一つの終わりと始まり

 

序、その時の出来事

 

ハンマーを振るう音が聞こえる。

鍛冶の本職でも無いのに、ハンマーを振るい続けて。金属を弄り、木材と組み合わせ、或いは何処からか複雑な機械を買ってきて。最後には、何かよく分からないものを作り上げてしまう。

いつも一人。

部屋の隅で、膝を抱えてそれを見つめている。

完成しても、嬉しそうにはしない。道具を上から横から見つめて、それから決まって溜息をつくのだ。

これは使い物にならない。

使える人間がいない。

上が言うとおりに作っているのに、どうしてこうもおかしなものばかりが出来る。こんながらくたを作るために、俺は道具を振るっているのか。

無精髭まみれの顔で、いつも嘆く。そして、部屋の隅に、それらが積み上げられていく。一度触ろうとして怒られた。普段、最低限の食事をくれる以外は、何もしてくれないのに、どうしてか好きだった。だから嫌われたくなかった。

自分が、使えるようになったら、どうなのだろう。

喜んでくれるだろうか。いつもしかめっ面なのが、変わるだろうか。笑って、くれるだろうか。

それから、外に出て、鍛え始めた。

作っているものが、とても重いと知っていたから。そのままでは、持ち上げることさえ出来ないと、分かっていたから。だから鍛えた。野山を走り回って、色々覚えようともした。傷だらけになって体を鍛えに鍛えて、見掛けた動物は何でも食べた。その過程で、食べられるものとそうでないものは、嫌でも覚えた。

やがて、持ち上げられるようになった。

そんなおりに。あの事件が、起こった。

 

何が起こったのかは、未だによく分からない。

ただ分かっているのは、一面の血の海の中で、自分がぽかんと立ちつくしていたと言うことだ。

そして、これはほぼ確信していることだが。

この時、エルフィールは。

きっと、大好きな誰かを失ったのだ。

この前後のことは、どうももやが掛かったようでよく分からない。もっと幼い頃の記憶については、ちらほらフラッシュバックするのに。どうしてか、血の海の中で立ちつくす自分の、前後関係については、さっぱり分からない。

血の色のもやが、辺りに立ちこめている。

狂気に満ちた笑い声が、聞こえてきた。

それが自分のものだと気付いて。エルフィールは、にやりと笑うのだった。

 

1、記憶の泥濘

 

体を起こしたエルフィールは、目を擦りながら、辺りを見回した。

何があった。

何だかよく思い出せないが、とても悲しい出来事があったような気がする。それでいながら、何処か楽しいようにも思えた。

ひょっとすると、昔の記憶の断片だろうか。

時々、夢の中に男の人が出てくるようになった。或いは、父かも知れない。無精髭だらけで、とても美男子とは言えない厳つい人だ。しかし、父だとすると、母はどうしたのだろうか。

エルフィールも人の子だ。木の股から産まれたわけではないだろう。記憶がすっかり抜け落ちている以上、どうしても類推していくしかない。だが、記憶らしいものが戻ると、頭が痛いのだ。

これ以上行くな。そう、体に言われているような気がしてならなかった。

外に出る。白龍を手にして、軽く演舞を行う。この手に馴染む感触、やはり時々夢に出てくるあの人が、この白龍を作ったのだろう。そうなると、どうやってアデリーさんや、いやドナースターク家がこれを手に入れたのかが気になってくる。

それ以前に、やはり自分は何者なのだろう。

クライド師匠と訓練をするようになり、それ以上に特に魔力の杖を入手してから少しずつ戻るようになってきた記憶だが、肝心な所はすっぽり抜け落ちている。これを呼び覚ますには、余程のことがないと無理だろう。だが、気になるのだ。

演舞終了。呼吸を整えて、体内の力の流れをコントロールする。汗を拭きながらアトリエに入り、黒板を見た。

これから、卒業に向けて、課題の品を作らなければならない。しかもエルフィールは、いつ国からエル・バドールの件でお呼ばれが掛かるか分からないので、早めに対処が必要となるだろう。

四年間の研究成果というと、幾つか思いつく。今までに作り上げた、最高の品を提出すればいい。それ自体は難しくないし、幾つかストックもある。だが、その更に上を行きたいという気持ちも、やはりある。

マイスターランクに行く前の、最後の競争なのだ。

学年度試験が終わってしまい、結局キルキに一位は取られてしまった。今後小テストで追い越すことは可能な差だが、それにしてももう競争することがないのだと思うと、ちょっと寂しい。

だから、黒板に色々と勝てそうな案を考えて、記載していく。その作業自体、とても面白かった。

ドアをノックする音。気配からして、アイゼルか。

「おはよう、エリー。 ちょっと良いかしら」

「開いてるよ、どうぞ」

「失礼します。 ……ええっ? 何?」

入ってきたアイゼルは、床で死んだように寝転けているクノールと、折り重なるようにして眠っているイリスを見て、度肝を抜かれたようだった。ここしばらく、いつもにもましてハードな仕事をこなしているので、まあ仕方のないことである。

「あ。 アイゼルさん。 おはようございます」

「クノール、貴方、目の下に隈ができているじゃない。 大丈夫?」

「あまり大丈夫じゃありません。 顔、洗ってきます」

ふらふらと、皮肉屋の妖精が外に出て行く。井戸に墜ちないように、フィンフが一緒について行った。

「どうしたの、一体」

「うん。 ちょっと大きな案件が近々入る可能性が高くてね。 卒業時の提出物もあるし、できるだけ経験積んでおこうと思って。 結構無茶な仕事量をこなしてるんだ」

「無茶だって分かってるなら、少しは控えたら? 貴方は耐えられても、この子達は死んじゃうわよ」

イリスをぎゅっと抱きしめるアイゼル。あまり無理はしすぎないようにしているのだが、アイゼルの表情は抗議に満ちていて、反論できる雰囲気ではなかった。

クノールとフィンフが戻ってくる。

驚いたのは、フィンフの顔にも、抗議の色があったことである。アイゼルがとても大事に扱っているせいか、主人に色々と似て来ている。しかもこんな形で感情を示すようになるとは。ヘルミーナ先生が見たら、大喜びするのではないのか。意図的に感情を与えないようにしているようなのだし、これは完全に想定外だろう。

「サー・エルフィール。 クノールは疲弊が酷いです。 仕事量を減らしてあげてください」

「分かった分かった。 アイゼルにも怒られたし、そうするよ」

自分も外に出て、井戸水で顔を洗う。このままだと、話が全く進まないからだ。

蘇りつつある記憶のことは一旦他所に追いやって、アイゼルが持ってきた話が気になる。雰囲気的に、どうも遊びに来た、という感触ではないからだ。

顔を洗って気分を切り替えると、アトリエに。生きている縄に命じて、茶を出させる。しばらく茶を飲んで和んだ後、アイゼルが切り出した。

「キルキがね、マイスターランク時に小型の農場を試験的に任されるらしいの」

「農場?」

「ええ。 お酒の研究には、豊富な植物類と、それに牛乳や蜂蜜などが必要になるでしょう? 事前にアカデミーに申請したら、アカデミー側から提案があったらしいわ。 国が試験的に行っている農場プロジェクトの指揮をキルキに任せる形で進めようとしているんですって」

「それは凄い。 既にやりたいことが決まっていると、色々と特典が大きいね」

キルキはアルコールの毒を排除する方法を研究していながら、その副産物として多くの酒の改良を成功させている。例えば、中毒性が強く危険な酒として知られる「緋色」と呼ばれるものがある。一種の蒸留酒で、強烈な度数と一度飲んだら手放せなくなる強い依存性が特徴なのだが、これの改良にも成功した。キルキが改良後の緋色は、中毒性が大幅に薄れており、しかも味が向上している。なおかつ値段がかなり安くなったので、飛翔亭などでも導入されており、評判も上々の様子だ。

酒はストレス発散の手段として、重要な存在だ。国としても、キルキの研究には大きな価値があると判断したのだろう。

あの若さで農場を一つ任されるというのも、なかなかに凄い。流石にこの人外の才能が集まった学年で、一位をずっと争い続けてきただけのことはある。

「キルキは知ってるの?」

「昨日知らされたみたい。 でも、まずは卒業だって決めているみたいよ」

「キルキらしいね」

「本当に」

アイゼルはひとしきり笑うと、仕事の量を減らしなさいと釘を刺して帰った。

イリスはやっと意識が戻ってきたようで、床にへたり込んだまま、辺りを呆然と見回している。腿の辺りは既に色気が出始めているのに、動作が幼いのは色々とアンバランスだ。そういえば、卒業研究として、この子を提出するという手もある。アカデミーとしても、提出したまま返してくれないという事はないだろう。

「エルフィール様?」

「ん、何でもない。 昨日の続きの作業に取りかかってくれるかな」

「はい。 すぐにでも」

クノールと並んで調合を始めるイリス。

エルフィールは外に出ると、気分を変えようと思って、アカデミーの図書館に行くこととにした。

 

まただ。

また、頭が痛い。

読書コーナーで、参考書を漁っていたら、エルフィールは頭痛を感じて一旦本に集中するのを止めた。読書コーナーの隅にはフランソワが先客としていて、じっとエルフィールに敵意の篭もった視線を向けてきていたが、それは別に構わない。

何だろう。この酷い頭痛は。

現在、仕事に関しては、クノールとイリスに任せておけば良い段階である。どれも基礎的な調合段階であり、エルフィールがわざわざ手を出す必要もない、という状況なのだ。

本当はもっと仕事を追加しようと思っていたのだが、アイゼルに怒られては仕方がない。しばらくはこの辺りで仕事を止めて、今受けているものが全て終わったら次に入ろうと決めて。いっそ、何か面白そうな調合でも出来ないかと思って本を読みに来ていたのだが。

漠然と手に取った本が、記憶の再生というタイトルだった。

一種の医学書であり、しかし錬金術書でもあるこの本によると。記憶喪失というのは、昔からかなり類例がある症状であったという。記憶を取り戻すにはいくらかのパターンがあるが、薬物で強引に戻すようなやり方は下策であり、どちらかと言えば記憶に関連のあるものを探して、それを本人に見せるやり方が有効なのだという。

しかし、どうもおかしいのだ。

エルフィールは記憶の中で、白龍や秋花を見ていたような気がする。それらは戦闘でいつも使っているし、手に徹底的に馴染んでいる。

それなのに、どうして記憶が戻らない。

むしろイリスを見ていて、記憶の扉にほころびが生じ始めたような気がする。魔力を消去する体質と言い、やはり何かおかしな要素が記憶の封印に関係している可能性が高いのである。

しばらく本を読み進めて、記憶を取り戻すために必要な技術を一通り頭に叩き込んだ。どれもこれも興味深い知識ばかりである。だが、それを試す前に、やっておきたいことがある。

そもそも、記憶が戻り始めた切っ掛けになった奴がいる。そいつにしっかり話を聞いておくことである。

アトリエに戻る。そして、調合中のイリスに、ゆっくり歩みよった。

「お帰りなさい。 何でしょうか」

「ね、イリス。 貴方の前の話、聞かせてくれる?」

「前の話、ですか?」

「覚えているんでしょ? ちょっと興味が出てきてね。 私が記憶喪失だって事を知っているんだから、交換って事で」

イリスは少し前に、キルキから聞いて、エルフィールが記憶喪失であることを知っている。別に隠すような弱みでもないし、知られた所で困ることもない。むしろエルフィールとしては、自分自身にも面白い要素があるので喜んでいるくらいなのだ。

イリスは調合の手を止めた。

そして、エルフィールを見上げてくる。

「面白い話ではないですよ」

「大体の悲惨な話なら楽しんで聞けるよ」

「最低」

「有難う。 素敵な褒め言葉で嬉しいよ」

話すように、視線で促す。クノールは聞こえていないふりをして、乳鉢でせっせと研磨剤を作っていた。皮肉屋のクノールだが、最近エルフィールを怖がっているようで面白い。妖精族は敵意を買いにくいことを利用して、図太く生きている連中である。だから、人間に個人的な感情を抱く事は少ない。

エルフィールは或いは、妖精族に本気で恐れられている、数少ない人間なのかも知れなかった。

少しためらった後、イリスは喋り始める。

「覚えているって言っても、曖昧な部分もあります。 それでもよろしければ」

「うん。 私なんか、最近はちょっと思い出すことも出てきたけど、それでもとびとびだからね。 参考にしたいんだ」

「参考、ですか」

ほろ苦い口調でイリスは言う。

その目には、冷めた悲しみが宿っていた。

「「前の」私が産まれたのは、此処ではない大陸。 恐らくは、ほぼ間違いなくエル・バドールでしょう。 時代は、数百年前だと思います」

最初こそ、ためらっていたが。

イリスは中和剤を作りながら、淡々と話し始めた。後で思えば、イリス自身も、エルフィールに話したいと思っていたのかも知れない。それが例え、ろくでもない過去であったとしても。

反発し合っているのは、何処かが似ているからだ。

「私は、産まれた時から、実験動物でした」

イリスの言葉には、何処かにあきらめがあった。

 

イリスの記憶も、完全な形で残っているわけではない。多分、一度死んだと言うことが大きいのだろう。

はっきりしている最初の記憶は、培養槽の中で目を覚ました所、である。

狭苦しい硝子の培養槽の中に、気がつくと浮かんでいた。その頃は虹色の髪の毛を持っていて、それが故にイリスと名付けられたそうである。なぜ知っているかというと、時々外で錬金術師が話していたからだ。

古い神話の、虹の女神。それがイリスだそうだ。

培養槽の外には、時々錬金術師が来た。他の培養槽から出された同胞が、眠ったまま処分されてしまったり、実験材料にされてしまうのも見た。錬金術師達は、イリス達を肉の塊だとしか考えていない様子だった。

その頃は、特に感傷もなかった。比較する対象もいなかったし、何より感情そのものが与えられていなかったからだ。ただ漠然と、処分されたり、実験材料にされる同胞を、イリスは見つめているだけだった。

やがて、イリスの番が来た。

培養槽から自分を引きずり出したのは、まだ若い錬金術師だった。眼鏡を掛けた美しい女性で、何が楽しいのかいつもにこにこと微笑んでいた。髪の毛は男のように短く刈り込んでいて、夜闇のように真っ黒だった。

培養槽から引き上げられると、全身がひりひりした。裸のまま板の上に横たえられて、ぼんやりと錬金術師達の会話を聞いていた。不思議と、会話が理解できた。どうしてかは分からない。

或いは、意識が発生する前に、体に何かされたのかも知れなかった。

服を着せられて、以降はその錬金術師の助手となった。言葉は知っていたが、服の着方や食物の食べ方は知らなかったから、最初は随分苦労した。服を着たまま小水を漏らしてしまって、随分と錬金術師を慌てさせたこともあった。なぜか分からないが、培養槽の中では排泄をすることも無かったので、知識として存在しなかったのだ。

少なくとも、最初イリスを引き取った錬金術師は、とても善良な人間であったのだとこの時点では思っていた。

それから分かる形で何度か手術が行われて、その度にしっかりとした感情を得た。

他のホムンクルスとは、違うと、いつからか勘違いし始めていた。

イリスには成長するという要素も取り入れられていた。培養槽から出された頃は七歳児くらいの肉体だったが、女錬金術師と過ごす内に、無理をすれば子供も産める程度の年にまで育っていた。事実、周囲で実験動物とされているホムンクルスの中には、実験的に交配をさせられている者もいたのである。

最初はずっと白い殺風景な部屋の中で暮らしていて、時々来る女錬金術師と一緒に遊ぶことだけが日課だった。少しずつ、外に出して貰う機会が増えて、暮らしている施設の中を歩き回ることが出来るようになった。

無数に林立する培養槽。子供から大人まで、無数のホムンクルスが浮かんでいた。

行き交う多数の人間。皆、右目と左目の色が違うものばかりだった。いずれもが位の上下こそあれ、錬金術師であるのだとは、何となく分かった。

眼鏡の女錬金術師は、周りからかなり尊敬されている様子であった。多分、才能とかに満ちているのか、或いはコネがあったのかも知れない。ほほえみかけると、笑顔を返してくれる女錬金術師が、イリスは大好きだった。

 

イリスは、その辺りで一旦話を中断した。

クノールは研磨剤を黙々と仕上げている。ただし、話に興味津々なのは、傍目から見ても明らかであったが。

最初は、幸せだった。

エルフィールには、イリスの口調から、それが聞き取れた。恐らくその女錬金術師と過ごした最初の数年こそ、イリスにとっては宝のような時間だったのだろう。だが、考えてみれば、実験動物を特別に作ると言うことは。それだけ特別な実験をするという意図の下での筈だ。

中和剤を仕上げたイリスが、今度は蒸留水に取りかかる。エルフィールも泡立て済みのスポンジを焼くべく、竈に火を入れてきた。これだけの話をさせるのだから、ご褒美くらいはあげても良いだろうと思ったからである。

チーズケーキの完成型は、ドナースターク家の当主シアの結婚式の頃から更に二種類増やし、全部で五種類にしている。いずれも飛翔亭で高い評価を得ており、貴族からの注文も時々来る。それだけでも充分食べていけるほどに、だ。

だから、時々ご褒美として、自分だけではなく、クノールやイリスにも振る舞う。

工房に香ばしい匂いが漂い始める中、イリスは再び話を始めた。

 

女錬金術師が来なくなった。理由はよく分からないが、多分何かトラブルが起きた事だけは容易に想像できた。

代わりにイリスの前に現れたのは、壮年の痩せた男だった。錬金術師なのだろう事は分かったが、会話も最小限で、非常に冷酷な印象を受けた。乱暴に扱われることも多くなり、血を採られたり、時にはぶたれたりもした。

体をどれだけ動かせるのかという訓練もした。大きめの武器を振り回したり、時には怪物と戦わされることもあった。猛獣とはとても呼べない化け物達で、今の知識で照合すると、恐らくはクリーチャーウェポンの一種だったのだろう。他にもホムンクルスが同じように戦わされたり、場合によっては餌にだけされてしまうこともある様子だった。

生きた心地がしなかった。

どうして、あの幸せだった日々が終わってしまったのか。女錬金術師に、一体自分が何をしてしまったのか。

閉じこめられた部屋で膝を抱えて泣きながら、女錬金術師の名前を呟く。

だが、助けが来ることはなかった。

しばらく身体能力の検査をされた後は、不思議な色の液体を飲まされるようになった。酷い味で、反射的に吐き戻しそうになったが、そんな事をしたら何をされるか分からなかった。

明確な死の恐怖を感じ始めたのは、この頃からかも知れない。逃げ出すという発想もなかったから、ただ迫る死の影に怯えながら、震えるばかりだった。毎日飲まされる異様な液体も増え続けており、自分はどうなってしまうのだろうと、毎日怯え続けた。

しばらくすると、異様な色の風呂に入るように命令された。培養槽より若干小さくて、今まで飲まされた異常な色の液体に近いものがたっぷりと満たされていた。

服を脱いでそれにはいると、全身がぴりぴりした。何だか体が熱くなるような感触もあった。

周囲で、五大要素がどうの、それぞれの含有率がどうのと言う会話が為されているのを、イリスは耳に入れていた。彼らはどうせホムンクルスに聞かせても何ら問題はないだろうと思ったのか、とても無防備に、錬金術の話をしていた。

それらを総合すると、どうやらイリスには、彼らが言う五大要素の全てを集約する実験が行われているらしかった。

人間に対しては、危険すぎて実施できない実験。実際、過去に囚人に試した時には、大きな事故が起こったこともあったという。

大きな事故とは何だろう。体が破裂してしまうようなものなのだろうか。それとも、化け物になってしまうようなものなのだろうか。おぞましい怪物になって、咆吼をあげる自分の姿を想像する。

全身の震えが止まらなかった。

死にたくない。生きたい。

そう、周囲のホムンクルスが日常的に使い潰されているのを見ても、イリスは思った。自分勝手だとしても、感情が宿った以上、そう考えるのを止めることは出来なかった。ただひたすら恐怖の日々が続く中、狂気の実験は続いた。

人間に出来ない実験をするために、ホムンクルスは作られる。人間と同じ機能を持ち、同じ形をした便利な肉の塊。簡単に殺すことが出来て、使い潰すことも出来る。そしてそもそも、逆らえるようには作られていない。

それ以上でも以下でもないのだと、イリスはやっと思い出し始めた。

どうして自分が違うと思ってしまっていたのか。あの優しい女錬金術師と一緒に過ごした、柔らかな時間が、そう錯覚させてしまっていたのか。それとも、この虹色の髪の毛が原因だというのか。

自分の髪の毛を毟った。痛かったが、目が醒めるような気はした。何を夢なんか見ていたのか。何をおごっていたのか。私は所詮実験動物だ。人間が使い潰すために作った、ただの肉の塊だ。

壁に頭を叩きつけて、死のうと試みた。

上手くいかなかった。血だらけになっただけだった。

縛り上げられて、薬を飲まされた。意識が混濁して、舌も噛めないような状況になった。ぼんやりと横になったまま、ひたすら言われるままに実験をこなした。実験の内容はどんどん酷くなっていて、発狂しそうな痛みを伴うようなものも出始めていた。しかし、混濁した意識では、どうにも思わなくなってきていた。

たまに意識がはっきりしてきた時には、縛り付けられていて、何も出来なかった。苦しみの中、イリスは恐怖と絶望だけを感じていた。

死にたくないと思うのに、死にたいと感じるようになっていた。

自殺未遂を起こしてからは、特にその傾向が強くなっていた。

時々、冷酷な壮年の錬金術師に連れられて、施設の中を見て回った。今までに入らなかった場所も見せて貰った。

たくさんの動物が飼われていた。どれもこれもが、悲しい目をしていた。皆が自分の運命を悟っていた。

全部が実験動物なのだと、言われなくても分かった。

錬金術師は言う。

此処は、人類の未来を造るために必要な施設だと。此処で積み上げられた犠牲は、人間の生活を向上させるために必要なものなのだと。

特に、現在イリスで行われている実験は、最重要のものなのだという。五大要素を混ぜ合わせることに成功すれば、錬金術はさらなる高みに到達できるという。今まで、賢者の石でしか出来なかった物の合成に関しても、好き勝手に操れる日が来るという。そうなれば、人類は新しい段階に到達できるというのだ。

そして、最後に見せて貰ったのは、焼却炉だった。

無数の、それまで生きていた肉の塊が燃やされていた。どんな実験をされたのか、異常な色になっていたり、元々の形が判別できないほどに酷い変形をしていたものもあった。何より、肉が焼ける匂いが辺り中に漂っていた。自分もいずれこうなるのだと思うと、白濁した意識にも強い悲しみが宿った。イリスの目から涙が流れるのを見て、錬金術師は多分歓喜と勘違いしたのだろう。くつくつと笑うのだった。

そんな中、今度は自分と同年代に見える子供が、担当の錬金術師となった。感じが良い笑顔を浮かべる、痩せた少年だった。

それが、終わりの始まりだった。

 

長い話になった。

だが、エルフィールとしてはなかなかに興味深い。記憶の主流をしっかり覚えているイリスは、かなり頭がよい子なのだと、しっかり実感することが出来たからである。

また、実験動物という下りでは、どうも気になる。記憶が刺激されるというのか、頭の奥がちりちりするのだ。

倫理観念的に、酷いことをしているというのは分かる。

だが国家規模で錬金術を扱えば、どうしてもそう言う施設は出てくるだろう。人間を使うよりは、ホムンクルスを使う方が倫理的な批判も小さいという点については、よく分かるのだ。

これは推測だが、アカデミーでも規模さえ違えど、似たようなことはしているはずだ。そしてそれによって作られた新薬や道具が、この国を潤している。きれい事で、世の中は動かない。

それは、仕方がないことなのだとも言える。

しかし、それを各人が把握して、犠牲になった者に敬意を払わなければならないのだろうとも、エルフィールは思う。

倫理的には何ら感じることはない。冷酷だと、我ながら思う。

だが同時に、動物実験の材料に関しては、それなりに感謝もしているのだ。

一旦休憩を入れる。ベイクドチーズケーキが焼き上がったので、クノールとイリスにも振る舞う。イリスは美味しいものを食べる時だけ、時々子供みたいな笑顔を浮かべることがある。

「貴方は酷い人だと思いますけど、チーズケーキはとても美味しいですね」

「そりゃあ、人生掛けたもの。  何処の貴族の専属料理人にも、チーズケーキだけは負けないよ」

「多分、その言葉、嘘ではないと思います。 いや、イリスさん。 僕なんか、これだけが最近は楽しみなんですよ」

クノールもがつがつチーズケーキを食べる。しばらく、無言での食事が続いた。ホールケーキの半分を食べる。残りは1/6にカットして納品するのだ。

軽く食事を終えた後は、気分転換にイリスを連れて外に出る。

イリスが正真正銘の実験動物であったことはよく分かった。

だが分からないのは、どうしてイリスに人間同然の心を与えたのか、という事だ。

エルフィールだって、最初はそんなつもりはなかった。しかし話を聞く限り、エル・バドールの錬金術に関する技術は、相当に先んじている。ホムンクルスに到っては大量生産していた様子でもあるし、偶然で失敗するようなことなどあり得ないだろう。

イリスには、意図的に感情が与えられたのだ。それだけは確信できる。

ミルカッセの教会の前に来た。イリスの過去の話をしてみたら面白そうだと思ったが、止めておく。多分相当に怒るだろうからだ。ミルカッセはコネクション的に重要な人材で、今後アルテナ教会関連の仕事をする際には無くてはならない人材だ。もうちょっと彼女が清濁併せ持つ事が出来るようになったら、話しても良いだろう。

「愛か。 イリスは、愛って好き?」

「大っ嫌いです。 人間が愛って口にする時は、大体下心がありますから」

「じゃ、ミルカッセさんも?」

「あの人は好きです。 下心がない、本当の優しさを感じますから。 多分聖人ってのがいるとしたら、ああいう人じゃないかと思います。 あの人が「愛」って口にする場合は、他の人の「愛」とは完全に別物でしょう」

それに関しては、全く同感だ。ただし、このままだと長生きできそうにないとも感じてしまう。

ある程度歩き回った所で、一旦アトリエに。

イリスに槍を持たせて、軽く組み手をした。午後からはクライドさんに稽古をつけて貰うから、本当に軽くだ。稽古に出る前に、イリスの話は、全て聞いておきたかった。だから、二三手で済ませた。

まだまだ駆け出しだが、それでも以前よりはぐっと腕が上がっている。ただし、鍛えるつもりはない。技を見せて貰うだけだ。

「進歩が早いね」

「この槍は、何だか好きですから」

イリスは嬉しそうに槍に頬ずりする。エルフィールはアトリエに入るように促すと、続きを話すように言った。

 

心身共に激しく傷ついたイリスの新しい担当となったのは、まだ幼ささえ残した少年の錬金術師だった。

イリスが見た所、少年はさほど高位の錬金術師ではないらしく、周囲からあまり良くは扱われていなかった。誰に対しても敬語で喋っていたし、それ以上に馬鹿にしているそぶりを見せる錬金術師も多かったのである。

だが、最初から意外に悪い印象はなかった。少年は以前より広く、何より素晴らしいことに窓がある部屋に、イリスを移してくれた。窓の外からは大きな木があって、其処に実験動物ではない多くの鳥が集っているのが見えた。

それだけでも、全く変化のない白い壁だけの今までとは、雲泥の差があった。

部屋には、錬金術の器具類も多数揃っていた。

「僕はまだ未熟でね。 君には、僕の勉強を手伝って欲しいんだ」

そう、少年は言った。

手伝って欲しい。そんな事を言われたイリスは、部屋を移して貰ったこともあって、とても嬉しかった。言われるままに一緒に錬金術の勉強をして、知識を片っ端から頭に詰め込んだ。

調合をして、実験をして。

一緒に上級の道具を作り出せた時は、涙さえ出た。

思えば、この少年に恋をしていたのかも知れない。生物学的に言えば発情である。多分それは、生まれて初めての感情であっただろう。どきどきして、わくわくして。でも、部屋で寝る時は、基本的に一人だった。少年が来てくれるのを、いつも心待ちにする日が続いた。

一度、頼んでみたかったのは、外に出てみたい、という事である。

この恐ろしい場所にいては、いつか殺される。

自分が実験動物として作られ、人間には逆らえないようになっていることを、イリスは知っている。怪物と戦わされた時に、何度かそれは実感した。怪物より、周囲の人間が強いとはとても思えないのだ。それなのに、どうしてか人間が振るう暴力には、一切抵抗できないのである。

だから、出来れば人間がいない所に行きたかった。

そんな夢を、少年には話せなかった。きっと、迷惑が掛かるだろうと思ったからである。既にイリスも、人間の社会に厳然とした階級があって、逆らいがたい壁と差があること位は理解していた。

しばらく、平和で穏やかな日々が過ぎて。生体実験のつらさも忘れていた頃であったか。

イリスは人間で言えば十代半ばくらいまで成長していた。少年はあまり背が伸びていなかったから、イリスの成長が早めに設定されていたのだろう。

少年が、嬉しそうな顔で、部屋に飛び込んできた。

彼は言う。上級の錬金術師になれる、絶好の機会が来たと。イリスは少年のことが好きだったから、何も考えずに、単純に喜んだ。

だが、次の瞬間。少年が言ったことを、どうして吟味しなかったのか。

協力して欲しい。

そう、言われた。

言われるままに着いていった。部屋を後にする時、何か妙な胸騒ぎがした。だが少年のことは信じていたし、彼が悲しむような返答もしたくはなかった。だから、そのまま着いていった。

長い廊下を歩いた。最近は服も与えられていたのだが、靴だけはもらえなかったから、ひたひたと自分の足音がした。自分を見て笑っている人間が何名かいるのには気付いたが、いつものことだから、その後の運命には思い当たらなかった。

普段は通らない部屋に歩く。少年に手を引かれるだけで幸せで、あまり他のことは考えなかったが。

しかし。通路の奥から、何か巨大な生き物の咆吼が聞こえてきて、ようやくイリスは我に返る。少年が、咆吼を聞いても何ら感情を示さず、さっさと歩こうとしていることも、何か気になった。

少年の名前を呼ぶ。返事は無し。

本格的にいやな予感がしてきた。全身に冷や汗を掻いた。少年は、歩調を緩めない。

そして、廊下を抜けて、大きな大きな部屋に出た。

その部屋は、真ん中に巨大な培養槽があり、多くの錬金術師が行き交っていた。培養槽の中には、恐らく人間の数十倍は背丈がある得体が知れない怪物が入っていた。見た目は蜥蜴に似ているが、違った。時々見掛ける巨大な実験動物にドラゴンとか言うのがいたが、それに近い雰囲気だ。クリーチャーウェポンという単語が聞こえたが、耳を左から右に抜けた。それよりも恐怖が勝った。

怪物は無数の管を体中に突き刺されており、意識はあるようだが、自由に動けない様子だった。

培養槽の側には巨大な階段があり、その前後にもっとも多くの人が行き交っていた。少年が手を引く。其処へまっすぐ向かっていく。

嫌だ、怖い。

訴えかけるが、少年は聞く耳を持たない。それどころか、いつもよりぐっと強く手を握られて、引かれた。人間には逆らえない。幾ら少年よりも力が強かったとしても、である。そのまま為す術無く、階段を上った。

一番上は踊り場になっていて、手術をするような場所があった。自分の運命を悟った。あの巨大生物と何か関係のあることで、殺されるのだ。すがるように少年を見た。死にたくないと思ったからだ。

だが、少年は、冷たい目で命じたのだった。手術台の上に寝ろと。

以降は、麻酔も使われず、残虐な手術が始められた。

気がつくと、イリスの意識は、体から離れていた。多分死んで、魂が抜けたのだろう。

ぼんやりと見下ろす自分の体は、原型をとどめないほど切り刻まれていた。頭も開かれて、脳みそが取り出されていた。

そして、死体を見下ろしていたのは。

優しいと思っていたあの女錬金術師。そして、いつも自分を見下していた壮年の錬金術師。それだけではなく、薄ら笑いを浮かべて、あの少年の錬金術師もいた。

「全部予定通りに進行したわね」

「この;ladshfopawhfには、制御のために人間と同等の機能を持つ脳みそが必要でしたからな。 ホムンクルスなどに、優しく接するのは気苦労が絶えなかったでしょう」

「本当よ、全く。 薄気味が悪いったらありゃしなかったわ」

女錬金術師が、床に唾を吐いた。

いつもイリスに向けていたのとは、全く違う表情だった。それよりも、ゲスきわまりない台詞に、もう無いはずの全身が絶望の軋みを上げるのが分かった。

「最初に希望を与え、ストレスを与え、そしてまた希望を与える、ですか。 所長の考えたとおり、このホムンクルスはそれによって人間に近い感情を得ましたな。 もっとも、所詮はまがい物の腐った偽物ですが」

「此奴、僕に発情していたみたいで、本当に気持ち悪かったですよ。 最後なんか、手まで握らないと動かなそうな雰囲気でしたし。 後で消毒薬で洗っとかないと、気味悪くて飯も食べられません」

少年が、言った。

心が、軋みを上げた。

脳みそが、巨大な怪物の頭の中に移植される手術が続けられている。体の一部も、である。

残りはと言うと、そのまま培養槽に放り込まれていた。ばらばらに切り刻まれた手足を、巨大な怪物が一呑みにして、ぐしゃりと口を閉じた。錬金術師達はそれを見て、けらけらと笑っていた。

気付くと、周囲に無数の魂がいた。ホムンクルスのものに間違いなかった。

「人間は、基本的にああです」

「夢を見ている貴方は、哀れでなりませんでした」

「此処を離れましょう」

無数の手が、自分の体を掴む。

悲鳴を上げたイリスは、意識が遠のいていくのを感じた。

 

話が終わると、無言でクノールが裏庭に出て行った。嘔吐の音が聞こえる。戻ってきた妖精は、真っ青だった。

「ふうん。 なるほど、ね。 それじゃあまたホムンクルスとしての生を受けたんじゃあ、やさぐれるか」

「意味が分かりません」

「イリスさん、僕に力になれることがあったら、何でも言ってください。 力になります」

これは驚いた。クノールがいつになく真面目な表情でイリスの手を取って言っているのである。常に実利主義者の妖精であるのに、ひょっとすると此奴は、情が深い部分もあったのかも知れない。

それにしても頭がちりちりする。実験動物の生と末路についてのイリスの話に関しては、特に記憶の奥が刺激される感じがした。

調合に戻る。しばらく、三人とも無言で調合を続けた。

「マスター・エルフィールは、今の話を聞いてどう思われましたか」

「そうだね。 特に感慨はないよ。 ただ、他人の人生ってのを最初から最後まで聞けたのは、とても興味深いかな」

「貴方は、根っからの研究者、ですね」

「そうかも知れない。 ただ……」

正直な話をすると。今の話を聞いて、シンパシィに近いものは感じる部分があったのだ。どうも自分についても、似たような経験があったような気がする。イリスの抱えている悲しみも、それに伴って理解できなくもないのである。

しかし、ミルカッセが言うような愛情については理解できないし、示すことも出来ない。

そもそも、クライドが言うように。恐らくエルフィールは、他人に何かを教えるのは、致命的に向いていないのである。

ただ、もやもやだけが残った。

イリスに過去の話を聞いたのは、失敗だったかも知れないと、一瞬だけエルフィールは思った。

だが、その日以降、フラッシュバック的に蘇る記憶の断片は増えた。そう言う意味では、価値のある時間であったのかも知れない。

 

2、学生として最後の時

 

アイゼルのアトリエを訪れると、丁度調合の真っ最中だった。

大きな錬金釜に液体を見たし、アイゼルが右手だけで棒を持ち、左手に本を持って、器用にかき回している。近くの床では、フィンフが可愛らしく座って、フラスコを並べて調合を続けていた。かなり高度な調合を黙々とこなしており、技量も相当に高いのが一目で分かる。

イリスは元々知っているから当然だが、フィンフは教わったとはいえなかなか凄い。これほど高レベルな調合をしているのは、他にはヘルミーナ先生が直接仕込んでいるクリスくらいではないのかと思わされる。アイゼルが積極的に、自分が知っているスキルを仕込んでいる証拠だ。単に猫かわいがりするのではなく、しっかり育ててもいる、という事なのだろう。

「アイゼル、来たよー」

「おはよう、エリー。 ちょっと今手を離せないから、待っていてくれる?」

「うん。 その辺で、勝手にさせて貰うよ」

入り口側に、来客用のソファがある。其処に腰掛けると、本を読み始める。今日はイリスもクノールも連れて来ていないから気楽だ。

アイゼルのアトリエは、かって寮生活をしていた時とは比べものにならないほどに質素である。豪華な家具の類は、殆ど実家に送り返してしまったらしい。それでいながらアイゼルにどことなく豪奢な雰囲気があるのは、身に持って生まれたものなのだろう。

また、質素とは言え、アトリエの中は良く整理されている。棚を開ければ高級な素材も一杯出てくるし、着衣そのものも豪華なものが多い。これはアイゼルが、貴族を相手に商談をすることが多いからだという。

基本的に人間は、相手を見かけで判断する。貴族になると、その傾向がなおさらに強くなる。

馬鹿馬鹿しい話でもあるのだが、そう言った連中とまず駆け引きをする段に上がるには、相手に合わせなければならないのだ。マナーにしても服装にしても、その「場を整える」ための道具に過ぎない。

アイゼルは生まれが貴族だが、今の生活を見ていると、もう庶民として暮らすことも出来るような気がする。アイゼルは跡継ぎらしいので可能性としては低いが、そうなったら面白いかも知れない。

エルフィールとしても、アイゼルとの交友をしっかり続けていくのは、今後のことを考えると重要だ。ドナースターク家の家臣として働くようになったら、コネクションは何本あっても足りないのである。

ドアをノックする音。知らない気配だ。

「はーい。 誰かしら?」

「お嬢様、私です」

ドアを開けて入ってきたのは、アイゼルの家のメイドだった。あまり美人ではないが、幼い顔立ちで、可愛らしい人である。彼女はエルフィールに気付くと、ちょっと慌てた様子で一礼した。アイゼルが今調合中で手を離せないことを告げると、少し困った様子で眉をひそめた後、エルフィールの側に立つ。

「座ったらどうですか?」

「いえ。 私はワイマール家の家臣です。 お嬢様の私物に座ることなど出来ません」

経営こそ上手くいっていないという話だが、ワイマール家は部下の教育はきちんと行っているらしい。この娘の言動からは、自分がしている仕事に対しての誇りや責任感が、強くにじみ出ているのが分かる。

ドナースターク家も優秀な家臣が多いが、此方は基本的に用途ごとに分類されている。客に対応する家臣は礼儀作法などを重点的に教育する反面、武官や食客などには好き勝手に武勇を振るって貰う場合も多い。そう言う連中には荒くれ者もかなりいて、文官とは対立しがちな部分もある。

しかし、それも織り込んでしっかり面倒を見ている当主シアの力量は流石だ。エルフィールも素直に尊敬している。

貴族と言っても、家臣の育て方は様々だ。

アイゼルの調合が終わった。手を洗ってから、此方に歩いてくる。額に汗を浮かべているのを見て、メイドの女性が眉をひそめて、ハンカチを取り出そうとした。それを制止すると、アイゼルは自分で額をハンカチで拭う。見たところ、お手製のようだが。何処の貴族のお嬢様が使っても恥ずかしくない、緻密な刺繍が施された絹の一品である。

「大丈夫よ。 私はワイマール家の息女だけれど、こういう事は自分でするって決めているから」

「では、私達はもう不要と言うことなのでしょうか」

「そんな事はないわ。 私に掛ける手間を、他の家事に向けて。 それで、少しでも家の状況は良くなるから」

悲しそうな顔をする家臣に、アイゼルは特に取り繕うこともなく、そう言った。

没落した貴族が、家臣を手放すことは良くある。だがアイゼルにとって、家臣は全員が大事な存在なのだ。それは前にも聞いたことがあった。そして、今のアイゼルは、エルフィールに嘘をつかない。

「エリー、お待たせ。 それでは、行きましょうか」

「うん、そうしよう」

フィンフも丁度作業が終わったので、三人で外に出ようとする。そうすると、メイドさんが流石に慌てた様子になる。

「あ、あの、お嬢様?」

「ん、ちょっと卒業後の件で、色々と話があるの。 大丈夫、今日は特に危ないことはしないから平気よ」

「今日は、ですか?」

「今までも、調合の材料を入手する時とかは、時々危ない場所とかも出かけていたでしょう? そう言う時も、きちんと護衛は伴っていたから平気だって説明はしたはずよ」

アイゼルに促されて、外に。メイドの女性は一緒に着いてきた。結構過保護な所のある人物らしい。

思われるというのも大変だなと、エルフィールは思った。

そのまま冒険者ギルドに。

今回、アイゼルは長期でルーウェンを雇う予定だ。というのも、アイゼルもエル・バドール行きの声が掛かったからである。

マイスターランクに行くと、時間的な余裕がある程度出来る。そのため、今回はその時間を利用して、「研修」という形で、正面からエルフィール達を送り込む。そして護衛として、騎士団の精鋭と、冒険者が何名か着くことになるのである。

騎士団からはダグラスと、後何名かがでるという。

アカデミーからは、アイゼルとエルフィールとノルディスとキルキ、それにフランソワが内定している様子だ。

いずれの人員も、マイスターランクに行くことが確定しており、なおかつそれぞれに目的がある。今後の優遇措置を望むには、この話を受けるのが一番なのだ。

エルフィールはクノールとイリスも連れて行こうと思っている。実際、暗躍もしなければならないだろうが、その一方で興味もあるのだ。ホムンクルスを大量生産できるような、エル・バドールの技術には。

もっとも、今もそれが残っているかは、話を聞く分では微妙だが。何しろ、ヘルミーナ先生でさえ、苦労して造り出している程なのである。

メイドの女性はやはり荒事の類とは縁がない様子で、荒くれが集う冒険者ギルドにはいると、緊張して身を竦ませていた。冒険者は仕事内容が内容なので、破落戸と大差ないような連中もどうしてもいる。

ある程度の戦闘能力がなければやっていけない仕事だ。何年か此処でやっていけば、どうしても修羅場を潜って研ぎ澄まされていくものだ。もちろん、此処にいる多くの人間が、命を奪った経験のある者ばかりである。

受付にアイゼルはためらいなく進む。エルフィールがちらりと視線を移すが、今日はベテランの数が少ない。何かあってでているのかも知れない。

「今日、約束していたアイゼルですけれど」

「ああ、アイゼル様ですね。 お待ちください」

痩せた初老の男性が、ベルを鳴らして奥に。

ちょっと疲れた様子のルーウェンが現れたのは、ちょっと時間を置いてからであった。

ルーウェンは エルフィールも何度か護衛を頼んだが、そつなく能力がまとまっている優秀な冒険者であり、しかも脂がのった年齢であることから、ザールブルグでもハレッシュと並ぶ手練れとして知られている。しかもここ数年、優秀な冒険者の引退や騎士団への引き抜きが続いたため、益々重責が両肩に掛かっている状態だそうである。確かに雇って採取に行くと、あらゆる面で頼りになる。ただし、少しばかり高い。

打ち合わせをするべく、窓側の席に。アイゼルのメイドさんは、主君の右斜め後ろに立った。戦闘経験もないのに、ぎゅっと唇を引き結んで、主人に何かしたらただじゃおかないという風情でルーウェンを見つめている。この子は、本当にアイゼルが好きで、忠義の全てを捧げているのだと一目で分かる。

ちょっと羨ましい。ワイマール家に忠誠心の高い家臣が多いことは知っていたが、此処までだと何かもやもやしたものを感じてしまう。

流石にルーウェンも辟易した様子なので、見かねた受付が立ち会ってくれた。

既に何回かの打ち合わせで、細かい調整は大体済んでいる。今回はアイゼルが持ってきた長期契約書に、ルーウェンがしっかり目を通して、内容を吟味する回であった。こうやってしっかり契約を確認しておかないと、後で揉めることがあるのだ。ルーウェンのような腕利きを長期間占有する場合は特に、である。

冒険者の中には、文盲も多い。そう言う場合に備えて、立会人も着くことがある。ルーウェンは読み書きが出来るので本来は必要ないのだが、今日は特別について貰った。

アイゼルはちょっと困った様子で笑みを浮かべたが、メイドさんは頑として聞かない。多分これだけは譲れないと思っているのだろう。

こんな荒くれの巣窟で怖いだろうに。理屈を越えた忠義の力を感じてしまう。

「俺としてはこんな所で異存ない。 それに六ヶ月の契約だから、割引もさせて貰うぜ」

「本当? どれくらい?」

「そうだな、こんな所でどうだ」

ルーウェンが持ち出した計算機を弾いて、アイゼルに見せた。エルフィールはちょっと腕組みした。

ルーウェンは妙に焦っている。余程エル・バドールに行きたいらしい。

戦闘経験にしても、実績にしても、多分実力にしてもエルフィールより上のルーウェンである。これほどのベテランが浮つくというのだ。どうも妙な感じである。

ちくちくする感じの契約だ。

アイゼルの側も、ルーウェンの方も、理屈に沿わない力が働きすぎている。理論で全てを制御したいと考えるエルフィールには、非常に気持ち悪い話であった。笑顔を保ったままではいるが、何だか居心地が悪い。

「私としては、問題ありません。 冒険者ルーウェン、以降の長期契約、お願いいたします」

「良し、じゃあ後はそれぞれ正式な契約をするだけだな。 色々面倒だが、次が最後だ」

ルーウェンほどの男になると、長期の占有契約がこうも面倒になってくる。もっとも、今は冒険者ギルドが深刻な人材不足で、ルーウェンのような優秀な男に何かあったら困るというのが本音でもあるのだろう。

ギルドを出る。

メイドさんは、ぷりぷりと怒っていた。

「気がつかれましたか、お嬢様。 入り口近くにいた男達、ずっとお嬢様のおしりを見ていたんですよ。 こんな下品な所、来てはなりません。 私達に任せていただければ」

「大丈夫よ、カレン。 確かに猥雑な所もあるけれど、此処でしか雇えない人達もいて、外に出る時にはとても頼りになるの。 それに、私ももう実戦経験者よ。 少しの事ならば、耐えられるわ」

「そんな。 お館様と奥様が聞かれたら、どんなに悲しむか」

「いつまでもお父様とお母様の翼の下で怯えるひな鳥でいてはいけないわ。 カレン、貴方も私が弱々しいままではいやでしょう? いずれワイマール家を継ぐ者として、しっかり清濁を併せのむようにならないといけないし、これも修行の一つよ」

アイゼルは歩きながら、何ら迷い無く言い切った。

二の句が継げないカレン。一旦エルフィールのアトリエに。これからまた出かけるのだが、

「チーズケーキ余っている?」

「ん、良いけど?」

ベイクドチーズケーキがいくらかある。まだ納品するとは決めていなかった品だ。とはいっても、何処に出しても恥ずかしくない品質に仕上げてあるが。

アイゼルがそれを買って、外にいるカレンに手渡す。

「お土産よ。 お父様とお母様、それにカレン達で分けて。 とても美味しいチーズケーキよ」

「お嬢様」

少し心配そうに眉をひそめたカレンだが、エルフィールの作るチーズケーキのブランドは、既に確立されている。たまに王族が注文に来るくらいなのである。ワイマール家に出しても、もちろん恥ずかしくない品質であった。

多分このカレンという娘も、貴族に仕えるメイドである以上、それは知っているはずだ。引き下がったカレンは、そのまま帰途に就いた。

「いいなあ、忠義の家臣が大勢いて」

「私にはもったいなさ過ぎるくらいの家臣よ。 だから、絶対に。 傾いたワイマール家を、私が立て直してみせるわ」

「その辺りがフランソワとは違うね」

「どういう事?」

エルフィールはこの間フランソワを助けた時、聞いた。うわごとで、かの高慢な貴族様は言っていたのである。

両親と自分の名誉のために、家を建て直さなければならないと。

もちろん家臣達の事も考えてはいるのだろう。だが、両親と家臣を第一に考えているアイゼルと、其処は決定的に違っていた。要するにフランソワは自分のために家の発展をしたい。そのための錬金術。アイゼルは他人のために家を立て直したい。そのための、錬金術なのだ。

どちらがどう優れているというような事は、エルフィールには分からない。

だが多分、部下にとってはアイゼルの下につく方が幸せなのだろうなと言う事だけは、見当が付いた。

「フランソワさんは、そんな事を」

「まあ、それはもう良いよ。 キルキとノルディスもそろそろ来る頃だし、出かける準備をしようか」

頷くと、アイゼルは席を立つ。

一旦フィンフを呼びに戻ったのだ。集合するのは、街の東門である。じっと黙ってやりとりを見つめていたイリスを促すと、エルフィールもクノールに後を任せて、アトリエを出たのだった。

 

荷車を引いて東門に出ると、既にハレッシュが待っていた。

ハレッシュは、やっと騎士になることが決まったらしい。単純な戦闘能力だけを考慮するという形で、前線での活躍のみを見込むという条件付きだそうである。それに伴い、ついにディオ氏も娘であるフレアの独立を認めた。今はまだザールブルグにいるが、飛翔亭の二号店を南の街に作るらしく、其処をフレアに任せるらしい。ハレッシュはその街に騎士隊長として赴任するらしく、最近はいつもご機嫌だった。

事実上、婚約を認められたのと同じだからだ。

「よっ。 来たな」

「ハレッシュさんは早いですね」

「いやー、フレアさんがさ、人を待たせちゃ行けないっていつも言うもんでな」

早速尻に敷かれている辺りが面白い。まあ、この人の場合は、長年の大恋愛の結果であるのだから、それでも良いのだろう。

キルキが最初に来た。同じように、大きな荷車を引いている。これで、荷車は二台。

アイゼルとノルディスが、少し遅れてきた。背負っている籠は、それほど大きくない。二人ともアトリエに移ってから荷車を使うようになったのだが、今回はエルフィールとキルキの分だけで充分だ。

アイゼルはフィンフを。そしてエルフィールはイリスを連れて行く。

イリスは朱槍を持って、時々振り回して感触を確かめている。フィンフがそれを見て、小首を傾げた。

「その長柄武器はどうしたのですか」

「マスターに貰いました」

「……それは意外です」

「あまり、情が通った理由ではないと思います」

少しだけフィンフの声に感情がこもるのを、エルフィールは聞いた。実に興味深いことである。

ただ、嫉妬ではない様子だ。フィンフは服を始めとして、色々なものをアイゼルに貰っているからである。一度アトリエで見たのだが、フィンフにお着替えをさせている時、アイゼルはとても嬉しそうなのだ。あんな調子で、色々なことをフィンフにしているのは疑いなかった。プレゼントされたものも多いことだろう。

「よーし、揃ったな。 しかしお前ら、ひょっとするとこれで学生生活最後の採取じゃないのか?」

「多分」

「行き先はメディアで良いんだな。 結構危ないけど、大丈夫だろうな」

「もう、僕達も駆け出しじゃありませんから」

ノルディスが頭を掻きながら言う。そう言えば、以前ロック鳥を殺した時はまだ不慣れが目立ったが、あれからロマージュやダグラスと何度となく出かけて、野外採取の腕をしっかり上げたのだという。今日は、どれくらい腕が上がっているのか、見るのが楽しみだ。

今日は残念ながらダグラスもロマージュも条件が合わなかったので一緒に出ることは出来なかったが。戦力的には、これで充分だろう。

「良し、行くぞ。 ガキども、というのはもう失礼だな。 全員が、一端の錬金術師様だもんな」

「いえ、卒業するまでは、まだ学生です」

「そうだな、なら気を引き締めていくか」

ハレッシュが先導して歩き出す。エルフィールが生きている縄に命じて、荷車を一つ、自動走行させた。ハレッシュはその前で、もう一つの荷車を引いてゆっくり歩き出す。

既に北部の耕作地帯は、収穫も終わり、土が彼方此方で露出していた。刈り取った後の麦の茎は殆どの場所で纏められて、これからサイロで発酵して来年のための肥やしにするのである。所々で鳥が畑に群れているのは、取りこぼした茎を漁ったり、地面の中にいる虫を食べたりしているのだろう。

がらがらと車輪が回る音。

後ろから、馬車が追い越していった。北部へ向かう馬車はあまり多くない。時々、気をつけるだけで良かった。

「ダグラスから聞いたんだが、今年は北部の雪が凄くなるらしいぞ」

「雪がですか?」

「ああ。 今の時期から分かるものらしい。 彼奴はアレだ、北方の小国に家族がいるらしいからな」

「そういえば、前から疑問に思ってた。 ダグラス、どうして家族呼ばない。 こっちに、大きなお屋敷もあるし、きっと楽に生活できる」

キルキが当然のことを口にした。

ダグラスはこの大陸最強の国家の、最精鋭である聖騎士の一人だ。当然屋敷が与えられ、使用人も多く暮らしている。エルフィールはダグラスに直接聞いたことがないが、確かに不思議な話だ。

此方で家族一緒に暮らせばいいのである。厳しい北国の気候ではなく、豊かに過ごすことが出来る。ダグラスは命を賭けてこの国のために働いているのである。その家族が楽に生活したとして、どんな咎めを受けるというのか。実際騎士に対する社会的な視線は、偏見よりも尊敬の成分が強い。ましてや聖騎士ともなると、なおさらである。

或いは、それが出来ない事情があると言うことか。故郷に利害を超えた思い入れがあるのか、或いはそれ以外の理由か。

北から、馬車が来る。どうやら今ハレッシュが言ったことは本当らしい。

というのも、馬車の幌が堅固な耐雪仕様であり、しかも引いている馬が毛の分厚い農耕馬なのである。農耕馬は体格が優れていて頑強だが、足が遅いので馬車に使われることはあまりない。

「北が大変でも、メディアは常夏なんだな。 不思議な森だぜ」

「東の方にも、色々と面白い地形があると、聞いたことがあります。 どちらかと言えば寒帯に位置する海なのに、常に夏のような暖かさだとか。 海産物も、様々なものが取れると聞いています」

「へえ。 フレアさんと一緒に出かけてみたいもんだな」

「でも、大陸の東端という事ですから、ドムハイトとの緊張状態が解決しない限りは無理ですね」

アイゼルの言葉に、ハレッシュは違いないと返した。

ヘーベル湖の側で、一旦休憩。最初の頃はこの辺りでもうノルディスもアイゼルも根を上げていたものだが。今では平然としている。キルキも靴の状態を確認して、何ら問題がないことを確かめていた。

竈を作るのも、エルフィールが手を貸さなくても大丈夫だ。アイゼルがせかせかと、フィンフと一緒に作り上げてしまう。エルフィールは天幕を張り、ノルディスは手際よく周囲の確認をしていた。

この辺りは安全とは言え、情報は生き物だ。突発的な事象に備えて、巡回している兵士などに話を聞いておくのは重要なことである。旅慣れた人間は、これを必ず行う。怠ると、死を招くことがあるからだ。

「特に猛獣などの情報はありません。 盗賊も出没はしていない様子です」

「そうか。 じゃあ、メディアまでは少なくとも安心して行けそうだな」

見張りの順番も、すぐに決まる。

この時点では、何ら不安要素は存在しなかった。

 

メディアの森。

ザールブルグから北西に広がる森林地帯であり、春夏秋冬問わずに熱帯雨林が広がっている不思議な土地である。森を貫くようにしてストルデルの支流が一つ流れていて、其処には巨大な肉食魚や鰐が棲息している。森の中も豊かな生態系に裏付けられた大型の猛獣が多数棲息しており、虎、熊、獅子など、その種類も多岐にわたっている。

厳しい環境であるが、かって此処にはメディア王国という一方の雄が存在し、その隠し鉱山なども幾つか存在している。ザールブルグ近辺ではなんといっても銀が多く産出するのだが、その一部はメディアから来ているという。

それに、これは噂だが。

聖騎士などの一部の武人に支給される武器に使われる優れた金属、ミスリルやアダマンタイトなど。その鉱山が、此処にあると言われている。だが流石に、探そうという命知らずはいない。噂に聞くシグザール王国の精鋭諜報部隊、牙の精鋭が密かに守っているのは確実だからだ。

この人数で、メディアに分け入るのは初めてである。はぐれるとエルフィールやハレッシュならともかく、フィンフやイリスではかなり危ないので、注意しながら進む必要がある。

今回此処に来たのは、全員がそれぞれ素材を必要としていたから。

場所にさえ気をつければ、メディアにはあらゆる錬金術に必要な素材が存在しているのだ。ヴィラント山を始めとする山岳地帯とも近く、古き時代に噴火で吐き出されたらしい鉱石類も見つけることが出来る。

洞窟も幾つか存在しており、調査隊が入ると必ず一つか二つ見つけてくる。あまり深いものは見つかっていないが、それでもアカデミーに情報公開されているものだけで七つ存在し、それぞれで貴重な素材を入手できるのである。ただし、サラマンダーを始めとする猛獣が棲息しているため、危険も大きいのだが。

中にエルフ族の集落がある上、村も数少ない。鉱山で働いている鉱夫用に路も造られてはいるが、休憩所の類も少なく、中ではぐれでもしたら覚悟を決める必要がある。

だから、森に入った時点で、イリスとフィンフには、荷車に乗って貰う。

「マスター。 フィンフもお役に立ちたいです」

「採集の時にお願い。 此処からは、エルフィールとハレッシュさんが頼りなの。 私やノルディスだと、はぐれたら助からないかも知れない」

「キルキは平気」

キルキが自慢げに付け足した。イリスが呆れて何か言おうとするが、エルフィールが十四本の生きている縄を全開にして展開し、なおかつ手に白龍を持ったのを見て黙り込んだ。此処は、それだけ危険な場所だと察したのだろう。

「ハレッシュさん、私が殿軍に入ります」

「よし、前は任せろ。 今のところ、近くに大型の猛獣はいねえ。 ただし毒蛇がいるかも知れねえから、足下には気をつけろ」

ノルディスとアイゼルは杖を使って、足下を払いながら進む。

辺りは鬱蒼とした森であり、ブッシュも多い。歩きやすい地面もあるのだが、枯葉が深く積もっていて、足を取られやすかった。

荷車を生きている縄四本が動かし、少しずつ進む。

「凄いわね、生きている縄。 今何本稼働しているの?」

「家で留守番してるのも合わせると、三十四本かな。 今日はその四本と、今動かしてる戦闘用の十四本。 後、予備で二本持って来てる」

「そんなに必要なの?」

「必要なの」

ノルディスに応えると、エルフィールは頭を切り換え、周囲の警戒に入った。

猛獣だけならばよいのだが、この森には魔物も出る。多くの場合人間に狩られるだけの存在だが、森の中で奇襲を受けると色々と面倒だ。しばらく、鬱蒼とした森を行き、川の側に出た。

河原がある。少し動きやすくなったので、そのまま進む。河原でひなたぼっこしている鰐をたくさん見掛けた。どれも人間の倍ほどの大きさがあり、射程距離に入っていない此方には見向きもしなかった。

時々、血が騒いだ時、此処に来て鰐を殺すことがある。鰐は不意を打つことに関しては猛獣の中でも上位に入る存在だが、分厚い装甲と噛む力を除くとそれ以外にあまり取り柄というものがない。ある程度頑丈なので、叩き殺して遊ぶには最適な相手だ。数も少し多いので、間引いても何ら問題がないのも、エルフィールには嬉しい所である。

常夏のこの森では、基本的にどの動物も、いつでも繁殖期である。鰐は塚を作って其処に卵を産むが、それに近づきさえしなければ、基本的に攻撃はしてこない。もっとも夜などに、隙を突いてキャンプに来ることはあるが、それも油断さえしなければ撃退は難しくない。

水中では確かに最強かも知れないが、陸上では大した相手ではないのだ。縄張り意識や群れを作ることもないので、仲間が側で殺されていても何ら動きを見せないのも、狩りやすい理由である。

河原をしばらく北上。途中、何カ所か橋が架かっていた。路があることから考えて、村を結んでいるか、或いは鉱夫の通り道だろう。ハレッシュが、その一つを渡るように指示。石で出来ている橋にはしっかり手すりも着いていて、転落防止を考えた作りとなっていた。密林の中にしては、結構立派な橋である。

「ハレッシュさん、どうしてですか?」

「もう少し北に行くんだろ? この間アトリエ組の生徒の護衛で来たんだが、この橋の少し先に休憩所が出来ていてな。 その周囲に、色々採取できそうな開けた場所があったんだよ」

「なるほど、それは便利そうですね」

もちろん他の学生も、特にアトリエを与えられている学生は、採取のために自身が出る場合が多い。ハレッシュは有名どころの冒険者であるし、護衛として雇う奴も少なくない訳だ。

橋を渡る。川の西側に出るが、ずっと小石混じりの河原が続いていることに代わりはない。それを縦に横切り、少し狭い街道を北上。街道には馬車の轍も残っており、それなりの人数が行き来しているのは一目で分かった。

今は良いが、こういう街道が増えすぎると、メディアの豊かな自然に影響が出来るかも知れない。実際、踏み固められた路の左右にある植物は、若干元気がないようにも思えるのだった。

休憩所に行くと、櫓が組まれており、兵士が巡回していた。騎士もいる様子である。話を聞いてみるが、特に危険な状況ではないらしい。だが流石に森の中にはいると虎や熊が彷徨いているのは当然なので、ここから先は注意するようにと、釘を刺されたのだった。

キャンプを張り終える。他には殆ど人もおらず、出稼ぎで来ているらしい鉱夫が、円座を組んで、酒を口にしているのがちらほら見える位であった。

エルフィール達も円座を組み、明日からの採集計画について話をする。

「キルキとノルディスは植物だよね。 明日から森の中で採取できそう?」

「私のは大丈夫。 来る途中、結構生えているのを見掛けた」

キルキが今回探しているのは、ライスの酒を造る際に、独特の香りを加えるものなのだという。ライスの酒は非常に造るのに手間暇が掛かるものであるらしく、難易度が高い上に工夫の余地が少ない。其処で、キルキとしても、様々な工夫を模索しているそうである。キルキは既に百種類を超える酒を造り、その中の二割程からアルコールを抜くことに成功しているが、ライス酒でも当然同じ事をするつもりらしい。そのためには、徹底的な研究が必要、と言うことだ。

「今回は葉っぱと、後種を持って帰る」

「マイスターランクに行った後、農場で育てるの?」

「そう。 農場が駄目な場合は、アトリエの裏庭で育てる」

一方で、ノルディスはアカデミーから資材の供給を受けて、エリキシル剤の研究に入っている。既に作成にも成功はしたらしい。

元々貴重な素材をたくさん使う薬剤であり、簡単に作れるものではない。ノルディスの技量の高さと、アカデミーの期待がよく分かる。

そして今回ノルディスは、エリキシル剤の作成過程の短縮をするために、何種類かの植物を使って実験をしたいそうである。

「今回は、中間過程で生成する幾つかの薬剤の改良を行うために、何種類かの植物が必要なんだ」

「確か一つは食虫植物だっけ?」

「うん。 この辺りだと、メディアでしか生えていない。 その上、非常にデリケートだから、しっかりした知識を持って保存しないとすぐに使えなくなってしまうんだ」

だから手伝って欲しいと、エルフィールは言われた。

そうなると、採取そのものは帰る直前に行う必要があるだろう。二つ返事で頷くと、次はアイゼルとエルフィールの採取計画について、だ。

「アイゼルは確かスターサファイヤの原石を探してるんだよね」

「ええ。 メディアのこの辺りに、地表に露出していて、なおかつ一般に提供されている鉱脈があるらしいの。 ただ森の中だから、ちょっと危険なのだけれど」

「それは私達が護衛するから大丈夫。 フィンフとイリスは、私から離れないように気をつけてね。 生きている縄達も、周囲の警戒を怠らないようにして」

蠢いていた生きている縄の一本が、地面に「了解」と書いた。アイゼルの忠臣達とも、なかなか劣らない忠義を捧げてくれる此奴らが、エルフィールには何よりも大事な存在であった。

エルフィール自身はというと、今回は神経の役割を果たす光石の代替素材を探しに来ている。

「代替素材?」

「うん。 実はね、この間ちょっと調べてみたんだけれど、光石って微量だけど、毒性があるみたいなんだ」

爆弾などの起爆に利用する分は別に構わない。

しかしながら、ホムンクルスの素材に使うにはどうか。

これに気付いたのは、イリスから昔のエル・バドールでホムンクルスの素材について使われていたものについて聞いた時だ。当時もホムンクルスの制御系は人工で作っていたらしいのだが、その中に鉱物系の素材は一切存在しなかった。

先生達に報告した後、独自に色々と研究を進めてみた。結果、光石を溶かした液体を与えた昆虫類の一部に、病気や寿命の短縮が現れた。特に小型の蠅では結果が激烈で、羽や目が無い個体も現れた程だった。

この研究を進めたいとヘルミーナ先生に進言した所、大いに喜んでくれた。というのも、ヘルミーナ先生もそれにはとっくの昔に気付いており、ホムンクルスを作成する時には、様々な中和手段を用いていたらしいからである。

「ヘルミーナ先生とイングリド先生はとんでもなく有能だけど、体が幾つもある訳じゃないからね。 研究の隙間に、私達が割り込む余地は幾らでもあるって事」

「エリーの目的、本当にそれだけ?」

「んー、そうだね。 今はそれだけ」

流石にキルキは鋭い。だが、現時点では嘘をついていない。

もちろん、この研究が進めばホムンクルスにも、生きている道具類にも応用できる。

生きている道具類の中には、悪霊を核として作動させるものが多い。それらに生体部品を用いることで、よりしなやかかつ強靱な動きを実施させられるかも知れない。生きている縄の改良は何度となく実施してきたが、今後は根本的に、さらなる強力な存在を造り出せる可能性もある、と言うことだ。

クリーチャーウェポンの作成については、現時点では考慮に入れていない。あくまでエルフィールの興味が向いているのは、生きている道具類と、それにホムンクルスである。正直な話、イリスは失敗作だと思っている。今後はヘルミーナ先生が造り出した技術をベースにして、更に寿命が長いホムンクルスを作成し、それを自分の手足として活用したいと考えているのだ。

もちろん、生きている縄の究極完成系についても興味がある。

いずれにしても、代替材料が必要だ。

「代替材料って言っても、一体何を用いるつもり?」

「この森に、かなり激しく動く植物があるらしいんだ。 食虫植物じゃなくて、自衛のために蔓を振るうタイプらしいんだけれど。 それを採取するつもり」

「危険じゃないの?」

「危険だよ。 だから、護衛も連れてきてる」

この植物は、トロールツリーと呼ばれている。トロールというのは伝承に出てくる存在で、様々な怪物類の種族名のようなものだ。その中でも特に凶暴なものが、この植物に似た姿をしているという事であり、このような名前となっている。

森の中でも限定された条件下でしか育たない植物だが、その強靱な蔓を使って周囲の植物を片っ端から排除し、自身に徒なす草食動物も排除して、傲然と森の中で生きている危険な存在である。森を切り開く時などには、冒険者や兵士が遠くから火矢を射かけて、延焼覚悟で仕留める相手だ。

それを、接近戦でどうにかしなければならない。

普通は人里離れた場所に僅かに棲息しているだけの危険生物だが、このメディアだけは例外で、多数が存在している。この森の真の主は、彼らであると言っても過言ではないのだ。

面白い話である。人間と、エルフ族、それに悪魔に代表される魔物を除いてしまうと、この森の覇者は肉食動物ではないのである。トロールツリーには、アークベアの最大級個体でさえ近付かないという話であり、その新鮮な蔓を得るとすると、なかなかの苦労が必要になるだろう。

「そうなると、順番としては、私、キルキ、エリー、ノルディスという事になりそうね」

「その順番が、材料の劣化を一番抑えられるだろうね」

「良し、順番決まったみてえだな。 じゃ、今日はこれで見張りの順番を決めて終わりって事にしておきな」

ハレッシュがいるのである。トロールツリーでも、さほど苦労することはないだろう。いざというときに備えて、幾つか切り札も持ってきている。それらを使うまでのことも無いだろうと踏んではいる。

休憩の順番を決めて、天幕に潜り込む。

明日の敵は、手強い。今の内に、しっかり休んでおかなければならなかった。

 

夜陰に乗じて、テントを這い出したフィンフ。イリスが先にテントを出るのに気付いたからである。

見張りをしているアイゼルが、イリスと話していた。アイゼルは誰にでも優しい。だが、今はちょっと寂しかった。

「マスター。 イリスと、何か用事でしょうか」

「フィンフ、丁度いい所に来たわ。 此方に座りなさい」

アイゼルが開いている左となりを指し示したので、言われるままに座る。イリスは若干迷惑そうで、それが余計にもやもやした感情を引き出すのだった。

「今、イリスと夢について話していたの」

「夢、ですか」

「そう。 寝ている間に見るあれではなくて、将来叶えたい希望の事よ」

最初、アイゼルには漠然とした夢しかなかったという。

だが、それがはっきり形になり始めたのは、アカデミーに入る少し前のこと。アイゼルの父が大病を患い、治療には大変高額な薬品が必要だと判明した時だった。その時に、色々な経緯があって。アイゼルは恐ろしい思いをいろいろして、結果現実の恐ろしさを知ることになった。

そして一緒に知ったのが、錬金術の凄まじさである。

「怖い思いもしたけれど、これならばワイマール家を立て直せる。 善良なだけで商才のないお父様とお母様に、苦しい思いをさせなくて済む。 そう思うと、既に心は錬金術を修めるべきだと告げていたわ。 今では、夢はかなり近くに来ているの。 マイスターランクに行って、このまま研究を進めれば、きっとワイマール家を立て直すことが出来るだけの利益を上げられるようになるわ」

アイゼルはとても嬉しそうな顔で、夢を語る。

フィンフには分からない。生きられて後十数年だから、だろうか。それに、なぜイリスにそれを聞かせているのだろう。

エルフィールに聞いた。イリスはせいぜい、後数年しか生きられないという事なのに。

どうもフィンフは、イリスに対してもやもやが収まらない。かってもホムンクルスだったというイリス。それなのに、どうしてイリスは人間のようなのだ。かって、人間のようなホムンクルスを作ることが出来たというのか。

アイゼルに、フィンフは喜んで貰いたいと思っている。でも、フィンフは感情がない。見せかけの表情しか作れない。笑顔を作って見せた時、アイゼルの浮かべた表情を、フィンフは忘れない。

「私にも、夢があります」

耳を疑う言葉を、イリスが発した。後何年も生きられないはずなのに、なぜ夢。しかも、人間ではなくホムンクルスだというのに。

アイゼルは優しい笑みを浮かべたまま、話を聞いている。いつもフィンフに、他の人達にも向けるあの表情を、どうして独占できないのだろう。誰にでも優しいマスターは、フィンフの誇りだ。

だが、今はそれがどうしてか、とてももやもやした。

イリスが何を喋っているのか、あまり聞こえなかった。

 

3、大陸と、別の大陸と

 

小柄な女性聖騎士カミラ=ブランシェは、夜道を急いでいた。ブレドルフ王子に呼び出されたからである。新人騎士達の訓練を見た後だが、体力には余裕がある。元々野心のままに行動していた頃は、一日一刻や下手をすると半刻しか眠れないこともあったのだ。

ブレドルフ王子は、最近エンデルク騎士団長を直接配下に入れて、国境で主に活動している。今日は珍しく戻ってきたと言うことで、カミラも驚いたのだが。呼び出されたと言うことは、何か直接命令があると言うことだ。それにも興味があった。

今、カミラは名誉職に追いやられている。

大教騎士と言えば、この国でももっとも名誉ある騎士である。新人騎士達に戦い方や学問を教え、何処に出しても恥ずかしくない最強の精鋭に鍛え上げる仕事だ。当然知勇兼備の猛者にしか務まらない仕事であり、大変に名誉な事なのである。

しかし、権力も、兵力も、一切動かすことが出来ない。教育に使う教科書一つさえ、自分では選ぶことが出来ない。

危険な人材を飼い殺しにするための職。最高級の素材で作られた檻。それが、大教騎士という名誉職の真実なのだ。

元々このザールブルグは治安が良く、しかもカミラは騎士団でも屈指の使い手であることもあり、ほぼ危険はない。それでも油断しないように日々務めるのが、例え名誉職に墜ちたとしても、カミラがしなければならない事であった。

案の定。

人気のない路地に入った途端、前後左右より路を阻む影が複数。現在、ドムハイトは国内の事だけで手一杯の状況であり、ザールブルグまでわざわざカミラをピンポイントで狙ってくる余裕はない。

かといって、エル・バドールはどうかというと、これも違うと言える。かの国には優れたクリーチャーウェポンこそあれど、武人と呼べる人間はいない。イングリドやヘルミーナは、後天的に強くなったタイプであり、能力者の数自体もあまり多くないという。

結論からすれば、内部の勢力か、或いは未知の存在と言うことになる。辺境の小国群に、こんな大それた事をしでかす輩はいないだろう。

カミラが着込むは聖騎士が支給されている青い鎧。すらりと抜きはなったのは、バトルアックス。月明かりに照らされる複数の影は、いずれもが体格から男だと分かる。しかも、かなりの手練れ揃いだ。

「聖騎士カミラ。 いや、大教騎士カミラ」

聞いたことのない声だ。牙にしても聖騎士にしても、である。

国政の中枢どころか、軍事の中枢からさえ離れてしまってからだいぶ時も経つ。最近は把握しきっていない事も多い。あの英明なヴィント王の事だ。カミラが居眠りしている間に、どんな恐ろしいことを進めていても不思議ではない。

「我らに戦意はない。 来ていただこう」

「拒否したら?」

「殺す」

「ふん……」

勝つ、自信はある。此奴らは手練れと言っても、精々騎士としては下っ端程度である。対達人用の戦術も身につけているとは思えない。だが、どうも気になるのだ。

いずれにしても、罠があれば噛み破るだけである。

着いていくと、路地裏にある小さな酒場に案内された。酒場に入って驚いた。面相を隠したブレドルフ王子が待っていたからだ。フードで顔を隠した王子は、カミラを見ると、開口一番に言った。

「すまない、カミラ。 こんな形で、場所を変えて貰って」

「どうしたのですか、殿下」

「実は、どうも妙な勢力が介入してきている気配があるんだ。 だからかなり強引に場所を変えさせて貰った。 すまないな。 クーゲル、入り口の見張りを頼むぞ」

「承知」

クーゲルが店の奥からぬっと立ち上がり、入り口の見張りに着く。カミラを連れてきた連中はともかく、店の中には見知った顔がごろごろいる。最近ブレドルフ王子がヴィント王に優れた作戦を提案して、かなりの裁量を任されたという話は聞いていたが、これほどとは。

あのヴィント王は、ブレドルフ王子に本格的に世継ぎとしての教育を始めたと見るべきなのだろう。

「それで、何ら権力のない今の私に、何用でしょうか」

「幾つかアドバイスを貰えないだろうか」

「アドバイス、ですか」

「今までの君は、野心に満ちあふれていたから危険だった。 父上も、それが故に君を名誉職に追いやったのだと思う。 しかし、エル・バドールと全面戦争になる可能性が出てきた今、君の才能を眠らせておくのはあまりにももったいない」

そう言われると、カミラはちょっと嬉しくて、俯いてしまった。

思えばこの人生、自分に自信を持てたことは一度でもあっただろうか。必死に努力を重ねて権力の階段を駆け上がり、しかし野心を見抜いた王に利用されるだけ利用された挙げ句、上に登る段を外されてしまった。宙ぶらりんになって気付いたのは、如何に今まで自分が無茶を繰り返していたか、という事だった。

多くの命も奪った。この国の平和のためと言いながら、自分の野心も正当化していた。

不意に権力争いから放り出されて、大教騎士になってみて。平穏の中、自分が実は若手の騎士達に尊敬されていたことに気付いて、今までの価値観が全て壊れてしまったのを感じた。

心が平静を取り戻すまで、随分時間が掛かった。

今でも、権力に未練はある。

だが、ブレドルフ王子を操作して返り咲こうとは思わなかった。王子は善良で、しかも今強くなりつつある。出来れば輝かしい個性の誕生を、拍手と共に見守りたかったのである。

「現在、ドムハイトは混乱の極みにある。 王都は半ば焼かれ、必死の改革を進めていたアルマン王女の制御が全く効かなくなってきている。 このままだと十年以内に、最低でも二つ、下手をすると七つ以上に国家が分裂する可能性が高いと、僕の参謀達は試算を出した」

「なるほど、妥当な所だと思います」

「しかし、それは良くない事だ。 ドムハイトは確かに腐敗していたが、この間の竜軍消失で、我が国に対抗する力も失い、経済国家に転進する方策も失敗した。 このままだと、国民は失われた秩序の中、悲惨な生活を送ることになるだろう」

それを防げるのなら、どうにかしたい。そう王子は言った。

優しすぎる人物なのだなとカミラは思う。だがその一方で、最近は強靱な冷酷さも身につけ始めている。

「父上に許可は得てある。 君に何か妙案は無いだろうか」

「そう、ですね」

カミラとしても、アルマンの改革が頓挫するのは望ましくないと考えている。というのも、アルマンはきちんと計算が出来る優秀な指導者だ。問題は優秀すぎることで、改革が完全に成功していたら、一気にシグザール王国に対抗できる大国家にドムハイトを立て直していた可能性さえあった。しかし完全に失敗すると、ヴィント王がずっと作り上げてきた平穏と秩序が完全に崩壊する可能性が出てくる。

今のアルマンは、正気さえ保っていれば、ドムハイトとシグザールの長年の確執を解決できる可能性を秘めているとも言える。

「まずはアルマン王女と連絡を取るべきでしょう。 ドムハイトには、現在滅ばれては困ります。 シグザールには、質実剛健を保つためにも、仮想敵国が必要だからです。 エル・バドールは遠すぎてその実感がない。 ドムハイトには、強力すぎず弱すぎず、なおかつ実際には戦争にはならない程度の存在として、側にいて欲しい。 それが、この国にとって最良の状態です」

「そうか、なるほど。 場合によっては、援助をする必要もあると言うことか」

クーゲルが入り口で、槍を握り直した。一気に酒場が緊張する。

探索班の女性騎士が警告の言葉を発した。以前竜軍を潰した時にも参戦して貰った、熟練の探査能力者だ。

「やはり何かがいます。 具体的には何か分かりませんが、此方を監視しているのは間違いなさそうです」

「そうか、ならば話は此処までだ。 カミラ、またアドバイスを貰えるだろうか」

「分かりました」

「聖騎士達は展開。 監視している勢力を発見することに全力を注げ。 これ以上、監視を許すな」

ブレドルフ王子が声を張り上げると、クーゲルを残して、その場の手練れが全員外に飛び出していった。

クーゲルはその分身とも言える巨大な槍を手にしたまま、酒場の入り口から外を見据えている。

「それにしても、これほど早く此方の動きに気がつくとは」

「内通者の可能性は」

「あり得ませぬな。 これは此方が知らない技術によって探知していると考えるのが自然でしょう」

カミラもそれは同意見だ。

それにしても、この国では一体何が起きている。エル・バドールとの混乱の中、幾つか妙な噂も聞いた。

どうも国境の小国で発生したいくらかの乱の内、どうもドムハイトでもエル・バドールでもない勢力が関与していたらしいものがあるらしい、のである。それも一つや二つでは無い様子なのだ。

今、此方を監視していた勢力だろうか。

「殿下、場所を移しますか」

「そうだな。 一旦王宮に戻ろう。 クーゲル、護衛を頼む」

「かしこまりました」

聖騎士が何名か戻ってくる。やはり、敵性勢力は発見できないという事だった。

カミラも気配は感じなかった。これでも若手の騎士達の教育をかねて、メディアなどで実戦は欠かしていないので、鈍っていると言うことはない。クーゲルは体力の衰えを鬼気迫る精神力で補っている様子なので、逆に察知できたのかも知れない。

フードで顔を隠した王子と一緒に、王宮にまで裏道を使って戻る。

夜闇に包まれたシグザール王国首都ザールブルグ。平穏なはずの此処に、闇の手が迫っていることを、カミラは敏感に感じ取っていた。

 

それは、陸に生え育った巨大なイソギンチャクのように思えた。

太い幹は、十人が手を伸ばしても抱えきれるかどうか分からないほどである。それでありながら、熱帯雨林に生える植物としては背が低い。まるまると太った異様な形状の木は、その恐るべき武器を上方に束ね、何があっても即座に対応できるように身構えていた。

トロールツリーである。

エルフィールが見た所、触手の一本一本が、長さにして人間の背丈の十五倍から二十倍前後。しかも太く、破壊力は相当であろう事が伺われる。間合いは当然触手の長さ分だけあると見て良いだろう。

根は縦横無尽に辺りの地面を覆っており、他の植物は一切見あたらない。そればかりか、転々としている白いものは猛獣の骨だろう。

文字通り、熱帯雨林の王。それが、あの木なのだ。

「触手をむしるだけだったら、そんなに難しくないんじゃないのか」

「調べてみたんだけど、実はそうも行かないらしくてね」

木陰に隠れたまま、ハレッシュと言葉を交わすエルフィール。既に手元には白龍があり、秋花と冬椿も生きている縄に持たせてスタンバイしている。もう一つ杖を持ってきているのだが、実践段階ではないので、荷車に積んだままだ。

植物は、当然視覚を持たない。光を感じる能力は持っているが、それはあくまで反射行動だ。

それ故に、あのトロールツリーは、別のもので攻撃に対する防御能力を得た。

エルフィールが生きている縄を撓らせ、適当な小石をトロールツリーの足下に投擲する。途端に、鞭のように撓った触手が石を絡め取り、握りつぶすようにして砕いていた。

口笛を鳴らすハレッシュ。あの破壊力では、人間などが触手に掴まれたら一環の終わりだ。

側に隠れているアイゼルが、すぐに状況を理解した。

「なるほど、震動に反応しているのね」

「そゆこと。 地面の震動に対して、攻撃行動だと見なすわけ。 だから駆除をする場合は、間合いの外から火矢をいかける訳なんだけれど」

見たところ、あの分厚い胴体には、白龍を叩き込んでも致命傷にはならないだろう。秋花は根本的な解決にならない。

そうなると、冬椿か。

至近距離から叩き込めば、一気に胴体部分を潰せるかも知れない。そうなれば触手を引っこ抜いて集め放題だ。元々繁殖能力が高い上に、生態系を阻害する害樹である。駆除は徹底的にやった方が良いだろう。

「僕の術式で遠くから狙撃してみようか」

「燃えたらキルキの術式で凍らせる」

ノルディスとキルキが言う。確かに、それも手の一つだ。

それに、敢えて危険を冒す必要もない。ノルディスの紫色の槍で片が付くようなら、それでも構わない。

「じゃ、ノルディス、お願い。 アイゼルも光の術式準備してくれる?」

「分かったわ。 ノルディス、もう少し下がった方が良くない?」

「そうだね。 間合いが何処まであるか見た訳じゃないからね」

ノルディスが印を組む。魔力は一年の時とは比べものにならないほどに上がっており、詠唱の速度も早い。もう彼をモヤシと呼ぶのは失礼だろう。

そして、ノルディスが、頭上に大きな槍を造り出し、トロールツリーに投擲した瞬間、悲劇が起こったのである。

誰もが唖然と、その光景を見つめる他無かった。

一瞬にして松明と化したトロールツリーが、炭屑になって燃え落ちていく。なるほど、これは駆除に火矢が使われる訳である。延焼覚悟、というのも納得が行った。効果が激烈すぎて、火薬でも使ったのではないかと一瞬錯覚した。もちろん、ノルディスの槍の術式に、そんな効果はない。

殆ど時間を掛けずに、トロールツリーは燃え落ちてしまった。

もちろん、回収できる素材など無い。全部炭である。今の様子からして、相当に油を多く含んでいるのだろう。

固まっていたノルディスが、泣きそうな顔で振り返った。

「そ、その。 ごめん、エリー」

「いいよ、仕方がない。 それに、トロールツリーはまだあるしね」

まだまだ知識が足りないなと、エルフィールは思った。エルフィールの自然に対する知識はまだまだ付け焼き刃と言うことだ。

げんなりしているノルディスを慰めるアイゼル。もちろんあの様子では、アイゼルの光の術式も逆効果だ。自然界には、確かに火はない。落雷による火事など、限定的な条件でしか獣や植物たちを襲うことはない。それにしても、まさか此処まで火に弱いというのは、想定外だった。

「こうなると、ガチンコの勝負をするしか無さそうだな。 行けるか?」

「やるしかないでしょう。 ただ、あの触手、多分象の鼻や大蛇の尾よりも強烈ですね」

どちらも筋肉の塊で、人間の体など容易にへし折る破壊力を持っている。

何よりあの柔軟性。目が着いていないとは言え、非常に精確な攻撃を繰り出すことが出来る。侮りがたい相手であった。しかも触手の数は二十を越えている。次の木は、もっと大きいかも知れない。

一旦、荷車に戻る。

方法は二つ。触手の射程ギリギリから攻撃して相手を引っ張り出し、切断するか。今回必要なのは触手なので、それで別に問題はない。

もう一つは、幹をへし折って、木を殺すことだ。最初にエルフィールが考えていたのも、此方である。大量の素材を入手できるだろうが、危険も大きい。一歩間違えば、八つ裂きにされてしまうだろう。

しかし、それでも。この素材は、採取する価値が充分にある。今までヘルミーナ先生が進めてきたのとは、別方向の生体情報伝達部品の開発につながる。その上、イングリド先生の分野である、爆弾の操作系に関する魔力情報伝達に一石を投じることさえ可能だ。

先に見つけておいた別のトロールツリーの元へ移動。

トロールツリーは定期的に駆除しないと、森の中で際限なく増える。エルフ族も恐らくは駆除を行っているはずで、それをエルフィールが今此処で代行するだけだ。

歩いている途中、イリスが不意に後ろを見た。

「どうしたの?」

「いえ、よく分かりません。 見られている気がしました」

「……そう」

何か、いやな予感がする。

猛獣の類の気配は、周囲に感じない。だが今の件も、本当にトロールツリーの特性なのだろうか。確かに火に弱いのは事実だろうが。

もやもやしたものを抱えたまま、エルフィールは急ぐ。

荷車の音が密林の中響く。時々汗を拭わなければならない。今は冬だというのに、である。

「しかし、奇妙な森だな」

ハレッシュがぼやいた次の瞬間。

強烈な殺気が、横手から襲いかかってきた。

 

黒い影が見据える先には、今丁度阿鼻叫喚の地獄絵図が現出していた。

人間数人と、以前小隊殲滅用に作り上げておいたクリーチャーウェポンの死闘である。クリーチャーウェポンは訓練を受けた兵士一個小隊を殲滅可能な戦闘能力を持ち、なおかつそれが三体。

さて、どうなるか。見物であった。

「鴉よ、何をしている」

「主がご命令だ。 連中の戦闘能力を試している」

影の後ろに、また別の影。文字通り影としか称しようがない存在である。どちらも性別どころか、人間とさえ判断できない姿をしている。フードで全身を覆っているが故に、だ。

彼らに厳密な意味での意志はない。目的は、ただ主の願う事をするだけ。

思考も、行動も。全て、その目的のためだけに集約されるのだ。

「ブレドルフ王子の監視は」

「方法を変える必要がある。 警戒が厳しく、最近は監視を察知される事も多い」

「危険な存在だな」

「だが排除は命じられていない。 我らは主の思うままに行動するための手足に過ぎぬ」

釘を刺された鴉は、視線を監視対象に戻した。

クリーチャーウェポン、バザルトドラゴンを相手に、監視対象とその護衛は激しい戦いを繰り広げている。特に監視対象は、複数の生きている縄を触手のように使用して、上下左右から縦横無尽の攻撃を仕掛けていた。

しかし、密林での戦闘である。バザルトドラゴンはドナーン種の大型肉食蜥蜴を改良したクリーチャーウェポンで、サラマンダーに比べると体長では劣るが、後ろ二本足での軽快な機動を得意とし、なおかつ口から火球を放つ能力を持っている。鱗は生半可な攻撃ではびくともせず、分厚い筋肉は多少の打撃など軽く跳ね返す。

だが、それらのベーシックなステイタスよりも、もっともこの種族の特徴となっているのが、高い解析能力である。

「バザルトドラゴンを三匹も仕掛けたのか。 監視対象が死ぬのではないのか」

「あの程度で死ぬようでは、世界の変革など行えぬ」

「ふむ、確かに一理ある」

鴉は後ろにいる梟と違って、最近は主が何を考えているのか、何をしたいと思っているのか、推察するようにしている。もちろん推察が外れた場合は仕方がない。だが、主はお忙しい方だ。負担を少しでも減らして差し上げたいというのが、素直な本音であった。

バザルトドラゴンが攻勢に出る。

さて、監視対象はどういなしに出るか。

 

突如襲いかかってきた怪生物は三匹。最初ドナーンかと思ったエルフィールだが、すぐに違うと判断した。ずっと大きいし、体色も青い。否、最初は青かったが、すぐに緑になり、今度は黒になった。肌の色を高速で変化させる能力を持っているらしい。

二足歩行の大型肉食は虫類が跳躍する。空中で火球を吐き散らし、着地と同時にノルディスを狙って太い尻尾を叩きつけた。

生きている縄を伸ばして、尻尾を受け止める。しかし、絡め取ろうとした時には、既に蜥蜴は飛び下がっていた。

この蜥蜴、知能が高い。確実に身体能力が低いノルディスを狙ってきている。

一体は向こうで、ハレッシュと激しい戦いを繰り広げている。しかし、ハレッシュも此方に手が回らない様子だ。もう一体は円周上に此方の周囲を回りながら、時々火球で牽制してきている。

「これでも喰らいなさい!」

アイゼルが放った光の帯が、しかし蜥蜴の表皮に弾かれる。キルキは詠唱中。荷車の陰に隠れているようにと言っておいたイリスとフィンフが狙われると面倒だ。せめて一匹でも減らしておかないとまずい。

無言でエルフィールが白龍に持ち帰る。今のアイゼルの様子からして、秋花は効果が薄いだろう。冬椿に到っては、あの軽快な機動からしてそもそも当てさせてはもらえまい。

「援護して!」

「分かったわ」

エルフィールが飛び出す。生きている縄二本で地面を叩き、一気に自分自身を弾丸のように加速したのだ。

同時に、敵が動く。周囲を回っていた一匹が、直線的にノルディスに向かって間合いを詰め、跳躍。その口めがけて、キルキが冷気の塊を叩きつける。だが大蜥蜴はひるまず、鋭い爪をノルディスめがけて振り下ろしていた。

とっさにノルディスが杖を振るうが、はじき飛ばされる。更に、術式が間に合わなかったアイゼルに、鋭い音と共に尻尾を撓らせ、叩きつける。

しかし、悲鳴を上げたのは、大蜥蜴の方だった。

影から飛び出したフィンフの槍が、のど元に突き刺さったのだ。更に間髪入れず、ノルディスが紫の槍を叩きつける。槍は蜥蜴の腹部に深々と突き刺さり、大量の鮮血をまき散らした。

横目にそれを見ながら、エルフィールはもう一匹に加速。大量の火球を、もう一匹ははきかけてくる。避ければ荷車に直撃を免れない。かなり考えて攻撃してきている。だが、それが逆にねらい目だ。

生きている縄を振り回し、火球を強引にはじき返して、突破。もちろん火力の全てを相殺は出来ないから、かなりの火の粉を浴びたが、戦闘能力を喪失するほどではない。

至近。飛び退こうとした蜥蜴の懐に入り込む。

蜥蜴の体には、既に生きている縄が巻き付いていた。蜥蜴が火球を至近から叩きつけようとするのよりも、一瞬だけエルフィールが早かった。

「貫け、白龍っ!」

白龍から、杭が発射される。それは容赦なく、大蜥蜴の胸の中央を貫いていた。

大地を踏みしめていたエルフィールは、生きている縄で相手と自分をほぼ固定していたこともあり、その衝撃をほぼ丸ごと受け止めることになった。血を噴きながら倒れ伏す大蜥蜴を見ている暇もない。生きている縄で相手の首を折ってとどめを刺すと、すぐに振り返る。

接近戦に持ち込まれた三人はかなり手こずっている。腕が痺れるどころか肩が抜けそうだが、もたもたはしていられなかった。

アイゼルが光の帯を至近から叩きつけるが、しかしなおも鱗を貫くには到らない。そればかりか、一瞬後、尻尾ではじき飛ばされてしまう。フィンフが助けに入ろうとしたが、食いつかれそうになり、槍で防ぐのが精一杯だった。

背中をノルディスの術式で貫かれながらも、大蜥蜴はまだまだ余裕がある。じっと隠れていたイリスが、それでも好機を見いだせず、仕掛けられずにいる。エルフィールは生きている縄で地面を叩き、辺りの木を掴んで、加速。殆ど水平に飛ぶようにして、手負いの敵に襲いかかった。

蜥蜴が、信じられない高さまで跳躍する。そして、空中から周囲に大量の火球を吐き散らした。

エルフィールは白龍を放り捨て、生きている縄から冬椿を受け取る。

至近に二発、火球が炸裂。熱波と爆焔が皮膚を炙る。痛いを通り越して、体が焼けるのを感じた。

着地した蜥蜴が振り返り様に食いついてくる。顎を蹴り上げ、生きている縄を使って懐に入ろうとする。危険を感じたか、蜥蜴がまた跳んだ。たった一歩で、とんでもない跳躍力だ。

腕が千切れるかも知れないが、死ぬよりはマシだ。見る間に両者の距離が詰まっていく中、エルフィールは冬椿発射の態勢にはいる。大蜥蜴はバックステップして距離を取ろうとするが、動きが止まる。

足に、イリスが深々と朱槍を突き立てていたからである。

ナイス。呟きながら、エルフィールは冬椿の引き金を引く。生きている縄が地面に連続して突き刺さり、衝撃緩和の態勢を作る。

同時に、エルフィール自身にも、火球が直撃していた。

冬椿発射の衝撃か、或いは火球直撃のダメージか分からない。兎に角、意識がそれで消し飛んだ。

視界が真っ赤になり、真っ黒になり。気がつくと、地面に寝かされていた。心配そうに見下ろしているノルディスも、相当に痛いのだろう。胸の辺りを抑えていた。近くにはアイゼルも寝かされている。尻尾の直撃を受けていたから、ちょっと心配である。

多分、死にかけた。

それなのに、走馬燈とやらは見なかった。ちょっと見たかったのに、残念であった。

「もう一匹は?」

「ハレッシュさんが仕留めたよ」

そのハレッシュは、辺りを獣のような目つきで見つめていた。彼ほどのベテランが察知できなかった奇襲である。気に病むことなど無いのに。おちゃらけた言動と裏腹に、奥底では真面目な部分もあるのかも知れない。

ノルディスが手早く治療を進めてくれている。キルキも手伝っているが、若干不慣れな様子だ。

「アイゼルは大丈夫?」

「頭は打っていないし、内臓も平気だから大丈夫だよ。 ただ、しばらくは休ませないと」

あの尻尾の一撃を受けたのである。下手をすれば、そのまま内臓破裂で即死という状況だった。

アイゼルは上手に受け身を取ったのだろう。かっての彼女からは考えられない事であった。

さて、体を起こそうとする。しかし、動けない。

特に、腕が酷い有様だ。

無理もない。白龍で至近距離からの打撃を浴びせた上に、直後に腕を休ませることもなく、冬椿を全力でぶっ放したのである。ロック鳥をあれほど吹き飛ばすほどの破壊力を見せた冬椿だ。エルフィールの腕が消し飛んでいなかったことが、奇跡に近い。

「ひょっとして、折れてる?」

「折れてはいないよ、奇跡的にね。 でも、しばらくは使わないで。 エリーの回復力でも、半月くらいはイリスか生きている縄に食べさせて貰った方が良いだろうね」

「仕方がないなあ。 イリス、お願いね」

ざわざわと生きている縄達が蠢く。俺達も手伝うと言ってくれているのだろう。嬉しい話だった。

イリスも頼られて、まんざらでもない様子だ。過去の悲惨な話を聞いた後でこういうのも何だが、それでも手伝いを率先してやっているイリスは。何だかんだ言って、人助けが好きなのかも知れない。

そういえば。体中がスースーすると思ったら、殆ど裸同然だ。そう言えば火球を何発も浴びたのだった。火傷の手当をするには、服を裂かなければならないのは当然のことだ。ノルディスはそれに気付くと、ちょっと頬を染めた。

「そ、その。 下着は取らなくても大丈夫だったから」

「良いって。 治療でしょ?」

この様子だと、まだアイゼルには触ってもいないか。

隣で気を失っているアイゼルが、ちょっと苦しそうに呻いた。絶妙のタイミングだったので、エルフィールは噴き出すのをこらえるのに、苦労しなければならなかった。

 

鴉は、バザルトドラゴンが倒されるまでの時間を、千分の一秒単位で記録した。それにしても、凄まじい戦いぶりだった。痛みがないかのような戦術展開で、監視対象は自分の命など何とも思っていない可能性が高いと、鴉は考えた。

梟は既にいない。シグザール王国騎士団の監視に戻ったのだろう。ドムハイトの方に展開している鳩と、エル・バドールに粉を掛けている椋鳥は、それぞれ違ったアプローチを行っている。

少し前までは、鮮血のマルローネの監視も、鴉は行っていた。

今はどういうわけか、主の意向で、奴は全く野放しの状態である。もっとも、その方がエル・バドールに吹き荒れる風は強くなりそうだし、椋鳥のデータも興味深いものとなるだろう。

後は、トロールツリーの触手をどう取得するかを見届けてから、一旦主の元に戻ることとする。

鴉は気配もなく。その場からかき消えた。

 

間合いギリギリに立つと、ハレッシュは伸びてきたトロールツリーの触手を掴み、力任せに引きちぎった。太いトロールツリーの幹が激しく揺れ、苦悶の絶叫としか思えない音が辺りに響いた。

マンドラゴラという植物がいる。同じように凄まじい音を立てることで有名で、魔物の一種などと言う説があるが、実際には体内の機構で音を出しているに過ぎない。薬効成分が強いので、音をどうにかさえすれば、非常に有用な植物だ。

ハレッシュはさっきまでのへらへら笑いが顔に欠片も残っていない。巌のように口を引き結んでいて、別人のようだった。暢気者であるが故に、今日のことは、相当に応えたに違いない。

「もう二三本、引っこ抜いておくか?」

「じゃあ、四本お願いします」

「おう」

ちょっと欲を掻いたエルフィールが言うと、ハレッシュは快く受けてくれた。荷車の上で、アイゼルと並んで座って、ただ採取だけを見る。ちょっと贅沢な気分である。

ハレッシュが再び、反射的に伸びてきた触手を掴み、力任せに引きちぎる。この人はその気になれば、最大級のアークベアと力比べが出来そうだ。

「ハレッシュさん、頼りになるわね」

「前からそうだよ。 ただ、ちょっと最近は強い相手に会っていなかったら、腑抜けていた所があったんだろうね」

ハレッシュの実力は元から上級の騎士に匹敵するほどだ。既に三十代だが、その実力はまるで衰えていない。

ただ、フレアとの婚約を認めて貰って、なおかつ騎士にもなれる見込みが出て。何処かで油断してしまっていたのだろう。だから、あの大蜥蜴の奇襲も察知できなかった。

油断をするとこうなる。クライドに教えて貰ったことだ。そして今、他人で実例を見ることも出来た。今日の戦いは、間違いなく有益だった。

大蜥蜴は、冬椿で叩きつぶした一匹はぐしゃぐしゃに吹き飛んでしまったので、もう二匹をキルキとノルディス、それにフィンフとイリスで捌いて貰った。肉にしても皮にしても興味深い素材で、指示をしながらわくわくが止まらなかった。これほど強靱な力を生み出す筋肉である。食べても美味しいだろうし、調べても二重に楽しい。

酷い目にあったが、しかし今日はよい日だ。

ハレッシュが、四本目の触手を引き抜いた。とても時間は掛かったし、触手もあまり長くはない。あの蜥蜴の邪魔がなければ、そのまま木を粉砕して根こそぎ触手を持って帰ることが出来たのだが。

まあ、そんな事を言っても仕方がない。

今は、得られた収穫で満足する。

全員分の採集が終わる。血の臭いが周囲にしているから、夜になると猛獣が集まってくるはずだ。普段なら屁でもないが、負傷者が多い現状、ハレッシュだけで全員を守りきるのはちょっと難しいかも知れない。多少無理をしてでも、森を抜けるか、或いは村にはいるべきであった。

当然の判断はハレッシュも同意して、すぐに街道を行く。ちょっと採取できた材料は少なかったが、それでも別に構わない。卒業制作は、これだけあれば充分に作ることが出来るからだ。

荷車に揺られながら、槍を抱えて座っているイリスに言う。

「ね、イリス。 気付いた?」

「何に、でしょうか」

「私達が集めてるもの」

小首を傾げていたイリスだが、はっと気付いたようで、顔を上げた。

そうだ。今集めた素材は、どれもこれも、先の研究を見据えたものばかり。研究の終末点ではなくて、飛翔のために使う跳躍台の意味を持つものなのだ。

誰もが、先のことを考えている。卒業は当然のこととして、マイスターランクで如何に腕を上げるか。研究を進めて、未来に如何に役立てるか。それを考えているのだ。エルフィールだけではない。アイゼルもキルキもノルディスも。

今後は順位が無くなり、純粋に研究が出来るようになる。もちろん研究内容次第では、アカデミーから補助金さえ下りる。アカデミーの利益に既に貢献しているエルフィールは、ある程度潤沢な資金が確約されているとさえ言えた。

密林の中に作られている狭い路を抜け、休憩所に。巡回している兵士に状況を告げて、警備を強化して貰った。解体して持ってきた死骸が、何よりの説得力となり、兵士達はすぐに増援を呼んで、休憩所の警備を強化してくれた。

そこで、やっと一息つくことが出来た。

「森を抜けるのは明日だな」

「そうですね。 無理をせず、それで行きましょう」

「すまねえな。 俺が不甲斐ないばかりに」

「何、ハレッシュさんが一匹引き受けてくれていたから、死者が出ずに済んだんですよ」

これは本音だ。ハレッシュはまだ厳しい表情をしていたが、それでも少しは気も晴れた様子であった。

それに、不甲斐ないという点では此方も同じだ。もう少し技量があれば、アイゼルに怪我をさせることもなかっただろう。ノルディスも、術式を強くするにはどうしたらいいか、本気で考えている様子だった。

「しかし、この蜥蜴、何者だったんだろうな」

「この密林の固有種でないことは確かですね」

腕の痛みが酷くなる中、エルフィールは思う。

多分これは、自然の生物ではない。もしもそうだとしても、密林に棲息している存在ではないだはずである。

あまりにも、不自然なまでに強力すぎるからだ。

高い知能、優れた防御能力、それに火球を吐く力。並の魔物よりもずっと強い相手であっただろう。

イリスが感じていた視線と言い、どうもいやな予感がする。

今後、大きな波乱があるのは、間違いなさそうだった。

 

4、闇の深淵

 

ナタリエとジュストが王宮で工作をしている間に、マリーはアデリーを連れ、エル・バドール大陸国家首都ケントニスを離れ、山の中にある小さな施設の側にまで来ていた。

基本的に平坦な地形が多く、猛獣もいないケントニス近辺だが、この周辺だけは警戒のレベルが違っている。マリーが眉をひそめたのは、明らかに人間ではない気配が、多く巡回をしていることだった。

空を見れば、鳥としては大きすぎる影がいる。

兵士達に混じって、やたら巨大な影が彷徨いている。しかもそれには尻尾があり、人間では持てそうにない巨大な得物を持ち歩いていた。

山の周囲は丸ごと柵で囲まれており、しかも何やら仕掛けがたっぷり施されている。迂闊に触るとどうなるか分からない。

「内部にはいるのは危険かな」

「前回入った時の孔も塞がれています。 警戒度も一段階上げている様子です」

「一旦引き上げる」

以前此処に侵入した牙の一人がそう言ったので、マリーは決断。危険を冒してまで、侵入するほどの事もない。

むしろこの異常な警戒を見るだけで、此処に何かあるのは明白すぎるほどだった。それが確認できただけで充分である。

牙が前回侵入を果たした時、内部の構造についてある程度調べてはくれた。今回は外部からそれを軽く確認しただけだ。次に来る時には、警備を蹴散らして内部に侵入するか、或いは裏を掻いて諜報するか、決めておかなければならないだろう。

一度、拠点に戻る。

エリアレッテが見つけてきたクリーチャーウェポンの製造施設といい、幾つか調べておかないといけない場所が増えてきている。動いているのはマリーだけではなく、他の騎士や聖騎士、牙の面々もだ。一旦情報のすりあわせが必要であった。

拠点にしている宿に戻る。周囲にはエル・バドールの間諜が彷徨いていたが、堂々と中に。技量が違いすぎて、諜報される可能性などないからだ。

中では、聖騎士ローラと、後何名かの知らない輩がいた。その中の一人。眼鏡を掛けた女性がいる。これが多分、内通を申し出てきたという人物だろう。

「貴方がセルレン殿ですか」

「如何にも。 貴方が名高き鮮血のマルローネか」

「鮮血は余計ですが、あたしがマルローネです」

そういえば、以前もこんなやりとりをした気がする。まだ年若い騎士見習いが、アデリーに惚れて、マリーに突っかかって来たことがあった。懐かしい思い出である。

既にボディチェックは済ませてあるという。向かいに座ると、セルレンは話し始める。

「さっそくだが、私と、部下達の安全を保証していただきたい」

「内容次第によりますね。 貴方たちが、シグザール王国で暗躍の限りを尽くしたことは、既に調べが付いています。 ただでさえ少数で乗り込んできている我らの内部を攪乱されるのではたまりませんから」

「ご冗談を。 我らの力量で、そのようなことが無理だと言うことは、分かりきっているだろうに」

セルレンがくすりと笑った。マリーもにやりと笑うと、口調をフランクなものに切り替えた。

流石にエル・バドールの人間からすれば人外の郷に等しいだろうシグザールで、諜報活動を続けていただけはある。大した肝っ玉だ。武芸の実力は足りないかも知れないが、確かにこの国でももっとも優秀な諜報員を務めているだけのことはあるだろう。

セルレンが言うには、彼女らは今難しい立場にあるのだという。

「この国では、主要なものだけでも七つの派閥があり、その中の最大一派、長老派が我らの飼い主という形になる。 フラウ・シュトライトによる攻撃を命じたのも、長老派だ」

「フラウ・シュトライトというと、あの海竜?」

「そうだ。 貴方たちが撃破した速さには驚かされた。 そればかりか、二度目以降の討伐では、死者を一人も出さなかったと聞いて驚嘆した。 あれは一万の兵を相手にすることを想定して設計された生物兵器だというのに」

「どんなに強大でも、所詮は動物。 攻略方法さえ確立してしまえば、後はどうと言うこともないよ」

それが不味かったのだと、セルレンは言った。

長老派は、フラウ・シュトライトを苦もなく撃滅したシグザール王国精鋭の戦闘力に恐怖しているという。現在彼らは内部で揉めており、二つに割れる気配があるそうだ。一派は更に強力なクリーチャーウェポンを使い、シグザール王国を内部から混乱させようという考えの持ち主。そしてもう一派が、セルレンらの命を脅かしているという。

「彼らはあなた方に、我らを売るつもりだ。 そして全てを我らの責任にして、以降は蜜月を作ろうと考えている」

「いい加減にして!」

思わず大声を上げたのは聖騎士ローラだった。普段は大人しい彼女だが、それが故に怒ると怖いと言うことである。アデリーも流石に頭に来たようで、かなりむっとしている様子だ。

「そもそも貴方たちエル・バドール人は、シグザール王国の民を何だと思っているのですか! 勝手に此方を怖がって民に生物兵器をけしかけたばかりか、今更に強大な生物兵器をけしかけようと考えているですって!? 挙げ句の果てに、死にたくないから保護しろなんて、何て身勝手な!」

マリーは、冷静なままである。

指を鳴らして、ミューに来て貰う。ローラは頭に血が上っているので、隣室に移って貰い、今後はミューに護衛を任せる。アデリーも穏やかならぬ目つきだったが、どうにか感情の制御は出来そうだ。

「身勝手な話だと言うことも分かっている。 だが私は、諜報部隊の長として、部下達の命を守らなければならないのだ。 もちろん、貴殿らが望む情報の提供は惜しまぬつもりだ」

「例えば、クリーチャーウェポンの数、種類、具体的な戦力とか?」

「知る限りであれば」

セルレンの顔色は真っ青であった。土壇場に歩かされる死刑囚のような有様である。

だがその顔色は、むしろ裏切りよりも、部下達のことを気遣ってのように思えるのだった。

「了解。 あたし達としても、敵の内部に協力者を作りたいと思っていた所だったし、丁度いい機会だわ。 ただし、即座に信じるわけにはいかない」

「それは此方も期待していない」

「良い答えね。 それじゃ、聖騎士ジュストに引き合わせるから、話をして貰うよ」

隣室に連れて行かせる。ジュストが帰ってきたのは、その直後だった。

ジュストは薄ら笑いを浮かべていた。相手の交渉役があまりにも不慣れで、対処が容易だったという。

「時間稼ぎを二ヶ月半するつもりが、勝手に相手が四ヶ月以上は時間を作ってくれそうだな。 この分だと、第二陣が到着するまで、悠々と諜報が出来る。 鮮血のマルローネ、貴殿はどうだ」

「此方は壁に当たりました」

「ほう。 貴殿ほどの、歴戦の猛者がか」

ここしばらく、マリーはジュストが時間を稼いでいる隙に、ドムハイトの重要施設を洗い出し、幾つかを念入りに調べていた。

しかし、重要施設になればなるほど、クリーチャーウェポンの数を増して警備しているのだ。連中は人間を遙かに超えた能力を持っている事が多く、マリーとて特に緒戦は侮って掛かれない。

他の騎士や牙の面々も、同じような状況にぶつかっている様子だった。

「流石にケントニス周辺のみと思いたい所だが、最悪の事態も想定しなければならぬかも知れぬな」

「今まで見てきた様子だと、下手をするとクリーチャーウェポンだけで一万以上を保有している可能性があります。 それで、聖騎士ジュスト。 敵側の内通者と話してみてください。 隣室に控えさせています」

「信用できるのかね」

「それは、聖騎士ジュストがご判断を。 保護を受け容れるのなら部下ごと寝返ると言っているので、情報も一気に集まるかと」

ジュストはしばらく考え込んでいたが、エリアレッテを呼び、二人で隣室に。エリアレッテを連れて行ったのは、この中でもっとも感情に左右されない人物だからだろう。話のすりあわせが一段落したマリーは、アデリーに言う。

「みんなにお茶を出してくれる?」

「分かりました」

「聖騎士自らが給仕ですか?」

「私は母様の下で家事関係を任されてきましたから。 人を斬るよりは、家事の方が得意です」

アデリーがちょっと冗談めかしていったので、場の空気が僅かに綻んだ。

アデリーの淹れてくれる茶は相変わらず美味しくて、心が和む。安楽椅子でしばしゆっくりした後、話を切り替えた。

「ところで、妙だと思わない?」

「何が?」

小首を傾げたのはミューだが、恐らく分かってやってくれている。

疑念を最初に出すことで、話を円滑に進めやすくしてくれているのだ。

「お粗末すぎる派閥抗争、苦労を知らないトップ、現実感の全くない攻撃、挙げ句の果てに内通者まで出す始末。 こんな国が、どうして今まで大陸一つを支配して、しかも此処までの安定を作ることが出来たのか」

「錬金術による技術の発展が原因じゃないの?」

「いや、それは流石に無理がある」

そう言ってくれたのは、参戦している聖騎士の一人だ。マリーの事はあまり良く思っていない様子だが、建設的な関係を作ることを留意してくれるので、ありがたい人物である。

「英明な王がいる国は栄えるし、盆暗な王では国は傾く。 この国の技術力は確かにあらゆる意味で優れているが、しかしトップがあの有様で、此処までの繁栄が作れるわけがない。 マルローネ殿が言うように、何かがおかしい」

「しかし、その何かとは」

「或いは、この国の真の支配者は、表に見える存在ではないのかも」

各地の重要施設の、まるで別の国のような重厚な守りを見ていて、マリーはそう感じたのだ。

まるで理にかなわぬ構造のこの国だというのに。

重要施設の数々だけは、それこそ蠅一匹入り込めないような分厚い現実的な警備によって守られていた。牙の中には侵入に成功した者もいるが、しかし大した情報は持ち帰れていないのである。

国の中に別の国がある。

或いは、錬金術アカデミーのような、特殊な組織がこの国を動かしているのかも知れない。もしくは、ごく僅かな人数だろうか。

そうなると、最早人間の領域を越えている。あのヴィント王でさえ、其処までの巧妙な統治は無理だろう。

それに、そんな有能な輩が裏で動かしているのだとすると、今回のお粗末きわまりない国境紛争に説明が付かない。

「なるほど、長老派を探るだけでは、埒が明かないかも知れないな」

「あれはもう適当に流すだけで良いかなと。 放っておけば内紛で自滅するような気もするし」

「母様」

「分かってるわよ」

アデリーに釘を刺されたので、積極的に内紛を煽るようなことはしないとフォローを入れておく。

別の騎士が挙手した。髭を蓄えた壮年の男だ。少しずつ、議論が白熱してきている。

「もしも黒幕的な何かがいるのなら、どう対処すべきでしょう。 マルローネ殿に妙案はありますかな?」

「まず、何か潜んでいそうな藪をつついて回るしかないかなと思うけれど。 ただ、そうなると犠牲を覚悟しなければならない」

もちろんマリーは、その犠牲に自身を含んで計算している。

騎士達が不安を浮かべる中、シュワルベが起立した。

「分かった。 藪については、俺達が調べ上げておく。 どれをつつくべきかは、あんたと聖騎士ジュストで判断してくれ」

「頼りにしてるよ、シュワルベ」

「……」

一瞬だけ、シュワルベの目に暗い光が宿るのを、マリーは見逃さなかった。

いずれにしても、これで準備は整った。第二陣が到着する前に、ある程度事を進展させることが出来るかも知れない。

ふと、窓の外を見る。

何かの気配を一瞬だけ感じたのだが、気のせいかも知れない。エル・バドールの間諜に、そんな実力を持つ者はいないからだ。

いや、或いは。

マリーは窓まで歩いていって、外を見る。身を隠せるような場所はない。

黄金の髪を掻き上げると、マリーは呟いた。

「手強いかも知れないか……」

手強い相手は大歓迎だ。マリーは自身の内にある闇が、久々に盛大に燃え上がるのを感じた。

 

(続)