はじまりの武神

 

序、最後の戦いの始まり

 

カルマンの迷宮周辺から住民の避難が完了し、代わりに騎士団と軍精鋭部隊の布陣が終わった頃には、長く降り続いていた雨が止んでいた。迷宮内に布陣していた騎士団員達も大方が既に引き上げ、迷宮周辺の布陣に加わっている。軍の総司令部は王城に置かれ、総司令官はオリアーナ女王が勤め、彼女をオルトルード先王がサポートしていた。前線の天幕にはベルグラーノ騎士団長とスタンセル将軍が詰めており、いつ何が起こっても対応出来る態勢を整えていた。

本陣にはドゥーハン軍でも屈指の使い手達が集まっている。その中の一人が、厳しい表情で迷宮をみやる騎士団長に、不安をにじませながら言う。

「すこし大げさじゃあないですか? うごめくものは殆ど例の連中に倒されているし、騎士団の迷宮内制圧も五層までならほぼ完璧になっていると聞きましたが」

「……ディアラント滅亡時のデータを、最近陛下に見せて貰った」

ベルグラーノの返答はまるで筋違いである。小首を傾げる部下に、厳しい表情のまま、騎士団長は更に言う。

「うごめくものの首魁アシラが現れると同時に、国中にうごめくものが出現、大暴れを始めたのだそうだ。 そして今、うごめくものを屠り続けてきたエーリカ殿のチームが、そのアシラに挑もうとしている。 つまり、同じ事が再現される可能性がある」

「そ、それは……」

「そう、王都に奴らが姿を見せる可能性がある。 恐らく現れるのは下等のうごめくものばかりだが、実力は一体で千人の兵士に匹敵すると考えて良い。 いいか、事前に念を押しておいた通り、戦い方を間違えるなよ。 奴らには、普通の戦い方など全く通用しない!」

先王自身がそのうごめくものと交戦したのだから、この言葉には重みがある。ベルグラーノもオルトルードやヴァイルからうごめくものとの交戦の話を聞いて、戦慄を禁じ得なかった。話を聞いて想定する限り、スケディムがこの王都に現れたとして、彼には倒す自信がない。エーリカ達が何とかアシラを倒してくれる事を、今から願うばかりであった。しかし願うだけでは、現実世界は動かない。だから最悪の事態を想定して、こうして準備をしているのである。

迷宮の入り口を封鎖している部隊からは、今のところ何の連絡もない。定時の使者が行ったり来たりしているだけである。たまに下等の魔物が入り口を突破しようと襲いかかってきたという報告が来るが、いずれも簡単に撃退され、騎士団長が出る事態には至っていない。流石に迷宮内部での血で血を洗う戦闘にて鍛え上げられた騎士団員達は、地下一層をうろつく魔物程度には、余程条件が揃わない限り遅れを取らない。

ふと騎士団長が視線を逸らすと、各地へ進発していく伝令達の姿が映った。重要拠点の幾つかに、うごめくものが出現した際の対応策を記した伝令文書が配達されているのだ。国境を守っている将軍達にも、いざというときには援護を頼む事になる。そうならない事を、今は祈るなり願うなりするしかない。

リンシア達は、自分たちに出来る事をした。十層から帰ってきた彼女はもう精力的に動き回って、騎士団員達を指揮して周囲の統制に当たっている。ヴァイルは最初の挑発的非協力的な態勢が嘘のように騎士団に対して友好的になり、生き残っている部下達を連れて迷宮周囲の守備に加わっていた。ベルタンはアオイと共に迷宮入り口の防備に辺り、エミーリアは迷宮内部の土地勘(長い事迷宮の中で暮らしていたのだから当然身に付く)を生かして、いざというときの防衛戦の張り方について騎士団員達に指導していた。ポポーはウェズベルが遺した杖を抱きしめたまま、本陣で微動だにしない。魔女は恐らくもう倒されているという事実が受け入れがたいのだろうと、リンシアは言っていた。リンシアを始めとする彼女らがきちんと働いた以上、次に為すべき事をするのは騎士団長たる自分だ。ベルグラーノはそう考え、今までになく精気をみなぎらせ、周囲の指揮に当たっていたのであった。

 

1,異空

 

カルマンの迷宮地下最深部とも言える異空。アウローラがアシラとの決戦を想定し、最も堅牢に作り上げた空間の檻である。その場所へは、今までとは全く違う手段で赴く事となった。つまり、階段を下りていったのではない。十層の最深部にあった魔法陣。それを使って、転送して貰ったのである。

十層の最深部は、巨大な空間であった。大きなホールの真ん中の床に魔法陣が書かれ、その周囲には無数の機械が立ち並び、透明なチューブや黒い紐や、様々なものが魔法陣を取り囲み見下ろすようにして絡み合っていた。魔法陣の周りには、等間隔で六つ、楕円形をした筒が立ち並び、地底から響来るような奇妙な音を立て続けていた。天井部分も無数の機械とチューブが所狭しと並んでおり、その威容は言語を絶する。魔界のテクノロジーなのか、ディアラント文明のものなのかはよく分からないが、人類がこれほどの文明を再び築くには、カタストロフや技術衰退無しでも最低後数千年はかかる事であろう。

周囲の障気は今までの全てのものを集めたかのように強烈で深く、魔法陣周囲にある筒の周りは特に濃かった。一番先頭に進み出ていたファルは、周囲を見回しながら呟く。

「階段は……見あたらないな」

「あの魔法陣を使って転送します。 障気を通す管は作ってあるのですが、いずれも微細なサイズで、人間は通れません」

「なんで此処だけ、そんな面倒な事をすんだよ?」

「アシラへ送る障気には、今までとは比較にならないほど強力に(仕掛け)を施しています。 そうでもしないと、とても勝ち目はありません。 仕掛けを施す過程でどうしても機械を通さねばならず、人が通れるほどの孔は確保出来ません」

アウローラの記憶を受け継いだフリーダーは、そう静かに言った。今までのロベルドなら反発していただろうが、今はしない。先ほど、フリーダーが見せてくれたアウローラの記憶、その中のアシラの猛威を思い出しているに違いない。あれならば、確かにリズマンの勇者パーツヴァルが蒼白になるのも頷ける。黙り込んだロベルドに代わり、床の魔法陣へ腰をかがめたコンデが、魔法陣を触りながら言う。

「転送の魔法というと、遙か古代に失われたという、あのマロールかの?」

「はい。 ディアラント文明当時は別に古代の魔法でも未知の存在でもありませんでしたので、簡単に再現出来たようです」

マロール。失われた古代魔法の中でも、最も大きな知名度を持つ一つだ。空間を瞬間的に移動する事が可能な魔法で、非常に強力な魔術師魔法に対する熟練と、精密な空間把握が必要になる。何しろ使用者が念じたとおりの場所へ対象を転送してしまうので、下手をすると石や木などと存在が同化し、そのまま死に至ってしまうのだ。修得が難しい事に加え、繰り返された戦と破壊により失われ、未だ復元には至っていない。魔術師であるコンデが興味を持つのは無理もない存在であった。

「小生も死ぬまでに、こんな術を身につけてみたいのう」

「あらあら、案外野心的ねえ」

「うん? どういうことじゃの」

「コンデさんは、うごめくもの四体を血の海に沈めた愚僧のチームの魔術師よ? 生きているだけで名声が滝のように降ってくるわ。 後は他人の嫉妬をかわないように、適度に慎ましく生きているだけで、人生バラ色じゃないの」

魔法陣を自らでも調べながらエーリカがいけしゃあしゃあと言った。本気なのかどうか分からないが、確かに正論ではある。実際問題、コンデはもう充分な名声を持っている。流石に旧イリキア王家を復興出来るかは別の問題であるが、これから守りに入っても充分なほどの名声だ。事実、コンデほどの年齢であれば、そうしていてもおかしくないのである。

「確かに、エーリカ殿の言う事もわかる。 しかし小生も、皆と一緒に戦ってきて、その、なんだ。 少し欲が出て来たようでの。 ばあさんに顔向け出来る男になる為にも、自分の限界というものを見てみたくなっての」

「良い事だわ。 人生はその終末まで勉強の連続ですものね」

二人の会話を聞きながら、ファルは微妙だなと考えていた。彼女自身、何度も壁にぶつかりながら自らの力を高めていた存在である。今更そんな事を言われても、あまり実感がないのである。勿論、今後も修練を怠る気はない。国家百年の計という言葉があるが、忍者ギルドの名を一時的なものにしないためにも、今後は彼女が編み出した技の数々を万人が扱えるように整備し、更にアレイドを完全な形で整理し直さなければならない。仮にアシラを倒せたとしても、やる事はいくらでもあるのだ。生きている限り。

これらは義務だからやっているわけではない。確かに報恩という事は一番大きい。だが、ファルにとっては、自らを高める事が決して嫌いではないのだ。

「ねえ、ファルさん」

「うん?」

「まだ、やりたい事はいくらでもあるわよね」

「……ああ、そうだな。 アシラと同じくな」

魔法陣に向け、ファルは腰をかがめる。この連鎖を断つ。アシラを倒す。その覚悟を、確固たるものとする。決意を自ら確かめるように。

ロベルドは斧の刃を黙々と点検し、やがて小さく頷いて柄で床を叩いた。ヴェーラはハルバードの柄を何度もなで回している。サイデル戦でかなり激しく扱ったとかで、彼女はかなり気にしていた。

「貴方達もいい?」

「ああ。 俺は……いつでも行けるぜ」

「私も問題ない。 火神アズマエルは、今までにない近くに、私のすぐ側にいる。 だから、誰にでも勝てる。 それが例え、憎悪と嘲笑に彩られし悪しき運命であってもだ」

「悪しき運命、か。 相変わらず、大仰な言い方だな。 だが、貴公の言い回し、私は嫌いではなかったぞ」

「よせ。 我々は生きて帰るのだ。 そのような言い方はするな」

ファルは苦笑し、ヴェーラの正しさを認めた。やがて六人は静かに頷きあい、魔法陣を発動させる。十層最深部、テクノロジーが満ちる空間を、青紫の光が満たした。

 

周囲の空間が、まるごと裏返るような感覚であった。最初上下が逆転するような、異様な浮遊間の後、続けて渦の中に叩き込まれたような感触が襲ってきた。地下五層で、水路に落ちたフリーダーを助けるべく飛び込んだ時の感覚に少し似ていた。空間そのものにもみくちゃにされた後、ようやく周囲が認識出来てくる。無数の光彩に満ちた、上も下もない空間の中を、ファルは飛んでいた。光の粒、青や赤や黄色や白や、色々な粒が高速で飛んでいく。光の粒に流されているのではないかと、ファルは錯覚した。

無言のまま、国光の鞘に手を掛ける。最悪、転送された次の瞬間、もうアシラとの交戦に入っているかも知れない。呼吸を落ち着け、整え、聴覚強化呼吸法に持っていく。

やがて、前兆もなく、不意に七色の異空間は終わった。周囲の光景が突然切り替わり、無言のままファルは空中に投げ出された事に気付く。そのまま態勢を立て直し、一メートルほど下にあった床へと危なげなく着地。殆ど同時に他の五人も突然空中に現れ、コンデ以外は全員着地に成功した。石膏のような床。ゆっくり立ち上がり、国光の鯉口を切りながら、ファルは周囲を見回した。

「何だ、此処は」

「異空、でしょ? アウローラは、アシラとの決戦場として用意した空間をそう呼んでいたわ」

「そんな事は分かっている。 しかし、これは何と形容したものか……」

石膏のような床は、狭かった。ファルの周囲三十メートルほどに広がって居るのみであり、壁に値するものは存在しない。そして、地面に値するものも。(床)の端へと、ファルは歩み寄り、腰を落として下をのぞき込む。下には、何もない。本当に何もないのである。雨雲色の空間が、上も下も右も左も、何処までも果てまでも続いている。そんな中、石膏のような物質で作られた床の存在は貴重であった。床の端は何の脈絡もなく、ぎざぎざに切り裂かれたように、或いは引きちぎられたように終わっており、何か此処に文明があったとはとても思えない。

「これは、落ちたら死ぬわねえ」

「そういう問題かよ」

「アウローラが言っていた事を覚えているか?」

「あん? どういう事だよ」

床を撫でたりこついたりしていたロベルドが顔を上げた。ファルは推測を混ぜ、空に走る遠雷を見やりながら言った。

「何の事はない、アシラの本体は空間ですらない場所にいると言っていただろう。 要は、此処はそれに極めて近しい場所なのだろう。 此方に最大限有利な状態でアシラを引っ張り出すには、それが好都合だったのだろう」

「その通りです。 技術的な問題は避けますが、要するにアシラを未熟児に近い状態で今引きずり出していると考えてください」

「酷えろくでなしぶりだな、俺らもよ」

「戦争とはそう言うものだ」

ストレートなフリーダーの言い回しにロベルドが呆れ、ファルは冷徹に言い切る。このやりとりが何時までも続くとは限らないのに。

空間の中に浮く足場を回ってみると、空へ伸びるかのような坂道となった通路があった。まるで険しい山道のように曲がりくねり、遙か遠くへと伸びている。雷が遠くで鳴り、空に間断なく紫電が走った。

「一応聞いておくけど、退路は用意してある?」

「転移の薬は使用出来ます。 ただ……」

「うん?」

「アシラがもし完全体になったら、ベノアに安全な場所など何処にもありません」

「今更何を。 足手まといが出た場合、放り出す方法を聞いただけよ」

エーリカらしい苛烈な返答であった。ファルは彼女らしいと思いつつ、坂道を歩き始める。道は細く薄いのに、乗っても小揺るぎさえしなかった。急がなければならないのは分かっている。アシラの能力を考えると、こういった場所は極めて危険だ。最大限の速度でファルは歩く。全力疾走で体力を浪費するわけには行かないのだ。

やがて、斜め上方に何か見えてきた。道をずっと登って行くにつれて、その正体が分かってきた。皆口をつぐみ、一言も発しなくなる。足が自然と速くなる。それに伴って、道は徐々に太くなってきた。そして、太くなるに伴って、周囲に文明の痕跡らしきものが現れ始める。床同様宙に浮く破片の数々は、或いは家のような形をしていたり、或いはひとがたをしていたり。何かよく分からないが、一目で文明の所産だとわかるものも多かったが、ただの瓦礫にしか見えぬものも少なくなかった。上にある(それ)に近づけば近づくほど、文明の破片は数を増す。ファルは目の前に浮いていた破片に触ってみた。空中に固定されているように、実にしっかりと手応えを返してくる。不思議な事だとファルは思った。

皆が足早になる。殺気がどんどん膨れあがっていくのが感じられるからだ。ファルももう至近にまで迫っている威容に冷や汗を隠せない。心中で珍しく愚痴をこぼしながら、ファルは注意深く気配を消す。

『もう、これほどに成長していたとはな……アウローラの予想以上に、時間はないかもしれぬな』

登りきる。周囲を見回す。皆を手招きしながらも、ファルは国光を抜きはなっていた。アシラにたどり着くまでに戦いは切り抜けねばならないと知っていたが、それにしてもその相手がうごめくものになるとは。予想の最悪が極められてしまった。

長い坂道を登りきった先にあったのは、今までの石膏状の床とは違う。緑を基調とした色彩豊かな床であり、無数の突起が天に伸び、先端部は淡く光ながら揺らめいている。床はゆっくり蠕動を続け、所々には恐ろしい大きな筒が斜め上へ向いていた。これは生き物の体の上だ。そう、生体要塞アシラの体の端。全長実に七キロ四方、魔神の軍勢を正面から叩き臥せる戦闘能力を持つ生きた城、アシラの体の上だ。

アウローラの予想通り、まだ体は完成していない。迎撃機構も大きなものから順番に作り上げているようで、巨大な砲は彼方此方に見えるが、ファル達のような小型の敵を迎撃する装備はまだまだ未完成のようだ。確かに、もう今しか好機はない。今の内に未完成な奴の体の上を駆け抜け、中枢部に達して、其処を叩くしかない。

そして、床を這いずってゆっくり此方に迫ってくるのは、何度か映像で見た巨大な芋虫の姿をしたアンテロセサセウ。体の下にある無数の小さな足を動かし、もぞもぞと歩み寄ってくる。全身は灰色で、体の横には十個以上の目が並び、人間で言う額からこめかみの辺りにかけて細かい突起が無数に生えていた。体は柔らかそうだが、そうではないとすぐに分かる。観察してみれば分かるのだが、奴の体は団子虫のように幾重にも重なった外骨格に守られ、それが重量感と圧迫感を上乗せしているのだ。そして、遠近様々な位置に、飛び交うヴェフォックスの姿が伺える。数は双方合わせて、確認出来るだけでも三十を超す。流石にまだ自らの力が未完成な事は知っているのだろう。アウローラに聞いているアシラの能力の最たるものは、下等のうごめくものを自在に呼び出す事が出来るという点にある。強敵に備えて自らは体をつくり、潜入してくる敵は下等の量産型で撃退する。ヴェフォックスもアンテロセサセウも、恐らく急ごしらえで力は普段より遙かに弱いだろうが、それでも並の魔神を遙かに凌ぐ強敵だ。

「うごめくものの上で、うごめくものと戦うか。 ぞっとしねえな」

「打ち合わせ通り行くわよ」

頷くと、六人は周囲に散る。同時に迫り来ていたアンテロセサセウが、巨体を揺らして突貫してきた。まるで山が突撃してくるような、凄まじい圧迫感だ。体当たりも凄まじいが、何より此奴はアウローラに迫るほどの魔力を有している。真っ正面からの攻撃は自殺行為に近い。サイデルに比べると動きは鈍重だが、その代わり床を揺らすパワー感は凄まじい。

アンテロセサセウは面を制圧する為に設計されたうごめくものだ。機動力を殺して火力と防御力を高め、前進する事によって面としての支配地域を広げ、効率よく餌を食べて行くのである。それを支援する為に存在しているのがヴェフォックスで、奴は制空権の確保と地上への支援攻撃を同時に行う。つまり、この二体はセットでその戦力を最大限に発揮する。アウローラの研究によると、アンテロセサセウが戦闘行動にはいると、近くにいるヴェフォックスが自動的に支援にはいると言う事で、そう言う意味からもあまり無駄な時間は掛けていられない。

無数の足を規則的に動かし、突撃してくるアンテロセサセウ。アシラの上にいる以上、此方の位置はどうしてもばれてしまっているから、出来るだけ短期間で此奴らを退けながら、奥へ奥へと進んでいくしかない。アウローラ戦で傷ついた体は、不完全とは言えある程度回復している。更に、アウローラの配下達から強力な回復能力を持つマジックポーションやマジックアイテムを幾つか受け取っている。ロベルドとコンデとエーリカが正面に残って敵の気を引き、外の者が後ろに回り込んで攻撃を叩き込む。これが事前に決められていた、対アンテロセサセウ用の戦法である。腰を落として斧を構えるロベルドの後ろで、コンデがエーリカと呪文速射の態勢に入り、魔力の光が集中していく奴の口元に、先制の一撃をお見舞いした。

「小生の冷撃を味わうが良い! クルド!」

小型の、それでも人間大の氷柱が、唸りを上げて巨大芋虫の眼前に降り注ぐ。その半数ほどは奴が展開した薄い光の幕に弾かれてしまうが、そもそも狙いはそれであるから問題ない。氷を蹴散らして突撃してきたアンテロセサセウは、ロベルド達が居ないのに気付いて一瞬だけ躊躇する。勝負はその瞬間に付いていた。気付き、慌てたアンテロセサセウが体をひねるよりも早く、後ろに回り込んでいたファルが背中に飛びついていた。

「忌ね」

「ゴガアアアアアアアアアアアッ!」

大きく体を反らしたアンテロセサセウが、弓を撓らせるようにして体を跳ね降ろし、ファルを振り下ろそうとする。だがその動きも読んでいたファルは、奴の背中の装甲を足で挟んだまま、無言で魔力集約点に国光を叩き込んでいた。乳白色の体液が飛び散り、アンテロセサセウが絶叫する。眉をひそめたファルは、横倒しになってファルを振り落とそうとする芋虫の背中に刺さった国光に、更に気合いと共に一撃を叩き込んでいた。更にヴェーラとフリーダーが左右から一撃を叩き込み、背中の比較的薄い外皮を無慈悲に貫き通す。断末魔の絶叫と共に、巨体は安定を失って崩れ、溶けて行き、ある一点で不意に塵になって崩れ落ちた。刀を振るって塵を落とすと、ファルは向こうから迫ってくるアンテロセサセウを見据えた。弱点が分かっていても、油断は出来ない。並の魔神では勝負にならないほど、元々のポテンシャルが高い相手なのだ。

「頑丈だ。 多分攻撃魔法は通じない」

「ん、同じ戦法も何時までも通じはしないでしょうね。 急ぐわよ!」

六人は素早く集まると、アシラの体の上を疾走した。彼方此方に散らばっていたアンテロセサセウ達が、最短距離で集まってくるのが見える。更に、ヴェフォックスも旋回し、此方に悪意溢れる視線を向けて迫ってくる。直線的に、遠くに見える小山のような敵中枢に迫るのではなく、ジグザグに不意に移動線を変えながら、敵への距離を詰めていく。真っ正面から迫ってきたアンテロセサセウの一体。奴の眼前に、魔力の光が収束していく。冷静に指示を飛ばしながら、エーリカは呟いた。

「そろそろのはずだけど、まだかしらね」

「ああ」

突撃したファルが、魔力が集中していく奴の眼前にて不意にサイドステップし、数度のステップを経て奴の側面に回り込もうとする。それに対しアンテロセサセウは巨体を揺るがし、ファルを押しつぶすように横に飛びつつも、エーリカ達に攻撃魔法を放とうとした。同時にコンデが呪文速射でクレタの火球を放ち、紅蓮の炎が奴の眼前の足下に炸裂する。一瞬だけ気をそらせればそれで充分。体を反らし、ファルの事を警戒しながら死の風の術を放とうとしたうごめくものは、体を反らして絶叫した。ファルと逆方向から突撃していたロベルドが、重装騎兵顔負けのチャージを、奴の横っ腹に叩き込んでいたからである。ファルはもう既に遙か先までバックステップしている。最初から敵の気を引くだけが目的であり、アンテロセサセウの巨体に押しつぶされるような無様はしない。悲鳴を上げたアンテロセサセウは天を仰ぎ、暴発したアモークが空に向けて放たれ、即席の竜巻を形作る。ふくれあがる風の咆吼の中、無言で駆け寄ったヴェーラが、ロベルドと逆方向から一撃を振り下ろし、それは装甲を破って深々と奴の体を貫いていた。

塵になっていく二匹目には目もくれず、更に走る。殆ど時間をおかず、火球が連続して飛来し、地面ではぜ割れる。奇声を上げながら飛び来るのは、ドラゴンのような姿をしたヴェフォックスだ。奴は中高度を維持したまま、ファル達の側背について爆撃を継続し、隙あればその鋭い爪に獲物を掴まんと虎視眈々たる狙いを見せていた。アウローラの話によると知能を与えられていないのだという事だが、それにしては戦い方がアンテロセサセウにしてもヴェフォックスにしても的確すぎる。是は恐らく、アシラと同調し、奴の指示を受けながら動いているのだろう。

「予想通りね。 好都合だわ」

不敵に笑うエーリカのすぐ近くで、人間大の火球が炸裂する。エーリカが今身に纏っている法衣は(法皇の法衣)と呼ばれる最高級の代物で、耐魔力も相当なものだが、それでも物理的な衝撃まではどうしようもない。吹き飛ばされた彼女をファルが横から抱き留め、飛んできた火の粉を剛胆に掌で払いつつ、エーリカは再び走り出す。近くで連続して火球が炸裂し、ふとロベルドが言った。今までにないほど恐ろしい敵の上で戦っているというのに、コンデは全く不平を漏らしていない。

「ん? コンデ爺さん、珍しく今日はぼやかねえな」

「何、小生の側にはいつもばあさんがいるでな。 昨日ようやくそれが分かったのじゃ」

「へえ。 そんなもんなのか?」

「世の中で、本当に好いた者同士が結婚する例は決して多くないし、貴種ならばなおさらそうじゃ。 しかし小生はその例外に恵まれ、愛していたばあさんの最後まで添い遂げる事が出来た。 それにばあさんは今までずっと側にいてくれた。 だったら小生は、ばあさんのためにも、最後まで頑張り通すでな」

コンデのすぐ後ろで、再び火球が炸裂する。前に吹っ飛ばされたコンデだったが、ファルに助け起こされる事もなく自力で立ち上がり、すぐに走り出す。何とも大器晩成な術師であったが、今やその力は間違いなく誰もが認めるものに育っていた。

走る六人を、容赦なくヴェフォックスは追ってくる。時々辺りを見回して、エーリカは上手い具合に皆を誘導しているから、同時に複数のうごめくものを相手にする最悪の事態には至っていないが、それでも状況は極めて悪い。連続して飛んでくる火球が体力削り目的の牽制球だと言う事は分かり切っているし、此方の速度が落ちれば奴は容赦なく急降下爆撃を仕掛けてくるだろう。対処するにしても、正直位置が悪い。現在左右斜め後方から二体のアンテロセサセウが猛然と追いすがってきており、右斜め前方にもアンテロセサセウの遠影がある。更に三時方向の遠方にもヴェフォックスの姿がある。もう少し後方のアンテロセサセウから距離を取ってからでないと、現在追撃を仕掛けてきているヴェフォックスとまともに戦った場合、最悪五体のうごめくものに袋だたきにされる可能性があるのだ。いくらエーリカでも、そうなったらアシラとの戦い前に力を使い果たしてしまう。

「遅いわねえ……」

エーリカが苛立って吐き捨てた。その直後の事であった。

火球をはき出そうとしたヴェフォックスの腹部に、火球が二発、連続して着弾した。ヴェフォックスは頭を巡らし、自らを攻撃した不届き者を探す。跳躍した影がその背中に降り立ち、一息に翼を切り裂いた。絶叫したヴェフォックスが、金切り声を上げながら墜落し、地面に激突して塵となった。

「やはり読み通り、上からの攻撃にはひとたまりもないな」

「遅いわよ、パーツヴァルさん」

「ふん。 ……アウローラ様の遺言がなければ、誰が貴様らなどを助けに来るものか」

危なげなく着地し、方天画戟を振るって汚れを落としたパーツヴァルの横で、袖から袋を出し、次なる錬金術の準備に取りかかるアインバーグ。二人とも命を取り留めてから、戦闘への協力をいやいやながら(本人談)申し出てくれたのだ。

「急いで! 其奴を屠っても、まだ四体が周囲にいるわ! この地点に留まるのは危険よ」

「ふん、いわれずとも分かっている!」

エーリカが再び走るように皆へ指示し、パーツヴァル達二人もその後を追って走り出す。後ろから追いすがってくるアンテロセサセウは、徐々に距離を開いていく。それに対して、前方のアンテロセサセウは上手く回り込み、前方を塞ぐ構えを見せる。間合いを取られると極めて厄介だ。それに、前方からの攻撃では、例えメガデス級の魔法でも、奴は倒せない。それに加えて、更に良くない事態が発生する。床の何カ所かが盛り上がり、異臭を放ちながらはぜ割れる。粘液にまみれ、盛り上がってくるのは、まだ体が固まっていないらしきアンテロセサセウだ。考えてみれば当然の事で、此処はアシラの体の上なのだから、これくらいの芸当は出来て当たり前だ。一カ所や二カ所でアンテロセサセウが現れるならまだ良い。だが奴らはざっと見ただけで、十カ所以上から現れようとしていた。無言のまま八人は散り、至近にいる、まだ動きが取れないアンテロセサセウに容赦なく刃を振り下ろす。何体かが塵になって消えていくが、それでも奴の体の上中でこんな事が起こっているかと思うと、正直ぞっとしない。

「危険です。 奴の力が増しつつあります。 迎撃システムを完成させられたら、潜入すら出来なくなります」

「これでも回復を犠牲にしてまで、最大限急いできたのだがな」

ファルがぼやき、産声を上げるアンテロセサセウの背中に飛び乗り、国光で急所を貫き通す。そうこうしているうちに、怒りの咆吼を上げながら、成体のアンテロセサセウが何体も此方に迫ってきていた。第二の援軍が到着したのは、次の瞬間であった。

上空から無数の火球が降り注ぎ、周囲の床を打った。アンテロセサセウ自体には通じなかったが、それでも激しく床を撃ち、叩き、炎を巻き上げる。床自体は傷つかない。だが巻き上がる炎と圧力は、一瞬なりとてアンテロセサセウの視界を塞ぎ、足を鈍らせる。光の幕を張り、怒りの咆吼を上げるアンテロセサセウの中を、好機とファル達は駆け抜ける。上空を見ると、人間形態を捨てて魔神の姿となったクライヴ=ハミントンが、金色の巨体に魔力の輝きを宿し、周囲に無差別爆撃を加えていた。

「今だ。 さっさと奥へ走れ!」

「死ぬなよ、クライヴ殿」

「うむ。 儂もこいつに一矢報いず、魔界に帰るわけにはいかないからな!」

爆炎の中で走るファル達。背後で、クライヴが地面に降り立つ、実に雄々しき着陸音が聞こえた。魔神の攻撃、特に魔力を含んだものが通じない以上、純粋な物理的戦闘で勝負するつもりであろう。

魔神の雄叫びと、アンテロセサセウの怒りの咆吼が重なる。人外の地で、怪物同士の激突が始まった。

 

2,恐るべき存在

 

最初は平坦だったアシラの上だが、走れば走るほど起伏が多くなってきた。考えてみれば、内側を最初に作るのは当たり前の事だ。最初は坂道程度だったのだが、それも奥へ進めば進むほど代わってくる。時々前に立ちはだかろうとするアンテロセサセウを血祭りに上げ、隙を見て突っ込んでくるヴェフォックスを叩き落とし、必死に血路を切り開いて進むうちに、目の前に城壁のような襞が現れる。ファルがフック付きのロープを急いで取り出し、塀の上へと引っかけ、たぐる。後方から地響き立てて迫ってくるアンテロセサセウは軽く数十体。勿論クライヴが暴れて相当数を削いでくれているはずだが、それでもあれだけの数が迫ってきているのだ。追いつかれたらひとたまりもない。

まずフリーダーがロープに手を掛け、身軽にその体を襞の上へと運ぶ。後衛はいつでも攻撃が来た際に備えて魔法の準備をしていたが、それはなかった。フリーダーが猿のように壁を乗り越え、その上から手を振ってくると、ファルがそれに続き、襞を登り上がる。

一風変わった原野が其処にはあった。壁の外側が比較的緩やかな平原であったのに対し、内側はまるで巨大な針鼠の背中であった。反射的に身を臥せ、皆に続くよう手招きする。コンデもかなり素早く登りきり、殿軍のパーツヴァルが登りきると、比較的傾斜が緩やかな内側の壁を素早く滑り降りる。後方から、壁の前で無念の雄叫びを御上げるアンテロセサセウの声が聞こえた。もし迂回路があるなら、あんな声は挙がらないはず。とりあえず一息ついたファルは、皆同様小さく安堵の声を漏らしていた。顔を上げると、それも途切れる。近くで改めてみると、やはりそれは異様な光景であった。

無数の天に伸びる突起。とても生物とは思えないそれは硬質で、触った感触もまるで金属だ。人間の五倍ほども大きなそれが、周囲に無数に立ち並んでいる。数は、とても数えきれるレベルではない。十万か、二十万か。数メートル間隔で規則的に立ち並ぶそれは、根本が膨らんでおり、可変性を持つと推察出来る。それにしても、巨大な突起だ。まるで突起の森の中を歩いているかのような錯覚すら生じる。

ファルは周囲に対する警戒を解かぬまま、その中を歩き出す。足下は今までと違い、若干ぬかるんでいて、時々糸を引いた。また、この突起も遮蔽物となるから、敵が隠れるにも味方がそうするにも好都合だ。

「なんだこれは。 まるで針だが」

「これは対空防御兵器です。 ディアラント文明末期、アシラにとってもっとも脅威となったのが、本腰を入れて魔界が投入してきた機械化部隊でした。 高空から戦略兵器で爆撃を繰り返す彼らに対し、まだ不完全だったアシラは成長を阻害され、対抗する為にこういった装備をするに至りました」

「つまりこれをどう使うかは知らぬが、数千の魔神を撃退するのに充分だったということなのか?」

「はい。 攻撃部隊は完成された対空迎撃システムに手も足も出ず、ほとんど生き残りはいなかったそうです。 魔界が撤兵を決めたのは、その直後でした」

ファルが反射的に身を伏せた理由もそれで分かった。ファル自身の本能が、高い地点で体を起こしては危険だと告げたのだ。斧を構え歩きながら、ロベルドが言う。

「この分だと、ヴェフォックスだけ警戒すれば奥へ進めそうだな。 アンテロセサセウじゃ、此処には入り込めないし、入り込んだ所でまともにうごけねえだろ」

「いや、どうもそうは行きそうにない」

「……!」

ロベルドが思わず立ち止まったのも無理はない。前方からぞわぞわと音を立てて、無数の触手が迫ってきたからである。烏賊の触椀によく似たそれには無数の吸盤があり、動きは非常に滑らかであった。無言のままファルが焙烙を取りだし、投擲する。炸裂した紅蓮の炎であったが、それを斬り破って触手は平然と姿を見せる。千切れるどころか、焦げ付いた様子すらない。じりじりと下がりながら、ロベルドは言う。

「流石に、もう防御結界は働いてやがるみたいだな。 厄介だぜ。 今まで通り、性質が分からないとどうにもならないか?」

「愚痴らない。 とりあえず走って! まともに交戦していたら、幾つ命があっても足りないわ!」

エーリカが率先して走り出し、皆それに続く。周囲全てから触手が迫ってきたら流石にお手上げだが、今のところ触手は一方から伸びてきており、何とか全速力で逃げれば回避出来そうである。そう思った矢先、至近、眼前の地面から触手が天へと吹き上がる。その表現が相応しい、凄まじい勢いで大量の触手が天へと伸び上がったのだ。たかだかと伸び上がった触手の群れは、上空で体を反らせ、上から覆い被さるようにその身を叩き付けてきた。コンデを抱えてファルが飛び退き、無数の触手が床を激しく殴打する。床が裂け、体液が飛び散る。糸を引きながら、細かい孔だらけになった床から伸び上がる無数の触手。しかもファルが立ち上がるより早く、後方から最初の触手が躍りかかってきた。コンデを仲間の方に跳ね飛ばすと、ファルは横っ飛びに跳ぶ。上から来た一撃をかろうじてかわすと、横殴りに跳んできた第二撃に対し、無理矢理に手で床を強打して体を起こし、突起の一つに三角飛びする形で何とか避けきる。数度バックステップして皆と合流した時には、敵の間合いから逃れる事に成功していた。

悔しそうに振動し、神経質な擦過音を立てる触手。その吸盤らしき箇所から無数の棘が突きだす。あれに巻き付かれるなり、叩き付けられたら最後だと一目で分かる。床に開いた穴の正体は、あれが作った物に間違いない。何とか触手の魔手を逃れて走る八人だが、彼方此方で轟音を立てて触手が吹き上がる。確実に此方を追いつめるべく、触手がうねり迫ってくる。その巧みさに、汗を飛ばしてロベルドが吠えた。

「畜生、考えてやがるなっ!」

「だから、愚痴らないっ!」

エーリカが速射式のバレッツを放ち、迫る触手の一本に叩き付ける。ファルも、先ほど床に開いた穴から見て、何か結界に付け入る隙がある事には気付いていたが、エーリカが反撃を始めたと言う事はその弱点を察し、検証を始めたと言う事だ。バレッツは触手の寸前で敢え無く弾き散らされ、無数の細かい破片となって周囲を乱打する。時々振り返ってその様子を見ながら、エーリカはしきりに小声で独り言を呟いていた。その内容までは、ファルには聞こえない。

中枢は遠くにうっすらと見える、つまりまだその程度の距離が開いている。残っている時間は少なくないが、のんびり出来るほど多くもない。敵も焦っているのは間違いない。跳んでくる触手は、結構激しく床や突起を傷付け、体液をばらまき散らしていた。この乱暴な攻撃から言っても、そう余裕がないのは一目瞭然だ。

跳んできた触手はますます多くなり、幾度かは皆の服や肌を掠めた。何度目か、肌を掠めた瞬間、エーリカがハンドサインを出し、ファルは頷くまでもなく一息に撫で斬る。真っ二つになった触手は、赤黒い体液をばらまきながら、斬られた蜥蜴の尻尾のようにのたうち回っていた。

「おっ、もう見切りやがったか?」

「……突破するわよ!」

前を塞いだ数本の触手が、真っ二つにされた同胞を見て動揺するように揺れる。いつの間にか、彼方此方からか伸びてきた触手が周囲で揺らめいている。エーリカの指示で、刀を鞘に収めたファルは、大体相手の結界の性質が分かったが、それでも油断はしない。どうも簡単すぎるような気がしたからだ。

エーリカがハンドサインで連絡してきた所によると、この触手や床が纏っている防御結界は、ある程度以上の距離から放たれた危険物を弾く、というものであった。なるほどそれならば遠距離からの攻撃ではびくともしない。今、ファルが一息に触手を撫で斬る事が出来たのにも納得がいく。走り、迫ってくる触手を二本、三本と、至近まで引きつけてから斬り伏せる。接近攻撃が通用すると分かれば後はたやすい。この程度の速さの敵なら、今までいくらでも戦ってきた。ロベルドもヴェーラも刃を振るって猛威を振るい、後背ではパーツヴァルが死角から跳んでくる触手を弾き、切り伏せる。そのまま包囲網を突破し、敵中枢へ向けて走る。うごめく無数の触手を切り抜けて、突破したかと思った瞬間。パーツヴァルがくぐもった声を漏らし、ファルもその意味に気付いた。敵が攻撃方法を切り替えてきたのだ。パーツヴァルの腕には、深々と棘が突き刺さっていた。そして、空を斬る無数の音。

「伏せて!」

焦りを含むエーリカの声。ファルも慌てて床に臥せる。鳥が飛ぶような、虫が飛び交うような、そんな音。臥せるのに遅れたロベルドや、タイミングの悪かったフリーダーが悲鳴を上げた。

「ぐわっ!」

「んっ!?」

触手が無数の棘を発射し、それが突起や床そのものの防御結界に当たって乱反射し、大量の火線となって襲ったのだ。そして伏せた皆を狙うように、上空から再び触手が踊りかかってくる。腕に突き刺さった棘を引き抜きながら、パーツヴァルが言う。飛び退き、至近まで引きつけながら触手を切り上げる彼だが、あまり表情に余裕はない。

「もたついている時間はないぞ!」

ただでさえ、アンテロセサセウやヴェフォックスとの交戦で相当な時間を浪費しているのだ。このままだと、そう遠からずアシラは採集形態となる。それの意味を、今のファルは知っている。採集形態、それは防衛能力を完成させた上に、移動能力まで持つアシラの最終形態だ。空間を飛び越えて移動し、思う様周囲を蹂躙し尽くす恐怖の生体要塞。そんなものが今のベノアに現れたら、もはや抗する術など人類にはない。

焙烙の印を切り、その場に置いてさっさと走る。追ってきた触手が爆発に巻き込まれ、のたうち回りながら千切れる。跳んでくる無数の棘。半数ははじき飛ばし、ほぼ半数は何とか回避する、だが一部はどうしても避けられない。触手は後から後から湧いてくる。常識外の再生能力はないようだが、敵の中枢にどんどん移動しているのだから当たり前だ。傷も、疲労も、鰻登りに増えていく。バレッツのゼロ距離射撃で触手を吹き飛ばしたエーリカは、乱暴にバックパックからマジックポーションを取りだして、零れるのも厭わず飲み干す。フリーダーもクロスボウは諦め、剣で相手を切り伏せる事に終始しながら、必死にサポートを続けた。コンデはエーリカの指示を受けつつ、エンジンが掛かってきた体をフル活用し、誰よりも豊富な魔力で様々な攻撃魔法を放って触手を焼いた。アインバーグは要領よくパーツヴァルの背後に隠れながら、袖から魔法のように色々な袋を出し、至近に迫った触手に効率よく炎や毒の霧や酸を叩き付ける。ロベルドは鋭い棘に苦戦しながらも、何とか鎧や盾の曲線を使って凌ぎつつ、至近まで引きつけてどうにか触手をねじ千切る。ヴェーラはもっとも得意とする戦場に来た事で生き生きとしていて、もはや神がかっている動きを見せていた。舞い踊る神の戦士は、誰よりも効率よく飛んできて不意に軌道を変え襲いかかる棘を避け、うねりながら迫ってくる触手を切り伏せるのだった。無論、ファルも負けては居ない。誰よりも豊富な機動力を駆使し、魔力集約点を見つけては刃を叩き込み巨大な亀裂を生じさせ、触手を切り伏せ、焙烙を叩き込んだ。爆風に巻き込むのではなく、至近を触手が通った時に爆発するように、匠に投げる。

多大な犠牲を出しながら、何とかコアを見上げられる地点までたどり着いた頃。残る時は、既に一刻を切っていた。

 

触手の一本が、無数の棘を乱射しながら追いすがってくる。無言でファルはジグザグに走って棘をかわしつつ触手に迫り、魔力の流れを見切る。そして隣を通り抜けざまに根元から一気に切り上げ、構造の脆弱点を粉砕した。全体から大量の体液をぶちまけながら触手は痙攣し、ファルが刀を納めると同時に床に激突、動かなくなった。

呼吸が荒い。先ほどから敵の攻撃の合間を縫って回復魔法を掛けて貰っているのだが、それでも追いつかない。この広い空間全てが敵のような状態で、それも並の相手ではないのだ。それをかなり強行突破に近い形で抜けてきたのだから、この程度の被害で済んでいるのはむしろ奇跡に等しい。額の汗を乱暴に拭う。血が混じった大量の汗が、様々な色が混じり合った床に飛び散った。辺りの敵を一掃し、攻撃が止んだ事を確認したファルが、さっきまで二本の触手と交戦していたフリーダーに振り返る。

「無事か、フリーダー!」

「はい。 当機はまだ戦闘続行可能です」

頷くと、ファルは(中枢らしきもの)を見上げる。地下六層にあった最大の建物ほどもある大きさであり、さながら巨大な塔だ。仰々しいのは見かけだけではなく、此処が中心地だという証拠はきちんとある。魔力流は皆あれの中に流れ込んでいて、あの中に何らかの形でコアがあるのは間違いない。塔には、周囲の突起を何倍も大きくしたような巨大な筒がたくさん生えている。侵入前の説明によると、あれは遠距離攻撃用の兵器であり、一撃で城壁を吹き飛ばすような代物だという。壁面に十、二十、もっと生えている事を考えると、もしあれが本気で動き出したら、ドゥーハン王都など半時間で火の海だ。具体的な破壊力が想像出来るのは、好ましい事のはずであるのに、正直あまり嬉しくなかった。フリーダーにエーリカが何か囁き、オートマターの少女は身軽にヴェーラと走り去った。ツーマンセル(二人一組)で、周囲を偵察してくるつもりだろう。本来是はファルの仕事だが、多分今回は何かしらの大きな仕事が来る可能性があり、エーリカはファルを温存したのだろうと、当のファル自身は客観的に考えていた。

「後は、このでかい塔の中に入り込まなければならないわけだな」

「ひゃっひゃっひゃ、生半可な攻撃ではびくともしそうにないのう」

「お前のその技で何とかならないか? 先ほど、派手に床を壊していたようだが」

「やろうと思えばできるが、時間が掛かりすぎる」

パーツヴァルの無遠慮な提案に、流石にファルも少しうんざりして応えた。パーツヴァルは腕が立つし頭も悪くないのだが、ずけずけとものを言いすぎるし、相手の力を限界まで無遠慮に引き出そうとする所がある。修練の末完全なものとしたクリティカルヒットだが、完成させたが故にその限界もよく分かる。巨大な存在を壊すには向いているが、一部に穴を開けると言った行為には向いていない。全部を崩したら崩落に皆が巻き込まれる可能性もあるし、周囲に散らばっている触手の破片もいつまでも無力なままではいないだろう。(塔)を裏拳で小突きながら、ロベルドが言う。

「ゼロ距離射撃……は無理か。 装甲がこの分厚さだと、攻撃魔法撃った方がふっとんじまうな」

「取り合えず、二人が帰ってくるまでは回復に専念して。 ほら、怪我人はさっさと並ぶ並ぶ」

「……大したものだな」

焦りを微塵も見せないエーリカに、パーツヴァルが素直な簡単の言葉を漏らした。コンデは持ってきた袋をまさぐり、もうおやつが無い事に気付いてがっかりした。残念そうにマジックポーションを飲み始める彼の横で、ファルは腰を落とし、突破してきた巨大針鼠の背をみやる。触手が蠢いているのが遠目からも分かる。射程圏内にある奴は全て潰したが、歩いてあそこを通るのは正直二度と御免だ。

「はい、次は貴方よ」

「右二の腕に二カ所。 後は脇腹に一カ所。 足の方は一回掠ったが、痛みからして大丈夫だ」

「はいはい、どれどれ」

上着を脱ぐファル、手際よく治療を始めるエーリカ。この状況でも、敵の奇襲がないか確認を続ける様子は立派だ。回復魔法を唱え、淡い光が傷を包む。傷が塞がっていくのを実感しながら、ファルは多少気を緩めて言う。

「あの中に、アシラの本体が居るのだろうな」

「でしょうね。 何にしても、まずはあの壁を何らかの形で突破しないと行けないけれどもね。 はい、次は足だして。 男性陣は回れ右」

「ん。 フリーダー達が戻ってきて、何もなかったらどうする?」

「手は幾つか考えたけど、どれも決定打に欠けるし、結局の所は強行突破になるでしょうね。 少し広めに触手を駆除したのも、塔が崩落した時に備えるためよ」

ファルは足を出し、僅かに付いた擦過傷を一瞥した。雑菌が入った様子はないし、特に痛みもない。だがエーリカは丁寧に治療を始め、怪訝に眉をひそめるファルに言った。

「上手く神経を避けているだけで、結構深い傷だわ」

「……そういうものなのか」

「そうよ。 体の治癒能力や構造は結構凄いけど、それを過信しては駄目」

エーリカが落ち着いているのには、もう一つ理由がある。このアシラの幼生体は、ラスケテスレルのようなタイプの捕食者ではなく、周囲にあるものを無差別に運搬する者だとアウローラの情報から知っていたからである。もし前者であったら、怪我をした時点で流石の彼女も平静ではいられなかっただろう。何しろ、シムゾンの死に様を間近で見ているのだから。

ファルの治療が終わり、上着を羽織り始めた頃、偵察に出た二人が帰ってきた。ヴェーラは触手の体液にまみれたハルバードを一振りすると、喜びと困惑を同時に湛えて言った。

「喜べ、入り口が見付かった」

「本当?」

「ああ。 だが問題が一つある。 ……何というか、まるで地獄へのトロッコに乗るような感触だ」

ヴェーラの言葉の意味はすぐに分かった。急いで治療し、皆で案内された地点まで走る事八半刻。其処には、今まで見た以上に異様な光景が広がっていたのである。

川があった。川と言っても、清浄な水を湛えているわけではない。魚が飛び跳ねているわけでもない。黄色く濁った、異様な液体がゆっくり流れる川であった。床がその周辺のみ沈み、どろどろした液体が、無数の何かを浮かべ、緩やかに(塔)へと潜り込んでいるのだ。川が流れ込んでいる箇所だけ、塔には穴が開いていて、奥には何があるのか見えない。それくらい、川が流れ込んでいる(洞窟)は深い。三秒ほど考え込んだ後、エーリカはアインバーグに笑顔で手を差しだした。

「空の袋頂戴」

「ひゃっひゃっひゃっひゃっ、よかろう。 大事に使えよ」

「ごめんなさい。 粗雑に使うわ」

エーリカはそのまま、無造作に袋を川に投げ込んだ。袋は溶けるでもなく、沈むでもなく、川の流れに沿ってゆっくりと塔へと入り込んでいく。ファルは棒を出し、浮き沈みしながら緩慢に流れる袋をつついた。粘つく川の中、不幸な袋はマイペースで流れゆき、やがて沈んで人の手が届かぬ存在となった。

「入っても、溶かされるような事は無さそうだな……」

「さっきの触手みたいな奴らが居るかも知れない。 泳いで渡るのは論外よ。 コンデさん、それにアインバーグさんも。 少し魔力の消費が痛いけど、冷撃魔法で川を凍らせて、その上を通るわよ。 ロミルワの準備もお願い」

「もしこれが人の口に相当するものだとすると、中には当然歯があるはずだ。 私が先行して偵察してこようか」

「今回に関しては、必要ないわ。 全員で一気に奥へ行くわよ」

ファルに応えながら、エーリカはもう印を切り始めている。(川)の向こう側には、既に触手がにじり寄り始めているし、後方からも少なくない数の触手が迫りつつある。休んでいる間に増援を作ったのか倒した分を再生したのかは分からないが、どちらにしても、簡単には進ませてくれない相手であった。

「排除するぞ!」

「おうっ!」

呪文拡散陣でクルドの火力を調節し、川の表面だけを凍らせて、道を造るには相当な集中力がいる。それを乱させるわけには行かない。ファルは率先し手前に出ると、棘を乱射しながら迫ってくる触手に躍りかかった。

 

3,闇の女王

 

闇の中、三つの光源が発生する。それは指向性を持たず、虚ろで、何処か遠くに向け光を放っていた。それは目。アシラの瞳。

苦しみもだえていたアシラが顔を上げ、荒く息を吐き出した。最も警戒していた魔神共の本格的な一斉攻撃は今のところ無い。その第一波だと思われる上級魔神ももう追い払った。数体のアンテロセサセウとヴェフォックスを失ったが、そんなものは痛くも痒くもない。上級の魔神で、急あつらえの下等攻撃体をその程度の数しか倒せないのだ。以前の反省を生かし構築したこの体、多少の攻撃ではびくともしない。

しかし、至近まで入り込んだ人間共は、未だ排除出来ない。対魔神用に肉体を構築したのが徒となり、こんな所まで潜り込まれてしまった。まだ肉体構築は完全ではないのに。まだ死ぬわけには行かないのに。まだ採集形態にもなっていないのに。

「ごおおおおおおおお、あああああああああああああああああああ!」

苛立ちが、咆吼となってほとばしり出る。痛い痛い、全身が焼け付くように痛い。早く死にたいのに、早く死にたいのに、何故邪魔ばかりが入る。呪わしい、呪わしい、実に呪わしい。

不完全極まりない防衛機構では、魔神の軍勢を追い払う事は出来ても、この深奥まで入り込んだ人間共を排除する事は難しい。もともと(体を破壊する)攻撃に最優先で備えて作った体である。(コアに迫る)攻撃に対しての対策はまだまだなのだ。かくなる上は、自ら戦線に立ち、奴らを屠るしかない。奴らの数は六ないし十。如何に精鋭を揃えたと言っても、一個分隊にも足らぬ数だ。叩き潰してやる。叩き潰して、早く採集形態にならねばならない。そうせねば効率よい栄養収拾は出来ない。栄養収拾が出来なければ、死ぬ事だって出来はしないのだ。

ぬるぬるした分泌物が全身を伝う。痛みを覚えた時に皮膚上に点在している器官から分泌される液体だが、痛みを緩和するには至らない。彼女を作った存在が、自信の体の構造の一部を反映したという事だけは知っているが、余計な機能を付けてくれたものだと呪わしくなる。死ぬ事に関しては、別に何とも思わない。しかしこの汗とかいうものは邪魔だった。目にはいると鬱陶しいし、乾くと臭い。しかし根幹的な構造に組み込まれているから排除する事も出来ない。

再び焼け付くような痛みが押しつけられる。轟き渡る咆吼。痛みをそれと一緒に絞り出そうとするが、上手くいかない。せめてマジキムかスケディムでもいれば、多少は負担が減るのに。ラスケテスレルがいないのは仕方がないにしても、オルキディアスは何処に行った。我に跪くべき家臣共は、何処で油を売っているというのだ。自分で作り出さなければ、アンテロセサセウもヴェフォックスも現れなかったというのもおかしい。まさか、人間に倒されたなどと言う不名誉な事はあるまい。何しろ、上級の攻撃体はどちらも人間の非力な軍勢なら一ひねりに蹂躙するほどの実力を持っている。下級の連中だって、人間如きにそうそうやられるはずはない。魔神の軍勢が相手なら、というのであれば分かる。それにしては、魔神の軍勢が総攻撃を仕掛けてくる気配がないのもおかしい。対空砲火とアンテロセサセウとヴェフォックスで迎え撃ってやろうと思っていたのに。そして、全部捕まえてむさぼり食ってやろうと思っていたのに。いらだたしい事と、分からない事ばかりであった。

全身を貫く、もう何度目かも分からぬ痛み。アシラは涙と呼ばれる役に立たない分泌物を目から流しながら、再び咆吼した。

 

ギギャアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオッ!

「……っ!」

物凄い咆吼が轟き来る。それは洞窟の反響効果によって増幅され、指向性すら伴って皆の耳を襲った。まるで攻城兵器で砲撃されているかのような錯覚が、皆を打つ。思わず耳を塞ぐコンデ。無理もない話である、まるで地獄から無数の魔神が這い上がってきたかのような、あり得ない威圧感だ。普通の人間なら、この威圧感と圧迫感だけで心臓を止められている所である。ファルも正直耳を塞ぎたいと思ったが、そんな場合ではない。

洞窟に入ってほどなく、咆吼が聞こえ始めた。咆吼が轟く度に、毒々しい川に張った氷に罅が入り、慌てて燃費良く冷撃術を使えるアインバーグが補修に入る。だが彼が文字通り魔法が如く袖から出す袋にも当然限りがあるようで、笑い声が引きつる。

「ひひゃひゃひゃひゃ、ひゃ。 困ったな。 早く奴の元にたどり着かねば、流石に儂の袋もストックが切れるぞ」

「それなら多分大丈夫だろう。 だいぶ声が近くなってきている。 ただ、敵が防衛線を張っている可能性もあるし、気を抜くな」

「いんや、多分その可能性は低いわ。 それに適した場所をもう何度も越えてる。 この悲鳴を上げてる奴……多分アシラちゃんは、自ら愚僧達を迎え撃つつもりよ。 ふふふ、光栄な話だわ。 折角だから、仇で返してあげましょうねー」

ベノア大陸を滅ぼした闇の主をちゃんづけで呼びながら、エーリカは先に歩くように促す。相も変わらず、論理的な剛胆さに満ちた娘であった。早足で、警戒を怠らず歩く皆の前で、徐々に(川)の幅が広くなって行く。川がゆっくり湾曲している。そして数歩前を歩いていたファルが、手を横に出し、皆を制止した。笑顔のまま、エーリカがハンドサインを出してきた。

『ひょっとして、いよいよ?』

頷くファル。前に進めば、最後の戦いが始まる。長い道のりであった。無論是も人生の一区切りだと考える事も可能だが、世界最悪の難易度を誇る迷宮を巡る、長い長い旅の終わりだと考えるとおいそれとは一歩を踏み出せない。

憧れていた王と会う事も出来た。名声を稼ぐ事も出来た。これから忍者ギルドの未来は明るいと断言も出来る。師には恩の一部を返せたはずだ。エイミの宿も必ず繁盛するだろう。……この戦いに勝てなければ、全てが台無しになる。

アウローラに見せられた真実。おぞましい先祖達の蛮行と、それが呼んだ悲劇の執行者。その集大成が、このすぐ奥にいる。

無言のまま、隊列を組み直す。ファルの隣に、ロベルドとヴェーラが進み出、その後ろにフリーダーとエーリカがコンデを挟んで並ぶ。最後衛にパーツヴァルとアインバーグが着く。隊形はいつも通り。

「総員、総力戦用意……!」

ハンドサインも、いつもと同じ。そして、皆の決意も同じく。

全員が同時に走り出す。そして、(洞穴)を突破し、奴の眼前に躍り出た。

 

素早く皆が斜めに走り、止まる。まっすぐ走らなかったのには当然理由がある。まだ続いていた(川)は先で広がって(湖)になっていて、其処は当然凍っていなかったからである。入り込んだは、周囲三百メートルは軽くある超巨大ホールであった。外から見えていた(塔)は、結局の所この空間を覆うフードに過ぎなかったのである。ただ、結界の性質を考えると、フードで充分上空からの爆撃を防ぎきれるのであろう。そのくらいの事は、アシラの触手と戦ったファルにはよく分かる。どのうごめくものにしてもそうであったが、力押しの攻撃は全くの無為であった。うごめくものの首魁であるアシラが、その法則に今更外れるとも思えない。

ホールの中央には、濁った直径百メートルほどの巨大な湖がその威容を見せ、その中心部へ向け無数の長大な触手が伸び、絡み合っていた。おぞましく蠢き回るその中心に、奴はいた。湾曲した天井からも、壁からも、無数の様々な触手が奴に伸び、絡みついている。身長は見えている部分だけでも、軽く五十メートルはあろうか。古代の神像を思わせる巨大なヒトガタ。全身は青黒く、腰から上のみが湖の上にその姿を覗かせている。整った顔は美しく、豊満な裸体を隠すように絡みついた触手の間から見える肌もまたきめ細かい。額には紅く光るもう一つの目があり、サイズを除けばそこがヒューマンとは違っていた。奴の頭上には、スパークを発しながら伸縮している黒い塊がある。あれがアウローラが言った(空間の狭間)だと、ファルは理解した。闇の炎は、すでに懐にある。

「貴方が、アシラね?」

「……うごおおおおおおお……あああああああああああああああ……!」

ぐるんと眼球が裏返り、巨大な瞳孔が左右に揺らめき、止まった。見据えられた事を感じ、皆の中央で、ファルはゆっくり抜刀する。エーリカは皆に攻撃は待つようにハンドサインを出すと、幼児を諭すように言う。

「アシラ! 貴方に、完全なる死を与える事が出来ると言ったら、どうする?」

「肉が……何をたわけた事を言う……」

「たわけた事かどうか、試してみる? 貴方がずっと望み続けてきた死を、愚僧は確実に与える事が出来るのよ?」

「愚かなり……肉のたわごとが……この妾を動かす事かなうと思うてか……!」

アシラは蠅でも追い払うような口調で言う。絶対的な自信と同時に、うぬぼれが多少なりともある。今が好機。エーリカの攻撃開始合図を、皆は待つ。だがエーリカは珍しく、成功しそうもない説得を続けていた。

「ならば何をえて、正論を判断するのかしら?」

「妾と同等の力を持つ者の言葉であれば信じる事もあろう。 だが妾と同等の存在などこの世の何処にもおらぬ。 まして非力な肉などが、何を言う」

「へーえ。 二言はないわね?」

「愚かなり、やはり愚かなり肉共……妾の死の礎となり散れ……!」

アシラの言葉と同時に、場に満ちる殺気が一気にふくれあがった。ぶつん、ぶつんと音がする。見れば、奴の体に絡みついている巨大な触手が壁や天井から外れ、或いは千切れていく。最初は太い触手から、徐々に細い触手へ、うごめきながら触手が奴の体の周りへ集まっていく。壁や天井や床から触手が生えていたのではない。奴の体から無茶苦茶に触手が生えていたのだと、やっと錯覚がぬぐえた。触手の一本の先端が、ゆっくりと持ち上がる。

それを避けられたのは、感覚が頭脳より先に警告を発したからである。轟音と共に、二抱えもある触手が、皆が今までいた地点を打ち据えていた。何が起こったのか、頭脳がようやく現実に付いてきてからも理解出来ない。触手の一本が途中から切断されたかのように消え、消えた部分がファル達の近くに出現し、いきなり床を打ち据えたのだ。アシラの口の端がつり上がる。攻撃してきた触手がするすると根本から消えていく。そして、アシラの方にある、先端の消えている触手が復活していく。態勢を低くして構えているファルだけではなく、一瞬遅れて反応し左右に散ったロベルドもヴェーラも、等しく冷や汗をかいていた。広い広いホールの中、アシラの声がさながら徴税吏のように響く。魂を刈り取る、死神という徴税吏のように。十本以上の触手が一斉に持ち上がる。

「潰れよ……肉めらが!」

「散って! 止まらず動き回るのよ!」

エーリカの指示に、いつもの余裕は一切無かった。驟雨の如く、至近に出現した触手が辺りを叩きのめす。頭足類の足のような触手は、避け損ねたロベルドを跳ね飛ばし、ヴェーラの至近に炸裂し、ファルがタックルしなければコンデを踏みつぶしていた。触手から無数の棘が付きだし、乱射される。しかもそれは床や壁の結界に当たって跳ね返り、乱反射しながら皆を襲う。

「ち、畜生っ!」

「マロールと同じ空間転移の技ね、おそらく。 しかし部分的に空間転移した挙げ句元に戻したり、一片にこんな数の空間転移を行うなんて、異常すぎるわ!」

「こんな数? まだまだこれは序の口じゃ!」

アシラが吠え、更なる数の触手が途中から消える。そして此方の至近に出現し、めったやたらに暴れ回り、反撃しようとすると引っ込んで死角から別の触手が襲いかかってくる。もう隊列も何もない。

激しい攻撃の中、ハンドサインが来る。頷くと、ファルは踏みつぶそうと上から襲いかかってきた触手を紙一重で避けつつ、刃をあわせる。明鏡止水の瞬間、切断された触手が吹っ飛び、体液をまき散らしながら飛び散る。ロベルドも起きあがるととどめを刺そうと落ちかかってきた触手をあろうことか素手で受け止めた。串刺しにしてやろうと激しく棘を出し入れする触手を小脇に抱えると、一息にねじ切る。更にヴェーラもハルバードを振るい、同じように反撃に出たパーツヴァルと一緒に、呼吸を合わせて触手の一本を斬り飛ばした。聴覚強化呼吸法で、パーツヴァルの攻撃に会わせたのだ。フリーダーは冷静に戦況を観察しながら、攻撃効果は度外視で、クロスボウを使って触手を牽制する事に血道を上げる。アインバーグは宝石が詰まった袋を出すと、それを使って術を唱える。此方も威力は度外視で、弾幕を張って皆を間接的に守った。エーリカもコンデを守るように立つと、至近まで触手を引きつけ、乱射される棘に少なからず肌や法衣を傷付けられながらもバレッツのゼロ距離射撃を浴びせ、鬱陶しい触手を吹き飛ばした。コンデは昔の彼からは考えられないほど冷静に周囲を見ながら、魔力を溜め、彼の行動が戦況を決する瞬間に備えている。異変はその直後に起こった。千切れ、もだえるように痙攣していた触手が、見る間に再生していくのだ。息をのむロベルドを見下ろしながら、余裕綽々の体でアシラが言う。

「無駄だ。 妾は中枢にて中核。 その再生能力は、迎撃防衛用に設置された自動攻撃触手の比ではないぞ」

「まずい、このままだとじり貧だ」

既に此方は空間転移攻撃で、少なからぬ消耗をしているのだ。その上、敵に再生能力まで備わっては、文字通り手のだしようがない。加えて奴は(湖)の真ん中にいて、攻撃がそもそも届かないのだ。あざ笑うと、アシラは更に攻撃を激化させる。襲い来る触手の数は更に増え、発射される棘の数も段違いに増した。飛び交う無数の棘が、皆を容赦なく傷付ける。腕に深々刺さった棘を引き抜きながら、迫る触手を叩き落とすロベルドだが、彼の頬を流れる汗には多量の血液が混入していた。パーツヴァルも自慢の尻尾で飛んでくる棘を叩き落とし、分厚い鎧と鱗を利して後衛を守ろうと立ちはだかるが、敵は距離を無視して攻撃してくる以上、彼の努力もなかなか実を結ばなかった。

アシラの目が輝き始める。それが攻撃の合図だと気付いた時にはもう遅い。両目から放たれた光弾が、奴の顔の前で一つになり、かき消える。次の瞬間、無数に分裂した光の球が、距離を無視して皆の頭上至近から降り注いでいた。爆裂する床、飛び散る体液、もう悲鳴も上がらない。続けて第二射が来る。アシラが大きく息を吸い込み、胸部が異音と共に盛り上がった。そしてはき出されたのは、ドラゴンが恐れ入って頭を下げるような超巨大な火球。しかもそれはアシラの眼前でかき消え、無数の流星群となって皆を襲う。もう避ける気力もない。かろうじて直撃だけは避けるが、吹っ飛ぶ。

「はあ、はあ、はあっ……くううっ!」

エーリカが荒く息を付きながら立ち上がる。アシラは更に躊躇無く、第三射を放とうとする。此処で油断してぺらぺら喋ってくれれば扱いやすいのだが、流石にそうもいかない。第三射の光は今までの比ではなく、これで決着を付けようとしているのだと一目で分かった。圧倒的な光が収束していく。その時、不意にエーリカが埃を払いながら、余裕を取り戻した様子で言った。

「……遅いわよ」

爆発音。アシラの巨体が揺らぎ、放たれた光弾は明後日の方向へ跳んだ。天井が炸裂し、千切れた触手の破片や、体液がばらばらと降ってくる。アシラの体を支えていた、極太の触手の一本が半ばから千切れ、破裂したかのような無惨な姿をさらしていた。根本にいるのは、戦いの混乱の中、エーリカのハンドサインを受けてアシラの死角に入ったファル。ファルは国光を振って体液を落としながら、今魔力集約点を貫き破裂させた触手の残骸と、蹌踉めき立ち直れないアシラの姿を交互に見やった。エーリカは傷だらけになりながらも、余裕綽々とした体でアシラを見据えている。ついに、攻守が逆転した。

「お、おおおおおおお、おおおおおおおおおおお! 肉め、肉共め! いったい、何、を、したああああああ!」

「やっぱりね。 全ての触手を攻撃に投入してこなかったのは、貴方そもそもまともに立っている事すら出来なくて、触手で壁や床を掴んで体を支えているからなんでしょう?」

ロベルドも、ヴェーラも、パーツヴァルも、体に刺さった棘を抜き、逃げようとする触手を切り伏せ、めいめい立ち上がる。息は上がっているが、体は傷だらけだが、絶望感はない。エーリカのハンドサインで、様子見に徹していたからだ。苦戦していたのは八割方本当だったが、しかし今、ついに光明が見えたのだ。元気が戻らぬ訳がない。

アシラが目に怒りを宿し、吠える、猛る。触手を無茶苦茶に振り回し、棘を滅法に放ち始める。口から泡を飛ばし、目を充血させて、一つの狂獣と化す。多くの触手を伸ばし、今失った支柱の一つを補助しようとする。しかしその時、エーリカも、無論ファルも動いている。

があああああっ! ぐああああああああああっ!

「全員、かねての指示通りに!」

「おうっ!」

任せておけい! 受けて見よ、わが炎を! ジャクレタッ!

この時を待っていたコンデが、杖を振り上げた。その先にはエーリカと共に増幅した火球が明々と灯っていた。コンデ一世一代の気合いと共に、練り上げた魔力は炎の三角柱となり、飛ぶ。そして、ジャクレタの火力は完全解放され、アシラの眼前にて炸裂した。もはやそれは炎の魔術などではない。熱による、純粋なる破壊と殺戮の顕現であった。踊り狂う光と炎、吹き荒れる熱の竜巻。これでも効くとは思っていない。単に熱と光で動きを封じればいいのである。同時にアインバーグが袋を七つ取り出し、辺りに輝く鉱物をぶちまけた。詠唱と同時にそれらの間を魔力の光が結び、互いに増幅しながら高まっていく。

「四大精霊の長たる者達よ、我が招きに応じよ。 世界の破滅の根元足るものを取り除き、平安と秩序をこの場に呼び寄せ! おおおおおおおおおおおおおおおおっ、見せてやろう、儂の究極術を! アリクス・デストラクション!」

アインバーグの頭上に、虹色の矢が出現する。狂錬金術師が矢を放つような構えを取り、ジャクレタの火力が収まると同時に撃ち放つ動作をする。巨大な虹の矢は、何の音も上げずに飛び、爆炎の中よりせり上がり来るアシラの眼前に直撃、七つに分裂して巨体の各所で炸裂した。

派手を極める目くらましの間に、既にファルは二本の触手を破裂させていた。視界を塞がれたアシラの攻撃は猛烈であったが正確さにかけ、ヴェーラも、ロベルドも、パーツヴァルも、そして攻撃に転じたフリーダーも、次々と触手の根本にたどり着き、千切り、裂き、抉った。ロベルドのバトルアックスは大木のような触手を一刀両断し、ヴェーラのハルバードは筋に添って抉り抜き、均衡を崩して触手が自ら千切れるようにし向けた。パーツヴァルは力任せに触手を切り裂き、足りないと思ったら食らいついて千切った。フリーダーはアウローラの知識から得たらしい形態変化を用い、触手の根元に腕を差し込むと、一気に巨大化させて内側から引き裂いていた。張り巡らされた触手の間をファルは跳ぶ。迎撃に迫ってくる触手すら足場に、天空を踊るようにホールの高みへ高みへと走る。目指すは、最初からエーリカが目を付けていた、最も太い触手の一本。これを切り伏せれば、奴はもはや湖の中で無様に転ぶ事間違いない。目もくらむような高さに達したファルは、アリクスの生じさせた煙を斬り破り、醜く怒りに顔を歪めたアシラが自らに手を伸ばしてくるのを見た。巨大な掌が、ファルを握りつぶさんと迫ってくる。だが惜しいかな、均衡が崩れ、がくんと巨体が落ちる。湖の中でひざでも折ったか。激しく泡立つ湖の中で、沢山の支柱となっている触手を千切った結果二次的に引き千切られた触手や、何とか態勢を立て直そうと躍起になる触手、それに先ほどからの交戦で傷つきもがく触手が、踊り狂っているのを見た。いつまでも見とれては居られない。やがて、目当ての触手が見えてくる。無数の棘が迎撃に襲い来る。もう一部は避けるのを諦め、体を掠り、或いは切り裂くのを無視しながら、ついに飛びつく。そして、見切っていた魔力集約点に、国光を突き立て、更に体重を掛けて押し込んだ。体液がしみ出したのは最初だけ。罅が走り始め、全力疾走し始め、繊維が負荷に泣き始め、全体から体液が吹きだし始め、ファルが飛び退くと同時に、触手は内側から吹っ飛ぶようにして破裂した。

ぎあああああああああああああああああああああああああああ!

横転したアシラが、とんでもなく大きな水柱を湖に作った。汚い液体が作った水柱であったが、一瞬の美という性質がそうさせるのか、とても美しかった。同時に、ついに最大の支柱が切れた事で連鎖爆発的に大量の触手が千切れ、奴の支えは存在しなくなる。ここぞと前衛の皆が間合いを詰めアシラ本体に迫る。横倒しになっているアシラの頭は、湖の端に掛かっていて、充分刃を振るえるのだ。また、奴の足は無惨に折れ砕けていて、エーリカの仮説が正しかった事を確信させる。ファルも踊り狂う触手の中を跳ね地面に向かいながら、皆のアシストをするべく、アシラ本体の魔力集約点を見つけるべく視線を凝らした。案の定、急あつらえの奴の体は、魔力流が無茶苦茶であった。恐らく奴は、自力で立って歩く事も出来ない。スケディムよりも、近づく事さえ出来ればあっさり倒せそうだと思ったが、考えが甘い事をすぐに思い知らされる。

アシラは薄汚れた液体にまみれた腕を上げると、近づく人間達に向けて振り回し、牽制しつつ、開いている左腕で体を起こそうとする。させじとコンデが奴の頭上で増幅クルドを発動、叩き付けるが、動きを鈍らせる事は出来ても止める事は出来ない。それにしてもこの状況下で、態勢を立て直そうとする精神力、称賛に値する。普通の使い手なら、逃走を図るところだ。

着地したファルの前で、左右に振り回される腕と、支援するべく蠢き始めた触手に行く手を阻まれた前衛の四人が態勢を立て直す。エーリカにちらりと視線をやると、すぐにハンドサインが飛んできた。ファルが横っ飛びに離れるのと、四人が散るのは同時。アシラが目から光の球を放ち、それは拡散して空を渡り、頭上から無差別に降り注いだのだ。幾つかは殆ど直撃に近い形で炸裂したが、もうこうなったらどちらが先に壊れるかの戦いだ。血を吐き捨てながら、皆それぞれに役割を果たすべく走る。更に火球をはき出そうと息を吸い込むアシラに対し、素早く死角に潜り込んだファルは、巨大な二の腕に取りすがる。冷たい、まるで死人の肌だった。それに触って分かったのだが、力を入れて触れると崩れてしまう。いつ魔神の軍勢が攻め寄せてくるか分からず、部下として頼むマジキムもスケディムも現れず、必死に最高速度で体を構築し続けたつけがこれであった。無論、体を完成させるプランはあったのだろう。迎撃機構に力を注がなければ、もっと頑丈な肉体を形作り、こんな無様な格好で倒れる事もなかったのだろう。だがアシラの判断は間違っていない。それが故にエーリカの読み通りに事が運ぶ。腕に取りすがったファルに、アシラが気付く。だが、手が飛んでくる前に、ファルの国光は奴の肌に食い込み、魔力集約点を貫いていた。それは致命傷になるほどの重要な点ではなかった。しかし、腕の構造の一部を瓦解させるには充分だった。蜘蛛の巣のように罅が入り、触手が絡みつく肌が避け、体液が吹きだし飛び散った。更にもう一撃を叩き込むと、アシラの二の腕は変色し、大河のように傷が走って鮮血が吹き散らされた。巨大な手がハエを叩くように襲いかかり、避け損ねたファルはその指にかすり、大きく吹き飛ばされて地面に激しく叩き付けられた。意識が飛ぶ。遠くで、アシラのわめき声がする。これでいい。今の攻防の隙に、ロベルドの背を蹴って跳躍したフリーダーが、奴の額に張り付いたのである。そして、痛みにより動きを鈍らせ、ファルに対処するかフリーダーを落とすか一瞬躊躇するアシラの第三の目に。先ほど幾つもの触手を根本から吹き飛ばした、新しい攻撃形態による一撃を叩き込む。

「パイルバンカーモード、フルチャージ、ファイアー!」

さっきより近くで見て分かった。それは、筒状に変化させた腕を爆圧で押し出し、常軌を逸する勢いで叩き込む攻撃だ。二メートルほどもある杭へと変化したフリーダーの腕は、アシラの第三の目を容赦なく貫き、眼球を破裂させた。仰け反るアシラの首筋に、ヴェーラとパーツヴァルが既に取りすがっている。そして二人は、一息に、首を左右から切り裂いていた。

 

4,理の頂上・瞬閃の攻防

 

「離れて! 早く!」

エーリカが叫ぶ。湖の端に亀裂が走り、天井から肉片や触手の残骸が落ちてくる。慌てて離れる皆の背後、白目を剥いたアシラが崩れ、湖に沈んでいく。死んだ。いや、幾ら何でも脆すぎる。慌ててファルに肩を貸し、距離を取ろうとするロベルド。意識がはっきりしてきたファルは、集まりつつある光と、更に深く練り上げられていく殺気に気付く。丁度いいタイミングで、耳を打つ轟音。

沈んでいったアシラの体が爆発したらしい。さっき倒れた時以上の水柱と、降り注ぐ不潔な液体。ようやく今になって痛み出した体。肋骨が何本か折れている。誰も似た様な状況で、ファルはアシラが沈んでいった湖を見据えたまま無言だった。奴は死んでいない。死んでいたら、あの殺気には説明が付かない。

「なんだよ……あれは……」

息を飲んだのはロベルドだけではない。湖に生じた異変に、誰もが口を利けずにいた。汚らしい液体が、渦を巻き始めている。それは幼児がスプーンでカップに入っている茶をかき回しているような、そんな光景であった。

渦は徐々に大きくなり、かなり離れたここまで滝のような音が届く。エーリカは無言のままマジックポーションを取りだし、コンデとアインバーグに配って、自らも飲み始めた。乱暴に飲み干すと、ロベルドに肩を借りているファルに、焦りを含んで言った。

「急いで。 今のうちに回復しておくわ」

「それが賢明なようだな。 頼む」

音はますます大きくなる。湖の水位がどんどん下がっていき、そればかりか、(川)の流れが速くなり、まるで嵐が来た時のようにごうごうと音を立てながら湖に流れ込んでいく。あんな粘性の強い液体が、何故そんな動きをするのか、ファルは強力な回復魔法の光を浴び、少しずつ痛みが消えていくのを実感しながら、異様さに戦慄を覚えていた。川だけではない。床にも、壁にも、そして天井にも異変が起こっていく。見る間に生きていた床がしなびていき、触手が引きずられるように湖へと消えていく。

「喰ってやがるのか?」

「いや、もともとこれは奴の体だ。 ……今まで作ってきた体を、自らの所へ集めているのだろうな。 魔神の攻撃に備えて、急ピッチで作ってきただろうに」

「それだけ焦っているのよ。 今のままでは、愚僧達に勝てないと思ったのでしょうね」

最後のマジックポーションを一息に飲み干すと、エーリカは回復魔法を連続して唱える。ファルのダメージは薄れていくが、疲労は消えない。

「次、パーツヴァルさん」

「俺はいい」

「死にたい? 今貴方を回復して戦力に計上出来るようにしておかないと、負けるって言っているの」

パーツヴァルは自らの鱗という強固な装甲も使って、もっとも精力的に皆の盾として戦っていた。だからこそ受けているダメージも大きく、精神力で無理矢理体を動かしているのが横からも見て取れる。何か言いたそうにしたパーツヴァルだが、自らが受けている傷が深いのを実感しているのは間違いなく、渋々と胡座をかく。そうしているうちにも、彼の足下までしなびた床が迫ってきた。そして、すぐに追い越して、壁の方まで床の衰弱が伸びていく。やがて、天井が裂け、光が差し込み始める。遠雷が走る、どんよりした雲が、台風の時のような速さで、空を走り回っている。その様を見上げて、ヴェーラが戦慄をはき出す。ファルもそうしたい気分だ。

「空が……まるで終末の到来だ……。 火神アズマエルよ、我に今までにないほどに、大いなる加護を!」

「……! 来る、わよ!」

もはや湖には、なんの水も残っていなかった。代わりに、何かが這い上がってくる。大きさは、人間と大差ない。肌の色は、先ほどのアシラと同じく青黒い。額にはやはり第三の目があり、腕は二本、足は二本。先ほどまでのアシラと違うのは、薄く発光している、ローブのような着衣を身につけている事である。さながら神殿に勤める巫女のように、ゆったりとした布であった。或いは体の一部なのかも知れないが、遠目には布に見えた。背中からは二対、四本の触手が生えているが、頭足類の足に似た先ほどまで交戦していた触手と違い、フェアリーの翼のように、半エネルギー状に見える。言うまでもなく理解出来る。アシラは自らを圧縮したのだ。傷一つ無い肌に、誰も何もコメントを残さない。これから始まる戦いの苦しさ、戦わなければならぬ敵が神に等しい、いやそれ以上の力を持つ事に対する戦慄、それに決断への敬服。様々な感情が、渦となってファルの中で混ざり合い、回転していた。

「腹を据えた、と言う事だな」

「結構な話だわ。 これでようやく此方も本気で行けるというものよ」

「言ってくれるな……下賤なる肉めらが」

不敵なエーリカの言葉に、アシラはあくまで感銘しない。確かに、寿命が数千倍も違う文明の産物である。なかなか相手を認めるというのは難しいのだろう。だが、どうしてかアシラの目からは、先ほどまでの濃厚な侮蔑が消えている。リスクも桁違いに大きいが、やはり戦いは相互理解の手段として、有効なものの一つであると、ファルは確信した。一歩一歩進み出てくるアシラは、相変わらず桁違いの威圧感を放っている。一歩近づくごとに、まるで奴の体が倍になるような錯覚をすら生じさせる。

「妾の甘美にて命題なる死を先延ばしにした罪、八つ裂きになる事で償うがよい」

「うふふふふ、やれるものならやって貰いましょうか」

エーリカがハンドサインを飛ばしてきた。ファルは体が動くのを確認し、脱力感をねじ伏せながら立ち上がり、歩み来るアシラを見据える。勝負は高速の世界での事となる。瞬間でも、気を抜いたら確実に負ける。戦いは一瞬。八対一の戦いだが、確実性はほぼないと言って良い。

アシラの触手がゆっくり動き、体を覆うように絡みつき始める。すばやく左右に散ったロベルドとヴェーラが、低く腰溜めしながら隙を伺いにかかる。フリーダーはショートソードを中段に構え、アシラを正面から牽制する構えを取る。パーツヴァルはその斜め後ろで、方天画戟を少し高めに掲げた。ファルはと言うと、ゆっくりロベルドの後ろに、摺り足で回り込んでいく。

「ふむ……妾の足を止め、そちらの娘が急所を一撃、という算段かえ?」

「さあ? どうでしょうねえ」

「先ほどまでの攻撃は見事であった。 しかし所詮は肉。 妾に何度も同じ手が通用すると思うてくれるなよ」

「最初からそんな事思ってないわ。 さあて、今度の攻撃は見切れるかしら……?」

二人の会話を聞き流しながら、ファルはロベルドの後ろを抜け、アシラの斜め後ろに回り込む。魔力流はさっきと違って随分緻密であり、見切るまでに随分時間が掛かりそうだ。それにしても、この形態を見ると、如何にさっきまでの肉体が急ピッチに作り上げられたものか分かる。また、採集形態とやらになったら、全身このレベルの完成度になるかと思うと笑えない。確かにそうなったら、もはや勝ち目など微塵もない。入り口で門前払いを喰らわせられるのが関の山であった。

戦いの開始は、いつものように何ら珍しくもない、些細なきっかけで始まった。フリーダーが無言のまま一歩進み、ショートソードの切っ先が奴の勢力圏内に入ったのである。触手が動く。切っ先を避けるように、下から跳ね上げる。フリーダーが切っ先を引く。同時に左右の二人が、全く同じタイミングで躍りかかった。刃が到達するタイミングを完璧に計算した、これ以上もない芸術的なWスラッシュである。アシラの触手が床を叩き、体を宙へと跳ね上げる。およそ十メートルまで飛び上がったアシラは、巨大だった時と全く威力が代わらぬ光弾を下へ放つ。途中で分裂して無数の欠片になった光弾は、容赦なく人間達を襲った。

煙を避けるように着地したアシラが振り向くより早く、斜め上からファルが躍りかかるのは同時。触手が上がり、国光を受け止める。火花が散って、発光する触手が刃を受けきる。着地したファルが振り向きざまに回し蹴りを放ち、同時に煙を突破してきたパーツヴァルが、方天画戟を構えてチャージに掛かる。アシラは初めて右手を挙げ、ファルの回し蹴りを軽々とガードし、左手を弾くように振るってパーツヴァルを跳ね飛ばした。風音と共に、ファルの蹴りの風圧が煙を裂く。傷ついたロベルドとヴェーラが飛び出してくる、触手が回る、ファルが一歩下がる。旋回したアシラが、迫る三人を続けざまにはじき飛ばす。五メートルも飛ばされた三人が、しなびた床にたたきつけられる。今の隙に、パーツヴァルが跳ね上げ、アシラの頭上に躍り出たフリーダーが、真下へクロスボウボルトを放つ。銀閃を、回る触手がはじき返す。着地したフリーダーにアシラが向き直る。右手を振るって、ファルが投擲した焙烙を弾こうとし、爆発に巻き込まれる。

「結界は、作動していないのか?」

それは確認と言うよりも、期待を形にしたものであった。だがその期待も届かない。遠くで爆発音が響き、無傷なアシラが現れる。立ち上がるファルは、肋骨の痛みと、今アシラの腕によって跳ね飛ばされた時に作った打ち身に眉をひそめながら、再び敵へ間を詰める。素早く矢を装填したフリーダーが、右へずれながらアシラへ矢を放つ。アシラの触手が斜め下から矢を跳ね上げ、ぐるんと首が回ってファルを見据える。反射的に横へ飛ぶ。アシラの口から吐きだれた火球が、遙か遠くの壁で爆裂する。なんたる速さ、信じがたい。

煙が完全に晴れ、エーリカのハンドサインが飛んでくる。流石にエーリカ、もう奴の結界の性質を見抜いた。どうやら奴の結界は、空間を別の所とつなげてしまうものらしい。焙烙の爆発が遠くで聞こえたのも、爆発をそもそも遠くへやってしまった結果らしい。ローキックから抜刀しての、脇の下から肩の上へ抜けるような一撃を放ちながら、ファルは思う。結界の性質を理解しても、この強敵を倒せるのかと。無言のままランスモードに形態変化するフリーダー。いち早く立ち上がったロベルドが、ファルの攻撃を弾き続けるアシラを押さえ込むように斜め上から躍りかかり、ヴェーラはそれに会わせて突撃してくる。だが、アシラの腕は信じがたい防御性能で皆の攻撃をはね除け続けてきたし、触手もそれに準じる性能を見せている。腕が六本あるに等しい暴れぶりだ。国光を一撃して軌道をずらし、続けて当て身に入ろうとするファルに逆に当て身を浴びせてはね除けると、斜め上から落ちかかってきたロベルドの斧の腹に触れて軽々と流し、驚くロベルドに刈り込むような回し蹴りを叩き付ける。低い弾道から飛んできたヴェーラの一撃を押さえ込むように触手を振るって軽くいなすと、回避行動に入ろうとするヴェーラを、もう一本の触手で下から空中に跳ね上げ、追撃に入ろうとするが足を止める。今の瞬間、ヴェーラの死角から間合いに入ったパーツヴァルが、振りかぶった方天画戟を叩き降ろす。更に、ランスモードを完成させたフリーダーが、抗し難き勢いで突貫する。アシラが口の端をつり上げ、右手と触手二本で方天画戟を受け止めると、左手と残る触手でフリーダーを襲う。ランスの柄を掴み、更に触手二本でフリーダーを地面に叩き付ける。この瞬間、ファルが跳ね起きざまに手裏剣を投げつけた。アシラは対応が間に合わない。手裏剣がかき消える。

「ぐうあっ!」

この時、ようやく地面に叩き付けられたロベルドの悲鳴が上がる。そして、エーリカが待ちに待った一撃を放つ。コンデと魔法協力した、増幅フォースだ。弓を放つようなポーズで、彼女は特大の、人間大の魔力弾を撃つ。躍りかかった魔力球が、初めてクリーンヒットする。アシラは脇腹にそれを喰らい、火花散らして持ちこたえようとしたが、ついにならず。爆発と共に十メートル以上飛ばされ、壁に叩き付けられ、めり込んだ。

だが、それが何だとばかりに、アシラは壁から自らを剥がす。傷もじわじわと回復していき、全く効いてないような素振りさえ見せる。

「面白い、そうでなくっちゃあねええっ!」

本当に、心の底から歓喜に満ちたエーリカの声。耳元まで裂けるような笑みを浮かべたアシラが、一秒で今飛ばされた距離を詰めると、立ち塞がったパーツヴァルに頭突きを浴びせる。リズマンの巨体が嘘のように蹌踉めく。血だらけになりながらも、斜め上に切り上げるようにしてランスを叩き付けるフリーダー。血が流れている左腕でランスを掴むが、今度は押さえきれないアシラ。尻餅をつくパーツヴァルを飛び越えて、躍り出たのはエーリカ。振り下ろされたフレイルを、驚愕したアシラが触手二本で盾を作って受け止める。好機到来。既に詠唱を終えていたアインバーグが、酸の霧を放つ。そして今の間に間合いを詰めたファルが、タックルを浴びせていた。体が泳いだアシラが、もろに酸の中に突っ込む。肉を焼く、嫌な匂いが立ちこめる。

「ぐあああああああああああああっ!」

激しい攻防に、終わりは来ない。触手を振るい、腕を振るい、無理矢理酸をはじき飛ばしたアシラは、目を光らせ、光球を分裂させて撃ちはなった。蝗のように襲いかかった光弾によって爆発が連鎖し、エーリカも、フリーダーも、パーツヴァルも、煙の中に消える。構っている暇はない。彼女らなら耐え抜くと信じ、ファルは走る。鬼のような形相で、アシラが振り返る。まだ、リミッター強制解除の指示は来ない。確実に倒せる隙をエーリカが見つけていないと言う事だ。それにファル自身も、アシラの魔力集約点を発見出来ていない。

「はああああああああっ!」

「ごがあああああああああああっ!」

叫びが交差する。懐に滑り込んだファルがローリングソバットを浴びせ、アシラが右肘でそれを迎撃。火花が散るほど弾きあい、パワーに劣るファルが競り負ける。一閃したアシラの触手が、蹈鞴を踏んだファルの左脇腹から右肩に掛けて一閃、服を切り裂き一部で肉をも切り裂いた。触手は深めに入って浅めに抜けた為、鎖帷子が完全に切断される事はなかったが、上着は千切れて鮮血がぶちまけられる。もう腹の辺りは折れた肋骨の事もあり、感覚がない。だが、追撃を更に掛けようとするアシラの内側に入り込むと、掌底で顎を跳ね上げる。アシラはそれによって天井に火球を浴びせる事となった。蹌踉めくアシラも、屈しては居ない。膝を跳ね上げるように振るって、追撃を掛けようとしたファルを吹き飛ばしたのだ。今度はファルが壁に叩き付けられ、力無くずり落ちる。空間でも曲げたのか、一秒でまたしても間合いを詰めてきたアシラが、触手をファルに叩き付けようとし、舌打ちして回転、煤だらけになったフリーダーの刃を触手で受け止め、突き出されたパーツヴァルの方天画戟を左手で掴んで止める。行動を呼んでいた二人は、エーリカのハンドサインで先回りするように飛び込んできたのだ。パーツヴァルは更に尻尾でアシラを打ち据えようとし、対処しきれなくなったアシラはフリーダーを力任せに弾いて、尻尾を膝で受け止めた。壁から離れ、転がりざまに脹ら脛をファルが斬りつける。ぎゃっと悲鳴が上がり、がくんと膝を折ったアシラ。まだ、魔力集約点は特定出来ない。ある程度は分かったが、まだ確信には至らない。畳みかけようとするパーツヴァルが、フリーダを弾いた事で開いた触手ではじき飛ばされ、数メートルも転がってうつぶせになる。アシラはファルに振り向いたが、其処には既に額から血を流しているロベルドと、どうやらもう右肩が上がらないらしいヴェーラが、呼吸を必死に整えながら立ち塞がっていた。後衛組も、もう魔力が残っていない様子であり、アインバーグは指弾に切り替えるらしく中距離まで出ようとしていた。コンデも、後一発が関の山であろう。

エーリカのハンドサインが来る。指示は分かったが、ぎりぎりの賭けになる。敵も相当に疲弊しているが、此方の消耗ももう限界だ。転移の薬で帰る余力さえ、残るのか不安になってくる。エーリカ自身ももう酷い有様で、高価な法皇のローブもずたずたになっている。ファル自身は、奴を倒した後、最後の大事な仕事がある。体力消耗のさじ加減が、難しい所であった。

アシラが口の端をつり上げる。心技体、いずれも完璧。近いではなく完璧。此奴はもう、理の究極に達している存在だと言っても良い。もし勝つ事が出来たら、生涯の誇りとしようとファルは思う。

血だらけの上着を脱ぎ捨て、髪の毛を首の後ろで束ね上げる。血だらけの、もう誰のかも分からない血にまみれた国光にそっと口づけすると、ファルは腰を低くして構えを取る。眼前で、ロベルドが最初に左に吹っ飛び、ヴェーラが続けて右に吹っ飛ばされた。ヴェーラは壁に突っこみ、意識を手放しはしなかったが、動けなくなる。

「後は、任せた、ぞ! 火神アズマエルの、偉大なる加護の、あらんことを!」

動けず、だがアシラを睨むヴェーラ。無言のまま、ファルは頷いた。アシラが構えを取り直す。アシラも全身傷だらけで、明らかに何本かの骨は折れている。条件は、決して悪くない。

「最後に、一つ言っておく」

「なんじゃ。 肉よ」

「私の名は、ファルーレスト=グレイウインド。 忍者だ。 そして貴様を倒す事になるあの娘は、エーリカ=フローレス。 覚えておけ」

「肉の名前など覚える必要など無い……と言いたい所だが、奮戦に免じて覚えておいてやろう。 妾の死の礎となり、滅びるが良い!」

ファルの周囲の空間が粘ついたかと思った。今までにない、最高精度での集中が始まる。それは潜在能力の全てを引きだし、リミッターを完全に超越した。もはや物質化するほどの圧力で、闘気が辺りに吹き荒れる。

「「お、お、お、お、お、お、お、お、お、おおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああっ!」」

もはやそれは、戦士という概念を越えた、魔神の叫び。アシラも理の究極たる雄叫びで、それに応える。人間という概念を越えたファル。もはや神すらも及ばぬアシラ。両者の距離がいつ縮まったのか、当事者にしか分からなかった。

空気が圧縮され、飛び散る。ファルの拳と、アシラの触手が正面からぶつかり合ったのだ。滑り出しは上々、アシラはそのまま、力を流してファルを壁に叩き付けようとする。だがファルはその動きを利して逆に体を流し、アシラ以上の速さで摺り足にて潜り込み、当て身を浴びせる。驚愕の表情がアシラの顔に浮かぶ。

空気より早く、ファルは動く。流れを殺さぬよう、その間を潜り、邪魔せぬように乗りながら。わずかに浮き上がったアシラに、ゼロ距離から手裏剣を投げつける。アシラが早い。触手が一本目をはね除ける。二本目もはね除ける。三本目は避けきれない。空間の裂け目に三本目が消える。もはや全身が耳。ファルが右に僅かにずれ、致命傷だけを避ける。ファルの後ろに出現した手裏剣は、脊髄に刺さらず、脇腹を掠めるに留まった。血のしずくが浮く。それが床に落ちる前に、次の攻防に入る。今までにないほどに加速された世界の中、触手を使って壁を叩き、着地するアシラを、ファルが追う。もはや速さだけならアシラ以上。アシラの顔に驚愕と、焦りと、そして初めて感嘆と尊敬が浮かぶ。今の結界、文字通り最強の存在だが連発は出来ない事も分かり切っている。無言のまま、肘打ちを放つ。触手と弾きあう。回転しつつ、側頭部へ回し蹴りを放ち、振り上げられた右腕と弾きあう。無敵と思われたアシラの右腕が、ついにこの瞬間、砕けた。アシラの喉から、絶叫が迸る。それが終わらぬうちにも、火が出るような激しい攻防が続く。

四本の触手が、包み込むようにファルに迫る。足を引き、態勢を低くする。

切り裂こうと迫った触手の外側に、サイドステップして逃れる。残像が残るどころか、早すぎて空気と火花が散る。空気の流れに逆らわず、間を抜けているのにこれだ。アシラは踏み込むと、折れた腕で果敢にガードに入る。

逆手に持ち替えた国光で、ガードに振るわれた腕に斬りかかりつつ、左手で抜き手を繰り出す。狙うは、ある程度急所が特定出来た脇の下、胸郭の奥。刃がぶつかり、火花が走る。

散るのではなく、走る。火花の量が多すぎて、虚空に火が走る。アシラはファルの狙いに気付き、触手を振るいつつ、傷つくのにも構わずガードを下げる。しかし、ファルの抜き手がより早い。

鈍い感触と共に、不意に手を返したファルが、アシラの脇に掌底を入れる。ガードとぶつかり合う。だが構わず、踏み込んでもう一段衝撃を叩き込む。ぼきりぼきりと音がして、奴の肋骨が折れる。合計三本。

同時に、ファルの左腕の骨も、押さえつけるようにして振り下ろされたアシラの腕によって砕かれる。だが別に構わない。そのまま力任せに、国光をアシラの首へと刺す。

ああああああああああっ! ぎぃおおおらあああああああああっ!

国光で刺されつつも、アシラは更に腕を振るい、ファルを跳ね飛ばした。後ろに飛んで威力は軽減したが、それでも七メートル近く。床にたたきつけられるファル。意識が一瞬飛ぶ。アシラは絶叫したまま、勝利を確信した笑みを浮かべ、その顔が絶望へと変わった。気付いたのだ。触手を振るうが、弾く事が出来たのは陽動の指弾だけ。

ファルが受けた指示。それは、リミッター強制解除する前に、会話して奴の注意を引きつける事。リミッター強制解除の威圧感で、それは簡単に行えた。後は、わざと適当なタイミングで負ける事。勿論本気で戦った末での事だが、タイミングだけは調整した。結界を使わせればなおいいという注文もあったが、これは完璧にクリアした。そして、最後の行動は。必殺の攻撃へと繋がっているのだ。

アシラの胸の中央から、剣が生えていた。フリーダーのマグスの剣だ。ファルによって油断を誘われ、陽動の指弾にしか対応出来なかったアシラの背中に、フリーダーが見事突き通した剣だ。そして、その剣が、光を放つ。最後の魔力を結集した、アレイド・マジックウェポン。剣に掛かっている魔法は、恐らくコンデが最も得意とする、冷撃の魔法。エーリカの声には、喜びだけではなく、他の要素も多分に含まれていた。

「終わりよ……! さようなら、最強最大の、理を極めた存在」

「妾に、妾に、妾に……! 死……を……!」

「安心しろ。 我らが確実に、それは与えてやる」

アシラが、笑った気がした。マグスの剣を中心に、直径五メートルほどもある巨大な氷柱が、爆発的な威力で、内側から吹き上がった。

木っ端微塵にアシラが千切れ飛ぶ。その目に、もはや光は宿っていなかった。

 

脈動する空間の切れ目。アシラが木っ端微塵に砕けても、消え去る様子無いそれを、フリーダーに助け起こされながらファルは見た。鎖帷子の中に隠し持っていた小さな球体を取り出す。これが闇の炎という存在だ。血を拭い、天に掲げる。握りこぶし大の、透き通って中で揺らめく闇が見える球体。

アウローラの研究を元に、アインバーグが作り上げた。(X)世界との空間の穴を塞ぎ、空間の裂け目に存在するうごめくものの本体を全て消滅させる。これで、アシラはやっと本当の意味で死ぬ事が出来るのだ。アシラだけではない。スケディムも、マジキムも、オルキディアスも、ラスケテスレルも、ヴェフォックスやアンテロセサセウも。死の永遠連鎖から逃れる事が出来る。そして、ディアラント文明が犯した蛮行もようやく精算される。悲しい宿命も、ようやく終わりの時を迎える。

おそらく、X世界の人間にとって、これは何でもない事であろう。いつのまにか広大な牧草地のほんの一部が枯れていたとか、そんな程度の事に違いない。しかし、ファル達にとっては、命を賭けて立ち向かう価値のある事だ。だから、誇りをもって、成し遂げる。

「投げ込んだら、空間の裂け目から、目をそらすのだぞ! 物凄い光が出る」

「承知した」

「ファル様」

「うむ。 行くぞ、フリーダー」

フリーダーに支えられ、ファルは最後の力を振り絞る。リミッター強制解除の反動が来る前に、成し遂げなければならない。だが、今までの戦いに比べれば、なんと楽な事か。

「さらばだ……最強の戦士、理の究極の存在よ。 そして、家畜として作られた、悲しき者達よ」

綺麗なフォームで、ファルは闇の炎を投げ上げる。それは完成された放物線軌道を描きながら、次元の裂け目へ吸い込まれていく。皆が臥せる。立ちつくしたまま、ファルも目を伏せる。

音はなかった。だが、周囲の色が無くなった。影が何処までも伸びた。まだ動く右腕で、ファルはフリーダーを抱きかかえた。光が戻ってくるまで、たいそう長く感じられた。

膝から崩れ落ちる。光が戻ってきた。次元の狭間は消えて無くなっていた。意識が混濁していく。全身に耐え難い痛みが走っていく。うつぶせに崩れ臥す。もう、何も聞こえなくなってくる。声を絞り出すだけで、必死の努力が必要だった。

「後は、任せる」

「はい、ファル様。 まだ、若干の余裕がある当機が、皆を集めて、転移の薬で戻ります」

意識が途切れる寸前、コアを失ったアシラの体、移動式生体要塞が、崩壊する音が聞こえた。

 

5,因果の終結、新たなる伝説の始まり

 

柔らかい布団。陽の香り。鳥のさえずり。そして心音、意識の覚醒。

無言のまま、ファルは目を開けた。最初に飛び込んでくるのは、宿の自室天井。隣には、見慣れない女僧侶が、うつらうつらとしていた。多分軍の医療僧だろう。状況は大体把握出来た。咳払いして、出来るだけ穏やかに言う。かってだったら間違いなくもっと乱暴に起こしていただろう。

「……あの、起きて貰えないか」

「あ、ああっ! す、すみません! 寝てません、いや、えっと、寝てました!」

「いや、別にそれは構わない。 私が帰ってから何日経った?」

「す、すみません! 今日でその、ファルーレスト様達が帰還為されてから、三日目になります!」

丸二日目間寝ていた事になる。無論最高峰の回復魔法を受けて、だ。思えば、アシラに勝てた事が夢だったのではないかと、ファルは思う。しかしそれはない。理の究極に立つ戦士に勝てたという誇りは、確かなものとなって身のうちに根付いていた。

身を起こす。着衣は寝間着になっていた。そういえばエイミが用意してくれたものの、殆ど着る事がなかった寝間着だ。今後は多少着る事もあるのだろうと思いながら、ゆっくり体の状態を確認していく。腕の骨、肋骨、共に正常。視力問題なし、聴力問題なし、嗅覚問題なし、魔力視絶好調。

ベットから起きあがって、おろおろしている僧侶に、休んで良いと告げる。頭を下げて出ていった彼女を呼び止めて、治療の礼を言うと、窓を開けた。外を見ると、其処には、朝日浴びるドゥーハンの町並みが広がっていた。戦いの跡はない。

うごめくものは滅びたのだ。血の宿縁から、この世界の人類と同様解放されたのである。きっと、人類はこの後も愚かな過ちを散々繰り返していくだろう。だが、過去に犯した罪の一つは、こうして確実に償われたのだ。

「……皆は、無事だろうか」

「ファル様!」

振り向くと、満面の笑顔で、フリーダーが立っていた。

「皆は、無事か?」

「はい。 コンデ様はまだ眠っていますが、後の皆はもう起き出しています」

「そうか。 心配を掛けたな」

「いえ。 ファル様が無事だっただけで、当機は幸せです」

無言のまま歩み寄り、ファルはフリーダーを抱きしめた。その顔には、以前なら絶対作れなかった、不器用だが優しい微笑みが、ごくごく自然に浮かんでいた。

「おねえさま!」

顔を上げると、エイミが涙を湛えて立っていた。彼女は涙のしずくを零しながら、最高の笑顔を作った。

「……お帰りなさい」

「ただいま」

姉妹の間では、それで充分だった。

 

着替えて居間に出ると、エーリカが朝食をつついていた。ファルが向かいに座ると、口に入ったものを咀嚼してから言う。

「おはよ。 ねぼすけさん」

「おはよう。 相変わらず精力的だな」

「お腹、すいてないの?」

「すいている。 二人前貰おうかな」

「はい。 すぐにお持ちしますわ」

うきうきした様子で、エイミが厨房に消える。肉にフォークを突き刺しながら、エーリカはその背を見送る。

「幾つか、話しておく事があるわ」

「うむ」

「貴方達が寝てる間に、陛下と先代陛下と、幾つか話し合ったの。 貴方なら分かっていると思うけど、英雄ってのは戦後大概ろくな死に方していない。 ましてや、フリーダーちゃんみたいな特殊な事情の子は、その可能性が極めて高い。 それで、その辺の対処の為に、色々手を打っておいたわ」

オルトルードや、直接恩義のあるオリアーナなら大丈夫だろうとファルは思っていたが、確かにエーリカの言う事には一理ある。こういった所で、(誰々なら大丈夫だ)と考えず、最悪の事態に備えて手を打てるリーダーがいたからこそ、ファルはここまで強くなり、数々の強敵に勝つ事が出来た。

チーム内で中核を為す戦力がファルである事は、誰もが認める所であった。だがファルは、今後もエーリカをリーダーとして認め、その指示を受けるつもりだ。単純な強さではファルの方がエーリカより上だが、これはそう言う問題ではない。リーダーとして、エーリカ以上の人間を捜すのは、とても難しい事だ。そして適正を持つ人間の下にはいる事は、決して恥ではない。

「ま、それは明日の凱旋式典で明かすわ。 誰にとってもいい話だし、きっと貴方も喜ぶわよ」

「期待しておく。 アインバーグと、パーツヴァルは?」

「二人とももういないわ。 魔界に去ったわ、クライヴさんと一緒にね」

「そうか……」

あの二人に、確かにベノアにおける居場所はないだろう。最後を共に戦った、アウローラの腹心達。アウローラの部下の研究員達と一緒に、二人は地上を去っていった。魔界がどんな所かは分からないが、そこで幸せにやってくれる事を、ファルは無言で祈った。彼らのアウローラを奪ったファルに出来る、それが唯一の贖罪だった。

「パーツヴァルさんが、最後に言っていたわよ」

「うん?」

「アウローラさんを殺した事は許さないが、願いを叶えてくれたから恨まない。 ただ、同じ戦士として、最高の敵と共に戦えた事を誇りに思う事にする。 だって。 なんていうか、不器用な人ね。 貴方と同じくらい」

「そうだな」

個人としてのパーツヴァルに対しては、偉大な戦士としての尊敬だけが残っている。アインバーグにも、さほど悪印象はない。

「あ、そうそう。 サンゴートの王様、知ってる? 魔王カールじゃなくて、今の王様」

「知っている。 若いながらも、良く国を纏めていると聞く」

「極秘に聞いたんだけど、オリアーナ陛下の旦那、どうも彼になりそうよ。 三歳くらい年下だけど、陛下の方がずっと格上だから、逆玉よねえ」

「茨の道だと思うが、成就しきれると良いな」

もし成就出来れば、ここでも悪しき宿縁が一つ断ち切られる事となる。素敵な事だと、ファルは思った。

「そうだ、今日は美味しいお茶の店連れて行ってあげましょうか」

「断る、と言いたい所だが、いいか。 是非頼む。 前から暇を見て、一度茶の店というのに行ってみたかったのだ」

「リンシアちゃんも連れて、楽しくやりましょう。 また明日から、忙しくなるのだし、ね」

ファルにとって、茶の店というのは未知の領域である。別に(普通の女の子がどうのこうの)とかいう理由ではなく、単純な興味本位からの行動だ。ただ、一度行ってみたかったのも事実。そして今なら、その時間と余裕があるのだ。

「後は、男嫌いを克服しないと行けないわねえ」

「克服出来なくても結構だ」

「そう? でも子供の前で(不機嫌モード)になるのは、今のうちに何とかしておかないと、ね」

エーリカの言葉の意味をファルは翌日まで理解出来なかった。

戦いが終わり、王都には平和が戻ってきていた。ベノア全体も平和になりつつある。無論危険はまだ彼方此方に残っているし、為政者が気を抜けばすぐに戦乱の時代が舞い戻ってこよう。だが、今は平和だ。それを楽しむとしよう。そうファルは思う。

外に出る。日差しを手で遮り、ファルは呟いた。

「いい天気だ」

鳥のさえずりが、遠くから聞こえた。

 

ドゥーハン王城謁見の間。ドゥーハンを代表する武人や将軍達が細長い間の左右に並び、玉座にはオリアーナ女王が若いながらも威厳ある姿を見せる。その後ろには後見人となったオルトルード先王が立ち、更にその後ろにベルグラーノ騎士団長と、ゼル諜報部隊長が並んでいた。重鎮に貴族が少ないのが、この王朝の特色だ。

ファル達六人が、謁見の間を進む。女王からの距離が十メートルほどにまで縮まり、顔が見えるようになった所で、跪く。立ち上がったオリアーナ女王が、落ち着きと威厳ある言葉で、謁見の場にいる皆に話しかけた。

「静粛に。 これより、魔女アウローラの起こした乱に端を発するカルマンの迷宮における惨事の終結と、それを成し遂げた勇者達に栄誉を与える事を宣言いたします」

わっと喚声が上がった。ファル達、エーリカのチームによる偉業は、もはや知る者なき事である。女王により、アウローラの死が告げられ、更にうごめくものの滅亡が告げられる。女王は、自らも安堵を湛え、言う。

「我らは、あの恐るべき影にもはや怯える事はないのです」

喚声が更に大きくなった。ファルは複雑な気持ちで、喜ぶ者達の顔を見守った。水を差すのも大人げない。しかし、真実の残酷さを知ったら、彼らはどうするのだろうか。きっっと、どうもしない。進歩しない。ファルは罪の一つを潰したに過ぎない。また、新たに罪は減ろうとしている。しかし、人間の本質は変わらない。進歩するには、仮に進歩出来るとしても、一体何万年掛かる事だろうか。

「そんな顔をしない。 大人なんだから」

エーリカがファルを肘で小突いた。小さく息を吐くと、ファルは無表情に戻る。

「彼らは正に武の顕現。 この国を、いや大陸を代表する勇者といえます。 そして、彼らが果たした事績はあまりにも大きい」

女王の言葉に、場がしんとなる。これだ、怖れていたのは。ファルは自信満々のエーリカを横目で見ながら心中にて呟く。英雄が社会レベルで怖れられるのは、その武勲と力があまりにも大きすぎ、既存の権限と存在を激しく侵害するからだ。凱旋してきた名将があり得ない罪を宣告され投獄されたり、英雄が汚名を着せられて追放されたりといった事は、歴史上幾らでも例がある。英雄の方で王となり既存の権限を奪ってしまう例もある。例えば、オルトルードなどがその実例になる。

ファルは権力に興味がない。忍者ギルドが発展すれば良いとは思う。だが、彼女自身が権力を手にしたいとか思わない。これは権力が汚いものだとか言う妄想に囚われているわけではなく、ただ単純に人の上に立ちたいと思わないだけだ。立ちたいと思う人を別に軽蔑もしない。しかしながら、無実の罪で殺されたり社会的地位を抹殺されたりするのは御免被る。ロベルドも、ヴェーラも、コンデも、等しく黙り込んでいる。不思議と、絶望感はない。若き女王の言葉は続く。

「既存の栄誉で、彼らに報いる事が出来るでしょうか。 私はそうは思いません。 故に、私は特別なもので、彼らに報いたいと考えています。 それは、新しい役職です」

顔を見合わせる者達の前で、女王は一度言葉を切り、言った。

クイーンガード。 それが彼らに与えられる栄誉の名です

聞いた事のない役職だった。女王は説明を始めた。新たに設置されるクイーンガードは、国最高の勇者に与えられる称号であり、実用的な職である。仕事はただ一つ、女王を護衛する事。政治的な権限は無し。その代わり、国最強の勇者であり、大陸を代表する英雄であるという事を、誰もが認める存在である。

成る程、エーリカらしい考えである。政治的な権限を持たないと宣言する事により、恐怖感をぬぐい去る。そして最強の権力を守る為に力を使う事によって、クーデターの不安を奪い去る。更に、国最高の勇者であるという自負が、不名誉なクーデターの実行を役職者にためらわせる。勿論これから調整が必要になってくるが、そこはこの聡明な女王とエーリカの手腕があればどうにでもなる。事実、参列者達の顔からは不安が消え始めていた。女王は威厳ある声で、今一度呼びかける。

わたくしの新たなる剣にして盾。 クイーンガードに、栄誉と祝福を!

割れんばかりの拍手と、ほっとした様子での喚声が、広間に満ちた。万歳、万歳、万歳。皆が連呼する。エーリカがウインクし、皆に振り返った。

「現金なものでしょ」

「そうだな、貴公も、そして他の者達も」

「さあ、愚僧達はこれからクイーンガードよ。 胸を張って、名誉を満喫するとしましょうか」

降り注ぐ拍手と喚声の中、六人は立ち上がる。

ドゥーハンの歴史と共にあり続けた勇者の称号、クイーンガードが誕生した瞬間であった。これより千年以上、(ガード)はドゥーハンの歴史を守り続け、ドゥーハンを代表する存在の一つとなり続ける。

歴史の始まりに立った者達の、新たなる旅立ちの始まりであった。

 

エピローグ、武神ゼロ

 

その後ドゥーハン王国は安定と発展の時代に入り、ベノアそのものも連携国家としての中興期へと突入する。その中で、ファーストクイーンガード達は、様々な余生を送った。

ロベルドは後に髭無しロベルドと呼ばれ、ドワーフ最強の戦士と誰もが認めた。彼は秩序を無法に乱すのではなく、客観的な検証を行い、それが正しいなら何処までもその道を行くようにと若者に説き、生涯髭を伸ばさなかった。あくまで彼は一戦士としての生涯を貫き、八十三才で亡くなるまでクイーンガードを勤め上げた。エーリカの後のクイーンガード長は彼であり、暗殺者から歴代の王や女王を守り続けた、文字通りの鉄壁となった。彼が編み出した魔力視瞑想法による肉体強化は、後の冒険者や軍人には必須の事項となり、ベノアの人類の能力は著しく向上した。晩年は不仲だった父とも仲直りし、多くの孫達に囲まれて幸せな余生を送ったという。

ヴェーラ=ムワッヒドは原野の騎士として知られ、その風変わりな信仰と言動で後々まで名を残した。戦いが終わった後に彼女が極め上げた数々の戦舞やトランス戦法、それに矢回避術は後に技術として四人の戦士によって纏められ、これも人類の能力強化に大きく貢献する。個性的なファッションも後々まで知られ、彼女の衣装の正しい身につけ方を巡り、高名な学者が論陣を張った事もある。何もかもが個性的だった彼女は、三十代後半でクイーンガードを引退、その後はササンとドゥーハンを行ったり来たりしながら、アズマエル火教の保存とササン人の復興に人生を捧げた。概ね幸せな人生を送った彼女は、多くの勲章を受け、特にササン人の間では後に神々の一人として信仰を受けるようになる。

エーリカ=フローレスは初代クイーンガード長であったが、それ以上にオリアーナ女王の懐刀として知られ、歴史的にも大きな存在である。諜報部隊の長であるゼルと、騎士団長であり夫でもあるベルグラーノと組んでの縦横無尽な暴れぶりは後に過剰に伝わっており、山のような巨人だったとか、一度に肉を子供の体重ほども食べたとか、奇怪な伝説が幾つも残る事となった。勿論、それらをエーリカが聞いたら大笑いしただろう。また、彼女が編み出した戦術は数知れず、殆どの軍学書には彼女の名が乗る事となる。政治家としても武人としても適正のあった彼女だが、どういう訳か子供には恵まれず、フローレス家は彼女一代で殆ど名を残すことなく歴史の隅に消えていった。これも天才の持つ業かも知れない。

コンデ=イリキアは五年ほどでクイーンガードを引退し、後は田舎でつつましい余生を送った。彼は無数の勲章を得たが、それで充分であった。元々無欲だったこの老人は、卓絶した才能を持っていたわけでもないし、天才的なひらめきで何かを遺したわけでもない。しかし忠実で的確で、それが故にエーリカのパーティの魔術師として、名を後世に伝える事となる。カルマンでの冒険の二十年後、最も地味な世界最高の魔術師と呼ばれた彼は世を去った。死に顔は安らかで、何も思い残す様子はなかったという。イリキア家は彼の死後に家名を完全復興し、魔術師の名門として名を馳せる事となる。家名の復興にはコンデの一族であるという事が大きなプラス要素となっており、そう言った意味でも、かれは人生の目的を果たし、若き者にバトンタッチを果たしたのである。

フリーダーはクイーンガードを三十年に渡って務めたが、六年目以降は忍者式の黒装束に身を包み、姿を隠すようになった。これは何時までも若い事を配慮し、周囲から自らの姿を遠ざけたからだ、と言われている。クイーンガードを辞めた後はドゥーハンに新設された忍者部隊の管理と訓練に辺り、その後誰が言うでもなく姿を消した。実はその後数百年に渡り、忍者部隊を裏から指揮してドゥーハンの情報戦を一手に握ったという噂もあるが、これは噂の域を出ない。或いは完全に人間を超越し、魔界や天界に去ったのではないかという噂もある。クイーンガード一謎の多い存在として、後の歴史家を悩ませた存在である。(カルマン戦役)の二百年後に起こった大破壊により、錬金術の技術が一気に失われたと同時に、彼女の資料が大量に喪失した事も、ミスティックなヴェールに磨きを掛けている一因である。

そして、ファルーレストは。

ファルーレスト=グレイウィンドは、クイーンガードを任されたのと同時に、ドゥーハンに創設された忍者部隊の長となった。彼女が完成させたクリティカルヒットは後に忍者の必須技術となった。また彼女流の画期的な奇襲は(ハイドアタック)と名付けられ、忍者だけでなく盗賊の戦闘能力を上げるのに大きく貢献した。聴覚強化呼吸法は戦闘呼吸法と名を変え、これも魔力視瞑想法と並んで冒険者や軍人の必須技術となる。ファルーレストは、初代クイーンガードにして伝説の忍者、人中の武神として湛えられ、後に神格化さえされた。ゼロの武神、最初のクイーンガード。それが人々の中に残る、ファルの伝説である。クイーンガード一不器用な彼女は、六年も掛けて素朴な恋愛をした後何とか結婚し、一応子孫は残したが、子らは才能に恵まれず、此方も歴史の隅へと消えていく事となる。これもエーリカと同じく、天才故の業である。だが彼女の血脈は忘れ去られても、彼女自身の業績は後々のまで忘れ去られることなく、忍者という職そのものの中に色濃く生き残り続けていく。

(カルマン戦役)から二百年後、異界よりウィンベル=オルフォルン司教が召喚した(武神)によってドゥーハン王都が閃光の下消し飛ぶまで、ベノアには平和と安定が訪れる。その基礎を作ったのは、ゼロの武神たるファルーレスト=グレイウインドと、その仲間達。彼女らの業績は人々の生活という形で、作り上げた技術は冒険者の戦闘技術や、戦場における戦術という形で、後々まで伝わっていく事となる。

後にカルマン戦役の一部始終を纏めた物語が作られる。執筆者はエーリカであり、クイーンガードの仲間達は皆それを読んで感慨にふけったという。超絶的な戦いと、悲しい運命の数々は、多くの版を重ねて各国で読まれ、様々な副次本も作られた。物語の主人公は、クイーンガード長エーリカではなく、不器用で無骨だった忍者ファルーレスト。そして本のタイトルは、武神ゼロ

最初の武神の、苦悩し、戦い続ける、人間としての物語である。

 

(武神ゼロ、完)