忌まわしき過去

 

序、闇の中に浮かぶもの

 

軍から騎士団に配備要請があったその道具を見て、カミラは思わず呻いていた。

エル・バドールから回収した飛び道具、銃に極めてよく似ているのだ。これほどのものを、いったい誰が作り出したのか。銃の方はまだ性能の実験と解析が進んでいる段階で、量産化にはかなりの時間がかかる。部品の製造技術も足りておらず、弾薬もまだ簡単には用意できない状態なのだ。

そのいくつかの欠点を、この道具はカヴァーすることが出来る。

同時に、それ以上の欠点をも抱えていた。

カミラは騎士団で与えられている屋敷でそれを見聞したが、正直自分ではどうするべきか判断できなかった。これを持ってきた騎士達も、困惑した表情を浮かべている。その中の一人。

武器を持ち込んできた壮年の騎士が、表情に憂いを浮かべた。

「大教騎士カミラ、良くない情報がございます」

「何でしょうか」

「この武器が、軍内部で密かに量産体制に入ったという話が」

「……出所は」

騎士は、軍内部にいる諜報員の名をあげた。信頼できる人物であり、カミラは腕組みして唸らざるを得なかった。

そもそも、である。これは荒唐無稽な話ではない。

元々、軍は騎士団の下部組織という現状である。これに満足していない軍人が一部存在している。

騎士団など、所詮軍のバックアップを受けて動く精鋭部隊であり、常に戦いで大きな成果を上げてきたのは軍だと考える者達だ。

それは或いは間違っていないが、騎士団のあげてきた膨大な戦果を無視してきた暴論である。実際問題、一騎当千の精鋭がそろい、大陸最強の名も高い騎士団が出張ることで、迅速に解決する問題はいくらでもあるのだ。

しかし、軍に対する扱いにも、カミラは一定の同情を示すことが出来た。

最新鋭の武器、それに優秀な人材は、みんな騎士団に取られてしまう。新しい戦術が開発されても、軍がそれで成果を示す前に、騎士団に横取りされてしまう。そういった不満は、慢性的に軍の中にはある。

騎士団から下向する形で、軍の上級将校に赴任してくる人材がいることも、軍の不満を加速しているといえる。長年まじめに勤め上げてきたのに、そういった人材に上司の座を取られたりしたら、確かに面白くないだろう。

組織が抱える慢性的な問題である。騎士団と軍の間の不満は、今までは無視できる程度で済まされてきた。

だが、この間のエアフォルクUによる動乱により四千近い死者が出たことで、不満は再び顕在化しつつある。大規模な人事異動が行われ、騎士の補充が屯田兵から行われた。優秀な人材を多く騎士団に持って行かれて、軍内部では不満の声が上がってきている。

ヴィント王はブレドルフ王子に解決を任せているが、優秀とはいえ流石に末端までは目が届かない。シグザール王国軍は全軍併せて二十万という巨大組織だ。これは流石に仕方が無い話である。

「まず、ブレドルフ王子に報告。 許可が出たら、この武器を持ち込んだ人材を調べてください。 そして、軍内部での、不満分子の洗い出しを」

「分かりました。 直ちに」

「そして、処分はいかように」

昔だったら、殺せと一言命じていただろう。だが、今のカミラは、そこまで血なまぐさい性格ではなかった。

戦場に出れば、敵を殺しもする。だが、人材を生かして使うことを、覚えはじめてもいたのである。

「王子に判断していただきましょう。 首謀者の首根っこを押さえたら、私に報告するように。 王子が必要ないと仰るようなら、不要」

「かしこまりました」

王子にも、先に連絡する。牙を動かした方が対処が早いだろう。

部下達が消えると、カミラは腕組みした。逃亡した影の鏡の所在はつかめないし、大空の王も未だ補足できていない。

この状況下で、軍と騎士団の内紛などと言う最悪の事態だけは避けなければならない。軍内部にも、悪い意味での政治力を駆使することで、出世しようという輩がいる。今までは質実剛健な国風がそういった連中の躍進を阻んできた。

しかし、このまま大きな犠牲が出続けると、それも過去になるかもしれない。

かってのカミラのように、野心をたぎらせている者だって、いるのだ。

屋敷を出ると、カミラはブレドルフ王子の邸宅に向かった。今日はそちらにいるはずである。最近は護衛を増やしているから、却って居場所が分かりやすい。もちろん、カミラにはある程度事前に知らされている。

すでにカミラはブレドルフ王子の手腕と実力を認めている。

だから、行動には迷いがなかった。

 

屋根の上から、もやのようなものが、じっとカミラを見つめていた。

それは三体存在しており、道行く人々の誰もが見ているのに気がつかない。見ている人間の中には、達人級の武人も混じっていたが、同じ事だった。

「へえ。 思った以上に反応が早いのねぇ」

「鴉の指示で動いてはみたが、やはり無駄なように思えますね。 この国は優秀だ。 つぶす意味があるとは思えません」

「確かに、簡単なサボタージュを繰り返すだけで、ホムンクルスの人権問題を表面化させ、内乱寸前まで追い込むことが出来たエル・バドールとは違うな」

三つの声色は、同じもやから発せられている。

やがて、一つの笑い声が、それに取って代わった。

「まあいい。 しばらくは様子を見よう」

もやは着地すると、瞬時に人の姿を取った。

その激烈で異常な変化にも、道行く人々は全く目をくれない。まるで見えていないかのように、そばを通り過ぎていく。

無理もない話だ。

彼らは。影の鏡は、今世界の一枚外側にいるのだから。干渉するときには、同じ世界に入らなければならない。だが、見るだけならば、こうやって存在の位相をずらすだけで、どこにでも潜り込むことが出来る。

存在の位相をずらすのにはいろいろと条件がいるから無意味には使えないのだが、この能力が持つアドバンテージは凄まじい。鴉や椋鳥が与えられている現実改変能力よりも、さらに一段階上の力だ。

「それにしても、あの鴉を葬ることが出来るとは。 この国の人間は武力に優れていますね」

「殺ったのはエルフィールってやつらしいな」

「見に行ってみない? 面白そうだわぁ」

気の赴くまま、影の鏡はずれた位相世界の中を歩く。

どうせ、活動できる時間はそう長くない。主の意思次第でも、いくらでも短縮されてしまう。

それならば、少しでもこの流れゆく世界を見つめて、楽しむべきなのではないか。

そう、影の鏡は考える。

やがて、事前に調べていたエルフィールの住居に着く。

中には、エルフィールと、それにセロがいたのだった。

 

1、エルフィールの過去

 

虚ろな目をした娘であった。ホムンクルスであるが、そうではないともいえる存在。エルフィールが聖騎士カミラに作成を依頼されたそれは、専門の教師につけられるとかで、培養装置から出されて調整が済むと、すぐに連れて行かれた。

成長してから確認できたのだが、容姿や肌の様子からいって、どうもドムハイト人であったらしい。まあ、いずれにしてもエルフィールには関係のないことである。ドムハイトなど、どうなろうと知ったことではない。

肩をもみながら、アトリエに帰る。

あの施設は、近いうちにすべて打ち壊されるという。器具類はアトリエに運んでおくようにと頼んでおいたが、何だかもったいないようにも思えた。研究施設としては、手狭で薄暗くて、結構気に入っていたのだ。

帰りに車引きで、三人分の食事を買った。夕刻から、テラフラム作成の詰めに取りかからなければならない。一度アトリエに戻って、軽く仕事の状態を確認して、それから戻るとして。

今日は本格的に帰宅できるのは、たぶん夜中になるだろう。

アトリエに戻ると、イリスが小さな椅子に腰掛けて、無言で調合を続けていた。フラスコを振って、薬剤の反応を確認している。

エルフィールが帰っているのはわかっているはずなのに、振り返りもしなかった。

「ただいま。 仕事は順調?」

「問題ありません」

「そう。 じゃ、そのまま作業を続けておいて」

イリスが振り返る。

「私、このまま死ぬんでしょうか」

「ん? いや、寿命を延ばそうと思ってるけれど。 ヘルミーナ先生の話だと、どうにかできるみたいだし」

「そう、ですか」

会話はそれで途切れた。

エアフォルクUの頂上で、エルフィールが殺した鴉は、もうすぐイリスが死ぬといっていた。たぶん見立てからしてもそれは正しいのだろう。

だが、エルフィールに、イリスを自然死させる気はない。イリスを殺す権利を持っているのは、エルフィールだけだからだ。いずれ実験か、欲望のままに殺戮をしたくなったとき、イリスを殺す。それは、エルフィールだけに許された権利だ。だから、イリスの寿命は延ばす。

荷物類がくるかもしれないから、それは受け取っておくようにと指示を出しておく。クノールはどうしたかと見回すが、そういえば買い物に出ているのだったと思い出して、小さくため息をついた。

机の上に、買ってきておいた車引きの食事を並べる。

薄く焼いた小麦粉の上に、無造作に無数の食材を並べた料理だ。最近はチーズの量産化が民間にも広がり始めたので、焼いたチーズものせられている。熱々のうちはとてもおいしい料理で、冷めても温めればそこそこにいける。

六等分して、一つをイリスに。もう一つは自分で口に運ぶ。

しばらく食べていると、イリスがまた言う。

「おいしい、ですね。 あなたは非道ですけれど、舌だけは確かだ」

「そうだね。 子供の頃食べてたものと比べると、雲泥の差かな。 あの頃ひどいものばかり食べてたから、しっかり不味いものを判断できるようになったのかもしれない」

「え?」

「子供の頃の話だよ。 記憶、少し前に戻ったから、わかるようになった」

イリスには、そういえば過去の話を聞いたことがあった。それならば、自分の話をしても良いだろう。

別に隠すようなことでもない。友人達にも、近いうちに話しておこうと思っていたのである。アデリーさんにはすでに話した。次がイリスでも、別に良いだろう。

「この間、イリスの話を聞いたよね。 今度は私の話をしてあげる。 何、あまりイリスにはしてあげてる事もないし、たまにはこれくらいサービスしてあげるよ」

イリスは拒否することもなく、手を止めて、話に聞き入り始めていた。

 

幼い頃の記憶が戻ったと言っても、全部が全部、というわけではない。

流石に乳幼児の頃の事は覚えていない。そして、母親のこともだ。

物心ついた頃には、父と二人で暮らしていた。しかも、定住することなく、あちこちを転々としながら、だ。

父は鍛冶士だった。しかもドムハイトの軍に雇われている、である。

だから、転々とすると言っても、軍営に出入りすることも多かった。エルフィールは、出来るだけ外には出歩かないように、いつも父に言われた。殺気だった兵士達が子供など見たら、何をするかわからないからだ。昔は暗い天幕の中で膝を抱えていることを不満に思ったこともあったが、父にしてみればどうしようもない結論だったのだろう。

さらに言えば、元々父は極めて寡黙だった。子供に接するのが、最初から苦手だったのかもしれない。

父と遊んだ記憶はほとんどない。その頃から、一人遊びをするのが得意になった。そして、その過程で、道具の仕組みや、どうやって動いているかを、詳細に見るようになっていた。壊してしまった場合、直してくれる人などいなかったからである。

そのうち、遊び道具を、自分で作れるようになっていた。

移動。天幕の中。移動、そして天幕の中。

その生活を繰り返す間、何度か怖い目にも遭った。天幕に入ってきた獣みたいな目をした男から逃れるために、大声を上げた。しかし、誰も助けには来てくれなかった。地面に押さえつけられて、何かされると思ったとき、自然に体が動いていた。

そばにあった刃物を、相手の脇腹に突き刺して。悲鳴を上げた男の隙を突いて、天幕を飛び出し、別の天幕に逃げ込んだ。

そこがたまたま女性騎士の天幕だったからか、男は追ってこなかった。ドムハイトの軍にいる女性兵士や騎士には猛者が多いのだと、後から聞いた。逆に言えば、そうではないからこそ、エルフィールは狙われたのだろう。

父は帰ってきてからも、何も言わなかった。

あまりしゃべるのが上手ではないエルフィールが必死に訴えたが、そうかとしか言わなかった。

あの時は少し恨んだ。

だが今になって思えば、父には何も出来なかったのだろう。しがない雇われの身であり、しかも戦士ではなかったからだ。後から知ったのだが、ドムハイトでは強さが最重要視されていた。少なくとも、エルフィールが幼い頃は、そんな思想が生き残っていた。

だから、きっと父も肩身が狭かったのだろう。職人の社会的地位は、どうしても低かったからだ。

事件があってからは、天幕の中でさらに身を潜めて生きるようになった。軍と一緒に出歩くときも、出来るだけ目立たないように、フードをかぶって身を隠すようになった。そうしないと、自分以上に父にも迷惑がかかると、本能的に察していた、からか。あるいは、誰も助けてなどくれないと、分かっていたからだろう。

何度か、兵士達が話しているのを聞いた。

娼館にでも売り飛ばして、生活の足しにすればいいのに。

あるいは、俺に売れ。ある程度の金は渡してやる。

下卑びた声を伴うそれらの会話に、父は黙っていた。

だが、一度だけ兵士を殴り倒したことがあった。筋骨たくましい、ならず者同然の兵士が、父の一撃で伸びてしまった。父は鍛冶仕事で鍛えているから、腕力は非常に強かった。しかし、それ以上に、何かしらの理由で鍛冶士をしているのかもしれなかった。兵士達はそれ以降、父をからかうことがなくなった。エルフィールの天幕も、危険が減ったような気がした。

やがて、流浪の日が終わる。

父と一緒に、軍から離れた。移動していく軍勢と離れたのは初めてだったので、少し驚いた。

父さん、どこに行くの。

幼いエルフィールはそんな風に聞いたが、父は答えなかった。あるいは、父にもどんな場所か、よく分からなかったのかもしれない。

話しかけても、父は答えない。しかし、無視することはなく、顔をこちらに向けたり、ああとかそうかとか、言葉短には応えてくれるのだった。それが、幼いエルフィールにはうれしかった。

軍から離れてからは、歩くときに手をつないでくれるようにもなった。父の手は大きくてごつごつしていて、時々作ってくれるおもちゃの柔らかい手触りとは対照的だった。だが、好きだった。

そうして、辿り着いたのは。

忌まわしき、あの村だった。ドムハイト辺境の、状況によってシグザール王国にも属するような、隙間の村。

そこでエルフィールは、数年を過ごすことになった。

生きている縄を使って、茶を淹れる。途中で飽きるかと思っていたのだが、イリスは意外に話に食いついてきている。

そういえば、アイゼルやキルキ、ノルディスにも昔話をせがんでいるのを見たことがある。自分の過去が悲惨だからか、他人の過去に興味を覚えるのかもしれない。逆にエルフィールは、特に最近になってからは、あまり他人の過去に興味が持てなかった。

ごく親しい一部の人にしか、そんな話をしないのも、理由は自身の過去にあったのかもしれない。

ミスティカ茶を、イリスと二人で飲む。

体が温まった。この茶もずいぶん改良を重ねてきたが、最近はどこに出しても恥ずかしくない品質になってきている。アイゼルが作るものはもっと品質が上だが、いずれ追いついてみせるつもりだ。

「チーズケーキも少し食べようか」

「どうしたんですか? ずいぶん太っ腹ですね」

「ん、まあね」

ずけずけ言うイリスに苦笑しながら、チーズケーキを出した。

黙々と、並んで食べる。そういえば、イリスはもう田舎なら子供を産んでいてもいいくらいの年にまで体が成長している。ヘルミーナ先生のところでやり方を聞いて寿命を延ばしたら、或いはエルフィールの見かけの年齢を追い越してしまうかもしれない。

それはそれでいい。

ふと、思う。イリスを殺さなかったら、どうなるのだろうと。誰かをイリスが好きになって、子供が出来たりして。そして、エルフィールの手を離れたら。

祝福できるのだろうか。

出来るとしたら、どんな風に。

手が止まっていることに気づき、蜂蜜をふんだんに入れて甘みを増しているチーズケーキをせかせかと口に運んだ。

食べ終えると、話を続ける。

あの、忌まわしい村の話を。

 

父は、多分軍から与えられたのだろう。村の端にある、廃屋に住むことになった。そこそこに広い家だったのだが、中は埃だらけで、そのままでは住むのも難しかった。最初に父としたのは、家の解体だった。

父は手慣れた動作で家を分解して、エルフィールがそれを素材ごとに並べた。不思議と、素材はどれもそれほど重くは感じなかった。父が素材を一つずつ洗い、ものによってはそのまま川に放り込んだ。

村人達は、奇妙な家族だと、遠巻きに見ていた。

その奇異の視線が、自分たちよりも劣った存在を見ることで安心するものだと、エルフィールはこの頃から本能的に察していた。

木材をこすって埃を落としたり、家具は分解して腐った部品を捨て、新しく作ったり。しばらくは晴れが続いたので、野宿は苦にならなかった。二三日は星空の下で眠ることになったが、父の隣で毛布にくるまって眠ることは、苦痛ではなく、むしろ嬉しかった。怖い兵隊達もいなかったし、天国みたいだった。

家を組み立て終わると、父は仕事場を作った。

エルフィールは元々外で遊ぶという発想もなかったし、家の隅っこで膝を抱えて座り、父の仕事を見つめた。

最初に、知らない男がきて、父に何かスクロールを手渡していった。絶対に見ないようにと父は言ったので、エルフィールは素直に言うことを聞いた。好奇心はあったが、父に嫌われるくらいならと思ったのだ。

分厚いスクロールに沿って、父はずっと何かを作り続けた。今までとは違う、こんなものが何の役に立つと、父はいつもぼやいていた。

当時はどうしてエルフィールの父が、いつも不平をこぼしていたのか分からない。

しかし、今なら分かる。

ゲルハルトのような超腕利きで、しかもシグザールで生活していたのなら、武器を作る際の裁量がすべて任されることもあるのだろう。

しかし残念ながら、父は違った。

当時は分からなかったが、記憶から掘り返してみると分かる。きまじめで良い腕の鍛冶士だったが、逆に言えば、熟練しても「良い腕」どまりだった。天才でもなければ、閃きもなかった。普通の剣や槍を作っていれば、それなりの鍛冶士として周囲には重宝されたのだろう。

しかし、父は下手に良い腕であることが、却って災いしてしまったのだ。

その上、おそらくは軍で武具を作ることを気に入っていただろう父によって、与えられた設計図のまま、訳が分からない武具を作らされるのは、苦痛以外の何物でもなかったはずだ。

それが今のエルフィールには、よく分かる。

金は、あった。

村人相手に商売などしなくても、時々来る男が置いていったからだ。父はそれをぞんざいに使い、食べ物もかなり雑に買ってきた。蓄財どころか、そもそも金そのものにあまり興味がなかったのだろう。料理など出来るはずもなかったから、いつも出来合いを食べることになった。

これも、車引きが好きな理由の一つなのだろう。もっとも、今のエルフィールは自分で料理をするのも好きだが。

かくして、父は不平不満を述べながら、役にも立たなそうな訳が分からない武具を作り続けた。

たまにきた男が、それを幾らか持って行った。父は予想以上の品質で作っていたらしいのだが、それでも男は満足せず、次々訳が分からないスクロールを持ってきて、新しいものを父に作らせた。

父が、外で遊ぶようにとエルフィールに言ったので、その頃から外で一人遊びをするようにもなった。

おかしな話だが、外に出るようになって、やっと子供という存在が自分以外にもいることを知った。

だが、遊ぼうとは思わなかった。

村の大人達と、子供は同じ目でエルフィールを見ていたからだ。どうやって自分より下に置くか、搾取するか、そんなことばかり考えている目をしていた。

何度か、喧嘩をふっかけられた。

それで知ったのだが、エルフィールは腕力がとても強いらしく、二三回殴るだけで頭一つ大きい男の子がころんと転がってひいひい泣いた。どうして家の中でじっとしていたエルフィールが、そんなに力持ちになったかはよく分からない。耐久力も高くて、不意打ちを食らって後ろから角材で殴られても、すぐに立ち上がって反撃できた。

しかし、自分が力持ちだと認識できたのは、大きかった。

父が、使いこなせないから駄目だと、いつも作った武器に愚痴をこぼしているのを、当時のエルフィールは純粋に悲しんでいた。

どれもこれもが、ポールウェポンだった。しかも、打撃用の杖としても使えるようになっていた。

「それらが、いつも使っている」

「そう。 この子達」

白龍、秋花、冬椿。それに、今まで使う機会がなくて、眠らせている夏草。

そう。いずれもが、父の作った武器達だったのだ。

考えてみれば、昔からおかしいとは思っていた。あまりにも奇抜すぎる武器の数々だというのに、まるで自分の分身のように手になじんでいた。負担もすさまじかったのに、どうしても手放す気にはなれなかった。

それもその筈である。

幼い頃から、使いこなそうと自主的に努力を続けてきた武器達だったのだ。

野原を走り回ることで、体が強くなることは、本能的に分かっていた。子供達は敵だったが、しかし本気を出せば相手ではなかった。むしろ喧嘩をすることは、とても良い戦闘訓練になった。

いつの間にか、村の子供達とエルフィールは、決定的なところまで仲を悪化させていた。

だが、別にそんなこと、エルフィールにはどうでも良かった。父に村人達が手を出すようなこともなかった。これは考えてみれば、ドムハイトの威光を恐れての事だったのだろう。父がドムハイトの命令で得体が知れない武器を作っていることは、村の者達にも分かっていたのだ。

初めて、白龍を持ち上げて見せたとき。

父は、あまり嬉しそうにはしなかった。

見て、見て。持ち上げられる。使える。無駄じゃない、父さんの武器。

嬉しさのあまり、あまり舌が回らない状態で、エルフィールはそう言った。ほかの武器も、次第に持ち上げられるようになった。

村の子供相手に、実際に使ってみようとおも思った。だが、不思議とこの時は、父が先回りして言った。

村の子供達相手に、その武器を実践するなと。

エルフィールは残念だったが、大好きな父の言うことには逆らわなかった。

代わりに、村の周りを走り回って、獲物を探した。人間以外なら何でもいいと思ったので、動物を狙うことにした。

最初は、上手くいかなかった。兎も雉もとてもすばしっこくて、何度追いかけ回しても捕まえられなかった。

鹿や野牛に至っては、近づくことも出来なかった。遠くで見つけても、近寄ったときには姿を消してしまうのだ。

力任せでは駄目だと、悟るまで少し時間がかかった。

最初に兎を捕まえることが出来たのは、本当に運が良かったからだった。最初はもうどうして良いかも分からず、しばらくもてあまして、逃げそうになったところをやっと首をへし折って殺した。

武器の実験台にならなかったと気づいたが、それはもう遅かった。

ほかの子供達も、おやつ代わりに蛙や川海老を捕まえては食べていたが、兎を素手で捕まえられたのはエルフィールが最初だった。村にきてから何年か経って、初めて嬉しいと思えたことである。

その頃には、最初喧嘩した子供の中には、成人していた者もいた。

それが、後に悲劇につながっていった。

 

話が一段落した頃、ドアをノックする音がした。感じたことのない気配である。ドアを開けてみると、無表情な男が立っていた。

牙の構成員だなと、一目で分かる。

「エルフィール。 零号の件は満額を支払うことで決まった。 後で騎士団本部に受け取りに来るように」

「分かりました。 お疲れ様です」

無言で一礼すると、男は消える。

零号というのは、例のホムンクルスもどきの事だ。満額と言うことは、特に不備もなく、上手く行ったと評価されたのだろう。

あのホムンクルスもどきの娘が、これからどうなるのかは分からない。わざわざ軍が、しかも大教騎士が注文しに来るほどだ。国家機密に関係していることは間違いないだろう。どこかの変態金持ちの慰み者、などと言うことはないはずだ。

いずれにしても、引き渡した以上、エルフィールには関係のない。

ほとんど入れ替わりに、クノールが戻ってきた。買ってきた素材類を下ろすと、自分の肩をもむ。

「あ、エルフィールさん。 これからお暇をいただいてもよろしいですか」

「ん? どうしたの」

「寄り合いがあるんです。 新人が一人、アカデミーの学生とトラブルを起こしてまして、それを解決しないといけないのと、後戦略的な会議をしなくてはならなくて」

「そういう用件なら別にいいよ。 行ってらっしゃい。 あ、お土産は忘れないようにしてね」

礼を言うと、クノールは休みもせずに、アトリエを出て行った。

そういえば、クノールはエル・バドールに直接足を運んだ、数少ない妖精族の一人なのだ。騎士団にこき使われていたようにも見えるが、その裏でしっかり向こうで売られていたものや、相場なども掴んでいるはず。

妖精族は、人間社会の下位構成員となることで、命脈を保っている一族である。これくらいしたたかでないと、生きてはいけないのだ。

それに、若いのがトラブルを起こしているというのも、確かに問題だろう。それに噛めるくらい、クノールは偉くなってきている、ということか。まあ、エルフィールのような筋金入りの問題顧客と一緒にいて、今までトラブルも起こしていないのだ。妖精族の中で、評価が上がるのも当然かもしれなかった。

着席すると、もう茶は残っていなかった。

イリスはいつの間にか、話を聞く体勢に入っている。まあ、しばらくは仕事に関しても余裕があるし、いいだろう。テラフラムに関しては、すでに理論が完成して、後は最後の組み立てをするだけなのだ。

村の話に、戻る。

平和な時間は、あまり長く続かなかった。父が嘆くあまり、酒に手を出すようになったのだ。

成果は、客観的に見て、十分に上がっていたように思える。実際家に時々来る得体が知れない男は、父が作る武具類を見て褒める事はあっても貶す事はなかったのだ。来るたびに新しい武器の設計図を渡していくのも、父の評価が高い証拠だっただろう。

だが父は苦悩していた。

新しい武器を作りたいと、ずっとぼやいていた。酒を飲んだときには、暴れることはなかった。

だが、泣いていた。静かに、誰も寄せ付けない雰囲気で。それが、エルフィールにはたまらなく悲しかった。

父とは会話をほとんどしなかったから、雰囲気で相手のことを察する癖がついていた。だから、何となく分かった。父は、有用な武具を作れないことに悩んでいた。

持ち上げられるだけでは駄目だ。使いこなせるようにならないといけない。

そうエルフィールは気づいた。だから、武器を持ちだしては、外で眺めて、どう使うべきなのか、じっくり考えた。

残っているのは、得体が知れない男でさえ使い物にならないと判断した、癖の強いものばかりだった。白龍に最初に目をつけたのは、なぜだったのだろう。

最初に機構を理解して杭を発射したとき、エルフィールは吹っ飛んで転がり、地面で呻くことになった。衝撃が強すぎて、とてもではないが武器として使えそうにもなかった。だが、これを使いこなせるようになれば、きっと父は喜んでくれる。そう、エルフィールは思って、何度も使う練習をした。

やがて、踏ん張って、発射は出来るようになった。転がらなくなった。だが、腕のひどい負担は相変わらずで、一回発射すると二三日は腕が使い物にならなかった。

的に当てることが出来るようになるまで、季節が一つ過ぎ去るくらいまではかかった。

酒瓶を片手に戻ってきた父が、偶然通りかかったとき。エルフィールは、練習台にしていた古木に、白龍の杭を命中させることが出来た。

父は足を止めて、愕然とその様子を見ていた。

エルフィールは振り返ると、多分人生で最初の、純真な、満面の笑みを浮かべて言った。

父さん、見て、見て。出来たよ。使えるよ。

この武器、無駄じゃないよ。役に立つよ。

父は、何も応えなかった。

次は秋花だと思い、エルフィールは練習を始めた。機構を理解するまで一ヶ月。そして、ある日のこと。

持ち上げてみて、気づいた。

随分と手になじむのだ。不思議と、少し軽くもなっているような気がした。

何だか嬉しくて、振り回して遊んだ。

今になって思う。きっと父は、エルフィールが寝ている間に、幼い娘に合わせて少し武器に手を加えてくれたのだ。

それはエルフィールの肉体が見せる驚異的な適応力に、可能性を見たからか。

いや、違うような気がする。きっと、父なりの、不器用な愛情から来るものだったのだろう。

不思議な親子関係が、そこにはあった。

だから、ずっと無意識で、父の残した武具を、エルフィールは大事にしてきたのだ。

そこまで話を終えると、とっくに茶を飲み終えていたイリスは、ぎゅっと膝の上で握り拳を作った。

「貴方の……」

「ん?」

「貴方のゆがみの一端が、何だか分かった気がしました。 今の話、ミルカッセさんに話しても良いですか?」

「あれ、以外だね。 てっきり頭がおかしい理由がよく分かったとか言うとか思ったのに」

イリスは表情を変えない。エルフィールは冗談の言い甲斐がないと思いながら、生きている縄を使って、もう一杯茶を淹れた。

せっかくだから、最後まで話してから、どうするかは決めるべきだろう。

そう告げると、イリスは視線をそらす。

「貴方は、楽しんでいませんか。 自分の悲惨な境遇を」

「ん、今までの話を悲惨だとは思っていないよ。 むしろ父さんと自分に、今になってみればしっかりした絆があったことが分かって嬉しいなってさえ思ってる。 それにこの国にきて、私は自由を得た。 ドナースターク家で将来を作ろうとしているけれど、それさえもかってはなかった。 だから、私は今も過去も、悲しいものだとは思っていない」

本音だ。

不思議と、イリスにそれを話すことは、必要だと思った。だから、本音をすべてぶちまけていた。

同情など、必要ない。

ただし、この先の部分に、怒りは感じている。

いずれ、必ず報復する。そう、エルフィールは決めていた。

 

フローベル教会で、イリスはエルフィールから聞いた話を終えた。話して良いと言われていたから、そうしにきたまでのことだ。

どうしてかは分からない。

エルフィールは錬金術師としては大変に優れている。イリスは何名かの錬金術師を見てきたが、研究開発力と言い発想力と言い、なによりも凄まじい根気と執念が、圧倒的な実力を作り出す原動力となっている。まだ学生だが、十分に一線級の人材として、国の最前線で活躍できるほどの逸材だ。だがその一方で、凶暴で残虐で、冷酷でとても精神的に歪んでいる。発作的に殺されそうになったこともあるし、殺すために生かしているのだと公言もされている。

本来なら、憎んでもいい相手のはずだ。それなのに、どうしてだろう。

不思議と、妙な連帯感を感じる相手なのだ。

エルフィールは、きっと自ら実験動物になったのだと思っている。そうすることで、強くもなった。イリスは実験動物として作られたと考えている。だから人間のことを根本では憎んでいるし、錬金術師の鑑のようなエルフィールには含むものも多い。

ちょうど、来る途中ででくわしたアイゼルにも、話は聞いてもらった。

最初に大きなため息をついたのは、アイゼルだった。

「そう。 エリーのゆがみには、そんな過去があったのね」

「……」

エルフィールに愛情を教えようとしてきたミルカッセも、声がない様子だった。きっと彼女が思っているよりも、ずっと壮絶な過去だったからだろう。

エルフィールは、武器を使いこなせるようになった後、父もろとも村八分にあったのだ。

元々村の中で孤立していたエルフィールである。しかもどういうわけか、途中から例の男は現れなくなった。エルフィールはなぜだろうと笑いながら言っていたが、理由は何となくイリスにも予想がつく。

そして、金づるではなくなったエルフィール親子は、もはや村人にとっては異物そのものでしかなかったのだ。

さらに、幼い頃から孤立していたエルフィールは、周囲に味方もいなかった。しかも、どちらかというと獣のように邪魔な相手を排除するタイプだったエルフィールの言動が、悲劇に拍車をかけた観がある。

やがて、エルフィール親子を、さらなる悲劇が襲った。

その時のことは、エルフィールも流石に詳しくは覚えていないのだという。しかし、イリスはその言葉を疑っている。おそらく知った上で、思い出したくないというのが本音なのだろう。

エルフィールの父は、踏み込んできた相手に殺された。

身寄りがなくなったエルフィールは、村人達にとらえられた。心神喪失状態だった彼女は、多分簡単にとらえられてしまったのだろう。

そして、奴隷商人に売り飛ばされたのだ。

「ドムハイトの辺境では、そんな許しがたい蛮行が行われているのね」

「悲しい話です。 少しでも、世界中の人たちが努力して、無くしていかなければならないことだと私も思います」

「そうね。 これは仮説だし、いくつかまだ分からないことがあるけれど。 エリーは心の闇そのものを制御しながら生きてきたのでしょうね。 私だったら、彼女のように怒りと闇さえも制御して、自分の力に変えるなんて。 きっと出来なかったわ」

アイゼルは、決して劣った人間ではない。

才能では凡庸だが、諦めずに食いついていく姿勢と、なによりひたむきな努力で、人外の天才がそろう同学年の学生達と渡り合い、今ではマイスターランクにまで進学したほどなのだ。

エルフィールの方が、異常なのである。

異常は天才的な成果を生み出すと同時に、痛烈な狂気を生み出した。

「それで、イリスちゃん」

顔を上げると、ミルカッセが真剣な表情でこちらを見ていた。

この人は、単純な戦闘能力ではたいしたことは無い。だが、その内に秘めた強さには、瞠目させられることがある。

「貴方は、どうしたいのですか? どうにかしたいから、ここに来たのではないのですか?」

「私、は」

分からない。

エルフィールが狂気の果てに自滅する姿を見たいなどと、感じることはない。底意地の悪いそんな考えを、人間が持てることが不思議でならない。

憎まれ口も聞く。逆らいもする。

だが、人間と自分は違うのだなと、時々感じる。人間の持つ強烈な悪意を見ると、特にそう思う。

何度か、視線をそらした。

ミルカッセは、根気よくイリスを待ってくれた。イリスはそれを申し訳ないと思う。

優しさがほしい。ぬくもりがほしい。

それは本音だ。

自分の命は、あまり長くない。マスターは、それを自分の快楽のためだけに伸ばそうと考えている。

だが、それは本当に言葉通りのことなのか。

もしそうなら、どうしてイリスがアイゼルにかわいがられることをよしとしたのか。ミルカッセのところで、心の傷を癒やすことを認めたのか。

エルフィールなりの、不器用な愛情が、そこにはあったのではないのか。

不器用すぎる、歪んだ心の形が。

それならば、イリスも、応えるべきなのではないのか。

「マスターが、救われてくれればいいのにと、思います」

「貴方は、不思議な子ね」

ミルカッセに頬をなでられた。手のひらがひんやりしていた。

アイゼルも頷く。

「エリーが救われてほしいとは、私も思う。 でも、簡単にはいかないと思うわ」

「そうですね。 あの人には母親と呼べる人がいません。 アデリーさんがそうだとは思えることもあるのですが、いずれにしても愛情をほとんど知らないまま成人してしまったから、余計にアンバランスなのは確かなのでしょう」

ミルカッセは孤児院の手伝いもしている。

心に傷のある子供は大勢見てきただろうし、故に分かるのだろう。エルフィールが、どれだけ危険な心の持ち主なのか。

どうすれば、エルフィールが救われるのか、イリスには見当もつかない。

それに、イリス自身も。きっと、このままでは、救われはしないだろう。

「今の話、ノルディスやキルキにもしてもいい?」

「許可は得ています」

「そう。 ありがとう、イリス。 貴方だけを、苦しませはしないわ」

アイゼルにハグされると、とても心が安らぐ。

エルフィールも、こんな風に優しければ。そう思うと、イリスは心が強く乱れるのを感じた。

 

イリスが出かけたのを見計らい、エルフィールも出かけた。

向かう先はドナースターク家である。テラフラムを完成させる前に、済ませておく用事があったからだ。

自分の過去に、決着をつけなければならない。

随分前から、気づいてはいたのだ。だが、確信がなかったから、口にはしなかった。それに、関係が心地よかったから、何もしなかったと言うこともある。記憶が戻ってはっきりしたとき、ミューの気持ちがよく分かったのは、皮肉としか言うほか無いだろう。

門につく。

少し前に長に子供が生まれた。長男で、長の子にしては随分おとなしい性格の様子だ。見せてもらったが、それなりに大事に育てられている。

ただし、ある程度したら、ロブソンかグランベルに送られるという。スポイルされないようにするために、幼い頃から鍛えるためだそうだ。

何にしても、今館は若干空気が浮ついている。子供が生まれたこともあるが、この間のエアフォルクU戦で死者を出さずに乗り切ったこともあるのだろう。ご機嫌な様子の武官達に通してもらい、奥に。

クライド師は。気配を探すが、無い。

武官達が訓練をしている奥の庭にまで踏み込むと、いた。気配はないのだが、座禅を組んで瞑想をしていた。それにより、気配を完全に消していたのだ。

歩み寄ると、クライド師は目を開く。

不思議なことに、それで気配が生じた。今度教えてほしい技である。

「エルフィール、きました。 少し時間が経ってしまって、すみません」

「何、かまわぬ」

わずかな沈黙。しかし、クライド師から、用件について話し出す。

「もう、分かっているのだろう」

「はい。 父さんを殺したのは、貴方ですね。 クライド師」

「そうだ」

問いは直接的で、なおかつ応えも簡潔きわまりなかった。

知っていた。

状況証拠があまりにも揃いすぎていたし、何よりも何処か懐かしい気配があったからだ。最初、父さんだったのかとも思った。しかし、どうも記憶の中の顔と、一致しない部分が大きかった。

あの日。

血まみれの父さんのそばで立ち尽くしていた男がいた。顔は隠していたが、かなりの年配だと言うことは分かった。

唖然としているエルフィールを一別すると、男はかき消えた。当時は分からなかったが、エルフィールの認識を超える速度でその場を離れたのだ。そして、父さんが作った武具は、すべてが無くなっていた。

絶叫した。

悲鳴を上げた。

しかし、すでに何もかもが終わっていた。心が壊れた。粉みじんになった。

自分のすべてだった父さんが消えたことで、エルフィールは、自我さえも保てなくなったのだ。

それからは、曖昧な意識で、辺りを徘徊した。言葉さえも失いかけた。

意識がはっきりし始めたのは、アデリーさんに鍛えられはじめてからである。その頃までには、自分が何者であるのか、どうやって記憶をなくしたのか、すっかり闇の中に葬り去っていた。

精神を守るための、自己防衛本能からだったのだろう。

「俺を、恨んでいるだろう」

「いいえ」

それに関しては、答えはノーだ。

以前見せてもらった資料からも、牙が下した判断は間違っていなかったと分かる。ドムハイトの弱体化が決定的になったのは竜軍が全滅してからであり、それまでは如何に王族が惰弱に堕落しきっていても、まだ逆転の可能性が存在していたのだ。

激しい総力戦を経ること二十年。平和が続く裏では、壮絶な暗闘が繰り返されていた。

すでに成人している今だから、分かる。牙は間違っていない。戦略的には、正確には結果的には間違っていた部分もあった。だが、判断自体は、その場にエルフィールがいても、同じ事をしただろう。

むしろクライド師に同情してしまう。この優しい人は、暗殺者には向いていなかった。きっとエルフィールの錯乱する姿を見て、ずっと罪悪感に苦しみ続けていたのだろう。或いは、自身も狂気に引きずられかけていたのかもしれない。

「貴方のことは、第二の父だと思っています。 真相を知った今も変わらない。 いや、真相を知ったからと言って、変わらない」

「そうか。 すまん」

「貴方は高潔な武人です。 しかし、暗殺には向かなかった。 たとえ貴方の罪悪感からでも、私に棒術と体術も教えてくれた。 それだけで、充分です」

無言で、しばし向かい合う。

クライド師は、訓練用の棒を持ってきた。一本だけである。

「アデリー殿に聞いたが、そなたの腕はすでに円熟の域に達している。 だから、今日は免許皆伝を授けたい」

「師匠」

「全力で打ち込んでこい、エルフィール。 おまえの腕を、今の実力を、この老いた男に見せてほしい」

何だか、動物が行う、子離れの儀式みたいだと、エルフィールは思った。

すでに、訓練用の庭には、誰もいない。気を利かせて、席を外してくれたのかもしれない。

生きている縄達に、離れてもらう。全身に巻き付けていた縄達が、蛇のようにするすると離れていった。

棒を、構える。全身と一つにして。

クライド師は、自然体のまま立っていた。目を閉じると、完全に気配が消える。その場にいて、その場にいない。あまりにも、不可思議すぎる技であった。或いは、武術の極限である無の境地とは、こんなものなのか。

隙など、みじんも存在しなかった。

風が吹き込んでくる。落ち葉が舞い、クライド師との間の空間に、ほんのわずかな乱れが生じる。

エルフィールは、風と一つになり、動いた。

突きかかる。

師が動く。棒を受け流しつつ間合いを詰め、掌底を打ち込んでくる。一歩引きつつ体勢を低くし、回転しながら今度は足払いをかける。師が今度は下がる。下がっただけ、エルフィールが詰める。

下から上に、抉りあげるように、棒をふるう。

師は、わずかな動きだけでそれをかわす。

半回転したエルフィールは、今度は一歩踏み込み、脇の下から繰り出すようにして、背面へ棒の突きを放つ。

師が、棒を掴んだ。

一瞬の膠着。

だが、互いにはじき合い、離れる。

師が、目を開けた。

「見事だ。 よくここまで腕を上げたな」

「ありがとう、ございます」

「免許皆伝を授ける」

正座すると、棒を脇に置き、頭を下げた。

はっきりいって、クライド師にはまだまだ遠く及ばない。今回もかなり手加減してくれているのがよく分かった。だが、師は弟子をひいきするような人では無い。エルフィールが、一定の腕に達したというのは事実なのだろう。

「免許皆伝をいただいたとはいえ、まだ未熟の身。 また稽古をつけていただいてもよろしいでしょうか」

「好きにするが良い」

「はい。 好きにさせていただきます」

一礼すると、エルフィールはその場を離れた。

決着は、つけることが出来た。これでいいのだ。やっと人生の一区切りがついた気がする。

もう一つ大きな片付けるべき過去が残っているが、それは今はいい。

ドナースターク家を出て、大きくのびをした。

さあ、次はテラフラムだ。意識を切り替えると、エルフィールは目をこすり、それから提供されている研究施設へ歩き始めたのだった。

 

2、完成する究極の爆弾

 

最初に見てもらうことにしたのは、アイゼル、ノルディス、キルキら学友だった。なぜなら、多分一番話がしやすいだろうからである。

試作品の小型テラフラムを持ち出したのは、近くの森の一角。

未だにエアフォルクUがそびえ立っているため、一部には一般人が入れないように警戒区域がもうけられている。エルフィールが学友達と足を運んだのは、そんな警戒区域のほど近く。

森の中には、不思議と空き地に近い空間が出来ることがある。理由は様々なのだが、とにかくそんな空き地の一つを、実験場に選んだ。

テラフラムは一見すると四角い箱である。この形状にしたのには、いろいろと理由がある。今回試すのは手のひらの上に乗るほどの超小型試作品だが、実戦投入するものはバネと藁を使って極限まで揺れを軽減した馬車によって輸送する。

「不思議な形状の爆弾ね。 制作者によって個性が出ると聞いたことはあるけれど、箱そのものというものは初めて見るわ」

「中にどんな機構が詰まってるの?」

興味津々にアイゼルとノルディスが、設置したテラフラムをのぞき込む。

安定化に一番苦労したとはいえ、破壊力はこのサイズでもフラム以上である。二人は大胆であった。

キルキはというと、形状よりも性能に興味があるようだった。

「エリー、早く爆発試験」

「ちょっと待ってね、キルキ。 アイゼル、ノルディス、そろそろ始めるよ」

「分かったわ」

「うん」

二人が離れる。

森の中の空白地帯の真ん中に設置したテラフラム。騎士団には事前に試験をすると連絡は入れているから、しかられることは無いだろうが、少し緊張した。すでに期日は間近にまで迫っているのである。これに失敗したら、はっきり言って後が無い。

もちろん、小規模な試験は何度となく繰り返してきて、すでにそのすべてをクリアしている。

ノルディスが荷車から防護盾を取りだした。

騎士団が使っているタワーシールドに、さらに改良を加えたものである。持ち運びをするのは難しいが、地面に設置してその影で爆発をやり過ごすには十分な性能を持っている。エリキシル剤の生産をしながら、面白そうなものを作っていたものである。

見たところ、表面は金属だが、複層構造にしてあり、内部には柔軟な素材も入れている様子だ。堅いだけで爆発をしのぐのでは無く、柔軟性も含めることで総合的な強度を飛躍的に高めているのだろう。しかも、最終的には自壊する仕組みにしてあり、それでさらに内側にいる人間を効率よく守る事が出来る。

「面白い盾だね」

「イングリド先生に、防爆室の構造について聞いたんだ。 それで、作ってみたんだけれど、上手く行くかな」

「大丈夫よ。 信頼しているわ」

確かにノルディスの作ったものであれば信頼性は高い。

着火準備に入る。

テラフラムはあまりにも威力が大きいので、爆発させるには二つの過程を踏む必要があるように設計した。

まず、生きている縄を伸ばして、岩の上に置いたテラフラムの上にあるスイッチを押し込む。このスイッチには、二重に安全装置がつけてあるので、偶然押下されることは無い。そして、いったん縄を戻す。

脈拍を測る。それが三十を超えたところで、もう一回生きている縄を伸ばした。

そして、その上で小型のベルを鳴らした。軍で使っている連絡用のベルであり、小型だがかなり大きな音がする。

ベルが鳴ったところで、生きている縄を全力で戻した。テラフラムが大きな音を立てて内部からはじけた。着火体勢に入る。

「着火するよ!」

全員で、耳をふさぐ。

次の瞬間。

エルフィールは、自分が木に引っかかっていることに気づいた。隣では、アイゼルが意識を失って木の枝につるされている。ノルディスと、キルキは。

キルキは柔らかい茂みに突っ込んで、そこで目を回していた。ノルディスは地面に激突したようだが、この辺りは柔らかい腐葉土だ。命に別状は無いだろう。

辺りを見回す。

さっきの広場を確認。

まるごと、消し飛んでいた。

盾が無ければ、即死していた可能性が高い。まさか、これほどまでの破壊力になっているとは、思わなかった。今までの試作品より多少大型に作ってみはしたのだが、これは完全に想定外である。

もうもうと煙が上がっている。生きている縄を駆使して、地面に降りる。アイゼルもそのまま下ろしてあげた。

キルキの頬をたたいて、起こす。ノルディスは自力で起きてきた。

「ええと、何が、起こったんだろう」

「ごめん。 もう五十歩離れるべきだった」

「五十歩っ!?」

目を覚ましたアイゼルが、きれいに消し飛んだ広場を見て、愕然としてその場で固まる。無理も無い話である。まさか、ここまでの超破壊爆弾とは思ってもいなかったのだろう。

フラムは戦略火器として、傑作といっても良い破壊力を持つ。

しかし、このテラフラムは。

戦略火器というよりも、もはや決戦兵器に近い代物であった。サイズによっては、砦がまとめて一つ消し飛ぶかもしれない。攻城戦でも、城壁を崩したり、城門を吹き飛ばしたり出来るだろう。

敵を誘い込んで使用すれば、一気に連隊規模の相手を壊滅させることも可能だ。

ノルディスが皆を診察して回る。幸い大きなけがは無かったが、これはちょっと今後の使用がためらわれるかもしれない。どちらかといえば殺戮が大好きなエルフィールでさえそうなのだ。

人類が踏み込んではいけない領域に、今エルフィールは立ってしまったのかもしれなかった。

少し、臭いが酷い。

「これは、青い液体の臭い?」

「それもあるけれど、ちょっと構造に工夫を凝らしてあるんだ。 後で、アトリエでみんなに説明するよ」

何度か失敗しながら立ち上がる。三半規管をやられたらしい。致命傷では無いが、それにしても心地よい苦痛だ。多分、発明が成功したから、気分がとても高揚しているのだろう。それで、痛みさえも楽しめてしまっている。

「エリー、無理しないで」

「大丈夫大丈夫。 それにしてもみんなの中で一番鍛えてる私が、一番ダメージを受けてるってのも面白いね」

或いは、これも爆弾の特性かもしれない。何にしても、興味深い現象であった。

帰り道、皆には先にアトリエに行ってもらい、エルフィール自身は騎士団の詰め所に出向く。今回の件を報告すると同時に、作っておいた納入用の爆弾を持って行くためである。

期日通りに納入した爆弾は、先ほどの試作品に比べて、かなり大きい。これならば、大空の王でも、運用さえ間違わなければ大打撃を与えることが出来るだろう。聖騎士ローラは、箱状の爆弾を見て、少し驚いたが。しかし説明を受けると、喜んで納入物を受け取ってくれた。

これで、大口の仕事については片付いた。

もちろん実戦で使用することになるのはエルフィールだから、納入物が駄目だった場合は大変なことになる。この辺りは自己責任だが、学生の頃から慣れっこだから平気だ。使用方法と破壊力については説明済みだから、事故を起こすようなことも無いだろう。

一応、ハンマーでぶん殴っても爆発しないようには作ってある。保管用の特別な防爆倉庫も作ってもらってあるので、最悪の場合でも、騎士団の詰め所が消し飛ぶくらいで済むだろう。

帰り道、車引きによって、軽食を買っていく。今日は棒状に堅く焼いた小麦粉の料理だ。蜂蜜を練り込んであるので、かじると少し甘くておいしい。ちょっと高いのが玉に瑕だが、頭を使う職業の人間には人気がある料理である。一つ一つが二の腕ほどもある大きなものなのだが、今後小型化が希望されており、成功すればヒット商品になるかもしれない。

これを二つ買っていく。イリスとフィンフ、クノールの分も入れて、二つを切り分ければ充分だろう。

アトリエに着くと、すでにイリスが皆に茶を出していた。蜂蜜堅焼きパンを買ってきたというと、皆嬉しそうにした。

早速切り分けたそれをかじりながら、エルフィールは生きている縄を使って、チョークで黒板に図を書いていった。

「これが、今までのフラムの構造。 見ての通り、中にたまったガスを利用して、爆発力を極限まで引き出す作りになってる。 これを可能にしているのが、光石による精密な着火と、芸術的ともいえる構造なのだけれど」

「うん。 四年生の時に習った」

流石にここにいるメンバーは、すでに習ったことを忘れたりはしていないか。

フラムの作り方については、早い段階で習得する。しかしなぜこの爆弾が芸術的な破壊力を持つかについては、四年の時に習うことになる。錬金術の理論というよりも、爆発についての理論に近いが、作った以上責任を持つのが当然のことだ。しかもこのフラムはマリーブランドをベースにしたものが現在の公式レシピになっており、そういう意味でも重要性は高い。

黒板に、テラフラムの構造を書いていく。ここにいる面子なら、知っていても良いと思ったからだ。

「中心になっているのが、この部分。 この袋状の部分に、青い液体と、後何種類かの薬剤を混ぜたものがはいっている。 そして、この外側の袋には、空気と反応すると、高温で燃焼する物質。 それで、ここに光石と、熱を与えると空気を発生させる、エアドロップを改良したものを入れてある」

「え? それって」

「そう。 起動ワードと光石を使って、空気を発生させる。 それで、爆発的な燃焼を引き起こす」

それで、ここからが重要である。

燃焼によって気化し、体積を増した青い液体を含む中心爆薬は、内側からの圧力で開くようになっているテラフラムの上部から、一気に周囲に放出される。このときの放出が、肝なのである。

この気体、空気よりも重いように調整してある。ある程度までの高さに放出された後、辺りに雨のように降り注ぐのだ。そして、短時間で冷やされて、液体に、或いはまた固体に戻る。液体と固体の中間点の爆薬が、周囲の空気中と、後は対象周辺の地面にばらまかれる。

そして、ここで。

箱の内部の爆発的燃焼が、外にまで波及するのだ。

次の瞬間、箱が爆発する事により、周囲に燃焼と、揺れが波及する。この衝撃により、辺り全体が爆弾になっていたような状況で、一気にその火力が完全解放されるのだ。

辺りの空間そのものを爆薬化すると言っても良い。フラムで使われている、ガスの爆発強化を、極限まで詰めて考えて見た結果、作り出せた機構であった。

「なるほど、フラムの構造を、そんな方向から改良したんだね」

「実は、最初から構想自体はあったの。 でも、どうしても爆薬の改良が上手く行かなくて。 高濃度で高品質の青い液体を作れなければ、多分完成はしなかったと思う」

青い液体が出来てからも、苦労は連続した。

揺らすと爆発するほど不安定なこれを、まず安定させなければならなかった。しかも、任意に爆発をコントロールできるようになるまでが、苦悩の連続だった。

エアフォルクUを攻略した直後くらいには、もう理論は完成していた。だが、細かい調整で、結局かなり時間がかかってしまった。

いずれにしても、完成はした。そして、大空の王が現れても、すでに対応は出来る体制が整っている。

ただし、問題が一つある。

影の鏡が、未だに補足できないということだ。奴に対する対策をしっかりしておかないと、大空の王との決戦中に、足下をすくわれる可能性があった。

「これは、恐ろしい兵器だわ」

「確かに、量産化されると大変なことになりそうだね」

「錬金術アカデミーの中でも、製法は秘匿した方がいいかも。 フラムでさえ、あまりにも危険すぎるという声がある」

アイゼルの言葉に、ノルディスも、キルキも賛同する。

だが、エルフィールは意見が違った。

「そもそも量産化は難しいよ」

「どういうことなの?」

「青い液体を作ってみて分かったんだけれど、これ、作り手の魔力を吸収して性質が少し変わってるの。 私の場合は魔力が全くないから、この杖の魔力、だけれど」

要するに、魔力次第で性質が変わるという意味で、同品質のものを大量生産は出来ない、ということだ。中和剤にも似たような性質がある。或いは、青い液体は、根源的な分類でいえば、中和剤と同類なのかもしれない。

今回エルフィールが作ったテラフラムも、偶然ここまでの破壊力を得た可能性を否定できない。構造的に圧倒的破壊力が出るようにはしてはあるのだが、エルフィールも実戦稼働させてみてびっくりしたくらいである。

ノルディスが腕組みした。

「そうか、そうなると、クリアしなければならない問題はいろいろと多いね」

「いずれにしても、大空の王との戦いをどうにか乗り越えないと。 エアフォルクUのことを考えると、次もとんでもないものが繰り出される可能性は低くないからね」

アイゼルにも話したが、この間倒した鴉は、おそらく戦闘タイプでは無かったはずだ。戦術の展開にしても未熟な点が見られたし、如何に聖騎士であるアデリーさんがいたとはいえ、わずか三人で仕留めることが出来た。だが、ほかがそうとは限らない。影の鏡の戦闘力は、鴉よりずっと上のはずだ。さらに言えば、現実の改変というとんでもない能力を持った連中が、裏で糸を引いているとなると。今後決着が遅れると、あの程度の被害では済まなくなっていくだろう。エアフォルクUの時でさえ、下手をすると大陸が真っ二つにされていたのだ。

ずっと黙っていたイリスが、挙手した。

「それはそうと。 そもそも、敵の首魁の目的については、見当がつかないのですか?」

「さあ?」

鴉が気になることは言っていた。

だが、それもよく分からない。真意は、大空の王と影の鏡にでも問いただすしか無いだろう。

いずれにしても、決戦の時と、すべてを知るときは、あまり遠くないうちに来る。そう、エルフィールは確信していた。

 

椋鳥は、ザールブルグ南の森を疾走していた。

影の鏡と打ち合わせをして、それで戻る途中だった。別に、急ぐ旅程では無かったのだが。

今は、ただ必死に逃げていた。

追ってくる人影が、どれだけ現実を改変しても振り切れないのである。このようなことは初めてであった。すでに数千を超える年を経た椋鳥であったのに、今はフードをはためかせて、必死に恐怖と戦いながら逃げていた。

どうしてだ。

あり得ない。

鴉が殺されたと聞いたときは驚いた。だが、だからといって、現実改変能力などと言う代物に、人間が対処できるはずが無いのだ。あれは鴉が死ぬ気で、しかも逃げる気も無く戦ったからの結果だった。

だが、今の椋鳥は違う。最初から逃げに徹しているし、そもそも戦う気など最初から無かったのに。

前に回り込まれた。足を止めて、木の上に。人間も、ほとんど垂直に近い木を、駆け上がるようにして追いすがってきた。肝を冷やしながら、真横に飛ぶ。現実を改変し、突風を吹かせて、自分の体を浮き上がらせる。

これなら、追いつけはしまい。

だが、しかし。

次の瞬間、椋鳥の全身を、大量のナイフが貫いていた。

絶叫。バランスを崩して、地面に落下。落下した地点で、頸椎を折らないように、現実を改変するのが精一杯だった。

「ぐ、くうっ……!?」

「捕まえたぞ、小鳥」

至近に着地。顔を上げると、以前、椋鳥を補足した、例の女戦士だった。確かエリアレッテとか言ったか。

恐怖がせり上がってくる。

以前とは、まるで気配が違うのだ。顔には向かい傷などを作っているし、全身からにじみ出す殺気が尋常では無い。何か、とんでもない代物を目の前にしているのだと、椋鳥も一目で分かる。

鴉との戦いで、人間は現実改変能力の弱点である、連続使用の不可を解析したというのか。それについては分からないでも無い。だが、この超反応は、いったいどうしたことか。人間とは、ここまで狂気に満ちた反応速度を示せるものなのか。

混乱する頭で、思い出す。

そうだ。たまに、こういう人間がいることは知っている。

椋鳥はシグザールとドムハイトの総力戦を見聞したこともあるから、あの当時のクーゲルも分析したことがあった。全盛期だった頃のクーゲルは、ちょうどこんな殺気を、さも楽しそうに全身から垂れ流していた。反応速度も、このくらいはあったかもしれない。乾いた笑いが漏れる。

踏みつけられた。現実を改変して回避して、飛び退こうとしたところに、回し蹴りをもらって木に叩きつけられる。重い、などという次元では無い。

大量に吐血した椋鳥は、必死に全身に刺さったナイフを抜いていく。痛覚を遮断して、肉体の修復にかかろうとするが、そうはさせてくれない。

至近に、エリアレッテ。ゆっくり、ばかでかい剣を抜くのが見えた。爆薬でスイングスピードを上昇させるタイプの、狂気じみた武器だ。この女はイカレている。鴉を殺したエルフィールも尋常では無い精神構造をしているようだが、こっちは純粋無垢に殺戮に心を染め上げている。

「逃げようとしても無駄だ。 私はおまえがその木から現実を改変して離れた瞬間、この斬竜剣で真っ二つにする。 私は投げナイフはあまり得意では無いと言っておく」

「はあ、はあ、う、ぐっ」

得意では無い武器で、この精度か。

存在しなかったはずの感情が、せり上がってくるのを椋鳥は感じた。これは、きっと恐怖だろう。鴉に続いて、自分までも。主に、消されるかもしれない。そう思うと、さらに恐怖は募った。

殴られた。現実改変能力を使って逃げようととっさに思ったが、出来ないと悟る。完全に詰んでいた。

「質問に答えろ。 そもそもおまえ達は何人いる。 おまえ達の主はどこにいる」

「ふ、ふふふ。 む、無駄だ。 我らは個にして全。 主が目的を果たすために作り上げた、端末に過ぎぬ」

別に相手は驚いた様子も無い。まるでガラス玉のような目で、じっと椋鳥を見つめているばかりであった。

「ホムンクルスだというのは分かっている。 使い捨てと言うことか」

「そうではない。 必要なだけ存在していると言うことだ。 鴉の代役も、きっと今頃作られているだろう」

「そうか。 それで、おまえ達の主は」

「この世界にいて、それでいながら……」

この世界にいないと応えようとして、口がぴたりと止まる。拒絶反応では無い。

本当に、そうなのかと。疑念を感じてしまったからだ。

確かに主の姿は見たことが無い。訳の分からない方法で、コンタクトも試みてくる。だが、しかしだ。

もしも神々と同じような存在だったとしたら、もっとほかの方法で、人間の可能性にアプローチしてくる筈なのだ。

いったい主は何者だ。

この世界を観測している者達がいるという話は、椋鳥も聞いたことがある。魔物やドラゴンは、連中が作った存在だ。ほかにも監視者の手足となって動いている存在はいくらでもある。

だが、主は。

本当に、観測者なのか。

また、殴られた。歯が数本折れたのを感じる。

せり上がる恐怖の中で、首を捕まれ、持ち上げられた。体格はそれほど変わらないはずなのに、とんでもない筋力を感じる。

「おまえを逃すわけにはいかないから、簡潔に聞く。 おまえ達の目的は」

「あ、主の意思に沿うこと」

「その主は何を考えている」

「おまえ達人間の、可能性を確認したい、そうだ」

エリアレッテが、眉をひそめた。

どうしてか、恐怖のまま、口が滑る。しかも、止まりそうに無かった。

「おまえ達人間は、元々極めて不安定な存在だ。 独善的な思考に、異常な繁殖力、それにほかに比べての集団戦術の巧緻、いずれも自然界の中で卓越しすぎている。 だがそれが弱点になって、世界を滅ぼす可能性が極めて高い」

「それで、可能性の確認か」

「そ、そうだ。 これほど大規模な作戦が行われたのは、私の記憶の中でもこれが初めてだが」

「……」

視界が途切れる。

首をへし折られたらしいと、椋鳥は悟った。

薄れていく意識の中、ひたすらな恐怖がすべてを満たしていく。いやだ、死にたくない、死にたくない。

だが、向こうに、光が一筋だけ見えた。

手を伸ばす。

すべて、光に包まれていた。

 

カミラの前で、ホムンクルスの死骸を引きずったエリアレッテが、ブレドルフ王子に報告を淡々としていた。

それにしても、あの鴉と同等であろう現実改変能力者を単独で仕留めるとは。対抗戦術はすでに展開しはじめてはいるが、これほどの対応能力を見せるのはすばらしい。今のエリアレッテでは、カミラでも勝てるかどうか分からない。

次の騎士団長はまだ伸びしろがあるダグラスか、冷静に事を進められるアデリーだと思っていたのだが。ここでエリアレッテが浮上してきた。ただし、エリアレッテが騎士団長になると、最前線で激しく戦い続けることになるだろう。

「なるほど。 それが敵の目的か」

「はい。 そして情報から類推するに、この者達も、「主」とやらの居場所は知らないのでしょう」

「ふむ、難しいところだな」

ブレドルフ王子は、特に敵の目的に関心は無い様子だった。昔だったら、違っただろう。

しかし今の王子は、相手とこちらを冷静に分析し、カードをどう切るかを考えられるようになっている。好ましいことであった。

「エアフォルクUの時には、相手は呼びかけには応えなかった。 やはり、相手の手札をすべてつぶしていくしか無いだろうな。 エリアレッテ、騎士団と牙、それに軍の手練れに、君の身につけた現実改変能力対処戦術を教授してほしい。 あの鮮血のマルローネや、エルフィール、それにほかにも手練れがいたら思いつく限りに、だ」

「承知いたしました」

エリアレッテは死体を引きずって退出していった。アカデミーに持って行くためである。メイドを呼んで、部屋を掃除させる。血のにおいがものすごかった。

「影の鏡という存在も、はやく対処しなければならないが。 正直エリアレッテの身につけた戦術を、どれだけの人間が身につけられるだろうか」

「聖騎士の十人ほどは出来るでしょう。 牙はその半分。 軍属には、それほどの使い手は残念ながら今はいないでしょう。 僭越ながら私も習得は出来ると思います。 在野の冒険者も、トップの人材は出来るかもしれません」

「分かった。 身につけた人間には、交代で父上と私の身辺警護をしてもらうことになるだろうが、手配してくれ。 君も取得しておいてほしい」

この問題は、これでいい。

今はもう一つ、片付けなければならない事がある。

「それで、カミラ。 軍内部の新型武器の件だが」

「すでに首謀者は割り出してあります」

牙が動いた結果である。ブレドルフ王子は、話を聞くとすぐに牙を動かすようにと、周囲に指示を出した。

カミラはその結果を聞いただけである。

「師団長が二人、黒幕になっているようです。 ほかにも大佐が七名、中佐が二十三名、計画に加わっています」

「思ったほどの大物は関わっていないな」

「はい。 軍団長、大将の関係者はいない様子です。 しかし、問題は思った以上に根深いかと。 この師団長、過去にも問題を起こしておりまして」

国への反逆、などという大それた事をしようとしている訳では無い。

彼らの目的は、騎士団から主導権を奪うことだ。

現在、軍の上部にいる騎士団に対して、反抗的な姿勢を示す軍人は多い。彼らはその筆頭であり、以前からも問題行動が指摘されていた。

特に師団長の一人であるグルバス将軍は、騎士団へ有能な部下を何度も引っ張られたことがあり、それを根に持っていることで有名である。今回の件で中心的に動いているのも、その個人的な恨みが中心になっているとも推察された。

「さっき、君に聞いたとおり、軍にはエリアレッテが開発した現実改変能力対処戦術を覚えられるような武人がいないのだな」

「はい」

「それは確かに、不公平だともいえる。 二十万に達する軍で、最頂点に立つ武人がその程度なのだとすると、確かに騎士団は貪欲に人材をむさぼりすぎたのだろうな」

「しかし、騎士団の戦略的な意味を考慮いたしますに」

意外にも、やぶ蛇になったらしい。

ブレドルフ王子は首を横に振ると、その二人を近々招聘するようにとカミラに指示を出した。

既に騎士団とは戦略でも政略でも関われなくなっているカミラである。私情を挟もうにも出来ないが、これはちょっと意外な展開だった。

しかしながら、ブレドルフ王子が言うように、今まで騎士団は優秀な人材を根こそぎ独占してきた。それがゆがみにつながっているというのなら、早めに噴出した今回は、むしろ良い機会なのかもしれない。

今こそドムハイトはシグザールの手のひらの上だが、それもいつまで続くか分からない。北ドムハイトのアルマン王女は非常に優秀な人材だし、とんでもない手段で逆転される可能性もある。

今のうちに、内部の悪い芽は摘み取らなければならないだろう。

少し急ぎ足で、カミラは騎士団の本部に向かった。今は、騎士団と軍で争っている場合では無い。

ふと、カミラが空を見上げると、繋ぎ狼煙が上がっていた。

方角、北。例の敵出現。南下中。

狼煙からそれを読み取ったカミラは、急いで回れ右をした。ついに、来るべき者が来たらしい。

大空の王。

常識外の巨体を誇るドラゴンである。エンシェント級が子犬に見えるほどの大きさであり、おそらく既存の対ドラゴン戦術は通用しないだろう。

この間大きな被害を受けたばかりで補充も出来ていないが、屯田兵を中心に防衛線を構築してもらわないとならない。それには、ブレドルフ王子の決断が必要だった。

何だかいやな予感がする。カミラは胸騒ぎを感じながらも、既に騒ぎ始めている屋敷の中で、ブレドルフ王子の部屋を目指したのだった。

 

3,生じる混沌

 

指示のあるままに調査隊を派遣したグルバス将軍は、目立って不機嫌になっていた。調査隊を派遣したはいいのだが、異常なしという答えが返ってくるばかりであったからだ。エル・バドールに行った連中はなにやらとんでもないことが起こっていると言うが、知ったことでは無い、とでもいうのだろう。

第十六師団司令部があるクッラード砦の自室を歩き回るグルバスは冬眠し損ねた熊のようで、兵士達は彼を見て顔を見合わせる。当然近づきたがる兵士は、ほとんどいなかった。

グルバスはアイネル王国という、大陸北部にあるシグザールの衛星国の国境地帯に屯田している部隊の司令官であり、付近に点在する十六の軍事拠点を統括している。ドムハイトとの国境も近いので、遊撃部隊という意味もあり、拠点の守備だけでは無く、いざというときには騎馬隊を中心とした機動部隊を指揮して、勇猛に戦う立場であった。

屯田兵第十六師団の長であり、五十二歳になるグルバスは、前大戦でも最前線で戦い続けた闘将であり、それでありながら勇猛な指揮といざというときには冷静な判断が出来る。幼い頃に左腕を負傷し力がほとんど入らないというハンディキャップがあるにもかかわらず、師団長という高位を任されるに至った逸材である。

五十二歳になってはいるが、そのたくましい体格と言い、普通の男より頭一つ大きい長身と言い、見ただけで普通の兵士では勝てない風格を備えてもいる。ただし、大量の逆立ったひげに覆われた口元と、冷酷な目つきは、親愛の情よりも恐怖を他人に抱かさせる。しかしながら兵士達に対する公平な扱いには定評があり、まじめに勤め上げればきちんとポストを用意してくれるともっぱらの噂である。

優秀な軍人ではあるが、欠点も多い。

第一に彼は、感情を表に表しやすい。元々強面と言うこともあって、それで人望の幾らかを台無しにしてしまっている。元々軍人には荒くれが多いのだが、彼の場合はそれによるトラブルを何度も生じさせていると言うこともある。

次に、私怨を忘れない人物でもある。

騎士団に何度も優秀な部下を持って行かれてしまった事で、彼は騎士団を憎んでいる。もちろん共同作戦の際にはきちんと動くし、指示にも従う。しかしそれは、騎士団が王からの直接命令で動いている集団だからであって、あくまでいやいや、であった。それが故に、どうしても指揮にも鈍りが出るのだ。

そもそも致命的なことに、シグザール王国軍には、彼くらいの経歴の軍人はそれこそ師団長の数だけいる、ということだ。優秀な人材は騎士団に持って行かれてしまうとはいえ、軍にだって人材はいる。豪傑的な人物はだいたいが騎士団に押さえられてしまうが、指揮能力に長けた人物は、むしろ軍に残ることも多い。

そのような経歴だから、三週間前に副師団長を任されたダグラスは、いきなり嫌みの雨を浴びることになった。聖騎士だから武芸には長けているが、それだけだなと、いきなり言われたのを皮切りに、普通だったら師団長が処理するような事務も大量に押しつけられたのである。

聖騎士としては通ることにもなる道だし、何より故郷にも近い地域での仕事だ。それに、既に剣だけ振るっていればいい年齢でも無い。知勇兼備を歌われる聖騎士ジュストだって、若い頃には軍での高位を歴任してきている。ダグラスも今後騎士団長になるという噂があり、それを考慮するとこういった任務に堪えなければならないのだ。

咳払いをすると、グルバスは足を止めた。二倍も年齢が上の相手である。聖騎士であるとはいえ、ダグラスも相手に敬意を払わなければならなかった。

「何かね、聖騎士どの」

「師団長、何をいらだっておられますか」

「これが苛立たずにいられるか!」

怒鳴り返される。

この男にも、長年国境を守備してきたという誇りがある。半分の年齢の若造が監視役として赴任してきたばかりか、騎士団から命じられた任務になんら成果が出ないのである。彼にしてみれば、国境は長年庭のようにして守備してきたわけで、そこを今更どうこうして守れなどという指示を受けることさえ、屈辱的なのだろう。この辺りのことは全部知っていると、ダグラスに吐き捨てたのはつい最近のことだ。

だが、ダグラスも、エル・バドールの技術力は知る身である。

向こうの凄まじい技術力は実際に目にしたし、最近ではそれに由来すると思われるエアフォルクUでの死闘にも参戦した。塔の中ではクリーチャーウェポンの大軍勢と死闘を演じ、かろうじて巨大な鎧の化け物には勝利したが、その場で気を失ってしまい、後ろから来た援軍に担がれて帰還することになった。

ダグラスはこれでも、剣の腕だけなら、聖騎士の中でも一二を争うという自負がある。長柄ではアデリーにかなわないし、身体能力ではエリアレッテに劣るし、総合力では大教騎士カミラやエンデルク騎士団長にとうてい及ばないという自覚もあるが、この国でも最上位層に入る実力にまで腕は磨いたのだ。

だから、ダグラスも、グルバスに対して引くことは出来なかった。

「何度も説明しましたが、エル・バドールの技術力は、現在の我が国とは比べものになりません。 勝手に動く道や、上の階に運んでくれる箱など、貴方に想像が出来ますか?」

「だからなんだ。 武力では充分に対抗できると聞いているぞ。 それにあの忌々しい大海蛇も、騎士団よりも錬金術師どもと海兵達が仕留めたようなものではないか」

「それについては否定しません。 しかし、彼らの技術力を侮るのは、あまりにも危険だと言うことは留意ください。 この辺りの地形を、将軍が熟知していることは俺、いや私も理解しています。 しかし、この近辺に彼らのクリーチャーウェポンが潜んでいないという保証は、それこそ誰にも出来ないのです」

鼻を鳴らしたグルバス。

気まずい沈黙が流れるが、それを打ち破ったのは、伝令であった。

「ご注進! 第四偵察小隊が、奇妙なものを空に発見いたしました!」

「奇妙なもの、だと?」

「はい。 実際にごらんにいただくのが一番かと思われます。 地元の古老にも、既に呼びかけを行っております」

しばらく刺すような目つきで伝令を見ていたグルバスだが、マントを翻して歩き出す。重そうなプレートメイルを苦にもしていないのはさすがだ。ダグラスはグルバスが嫌いだが、指揮官としての能力は認めている。それに、仕事中はしっかりプレートメイルを身につけて、訓練にも索敵にも油断しない姿勢は高く買っていた。

この男が、騎士団を引きずり落とすための工作をしていることは知っている。だが、軍人としては、欠点はあれど問題の無い人物だ。ダグラスは師団長に平行して歩きながら、話しかける。

「繋ぎ狼煙の準備を」

「言われずとも分かっているわ、若造」

「ならばいいのです」

砦はそれほど大きなものではない。

近くにある人口二万人の都市クルーエルと連携して作られている出城であり、かってこの辺りでドムハイトと会戦があったときに、都市と軍が連携を上手にとれなかった反省を生かして、作られた設備だ。

グルバスも砦の建設には関わっている。こういった部分に関しては、彼の手腕は本物のようで、悪い噂は聞かない。

砦から出て、すぐに馬に乗る。ダグラスは馬を拒否した。

走って追いつけるからである。カミラに至っては、余裕をもって馬を追い抜き、騎兵をたたき落とすそうだ。

伝令とともに、現場へと急ぐ。

辺境だけあり、五万の兵が駐屯守備しているザールブルグとは違い、一個師団でかなりの広さを守備しなければならない。このため、空に何かが浮かんでいると言われても、砦の上から確認、という訳にはいかないのだ。

既に狼煙が後方で上がっている。愛馬にまたがって疾走するグルバスは、併走するダグラスを見て舌打ちする。

「本当についてくるな」

「これくらいは朝飯前です。 在野の人間にも、出来る奴はいます」

「ふん」

ペースを上げるグルバスだが、余裕である。ダグラスは若干急ぎながら、目を細めて、遠くの空をみた。

巨大なドラゴン。大空の王。

一瞬思いをはせる。騎士にとって、竜退治はロマンの一種だ。実際には集団戦術で簡単に仕留められる相手だが、幼い子供は誰もが最初、それに夢をはせるのでは無いかともダグラスは思う。

だが、大空の王は既存のものとは根本的に違う存在だ。まず大きさがあまりにも違いすぎる。しかしながら、そんな巨大なものが飛んでいたという報告は、どこからも上がっていない。

今までどこに行ってしまったのか、騎士団が必死に探してきた。牙も暗躍しながら、それに協力してきた。

しかし、発見は出来ていない。

もしここで発見されれば、おそらくは抗戦しなければならないだろう。

「大空の王とやらは、通常のドラゴンの何倍も大きいとか言う話だが、聞いているか」

「推定される体長は、平均的な人間の百三十倍前後と言うことです」

「はん、そんなデカブツが、よく空を飛べるものだな」

「同感です」

やがて、小型の塔がある小さな砦に着く。報告があったのは、この地点だ。

狼煙は上がっている。だが、空には、それらしきものはいなかった。周囲にも、被害が出ている様子は無い。

馬から下りると、不機嫌そうにグルバスは砦に入る。敬礼する歩哨には目もくれない。

砦を任されているのは、年老いた少佐で、勇猛さには欠けるが真面目に勤め上げてきた男である。敬礼する少佐に、最初からグルバスは高圧的に言う。

「で、化け物はどうした」

「はっ。 南の空に飛び去りました」

「臆病風に吹かれて、幻覚でも見たのではあるまいな」

「砦にいた数百人の兵士、皆が目撃しております」

少佐は冷静に反論した。

グルバスはそれ以上何も言わず、差し出された怪物の絵を見る。ダグラスも見たが、そこで眉をひそめることになった。

ドラゴンでは、無い。

全く別種の生物だ。ただし、兵士達の説明によると、確かに体長は人間の百倍くらいはあったという。

しかし、このおぞましさは何だ。絵の通りだとすると、確かに会話が通じる相手だとはとても思えなかった。

「ほかの兵士も呼べ。 証言を聞きたい」

「分かりました。 信じられないのも、無理はありません」

だが、ほかの兵士達も、だいたい同じ証言をした。

怪物は、全身が濃い緑色をしていたという。そして滞空しながら、かなりの高度をゆっくりと旋回したというのだ。

「旋回した、だと?」

「はい。 それが不思議なことに、どうも北から来た、位のことしか分からないのです」

「それはどういうことか」

周囲をしっかり監視できるように、砦には東西南北に三階建ての塔が建てられている。石造りの頑丈な塔であり、それぞれの方角をしっかり監視している。もちろん人間の視界の関係上、東北やら南東やらも監視が可能だ。これは、他の監視場が制圧された場合に、対処しやすいようにする工夫である。

また、監視室については構造が複雑で、簡単には制圧されないようにもなっている。これは監視所が奇襲を受けて、繋ぎ狼煙が機能しない、という事態を避けるためである。実際にドムハイト軍が全盛だった頃には、何度か前例があったのだ。

だから、敵がどこから来たか分からない、という事は考えづらい。

「いつの間にか空にいた、という点では兵士達皆の見解が一致しております。 そして三回か四回、砦の周囲をゆっくり旋回した後、南へ飛び去ったようなのです」

「ならば、どうして北から来たと判断した」

「他の監視所からは報告がありませんので」

当然のことだが、ここは最前線の監視施設では無い。

ドムハイトやアイネルとの国境付近では、砦の他にも、炭焼き小屋や、或いは時には洞窟などに偽装した狼煙小屋が存在している。そういった場所からは報告が上がっておらず、特に東西からは全く目撃報告が無いという。

「ふざけているのか! そんなことがあるか!」

「グルバス将軍。 相手には、こちらの常識など最初から通用しません。 とにかく、すぐに南へ報告を」

「……そうだな」

不機嫌そうに、グルバスは指示を飛ばし始める。

おそらくこいつが不機嫌なのは、密かに製造させている例の武器を試す暇さえも無かった、というのが原因だろう。

それで大空の王を仕留めることが出来ていれば、騎士団に対して軍の有用性を示すことが出来たのだから。

ダグラスは狼煙台に出ると、色とりどりの狼煙を炊いている兵士に、聖騎士であることを説明してから、一つお願いをした。

兵士は小首をかしげながらも、それに従ってくれた。

 

繋ぎ狼煙が、次々に上がっている。

テラフラムを納品して、帰る途中だったエルフィールは。騒ぎを聞きつけて、城壁にすぐ上がった。

そして、見た。まるで戦時かと思えるほどの数、狼煙が上がっている。何も知らないものが見たら、まるで祭りか何かと勘違いしたかもしれない。

これは、まずい。下手をすると、噂をすれば影を差した可能性もあった。

すぐにアトリエに戻る。

イリスが咳き込んでいるのが見えた。ヘルミーナ先生に報告して、既に寿命を延ばす措置については聞いている。だが、はっきりいって、それをやっている暇はしばらくこないだろう。

イリスは死なせたくないが、かなりぎりぎりになるはずだ。

「マスター?」

「大空の王。 来たよ」

「分かりました。 すぐに出る準備します」

クノールには、道具類を地下にしまうように指示。さて、どのようなドラゴンが、どのようにして攻めてくるか。

既に騎士団も軍も、迎撃の準備をしているはずである。エルフィールのところにも、協力するように要請が来るはずであった。

ばたばたと走り回る警備兵達。

ドアがノックされた。出ると、意外な人物だった。

「あ、ロマージュさん」

「その様子だと、もう出る準備は整ったみたいね」

「はい。 でも、その格好は?」

少し前から、飛翔亭で姿を見ないなと思っていたのである。しかし、特に意味も無いので、聞いてはいなかったのだが。

今のロマージュは、赤い鎧を身にまとっていた。しかも、かなり露出が多いように、カスタマイズした、である。

「ああ、見ての通りよ。 騎士になったの」

「驚きました」

「騎士団も、人材不足らしくてね」

確かに、この間の戦いで百人以上の騎士が死んだという話である。冒険者からも、人材を多く補充したのだろう。

戦いがあると、こういう形で社会から軍は、騎士団は、人材を吸い上げる。

今でさえこれである。二十年前の大戦時は、さぞや社会への負担が大きかったことだろう。

ロマージュと一緒に、外に。キルキもすぐに出てきた。

ロマージュの話によると、アイゼルとノルディスも、既に出る準備をしているのだという。一緒に歩きながら、いろいろと話を聞く。ロマージュはやはり攻撃回避技術を買われたそうである。

「本当に騎士団って貪欲だわ。 イルマさんやカトールにも予備役での騎士団編入の声があるらしいのよ」

「それは、また本当に貪欲ですね」

「イルマさん強い。 無理も無い」

しかし、流石にイルマは年齢が年齢だ。この年からいきなり騎士というのも、本人に対する負担が大きいだろう。ここで言う負担とは、肉体へと言う意味だけではない。イルマは流浪民の長をしているはずで、彼女が抜けるとその同胞達が大きなダメージを受ける可能性が高いという事だ。

東門に到着。

アイゼルとノルディスは既にいた。

腕組みして嬉しそうにしているのはヘルミーナ先生である。ヘルミーナ先生がいれば確かに百人力だが、ちょっと緊張した。

「エルフィール。 テラフラムの完成おめでとう。 試作品に関するレポートは見たけれど、もうちょっと面白く書いてほしいわねえ」

「ありがとうございます。 今度、面白いレポートも作ってみます」

「期待しているわ。 うふふふふふ」

彼女のそばには、恐縮した体のフランソワもいる。

足の方はもうすっかり良い様子だが、しかしヘルミーナ先生に対しておびえきっているのが一目瞭然だ。

弱みを捕まれたようなのだが、いったい何をさせられているのか。アイゼルが言うように、気の毒であった。

そういえば、騎士と言えばダグラスがいない。代わりに、すっかり騎士の鎧が板についてきたハレッシュが来る。

「よお、おまえら。 久しぶりだな」

「ハレッシュさん。 ご息災ですか」

「おうよ。 嫁さんも元気で、俺も毎日が楽しくて仕方ないぜ」

げらげらとハレッシュが楽しそうに笑うので、エルフィールもつられて笑ってしまった。正確には、そう表情を作っただけだが。

記憶が戻った現在でも、表情が自然に出るわけでは無い。アデリーさんと一緒に練習しなければ、やはり今でも無表情のままであっただろう。

ハレッシュの話だと、ヘーベル湖畔近辺で防衛線を展開するという。

確かにそれ以上南下されると、穀倉地帯に突っ込まれることになる。まだ収穫の時期は遠いとはいえ、それはかなりの痛手となるだろう。

既に屯田兵も動き出している様子である。城壁の上には、ずらりと投石機が並べられているし、ザールブルグの外には騎兵を中心とした戦力が陣を組んでいる。ただし、通常のドラゴンよりも遙かに大きい相手に、どこまで通用するかはよく分からないところだ。

城外の戦力はおよそ一万。

そうなると、ヘーベル湖畔の戦力は、だいたい三万五千だろう。この間四千弱の兵力を失ったと聞いているし、補充戦力を入れてもそれが限界の筈だ。

街道を行く。

やはり左右は、展開するべく移動している兵士達でいっぱいだった。

「エリー。 その。 貴方の過去の話、聞いたわ」

「そう。 話しておいて良いと言ったしね」

イリスの事だ。多分ミルカッセにも話したのだろう。

別にそれはかまわない。アイゼルはしっかりした歩調で歩きながら、言う。

「それで、どうするの、これから」

「マイスターランクはしっかり卒業して、それからドナースターク家に仕えるよ」

「そう。 良かったわ」

「アイゼルこそ、マイスターランクを卒業したらどうするの? すぐにワイマール家の当主になって、家の再興に入るの?」

アイゼルは首を横に振った。

彼女の話によると、ワイマール家は現在危機的な状況にあり、アイゼルがすぐに当主になるだけではどうにもならないという。

「お父様は、善良だけれど、商売の才能が無いの。 その上、うまみがありそうな市場は、だいたい他の商家か貴族に押さえられてる。 私も貴族相手の顧客開発をしているけれど、それをワイマール家に受け継いでも、流石に一族を養うのは少し厳しいわ。 だからまず私が家の多くを受け継いだ後に、新規顧客を開発しないといけないのよ」

「そうなると、旅に出るとか?」

「ええ。 ドムハイトか、或いは大陸南東部か。 ちょっと危険が伴うけれど、商売のルートを開拓しないと、ワイマール家は滅んでしまうわ」

そうなると、カスターニェからの海路を使うことになるだろう。

アイゼルはこう言っていたが、実際にはザールブルグでやっていくのも、アイゼルが当主になりさえすれば不可能では無いはずだ。アイゼルの作る装飾品は、確か王族にまで顧客を広げているはず。かってはいろいろと苦労もあったようだが、今はそこまでコネが広がっているわけで、現状維持くらいなら出来るだろう。

つまりアイゼルは、両親や家臣達に楽をさせてやりたいのだ。

ノルディスも、特に苦労すること無くついてきている。最初の頃の軟弱さが、嘘のようだ。

「ノルディスは、お医者さん?」

「うん。 ゼークト先生に、施療院で働かないかって、誘われているんだ」

「薬剤調合も出来るお医者さんか。 確かに便利だね」

「流石にエリキシル剤を量産するって訳にはいかないけれどね」

この間までノルディスはエリキシル剤を量産していたが、それはアカデミーと、正確に言えばその後ろにいる騎士団がスポンサーになっていたからだ。

個人では、エリキシル剤はとても作るのが難しい。素材類を集めるのが非常に大変だし、何よりとても時間がかかるからだ。技術的にも極めて繊細なものを要求するから、その間ほとんど他のことは出来ない。

キルキは。

以前何度か聞いたが、軍の顧問錬金術師になるという。もちろん、酒の毒を排除する研究は続けるという条件で、だが。だが、エルフィールには、どうもキルキはその研究を諦めているような気がしてならないのである。今後は逆に、害が少ない酒の研究をしていくのでは無いかと思えてしまう。

穀倉地帯の北の方は、人の海だった。

ザールブルグは人口およそ二十万だが、その北の穀倉地帯には、屯田兵五万が住み込んでいる。厳密にはザールブルグ市民では無い彼らは、それこそ国中から集ってきたり、或いはこちらに回されたりした兵士達だ。彼らは普段広大な穀倉地帯に散って生活しているが、集まると流石に壮観である。

聖騎士ローラが迎えに来た。キルキだけ、先に連れて行かれる。それに、ヘルミーナ先生も、フランソワと一緒に何処か行ってしまった。

そういえば、キルキが対大空の王用に研究していたものは、最後まで知らされなかった。多分それに関係しているのだろう。

聖騎士ローラはすぐに戻ってきた。そして、エルフィール達も、最前線にある大型の天幕に案内された。

「接敵はいつ頃になりそうですか」

「敵の進行速度からして、おそらくは明日の夕刻でしょう」

「意外に遅いですね」

「あくまで、敵が今のペースを守った場合、の話です。 もしも敵が速度を上げたら、それより早く敵とぶつかることになります。 今のうちに、しっかり休んでおいてください」

ローラはそう言うと、天幕から出て行った。

いや、そのような当たり前のことを聞いたのでは無いのだがと、エルフィールは一瞬がっかりしたが、まあ仕方ない。前回のエアフォルクUでの戦いから時間もそれほど経っていないし、しかも被害も回復しきっていない状況での開戦である。相当に苛立っているのだろう。

それとも、何か他に問題が発生しているのか。

「ねえ、エリー。 ちょっと妙な噂を聞いたのだけれど」

「妙な噂?」

「騎士団と軍で、対立が発生しているらしいの」

それは、噂としてはちょっと穏やかならぬ話だ。ノルディスが、珍しく話に乗ってくる。

「この間の戦いの時だけれど、軍と騎士団はあまり仲が良くないのを、僕も見たよ。 やっぱり縄張りの争いだとか、権力の関係とかで、いろいろと対立は生じがちみたいなんだ」

「人数自体は軍が圧倒的に上だけれど、騎士団は一騎当千の猛者揃いだものね。 それに、騎士団に優秀な人材を持って行かれてしまうことも多いみたいだし、ずっと騎士団の下部組織だって扱いを受けていれば、軍だって多分気分が悪いだろうし」

しかもこの国の軍隊は、屯田兵という形を取っており、所属する兵士達は厳密には専業軍人では無い。

もちろん騎士団だけではこの国を守ることは出来ない。だが、屯田兵達は、或いは他の国に比べると、地位が若干低く自分たちを見てしまっているのかもしれなかった。

だが、それら対立の構図は、今に始まった話では無い。

どうして今更、生じてくるのかが不思議だ。

こういった対立は、何かしらの出来事がきっかけになる事が多い。一瞬この間のエアフォルクU戦が原因かと思ったが、多分違うと結論。二十年前の戦では、それこそあの程度の被害は日常茶飯事だったはず。その上、騎士団だって、相当数の死者を出しているのである。軍だけが、大きな被害を受けたと言うことは無い。

ふと、思い当たる節があった。

「ね。 ひょっとして、影の鏡じゃないのかな」

「流石にそれは考えすぎじゃないのかしら。 確かにエル・バドールのマイナスパラダイムシフトの影で暗躍していたという文献があったようだけれど」

「だってあいつら、今まで何の動きも見せてないでしょ? 何かしていてもおかしくないよ」

「……確かに、今回はタイミングが合いすぎているよね」

ノルディスが話を進めようとしたところに、足音。聖騎士ローラだった。忙しい事である。

アイゼルとノルディスが呼ばれて出て行く。エルフィールも、テラフラムの件で、もうじき呼ばれるだろう。

イリスが何度か咳き込んだ。

「大丈夫?」

「あまり。 体の中が、ずきずきします」

「この戦いが終わったら、寿命を延ばす措置をしてあげる。 それまで我慢してね」

無言でイリスはじっとエルフィールを見上げた。

この間殺した鴉だが、ヘルミーナ先生が嬉々として死骸を回収していった。おそらく研究に使うためだろう。奴の話を信じるのだとすると、ホムンクルスは下手をすると無限大の寿命を得ることが出来る可能性もある。

流石に即座に解析は出来なかったようだが、ヘルミーナ先生は何かしらのヒントを掴んだようで、最近はテンションが高い。

次に作るクルスは、或いは鴉と同じ水準になるのかもしれなかった。

エルフィールがお呼ばれする。連れて行かれたのは、最前線にあるらしい、妙に開けた空間だった。

多分ここに誘い込んで、テラフラムで爆殺するのだろう。

広さは四半里四方と言うところか。ヘーベル湖畔としてはかなり広い空間であり、おそらく木々を伐採したりして作った空間か。地面をちらりと見て、違うと結論。これは多分、軍の野営地跡だろう。

既に、騎士団の技術班がテラフラムを持ち出していた。その中の一人、まだ若い眼鏡をかけた女性騎士が、敬礼してくる。

「エルフィールどの。 作戦の参加、感謝であります」

「こちらこそ。 歴史的な瞬間に、お呼びいただき感謝しております」

互いにぺこぺこ頭を下げ合うエルフィールと女騎士に、珍獣でも見るような目でイリスがあきれていた。

「使用方法は既に確認しております。 その気になれば、即座に爆発させることも可能と言うことでありますが」

「その認識で間違いありません。 ただしスペアがないのと、爆発の破壊力が尋常では無いので、遠隔で操作することを考えるのと、後は防爆の備えを必ずしてください」

「それほどの破壊力なのですか」

「小型の試作品で、七十歩四方がきれいに消し飛びました。 このサイズだと、空き地がまとめてきれいに消し飛ぶと考えてください。 当然、周囲に布陣したりすれば、そちらにも被害が出るでしょう」

別に脅かす意図は無い。事実をありのままに告げているだけだ。

惜しいのは、これが量産できるものではないという事だろう。既に製法は確立したとはいえ、また作るとなると一月以上は余裕でかかる。

女騎士は考え込む。

「こちらでは、移動加速に特化した能力者を使う予定でしたが、備えをそれ以上にする必要がありましょうか」

「周囲に展開する部隊には、大型の盾が必要になるかと。 後は耳栓ですね」

「分かりました。 すぐに手配します」

女騎士がぱたぱたと去って行く。

エルフィールと背丈も年もあまり変わらない、かわいらしい騎士だ。もちろん騎士になったからには、相当に厳しい訓練を経ているのだろうが、それにしても面白い。多分特化型の能力者なのだろう。

残った兵士達に、技術指導を行う。

テラフラムは、持ち運びを意識した爆発物だ。実際のところ、持ち運びを度外視するのなら、もっと威力を上げることが出来た。

一通り作業が終わると、天幕に戻る。一番最初に出たキルキは、まだいなかった。代わりにアイゼルとノルディスは、真剣な顔をつきあわせて打ち合わせを続けている。

「あら、エリー」

「ただいま。 キルキはまだ?」

「うん。 やっぱり難しい部分を任されているみたいだね」

事前に準備していたとはいえ、何しろ規格外の怪物だ。さらに言えば、どのような攻撃を仕掛けてくるかも分からない。

巨体を生かし、ブレスをはいて辺りを焼き尽くす、というのであればむしろ簡単かもしれない。問題は、エアフォルクUのような、非常に面倒な、桁外れの災厄を招きかねない攻撃をしてくるパターンだ。

キルキが戻ってきたのは、夕刻である。

露骨に酒臭かったので、イリスが思わず口を押さえていた。

「サー・キルキ。 そのにおいはどうなされました」

「作戦上必要。 でも酷い臭い」

ヘーベル湖で水浴びしてくると言い残して、キルキはすぐに天幕を出て行った。綱紀がしっかりしているシグザール軍とはいえ、単独では危ない。エルフィールも、イリスと一緒について行った。

外はまるで軍人の展覧会場である。父はずっとこんな環境で、幼かった自分を守って戦場を歩き続けたのだなと思うと。

エルフィールは、ちょっと父を尊敬した。

 

一晩明けて。最初に異変に気づいたのは、エルフィールだった。

軍が移動を開始しているのである。ここに防衛線を作って、敵を迎撃するのでは無かったのか。

天幕の中で、白河夜船になっている皆を揺り起こす。一番手こずったのがノルディスだった。あいかわらず軟弱である。昔に比べれば、随分ましになったが。イリスは咳き込みながらも、きちんと自力で起きた。フィンフは声をかけると、すっと人形みたいに起きあがった。

咳き込んでいるイリスを見て、妙に誇らしげなフィンフである。或いはフィンフも、アイゼルにかわいがられている内に感情を覚えたのかもしれない。暗い感情だが、人間の心だって深部はだいたいおぞましいものだ。

ただし、自分の方が長生きできるから誇らしい、ではないだろう。

フィンフの思考回路からいって、自分の方が長く役に立てると思って、喜んでいるのだろう。

騎士団の連中が、騒ぎ始めている。

兵士達と、あちこちで諍いが始まっているようだった。やはり、どうして勝手に移動しているのか、それで揉めているらしい。屯田兵は一人一人では騎士にかなわないが、集団になれば話が違う。

確かに一騎当千の猛者揃いとはいえ、軍はここにいるだけでも三万以上である。騎士は数百人程度しかいない。もしも本気でぶつかり合えば、如何に騎士団といえども、相当な犠牲を覚悟しなければならない。

「全員、身を守る準備。 最悪、湖に飛び込んで逃げるよ」

「どうやら、それしかなさそうね」

アイゼルも、覚悟を決めたようだった。

円陣を作ったまま、湖畔まで下がる。

また一つ、イリスが咳をした。

 

天幕の中で、話をしていたヘルミーナが不意に口を閉じる。カミラはいい加減辟易していたところだったのだが、しかし好き勝手な話ばかりしているヘルミーナが不意に黙ると、流石に何かあったのだと分かる。

ほとんど遅れずに、カミラも悟る。

外の様子が、おかしい。

天幕から飛び出すと、軍が勝手に動き始めていた。ヘルミーナは腕組みしたまま、じっと動き続ける軍勢を見つめている。兵士に突き飛ばされている若い男の姿。クライスである。お使いを頼んでいたのだが、最悪なときにきたものだ。

ヘルミーナが跳躍。クライスに剣呑な声を上げていた兵士達の前に降り立つ。流石にヘルミーナの殺気を浴びて、兵士達もおびえて下がり、クライスは地面に落ちた眼鏡をようやく拾うことが出来たのだった。

「眼鏡、眼鏡、ああ、ありました。 全く、酷い目に遭いましたよ」

「もっと酷い目にこれから遭うかもねえ」

「ひいっ! ヘルミーナ先生! 何時からそこに!」

「今さっきから」

それだけ応えると、クライスが差し出した手紙を、ヘルミーナは引ったくった。

イングリドのまとめたレポートを抜粋した内容である。

この間、エルフィールが仕留めた鴉の分析結果だ。死体を徹底的に解剖するのは今天幕の中にいるフランソワにやらせた。ゲーゲー吐きながらも、一応の解剖をこなしたので、拳骨をくれてやるのは我慢したのだが。

しかし、この結果。少し不愉快だ。

「プロフェッサー・ヘルミーナ。 どうなさいました」

「聖騎士カミラ、どうもあの鴉というホムンクルス、少し面倒な存在であったようでしてねえ」

「あれほどの力と、反則と言っても良いスキルの持ち主です。 面倒な存在であるのは当然では?」

「そういう意味では無いのだけれど」

くすくすと、ヘルミーナは含み笑いした。周囲の兵士達は、もうヘルミーナにはかまわず、遠巻きにして行軍を続けていた。

カミラは行軍する先に、小さな丘があるのを確認。

そういえば。昨日の軍議で、サーレット中将が強硬に意見を進めたのだ。あの丘に、布陣するべきだと。

騎士団が進めている作戦はこうだ。

キルキに作成させたものによって、大空の王をおびき寄せる。周囲を囲んで飛翔することを防ぎつつ、アイゼルが作成した反転エリキシル剤を投与。これによって動きを止め、最後にエルフィールが作成したテラフラムで爆殺する。

だが、軍はこういう作戦を提示してきた。

最近、彼らが独自に開発してきた、生体振動砲という兵器を使うというのである。

これは一見すると、エル・バドールで流通していた銃に似ている。デザインコンセプトはおそらく同じだろう。

この銃もどきは、いくらでもサイズを拡大できることが特徴で、それこそ何抱えもある砲身を作り出すことも可能なのだ。しかし欠点が二つある。一つは人間の生命力そのものを発射するときに消耗すること。サイズが大きいと、周囲にいる兵士達数百名が倒れることになる。

そしてもう一つは、暴走の可能性だ。何しろブラックボックス化されている部分が非常に多く、何が起こるか分からない危険を秘めている。この部分を作っているのはある発明家らしいのだが、その素性まではまだ特定できていない。

軍は、これを使い、大空の王を倒したい、というのだ。

ブレドルフ王子がザールブルグにまだいることもあり、総司令官はエンデルク騎士団長が務めていた。多分それが、サーレットの反意を余計に刺激もしたのだろう。

ましてやサーレットは、以前からきな臭い動きをし、しかも生体振動砲を作成している事実が、牙の手で掴まれていた。

今回騎士団を追い落とすために、強攻策に出た。そういうことなのだろう。

「あなたたちも、一枚岩じゃ無いのね」

「残念ながら。 それにしても、ブレドルフ王子の発言は正しかったのだと、今更に思います。 長年培われた不公平が、サーレットや軍上層部の一部を、頑なにさせているのでしょう」

「どうでもいいけど、こんな事で争ってると、負けるわよ」

ヘルミーナの言葉に、カミラは嘆息する。全くその通りだからだ。夜明けに繋ぎ狼煙を見たのだが、敵の進撃速度が速い。下手をすると、昼過ぎにはここに到着する。もしもその時点で、縄張りがどうのと争っていたら、本当にアウトだ。

仕方が無い。ここは、やるしか無いだろう。

「私が、行ってきます」

「へえ?」

「ブレドルフ王子は、今頃牙の最精鋭に守られて、こちらに向かっています。 しかし、馬を使えば、朝の内にここまで到達できます。 問題は影の鏡による襲撃ですが、それについては秘策があります」

一人、王のそばにいて、現時点で影の鏡に対抗できそうな奴がいる。

上手くそいつも捕まえられれば、一気に作戦を成功に導くことが出来るだろう。

「ま、好きになさい。 今のうちに私は、作戦を成功させるべく、技術指導でもしておくわ」

カミラは、かって戦ったこともある凶猛な錬金術師にほほえむと。

身体能力を倍加させる己の能力を展開し、朝明けの中を疾走し始めた。

 

4,混沌の中の決戦

 

ブレドルフは、国一の名馬にまたがり、朝霧の中を疾走した。隣では、カミラが愛用のバトルアックスを担いだまま、併走している。もちろん馬など使わず、足でだ。他にも牙の精鋭数名と、聖騎士エリアレッテがそれに続いていた。

今回、ブレドルフが出陣を決意したのは、父王に許可をもらったから、だけではない。エアフォルクUの事を調べれば調べるほど、その桁違いの脅威が明らかになってきたからである。

神話の災厄というに相応しいその存在は、王子に危険を冒してでも、前線に出るべきだと判断させた。前回のエアフォルクUの際も、前線で慰問はしたが、指揮は上級指揮官達に任せて自分は後方に下がった。

しかし、今回は。

最前線で、敵の動きを見きるつもりだ。

ブレドルフが跨がるは、葦毛の大柄な馬である。体格の良い馬を何代にも渡って交配させて作り上げた、文字通りの優質馬だ。耐久力も高く、多少矢を浴びたくらいではびくともしない。持久力も凄まじく、全力で無ければ、三日ほどは走り続けることも可能だ。

「王子、次を右です」

「うむ」

ブレドルフが手綱を引いて、馬に進路を示す。忠実な馬は、その通りに進路を取った。だく足での疾走が続く中、耳の奥に、鋭い違和感が走った気がした。

跳躍したエリアレッテが、空中でそれをたたき落とす。

地面に突き刺さったのは、矢か槍か。いずれにしても、大きな不可解な代物だった。半透明だったような気もする。

「走れ! そのままだ!」

「魚鱗陣! 王子を守れ!」

牙の精鋭達が、一糸乱れぬ統率で魚鱗に王子を守る。エリアレッテは走りながら、徐々に遅れ始める。

「迎撃します」

「任せる。 カミラも行け」

「いえ、大教騎士は王子の護衛を。 ここは私が、時間を稼ぎます」

返事を待たず、エリアレッテの姿は後方のもやに消えた。

生き残れよと、ブレドルフはつぶやく。そして、馬に鞭をくれた。さらなる加速をするために。

 

露骨に、空の気配が変わった。

湖岸まで下がったエルフィール達は、それをほぼ同時に見ることとなった。だが、小首をかしげる。

あんな、おぞましい形であっただろうか。

翼があるのは確認できる。だが、全体の姿は、まるで怪物の出来損ないだ。近づいてくるにつれて、その凄まじい異形が、はっきりしてきた。

翼は四枚。全体的には飛翔中の蜻蛉に近い姿である。体は細長く、首は前に滑稽なほどに伸びていて、先端部分には四つに分かれた突起物がある。多分目だろう。そしてその四つに分かれた目の間から、時々異常に長い舌が伸び縮みしていた。

足はざっと見ただけで六十はある。どれも節くれ立っていて、とてもではないが機能するとは思えないような足もついていた。

尻尾も足のように節くれ立ち、非常に長い。

全長は、どう見ても人間の百三十倍から、さらにそれ以上はあるだろう。高空をゆっくり羽ばたき来るそれは、まさに怪物。

ドラゴンでは無い。

だが、それ以上の異常な圧迫感を感じる、化け物だった。

騎士団と兵士達の混乱の中、それはゆっくり上空を旋回し始める。まるで獲物を見定めているかのようである。

混乱の中、少しずつ、さざ波が引くように、辺りが静かになっていく。

見た。

進み出ているのは、ブレドルフ王子では無いか。そばには、大教騎士カミラもいる。

「国難の時に、何を争っておるか!」

りんと響く王子の声。驚いた。軟弱きわまりないと家臣達を嘆かせていた男の声か。威厳に満ち、無言で他人を傅かせる力強さにも満ちている。この男は、すっかり脱皮し、成熟したのだ。

今や、どこの国の王と比べても、遜色は無いだろう。

進み出たのは、これまた威厳のある初老の将軍である。多分騒ぎの元凶か。

「サーレット中将。 この国難に、騒ぎを起こしたるは汝か」

「いかにも。 しかし、これは国を思えばの事にございます」

サーレットは言う。

この国の人材は、あまりにも偏りすぎている。異能も武人もことごとく騎士団に吸い上げられ、軍には平凡な人材しか残らない。

その結果、騎士団ばかりが優遇され、軍人は最前線で一番血肉と命を散らしているにもかかわらず、待遇が向上しない。

どんなに部下を育てても、騎士団に引き抜かれてしまう現状はおかしい。

騎士だけが武人か。軍人にも、誇りのある戦いをさせてほしい。そう、サーレットはとうとうと述べ立てた。

ずっと考え続けてきた理論だったのだろう。確かに、一理あることだ。

王子は静かに頷く。

「確かにサーレット将軍。 汝が意見にも一理ある」

「お聞きください、殿下」

「しかし、今はあの巨大な怪物により、この国だけでは無く、人類そのものが脅かされている時だ! 貴殿の主張は必ず聞くことを約束する。 だが今は、エンデルクの指示に従い、迎撃作戦を実施せよ」

「殿下……っ!」

まだ何かサーレットは言おうとしたが、その前にブレドルフは剣を抜き、天に向けた。

流石に王族が、しかもヴィント王の跡継ぎが攻撃開始を命令してしまえば、従わざるを得ない。しかもかってならともかく、今のブレドルフ王子は人望も厚く、兵士達の間でも人気が高いのだ。

だが、昂然とわき上がる兵士達の中。

まるで、誰もその場にはいないように進み出てくるものがいた。

ヘルミーナである。

「お待ちください、殿下」

「プロフェッサー・ヘルミーナか。 如何した」

「様子が変です。 空のあの怪物、どのように見えますか」

怪物は、相変わらず旋回を繰り返している。

どうしてか、ヘルミーナ先生はとても遠くにいるのに、その声はよく聞こえた。耳の奥がきんきんと鳴っているようにも思える。

この症状については、覚えがある。エルフィールは思わず、耳を激しくたたいていた。

「エリー!?」

ぐわんぐわんと頭が鳴るが、これでいい。自分の右腕に噛みつく。慌てた様子でノルディスが引きはがそうとするが、首を横に振った。

歯形がついた右腕。

不意に、頭がクリアになってくる。そして、頭上を見上げると。そこには、巨大なラッパのような口を広げた、さっきの奴とは似ても似つかない化け物がいた。体長は同じくらいだろうが、まるで違う。さっきのは虫に似ていたが、今度のは鳥に近い。

「幻覚だ! 全員、意識をしっかり持って!」

「ごめん、アイゼル!」

ノルディスが、アイゼルの頬を張った。唖然として、見る間に泣きそうになるアイゼルだが。ふと、我に返る。

やはりショックを与えるのが一番か。ノルディスが、自力で幻覚から復帰したのが不思議である。

キルキも、何度か頬をたたくとすぐ元に戻った。

不思議そうに小首をかしげているのはフィンフである。イリスは咳き込みながらも、空を見上げている。足は湖に使ってしまっていて、妙に幻想的な立ち姿だ。

「私には、最初からあの姿に見えていましたが」

「……あの怪物、いったい何がしたい!?」

攻撃するなら、今が好機の筈。

だが、怪物は動かない。そればかりか、人間達の動きを、おもしろがって見ているようにさえ思える。

少しずつ、周囲の混乱も静まり始める。ヘルミーナ先生が、何か撒いているのが見えた。なるほど、あれが幻覚を防ぐ役に立っているのか。

だが、雑然と散らばった陣形の上を、怪物が旋回しているのには変わりない。王子は口元を押さえると、指示を出す。

「作戦開始。 敵を殺すかどうかは、まずこの幻覚を止めさせてから決める! かねてからの指示通りに動け!」

「承知!」

兵士達が、ようやく動き始めた。サーレットも観念したようで、指揮を開始する。

だが、まだ状況は予断を許さない。

キルキが兵士達に呼ばれる。まだ警戒を解かないキルキだが、年配の兵士が敬礼をして言った。

「済まなかった。 我らも騎士団が心から憎いわけじゃ無い。 あんた達のことも、感謝している。 だが、いろいろ不満があってな。 どうしても我慢できなかったんだ」

「本当?」

「約束する。 今はあの化け物を、どうにかしよう。 一緒にだ」

やっと騎士達も、兵士達と連携して動き始めていた。反目も、こうなると力になり始める。

まだサーレットは納得がいかないようだが。

しかし兵士達は、既に王子が言うままに、事前の作戦通りの持ち場につき、動き始めていた。

 

三つの影が、代わる代わるエリアレッテの前に姿を見せる。或いは踊るように、時には笑いながら。

エリアレッテは、己に相手の注意が向いていることを確認しながら、走る。

「ブレドルフ王子から、私たちを引き離すつもりかい? 無駄なことをするねぇ」

「我々は三にして一、一にして三。 すべての周辺状況を見通しているのですよ」

「だから無駄だ。 さっさと死ね」

周辺に出現する、無数の殺気。

同時に、膨大な量の、光の槍が降り注いできた。

跳躍して真上に逃げながら、回転しつつ斬竜剣を振るう。着地したときには、被弾する可能性のあったすべての攻撃をたたき落とすことに成功していた。

「全方位攻撃ともなれば、一点がもろくなるのは当然のこと」

「へえ。 多少は知恵が回るようねぇ」

けたけたと、笑う。

極めて不快なことに、それだけは、先頭の一体だけでは無い。他の二体も、笑っているのが見えるのだった。

しかし、そのままやられ放題でいるつもりはない。頭を振って、不快感を振り払う。全身にはもう無数の傷を受けていて、血が止まらない深い傷もある。だからこそに、余計に短時間で勝負をつけなければならない。

斬竜剣を担ぎ上げたまま、エリアレッテは冷静に相手を観察する。

そもそもこいつらは、なぜ三体同時に行動している。今まで狙おうとする気配も無かったのに、どうして今更にブレドルフ王子に手を出そうとしてきた。

捨て石として残ったつもりは無い。

今後、さらなる戦闘能力を得て、武の道を極めるためだ。こいつらを殺すことで、エリアレッテには次代騎士団長の道が開かれる。それさえ得られれば、きっと師も喜んでくれるだろう。

そして自分も、一人前の修羅となる事が出来る。

三角形の中心になるように、等間隔に自分を包囲する影の鏡。エリアレッテは、むしろここで、目を閉じる。

殺到してくる無数の殺気。その中で、エリアレッテは。唯一の乱れを見つけた。

目を見開く。

振り返る。

いた。抜き手を繰り出してくる一体を。首を刈るように、手刀。かき消える。現実改変能力。だが、それは発動させるつもりだったのだ。

全身に、無数の刃が突き刺さるが、無視。反応あり。真上。

斬竜剣を、振り抜く。

相手が反応するよりも先に。巨大な刃が、敵の体を貫き、引き裂いていた。

悲鳴も上がらない。そもそもこれは、名前からも明らかなように、人間に向けて使う武器では無いからだ。

肉塊と化して吹っ飛ぶ影の鏡の一つ。口元に笑みを浮かべたエリアレッテは、だが全身に広がる痛みに思わず呻いていた。さらに、全身に突き刺さった刃が、同時に爆発する。意識が、流石に消し飛んだ。

なぜ生きているかは分からない。

だが、目を開けると、自分はまだ自分だった。

全身の痛みは酷くて、まだ立ち上がれそうに無い。少なくとも周囲に、影の鏡はいなかった。

しかし、一体は仕留めた。

エリアレッテは仰向けに転がると、げらげらと笑う。

ざまあ見ろ。

相手が三位一体で、実力を元以上に引き上げていたのはわかりきっていた。だからこそ、ここでエリアレッテが成し遂げたことには、大いに意味があるはずだった。斬竜剣を見る。辺りには、三匹の内の一つが、細切れのようになって散らばっていた。

 

広場に、それが設置される。

遠くからも、異臭が漂ってくるかのようだった。

「あれは、何?」

「あれはねえ。 クリーチャーウェポン達の死骸から分析した、彼らが共通して好む物質よ」

いつの間にか後ろにいたヘルミーナ先生が、解説してくれる。

思わず驚いて振り返ったアイゼルとノルディスの頭を掴みながら、先生は笑った。完全に魔女の笑いだった。

「アルコールを中心に、二十種類以上の薬剤を混ぜ合わせ、さらに臭いを拡散する工夫を凝らした、巨大な臭い爆弾とでも言うべき存在。 それが、キルキに作らせていたものの正体よ」

「なるほど、臭いだけを拡散する、殺傷能力が無い爆弾ですか」

「その通り。 しかし、やはり妙ね」

上空を旋回している怪物を見つめて、ヘルミーナ先生は呻く。

こちらに妙な幻覚を見せただけで、攻撃してこない。しかし、囮というのにも、何か違和感がある。

ヴィント王や主要施設の周囲は、ガチガチに守りを固めているはずで、手薄になっているとは思えない。ブレドルフ王子の周囲も同じ事だ。混乱が生じているときにも、攻撃しようというそぶりは一切見えなかった。

そもそも、あれにこちらを攻撃しようという意図はあるのか。

どうもそれがそもそも疑わしい。巨大なラッパ上の口をした鳥のような化け物は、臭いに反応したか、徐々に高度を下げつつある。

「アイゼル、出番が近いね」

「待って、ノルディス」

アイゼルも気づいたか。彼女はフィンフの頭に手を置くと、少し考え込み始める。そして、そばにいた屯田兵に言った。

「馬を、貸してもらえますか」

「どういうことかね」

「ブレドルフ王子に話があります。 あまりにも状況がおかしい。 敵がこれしか攻撃をしてこないのは変です。 罠か、或いは何か別のことがあるとしか思えません」

エルフィールは、生きている縄を展開した。走っていくつもりである。

屯田兵は快く馬を貸してくれた。アイゼルがこの間の戦いで、フラムと投石機を駆使して、敵の組織的殲滅に大いに貢献したことを知っているのだろう。馬に跨がると、アイゼルはノルディスに言う。

「ノルディス、お願い。 作戦の遂行については、貴方がやってくれる?」

「分かった。 後は任せて」

「フィンフをお願い」

アイゼルが手綱を振るい、馬が駆け出す。エルフィールはイリスに、いくつか指示を出した後、それを追った。

徐々に高度を下げてくる化け物は、凄まじい威容だ。蛇腹状になっている腹部が見えるのだが、それが呼吸のたびに大きく伸び縮みしているのが分かる。翼についている羽毛も、それぞれが人間より遙かに大きいのが見て取れた。

しかし、やはり下から見ると、違和感がぬぐえない。

エル・バドールから帰るときは、確かにドラゴンに見えたのだ。なぜこのようなおぞましい姿に変わったのか。

分厚い護衛に囲まれているブレドルフ王子が近づいてきた。兵士達が槍を構えて、アイゼルを制止しようとする。だが、王子のそばにいたヘルミーナ先生が、通すように声をかけてくれた。

「君は? 確か以前一度顔を見たな。 アイゼルと言ったか」

「覚えていただいていて光栄です」

エルフィールは一歩下がり、やりとりを見守る。生きている縄は何があっても対応できるように、触手のように伸びて蠢いていた。

馬上のまま、ブレドルフ王子は応じる。まあ、王族としては当然だろう。

「これほど急の事、何かあってのことだろう。 話してくれないか」

「はい。 今頭上を舞っている敵ですが、様子がおかしいです。 攻撃を控えてはいただけませんか」

「理由を聞こう」

アイゼルは、順番に指を折って説明していく。

まずそもそもである。あれほどの巨体を持っていながら、悠長に旋回しているのがおかしい。巨体を持っているのであれば、それを生かした戦闘をすればいいのである。つまり、ああやってのんびり動いているのには、何か策があると言うことだ。

「あの怪物がただの化け物であれば、一笑に伏せることです。 しかし、あれは先進的な技術で作り上げられたクリーチャーウェポンで、なおかつその背後にいるのは神々か、あるいはそれに近い存在です。 何ら戦略を持たないなどと言うことは、あり得ないでしょう」

「その通りだ。 続けてくれ」

「はい。 今までの状況を鑑みるに、私は一つの結論を出しました。 あの巨大な怪物は、攻撃を誘っています」

エルフィールは、自身と同じ結論を出したアイゼルに、頷いていた。

「君はエルフィールだったな。 君も同じ意見か」

「はい。 王子は遅れてこられたようですが、途中で襲撃を受けたのではありませんか?」

「その通りだ」

「ここで敵が作りたかったのは、明らかに無秩序です。 そして無秩序の中、やけばちな攻撃が行われるように仕組まれていたと思います。 今までの状況を考えると、そのすべてが符合いたしますので」

ブレドルフ王子が考え込む。

周囲に不安が、さざ波のように広がっていった。

しかし、怪物はどんどん地上に近づいてきている。アイゼルは何を思ったか、怪物の羽毛が一つはがれたのを見ると、能力を展開。光を照射して、その羽毛を燃やしにかかった。そして、一瞬後である。

空で、巨大な爆発が巻き起こっていた。

なるほど、こういうことであったか。

「殿下!」

「総員、攻撃中止! 篝火のたぐいも消し、秩序を保ったまま、敵をおびき寄せるのに使っている広場から離れよ!」

多分あの怪物、おそらくは全身がとんでもなく強力な爆薬で出来ているのだ。しかも羽毛一つであの破壊力である。もしもテラフラムなど仕掛けた日には、どうなったことか。

ザールブルグが消し飛ぶくらいで済んだだろうか。

いや、多分、この大陸そのものが、歴史に語られるだけの存在となりはてていたことだろう。

兵士達がわっと逃げにかかる。

エルフィールは、この場にとどまる。

何にしても。あの化け物を、どうにかしなければならない。ブレドルフ王子も、逃げる兵士達の指揮をしてはいるが、この場から離れる様子は無い。アイゼルもである。

「どうした、そなた達も逃げよ」

「無駄です。 あれが生きている超巨大爆弾だとすると、爆発したらこの国どころか大陸ごと消し飛ぶかと思います。 今は誤爆の可能性をこうやって減らして、なんとしてでも仕留めなければならないでしょう」

「……攻撃系の術式は使えないぞ。 その悪条件で、あの巨体を葬るつもりか」

「何、私には父さんが作ってくれた、分身ともいえる武器達がありますから」

ブレドルフ王子の周囲に、士気が高そうな兵士達が、騎士達が集まってくる。

皆、逃げる気は無いようだった。その中には、青ざめたサーレットもいた。今頃気づいたのだろう。自分が、壮大な罠の中で、踊らされ続けていた、ということに。

軍が激発して生体振動砲を一発でもあの怪物にぶち込んでいたら、その時既に全員があの世行きだったのだ。

「サーレット中将。 君は逃げた兵士達をまとめて、十里ほど先に布陣させてくれ」

「最後まで、おそばにいさせてください。 せめてもの償いに」

「君は間違ったことを言ってはいなかった。 それに、これはあまりにも巨大すぎる罠で、私も気づくことが出来なかったのだ。 今は適材を適所に配置して、この危機を乗り切ろう。 君は君のやり方で、この国を守る手伝いをしてほしい」

涙を乱暴にぬぐうと、サーレットは応と一声だけ応え、直属の部下達とともに、逃げ始めた兵士達を追いかけていった。

元々軍であるし、戦争に負けたわけでも無い。

混乱さえ収束させれば、充分に戦力として再計算できるのだ。

それに、必ずしも、事態は絶望ばかりとは限らない。

「アイゼル、ノルディスと一緒にあのマイナスエリキシル剤を使って。 多分効くはずだよ」

「分かったわ。 でも、貴方はどうするの?」

「こんな時のために、父さんが作ってくれた武器があるんだよ」

ついに、出番が来た。

夏草、お願い。一緒に、敵を倒して。

内心でつぶやくと、エルフィールは、一見すると箱と楕円形を組み合わせたようにも見えるその杖、夏草を生きている縄から受け取った。近くで見ると分かるはずだ。楕円形に見える部分は金属になっていて、のこぎり状の、いや更に無骨な刃が無数についている。火花が散ることを一瞬思ったが、それについては対応策を考えてある。

逃げてくる兵士達がまばらになってきた頃を見計らい、王子を中心として、千ほどの集団が走り出す。

その中の一人に、イリスへの伝言を頼んでもらった。

 

凄まじい音を立てて、巨体が着陸する。

そして、与えられたえさを、一心にむさぼり始めていた。

大空の王から一里ほど離れた、小高い木の上にある二つの影は、それを見て舌打ちする。しゃべるのは、前にいる影だけだった。

「これは、やられたな」

「どうするのぅ? 鴉はああ言っていたけれど、これはもう、十分な強さを見せていると判断して良いのじゃ無いの」

「判断するのは、あくまで主だ。 今までコンタクトが無いと言うことは、まだ見極めたいと言うことなのだろう」

膨大なえさが入れられた箱は、ここまでアルコールの臭いを漂わせている。

エル・バドール製のクリーチャーウェポンが共通して好むえさの成分だ。長い解析の結果、アカデミーが見つけ出したのだろう。

そして、えさの中に、何か得体が知れない薬剤が投入される。

細胞活性剤かと一瞬影の鏡は思ったのだが。しかし、結果は真逆だった。徐々に、巨体の動きが鈍くなっていくのだ。

大空の王。

それは、大空を支配する強力な生物という意味の名前では無い。

天空にある太陽のごとく、すべてを焼き尽くす究極の破壊兵器という意味なのだ。

だが、高密度の火器物質で作られていても、しょせんは生物である。攻撃を誘うように、幻覚を見せたり、嫌悪感を誘う姿に擬態したりと、様々な能力を持ってはいる。だが、そのいずれもが、生物としての機能には勝てないのだ。

強制冬眠に落とされた大空の王に、人間が群がっていく。剣を槍を突き刺し、それぞれに技の粋を極めた攻撃を繰り出している。

まさに血の川という有様が、周囲に具現化する。

だが、大空の王は、再生能力も尋常では無い。斬った先から、次々に肌は肉は再生していくのだ。

左の影が、身じろぎする。

見つけた。エルフィールだ。生きている縄を駆使して、大空の王の巨体に上っていく。攻城塔が来た。セロの姿が見えた。

 

イリスが来た。言っておいたとおり、水をくんだ桶を大量に用意している。攻城塔の上は、桶でいっぱいだ。

「それ、前から気になっていたんですけれど、どうして使わなかったんですか?」

「扱いが難しいの。 他の武器とは、桁外れに」

ひもを引っ張り、内部にある機構を作動させる。

父が作ったものを取り出して解析して、エルフィールが改造した。持続力とパワーを十倍に上げたのだ。その結果、扱いの難しさも十倍になったのだが。

楕円形の刃が、回転し始める。

先端にある歯車に、チェーン状になっている刃が巻き付けられているのだ。歯車を動力で回転させ、刃をそれに伴って高速回転させる。

夏草。

あらゆる兵が夢の跡として涙を流した跡にも、必ず生える無情な野草。

それを名前にしたのは、父がどんな敵でも葬り去れるようにと、願いを込めてくれたからだと、エルフィールは信じている。

欠点も多い。

扱いが非常に難しいというのも、反発力が尋常では無いのだ。ちょっと力の加減を間違えると、顔面に向けて跳ね返ってくるのだ。しかし、今なら、制御できるはず。あの達人クライド師に、棒術の免許皆伝をもらったのだ。エルフィールが、もう一人の父さんだと思う、あの人に。

出来る。自信が、全身にみなぎっていた。

「キルキ、冷気の術、最大限の用意して! 首に大穴開けるから、そこにたたき込む!」

「分かった! 任せる!」

「アイゼルとノルディスは、ありったけのマイナスエリキシル剤を、傷口にどんどん注いで!」

首にある血管をそうやって動かないようにすれば、どんな巨大な怪物だって死ぬはずだ。

ヘルミーナ先生は笑いながら、下で怪物に打撃を嵐のごとくたたき込みまくっている。再生能力にも限界がある。

「殿下!」

「作戦は聞いていた。 エンデルク!」

「分かっております! 騎士団一同、上にいる錬金術師達の怪物殲滅作戦をこの場にて支援する! ただ斬って斬って斬りまくれ!」

「応っ!」

一斉に、猛々しい雄叫びが唱和した。

ここでやらなければ、戦士としての自分は終わりだとさえ、エルフィールは思った。テラフラムをここで使えないのは本当に残念だが、それは影の鏡にでも取っておけば良いのである。

ここは、父さんと一緒に。

この化け物を、討つ。

回転が最高潮に達した夏草を、怪物の首筋にたたきつける。巨大な鳥にも思える大空の王は、やはり首筋も頑丈だった。皮膚だけで、人間の背丈くらいの分厚さはあるのではないかと思える。それを、圧倒的な数の羽毛が守っているのだ。

羽毛を次々切り裂いていく。イリスは、汗を流しながら、じゃんじゃん夏草に水をかけた。

父さん、見て。

役立たずだと思われた武器だけど。こうして、世界を滅ぼそうとする怪物に、今立ち向かっているよ。

心の中で、エルフィールは呼びかける。

ついに、肌が露出した。そこに、一気に夏草の刃を入れる。二度、はじき返されかけた。だが、力と、技で、押さえ込む。

怪物がもがく。だが、冬眠をしているも同然の状態だ。身動きなど、出来るはずも無い。人間で言えば、頸動脈を押さえるようにして殺してやる。テラフラムで爆発させて、一気に木っ端みじんにしたかったという未練は今でも残っている。

だが、それも。

敵はきっと、見越していたのだろう。

そう思えば、仕方の無いことだった。

血が噴き出し始める。アイゼルとノルディスが、貴重な薬剤を傷口に慎重に投入し始めた。

イリスはフィンフとバケツリレーをして、夏草の刃を冷やす。時々傷口から出す夏草の刃は、それこそ火を発しそうだった。

キルキはというと、超長時間の詠唱を、そろそろ終えようとしている。騎士団の冷凍系能力者も、周囲で詠唱していた。多分、作戦を聞いて、自主的に参加してくれたのだろう。

一気に、夏草の刃を引く。

血管に届いた。だが、その血管も、急速にふさがろうとしている。まるで噴水のように大量の血が噴き出す中、エルフィールは叫んだ。

「今っ!」

膨大な氷の術式が、怪物の傷口の中に、一糸乱れぬ連携でたたき込まれる。

まるで氷の柱が、巨大な怪物の首に生えたようだった。

断末魔の絶叫をあげると、怪物は短時間で、凄まじいまでに姿を変えていく。ドラゴンになる。首が長いワニのようになる。像のようになる。或いは、また鳥のような、ラッパのような口を持つ奇怪な怪物になる。

それらのすべてが、何処かで生理的な嫌悪を誘う姿をしていた。

のたうち回る怪物の上で、エルフィールは落ちそうになったイリスを抱きしめた。イリスの鼓動が、ぐっと弱くなってきている。そろそろ限界か。

「まだ死なないで。 殺す権利は、私だけにあるんだから」

怪物が、大きく首を持ち上げた。

そして、顔を地面にたたきつけるようにして、動かなくなる。イリスは、エルフィールの腕の中で身を縮めながら言った。

「最低。 どうしてこんな殺戮狂のところに来てしまったんだろう」

「そんなに褒められると、この場でくびり殺したくなるよ」

エルフィールは、笑顔でそう応えたのだった。

周りは、皆あきれている。

だが、それで良いのだと、エルフィールは思った。

 

遠くから、フランソワはイーグレットと一緒に、凄まじい戦いの様子を見つめていた。

青ざめている自分を、ホムンクルスのくせに、イーグレットが心配する。

「マスター。 顔色が悪いです」

「大丈夫」

あの凄まじい光景には、いずれ自分も加わる。

少し前から、ヘルミーナ先生に、解剖に関わる作業はあらかた参加するようにと言われている。それにより、様々な知識も得てきた。だが。やはり、気持ち悪いことは気持ち悪いのだ。

怪物が死ぬ。

無数の死骸をいじくり回したからだろう。それが、遠くからでも分かった。

フランソワは、ヘルミーナ先生に言われている。

アカデミーを卒業したら、そのスキルを使って立身するようにと。

しかし、解剖で得られるスキルは何なのだろうとも思う。それは、家臣達を、守る役に立つのだろうか。

断末魔がとどろき、怪物が死んだ。

血だらけのエルフィールが、怪物の上で勝ち誇っているのが見える。フランソワは、首を横に振ると。

自分なりの将来のために、歩き始めたのだった。

 

夜が明ける。

イングリドは、クライスとヘルミーナと一緒に、エルフィールが騎士団と倒した怪物の側に来ていた。

これがすべて超高性能の爆薬だと思うと、流石に寒気もする。如何に鍛えていると言っても、爆発されたら助からない。

「さて、処理を任されたこれだけれど、どうしようかしら」

「まずは解体ね」

とても楽しそうにヘルミーナが言い、クライスが真っ青になって顔を背ける。

「海に捨てるのはどうでしょうか」

「却下。 あ、そうだ。 今年の試験、これにしましょう」

「え? そ、その、あの!?」

「もちろんこれは使わないけれど、同じ条件下で、どうやってこの死体を安全に処理するかのペーパー試験! どんなへりくつが出てくるか、楽しみでならないわ」

立ったまま悶絶した様子のクライスに一笑すると、イングリドは怪物を見上げる。

エルフィールはすばらしい。間違いなく、マルローネ以来の逸材だ。彼女に錬金術の未来を託せば、どこまで伸びるのか、末恐ろしいほどだ。

だが、今はその前に。

「さて、そろそろ私たちも本腰を入れて、影の鏡をつぶしましょうか。 そのためにも、これはさっさと処理を考えないと」

「了解。 楽しい狩りになりそうだわ」

ヘルミーナと笑いあいながら、軍が厳しく警備している怪物の死骸から離れる。クライスは大きく嘆息すると、少し早足に、二人についてきたのだった。

 

(続)