甘くて苦いお菓子の話

 

序、コートジボワールの地

 

アビジャン空港から車に揺られて、幾ばくかの時が過ぎて。武骨な4WDの車が到着したのは、とても近代的とは言えない農場でした。辺りを塀に囲まれ、何カ所かに監視用の設備があります。道は当然舗装なんてされていません。時々、トラックが通り過ぎるのが見えました。荷台には、カカオ豆が山と積まれています。別の農場で収穫されたものでしょう。今は年に二度ある収穫期の一つなのです。

決してクッションが固い訳ではないのですが、おしりが痛いです。舗装道路なんて気が利いたものは、アビジャンを出てすぐに無くなってしまいました。後はひたすら続く道無き道。何度か御爺様が外に出て車を押さなければ、とても辿り着くことなど出来なかったはずです。

塀をぐるって回っていくと、入り口が見えてきました。コンクリで固めていて、とても厳重そうです。この辺りにはゲリラも出るので、当然のことでしょう。入り口には、銃を持ったおっかない顔のおじさんが何人か。御爺様が車の窓から顔を出すと、さっと青ざめて、開けてくれました。

そういえば、今思い出しました。私が来る前に、御爺様がこの辺りの街のマフィアとゲリラを「ちょっと軽く撫でた」のだと、お母様が言っていました。兵隊さん達は私が愛想笑いを浮かべると、真っ白な歯を見せて、必死に愛想を作って笑い返してくれました。御爺様を見る目に恐怖があります。どうやらお母様の言葉は、本当だったようです。

農場の中は、外と同じく暑くて、少し息苦しい場所です。規則的に植えられたカカオの木には、青いカカオの実が豊富に実り、私とそう年も変わらない子供達が忙しく駆け回って世話をしています。サイズから言って、もう、収穫できる実もあるようです。御爺様の運転する車から降りて、辺りを見回すと、早速愛想笑いを浮かべた長身の黒人男性が近寄って来ました。

公用語のフランス語で話しかけてきます。御爺様は基本的に、私が対抗できない武力がある時にだけ手助けをしてくれるので、今はなにもしてはくれません。私は咳払いをすると、フランス語で話しかえしました。露骨に面食らっているのが分かります。話を進めていくと、更に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になりました。私がフランス語を扱えることや、交渉を行うことが、信じられないのでしょう。

小首を傾げながら、黒人男性は奧に案内してくれました。途中、赤土が露出した広場に出ました。痩せた子供達が、一心不乱に働いています。時々、此方を見る子がいました。怨嗟が籠もっていて、とても悲しい目をしていました。彼方此方に立てられている粗末な藁屋根の小屋が、あの子達の居住空間でしょう。奧にある近代的な鉄筋の家屋を見ると、罪悪感さえ感じてしまいます。

奧の建物の中は冷房が効いていて、外と同じ世界とはとても思えませんでした。一番奥の部屋に通されると、中には革張りのソファや、インテリア目的の暖炉までありました。御爺様の目が細くなります。もの凄く怒っているのが分かります。頼むから、交渉が済むまでは暴れないで欲しいなあと、私は思いました。御爺様は寡黙ですが、怒ると途轍もなく怖いのです。

ボディガードらしい大柄な人を連れて奥の戸から入ってきたのは、猜疑心が強そうな、痩躯のおじいさんでした。長い髭を蓄えていて、目元にも頬にも深い皺が刻まれています。一番深いのは眉間の皺です。口の中の歯は、半分以上入れ歯のようでした。

フランス語で挨拶して、頭をぺこりと下げます。お辞儀の角度は、御爺様に徹底的に仕込まれました。

相手が目上、同格、ビジネスの時、そして心底からの敬意を示す場合。それぞれによって、角度は違います。背骨が曲がっていては様にならないので、散々矯正もされました。今では相手の地位によって、本能的に使い分けることが出来ます。辛い思い出もありますが、お辞儀をされて不快感を感じる相手はいません。今では、非常に便利なスキルだなと思います。それに、相手の機先を制することも難しくありません。

面食らった様子のおじいさんに、取引用の書類を見せます。きちんとフランス語の書類です。此処に出かける前に、準備してきました。三重にチェックして、スペルミスが無いことも確認してあります。老眼鏡を取り出して、おじいさんは読み始めて、何度も此方を見ました。

書類の内容は、カカオ豆の取引に関するものです。世界最大のカカオ豆生産地であるコートジボアールですが、その殆どは彼方此方にある農場で作られています。農場と言っても規模は様々で、野球場より遙かに大きいにも関わらず、この農場は非常に小さい方です。それが私にはとても都合が良い。大手の農場には、大口の固定客がついていることが多く、取引を割り込ませる隙がないからです。この農場の取引額が落ち込んでいるのも、事前に調べ済みです。

おじいさんが、書類を読み終えました。目に露骨な嫌悪感が浮かんでいます。恐らく、無知な小娘だから、もっとふっかけられると思っていたのでしょう。残念ですが、カカオ豆の相場は徹底的に調べてからコートジボワールに来ました。それも、品質の良い豆を丸ごと買い上げると言っているのです。その上、幾分かの色も付けています。これ以上の収益を望むのは、欲深すぎると言うものでしょう。

さっきの案内役の中年男性が呼ばれました。おじいさんが耳元に何かささやいています。聞き取ることは出来ませんが、御爺様が何も言っていないので、極端に不利な内容ではないのでしょう。或いは、私にも対処できる内容であるのでしょうか。密談はすぐに終わり、頷いていた中年男性は愛想笑いを浮かべながら、案内してくれると言いました。

アフリカというとサバンナのイメージがありますが、元々この辺りは高温多湿で、ジャングルも珍しくありません。そこを切り開いて作り上げた人間達の農場。もちろん、それは自然に無理を強いていると言うことです。地面は赤土が露出していて、非常にちぐはぐな印象を受けます。半裸の子供達が働いている中、私は御爺様と共に、カカオの木のすぐ側にまで歩み寄りました。

あまり大きな木ではありません。ですが、なっている実はとても大きかったので、驚きました。案内役の男性が茶色く熟れた実に手を掛けようとしたので、咳払い。

これも調べてきてあります。木になったまま熟した実は品質が落ちるので、工業用チョコレートの材料にしかなりません。露骨にひきつった男性は、慌てておじいさんに携帯電話で連絡を入れていました。連絡が終わると、顔が真っ青になっていたのは、何か気の毒なことを言われたのかも知れません。この様子では、低品質のカカオ豆を、だまして売りつけるつもりだったのでしょう。残念ですが、その手は食いません。

これでも、お母様に連れられて、色々な取引先に顔を出しています。欲の皮を突っ張らせた大人はすぐに見分けがつきます。

手元にあったまだ青いカカオの実に触れます。カカオの木は、幹から実がなる変わった性質を持つ植物です。だから、私でも手が届く位置に、実がなっています。大きさは調べてきたとおり。

全ては、此処からです。私は、御爺様から鉈を受け取ると、まず最初の実を落としました。ずっしりとした実が、手に質感を伝えてきます。燦々と日差しが降り注ぐ中、私はもう浮かんできた汗を、手の甲で拭います。

ゆっくり、辺りを見回して、地形を確認していきます。しばらく、この農場に泊まり込むことになりますので、何があっても対応できるようにしておかなければなりません。もちろん、いざというときには、逃げる経路を確認しておく必要もあります。御爺様が対応できない相手は想像できませんが、常に最悪を想定するのが、海外での基本的な過ごし方になります。

二つ目、三つ目のカカオの実を落とします。不思議そうに、子供達が此方を見ているのが分かりました。にこりと笑むと、一番年下らしい子が、笑みを返してくれました。

みんなとても痩せています。日本だと、黒色人種といえば長身で屈強だというイメージがあるものですが、この子達がそうなる事が出来るとはとても思えません。かなり年が上の子でも、胸部は肋骨が浮いています。貧しいのだろうなと思って、とても悲しくなります。私にも、三日間水だけで過ごした経験がありますから。

手元の実は、だいたい落としました。でも、まだ手が届かない位置には、幾つも実が見えます。また薄く浮いてきている汗を、手の甲で拭い落とします。御爺様が、脚立のある場所を教えてくれました。自力で出来ることは、全てやる。お母様と、ここに来る前に、約束しました。だから、脚立を運ぶのも、自分でやります。軍手をはめて、衛生的とは言えないステンレスの脚立を運びます。サバイバル用の厚手の生地を着てきて良かったと思いました。

一つ目の木が終わった頃には、子供達はこっちに興味津々の様子でした。それに気付いた大柄な監督らしい人が、現地の言葉で鋭く叱責すると、慌てて仕事に戻ります。ある子は同じように実を落とし、別の子は実を割り、違う子は何人かでカカオの実をバナナの皮に包んでいました。

少なくとも、自分が食べる分は、全部自分で行うこと。

もう一度言い聞かせると、収穫した実を、抱えて、鉈を振るって割っている子の隣へ。ちらちらと視線を送ってくるその子は、私と同年代に見えました。フランス語で話しかけると、言葉短く返事をして、ついと視線を逸らしてしまいます。拒絶が感じられます。行為の裏返しの素っ気なさとは、別のものです。

その子のやり方は、もう見て覚えました。左手で地面にカカオの実を固定して、右手の鉈を振り下ろして、割ります。その後はナイフを使って皮を剥ぎ、実を積み上げていきます。鉈を何回か空で振って、感覚を掴むのが先です。結構重い鉈で、手元を誤ると指くらい簡単に吹き飛びます。

一回目は上手くいきませんでした。鉈はカカオの実に刺さったのですが、一撃で割るには到りませんでした。実が刺さったまま鉈を振り上げて、地面に打ち付けて、強引に割ります。ちょっと切り口が粗雑になってしまいました。カカオの実の構造をじっくり見て、二回目。今度は上手くいきました。でも、隣の子ほど上手くはやれません。

フランス語で、コツを教えてくれないかと聞いてみます。こっちを見てくれないまま、その子は勢いよく振り下ろすんだと、言いました。

収穫した実を全て割り終わった頃には、日が暮れ始めていました。大振りのナイフを使って、皮を全て剥いでしまいます。かなり大きな実ですが、要領は大根のかつらむきと同じです。

それにしても、甘いにおいのする果肉です。とても美味しそう。これを全部無駄にしてしまうのはもったいないですが、そうすることがチョコレートを作る過程なのだから、仕方ありません。

仕事が終わると、4WDに積んでいた蚊帳を出します。仕事の途中も、蚊が飛んでいるのは何度か見ました。マラリヤにはなりたくありませんから、これを使うことにします。この農場では標準的に使っていることが分かっているので、別にズルにはなりません。御爺様は必要ないと言いました。御爺様の場合、マラリヤになどなる所がそもそも想像できません。でも、念のために、虫除けスプレーくらいはしておいてと言ってから休むことにしました。

子供達は、粗末な家に三々五々入っていきます。みんな疲れ切った様子でした。御爺様が交渉して、みんなと同じ家を確保してくれていました。小さくて、藁の臭いがする粗末な小屋。床なんて気が利いたものはなく、もちろん地面が剥き出しでした。

今日は時間がありませんでしたが、蚊帳と蚊取り線香はみんなに配ろうと思っています。今日はさほど大変ではありませんでしたが、明日からは苦労しそうです。ゆっくり休んでおかなければいけないのです。休める時に休むスキルを身につけるように、お母様には散々叩き込まれました。

車に揺られた疲れが出て、蚊帳を拡げて蚊取り線香に火を点けると、すぐに眠くなってきました。この蚊取り線香は、支援団体などから配られているものと同じです。御爺様とお母様におやすみの挨拶を言うと、目を閉じて、眠ることにしました。

 

1,カカオの実

 

銀月百合子。それが私の名前ですが、昔からこうだったわけではありません。私の名字は昔、響小路と言いました。いわゆる没落旧家という奴です。私が産まれた時には、もう傾きは限界に近いところまで来ていたようです。

響小路は、旧家としては底辺に属する貧しい家であるのに、昔ながらのプライドと、コネクションだけは分不相応にあり、色々と問題を抱えていた家でした。定職も華道やら茶道やらの家元をしたり、着付けの講習をしたりと言ったものが多く、収入は少なく。それなのに、実際には何の権力もないのに、政治家の権力闘争に担ぎ出されたり、地元の有力者が来たり。子供ながら、その様子は見ていて不安になるものでした。

案の定というべきか。両親は何か話を持ちかけられるそのたびに、理不尽なまでに酷い目に会うのでした。いつも望んで負け組に荷担しては、資産を減らしている無様な状況は、地域全体で知られていたようです。当然学校でも虐められました。響小路は愚か者の代名詞でした。子供までそれを熟知していたのです。

弱者は虐めのターゲットなのだと、この時には理解していたのは、不幸だったのか幸運だったのか。今でもよく分かりません。分かっているのは、人間を無軌道に信頼すると酷い目に会うと言うことです。しっかり相手を見極めてから、信頼すべき人間を選ぶべきなのだなと、その頃には既に学んでいたような気がします。

両親は善良で、とても優しい人たちでした。でも無能で、何も出来ない人たちでもありました。

二人とも、旧家の出身だと言うことを、過剰に意識しているのが不幸だったのだと思います。元々貧しかった家は、負け組に荷担しているうちにどんどん傾いていきました。なけなしの土地も財産も手放していき、倉は空っぽになり、ついに屋敷を手放す話が出てきた時に。ふらりと現れたのが。その人でした。三十代半ばに見えるその人は、私を引き取るのだと言いました。

見たことのある人でした。テレビで、何度か国会中継に出ているのを見ました。そう、総理大臣をしていた人です。周りの人がいつもびくびくしているのが、国会中継でも分かりました。野党の議員達は、ヤジなど挙げられず、いつも縮こまっていました。

総理大臣だった人は、薄い笑顔を浮かべていました。凄く重厚な印象を受ける人で、今まで見たどんな偉い人よりも、圧迫感が強かったです。テレビで見た時とは、比較にもならない存在感でした。別れの日、父も母も泣いていました。でも、もう二人がヤクザに怯えることはないのだと、私は知りました。だから、自分で家を出ることを決めました。

銀月という新しい名字を貰って、全く違う生活が始まりました。色々な人から礼儀作法を基礎から叩き込まれ、毎日厳しいトレーニングを受けるようになりました。御爺様に拳法を教わり、お母様から戦術と戦略について叩き込まれました。お母様の仲間だという色々な人とも会いました。剣術を教えてくれたのは、噂のメディア女王でした。護身術を教えてくれたのは財界の女帝と呼ばれる人でした。みんなお母様と一緒に強くなったのだと言っていました。

修練と並行して、時間は一秒たりとも無駄にしないように仕込まれて、何事も徹底的に考えるように訓練されるようになりました。でも、それが終わると、とても安らかな時間を一緒に過ごしてくれるようになりました。両親と一緒に過ごす時間とは少し違いましたが、私は嬉しかったです。何しろ、其処には恐怖がありませんでした。本当に、安心できる空間だったからです。

昔は、夜は怖い時間でした。如何にも腹に一物秘めていそうなおじさんたちが押しかけて、おっかない相談をしていました。ヤクザが押しかけて、ドアを乱暴に叩いて、何か怒鳴っていました。今は、そんなことはありません。

新しい学校では、全く虐められなくなりました。お母様の事を誰もが知っていたからです。若干距離が置かれるようになりましたが、それでも虐められるよりずっとましでした。それに、私は孤独が基本的に好きです。一人で作業をする方が、ペースも選べるし、楽ではありました。

今までよりもずっと快適な日々が始まりました。毎日の修練は多少辛かったけれど、心地のよいストレスでした。これをもたらしてくれたのは、間違いなくお母様。私の尊敬する人です。

この人が。元総理大臣にして、今は政界の黒幕として君臨している銀月零香さんが。私のお母様です。とても怖い人ですが、私の大事なお母様です。

 

目が覚めると、蚊帳の中にいる事に気付きました。今、何処にいるのかよく分かりません。目を擦りながら、じっくり状況を確認していきます。そうです。昨日、此処コートジボワールに着いたのでした。

腕時計を見ると、もう朝五時です。外は既に暑くなり始めています。大きく伸びをして目を覚ますと、軽くストレッチを始めました。蚊帳の外には、点々と小さな虫が落ちています。蚊です。日本と違い、此処で蚊はストレートな恐怖の対象です。マラリヤを媒介するからです。日本から持ち込まれた蚊帳が爆発的に普及しているのも当然です。蚊を避けることが出来るだけで、感染率は大幅に下がるのです。

来る前に、セミロングだった髪をショートに切りそろえてきましたが、それで正解でした。昨日はむしろ涼しかった方で、今日からもっと暑くなることが、今の時点で目に見えていました。

着替えて外に出て、御爺様に挨拶。半袖は仕方がないにしても、足下はハーフパンツという訳にも行かないので、ジーンズです。蒸れますが、蚊対策です。腕にも、首筋にも、しっかり虫除けのスプレーを掛けておきます。御爺様のように、体から放つ闘気だけで蚊を寄せ付けないなんて技は無理なので、仕方がありません。軍手をはめながら、状況を確認します。農場の武装警備員が此方を伺っていたようですが、御爺様が目を光らせていたので、何も出来なかったそうです。

軽くランニングしたい所ですが、御爺様は首を縦に振ってくれませんでした。無用なトラブルを避けるためだそうです。

元々この辺りの治安は極めて悪く、外務省から渡航禁止の通達が出ているほどです。今は静かにしているゲリラやマフィアの人たちも、御爺様には震え上がっていても私にはそうではありません。そればかりか、恨み重なる御爺様に復讐するために、私を人質に取ろうとまでするでしょう。お母様や御爺様に比べると、自分の身を守れるなどとはとても宣言できない私は、意見を通すことなど出来ませんでした。

御爺様は言葉少ないですが、いつも私を見守ってくれています。お母様を育てただけのことはあると、私は思います。

体を朝から温めないと、少し居心地が悪いので、御爺様の見ている範囲内でしっかり体を動かしておきます。ストレッチを一通りして、持久力を付けるために屈伸運動をやっておきます。物陰からこっちを伺っているのは、昨日鉈を振るっていた子でした。私と同年代なのはあの子だけだったので、よく覚えています。ただ、視線はどうひいき目に見ても、好意的ではありませんでした。

警備員の人たちが、子供達の小屋を回り始めました。怒鳴って戸を叩いている場合もありました。子供達がばらばらと出てきて、整列します。隠れていたあの子も、その列に並びました。点呼を取っています。かなり乱暴で、子供達はびくびくしていました。脱走する子がいると思っているのでしょう。私も並ぼうかと思いましたが、御爺様に無言で止められました。

朝食が始まりました。厳しい顔をしたおばさん達が、大釜に粥のような食物を作って、配っています。私も並びます。これに関しては止められませんでした。

地面にめいめいみんなあぐらを掻いて、食べ始めます。小さな子供達は、此方に興味津々の様子です。笑顔を向けると、笑い返してくれるので、それが少し嬉しいです。白い歯を見せて笑う子供達はとても純真で、私は胸が痛くなりました。スープの味の薄さと、量の少なさも、それを後押ししました。渡された子供達と同じスプーンは、錆び付いていました。

料理を配っていたおばさん達が、武装警備員から給金らしい紙幣を奪い取るようにして貰っているのが、視界の隅で見えました。文句を言っているおばさんもいて、空気がきりきりしています。多分、相当安いのでしょう。おばさん達は洋服を着ていますが、どれも色がくすんでいて、あまり品質は良さそうに見えません。

食事が終わると、子供達は追い立てられるように仕事を始めました。クーラーの効いた部屋でふんぞり返っている農場主の姿を思い浮かべると、私も御爺様と同じく腹が立ちます。でも、これはこの国の現実です。

一通りの行程を経験してくるようにと、お母様は言いました。ですが、この現状を見ると、それだけでは気が済みません。今は農繁期で、収穫はピークを迎えています。黙々と鉈を振るってカカオの実を落としている、一番年上の少年の所に行くと、フランス語で、今日も頑張りましょうと言いました。

応えてくれません。しばらく一緒に鉈を振るって、青い実を落としていきます。何度か少しだけ年が離れた子供が来て、積み上げた青い実を持っていきました。二つ目の木が終わった頃でしょうか。少年が、不信感の籠もった声を向けてきました。

何をしに来た。少年はそう言います。あんた、オランダ人か。続けて言いました。

カカオ豆の最大取引先は、オランダです。三百万トンに達するカカオの産出量の内、実に五十万トンを輸入しています。日本は六万トン程度なので、その輸入量の多さがよく分かります。

難民キャンプで育った子は、地球が丸いことを知らないと聞きます。この子には、外国人は全部オランダ人なのかも知れません。このフランス語が、何処の国からもたらされ、公用語として普及しているのかも知らないのでしょう。それらは無知ですが、蔑ずむべき事ではありません。日本では、無知は蔑視の対象ですが、それが如何に愚かなことなのかよく分かります。知識を幾らでも得られる環境に、人がいるとは限らないのです。知識を得ることに割くことが出来る時間を持つ人間は、限られているのです。

同情するだけなら、いつでも誰にでも出来ます。いつか、この世界を変えなければならないと、私は思います。こう言う時に、強く思い知らされます。

日本人だと応えると、案の定知りませんでした。何処にある国なんだと言われたので、オランダより遠いところだと応えます。地球の裏側だと言っても、理解できるかは不安だったからです。

しばし無言で作業が続きます。少年の手元を見ていて、収穫に適した実のコツを掴んでいきます。

この農場で育てているカカオの実は、コートジボワールのものとしてはごく一般的なフォラステロ種です。味は若干苦みがありますが、収穫量が安定している上に病害虫に強いので、人気のある品種です。木の背丈は、中学一年生になった今の私の六倍くらい。実は重いですが、持てないほどではありません。ただ、裸足の痩せた子供達が汗水をたらして運んでいく様子は、痛々しいものでした。

昼過ぎに、収穫が一段落しました。他にも働いていた年かさの子供達の手もあって、青いカカオ豆の実はあらかた収穫が終わります。残りがないかチェックし終えた頃に、食事が配られ始めていました。さっきと同じスープです。見たことがない木の実が、乱暴に切り分けられて入れられていました。残念ながら、私にも御爺様にも料理は出来ません。お母様のお友達の、青山さんがこの場にいたら手伝ってくれるんだろうなと思って、私は切なくなりました。

食事の時間は、最小限です。時間が終わると、例えまだ残っていても、子供達は仕事に追い立てられていきます。慣れているのか、残している子供は殆どいませんでした。それに、こんなに少なくては、残しようもないでしょう。

昨日と同じく、カカオの実を鉈で割って、皮を剥ぎ始めます。さっきの少年と隣になったので、さっきの話の続きをします。

私は、お母様に言われて、此処に来ました。そう言うと、少年は売られたのかと応えました。僅かに表情が緩んだのは、私を同類だと思ったからでしょう。人は、自分に近しい存在に、親近感を覚えるものです。何処の国でも、それは同じなんですね。

あまり、同情を表に出しては、却って失礼です。此処は本当のことを言うべきだと思い、帝王教育の一環だと、応えます。

私の国では、チョコレートは一般的なお菓子、いわゆる「スイーツ」として人気があります。ただし、それがどうやって作られるかは、殆ど誰も知りません。それを体で学んでくるのが、今回の目的です。そう詳しく応えると、少年は一転、更にしらけた目になりました。反感を買うのは分かっていました。でも、嘘を言うのは嫌です。汗を拭うと、再び無言で、仕事に没頭します。

ジリジリした日照りの中、皮を剥いでいきます。慣れてきましたから、手元を誤ることはありません。泥を付けないように気をつけながら剥く私ですが、少年はあまり気にしていません。これから無造作に並べて発酵させるからでしょうか。

俺達の仕事を、取らないでくれ。少年は、不意に言いました。此処を追い出されたら、何処にも行くところがないのだとも。

分かっていますと、私は応えました。仕事を、手伝わせていただくだけだとも。

この農場で働いている子供達は、皆違法に人身売買された子供達です。そんなことは分かりきっていたというのに。悲しい少年の言葉を聞くと、やはり胸は詰まるのでした。

落ち込んでばかりではいられません。しっかり此処で働くことで現実を知って、将来のためにしなければなりません。そして、何時かはこんな世界を改革したいです。どんな手を使ってでも。

日差しはただ暑く、汗は際限なく湧いてきます。水は絶対生のまま飲まないようにと言われていますが、子供達は平気で井戸水らしい桶のくみ置きを口にしていました。もちろん回し飲みです。奧で御爺様がステンレスの鍋を持ってきて、水を湧かしてくれています。何度かそちらへ行って、生ぬるい水を口にしました。それでもカルキ臭の強い水道水より美味しい気がするのは、汗を健康的に流しているからでしょうか。

たくさんある実を、ひたすら剥いていきます。日光を浴び続けている髪に触れてみると驚くほど熱かったのですが、周りで黙々と働いている子供達を見ると、麦わら帽子なんて被る気にはなれませんでした。それにお母様に鍛えられている身です。朝は毎日五キロくらい走り込んでいますし、近所のお寺で他の同年代の子供達と格闘技も仕込まれています。このくらいで参っているようでは、私も捨てられることでしょう。

隣で皮を剥いている、同年代の少年。彼は一つだけ勘違いしています。私も結局の所、条件がマッチしているから、お母様に拾われたに過ぎません。お母様は信頼できる人ですけれど、相手の実力が圧倒的である以上、気分次第で捨てられてしまう可能性だってあるのです。お母様は媚びを売ることを好みませんが、私としてはいつ翻意されるかも知れない中、怯え続けなければならないのです。

小さな子が、辛そうに汗を拭っていました。隣に移ると、仕事を手伝ってあげようかと声を掛けます。ぼんやりと見上げてきた彼は意識が混濁しているようでした。危険な状態です。彼のノルマは、まだ山積みになっていました。御爺様が来て、彼を担ぎ上げると、木陰に連れて行きます。病気に対する耐久力は、疲労で著しく低下します。

彼の分のノルマも背負うことになりましたが、大丈夫。もう、コツは掴んでいます。目を閉じて、一気に集中。

カカオの実の果汁で手はべとべと。甘ったるい臭いが充満していますが、熱気で既におかしくなり始めています。彼方此方にバナナの葉の上に無造作に積まれた、皮を剥がれた白い実は、お世辞にも衛生的だとは言えません。発酵は腐敗の別名だと知っていても、良い気分はしません。

まずは、手を動かすことです。料理はあまり出来ませんが、手伝いはしたことがあります。もうコツも掴んでいます。するすると皮を剥いていきます。集中したことによって、周りが見えなくなります。一気に仕事を進めて、ノルマ分を片付けます。不意に集中が切れるまで、三十分。呼吸を整えながら、さっきの子の様子を確認します。

御爺様が木陰で、手当をしているのが見えました。熱射病でしょうか。マラリヤで無いことを祈るばかりです。首筋に蚊が飛んできたので、たたき落とします。かなり大型の蚊で、羽音が鋭いです。

視線を彼方此方から感じます。でも、こっちが見ると、まだ怖がられて視線を逸らされてしまいます。

うち解けたいなんて言うのは、贅沢な望みだと分かっています。それに、避けられるだけなら、虐められるよりずっとましです。

何とか、終わりました。ノルマが残っている子が、まだ少しいます。終わった子は、めいめい休み始めています。見れば分かるのですが、他人に構っている余裕がそもそも無いようです。焼け付くような日差し。蒸す空気。それにマラリヤを媒介する蚊。劣悪な食事環境。無理もありません。

手伝いますとフランス語で言って、順番に残っている実を片付けていきます。夕食の時間が来ました。まだ、二人残っている子がいます。後はやっておくと言うと、彼らはおっかなびっくり此方を見て、食事をしに走っていきました。

既に殆どの皮を剥かれた実は運ばれて、バナナの葉の上に並べられています。大きなバナナの葉の上では、凄い臭いがし始めていました。暑くて蒸すこの環境だと、当然の結果でしょう。最後に、バナナの葉をかぶせて包み込みます。天然の熱気を利用した発酵作業です。同じようにバナナの葉で包まれた固まりが、彼方此方に幾つもありました。

額の汗を拭うと、少しだけ残っている実を片付けに掛かります。軍手は果汁ですっかり使い物にならなくなっているので、後で念入りに洗わなければなりません。もう一度額の汗を拭うと、最後の実を手に取りました。

 

洗濯を終えると、食事を見に行きましたが、もう残っていませんでした。仕方がない話です。他人に構っている余裕など無いのですから。幸い、まだ耐えられないほどではありません。死線をくぐった時は、こんなものではありませんでしたし、まだまだあるていど余裕があります。

さっき倒れた子を見に行きましたが、どうやら熱射病だったようで、命に別状はないようです。胸をなで下ろします。ただ、今の段階では、まだ信頼できません。仮病でさぼらないように見張っておかないといけないと御爺様は言っておられましたが、悲しいながら同感です。貧すれば鈍すると言いますし、私自身その言葉を体で理解していますから。まだ御爺様にはしっかり見張って貰わなければなりません。

蚊帳に潜り込むと、蚊取り線香に火を点けます。体中べとべとに汗を掻いていたので、裸になってぬれタオルで拭きました。お風呂なんて気が利いたものは、外にはありません。あのクーラーが効いた建物にはあるでしょうが、入るのも嫌です。

お風呂無しの生活は経験済みです。同年代の女子よりは、精神的な耐久力も着いているかと思います。

お母様に南アルプスの深山に山ごもりに連れて行かれた時は、樹海で一人数日を過ごすことになりました。あの時のことは、思い出したくもないくらい辛かったです。至近距離でツキノワグマと顔を合わせた時の恐怖と来たら。そういえば、まむしに噛まれそうになった事もありました。変なキノコを食べて、天国を見かけた事もありましたし、三十メートルはありそうな崖に落ちかけて、寿命が縮んだりもしました。もっと過酷な経験もしました。

嫌な思い出でぞくぞくしてきたので、さっさと服を着て、サプリメント食を口に放り込んで眠ります。今回はいざというときに備えてサバイバルキットを持ってきているので、着替え類は最小限です。無人島で一人サバイバルをした時の経験が、こう言う時には生きます。別に着替えなんかしなくても、人は死にません。

まだ、体力的には余裕があります。ただ、奴隷として使われている子供達があんな生活を毎日していると思うと、やはり気の毒です。早く大人になって、何とかして上げたいなと思いました。

ぼんやりしている内に、朝が来ました。収穫はまだしばらく続くでしょう。ただ、発酵はそろそろ終わる実が出てくるので、カカオ豆の処理が必要になってきます。御爺様が一喝するのが聞こえました。此方の様子を伺おうとして、警備員が近づきすぎたのかも知れません。私が此処にいることは当然知れ渡っているでしょうし、隙があったら引っさらえば金になると考えてもおかしくありません。御爺様がぴりぴりするのも当然だといえます。

外に出ると、もう暑くなり始めていました。元ジャングルだけあって、容赦のない気候です。

辺りから漂ってくる臭いが、あらゆる意味で痛烈です。バナナの葉の上に積み上げられた実は、発酵し始めています。果肉が溶け出しているものもあります。これをスウィーティングと言うのですが、甘いという言葉とはかけ離れています。

体を伸ばして、ストレッチをしている内に、一番年上の少年が近づいてきました。何をしていると言われたので、体を温めていると応えます。多分、トレーニングという概念そのものが無いはずです。トレーニングの概念を説明すると、金持ちの道楽だと言われました。無理もない話です。それに、半分くらいは正しいといえます。

途中から御爺様がまるで獲物の様子を伺う虎のような目で此方を見ているので、少年はびくびくしていました。身長二メートル超、体重百四十キロに達する筋肉の塊。体脂肪なんかありません。御爺様の巨躯は、この国でも充分に畏怖を呼ぶようです。六十才になった今でも全く衰えていない御爺様は、微妙に人類では無いような気もしますが、私にとっては大事な存在です。お母様より優しいですし。

丁度体を温め終えた頃、点呼が始まりました。あの辛そうにしていた子もちゃんと並んでいたので、安心しました。

フランス語で、監督をしている中年男性が色々と指示をしていました。今日から、スウィーティングが終わった実を、乾燥させる作業をするそうです。一通りの作業を経験しろと言うお母様の指示ですから、これもしっかりやっておかなければなりません。ざっと見た感じ、収穫と皮むきの作業は、峠を越えています。

子供達が走り始めました。ざるを手に取る子、すのこを並べる子、それぞれに別れます。下調べはしてあります。乾燥の作業は、発酵させたカカオ豆を、すのこの上で撹拌することによって行います。問題なのは、それを終日行わなければならないこと。更に言えば、撹拌の方法そのものです。

棒が余っていたので、一番小さいものを手に取ります。臭いがしなくなり始めているバナナの葉包みを子供達が開けて、中のカカオ豆をざるに入れ始めました。虫も集っているのを、軽く洗っただけで、そのまますのこに開けていきます。すのこは背が低い棚にのせられているものもありますが、幾つかは地面にそのまま拡げられています。そういえば、あの辺は車が通ったような気もします。多分、気のせいではないでしょう。

バナナの葉はとても大きいので、必然的にカカオ豆は相当な量があります。すのこの上に開けられた実を、一番年上の子が混ぜ始めます。そろそろ名前を聞いておきたいところです。コミュニケーションが不便でなりませんから。

仕事の内容は知っていることを告げてから、手伝うと言いました。少年はむっとしていましたが、やがて頷きました。名前も教えてくれました。イマニと言うそうです。こっちが勝手に好きでやっていること、監督をしているおじさん達は私に口出しも手出しも出来ないことには気付いているようです。金持ちの道楽と言っていましたが、その通りなのかも知れません。

一緒に並んで、カカオの実を混ぜ合わせます。下から上まで、棒を使って丹念に。これは途中の過程の一つに過ぎません。一つのすのこに数人ずつ。私が入っている分を考慮して、他の子は別のすのこにいきます。

笑顔を向けてくれる子が、少しずつ多くなってきたような気がします。相変わらず一番年上の子はほとんど話しかけてくれませんが、小さな子達は話しかけてくるようになりました。どこから来たのかとか、名前はとか聞かれます。

どうやら、同じように売られたんだと思っているみたいです。銀月百合子という名前を教えてあげると、変な名前だと笑っていました。確かに、アフリカで一般的な名前とはかけ離れています。日本では普通でも、此処ではただの変な名前に過ぎません。

売られたという同一点に対する親近感を抱く彼らに、私は複雑な気持ちを抱きました。

日本で人身売買は存在しています。具体的には、海外から、売春目的で身売りされてくる人がいます。逆のパターンは滅多にありませんが、噂によると、酷い借金をしている人が、暴力団やマフィアによって、売り飛ばされる事もあるようです。体そのものを売られることだってありますし、内臓を取られてしまうこともあります。

先進国を自称して、スラム街もごく一部しか無く、識字率が100パーセント近い日本でさえそうです。

全世界では、700万を超える人間が、いまだに取引されているというデータさえあります。私も生活のために幼い内に親の手を離れたと言う点では、この子達と同じです。だから、それについては何も言いませんでした。

ゆっくり、棒を使ってかき混ぜていきます。力が入りすぎると、すのこからカカオ豆を落としてしまうことになるので、気を使います。お母様にときどきこき使われている高円寺という可哀想な人がいるのですが、その方から棒術は一通り教わったので、使いこなすことは難しくありません。巧く棒を使えない子供達に、コツを教えて上げます。小さな手を広げさせると、豆だらけで、可哀想でした。

力が入りすぎると、棒は上手く扱えません。かといって、握力が弱くても駄目です。適切な握り方にはコツがあって、重心の取り方も工夫がいります。仕事を中断して、棒術を教えようかと思いましたが、止めておきました。下手に抵抗する方法なんか教えると、子供達を使い捨ての道具だとしか思っていない監督達が何をするか分からないからです。いつまでも此処にいる訳ではありません。此処を去った時のことを、考えなければならないのです。背伸びして行動している時には、視界も出来るだけ確保する。今までに何度かの失敗から、学んできたことです。

扱い方だけを教えると、みんなすぐに覚えてくれました。覚えれば負担が小さくなるのですから、当然でしょう。勉強なんて何の役にも立たないとか偏った価値観を受け付けられて、怠惰を正当化している日本の子供とは違います。イマニも実は耳をダンボにしてコツを聞いていたので、わざとゆっくり喋って分かり易く教えてあげましたが、これは秘密です。

単純な作業です。陽は容赦なく照り続け、汗は容赦なく流れ出してきます。途中、何度か御爺様が湧かしてくれた水を口に含みますが、とても足りないような気がします。注意力が散漫になってきます。自身の頬を叩いて、意識を引き戻します。

目がちかちかしてきたので、手で陽光を遮ります。それにしても凄まじい日差し。日本の夏の比ではありません。髪の毛を掻き上げると、ざりっと言いました。ざりっと。この感覚、前にも経験があります。ハーフマラソンを炎天下でお母様と一緒にした時です。ちなみに、四日間連続で、毎日一本ずつです。あの時は意識が三回くらい飛びました。幻覚も見たような気がします。それで、今回と同じように、髪が蒸発した汗で、塩っぽくなりました。そういえば、お母様に課される「帝王教育」をこなす時に、お洒落とか気にする余裕が無くなったのが、あの前後だった気がします。

肌が焼けてきています。否応無しです。家の外に殆ど出ることが出来ず、怯えて布団の中で縮こまっていた頃は同世代の子供達と比べると白い方でしたが、数年前から状況が違ってきています。炎天下で鍛えることが多かったので、今では夏場に真っ黒になるのは普通です。汗を拭いながら、棒でかき混ぜ続けます。

昼が来た時は、流石に疲れ切っていました。一番年上の子にさえ、疲労が見えていました。ざっとカカオの実の量を計算して、仕事量を勘定してみました。なるほど。二週間以上、この仕事が続くことになります。しかも流れ作業で。一番若い実はまだ収穫が終わっていませんから、これからですし。

嘆いていても、仕方がありません。ごく僅かな休憩時間に、さっと皆と同じスープを口に含みます。重労働と言うことを考慮してか、バナナの切れ端が今回は入っていました。味は思ったほど悪くありません。ただ、一つ。ふと見ると、監督の人たちはさっきから休憩を入れて、クーラーが効いている室内でテレビを見ているようでした。殺意が湧きます。お母様だったら、多分全員半殺しにしているんじゃないかと思いました。実際やりかねない人です。近接格闘戦の実力では、御爺様の上を行くとか聞いていますし。

休憩時間は、収穫の時より少し多めに取っているようです。指をこの合間にマッサージしておきます。爪が少し伸び始めているので、寝る前に切っておこうと思いました。最近はファッションで伸ばす人がいますが、あんなものはただの流行です。爪は指先に掛かる力の土台になっていて、変に弄るとまともにものを握れなくなります。棒も竹刀もです。それでは身を守れません。

私はお母様に体を鍛えられていることもあり(政治家を志せと言われていますが、何故か)この辺りにはこだわりがあります。それになにより。この環境だと、下手に伸ばすと間に汚れが入り込んで、極めて見苦しい状況になりますし。泥に触れることもない環境にいる人はそれでも良いかもしれませんが、私はそうではありません。

休憩時間は、あっという間に終わりました。肩を回して気合いを入れると、再びすのこの側に。カカオ豆をかき回して行く内に、子供達と笑顔をかわす機会が多くなってきました。

一人っ子と言うこともあります。周りが年上の人間ばかりだと言うこともあります。だからかは分かりませんが、私は年下の子が好きです。

みんなが、棒術を元にした握り方と体重移動をしっかりマスターして、仕事の負担を減らしているのを見ると。だから嬉しくなりました。しかし家事と同じで、この仕事に終わりはありません。額の汗を拭います。

まだ太陽は、地平線の彼方に、沈んでくれようとはしませんでした。その非情さが、古代の南米で信仰されていた神を想像させたのでした。

 

2,永遠の仕事

 

日射病で倒れた子供を抱え上げて、御爺様が待機している木陰へ運んでいきます。これでもう、五人目です。今日はひときわ暑く、しかも仕事がピークに達しています。しかも時々涼になっていた雨が降りません。水も足りず、食料も。これでは、保つ訳がありません。鍛えている私だって、かなり辛いくらいです。じりじり照りつける日光が、肌を焼くかのようです。

さっきから御爺様が、辛そうな子供を見つけては、湧かした後冷やした水を配っていました。濡らしたタオルで、頭も拭いてあげています。それで脱水症状だけは避けていましたが、それでも日射病はどうにもなりません。倒れた子を寝かせていると、監督が凄い目で睨んできました。子供をさぼらせるなと、一度怒鳴りました。御爺様に睨まれると、卑屈に引き下がるのを見ると、殺意を感じます。

別の監督ががなり立てています。暑くて気が立っているのでしょう。もちろん、その凶暴な悪意の犠牲になっているのは他の働いている子供達です。一番幼い子達は、恐怖から泣いています。

御爺様が腰を浮かせ掛けたので、慌てて制止します。御爺様が本気で怒ったら、この農場は、綺麗に更地になってしまうことでしょう。そしてその時は。此処で働いていた子供達が、もっと恐ろしい目に後で会わされることは疑いがありません。此処で働いている子供達は、日本では考えられないくらいに、社会的な立場が弱いのです。それこそ、ねじか何かのように、換えが効く存在で、死んでも誰も悲しまないほどに。

この国は、日本とあまり取引が多くありません。カカオ豆の主要輸入国はガーナで、70パーセントがそちらからです。だから、総理大臣経験者で、今も政界の黒幕として君臨しているお母様の力も、そう及びません。物理的な力は当然のこととして、そもそも政治的な力が、です。だから、社会的な介入はそもそも出来ません。少なくとも、今の段階では。

泣いている子供を、男性はなおも怒鳴りつけています。興奮したせいか、現地の言葉が混じっています。要は気が抜けているからそうなるのだと、精神論を元に怒鳴りつけているようです。ノルマが遅れたらどうするつもりだとも、罵っていました。早い話が、己の怒りを正当化して、子供にぶつけている訳です。

はっきりいって、御爺様の手を待つまでもなく、この場で叩きのめしてやりたいです。反吐が出ます。でも、耐えなければなりません。

怖くなんてありません。身近に、もっと怖い人がいるからです。お母様が怒る時の迫力は、もの凄いです。動物園で、ライオンが一睨みで悲鳴を上げてうずくまるのを見たことがあります。国会で、反対議員達を一喝で黙らせたことが伝説になっています。私はまだ中学一年生で、あんな迫力はとても出せないです。けれど、でも、今は。立ち向かわなければなりません。御爺様の力も借りずに、一人で。

ゆっくり、子供達の前に、盾として立ちふさがります。興奮している男性は、唾をまき散らしながら、私にくってかかってきました。フランス語で、余計なことをするなと罵り散らしています。鬼のような形相ですが、貧弱な理論武装で己の心を奮い立たせていることが見え見えです。古代の中国では匹夫の勇とこれを呼びました。

私はただ、じっと目を見ました。恐れることもなく。怒ることもなく。ただ、静かに目を見ます。もちろん、何も応えて等あげません。こう言う時、激高して手を挙げてくる場合があります。その時はもちろん抵抗します。ただ今の状況では、御爺様が此方を見ていることもあり、手を出してくることはまず無いです。

やがて、気味悪がって、男性は静かになりました。待っていたのは、この瞬間です。ここから、反撃を開始します。

今、二十分以上、無駄になったと言うこと。継続的にかき混ぜないと、カカオ豆は悪くなることがあります。それは子供達のせいではなく、怒鳴り散らすことで誰かが作業を中断させていたからだと言うこと。子供達は日射病で、働かせれば却って効率が悪くなると言うこと。これだけの豆が駄目になったら、クビくらいでは済まないと言うこと。

監督は完全に黙りました。此処から、更に追い打ちを掛けます。

今回の豆は、全部自分が買い取ること。しかし納期が遅れても、私は気にしないこと。しかし、あまりこの子達に酷いことをするようなら、この取引そのものをチャラにすること。

見る間に蒼白になっていく男性は、やがて何も言わなくなりました。日本の創作では、お金の力を否定するような話が多いですが、現実はこの通りです。日本でも、サラリーマンに実際になった年頃には、お金の持つ意味を否定する人間はほぼいなくなります。子供や家族を養っている人間で、お金の価値を嘲るような人などいません。ましてや豊かでないこの国で、有力者の不快感を買うような失職をしたらどうなるか、言うまでもないことなのです。

農場主のおじいさんは御爺様が「ちょっと撫でた」ことで、ゲリラやマフィアの後ろ盾を失っているとはいえ、この辺りのもっとも有力で圧倒的な権力者です。その権力は、日本で暮らしてきた人たちからは、想像も出来ないほど、多岐にわたっているのです。場合によっては、政敵を消したり、犯罪をもみ消したりするくらい、当たり前にやっているほどに。

その生きた証拠が、この子供達ではないですか。

嘆息すると、私は子供達に振り返って、仕事を続けてくださいと、出来るだけ丁寧に言いました。自身も、棒を再び手に取り、カカオ豆を混ぜ始めます。その間も照り続けていた陽の光は、肌を情け容赦なく焼き続けていました。根本的な解決になっていないことは分かっています。しかし、何かを変える時には、少しずつやっていかなければならないんです。

私は、権力が欲しいです。一刻も早く。今の私は、何とか自分の身を守れる程度の武術と、普通のサラリーマンの倍程度の財力しかない、ただの子供です。そのお金だって、自分で動かせる分なんてありません。今回だって、お母様に予算案を出して、それで使う分だけを降ろさせて貰っているのです。

それだけではありません。私は極めて社会的に無力は存在です。事実、参政権さえ持っていません。ある程度の知識はありますけど、とても大勢の人なんて、動かせません。お母様が凄まじい修羅場をくぐって力を付けた事は知っています。でも、それを知っていてもなお、すぐにでも力が欲しいなと思ってしまいます。

我ながら、浅ましいです。日本に生まれた子供の中で、一番権力志向が強いのが、私なのではないでしょうか。俗物だなと、自嘲してしまいます。学校で周囲から距離を取られるのも、仕方がないなと思います。

ふと手を止めたのは、違和感を覚えたからです。顔を上げると、子供達が、私を見る目が変わったことが分かりました。私が、豆を買い取る側の人間だと言うことに誰もが気付いたのです。

小さな子供達も、もう笑顔を返してはくれなくなりました。何時かは言おうと思っていたことですし、その時の反応も予想できていました。でも、少し悲しかったのは、事実です。

ただ、イマニだけは、以前と視線が変わりませんでした。きっと、最初から気付いていたのだと思います。あと少しだ。頑張ろう。そう言い聞かせて、私は灼熱の中、棒を動かし続けました。

 

夕刻。やっと陽が落ちると、急速に気温は低下していきます。剥き出しになった赤土は、土壌の貧弱さを見せつけながら、温度を下げていきました。私は剥き出しになった肌が蚊に食われていないことを確認しながら、日射病で倒れた子供達が無事だったか、御爺様に聞いていきました。みんな無事だと聞いて、胸をなで下ろしてしまいます。

粗末な小屋に入って行く子供達と何度か目が合いますが、笑ってくれません。イマニは年が上の方の子供達と、残ったカカオの実の収穫に行きました。まだだいぶ残っているらしく、しばらくは作業が続くことになります。

乾燥作業はあと三日で最初の分が終わりますが、後続が幾らでもやってきます。収穫は私も手伝おうと言ったのですが、イマニはこっちの手は足りていると言いました。視線には、今までにない謝意があったので、私は引き下がって、今休んでいる次第です。

ぼんやりしていると、イマニが戻ってきました。本当に収穫量が少ないようです。ピークは過ぎていると言うことが、抱えてきた実の量からも分かります。割るのは手伝わせて貰いました。

他の子達は、イマニが休むように言って、戻らせました。隣に座って、カカオの実を割ります。鉈を振り下ろして、一つずつ。実に鉈が食い込む音が響きます。皮を剥いて、既に拡げてあるバナナの葉の上にころがしていきます。三つ目の実を割りながら、イマニが話しかけてきました。

連れて行きたい所があるそうです。側のバナナの木に背中を預けていた御爺様が、軽く辺りを伺うそぶり。私には感じ取れませんでしたが、誰かがいるのかも知れません。何処に行きたいのかとイマニに聞くと、農場の裏だと言いました。

既に、星が瞬き始めています。少し危険かも知れないかと思いましたが、御爺様も着いていますし、何よりイマニに邪気が感じられません。カカオの実の皮をむき終えてから、イマニについていきます。色気づくにはちょっと早いですし、変なことをされるとも思えません。栄養状態が悪いと、性的な成熟もその分遅いのです。

其処は、農場の本当にすぐ裏手でした。現地供給用のバナナの畑を抜けた、ほんのすぐ先でした。

何だろうと最初は思いました。ですが。一瞬後には、蒼白になっていく自分が分かりました。

それはただの土の盛り上がりに見えました。雑木林の中で、彼方此方に土が盛り上がっています。違うのは、臭いです。この臭いは、以前二度嗅いだことがあります。いずれも、お母様に連れられていった、日本国外で、です。

これは、死臭です。しかも、人間の。

つまり、此処は。

僅かな沈黙が流れ去った後、此処は墓だと、イマニは言いました。一番最近ここに子供が入ったのは、私が来る三日前だとも。

死臭がすると言うことは、浅く埋まっていると言うことです。もちろん土葬でしょう。公然の秘密だと、言うことです。それもこの盛り上がりの数から言って、最近埋められた可哀想な子供も、一人や二人ではありません。この辺りに飛んでいる蠅が、何を餌に育ったのか。あまり考えたくありません。

ユリコの国は、どんな所なんだと、イマニは言います。カカオの実を、どんな風に食べているんだと。俺達の血がしみこんだカカオの実は、どんな味がするんだと。応えられません。

責めているような雰囲気ではありません。イマニは、私が来てから誰も死んでいないことに感謝していると言いました。日射病や、疲労で、脱水症状で、それにマラリアで。子供は簡単に死んでしまうのだとも。死んでも代わりは幾らでもいると、大人は残酷なことを言うのだと。今日も死ななかったと感謝しながら、毎日を過ごしているのだと。

俺と同じ年で入ってきて、生きている子供はもういない。そうイマニは言います。チャイルドソルジャーという、子供を使った兵士の非人道性が、日本では話題になったことがあります。チョコレート農場の奴隷労働の過酷さも、最近は知名度が上がりつつあります。でも、これほど過酷だったとは、思っていませんでした。

飛んできたヤブ蚊をたたき落としながら、私は涙を流していました。

あんたにとって、此処に来たことは道楽なのかと、イマニは言います。私は、応えます。私の国を、こうさせないために来たのだと。出来れば、力を得て、この国もこうではなくしたいとも。

寂しそうに、イマニは出来る訳がないといいました。幼い頃から植え続けられた絶望が、圧倒的な虚無を植え付けているのが分かりました。恵まれすぎた日本の子供達が持っている虚無感とは全く別のベクトルから来た、遙かに深い闇と悲しみが、それには籠もっていました。どうしようもない現実の中暮らすイマニの心からは、血が流れ出しているのが分かりました。

休むために戻っていくイマニを、私は追うことが出来ませんでした。

 

力なく戻ってきた私の側に、いつの間にか御爺様がいました。大きな手で、コートを掛けてくれます。礼を言うと、コートを返します。此処にいる間は、他のこと対等の条件で仕事がしたいんです。大人と渡り合う必要があるところでだけ、御爺様の力を借りたい。それは、事前に決めてきたことです。

小屋の中にはいると、思わず穴だらけの天井を見てしまいます。蚊帳には朝露の名残の汚れがこびりついています。

カカオ農場で何故子供の奴隷が酷使されるか、私は調べてきています。前から知ってはいましたが、ここに来る前にもう一度念入りに調査はしてきました。蚊帳の中に潜り込み、服を脱ぎながら、あの墓の事を思い出します。どれだけの子供が、墓の下に眠っていたのでしょうか。

社会の仕組みが違うと言うことが、まず第一にあります。日本だって、戦前くらいまでは、貧しい村でごく普通に身売りが行われていました。奴隷を使わなかった社会など、存在しません。もちろん、政治の腐敗もあります。もともと原始的な封建社会をしていた所に、無理に近代的な政治システムを持ち込んだら、混乱するのは当然です。社会的な価値意識の違いも大きいでしょう。ですが、それ以上に、カカオ豆の買い手である先進国の、資本主義経済が原因になっているのです。

カカオ豆の輸出量は、全世界で三百万トンを超えています。それだけ人気があり、食べられているという事です。当然競争は激しく、メーカーは如何に価格を抑えて品質を向上させるかで、生き馬の目を抜く戦いを繰り広げることになります。

市場競争である以上、やることは、何処も同じです。人件費の削減で工場を機械化し、新しい技術を投入してコストを削りあげる。それらを怠った会社は、瞬く間に潰れてしまいます。

労働者も、容赦なく省コスト化に巻き込まれます。そして最終的には、末端である、カカオ農場へしわ寄せが行くのです。何故か。「先進国」では、長い戦いの末に、労働者の権利がある程度確保できているからです。「後進国」の人々が努力を怠った訳ではありません。ただ、違う仕組みの中で、歴史を送ってきただけだというのに。最悪なのは、様々な中間マージンが、それに拍車を掛けているということです。世の中には生きるに値しない人間がいるもので、そういう方々が横から僅かな利益をかすめ取っていくのです。しわ寄せは、更に酷くなります。

これは経済の格差の問題だけではありません。システムの格差の問題でもあるのです。それも、優れているか劣っているかの格差ではありません。ただの、あり方の違いにすぎないのです。

ぬれタオルで、無造作に髪と体を拭きます。リラックスどころか、ため息ばかりが漏れてきます。

奴隷を使い殺しにカカオを作るのには、搾取以前にそもそも食べていけない現状があるのです。もちろん、一部の悪い人が全てをやっている等という、子供のような考えは論外です。いうならば、人間社会のひずみそのものが、犠牲を大きくしているのです。

身近な例では、日本でも、農業や漁業に対しては、同じ事が起こっています。買いたたかれる野菜や魚の原価があまりにも安すぎるのです。食糧自給率なんて、今の状況では上がる訳がありません。農業なんて、余程巨大な畑を抱えていない限りやっていけません。要は、作っても食べていけないから、誰もやらないのです。世界のどこでも、それが常識になりつつあります。中間マージンの弊害という点では、アニメ産業でも同じ事が起こっています。他にも、類似の例は幾らでもあります。

本来大きな責任を持ち、行動を管理しなければならない巨額の資産を持つ人間ほど、人命に経済を優先させます。お母様に連れられて彼方此方に行って、見てきました。社員を守らなければならないという理由で、会社はどんなことでもできます。その証拠が、あの墓です。直接的か、間接的かは、あまり関係がありません。人命が、結果によって失われることが此処では重要なのです。巨大な資本に一打ちされた、犠牲の子供達が、彼処に眠っています。今まで生きてきて直面する一番非道な現実を、私は体感していました。

どうやって自分が体を拭いて着替え終えたのか、覚えていません。いつの間にか横になっていました。何度も目を擦っていました。心が折れそうです。心の中で闇が渦巻いて、暴れ出しそうです。

いつか権力を得て、このどうしようもない世界を少しでも変えることが出来るのでしょうか。権力を得たら、腐ってしまわないでしょうか。お母様のような、全部力づくでねじ伏せるような豪腕は私にはありません。あんな風にならないと、まともな国政など回せないのでしょうか。

明日、この農場での、一連の作業が終わります。子供達はこれからも、此処で必死に生きていかなければなりません。この農場を御爺様が潰して、子供達を日本に連れて行って、救うことは可能でしょう。でも、他に何千とあるカカオ農場では、何一つ状況が変わらないのです。御爺様の武力は圧倒的ですが、それでも手が届かないことは、あるのです。

嫌な世界だと思います。でも、もっと嫌なのは、何も出来ない自分自身です。結局理屈に縛られるばかりで、行動を起こせていません。お母様は、現実を見ることで、己の内面を鍛えろと言われました。その意味が、今になってよく分かってきます。私は、変わらなければならないのです。

体はそれなりに鍛えてきました。死ぬような目にも会いました。実戦は経験したことがありませんが、ナイフを持った暴漢くらいなら撃退する自信もあります。でも、その技が一体何の役に立つというのでしょうか。

世界は美しいとか良くいいます。でも、それは本当なのでしょうか。実際はどうでしょうか。あの墓を見て、なおもそう言えるのでしょうか。

やはり力を早く手に入れなければならないと、私は強く思いました。武力では限界があります。お母様が権力を得たのは私とは違う目的だったと思います。私を拾ったのも、政界では「血筋」がいまだに人を従えやすいからだと言います。だから、政界での後継者を、没落旧家から拾ってきたのだと。それらは合理的だと思いますが、私には関係ありません。私は、ただ権力を早く握って、世界を変えるだけです。まだ中学一年生でしかないこの身がのろわしい。

虫が鳴いています。日本では聞くことがない鳴き声です。けたたましいものもあります。静かなものもあります。響くような鳴き声も。どれも、人間の愚かな営みをあざ笑っているかのようでした。人間であることを賛美する数々の思想の、なんと笑止なことか。私にはそればかりが感じられてなりませんでした。

虫の声が降るように響き渡る中。私は蚊帳の中で身を縮めました。私を変えるのは、私自身。自分でやらなければ、ならないのです。ただ、今は寒い。今は、ただ泣きたいと思いました。

 

朝。いつもどおり五時に目が覚めました。頭の中に霞が掛かったようです。気分が悪いという以前に、思考が定まりません。こう言う時は、体を動かすに限ります。じっくりストレッチをしている内に、時間は過ぎていきました。ランニングはやっぱりやらせてもらえませんでしたので、棒を素振りするだけにしました。それでも、だいぶ頭はクリアになりました。習慣とは、恐ろしいものです。

朝食を済ませます。子供達は困惑していて、私と視線を合わせてくれません。無理もない話です。私だって、どうしたらいいのかよく分かりません。量が少ない食事を喉に流し込み終えると、無言でみな作業に掛かります。

最初に収穫したカカオ豆の、最終調整作業が始まりました。最終作業は極めて簡単です。踏むのです。

まず、すのこを地面に降ろします。一週間ほど棒でかき回し続けたカカオ豆は、すっかり乾燥していました。すのこはここ一週間じっくり見て来たので、構造はよく分かります。半ば丸めるようにして、豆が落ちないように、ゆっくり地面に。泥水を掛ける場所もあると言いますが、ここではやらないようでした。

子供達が豆を踏み始めます。私も素足になると、踏んでみました。足の裏に当たる感触が、結構痛いです。靴を履いて生活していると、どうしても足の裏の皮膚は発達しないといいます。私ももやしっ子だと言う訳ですね。

しばらく足踏みをしている内に、太陽が今日も輝き始めました。早くも今すのこを降ろしたテーブルの上に、新しいすのこが敷かれて、豆が運ばれています。ぎゅっ、ぎゅっと踏んでいる内に、また日差しが強烈になり始めました。御爺様に、お湯を沸かして貰います。早い内に準備しておかないと、また倒れる子が出ます。

木陰でたばこを吹かしている監督の中年男性を見て、怒りを覚えます。子供の奴隷を使っている現状も腹が立ちますが、幾らでも代わりがあると考えているあの態度。少しでもコミュニケーションを図って、事故を防ごうとすればいいものを。昨日、倒れた子がまたふらふらしています。作業を中断して、抱き上げ、木陰に運んでいきます。日射病になりかけていました。御爺様はもう、ぬれタオルを用意してくれていました。

乾燥の作業では、豆を影に移すことが出来ません。額の汗を拭うと、再び豆踏みの作業に戻ります。かなり強度のある豆で、無茶な踏み方をしなければ潰れることはなさそうです。不意に、イマニがユリコと、私の名前を呼びました。また一人、目がとろんとしてきています。イマニが抱きかかえて、御爺様の所へ運んでくれました。

イマニがそうしているのを見て、他の子供達の目が、ちらちらと私に向くようになりました。助けを求める目。此処を出たら、何処にも行くところがない事は、誰もが知っています。良くてストリートチルドレン、悪くすればのたれ死にです。でも、この労働の中で手をこまねいていては、ばたばたと死んでいくばかりです。

私は呼びかけます。今なら、話を聞いてくれるかも知れません。太陽の光を、あまり浴びすぎると毒だと。出来れば、頭を保護する措置をして欲しいと。帽子は効果的ですが、人数分はとても用意できません。布を巻くしかありません。服を脱いで、頭に巻くようにいうと、みんなおずおずと従ってくれました。後は、気分が悪くなってきたら、すぐに御爺様の所に行って休むようにと。

目を剥いた監督が、文句を言おうと此方に来ましたが、御爺様が立ちふさがりました。潰されたくなかったら黙っていろと、威圧感の含んだ声で言うと、監督は震え上がって木陰に戻っていきました。いい気味です。効率が上がります。私自身は、服を脱ぐのは流石に嫌でしたが、かといって巻く布もありませんので、時々休憩を入れながら作業をすることにしました。それにしても、忌々しい太陽です。もう少し光を加減できないのでしょうか。

豆はもちろん汗まみれで、泥まで部分的に掛かっています。不衛生きわまりないですが、これが最終的には高級なチョコレートに化けるものなのです。これに関しては事前の調べがついています。あと少し、あと少し。言い聞かせて、踏みます。ろくに食べていないと言うこともあって、流石にきついです。何度か意識が飛びかけました。

昼食がやっと来ましたが、あまり食べる気にはなりません。お腹をすかせている子供達を優先するべきですので、抜きました。額の汗を手の甲で拭うと、じゃりっと言いました。土埃もかなり酷いです。腕時計の辺りは、塩が結晶化していました。

大丈夫かと、イマニが言います。大丈夫だと、 日本語で応えてしまい、怪訝な顔をされました。フランス語でもう一度、大丈夫だと言います。かなり頭の方の負担が大きいです。髪の毛を掻き上げると、不快感があります。汗が砂埃と混じり合って、大変なこととなっています。夜、寝る前にしっかり洗わないと、汚れは取れそうにありません。しかし、洗うろくな設備がないのも、辛いところです。

天頂を越えても、太陽はまだ元気で、降り注ぐ光に衰えはありません。一瞬何か幻覚が見えました。頭を振って追い払います。水を飲み干すと、すぐに作業に戻ります。順番に、すのこに敷かれた豆を踏んでいきます。人手が減っているのです。私が頑張れば、無茶をさせないで済む子供が減るのです。言い聞かせて、作業を続けます。

もし、両親が変なプライドに縛られていなかったら。旧家だとかの変な血が、体に混じっていなければ。私は普通の子供として、今頃友達と喫茶店でアイスでも食べている事でしょう。

旧弊にとらわれた政界の人間達から見て、私の血筋は便利なものなのだと、お母様は言いました。スタートラインが有利なのだから、これを使わない手は無いとも。今では、私自身もそう思います。正直、クーデター起こしてでも政権を握りたいくらいですが、それではせっかちすぎます。

こう言う時こそ、焦ってはいけない。言い聞かせながら、丁寧に豆を踏み続けます。足の裏は、もう感覚がありません。いつのまにか、豆踏みは一人でやっていました。五人が熱射病で倒れかけて、手が回らなくなったからです。

夕刻、豆踏みは終わりました。これで、一連の作業は終了。大変ではありましたが、思ったより、遙かに呆気なかったというのが本音です。でも。此処で働いている子供達は、これで終わりではありません。

農繁期には、カカオの世話。受粉。豆作り。それらがない場合は、辺りの農場の畑の世話。病になったら、助かる当てなど無い。日射病や栄養失調、脱水症状で、簡単にみんな死んでいく。

頭を洗うのも忘れて、落ちかけていました。御爺様がぬれタオルを頭にかぶせてくれました。桶があったので、水を入れます。シャンプーなんて気が利いたものは無いので、石けんで頭を洗うしかありません。髪を切っておいて正解でした。セミロングのままだったら、今頃大惨事だったでしょう。

上半身裸になると、髪を洗います。桶は、見る間に汚れだらけになりました。シャワーを浴びたいと思いましたが、そんなものは此処にはありません。あるとしても、オーナーのあの家の中でしょう。頼まれたって使いたくありません。

髪を洗って、体を隅々まで拭くと、ようやく一息。足の裏は何カ所か皮が剥がれて、瘡蓋になっています。感覚が無くなる訳です。他の子供達も状況は同じでしょう。汚れだけ落とすと、染みるのを我慢して、触らないようにしました。本当ならテーピングでもしたいところですが、そうもいきません。

大丈夫かと、外から声。日本語だから、御爺様です。大丈夫ですと応えると、客だともう一声。

足の裏がこの状態で、そのまま出る勇気はありません。靴下を穿いてから、外に出ると、イマニが待っていました。小首を傾げる私に、何人かいた他の子の腕を取って、前に出します。

日射病で倒れた子でした。今日だけじゃなくて、三日前も倒れたところを介抱しました。笑顔を作る私に、その子は、現地の言葉で何か言いました。イマニがフランス語で言えといったので、困惑しながら、もう一度。

ありがとう。といってくれました。

涙を抑えるのが大変でした。私も、チョコレートを無自覚で食べていた人間です。恨まれて当然なのに。こんな言葉を掛けられると、どうして良いか分かりません。笑顔で応えるのが、大変でした。

他にも、何人かいるようです。立ち話も何なので、御爺様が定位置にしている大きな石に腰掛けて、話すことにしました。余所の話が聞きたいと言われたので、来る途中に見てきたアビジャンの話をしました。空港があって、飛行機が飛んで。道路は舗装されていて、大きなビルが立っていて。一通り話すと、アビジャンは嫌いだと、子供達が言いました。ユリコの故郷はどんな所なんだって、聞かれました。

銀月の屋敷の話をします。実態のない名門ではなく、地元で勢力を築き上げてきた銀月は、実際にかなり巨大な力を持った一族です。だから、屋敷も古くて大きいです。屋根瓦の様子や、竹の林の話。時々遊びに来るお母様のお友達。みんな面白くて、でもやっぱり怖いところのある人達です。太陽はやっぱり暑いのかと聞かれます。こちらより暑くないと言うと、良いなと唇を尖らせていました。

カカオ豆を、どんな風に食べるんだと、聞かれました。明日、みんなに食べさせてあげるねと言うと、嬉しそうに白い歯を見せて笑ってくれました。罪滅ぼしだなんて、思っていません。こんな事で、罪滅ぼしが出来る訳がありません。でも、少しでも嬉しそうにしてくれて、良かった。本当に良かった。

もう夜も遅いし、みんなを送っていきました。この農場を買い上げることは、不可能ではないかも知れません。でも、この農場だけを救っても、意味がありません。今できるのは、少しでもこの子達の負担を小さくすること。このことを忘れずに、将来権力を握って、少しでも世界を変えること。

それだけが、今の私に、出来ることなのでした。

別れ際に、イマニが言いました。みんな助けてくれてありがとうと。私は、何もしていません。今はまだ、何も出来ていません。

無力な私に、イマニはそれ以上、何も言いませんでした。

御爺様が、言います。明日、帰ると。もう少し残って仕事をしたいと言いましたが、駄目だと言われました。そう言われてしまうと、何も返せません。

本当なら御爺様が着いてきていることでさえ、おかしいのです。頭脳労働だけなら、自分で全部やりました。下調べも、取引の確認も、それにこの農場の吟味だって。でも、私は所詮、御爺様という巨大な武力の護衛がなければ、何も出来ない子供に過ぎません。今、わがままを言っていれば、更に大人になるのが遅れるだけです。御爺様に頷くと、私は小さな小屋に入りました。

夜半から、雨が降り始めました。みんな寒い中凌いでいるだろう事を思うと、忸怩たる思いさえ感じました。みんなが使っている蚊帳は破れていないだろうか。身を縮めて寒さを凌ぎながら、私はぼんやりそんなことを考えていました。

 

早朝。仕事が始まる前に、御爺様と素早く近くのホテルへ行って、取ってきました。子供達が点呼で集まる少し前がチャンスです。人数分は充分にあることを、確認しました。

昨日豆踏みが終わった分は、ジュート袋に既に詰められています。この分は、直に持ち帰ります。空港で少し手間取るかも知れませんが、大丈夫です。六十キロもある袋で、もの凄く重いので、腰を痛めないように気をつけなければなりません。この運搬も、子供達には大きな負担になっています。

重い袋を持ち上げるには、コツがあります。腕力だけで持ちあげるのではなくて、体全体を使うのです。呼吸をするタイミングを把握し、重心をしっかり理解しておかないと出来ないことで、それなりの修練が必要になってきます。もちろん、それでも限界があります。筋肉が悲鳴を上げて、少しでもミスをすると骨が折れそうです。集中して、一つずつ、確実に運びます。自分が行った作業の分、二袋はこれで持っていきます。4WDの後部座席に積み込みますが、車が大きく揺れました。二つ目を持ち上げます。筋肉痛になるような無様な鍛え方はしていませんが、それでも負担は並みならぬものです。汗が噴き出してきます。

この重量だと、流石にかなり疲れました。袋を引きずっては意味がないので、自分一人でやります。荷車があれば少しは楽なのですが、そうも言っていられません。小一時間も作業にはかかりましたが、まあこんな所でしょう。

御爺様が、監督に話を付けにいきました。私は、全員にチョコを配ります。これがカカオを、工場で加工した結果の食べ物だと。黒い固まり。普通の板チョコです。あまり高級なチョコだと、却って失礼に当たると思いました。チョコの生の味が良く出るストレートな板チョコをこそ、食べさせてあげたいとも。

最初にイマニが口を付けました。複雑な表情です。確かに独特の味かも知れません。それを見て、他の子供達も、めいめい食べ始めました。小さな子ほど、おいしいおいしいと喜んでくれています。

無邪気な彼らの様子が切ないです。

自分たちが作ったチョコレートが、どんなものなのか知って貰いたい。ただそれだけの事なのに。どうしてこうも、悲しみを誘うのか。

チョコレートはすぐになくなりました。全員に挨拶していきます。小さな子ほど、最初のように笑ってくれました。イマニに年が近い子は、複雑な表情でした。何人かは、最後まで笑ってくれませんでした。

帰る準備を始めます。この農場でのことは、ずっと忘れないでしょう。ワゴンにジュート袋を詰め込むと、イマニが歩み寄ってきました。

確かにおいしいけど、こんなもののために、みんな死んだのか。静かな怒りが、言葉に籠もっていました。そう言われると、応える言葉がありません。ごめんなさいと、それしか言えませんでした。

イマニは、お前が謝る必要はないと、静かに言います。お前は何人も救ってくれたから、感謝しているとも言ってくれました。そして、言葉を句切って少し沈黙に身を任せた後。冷酷な農場主がいる方を見て、言いました。

俺も、この国を何時か変える。絶対に生き残って、こんな事で子供が死なない国にする。私も頷くと、握手を求めました。どちらが早く、自分の国を変えられるか、競争です。そう言うと、初めてイマニは笑ってくれました。

最後に、農場主に挨拶に行きます。今朝、お母様からメールが入っていました。この農場を、近々買い取るつもりだそうです。それならば、もう少し強い圧力が掛けられそうです。御爺様と一緒に、クーラーの効いた部屋に入ると、眉根を寄せた農場主が、机で此方をにらみ付けていました。知っているのでしょう。御爺様が、私を守る以外では、手を出さないことを。私に対する洒落臭い態度くらいなら、問題ないと。長年この地を仕切ってきただけあって、たいした判断力です。

医者を雇うように告げます。マラリヤのワクチンと、ささやかな医療品類を置いていくことも告げておきます。ノルマは若干遅らせても良いから、休憩を増やすことと、食事をもう少しましにすること。その分が、今回の取引分の利益に盛り込んであること。それらも告げます。

もうすぐオーナーになる相手には、農場主は逆らえないようでした。頷く彼に、もし約束が守られていなかったら、買い取りの話はチャラだとも告げます。ぎりぎりと歯を噛んでいるのが分かりました。

特産物があると言っても、この辺りの経済は、海外からお金が入ってこなければ成り立ちません。あっという間に干上がってしまいます。しかも、上から下までまんべんなく。だからこそ、この脅しは意味を持ってきます。

今はこれだけしか出来ません。農場主は全く信用できませんから、医師については、此方から手配するしかないでしょう。農場主と結託するような人間では意味がありません。国際支援団体が派遣しているような意識もスキルも高い医師が掴まればいいのですが。そこまで行かなくても、何とか良心的な人間を捕まえておきたいところです。技術者と言っても、人間である以上愚物も賢者もいます。職業の性質に、それは関係がありません。

監督をしていた者達は、みんな露骨に視線で此方に媚びを売ってきていました。子供達を怒鳴りつけていたあの中年男性も、私に卑屈な笑顔を浮かべてきます。多分、農場のオーナーが変わることを敏感に察したのでしょう。

これで、この農場は救えたのかも知れません。でも、大勢には何の影響もありません。農場はコートジボワールだけで幾千もあるのです。世界的に見れば、農場で子供の奴隷を使うことは珍しくもありません。此処ほど過酷な場所は少ないと言えるのでしょうか。否、何処も似たような状況の筈です。

子供を含めて、人間があまりにも多すぎる。経済が豊かではない。政治が腐っている。そして、諸外国の資本主義の、負の部分のしわ寄せが来ている。社会の仕組みが、子供を保護するようには出来ていない。地方の有力者達が不必要に強すぎる力を持っている。まだまだ、幾らでも要因は挙げることが出来ます。

問題はあまりにも多すぎるのです。一つずつ解決していかなければなりません。全て解決した時には、いったいいつになっていることか。世紀が変わっても、何も解決していないかもしれないのです。

外に出ると、珍しく雨が降り始めました。乾燥させていたカカオ豆を、すのこごと慌てて影に移しています。最後ですし、手伝っていくことにします。御爺様も、これだけは許してくれました。

雨の勢いは強く、随分濡れてしまいました。でも、気持ちが良かったです。カカオ豆を全部移し終えると、イマニが静かに笑ってくれました。やっと彼の笑顔を見ることが出来ました。心が通じた気がします。

また、会おうなと、イマニは言ってくれました。頷くと、4WDに乗り込みます。今日は雨と言うこともあって、作業はだいぶ楽になるはずです。少しでも休めるといいなと私は思いながら、農場を後にしました。4WDが走り出すと、見る間に農場は遠ざかっていきました。

後ろ髪を引かれる思いです。車を運転する御爺様は、最後まで無言でした。私の意図を察してくれているかは、分かりません。でも、優しい対応だなと思いました。今は、ただ無言でいたかったのです。

途中、ホテルによって、着替えます。サバイバル用の服から、外出用のものへ。この時点で、体の方が、仕事が一段落したと理解してしまったのでしょう。気のゆるみが出るのが分かりました。疲労が全身から這い上がってきます。吐き気さえ感じますが、以前の拒絶反応に比べれば、幾分ましです。御爺様も、私が本当に辛そうな時には声を掛けてくれます。そうでないと言うことは、耐えられると判断しているのでしょう。ホールで合流すると、御爺様と一緒に、パソコンが置いてあるフロアへ向かいます。ある程度以上のグレードのホテルには、大体インターネットともども用意してあります。

帰るまでに、まだやることがあります。幾つかの支援団体の事務所に連絡して、医師の手配を要求します。幸いと言うべきか、一人見つかりました。専属で常時いる訳にはいかないと言うことですが、それでも充分です。

最終確認のために、直接会いに行きます。二時間ほど車に揺られて小さなビルに行くと、いました。オランダ人の医師で、とても意識の高い人でした。かなり痩せていて、赤みが掛かった髭で口を覆っていました。最初は笑顔でしたが、農場の実態を伝えると、すぐに私が行って、これ以上被害者が出ないようにすると約束してくれました。嘘をついている様子はありません。御爺様も無言で頷いていたので、大丈夫かと思います。細かい取引などについても、それほど苦労せずにまとめることが出来ました。

取引が終わると、もう夕方を過ぎていました。これでようやく、帰宅の途につきます。しばらく揺られる内に、車の中で眠ってしまいました。夢の中で、イマニが農場から脱出して、みんなと一緒に小さな村を作って、独立した生活を始めていました。そして総理になった私が、その村に支援をする事を決めた辺りで、目が醒めました。実現すればいいなあと、私は誰にも気付かれないまま思いました。

起きた時には、もうアビジャンの空港で、飛行機が丁度飛び立っていくのが見えました。またジュート袋を運び出さなければなりません。これくらい、あの子供達の労働に比べればなんでもありません。

私は腕まくりをすると、もう一がんばりするべく、頬を叩いて気合いを入れ直したのでした。

 

3,チョコレートの輪廻

 

日本にある加工工場へカカオ豆を持ち込んだのは、コートジボワールから帰国してから、二日後の事。コートジボワールに出かける前から、話を持ち込んではいたので、門前払いにされるようなことはありませんでした。

空港で厳しいチェックを受けて、きちんと検査をクリアした豆です。自分でもジュート袋の中から断腸の思いで少し豆を出して、品質検査をしています。問題ないことは、既に確認済みです。それでも色々調べられるのは、正直腹が立ちました。

しっかりチョコレートを食べられる状態に加工するまでが、今回の仕事です。ただ、日本などの工場は、完全にライン化されており、全ての作業を流れで行うことは出来ません。配分表など、企業秘密に属することも多く、全部の作業を見ることも難しい状況です。でも、私は、この豆がチョコレートに加工するまでをしっかり見届けたい。だから、自然に気合いも入ります。

最寄り駅から歩いて十五分。工場はそれほど大きくありませんが、日本でも最新鋭の設備が揃った工場です。都心ではないですが、それでも辺りには必要な設備があらかた揃っていて、生活感もあります。ただ、目立つのは、シャッターの降りた商店と、コンビニです。ここも、あまり他とは変わらないようです。お母様が働いた数年で日本の景気は随分回復しましたが、まだまだ地方ではこういう現実があります。

到着しました。工場の入り口は流石に警備が厳重で、外来のネームプレートを貰って、ようやく中にはいることが出来ました。工場の周囲にある金網には、当然のように監視カメラがついています。

うさんくさそうに守衛が私の全身を眺め回すと、ようやく工場長の部屋に通されます。気難しそうな人で、頭髪には白い物が混じり始めていました。眉根の皺は深く、笑顔が想像できません。御爺様とは正反対の意味で、もの凄く気難しそうな人です。

今回、御爺様は来ていません。コートジボワールに着いてきたくれたのは、あくまで特例です。私では対抗できない暴力が存在するところにだけ、御爺様は着いてきてくれるのです。今回は自力で何とか出来るはずだから、私としてもそうしてほしいと考えていました。ちゃんと意思を汲んでくれるのは、嬉しいです。

学年単位だとかだったら、見学も大歓迎なんだけどねと、工場長は心底嫌そうな顔をしていいました。私が持ち込んだ豆に対しては、得体の知れない豆をラインにのせるなんて、冗談じゃないよとまでほざいていました。私の眼前で、です。怖いもの知らずと言うよりも、単なる愚か者だとしか言いようがありません。

気難しいのは結構ですが、利己的で、御爺様とは随分違う人種です。部屋の隅にある、丁度いいサイズの消火器に目が行きます。鈍器としては充分な代物です。これを使ってその場で殴り殺したくなってきましたが、苦労して笑顔を維持します。

工場長は私の笑顔を嘲弄するように見ながら、とろそうな社員の一人を視線で差して、今日はあれが案内するから、仕事の邪魔をしないようにねとか改めてほざきます。権力を得た暁には、会社上層部に働きかけて家族もろとも路頭に迷わせてやろうと決めながら、とろそうで人が良さそうなそのお兄さんと一緒に部屋を出ます。

何なんでしょうか、この工場は。はっきり言って、反吐が出ます。あの豆に、どれだけの血と汗がしみこんでいるか、知りもしないくせに。汚い言葉が出そうになりますが、ぐっと飲み込みます。

商売だから。品質が会社の要求するものに「合致しないかも知れない」から。そんな理由で、血と汗と命がしみこんだ豆を否定するのか。来る前に、検査は此方でしています。規格に合っていることは、確認済みです。あんな事を言われる筋合いはありません。

死んでしまえと、汚い言葉が、口から出そうになります。最新鋭の設備が整えられた工場にいる人間が、精神的に優れているなどと言うのは都市伝説に過ぎないと分かってはいましたが、こうも腐食が酷いと怒りと同時に悲しみまでわき上がってきます。

世界に溝を作っている意識の格差の違いは、こんな所にもあります。専門職についている人間からでさえ、こういう反応が出てくるのです。病根は個人に起因するものではなく、人類そのものから来ているとしか思えません。人間そのものが駄目なのだとしか、言いようがありません。無意識に踏みにじるからこそ、傷口はより深く、大きくなっていくのです。

私の怒りに気付いてもいないだろうとろそうなお兄さんは、実にとろくさい動作で、私を案内してくれました。中島さんというそうです。中島さんには別に敵意は感じません。弱者が虐げられるのは何処でも同じだと、よく分かっています。

まずは着替え。最近の食品加工工場では、基本的に埃も入らないような、超滅菌体質で作業が行われます。これは別に調査するまでもなく、以前似たような食品加工工場に来たことがあるので、知っているのです。

ただ、作業着のサイズがあるかどうか不安でしたが、灰色の作業着は、何とか丈が合うのがありました。女子更衣室も一応ありましたが、殆ど物置とかしていて、ロッカーで使えるのは殆どありません。何とか一つ使えるのを見つけて、そこに私物を入れることにしました。

ロッカーを閉じると、錆ついた蝶番が軋む音がしました。鍵はがたついていて、セキュリティの意味を成していませんでした。ますます不安です。盗られて困るようなものは持ってきていませんが、それでも嫌です。着替えた工場衣は、消毒薬の臭いがしました。帽子を被って、マスクをつけて。手袋までしてから、工場に入ります。完全防備と言うに相応しいですが、まだ終わっていません。

入る時に、エアシャワーで、埃を全て落とします。シャワーとは言っても、風の圧力は凄まじく、快適なものではありません。しばらく目を閉じていると、やっと風は止んで、奧にはいることが出来ました。

照明さえもが抑え気味な空間でした。何だか、食品を作る空間と言うよりも、精密な機械を製造している場所のようです。衛生意識もここまで行くと病的だなと、私は思いました。外部への通行手段などもちろん無く、ゴキブリどころか、蟻やショウジョウバエさえ入り込めはしないでしょう。

小学生などの団体が通ることはあっても、一人が見学することはまず無いのでしょう。今回の見学も、元総理の娘だからと言う理由で、特別に許可されているものです。工場側からすれば、許可してやっているという意識なのでしょう。私を案内しているお兄さんのとろそうな様子からも、おざなりな対応からも、堂々と吐き捨てられる暴言からも、それらは明らかです。銀月の名前を出せば反応は少しは違ったでしょうが、そんな気にはなりません。

私は、血と汗がしみこんだ豆が、しっかりチョコレートに加工されるところを見届けなければなりません。

加工場へ入ると、ラインの左右にいた人たちが、私を見ました。ぺこりと一礼。怪訝そうに礼を返す人は少数。残りはにやにや此方を見ていました。中には私の薄い胸や腰に視線を這わせている人もいました。視線を遮る装置とかがあったら、迷わず作動させたい所です。御爺様くらいの武術の達人であれば、気合いだけで気絶させることも出来るのでしょうけれど、私にはとても無理です。

暗がりからベルトコンベアに乗せられて、ジュート袋が運ばれてきました。二袋とも、自分が持ち込んだものに間違いありません。これらは既に宅配便で工場へ送っておいたものです。別の袋の中身が、同じようにマスクをした人たちによって、ざっと開けられます。非常に機械的な作業です。豆が、ベルトコンベアの上を流れていきます。そして、機械に飲み込まれていきます。

まずは豆を粉砕して、カラや、不純物を落とす。作業については事前に調べてきてあります。豆を粉砕する激しい音が、私の立っている所まで響いてきます。同じように、袋の中身を開けて良いかと聞くと、怪訝そうに小首を傾げます。迂遠な話です。工場長の許可を得ていると言うと、ようやくラインを動かしてくれました。

ジュート袋の口を開けて、中身を別ラインのコンベアの上に。さっきの豆とは混ぜない方針です。品質保持のためには仕方のないことでしょう。やっと此処まで来たと、私は思いました。イマニが最後に見せてくれた笑顔を思い出します。こんなもののために、みんな死んだのかという言葉を思い出します。

流れていくコンベアは、機械の中に豆を運んでいきます。砕く音が凄いです。もう一袋も開けます。運ぶのに比べれば、随分楽な仕事です。粉砕された豆が、機械から出てきました。この状態をカカオニブと言います。何だか随分あっさり砕かれるんだなと、私は見ていました。

豆を110℃前後で煎り、次に配分が行われます。普通は何種かの豆を混ぜて味を調整します。「ガーナチョコレート」という有名な言葉で、ガーナ産の豆ばかりチョコに入っているように思えますが、実は違います。品種ごとにかなり味が違うので、調整するためには豆を混ぜるのが最適なのです。アフリカ産と南米産でも品質が随分違いますし、それらをブレンドすることでより深みのある味わいになるのです。

ただ、今回は同じ豆だけを使うので、この配分作業は省略。ローストされた豆が運ばれてくると、香ばしいにおいがします。まだ、私が知っているチョコレートとは別物の香りですが。

元々チョコレートは、飲み物だったのです。チョコレートショップという、チョコレート飲料だけを専門で出す店もあったとか、調査の過程で知りました。もっとも、昔のチョコレートはとても苦くて、大人のための飲み物だったそうですが。香りからも、それが伺えます。

機械の中で、具体的にどんな行程が行われているのかが見えないのが、心残りではあります。グラインダーと呼ばれる機械に掛かると、ローストした豆が磨り潰されます。元々油脂が多い豆は、これでどろどろの状態になり、カカオマスと呼ばれます。以前調べた時に全て覚えてはいますが、何だか短期間で色々名前が変わってややこしいです。

中島さんは、糸目を更に細めて、嬉しそうに説明してくれます。あんまり嬉しそうなので、チョコが好きなのかと聞くと、好きだと即答されました。周囲にバカにされている人ですが、邪気が感じられなくて、個人的には嫌いではないです。

良い人が、愚か者の代名詞になったのは、いつからなのでしょうか。何だか、この年で言うのも何ですが、常識というものは好きになれません。人間の愚かさがより凝縮されているとしか思えないからです。

この人の方が、工場長に向いているかも知れないなと思いながら、着いていきます。作業の工程は、まだまだ続きます。機械類をチェック。必要とあれば、今後は自分で作業を行わなければならないので、構造や仕組みを見ておきます。

ラインの構造と、機械の配列を確認していると、後ろの方から、不快な言葉が聞こえてきました。中島はガキのお守りか。使えない奴だし、それが適当だろ。笑い声。中島さんには聞こえていないようです。もっともこの善良な人は、聞こえていても気にしないでしょうが。

どうやらこの工場、大なたを振るう必要がありそうだなと、私は思いました。内部の腐敗が著しいです。確かに機械さえ動かせば、高品質のチョコレートを作ることが出来るかも知れません。しかしこうも作っている人間の精神が腐食していると、いずれ大きなミスが起こる可能性が高いです。企業スパイに、情報を漏らすくらいの事は平気でやるでしょう。

先人の知識を冒涜するような、こういう存在は、人類の恥です。チョコレートがどれだけの苦労の先にできあがったお菓子なのか、考えたことさえないでしょう。

元々、固形チョコレートは十九世紀後半に入ってから食べられるようになったものです。それだけ作成の過程は複雑で、高度な技術が使われており、試行錯誤の末に生み出されたものなのです。複雑で、高度な技術の結晶体。家庭レベルでは再現できる水準を遙かに超えています。はっきり言えば、素人が手に負えるものではありません。

良く手作りチョコレートと言いますが、あれはこれらの過程が完全にこなされた後のものの味を調えているに過ぎないのです。本当の意味での手作りチョコレートなんてものは、余程の大富豪でないと作れないでしょう。私には無理です。私が直接動かせるお金なんて、たかが知れているからです。今回の件だって、予算案をお母様に提出して、それでようやくお金を引き出せています。無駄なお金なんて、一円だって使っていません。

中島さんに気付かれないようにため息をつくと、思考を戻します。あのような人たちのために、思考のリソースを割くのはもったいないです。

ラインに沿って歩いていくと、カカオマスに、砂糖、ミルク、カカオバターなどを混ぜ合わせる段階に来ました。この比率は企業秘密らしいのですが、中島さんはぶつぶつ配分を呟きながら、機械を動かしています。丸聞こえです。

フォラステロ種単品だと言うことは告げてあるので、それに基づいて配分をしているのでしょう。とりあえず、コートジボワール産のフォラステロ種に関するこの企業での配分については、聞いて覚えてしまいました。

操作させてくれないかと言うと、快く承知してくれました。多分無理だろうと思っていたので、驚きです。今覚えたとおりの配分に調整。多分、素人の出る幕はないでしょう。だから、敢えて配分を弄らずに、そのままにします。配分は0.1パーセントより更に下の単位で弄ることが出来る、極めて精密なものです。扱うカカオ豆の量が量ですから当然だと言えます。

固形チョコレートは歴史が浅い食物ですが、全世界で食べられている事からも分かるように、高度な競争が常に行われています。それが末端の労働を担う子供達に大きな負担を掛けていることは、直接見ました。複雑な気分です。この配分を作るためにも、熾烈な競争があったことは疑いありません。

暗い気分になっていても、仕方がありません。今はただ、どうやってチョコレートが作られるのかをしっかり見届け、行動が無駄にならないようにしなければならないのです。人道支援で提供される物資が発展途上国で横流しされるなんて事は、日常茶飯事です。この日本でも、詐欺は横行しています。せめて最初に作る分だけでも、徹底的に確認しなければならないのです。

動き続けるラインに意識を戻します。昔は液状だったチョコレートを固める重要な要素は幾つかあります。私が調べた限りでは、「練り上げる」ことがそのポイントになっています。

複雑にうねるラインに沿って歩いていくと、移るべくして次の過程に。コンチェと呼ばれる機械が見えてきました。このコンチェで、味を調えるために乳脂肪分を加えた後、じっくり練り上げます。見学用に調整されているらしく、実際に練っている所を、見せて貰いました。

機械の隙間から覗くと、ゆっくり回転する棒が、既にチョコレート色になっているカカオマスを練り上げています。私の調べた知識では、この過程で、脂肪を結晶化して、チョコレートが固まる基礎にします。ようやくチョコレートらしい香りになってきました。今までは苦みの方が遙かに強かったのですが、今ではもう接し慣れたチョコレートらしい香りです。

コンチェも、回転速度などは企業秘密のようです。もちろん、ローラーの動く速度によって品質に差異が出るからでしょう。確認したところ、調節用のつまみが幾つかありますが、実際には中央センターで制御しているようです。こっちはあくまで緊急時の手動調整用でしょう。普段は半分以上全自動で動かしているみたいです。

この作業は、固形チョコレートを作る過程で、もっとも重要なものだと考えて間違いありません。それを全自動で行えてしまうのは、数え切れないほどの試行錯誤を繰り返した良い証拠です。ただそのまま動いているコンチェには、別の意味での血と汗がしみこんでいると言って過言ではないでしょう。

コンチェに接続されている次の機械を確認。ラインとしてはすぐ隣なので、そう歩くこともありません。

次の過程では、コンチェによって練り上げられたものを適温に置くことで、脂肪結晶を安定化させます。この温度調整をテンパリングと言いますが、チョコレートの種類によってかなり微細な調整を行う必要があり、しかも完全に自動化されているので、手を入れる余地がありません。

テンパリングは「手作りチョコレート」を作る時にも作業の中で絡んできますが、これはもっと原始的な、品質を固定するための作業です。店頭に並ぶお菓子の均一な品質を考えると、その精密さがよく分かります。

具体的に何℃くらいで調整しているのか確認して、素早く覚えます。覚えておいて、損はないでしょう。中島さんは熱心だねとにこにこしながら言います。礼を言うと、もう覚えたので、ラインの状態をもう一度チェックしておきました。

少し時間が掛かると言うことで、食堂に案内して貰って休憩にします。ラインからかなり離れている、別棟の建物です。チョコレート工場だからといって、特に捻ったところはなく、食券を使う形式の普通の食堂です。社会勉強だと行って、以前お母様がどこだったかの会社の社員食堂に連れて行ってくださいました。やる気のない料理人がやっつけ仕事で作ったもの凄い味のそばを食べる事になったので、あの時のことはあまり思い出したくありません。

カレーを注文した中島さんを見ながら、此方は山菜そばを注文します。少しでも栄養のバランスが良さそうなものを注文したのです。チョコレートのにおいばかり嗅いでいたので、こういう素朴な香りの食べ物をお腹に入れたい気分だということもありました。如何に良いものでも、ずっとかぎ続けると流石に別の香りに接したくなります。

スピーディな食堂でした。ファーストフード並みの速度で、そばが出てきました。大勢の労働者が食べるのだから、当然ではあります。以前のこともありますし、正直不安でした。しかし、味は思ったより良くて、安心しました。多分、カレーも悪くない味だったのでしょう。向かい合って食べながら、しばし無言になりました。

一足先に食べ終えた中島さんが、話かけてきます。あのカカオ豆はどうしたのと。コートジボワールで、現地の子供達と一緒に収穫して、出荷までの過程を全部こなしましたと言うと、最初は笑っていました。冗談だと思ったのでしょう。でも、私がにこりともしないので、すぐにさっと青ざめました。季節の割に良く焼けている私の肌を見て、気付いたのでしょう。それが本当だと。

本当であれば、私が何を見てきたのかも、悟ったはずです。最低限の思考回路を備えていれば、そうなるはずですから。

中島さんは三十間近といった所でしょう。その年でチョコレートが好きだと言うことは、悪いことでも何でもありません。世の中には味覚的な嗜好で相手をバカにする悪しき風潮もあるようですが、そんな事に意味などありません。ただ、この年齢で趣味にしていると言うことは、カカオ豆がどうやって収穫され、出荷されるかは知っているはずです。コートジボワールでの労働実態についても。工場長の暴言に、私がどういう感情を抱いたかも、理解したことでしょう。

世界全土のカカオ農場で、人身売買の犠牲になった子供の奴隷が使われている訳ではありません。しかし、私が挙げた国名を聞けば。私が何を其処で見てきたか、すぐに分かるはずです。

国によってそれぞれ微妙に味や品質が違うと聞いていますが、それでも基本的なフォラステロ種に代わりはありません。いつもと同じ豆。口にはいる時は、いつもと同じチョコレート。フォラステロだから少し苦みが強くて、こくのある、美味しいチョコレート。重要なのは、ただそれだけ。製造の過程が、顧みられることは、ありません。

ばつが悪そうに、食べ終えたカレーの皿を見る中島さんに、私はそばの汁を飲み干してから言いました。

熟成は自宅で行います。だから、インゴットに加工したら、すぐにください。そう言い終えると、中島さんはどうしてか、私に謝りました。眉をひそめた私は、謝ることなどないと言ったのですが。中島さんは、黙り込むばかりでした。

謝られても困ります。謝るべきは、中島さんではありません。あの工場長だったら、イマニ達に土下座させてやりたいところですが、というよりも私が率先して頭をかち割ってやりたいところですが。中島さんに罪はありません。中島さんが謝る理由など何一つ無いのです。

周囲の労働者達が、にやにやと此方を見ています。いわゆるゲスの勘ぐりをするような人たちに興味はありません。ただ、不快なだけです。

そもそも、子供を大人が保護し育てていくのが社会の仕組みの筈。いつから大人が子供と接すると、変質者の類とみなされるようになったのでしょうか。歪んだいびつな世界にしているのは、現役で社会を動かしている、ああいう人たちではないのでしょうか。どうして中島さんのような人が、ああいう人たちの代わりに謝らなければならないのでしょうか。非常に不愉快です。

死んでしまいなさいとだけ心中でつぶやくと、最後の過程を見に行こうと、中島さんに促しました。

 

しばらく休憩室で本を読んでいると、中島さんが来ました。さっき、最後の作業過程は見せて貰いましたが、まだ其処まで私の豆は到達していなかったので、休憩室にいて欲しいと言われたのです。

最近は禁煙化が進んでいて、休憩室でたばこを吸う人はいません。それが救いではありました。たばこは嫌いです。響小路の家に来ていた、嫌な感じがする大人達の中で、私を暗がりに連れ込もうとした人がいました。側を警察の人が通った時に大声を出したので事なきを得ましたが、今でもあのぎらついた目と口臭は覚えています。たばこの脂のにおいが染みついた、あの口臭のことは、生涯忘れないでしょう。

中島さんに促されて、一緒にラインに向かいます。テンパリングが終わったチョコレートは、冷やして固めた後、じっくり熟成させます。今回、熟成の作業は自分で行うので、インゴット状に加工するところまでで終わりです。もちろん、全部一気にインゴットに出来る訳ではありません。今日はまず最初に出来た分を受け取って、残りは後で家に届けて貰うつもりです。加工に必要なお金は払っています。異論は許しません。

冷却が済み、工業用のインゴットに加工されたチョコレートが、ラインの終点に出てきました。本当なら、此処からそれぞれの商品に加工するべく、別のラインに行きます。或いは、各メーカーの工場に輸送されます。「スイーツ」であるチョコレートの製造工場としてからは、ここからが本番となります。しかしながら、今回は此処でおしまいです。私が、インゴットしか必要としていないからです。

この段階では、チョコレートの味はまだ本来のものではありません。此処からしばらく低温で保存することによって、ようやく味が安定するのです。

案内された場所は、部屋が区切られていて、非常に寒いです。チョコレートを型に流し込み、冷やして形を整えるのですから当然です。他のラインで作業をしている労働者も、厚着をしています。私もマスクをしていなければ、白い息が見えていたでしょう。

ベルトコンベアに、インゴットが流れてきました。金の延べ棒ならぬ、チョコレートの延べ棒です。市販されている可愛らしいお菓子のチョコレートと同じものとは思えないごつい代物ですが、別に驚くことはありません。お菓子に加工される前は、大体この形状です。ムースチョコレートもトリュフもスティックチョコレートもアイスも、元を辿ればこれに行き着くのです。

考えてみれば、迂遠な話です。このインゴットも、それら加工先の事を考えて、配分を整えているはずです。お菓子が流動的な代物で、同じ商品でも品質は年々変わることを考えても、中間作業で失われるカカオ豆も少なくないはず。何だか此処でも無駄が生じているなと、私は思いました。

さっとラインを流れていくインゴットの品質を確認します。流石に高品質です。気泡は全く入っていませんし、表面も滑らかに仕上がっています。混ざりものもありません。品質のむらも出来ていません。少なくとも私の知識では、けちを付けるところが見あたりませんでした。

腰を上げると、満足して頷きます。此処の工場の体質には反吐が出ますが、結局、今は一つずつ満足していくしかありません。インゴットには全く不満はありませんし、納得するしかないのです。

それにしても、良くできたインゴットです。ただ、作っている人たちのスキルとは関係ないレベルの精度で機械が動いているのだから、この完成品が仕上がってくるのも当然だとも言えます。

ざっと見た感じ、此処で使われている技術の精度は、もう明らかに修練で身につけられるものを遙かに凌いでいます。

ただ、均一のものを作るのは機械が得意でも、末端の加工済みお菓子に関しては、人間の方に分があるでしょう。技術の進歩は日進月歩といえど、高級洋菓子店のケーキを機械で作ることが出来るのは、流石にまだ先の筈です。でも、先とはいえ、届かない未来ではありません。工場のラインを見れば、それがはっきり確信できます。

中島さんは人気商品を幾つか挙げて、それらに加工することも出来ると言いましたが、首を横に振ります。やはり、持ち帰った分だけは、生のままのチョコレートがいいです。あの苦労は、加工をせず生のまま味わいたいのです。

この先の加工については、何度もやったことがあります。お母様に喜んで貰おうと思って、「手作りチョコレート」を作ったのが、そもそもの発端でしたから。

その時は、十時間ほど研究して、甘くて丸いトリュフチョコを作りました。素材の業務用チョコレートも吟味して、味付けも工夫しました。お手伝いさん達に教わって、幾つかの隠し味も入れました。徹夜もして、どうにかそれで何とか満足できる味のものが仕上がりました。

完成品を口に入れて、お母様は確かに喜んでくれましたが、それだけでは終わりませんでした。困惑する私に、実際にチョコレートを作る現場を見てこいと、お母様は言いました。最初は工場見学かと思ったのですが、もちろんお母様がそんな甘くて優しい命令など出す訳がありません。それから数週間がかりで準備して、コートジボワールに渡って。今此処にいます。

今回はジュート袋二つを持ち帰ってきている事もあり、相当量を作ることが可能です。更に、買い上げたカカオ豆はそれとは比較にならない分量です。実家の冷凍庫には入りきらないので、それらに関しては製品に加工してもらうつもりです。加工さえ済ませれば、後は涼しいところに置いておけば、当分は保ちます。

加工に関する細かい契約も、既に工場としてあります。ただし、あの工場長ではごまかしかねないので、上の会社と直接、ですが。既に書類は提出してありますし、工場長の所にもコピーは行っているはずですが。あの様子では、ろくに見てもいないでしょう。

不正があった場合は、それをネタにあの工場長を潰せるので、個人的には悪い契約ではありません。後でそうやって脅しておいて、品質を確保するつもりです。はっきり言えば、別にあのような輩、死のうが生きようがどうでもいいのです。品質を確保するためだけに、契約を利用します。もっとも、もしごまかしの末に豆を捨てたりしたら。あらゆる手を使って闇に葬ってやりますが。お金を動かせなくても、コネの使い方はもう学んでいます。それくらいなら、出来ます。

軽くラッピングして貰います。工業用チョコレートだから、最小限です。きちんとインゴット用のラッピング装置もあったので、微笑ましかったです。ラッピングされるのを見届けると、やっと、一息つくことが出来ました。

熟成についての説明を受けます。こうしてみると、チョコレートも果物とにたような性質を持っているのだなと感じます。果物の中にも、熟さないと美味しくないものが何種もあります。チョコレートも同じです。一定温度の暗い場所に置いておくことで、味が調えられるのです。

後は、実家でこなせます。ドライアイスは持ってきて、先に業務用の大型冷蔵庫に入れてあります。クーラーケースもです。少し大きいですが、持ち運べないサイズではありません。後は、自宅まで持って帰るだけです。

インゴットは結構重みがあって、それが却って心地が良かったです。今までの苦労を運んでいるという感覚があります。着替えを済ませると、中島さんが待っていてくれました。カカオの豆をお願いしますと、一礼します。頭を掻きながら、中島さんは恐縮したように頷いてくれました。

やたら厳重なセキュリティを抜けて外に出ると、夕方になっていました。明日から学校がありますが、しばらくはチョコレートの熟成に気を揉む日が続きそうです。電車はかなり混んでいたので、クーラーケースを大事に抱えて行きます。怪訝そうな視線を幾つも感じました。放っておきます。このクーラーケースの中には、私にとってとても大事なものが入っています。他人にそれを揶揄されたところで、気になりません。

家に着いた時には、もう空には星が瞬いていました。私の実家がある場所は、東京と言っても隅の隅、片田舎です。だから、星はまるで降るように空を覆います。不便だと言われる場所ですが、こんなに美しい空が見られるのだから、良いではないですか。星空の下歩いて、実家に到着。また一段落した事が分かると、肩の力が抜けてしまいました。

熟成をするために丁度良い場所は既に探り出してあります。丁度台所の隅にある菓子棚が温度的にも空気の流れの無さから言っても、最適です。インゴットを二つしまい込みます。熟成が終わるまで数日と言うところです。来週末まで待てば、確実でしょう。最後に、近くにゴキブリホイホイを仕掛けておきます。ラッピングされているとはいえ、念には念です。

全部済ませると、屋敷の奧にある道場に。実家にいる時は、一日一回以上、必ず道場に足を運ぶ習慣があります。修練のためもそうですが、そうしないと今ではもう落ち着きません。

道場では、御爺様が正座して、瞑想していました。御爺様くらいまで拳を練り上げると、もう物理的なトレーニングよりも、こういう精神的錬磨がものをいうのだそうです。もちろん体も鍛え抜いていますが、こうして瞑想をしているところをよく見かけます。お母様も、それは同じです。

お母様が若い頃。今の私よりも更に年若かった頃。とても大きな事件が、この銀月の家であったそうです。その時に色々な災厄があって、御爺様とお母様のどちらかが、この屋敷に必ず滞在していることというルールができあがったのだとか。あのお母様も、その事件が起こるまでは普通の女の子だったという話ですから、どれだけ凄まじい出来事だったのかよく分かります。

だから、二人のどちらかは、どんなに忙しくても絶対に屋敷にいます。それがどれだけの安心感をもたらすのか。私がどれだけ恐怖から救われてきたか。多分、部外者には分からないでしょう。

瞑想していた御爺様でしたが、私が道場に足を踏み入れると、重苦しい声を掛けてきました。出来たかと、短く。はいと私も簡潔に返します。そうかと、嬉しいのか、喜んでいるのか、それともただ結果のみを反芻しているのか、よく分からない返答がありました。御爺様は巌のような顔を、殆ど動かすことがありません。怒っているかどうかは分かりますが、それ以外はよく分からないです。お母様は表情を読み取れると良く言っていますが、私にはまだ出来ません。ただ、怒ってはいないようだと、漠然と思いました。ただの勘ですが。

その後は、二人で並んで正座して、瞑想します。瞑想をするようになってから、集中力が抜群に高まって、何でも最後までこなせるようになってきました。

集中が切れたのは、深夜でした。明日学校があるのだと、今更ながらに思い出します。御爺様はまだ瞑想していました。

一礼すると、自室へ。一つ、楽しみが出来て、また日々を楽しく過ごせそうです。他の誰にも話すことはありません。この楽しみは、私だけのものです。

来週が楽しみだと、私は布団に潜り込みながら思いました。陽の光をたっぷり吸ったとても温かい布団が、良い夢を見せてくれそうでした。

ふと、窓から外を見ると、天の川が空にありました。とても美しい星空だなと、私は改めて思ったのでした。

 

4,一つの形

 

いわゆる勝負着と呼ばれるものがあります。今回私の身を包んでいる着物もその一つです。京友禅の高級品ですが、実はこの家に移る時に持ってきた唯一の品です。スカベンジャーのような借金取りから、必死に守り通した品です。嫁入り道具として、受け継がれてきた品なのだそうです。鮮やかな赤に染められたこの和服は、本当に大事な時にしか着ません。

工場からチョコレートのインゴットを持ち帰ってから、一週間が過ぎました。熟成には充分な時間が過ぎています。いよいよ、今日食べることにしました。だから、わざわざ勝負着を出してきて、半時間も掛けて着込んだのです。

最初道場で食べようかと思いましたが、自室に変えました。それが一番良いと思ったからです。事前に念入りに歯を磨いて、水で口をゆすぎました。丸テーブルを出してきて、正座。目を閉じて一分間黙祷してから、作業に取りかかります。

菓子棚から取り出してきたチョコレートのインゴットを、切れ味鋭い菓子包丁で切り分けます。食べやすいサイズに切り分けたチョコレートは、既に甘く官能的な香りを放っていて、食べるのがもったいないくらいでした。熟成は充分、食べるのに何の問題もありません。

瀬戸物の大皿に乗せたチョコレートのインゴットの欠片を、ナイフで更に食べやすい大きさにまで切り分けます。かなり固いので、力加減を間違えると割れそうでした。洋菓子包丁のような切れ味はナイフには無いので、緊張します。出来るだけ綺麗な形で食べたいと思うのは、一種の人情です。

ゆっくり焦らずに刃を入れていきます。下手な力が入ると、即座に台無しになるのは、板チョコを食べた事のある人間なら皆知っているかと思います。インゴットでも同じ事です。

ストンと手応えが無くなり、刃が皿まで通りきりました。続けて、もう一つ切り分けます。二つ目はコツが分かってきたので、上手くいきました。遙かに早く、なおかつ的確に切り終えることが出来ました。

剣術の修練をしておいて良かったなと思います。まだまだ未熟ですが、切るタイミングや、力加減は何となく感覚的に分かります。

切り落としたインゴットの断片の体積は、握り拳くらいです。少し多いですが、今までの労苦を考えれば、これくらい食べても罰は当たらないでしょう。今日は朝から五キロ走っていますし、カロリー的にも釣り合いが取れそうです。いや、よく考えてみると、それでも足りないかなと思いました。チョコレートはカロリー量が非常に大きい食品で、軍隊の携帯食に入れられると聞いたことがあります。これだけ食べるとなると、後でもっと走らないと行けないかも知れないなと思いました。

雑念は、今は必要ではありません。頭を切り換えて、食事の準備に意識を集中します。というのも、時間があまりないからです。室温でも、チョコレートは容赦なく溶け始めます。今日は比較的涼しいとは言っても、この部屋の温度は品質を保持するには高すぎるでしょう。

何とか、満足行く形に切り分けました。頂きますと、手を合わせて一礼。静かな沈黙で身を引き締めた後、いよいよ食事に掛かります。フォークを手に取ります。誰も見ていませんが、こう言う時こそ礼儀作法を守らなければなりません。

まずは一口。フォークで刺して、口へ運びます。噛み砕いて、味をじっくり吟味していきます。よく冷えていたチョコレートは、口に入れてもすぐには溶けません。舌の上で徐々に形を失っていって、やがて溶けきります。しっかり噛んで、唾液と混ぜ合わせて。酵素がしっかり食い込んでから、飲み込みます。

チョコレートの生の味がします。苦みが強くて、芳香がとても鋭いです。砂糖も加工の過程で入れていますが、かなり控えめにしてあります。以前、業務用のチョコレートを味見した時よりも、もっと強烈です。非常に原始的な味がします。前に飲んだ芳醇なブラックコーヒーと、少し似ているかも知れません。

ですが、その濃厚さが実に美味しいです。ちょっと砂糖が欲しいなと思いましたが、それでも充分に満足できる味です。カフェインの濃度が非常に高く、脳に染み渡るようです。ちょっと覚醒しすぎるので、眠る前に食べるのは止めた方が良さそうです。

色々と考えはしますが、何も具体的な言葉は口から出てきません。二口目、三口目。切り分けた分を、そそくさと食べ終えてしまいます。チョコレートの、本来の非常に濃厚な苦みと、乳脂肪のまろやかさと、砂糖の甘みが混ざり合って、美に近い味わいを作り出しています。

多くの場合、生のチョコレートは中間素材に使われます。でも、時々こうして食べてみるのも悪くないと思いました。切り分けた分を、次々に口へ入れていきます。見る間に、皿に並べられていたチョコレート片は無くなっていきました。

最後の一切れを口に入れる時は、流石に躊躇しました。でも、残すのはあまりにももったいないのです。だから、口へ入れます。しっかり冷えて固まったチョコレートは、やはり熟成の効果が出て、とても美味でした。広がる芳香は、何ど噛んでも流れ出してくるかのようです。

食べ終えた後、ようやく訪れる達成感。そのま目をつぶって、この食後感に浸ってしまいたいくらいです。

余韻を楽しもうかと思いました。事実、此処まで来るのに、随分時間が掛かりました。苦労もそれなりにしました。コートジボワールに向かう前にも、予算案を組んだり、書類を作ったり。調査をしたり、現地の情報を集めたり。こなさなければならない作業は山積みでした。コートジボワールに到着してからも苦労の連続でした。そして、あのお墓。何度思い出しても、胸が詰まります。工場での出来事も、忘れられそうにありません。早く権力が欲しいと、何度願ったことか分かりません。そして、その思いは、今も変わっていません。

このチョコレートの味を、私は生涯忘れないでしょう。色々と忘れられない思い出はありますが、これもその一つになるはずです。しばし無言で目を閉じていました。そうするしか、気を静める方法がありませんでした。

万感の思いがありますが、グズグズしていると、インゴットが溶け出してしまいます。名残惜しいですが、物事には始まりと終わりがあります。今、一度この戦いを、終わらせなければなりません。だから、終わらせます。

ごちそうさまでしたと、再び手を合わせて一礼します。簡単な言葉。短い言葉。でも、これが終わりの合図なのです。

食への感謝の気持ちを込めた、最後の締め。それが終わった後は、片付けの時間が待っています。

後のインゴットは、必要な時にそれぞれ切り分けて使います。児童ホームに出かける時や、接待の時に出すお菓子などの素材にしようと思っています。大事なインゴットですから、無駄には出来ません。しかし、食べないのでは本末転倒ですから、出来るだけ計画的に使っていこうと思っています。

後で工場から届く分に関しては、ある程度は保存しますが、残りは彼方此方の孤児院に寄付しようと考えています。この使い道であれば、イマニ達もきっと喜んでくれるでしょう。

インゴットをラッピングし直して、棚へ。人肌でもチョコレートはすぐに溶けるので、運ぶ時は緊張しました。再び温度が安定した棚の中に戻すと、一安心。他にも少し切り分けてあります。これは御爺様と、お母様の分です。お手伝いさん達にもお裾分けするつもりです。旅行中のばあやにも、残しておいてあげなければならないでしょう。

御爺様が、道場から引き上げてきました。今日は朝からずっと瞑想していたようだったので、邪魔したら悪いと思って、声を掛けていませんでした。

チョコレートを食べたのかと、御爺様は居間に入って来るなり言いました。僅かに、空気中にチョコレートの芳香が残っていたようです。はいと応えて、御爺様の分を出してきます。御爺様は汗をタオルで豪快に拭きながら、良く冷やしておいたチョコレートをそのまま指でつまんで、口に入れます。かなり大きな固まりに切ったつもりでしたが、御爺様が食べる様子は迫力が違います。小型のブロックチョコレートを恐竜が食べているかのようです。

とても濃厚で、よく仕上がっているなと、御爺様が言ってくれたので、自分のことのように嬉しくなりました。自分の分を見る間に平らげてしまうと、御爺様は大きな手で、私の頭を撫でてくれました。

よく頑張ったな。御爺様の短い言葉に、私は報われたのでした。

 

(終)