正負の大変革

 

序、異国の街

 

激しい戦いと長旅を越えて、港に着く。

エル・バドール大陸国家首都、ケントニス。人口はあのザールブルグをも凌ぐという、超巨大都市だ。ざっと見た感じでも、街と一体化している港だけでも人口は五万をくだらないだろう。

しかも、停泊している軍艦が大きい。シグザール王国製の軍艦よりも一回りは大きく、積んでいる武器も強力そうだった。

「聞いていたとおり、技術力では向こうが完全に上ですね」

「そうだな。 だが、いつまでも負けてはいられないな」

色々と含むものがある様子で、指揮官である聖騎士コルテールが笑う。戦いを経て、エルフィールを信頼してくれたこの聖騎士は、何度か騎士団に来ないかと誘ってさえくれた。今のところ、ドナースターク家の臣になりたいと説明しているが、これもなかなか捨てがたい。ただし、騎士団に行っても、錬金術の研究は止めないだろう。

船縁から首を伸ばして港の様子を見ていたエルフィールは、気付く。ルーウェンが、やけにそわそわしているのだ。

「聖騎士コルテール、その、先行しているメンバーとの合流について、何だが」

「ああ、停泊したらすぐだ。 まあ、その前に、アレを水揚げしなければならんがな」

アレ。

船の後ろに繋いでいる、フラウ・シュトライトの死骸だ。

来る途中に仕留めた怪物は、腐るまま曳航してきた。既にかなり酷い状態になっており、異臭が凄まじい。

もちろん、見せつけるためにやっているのである。

停泊。聖騎士は港の管理人に、話を付けに行くと言って、小柄な通訳と一緒に先に船を下りた。

アイゼルがフィンフを伴って来る。イリスはと言うと、膝を抱えて、エルフィールの左隣にずっと座っていた。

「あら、エリー。 しばらく降りられないのかしら」

「まあ、あの大荷物があるからね。 とりあえず漁師達に手伝って貰って水揚げしないと、港の水が凄いことになるだろうし」

「酷い話だわ」

「でも、大勢の人が死ぬよりマシなんじゃないの」

アイゼルは、それに反論しない。

やがて、コルテールが戻ってきた。漁師達がその頃には、かなりの人数集まっていた。コルテールがユーリカを呼ぶ。ユーリカは憮然としたまま船を先に降り、通訳を介して漁師達と話し始める。

しばらく掛かると、コルテールは言う。

そうなると、待たざるを得ない。ルーウェンは気の毒なほどそわそわしていて、逆に興味がそそられた。

同じ聖騎士であるダグラスはと言うと、甲板の隅でじっとしていた。海を眺めているのは、物珍しいからだろうか。歩み寄ったノルディスと、何か話し始める。どうも二人は気が会うらしく、最近は特に一緒にいることが増えていた。

「若手でも随一の剣士と、アカデミーでも名うての頭脳。 二人並ぶと、絵になるねえ」

「そう?」

アイゼルはあまり興味が無さそうだ。というよりも、ノルディスは他の全てに優先するので、ダグラスと並べるなど考えもしないのだろう。アイゼルは絶対に浮気をしそうにない。ノルディスは良い女性に慕われたものである。

キルキが船員達を指示して、樽を出し始めた。

一つの蓋を開けて、指を入れて味見している。どうやら、積み込んできた酒が、適切に仕上がっているか見ているらしい。

「ん、完璧。 話が付いたら、漁師さん達に振る舞ってあげて」

「了解しやした」

樽はかなりの量を積んできている。王室に納めるのが四樽。三樽をこれから漁師達に振る舞い、この船に乗っている船員達には二樽を分けるという。道中で、キルキが酒を仕込んだ。出航前に材料を揃えて、出航後に熟成させたのである。

魚爆雷を作成した後、皆で調合した酒だから、精度もばっちりだ。

屈強な水兵達が、楽しげに歌いながら、樽を下ろしている。兎に角酷い匂いで眉をひそめていたこの国の漁師達だが、酒と聞いて目の色を変える。やはり、酒の魅力は万国共通であるらしい。

口に合うかがちょっと心配だが、隣に来たキルキは、船縁から下を見下ろしつつ言う。

「大丈夫。 あのお酒、イングリド先生に味見して貰って、エル・バドールでも通用するっていわれた」

「そっか。 それなら大丈夫だね」

「それよりも」

キルキは、既に頭を戦闘態勢に切り換えている様子だった。

船を伺っている影が複数見える。エルフィールにも分かるくらいだから、騎士団でも上位の使い手達に掛かればもう掌の上だろう。実際、護衛としてきてくれている冒険者達は、皆気付いているようだった。

足を引きずりながら、ロマージュが来る。まだ鮫に噛まれた足は快癒していない。

「時間が出来たら、偵察ついでに買い物にいこうと思うのだけれど。 エリー、アイゼル、キルキ、どう?」

「男無しで、ですか?」

「レディの買い物は長くなるから、男はいない方が無難よ。 フィンフ、イリス、貴方たちも一緒に行きましょう」

ホムンクルス達が頷く。

やがて、下船の許可が出た。買い物の前に、まず先行しているチームと合流しなければならない。ダグラスは此処に残り、フラウ・シュトライトの処分を監督すると言うことだった。

半ば骨が見え始めている無惨な死骸を、引き上げ始めるのを横目に。街を歩きながら、見て回る。

自動で進む床があるのには驚いた。原理がぱっと見では分からない。左右に立ち並んでいるガス灯らしきものは、シグザール王国の都会にあるものとも全く作りが違っている。家一つ取ってみても、材質が何か判別できない。

完全に技術力の次元が違うのだ。

その一方で、人間の脆弱さには眉をひそめた。大の男でも、エルフィールに掛かると片腕だけで十数人はなぎ倒せそうなモヤシばかりである。戦争になったら、技術力と戦闘能力の格差が丁度薄まって、多分丁度いいくらいの勝負になりそうだ。

もしも戦争をするなら、平野での大軍どうしでの決戦とかは避けた方が良いだろう。この国の優れた兵器で、なぎ倒される可能性が高い。狭隘な地形や、接近戦がどうしても必要になってくるような場所に誘い込むか、或いは夜襲が適切だろう。もし接近してしまえば、こんなモヤシども、普通の兵士でもまるで相手にもならない。ただし、どれくらいの兵器を持っているかが未知数であるし、何よりあのフラウ・シュトライトのようなとんでもない怪物を多数繰り出されると面倒だ。一概に勝てるとか勝てないとかは、判断しない方が良さそうである。

ただし、シグザール王国は上り調子であるのに、この国はよどんだ停滞の中にある。

これほどの規模の都市であるのに、見ているとどうも活気が薄い。商取引の規模も、この街にしてはささやかに思える。

シグザール王国の、奴隷を一種の職業にして人権を認めている方式は、他所ではまず見られない画期的なものだという。

だが、多分この国に、そんな優れた仕組みはないだろう。社会的な仕組みについては、シグザールの方が多分上だと、エルフィールは見た。

ぞろぞろ行くエルフィールらは、やがて大きな建物の前についた。話によると、旅館だという。

「これが旅館!?」

「まるで小さな砦だな」

ハレッシュの言葉に、呆れたようにルーウェンが返している。確かに、とんでもない規模の建物だ。五階建てくらいはある上に、横幅も広い。どんな貴族の邸宅でも、此処まで凄まじい代物ではないだろう。噴水まである。床石は美しく磨き抜かれていて、内部は吹き抜けになっていた。建築の技術自体が、根本的に違っていることがよく分かる。

その一方で、警備は甘いの一言である。

案内人に連れられて、上の階に。

そして、迎えに出てきた人を見て、ルーウェンが露骨に雰囲気を変えるのが分かった。どうも南方人らしい女性で、騎士団のメンバーらしい。鎧は聖騎士のものではないが、実力は充分にそれに匹敵する事が一目で分かった。

「あ、ルーウェン。 増援で来てくれるなんて、嬉しいな」

「ああ」

言葉みじかに応えているが、もの凄く嬉しそうにしているのが一目で分かる。

何となく、ルーウェンが此処に来た理由が分かった。それにしても、其処まで出来るものなのか。

「もうみんな待ってる。 中に入って」

「この人数で入れるのか」

「余裕」

白い歯を見せて健康的に笑う女性騎士に連れられて、中に。

初老の聖騎士が待っていた。確か先攻チームの長であるジュスト。風の力を使う聖騎士で、あのクーゲルのライバルだという。実力も戦歴も拮抗していて、しかも犬猿の仲だとか。

アデリーさんがいる。一瞬アデリーさんはエルフィールを見て眼を細めたようだが、どうも好意的な理由には見えなかった。アデリーさんは、エルフィールが強くなることをあまり喜んでいない。それは分かっていたが、少し残念である。しっかり成長して、マイスターランクに進学した自分を見て欲しかったのだ。

その隣には、金色の長い髪を持つ女性がいる。

にへらとしているが、その気配が尋常ではない。部屋の中に、そのままエンシェント級のドラゴンが居座っているかのようだ。

間違いない。

この人が、ドナースターク家のテクノクラートにして、あの傑物当主シアの右腕。鮮血のマルローネだろう。

凄まじい血の臭いがするような気がする。実際に匂いがするわけではなく、気配がそう感じさせるのだ。

言われるままに、席に着く。

さっき女騎士が言ったとおり、呆れるほどに広い部屋だ。全員が入っても余裕である。錬金術師達は席に着き、護衛の冒険者や騎士はその後ろに立つ。資料が配られた。書類としては体裁が恐ろしく整っており、文字がとても非人間的である。しかも隣のアイゼルの文書を見ると、全く同じ文字だった。

これは異様だ。公的文書は達筆な人間が書くことが多いが、此処まで来るとおかしい。やはり何かしらの技術によるものか。

「活版印刷と言ってね。 文章を手書きするんじゃなくて、大量生産できる」

「へえ、凄いですね」

「原理は理解したけれど、まだシグザール王国では量産が出来ないかな。 この件が片付いたら、戻って広めたい技術よ」

鮮血のマルローネが嬉しそうに言う。

エルフィールも、笑顔でそれに応えた。アデリーさんが、二人のやりとりを、何処か冷たい目で見つめていた。

「それでは、始めようか。 まず我々の現状だが」

口を開くジュスト。流石に威厳が尋常ではなく、即座に場の空気が引き締まる。

エルフィールも意識を切り替えると、これから赴くべき、泥沼の戦いについて集中した。

 

1、エル・バドールの黄昏

 

文官達が集めてきた資料により、幾つか分かってきたことがある。それらをつなぎ合わせると、ぼんやりとだが、この異形の技術力を持つ大陸に起こったことが、見え始めていた。

マリーは手元にある書類を見比べながら、結論を出す。

側に控えていたアデリーに、ジュストを呼ぶように指示。これから行う作戦について、ジュストの許可は必要不可欠だった。他の面子は、大体が外に出ている。第二陣の若手達は、それぞれ指示を与えて、街に散らせた。ノルディスのように戦闘力に不安の残る面々には、騎士団の護衛を付けてある。ミューや聖騎士ローラはそれぞれ別の任務があるし、牙を率いているシュワルベは街で諜報活動を続けている。

今此処にいるのは少数の騎士と文官だけ。

重要な話をするには、適当な状況だった。

ジュストが来る。初老の聖騎士は、マリーの向かいに座ると、アデリーに茶を所望した。材料が揃うようになったので、マリーがミスティカ茶を作るようになった。それから、此処ではミスティカ茶が振る舞われ始めている。

ミスティカ茶自体が最近出回り始めたものだが、それでも故郷の味に違いはない。あまり此処の茶になじめなかったジュストにとっては、甘露に等しい様子である。

「ふう、落ち着くな。 それで、結論が出たと言うことだが」

「はい。 やはりこの大陸には、旅の人が技術をもたらした五百年ほど前、それに三百五十年ほど前に、パラダイムシフトが起こっています」

王室の系図をまず見せる。

まず五百年前だ。これに関しては、旅の人に関する数少ない文献や、様々な資料からも、技術革新が起きた事に間違いはない。それはあまりにも爆発的に広まり、当時の技術を完全に凌駕し、駆逐してしまった。

錬金術。

それが、この大陸を覆い尽くした、大いなる技術の名前である。

旅の人の正体についてはまず横に置いて、問題はその技術を継承した人間達が、無数の国が無惨に争っていたこの大陸を統一に掛かったと言うことである。それには「神の獣」と呼ばれる存在や、様々な先進的火器が用いられたらしい。

「神の獣とは、恐らくクリーチャーウェポンの事だな」

「はい。 中でも一体で一個師団に匹敵する戦力を誇った者が、二十弱ほどいたそうでして。 これは今までに集めた情報、内通者からのリークからも確報となっています」

圧倒的な武力によって、瞬く間に大陸は統一された。

錬金術師達は更に技術を周囲に拡散させることにより、民の生活を著しく向上させた。そして人間に徒なす獣や魔物を片っ端から刈り取り、この国に平和をもたらしたのである。あまりにも、絶対的な人間の優位が、自然の犠牲の上に築かれた。

このエル・バドール大陸に統一国家が登場したのは、およそ四百七十年前。

わずか三十年で、大陸は統一された。如何に桁違いの技術力が誕生し、それが猛威を振るったか、明らかであった。

それからは、細かい混乱も続いたが、しかし民は生活が向上したことに満足し、不平を漏らす者は少なくなった。反乱は年々減少していき、そして二十年ほどで安定した治世が訪れる。

太陽の治と、エル・バドールの歴史で呼んでいる時期である。文字通り、エル・バドールにとっての黄金時代であった、

それからはしばらく平穏な時は続いた。暗君や暴君も出たが、何よりも多くの錬金術師が、共同で統治をしていくという方針に加え、民の平穏が確約されているという事が大きかった。

歪みは生じたが、無視できるレベルで押さえ込まれた。

しかし、である。ある時期に、不意に無理のある状況が生じている。

「それが、三百五十年ほど前か」

「はい。 この時期、幾つかあまりにもおかしな事が重なっています」

その辺りで、不意に遠縁から遠縁へと王が交代しているのである。まあ、それについては別に構わない。たまたま子孫を残せず、遠縁に権力が委譲されることなど幾らでもある。後継者となった遠縁が有能ならば、なおさらだ。

だが、それだけではない。

「例えば、この時期。 あたし達の大陸に対して、大規模な遠征が計画されていました」

「ほう。 遠征」

「そうです。 この時期にはシグザール王国も群小の一勢力に過ぎず、技術力もまるで大人と乳児ほどの格差がありました。 それどころか、人口や兵力についても、まるで桁違いでしたから」

実数にて百万。この時期、エル・バドールが動員できた遠征軍の兵力である。

此処で問題なのは、遠征軍でその兵力だと言うことだ。補給部隊や後方支援部隊を含めれば、二百から三百万を動員できたと言うことになる。

あまりにも、凄まじい兵力だ。ジュストは腕組みした。

「どうやってそんなに、エル・バドール人は増えた」

「はい。 其処がおかしな所です。 人は平和になっても、其処まで急激には増えません」

どういう事かは分からないのだが、人間の出生率は、平和になると減少する。長い目で見ると、ゆっくりしか人間が増えていかないのも、そのためである。

それなのに、エル・バドールでは、まるで鼠のように人間が増えていったという。これは一体どういう事なのか。

「或いは。 何かの法則がそもそも人間にはあるのかも」

「法則?」

「水は火に掛けると湧きますし、冷やせば凍ります。 そういう当たり前の何かが、今殆どどうしてか説明できないことは、ジュスト殿も理解できると思います。 しかし、なぜそうなっているのかが理解できるのだとしたら」

「なるほど、人間が爆発的に増えるようにも仕組めると言うことか」

それはある意味で、神の領域に踏み込んだ行為であろう。そして、エル・バドールでは、それが出来うるのだ。

しかし、遠征は中止された。突然に、である。

それだけではない。大規模な軍縮が行われ、そればかりか人口もこの時期から急激に減少したのだ。結局一千万を割り込んだ辺りで安定するまで、百年以上下降を続けた。これは様々なデータから明らかである。幾つかの都市に到っては、人口の減少から、放棄さえされた。

安定した国家では考えられないことだ。

実際、遺跡化している都市の残骸も確認した。マリー自身が、攻略作戦の最中に、足を運んだのだ。

「なるほど、何かが起こったのは、ほぼ間違いなさそうだ」

「この時期には、技術力の喪失さえ起こっています。 特にホムンクルスに関連する技術が、大いに失われているようです」

今日、その興味深い対象を見た。

イリスというホムンクルス。エルフィールが作ったというあの娘は、当時の記憶を残していたのだという。

その頃、エル・バドールでは大々的にホムンクルスを作っていた。人体実験の代替材料として、さながら草でも刈るかのように、大量に消費もしていた。だが、今では、エル・バドールでもホムンクルスはさほど作っていない。

否。

技術が失われたので、あまり作ることも出来ないのだ。

このマイナスのパラダイムシフトによって、エル・バドールは他所に侵攻を仕掛ける力を失った。正確には、発展しようという意欲が、かも知れない。結果、非常に安定した平和な国家が成立した、というわけである。

ただし、そのために、これだけ歪みが出てしまった。

「それで、これを聞かせてくれた理由は何かね。 この地の歴史を調べるだけが、君の仕事ではないだろう」

「はい。 本題は此処からです」

資料を何枚か、ジュストに渡す。

それらはいずれも、放棄された都市の残骸から見つけてきたものだ。エル・バドールから造反したセルレンらからも情報を得て、くみ上げたデータもある。

「ほう。 ドッペルゲンガー、だと?」

「はい」

ドッペルゲンガー。

シグザール王国にも、似たような存在の伝承はある。要するに、自分と全く同じ姿をした怪物であり、目撃すると死ぬという。魔物と言うよりは、人々の話に登る「お化け」に近い存在であり、実際の目撃例はあまり残されていない。殆どが気のせいによる産物であり、そうでなくても現実的な脅威度は低い。

ところが、である。エル・バドールではどうもこの時期、「同じ姿をした人間」が大量に出現し、ばたばた死ぬという事件が起こったらしいのだ。

「この廃棄都市に到っては、老若男女全部が同じ顔をしていたという証言が残っていたそうです」

「どういうことだ」

「考えられることは、ただ一つ。 ホムンクルスです」

「何!?」

「遺跡で発見された骨を幾つか採取してきました。 見比べてもらえますか。 この辺りが、特に印象的です」

人骨を並べる。

肋骨の一部なのだが、どれもこれも同じ所に特徴的な歪みがある。人骨なら散々見てきたマリーだが、此処まで露骨な特徴はあまり見たことがない。

ジュストが腕組みをして唸る。

元々この男は戦士だ。クーゲルに匹敵する実力を持つが、あの男のように狂気を力にするのではなく、逆に論理的思考を武器にしてきた。だから、話については理解できている。故に、あまりにも非常識すぎて、信じられないのだろう。

マリーの結論を、此処で述べておく。

「エル・バドールでは、恐らく人間が増えるのと同時に、ホムンクルスを大量に、それこそ百万単位で作り上げたのでしょう。 多分奴隷にするのが主要の目的で、当然軍事利用も想定していたはずです。 そして、その結果、何かが起こった」

「何か、か」

「具体的には分かりません。 いずれにしても、それでマイナスのパラダイムシフトが発生した。 そして歴史の闇に葬り去られ、今まで平和と専守防衛が国是とされた、と言うわけです」

便利な技術が、そうそう無くなるわけがない。

人間が技術を亡くすのは、大きな戦乱があったり、破滅が起こった時だ。なぜなら、便利なものに、人間は命を賭けるからだ。新しい技術が作られると爆発的に広まるのは、それが原因である。

無くなるとしたら、それによってとんでもない災害が起こったりして、自分で放棄した場合である。

マリーにも、仮説はある。だが、それよりも、まず此処で色々と抑えておかなければならないことがあった。

「放棄された、破滅の原因を抑える必要があります。 このままシグザールでの錬金術が発展していけば、必ずホムンクルスの技術も進展する。 事実ヘルミーナ先生の作るホムンクルスなどは、恐らくあと数十年で、当時のホムンクルスに匹敵する性能になるはずです」

「なるほど、同じ轍を踏むわけにはいかない、と言うことか」

「はい。 シグザールはただでさえ、ヴィント王の下で発展しすぎました。 このままだと、同じ路を通ってしまう可能性があります。 これは正面と裏から、同時に調査をする必要があるかと」

「そうだな」

もう一つ、調べておくべき事がある。

このマイナスのパラダイムシフトには、多分ホムンクルス以外にも、関与している原因があるはずだ。ほぼ確実に人為的な原因だが、どうもいやな予感がするのである。

それをしっかり探り出すまでは、この大陸を離れるわけにはいかない。

ドアをノックする音。

聖騎士ローラと、知らない人物の気配だ。部屋に入って貰う。

ローラが連れてきたのは、頬が痩けた痩せた男だった。既に中年を通り越し、老人になりかけている。多分、長老派の一人だろう。少し前から、牙に切り崩し工作をしてもらっていた。その成果が出たと言うことか。

まあ、決定打になったのは、フラウ・シュトライトの無惨な死骸だろう。

戦略級クリーチャーウェポンが、ああも悲惨な姿にされた。しかも、艦五隻、合計数百名程度の戦力で、である。更に戦闘では死者さえ出なかった。その現実が、長老派の夢を覚ましたのだ。元々現実感の無い連中であったが、腐敗した巨大な死骸は、痛烈な視覚的衝撃を与えたのである。

目を泳がせていた長老派の男だが、奨められた席に着く。

「そ、その。 私はヘルムートと申します。 シグザール王国の勇敢なる聖騎士よ、直接お目に掛かれて光栄です」

「此方こそ。 それで、御用とは」

「そ、その。 ヴィント王に、便宜を図っていただきたく。 これは僅かながら、その資金にございます」

拳大の金塊をごろごろ出される。重みを確認するが、本物だ。賢者の石で作るのに匹敵するほどの純度である。

ジュストはそれを一瞥すると、冷酷な光を目に宿らせる。年齢は殆ど変わらないはずだが、年期がまるで違う。凄まじい迫力だ。

「何か勘違いを為されているようですな。 我らはあなた方が国内を荒らし、多くの民を苦しめたから此処に来ているのです。 我らの目的は、あなた方が謝罪し、責任を取ってくれればいい。 金など要りません」

「せ、責任とは」

「決まっておりましょう。 首謀者の首です」

ジュストがストレートに言うと、流石に青ざめたヘルムートは固まった。だが、それが妥当な所だ。

フラウ・シュトライトとの戦闘では、戦術が確立されてからは死者もでないようになったが、それはあくまで犠牲の上の結果だ。シアが指揮を執った緒戦では優秀な騎士を含む百名以上の犠牲が出た。

犠牲はそれだけではない。エル・バドールの諜報員達が放ったクリーチャーウェポンは各地で撃退されたが、それでも犠牲は彼方此方で出ている。家族を失ったり、中には一家全滅したものも少なくないだろう。

「儂は王の全権大使として此処に来ています。 だから断言できますが、王が納得するのは、この馬鹿げた騒ぎを起こした首謀者の首を見た時だけです」

「そ、そのような野蛮な。 どうか便宜を図ってはいただけませんか」

「野蛮? 儂らはあなた方に敵対もしなければ、ましてや攻撃の意思など見せてはいなかったはず。 それなのに、いきなり国内に訳が分からない怪物をばらまき、挙げ句海上封鎖をするとは。 それだけのことをしておいて、首の一つや二つで済むとお思いですかな?」

真っ青になったヘルムートに、更にジュストは激しい気迫を叩きつけた。流石は聖騎士の中でも上位に入るつわものである。マリーでも、戦ったら勝てるかどうかは五分五分という所だろう。

まあ、道具類を使えば、勝率はもっと上がるが。

「本来だったらあなた方長老派を根絶やしにでもしないと、我が国としては引くわけにはいきません。 しかし、優しい儂の主は、あなた方が誠意を見せれば不問に処すと寛大きわまりない発言をしておいでです。 皆殺しにされるか、首謀者の首を差し出すか、好きな方をお選びになると良い」

「そ、そんな。 わ、我が国の内部で、そのようなことが出来るとお思いか」

「港に水揚げしたフラウ・シュトライトを葬ったのは、我が軍の中でも二線級の面々であると言ったら、どうなさいますかな」

今度こそ、絶句したヘルムートは、完全に動きが止まった。

マリーから見ても、エルフィールは伸び盛りであっても、まだ騎士団の上位には勝てない。アイゼルやノルディスはそこそこ腕が良い遠距離中距離戦型の域を越えていないし、キルキはかなり実戦で鍛えているとは言えまだ年相応である。四人がかりでも、マリー一人で充分にあしらえる。

もちろん、敵を倒した決定打は、魚型爆雷であって、彼らの武力ではない。

だが、シグザール王国の人材の層の厚さは、彼らが二線級である、と言うことで充分に証明できるだろう。

「或いは、その気になれば、此処にいる数十人だけで王宮を制圧することも可能かも知れませんな。 試してみますか?」

「ば、馬鹿げている!」

「馬鹿げているのはあなた方だ。 儂の国の民を大勢傷つけておいて、黄金で手を打って欲しいなどと、虫が良すぎると知れ! 行動には責任が伴い、死には償いが生じる! 我らの要求は既に伝えた! 後はそなたらで、どうするか決めるが良い!」

喝破したジュストに、ヘルムートは泣きそうな顔になった。

黄金をかき集めると、猫背になって逃げていく。その後ろ姿を見送りながら、ローラは嘆息した。

「良いんですか、ジュスト様。 あのような挑発をして」

「今、幾つかの派閥争いが活性化している。 長老派に反対していた若手の錬金術師達の中には、我らに媚びを売ろうと考えている勢力も出始めている」

ジュストがもう一杯茶を要求してきたので、アデリーが淹れる。

聖騎士ローラは肩をすくめると、マリーの横に座った。アデリーは彼女にも茶を淹れた。相変わらず見事な手つきである。

「マルローネ君。 君には若手を引率して、先ほど話にあった仕事を進めて欲しい」

「分かりました。 全員連れて行っても大丈夫ですか?」

「構わぬ。 もう少し実戦経験を積ませた方が良い者も何人か残っているようだしな」

後は、ルーウェンとミュー、アデリーも連れて行って良いと、ジュストは言ってくれた。気前がよい話である。

それから、幾つかの打ち合わせをした。

「で、結局長老派は潰すんですか?」

「それが王のご意志だ。 ああやって言ってやれば、内紛を誘発する。 更に反対派に情報を流して攻撃させる。 そうすれば、元々まとまりのない集団だ。 儂が手を下さなくても勝手に壊滅する」

「えげつないやり方ですねえ。 年の功ですか?」

「儂が考えたわけではない。 文官どもが、シュワルベと相談して決めたことだ。 結果、この国に混乱が起こるとしても自業自得だ」

あのクーゲルと、長年やり合ってきただけのことはある。大した老獪さであった。クーゲルが正面から敵を叩きつぶすとしたら、ジュストは側面から敵の弱点を突くタイプである。作戦を考えたのは文官とシュワルベだとしても、採用したのは、やはりジュストなのだ。

話し合いが終わると、席を立つ。

「アデリー。 じゃ、いこうか」

「はい。 しかし、何処にですか」

「東に三日ほど行った所に、おあつらえ向きの遺跡があってね」

先ほど話題に上がった三百五十年前の遺跡の一つである。近場はあらかた探したので、今回は此処を徹底的に洗う。本格的に調査すると数年は掛かるが、とりあえず深部に入って、マイナスパラダイムシフトの原因だけを探し出せれば良い。

さて、他の連中にも声を掛けるか。そう思って、下に降りようとした所で。不意に、ミューの大声が聞こえてきた。

そういえば、ルーウェンの奴が、かなり無理をして此方に来ていたのだった。まあ、目的は見え透いていたし、どうなっていることか。ちょっと興味が湧いてきたので、気配を消して見に行くこととした。

 

「好きだ」

久し振りに会ったミューの親友ルーウェンは、いきなりそんな事を言い出した。

最近どんな感じだったのか聞こうとしていたミューは、思わず小首を傾げ、それから愕然とした。

マリー達がいる階の、一つ下のテラスである。誰もいない所が良いとか言いだしたので、ホイホイ着いていったミューは。いきなり訳の分からないことに巻き込まれていた。

「あの、何言ってるの?」

「お前のことが好きだ。 ずっと昔からだ。 前は踏ん切りが付かなかったが、今はもう自立してやっていける目処もついたし、何より一度離れてみてお前より好きな女がいないって事もよく分かった。 結婚して俺の妻になって欲しい」

「え、ええっ!」

そんなのは。

そんなのは、いやだ。

「やだっ! 何でそんな事を言い出すのさ!」

「え?」

「私、ルーウェンのこと、誰よりも信頼できる友達だって思ってる! 何でも打ち明けられるし、戦いでも頼れるし! か、家族がいない私に、初めて出来た本当の仲間の一人だって、本気で思ってる!」

しかし、其処に愛情は。少なくとも、性の対象として見られることは。

「凄くこの関係って、貴重だって思ってたのに! そんな事言ったら、全部壊れちゃうじゃんか!」

鳩が豆鉄砲を貰ったような顔をしているルーウェン。

しばらく、何も喋れなかった。

「でも、俺は、その」

「ごめん。 ルーウェンの事、私だって嫌いじゃないし、むしろ好き。 でも、今の関係の方が良い」

「……」

「悪いけど、ちょっと頭冷やさせて」

脇を通り抜けて、奥に。ルーウェンは完全に放心しているようで、文字通り呆けていた。

せっかく、久し振りに会えたのに。

何で、いきなり余計なことを言い出すのか。どうして、この心地よい関係を壊してしまおうとするのか。

ミューはあまり結婚に興味がない。母の悲劇を知っているからだ。兄たちが、金目当てのろくでもない女どもをとっかえひっかえして、夜ごと狂乱の宴を繰り返していたからだ。男女の恋愛についても、強い不信感がある。他人が好きにすることは構わないが、自分にそれが向くのは、文字通り冗談ではなかった。

それも、よりによって、第一の仲間だと思っていたルーウェンから、である。ルーウェンだけは、ずっと利害も男女も関係為しに友達で、仲間でいてくれると思っていた。それなのに。

つかつか歩いていくと、前に人影。マリーだった。

「どうしたのー? 大声出して」

「ほっといて」

「そうもいかない。 これから任務だからね」

それを言われると弱い。ミューも騎士団の一員である。そしてマリーは、今回の作戦での参謀格だ。逆らうわけにはいかない。

マリーが言うには、近場の遺跡に、若手の錬金術師達と一緒に調査に行くという。あの子達かと、ミューは瑞々しい若者達の名前と顔を思い出した。

「エリーって子は、アデリーの直弟子だよね」

「そうよ。 今じゃあかなりの実力だけれど、また騎士団の上位には届かないかな」

「他の子達も、錬金術アカデミーの出身者だよね」

「そう。 みんなあたしにとっては可愛い後輩よ」

マリーが言うと若干含みを感じてしまうが、まあ確かに錬金術師にしては素直で優しそうな子供達だった。

あの子達を引率するのは、吝かではない。

自分よりもずっと若いし、未来に希望もある若者達である。一緒にいれば、力を分けてもらえるかのようだ。

「他の面子は、ルーウェンにアデリーかな」

「え?」

「さっき何か派手にやらかしてたけど、ひょっとして結婚でも申し込まれた?」

「……知らない」

意識を遮断。戦闘を行っている時と、同じ状態に持っていく。

しばらくそれについては考えたくない。ルーウェンも多分それは同じだろう。いや、それはどうか。

そう考えてくれると思ったのに。

多分、ルーウェンは違う風に考える。何だか、それはとても嫌なことだった。

ルーウェンに悪意がないことは分かる。むしろ最大限の好意を示してくれているのも確かだ。

だが、それが。ミューにとっては、どうしようもなく受け容れがたい事だったのである。

若者達が戻ってきた。エリーという娘は笑顔でアデリーに話し掛けているが、アデリーは非常に冷ややかだ。弟子に会ったというのに、あまり嬉しそうにしていない。元々あの娘はあまり幸せそうな表情を見せないが、今回もそれに代わりはなかった。

一方マリーはというと、エリーとアデリーのやりとりを、面白そうに見つめていた。どうせろくでもないことでも企んでいるのだろう。

ルーウェンも来た。だが、やっぱり視線を合わせづらい。

「ミュー、ルーウェン。 頭切り替えて。 この大陸には猛獣はもういないみたいだけれど、その代わりもっとやばいのが来るかも知れないからね」

「分かってる」

ミューがそう言葉短く返すと、アデリーが少し驚いたようだった。もちろんやばい相手というのは、長老派のクリーチャーウェポンの事である。セルレンらが離脱した後も、長老派は多くのクリーチャーウェポンを直接動かす能力を持っているらしく、まだ油断は出来ない相手であった。

呆れるほど巨大なケントニスの街を、東に。街の出口には、流石に兵士達がいたが。街に比べて著しく小さな砦で、しかも警戒も極めて薄い。これでは、検問を突破してくれと言っているようなものである。

そういう恐れがないくらい平和な街なのだろう。

それ自体は大変結構なことだが、中で作り上げられた歪みが触手を伸ばし、シグザール王国にまで災厄をもたらしているのは大いに問題だ。ジュストはああ見えてかなりえぐい策略を平気で行うとローラに聞いたことがある。これ以上、あまり人が死なないで済んで欲しいと、ミューは願うばかりであった。

街道は整備されていて、石畳が延々と続いている。しかし休憩所の類は存在せず、宿場町を利用するのが普通らしい。

向こうの大陸から持ち込んだ荷車を二つ引いて、黙々と進む。

遺跡に着くまで三日。

それまで、ルーウェンとは、一言も喋らなかった。

 

2、遺跡の奥に眠るもの

 

エルフィールにとっては、大変に楽しい道中だった。

再会できたアデリーさんは、相変わらずだった。無愛想でも、一緒にいて楽しいのである。あらゆる生きるための技術を教えてくれたアデリーさんは、エルフィールにとっては親も同じだ。

もちろん、産みの親の記憶はまだ完全には戻っていない。どうも記憶の中に出てくる、道具を作っているおじさんがそうではないかという確信はある。だが、それも。今の技術や知識には結びついていない。

そう考えると、アデリーさんこそが、エルフィールの親と言っても過言ではなかった。

道中、技を見て貰った。戦闘スキルはかなり向上したし、サバイバルスキルもだ。だが、アデリーさんはやっぱりもっと上を行っていて、単純に凄いと思わされる。

まだまだ、追いつける相手ではない。

それが分かっただけでも、有意義な道中であった。

そして、鮮血のマルローネ。ドナースターク家で当主の右腕をしている女傑にて、最強の使い手とも噂されている。何より錬金術ギルドでも大きな地位を確保しており、先生達にも一目も二目も置かれているという。

アイゼルはどうしてか、マルローネさんを見た途端に硬直して、それきり一言も喋らなくなったが。そんな事は関係なく、エルフィールは話し掛けてみる。

「はじめまして。 ええと、アデリーさんから、話は色々と聞いています。 私を奴隷商人の馬車から救い出してくださったとか」

「ん、懐かしい話だね。 その後も色々あったんだけど、覚えてない?」

「すみません。 生憎」

「そうか。 何にしても、普通に喋れるようになったのは良いことだよ」

マルローネさんが言う所によると、拾ったばかりの頃、エルフィールは喋ることさえ出来なかったという。失語症という奴だ。

余程のことがあったのだろう。

ドムハイトに売られていたら、そのままのたれ死にしていてもおかしくはなかった。だが、幸いエルフィールはシグザールの、ドナースターク家に引き取られた。途轍もなく厳しく仕込まれはしたが、しかし今生きている。

それは、間違いなく。この人のおかげなのだった。

話していると、マルローネさんの学識の高さがよく分かる。専門は生物系という事だが、鉱石についても詳しい。技術についても幾らか見せて貰ったが、恐ろしく早くて精確である。

遺跡に着くまでの三日は、あっという間に過ぎてしまった。

これほどにこにこしていた時間は、今までの人生では無かったかも知れない。とにかくずっとエルフィールは上機嫌だった。

一方で、道中そのものには不満が多かった。

時々馬車が行き交っていた街道と違い、平原も森もただ存在するだけで、生気が感じられない場所だった。自然として不可解なのである。猛獣がいないからだろうが、どこか生物の気配がない。生きている動物も、酷く弱々しく感じられた。

「何だか貧弱な自然ですね、アデリーさん」

「そうですね。 でも、それでも生きている生物はいる。 大事にしていかないと駄目ですよ」

アデリーさんは誰にでも敬語で喋る。それがまた、懐かしい。

笑顔が、途切れることはなかった。

気持ち悪そうにエルフィールを見ていたイリスだったが。だが、その平常運転も、遺跡に到着した途端終了した。

遺跡は、不思議な空間だった。広さは二十里四方という所だろうか。小さな街くらいの面積はある。一面石畳が敷かれていて、不思議なことに、放置されているにも関わらず、雑草一つ生えてはいなかった。

建物が転々とあるが、どれも同じような形で、個性が感じられない。真四角、以上。ただそれだけである。四角い建物は窓も無く、入り口がまるで異界への扉のように、不自然に口を開けていた。素材は煉瓦でもなく、石を削ったわけでもない。木や泥でもなく、全く見たことがないものだった。

周囲には、柵が張り巡らされていた。だが、許可を取ってあると言って、マルローネさんは堂々と入り込む。荷車も、皆で担ぎ上げて、柵の中に入れた。

偵察で先行していたミューが、戻ってきて告げてくる。

「マリー、建物に入らない限り、危険は無いみたいだよ。 猛獣どころか、虫さえいない」

「そ、ありがと。 じゃ、ルーウェン、アデリー、辺りを偵察。 他は全員がその辺りに散って、状況を分析して、それからあたしに報告して」

さっと全員が散る。

道中窮屈そうにしていたアイゼルは、助手として便利そうだと言ってクノールを連れたマルローネさんが奥へ消えるのを見ると、大きく溜息をついた。

「ふう、怖かったわ」

「ん、アイゼル?」

「昔あの人に、世話になったことがあるの。 でもその時、とても恐ろしい出会い方をしたのよ」

「そ、そうなんだ」

「昔だったら、多分顔を見ただけで失神していたと思うわ。 今でも震えが止まらないですもの」

ノルディスが若干引き気味になった。キルキはと言うと、会話には加わらず、辺りの建物を物珍しそうに見ている。触ったりしているのは、材質を調べているのだろう。だが、さっぱり分からない様子だった。

アイゼルが喋るのをやめたのは、イリスがじっと青ざめたまま一点を見つめている事に気付いたからだろう。フィンフが無言で、立ちつくしているイリスの顔を覗き込む。

「どうしました、イリス。 機能が低下していますか」

「別に、そんな事は」

「ひょっとして、此処は貴方が死んだ場所?」

「いえ、多分違うとは思います」

イリスは額の汗を何度となく拭った。白いワンピースは、道中アイゼルが作ったものだ。おそろいのをフィンフも着ているのだが、赤い髪もあって妙にイリスには似合っていた。一方フィンフは、妙に浮いた印象がある。

エルフィールとしても、この遺跡はじっくり調べてみたい場所だ。キルキがやっているように、材質を確認したり、構造を見たりしたい。石畳が敷かれている辺りは、雑草一本生えていない。その仕組みについても、調べておきたかった。

様子がおかしいイリスの手を引いて、奥に。

建物は転々と散っていたが、大きさも殆ど同じで、そのままだと迷いそうだった。ミューが辺りを油断無く確認してくれているが、追っ手に襲われて散り散りになったらかなり危ないだろう。

ちょっと地面を調べてみる。

白い砂のようなものが敷き詰められているのだが、触ってみてぎょっとした。質感が、砂のものとはまるで違っているのだ。

「アイゼル、ノルディス、キルキ! ちょっとこれ」

「どうしたの、エリー」

少しサンプルとして袋詰めしながら、異常さを皆に見せる。質感がおかしいだけではない。ちょっと水を垂らしてみると、あっという間に流れてしまう。保水力というものが、まるで存在しないのだ。

少し掘ってみる。そうすると、すぐに硬いものに突き当たった。この砂を固めたものらしく、叩いてみるが鉄並みの強度だ。多分これの上に砂に似た物質を敷き詰め、排水は溝か傾きを作って、何処かに流し込んで処理しているのだろう。

水が全く残らないのでは、確かに雑草も生えようがない。

昨日は小雨だったのに、触ってみるとまるで湿り気がない。転々と散っている建物同様、異常だった。

「この砂は、イリス知ってる?」

「あまり詳しくは知りません。 でも、私がいた施設でも、これが敷き詰められていました」

「ふうん、そうなると、雑草が生えるのもいやだったのかな」

「潔癖症とはちょっと違う。 見た感じ、それだけ精度が高い研究をしたかっただけ」

キルキが自分も砂を少し採取しながら言う。確かに納得が出来る意見だ。つまり、此処は街ではない。

生活感が、あまりにもなさ過ぎるのだ。

虫が嫌いという人は多いが、しかし此処まで来ると、生活するのにも息が詰まる。植物も無く、虫もない。手入れの手間は省けるかも知れないが、人間が生活していたとはとても思えない。

此処は研究施設だ。

「こんなに大きい研究施設?」

「あり得ない話じゃないよ。 だって、この国は、錬金術によって此処まで発展したんだから。 此処よりももっと大きい施設も、ごろごろしていたんじゃないの」

「……ちょっと、信じられないわ」

ノルディスも、アイゼルも。辺りを見回して、呆然とするばかりであった。エルフィールも、スケールの凄まじさに驚かされる。アカデミーよりも敷地で言うと広いし、しかもこれは放棄されている場所なのだ。

錬金術師にとっては、天国のような国であったのかも知れない。

マルローネさんが戻ってきた。一番大きな建物を見つけたという。入り口は封鎖されていたと言うが、力づくで壊したらしい。

「相変わらず乱暴だなあ」

「放棄された遺跡でしょ? 別に誰も困らないよ。 ざっと見て回ったけど、何も金目のものは残ってないし、書類の類も全部処理されてる。 ま、だからこっちとしても探しがいがあるんだけどね」

ミューにマルローネさんはそう応えると、全員で奥へ向かう。

転々としていた建物が、少しずつ増えてきた。中には四階建て、五階建てはあるようなものも見える。

時々、生活感のある建物も見掛けた。

或いは、其処に研究員達は住んで暮らしていたのかも知れない。いずれにしても、歪なことに代わりはなかった。

ざっと見掛けたが、放棄された建物にも、鳥さえ巣をかけていない。泥を使って巣を作る燕などにとっては格好の場所にも思えるのだが、それさえなかった。鳥避けをする工夫がされているのかも知れない。

遺跡と言えば、人間が放棄した結果、それ以外の生物がねぐらにしている場所というイメージを、エルフィールは持っていた。シグザール王国にも同じような場所は点在しているし、足を運んだ経験もある。

だが、此処は完全に死の街だ。人間はおろか、動物さえも寄りついていない。手入れをしなければ、我が物顔に入ってくる雑草や昆虫でさえ見掛けないのだ。

途中、砂の上で死んでいる蠅の一種を見掛けた。此処に迷い込んで、そのまま果ててしまったのだろう。調べる気にもならない。

前を歩いているマルローネさんに追いついて、話し掛けてみる。

「人間のための環境を作ったら、人間でさえ暮らしくい場所になった。 そんな感じですね、マルローネさん」

「そうだね。 問題は、此処で何が起こったか。 それを突き止める事だけど」

「分かりました。 腕が鳴ります」

力を試されていると思うと、俄然やる気も湧いてくる。

そうこうする内に、見えてきた。

多分十二階から三階建てという所だろう。どうして自重で潰れないのか、見当もつかない巨大な建物だ。

材質は周囲の建物と同じだが、入り口以外には全く開口部がない。中は真っ暗ではないのかと、少し不安になった。

「ミュー、ルーウェン。 見張りよろしく」

「了解」

若干不機嫌そうにルーウェンが応えた。アデリーさんはさっきまで持っていたサスマタという長柄を背負うと、代わりに東のものらしい剣を取りだした。カタナかと聞いたら、ワキザシと応えられた。狭い所だから、これの方が取り回ししやすいという事だろう。

入り口の辺りには、焦げ付いた木片が散らばっている。さっき ぶっ壊したというのは、これのことだろう。

中を覗き込んでみる。

意外にも、広い。そして明るい。

驚いたのは、内側からは窓があることだ。外に出てみると、同じ場所は壁になっている。内側から見ると明かりを通す透明な材質なのに、外から見ると壁と見分けが付かない。あまりにも不思議すぎる素材である。

入り口はどうも受付だったらしく、多数の椅子が並んでいて、どれもが朽ち果てていた。当然のように誰もいない受付は、がらんとしている。

手を叩いて、マルローネさんが皆を呼び集めた。

「まず、全員で生物の気配がないことを、一階ずつ確認していくわよ。 その後は、まずは上から調べていく感じね」

「上から、ですか」

「そう。 さっきざっと見たけれど、どうも地下もあるらしくてね。 それは最後に調べる」

理由は何となく分かる。リスクが大きいからだ。

どちらにしても、入り口が一つしかない建物である。外で見張りをしてくれている二人が防ぎきれないほどの敵が攻め込んできたら、籠城する他無い。逃げ道はどこにもない。幸いなのは、ここに来ることを他の騎士達が知っていると言うことだ。増援については、期待できる。

戦略的な判断を済ませると、エルフィールは生きている縄を展開した。

「お、凄い数の生きている縄だね」

「はい。 おかげでヒドラとか呼ばれるようになりました」

「面白い」

マルローネさんがにこりと微笑む。

イリスは呆れたように、やりとりを見つめていた。

 

第十七放棄施設に、エルフィールを始めとする要監視人物達が入っていくのを、人相が分からない影が見つめていた。無数に点在する建物の屋上の一つから、である。

距離は三里ほどある。だから、気付かれる恐れはない。そのはずなのだが。

どうも入り口で見張っているらしい二人の護衛戦士が、此方をちらちら見ている。もう少し距離を取った方が良いかも知れなかった。

シグザール王国の騎士達は、このエル・バドールで活発に動き回っている。既に長老派は内紛を始めており、誰を犠牲にするかで揉めに揉めている様子であった。それに乗じて、今まで長老派の独裁に苦しめられてきた幾つかの派閥が反抗を開始、エル・バドールの権力中枢に居座っている錬金術師達は、その勢力図を大きく変える可能性が出始めていた。

「椋鳥よ」

振り返ると、鴉だった。

「驚いたな、鴉よ。 戻ってきていたか」

「シグザールの情報はあらかた取ることが出来た。 やはりドッペルゲンガーを用いることになるだろう」

「まだ少し早いのではないか」

「いや、そのようなことはない。 主に情報を展開するために、今日は戻ってきたのだが」

鴉も、第十七放棄施設に視線を向ける。

連中が自力で此処に辿り着いたことに、やはり少なからず驚きを持っている様子であった。

「どうやらそれで正解であったな。 自力で此処に辿り着くような連中だ。 ある程度力を削いだ方が良い」

「このままだと、シグザール王国は一人勝ちする、ということか」

「そうだ。 ドムハイトが分裂したのも、どうやら裏側からシグザール王国が工作していた可能性が高い。 厄介なアルマン王女の力を削ぎ、なおかつ三すくみの状態にすることで、効率よく仮想敵国を運用する戦略のようだ」

鴉の話を聞く限り、確かにそれは正しいようにも思える。

だが、椋鳥の意見は、少し違った。

「シグザール王国は、どうも対外進出にあまり積極的ではないように思える」

「ふむ」

「もうしばらく様子を見よう。 我らの目的は、人間という生物の未来を見極める事だ」

それには、此処で彼らが真実を見つけられるか、その真実を知ってどうするかが重要である。

他にも痕跡が多く残っている遺跡はある。だが、比較的痕跡が小さく、なおかつ推理の材料が少ない此処で彼らが真実に辿り着くのだとしたら。

人間は、新しい時代の扉を開くことが出来るかも知れない。

鴉はいつの間にかいなかった。

椋鳥と鴉では、人間に対する考え方が違う。同じ目的のために動く存在であり、なにより同じ主に仕えているのに。不思議な話であった。

 

イリスが振り返った。どうも後ろの方を気にしている。

以前もこういう事があった。そして、直後に大蜥蜴に襲われた。アイゼルも、イリスの様子を見て、さっと表情を引き締める。フィンフに槍を持たせて、辺りに厳重な警戒をしくように言っていた。

ノルディスは、あまりにも未来的な建物に興味津々らしく、危険があまり頭に入っていないらしい。

「凄い技術だ。 何から何まで、存在していること自体が信じられない」

「ノルディス、周り危ないかも知れない」

「うん、分かってるよ。 でも、ちょっと周囲を調べさせて」

キルキがたしなめるが、駄目だ。ノルディスは完全に目の色が変わってしまっていた。気持ちは分からないでもない。

「イリスがいたのも、こういう建物?」

「はい。 此処のように立体的な施設ではなくて、横に長い雰囲気でしたが」

「ふうん。 場所によって違ったのかな」

「一つしか見たことがないので知りません」

最後尾を守っているアデリーさんは、今のところ反応を見せていない。先頭のマルローネさんは、かなり大胆に足を進めているので、時々不安にもなったが。しかしよく見ると気配の消し方と言い抜き足の巧さと言い、まるでエルフィールとは次元が違う。あの様子では、あったとしても罠になどまず引っかからないだろう。むしろ心配なのは、ノルディスか。

まずは最上階から調査していく。階段を随分上ったが、一応へばっている者はいない。蜘蛛の巣さえない不気味なほど清潔な建物内部は、外からの明かりで、まるで遮蔽物がないような光度だった。

階段をアデリーさんが抑えて、一番奥に。危険な生物がいないと判断してから、全員が散らばる。部屋はどれも殺風景なほどに何もなく、生活していた痕跡が見あたらない。埃だけは、うずたかく積もっていた。

「壁にも床にも何も残っていない。 まるで亡霊の家だわ」

「そうでもないよ、アイゼル。 見て」

ノルディスが見つける。床、天井に小さな孔がある。

床のは排水管かも知れない。そうなると、此処まで水を引き上げる技術があったと言うことか。天井の孔は何だろう。此処は最上階だが、更に上へ水を送る必要があったのだろうか。

調べていくと、壁側にも痕跡らしきものが転々と見つかる。

小さな孔があった。家具を固定するための孔だろうか。しかしこんな場所で家具も何も無いような気がする。そうなると、戸棚とか、書棚とかであろうか。

途中、やたら頑丈な扉があった。開けてみると、奈落の底まで続いているような深い穴である。

「トラップ?」

「違うわね。 まだ君たちは見てないと思うけれど、この国には上下に移動するエレベーターって箱が存在しているの。 多分それが入っていたんだろうね」

「へえ……」

「ただし、同じ水準の技術だったかは分からないけれど。 同じエレベーターでも、この孔の広さだと、随分小さいようにも思えるし」

マルローネさんの講釈に、キルキが感心してこくこく頷いている。

エルフィールは、むしろこんな殺風景な場所に、どう人間が生活していたのか、そればかりが気になった。

一刻ほど掛けて、フロアを調べ上げる。

だが、それ以上のことは見つからなかった。

 

夕刻になって、一旦建物を出る。外で待っていたルーウェンとミューと合流。流石に、二人とも立ちっぱなしで疲れた様子だった。

「どうだった、二人とも」

「敵影は無し。 この地形なら、よほど油断しない限り、奇襲を受けることもないわ」

「それよりも、疲れたよ。 後何日続くの?」

「そうねえ、フロアの構造から言って、地上部分であと三日くらい。 地下は丸一日掛けたいかな」

マルローネさんとかなり気さくに話している状況からして、二人はかなり古くからの知り合いなのだろう。マルローネさんが権力も財力もない市井の錬金術師だった頃、護衛を務めた仲かも知れない。

生命が感じられない遺跡から出て、外に。宿場町までそれほど距離もない。何より、この近辺の森では、野営をする気になれなかった。自然の気配が無くて、どうも気味が悪いのである。

宿に着く。周囲の奇異の視線が目立った。無理もない話である。周囲にいる人達は、皆例外なくオッドアイである。出る前に聞いた話によると、例外的にオッドアイではない人達もいるらしいのだが、それはごく少数らしい。

全員に料理が出た。肉料理は少なく、野菜が非常に多い印象である。あまりごつい人間がいないのも、何だか頷けた。

「じゃ、今日一日お疲れ様」

「かんぱーい!」

マルローネさんの音頭に従って、グラスを掲げる。まだ酒は駄目だが、こういうのは雰囲気だ。

イリスやフィンフにも、同じように料理を振る舞っている所を見ても、マルローネさんは結構寛容な部分がある。しばらく食事をした後、マルローネさんが切り出す。

「それじゃ、意見聞こうか。 今日は四フロアを探索したけれど、何か意見は?」

「僕が見た所、内部の痕跡は徹底的に消されています。 元々の生活感の無さに、それが拍車を掛けているように思えました」

「同意見」

キルキが言葉少なに言う。

エルフィールもおおむね同じ意見だ。アイゼルが、咳払いした。

「しかし、あまりにも殺風景すぎて、それが妙な気もします。 本当に、人の手が入って、中のものを排除したのでしょうか」

「どういうこと?」

「内部ががらんどうだったのには、他に原因があるのではないか。 私には、そう思えます」

アイゼルが意外にも鋭いことを言う。昔はノルディスにくっついて、何でもかんでもハイハイ言っていたこの娘だが。激しい環境の中で鍛えられていくうちに、頭ではノルディスにかなわないとしても、それ以外の部分で明らかに強くなっている。錬金術師としては、総合的に見て、ノルディスにもうそうそうは劣っていないはずだ。

エルフィールはちょっと考え込んだ後、挙手した。

「マルローネさんの仰るマイナスのパラダイムシフトは、人によって引き起こされたのだという話がありましたが。 あの遺跡の状況は、或いは人以外の手によって行われたのではないでしょうか」

「というと?」

「例えば、ホムンクルス」

さっと、場が緊張した。

アイゼルの側にいるフィンフが、元々少ない表情を、更に強張らせるのが分かる。一方イリスはと言うと、平然と食事を続けている。テーブルマナーは仕込んでいるだけあって完璧だ。

「ふうん、興味深い意見だけれど」

「ホムンクルスが反乱を起こしたというような、安易な意見ではありません。 ただ、イリスに聞いている話によると、もっと昔は大規模にホムンクルスが使われていたような気がするのです」

三百五十年前、この国の動員兵力は百万を越えていたらしいと、マルローネさんは言っていた。

だが、それは全て人間だったのだろうか。

クリーチャーウェポンも相当な数がいたはずであるし、何より人間が足りない分は、ホムンクルスで補っていたのではないのか。

そう、エルフィールには思えるのだ。

ならば、そのホムンクルス達は、何処へ行ったのか。

エル・バドールでは、今でもある程度ホムンクルスは使われているという。だが実物を見る限り、イリスとは比較にならない性能なのだ。一度技術の大規模な退化が起こっているのである。

しかし、かといってこの国が滅んだかというと、そうでもない。王家は存続しているし、民の生活水準も下がっていない。一度全滅した猛獣や魔物がまた現れるようなこともないし、内乱も無視できる程度しか発生していない。少なくとも、史書を確認する限りでは、である。

「いずれにしろ、それは仮説に過ぎないわね。 かなり説得力はあるけれど」

「何か証拠たり得るものを見つけなければなりませんか」

「そうなるかな」

マルローネさんが、案外慎重なことを言った。しかしそう言われると、確かにその通りである。

むしろ腕が鳴る。あの殺風景な遺跡の中から、これから歴史の真実を探し出すのだ。あの遺跡が駄目なら、他の場所を探しても良い。いずれにしても、まだエル・バドールでの暗闘に終わりは来ていない。

シグザールで同じ事を引き起こさないためにも、エルフィールは此処で、確固たる情報を手に入れなければならなかった。

少しためらった後、ノルディスが挙手する。

「マルローネさん。 僕は資料の分析をしたいのですが」

「ん? フィールドワークは苦手?」

「そうではありません。 でも、アイゼルやエリー、それにキルキが色々持ち帰ってきた資料を、分析する人間が必要だと思うんです。 見たところ、素材はどれも此方では未知のものばかり。 分析には時間が掛かると思いますから」

「一理あるわね。 分かった。 それじゃあ、お願いしようかしらね」

「有難うございます」

もちろん、宿にノルディスを一人置き去りにするわけにも行かない。

早馬をとばして、増援を出して貰う。騎士が一人いれば充分だろう。町中でクリーチャーウェポンを使うわけもないし、暗殺者の類はそれで防げる。この国には、それほど実力のある刺客は存在しないのだ。

一旦それで、席は解散となった。エルフィールはアイゼルとフィンフとアデリーさんと同じ部屋をあてがわれている。イリスはキルキとマルローネさんとミュー。ノルディスはルーウェンと同じ部屋である。

フィンフは少し様子がおかしかった。一日中フィールドワークを続けて疲れ目のアイゼルの意識がそれた瞬間を狙って、話し掛けてみる。アデリーさんはというと、部屋の外で見張りをずっとしていた。

「フィンフ、どうしたの」

「ずっと悩んでいました。 我々ホムンクルスとは、何なのでしょうか」

「ん?」

ちょっと気になった。

アイゼルのところでたっぷりの愛情を受けているせいか、フィンフに自我らしいものが目覚め始めている事は分かっている。感情は基本的に与えられてはいないが、逆にそれが故に、自我の成長は早いのかも知れない。

フィンフは少し悲しげに言う。

「サー・エルフィール。 我々は消耗品として、設計されたのでしょうか。 マスターの役に立ちたいというのは、消耗品としてしか成せないことなのでしょうか」

「ん、難しい命題だね」

「サ・エルフィールにも分からないのですか」

「少なくとも、アイゼルはフィンフのことを家族だと思ってる。 よく分からないけど、それでいいんじゃないのかな」

孤独のつらさは、嫌と言うほど分かっている。

今、エルフィールはアイゼルもキルキもノルディスも信頼している。家族だとはいえないかも知れないが、少なくとも仲間だとは思っている。だから、孤独は感じていない。しかし、ふと寂しくなることもあるのだ。

「マスター・アイゼルにとって、私は大事な存在だと言うことですか」

「そうだよ」

「それでは、私は何をしたら良いのでしょうか」

「さあ。 アイゼルが困ってる時に手助けをして、泣いてる時にはそばで支えてあげればいいんじゃないのかな」

これは、以前ミルカッセに聞いた模範解答である。

やっぱり愛情というのがさっぱり分からないので、時々話をしにいっているのである。そんなとき、ミルカッセは悲しそうにエルフィールを見ながら、そんな事を言うのだ。理解は出来ないが、何となくは分かる言葉である。

フィンフは、まだ悩んでいる。

その悩みが、深刻であることに、エルフィールは気付いていたが。あまり多くは追求しなかった。

 

次の日から、ノルディスを護衛の騎士と一緒に宿に残し、探索はペースを上げることになった。

以前はマルローネさん一人で錬金術関連のことを分析していたと言うから、大したものである。見ているとエネルギッシュで手際が良く、兎に角エルフィールの一歩も二歩も先を行っている。

調査が終わった後で、一階の大テーブルを使って、皆で会議をする。マルローネさんが短時間で仕上げたレポートを見ると、かなり字は汚いものの、内容の充実が凄まじい。殆ど何もない遺跡を調べているのにもかかわらず、良くも此処まで深い分析を、しかも短時間で出来るものだと驚かされる。

「凄く調査が早いですね」

「まあ、慣れだね」

マルローネさんは、さほど嬉しそうにもしない。

最初一番上まで上がったせいか、徐々に探索するのが楽になってきているのは分かる。窓から見える地面が近付いてきているのは、若干だが心の平穏をもたらす。逆に言うと、こんな高い所で仕事をしていて、良く落ち着いていられたものだと、驚いてしまうのだった。

しかし、レポートが濃い内容だと言っても、結局二日間での探索は、お世辞にも成果が多大に上がっているとはいえない。

マルローネさんがエルフィール達と一緒にサンプルで幾らか資料を採っていたが、それもあまり多くはない。宿に戻って、ノルディスと打ち合わせをする。

ノルディスはと言うと、元々デスクワーク派である事もあり、少ない資料できちんと成果を挙げ始めていた。

「分析の結果、色々と面白いことが分かってきました」

そう言って、ノルディスは机の上に、びっしり文字が緻密に書き込まれたレポートを出してくる。

目を通すが、細かさと言い、着眼点と言い、完成度と言い、非の打ちようがない。ただ、ヘルミーナ先生はつまらないと称しそうな内容だった。

昨日のことだが、壁に罅が入っている場所があったので、白龍で打撃を叩き込んで、ぶっ壊してサンプルを取得した。とんでもなく頑丈だったが、拳大くらいの欠片を採ることは出来た。

それを更に砕いて、ノルディスの所へ持っていって渡した。成果があまりない中での採取物だったが、ノルディスはきちんと分析の任務を果たしてくれたのだ。

「なるほど、あの遺跡の壁は複層構造になっていると」

「はい。 表面には塗料に近いもの。 これには強力な虫除け、黴避けなどの機能がある様子です」

触れただけで、虫は死ぬという。サンプルにされた蠅の死骸は、変色さえしていた。それだけ異常な代物だという。しかし、人間には無害なのだそうだ。

「ただし、塗られているものに触れたら、の場合です。 大量に飲んだりしたら、やはり危険かも知れません」

「複層構造ねえ」

マルローネさんが小首を傾げている。何か思い当たる節があるのかも知れない。

ノルディスの説明が続く。

砕いた壁の材質は、あの異様な砂にそっくりなのだという。あれを何かしらの形で固めたのが、壁なのではないかということであった。そうなると、膠など比較にもならない強力な接着剤が存在すると言うことになる。

その壁も、場所によって堅さや性質がまるで違っているのだそうだ。

「正直な話、技術力が違いすぎて、今はこれくらいまでしか分析できません」

「いや、現時点ではそれで充分。 イングリド先生から秀才だって聞いていたけれど、此処まで出来る奴はあたしの世代にはいなかったしね」

マルローネさんが凄いほめ方をしたので、ノルディスは最初吃驚して、それからちょっと照れくさそうにした。

エルフィールも負けてはいられない。

「一つ、私も気になることを見つけました」

「気になること?」

「生きている縄を使って、天井の孔なんかを調べさせたんですが。 中に生物が住んでいる形跡がないんです。 壁だけではなくて、何かしらの方法で、そもそも人間以外の生物が入れないようにしているのかも」

「ふうん。 蜘蛛の巣一つ無い内部の状況を考えると、あり得ない話じゃないわね」

マルローネさんが考え込んでくれる。

アデリーさんが身じろぎしたので顔を上げると、ロマージュとダグラスだった。ダグラスはアデリーさんを見ると、ちょっと気まずそうにした。二人の間に、昔何かあったのかも知れない。

「増援?」

「いや、伝令だ。 ちょっときな臭いことになっていてな、警告しに来た」

ダグラスは明らかに目上の立場であるマルローネさんにも対等の口をきいた。口調を抑えているが、相当な憎悪を感じられる。

まあ、ダグラスの性格上、マルローネさんが好きだとはとても思えないから、妥当な所だろう。或いはアデリーさんの反応を見る限り、二人の間に何かあったのかも知れない。いずれにしても、子犬に吠えかけられた獅子も同然で、マルローネさんは気にもしていない様子であった。

「長老派が分裂でもした?」

「いや、其処までのことかは分からないんだが」

ダグラスが頭を掻くのは、多分知らされていないのだろう。つまり、もっと直接的な危険と言うことだ。

「文官達が切り崩しをやってるエル・バドールの高官達の中から、最強のクリーチャーウェポンについて情報が出てきたらしい。 現時点では休眠させているそうだし、どちらかといえば拠点防衛用らしいんだが、居場所が長老派しか把握していないそうだ」

「最強、ね」

最強と言うからには、あのフラウ・シュトライトよりも少なくとも強いと言うことだろう。そうなると、尋常な戦力では太刀打ちが出来ない。今此処に来ているシグザールの精鋭を全てぶつけても、どうにかなるか。仮に勝てたとしても、多くの死人を出すことになるだろう。

ただし、ピンポイントで此方の戦力を狙えるとも思えない。そんな輩を繰り出してきたら、エル・バドールの民も多く犠牲にすることになるだろう。

「ちょっと疑問に思ったんだけれど、この国の民って、どうして腐りきった政府に反旗を翻さないのかな」

「あん? どういう意味だ」

急に話を切り替えたエルフィールに、ダグラスが不快そうに眉をひそめた。ロマージュは楽しそうにやりとりを見守っている。

「その最強クリーチャーウェポンにしても、あの遺跡にしても、民が知ろうとさえしないから、情報が外に出ないって事でしょ? そうじゃなければ、どんなに優秀な諜報網があっても、情報は漏れるよ」

シグザール王国では、今や大陸最強とさえ言われる諜報集団牙が、情報を握っている。だがそれでも、情報の漏出を抑えることは出来ない。

数年前に、シグザール王国騎士団が、どうにかして竜軍を消滅させたらしい、という事については、既に暗黙の事実になっている。そういうものなのだ。

それなのに、この国の民は、間近にある遺跡に近付こうとさえしていない。安直なバリケードの中には、人が入った形跡さえないのだ。

「平和、だからじゃないかしら。 生活にも困っている様子はないし、何よりも何も危険な事もない。 エリー、私には分かる気がするわ」

「アイゼル、でもそれって、家畜の平和のような気がするけれど」

「でもエリー、誰もが貴方のように、何処でも逞しく生きられる訳じゃないわ」

アイゼルの言葉は、分からないでもない。アイゼルは過大評価してくれているが、エルフィールは人生にも未来にも不安を多く抱えている。孤独は今でも溜まらなく怖いのだ。

いずれにしても、警戒度を一つあげると言うことで、話は終わった。ロマージュは増援として此処に残ることとなり、ダグラスはケントニスに戻る。ノルディスが宿の外でダグラスと何か話をしていたが、興味はあまり感じなかった。

 

3、マイナスパラダイムシフトの鍵

 

遺跡の地下に、ついに足を踏み入れることとなった。

今までは階段を上るのが基本であったから、新鮮である。しかも降りる階段の前には頑丈な防壁があり、簡単には破ることが出来なかった。

しかし、その防壁も無敵ではなかった。アデリーさんがワキザシを二三閃させて、防壁に亀裂を入れて。全身の魔力を身体能力に変換したマルローネさんが蹴り砕いて、内側に吹き飛ばした。まるでドラゴンが体当たりしたかのようなもの凄い破壊力に、どん引きするアイゼル。何か、トラウマが刺激された様子である。

最初に出会った時、とても怖い思いをしたと言っていたが。いかづちを纏ったマルローネさんは狂気に満ちていたし、確かに昔のアイゼルでは恐怖に押しつぶされそうになるのも無理はないかも知れない。

通常状態に戻ったマルローネさんは、とても気持ちよさそうに額の汗を拭う。

「ふいー。 さ、奥へ行こうか?」

「今、カンテラ付ける」

キルキが、シグザールから持ち込んだ愛用のカンテラに火を入れる。油がこっちでは品質が違うので、わざわざ植物素材から調合したのだ。

カンテラを受け取ったマルローネさんが先頭に。ロマージュに最後尾を守って貰う。アデリーさんは、マルローネさんのすぐ後ろで、警戒態勢に入った。最強のクリーチャーウェポンなんて話を聞くと、確かに身構えてしまう。

地下は真っ暗だった。今までと違い、窓がないのだから当然だ。

階段は非常に長く、地下室が途轍もなく大きいことが知れた。それも、やがて底に辿り着く。

カンテラが一つでは足りないと判断したエルフィールは、もう一つを付けると、イリスに持たせた。少し思案した後、別のを付けてフィンフにも持たせる。キルキはと言うと、小さな手に合わせてカスタマイズしたカンテラを、自分で自発的に付けていた。ただし、持ち手は左手で、右手には杖を持ったままである。

アイゼルはフィンフを側に置いたまま、油断無く周囲を警戒している。エルフィールも生きている縄を全力で展開して、異変に備えていた。

カンテラの明かりに照らされる床は無機質で、非常に硬い。歩くと、硬質の音がする。かつん、かつんと響くそれは、まるで生者の侵入を拒んでいるかのようだった。

「広い、ですね」

「多分上にある建物よりも広いわね。 或いは全ての建物が、地下でつながっているのかも」

マルローネさんが言うとおり、あまりにもこの地下空間は圧倒的だった。

高さも相当だが、何より奥行きが凄まじい。一体この空間は何だ。クリーチャーウェポンを育てていたのかと、一瞬思う。だが、それにしては施設に起伏がなさ過ぎる。アイゼルが、天井を指さした。それに、キルキが応えた。

「見て、天井にたくさん穴が開いているわ」

「床にも転々とある」

イリスがしきりに辺りを見回している。或いは。

エルフィールの言葉は、図星を指した様子であった。

「ひょっとして、ホムンクルスの大規模生産工場?」

「断言は出来ませんが」

「ふうん……」

マルローネさんが、冷酷な光を目に宿らせた。

辺りの床を見ると、円状にくぼんでいる場所が少なからずある。それが一定間隔に並んでいた。

此処の上に、ホムンクルスを生産する機械を載せていたのだろうか。

しかしそうなると、天井の高さが説明できない。

「奥へ行ってみようか。 みんな、集まって」

マルローネさんが手を叩いて、皆を集める。

フィンフはどうしてか、アイゼルにぎゅっとしがみついていた。怖いのか、或いは。アイゼルはフィンフが不安がっていると思ったのか、とても優しそうな目で、頭を撫でていた。

「それにしても、その子、ヘルミーナ先生の作ったホムンクルスでしょ?」

「はい。 フィンフです」

「ん。 ヘルミーナ先生とは、違う愛し方だなあって思って、とても興味深いわ」

「ありがとう、ございます」

歩きながら、マルローネさんの問いに、アイゼルが答える。若干釈然としない様子なのは、意図が読めないからだろう。

天井も照らしながら歩く。時々生きている縄でカンテラを天井近くまであげてみたりもした。生きている縄で、かなり先の方にカンテラをぶら下げることにより、先行偵察が効率よくできる。

パーティションの類は無いらしく、全く区切られていない。もしくは、あったとしても撤去してしまったのか。

「それにしても、本当に徹底的に痕跡消してるなあ」

「……」

イリスが眼を細めて、辺りを見つめている。この皮肉屋が、さっきから随分静かである。気味が悪いくらいに。

エルフィールは魔力の杖を持って、辺りに霊体がいないか調べてみる。しかし、それも存在しなかった。

これだけ徹底的に痕跡を消しているのである。それに技術が一時期とんでもなく進んでいたという話だ。霊体の消去方法くらい、当然確立していただろう。

しばらく歩いていると、壁に突き当たった。目印代わりに時々床にチョークで模様を描いていたマルローネさんが、黄金の髪を掻き上げた。

「壁に沿って歩いてみようか」

「分かりました。 それにしても広いですね」

「歩数から考えると、この地下は遺跡全体の四割くらいに広がってる。 建物全部とは言わないけれど、やはりある程度とはつながっていたと考えるのが自然かな」

手際の良い分析である。流石だ。

能力が高いことが話しているだけで分かるので、エルフィールは俄然やる気が出る。今後ドナースターク家のテクノクラートになると言うことが、如何に刺激的か、この人と話しているだけでもよく分かるからだ。

そして、其処で認められれば。

きっと、孤独ではなくなる。生涯を通じて。

壁に沿って歩いていくと、時々小さな部屋を見つけた。どれも痕跡は消されているが、多分機械類を入れていたり、或いは倉庫であったのかも知れない。

その一つで。

痕跡が、見つかった。

 

地上に一旦引き上げる。陽の光が、とても眩しかった。

非常に気まずそうにしていたルーウェンが歩み寄ってくる。あれほど楽しみにしていたようなのに、何だか気の毒である。

「何か見つかったか」

「うん。 灰」

マルローネさんが差し出したのは、灰だ。

壁の一角にあった部屋。その中は、一杯の灰で満たされていた。何を燃やしたのか全く見当が付かないほど、完璧に灰にされていたので、その場での分析は無理だった。だが、マルローネさんは、何だか一目で正体を見抜いた様子だった。

全員がそれぞれ袋に灰を詰めて、一旦撤収。埃でさえ殆ど無いような状況である。灰が手に入っただけでも、大収穫であった。

「灰? 何日も建物の中をはい回って、それだけか?」

「分かってないなあ。 灰ってのは、何かを燃やしたものってことで、しかもわざわざ残してあったんだよ? ルーウェンもさあ、もうちょっと想像力を働かせてみると良いんじゃないのかな」

「いや、そう言われてもな」

「ミュー、行こう。 今日は引き上げるよ」

あいあいと呟くと、ミューは大きく背伸びをした。やはり気まずい雰囲気の中見張りをして、肩が凝ったらしい。

まだ日は高いが、今日はここまでと言うことで、一度引き上げる。

遺跡から出ると、アイゼルが怪訝そうに眉をひそめた。フィンフが、妙にアイゼルに身を寄せているからだ。

「大丈夫、もう外よ。 怖い事なんて無いわ」

「本当に、そうでしょうか」

「襲撃者の事? それならば、これだけの戦力があるんですもの。 大丈夫よ」

アイゼルが優しい笑顔で諭すが、フィンフは表情を変えない。ふと気になったのでイリスを見ると、真っ青なままだった。

やはり、彼処はホムンクルスの生産工場だったのだろうか。

街に到着。オッドアイの人々の奇異の視線には既に慣れた。面白いのは、奇異を感じたとして、此方には何もしてこないと言うことだ。

家畜の平和という言葉を昨日口にしたが、それを強く感じる。

子供は此方にある程度興味を持っているようだが、それも親が引き留めている。新しい知識を得ることが、どれだけ楽しいか、分かっていないのだろうか。

この国の平和は、ありあまった技術と物資、何より先祖の努力によって成り立っている。来る途中に聞いたのだが、シグザール王国で言うホームレスさえ存在しない。職も家もない人間もいるらしいのだが、政府の対策施設があって、ありあまる物資がそのまま提供されているという。だが、あまりにも充実しすぎて自堕落無気力になってしまうのでは本末転倒だ。腐敗した国政も、民の生活に影響は及ぼしていないようだが、もしも何かあった場合、こんな脆弱な民で耐えられるのか。

エルフィールは此方に来て聞いたのだが、エル・バドールには冒険者に相当する人間もいないらしい。荒事も請け負う戦闘能力のある何でも屋という存在が、必要とされていないのだ。

平穏そのものであることをよく示してはいるだろう。戦争の殆どは、物資や資源を巡って行われるのである。だが、エルフィールは。此処に産まれなくて良かったと、此方を伺う連中を見ていて思うのだった。

宿に着くと、ノルディスが降りてきた。

「マルローネさん。 何か成果はありましたか」

「はい、これ。 灰がたっぷり」

「灰、ですか」

「解析を強化しよう。 あたしはエルフィールと明日も遺跡に行ってくる。 残りは全員で、この灰を解析」

つまり、まだ探索は実施すると言うことだ。しかし、マルローネさんとエルフィール、それにアデリーさんだけで戦力は大丈夫だろうか。ロマージュも連れて行くとなると、逆に宿の方の守りが不安になる。

「俺が行くよ。 アデリーは置いていけばいい」

「ルーウェンか。 ミューと一緒にいなくていいの?」

「仕事だからな」

歴戦の冒険者であるルーウェンが一瞬顔色を変えるのを、エルフィールは見逃さなかった。ミューも多分同じ反応をしていたはずだ。

何があったかは分からないが、かなり面倒なこじれ方をしているらしい。とても古くからの知り合いらしいのに、面倒な話である。

「ま、今のあんたなら、あたしとエルフィールとで大半の相手には勝てるか」

「私も行くよ」

「ミュー?」

「アデリーが残るなら、大抵の相手には遅れを取らないでしょ」

そうなると、宿に残る護衛戦力はアデリーさんに、ロマージュと騎士が一人か。まあ、それだけいれば大丈夫だろう。

ミューが行くと言いだした時、ルーウェンは非常に辛そうな顔をした。

そのまま、アイゼルはノルディス、キルキと上に。イリスはしばらく迷っていたが、一緒に行きたいと言いだした。一方でフィンフは、アイゼルと離れようとしない。余程、あの遺跡のことがいやだったらしい。

マルローネさんは、よそ行きの服のままである。酒を口にもしない。

「ひょっとして、今すぐ遺跡にとんぼ返り、ですか?」

「そうよ。 体力は有り余ってそうだし、大丈夫でしょ?」

「まあ、確かに」

なるほど、此処からは体力をフル活用した全力での調査になりそうだ。マルローネさんは、或いはさっきの灰に、何かを見たか掴んだのかも知れない。

それはそれで面白い。ミューとルーウェンも、多分マルローネさんの性格を知っていたからだろう。すぐに出られるように準備を始めていた。

 

各々が持ち帰った灰を拡げたノルディスは、マスクをまず付けた。そして、ルーペを使って、じっと灰に見入る。

「非常に細かい灰だね」

「恐らく灰にした後、念入りに砕いているわ。 それほどまでにして、証拠隠滅をしなければならなかったのかしら」

「……」

どうも、ノルディスはそのアイゼルの意見には賛成しかねていた。何かがおかしいのである。

遺跡の地下空間には、明らかに大量の道具類が置かれていた形跡があったという。それらはどう処分したのかは分からないが、少なくともこの灰がその正体ではないだろう。間違いなく、何か別のものを燃やした結果、この灰ができたのだ。

フィンフに手伝って貰って、作業を始める。クノールもいると良かったのだが、彼は文官達の助手をしていて、こっちには手が回りそうにないとさっきダグラスが言っていた。である以上、仕方がない。

まずはサンプルをふるいに掛けてみる。非常に細かい灰とは言え、大きさにはやはりばらつきがある。細かいものはとりあえず保留。大きなものを浚いだした。

本来は逆の作業になるのだが、今回に限っては別だ。まずは正体を特定しなければならない。

大きな粒を見つけ出した後、ルーペで観察。見ると、灰は非常な高温で、徹底的に焼き尽くされていた。これはアタノールを使って何時間も火を通した場合か、或いはもっと焼かないと駄目だろう。

「偏執的」

ルーペで観察していたキルキが呟く。誰かに対する悪口ではなく、この灰についての所感だ。その通りである。ノルディスもそう思う。此処まで徹底した行動は、一体どうして為されたのか。

キルキが始めたのは、液体を垂らして、反応を見るというものだった。アイゼルは重さを量り始めている。ノルディスはデータを取りながら、それを順番に紙に書いて纏め始めた。

「ねえ、ノルディス」

「どうしたの」

「いやな予感がするの。 この重さ、凄く似ているものがあるから」

言わなくても分かる。フィンフはてきぱきと働いているが、いつもより動きが悪い。アイゼルは、じっと大事なフィンフのことを見つめていた。

ノルディスはしばらく調べていたが、実際には、結論を確定するために作業を行っていた。むしろ、自分が考えたとおりではない事が証明できれば、どれだけ安心できただろう。

しかし、学生時代に鍛えに鍛えられたから、どうしても現実的にものを考える癖が出てしまっている。

色々と、悪い材料が揃いすぎていた。

大きな溜息が漏れた。

アイゼルが、フィンフを連れてトイレに行く。キルキが頷いた。

「これ、人間の灰。 火葬の後、見たことがある」

「正確には、ホムンクルスだね」

「ほぼ間違いない。 もしもあの空間がホムンクルスの製造工場だったとすると、多分何万もホムンクルスいたはず。 みんな燃やされた、かもしれない」

「酷い話だ……」

滅多に怒りを感じることはないノルディスだが。キルキが口に出した結論を聞いてしまうと、ふつふつと腹の底から熱いものが沸き上がってくる。

アイゼルも分かっていたはずだ。だから、フィンフを外に連れて行った。

「灰は、大量にあったの?」

「そんなにはなかった。 思うに、遺体を、焼くことで処分した」

「それなら生きていたホムンクルス達は、どうなったんだろう」

あれだけ異常なまでに殺風景な遺跡である。完膚無きまでに痕跡を消したあの状況、ホムンクルスが生きたまま外に出られたとは、とても思えなかった。絶望的な結論しか出てこない。

三百五十年前。

少なくとも、人間は最悪の業を犯した。

それが何かは、まだ分からない。だが、ホムンクルスは呪われた存在に違いないと、ノルディスは思った。だがそれは、彼らが禍々しいわけでも忌まわしいわけでもない。人間のエゴというおぞましき闇に呪われている被害者なのである。

後は、灰の成分を分析しておく必要がある。ベースになっているのは、ホムンクルスの亡骸だとして。どのような環境で彼らが生きて、そして死んでいったのか。せめて、罪滅ぼしにならないとしても。知っておく必要があるのだった。

 

地下空間に降りる。生きている縄を使って四方八方をカンテラで照らすのだが。どうしてか、不安を感じた。着いてきたイリスはずっと無言で、何も喋ろうとはしない。

マルローネさんは、此処からは効率を上げるために、それぞれ別方向で作業をしようと言い出した。それだけ戦闘面で自信があると言うことなのだろう。エルフィールも、あれだけ圧倒的な力を見た後だと、それを止めることは出来なかった。

以前、魔力の身体能力変換は、狙って出来なかったのだという。非常に興奮した時だけ、殺戮衝動を伴って出来ていたことだったそうだ。しかし、賢者の石を作り上げたことにより、制御も出来るようになってきた。

羨ましい話だった。

フラウ・シュトライトの残骸から、或いは賢者の石を作ることが出来るかも知れないと、少し前に聞いた。自分も作ってみたい。賢者の石を。しかし、寿命が延びて自分が進化すると、或いは孤独がそれだけ近付くのかも知れない。

闇の中を、はい回る。

雑念は厳禁だ。何が何処に潜んでいるか、分からないのだから。

今のところ、生物の痕跡は一切無い。長い長い刻と、それに恐らくは此処で行われた得体が知れない事が、全てを消し去ってしまっている。床と天井に、転々とある凹みを、念入りに解析しながら、地下の地図を作っていく。

それで、妙なことに気付いた。

少しずつ、凹みが大きくなってきているのだ。

基本的に道具は進歩すると、小型化する傾向がある。持ち運びがしやすい方が良いし、何より場所を取らないからだ。ホムンクルスは道具として扱われていたのだから、製造装置も進化していたはず。

そうなると、新しい製造装置から、古い方へと並び替えられていたのか。

しかし、それにしては妙だ。床の材質の劣化具合を確認していくと、妙に罅や傷が多い方に限って、大きな凹みがあるのだ。

一瞬、作成するホムンクルスが大型化していったのかと、エルフィールは思った。

地図について書き込みをしているイリスを呼び寄せる。若干不満げに走り寄ってきたイリスに、聞いてみた。

「何ですか?」

「あのさ、ホムンクルスって、ひょっとして年々大型化していた?」

「いいえ。 ご想像通り、あらゆる用途がありましたから。 生体実験の道具だけではなく、娼婦のまねごとをさせたり、戦争の兵士として使ったり」

「ふうん」

眼を細めて、凹みを見やる。

そうなると、意味もないのに年々大型の装置を使うようになっていた、と言うことになるだろう。

床に残された染みを確認。少し考え込んだ後、イリスを外に使いにやり、水を大量に持ってこさせる。

それを床に零し、流して溝や細かい傷をより丹念に調べた。ひんやりした地下の空気の中、静かな作業を続ける。そうすると、面白いことが分かってくる。

若干だが、小さい凹みの方は、大きめの傷が少ないのだ。これはつまり、稼働していた時期が短いという事になってくる。

裏付けられた形だ。大きなホムンクルス製造装置の方が、長く稼働していた。どうしてだかは、全く分からないが。腕組みして唸っていると、マルローネさんが近付いてくる。

「何か分かった?」

「はい。 設置されていたらしいホムンクルス製造装置が、年々大型化している様子です」

「……ふうん。 良く気付いたね」

マルローネさんは、良く気付いたと、笑顔で褒めてくれた。ちょっとうさんくさい笑顔ではあったが、嬉しかった。

イリスが運んでくる水を辺りにぶちまけて、傷や痛みを確認していく。仮説は、どんどんデータによって裏付けられていった。

しばらく調査していると、ミューが降りてきた。

「そろそろ八刻になるよ? 一度上がってきたら?」

「いえ、まだまだ平気です」

「いや、上がろうか。 もしも戦闘があったら、耐えられなくなる可能性が高いわ」

マルローネさんに言われて、確かにその通りだと気付く。

一度外に出る。明け方になっていた。遺跡を出て、街まで戻る。宿では無人のように静まりかえっていた。

シグザール王国では考えられないことだ。冒険者は何処にでもいるから、宿は稼ぎを考えて、大体は見張りを置いているものである。ドアを叩くと渋々出てきた従業員が、中に入れてくれた。

厨房を借りて、さっと食事を作る。イリスに手伝わせて、用意してあった燻製肉を焼き、野菜と炒めた。マルローネさんが言ったとおり、かなり腹も減っていたし、丁度いい機会だった。

「しかしエリー。 凄い集中力だね」

「集中力と言うより、執念かな」

ルーウェンの言葉を、マルローネさんが訂正した。細かい所までよく見てくれていて、エルフィールとしては嬉しい。

「私、執念だけが取り柄なんです」

「なら、執念だけで学年二位を取ったって事?」

「はい!」

一般には悪い言葉として使われる執念だが、エルフィールにとっては誇りの一つだ。しかも、それを理解してくれたのだ。とても嬉しかった。

皆で食事にする。肉はどうも力が抜けているようで、野性的な強みをあまり感じなかった。

「森には兎と狐くらいしかいなかったね」

「はい。 それも、人間に対する警戒心が薄くて、狐なんか目に見える範囲に出てきていましたし」

「狐は寄生虫がいるから止めておくとして、兎は少し狩っておこうね。 この肉、あまりにも生命力が足りてない。 こんなのばかり食べてると、体が弱くなるわ」

マルローネさんが少し愚痴った。

腹ごしらえをすると、眠らず、そのまま外に出る。まだしばらく調査を続けておきたい。イリスは流石に驚いたようだが、この子も騎士団の精鋭をベースに作ったホムンクルスだ。体力は折り紙付きである。

遺跡に戻って、水を取りに行かせる。ルーウェンとミューには、相変わらず外で見張りをして貰う。マルローネさんは走っていくイリスの背中を見つめて、呟いた。

「あの子はとても興味深いわ」

「寿命、何とかのばせないかって思っています」

「ん、確かに」

二人で別れて、調査を始める。

そして、明確に、面白いものをエルフィールが見つけた。

闇の中、ぽつんと小さな影のようなものがあった。近付いてみると、ついに生物の痕跡を見つけることに成功したのである。

死骸だ。

白骨化しているが、間違いなくホムンクルスである。或いは人間かも知れないが、こんな綺麗な形で残っているとは、驚きだ。全く生きた存在の痕跡がなかったのに。ついに、見つけ出した。

着衣の類は身につけていない。まるで眠るような格好で息絶えている。素晴らしい。この死体をしっかり検分すれば、この大陸の真実が明らかになる可能性が高い。

興奮が沸き上がる。思わず、含み笑いを漏らしていた。やがてそれは爆発的な歓喜に代わり、エルフィールは闇の中、一人空に向けて咆吼していた。

水を持って闇の中、カンテラの明かりを頼りに来たイリスが、足を止める。

振り返ったエルフィールは、目を煌々と輝かせていた、かも知れない。

「みてぃいいてぇえええ、イィイイリス。 見ぃイつけぇエたよ」

「ひっ!」

桶を取り落としたイリスを、生きている縄で捕獲。つり上げる。

逃げないように、するためだ。

生きている縄で、至近につり下げさせた。もがいているイリスの顔を掴んで、無理矢理近づけさせる。

「は、離してっ!」

「んー、どうしようかなあ。 ちょっと興奮しすぎて、収まりが付きそうにないからなぁあ。 悪いけど、八つ裂きにされてくれない?」

「い、いやっ! いやああっ!」

甲高い悲鳴を、イリスが挙げる。

舌なめずりすると、エルフィールは白龍を生きている縄から受け取り、イリスの頭に杭を向けた。

頭を砕く音が聞きたい。飛び散る脳みそが見たい。

ただ、それだけでイリスを殺そうと思ってしまう。元より、イリスはエルフィールが殺すためだけに存在しているホムンクルスだ。この場で殺してしまうか。それが良いかもしれない。

涙を流してもがいているイリスの口を、生きている縄が塞いだ。白龍は強化しているし、人間大の相手に使うとどうなるか、実に興味深い。かっと口を開けたエルフィールは、殆ど本能的に飛び退いていた。

エルフィールが立っていた場所を、かまいたちがえぐり取ったのは、次の瞬間であった。

 

椋鳥は気付く。

鴉が、エルフィールにクリーチャーウェポンをけしかけたことに。どうしてそんな事をするのか、ちょっと分からなかった。

目的を忘れたのか。一瞬そう思ったが、鴉は基本的に非常に思慮深い存在だ。行動は常に慎重で、主もだから信頼している。椋鳥も疑念は抱きつつも、見張りをしている二人の戦士の探索範囲ぎりぎりに身を置いて、状況を見守る事に務めていた。

 

せっかくの楽しい時間を邪魔してくれたその存在は、闇の中から浮かび上がるようにして現れた。

元からこの遺跡に住んでいたとは思えない。

犬の仲間だ。狼の一種であろう。ただし、とんでもなく大きい。カンテラに照らされる体色は茶色で、虎よりも更に三割以上は大きいように思えた。

此奴が、かまいたちを放ったのか。

風の気配。また、闇から割り込んでくる気配。羽ばたきの音。

天井近くを舞っているのは、アードラの一種かと思われる巨鳥であった。ただし、羽は水色で、とても自然の産物だとは思えない。しかもこの暗い中を平然と飛んでいるのはいかなる事か。魔力の杖の力がまだ抜けていないから見えるが、どちらも非常に強い力を身に纏っている。

これは、とてもではないが手加減できる相手ではない。マルローネさんも攻撃されている可能性があるから、支援は期待できないだろう。

イリスを解放して床に落とす。朱槍を投げ与えた。

「そのホムンクルスの死体を守って」

「けほっ、けほっ! こ、この人でなし!」

「なーに、ちょっと興奮しただけだってば。 本気で殺す気はなかったよ」

自分でも見え見えの嘘を言うと、エルフィールはイリスがそれでも命令に逆らえないことをきちんと視界の隅で確認。憎まれ口を言うことは出来ても、人間には逆らえない。なぜなら、ホムンクルスだからだ。

身を低くして、狼が此方の様子を伺っている。鳥はと言うとゆっくり旋回しながら、どう攻めるか計っている。

エルフィールは白龍を構えたまま、ゆっくり狼から見て左に歩く。少しずつ死体から距離を取っているのは、貴重なサンプルだからだ。遠くで爆発音。やはり、マルローネさんも襲撃を受けているか。

狼が、跳躍した。

凄まじい跳躍力だ。虎も獲物を襲う時に凄まじい身体能力を見せるが、その比ではない。斜め上から飛来する狼に合わせて、巨大な翼を持つ鳥がイリスに向かって躍り掛かる。エルフィールは生きている縄を撓ませ、真上に跳躍。カンテラの一つを鳥に投げつけつつ、狼の上を取っていた。

生きている縄を二本、天井に叩きつけるのと、鳥が悲鳴を上げて態勢を崩すのは、ほぼ同時。

狼が身を捻り、垂直に落ちてきたエルフィールをかわすと、地面で驚くべき柔軟性を見せて跳ね退く。エルフィールは生きている縄を使って地面への激突を緩和、水平に飛ぶようにして狼を追撃。走る。狼も走りながら、牙を剥いて凄まじい顔をした。

鳥が高度を上げながら、羽ばたく。ジグザグに走るのは、真空の刃が襲い来ると思ったからだ。とっさに、生きている縄で壁を作ってガード。だが、狼がこの瞬間に体当たりしてきて、一気に吹き飛ばされた。

硬くて冷たい床にたたきつけられ、二度バウンドする。

「いったあ……」

頭を振りながら立ち上がる。狼。真上だ。牙を剥いて、首を食いちぎりに来ていた。生きている縄を駆使して飛び退く。

これは、虎がオーヴァードライブを使っているよりも、動きが良いかもしれない。単純に、とんでもない身体能力だ。

ほぼ間違いなく、これはクリーチャーウェポンだろう。しかし、表の二人が殺られたとはとても思えない。どうやって此処に来たのか。

鋭い前足の爪が、服を掠って、破られた。鮮血が飛び散る。だが、通り抜け様に、エルフィールは秋花をぶっ放す。狼は避けるが、灼熱の炎は、イリスめがけて急降下した鳥の頭部をもろに捕らえていた。

鳥が悲鳴を上げながら、地面に落ちる。飛びついたイリスが、首筋に槍を突き刺した。だが、鳥は無理にイリスをはね除けると、再び舞い上がる。大した生命力である。狼が、また襲いかかってくる。叩きつけられる巨大な前足。秋花を放り捨て、生きている縄に回収を任せながら、白龍を構える。

引き金を、引いた。

狼が残像を残し、火花を散らしながら床を横滑りした。

此奴、空中で機動したか。今の動き、そうだとしか説明が付かない。白龍の杭は、確かに狼の顎の下を狙った。だが、足に突き刺さるにとどまったのだ。白龍を持って行かれてしまったエルフィールは、冬椿に切り替える。

狼が不快そうに、足に突き刺さった杭と、それが着いている白龍を咥えて、引き抜いた。この間の海竜戦を考慮し、杭に鎖を付けていたのだが、それが逆に禍した。

「私の白龍に、畜生が傷を付けるんじゃない」

エルフィールが言うと、狼は一瞬ひるんだようだった。殺気の量に驚いたのかも知れない。

だが、それだけで戦意が折れることはなかった。

激しい咆吼。飛び掛かってくる。顔中に皺を寄せ、凄まじい形相である。地面すれすれを、凄まじ勢いで飛んでくる。高く舞い上がらないのは、今までの事を学習したからだろう。

冬椿の先端を向けると、残像を残して後ろに回り込んでくる。周囲を、凄まじい速さで狼が飛び回り始めた。床を叩く音だけが聞こえ、エルフィールの体に傷が増えていく。なるほど、持久戦に切り替えてきたか。

白龍は、拾うには少し遠すぎる。

そして、イリスは鳥の相手だけで手一杯だ。鳥はと言うと、イリスに時々急降下攻撃を浴びせながら、此方にかまいたちを叩き込む好機を狙っている。すぐにかまいたちを使ってこないのは、二度、攻撃の際に手痛い反撃を貰ったからだろう。

突き飛ばされるようにして、前のめりになる。後ろから、狼の一撃が掠ったのだ。

好機とばかりに、鳥が特大のかまいたちを飛ばしてくる。真空の刃を、敢えてエルフィールは避けない。

全身から血しぶきが舞う中、必殺の間合いで、犬が正面から首を狩りに来た。

目をつぶる。

そして、見開く。

見える、狼の喉。其処へ、冬椿を突っ込んだ。噛み合わされる牙。冬椿先端の、巨大な鉄拳を、狼はくわえ込んでいた。

引き金を、エルフィールは引いていた。

殆ど同時に、遠くから飛来した極太のいかづちが、鳥を真横から直撃。瞬時に消し炭になった鳥は、吹っ飛んだ狼と空中で激突。天井で、共に挽肉になったのだった。

とばした鉄拳が、地面に落ちて、鋭い反響音を辺りにばらまいた。

足音。全身に血を浴びたマルローネさんが、此方に歩いてくる。

「お待たせ」

「此方も、今片付いた所です。 凄い威力ですね、その雷撃」

「君主蛇のいかづちって名付けてる。 あたしの切り札の一つよ」

なるほど、確かにその名前が相応しい威力である。マルローネさんは天井から落ちてきた肉塊を見て、これでは食べられそうにないともったいなさそうにぼやいていた。そして、頭を掻きながら呟く。

「これ、長老派の刺客じゃないわね」

「確かに、表の二人があっさり殺られたとは思えないですが」

「そうじゃない」

マルローネさんが言うには、現在内通者などからクリーチャーウェポンの情報については確認しているらしいのだが、もっと攻撃に適した者が何種類もいるという。此奴らはどちらかというと暗殺向きではなく、対軍向きのクリーチャーウェポンだ。確かに鳥はどちらかと言えば支援型で、狼は群れを成して初めて戦闘能力を発揮できるタイプに思えた。

イリスが怪我の状態を確認している。とりあえず、鳥の爪に掛けられることもなく、無事だ。

側に歩み寄ると、体を触って状態を確認する。

「ん、無事?」

「おかげさまで」

「イリスを殺して良いのは私だけだからね」

くつくつと笑みがこぼれた。イリスは青ざめたまま、エルフィールを恐怖の視線で見つめていた。それでいい。

そして、エルフィールは、少し遅ればせながらも、ホムンクルスらしき存在の死骸をマルローネさんに示したのだった。

「でかした。 これで一気に研究が進むわ」

「有難うございます」

「優秀ね、エルフィール。 帰ったら、ドナースターク家のポストについて、より高位のものを検討しておくことにするわね」

お互い血みどろなまま、エルフィールとマルローネは、闇の中で大いに笑ったのだった。

 

鴉が戻ってきた。

空間跳躍を利用して、六体の刺客を送り込んだのだという。二体のフレースヴェルグと残りはマウンテンウォルフ。結果は見事な返り討ちであった。

「なぜ余計なことをした、鴉よ」

「余計ではない」

見張りをしていた二人の戦士が、遺跡の中に消える。そして、ホムンクルスの死骸を運び出していた。

あんなものが残っているとは驚きだ。或いは、「大掃除」から逃れたものが、潜伏していたのかも知れない。

戦士達は、ホムンクルスの死骸に哀悼の意を示している様子だ。鴉は鼻を鳴らす。

「かって人間達が不要と判断して駆除した存在の生き残り。 その死骸を、別の地から来た人間が悼む。 おかしなものだな」

「本来なら技術全てを奪っても良い所を、主はそうしないと判断した。 エル・バドールの状況は、その後もずっと主の望むままに推移してきたのだ」

「それは分かっている」

椋鳥には、鴉の真意が読めない。主の意志が分かっていないとは思えないのだが。

やがて人間達は、遺跡を後にする。エルフィールはかなり怪我をしていたようだが、ものともしていない。怪物じみていると、椋鳥は思った。

不意に、鴉が言葉を発する。

「一度、主に報告する」

「どうした、急に」

「マルローネが起こしたパラダイムシフトが世界を覆う前に、エルフィールがもう一つパラダイムシフトを起こす可能性がある。 ただでさえシグザールはこのままだと強くなりすぎる恐れがあるのに、それは著しくまずい」

「だが、お前はエルフィールに力を与えるために、強敵をけしかけたのではないのか」

「その通りだ。 だが、シグザールに何かしらの押さえをする必要があるかも知れないと、今回のエルフィールを見て判断した」

椋鳥の反論を待たず、鴉は闇に消える。

椋鳥も、鴉の不可解な行動について、主に報告する必要があるかも知れない。そう、思い始めていた。

 

研究は若手の者達に任せて、マリーは集めてきた三百五十年前の文献分析に戻っていた。その結果、どうもうすらぼんやりとだが、見えてきたことがある。

アデリーが茶を持ってきたので、受け取る。クノールという妖精が、ジュストからの手紙も持ってきていた。一旦研究を中断して、さっと手紙に目を通す。中間報告を求める書状だったので、現状を纏めて、クノールに手渡した。

「はい。 聖騎士ジュストに届けて」

「分かりました」

クノールはすぐに宿を出て行った。

アデリーの冷ややかな視線の中、マリーは茶を飲み干す。大事な娘は、もうマリーが状況を楽しんでいることに気付いている様子だった。

「母様、何か見つけたのですか」

「うん。 まだはっきりとした形ではないけどね」

エルフィールを呼ぶようにと言うと、アデリーは頷いて下の階に降りていった。狼との戦いで何カ所か怪我をしたエルフィールは、肉料理を盛大に貪ることで傷を癒そうと下でがっついていた。動物的で、とても分かり易い。

しばらくして、エルフィールが来た。少し歩き方がぎこちない。

「エルフィール、来ました」

「ん、仮説が出来たから、ちょっと意見を聞きたいんだけど、いい?」

「私でよろしければ」

怪我をものともしていない様子が、マリーからしても心強い。いずれドナースターク家に家臣として迎える時に、実に使い出がある。

「この国ではね。 恐らくホムンクルスの待遇を良くしようとして、失敗したんだと思う」

「待遇を良くしようとして、ですか?」

「これは仮説だけれど、恐らくホムンクルスの惨すぎる扱いに批判の声を挙げる人達が出始めたんだと思う」

あの遺跡の、エルフィールが見つけたホムンクルス製造器の痕跡がそれを裏付けた。多分、あれは技術が後退したのではない。製造器に閉じこめられるホムンクルスの待遇を改善するために、そう言う措置を執ったのだ。

錬金術師達の中に、アイゼルのようにホムンクルスに愛情を注いだり、或いは恋をした者が出たのかも知れない。イリスが見た外道達だけでなく、人間らしい感情を持った錬金術師達もいた、という事なのだろう。

戦いが過去の話になり、彼らは新しい戦いに批判的だった、のかも知れなかった。

マリーが調べた幾つかの遺跡で、全く同じに見える人骨が複数発見されたことがあった。あれは、ホムンクルス達が解放され、作った街なのかも知れない。そうなれば、同じ情報を持つホムンクルス達である。骨が同じなのは当然だ。

「しかし、それがどう破滅に結びついたのでしょうか」

「其処は、まだ分からない」

しかし、やはり派閥の対立が、大きな問題になっていったのは確実だろう。

まだ分からない要素はある。ドッペルゲンガーという存在が、同じ姿形をしたホムンクルスだったのかと言われると、どうも違うような気もしてくる。しかし、仮説とは言え、ホムンクルスに関する待遇が、この国で大きな問題になり、挙げ句国を割りかけたのはほぼ確実だろう。

この国は、錬金術によって立国し、今も権力が彼らに握られている。

それである以上、思想的なものが力を持つのは無理からぬ事だ。

「そうなると、ホムンクルスは、人間の思想的な争いに巻き込まれて、皆殺しにされた、と言うことなのでしょうか」

「ほぼ間違いなく。 ただ、どうもそれも腑に落ちない事が多いのよね」

「仮説ばかりですが、私にも何となく状況が見えてきました」

「ん。 そう言うと思っていたわ」

エルフィールを下がらせる。口にしてみると、曖昧模糊とした過去の出来事が、更にクリアになってきた。そして自分と同じ現実主義者のエルフィールだからこそに、倫理も道徳も気にせず、話をすることが出来た。

アデリーが戻ってくる。

「母様、この遺跡についてはもう調査を終えても良いのでは?」

「そうね。 明日調べてない辺りをもう一度見て回って、それで終わりにしようかな」

「次は内部にも護衛を連れ込んでください」

アデリーが心配してくれているのが、マリーには少し嬉しかった。

愛しい娘の頭を撫でると、マリーは下がるように指示。まだまだ、分析しなければならない書類は幾らでもある。

骨の分析は若者達に任せておくとして、マリーは彼らの手綱をしっかり取らなければならなかった。

 

4、巨大なる影

 

ナタリエは、メタモルフォーゼを駆使してエル・バドール王宮に潜り込んでいた。長老派の動向を探るためである。

途轍もない規模の宮殿だが、歩いている内に仕組みは理解した。既に頭の中に地図は入り込んでいる。豪華な金細工の壺が飾られている廊下も、美しい写実的な絵が置かれているロビーも、全て目をつぶってでも歩ける。何処から天井に入り込めるか、床下に潜り込めるかも、理解していた。

馬鹿馬鹿しい話ではあった。ここ数日で、買収したメイドの代わりに潜り込み、かなりの情報を得てきた。しかし、どれもこれもが、実にくだらないのである。いい年した大人がやることではない。

ある錬金術師は、己の理屈を絶対視していて、弟子達にもそれを信じることを強要していた。それは生活する時間などにも現れていて、食事はおろか排泄まで決まった時間にしないと気に入らない様子であり、弟子達からも散々影で恨み言を言われていた。

ある錬金術師は、主体的な目標もないのに権力を欲していた。しかし彼の専門は鉱物であり、権力とはなんら結びつかない研究ばかりをしているのである。権力を得た時、彼が何をするのかと言われたら。多分自分の研究の権威化くらいしかない。

ある錬金術師は、若い男にぞっこんであり、その一挙一動を監視していた。恋する相手が話したと言うだけで、自分の権力を使ってメイドを首にしたほどである。

千事が万事こんな調子である。この王宮の人間関係に、ナタリエは早くもうんざりし始めていた。

物陰でシュワルベが待っていたので、何気なく近付いて、軽く情報を取り交わす。

「長老派が会議を行う。 一刻後に、東の離宮の小部屋17だ」

「分かった。 すぐに手配する」

シュワルベはかき消えた。この宮殿に、十名以上の牙の人間が入り込んでいると知ったら、エル・バドールの高官達は発狂するのではないか。その中の誰一人もが、痕跡一つ残していないのである。

メイド達も無防備きわまりなく、情報を得るのはとても簡単だった。世間話に応じているだけで、大臣や高官の情報がどんどん入ってくる。此処にセキュリティなどと言う概念はない。ザールブルグの王宮で同じ事をやったら、二三秒後に首が無くなっている所だ。

しかし、妙なこともある。

通行証を提示して、掃除用具がしまわれた部屋に。他のメイド達と雑談しながら、掃除をしていく。

道具類は一つ一つまでが丁寧に管理されていて、下手にさわれる状態ではない。買収したメイドの記憶を覗いた時、その管理態勢の凄まじさにナタリエは驚いたものだ。

つまり、人間は駄目だが。

仕組みは、恐ろしいまでにしっかりしているのである。

柔らかい毛を使った高級な箒で掃除を終えると、メイド達と雑談する。相も変わらず、高官達のゴシップがごろごろ垂れ流されていた。殆どは他愛もないものだが、中には重要なものもある。

今、目を付けているのは、ギルシュという若い男の錬金術師だ。長老派の結束が崩れて混乱する中、若手の錬金術師達を纏めて、頭になっている。彼は指導力を発揮して長老派を削り取りに掛かっており、既に長老派内部では内通も始まっている様子だ。

そして、このギルシュ、既にシグザール王国騎士団にも接触している。表向きは同盟関係だが。しかし、百戦錬磨のジュストにとって、体の良い操り人形に過ぎない。ナタリエの仕事には、甘いマスクを持つギルシュが、妙な動きをしないように監視をすることも含まれていた。

「ギルシュ様、また若い人達を集めて、悪巧みをしていたらしいわよ」

「いやあねえ。 元々ギルシュ様って、錬金術の腕前は今ひとつなんでしょ?」

「でもあのお顔だから、色々な錬金術師にもてて、出世したらしいわよ」

ちなみに、もてた相手は大概男だそうである。爛れた話だが、メイド達は大喜びしていた。げんなりである。

掃除が終わり、用具類を仕舞った後は、一度宮殿を出る。出口でも身分証を要求されて、提出。兵士はナタリエの格好をじろじろ見た後、解放してくれた。

宮殿の側にある隠れ家で、やっと姿を元に戻す。能力ではなく姿と記憶の一部だけをコピーする場合は、これだけの長時間メタモルフォーゼを展開できるようになってきた。肩が凝ったので、自分の手で叩く。

この隠れ家は、小さな廃屋をシグザール王国騎士団で買い取ったものだ。着替えを済ませて、一度外に。歩いていると、民間人に偽装した騎士が歩み寄ってきた。

「ナタリエ、緊急事態だ」

「何だよ」

「どうもギルシュが殺されたらしい。 更に長老派の何名かも暗殺された。 流石にエル・バドール王も動き出した様子だ」

それは、大変だ。長老派がこんなタイミングで動くとは思えないし、どういう事なのだろう。

一度戻り、ジュストに状況を説明。ジュストも、腕組みして考え込んでいる所であった。

「ナタリエ、お前はどう思う」

「どうもなにも、おかしいとしか」

「そうだな。 長老派は責任の所在で揉めていた所で、若手の連中は其処から権力を喰い剥ぐ事しか考えていない愚物どもだ。 他の派閥にも、此処まで過激なことが出来る勢力は存在しない、という認識だったのだが」

それに、暗殺自体は、難しい。

牙のような手練れならともかく、カードで厳重に管理されたあの王宮は、なかなかに守りが堅い。暴力で押し切るのは難しくないが、手続きという点では隙がないのだ。普段彼処で生活している連中にとっては、暗殺は至難である。

「牙が早まったのでしょうか」

「いや、それはない」

シュワルベ。窓から入ってきた。

余程急いでいたのだろう。他に何名か、牙の精鋭を連れていた。

「今確認したが、死体はどれも毒殺だ。 牙のやり口ではない」

「……それで戻ってきたと言うことは、何かあったか」

「どうも様子がおかしい。 城の中の動きを洗ったが、やはり暗殺が出来る勢力は存在しない。 何かが、城に介入したとしか思えぬ」

それも、シュワルベの話によると、話を過激化される可能性のある人間ばかりが毒殺されたのだという。

しばらくして、長老派のヘルムートが来た。真っ青だった。

「あなた方の言う責任者が死にました。 死体を引き渡しましょうか」

「それで許して欲しいと」

「こ、これ以上は犠牲が出るのはいやなのです。 我らも、どうしてこのような事をあなた方に挑んでしまったのか。 死んだ彼らが大体の手綱を握っていたとは言え、もう何が何やら」

泣き出しそうな雰囲気だったので、辟易したジュストがヘルムートを下げさせる。

困惑するナタリエの前で、ジュストが大きく嘆息した。

「これで決まったな」

「何が、ですか」

「この国に限らず、何か得体が知れない大きな影が、今歴史の闇で暗躍している。 正体は分からんが、騎士団の精鋭でもあぶり出せないほどの存在だ。 ナタリエ、お前も気をつけよ」

確かに、そう言う話はあった。だが、それがまさか本当になってしまうとは。

一体、誰だ。このような大それた事をしているのは。

長老派が戦わずに壊滅してしまった事は確かである。しかし、素直にそれを喜ぶことなど、とても出来なかった。

「マルローネを呼び戻せ。 恐らく近いうちに帰還することになる」

ジュストがダグラスを呼び、そう命じた。

何だか、もっと危険な戦いが近付いている。そう、ナタリエは感じた。

 

                              (続)