クロスライン

 

序、セプレンセスの動乱

 

セプレンセスとその島は呼ばれていた。大陸から比べると小さな規模の島であるが、人口は決して少なくなく、逆に多すぎるわけでもなく。楽園と呼ばれる気候を持つわけでもなく、逆に過酷すぎる自然の地でもなく。資源はごく普通に、土地のめぐみもごく平凡な。そしてこれが重要なのだが、大陸から遠すぎず、また近すぎなかった。

大陸に根を張っていた強大なる国家は、偉大なる文明の供給源であると同時に、圧倒的なる力を持つ侵略者でもあった。文化圏の中枢を流れる大河にちなみ、レドレルと呼ばれたその地は、幾度も国名を変えつつも、その周囲にある小国家群にとっては恩恵と脅威を変わらず同時に与え続けてきた。レドレルに近すぎる国は、幾度も蹂躙され、その傘下に組み込まれ、だが同時に文明の影響を色濃く受け発達も早い。一方で遠すぎる国は滅多に蹂躙されはしなかったが、同時に発達した文明が流れ込むのも遅い。セプレンセスは丁度遠くも近くもなかったため、適度にレドレルの文明を吸収し、また侵略の脅威に怯える事も滅多になかった。幾度かの戦乱を経つつも、比較的ゆったりとセプレンセスは発達していき、やがて独自の暦であるセプレンセス歴を持つに至る。この島が、対外的にもセプレンセスと呼ばれるようになったのも、暦が出来た頃だと言われている。

交通手段の発達により、レドレルに、より軍事寄りな特性を持つ(セッカース文明)が接触したのが、セプレンセス歴500年前後だと言われている。求心力を失い、乱れに乱れていたセプレンセスには、当時英雄がいた。後の(覇王)こと、ヴェローム=ポイントである。ヴェロームはセッカース文明の優れた武器を直ちに取り入れ、セプレンセス統一に大いに役立てた。周辺各国が二大文明に挟まれて右往左往しているうちに、偉大なる覇王の手によりレドレル、セッカース両文明の長所を手に入れたセプレンセスは、文明レベルの動乱期にも動じることなく、独自の発達を遂げていく事になった。

覇王ヴェロームは長き戦いの末にセプレンセスを統一すると、中央集権体制を取りつつも、安定の維持、君主の独走を押さえるシステムの構築に着手した。武において彼を支え続けた名将アンダルシスと、政務において彼を支え続けた名宰相タルカシ、両者の折衝役を務め続けたフラッカルに、それぞれ特殊な家名を与えたのである。アンダルシスには、平定を意味する横線ホリゾンタルラインを。タルカシには均等なる分割と分配を意味する縦線バーティカルラインを。そして、両者の折衝に当たるフラッカルには、交差線を意味するクロスラインを。これにはどれか一家の独走を防ぐのと同時に、軍事と政治の折衝役を設ける事によって、政務を円滑に行う意味があった。更に三家の上に立つ絶対者ポイント家が、平等に監視を行い、総合的な政治を運営していくのである。このシステムは発足当時大いに機能し、後の世で(クロスラインの平和)(クッション政策)等と呼ばれ、様々な国家において参考にされた。

しかし、時が流れゆくと、国家は腐敗していく。国家に必要なのは、システム以上に求心力なのだと、歴史は告げる。英雄が立てたシステムであろうと、それに例外は無し。如何なシステムであろうと、それを扱うのは人間なのである。

覇王の死後二百年。セプレンセスは大いに乱れていた。有名無実化したホリゾンタルライン家は、今の世では主家であるポイント家同様、無力な残骸とかしていた。バーティカルライン家に至っては、既に滅亡してしまっていた。

原因は、王家であるポイント家の求心力低下である。社会自体の衰退期に、腐敗とそれがもたらす弱体化が原因の失政が重なり、地方へ威光が届かなくなったのだ。それが決定的になったのは、セプレンセス辺縁部で起こった(スルラの乱)である。さほど大規模でもないこの反乱を迅速に鎮圧出来なかったホリゾンタルライン家は、自らの致命的な弱体化をセプレンセス全土へと示してしまった。ポイント家も、バーティカルライン家も、それにクロスライン家も、何も出来なかった。それを見た地方領主達は、元々腐敗に腐敗を重ねた中央に不満を持っていた事もあり、いまぞ我の世と、一斉に好き勝手な事を始めたのである。戦乱に火がつき、それはあっという間に全土へと拡大した。その過程で、バーティカルライン家は戦火の中へ滅び去っていった。

人間は基本的に力に従う。求心力無き政権など、誰の心も従えはしない。罰則が実行されぬ法など、誰もが無視する。法が理にかなおうと、無茶なものであろうと、同じ事である。なぜなら、人間とはその程度の動物であるからだ。人間を動かすのは、根本的には理性ではなく力なのである。政権に力が無くなれば混乱の時代が始まる事実が、それを証明している。むろん例外的な人間はいるが、それはあくまで例外に過ぎないのだ。

混乱期が始まって七十年。まだ、混乱と戦乱の時代に、統一の光は見えなかった。だが、一人の英雄が登場した事により、歴史は大きな転機を迎えようとしていた。

 

1,クロスライン家

 

「もりのなーかー、きれいなくうきー、ことりのはーねー、あおくかがやく♪」

陽気な歌声が、街道に響く。音程は合っていないし、リズムは無茶苦茶だが、聞く者はみんな愉快な気分になる。そんな歌だった。心底楽しそうに、手荷物を前後に振りながら(揺らしながら、ではない)歌っているのは、二十歳前後の女性である。若干粗末だけれど、よく手入れされている動きやすい服装に身を包んで、肩先まで伸びた髪の毛をゴムで大雑把にまとめている。腰からぶら下げているのは、セッカース文明の主要国の一つアルメキリア製のハンドガンである。セッカース文明とレドレル文明が激しく衝突した結果高度に進化した銃は、政情不安の現在は庶民にとっても必需品となっていた。

陽気な娘の後ろから、歩調を一切乱さず、無言のままついてくるのは、少し年下に見える青年だった。彼も似たように質素で実用第一な服を着込んで、背中には大きなリュックを背負っている。中肉中背の、何とも特徴のない顔立ちをした青年だが、寡黙さが醸し出す何とも言えぬ存在感があった。やがて、娘が青年に振り返った。

「ランディ、あとどのくらいだっけ?」

「そろそろ見えてくるはずだ、姉さん」

「オッケーっ! 張り切って行ってみよーっ!」

異様なテンションで一人盛り上がると、娘は拳を振り上げた。また歌いながら、街道を進む二人に、時々旅人が奇異の視線を向けるが、気にする様子はない。やがて二人は小高い丘にさしかかる。勾配はかなり急であったが、娘は平然と歌いながら前進した。

「山のむこうー、あおいーみずうみがー、いま眼下にー♪」

「……見えた」

娘が足を止め、追いついてきたランディがその隣で足を止めた。二人の眼下には、蒼い雄大な湖と、その周囲にへばりつくようにして広がる街の姿があった。湖からは太い川が流れ出し、川と湖の境界線には大きな水門が設けられている。何隻もの舟が行き来している其処は、クロスライン家のあまり広くない領土の中では、最大の規模を持つ都市であった。ロウミという名を持っていて、クロスライン家の屋敷も此処にある。娘はランディの肩を叩くと、自らは草の上に腰を下ろし、弁当を取り出しながら言った。

「ほい、荷物確認」

「依頼書、通行手形、仕事道具一式。 ……太るぞ」

「太ってもいいもーん。 てか、太らないもーん」

発育期の少年並みの食欲で、弁当を平らげながら、娘は遠めがねを取りだした。体型は均整が取れていて、肥満のひの字もない。ランディは多少眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

遠めがねを通して、娘は見た。クロスライン家の紋章である、十字の旗を。焦点を意味するポイント家は有名無実化してしまったが、縦線を意味するバーティカルライン家は滅びてしまったが、横線を意味するホリゾンタルライン家も滅亡寸前に追い込まれているが、それでも娘にとっては意味のある旗であった。なぜなら、仕事の依頼主であったからである。他にも幾つかの事項を確認して、娘はめがねから顔を離した。

「とりあえず、間に合ったみたいね」

娘の名はリレイ=オーバーフレイ。戦乱に喘ぎ、多くの猛者が跳梁跋扈するセプレンセスで、最強をうたわれるSPの一人であった。

 

ロウミの街は広く、普通の人間が欲しがるようなものなら大体何でも手に入れる事が可能である。リレイは街に入るなり、迷うことなくいきなり武具屋に足を運んだ。ランディは別行動で、既にここにはいない。神経質そうな店主が見つめる中、リレイは鼻歌交じりで弾丸を品定めし、壁に掛けられた幾つかの銃を見やる。

『弾丸は質が低いし、大したもんはないなあ。 うーん、来てよかったあ!』

心の中で呟くと、リレイは最も質が低い銃幾つかに狙いを絞って、品定めを始めた。リレイは、腕利きのSPには珍しい、粗悪品マニアであった。理由は幾つかあるのだが、兎に角リレイは粗悪品で使い物にならない銃が大好きだった。腰にぶら下げているのは超一級の名銃だが、それとこれとは話が別である。

現在、最も時代が激しく動いているのは、此処よりももう少し東の地方だ。其方にはこの時代でも有数の戦上手と呼ばれる名将達がしのぎを削り、また(鬼王)と呼ばれる英雄がじりじりと勢力を伸ばしつつある。彼らの膝元では、こんな質の低い銃はむしろなかなか手に入らないので、マニアには貴重な一瞬なのである。嬉々としながら、リレイは手元に、文字通りのゴミの山を造っていく。

『この弾、絶対に不発弾になるわ、素敵すぎ! うわお! これなんて、新品でさえ撃つと同時に三割が暴発すると言われた、幻の逸品、SPR9945! まさかこんな所で見つかるなんて! 銃身はさび付いてるは、グリップはがたついてるわ、安全装置は壊れてるわ、もう最高っ! 確実に、鉄屑よりも価値がないっ!』

満面の笑みで、絶大な満足を全身にたたえながら、リレイは精算を行う。それを見た店主は、訝しげにリレイの腰の銃と彼女が山盛りに差し出したクズ同然の製品を見比べながら、売り物を包んでいった。小首を傾げる店主に見送られて、再び荷物を振り回し気味にリレイは街を歩く。目的地は、クロスライン家の屋敷であった。(お宝)を手に入れたリレイは、再び人目も気にせず陽気に歌いつつ歩く。

「もりーをぬーけー、いくさきー、はるーかな、だいちーはー♪」

楽しく歌えるのだからそれで良い。奇異の視線や、嫌悪の視線はどうでも良い。問題は、それ以外の視線だった。屋敷にたどり着くまで、リレイは百を越す視線を浴びたが、そのうち幾つかしか注意を払うべきものはなかった。

屋敷の入り口で、当然のように門番に誰何はされたが、依頼書が物を言った。満面の笑みでリレイが屋敷にはいると、既にランディが待っていた。護衛の数人と、特別室に歩きながら、リレイは言う。

「で、こっちはどんな様子?」

「今まで二回ほど襲撃を受けたそうだ。 どちらもSPが何とか防いだそうだが」

「へーえ。 それは大変」

大げさに肩をすくめてみせるリレイ。おどけてはいるが、屋敷の中の構造を、歩きながら素早く頭の中に叩き込んでいく事を忘れない。この屋敷は、非常に雅な作りになっているが、防御力自体は決して高くない。塀は一応張り巡らされているが、さほど高くはないし、堀もない。この近くには多少の攻城戦にも耐え抜ける平城が一つ、少し離れた地点には、強固な塀と急斜面に護られた山城が一つあるのだが、そこへは殆ど依頼主は足を運ばないのだとも、ランディは言った。其方へ依頼主が移ってくれれば、リレイの手間は三十分の一くらいになるのだが、それは給料分と言う事で我慢するしかなかった。

ちなみに、平城というのは、平地に築かれた城である。山をそのまま要塞化した山城に比べて防御力は劣るが、街と結合する事により政務を執るのに非常に便利な性質を持っている。このため、最近は山城よりも人気が高く、名城と呼ばれる平城が多数建築されていた。そしてそう言った城の多くは、最新式の銃器の攻撃に余裕を持って耐え抜いた。

移動の途中、長い廊下の真ん中で、不意にリレイは立ち止まった。そして、街の方へ、手で銃の形を作ってみせる。そして、笑顔のまま、それを打つ動作をして見せた。

「ばきゅーん☆」

「……? あ、あの? リレイ様?」

「何でもないよ。 さ、ずずいっといこっか」

眉をひそめた護衛の肩を叩くと、リレイはさっさと依頼主が待つ部屋へと入っていった。宣戦布告は、これで充分だったからである。

 

クロスライン家の当主であるセヤ=クロスラインの名を知らぬ大人は、ロウミを含む中部セプレンセスには一人もいない。実質的な力があるわけでもなく、強大な軍事力を持つわけでもなく、類い希なる天才であるわけでもないのだが、セヤは非常に有名な男だった。

まだ二十歳を少し過ぎただけの青二才である彼を有名にしたのは、彼自身の業績ではなく、別の更に有名な人間との関係だった。通称鬼王。本名カール=ルヴァイトン。政戦共に非常にバランスが取れた能力を持つ英雄で、破竹の勢いで勢力を拡大、この乱世を終結させる要になりうると期待されている男である。このカールが、自らの大義名分として選んだのが、没落し勢力の減退に悩んでいたクロスライン家だったのだ。

幾つかの強国から圧迫されて悲鳴を上げていたセヤが泣きついてきたのを契機に、カールは周辺各国への侵攻を開始。破竹の勢いで周囲を切り従え、一気に勢力を増していった。鬼王はセヤにも充分な領土と富(彼から見て)を供与したのだが、そこで思考の齟齬が生じた。鬼王が渡してくれたものは、セヤが満足する分量ではなかったのである。客観的に見て、所詮旗印に使われている事が明白なセヤなのだから、鬼王が勢力を拡大した後、用済みに捨てられなかっただけましだともいえた。また、実力主義者である鬼王は、部下にも厳密な成果主義をもって当たっており、セヤは破格の待遇を得ていたとも言えた。

だが、セヤは満足せず、鬼王にさらなる(家柄に相応しい)報酬を要求した。それを言下に拒絶されると、彼は早まった行動に出た。鬼王を裏切った上に、名家という立場を利用し、鬼王を快く思わない各地の強豪達に、手紙による攻勢に出たのである。彼らを団結させて、鬼王を包囲し、叩きのめそうと考えたのだ。そしてこれがどういう訳か巧くいってしまったために、話がややこしくなった。現在鬼王は各地の強豪に包囲されて集中攻撃を受け、非常に苦しい立場に立たされている。中には本気でクロスライン家を敬っている者達もいたが、殆どは自分でも小首を傾げながら鬼王と戦っていた。

……以上が、現在中部セプレンセスで起こっている事であり、ある程度の知識人であれば誰でも知っている事情であった。農民や子供であっても、セヤが鬼王包囲網の立て役者という事だけは知っていた。出された茶菓子を旺盛な食欲で遠慮無く頬張りながら、リレイは眼前の、セヤという男を観察した。各地を回って仕事をしている彼女も、ランディも、無論この男を巡る状況の推移は知っていた。

年の頃は、情報通り二十歳前後。体つきは華奢で、なおかつ繊細な顔立ち。見ようによっては、美男子と言えないこともない。ただ全体的に生気が無く、喋りながら時々妙な笑いが言葉に混じる。また、無意味に高価な着衣、しかも時代遅れで非実用的な、に身を包み、動作は鈍重である。声は甲高く、ある種の鳥類に似ていた。言葉遣いが重厚な分、違和感はより強かった。

「というわけで、わしを護ってくれ。 報酬は惜しまぬでな」

「あー、はいはい。 きちんと報酬分の仕事はしますよ」

二つ返事で応えるリレイ。彼女は、結論以外聞いていなかった。ランディが鼻白んだセヤに、慌ててフォローを入れるが、そんな事などお構いなしに、リレイは言う。

「護るのは当然ですが、此方の指示にもある程度従って頂きます。 よろしいですか?」

「何だと?」

「何だと、って。 いつも通りの生活を維持していたら、速攻でぶっ殺されますよ。 狙ってきているのはプロなんでしょ?」

「わしは面倒くさい事は嫌いだ。 わしの生活を乱さずに、護衛を頼むぞ」

リレイはうんざりしきって、ランディに視線を移した。面倒くさいから交渉を任すという意味の行動である。ランディも少し何か言いたそうにしたが、結局は姉に押し切られて、セヤとの交渉に移った。

銃器が発達したこの時代、暗殺の手段は以前と変わりつつある。昔であればターゲットの側まで寄らなければ無理だった暗殺が、技量さえ身に付けばかなり遠くからの狙撃で出来るようになってきたからである。戦いの仕方もそれに伴って変わりつつあり、強豪は戦いの仕方自体を研究し、様々に実験していた。それを最も円滑に行っているのが鬼王で、弱兵で有名だった軍団を、一気に精強な精鋭に育て上げたのである。ただ、その彼の軍団であっても、百戦百勝というわけには行かなかった。ただし、同じ失敗は二度としない事でも有名だった。

古き物と新しき物が混じり合っている、過渡期が今である。長距離の狙撃が出来る銃がある一方で、古めかしい鎧を着て戦う者もいる。最新の銃器で武装した軍団であっても、百戦錬磨の名将が指揮を執る軍勢はなかなかうち崩せないし、最新の兵器を装備していた方が負ける事だって少なくない。マニュアルはまだ存在せず、誰もが試行錯誤しながら戦っている時代が、今なのだ。

ランディが必死に交渉しているのを横目で見ながら、お菓子を頬張りつつ、リレイは今後の戦略を練っていた。まず彼女が行ったのは、渡された資料に素早く目を通し、敵の性格や情況を出来るだけ把握していく事である。ざっと資料に目を通し、大体以下の事が分かってきた。

まず最初に、二回の襲撃は明らかに警告である。あまりにも手口がお粗末すぎる上に、暗殺者の影さえ目撃されているのである。これは要するに、暗殺を依頼した者の心当たりがセヤにある事も示している。この事項は、セプレンセスでも名高いリレイとランディが呼ばれた事からも裏付けられる。何しろ彼女たちオーバーフレイ姉弟の給料と来たら、大名達が鼻白む程の金額である。如何にセヤが両家のボンボンで阿呆であっても、おいそれと使おうと考えるような存在ではないのだ。つまりセヤには暗殺者を送ってきた相手の心当たりがあり、それが相当な強者であるという確信があるのだ。諜報や暗殺に長けた者を雇うのは、各地の強豪にとって必務であり、有能な者ほど強豪へと集まる傾向がある。リレイにも暗殺者の雇い主は数名に絞り込めるほどであるが、取り合えず此処でそれは関係がない。

そして一回目の襲撃と二回目の襲撃を比べると、明らかに後者の方が手口が巧妙化している。二回目に至っては、不幸なSPが重症を負ってもいるのだ。この様子からしても、暗殺者側は警告を終え、次に仕掛けてくると考えて良い。更に言うと、セヤには暗殺者を送ってきた相手、即ち恫喝を掛けてきた相手に屈する気がないと言う事も分かる。これは勇気と言うよりも、何かしらの計算があるからだと様々な事象から推測可能だ。

これは基本事項として、リレイは現状の資料に目を通した結果、狙撃現場の確認が必要だと結論を出した。隣を見ると、まだランディは交渉している。咳払いして、リレイは立ち上がり、二人へ言った。

「下調べしてきます。 ランディ、もう少し良い条件引き出しといて」

「姉さん、また勝手な」

「つべこべ言わなーい。 じゃ、そゆことで」

ひらひらと手を振ると、リレイは部屋の外へ出、待機していたSP長を招いて幾つか頼み事をした。セヤはリレイにとってもいけ好かない相手ではあったが、仕事の手を抜くわけには行かない。信用問題に関わるからである。

 

SP長はひげ面の大男で、最初リレイの頼みに渋い顔をしたが、やがて彼女を小さな部屋に通した。そしてテーブルを挟んで座り、部下に幾つかの品を出させた。ローロルと名乗ったSP長に笑顔を返して自己紹介しながら、リレイは極めて好意的な印象を頭の中で描いていた。

『あのボンボンよっか、コイツの方が扱いやすそうね』

「で、これが狙撃に使われた弾だ」

先が潰れている弾丸が二つと三つ、分けて転がされた。一つは血の臭いがした。どれも同じ種類の弾丸である。しばしそれを眺めやった後、リレイは地図を広げた。

「で、狙撃を受けた地点は?」

「最初が此処だ。 次が此処。 一回目は、塀を越えて逃げ去る人影をコイツが目撃してる。 二回目は、おそらく街から狙撃された。 幾つか街には高い建物があるから、狙撃地点はそのどれかだろう」

『……はて。 こんないい場所、残しとかないで良かったの?』

地図上で示された点は、リレイにしてみても不可解な地点だった。地図を丸めると、リレイはSP長を促して、実際に狙撃を受けた地点へ案内させた。一応熟練したSPであるから、ローロルの言った事に間違いはなく、弾痕からして一度目は城内から、二度目は城外から狙撃された事が明らかだった。弾丸の性質や、弾痕の深さから、リレイは狙撃の角度や距離も割り出す事が出来るのだ。取り合えず、内部に協力者が居るとしても、その者による射撃ではないと、リレイは結論した。念のため、不審者が逃げ去ったという辺りも調べてみたが、もうすっかり足跡は消えてしまっていた。髪の毛をかき回すと、リレイはSP長に振り返る。

「これ、長期戦になるかもよ」

「覚悟の上だが、どうしてそう思う」

「だってさ、この暗殺者、ものすごっくねちこい奴だもん。 あたしも来て正解だったかなー」

「……」

リレイにとっては普通の事であったが、SP長はとまどいを隠せない様子でその言葉を聞いた。弾痕や狙撃の手口等から、リレイは犯人が粘着気質の人間だと結論づけていたが、流石に普通の熟練で出来る判断ではない。それに、もう犯人の意図も分かっていた。要は絶好のポイントを多少消費した所で、仕留める自信があるのだ。しかも、実力が充分にそれを裏付けている。

休憩室に歩くリレイに、少し早足でSP長が追い着いてきた。彼は多少とまどいながら、リレイに後学のために、と前置きして聞いた。

「何故、貴方も来て正解なのだ?」

「ああ、あたしらは役割分担してんの。 弟はターゲットを的確に護る役。 あたしは主に、犯人を倒す役だわ。 並の相手なら、弟一人で充分なんだけどね」

「犯人を倒す?」

「ま、犯人を焦らせ、引っ張り出して、最終的に出来るだけ殺さないで確保する。 そーゆー仕事。 既に布石は幾つか打っといたから、後は根比べかな」

リレイは健康的に大笑いすると、そのまま休憩室へ入り、菓子を要求した。まだ食べるのかと顔に書いたSPに、後ろ手で先ほどから隠れて着いてきている子供をさす。

「んで、アレは誰?」

「ああ、あのお方ですか。 セヤ様の婚約者であられるタニヤ様です」

「ふーん」

下手くそな隠れ方で此方を伺っているのは、まだ七〜八歳の女の子である。結婚するには流石に早すぎるが、若いうちから婚約者を決めるのは、名家には良くある事であった。そういえばリレイも聞いた事があった。セヤには西国の雄、バランドアール家から娘が嫁ぐ予定だと。こわごわ此方を覗いているのは、好奇心の強そうな大きな目と、外にろくに出た事も無さそうな生白い肌が特徴の、特に美少女でもない普通の子供である。細くて、文字通り箸より重い物は持った事がない、といった雰囲気だった。ただ、顔の造作からして、十年後には絶世の美女になる可能性はあった。一応頭の隅に留め置くと、リレイは今後の対策を練るべく、再び菓子を口に放り込んだ。甘いお菓子は思考の源泉。同時に全ての食べ物は体力の源泉でもある。リレイは人並み外れた大食いであったが、それには仕事の内容も大きく影響していたのである。

ランディが戻ってきた頃には、陽はすっかり傾いていた。リレイも充分な策を練り終え、今度は単なる食欲を充たすために夕飯を口に運んでいた。貪り喰う姉を呆れた顔で見ながら、ランディは言った。

「ダメだ。 セヤ様は、自分が好きなように行動するそうだ」

「だろーね。 てか、いつもの事だし、予想通りだし」

「いや、今回は手強いぞ。 流石に当分は屋敷の中から出るつもりはないようだが」

ランディが手強いと言ったのは、有能な敵、無能な味方、双方である。不安を顔に湛える弟に、リレイはほほえみかけた。

「何、今回も行けるよ。 あたしら、二人で戦うんだから」

 

セヤの屋敷に招かれた者を監視していた暗殺者・クライドが思わず顔を上げていた。遠めがねをのぞき込んでいた彼は、相手が銃を撃つような動作を、正確に此方に向けてするのを見たのだ。そういえば、巫山戯た真似をした相手は、クライドが要注意人物として、本部の似顔絵で見た事のある相手とよく似ていた。現在最強をうたわれるSP、リレイ=オーバーフレイに。ノンポリだが超一級の使い手であり、各国の諜報組織からもマークされている凄腕である。

慄然とするクライドに、後ろに控えていた二人の同僚が歩み寄る。リーダーの名はバッサス、もう一人はサファセスという。狙撃手のクライド、現場の後始末をするサファセス、指揮全般と接近戦を担当するバッサス。無論それぞれが互いの仕事をカバーする事も出来る。現に、最初の二回の狙撃は、バッサスが担当した。この三人は、今までにも七回にわたって困難な暗殺を成し遂げてきた熟練のチームであり、作戦の成功率は同期の同僚達の中でトップになる。目に微妙な光を湛えながら、バッサスがクライドに問いかける。

「どうした、クライド」

「敵は護衛を呼んだようだ。 しかも、相当な強者を」

「ほほう。 誰だかは分かるか?」

「おそらくは、リレイ=オーバーフレイ」

バッサスとサファセスが顔を見合わせる。クライドも、この任務が今までとは比較にならない困難さを示すだろう事は、既に予感していた。

「もう少し距離を置いて監視した方が良いな。 この位置では危険だ」

「敵の視認が難しくなりますが、それでもよろしいですか?」

まだライフルにつける狙撃用の高性能スコープは開発されていない。無論各国は躍起になって開発しようとしているが、まだ長距離狙撃用のライフル自体がやっと出始めた武器のため、開発が追いついていないのが現状だ。よってスナイパー達は、皆何種かの遠めがねを改造してライフルにつけ、敵への狙いをつける手助けにしていた。ただし、そのために精度はどうしても低く、敵を撃つのには熟練の業が必要となったが。また、夜の狙撃も現在は非常に難しく、成功させた数名は仲間内でも伝説になっていた。今回の場合、セヤが夜に引きこもってしまう部屋は狙撃に不敵で、新しい伝説を造るのは不可能だった。

「かまわん。 持久戦になるやも知れぬが、確実に敵を仕留める」

バッサスの声には有無を言わせぬ響きがあり、クライドもサファセスも、一様に緊張を瞳に湛えたのだった。

 

2,最初の激突

 

時が止まる。リレイの目の前にいるのは、あまりにも親しい人だったからである。周囲に累々と転がる屍の中、ライフルを持って立ちつくす人影。唇を噛むと、リレイは拳を固め、絶叫した。左手で、今倒した敵の一人を放り捨てながら、視線は影にのみ注ぎ込む。

「この、おバカぁっ! 何を、何をしたのか分かってるの!?」

「分かってる」

「……そうか。 じゃあ、仕方がないよね」

腰を落とし、構えを取るリレイ。返り血を手の甲で拭い、ライフルを構え直す影。仕掛けたのは、一瞬だけ、影が早かった。音速を超す弾丸が、連続で虚空を貫く。二発、三発、四発。人間の反射速度で、ライフルの弾丸をかわせるわけがない。リレイは、相手の銃口と指の動きだけを見て、弾丸をかわすと言うよりもむしろ弾丸の軌道上から自分の体を外したのだ。

乾いた音を立てて、ライフルが跳ね上がった。嘘のような早さで距離を詰めたリレイが、掌底で跳ね上げたからである。そのまま彼女は流れるように影の脇腹を蹴り飛ばした。苦悶の声を上げつつ、影は死体の中に倒れ込んだが、すぐに跳ね起きる。噎せ返らん程に溢れかえる血の匂いの中で、影はナイフを引き抜いた。血だまりに気をつけながらじりじりと間合いを計る影。リレイは髪を掻き上げると、言う。

「アンタが、あたしに接近戦で勝てるとでも思ってるの?」

「勝たねばならない」

「ハン……ポリ持ちってのは大変だわね。 いーわよ、来なさい。 昔みたいに、力尽くで頭冷やしたげるわよ」

右手で挑発するリレイに、影は体を沈めると、飛びつくように躍りかかった。

 

大あくびをして、リレイは寝床から身を起こした。寝ぼけ眼をこすりながら、洗面所へ行って顔を洗い、歯を磨くと、SPの一人が早足で歩み寄ってきた。

「おはようございます、リレイ様」

「おはよー。 朝っぱらから御苦労様」

「ランディ様は、既に任務に就かれています」

「だろーねぇ。 ……やな夢見たわ」

タオルで顔を拭きながら、リレイは吐き捨てた。二年前の出来事を、先ほどまで彼女は夢に見ていた。おそらく生涯忘れる事はないだろう、最悪の出来事だった。

今日は任務開始から三日目に当たる。これまで、取り合えず敵は仕掛けては来ていないが、情況のさぐり合いは続いている。ランディはもう大体セヤの行動パターンを洗い終えており、今は(第二段階)へ移行していた。リレイにしても、そろそろ第二段階へ動く時であった。渡された新聞を見ると、鬼王包囲網南部戦線の様子が乗っていた。鬼王と交戦中のフライトハーヴ家はますます状況が悪化し、追いつめられていると記事には書かれている。まあ、多少大げさな表現だが、鬼王が優勢なのは複数の情報から総合的に判断して間違いのない事実だ。

新聞を読み終えると、SP達に頼んで、彼女は街の地図を引っ張り出した。幾つかある地図を見比べて、もう頭に入っている屋敷の立体図と比べていき、幾つかの地点を洗い出していく。その作業の過程で、しばしSPとリレイは話し込んだが、やがて不意にSPが敬礼した。リレイも釣られて視線を移すと、例の子供が二人を見上げていた。

「……なに、してるの?」

「これはタニヤ様、ご機嫌麗しゅう。 どうか、彼方で大人しくしていて下さいませ」

「機嫌なんて、よくないもん。 向こうで遊ぶの、もう飽きちゃったもん」

困った顔をするSPと拗ねてそっぽを向いてしまった子供を交互に見やると、リレイは少し考え込んだ。少し早いかも知れないが、仕掛けるチャンスかも知れなかった。腰をかがめて、相手と視線の高さを合わせると、リレイは出来るだけ優しく笑みを浮かべて見せた。

「ねえねえ、タニヤちゃん」

「リ、リレイ様!」

「……なに?」

困惑するSPを横目に、リレイは庶民が触れる事も許されない高貴な姫様の頭を撫でる。

「あたしが、遊んであげよっか?」

「ほ、ほんと?」

「うん、本当。 その代わり、御願いがあるんだけど」

タニヤの顔がぱっと明るくなった。反応からして、顔立ちとは裏腹に素直で寂しがりやな子供だった。姫の耳に口を寄せて、リレイは幾つか頼み事をした。タニヤはしばし頷いていた後、満面の笑顔で屋敷の奥へ駆けていった。困惑するSP。

「タニヤ様が、笑うのを見たのは久しぶりです」

「大事にしてあげないと、後で苦労する事になるわよー。 あ、そうそう、忘れてた忘れてた。 人を集めて。 用意して貰う物があるからね。 ランディにも、段階二へ移行って伝えといて」

SPに苦笑いを浮かべると、リレイは革手袋を取りだし、装着した。その目には、プライドを持つプロ特有の、鋭い光が宿っていた。

 

「リーダー、これを見てください」

狙撃手クライドが、遠めがねから視線を外して言う。呼ばれたバッサスは、遠めがねをのぞき込みながら、小さく息を漏らした。

「ほう。 第二ターゲットか」

「間違いありません」

今回、彼らは二回の恐喝を行った後、セヤが特定の政治声明を出さなかったら暗殺する事を命じられていた。セヤは恐喝に屈しなかったので、既に作戦は第二段階へ移行している。セヤには現在かなりの凄腕が護衛についていて、不意に狙撃の難易度が上がっていた。新しく来た護衛の一人は、明らかに元暗殺者で、狙撃手の狙いそうなポイントで逐一気をつけて警戒に当たっているのだ。流石にリレイ=オーバーフレイである。本人が直接警戒に当たらなくても、部下を動かすだけで充分に仕事の一端を果たしている。結果的に、敵には不意に隙が無くなり、攻めるのが格段に難しくなっていた。しかし、それでも打つ手はある。まず他の要人を暗殺した後、混乱に乗じてセヤを撃つのである。

今、遠めがねに映っているのは九割以上の確率でタニヤ=バランドアール。セヤの婚約者である。

バランドアール家は西国では最強と呼ばれる強国だが、新興の国家であり、家格や伝統という物がない。そのため、落ち目のクロスライン家に接近し、家格の向上を狙っているのである。他にも、タニヤは鬼王包囲網を形式上保っているセヤに取り入るための駒という意味もある。今後もしセヤが更に大きな勢力を持つようになったら、タニヤの側には側近と称した諜報員が派遣され、セヤの一挙一動をバランドアール家に報告する事になる。また、タニヤはいわゆる妾腹で、死んだ所でバランドアール家には大した損失がない駒だった。要はバランドアールにとって、保険の意味合いが強い存在なのである。実際問題、別にクロスライン家でなくても、権威のある家など幾つでもあるのだ。精力絶倫な現バランドアール家当主は、駒である子供を多数有しており、実際にポイント家にも娘を一人嫁がせていた。一方で、クロスライン家にとって、タニヤは本来重要な存在である。鬼王包囲網を形作る最有力の担い手と自分を結ぶ線であるし、大事にせねばならない相手だ。バランドアール家には保険に過ぎなくても、クロスライン家には伝家の宝刀になる存在なのだ。多少政治的な識見があれば、セヤはタニヤの重要性に気付くはずなのだが、度し難い愚か者はそんな事には微塵も気付かなかった。セヤは幼女愛好者ではなかったが、紳士的でもなかったのだ。

いずれにしてもはっきりしているのは、人間としてのタニヤの価値など、誰一人認めていないと言う事だ。現在狙っているクライド達にとっても、それは同じだった。

廊下を走り回って、タニヤは無邪気に遊んでいる。側にはSPが一人いるが、行動を咎めようとはしない。否、咎める権限がないのは明白だ。

「こんな狙撃しやすい地点に出てくるのは珍しいな」

「罠かも知れません」

「様子を探れ。 慎重にな」

クライドだけでなく、サファセスもすぐに遠めがねを設置し、屋敷を探り始めた。三十分ほどの調査で結論が出て、少し遠めがねをずらしつつ、クライドは言う。

「リーダー、これを」

「うむ、何だ?」

「どうやらこれが、第二ターゲットが放っておかれている原因かと」

遠めがねを覗いて、バッサスは唸った。この大事な時期に、緊張感無くセヤは屋外で詩会を行っていたからである。これは詩を吟じつつ宴会をするという遊びで、雅さを随所に取り入れた雰囲気が名家に人気である。見れば其方に殆どのSPが行っており、招かれた要人達の警護に当たっていた。無論詩会の情報はバッサスもつかんでいたが、屋内でやると思いこんでいたのだ。

「彼方を狙うのは……」

「成功の確率はかなり低いかと」

詩会を行ってる庭の周囲には木が沢山植えられており、似たような背格好の者が多数彷徨いている。今手元にある遠めがねの精度では、セヤを確実に見分けるのは難しいし、狙撃の成功率は極めて低くなる。

「おぅ」

「む、どうした?」

引き続きタニヤの監視に当たっていたサファセスが奇声を上げたので、思わずクライドはバッサスと共に振り返っていた。サファセスは以前頬に受けた傷が元で、喋るときに母音が延びる事が時々あった。

「此方はまたとぉないチャンスです。 見てくださぁい」

サファセスの言葉は本当であった。何とタニヤは廊下の真ん中で昼寝を開始してしまい、SPは二人に増えたものの、詩会の会場から持ち出した酒を飲み、陽気に笑っていたのである。呆れた話であったが、油断しきった相手をつつけば確実にパニックを引き起こせる。バッサスは挙手すると、顔を上げた二人に向け言った。

「良し、殺るぞ! 狙撃に最適な地点に移動する!」

クライドは一瞬躊躇したが、すぐに頭を振って雑念を追い払う。素早くサファセスが当たりを片づけ、三人は裏路地を主に利用しつつ、ロウミの街を移動していった。いつタニヤが昼寝から覚めるかは分からないし、時間との勝負である。何カ所か確保してある狙撃地点のうち、廃棄された小さな商館の二階へ移動すると、クライドは素早くライフルを組み立てた。そして、セットして照準を合わせる。まだタニヤは眠っており、SPは呑気にバカ騒ぎをしている。バッサスが手を挙げ、しかし命令を最後まで発する事が出来なかった。

「撃……!」

「たせるかあっ!」

鈍器を木の壁に叩き付けるような音が響いた。前のめりに吹っ飛んだバッサスが、朽ちかけた木の床に顔面からつっこむ。慌てて振り向くクライドと、拳銃を引き抜くサファセスの目に映ったのは、最悪の相手だった。

「り、リレイ=オーバーフレイ……!」

「間に合った間に合った。 なーんてね。 餌に引っかかってくれてご苦労さん」

不敵な笑みを浮かべながら、リレイ=オーバーフレイは、腰の拳銃を引き抜いた。

 

セヤが外で詩会を行うのにあわせ、敵を引っ張り出す策を練ったのはリレイだった。タニヤを狙撃しやすい情況をわざと造り、敵が狙撃に使うであろう地点を割り出し、そこで張り込んでいたのである。暗殺者達はかなりの手練れで、非常に上手く気配を消していたが、リレイからすれば手に取るように居る位置が分かった。後は叩き潰すだけであった。

敵の戦力は三人。他に増援が居ない事は、既に周囲を見回ってリレイ自身が確認した。そのうち一人は今蹴り倒して無力化したから、残りは狙撃手と、もう一人だけである。

リレイは絶大な接近戦闘能力を誇る。レドレル文明、セッカース文明、双方の武術をまんべんなく吸収して自己流にアレンジし、完成の域にまで高めた彼女は、接近戦に限定すれば地上でも最強の戦士の一人と言っても良かった。今左手にぶら下げている拳銃は、相手を威嚇するため及び、防御のために用いるのである。

「さあーて、さっさと片づけて、ちゃっちゃとお給金貰うわよー」

目を爛々と光らせて、倒れたままの敵をリレイは踏みつけた。それと同時に、狙撃手では無い方の一人が横に飛び、軍用拳銃を乱射する。狙いはいずれも正確だったが、それが却って災いした。いずれも撃つ瞬間を見きったリレイは、流れるように横へ動いてそれをかわしつつ、確実に敵へと間を詰める。敵との間を直線的に詰めるのではなく、横線の動きを基本として、斜めに距離を縮めていくのだ。だが、敵の力量は、リレイの予測を越えていた。敵の一人が拳銃を撃ち尽くすのと同時に、狙撃手が突貫してくる。そして片足を軸に、蹴りのラッシュを真横から見舞ってきたのである。いずれも重く鋭く、リレイは舌打ちして側転し、一旦距離を取った。

「クライド、助かったぁ!」

「撤退するぞ、増援を呼ばれたら厄介だ!」

クライドと呼ばれた狙撃手が、倒れている男に飛びつき、素早く担ぎ上げる。もう一人は拳銃に素早く弾を込めリレイに向けたが、それが命取りになった。残像を残すほどの早さで身を沈めたリレイが、敵が銃口を引く前に間合いを蹂躙し、鳩尾に掌底を叩き込んだからである。クライドと呼ばれる男は一瞬躊躇したが、諦めて撤退に移る。数歩蹈鞴を踏んで下がったもう一人は、壁に背中を付き、血走った目をリレイに向ける。彼は今の一撃で、銃を取り落としてしまっていた。

「お、おのれえええっ!」

「良い腕してる。 私の掌底受けて立ってるんだから、ほめたげるよ」

多少ふらつきながらも、男はナイフを引き抜いた。まともに今のが入っていれば、勝負はもうついていた。男は攻撃を受けた瞬間に下がる事で、威力を最大限に殺し、致命傷を避けたのだ。相当な使い手である事は一目瞭然であった。軍用ナイフの大振りな刃が、窓から差し込む光を浴びて鈍く輝く。男は刃先を揺らしながら、慎重に間合いを取り、喉を狙って連続して突きを繰り出した。床を踏みしだく音が連続して響き、リレイの肌を何度も凶暴な刃がかすめる。刃には得体の知れない液体が塗られており、傷つけば十二分に致命傷になりえる。何度か目の刺突の後、リレイは床の穴に足を突っこみ、体勢を崩した。

「おお、おおっとおぉ!」

「もらったあっ!」

響いたのは、肉に刃が突き刺さる音ではなく、骨が砕かれる音だった。リレイは体勢を崩すと見せかけて、敵の突貫を誘ったのである。穴に足をつっこみさえしたが、それは最初からフェイクだった。重心をかけていたのは逆の足だったのだ。ただ、あまりにも真に迫った芝居だったので、敵は見抜く事が出来なかった。

ナイフをかわし、突撃してきた敵の腕を取ると、自らの体に引きつけつつ膝蹴りを叩き込む。密着状態の上に相互加速で炸裂した膝蹴りは文字通りの破壊の鉄槌であった。鳩尾を痛烈な一撃に貫かれた男は悶絶し、そのまま力無く崩れ伏す。残りが逃げ去った事を確認したリレイは、遺留品を確認しつつ、意識を失った敵を縛り上げていった。

「ま、初戦はこんなモンっしょ」

手の埃を払いながら、リレイは獲物を引きずってその場を去った。戦いは始まったばかりであり、敵の実力に脅威を抱くにも、喜ぶにもまだ早かった。

 

ほぼ同時刻。酒を飲んで大笑いするSP達は、指定された時間が来た事に気付き、顔を見合わせた。彼らの側には、タニヤに背格好を似せた人形が転がっている。リレイに指示されたとおり即席で作った物であり、近くでは見られた物ではなかったが、リレイは満足げに頷いていた。

指定の通路で遊んだ後、昼寝していなさい。リレイはタニヤにそう頼んだ。SP達には、昼寝したタニヤを、丁度十分後に奥へ移動し、素早く人形とすり替えろとも指定を出した。

これは、敵が屋敷全体を監視出来る位置に陣取っている事、動きを止めたタニヤを発見し、移動して再び遠めがねを覗く時間、現在の遠めがねの精度では、一瞬では人形か人間か判別できないこと、なども換算してリレイが弾き出した作戦だった。SP達はそれも知らされていたが、いまいち納得する事が出来なかった。

「こんなもんで敵を誘い出せるのか?」

「さあ……」

小首を傾げていた彼らは、間もなくリレイが引きずってきた敵の一人を見て、慌てて認識を改める事となった。

 

3,夕闇の戦い

 

机の上に積まれた菓子パンが、見る間にリレイの腹の中へ消えていく。不思議そうにそれを見やるタニヤ。若干不安な様子で、二人を見比べるランディ。タニヤは非常に良くしつけされている子供で、二人の話に割り込もうとはしないし、遊びもせがまない。特にリレイが敵を捕縛して返ってきた後遊んであげてからは、言う事を良く聞くようになっていた。

「姉さん、少し食べるのを控えた方が」

「だまれ。 あたしの食事を遮る奴は、市中引き回しの末に獄門打ち首に処す」

「それを言うなら、打ち首獄門だ」

遙か昔に途絶えた制度に対するランディの指摘にも動じず、リレイは七つ目の菓子パンを平らげた。もう朝食は終わっているから、とてもお行儀が悪いのは事実だ。リレイは仕事中、一度に沢山食べる事はしないが、逆に少量ずつ間断なくいつまでも食べている。体に悪いのは明白だが、太る気配はないし、その上誰にも文句が言えない実績を上げているのだから、苦言を呈するのはランディだけだった。ただ、リレイは悪食で何でも平然と食べるので、食費はそれほどかからなかった。

セヤは朝もかなり遅くに起きてくるので、対策会議は毎回早朝に行われた。敵の一人を捕縛してから二日が過ぎたが、案の定捕虜は口を割らず、SP達の間には焦燥感が漂っている。リレイが目撃した敵のチームは三名だが、増援が追加される可能性は非常に高いのだ。一方でリレイもランディもいつも落ち着いていて、精神的な余裕をいつも崩さなかったので、ローロルを始めとするベテラン達は平静を保っていた。テーブルの上の菓子パンを、又一つつまみながら、リレイは不意に言った。

「で、どう? 返り忠やりそうな奴いる?」

「取り合えず、中枢部を護っている連中には問題がない」

「後は、依頼主がバカやらかさないかだけど」

「しばらく屋敷からでないとは言っている。 おそらく、今を凌ぎきれば何かあてがあるのだろう」

タニヤは菓子パンとリレイを何度も見比べていた。好奇心は強いが、実行する精神力に欠けるタイプだとリレイは分析していた。もっとも、そんな事は後天的に幾らでも補える。お行儀が悪い事を多少するのは、子供にとっては大事な儀式だ。ランディと今後の対策を練りながら、リレイはタニヤの事も思いやっていた。パンを半分千切ってタニヤに差し出すと、少女はおっかなびっくりそれを受け取り、しばしためらった後に口に入れた。残りをランディの口に無理矢理突っこみながら、リレイは言った。

「じゃ、次の段階に行くよ。 敵を、もちっと追いつめよう」

「具体的にどうする?」

「まず、わざと分かるように、狙撃に適当なポイントの周囲を巡回させる。 一チームは四人一組で。 それ以下だと、敵の力量から判断して、速攻で皆殺しにされる可能性があるからね」

「……ふむ。 敵の増援はどう思う?」

「来ないと思うよ」

パンの粉がついた指先を舐めながらリレイが言う。再びタニヤの前でお行儀が悪い事をする姉に、ランディは呆れて眉をひそめた。

「どうしてそう思う?」

「敵の一人、結構あたしとまともに戦ったから」

「……分かるように頼む」

「そんな事が出来るのは、多分大国の諜報部でも腕利き中の腕利きだろーね。 と言う事は、自分に、或いは自分たちに相当なプライド持ってるはず。 如何にあたしが居たからって、こんな簡単な任務に失敗して、助けを呼ぶなんてすぐにはできないよ」

さらりと言い捨てると、リレイは更に菓子パンを口に運んだ。これは彼女にとっては、単なる確認作業に等しかった。SPの一人が、ランディにセヤが起き出してきた事をつげ、リレイは弟を頬杖したまま見送った。その後、ローロルを呼び、先ほどの巡回任務を告げる。一瞬彼は眉をひそめたが、リレイが耳に何かを囁くと、納得して部下達に命令に向かった。

実際問題、彼女が此処まで自由に動けるのも、お坊ちゃんのお守りをランディがしていてくれるからである。ランディが居なくなってから、更に三つの菓子パンを胃袋に放り込んだ後、リレイはずっと隣にいたタニヤに言った。

「時間あるし、何かして遊ぶ?」

「えっ? 本当?」

「ホント。 で、何がいい?」

タニヤは羽打ち、と応えた。これは要するに、羽を丸めて造った球を掌大の板で交互に打ち合い、地面に落ちた方が負けというゲームである。球は素材からも飛行速度が遅く、それ故に上流階級の雅な遊びとして親しまれている。その特異性から、遊具には高い価値が付加され、球を打つ板には屋敷を買えるほどの値段が付く事さえある。逆に、そののんびりした展開から、軍人階級には全くと言っていいほど人気がない。二人は中庭に出ると、SPに道具を用意させて羽打ちに興じた。

リレイは別に名家に産まれたわけではないから羽打ちをやった事がなかったし、大体球技全般は非常に苦手な分野に入ったので、中庭で実戦の時のような華麗な動きを見せる事が出来なかった。一方でタニヤもそれほど上手ではなかったが、のたのた動き回りつつも的確に球を拾う事だけは出来たので、失点は少なかった。レベルの低い戦いが延々と続き、SPが時々苦笑する中、リレイは負けに負けて大いに笑った。

「あははは、タニヤちゃん、強い強い」

「リレイさま、負けたのに凄く楽しそう」

「まあね。 アンタもやる?」

「い、いえ。 結構です」

突然話を振られたSPは困惑して首を横に振った。もう一ゲームする事に決めて、最初の一打を打ちながら、リレイは言う。

「羽打ち、好き?」

「はい」

羽打ちの球は柔らかく、打ったときも殆ど音がしない。二度、三度とラリーしながら、リレイは言葉を続けた。ゲームの展開は、嫌になるほど遅い。

「沢山遊ぶの、久しぶり?」

「はい」

『……可哀想な子。 でも、生まれが生まれだし、ある程度は仕方がないか』

高く跳ね上げた球を取り損ねて、タニヤが転んだ。激しく転倒するという表現ではなく、地面に柔らかく軟着陸したという表現が正しい。怪我しないなと言うのが、一目で分かる転び方である。気が強そうな顔立ちをしているのに、性格と言い動作と言い、容姿と完璧にまで正反対な子供であった。助け起こしたリレイは、埃を払ってあげながら言った。

「だいじょぶ?」

「はい」

「痛かったら、泣いて良いのに」

「……」

タニヤも、リレイも、それ以上は何も言わなかった。のんびりとしたゲームが再開した。

 

それから、二日は特に何も起こらなかった。相変わらずセヤは自堕落な生活を繰り返し、タニヤには会いにも来なかった。各地の強豪に様々な手紙を送るほかには、様々な(雅な)遊びに興じるばかりで、政務は部下に押しつけっぱなしである。現在、ロウミ周辺の治安が安定しているのは、単に政務を執り慣れた小利口な部下が少しいるからに他ならなかった。正に砂上の楼閣と言うに相応しい情況だった。

特に敵が仕掛けてくる様子もなく、それから数日、リレイはタニヤとの球打ちに興じた。もう敵を一人捕獲している事、毎朝の会議できちんと方針をSP長に伝えている事、等から、誰もそれを咎める者はいなかった。セヤに至っては、先の恐喝の際には右往左往していた部下達が、一様に落ち着いているので、満足しきっている有様だった。

リレイは舌なめずりして、何打か目の球を打ち返しながら呟いた。何ゲームか消化した結果、時刻は夕方になろうとしていた。

「さあて、そろそろかな?」

不意にリレイが動きを止め、球が地面に落ちた。SPが不審を感じて駆け寄ってくる。板を彼に預けると、リレイは仕事をするときの鋭い目つきで言った。

「姫様見てて」

「は、はあ。 何か起こりましたか?」

「気付かない? SPが今、二人無力化された。 敵が侵入したみたいだよ。 さーて、お掃除しに行きますか」

 

潜伏先の廃屋で背中をさすりながら、バッサスは呻いていた。リレイ=オーバーフレイに蹴り倒された際のダメージはかなり深刻で、三日経った今でもかなりの激痛が背中に残っていた。噂通りの戦闘能力を、体に直に見せつけられていた。

リレイ=オーバーフレイの素性は、彼らの間でも諸説ある。滅び去った名家の娘だとか、街道場の跡取りだとか、逆にポイント家の御落胤等という物さえあった。はっきりしているのは、この娘が接近戦に関しては超一級の使い手だと言う事、ノンポリである事、更にはフリーで誰の元にもつかないと言う事、等である。多種多様な価値観が錯綜し、群雄割拠のこの時代、ノンポリの実力者は珍しくないが、この娘ほど徹底している場合は少ない。鬼王やバランドアール家にも何度かスカウトされ、その度に断っているという事実は、もはや笑い話の一つにもなっている。嘲笑を跳ね返すように、淡々と強く、暗殺をはねのけていく。それがリレイ=オーバーフレイという存在だった。

「いつつつつ……あのメスガキが……」

忌々しげに吐き捨て、バッサスは立ち上がる。机の上には、巡回を開始した兵士やSPの移動経路が書かれていて、それは絶望的な結果ばかりを生みだしていた。兎に角よく考えられた巡回路で、今まで狙撃に使えた場所の殆どを押さえられている。地の利があるという強みを、最大限に生かされていた。

クライドが戻ってきた。バッサスの忌々しげな視線を受けて、狙撃手は敬礼する。

「リーダー、戻りました」

「どうだった、様子は」

「最悪ですね。 おそらく、もう狙撃は無理かも知れません」

しばしの沈黙の後、大きく息を吐き出して、バッサスは椅子に沈んだ。クライドは、その様を見ながら言う。

「一旦戻って、増援を呼ぶべきではありませんか?」

「ならん! 主の期待を裏切る事になる」

「正直、私は最初から嫌な任務でした。 だって、これではあまりにも」

「それでも任務を遂行するのがプロだ。 自分はプロだという誇りを持て」

バッサスにしてみても、気分がいい仕事ではない。だが、此処は何としても、クライドを納得させなければならなかった。それがリーダーの仕事だからである。頭を振って、多少不満げながらも黙り込んだクライドに、バッサスは言った。

「……止むをえん。 セヤを直接狙うぞ。 SPが一番多く外に出る夕刻を狙い、中へ侵入、セヤを狙う」

「上手くいきますでしょうか」

「セヤは私が狙う。 クライド、お前は私が敵を引きつけている間に、サファセスを助けろ。 三人で生きて帰ろう」

体は完全ではなかったが、やらねばならなかった。バッサスの戦闘力は、サファセスを更に上回る。先日は不意打ちの前に不覚を取ったが、今度は邪魔が入る前にセヤを倒す自身があった。否、此処で倒さねばならなかったのだ。仲間想いのクライドのやる気を出させるためにも、多少危険な任務に自らの身を晒す事は仕方がなかった。

その後は、地図上での細かい打ち合わせが続いた。そして二人が屋敷の前にたどり着いたのは、夕刻少し前の事だった。

「死ぬなよ、クライド」

「リーダーこそ。 生きて会いましょう」

二人は頷きあうと、まずバッサスが屋敷に躍り込んだ。気配を出来るだけ消し、もっとも人に見られる可能性が低い場所から、的確に。陽が沈み、辺りは着実に暗くなって行く。薄闇の中、バッサスは遮蔽物を利し、駆けた。背中の痛みは、任務のもたらす心地よい緊張感の中、消え失せていた。

 

セヤが机に向かい、一心不乱に書き物をしていた。その脇にいるローロルと、壁に背を預けて目をつぶり、辺りに注意を払い続けているランディ。その場にあったのは、筆が紙の上を滑る音のみであったが、ランディが別の音を加えた。

「……来た」

「まさか、暗殺者か!?」

「ああ。 数は二人。 一人は此方へ向かっている。 依頼主を頼む。 俺は不意をつく」

言葉短に言うと、ランディは右往左往するセヤを後目に、ナイフを引き抜いた。元々狙撃が専門の彼だが、リレイに鍛えられてまず一級と言っていい接近戦闘能力を身につけている。姉には流石に数段見劣りするが、それでもその辺の敵にはまず負けなかった。ローロルも流石に慣れたもので、セヤを庇いながら、じりじりと壁際へ後退していった。無論途中部下を呼んだが、部屋の外で待機しているはずの二人はいつまで経っても現れなかった。

次の瞬間、戸が蹴り開けられた。同時に黒い塊が部屋に飛び込んでくる。ローロルがナイフを投げつけるが、そもそもそれは陽動だった。最初に部屋に入ってきたのは、外で待機していたSPの一人だったのである。しかも、もう事切れていた。

間髪おかず、本命が部屋に乱入してきた。それは紛れもなく暗殺者であり、しかしローロルの反応が早い。拳銃を抜きはなった暗殺者に向け、素早く三度発砲した。火花が散り、敵は素早く横に飛んで致命傷を避けたが、しかし拳銃を叩き落とされていた。だが、次は暗殺者の番だった。暗殺者は間合いを詰めつつ、ローロルに向けナイフを叩き付けた。巨漢は拳銃を叩き落とされ、彼ではなくセヤが無様な悲鳴を上げた。更に二本のナイフを袖口から取りだした暗殺者が、連続してローロルへそれを放った。ナイフは異様な色の液体にまみれており、ガードポーズを取って致命傷を避けたローロルの巨体が、かすり傷なのに力無く床へ沈む。

「ひ、ひいいっ!」

「死ね!」

更に暗殺者が二本のナイフを抜き出し、躍り上がってセヤに突き立てようとするが、それは出来なかった。今の攻防の隙に、死角へ回り込んでいたランディが、回し蹴りを叩き付けたからである。慌てて態勢を低くする暗殺者に、ランディは続けざまの蹴りを放った。舌打ちした暗殺者は、ランディと挟み込む形で、ナイフを二本セヤへ叩き付ける。しかしそれを読んでいたランディは即座に距離を詰め、ナイフを左右へ振るった。投擲したどちらの刃も叩き落とされたのを見て、暗殺者は舌打ちした。

「おのれ……!」

言葉を発しつつ、もう暗殺者は動いていた。体ごとランディにぶつかっていき、新しく取りだしたナイフを鎖骨の下へ貫き入れようとする。ランディは敵の行動を見て、ナイフを振り、その柄で敵の刃を受け止め、残った左手で相手の顔面を狙う。だが同時に敵も前蹴りを放っており、二人は同時に互いのカウンターを貰ってくぐもった声を漏らした。

ようやく次の瞬間、複数の足音が部屋に迫ってきた。暗殺者は無理矢理ランディをもぎ離すと、窓を蹴破って外へ逃げ去っていった。大きく肩で息をつきながら、ランディは床に倒れ込んだ。肋骨を二本へし折られていたが、相手の鼻骨も砕いていた。部屋に入り込んできたSPに、冷静な声でランディは指示した。

「二人は追跡しろ、ただし屋敷の外に出たら追う必要はない。 残りは周囲をまわって警戒に当たれ」

「はっ!」

脂汗を背中に流しながら、ランディは床に転がっているナイフを見て、すぐに毒物を特定した。元暗殺者であるランディには毒物の知識も、解毒の知識もあった。かなり危険な毒物だが、今処置すればどうと言う事もない。冷静なランディや、苦痛の声一つ漏らさないローロルと違い、無様に慌て続けるセヤはおろおろするばかりだった。一応ローロルに刺さったナイフも確認し、毒物が同じだと断定すると、ランディはすぐに解毒剤を懐から取りだした。

「何と言う事だ、何と言う事だ。 このわしが、クロスラインの当主であるわしが、下賤な者に殺されようとするとは」

『依頼主よ。 貴方はそんな覚悟で、危険すぎる相手に喧嘩を売っていたのか』

心の中で毒づくと、ランディは後をSP達に任せて、肋骨の手当をすべくその部屋を後にした。

 

クライドは騒ぎに紛れ、闇の中を疾走していた。出来るだけ騒ぎの中心から離れ、音を殺しながら屋根づたいに走る。そして、幾つか見当をつけておいた所を周り、三つ目で僚友を見つけた。サファセスは縛られて小さな倉庫に監禁されており、天窓からその様子を確認したクライドは、周囲を見渡して救出作戦に移ろうとしたが、それはかなわなかった。不幸な事に、次の瞬間補足されたのである。

真上から振ってきた一撃を、横に転がってかわす。瓦を砕いた一撃に、背筋が寒くなるクライドであったが、敵は戦慄する暇など与えてはくれなかった。更に放たれた第二撃が、彼の手から拳銃をはねとばす。人差し指を引き金にかけていたら、へし折られていた事が疑いない。強烈なしびれを手に覚えながらも、跳ね起きたクライドの目に飛び込んできたのは、満月を背に仁王立ちする、リレイ=オーバーフレイだった。

「予想通り、こっちにも一人来たね。 重畳至極♪」

「予想通り、だと?」

「わざと警備を薄くしてあげたの、なんでだと思ってるの?」

それだけで、クライドは事態を悟っていた。彼もバッサスも、敵の掌の上で踊らされていたのだ。敵の選択肢を削り取り、追いつめていく。真に恐ろしい策略家が、彼の目の前にいた。ぎりぎりと奥歯をかみしめつつも、必死にクライドは生き残るために策を練った。

「こっちにも一人と言う事は、良いのか? 向こうへ行った男は、俺より強いぞ」

「だから何? まあ、素の状態ならともかく、あたしが蹴り入れた訳だし、一人で充分でしょ」

「他にも二人、向こうへ向かった、と言ったら?」

「ごめんねえ、もう底割れてるんだわ。 ひっかかりませんよーだ」

敵は何とも哀れそうに、手を横に振った。クライドはじりじりと後退し、何とか逃げられる所まで下がろうとしたが、隙がまるでないので今の時点では無理だった。ナイフを引き抜いたのは、殆ど無意識的な行動だった。

「逃げ切ってやる……!」

「よく分かるよ、その気持ち。 でもねえ、あんたに殺された人達だって、そう考えてたって、分かってるよね」

言われるまでもない事だった。クライドは半ば自暴自棄になり、自分より若干背が低い死神に突貫していった。

瓦を砕くよりも鈍く、痛烈な一撃が、クライドの側頭部を捕らえた。轟音と共に放たれた飛び後ろ回し蹴りであった。受け身を取る暇もなかった。狙撃手の意識は、風を受けた綿毛のように吹き飛んでいた。

 

4,プロの意地

 

暗い土手の上で、リレイは隣に声を掛けた。丁度今、叩きのめした相手に。

「ねえ、なんで暗殺者なんかになったわけ?」

「……」

「黙ってちゃ、分からない」

「……姉さん達が、このままじゃあ不憫すぎるからだ」

倒した相手、ランディ=オーバーフレイはそう言った。リレイは小首を傾げて、その続きをせがむ。

「……此処の領主が、どんな奴かは知ってるだろ?」

「まあ、あたしら貧乏人は痛めつけ、金持ちからはむしり取るって奴だね」

「しかも民衆の力を削ぐのに長けていて、保身の技術だけは誰よりも上手い」

「だから、暗殺。 そうか、まあ、確かにそれも一つの手ではあるね」

パンを一つ千切って、リレイは弟に差し出した。血みどろの手で受け取るのを確認すると、リレイは言った。

「まあ、あんな奴は死んだ方がいいとは、私も思う」

「なら、どうして邪魔をする」

「奴一人を殺してさ、何か解決するわけ?」

「彼奴がいなければ、この国は……」

「さあーて、それはどうだろね。 あたしは彼奴の側で警護したから、良く知ってるけど、そんな大したタマじゃないよ、あれは。 まあ、確かに一人の手腕で国をどうこうするってバケモンも実在はしてるよ。 でも、あれは違う。 あれには、其処までの力はない」

パンを口に押し込む姉を、倒れたままランディは見た。懐から新しいパンを取り出すと、リレイは粉チーズを振りかけながら言った。奇妙な食べ方だが、幼少時からの好みである。

「この国を実質的に動かしてるのは、むしろ貴族達だよ。 で、貴族共が一体何人居るか知ってる? ついでにその貴族を殺した所で、代わりが際限なく出てくるだけだよ?」

「……」

「ねえランディ。 国を変えるなら、まず個人の力じゃなくて、もっと大きな力を身につけたら? その力がみんなの為になるんなら、みんなついてきてくれるよ。 一番大きな力を持っているのは、結局民衆なんだから。 そして民衆を上手く味方につければ、誰も逆らえない最強の力が手に入る。 それで根本からぶっ壊すも良し、上の人間共を大掃除するも良し。 国を正しく動かすってのは、結局力を正しく使うって事だからね。 それが出来る国は栄えるし、出来ない国は一時期栄えても、いずれは滅ぶ。 父さんが言ってた事、忘れちゃった?」

リレイはランディの返事を待たずに、パンを自分の口に押し込んだ。長い長い沈黙の後、ランディは言う。

「……姉さん、姉さんはこれからどうするんだ?」

「私はフリーでSP続ける。 今回は失敗しちゃったけど、ま、じきに取り返していけばいいし」

「すまない」

「なーに、気にしてないよ。 ただ、覚えといて。 暗殺で国は良くならないってのは、事実だからね。 んなことしたって、結局下へしわ寄せが行くだけだし、時代が逆行するだけなんだから」

静かに暖かくリレイは笑った。ボロボロになった体を起こしながら、ランディは言う。

「俺は……どうしたら良いんだろう」

「器にあった事をすりゃあいいよ。 それが小さかろうが、他人にどうこう言われる筋合いなんて無い。 他人の器が小さい事をバカにするような奴自体が、そもそも器がないんだから。 それに、小さな器の個人が沢山居るから、世界は成り立ってるんだから」

しばしの間の後、ランディは言った。目からは涙が伝っていた。

「……姉さんの所で、やり直したい」

「そっか。 じゃ、今日殺した人達の分も頑張ろうか。 あたしも、一緒に背負ってあげるから」

リレイは、涙を流す弟の肩を優しく叩いたのだった。今より、二年前の出来事である。

 

リレイの言葉は当たった。暗殺によって暴君は死んだが、結局首がすげ変わっただけとなり、さらなる苛政が全土にしかれたのである。国は立ち直ることなく、何度かの戦いの後、鬼王が大軍で押し寄せ、力尽くで腐敗した旧権力階級を一掃、後に極めて合理的な善政を敷いた事によって、ようやく安定の時が来た。人間とは、単純にそう言う生物だった。

 

「おはよー」

寝ぼけ眼でリレイが片手を上げて挨拶する。席には既にランディと、副SP長のブラブトがいた。ローロルはベッドにダウンしており、ランディも顔色はあまり良くない。禿頭のブラブトは、礼儀正しくリレイに頭を下げた。もうリレイの実績は、SP達皆が認めるものとなっていた。

「おはようございます、リレイ様」

「依頼主は?」

「まだ寝ておいでです」

「なら大丈夫だわ。 ランディ、引き続き頼むよ」

リレイの言葉に、ランディは少し青い顔で頷いたが、小首を傾げたのはブラブトである。

「敵の戦力は著しく低下しました。 しばらくは安全なのでは?」

「昨日戦ってみて分かったんだけど、最初に狙撃してきた奴、まだ捕まえてない」

「はい?」

「最も粘着質な敵が、まだしぶとく残ってる。 何してくるか分からないから、気抜かないでね。 それにしても参ったな。 性格からして、粘着質がリーダーじゃないと思ってたんだけど」

リレイの表情には、いつにない焦燥があった。理性を持ち、倫理的な行動をしてくる相手は扱いやすいが、手強いのは非理性的に無茶な行動をする相手だ。今までの相手は理性を持ち、最も有効な策を実行してきたから、却って手玉に取る事が出来た。だが、今後はそうならない可能性が高い。

昨日の戦いで、SPが二人殉職、二人が重症を負った。ローロルとの打ち合わせが上手くいかず、配置がまずかったため、敵の進入路と重なってしまったからだ。更に今後、下手をすると敵は自暴自棄の無差別攻撃を仕掛けてくる可能性がある。彼らの事も考えると、リレイはそれなりの落とし前をつけねばならなかった。

「一応、敵を追いつめる算段を取ろう」

「……いや、あたしに考えがある」

プロの目つきで、リレイが立ち上がった。そして、二人を見回しながら言う。

「屋敷の警備を強化して。 出来るだけ、依頼主を狙撃可能な位置に出さないで」

「それは何とかする。 依頼主も怯えているし、暫くは言う事を聞くだろう」

「姫様からも、目を離さないようにね」

ランディが、顔を上げた。気付いた事が、如実に顔に出ていた。

「姉さん、囮になるつもりか」

「まあね」

「危険ですぞ」

「なーに、この仕事、危険だ安全だ言ってたら、やってらんないって♪」

 

タニヤがのたのたと鈍重に駆け寄ってきた。腰を落として抱きしめると、リレイは満面の笑みを浮かべる。

「羽打ち、する?」

「はい!」

タニヤは、良い笑顔が出来るようになってきていた。しかし、リレイの胸中は複雑だった。この娘の境遇は知っているが、全面的に同情するわけには行かなかったからである。温かいご飯を毎日食べる事が出来、暖かい家に住む事が出来る。それだけでも、この娘は充分に幸せだからだ。

格闘技や戦闘術とは異なり、球を使う遊びは、どれだけ練習してもさっぱり上手にならない。これはリレイにとって普遍的な事だった。要は、単純に興味が湧かないのである。タニヤはもたもた動きまわりながらも、それでも少しずつ上手くなっているので、遊ぶたびにリレイはますます劣勢になっていた。しかし、リレイにしてみれば、タニヤが心底楽しそうに笑う姿を見る事が出来たので、それで充分だった。

「タニヤちゃん、楽しい?」

「はい!」

「セヤ様、好き?」

球が地面に落ちた。タニヤはしばしためらった後、首を横に振った。リレイは球を拾い上げると、タニヤの頭を撫でた。

「それで良いよ。 あたしはいつまでも此処には居ないけど、信頼出来る人を誰か一人造って。 凄く楽になるから」

昼過ぎに、リレイは屋敷を出た。相手を倒すか、倒されるか、一か八かの覚悟を決めて。

 

「畜生、畜生、メスガキがああああっ!」

アジトにしている廃屋で、バッサスが呻いていた。鼻骨を砕かれ、クライドは戻らず、もう彼には絶望しかなかった。絶望を憎悪に変換し、敵に叩き付ける事でしか、もう精神の均衡を保てなかった。

元々彼は、リーダーとしてはそこそこに有能だったが、個人の戦士としては問題が多い男だった。粘着質過ぎる性格は、不必要な拘泥を産み、それで失敗した作戦が何回かあった。しかし部下を任せると途端に責任感が生じ、自分の粘着性を消して任務に従事出来たので、上層部も重宝して使ってくれた。しかし任務に失敗したばかりか、部下達を失ってしまった今、どの面下げて帰れるというのか。数度罪がない机を殴りつけた後、バッサスは血走った目でライフルをひっつかみ、廃屋を出た。乱暴にライフルを布で包むと、そのまま裏路地を使い、屋敷へと向かう。かくなる上は、一人でも多く敵を道連れにするだけの事であった。

もはや自暴自棄であったバッサスだが、それでもSPの巡回路は的確に避け、裏路地を最短距離で進んでいく。殺気を押し殺し、絶望をひねり殺し、彼は歩く。やがて、彼は、屋敷の正門近くへ出た。整った呼吸のまま、彼は塀に進もうとし、そして足を止めた。

リレイだった。リレイ=オーバーフレイが、屋敷の正門前でフラフラしているのだ。手にはなにやら籠を持ち、愉快そうにスキップしている。この瞬間、バッサスの理性は消し飛んでいた。

『殺してやる!』

目の前にいるのは、仲間も未来も全て奪った相手だった。バッサスは、静かだが極大なる怒りをたぎらせ、静かにリレイの後をつけ始めた。

 

『……食いついた』

心中で呟いたリレイは、街へと歩き始めた。一瞬だけ、強烈な殺気を感じたのだ。それが何を意味するか、彼女には明らかだった。屋敷の周りを彷徨いていたかいがあったというものである。敵がもっとも憎んでいるリレイ自身を餌にしただけあり、敵は景気よく食いついてきてくれた。

取り合えず、町中で勝負をつける気はなかった。更には、町中で隙を作るわけにも行かなかった。そのまま、意図的に速度を調整しつつ、少しずつ体を揺らして直線運動を避けながら郊外へと移動していく。人通りは適当に多い所を選び、軽やかな歩調で、歌いながら。

「ともーは、たからー、わたしのー、たからー♪ てをつないでー、どこまででもー、あるけーるー♪」

敵は巧妙に隠れているが、そろそろ殺気を押さえるのが限界に近くなってきている。呑気に歌っているのも、より怒らせるためである。相手のプロの意地が、理性をいつまで押さえられるかが、勝負所だった。

やがて、敵は仕掛けてこないまま、郊外へ出た。誰もいない此処なら、決戦場として理想的である。鬱蒼とした森が辺りには広がり、心地よい空気を一杯に吸い込むと、リレイは言った。

「勝負、つけよっか?」

「望む所だ……!」

殺気が爆発した。同時に、ライフルを撃ち放つ音が響いた。

 

敵が、リレイ=オーバーフレイが挑発している事は、バッサスも分かっていた。百も承知で、その挑発に乗ったのである。バッサスが唯一気をつけたのは、伏兵の存在であるが、それも今のところ感じられない。裏路地を、殺気を押し殺して進みながら、バッサスは駆ける。リレイを殺す事だけに、情熱の全てを注ぎ込みながら。

彼を動かしているのは、復讐心ともう一つ、プロとしての意地だった。リレイを殺せば、セヤを倒せる可能性がまた出てくるのだ。リレイと、昨日戦ったもう一人を除けば、敵に大した人材は居ない。リレイを殺せば、任務を達成するチャンスが出てくる。そう言い聞かせて、バッサスは復讐心を正当化していた。何にしても、燃えたぎる復讐心は、灼熱のマグマとなって、今にも殻を破ろうとしていた。必死にそれを押し殺しつつ、バッサスは乾いた唇をなめ回す。

殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す! 殺してやる!

呪文のように心の中で唱えながら、バッサスは敵と等距離を保つ。一度チンピラがぶつかったが、彼の目を見ただけで逃げていった。そんなものなど相手にせず、バッサスは心の中で唱え続ける。リレイが歌っているアホらしい歌が、彼の怒りを更に煽っていた。

殺す、殺す、殺す、殺す! 殺して、切り刻んで、引きちぎって、内蔵を喰ってやる!

やがて、敵は森の中へ入っていった。ライフルの覆いを取ると、バッサスは適当な木に登り、上着を裏表逆にした。上着は表側が普通の服だが、裏は森にとけ込む迷彩仕様になっているのだ。相手の力量からして何処まで有効かは分からないが、使わないよりましだった。バッサスは着替え終わると、音を立てないように移動しながら、絶好の狙撃ポイントに陣取った。敵は動きに緩急をつけて、しかも隙を見せない。が、不意に止まった。

「勝負、つけよっか?」

「望む所だ……!」

バッサスの中で、殺気が炸裂した。咆吼しながら、彼はライフルの引き金を引き絞った。

 

射撃音が連続して響き、リレイの至近に連続して着弾した。素早く木の陰に隠れながら、リレイは拳銃を引き抜き、数度撃ちはなった。すぐに反撃が来て、ライフルの巨弾が木の幹を抉る。弾を込めながら、リレイは辺りを観察し、素早く頭に入れていった。

敵は移動しながら、的確な射撃を続けている。しかも攻撃が兎に角執拗で、任務の意義とかは綺麗さっぱり忘れ去り、リレイを殺す事しか考えていないのは明白である。獣と同じだが、それが故に扱いやすいと言う側面もあった。幾度かの攻撃の応酬を経て、リレイは相手に呼びかける。

「アンタ、バランドアール家の忍びでしょ」

返事はなかったが、その直後の射撃で、乱れが出た。それでリレイには充分だった。とりあえずの威嚇射撃を続けながら、リレイは続ける。

「姫様が、可哀想だと思わないの?」

再び返事はない。だが、執拗な攻撃に、一瞬だけ間が空く。

リレイがそう判断を下したのには、当然理由がある。まず最初に、鬼王を黒幕から外した理由であるが、そもそもリレイは最初から彼が黒幕だとは考えていなかった。鬼王はセヤを殺したくらいで、状況が好転しない事を理解出来る知能の持ち主だと言う事を、リレイは良く知っていたのだ。

続けて、リレイがバランドアール家が黒幕だと判断した理由である。少し前に鬼王包囲網の担い手である南部の雄フライトハーヴ家が、鬼王率いる精鋭と交戦、大打撃を受けた。未だにフライトハーヴ家は勇敢に抗戦を続けているが、滅ぶのは時間の問題である。この辺りの新聞にさえ話題が載るほどだから、各国には当然周知の事実だ。

鬼王が包囲網の各家に対して、各自に同盟工作を行っているのもまた、周知の事実である。別にそれを示す証拠はないが、彼のような情況におかれた場合、取るべき方策など決まっているのだ。また、外交の基本は遠交近攻である。その点では、包囲網の一角ながら最も鬼王と遠い距離にいるバランドアール家は非常に微妙な立場である。

しかし、フライトハーヴ家の不利が、その微妙な立場を崩した。バランドアール家にしてみれば、クロスライン家などに肩入れして、鬼王に戦いを挑む事などは絶対に避けたい所だ。しかし、直接クロスライン家に侵攻出来るほど、両家は近くない。よってセヤを暗殺するか、セヤとの接点であるタニヤ姫を暗殺するか。下劣な考えだが、合理主義者のバランドアール家なら考えかねない。以上が、リレイの推測だった。そして暗殺者の反応から、その推測は裏付けられていた。

暗殺者の動きに会わせて、立ち位置を変えながら、リレイは言う。先ほどからの台詞で、敵は精神を乱している。戦いを有利にするには、更にそれを加速する必要があった。

「最低。 もう少しマシな奴だと思ったのになー」

「黙れえええええええっ! 殺してやるっ!」

敵がわめき、今までにない精度で二発の弾丸が飛来した。一発は頬をかすめ、一発は肩先をかすめた。更に連射される弾丸が木の幹を抉り、リレイは出来るだけあわてふためいて逃げてみせる。敵は容赦ない射撃を繰り返し、よろけながらリレイは木の陰に隠れた。先ほどまで盾にしていた木が、軋みながら倒れていった。冷静に弾丸を再装填しながら、リレイは反撃に出る。この辺りの地形は、既に頭の中に叩き込んだからである。舌なめずりすると、リレイは走った。すぐ背後に、眼前に、敵の殺意が何度も着弾する。大きな岩を蹴って、小さな木の枝の上に躍り上がると、敵から死角になる位置で幹を這い登る。その間も、すぐ側に幾度も着弾があり、敵と同じ高さまで登ったときには、右腕の二カ所に弾丸がかすっていた。呼吸を整えると、リレイは叫んだ。

「さあーて、今度はこっちから行くよ!」

枝を蹴り、出来るだけ近距離の枝に、小刻みに移動していく。敵の射撃の精度はますます上がり、至近で何度も枝が砕けた。もう既に敵の位置は分かっている。また、敵は怒りのあまり、攻撃パターンが極めて単純になっている。リレイは敵の周りをゆっくり回るようにして、少しずつ距離を詰めていった。リレイが枝を蹴り、何度も激しい音が響く。やがて機は熟した。構えを取り、何度か印を組むと、リレイは目を閉じた。これは単純に、精神集中のための動作である。大きく息を吐き出すと、リレイは目を見開いた。

「ぜえええええええええいっ!」

比較的太めの木の枝に陣取り、枝のしなりを利用して跳躍すると、リレイは幹を敵に向けて蹴り砕いたのである。

 

「うおおおおおおおおおっ!」

バッサスは、思わず叫んでいた。木が、倒れ込んでくる。彼が陣取るせまい枝の上では、避けられない。慌てて周囲を見回した彼は、最も近くの枝に飛び移った。次の瞬間、その枝が折れ砕けた。リレイが何度か、わざと大きな音を立てて別の枝に飛び移っていたが、ようやくその理由を彼は理解していた。リレイは退路を完全に遮断したからこそ、大技を放ってきたのだ。

数メートルを落下し、落ち葉の積もる地面にバッサスは叩き付けられていた。背中を強打し、押し殺した悲鳴を上げる彼の上で、今まで彼のいた木に、リレイが砕いた木が轟音と共に倒れかかっていた。無数の木の葉が舞い落ち、顔を手で覆う。次の瞬間、木の葉ではない物が振ってきて、彼の腹を踏みつけていた。

「ぎゃあああああああああああああっ!」

鮮血を吐きだし、バッサスは絶叫した。上から振ってきたのは、リレイだった。そして今の一撃は、間違いなく致命傷だった。全身から力が抜けていくのを、意識が薄れていくのを、バッサスは感じた。

「……強かったよ、アンタ。 私に、こんなに傷追わせた相手、久しぶりだよ」

「う……うるせ……え……」

リレイの言葉を枕に、バッサスの意識はブラックアウトした。

 

5、交差する線

 

バッサスを捕縛してから三日後、リレイは解雇された。理由は、彼女の元に届いた新聞が告げていた。

《ラグラドール家、満を持して侵攻開始! 鬼王の軍、各地で蹂躙さる!》

東部セプレンセスで最強と言われる男、ラグラドール=バルテス。鬼王ですら恐れる名将であり、その軍勢はセプレンセス最強と言われる。鬼王は今までに四度交戦しているが、いずれの戦いでも完膚無きまでの敗北を喫し、今は平和攻勢に転じていた。しかしながら、バルテスはついに動き出したのだった。

今まで日和見にいたバルテスが積極的に動き出した理由は不明だが、いずれにしろこれでバランドアールはまた元の立場へ戻る事となる。鬼王包囲網の中でも、バランドアール家に匹敵する唯一の大勢力が動き出した事で、戦局はまた分からなくなったからである。給金はきちんと支払われたので、リレイは文句も言わずに荷物をまとめ始めた。ランディが、脇腹をさすりながら言う。

「姉さん、今度は何処で仕事をする?」

「さあ? まあ、仕事が来れば、誰でも警護するよ」

「また、手助け頂けると助かります」

ブラブトと、SP達が敬礼した。頬に絆創膏を貼ったまま、リレイは頷く。

「そうだね。 縁があれば」

「出来れば、貴方とは戦いたくありません」

「あたしだってそうだよ。 殺し合いは、出来ればしたくないからね」

あか抜けた笑顔は、確かに魅力的だった。恐縮するSP達に、リレイは何か言おうとして、口をつぐんだ。甲高い声で誰かが笑うのに気付いたからである。

「はあっはっはっはっはっは! わしの力、奴も思い知ったであろう!」

白けた目でリレイが視線を移すと、廊下をのたのたと歩きながら、セヤが馬鹿笑いしていた。取り巻きが数人金魚の糞になり、もみ手をしている。あの様子だと、暗殺者を鬼王が派遣したと勘違いしていた可能性が高い。更にはバルテスも、今頃届いた手紙の山を前にうんざりしている可能性が非常に高かった。

廊下の途中で、得意満面のセヤはタニヤとすれ違ったが、見向きもしなかった。寂しそうに、タニヤは俯いていた。ランディはそれを見て、静かに息を吐いた。

「時々、嫌になる事がある」

「……そうだね。 気持ちは、よく分かるよ。 でもさ、この道を信じようよ。 性格正反対のあたしとアンタだって、縦線と横線のあたし達だって、上手くいってるんだから」

リレイは弟の肩を叩くと、寂しそうにしているタニヤの方へ歩いていった。俯いていた姫の表情は、リレイに気付くとぱっと明るくなった。

 

昼過ぎに、リレイは屋敷を出た。ランディは、譲り受けた三人の捕虜を乗せた馬車を引きながら言う。リレイは余程の事がない限り徒歩で、今日も例外ではなかった。

「姉さん、前から聞きたかったんだが」

「なんで不良品の弾丸を大事な人にプレゼントするかって? まずは食え」

有無を言わせず弟の口にこの辺の特産品である丸い果実を押し込みながら、リレイは言う。彼女の目には、微妙な光が宿っていた。

「役に立たない物、ってさ。 結構好きなんだ」

「何故だ?」

「役に立たないからかな。 ……要するに、役に立たない物でも、愛でる余裕をいつでも持ちたいんだよ。 合理的な判断しか出来ない仕事だから、こういう所でバランスを取ってるのかも知れないね」

魔法のように、腰にぶら下げた大量の果実が、リレイの口の中へと消えていく。ロウミの街を後にして、馬車は西へと進んだ。暗殺者達は、処刑したと言う事で処理して貰っている。どうせ彼らは、もう帰る故郷もない。適当な所で、開放する心づもりでいた。もしその後向かってくるなら、その時はその時である。そのまま去る者が大半であったが、リレイに仕えたいと言ってきた者もいたし、侮辱されたと取って命がけで向かってきた者もいた。後者の場合は、流石に殺すしかなかった。また、隙を見て殺そうとした者も同様だった。だが、リレイは別に後悔していなかった。好きでやった事だからである。

「ねえ、ランディ」

また新しい果実を剥きながら、リレイは言った。

「まだ、後悔してる?」

「いや……もう後悔はしていない」

「それは良かった」

やがて、街道に音程の外れた、だが陽気な歌が響き始めた。誰もが苦笑する、だが明るい気分になる、そんな歌が。

 

(終)