始まる影との戦い
序、姿見せる塔
屯田兵は、決して楽な仕事ではない。
普段は農業をしてシグザール王国の台所を支える。農業と言っても仕事は多岐にわたり、家畜の世話から畑を耕すことまで何もかもが仕事となる。牛の乳を搾ることもするし、鶏の卵だって集める。肥やしを作ったり、干し草を集めて家畜の餌にもする。農作物を注意深く観察して、害虫が発生していないかも確かめなければならない。
ザールブルグの北にある巨大耕作地帯には五万に達する屯田兵がいるが、それ以外にも各地には耕作地が幾つもあり、屯田兵達がその生産を支えている。
専業農民と違うのは、戦えると言うことだ。
農作業が終わった後は、軍事訓練が待っている。規模も様々で、合図によって陣形を作り替えたり、進軍したり後退したり、様々な判断を即座にしなければならない。
厳しい仕事だ。
その上、ザールブルグという大陸でも随一の都市の経済から弾き出されたような者達が、奴隷になるくらいならと入る仕事でもある。仕事に誇りを持っている兵士達も多いが、荒くれや、牢に出たり入ったりを繰り返しているような者もいる。農作業は力仕事でもあるから屈強にはなるが、それは不用意に力を与えることも意味するのだ。犯罪に手を染める屯田兵もいる。
良くも悪くも、シグザール王国を支える存在。それが屯田兵なのだ。
そんな屯田兵の一人、ガギソンが、最初に異変に気付いた。
ガギソンは髪の毛に白い物が混じり始めた中年の屯田兵で、そろそろ兵士としては引退し、農民にならないかと上役に誘われる年頃であった。屯田兵を引退した兵士は、農民として優遇され、土地や畑も多く貰うことが出来る。ガギソンは二十年前の大戦でも武勲を挙げ、屯田兵としても真面目に勤め上げた男だ。引退後は、確実にそれなりの地主になることが出来た。
だが、無口なガギソンは、それを断り続けていた。理由は誰にも明かしていない。
今日も一番早くにガギソンは起きて、外の見回りを始める。槍を持って無言で畑を見回るガギソンは、夜番の見張りの兵士達と敬礼をかわしながら、自分の畑に急ぐ。
この畑を見るのも、もう最後かと、心中で呟きながら。
ガギソンは、騎士になりたいのだ。この年で無謀だと言われるかも知れないが、兵士としては既に限界であり、農業に以降は専念すべきだと言われると、少し頭にも来る。最後に騎士に挑戦してみて、それで駄目なら引退しようと、ガギソンは決めていた。
剣の腕なら、並の騎士程度には負けない自信もある。問題は筆記だが、それも二年掛けてこつこつ勉強した。騎士になってもどうせすぐ引退することになるとも思う。だが、最後に花道を飾ってみたい。それが、欲を出さず、黙々と暮らし続けたガギソンの本音であった。
子は二人いる。だが、もう成人して手は掛からない。
妻も屯田兵であり、既に此方は引退した。あまり美人ではないが、ガギソンのことを理解してくれる良い妻だ。今回も、うすうすガギソンの意図に気付いている様子であったが、それでも何も言わなかった。
まだ、太陽は昇らない。身を切るような寒さの中、戻ろうとしたガギソンは畑の前で足を止め、振り返った。
妙な震動がある。
それは徐々に大きくなり始めていた。
とっさにガギソンは、渡されている半鐘を叩き鳴らしていた。地震の可能性もある。それに、この間上役に言われたばかりなのだ。揺れを感じたら、すぐに知らせるようにと。兵士達が、ばらばらと集まってくる中、遠くにおぞましいシルエットが浮かび上がり始めた。
それは塔にも見えたが、違う。
土の中からわき出すようにして現れたそれの先端部分には、円錐状の何かがついており、それが高速回転していた。訳が分からない機構だが、兎に角あれが、尋常ではないことだけはよく分かった。
数年前出現した、生きた塔のことをガギソンは思い出す。
「まさか、あのおぞましい塔か」
エアフォルクと言ったか。
全身に震えが走る。超長距離から攻撃を繰り出し、多くの優れた騎士を葬った危険な存在だった。実際に交戦はしなかったが、後片付けは手伝ったし、塔がばらまいた奇怪な虫は倒して回った。
外の屯田兵達も、わいわいと騒ぎ始めている。
塔は人間どもを見下ろすようにして、傲然とそびえていた。周囲には、なぎ倒された森の木々が、無惨な姿を曝していた。森の木と高さを比べてみると、相当な高さだ。人間が作ったものとはとても思えない。
揺れが収まる。塔の動きも、いつの間にか止まっていた。
やがて、騎士達がわらわらと来た。驚くべき事に、騎士団長エンデルクの姿もある。既に三十代半ばで円熟した雰囲気を得ているエンデルクは、長い髪を風に揺らしながら、塔を見上げていた。
「ついに、現れたか」
ガギソンは知る。騎士団長が、恐らくこの塔の存在を、知っていたと言うことを。
首を横に振ると、ガギソンは上役に事態を報告するべく、宿舎に戻る。どうやらザールブルグで、また闇が蠢き始めたらしい。
それがどれほどの関係ない人間を飲み込むのか、ガギソンには想像も出来なかった。
1、闇の塔
クライドが、自分を呼んでいると聞いて、エルフィールは朝早くにアトリエを出た。棒術の師匠であり、戦闘でのアドバイスを幾度となく貰っているクライドは、エルフィールにとっては数少ない親しい相手の一人だ。まだまだ未熟なエルフィールはもっと腕を上げたいと考えているし、師匠とのコネクションは大事にしなければならなかった。
用件は何だろうと、急ぎ足でドナースターク家に急ぎながら考える。イリスのことだろうか。イリスの寿命が近付いていることは、師匠も気付いているはずである。ヘルミーナ先生に相談しようと思っているのだが、最近はかなり忙しくて、その時間も無かった。
今朝はたまたま空いていたと言うこともあり、逆にそれが故に急ぎ足になる。あと少しでテラフラムの開発が出来そうなので、時間を有効活用したいのだ。
ドナースターク家の屋敷に着く。
今日はシア様に会いに来たのではないため、入り口で門番に話だけ通して、奥へ。裏庭で、クライドは棒を振るっていた。上半身は半裸で、既に汗にまみれている。師匠はそれほど激しくは動かないのだが、一つ一つの動作が非常に洗練されていて、無駄の欠片もなかった。
「来たか」
「はい。 急な御用と言うことですが」
「まずは座れ」
丸太を示されたので、腰を下ろす。クライドも近くの地面に、胡座をかいて座った。
既に老境に入っているクライドだが、その威厳に衰えはない。メイド長のマルルが何やら書類を持ってきた。
「本当に、良いのですか」
「構わん。 儂も、ずっとこの時を待っていたのだ」
分からない会話である。マルルはちょっと罪悪感を秘めた目でエルフィールを見つめると、そそくさとその場を去った。
書類を渡される。どうも軍のものらしく、一度丸めてスクロールにした形跡があった。見た感じ、結構な機密書類である。本当に見て良いのだろうかとエルフィールは躊躇したが、それを見て取ったようにクライドは言う。
「それは、軍から供与されたものだ。 ドナースターク家関係者にしか見せないようにと念は押されているが、つまりお前には見せて良いと言うことだ」
「ドナースターク家の関係者、ですか」
「儂も普段は牙のメンバーと一緒に裏稼業での仕事をしていたからな。 貢献が認められたのだ」
それは、知らなかった。もちろん、牙の平隊員にそんな権限はないだろう。ドナースターク家とのコネクションを持つ牙の協力者として、それだけ活躍したと言うことなのだろう。
どうして、其処までしたのか、エルフィールには分からない。
ちょっと混乱しながら、丸まっている書類を開く。中には、不可思議な記述が為されていた。
「作戦名・暁の空」
大仰な作戦名だが、内容を読み進めていくと、陰謀劇と、それに伴う殲滅の記録であった。
およそ十年ほど前。分裂前のドムハイトは、腐敗した政局の中、徐々に追い込まれつつあった。竜軍は今だ健在であったが、王族は国政に興味を失い、貴族達は豪族達の御輿に成り下がり、各地で絶望的な腐敗と怠惰がとぐろを巻いて民を締め付けていた。
そんな中、憂国の士と呼ばれる者達が、動いた。
シグザール王国との来るべき決戦に備えて、新兵器の開発を急ごうという計画が立てられたのである。当時はドムハイトの諜報部隊も健在であったから、計画を入手するのは相当困難であったようだ。
激しい争いの末に、牙が掴んだのは、以下のような情報である。
最初、憂国の士達は大陸南部に存在する錬金術アカデミーへの接触を試みた。ザールブルグの錬金術アカデミーほどの規模はないが、その創設者が後に作った別の学校である。此処の全面協力があれば、軍事技術でシグザールを上回ることが出来たかも知れない。
だが、失敗した。これは校長であるリリーが手を貸すことを拒否したためである。しかもリリーはアースシェイカーと呼ばれる大陸有数の能力者であり、幾つかの小国で顔役もしているため、ドムハイトでも迂闊に手を出せない相手であった。その上、憂国の士達の勢力はお世辞にも大きいとは言えず、彼らが動かせる兵力も豪族も多寡が知れていた。もしもドムハイトが総力でリリーに協力を迫ったらどうなったかは分からないが、兎に角それは出来なかった。
故に憂国の士達は、第二案に移行した。
第二案は、エル・バドールとの接触である。当時のドムハイトでも、エル・バドールの存在は知られていた。故に幾つかの船を調達して、直接貿易を行い、その優れた技術を輸入しようとしたのだ。
実際この作戦の名残は、後にドムハイトが行おうとした貿易に現れている。いずれも、巧くは行かなかったが。
貿易船は途中の航路にて、難破。船員は全滅したという。シグザール王国騎士団の特務船が沈めたという情報もあったが、未確認だとか。この辺りの記述からも、報告書は牙が作ったものらしいと分かる。
長い長い書類を読み進めていく。
既に風化した作戦の記録であり、様々な面から軍事機密にも関わっているドナースターク家だからこそ渡してくれたものなのだろう。外で迂闊に口外したら命が無さそうな内容である。
また、リリーという名前が出てきたのにも驚いた。確かイングリド先生と、ヘルミーナ先生の師匠であったはずの人物だ。ザールブルグにあるアカデミーも、リリー錬金術アカデミーと言うはずである。そんな偉大な人物の力を、ドムハイトは手に入れる可能性があったと言うことだ。もしそうなっていたら、今のシグザールの優勢は無かっただろう。歴史は少しの差で、どうにでも転ぶものである。
続きへ、目を通していく。
作戦はマイナーチェンジしていき、最後に憂国の士達が考えたのは、在野の人材を利用することであった。何名かの有名な学者や鍛冶師に予算が渡され、新兵器を作るプロジェクトが進行した。
この人物割り出しには、シグザール王国の牙も、ドムハイト諜報部隊も、相当に熾烈な争いを行ったらしい。実際問題、腐敗しているドムハイトで新兵器が作られた所で、どれだけ既得権益にガチガチに凝り固まった中普及したかは疑問であるのだが、それも安心は出来なかった、と言うことだろう。一方で、ドムハイトの諜報部隊にしてみれば、侵入してくるシグザールの牙を迎撃しているだけくらいのつもりであったかも知れない。
ともあれ、激しい戦いの中で何名かの学者が新兵器について立案。その設計図が、腕の良い鍛冶師達に廻された。
そうして、いくらかの武具が作り上げられた。
ただし、量産化はされなかった、という。
牙の諜報能力が、ドムハイト諜報部隊の防衛能力を上回ったからだ。
鍛冶師達は二ヶ月ほどの間に全員が殺され、設計図と試作品は回収された。そして、その試作品を検分した結果、どれも量産化は不可能で、なおかつ常人には使えるものではないとして、作戦の継続は打ち切られた。
大騒ぎで人死にも出しはしたが、ドムハイトの技術的弱体を証明しただけ、という結果に終わった。ある意味とても虚しい話であった。
何だか悲しい話だなと、エルフィールは思う。
知識は人間の武器だ。それを豊富に蓄えているはずの学者達だろうに、実際に彼らが作り上げた武器は、とても実用には耐えない代物だったというのか。錬金術師として、エルフィールも戒めなければならないだろう。
そして、最後の部分に目を止めて、エルフィールは思わず息を止めていた。
其処に、描かれていたのは。
「白龍、秋花、冬椿、夏草……」
思わず絶句したエルフィールの前には。数々の実用化できそうもない珍兵器と共に、愛用の杖と、今だ使いこなせない一本の絵があった。
この書類は、間違いなく牙の機密書類だろう。
ぱたぱたと、頭の中でピースが埋まっていく。そうだ。あの日、あの時。
エルフィールの記憶が、激しい痛みと共に、戻り始めていた。
ふと気付く。大地が揺れていた。
そして、不自然なほどすぐに揺れが収まる。元々火山の噴火でもない限り、地震は来ない地域だ。異常事態だとすぐに分かる。
塔が来たなと、悟る。エルフィールは書類をいそいそと丸めると、師に返していた。
「興味深い書類でした。 有難うございます」
「エルフィール、後で話すことがある」
「分かりました。 この状況が落ち着いたら伺います」
意外にも、頭はすっきりしていた。父を殺した相手に対しては、恨みも無ければ、憎しみもない。ある程度大人になってから、真相を知ったからだろう。手を下した側も、降された側にも、それなりに理由があることが分かった。だから、特に感慨もなかった。
ただし、許すことが出来ない連中もいる。それに関する恨みはあった。というよりも、思いだしたというべきか。
そいつらについてはいずれ復讐するとして、今は先に塔をどうにかしなければならないだろう。攻撃性があるものか、そうではないのか。それだけでも見極め無ければ危険だ。
ドナースターク家を飛び出すと、アトリエに戻る。揺れのあったのは、南東だ。森の中であるのが幸いである。街の中に現れたのだったら、かなりの被害が生じていただろう。
相手の意図が読めない。正体も分からない。それでは、今後の対策を練りようがない。
だから、一次調査をしたエルフィールに声が掛かるのは必然だ。
アトリエの前まで戻ると、アイゼルやノルディス、キルキが勢揃いしていた。クノールを始めとして、何名かの妖精が小声で会話している。伝令役を果たしたのだろうか。
「エリー、もう話は聞いた?」
「ううん。 聞いてはいないよ。 でも、やっぱり塔?」
ノルディスは真剣な表情で頷いた。
ノルディス達には、塔の話をしたことはない。しかしエル・バドールに一緒に行った以上、関係者であることは間違いない。エリキシル剤の逆転薬を作成している過程で、話が行ったのかも知れない。
四人で連れ立って城壁に登る。
既に周囲は、かなりの騒ぎになっていた。以前地震が来た時は、火山の噴火があり、市内にもかなりの被害が出たという。警備兵達は総出で市民の安全を確保するべく奔走しており、兵士達も皆血相を変えて見回りをしていた。
「あまり大きな揺れではなかったし、建物は平気そうだね」
「今の時点ではね」
「ちょっと、エリー。 見て、あれ」
アイゼルが、声まで蒼白になって言う。
森の中に突き出ているのは、彼女がそれだけ恐れるのに、充分な代物であった。
兎に角大きい。周囲の木々をなぎ倒して土の中から尽きだしているそれは、攻城戦に用いる巨大な戦塔よりも更に巨大であった。五階建てくらいはあるだろうか。石造りにも見えるが、そうでもないようにも思える。表面は薄黒く、時々土がこぼれ落ちているのが見えた。
塔の頂上部分は円錐状になっていて、其処は赤熱している。水が流れ落ちているのが見えた。
なるほど、イリスの仮説は正しかったのだ。
あの円錐部分が灼熱を発して、土を溶かしながら進んでいたのだろう。そして、熱を抑えるために、先端からは水も出し続けていた。徐々に赤熱が収まっていくと、円錐部分が回転しているのも見て取れた。
「大きい。 あれ、何だろう」
「エアフォルクUって呼称されていたものだよ。 何時現れてもおかしくはないって言われていたのだけれど」
既に季節は冬。最初に調査してから、随分時間が経っていた。今更現れたのには、何か理由があるのか。まあ、現れなかったことに、むしろ理由があるのかも知れない。
一旦アトリエに戻る。
アイゼルは最初こそ不安そうにしていたが、今はもう精神的に立ち直っていた。真剣な表情で、考え込んでいる。
「あれが、貴方が調査に行ったって言う「塔」なの?」
「そうだろうね、十中八九」
「そうなると、やはり歴史の影で動いていたという勢力の仕業なのかしら。 影の鏡というものとも、関係があるのだとすると、無害だとは思えないわ」
「解せないのは、どうして街の中に現れなかったか、と言うことだよね」
エルフィールから言わせれば、攻撃をするというのなら、街の中、むしろいっそのこと王宮の中にでも現れれば良かったのである。巧くすれば、ヴィント王とブレドルフ王子を纏めて始末することが出来たかも知れない。そうすれば一気にシグザール王国を崩壊に追い込むことも可能であったろう。
しかし、あの塔はそうしなかった。
更に不可解なのは、今までは人目に付く前にすぐに消えていたというのに、今回はその気配もないと言うことである。もし塔による攻撃があるとしたら、一撃離脱によるものになるだろうと、エルフィールは踏んでいたのだ。実際、レポートにもそう仮説を書いたくらいである。
だが、塔は動きを止めた。まるで、此方からの攻撃を待っているかのように、だ。
アトリエに戻ると、ダグラスが来ていた。不機嫌そうに言う。
「揃ってるな」
「今、塔を見てきた所だよ」
「そうか。 丁度いいから、四人、それにフィンフとイリスだったか、あとクノールって妖精もだな。 エル・バドールに行った連中を全員集めて、騎士団の屯所まで来て欲しい」
それだけ言うと、ダグラスは急ぎ足で戻っていった。
街の混乱は、まだ続きそうである。警備兵達は責任を持って混乱の収拾に当たっているが、あの塔をどうにかしない限り、民の不安は消えることもないだろう。
すぐに支度をする。イリスは揺れで吃驚したらしく、服に小麦粉を被ってしまっていた。
「マスター、今の揺れは」
「例の塔によるものよ。 郊外に現れた」
「そう、ですか。 すぐに着替えてきます」
見苦しくない格好に着替えると、イリスはすぐに出てくる。アイゼルがフィンフを連れてきて、それで全員揃った。今頃ハレッシュやルーウェン、ロマージュにも声が掛かっている事だろう。
騎士団の屯所に出向く。
ふと、気になったのは、郊外の防爆施設だ。一応青い液体に関する研究は一段落して、多少揺れても平気なようにスプリング付きの台を作って、其処に乗せておいた。爆発しても建物が吹き飛ぶだけで済むだろうが、一応後で見に行きたい。
街の数カ所で、ぼやが発生したようだ。無理もない話である。冷凍系の術や、水を発生させる能力持ちが、急行しているようだ。血相を変えて走り回る騎士や兵士の姿が目立つのは、無理もないことである。
騎士団の屯所も、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
聖騎士ローラを見つける。彼女はエルフィール達を見ると、急ぎ足で歩み寄ってきた。
「良く来てくれました。 すぐに対策会議を始めます」
「ええと、私達が混ざっても良いのですか?」
「あのマルローネさんが、貴方たちを是非呼んで欲しいと言っていたの。 だから、大丈夫です」
それならば、懸念はない。騎士団の中でも大きなコネクションを持っているだろうマルローネさんの希望とあれば。
会議室に入ると、もっと意外な人物がいた。
巨大な円卓につき、優雅に茶を啜っているのは、イングリド先生である。その向かいにはヘルミーナ先生もいる。ヘルミーナ先生の隣には、なんとフランソワがいた。フランソワは此方を見て一瞬驚いたようだが、すぐに視線を逸らす。これは多分、何かあったと見るべきだろう。
関係者が、わらわらと集まってくる。聖騎士ジュストも来た。そして何より、騎士団長エンデルクの姿も見える。これは凄い。重臣級の会議に紛れ込んでしまったようではないかと、エルフィールは恐縮した。
マルローネさんとアデリーさんも来た。二人はイングリド先生の隣に座る。クーゲルや、エリアレッテも来る。聖騎士エリアレッテは、どういう訳か顔に向かい傷など作って、凄まじい野性味を帯びていた。
ミューがルーウェンと連れだって来る。それが最後だった。ロマージュやハレッシュも来ているが、席が遠くてあまり声も聞き取れそうにない。給仕が茶を配り始めるが、飲んでいる精神的な余裕などあるかどうか。
此処でのやりとりは記録され、ヴィント王やブレドルフ王子に直接報告されるだろう。無様だけは曝すわけにはいかなかった。気合いを入れ直す。アイゼルなどはむしろ落ち着いているが、これは貴族として幼い頃から社交をする機会があったからだろう。
「それでは、塔、エアフォルクUに対する会議を開始する」
エンデルクの発言を皮切りに、さっと空気が緊張するのが分かった。
最初に起立したのは聖騎士ジュストである。現在の民間人の避難状況や、街道の封鎖状況が説明される。
塔は現在ザールブルグから三里半ほど離れており、攻撃をする気配も動く様子もないという。その巨大な姿は圧巻だが、その一方で全く動きが無く、不気味な沈黙を守っている様子だ。
「牙の精鋭が探査を開始していますが、入り口や窓の類は無し。 壁はやはり未知の素材で非常に硬く、サンプルを取るのにも難儀しました」
「サンプルは」
「後でそちらに廻す」
マルローネさんの発言に、ジュストは言う。
流石に動きは速い。それにしても、サンプルを取るのにも一苦労というと、あのエル・バドールの遺跡のことを思い出す。同レベルか、それ以上の技術力による産物と見て良いことだろう。
それに、あの塔は土の中を高熱を発しながら進んできたわけで、それを考えれば硬いのは当たり前だ。多少の攻撃ではびくともしないと考えるべきであった。
ただし、向こうは今のところ敵対行動に出ていない。此方から仕掛けて、虎の尾を踏むような事態になるのも、避けたい所であった。極小の確率だが、平和的な外交を求めてきた未知の勢力、という可能性もあるのだ。
「そうか、現状については分かった。 現時点で、エアフォルクUには、民間人が近付くことを禁じ、動くことを監視することのみにとどめよう。 アヤメ、大空の王について説明せよ」
「分かりました」
黒い髪を持つ、無表情な女性が立ち上がった。雰囲気からして牙の、それも上位の諜報員だろう。何度かみかけたような気もするのだが、どうも気配が薄くて印象が無い。それが故に、牙で上位の諜報員をこなせているのかも知れない。
目立つ諜報員など、何の役にも立たないからだ。
「現在、大空の王はシグザール王国内部には確認されておりません」
「何処かに潜んでいる可能性は」
「潜みうる場所には、探査系の能力者を配置しています。 もしも発見できた場合には、繋ぎ狼煙で一日以内にザールブルグへ情報が伝達されます」
確かに、シグザール王国を縦横に貫く繋ぎ狼煙のネットワークは、高速での危機伝達を可能とする。大空の王があの巨大なドラゴンだったとしても、そうではなかったとしても、発見できれば即座にザールブルグへ情報が届くことだろう。
「ふむ、今の時点では、どちらも極端な危機にはなっていないと言うことだな」
「はい。 しかし、エアフォルクUについては、興味深い調査結果が出ておりまして、それ次第ではかなりの危機が予想されるかと」
「どういう事か」
マルローネさんが立ち上がる。
彼女が手を叩くと、ミルカッセが部屋に入ってきた。ちょっと困惑気味だが、歩き方はしっかりしている。
そう言えば此処の所出かけることが多いようだったが。
「エアフォルクUですが、騎士団の探査系能力者と、何より霊的感応力の強い人物を中心に調査を続けた所、ある危険に到達しました」
「それは何か」
「神の力の流れ」
マルローネさんが、ミルカッセに続きを促す。
若干青ざめながらも、ミルカッセは説明を始めた。
「これは仮説の一つなのですが。 この世界には、神々は存在して、しかしながら存在していません。 具体的に言うならば、神々という存在は、世界の外側にいて、その力の一部がこの世界に流れ込んできているのです。 時には、意志も」
「ふむ、そうなるとレポートにあった邪神というような輩は」
「はい。 その意志の一部が、此方の世界で悪さをしているものです。 ですから多くの場合、人間を殺すことも害することも出来ず、ある程度の悪戯にとどまったり、自然に対する長期的悪影響を及ぼすにとどまります」
しかしながら、神々が力を強く発揮できる理想的な場所もあるという。
それらについては、長らく謎とされていた。宗教関係者達は調べることを神への冒涜と考えてきたし、錬金術師達にとっては非科学的な世迷い言だと思えたからだ。しかし今回、マルローネさんはエルフィールのレポートを読んで、少し真面目に調査してみたのだという。
早馬と繋ぎ狼煙を利用し、各地の霊的感応力の強い能力者を総動員して調べた結果が、神の力の流れ、であった。
「我々も知らなかったのですが、どうも神々の力を流している、川のようなものが地中にあるようなのです。 我々が目にしているのは、それによって漏出した、神々の力のほんの一部に過ぎません。 逆に言うと、神々はその流れを利用して、力を遠隔操作的に発揮している、とも言えます」
「ふむ、壮大な話になってきたな。 それで」
「あのエアフォルクUと呼ばれる巨塔は、その流れを丸ごと寸断する形で動いてきています。 各地で神的な力が観測されたのは、巨塔による寸断の影響で、一時的にその場にとどまる力が強くなったのが原因のようです」
なるほど、それで最初と次で、感じる力の性質が違ったのか。
エンデルクは良い意味でも悪い意味でも賢い男だと聞いている。話を理解することは難しくないようで、続きを促した。
「続きを」
「はい。 もしもエアフォルクUが、各地の神々の力の流れを寸断し、それがこのまま修復されずに終わると。 この大陸に、未曾有の大異変が起こる可能性があります」
「未曾有の大異変、だと」
「例えば、エアフォルクUに、各地から収奪した神々の力が蓄えられているとして、この場で一気にそれを解放するとします。 そうなると、エアフォルクUが通ってきた路に沿って、大陸は二つに裂けるかも知れません」
一気に会議室がざわついた。
大陸が裂ける。それは想像もしなかった事態だ。マルローネさんが地図を拡げて説明してくれる。
あまり知られてはいなかったが、どうもエアフォルクUは最初大陸の北端に現れ、それから南下してこの近辺にて何度か姿を見せた。その後しばらく動きがなかったのは、一度南端にまで進んだから、という形跡があるようだ。
その上で、塔は戻ってきた。
つまり、大陸を南北に縦断しているという事である。そして、大陸が裂けるという言葉が、一気に恐怖を呼び覚ます。
もしも大陸が二つに裂けたりしたら、どうなるのか。
未曾有の地震が発生し、火山なども大爆発を繰り返すだろう。怒濤のように海水が海峡となった地帯に流れ込んできて、街の一つや二つが壊滅する程度では済まないに違いない。下手をすると、人類が経験した中で、史上最悪の災害になる。
マルローネさんが、具体的な予想被害について、触れた。
「これはあくまで予想ですが、最悪の場合、ザールブルグを始めとする十三の都市がこの世から消滅します。 被害人数は、百七十万と見て良いでしょう。 しかも、これは死者だけで、その数に達します」
「ひゃ、百七十万!」
「我が国の人口の四割に達するではないか」
「それだけではすむまいな。 ドムハイトでも似たような被害が出ることは疑いないだろう。 その後に起こる混乱のことも考えると、下手をすると、人類はこの大陸から滅ぶのではないか」
文官達が恐慌に駆られて私語をかわしあった。アイゼルが真っ青になって、隣のフィンフの手を握りしめていた。マルローネさんは冷静に場の様子を見ている。
咳払いしたのは、エンデルクである。
「静まれ」
場が一気に沈静化する。この辺りは、流石に歴戦に歴戦を重ねただけの事はある。エルフィールは感心して、騎士団長の手腕を見ていた。
騎士団長は立ち上がると、長身から皆を見回した。
「もう分かったと思うが、もしも最悪の事態になった場合、逃げる場所などは無い。 ドムハイトに行こうが山に登ろうが、大陸を二分するような悲劇から逃れる術など無いと知れ。 これは予想だが、もしも最悪の事態が起こった場合、大きな津波が発生し、エル・バドールでも致命的な被害が出るようだ」
「そ、そんな!」
「故に! 先に優秀なスタッフの手で事態を知ることが出来たのだから、国が全力を挙げて、この暴挙に立ち向かう! 今こそ、官民が一丸となる時。 相手が神だろうが魔王だろうが、この国に手を出そうとした事を後悔させてやろうぞ」
まだ、恐慌は収まらない。
だが、少しずつ、その場にいる者達の心理と、それに伴う空気が変わってきたのを、エルフィールは感じた。
なるほど、これが指導者の言動という奴か。エンデルクは元々後ろ暗い噂もあり、剣腕だけでのし上がってきた人物ではないと聞いてはいた。しかし、逆にそれが故に。こういった一種のアジテートは得意なのだろう。
イングリド先生が挙手する。エンデルクが頷いたので、先生は話し始めた。
「元凶と思われる塔が現れたこともありますし、これから精鋭を率いて私とヘルミーナが調査を行います。 そして、最悪の事態が発生することを避けるべく、あらゆる手段を用います。 もしも意思疎通が可能な相手であれば交渉を行いますし、排除が必要な場合は葬ります」
「頼もしい言葉だし、君が聖騎士と比べてもなんら見劣りしない凄まじい使い手だと言うことは知っている。 しかし勝算はあるのかね」
弱気な発言をしたのは、ヴァルクレーア大臣だ。顔を見るのは初めてだが、いつも常識論を提示することで、場を落ち着かせるのを得意としているそうである。とても気弱そうな容姿だが、実際は王の指示を的確に実施して、この国を発展させてきた立役者の一人である。
大臣の発言は、この場にいる困惑した文官達の心理を代弁したものだろう。彼らにしてみれば、何か安心できる要素が欲しいのである。そして、武官だけでは国は動かない。政治経済を動かす文官達がいてこそ、今回の事件も、収束に向かわせることが出来るだろう。
「そうですね、我々だけでは厳しいかも知れません。 しかし、此処にいる皆様が一丸となれば、この危機を乗り越えることも、不可能では無いでしょう」
「……分かった。 この会議での出来事は、全て王に伝える。 恐らくは全権がゆだねられるだろう。 エンデルク騎士団長、それにイングリド殿。 早速、この危機に対応するべく、動き始めて欲しい」
大臣がそう締めると、ほっとした声が彼方此方から上がった。
綺麗に会議がまとまったからである。早速部屋を出て行ったのは、騎士ではない高級軍人達。いずれも屯田兵に指示を出したり、各地の守備兵に警戒態勢を取らせる必要があるからだろう。
騎士達も動き出す。
もしも塔と交戦する場合、主力になるのは彼らだ。今回も多くの死人が出ることは間違いないだろうし、優秀な人材も失われるだろう。だが、騎士団はこんな時のために存在していると言っても良い。騎士達は勇敢に、例え相手が神だろうが魔王だろうが、立ち向かっていくことだろう。
イングリド先生が、エルフィール達を呼び集める。
側で青い顔をしていたフランソワは、ずっと黙りこくっていた。
「話を聞いての通り、早速第一陣として、私達が調査に出向きます」
「はい。 すぐにでも」
やる気満々のエルフィールを見て、若干引き気味にイリスが言う。イリスはこう言う時も、毒舌家ではあっても常識的だ。
「調査すると言っても、一体何を調べれば良いのでしょうか」
「まずはコンタクトの手段。 ミルカッセさんには今回も来て貰うとして、色々な言語や情報処理の専門家にも来て貰います。 それが無理そうであったら、敵戦力の分析。 場合によっては、テラフラムを投入しましょう。 エルフィール」
「はい。 あと少しで完成します」
実は少し前。
天啓が降りてきた。もちろん神がどうこうという話ではなく、閃いた、という奴である。今までどうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのか、我ながら不思議だ。というよりも、塔の話を聞いている内に、思いついたという方が正しい。
力の流れというものがあるのなら。
それは、小さな爆弾の中にでも、応用できるのだ。
「よろしい。 それでは早速調査を開始。 ノルディス、アイゼル、エリキシル逆転剤の方は」
「完成しています。 アイゼル、そっちは大丈夫?」
「まだ量産は出来ていませんが、試作品は。 大型の虎を、三十倍希釈の一滴で、冬眠状態に出来ます」
「よろしい。 キルキ、例のものは」
「もう少しで出来ます」
皆、順調に研究を進めていたと言うことだ。エルフィールも、これで負けてはいられなくなった。
早速外に出ると、ダグラスとミュー、それにアデリーさんが待っていた。他にも何名か、新米らしい若い騎士がいる。他の騎士達は、迎撃作戦の準備を行うという。このメンバーだけで護衛をする、と言うことなのだろう。クーゲルさんはと思って、探す。いない。
こう言う時、真っ先に出たがると思ったのだが。
「すぐにでも出られるか?」
「はいと言いたい所だけれど、実際には少し準備がいるかな。 流石に丸腰、素手じゃ調べるのにも限界があるし」
「ならば、急いでくれ。 東門で護衛チームは待っているからな」
言葉少なく会話すると、ダグラスは東へ。
さっきの話を聞く限り、ミルカッセや何名かの学者も同行してくるはずだ。霊的な能力云々と言うことで、カトールも来るかも知れない。或いはその母君のイルマさんか。
いずれにしても、一次調査の時とは、比較にならないほど派手な事になるはずだ。戦闘も想定しないとならないだろう。それも、今までとは比較にならないほど強大な相手との、だ。
一度アトリエに戻る。イリスに手伝って貰って、必要そうな物資を荷車に。今回は一日で往復できる距離と言うこともあって、野営の道具類は積まない。その代わり、武具や火器類を大量に積み込んだ。
キルキも荷車を引いて出てきた。
「エリー、準備整った?」
「うん。 でも、今回はちょっと厳しい状況になるかもね」
「大丈夫。 覚悟、出来てる」
キルキはそんな事を言った。
考えてみれば、キルキも異大陸にまで行ったのだ。危ない目にも散々会って来たし、研究のためには犠牲が必要なことも熟知している。今更覚悟がどうのこうのという話をするのは、むしろ失礼な事だったかも知れない。
話しながら東門へ。アイゼルもノルディスも、既に来ていた。アイゼルはちょっと重そうなバックパックを背負っている。ノルディスはと言うと、対照的に軽装だ。
「あれ、ノルディス、随分身軽だね」
「僕は戦闘じゃあまり役に立てそうにないからね。 援護に徹するために、敢えて軽装にしているんだ」
「アイゼルは?」
「薬剤類をたくさん持ってきたわ。 血止めに毒消しに、ええとそれにエリキシル剤もちょっとだけ。 いざというときに、対応するためよ」
二人の対照的な装備だが、これは恐らく示し合わせてのことだろう。どちらかと言えば真面目な上に、既にかなりの経験を積んでいる二人である。片方がほぼ手ぶらで、もう片方が重装備というのは、かなり意図的なものを感じる。
フィンフもバスケットを持ってきていた。
歩きながら、エルフィールに聞いてくる。
「サー・エルフィール。 今回はやはり、かなり危険なのですか」
「今までで一番危険」
「そうですか。 いざというときには、フィンフが身代わりになって、マスターを守れますでしょうか」
「フィンフの頑張り次第かな」
イリスは不安そうに眉を一瞬だけひそめたが、すぐにいつも通りに戻る。クノールは置いてきたが、これは仕方がないことだろう。
東門に到着。
何名かの騎士と、それにカトール。壁際には、無言でイルマが佇んでいた。
イルマは既に四十台の筈だが、逆にそれが故に戦士としては円熟の域にいるらしく、身のこなしと言い筋肉の練り込みと言い、騎士団の猛者達に全く劣らない。彼女の側にはミルカッセもいる。他にアルテナ教の関係者はいない様子だ。
ヘルミーナ先生と、イングリド先生が来た。しかし、マルローネさんはいない。
「イングリド先生、マルローネさんは?」
「彼女はもう少し大規模な部隊の指揮を執ることになります。 今回は私達二人が前線で指揮を執るので、安心なさい。 一人も死なせません」
これは頼もしい言葉だ。
アデリーさんは騎士達と話をしている。装備について確認している様子だ。合計で二十人ほどの調査チームは、兵士達が封鎖している東門から出ると、穀倉地帯を迂回して、若干細い街道に入った。
其処から南下していく。
「そう言えば、近い西門からでないで、東門からわざわざ行くんですか?」
「理由は後で分かるわ」
イングリド先生が言うと、ヘルミーナ先生が不敵に微笑んだ。
椋鳥は、佇む鴉を見つけた。
シグザール王国の人間がエアフォルクUと呼ぶ構造物。正式名、台座への路の中での事である。
台座への路は、特定の相手にしか開かれない。材質は強力な合金で作られており、地中を進む際の超高熱にも平然と耐え抜く。今回、これほどのものを繰り出すのには、幾つか理由がある。
もちろん、台座も、それに関係していた。
「鴉よ」
「椋鳥か」
鴉は無表情のまま、椋鳥の来訪に応じた。
最上階に位置する其処は、暗き空間である。辺りには光が無数に飛んでいるが、それが一つ一つ膨大な情報を秘めている。流星雨のごとく、闇の中光が飛び交う中、鴉は空を見上げるようにして佇んでいた。
「理由を聞かせてもらえないか。 やはり疑念が残る」
「この国で、さらなるパラダイムシフトが起ころうとしていることについて、お前はどう思う」
「人類はさらなる発展の時に入ろうとしている。 それだけだと思うが」
実際、主はそれを歓迎している。
鮮血のマルローネが技術思想的なパラダイムシフトを発生させた時、主は諸手を挙げてそれを歓迎した。実際椋鳥を始めとする配下にも、マルローネには絶対に手を出さないようにと厳命さえしたほどなのだ。
上位意志と、この点で主はこの時、完全に意志が一致していたとも言える。
しかしながら、今回の作戦が巧く行かない場合、この大陸は下手をすると滅ぶ。人間が住めない場所になる可能性さえある。
あまりにもリスクが高すぎる作戦だ。台座への路ほどのものを動かすのも、若干納得が行かない。もちろん台座への到達については、椋鳥も望んでいる。だがしかし、鴉の行動は性急に過ぎるようにも思えるのだ。
「それが本当の発展かどうか、私は疑っている」
「エル・バドールの失敗を想定しているのか」
「そうだ。 あの時の事を、お前も忘れてはいまい」
急激に発展しすぎた人間は、あまりにも傲慢になりすぎた。
エル・バドールでは、ホムンクルスに依存した社会が急激に膨張した。あらゆる労働力を始めとする、社会における負担が全てホムンクルスに押しつけられた。
あのままだと、エル・バドール人は全員が寝ながら暮らし、文化の発展は完全にストップしてしまっただろう。
人間の利便性を求める性質が、発展を産んできたのも事実。
だが、主はそれを憂慮した。
だからかなり強引な手段を使ってでも、ホムンクルスの巨大社会を排除したのである。結果、マイナスのパラダイムシフトに耐えられなかったエル・バドールは、今でも沈滞の時を過ごしている。
「人という種族の未来を摘むことになっては、本末転倒だ。 それはお前も熟知しているだろう」
「しかし、やり方が急過ぎはしまいか。 実際主も、あの時の対応については失敗であったと認めているだろう。 ましてや影の鏡は……」
「それ以上言うな。 主が決められたことだぞ。 これから我らは人という種族の未来を見極めなければならぬ」
会話が途切れた。
無数の光を見て、二人が同時に顔を上げる。接近してくる人間に気付いたのである。
噂をすれば影だ。イングリド、ヘルミーナという最強戦力に率いられた調査チームである。
「どうする。 歓迎するか」
「様子を見る。 影の鏡を出すのはまだ早い」
鴉は決して好戦的ではない。しかし、やはり人間に対する考え方は、椋鳥とは異なっている。
若干の嫉妬を感じてしまうのは、どうしてだろう。主はいつも鴉の意見を採用するように思える。
椋鳥は、一階に下りた。其処にある空間転移装置を作動させ、ザールブルグの西七里ほどの山中に移動した。かって巨大なエンシェント級ドラゴンがねぐらにしていた場所に、ほど近い。
此処からなら、作戦の経過がよく見える。
椋鳥は影そのものとなった。そして、全てを見届けようと、目を凝らした。
2、影の鏡
至近で見上げると、その異質さがあまりにも目立つ塔だった。
既に、軍部隊が遠巻きに包囲している状況である。鳥や獣も異常さを感じてか、周囲には影も形もなかった。
アデリーさんが周囲を警戒するように騎士達に指示。彼女自身は、サスマタという長柄を手に、調査を行うエルフィール達の側で状況を見守った。彼女が側にいると、とても心強い。
自分の過去について、知った今でも、それは同じだ。
今に思う。エルフィールは、アデリーさんを母親だと感じているのだろう。彼女がどう思っているかは分からない。現実はどうであれ、エルフィールは今、そうはっきり確信できる。
アイゼルが、ノルディスと小声で話しながら、壁の材質を調べている。叩いたり削ったり、或いは酸を掛けたりもしていた。だがいずれもが、壁に損傷を与える事が出来ていない。
「みんな、下がって」
ノルディスが紫の槍を出現させ、叩きつけた。
だが、ノルディス程度の出力では知れている。煙が収まると、壁には傷一つ無い状態である。
壁は黒光りしていて、全く異質の技術で作られたのだと一目で分かる。
以前サンプルを見たアロママテリアと若干にているかも知れない。だが、強度はあれとも比較にならないだろう。
アイゼルが光の束を叩きつけてみるが、これも結果は同じだ。むしろ光は、黒い壁に吸い込まれるかのようにして消えてしまった。黒い壁と言うことは、或いは光そのものを吸収する特性があるのかも知れない。
不気味な壁である。
触ってみると、ほんのり温かい。人肌ではないのだが、妙な暖かさを感じて、エルフィールは手を離す。どうも不快だ。
記憶が蘇ったせいか、少しずつなぜ自分の人格が構成されたのか、分かり始めていた。だが、それを嫌悪はしていない。むしろ、知らなかったことが分かって、心地が良いくらいだ。
逆に言うと、今までと感性は、あまり変わっていなかった。
「熱膨張破壊を試してみようか」
「多分無駄だと思う」
キルキの声を聞きながら、エルフィールは塔の裏側に回り込む。まだ若い女性騎士が、一緒についてきた。
イルマとカトールが、隅で水晶玉やらタロットを拡げて、何か話しているのが見えた。視界の隅にあるそれは意識に入れず、塔の構造をじっくり至近から見て回る。
「中はどうなってるんだろう」
「入る場所はありませんし、みっしりこの黒い素材で出来ている可能性はありませんか?」
「だったら、多分横倒しになってるかな」
女性騎士に、苦笑しながら応えた。
塔は若干傾斜しており、その体勢で安定している。触ってみた感じ、ずっしりとした材質で、この態勢で安定するとはとても思えない。
日差しを浴びている部分を触ってみる。
他と熱は変わらない。この様子だと、多少の熱量は、確かに浴びせるだけ無駄だろう。黒いものは熱を吸い込みやすい傾向があるのだが、この不可思議な素材では、それも無い様子だ。
塔の向こう側で、氷が弾けるのが分かった。キルキが術式を展開したのだろう。
そして結果は、彼女の予想通りに終わったはずだ。向こうからは落胆の声が聞こえてくる。
「あ、あの。 聖騎士アデリー、騎士団の取得したもの以外にも、我々の方でも、少しでもいいのでサンプルが欲しいのですが」
「あまり派手な攻撃は控えた方が良いでしょう。 爆発物などを仕掛けるのはやめてください」
「はい」
アデリーさんの有無を言わせぬ口調に、ノルディスが黙り込んだ。
しかしアデリーさんも、マルローネさんの下で暮らしていたという話だし、サンプルを取ることの意味は分かっているのだろう。
少し考え込んだ後、彼女は他の騎士に場を任せ、塔の周りを歩き始めた。
分かる。多分、斬ることが出来る場所を探しているのだ。
「ミューさん、アデリーさんの剣術って、貴方より上ですか? ひょっとして」
「性質が違うかな。 私のは速さで勝負する剣だし、ダグラスのはパワーで砕く剣だけれど、アデリーのは斬る剣だね」
「斬る、ですか」
「そう。 ただ、単純な総合力じゃ、もう私じゃ勝てないね」
ミューは騎士の中でも、相当な腕前の筈だ。冒険者としても慣らしていたと聞いているし、その彼女にそこまでいわせるのである。アデリーさんの実力が、聖騎士という肩書きに相応しいことはよく分かる。
しばらく塔の周りを歩いていたアデリーさんは、一点で足を止めた。
サスマタを側にいた騎士に預け、腰に帯びていたワキザシを抜く。腰を落として、しばらく呼吸を整え、そして目を閉じた。
迅雷一閃。
二度振るわれた脇差しが、鋭い金属音を立てる。
ほんのひとかけらだけ、塔から黒い物質がこそげ落ちたのは、次の瞬間だった。ワキザシを見て、彼女は嘆息する。
「まだ未熟ですね。 後でゲルハルトさんに直して貰いましょう」
「はー。 凄いですね」
「でしょ。 伊達にあの鬼母の下で鍛えられてないからね。 あ、今の内緒」
くすくすと笑いながら、ミューさんが言う。そういえばアデリーさんとこの人はとても仲がよいように思える。血縁はない様子だが、姉妹のように長い時を一緒に過ごしたのかも知れない。だとすると、アデリーさんの境遇に対する不満もあるのだろう。
今までは分からなかったが、何となくそれが分かる。
だが、今までの自分が無くなったわけでもない。
欠片を拾うと、ノルディスは大事そうにしまった。幸い今の一撃で塔が暴れ出すようなこともなく、場には静寂が続いている。
エルフィールは辺りの土などを採取して、皆の所に戻る。
アイゼルが、肩をすくめた。
「分かってはいたけれど、とんでもない強度だわ。 エル・バドールの遺跡でも、此処まで硬くはなかったでしょうね」
「うん。 向こうは普通に削れたものね」
「僕は一足先に戻って、この欠片を調べてみるよ。 君たちはどうする?」
「私、もう少し残る」
「ごめんなさいノルディス。 私も残るわ」
ノルディス以外の全員が、結局その場に残った。護衛の騎士が一人、ノルディスを送っていく。
長丁場になることを想定してか、騎士団が側に野営を張り始めた。もちろん何かあることを想定して、四半里ほどは離れているが。
カトールがエルフィールに気付き、手を振る。生きている縄の作成でいつも世話になっている流浪民の彼女は、ここ数年でぐっと背が伸びて、大人っぽくなった。胸も大きくなっているし、流浪民らしく結婚も早いかも知れない。
フランソワが、ヘルミーナ先生に連れられて、隅の方を調べているのが見えた。あれは何をしているのか。そういえば、他のマイスターランクの学生は何をしているのだろう。
エルフィールは一人で歩き回り、周囲に何かめぼしいものがないか探して回る。それが終わった後、地形をよく観察した。
どんな風に敵が動いて、それに対して味方が動くべくか。じっくり見て吟味しておく。
一旦調査を終えたのは、夕刻である。たき火を周囲に作り、野営の人の中で、イングリド先生が調査の結果を確認する。ノルディスも、戻ってきていた。
一刻ほど話し合う。イングリド先生の下で、色々な説を披露して、議論した。それを丁寧に纏め上げていき、それから全体の会議となった。
騎士達も着目している中、イングリド先生は言う。
「まず塔の強度ですが、現在の調査の結果、金剛石に近いという事が分かりました」
「金剛石、ですか」
「そうです。 しかも金剛石と違って、硬いだけではなく柔軟性も備えている。 硬いだけの金剛石は加工も容易ですが、あの塔は違います。 恐らく地上に存在する最硬度の物質があの塔だと考えて間違いないでしょう」
それを、アデリーさんは斬ったのか。凄いものである。
イングリド先生の説明によると、塔の壁を構成している物質は、酸、塩基、熱、様々な化学物質、いずれに対しても鉄壁の堅牢を誇るという。
「現状存在する兵器で、この塔を傷つけることは不可能である。 そう結論できます」
「では、騎士団にいる空間切断系の能力者を呼びましょうか」
「結論はまだ急がないように」
騎士の一人に、イングリド先生が釘を刺す。
確かに空間切断系の能力を使えば、壁を斬ることは出来るかも知れない。しかし、問題はその後だ。
この塔、もしくはその中にいる奴が、何を考えているか分からないのが問題なのである。何しろ、事実上金剛石以上の堅牢さを誇る物であのような巨大な塔を作り出した存在だ。もしもその技術力で攻撃用の兵器を作れば、此方などひとたまりもない可能性もある。
それを向けてこず、じっと黙っていると言うことは、或いは交渉の意志があるのかも知れない。
しかしながら、マルローネさんが言ったように、大陸を分断しようとしている意志に基づいて行動している可能性が決して低くないのが現状である。あまりもたもたしていると、大陸ごと人類が滅ぼされる可能性もある。
テントにヘルミーナ先生が入ってきた。今まで、ずっと外にいたのである。見張りと言うよりも、更に追加で調査をしているようだった。
先生はこそこそと話し合いをしていたが、やがてまた無言でテントを出て行った。
「ええと、何かありましたかな」
「結論から言うと、新しい発見がありました。 どうやらこの物質、再生能力まで備えているようです」
「再生、能力だと」
「さきほど僅かに付けることが出来た傷が回復しているのを確認できました。 時間を掛けて塔を削り、穴を開けると言うことはまず無理でしょう」
とんでもない存在だ。エルフィールは素直に感心していた。
「話を進めましょう。 霊的な調査に関してですが、どうやら敵は、そちらに関しても恐ろしく頑強な様子です」
イルマが立ち上がる。
流浪民の中でも屈指の使い手であり、なおかつ占いの達人である彼女だが、表情は思わしくなかった。
「様々な占いの秘術を試してみましたが、明らかな妨害を受けています。 この件に関しては、全く先が見えない状態です」
「つまり、大まかな指標さえも見えないと」
「はい。 話は聞きましたが、神的存在を敵に回しているのかも知れません。 これほどまでに五里霧中な状態の占い結果を見るのは初めてです」
気弱な発言だが、流浪民の彼女は占いによって人生の道しるべを知ってきたはずで、それが通じないことは確かに怖くもあるのだろう。
しかしながら、流石に歴戦の猛者である。ただお手上げ、と言うわけではない様子であった。
「しかし、幾らかアプローチを変えてみて、分かってきたこともあります」
「分かってきたこと?」
「はい。 現時点で、この近辺の霊的な力に変化はありません。 まだ現時点では、あの塔は何もしていないと結論しても良いかと」
「ふむ、そうか」
聖騎士の一人が頷き、若干周囲の空気が和らいだ。
確かに、いつこの大陸が真っ二つにされるか分からないという恐怖で、誰もがぴりぴりしていた現状である。少しでもそれが緩和されるのは、良いことの筈であった。
他にも学者達が順番に成果を発表していく。錬金術師以外にも、各分野での著名な学者達が揃っているだけあり、エルフィールは聞いているだけでも楽しかった。この状況を楽しめる図太さを持っていることは、悪くは働かないはずだ。
ミルカッセも発言する。彼女はずっと塔の周囲で、何やら作業をしながら歩き回っていた。
「この塔の周囲には、様々な神々の気配があります。 最初の会議で、神の力の流れの話をしましたが、やはりその中心的な場所に、塔はあるのだと思います」
「危険かね」
「はい。 大変に。 もしも塔から膨大な力が流れ出たりしたら、マルローネさんの仮説通り、大変な災害が起こると思います」
ミルカッセの発言は、結局マルローネさんが出した説が正しいことを照明するばかりであった。
誰もが安心したい状況で、それは訪れない。
いずれにしても、あの塔をどうにかしなければならない。その結果だけが残っていた。
イングリド先生が立ち上がる。
「これから、方針を二分します」
「二チームを作ると言うことですか」
「そうです。 まず第一に、塔にいる何者かと交渉をするチームを作ります。 これはまだ相手が姿を見せることさえ無く、それどころかコンタクトを取ることが出来るのかさえ分からない状況で困難ではありますが、是非実施して貰います」
言語学者のエキスパートを招集し、通訳も付けて呼びかけを続けさせるという。ヘルミーナ先生がこれを担当すると聞いて、エルフィールはちょっと心配になった。或いはフランソワは、これのために連れてこられたのか。
一方でもう一チームは、やはりいざというときのために、力による状況の打開について模索するという。
「此方のチームは私が担当します。 現在いる錬金術師達と学者は此方に所属する事になります。 そうそう、騎士団もいざというときに突入する事を想定して、ベテランの騎士達を揃えておいてください」
「承知した」
聖騎士が立ち上がったのは、一旦本部に状況を報告するためだろう。
一日でかなり状況が進んだのだ。今後の混乱を抑えるためにも、騎士団は動かなければならない。
一度解散になる。野営地には、エルフィール達の天幕も与えられていた。ノルディスはまた戻っていったので、女子だけになる。
別に誰から言い出すまでもなく、エルフィールの天幕にアイゼルとキルキ、イリスとフィンフで集まって、話をすることとなっていた。
「厳しい状況だわ。 エリー、貴方が作っているってテラフラム、この塔に使えないのかしら」
「あらま、乱暴だね」
「仕方がないわよ」
アイゼルが溜息をつく。
確かに尋常ではない頑丈さである。しかもアデリーさんほどの達人が、ちょっとした欠片を入手するためだけに、愛刀を痛めてしまったほどなのだ。もしも本気で壊すつもりなら、どれだけの衝撃を与えなければならないのか、見当もつかない。
ただし、テラフラムを使うことには反対だ。
「もしも爆破するつもりなら、フラムだけで充分だと思うけれど」
「どうして?」
「テラフラムは、大空の王対策に作っているものだもの。 十中八九、大空の王と今回の塔、後ろにいる奴は同じだと思うし、今此処で使うのは得策じゃないかなって」
「エリーの言葉、一理ある」
キルキも賛成してくれた。
実際、手の内を次々見せてしまうのは良くないことだ。大空の王は既存のドラゴンとは完全に別格の存在である可能性が高く、対抗策を練られでもしたら手に負えなくなる。
それに何より、テラフラムは画期的な爆弾ではない。既存品の改良型に過ぎず、それも対生物用という狭い用途の元開発中の代物だ。実は既に実用の目処はついているのだが、それを此処で言う気はない。
「確かに、爆発力だけであれば、フラムの数で補えるかと思います」
「イリス、貴方まで」
「フラウ・シュトライトの撃破作戦で使用していた方法です。 等間隔に爆薬を置くことで、その破壊力を最大限に発揮できます。 ただ、この塔を傷つけるには、どれほどのフラムが必要になるか、までは分かりませんが」
イリスが現実的なことを言ったので、結局みんなで考え込むことになってしまった。
テラフラムを用いて、爆発の増幅を行った場合、どうなるか。下手をするとこの森が一里四方くらい吹っ飛ぶかも知れない。だが、その破壊力を持ってしても、塔を確実に潰せるという保証はない。
しかもこの塔、再生能力まで備えていると言うではないか。下手な攻撃は、藪蛇になる可能性が高かった。
「ただ、この塔も、決して無敵じゃないと思う」
「そうだね。 アデリーさんは実際に傷つけて見せたものね」
「それもある。 でも、もし無敵だったら、土の中を進む時に周囲を冷やしたりしないと思う」
キルキの発言ももっともだ。アイゼルが提案した。
「それならば、単純に徹底的な熱を与えてみましょう。 冷やしていると言うことは、熱が生じることで不都合が発生するという証拠だわ」
「分かった。 それなら、私が明日、アトリエから丁度いいのを持ってくるよ」
テラフラム作成の過程で出来た副産物がある。これもとても用途が狭い物質だが、使うのはまさに今だった。
翌日。
アトリエに戻り、樽を一つ持ってきたエリーは、調査チームが倍増しているのを見た。昨日の調査は危険の確認という意味もあったのだろう。イングリド先生とヘルミーナ先生が同道しているとは言え、危険は未知数。一度にこの国を支えている学者達を失うわけにもいかないし、国としては当然の人材だったと言うことだ。
増えた人員の中には、昨日言及されていた言語学のエキスパートもいるようだ。塔に向かって、頻りに様々な言葉で話し掛けている。エル・バドールの言葉も中にはある様子で、ちょっと驚いた。
今日は、イリスをノルディスの手伝いに廻しているから、エルフィールは単独行動だ。ノルディスは必死に昨日取得した欠片の調査を続けていて、いずれきっと成果を上げてくれるだろう。
単純な頭脳や研究における手腕は、ノルディスの方がエルフィールより上だ。これは悔しいが、間違いのない所である。逆に言えばノルディスで成果が上がらない状況であれば、エルフィールでは無理だろう。
アイゼルは腕組みして、手応えのない相手に話し掛け続ける言語学者を、じっと見つめていた。樽を肩に担いで、エルフィールは隣に並んだ。
「呼びかけに、応じる様子はあるのかな」
「うんともすんとも言わないようね。 失礼な話だけれど」
全く反応がない塔に向かって、汗水垂らして話し掛けている言語学者はいい迷惑だろう。アイゼルの話によると、既に一刻以上ああしているらしい。塔を動かしている奴が何者かは知らないが、確かに酷い。
樽を地面に下ろす。子供二人分くらいの重さがあるので、生きている縄に補助して貰いながら歩いてきた。担ぐくらいは容易なのだが、戦闘が発生することを想定して、体力を温存するためだ。
「アイゼル、キルキは?」
「フィンフと一緒に、私のアトリエに行ったわ。 それで、その樽が「丁度いい」もの?」
「そう。 青い液体を圧縮する過程で出来た、ちょっと変わった性質の薬剤」
青い液体と聞いて、アイゼルが一瞬全力で後ずさった。少し揺らすだけで大爆発する超危険薬剤を、さっきエルフィールが乱暴に地面に置いたように見えたからだろう。もちろんそんな事をしたら、今頃ドカンだ。
しかし、樽は何ともなっていない。
「これは青い液体の圧縮過程で出た廃液。 で、面白い特性があってね。 言語学者さんが諦めたら、ちょっと試してみようか」
「本当に大丈夫? まあ、その扱いを見ている限りは平気そうだけれど」
「これはね、現液とは全く性質が違うの。 火薬としては使い物にならないけれど、それ以外ではちょっとしたものでね」
学者さんが小休止にはいる。その隙を見て、イングリド先生の所にまず向かった。
イングリド先生はひときわ大きな天幕の中で、聖騎士ジュストと話し合いをしていた。机上には地図と軍を示す駒が並べられていて、布陣に関する相談だと一目で分かる。塔の攻撃力の推定と、その場合の被害、それにどの地点で敵を食い止めるかを相談しているのだろう。
そういえば、来る途中に、大きな穴が掘られていた。イルマはカトールと一緒にそちらに掛かりっきりであった。それも何か関係しているのかも知れない。
「エルフィール、その樽は?」
「以前報告させていただいた、熱量飽和剤です」
「熱量飽和剤?」
聖騎士ジュストが興味を引かれたようで、顔を上げて此方を見た。そうなると、無知な人にも説明しなくてはならないだろう。
「要するに、熱量を蓄える性質を持った薬剤です。 熱量を蓄えても発火しないので、際限のない熱量を継続的に与えることが出来ます」
「ふむ、つまり塗っておいて火を掛けると、相手を炙り続けることが出来るようなもの、という感じかね」
「その通りです。 しかも、通常のたき火の十倍程度の火力を維持したまま、です」
あまり高熱を掛けると、最終的には爆発するのではないかと、エルフィールは見ている。ただ、これは効果が激烈であるため、言うまでもなく賭になる。二日目にしてかなり危険な賭をすることになるわけで、単独の判断でやって良いことではない。
イングリド先生はしばし考え込んだ後、机上に模型を出した。周辺地図と、塔について精巧に作り上げた模型だ。
「現在、幾つかの作戦を同時並行で進めています。 例えばこの地点。 塔が掘り進んだだろう位置を特定したので、穴を掘り、内部の状況を確認中です」
それでイルマがいたわけだ。納得した。
イングリド先生の説明によると、塔が移動しようとした場合、移動する深さにあらかじめフラムを仕掛けておいて、爆破する計画があるそうだ。更に言えば、塔の下に潜り込んで、其処でフラムを爆破する計画も立てているらしい。
土の中では、爆発の逃げ場がない。必然的に、塔に普段の数倍の破壊力が集中するはずで、一気に爆破することも可能だろう。テラフラムを投入しなくても、塔を粉砕することが可能かも知れない。
また、地中からの爆破に関しても、効果はてきめんの筈だ。
たった二日でこれだけの計画を立てるのは、凄いことである。イングリド先生もそうだが、騎士団の優秀さがよく分かる。
更に此処で、エルフィールが造り出して貯蔵しておいた熱量飽和剤を戦略にカウントするとなると、面白いことが出来そうだ。
「それは騎士団に引き渡し。 使い方は貴方がレクチュアしなさい」
「分かりました」
「今は相手の出方に対する対処法を模索している段階です。 それらが精確に固まったら、攻勢に出ます。 少なくとも、相手がコミュニケーションに応じる可能性がある間は、被害が増えないように、極端な行動は避ける予定です」
確かに、樽ごとの熱量飽和剤を使うと、一気に塔全体を燃やすことも可能だ。フラムを使うよりも激烈な反応が出る可能性もある。
ちょっとがっかりして、エルフィールは樽を騎士団に引き渡し、下がることにした。レクチュアが終わると、アイゼルが来る。
「どうしたの? 残念そうだけれど」
「あの薬剤、簡単には作れないから。 ちゃんと活用してもらえるかなあ」
「大丈夫よ。 たった一日で、これだけの作戦が同時進行するくらい優秀な騎士団とイングリド先生のコンビネーションですもの。 手札の一枚として、活用してくれるはずだわ」
「そうだよね」
一度、野営地まで下がる。
少し前から、また言語学者が呼びかけを始めた様子だ。今度はドムハイト語や、非常にマニアックな地域言語も使って会話を試みている様子だ。汗水垂らして話し掛ける学者の努力は、きっと報われないのだろう。そう思うと、エルフィールは他人事ではないなと思った。
野営地の、少し大きな天幕にはいると、先客。ヘルミーナ先生と、フランソワである。
アイゼルとフランソワは貴族同士と言うこともあり、互いに相手を意識し合う仲だ。以前はフランソワが一方的にアイゼルを見下していたこともあって、微妙な壁が今でも間にある。
「エルフィぃいいル、何か面白い案は浮かんだかしら?」
「はい。 熱量飽和剤を使って、塔に熱刺激を与える案を提案してきました。 でも、他の作戦の実行計画を実働に移してからと言われて」
「イングリドらしい遅れねえ。 私だったらもっと迅速にやるわ」
けたけたとヘルミーナ先生が笑い、引きつった笑いをフランソワが続けた。この様子だと、何か弱みでも握られたか。
フランソワのホムンクルスが、何か主君に耳打ちした。ヘルミーナ先生はそれを見ると、頷いて立ち上がる。
「イーグレット、準備が整ったのなら、まず私に知らせなさい」
「申し訳ありません、グランドマスター」
「まあ、その忠誠心は素敵よ。 フランソワ、行きましょうか」
「は、はい!」
蒼白なまま、フランソワが立ち上がる。あの高飛車で高慢なフランソワが、まるで子猫のように扱われている様子は、見ていてちょっと痛快であった。だが、アイゼルは痛々しそうにその様子を見ている。
天幕から二人が出て行くと、アイゼルは嘆息した。
「可哀想に。 きっと、弱みを握られたのね。 ヘルミーナ先生に弱みを握られるなんて、悪夢だわ」
「でも、イーグレットって名前、多分フランソワが付けたものじゃないのかな。 それにイーグレットって呼ぶ時、先生凄く優しい表情だったよ」
「そう。 相変わらず、なのね」
アイゼルは少し悲しそうに眉をひそめた。
彼女もヘルミーナ先生が、ホムンクルスにしか愛情を注がないことは知っている。それが良くないことだと、アイゼルは思っているようだ。
アイゼルとフィンフの関係は理想的に見えるが、何処かで歪みがあるのかも知れない。
キルキが来たのは、丁度その時だった。
「ごめんキルキ、昨日言ってた秘密兵器、許可が下りなかった」
「さっき、イングリド先生に聞いた。 でも、多分使う機会は来る」
「どうして?」
「最近私、騎士団に仕事頼まれてる。 大量に納品したフラムの管理に、さっき行ってきた。 多分、騎士団そろそろ痺れ切らす」
キルキはテーブルに着きながら、そんな事を言う。
遠くからは、まだ言語学者の熱弁が聞こえ来る。確かに、そろそろコミュニケーションは無駄だと、判断する時期かも知れなかった。
影の鏡の機動準備を終えた鴉は、外の状況を見た。
台座への路最上階では、無数の情報を取り入れることが出来る。シグザール騎士団は、まず此方とのコミュニケーションを図ってきた。これは意外なことであったが、元々気の短い連中である。そろそろ、攻撃行動に出てくるだろうと、鴉は分析していた。
椋鳥は既に台座への路から離れた。これで、心おきなく動けるというものだ。
「鴉よ、影の鏡を動かすか」
「主、御意のままに」
呟くと、鴉は手を伸ばす。
白く、細い手である。
かって、作られた時と全く同じ姿のまま。既に千年以上が経過した。そして、一つ知ったことがある。
人間という生物は、進歩しないのだと。
主は未だに無邪気に人間を信じているが、鴉は違う。今回は試しに事掛けて、この台座への路を起動させることが出来た。そして今、影の鏡を起動させるのと同時に、霊脈への最大干渉を許可されている。
人間の可能性を試すと、主は言う。
しかし、鴉は知っている。人間にそんなものはないと。エル・バドールで人間どもが曝した醜態を、主は忘れたというのか。その時点で、主が全能ではないことなど明らかだ。
そして、何より。
鴉は、忘れていない。闇の中で見た、あの光景を。あの時、鴉は本来与えられていない感情に芽生えた。
そうだ。そう、主に設計されたにもかかわらず、である。
人に、償わせる。そうしなければ、鴉の存在している意味など、無いのだ。あの時、差し伸べた手を拒否された時。人の業を思い知った時に、鴉の生き方は、既に決まっていた。主のことを尊敬はしている。だが、それでも、この胸の中に宿った感情、怒りだけは消えなかった。
最上階にある巨大な球体を、鴉は見上げる。
脈動するように光を放つそれは、既に一つ目の影の鏡を起動させていた。あと二つ、起動させることで、鏡は完全となる。問題は、主の命令には逆らえないと言うことだ。人間の力を試せと、鴉は命じられている。
だから、試さなければならなかった。
影の鏡の二つめが起動した。三つめまで、後三単位時間という所だ。
それが過ぎたら、次の段階に入らなければならないだろう。
ふと気付く。
此方に呼びかけていた人間がいなくなっている。さては、台座への路に、何か仕掛けてくるつもりか。
ダイヤモンドをも遙かに超える硬度のこの塔に、何をしたら貴様らの技術力で傷を付けられるというのか。
ほくそ笑むと、鴉は見守る。
彼がこの世でもっとも嫌う生物の、あがきを。
騎士達が一斉に敬礼をするのを見て、エルフィールは驚いた。天幕を出て、その意味に気付く。
エンデルクを伴い、ブレドルフ王子が来たのだ。まさか塔を直接視察に来るとは。
進み出た聖騎士ジュストが、説明を始める。王子は頷くと、言う。
「作業はそのまま続けて欲しい。 私はいないものとして考えてくれ」
「分かりました。 殿下の仰せのままに」
視線が合う。イングリド先生が歩み出て、説明しながら周囲を歩き始めた。ブレドルフ王子は、動きを見る限り武芸をそれほど身につけているようには見えないし、何より素質が無さそうだ。この辺りは、父王から遺伝しなかったのだろう。若い頃は猛者としてヴィント王は勇名を轟かせたらしいのだが。
しかしながら、その衣佇まいは落ち着いていて、不動の山のようにも思える。なるほど、近年跡継ぎへの不安が解消されたと聞くが、これなら頷ける話だ。
「王子様、すごく安定してるね」
「そうね。 この国を治める王族として恥ずかしくないお姿だわ」
「格好いい。 美形とかじゃないけど、見てて安心できる」
キルキがちょっと失礼なことを言うが、エルフィールも同意見だ。王子は現場が邪魔にならないようにと、此方の野営地で話を聞くつもりらしい。エルフィールはアイゼルとキルキと一緒に、場を離れようと思ったが、何処とも無く現れたヘルミーナ先生に止められた。
「貴方たちも此処にいなさい」
「でも、大丈夫ですか? 私達、学生ですけど」
「構わないわ。 むしろエルフィール、貴方はテラフラム作成の責任者であるという時点で、この作戦には深部まで関わっているのよ。 ついでにいえば、アイゼル、キルキ、貴方たちもね」
「恐縮です」
アイゼルがちょっと強張った表情で一礼した。
彼女は貴族の令嬢として、社交界も知っているはずだが、しかし王子には流石に会ったことはないだろう。
王子が来た。天幕の中を、急いで使用人が片付ける。身のこなしからいって、多分牙だろう。
目配せをされたので、気付いて立ち上がる。
ちょっとぎこちなく敬礼をした。王子は入ってくると、天幕の中を見回し、それから席に着いた。
エンデルクもいるし、緊張する。怪しい動きをしたら、その場で斬り捨てられるだろう。イングリド先生が優雅に礼をして、エルフィール達を王子に紹介してくれる。どうもイングリド先生とブレドルフ王子は面識があるらしく、話はスムーズに進んでいた。
「なるほど、彼女がヒドラのエリーか」
「はい。 戦闘でも勇猛ですが、研究者としても有能で、例の人工レンネットを開発したのも彼女です」
「そうか。 我が国の未来を支える人材の一人だな。 これからも貴方から導いてやってくれ」
凄く光栄な言葉を貰ったので、流石にちょっとエルフィールも嬉しかった。
幾つか技術的な話を先生がして、それに王子が質問する。王子は見たところそれほど頭の回転が速くはないようだが、しかしじっくり考えることで、的確な答えを導き出す事が出来るようだった。
幾つかの質問を終えた後、王子は不意にエルフィールに話題を振ってくる。
「エルフィール。 君はこの国が好きか?」
「はい、とても。 錬金術師に対する理解もありますし、何より他の国だったら、今頃娼館で暮らすことになっていたでしょうから」
「そうか、君はあまり裕福な層の生まれではないのだな」
「生まれは恐らくドムハイトです」
エンデルクが眉を少しだけ動かすのが見えた。
エルフィールはドムハイトに興味がない。父を虐待し、その死の切っ掛けを作った連中をのさばらせた国、位にしか考えていない。ドムハイトを焼き払う兵器を作れと言われたら、躊躇無く開発を開始するだろう。
ただし、この国でも辺境には多くの矛盾が山積していることは分かっている。そうでなければ、隙間産業的なものが発展することもなかっただろう。そして、マルローネさんによって、自分が救出されることも。
病の時と合わせて、あの人には二回も救われたことになる。今度しっかり礼を言わなければならなかった。何もかも忘れていたのは、まさに痛恨だと言える。
「ならばなおさら、君は凄い。 此処まで来た君を、私は高く評価する。 今後も君の実力に相応しい待遇をさせて貰う」
「有難うございます」
「社会の矛盾については、いずれ皆で努力して解決していかなければならない。 理不尽による犠牲者や被害者を少しでも出さないようにするように、君たち若い世代も私に協力して欲しい。 まずはこの目の前にある大きな壁を崩さなければならない」
皆で最敬礼をすると、王子は頷いて、天幕を出て行った。
エルフィールはちょっと驚いていた。腰が低いと言うよりも、とても此方の意志を尊重してくれる人物だ。或いは、無力の悲しさを知っている人なのかも知れない。昔は駄目王子として影口を叩かれていた時期もあったと言うし、無理もないことなのだろうか。
イングリド先生は、そのまま王子について行った。エンデルクは最後まで残っていた。
「王子に無礼は無かったが、それに甘えてはならぬぞ。 殿下は誰にでもああ接するお方だが、だからといって敬意を忘れるような輩を、私はゆるさん」
「はい。 思った以上に尊敬できるお方でした。 あの方なら、この国は安泰だと思います」
「そう、だな。 このようなことがなければ、もっと良かったのだが」
エンデルクが出て行く。
今の言葉も驚きだ。昔はぎらついた野心で自分の身さえも灼きかねないような人物だったらしいのだが。
ヴィント王に飼い慣らされたのか、或いは。いずれにしても、今のエンデルクがこの国に対して謀反を起こすことはあり得ないだろう。
さて、一旦手が空いた。
「それじゃ、手分けして、調査に戻ろうか」
ちょっと良い気分である。エルフィールは、幾つか天啓が浮かんでいるので、なおさら機嫌が良かった。
影の鏡の全てが起動した時、既に夜になっていた。
鴉は人間達の様子を、モニタを通じて観察する。
どうやら攻撃を行うことに決めたらしい。様々な準備をしているのが分かった。オートでの監視機能が、大体の作戦についても分析を終えている。いずれも、この台座への路を破壊することどころか、傷つけることさえ出来ないだろう。
隕石の直撃にも耐えるこの構造物だ。シグザール王国程度の技術力で、どう破壊するというのか。特殊能力者の手を借りるという選択肢もあるが、それはこの塔が霊的に防御されていない場合の話である。
人間の可能性か。
主が無邪気に言うそれを徹底的に否定し、この世界を一度リセットしてやる。
この世界の人間は、ベースになった世界のものよりだいぶ強化されていると、主に聞いたことがある。だが、それでも人間は人間。鴉に言わせれば、さっさと滅ぼしてしまうのが、むしろこの世界のためであった。
警告音。
危険を知らせる音だ。モニタの一つが、赤く点滅している。この台座への路に打撃を与えうるものが近付いているという事である。
少し驚いて、腰を浮かせる。分析内容を確認。爆発物ではない。これは、化学物質か。
しかも、普通であったら何ら害がない物質である。まさか、完璧に使いこなせるというのだろうか。確かに向こうには、イングリド、ヘルミーナという化け物じみた天才がいる上に、鮮血のマルローネが控えているが。
いや、まさかまさか。鴉は笑おうとして失敗した。
樽が運ばれてくる。小型の投石機もだ。迎撃をと命じようとして、しかし其処で動きが止まってしまう。主の命令に逆らう行動だからだ。
主は、こういった。
場合によっては、この台座への路を放棄しろと。人間が可能性を示せるのであれば、最終的には台座へ向かい、この世界からlsdhfopwhwする事にもなると。だが、それでは。鴉の目的は果たすことが出来ない。
大空の王を呼び寄せるか。だが、彼奴は今ドムハイトの辺境に潜伏させ、作戦行動時間まで待機させている状態だ。主に対してあれを動かす納得の行く説明をする自信は、鴉にはなかった。
牙の精鋭が、フック付きのロープを投げかけてくる。上部のシールド装置にひっかかったフックをたぐり寄せて、牙の戦士達が台座への路を上り始めた。投石機には、既に樽が乗せられている。
樽の中身を分析。様々な技術を駆使して、遠隔透視して分析させる。
思わず呻く。そんな馬鹿な。この国の技術力で、どうしてそれほど的確な答えを導き出すことが出来た。
ふと、気付く。
此方を見ている者の中に、ホムンクルスが二人。その中の一人。あれは。
思わず鴉は絶叫し、立ち上がっていた。
気付く。
椋鳥が、呆然として、自分を見つめていることに。
「鴉、お前」
「椋鳥、いつ来た」
「そのようなことは問題ではない。 お前、感情がどうして存在している。 主に、そのことは告げたのか」
頭を振る。
この会話は、主に筒抜けになっている筈だ。主は必ずしも、自由自在に世界に干渉できる訳ではないが、しかし致命的なイレギュラーが生じた時は姿を見せるはずだ。鴉は、知っているのだ。
主は厳密には神ではないと言うことを。その神々に関係があることは確かだが、限定的な干渉さえしないのには、大きな理由があることも。
そして、主に自分たちを作り、活動させていることにも、理由がある。そう、鴉は確信していた。
「椋鳥よ、いや、主。 此処で我は告げたい。 人間に、未来の可能性など無いと言うことを」
「まて、鴉。 それは主の方針、理念に対する反逆だぞ。 感情を持つだけではなく、エゴまでもを持ったというのか」
「そうだ。 あの、エル・バドールが、マイナスのパラダイムシフトを起こした忌まわしい日にだ。 気付きさえしなかっただろう」
「確かにあの時お前は様子がおかしかったが」
椋鳥が、下がる。
影どうしの戦いになると、勝負は付かない。主は、どう干渉してくるか。それだけが、鴉にとっての不安要素だった。
激しく、床が揺動した。
緊急警報が鳴り響く。けたたましい音が、今まで静かな秩序が満たしていた空間を侵略する。
椋鳥が、また下がりながら言う。
「どうやら騎士団が始めたようだな」
「そうだ。 恐らく一刻半ほどで、壁に穴が開けられる。 其処から精鋭がなだれ込んでくるだろうな」
「影の鏡は」
椋鳥が見た先には、いそいそと身支度を始めている三体の影の鏡。エル・バドールのマイナスパラダイムシフトの立役者となった、最強のクリーチャーウェポンの姿があった。
「起動済みか。 ならば、活動させるのは難しくあるまい」
椋鳥が消えた。逃げたのだ。
恐らく奴の中には、恐怖が芽生えたはずだ。何処かおかしくなって、鴉は何もない空間に向けて、からからと笑った。
「主、聞こえているか」
返事はない。
だが鴉は確信している。相手が聞いていると言うことを。
「私に自害を命じるのなら好きにすればいい。 だが、私は、此処で敵を迎撃して、貴方が考える人間の可能性を全て否定してやる。 例え死んだとしてもだ」
ブロックが掛かっているから、具体的な行動は出来ない。
だが、精神だけでも、反逆する。もはや此方の意図が明らかになった以上、それだけが、鴉に出来る意趣返しだった。
影の鏡達が歩み寄ってくる。
「おはようございます。 貴方は、確か鴉でしたね」
此奴らには、自我がある。
クリーチャーウェポンとしてはもっとも例外的な存在なのだ。作成したのは、エル・バドールの頭がおかしい錬金術師達。
だが、彼らには。
とても扱いきれなかった。
「それで、今回は何用ですか?」
「せっかく気持ちよく寝てたのに、たたき起こされて気分が悪いなあ」
「返答次第じゃ、ただではすまさないよぅ?」
三つの声が帰ってくる。
ただし、一つの口から。
三つある影の鏡の中で、喋っているのは先頭の一つのみ。しかし、他の二つの意志を代弁するかのように、先頭の鏡は喋り続けていた。
表情もある。
そして、姿は。人間とまるで代わりがなかった。
「シグザール王国の壊滅を」
「へえ? データを分析する限り、とても発展している良い国に思えるけれど? むしろ人類の作る国家の中では理想型に近いはずだ」
「それを潰すというのは、どういう事なのかなあ」
「あんた、自分の存在意義、分かってるぅ?」
影の鏡達が、三歩ほどの距離を置いて、鴉の前で止まった。もう一つ、揺れが来る。これは恐らく、間もなく穴が空く。
影の鏡は冷笑を閃かせると、三体一緒に姿を消した。
鴉は、崩壊を始めた台座への路の中、静かに立ちつくすばかりだった。
3、猛威
ノルディスが来た。同時に牙の精鋭も一緒にいたので、エルフィールはついに作戦が動くのを悟る。
「エリー。 君の作った液体を試す許可が出たよ」
「その樽は?」
「これはね、ごく短時間で発火する液体燃料。 火力はそれほど強くないんだけれど、兎に角燃焼効率が良いんだ」
なるほど、そう言うことか。
キルキにも声が掛けられる。それだけではなく、騎士団の中からも、優秀な火炎系の能力者が集められた。
狙うポイントは、上から下まで満遍なく。場合によっては、一気に塔を粉砕することも考えるのだという。まあ、それが一番妥当だろう。預けた樽が運ばれてきた。エルフィールが作ったものだ。
「アイゼルも、協力して」
「ええ。 分かっているわ」
牙の精鋭が、フック付きのロープを次々放り投げる。その中の一人が、夜闇の中、樽を抱えていた。そして、上でエルフィールが作った熱量飽和剤をぶちまける。流れる経路まで完璧に計算している様子なのが面白い。
「火炎系能力者、スタンバイ!」
牙の精鋭が降りてくると同時に、聖騎士ジュストが叫ぶ。
殆ど一瞬で作戦遂行の態勢が整うのは、この騎士団が如何に優秀かを、よく示していただろう。
既に星が瞬く中、バケツリレーの要領で、次々と薄い袋に入れられた液体燃料が放り投げられる。そして、着弾と同時に、火力が集中された。
燃焼と言うよりも、最早爆発に近かったかも知れない。
凄まじい炎が燃え上がり、一瞬で鎮火する。だが、熱量は消えない。熱量飽和剤が丸ごと吸収し、おぞましい色に発光し始めた。次々に放り投げられる袋。キルキとアイゼルが詠唱して、術式を叩きつける。騎士団の能力者も、ほぼ完璧なコントロールで、術式をぶつけ続けた。
地面に垂れた熱量飽和剤が、濛々と煙を上げた。火山みたいな光景だ。
溶けた土が、凄まじい異臭を放っている。草が一瞬で消し炭になり、柔らかく撹拌された土がそのまま溶岩になっていった。
「これほどまでの効果とはな。 距離をもう少し取れ! ガスを吸うな!」
聖騎士ジュストの指示が飛び、騎士達が下がる。アイゼルも慌てて距離を取った。
荷車をフィンフが運んでくる。先以上の量の液体燃料だ。しかも、すでに袋詰めされている状態である。
「ね、イリス。 ひょっとして貴方の入れ知恵?」
「何のことか分かりませんが、マスター・ノルディスに言われたとおりに、最善策を提案しただけです」
「ふうん」
此奴、さては最初からこの塔の攻略方法を知っていたな。エルフィールはそれを悟ったが、敢えて口にはしない。
イリスの過去の話を聞く限り、エル・バドールの技術力についてかなり深くまで触れる機会があったはずだ。だが、しかし塔については、それ以上のものに思える。そうなると、死んだ後に知ったのか、或いは。まあ、それはどうでも良い。今は、突入の準備を整えるべきである。
「冷凍系能力者、スタンバイ!」
聖騎士ジュストが叫ぶ。ついに、熱量飽和剤を掛けられた辺りの壁が解け始めたのだ。まあ、一瞬で土が溶けるような熱量を浴び続けたのである。当然のことだろう。さて、塔がどう出るか。攻撃をしてくるかも知れないが。
塔の頂上部から、水が大量に放出され始める。
だが、液体燃料の火力は、それを遙かに凌いでいた。ついに、壁に穴が空く。孔の奥は、深淵を思わせる闇であった。
「やはりキルキの説は正しかったのね。 熱に際限なく耐えられるのなら、わざわざ冷やしたりはしないわ」
「お手柄」
「うん。 でも、これで黙っているとは思えない」
エルフィールは既に生きている縄を展開して、臨戦態勢だ。この場には騎士団の精鋭も多いが、ミューやアデリーさん、ダグラスやローラなど、見知った顔はいない。何しろ急な作戦だったのだから、無理もないか。
ただ、後ろにはイングリド先生が腕組みして控えているし、聖騎士ジュストも指揮を執っている。何が出てきた所で、そうそう遅れを取ることはないだろう。
恐らく、ただの水ではないのだろう。一旦攻撃を中止するように厳命した聖騎士ジュストの前で、見る間に熱量が消えていく。膨大な蒸気が天に昇る中、流石に再生能力を持つ塔も、深傷におののいているように見えた。
だが、その中から。
何かが歩み出てくる。聖騎士ジュストは無言で右手を挙げ、同時に騎士達が半包囲の態勢を作った。
「何者か」
「それはこっちの台詞だよぅ。 これは我々にとっても貴重なものなのだけれどねぇ」
声が応えてくる。言語学者が前に出る。
膨大な蒸気の中から現れた影は三つ。しかし、異様なのは、その姿だった。
「あれ? 私が三人?」
「えっ? エリーにはそう見えるの? 私には、イングリド先生が三人いるように見えるわ」
アイゼルの言葉に、愕然として目を擦る。
歩み出てくるのは、確かにエルフィールだ。しかも三人。しかし、騎士団の者達の反応からして、そう見えているとはとても思えなかった。
言語学者は脂汗を流しながら帽子を取り、礼を失しないように慎重に言葉を選びながら喋る。
「あなた方の住居に攻撃したのは申し訳ないと思っている。 しかし、我らの首都の近くに、突然来られて困惑もしているのだ。 出来ればなぜ現れたのか、何が目的なのか、教えていただけないか」
「そういってもなあ、俺達は悲しい下働きでね。 上の命令には逆らえないし、疑問を持つなんて高等な機能は与えられていないのさ」
おかしい。
喋っている奴は同じ筈なのに、声も口調も全く違う。これは一体どういう事か。声色を変えているようにも見えない。いわゆる人格障害とも思えない。そして、三人いるエルフィールの後ろ二人は、じっと黙り込んでいるのはなぜなのか。
「ま、そう言うことで。 中でふんぞり返っている奴を守るようには言われてないから、俺達はこれで失礼させて貰うよ」
「まて、貴様何をする気だ」
「この国を潰せと。 理由はよく分からんが、やれと言われればやるだけだ」
言葉が終わるか終わらないかの内に、聖騎士ジュストが抜剣。エルフィールも生きている縄を展開し、飛びずさった。
殆どノータイムで斬りつけた聖騎士ジュストだが、その剣が抉ったのは残像だけである。速い。いや、これは。
最初から、何もいない所に、斬りつけた。
「いやはや、お見事ですね。 今の剣術、我らが見た中でも間違いなく最上位に入るほどの代物だ。 だが、我々には届かない」
「エルフィール!」
イングリド先生が動く。アイゼルとキルキが詠唱を開始し、イリスもちょっともたつきながら槍を構えた。
だが、至近に、不意に自分が現れたのを見て、エルフィールは戦慄する。
無数の生きている縄が迎撃の打撃を繰り出すが、その全てが虚空を切った。やはり、どれもこれもが、見当違いの地点を攻撃している。
平然と歩いて来る自分に、エルフィールは無言で白龍を叩きつけた。だが、やはり杭は虚しく地面を抉るばかり。これは、どういうことか。
イリスが突きかかる。だが、その槍の背を押さえ、自分がイリスの顔を覗き込んでいるのを、エルフィールは見た。
「お前はセロ? 魂が共通している様子だが」
「……」
「なるほど、それで鴉がおかしくなったのか。 そうかそうか、それならば納得も行く」
イングリド先生の放った術式が、放射状にイリスの周囲をなぎ払う。空中。似姿は、其処にいた。だが、イングリド先生は、既にその地点に飛んでいた。途轍もない戦闘経験が生み出す、先読みの行動である。繰り出される拳が、エルフィールの似姿を捕らえる。腹に直撃。今度は入った。
似姿が塔に叩きつけられ、濛々たる煙が上がる。だが、イングリド先生が着地した時、表情は優れなかった。
「効いていない様子ね」
「正確には違う。 もしも直撃を受けたら、即死していたさ」
生きている縄が、イングリド先生の後ろに立った似姿を叩きつぶす。手応えあり。死角からの猛撃だ。これを避けられるはずがない。筈がないのだが。
自分の似姿は、最初から其処にいなかった。
「な、何ッ!? 気持ち悪い!」
アイゼルが流石に悲鳴を上げた。周囲でも、似たような光景が繰り広げられている。騎士団の精鋭達も、剣を振るおうが術を展開しようがいずれもが虚空を抉るばかりだ。阿鼻叫喚の中、影が一つ消える。そしてもう一つ。
空中に浮かぶ影は、失笑を一つ残した。
「確かに君たちは強い。 単純な身体能力では、我らでさえ及ばないだろう。 人間は進化したのだな。 しかし書き換えられる事には、抵抗できないようだ」
「書き換え、だと」
「私達は書き換えることが出来るのですよ。 それでは失礼。 命令を実行しなければなりませぬので」
慇懃に礼をすると、影が消える。
聖騎士ジュストが、戦慄に声を震わせていた。
「あ、あれは何者だ。 攻撃が通じないというのではない。 それとも、クーゲルから聞いた、現実の改変か!?」
「現実の、改変ですって!?」
「もしそうなら、本当に相手は神々にも匹敵する存在のようね。 なるほど、現実か、もしくは結果を書き換える、か」
絶望的な悲鳴を上げるアイゼルに。
だがイングリド先生は、不思議とそれでも絶望はしていないように見えた。
巨大な孔を横っ腹に開けた塔は、沈黙を続けている。
騎士団は既に、彼方此方に警戒警報を出しているようだ。確かに現実を好き勝手に書き換える相手などと言うものは、彼らにしても未知の存在だろう。
エルフィールはイリスの側に行く。
イリスは、無言のまま、じっと塔を見つめていた。
「ね、セロって昔の名前?」
「……どうも、意味が違うような気がします」
「ん?」
「何だかあの人、見覚えがあるんです。 あ、でも皆には別々の存在に見えていたようでしたね」
キルキは、誰に見えていたか言いたくないようだった。あの様子からして、多分両親だろう。しかも、アルコールを飲んで狂乱している状態の。
イングリド先生に聞いてみると、リリー先生だと言っていた。となると、先生の先生か。しかし、嬉しそうではない様子からして、多分ろくでもない状態だったのだろう。
エルフィールは自分自身。アイゼルはイングリド先生だと言う。
愕然としている聖騎士ジュストに、歩み寄る。老いた騎士は、自信を粉みじんにされてしまったようだった。
「私よりも優れた相手など幾らでも見てきたのだがな。 まさか、この年まで練り上げた技が、根本的に通じない相手を見ることになるとは思わなかったよ」
「対応策はあると思いますよ。 それに、この塔も、早く片付けないと拙いでしょうし」
「楽観的だな」
「若者の特典ですよ」
苦笑したジュストは、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
ジュストは、亡くなった父の姿に敵が見えたと教えてくれた。他の騎士達もまちまちで、たまに自分に見えている者もいたようだったが、大体は別人だった。
イングリド先生は、拳の感触を確かめている。他の騎士達と違って、既に対応策が掴めているのかも知れない。
「イングリド先生、あいつが影の鏡、何でしょうか」
「恐らくはね。 しかし、人間大で知能もあるクリーチャーウェポンとは思わなかったけれど」
「ドッペルゲンガーというのにも納得が行きました。 あれ? でも、自分に見えていた人は、あまり多くなかったようですね」
イングリド先生は、側で見上げると美しい。既に若くはない人だが、その美貌は磨き抜かれたものだと思う。
ただ、いつもは彫刻めいている美貌であるのに、今日は思惑に揺れているように見えた。別の意味で、人間らしい。
「この国を潰すと言っていたわね」
「ヴィント王を殺すつもりでしょうか」
「いや、どうでしょうね。 この塔の性質から考えても、その程度のことではとても済まされないでしょう。 それに冷笑的な性質も感じましたから」
何だかいやな予感がすると、先生は言う。
程なく、聖騎士ローラが来た。息を弾ませていると言うことは、色々起こったのだろうか。
ローラは此方を見つけると、走り寄ってくる。
「エリーさん。 それにプロフェッサー・イングリドも」
「聖騎士ローラ、何かあったのですか」
「いえ、今のところ、影の鏡という存在による目立った破壊活動などは確認できておりません。 王宮の警備は二倍にしていますし、大教騎士も警護に就いてくれています。 それよりも、騎士団長より厳命です。 この塔を早急に攻略せよと」
ダグラスとミュー、それにアデリーさんがいる。マルローネさんも、少し遅れて来てくれると言うことだ。
「イリス、貴方もついてくる?」
「はい。 どうもその義務があるようですから」
まだ未熟だが、身を守るくらいは出来るはずだ。
編成が決められる。前衛にダグラスが入り、他の騎士が何名かでサポートする。エルフィールは中衛。後方で、何かあった時のために、イングリド先生が支援してくれると言うことであった。
実に頼もしい。
アデリーさんはミューと左右両翼になって脇を守ってくれる。イリスは中衛から後衛として、錬金術の道具を使ったサポートに徹する事となった。同じ位置に、キルキも入る。
もちろんこれは第一陣である。様子を見ながら、内部に増援を適宜投入する。
イングリド先生が最後衛というのは、それが故だろう。増援の投入、撤退の判断をしつつ、なおかつ確実に生存しなければならない立場だ。彼女ほどの手練れでなければ、誰が成し得るだろうか。
アイゼルは留守番だ。というよりも、錬金術の専門家が外にいた方が良い。先生や他のマイスターランク学生は今頃大わらわだろうから、アイゼルも貴重な人材と言うことになる。
「エリー、生きて帰ってくるのよ。 支援物資は、私が此処で騎士団から受け取って、適宜中に送り込むから」
「分かってる。 頼りにしてるよ」
「行くぞ」
言葉少なく、ダグラスが促す。
塔の横っ腹に開けられた穴は、ほんの僅かずつ再生しているようだった。まだ周囲はかなり熱を持っていて、触ると危険である。ダグラスが危険そうな場所を指さしながら、先頭に立って奥に行く。
塔の中に足を踏み入れた。
其処は、想像以上に広い空間だった。外で見た塔の直径よりも、明らかに太く大きく感じる。
騎士達がさっと展開して、防御陣形を組んだ。生きている縄を伸ばして、カンテラを高くかざす。
辺りには、漆黒の壁が何処までも広がっている。天井も高くて、まるで星空が降りてきたかのようにちかちかと光がまたたいていた。
周囲に、生物の気配はない。
異常に清潔すぎる空間は、むしろ嫌悪感を煽るのだと、こう言う時に悟る。全く匂いもない。生活しているという雰囲気がない。
まるで、エル・バドールの遺跡に迷い込んだかのようだ。彼処も、こんな風に、生そのものを拒絶する空間だった。
「階段が」
塔の外周に沿うようにして、螺旋状の階段がある。見つけた騎士について、陣形を維持したまま登る。
五人くらい横に並べるほど広い階段であり、やはり空間が歪んでいるとしか思えない。高い高い天井も、近くで見ると、星のように光が横切っていて、ある種不気味であった。
階段を上り終える。
真っ暗な中、敵意が無数に沸き上がる。
剣を抜いたダグラスに、それは中空から襲いかかった。大きさは子供ほど。人間に似ているが、背中に翼が生えており、手足に鋭い爪がある。確か、以前交戦経験がある相手だ。此処にいると言うことは、エル・バドールのクリーチャーウェポンだったのか。そういえば、前々からエル・バドールの諜報員は、この大陸で活動していたはず。エルフィールは結構早い段階で、彼らに目を付けられていたと言うことか。
数は、およそ数十。
しかも、見た感じ、以前交戦したのよりも、だいぶ動きが速い。
アデリーさんが、至近でワキザシを一閃。昨日直して貰ったものだろう。真っ二つにされたクリーチャーウェポンが、悲鳴を上げながら落ちていく。キルキは空に向けて熱量を放出したり逆に吸収したりして、地味だが着実に成果を上げていた。
化け物の羽音が多数響き渡る中、騎士達は獅子奮迅の活躍をしている。だが、しかし数が違いすぎる。
「一人被弾!」
「後退! 増援を呼べ!」
「分かりました!」
敵を叩き斬りながら、ダグラスが叫ぶ。だが、負傷した騎士を目ざとく狙い、数匹が殺到する。エルフィールは無言でその場に飛び込むと、生きている縄で獲物を狙って降りてきた連中を捕獲し、その場で握りつぶした。
断末魔の絶叫と、大量の血しぶきが辺りに飛び散る。
にやりと笑ってしまう。心地の良い悲鳴だ。
負傷した同僚を後送に掛かる他の騎士。イングリド先生が、空中に音波らしい術式を放って、数匹を纏めてたたき落とし、援護。ばたばたと敵が落ちていくが、しかし。数が、まるで減らない。
「増援は……どこだろ」
「エリー?」
「うん。 増援が何処から湧いてるか突き止めないと、きりがないかなと思って。 それとも、此処は任せて少数で突破した方が早いのかな」
キルキを狙った一匹を、生きている縄が捕獲。地面に脳天から叩きつけ、更にエルフィールが杖で首をへし折った。心地よい感触が手に残る。
敵も負けていない。
闇の中、明らかに色が違うのが混じり始める。そしてそいつらは、空中から炎の塊を流星雨のごとく振らせ始める。辺りに着弾した紅蓮の塊が、火の粉を飛び散らせた。火力もなかなかに大きい。
また一人騎士がやられた。吹き飛ばされ、地面に倒れている。増援もちょくちょく来るが、数が多すぎて対応できない。洞窟の中を舞い踊る蝙蝠のごとく、敵は天井近くを舞い、急降下攻撃を仕掛けてくるものと、火炎での中距離遠距離戦を行うものが、的確な役割分担をしていた。
伝令が叫ぶ。
「外にも怪物多数! 増援の手配が遅れます! 塔の上部から出現しました!」
「多数って、どれくらいだ!」
「およそ三万! 更に増える可能性もあります!」
「これは、強行突破をした方が良さそうね」
イングリド先生が天井に向けて、両の手を突き出す。
同時に、巨大な破壊と殺戮の刃が吹き荒れた。反射的に耳を塞いだが、音そのものは、エルフィールには届かなかった。
無数に舞っていたクリーチャーウェポンが、ばたばたと落ちてくる。見ると、どれもこれもが白目を剥いて、口から泡を吹いていた。即死はしなかったようだが、もう長くはないだろう。
音により、体内を破壊したのか。しかも指向性を持たせて。
「私が援護します。 全員、先に行きなさい」
「ふ、負傷者を後送! 全員、俺に続け!」
ダグラスが戦慄から立ち直り、真っ先に走り始める。階段がまた隅の方に見つかり、それを登る。
明らかに外観よりも、内部の空間の方が数倍、いや数十倍は広いように思える。中の敵を皆殺しにしたら是非研究してみたい。そう、エルフィールは走りながら思った。
階段を駆け上がると、其処にはまた別の姿。
今度は、巨大なミミズのような生物だ。全長は恐らく、人間の数十倍は軽くあるだろう。全身は緑色と黄色の虎縞で、ミミズのようだと言っても強固な装甲板で全身を覆っている。とぐろを巻いていたそいつは、ゆっくり鎌首をもたげると、此方に興味を示した様子だ。もちろん親愛の対象などではなく、餌として。
「どうやら、簡単には通してくれないようだな」
まるで大蛇のように、巨大ミミズが唸りを上げて躍り掛かってくる。
ダグラスが剣を振り下ろすと、強烈な剣圧が生じて、そいつを正面から叩き伏せた。だが、何しろ巨体が巨体である。一瞬だけ怯みはするが、それ以上は効果を示さなかった。体をくねらせながら、ミミズが口を開ける。耳まで裂けたような口の中には、ずらりと鋭い牙が並んでいた。目はないが、どうやって此方を察知しているのか、気になる所だ。
飛び掛かってきた巨体に、騎士の一人が逃げ遅れる。巨大な口に丸呑みにされそうになるその瞬間、割って入ったのはルーウェンだった。オーヴァードライヴを全力で展開し、弾丸となって首に横から蹴りを叩き込んだのである。
増援として、来てくれたか。
流石に吹き飛ぶミミズ。だが、ルーウェンもただでは済まなかった。これだけの質量を蹴り飛ばしたのだから当然であろう。
「流石に、消耗がでかいな」
「ルーウェン!」
「ミュー、援護してくれ。 ダグラス、此奴は俺達で引き受ける! 先に行け!」
「二人で大丈夫か!?」
問題ないと、ルーウェンは言った。
空を覆い尽くすほどの大軍である。屯田兵も全てが南下を開始。激しい死闘を演じている騎士団を支援するべく、動き始めていた。
エンデルクは最前線で剣を振るう。塔の上部から際限なくわき出してくる怪物を片っ端から斬り伏せる。その剣は、振るわれる度に確実に敵を屠り、或いは空中にいる相手さえも剣圧で切り裂くのだった。
この国最強の男は、それでも力をセーブしながら戦っている。歴戦であるが故に、まだ敵が本気でない可能性を考慮できているのだろう。
マリーが、空中から躍り掛かってきた一匹を無造作に杖で叩きつぶしながら歩く。辺りは阿鼻叫喚。被害は鰻登りに増えている状態だ。
「突入班の支援どころでは無さそうですね、騎士団長」
「君か。 周囲の騎士達の援護をしてもらえないか」
「それは構わないのですが、大丈夫ですか? このままだと、撃ち漏らしがザールブルグの市街に入り込みますよ」
「屯田兵五万が、誇りに掛けてもそれはやらせん。 それに騎士団も、此処で必ず敵を食い止める」
「そうですか。 それじゃ、分かりました」
空はもはや真っ黒と言って良いほど、敵が覆い尽くしている。
足音。
振り返ると、マリーのもっとも頼れる盟友が其処にいた。
「シア」
「どうやら、かなり面倒なことになっているようね」
「出歩いて大丈夫?」
「医師にはもう許可を貰っているわ」
シアはこの前、長男を産んだばかりだ。産後の肥立ちが心配だという話を聞いていたのだが、それも問題ない様子である。
既に手にははたきがある。
ドナースターク家の武官達も、周囲を固めていた。シアがはたきを掲げると、雄叫びが巻き起こる。
これは戦いだ。そして狩りでもある。
「さあ、始めましょうか」
ここからが、お楽しみの時間だ。ドナースターク家当主が先頭に立つ狩りは何時ぶりだろう。全身を心地よい興奮が満たしていく。マリーは頷くと、最近ぶつける相手がいなくて不満だった魔力を、全力で解放した。
金色のいかづちが荒れ狂う中、クリーチャーウェポンどもが舞い降りてくる。
肉が焦げる匂いが、周囲に充満し始めた。
「シア、何匹落とすか、競争しよっか」
「ノルマは二百よ」
「えー? たったそれだけ?」
空に向かい、巨大ないかづちの蛇を放つマリーは、不敵な笑みを浮かべ続けていた。
その側で、家臣達を指揮し、自らもはたきを振るって近付く敵を殺戮し続けるシアも、同じ表情を浮かべていた。
殺戮は、歓喜につながる。
それが、戦士たる者の業であり、そして強さでもあった。
見る間に屍山血河が築かれていく中、光の蛇が二度、三度、荒れ狂う。巨大ないかづちの一撃が、密集したクリーチャーウェポンの群れを纏めてなぎ払い、食いちぎる。
「敵の出現、止まりません! 既に五万を超えたかと思われます!」
「うろたえるな。 むしろそれだけの武勲を稼ぐ好機と思え! シグザール王国、一世一代の大戦よ! 荒れ狂い、敵を叩きつぶせ!」
エンデルクの雄叫びに、騎士団が呼応する。
戦闘は、一秒ごとに苛烈さを増していった。
4、死闘エアフォルク
激しい乱戦の中、エルフィールは敵をかき分けるようにして進んだ。
階層を上がれども上がれども、先が見えない。既に二十階以上は登ったはずだが、それでもまだ終わりは見えなかった。明らかに外で見たエアフォルクUとは状況が違う。一体どういう構造になっているのか。
既に周囲には、アデリーさんとイリス、それにダグラスしかいない。乱戦の中、はぐれたり戻ったり。キルキは少し前に、騎士達数名と一緒に残った。増援も来ているようだが、一体どれだけの数が上までこられるのか。ハレッシュやロマージュも増援の中にいたが、多分途中の階で死闘を演じている所だろう。後方も安全が確保されているか、よく分からない状況だ。イングリド先生は恐らく獅子奮迅の活躍をしてくれているはずだが、それでも間に合うかどうか。
ダグラスが剣を向ける先には、巨大な騎士がいた。正確には、全身鎧の化け物というべきか。
途轍もない大きさで、中に何が入っているのか想像も出来ない。最大級の悪魔が鎧を着たら、あんな感じかも知れない。禍々しい赤と黒を基調とした鎧の怪物は、手に巨大なハルバードを持っている。
これもクリーチャーウェポンだとすると、戦略級の可能性もあった。
「今までで一番強そうだな。 おい、俺は良いから、先に行けよ」
「サー・ダグラス。 勝ち目があるとは、思えませんが」
「イリス」
アデリーさんが、イリスの肩を叩いた。
確かにもう時間もない。外は数万に達するクリーチャーウェポンに覆われているはずで、時間が経てば経つほど死者が増える。
せめて、イングリド先生が来てくれれば、勝利は飛躍的に上がるのだが。
アデリーさんに促されて、走る。
闇の中、立ちつくす巨大な鎧に、ダグラスは剣を向けたまま動かない。間合いが違いすぎるし、何より感じているのだろう。絶望的すぎる力の差を。それでも引かないのは、聖騎士にまで上り詰めたが故か。
「お前に、よりによってお前に先を任さなければならないとはな」
「不満?」
「ああ。 だが、残念だが、俺には錬金術の知識もないし、未知の相手に対する切り札もねえ。 お前を行かせた方が、勝率はあがりそうだ」
アデリーさんが一礼するのを、エルフィールは見た。この二人、いやダグラスが一方的にと言うべきか、互いを意識している風があった。はっきりいって此奴を義父さんとか呼ぶのはごめん被るから、出来ればくっついては欲しくないのだが。
階段を、三人で駆け上がる。
もう、三人しか残っていない。だが。それでも、エルフィールは負ける気がしなかった。
一番上。周囲に、階段は無し。
玉座でもあるかと思ったのだが、無い。その代わり、フードを被った影が、その場に立ちつくしていた。
「あれだけの戦力を、突破してきたというのか」
「貴方が、歴史を裏で操っていた影?」
無言。それは、応えも同じだった。
イリスに視線が注がれていることに気付く。影はしばらくイリスを見つめた後、嘆息を一つ。
「セロか」
「さっき外でもその名前聞いたけれど、何それ?」
「数字の原初にして、無の事だ」
そういえば。
エル・バドール語でゼロのことをそう呼んでいた。しかし、ゼロというのはどういう事だ。
一つ、仮説が浮かぶ。
「ね、イリス。 貴方オーダーメイド型の、特殊なホムンクルスって話だよね」
「そう聞かされていました。 事実、私と同じ姿をしたホムンクルスには会ったことがありませんでしたから」
「いや、違うな。 ね、貴方。 何て呼べばいい?」
「鴉」
鴉か。真っ黒いフードからして、似つかわしい名前だ。
「鴉、ひょっとしてイリスって、原初のホムンクルスじゃないの」
「え……!?」
「元々、少しおかしいと思っていたんだよ。 イリスはあまりにも優秀すぎるし、汎用性も高い。 下手な人間以上にね。 ホムンクルスのスペックは基本的に高めだけれど、イリスの能力は私から見ても少しおかしいほどだったし」
「その通りだ。 最初に作られたホムンクルスは、人間の形をして、人間と同じように考えもする、ただ生まれが違うだけの人間だった。 それに様々な「改良」をすることで、ホムンクルスが作り上げられていった」
影の口調には、微妙な憎悪が含まれている。
これが、勝機になる。エルフィールは、積み上げた戦闘経験から、それを確信した。だが、顔には出さないように、笑顔を保ったまま続けた。
「そうか。 まあ、詳しい話はぶっ殺した後にでも調べさせて貰おうかな。 資料くらいはあるんでしょう、この部屋」
「最初から殺すつもりで来るか。 それもいいだろう」
さて、此処からだ。
さっきの戦闘で、影の鏡かと思われる奴は、現実を書き換えるというとんでもない技能を使ってきた。此奴も同類である以上、それを使ってくる可能性が高い。となると、正直通常の手段では倒すことが出来ないだろう。
倒すことが、出来るとすれば。
能力のガス欠を起こさせるか、現実を書き換えても滅びを免れない状況を造り出すか。
「威勢が良いのは買うけれど、勝算はありますか?」
「アデリーさん、耳を」
短く、作戦を告げる。イリスにも。
イリスは口を引き結んでいる。きっと聞きたいことがあるのだろう。原初のホムンクルスというのはどういう事か。彼女の記憶では、他にも大勢ホムンクルスがいたはずだ。それなのに、原初だと言われれば、混乱もするはずだ。
生きている縄を展開。
さあ、鴉狩りだ。
フランソワは、城壁の上から戦況を見つめていた。
五万の屯田兵が、僅かな留守居だけを残して、一斉に南下し始めている。ザールブルグの市民は不安に怯えている者もいるだろうが、少なくとも軍は秩序を保っていた。
街を守る一万と、攻勢に出る四万。空を覆い尽くすほどの大軍の中、チカチカとまたたいているのは、ヘルミーナ先生だ。一匹を踏み台に跳躍すると、後は空中で次々に敵を蹴り殺しながら飛び回っているのである。はっきり言って人間業とはとても思えないが、現実だ。
そして、自分はそんな現実に捕まってしまった。
「マスター。 此処は危険です。 城壁内に戻りましょう」
「放って置いて、イーグレット」
袖を引かれたので、相手の顔を見もせずそう返す。
自分を助けたホムンクルスに、まだフランソワは素直になりきれずにいる。名前はつけてやったが、それだけだ。平等に扱ってくれているとイーグレットは評価してくれたが、それは逆に言えば、誰にでも冷たいという事を見透かされているようにも思えた。
ヘルミーナ先生に今させられている研究はとてもおぞましい代物で、吐き気をこらえられない日も多い。いっそ此処で、敵の爪に掛かってしまえばと、思ってしまいさえもする。
だが、強く袖を引かれる。
苛立って見ると、イーグレットがじっと自分の顔を見つめていた。
「自棄になってはいけません、マスター。 貴方が死んだら悲しいです。 私だって、家臣の方達だって」
「どうして……」
私のような出来損ないのグズに尽くす。
そう口にしようとして、フランソワはついに出来なかった。いつ頃からだろうか、そうフランソワは思うようになり始めていた。
周りが異常なのは分かっている。分かりきりすぎているほどだ。
だが、それを差し引いても、どうして自分はこうなのだろうと、最近感じてしまうのだ。かって自分を天才だと思うことで、フランソワはそのささやかな自我の骨格を支えてきた。
だが、マイスターランクに入ってから、それを打ち砕かれて。今では、すっかり悲観的自虐的な殻に篭もるようになってしまっていた。
「君、危ないから避難しなさい」
中年の屯田兵が声を掛けてきた。そのまま、引っ張られるようにして、城壁の下に。既に避難を始めている民も多い様子だった。といっても、何処にも避難する場所などないだろうが。
空を見ると、まだ楽しそうにヘルミーナ先生は戦っていた。
これは、一人で千匹くらいは落とすかも知れない。
ああいう桁違いの超人になりたいとは思わない。だが、ふと見る。自分を頼ってくれる、イーグレットを。
ふらりと、実家に戻ったのは、家臣達が不安になったからだ。
もう逃げ散ってしまったのではないかとも思ったが、そんな事もなく。家臣達は、みなフランソワを、温かく出迎えてくれた。
オーヴァードライヴを全開にして、ルーウェンはミューと一緒に、巨大なミミズの怪物と渡り合っていた。
ミミズは明らかに知性があり、同じ攻撃は二度通じない。フェイントをかわすだけではなく、元々のポテンシャルを利用して軽い技なら正面から受け止めに来る。しかしながら、大技はしっかりかわすなど、非常にえげつない性質をしていた。
時々、後ろの方を騎士団の人間や、イングリド先生が移動しているのが分かった。負傷者を後送したり、或いは増援を入れたりしているのか。イングリド先生が一度手を貸そうかと提案してくれたのだが、謝絶。
状況からして、此奴はかなり手強いガーディアンであったらしい。二人だけで押さえ込んでいる意義はかなり大きい。
振るわれた尻尾を、跳躍して跳び越える。とぐろを巻いたミミズは、必殺の態勢からかぶりついてこようと、虎視眈々と狙っている。跳躍したのは、攻撃を誘うためだ。ミミズは不用意に飛び上がったルーウェンに、丸呑みにせんとかぶりついてくる。
「おおおおおっ!」
巨大な牙を叩くようにして、ルーウェンは敵の口で踏みとどまる。牙に貼り付いたルーウェンをそのまま食いちぎろうと、ミミズは必死に首を振るった。その首に、真横からミューが居合いを二度、三度と叩きつけた。
強固な鎧に、深い傷が一つ、二つと付いていく。鬱陶しがって尻尾を振るい、ミューをはじき飛ばそうとするミミズ。だが、意識がそちらに向いた瞬間、オーヴァードライヴを展開したルーウェンが、敵の顔を正面から真っ二つに断ち割っていた。
苦痛の咆吼が轟き渡る。
大量に降り注ぐ血の中、着地したルーウェンは、横殴りに飛来した尻尾をもろに浴びて、地面で二度バウンドした。全身の骨が軋む音がする。受け身を取り損ねていた。ミューが駆け寄ろうとして、壁に叩きつけられるのが見える。
ミミズは、顔を縦一文字に割られて、相当なダメージを受けたはずだ。だが、此方も疲弊の極に達している。
ミューが、カタナを杖代わりに立ち上がる。
ルーウェンは立ち上がろうとして、肺の痛みに咳き込んだ。血が何滴が床に飛び散る。かなり危険な兆候だ。
「ルーウェン!」
「大丈夫、だ!」
ミミズが、再びとぐろを巻き始める。ルーウェンは、内臓を痛めたかなと思いながら、立ち上がる。こうなると、早く治療を受けないと危ない。
死は、怖い。
ミューとは、あれから結局進展がない。
ミューは友達が良いと言った。かといって、ちょっと調べて貰ったのだが、交際中の男性がいると言うこともない様子だった。騎士団の方でも見合いを何度か組んでいるのだが、ことごとく断っているという。
或いはミューは、そもそも自分に関する恋愛ごとに興味がないのかも知れない。結婚もその一環なのだろう。ミューが複雑な家庭事情を抱えていることはルーウェンも知っている。それが原因なのだとしたら、悲しいことであった。
ミューを妻にしたいと、今でもルーウェンは思っている。だが、ミューを悲しませたくないのも、事実だった。
余計な告白をしたせいで、ミューが苦しんでいることも分かっている。だから、せめてそれをどうにかしたい。死ぬとしても、この問題を解決するのが先だ。
顔を上げる。
ミミズの巨大な、縦に割られた顔。口を全開にして、かぶりつきに来ている。
ミューが真横から飛びついてきた。二人一緒に転がる。ミミズは顔を割られたダメージからか、地面に強か激突して、悲鳴を上げていた。
「ルーウェン! 何ぼーっとしてるのさ!」
「すまん。 色々、考えちまってな」
「早くそれ治療しないと危ないよ! 肋骨が折れてるかも」
「お前だって、さっき壁に思いっきり叩きつけられてたじゃないか。 嫁入り前の体が台無しになっちまうぞ」
またそんな事を言うと、ミューは眉をひそめた。
二人で、支え合うようにして立ち上がる。
そろそろ、どちらも限界か。エリーが何処まで登れたか気になるが、きっとこの塔の支配者は何とかしてくれるという不思議な期待感もある。彼奴はマリー以上に邪悪だが、同様に極めて強靱な存在でもある。きっと、勝ってくれるはずだ。
「最後の攻撃だ。 合わせてくれ」
「ん」
ミミズが、大量の血を零しながらも、ゆらりと体を起こす。
次の交錯が、決着になる。
「ルーウェン。 何度も考えたけど、結婚はやだ。 どうして、余計なことを言ったりするの?」
「俺はお前以外と結婚するなんて考えられない。 だから、言わせてもらった。 お前を苦しめたことは、謝るよ」
「……結婚なんてやだけど、そうだね。 私も、もしも結婚するなら、ルーウェン以外とはいやかな。 結婚はやだけど」
「何だか、巧く行かないもんだな」
ミューが、低く構える。眼を細めているのは、相手を斬るべく、準備をしているという事だろう。
ルーウェンの力は、もう残り少ない。最後は、ミューに決めて貰うことにしよう。
剣を仕舞う。ミミズが、鎌首をもたげたまま、歩み寄るルーウェンを見つめた。
「来いよ、ミミズ野郎! 貴様を一端の戦士と認めて、全力での勝負を受けてやる! ザールブルグでも一二を争う冒険者ルーウェン! 全力で貴様の攻撃を受け止める!」
意志は伝わったはずだ。ミミズは威嚇の雄叫びを上げると、獲物を捕る大蛇のような勢いで、躍り掛かってきた。
最後の力を展開する。
全身が、真っ赤に燃え上がるようだった。
「おおおおおおおおおっ!」
「ガァアルアアアアアアアアアッ!」
ミミズが、巨大な口を全開にして、躍り掛かる。目を閉じて、開ける。此処だ。
奴が、首を少し横にして、ルーウェンをかみつぶそうとしているのが分かる。だが、時は異様にゆっくり流れているように見えた。
牙が、左右から迫ってくる。
その両方を、掴む。そして、全身の力を、極限に、物理を無視したレベルまで強化して、ルーウェンは吠えた。
勢いに押されて、後ずさる。だが、ミミズの動きが、掣肘される中。
ミューが抜刀しながら、ミミズの体に飛び乗り、走る。
カタナが、鞘から解放された。
聖騎士にはなっていないが、その熟練のカタナの技は。ミミズの顔に穿たれた傷から入り、そしてミミズの全身を、一気に蹂躙していた。
まるで、ミミズの体を、雷が貫いたようだった。
今までにないほどの鮮血が、部屋中に飛び散る。
どのような強固な装甲も、とっかかりがあればこの通りだ。アデリーならさらに速かったかも知れないが、ミューの技も神域にまで既に到達している。ルーウェンは期待に応えてくれた相棒の技を、素直に素晴らしいと思った。
真っ二つに下ろされたミミズは、それでもしばらく痙攣していたが。やがて、動かなくなった。
気付く。口の中の、二つに分かれた舌。それに、小振りながらも目がある。体の中には、ミミズとは思えないほど複雑な器官がたくさん詰まっていた。
どうやら此奴はミミズではなくて蛇だったらしい。そう思うと、ちょっとおかしかった。
気付くと、ミューが至近で自分を見つめていた。
涙を流しながら、何か叫んでいるらしい。だが、もう聞こえなかった。
キルキはバックパックから、クラフトを取り出す。こんな狭い場所では、戦略火器のフラムは使えない。
空を飛んでいるのは、巨大なトンボのような怪物であった。辺りに転々としている、翼のある子供のようなクリーチャーウェポンは全部片付けた。だが、騎士達と勝利を喜ぶ暇もなく、此奴が姿を見せたのである。
前衛に就いてくれている騎士は、口ひげを蓄えた中年の逞しい男性が一人。此方は武器として巨大な戦斧を用いている。もう一人は若い男性で、眼が細く、多分東の出身だろう。武器としては、長柄を使っている。武器にあまり詳しくないキルキは、その詳細を知らない。
後衛には、キルキより五六歳は年上の女性騎士がいた。術式を使うことが専門の人物らしく、腰に帯びているのは細い剣だけだ。
三人とも赤い鎧と言うことは、ヒラ騎士と言うことだ。だが、突入部隊に抜擢されただけであって、実力は申し分ない。
翼が六枚もあるトンボのような生き物は、見るからにもの凄い大顎を持っていて、噛まれたら一撃で致命傷だろう。動きは比較的ゆっくりだが、空中で滞空できる事が大きい。羽を小刻みに動かして、念入りに此方の様子を伺っているようだった。
「他の階は、どうなってるでしょうね」
「増援に来る余裕はないだろうな」
前衛の騎士達が小声で会話している。エリーが塔の一番上にいる奴を潰してくれれば、多分クリーチャーウェポン達はこれ以上増援には出られなくなるはずだ。そう信じたい。そして、エリーなら、大概の相手には勝てることだろう。
詠唱開始。
騎士達も話していたように、あまり騎士団も余裕がないはずだ。外には万単位の敵がひしめいているという話も聞こえた。此処は最低でも勝って、次につなげなくてはならない。少しでも多くの敵を引きつけて、味方の負担を減らすためにも。
キルキは、この国が好きだ。
母はもう助からないだろう事を覚悟している。父は苦しみながら死んで、きっと今でも魂は苦しみ続けている。
アルコールの研究は、結局間に合わなかった。だが、その研究が出来たのは、この国のおかげだ。必死に努力したのを認めて貰ったと言うこともある。だが、他の国では、そもそも努力する機会さえも無かっただろう。
暴虐で、残酷で、怖いことも多い。
でも、この国は生命力に満ちあふれている。さっき外で、影の鏡が言ったことなど、絶対に実現はさせない。
作戦の指示など、している暇はない。した所で、連携など取れはしないだろう。
キルキは、戦闘があまり得意ではない。だが、エリーを見ていて、こつのようなものは掴めてきたつもりだ。
七手で、詰める。
虫が全身を振るわせる。何か放ってくる。
そう思った瞬間には、キルキの全身が切り裂かれ、血しぶきを上げていた。隣で女騎士が悲鳴を上げている。
今のは、何だ。
「大丈夫か!」
「大丈夫! 私、頑丈っ!」
印を切り終える。詠唱完了。
血が目に入りそうになった。だが、最初の一手は想定済みだ。女騎士が、火炎の術を天に向けて放つ。
ひらりと、トンボが回避した。火球が爆発するが、それでも、翼が千切れる様子はない。相当な装甲の分厚さだが、それは想定済み。
キルキが術式を展開。トンボが回避に掛かるが、狙いはそちらではない。
同時に、起動ワードを呟いて、クラフトを投げる。さて、巧く行くか。トンボが大顎を大きく開けて、再び辺りを不可視の刃が蹂躙した。ガードをしたが間に合わない。服の上から強か斬りつけられて、悲鳴を上げかける。
クラフトが、炸裂。トンボが回避。
だが、その背中に、巨大なつららが突き刺さっていた。
冷気の術は、このための仕込みだ。クラフトが回避されることを予想して、先に仕込んでおいたのである。
体をつららに貫かれ、悲鳴を上げたトンボが落ちてくる。騎士達が殺到して、見る間に首を刎ね飛ばしてしまった。
大顎はしばらくカチカチとなっていたが、それも動かなくなる。女騎士が、キルキに駆け寄ってきた。
「大丈夫!?」
「平気。 エリーと一緒に採集してるから、問題ない」
昔は軟弱だった。体中に浴びたあの不可視の刃は、風だったのだろう。それを冷静に分析すると、傷薬を取り出す。マルローネさんに作り方を教わった、マリーブランドのアルテナの傷薬である。
傷口は思った以上に深くて、血が止まらない。一つずつ薬で処理していく。
敵の増援はもう無い様子だ。騎士達は手当を済ませると、武器を手に立ち上がる。
「俺達は下を確認してくる。 きっと勝っているとは思うが、増援は必要だろうからな」
「それでは、私はキルキちゃんと上に行きます」
「うむ、頼んだぞ」
トンボの死骸を一瞥すると、騎士達は下へ駆け下りていった。
キルキは足を引きずりながら、女騎士と一緒に階段を上り始める。この地点では、勝つことが出来た。
だが、全体の戦況は良くないはずだ。応急処置は済ませたが、他の地点では苦戦が続いていてもおかしくない。キルキは、無理をして、足を進める。もう怪我をして、背負われて帰っていた頃の自分ではない。
上の階に上がる。
他の騎士達が、激しい戦いをしていた。劣勢だが、どうにか死人は出ていない様子だ。相手は牛が直立したような怪物であり、豪腕を振るって三人の騎士を圧倒していた。手についている爪は、血塗られている。倒れている一人は、腹を押さえて、呻き声を上げていた。
「援護に来たわ!」
「助かる! このデカブツ、頑丈でたまらん! 錬金術師の子もいるのか、それなら援護してくれ!」
キルキは頷くと、クラフトを取り出した。
この戦いも、出来るだけ早く詰める。思考を働かせ、動いている相手の様子から、結論を出した。
五手で、詰める。
終点までを読み切ると、キルキは詠唱を開始した。
アイゼルは走り回って、支援に徹していた。
凄まじい大乱戦で、負傷者が続出している。当然のことながら、死者もである。
遠くで、凄まじい雷撃が空をなぎ払い、蠅のように敵が落ちてきているのが見えた。あの鮮血のマルローネが、思うままに大暴れしているのだろう。騎士団の人達も、いずれもが激しい戦いの中で、敵を斬り伏せ、叩きのめしている。
しかし、敵の数が多すぎる。
「医療品、持ってきました!」
「そちらにおいてください!」
野営陣地の中では、アルテナ教会の人達が頑張っていた。ミルカッセさんとノルディスもいる。
ノルディスは医薬品を確認すると、医師達に手渡す。施療院のゼークトもいて、難しい顔で手術を続けていた。
「そろそろ限界だな。 敵が多すぎる」
「塔にはエリーが突入しました。 必ず敵将を倒してくれると思います」
「だが、一番厄介な奴には逃げられたのだろう?」
冷笑気味に、ゼークトが言った。だが、決してエリーを信頼していない事はないはずだ。
外に飛び出す。まだまだ、支援が必要な人は幾らでもいる。空に密集している敵の集団がいたので、クラフトを何個か投げつける。衝撃波と、釘や硝子の破片に打ちのめされた敵がばたばたと落ちてきた。殺気。後ろから。振り返ると同時に、杖でガード。
子供に翼を生やしたようなクリーチャーウェポンが、忌々しそうに奇声を上げた。
戦いには、向かない。そう、エリーには言われた。自分でも自覚はしている。
だが、アイゼルには錬金術の知識がある。それで出来ることは、幾らでもある。出来ることがあるのに、しないなんて。
血混じりの泥を蹴散らして、騎士達が走り回っている。アイゼルに襲いかかってきた奴は空に逃れるが、ボウガンの矢を浴びてたたき落とされた。次々と負傷者が野戦陣地に運ばれてくる。当然、クリーチャーウェポンどもは狙ってくるが、そうはさせない。
アイゼルはバックパックから取り出す。フラムである。
投石機が陣にあるので、それを用いる。腕が立ちそうな古参兵を見つけたので、説明。
「出来るだけ遠くの空に。 これで数百匹はたたき落とせます」
「良し、任せろ!」
投石機は、遠心力を利用して、巨大な石を想像を絶する距離までとばす武器だ。攻城戦にも用いるこれは、大きさによっては城門を粉砕するような石を投擲することも出来る。だが、野営陣地にあるのは、非常に小型の型式だ。多分塔を攻撃するために、試験的に持ち込まれていたのだろう。
「屯田兵第三師団が攻撃を集中して受けている! 増援を廻して欲しい!」
「他にも余裕はない!」
殺気を帯びた怒号が交錯する中、屯田兵は集中して、アイゼルから受け取ったフラムを、敵が密集している空に投擲した。
「伏せて!」
地面に伏せ、耳を塞ぐ。
空に、巨大な火球が出現していた。
立ち上がると、辺りは死屍累々であった。落ちてきた敵は、殆どが原型をとどめていない。内臓が飛び出しているもの、頭を砕かれているもの、悲惨な有様だった。騎士達も頭を振りつつ立ち上がる。
空からは、一時的に敵の姿が消えていた。
「良し、今の内に負傷者を運び込め! 手の空いている奴、第三師団に今の攻撃方法を伝えろ! 攻勢に出る!」
ひょっとして。
自分が今、有効な戦術を示したのか。腕を取って立ち上がらせてくれた屯田兵は、髭だらけの顔で破顔した。
「流石は錬金術師だ。 同胞を救いたい。 第三師団が戦ってる戦場に、一緒に来てくれないか」
「分かりました」
アイゼルはノルディスに状況を告げると、屯田兵のおじさんと一緒に走る。
戦いが続く中、自分の役割を見つけたアイゼルは、僅かに笑みを浮かべていた。
アデリーさんが最初に踏み込んだ。サスマタで、神速の突きを見せる。文字通りの神速で、切っ先を見切ることさえ出来なかった。
現在、聖騎士の中でも、アデリーさんは屈指の長柄使いだと聞いている。今でも実力は順調に伸び続けていて、若手の中では間違いなくトップを争える実力だそうである。
だが、それでも。
鴉のいない地点を、アデリーさんは突いていた。
振り返り様に、回し蹴り。だが、やはり虚空を斬る。エルフィールから見ると、何もない地点に、最初から攻撃しているように見える。
やはり、此奴も。同じ能力か。
「現実の、書き換え?」
「ほう。 あのおしゃべりが、口を滑らせたか」
真後ろから声。まるで針鼠のように、生きている縄が一斉に前後左右を蹂躙した。だが、鴉は余裕を持って飛び退いている。
今ので、大体の範囲は読み切った。
飛び退いたエルフィールは、イリスの側に着地。アデリーさんと、丁度九十度くらいで、鴉を挟む隊形を整えた。イリスはと言うと、いそいそとクラフトを取り出す。無表情を作っていた彼女の手を止めたのは、鴉の声だった。
「もう死期が近いな。 あと半年、保つかどうかか」
「……っ!」
「そうやって、己の生命までも搾取される事を良しとすることが、ホムンクルスの悲しさよ。 人間の業は、如何に深いことか」
「貴方には、関係ない!」
激高しかけたイリスを、右手で制する。
エルフィールとしては、此処でイリスを激高させたくはない。むしろ、鴉に隙を作らせたい。
ゆっくりアデリーさんが、鴉から見て左手に回り込む。鴉は動かない。
「随分イリスにこだわるね。 何かあったの?」
「それこそ、関係のないことだ」
「エル・バドールのマイナスパラダイムシフトに、関係しているとか?」
何が起こったか、分からなかった。
蹴りを叩き込まれ、壁に叩きつけられたと言うことを悟った時には、更に至近に鴉が迫っていた。
抜き手を作っている。
生きている縄を動かして、全力で右に回避。
鴉の抜き手が、半拍前まで顔があった空間を抉っていた。此奴、これほどの打撃力も有していたか。いや、違う。
結果を書き換えたのだろう。
至近。アデリーさんが振りかぶったサスマタを振り下ろす。入った。地面に叩きつけられ、身長ほども舞い上がる鴉。だが、その姿がかき消え、アデリーさんの真後ろに。生きている縄を使って、跳躍。白龍を構える。ゼロ距離射撃で全力を出せる武器だが、射撃戦も一応可能だ。
引き金を引く。
不発。
あり得ないことだ。どれだけ整備を繰り返していると思っている。振り返ると、回し蹴りの体勢に入った鴉。だが、至近までアデリーさんが追いすがっていた。
「ちいっ!」
「元々の速度は、大したことがありませんね」
作戦通り、イリスがクラフトを起動。
空間ごとえぐり取るようなアデリーさんの突きを貰った鴉は、もろに打撃を浴びたはずだが、かき消える。しかしながら、クラフトの起爆範囲に逃げ込んでいた。
炸裂したクラフトが、辺りに破壊と殺戮をまき散らす。
イリスを抱えて飛び退いたエルフィールは、血の混じった唾を飲み込んだ。
「今のも、結果の書き換えかな」
右手を振り上げて、鴉の踵落としをガード。イリスを抱えたまま、態勢を低くして、足払いを掛ける。
跳躍した鴉が、着地。
やはり、フードにはダメージが入っていた。
「で、結果の書き換えにも限界があると」
腹部に衝撃。イリスを抱えたまま、床を転がり、跳ね起きる。
見た。
鴉のフードには、彼方此方傷があり、焼けこげた跡もある。エルフィールは自分の肩を掴んで腕を回しながら、イリスに次の指示を出す。アデリーさんはと言うと、既に鴉の至近にまで迫っていた。
踏み込んでの、突き。今度は、正面から鴉が受け止めに掛かる。だが、はじき返すのが精一杯だった。結果の書き換えでも、正面からは受け止めきれないほどの、鋭い一撃であったと言うことだ。
鴉の顔が、一瞬見えた。
イリスが、唖然と立ちつくす。だが、それを叱責し、エルフィールは走る。
「作戦行動を忘れないで」
「っ! 分かっています!」
今度は鴉が攻勢に出た。アデリーさんに、掌底での突きを浴びせる。絶対にかわせるような遅い突きだったが、アデリーさんはもろに喰らって吹っ飛んだ。だが、其処にエルフィールがタイミングを合わせ、ドロップキックを浴びせた。更に、生きている縄を周囲に薙ぐ。
掠った。
蹴りは避けられたが、生きている縄が僅かに掠めた。そして、無理矢理着地して、殆ど地面すれすれに並行に飛んだエルフィールは、生きている縄から秋花を受け取っていた。
「シャアッ!」
「お、おのれっ!」
鴉の顔に、初めて焦りが浮かぶ。
アデリーさんが、壁から背を離すと、撃ち込まれたボウガンの弾のような勢いでチャージを仕掛ける。エルフィールの突撃を避ける鴉。エルフィールは生きている縄で無理矢理動きを止め、天井にむき直し、秋花をぶっ放した。
巨大な火柱が吹き上がり、天井を丸ごとなぎ払う。
しかし、手応えはない。
そして、強烈な打撃音が響き渡った。
鴉は今の行動を呼んでいた。だから。
立ち上がったエルフィールは、イリスがクラフトを投げるのを見る。壁には、アデリーさんのチャージをもろに喰らった鴉が、叩きつけられて呻いている。そして、飛んでくるクラフトを見て、目を見張った。
「既に、解析は済んでいるッ!」
切り替える。次は冬椿だ。
生きている縄の力を借りて、高々と跳躍。そして、構える。
クラフトの爆発から逃れ出てきた鴉を視認。至近。真下。
戦ってみて、分かった。此奴は結果を書き換えることは出来ても、連続で能力は行使できないのだ。
つまり、ガス欠を狙う作戦と、結果を書き換えてもどうにもならない状況を作る策戦の、二段構え。
タイムラグは半秒ほど。
だが、アデリーさんの凄まじい手練れと、エルフィールの機転、それに作戦を確実に遂行するイリスの行動が合わされば。
上を向いた鴉が、壮絶な表情を浮かべる。
だが、その時既に遅し。エルフィールは、冬椿を撃ち込んでいた。
巨大な拳が、もろに鴉を捕らえる。射出される鎖が、凄まじい擦過音を立てた。床に直撃。
思わずアデリーさんがイリスの耳を塞ぐほどの、大爆音が轟き渡っていた。
反動でエルフィールも天井にまで舞い上がる。生きている縄を数本撓ませ、着地に備えた。
着地。かなりの高度からだったが、無事に降りられた。この様子なら、もっと高くからでも行けるだろう。
腕の痺れは、前ほどではない。夏草を、生きている縄から受け取る。
「一度、人間大の相手に使ってみたかったんですよね、これ。 ハンバーグになってるかなあ、さっきの鴉」
「エルフィール」
「はい、アデリーさん。 慎みます」
他の人には幾らでも不遜に出られるエルフィールだが、相手がアデリーさんの場合だけは別だ。
気を引き締めて、歩く。
鴉は。飛び散った血みどろのフードが見える。どうやら、大ダメージは免れなかったか。だが、死んではいないなと、エルフィールは判断した。
濛々と上がる煙の中から、現れる人影。
其処には。
虹色髪のイリスやフィンフとでも言うべき、良く似た姿があった。
床に這い蹲っているその姿は、血まみれだった。そして、不自然な髪の色と目の色。それだけで、エルフィールは事情を悟る。
「そうか。 拘るわけが分かったよ。 君たちのバックにいるのが何者かは分からないけれど、君たち自身が、ホムンクルスだったんだね」
「……そうだ。 だから我らは、主には逆らえぬ。 例え人間に対する憎悪を獲得したとしても、だ」
鴉は言う。
あの日、ホムンクルスからの搾取によって繁栄したエル・バドールは、様々な手管によってマイナスのパラダイムシフトを迎えた。ホムンクルスの製造工場は多くが閉鎖され、歴史の闇に閉ざされていった。
だが、ホムンクルス達は。
抵抗もしなかった。逃亡もしなかった。命じられるままに、望まれるままに、滅びの時を甘受した。
ギリギリと、鴉は歯を噛む。
「かってのその子と、そして我と同じ顔をしたホムンクルスは、こういった。 主が餓死しろと言うのなら、私は餓死します。 主が何もくれないのなら、私は此処で朽ち果てます。 分かるか! この罪深き哀れな子羊たちを見た時の悲しみを! 残虐非道な貴様らに理解できるか!? 貴様ら人間の最大の罪は! 己の似姿を作りながら、最低限の思考の自由さえも与えなかったと言うことだ!」
「……」
アデリーさんが、哀れみをもって鴉を見ているのが分かった。
鴉は全身から血を滴らせている。冬椿の直撃を受けたのだ。その後潰されて即死という結果は書き換えたにしても、無事で済むわけがない。
イリスが、へたり込むのが分かった。
もう良い。いずれにしても、勝敗は決した。今は一刻も早く、外にいる連中のために、決着を付けなければならない。
「で、主は、人間の滅亡を願ってるの?」
「主は……貴様らが進歩できる生物だと、無邪気に信じている。 だが、私はそのような事を認めない!」
「主に逆らうホムンクルスか。 まるでイリスみたいだ」
「なっ!」
くすくすと笑うと、顔を真っ赤にしてイリスが抗議する。
エルフィールはその抗議を聞き流すと、ゆっくり血を流してへたり込んでいる鴉に歩み寄っていった。
「外に展開しているクリーチャーウェポンどもを止めれば、楽に殺してあげる」
「不要。 我を殺せば、奴らは統制を失い、勝手に自滅する。 急あしらえの上に、急に起動させた者達ばかりだ。 どうせ長くも生きられぬ。 永遠に眠らせてやるのが情けというものだ」
「あー。 あんたさ。 はっきり言うけど、人間を否定する資格ないよ。 その辺の思考回路、人間の中で最悪の邪悪生物である私とあんまり変わりないもん」
夏草を使おうかと思ったが、止めた。
いつも使っている、打撃用の杖に持ち変える。アデリーさんが、言う。
「私がやりましょうか」
「いいえ、私に任せてください。 アデリーさん」
主のことを聞きたいと思ったが、無駄だろう。
「精々残酷に殺せ、人間。 貴様らに情けなど掛けられたくはない!」
「うん。 もう、楽になりなよ」
エルフィールは、鴉の頭に向けて、二度。杖を振り下していた。
それで、終わった。
5、忍び寄る影
戦闘は、開始から二日後の夕刻に終了した。
カミラが報告書を纏めてエンデルクの部屋を訪れると、既にブレドルフ王子も来ていた。王宮の一角にある執務室だから、少し緊張する。
「カミラ、報告をして欲しい」
「はい。 本来は秘書官の仕事のような気もしますが」
「君には戦略級の判断も可能だという利点がある。 しかも、誰よりも精確にそれをこなせる。 だから、要所では秘書官ではなく君に任せたい」
「なるほど、ありがたきことです」
実際には。
だからといって、大教騎士から地位が変わるわけでもない。政治権力が得られるわけでもないし、手兵が与えられるわけでもない。
だが、カミラはそれでも良い。今の仕事にはやりがいがあるし、何より必要とされているのが分かって嬉しいからだ。
思うに。
カミラは、馬鹿にされないという事だけで、満足できたのかも知れない。
「実際の戦闘は、最初の半日ほど。 後は掃討戦となりました。 エアフォルクUにいた勢力は全て沈黙。 騎士団が厳重に封鎖しています。 霊的な調査も済ませましたが、安定していますし、当面は大陸が割られる危機も避けられたと見て良いでしょう」
「うむ」
「味方の損害は、戦死3881、負傷10062。 騎士の戦死者は百名を越えました」
ここしばらくで、最大の被害だ。ドムハイトと総力戦をしていた頃は日常茶飯事ともなっていた損害だが、この平和な時分としては異例と言っても良い。
回復には一年前後掛かるだろうという報告も出ている。それも合わせて伝えると、ブレドルフ王子は嘆息した。
「影の鏡には逃げられ、なおかつ攻撃をしてくる可能性が高い大空の王は今だ捕捉できていないか。 目前の破滅は避けられたが、しかし問題は山積みだな」
「しかしながら、吉報も。 既に例のものが準備できています」
「そうか。 それならば、早速南ドムハイトと交渉を進めて欲しい。 エンデルク、派遣する部隊の準備は出来ているか」
「万端に」
エンデルクの返答は短く、なおかつ適切だった。
大空の王に対抗するために作成しているテラフラムも、既に目処がついたと報告を受けている。
まだ、この国は耐えられる。そう、カミラは確信していた。
ザールブルグの隅にある廃屋。其処に、売れない発明家がいる。既に初老の男だ。痩せこけていて、背ばかりが高く、尖った鷲鼻と落ちくぼんだ目はある種の鳥のようだった。
貧しい生活をしている上に、兎に角偏屈なので、周囲の住民からも避けられていた。しかも、今まで有用な発明品を作れたためしがない。
この国では、有益な発明をすれば、例え貧しくても出自が何だろうが認められる。もちろん既得権益などの絡みもあるが、それを差し引いても機会が与えられるのが、この国の良い所だ。
しかしながら、この男は、この国の良い所に触れる所が出来なかった。
発明品がどれもくだらないものばかりだった事もある。だが中には、設計段階では有益なものも存在していたのだ。
しかし、それら優れた発明品は、どれも設計図のままで眠っていて、完成はしなかった。男のなかなか挙げられない実績が、投資家の足を遠ざけていたのだ。昔は投資家がついていたこともある。しかし、今の男は、ホームレスすれすれの生活をしながら、世間に文句を言いつつ発明と称してがらくたを組み立てるばかりだった。
男は今日も酒を飲んでいた。戦争があったようだが、男には関係ない。僅かな貯蓄を食いつぶす毎日。世間への恨み言を述べながら、酒を口に運んでいた男は、ふと顔を上げて、見た。
自分の家の中に、何か得体が知れない者がいる。しかも三人である。
不思議なことに。
それは若い頃、自分を捨てて去っていった、恋人のように見えた。
「お前、それだけの知能を持ちながら、それを全くいかせていない。 面白いな」
「な、なんだお前。 こんな哀れな老人に、何のようだ」
「機会を与えて差し上げようといっているのです。 ご老人」
口調がコロコロと変わる。声もだ。
これは異常な相手だと、男は悟る。だが、逃げようにも、体が動かなかった。
「いいですか、私が言うものを、寸分違わず作りなさい。 軍に持ち込めば、瞬く間に正式採用してくれることでしょう。 あとは一生酒を飲んでも生きていけますよ」
「な、何……」
「分かったら、さっさと行動するのよぅ」
三つの影は告げる。
男は、それをどうしても忘れられなかった。頭の中に直接情報を叩き込まれたかのようだった。
気付くと、三人はいなくなっていた。
夢でも見ていたのだろうかと、男は思う。しかし、発明の情報は、頭に残っている。
何だか、情熱も湧いてきた。今なら出来るかも知れない。もう、老い先は長くない。だが、せめて一花は咲かせたい。
一念発起すると、男は資材を集め始めた。
その背中を、三対の目が、ほくそ笑みながら見つめていたのだった。
(続)
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