妖精の素顔

 

序、気付かなかった一面

 

幻想郷。

もはや存在し得なくなった妖怪や神々が行き着いた最後の理想郷。

いまだに妖怪が実在する秘境。

此処には最底辺の存在として、妖精という独自の概念がいる。

妖精とは自然現象の擬人化したもので、サイズは掌ほどから子供くらいまで様々。

力は基本的に弱いが、強いものになると希に妖怪に勝るものもいる。

妖怪の中には、妖精から転化したものも存在すると言われており。

普通の妖精よりも強力なものもたまにいて。

人間と会話くらいなら普通にする事が出来る。

そんな妖精の一人。

氷の妖精チルノ。

妖精の中でも最も力が強い一人と言われ。縄張りにしている霧の湖周辺は、人間が出来るだけ近付かない方が良いと言われている。

妖精はとにかく脳天気で頭が悪い。更に、死んだところで簡単に蘇生する。

このため、もし力を持ってしまうと極めて危険な存在になる。

チルノは悪しき心を持っている訳では無いが。

力ばかり強くなってしまった幼児のような存在であり。

下手に近付くと危ないので。

人里では注意を促される妖精の一人である。

普段はその強力な冷気の力で、かまくらをつくって其所でくらし。同じくらいの力の弱い妖怪達や、他の妖精と楽しく遊び暮らしているチルノだが。

今、夜道を。

真っ青になって、全速力で飛んでいた。

怖いもの知らずのチルノなのに。

場合によっては、神々にまで喧嘩を売って、返り討ちにされて一瞬で良く塵にされているのに。

幻想郷には幾つも勢力があって。

その勢力の長にも、怖れず挑んでいく命知らずの妖精なのに。

それなのに、全力で飛んでいた。

口を必死に抑え、真っ青になっているチルノは。

青い服を着込んで、背丈は人間の幼児くらい。背中には氷のような翼が生えている。

今、林に飛びこむと。

チルノは口を押さえ、そのまま木の陰に隠れて、息を殺した。

ゆっくり、誰かが歩いて来る。

ひいっと声を漏らしそうになり、チルノは身を更に伏せる。このままだと見つかってしまう。

そして見つかってしまったら。

「チールノちゃーん」

声が聞こえる。

普段と同じ筈なのに。

どうしてか、とてつもない恐怖を伴う声。

いつも楽しく遊んでいる仲間の一人。

上級妖精の一人である大妖精。

同じように、もうすぐ妖精から転化できるとも言われている一人。

緑色の髪。青色の服を着込んでいて、虫のような少し透けた翼を持つ。背丈はチルノと同じくらい。

だけれども、いつもにこにこ優しい笑顔を浮かべている大妖精の目は。

チルノが見た事も無い、とてもとても怖いものになっていた。

「隠れても無駄だよー。 どうして逃げるのかなー」

首をすくめるチルノ。

氷の妖精なのに、恐怖に震え上がっている。

普段素足のチルノは、基本的に地面に降りず、いつも浮遊している。だが今は、地べたで必死に身を縮めて。恐怖の追跡者から逃れようと無意識の行動を取るが。

相手が、まっすぐ此方に近づいて来ているのは確実である。

目を閉じて、震える。

そして、不意に相手の声が止む。

恐怖が全身を駆け巡る。

ゆっくり、目を開けて。

顔を上げると。

そこには、満面の笑みの。目だけ一切笑っていない大妖精が、少し浮かんでチルノを見つめていた。

思わず絶叫して、逃げようとするが。

其所で、意識が途切れた。

 

「ぎゃああああああっ!」

絶叫しながら、かまくらの中で飛び起きるチルノ。

夢だった。

だけれども、おかしいのだ。

ここ数日、同じ夢ばかり見るのである。

どうしてか、いつも優しい大ちゃんが。博麗の巫女や、ひまわり畑に住む大妖怪よりおっかない存在と化して。

何処に逃げてもチルノを追いかけてくるのだ。

呼吸を整えながら、必死に胸を押さえる。ばっくんばっくん心臓が跳ね回っているのが分かる。

死んでも平気でも。

怖いものは怖いのだ。

ぶるぶる震えていると。悲鳴を聞きつけたか、知り合いの妖怪の一人。闇を司る(と言う割りには最下級の力しか持たない)ルーミアが、かまくらを覗き込んでいた。

金髪のあどけない幼女の姿をしたルーミアは、妖怪としては最弱に近い力であり、頭も悪いことから。チルノとは気があう。住んでいる場所も近い。

妖怪退治屋以外は、絶対に近付かないようにと人里に周知されているのも同じだ。

「どうしたのだー。 何かに襲われたのか−?」

「な、なんでもない、なんでもない。 大ちゃんに襲われる夢を見て、それで怖くて目が覚めた」

「あははー、大ちゃんって、大妖精? なんで大妖精がチルノを襲うのだ−?」

「わかんない! でも夢の中の大ちゃん、すっごい怖くて! 博麗の巫女が異変解決しているときとか、ひまわり畑の大妖怪とか、それくらい怖かった!」

なんでこんな夢ばっかり見るのか。

ルーミアは変なのと笑っていて。

チルノは普段だったら笑うなと癇癪を起こしたかも知れない。

だけれども、「最強」を自称する(実際には下級の妖怪くらいの力しかないが)チルノが、こんなに恐怖を感じるのは滅多にないことだ。

実際には、チルノも自分が最強などでは無い事は分かっている。

だけれども、いつもそうして己を鼓舞することで。

強い相手にも立ち向かっていける。

ましてや妖精にとって命は安いのだ。

だけれども。

今回の、夢の恐怖はいつもと違う。何だか、よく分からない恐怖なのだ。どうしてこんなに怖いのか分からない。

未だに体ががたがた震えて、怖くて仕方が無い。

そしてここ数日。

同じ夢ばかり見るせいか、怖さがどんどん増してきているのだ。

「疲れてるんじゃないのかー? もう一眠りしたらどうなのだ」

「い、いや、またあの怖い夢見たくない」

「そういえば肝心の大ちゃんは?」

「……そういえば、数日、本人見てない」

いつも、とても優しい大妖精。

チルノが危ない悪戯をしようとするといつも止めに入ろうとするし。

チルノのために色々と気も揉んでくれる。

だけれども、どうしてかここしばらく顔を見かけない。

そういえば、夢の中で見るようになってからか。

だとすると、何か関係があるのかも知れない。

「ちょっと前に、夢の中の自分と入れ替わる事件があったのだー」

「ああ、そういえばあった。 ルーミア、何か知ってるの?」

「ぜんぜん。 ただ、あの時は見分けがつかない別人が、暴れ回っていて大変だったのだー」

頭をかきむしる。

服は完全に冷や汗まみれ。

氷の妖精が冷や汗なんて、笑い話にもならない。

だけれども、事実である。

怖くてかまくらから出られない。

そう言うと、ルーミアはいつもとは違う、少し真面目な表情を見せる。

それから、ちょっと手を打つと言って、かまくらを去って行った。

しばらく、かまくらの奥で膝を抱えてブルブルと震え続ける。

あの夢を見るくらいなら。

眠らない方がマシだ。

勿論大ちゃんがあんな怖いわけがない。

一番の友人。

チルノは幼児そのものの見かけと裏腹に、相応の年を生きている。

六十年前も生きていたし。

その時も同じ姿だった。

妖精は基本的に死ぬ事はない。

享楽的で。

とても長生きだ。

チルノも例外ではなく。

いつ生まれたのか、もうよく覚えていない。

生まれた時にはこの姿だったし。

その頃は、人里の人間がもっと妖怪に殺されて死んでいたような記憶もある。

後、もう少し前には、地底がかなり騒がしかったっけ。

外で戦争とか言うのがあって、人がたくさん死んだからだ。

呼吸を整える。

最強の妖精。

その魔法の言葉を唱えて、何とか心を落ち着かせようとする。

最強の妖精は、夢なんかに屈する事はない。

なぜなら最強だから。

そう自分に言い聞かせ。

必死に勇気を振り絞って。

かまくらを這いだした。

直射日光や高熱が苦手なチルノは、いつも霧が立ちこめているこの湖周辺を好んで徘徊している。

この辺りは余程の物好き以外は人間も来ないし。

近くに強力な吸血鬼の勢力の本拠、紅魔館が存在するためか、強い妖怪もあまり姿を見かけない。

その代わりあのおっかない博麗の巫女が、たまに本気モードになってかっとんで行く事があって。

そういうときは、最近はチルノも怖いので避けるようにしていた。

何かの切っ掛けで気が大きくならない限りは。

近年の博麗の巫女は、近付くだけでぞっとするほど怖いのである。

ただ、博麗神社にいるときは其所まで怖いと感じないので。

たまに神社に遊びに行って、其所で一緒に遊んだりはするけれど。

ともかく。今日も霧は出ていて。

チルノには多少過ごしやすい。

だけれども、おっかなびっくり周囲を歩いて見て回る。

今日はどうしてか、霧がいつものように、自分の味方とは思えなくて。

何か恐ろしいものに見張られているような。

そんな感覚を覚えて仕方が無いのだった。

そのままふらついているうちに、紅魔館に。

今日はいつも眠っている門番の妖怪、紅美鈴が、ちゃんと起きている。

何か拳法だとかをしているが。

そういえば最近。

眠っている姿をあまり見かけない。

何より、美鈴の代わりに最近は数名の紅魔館で仕事をしている妖精や。或いはおっかないメイド長が門番をしている事があって。

前と紅魔館は、体勢が違っているらしい。

木陰からこっそり伺っていると。

動きが一段落した所で、向こうから声を掛けて来た。

「どうしましたか、チルノさん」

「ひえっ! どうして分かるの!?」

「それは……知らない方が良いと思いますよ。 隠れていないで出てきては」

「そうする……」

不思議そうに眉をひそめる美鈴。

隠れているチルノに気付ける程度の力はあるということか。

いつも居眠りばかりしている印象があったのだが。

何かあったのだろうか。

近づいて見ると、長身で中華風の服に身を包んだ美鈴は、結構圧迫感が強い。

だけれど、美鈴の方から腰を落として、チルノに視線の高さを合わせてくれる。

この辺り、優しいのだと何となく分かって。

チルノは、この「怠け者」と噂される門番が嫌いじゃなかった。

「最近居眠りしていないね」

「ここのところお嬢様が、仕事の体勢を見直してくれたんですよ。 私が人里で拳法を教えるようになって、この機会に私にだけ門番をさせるのは悪いのでは無いかと思い始めたようでしてね」

「人里に出入りしているの?」

「私の拳法が役に立つ、と人里で判断してくれたみたいです。 それで、簡単に紅魔館代表として威を示せると、お嬢様も判断したようで。 利害の一致ですね」

美鈴は、チルノに元気がないことは、察している様子である。

時々周囲を伺いながらも、話は聞いてくれる。

悪夢ばかり見る。

大ちゃんを見かけない。

そう話をすると、美鈴は言う。

「そういえば……此方でも見かけませんね。 もっとも、私は紅魔館の門番をしていないときは人里に行っているか紅魔館の自室で寝ているので、私の行動範囲にいないだけという可能性が高いですけれど」

「なんでだろう。 一番の友達だと思ってたのに、怖くて仕方が無いよ」

「一番の友達だというのなら、会いに行ってみてはどうでしょう」

「……そうする」

肩を落として、その場を去る。

大ちゃんは気まぐれで住処を変える。

少し前まで住んでいた、霧の湖近くの森に出向いてみるけれど、その姿は見かけられなかった。

住処にも姿はない。

本当にどこに行ってしまったのだろう。

大ちゃん。

呼びかけてみるが。

返事はない。

むしろ恐ろしい獣の唸り声がしたので、チルノはびくりとして、あわてて森を飛び出していった。

本当に参っているらしい。

いつもだったら、あんな獣の鳴き声くらい。

怖がる事なんて、ないのに。

途方に暮れて困って歩いていると、ルーミアが戻ってくる。

霧の中だからか。

闇を司る力で、体を覆っていない。

人間を脅かすときは、闇で体を覆って球体状になって。それで妖怪だと示すルーミアだけれども。

流石に霧の中でまで、闇の力を使うつもりはないのだろう。

「チルノー」

「ルーミア、どうしたの?」

「大妖精の話、周囲で聞いて来たのだ」

「ありがとう。 それで?」

地面近くに降り立つと、並んで飛ぶ。

あれ。

ルーミアって、チルノより背が高かったっけ。

いや、背が高いんじゃない。

チルノの背が曲がっているんだ。

気が弱っているからか。猫背になってしまっている。情けない。いつもはこんな事、絶対にないのに。

「この辺りに住んでいる妖怪は、見かけていないようなのだ」

「大ちゃんに何かあったのかな」

「仮に何かあっても、一回休みで終わりなのだ」

「……そう、だよね」

妖精の不死性は非常に高い。

妖怪も肉体を破損しても、精神を破損しない限り死なない。

妖精の不死性はそれ以上で。

精神構造が単純な事もあって。

ちょっとやそっとの事では死なない。

賢者などの強い妖怪は、妖精を殺す方法を知っていると言う話を聞いたことがあるけれど。

それは人里に入り込んで悪戯をするとか、度を超した行動を取った妖精に対して行われる処置であって。

流石のチルノも人里で悪戯をするほど命知らずじゃない。

ましてや温厚な大ちゃんがそんな事をするとは、考えられなかった。

「誰かがさらっていったとかかな」

「何のために?」

「分からない……」

「チルノ、疲れているのだ。 とにかく休んで」

力なく、ルーミアの言葉通りに頷く。

かまくらに戻ると、横になる。

周囲を冷やす力もなく、かまくらが溶けかかっているのが分かった。重症だなと、普段とは別人のような口調でルーミアが呟く。だが、それも一瞬で。後は、いつものようなアホ面を浮かべていた。

「ちょっと助けを呼んでくるのだ」

「うん……」

普段だったら。

最強なんだから助けなんていらないって、絶対に突っぱねていたのに。

今日は素直に受け入れていた。

というか、ルーミアの足を反射的に掴んでいた。

振り返るルーミアに言う。

「ごめん、怖くて仕方が無いよ。 せめて側にいてよ」

「でも、それだと助けを呼びに行けないのだ」

「怖いよ……」

「分かったのだ。 それなら、美鈴の所に連れていくのだ」

言われるまま手を引かれて、また紅魔館の入り口に。

美鈴はいない。

代わりに、おっかないメイド長が、険しい表情で周囲を睥睨していた。

あのメイド長、人間という話なのに、とにかく怖い。

時間を止める力も持っているらしいし。相手が本気になったら、何をされるかわかったものじゃない。

だけれど、ルーミアは平気で話しかけていて。

厳しい表情のメイド長は、チルノを一瞥した。

チルノはそれに萎縮してしまう。普段だったら、精一杯見栄を張る事が出来るのに。

「分かりました。 悪戯をしないというのなら、その辺りにいることを拒否はしません」

「ありがとうなのだー。 ほら、チルノ。 お礼を言うのだ」

「ありがとう」

「……」

冷たい目で見下されたけれども。

でも、側に誰かいるだけで、今は嬉しい。

何とか力を振り絞ってかまくらを作ると、その奥に引っ込む。側でメイド長が、他の妖精と話しているのが聞こえたが。その内容までは分からなかった。

 

1、いない親友

 

チルノは頬をつねる。

痛い。

つまり、夢じゃないと言うことだ。

眠りを断ってから二日目。

妖精は死なない、力が弱い、空を飛べるという事を除くと、人間を真似した生活をする事が多い。

家を作って其処に住んだり。

時間を決めて眠って起きたり。

特に問題が無い場合は。

人間と同じように生きて。無駄に長すぎる生を、ゆっくりゆっくりと送っていくのが常である。

ただ、そうしない事も、その気になれば出来る。

何しろ眠る事が怖くて仕方が無いので、ずっと無理に起き続けていた。

退屈だと思う事もあったが。

寝落ちしそうになると、あの怖い夢が頭に浮かんできて、すぐに目が覚めてしまう。眠ろうとしても、眠れない、というのがむしろ正しいのかも知れない。

ぼんやりしていると、かまくらをルーミアが覗く。

二日ぶりだ。

「ルーミア……」

「本当に弱ってるのだ。 夏場のチルノよりよわよわなのか」

「うん……」

「はあ。 博麗の巫女、後は頼んで良いのか?」

びくりと身震い。

そして、乱暴にかまくらに手が突っ込まれ。

引っ張り出される。

手に吊されたチルノが見上げた先には、博麗の巫女の姿があった。

博麗の巫女。

幻想郷最強を謳われる人間。

チルノの自称している「最強」じゃない。

本物の最強だ。

幻想郷の人間側の管理者でもあり。その実力は、最強の妖怪八雲紫を凌ぐとも言われている。

普段だったらある程度仲良く話したり、酒盛りに参加したりするのだけれど。

今日は、とてもそれどころじゃない。

なお凍傷を防ぐためか、手に札を巻いていた。

「本当に弱ってるわね。 良いわ、後はこっちでやるから」

「助かるのだー」

「いいのよ。 なんだかんだで、酒盛りの時にはちゃんと肴持ってくるし、此奴がいないと退屈だしね」

そういって、吊したまま博麗の巫女はルーミアと会話をしつつ。

手にした大弊を振るって、かまくらを消し飛ばす。

もう確かに必要はないけれど。

何も壊す事はないのに。

紅魔館の門番が(いつの間にかまた美鈴に戻っていた)、咎めるように視線を向けたが。博麗の巫女は気にしている様子も無い。

そのまま、大股で歩き始める。

「それで、変な夢を見るようになったのは何時から?」

「多分一週間くらい前から……」

「幾つか可能性があるけれど、どうにも解せないのよね。 どうしてあんたの周りで、今そんな事が起きているのかが分からない」

「あたいだって分からない……」

そうねと呟くと。

博麗の巫女は、浮き上がり、飛び始める。

吊されるように運ばれると、風がもの凄く強く感じる。というか、博麗の巫女、本気で飛ぶとこんなに速かったのか。

かなり高い所まで出る。

すごく寒い。

力は多少湧いてくるけれども。

同時に空気も薄いようだった。

「どう、これなら多少は気分も良いでしょう」

「うん。 でも霊夢は平気?」

「私は色々対策しているから大丈夫よ。 空を飛ぶときに使っている術は、「空を飛ぶ」だけではないの。 これは何も私に限った話じゃなくて、空を飛べる人間だいたいに共通しているんだけれどね」

そうか、平気なのか。

まるで他人事のようにチルノは感じる。

そして、涼しいには涼しいけれど。

元気が出てくるかは、また話が別だ。

それをすぐに理解したのだろう。博麗の巫女は、ぶらんぶらんとチルノを揺らして。抵抗がないのを見て、ため息をついた。

「ルーミアに聞いてはいたけれど、手応えがないわね。 あたいは最強なんだーって、噛みついて来なさいよ」

「あたい、今は最強じゃない……」

「はあ」

「ていうか、分かってるでしょ。 いつもだって、最強なんかじゃない」

チルノ自身だって分かってる。

最強と言うのは、自分を鼓舞する言葉に過ぎないのだと。

普段は絶対に認めないが。

心が弱ると、こうも簡単に認めてしまうものなのか。

情けないと感じるけれど。

だけれども、どうしようもない。

大ちゃんがいない事が原因では無いだろう。

ずっと怖い夢を見続けて。

そして怖い夢から逃げてずっと起き続けている。

それで精神が完全に参ってしまっている。

馬鹿でもそれくらいは分かる。

妖怪のように、精神が駄目になると死ぬ、というルールで妖精は生きていないけれど。

それでも精神が弱ると、こんなに心が弱るものなのか。

チルノは弱い者いじめをしていなかっただろうか。

最強を自称して、心が弱っているものを、痛めつけていなかっただろうか。

頭が悪いからあまり記憶がない。

もしやっていたら。

今後は絶対にやらないと決めていた。

「張り合いがないわ。 とりあえず、場所を移すわよ」

「……」

霊夢が空間転移する。

正確には、空間転移したのだと気付いた。

気がつくと、知らない部屋。

もの凄く寒いけれど。周囲には、カチカチに凍った食べ物が幾つか点々と置かれていた。

何だろう、此処は。

普段だったら興味津々に探し廻り。

寒いので元気いっぱいになっていただろうに。

今は涼しくて気持ちいい、くらいにしか感じない。

隅っこにチルノを放り出すと。

博麗の巫女は、チルノを札で縛り上げる。

普段だったらキャアキャア喚いて抵抗しただろうに。

その気力も起きなかった。

「ここなら、あんたの力の源である冷気で満ちているから、死ぬ事はないわ。 後そこに監視カメラがあるでしょう。 其所から見てくれているから、心配しないで眠りなさい」

「そうする……」

「はあ。 情けないったらありゃしないわ」

そのまま、白い息を吐いていた博麗の巫女が消える。

空間転移したのだろう。

それにしても、此処は何だろう。

規則正しく棚が並んでいて、其所に色々置かれている。氷室という奴だろうか。だがそれにしては広いような気もする。

いずれにしても、博麗の巫女に封じられて動きが取れない。

普段だったら最強を自負する力で。

これを突破しようと試みるだろうけれど。

今はとてもじゃないけれど、それどころじゃない。

きんきんに冷えた部屋だ。

体が壁とか床とかにくっつくかも知れないけれど。

それを気にする余裕すら無かった。

「大ちゃん……何処行ったのさ……」

呟くチルノ。

夢の中で出てくるおっかない大ちゃんじゃない。普通の大ちゃんに会いたい。

それと、まともに眠れるようになりたい。

涙が零れる。

寒すぎる部屋にいるからか。

零れた涙は、頬で凍り付いていた。

 

いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

夢の中だというのは分かる。

辺りが完全に凍り付いていて、まるで冬真っ盛りのようだ。いや、冬でも此処まで真っ白になることは滅多にない。

妖怪の山のてっぺん付近は真っ白になっている事があるけれど。

それにしても、チルノの縄張り近辺で、こんな異常な白は初めて見る。

ぼんやりチルノは飛んでいた。

猫背で、いつでも墜落しそうな体勢で。

妖精は存在が自然そのものだから。そのまま、生まれた時から自由自在に空を飛ぶことが出来る。

息をする事が出来るのと同じである。

だけれども、この夢の中では。

チルノは元気いっぱいどころか。

完全に弱り切っていて、まるで死にかけのセミのように、頼りなく飛ぶ事しか出来ていなかった。

周囲に多数のカエルが転がっている。

いずれも凍り付いて死んでいる。

そうだ。

チルノは、蛙を捕まえては、凍らせて遊ぶ事をしていたっけ。しかも凍らせたカエルは、半分くらいは溶けても生き返らなかった。

その蛙たちの怨念だろうか。

でも、お仕置きは何度もされた。

守矢神社のおっかない神様の下僕。

でっかいカエルに丸呑みにされて。

どれだけ暴れても出して貰えなかった。

最初に丸呑みにされたときは、暴れたら吐き出してくれたのだけれど。

二回目以降は、改良が施されたのか。暴れても、外に出してくれることは無くなったのだった。

そこで、真っ暗な中、怖い思いを散々して。

もう絶対にカエルを無闇に殺さないと約束をしたら、出して貰う。

そんな目にあった。

それで怖い目にあったから、カエルを凍らせて遊ぶ事は辞めたのだけれど。

考えてみれば、それまでに無意味に殺していたカエルは、もう戻る事は無いのだ。

嗚呼。

そうか、こんな酷い事をしていたのか。

ぼんやりしているうちに、ついに高度が落ちきって、地面に墜落。

浮き上がろうとしても、上手く行かない。

ふと気付くと。

背筋が凍り付いた。

あのおっかない大ちゃんが、見下ろしている。

目が赤く光っているように見えるのは、気のせいだろうか。

ひいっと声が漏れて、必死に這いながら逃げようとするけれど。背中を踏まれて、一歩も動けなくなった。

顎ががちがち言っているのが分かる。

氷の妖精が、恐怖に凍り付いているのだ。あまりにも滑稽すぎる姿だと思うけれど。恐怖でそれどころじゃない。

「チルノちゃーん」

「や、やめて、やめて!」

「前から思ってたの。 チルノちゃん、どうして私以外を見るんだろうって」

え。

何それ。

そういえば、以前から、たまに大ちゃんが普段から怖い事があった。

なんでか知らないけれど、寝言の内容を知っていたり。

その場にいなかったはずの大ちゃんが。遊んでいた内容を事細かに知っていたり。

普段は頭がアホだから気付かないけれど。

たまに気付いてしまうと、冷や汗がどっと流れたりするものだった。

そういえば、大ちゃんの話をするとき、いつも遊んでいる弱めの妖怪達が、口をつぐんだり、視線をそらしたりする事があったっけ。

ひょっとしてだけれど。

最初から、大ちゃんはこうだったのではないのだろうか。

「チルノちゃんには、私だけを見ていて欲しいの。 だからいっそ、他のものを見ようとする目なんて、取りあげちゃおうかな」

「ひいっ! な、何言ってるんだよ大ちゃん! こわいこわいこわい!」

「チルノちゃんが悪いんだよ。 私だけを見ていれば良いのに」

「ぎゃあああああっ!」

大ちゃんがチルノの顔を掴む。

みしみしと、凄い音がした。

そして、目玉をえぐり出しに掛かる。

妖精は死んでも即座に蘇生するとは言え。

これはあんまりだ。

恐怖に絶叫するけれど、大ちゃんは止めてくれない。というか、こんなに力が強かったのか。

いつもはチルノが最強だと自称すると、笑顔で最強だねと褒めてくれていたのに。

この力。

チルノと同等か、それ以上では無いのだろうか。

右の目玉をえぐり出される。

目の痛みが凄まじくて、悲鳴を上げるけれど。悪夢は止んでくれない。それどころか、右目をえぐり出した後は。血だらけの手で、左目もえぐり出そうとする大ちゃん。笑顔のままなのが、怖すぎる。

そのまま、抵抗も虚しく、左目もえぐり出されてしまう。

何も見えない。

大ちゃんの嬉しそうな笑い声が。

鈴を鳴らすように、周囲に響き渡った。

「これでチルノちゃんは、私以外を見られないね。 これからは私がチルノちゃんの目になってあげるからね」

「い、一回休みで……」

「だーめ。 一回休みするたびに、目をえぐり出しちゃうんだから」

激痛が走る中、大ちゃんの声は狂気に歪んでいる。

完全に頭がおかしくなっている妖怪や人間をチルノも見た事があるけれど。

そういうのと同じ状態だ。

もはや何も見えない中。

痛みにチルノは絶叫し、更にそれを押さえつけながら、耳元で大ちゃんは囁く。

「そうだ、チルノちゃんの羽根ももいじゃおうか」

「ひいいっ!」

「そうすれば、チルノちゃんはずーっと私の手の中。 逃げられないし、私がいないと何もできない。 可愛いチルノちゃんを私が独り占め。 嬉しいなあ」

「や、やめ、やめてえええええっ!」

背中に鈍痛が走る。

そして、目が覚めた。

呼吸を整えながら、周囲を見る。

目は、ある。

羽根も。

拘束はされているけれど、周囲はチルノにとって心地よいとても寒い空間だ。体を傷つけるようなものは何も無い。

目とかを寝ている間に壁とかにぶつけたのかと思ったけれども。

そんな事は一切無い。

呼吸を整える。

今までの追いかけ回される夢とは文字通り段違いの恐怖だった。あんな目に会わされていたら。

チルノは或いは、本当に死んでしまうかも知れない。

妖精も、一回休みと言うくらい簡単に死ぬとはいえ。

彼処までの恐怖の中死んだら、蘇りを拒否するかも知れない。

ましてやチルノは警告されていたのだ。

チルノの力は、妖精の領域を越えつつあると。

このままだと、妖精では無く、妖怪や、下位の神になるかも知れない。

そうなった場合、生活が根本的に変わってくる。

妖怪が苦労していることは知っている。

人間を怖れさせなければならないからだ。

チルノが妖怪になったら、適度に人を襲っては、博麗の巫女や、人里の退治屋に退治されなければならない。

それも手加減必須で。

もし人を本当に殺してしまったら、おっかない鬼がいる地底に封印処置されてしまうだろう。

人を襲い、退治される。

茶番と分かっている行動を、他の妖怪同様に行わなければならないのである。

それだけじゃない。

もしも神になってしまった場合。

人間の信仰を集めなければならない。

弱い弱い神になると、人間の信仰を殆ど受けていないらしく。

実際に、妖怪と大差ない力の神をチルノも知っている。

そういう神になってしまったら。

かなり惨めな思いをする事になるだろう。

呼吸を整えながら、頭を振る。

多分相当うなされて、泣きながらあの夢を見ていたらしい。粗相はしていなかったけれども。

それでもあんな夢を見続けたら、体がどうなるか分かったものじゃない。

物音がしたので、びくりと身を震わせる。

何故か姿を見せたのは、八雲藍。

知っている。

賢者。八雲紫の式。腹心として、色々な仕事をしていると噂される九尾の狐である。

正確には九尾の狐に鬼神を憑依させているらしいが。

チルノには難しくてよく分からなかった。

藍はかなり背が高く。

チルノを見下ろすと。嘆息した。

「貴方はただうなされていただけです。 誰かが側に来ているようなことはありませんでしたよ」

「……」

「無理をせず、しばらく眠っていなさい」

「や、やだああっ!」

悲鳴混じりの絶叫が漏れる。

あの夢。

あのリアルすぎる痛み。

とても夢とは思えないのだ。

必死に藍に訴える。夢の中で、目玉を、羽根を抉り取られたこと。別人のように怖い大ちゃんに、世にも恐ろしい事をされた事を。

藍はしらけた目で聞いている。

他人の夢なんか知るか、という顔である。

だけれども、ずっとこの夢ばかり見るし。そればかりかどんどん内容が悪化しているのだ。

このままでは夢の中で殺されてしまう。

もう涙がぼろぼろ零れて、その先から凍っていく。

情けない事は分かっている。

普段最強を自称しているものにあるまじき行為だと言う事は分かっている。

でも、おかしい。

耐えられないのだ。

藍は聞くに堪えないと言わんばかりに姿を消す。

そして、チルノはその場に残された。

しばらく嗚咽を続けるけれど。勿論誰かが助けに来てくれるわけがない。拘束されたまま、ずっと冷たい部屋にいるしかない。

また眠りそうになる。

だけれど、気合いで必死に耐える。

もう、あんな夢は御免だ。

それにあの夢を見ていると、大ちゃんを疑いそうにもなる。

確かに、色々おかしな事をしているのも分かっている。

冷静に考えてみれば。

確かに普段から、チルノに対して変なことをしているらしい節はあったのだ。友情と言うには行きすぎている行動を。

だけれども。

それでも大事な友達なのだ。

やっぱり妖精は妖精と。妖怪は妖怪と。人間は人間と。

長い間見て来て、一番良い関係を作れるのは、相手を理解出来る存在なのだと思う。

勿論同じ種族同士で上手く行かない場合もある。

一杯見て来た。

だけれども、この友情を疑う事はしたくない。

今でも身が震えるほど怖いけれど。

きっと何かの間違いだ。

絶対に間違いに決まっている。

唇を噛んで、必死に恐怖に抗いながら。チルノは友を信じ続ける。何処とも知れない、寒い寒い部屋の中で。

 

2、事実

 

博麗の巫女、博麗霊夢は情報を集めながら、腕組みしていた。

知っていた。

大妖精と呼ばれる上位妖精の一人が、チルノと親友である事は。一見良心的で心優しそうな大妖精が、チルノには異常な執着を見せる事も。

チルノはアホだから気付いていなかったが。

あれはストーカーに片足を突っ込んでいるレベルだった。

実際に眠っているチルノに添い寝して、じっと様子をうっとりした様子で見ていたり。

チルノの羽根を削って集めていたり(妖精だから肉体のダメージには疎い)と。

霊夢が集めた情報だけでも、大妖精が「やりすぎている」事は確かだった。

問題は、その大妖精が見当たらないこと。

そして、いくら何でも実際にチルノに加害する事は思い当たらない事である。

事実、以前勝ち目0の妖怪に襲われたとき。

大妖精は身を張って、チルノを守った。

それについては、駆けつけた霊夢が。手当たり次第に暴れていたその妖怪をしばき倒したので、実際に目にしている。

だが、まて。

ひょっとして大妖精は。

チルノを独占するために、命まで賭けたのではあるまいか。事実、妖精にとっては命はとても安いものなのだから。

可能性は、否定出来ないか。

頭をばりばりと掻く。

頭脳労働は得意ではないのだ。

最近は、色々と頭を使う必要性が増えてきて、霊夢は苦労が倍になったと感じている。

今までのように勘で全てを解決できる訳では無いと、理解したのが理由だが。

そもそも今回の問題、何かしらの事件が起きている可能性が高い。

なお、幻想郷に今来ている大妖怪。

伝承に残る夢を食べる妖怪である獏、ドレミー=スイートには、真っ先に話を聞きに言って、違うと言われた。

確かにチルノが変な夢を見ているのは事実のようだが。

チルノの夢に誰かが外から干渉している事は無いそうだ。

となると、一体何が起きているのか。

一通り情報収集を終える。

勘が告げる場所を見て回ったが、大妖精はいないし、チルノ自身も紫の保有する施設に連れて行ってしまったしで。

どうしようもない。

ルーミアがSOSを入れて来たし。何よりも、チルノは実の所要監視対象の存在だ。

妖精の領域を超え始めている力の持ち主。

何よりもそろそろ「妖精では無くなる」可能性が高い存在。

それを考えると。

チルノ自身に罪は無くとも、妖怪になってからどんな影響が周囲に出るか分からないのである。

場合によっては人里を襲うかも知れないし。

その時は、今までの力だけ強い無邪気な子供、という事実を全て忘れ。頭をかち割って地底に封印しなければならなくもなる。

色々な意味で。

覚悟は決めていた。

ただ、覚悟を決めていたからといって、何かが常に解決するわけではない、というのも事実である。

実際問題、今手がかりは全く得られていない。

命蓮寺を丁度今出た霊夢は、腕組みをしながら、ぶつぶつ呟きつつ。

情報を整理していた。

ちなみに命蓮寺に出向いたのは、大妖精が来ていないかの確認と。煩悩について知識が深そうな住職と話して、何か得られるものが無いかの確認である。

命蓮寺の住職が人格者なのは霊夢も知っている。

だからこそ、煩悩を退散させる方法も知っているし。

それで具体的な対策を知っているかどうか、確認したのだが。

流石に妖精の精神構造までは専門外と言われてしまった。

博麗神社まで出向くと。

一度神社の裏手にある大きな木に出向く。

其所にはそこそこ力のあるいたずら者の妖精が三人住み着いている。

チルノとはそこそこ交流もある。

話を聞きに出向いて見ると。

通称光の三妖精。リーダー格の元気なサニーミルク。おっとりした雰囲気だが極めて腹黒いスターサファイヤ、縦ロールの髪の毛が印象的な苦労人ルナチャイルドは。丁度いた。

霊夢が姿を見せると、探知に特化した能力持ちの三妖精はすぐに気付いて顔を見せる。

此奴らも妖精としてはかなり力が強い方だ。

妖精は小さいのだと掌サイズだが、此奴らは普通に幼児くらいの背丈はある。

悪戯も時々度を超した事をするので。

霊夢としても、見張りをしなければならない相手だった。昔は魔法の森に住んでいたのだが、幸い博麗神社の裏手に移ってくれたので。監視そのものはやりやすくなったのも事実だが。

その一方で、うるさくもなった。

三人に話を聞いてみる。

最近チルノにおかしな事は無かったか。

大妖精は見かけていないか。

此奴らは神社の裏手に住んでいるので、話を聞きに行くのは最後で良いかと思っていたのだが。

意外な答えが返ってくる。

「大妖精なら最近見たわよ」

「! 何処で、いつ」

「えっ!?」

迂闊な事を口にしたと顔に書いたルナチャイルドの手を掴む。

いつも貧乏くじを引いている三人組の苦労人は、今回もどうやらその役回りらしい。さっとサニーミルクとスターサファイヤは距離を取っているのが微笑ましいが、霊夢にとっては頭に来る。

「話しなさい」

「や、やだ、一回休みやだ!」

「話せば殺さない」

「ひっ……」

霊夢がその気になれば、妖精を「殺せる」、つまり一回休み以上の状態……妖精を消滅させることも出来る事を、三妖精は知っている。

だからルナチャイルドは怯えたのだが。

その恐怖を、積極活用して行く。

せわしなく視線を動かしたルナチャイルドは、助けを求めたのだろう。

だが、今彼女を助けられる存在は周囲にいない。

薄情なものである。

サニーミルクとスターサファイヤも、側でじっと様子を見ているだけなのだから。

「何か穴掘ってたわ! それ以上は分からない!」

「穴?」

「そう、人間から買ったらしいスコップとか言う道具使って! 場所は紅魔館の近くよ!」

「……」

手を離す。

ルナチャイルドの手には、くっきりと霊夢の手形が残っていた。

涙目になって震えているルナチャイルド。

どうやら力が入りすぎていたらしい。

逃げようとする所を、襟首を掴んで捕まえる。

「とりあえず情報有難う。 でも、どうして情報を出し渋ったのかしら?」

「そ、それは、大ちゃんってば、時々すっごくこわいから」

「詳しく」

「チルノに対しては、もの凄く独占欲が強いのよあの子! 普段は良い子だけれど、チルノが誰かに取られると思ったら、手段を選ばなくなるの!」

余計な事をと、サニーミルクとスターサファイヤが顔に書いている。

空間転移して、二人の背後に出ると。

空いている右手で、大幣を取りだし、地面をぽんと叩く。

何故か地面がクレーター状にえぐれるが。

まあ、霊夢もたまには力加減を間違える。

「貴方たちも色々知っていそうね。 詳しく聞かせて貰いましょうか」

人形みたいな動きで振り返った二人が。

霊夢の顔を見て、完全に固まる。

真っ青になり、ちびりそうな表情をしているが。

許す気は無い。

既にルナチャイルドに至っては、ぶら下げられたままくすんくすんと泣いていた。

そのまま、楽しい尋問タイムが開始され。

しばらくして、つり下げられたスターサファイヤが、有効な情報を吐いた。なお全身を縛り上げ、逆さに木の枝からつり下げられた状態で、やっとである。

「わ、私達が喋ったって言わないなら良いわよ!」

「あら、私より大妖精の方が怖いとか?」

「……」

「へえ」

これは意外だ。

要するに拳を叩き込んで地面にめり込ませる程度で済ませる霊夢と違って、大妖精は此奴らを怖がらせるくらいの狂気持ちと言う事なのだろう。

妖怪化した後。

色々厄介な事になるかも知れない。

スターサファイヤの頬をなで上げながら、霊夢は精一杯の優しい笑顔を浮かべながら続きを聞く。

「それで、どういうことかしらね」

「ひいいいっ! だ、大妖精ってば、前に魔法使いの所に出入りしていたの」

「魔法使いと言っても色々いるけれど、誰かしら」

「アリス=マーガトロイドよ!」

意外な名前が出てきた。

魔法の森に住まう人形遣いの魔法使い。

後天的に魔法使いになった存在で。要するに努力を重ねて人間の状態から、魔法を習得して不老不死になった者である。

霊夢の親友、自称「普通の魔法使い」である霧雨魔理沙よりも少し先を行っている存在で。

普段はあまり喋る事はなく、極めて寡黙だが。

たまに気が向くと人里に出向いて人形劇を披露したり。

また森で迷った人間を助けて人里に送り届けたりと。

魔理沙と犬猿の仲であることを除くと、問題を起こす理由はほぼ思いつかない。人間にはごく好意的で、霊夢の監視対象としては比較的軽度の存在である。

魔法の森には魔理沙含めて問題行動を起こす魔法使いが何名かいるが。

その中でももっとも物静かで、問題を起こさない一人だとも言える。

「それで、何か魔法を習っていたらしいの! それ以上は知らない!」

「本当でしょうね」

「本当! 本当!」

ほっぺをつねりながら言うと、スターサファイヤは半泣きのまま言う。

なおルナチャイルドは地面に首だけ残して埋め。サニーミルクは木の枝に縛り付けて、焚き火の上で自動で回している。火は弱火だが、恐怖でサニーミルクは既に失神していた。

いずれにしても、まあいいだろう。

札を額に貼り付けると、拘束を解いてやる。

三妖精はひしっと抱き合うと、霊夢を見て震え上がっているが。

まあこのくらいは恐怖を認識させておかないと。

舐められる。

幻想郷で舐められるというのはかなり致命的な事なのだ。

だからこれでいい。

「その額の札、無理に剥がそうとすると一回休みじゃ済まないわよ。 今の話が嘘じゃないか、私がアリスに確認してきて、それが有益な情報だったら自然に剥がれるようにしてあげるわ」

「……」

「それじゃあ情報提供ありがとう」

跳躍すると、そのまま飛行の体勢に入り、魔法の森へと急ぐ。

意外なところから情報が出てきた。

勘だけでは解決しないというのは近年霊夢も学んでいたことなのだが。

それでも勘は頼りになる。

ただ、それでも頭を使わなければならないのも事実ではあるが。

魔法の森の上空に出る。

住民でさえ迷う森だ。

素直に魔理沙の家にでも出向くかと思ったが。

上空をくるくる回っているうちに、幸いアリスの家を見かける。

アリスの虫の居所が悪い時は、魔法で家を隠していたりするのだが。

今日はそんな事も無い様子だ。

降り立ち、戸を叩く。

非常に不機嫌そうに、アリスが姿を見せた。

 

アリス=マーガトロイドは多数の人形を同時に操る魔法使いで、その人形を攻防共に活用する。このためアリスが従えている子供の様な姿をした膝下くらいの背丈の人形は、常時武装している。

容姿は非常に整っていて。霊夢と同年代くらいに見えるが、実際には違う。美しいセミロングの金髪も、整った顔も、さながらお人形さんのようである。本人が一番人形じみていると、色々な者から表されるほどだ。

寡黙な上に自己主張をしないが、実力は確かで。

客が来ればもてなすし。

たまに魔理沙と喧嘩したり。

逆に魔理沙と連携して一緒に異変の解決に出向いたり。

魔理沙とは犬猿の仲ではありながら、色々と面白い関係性のようだった。

友人の友人は他人という言葉通り。

霊夢とはあまり関係が深くなく。

今日は何をしに来たのだろうというアリスは無言で圧力を掛けてきていたが。

大妖精の名前を出すと、ああと納得した様子で頷いていた。

「何を教えたの?」

「その前に立ち話も何だから、家に入りなさい。 靴は脱いで」

「……」

洋風の格好なのに、家のマナーは和式なのか。

入り口で靴を脱いで中に入ると。

家の外以上の数の人形が、アリスが操作しているのかしていないのか、兎も角働き続けている。

ある者は掃除を隅々までして。

ある者は料理をしたり花を世話したり。

家の中は、とても落ち着いた空間になっていた。

ああ、なるほど。

これは妖精にも過ごしやすい場所だと、霊夢は納得する。

椅子を勧められたので、頷いて座る。

茶は人形が出してきた。

順番に話をする。

夢に関する問題は、幻想郷では笑い事では無い。チルノを助けるためというよりも、異変が発生しているのなら早期解決のために行動していると告げる。アリスは頷くと、ずばり本質を告げてくる。

「ここのところかなり積極的に飛び回っているようだけれど、何か意識が変わることがあったのかしら。 前は尻を叩かれるまで、異変解決には動かなかった貴方が」

「……想像以上にこの世界が脆いと気付いただけよ」

「まあいいわ。 大妖精に教えていたのはこれよ」

人形が分厚い魔法書を持ってくる。

そしてアリスは、触らないようにと霊夢に言うと。

手を動かさずに、魔法書を開いた。

ページがばたばたとせわしなく動き。やがてぴたりと止まって開く。

其所には、見た事がない文字で、びっしり魔法について解説されているようだった。

「何コレは」

「人の夢を操る魔法」

「夢を操る?」

「以前、幾つかの異変で、夢がこの幻想郷で大きな意味を持っていることは、貴方も知ったと思うけれど」

言われるまでも無い。

実際問題、何度か夢に関する事で、酷い目にあった。

事実獏であるドレミー=スイートに最初に会いに行ったのも、それが理由である。

獏が非常に強大な妖怪である事も理解しているし。

事実、チルノの夢が干渉されていることは、最初から分かっていたのだ。

だが、夢の管理者である獏が感知しない範囲で。

大妖精程度の存在が、どうやってというのは気になる。

実際問題として、大妖精の実力は、霊夢だったらデコピン一発。三妖精と大差ない程度でしかない。

アリスはかみ砕いて説明してくれる。

この魔法は、相手の夢に自分を出す事が出来るもの。

つまり、恋の魔法の一つだという。

恋の魔法か。

魔理沙が口にしているようなものということか。

ともかく、その恋の魔法は使い方次第で、相手に自分を強く印象づけることが出来。

いつも相手の心に、自分を出す事で。

心を掴む事が出来るという。

と言う事は、だ。

夢の世界で、チルノと大妖精は混じり合っている、ということか。

だとすると、ドレミー=スイートが自分は関係無いと言い張ったのも納得である。

霊夢は嘆息する。

これで幻想郷全体に波及する異変の可能性は減ったか。

霊夢が動いていたのは、手間を事前に軽減するため。

此処から手がつけられない異変にならない内に、処置をしておくつもりだったのだが。

どうもこれは、大妖精一人の勇み足で起きた事らしい。

だったら、後は少し力を抜いても良いか。

「それで大妖精の姿が見当たらないのだけれど」

「恐らくだけれども、自分しかしらないような秘密の隠れ家に潜んでいるはずよ」

「……どういうこと?」

「この魔法を行使するには……」

幾つかの説明を受けるが。

最後の説明が引っ掛かる。

アリスによると、呪文だの何だのを使った後。

最後に自分自身も眠る必要があるという。

多分大妖精は、己の巣とも言える安全な寝床で、ずっと静かにしている筈だという。

それは困った。

彼奴がチルノに執着しているのは分かったが。

奴の巣が何処なのかは全く見当がつかない。

元々悪さをする妖精では無いから、殆ど居場所については感知していない。

ただ、どうにも嫌な予感がする。

勘がびんびん告げているのだ。

そもそもあの大妖精。

ストーカーギリギリの行為をチルノに対して行っていた。それが非常に気になるところなのである。

チルノ自身がアホで、全く気付いていなかったし。

或いは友達だから良いとでも思っているかも知れないが。

チルノはそうでも。

大妖精はそうだとはとても思えない。

そして霊夢の勘は当たる。暴力的なまでに。

巫女だからではない。

霊夢の勘だからだ。

ともかく、アリスに礼を言って家を出る。後は寝こけているだろう大妖精を探してやるだけだ。

一応、進捗を紫に連絡しておくか。

紫も、今回の件が大規模異変につながるかも知れないと思って、心配していた口だ。

紫が主導して異変を起こす場合もあるのだけれど。

幻想郷が想像以上に脆く。

紫の負担が大きいと知った今。

これ以上、霊夢の方から、厄介ごとを大きくするつもりはなかった。

 

3、氷の世界の夢

 

どんどん眠気が強くなっている。

チルノは恐怖と戦いながら、同時に眠気とも必死に戦い続けていた。

だが、どうしようもない。

氷の世界だから、体は多分大丈夫の筈だ。

だけれども、どうしてだろう。

どんどん嗅いだこともない臭いが近づいて来ている気がする。

それは、「一回休み」に近いけれど。

もっともっとずっと濃い臭い。

妖怪に殺された人間の近くで嗅いだことがある臭い。

人間に封印された妖怪の近くでは、もっと濃く臭っているもの。

そう、死だ。

必死に呼吸を整える。

冷や汗は、この冷たい部屋では、すぐに凍ってしまう。拘束されているから、何もできないけれど。

悲鳴だけは、押し殺していた。

あたいは最強あたいは最強あたいは最強あたいは最強。

そう呟いて、必死に正気を保とうとする。

だけれども、気付くとまた夢の中にいる。

眠ってしまうのだ。

そして夢の中では。

親友の筈の大ちゃんが、どんどん怖くなっていく。

気付くと、今度は全身縛り上げられて。そして、いきなり大ちゃんが馬乗りになっていた。

手にしているのは、ペンチだ。

いきなり全身に恐怖が走る。もう、嫌な予感しかしない。

「やだあああああっ! 大ちゃん、止めて、止めてええええっ!」

「何をするかも言っていないよ?」

「そのペンチなんだよ! 怖い事するに決まってる!」

「怖い事って、例えばこんな?」

いきなり、ペンチが顔の横の地面に突き刺さった。

悲鳴が一瞬で止まる。

凍り付くような恐怖の中。

チルノは、耳元を掠めたペンチを、凝視することしか出来なかった。

「大ちゃん、どうしてこんなことするんだよ! 夢の中だからって、いくら何でもひどいぞ!」

「それはチルノちゃんが悪いんだよ」

「え……」

「チルノちゃんさ、私以外をいつも見てるよね。 最強最強言って、勝てもしない相手に喧嘩売って、後始末に謝って回るのはいつも私だって分かってる?」

ゆっくり、大ちゃんの方を見る。

そして、チルノは小さく悲鳴を零すことしかできなかった。

目が。

完全に狂ってる。

狂人という奴は、チルノも見た事がある。チルノは馬鹿だけれども、それでも近付いちゃいけない相手がいることは分かっている。これでも人間より長生きしているのだ。だから、大ちゃんがそうなっている事は、一目で分かった。

「私はチルノちゃんが側にいればそれで幸せなの。 だから、もう最強とか馬鹿な事いわないで、私だけ見ていてくれれば良いの」

「だ、だって、あたい、あたい……」

「チルノちゃんが最強だと錯覚する理由って、これかな?」

ペンチが突き刺さる。

一瞬置いて、激痛が全身を走った。

右耳を引きちぎられたのだと気付く。

妖精だから、一回休みになってしまえば楽になる。

だけれども、此処は夢の中だ。

どうしてこんな夢を見るのかは分からないけれど。

ともかく夢の中の大ちゃんは狂っていて。

もはや理屈は通じないと言うことだ。

しかも縛られているから抵抗も出来ない。

何よりも、氷の術を展開して、振り払うことも出来そうに無かった。

普段だったら辺り一帯を無理矢理凍らせて、大ちゃんを吹っ飛ばす事だって出来るだろうに。

今は全身が脱力したようで。

それも出来そうに無い。

「もう片方も取っちゃおうね」

「や、やめ……!」

「目玉を取っても最強って錯覚が収まらなかったよね。 だったら耳を聞こえないようにしちゃおうね。 それも駄目だったら、今度は舌を抜いてみようか」

「ぴぎゃ……」

悲鳴は途中で止まる。

左耳も、引きちぎられていた。

飛び起きる。

おしっこを漏らしたらしい。足の間が凍り付いている。それはそうだ。夢の内容は全部覚えている。

激しく呼吸しながら、チルノは頭を振る。

暴れないようにと拘束はされているけれど。何とか頭を振ることで、耳がちゃんとついていることは理解出来た。

次は、舌を引き抜かれる。

全身の恐怖が頂点に達して。

チルノは、とうとう大泣きし始めた。

「やだああああ! 助けて! 助けてえええっ! 誰か、お願い! 誰でも良いから助けてえええっ!」

勿論恐怖からの救済の要求は。

誰にも届かない。

必死に暴れるが、それも無駄。

博麗の巫女が仕込んだ拘束だ。

外れるわけがない。

チルノは何度も嗚咽しながら、呟く。

助けて。

誰か助けて。

もう悪戯しません。

ごめんなさい。

最強だなんて嘘言いません。カエルも凍らせて虐めたりしません。だから、この悪夢の連鎖から、救ってください。

監視カメラがついているとか博麗の巫女は言っていたっけ。

顔を上げると、確かに何か機械がある。カメラとか言う奴だ。

必死に助けてと叫ぶけれど、相手は完全に沈黙。どうやら錯乱して暴れても無視しろとでも、カメラの向こうの相手はいわれているのか。それとも、さっきまでのチルノのように眠っているのか。

何度叫んでも無駄。

気付くまで、しばらく叫んで。

そして、チルノは不意に静かになった。

心が死んだ。

叫んでも無駄だと気付いたからだ。

妖怪なら、これで死んでいたかも知れない。

だけれども、妖精だから大丈夫だ。

妖精はある意味妖怪以上に頑丈な種族である。死んでもすぐに蘇生する。だから一回休みなんて感覚で、強敵に挑みに行ったり出来る。

ひゅっ、ひゅっと声が漏れ続ける。

更に気付く。

また、眠気が強くなってきていることを。

もがいてその場から逃れようとして、思い切り顔面から床にたたきつけられる。顔が床に貼り付くかと思ったが、その辺りは氷の妖精。どうにかなった。

ただ、氷の力をまるで発揮できない。

博麗の巫女による拘束の結果だろう。

此処がどこだか知らないけれど。

多分チルノが暴れるとまずいと判断したから、なのだろう。

不意に、姿を見せる人影。

びくりと震えるチルノは、それが幻想郷最強の妖怪。八雲紫だという事に気付く。紫色の服を着込んだ、胡散臭さに全振りした女の姿をした妖怪。紫は粗相の後に気付くと大きくため息をつき、ぱちんと指を鳴らす。

一瞬で床は綺麗になっていた。

チルノを壁に立てかけるようにして座らせ直すと、またどっかに行こうとする紫。

チルノは思わず叫んでいた。

「待って! 行かないで!」

「あら、いつも最強最強五月蠅いのに」

「一人嫌っ! 眠ると死ぬ! 大ちゃんに殺される!」

「霊夢から貴方の事情は聞いているけれど、どうやら異変の類では無さそうなのよ。 だから、最低限の監視だけつける事にするわ。 後は霊夢がどうにかするまで自分で耐えなさいね。 私も暇じゃあないの」

冷酷な言葉を吐くと。

紫はその場から消えていなくなる。

ばたばたもがくが、なにやらされたらしい。

背中が壁にひっついているようで、その場から全く動けなくなっていた。

また、呼吸の音だけが聞こえる。

そして動けなくなった分、眠気が強くなってくる。

博麗の巫女、霊夢に頼った事なんて一度だって無い。

だけれどこの時チルノは。

誰でも良い。

勿論博麗の巫女でも良いから、助けてほしい。

そう、心の底から願っていた。

ふつりと、精神がきれる。

顔を上げると、其所には大ちゃんの姿があった。悲鳴を押し殺すチルノに、大ちゃんは相変わらず狂気に染まった目を向けてくる。

チルノは今度は十字架のようなものに拘束されていて。

更に周囲は、溶岩のようなものがぐつぐつ煮立っていた。

こんな場所にいたら、溶けて無くなってしまう。

「酷いよチルノちゃん。 どうして他の人に助けなんて求めるのかな」

「だ、だって、だって……!」

「でもとだっては弱い者が使う言葉だよ。 チルノちゃんは最強なのに、そんな言葉に頼るの?」

「……」

思わず口をつぐむ。

大ちゃんの目が怖い。

自分の弱さを思い知らされる。

それだけじゃない。

本当に何もできない自分の状況が、情けなくて仕方が無かった。

大ちゃんはおかしくなっているけれど、今言っていた言葉はチルノだって同意できる。普段だったらその通りだと頷いていただろう。

だけれども、今は怖くて恐ろしくて。

また、漏らしそうだった。

「じゃあ今度はチルノちゃんの手足を全部とっちゃおうかな。 そうすれば、ずっと私の世話が必要になるよね」

「や、やめ。やめて……!」

「チルノちゃんが悪いんだよ。 こんな時に、私以外の人に頼ろうとするんだから」

「大ちゃんごめん! なんか悪い事したんなら謝る! だから、もうやめて! あたい、さっきから怖くて、もうまともに動けないよ!」

ゆっくり、のこぎりを手に、此方に近付いてくる大ちゃん。

チルノは、もがくけれど。

夢の中だし、何より灼熱地獄だ。

力なんて、出るわけが無い。

いつの間にか、大ちゃんが手にしているのは、のこぎりじゃなくて、チェーンソーになっていた。

神にも効くとか言う噂の武器だ。

それを引きずりながら、大ちゃんが此方に歩いて来る。

がり、がり、がつん。

地面をチェーンソーの刃が擦りながら、近付いてくる。その音だけで、チルノは大小揃って漏らしそうだった。

ふと、気付く。

夢から、醒めていた。

呼吸を必死に整えながら、視界がクリアになっていく事に気付く。どうやら、至近で博麗の巫女が覗き込んでいるらしい。

頭を掴まれ。

そして顔を近づけられていた。

「チルノ、聞きたいことがあるんだけれど」

「な、何……」

「面倒だからもう良いかなと思ってるんだけれど、とりあえず。 大妖精が何処にいつもいるか知ってる? 大妖精が一番安全と思う場所は何処? 一番の友人なら知っているわよね」

「大ちゃんのおうち……? 安全だと思ってる場所……?」

朦朧とする意識。

これは、そろそろ限界かも知れない。

博麗の巫女は、頭を揺らす。

「しっかりしなさい! このままだとあんた精神崩壊するわよ! 妖怪よりは抵抗力があるけれど、妖精を殺す方法の一つはその人格を完全に壊す事! 妖怪よりもっと深く徹底的にね! つまりこのままだとあんたは死ぬの! ほら、意識を絞って!」

博麗の巫女にぐらんぐらん頭を揺らされる。

大ちゃんの家は、あっちこっちに移る。

気まぐれだから。

家だと案内された場所は、毎回違った。

だから、家だとは思わない。

安全だと、大ちゃんが思っている場所があるとしたら。

多分それは、1箇所しかない。

「あたいのうちの地下……」

「はあ?」

「あたいのうち、大ちゃんよく遊びに来るんだけれど。 あたいが最強だって言うと、最強の家の下なら安全だって……」

「……」

博麗の巫女が手を離す。

しばらく口を押さえて考え込んでいるようだったけれど。

チルノを一瞥した。

「何とかしてあげるわ。 とにかく耐えなさい」

「……あたい」

「あんたは妖精の中では最強とはいわないけれど結構強い方よ。 妖怪になられたら面倒だなって今でも結構本気で思っているくらいにはね。 大妖精も何とか助けてあげるから、もう少しだと思って頑張りなさい」

ぐっと、もう一度頭を握られる。

博麗の巫女は。

実はチルノよりずっと年下だ

殆どの人間は、チルノより遙かに年下。魔法使いと呼ばれる、人間と呼んで良いのか分からないような連中だけが、チルノより年上だったりする。あれ、妖怪に分類指定されているんだっけ。

視界が定まらない。

ともかく、眠らないようにしないと。

羊を数えるんだっけ。

いや、違うよ。

それは眠るときの方法だ。

大ちゃんが遊びに来ているとき、そんな話をした。当然氷の妖精であるチルノは夏が苦手で。

熱帯夜は眠れなかったりして。

そんなときに、大ちゃんに教えて貰ったりしたのだった。

だったら、どうすれば眠らずに済むのか。

多分もう一度眠ったら。死ぬ。

起きてさえいれば、あのおっかない大ちゃんに、手足をのこぎりで切ったりされずに済む筈だ。

だから、どうにか耐えろ。

もう一度眠ったら。

多分今度こそ殺されてしまう。

本当の意味で、だ。

でも、誰にだろう。

本当に大ちゃんに、なのだろうか。

大ちゃんがそんな事をするだろうか。仮にするとしたら、何のためにするのだろうか。

意識がまたおかしくなってきた。

必死に引き戻す。このままでは、眠ってしまう。そして眠ったら最後だ。あの夢の続きから始まって、両手足をチェーンソーで切り取られて。それで。

恐怖で、一気に目が覚めた。

手足は無事。

それを確認して、もぞもぞして。

どうにか意識を取り戻す。眠ってはいけない。眠ったら、本当に手足がなくなってしまう。

そういえば、大ちゃんとはどうやって知り合ったんだっけ。

まだ名前もない、意識もろくに定まらない小さな妖精の頃から、知り合いだったような気がする。

そんな頃には、もう無鉄砲に勝てそうにもない相手に挑んでは。

コテンパンにされていた気がする。

その度に大ちゃんに引きずっていかれて。

その度に、もう止めようよって言われていたっけ。

そんな大ちゃんの苦言を。

一度だって、聞いた事があったっけ。

なかった。

ずっと、最強だからと自分でも思っていない寝言を口にして、言い訳を続けて来た。結局最強なんかでないことは、分かっていたのに。

負担をかけ続けていたのではないのだろうか。

だからあんなおっかない大ちゃんの幻を夢に見るようになったのでは無いのだろうか。

涙が零れてきた。

恐怖からではなく。

自責からだ。

博麗の巫女がどうにかしてくれると言っていた。いつもつっかかってはコテンパンにされるおっかない相手。

内心では怖れている。絶対に勝てない幻想郷の守護者。歴代の博麗の巫女でも、今代のは間違いなく最強。

そう、自分のとは違う、本物。

それなのに、どうして。素直になる事が出来なかったのか。弱いのを、認めることが出来なかったのか。

また、少し眠気が来る。

だけれど、舌を噛んで、激痛で無理矢理眠気を追い払う。

例え本当は最強なんかではなくても。

心だけは、最強のふりをしていたい。

ずっと大ちゃんに負担を掛けていたのなら。

本当に馬鹿みたいに喧嘩ばかり売って回るのじゃなくて。まずは力をつけて、相応の存在になりたい。

ぎゅっと手を握りこむ。

力を入れて握りこむ。

爪が掌に突き刺さって痛い。

だけれど、それで眠気が消える。

全身に無理矢理痛みを入れて、どうにか眠気を追い払っていく。

これは前に何処かで聞いたやり方。

頭が良くないチルノは、何処かで聞いたかも覚えていないけれど。

ずっと昔。

チルノに良くしてくれた、何代か前の博麗の巫女だったかも知れない。

博麗の巫女も、歴代がいつも強かった訳ではない。

今の博麗の巫女みたいな、歩く災害みたいな奴ばかりではなかったし。

存在が博麗大結界の維持につながっているから妖怪に襲われない、なんて殆ど無力な奴もいたし。

弱いけれどチルノにはとても良くしてくれて、読み書きを教えてくれた博麗の巫女もいたっけ。

呼吸を整えながら、また舌を噛む。

実は舌を噛んでも死なない。

これもいつだったか、誰だったかに教わった事だった。

激痛が口の中に走る。

口から血が流れるが。

それもすぐに凍る。

咳き込んで、床に血が飛び散る。また賢者が嫌そうな顔をして、後で処置するのだろうか。

知らない。

今は他人にかまっている暇は無い。

必死に生に執着している内に、時間が過ぎていく。

不意に。体が楽になる。

理由は分からない。

同時に全身に張り詰めていた緊張感が解けて。チルノは、床に突っ伏していた。拘束もいつの間にか解けていた。博麗の巫女のも、賢者のも。

妖精の体は頑丈だ。

傷ついても回復がとても早い。

死んでも「一回休み」何て感覚で蘇生するのである。

傷くらいだったら、すぐに回復していく。

ましてや、チルノにとって最高と言っても良いこの極寒の環境である。

呼吸を整えながら、身を起こそうとする。

疲弊した体だから、中々上手く行かなかったけれど。

それでもどうにかなった。

何とか壁に背中を預けながらも立ち上がった時。博麗の巫女が姿を見せる。

終わったと、告げられると。

張り詰めていた意識が、ふつりと切れていた。

 

霊夢は、チルノに聞いたとおりにチルノの住居の地下を掘り返した。何名かに手伝って貰った。

其所で、仮死状態の大妖精を発見したのである。

本当にチルノが直前に住んでいたかまくらの一つの地下で仮死状態になっていた。

今回の件は、アリスも関わっているので。

いつも異変解決に出向く魔理沙だけでは無く、アリスにも手伝って貰った。最もアリスは手を動かしても泥には触らず、もっぱら動いていたのはスコップを持った彼女の人形達だったが。

ともかく、時間を掛けてほって作ったらしい地下空間で(三妖精の証言通りだった)、魔法陣の中で眠っていた大妖精を引きずり出すと。

アリスが魔法陣を解析。

教えたとおりのものだと断言した。ただ、更に機能が追加されているとも。

霊夢の戦友である霧雨魔理沙がぼやく。

「何だこの魔法陣。 どういう効能なんだ」

「夢に関連する魔法陣よ。 少し改良が加えられているわね。 恐らくは……紅魔館で本を読んで、自己流にアレンジしたんでしょう」

「妖精にそんな器用なことが!?」

「或いは紅魔館の図書館の動かない主に、話を聞いたのかも知れないわ」

紅魔館にも魔法使いはいる。それが動かない図書館と言われる、今話題に上がった存在だ。

いずれにしても霊夢には専門外の西洋魔術の話。

ともかく、霊夢自身は大妖精の状態を確認する。

仮死状態で。

いわゆる魂の一部が何処かに行っている感じだ。

魔法陣から引っ張り出したことで、その接続が切れて、体に魂が戻って来ている。

さて問題は、チルノになんで悪戯をしていたか、だが。

ああでもないこうでもないとアリスと魔理沙が話しているのを横目に。

大妖精が目を覚ます。

霊夢が見ているのに気付いたか、ひっと声を上げて後ずさるが。その場で頭を掴んで逃げるのを阻止。

「何だか面倒な事をしていたようね。 説明をするまで逃がさないわよ」

「霊夢、あまり乱暴は……」

たしなめてくるのはアリスだ。

本来大人しい大妖精に魔法を教えて、こんな事態になった責任を感じているのかも知れない。

だが、霊夢はびりびり感じるのだ。

大妖精は何か、ろくでもないもくろみで今回の事を起こしたと。

普通の人間の勘だったら、信じるに値しない。

だが霊夢は博麗の巫女。歴代最強とも言われる実力の持ち主。

その勘は、充分に武器になるほど研ぎ澄まされていて、実用性も高いものなのである。

「チルノは毎回夢を見ることを怯えきっていたわよ。 魔法陣の性質からして、貴方が直接チルノを脅していたのは間違いなさそうね。 なんで友人にそんな事を」

「そ、それは……」

「それは?」

「チルノちゃんが、あんまり怖いもの知らずで、怖い者を知った方がいいと思ったから!」

大妖精はくすんくすんと泣いてみせるが。

嘘泣きだと即座に霊夢は看破。

女が泣いているときは大体信用できないが。

今の大妖精のもそれは同じだ。

「いつも勝てもしない相手に突っかかるし、人の言う事も聞かないし、それに私が謝って回っても、へらへら笑ってるばかりだし! だから、たまには少し怖い目にもあって貰おうとおもって、せめて安全な夢の中で……」

「筋は通ってはいるが、ちいとばかりやりすぎだぜ」

「同感ね。 そんな事のために魔法を教えたんじゃないわよ」

魔理沙とアリスが口々に言うが。

霊夢はどうも今大妖精が口にしている言葉が、虚言だとしか思えなかった。

頭から手を離す。

「逃がすんじゃないわよ。 ともかくチルノは回収してくるわ」

「お、おう……」

「……」

一瞥する。

怯えきったふりをしている大妖精。

チルノの証言を聞く限り、今の話は一応確かに筋が通ってはいるのだが。同時にやり過ぎでもある。

チルノは夢がトラウマになるほど恐ろしいものを見せられていたらしいし。

何よりだ。

情報収集の過程で、大妖精がチルノに対して色々とろくでもない事をしていたことは判明している。

それらを加味して考えると。

大妖精は、チルノに比べるとずっと頭が良い。

長生きしているだけではなく、きちんと頭を鍛えている感触だ。

チルノはもしも妖怪とか下位の神とかになったら、相当な不幸な目に会う印象があるのだが。

大妖精の場合は、多分すんなり順応するだろうと霊夢には思えている。

だからこそ。

そんな奴が、今回のようなあからさまにおかしい事をしたからには、裏に何かあると勘ぐるのが当たり前だ。

一旦紫の所に行き、話をする。

紫はうんざりした様子で、布団にくるまったまま応じて来た。

「例の場所にまだチルノはいるから、回収しておいて。 後で汚れを除去しなければいけないんだから面倒極まりないわ」

「疲れているようね」

「ちょっと限界気味……」

「まあいいわ。 後で話はするから」

レポートを出して欲しいと言われるが、知るかと答える。

レポートなんか書き方分からないし、いちいち面倒くさい。いつもレポートを書いている藍辺りに口頭で説明するだけで済ませるつもりだ。

空間転移して、チルノの所に。

どうやら霊夢が大妖精を引きずり出すまで、気合いで耐え抜いたらしい。

霊夢の到着と、安全確保を告げると同時に力尽きて寝落ちたが。

悪夢を見ている様子は無かった。

ただ、口から血が伝っているし。

手も血だらけ。

舌を噛み、爪を掌に食い込ませて、痛みで耐えたのか。かなり無茶な事をするものだ。

チルノは戦いに向いていない。

自分の力を過信するばかり、無鉄砲なことばかりするからだ。

妖精としての力は強いが。

妖怪達の水準だと、下級程度の実力しかないし。

もしも妖怪に変わった後、最強だとか名乗ったら。それこそ幻想郷の上位勢に袋だたきにされる。

スペルカードルールでの戦いなら、まだある程度はマシに立ち回れるのだけれども。

それでも何人かいるスペルカードルールの名手に比べると、何枚も劣ってくるのが実情だ。

寒いなと思いながら、息が白い中。札を使ってチルノを引っ張り上げる。

悪夢との接続が解除されたタイミングで拘束が解けるようにはしておいたのだけれど。

チルノは氷の妖精だけあって、直接触ればしもやけになる程度は冷たい。

札を使って間接的に捕まえると。

そのまま空間転移。

紫が使っている冷凍保存庫とやらから、チルノを連れ出し。一度博麗神社に。そしてまた空間転移し、魔理沙とアリスが待っている場所へと飛んだ。

大妖精は、チルノちゃんと叫ぶ。

必死な様子だが。

演技にしか霊夢には見えなかった。

そのままチルノを揺り動かす大妖精。

手が半分凍っていることは、全く気にしていない。

体が傷つくことを意に介さない妖精らしい行動ではあるなと思うけれど。どうも何だか変な違和感がある。

チルノがしばしして、目を開く。

魔理沙はほっとする。

口も手癖も悪い戦友だが。或いは霊夢よりもずっと情が強いのかも知れない。チルノとは友人でも何でも無いはずだが。知っている奴が死ぬのは、魔理沙には嫌なのかも知れない。

そういえば、妖怪の山でのもめ事を解決したときも。

早苗と魔理沙は、どちらかというと誰かが死ぬと嫌だというスタイルを貫いていた。

二人の方が、霊夢よりもある意味人間らしいのかも知れない。

アリスはと言うと、魔法陣を解析し続けている。

霊夢は、声を落として、まだ目が良く覚めていないチルノを横目に、小声で聞いてみる。

「それで何かおかしな所は?」

「後で話すわ」

こくりと頷く。

向こうでは、チルノと大妖精が、感動の再会劇を繰り広げている。

「大ちゃん? ……怖い大ちゃんじゃない?」

「チルノちゃん、怖い夢見たんだね。 大丈夫、私はチルノちゃんに、何もしたりしないよ」

「そっか……良かった……」

「チルノちゃんっ!」

ぎゅうと抱きつく大妖精。

魔理沙は感極まったらしくハンカチで口を押さえているが。

霊夢は見てしまう。

チルノを抱きしめる大妖精。

その口が笑みに歪んでいるのを。目がドス黒く濁っているのを。

やっぱり此奴、確信犯でやっていやがったな。

だが、今それを指摘しても、藪蛇になるだけだ。多分魔理沙も、同じように反発するだろう。

同じように、霊夢も見たものに気付いたらしいアリスが、先に魔法の森に帰って行く。

霊夢は、後で何を持っていくか考えながら。

チルノがもう当面は無茶をしないようにと言う大妖精の言葉に、頷いているのを見ていた。

或いはチルノ自身。

自分が最強などではなく。

相当に無理をしていたのを、自覚していたのかも知れない。

それはそれで良い事だ。

此奴の行動には、冷や冷やさせられることが多かったからである。

魔理沙を促して、その場を離れる。

多分、大妖精の計画は全て完了したはず。

これ以上チルノが加害される事は無いだろう。

後で仕置きはしておきたいが。

どうやって仕置きするべきかは、思いつかない。

それに、だが。

「ひょっとして彼奴、私に見つけられる時間まで計算に入れていたのかも知れないわね」

「? 何の話だ」

「んーん、何でも無い」

「それより解決したんだし、酒でも飲もうぜ」

どうもそんな気分では無いのだが。

魔理沙は素直に喜んでいるようだし。

アリスも話をするのに、少し頭を整理する必要があるだろう。

一晩くらいは別に良いか。

そのまま博麗神社に引き上げる。

ともかく、今回は異変では無かった。

それに、事件も解決した。

霊夢の仕事は終わり。

仕事が終わったのなら。

酒くらいは、入れても別に罰は当たらないだろうと、霊夢は思った。

 

4、悪夢の真相

 

霊夢が土産に菓子を持ってアリスの所に出向くと。

アリスは何やら、本を見ながら魔法陣を書いているところだった。同時に多数の人形が、別の人形を組み立てている。

魔法の人形を作っている、という所か。

アリスは糸を使って多数の人形を操るのだが、それには魔法も介している。

糸だけで物理的に人形を操作しているわけではない。

流石に多数の人形を使って戦闘をするのに、手の指が十本では足りないし。

糸はあくまで媒介なのだろう。

案内も茶を出すのも人形がやってくれる。

アリスはずっと霊夢に背中を向けていたが。

新しい人形が完成すると、やっと此方に来て、席に着いた。丁度完璧なタイミングで、アリスにも人形が茶を淹れる。

意外にも、日本茶だった。

「それで、真相って」

「此方でも調べていたのだけれど、あの魔法陣。 明らかにチルノの夢の中に、大妖精の意識が侵入するためのものだったわ」

「それで獏が何も知らないって言っていたのね」

「ええ。 あくまでチルノの頭の中で全ては行われていたのだから」

要するにだ。

恐怖に震え上がっていたチルノの頭の中に。

大妖精の魂なり意識なりが、いたと言う事だ。

魔法陣を壊した事で、大妖精の所に意識は引き戻され。

チルノは恐怖から解放された、と言う事なのだろう。

それで問題は。

どうして大妖精がそんな事をしたか、だが。

チルノと抱き合っていたときの大妖精のあの笑顔。

明らかに、何もかもが上手く行った、という表情だった。

アリスも頷くと。

静かに、怖い話を始める。

長い時を生きている魔女らしい、怖い話を。

「人間にしてもそれに近しい存在にしても、情念というのは時にどんなものよりも恐ろしいものなのよ。 妖精はそもそも生物と違って子供を作って増える種族では無いし、殆ど女しかいない。 それでいながら精神構造は人間と似ているから、時にああいういびつな愛情関係が生まれるのでしょうね」

「よく分からないのだけれど」

「簡単に説明すると、大妖精がチルノの心を掌握するための計画だったと言う事よ」

大体は分かるのだが。

細かい所はぴんと来ない。

アリスが最初から説明してくれる。

そもそも大妖精は、周囲の証言を聞く限り、無茶ばかりするチルノのことを快く思っていなかった。

チルノのことが大好きだから。

無茶ばかりして。いずれチルノが無茶な相手に殺されるのは嫌だったのだろう。

此処までだったら親友らしい考えだ。

事実チルノは、幻想郷の閻魔に、やりたい放題暴れるのもいい加減にしろと説教されたことがあると聞いている。霊夢もたまに目に余ると感じていたし、まああの説教魔にしては妥当な説教だろう。

だが大妖精のチルノに対する独占欲が、其所からを歪ませていった。

「大妖精はね、チルノを死なせたくないだけでは無くて、心を全て独占したかったの」

「夢の中で怖がらせることがどうしてそれにつながるの」

「簡単よ。 思い切り怖い目にあわせて、大妖精はチルノに対して精神的な優位を確保したの。 今後、大妖精がチルノに「苦言」した場合、チルノは素直に従うでしょうね、今までと違って。 心に叩き込まれているもの。 大妖精が豹変して、悪鬼と化した姿がね」

「……そういう事」

アリスは元々色々と苦労してきていると、霊夢も聞いている。

素性についてはあまり詳しくは知らないけれど。

そもそもこんな所で孤独に暮らして。

同じ森に住んでいる魔理沙ともしょっちゅう喧嘩をして。

人間社会とも、気が向いたときにしか関わらない。

それは恐らく。

心というものが持つ、恐ろしい要素をたくさん見て来たから。

霊夢よりも、ずっとずっとたくさん。

「大妖精があの魔法陣の話を聞きに来たのは、もう何年も前。 霊夢、貴方が博麗の巫女になる前の話よ」

「!」

「恐らく紅魔館でアドバイスを受けたのも同時期の筈。 多分あの門番や、紅魔館の魔女は覚えてもいないでしょうね。 計画を何年も掛けて練って、そして都合が良いと思ったから実行に移した。 ……或いはチルノが無鉄砲な行動を止めるようなら、あんな事はしないで、じっくりチルノの心を掴んでいくつもりだったのかも知れないけれど。 チルノは最近も、無茶を止めないでしょう?」

「そうね。 確かに……」

少し前に、幻想郷の賢者の一人。摩多羅隠岐奈が、ある理由から異変を起こした事がある。

その時チルノは、ある理由から相当にパワーアップし。

この異変の解決に、積極的に首を突っ込んだ。

賢者相手にさえ。

力が強くなっていたとは言え、無茶な勝負を挑んでいくほどの向こう見ず。

多分、大妖精が行動を決意したのは、その時なのだろう。

アリスが茶のお代わりを人形に淹れさせる。

霊夢は、お代わりをする気にはなれなかった。

無言で、話を聞いていく。

「ねえ霊夢。 貴方大妖精の様子がおかしいことには気付いていたんでしょう?」

「ええ。 いつもチルノと一緒に遊んでいる連中はみんな知っていたわ。 時々大妖精がおかしいってね」

「それね、多分最初から」

「……」

アリスがにやりと笑う。

老獪な魔女の笑みだった。

「チルノと大妖精はそれなりの年月見て来たけれど、頭が悪いチルノはともかく、大妖精はそうじゃない。 妖精は無邪気だけれど、残酷なのは良く知っているわよね。 ましてや妖精の域を踏み外しかけている大妖精は、其所に知恵が加わっているの」

「チルノの方が例外、と言う事ね」

「そういう事よ。 大妖精は「大」妖精になった頃にはチルノに対する偏執的な独占欲を、もう自覚していて。 どうやっても、チルノを自分のものにする計画を進めていたのでしょうね」

嫌な話だ。

霊夢はいずれ誰かと結婚するかも知れない。しないかも知れない。今のところは計画はない。

だが、もし結婚したとしても。

誰かのものになるつもりはないし。

独占されるつもりもない。

逆に誰かを自分だけのものにしようとも思わないし。

独占しようとも思わない。

霊夢は貧乏巫女なんて言われているが。

実際に大金を手に入れたらどうするのだろう。大事に神社にしまって独占するのだろうか。

多分答えは否だ。

博麗神社の改修をしたりだとか。おいしいものを好きなだけ食べたりだとか。

色々と使って、最後には残らないだろう。

アリスに礼を言って家を出ると。

チルノとよく遊んでいるルーミアの所に行く。

ルーミアは霧の湖の近くに、闇に満ちた住処を持っている。霊夢や賢者しか知らない。ルーミアが元は大妖怪で、自分の意思で力と知恵を捨てたことを知っている者しか知らないとってきおきの隠れ家だ。

其所でなら、本音を聞くことが出来る。

ルーミアは普段、知恵も力も制限している。

限られた闇が濃い場所では、知恵だけは戻ってくる。

知恵だけだが。

古い時代は強い妖怪だったらしいルーミアは。

知恵も力も捨てる事で楽になったのだ。

ルーミアは壁に背中を預けて、面白くも無さそうにチョコをかじっていたが。

霊夢が空間を跳んで現れたのを見ると。

大きくため息をついた。

「大妖精とチルノは仲睦まじくやっている」

「そう。 あんたは今回の件、どれくらい掴んでいたの?」

「全く。 大妖精がチルノにおかしな目を向けているのは知っていたが、チルノが嫌がっていなかったからな。 関係性はそれぞれだ。 別に干渉するつもりは無い。 大妖精も、チルノを独占するつもりはあっても、チルノと一緒に私も含めた馬鹿な友達と遊ぶ事までは気にしないようだから、別にどうでも良い」

ドライな考えだ。

まあ、それなら全てが元の鞘に収まった、と言う事なのだろう。

ただ、今後チルノは大妖精に頭が上がるまい。

見た感じ、凄まじい恐怖を夢の中で味合わされていた様子だ。

逆らおうとしたら、その恐怖がフラッシュバックになって襲ってくる。

チルノも、それくらいは理解している筈で。

多分内心では、大妖精が何かして。

今後逆らえない事くらいは理解出来ているはずだ。

ルーミアが言う。

「私は心って奴がどうも嫌いでな。 バカになることを選んだ。 ああいう醜い心は嫌と言うほど見てきた。 自分自身の心の醜さもな」

「……」

「せいぜい気を付けるんだな。 お前は短期間で変わってきている。 いつか大事な存在が見つかったとき……お前もああなるかも知れない」

「気を付けるわ」

霊夢はルーミアの住処を後にすると。

博麗神社に戻る。

さて、後は藍辺りに全ての話をして終わりか。

どうせ忙しいだろうし、来た時に話せば良い。それに今回の件は、「大した問題」でもなかったのだ。

どこにでもあるありふれた狂気の話だったのだろう。

無言で茶を自分で淹れ、啜る。

酷く苦い味だった。

 

(終)