根本への到達
序、実用と非実用
それをじっと見つめる。
明らかにおかしい。だが、その違和感がどこから来るのかが分からない。
今、私は昔存在していたある建物を見ている。
どこぞの著名建築家とやらが作ったらしいが、極めて不評であったらしい。
だが、どうしてかが分からない。
なんとなくまずい事が理解出来てはいるのだが。
どこがまずいのかが分からないのだ。
腕組みして、しばらく様子を見ていたが。
やがて、あっと声が出ていた。
「そっか、光が……」
「おわかりになられましたか」
そういうことか。
なるほど、理解出来た。
この建物は、図書館なのだ。
それなのに、無駄に光が差し込む仕様になっている。
本というのは光を浴び続けると痛む。正確には陽光を、だが。
いずれにしても、これは芸術家として優れているかも知れないが。図書館に関する知識がない人間が作り。
それを「デザインが好み」というだけで、知識がない人間が採用した例だ。
馬鹿馬鹿しい話だが。
こういうのがあるから、芸術は時に困りものとなるのである。
はあと、ため息をつく。
実は、この間茶道をやったときに、建物を全ていわゆるアセットで済ませたのだけれども。
それだとちょっと寂しいなと感じたのである。
実際満足してくれたゲストも、建物に関してはなんとも思わなかったようである。
庭については褒めてくれたが。
それも、実際にはアセットの組み合わせだ。
恐らくだが、私が自作した茶器。
それだけに、決定的な感心をしていたのだろう。
いずれにしても私は、それで物足りないと考えて。
今、家について。
調べている所だった。
今後茶道をやるときは、家も自分でデザインしたい。
そう考えたからである。
それで調べているのだが。
まずは失敗例だと判断して。
こういう建物から、見るようにしていた。
失敗例から見るのは、それが一番勉強になるからだ。まずは駄目な方から確認していくのが一番いい。
やってはいけない例を最初にみるのは、勉強方法としてはアリだと聞く。
これは、そのアリな方の勉強方法だ。
その次は、成功例を見る。
個性的な、螺旋型にねじれた建物だが。
内部に光が入り込まないように配慮されている。
中は個性的な形だが、中央部分の巨大な本棚を、螺旋階段を周りながら調べていけるようになっていて。
実に面白い。
足が弱い人間用に、エレベーターも用意されているようだ。
これは、個性的なだけではなく、きちんとよくできている建物だ。
素直に感心する。
ただ、やっぱり作成にコストが掛かる事や。
実用性という観点では、若干劣ってしまう。どうしても、ここで本をゆっくり読むのは難しいだろう。
図書館は実用的な構造をしている方が良い。それは、私も強く感じていた。
それもまた、事実であるようだった。
しばらく図書館を見た後、私は仮想空間で実際に行ってみたいと考える。AIは即座に思考を読み取っていた。
「分かりました。 ただちに準備します」
「よろしくね」
仮想空間にダイブ。
即座に構築された。
既に壊されてしまった図書館に出向く。
内部に他の人はいない。中を歩いて回る。
たしかにとんでもなくお洒落だが、それはそれ。図書館としては要件も満たしてはいるのだが。
お洒落が優先して、実用性には欠けるんだな。
難しい所だ。
芸術性と実用性の両立は難しい。
それはこの間、茶器を作ってみてよく分かった。
美しい青磁の色合いを出す場合にも、色々危険な薬物を用いることもある。そういう点では、芸術は古くから危険を抱えている事もあったのかも知れない。
それはそうとして。
とにかく今は、見学だ。
隅から隅まで見て回る。やがて満足するまで建物を内部から外部から見た後は、仮想空間をログアウトした。
嘆息する。かなり汗を掻いていた。
集中すると、どうしてもこうなる。理想的な気温が保たれている筈なのに。
伸びをして、一度リラックス。
紅茶を淹れて貰った。
クッキーも頬張る。
そして、辛いものが食べたいなと思ったけれども。今朝激辛の味付けの肉を食べたからだろうか。
夕食は辛いものを出さないと言われたのだった。
まあそれは、仕方が無いか。
辛すぎるものは、体に様々な悪影響を及ぼす。
それについては聞いた事がある。
そもそも味というのは、体からの警告を示してもいるのだ。これは食べてはいけない。そういう危険があるものには、そういう味がある。
極度な辛味もそれ。本来は、激辛すぎるものは危険物なのである。それを刺激で楽しんでいるのが人間だ。私も含めて。
たまにこういった激辛が好きな私みたいな人種もいるのだが、それは決して体に良くない。
私もそれは知っているので。
AIがたまに用意してくれる激辛を食べるだけで満足していた。
連日激辛だったら。
私はそうそうに体を壊していただろうから。
しばらくリラックスした後。
次の建物を確認する。
次は巨大なビルだ。
これは大丈夫なのか。見ていてそう思った。
建築については、催眠学習である程度は頭に叩き込んである。
どうみも見ていて不安な巨大ビルなのだ。
外見のお洒落さを安全性に優先しているようにしか見えない。とくにある階は、入りたくないと直感的に思う程だった。
「……これは失敗例じゃないの?」
「はい。 正解です」
「はー。 なんか事故ったのこの建物」
「想像しておられるとおり、その階がもろに崩落しました」
ああ、やっぱりそうか。
今見ている階層、構造的にあまりにも無理がありすぎるのである。
多分思った感じだと、支える構造がなく、単に吊っているのではないか。
そう指摘すると、AIは流石ですねと褒めてくれた。
まあ褒めてくれるのは有り難い話である。
「この建物は、突貫工事で作りあげた結果、幾つも欠陥がありました。 指定の階が墜ちて大惨事になった事故をきっかけに全体が見直されて、最終的に一度建物は作り直しになりました。 解体の過程でも幾つも問題が見つかっています」
「建築基準法とかいうのは?」
「腐敗した国家では、建築の完成と利益を優先するあまりにそういった法が機能しない場合が幾らでもあります。 もっと酷い例としては、専門家がたびたび退去を警告していたにもかかわらず経営者が無視した結果、建物全体が崩落した事件まで起きています」
「……そう」
それは、酷い話だな。
そう思って、口を引き結んでしまう。
口を開いて喋ると言うことはしないけれども。
それでも、こういう風に時々口は動く。
多分、それが口を使って喋らないことが普通になった今でも。本能として残ってしまっているからなのだろう。
失敗例を見せてくれた後は、成功例も見せてくれる。
堅実。
その言葉通りの建物だ。
おもしろみはないかも知れないが、非常に見ていて安心感がある。壁などにも、不正工事などの形跡は無い。
これは、きちんと監査が働いているんだな。
そう思って、安心していた。
内部を見て回る。
ハンコみたいに同じ構造がずっと続いているけれども。それは機能性というものであって。
これだけの巨大建築物となると、機能性と安全性が最重視されるべきなのである。
勿論飾りっ気も必要になる部分はあるのかも知れない。
商業的な意味だとか。
或いは技術を誇示したりする意味でだとか。
だけれども、それは安全性と機能性に優先するのだろうか。
私には、その辺りが理解出来ない。
意味不明な金が飛び交っていた時代がとっくに終わったから、かも知れない。
その時代の人間からして見れば。
人命なんて、それこそ金に比べたら、どうでも良かったのかも知れないのだから。
まあそんな時代はクソくらえだ。
人命を軽視し、人権屋が全てを焼いた時代を経て。
今の誰もが地下に潜った時代が到来している。
こんな時代は。
まったく変わらず、一万年間凶暴な生物をずっと続けて来た人間が。必然としてもたらしたのだろうから。
人権屋なんてカスどもが跋扈したのは、その集大成であって。
他人のせいなものかと、私は思う。
無言で次の建物に。
今度は規模感がぐっと小さくなる。
一目でちいさな建物だと分かって、むっと呻いていた。
なんというかこれは。
小さくて安全性はあるけれども。
だから何だと言いたくなってくる建物だ。
腕組みして、しばらく黙り込んでしまう。
「これはなに?」
「通称箱物といって、公共事業で作られた建築物です。 殆どの場合、何の役にも立たなかったようですね」
「へえ……」
確かにこれを作る過程で雇用は生じたのだろう。
だが、その結果何も意味がないものができてしまったのか。
それではなんというか。
昔の刑務所でやっていたらしい仕事。
それこそ、穴を掘って埋め直すとか。
そんな仕事に近いような気がする。
はっきりいって、見ていて全く興味が持てない建物だ。どういう用途で使われたかすら分からない。
一応確認して見ると、郷土博物館とか言う代物らしいが。
地元の人間すら足を運ぶ事はなかったのだとか。
それを聞いて、ちょっとうんざりしてしまう。
雇用は生じたのかも知れないが。
この箱物とやらを作るのに、どれだけ無駄な物資を費やしたのか。
この箱物が失われた後に。
一体何が残ったのか。
それらを考えると、ちょっとどころではなく、残念だと思ったからである。
少し休憩する。
仮想空間からログアウトすると、ベッドでゴロゴロする。
そうやって無心にダラダラする事で、休憩をする。
創作をやっている時。
更にはその事前段階の勉強をしているとき。私の頭は、オーバーヒートするくらいに過熱している。
それを考えると、こうやって休憩を入れていくのはとても大事だ。
無言でしばらくゴロゴロを続けて。
それで、紅茶を淹れて。
今日はここまでで切り上げようと思った。
建築というのは。色々面倒だな。
設計図などを見ていて、そう思う。
ただでさえ、色々な事を考慮しなければならないのだ。
其処に大量の金が関与してくる。
そうなると、利権構造やらが横やりを入れてくる。
設計の段階でまともなものが仕上がってきたとしても。
その先に、まともな工事があるとは限らない。
手抜き工事やら。
更には、工事が終わった後の勝手な改造やら。
それらを考えると、本当に色々と闇が深い業界だったのだろうと感じてしまうので。頭が痛い。
腕組みして、頭を掻く。
今はもう、そう言ったことは考えなくてもいい。
勿論私の設計した建物を、何処かに作ろうとも思わない。
高層ビルなんか、片っ端から破壊されてしまって、今は何処にも残っていない。
そして破壊されてみて分かった事だが。
それらが如何に無駄の塊だったのか。
分析してみて、はっきりとしてしまっている。
特に高層建築系の住居。日本ではタワマンとか呼んでいたらしいが。
これなどは、富裕層の象徴のように語られていながら。
実際には使っている人間でも、これははっきりいって使いにくいと零していたようであり。
しかも住んでいるのは、特権意識と自己顕示欲を拗らせた連中だらけ。
まあ聞いていて、頭が痛い話である。
金持ちの肥大した自己顕示欲を満たすための無駄な玩具だった、と言う訳だ。
それも、膨大な金と物資を注ぎ込んで作られた無駄の塊が。
そんなことだから、人類文明は一度破綻することになったのだろうとも思う。
溜息が何度も零れていた。
伸びをして、気分を入れ替える。
今日はもう此処で勉強は終わりとしておく。
これから、私は建築をやってみようと思っている。
それは、この間の茶器以上に。
見た目よりも、実用性を重視したいと思っているものだ。
この間茶道を実際にやってから、何度か茶道で他者と交流を持った。
友人を招いたりもしたし。
招かれたりもした。
未だに千家だの裏千家だの言って、作法にがみがみして全く面白くない茶道をしている人もいたが。
私以上に奔放な茶道をやっている人もいた。
ただ、みんなもてなしの心だけは忘れていなかった。
それは立派だと思った。
やり方は違っても。他者をもてなすのが茶道だ。
それが今の時代は戻って来ているというのは、とても良い事なのだと思う。
だから思ったのだ。
より実用的な芸術をやってみたいと。
今までのは娯楽だった。
今後は違う意味で、もっと身を立てる方向で創作をしてみたい。
だから本格的な勉強をしている。
勿論今までやった創作が、無駄だったとも思えない。
だからこそ。
それを更に飛躍させて。
私の創作を、より素晴らしいものに変えていきたいのだ。
風呂に入って、夕食をとって。
それで、しばらくぼんやりする。
寝るまで少し時間はあるが。どうにも次はどうしようかなと考えてしまう癖がついていて。
それで頭が疲れている様子だ。
もう寝てしまっても良いのだけれども。
どうにもそれだと収まりが悪い。
百合が夕食の後片付けをしているのをちらりと見る。
私が手を出しても邪魔になるだけだ。
だから、ベッドで横になっている。
幼い頃は家事も手伝ってみたことがあったのだが。悉く上手く行かなかった。横で休んでいろとロボットに指摘されたことすらある。
私はいい嫁さんとやらにはなれなかったとも思う。
まあ、それはあくまでも、昔だったら、だが。
もういいか。
そう思って、寝ることを告げる。
流石に今日は疲れたし、これ以上悶々としていても得られるものは一つもないだろうと思う。
さっさと愛用の毛布を被って眠る。
夢は見なかった。
最近は、強烈な夢を見るか。
全く夢を見ないか。
そのどちらかになっていた。
1、何のために
今日も外に出向く。
気分転換には、緑化作業を見に行くのが一番だ。そもそも一生外に出ない人も多い中、これほど外に出る私は相当なレアケースらしい。
ホバーで移動する最中に、そんな事を言われる。
まあ、どうでもいいが。
雨が降っているが、多少くらいはどうでもいい。
危険な汚染がされている雨が降る事もあるのだけれども。
今日は、大丈夫なようだったから。
隣で百合が傘を差す。
私が見ているのは、ぐんぐん伸びるという竹という植物だ。
昔はその出たばかりの芽を竹の子として珍重していたらしいのだが。
この竹、ちょっとやそっとの事では枯れない極めて強靱な植物であり。
地下茎を張り巡らせて、辺りを制圧する極めて強力な代物であったらしい。
こういった植物は。繁殖を抑える天敵がいないと、極めて危険な侵略性外来生物と化す事があり。
葛という植物などは、海外で凄まじい猛威を振るって、暴れ回った過去があるらしい。
ただしそういった事例は、馬鹿な人間が広めた結果なのであって。
つまり人間のせいである。
何も敵がいない場所に運び込まれたら、それは大暴れするのは当たり前の話だ。
異国に勝手に持ち込まれた挙げ句。
敵視されていては、植物だってたまったものではなかっただろう。
「流石に、今見ていてもすぐには……え!?」
竹の子というのが、地面を突き破って出てくる。
流石にぐんぐん伸びることはないが、とんでもない育成速度だ。見ていて成長しているのが分かる程である。
これは。確かに凄いな。
そう感じる。
しかも竹として背が伸びている場合は、非常に頑強で。
「割れやすい」という弱点があるものの、様々な用途に利用されてきたという。
そんな竹も、徹底的な人権屋による破壊にあって、滅ぼされてしまった。
今は、実験的に再生している最中である。
それにしてもとんでもない生命力だ。
話半分に凄い速度で成長すると聞いていたが。これほどだとは思わなかった。
「場合によっては一日で一m以上成長する事もある植物です」
「とんでもないね……」
「今の段階だと食用にできます。 ただし生で食べることはお勧めできませんが」
「……」
まあ、そんな事をするつもりはない。
見ていると、他にも何カ所かから竹の子が出ていて。
それをロボットが丁寧に世話していた。
私とは電磁バリアを隔てて壁もある。
私が竹の子を害することはない。
「凄い繁殖力がある植物らしいけれど、大丈夫なの?」
「とくに問題はありません。 そもそもこの辺りの土も大破壊の時代に汚染されつくしていて、やっと竹が育つまでになったのです」
「無茶苦茶だ……」
「少しずつ、こうやって浄化をしていきます。 今後の計画も、着実に進めていくだけです」
そうか。
私は雨の中、軽く頭を掻く。
とりあえず次に行くか。
それなりに育った木が見えてきた。どうやら複数の林を連結しているらしく。今忙しくロボットが行き交っている。
落ち葉を処理している大型のロボット。
処理を経て、腐葉土というのにするらしい。
そしてその腐葉土が、また木をはぐくむ。
今の段階だと、腐葉土をしっかり作り込む、自然の分解者がまだまだ足りていないので、ロボットがこうやって力を貸しているらしい。
大型のロボットがグオングオンとうなりながら、腐葉土を作りあげている。
林が、少しずつ大きくなっているのは、見ていて見応えがある。
もっともっと大きくしていく予定があるのだろう。
「此処は中々良いね」
「実は、此処は一から土を作っています」
「何かあったの?」
「此処は元々タワーマンションと呼ばれる巨大建造物が建っていた場所で、其処を人権屋が大型の爆弾で丸ごと爆破したのです。 基礎から何から全て」
そうか。
しかもそのタワーマンションとやら。
周囲で逃げ惑う人間を高層から金持ちが笑いながら眺めていたらしい。
自分達は爆撃されない。
そう思い込んでいたのだろう。
ところが、自分達もまとめて消し飛ばされたというわけだ。
建物に罪は一切無いが。
ぶっちゃけ、人権屋とつぶし合って一緒に滅びてしまってくれればよかったのにと思う。
金を人間に預けるのは馬鹿馬鹿しい話だなと思う。
何万年も生活出来るような金なんて持って、何の意味があるのか。
しかもその金を得るために、数限りない人間を不幸にしている。
本当にどうしようもない。
だが、そのどうしようもない連中が綺麗さっぱりいなくなった後。
こうやって、土がさいしょから作られ。
そして林が着実にできている。
良いことではないか。
エコだのと口にしていた連中が、実際にはエコではなく金の事しか考えていなかったのとは対照的だ。
ロボット達はエゴがないから。
こうやって淡々と世界を再生している。
人間である自分が恥ずかしいなと感じるとともに。
これを目に焼き付けておこうとも思った。
雨が、ちょっと激しくなってきたか。
電磁バリアの出力があがったようだ。或いは有害物質が雨に混じっているのかも知れない。
大型の飛行ロボットが飛んでいくのが見える。
多分雲に混じっている有毒物質を中和しにいくのだろう。
側に着いているロボットを介して、AIが警告してくる。
「大気中の汚染物質の濃度が高くなってきました。 そろそろ切り上げては如何でしょうか」
「そうだね、そうしよう」
「助かります」
そのままホバーに乗り込む。
百合が少し濡れた体を拭っている。
百合はロボットだが、生体ロボット。つまるところ、細胞は人間と同じものだ。
ちょっと心配になったが、百合が先に応えてくる。
「細胞にダメージがあるほど毒素は強くありません」
「そっか」
「ただ、このままでいたらダメージが出たかも知れません。 撤退の判断、ありがたく思います」
そういえば。
ここ最近、時々百合が、身繕いみたいな事をしているのを見かける。髪を結ったり、繕ったり。
脳は機械部品だから、そういうのに興味を持つとは思えない。
或いはだけれども。
私に真似させようと、AIが何か考えている可能性もある。
ただ、それを加味しても。
どうにも人間らしい動作が百合には目立ってきているのだ。
これはAIの方でも、何か意図している事なのかも知れない。そうでないとしたら、SFによくある自我の目覚めだろうか、それはそれで面白い話ではあるが。まあ現実はそこまで面白くもないだろう。
そのまま、一度帰路につく。
雨がかなり激しくなってきていて、家に入るとちょっと危なかったかなと思った。雨量が一時間当たり100ミリを越えたと出る。
昔の基準だと、かなり危険な降水量であるらしい。
なるほど、先手を打っていたわけだ。
私も戻っていて正解だった。
「家の中からも、建築物の勉強はできます」
「まあ、それは分かっているよ」
「此方の勉強をしてはどうでしょうか」
「どれ……」
表示されたのは。
ダムだ。
人類が作りあげた巨大建造物の一つ。
水を堰き止めて、色々な用途に用いたもの。
水力発電をする場合もあったけれども。
多くの場合は、水害が起きないように。川の水量をコントロールすることが、目的だった。
ダムも世界中で破壊され尽くした。
勿論人権屋の手によって。
今は、川を再生する過程で。一部のダムも再建されている。
地形が文字通りの平らかになってしまった今の世界では。
ダムは実際の所、そこまで必要ではないらしいのだが。それでも一部では、まだまだ需要があるそうだ。
見ると、ダムが幾つか作られている。
物資は再利用したものが大半。
それをロボット達が前に見たような施設で再構築して、ダムにまた組み替えているということなのだろう。
湖だ。
ダムが雨を受け止めて、湖ができている。
凄いスケールだなと、私は思った。
「とにかく飾り気がないね」
「流石にダムを政治的な用途などで飾り立てる余裕は、一番文明が爛熟していた時期の人間にもありませんでした」
「そうだろうね、この規模だと」
それに、形を格好良くそれっぽく取り繕って。
ダムが決壊でもしたら、とんでもないことになる。
まあ当時の人間は上から下までみんなバカだった訳だが。
それでも、そこまでの事はしなかったということなのだろうか。
いや、当時の人間の馬鹿さ加減を考えると、ちょっと何とも言えない。或いは、そういう失敗例もあったのかも知れない。
ダムに溜まっている水は、お世辞にも綺麗ではないようだが。
巨大なロボットが、その水を掻き回して何かをしている。
無駄な行為だとは思えない。
「あれは何をしているの?」
「海での作業と同じです。 一度雨水をため込んだ後は、ああやって効率的に汚染物質を除去しています」
「ああ、なるほど。 確かにダムでやると効率が良さそうだね」
「生態系が壊滅してしまっている今だからできる事ではあります。 いずれは生態系を戻し、あのロボットも役割を終えることになりましょう」
なるほど、それも道理か。
ロボットには巨大な水車みたいなのがついている。
上流から流れてくるゴミなども、それで全て回収しているようだ。回収した後は、以前見に行った処理施設に回して、適切に処理を行って行くのだろう。
ダムも立派な建築物だ。
そういう意味では、これから私が創ろうとしているものの候補に、充分入る事になるだろう。
他のダムも見せてもらう。
昔は巨大ダムを創って、それを国力の証みたいに自慢することが多かったらしいが。
今はダムを少しずつ重ねるように創っていって、計画的に水を蓄えて、水を放出する際にも下流に被害が出ないようにしているようだ。
計画的に全てを管理しているから、できることだ。
昔の国家計画も、それこそ十年単位でものを創っていたらしいが。
それとも比較にならない程緻密にやれている。
それこそ、AIの強みをフルに生かしているという事である。
「いずれこういうダムは、どういう風に変えていくとかある?」
「一部はそのまま湖に再構築して、生物を放し、独自の生態系を構築します」
「あ、やっぱりそうするんだ」
「遺伝子データの確保をできていたのは幸いでした。 今後少しずつ、世界に生物を戻していく事になります」
そのために。
昔は国力を見せびらかすために創られたダムが使われる。
それはとてもいいことだ。
私は、素直に頷く。
こういうのを私はやりたい。
だが流石にダムはちょっといきなりにしては敷居が高いか。だが、それでも。ちょっと考えてしまう。
「如何なさいましたか?」
「小規模で良いから、実用的なダムを作って見たいと思ってね」
「ダムですか」
「うん。 ただ、これがとても大事な事業だってのは分かってる。 まだ、あくまで考えている段階だよ」
AIが珍しく考え込む。
任せても良いのか、思案しているのだろうか。
私としては、じっくり考えてくれてかまわない。
もしも断られてもいいのだから。
「……本気でやりたいと考えていますか?」
「まだ本気じゃないかな。 まだ迷ってる」
「分かりました。 それでしたら、本気でやりたいと判断した時に、もう一度お願いいたします」
「分かった」
此方としても、無理をさせるつもりは無い。
世界の再生作業がどれだけ大変かは、各地を見て来て理解しているからだ。
全部人間の愚行の後始末。
それを淡々と、長期間の計画を立ててAIはやっている。ロボット達は、おのれの存在意義とともにそれに取り組んでいる。
それを邪魔するつもりは無い。
手伝う事が出来るのなら、それはそれで素晴らしいが。
もし足を引っ張ってしまったら、本末転倒だ。
「とりあえず、他にも色々見せてよ」
「分かりました。 実用的な建築というのであれば、まずはため池からご覧に入れます」
「おお、よろしく」
「此方になります」
ため池などは、ごく一部では破壊を免れたらしい。
これはどうしてかというと、人工物と認識出来なかったらしい。勿論、人権屋にはである。
この手の連中は、率いているのは鬼畜外道で悪知恵も働くが。
末端で暴れている連中は、猿と大差ない。
だから単純に、人工物と認識出来なかっただけ。
それだけのことらしかった。
田畑を自然というのと同じなのだろう。
人間が、他の生物に勝っている点なんて、蓄積してきた文化くらいだったのに。それがこの有様か。
なんとも情けない話である。
ともかく、ため池は重要な役割を持っていた場所だ。
おちると危ないイメージばかりあるが。
それは一般的な人間が、農作業から離れていったからなのだろう。
田畑への水の提供を安定させたり。
危急時の水の蓄えも行う。
特に水害などが起きそうになっている時は、ある程度の水のセーフネットにもなる。あくまである程度だが。
都会などの地下には、巨大な貯水槽があったらしい。
都会と呼ばれていた場所が、悉く破壊され尽くした今ではそれも見かけられないが。
それも現在のため池と言って良かった場所なのだろう。
また、水路も見せられる。
水路の歴史は古い。
それこそ古代ローマ帝国の時代から存在していた。
これらの技術は、残念ながらゲルマンの時代には失われてしまい。清潔な水を手に入れるのが難しい時代が続いたのだが。
少なくとも古代ローマ帝国の頃には、水路を用いて清潔な水を遠くから運ぶ仕組みがあったのだ。
これも立派な建築物である。
実例を仮想空間の立体映像で見て回る。
仮想空間だから、内部に入ることもできる。
古い時代のものでも、問題が起きた場合は一部を取り外して、内部に入ることが可能になっていたり。
かなりメンテナンスについての考慮が為されている。
本当に一度文明は徹底的に後退したんだな。
それを見せつけられて、暗澹たる気持ちになる。
ローマ帝国の末期は蒸気機関の開発に王手を掛けていたらしいし。
もしもそれが成功してたら、人類の文明は全く違ったものになっていたのだろう。
一通り見学した後、また別のデータを見せてもらう。
今度は、中華の巨大な建築。
運河だ。
中華の大河。黄河と長江をつないだ巨大運河。
かの暴君として知られる煬帝(念押しのように、ていではなくだいと呼ぶ)が行った事業であり。
完成時には、巨大な船で視察までしたそうだ。
ただし当時は、隋が統一王朝になって間もないばかりか。余所の国の紛争に介入して無駄に国力を消耗したりした後。
この事業そのものは素晴らしく、この運河は後の時代にも使われたそうだが。
当時あまり理解はされなかったそうである。
巨大な船を、奴隷同然の人達が引っ張っている。
それを見て、私はうっと呻いた。
人が人を道具としてすり潰す。
この光景は、やっぱり不愉快だ。
「運河を作って、人々の為に使うのなら良かったのに。 どうしてこういう余計なことをしたんだろうね」
「煬帝という人物は諸説ありますが、とにかく細かい所に気がつかない人だったようなのです」
「へえ……」
「詩才などもあり、若い頃は武官としての活躍もしていました。 しかしやはり、皇帝になるには細かい人の心の機微への配慮などができなかったのでしょう」
そうか。
この人も、皇帝には向かない人だったんだな。
そう思って、煬帝のツラを拝みに行く。
私の住んでいる日本だった地域とは、それなりに関係もある皇帝だ。というのも、聖徳太子と書状のやりとりをした間柄である。
有名な日出ずる国の天子云々の手紙の内容は、私でも知っている。
まあ煬帝は不遜であると激怒したようだが。
正直、今となってはどうでもいいことだ。
「他も見せてくれる?」
「分かりました」
もう少し近代の運河を見せられる。
スエズ運河やパナマ運河。
水運が非常に重要だった時代に、いわゆるショートカットをするために活用された運河である。
いずれも現地の住民をすり潰しながら創られた運河だが。
現地の住民の怒りが爆発。
過酷な労働で人間をすり潰しまくった大国から、利権を奪取した経緯がある。とはいっても、その後は結局現地民が利権を奪い合ったわけだから、美談では残念ながら終わらなかったし。
何よりも、利権が移動しただけなので。
なんの解決にもならなかったのだが。
巨大なタンカーが運河を行く。
水位を調整することで、基本的に巨大なタンカーが通れるようにしているのは立派である。
こういった水位調節型の運河は、彼方此方に存在していたらしい。
水エレベーターなんていう、しゃれたものもあったそうだ。
あくまで限定的な用途でしか用いられなかったそうだが。
タンカーが行くと、すぐに次が。
巨船はバックできず、一度動き始めると止まるのは至難だったそうだ。
今見ているのはパナマ運河だが。
この運河は毎日大量のタンカーが通過しており。
その運行には、連日相当な気を遣っていたと言う事である。
見ているだけでハラハラしてくるが。
実際問題、事故もあったそうだ。
それはそうだろうなと思う。
巨大なタンカーが通って行くと、どうしても運河は狭く見えてしまう。
そういうものなのだ。
「このパナマ運河はどうなったの?」
「管理が徐々にずさんになり、やがて幾つかの事故が起きて休止状態に。 人権屋が破壊したことで、とどめを刺され。 現在は埋まってしまっています」
「それは……不便だね」
「今後復旧する予定です」
そうか、それが良いのだろう。
私はなんだか悲しい気持ちになった。
元は世界中の人のためになるものだったのに。金が絡むと、こうも醜い世界になってしまう。
本当に人間は駄目だな。
そう、静かに怒りがわき上がっていた。
2、悩みはおいて
数日間、色々な建築物を見て回る。
ピラミッド。
なかなかに巨大だ。
墓だというのは分かっているが、どうにも謎が多い。当時の技術力では無理だということも言われているが。
実際の所は、当時の技術力でも可能だった事が分かっている。
またこの時代の奴隷は、近現代の奴隷に比べてぐっと待遇が良かったと言う話もあるし。
やはり人間の文明は、どこかでボタンをかけ間違えてしまったのだろう。
万里の長城。
宇宙から見る事が出来る、巨大な防衛線だ。
漢民族が遊牧騎馬民族に対して作りあげたものである。
勘違いされやすいが、秦の始皇帝が創ったわけではない。
幾つもの王朝に渡って建築が行われて、最終的にできたのはもっともっとずっと後の時代だ。
残念ながら。これが役に立ったかというとあまり役に立たなかったらしく。
この万里の長城を作る為に、多くの人間が命を落としたことも考えると。
それもまた、悲劇の一つであったのだろう。
江戸。
これもまた、建築物と言える。
というのも、江戸は元々はド田舎だった。
それを徳川家康が海を埋め立てて、巨大な都市へと改良したのである。
以降、世界でも最大規模のメガロポリスとして江戸は発展。
やがて東京へと変わっていくのだ。
これそのものが、巨大な建築物と言える。
そういう意味では、色々と凄いものである。
ベルサイユ宮殿。
フランス革命寸前のフランスは、国力はあったが腐敗が著しく。後の時代にある貴族のイメージは、この時代のフランスがベースになっている事が多い。
ルイ14世によって創られたベルサイユ宮殿は、毎晩大量の死体を積んだ馬車が行き交っていたと言われる程労働者が死亡する事故が絶えなかった場所であるらしく。そんなものを建ててサロンにしていた王族や貴族達に対する不満は爆発寸前だった。元々当時欧州最強だったフランスは拡大政策で無理が出て来ており、其処に旧態依然の専制国家による圧政が加わればそれはどうなるか明らかだった。
現在もベルサイユ宮殿は残ってはいるが。
よく燃やされなかったものだなと、私はある意味呆れた。
悪女として名高いマリーアントワネットだが、実際の所は聡明な王妃というほど優れていたわけでもなく。
悪女でも賢い女性でもない、ただのボンクラだったというのが最終的な結論として辿りつく所であったようだ。
夫であるルイ16世も、「太陽王」なんて言われたルイ14世に比べると能力の低さが著しく。
どうしてもこの時代の激動を乗り切れなかった。
後の時代のイメージとなった無能貴族と資本家。
そして集団ヒステリーにおける国家転覆。
なんというか、後の時代に暴れた人権屋を思わせる構造だ。
殺されたフランス王家の人間に罪がなかったかというと、搾取をしていたという点で充分罪はある。
同情の余地はないが。
逆に革命を起こした連中はどうだったかというと。
此方も此方で、集団ヒステリーを起こして暴れていただけだ。
結局の所、欧州での革命はなんの歴史的意味があったのか。21世紀でも議論が別れていたとか聞く。
ついでにいうと欧州では結構王族が残った国も多かったそうで。
全ての国で「民主的革命」が起きた訳でもなんでもなかったのだ。
私もそれについてはどうでもいいが。
こんなモン、たくさんの人を殺してまで創って。
その上サロンにしてバカみたいなパーティーだのをしていたのだと思うと。
そりゃギロチンにかけられろやと言う言葉が出てくる。
集団ヒステリーを起こして暴れた連中を擁護するつもりはさらさら無いが、滅ぶべくして滅んだのだ。
これは悪しき見本だな。
そう思って、次に行く。
次はある国の宮殿だ。
とはいってもその国自体が滅亡後密林に埋もれてしまい、存在は疑問視されていた。
だが再発見されてからは調査が進み。
存在がかなり明らかになった、のだが。
その国が政情不安で紛争地域になり、周囲が地雷だらけという状況になった挙げ句。その国が潰れると同時に無法地帯化。
更には人権屋が暴れ出し。
やがて劫火に燃やされることとなった。
そう、アンコールワットである。
地元の人間は存在を知っていたらしく、幽霊御殿などと噂されていたそうだが。まあこれだけ壮麗な建物が密林に埋もれてしまえば。これを創った人は、子孫達の不甲斐なさに化けて出てもおかしくは無いだろう。
ぼんやりと、周囲を見て回る。
幽霊が出そうだとは思わないが。
なんというか、無念を感じる造りだなと思う。
そのまま、次に。
今度はちょっと趣向を変える。
これは、なんだ。
星形の建物。
話を聞くと、その時代に最先端とされた要塞だそうである。なるほど、要塞をこう言う形状にするのが最先端だった時代があるのか。
日本にも五稜郭というのがあるが。
あれは最先端技術を取り込んだ要塞だった、というわけだ。
とはいってもそれも陥落したのは誰でも知っている事である。
難攻不落の要塞なんて存在しないし。
ボタン戦争時代が到来してからは、ますます要塞と言うのはなくなって当然だったのだろう。
いずれにしても軍事的価値は喪失し。
以降は歴史的建造物になった。
確かに中は遺構、以外の何者でもない。
此処は要塞であり、軍事拠点だった時代があるわけだ。だが、その時代のデータは、AIは持っていない。
想像図では作れるには作れるが。
それを見ても、今は意味がないという事なのだろう。
私は、創作をしたい。
だが、それを現実に役にも立てたい。
私は何のために創作をしているのか。
創作の原典が怒りであり。
人権屋よ地獄に落ちろという感情なのは自覚している。だが、それ以上の事が思い当たらないのだ。
どれだけ考えても駄目だ。
ただ、はっきりしているのは。
どんな建物を今創る事を考えるにしても。例えばダムのような。人の役に立つものを創りたい。
家は駄目だ。
家はもう完成されている。
ちょっと見栄えが良い家をデザインしても、それは見栄えが良いだけ。地下に住んでいても、全く不自由を感じない。
デザインで誰かを幸せにしたいのだ。
それに怒りも込めたいから、難しいのである。
さてどうするか。
私は次を見に行く。
此処は、何だろう。
とても巨大な空間だ。何かのスタジアムかと思ったが、どうやら違うらしい。足を止めて、周囲を見ていると。
わっと、喚声がわき上がった。
なるほど、スタジアムじゃない。
これは多分、音楽用のホールだ。
台上で踊っているのは、多分21世紀のアイドルだろう。
ああいう人達は、人権屋に全員殺された。
だから、今では歴史的な資料で見るしかない。とはいっても、芸能界は元々犯罪組織とズブズブに癒着していたらしく。
かなり後ろ暗い業界であったらしいのだが。
歌っている人は、知らない人だが。歌には何というか、人を強烈に引きつけるパワーがある。
それなりに有名な人だったのだろうか。
そもそも芸能界でものをいうのは歌唱力だのダンス力だのではなく、後ろにいる事務所の持っている札束と影響力だったという話もある。
或いは、無名の人だったのかも知れない。
これだけ歌えて無名だったとすると。
どれだけ努力をしても無意味な業界かも知れないし。
そうだとしたら、悲しい話でもあった。
曲を聴き終えて、拍手する。
AIが告げてきた。
今のは、やはり無名な人だったそうだ。
一度だけこの音楽ホールでコンサートをやって、それなりに人も入ったが。殆どの人は、この後のグループが目当て。
熱狂してるのも、前座の曲でテンションを上げるため。
それを聞いていると。
本当に苛立ちが募ってくる。
まあ、いい。
それはもうどうでもいい。
次だ。
今のは、とてもきらびやかに見えた。とても美しく見えた。だけれども、闇がとても深かった。
それだけで充分だ。次に行く。次を見る事で、気持ちを切り替えたい。
さっきの歌、本当に良かった。
見に来ている連中は、それを理解できなかったんだな。
それはとても悲しい事だと、私は感じた。あの歌、どれだけ練られてきたか、分からない程だったのに。
コネと金か。
芸能界でのし上がるのに必要なものだ。
それを思うと、こう言う光景は本当に悲しくなってくる。
実力がものをいう世界だと思っていたら、こんな事になったら。
あの台上の人の心は泣いていたのではあるまいか。
周囲の光景が切り替わる。
今度はなんだ。
狭い上に、人が浮いている。
「これは宇宙ステーションです」
「随分狭いね」
「結局人間が書いていたSF作品に出てくるような、何万人も生活出来る宇宙ステーションは、現在まで実現できませんでした。 人権屋が暴れる時代が来た頃には、宇宙開発がおざなりになり。 ついにこれが最後の宇宙ステーションとなったのです」
「……」
きらびやかな宇宙開発。
SF作品の花だ。
それがついにこんな。
内部は狭く、兎に角小さい。
そしてこのステーションは、何分割もされて打ち上げられて。宇宙で組み立てられたのだけれども。
此処での研究成果は地球に持ち帰られ。
相応の技術発展に貢献したのだという。
だが、それだけ。
それ以上でも以下でもない。
その技術発展すら、人権屋は焼こうとした。
反科学とでもいうべき思考の人間達がいたのである。反ワクチンだとかいう連中だ。
それだけではない。
人権屋の中には、地球平面説なんて代物を真面目に信じ込んでいる輩までいた。
要するに、そんな連中を取り込んで、見境なく膨れあがったのが人権屋という集団だったのだろう。
なんだか、宇宙ステーションの狭さは、見ていて悲しくなってくる。
現在の技術だったら、理論的にはもっとマシなものを打ち上げられるはずだ。
だが、それをしていないのは。
地球の状態が、それどころではないからだろう。
AIは無駄な事は基本的にしない。
それは冷酷なものではなくて。
そもそも、地球の状態を判断しての事だ。
人間に対する極めて甘い対応を見る限り、今世界を実質的に動かしているAIは、SF作品で書かれてきたような冷徹マシーンではない。
ロボットもしかり。
むしろ冷徹マシーンに成り下がったのは。
人間という生物だったのだろう。
頭を振る。
そして、宇宙ステーションを見るが。見て回るほどの広さも大きさもない。
此処は仮想空間なので、宇宙ステーションの外に出ることも出来る。
当時は最新鋭のテクノロジーで創ったのだろうけれども。
今見てみると。
何とも小さくて、原始的なものに見えた。
20世紀末くらいまでは、科学の進歩は文字通りの日進月歩であったらしいが。
そんな時代はそうそうに終わってしまった。
それを象徴するような建物と言えた。
無言で、次に。
次に見せられたのは、これはなんだろう。
しばし腕組みして考え込んで、やがてあっと声が出ていた。
これは言われなくても分かった。
原子炉だ。
現在、核融合炉が世界の彼方此方に存在している。電気はそれだけで供給できているほどだ。
核融合の普及には、時間が掛かった。
電気を作り出すためには、色々な利権が敵になったのだ。
石油の関係者は巨大な富を持っていたし。
そいつらが裏で煽ったネガティブキャンペーンは、技術の進歩を拒むかのように、新しい技術を攻撃した。
核分裂炉に問題が多かった事もある。
核融合炉も、散々攻撃を受けて。
実用化には随分と時間が掛かった。
この核融合炉は、絶海の孤島に配置されているという。
他にも五十機ほどの大型核融合炉が動いているらしいのだけれども。
それらの全てが、もしも核爆発を引き起こしても問題が無いように。メガフロートや、もはや何も住んでいない絶海の孤島に配置されているのだとか。
内部を見て回る。
人間がメンテナンスをしないことを前提にしているからか、とてもきっちりした造りになっている。
内部を行き交っているのは百足型のロボットだ。
結局の所、ロボットの性能を最も上げるには、この百足型が一番優れているらしい。
まあそれもそうだろう。
形状の安定は、はっきりいって類を見ない。
これほど合理的な形状は存在しないと言いきっても良いくらいだ。
人間から見て気持ち悪い。
そういう理由で人間の前では使われていないかも知れないが。
こういった場所では、安定している蛇型や百足型は、大現役で働いている。そういう事なのだろう。
「此処は随分と機能的だ……」
「そうですね。 此処の設計に人間は関与していません」
「ああ、そういう……」
核融合炉なんてもの、人権屋の攻撃対象でなかった筈がない。
彼方此方で破壊されたのだろう。
核分裂炉も見境なく人権屋は破壊し。
その爆発に巻きこまれて消し飛んだ挙げ句。
生き残りは核融合炉はやはり危険だとかわめき散らしたらしいから、まあ頭がわいていたのであろう。
彼方此方見て回る。
核融合炉の中心部分は、複雑な構造だ。一度の核融合を引き起こすだけで、膨大な電力を作り出せる。
ただし結局の所、湯を沸かしてタービンを回す。
それ以上でも以下でもないのだが。
人間は電力を作り出すのに。
ついにこれ以上の仕組みを作り出せなかったのである。
例えば、今後反物質を使った最高効率のエネルギーを取りだす炉ができたとしても。
恐らくは湯を沸かしてタービンを回すのでは無いか。
私はその辺りの事情は催眠教育で知っているので、見ていて結局タービンかと呆れていた。
だが、これが最も優れているのも事実だ。
優れている以上、「古い」ものにはならないのである。
他にも何機か、原子炉を見て回った後。
それで、今日の学習は切り上げる。
とにかく、何かを作る時は勉強だ。
それは、よくよくわかった。
分かったからこそ、創作をしたいと思う。
そして、私が作れそうなものの中から。
実用的で。
私の怒りを叩き付けるようにして反映して。
そして、なおかつ誰もが幸せになるものを作っていきたい。
仮想空間からログアウトすると、ベッドで横になる。しばらくゴロゴロする。
ダムを造りたいのだが。
ダムは多数の命を預かる上に、もっともバカみたいな金が世界中で飛び交っていた時代ですら。
実用性を最重視しなければならず。
そこに国家の見栄を反映する事はあっても。
個人の思想を反映する余裕は無かった。
そう考えてみると、ダムは駄目か。
しばらくゴロゴロして考えていると、紅茶を百合が淹れてくれる。
ありがたし。
クッキーを頬張りながら、紅茶を淹れて思考を整理していく。
これでも催眠学習で必要な事は一通り頭に入れているのである。
そういう意味では、私は「親ガチャ」だの「教師ガチャ」だの言われていた時代の人間より恵まれているし。
優れた状況下にいるとも言えた。
私は少なくとも。
今の状況そのものに不満はない。
この反抗心は、状況に対するものではないのだ。
頬杖をついて考え込む。
PCを立ち上げても、仮想空間にアクセスはしない。すれば遊んでしまうだろうと思うからだ。
「まだ夕方か……」
「今日はもう、勉強は止めた方が良いと思います」
「百合はどう思う?」
「私は……同じ意見です」
そうか。
百合が中枢AIとは別の独立したAIを持っているのは分かっている。
試験的なものなのだろう。
今の言葉を濁したのも、ちょっと興味深い。
だけれども、まあそれは可として。考えを続ける。
PCを見て、各地の天気予報を確認する。
もう犯罪者なんてものは存在しないし。
現在のニュースと言えるものは、天気予報くらいしか存在していないのである。
その天気予報も無茶苦茶だ。
日単位の天気予報すら当たらない。
今はそれだけ異常気象が凄まじく、予想のたてようがないのである。
古くには気象予報士なんて仕事があったらしいのだが。
残念ながら、21世紀の半ばには、そんな仕事はなくなった。
人間が予測できる天気など、なくなったからである。
「また雪か……」
「それも今度の雪はかなり積もります。 メートル単位で周囲に積雪があると判断しています」
「それ、家とか潰れない? 地下にあるけど……」
「地下にある故に大丈夫です。 植林中の森などは、電磁バリアでどうにか対処します」
そっか。
まあ、それなら安心か。
別の地方では、大きめの地震が起きている。
ただ、今の時代はどれだけ大きな地震が起きても、死亡事故になるような事もないそうである。
ただ津波などが起きると相応に危険だ。
そういう場合は、AIの指示で動かないといけないだろう。
しばらく考えていて。
ふと、思い当たった。
ダムで駄目なら。
或いは、これならどうだ。
ざっと思考をして見る。
順番に、理屈をくみ上げていく。
AIに伝えると、少しだけAIは考え込んでいた。
「なるほど……現在遺伝子データから試験的に復旧した生物を、一時的に預かるならありでしょう」
「もしもデザインを任せてくれるなら、やるけれど」
「……分かりました。 お任せいたします」
「うし!」
私は頷く。
もう寝るまでそれほど時間が残されていないけれど。
これだったら、良いかも知れない。
しかも、生物を無作為に遺伝子データから復旧させていても、全部まとめて放つわけにはいかないのだ。
環境への影響を慎重に吟味していく必要がある。
それに、だ。
私の持つ反抗心を、形にもできる。
こんな大事なものに、自己顕示欲を反映しているようで、ちょっと気が引けたのも事実だけれども。
それでも、これはやってみる価値があると判断できた。
頷くと、私はデータをまとめていく。
これについても、いろいろな建物を勉強している間に、見る機会があった。私が真似をすることはできる筈だ。
基礎部分を考えた後は、仮想空間でそれをまとめる事にする。
だけれども、時間切れだ。
百合が、夕食を運んできたので、一緒に卓を囲む事にする。
今日のはパスタか。
それも野菜を多めにして、中々に美味しそうなパスタにしている。それはそれで結構良さそうだ。
これらの野菜は。試験的に遺伝子データから復旧したものを。
嫌がっていない人間の所に、優先的に回して様子を見ているらしい。
私もその一人。
食べて見ると、時々外れがあるので。
それを反映して、次には更に品種を改良する。
ただ、それだけの話である。
今日のは普通に美味しい。
良い感じだと思考して、AIがそれを統計として取る。
多分何万人だかに、或いはもっと多くの人間に同じものが提供されて。それでデータを取っているのだろう。
私は、少なくとも。
この野菜は、嫌いではなかった。
良い感じだなと、パスタを啜る。黙々と食べ終えると、百合がスープを持ってきた。
スープもいただく。
うん、悪くない感じだ。
黙々とおなかを温めると、風呂に入る。
そろそろ、潮時かなと思う。
今セミロングくらいにしている髪を、もう少し切るか。
丸刈りにするのはちょっと勇気がいるが、ショートくらいに切るのは全然ありだと思う。
私も少しずつ創作を経て、私自身を知り始めているように思えるから。
だから、願掛けに伸ばしていた髪を切るのは、吝かではないのである。
そのまま髪を切って、活動的な格好を更に加速させたい。
まあ体型とかはどうにもならないから、それはそれで別にいいのだが。
歯を磨いて顔を洗って、すっきりした所で寝る。
さて、ここからが本番だ。
創作をやるには、徹底的な下調べと勉強がいる。
それは私も理解できた。
今回も、それを実践した。
だからこれから創作を実施できる。
それでいい。
ただ、それだけのこと。こんな些細な事を理解するのにも私のオツムでは随分と手間暇が掛かったが。
私は私のペースでやらせてもらう。
ただ、それだけだ。
3、ちいさな世界
ワールドシミュレーターを活用する。
今は主に、自分の世界を創って、其処に引きこもるために利用されているワールドシミュレーターだが。
今回私は、それとは違う用途で用いる。
そもそもワールドシミュレーターのリソースは各人に提供されているので、どう使おうと勝手だ。
自分だけの世界を創ってそこに異世界転生するのも、それはそれでアリ。
こんな世界である。
人権屋どもが何もかも焼き払ってしまった今の時代に、希望を感じられないのはそれはそれで当然だろうし。
今でも、前からも。
私は、異世界転生して自分の世界で裸の王様になっている人間を責めるつもりは無い。裸の王様というと少し語弊があるかも知れないが。
そうさせたのは、過去の人権屋どもだ。
だから、それは仕方が無いと思っている。
無言でワールドシミュレーターの設定をしていく。
やがて、世界に。
緑がわっと拡がっていた。
そう、今回私が設計するのは、ビオトープだ。
私の創作した世界で、狭い範囲での生態系を確立させる。
それが今回の目的。
上手く行くようなら、それを設計して、複数のビオトープのモデルにする。そうすることで、私の。
何もかも焼き払いやがった人権屋とか言う連中に、地獄で永遠に灼かれていろと吐き捨てる事もできるし。
何より、一度滅ぼされてしまい。
科学の力で世界に蘇ろうとしている生物たちが。
きちんとやっていけるのか、試験をすることもできる。
勿論本来生存していたのだから、環境さえ整えばやっていく事が出来るだろう。
だが今は、森も林も存在していないのだ。
だからこそ、こうやって事前準備をする。
大きさは十メートル四方もあればいいか。
陸地と水場。
それぞれを半々くらいの割合で創る。
水場については、水が常に流れるようにする。
そして人工の光。
これは時間帯によって、変えるようにする。
設定は少しずつ行って行く。
まずは地上、水中、ともに植物を必要とするだろう。少しずつ、植物を入れて行く。これは設定で簡単にできる。
ただし、ワールドシミュレーターで設定できる植物は、まだまだそれほど多くは無いのが実情だ。
それだけ、復活させた植物が少ないのである。
後は、その植物に関する、詳細な育成データも。
AIも世界中で復旧作業をしているが。
世界中のあらゆる生物が人権屋によって焼き尽くされたのだ。だから、こうして順番に再生していくしか無い。
植物だけを淡々と植えて。
そしてワールドシミュレーターの時間を加速させる。
うん、良い感じだ。
木がすくすくと育つ。
だが、木はあくまで少しだけあればいい。
下草を中心にした、ちいさな植物を主に。植物がない地点もまた、必要になってくるだろう。
この狭さだと、中型の草食動物が一体配置できればいいくらいか。
小型の、草を餌にする生物を、少しずつ入れて見る。
だが、すぐに失敗を悟った。
あっと言う間に草が食べ尽くされてしまう。
これは、一旦データをとめる。
そして時間を巻き戻して、草食動物を入れる前に戻していた。
こういうのは、現実でやっていた場合は、文字通り取り返しが利かない。ビオトープは全滅してしまうだろう。
取り返しが利かない創作は、彫刻や陶芸で経験済みだ。
決して容易では無いが。
しかしながら不可能でもない。
私は淡々とパラメータを設定しなおす。植物の繁茂を再設定してみるが、今度は植物が増えすぎて。
土壌の栄養を吸い尽くされてしまった。
難しいな。
水にプランクトンを入れるが。これもバランスが難しく、瞬く間に緑色の水になってしまう。
水中には小型の海老などを入れていき。更には巻き貝なども入れる。
これもバランスが非常に難しい。
あっと言う間にバランスが崩壊して、海老だらけになったり、巻き貝だらけになってしまう。
昔のビオトープは、水槽内部で完結させる事が多かったと聞いている。
それも納得出来た。
これでは、バランスを取るので精一杯だ。
しばし考え、バランスを調整しながら。今度は水の流れをもう少し複雑にして見る。
陸地に一筋、川を作って見るのだ。
そうすると、水中の生物は、明らかに面倒なはずの、流れがある地点に移動し始める。
今までも水たまりには水の流れは創っていたのだが。
それ以上に激しい流れに、生物は寄り集まっていく。
逆に流れを嫌がる生物もいるようだ。
これは、興味深い事例だった。
ワールドシミュレータの内部では。時間の進み方を自由に設定することが可能となっている。
私は淡々と時間の流れをコントロールして。
実験を繰り返す。
有り難い事に、これはワールドシミュレーター。
実際の生物に迷惑は掛けない。
人間は、他の生物に迷惑を掛けているかという視点を、最後まで持つ事が出来なかった。少なくとも大多数の人間は。
だからこそ、こうやって私だけでも自覚を持つ。
ワールドシミュレーターで、少しでも拡張性があるビオトープを創り出す。
やはり、川が大事か。
川の比率を大胆に上げて見る。
昔の技術では創れなかったビオトープだ。
だが、池の方が大量の生物が育成できるのもまた事実。なるほど。それならば、ビオトープの規模を大きくしてみるか。
仮想空間で、色々と四苦八苦しているうちに、かなり疲れてきた。
AIの声が掛かる。
「少し休憩を」
「あー、良い所なんだけどなあ」
「負担が大きくなっています」
「分かった、状況固定」
ワールドシミュレーターだ。
当然時間を停止させる事も出来る。
一度ワールドシミュレーターをログアウト。
体がびっしょり。相当に汗を掻いているのに気付いて、愕然としていた。
「こ、こんなに体に負担が掛かってたの!?」
「はい。 頭をフル活用していらっしゃいました」
「はー……」
「一度休憩して、それから食事と水をとってください」
頷くしかない。
一度シャワーを浴びて、汗を流す。凄い量の汗だ。こんなに汗を掻いたのは、いつぶりだろう。
私は、ワールドシミュレーターとはいえ、命を預かっていた。
だからこそ、かも知れない。
汗を流した後は、半裸で風を浴びて、ぼんやりする。
服を着込んでからは横になって。
それで泥のように疲れている事に気付いて、仮眠した。
起きだしてから水を飲んで、そして栄養を少しだけ取る。
知恵熱がでた時と、同じような症状だなと思った。
その間、百合が小首を傾げる。
「こういった作業こそ、我々の搭載しているAIなどの出番でしょうに。 どうして「創」様が、自ら?」
「私も人間だからね」
「はあ……」
「人権屋のクズどもと同じになるつもりはない。 だけれども、私も人間で、世界を焼いた連中の末裔なんだよ」
だから、少しでも。
こうやって、世界の再生に貢献したい。
ただそれだけだと告げると、明らかに百合が困惑した。
これは面白いな。
生体部品を使っているとは言え、ロボットであるこの子がこうも困惑するのは。非常に興味深い。
何だか私がいじわるをしているみたいだけれども。
咳払いすると、私は伸びをする。
ちょっと今日は、同じ作業を続けるのはもう無理だろう。思った以上に、自身への負担が大きいからである。
夕食を食べると、本格的に風呂に入って。
後は寝ることにする。
そして、私は。夢を見ていた。
夢の中で、私は森の中を移動していた。ホバーボートにのって。着込んでいるのは気密服。
そうしないと、どんな影響を出すか分からないからだ。
土の状態をチェック。
内部にいる微生物の数、分布などを調査。
悪くない感じだ。
森の中にある腐葉土は、少しずつ形になって来ている。まだ木が三十本程度と、森としては最小限の規模だが。
確実に、もとの森が作りあげられている。
「キノコがあるね」
「はい。 キノコは大量の遺伝子データが存在していて、少しずつ増やして様子見をしています。 中には危険なキノコもありますので、様子を見ながらの作業になります」
「分かった。 そのまま続けて」
「はい」
側で同じように作業をしている百合と連携して動く。
森の中を通っている一筋の小川。
其処のデータも確認する。
水の流れはちょろちょろと穏やかで。陽光を反射してきらきらと輝いている。
泳いでいるのはちいさな魚だ。
生物は環境によって大きくなったり小さくなったりするという。
この川のサイズでは。
魚はあまり大きくなれないのだろう。
無言で魚のデータを、上から撮影して取得する。
餌などはロボットが必要に応じて与えている。必要がなければ、食物連鎖に任せる。
無言で木の状態をチェックしていく。
これらの木は、そろそろ一部を変えるときか。
或いは、もっと育って貰うべきか。
いずれにしても、この森はとても上手く行っている。
木の一つには、カブトムシがくっついていた。これもまた、腐葉土で育ったこの森の出身者だ。
「一つがいから、随分と増えたね」
「この森で増えたカブトムシは、他の森に配布し。 他出身のカブトムシと交配させています」
「いいことだ。 もっと森を大きくしていかないと……」
「そうですね」
百合は淡々と応じて来るが。
時々森の木々の上を見て、リスを探している様子だ。リスが一番気になるらしい。
まあ何を好こうと個人の勝手。
百合と一緒にこうやって森を守る仕事をするようになって時間もだいぶ経つ。
アンチエイジングをして、何十年も若さを保全しているが。
それも些細な事になりつつあるのだった。
目が覚める。
私は、ぼんやりと、夢の内容を反芻していた。
夢みたいな夢。いや、変な表現だ。とてもいい夢だった。こういう未来があったら素敵だなと、私は思う。
にへへと、顔が緩んでしまう。
私の人生は、怒りと反抗心からなり立っているが。
それをあんな風に、建設的な方向に持って行けたら、どれだけ世界のためになれるだろう。
勿論AIの支援があって始めてなり立つ事である事も理解はできているが。
それだとしても、こんな夢が叶ったらいいなと思う。
頬を叩く。
そして朝のルーチンに取りかかる。
さて、今日もビオトープの設計だ。
もしも上手く行くようだったら、AIに提案。そしてもしも私が設計したビオトープが上手くいくようだったら。
この世界ではじめて。正確には、人権屋どもが世界を焼き払ってから、その後ではじめて。
世界にとって、建設的に。
貢献した人間になれるかもしれないのだ。
ワールドシミュレーターを起動して、そこにダイブする。黙々と作業を実施していく。
十五メートル四方まで拡大して、小川を創って。池を創って。
そして淡々と、生物を育成していく。
やはりこの程度のサイズでは、小型の生物くらいしか育成できない。
それは、色々試してみて良く分かった。
鳥なんてもってのほかだ。
結構大きな森になって来てから、AIが森に動物を放っている理由がよくよくわかった。此処ではとても世話できない。
考えて見れば、動物園ですらもう少し大きなスペースを取っていたはず。
それは私も、動物園の資料映像を見ているから知っている。
この世界は狭すぎる。
だが、新しく再生させた生物の様子を見るには、これは最適だというものを創らなければならない。
新しく世界に放つ生物には。
当然、相応の責任を持たないといけないからだ。
そこで責任を持てないとか抜かすようだったら。
それはもう、人権屋どもと同じである。
「川の設定をもう少し細かくしたいな……」
「テンプレートの環境ですが……」
「いや、テンプレートだからこそ、汎用性を上げないと駄目だよ。 あっと、地域によっても適切なテンプレートが必要になるのか」
例えば今は、日本の生物を対象としたビオトープを創っている。
だが、これがもっと乾燥している国や地域の生物を対象としたビオトープだったらどうなるだろう。
逆に、もっと密林地帯だったら。
ちなみに、密林の再生はもっとも難しいそうで。
適当に植林しても、全くという程上手く行かないそうだ。
比較的自然が豊かだった。そして適応力も高かった日本の生態系を再現するだけでこれだけ難しい。
テンプレとして、どんな生物にでも適用出来る環境となると。
それはやはり、相当に難しいのだろうと感じる。
腕組みして、様子を見る。
川。池。陸地。
この三つは必須だと思う。
思うところあって、大きめの石を配置してみた。これが良い感じに影になる。
池の中にも石を配置してみる。
やはりこれはいい。
石の周囲に流れができるだけではない。影ができて、生物が過ごしやすそうにしている。
なんだか明るい場所が良いとか抜かして、暗い所にいる存在を無理矢理引っ張り出そうとする理解がない手合いが人間の中にもいたらしいが。
実際にはこの通り。
人間でも他の動物でも。
暗くて静かな所が落ち着く存在は、いるのだ。
頷くと、他にも工夫を凝らしていく。
風はどうか。
風を発生させることで、もっと空気を循環させることができるようになるかも知れない。そうなれば、更にこのビオトープの完成度は上がるだろう。
幾つかの設定を変えてみる。
風がごうごう吹いているようではあんまり意味がないが。風を吹かせてみると、意外な効果が生じる。
風を使って移動する生物が出始めたのだ。
これは、面白いかも知れない。
そもそも野外で植林しているとき、電磁バリアで風の発生を相当に抑えているという話である。
鳥などは透明なものを視認できない事もあって、電磁バリアでの対策は大変らしいのだけれども。
それらを更に考慮した上で、やはり風は面白い。
ビオトープ内で、管理された風を吹かせると。
こんなにダイナミックな変化を、内部にもたらすことができるのか。
腕組みをして考え込む。
細かい部分の設定を色々変えて見る。
ふと、AIが話しかけて来た。
「「創」様」
「どうしたの?」
「人間の中にも、現在も自主的にビオトープの勉強をしている人間がいます。 参考になるかも知れませんので、お呼びいたしますか?」
「ちょっと興味深いね。 話だけは聞いてみようかな」
すぐにアクセスしてくれる。
まず、ビオトープ構築の様子を相手に見せる。
私はしばらくワールドシミュレーターで調整を続けて。その度に設定を細かく弄り。時間を戻し。そして進めた。
このワールドシミュレーター、過去のゲームなどに存在していたものとは文字通り次元が違う。
体感時間で何百時間でも、いや何百年でも潜れる程なのだ。
性能が違っているのは当然だと言える。
しばし調整を続けた後、一度現実空間にログアウト。
やっぱり汗をぐっしょり掻いていた。
アセットは偉大だ。
異世界転生をするような人は、だいたいアセットを組み合わせている。
私だって、この間茶道をやった時は、随分とアセットに世話になった。
勿論アセットを組み合わせただけでオリジナルの作品を自称するような不届き者もいたらしいが。
今の時代はそれもできない。
故に、私は必要に応じた使い方を、法に沿ってやっているといえる。
とりあえず、一旦休憩。
しばしして、AIが告げてくる。
丁度シャワーを浴びて汗を流した後だった。
「「創」様。 先ほどの件ですが」
「うん」
「確認をしたビオトープの勉強をしている方が、是非アクセスしたいと」
「分かった、通話で良いかな」
いいということで、PCごしに通話する。
仮想空間で話すのが一般的だが、ちょっと今疲れているのだ。片手間に話せる通話が一番いい。
軽く挨拶をする。
相手側はまだ恐らく子供なのだろう。声が随分幼かった。
幾つかの技術的な話をした後、向こう側の所感を口にされた。
「あの規模だと、ビオトープというのには少しばかり大きすぎると感じます。 大規模すぎるというか……」
「遺伝子データから復旧させた生物を短時間様子を見るには、丁度良いかと思いますが」
「確かにそれはそうなのですが」
「ただ、生産コストが大きいこと、他の気候に会わせた初期調整では使えない事も分かってはいます」
しばし互いに黙りとなる。
やがて、相手はいう。
「私は椿といいます」
「よろしく椿さん」
「次の調整で、私もあのワールドシミュレーターの調整に参加させていただいてもよろしいですか?」
「問題ないですよ。 なんならデータをシェアしますので、色々其方でもお試しください」
実年齢は、今の時代あまり関係無い。
幼いうちに催眠教育なんて終わっているからだ。
また、遺伝子データを取得し、人工子宮で子供を育てるため、親の年齢もあまり関係がない。親と二三歳しか年が変わらないケースもあるそうだ。
数時間休憩してから、ワールドシミュレーターに。
体の負担が大きくなったら、呼び戻すようにAIには言ってある。
現地に到着すると、椿さんが早速アクセスしてきた。
調整しながら話を幾つか聞いておく。
流石に専門家。
色々詳しく知っている。
私は意識だけワールドシミュレーターに移して作業をしているのだが。やがて椿さんはまどろっこしくなったのか。
自分の映像を転移させてきた。
やっぱり幼い。八歳くらいか。しかし、思考を読んだのか、即座に返事してくる。
「十四です」
「え」
「大人になりたくないので、成長を抑制しています」
「ああ、そういう……」
昔は、大人になりたくないと考える人が実在したという。
まあそれはそうだろうなとも思う。
大人になると言うのは下衆になる事。
そういう時代は、確かに存在していた。
信念を持ち正しくあろうとする事。真面目に生きようとすること。それを馬鹿にして、真面目に生きている人間から搾取することが大人。
そういう時代は、確かに存在していたのだ。
そんな大人を見て育てば、そんなモンになりたくないと考える人が出てくるのは、当然だっただろう。
強く大人になりたくないと願う人は、体調を崩してしまうこともあったらしい。
ただ今は、そういうことはせず無理をせずに大人にならずにいられる。
椿さんは、その権利を行使しているのだろう。
動きやすい半袖半ズボンだが、髪の毛は多分背丈よりも長い。
これは私と同じで、願掛けして切っていないタイプだろうか。だとすると、ちょっと親近感が湧いた。
昔の田舎街にいそうな、麦わら帽子を被って肌を良く焼いていそうな子だ。
だけれども、表情が違う。
酷く陰鬱だった。
向こうが姿を見せるなら、こっちも姿を見せるべきだろう。
私も映像を投影する。
それで、再び挨拶。
背丈が倍も違うが、それはそれでかまわない。
軽く話をする。話をしているときの言葉が時々ぶれるが、それは恐らくAIが適宜翻訳しているからだろう。
「なるほど、この木は……」
「この石は、もう少し大きい方が……」
「ふむ、分かりました」
意見をかわしながら、調整をしていく。
調整をしながら時間を進めて様子を見る。
時間を進めてみると、互いの意見がぴったりあったり、あわなかったりする。
幸いこれはワールドシミュレーター。
実際の命を預かっている訳じゃない。
だから、気兼ねなく色々とできる。
勿論、今後これが実際の生物に関わって来ると思うから、手を抜く事は出来ない。しかしこれで予行演習できる。
それがどれだけの命を無駄にせずに済むか、分からない程なのだ。
しばらく激論を椿さんと交わして。
それから、休憩に入る。
椿さんも、自分の所で色々今見た内容を反映して、試してみるそうだ。
ずっとワールドシミュレーターでビオトープをやっているのだとしたら。この分野に関しては完全に先輩だ。
年齢は十も下だが。
それはあまり関係がないと言える。
一度ログアウトして、そしてぐっと疲れているのが分かった。筋力や体力は理想的なくらいに伸ばしている筈なんだが。
それでも疲れると言うことは。
脳の疲労が、体に出ているという事なのだろう。
無言で横になる。
百合が紅茶を淹れているのを横目に、AIに確認して見る。
「あの人、椿さん。 もう何年もビオトープやってる感じ?」
「細かいデータはプライバシーに関与するので公開はできませんが、概ねその通りです」
「なるほどね。 成果は上がっているの?」
「成果……ですか。 本人は思っていないようですね。 実は、「こうしてはいけない」というデータは豊富に採れているのですが」
なるほどね。
科学的な観点では、「これは成立しない」というのは、立派な成果になると聞いたことがある。
「できない」事が分かるのも、立派な結果なのだ。
データを集計したときに、失敗のデータが集まるのはそれだけ有意義な事であるらしく。
私はそれを聞いて、なるほどなと思ったものである。
どうにも椿さんは、ワールドシミュレーターでのビオトープ作りで本当に苦労していたらしく。
何度も泣いていたそうだ。
それが、私の事を聞き。
私が創った創作についても確認して。
それで私に興味を持ったのだとか。
そうか、だとしたら私も。
ビオトープでは後輩かも知れないが。創作では先輩なのだから。負けてはいられないなと感じる。
なお、椿さんも相当毎回気合いを入れてワールドシミュレーターの調整をしているらしく。
いつも私みたいにへばっているのだとか。
だとすると、向こうも本気と言う事だ。ますます負けてはいられない。
休憩をしばらくしてから、今日はもうちょっとだけやろうと思って、ワールドシミュレーターに。
ビオトープから、椿さんの姿はなくなっていた。
黙々と調整をする。
データを保存しては時間を進めて戻して。それらを延々とやって、結果を確認していく事になる。
とにかく地味な作業だ。
だが、責任のある作業だ。
隠れる場所が必要だ。それについては、私も椿さんも意見が一致している。だから、淡々と調整していく。
川の流れも必要だ。
川の中の石の配置が重要になるかも知れない。それも、試行錯誤しながら色々やっていく。
本当の生物。本当の命で試行錯誤するのではない。
故に、色々と大胆に手を入れられるのが、こういう場所の特権だった。
椿さんが戻ってきたので、引き継ぎをして、一緒に作業をする。力仕事があったらもっと大変だっただろうが、幸いワールドシミュレーターだから、そういうのは考えなくてもいい。
椿さんと一緒に作業を続ける。
ここでの体感時間が、ぐっと増えていく。
同時にコツを掴んだのか。
疲労したタイミングで、自発的に戻れるようになっていた。
やっぱりワールドシミュレーターから戻ると、それでぐっと疲れている。だけれども、それ故にメシが美味しく感じる。
運動不足にならないように、筋肉に刺激をAIが与えてくれている。それもあって、動けなくなるような事もない。
他のワールドシミュレーター使用者にもやっていることらしいし。
まあ適切な処理、ということなのだろう。
無言で更に作業を続けていく。
風、川。そして、空に雲を入れる。
雲は必要ないのではないか、と思ったが。
そもそも全域を水場にしていたような古い時代のビオトープの事を考えると。これくらいの湿度調整はあって良いのかも知れない。
私は淡々と。
最後の最後まで、調整をしていった。
4、創作の域を超えて
仕上がった。
私は椿さんとともに、それを見やった。
15メートル四方ほどの空間。
その中に、ちいさな世界が仕上がっている。
小川が流れて、やがて池に注いでおり。
陸上には木が数本。
下草も生えていて。その中には、石が複数。川の側にも、陸の真ん中辺りにも。
そして空からは、時々雨が降っている。
水中には小魚を中心に、多数の生物。
汚れを押さえるために入れているタニシや海老などだけでは無い。
大量のプランクトンも存在していて。
此処で様々な生物が、どう影響を与えるのか、実験するにはもってこいの環境と仕上がっていた。
あらゆる試験を試した後、完成を確認。
ほっと、力が抜けるのを感じた。
「素晴らしい。 私だけだったら、多分どれだけ時間を掛けても無理だったと思う」
「人数だけ集めても無意味な事を、船頭多くして船山に上るというそうですね。 今回は運良く三人寄れば文殊の知恵になりましたが」
「二人ですが」
「言葉のあやですよ」
そう応えると。
おかしくなったのか、椿さんは笑った。
良かった。笑ってくれた。
この人が、ずっと虚無の表情をしていた事を、思い出してしまう。
そして、笑いながら、涙を拭っていた。
「砂漠地帯や、乾燥地帯、密林については私が以降やります。 貴方は現実世界に創るビオトープをお願いします」
「はい。 ありがとう、椿さん」
「いえ……此方こそ」
握手する。
ちいさな手だけれども、この人はあまりの過去の人間の悪行に、大人になる事を拒否した人だ。
そのちいさな手には、相応の理由がある。
だから、小さい事を馬鹿にするつもりはないし。
むしろ、そのちいさな手には、大きな哀しみが篭もっていることを理解しなければならなかった。
現実世界に戻る。
すぐにAIが、ビオトープの構築を開始するという事だった。
「今回のワールドシミュレーターでの実験は、大変に意義があるものでした。 すぐに作業を開始します」
「私は立ち会おうか」
「いえ、かなり繊細な作業が必要になりますので。 基本は此方で行います。 完成したら、「創」様にも見せましょう」
「了解」
そう応えると。
疲れがどっと出て。腰が抜けて動けなくなった。
乾いた笑いが出る。
それに、私も涙が出ていた。
今までのは、創作だった。
娯楽のためだった。
だけれども、私は今回。明らかに、世界にとって実用的なものを創った。過去の人間が散々やらかした事に対する償いになるものもだ。
それが、とても心に暖かい。
心を燃やしてくれる。
そして何となく分かった。
これこそが、私の反抗なのだと言う事だ。
私のクリエイティブは、決して破壊と一緒では無い。
いや、ある意味破壊だ。
古い時代にバカをやらかして、世界中を破壊し尽くした人権屋の所業を、私は人生をかけて破壊する。
連中は金儲けのためにバカを利用して。
人権をあらゆる手段で金に換えた。
その愚行を今、私は徹底的に創作を使って否定する。
これこそが、反抗。
私のロックンロール魂というやつである。それはとても力強い意思を、私の中で燃え上がらせていた。
AI制御のロボット達が、数日ほどで私と椿さんが作りあげたビオトープを仕上げたというので、見に行く。
なんという、優しい場所か。
此処はあくまで試験場。
だけれども、ここから始まる素敵で豊かな場所。
もっと規模を大きくしても良いかも知れない。
もっと生物がたくさん住めるようにしていくべきだろう。
こんな場所を、たくさんたくさん増やして。多くの生物が生きていけるように試験もしていって。
それらが完全に終わった頃には。
地上には、緑と。
汚染が除去された、どんな生物にも住みやすい土地が拡がっている筈。
そしてこれらは、ワールドシミュレーターを有効活用した結果作りあげられたものである。
人間だけの手では。
どうしてもできなかった。
もう一度、涙が出る。
どうしてだろう。こうも涙もろくなってしまったのか。
違う。
多分私は、やっと始めて自分が抱えていたオリジンにたどり着けたからだ。
だけれども、ここが出発点だと思う。
此処からだ、私の創作は。
私は此処から。やっと自分の創作を開始できるのだと思う。
百合が困惑しながら、私を見ていた。
でも、いい。
AIすら困惑するのであれば。
私はそれだけのイレギュラー。
反抗者としては、申し分ないはずなのだから。
(続)
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