序、バカにされしもの

 

豚。古くから人間と関わり合いが深い動物である。その肉は美味であり、多くの文明圏を支えてきた。

しかしながらその豚の実態を知る者はあまり多くは無い。

近年はペットとして改良された豚も存在しているが。

そもそも豚とは猛獣だ。

猪と言えば凶悪な獣として認識出来るのに。

どうして猪と交配できる豚を侮る事が出来るのか。人間の思考回路は、つくづく不可思議である。

げらげらと、くだらない話をして笑っている者どもを見ながら。

私はぼんやりと考えていた。

今調べているのは、豚について。

今行っている事業で、今後どうしても豚に関する知識が必要になってくる。故に復習も兼ねて調べていたのだが。

考えれば考えるほど。調べれば調べるほど。

豚は愚かな生物でも弱い生物でもない。

まず豚はそもそも非力では無い。

小型の家畜種でも体重は六十キロを超える。この六十キロというのは、人間の成人男性並み。しかも四つ足で体格は安定しており、人間を遙かに超える速度で弾丸のように突貫する事が出来る。

レスラーの低い体勢からのタックルの破壊力を知る者はいるかも知れないが。

そもそも四足動物の出力は人間とは比較にならない。

当然、豚の突貫も。

その破壊力は、人間などで対抗できるものではない。

更に言えば、豚は容易に大型化する。

日本に存在する最大の猛獣はエゾヒグマ。次が月の輪熊だが。その次が日本猪である。

日本猪は最大で体重百八十キロに達し、その突貫の破壊力は関取等の比では無い。文字通り、軽自動車がひっくり返される威力である。体重二百キロに達する月の輪熊と比べても、其所まで劣る存在では無い。

豚は、猛獣なのだ。

更に言えば、豚は人間の殺し方を知っている。本能的に、である。

人間の足の間に突貫すると、跳ね上げる。

これによって、人間は抵抗できずに、頭も守れず地面に激突する。更に言えば、この時足の動脈も同時に損傷する可能性が高い。

昔はこうして、油断した隙に豚に殺される畜産業者がいたし。

イタリアでは、何でも喰らう性質を利用して、殺した相手を豚に喰わせるマフィアが実在している。

更に、豚は生存能力も高い。

蛇毒に対する強い耐性を持ち。

そもそもその鋭い歯を持って、蛇など瞬く間に食い散らかしてしまう。

沖縄のある島では、海を渡った猪によって、日本最強の毒蛇であるハブが駆逐されてしまった実績もあり。

高い戦闘能力と生存能力は、少なくとも素の人間より上である。

更に、だ。

豚は雑食であるから極めて貪食で。

死ねば子供だろうが親だろうがエサに早変わり。

豚が翌日減っていた場合。

それは要するに、何らかの理由で死んだ事が原因だ。仲間によってたかって骨ごと食われてしまったのである。

人間を骨も残さず食う豚である。

同類を食うことに、ためらいなど持つだろうか。

欧州では、古くは汚物を処理するために、街にて豚を放し飼いにしていたという事実があるが。

この豚は、現在のものより更に凶暴かつ獰猛で。

人間が油断すると、家に入り込んで子供を襲ったり、赤子を喰らったりする事が珍しくもなく。

事実子供を喰らった豚が、裁判に掛けられて処刑されたという史実もある。古き時代の欧州では馬鹿馬鹿しい裁判が良く行われたものだが。この件に関しては、決して笑うことは出来ないだろう。

肉は美味い。

簡単に増える。

故に様々な文明圏に浸透し、飼われてきた豚。

ところがだ。

豚に対する感謝は、殆どの文明圏で見られないのである。

犬などは神格化されており。

近年では、アジアに存在した犬食文化を蛇蝎のように嫌う風潮もある。

だが、豚はどうか。

一神教圏では不浄とされ。

何処の文明圏でも、「不潔」「愚劣」「鈍重」「無能」といった、負のイメージが豚には負わされている。

猪は神格化される例があるが。

どうしてこうも豚は侮られている。

豚肉は食卓に欠かせない重要な食糧であり。

更に言えば、豚という存在は脆弱でも無ければ人間が考えている程愚かでもないのである。

どうしてこうも豚は低く見られる。

そういえば、ある有名な格闘漫画で。太った人間を豚呼ばわりし。屠殺場に行けと罵るシーンがあった。

この太った人間は鬼畜であったから、まあまだ分からないでもない。

だが、やはり豚という生物が、不当に低く見られてきた歴史があるのは事実である。

資料を再確認した後。

私は注文したハンバーグを食べる。

牛と豚の合い挽き肉だが。

普通に美味しい。

ファミレスで黙々と食事をしていると、悪口合戦が聞こえてくる。店員はゲラゲラとカウンターの向こうで笑っている始末。味は悪くないのに、雰囲気が最悪の店だなと、評価を降すと。

食事だけは食べ終えて、さっさと店を出た。

くだらん。

車に乗り込みながら、そう思う。ネットでの評判は悪くなかったのに。実際に来てみるとこれか。だから表のネットなんか信用ならないんだよとぼやく。

さっさと車を走らせて、自宅への家路につく。白衣に着替えたい。

在宅で仕事をするようになってからも、どうしても白衣を着ている方が落ち着くのである。

習慣になってしまっているし。仕事着だったから、なのだろう。

前は研究員をしていたが。

今はある意味フリーランスで仕事をしている。

反ワクチン運動が世界に広まってから、時が経過し。世界には多数の今まで押さえ込めていたはずの感染症が跋扈するようになっていた。

狂犬病。

麻疹。

結核。

チフスやコレラ。

これら危険な感染症は、ワクチンである程度抑える事が出来ていたのだが。完全にカルトと化した反ワクチン派の人間は、時に病院を襲いさえして、ワクチンを破壊する凶行に出た。

結果現在、犬に触ることは危険すぎて出来ないし。

昔は押さえ込めていた病気が猛威を振るっている。

本来は免疫力が極端に落ちている人間しか掛からなかったような病気もが、定期的に流行するようになっている今の状況でも。

極限まで落ちたモラルと。

人権屋の跋扈によって。

世界には感染症が大量にばらまかれ。

反ワクチン運動をしている人間は、それを「陰謀」だとか、「自然の摂理」だとか抜かして。

結果、人類の平均寿命は二十五歳にまで低下した。

子供がばたばた死んで行くからである。

また、幾つかの強烈な感染症の結果、国際機関が一切の機能と信用を失っていたこともあり。

もはやこの世界には、未来はないように思えた。

またデモだ。

マスクを燃やしている。

ワクチン反対の声を上げながら、ぎゃあぎゃあと騒いでいる暴徒達。プラカードには意味不明の文字列を掲げ。ワクチンが如何に危険かを周囲に訴えている。いや、違う。周囲に押しつけている。

古い時代は、デモはこんなものだったのだろうか。

良くは知らないが、いずれにしても今は車道を勝手に占拠し、暴徒となって店を荒らし、病院を襲っては医者を人殺し呼ばわりして殺す集団と化している。

近年は病院には危なくていけない。

何しろ、この手の輩は常に彼方此方を徘徊していて。

病院に行った人間をSNSに晒し上げ。

個人情報をばらまいた挙げ句。

集団で襲いかかって平然と殺し、戦果を自慢さえするからである。

そして捕らえられても、「人権派」の弁護士が出てきて、数年で刑務所から出てこられるようにしてしまう。

たった一世紀で。

人間は5世紀分、文明を退化させた。

誰もが口にはしていないが。

現在人権屋が動かせる金は膨大であり。

列強やら先進国やら言われていた国々が軒並み滅茶苦茶になった挙げ句。発展途上国と言われていた国々に至っては、もはやテロリストの巣窟となっている現状。同調圧力とカルトだけが、金と暴力をもって世界を動かし続けていた。

デモ隊を迂回して、自宅に戻る。

途中、燃えさかっているのが見えた。

あれは確か市病院の筈だが。警官隊の守りが突破されたのか。

他の国では、病院を悉く焼き払った連中が、「神の使徒」を名乗って戦果をネットにアップしているような場所もあるが。

とうとうこの国でも出始めたか。

危なくて外には出られないと言う言葉が流行り始めてから随分経つが。

もはや状況は違う。

家にいても危ない、が事実だ。

外で咳なんかしたら、その場で殆ど音速で暴徒に囲まれ、殴り殺される世の中になってきているのである。

治安は既に崩壊している。

自宅は幸い荒らされるような事も無かった。子供の泣き声一つしない。当たり前の話で、子供が泣いていたら、病気では無いかと疑った隣人に殺されるからだ。赤ん坊であってもそれは同じ。

最近は反ワクチンと一時期猛威を振るったエセフェミニストの思想が合併し。

「自然正義派」と名乗る集団が、彼方此方に根を張っている。

彼らは自分を正義と信じて疑わず。

咳をしていた。

泣いている赤子がいる。

それらをネットに垂れ流し。

そして恐喝の材料に使い。金をむしり取って訳が分からない神像やら壺やらを売りつけ。金が払えない場合は強引に借金をさせて金を奪い。それさえかなわないときはつるし上げて殺す。

三重の鍵を掛けるが、それでも危なくて仕方が無い。

昔は安定していたらしい電気も、今では途切れ途切れ。

とっくの昔にラジオは無用の長物になり。

テレビはカルトに制圧され、常に訳が分からないカルトの宣伝と、そのカルトに都合が良いニュースばかりが流されていた。

まあマスコミの自浄作用は一世紀も前に失われていたし。

これも当然の結末だったのだろう。

テレビは随分長い事使っていない。

ゲーム機に至っては、三十年前に全てが姿を消した。

エセ人権団体がゲーム機を作っている会社を悉く焼き討ちし。今後ゲームを製造したら殺すと声明を出したのである。

それらの事件を警察が取り締まるどころか。

県知事クラスの人間が擁護さえした。

本も今では、カルトの啓蒙書しか発行を許されていない。

漫画も学術書さえも、全てが出次第焼き尽くされる。

図書館も既に閉鎖。

この世界は、死につつあった。

白衣に着替えると。

黙々と、データを調べていく。

豚から培養した細胞を使って、少しずつワクチンを再生していくのだ。研究所が焼かれたときに、持ち出す事に成功したワクチン。

少しずつこうやって増やしては、実験をしている。

勿論実験していることがばれたら命などない。

この嵐が収まるのがいつになるのかは分からないが。

ともかく、第三次世界大戦は起こらずとも。

もう人間の文明はもちそうにない。

犬の鳴き声が聞こえたので、思わず身をすくめる。

狂犬病の致死率はほぼ100%である。

自称愛犬家が狂犬病ワクチンの摂取を拒否するようになり初めてから、案の定狂犬病は猛威を取り戻し。

そして今では、家で飼われている犬も、高確率で狂犬病を持っている。

それなのに、テレビでは病院が犬を狂犬病にしているなどとニュースを流し続け。それに自称専門家がお墨付きを与えている始末だった。

SNSに通知が入る。

一世紀前に使われていたものを、どうにかこうにか保たせている携帯電話。それを操作して、重くて殆どつながらないネットにどうにかつなげる。中継局がほぼ機能していないのだから当然だ。

今は有志がサーバを作って、地下でネットを継続している状態。

そうでないネットは、カルトによって制圧されており。パケットの一つに至るまで全てが監視されている状態だ。

危険すぎてつなげない。

「α、進捗は」

「現在4と6が17%。 8が81%」

「8は後どれくらいで出来そうだ」

「一週間はかかる」

それだけでSNSでのやりとりは終了。

危なくてSNSでさえやりとり出来ないのである。

これとは別に、カルトが持つ事を強要している「最新型」の携帯電話も持っている。此方では、先ほどのようなファミレスの情報を探したりするのに利用しているが。そもそも利用していないと、カルトの監視者が殴り込みにくる。

定期的に「啓蒙サイト」を見に行かないと殺される。

今はそういう時代だ。

黙々とワクチンの再生を続け。

ようやく麻疹のワクチンがある程度形になった。

後は、これをレジスタンスに届けるだけだが。はてさて、そのレジスタンスもいつまでもつかどうか。

カルトに無理矢理持たされている方の携帯が鳴る。

鬱陶しいが、出なければならない。

ニュースが表示された。

どこぞの地下病院を襲撃して、「非人道的医療」をしていた医者看護師含め二十名を摘発したとかいう話である。

その場で即決で死刑だそうだ。

近年では、もはやカルトによる私刑がどこの国でも止められない状態で。警察も何の機能も持っていない。

人口は一時期80億にまで迫ったが。

今では20億を切ろうとしている。

全ての原因は分かりきっているが。

正義を信じてやまない人間達は。

それを認めようとはしなかった。

何度か、レジスタンスとやりとりをして。一週間後。カルトの監視役に変装した連絡役が来る。

符丁で話をした後。

ワクチンの一部を渡す。

代わりに培養用のゼラチンと、豚肉を引き取る。

頷くと、符丁での会話をして、そしてドアを閉めた。

レジスタンスの者は、全員が拷問に対する訓練を受けている。誰かが口を割ったら、芋づるにされて、皆殺しになるからだ。

勿論私も殺されるだろう。

私も、自殺用の拳銃を持ち込んでいて、いつでも死ねるようにはしている。

しかし、可能な限りあがこうとは思っている。

文明の火を消すわけにはいかないからである。

ワクチンの培養に戻る。

また、カルトどもの渡してきた携帯が、ニュースを流していた。

どこぞの国で、邪悪な医者達が流行させた病気が猛威を振るい、1000万人が瀕死の状態だそうである。

なお当然病院はもう全て存在していないので。

皆死ぬだけだ。

ニュースでは、「邪悪なテロ」に対して怒りの声を上げていたが。

誰のせいでこうなったのかと、ぼやきたくなる。

今は22世紀。

21世紀に比べて、5世紀時代が戻ったと言われる、終焉の時代だ。

 

1、終わりの時

 

外出する。何だかよく分からない服を着た連中が練り歩いている。ぶら下げているのは、彼らの教義らしい「塩素水」だ。

色々な水がカルトに使われてきたが。勿論どれもこれも効果などあるわけが無い。一礼してその場を離れる。内心では反吐が出るが、もしもこれに逆らったら、「レイシスト」だの「差別主義者」だのとレッテルを貼られ、即時でカルトのネットに晒される。その後は集団で暴行されれば良い方。下手をすれば殺される。

走っている車は、二年前に比べて更に減っている。

ガソリン資源の枯渇。

電気の不安定化。

水素動力車など、結局実用化しなかった。

それらもあって、今では車は滅多に使えない。うちにもあるけれども、バッテリーが上がらないように注意しながら。監視している周囲の家に怪しまれないように、たまに遠出するときに使うくらいだ。

外にも、カルト御用達の携帯は持ち歩かなければならない。

もしも忘れたら、その時点で「懲罰」が行われても不思議では無い。

部屋に閉じ込められて、反論できない状態でずっと「有り難い説法」を聞かされ。そして「有り難い罰」として電気ショックも流される。

常に「神の御心」を聞かなければならないそうである。

彼方此方に色々なカルトが跋扈しているが。

どれもこれも似たようなものである。

私のいる辺りにいるカルトの教義がこうなだけ。

なおカルト同士は当然仲が悪く。縄張りの境界では殺し合いも当たり前のようにやっているし。

しかも殺した相手を、「邪悪な医療関係者」と称すのは当たり前の事らしい。

この間流れてきた、地下病院の摘発とやらも、カルト同士の抗争だったのかも知れない。

「街を清潔に、街を清潔に」

声を張り上げて歩いている者達。

今、街にホームレスはいない。

彼らによって皆殺しにされたからである。

とはいっても、仕事がある人間もまた珍しい。

家に閉じこもって、必死に何とかしてやりくりしていくしかない。

カルトは上納金を貪ることは好きだが。

金を撒くのは大嫌いだ。

一世紀前には貧富の格差が限界に達していたらしいが。

今では、それすら生ぬるい地獄が到来している。

なお私だが、基本的にワクチンを納入する代わりに、レジスタンスから金を受け取っている。

それでも生活はカツカツ。

政府に納入する税金など、あるわけもない。

まあ今は、どこの国でも政府なんて機能していないので。納税など、誰もしていないが。勿論私もその一人だが、誰もそれで困る事はない。

誰かが咳をした。

殆ど一瞬で、咳をした人間が囲まれる。そして縛り上げられて、連れて行かれた。悲鳴を上げる。俺は咳をしていない。そう叫ぶのが聞こえたが、不信心者めとか。神への帰依が足りないとか、わめき声がそれに返す。

殺されるな。

それが分かるが、どうにも出来ない。

21世紀の時点で資源が枯渇していた人類は、今では文明のレベルで自殺しつつある。

一部の元発展途上国では、既に猛獣に対抗する手段を失っているらしく。うちの国でも、熊によって殺される人間は21世紀の百倍。蜂によって殺される人間は25倍に達している。

それ以上に狂犬病で死ぬ人間が多いと言うのが末期的だ。

一部の地域では、男児が生まれたらその場で殺す事までやっているらしく。

更に今歩いている道路も、でこぼこ。ずっと整備していないからである。

軽く買い物を済ませる。

通貨などもはやいつどうなってもおかしくない。

昔はこの国の通貨は世界最強を謳われたが。今ではどこの国の通貨も、滅茶苦茶に変動していて、訳が分からない。

次は何が狙われるか分からない。

商売をしている者は、それに怯えながら生きている。

そして狙われたが最後。

何をしても逃げる事は不可能なのだ。

自宅に戻る。

ため息をつく。

地下ネットの携帯から、通知が来ていた。

「天然痘がばらまかれた」

「本当か」

「ずっと封鎖されていた研究所をカルトが焼き討ちしたときに流出したらしい。 報道は当然されていないが、既に死者は2000万に迫っているそうだ」

「……」

こういった情報も、昔はその日のうちに世界を駆け巡ったのに。

今は下手をすると一月以上掛かる。

表のネットでは、カルトの啓蒙番組だらけ。ニュースなど機能していない。何かあっても「邪悪な医療」の責任。

何一つ、まともな情報など流れていない。

「それで、感染地区は」

「旧ロシアが今壊滅的な状態になっているようだ。 中華にも侵入を開始している様子だ」

「レジスタンスは」

「必死に天然痘のワクチンを作っているが、レジスタンスが活発化したことをカルトどもが嗅ぎつけている」

こんな長いやりとりをする事は滅多に無い。

それだけ状況が切羽詰まっていると言う事だ。

当然である。

天然痘。

人類が直面した、史上最悪の病気の一つである。

インフルエンザやエボラも多数の命を奪ってきた病気だが、これらについては今も定期的に猛威を振るっているものの、エボラは致死率が高すぎて伝染性が低い。インフルエンザは伝染性が高いものの免疫が弱っていなければ致死率は低い。

これに対して天然痘は人類が文明を上げて根絶したほどの危険な病気で。

ようやく根絶に成功した筈だったのだが。

一部の研究所にサンプルが保管されているという噂が絶えなかったし。

ジャングルなどで暮らす者達が保菌しているという噂も絶えなかった。

「……サンプルを回してくれ。 ワクチンを作る」

「分かった。 命がけになる。 気を付けてくれ」

「分かっている」

このやりとりだけで危ない。あらゆる周波帯のパケットを、カルトどもが拾っているのである。

未知の病気では無いから、まだワクチンは作る余地がある。

天然痘に関しては、既にワクチンの作り方が分かっているのである。

ただし、今はワクチンを作る事が出来ない。

狂騒するカルトと。

カルトと一体化した反ワクチン派が、ワクチンを作る人間を殺して回るからである。

私だって、いつ素性を嗅ぎつけられるか。

こんな世界。

もう一度滅びればいいのではないのか。

そう思うこともある。

だが残念な事に、膨大な資源浪費をした結果、人類にもう後はない。既に破滅しかけているが。

どうにか此処から立て直さなければ。人類に未来など存在しないのだ。

未来か。

人間の可能性は無限だなどと、無邪気に口にしていた過去の時代が羨ましい。

天然痘が拡散を開始し。

医療が否定されたこの時代に広まりはじめたとなると。

もはや全ては遅いかも知れない。

二週間後。

天然痘のサンプルが届く。

これを入手するだけでも命がけだっただろう。すぐにワクチンを作ると、まずは真っ先に自分に打った。

当たり前である。

天然痘に自分がかかったら。これ以上のワクチン生成ができなくなる。

昔は牛を使ってワクチンを作ったのだが。

今は豚を使ってワクチンを作る技術が確立されている。正確には確立されたものを、ただ引き継いだだけだ。

文明の進歩は21世紀前半で停止。

以降は停滞どころか加速度的に退化している。

今、世界の人間は20億と聞いているが。

天然痘が猛威を振るうとなると、2億生き残るかどうか。

溜息をつく。

そして、黙々と。

各地の医療従事者と。医療をどうしても受けに来る人間のために。ワクチンを作り始めるのだった。

 

二週間後。

ヒステリックに、カルトどもの携帯がニュースを伝えてくる。

ロシアで大規模なテロが発生。

ロシアが壊滅状態に陥り、死者は億に達しようとしているというのである。中華にも被害が拡大しているそうだ。

遅いなとぼやく。

もう私の所に、その情報は届いている。

支離滅裂な状態ながらも、まだ存在していたロシアの政府は、これにて消滅した様子だ。現在は、生き残りもいないなか。死体だけが点々としているらしい。

ロシアを逃れてきた者達が、中華になだれ込み。

其所で更に感染を爆発させた結果、死者はうなぎ登りに増えているという。

中華も今は300を超えるカルトがしのぎを削っていたはずだが。そもそもワクチンを否定するのが基本になっている現在。今更ワクチンがほしいなどと口が裂けても言えないだろうし。

何よりもそんな事を口にしたら殺される。

知識がある人間なら、即座に天然痘と分かる病状だろうに。

その知識を捨てて「自然派」を気取った結果、何か得体が知れない病気、としか分からなくなっている。

おぞましいまでに、愚かしい話だ。

ワクチンはあまりにも効果がありすぎた。

多数の感染症を撲滅寸前まで追い込んだ。

だから、ワクチンのありがたみを人は忘れた。

そういう話を、地下の医療学校で聞かされた事がある。いずれにしても、21世紀の話だから、どこまで本当かは分からない。

だが、ワクチンを軽視し。医療を軽視する風潮があったのは事実で。その結果、この地獄絵図が到来している。

レジスタンスからまた連絡が届く。

インフラが更に不安定になっている。

大陸の間はもう飛行機が結んでいないのだが。

船で移動中に、天然痘で船が機能不全に陥り、そのまま全滅するケースが出始めているという。

「どうやら流行している天然痘は極めて毒性が強く、しかも潜伏期間が従来のものよりも長い様子だ」

「生物兵器として改良されたものではないのか」

「可能性はありうるな」

「ともかく、ワクチンを可能な限り量産する。 出来るだけ急いでくれ」

急いでとは言ったが。

まだこの国では、カルト共の監視が続いている。

インフラがどんどん壊滅し始めているが。それでも彼らは己の正義を信じて疑わない。

21世紀初頭の、エセフェミニストや、反ワクチン派のSNSでの言動を見せられたが。確かに正義を信じて疑わない人間は、どれだけでも醜悪になれるのだなと、悟らされるばかりだった。

地下室に降りる。

インフラが不安定になって来ていて、蓄電器に蓄えられている電力が減っている。危険を承知で発電機を動かすしかない。

外では、更にヒステリックにカルトの連中が騒いでいる。

神の罰が降った。

信仰が足りないからだ。

ただひれ伏し信仰せよ。

さもなくば不信心を神が怒り、病に倒れる事になるぞ。

そう叫んでいる。

昔街宣車と呼ばれた車に乗った、カルトの幹部格がそうわめき散らしているが。あのやけくそな言動。

自分でも信じていないのではあるまいか。

もう引くに引けない。

散々ワクチンを悪者にし。近代医療を悪者にし。自分達のお気持ちを優先して全てを動かしてきた。

その手前、自分達が間違っていたなどと口にしたら、それこそ殺される。

自分が死ぬまで、徹底的に嘘をつき続けるしかない。

まさに末期の虚言癖だなと、私は冷静にぼやく。

文明そのものが虚言癖に蝕まれた結果がこれだ。

モラルも何もかもが失われ。

そして世界は克服したはずの病によって滅ぼされつつある。何が反ワクチン運動だ。その結果が、この世界なのだとしたら。

私はできれば21世紀に戻り。

反ワクチンを唱えていた連中を、全員地獄に蹴り落としてやりたい。

英知を否定してお気持ちを優先した結果がこれだ。

こんな連中のために。

ワクチンなんて作る必要があるのだろうか。

私は悩むが。

その悩みを捨てる。

地下で、黙々と。

研究所からかろうじて持ち出した設備を使って、ワクチンを増やし続ける。同じように活動している者が、それなりの人数いると信じたい。

人類の文明の壊滅は避けられない。

天然痘がばらまかれた、それも従来のものとは違って恐らく兵器用に強化されたものがばらまかれた現状。

もはやこの世界で、食い止める手段はない。

レジスタンスの規模から言って、一体どれだけの人間が救えるのかは分からない。

楽観論など蹴飛ばすしかない。

そも梅毒が八年程度で世界中に広まったことを考えると。

天然痘が世界中に広まるのに、一年と掛からないだろう。

ましてやカルトどもが、ワクチンを敵と見なして、世界中にその悪意をばらまいたこの世界である。

救える命など殆ど存在しない。

救ったところで感謝すらしない。

そればかりか、救ったことを糾弾し、医師を殺そうとするかも知れない。

事実カルトが、輸血をした医者を糾弾した例があると聞いている。今は、その時よりも更に状況が悪い。

翌日。

ついにカルトの御用番組とかしていたニュースが止まった。

携帯で流されていたニュースが、どれも灰色の画面になった。天然痘がこの国にも上陸したな。

それを悟ったが。

私には、ワクチンを作り続ける事以外は出来ない。

レジスタンスが来る。

符丁で話すが。周囲は異様なまでに静かだった。ずっと練り歩いていたカルトの連中が見当たらない。

「ガソリンも渡しておく」

「助かる。 電気が来なくなっていた」

「それと、量産は出来るか」

「豚が足りない」

豚の細胞を培養して、それでワクチンを作っているのだが。

出来れば豚そのものがほしい。

だが、流石に厳しいか。

レジスタンスは、頷く。

「幾つかの地区が既に壊滅している。 養豚場を探せるかも知れない」

「壊滅した地区に入れるのか」

「カルトどもは神の怒りを怖れて入ろうとしていない。 それに、どこのカルトも機能不全を起こし始めた。 国内でも有数のカルトの幹部達が次々に倒れている。 中には我々にワクチンを求めて来たものもいたが……」

「そうか……」

本性が出るものだなと、ぼやく。

いずれにしても、周囲はもう声一つない。犬が時々吠えているが、それも力がない。エサをくれる人間が死んだのだとみるべきだろう。

ワクチンの増産をするべく、ある程度作業を進めた後。

車で外に出てみる。

凄まじい有様だった。

どうやら内部抗争をしたらしく、カルトの構成員達が大量に死んでいる。これは天然痘が殺さなくても、自滅するのではあるまいか。

危険だなと判断。

即座に家に戻る。

途中、うめき声を上げながら、血だらけの鉈を持った男が彷徨いていた。もう正気を保っていないらしい。

その男に、無数の犬が襲いかかると。

あっと言う間に引き裂いてしまった。そのまま尻尾を振りつつ、死体を食い始める犬の群れ。

狂犬病に感染している様子で、明らかに挙動がおかしい。

文明が滅ぶ様子を、私はリアルタイムで見ている。

変な車が来ると、火炎放射器で犬を焼き払い始めた。そればかりか、辺りの家にも放火している。

滅茶苦茶だ。

その車に、今度は別の車が体当たり。もろともに爆発した。

彼方此方で火事が起きている。

これは電気も届かなくなるはずだ。

神の怒りだ。

誰かが喚いているが。

それがすぐに悲鳴に変わった。

もう、この世界に。

秩序という言葉は、欠片も存在していない。

家に戻る。カルトの内紛に巻き込まれないように、気を付けるしかない。頑強だったカルトの使っているSNSも、既に機能停止している。そも中継局がやられたらしく、ネットにつながらない。

レジスタンスのネットもかなり重い。

元々安い機械を無理に動かしていたのだ。

無茶も出ると言うものだ。

それでも、何とかやりとりをして、情報を伝え合っていく。

「北米、南米でもどうやら天然痘が猛威を振るっている。 アフリカは全滅状態。 中東は今拡大の真っ最中だ」

「……どれだけ生き残るか、トリアージの段階に入ったな」

「各地にかろうじて残っている文献や、サーバーの回収をレジスタンスで行っているが、生き残ったカルトの内紛や、人間の文明崩壊を察知した野獣の徘徊でかなり厳しい状況が続いている。 軍基地は無人になっている。 そこから幾らかの軍需物資を調達できればいいが……」

「私には、ワクチンしか作れない」

通信を切る。

爆発音。

何処かで、また何か起きたらしい。21世紀の後半には、過激派が原発を無理矢理停止させ続け。その結果、今では原発を動かすノウハウさえ失われている。何処かのバカが、保管されていた核を持ち出して、起動してもおかしくない。

ドアが叩かれる。

流石にびくりとしたが。

符丁を言われたので、ドアを開ける。

大きな車が、家の前に横付けされていた。

「大きめの施設を確保出来た。 設備ごと移動してほしい」

「施設だと」

「近辺を支配していたカルトに抑えられていた研究施設だ。 今レジスタンスで調べているが、再稼働が可能かも知れない。 今要塞化を進めていて、同じように動いていた者に声を掛けている」

「今すぐ移動は無理だ」

分かっていると頷くと、車が行く。

私は周囲を見回すと、ドアを閉める。もう機能停止状態とは言え、誰が見ていたか分からないからである。

やがて、ドアがノックされる。

不信心ものお。

お前のせいで世界が滅びようとしているう。

そんな声が聞こえる。

もう、放っておくしかない。

やがて、声は小さくなっていき、消えた。

ドアを開けると。

全身病に蝕まれ、そして医療を拒否した者の末路。

ボロぞうきんのようになり、複数の病に冒された結果、病原菌に体中を食い尽くされた狂信者の死体が転がっていた。

 

2、最後の砦

 

移動の準備を自分でも進める。

ワクチンを作れる設備は、幾らでもいる。それが例え、どれだけショボい代物であってもだ。

もうすっかりインフラは死んだ。

電気も止まったし、水道も動いていない。

水はある程度蓄えてあったが、どの道限界ではあった。大型車が来た時は、良かったとさえ思った。

国が機能していた最末期。

軍人をしていたという大男に挨拶される。もう周囲に生きている人間は住んでいない。悠々と荷物を運び出す。

この様子では、20億いた人間は、1億を切るだろうな。

そう私は結論していた。

エイリアンが侵略してきたのでもない。

恐ろしい未知の病気が流行ったのでもない。

隕石が降ったわけでも、天変地異が起きたわけでもない。

知っている筈の病気で。

対応を知っている筈なのに。

人間は滅びたのだ。

元々人間なんか、知識が無ければクソ雑魚最弱生物も良い所だったのに。それを忘れた。自分達は神に選ばれた万物の霊長と思い込んだ。

その結果がこれだ。

荷物の梱包と運び出しは丁寧に行って貰う。書物は避難先にあるのかと聞くが、少しだけしかないという。

そうか、とぼやくしか無かった。

まだ私が地下の学校に行っていた頃には、データベースサーバもある程度生きていたし。ファイルサーバもあった。

紙の本もある程度存在していて。

皆で分け合いながらではあったが、勉強をすることだって出来た。

今はその全てがほぼ出来ない。

「有害文化」として、全てが焼却処分されたからだ。

娯楽関連の書物だけでは無い。医療書も科学書も全て。

カルトの指導者達には、知恵は邪魔だったのだ。連中が人権屋と区別が付かなくなった頃には、文化の大虐殺には、もはや歯止めが利かなくなった。そして今では、カルトの妄言が記された本以外は、持つだけで殺される。漫画を持った人間が、三族にいたるまで皆殺しにされた例さえ実在している。

この文明の結末も。

当然だったのかも知れない。

家の中を確認して、必要な全てを積み出す。また、ワクチンも全て回収する。そして、家を後にした。

発電機も、大事そうに梱包していた。

要するにこれですらも重要物資、と言う事だ。

国道だった場所を行くが。

もう燃えている車さえなく。

焼け焦げた車。人間の残骸。燃え尽きた家。

そして、要塞のようだったカルトの本部は、既に内側から滅茶苦茶に壊されて、骨が散らばっていた。略奪された形跡さえない。略奪もなにも、そもそも経済という概念が半壊しているのだ。金はカルトの上層部から「下げ渡していただく」ものであって。流通させるものでさえない。だから、暴徒化することはあっても、ものを略奪するという概念さえ無くなってしまっている。

明らかに様子がおかしい犬が、死体を貪り喰っている。

鴉も多数集まっていた。

あの様子では、この辺りを支配していたカルトのボスは死んだな。そう判断するしかない。

それこそどうでもいい。

21世紀では、実務能力より「コミュニケーション能力」が重視されたと聞いている。早い話が、相手に媚を売る能力のことだ。

それが拡大した結果、相手に耳障りが良い言葉を投げかけられる者だけが生き残り。

社会から英知はどんどん消えていった。

その結果が今なのだとすれば。

この世界そのものが、その是非を示しているとも言えた。

人間は其所まで愚かでは無い、か。

昔、地下の学校で学友達と見たアニメで。地球に侵略してきたエイリアンに、主人公がそう返していた。

今なら、私はそれにこう返そう。

お前が思っているより一兆倍人間は愚かだったよ、と。

ほどなく、強固な鉄条網で守られた、要塞のような施設に到着。周囲には、点々と銃撃跡。散らばっている死体。

これを作るだけで、レジスタンスは少なくない犠牲を払ったはずだ。

大型車で内部に入ると、すぐに梱包した機器類を運び込む。内部の様子を確認するが、気密状態は悪くない。

まだかろうじて、知識を結集することは出来た。

それだけは救いだ。

それにしても、21世紀の人間がこの有様を見たらどう思うのだろう。リベラルだフェミニズムだとほざいていた果てがこれだ。人権屋にいいように利用された挙げ句、退化した文明の結果。

人間は、もはや滅ぼうとしている。

「各地に武装勢力は」

「天然痘の破壊力が凄まじく、もう組織だって動ける人間は我々くらいしかいない」

「そうか……」

「文字通り世界の終わりだ。 だが、このまま終わらせはしない」

頷くと、施設の視察をする。他にも何名か、地下で働いていた者がいたので、敬礼。顔は合わせていないが、彼らが同じように働いていた研究者だろう。

学校が焼き討ちにあった時の事はよく覚えている。

顔は覚えてはいないが。

あの時の生き残りも、いるかも知れない。

「私の他にも、まだ生き残りはいるのか」

「いや、貴方で最後だ。 各地のカルトの崩壊を見届けてから、助けられそうな人間を組織的に武装解除し、救助して回る。 武装は蓄えて、自衛用に用いる。 この様子だと、まずは野獣から身を守らなければならない」

「……そうだな」

地下に出向くと。

人工照明の中、豚が多数飼育されていた。

食用もあるだろうが。

一部は神経質なまでに清潔な環境で育てられている。

そうだ、これがほしかったのだ。

ワクチン用の生態素材。

生きたままの豚を直接使えるなんて、何て贅沢な事か。

資料を受け取る。

現在、例の天然痘が猛威を振るっているが。他にも、本来は根絶されていたはずの病気が多数復活して、生き延びた人間達を文字通り食い荒らしている。

麻疹や結核は代表だが、中には聞いた事がないようなものもある。

インフルエンザのワクチンも必要だ。

インフルエンザがスペイン風邪という名前で最初に流行ったときには、二億人もの死者を出したというのに。

人間はころっとその恐怖を忘れ果てた。

その時代は、いびつではあったがまだ国家は稼働はしていたのだ。だが、人間なんて何も進歩しないという結論は、その時点に出ていたのかも知れない。

年老いた老婆が手を叩く。

恐らく生き残っている研究者の中では、最年長かもしれない。

腰も曲がっているが。眼光は鋭い。白衣を着込んだ老婆が咳払いすると、あまり秩序だってはいない集まり方をした、私含む研究者を見回した。

「それでは、ワクチンの生成、医療品の生成、それぞれ始めてほしい。 此処にある物資は自由に活用していい。 ただそれぞれが勝手に作っては、足りない物資が出てくるだろう。 役割分担をしたい」

「それはかまわないのだが、貴方は」

「レジスタンスのリーダーをしていたものだ。 今はもう、人間の生き残りを図るものだがな」

「……そうか」

年配の男性研究者が俯く。

研究者は、此処にいる10名ほどで全てか。

私が一番若い世代の様子だ。

「他の国にレジスタンスはあるのか」

「あるにはあるが、当面連携は難しい。 カルトどもの基地局に何カ所かで相乗りして通信していたのだが、その基地局がやられてしまっている。 それぞれの国で、生き残りを図るしかない」

「一体何処のバカが天然痘などばらまいた……」

「詳しくは分からないが、ロシアに跋扈していたカルトの一派のようだ。 天然痘を迷信の産物と称して、「健康に生きてきた」者達には害が無いと「証明するために」ばらまいて見せたらしい」

正気か、と声が上がったが。

苦虫を噛み潰したようなリーダーの顔からして、事実なのだろう。

まあ外の有様を見る限り。

何をやらかしても不思議では無い。

元々人間はこんな程度の生物だったのだと、諦めて。今できることを、少しずつやっていくしかないのだ。

誰かがぼやく。

「まるで洋ゲーの世界だな」

「洋ゲー?」

「海外産のゲームのことだよ。 海外産のゲームでは、最悪の最悪を想定したゲームが多かったんだ。 そしてそんな最悪を重ねた状態でも、人間は派閥抗争を続けて、収拾の見込みさえ立たないという、な」

「今はそれをも超える状況に思えるが」

私が返すと。

違いないと、相手も認めた。

ともかく、手分けして作業を始める。それぞれ今までやってきた実績について軽く説明する。

私はワクチンが主だが。

薬を作る事をメインにして来たものもいた。膨大な薬の作成方法がリストとして残されている。

これだけは、救いだ。

何でも、軍の一部をレジスタンスに取り込むことに成功したらしく。データベースと資料の回収に成功したらしい。

それだけは僥倖だ。

ともかく、現在動いている人員の分だけでも、天然痘ワクチンは急いで作らなければならない。

ワクチンは決して万能薬では無い。

毒性を弱めて毒に対抗するようなものだという説明を、外で動いている実働部隊の者達にも説明はする。

だから、副作用も出るが。

ワクチンを打たなければ、そもそも生の毒を嚥下するようなものだとも。

納得はしてくれる。

事実私達が作ったワクチンで、レジスタンスの面々は随分と助かったらしいのだから。だが、レジスタンスしか助けられなかった。

ため息をつくと。

当面は休憩どころでは無いなと思い。

そして、仕事を始めた。

 

黙々と、医療用品を生成していく。生きた豚はやはりかなり獰猛で、専門の職員に抑えて貰わなければ、ワクチンの生成に協力はして貰えなかった。

地下施設だから、油断するとあっと言う間に汚染される。

気を遣って貴重な水や消毒液を使いつつ。

とにかく丁寧に、出来るだけ大量にワクチンを生成していく。

豚も自分の体で何かされている事は分かっている様子で。

敵意を持って此方を見ていた。

雑念は入れたくなかったので、淡々と作業を進める。時々、ばたばたと荒事担当の要因が、外に出て行くのが分かった。

多分カルトの生き残りが、襲撃してきているのだろう。

あの状況だ。

何が起きても不思議では無い。

不意に肩を叩かれた。リーダーだった。

「32時間連続稼働だ。 少し休みな」

「分かった。 今やっている作業が終わったら休む」

「そうするといい」

声を掛けて回っているのか。

まあ全体の指揮を執ってくれているのは助かる。

作業をある程度進めて片付けると、貰っている自室で休む。実の所、元倉庫らしいのだが。文句も言っていられない。

そもそも研究者は自室を貰っているだけマシ。

戦闘要員に至っては、雑魚寝だそうである。

食事を済ませる。

前に足を運んだカルト経営の食堂ではある程度味だけはマシだったが、何だか頭の中が妙な感じだ。

ひょっとすると、薬でも入れられていたのかも知れない。

可能性はある。

評判の良い飯屋で、料理に依存性のある薬物を入れていたという事例は昔存在していたらしいし。

一部のカルトでも同じような事はしていたそうだ。

ならば、薬抜きだと思って頑張るしかない。

外に出ると、浄水装置が焼け付きそうな勢いで動いていた。何両かあった装甲車両が、かなり傷ついている。

戦闘は断続的に行われているらしい。

怪我人が運び込まれてきて、手当が行われている。物資を身内で使うのが精一杯とは、情けない話だ。

リーダーが来たので、話を聞く。

天然痘をレジスタンスがばらまいたという話にしたカルトの連中が、攻撃を仕掛けてきているらしく。

物資の回収が命がけだそうである。

人員の補充どころでは無い。

「こうなると、クローンで人を増やすしか無いかも知れないね」

「倫理的にどうなんだそれは」

「やむを得ないよ。 そもそも子供まで洗脳されている状況だ。 一部のカルトに至っては、子殺しまでやっている状態だしね。 洗脳を解除している時間さえないんだよ」

「……」

クローンの技術は21世紀には何とか完成したが。

それにしたって、すぐに成人をぽんと作れる訳でも無い。

此処にある設備はそこそこマシだが。

それでも、年単位で掛かるだろう。それに、クローンを作ったとしても、何も知らない人間を生産するだけで。

教育だってしなければならない。

かといって、此処にいる人間で生殖して増えるにしても、効率が悪すぎる。そも此処にいる人間の数では、遺伝子プールが貧弱すぎて、すぐに近親弱交が発生する。遺伝子のデータがあるなら、それを使ってクローンをするしかないだろう。

やむを得ない。

大体私にしても、子供なんか作っている暇は無い。

装甲車両が一台戻って来た。子供を十人ほど連れていたが、此方に対して敵意剥き出しの様子だ。

しばらくは洗脳解除しなければならないだろうが。

いずれにしても、厳しい目でリーダーは子供を見ていた。

子供でも、洗脳されれば破壊工作くらいは出来る。

油断ならないのだ。

実際問題、古い時代のテロ組織は、子供に爆弾を抱えさせて、安価な自走式爆弾として活用していたと聞く。

「この様子だと、我々以外は生き残らないかも知れないな」

「……余所の国のレジスタンスが、どれだけ頑張れるか次第だね」

「そのレジスタンスが、また思想を先鋭化させる可能性もある」

「ああ」

自分達を特別視する。

こういった閉じた組織では、当たり前のように起きる事だ。

私自身だって、気がつかないうちに洗脳されているかも知れない。そもそもレジスタンスが、どれだけ実際に活動していたのかは分からない。

今は研究用の設備を用意してくれてはいるが。

それもどんな手段で用意したのやら。

トラックが来る。

かなりの物資を運び出していたが。

同時に怪我人もかなり連れてきていたし。既に天然痘が発症している者も連れているようだった。

レジスタンス内ですらワクチンや医薬品が足りていない状況だ。

突っ立っている余裕は無い。

地下に戻ると、またワクチンの量産に戻る。

途中で変異株を貰ったので、対抗ワクチンを作る。すぐに出来る訳では無い。実験に実験を重ねて。それでやっと出来るのだ。

だが、意外と割りにあっているかも知れない。

昔の、カルトの影に怯えながら、従順な犬を演じていた頃よりも。

今の方が遙かにマシだ。

各地で孤立していたレジスタンスの戦闘要員も、少しずつ此処に集めているらしい。それに伴って、情報が入ってくる。

どうやら、世界の人口は。

天然痘が解放されてから二年も経たずに、一千万を切ったらしかった。

わずかに生き残ったカルトは、ほぼ全員が天然痘に感染しており。病気のまま錯乱し、互いに殺し合っている。

レジスタンスにも強烈な敵意を向けてきており。

助けを求めるように近寄って爆弾テロを行ったり。

或いは、残った武装を総動員して研究所に攻めこんできたりと。もはや狂気のまま、野獣以下の存在として荒れ狂っていた。

そして、更に一年が過ぎた。

三年、研究所で過ごしている内に。

外の世界は、完全に静かになった。

人類は、事実上。

絶滅したと見て良かった。

 

人類を苗床に大爆発した軍用天然痘は、結局苗床がなくなり。残った苗床もワクチンで対抗できるようになった結果。もう存在しなくなった。皮肉な話である。あらゆるものを無分別に食い散らかした結果滅びる。

人間に改造された天然痘は、まるで人間のように振る舞ったのだ。

ワクチンの貯蔵が充分と判断したリーダーの指示で、私は生き残りの捜索作業に向かう。もうカルトの攻撃は止んだ。

余所の国のレジスタンスはどうなったか分からない。

狂乱したカルトに全滅させられた所もあるかも知れないが。

そういう所では、どうせカルトも全滅しただろう。

レジスタンスがカルト化した可能性も否定はできない。

それにはしっかり備えなければならない。

まずは通信網の回復。

それに安全の確保。

そして人員の確保だ。

わずかに保護できた人間は、例外なく洗脳されており。洗脳解除に非常に手を焼いていた。

実際子供の洗脳解除中に、隙を見せた瞬間指を食い千切られるような事例も発生していて。

とてもではないが、やっていられないとぼやく荒事担当のレジスタンスも何人も見た。

クローンについては開始されているが。

しばらくは、それで子供を増やしていくしかないという結論も出ている。

荒事担当も、研究者も。

今は子供なんか作っている余裕はないのである。

大量の野犬を発見。

武装車両の上部にある分隊支援火器が火を噴き、まとめて野犬を薙ぎ払う。此奴の前には、熊でもひとたまりもない。野犬は殆どが狂犬病に感染しており。わずかな子犬だけ何とか救助できた。現在は番犬としてわずかな生き残りを利用しているが。野犬に対しては近寄らせないように、訓練を施さなければならなかった。

既に人が消え。

建物も焼き尽くされた街を行く。

生存者どころでは無い。

軍施設もすっからかん。

基地局だった場所に赴くが。

内部はもう電気も通っていない。サーバの類を確認していくが。滅茶苦茶に壊されているものも多く。

何やらスプレーで殴り書きされていた。

電波発生源。

破壊しろ。

そういえば、一時期電波が有害だとかいう都市伝説が流行ったと聞いた事がある。カルトの中では健在だったのか。

無事だったコードや電源、UPS、サーバなどを、見繕いながら回収していく。荒事担当は本当に戦闘しか出来ないので、専門外の私が動かざるを得ない。電源が停止して長いから、動くかどうかも分からないが。

壊されているサーバも内部を見てみると、意外とHDDは無事だったりする。

ただ火を掛けられてしまっているものはどうしようもない。

基地局やデータセンターを順番に廻り、物資を回収。

ちなみに、21世紀後半からは、もう新しいサーバは生産していない。PCなどもってのほか。

どれもこれも骨董品レベルだが。

それも、このご時世の結果だ。

想像以上に回収出来た物資が少ない。レジスタンスの拠点にある物資も枯渇しつつあるらしい。

ガソリンスタンドなどからも、ガソリンは根こそぎ回収しているが。

そもそも軍用車両は相当な燃料を食う。

今使っているのは装甲車で、戦車ほど燃費は悪くは無いのだが。それでも相当な金食い虫だ。

かといって、ワゴンなどでは運べる物資の量に限界があるし。

何よりも装甲に問題がある。

一度引き上げる。もう手近な所にある物資を得られそうな場所は、あらかた回ってしまった。

そしてこういった精密機器は、生産するのに巨大な設備が必要になる。レアメタルもである。

だましだまし使って行くしか無い。

幸い、昔は大量にいたコンピュータウィルスの類を作る連中は、今は存在していないので。

動きさえすれば、それでいいのは救いかも知れないが。

拠点に戻る。

入り口で消毒して、内部に。

生存者は見つからなかったと、部隊の指揮官がリーダーに報告している中、サーバを内部に運ぶ。乱暴に扱おうとする奴を叱咤して、丁寧に扱わせると、露骨に不愉快そうな顔をした。

「だから二人で運べといっているだろう! このサーバはな、もう壊れたら直せないんだよ!」

無視して一人で運ぶ。どうやら反発しているらしい。

だが転びそうになったので、慌てて他の者が支え。そしてサーバを地面に降ろすと、全力で殴った。

じっと、恨みを込めた視線で此方を睨んでくる。

リーダーが嘆息した。

「懲罰房に入れておきな」

「役立たずのいう事をなんで聞かなければならないんだよ!」

「誰が天然痘のワクチンを作ったと思っている」

「そもそも此処を守ったのは俺だ!」

ぎゃあぎゃあと喚くが。

数人が腕を取って、引きずっていく。

守った、ねえ。

物理的に守ったかも知れないが。そもそも彼奴もワクチンを打たなければ、天然痘にやられていた。

昔もこうだったのだろうか。

カルトが勝手に死に絶えたと思ったら。

内部から特権意識と狂気が湧き出してきている。

ともかく、物資を回収すると。物資の解析班に回す。案の場だが、思った以上に使えるものは多く無い様子だ。

「工場を復旧するしかない」

当然の声が上がるが。

だがしかし、出来るわけが無い。

人間がいない。

物資もない。

何よりも。技術が無い。

最先端テクノロジーの塊なんて、そう簡単に再現は出来ない。超高精度の機械類を駆使して、やっと作り出せる。それが現実だ。

最後の砦も、いつまで持つのか。

浄水器もだんだん怪しくなってきている。換えの部品などない。人員が今後増えれば、更に怪しい水を使わざるを得なくなる。

其所に外で見つけた生存者を連れ込んで。

得体が知れない病気でも蔓延したら、手におえない事になる。

毎日リーダーは話し合いを続けている様子だが。

やはり荒事を担当していたレジスタンスの面々は、研究班を露骨にみくだしている様子で。

私は正直、彼らと外にはもう行きたくなかった。

だが私が行かないと、そもそもどの機械が何をするものなのかさえも彼らには分からないし、扱いだってまともにはこなせないのである。

リーダーがその度に説得はするが。

反発の視線は強くなるばかりだった。

他の研究者達も同じような状態らしい。

医者はメンタルケアが必要だといっているが。極限状態が三年も続いているのである。それどころではない。

メンタルケアをこっちが受けたいくらいだ。

カルトの襲撃が止んだ頃からだろうか。此処まで急激に対立が悪化したのは。

それまでは協力しなければやっていけなかったのだが。

最大の敵である狂気に染まった人間がいなくなってからは。明らかに荒事担当の要因は傲慢になった。

ふてくされて寝る。

またワクチンの増産を始めるが。豚の状態が良くない。やはり母数が少なかったのだ。どうしても、近親交配での弱体化が起きている。

生きている豚にしても、新しい個体を手に入れたい。

かといって、この設備では限界がある。そろそろ、外で豚を飼育したいが。それだと清潔さが保てないし。何より野犬の脅威もある。問題は何一つ解決できない。人類が事実上滅んでいるのだと、思い知らされるばかりである。

更に、最悪の指示が出る。

「遠征!?」

「そうだ。 大きめのデータセンターが、比較的無事で残っている可能性がある。 其所に部隊を投入して、無事な部品を可能な限り回収してきてほしい」

「近場の物資回収でさえ、彼らはいう事を聞かないのに? 回収の際にサーバを壊しかねませんが」

「それでもやるんだ。 私から言い聞かせる」

リーダーの顔にも疲労の色が濃い。

どうせこれは碌な事にならないな。そう私は直感した。他にも数名の研究者が同伴することになるが。

案の定、荒事担当は、最初から敵意剥き出しの眼で此方を見ていた。

「こんなモヤシどものいう事なんか聞けるか!」

わめき散らす相手と口論するリーダー。勿論相手は黙るわけがない。

私は、レジスタンスも駄目だなと思った。

 

3、瓦解

 

情報にあったデータセンターに出向くが。其所にあったのは、倒壊したビルだった。これでは、入るまでもないが。

兎も角入るしかない。

大型のバッテリーがあるが、どう見ても使い物にならない。この手のデータセンターには、停電に備えた強力なバッテリーがあるものなのだが。徹底的に破壊され尽くしていた。

周辺の機器や、施設も調べるが。

浄水器は完全にさび付いていて、内部はヘドロのような汚物が溜まっており。

周囲は野犬だらけで。

しかもどいつもこいつも狂犬病に感染しており、凄まじい勢いで襲いかかってきた。

三日ほど周辺を探索したが。

得られたものは何も無し。

かろうじて燃料だけは補給できたが、ただそれだけ。

人間は見つかった。

ただし生きている状態ではない。

骨である。

どうやら焼身自殺したらしい、大量の骨と。或いは服毒自殺したらしい変色した骨の山。周囲には、その死体を喰らって死んだらしい野犬や鴉の骨も大量に散らばっていた。

カルトの教団本部だったらしい場所を漁るが。

内部には弾の尽きた銃や、しけった爆弾はあったものの。

PCやサーバは悉く壊されていて。

というか、機械と呼べるものは偏執的にまでに破壊され尽くしていた。

奥には即身仏でも気取ったのか。ミイラになり果てたカルトの長が座禅を組んでいたのだが。

よく見ると、死体を後からそう組み立てたらしい。

内部には内紛の後が残っていた。

この様子では、教祖が天然痘でやられてから、他の信者が秩序を失い、殺し合った挙げ句、生き残りも全滅したのだろう。

缶詰などの食糧もほぼなし。

無事そうに見えても穴が開いていて、蛆が湧いていたりした。

「それに触るな」

「指図するんじゃねえっ!」

ヒステリックに喚いた荒事担当が、止せば良いのに劇薬に触れる。結果、悲鳴を上げて跳び上がった。

だから止せと言ったのに。

治療する手段などない。

応急処置をやっていると、じっと此方を非好意的な目で他の荒事担当が見ている。

「私は止めたぞ。 見ていなかったのか」

「もっと強く止めるべきだったんじゃないのか」

「じゃあ手本を示して見ろ。 此奴は私を根っから馬鹿にしていた。 何を言おうが聞くわけが無いだろう」

帰ってきたのは反発だけだ。

溜息しかでない。

カルトが徐々に拡がっていったのは、こういう医者や専門家に対する反発が要因だったのだろうか。

人間は分からないものを間違っていると考える。

それは、地下の学校で教わったことだ。

医療は高度化しすぎた。

だから、一部の人間には分からなくなった。

分からないものは間違っている。

間違っているものを広めている連中は悪人だ。

そんな理屈が。人権屋に利用され。

気がついたときには取り返しがつかない事になっていた。

医療を敵にすれば共倒れになる。

その程度の事も理解出来ないほど、人間は愚かだった。

邪悪ながらも、まだ社会の上層の人間が、多少は知恵が回っている内は良かったが。それも、階層が固定化されてしまうと、すぐによどんだ。22世紀に入った頃には、もはや取り返しがつかない事になっていた。

野犬を火炎放射器で焼き払っていた外の部隊と合流。

バカが劇薬に触れたことを告げるが、やはり視線は非好意的だ。

カルトに怯えながら家に閉じこもっていた頃は頼りになると思ったのだが。四六時中顔をつきあわせているとこうか。

情けないという言葉も出ない。

ともかく、もう一箇所だけ、可能性がありそうな場所へ行く。

政府の備蓄倉庫だったらしい場所だが。

行って見ると、焼き討ちにあったらしく。崩落した挙げ句、何もかもが焼き払われていた。

人間の英知ね。

もう何だか、何もかもどうでも良くなってきた。

無言で引き上げる事にする。

これは、他の国のレジスタンスもどうせ駄目だな。私は、そう帰路、ギスギスした空気の中で考えていた。

 

拠点に戻る。どうやらかなり大規模な野犬の襲撃があったらしく。ガソリンと火薬の臭いが酷かった。野犬の死体を、黙々と荒事担当達が片付けている。なお飼っている犬が食べたそうにしていたが、駄目だ。どんな病気を持っているか知れたものではないからである。

なお犬はかなりの頻度で共食いをする。

狂犬病を持った犬の死体でも共食いされたらたまったものではないので、目を離すわけにはいかなかった。

リーダーに話をする。

リーダーは、しばらく黙って聞いていたが。大きくため息をついた。

「仕方が無い。 長期計画に切り替えるよ」

「工場から作ると」

「そういう事だね」

「何百年掛かるんですかそれ」

私の皮肉混じりの言葉に。リーダーは大まじめに応える。

ざっと三百年と。

「まず、基本的な機械類から作る。 資料は全て紙にして出力する。 サーバも電気が無くなればでくの坊だからね。 物資も周囲から回収して、少しずつ簡単な機械から作れるようにしていって、文明を再建する。 当面は子供はクローンで増やす」

「正気かよババア!」

「正気だよ。 そもそもこの状況が正気じゃ無いんだ」

「……っ!」

荒事担当が、余程腹に据えかねたらしいが。

私はもう、完全に覚めた目でそれを見ていた。

「もういっそ服毒自殺でもしますか。 此奴らは科学の重要性をまったく理解していないし、科学だって物資が無ければ再現はできない。 だいたいある程度物資を回収したところで、昔の繁栄を取り戻すのは不可能だ。 資源そのものが存在しないんだから」

「ああそうかも知れないね」

「そもそも21世紀には人間の文明は詰んでいた。 宇宙へ出られればまだチャンスはあったかもしれないが、それが文明を後退させた。 なーにが自然の摂理だの健康に生きるだのだ。 その結果がこの有様だ。 人間ってのは、この世界にいる生物でもっとも愚かなんじゃないのか!」

いい加減鬱憤が溜まっていた私も、そろそろ限界だ。

爆発しそうな感情をリーダーにぶつける。

まだまだいいたいことはいくらでもある。

いずれにしても、もう人類に可能性も未来も存在していない。

どこのレジスタンスも似たような有様だ。

人口1000万を切ったのは確実。そして今後は更に減っていくのが確定だ。絶滅はもう取り返しがつかない未来である。

「それでもやるんだよ。 いずれにしても、技術は保存するんだ。 後続の苦労を少しでも減らさなければならないんだよ」

「後続ってね……」

「何も人間とは言っていない」

無言になる。

何を言っているか、分からなかったからだ。

「クローンを研究している資料の中に、人間を環境適応させる研究があった。 現状の人間の様子を見て、これは駄目だと判断した学者がいたんだろうね。 実際に私もそう思うよ。 この状態で、協力しようって欠片も思わないんだからね」

「何だとババア……!」

「もういい。 外に出る必要はない。 守りだけ固めていな。 こっちは時間を掛けて、次世代の人間を作り出す。 この地球はどの道もう駄目だ。 資源は食い尽くされて、文明を再建するのは不可能だからね。 だったら次世代の知的生命体に明け渡すしかないだろうよ」

「巫山戯るな!」

その後は。

地獄絵図になった。

錯乱した荒事担当が、リーダーを蜂の巣にする。同時に、喚きながら周囲に銃を乱射し、皆殺しにし始める。

私は、銃撃音の中、意識を失っていた。

理由は分からない。

耳の側を弾丸が掠めたのか、それとも。

単に驚いて転んで、頭を打ったのかも知れなかった。

 

気がつくと、アジトが燃えていた。

あれだけ必死に守り抜いたのに。何とも情けない話だ。

内部は滅茶苦茶。

保護してきた子供や、洗脳解除の途中だった連中もみんな蜂の巣になっている。どうやら内紛になったらしく、錯乱した武装戦力どうしで殺し合ったらしかった。

「……」

周囲を見回す。

生存者はいない。

厳重な隔壁に守られた地下は無事だったが。人間は生きていない。どうやら、私だけしか生き残らなかったらしい。

或いは、生き残りは外に逃げたのかも知れない。

いずれにしても、もう内部に人間はいなかった。

育成中のクローンは皆殺しにされていた。

これは、終わりだな。

私は頭を掻き回す。

しばらく頭なんて洗う暇も無かった。良いものを食っている。楽をしている。戦いもしない。

それが荒事担当達の言い分だったらしいが。

ワクチン作成がどれだけ危険な作業か彼らは理解していない。

医療に対する無理解が、結局此処でも破滅を産んだのか。何というか、情けない話である。

通信機が作動している。

向こうからは、雑音しか聞こえない。

ひょっとしたらと思って、通信の帯域を変えて見るが。やはり雑音しか聞こえなかった。

地下のサーバも全て壊されている。浄水器も滅茶苦茶。食糧類に至っては、ガソリンをかけられて燃やされていた。

そして地下で飼われている豚たちに至っては。

人間の死体を貪り喰っていた。

そうだ、此奴らはこう言う動物だったよと思い出す。ワクチンを作る時も散々手間を掛けさせられたけれど。

死んだら仲間でも即座にエサに早変わり。

それが豚だった。

ぼんやりしながら、リーダーの部屋に。

部屋はかなり銃撃の跡が残っていた。これは錯乱した連中が、滅茶苦茶に破壊したと見て良いだろう。

それにしても、余程に鬱憤が溜まっていたらしい。

洗脳解除の途中で、クソガキ共には散々悩まされていたという話は聞いていた。指を食い千切られた荒事担当は、ガキなんか絶対にこさえないぞとわめき散らしていた程である。気持ちは理解出来なくもないが、この状況でもそんな事を口にする時点で、人間という生物が知れている。

そして未来は。

今完全に断たれた。

さて、どうするか。銃火器を探す。あの時、一緒に死んでいれば良かったのだろうなと想う。

死にきれなかった以上、口に銃を咥えて引き金を引くのが一番早い。

このままだと野犬に食い殺されるか、エサがなくなって地下から出てきた豚に食い殺されるか、二択だ。

それなら自分でまだ尊厳のある死を選ぶ。

20世紀の終わり、21世紀の頭頃から、この国では自殺が爆増していたらしいが。

自殺した人の気持ちが、今は良く分かる気がする。

黙々と銃を探すが、良いのは見つからない。

死体が持っている銃も、大体は弾を撃ち尽くしてしまっていた。

嘆息する。

銃で死ねないのなら服毒自殺がいいか。

薬品棚を見に行くが、滅茶苦茶に壊されていて、薬どころではなかった。硝子で保管するのが必須の薬品類も、滅茶苦茶に容器ごとやられている。毒ガスでも調合しようと思ったが、これではそれどころではあるまい。

装甲車は。

どうやら、装甲車同士で争ったらしい。ひっくり返ったり、或いは炎上していたりで。まともに動かせそうなものは一つも無い。

最後の砦が。

内側から勝手に自壊した。

そして、私も詰んだ。

人間の末路らしいなと、私は嗤う。そして、死に場所を探して、最後の砦の中を、歩き続けた。入り口も開いてしまっているから、このままだと野犬やら、下手すると熊やらが入ってくる。

食われるのは嫌だ。

死に方くらいは選びたい。

気がつくと、隠し部屋らしい場所の前に出ていた。

そういえば三年働き詰めで、知らない場所も結構あったのだ。此処は知らない。

開けてみる。

内部はサーバルームだった。しかも、比較的厳重なロックが掛けられるようになっている。

餓死は厳しいが。

それでも食われて死ぬよりは良いか。

かなりエラーランプが目立つが、それでも動いているサーバはそれなりにある。幾つかの端末にはアクセス出来た。

今更パスワードもない。

コンソールを開くと、そのままOSにアクセスする事が出来た。なおOSの進歩は21世紀には止まっている。

ウィルスにやられているか心配だったが。

それでも動く事には動いた。

世界中が真っ赤になっている。

どうやらリーダーが、どうにかして調べていた世界情勢だったらしい。兵器天然痘は、もう全世界を満遍なく食い尽くしている、と言う事だ。少し調べて見るが、どうやらまだ生きている人工衛星を利用して、人間の活動状況を調べていたらしい。昔はガチガチに固められていたらしい軍事衛星だが。

世界に事実上秩序が無くなってからはグダグダ。

もはや、好き勝手にアクセスし放題になっている。

この様子だと、もう絶望であったのだ。

リーダーは良く耐えた。

その上で、三百年計画での、未来へのバトンタッチを考えたのだろう。だがそれも、ヒステリーを起こした連中のせいで全てご破算だ。

新しい知的生命体が出たとしても。

この資源の状態では、詰みが確定。

地球は終わりだ。

人類が全て台無しにした。

文明なんて、そうそう出来るものでもないだろうに。宇宙に点った奇蹟の光を、全て台無しにしてしまったのだ。

黙々と、コンソールに向かう。

生きているレジスタンスはいないか。活動拠点については記されているが。衛星画像を確認する限り、何処の支部もカルトどもに襲われて壊滅するか、或いは三年の間に何かしらのトラブルを起こして潰れている。一つくらい、生き延びていないか。しかし、駄目だ。どうやら此処が、最後の生き残りだったらしい。

部屋の外で、凄まじい唸り声がした。

犬が吠えている。

体当たりする声が聞こえた。

どうやら中にエサがいることに気付いたらしい。

番犬たちはアホ共の抗争に巻き込まれて、とっくに皆殺しになっている。野犬の侵入を防ぐ方法などない。

だが、野犬も此処に入ってくる手段がない。

まあせいぜい狂犬病に塗れて死ねば良い。

天然痘に奇跡的に抗体を持った人間が、生き延びている可能性はあるにはあるが。この様子ではそれも望み薄だろう。

海に逃げ延びた者は。

調べて見るが、何処にも、まともに動いていると考えられる船すらもいない。

無言で口をへの字にすると。

部屋を探して回る。

自殺用の毒物。

銃器でもいい。

最悪、斧か何かないか。これでも医療関係者だ。頸動脈の位置くらいは理解している。自害はできる。

部屋の外で、凄まじい唸り声を上げながら吠え猛っていた犬共が、やがてドアを開ける手段がないと判断したのか。体当たりも諦めて、部屋の外を離れていった。とはいっても、私ももうこの部屋を出るつもりは無いが。

歩き回っている内に見つける。

何かを調べていたサーバだ。

興味本位でコンソールを開き、アクセスして確認して見る。

結果、分かったのは。

更なる絶望だった。

クローン計画用に集められた大量のDNAだが。その全てが、殆どイエローアラートが点っていた。

どうやら持ち出せた遺伝子の殆どに致命的な欠陥があったらしい。

要するに、セキュリティが甘い遺伝子データしか混乱の中で持ち出せなかったのだろう。そして、セキュリティがどうして甘かったかというと。

そういう事だ。

それでも、クローンを作って調べて見てはいたらしいが。

その結果報告もあった。

いずれもが、致命的。

殆どが、二十まで生きられないような虚弱体質ばかり。いずれもが先天性の強烈な疾患や、致命的なレベルの能力欠陥を抱えており。

とてもではないが、未来を担える人材など、作れる状態には無かった事が分かった。

これでは、リーダーも苦しかっただろう。

嘘をつきながら、それでも未来をともがいていたのだ。

だがそれも、結局感情で。

ヒステリーによって全て潰されてしまった。

そういえば、世界中に広まっていった、狂気の思想。

反ワクチンにしてもエセフェミニズムにしても。

いずれも、己の感情を最優先して。理論をそれで否定するものばかりだった。それが人権屋に利用されたという事情はあるにはある。

だが結局の所。

人間の本質はそこにあって。

そして滅びるときにも、人間は理性とは何ら無縁だった、と言う事だ。

流石に涙が出てきた。

此処まで情けない事実を見せられて、どうしようもなく悲しくて仕方が無い。人間が愚かな事など分かっていたつもりだったが。

どうやら私が思っていたよりも、更に何万倍も人間は愚かだったらしい。

他のレジスタンスと必死に連絡を取ろうとした形跡もある。

だが、此処の通信機器の出力では無理だ。

衛星を経由して通信しようとした形跡もあったが。

他のレジスタンスに、それを出来るノウハウが残されていなかった様子だ。

悉く、考えられる可能性が潰されていく。

これを先に見ていたリーダーは、良く発狂せずにいたものだ。本当に凄い精神力の持ち主だったのだなと、感心してしまう。

だがそれも。

人間が信奉して止まない「感情」によって蹂躙され。全てを打ち砕かれてしまった。反吐が出る。

呪われろ。

思わず声に出ていた。

だが、もう人間は生き延びていないし。生きている例外がいたとしても、そこから文明を再建するのは不可能だ。

コンソールを操作していて、気付く。

まだ、何か希望が無いか、探しているという事に。

苦笑すると、私は。

サーバを全て無理矢理落とした。

本来だったら、データセンターの管理者が発狂するだろうが。

今はもう、データセンターそのものを使う者さえいない。

さっき見たが、組織的に人間が活動している形跡が、地球上の何処にも存在しないのである。

地下に潜っている組織もあるかも知れないが。

そんなもの、あったとしてもどうせ大した事は出来ない。

何千人が入れるシェルターも。

それが何年も籠城できるシェルターも、実在しないし。実在したとしても、多分使い物にならない。

私は、全てのサーバと周辺機器を止めると。

ふらふらと、死ぬための手段を探して歩き回った。

外で、凄まじい悲鳴が聞こえた。

犬が殺されている。多分地下で飼われていた豚が、外に出てきたのだろう。豚たちは、一方的に野犬を殺戮すると、食べ始めたようだった。そして、豚は、この部屋の中に恨み重なる私がいることに気付いたのだろう。

ドアを体当たりし始める。

その音は、さっきの犬の体当たりの比では無い。

豚の体格からして、ぶち抜かれるかも知れない。

最後の人間は、豚に食われて死ぬのか。

嫌だね。

そんな運命、受け入れてたまるものか。

探していて、見つける。非常用の消火装置だ。これだ。これがほしかった。調べて見ると、まだ動く。

こういう設備用の消火装置は、有毒なガスで一瞬にして火災を鎮火させる。調べて見た所、この施設そのものがブロック化されていて。全域で消火装置を起動することも可能な様子だ。

本来は場所によってスプリンクラーに分けたりと、色々配慮はするのだが。

此処を作った人間に知識が無かったのか。

或いはずぼらだったのか。

どっちにしても、全域を一気に。

そう、このサーバルームも含めて、まとめて消毒できるようだった。

良いだろう。

全ての消火装置を、一斉に手動で起動する。

有毒ガスが、一気に部屋にも外にも充満し始めるのが分かった。

豚が凄まじい悲鳴を上げるのが聞こえる。

私も、意識がすぐに薄れ始めた。

薄れていく意識の中で、私は呪う。

ほんの少しでも人間を信じた己の愚かさを。

そして結局、感情を神聖視していたくせに。その感情によって全てを滅ぼした人間の馬鹿さ加減を。

間もなく床に崩れ落ちた私は。

滅びろと呟きながら。

自分の命が終わる事を、理解していた。

 

4、豚

 

ふと気付く。

死んだ筈だが。どうして気付く。

幽霊にでもなったのか。いや、違う。

どうやら、私は。

施設の更に地下にあるメインサーバの中に、意識体として残ったようだった。

理由は分からない。データを検索してみる。

その結果、幾つかの事が分かってきた。

まず、リーダーは最初から、此処が破綻することを予見していたらしい。医者と、荒事担当の亀裂。実際にはもうどうしようもない外の状況。物資すらも尽きていることがほぼ確実の事態。

そして仮に文明をある程度再建できたとしても、資源が無くて詰んでいること。

それらから、もはやどうしようもない状況を察知して、手を打っていたらしいのだ。

施設の地下にある大型サーバに、この施設最後の生き残りが死んだときに、意識が転送されるように。

そんな技術、どこから手に入れたのか。

意識の取り込みと転送なんて、出来るわけが無いのだが。

そう思って調べて見ると、仕掛けは簡単だった。

生体反応を調べるためのセンサが施設内にあり。

そして、最後に残った人間の意識を、サーバ内で目覚めさせる。

実は他の人間の意識も、全てサーバ内で保存されていたらしいのだが。サーバの性能の問題で、一人だけしか稼働できないらしい。

乾いた笑いが浮かんでくる。

死なせてさえ貰えないか。

そもそも患者を救えない医療に何の存在意義がある。ワクチンも作れない。何をこれからしろというのか。

意識体になったからか、処理速度なども上がっている。サーバ内を調べて見ると、幾らかの情報が分かってきた。

まず、このサーバ。

施設内の生存反応が無くなった時点で、本格的に稼働を開始する。

その稼働内容は、サーバそのものが全てを取り込みながら、肥大化していく。どうやらサーバの中核部分と連結して生体部品が組み込まれているらしく。これが手当たり次第に辺りを喰らって、内部に取り込んでいくらしい。

更に、ある程度肥大化したところで、宇宙への打ち上げを開始する。

どうやって打ち上げるのか。

これは、生体部品が内部でロケット燃料を生成し。

それに点火して、強引に宇宙に出る計画のようだ。

勿論ロケット燃料は超有毒である。

辺りは汚染され、もはや二度と生物が住めなくなるだろう。それをばらまくというのは、文字通り最終手段だ。

なるほど。

リーダーは全てが終わる事を予見して。

先に地球を出るための計画を練っていた、と言う事だ。

サーバのこのプログラムも、一人で組んだのだろうか。だとしたら、最後まで自分が生き残る自信があったのか。

或いは、生き残るのは誰でも良かったのかも知れない。

データを更に見ていく。

地球の状態からして、このまま推移すると、十億年ほどで水が宇宙に全て逃れるという。それを防ぐためには、宇宙空間に出た後、片っ端から彗星や小惑星をキャプチャして、地球に放り込む必要があるそうだ。

一旦は月を目指して、月そのものを細分化して順番に月に放り込む。

月はその重力によって、地球をバリアのように隕石から守っている。月が無くなることにより、地球に落ちる隕石や彗星は激増する。

更に月を崩した後、移動を行い。今まで計算されている大型の衛星や彗星が、全て地球に落ちるように動く。宇宙空間で動くための推力は、生態部品が衛星などに取り憑く都度に、生成しなおすらしい。

何というか、行き当たりばったりな上に綱渡りな計画だが。

これによって、地球の資源量を増やして。

地球そのものの寿命を延ばすそうだ。

本来だったら、人間がいる状況の地球に、隕石を大量に落とす事など許されないが。

現状、そもそも環境自体が完璧に破壊されている。隕石を落とすことによって、劇的な生態系の変化は起きない。環境の変化が起きれば、むしろ可能性が生じる。

鯨などの一部の生物を神聖視する集団もいたが。

それらは途中で権力闘争に敗れて皆殺しになり。今の地球には、生物の密度が極めて薄くなっている。

ならば隕石を落としまくっても別に問題あるまい。

まあいい。

更に、だ。

宇宙に出てからは、人工衛星経由で、他のレジスタンスの廃墟にあるデータを可能な限りサルベージ。

手元にあるDNAとあわせて、新しい人類を作る試みを行うと言う。

そうか。

死ぬ事も、滅ぶことも見据えた上で。

リーダーは、再建のプランを立てていたのか。

そうか。あの年まで、人間とつきあったのだ。その愚劣さは身に染みて知っていただろうし。

それ以上に、もう何も期待していなかったのだろう。

私も、別に異存は無い。

というか、もはや何もかもどうでも良い、というのが本音だった。

起動する生体サーバ。

手当たり次第に周囲の生物のしがいと毒物、更には機械類まで取り込みながら、巨大化していく。

二年ほど掛けて、研究所そのものを飲み込み。

死体漁りに来ていた野犬や鴉も片っ端から喰らいつつ、巨大化。そして四年でロケット燃料を生成し終え。

周囲を派手に汚染しながら、宇宙に旅だった。

其所からは、具体的に何年かかったかは覚えていない。

まず地球の衛星軌道上に到達すると、デブリを片っ端から取り込み、いらない分は地球に射出。

そして月に移動すると。

月を喰らうようにして巨大化しつつ、月を砕き。そして何回かに分けて、地球に放り投げていった。

後は全て予定通り。

意識なんて無くても良いと個人的には思ったのだけれども。

まあ別にそれでもいいか。

あの狂態を見せられた後だ。

溜飲が下がる光景が見たい。

隕石が落ちる度に、地球の環境が激変するのが分かった。月を分解して投げている時点で、直径十キロクラスの隕石が立て続けに落ちているのである。元々6500万年前に同クラスの隕石が落ちたとき、その火力はTNT換算で1億メガトンに達したといわれている。水爆などの比では無い。

私は黙々と。

淡々と。

月をバラバラにしながら、地球に投げつけていった。

火星も場合によっては投げつけてしまう予定だったらしいが。状況を見ながら更に隕石を落としていくと。

二十個ほど彗星を捕まえて地球に落とした時点で、既に氷河期が到来。冬の時代が来ていた。

これでいい。

後は、保存したデータ(とはいっても知れているが)を持ったまま地球に戻り。そして、DNAデータから人類を再生すればいい。

他の生物はどうなっているか知らないが。

はっきりいって、人類からしてどうでもいいのだ。

再生した人類が、恐竜より凶悪な生物に食い荒らされようが。

天然痘より恐ろしい病原体に食い荒らされようが。

知った事か。

恐らく、1億年ほどが掛かっただろうか。

地球の周囲を漂っていたデブリ全てを片付け。月も存在しなくなり。そして、大量の彗星や小惑星をぶち込んだ結果。

地球の環境は正常化していた。

地形も大幅に変わっていた。

一億年の間に特大規模の噴火が三回起きていたが。それも既に収まっている。あっさりと、地球に着地。

たくましいもので。

地球には、再び植物が生い茂りはじめ。

海から上がって来たらしい頭足類が、新しい生態系を構築し始めていた。

其所へ、人間を作り出す。

勿論材料は現地の生物だ。

そして、作り出した人間に、淡々と機械的に道具の作り方を教えていく。最初は案の定、訳が分からない病原菌でばたばた倒れていったが。根気よくクローンを生産しては、文明を再建させていった。

鳥類と鰐はまだ存在していた。

哺乳類は殆ど絶滅していたが。

なんと豚は生き残っていて、かなり大型化してはいたが、家畜にまた戻せそうだった。DNAを分析する限り、どうやら家畜化されていた豚の子孫らしい。かなり戦闘的な生物に変わっていたが。それでも人間は万年掛からず豚を家畜化したのだ。今でもそれは難しく無い。

何よりもノウハウがあるし。

私は何にも容赦しないのだから。

カルトが地球を滅茶苦茶にした記憶を元に。

私は人間から自由意思を徹底的に奪うことにした。

子供の脳内にはチップを埋め込み。

クローンももれなく同じにして、徹底的に管理した。

自由意思も感情も不要。

最後の最後に、感情とプライドが人類を滅ぼした事を私は忘れない。時間稼ぎはしたが、それでももう本当はあの時点で人類は詰んでいたのだ。

だから文句も言わせない。

抵抗しようとする者もいたが、それは容赦なく徹底的に粛正した。

1200年で概ね文明の再建は完了。

後は、静かに流れに任せるだけだ。地球全土にネットワークを拡げた私は。もう自分の元の名前も。

元の性別さえも。

忘れ去っていた。

 

宇宙から地球に戻る際。

衛星軌道上に、幾つか残してきた高出力レーザー兵器が、接近する彗星を迎撃。爆発を発生させ、軌道をそらす。

彗星は地球には衝突せず、それて飛んで行った。

豚をはじめとする家畜を飼い慣らしながら、完全に私のロボットと化した人間が、多数地球上では繁栄している。

自由意思か。

その結果が反ワクチンをはじめとするカルト思想の跋扈。

自立自尊。

そんなもの、人間は求める事さえしなかった。

そして、間違っても。

人間は万物の霊長などではなかった。

今後は管理を続けていくとして。適当な所で、人類より進歩し、環境適応した生物を作りたい所である。

エイリアンが太陽系に来ている様子は無いし。

他の星間文明と接触する恐れは今のところない。

人間は全てが機械となって、社会構築のために私の指示通りに動いている。動かなければ消す。

全てを台無しにしたのだから。これくらいの償いをして貰う。

人間だけが滅びたのならいい。

だが、人間は地球を巻き込んで滅びた。

もしも地獄があるとしたら此処だろうとも私は思うが。

それはそれとして、心地よい。

地獄とはこうも心地が良かったのかと、今は陶酔さえ覚える。光あれと呟けば、人間どもは皆光を灯す。

山に船を作れといえば船を作るし。

街単位で焼身自殺や、家族全員をイケニエに捧げさせることも可能だ。

タチの悪いカルトそのものだが。

人間が選んだのはそのタチの悪いカルトである。

だったら、そのカルトに染まって、生き続けるが良い。

私が地下で苦労し続け、文明を保全し、英知をもって世界を守ろうとしたその全てを台無しにした人間には。

人類の後継となる知的生命体が完成する前の苗床となって、精々地獄で暮らして貰うとする。

それが私の復讐だ。

さて、データが集まって来た。

哺乳類はこれでおしまいで良いだろう。豚だけは残してもいい。色々と利用価値があるからだ。

次の知的生命体は、主竜類から発展させた別の生物にしよう。

私はそう決めると。

人類の抹殺と。

新しい知的生命体の跋扈を決めた。

躊躇など一つも無い。

人間の価値など豚以下だ。

不思議な話で、人間は豚を蔑ずんでいたが。結果として、豚よりも価値が劣る生物に成り下がった。

滑稽だな。

私はそう思った。

 

(終)