冬の戦いとヒトの強み

 

序、狼煙

 

海上を、ゆっくり蛇行する巨大な影を確認した所で、シグザール王国海軍軍艦、ラプンツェルは面舵を切った。

予想通り、巨大な怪生物は追ってこない。相変わらず、縄張りに侵入した相手を、侵入している時間だけしか攻撃する気がない。カスターニェ港に現れた個体と、習性は全く同じだ。

フラウ・シュトライト。

その威容は、今だ聖騎士ローラの脳裏に焼き付いている。そして間違いなく、今泳いでいるのも同じフラウ・シュトライトだった。遠めがねを下ろしたローラは、髪を掻き上げながら、船長に言う。

「全速力で、カーナ港に急いでください。 繋ぎ狼煙で、ザールブルグに危機を伝えます」

「分かりやした! 野郎ども、帆を張れ! 全速力で港に帰港するぞ!」

「応っ!」

逞しい上半身を剥き出しにした初老の船長がしわがれた声を掛けると、勇ましく海の男達が応じる。シグザール王国の海軍はまだ歴史が浅いが、士気は非常に高い。衛星国などから人材を集め、独自の教育を施したことで、既に何処の国の海軍にも負けない技術を有している。経験だけが、現在の課題だった。

帆が風をはらんで大きく撓む。やはりフラウ・シュトライトは此方には興味もないようで、追ってくるそぶりも見せなかった。船の横から張り出した二十対のオールが、水を掻いて船を先に進める。帆の速度と合わせて、猫科の猛獣も恐れ入る速度で船は海上を疾駆した。

カーナ港に到着する。未だ未開発な部分も多い大陸の西部で、殆ど唯一と言って良い大型の港町だ。気候の問題でまだ人口はさほど多くないが、これからの増加が見込まれている。

船を急ぎ足で降りると、ローラは軍の司令部に急ぐ。他にも乗っていた何名かの騎士達が、ついてきた。

「あれはやはり、エル・バドールが送り込んできたものなのでしょうか」

「間違いありません。 しかし問題なのは、なぜこんな所に、という所なのですが」

この辺りの航路は開発が進んでおらず、基本的にここから南に行く線だけが活発に動いている。

しかし、フラウ・シュトライトが出現したのは、むしろ北行きの航路を塞ぐような海路である。その意味が、よく分からない。

エル・バドールは、本当に何を目的として、シグザール王国に喧嘩を売るような真似ばかりしてきているのか。

少し前、カスターニェからかなり西の海上に、以前より小型のフラウ・シュトライトが二匹いることが確認された。更に、カスターニェからはるか東南の海上でも、同じように海上を巡航しているフラウ・シュトライトが確認されている。

これらはいずれも、今の時点では警戒情報だけを出して放置している。実際問題、前回のカスターニェ港に現れた個体のような、直接的な脅威は一切無い。

「エル・バドールの包囲戦略でしょうか」

「包囲というものは、互いに連携が出来て初めて意味があります。 このような広域に戦力を配置するだけ、などという行為は、何ら意味のない事です。 戦力分散の愚を犯しているだけですが」

「何か、引っかかるのですか」

「ええ。 相手は常識外の怪物です。 或いは、これだけ離れていても、意思疎通をする術を持っているかも知れません。 もしそうだとすると、この一見無意味な配置にも意味が生じてくる。 慎重に行動するべきでしょう」

まだ出来たばかりの港町だから、人通りはまばらだ。港に入ってきた軍艦を見ても、民はそれほど動じる様子がない。

軍本部は、城壁の近くに作られている。中枢となっている政務を司る城とは少し距離があるが、これは意図的な設計である。もしも有事があった場合、一度の攻撃で全てが麻痺するのを防ぐためだ。

近年の辺境における治安悪化を受けて、こういった工夫は特に新興の都市で多く見ることが出来る。一応軍本部と言うこともあって周囲には堀が張り巡らされ、分厚い壁がそそり立っている。第二の城といった風情の要塞的施設だ。入り口は前後の二つしか無く、それぞれに跳ね橋があり、常時ハルバードを持った警備兵が守っていた。ローラが姿を見せると、何よりその青い鎧がものを言って、彼らは道を空ける。ローラと、何名かの騎士は、特にストレス無く中にはいることが出来た。

跳ね橋も作りがしっかりしていて、まだ新しい防御施設のうれしさがある。古くなってくると管理が杜撰になってきたり戦災で傷ついたりして、時には踏み抜いたりもするのだ。軍本部の中も、ぴかぴかに磨き上げられていた。

時々兵士の敬礼を受けながら、入り組んだ建物の最奥へ。

この街を中心として守備している屯田兵第十四師団の師団長であるクルレット少将が、司令室にいた。といっても、あまり大きな部屋ではない。少将は禿頭の大男で、今丁度書類の整備をしている所らしかった。

ローラが来ると、すぐに顔を上げる。一応笑みをつくって握手の手を伸ばしてくるが、内心ではあまり面白く思っていないかも知れない。

「これは聖騎士殿。 首尾はどうでしたか」

「すぐに繋ぎ狼煙の準備を。 間違いなく、フラウ・シュトライトです」

「やはり、そうでありましたか」

肩を落とす。

この男は、まだ歴史が浅いとはいえ、この都市の守備を大過なく務めてきた。だがしかし、フラウ・シュトライトなどと言う国家規模での対応が必要な相手が現れてしまった以上、それは過去の栄光にならざるを得ない。

しかも、この男に、何ら責任はないのにだ。

今回の件も、中央に情報が来るのは早かった。二十年前の大戦で後方勤務を余儀なくされていたとは言え、この男はずっと実直に務め続けてきたのだ。そしてやっと今、ここで地盤を作れるかと思っていただろうに。

ローラはまだ若造だが、その悔しさはよく分かる。

「将軍の情報が早くて、対応をスムーズに行うことが出来たのは事実です。 私から軍中枢に、今回の件における将軍の活躍は連絡させていただきます」

「左様ですか。 それでは、私は狼煙の指揮を取りに行きますので、これで」

無言で、部屋を出て行く将軍を見送る。

将軍が部下達を連れて狼煙台に行くのを見届けると、ローラは嘆息した。

「何だか、気の毒ですね」

「運がなかったという事でしょう」

「そういう言葉で、相手の不運を他人事と考えるのは止めなさい。 いつ私達に、同じ運命が降りかかるか分からないですよ」

「そうでしたね。 すみません」

まだ若い騎士に諭す。若いと言っても同年代の相手なのだが、ローラは最近、どんどん自分の心が老成されていくのを感じていた。

少し前までカスターニェであの鮮血のマルローネの補助をしていたのだが、それが原因かも知れない。そういえばマルローネの養子である聖騎士アデリーも、年齢の割にはやたら落ち着いていたが、何だかその理由も分かる気がする。

外に出て、狼煙台を見上げる。

既に暗号化された狼煙が、上がり始めていた。どんな気持ちで、クルレット将軍は狼煙を上げているのだろうか。そう思うと、やりきれなかった。

騎士を使者として、ザールブルグに派遣する。

狼煙で情報を伝えられるとは言え、詳細な情報の伝達にはやはり限界もある。打つべき手は、全て打っておかなければならなかった。

 

1、ホムンクルス

 

硝子容器の中に満たされた培養液が泡立っている。少し気を抜くと、あっという間に温度が上がり、意図しない反応が発生してしまうのだ。タイミングを計って的確に液体を追加していかなければならない。まだ、培養液を作る段階だというのに、これほど難易度が高い調合の連続になるとは。エルフィールは額の汗が落ちないように注意しながら、ゆっくり硝子容器の中の培養液を、長い棒でかき混ぜ続けた。

妖精のクノールが、簡単な調合を横で順番に片付けている。生きている縄何本かに手伝わせているが、まだまだ調合速度はそれほど早くない。

「次の中間素材、まだ?」

「もう少しで出来ます」

「そう。 急がなくて良いから、品質を重視ね」

ここを抜ければ、どうにかなる。素材はまだあるのだが、やはり緊張感は尋常ではない。

カスターニェから帰還してから、エルフィールは学科試験以外は全てこれに集中していると言っても良い。エルフィールが好きな生きている道具類の、頂点に立つとも言える存在が、ホムンクルスだ。

生きている箒が、節ばった足を動かして、かさかさと床を掃除していく。生きているゴミ箱が、口の部分に付けた小型のモップを回転させて、床の塵を綺麗にしていく。彼らの働きがあってこそ、アトリエの清潔は保たれている。

だからこそ、エルフィールは極めたい。生きている道具を、作り上げるという、今の調合を。

そして出来れば、最終的には。この分野にて、新しい発見をしたいものであった。

「出来ました」

「どれ、見せて」

生きている縄が、フラスコをクノールの手からひったくり、エルフィールの前にぶら下げる。透明度、匂い、問題なし。若干黄緑色をしたこの液体は、栄養剤に複雑な工程を加えたものだ。単体ではかなり強い毒なので、口に入れると危険である。しばらく観察した後、エルフィールは小型の硝子棒を取りだした。充分に煮沸消毒してある。

子供がまるまる入るほどの、ホムンクルス培養装置。

其処へ、中間素材の液体を入れる。フラスコを傾け、硝子棒で入れるのは、この薬剤が非常に反応しやすいからだ。

全てを流し込んだ後、クノールの方を見ずに指示。

「念入りに洗浄。 洗浄液は海綿に吸い込ませて、地下深くに埋めて」

「了解しました」

「さて、反応は、と」

培養槽は薄紫の液体が煮立っていたが、徐々に赤くなりつつある。ゆっくりかき混ぜて、この反応速度を少し遅らせる。

培養液の温度が、下がってきた。

同時に、痛烈な腐敗臭がアトリエに満ち始める。この反応を待っていた。もう少しで、培養液は安定する。

裏庭で、クノールがかちゃかちゃとフラスコを洗っているのが分かった。エルフィールはマスクをしているのに、何度か唇をなめ回した。

外は既に真っ暗だというのに、このアトリエだけは、不夜城のように外からは見えるのだろう。

隣のキルキが、時々食事を差し入れに来る。だが、礼をする暇もない状態であった。

一刻ほど、ゆっくり培養槽をかき回していたら、液体は血のように真っ赤になった。これで、第一段階は終了だ。不意に匂いが消える。硝子で培養槽に蓋をして、後は弱火でじっくり煮込むだけで大丈夫である。

クノールがアトリエに入ってきた。

「匂いが消えましたね」

「うん。 これで、培養液は出来た」

第一段階は、どうにか突破した。額の汗を拭う。

次は、ホムンクルスそのものを作らなければならない。はっきりいって、ここまでは誰にでも出来るのである。ここからは、方法が確立されていない。それ故に、手探りで動かなければならないのである。

ヘルミーナ先生は、独自の理論で成功率を上げている。

しかし、その圧倒的な量の検証によって作り上げられたホムンクルスも、寿命は二十年程度でしかない。

エルフィールも、まず不老不死のホムンクルスを作成したいと考えている。そのためには、あのヘルミーナ先生の先を行かなければならない。生半可な覚悟では、進めない路であった。

だが、エルフィールは生きている道具類が好きだ。多分これが、好きだという感情だ。

だから、全てを賭けられる。

それに、ぞくぞくする。自分が造り出した技術と理論が、世の中を変えるのだとしたら。自分が孤独になり、或いは放逐されることは多分無くなるはずだ。ドナースターク家の、能力重視主義から考えれば、なおさらである。

安定を見届けた所で、一眠りする。二刻ほど休んだ後、起きた。クノールを少し乱暴に起こすと、地下室から素材を取り出す。

一応、既に材料は全て用意してある。

少し前に、ダグラスに会って、一緒に騎士団の寮に行ってきた。其処で隙を見て、髪の毛やら何やらの生命情報を得られる物質を無作為にくすねてきた。男女関係無しに、である。

シグザール王国騎士団には、この国でも最も優れた戦士達が集っている。その生命情報である。生半可な強度ではないはずで、ホムンクルスの作成には最適の筈だ。

その髪の毛やらは、複雑な調合によって造り出した薬品で、なおかつ低温でじっくり煮込むことにより、生命情報のみを抽出してある。そしてそうやって造り出したエキスに、また生体物質を活性化させる液体を加えることにより、ホムンクルスの核を造る。

ただし、この核は目に見えないほど小さい上、とても脆い存在でもあり、特定の環境下に置かないと、一日と保たずに死んでしまう。

エルフィールが今手にしている試験管に入っている、薄緑の液体。それが、そのほんの僅かな滴が。ホムンクルスの素になるものだと言って、誰が信じるだろう。錬金術師以外には、まるで夢物語にしか思えないだろう。

「エルフィールさん、いよいよですか?」

「いや、ここは出発点だよ。 ホムンクルスを作る錬金術師は、誰もがここまでは来られるんだから。 問題は、魂を作ること」

魂かと、エルフィールは呟いた。

悪霊がいて、生きている縄が出来る。カトールが案内してくれる墓場に行くと、生きている縄に魂を定着させる事が出来、ほどなく動き出す。ならば、魂はあるのだろう。しかし、それは本当に、人間に作り出せるものなのだろうか。

何にしても、まずは肉を作ることだ。感情無き肉を作り、全てはそれからになる。

硝子の蓋を開けて、培養装置にホムンクルスの種を入れる。

ここからは長丁場になる。収入をなくすわけにも行かないから、しっかり仕事はしなければならない。

だが、温度さえ保っておけば、後は勝手にホムンクルスは成長する。今までの調合が、全て巧く行っていれば、の話だが。

「未だに私には信じられません。 本当に、生命をこんな機械で造り出すことが出来るのですか?」

「ヘルミーナ先生は、実際に造ってるよ。 アイゼルのとこのフィンフちゃんは、現にああして考えもするし動き回りもする」

「それは分かっています。 しかし、どうしても納得が行かないというのか」

「まあ、気持ちは分かる。 普通の生活をしている人間に、これは魔術ではなくて技術だって言っても、信じないだろうしね」

普通の作業に戻る。薬を作り、チーズケーキを焼く。人工レンネットを培養し、飛翔亭に持っていく。

だが、ホムンクルスを一度作り始めると、実際に子育てをするほどに手間暇が掛かる。そう言う意味で、ヘルミーナ先生は恐ろしく有能な人だ。あの人が一体どれだけ手広く動いているのか、エルフィールには想像も出来ない。

参考書に苦労することになると書かれていたが、その通りであった。

仕事をしては確認し、確認しては仕事に戻る。納品したら、まっすぐアトリエに戻る。培養液の中で、少しずつ肉体が出来はじめてからは、その傾向は益々顕著になった。多少煩わしくも思えたが、だが興味の方がより勝った。

 

雪が降る朝に、エルフィールが培養槽を覗くと、ついにホムンクルスがはっきりと人型になり始めていた。

まだ胎児よりも更に小さい存在でしかないが、こうはっきりと形になってくると、ぐっと来るものがある。

「本当に、人間の形になり始めましたね」

「何だか、面白いね。 人間は性欲をぶちまけると簡単に子供ができるのに。 それを技術力で実現しようとすると、こんなにも難しい」

「私達妖精は、そもそも有性生殖をしませんから、その話はよく分かりません。 ただ、この光景を見ると、薄ら寒いと思います」

「自然の摂理とかに、思い切り反してるものねえ」

エルフィールはちょっとおかしくなって、けたけたと笑った。クノールは、笑顔を保ったままだった。

硝子を何度か指先で叩いてみる。

生暖かい硝子の感触が、内部の培養液が健在であることを示している。この培養液は、完成するとある程度自己生成するので、定期的に入れ替える必要がない。ホムンクルスが育ちきるまでは、充分に保つのだ。

「とりあえず、第一段階は巧く行きそうだけど。 さあ、ここからどうするか、だなあ」

「この間概論は聞きましたが、普通にこのまま人間になってしまう場合もあるのでしょう?」

「そうなったら仕方がない。 私の娘として育てるよ」

小さいが、もう性別は分かる。まあ、もしもの場合、の話だ。そんな例はごく少数しかないと聞いているし、なったらなったで面白い話である。

ドアをノックする音。アイゼルだった。

「エリー、いる?」

「どうぞ」

ドアを開けて、アイゼルが入ってくる。フィンフの手を引いているのは、殆ど子供に対する接し方だ。

アイゼルは甘い母親になりそうだと、エルフィールは思った。

「それが、貴方のホムンクルス? あら、もう人の形になりかけてるのね」

「うん。 問題はこの先だけどね」

アイゼルが腰をかがめて、硝子の中を覗き込む。

肉塊は身動き一つしない。赤子は母親の胎内で結構動くものなのだが、これはやはり別種の存在なのだろう。

しかし、人間の血肉をベースにして造り出した存在であることに違いはない。成長過程は違っても、今後はこの培養槽の中で動くのかも知れない。いずれにしても、ヘルミーナ先生はかなりの部分を自己流でやっている。巧く作用しない場合もあるだろうし、覚悟しないとならないだろう。

「まだ、調整とかは出来ないの?」

「もう少し形がしっかりしてからかなあ。 調整の仕方も、参考書には書いてあるけれど、やはり肉体を触るんじゃなくて、培養槽に特殊な薬品を加えることで行うみたいだね」

「そんなの、どうやって分かったのかしら」

「実験したんでしょ。 もの凄い回数」

ヘルミーナ先生は天才だ。その天才が心血を注いだのである。恐らくは、とんでもない回数の統計情報から、この参考書は作られているはずだ。今アイゼルが手を引いているフィンフの下には、うずたかくホムンクルスの屍が積み上げられているも同然である。

酸鼻な話ではあるが、生体実験とはそういうものだ。そしてその大量の犠牲の上で今の幸福な生活がある点では、人間の社会にもあまり変化はない。

穀物や家畜の育て方を取ってもそうである。

しばらくアイゼルと、仕事の話をする。

アイゼルは少し前からお得意さんを増やして、かなりの金額を動かしているらしい。やはり宝石を使ったアクセサリや衣服類となると、ものによっては天文学的な値段がつく。仕入れに使う素材類も当然高くはなるが、動く金額も桁外れになるだろう。

オーダーメイドで対応することにより、アイゼルはリスクを減らしているようだが、それでもやはり危険は伴う。少し前に、取引先の一つから、作ったカフスボタンの受け取りを拒否されたらしく、かなりの赤字を出したという。

「貴方は手堅くやっているから平気だと思うけど、気をつけてね。 今回ばかりは、貴族の気紛れさにちょっと怒りを感じたわ」

「カフスボタンって、この間見せて貰った真珠をあしらったあれでしょ? 何処が気に入らなかったの? 相手」

「それがね、細工の一部の角度がいやだって言い出したの。 相手と入念に打ち合わせして作ったものだっていうのに、いざ完成してからよ。 冗談じゃないわ」

「仕方がないよ。 所詮はそういう相手だと思って、諦めるしかない」

それに、そんな貴族は長くは保たない。いずれ没落するのは目に見えているのだから、今の内に搾り取っておけば良いのである。まあ、アイゼルは相手につけ込み損ねた、という所であろう。

茶を飲みながら、愚痴を吐き出し合った後。アイゼルはもう一度、話をホムンクルスの作成に戻した。

「私にも、理論を教えて」

「いいけど、フィンフの妹か弟を作るの?」

「それもあるけれど、どうもヘルミーナ先生の教科書は苦手で。 あれを解読するのって、本当に骨が折れるの」

「何だかアイゼルらしいね」

ぐったりした様子でアイゼルが肩を落としたので、エルフィールは遠慮無く笑った。

まあ、気持ちは分からないでもない。学年度試験の度に、独創的すぎる試験を編み出して生徒を苦しめるヘルミーナ先生である。その脳内構造は天才であるが故に常人には理解できないものであり、著書も同じ事だ。

エルフィールが著書を読み解けているのは、執念と努力を重ねているからであり、なおかつ読み解く面白さを感じているからである。分かり易く書かれたマニュアルしか知らないような人間には、とても対応できるものではない。

アイゼルは苦手分野にもどんどん挑戦している様子だが、それでもとっかかりが欲しいと感じる部分はあるのだろう。

茶を飲み干したのを見計らった生きている縄が、さっとカップ類を片付ける。アイゼルは少し目を離した隙にカップが無くなったのを見て驚愕した。

「えっ!?」

「生きている縄だよ。 四番、七番、洗浄して」

台所で、かちゃかちゃと音がし始める。どの生きている縄も、今は先端部分を日常用に換装しているから、繊細な作業が可能だ。アイゼルはしばらく生きている縄の滑らかな動きを見つめていたが、もう一度疲れ果てたように嘆息した。

「何だかもう、何が起こっても驚かないわ。 あの縄達は、貴方の手足そのものね」

「ありがとう。 嬉しいよ」

席を立ったアイゼルを見送る。

そういえば、明日はノルディスがアトリエに移ったお祝いをするのだった。やはりお祝いにはチーズケーキが良いだろうなと思い、エルフィールはクノールを呼んで、材料を買いに行かせた。丁度材料が、尽きていたのだった。

 

ノルディスのアトリエは、エルフィールやキルキが使っているのよりも、かなり新しいように見えた。

アイゼルは若干古いアトリエを使っているのだが、それと比較すると、屋根も壁も、まるで色の鮮度が違う。アイゼルは別に気にしていない様子だったが、ノルディスはエルフィールとキルキを見ると、ちょっとばつが悪そうにした。

エルフィールは気にしていないが、キルキはちょっと小首を傾げている様子だ。とりあえず、全員を代表して、エルフィールがバスケットを差し出す。チーズケーキをホールで一つと、よそ行き用のお洋服、それにアルコール無しの炭酸飲料が入っている。

どれも、それぞれが得意とする錬金術の生成物だ。

「はい、ノルディス。 お祝い」

「ありがとう、嬉しいよ。 中に入って」

アトリエの中にはいると、異様に清潔な空間が目についた。塵一つ無く掃除してある。ノルディスの部屋も綺麗に片付いていたが、ここはそれ以上だ。働いている妖精が、ぺこりと一礼。

まあ、真新しいアトリエだし、ノルディスの性格もある。ちょっと綺麗すぎて居心地が悪いが、こんな所だろう。

客用の丸テーブルを囲んで、全員でチーズケーキを食べる。ノルディスは早速アイゼルが用意した学生用の服を着て見せた。アイゼルが目を潤ませて、うっとり見つめている。まあ、好みはそれぞれだ。

「に、似合うかな」

「うん。 いやあ、アイゼル、腕挙げたね」

「そ、そんな事はないわ。 着ているノルディスが、その。 ……服の良さを、引き立てているのよ」

「そうかな。 ちょっと自信ないな」

ノルディスは美男子でもないし、髪の毛も薄い。まあ、どう良く言っても、服に着られているというのが正しいだろう。

まあアイゼルがノルディス一筋なのは知っているし、それを邪魔する意味もない。人間関係を円滑にするためにも、微笑ましい二人を見守り、余計な横やりを入れないことは重要だった。

キルキの炭酸飲料を皆で飲む。

ちょっと甘さが舌に残る、不思議な飲み物だった。

「これは、少し黒いね。 材料は何を入れているの?」

「カラメル。 他に粗目とか、色々」

「炭酸と良く合っているわ」

「そうだね。 美味しい」

キルキは、飲み物が今度飛翔亭に出す新商品だと言った。やはり酒ばかり求められるのは、あまり気分が良くないのだという。

この飲み物は、キルキが作ったもののなかではもっとも庶民的で、しかし飲みやすいかも知れない。製法さえしっかり確立できれば、ザールブルグの名物飲料になりうるものだ。問題は粗目、というよりも砂糖が高級品だと言うことである。そう言う意味では、カラメルも粗目同様手に入れにくい。

「これ、原価高かったんじゃないの?」

「カスターニェで、原材料を安く手に入れた。 でも、こっちじゃ高いから、あんまり量産は出来ない」

「そうだよねえ。 問題は其処だね」

「サトウキビとサトウダイコンの種も貰ってきたけど、巧く育たない。 今のところ、全滅」

ちょっと悔しそうにキルキが言う。

確かサトウキビは暖かい気候が育成に必須で、サトウダイコンは逆に寒い気候でないと育たないはずだ。キルキは植物関係もかなり調べているはずだが、気候上での不利をひっくり返すのはなかなか容易ではない。

部屋を暖めるのには、かなりの燃料がいる。植物を部屋の中で育成するとしても、適切な温度を保つには莫大なコストが必要になってくる。妖精達をこき使ってもとても追いつかないだろう。

しかも植物には、陽光が成長のために必須だ。暖かい部屋を用意すれば、それで育てられるというわけでもない。南方の気候に適応している植物になると、そもそもザールブルグの陽光ではとてもではないが育たないという可能性も高い。

キルキもエルフィールと今は主席を争奪している間柄だ。学生の中ではトップの技量を駆使して、必死に欠点をカバーしようとしているのだろうが。それでも、巧く行かないのは、仕方がないのかも知れない。

「でも、もしも砂糖が量産できるようになったら、これは凄い事ね」

「ケーキ、誰でも食べられるようになる」

キルキが頷いた。結構真剣に、である。

砂糖がもしも庶民でも気軽に食べられるようになると、かなり文化の水準は向上する。エルフィールが発明した人工レンネットは既に量産が開始されており、チーズの値段は劇的に下がった。既に軍でもアカデミーとの提携を本格的に進めており、もしも契約が締結されれば、エルフィールには継続的に莫大な資金が入ることになる。もちろん全て研究費用につぎ込むことが出来る。それによって、様々な新しい研究をすることが出来るだろう。

キルキがもしも砂糖の大量生産技術を開発すると、その功績は人工レンネットの発明に匹敵するものとなるだろう。これは、ますます負けられなくなってきた。

「そういえばノルディスは、今後何の研究をするの?」

「ちょっと難しいんだけれど、エリキシル剤をもっと安価に作れないかと思っているよ」

「へえ」

エリキシル剤。

薬剤の頂点に立つとも言われる存在であり、体内の機能を最大限に活性化することにより、様々な病に対する特効を持つ、まさに究極の薬だ。難点はとにかく作成コストがかさむことで、貴族の家が傾くほどの資金をつぎ込まなければ作れない。しかも作成難易度も、マイスターランクの学生が尻込みするほどの代物である。

多分、錬金術の知識、特に薬学に関しては、この面子の中でノルディスが一番上だろう。それを考えると。ひょっとすると、ノルディスの夢はかなうのかも知れない。

この四人は、マイスターランクに進む。エルフィールはそう決めているし、アイゼルもノルディスも実力的には充分それに匹敵する。キルキに到っては、多分アカデミーの方が離さないだろう。

マイスターランクに進んだ後は、それぞれの夢に向けて邁進することが出来るだろう。エルフィールも、それは同じ。ドナースターク家で地位を確保し、噂に聞く鮮血のマルローネに次ぐテクノクラートになるか、或いは軍との交渉を受け持つパイプ役として、活躍できるかも知れない。

其処には、孤独はない。

明るい未来だった。

不意に、ドアがノックされる。感じたことがない気配だ。

「誰かしら」

「アイゼル、僕が出るよ」

腰を浮かせ掛けたアイゼルを制止すると、ノルディスがドアに。気配は、じっと此方を待っていた。

ドアを開けたノルディスが、驚愕の声を漏らす。

「君は!?」

「……初めまして。 あら、噂の野生児軍団がそろい踏みかしら」

にこりと微笑んでみせる浅黒い肌の女性。右手には、松葉杖をまるで愛用の武器か何かのように携帯している。

フランソワ。去年の学年度試験で復帰し、今やノルディスをがっちり抑えて学年三位の座を不動のものとしている相手だ。南方人らしいその容姿と、黙々と高得点をたたき出す事から、既に学生達の間でも話題になっている。

エルフィールも何度か接触を試みてみたのだが、兎に角言動が冷え切っているので、会話が難しい。キルキのように片言というわけではなく、喋り方はしっかりしているのだが。コミュニケーションに興味がないように見受けられた。

足の方は、歩けるようにはなっている様子だが、まだリハビリが必要そうである。冷静に観察しているエルフィールに気付いたか、フランソワは好戦的な笑みを浮かべた。

「エルフィール、それにキルキね。 長く私がいなかったから首位を争っていられるようだけれど、最終学年は楽には行かないわよ。 覚悟しなさい」

「望む所」

意外にも、キルキが挑発を真っ正面から受けて立った。キルキにしてみれば、三年連続でトップを張ってきたという意味で、意地のようなものが生じていると言うことだろう。アイゼルはむっとした様子でフランソワを見つめていたが、三位は相手にもしていない様子だ。

何だか、雰囲気が似ている。ひょっとすると、フランソワは、貴族か何かの出身かも知れない。あり得ない話ではなかった。アカデミーに来ているのは、アイゼルを例に出すまでもなく、富裕層の子弟が殆どなのだ。

「貴方、貴族の子弟?」

「いいえ。 私はフランソワ=フォン=バルドフォルン。 バルドフォルン家の当主よ」

これはまた、面白い肩書きが出てきた。にこにこしているエルフィールの表情を、挑発と取ったのだろう。フランソワは、不敵な笑みを浮かべたまま言う。

「今年、首位を奪取させて貰うわ。 そしてマイスターランクに移った後も、貴方たちには負けない」

「うん、楽しみにしてるよ」

エルフィールの言葉に応えず、松葉杖をつきながら、フランソワはアトリエを出て行った。

最初の頃のアイゼルよりも更に好戦的で、なおかつ余裕がない人物に思えた。今回の宣戦布告も、多分相手の様子を確認しないと不安で仕方がなかったのだろう。かなり才能はあるようだが、しかし。

「何よ、あの子。 話したことはなかったけれど、あんなに非礼だとは思わなかったわ」

「アイゼル、珍しくお冠だね」

「当然よ。 貴族ならば、優雅に余裕を持って行動するべきだわ。 あのような上から見下ろして相手を侮蔑するような行動、貴族の恥よ。 まして当主だというのなら、なおさらでしょうに」

多分アイゼルは、最初の頃ノルディスの好意から、エルフィールに対して似たような態度を取っていたことに、自分では気付けていないのだろう。

キルキがしきりに小首を傾げているのは、アイゼルは何を言っているんだと、不思議で仕方がないからに違いなかった。もっとも、キルキはアイゼルと大の仲良しだ。そんな事は言わない。

「何だか、好戦的な人だったね」

「違うね。 あれは余裕がないんだよ」

エルフィールがそう言うと、アイゼルはきょとんとして、キルキは納得したらしく手を叩いたのだった。

 

冬はあっという間に過ぎていった。

ドムハイトの情勢が沈静化したという噂も聞いたが、既に王都は三分の一が灰という有様だという情報も同時に入ってきた。これでは、ドムハイトの権威は地に落ちたといっても良い。もともと内乱が続いていたという状況であり、今後は国力の低下が一層酷くなることだろう。

ホムンクルスは着実に培養槽の中で育っていったが、やはりヘルミーナ先生の著書にあるよりも、だいぶ発育が遅い。ヘルミーナ先生の作るホムンクルスは二ヶ月ほどで生育すると言うことだが、エルフィールのはまだようやく三歳児くらいになった程度であった。

このままだと、春が終わる頃にやっと適切な大きさになる、といった所だろう。このままだと、ちょっと効率が悪い。

元々、この後魂を作る作業と、思考を作る作業が控えているのである。もしもこの個体が失敗した場合、かなりの時間をロスしたことになる。技術的な向上という点ではあまり損はないのかも知れないが、しかし金銭的な面では大幅なロスが出るし、何よりも他の面子は効率の良い作業をしている事を考えると、あまり分が良い事だとは思えない。

培養槽を覗き込む。

すっかり性別が見て取れるようになったホムンクルスは、胎児のように身を縮めて、身じろぎ一つしない。

騎士団の人間達から片っ端から情報を集めただけあって、一度カトールに見せた所、相当な潜在能力と魔力を持っていると太鼓判を押してくれた。それはとても良いことなのだが、いっそのこと普通の人間として育ててしまうのもありかと思ってしまう自分に気付いて、ちょっと嫌悪感を感じてしまう。

これでは駄目だ。

こんな事では、いずれ未来は閉塞してしまう。

時々、夢に見てうなされるのである。大きな失敗をして、ドナースターク家に見放される自分。孤独の中、掛かる追っ手。誰もエルフィールを助けられる者はおらず、追い詰められ、やがて闇の中で命を落とす。

それは、それだけはいやだった。

「ねえ、ホムンクルスちゃん。 どうしてそんなに育つのが遅いのかな」

話し掛けても、ホムンクルスは応えてくれない。

培養液の中で、泡がただ上がり続けていた。

 

ザールブルグの街を歩いていたダグラスは、ふと強い気配を感じて顔を上げた。少し前にドムハイト国境の任務から帰ってきたばかりである。感覚は戦場にいるように研ぎ澄ませてある。

だから、気付いたのだが。一瞬後には、かき消えていた。

しかも気配を感じたのは、墓場の方である。あんな所に、何があるというのか。今ダグラスの背筋に走ったのは、相当な強者の存在を感じ取った時の悪寒だ。そう、騎士団長や、あのクーゲルのような。

墓場には、悪霊がたくさんいる。

悪霊は所詮悪霊に過ぎない。人間に対して危害を加えられるような代物ではなく、精々闇の中から脅かすくらいが関の山だ。しかしながら、時には、とても強力な存在に、成長することもあるという。

気配を感じた以上、放置は出来ない。ダグラスは一旦騎士団の本部に向かうと、霊感を持つ騎士に同行を願った。剣ではなく術式で騎士として認められたその男は、禿頭の眼帯をした人物であり、いつも噛み煙草をくちゃくちゃと噛んでいるのだった。背も低く、騎士と言うよりは質の悪い詐欺師のような風貌である。

だが、仕事はきちんとすることでも知られている。その騎士と一緒に墓場に。別に文句を言うこともなく、親のような年の騎士はダグラスに着いてきた。

男は周囲をゆっくり見回しながら、ナマズのような髭を弄り廻す。

「ちょっと前まで、もの凄いのがいたようですなあ。 それに引き寄せられて、悪霊が集まったんじゃないんすかね。 こりゃあ巧妙に偽装してる。 経験の浅い奴には分からないかも知れませんな」

「もの凄いの?」

「今はもういねえです。 もっとも、もの凄いって言っても、人間に手に負えない存在なんか、この世にはいねえですけど」

男はせせら笑うと、墓石を見回って、聖水をかけ始めた。ダグラスには何が行われているのかよく分からないが、多分悪霊を浄化しているのだろう。

半刻ほど男は作業を続け、自分の首筋を揉みながら言った。

「もう危険はありやせんぜ。 もっとも、最初から悪霊に出来る事なんか、知れてやすけどね」

「そうか。 ありがとう」

「いえいえ、どーも。 疲れたんで、本部には帰らないけど、いいすか?」

「ああ、ご苦労だったな」

夕刻になろうとしている。男は騎士団本部に戻らず、色町の方へ向かった。別に止めることもない。大人が、自分の給料の範囲内で、合法的な行為を行うのなら別に構わない。

ザールブルグでは売春の類は限定的な条件下で認められている。色々と条件は厳しいが、それさえ守れば別に犯罪組織と絡まずとも商売が出来るので、民の間でも評判は悪くない。ダグラスも何度か利用したことがあるが、どうも味気なくて仕方がなかったので、止めた。どうも好きでもない異性を、わざわざ金を払って抱くという感覚が理解できないというのが一番大きいのかも知れない。

それに、時々思う女の顔と言えば、故郷で苦しい生活をしている家族の事ばかり。特定の女性がいないというよりも、剣一筋で生きているが故に、ダグラスは子供なのかも知れなかった。

悪い意味で、気になる女はいる。だが、それはまた話が別だ。

一度だけ、墓場に振り返る。

彼処に入るまでに、少なくとも家族は貧困から救いたい。ダグラスは、そう思った。

 

2、第二次海竜討伐の前に

 

王宮を訪れたヘルミーナは、ヴァルクレーア大臣に案内されて、王の寝室に向かった。ヴィント王は滅多なことでは人に会わない。最初会った時、その理由がよく分かった。体の衰えが、酷いからだ。

頭の方は、いまだ英明を保っている王だが、どうしても年齢による肉体の衰えには勝てない。普通頭から来る衰えが、体の方を蝕んでいるという状況だけは歓迎するべきなのかも知れないが、それも何時までも続くものではない。

幸い、暗愚と言われていたブレドルフ王子が、近年目立ってしっかりしてきたので、王宮内での不安も緩和されつつあるという。だが、それでも、現在は外憂の度が大きく、ヘルミーナはそのためにも何度も王宮に足を運ばなければならなかった。

対達人用の戦術を身につけた牙に周囲を固められ、王の寝室に出向く。王はベットにうつぶせになり、侍女に腰を揉ませている所だった。あまり器量の良い侍女ではないが、マッサージの技量は確かなようである。

「うむ、来たか」

「相変わらず衰えが酷いご様子。 私が強壮剤を調合いたしましょうか」

「そうか、頼むぞ」

体を起こさないまま、王は言う。何を言うべきか、ヘルミーナが来る前に、全て考えていたのだろう。

発言にはまるで澱みがなかった。

「フラウ・シュトライトの解析は終了したか」

「はい。 既にイングリドが弱点も発見しております」

「そうか、それは重畳。 すぐに対処が可能か」

「問題ありません。 何なら、私がイングリドと出向いて、西の海に現れた一匹を退治して参りましょう」

王が目を開けて、ヘルミーナを見た。

まだ、王からこの情報は聞かされていない。しかし独自の情報網を持つヘルミーナに、このくらいの芸当は朝飯前であった。王は鼻を鳴らすと、再び目を閉じる。侍女のマッサージを受けながらも、話を続ける。

「エル・バドールは愚かな連中のたまり場のようだな。 そなたを飼い慣らしておけば、我がシグザールに対抗する手駒も増えたであろうに」

「あの国は、技術が発展しきった結果、爛熟してもはやこれ以上先に進めなくなった場所にございます。 我らにとっては、この生命力溢れるシグザール王国こそ別天地。 今後も良き関係を築くことを願っております」

「良く言う」

王は少し呆れたようだが、後は簡素に命令だけを伝えてきた。

西の海に現れた、フラウ・シュトライトを抹殺せよ。

今後大陸の西海岸に沿って、北へ向かう航路を開発するつもりなのだと、王は言う。フラウ・シュトライトは数十年後の国家戦略にとって邪魔な相手なのだとも。

こんな事を教えてくれるのは、よほどアカデミーに対して期待していると言うことだろう。逆に言えば、成果を残せなければどんな事をするか分からない。如何に自身とイングリドが揃っているとは言え、シグザール王国を本気で敵に回して勝てると思うほど、ヘルミーナは夢想家ではない。ヘルミーナは心地よい緊張感に身を包みながら一礼し、王宮を出た。

今までの言動は、別に不思議なものではない。普段の彼女を知る者が見たら驚倒するだろうが、知ったことではない。

その気になれば、ヘルミーナは幾らでも儀礼を守れるし、「平均的な」言動を取ることが出来る。そうしないのは、していても面白くないからだ。天才の頭脳では、常識だの平凡だのは笑止な小市民的社会規範にしか見えない。そんなものに囚われていては、発展も発明も栄光もない。それが、ヘルミーナの理論であった。もっとも、理論以上に、窮屈な常識などに縛られるのが面倒だという部分も少なからずあるのだが。

アカデミーに戻ると、クルスを呼びつけて、肩を揉ませる。

「マスター。 お疲れですか」

「まあね。 これから面白い事になるから、良いのだけれど」

「面白いことですか」

「血肉を海にぶちまける殺戮ショーよ」

椅子に腰掛けたまま、ヘルミーナはイングリドが挙げてきたレポートを捲る。

やはり、フラウ・シュトライトには必殺の効果を示す毒がある。緻密で機械的で、退屈なレポートだが、得るものは多かった。流石はイングリドである。その頭脳の精密さについては、ヘルミーナも認める所であった。

「ふうん、なるほどね。 これなら確かに、そう苦労せずにあの海蛇を屠れそうだわ」

「マスターも戦われるのですか?」

「もちろんよ。 こんな面白いこと、放っておけるものですか」

ヘルミーナはひとしきり笑うと、この毒をフラウ・シュトライトの強固な装甲をぶち抜いて叩き込む機械について、考え始めたのだった。

 

培養槽から、眠ったままのホムンクルスを引き上げた。見た目は大体六歳から七歳という所である。赤い髪の、可愛らしい女の子だ。目をつぶったままで、身じろぎさえしないが。

息だけはしている。

しかし、培養液から出すと、ホムンクルスは苦しそうに呻いた。環境があまりにも違いすぎるからだろう。今の時点では魂もない肉塊だが、苦痛だけは感じるというわけだ。その辺りは少し面白い。

ここからは、外科手術になる。

「クノール、培養液を定期的にホムンクルスの体に塗って」

「分かりました。 しかし、本当に普通の女の子と区別がつきませんね」

「そりゃあ、肉としては人間と変わりがないからね。 ヘルミーナ先生の話だと、適正な肉体的成長を遂げた後は、子供だって作れるそうだよ」

最初はキルキに手伝って貰おうかとも思ったが、これだけは自分でやっておきたかった。

ホムンクルスの制御系中枢と、それに外科手術の方法は、ヘルミーナ先生の著書に載っている。かなり難しいが、どうにかなるだろう。動物を散々捌いて解体のスキルを上げていることが、今役に立つ。

これから行う手術は、人間に行ったら確実に死ぬ。だが、ただ息をしているだけの肉だから、どうにか耐えられるというものだ。流石にエルフィールも、少し緊張した。

ゲルハルトの言葉がよぎる。失敗しても、無惨なことはしないように、と。あの人物の技術力は、今後もエルフィールにとって必要だ。不興を買わないようにするためにも、言うことは聞いておかなければならなかった。

取りだしたのは、光石の塊である。

この光石は、エルフィン洞窟などで採取できるものであり、擬似的な命令回路を形成することが出来る。これで擬似的な魂を造り出したのだ。

これが巧く魂になっているかは、あまり自信がない。

吸血鬼の心臓部から取りだした手鏡をセットした魔法陣で、魔力はしみこませた。魔法陣の書式などは、何十編も確認して、間違いないようにした。文法なども、ヘルミーナ先生の解説を何度も見て、分からない場合は直接本人に聞きに行って、徹底的に地固めを行った。

光石も、ただ固めたのではない。

生きている道具類の技術を利用して作成している。まず周囲の部分は、有機物で作った。これは培養槽の液体を固体化したものであり、ここにホムンクルスの材料となった人間達の情報を入れている。これにより、かなり拒絶反応は緩和できるはずだ。

更に生きている道具類の技術を使い、有機物には無数の悪霊を憑依させている。この悪霊については、カトールと入念に話し合い、自意識が非常に薄いものばかりを厳選した。そうすることで、安定を求めるように動かす事が出来る。

つまり、肉に埋め込むと。周囲に馴染むように、自主的に動くというわけだ。

生きている道具類を作り込んでいるエルフィールだからこそ作ることが出来た、独自の工夫である。もしも成功したら、ヘルミーナ先生が褒めてくれるかも知れない。

これでも、新学年早々、徹底的に勉強を重ねて、努力が無駄にならないように工夫を続けたのだ。

仰向けにしたホムンクルスの、薄い胸板にメスを走らせる。ヘルミーナ先生が書いた人体の図を参考にして、大きな血管を切らないように、慎重にだ。適切な大きさの穴が開く。ホムンクルスの生白い肌から、大量の鮮血があふれ出していた。大きめの血管は避けたが、まあ当然のことだ。

光石を埋め込むのは、心臓と肺の間である。何も全てが体に収まるようにしなくても良いと、ヘルミーナ先生の著書にあった。実際アイゼルに頼んで、フィンフを裸にしてみたのだが、あちらは背中に疑似魂を埋め込んでいた。

背中の方は、非常に技術が要ると言うことで、今回は避けた。

もぞもぞと蠢いていた疑似魂が、周囲の肉と同化していくのが分かる。さて、ここからが問題だ。

止血剤を傷口に塗り込み、縫合する。内側で疑似魂が動いているのが分かった。

これが、巧く神経系と接続して、なおかつ安定してくれれば。ホムンクルスはこの疑似魂を核に、命を持つ。また、成長しきっていない段階で核を埋め込んだのも、拒絶反応を抑えるためだ。

ヘルミーナ先生の著書によると、培養液には本来人間として成長する肉に、様々な変更を加える成分が入っているという。そういえば、耳は少し尖っているし、髪の毛も赤いが少し緑身が掛かっている。まぶたに指をかけて、瞳を覗いてみる。澄んだ空を思わせる青さであった。

縫合を終えて、また培養液に戻す。

これで後二週間ほどで、巧く行けば目を覚ますはずだ。

裸の体は、また膝を折って培養槽に戻った。培養液の中で溺れている様子もない。クノールが、やはりけったいだと呟いた。

「何だか、触れては行けない領域に手を触れている気がします」

「ある意味では、そうだろうね。 倫理とか道徳とか言い出したら、絶対に進歩しない技術分野だし」

「この子がホムンクルスとして生を受けたとして、長くは生きられないのでしょう?」

「現状では、寿命は二十年だそうだよ。 次の世代は六十年生きられるようにするって、ヘルミーナ先生は言っているみたいだけれど」

その研究を、先生は見届けることが出来るのだろうか。あの先生なら、二百年でも三百年でも生きそうでちょっと怖い。

しばらく容体を観察したが、すぐに血は止まった。拒絶反応が出ている様子もない。痛み止めは必要なかったようだ。いずれにしても、まだただの肉である。人間の形はしているが、生体機能が動いているだけで、生きているとは言い難い。

容体の安定を見届けてから、手術用具を片付ける。手を洗って、それで終了。そういえば、血の臭いも少し人間とは違う。肉の味はどうなのだろうと、エルフィールはちょっと興味を感じてしまった。

ドアをノックする音。キルキかと思ったが、違う。

何と、ヘルミーナ先生だった。

ヘルミーナ先生は、満面の笑みである。まるで地獄から這い上がってきて、獲物の人間の群れを目にして涎を流す魔王がごとき姿だ。普通の子供だったら怖がるどころか心臓が止まるかも知れない。

ドアを少しだけ開けると、ヘルミーナ先生は隙間から指をさっといれて、万力のような力で開いた。とてもワイルドな入り方である。

「エルフィィイイル。 ホムンクルス作成が佳境に入ったという話を聞いて、早速見に来たわ。 是非見せて頂戴。 今すぐ」

「ようこそ、ヘルミーナ先生」

上がって良いとは言っていないのだが、ずかずか勝手にアトリエに上がり込むと、先生は無遠慮に辺りを見回した。

この人は、相変わらず必要の無い相手には常識とか礼儀とかを守る気が一切無い。生徒は彼女の玩具であり、観察対象でしかないのだ。傲慢だが、天才であることは間違いない。この人が、徹底的な検証の末に造り出したノウハウがなければ、エルフィールもここまでホムンクルス作成を進められなかっただろう。

培養槽を見て、ヘルミーナ先生はにやりと笑う。近くで腰をかがめて、膝を抱えて培養槽に入っているホムンクルスを見つめた。

「手術は巧く行ったようね」

「生きている縄の技術を使って、生体拒絶反応が出にくいよう工夫をしました」

「経過と理論は纏めてある?」

「此方です」

ヘルミーナ先生は、エルフィールが差し出したレポートを受け取ると、凄まじい速度でページを捲り、最後まで見ると鼻を鳴らした。退屈な文章だと、毒づく。

「面白い理論なのに、独創性の欠片もない構成ね。 全部絵で描くとか、暗号にするとかしてもいいのよ」

「いやあ、其処まですると、先生くらい頭が良くないと読めませんし」

「で、この子の名前は?」

「まだ決めてません」

ヘルミーナ先生は、必ずホムンクルスにクルスという名前を付けるという。ただし、今回生徒達に貸し出している者には、この地方の方言数字で1とか2とか名付けている。フィンフはその法則で行くと5番目だ。

エルフィールも、別にそれで良いような気がする。

孤独は嫌だと思うのに、家族が欲しいとは全く感じない。幼い子供を見ても、可愛いとかあまり思わない。思う時もあるが、煩わしいと感じる方が多い。母性だだ漏れでアイゼルがフィンフをかわいがっているのを見ると、微笑ましいとは思う。だが、自分がそうはなれないとも、また考えるのだ。

ヘルミーナ先生が、ホムンクルスを見る目が、吃驚するほど優しいことにエルフィールは気付いた。だが、それも一瞬のことだった。

「理論的には問題がないし、多分成功するでしょう」

「本当ですか?」

「ただし、寿命は多分十年くらい。 それは覚悟しておくように」

ヘルミーナ先生は言う。

心臓近くに埋め込まれているコアには、それの周辺に微弱な意識がある。それが短期的には拒絶反応を巧く消すが、長期的にはマイナスになって来るという。

如何に自我を消しているとは言え、体の中に複数の意識があるも同じ状態は、やはり負担が大きいのだそうだ。

「貴方のやり方はとても独創的で面白いけれど、ホムンクルスの耐久力と寿命を延ばすつもりであれば、更に工夫しないと駄目よ」

「なるほど。 参考になりました」

「私が出先から戻る頃には、この子は培養液から出られるのかしらね。 エルフィィイイイル、貴方の独創的なやり口が、この子の寿命を縮めないように、祈ることが重要だわ」

立ち上がると、そのままヘルミーナ先生は出て行ってしまった。

嘆息する。著書でこういう人だと言うことは分かっていたが、やはり接すると疲れる。だが、それがまた面白くもあった。

分かり易いアイゼルやキルキと違って、ヘルミーナ先生は何を考えているか、全く見えてこない時も多い。単純な相手よりも接するのが難しいが、それがまた楽しくもある。感情が未だにろくに存在しないエルフィールにとって、自分を楽しくさせてくれる相手は貴重だった。アイゼル然り、キルキ然り。そして、ヘルミーナ先生も、間違いなくその一人だった。

クノールはずっと二階に隠れていたが、ヘルミーナ先生が来た時同様勝手に帰ると、一階に下りてきた。

「あの先生、怖いです。 何考えているか、全く理解できません」

「分からないでもないけど、分かってくると楽しい人だと思うよ」

「……」

クノールが得体の知れないものでも見るかのようにエルフィールを見つめたので、咳払いを一つ。

まだ、進めておかなければならないことは、幾らでもあるのだった。

 

アカデミーに戻ったヘルミーナは、クルス他、数名のホムンクルスを集めた。このうち何名かは、研究上の見込みがないと判断して、学生の手伝いから戻した者達である。アイゼルの所のフィンフのように、ホムンクルスがマスターである人間と理想的な関係を築くのは、とても難しいのだ。

今回は、ヘルミーナの作ったホムンクルスと言うことで、学生達は最初から腫れ物でも扱うように彼女らと接した。それがむしろ良かったかも知れない。ヘルミーナの作ったホムンクルスであり、実の子のように大事にしている、という事がなければ。学生達はほぼ間違いなく、虐待をホムンクルス達に加えていただろう。

ホムンクルス達の新しい「里親」は既に選定済みである。二年から三年のアトリエ組が殆どだ。授業組の生徒は、この間の実験で殆どが駄目だったので、今回は選ばない。

「グランドマスター・ヘルミーナ。 我々は何をすればよいのでしょう」

ドライと名付けたホムンクルスが、先頭に立って発言する。

同じクルスのコピーであっても、個性が出るのが面白い。学生どもには見分けがつかないようだが、ヘルミーナは微妙に変えてある容姿、何よりも生体魔力で見分けることが出来る。もっとも、それが無くても、雰囲気で大体は分かるのだが。

このドライは、以前いた学生のところで、力仕事ばかり延々とやらされていた。しかも長時間かかる仕事ばかり、である。そのためか、妙に仕事に積極的になっている。退屈な時間よりも、緻密な作業を少しでも早く貰いたい、というのだろう。

実に可愛らしい。涎が流れそうだ。

「貴方たちには、これから海竜フラウ・シュトライトを殺すための道具を作成して貰うわ」

「海竜ですか」

「そうよ。 道具を使って海竜を殺すのは、私とイングリドだけど」

「分かりました。 レシピと材料をいただけますでしょうか」

用意してあるレシピを机上に拡げると、ホムンクルス達はわらわら群がって、それを読み始めた。

今回は、イングリドが作成した毒を、如何にフラウ・シュトライトの体内に送り込むか、が重要になってくる。

奴の構造を解析した所、表皮は駄目だ。表皮は四重の構造になっており、爆発物はおろか毒も簡単には通さない。その上、生命力も桁外れに強い。マルローネの報告によると、一度などは飲み込ませたフラムを起爆し、表皮を内側から貫通したにもかかわらず、まだ動いていたという。

つまり、体内に傷を作り、其処から毒を注入しなければならないのである。

クラフトなどの爆発物を飲み込ませるのが一番簡単だが、それだと確実性がない。其処で、今回はヘルミーナの疑似生命作成技術を使用する。

まず最初に、レイヨウ類の角を加工する。何種類かの、まっすぐかつ鋭く尖った角を持つ種類のものを厳選。これの中心部をくりぬき、なおかつ外部に螺旋状の溝を掘る。ホムンクルス達が早速作業を始めた。ヘルミーナが作り、クルスとして鍛えた記憶を継承しているだけあって、作業はスムーズだった。

そして、次は動力部分だ。

幾つかの部品に、用意してある墓場などから取ってきた道具から、悪霊を憑依させる。わざわざ擬似的な魂を持たせるまでもない。今回使うのは、生者に憎悪を持つ悪霊程度で充分である。

部品は三角形だったり四角だったり箱状だったりと様々だが、組み合わせていくと魚に近い形状になる。主にひれに近い部分に、悪霊を憑依させる。

その魚の中に、革袋をセット。

羊の胃袋を加工して作り上げた革袋にも、悪霊をセット。特定の反射に反応して、収縮するように暗示を植え込む。

最後は尾びれだが、これは放射状に四つ付ける。回転することにより、より高速で海中を進むためだ。

名付けて、ヘルミーナ製、魚爆雷。

問題は攻撃対象をどのようにしてフラウ・シュトライトに絞らせるかだが、これについても幾つか工夫は考えついてある。

ドアをノックする音。

ホムンクルスの一人が開けると、イングリドだった。

「どう? 順調?」

「ええ。 見ての通りよ」

机上のレシピに目を通したイングリドは、何度か頷く。

魚型をしているだけではなく、この爆雷には色々と工夫がしてある。例えば突き刺す角についても、ただ刺すのではない。魚の中には吸盤つきの触手が格納してあり、フラウ・シュトライトに接近した所でそれを伸ばす。

そして肌に自らを吸着させると、後は回転してその皮膚を食い破り、中に潜り込んでいくのだ。

角の長さは、フラウ・シュトライトの皮膚を貫通できるように計算して作ってある。そのために、わざわざ常夏のメディアの森にまで出かけてきて、レイヨウ狩りにいそしんだのである。

爆雷は全部で五機作る。フラウ・シュトライトを叩き殺した後、これを量産する体制を整えれば、もはやかの巨大な海竜は敵ではない。エル・バドールに、今更フラウ・シュトライトを改良する技術的発展の余地はないだろうし、他の戦略級クリーチャーウェポンを出すにしても、本土決戦に使うようなものしかない。海上で猛威を振るうフラウ・シュトライトは防衛迎撃に最適だが、エル・バドールはその使い方を誤った。人間は一度戦った相手には、いずれ対抗策を編み出すものなのだ。

あれだけ派手に暴れさせれば、対応戦術が作り上げられるのは自明の理である。その上、ヘルミーナとイングリドがシグザール王国についているのだ。数年も時間稼ぎが出来れば重畳である。

エル・バドールの無能な長老どもが何を考えているかは分からない。いずれにしても、これでもはや連中を守る鎧はなくなった。シグザール王国がエル・バドールに大軍を送り込むとか馬鹿なことをしなければ、もう勝ったも同然だ。

だが、どうもいやな予感がするのである。

「ねえ、イングリド。 この戦いが終わったら、マルローネをエル・バドールに送り込みたいのだけれど、どう思う?」

「どういうつもり?」

「どうもエル・バドールの動きがきな臭いと思わない? 長老達が無能なことは良く知っているけれど、それにしてもあまりにもお粗末すぎる。 この国の対応能力を試しているかのようじゃない」

そういえば、ドムハイトのクーデター騒ぎも、どうして今更というものであった。アルマン王女は今地歩を確保しつつある状況であり、仕掛けるのなら他にもタイミングが幾らでもあったはずだ。

イングリドは腕組みして考え込むと、しばらくして結論する。

「確かに、おかしな部分は多いわね。 マルローネであれば、エル・バドールの状況を的確に探り出しては来られると思うけれど」

「私達じゃあ目を付けられているものね」

「分かったわ。 検討しておきましょう」

イングリドは幾つか細かい打ち合わせをすると、部屋を出て行った。

部屋の中を歩き回って、考えを纏める。そうこうしている内に、最初の爆雷が完成した。動きを見て、問題のない品質であることを確認。尾びれは実に力強く回転し、水中を凄まじい勢いで進むこと間違いなかった。

ただし、流体力学に関しては、流石にヘルミーナも専門家ではない。出来るだけ考慮はしたが、完璧を期するには、試運転が重要だ。

早速試運転するべく、ストルデル川に出向く。ホムンクルスを二体連れて、爆雷を運ばせた。殆どが木で出来ているが、爆雷は人間よりも少し大きいくらいで、角の長さも本体に近いくらいはある。

通り過ぎる学生や通行人達は、皆ぎょっとした様子で、ヘルミーナが運ばせている爆雷を見つめていた。実に気分がよい。

軍事機密ではあるが、見られた所でどうにかなるようなものではない。そういえば、内部に爆弾を仕込めば、海上戦でも強力な武器になりそうだ。いずれ検討しようと、ヘルミーナは思った。

街の東門で流石に衛兵に呼び止められたが、錬金術アカデミーのヘルミーナだと名乗ると、すぐに青ざめて通してくれた。意気揚々と、ストルデル川に向かう。時々、スキップさえ混じってしまった。

途中、アイゼルを見つけた。採取の帰りらしく、籠を背負っていたアイゼルはヘルミーナを見るや真っ青になって固まった。護衛らしい茶髪の青年は見覚えがある。確かルーウェンとか言う男だ。冒険者ギルドではベテランとして、若手の教育に当たっていると聞いている。

少しずつ、思い出してくる。そう言えば、何度となくクルスの護衛を頼んだことがあった。腕利きの冒険者の一人としてしか認識していなかったから、忘れていたが。至近で顔を合わせると、少しずつ思い出しもする。

まあ、今はそっちはどうでも良い。問題はアイゼルだ。

「ヘルミーナ先生!」

「アぁあああイゼル、採取の帰りかしら?」

「は、はい。 さ、採集の、帰りです」

がくがく震えながらも、受け答えはしてくる。隣では、青ざめたままルーウェンが周囲に気を配っている。この辺り、相当な実力がある証拠だ。並の冒険者であったら、ヘルミーナの魔力を浴びたら平静ではいられないだろう。

アイゼルはフィンフを連れていた。丁寧に礼をするフィンフの頭を撫で撫でする。柔らかい髪の感触が懐かしい。触った感じだと、かなり丁寧に手入れされている。結構良い石鹸で洗って貰っているのだろう。

「フィンフ、アイゼルの所は快適?」

「はい、グランドマスター。 マスター・アイゼルはとても優しくしてくれます。 無理な命令もしません」

「そう、それは良かった。 これからも適切に仕えるように」

「承りました」

アイゼルでどう遊ぼうかと思ったヘルミーナだが、フィンフをきちんと扱えているのなら、別にこれ以上どうこうすることもないか。むしろ、フィンフがアイゼルを庇おうとしているのが見て取れたのが収穫だった。

この子は、ひょっとすると。場合によっては、ヘルミーナからアイゼルを守って、命さえ落とすかも知れない。それだけアイゼルがフィンフに入れ込んでいて、なおかつフィンフもそれを良きこととして受け容れていると言うことだ。

フィンフには感情を与えていない。しかし、恩義はしっかり感じている。それが実に興味深い。

懐から、スターサファイヤを取り出す。この間気紛れに作ったものだ。三十カラットほどあるから、金銭的には結構な価値がある。ただし、一つの鉱石から磨き抜いたのではなく、多少のズルをして錬金術で作ったものだが。

「褒美よ。 受け取りなさい」

「えっ……」

「私には粗末なただの石だけれど、貴方には重要なものでしょう? フィンフをきちんと扱っている褒美として与えておくわ。 使いなさい」

アイゼルは目を白黒させていた。実際問題、こんなものはヘルミーナにとってはただの石ころだ。投擲して鹿とか熊とかを殺戮して遊ぶくらいしか使い道がない。

呆然と立ちつくすアイゼルを置いて、道を急ぐ。

普段フェストを拾う場所ではなく、深みがある、ちょっと流れが沈滞している所を使用する。

到着した其処は、少し川縁が急で、下には砂利もない。流れもかなり急で、子供が入ると危ないかも知れない。

ホムンクルス達に気をつけるように促しながら、下に降りた。吃驚した蛙が水に飛び込んで、泳いで逃げていった。

爆雷を水に入れる。浮かびもせず、沈みもしない素材を使い、重さを計算した。その後、簡単な命令を幾つか出して、進めたり曲げたりしてみる。ダイナミックに尾びれが動き、それに併せて腹びれも微調整をする。

悪くない動きだ。

少しずつ速さも上げるが、問題なく稼働している。

一旦水から引き上げて、その場で分解。中に少し水が入っているのが気になった。

「ふうむ、構造的には問題がないはずなのだけれど。 水が入っているわね」

「グランドマスター・ヘルミーナ。 我々の落ち度でしょうか」

「調べるから、少し待ちなさい」

ドライの声に、少し悲しそうな響きがあることを、ヘルミーナは聞き逃さなかった。

アイゼルの所のフィンフにも、感情的な要素が備わり始めているのを確認している。このドライにも、似たようなものが育ち始めている可能性は低くない。あまり良い環境には置かなかったドライと、理想的な主従関係を作っているフィンフに、それぞれ同じように感情が育っているのは面白い。

かって、感情を与えたホムンクルスは、いずれも悲劇の原因となった。

それ以降、気を付けて感情を与えないようにはしてきたのだが。フィンフがアイゼルに反抗する姿は想像も出来ない。しかしながら、アイゼルはあくまで特例だ。ホムンクルスと分かりながら、自分の子供のように育てるなどと言うことは、絶対に普通の人間には出来ない。

普通の人間はエゴの塊だからだ。

解析が終わった。水は先端部分から入り込んでいる。少し動かしただけで、ちょっと水漏れしているだけだと強弁も出来るが、しかし今回の水中戦は長引く可能性も高い。水が入り続けると、内部の機構にも影響が出るし、緻密に組んだ重さもずれが生じてくる。

持ち帰った後、一旦設計を修正するか、或いは対応策を考えなければならないだろう。

まだ、幸い時間はある。

ドライ達に爆雷を担がせ、戻る。

歩きながら既に、ヘルミーナは対応策を考え始めていた。

先端部分は、回転する螺旋状の角があると言うこともあり、かなりデリケートな構造だ。物理的な衝撃にはかなり強く作っているが、しかしながらこの機構の何処かに孔があると考えるのが自然である。

角に開けてある穴には、逆流を防ぐ工夫がある。だから、ここは考慮しなくても大丈夫だろう。

或いは、角と本体の接合部か。そうなると、タールか何かを塗ることで、解消が可能か。もちろん、他にも可能性はある。帰り道、腕組みして歩きながら、ヘルミーナは吟味を続けた。

考え込みながら、設計を吟味。

そして、原因を特定した。ヘルミーナにとって、これくらいは軽いものであった。なるほどと思ったが、しかし修正には少し手間が掛かりそうだ。

アカデミーに戻る。途中、フランソワを見掛ける。

フランソワは、いわゆる野生児軍団に反発する生徒達を集めて、独自の派閥を作っている様子だ。取り巻きを連れて、松葉杖で歩きながら、様々な事を分かり易く教えている。少し勉強が遅れ気味の授業組を配下にすることで、情報戦を行うつもりなのだろう。

ヘルミーナに気付くと、生徒達がさっと緊張した。

殆どの生徒の顔におびえが走るのに対して、少なくともフランソワは表向きはそんな感情を見せない。

流石に若くても、貴族の当主を気取っているだけのことはある。この娘は調査によるとかなり過酷な環境の中で貴族になった様子だし、学生になってからも事業を指示して衰退はさせていない。それを考えると、既に社会で一端の経験を積んでいるわけで、精神的にタフなのは当然ともいえた。

「ヘルミーナ先生、ご機嫌麗しゅう」

「残念ながら、ちょっと不機嫌よ。 私の可愛い地獄の魚ちゃんに、ちょっと不具合があることが分かってね。 これから解析しないといけないの」

「それは失礼いたしました」

感情を見せずに、丁寧に礼をする。

此奴がヘルミーナを苦手にしていることは分かっている。だが、少なくとも、フランソワは陰に隠れてがたがた震えている取り巻きどもと違って、逃げることはなかった。それだけでも、評価には値する。

「成績をあげているようね。 このまま頑張りなさい」

「有難うございます。 最終学年もまた、主席で終わらせるつもりです」

「ふふ、それは難しいわよ」

そうヘルミーナが笑うと、さっと稲妻のような光がフランソワの目に宿った。

この娘は、負傷で一年留年する前は、ずっと主席を独占していたのだ。ずば抜けて優秀だったから当然の結果だった。

しかし、逆に言えば。明確なライバルと呼べる存在がいない環境で、増長したのも確かであった。

フランソワはマイスターランクにあげるつもりだが、そのままだったら結局他に対抗できる奴がいないまま、最終的にはだめになってしまった可能性が高い。今の環境は、このプライドが高い娘には辛いだろうが。しかし、それでもアカデミーにとっては有益であった。

ヘルミーナにとって何より大事なのは今でもリリー先生である。彼女が残したアカデミーのことを大事に思っている気持ちだけは、イングリドにも負けていない。

一礼するフランソワが、取り巻き達を連れてそそくさと去っていった。口の端をつり上げると、自室に引き上げる。

指を鳴らすと、ヘルミーナは働いていたホムンクルスの一人に命じた。

「エルフィールを呼んできなさい。 キルキも」

「分かりました」

命令を疑わず、ぱたぱたと駆け去るホムンクルス。

せっかくのトラブルシューティングだ。楽しまなければ損であった。

 

設計図を見せると、すぐにキルキとエルフィールは、爆雷について把握した。ヘルミーナも内心では感心したが、そう言うことは一切言わない。もしも面と向かって言うと、相手を駄目にするのが目に見えているからだ。

学生が駄目になれば、最終的にはアカデミーが駄目になる。

だから厳しく鍛えることは良いことだ。甘やかしてはいけない。もっとも、甘やかすのが大嫌いだというのが、根底にはあった。

キルキは設計図とにらめっこしていたが、エルフィールはすぐに爆雷そのものにさわり始めた。

「木そのものに、水がしみこんで透過した、という可能性は無さそうですね。 これはカルデラアイヒェですし」

「そうよ。 水を通すことがまずない素材を厳選しているわ」

「部品の間にも、きちんと防水加工を施してありますし、この辺りの線はないか。 そうなると、やはり稼働が大きいこの部分ですね。 ほぼ間違いなく」

エルフィールが、先頭部分と問題を特定。キルキがほぼ同時に顔を上げた。

「私も、エリーの意見に賛成。 多分ここに問題がある」

「でも、これだけ高度な防水加工がされているんだよ? キルキ、何処が不味いんだと思う?」

「実物に触る。 それで確かめる」

「そうだね。 それが一番かな」

キルキが角に触り始める。エルフィールはと言うと、爆雷の中身を調べて、水の流れを解析している様子だ。

ヘルミーナが調べればもっと早いが、ここは敢えてそのままにしておく。キルキが、あっと声を出した。

「この部品」

そう言って彼女が指し示したのは、回転による摩擦を和らげるための素材であった。

この部分は柔らかい上に、回転による摩耗を防ぐために様々な薬品を導入している。その中には防水素材もあるはずだが。

エルフィールが色々触っていて、眉をひそめた。

どうやら、特定できたらしかった。

「なるほど、そう言うことか。 ヘルミーナ先生、分かりました」

「具体的には?」

「ここの素材です。 ここから水がしみこんでいます」

「ふうむ」

流石だ。その通りである。

ヘルミーナよりもだいぶ時間が掛かったが、トラブルシューティングの速さについては目を見張るものがある。この辺りは、外で仕事をして、修羅場も潜ってきているからだろう。

予算的な問題で、全ての生徒をアトリエに入れるわけにはいかない。外から通う連中もいるし、寮に住まわせる者だっている。だが、やはり修羅場を潜らせることによって、技量は向上する。

今後、寮にいるモヤシ学生達も、学年度試験以外にも様々な方法で修羅場を潜らせることにしよう。そうヘルミーナは決めた。死人が出ないように気をつけなければならないが、どうしようもない場合は諦めるしかないだろう。

技術の発展に、犠牲は付き物だ。

「対応策は?」

「素材を変えるか、或いは構造に手を入れるかですが。 どっちも難しいと思います」

「理由は?」

「見たところ、重量を相当に緻密に計算なされているようですし、下手に材質を変えると動かなくなる可能性が高そうです。 ざっと素材になりそうなものを考えてみましたが、どれも的確だと思えそうなものはありませんし」

腕組みするエルフィールの横で、キルキが頷いた。

どうやら、こっちは名案があるらしい。

「この部分に、タール塗る。 それで巧く行く」

「どれどれ。 お、キルキ、流石だね」

設計図を見ると、確かにその通りだ。水の流れ込む経路を考えると、それが一番適切であろう。

しかもタールを薄く塗るだけで対処が出来るので、重量の問題もあまり考えなくて良い。ほぼ完璧に近い返答であった。

「流石ね、キルキ。 貴方には十点追加。 エルフィールには八点」

「うっ、これでまた一位取られた。 でも、次の定期試験で取り返すよ」

「迎え撃つ」

エルフィール達が部屋を出て行くのを見送る。

ほとんど入れ違いに、クライスが入ってきた。

「例のもの、出来ましたが。 あの子達に、何か用だったのですか?」

「どうやら、フランソワは主席を取れそうにないわねえ」

くつくつと笑う。

意味不明の返答を受けて、クライスは困惑するばかりであった。

キルキの提案通りタールを塗ることで、漏水は防ぐことが出来た。後は三回の実験で微調整を繰り返すことで、爆雷は完成。

決戦の準備は整った。

 

3、ヒトという生き物

 

カーナ港を、シグザール王国の艦隊が出港した。

旗艦ラプンツェルを筆頭に、四隻の戦艦で編成された小規模の艦隊である。だが、大型の艦船ばかりと言うこともあり、乗船している人員は三百人を超える。乗員の中にはシグザール王国が誇る八人の騎士が含まれ、錬金術アカデミーから提供されたいくらかの兵器が搭載されていた。そして何より、旗艦の指揮を執っている聖騎士ローラの前で談笑している二人の錬金術師が、何者にも代え難い戦力であった。

現在リリー錬金術アカデミーの事実上の支配者、イングリド。そしてそのライバルだと噂されるヘルミーナである。どちらの気配も、まるでエンシェント級のドラゴンか、それ以上だ。甲板で談笑している様子は、恐怖すら感じるほどである。

イングリドは、まだいい。

会話が通じるし、緻密な計算が働いているとは言え、ある程度折衝もしやすい。問題はヘルミーナで、感覚的な言動が非常に分かりづらく、部下の中には露骨に怖がっている者も多かった。

「聖騎士ローラ」

「はい、何でしょうか」

「そろそろ、魚爆雷の準備を。 既にフラウ・シュトライトは此方に気付いている様子ですから」

顎をしゃくるイングリド。

確かに、海の向こうには、黒雲が立ちこめ始めていた。海の天気は変わりやすいが、それにしても常軌を逸している光景である。

この船に乗っている人間の多くは、カスターニェ港でのフラウ・シュトライト戦を経験している。だから誰もが知っているのだ。常識外の耐久力を誇り、天候さえも操作する怪物の恐ろしさを。

前回は、錬金術師マルローネの作り上げた画期的な兵器で倒すことが出来た。だがそれも、相手の油断に乗じる形であった。今回も同じように行くのだろうかと、不安に思う部下は少なくない。

事実、出航前の会議では、ローラに不安を申し立てる部下が少なくなかったのである。咳払いすると、ローラは部下に指示を出し、それを終えてから質問してみた。甲板に降りてきた鴎が、遠巻きに此方を見つめていた。

「プロフェッサー、イングリド、ヘルミーナ。 今回は前回に比べて、搭載してきているフラムも少なく、後方支援の人数も多くありません。 フラウ・シュトライトの弱点は解析できているという話でしたが、本当に大丈夫なのでしょうか」

「ご心配なく。 事前の作戦通りに事を進めれば、必ずや屠ることが出来ます」

その台詞も、会議中に聞いた。

あの鮮血のマルローネの師匠であり、アカデミーでもトップを長年勤め上げてきた人物の発言である。その上、凄まじいまでの使い手であるし、信じたいのは山々なのだが。しかし、水揚げされたフラウ・シュトライトの桁違いの巨体と、戦闘時、フラムを飲み込んで体内から爆破されても動いていたあの耐久力を知るローラとしては、不安になるなと言うほうが難しかった。

部下の手前、不安を顔に出せない立場が辛い。

しかし、部下を死地に追いやるわけにもいかない。ローラの立場を理解してくれているのか、イングリドがにこりと微笑んだ。

「大丈夫。 今回は前回と違い、死者を一人も出さずに、あの海竜を仕留めることが出来ます。 聖騎士ローラは作戦に従い、攻撃のタイミングだけは間違わないように、艦隊運動の指揮をお願いします」

「……分かりました」

そうこうする内に、海が荒れ始めた。

最新鋭の大型戦艦だけあって、多少揺れたくらいではびくともしない。既にマストは畳んであり、船体への負担も小さい。

「雁行陣を維持。 敵影は」

「まだ確認できません」

遠くで稲光。爆音がとどろいた。

海竜が、此方に気付いているのは明白。縄張りに近寄るなと、警告してきているのだ。だが残念ながら、此方の仕事はその縄張りを踏み荒らすことである。そして、最終的には、その命も奪わなければならなかった。

カスターニェ港に現れた個体はともかく、このフラウ・シュトライトは野生動物としては紳士的だ。此方にきちんと警告をしてきているし、一定距離も保とうとしている。頭の悪い肉食獣と違い、人間の脅威をきちんと理解し、自分なりに共存を図ろうとしている証拠である。

しかしながら、此処は人間の世界。それが、フラウ・シュトライトにとって存在が許されない理由だった。

巨大な波が、海に山脈がごとく連なり始める。雨も降り始め、ばたばたと忙しく兵士達が走り回り始めた。漕ぎ手達も、既に全力で櫂を廻し始めている。フラムを投擲する船上投石機も、いつでも動かせる状態が整えられた。

「爆雷の準備完了!」

「では、此方も出るとしましょうか」

イングリドが、指を鳴らす。

彼女が連れてきた何名かの錬金術師が、籠を持ってきた。其処から取り出されたのは、長細い楕円形の板であった。ただし下部には何か不可思議な構造物がついている。全体的には、かなり重そうで、不格好な板である。バランスも悪そうだ。

着色が為されていて、イングリドの板は薄い青。ヘルミーナのは毒々しい紫色である。二人はそれを海に放り投げると、寸分違わずその上に着地した。

ほとばしり始める、泡。

板の後部から、膨大な泡が噴き出し始める。

事前に説明は聞いていたし、試運転するのも見た。だが、何度見ても驚くべき道具だ。あの大量の泡が推進力を産みだし、海上を走ることを可能とするのである。

「では、作戦通りに」

「シャアッ!」

実に楽しそうにヘルミーナが吠え、高速で荒れる海の上を走り始めた。右足だけを板に乗せ、時々海を左足で蹴って加速している。イングリドは多少優雅ではあった。両足を板に揃えて乗せ、北方の民がスキーと呼ぶ道具で雪山を走るようにして、海上を滑り抜けていく。

「総員、予定通りに行動! 舵を取れ!」

ローラは命令を出すと、自らの腰にある剣を触る。目の前には、錬金術師達が、もう一つ。海上を走る板を用意していた。

いざというときの保険だ。だが、これを使う時が、来ないことを祈る他無かった。

 

ヘルミーナは快調に海上を走る。作り上げた水上飛翔板は、実に心地よい速度で、ヘルミーナを海上の支配者としていた。

水に触れることで、大量の空気を放出する、エアドロップと呼ばれる錬金術の産物が存在する。かってこれを使い、ヘルミーナの師匠であるリリー先生は、湖に潜って、淡水性の真珠貝から真珠を取ったものである。

今ヘルミーナが使っているのは、その空気を発生させる成分を極限まで圧縮した石を、板の後部に付けた道具だ。それにより、海に入れると恐るべき推進力を発揮し、こうして海上を単独で走り回ることが可能となるのだ。

もちろん優れたバランス感覚が使用には必須だし、訓練も必要である。ヘルミーナもイングリドも、試運転をかねてヘーベル湖でこれを使い、習熟。もちろん海でも使えることを確認してから、今回の戦いに出向いてきている。

イングリドが追いついてきた。水上を蹴っていないのに、優雅に蛇行しながら、である。この辺りのセンスは不快だが奴の方が上だ。

「それにしても、共同戦線を張るのは何時ぶりかしら」

「あの牛みたいな魔物を、リリー先生と一緒に八つ裂きにした時以来じゃないの? あの頃は楽しかったわねえ」

「同感。 何も考えず、立場も考慮せず、暴れ回ることが出来たものね」

此処には、二人しかいない。

だから、昔話も出来る。

当時、二人は十代の後半だった。リリー先生の親友の祖母が、質の悪い病気に罹り、それを直すために魔物に挑む必要があったのだ。

危機を脱したリリー先生と一緒に、二人は魔物を一方的になぶり殺しにした。相当な強者だと聞いていたから、わざわざ最強の布陣で挑んだのだが、そうするまでもなかった。リリー先生の恋人であるゲルハルトも来ていたが、正直三人だけでどうにでもなったように思える。

「ゲルハルトさん、あの頃は髪の毛もふさふさだったわね」

「それが数年でつるっつるになって。 男性は色々と気の毒だわ」

けたけたとヘルミーナは笑った。

海上で、ゆっくり蛇行しているフラウ・シュトライトを視認。背びれを海上にわざわざ出しているのは、示威行動だ。シャチなどの大型海棲ほ乳類も、似たような行動をすることがある。

一気に、二人の表情が引き締まった。

「予定通りに」

「承知!」

左右に、飛び分かれる。まるで連なる山脈のような波。降り注ぐと言うよりも、もはや叩きつけてくる豪雨。

海上に炸裂する稲妻が、理性をかき消すような怒号を張り上げた。

劣悪な環境だ。だが、何もかも一から始めなければならなかったあの時。リリー先生が精神を病みかけたあの悲劇に比べれば、なんということもない。

エル・バドールは自分たちを見捨てた。

だから、新天地に活路を見いだした。もちろん、今では錬金術の発展には、この土地が最適だという考えもある。

だが、幼い頃は。そんな事を考える余裕など無かった。あの機関から解放されただけで、本当に嬉しかった。リリー先生がどれほど負担を感じているのか、気付きもしない子供だった。

あの時のことは、今でも忘れられない悔恨だ。

二度と、同じミスはしない。

巨大な波を跳び越えるようにして、ボードを宙に踊らせる。

イングリドが、詠唱を終えるのを見て、ヘルミーナは自身も印を組み始めた。丁度海竜を挟むようにして布陣したところで、海竜が鎌首を、水上から持ち上げた。

大きい。

以前解剖した個体と、殆ど差がないほどだ。その口は象を一呑みにするほどである。水中に生きる生物だとしても、あまりにも大きすぎる。自然の摂理を無視した存在なのだと、一目で分かる。

エル・バドールの技術力は侮れない。例え今は風化し、その進化の速度が著しく遅くなっていると言ってもだ。逆に言えば、とてもそそられる存在だとも言える。此奴を仕留め解体することで、どれだけの技術を奪うことが出来るのか。ぞくぞくさせられるではないか。

標本は多い方が良いに、決まっているのだ。

フラウ・シュトライトが雄叫びを張り上げる。

同時に、イングリドが仕掛けた。

印を切ったイングリドが、右手を、まるで空を切るように振り抜く。フラウ・シュトライトの右側に回り込むイングリドの全身から迸った青い魔力が、空間を震動させ、空気を変質させた。

一瞬の空白は、時間を切り取ったかのような光景を造り出す。

降り注いでいた大粒の雨水が、なぎ払われて飛び散った。

巨大なミルククラウンが、海上に出現する。フラウ・シュトライトの全身に、縦横無尽に細かい傷が走る。全身を音の壁に打ちのめされたフラウ・シュトライトが、絶叫した。横転した海竜が、巨大な水柱を造り出す。

イングリドの術式は音の操作だ。音はその扱い次第で、壁にもなれば剣にもなる。以前イングリドに聞いた所によると、海上で乱反射させた音の槍を、一斉に叩きつける術式だという。

その時、既にヘルミーナは、大きな波を跳躍台にして、高々と飛んでいた。頭上には、ため込んだ魔力が、紫色の巨大な球体を造り出している。

「ネーベル……!」

水面下に逃げようとするフラウ・シュトライト。だが、その動きは、とうの昔に読んでいた。

二人で事前に想定した行動の範囲内である。どれほど巨大であっても、頭が働いても、所詮は動物。

巨大な槍の形に再編した魔力の塊を、ヘルミーナは海に向け、一直線に投擲していた。

「ディイイック!」

槍が、空気を、雨水を蹴散らし、巨大な三角波を爆砕して海に潜り込む。大量の蒸気が吹き上がり、稲妻を打ち消すような轟音をとどろかせる。

海面を貫いた槍が、フラウ・シュトライトの鼻先で炸裂したのだ。

まるでボウルの底のように凹んだ海面に着地、そのまま水上飛翔板の推進力を使い、飛び上がる。

その後ろを追うようにして、フラウ・シュトライトが海面に飛び出してきた。海の激しい攻防で、彼方此方で渦が出来、水面を好きなようにもてあそぶ。恐るべき水の圧力に蹂躙された小魚は、生きてはいられないだろう。

激しい戦い、しかしどちらにとってもまだまだ小手調べの段階だ。だが鼻先で爆発が起こり、流石に頭に来たのだろう。ヘルミーナを噛み砕こうと、巨大な顎を全開にする海竜。牙の一つ一つが、人間よりも大きいのではないかと思えるほどの巨口だ。鯨でさえ、一匹ではこの巨大な怪物の腹を満たすことが出来ないだろう。もしも此奴が、体に相応しい食欲の持ち主であれば、だが。

躍り上がる海竜。だが、その間に、荒れ狂う波の上部に躍り出たイングリドが、水面に手をつく。

広がった波紋が、水面に触れていたフラウ・シュトライトの鱗を数枚、粉みじんに破砕した。

水を高速震動させることにより、相手の体を直接粉砕する術式である。これを避けるために、ヘルミーナはわざわざ飛んだのだ。天に向け絶叫するフラウ・シュトライトに振り返ると、もう一発掌にためていた紫の魔力の槍、ネーベルディックを叩き込む。音が消えて、炸裂。フラウ・シュトライトの角が何本か折れ砕け、吹き飛んだ。その圧力を利用してヘルミーナは敵と距離を取り、爆発にのけぞった海竜は、そのまま海面に叩きつけられ、横転した。

しかし、流石の巨体である。

大陸を代表する使い手である二人の猛攻にもかかわらず、致命傷どころか大した傷はついていない。体格にして人間の六倍を超えるジャイアント・スクイッドを粉みじんに砕くヘルミーナのネーベルディックの直撃を受けても、まだぴんぴんしている。

面白い。

大量の雨を浴びながらも、ヘルミーナは海面を蹴り、加速。イングリドと海竜を挟むようにして、旋回する。雷が何度も至近に落ちて、鼓膜が刺激される。舌なめずりすると、少し塩味がした。

海竜は一旦態勢を立て直そうと、水面少し下を保ったまま、北へ移動し始める。艦隊にも気付いているから、まずは各個撃破しようと考えているのだろう。

その動きは、事前に予想済みだ。

けたけたと笑いながら、ヘルミーナはゆっくり右腕を挙げる。

「残念ねえ、フラウ・シュトライト。 貴方が相手にしているのは、鯨でも鮫でも獅子でもドラゴンでもない。 この地上を支配する最強の暴力生物、人間よ」

イングリドが、両手で耳を塞ぐ。

ヘルミーナも、右耳を二の腕で塞ぎ、左耳を左手で塞ぎながら。指を鳴らした。

樽に詰め込み、フラウ・シュトライトの逃走経路に配置しておいたフラム十個が炸裂したのは、次の瞬間のこと。

海が盛り上がり、続いて弾ける。

茸雲が上がる中、空に躍り出たフラウ・シュトライトは、全身をやけ焦がされ、苦痛に喘いで体を捻る。

動きが一瞬止まったフラウ・シュトライトに向け、跳躍。ヘルミーナは雄叫びと共に、魔力を込めた拳を繰り出す。

「シャアアッ!」

振り返ったフラウ・シュトライトの顔面に、極限まで圧縮した魔力の塊が炸裂した。

「じゃあ、数のお勉強ッ! 12345678910っ!」

空中での反発まで駆使して、拳のラッシュを叩き込む。降り注ぐ暴風の中、ヘルミーナは満面の笑みを浮かべ、海竜に己の技の粋を集めた術式を、惜しむこと無くつぎ込む。血しぶきが飛び、巨大な鱗がはじけ飛ぶ。皮が破れ、血しぶきが舞い、肉塊が引きちぎられる。

百六十発叩き込んだ所で着水。さて、そろそろか。

右から、不意の圧力。

受け身を取るが、海上を何度か跳ねた。

後ずさりながら、態勢を整える。今の瞬間、尻尾でカウンターを叩き込んできていたのか。

面白い。流石に腐っても海竜だ。

空に向けて咆吼する海竜。同時に、イングリドが顔を上げて、空に向けて空気の壁を作り上げる。

極太の雷土が、ヘルミーナの好敵手を直撃。

海面が爆発した。

イングリドの姿が消える。だが、ヘルミーナは全く心配していない。

体に何カ所か傷を作りながらも、フラウ・シュトライトはまだまだ健在である。右腕を振って、折れていないことを確認しているヘルミーナに、一直線に迫ってくる。頭脳戦では勝てないから、正面から潰す気か。

思わず、口の端をつり上げる。こう来なくては。

躍り掛かろうとしたフラウ・シュトライトは、気付いていない。なぜなら、「それ」が接触した瞬間、ヘルミーナが海面に魔力塊を叩きつけ、高々と飛んだからである。同時に、イングリドも、水面に躍り出てくる。水上飛翔板の推進力を利用し、海中を進んでいた、という事だ。

「ヘルミーナ!」

「そろそろ行こうかしらぁ?」

空中から、魔力塊を隕石のごとく振らせ、牽制。そのままフラウ・シュトライトを跳び越す。

海竜は吠えたけり、振り向こうとしたが、その瞬間鼻先にイングリドの放った音の槍が炸裂。鱗が吹き飛び、肌から鮮血を吹き散らした。しかし、何しろ常識外の巨体である。それでもなお、海竜は小揺るぎもしない。一箇所や二箇所、体に穴を開けたぐらいでは埒が明かないことは、事前のデータで把握済みだ。だから、別に何とも思わない。今重要なのは、もっと別のことだ。

空からたたき落とすように、胴体ごと頭を叩きつけてくる海竜。既に目は完全に怒りに染まり、周囲が見えていない。距離を取りながら、ヘルミーナは詠唱。久し振りに、大技中の大技を出すことになる。

凄まじい勢いで追いついてきたフラウ・シュトライトが、海面下から突き上げてきた。わざと速度を落として、せり上がってくる水に乗り、相手が口を開けた瞬間逆に速度を上げる。弾かれたように閉じられた口の中から逃れたヘルミーナは、イングリドが詠唱を終えているのを見た。

此方も、準備は完了だ。

気付かせてはならない。海竜は、既に体に不快感を感じているはずだ。だが、怒りで頭に血を上らせ、目の前で動いているヘルミーナとイングリドが常に打撃を与え続けることにより、それから意識を逸らさせなければならない。

この巨大な怪物の最大の弱点は、体の構造や、複数ある神経の塊ではない。なによりその巨体なのだ。

あまりにも大きすぎて、頑丈すぎること。其処が、生物としての存在に、無理を生じさせている。

そもそもクリーチャーウェポンという存在自体に、そのような傾向があることは事実だ。だが、其処を敢えて人間の知恵で突くとしたら。現在展開している戦術が、最善なのである。

海面から顔を出したフラウ・シュトライトに向けて、イングリドが手を突き出す。

ヘルミーナは、巨大な三角波に向け、全力で加速。そして坂を駆け上がるようにして、波を躍り上がった。最頂点で体を捻り、空中に躍り出る。そして宙返りしながら、眼下にフラウ・シュトライトの巨体を確認。

この技を使うのも、久方ぶりだ。

だが、連携は。

いささかも、衰えてはいなかった。

「光と!」

イングリドが放った無数の空気の塊が、海上を跳ね、最終的に輪の形となって、いや空気の籠となって、フラウ・シュトライトの全身を包み掛かる。

「闇のォオオオオッ!」

巨大な、今までのものよりも更に巨大な闇の魔力を、槍と、いや最早破城槌と化し、ヘルミーナは下に向けて番える。この術式は、矢を放つようにして、撃ち込むのである。

巨大な海竜が、流石に危険を感じて、海に潜ろうとした瞬間。

ぎりぎりまで引き絞った矢を放つように。長さにしてヘルミーナの体の七倍半に達した魔力の破城槌を、撃ち込む。

詠唱の最後の一節を、同時に唱える。

「「コンツェルトッ!」」

フラウ・シュトライトの頭部に炸裂した爆発の威力を、外部から一気に収縮した空気の壁が、全て内部反響させることにより、何十倍にも倍加させる。一瞬でもタイミングがずれれば、或いは術式の制御を間違えれば、最大級の術を放ったヘルミーナに誘爆する、難易度が高い奥義だ。

海上で竿立ちになるようにして、海竜が悲鳴を上げた。

その全身から、鱗が、皮が、肉がはじけ飛ぶ。

だが、それでもなお。巨大すぎる海竜の、命は尽きない。そればかりか、小揺るぎさえしない。

しかし、この時既に。

海竜の命運は尽きていた。

 

「合図がありました!」

益々酷くなる豪雨の中、ローラは頷く。自分でも見えているほどだ。海上で、ひときわ猛烈な閃光が迸っていた。

凄まじい。聖騎士に劣らないという話は聞いていたし、見て実感もしていたが。これだと、渡り合えるのは騎士団長や、カミラ大教騎士、他数名くらいだろう。あの二人は、間違いなく大陸最強の使い手の一角であった。

通信兵が、カンテラを振り回して、遠くに見える僚艦と連絡を取り合った。

「通信成功! 攻撃のタイミング、伝達終了しました!」

「フラム用意!」

「用意します!」

唱和。船上に据え付けられた投石機が、獲物を求めて大きくしなった。その先頭部分に、戦略兵器であるフラムを十五個詰め込んだ樽が設置されている。

同時に、面舵を取る。今まで海竜を囲むようにして、腹を向けていたのを切り替え、船首を向けるのだ。そして、全艦で、一気に直線的に、フラウ・シュトライトへ突撃した。

ローラの目にも、見える。

最大の奥義が炸裂するとほぼ同時に、海竜がまるで竿立ちしたかのように、海上で動きを止める。真上を向いたまま、泡を吹いているのが分かった。その全身は傷だらけだが、何よりも。

身動きを取ることが出来ないという事に、意味がある。

あの爆雷だ。

魚の形をしたあの爆雷が、フラウ・シュトライトの巨体にとりつき、その角を体に食い込ませて。そして毒物を流し込んで、全身を麻痺させた。

話によると、フラウ・シュトライトはその巨体をあれだけダイナミックに動かすために、通常の動物では考えられないほどに大量の神経を体内に有しているのだという。其処で、それを逆手に取る。

神経に作用する毒物を、体内に継続的に流し込むことにより、その体を完全に停止させることが出来るのだそうである。

しかし何しろ、高い抵抗能力を持つ相手だ。その麻痺も、何処まで維持できるかは分からない。此処が、海上戦の訓練を続けてきた、この艦隊の腕の見せ所であった。極限の戦闘能力と、それに錬金術。更には、集団戦の技巧を併せることにより。やっとあの海竜を、損害無しで屠り去ることが出来るのだ。

イングリドとヘルミーナが術式を叩き込んで、その竿立ちの状態を維持し続けている。

右手を挙げたローラ。

投石機が、獲物を求めるかのように、撓り続ける。

カンテラを振り回し続けながら、通信兵が叫んだ。

「5拍! 4、3、2、1、0!」

「投擲! 炸裂せよ!」

「投擲!」

投石機が、起動ワードを唱え終えた瞬間に唸り、樽を投擲した。同時に、他の三隻も、樽に詰め込んだフラムを、フラウ・シュトライトに向け放つ。

放物線を描いて、四方向から、樽が飛んだ。美しい軌跡を宙に描く。波の影響をものともしない。雨による揺れさえもその狙いを外させることはなかった。過去に繰り返した訓練の成果である。

ヘルミーナとイングリドが全速力で距離を取るのが見える。ローラも、腕を回して叫んだ。

「面舵一杯! 衝撃に備えよ!」

「総員、船にしがみつけ!」

耳を塞ぐローラ。兵士達は手近なものにしがみつく。今までにない大音響が炸裂し、海の上に、途轍もない大きさの爆発が巻き起こった。

最初に訪れたのは熱風。

続いて衝撃波が船を傾ける。真横になっていたら、横転していたかも知れない。だが船を斜めにすることにより、威力を極限まで殺した。ローラが呻いたのは、其処に今までにない大きさの波が襲い来たからだ。

大丈夫。この船なら耐えられる。船員達も、訓練を重ねてきた。だから、流されずに耐え抜ける。

自身はガードポーズを取って、踏ん張る。

巨大な波に、強か体をはり倒される。息が出来なくなったのは、一瞬のこと。巨大な波が甲板を洗い流すように襲い来て、そして通り過ぎていった。数メートルは後ろに下がったが、どうにか踏みとどまった。振り返る。いなくなった兵士は、少なくともこの船にはいない様子だ。だが、声を張り上げる。

「点呼!」

兵士達が点呼を始めた。すっかりびしょ濡れだが、そんな事はどうでも良い。

海上で、海竜は事切れていた。まるで燃え尽きた松明のように、その全身は無惨なまでにぼろぼろだった。

完全に動きが止まった相手ならば。如何に巨大であろうとも殺せる。ましてや今回は、合計六十個に達するフラムを、相手を囲むようにして爆発させることによって、威力を収束させることが出来るからだ。

海上から飛び出してきた影に、思わず兵士達が身を竦ませる。ヘルミーナだった。続いて、イングリドも現れる。

二人とも傷だらけだったが、まだ余裕がある様子である。ヘルミーナに到っては、恐らくは一撃、もろに浴びただろうに。平然と立っていた。

「見事なタイミングでの攻撃ね。 流石はそんなに若いのに、聖騎士をしているだけのことはあるわ」

「有難うございます」

礼を言ったのだが、ヘルミーナは言うだけ言うとさっと奥に引っ込んでしまった。ああいう言動はいつものことなので、別にもう気にはならない。苦笑して振り返ると、イングリドは栄養剤を飲み干している所であった。

「ごめんなさい。 気になさらないで。 あれでも、疲れ切っているのです」

「あの海竜とまともに戦ったのだから、当然です。 それにしても、お二人とも凄まじい手練れですね」

「幼い頃から、何もかも自分でやらなければなりませんでしたから」

そう静かに笑うイングリド。

噂には聞いている。アカデミーを創設する時、この二人は全く頼りにならないリーダーの下、とんでもない苦労を背負わされた保護者の苦悩を見つめてきたという。まだ十代半ばの女性が、子育て、戦闘に採集、独学での技術獲得、錬金術、国や貴族との折衝、スポンサーの獲得、クレームへの対処など、あらゆる事を背負わされたというのだから、正直同情してしまう。

イングリドもヘルミーナも、この様子だとある程度物心がついた頃には、大好きな保護者を助けるために、心を凍結させて働いたのかも知れない。元々天才的な素質を持っていたと言うから、そうなると強くなるのも当然だろう。

ローラは、剣の腕だけが取り柄で、此処まで上り詰めることが出来た。単純に剣が好きだったから、此処まで来ることが出来たのだと思っている。しかし、二人のような環境にいたとしたら。

聖騎士ではなく、別の路を選んでいた、かも知れなかった。

他の船が近付いてきた。船の間に橋が渡され、兵士達が行き交う。ずぶ濡れになった顔と髪を拭いている所に、報告が来た。

「二人流されましたが、発見することが出来ました。 無事です」

「被害は無し、という事でよろしいですね」

「はい。 ただし一隻はマストが最後の大津波に折られていますが」

「その程度なら、問題はありません」

此方の損害は、戦艦中破一隻のみ、という事だ。フラムは半分ほどを使用したが、それでも人的被害をゼロに抑えることが出来ただけで充分である。この作戦を開始する時に、ヴィント王には言われたのだ。

物的損害よりも、人的損害を抑えるように、と。

ヴィント王は恐ろしい人物だと噂に聞くが、忠義を捧げるに足ると、こう言う時も思う。人材を大事にしてくれるし、努力も評価してくれる。ローラは大きく嘆息すると、全員を見回した。

「勝ち鬨を! 我らの大勝利です!」

「応っ! エイエイオウ! エイエイオウ!」

「シグザール王国万歳! ヴィント王に栄光あれ!」

兵士達の歓喜が爆発する。

この海路における人間の敵は、文字通り消滅したのだった。

 

船縁に出たヘルミーナは気付く。

既にフラウ・シュトライトの死骸には鎖が結びつけられ始めている。このままゆっくり港まで運ぶのだ。問題は其処ではなく、沖合にいる、ある存在であった。

小型のフラウ・シュトライトが、此方をじっと見つめていた。兵士達は誰も気付いていない。遠すぎて、常人が肉眼で確認できる距離ではないからだ。

イングリドも来て、それに気付く。

「驚いたわ。 まだ子供のようだけれど」

「追って殺す?」

「いや、敵意はないようだし、追いつけはしないわ。 それに現在の装備だと、殺すのは少し骨かも知れないし」

イングリドの言葉にも一理ある。それに奴が放っている感情は、怒りよりもむしろ恐怖だ。

人間に対して、恐怖を抱かせることは無駄にはならない。

「まあ、あれならば可哀想だし、逃がしてあげても良いかしらね」

「そう言う事よ。 それに、全てを狩り尽くす狩人は、利口者とは言えないわ」

くすくすと二人で笑い合う。アカデミーでは意図的に仲が悪い振りをしているし、実際あまり仲が良いわけでもないのだが。リリー先生の作り上げた全てを守るという点で利害は一致しており、こういう風に談笑することだって出来る。

「それにしても、右腕は大丈夫?」

「ああ、このくらいは何ともないわ」

ヘルミーナは、魔力を纏わせて、右腕を無理矢理固定しなおかつ動かしていた。ラッシュを叩き込んだ後のカウンターで、へし折られたからだ。とりあえず、帰ってから自分で治療するつもりである。

戦ってみてはっきり分かったが、戦術が分からなければ例えイングリドやヘルミーナでも、エル・バドールの戦略級クリーチャーウェポンには対処が出来ない。最強ランクの魔物を屠り去った最終奥義を浴びせても、あの巨大海蛇はまだまだ充分な余裕を残していたのだ。

一人だけ連れてきていたホムンクルスのクルスが、水面に上がってきた。爆雷を抱えている。

「これで最後です」

「水揚げして頂戴」

爆雷は、二本だけ死骸に突き刺さっていた。二つはそもそもフラウ・シュトライトにたどり着けず、もう一つは突き刺さった後でフラウ・シュトライトが暴れたことで砕かれてしまった。消耗品であることは最初から分かっていたが、決して褒められた結果ではない。

実は南の海路で、今度は騎士団だけで、同様の戦術を使ってフラウ・シュトライトを屠ることが決定している。その時のために、構造と材質に見直しを計る必要があると、ヘルミーナは考えていた。

ふと、顔を上げると。子供のフラウ・シュトライトが、泳ぎ去るのが見えた。

ヒトという生き物に恐れを成す後ろ姿は、哀れでもあり。そして、見ていて面白くもあったのだった。

この時、フラウ・シュトライトは摂理から反した存在ではなくなった。人間が手に負えるという意味で、摂理の中に収まったのだ。そしてそれを成したのは、人間という世界でももっとも凶暴な生物の、物理的な能力ではない。

錬金術という、「旅の人」からもたらされた知恵の結晶であった。

甲板に上がってきたクルスが、順番に爆雷を並べていく。せっかく作ったのに、無惨に壊れ果てていた。

ローラが此方に気付いて、歩み寄ってくる。魚の様子を見て、眉尻を下げたのは、ある程度同情を感じたからだろう。

「この魚たちが、あの恐ろしい海竜を屠る切り札になったのですね。 こんな無惨な姿になるまで働いてくれたのに、何か報いることは出来るのでしょうか」

「そう感じてくれるだけで充分よ」

確かに爆雷は恐ろしい成果を発揮した。それだけではない。今後、同様の兵器が、海上戦のあり方を変えてしまうかも知れない。

だがそれについては、ヘルミーナは黙っていることにした。

あれほど荒れ狂っていた海は、嘘のように静かになっている。

空には鴎がまた舞い始めていた。

 

4、目覚めるヒトならぬもの

 

南の海からクーゲルと一緒に帰還したエリアレッテは、師匠と別れると、カトールの下に向かった。

海竜の退治は面白かった。師匠と一緒に、海竜を翻弄しながら時間を稼いだ。錬金術アカデミーの作った海の上を走る板は乗り心地がとても面白かったし、何より海竜とぎりぎりの間合いを計りながら、極限の駆け引きをするのが楽しくてならなかった。

感情は消したはずなのに。時々、こう言う所で感情は戻ってくる。クーゲル師には、まだ修行が足りないと言われたが。しかし師匠も、内心は悪く思っていない様子だ。だって、師匠だって。戦っている時は、何よりも楽しそうだったからだ。

動きが止まった海竜を爆殺。

これで、海路に巣くうフラウ・シュトライトは消え去った。後はエル・バドールへの航路に住み着いている二匹だけ。しかもその内一匹は、既に姿が確認でき無いとも聞いている。

カトールは、また住処を変えていた。エリアレッテが出向くと、長い髪の美しい女性が、露骨に嫌そうな顔で出迎える。なかなかの使い手だ。確かイルマとか言ったか。

「カトールは?」

「娘に、何の用事ですか」

「仕事上の話だ。 お前に関係はない」

冷え切った応酬が続く。中にはいると、カトールは水晶玉を触っている所だった。向かいに座ると、顔を上げたカトールは作り笑いをした。

「エリアレッテ様」

「状況を知らせろ」

「エルフィールに、例の作業は済ませました」

「それで、解析結果は」

紙を渡される。さっと目を通すが、意外な結果だった。

「人間か。 しかも純正な」

「錬金術的な措置が施されている形跡はないと言うことです。 鮮血のマルローネのことだから、何か仕込んでいてもおかしくないと思ったのですが」

「逆に言うと、だからこそ奴が目を付けたのかも知れない」

もちろん、カトールにこんな事を調べる技量はない。カトールにさせたのは、解析を得意とする悪霊をエルフィールに取り憑かせることだけ。それも短期間だ。解析自体は、牙の特務部隊が行った。カトールに任せたのは、今後外部に協力者を作る必要があると、クーゲルが判断したから、である。

だが、しかし。そうなってくると、説明がつかない部分もある。以前観察していた時、エルフィールは浄化の術式でダメージを受けていた。あれは一体何なのか。普通の人間で、そのようなことはあるのか。

術の専門家ではないエリアレッテに、その辺のことは分からない。また最近短く切りそろえた髪を掻き上げたのは、不快感からだ。いっそのこと、嘘でも良いから納得が行きそうな結果が出れば、それで満足できていたのかも知れない。

これではまた師に怒られるなと、エリアレッテは自嘲。大事なのは、現実を常に的確に分析することだ。

「分かった。 お前はエルフィールの側で、作業の補助を続けろ」

「了解です」

給金を渡すと、俗っぽく目を輝かせて、カトールは笑った。

騎士団の解析班によると、此奴の能力はまだ発展途上だ。だからこそいい。エルフィールに優秀すぎる奴を付けると、却ってスポイルされる可能性もある。

厳しい環境でこそ、やはり人材は育つのだ。

騎士団の本部に戻ってから、エリアレッテは師に報告書を提出。そして、自室で、少しだけ酒を飲んだ。

一人の空間で、薄ら笑いを浮かべる。

斬龍剣で海竜の肌を切った時の感触、実に素晴らしかった。雑魚をどれだけ八つ裂きにしても満たされなかったのに、あの感触だけで二三度絶頂に達してしまいそうだった。何度か、含み笑いを漏らす。

その度に、酒杯を傾ける。

まだまだ、世の中は捨てたものではない。戦略級クリーチャーウェポンとやらと、もっと戦いたい。そう、エリアレッテは思った。

 

培養槽の中で、ホムンクルスが目を開けたのは。手術を終えてから、三十七日後のことであった。

手術を終えてから、更に三歳分くらいは肉体年齢が増している。髪の毛が伸びるのもかなり早くなっていて、既に体と同じくらいの長さになっていた。目を開けているのに、最初に気付いたのは、クノールだった。

「エリーさん!」

「んー?」

台所でボウルの中のクリームをかき混ぜていたエルフィールも、流石に培養槽の中で目を開けているホムンクルスを見て吃驚した。すぐに引き上げなければ死ぬと言うこともないが、さてどうしようと思ってしまう。

とりあえず、クリームをかき混ぜ終える。そしてスポンジを竈に入れながら、頭をゆっくり整理していった。記憶から、ヘルミーナ先生が自著に記述していたことを引っ張り出す。柄にもなく、混乱しているようだった。

「クノール、体を拭く布。 後鋏。 それとお洋服」

「布と鋏は其処に。 でもお洋服は、そんなのありませんよ。 何時目覚めるか分からないから、買わないってエリーさんも言っていたじゃないですか」

「そうだったっけ。 じゃあ、キルキのを借りてきて。 今すぐ」

ちっちゃいキルキのお洋服だが、それでもちょっと大きいか。でも、素っ裸で過ごさせるよりは良いだろう。

今作ったホムンクルスは人間の子供よりも遙かに体が頑強だが、それでも素っ裸で過ごさせるのは色々とまずい。外に出すことも出来ないし、体に傷もつきやすくなる。人間という生物自体が、そもそも衣服の存在を前提とした身体的構造を持っている。人間に準拠するホムンクルスも、それは同じだ。

培養槽に手を入れて、ホムンクルスを引き上げる。

この間手術した時よりも、ずっと重くなっていた。

「完成した、とは言えないかな」

体を拭いてやりながら、呟く。

ヘルミーナ先生が作り上げた技術に沿って、ただ手を動かしただけだ。材料を揃え、調合を行い、他にも様々な努力をした。だが、結局の所、自分ではこの件に関して、何一つしてはいない。ある程度行った工夫は、むしろホムンクルスの寿命を縮めてしまった。

生きている縄達が、自分たちの究極系とも言えるホムンクルスが目を開けたのを見て、ざわついている。座り込んでいるホムンクルスを綺麗に拭き終えたところで、クノールとキルキが戻ってきた。

口をへの字に引き結んだまま、ゆっくりホムンクルスは周囲を見回している。肌の感触は、人間とあまり変わらない。騎士団の人間は美形揃いというわけでもないが、不思議と顔立ちは充分に整っていた。目が少し大きいが、これは将来美人になる証拠だ。

ただし、寿命は若干短いかも知れないと、ヘルミーナ先生はいっていた。

まあ、気に入ったのなら、意識を転写する技術でも学べばいい。ヘルミーナ先生も、そうやって先代のホムンクルスから、今のホムンクルスに記憶と意識を引き継がせたそうだから。出来ないことはないだろう。

触ろうとする生きている縄を、無言でホムンクルスが掴んだ。びたんびたんとはね回る生きている縄を、無感動にホムンクルスは見つめていた。かなり力が強いのか、生きている縄は逃れることが出来なかった。

「エリー、服一つ持ってきた。 着せてあげる」

「ありがと。 後はアイゼルに、丁度いい大きさの服を作ってもらおうかな」

服を着せようとすると、ホムンクルスは最初嫌がるそぶりを見せた。体を拭くのは嫌がらなかったのに。ちょっと面白い。

だが、最終的には、渋々という感じで、少し大きめの服の袖に手を通した。

「さて、名前はどうしようかなあ」

「エリー、まだ考えてなかった?」

「うん。 それほど優先事項は高くなかったしね。 さーて、どうしようかなあ」

「私には既に名前があります」

不意に、割り込んでくる第三者の声。

エリーとキルキがどこから来たかと見回すが、声の主は何処にもいない。クノールが、腰を抜かして、指さしている。

その先には、笑みを浮かべたホムンクルスの姿があった。しかも、しらけた目で、どちらかと言えば冷笑的な。

「ごめんなさい。 私、名前あります」

「しゃ、喋った!?」

「……」

エルフィールは悟る。どうやら、失敗したか。

恐らく意識転写に使った疑似魂の影響か、或いは融合部分の部品に使った悪霊がそもそも意識をこのホムンクルスに写してしまったか。

ヘルミーナ先生も、そういうことは言っていた。色々無理が大きいから、失敗は覚悟しておくように、と。

肉体は完璧に出来たのに、最後の段階で失敗するとは。これは困った。これから、色々教えておこうと思ったのに。

溜息が出そうになるが、我慢する。元々いきなり成功するとは思っていなかった。チーズケーキだって、最初の方は満足行くものが出来なかったのだ。人工レンネットだって苦労の末に造り出した。

ましてや、難易度が比べものにならないホムンクルスである。いきなり成功するなどと言うのは、ムシが良い話であった。そう考えれば、色々とあきらめもつく。

「この体は、貴方が作り上げたものですか?」

「そうよー。 ホムンクルスちゃん」

「私の名前はイリス。 ホムンクルスではありません。 体は、ホムンクルスと呼ぶに相応しいようですが」

何処かで聞いた名前だ。それに、感情があるのは一目で分かる。この様子だと、記憶もしっかり備えているかも知れない。しかも、錬金術の知識まであると言うことか。これは一体、どういう事だろう。

もちろん、今までに死んだ錬金術師は大勢いるはずだ。その悪霊が入り込んだ可能性もある。しかし、どうしてか。イリスというのは、それとは違う方向から聞いたような気がしてならないのである。

頭の奥が、ちりちりと痛む。

立ち上がったホムンクルスのイリスは、少し長すぎる袖を、多少ぶきっちょながらも折り返して、丁度いい大きさに調整した。

ズボンの方は穿かせていないが、上着が長すぎるので、下着は見えていない。

「貴方はエルフィールさんでしたね。 現在のことを、色々教えてください。 その代わり、貴方の意図したとおり、錬金術のサポートをさせていただきます」

「ふうん、取引するつもり?」

「ギブアンドテイクです。 取引した分の得を、貴方にももたらせると思います」

「何だか、怖い子」

キルキがぼそりと呟く。

だが、エルフィールは。むしろこれの方が扱いやすいかも知れないと、ホムンクルスのイリスを見ていて思ったのだった。

 

(続く)