゼルは思わずうずくまる。床に、壁に、ひびが入った。

触手が、再び震え始める。

最前線で何名かの騎士と大暴れしているエリーでも、流石にこれだけは防げないだろう。ミューもあの恐ろしい聖騎士と一緒に前線で戦っているが、間髪入れずに飛び退いている。イングリド先生でさえ、だ。

防ぐ手立てが無い。

また、あの光のような攻撃が来る。騎士達も何回か放たれたあれで、かなりの人数が倒れた。伏せようとして、気づく。

ミルカッセはまだ、立ったまま歌い続けている。

危ないと叫び、手を伸ばす。次の瞬間、前衛に出ていたジュストが、風の壁を作り出す。光が、それにはじかれた。

「何度も同じ攻撃が、通用すると思うな?」

あくまで不敵なジュスト。風の壁が、あの光を防ぐのだと、どうやって分かったのかは知らない。

だが、回避不能と思われたあの攻撃にも、欠点があったのだ。

「おのれ、人間! だが進化の果ては自滅と知れ!」

「そんなことは誰が決めた」

「何!?」

触手の攻撃をかいくぐり、イングリド先生が蝗王の顔面に拳をたたきつける。

巨体が冗談のように後ずさる。更に、先生は詠唱をしていたのか、術式を展開。蝗王の全身に、ひびが入り、盛大に体液が噴き出した。

「その通り。 世界に生息する生物たちは、いずれもがその環境に応じて究極の進化を遂げているのよ。 進化の究極というのなら、その全てが究極ともいえるわね」

「お、おの、れ!」

「人間こそ進化の究極だとか考えている時点で、貴方には限界があるの。 ああ、ひょっとしたら、その姿が進化の究極なのかしら?」

アイゼルは頷く。

その通りだ。人間こそは至高などと考えている時点で、未来は見えなくなる。進化の究極は自滅などと考えていたら、先に進めなくなる。

そうなったら、種として終わりだ。

「主」の話を聞いていて、思った。この世界の外には、まだ世界がある。究極だなんて言っていたら、其処へ行くことも出来ない。見てみたいと、熱望するわけでは無いが、やはり思う。

限界など、決めてはいられなかった。

フィンフが来る。また、さっき負傷者を奥の方に引っ張っていった帰りだ。光による打撃で、服も体も焦げている。だが、元々頑丈なホムンクルスらしく、結構ぴんぴんしていた。

「マスター、後退を」

「いいえ、此処に残るわ。 フィンフ、けが人を後送して。 出来れば、洞窟から外に」

「既にやっています。 それよりも、イリスは」

アイゼルが、視線で示す。

イリスは、最前線で騎士達に混じって槍を振るっていた。フィンフは無表情のまま、言う。

「無茶です」

「無茶は承知よ」

キルキ、と呼びかける。

ミルカッセの歌唱術は、かなりの長時間詠唱しなければならない。彼女は全身傷だらけの状態で、凄まじい魔力を消費しながら、浄化の術式を展開し続けている。

仕掛けるとしたら。

発動の瞬間だ。

雄叫びを上げた蝗王が、かき消える。誰かが攻撃したのでは無い。ということは。

その場にいるという現実を改変したか。

真上。アイゼルは、フィンフを抱えて飛び退く。ミルカッセは、キルキが突き飛ばした様子だ。

飛び退く。倒れながらも、ミルカッセは詠唱を中断しない。巨大な蝗王の体を至近に見ながら、アイゼルは生唾を飲み込んでいた。

蝗の体の横には、無数の人間の目が埋め込まれていた。最大級の、おぞましさを誘う造形だ。それが、一斉にアイゼルを見る。蝗王の背中から生えている触手が、蠢きながらにじり寄ってきた。

その姿が、かき消える。エリーが、頭上からチャージを仕掛けたからだ。

アイゼルは振り返りざまに、術式を頭上に展開。光の帯が、蝗王の腹を直撃、貫通して向こうまで抜けた。もろいが、多分違う。わざと貫通させたのだ。

蝗王が翼を広げる。

「無駄だ。 この体の再生能力は、その程度の攻撃でどうにかなるようなものではない!」

「だったら、どうして攻撃をよける」

手をかざしたキルキが、炎の術を展開。灼熱の塊が蝗王の体を薙ぎ払う。

やはり、蝗王はよける。少し後ろに下がり、続いて飛んできた氷の塊をはじく。そのままイングリド先生が跳躍し、拳を叩き込む。乱戦になる。

「ね、アイゼル。 気づいた?」

「ええ。 さっきから、実体のある攻撃は必ず避けて動いているわ」

「うん」

理由は見当がつく。体の中に異物を入れられると、取り出すのに骨が折れるのだろう。再生能力がなまじ異常だからこそに、致命的な事は逆にあるのだ。

エルフィールは、視線で刺す。此処にある、もっとも物騒なものを。

「だから、体の中に、これを突っ込んでやるつもり」

テラフラムだ。

正気かと言おうと思ったが、確かにそれならば。しかし、テラフラムは、それそのものが巨大な爆発を起こすわけでは無い。周囲全体が、大爆発するものだ。空間そのものを焼き尽くす爆弾ともいえるわけで、如何に再生能力が高かろうとひとたまりも無い。一瞬であの巨体を屠ることが出来るだろう。

ただし、制約も多い。

出来るとしたら、好機は一度しか無い。

そして、問題も一つある。このような場所でテラフラムを起爆した場合、逃げ場が無いと言うことだ。

多分、ある程度のタイムラグはある。

だが、少なくとも仕掛ける人間は、そんなものを享受できないだろう。

「貴方、まさか」

「大丈夫。 さっき、父さんと約束したから。 びりびりってのを浴びたとき、父さんと会ってきたんだ。 それで、死に急がないって約束した」

「そう。 いい、貴方の命は、貴方だけのものじゃないんだから。 イリスも悲しむし、私だって、キルキもノルディスも悲しいわ」

「それも、父さんに言われたよ。 大丈夫、任せておいて」

ミルカッセの詠唱が、そろそろ完成する。

神に祈るポーズのまま、彼女は歌い続けている。空間に満ちた魔力が、そろそろ飽和に達するだろう。

触手を振り回して、蝗王がミルカッセを叩き潰そうとするが、ミューが割って入って触手を切り飛ばした。更にロマージュも、流れるような動きから、撫でるようにして呼吸を合わせ、触手を切り落とす。続けて風の塊をたたきつけるジュスト。蝗王がかき消えるが、上空に出たところを、左右からエリアレッテとイングリド先生が、完璧なタイミングでチャージを浴びせる。ぐちゃぐちゃに巨体がへしげる。

しかし、すぐに再生する。おぞましいほどの早さだ。

大量の体液をぶちまけながら、蝗王が絶叫し、周囲に破壊の音をまき散らす。

耳を押さえた騎士達が、何名か地面に打ち倒された。だが、どれだけダメージを浴びせられようと、ミルカッセは詠唱を止めない。

信仰の力で全身を支えている彼女は、何だか。本物の女神のように見えた。どれだけ血まみれであっても、傷だらけであっても関係が無い。

「あははははは! もう戦力も残り少ないな! どれだけ傷つけられても、根本的に生成するこの蝗王は、以前エル・バドールのいかれた連中でさえ扱いきれないと廃棄した究極のクリーチャーウェポン! 人間が作り出した、過剰すぎる力の象徴だ! これによって滅ぼされるのであれば、貴様らも何ら文句はあるまい! 己の過剰すぎる力に酔いながら、地獄に落ちろ!」

動きが鈍ってきたエリアレッテに、腹を膨らませた蝗王が、巨大な風圧の塊をたたきつける。その瞬間を狙って、エリアレッテも巨大な剣を投げつけた。互いに着弾は、ほぼ同時。

蝗王の額に突き刺さった剣は、柄まで蝗王の体に刺さる。

だが、エリアレッテも、壁にたたきつけられる。吐血するのが見えた。ジュストがとっさに風の壁でブロックしたようだが、それでも足りなかった。

とどめとばかりに、蝗王が腹を膨らませようとするが、イングリド先生が剣を蹴り、更に体の中に押し込んだ。流石に悲鳴を上げた蝗王は、さらなる追撃を現実改変で避け、地面の近くに出現する。

だが、其処にはエルフィールが、ミューと一緒に待っていた。

既に、エルフィールは、夏草を起動させ、大きく振りかぶっている。回転する巨大な刃が、ミューの絶技と一緒に、左右から蝗王の全身を深々と切り裂く。

だが、触手をふるって、蝗王はなおも左右に回り込んだ雄敵をたたく。そして、周囲全体を焼き尽くすかのように、光の一撃を放つ。

ジュストと一緒に、風の壁を作る何人かの騎士達が、ついに悲鳴を上げて倒れる。殆ど無尽蔵な相手の能力に対し、こっちは限界があるのだ。

キルキと息を合わせ、術式を放った。倒れている騎士達を、フィンフと、フランソワと、そのホムンクルスが引っ張っていく。確かに、もう残りは殆どいない。聖騎士ジュストもそろそろ限界だろう。イングリド先生やエルフィール、それにミューはまだまだ平気だが、今致命的な打撃を受けたエリアレッテももう危ない。

ミルカッセの詠唱はどうなった。振り仰いで、エルフィールは思わず笑みを浮かべてしまった。

僥倖が、此処で起こった。

終了したのだ。ついに、切り札となるミルカッセの詠唱が。

ミルカッセが、目を見開いて、蝗王を見つめる。

蝗王は、流石に危険に気づいたか、逃れようとする。だが、多分無駄だ。

ここぞとばかりに、イングリド先生が術式を展開。さっきまで蝗王が放っていたよりも、更に強烈な音の刃が、辺りの壁床を砕きながら、凶暴な唸り声を上げて蝗王に迫る。分かっていても、現実改変能力を駆使して回避せざるを得ない。

回避した蝗王は、天井近くで、むしろ攻撃をもろに受ける地点に出現してしまった。絶望の絶叫が上がった、

「お、おあああああああっ!」

「哀れなる闇の使徒よ。 貴方に、救いを!」

ミルカッセが、浄化の術式を、解放した。

光が、場に満ちた。

 

ガルムは、今までマリーが戦ったどんな獣よりも強かった。獣という存在に限定して、の話だが。しかしそれをいうのなら、こちらもアデリーと二人きりという、極めて悪い条件での戦闘である。

巨大な腕を振り下ろし、首を砕こうとするガルムの一撃を、アデリーがサスマタでいなす。響き渡る痛烈な金属音。そのまままともに受けたら、如何に業物であってもへし折れる。その辺りは、アデリーの技量が超絶的だから出来ることだ。

もう一本の腕でアデリーの首を刈ろうとするところに、横殴りに雷撃。残像を残して天井近くまで跳躍するガルム。

超絶的な跳躍力だが、能力を使っている形跡は無い。

フォレストタイガーの老練な個体だと、オーヴァードライヴを使って、非現実的な動きをしたりするものである。だが、此奴の場合は、元々のスペックが異常なのだ。戦闘経験もろくに無いだろうに、これだけの動きが出来るように設計されていると言うことなのだろう。

目的から考えると、本当に残酷だ。そのスペックを、生かしようが無いからである。それにこの獣が持つ心は、間違いなく武人のそれだ。それもまた、残酷きわまりない事であった。

いや、或いは。

元々フラストレーションがたまるように、設計されているのかもしれない。そうすれば、餌に八つ当たりするようになるからだ。容赦なく、残虐に餌を処分するようにの設計だとしたら、つじつまも合う。

問題は、其処に誇りまで与えられていると言うことか。

「母様!」

「おっと」

飛び退くが、太い腕での一撃は、マリーの肌に鋭い傷を穿つ。反射的に放つ雷撃だが、出力が足りず、赤い毛皮ではじかれた。傷口がかなり痛い。切り傷だけでは無く、火傷も併発している。戦ってみて分かったのだが、ガルムの体温は異常に高い。この部屋が妙な熱気に満ちているのも、それが理由なのだろう。

アデリーが稲妻のような突きを繰り出し、獣の腹をしたたか叩く。だが、踏みとどまったガルムは、数歩飛び退き、呼吸を整えながら言う。内蔵まで、打撃が通っている様子は無い。

アデリーの突きは、虎の肋骨を一撃でへし折るほどの威力があるのだが。ガルムには、有効打にならないと言うことだ。

「その程度のスピードとパワーでありながら、これほど戦うとは。 技量と知性、いずれも素晴らしい。 ……我の最後の敵として相応しい相手だ」

「そりゃあどうも」

「そろそろ腹が減ってきた。 力が出し切れなくなる前に、勝負を決めたい。 そなたらなら、負けても悔いは無い! 全力で、戦ってほしい! 我も、全力を、生まれて始めて出せそうだ!」

ガルムが、全身を膨らませる。

違う。力が入ったから、そう見えるのだ。盛り上がった筋肉が、二回りは大きくガルムの肉体を見せている。

次で、渾身の一撃を繰り出してくるつもりだろう。

マリーは大きく息を吐くと、杖を腰帯に戻した。そして、両腕をぶらんと床に向けて垂らす。

アデリーは、マリーが何をする気になったのか、悟ったらしい。

これも、制御できるようになったのはつい最近だ。アデリーも、サスマタから、ワキザシに持ち変える。

此処で、勝負を決める。

張り詰めた空気の中、時間が、徐々にゆっくり流れていく。マリーの体内を流れる雷の魔力が高まりゆき、金色の光を放ち始める。それを更に加速し、血流と共に全身を循環させ。

そして、マリーは顔を上げた。

理性が、消し飛んだ。

意図的に、引き起こした暴走だ。全身を、狂気と、暴虐が包み込む。

跳躍。

ガルムが、受けて立とうと跳んだ。だが、マリーの方が早く天井に到着。天井を蹴って加速し、ガルムの顔面に拳を叩き込んだ。二発、三発、四発、十二発。流石にひるむガルムの額を掴むと、空中で更に打撃を叩き込む。双方の勢いが相殺され、地面に着地。飛び離れるガルム。マリーは助走のため、後ろに跳んだ。

「おおおおおっ!」

「しゃあっ!」

ジグザグに走り、ガルムとの距離を零に。

笑みがこぼれる。殺す。潰す。たたきのめす。毛皮を引きちぎり、内蔵を引っ張り出し、骨を折り砕き、そして喰う。

此奴が人肉を主食にしていることなど関係ない。

拳を浴びせる。ガルムが、太い腕で殴り返してくる。後ろ足だけで半ば立ちながら、熊のようなポーズでだ。だが、それを真っ正面から受け止める。地面に走る罅。はじき返す。蹴り上げる。

のけぞるガルムは、それでも体勢を立て直す。腕の一撃、もろに入る。壁にたたきつけられた。ガルムが口を開き、かぶりつこうと迫ってくる。マリーはむしろ口の中に自分から突っ込むと、足と左腕で敵のあごを支えながら、ガルムの舌を掴んだ。

「がっ!」

「引キ千切っテくレるわ!」

反射的に、ガルムが体を引いて、はじきあう。犬の急所は舌だ。だが、それを教えてしまったのは。

いい。

それでこそ、もっと楽しい。もっと手強くなれ。

マリーは笑みを浮かべ、ガルムに躍りかかる。吠え猛った赤い魔犬は、頭突きを浴びせてきた。

全身でそれを受け止め、魔力を一点に集中し、極限まで身体能力を強化し、ひねり込むようにして投げる。床にたたきつけたガルムが、悲鳴を上げる。マリーは笑いながら、毛皮の一部を掴み、力任せに毛を引きちぎった。八つ裂き!引き裂き!食いちぎる!そのまま皮にかぶりつき、食いちぎる。

だが、ガルムは跳ね起きると、当て身を浴びせてきた。

マリーがはじき飛ばされた所を、更に残像を残して接近、後ろ足で蹴り上げる。天井近くまで跳ね上げられたマリーは、見る。

口を開けた魔犬が、高速で迫り来る様を。

だが、同時に見る。

今の攻防の隙に、上に回り込んでいたアデリーが、完璧なタイミングで、ワキザシを引き抜くのを。

天井を蹴ったアデリーが、稲妻そのものの勢いで、空間を上から下へと駆け抜ける。そして、閃光が一筋、走った。

ガルムが、一瞬止まったように見えたその時。

マリーは、戦闘タイプを切り替える。そして、体内に残った全ての魔力を、腰から引き抜いた術式用の杖に集中させていた。

「サンダー……」

ガルムの顔から尾にかけて、大量の鮮血が吹き出す。

アデリーが通り抜けざまに斬り抜いたのだ。

其処へ、マリーは。渾身の一撃を、全ての魔力と共に叩き込む。

「ロードヴァイパー!」

まるで、部屋そのものを飲み込むほどに巨大な、稲妻の蛇が、マリーの杖から射出された。

絶叫するガルムを加えると、蛇は地面にたたきつけ、跳ね上げ、壁に押しつけ、そしてその体内に無理矢理巨体をねじ込んでいく。

「おおああああああああああっ!」

それでも、ガルムは抵抗する。

だが、マリーが気迫と共に、最後の魔力を叩き込むと、腹が爆発。内蔵をぶちまけながら、赤い体の魔犬は、体と同じ色の床にたたきつけられ、動かなくなった。

着地。乱れた髪をかき上げる。殆ど余力は残っていない。手強い相手だった。

アデリーはワキザシを鞘に収めつつ、既に立ち上がっている。

盛大に内蔵をぶちまけたガルムは、どうしてか、それでも満足そうだった。

「見事だ。 我も、これほどの相手の手に掛かるなら、悔いは無い」

「……。 あんた、強かったよ。 あたしとアデリーが全力出さなければいけないほどにね」

「貴殿ほどの戦士にそこまで言ってもらえるとは、光栄な事だ。 礼に、一つ教えてやろう」

ガルムの目からは、既に光が消えつつある。マリーの魔力もすっからかんだが、あちらのは死の消失だ。それなのに、どうしてかガルムの声は、とても流ちょうで、悔いも無いようだった。

「此処は「主」による、「新しい人間」の実験場だ。 上でおまえ達が見た戦闘用のホムンクルスと、此処に落とされていた出来損ないでは、根本的にものが違うのだ」

「……」

「「主」は、紆余曲折の末、現状の人間に可能性が無くなる事例も考えていた。 だから、観測するもの達がやっているように、人間の進化実験をしていた。 此処で我に与えられていたのは、そのために作っては捨てられていた、人間のなり損ない達だ」

「それを、どうして教えてくれるの?」

ガルムは、最後に言った。

どうして汝らを此処によこしたのか、主の意図を汲み取ってほしいと。

それきり、巨大な赤い魔犬は動かなくなった。部屋の温度が、急速に下がっていく。やはりこの部屋の熱量は、あの犬によって支えられていたのだろう。

ため息をつくと、座り込む。

部屋をこわごわ伺っていた、薄汚れたホムンクルス達の群れを手招きした。

「出口、教えてくれるかな」

「ほんとう、に、ガルム、たおした、ですか」

「ん。 ……手強い相手だったよ」

本当に、手強かった。

此奴に限っては、喰わずに葬ってやろう。そう、マリーはどうしてか、いつもなら絶対に起こさない気まぐれを起こしていた。

 

蝗王の巨体が、えぐれたかのように見えた。

しかもそれだけでは終わらない。光に包まれた蝗王の全身が、溶け崩れていく。

凄まじい。本当に、人間の展開した術式か。多分相性というのもあるのだろうが、それにしても、まさに神の一撃だった。

ミルカッセが、肩で息をついている。へたり込んでいる彼女は、流石に力を使い果たしたようだった。みなぎっていた魔力も、雲散霧消していた。傷も酷いし、早く手当てしないと危ないだろう。

フランソワのホムンクルスが、無言でミルカッセを抱え上げる。主人より気が利く。エルフィールは、叫ぶ。事前に決めていたキーワードを。

同時に。テラフラムのスイッチが起動した。

幾つかある事前動作は、既に済ませてある。そして、ここからだ。最後のキーを言えば、テラフラムは爆発のための動作に入る。

「全員、退避してください! テラフラムを使います!」

「よし、儂が殿軍になる。 全員退避!」

そう言い出すことは分かっていた。聖騎士ジュストには、最後にやってもらうことがあるからだ。

崩れかけた全身で、蝗王が絶叫。もはや言葉にもなっていないが、多分やらせるか、とでも叫んだのだろう。無数の触手が、エルフィールに迫ってくる。生きている縄で迎撃するが、数が多すぎる。圧倒的な数の触手に、押され、ずり下がる。

だが、テラフラムを持っているのは、エルフィールでは無い。

ずっと前線で戦っていたイリスが、既に少し後方に置いておいたテラフラムを持って、走っていた。そして、再生を始めている蝗王のからだの中に、テラフラムを置く。箱は、盛り上がりつつある肉に飲み込まれていく。

多分、気づいたのだろう。

「お、おの、おのれええええええっ!」

「イリス!」

無言で、イリスが下がる。

エルフィールは、自らを囮にすることをいとわなかった。イリスも、エルフィールに、もはや文句を言わなかった。

蝗王は、触手を使って、テラフラムをほじくり出そうとする。だが、させない、突貫したエルフィールは、イングリド先生が倒れている騎士を二人抱えて下がるのを見ながら、秋花の引き金を引く。火炎の帯で、触手を薙ぎ払った。燃え上がる触手。流石に、ジュストも目をむいた。

「だ、大丈夫か!?」

「まだ最後のワードを口にしていません! それより、撤退を急いで!」

「分かっている!」

最後まで前線で触手を切り払っていたミューが、アイゼルを促して下がる。

イリスも、キルキに手を引かれて撤退を開始。追いすがろうとした触手は、ジュストが風の塊をぶつけて吹き飛ばした。

あれだけ崩されたのに、もう蝗王は再生を半ば完了しつつある。もがき、触手でテラフラムをどうにか引きはがそうとしている姿は、おぞましくもあった。そろそろ、潮時か。

「起爆せよ!」

起動ワードを口にする。

一瞬早く、聖騎士ジュストが、今までで一番大きい風の刃をぶつけてくれた。気が利いている。

蝗王は、殆ど本能的に、ジュストの風の刃に対応し、テラフラムの起動を現実改変できない。

箱状になっている、テラフラム上部が開く。

そして、青い液体から改良した気体化爆薬が、周囲に放出され始めた。

「よし、引くぞ!」

聖騎士ジュストに促され、エルフィールは撤退を開始。走る。もうこうなったら、流石にあの巨大蝗でも、どうにもならない。この狭い空間で、テラフラムの爆風を、一身に受けるのである。

たとえどんな構造をしていようが、完全に、完膚無きまでに焼き尽くされる。しかも高い再生能力が災いし、爆薬を体の中に自ら取り込むことになるのだ。

地上組が使った階段を使って、走る。

途中、ジュストに風の壁を何枚か張ってもらった。爆風は、基本的に抵抗が弱い方に進む傾向がある。下に逃げるのが基本となるのは、それが故だ。

「エルフィール! 聖騎士ジュスト! こっちよ!」

「アイゼル!?」

手を振って、アイゼルが必死に叫んでいる。隣には、待ち伏せていたらしいホムンクルスを右脇に抱えたミューの姿。きっと、アイゼルが爆風に対する対応策を、皆に話してくれたのだろう。エリアレッテが無言で、後ろを大きな板きれで塞いだ。更に傷が浅い騎士が、丸太を次々放り込んで、即興の壁にする。

付け焼き刃だが、無いよりましだ。

階段を上がりきる。

蓋を閉じて、丸太で更に塞ぐ。数千年を生きた木々には悪いが、今は非常事態だ。マルローネさん達は。いない。だが、彼女たちなら、きっと生きているはず。

「衝撃に備えて! 蓋から離れて!」

わっと、全員が蓋から離れ、逃げ散った。

次の瞬間。

台地が、激しく揺動した。

最初、ずしんと強烈な奴が一つ。続いて、どん、どんと二度連続して揺れた。逃げ場が無い爆風が、反響して、壁に互いをたたきつけ合っているのだろう。蓋から、熱気が漏れる。伏せてと、キルキが叫んで、氷の術式を展開。蓋を塞ぐが、しかしそれも吹き飛ばされた。

途中にあれだけ壁を作っていなかったら、多分この辺り一帯が焼け野原になっていただろう。

だが、壁を作ったことが幸いした。

滝の方から、凄まじい音。多分炎が吹き出したのだろう。湖には甚大な被害が出ているだろうが、此処は我慢してもらうしか無い。何もしなければ、この台地そのものが消し飛んでいたのだ。

フランソワが、ホムンクルスを抱きしめて震えている。なんだかんだで、後方支援に徹して頑張ってくれた。

ノルディスは、こんな状況でも冷静に、倒れている騎士を治療していた。何があろうと動揺しそうに無いその雰囲気は、ようやく一皮むけたように思える。きっと、良い医者になることだろう。

やがて、揺れは止まった。

エリアレッテが、斬竜剣を失ってしまったらしい。残念そうに、さっきまで炎を吹き上げていた蓋の辺りを見ていた。凄まじい熱を未だに込めているから、取りに行くのは不可能だ。

無言で、聖騎士ジュストが、エリアレッテの肩を叩いた。

「見事だった、聖騎士エリアレッテ」

「ありがとうございます」

「クーゲルも、おまえのような見事な聖騎士を育てることになるとはな。 儂も、早い内から、優秀な弟子の育成を始めておくべきだったかもしれん」

「貴方はこれから教育を中心にするのでしょう? まだ現役の実力を持つ貴方ですし、きっと今からでも遅くは無いですよ」

師匠同士はとても仲が悪いというのに、エリアレッテはそんなことを言う。それは決して、嫌みを含んだ言葉では無かった。

だから、ジュストも頬をほころばせる。

「そうか。 そうだな」

辺りには、先に逃れたらしいホムンクルス達が、点々としていた。死んでいるものもいるようだが、半分くらいは生きていた。憮然としている彼らには、騎士達が見張りについている。

終わった。

そう、エルフィールは感じた。

気を緩めかけた瞬間。イリスが叫ぶ。

「危ない!」

背中に、灼熱が走った。飛び退く。

振り返りざまに、白龍を振るう。刃を受け止めることに成功した。

其処には。

影の鏡の、最後の一人が。全身から煙を上げながら、立っていた。

 

3、決着とその後

 

もはや、影の鏡は、正気を残していないようだった。

殆ど力を残していないエルフィールだが、対峙している影の鏡も、全身傷だらけである。どうやってあの爆風から逃れたのかはよく分からないが。とにかく、蝗王は失ったようで、それだけは良かった。

「へえ。 生きてたんだ」

「間一髪でなあ。 私は、世界の裏側に、己を移動させることが出来るのだ」

影の鏡は、どうやら蝗王の足の一部らしい、鋭いとげとげが生えた刃を握り込んでいた。大量の血が手から出ているのは、鋭いとげの部分をかまわず握り込んでいるからだろう。もはや、痛みなどどうでも良いと感じているに違いなかった。

背中の傷は痛むが、イリスの警告のおかげで、致命傷にはならなかった。この程度の怪我は慣れっこだし、何でも無い。

エリアレッテが、大戦槍を構えるが、手で制止。

此奴は、エルフィールが倒す。

「もう、止めときなよ。 一人で出てきたって事は、もう切り札になるようなクリーチャーウェポンもないんでしょ? 他の連中も、とっくに戦える状態じゃ無い。 私を仮に殺せても、袋だたきになって死ぬだけだよ?」

「黙れ! 我らが恨み、悲しみ、そして絶望! 貴様らに晴らさせるまでは、死ぬわけにはいかぬ!」

「それを言うなら、君らのせいで、こっちも相当に甚大な被害を受けてるんだけどなあ」

それに、あまり口にはしたくないが。

「主」を恨むのも、筋違いに感じる。あれはただの機械だ。観測するものという機械が作り出した旅の人が、己の仕事をサポートさせるために作った。より完璧な機械に近かったのは、第一世代のホムンクルスだから、だろう。

機械だからより合理的で、より残虐だった。

だから、中途半端に心を与えられた第二世代、或いはそれ以降であろう、世界に干渉していたホムンクルスや影の鏡達は、不幸だったのだともいえる。だが、エルフィールにしてみれば、仇なす敵に過ぎない。

それも、此処で終わらせるべきだ。

生きている縄を、体から離す。縄達は一瞬躊躇したが、全てが体から離れて、側でとぐろを巻いた。

「イリス、打撃用の杖を」

「え?」

「早く。 白龍じゃ、多分殺しちゃうからさ」

「分かりました」

イリスから受け取った戦闘用の杖を、何度か振り回す。周囲では、騎士達が、何かあったら介入しようと、注意を向けていた。だが、それも制止。

多分、これが一番良い解決方法だ。

「どういう、つもりか」

「分からないかな。 一対一で、気が済むまで遊んであげるって言ってるの」

「遊んであげる、だと!?」

「そういうこと。 傷はハンデとしてくれてあげるよ」

見る間に、屈辱に影の鏡の顔が染まっていく。それでいい。

影の鏡の姿が、かき消えた。至近。振り下ろしてくる。同時に、こちらも振り下ろす。打撃は、こっちが早い。だから、現実を改変して斬っても、大きな打撃を受けると、判断したのだろう。

本来なら、パワーの差で受け止められない打撃を、影の鏡は受け止めに入った。

刃と杖が、火花を散らす。

半回転して、懐に潜り込むようにして、肘を叩き込む。下がって逃げようとしたところを足払いしつつ、更に杖を伸ばす。また、姿が消えるが、想定済み。

そのまま滑るように半回転して立ち上がりつつ、空中に出現した影の鏡の鳩尾に、適打を叩き込んでいた。

影の鏡が、どれだけ人間社会での陰謀を得意としているかは知っている。あの大空の王との戦いで、相当な混乱が発生したのも、此奴の仕業だったことはうすうす見当もついている。

しかし、暴力については素人だ。

地面に落ちて、もがいている影の鏡を見下ろす。

「もう一回」

「ぐ、くっ! お、おのれっ!」

跳ね起き、蝗王の足を振るってくる。今度は逆袈裟の一撃だ。半歩下がりながら、首を横薙ぎにする。打撃を当てるよりも、回避に動くから、余裕を持って足をはじくことが出来た。

火花が散る。

振り返りつつ、杖をフルスイング。

こめかみに、もろに入った。吹っ飛んだ影の鏡は、地面で転がる。頭を押さえて呻く影の鏡に、歩み寄る。

背中の傷からの出血がひどくなってきているが、まだ意識ははっきりしている。

此処で、決着をつけなければならない。それまでは、気を失うわけにはいかないという事情もある。

「もう一回」

「き、貴様! 貴様ら! 本当に、人間か! 初期段階で強化されているとはいえ、その動き、本当に人間のものだというのか!」

「いや、おそらく元の人間でも、これくらいは出来たはずだよ」

これは、暴力のために作り出された技術。棒術は、不殺のためと言われる武術ではあるが、暴力の一種であることに違いは無い。相手を殺さずに制圧するための暴力が、棒術なのだともいえる。

勿論、相手を殺すために振るうことも可能だ。

そして、これはスペックよりも、技術がものを言う。身体的なスペックで言えば、エルフィールは既に師匠と並んでいる。だが、クライド師と棒術で戦って、まだまだ勝てるとは思わない。

技術とは、そういう存在なのだ。

立ち上がる、影の鏡。

刺し貫こうと、突きかかってくる。逃げずに、正面から顔面を突きに行く。

全くこちらが逃げようとしないので、影の鏡は面くらい、それで動きが遅れる。

顔面に、突きの直撃が入った。

蝗王の足が、わずかに腹をかすめる。ついに影の鏡の手を離れたそれを踏み砕く。砕くと、溶けるように消えていった。

呼吸を整えながら、顔を押さえ、それでも影の鏡はまだ立とうとする。

エルフィールは、杖を地面に突き刺した。こうなったら、とことんやってやる。ミルカッセも、イリスも、アイゼルも。エルフィールを止めなかった。

意図を汲んでくれたのだと思うと、少し嬉しかった。

飛びかかってくる。牽制に、軽くつくと、姿がかき消えた。後ろ。踵落とし。半歩体を引いて直撃の焦点をずらす。

肩に入った。

同時に震脚。打撃を、地面に逃がす。

流石に、絶望を感じたのだろう。影の鏡が、顔をゆがめた。

足を掴むと振り回して地面にたたきつける。そして、首を掴んだ。

「まだ、やるつもり?」

「どうして、どうして勝てない……」

「それは、もう貴方の心が負けてるからじゃ無いのかな。 まだ、絶滅したわけでもないし、交渉に使えるカードだって一杯持ってる。 だったら生き残るために、そのカードを使って立ち回ればいいのに、感情にまかせて暴走した時点で負けてるんだよ。 ましてや、最初から優位にあったこっちから譲歩して交渉を持ちかけてるのに、それを蹴る時点でどうかしてる」

立ち上がると、エルフィールは埃を払った。

もう、影の鏡は抵抗しようとしなかった。

霧が、出始めている。地面の彼方此方が燻っているのに、今更エルフィールは気づいたが、この様子ではすぐに鎮火することだろう。この森は、霧と共にある。だから、此奴らも霧と同じようにして、此処で生きていけば良いのだ。

最初は、無理だろうと思っていた。だが、本気で戦ってみて、よく分かった。此奴らは基本的に人間と変わらない部分も大きい。それならば、絶滅するまで殺し合うよりも、交渉をした方が良いはずだ。

戦いは、多分終わった。

それを、エルフィールは、何となく悟っていた。

 

エルフィールは天幕に入ると、諸肌を脱いだ。そして座り込んで、イリスに手当てしてもらう。ノルディスは他のけが人の手当で手が回らなかったので、フィンフやイリス達がフル稼働していた。影の鏡と、歴史の裏で暗躍していたホムンクルス達は、一カ所で膝を抱えて座っている。

流石に、まだ頭を切り換えられないのだろう。

「騎士の死者は出ていません。 ただし、重傷者が四名。 当分は、戦線復帰出来ないでしょう」

「うむ」

ジュストが、部下から報告を受けている。

かなりひどい傷の者もいたはずだが、ノルディスの応急処置が早かったと言うことだろう。

アイゼルが、ホムンクルス達と何か話している。

ジュストは口出ししない。ネゴシエーションを任して問題が無いと判断したのかもしれなかった。

傷の手当てと、消毒と、包帯が巻き終わった。縫うほどの傷では無かったので、あまり無理をしなければすぐにでも動ける。

「イリス、最後、止めなかったね」

「貴方も、無意味に殺すばかりじゃ無いと思いましたから」

「ふーん。 ありがとう」

やっぱり憎まれ口を聞くイリスを脇にホールドすると、頭を撫で撫でする。いやがるイリスだが、まんざらでも無いらしく、本気では抵抗しなかった。

服を着直すと、天幕から出る。

「お、やっと合流できたか」

「マルローネさん」

マルローネさんが、アデリーさんと歩いてくるのが見えた。

問題は、その後ろに、百くらいの人影が見えることだろう。近づいてくると分かったが、非常に薄汚れたホムンクルス達だった。着衣もぼろ同然で、顔も口も髪の毛も、汚れきっている。

マルローネさん達も、相当な死闘を経たのだろう。ずたぼろであった。

ホムンクルス達が、内蔵がはみ出した巨大な獣の屍を引きずっている。アレが多分、マルローネさん達に怪我をさせた相手か。

「無事だった人、あいつを葬るのを手伝ってもらえますか?」

「分かった」

「もうちょっと我慢してね」

「ころ、されない、だ、けでも、じゅうぶ、ん、です」

たどたどしい声が、脳に響く。多分、あの薄汚れたホムンクルス達が、直接頭に響くようにしゃべっているのだろう。

怪我の手当が一段落したので、聖騎士ジュストの所に。イングリド先生は怪我一つ無く、むしろ余裕を持って話をしていた。

「これから、どうしますか」

「一旦状況をまとめた書状を使者に持たせて、ブレドルフ王子の判断を仰ぐ。 その際に、衣料品などの必要物資も要求するつもりだ。 物資については、麓の砦から搬送させるから、半日もあれば届くだろう。 彼らの処遇に関しても、さほど問題のある事にはならないはずだ」

不幸な事故だったのだと、ジュストは言う。

主は、姿を見せない。多分役割を果たして消えたのだろう。勝手な行動だと非難する人間もいるかもしれないが、エルフィールはそうは思わない。機械が、仕事を終えて止まっただけだと感じる。

マルローネさんが、ヘルミーナ先生を呼んでほしいとジュストに注文。あの薄汚れたホムンクルスの群れを任せるには、適任だ。

「研究対象が山ほどいるって言えば、すっ飛んで来ると思います」

「あの女傑であればそうだろうな。 分かった。 流石にこの人数は、面倒を見切れぬし、それが良さそうだ」

苦笑したジュストが、それも併せて手配してくれる。どうやら、何もかもが丸く収まりそうだった。

アイゼルが、話が一段落したらしく、こちらに来る。キルキも一緒だった。

「エリー、お疲れ様。 影の鏡を殺さないって、信じていたわ」

「殺す理由が無かったからね」

「利害関係もなかった」

「ん」

キルキの言うとおりだ。別に利害関係もないし、殺す必要も無かった。ただ、それだけのことだ。

だが、アイゼルは、それで十分だという。

「彼らも、話を聞いてくれる様子よ。 不幸な歴史があったのは事実だけれど、今後はこのデモンズ高地を特区として、人間が入らないように監視するだけで、これ以上の不幸は防げそうだわ」

「そうだね。 此処だったら、シグザール王国にも南北ドムハイトにとっても何ら戦略的に価値もないし、それで大丈夫そうだね」

実際は其処まで簡単では無いが、敢えて話を合わせておく。多分アイゼルも、それは分かった上で言っているはずだ。

そもそも人の入る意味が無い土地だから、普通に侵入者が出ないように警備するだけで、軋轢も起こらないだろう。限られた人間だけが、何百年かかけて交渉していけばいい。技術に関しても、今すぐの全面提供は不要だ。人間社会の進歩にあわせて、少しずつすりあわせをして行けば良いのだ。

問題は利害関係が生じた場合だ。

「主」が消えた時点で、それはリセットされた。だが、此処で余計な資源とかが出たり、ホムンクルス達が人間を襲ったりしないように、念入りに見張らないといけない。

実際、ホムンクルス達が冷静に人間に対する攻撃を企てたら、かなり面倒なことになる。それは現在でも、変わらないのだ。

最終的には勝てる自信もある。ただし、クリーチャーウェポンを製造する設備類はさっきのテラフラムで壊滅しただろうが、技術があって何百年もかければ、復興は不可能では無い。それに、ホムンクルス達は、此処以外にもいろいろ技術的な隠し弾を持っている可能性が高いのだ。

ブレドルフ王子が、これからどう判断するかは分からない。或いは王子が彼らを殲滅しないという判断を下しても、ヴィント王が否と言うかもしれない。

最終的な判断に、エルフィールは関わることは出来ない。他の誰も、だ。だから、多分マルローネさんは、ヘルミーナ先生を呼んだ。

先生がここに来て、状況を見たら、多分シグザール王国に対して具申するだろう。それで、おそらくは状況が確定する。

それにしても、不思議なのは、マルローネさんだ。エルフィール以上に冷酷なリアリストだと思っていたのだが、どうして慈悲心を起こしたのだろう。或いは、アデリーさんが原因かもしれない。

エルフィールが、イリスによって、ある程度心を動かされているのと、同じように。

けが人の手当も、半日した頃にはあらかた終わった。援軍の第一陣は、このものすごい原生林と、ホムンクルスの群れを見て度肝を抜かれたようだった。

戦いは終わった。

 

エルフィールは、ヘルミーナ先生が到着するのと入れ替わりに、ザールブルグに戻った。ノルディスは医療班の責任者として、最後まで残ることになった。騎士達の中の重傷者には、あの崖をすぐには降りられないような者もいたし、ホムンクルスの中にも同じような状況の者がいたからだ。アイゼルとキルキは逆に、シグザール王国に報告するためのレポートを書くため、先に帰っていた。騎士達の半数も同じタイミングで引き上げた。聖騎士ジュストは最後まで残る様子だ。引退は、そういう意味で少し先延ばしになるようだった。

一緒に帰ることになったのは、マルローネさんとアデリーさんだけである。イリスをつれて、街道を四人だけで歩くと、来たときと比べて随分頭数が少ないので、ちょっと寂しくもあった。

「そういえば、エリー。 あなた、そろそろ卒業だったっけ?」

「はい。 マイスターランクでも、テラフラムの研究が認められましたから」

「それは良いことだわ」

「胸を張って卒業できそうです」

生きている道具類についても、卒業前にもう一つ二つレポートを書こうと思っている。魔力を得ることが出来るようになってからも、生きている縄達は変わらぬ忠義を尽くしてくれた。これはおそらく、元々意思がある生物の魂を、コアに据えているから、なのだろう。

それにしても、魔力については結局、よそから後天的に埋め込まれた異物だと言うことが分かった。

しかし魂とは何なのだろう。

「イリス、魂って何なのか、エル・バドールでは分かってたの?」

「私の知識では、なんとも。 ただ、私が此処に存在していると言うことは、魂も存在するのだと思います」

それはそうだ。

そして、それが重要でもある。

錬金術は、「何が出来る」から発展してきている学問だ。理論はまだまだ多くの部分で後付けに過ぎない。

その考え方からすれば、魂はある。だから、それを解明する。それで、良いのかもしれなかった。

幾つかの宿場町を通って、ザールブルグに到着。

マルローネさん達は、ドナースターク家に戻った。今後の仕事はまだ決まっていないらしく、しばらくはシア様の直属として、テクノクラートとして活動する予定だという。アデリーさんもそれは同じ。今回の武勲を認められれば、騎士団長への路が開けるかもしれないが、本人は喜ばないだろう。

ただ、帰り道で、アデリーさんは、影の鏡をエルフィールが殺さなかったことを褒めてくれた。それだけで、充分以上に嬉しかった。

アトリエで荷物を整理。採取してきた珍しい植物類を地下室に移していると、ダグラスが来た。

相変わらず無愛想な聖騎士は、奥で働いているイリスを一瞥すると、咳払いした。

「ブレドルフ王子がお呼びだ」

「私を?」

「そうだ。 俺だって理由なんかわかんねえよ」

次代騎士団長候補の中で、ダグラスは唯一今回の作戦に参加しなかった。

その代わり、最も危険が予想される大空の王の死骸周辺を警備していたらしい。そういう意味で、彼も将来の騎士団からは、期待されていると言うことだ。実際問題、存在自体が超危険物質であるあのようなもの、よほど信頼出来る存在にしか警備を任せないだろう。

イリスは必要ないと言うことなので、クノールに後を任せて、ついて行く。

郊外の小さな屋敷に連れて行かれた。警備に聖騎士がいることからも、ブレドルフ王子がいるのは間違いないのだろう。二階建てで、部屋も十あるかないかという小さな屋敷だ。中堅貴族が住むにしても小さい。ちょっとした富豪くらいなら、充分に建てられる程度の屋敷である。

だが、中には確かにブレドルフ王子がいた。

それに、大教騎士カミラも、である。

ブレドルフ王子は、エルフィールが少し予定より早く来たらしく、柔らかい口調で言う。

「少し、カミラからの報告を先に受けておきたい。 隣室で待ってくれるか」

「分かりました」

王子にそう頼まれては従うしか無い。

ダグラスと一緒に隣室に。出された茶は、確かに王室の人間が飲むのに相応しい、とても良いものだった。

「勇み足?」

「知るか。 俺は行けって言われたからそうしただけだ」

不満そうにダグラスは言う。

だが、多分その言葉の通りだったのだろう。エルフィールは軽く笑って、その言葉を流した。

「なあ、おまえ」

「ん?」

「多少、雰囲気が変わったな」

「そう? 相変わらず殺したいと思う相手はいるし、必要なら相手を殺すけどなあ」

それきり、会話は途切れた。

 

カミラから、ブレドルフは報告の続きを受けていた。エルフィールを早めに呼んだのは、理由があってのことである。

「南ドムハイトは、リューネ姫をコピーと入れ替える事に同意しました。 双子の妹と言うことにして、今後は傀儡にするつもりのようです」

「うむ」

実際には。

傀儡として送り込んだリューネ姫のホムンクルスなりそこないは、十分な政治的教育を与えてある。元々リューネ姫のオリジナルも知能が低いわけでは無かったようで、短時間で十分な教育効果を上げることが出来た。リューネ姫自身はというと、無学に近い上に主体性が全くない傀儡に都合が良い存在らしいのだが、それはおそらく、後天的な環境が大きかったのだろう。

或いは、本当に姫は、ドムハイト王家に連なる人間だったのかもしれない。

そして、王家の腐敗を知る親が現実をはかなんで、敢えて姫には何も教えなかったのかもしれなかった。

いずれにしても、今後偽姫は、シグザール王国のバックアップを受けながら、南ドムハイトの制御に一役買うだろう。何よりも大きいのは、今後は南ドムハイトは、シグザールにとって属国になると言うことだ。

「アルマン女王はどうしている」

「しぶしぶではありますが、こちらの提案に乗りました」

「うむ」

これで、ほぼ完璧だ。

長年大陸に戦乱が耐えなかったのは、二強の状態が続いていたからである。数年前、ドムハイトの竜軍が消滅したことで一時的な平和が訪れたが、アルマン王女の猛烈な追い上げによってそれも揺らぎ始めていた。牙の工作によってドムハイトの内部はガタガタにしていたが、それさえも長年続くかどうかは分からなかった。

何より問題なのは、シグザールが安易に勝ち続けると、今度はこちらが弱体化する、という事だ。人口は多いとはいえ、一時期はドムハイトの方が軍事力でも優れていたし、王の素質次第ではどうなってもおかしくない。

そこで、ブレドルフは考えた。三竦みの状態になれば、どうなるのだろうかと。戦略立案チームにも提案し、そして幾つかの案の中から採用したのである。

同じ人間をもう一人作る、という提案は、実はイングリドから受けた。

それを採用した結果、完璧なまでの三すくみを作ることが出来たのだ。

これから、ドムハイトは南北でいがみ合うことになる。更にシグザールは、南北が常に緊張しているように、気を配り続けなければならない。当然国境侵犯も頻繁に起こるだろう。

軍は、弱体化している暇など無い。

政治的にも、常に緊張感が維持されるのだ。

そして、アルマンも、この三すくみの状態維持に乗った。これによって体勢がある程度安定したら、政治的な巻き返しが出来うると判断したからだろう。実際に、どうにもならなかった状態に一息もつけるはずだ。

「父はなんと言っている」

「喜んでおられます」

「本当、か?」

「はい。 陛下は晩婚で、殿下が生まれたのはかなり遅かったことは知っているかと思いますが。 ヴァルクレーア大臣の話によると、その時以来の喜びようだということです」

ブレドルフは、大きくため息をついた。

父は、いつもブレドルフのことで嘆いてばかりいた。英明の王に、凡庸な息子が生まれてしまったのだから無理も無い。

昔は、父が恐ろしかった。

冷徹で、人間の血が本当に流れているのか疑わしいような策謀を繰り返し、ブレドルフにそれを学ぶように強要した。だから、一時期は本当に王族である事がいやでいやで仕方が無かった。

フラウ・シュトライトとの死闘で意識が変わるまでは、ずっとどうすれば責務から逃れられるのか、そんなことばかり考えていた気がする。

だが、今のブレドルフはもう違う。

「牙は現状の人数を維持。 ただし、影の鏡達についても、目を離さないように」

「分かっております」

「騎士団は、新人研修のプログラムとして、南北ドムハイトの紛争地帯での訓練を入れるように。 勿論被害は出るだろうが、それも想定してのことだ。 今後は被害が出ても、騎士団の質を維持するようにせよ。 近くの森の研修だけでは、いずれ必ず弱体化が起こる。 絶対に安全では無い場所での研修が必要だ」

「そちらも、抜かりなく手配します」

他にも、幾つか細かい打ち合わせをする。

いずれもが、シグザール王国に万年の安定を約束するものではない。むしろ、緊張感と危険を維持させるものばかりだ。だが、平和の結果、一世代で弱体化しきってしまったドムハイトの例を見る限り、これで良い。

兵士達には、今後も犠牲が出るだろう。

だが、それは仕事だと思って耐えてもらうしか無い。勿論王族には、一つ一つの決断に、重要な責任が伴う。王だからといって、後方でのうのうとしているような風潮は、今後絶対に作られないようにしなければならない。

一旦ドムハイトとの争いについての件は、これで終了。次の案件に移る。

若手の騎士を一人呼んで、今の話をまとめた書状を届けさせる。護衛としてダグラスもつける。

最近は父王は耳が若干悪くなってきていて、ヘルミーナが提供したホムンクルスが側についている。聞いたことを正確に耳元にささやくように訓練を受けたホムンクルスであり、非常に忠実なので父王は気に入っていた。

肩を叩いてから、次の案件に入る。

呼んでおいたエルフィールに関することだ。

エルフィールに関して、今回の活躍は聞いている。イングリドもヘルミーナも、どちらも絶賛していた。特に研究素材を殺さずに戦いを終わらせたと言うことを、ヘルミーナが非常に高く評価していた。

だが、それが故に。一つ、国が介入しなければならなくなった。

相変わらずの笑顔を浮かべて、エルフィールが来る。カミラが何かおかしな事が起こらないようにと見張る中、彼女に告げる。

「今回の働きだが、見事だった。 特にテラフラムの火力は、暴走した蝗王の殲滅における切り札になったと報告を受けている」

「ありがとうございます」

「だが、それが故に、問題が生じた。 ドナースターク家に君をやることは危険だと戦略立案チームが判断した」

エルフィールが、ぴたりと動きを止めた。

無理も無い話である。この娘は、調査によると非常に劣悪な環境で生まれ育ち、ドナースターク家の教育を受けることで、やっと社会で生きていけるようになったという。孤独を何よりも恐れているという話もあるし、何よりも将来ドナースターク家に入ることで、義理の母も同然であるアデリーと一緒に暮らすことが出来たのだから。

だが、のび調子のドナースターク家に、これ以上超一級の人材を振り分けるのは、国内での人事バランスを大きく崩すことにつながる。ただでさえ、ドナースターク家には時々勢力伸長を押さえるための工作をしているのだ。

シグザールをドナースタークが乗っ取っては、何の意味も無いのである。

「そこで、君には幾つかポストを用意した。 勿論、ドナースターク家と縁を切れというのではない。 ドナースターク家の専属テクノクラートとなるのでは無くて、もっとグローバルな立場で活躍してほしいのだ。 欲を言えばプロフェッサー・マルローネにもそうしてほしいのだが、彼女の場合はドナースターク家長であるシア卿と竹馬の友だという事情もある」

「あ、そういうこと、ですか」

「そうだ。 君のことは、国が有能な錬金術師として既に認めている。 人工レンネットの件、ホムンクルス作成の手腕、テラフラムの発明、いずれにしてもまだ学生の身分としては過剰なほどの成果だ。 戦士としてもまだ伸びしろがあり、騎士団でもほしいと言うほどの使い手。 これほどの人材を、もっと広域で使わないのは惜しいという意見もあるのだ」

エルフィールは、笑顔のまま、しばらく考え込んでいた。

この娘は、交渉が出来る。今は自分というカードを使って、如何に高く売り込むかを考えているはずだ。

用意したポストは、いずれも高給取りである。一つに至っては、中級の貴族並みの年収を見込める。エルフィールはそれらを見比べた後、真ん中ほどの年収を得られるポストを手に取った。

「これにします」

「いいのか、それで」

「はい。 自分の研究をする時間もとれそうですし。 あ、一つ条件をつけても良いでしょうか」

「言ってみたまえ」

「それでは、遠慮無く」

エルフィールが笑顔のまま、自身の条件を口にする。

思わず考え込まされた。それは、確かにこの国としては損は無い。だが、正直な話、許して良いことなのか迷う。

カミラが助言してくる。

別に、好きなようにやらせれば良いと。牙にもみ消せと命じれば良いし、エルフィールをこの程度の待遇で部下と出来るのであれば、安い話だと。

許可。

そして、エルフィールを退出させた。

これで一段落だ。しばらくは、王宮からの指示でも大丈夫だろう。だが、それでも。ブレドルフは油断が無いように、前線でこれからは指揮していこうと決めていた。紅茶を飲み干した後、ブレドルフは、カミラに指示する。

「あまり、無茶な結果にならないように、手を回せ」

「まだ、甘さが残っていますか」

「そうではない。 エルフィールは有能な人材だが、かっての君よりも暴走しやすい人間とみた。 暴走しないように、ある程度手綱を握っておく必要がある」

カミラは苦笑すると、仰せのままにと応える。

そして、並んで屋敷を出た。

蒼天が、どこまでも広がっている。人類の歴史は、これからも続いていくことだろう。

それには、様々な闇も伴う。邪悪も存在している。人間の強さは決して良い部分だけでは無い。吐き気を催すような卑劣や、悪徳、様々な腐敗や愚劣も共にある。

だから、それが主流にならないように。

ブレドルフは、国を導いていかなければならなかった。

「婚姻の議は、早い内に行った方が良いだろう。 手配しておいてくれ」

「分かりました」

政略結婚に、抵抗はない。向こうもそれくらいの覚悟は出来ているだろう。出来ていてもらわなければ、困る。

王宮に戻る。そこでカミラと分かれた。

権力には関われなくなったが、しかし助言をしているだけで、カミラは幸せそうだ。今の彼女は、きっと権力にぎらついた目をしていた時期よりも充実している。これで、良かったのだろう。多くの犠牲は出たが、それでも平和は実現したのだ。

耳が悪くなっている父に、今回の成果を直接報告したい。そう、ブレドルフは思った。

 

4、卒業

 

エルフィールは、戦いの後、キルキ、アイゼル、ノルディスと、それにフランソワもまとめて、ヘーベル湖北にある大空の王との死闘を演じた場所近くに、臨時でアトリエを構えることとなった。

卒業までの、最後の仕事がこれに決まったのである。

既に全員が、卒業できるだけの十分な成果を上げている。だからこそ、なのだろう。この仕事を、任されることになったのは。

物資を調達しに戻っていたキルキが、荷車を引いてくる。相変わらず小柄だが、手伝いの妖精達も押して、問題なく荷車は動いている。積載されている物資は、いずれも調合用の素材だ。

「オーライ、オーライ! こっちこっち!」

五つのアトリエが併設されている隣には、荷物搬入用の倉庫がある。

フランソワが、彼女のホムンクルスと一緒に出てきた。

「朝からうるさいが、何だ」

「見ての通り。 新しいのが来たよ」

「そうか」

フランソワは、最近目だって偉そうな口調を維持するようになってきた。多分、当主としての威厳を保つためだろう。

卒業後は当主として、陣頭指揮を執るつもりらしい。錬金術の技術と知識を生かして、家の発展に努めるのだそうだ。

荷物を下ろして、倉庫に。保ちが悪い幾らかは、すぐに加工する。

アイゼルが起きてきた。ノルディスは、まだ白河夜船か。アトリエから出てこない。昨日一番遅くまで起きていたようだから、無理も無い話である。

「調合は私がするよ」

「そう、お願いね。 私は研究を進めておくわ」

荷物を、アトリエに引っ張り込む。

イリスが、既に乳鉢やフラスコ、アルコールランプを用意していた。クノールはというと、既に調合が終わった薬剤類を現場に運んでいる。

キルキがアトリエに入ってきた。うっすら額に汗が浮かんでいる。

「手伝う」

「ん、よろしく」

今回取ってきたのは、発酵促進用の薬剤だ。

長細い青い木の実を、まずナイフで二つに割る。グライアという植物の実であり、エルフィールの二倍くらいの背丈を持つ木である。実は年に二回、春秋に収穫できるのだが、あまり美味しくない。シグザールでは、肥料に使っている。

表皮はそれなりに硬く、割ると中には真っ白な身が入っている。種を全て捨てると、ひんやりした実を切り取って、乳鉢に。念入りにすりつぶす。粘性が強いので、乳鉢を洗うのが一苦労だ。

すりつぶした後、今度は何種かの薬剤を混ぜた液体に投入。ボウルに移して、火にかけて、二日くらいで溶かす。途中、中和剤を二度投入して、親和させる。

火にかけたところで、一段落。

二日前に火にかけたボウルを上げる。

そして、海鳥の糞が固まったものを砕いて、これに入れる。この辺りから、人間が口に入れられるものではなくなってくる。

何カ所かある竈はフル稼働だ。いずれも製造過程の違う液体が入っている。

熱を加え、中和剤を加え、最終的にフラスコに移し、蒸溜を二度行う。更に濾過することで、不純物を取り除いた、発酵促進剤ができあがるのだ。

これは大変危険な薬剤でもある。食べ物にでもかけようものなら、あっという間に腐ってしまう。それくらい強烈な発酵促進効果があるのだ。保存も難しい。できあがった促進剤を、密閉した竹の容器に入れる。特殊な消毒を行った土で周囲を固めた容器に入れた促進剤を、でき次第荷車に積んだ。

アイゼルは、この発酵促進剤の改良。ノルディスは、結果の分析担当だ。

キルキとエルフィールで量産を行い、フランソワはそれらを総括管理。時々口うるさく注文をつけてくるが、それがむしろ作業効率を上げる。

「G4ポイントの準備が整っているらしい。 行ってきてもらえるか」

「了解。 キルキ、イリス、行こう。 クノール、薬剤の様子を見てて」

クノールは、これからも雇用期間を延長しようと思っている。なんだかんだでエルフィールのやり方をずっと見てきているし、話もツーカーで通じるからだ。

逆に、イリスは。

卒業したら、一旦距離を置こうと思っている。これは、本人の希望だ。

離ればなれになるわけでは無い。デモンズ高地で、ホムンクルス達とのネゴシエーションをしたいと言っているのだ。今、デモンズ高地で大喜びして研究を進めているヘルミーナ先生もフレキシブルに動ける助手がほしいといっていたから、願ったりと言うことであるらしい。

イリスは、もう厳密にはホムンクルスでは無い。

だから、ある程度、意思は尊重してやりたかった。

荷車に積んだ発酵促進剤を運ぶ。遠くからは、独特の臭いがしていた。騎士団の冷気系能力者が毎日頑張っているが、それでも追いつかない部分はある。

イングリド先生が発案したこの対処策。現在、担当しているのはクライス先生だが。線が細いクライス先生には、激務だろう。荷車を引いて、あぜ道を行く。途中、何本か赤い棒がたてられていた。ノルディスがたてたもので、触るなと言う意味だ。結果を分析中の印である。

現場に到着。

屯田兵達が、二個中隊ほどで働いていた。半分ほどは肥を掘り出しており、残りが穴の整備をしている。

切り分けられた大空の王の死骸が運び込まれてきている。汗をぬぐいながら指示を出していたクライス先生が、こっちに気づいた。痩身の先生だが、麦わら帽子をかぶり、手ぬぐいを首にかけて、何だか農民みたいな格好になっている。

「やあ、来ましたか」

「はい。 もういけますか?」

「大丈夫ですよ。 あの辺りから始めてください」

屯田兵達が、肥の元を運んできている。つまり、排泄物を満載した桶だ。

そう。これが、大空の王の処理策であった。

本来肥というものは、排泄物などを長時間寝かせることで発酵させ、野菜の栄養になりやすいように改良する。五万の屯田兵が動かしているこの巨大穀倉地帯である。肥の規模も、尋常では無い。

そして、この肥の中では、非常に効率よく、分解を行うことが出来るのだ。それを利用し、発酵促進剤を使って肥を短期間で仕上げ、そのサイクルの中で危険物である大空の王の死骸も処理する。一石二鳥の策であった。

穴に、排泄物が流し込まれる。その中に、発酵促進剤を混ぜる。長い棒を使って排泄物をかき混ぜる所に、大空の王の肉片も併せて投入する。屯田兵達は、これで大丈夫なのだろうかと、若干不安そうだ。

だが、ノルディスの話だと、爆発物の成分は、確かに中和できているという。一番発酵が進んでいる箇所では、火をつけてもちょっと燃えるくらい、だそうだ。来年、野菜に肥として使う頃には、もう完全に安全な物質になっているだろう。

作業をしていると、当然返しが跳んでくるので、作業時は専用のエプロンを着ける。終わった後は、時々全員でストルデル川に。臭いがなかなか落ちないのが悩みだったが、アイゼルが脱臭剤を開発してくれたので、それも大丈夫になりつつあった。

もっとも、今はアトリエに簡易浴槽が出来たので、そっちを利用することの方が多い。

「それで、現在の処理状況は」

「47パーセントと言うところです。 あなたたちが卒業するときには余裕を持って完成しますよ。 肥が足りないとしても、他の穀倉地帯に話を回せばどうにかなるでしょう」

「それは良かった。 後は警備をしっかりすれば、事故は避けられそうですね」

「それは私にとっては専門外ですから」

かっては、このクライス先生も、野心的な要素があったのだと聞いている。

だがいまはすっかり丸くなり、温和な笑顔が目立つ好人物になっていた。おそらく、競争する相手が相手だったからだろう。

発酵促進剤を予定通りに投入し終えたので、アトリエに戻る。臭いが鼻の奥に入ってしまったが、いつものことだ。寝る前くらいには気にならなくなるだろう。

途中、キルキと話した。

「キルキ、卒業後は大丈夫そう?」

「ん。 交渉、上手く行った」

キルキの造る酒は、兵士達に大変評判が良いという。美味いし悪酔いしないし、しかも翌日に残らない。本人がまだ未成年だというのに、造る酒は、既に国内で評判になっている。面白い話だが、事実である。

アイゼルは既に家の方に自分がしている仕事の一部を移したという。かなりの在庫を作っておいたらしく、アイゼルが新しい顧客を開発する位の間であれば、充分に家も保つそうだ。

ノルディスは、既に施療院から顧問錬金術師として正式な誘いを受けているそうである。それに伴い、錬金術アカデミーは施療院とパイプをつなぐことに熱心になり、薬剤類の納入という利権を一手に独占するべく動き始めていた。今までの業者も質自体は良いのだが、やはり錬金術で作り出す薬剤の効能は尋常では無い。それを知り尽くしている上に、医療の知識もあるノルディスが施療院に入ることは、決して悪い結果をもたらす事はないだろう。

エルフィールは。

少し前に内定したが、ドナースターク家ではなく、国の特務機関で主席研究員をする事になった。勿論ドナースターク家に籍を置くが、これは国とドナースターク家が話し合った結果のことである。あの後、ブレドルフ王子が手を回してくれたのだ。シア様も、納得した上でエルフィールをテクノクラートにすることを諦めてくれたらしい。

そもそも、前々からシグザール王国は錬金術アカデミーと騎士団の間に置く機関の設立を考えていたらしい。今回のエルフィールの功績を見込み、栄えある主席研究員の座を用意してくれた、というわけだ。このほかにも、アカデミーの卒業生が何名か、此処に配属されるという。

主に軍関係の仕事になるが、そういう意味では騎士団に顧問錬金術師として雇われるキルキと仕事が重なることも多いだろう。キルキとなら、相当に高度な連携を保って仕事をすることが出来る。

アトリエに入ると、ざっと調合中の薬剤の状態を確認。

問題は発生していない。このまま順調に作成していけば、予定を前倒しすることも出来そうだった。

ドアをノックする音。気配からして、ノルディスだ。

「あいてるよ」

「ごめん。 入るね」

ノルディスはマスクをして、手に試験管を持っていた。試験管の中身は茶色い液体である。

分解中の、大空の王の死骸であろう。

「どうしたの?」

「ちょっと見てほしくて。 今、予想の七割くらいしか、分解が進まない箇所がある事が分かったんだ。 発酵促進剤もどうも機能していないらしくてね」

「どれどれ」

勿論、試験管の内部の主成分は、分解中の糞尿だ。非常に汚いものだが、しかしこれが最終的に野菜にとっては極上の栄養になっていくのである。

しばらく観察するが、確かにかなり形が残っている。骨や皮などは砕いてから肥に混ぜるようにしているのだが。

「これは、元は内臓?」

「うん。 特に肝臓らしい部分が、発酵が遅いみたいでね。 肥にも影響が出ているみたいなんだ」

「だとすると、あれじゃないのかな。 元から発酵を遅らせる物質が入っているんだろうね。 その部分に関しては、気長にやっていくしかなさそう」

「やっぱりそれが確実か。 分かった。 ちょっと騎士団に、その話は打診しておくよ」

実際問題、発酵が進みにくい条件はある。ましてや未知の生物である。内蔵に、特殊な毒や物質を蓄えていても不思議では無い。

或いは、影の鏡達に、ヘルミーナ先生に言って情報を出させるという手もある。だが、今はまだ彼らをどう管理し、交渉していくかという段階だ。あまり余計な話をして、問題を起こすのは得策では無いだろう。

元々、全体が爆発物という、超危険な存在なのである。多少分解に時間が掛かる位はよしとすべきだ。芸の無い奴だったら埋めるとか沈めるとかして、後々巨大な影響を環境に及ぼしそうである。

卒業まで、もう少し。

問題はまだ多少は発生しそうだが。いずれにしても、クリアできない問題は、少なくともこの面子には無い。

そう、エルフィールは確信していた。

 

秋が過ぎて。

冬が来る頃には、大空の王の死骸処理はめどがついた。まだ発酵しきっていない部分もあったが、後はクライス先生が全て見ると言うことで決着。予定通り、エルフィール達が協力したことで、かなり前倒しで、死骸処理を進めることが出来た。

発酵促進剤はアイゼルとノルディスの協力により、強力に強化することが出来、これが前倒しで処理を進めることが出来た最大の要因ともなった。

そして、年が変わって。

マイスターランクからも、卒業する時が来た。

元のアトリエに戻り、荷物の整理をしていたエルフィールが、イングリド先生の研究室に呼ばれたのは、そんな折のことであった。

他の生徒も、ちらちらと呼び出しを受け始めている。

いわゆる仲良し四人組以外にも、エルフィールはそこそこ交流のある生徒が何名かいる。彼らからの話では、激励を受けたり怒られたり様々だそうである。その後、卒業証書をもらうそうだ。

もっとも、マイスターランクの場合は、メダルとしてそれを受け取る。それも錬金術で生産されるコメートで作られたメダルだそうで、それ自体がそれなりに財産に化けるものだそうだ。マイスターランクを出たような学生になると、流石に就職先も決まっていることが多く、しかもかなりの確率で社会的にも高位の場所になる。生活苦でそれを金に換えることは、まず無いだろう。

三階に行く。

ヘルミーナ先生の部屋は相変わらずものすごい落書きが踊っていたが、最近はあまり書き足されることも無くなってきているようだ。というのも、先生が月に半分はデモンズ高地に行っているのが要因であるらしい。元々気まぐれなようだし、或いは当分あっちに住み着いてしまうかもしれない。ホムンクルス達も、部屋の掃除以外、殆どやることが無くなってしまったようだ。

フィンフとばったり会った。

アイゼルのことを聞こうとしたが、不思議と向こうから話しかけてくる。

「サー・エルフィール。 マスターアイゼルは、フィンフがホムンクルスでは無くなったら、捨ててしまうでしょうか」

「ん? どういうこと?」

「今だから話します。 フィンフは、イリスに嫉妬していました」

知っていた。

だが、ホムンクルスがそれを自覚するのは、とてもつらいことだっただろう。

だから、エルフィールは、話に耳を傾ける。

「何度か、もやもやした黒い気持ちが胸の辺りまでせり上がってきて、二度ほど刺そうとさえ思いました。 でも、マスターは、フィンフをイリスと同じに扱ってくれていると気づいて、いつもためらっていました」

「そうか。 フィンフ、貴方は多分普通の人間よりも、ずっと理性的だよ。 だからアイゼルを悲しませないようにするには、どうしたらいいか考えるべきかな」

「マスターが、悲しみますか」

「うん」

既に、フィンフの所有権はアイゼルの手に正式に移っているという。ただし、アイゼルの事だ。そんなことは気にせずに、フィンフに愛情を注ぎ続けるだろう。

フィンフはしばし考え込むと、頷いて廊下を走っていった。

感情が制御されているフィンフだが、それでもイリスとの違いを悩んで苦しんで、それで結局暴発しない事を選んだ。たまに勘違いした言葉で、犯罪に手を染める勇気も無い、などというものがあるが、それは違う。勇気がどうのというのであれば、犯罪に手を染めない勇気こそが、真なるものだ。

そして、フィンフはそれを持っていたのである。

イングリド先生の部屋に入る。

驚いた。イングリド先生だけでは無く、ヘルミーナ先生にドルニエ校長、マルローネさんにアデリーさん、それにシア様までいた。

「エルフィール、良く来ましたね。 かけなさい」

「はい」

いずれも、エルフィールにとっては世話になっている人たちばかりだ。緊張した。

ドルニエ校長が、まずしわだらけの手でメダルを取り出す。首にかけてくれたので、ちょっと安心した。

一応、卒業は認められた、ということだ。

「貴方が上げた成果は、いずれも学生の域には収まらないものばかりです。 錬金術アカデミーどころか、この国、いや人類に貢献したともいえましょう」

「ありがとうございます」

「ドナースターク家が貴方を獲得できなかったのは少し残念だけれど」

シア様が、くすくすと笑う。

ちょっと恐縮した。流石に王子にその話をされたときは、愕然とした。だが、国の戦力から考えると、当然の話なのかもしれない。

考えて見れば、シア様とマルローネさんがそろっているだけで、相当な脅威になるはずだ。ドナースターク家の実力を考えると小さな国並みの力になるはずで、シグザール王国としては警戒するのも当然である。そこに、テラフラムを開発したエルフィールが加わるのは、確かに余計な脅威となる。

選別に、それぞれがいろいろなものをくれた。

イングリド先生は、自著の参考書を。後で見るのが楽しみだ。

ヘルミーナ先生も、同じく参考書である。こちらも、実に楽しみである。暗号を解読するように読まなければならないだろうが、それもまた面白い。

ドルニエ校長は、今のメダルが餞別であるらしかった。

マルローネさんは、多分何かの宝石だろう。青く輝いている、非常に大粒の美しい宝石であった。

「これは?」

「精霊の涙って秘石。 量産する技術を最近開発してね。 コメートと並ぶ、宝石ギルドの目玉に出来そうなの。 量産の第一号、あげるわ」

「わ、ありがとうございます」

光栄なことである。

深々と礼をすると、今度はシア様だ。

長柄の長錫である。見ると先端部分には少しだがアダマンタイトを使用しているではないか。ミスリル以上の硬度と価値を誇るレアな金属である。場合によっては国宝になるような品を使ったこの長錫、言うまでも無く大変なものだ。

これは、非常に価値のある一品だ。ずっしりとした重みも、実に手に心地よい。

「貴方を手放すことにはなったけれど、ドナースターク家との縁を切るわけでは無いことを証明する品よ。 もしも国から放逐されたら、いつでもうちにきなさい」

「ありがとうございます!」

武器としても、非常に威力のありそうな錫である。棒術の免許皆伝を得たエルフィールには、とてもありがたい品だ。

最後にアデリーさん。

アデリーさんは無言のまま、小さなナイフをくれた。非常に美しい装飾で、鞘から抜くと油が塗られているかのようになめらかな刃が姿を見せた。

戦闘用の品では無い。だが、とても貴重なものだ。

「それは武器だけれど、戦い以外で使いなさい」

「はい。 大事にします」

多分アデリーさんは、戦いしか知らないエルフィールを案じて、敢えてこんなものをくれたのだろう。

イングリド先生は、最後に言う。

「貴方にとって、錬金術は?」

「希望となりました。 人生の」

闇の中、漂っていたエルフィールを救い出してくれたのは、錬金術師であったマルローネさんだった。

マルローネさんの義理の娘であるアデリーさんが、母親代わりにもなってくれた。そして、エルフィールの特異な体質が原因となって、アカデミーにもいけることになった。

もしも、錬金術が無かったら。

エルフィールは今頃、辺境の娼館で男を取らされるか、犯罪組織で鉄砲玉にでもされていただろう。良くて軍に潜り込めたかもしれないが、きっとあまり出世も出来ず、穏やかな人生とは終始無縁だったに違いない。

今でも穏やかな人生とは、無縁だといえる。

だが、自分で自分の路を決められる。それに、こんな邪悪な自分にも、友といえる存在が出来た。

錬金術の才能があったのかは、今でもよく分からないところがある。

だが、これがエルフィールの人生に、路を作ってくれた。

だから、希望だ。

「ならば、大事にしなさい。 これからも」

イングリド先生に、頭を下げる。

この日、エルフィールは。

錬金術アカデミーを卒業した。

 

エピローグ、村人は弱者では無い

 

アカデミーを卒業したたエルフィールは、その足でゲルハルトの店に向かった。相変わらず筋骨たくましい禿頭のゲルハルトは、エルフィールが持ち込んだ武具を見て、目を丸くした。

「それは?」

「夏草って言います。 この間の戦いで、ちょっと無理をさせて。 駆動系を外してありますので、メンテには問題が無いはずです」

「見せな」

ゲルハルトに、夏草を取られる。

思えば、父さんの武器をこういう形で他人に任せるのは、これが初めてかもしれない。少なくとも、クライド師が手を回して手元に返してもらって以降は、初のことだ。ゲルハルトに見せることもあったが、根本的な部分の修繕やメンテは、自分でやっていたのである。

「凄い武器だが、実用的では無いな」

「でも、これであの巨大な大空の王を仕留めたんですよ」

「ああ。 あんたにだけは、手足の一部になる武器ともいえるな」

それはそうだ。

白龍と、秋花、それに冬椿と夏草は、父さんがエルフィールのために調整してくれた、世界でこれしかない武器なのだ。

その中の一つを預けるのは、ちょっと不満も残る。

だが、今回の旅には必要ない。だから、これでいい。

「分かった。 設計図を見る限り、どうにか俺の手に負えるだろう。 一月くらいで直しておく」

「お願いします」

頭を下げると、店を出る。

アトリエに戻り、荷物を整え始めた。イリスも、同じように荷物を整えている。

明日、出るのだ。ヘルミーナ先生と一緒に。イリスは、デモンズ高地に、これから長期滞在することになる。

「卒業旅行、ですか?」

「ん。 人生に一段落をつけなきゃいけないからね」

「……」

呆れたように、だが一瞬だけ、心配した表情を浮かべるイリス。

だが、エルフィールは、その頭を撫でた。

「大丈夫。 無理はしないよ」

「ミルカッセさんが、今回は私と一緒に行きます。 マスターは、誰かと行くんですか?」

「んーん? ああ、強いて言えば、いや何でもないや」

既に、国から新しいアトリエについては打診が来ている。

騎士団が所有している施設の一つで、郊外にある廃砦だ。倉庫がとても広く、管理するのが大変そうなので、ホムンクルスを二三体増やそうかと思っている。ただし、作るのでは無い。

デモンズ高地で保護した何名かを雇おうと、エルフィールは考えていた。

アイゼルも同じ事を考えているという。自分がいない間、ある程度の生産はホムンクルス達に任せる予定らしい。その際、フィンフをリーダーに、デモンズ高地から雇い入れたホムンクルスを何名か動かす予定だそうだ。

キルキもこの案には乗っている。ノルディスは、仕事が小規模だからか、今後も一人で動くのだそうだ。

「マスターにとって、錬金術は希望だと聞きました。 私たちホムンクルスには、絶望だというのに」

「そうだね。 だから、絶望では無くなるように出来るといいね。 ホムンクルスであり、人間でもあるイリス。 あんたの双肩に、デモンズ高地のホムンクルス達の未来が掛かってるよ」

「重い、ですね」

「何か決断をしたり、組織を運営する人はみんな背負ってきた重みだよ」

一旦、分かれる。

離ればなれになるわけでは無い。ただし、以前ほど密接に一緒の行動をするわけでは無くなるだろう。

ホムンクルスの絶望を誰よりも知りながら、結局最後まで、人間についてきてくれたイリスを、エルフィールは自分なりに好ましく思っている。

今は、もう。

殺そうとは、思っていなかった。

荷物を背負い、アトリエの外に出る。アトリエの外では、イリスがじっと、エルフィールの事を見つめていた。いろいろあったが、なんだかんだで仲の良いコンビであったと思う。

少しだけ、寂しかった。

そして、気づく。

帰ってから、一度もイリスは、エルフィールを救いたいという旨の言葉を、口にしなかった。

 

既に行くべき場所は分かっている。

ブレドルフ王子は、対価として認めてくれたのだ。牙の人が、しっかり場所も調べてきてくれた。

さあ、行くか。

お礼参りと、墓参りに。

 

エルフィールは街の東門へ足を向けた。

途中、ミルカッセが出立の準備をしているのを見た。イリスと同じく、デモンズ高地に出かけるのだろう。

そういえば、あのとき。耳栓をしていただけなのに、ミルカッセの浄化術の影響を受けなかった。

ミルカッセは、エルフィールを見かけると、やはり声をかけてきた。

「エルフィールさん」

「どうしたんですか? あ、今回デモンズ高地に行くんですよね。 イリスのことお願いします」

「……」

じっと、ミルカッセはエルフィールの事を見る。

笑顔で、エルフィールは、視線を受け止めた。ミルカッセは、エルフィールに優しい笑顔を向けてきたことが無い。子供達に向けている慈母そのものの表情と、エルフィールに向ける非難と愁いを含んだ顔は、まるで別だ。

「貴方は、影の鏡を殺さなかった。 それだけで、きっと進歩なんだって、信じることにします」

「ん、そうですね」

「イリスちゃんの事は、私が面倒を見ます。 あの子も、貴方を心配していることを、忘れないでください」

頷くと、その場を後にする。やはり、ミルカッセは、本質的にエルフィールが変わっていないことに、気づいているのだろう。

東門へ行く途中、ドナースターク家の前も通りすがる。

帰りにでも、また寄れば良い。だから、屋敷には入らなかった。

 

数日間、単独で北上する。

誰とも一緒に行かない旅は久しぶりだ。自分のペースでいけるのが、結構心地よい。馬車を使っても良かったのだが、鈍るのが嫌だったので、自分の足で行くことにした。

戦闘用の装備は、あらかた持って来ている。夏草だけはメンテに出したが、それ以外は全て使える状態だ。

大空の王の死骸があった辺りは、肥の大増産地帯になっていた。騎士団が警備しているので、旅人達は近づけない。エルフィールは近づくことも出来るが、今は用も無いので素通りである。

少しずつ、寒さが厳しくなってくる。

北上しているのだから当然だ。ストルデルの支流から離れて、高山地帯に入る。ドナースターク家の村があるので、途中寄った。ロブソン村だ。アデリーさんと一緒に修練をした、自然豊かな場所。

エルフィールにとって、故郷といえるのは、此処だけだ。

村長は、マルローネさんの父君である。エルフィールの事も覚えていてくれた。マルローネさんの父君らしい強い人で、今でも戦士として現役らしい。彼は娘の名を辱めない実力の持ち主だ。腕力も凄まじく、トゥーハンデッドソードを片手で軽々振り回す、ドナースターク家でも上位に入る、しかも最古参の武官だという。母君も、同レベルの使い手だとか。

父君は、エルフィールの肩を、遠慮せず叩く。

「おお、立派になったな」

「はい。 残念ですが、国から命じられて、特務機関の研究員することになりまして、ドナースターク家の家臣にはなれなくなってしまったのですが」

「何、良いって事よ。 かまわねえから、時々遊びに来い」

既に頭に白いものが増えてきていることもあるのだろう。マルローネさんの母君も一緒に、歓待してくれた。

お礼に、村の外でイノシシを二頭仕留めた。生態系に影響が出ないように、森の生物の数はきちんと確認した上で、である。仕留めたイノシシで宴をして、それから出立。まだまだ、目的の地は北だ。

数日、更に北上。上り坂ばかりで、周囲に畑は殆ど見られない。水を引けないのだ。確か、この辺りが、確かダグラスの実家の筈だ。

既に標高がかなり高くなってきている。植生も変わってきていて、特に森は殆ど見かけなかった。草原が広がっていて、山羊や羊が放牧されている。羊飼いの子供が、犬を連れて牧畜をしている姿を見かける。子供は男女関係ない様子で、中にはダグラスの面影がある娘もいた。

病弱と言うことだから、気のせいかもしれない。或いは、この近辺はある程度血が濃く、血縁者が多い可能性もある。

笑顔を向けたが、向こうは好意的にこちらを見ていない様子だった。単によそ者だからだろう。別にトラブルを起こす必要も無いし、そのまま通り過ぎる。

峠をいくつ越えただろうか。

関所が見えてきた。

ここから先は、正確にはシグザール王国では無い。というよりも、この近辺が既に、領土としてはかなり曖昧な場所だ。関所はシグザール王国の領土であり、駐屯している軍勢はかなり多い。周囲ににらみをきかせるためだろう。もっとも、かってドムハイトの衛星国だった国々も、次々とシグザールに尻尾を振っている現状、領土侵犯を堂々とやらかす勇気がある国は無いだろうが。

そして、この関所の近くにある宿場町からは、街道を使わない。

宿に入ると、一風呂浴びて、疲れを落とす。一人旅だから、風呂に入るときにも荷物は側に置いておく。

火山らしく、露天風呂だった。岩で周囲が囲まれており、申し訳程度の柵しか無い。かなり温度が高い湯で、肌に効能がどうのこうのとか、入る前に言われた。あまり興味が無い。

一応相場よりかなり高い風呂だけあり、エルフィールが一人で独占することが出来た。まあまあの湯である。

これから、大勢殺しに行くのだと考えると、戦闘前の気分転換にはちょうど良かった。

そう。

エルフィールは。

ブレドルフ王子に、父の死の原因を作ったあの村を殲滅して良い許可をもらったのだ。だから、卒業記念に、皆殺しに行く。

ただ、それだけの事であった。

風呂から上がると、今度は冷たい水を浴びて、一気に肌の温度を下げる。しばらく裸のまま、夜空を見上げた。

これから、いよいよ復讐を達成できる。そう思うと、気が緩んでしまいそうになる。だから、引き締めるためにも、敢えて無防備な裸のまま立ち尽くして、しばらく精神を集中する。

やがて、精神集中が終わった。

肌の水をぬぐうと、服を身にまとう。荷物類を肩にかけると、そのまま宿を出た。眠るような事はしない。

この集中を保ったまま、一仕事する。これから二日くらい寝ないで、強行軍を済ませるつもりだった。

 

村を出て高原を行く。星を見て、方角を確認しながら、影そのものとなって進む。

かなり急勾配で、山を下りていくことになった。しかし、またすぐ山を登ることになる。辺りは起伏が凄まじく、少し先も見通すことが出来ない。木も無いので、逆に余計に方角と位置が分かりづらかった。

やがて、かなり標高が下がってくると、今度は火山灰土に栄養を得たらしい森が、大いに繁茂していた。逆の意味で視界が塞がれてしまう。

なるほど。この辺りの開発が進んでいない訳である。

既に高山地帯から平原にさしかかっていたが、同時に完全にドムハイト領に入っていた。国境線が混在しているこの辺りだが、それでも間違いなくドムハイト領だと断言できる。人間に見つかったら、殺すのが一番手っ取り早い。

時々木の上で仮眠を取りながら進む。仮眠といっても、体を休めるためのもので、熟睡するのではない。目を開けたまま仮眠を取ることも多い。それくらいは、難なく出来るようになっている。

朝になった頃には、相当な距離を稼いでいた。

生きている縄達がざわめいている。

人間の気配がある。地図と消えかけている星を見比べて、位置を確認。ある。此処に、あの村が。

木を降りて、周囲の地形を確認。

確かに。記憶の奥底から、少しずつにじみ出てくる。そうだ、この辺りは、見覚えがある。

戻ってきたのだ。

周囲にはトラップが山とある。当然の話だろう。隙間産業で生計を立てているような秘村だ。周囲からの侵入者は敵である。ましてや、ドムハイト諜報部隊がいなくなった今、この村の存在を知るのは人買いや、他にも口に出来ないような仕事をしている連中だけだろう。

トラップを解除しながら進む。ブービートラップが多いが、中にはかなり高度なものも存在していた。

森の中を、気配を完全に消して進むが、しかし。

臭いだけは消せない。

周囲にわき上がるのは、無数の犬の気配。

犬は侮れない。大型の猟犬になってくると、訓練を受けた人間で無ければまず勝てない。しかもこの犬ども、人間の味を知っている雰囲気だ。

まあ、肩慣らしにはちょうど良いだろう。

生きている縄から、白龍を受け取る。多分杭を発射する事もないだろうが、打撃武器として用いる。

じりじりと、包囲を詰めてくる犬ども。

エルフィールが指先で招くと、意味を解したのだろう。真後ろから、一匹が飛びかかってきた。

悲鳴。

先端に、刃をつけた生きている縄が、自動で反応したのである。首を一閃に横薙ぎされた犬は、ひくひくと痙攣していたが、すぐ動かなくなった。

「今度はこっちから行こうか?」

吠え猛る犬達。二匹、三匹と間断なく飛びかかってくる。

生きている縄に対処を任せ、或いは自身で首をへし折る。足下を狙って飛びついてくる一匹を、そのまま白龍を振り下ろして、脳天を串刺し。死体を振り回して、飛びかかってきた一匹の背骨を砕いた。

更にもう一匹、後ろの見えにくい位置から飛びついてくる。うるさいので、軽く足を上げて、脳天を後ろ蹴りに砕いてやった。だが、その隙に。生きている縄の防空網を抜けて、ボスらしい一匹が、死角から肉薄してくる。

速度、攻撃のタイミング、いずれも問題なし。エルフィールは敵ながら良く訓練されていると、感心した。

だが、それは。普通の人間の死角だ。

不意にかがんだエルフィールは、生きている縄の力も借りて、真上にたかだか跳躍。空を切る、犬の牙。生きている縄達が数本がかりで、その犬を絡め取った。着地。白龍を振るい、最後に飛びかかってきた一匹を殴り殺す。感触が心地よい。頭を砕いた犬は、脳みそをまき散らしながら数歩走り、つんのめって転がった。

無造作に白龍を投げたのは、逃げようとしたのが一匹いたからだ。キャンと鋭い悲鳴が上がる。

背中から腹にかけて串刺しになった犬の死体に歩み寄ると、白龍の柄を掴み、死骸を蹴り捨てる。茶色い大型犬の死骸が、内蔵を撒きながら転がった。

「逃げる判断が遅かったね。 フラム」

バックパックから、生きている縄がささっとフラムを取り出す。

そして捕獲した一頭に、顔を近づけた。

「じゃ、わんちゃん。 私に喧嘩を売った頭の悪さと忠義に免じて、ご褒美をあげようかな。 いっちょご主人様達のために、花火になってみようか」

意味を悟ったらしく、恐怖にもがく犬。だが口もしっかり生きている縄が縛り込んでいるので、悲鳴一つあげられない。

既に、村の柵は見えている。物見櫓も、である。

「ふんふんふふーん、ふんふんふふーん。 なーいていやがる子犬ちゃんーと」

エルフィールは鼻歌交じりに、包帯用のひもを取り出す。そして犬の体にフラムを縛り込むと、起爆ワードを唱える。そして、遠心力をつけて、犬を物見櫓へと、放り投げた。耳を押さえ、しゃがむ。

犬の悲鳴が、爆発に混じって、聞こえた気がした。

今は、早朝。

奇襲には、最適の時間であった。

そのまま、全身をバネにして、全力で跳躍。罠を外して駆けながら、今フラムで崩した物見櫓に。残骸になり、火を噴いている櫓を蹴って跳躍。

村の中に、降り立った。

体が覚えている。間違いなくこの村だ。舌なめずりするエルフィールは、一瞬後に、異常に気づいた。

人間の、気配が無い。

いや、あるにはある。無言で、村の中を歩く。急いで逃げ出した跡が、家の中に残っていた。これは、さては接近に気づいていたか。

村の真ん中。

かって、エルフィールが逃げ回った末に、とらえられた場所だ。其処には杭が立てられ、男が一人縛り付けられていた。

此奴は、見覚えがある。

猿ぐつわをされている男に、歩み寄っていく。埋め火の類いは仕掛けられていない。周囲の状況から分かる。伏兵も無し。魔術的な罠も無かった。だが念のため、エルフィールは生きている縄を伸ばして、杭ごと男を引っこ抜いて、放り投げた。

後ろで、杭が転がる音。

歩み寄る。縛られた上に血だらけになった男が、恐怖にまみれた視線で、エルフィールを見上げていた。

「お久しぶりです、村長の息子。 アールン様と、敬語でお呼びした方が良いですか?」

「んー! んーっ!」

涙を流しながら、男は必死に首を振る。

猿ぐつわを取る。なんと、舌を切り取られていた。余計なことをしゃべらないようにするための措置だ。此処までするかと、エルフィールは、呆れた。

要するに、この村の連中は、最初からエルフィールが来ることを知っていたのだ。誰が密告したかは分からない。或いは、何しろこんな村だ。エルフィールのような復讐者が来るのが、珍しくないのかもしれない。

手に負える相手は、犬やトラップで処理する。

だが処理できない場合は、その復讐者が放置できないような生け贄を残して、村ごとさっさと逃げ散る、というわけだ。

こういう村は、人類社会の最辺縁。

住んでいる人間は、いずれもがしたたかな者達ばかり。自然の驚異にも、人間の諍いにも、習熟しきっている連中ばかりだ。だから、近くの宿場でも、時間をあまりおかなかったのだが。

どうも、それをいつの間にか失念していたような気がする。

村人は、弱者では無いことを。

それにしても、村長の息子を残すとは。思い切った餌を使ったものである。エルフィールは見事に釣られたことを知りながらも、まあこれで良いかとも思った。

このアールンは、エルフィールの事を角材で殴ったりした奴だ。しかも父が金を持っているときにはさんざんたかったあげく、金がなくなったとたんに村八分にし、しかも牙に情報を売った首謀者である。

エルフィールが嫌いだという、その理由だけで。

情報を売ったこととエルフィールに対する感情については、推測の域を出ないこともある。だが、こんな所に残していると言うことは。村の連中は、エルフィールに対して此奴が、効果的な捨て石になる事を熟知していると言うことだ。しかも次代村長、である。生け贄は、高級な存在ほど大きな価値を持つ。

状況証拠がそれだけ積み重なっているだけで充分だった。

恐怖で失神したようなので、腹を死なない程度に蹴って起こす。咳き込んでいるアールンを冷たい目で見下ろしていたエルフィールは、いつの間にか怒りのために、笑顔が消えている事に気づいた。

まあいい。

逃げた連中は、当然四方に散っているはずで、追っても追い切れない。

まずは此奴だ。

エルフィールの殺気に呼応し、生きている縄が鎌首をもたげる。

「私に対して、貴方がした事を覚えてますか?」

首を、必死に横に振るアールン。エルフィールは失笑した。

「何か勘違いしているようだから、言っておきます。 別に、私に対してあなたたちがしてくださった事なんて、何とも思っていません」

何を言っているのだろうと、動きを止める愚物。

エルフィールは、殺意がこもった、満面の笑みを浮かべた。

「私が気に入らないのは、父さんが弱者に転落したとたん、今までさんざん金を落としたにも関わらず村八分にして、あげく牙に情報を売り飛ばして死なせた事です。 弱者は死ね? ああ、そうですよね。 こういう辺縁の村では、当然の理屈です。 それなら、今私にも、貴方を惨殺する権利があるはずですよねえ?」

アールンが、必死に口を動かす。涙と鼻水を垂れ流しながら。

許してくれ。

他意は無かった。仕方が無かったんだ。

牙に逆らっても、勝ち目は無かった。それに、ドムハイトはもう終わりだって、みんな知ってた。だから、だから。

声を伴わない言い訳に失笑すると。

エルフィールは、捨て石に残され、実の親からも見捨てられたアールンを。思いつく限り最も残虐に。

二刻以上掛けて、生きたまま解体した。

 

エルフィールはそれから、延焼を防ぐために村の周囲の木を半日がかりで伐採すると、徹底的に村を破壊した。白龍で大黒柱をぶち破り、もろい家はそのまま蹴り砕いた。生きている縄で引きずり倒しもした。一番頑丈そうな村長の家は、冬椿で一撃粉砕した。柵も全て、内側に倒した。

徹底的に、徹底的に。何もかも痕跡を残さないように、今までの憎悪という憎悪を込めて。破壊した。

そして持ってきた油を撒いて、秋花で着火して回った。

村は、そのままたき火になった。

忌まわしい村が燃える。

住んでいた連中には逃げられた。だが、まあこれでいい。この村が復活することは、もうない。父さんの恨みも、これで晴らすことが出来たのだから。

燃える村を背中に、家に向かう。

痕跡は、何も残っていなかった。積極的に破壊したと言うよりも、もう無視して風化するに任せていたのだろう。自然が痕跡を消してしまったのだ。

大きなユロの木が生えていたので、それでいい。これが目印だ。これには美味しい果実もなるから、父さんもおなかがすいて困ることは無いだろう。

地面に半ば埋まって、しゃれこうべが転がされていた。形で、分かる。父さんだった。

無造作に散らばっている、土まみれの骨を集める。全身分は集められなかった。鳥や犬やらが持って行ったのだろう。そして、きれいに洗った後、巨木の根元に埋めた。

「ごめんね、来るのが遅くなって。 父さんが何を喜ぶかよく分からないから、キルキに美味しいお酒もらってきたよ」

酒を、父の墓に掛ける。辺りをきれいに掃除した後、石を積んで目印にした。

「騒がしくてごめん。 村、燃やしてるの。 父さんは喜ばないかもしれないけど、あいつらを放置しておくことも出来なかった。 一年か二年おきには会いに来るよ。 それを知っていれば、あいつらがここに来ることは、二度と無いだろうしね」

目から、水がこぼれてきた。涙だ。

アカデミーを卒業して、国に雇われて、周りには友達もいて、もう孤独では無くて。

立派にやっていることを、話す。話しても話しても、悲しみは紛れなかった。

立ち上がる。形見が何かほしいと思ったが、それは別に必要ないことに気づく。白龍がある。秋花も、冬椿も、夏草も。みんな、大好きな父さんの形見だ。

しばらく膝を抱えて、村が全部燃えるのを待った。

一昼夜で、火は消えた。残骸を生きている縄と協力して、穴を掘って全て埋める。残骸すら、地上に残しておきたくなかった。その後は、有毒の草を全体に植えていく。これはしぶとく根を張るので、もはやこの辺りに家を建てるのも難しい。畑のあった辺りには、毒素を撒いておいた。これで、この村は完璧に消滅したといえる。

逃げた連中については、もういい。姿を見せるようならぶち殺す。それ以外なら、追うのも労力の無駄だった。

帰るか。

そう思い、エルフィールはもう一度、父さんの墓を見た。

誰も、そこにはいなかった。

 

一週間ほど掛けてザールブルグのアトリエに戻ると、アイゼルが待っていた。そろそろこの街を出るはずらしいと言うのに、不思議な話だ。

「どうしたの?」

「もう、気は済んだ?」

沈鬱な表情で、アイゼルは言う。

それだけで、全ての事情が分かったエルフィールは、多分今までに無い表情を浮かべていただろう。自分で見て、確認できなかったから、どんな表情をしていたのかは、分からなかった。

泣いていたのか。

或いは笑っていたのか。

「うん。 もうあんな所に村は無い。 父さんのお墓があるだけ」

エルフィールは、もう孤独では無いのだ。

「ね、アイゼル。 まだ、出るまで時間ある?」

「明日くらいまでは大丈夫よ」

「そう。 じゃあ、今日は飲み明かそうよ」

「分かったわ」

アイゼルは、申し出を受けてくれた。

希望となった錬金術で作ったお酒を、二人で飲む。

夜は、静かに更けていった。

 

(暗黒!エリーのアトリエ 完)