聖白蓮カウンセリングする
序、寺の朝は早い
忘れ去られた者が集う場所、幻想郷。
妖怪は人を襲い。
人は妖怪を怖れる。
そして人は勇気をふるって妖怪に立ち向かう。
そんなルールが未だに生きている、地上最後の理想郷の一つ。そんな理想郷に、最近越してきた勢力がある。
命蓮寺。
1000年を経て、人間からは「魔法使い」と呼ばれる種族の妖怪として認識されるようになった妖尼僧が住職を務め。
多数の大妖怪を弟子として抱え。
現在もっとも幻想郷内部にて「伸びている」勢力の一つである。
住職である聖白蓮が勢力の長として、他の勢力の長にまったく引けを取らない圧倒的な実力者である事。
くせ者揃いの妖怪達が心服するほどの人格者である事。
懐が深く、人里でも妖怪達の間でも人望が深い事。
これらが勢力を伸ばしている理由の一つではあるのだが。
白蓮にとっても、不安要素がないわけではない。
まず命蓮寺では、絶対平等を教義に掲げている。
これは妖怪も人間も神々も、等しく同じと考えるもので。
妖怪も修行して仏道を学び、人々の信仰を得られるようになれば、人を襲わずに共存していけるというものである。
この理想を大まじめに白蓮は実施し、事実多くの人食いだったり、人間を殺していたりしていた妖怪を改心させてきた実績があるのだが。
それはそれとして。
妖怪達が慕っているのはあくまで個人としての「白蓮」であって。
白蓮の思想を完全に理解してくれている訳では無いし。
修行についても面倒くさがっている様子があるばかりか。
仏道の戒律も、時々破っている事がある、という事実である。
主な戒律破りは、肉を食べる事や酒を飲むこと。
勿論弟子達が怖れるのは、白蓮に破門されることである。
弟子達は、仏門に入って間もないものでも、嬉しい事に白蓮の事を慕ってくれてはいるのだ。
だがその教義を理解し切れているとは言い難く。
難しいと言われる事もあるし。
肉を食べたいとも言う。
勿論人を殺すことは絶対に禁止しているが。
妖怪として存在するために。
人間を襲うことを未だにやっている弟子はいる。
勿論人間を殺さないように、注意深くやってはいるようだが。
古参の弟子でもこの加減を間違えている者が時々見受けられるのは、白蓮の悩みの一つだった。
寺の朝は早い。
起きだすと、白蓮は身支度を調える。
そして一番に起きだしていた弟子の一人。
寅丸星に挨拶をした。
毘沙門天の代理として命蓮寺に住まう彼女は、虎皮を意識した服装をしている。あの天部毘沙門天の代理という事もあり、命蓮寺におけるナンバーツーである。つまるところ、白蓮の一番弟子という立場に当たる。
彼女は元々人食い虎の妖怪だったのだが。
今はとても性格的に落ち着いており。
白蓮が不覚から封印されていた間も、ずっと弟子達と連絡を取り自身は姿を隠し。
そして白蓮が封印から解放されるまで、皆を守り抜いてくれた。
勿論星の状況を哀れんだ毘沙門天の助力もあったのだが。
その間に星がしていた事は、白蓮としても感謝以外の言葉が無いほどに大きい。
「おはようございます、聖」
「おはようございます。 今日は説法をします。 準備をしてきてください」
「分かりました」
白蓮は弟子達から、面と向かっては聖と呼ばれている。
これは高僧を示す言葉であり。
他からは住職や。
阿闍梨などとも呼ばれる。
住職というのは言う間でも無く、寺のトップである僧侶のこと。
阿闍梨というのは、仏教の一派において徳の高い僧を示す言葉だ。中には大阿闍梨などと、過分な呼び方をする者もいるようだ。
白蓮は決して、悟りを開いた大僧侶では無い。
そもそもその出発点そのものが。
恐怖だった。
弟である命蓮は本物の高僧だったが。それでも容赦なく運命は命を奪い去って行った。
その時に、知ったのだ。
死の恐怖を。
白蓮自身は、高齢になってから修行を始めて、僧としての徳と法力を身につけたという才覚の持ち主だったが。
それでも愛する弟の死には衝撃が隠せなかった。
故に若返りと不死の法を学び始め。
その過程で、妖怪達が、実は神々と何ら変わらぬ事。
悲惨な境遇である事も珍しくはないことを知った。
だが、妖怪を助けていることを知った人々は聖人として崇めていた白蓮を襲い。
法界と呼ばれる魔界の一角に封じ込めるという暴挙に出た。
弟子達は戦うべきだと言ったが。
白蓮は弟子達を逃がすと。
自ら抵抗せず縛についた。封印も甘んじて受け入れた。過度の抵抗は人々を傷つける。そう考えたからである。何名かの妖怪は逃げ遅れ、巻き込まれて現在の幻想郷の地底にあたる場所に封印されてしまった。
何故逃げなかったのか。
それは人々を信じたからだ。
封印された後も、その考えは変わらなかった。愚かな人もいるが、決してそればかりではないと考えを変えなかった。
結局封印から逃れたのは比較的最近だが。
今でも白蓮は歪むことなく。
温厚に振る舞い、弟子達の信頼を得て。
しかしながら、弟子達に戒律を守らせる事は出来ずにいるのが、歯がゆくもある。
まだまだ修行が足りない。
僧としての法力や、戦闘の手腕に関しては、不足は感じていない。
最初から話を聞いてくれる妖怪ばかりではない。
1000年前には、夜の闇が健在で。
高僧と聞くだけで、嬉々として襲いかかってくる妖怪も多かった。
諭すためにはまず大人しくさせる必要があったから。
必然として荒事には慣れた。
現在では猛者が集う幻想郷でも、勢力の長として不足無い程の実力を有している白蓮だが。
その実力は修行よりも、必要に応じて高め。
実戦により磨かれたものなのである。
問題は自分の心。
到底悟りには至らない、僧としての未熟さだ。
だから白蓮は他人よりまず自分に厳しい。
そして人間も妖怪も。
手をさしのべられる範囲では救う。
その一方で、世の中はきれい事だけでは回らないことも理解している。
故に今では、食客として世の中の裏側を知り尽くしている化けダヌキも受け入れているし。
他の思想を持つ集団と交流し。
無意味な争いを避けるため、コネを造る事にも余念がない。
そしていざという時には戦う力も磨くために。
多くの弟子も取るようにしていた。
ただし、人間と妖怪、どちらかに譲歩を迫るようでは意味がない。
人を襲う本能を抑えられない妖怪にも。
人を殺さず一緒に生きていける案を示す。
それに関しては。
幻想郷において、白蓮が現在随一かも知れない。
寺の皆を起こしていく。
最近は、寺の墓場で身を縮めて過ごしていた唐傘お化けの多々良小傘も。寺の皆に交じって、一緒に寝泊まりするようになった。
新陳代謝のない付喪神とは言え、前から声を掛けようと思っていたのだが。
少し前に彼女にアドバイスをしてから。
多少は心を許してくれたらしい。
本当は皆自力で起きだして欲しいのだけれども。
ねぼすけなのは仕方が無い。
自分だって悟りを開いているとは言えないのだ。
弟子に悟りを開けなどとは口が裂けても言えないし。
まずは規則正しい生活をする事から。
それを手助けする事からだと、白蓮は考えている。
白蓮自身は徹底した戒律によって生活しているが。
弟子達は、戒律を守るように促すまでで。
戒律を守れなくても叱責やら体罰やらは絶対に加えないようにしている。
罰を与えるのは。
目の前で戒律を破ったり、明確に他の存在に迷惑を掛けるような事をした場合だ。
自力で起きられる星と違い。
起きる時間になっても、殆どの弟子は起きられない。
いわゆる在家信者の面々は、毎日来るとは限らないし。
寺に住んでいる弟子だけで朝の作業を行う前提で動く。
まず弟子の中でも古株の、雲居一輪と村紗水蜜を起こす。
一輪は古くは大妖怪として知られた見上げ入道(見越し入道ともいう)を従えている妖尼僧で。
古くから度胸があり。
なんと法術や妖怪退治も学んでいない身で。
調べた知識だけで、大妖怪で人も喰らう見上げ入道を退治。
そのずば抜けた度胸から見上げ入道に気に入られ。
一身一体として過ごす内に。
自分も妖怪になってしまったという、面白い経歴の持ち主だ。
何しろ肝が据わっていることもあって。
白蓮と二人きりの時は、「聖」ではなく、「姐さん」と呼ぶ事もある。
彼女なりの敬意の示し方だと分かっているので、それを止める気は無い。
彼女と一緒にいる見上げ入道は雲山というのだが。
彼は優れた力を持つ妖怪で。
単純な実力で言うとこの寺の弟子でも白蓮ともう一人の伝説に残る大妖怪に次ぐ。
村紗水蜜は元々凶悪な船幽霊で。
多くの人々を海に沈めていた邪悪な存在だったのだが。
白蓮に諭されてからは心を入れ替え。
今では陸に上がって、修行の日々を送っている。
この二人は最古参の弟子だが。
二人とも最後まで白蓮につきあって、その結果地底に封じられてしまったという経歴を持っており。
ある事件を切っ掛けに、白蓮を救いうる手段と共に地底を脱出。
仲間を集めて、白蓮を封印から救ってくれた。
二人は多少眠そうだが。
しかし、時間が来たことは分かったのだろう。
すぐに着替えを始める。
続いて封獣ぬえを起こす。
彼女は大妖怪として知られる、鵺その人である。
白蓮に弟子入りしたのはごく最近。
一輪と水蜜が地底にいたころ知り合ったらしいのだが。
封印解除に二人が星と一緒に奔走をしているのを見て興味を持ち。
そして最終的に封印解除した白蓮が受け入れたことで、頭が上がりそうにないと弟子入りを希望。
白蓮は快くそれを受け入れた。
元々大妖怪とはいえ、人を様々な姿で驚かす事が趣味、程度の存在であって。別に人を好んで喰らう凶悪な妖怪でもないし。弟子入りを拒む理由もなかった。
ただ寺の仲間とはさほどなじめていないようで。
時々寂しそうに、寺の隅で膝を抱えていることもある。その度に、白蓮が声を掛け、修行に誘うのだった。
次に起こすのは幽谷響子。
最近不幸な事故から絶滅しかけた妖怪山彦である。
山彦は山に向かって叫ぶと返事をしてくれるというだけの無害な妖怪であり。
彼女も子供っぽいだけの善良な妖怪である。
白蓮の手助けで消滅を免れた後は寺に住んでいるが。
少し前に大問題を起こして、今対策案を考えている途中である。
本人は反省しているので、別にこれ以上怒るつもりもない。
ただ、修行が大変な事は白蓮自身が理解しているし。
押さえつけるだけが修行だけでもないとも分かっているので。
真剣に対案を考えるつもりではある。
眠そうに着替えを始める響子を助けてあげるようにぬえに促すと。
白蓮自身は鐘を鳴らしに行く。
その途中、寺に食客としてすみついている外の世界から来た大妖怪。タヌキの大顔役である二ッ岩マミゾウと、この間から顔役として正式に寺で暮らす事にしたらしい多々良小傘が起きだしてくるのにすれ違う。
朝の挨拶を済ませ。
朝の読経に参加するかと確認するが。
マミゾウはにやりと笑うだけ。彼女は二ッ岩大明神という神道系の神格持ちなので、仏教には興味が無いのは仕方が無い。
小傘は少し躊躇った後、頷いた。
二人は弟子では無い。食客だ。
特にマミゾウは顧問という形で、白蓮とは別の観点から、問題解決の糸口を探してくれる事が多い。
二人に修行を強要するつもりはない。手助けをしてくれるだけで充分だ。
陽が出始めた。
星が起きだしてきた皆と朝食の準備をする中。
白蓮は法術によって時間を確認。
鐘を打つ。
打つ度に祈る。
人間だった頃は、これがかなりの重労働だったのだが。
寿命を捨て、若返り。身体能力で遙かに人間を、いや大半の妖怪をも超えるようになった今では。その気になれば拳で鐘を鳴らすことも容易い。
速度なら風の化身を自称する天狗と同等以上。
強大な力と耐久力を誇る鬼と余裕を持って殴り合える身体能力。
魔法使いとしても幻想郷の誰にも負けない。
それが現在の白蓮である。
勢力の長として決して最強という訳では無いが。
それでも他の勢力の長に引けを取らない自負はある。勢力そのものの力としては上位に入るとも自負している。
だがそれに慢心していてはいけない。
修行を重ね、やがて悟りを開くことで。
弟子達を導き。
この世の皆に安寧と平穏を。
それを願っていることに、嘘偽りはない。
最初は欲からだった。
だが、欲など誰でも持っているものだ。
失敗はたくさん重ねてきた。
だが失敗は誰でもするものだ。
ゆえに白蓮は、今日も修行を重ね、悟りの境地を目指すのである。
この寺の鐘は、冶金が得意な小傘が最近頑強にしてくれたもので、素晴らしい音を奏でる。
人里にも、朝の目覚まし時計代わりに機能していると評判だ。
鐘を鳴らし終えると、食事を取る。
精進料理は味気ない、という苦情が前にあったこともあり。
今では相応に美味しいように工夫している。栄養も偏らぬよう様々に調べて工夫している。
実際問題として、味気ない料理ばかりを食べていれば、肉食への渇望や、飲酒の誘惑にも耐えられなくなる。栄養が偏った料理ばかり食べていれば力も出なくなる。
弟子達が戒律を時々破っている事を知っている白蓮は。
戒律を目の前で露骨に破ったときには叱るが。
一方で、戒律を破らないようにするにはどうしたらいいのか。
常に工夫も凝らしているのだ。
もっとも、此処まで思考を柔軟に出来るようになったのは比較的最近の事で。
知恵者である聖徳王と話をしてアドバイスを受けたり。
それこそ食客であるマミゾウと話してアドバイスを受けたり。
柔軟に姿勢を変えてきているから、である。
食事をしながら、弟子達の様子を確認。
比較的皆満足そうに食べている。
肉はないものの、それに近い味を再現する料理は幾らでも作れる。
調味料の類は、人里で買わなくても、白蓮が調合可能だ。何なら魔法で作り出す事も出来る。
小傘は料理を配膳するだけだが。
これは彼女が、「驚き」しか食べられない偏食家の付喪神だからで。
彼女が望んでそういう偏食家になったわけではない。
料理には積極的に参加していて。
最近は料理の腕も上げているようだった。
「ごちそうさまでした」
手をあわせて、食事を終える。
皿などを洗い終えた後、法堂に集まる。
そして、弟子達が揃うのを確認。
今日は在家信者の内、古明地こいしも来ている。
地底の支配者であるさとりの妖怪姉妹の妹の方だが。勧誘したら寺の信者になった。
無意識を操る彼女は、何処にでも存在し、何処にでも存在しない。
だから読経に参加するかは気分次第だ。
他の在家信者には、面霊気と呼ばれる最高ランクの付喪神である秦こころという妖怪がいるが。
彼女は寺だけにいつもいるわけではないので、今日は不参加だ。
別に必ず参加するように声を掛けているわけではないので構わない。
一番弟子の星は位置につき。
更に、毘沙門天が星の監視役として派遣している鼠の妖怪ナズーリンも読経の席に着いたので。
読経を始める。
小傘は後ろの方で、座って様子だけを見ている。
マミゾウも同じようにしていた。
経を読み始める。
古参の弟子は経をすらすらと暗誦出来る。
響子も山彦という妖怪の特性上、すぐに経は覚えた。
だが、経には意味がある。ただ唱えている訳では無い。何処の部分がどういう意味を持っているのか、聞かれたらすぐに答えられるようでなければならない。
読経の後は軽くそれを説明。そして、皆に一日の始まりを告げる。
今日もこうして始まるが。まだ朝日は昇ったばかりだ。
1、爆音遊戯
少し前の話だが。
弟子になった山彦の幽谷響子が、夜雀という妖怪のミスティア=ローレライと意気投合し。
いわゆるバンドを組んだことがある。これが大きな問題を引き起こした。
音楽自体は否定しない。音楽や踊りを楽しむのは良いことだ。
仏教にも時宗という踊りを教義に取り込んでいるものが存在している。
遠くの宗教になるが、いわゆるイスラムにもスーフィズムという宗派があり。これも歌や踊りを取り込むことで、わかりやすさを重視している。
そもそも経もリズムを取り込むことによって。
いわゆる暗示を与える事を目的としている。
だから別に歌うことは悪くない。
創作活動も問題は無い。
問題なのは、二人が真夜中に爆音をまき散らしていたことで。
人里と、博麗神社の真ん中辺りで、真夜中に「ゲリラライブ」と称して、現状に不満を持つ妖怪達と酒を入れながら大騒ぎしていたことである。
人里で近所迷惑だという苦情が上がり。
それが白蓮の耳に届いた。
それだけでも大問題だったが、手を下す決定的な理由になったのは。
博麗の巫女が、寺に乗り込んできたからである。
白蓮に対して、物怖じしない最強の巫女は言った。
これ以上安眠妨害するようなら、あの五月蠅いのを全部「物理的に大掃除」する、と。
白蓮としても閉口せざるを得なかった。
やり口は乱暴だが、博麗の巫女の言い分は正論だ。人里にも迷惑を掛けているのだし、見過ごせない。
正論ならば聞かなければならない。
そして響子が弟子である以上、白蓮にも責任がある。
実際問題、外の世界なら兎も角。
現状の幻想郷において、夜は「人間が寝る時間」である。
夜に活動するのは妖怪であり。
そういう意味で、夜に「音楽活動」をする事は別にまったく構わない。
ただし、他人に明確な迷惑を掛ける行為は駄目だ。
其処で、白蓮自身が出向き。
本当に爆音をまき散らしていた響子と夜雀。更に見知った妖怪の数名に拳骨をくれて。ゲリラライブを止めさせたのだった。
ただし、寺に後に夜雀を招き。響子と一緒に話をした。
不満があるなら、きちんというようにと。
対案を用意するとも。
呼ばれた時点で既に泣いていた響子は、修行がつらい、と言う。
山で過ごしていた時は、兎に角毎日人間が叫ぶのに答えていれば良かったし。
こんなに規則正しく生きるのはとても辛いと。
だけれども、白蓮には消滅から救って貰った恩があるし。
つらいけれど修行が大事なのは分かるので、どうしたらいいかわからないとも。
夜雀は、そもそも生活が苦しいらしい。
彼女はうなぎ屋を経営しているのだが。
これはそもそも、人間を鳥目にするという能力を持っている彼女が。襲った人間を鳥目にして、鳥目に効くというヤツメウナギを売れば儲かるのでは無いかと言う安易な思想から始めたことであるらしい。
だがこのお店は、お酒も出している。
更に言えば、妖怪が経営している屋台の上、人里で経営しているわけではない事からお客も悪い意味で限られ。
来る人間は博麗の巫女を一とする恐ろしい人外の猛者ばかり。
また、地上に来る鬼なども、面白がって来客するらしく。
時には仕事がないときには彼方此方に説教をして回ることで知られる、幻想郷の閻魔様までもが訪れるそうだ。
故に客が来る度に、背筋が凍るそうである。
そのために、不満が溜まって、毎日おなかがきりきり痛むほどだそうで。
前から知り合いだった響子と話して、「パンクロックバンド」を組んだのだそうである。
その話を聞いた白蓮としては。
対案を用意せざるを得なかった。
そして二人を今日、改めて揃って呼んだのだった。
お堂で正座して向き合う。
二人に音楽を止めるようにとは、白蓮は一言も言っていない。
夜雀はそれほど強い妖怪では無いので、幻想郷の勢力の長であり、現時点で最強の魔法使いである白蓮にまた呼び出されたことに震えあがっていたが。
まず白蓮は、話を始める。
「二人が音楽をすることは止めません。 修行が辛いことも、生活が大変な事も、私はよく分かります。 かくいう私も、修行を始めたばかりの頃は、とても辛くて、毎日が苦しくてなりませんでした」
まず最初に。
自分も同じである、という所から始める。
白蓮の説法は難しいと言われる事があるので。
相手の共感を得ることから始めるのだ。
そして宗教家としてではなく、相手の相談に乗る立場として話を進めて行く。
白蓮は必ずしも、相手に仏教徒である事は求めない。
同じ思想を持つことを強要はしない。
自分が好きで他人を救っているのであって。
救える範囲で出来る事は、何でもする。
人間も妖怪も平等。
ならば。困っている立場が弱い妖怪は、人間も困らせないようにして、その不満を解消してやるべきである。
それが白蓮の教義である。
「音楽は良いものです。 天の国でも音楽は愛されていると聞きます。 しかし音楽そのもので人々を困らせてはいけません。 音楽で自分だけが楽しむのでは無く、皆が楽しむ方法を考えましょう」
「しかしその、聖」
普段、外では住職と呼んでいるらしい響子が。
こわごわと聞いてくる。
彼女は幼い子供のような容姿で。
性格も容姿相応なので。
あまり圧迫感を与えてはならない。
「具体的にはどうすればよいですか?」
「私が協力いたします」
「えっ!?」
驚いた様子で顔を上げたのは、ミスティアである。
夜雀というのは、いろいろな説があるが、とにかく鳥の妖怪らしい。幻想郷では人の姿を取っている彼女も、背中には翼を持っているし、彼方此方に鳥をあしらったファッションをしている。
なお、食いしん坊でしられる冥界の姫君に「おいしそうな鳥」と呼ばれて追い回されているらしいのだが。
其処まで美味しそうには白蓮には見えなかった。
「音を遮断し、封じ込める法術であれば心得ています。 今度「バンド」を行う時は、正々堂々と行いなさい。 人里に声を掛けるのも良いでしょう」
「バンドを続けても良いんですか!」
「構いません。 音楽は人の心を豊かにします。 ただし、音楽を押しつけてはならない、と言うだけのことです」
響子とミスティアが顔を見合わせる。
良かった、と顔に書いている。
元々響子は弟子になったばかり。
修行が負担になるのは分かりきっていたし。
息抜きは必要だ。
すぐに手はずに関して、響子は親分と慕っているマミゾウと打ち合わせに行く。
ミスティアは困惑していたが。
咳払いをすると、背筋を伸ばした。
「音楽は好きですか、ミスティアさん」
「はい、その……大好きです」
「そうですか。 人の心を乱さぬように、法術で細工もいたしましょう。 「バンド」の際には、思い切り歌うとよろしいでしょう。 大事なのは、その好きを他の方に押しつけないことなのです」
「……」
頭を下げるミスティア。
感謝のつもりなのかは分からない。
ただ、いずれにしても。
白蓮としても、苦悩している者を放置するつもりはなかった。
三日後。
バンドの日取りが決まる。
マミゾウの話によると、妖怪の人脈を使い、主に妖怪に対して招待券を配ったらしい。ごくごく良心的な値段で、だ。
それによると、やはり不満を持っている妖怪はかなり多いようで。
相応の招待券が、あっという間に捌けたそうだ。
「この手の券は外の世界では有名な音楽家のものだと目が飛び出るような価値がつくことがあってな。 御坊も手を出せば儲かるかも知れんぞ」
「私の目的は現世利益を得ることではありませんよ。 お金は必要なだけあればよいのです」
「相変わらず無欲な事よな。 わしは相応に稼がせて貰うが……かまわんか」
「悪事を働かなければ。 私に足りないものをマミゾウさんは持っておいでです。 ご自由になされると良いでしょう」
頷くと、バンドに向けて動き出す。
まずは予行練習だ。
白蓮が寺の境内で、実際に音が外に漏れない法術をドーム状に展開し。
その中で、めいいっぱい響子が叫ぶ。
山彦の声は凄まじく。
本気で叫べば、至近距離に人がいる場合、吹っ飛ぶこともある。
人里から離れているのに騒音が迷惑になるくらいなのだ。
その凄まじさは推して知るべし、である。
だが、法術の外側にいる水蜜は、白蓮に対してぐっと親指を立てて見せる。
つまり聞こえない、という事である。
白蓮は法術により、「境目」にいるため、何とも判断がしがたい所だったのだが。
水蜜がそう言うのならば問題は無いだろう。
更に、ミスティアも呼んで、バンドの演習をして貰う。
今度は音楽が嫌いでは無い一輪に、法術の中に入って貰う。
実はミスティアの歌は人を狂わせる効果があり。
この「バンド」で歌を担当する「ボーカル」は響子ではあるものの。
何かしら悪影響があるかも知れない。
勿論白蓮の法術で検証はするのだが。
響子の姉弟子として、一輪がその検証の実験台を買って出てくれたのだった。
ギターを交えて、バンドの本格的な演奏が開始される。
寺を訪れた人間の参拝客が何事かと様子を見ていたが、白蓮は空中で法術を展開したまま、笑顔で手をあわせる。相手も白蓮に気付いて手をあわせ返してきたので、少なくとも騒音や、ミスティアの歌による悪影響は出ていない様子だ。
それにしても、音楽と言うよりは。
何というか、叫び声をめいいっぱい重ねているだけのようにも思えるが。
だが音楽とは人それぞれだ。
「パンクロック」とはこういうものなのだろう。
迷惑を掛けない限り、どんなものでも尊重するべきである。
自分から見て気持ち悪いから排除する、などというのは論外だ。
白蓮は誰もが平等であるべきだと思っている。
故に、誰もを尊重しなければいけないのである。
しばしして、思う存分演奏を終えたらしく、二人が満足そうに音楽を止めた。
響子はつやつやしているし。
ギターをかき鳴らしていたミスティアもとても嬉しそうだ。
笑顔は良い。
法術を解除して降り立つが。
何故か一輪は形容しがたい笑顔を浮かべていた。口の端が完全に引きつっている。
「聖、これが夜中に流されていたんですか」
「はい。 だから苦情が来ました」
「……よくこの二人、あの巫女に殺されませんでしたね」
「そうですね。 いずれにしても悲劇を未然に防ぐために、私が出向かなければならなかったでしょう」
二人が無邪気にきゃっきゃっと喜んでいる。
勿論白蓮も感想を聞かれたが。
元気でよろしいとだけ答えておいた。
それから、修行の合間を見て、何度か練習につきあう。
二人とも結構本気で練習しているのを見て。
音楽そのものは理解出来ないとしても。
二人の意思は尊重しなければならない。
そう、改めて白蓮は思ったのだった。
予定通りの日時。
今度は少し場所を移し。
命蓮寺の側の空き地で、「ライブ」を行う事にする。
少し前に守矢神社の武神、神奈子とも話したのだが。彼女もたまたま通りがかって、二人のライブを聴いたらしい。
断末魔のうめき声のようだったと酷評であったが。
白蓮はそれを否定もせず、笑顔だけで返した。
そして、わざわざ法術を展開して、二人が演奏を出来、周囲に迷惑も掛けないようにすると話をすると。
遠慮無く神奈子は笑った。
「あんたも物好きだね」
「これが私の教義です」
「人と妖怪は平等、誰もが救われるべき、か。 あんたの思想に同調は必ずしもできないけれども、自分の考えを徹底的に貫く姿勢は嫌いじゃないよ」
「ありがとうございます」
神奈子の考えは、どちらかと言えば半ば同盟関係にある聖徳王と同じで、現世での利益を重視するものだ。
白蓮も、現世での幸福を願っていない訳では無いと思うのだが。
白蓮自身が幸福になる事を考えていない事が、二人には色々とおかしく思えるらしい。
特に聖徳王は、仏教を施政に都合が良いから取り入れたと公言している程で。
その辺りは同盟者とはいえ、決定的に思想があわない。
だが思想があわないからと言って相手を排除してはいけない。
見ていくかと聞くが。
神奈子はまた笑うと、今度気が向いたらと答えていた。
多分今日は来ないだろう。
そう思っていたのだが。
時間になり、迷惑を掛けないように法術を展開すると。
なんと守矢の二柱が、巫女である早苗もろとも来た。
どうやら面白がって、あのバンドがどう迷惑を掛けないかを見に来たらしい。
妖怪達はかなりの数が集まっているが。
白蓮の強力な法術による音防御壁や。
その構造の巧みさを見て。
感心している者も多かった。
その中には、竹林にある永遠亭に住んでいる、鈴仙と呼ばれる妖怪兎の姿も見える。
上手くやっているもので。
河童達が既に数名来ていて。
酒を売り始めているようだった。
早苗がその様子を見ながら、話しかけてくる。
「聖さん、お久しぶりです。 複数の術を同時展開しつつ、これだけの大きさの結界を展開するのは素晴らしいですね。 修行の成果ですか?」
「法界に封じられている間、修行くらいしかする事はありませんでしたからね。 魔界の神とも交流を持ち、色々な術も教わったのです。 これもその一つですよ」
「まさに魔法ですね……」
「使い方次第で、「魔」にも「薬」にもなるものです。 さあ、音楽が始まるようですし、気が向いたら聞いていってあげてください」
早苗は流石に苦笑いすると、少し距離を取る。
或いは外にいた彼女は。
パンクロックというものがどういうものか、知っているのか。
もしくは苦手なのかも知れない。
ステージが明るくなる。
河童の機材によるものだ。
何だか皮系の黒っぽい服を着て、サングラスを掛けた二人が出てくると、妖怪達がわっと騒ぐ。
控えている水蜜を見ると、やはりぐっと親指を立てる。
まったく音漏れはしていない、と言う事だ。
演奏が始まる。
確かに無茶苦茶に叫んでいるようにしか思えないが。
普段から不満が溜まっている妖怪達は何か思うところがあるのか、酒を飲みながらわいわいと大喜びしている。
その中には、パパラッチとして知られる鴉天狗の射命丸もいる。
新しい条件で始まった二人のライブと言う事で。
興味が生じたのだろう。
法術の結界を出入りして、音が完全に遮断されている事を確認し。
感心してメモを取っているようだ。
人里の方に少し離れて立っている小傘が、両手で頭上に丸を作っているのが見える。
人里の方にも、まったく音漏れはしていないという事である。
法術による結界の防壁にほころびがあると。
指向性を持った音が、激しく漏れることがある。
それもないし。
少なくとも人里の方には迷惑を掛けていない、と言う事だ。
そればかりか、結界の中で監視している一輪が、真っ青になって出てくる。
「お、音が反響して、耳がおかしくなりそうです……」
「これも修行です。 二人が、特に響子が真剣にやっているのですから、姉弟子として見届けてあげなさい」
「はい……」
一輪がとぼとぼ結界の中に戻っていく。雲山が、形容しがたい表情で、その背中を見送っていた。
とにかく一曲目が終わり。
凄く楽しそうに、何か良く分からない単語を並べて響子がトークをしている。
その後で、今日は「ゲリラライブ」ではないので時間があるとか。
みんなも怖い巫女は気にしなくていいとか。
そういう事を言っていた。
そのまま、二曲目、三曲目にはいる。
そして、六曲を終えた後で。
充分満足したのか、「ライブ」は終わった。
「アンコール」とやらが入ったので、実質五曲かも知れないが。
ともあれ、無事にライブは完了。
河童は帰宅する客にもグッズやらを勝手に売りさばいており。
商魂のたくましさが伺える。
これでまったく組織力がないというのだから、面白い話である。
完全に機材も片付けた頃には。
夕食の時間になっていた。
法術を解除して降り立つと。
普段の格好に戻った二人が、ぺこりと並んで頭を下げてくる。
「ありがとうございました!」
「その、最初は本当のところ恨んでいました。 でも、逃げ回りながらライブをしなくて良いのは、本当に嬉しかったです!」
「いいのです。 ただ、あまり頻繁にライブをしても飽きられてしまうでしょう。 たまにするくらいが丁度良いはずです。 またライブをするときには、私に声を掛けなさい」
響子が寺に戻り。
ミスティアが帰路につくのを見届けると。
ひそひそ話していた守矢の二柱が、何か考えていたようだった。
程なく、早苗が此方に来る。
既に寺の構成員も皆引き上げていて。白蓮だけがその場に残っていた。
つまり、その状況を見計らった、という事である。
「聖さん、実は相談が」
「何でしょう」
「あの二人のライブは、恐らく人間には需要がないと思います。 其処で、妖怪の山で開いては如何でしょうか。 危険が少ないロープウェーの麓辺りで。 此方でも危険管理はいたします」
「ふふ、貴方方も商魂たくましいですね」
勿論狙いは信仰心だろうが。
それも含めて、守矢は色々と貪欲だ。
だが、その姿勢そのものを否定しようとは思わない。
それで誰かが不幸になるのでなければ。
白蓮は構わない。
「良いでしょう。 またライブを行うときには、私から二人に提案します」
「ありがとうございます。 ……それにしても、貴方の行動は本心からくるものなのですか?」
「どういう意味でしょうか」
「いえ、貴方と最初に出会ったときは、思慮の浅さを怒られてしまいましたから。 それに必ずしも貴方が純粋な善意だけで動いているわけでは無いし、怒るときには怒ることも知っています。 二人の行動を見て、思うところはなかったのかなとか、まったく理解出来ない音楽を聴いても、それに対して寛容であれるのかなとか思いまして」
早苗はまだ若い。それだけに正直だ。
白蓮は手をあわせると答える。
「誰の心にも闇はあり、また光もあります。 それぞれの存在は違っているのが当たり前です。 人間と妖怪は平等である。 それを教義にする以上、些細な違いを受け入れられない程度では、道を行く事は出来ません。 相手が完全に間違った判断をしたときにだけ、怒れば良いのです」
「本当にその、ストイックですね」
「勿論私と同じ道を行く事を他人に強制もしません。 皆が幸せであるように、私は願うばかりです」
「早苗」
諏訪子に声をかけられて。
早苗が礼をすると戻っていく。
或いは、これ以上話すと影響を受けすぎるかも知れないと、心配したのだろうか。
早苗はまだ若いし染まりやすい。
その可能性は否定出来なかった。
さて、夕食を食べてから、まだやる事が幾つもある。
今日はまだ、終わりでは無いのだから。
2、破壊衝動との戦い
吸血鬼レミリア=スカーレットがメイド長を伴い、日傘を差しながら命蓮寺を訪れたのは、少し前の事である。日傘があれば日光も大丈夫だという話は聞いていたが、実際にそうしているのを見たのはその時が初めてだった。
彼女は勿論仏教徒では無い。
ただ、白蓮の話を聞き。
頼み事があると言って、寺に来たのだった。
客間にメイド長と一緒に通された彼女は物珍しそうに寺の様子を見ていたが。
出迎えた白蓮に対しては、かなり直球で頼み事をしてきた。
「妹の事で頼みがあるのだけれど、よろしいかしら」
「貴方の妹さんというと、フランドール=スカーレットさんですか」
「そうよ。 あの子は最近だいぶマシになって来たけれど、昔は情緒不安定が酷くてね」
メイド長は正座こそしているが、何かあっても対応出来るように、常に備えている。
彼女は人間かどうかも疑わしいのだが。
少なくとも、この子供にしか見えない吸血鬼に、全面的な忠誠を誓っていることだけは間違いない。
命蓮寺は、人妖平等を掲げるが。
人間に害を為す妖怪に対しては、相応の手段を採る場所だとも知られている。
実際に、人間の死体を目当てに入信を希望したり。
そればかりか参拝客を襲うことを目当てに入信を希望した妖怪については。
入信をきっぱり断っている。
また、命蓮寺の本尊代わりになっている星は、財宝を呼び込む能力を持っており。
これを目当てに入信を希望する人間もまた、断っている。
それくらい見抜くのは容易いのだ。
レミリアの場合も、最悪の事態では白蓮を筆頭とした命蓮寺の猛者達を全員相手にする事になるわけで。
如何に勢力の長を務める猛者といえども緊張しないわけがない。
時間操作に関しても、白蓮は魔界で使い手を何人も見たことがある。
メイド長はそれを知っている可能性もあるし。白蓮に対して油断などできないだろう。最悪の事態が来たときは、自分を犠牲にしてでもレミリアを逃がすつもりなのかも知れない。それくらいの気迫が感じられた。
「あの子が外に出られるようにしてほしいの。 私は距離が近すぎて、色々としてあげられる事が少なくてね、妖怪を更正させる専門家だという貴方に頼みたいと思ったのよ」
「分かりました。 謹んで承りましょう」
「あの子は本当に危険だけれど、良いのね」
「ええ、お任せを」
そうやりとりをして。
白蓮は、数日後。レミリアの館である、紅魔館を訪れた。
仏教徒が吸血鬼の居城を訪れるというのも妙な話だが。
実のところ、レミリアがもう人を襲っていないことは、白蓮には見え透いていた。
血液は摂取しているようだが。
恐らくあの幻想郷の賢者である八雲紫から提供を受けているのだろう。
それも合法的に入手した血液とみて良い。
吸血鬼という種類の妖怪には、血に飽き足らず人間を襲い喰らう輩も混じっているのだけれども。
少なくともレミリアは。
もう当面の間、人間を実際に襲うことはしていないようだ。
事実紅魔館の中に入ってみても。
眷属化された(つまり吸血鬼化したしもべ)存在などは見受けられなかったし。
レミリアからも、人間を襲っている妖怪特有の、嫌な気配は感じ取れなかった。
それに何より、貪欲な吸血鬼の場合、生きた人間を襲って吸血し、しもべを増やしてパンデミックを引き起こす例もあるのだが。
近年では色々調べた所、そういった吸血鬼は外の世界でも全てが退治されてしまっている。
この世界の神々の実力はそれほどに圧倒的なのだ。
レミリアもそれを知っていて。
逃げ隠れ、身をひそめながら、これまで目をつけられないように、上手にやってきたのだろう。
案内をしてくれたのは、メイド長だが。
これは白蓮を警戒しているからだろう。
時々話を振ってくるが。
彼女がこの紅魔館の実権を握っているようだし。
白蓮が見たところ、少なくとも普通の人間では無い様子だ。
「妹様は最近はかなり落ち着かれましたが、それでも危険です。 食事を運んだメイド妖精が機嫌を損ねて一瞬で木っ端みじん、という事も何度かありました。 メイド妖精ですからすぐに復活はしましたが、やはりまだまだ不安です。 極力私やレミリア様が食事を配膳するようにはしているのですが」
「まずは本人に会ってみましょう」
「……お願いします」
自然が人格を持った妖精は、死んでも即座に蘇るが、怖いものは怖いのだろう。フランドールが避けられるのも分かる。
紅魔館は明らかに空間を弄っていて、外観よりも内部が明らかに広い。
間取りも外観とはかなり違っている上に、内部には魔法で作った罠が多数見受けられた。
かなり侮れない腕の術者がいるらしい。
多分噂に聞くパチュリーという魔法使いだろう。
実戦にはあまり向いていない魔法使いらしいのだが。
時間を掛けて淡々と行う作業には向いているタイプのようだ。
どのトラップも造りが丁寧で。
とても凝っている。
ただ凝り性すぎて。やはり、実戦にはあまり向いていないのだなと、見て結論出来てしまう。
腕は良いのは間違いないのだが。
美学を優先してしまうタイプだ。
だから戦闘はあまり得意ではないのだろう。
メイド長が咳払いする。
館のセキュリティを脅かされると思ったのかも知れない。だが、白蓮は誤解を解いておく。
「場合によっては紅魔館が内部崩壊する可能性があるでしょう。 どれくらいの強度に補強しているか、見ていました」
「可能な限り妹様を刺激するような真似は……」
「場合によります」
地下に降りる。
以前軟禁されていたという噂は。
暗い階段を下りていくと。
火のない所に煙は立たないという言葉を裏付けるかのようだ。
ほどなく、陰気な部屋に出る。
ただ、部屋そのものには、防備は施されていないし。
見張りもついていない。
ただ、白蓮は見抜いた。
昔は、かなり強烈な防御魔法が掛けられていた形跡がある。
「だあれ?」
幼子の声がする。
まずは安心させるためか、メイド長が声を掛ける。
「咲夜にございます。 妹様、お客様をお連れしました」
「お客様? だれ?」
「命蓮寺の住職です」
「おぼうさん?」
声は幼いが。
しっかりとした知性と意思は感じられる。
促されたので、ドアを開けて入ってみる。鉄製のドアは、軋んでいやな音を立てた。
部屋の中は相応に広いが。
天蓋付きのベッドと水回り。
それに棚など。
つまり狭いながらも、生活できる条件が揃っている。
吸血鬼と言っても、此処の姉妹は食事もするし、代謝もあるのだろう。水回りがあるのは自然である。
ただ、子供らしい玩具が殆ど見当たらない。
そして、観察すると分かる事が幾つかある。
ベッドに腰掛けている、レミリアに何処か似ている金髪の幼い子。翼は何というか、宝石をぶら下げた枯れ木のような独特のデザインだが。いずれにしても吸血鬼であるフランドール=スカーレットは。
何処か、非常にいびつだ。
「はじめまして、フランドール=スカーレットさん。 私が白蓮です」
「はじめましておぼうさん。 何の御用?」
「貴方に会いに来ました」
「私は誰にも会いたくないのだけれど」
フランドールは子供らしい遊具を側にまったく置いていない。
レミリアは精一杯背伸びしている子供という印象だが。
フランドールの場合、意図的に周囲から子供が好みそうなものを排除している様子だ。それも自分の手で。
部屋はそれなりに掃除されているが。
多分時間を操作して、フランドールが気付かないうちに、メイド長がやっているのだろう。
なるほど、大体分かってきた。
フランドールの能力については幾つか聞いている事がある。
この子は、強大な力を持った幼児に等しい。
それを振り回して悦に入るような、まあ要するに「普通の精神性」の持ち主だったらまだ良かったのだろう。更に強い存在が仕置きしておしまいだ。
だがこの子は、恐らく自分の持っている能力が、破壊にしか使えない事を知っているし。
それで自分を追い詰めてもいる。
何か大事なものが出来ても。
すぐに壊れてしまう。
館の中を気が向いたときは徘徊している、と言う事だが。
レミリアや親しいごく少数のもの以外は、彼女が来ると露骨に逃げるという話をメイド長がしていた。
それはそうだろう。
破壊の能力のエジキにはなりたくないだろうし。
何より彼女自身が、自分の能力をどれだけ使えるか、分かっていないとみた。
「今は夜です。 外に出ても大丈夫ですよ」
「いやよ。 外に何て出たくない」
「外なら、この狭い場所と違って、存分に遊ぶことが出来ます」
「私が遊んだら、周囲が焼け野原になってしまうもの」
フランドールの言葉には。
やはり相当なトラウマがある。
綺麗な花を摘もうとしたら握り潰してしまう。
ぬいぐるみを抱きしめたら抱き潰してしまう。
花畑で走り回ろうとしたら、ずたずたに壊してしまう。
そういう経験をした事があるのだろう。
来る前に調べたが、隕石を破壊したことがあると言う噂があるらしいが。
実際の所、神々になればそれくらいは容易いし。
幻想郷の勢力の長をしている妖怪達は。
勿論隕石のサイズ次第だが、皆出来る程度の事だ。
「それではこうしましょうか。 私は相応に頑丈です。 私は壊れませんから、一緒に遊びましょう」
「おぼうさん、コンテニューできなくなるよ?」
「ふふ、魔界には恐ろしい猛者がたくさんいましたよ。 それこそ幻想郷では見られないほどの、ね」
「おぼうさん、魔界にいたことがあるの?」
興味が出てきたらしいフランドールに頷く。ゆっくりと、興味を此方に向けていく。
この子のトラウマを取り除くには。
まずはこの子の力で壊れない存在がある事を示す必要がある。
「魔界に千年ほどいました。 魔界で神様に教えを請うたこともあります」
「本当? それに、本当に壊れないの?」
「試してみましょう。 お外が嫌でも、庭なら大丈夫でしょう?」
「……うん」
不安そうだが。
それでもフランドールは乗った。
メイド長がフランドールに付き従う。
「妹様、怖いようでしたら、すぐに戻りましょう」
「咲夜、私を閉じ込めたいの?」
「そのような事は」
「おぼうさん、あれだけの事を言っているんだし、本当に壊れないのか試してみたい」
屋敷の外に出ると。
降るような星空だ。
いつの間にか来ていたレミリアが、魔法使いを連れている。パジャマのような服装の魔法使いで。見た感じでは百歳前後か。年齢の割には若々しい姿だが。それは特定の魔法で年齢を固定し、寿命を放棄した結果で間違いは無さそうだ。つまり白蓮と同じである。
彼女が、周囲に強力な防御魔法を展開していく。
なるほど、話の経緯は何かしらのやりかたで聞いていて。
それで被害を避けるため、か。
スペルカードルールだと、格下の存在でも、格上の相手に勝てる可能性が出てくる。
でも、今からやるのは実戦だ。
フランドールはどれだけ自分が力を使えるのか分かっていない。
まずは、それを分かるまで、遊びにつきあう。
軽くストレッチをする。
フランドールは、不思議そうにその様子を見ていた。
ストレッチをしているにもかかわらず、隙が無いからだろう。
さて、良いだろう。見ているだけで、フランドールの力は大体分かった。充分である。
「ではフランドールさん。 いつでも、どこからでも仕掛けて来てください」
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫です。 私は壊れませんよ」
「キャハハッ! じゃあ行くね!」
雷光のように動いたフランドールが。鋭い爪で斬りかかってくる。瞬時に伸びた爪は、それぞれがまるで名工が鍛えた剣のようだ。一撃も、達人のそれのように凄まじい。
だが、その爪は。
白蓮が指で挟んで、全て受け止めた。
避けるのでは意味がない。
攻撃を悉く受け止めてこそ、意味があるのだ。
驚いた様子のフランドールだが、跳び離れると、続けて回し蹴りをたたきこんでくる。
体が小さいから、速度もその分凄まじい。小さな体が故に、俊敏で、それでいながら強い力もこもっている。
引きこもっているとは思えないほど戦闘に習熟しているのは。
まあ吸血鬼という種族だから、なのだろう。
白蓮はその場で全く動かず、回し蹴りを軽く受け止める。むしろ衝撃を受け流された地面の方が爆裂して、派手に噴き上がった程だ。
驚愕し、そしてみるみる歓喜に顔を歪めるフランドール。
本当に壊れない。それに蹴った時の手応えは、今まで感じたものがないものだったのだろう。
今までの相手とは何から何まで違うと悟っただろう彼女は。
更にパワーを上げていく。
真っ赤な魔力がフランドールの全身から噴き上がり。
周囲の地面をめくり上がらせる。
目は赤く染まり。
手の爪を伸ばし、吸血鬼らしい恐ろしい姿になったフランドールは、奇声を上げて躍りかかってきた。
爪による斬撃、蹴撃、拳による打撃、魔法による包囲攻撃。魔法で作り上げた炎の剣による斬撃。
嵐のような、それら全てを混ぜた連続攻撃。
技の限りを尽くして攻めてくるが。
攻撃がいずれもちぐはぐだ。
速いし力強い。
普通の相手なら、もう黒焦げに或いは粉みじんになっているだろう。
だがこの子は、対等以上の実力を持つ相手と戦ったことがなかっただろう事が分かる。スペルカードルールでは、こういった戦いも出来なかった筈だ。
そも実戦にしても、博麗の巫女では相手が悪すぎるし。
姉はこういう戦いそのものを好まない。
たっぷり半刻ほども怒濤の猛攻が続いただろうか。
煙が収まってくると。
肩で息をついているフランドールと。
攻撃の全てを無傷で受け止めきった白蓮が。
その場に立っていた。
フランドールはずっと溜まっていた鬱憤が、何処かに飛んでいったようで。
しばらくは呆然としていたが。
その場にぱたんと倒れて。
眠り始める。
子供は全力で遊び尽くして。
体力を完全に使い切ると、そのまま寝てしまうものだ。
最初はかなり加減していたが。
それは白蓮が壊れるかも知れないと思ったからだろう。途中からは、本気で、全力をぶつけてきていた。
それでも防ぎきった白蓮に。
フランドールは興味を持ったようだった。少なくとも、寝落ちる前の様子からは、それが感じ取れる。
メイド長がフランドールを抱き上げる。
随分幸せそうに笑みを浮かべて眠っている。
地下の部屋に運んでいくのだろう。
レミリアが呆れたように言う。庭は滅茶苦茶だが、白蓮は服さえ破れていない。
「噂通りの実力ね。 本当に魔界で腕を磨いていたというだけのことはあるわ」
「単純な力比べであればどうなったかは分かりませんよ。 あの子の経験不足がこの結果を招いただけです」
「……攻撃を全部受け止めていたように見えたのだけれど」
「攻撃に対して、一点集中で防御をしていた。 それだけのことです。 貴方が相手だった場合、同じ結果になったかは分かりません」
フランドールは確かに強い。幻想郷でも上位に食い込んでくるだろう。
だが、全体的に見て、戦闘経験の浅さが目立った。
それに、攻撃そのものも、何というか、小細工が過ぎた所がある。
攻撃の時にかなり見え透いたフェイントが多かったし。
何よりも一撃の重さは充分だったが。
其処に本気での殺気が籠もっていなかった。
理由は分かりきっている。
壊してしまう怖さを、フランドール自身が知っているから、だろう。
もしもフランドールがレミリアのように年齢に相応しい戦闘経験を積んでいて。
必殺の殺気を帯びた攻撃を繰り出すことが出来。
更に自分の精神をきちんと制御出来、迷いもなかったら。
白蓮もああも防御だけでしのげる、とは行かなかっただろう。それだけスペックで言えば強い吸血鬼だったと思う。
それらを説明すると。
レミリアは感心したようで、何より妹を褒められた事が嬉しいようだった。
なんだかんだで妹をとても気にしていることが分かって、とても微笑ましい。
家族なんてものは、絶対でもなんでもない。自分の子供を虐待する親なんて珍しくもないし、兄弟姉妹で殺し合う事もざらにある。
それは嫌と言うほど白蓮も知っている。たくさんの人妖を見てきたからだ。
だが、少なくともこの姉妹の間には、不器用ながらも愛情が成立している。
レミリアはフランドールのことを心配もしているし、現状をどうにかしようと苦悩もしている。
それが分かっただけで、どうにかして上げたいと言う気持ちは大きくなる。
屋敷に入るとメイド長も戻ってきて、茶を淹れてくれた。フランドールは、とても幸せそうに眠っていると、メイド長は話していた。
順番に確認をしていく。
「あの子は子供用の遊具を殆ど部屋に置いていませんでしたが、それは壊してしまうから、ですね」
「ええ。 あの子はいつからか、殆どオモチャの類を欲しがらなくなったわ」
「あの子は自分の力の限界も使い方も分かりませんでした。 だから今日はあれだけ楽しそうだったのです。 少し例が悪いですが、猛獣と人間は考え方が違いすぎるためにわかり合えません。 ただしある程度妥協してやっていく事は出来ます。 その場合、猛獣にまず少しずつ、どれだけの力を与えると相手が壊れるかを学習して貰うのです。 そして徐々に柔らかい相手に慣れさせていきます。 最終的には、猛獣と人間が触れあうことも、条件を限定すれば可能になります」
「なるほどね。 確かに今までそういう専門的な対応をした事はなかったわ。 貴方を招いて良かった。 やはり餅は餅屋ね」
これからも対応を頼むと言われたので、頷く。
いずれにしても、あの子は強い立場の、強い妖怪では無い。
力は強い。勢力の長達にも引けを取らないほどだ。
だが、立場も。自分の存在も儚く脆い。
ならば助けなければならないだろう。
そして白蓮には助ける能力がある。人妖平等、救済出来る者は救済する。それが白蓮の教義だ。
二日後。
また、紅魔館を訪れる。
フランドールは、自分から部屋を出て、白蓮を迎えに来た。満面の笑みである。
「おぼうさん! 来てくれたの?」
「ええ。 元気にしていましたか」
「うん! すごくすっきりした!」
「それでは、此方をどうぞ」
すっと見せるのは。
いわゆるテディベアだ。
とはいっても、普通のものではないが。
すっと表情が消えるフランドールに対し。
白蓮は何も言わず、テディベアを空中に放り上げ、全力で拳を叩き込む。フランドールが叩き込んできた拳よりも、一点集中、気合いが入っているという意味では、更に上の一撃だ。超音速の拳に、紅魔館そのものが揺れる。
一撃が重いため、テディベアは吹っ飛ぶこともなく。空中のその場で空気と拳に挟まれて、強烈に変形するが。
驚いているメイド長の前で、ぽとりと落ちた後は。
しっかり元の形に戻っていた。
これは人里の店で買ってきたものに。
白蓮が魔法というか法術を掛けたものだ。
フランドールの具体的な力は理解出来た。
そこで、それでも壊れないように、時間を掛けてじっくりと法術を仕込んだのである。
驚いているフランドールに、テディベアを渡す。
「これは壊れませんよ」
「本当……?」
「試してみてください」
普通のテディベアは、人間が遊ぶための強度で作られている。
だからフランドールが引っ張ったり抱きしめたりすれば、そのまま潰れたり千切れたりしてしまう。
大事にしていたテディベアがあったのかもしれない。
実際、レミリアが、昔フランドールがぬいぐるみを欲しがったことがあったと思い出して。
そしてその傾向から、テディベアを割り出したのだ。
「本当だ! 壊れない! 引っ張っても千切れない!」
「きゅっとしてドカーンをしない限りは大丈夫です」
「すごい! くれるの!?」
「はい。 友達になった記念です」
嬉しそうにするフランドール。
笑顔を浮かべていると、見かけの年の子供のようだ。ぱたぱた揺らしている翼が禍々しいが、それくらいは別にどうでも良い。
話をせがまれたので、一緒に地下の部屋に歩きながら軽く話す。
フランドールは、全力で遊んでも壊れなかった白蓮に対して、不思議な信頼感を覚えた様子で。
色々と話を聞きたがり。
誠実に答える白蓮に、フランドールは目を輝かせる。
「そんなにみんな面白いんだ!」
「みんな面白いほど違うのは当たり前の事なのです。 だから仲良くやっていくためには工夫が必要なのですよ」
「面白い話! ねえ、おぼうさんのこと、白蓮って呼んでもいい?」
「良いですよ。 フランドールさん」
礼儀とかを学ぶのは、別に後からでも構わない。
軽く話をした後は、帰る事にする。
メイド長が、部屋から出るときに、以前より態度が少し柔らかくなっているのが分かった。或いは感謝の表れなのかも知れない。
それからも数日に一度。
白蓮はフランドールの元を訪れる。
そして少しずつ外に連れ出して。
ちょっとずつ、硬い物から、順を追って柔らかいものに触らせるようにした。
フランドールは思った以上に知能が高く、頭の回転も速い。知識も深く、読書も相応にしているようで、色々なものを知っているが。
それはあくまで机上の知識でしかない。
机上の知識は馬鹿にしたものでもない。書物に学べる事はたくさんあるし、役立てれば非常に頼れる力になる。だがまずフランドールに必要なのは感覚の制御だ。故に、こういう感覚の制御を、肌で知って貰う事を優先する。
まだ人間と接するには早い。
だが、壊れないように、力の加減を覚えて行くには。
少しずつ触るものの強度を落として。
力を制御出来るようにしていく必要がある。
そうすれば、いずれフランドールも、自分の不安定な心を制御出来るようになる。
レミリアは現時点で無害な吸血鬼だが。
そのくらいの所にまで落ち着ければ万々歳だろう。
勿論無理に仏教に勧誘するつもりなどない。本人が修行をしたい、というのならば、それは拒まないが。まだこの子はその段階ではないだろう。それ以前の状況だ。
丘に出る。
街の薄い光を見て、フランドールは物珍しそうにしていた。
外の世界の街はこの比では無いほどに明るいのだが。それでも夜、人里に点々と点っている灯りは目立つ。
「まだ彼処は駄目ですよ」
「うん……壊しちゃうもん」
「そうです。 でもいずれ、壊さないようになれます」
「本当?」
本当と、白蓮は答える。
実際レミリアは人里に出ても、壊さずにいられるだろう。
フランドールは、ぎゅっとテディベアを抱きしめながら、嬉しそうにはにかむ。
前から紅魔館は人間相手に催しものをやったり。
レミリアは博麗神社に遊びに行ったりしていたと聞いている。
そういった場所では、フランドールは表にはあまり出してもらえなかっただろう。博麗神社の場合は出向けたかも知れない。何しろ博麗の巫女の実力は筋金入りだからだ。
そもそも自分と戦える相手が存在する、と知ったことで。
少しずつ、フランドールの完全に閉じていた心が開き始めたのだとしたら。
最初の切っ掛けは、吸血鬼姉妹に勝利した博麗の巫女なのだろう。
ただ博麗の巫女は、色々とものぐさだ。
直接助けを求められたら面倒くさがりながらも助けるかも知れないが。
少なくともこういうやり方はせず、更に言えば余程の事がないと動かないだろう。
かといって、自分のやり方が相手に届くかは、白蓮には分からない。
まずは、経験に沿って、色々やってみるのが大事なのだ。
それからも白蓮は請われ次第、紅魔館に出向き。
フランドールにあげたテディベアの法術の調整を時々しながら。
彼女が何も壊さずに周囲とやっていけるように手助けをした。
フランドールの笑顔は増えた。
そして、少しずつだが。
彼女は外に自分から出るようになりはじめたという報告も受けた。
成長するのは人だけではない。
自分もまだ修行が足りないが。
少なくとも孤独な心を救えたのは事実。
完全に彼女が自分を制御出来るようになるまで、しっかり面倒を見よう。
白蓮は、そう決めていた。
3、陸に上がった船幽霊の憂鬱
白蓮の弟子の中には、元々人を襲う妖怪だった者もいる。白蓮もろとも封印され、結果として地底から出られなくなった弟子の一人、村紗水蜜もそうだ。
彼女は元々ムラサと呼ばれる船幽霊の一種で。
水難事故で命を落として妖怪になってからは。
好き放題船を沈めて、多くの命を奪っていた。
白蓮によって諭され、改心してからは、仏道の元修行をしているが。
白蓮は知っている。
水蜜はまだ妖怪としての本能を殺し切れていない。
修行が厳しいことは分かりきっているし。
誰もがそれについては行けない事も知っている。
だから、ある程度は、自制を学んでいけるようにと、白蓮は促して行っているのだが。
水蜜は本能を殺しきれず。
時々水難事故を意図的に起こしている。
勿論人死にが出る所まではやらないようだけれども。
そして、自分の本能を抑えるためか。
地底に出向く。
地底には、古い時代には地獄として使われていた場所があり。
血の池地獄と呼ばれていた場所も残っている。
この血の池地獄で溺れて、本能を押さえ込んでいるらしい。
これらの話は、弟子の一人であるさとりの妖怪、古明地こいしから聞いた内容だ。
そうか、という言葉しかない。
まあ本能を抑え切れていない事は分かっていた。
例えば最古参の弟子の一人である一輪も、まだ酒はこっそり飲んでいることが分かっている。
肉食は断つことが出来るようになったようだが。
それでもまだまだ酒の誘惑からは逃れられないようだ。
あまり目に余る行為をするようならげんこつでおしおきをするのだが。
まあ近年は、飲む量も減ってきているようだし、其処は許すようにしている。少なくとも一輪は修行して努力はしているからだ。
水蜜とは話しておく必要があるだろう。
修行が効果を示していないのならば、それに相応しい対応をして行かなければならないからである。
何も経を読むだけが修行では無い。
人間を襲わずにいられる存在に昇華することで、人間に忘れ去られても存在できる。
妖怪にとっては、それがとても大事なのだ。
実際問題、仏教でも仏道に帰依した悪鬼羅刹が、守護神に生まれ変わった話は幾つもあるのだから。
とりあえず、対応はしなければならない。
ある日の昼間。
白蓮は、他の者がいない状況を作ってから。
水蜜と、仏間で話をする事にした。
水蜜はセーラー服を着ていて、いつも大きな錨を背負って歩いている。流石に寺に入るときには錨を降ろすが。これは邪悪な船幽霊から、仏道に帰依したときに姿を変え。今では今風の「海の人間」にあわせている結果だそうである。
白蓮の話を聞くと、見る間に真っ青になる水蜜。
どうやら、図星であったらしい。
だが、白蓮は怒らない。
正直に、水蜜がそれを認めたからである。
這いつくばって土下座をすると、水蜜は声を震わせながら言う。
「聖、申し訳ございません。 その、本能をどうしても抑えきれないのです。 地底にいた頃は人間を襲う機会さえなく、その反動もあって、どうしても……」
「現時点で貴方は妖怪です。 である以上、存在を保つために人を襲うことは仕方が無いのかも知れません。 しかし、修行による自制が効果を示していないのですか?」
「いえ、その。 本当に船を沈めたり、人を溺死させたりと言う事はしないでもすむようになっています。 我ながら業が深いことが悲しいです」
そうか。こういうときに彼女が嘘をつかない事は分かっているから、そうなのだろう。
実はこいしの話を聞いてから調べたのだが、例の人里における阿求の本の記述だと、水蜜が三途の川で船を本当に沈めているように書かれていたので、心配していたのだ。相手が亡者とは言え、本当に船を沈めたら無事では済まない。下手をすると幻想郷の閻魔様から抗議が来るだろう。
水蜜は、船幽霊だった頃に多数の命を奪った。
反省して今は修行をしているが、その頃の業がまだまだ身を縛っているとしたら。
千年にわたる罰を受け続けているとも言える。
悲しい話だ。
「分かりました。 何か大きな間違いを犯してしまう前に一緒に対応を考えましょう」
「本当ですか? 許してくれるのですか?」
「勿論許します。 その前に、どうして先に私に話をしなかったのですか?」
「そ、それはその……」
恥ずかしそうに、頬を赤らめ、視線をそらしながら水蜜は人差し指をつきあわせた。
大体理由は分かる。
こいしの話によると、もの凄く気持ちよさそうだそうである。水蜜が血の池地獄で溺れている時は、だ。
まあ何となく理由は分かる。
船幽霊になり。
自由自在に溺れさせる事が本能となった。
今ではそれを抑えているが。
「自分を溺れさせる」事によって。
しかも血の池地獄でそれを行う事によって。
究極的な自己充足を行っているのだろう。
安易にそれを止めさせてしまうと、精神の安全弁が外れて、箍が飛んでしまうことになる。
精神の安全弁が外れると、普段自制が出来る人間も、壊れてしまうケースが多い。
あきれた白蓮は、もう良いと言って。
具体的な話に移る。
それにしても、人にしても妖怪にしても。
心とはどうしてこうも脆弱なのか。
仏教徒に限らず、神に帰依した者は、洋の東西を問わず腐敗と無縁ではいられなかった。
白蓮の時代の僧侶もそうだが。
政治に関与し。
適当な理由を付けて酒を飲み。
殺生を行い、肉を喰らい。
金をかき集めて、欲の限りに振る舞う腐敗坊主は幾らでも存在していた。
坊主の介入で腐敗した政治をどうにかするために、遷都が行われたことさえある。
これは日本だけではなく。
別の国でも事例がある。
教えに帰依した人間は、「聖域」に身を置くことになる。
そうすると、どうしても今まで抑えてきた欲求が、閉鎖空間で爆発するケースがある。
仏教の歴史は腐敗との戦いの歴史であり。
それは他の宗教も同じの筈だ。
白蓮は故に、真面目すぎるほどに戒律を守ってきた。
そういった腐敗坊主を嫌と言うほど見てきたからである。そして、それら腐敗坊主は、精神の箍が外れた結果、凶行の限りを尽くしていたとも言える。
弟も。
偉大な僧侶であった命蓮も生きている頃は、腐敗坊主の狂態の限りを嘆いていた。
水蜜は妖怪の本能というどうしようもない部分がある。
だから、一緒に解決を考えて行きたい。
まず、じっくり水蜜と話をしていく。
水蜜は白蓮に心を許してくれているので。嘘をついて誤魔化す事はしない。影で酒を飲んでいるとか肉を食べているとか、そういう事については今は話さない。
もっと大事な事を、解決する事が先だからだ。
幻想郷には水が豊富だ。
妖怪の山から流れ出ている川の一つに来た。比較的大きな川である。
この川の途中に、河童が作った浄水場があり、ポンプを使って人里などに水を送り届けている。
今回は、浄水場より下流で、訓練を行う事にする。
千年を経ている船幽霊だ。
一月や二月で、本能を改善出来る筈も無い。
だから、じっくりやっていく方法を考えなければならない。
当たり前の話だ。三つ子の魂百までというのは、格言と言うより事実なのである。
今回は、一緒に無表情な女の子も連れて来ている。
彼女の名前は秦こころ。
面霊気と呼ばれる最上位の付喪神であり。
在家の信者の一人である。
妖怪としての実力は大妖怪と呼べるレベルの筋金入りだが、どうにも精神が不安定なため、修行を積極的に命蓮寺で行っている。
いつも命蓮寺にいる訳では無いが、修行はとても真面目に行うため、信者としてはとても優秀だ。
彼女は周囲にたくさんの面を浮かべていて。
スリットがたくさん入った不思議なふんわりしたスカートを履いている。
表情はないが、その感情に対応した面を被ることで、表情を表現する。
彼女と一緒に。
既に使われなくなった船を川に浮かべる。
こっちを見ている河童がいるが、相手にしない。何をしているのだろうと、不思議そうだが。
河童が興味を示すような事では無いからだ。
「水蜜、船に乗ってください」
「は、はあ」
法力で船を制御。
小首をかしげているこころの前で、ゆっくり川の真ん中くらいまで船を動かす。
そして、船を沈めていく。
驚いた水蜜が、周囲を見回しているが、こころに事前に指示しておいた。逃げないように面で押さえ込んでおいてと。
やがて船が完全に水没。
そして、また法力で船を引き上げる。
咳き込んでいる水蜜。
船を法術で白蓮が此方に寄せると。呆然と水蜜は白蓮を見上げてきた。
「どうですか、血の池地獄と比べると、溺れる感触は」
「ええと、その。 何というか……」
「あまり気持ちよくは無い、ですか?」
「はい」
小首をかしげているこころ。
水蜜の様子からして、どうも代替手段にはなっていない。つまり自分で「船を沈める」事が重要だと言う事か。
柄杓を水蜜に渡す。
そして、船を再び川の中流に法力で移動させた。
「自分で自分の船を沈めなさい」
「ええっ!?」
「これも修行です」
困惑していた水蜜だが。
ほどなく確かに自分で船を沈めることが重要だと納得したのか。柄杓で船に水を入れ始める。
こころが不思議そうに言う。
「聖。 この修行はどうしてしているの?」
「水蜜は、妖怪としての業を抑えきれないことを苦しんでいます。 今回はその解消のため、分析をしているのです」
「そうなんだ。 水蜜が不安がっているけれど、やめないから不思議だなあと思っていたの」
「貴方は素直ですね」
こころはその特性上、相手の感情をある程度読むことが出来る。
さとりの妖怪ほど専門的に読むことが出来る訳では無いのだが。
それでも今何を考えているか、くらいは直感で理解出来る様子だ。
そしてそれを素直に口にしてしまうので。
相手を怒らせてしまう事もあるらしい。
自分が付喪神になる素材となった面を作った聖徳王の所にも顔を出しているこころだけれども。
それは心を知るエキスパートの所に足を運ぶため。
自分の力を安定させ、自分が消滅しないようにするのが目的であるらしい。
また、寺に来ると必ず化けダヌキの所にも顔を出しているが。
化けダヌキは付喪神育成の本職を自認しているらしく。
現在進行形で、多数の付喪神を育てているそうで。
色々と助言を貰っているそうだ。
ほどなく、船が沈み始め。
慌てた水蜜がわたわたしているのが見えた。
だが、敢えて溺れるのが今回の主旨だ。
ほどなく船ごと水蜜が水面下に消えたので。
法術で引き上げる。
咳き込んでいる水蜜は。
青ざめていた。
「どうですか、様子は」
「ええと、その」
「水蜜嬉しそう」
「ふむ……」
そうなると、血の味が好き、というわけではないのか。
血の池地獄に出向いていることから、血の味を楽しみに行っている可能性を推定していたのだが。
それは除外しても良さそうである。
船を此方に寄せて貰う。
何だか奇怪なものを見るような目で。
河童が此方を見ていたが。
ほどなく姿を消した。
風を法術で操作して、すぐに水蜜の服を乾かす。
「一度溺れることで、どの程度満足できますか?」
「ええと……その。 しばらくは大丈夫そうです」
「それならば、そのしばらくが具体的にどれくらいの期間であるかを割り出すのが第一になります。 続いて、その期間をほんの少しずつ延ばしていきましょう。 なお、人を溺れさせたくなったら、即座に私に言うのです」
「分かりました、聖。 わざわざ申し訳ありません」
こころと一緒に、水蜜が寺に戻っていく。
一人、面倒なのが見ているのに気付いていたから。
二人を先に帰らせたのだ。
「いるのでしょう。 出てきなさい」
「あやや、流石ですね」
「妙な記事にされてはたまりませんからね」
すっと姿を見せるのは。
天狗の射命丸文である。
行者風の格好をしている女の子だが。
天狗でも随一の使い手で。
こう見えて白蓮と同年代の存在である。
なお射命丸は調べた所、鴉が妖怪になり、更に其処から天狗へと昇華した存在であるらしい。
相当な苦労をした事は、その経歴だけでも分かるし。
未だに下っ端の鴉天狗でいることに、相当な不満を抱えている事も容易に推察できる。
野心を抱くのは、何も人間だけでは無い。
人間とは時間感覚が違う妖怪でも。
千年という時は、不満を蓄積させ、爆発させるのには充分すぎる程の年月だ。
射命丸は風船のようなもので。
何かしらの切っ掛けがあれば、その不満は炸裂し、周囲をなぎ倒すことだろう。他の天狗が気付いているかは分からないが、今一番危険な天狗なのは間違いなく彼女である。
ただ、新聞記者として三流と自分でも認めている新聞を作っているときは楽しそうだし、それが精神の安全弁になっている様子。
しかもそれを自身で認識もしているようなので。
何かしらの切っ掛けがないかぎりは、大丈夫だと白蓮でも思う。
取材を受けてくれると察した射命丸は、アルカイックスマイルを浮かべながら、意外に可愛い手帳とペンを取り出す。カメラはいつの間にか首から提げていた。
「今のは何だったんですか? 弟子の虐待……というには本人が望んでいたようですし、あの大まじめな秦こころさんが嘘をつくとも思えませんし」
「あの子、水蜜が船幽霊であることは知っていますか?」
「はい。 取材をさせて貰いましたから」
「水蜜は本能を抑えきれないことに苦しんでいます。 船幽霊の本質は、人間の船を沈めて乗っている人間を溺死させることです。 しかし、彼女は人間の船や人間にちょっかいを掛けるだけで、実際に命を奪うところまではやらない所まで本能を押さえ込む事に成功しています。 しかしながら、どうしてもまだ本能には苦しんでいるのです」
射命丸はメモを取っているが。
そのまま聞き返してくる。
手の動きは残像が出来るほど早い。天狗の身体能力を、取材に生かしている、という事である。
「本能なら抑えなければ良いのでは?」
「人を殺せば退治される。 当然のことです。 一度更正させた弟子を、人殺しに戻す訳にはいきません」
「色々と仏教徒も面倒ですね」
「妖怪と人間が一緒に生きて行くには、妖怪も人間も互いに譲歩し合わなければなりません。 それが出来る段階にない者は諭して改心を促し、意思を強く持った者には道を示すべし。 それだけの事ですよ」
敢えて白蓮が仏教徒である事は強調しない。
何度か頷いた後。
いつの間にかカメラを取りあげられていることに気付いて、射命丸が固まる。
カメラの中身を確認。
一応河童の技術で作ったカメラだ。
現在撮っている写真も確認できる。
「この写真は掲載しないように。 いらぬ誤解を招きます」
「ちょっと、私のカメラなのですが」
「貴方のカメラではありますが、同時に写っているのは私達です。 「せんせーしょなる」な写真を撮ることよりも、事態の本質を伝えるのが記者、ではありませんか?」
「まあ使うな、というのであれば使いません。 その代わり、貴方の写真を代わりに撮らせていただけますか?」
射命丸の表情に。
一瞬、殺意が宿ったのを、白蓮は見逃さなかった。
この鴉天狗にとっては、取材を邪魔されることが逆鱗に触れるも同じ事だと言う事は知っている。
だが以前何度か、命蓮寺をパパラッチされて。
中傷同然の記事を書かれたことがある。
天狗の本拠に抗議に行き、天魔に直接話を付けてその場は丸く収まったが。
その時も射命丸は反省している様子も無かった。
天魔は命蓮寺とまともにやり合うことの危険性の大きさを理解しているからか、その場は表面上射命丸に記事を取り下げるように指示したのだが。
射命丸は、その時の事を根に持っている可能性も高い。
いずれにしても、あまり油断は出来ないだろう。
写真を撮らせ。
そして内容を確認する。
記事についても、どういうものにするかは確認。
でっち上げ記事を書かれては、誤解を招くだけだからだ。
「ううむ、しっかりしていてやりづらいですね」
「真実を伝える記事というのは、一面だけからは書けない。 新聞にはそれほど詳しくない私でも、それくらいは理解していますよ」
「専門外の方からそう言われるのは心苦しいところですが、記事を書くなと言われるよりはマシですか。 分かりました、要望を飲みましょう」
「お願いします」
不満を残しながらも。
射命丸は山に飛んで戻っていく。
いつもより少し飛び方が荒々しいのは。
あっさり隠し撮りを発見されたあげく。
白蓮に色々駄目出しをされたからだろう。
三流新聞をパパラッチしながら作るのが、精神の安全弁になっている様子だし、口を出されるのは色々と苦しいのかも知れない。
とはいっても、あの鴉天狗は。
このままだと、破滅の未来を迎えるように思えてならない。
以前聖徳王と話したのだが。
ほぼ間違いなく、謀反の意思を有しているそうだ。今の時点では実行するつもりはないようだが。
そも天狗の組織には、不満を持っている若い天狗も多いそうである。
天狗でも最強のあの鴉天狗が謀反を起こしたら、同調者も出るはず。天狗と利害が対立している守矢がそれに介入したりしたら。目も当てられない事態になるのは疑いない。
いずれにしても相当血なまぐさい結末が待っているだろう。
悲しい事だ。
今の時代も、争いは止むことがない。
寺に戻った後。
水蜜ともう一度話す。
法術で色々と測定して。
不満がどれくらい溜まっているのかを、正確に確認。結果としては、人を溺れさせたりしなければ、不満が半月ほどで爆発すると試算が出た。
水蜜は驚く。
其処まで正確に分析出来るのか、と。
出来るのだ。これでも、伊達に千年の月日、修行を重ねていないのだから。
「半月に一度、自分で自分を溺れさせなさい。 ただその時には、万が一の事があると大変ですから、私に声を掛けなさい」
「分かりました、聖。 そのようにいたします」
「それと、血の池地獄にはもういかないように。 もしも血の味を覚えてしまうと面倒なのは、貴方が一番よく理解していると思います」
「それは、もう……はい」
バツが悪そうに、水蜜が視線をそらす。
彼女が思うままに悪事を働いていた時の記憶は。
千年前だとしても、消える事がない。
人間だったら、数十年で記憶はいい加減になるだろう。
だが彼女は妖怪だ。
水蜜の中では、己の本能のままに人間を襲い、船を転覆させていた邪悪な船幽霊時代の記憶が残っているし。
その前に人間だった頃の記憶も。
溺れ死んで船幽霊になった事も。
全てが克明に残っているのだ。
だから、悪戯をする程度で済むようになった今は、劇的に改善していると言える。
本当だったら、もっと早くに改善させてあげられたのだろうけれど。
白蓮は長い時間封印されてしまっていた。
その間、水蜜の面倒を見られなかったのが心苦しいばかりである。
数日後。
天狗の新聞が届いた。
余計な写真は使われていないし。
余計な事も書かれていない。
ただ、面白おかしく、船幽霊が本能を抑えるために溺れる練習をする、という記事にはされていた。
水蜜は憤慨していたが。
実際にはもっと酷い内容にされかねなかった事は伏せておく。
まあ、天狗の新聞は妖怪の間でも信用されていない。
人里では笑いものにされているくらいで。
当の天狗もそれを理解した上で出版している。
だから、水蜜に悪影響が出ることは無いだろう。
酷い記事だと憤慨する水蜜をなだめると。
様子はどうだと確認する。
咳払いして興奮を収めると。
声を少し落として、水蜜は言う。
「やっぱり何というか、暗い本能が少しずつ溜まっていくのが分かってしまって、その、つらいです」
「千年を経ている船幽霊の貴方です。 すぐに護法の存在にはなれませんよ。 しかしながら貴方は改善しようとして実施もしている。 私も側についていますから、ゆっくりやっていきましょう」
「申し訳ありません、聖。 情けない弟子で……」
「いいのですよ。 あの時封印されるという選択をしなければと、今でも私は後悔しています。 それと同じ事です」
誰もが。最善だけを選べる訳では無い。
そういうものだ。
夕刻になってから、檀家で葬式が出た。
80歳ということだから、大往生である。
葬式に出向き、読経。
霊がきちんとあの世に向かうのを確認する。
幻想郷では、幽霊はその姿を確認できる。
勿論、あの世へと向かう様子もだ。
その後は遺体を荼毘に付す。
昔は桶に入れて土葬していた時代もあったのだが。
白蓮は様々な観点から、現在主流になっている火葬を選ぶのが良い、と判断していた。
遺族に軽く説法をした後。
骨壺に骨を収め。
命蓮寺に作ってある墓所に埋葬する。
この墓所はごく最近作ったものだ。
雲山と一輪が山で譲り受け持ってきた大量の石材を、白蓮が徒手空拳で加工したのである。
それまで人里では危険な場所に共同墓地を造り。
或いは金持ちは勝手に自分の家の敷地内に墓地を作るという状態だったので。
誰もが入れる墓地を作った事は好評で。
多くの人が喜んでくれている。
墓所の前でも読経。
この時に行う読経は。
むしろ遺族のために行うもので、既にあの世へ旅だった霊に対するものではない。
その後、墓の管理と、墓参りの作法などを説明。
そして解散となった。
墓については、主に小傘がとても丁寧に手入れをしてくれているので、白蓮は楽が出来て嬉しい。
こういう考えは良くない事も分かっているのだが。
楽が出来ると、つい嬉しいと思ってしまうのも事実なのだ。
我ながらまだ修行が足りないなとも思う。
葬式が終わると、既に夕刻。
遠くに火車の姿を確認。
隙があれば死体を盗もうと思っていたようだが。そんな隙は見せない。
ガッカリした様子で帰って行く。
彼女は死体目当てで入信を希望してきた経歴の持ち主だが。結局の所、今も下心を隠すつもりも無い。
分かり易いと言えば分かり易いが。
死体を渡すつもりも毛頭無かった。
全て片付いた後は。
弟子達を先に休ませて、自身は最後まで起きて作業をする。
水蜜の様子を見に行くが。
うなされていた。
溺れさせたい、とか呟いている。
まだまだ、更正には時間が掛かる。
半月に一度自分を溺れさせるのを、一年にするにはどれくらいかかるのだろう。
だが、それもまた修行。
多くの罪を重ねながら生きているのは誰もが同じなのだ。
問題が無いことを確認してから、休む事にする。
すると、化けダヌキのマミゾウとすれ違った。
「おや御坊。 これから休むところか?」
「ええ。 貴方はこれからお出かけですか」
「わしはこれからが本番よ。 実体を維持するための技を生まれたての付喪神達に教えてやらねばならんでな。 幻想郷の若造タヌキどもとも、幾つも打ち合わせをしなければならぬしのう。 何、御坊の眉を曇らせるような事はせんよ」
「分かっていますよ」
一礼。
そして、そのまま休む事にする。
色々片付けなければならない事もあるが。
葬儀の時も、水蜜はきちんと作法に沿って、てきぱきと動けていた。
あの子が人と馴染もうとしている事は事実。それに嘘は無いのだ。
ならば一緒にやっていけるように、手助けしていくのが白蓮の仕事である。
マミゾウは白蓮を利用しているだけだが。
白蓮もマミゾウの力を借りる。
それで別に構わない。
布団に入ったときには、既に夜半を過ぎていて。
だが、今はあまり不安も無いこともあって。
後はゆっくりと休む事が出来た。
4、やはり道は遠い
用事があって命蓮寺を離れ。
帰ってきた時。
白蓮はすっと目を細めた。
星が戻ってきた白蓮を見て青ざめたからである。
「ひ、聖、その……」
「少しだけ待ってあげます。 すぐに片付けなさい」
「は、はいっ!」
寺の中に飛んでいく毘沙門天代理。
大事な宝塔を大慌てで飛んでいったからか、落としたので。拾っておく。
すぐに寺の中は修羅場になったようで。
しばし、腕組みしたまま待つ。
ほどなく、本当に申し訳なさそうな顔をして、星が戻ってきた。何をしていたかは、明白すぎる程である。
溜息を零したくなる。
だが、此処は我慢だ。
修行が辛いのは分かっている。厳しく戒律を守っている白蓮だが、それでも時々修行を辛いと感じる事はあるのだ。ましてや弟子達は、妖怪としての本能を殺しきれないのである。まだ酒や肉を断つのは無理だろう。
境内に戻ると。
一輪と水蜜が、あわてて酔い覚ましを大量に飲んでいた。
今更遅い。
大きく咳払いをする。
二人は這いつくばって土下座をするが。
情けない事だ。
ぬえが来る。
彼女は酒宴に参加していなかった様子だ。まあ、周囲と馴染むのに苦労しているようだし、仕方が無いのかも知れない。なお、響子と小傘は墓場の方で掃除をしていた。二人は或いは、この結末を読んでいたのか。それとも、掃除の方が大事だったのかも知れない。
「聖、多分お客様が来ると思う」
「そうですか。 三人の面倒を見てあげていてください。 お客様には私が対応します」
「分かりました」
まあ三人に説教はしない。
自制は出来たのだし。
充分に肝も冷えただろうからだ。
白蓮が戻ってきたのにもかかわらず、分からず酒を飲んでいるような状態になっていたら、げんこつだが。
今日はそんな事もなかった。
白蓮が出かける事。
いつ戻るか分からない事。
それもあって、隙を見て少しだけ飲むつもりが、いつのまにか宴会に、というのが実情なのだろうが。
いずれ、完全に自制できるようになってほしいものだ。
来た客は、聖徳王だ。弟子はつれていない。
古き時代に伝説となった王は。
今は仙人となり、自分のための世界である仙界を作って、其処で弟子達と一緒に暮らしている。
時々寺を訪れるのだが。
直接彼女が来る場合は、何かしらの問題が起きたときだ。
「久しぶりだな白蓮。 ふむ、弟子の躾に苦労しているのは相変わらず、お互い様のようだ」
「分かりますか? お互い苦労が絶えませんね」
「うむ。 少し重要な話があってな、ここに来た。 其方にも関係するだろうから、心に留めておいて欲しい」
聖徳王は、中性的なしゃべり方をするが。
男装をするつもりはないようだ。
ただ美意識がとても独特で。
最近は楽しそうにマントを羽織り、翻している。
一時期白蓮もマントを羽織っていたのだが。
すぐに飽きたので、聖徳王に譲った。
なお白蓮自身だが、最近は外から流れてきた「バイク」なるのりものにはまっている。
はっきり言って自分で走る方が遙かに速いのだが。
何というか、独特の中毒性があるのだ。
事故が起きないように、法術で念入りに守りは固めているが。
「天狗から使者が来た。 私と同盟を結びたい、と言う事でな」
「なるほど。 守矢に相当押されているようですね。 うちに連絡、ということは……貴方と半同盟関係にあるうちの、マミゾウさんが狙いですか?」
「察しが良くて助かる。 天狗としても、ただでさえ守矢を相手にするだけで厳しいのに、加えて山の妖怪全てを同時に相手にするのは避けたいのだろう。 山の妖怪に大きな影響力を持っている大ダヌキに粉を掛けたい、というわけだな。 勿論此方としては現時点で天狗と敵対する意図はないし、逆に同盟を結ぶつもりもない。 其方にも何かあるかも知れないから、注意は欠かさぬようにな。 猛者揃いの命蓮寺とはいえ、力がない妖怪もいるだろう?」
「ええ。 弟子達に手出しなど絶対にさせませんよ」
頷くと、聖徳王は帰って行った。
ぬえが入れ替わりに現れる。
彼女は得体が知れない姿を取るのが得意だが。
それ以前に、あまり人前に本来の姿を見せるのが好きでは無いのではないのか、と思えはじめて来ている。
「聖徳王は現世利益追求の塊だと思うのだが、聖は良く一緒にやっていられるものですね」
「彼女は聡明すぎるのです。 故に、恐ろしく感じる事もあるかも知れませんが、それはそれです」
「……何というか、貴方は底が知れないな」
ぬえが酔っ払い共の介抱に戻っていく。
さて、此処からだ。
マミゾウが戻ってきたら、幾つか打ち合わせをしなければならない。
天狗は別に邪悪な存在では無い。
ただ妖怪なだけだ。
問題は彼ら彼女らの組織が硬直化していて、著しく柔軟性を欠いているという事で。それが大きな問題になっている。
大きな群れを作ると、どうしても歪むのは人も妖怪も同じか。
悲しい事だ。
墓場から戻ってきた響子と小傘が、此方に駆け寄ってくる。
墓場が綺麗に掃除できたと嬉しそうに言う二人を笑顔で迎えながら。
色々と今後も苦労は絶えそうにないなと。
白蓮は思っていた。
(終)
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