秀才の挫折

 

序、持つ者

 

ノルディス=フーバーの短期試験結果に目を通していたイングリドは、呟いていた。

非の打ち所がない。

特にペーパー試験は完璧だ。上級生とも渡り合えるほどの知識が、髪が薄い頭の中には詰まり始めている。

だが、どうしても脆弱な強さから抜けられない。これは温室栽培の美しさであり、現実には役に立たない好成績だとも、イングリドは思った。やはり当初の予定通りである。

エルフィールと接触したことで、少しは変わるかとも思った。だが、ノルディスは結局「持つ者」の理論から抜けることが出来なかった。

今まではそれでいい。溢れる才能で、どうにか出来てきた。しかし、これからはそのままでは駄目だ。

持つ者特有の、闘争心の欠如を何とかしない限り、ノルディスは今後、ただ現実に押しつぶされていくだけで終わってしまうだろう。それでは駄目だ。せっかくの才能を、無駄に浪費させてしまうことになる。

錬金術アカデミーに入った以上、イングリドはノルディスを育て上げる義務を有している。そして、元々イングリドは、ノルディスの弱点が闘争心の無さだと見抜いていた。だから、用意もしてきたのだ。

一ヶ月後、一年生としては初の、学年総合試験がある。

今までトップを独走してきたノルディスだが、此処で現実に揉まれて貰うつもりだ。もちろん、常識的なペーパー試験などやる気は最初から無い。

温室で育った花は、愛でるには良い。だが、外で生きていくことなど出来はしないのだ。

戸をノックする音。気配から分かる。ヘルミーナだった。

「イングリド、入るわよ」

「どうぞ」

入ってきたヘルミーナは、ご機嫌だった。元々、顔の造作は整っているのだ。微笑むとそれなりに綺麗にはなる。だが、幽鬼のような邪気が全てを台無しにしてしまう。

この間まで、もうクルスが保たないと言うことで、ふさぎ込んでいたのに。これだけご機嫌と言うことは、何か大きな研究成果があったのだろう。

「クルスがどうかしたの?」

「成功したわよ、意識と記憶の転写!」

「何ですって!?」

思わず立ち上がったイングリドに、ヘルミーナは得意満面で水晶珠のようなものを見せた。よく見るとそれは硝子で出来ているのだが、内部に真っ黒な何者かが蠢いている。それが強烈な魔力の凝縮体だと、イングリドは一目で見抜いていた。

ホムンクルスの研究においては、ヘルミーナはケントニスのアカデミーでも確実にトップクラスにはいるほどの実力者だ。世界的な権威といっても良い。その権威が造り出した水晶珠の中から、声がする。

「イングリド……様。 そこに……おられるの……ですか?」

「あら、確かにクルスの声だわ」

「でしょう!」

目は見えないが、この黒い魔力の中に、確かにクルスの意識があるのだと、ヘルミーナは得意満面だ。こんなに満面の笑みを浮かべる彼女は、はじめて見た。

理論も鼻高々に聞かせてくれる。ざっと聞く分では、光石などを使った魔力定着に近い技術を、極限まで高度にした内容だ。水晶珠の中には、恐ろしく複雑な機構が組み込まれていて、それがクルスの意識を吸収しているのである。

ヘルミーナは一種の幽霊を造り出したと言っても良かった。

現象としては、今までに存在しなかったものではない。例えばいわゆる死体を操作するネクロマンサーと呼ばれる術者などは行っていた。だが、これを錬金術として確立したのは、素晴らしい偉業だ。

「丁度いいわ。 ご機嫌ついでに、今度の試験。 問題、貴方も考えてくれないかしら」

「何、生徒達を苦しめればいいの? うふうふふふふふ」

「まあ、そう言うことになるわ。 ペーパー試験は貴方に担当して貰いましょうか」

頷くと、ご機嫌な様子で、ヘルミーナは部屋を出て行く。

代わりに部屋におっかなびっくり入ってきたのは、クライスだった。相変わらず、分かり易い奴である。ヘルミーナが怖くて仕方がないのだろう。

「あの、イングリド先生」

「丁度いいわ。 今度の試験問題には、ヘルミーナ先生に、ペーパーテストを担当して貰うことになりました。 貴方は彼女と折衝して、問題の書き写しを行いなさい」

「ええっ!?」

露骨に動揺するクライス。

彼も、ヘルミーナが縦横無尽に問題を書くようなことくらいは知っている。隣の部屋の壁が良い例で、そんなものをいきなり直視したら、生徒は発狂しかねない。

だから問題を作成するヘルミーナの側について、その意図を解読し、生徒達が解読できる上、発狂しない程度に柔らかく書き換える人間が必要になってくるのだ。

クライスは整理された頭脳の持ち主で、来年くらいからはマイスターランクから教師に異動して貰おうとさえイングリドは思っている人材である。そのためには、他の教師達の間でも恐れられ、アカデミー内におけるイングリドの対抗派閥の長(といっても、裏で二人は同盟関係にあるが)であるヘルミーナと交渉できるくらいの手腕は必要になってくる。

何より、ヘルミーナと交渉できれば、他の人間との折衝くらいはたやすいという現実も、また大きかった。

「し、しかし僕にそんな大それた事が出来ますでしょうか」

「此処だけの話、彼女は優しい人です。 ただし、興味がない他人のことを一切考えていないですが」

「そ、それを優しいと言うのでしょうか」

「言います」

普段から仲が悪い風を装って見せているが、イングリドはヘルミーナのことを嫌いではない。ヘルミーナもイングリドの悪口を外で結構言っているようだが、それはそれである。彼女がクルスに対して他の親に負けない愛情を注いでいることや、根本的に深い情の持ち主であることを、イングリドは知っている。

幼い頃からの知り合いである。一緒に地獄も見た仲である。

それくらいは理解していて当然であった。

「分かりました。 兎に角、僕はペーパーテストの作成に移ります」

「あ、そうそう。 彼女はあまりにも独創的なテストを作る可能性があります。 貴方は側で見ていて、試験範囲からあまりにも逸脱するような問題である場合は、助言をして難易度を落とすように」

ぺこりと一礼すると、クライスは部屋を出て行った。

自分の肩を叩くと、イングリドは次の手について考え始める。アカデミーの周辺は最近安定しているが、それだけでは駄目だ。そろそろドムハイトの内乱が酷いことになりつつあるらしく、独立国が生じる可能性も示唆され始めている。もうそうなると、シグザール王国軍や騎士団が、衛星国家にするべく動き出す可能性も否定できない。

その時に備えて、アカデミーでは事前にいくらかの手を打っておく必要があった。

もちろん、ドムハイトが懐から何かしらの攻撃を仕掛けてくる可能性がある。ヘルミーナも今はアカデミーにいるから生半可な相手に遅れを取ることはないが、それでも備えておいて損はない。

何より、今一番進めなければならないのは、原子論の研究だ。

幾つかの研究の結果、マルローネが提示した原子論は、部分的に証明され始めている。未だか細い理論であるそれを完璧に立証し、纏め上げなければならなかった。これはどうしても矛盾が出てきていた五大元素論に変わる画期的な理論として、今後の世界を動かしていく可能性が高い。ケントニスが前例だの先人だのとほざいている間に、さっさとこのリリー錬金術アカデミーで、新しい時代を作り上げてしまうのだ。

別の学生を呼ぶと、専門のチームに、参考資料を取ってくるように指示。

この時期は忙しい。

しかし、かってない活力に、自分が満ちているのも感じる。

新しい時代の基礎を作るのは今だ。そう、イングリドは確信していた。

 

1、学年試験の到来

 

エルフィールは受け取ったお金を数え終わると、誓約書をキルキに手渡す。キルキは頷くと、借金の証明となっていた誓約書を破り捨てて、竈にくべた。

これで金銭上の貸し借りはなくなったことになる。

キルキの入院から二ヶ月。少し経済的に厳しい状況が続いていたが、これでお互い何ら困ることはなくなった。

「流石だね。 病み上がりなのに、もう借金完済しちゃった」

「エリーも凄い。 私、一人だったら、もっと酷いことになってたと思う」

滅多に笑わないキルキだが、薄く微笑んでくれた。母性本能的なものは感じるのだが、それ以上はよく分からなかった。

実際キルキは、七日間の入院などものともせず、直後の試験から追い上げ、どうやら今や確実に上位に食い込む成績を上げているという。エルフィールはまだまだな部分が多いが、それでも今回の学年試験はそれなりに自信があった。

お金を金庫にしまってくると、もうキルキは参考書を出していた。

此処はエルフィールのアトリエである。たまに時間を見ては、二人で勉強する日が続いている。此処にアイゼルも加えられたらいいなあとエルフィールは思っているのだが、なかなか難しいのが実情だった。たまに様子を見に寮に行っているのだが、近場での採集にはつきあってくれても、勉強会までは開けていない。

そろそろ、キルキは最初に渡された参考書では物足りなくなっている様子だ。そう言った学生には、錬金術アカデミーの書庫から専門書が貸し出される仕組みになっている。参考書を読んでいたキルキが、顔を上げた。

「エリー」

「なあに?」

「図書館、行ってみたい。 このご本、大体覚えちゃった」

「そっか、良いね。 そろそろ私も、もう少し難しい参考書を読んでみたいなって思っていたから」

二人で席を立つ。

アトリエの資金繰りも、どちらも順調になりつつある。外に出ては物資を調達し、施療院や飛翔亭の簡単な仕事をこなしながら、着実に資金を貯めているのだ。キルキはそろそろ本格的にやりたいことに向けて動いている様子で、どう使うかよく分からない器具類をアカデミーでちくちく購入しているばかりか、時々ゲルハルトに相談しに行ったり、場合によっては鍛冶ギルドにまで出向いている様子だ。

エルフィールも負けてはいられない。

だが、どうしても、「好き」と呼べるものは、今だ見つかっていない。イングリド先生に相談にも行ったのだが、焦ることはないと返されるばかりだった。

図書館に行けば、何か面白いものがあるかも知れない。

「そろそろ、看板が欲しいかもね」

「錬金術のお店の看板?」

「そう。 まだ本格的なのは作れないけど」

実用的な品も、最近は作れるようになってきている。栄養剤や解毒剤など薬剤関係が中心だが、質に関しては飛翔亭などでも少しずつ口コミで評判が広がり始めていて、やりやすくなってきていた。

今後は先を見据えて、もう少し商品のラインナップを拡げたい所である。

薬剤系に特化するか、或いは普通の人間が思いつかないような代物を作っていくか。錬金術は無限の可能性を秘めた技術だ。既にキルキは、己の夢を形作ろうとしている。それなのに、エルフィールは。

内心悔しいと思えるようになってきているだけ、良い状況かも知れない。最近は少しずつ、確実に心が出来てきているのが分かる。このまま行けば、他の人間と同じように笑ったり喜んだり出来るのかも知れなかった。

ただ、それが必ずしも良いことだとは、エルフィールは思っていない。その辺りの自己分析は、あまり進んでいなかった。

実質、一年しか生きていないも同じ自分。

それを解体して深部に踏み込んでいくのは、やはり何処かで恐ろしいと思ってしまう事なのかも知れない。

荷物を纏めると、図書館に。そういえば、男子生徒の間で噂のお姉さんが、図書館の司書をしているという。兎に角とろくて動きが鈍いので、それが却って良いそうである。よく分からない話だ。

「聞いたことある。 ルイーゼさんて言う人」

「へえ。 誰から聞いたの?」

「授業組の男子が話してるの聞いた。 ええと、嫁にするなら誰かとか。 ルイーゼさんとか、アイゼルさんとか、もう引退したけどアウラさんとかって人が良いとか話題になってた。 私は子供だから対象外とか言って笑ってた」

「そっかあ」

キルキは相当頭に来ているらしくて、彼奴らはベルグラド芋だとかよく分からない罵倒をしていた。多分彼女としては、相当に不愉快な相手にぶつける言葉なのだろう。しかしキルキ自身が件のベルグラド芋を好物にしていることを、エルフィールは知っている。

エルフィールも、かなりこき下ろされていたらしい。外で採集をしては、自活同然の生活をしていることが授業組には不思議でならないらしく、野人だとか野獣だとか、好き勝手に言われているそうである。

野人であると言うことについては否定しない。

だが後者はちょっと微妙だ。エルフィールは人であって、獣より頭がいいつもりだ。野獣は一度人間に痛い目にあわされると、本能で避けるようになる。だが人間は報復を考えるようになるのだ。

図書館に着いた。

要塞のような作りである。坂の上にあり、図書館の上部には外を覗ける孔らしきものが無数に見える。茂みもあるが、多分トラップの巣窟だろう。下手に踏み込むと、先生が飛んでくるか、或いは自動で縛り上げられてしまうのかも知れない。恐ろしい話であった。

入り口は二度三度破城槌を叩きつけた程度ではびくともしなさそうな鉄製で、しかも内側からは外が自在に覗けるようになっている。これはちょっとした防御施設だ。並の砦よりも、攻撃に頑強に耐え抜くに違いない。

入り口で名前を言い、学生証を見せる。

内側から重々しく開いた扉。武器を携帯した守衛の姿が見えた。しかも、冒険者らしく、相当に戦慣れしているのが分かる。

入退室は厳重に管理されている。魔法によって二重三重の防備が固められているというシグザール国立図書館でも、ここまで厳重なセキュリティは無いかも知れない。兎に角手続きに少し時間が掛かり、ようやく中にはいることが出来た。

中は、まさに本の海であった。

外から見ても相当に巨大な建物であったが、内部は無数の棚が縦横無尽に並び、その全てに本が詰まっている。人類の叡智とは、これほどに凄まじいものであったのか。

見ていくと、著者にイングリド、ドルニエ、ヘルミーナという名前を散見できる。世界的な錬金術の権威だとは聞いているが、これほどに本を出せるとか。

「薬草学、見てくる」

「行ってらっしゃい」

キルキが奥へぱたぱたと駆けていった。

本を物色していると、眼鏡を掛けたとろそうな女性が、如何にも落としそうな持ち方をして、本をよたよた運んでいるのに出くわす。これが噂のルイーゼさんかなと思った矢先に、ばさばさと、見事なまでに間抜けに本を落とした。ついでに転んで眼鏡まで落としてしまう有様だ。

「ああっ! 眼鏡、眼鏡ー!」

泣きそうな顔で辺りをまさぐっているので、たまりかねてエルフィールは彼女の至近に落ちていた眼鏡を拾って、顔に掛けてあげた。有難うと、満面の笑顔で礼を言われたので、恐縮してしまう。確かに綺麗な顔立ちであり、男子には人気が出そうであった。

やはり女性はルイーゼと言うらしい。一応卒業生であるらしいのだが、二年も留年した挙げ句、仕事もろくに見つからなかったので、イングリド先生が此処で拾ってくれたのだそうだ。

一応卒業生と言うこともあってそれなりの知識はあるので、今では図書館の司書として本の整理をしているという。もっとも、腕前は見ての通りであり、細かいミスが連日山積しているとか。

「貴方も学生?」

「はい。 エルフィールと言います」

「頑張ってね。 でも、貴方は私よりずっと出来がよいだろうから、余計なお世話かも知れないけれど」

またよたよたと、ルイーゼは奥へ行ってしまった。あの様子では、間違いなく転ぶことだろう。

何だか、自分に対する野心を捨てきった態度の人だった。まず自分に対して、完璧に諦めてしまっている雰囲気である。

もし自分がああなってしまったらどうなるのだろうと思い、エルフィールは愕然とする。そうなったら、ロブソン村に居場所はなくなる。ドナースターク家でも、役立たずとして閑職をたらい回しされることだろう。しかも針の筵に座った状態で、だ。

それだけは絶対に嫌だ。

気を取り直すと、参考書を探す。中級の参考書に良さそうなのが幾つかあったので、見繕う。それから、少し考えた末に、非常にニッチな研究をしている参考書を二つほど本棚から取りだしてみた。

本の背表紙には番号が振ってあり、一目で何処の本棚に格納するべきものなのかが分かるようになっている。ざっと見た感触では、奥に行くほど内容が高度になっていくようである。

真ん中ほどに、学生達が読書するスペースが設けられている。見るとかなり年配の人物も来ている。一人前の錬金術師にとっても、此処は非常に有用な場所であろうし、上の学年にはかなり年を召している人もいると聞いている。最初の頃、アカデミーにはいるのは大人ばかりだったともいうし、別に不思議なことではないのかも知れない。

キルキも間もなく来た。

一杯本を抱えているが、それでも歩き方に危なげはない。この間足を怪我してからというもの、却って注意を周囲に向けるようになった様子である。今後は武術も習ってみたいと言っていたので、うかうかすると体術の方でも追い越されるかも知れない。

「たくさん持ってきたね」

「良さそうな薬の本、いっぱいあった。 読んで覚える」

「私は借りてじっくり読まないと覚えられないかな」

キルキの暗記能力は羨ましいが、エルフィールは自分に備わっているもので勝負するしかない。

ただし、キルキの弱点らしきものも、少しずつ見え始めていた。教科書通りには出来るのだが、それ以上の応用が利かないのである。今回、色々覚えに来ているのも、多分それを無意識に自覚しているからなのだろう。

また一人、学生が来た。アイゼルだった。

図書館と言うこともあって、声を落として挨拶。アイゼルは少し前から、少しずつ態度を軟化してくれている。

「おはよう」

「おはよう、アイゼルさん」

「さんはつけなくても良いわよ」

そう言えば、そろそろ初めて顔を合わせて半年になるか。キルキとエルフィールは顔を見合わせると、にこりと笑みを返す。

「それじゃあ、今日からはアイゼルって呼ばせて貰うね」

「呼ばせてもらう」

「ええ。 何だか貴方たち、仲がよい姉妹みたいね」

笑みを浮かべかけたアイゼルだが、すぐに表情を改める。まだ、何処かで構えている部分があるのだろう。

彼女が持ってきたのは、エルフィールと同じく中級レベルの参考書。多分キルキやエルフィールと同じように、そろそろ初級では物足りなくなってきているのだろう。上位に食い込んでいると聞いているから、妥当な所である。

よくしたもので、図書館でも使用頻度の多い本は、複数用意して対応しているようだ。他の学生にも、中級参考書を手に勉強を行っているものが散見できる。

アイゼルは他に、装飾関連の技術書を手にしていた。宝石ギルドに何年か前から技術提供をしているという話を聞いているが、それによって恐らくアカデミーの技術も飛躍的に進歩したのだろう。その証拠に、本は非常に真新しかった。ちなみに著者はイングリドと書かれている。

「貴方たちは薬剤関連?」

「キルキちゃんは。 私はもう少し地固めをした後、好きなものを探してみようと思ってるの」

「好きなものを、探す?」

「うん。 私、好きなものがまだ無いから。 良い機会だから、好きになりそうなものを見つけたいの」

雑多な参考書類を見て、アイゼルがよく分からないと顔に書いていた。

きっと羨ましいことに、彼女の中では好きなものが既に厳然として存在しているのだろう。多分宝石や、装飾などがそれに当たるに違いない。

しかし妙なのは、彼女は貴族の出身だと言うことだ。それなのに、どうして富の象徴である宝石やアクセサリを自分で作ろうと考えるのか。それほどよっぽど好きなのか、或いは他に理由があるのか。

エルフィールには分からない。いずれ話してくれればいいなと、思うだけであった。

それからは三人、しばし無言で勉学に励んだ。

気がつくと、遠くで昼の鐘が鳴っていた。シグザール城で時刻を知らせるためにならすこの鐘だけは、図書館の中でも聞こえる。遠くで聞こえているように思えるのは、分厚い壁があるからだろう。

周囲の学生も、めいめい散っていく。年配の錬金術師らしい人物達は、本に没頭しているのか、或いは他の理由からか。身じろぎさえしない者も多かった。

「エリー、車引き、行きたい」

「そう? じゃあ行こうか」

「車引きって何?」

アイゼルが興味を示したので、庶民の味方である移動店舗について説明する。だが、アイゼルは眉をひそめて、拒絶した。

「ごめんなさい。 遠慮させていただくわ。 お弁当も持ってきているから」

「え? アイゼルって寮暮らしでしょ? 一人で作ってるの?」

「お父様が、侍女に差し入れさせているの。 もう、余計なことだっていつも言っているのに」

ぼそりと呟くアイゼル。

この時。

エルフィールは笑顔を保ってはいた。だが、どうしてか言いようのない不快感と殺意が、同意にこみ上げるのを感じていた。

 

夕方まで読書をして過ごす。かなり今までの勉学についての補強が出来た。エルフィールは調合を実際にしてみないと理解できない部分が多く、まだ試していない部分についてはどうともならない箇所があるが。それでも、かなりの有用な知識を手に入れることが出来た。

寮に戻るアイゼルを見送り、二人でアトリエに戻る。本を抱えているエルフィールに対して、キルキは手ぶらだ。全部覚えたらしい。もっとも、頭の中で定着させるには、少し時間が掛かるという事だが。

アカデミーを出た辺りだろうか。急にキルキが話を振ってくる。

「エリー、さっき凄く怒ってた?」

「どうしてそう思うの?」

「笑顔だったけど、何だか雰囲気が怖かった」

「ふうん、魔力が見えると、そんな事も感じられるんだね」

笑顔を消す。保っていても意味がないと思ったからである。

一年ちょっとしか生きた時間がないエルフィールだが、理解できる感情とそうでないものがある。怒りについては前者のほうだ。しかし今回は、仲良くしたいと思い、なおかつ好ましくも感じているアイゼルの言葉に、どうして頭に来たかよく分からなかった。

「アイゼル、お料理してない。 それを怒った?」

「いや、それは前から知ってたから」

「そうなの?」

キルキが小首を傾げる。こう言う所が、この子の弱点であろう。

あれから二度ほど、エルフィールはアイゼルを誘って、キルキと一緒に採集に出かけた。キャンプを張る場合には当然料理もするのだが、アイゼルは包丁さえまともに扱えず、野草の茎を取ったりするのが精一杯だった。外と言うことよりも、根本的に包丁を使って料理をすると言うことの経験が足りていないのである。まあ、その辺りは、あの繊細な指を見ていれば見当もつくが。

既に寮暮らしも半年を超えているのだから、自炊しているのなら多少は出来るようになっている筈である。それなのにあの体たらくである事を考えると、恐らくエルフィールの読みは間違っていないのだろう。

今までは、売店で買った食料で誤魔化していたのだと思っていた。

しかしまさか、いやだいやだと言いながらも、親が使用人に届けさせていた食事を口にしていたとは。貴族様は考えることが違う。

だが、其処に頭に来ている訳ではない。どうしてかは、やはり自分でも分からなかった。

また、笑顔を作り直す。

「自分でも、どうして怒ったのか分からないんだ。 でも、もう怒ってないから大丈夫だよ」

「良かった。 エリー、怒ると凄く怖い」

「そうなの?」

「うん。 動物もいつもエリーが来ると怖がってる」

それは面白いことを聞いた。いずれ何かしらの形で、実証してみたいものである。

アトリエに着いたので、キルキと別れる。一応全部に目を通したのだが、まだ読み足りない部分が幾つかある。それらを全て理解してから、明日に臨もうと、エルフィールは考えていた。

竈の中で、薪が爆ぜる。

ふと、気になる箇所を見つけた。

ヘルミーナ先生著の錬金術の本だ。イングリド先生に聞いたのだが、彼女はあまり表に姿を見せないが、優秀な教師だという。

本は非常に読みにくく、雑多な知識がぶち込むようにして詰め込まれている、怪書とでも呼ぶべき内容である。その一角に、面白そうな内容が書かれていたのだ。さっきは解読に手一杯で、読解が追いついていなかった。

命を、無生物に吹き込む方法。

縄や箒、場合によっては浮遊する絨毯を作成することも可能だという。

非常に文脈があっちこっちに飛んでいるので読みづらいが、その過程に有用な情報が山のように詰まっている。一度解読できると、非常に意味深い文章がある一方で、突然個人的な悪口が入ってきたり、よく分からない部分もある。

それより心が引かれたのが、擬似的な生命を作り出せる、という所だろう。

イングリド先生の本にも似たようなものがないか、調べてみる。あった。こっちはより論理的に書かれていて、兎に角文章に無駄がない。ただし、高度な内容が突然出てくるヘルミーナ先生の本に比べると、全体的に卒がなかった。

噛み砕いて、理解をするように試みる。

全部で何種類かあるが、一番最初に着手できそうなのが、拾ってきた魂を定着した道具、である。

これは浮遊している意識体、いわゆる幽霊や悪霊というものを、何らかの方法で固定化、それを素材にしてものを作る。初歩の生きている道具は、殆どこうやって作成する。

例えば、類例の最初歩でありもっとも奥が深いという、生きている縄という道具は、こうして作り上げることが出来る。悪霊を定着させることで、さながら蛇のように動き、命令に従う縄になるそうだ。悪霊に命令を聞かせる方法も難しくはないらしい。

問題は、エルフィールにそれらの存在を見る力が一切無いことである。

魔力が弱い錬金術師にも、一応抜け道は用意されている。悪霊が集まりやすい場所などを能力者と一緒に探すか、或いは強い魔力が噴き溜まっているような所に足を運ぶかすると良いとある。

一応稼ぎは安定しているし、術者の中には冒険者をやっている人間も珍しくない。魔力が強い人間は、大体悪霊の類が見えると言うし、彼らを適当に雇うだけで事足りる。

エルフィールには見えないが、多くの人間が観測している以上、この世界にそう言う存在が居るのは間違いないのだろう。もっとも、実際に見えないので、そうだと断言できないのが少し悲しい。

しかし、実際に生きている道具類を作成できれば、ある程度それが真実だと判断できる材料が揃うことになる。

そう言う点でも、興味深かった。

もう少し難易度が高い生きている道具になると、魂を実際に作ってしまったり、命令に沿って詳細に動くものも作り出せるという。ただしこれらは理論が複雑すぎる上に、材料もスキルも今のエルフィールには手に負えないものばかりだ。特にホムンクルスと呼ばれる人造生命体に関しては、見るだけで頭が痛くなりそうなヘルミーナ先生の理論を、完璧に理解する必要があると言うことであった。

気がつくと、真夜中になってしまっていた。

こんなに興味を引かれたのは久方ぶりだ。定期試験も近く、何より学年度試験もすぐだというのに、徹夜同然の勉強をしてしまった。しかも、微妙に試験からは脱線した形で、である。

どうしてか分からないが、興味をもの凄く覚えたのだ。本を閉じて、寝間着に着替えてからも、興奮が収まらない。

作ることは、確かに少しずつ面白いと思えてきている。しかし、好きとは無縁だった。

これは、ひょっとして。

これが、好きと言うことなのだろうか。

もしそうなのだとしたら。この興奮を収めるには、生きている道具を実際に作ってみるしか無さそうだった。

寝付けない夜を過ごす。

まず縄を作ってみて、それを素材に幾つか別のものを。箒、それに応用次第ではそれと連携して動くゴミ箱も作成できそうだった。それらが巧く行ったら、今度は自動的に動く机や椅子、それに実験器具類にも手を出してみたい。

戦闘時、補助になるような動きが出来る道具類も、作ってみるのは悪くないかも知れない。

この間殺したぷにぷにが、自在に蠢く触手を使っていて、とても便利そうだと感じた。同じように、武具を振り回せる触手のようなものを作り出せたら。一度に数本の武器を振り回し、敵を圧倒できるかも知れない。

それはとても素晴らしいことだ。

人間を止めたような容姿になるかも知れないが、別にそれはどうでも良い。ロブソン村、更に言えばそれを支配下に置いているドナースターク家で、容姿を判断基準にすることはないはずだ。まずは能力が問われるはずで、新しい戦闘スタイルを生み出したりすれば、エルフィールは一気に地歩を確保できるだろう。

うふふふふと、寝床の中で笑う。

村から放逐されることはなくなる。そうなれば、もう。あの闇の中で、一人孤独に膝を抱えることもなくなるのだ。

寝床の中で、エルフィールは悶々と考え続けた。

気がつくと、朝になっていた。身体制御をしているから、今までは何時寝たかくらい判断がついたのに。

今日に限っては、それも分からなかった。

大きく伸びをした後、一階に下りる。気付け用の刺激を強くしてある栄養剤を口に含んで無理矢理目を覚ますと、頬を叩いて気合いを入れる。

一番簡単な、生きている縄であれば、素材はあらかた揃っている。問題は悪霊についてだけだ。それも、キルキという強めの能力者が側にいる。頼んで良さそうな場所を探して貰えばいい。

試験が終わったら、早速手を出してみよう。

エルフィールはそう決めると、最後の追い込みに向けて、頭を切り換えた。

 

2、驚くべき試験

 

百数十名の、錬金術アカデミーの一年生が、講堂に勢揃いしていた。まさに壮観である。エルフィールの暮らしていたロブソン村の住民と並ぶほどの数だ。流石は大都会ザールブルグ。

入学式の時も見たが、今後授業やら行事やらの時は、いつもこれだけの人数を目にするのだと思うとわくわくした。バザーなどで多くの人間がごった返す様子には慣れてきたが、殆ど同じ制服を着た学生の群れには、やはり驚きを感じてしまう。

イングリド先生が、壇上に上がった。ドルニエという校長は、姿を見せなかった。

噂は聞いている。実質上、リリー錬金術アカデミーを切り盛りしているのは、イングリド先生だと。

それを実感する瞬間である。

「今日は大変天候にも恵まれ、絶好の試験日和と相成りました。 この素晴らしい日に、皆の努力の成果を確認できるのは、とても素晴らしいことです」

イングリド先生が、手慣れた様子でスピーチを進めていく。

そういえば、後ろの方に幽鬼のような恐ろしい女性が立っている。あの人が多分ヘルミーナ先生だなと、直感的にエルフィールは悟っていた。

イングリド先生は続ける。

「この試験は、ただみなさんを成績順に振り分けるためのものではありません。 皆さんが将来、錬金術師として社会に出た時、有用な人材になれるように訓練する事も念頭に置いて設計しています。 この試験に臨むことは、社会に対して挑戦すること。 そう考えて、頑張りなさい。 以上」

スピーチが終わると、拍手が起こった。今回は短めと言うこともあったし、なによりとても分かり易いスピーチだったからだ。

だが、エルフィールは直感的に悟る。今回の試験は確実に荒れる。

なぜなら、昨日人となりを感じて面白かったヘルミーナ先生が、後ろで凄く楽しそうにしているからだ。

彼女の著書は、下手をすると常人では解読不能な怪しげな空気を纏っていた。エルフィールが読めたのは根気よく文章を追っていたからで、「分かり易く書かれていないと読めない」とかほざくような阿呆は門前払いするような雰囲気である。そんな調子で試験も作られたら、特にマニュアル特化型の上位陣は、根こそぎふるいに掛けられるのではないか。少なくとも、絶対に何か試験に仕込んだはずだ。

それに、どうして講堂に集められたのかも気になる。隣にいるノルディスが、不安そうな表情を浮かべていた。

「それでは、全員中庭に移動します。 第一試験は其処で行います」

「中庭!?」

ノルディスがますます不安そうに声を挙げるのを見て、エルフィールは自分の勘が当たったことを確信した。

ぞろぞろと、学生達が移動していく。ちょこちょこと歩きながら、誰ともぶつからないキルキは、確実に身体制御が上手になってきている。アイゼルも、何度か山歩きのこつなどを野外で学んだからか、人混みの中でも苦労はしていなかった。

苦労しているのはノルディスだ、立ちっぱなしの後にいきなり移動が開始されたので、何度も他の学生にぶつかられていた。

「エリー。 中庭で、何をするんだろう」

「試験でしょ?」

「そ、それはそうだけれど」

「多分実戦形式での試験じゃないのかな。 騎士団の人とかいて、あらゆる手を使って良いから一本取れとか。 あははははは」

もちろん冗談で言ったのだが、ノルディスだけではなく後ろでアイゼルも青ざめているのが面白い。ノルディスを庇うように、アイゼルがなぜか怒った。

「ちょっと、エルフィール! 無闇に人を怖がらせるような言動は慎みなさいよ!」

「え? 何処が?」

「でも、騎士団の人と戦うのは、私もちょっと怖い。 虎とかより、ずっと強いんでしょ?」

「私の姉代わりで親代わりだった人が聖騎士なんだけど、あの人くらいになると三人もいれば、特別な戦術を使わなくてもドラゴンに勝てる可能性があるみたいだね。 私達が戦った虎くらいだったら、視線だけで追い返せるみたいだよ」

キルキまでもが固まったので、エルフィールはちょっと面白いと思った。でも、誓って言うが、嘘はついていないし怖がらせようと意図もしていない。

そうこうしている内に、中庭に着く。がくがく震えながら辺りを見回しているノルディスと、掛ける言葉が見つからないらしくおろおろしているアイゼルが見ていて面白い。キルキは多少青ざめてはいるが、もう覚悟完了している様子であった。

中庭には試験の準備がされていた。

騎士団の人ではなかったが、飛翔亭のディオ氏を始めとして、何名かの著名な酒場のマスターが揃っている。いずれも冒険者や錬金術師に仕事を斡旋する人達である。

中庭には線が引かれていて、其処に学生が並ばされる。

正面先に酒場のマスター達。長い机が幾つか用意されてあり、彼らの手元にはリストのようなものがある。

そして右手には、籠に山盛り積まれた錬金術の材料。左手には、調合の機材類が揃っていた。

「試験について説明します」

異様な光景に黙り込む生徒達の中で、エルフィールは既に試験の内容について、理解していた。なるほど、こういう意味での実戦形式か。これは確かに、モヤシ学生ばかり有利なペーパーテストとは一線を画する内容である。

イングリド先生の説明は、大体エルフィールの予想通りであった。

学生はまず正面にいる酒場のマスター達から、仕事を受ける。この時、自分にあった内容の仕事を選ぶことが出来れば、加点。更に言えば、基本的に早い者勝ちである。先に到着した人間からネゴシエイトを行うことが出来、遅れた者は並ぶことになる。

そして、仕事の依頼を受けたら次だ。右手にある材料を確保する。これは敢えて生徒数よりも量が少ないように調整してある上、品質にもばらつきを持たせている。良い品質の材料を見極める目が必要になってくる。

そして、最後に調合。

左手にある器具を使って良いが、これも意図的に数を減らしてあるという。もちろん、早い者勝ちだ。

いずれもが前提として体力勝負であるが、適切な仕事を受ける判断力、材料を選ぶ選定眼に加え、冷静な心を保つ精神力、何より的確な調合を行える技術力も必要になってくる。全てを総合的に判断するバトルロイヤル形式の試験という訳だ。

「道具の類、能力の類は一切使用禁止。 全てを自前で補うように。 何か、異論はありますか?」

「……」

反論は、無い。

既にエルフィールはストレッチを開始しており、アトリエ組の他の学生も体を伸ばし始めていた。それに対して寮に居るような連中は、いずれもが青ざめきり、困惑して左右を見回すばかりだった。

「これは三つの試験の内一つで、これを落としても挽回の機会はあります。 しかし、これで低得点を取った場合、主席はまず不可能と考えなさい」

イングリド先生が、冷然と宣告を下す。

ノルディスは、死人のような顔色となっていた。丁度良い機会かも知れない。

この試験は、闘争心がない人間を、完全にふるい落とすために作ったものだろう。恵まれた頭脳と物資が故に、ノルディスは今まで闘争心というものを全く育てずに生きてきたはずだ。

そんな人生を変えるには、これくらいのショックが必要なはずである。

全員に籠が配られた。

「では、総員、位置について」

手際よく並ぶのは、アトリエ組の錬金術師見習達。更に、体力に自信がありそうな連中もそれに習った。

「開始!」

多分火薬を使ったのだろう。鋭い炸裂音がとどろいた。

まずエルフィールが飛び出す。全力で一気に加速し、後続を引き離す。山の中で森の中で鍛え上げ、毎日裏庭で磨いている身体能力を、全力で発揮。モヤシ学生どもなどに負ける訳がない。

真っ先にディオ氏の前に到着。呼吸も乱れてはいない。

「おはようございます、ディオさん。 早速で申し訳ないのですが、仕事、ください」

「流石に速いな。 それで、どれにする」

ディオ氏も苦笑しながら、手慣れた動作でリストを拡げてくれた。さっと見た中で、良さそうなものをピックアップ。一番難しくて、なおかつ作り慣れている栄養剤を選択。ディオ氏がそれに線を引くのを横目に、受け取ったチケットを手に走る。

既に周囲は阿鼻叫喚である。

飛び込んできた学生の中には、慌てるばかりで要領を得ず、酒場のマスターに一喝されて最後尾に並び直している者までいた。その様子を、教師陣は容赦なく採点している。さぞや厳しく減点されるのだろう。

背中にいっぱい靴跡を付けたノルディスが、馬車に轢かれた蛙のように転がっているのを、視界の隅に確認。まあ、死んではいないだろう。

仕事依頼にもたもた並んでいる生徒達を押しのけ、走る。後ろで、キルキが人の列から飛び出すのが見えた。材料棚に飛び込み、選び始める。キルキが追いついてきた。アトリエ組の他の錬金術師達も、ぼちぼち棚に到着。材料を選ぶ。一人が先に出たが、籠を使わず、あろう事か材料を鷲掴みにしてしまっていた。

あれは駄目な見本だ。

それに、ただでさえ不足している素材が、ああいう行動で更に減ることになるのだろう。予想以上にこの試験は厳しいのかも知れなかった。

籠に、適切な材料を揃える。薬草類には、どれも最高品質のものばかりを厳選した。キノコ類も充分にある。中和剤に関しても作らなければならないので、トーン草も持っていく。

アイゼルがこっちに走ってくるのが見えた。呼吸を乱しているが、大したガッツだ。ノルディスはと言うと、ふらふら起き上がると、やっと依頼受け付けの最後尾に向かって歩き始めていた。

籠を守りながら走る。再び並んでいる列を突っ切るより、その後ろを回る方が早いと判断。最初に飛び出した奴は、依頼の列に飛び込んでしまい、せっかく得た素材をぶちまけてしまう体たらくであった。

さっきざっと見た感触では、依頼の中には中和剤から相当に高度な薬剤類まで幅があった。欲を掻いて難しいものを選んでも、この状況で調合など出来るのか。中には、後続を邪魔する目的で、多く素材を持ち出す生徒までいるかも知れない。

調合棚に到着。ざっと機材類を見繕う。

アルコールランプは特に数が少なめのようで、争奪戦になるのは疑いない。他にも竈が幾つか用意されている。

エルフィールが陣取った場所の左右では、場所の奪い合いも行われていた。他の生徒の機材を奪おうとした生徒が、教師に捕獲されて、連れて行かれている。あれも減点対象と言うことだろう。それを見た他の生徒達は困惑しながらも、どうにか機材を揃えている様子であった。

一番最初に棚に到着したエルフィールは、悠々と調合を開始。

中和剤も蒸留水も、既にどちらもイングリド先生に95点以上のお墨付きを貰っている。それこそ何十回何百回の反復練習を経験済みだ。

竈を独占できたのは大きかった。

視界の隅で、同じように竈を取れたキルキが、解毒剤を作り始めているのが見えた。エルフィールも落ち着いて、栄養剤を調合していく。蒸留水と中和剤が仕上がった頃には、周囲の趨勢ははっきり決まっていた。

一度、ぶつかってきた生徒が居たので、大地を踏みしめ、はじき飛ばしてやった。すっころんだ生徒は、目を白黒させて、平然と調合を続けるエルフィールを見ている様子だった。やがてすごすごと離れていったのが、気配から分かった。

作業機材類を独占できたのは、アトリエ組の生徒ばかりである。他は不満足な機材で、かろうじて調合を行う姿が散見された。ノルディスはと言うと、依頼をどうにか受けたものの、既に空っぽになっている材料棚を見て、途方に暮れている様子だった。

あれは、残念ながら零点か。いや、依頼だけは受けられたので、10点くらいはもらえるかも知れない。

キルキが調合を完成させた。流石に速い。

エルフィールも少し遅れて調合完了。充分な出来だ。視界の隅で、アイゼルが手慣れた手つきで中和剤を作っているのが見えた。繊細な指が乳鉢の上で弧を描いて回っている。葉を磨り潰しているのだ。

瓶に移した栄養剤を持って、その場を離れる。籠も忘れない。

すぐに、エルフィールのいた場所を、遅れてきていた学生が奪い合っていた。

キルキがイングリド先生の前に。エルフィールも十番以内には入っている様子だ。

「素晴らしい。 この出来なら、94点という所です」

「有難うございます」

ぺこりとキルキが一礼。かなり難しめの薬剤で、苦もなく90点以上をマークしたか。流石だ。他の生徒達はというと、急ぎすぎて質を落としてしまっている者も少なくない。最初にイングリド先生の前に出た生徒は、64点を貰っていた。

エルフィールの栄養剤も審査される。イングリド先生は厳しい目で栄養剤の内容を確認していたが、呟く。

「まさか、貴方がこれほどのものを作ってくるとは思いませんでした。 98点」

「えっ!? あ、有難うございます」

周囲からどよめきの声が上がる。

エルフィールとしても嬉しかった。難易度がそれほど高い薬剤ではないとはいえ、既に商品として計上している品である。それなりの自信はあったが、まさかイングリド先生にこれほど高く評価してもらえるとは。

試験が終わった生徒は、順番に食事と水分が配られていた。奥の方の席に着く。げっそりと疲れ果てている生徒が多く、キルキとエルフィールだけが元気だった。配られている食事は、肉を中心にしたもので、サラダの一品もついている。

「流石キルキだね。 あの薬剤で、94点だもん。 びっくりしたよ」

「エリーが助けてくれた薬。 だから、練習した」

げっそりした様子で、アイゼルとノルディスが来る。

アイゼルは60点代しか取れなかったという。材料があまりにも不足していて、調合どころではなかったそうだ。満足な機材もなく、これ以上のことは出来なかったと、愚痴ていた。

ノルディスに到っては、手ぶらで先生の元を訪れるしかなかったという。魂が抜けたような表情のノルディスに、アイゼルは必死に慰めの言葉を掛けていたが、どう見ても心に届いていない。

食事が終わると、鐘が鳴らされる。

一度集められた生徒達は、イングリド先生の前に並ばされる。そして、次の試験が発表された。

「先ほどの試験が、実技試験となります。 次は知識試験。 ペーパー試験が半分、残り半分は、素材当て試験となります」

「素材当て試験?」

口の中でエルフィールが呟く。困惑した様子で、他の生徒達も聞き入っていた。先ほどの試験のこともある。どんな内容になるか、不安で仕方がないのだろう。

「ペーパー試験の後に実施するこの試験は、私が見せる錬金術の成果物から、各人がその素材を当てる内容となります。 ちなみに此方も早い者勝ちとなりますので、それぞれ体は温めておくように」

エルフィールは口笛を吹いた。

どうやらイングリド先生は、完全にモヤシ学生達をふるいに掛けるつもりらしい。ノルディスは完全に真っ青になっていて、目の焦点も合っていない。それはそうだろう。今まで首位を独占してきたというのに、待っていた学年試験がこれなのだ。

しかしながら、不当という訳ではない。寮住まいの学生達も、許可を得れば外に出られる仕組みになっているし、実際に野外で素材を探すことを先生達は推奨さえしていると聞いている。

だから、これは来たるべくして来た、試練なのだろう。

昼一番から、ペーパー試験が開始される。幾つかの教室に生徒達は分けて入れられ、規則的に並んでいる席に座らされる。そして、紙に書かれた問題が配られた。植物を素材とした、余所では高級品とされる紙が惜しみなく使われている辺り、アカデミーの実力がよく分かる。

しかしながらその内容は、想像を絶する代物であった。

たまらず、隣の生徒が挙手する。この教室の教師は、眼鏡を掛けたまだ若い先生だ。銀髪で、線が細そうだが、目には強い光がある。

「あ、あの! 質問です!」

「何ですか?」

「こ、この問題は、本当にこれで正しいのですか?」

「これでも分かり易く解読したんですよ、この僕が。 一応理解できるように書いてありますから、安心して解いてください」

眼鏡をずり挙げる先生は、どうしてか疲れ切っているように見えた。

何となく分かった。この問題を作ったのが誰かは。

ヘルミーナ先生だ。

例えば、問一の問題は、以下のような内容である。

「その薬を栄養剤と間違えて飲んだ生徒は翌日朝から全身の痙攣に見舞われ、(以下細かい症状の説明)、最終的に泡を吹いて施寮院に担ぎ込まれたが、すぐに回復したので帰宅を許された。 其処に通りかかった錬金術師の貴方が取るべき行動は彼を助けるべきものであると私が判断したので、すぐに適切かと思える対処薬を作るべきである。 生徒が誤飲した薬について判断し、その特性を中和する薬剤と、それに必要とされる素材を最低五つ述べよ。 述べられなければ、生徒は面白いことになることだろう」

これでも分かり易く解読した内容である。あの眼鏡の先生は、さぞや胃がねじれる思いだったのに違いない。

症状から、ある種の解毒薬を栄養剤と誤飲したことは分かる。そして成分も、である。きちんと読み解きさえすれば、ある程度は理解できる問題となっている。さらさらと筆を進めるエルフィールだが、周囲では呻き声に等しい嘆きが聞こえていた。

最初に立ち上がったのはキルキだった。アイゼルもどうにか問題の解読に成功したらしく、進み出る。ノルディスは真っ青な顔をして、問題用紙を見つめるばかりであるのが、後ろから見ていて観察できた。

さっきのショックもあり、しかもこの問題内容である。脳が麻痺して完全にパニックを起こすのも、無理はないことだった。

エルフィールは十番目くらいに提出した。多分八割から九割くらいは出来ている自信はある。先に出したキルキは、小首を傾げていた。

「不思議な問題だった。 でも、薬の副作用症状は覚えてたから、書けた」

「流石だね」

「キルキ、貴方こう言うのは平気なの? 私は読んでいて頭がくらくらしたわ」

アイゼルが正直に面白いことを言ったので、エルフィールも笑顔を作って同意する。続々と試験が終わった生徒が教室から出てくるが、いずれもが青ざめていて、良い結果だったとは思えなかった。或いは、文章の毒気に当てられたのかも知れない。

アイゼルが駆け寄る。心配してハンカチを渡す動作は、エルフィールにはよく分からない感情に突き動かされているように見えた。

「ノルディス、大丈夫? 真っ青よ」

「大丈夫。 ちょっと、問題の理解に苦労して」

「本当に意味の分からない問題だったわ。 どうにか解けたけど」

「僕も、どうにか時間ギリギリまでかかったけど、何とかなったよ。 うん、きっと何とかなっているよ」

力なく笑うノルディスの笑みが痛々しい。それにしても、いつも柔らかい物腰だったノルディスの、こうも痛々しい姿を見ることになるとは。まあ、あの物腰は、全てに満たされている結果、得られたものだったのだろう。今、仮面は引きはがされた。その結果、ノルディスの脆さが露呈した、と言うことなのだ。

自分も、他人事ではないと、エルフィールは思った。ドナースターク家から三行半でも突きつけられたら、恐らく理性どころか正気さえ保っては居られないだろうから。同情はした。だが、負けてやる気はさらさら無い。

まだ、試験は残っているのだ。此処で躊躇している訳にはいかなかった。

 

素材当て試験は、エルフィールが一番に合格した。これに関しても体力がものをいうものであった事が幸いした。もちろん、今まで勉強をしてきて、錬金術の知識も得ていたのが大きかったこともある。

ノルディスはこの試験でも出遅れて、最終的に正解を持って行けたようだったが、大幅に減点された様子であった。

これで、試験の三科目は終了。全てが終わった頃には、夕方になっていた。

こんなに長い間錬金術アカデミーに居たのは初めてである。それに、達成感もあった。

総合点では多分キルキの方が上だろう。だが、努力の成果がはっきり出ている。これほど嬉しいことはそうそう無い。

夕焼けで空が赤い。そんな中正門で、キルキと待ち合わせる。彼女はイングリド先生に呼ばれたらしく、三階に行っていた。やがて小柄な彼女の姿が見えた。ほくほく顔なのは、何か良いことがあったのだろう。

「どうしたの?」

「エリー、私嬉しい。 イングリド先生が、秘蔵の参考書を貸してくれるって言ってた」

「わ、それは良かったね」

「エリーにも、次の定期試験の結果が良かったら、貸してくれるって言ってた」

それは嬉しい話だ。

キルキは恐らく、今回の試験で主席だったのだろう。だからイングリド先生も、わざわざ呼び出してそんな事を告げた。エルフィールも上位に食い込んだ自信はあるが、まだまだ先は目指せる。

それよりも、今興味があるのはやはり、生きている道具類についてだった。

「キルキちゃん、そういえば」

「ちゃん、いらない」

「うん、そうだね。 キルキ、一つお願いがあるんだけど、良いかな」

こくりと頷いたキルキに、悪霊について聞いてみる。彼女は結構強力な能力の持ち主だ。身に纏う魔力も強いはずで、多分悪霊は見えているはず。

そう思ったのだが、意外な結果が帰ってきた。

「駄目。 私、悪霊見えない。 感じもしない」

「え? そうなの?」

「生体魔力があるのと、霊体が見えるのって、話が別だって。 前に冒険者のお爺ちゃんが言ってた。 だから、悪霊の居る所に行きたいんだったら、冒険者を雇うしかない、と思う」

悪霊が怖いかと聞いてみると、即答で怖いと帰ってきた。多分見えないし感じもしないが、存在しているというのがいやなのだろう。

その辺の感覚はよく分からない。エルフィールの場合はむしろ興味がそそられてしまうのだが。しかし、アデリーさんも良く言っていた。殆どの人間は、無知に対して恐怖を覚えるのだそうである。

それは不便な話だなと、エルフィールは思った。

いずれにしても、キルキが霊体の探索には役立たないと言うことが、事前に分かっただけでも良しとするべきかも知れない。そうなると、アイゼルか。アイゼルはぐったりしたノルディスを寮に送っていったし、本人も疲れ切っているだろうから、声を掛けるのはまた後だ。

しかし、冒険者をわざわざ雇うのも癪な話である。それだけのためと言っても、仕事がない冒険者はついてきてはくれるだろうが。しかし、此方もそう金がある訳でもない錬金術師見習いである。出来る限りであるが、出費は抑えたい所なのだ。

しばらく考えている内に、アトリエに到着。

「エリー、何考えてる?」

「え?」

「悪霊を、どうして探したい?」

「それはね、生きている道具を作りたいから。 悪霊を定着させて、道具に稼働能力と、擬似的な意志を与えるの。 それが今一番試してみたいことだから」

キルキは、じっとエルフィールを見上げてきた。

そろそろ、陽が落ちる。この辺りは北に騎士団の居住区があることもあり、治安は著しく良い。だが、それでも。夜子供が一人で出歩くことは薦められていない。

エルフィールは、キルキの次の言葉を待つ。キルキが自分を頼っていることは知っている。そう言う相手には、優しく接すると、将来的に見返りがあると教えられているからだ。不思議と、そう教えてくれるアデリーさんはいつも表情を曇らせていたが。

「私、時々エリーが怖い」

「どうして?」

「エリー、何も怖いのがない。 それが怖い」

「怖いもの、いっぱいあるよ。 皆に見せてないだけ」

キルキは首をぶんぶんと振って否定した。意味が違うと言うことなのだろう。

陽が完全に落ちた。

闇の中で、エルフィールは、キルキをアトリエに返した。意味は後で考えればいい。兎に角、今は。

試験の疲労を取って、明日からに備える。それだけだった。

 

3、冒涜的創造物

 

試験の結果が張り出されたというので、エルフィールは早速錬金術アカデミーに出向いていた。キルキは朝から冒険者と一緒に、近くの森に出かけているというから、今日は一人である。

学校の正門近くに、大きく看板が立てられ、多数の名前が羅列された紙が張り出されている。人だかりが出来ていたが、押し分けて進むのは造作もない。

「信じられねえ結果だぜ」

ぼやきが聞こえる。

同じアトリエ組の男子生徒だ。最近はキルキと少しずつ差が開いてきているが、エルフィールとはどっこいどっこいの日も多い。彼はエルフィールに気付くと、軽く手を振ってきた。

「よっ」

「おはよう」

「見ろよ、この結果」

青年が指さした先には、ノルディスの名前。

一年生153人の中で、なんと66位である。ちょっと驚いた。もっと低いかと思っていたからだ。

実際には、今までの授業成績も加味しているという。なるほど、それでビリは免れたという訳だ。しかしながら、他にも錚々たる面子が、みんな真ん中か、それ以下である。これは、大番狂わせも良い所であった。

「見ろよ、俺23位。 お前なんか6位だぜ」

「本当だ」

失礼な話だが、この時男子生徒の名前を、初めてエルフィールは記憶した。ユランというらしい。まあ、あまり興味のない相手だし、仕方はなかった。

それにしても、6位か。テストの結果は1位だった自信があるのだが、少しばかり悔しい話だ。今後は短期テストで更に成績を上げて行くしかないだろう。

そして、キルキは。予想通り、今回の主席だった。

話題になるかも知れない。最年少合格者、初年度にて首位をかっさらう。最初の入学試験でのテストは中堅かそれ以下くらいだったと聞いているから、文字通りの大躍進である。それはエルフィールも同じ事だ。

「こ、こんなのあり得ないっ!」

「そうだ、不当試験だ!」

かって上位を独占していたモヤシ学生どもが騒ぎ始める。エルフィールは内心舌打ちした。鬱陶しいから二三人腕づくで黙らせるかと思った瞬間に、場に割り込む気配。

咳払いの声に、誰もが振り向く。

イングリド先生が、険しい視線で、皆を睥睨していた。

「今回の試験結果に、不満を持っている者はいますか?」

敢えてそう言う者はいない。だが、誰もが不満を持っているのは、目に見えていた。

手を挙げた勇者が居た。女子の生徒で、確かアイゼルと並ぶくらい評価が高い人物である。ノルディスと同じ秀才型だが、今回は本当に悲惨な結果で、上位陣にさえ食い込めては居なかった。

「こ、こんなの、対策の立てようがありません! あんな暴力的な試験、どうやって点を取れっていうんですか!」

「当たり前です。 ただの丸暗記で受かる試験など、作るつもりはないと、最初から皆に宣言していたはずですが」

なるほど、今後も試験は応用を中心にしていく、と言うことか。

イングリド先生の視線は非常に鋭く、生徒達が抵抗できるものではない。女子生徒も、すぐに押し黙った。

「錬金術の基礎については、いつも皆に復唱させていますね。 言ってみなさい」

「知識、技術、探求心、それに現実の直視」

「その通り。 良いですか、錬金術が本土エル・バドールで技術停滞したのは、現実を直視せず、理論に頼り切る傾向が強かったからです。 貴方たちは、最高の知識と、それに技術を得られる場所にいる。 ならば、其処に探求心と現実の直視を出来る強い心を加えなさい」

いつも言っているように、とイングリド先生は付け加えた。

授業は申請すれば休むことも許可する。その間に、実際に材料を取りに行き、或いは酒場で仕事の依頼を受け、錬金術の現場に触れるようにしなさい。今回上位だった生徒達は、普通にこなしている事なのです。

エルフィールは弁護して貰っているようで、少し嬉しかった。

だが、イングリド先生の視線は、誰にも等しく、冷たく制圧的だった。

イングリド先生が去ると、辺りには静寂が戻った。

生徒達が散っていく。

アイゼルと、ノルディスがいつの間にか居た。アイゼルは唇を引き結んでいた。

「エルフィール。 いや、エリー。 良いかしら」

「うん」

「これからは、私達もどんどん野外に誘って。 これだけの屈辱を受けて、黙っていられるものではないわ」

「ア、アイゼル?」

ノルディスが、怯えたような声を挙げる。

アイゼルは俯いて拳を振るわせていた。彼女の試験結果は57位。いつもなら、エルフィールより上の成績を確実にたたき出していただろう。しかしイングリド先生の作ったテストは、彼女の予想を遙かに超える所にあったのだ。

完全に心が折られてしまったノルディスは、おどおどとするばかりであった。だが、素質自体はエルフィールよりずっと上の筈である。立ち直れば、かなりの強敵となることだろう。

「冒険者の賃金は折半しましょう。 それで良いかしら」

「うん。 私としては異存ないよ」

「ノルディス、くじけている暇はないわ。 どんどん外に出て、実地での材料採集と、スキルの向上を目指しましょう。 確かに先生が言うように、このまま外に出ても、私達のスキルじゃおままごとに過ぎないわ。 机上の知識だけじゃあ、やっぱり現実に通用しないのよ!」

ノルディスはそう言われても、青白い顔のまま俯くばかりだった。放っておけばいいのにとエルフィールは思ったが、アイゼルはノルディスを宥めながら、一度寮に戻っていく。大したものである。

あれが、好きとやらの成せる力なのだろう。本当だったら呆れて放置しているだろうに、それでも見捨てない。

しかし、元よりアイゼルはそれほど博愛的な性格ではないはずだ。ノルディスが相手だから、そうしているのである。「好き」だから。

そしてその一端は、既にエルフィールも掴み始めている。近いうちに、きっと何か得られるものがある。そうエルフィールは確信していた。

 

アトリエに戻る途中、飛翔亭に寄る。冒険者ギルドでも良かったのだが、帰り道の途中にあるから、こっちの方が時間のロスが少なくて済む。坂道を上がっていくと、途中ハレッシュとすれ違った。

「お久しぶりです」

「よう。 エリー、だったよな」

「はい。 それはあだ名で、本名はエルフィールですけど」

「悪い悪い、かってにあだ名で呼んじまったな。 あだ名で呼んでも良いか?」

ハレッシュは有能な冒険者で、これから仲良くしておくことに越したことはない。笑顔で了承すると、邪魔にならないように階段を上りながら少し話す。

「今日は、フレアさんだったんですか?」

「ああ。 ちょっと話せたけど、幸せだったよ」

「フレアさん、綺麗ですもんね」

「綺麗なんてもんじゃねえ。 俺にとっちゃあ女神だ。 フレアさんと一緒になれるんなら、死んだってかまわねえ」

うっとりした様子で言うハレッシュ。

今まで、飛翔亭で仕事を受ける時、たいがいはディオ氏から受けてきた。フレアとも今後のために話しておきたい所だ。もちろん、別の相手でも言い。施療院でネゴシエイトの重要性を実感したエルフィールは、スキル向上に貪欲になってきていた。

飛翔亭の前の坂でハレッシュと別れると、店の中に。相変わらずステージでは褐色の肌の女が、妖艶に舞っている。時々野次が飛んでいるが、まるで意に介していない。汗が飛ぶほど激しく動いているのに、大した集中力である。

ふと気付くが、あの動き。性行為よりも、むしろ剣舞に近い。

アデリーさんが山の中で色々教えてくれた時、剣術もそれに含まれていた。エルフィールは剣術を使うわけではなく、対抗方法を教わったのであったが。

剣術はいずれもが型と呼ばれる基本的な動きがあり、それは先人が積み重ねてきた実戦に適したものなのだという。それに沿って動くため、必然的に舞に近いものになる。

女と目が会う。

向こうもエルフィールに気付いたようで、にやりとしたようだった。

「ロマージュちゃーん!」

ステージ下のファンらしい男が喚声を上げた。チップが飛ぶ。

そういえば、店の外で何をしようと自由という話もしていた。そうなると、当然客の中には、彼女を性欲発散用の一夜の恋人として「買う」者もいるのかも知れなかった。

まあ、どうでも良いことである。現時点で、男の性欲の仕組みなんぞにはあまり興味がないからだ。

テーブルに着くと、フレアがコップを磨いていた。美しい女性だが、何処か頼りなさげなのはどうしてなのだろう。ただ、雰囲気は柔らかく、その笑顔は敵意を削ぐような、不思議な優しさに満ちていた。

「いらっしゃい。 何にする?」

「それじゃ、此方をおねがいします」

少し高めのチーズ料理を注文。チーズを贅沢に使って、肉に掛けてある美味しい焼き料理だ。肉は豚であるらしい。

この間食べてからすっかり填ってしまい、飛翔亭で仲介料としては必ずこれを頼むようにしている。

「貴方が、チーズの錬金術師さんね」

「チーズの錬金術師!?」

にこりとフレアが微笑んだ。

何でも、チーズ料理ばかり頼むエルフィールの嗜好は既に知られているらしく、初歩の依頼を堅実かつ高品質でこなす事からも話題になっているという。良い意味で知られるのはとても嬉しいことなのだが、その一方で笑顔を維持するのに苦労しそうだった。

言われてみれば、色々食べてみたが、チーズ料理は非常に舌と相性が良い。栄養的にも悪くない様子だし、何より何度食べても飽きが来ない。これも、「好き」の一つと言えるのかも知れなかった。

あまり意識はしてこなかったが、そう言われると確かにチーズに執着している自分に気付く。しかもこれは肉料理にも、菓子類にも相性がよい食べ物だ。

「それで、今日は何の御用かしら」

「冒険者の斡旋をお願いしたいのですが」

「ギルドじゃなくて、此処に?」

冒険者ギルドじゃなくて、飛翔亭に直接持ち込む人材斡旋依頼は、基本的に柔軟性を要求するものばかりだ。例えば、小遣い稼ぎ程度の仕事であったり、極端に特化した内容であったり。

もちろんこれをやるには人脈が居る。

エルフィールは、今まで一度も仕事上の不義理をしたことがない。それが今回、足がかりになるのだ。

「それで、どのようなことをしたいの?」

「実は錬金術の関係で、悪霊が一杯居る所を探してるんです」

「まあ。 どう錬金術に関わるのかよく分からないけれど……」

「そこで、悪霊が見える人を探してます。 仕事内容は穴場の紹介と斡旋。 それ以外は、特に求めていません」

なるほどねと、フレアは言った。それでは確かに冒険者ギルドには紹介しづらいと。

実際には、冒険者ギルドの方が遠いから飛翔亭に寄ったという事もある。此処で駄目なようなら、多少時間は掛かってもギルドに頼もうとエルフィールは思っていた。

チーズ料理が出てくる。やはり食べてみると、肉よりもチーズの味に意識を集中させている自分に気付く。苦笑してしまった。美味しいからだ。

「美味しいですねー、これ」

「ありがとう」

「フレア」

野太い男の声がして、フレアが振り向く。

ディオさんではない。目つきが威容に鋭く、全身から独特の殺気を放っている大男だ。口元には髭があり、全身を覆う筋肉は鋼鉄のようである。

これは、現役の人殺しだと、エルフィールは直感的に悟った。

「クーゲルおじさま」

「その内容なら、カトールを推薦してやれ」

「カトールさん? そうね、確かに適任かも知れないわ」

クーゲルと名乗った男は、それだけ言うと、エルフィールを容赦なく観察した。多分笑顔が作りものである事など、一瞬で見抜かれていただろう。

エルフィールが子虎だとすれば、この男はエンシェント級のドラゴンくらいは強いだろう。戦闘能力だけではなく、他の面でもまるで勝負にならないくらい差がある。足運びや、呼吸一つを取っても完璧に違っている。

互いに挨拶して名乗る。クーゲルと言うと、何処かで聞いたことがある。思い出す。アデリーさんが、恐ろしい戦士だと言っていた人ではなかったか。

確かに、常人では束になってもかなわないような空気の人だ。エルフィールでは挑むだけ時間の無駄だろう。

クーゲルという男は、ニッチな仕事や、或いはかなり特殊な事情の人材育成を請け負っているという。この酒場でもかなりダークサイドな仕事をしていることは、見ていて何となく見当がつく。

観察を終えると、一旦クーゲルは店の奥に戻った。フレアはさっきと、少し見る目を変えている様子だ。

「クーゲルおじさんには、気をつけてね。 とても怖い人でもあるから」

「何となく分かります。 それで、カトールさんと言う方は」

「……」

クーゲルの気配に、動じていないことを察したか。フレアは一度咳払いすると、アドレスを教えてくれた。

 

カトールという人物は、定住しない移動民が近年帰化した、いわゆる「よそ者」である。かってジプシーと呼ばれることもあったこの移動民達は、国内で様々な犯罪の温床となったり、差別や迫害の被害者ともなったという。その一方で、呪術を基本とする独自の文化を発展させてもいたそうである。

それが変化したのは、丁度ドムハイトとの大戦争の前後。ヴィント王の定住政策によって彼らは屯田兵や民として積極的に住処や職を与えられ、その境遇に満足して定住生活に移るものが多く出た。その時期、ヴィント王による産業振興政策が行われ、ジプシー達も振るって自分の技術や呪術による成果を見せたのだが、当時シグザール王国に現れた錬金術に完敗して衰退したという経緯もある。

いずれにしても、定住による生活の安定は、彼らに平穏をもたらした。食事も出来るし、生活も豊かになれば、犯罪に手を染める意味もなくなってくるのである。故に、彼らが治安を乱したり、疫病を持ち込む可能性は著しく減った。

歴代の騎士団長の中には、移動民の子弟だった者も実在しているという。

だが、しかし。今でも差別は残っている。

それに何より、文化や民族の違いもある。移動民達は南方民族とシグザール人との混血が非常に多く、見かけからして違っている。今でもごく少数は移動民を続けているそうだが、それも定住に移った人間がどう扱われるか見てきたから、なのかも知れない。

以上の情報は、フレアさんから教えて貰い、図書館などで調べた情報を加味した内容であった。

カトールの話をすると、キルキは面白そうと言って、ついてきたいと言った。カトールが住んでいるのは下町であり、治安は若干悪い。ただ、エルフィールも準備はしていくし、ごろつきの二人や三人ならどうにでもなる。

あまりぞろぞろ出かけていっても邪魔になると思ったので、アイゼルやノルディスには声を掛けなかった。それに、ノルディスはまだ魂が抜けたようになっていて、立ち直れていないとも聞いた。だから、誘わなかった理由もある。

出かける前に、素材を再確認した。

魂を定着させるには、悪霊が「生存」を強く感じる素材が必要だという。具体的には成長が早く生命力が優れている竹が適当だそうである。これに幾つかの薬剤を利用して、魂を定着させる。

そして素材と融合させることにより、擬似的な生命を作成する、というわけだ。

開発当時は画期的な技術としてもてはやされたらしい。難易度が凄まじいホムンクルスと比べると非常にお手軽な上に、材料も入手しやすいからだ。しかしその一方で、材料を死体から道具に変えただけでネクロマンシー(死霊術)と何ら違いがないという批判も出てきていると言うことだ。

大通りから、幾つか細い道にはいる。とてとてついてきていたキルキは、興味深げに周囲を見回した。

「はぐれると危ないよ」

「平気」

「キルキ?」

「だって、この辺り、住んでたことがある」

そういえば、キルキもあまり豊かとは言えない層の出身である。住処を転々としていても、おかしくはなかった。

辺りには安宿や長屋が点在していて、道も若干汚れが目立つ。時々道を兵士達がツーマンセルで巡回していて、地図を見ていると声を掛けられた。錬金術師と知ると、彼らは一応安心してくれたようだが、それでもしっかり忠告してくれる。

「この辺は治安が良くないから、夜になる前には帰りなさい」

「はい。 有難うございます」

不満そうにしていたキルキを宥めて、頭を下げさせる。

兵士達が行った後、キルキは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「兵隊さん、前に、お父さん連れてった。 お母さんも。 それで、お父さんとお母さんを怒った」

「でも、お酒飲んで暴れたんでしょ?」

「分かってる。 それでも、嫌い」

どんなに酷くされても、キルキにとっては大事な親と言うことだ。アルコールに溺れ、狂気の中で、それでも娘を錬金術アカデミーに通わせるための金を準備できたのだ。彼らは親としては失格かも知れないが、娘のために道を整備するという、最低限の仕事だけはしたという事なのだろう。

エルフィールの親は、どうだったのだろう。

記憶がないので、どうにもならない。アデリーさんのような、優しくて厳しい人だったらいいのになと、ふと思ってしまった。

幾つかの長屋を見て回った後、表札を見つける。此処だ。

キルキが驚いたように足を止める。中から出てきた、同年代らしい女の子と顔を合わせて、彼女は呟いた。

「フローラ?」

「あ、キルキだ。 錬金術師になったって噂は聞いてたけど、本当なんだ」

「うん。 フローラも、名前を変えたって本当?」

「ええ、その通りよ。 私が、カトール。 まだ見習いだけど、冒険者です。 よろしく、エルフィールさん」

にこりと、陰気そうな女の子が笑みを浮かべる。

褐色の肌を持つ彼女は、南方民族の血を引いているに違いなかった。

 

家に上げて貰う。中は雑多で、様々な魔法的道具らしいものが飾られていた。

彼女の母はイルマというそうで、相当に優れた呪術師であるらしい。今は一族の長として、この近辺で忙しく動き回っているそうだ。

フローラ、いやカトールの一族は、成人すると名前を変えるという。幼い頃の名前は幼名と言い、ある程度の実績を得ると、真名と呼ばれる大人の名前を一族の長達から付けてもらえるということである。

カトールは優れた魔力の持ち主で、特に予言の類を有するという。これは彼女の曾祖母、イルマの祖母の代には絶えていた能力で、一族の中では期待株なのだとか。

しかし、どうもカトールはそんな荘厳な空気には欠けている。

「私、一族の中の大人じゃなくて、一刻も早く社会的な大人になりたいんです。 それには、まずお金なんです」

「なるほど、分かる気がする」

「エルフィールさんはフレアさんから聞いていますけど、もう事実上一人暮らししながら、厳しい錬金術師としての修行をしているとか。 憧れます」

といいつつも、カトールの目は笑っていない。

キルキが随分たどたどしく喋るのに対して、非常に論理的かつ口が回る。それも、妙な意味で対照的だった。顔の造作は整っているのに、雰囲気が異様に陰気なのも、多分その目に宿った闇が原因だろう。

相手を金銭の収入源としてしか見ていないカトールを、エルフィールは嫌いではない。このくらいの方が、むしろネゴシエーションの相手としては適切だ。それにこの空気から言って、多分何か裏がある。

占いの道具類を机の上から退けると、カトールは契約の話にはいる。

料金は非常に安い。しかし、契約書の全文に目を通すと、幾つか気になる文章が散見された。

「この、護衛の冒険者として雇うことを検討する、というのは?」

「私、一応戦闘訓練も受けています。 だから、護衛の冒険者として、外に出る時は雇って欲しいと言うことです」

「なぜ、これを契約事項に盛り込むのかが気になるなあ。 お姉さんとしては」

「ははは、私、実績がないもので。 ギルドを通さずに、個人的にコネクションを作りたいんですよ」

へらへら言うカトールだが、やはり目は笑っていなかった。

丁度良い機会なので、キルキに契約書を触らせる。呪術の類は無い様子だ。呪術の中には、契約書の中に仕込む型のものもあると聞いている。このような警戒をしたのは、多分クーゲルが紹介してきたことから言っても、この子が相当後ろ暗いものを抱えていると感じたからだ。

駆け引きそのものは嫌いではない。

だが、駆け引きの際に、相手を丸ごと信じるのは愚行だ。特に初対面の相手の場合は、まず見極める必要がある。

この間の、施療院でのネゴシエーションで失敗したエルフィールは、それを強く感じていた。

「まあ、いいでしょ。 経験を積みたい冒険者とは、私も仲良くしたいしね」

「エリー、いいの?」

「これに関してはね」

実際、ハレッシュのような熟練者や、或いは中堅どころの冒険者は、賃金がかなり高くなる傾向にある。折半しても、貧乏学生には大きな負担だ。近場に出かける時のちょっとした護衛の相手として、給金が安い相手は重宝する。一緒に強くなっていくことが出来れば、将来的にコネクションを拡げることだって出来るだろう。

だから、その契約事項については問題ない。

他の契約事項についても、幾つか不安を感じる点がある。一つずつ丁寧に確認していくと、カトールはにやりと陰気な笑みを浮かべた。

「お姉さん、凄いね。 私と年もあんまり変わらないのに、凄く慎重だ」

「色々と痛い目に会ったからね」

「そうなの?」

「そうだよ」

キルキがむしろ隣で驚いたので、ちょっと呆れた。むしろキルキの方が、エルフィールよりもずっと酷い人生を送ってきたように見えるからだ。いや、それは分からないか。記憶が飛ぶほどの事態である。エルフィールは過去、文字通りの地獄を見てきたのかも知れない。

最後まで契約事項を確認してから、エルフィールは指先に朱をつけて、紙に押した。

これで契約成立だ。念のため紙の裏も確認している。そちらにも、気になる事柄は書かれていなかった。

「出来ればお姉さんのお友達も紹介してください。 弱めの猛獣くらいなら追い払えますから」

「それはこれからの仕事次第かな。 夜じゃなくても大丈夫なの?」

「大丈夫です。 というよりも、夜に霊が出やすいというのは、見えない人が作った迷信ですから。 実際には昼でもなんでも、彼らは普通にいつでも何処にでも存在しているんですよ」

専門家の言葉ならば、そうなのかも知れない。

戸がノックされる。忌々しそうにカトールが返事をすると、部屋に入ってきた女性が居た。中年だが、かなり体は作り込んでいる。目つきが鋭い女性だが、どちらかと言えばカトールとは真逆の性格に見える。同じように肌は浅黒く、髪の毛はいわゆるポニーテールにして、背中に垂らしていた。それにしても見事な黒髪である。年の割には、肌も若いようだ。

「母さん、お客さんなんだけど」

「分かっているわ。 貴方たち、むさ苦しい所にすみません。 この子に何か掴まされませんでしたか?」

「大丈夫です。 契約書は隅々まで確認しましたから」

「ちょっと失礼」

ひょいと、契約書を取り上げられる。もの凄い速さだった。これは昔、相当に手だれた冒険者だったのか。いや、体の作り込みから言って、多分現役で活動しているのだろう。腰にぶら下げている剣の使い込んだ様子からも、その推測は正しいはずだった。

いずれにしても、今のエルフィールが逆らえる相手では無さそうだと思って、好きなようにさせる。

「呪術の類は無し、と。 契約事項に幾つか不審な点があるけれど、これらは全部合意の上なのね」

「エルフィールさん、しっかりしてるよ。 私なんかよりもね」

「契約には誠意が必要だって言ったでしょう? お客様を相手に、器を計るような発言は慎みなさい」

叱責が飛ぶと、カトールは首をすくめた。あまり激しい言葉ではないのだが、怒らせると本当に怖い人だと言うことは一目で分かる。

そして、相当な確執が、親子の間であることも、である。見た瞬間分かったが、イルマさんは非常に生真面目で心優しい人だ。だからこそに、どんな手を使ってでも成り上がろうと考えるようなカトールとでは、考えが合わないのだろう。

世の中では勘違いされやすいが、親子は性格が正反対になりやすく、確執も生まれやすいのである。この親子は典型的なそれらしかった。親は人生の教師などではない。むしろ反面教師になりやすいのだ。

まあ、他人の事例を何件か見てきたからそう思うだけだが。産みの親について知らないエルフィールは、自身がその例に含まれるかは分からない。

「この子、手癖が良くないから気をつけてね。 もしも何かあったら言って頂戴」

「大丈夫です、イルマさん」

「私の名前も聞いていたの?」

眼を怒りに細めるイルマに、露骨に反発の視線を向けるカトール。

だが、二人が火花を散らしたのは、一瞬のことであった。カトールが先に視線を逸らしたからである。

これで、クーゲルさんに紹介されて来たなどと言ったら、どんな修羅場が訪れたことか。

むしろ楽しみなので、それは言わないことにした。

細かい時間の打ち合わせは翌日の朝として、一旦その場を引き上げる。部屋を出てから、キルキに聞いてみる。

「あの子と、どういう関係?」

「前に、隣に住んでた。 でも、イルマさんと会ったのはこれが初めて。 だから向こうも分からなかった」

「へえ」

「カトール、何だかお母さんのこと喋りたがらなかった。 一族の人と一緒にいたみたいだし、昔から喧嘩ばかりしていたんだと思う」

もしそうだとすると。何処か不快だった。

何が不快なのかははっきり言葉には出来ないのだが、兎に角頭に来るのである。だが、今回は彼女の存在が必要不可欠だ。

それに、あのクーゲルという人は、きちんとした目的があってカトールを紹介してきたように見えた。それならば信用できると判断しても良いだろう。もしもカトールが不義理を働いた場合は、あの恐ろしいクーゲルの顔に泥を塗ることになるからだ。彼女は野心家に思えたが、しかし其処まで無謀ではないはずだ。

一度アトリエに戻る。とりあえず、悪霊を定着させるまで、調合を進めておく必要があると思ったからだ。

 

エルフィールという娘が帰った後、カトールと激しい言い争いをした。最後には家を飛び出していったカトールは、またしばらく戻ってこないだろう。

腹を痛めた娘とのすれ違いは、いつも彼女を苦しめていた。焼けるような野心を背負って産まれてきてしまったカトール。きっと、父親の影響だろう。イルマが唯一愛した、野心に満ちた男。既にこの世にいない夫の顔を、イルマは思い浮かべる。

どうか、怨念を娘に託さないで。

しかし、夫はせせら笑うばかりだ。もはやこの世にいない夫に、自己実現の方法はそれしかないのだろうから。

悲しみを宥めて飛び散ったものを片付けていたイルマは背筋に寒気が走るのを感じた。彼女は相当な経験を積んできている戦士だが、それでも死を覚悟しなければならないほどの相手はいる。特にこのシグザール王国では、幾らでも。

そして、いつの間にか、奴は戸に立っていた。

巨大な影。武装はしていないが、その気になれば素手で虎を解体できる男。圧倒的な威圧感が、眼光となって、イルマに降り注いでいた。

「あまり余計なことを儂の手駒に吹き込んで貰っては困るな。 イルマ」

「クーゲル=リヒター……っ!」

考え得る限り、最凶最悪の敵手。娘が、一番連んではいけない相手と連んでしまったことを、イルマは悟る。

二十年前。

ザールブルグを訪れたイルマは、優れた使い手達が集うこの街に驚いたものであった。ドムハイトも相当な強者が揃っているという話であったが、シグザールは強者が揃うだけではなく豊かでもあった。優れた王によって統率され、国中に瑞々しい活力が満ちあふれていた。

眩しい街で暮らす中で、異大陸よりこの街に訪れた錬金術師達と出会い、いろいろあって。様々な事件の後、ヴィント王の提案を受けて、定住することになった。一族の多くは屯田兵になり、或いは騎士になる者もいた。ドムハイトとの戦争で彼らは活躍し、多くの武勲を勝ち取った。イルマ自身も、何度か戦争に出て、敵将の首を挙げた事もあった。

しかし、それでも。

今だ厳然として、かって土地を持たぬジプシーだった一族は、差別を受け続けていた。

国の方針として、差別は禁止されている。法的にも権利は認められているし、何より余所の国とは厳然として扱いが違う。差別はあるとしても、他よりは段違いにマシなのだ。この国は後ろ暗い部分もあるかも知れないが、間違いなく良い国だ。

だが、それでも。やはり人々の中には、排除の心がある。だから、イルマは一族を率いる長として、皆を纏め上げなければならなかった。それが、更に周囲との軋轢を呼ぶと、知っていても、である。

そんなとき。シグザール王国騎士団が、待遇の改善を餌に接近してきた。

そして、特殊技能を持つ一族の者を、多く引き抜いていった。彼らは「牙」が飛躍的に強化されるために利用されたという。その時、中心となって作業を進めたのが。クーゲルだった。

結果、ジプシーは豊かになった。まだ差別は残っているが、生活は保障されたのである。

一族のためには、つきあわざるを得ない相手。

だが、歴戦のイルマは知っていた。クーゲルが如何に危険で、暴虐に満ちた存在かを。そしてその性根は、国家のためもあるだろうが、それ以上に己の残虐きわまりない欲望を満たすための欲望のため動いているに違いないことも。

あのエルフィールという子は危険だと、イルマは本能的に悟った。

「顧客を呼び捨てとは感心せぬな」

「貴方は、一体私の娘に何をさせようとしているの!?」

「あれに大した興味はない。 問題は、あれが契約した相手でな。 お前はとっくに気付いているようだから、釘を刺しに来た」

余計なことを喋ったり、手を出したりしたら殺す。

クーゲルは、冷然とそう宣告した。しかも殺すのは、イルマだけでは済まないとも。

この国は、良い国だ。それは知っている。だが、その良い国であることを支えるためには、多くの闇が存在している。諜報機関「牙」もそうだろう。そしてクーゲルも、闇の歯車の一つなのだ。

このような、とんでもない怪物をしっかり飼い慣らしているヴィント王の辣腕には感動する。だが、今イルマは。一人の母親として、クーゲルに屈する訳にはいかなかった。

「む、娘を陰謀に巻き込まないで! 人材が必要なら、私が働きます!」

「お前は優れた戦士だが、正直すぎる。 この仕事には向いていない。 だが、働くというのなら、お前分の仕事を考えてやってもいい」

「……っ」

「これはお前が思っているよりも遙かに大きな力が背後にあるプロジェクトだ。 余計なことを考えると、一族そのものが滅ぶぞ。 昔のガキではなく、長として皆を纏めている今のお前は、余計なことに手を出さない賢さを知っているはずだ。 くれぐれも、儂を失望させるなよ。 もっとも、お前を殺せるとしたら、それは儂にとって多少は楽しみなことだがな」

イルマは動けなかった。

戦えば、一矢くらいなら報いる自信はある。だが、死ぬ。そしてクーゲルは戦いのあと、イルマの一族を容赦なく討ち滅ぼすだろう。

イルマは、今や背負うものが多くなりすぎた。昔、この街で錬金術アカデミーを建築したリリーという娘と、一緒に技を磨き、競い合った頃の子供ではもうない。自分の死が、自分以外の存在の破滅に即座に結びつく立場が、彼女の全身を縛り上げていた。

力なく、イルマの肩が落ちるのを見て、クーゲルは去っていった。

屈辱。

それ以上に、絶望がイルマの全身を包んでいた。

「カトール……」

呟きは、空に漏れる。

親の心は、子に届かない。

 

4、生きていながら生きていないもの

 

夜中、エルフィールがカトールと一緒に向かったのは墓場であった。打ち合わせの結果、結局この時間になったのである。

シグザール王国に限らず、基本的に城塞都市で墓場があるのは、壁際と決まっている。これには幾つか理由があって、その一つには死体を長らく保存する事が含まれているそうだ。

もちろん、籠城時に、非常食にするためである。

キルキはもちろんついてきた。寮にアイゼルの様子を見に行ったら、彼女はついてくると言った。ノルディスはと言うと、熱を出して寝込んでいるという。授業でも細かいミスを連発していたと言うことで、まだ復活には遠いらしい。

やはり挫折を知らない坊ちゃんである。一度心をへし折られると、簡単には立ち直れないという訳だ。

既にすっかり陽は落ちている。主要な道は警備兵や騎士が巡回していて、不審者に備えていた。いつもよりも随分警邏の数が多いようにも思える。

「アイゼル、ノルディスの事が心配?」

「ええ。 いつもは決してあんな弱い人じゃないのに」

「挫折を知らなかったんだろうね。 私なんかは、挫折してばっかりだったから慣れっこだけど。 下手に頭が良すぎるのも考え物だね」

エリーが言うと、アイゼルは下を見た。どうにかして、慰めて上げたいと考えているらしい。

こう言う時、下手なことをすると逆効果だとか、アデリーさんは言っていた。エルフィール自身も、どうしても巧く行かなかった場合は、しばらく頭を冷やして一人で静かにしていた覚えがある。

キルキは成績にはあまり関心がない様子で、殆ど此方には興味を見せなかった。ただし闇夜にはあまり慣れていないようで、借りてきた猫のように辺りを見回して、警戒している。

街の外れに出る。警備兵に二度、呼び止められた。

今回は面倒があるといやなので、先に錬金術アカデミーから行動許可証を貰って出てきている。なおかつ冒険者ギルドに所属しているカトールもいるのである。警備兵達は一応納得してはくれたが、年配の如何にも生真面目なおじさんの警備兵に苦言を言われた。

「非戦闘員の女の子ばかりではなく、手練れか、或いは見かけだけでも良いから屈強な男性も一人は連れて行きなさい。 犯罪にあった場合、悪いのはもちろん犯罪者だが、その前に身を守る工夫をする必要もあるんだよ」

「ありがとうございます」

ちょっと鬱陶しいと思ったが、こういう事を言ってくれるだけでも幸せなのだという。本当に腐った街では、警備兵のような立場と責任のある人間でも、苦言一つ言わないどころか、積極的に犯罪に荷担しようとするそうだ。

人家がまばらになってきた。

二十万の人口を有し、大都会とも言えるザールブルグでも、街の縁になってくると人家も減り、喧噪も遠くなってくる。夜でも明かりが灯るのは歓楽街だろうか。今頃ロマージュは、あの店の辺りで体を売っているのかも知れないと、エルフィールは思った。

手にしている籠には、幾つかの試作品が入っている。

まず一つは、縄。これはトーン草を素材に編んだものに竹を編み込み、霊体が定着しやすいように特殊な薬品に漬けてある。この素材が少し高いので、あまり多くは作れなかった。自力で取りに行くには、ちょっとばかりまだエルフィールの実力は足りない。

もう一つは人形だ。古い木人形をゴミ捨て場で見つけたので、拾ってきた。参考書によると、人型には霊体が定着しやすいという。これも実験の素材としては充分な代物だ。

また、幾つか、今後のために雑多な部品も持ってきてある。これらにも薬品をしみこませてあり、それ故若干臭いがした。

アイゼルも今回目的を告げてあるので、購入したらしい縄に竹を編み込み、薬品につけ込んで持ってきていた。昔はそれなりに技術が要りようだったらしいのだが、参考書によると、最近はかなり簡単に生きている道具を生産できるようになってきた。このまま技術が進んでいくと、いずれホムンクルスも簡単に作れるようになるのかも知れない。

その技術進展に、エルフィールも関わりたいものであった。

墓場に着く。アイゼルは青ざめていたが、エルフィールが平然と進み出ると、後について歩き出した。

辺りには墓石が無数に並んでいる。空気も冷え込んでいて、独特の雰囲気があった。多分これが、恐怖を誘発するのだろうなと、エルフィールは思った。或いは生物としての本能が、死体の存在を感じ取っているのかも知れない。

カトールが妙なことを言う。

「そういえばお姉さん、死体じゃないよね」

「まさか。 ほら、触ってごらん。 心臓も動いてるよ」

「本当だ。 でも、何で生体魔力がないの?」

「そういう特異体質だから」

胸を張るエルフィール。アイゼルは呆れたようにそのやりとりを見守っていた。

「エリー、特異体質って、貴方」

「しょうがないよ、こればっかりは」

少しだけ場の空気が和む。アイゼルも苦笑いをしていたが、側でけたたましい鳴き声を上げて鳥が飛んでいったので、短く可愛らしい悲鳴を上げた。多分ノルディスが居たら腕を掴んでいたか、或いはどさくさに紛れて抱きついたりしたのだろう。

がくがく震えているアイゼルと比べると、落ち着いているのはキルキだった。墓石の文字を読んだり、辺りを観察したりしている。手にしているランタンは殆どぶれていない。

「貴方たち、何処まで怖い者知らずなのよ!」

「怖い者だったらいっぱいあるってば」

「嘘仰い! 確かに、生きている道具類の作成理論については理解してはいるけど、どうしてこんな場所で平然としているのよ!」

「未知を恐れすぎてない?」

エルフィールがさらりと返すと、アイゼルは言葉に詰まったようで、むっと口をつぐむ。

やはりそうだ。幽霊話にしても、怪談話にしても、人間が持つ未知への恐怖から来るものだとエルフィールは解釈しているが、それに間違いは無さそうだった。エルフィールの場合、未知はむしろ心地よい存在なのだが。もっとも、怖い未知もある。それについては、人それぞれなのだろう。

アイゼルはしばらく考え込んでいたが、やがて頬を叩いた。上品な彼女らしくもない、珍しい動作である。

「分かったわ。 確かにその通りかも知れない」

まだ足は竦んでいるようだが、それでもきちんと前に進むことを選択したアイゼルは立派だ。やっぱりこの子は見ていて面白いと、エルフィールは思った。一時的に成績で上回ることは出来たが、学ぶことは実に多い。

カトールが足を止めた。どうやらいるらしい。

「生体魔力が強いキルキやアイゼルさんはいいけど、エルフィールさん。 貴方はとりつかれるかもしれないから、気をつけて」

「とりつかれると、どうなるの?」

「気分が悪くなったりとか、多少運が悪くなったりするだけ」

カトールが言うには、悪霊が取り憑いて人格が変わるというような世間一般で言われているようなことはまず起こらないのだという。

そう言う場合、豹変した人格は殆どが元から心の内にあるものが出てきているだけであり、悪霊の憑依は関係がないのだそうだ。

まあ、専門家の言うことだから、ある程度は信用できるのだろう。

逆に言えば、死んでこの世を彷徨っても、殆ど何も出来ないという事か。それはそれで、哀れでもあった。

「それじゃあ、悪霊って何だか可哀想だね」

「ごく希に、もの凄く強力なのがいるんだけど、そういうのは大体実体を得て暴れたりとかするし、能力者の残留した思念が具現化したりとかするのだから、滅多に出くわすことはないと思うよ。 出くわしても、大体はすぐ専門の能力者や騎士団に討伐されちゃうしね」

カトールが言う場所に、それぞれ縄や人形を置いておく。

悪霊が入り込んで定着するまで一晩くらいはかかると参考書に書かれている。理想的な条件が揃っているから、もう少し短く済むかも知れない。

アイゼルは縄を置くと、すぐに手を引っ込めた。

エルフィールは本当に悪霊とやらが存在するのか、確かめることが出来るので、楽しみでならなかった。

墓地の管理人に、出がけに声を掛けておく。事情は話してあるし、何より慣れっこだと言うことだった。何でもアカデミーの関係者が時々来て同じ事をするそうで、今更驚く事も無いという。

墓地を出ると、途端に空気が変わった。冷えたような、饐えたような雰囲気が消えている。

猛獣の気配はある程度感じられるように鍛えている。だが、これも何かの気配だったのかも知れなかった。

「じゃあ、事前の契約通り、成功報酬で」

「うん。 分かってる。 ただ、今日は色々教えてくれたから、はい」

前金だと言って、半額と、少しチップも上乗せした。

カトールは渡された金額に驚いていた様子だが、しばらくして目を伏せた。

「同情?」

「いいや、違うよ。 ためになる事も教えてくれたし、案内も的確だったから。 報酬は、適切な金額を払うようにって、私の大事な人が教えてくれたの」

「……」

「残りは、明日しっかり結果が出てたら払うね」

少し躊躇したが、それでも報酬を受け取ったカトールは。背伸びしていない、小さな女の子らしいはにかみを浮かべていた。

大通りまで出て、其処で解散する。カトールは以前会った家とは違う方向へ帰っていった。親とは仲が悪い的な事は言ってたし、あの後喧嘩して家を出たのかも知れない。キルキが、走っていくカトールの背中を見つめて言った。

「寂しそう」

「そう?」

「うん。 カトール、私の隣に住んでた時も、時々家出してた。 それで二三日して戻ってきて、家の人と喧嘩してた。 多分、まだ家の人との喧嘩、続いてる」

「何だか、分かる気がするわ」

アイゼルが話に乗ってきた。彼女が家庭関連の話に乗ってきたのは、ひょっとすると初めてかも知れない。

辺りは夜だというのに、既に明るい。

大通りとはいえ、夜がこんなに明るい都市はそうそう無い。何があるか分からないから、全員一応夕食は腹に入れてきているが。寮に戻るアイゼルは結構な距離を歩いているので、途中車引きに寄った。時々利用している。温かい小麦粉の麺を焼いて食べさせてくれるお店である。具は野菜類が中心で、特殊なソースを使っているらしく、香りが非常に食欲を誘う。

明らかに車引きに来そうもないお嬢様のアイゼルが来たので、車引きの店主も驚いたようだった。頭に鉢巻きをしている店主は、少し前まで奴隷の印である黄色いリボンを逞しい腕に巻いていた。今はもう、借金を返済しきったと言うことなのだろう。

鉄板の上で、麺がソースと絡み、実に香しい。絡み合う麺と野菜とソースが食欲を誘う中、エルフィールは二人から先に割り勘分のお金を受け取っていた。

「これは、何という料理かしら? メニュー表は?」

「メニュー表って、お嬢さん。 此処にはこれしか無いぜ」

「そうなの?」

「車引きは大体そうだよ。 メニューが多くても五種類くらいかな」

でも安くて美味しいので、庶民の強い味方なのだ。

アイゼルは不安そうにしていたが、散々墓地を彷徨いた後でもあるし、おなかも減っているのだろう。食欲には勝てず、時々視線が鉄板の上を行き来する麺に釘付けになっていた。

「三皿にするかね。 三人一皿がいいかね」

「一皿で」

「あいよ」

くるくると麺を巻き上げると、おじさんは大きな皿にどんと麺を載せてくれた。実はこの方が、三皿頼むより安いのである。まさか大皿から各自取り合うという形式になるとは予想していなかったのか、アイゼルは出てきた巨大な麺の塊を前にして硬直していた。

しかもひょいひょいとエリーもキルキも皿から直接フォークで食べ始めたのを見て、卒倒しそうになる。

「ちょ、ちょっと! いくら何でも!」

「やっぱりそれぞれ一皿にするかい?」

「どうせテーブルマナーなんて、野外じゃ通用しないよ。 此処は野外とレストランの中間みたいな場所だし、ワイルドに食べることの訓練も出来るよ」

エルフィールが器用にフォークで麺を巻き取りながら言うと、うっとアイゼルは言葉を詰まらせた。

彼女は、決めたのだろう。現場を見て、錬金術師としての本当の意味での基礎を築くのだと。

これほどのモチベーションが何によって維持されているのかは分からない。ノルディスが好きだと言うことだけではないだろう。もっと何か、根本的な所で彼女を追い詰めているものがあるような気がする。

だが、それをまだ聞ける段階にはないと、エルフィールは知っている。だから、相手の反応を待つ。

アイゼルは意を決すると、フォークを麺の塊に突き刺し、結構器用に巻き取った。そのまま口に入れる。多分かなり脂っこく感じるはずだ。だが、空腹にはとても魅惑的な味に変わるはずである。

しばらく口を手で押さえてもごもごやっていたアイゼルは、溜息をつく。

「美味しいけど、やっぱり思った通り野卑な味だわ」

「おう、嬉しいねえ。 昨日今日取れた食材ばっかりだからよ、生きが良いのは自慢さね」

おじさんはアイゼルの言葉に大喜びして、もう少し麺を載せてくれた。少し疲れ気味のアイゼルに、キルキが飾らない言葉を言う。

「アイゼルさん、上手」

「貴方も、アイゼルで良いわ。 代わりにキルキって呼んでいい?」

「分かった」

こくりとキルキは頷き、また麺をフォークで巻き取った。

少しずつ、皆の距離が縮まっているのを感じる。エルフィールはそれがどうしてか、少し心地よかった。

此処にノルディスもいればもっとアイゼルは喜ぶだろうに。早くモヤシから脱却して、男になって欲しいものである。

巻き付いている麺を見て、ふと思いつくことがある。

エルフィールはにやりと笑うと、さっそく実験を重ねて、それを試してみようと思ったのだった。

 

錬金術の参考書に沿った手順で、縄に処置を続けた。

悪霊が入ったとカトールが保証してくれた縄に、幾つかの薬品類を掛ける。そしてしみこませ、更に一晩をおいた。

参考書によると、この薬品は縄と悪霊を同調させるものであるという。原理は何度読み込んでも、どうにも分からなかった。高度と言うことはなく、多分感覚が理解できないのだろう。

どうにか理解できたのは、其処にある精神体に、体であることを錯覚させるために、その薬品が媒介の役割を果たす、と言うことであった。

魔術が実在し、様々な能力が存在するこの世界である。錬金術にも、そういったどうしても感覚的な説明が必要になってくる部分はある。イングリド先生などの上位錬金術師でさえ、魔術師としての顔も持っているという。それである以上、仕方がないことなのかも知れなかった。

不安を抱えて眠りながらも、エルフィールは胸が疼くのを感じていた。もし動いたらどうするか。今、構想はある。しかし、実現するのか。実現しない構想をするなと、何度も言われた。実績があるとはいえ、本当に出来るのか。

布団の中で、何度も寝返りをした。

不安と期待、いい知れない興奮が混じり合い、エルフィールの若い体内で燃えさかっていた。

多分発情期に入った雌もこんな感じなんだろうなとエルフィールは思った。だが、それは言っても無駄なことだった。

天窓から見る月は、嫌みなほど丸い。周囲の星を数える。その内眠くなってきたが、寝るのがもったいないような気がして、意地を張って起きてしまった。だが、それもしばらくすると、眠気に負けてしまう。

翌朝のこと。

いつの間にか眠ってしまっていたエルフィールは、一階に下りた。その彼女を、出迎えたものがある。

床を、何かが這っている。

長くて、浅黒い。そして全体にしみこんだ薬品。自分が作ったのだから、間違いない。

蛇のように這うそれは、命を得た縄に間違いなかった。

「お、おおおおっ! やった! やったあああああっ!」

エルフィールは、歓喜した。

爆発的にこみ上げてくる全身の感情を抑えきれず、思わず天に向けて絶叫していたほどである。

縄に対して命令を下す方法を、参考書を見ながら実践。

縄には生きていた頃の自我の名残がある。だから、それを誘導してやるように、刺激を与えることで、やがて意のままに動くようになる。死んでいるから栄養も必要ない。縄の劣化を心配する必要はあるが、品質自体は簡単には衰えない。

参考書にはそんな嬉しいことが書いてあった。

一本目の調教を行いながら、更に十二本の縄を仕上げた。何度も墓場に足を運ぶことになったが、カトールはいつも律儀に応じてくれたので、何ら問題はなかった。

縄は最初蛇も同然で、言うこともなかなか聞かなかった。だが一週間ほど掛けて丁寧に調教していくと、やがて自らの手足のように動くようになった。元々人間の意識が宿っているのである。知能自体は決して低くはないのだ。

そして、彼らにとって、旨味があることを教えてやれば。自由自在に動かせる。人間の意識が宿っていると言っても、思考はかなり単純化しているし、何より薬品類で容易に反射行動を引き出せるからだ。

全ての縄が仕上がるまで、同じく一週間。

途中アカデミーに何回か足を運び、テストを受けながらも、頭の中はついに作り上げた生きている道具のことで一杯だった。自分で造り出した擬似的生命。それを調整する面白さ。

いずれもが、とてもではないが、今までの錬金術の比ではなかった。

燃え上がる心の中で、エルフィールは確信する。これぞ、「好き」だと。

アイゼルもノルディスに対して、こんな風な感情を抱いていたのだろう。それだとすれば、あれほどの献身的な行動も分からないでもない。ただし、「好き」は人それぞれによって違うし、何より他人にとっては面倒なだけだと言うことも、アイゼルを見てエルフィールは気付いていた。だから、他の誰にも、生きている道具に対する「好き」については話さなかった。

裏庭で棒を振るって体を鍛えながら、次の計画について実行に移すべきだとエルフィールは思った。

今は、既に画餅ではなくなっている。実際に動かせる計画だと思うと、どきどきした。布団の中で転がり回って、寝付けない自分を楽しんでさえいた。何を見ても面白くて、キルキに怪訝そうに小首を傾げられたりもした。

「エリー、その縄達、どうする?」

「キルキこそ、どうするの?」

「私は、縛るのに、使う。 道具を縛ると、便利」

「そうだね、それも良い使い方だね」

やはりお隣さんは、縄にはそれほどの興味を見せていない。調教自体はしているらしいのに、もったいない話であった。

他の生徒はどう思っているのか、もちろん興味があった。だから実験もかねて、アイゼルの所に生きた縄の一号を持っていく。向こうの仕上がりも確認したかった。

アイゼルは昨日短期テストだったらしく少し疲れているようだが、エルフィールが訪ねてきたのを知ると、別に拒むこともなく部屋に招いてくれる。

アイゼルの部屋に、そのとき始めて入れて貰った。

何と床は絨毯が敷かれており、ベットが天蓋つきである。それだけではなく、調度品も豪華なものばかりだ。ランプにはめ込まれているのは大粒のルビーだろう。相当な金持ちな事は間違いない。

お茶を淹れ始めたアイゼルは、エルフィールの蛇のように自在に動く縄を見ると、真っ青になってポットを取り落としそうになる。

「ひいっ! 何でそんなに生々しく動くように躾けてるのよ!」

「アイゼルのは?」

「わ、私は、其処よっ! 怖いから、近づけないで!」

アイゼルが相変わらずお人形さん見たいな指を向けた先には、どうやら余った本類らしいものを束ねている縄の姿があった。もったいないことである。

「何だ、もったいない」

「何が!?」

「これ、色々使い道が面白いのに。 ものを縛るだけだと、もったいないよ」

「何だか、そのもったいなくない使い方に関しては、知らない方が良いような気がしてきたわ」

何だかアイゼルは乗り気ではない。近況を聞くと、やっぱりまだノルディスは本調子ではないという。

ノルディスは叩きつぶすべき目標の一人だと思っていたが、こう簡単に脱落されては面白くない。それを顔に出さないように、せっかくなので、ノルディスの部屋に二人で行く事を提案した。最初、アイゼルは男の子の部屋に行くなんてとんでもないと顔を真っ赤にして言ったが、エルフィールが心配ではないのかと聞いてみると、途端に押し黙った。分かり易い子である。

流石に一人で行くのは問題があるので、寮長に一緒に来て貰う。

男子の寮は女子のとは階が違っている。アイゼルら女子組は一階で、男子は二階だ。間には幾つかのトラップがある事を、さりげなくエルフィールは確認した。生きている縄も幾つか仕掛けられているようで、状況から鑑みるに時間帯によっては自動作動するのだろう。なかなかに高度な仕組みである。

ノルディスの部屋は案外質素で、外からして豪華絢爛だったアイゼルの部屋に比べると物静かである。

部屋にはいると言うと、アイゼルは真っ赤になったが、一緒に入れば大丈夫というとなぜかかくかくの動きで何度か頷いた。

「ノルディスー。 入るよー」

ノックしてみる。まだいじけているのかと思ったが、意外にも中から返事があった。戸が開いて、件の秀才が顔を出す。

少し窶れているが、髪型もしっかりしているし、目にも光が戻り始めている。流石だ。切っ掛けは分からないが、少しずつ自力で立ち直りつつあるのだろう。こわごわエルフィールの影からノルディスを伺っていたアイゼルが、ほっとするのが分かった。

「どうしたの? エリー」

「じゃじゃーん! 見て、私が作ったの! ほら、挨拶しろ、縄一号!」

エルフィールの首に巻き付いていた縄が、ぺこりとあたまを下げる。

ノルディスはしばらく固まっていたが、アイゼルの方をぎこちない動きで見て、彼女が恥ずかしそうに手から縄を下げているのを見て、絶句した。

「それ、何?」

「生きている縄。 獲物を縛るのに使えるし、トラップにもなるんだよ! 具体的には、夜忍び込もうとした犯人とかを亀甲縛りにしたり!」

ねーとアイゼルに相づちを求めたが、なぜか寮長にげんこつを貰ってしまった。

何だかノルディスも興味を見せなかったので、ちょっとエルフィールはがっかりした。だが、アカデミーに来たのは、なにも二人に縄を見せびらかすためだけではない。

調べ始めてから勘づいたのだが、アカデミーの各所には、侵入者対策として生きている縄が仕掛けられている。それの配置を見て、どう使うのか、どう調教されているのか確認するためである。

アイゼルと別れて寮を出た頃には、十以上の例を目撃し、応用について自分なりに調べることが出来た。

充分な成果だ。帰りはあまりに嬉しいので、ついスキップになってしまった。

縄を、更に一週間掛けて調整。

十三本の縄を満足行く段階まで調教したエルフィールは、ついに実践の段階だと判断。

勇んで、単独で近くの森に向かった。

そして、今。エルフィールは森の中で、獲物を求めて徘徊していた。獲物は熊でも虎でも狼でもいい。兎に角、人間より多少頑丈で、殺しても何ら問題が起こらない存在であれば、どれでも良いのだ。

この森の生態系はとても豊かであり、熊や虎を一二匹殺した程度では全く乱れない。むしろ、ザールブルグの近くに来ないように、定期的な駆除さえ行われているのだ。殺すことに何の問題があろうか。

呼吸が荒くなってくる。

多分目は血走っているはずだ。四足獣のような低い態勢で、森の中を歩く。口を拭ったのは、無意識からの行動だ。

早く、試したい。

服の下で、縄が蠢いているのが分かる。縄も、多分エルフィールの殺気を感じ取っているのだ。生者への憎悪を、縄の全てに教え込んでいた。そして不思議なことに、縄どもはエルフィールを生者だとは認識していないのだった。多分、生体魔力が原因だろう。

見掛けた生者全てに攻撃するようでは意味がない。だから、エルフィールの指示がない限り、攻撃行動には移行しないように仕込んでいる。実は、アイゼルの所を訪れたのも、これの実験の一つだった。停止ワードは仕込んでいたが、もしも巧く行かなかったら、縄にアイゼルは襲われていたのだ。

だから、アイゼルの顔を見た時は、ちょっとどきどきしたのである。今は、調教が充分巧く行って、その心配はなくなっていたが。

さあ、ためさせてくれ。

エルフィールが呟いた途端、哀れな獲物が姿を見せる。

ジャイアントモアだった。

 

四頭建ての馬車で南の街ランラルトとザールブルグの間を移動していたシア=ドナースタークは、獰猛な殺気が炸裂するのに気付いて目を細めた。

よそ行きの格好ではあるが、彼女は本質的に超一流の戦士だ。すぐに戦闘態勢を心身共に整える。彼女が侍らせている護衛達も皆強者であり、すぐに殺気に気付いた。だが、手練れの護衛が彼女の愛用武器である「はたき」を差し出した時には、シアは戦闘態勢を解除していた。

「お嬢様?」

「馬車を止めなさい。 面白いものが見られそうよ」

御者が緊張した面持ちで、馬車を止めた。

森の中から迸る、けたたましい悲鳴。街道の左右は何処までも続く森だ。その中で、何かが行われている。

鳴き声の主は、多分ジャイアントモアだろう。

背丈はシアの三倍近くもある肉食性の、陸上性鳥だ。肉食性と言っても獲物は小動物が中心だが、その逞しい足には鋭い爪が生えていて、嘴も堅く、戦闘能力は決して低くない。特に長い足から放たれる蹴りは凄まじい威力を誇り、ジャイアントモアを獲物にしようと襲いかかる虎が、返り討ちにあう事も珍しくはないのである。飛ぶという最大のアドバンテージを捨てた代わりに、ジャイアントモアは地上で悠々と生きられるだけの戦闘能力を得たのだ。

だが、それだけに。それを襲う生物の存在に、護衛達が警戒したのも無理はないことであった。

ましてやシアは、今回重要な商談を幾つか成功させ、その途中に婚約者と顔合わせをしてきた大事な身である。ドナースターク家が事実上今はシアの支配下にあり、その辣腕で回っている事も加味すれば、彼らにとっては気が気ではなかったのも無理はない。

しかし、シアはこの場にいる護衛の誰よりも優れた戦士だ。気配を察知することなど造作もない。

その殺気が、ジャイアントモアだけにしか向いていないことを、シアは知っていた。

街道に、ジャイアントモアが飛び出してくる。茂みから弾丸のように飛び出してきたその巨体は、怯えきっていた。そして街道を横切り、そのまま逃げようとした体に、無数の何かが絡みつく。

「蛇!?」

「い、いや、触手か!?」

大陸南部には、体長だけでシアの五倍から六倍の大きさを持つ大型の陸上性頭足類、ジャイアント=スクイッドが実在している。強力な猛獣だが様々な貴重な素材の原料であり、絶好の狩りの獲物でもあるため、基本的に人間の生息域近くには姿を見せない。多分護衛達は、それではないかと思ったのだろう。

だがよく見れば違うことに気付く。

そしてシアは、その何者かに見覚えがあった。

以前、彼女の盟友であり右腕であるマリーが何度か見せてくれた錬金術の産物。生きている縄。それが何本も、まるで蛇のように、ジャイアントモアの首に足に体に、絡みついていた。

必死にもがいて逃れようとするジャイアントモアに、更に何本もの生きている縄が絡みつく。その動きは偏執的であり、なおかつ力強い。目を凝らすと、一つ一つがかなり太く作られていて、さながら大蛇のようだった。

ヴィラント山に棲息していた強力なドラゴン、フラン・プファイルを狩る時にも、マリーは大型の生きている縄を用意してきた。それほどの太さではないが、いずれもが人の二の腕ほどもある。しかも更によく観察すると、部位によって太さを変えており、それぞれの場所に役割を持たせてもいるようだ。けたたましい悲鳴を上げて進もうとするジャイアントモアが、ついに横転する。足に絡みついた生きている縄が、その動きを非情に封じたのだ。

口を開けて、絶望の悲鳴を漏らす巨鳥。

無数の羽が飛び散る中、鳥は現れた茂みの中に引きずり込まれていく。息を呑む護衛達の前で、鳥は舌を突きだし、必死に逃れようと最後の一暴れをした。だが、今更じたばたするなとでも言わんばかりに、縄の一つが嘴に絡みつき、上下から無理矢理綴じ込んでしまった。

ついに、茂みの中に、ジャイアントモアが引きずり込まれる。

青ざめて武具を構えている部下達の前で、シアはあくまで落ち着いていた。馬車に据え付けているバスケットを開けると、サンドイッチを取り出す。朝、メイド長のマルルが作ってくれたサンドイッチだ。

そのマルルは、シアに抱きついてがたがた震えている。メイド長といっても、実戦経験もないまだ若い娘なのだ。

「大丈夫だから、落ち着きなさい」

「で、でも、ひいっ!」

茂みの中では、まだジャイアントモアが逃れようと暴れているらしく、時々大きな音がする。そのいずれもが、絶望的な抵抗であることを示唆していた。

サンドイッチを口にするシアの前で、激しい殴打音が響き渡る。茂みの中で、身動きが取れないジャイアントモアに何か激しい暴虐が振るわれているのは間違いない所だ。そして、その気配。シアには覚えがある。

「馬車を出しなさい」

「し、しかし、迂回しなくてよろしいのですか?」

「相手はうちの関係者よ。 まあ、手を出してくるようなら、私が直接殴り殺すだけだけど」

「し、失礼しました!」

御者が馬に鞭をくれる。サンドイッチを優雅に食べ終えたシアは、まだ震えて茂みを見つめているマルルの頭を撫で撫でしながら言った。

「それにしても、面白い育ち方をしているわね。 アデリーの愛弟子は」

 

エルフィールは、痙攣するジャイアントモアの亡骸に、戦闘用の大型杖を打ち下ろし続けていた。

飛び散る鮮血。引き裂かれる肉。まき散らされる血みどろの羽毛。

エルフィールの顔に浮かぶのは、歓喜。

恐らくは、暴力を振るっている事によるものではない。

己が編み出した新戦術が、見事に型にはまったことを喜んでいるのだろう。

城壁の上から、その有様を見ていたのはクーゲル。その側には、唇を噛む若き聖騎士、ダグラスの姿があった。

ダグラスは多少言動が荒っぽいが、内心は真面目な青年である。それが故に、倫理観念に依存する部分が強く、クーゲルに言わせれば超一流にはなれない男であった。そのためか、若き新星ともてはやされながら、訓練でも何かしらの武術大会でも、決まって二番手に甘んじてしまっている。

「ダグラス、どう見る」

「どうって。 俺には、力に飲まれてしまっているようにしか見えません」

「ふん、そうか」

つまらない答えである。

クーゲルに言わせれば、最強の存在に道徳など必要ない。狂気こそが強さの源であり、最強への道は常識だの道徳だのという通俗概念を捨て去ることから産まれるのだ。

すっと、側に現れるエリアレッテ。

少し前に西のリダートコールで大暴れして、シグザール王国の敵を皆殺しにしてきた自慢の弟子だ。戦わせたらダグラスより強いと判断している。まあ、実際に死合いをさせると運も絡んでくるし、結果は変わるかも知れないが。

エリアレッテはカトールを連れていた。この使い手達の間に交じり、恐縮しているカトールはとりあえず無視し、クーゲルは愛弟子に問を投げる。

「エリアレッテ、お前はどう見る」

「戦術の成功に酔っているように見えます。 殺戮衝動ではないでしょう」

「その通りだ。 見ろ」

カトールは何処にエルフィールがいるかも把握できていない。

ダグラスと、エリアレッテが見た先で。ゆうゆうと全身の返り血をぬぐい取るエルフィールの姿があった。それは、余力を十二分に残していると言うことだ。ダグラスが、怒りを声にして短く漏らした。

「彼奴、冷静だったのか」

「あの戦術、素晴らしい。 腕を何倍にも増やし、さらには常時トラップを仕込むことも出来るのと同じだ。 なかなかに画期的な戦術だと思わぬか」

「もう少し本人の腕前が上がってきたら、面倒な相手に成長するでしょう」

エリアレッテの言葉に、クーゲルは口の端をつり上げる。

その通りだ。まだ観察対象としては面白いが、戦ってみたいほどの相手ではない。数年間をおけば、ひょっとすればなかなかの使い手に成長するかも知れない。

むっつりと黙り込むダグラスに、クーゲルは顎をしゃくる。

「そろそろ、お前にも命令を出しておく」

「何でしょうか」

「エルフィールに接近しろ。 出来れば友人関係となり、側で見張れ」

ダグラスは呻くと、もう一度エルフィールを見た。

今、錬金術アカデミーからもっとも期待され、なおかつ騎士団からもマークされている人物は。

将来の片鱗を見せる笑みを浮かべながら、ジャイアントモアを解体するべく、その巨体を余裕で引きずって歩き始めていた。

体から無数に生やしたかのように見える、生きている縄を駆使して。

遠眼鏡を覗き込んでいたカトールが、ようやくエルフィールを発見できた様子で、呟いた。

「まるで、ヒドラのよう」

東部の湿地帯に住む超大型の多頭蛇の名を挙げたカトールに、クーゲルは確かにそうだなと、口の端をつり上げながら応えたのだった。

 

(続)