魔女アウローラ

 

序、全ての始まり

 

七千年間という、人間では到達し得ない時の流れの中を漂い続けた魔女アウローラ。彼女は自身で力を得たのではなく、強制的に力を与えられ、人生の目的も無理矢理に押しつけられた存在である。うごめくものによってむさぼり食われたディアラント文明が、起死回生のために作り上げた生体兵器。それがアウローラであった。

巨人を改造して作り上げた武神オグと並んで作られたアウローラは、ずば抜けた運動性能に加え、高い知能と分析能力を与えられ、非常識なまでの魔力も有している。オグが物理戦闘能力をメインに設計されたのに対し、アウローラは魔法戦闘を主眼に作り上げられたオートマターであり、汎用性も高かった。事実魔界側のデータも盛り込んで完成したアウローラは、下等のうごめくものを寄せ付けない実力を誇り、死闘の末うごめくもの三強の一角であるマジキムをも屠り去っている。だが彼女の健闘及ばず、ディアラントは滅び去り、灰燼と帰したのであった。インプットされたプログラムのまま、アウローラはその後もうごめくものを倒すべく動き続けてきた。今までずっと、そのためだけに生きてきた。アウローラは長い間に自我を得るのにも成功した。しかしその自我も、根本的なプログラムには逆らえず、彼女は強固な縄に縛られたまま歩み続けてきたのである。結局アウローラは哀れな人形であった。だが人形である事を、彼女が哀れんだ事は一度もない。自己肯定、自己憐憫、それに自己満足は最低の三要素と良く言われるが、少なくともこの魔女にそれはなかった。むしろプログラムによって設定されている自己の目的を楽しむ余裕さえ、アウローラは持っていたのである。

アウローラは人間だった頃の記憶を持っていない。何度も取り戻そうと試みたが、無くなってしまった記憶はどうにも出来なかった。自己に執着もしていない。うごめくものを倒すには駒としての自分が必要だから生きているだけの事であって、効率よく奴らを滅ぼせる手があるのなら、躊躇無くそれを選ぶ。更に、愛情も怨念も持ち合わせていない。ディアラント文明の連中に憤りを感じているが、憤りだけで相手を否定し殲滅する人類とアウローラの思考には大きな隔たりがあった。アウローラはディアラント文明が嫌いであったが、だからどうしようという風には考えなかった。嫌いである。ただそれだけであった。だからアウローラの中にうごめいているものは、闇でもなく破滅でもなく、ただ圧倒的なまでの虚無であった。それが、周囲に彼女が死に場所を求めていると感じさせるのである。何しろ、仕事が終わったら、もう自分に用はないと言うような突き放した考えが根底にあるのだから。そこがアウローラと人間との根本的な違いであった。

プログラムに支配された人生。その終末点は全く怖くない。むしろやっと終わりが来るという安心感さえある。そのためには、最低でも自分を倒しうる存在が成長する必要がある。今戦っている者達は、その最有力候補。アウローラが喜び、楽しんでいるのも、当然であったかも知れない。七千年の戦いが、やっと終わるのだ。七千年間恋いこがれた目的の終焉が、間近に迫っているのだ。

自らの命が尽きんとする事を、アウローラは楽しんでいた。

 

1,激突

 

カルマンの迷宮最深部、クリスタルの迷宮地下十層。其処で執り行われている至高の戦いは、正に熾烈を極めていた。

バトルアックスをたかだかと構えるロベルドに対し、中段に構えたままじりじりと間合いを詰めるリズマンの勇者。彼がパーツヴァルと名乗るのを、既にロベルドは聞いている。十合ほど刃を交えた後、二人は非常に静かな戦いに移行していた。二人とも知っている。相手の実力が超一級であり、下手に仕掛けた方が不利なのだと。数度の剣撃だけで知った。下手な小細工は通用しないと。リズマンの勇者とドワーフの勇者が、戦いにこれ以上もないほど適した二種族の最強戦士同士が、互いを認め、だから故に動けずにいた。

「その尻尾、喰らったら相当に痛そうだな」

「そちらも、体当たりを得意にしているようだな。 だが、それが分かっている以上、まともに喰らうと思わない方がいいぞ」

「「……」」

間合いを計りつつ、じりじりした戦いが続く。言葉ですら、相手の攻撃手段を潰す牽制になっている。隣で行われているヴェーラとサイデルの激戦の音が聞こえないほどに、二人の間の空気は張りつめていた。

どちらも極めてタフな戦士だ。ロベルドは魔力視瞑想法で並の人間など比較にならないほど頑強に体を強化している。そしてパーツヴァルは以前ウェズベル配下の冒険者と戦うのを見た際にも確認したが、同じく相当に頑強な肉体の持ち主である。だからこそに、一撃が大きな意味を持ってくる。一瞬でけりが付くような戦いならともかく、どちらも多少の攻撃ではびくともしないような強者同士だ。だから、手の内を見せるわけにも行かない。初撃は凌ぎきられる可能性が極めて高い。爆発音が隣で響く。サイデルをコンデが攻撃魔法で攻めているのだと、ロベルドは自然に悟った。ファルの目はアウローラにのみ向いているし、多分サイデルの実力から考えてコンデの支援も期待出来ない。此処はロベルド一人で、苦境を突破するしかない。戦いを再開するには、恐らくきっかけが必要だ。そしてそれは、多分受け手がずっと有利になる。最初わざと隙を作ってみるような事も試してみたが、パーツヴァルには通じなかった。

「アウローラは、てめえの何なんだ?」

「俺はアウローラによって一族を救われた。 ハリスの最東部にある山地が俺達の出身地でな。 百三十年ほど前に、ハリスの狂信者共によって襲撃された」

ハリスの天主教はしばし前から、他宗教との和解に力を入れてきた。それは宗教的融和という手を取り、黒食教を始めとする一部以外とは事実和解も成功したが、それが全てではない。当然ハリス内部、特に布教僧を始めとする一派には狂信者も多く、天主教と折り合いが悪い地方の宗教と衝突を起こす事もままあった。その辺の事情は、ロベルドもエーリカから聞いて知っている。

「襲撃された理由は多分俺達にもある。 俺達が信仰していた神は生贄を必要とする存在であったし、俺達自身も排他的だった。 血の気の多い若者がハリスの坊主を殺すと、後は雪崩を打つようだった。 軍隊が来て、俺達の村は丸焼きにされた」

「其処を助けられた、というわけか」

「そうだ。 俺の命だけではない。 俺の一族を救ったアウローラに仕える事が、俺の生涯の使命であり目標だ」

「成るほど、一つの生き方だな。 たいしたもんだ」

誰もが何かを背負って生きてきている。それを自己の信念から否定するのは愚物のする事だ。カルマンで戦い続けて、ロベルドはそう知った。最初ただ神経質なだけだと思っていたファルだって、深い闇と業を抱えて生きてきていた。彼女の男嫌いは悲惨な幼児体験に起因する物であり、一昼夜で解決出来るような物ではない。笑顔の裏には際限ない冷血と非情を隠していると思っていたエーリカだって、様々に深い過去を背負っていた。敵だってそうだ。残虐な殺人鬼マクベインが、如何に壮絶な過去を持っていたか、全てを知る事が出来なかったが、ファルから聞いて薄々は気付いている。凶暴なドラゴングルヘイズだって大きな信念と志の中に生きている存在だった。ウェブスター宰相だって、カール王だって。どんな外道でも下郎でも、それに至る道がある。それを否定するのは寂しく傲慢で、卑劣な事だと、ロベルドは知っている。だからパーツヴァルの過去に難癖を付ける気もない。むしろ、敵に対して尊敬の念を抱こう。戦い続けて、死線を潜り続けて、ロベルドが得た結論がそれであった。

「アウローラはどうして死にたがってやがるんだ? さっきの話を聞く分じゃ、どうも死にたがっているとしか思えなかったぜ」

「俺にもわからん。 だが、俺は死なせたくない。 だから、お前達を倒す」

「俺達も出来れば生かしたまま話を聞きてえんだがな。 ……だが、アウローラが言うには、彼奴くらい倒せない奴を、この先へ進ませる訳にはいかねえんだろ?」

「……事実、それに関しては、俺も同感だ。 俺は、アシラを見た」

ロベルドが驚いたのは、パーツヴァルの言葉に、露骨に恐怖が混じり込んだからである。これほどの戦士が怯えを感じるほどの相手。如何なる存在なのか、ロベルドも戦慄を禁じ得なかった。

パーツヴァルが構えなおし、ロベルドも構えを取り直す。微妙に立ち位置を変えたのは、サイデルとヴェーラとの死闘が近づいてきたからである。わざと巻き込まれて膠着状態を打開するという手もあるが、これほどの敵を相手に、それで勝利を掴めるか、ロベルドは自信がなかった。パーツヴァルもそうだったらしく、自然とサイデルから距離を取る。サイデルの咆吼が戦闘再開の合図になったのは、何かの偶然か、或いは因縁か。咆吼と同時に、弾かれた小石が飛来し、パーツヴァルの鶏冠を僅かに掠ったのである。その瞬間を逃すロベルドではなく、一気に間合いを詰める。それに対して、パーツヴァルも躊躇無く方天画戟を繰り出した。

「おおおおおお、おああああおおおおおおおおおおっ!」

突貫したロベルドが、腹に目掛けて伸びてくる方天画戟を、振り下ろした大斧で迎撃する。地面に叩き付けんばかりに強打するが、パーツヴァルは力を上手く受け流し、戟をかわして接近しようとするロベルドにショルダータックルを浴びせかけた。ロベルドが弾かれたのはほんの一瞬、そのまま彼は跳躍し、横っ飛びに薙がれたパーツヴァルの尻尾を飛び越えると、脳天からの一撃を浴びせんと躍りかかる。しかしパーツヴァルは尻尾を振り回した遠心力さえ利用して回転、コンマ一ミリの差でロベルドの斧をかわしつつ、着地した彼に二度目の尻尾での一撃を叩き込もうとする。ロベルドは着地と同時に体を低く構え、バトルアックスの柄を盾に猛烈な尻尾の一撃を耐え抜く。尻尾が叩き付けられたとはとても思えない、物凄い打撃音が周囲を揺らした。尻尾による打撃をロベルドに完全に伝達する事で、一瞬の停止状態に陥るパーツヴァル。力を受け流しきったが、肉体のダメージは無視出来ず、攻勢に出る瞬間虚脱状態に陥るロベルド。両者が動き出したのは、再び殆ど同時であった。

パーツヴァルが低い態勢から、方天画戟を抉り込むように突き掛けてくる。突進しようとするロベルドは、だがその隙無く、激しい連撃を左右に捌きながら、舌打ちした。スピードでは敵が上だ。それに、パワーにしてみても絶対的に勝っているわけではない。そしてもう敵はそれを知っている。

「せああああああああっ!」

「ぐおああっ!?」

足下を狙っての一撃を、心持ち下がってかわしたロベルド。その瞬間、大上段に振りかぶったパーツヴァルが踏み込み、脳天からの一撃を叩き付けてきた。その猛烈な一撃には、想像を絶するパーツヴァルの重量が全て加算されており、何とかバトルアックスで受け止めるも、筋肉が悲鳴を上げた。このリズマン、単純なパワーは巨人すら凌いでいるのではないかと、ロベルドは思った。このまま押しつぶさんとするパーツヴァルは、もし力の加減を調節して懐に潜り込もうなら、尻尾の一撃をお見舞いしてくるだろう。不利な体勢で方天画戟を受け止めているロベルドはしばしの思案の末、全身の筋肉をフル活動させ、力任せに押し上げる事にした。膠着状態から、ぎりぎりと方天画戟の柄が持ち上がっていく。何の事はない、単純なパワーならロベルドの方が上だ。それは、パーツヴァルの予想を超える範囲で、である。

「な、なにっ!?」

「おおおおお、おおおおおらあああああっ!?」

「かかったなああっ!」

滝のように汗を流しながら、ついに方天画戟を跳ね上げたロベルドの目に飛び込んできたのは、まっすぐ突っ込んでくるパーツヴァルの姿であった。彼は大きく口を開け、ロベルドの顔面に鋭い無数の歯を突き込まんと突撃してくる。ロベルドは身動き出来る状態ではなく、そう言えば以前この男を見たとき、倒されていた侍の首が食いちぎられていた事を思い出した。まずい。そう思う前に、体が先に動いていた。

パーツヴァルがかぶりついたのは、金属であった。そう、頭を下げたロベルドの兜であった。みしみしと音が鳴る兜を左右にねじりつつ、パーツヴァルは無理な体勢から叩き付けられたバトルアックスを、何とか方天画戟で受け止める。柄がみしみしと鳴り、今度は攻守が逆転した形で膠着状態が再現する。兜から口を離したら、ロベルドお家芸のショルダータックルがパーツヴァルを襲う事になる。ロベルドは首も鍛えていて、度重なるパーツヴァルのねじり込みにも屈しず、じりじりと踏み込む。この間合いだと、パーツヴァルお得意の尻尾の一撃はあまり大きな効果がない。それでもパーツヴァルは、じりじりと下がりつつ、尻尾でロベルドの体を何度も打ち据えてきた。だがその度に、より深くロベルドのバトルアックスは、方天画戟を押し込んでいく。

不意にロベルドの兜に掛かっていた圧力が消えた。そのまま低い態勢から突貫を掛けるロベルドは、強烈な違和感を腹に感じた。顎を外した瞬間、パーツヴァルが膝を前に出したのだ。突撃の瞬間ロベルドの視界が曖昧になる事も計算しての一撃。追い込まれた状況から、信じがたい反撃の一撃である。だが、ロベルドはこの程度でお家芸を不意にするわけには行かない。血を吐き捨てつつ、パーツヴァルの捻り込みにも耐えきった首の筋肉を最大限活用、敵の胸板に猛烈な頭突きを叩き込み、更に顎を下から跳ね上げていた。

「ごがああっ!」

「死ねええええっ!」

続けざまに横殴りに降られたバトルアックスを避けきれず、方天画戟の柄で受け止めるものの、ついにパーツヴァルの巨体が地面に叩き付けられ、数度転がる。それを見やりながらロベルドが兜に手をやると、くっきり歯形がつき、ひしゃげていた。もう少しバトルアックスの一撃が遅かったら、兜ごと頭を噛みつぶされていたかも知れない。ロベルドは呼吸を整えつつ追撃を掛けようとするが、リズマンの勇者はバネが弾かれるように跳躍、数度後ずさって距離を取った。奴も口の端には血が伝っていて、胸鎧には先ほどの頭突きを叩き込んだ際のへこみがはっきり残っていた。大きく肩で息を付きながら、両雄はもう一度武具を構え直す。消耗は、ほぼ五分。今の短い攻防で圧倒的なエネルギーを燃焼させ尽くした為、双方共にもう残る力はほとんど無い。

「今まで無数の戦士と戦ってきたが、貴様ほどの使い手は初めてだ」

「ありがとうよ。 俺も同じ言葉を返させて貰うぜ」

素直な賞賛が、双方から同時に発せられた。単純な技量、パワー以上に、その圧倒的な戦い慣れの度合いが、互いを認めさせていた。

いつの間にか、隣で響く戦闘音も静まりつつある。終局は近い。申し合わせたように、両雄の間が縮まり、激突音が響き渡った。

 

勝者は居なかった。腹部を大きく切り裂かれたパーツヴァルが前のめりに倒れるのと同時に、ロベルドが地面に倒れる音がした。相手を素直に賞賛しながら、パーツヴァルは立ち上がろうとしたが、もう体が言う事を聞かなかった。

あの時もそうだった。ハリスの兵士が大勢攻めてきて、村が丸ごと焼かれた時も。

パーツヴァルが暮らしていた村は、リズマンの里ではなかった。彼方此方を流れているリズマンの一族が定住する事に成功した数少ない土地の一つであった其処は、いわばギブアンドテイクの関係を、パーツヴァルの一族と結んでいた。つまり、村の者達はパーツヴァル達に住処と食料を約束する。その代わり、パーツヴァル達は村人を守り、戦いの時は最前線に立つ。わかりやすい、種族単位の雇用関係であった。何世代も前に結ばれたその関係は上手く機能していた。魔物が出ても、下手な冒険者よりも遙かに強いリズマンの戦士達が追い払った。山賊や盗賊も、リズマンの実力は知っていたから手出しはしてこなかった。村人達はリズマンの戦士に敬意を払い、リズマンも定住の地を与えてくれた彼らに感謝を欠かさない。そうして、上手く関係が築かれていたのだ。

ただ、暗雲はずっとあった。ハリスで天主教の改革が進み、他宗教との融和政策が進んでいる一方で、生贄を捧げる宗教に対する風当たりが強くなっている事は、村の者達も知っていた。村の者達が信仰していたのは原始的な精霊神であり、原始的なものらしく生贄を必要とした。災害の度に若い娘や幼い子供が殺され、川に流されたり、山に埋められたりした。パーツヴァルも苦い思い出がある。仲が良かった村の子供の一人が、生贄に捧げられて死んだ事があったのだ。村のしきたりに口を出す事はタブーであったし、何より迫害されながら放浪する辛さは、パーツヴァルもリズマンの長老達に聞いて知っていた。無力感。それが若きパーツヴァルの心にあった、苦い主要構成要因だった。

ハリスから大軍が派遣されてきた時も、彼は何も出来なかった。リズマン達は上手く敵の陽動部隊におびき出され、その間に村が丸焼きにされた。地団駄踏んで悔しがるリズマン達の何名かは、敵の大軍に突撃し、恩人と同じ運命を選択した。パーツヴァルは呆然としているばかりであった。今回も何も出来なかった。今回も殺されてしまった。ハリスの言い分にも一理ある事は知っていた。だから憎しみは内側に向いた。無力な俺が憎い。無力が憎い。

一族は離散し、一人さまよう中、パーツヴァルは生死の境をさまよった。ベノアでリズマンを雇ってくれる場所など何処にもなく、そればかりか魔物と勘違いされる事も少なくなかった。そんな彼に生き甲斐をくれたのがアウローラだった。アウローラの元での仕事は楽しかった。守る事が出来た。一緒に戦う事が出来た。心の中から、綺麗に無力感が消えていくのが実感出来た。

今になって思えば。生贄にされたあのヒューマンの子供と、アウローラは何処か似た雰囲気があった。

「俺は……役に立てた……かな」

意識が消え去る前に、パーツヴァルが吐いた最後の言葉が、それであった。彼が伸ばした手が、届く事はなかった。

 

どちらかと言えば静かな戦いをするロベルドとパーツヴァルに対して、サイデルとヴェーラのそれは壮絶を極めた。サイデルの防御能力が圧倒的であるという事が、その要因であった。

振り下ろされる巨大な鎌は、全部で四つ。四本ある腕から間断なく繰り出され、滑らかに動く本体のスピードもあり、驟雨の如くヴェーラを襲う。ヴェーラはアズマエル神の加護を信じながら、文字通り舞う。右へステップを踏み、左へ切り返し、不意に俯き、跳ね上がるようにして飛ぶ。美しい戦舞は、汗を舞い散らせながらサイデルを翻弄し、そして敵の動きの間隙を縫って一撃を入れ、すぐに飛び離れた。だがサイデルは一撃を入れられても全くひるまず、滑らかに体を蠢かせ、がちがちと関節を鳴らしながら、ヴェーラとの距離を瞬く間に詰めてくる。その横っ面にコンデの放ったクレタが直撃するが、その火力の殆どが魔力のシールドにうち消されてしまう。それでも多少注意を逸らすくらいの事は出来、僅かな隙にヴェーラは懐に潜り込み、髑髏の顎を真下から強烈に切り上げた。豁然、鋭い音が周囲に鳴り響く。

「グルアアアアアアアアアアアッ!」

反射的に振り回したサイデルの鎌を避けきれず、ヴェーラは地面に叩き付けられる。ハルバードを盾にして真っ二つにされるのは避けたが、地面に強打されたのは間違いなく、痛い。すぐに飛び起きる彼女へ、飛びかかるようにしてサイデルの巨体が迫ってきた。顔面の髑髏は若干割れており、中から薄緑の体液が垂れ落ちている。その奥にある物を見たヴェーラが、瞬間的に硬直した。無数の鎌が降ってくる。

「ヴェーラ殿!」

コンデの、威力を最小限まで落としたクレタがヴェーラの足下を直撃した。吹っ飛んだ彼女は転がりながら跳ね上がり、一瞬だけ下がった為に間が空いた敵を見据えた。随分気持ち悪い奴だとは思っていたが、骸骨の内側はそれ以上だった。割れたしゃれこうべの中からは、無数のまんまるい目が、此方を凝視していたのである。一瞬飲まれそうになったが、無理もない話であった。

「コンデ殿、感謝する」

「このままでは埒が明かぬの! どうする、大技を行くかの!?」

「判断は任せる! おおおおおおおおおおっ! 我が神、火神アズマエルよ! 今此処にて、共通の敵に鉄槌をくださんっ!」

構えを取り直すと、ヴェーラは地を蹴った。クリスタルに薄く積もった埃が巻き上げられ、ヴェーラの後塵となる。サイデルは右側についた二本の鎌を振り下ろし、ヴェーラが左に避ける瞬間、その軌道を読んで逆側から残り二本の鎌を叩き付けてきた。全身を驚くべき柔軟性でくねらせながらの驚天の技だ。ヴェーラは唇を噛むと、一本目の鎌をファルのように低い態勢でかわし、地を這い火花を散らしながら迫ってきた二本目を、ハルバードを斜めに地面に突き立て受け止める。凄まじい激突音と共に、嫌な感触が伝わってきた。バードと敵の鎌が激突し、互いに無茶な付加を掛け合ったのだ。下手をすると折れる。更に陽動で振られた最初の鎌が、背中から凄まじい勢いで迫ってくる。ハルバードの均衡を崩し、地を這い襲い来る鎌に滑らせながら、前転しつつ二本の鎌を避け、振り向きざまに一本の鎌を跳ね上げる。もう早すぎて、ヴェーラ自身も感覚的に追いつけていない。加速しすぎた動きの中、殆ど本能に任せて、ヴェーラは跳んだ。全ての鎌を、ガードを全て避けられたサイデルが、回避行動を取ろうとするが遅い。もはやヴェーラは、崇拝する火神と精神的に完全同調している。今まで経験した事がないほどの、深く深く火神アズマエルと同調した、超トランス状態だ。ファルのリミッター強制解除とは違う。彼方はあくまで論理的な技なのに対して、ヴェーラのそれは観念的な技であり、自己暗示が大きな位置を占めている。空気との摩擦で火が出る程の、ファルと匹敵するほどの速さで、彼女は伸び上がるようにハルバードを振るった。それは一筋の閃光として奔り、サイデルの顔面にもう一本の亀裂を穿った。先以上に大量の体液がぶちまけられる。同時に、サイデルが体を前に乗り出す。全身の力を掛け、切り裂かれながらも突貫を掛けてきたのだと理解するのと、大きく吹っ飛ばされて壁に叩き付けられるまで殆ど間はなかった。爆砕音と、苦痛の声が迸るのは同時。

「ぐおあああっ!」

無数のまんまるい目で睨み付けながら、やはり滑るように流れるように、サイデルは凄まじい速さで迫ってくる。コンデは大技に切り替え、念入りに詠唱をしているから、まだまだ支援は来ない。叩き付けられたクリスタルの壁には無数の罅が入り、全身もその様を頷けるほど激しく痛んだ。だが、ヴェーラは立ち上がる。全身から垂れ落ちる血潮は、発火するほどに熱かった。

「グラアアアアアアアアアッ!」

「おおあああああああっ! 見切ったりぃいっ!」

踏み込み、敵の一撃に合わせてハルバードを振り下ろす。今まで防戦一方に追い込まれる原因だった鎌の一つが根本から吹っ飛び、空を舞いながらクリスタルの壁に突き刺さった。そのまま雷の如き速さで奴の背に乗ろうとするが、流石に其処は強豪、うねるように動いてかわし、距離を取ろうとする。全身の痛みと、体力の消耗が加速しているのが嫌と言うほど分かるが、まだまだこの超トランス状態を止めるわけには行かない。止めた瞬間、サイデルに首を跳ね飛ばされる。サイデルの、大きく開いた髑髏の口から無数の音波が漏れ、光が集まっていく。奴は人間が扱う魔術師魔法程度なら楽々と使いこなす。撃たせるわけには行かない。だが、間に合わない。恐ろしいほどに、術の完成が早い。

「L;ADFOPWRUGHPSDIJAWOFHWIEODQWOIHQWEPH……! ザクレタ!」

炸裂した火球が、ヴェーラの視界を紅蓮一色に染め上げた。物凄い熱量だが、不思議と直撃したという感触はなかった。両手でガードしていた顔を上げると、眼前に立ちはだかったコンデが、詠唱しつつ膝を突く姿が見えた。唇を噛み、その身を避けるようにして前に出る。魔術師が着るローブには強力な耐魔法効果を持つ物が少なくなく、コンデが着ている物も例外ではないと知っているが、あれほど強烈な炎の固まりを喰らって無事で済むわけもない。通り過ぎる瞬間、全身に火傷を負いつつも、詠唱し敵を見据え続けるコンデの姿が目に入る。ヴェーラは一気に前に飛び出すと、続けざまにもう一発魔法を放とうとするサイデルに躍りかかる。体を軽く引きながらサイデルは跳躍したヴェーラに火球を浴びせんとするが、しかし今回はヴェーラの方が早い。振り上げたハルバードが、三度サイデルの顔面を切り裂き、複数の亀裂が結合した。結果、ついに仮面のように顔面を守っていた髑髏が真っ二つに砕け、左右に吹っ飛んだ。其処にあったのは、顔ではなかった。丸い目が無数に積み上げられ折り重なった、気色の悪い固まりであった。口らしき物は見あたらない。いや、その正体はすぐに分かった。無数に積み上がった目の下にある、横一線の亀裂。牙は生えていない。無数の臼歯が所狭しと並んでいた。草食だとアウローラは言っていたが、頷ける話である。振り回された鎌が、ヴェーラを右から左から襲う。気合いと共に横に薙いだ一撃が、その一本を根元から切り飛ばす。だがついに、超トランス状態が切れる。時間的な物ではない。体力的な物だ。全身に強烈な脱力感を覚えたヴェーラは、かろうじて叩き付けられた鎌の一撃を、ハルバードを盾にして受けるのが精一杯であった。地面に叩き付けられたヴェーラは、体の芯から沸き上がってくる痛みに声も出ない。切り落とされた鎌の付け根から大量の体液を零しながら咆吼するサイデルが、嫌に遠くに感じられた。何とか立ち上がろうと悪あがきしてみるが、全身痛いだけで動きはしない。無理もない、今まであれほど無茶な動きを繰り返したのだ。何とか筋肉は切れて居ないが、これ以上無理をすると体が文字通り内側から分解してバラバラになるだろう。勝機とみたらしく、サイデルが大きく口を開け、音波を発し始める。詠唱が長い。さっきのザクレタよりもずっと長く続いている。まずい、と思ったヴェーラが警告の言葉を発するより早く、ついにコンデの術が発動した。大げさに印を切るコンデの手元に、空間が歪んで見えるほどの、高密度の魔力が収束する。

「はあああああっ! 受けてみよ、小生の渾身の一撃を! 海竜神アプスーよ、汝の敵を今此処に確認す! その怒りの爪にて、見事敵を屠り、凱旋の誉とするが良い! 汝が力を四海に示し、威光を世界の端まで轟かせよ!」

コンデの構える杖の先端に集中していくのは冷気。対して、サイデルの口の前には、熱気が集中していく。サイデルが唱えようとしているのは、殆ど間違いなくメガデスだ。コンデが唱えようとしているのは、恐らく詠唱の内容からしてジャクルド。冷撃系としては最強の威力を誇る魔術師魔法だが、メガデスには威力の面で二枚ほど劣る。まして相手はサイデルだ。敵と同時に術を発動しても、相殺は狙いがたい。ヴェーラは何とか体を動かし、立ち上がろうとするが、内側からバラバラになりそうな痛みが、それを尽く邪魔した。歯を噛みながら、高まりつつある二つの光の間で、ヴェーラはもがく。このままではまずい。エーリカとフリーダーがアウローラにかかりっきりである以上、此処は彼女がどうにかしなければならない。痛む腕を伸ばし、何とか体を起こそうとする。こんな時でも、ハルバードだけは離さない。体中の筋肉が、酷使に抗議して鈍痛を発する。必死の努力、しかし間に合わない。

ヴェーラの眼前で、閃光が横一線に奔った。同時にサイデルの顔面が横一文字に切り裂かれ、幾つかの目玉が破裂し、奴の詠唱が止む。奔った閃光の主は、即座に数度跳ね、姿を消した。正体は勿論ファルだ。最高のタイミングで、此方を優先して奇襲を仕掛けてくれたのだ。悲鳴を上げてのたうち回るサイデル。そして、ここぞとばかりに、コンデがジャクルドを発動した。

「ギョアアアアアアアアアアアアッ!」

「見せつけるが良い、汝の刃、氷の神罰を! 砕きばらまけ、ジャクルド!」

無数の氷の固まりが、サイデルの頭上に出現し、降り注ぐ。一つ一つの固まりはザクルドのそれに比べると小さいが、いずれも刃のように鋭く、数が凄まじい。そして冷撃系魔法の強みは、質量攻撃という点にある。正に氷の剣の滝。一直線に、抵抗能力を喪失したサイデルに降り注ぎ、骸骨の甲冑に突き刺さり、或いは砕き、或いは押しつぶし、体液を周囲に跳び散らかせた。もがき、のたうち回るサイデルを見据え、ヴェーラは残った最後の力を掛けて立ち上がる。此処で彼女が動かなければ、苦境の中必殺の一撃を決めてくれたファルの働きが、ザクレタの盾になり今また必殺の好機を作ってくれたコンデのがんばりが無駄になる。立ち上がるだけで意識が跳びそうであったが、何とか耐え抜く。そして筋肉に残った力を総動員し、残った精神力をかき集め、ハルバードを投擲した。

悲鳴は上がらなかった。サイデルの口の中に飛び込み、首の後ろから顔を覗かせたハルバードは大量に鮮血をぶちまけた。震えながら鎌を動かし、ハルバードを抜こうとするのが、最後のあがきだった。糸が切れたようにサイデルは動きを止め、横倒しになって地響きを立てた。同時に、奴の体が分解していく。同じように横倒しになり、不規則になった呼吸と、曖昧になった視界の中で敵を睨み付けるヴェーラは、サイデルの目が全部独立した生物であり、奴がむしろ「群体」に近い存在だと言う事を理解していた。再生するかという不安はあったが、それは杞憂だった。もう統一する意思はないようで、好き放題に周囲に逃げ散っていく。何処か愉快だと想いながら、ヴェーラの意識は、闇へと落ちていった。

 

詠唱を開始しようとしたアウローラが、間髪入れずに飛んできたクロスボウボルトに眉をひそめ、左手で弾きながら体を泳がせる。崩臥しているサイデルの残骸の後ろに立ち位置をずらそうとするのだが、エーリカはすぐにそれを読み、微妙に立ち位置をずらしてそのもくろみを潰してしまう。頭に来るほど切れる相手だ。フリーダーに至ってはエーリカの細かい指示を受けながら、隙あれば格闘戦に持ち込もうと好機をうかがい続けている。最初に隠れたファルーレストの事もあるし、油断は一切出来ない状況である。後ろで支援攻撃を行おうとしているアインバーグも似たような状況で、魔法一つ放てない状況にあった。こんな時に備えて、アインバーグは彼らから顔も見えないほどの最後衛に配置していたのだが、それでも彼が術を放とうとすると的確に対応してくる。アインバーグはアウローラほどの洗練した動きは出来ないから、今は術を唱える隙をうかがい、距離を取るのに腐心している状況だ。アウローラはそれを横目で見ながら、じりじりと間合いを計る。腹立たしいのは、さっきサイデルに奇襲を決めたファルーレストを追おうとした瞬間、エーリカの支援攻撃が完璧なタイミングで飛んでき、それをはじき飛ばしている間に忍者を見失ってしまった事だ。苛立ちと同時に感嘆を覚える。此奴らは、文句なく強い。

「アインバーグ、なかなか手強い相手ね」

「ひゃっひゃっひゃっ、アウローラ様はいつもおっしゃっていたではないですか。 手強い相手が居なくてつまらない、と」

「そうね。 ただ、大魔法をぶつけ合うような戦いならともかく、こういった手強さを持つ相手との対戦もまた、少し面白味に欠けるわね」

「そうですかな? さっきからアウローラ様はとても楽しそうですぞ? んン?」

自我に目覚めてからも、あまり感情に対する感覚はない。それがアウローラの本音であった。妖艶な美女を演じているのは、それは外見からそれが相応しい人格だと考えているからであり、アウローラの本質はもっとずっと無機質なのだ。楽しいとは感じるし、腹立たしい事もある。うごめくものは憎んでも憎みきれないし、愚かな人類には少なからず軽蔑を覚える。献身的なパーツヴァルは嫌いじゃないし、面白いアインバーグは常に傍らに置いておきたい。だがそれらの感覚は、人間に比べるとずっと希薄で散漫だ。人間の雌も普段は本音の上に少なからず演技の皮をかぶっているものだが、アウローラもその点に関しては全く同じ。むしろアウローラは、折角手に入れた自我を失わないように演技を続けて、それをいつか本当の人格にしたい、とさえ考えていた。

アインバーグに感情の事を指摘され、僅かに驚いたのはその辺が原因だ。サイデルとの交戦で大きく消耗し、肩で息をついていた魔術師コンデが杖を構え直す。それを見たアインバーグが、ゆっくり前に出た。

「あの老人は、わしが相手をしましょう。 ひゃっひゃっひゃっひゃっ」

「気をつけなさい。 手強いわよ」

「分かっていますとも。 ……どうせわしは、もう思い残す事もない」

アインバーグは、長く生きてきたアウローラにもよく分からない所がある。いつも壊れた笑い声を上げているが、本当に楽しんでいるのかどうか、疑問に思う時が少なからずある。献身的だが単純なパーツヴァルに比べて、複雑な精神構造をしており、だから部下にしておくのが楽しかった。

このエルフの錬金術師は、同族の中でも異端と言って良い存在であった。高度な魔力を持ち、深い知識を持つエルフ族は、人間の間では高い精神性を持つ一族だ等と勘違いされている。だが、アウローラは真実を知っている。現実のエルフ族は閉鎖的を通り越して一種自閉的な性質を持ち、変化を嫌い静かな森の中で暮らす事を好む素朴な者達なのだ。知識が豊富である事と、精神が複雑である事は、全く別の問題。駆け引きも都会に住むホビットなどに比べたら可哀想なほどに下手だし、知能もノーム族に比べたら何と言う事は無いのである。臆病なフェアリー族と共存を果たしているのもその辺りが原因であり、冒険者となる事を選んだり、オルトルード王の薦めで王都の近くに移り住んだような者達はむしろ例外になる。ヒューマンとチームを組んで冒険者をしているようなエルフは、実は仲間内では変わり者になるのだ。

だから、アインバーグは変わり者の中でも一際変わった、奇人中の奇人といって良い存在なのである。彼はオルトルード王の融和政策前にヒューマンと積極的に接触し、ユグルタで錬金術の講師までしていたほどの男なのだ。それまでも国に抱えられ活躍していたエルフの術師は少なくなかったが、魔術学校で講師をしていたような者は彼くらいである。それも、現在より五十年も前に。アウローラが拾う前から彼は奇人であり、周囲から白眼視されていた。結局ヒューマンの錬金術師達の讒言によって官憲に囚われ、それでも奇人ぶりを発揮して自己弁護をしようともせず、首をはねられそうになった所をアウローラが人知れず救い出した。そして今まで、手元にて研究をさせてきた。発想力という点ではどうしても生身の知性に劣るアウローラは、彼の存在を重宝していた。

戦いそのものを人生の一部にしているようなパーツヴァルとは比べるべくもないが、アインバーグも相当な戦闘慣れをしている。ファルーレストの奇襲とエーリカ達に気を配るアウローラの前で、アインバーグはゆっくりとコンデに歩み寄っていった。

 

アインバーグは自覚している。自らが変わり者である事を。変わり者である事を吹聴した結果、迫害された事を。それが世の理である事を。

錬金術師と言えば、とかく道を踏み外し、危険な研究を行いやすいと世間では考えられている。事実道を踏み外し、人体実験や生体実験をする錬金術師は少なくない。ウーリ=エルンストやギョームと言った業界で最も力のある錬金術師に変人が多いのも、それらの偏見を助長する要因であった。だが、これはある意味仕方がないのである。エキセントリックというのは、天才の必要条件なのだから。十分条件ではなく必要条件だが、しかしそれがマイナスに作用しているのは疑いのない事実であった。

元々エルフの里でも、彼に居場所はなかった。幼い頃から動物の死体を眺めるのが大好きだった彼は周囲から白眼視され、両親にすら世間体を重視するとか言う下らない理由で迫害された。実の親に石を投げられた時、ああこの世は駄目だと、アインバーグは悟った。森を追い出された彼は、旅の途中で偶然錬金術の書物を拾い、何年かかけてそれを修得すると、スキルを売りにユグルタに潜り込んだ。事実才能があった彼は、実力を背景に社会的な地位を伸ばし、講師の立場まで確保した。彼は単純に、自分という存在が認められる場所が欲しかった。壊れた笑い声を上げていても、石が投げられない所に住みたかったのである。金などいらなかった。地位だって本当はいらなかった。ただ、石が投げられなければ良かったのだ。壊れた笑い声を堂々と上げられれば良かったのだ。

だが、そのささやかな願いは無惨に踏みにじられた。元々死体が好きで、それに関する書物を集めていた彼は危険視されていた。官憲が研究室に踏み込んできた時拾ってきた猫の死体を楽しく解剖していた事も仇になった。彼の弁護者は誰もいなかった。研究室の学生達でさえ、「不気味だから」とかいうよく分からない理由で、彼が危険な研究を密かにしていたのは間違いないと断言した。アインバーグは笑っていた。だが、本当は、心の中で血の涙を流していたのである。

大した証拠もないのに(あるわけがない)、証言だけで死刑が宣告された。是までかと諦めた彼の元に、現れたのがアウローラだった。アウローラは研究の材料と安全を提供してくれたばかりか、別に笑っても気味悪がらなかった。迫害しようとはしなかった。動物の死体を拾ってきても何も言わなかった。後から入ってきたパーツヴァルも、時々文句は言いつつも、根元では彼の行動を認めてくれた。此処は居場所だった。生まれて初めて得た居場所だった。

アウローラが死にたいと考えている事を、アインバーグは敏感に悟っていた。だから彼は決めていた。死ぬ時は一緒だと。この恩人と、せめて最後まで一緒にいようと。

世界で唯一彼を認めてくれた恩人と、地獄の底まででも共にいようと。それが、アインバーグの決意だった。

 

2,小刻みな戦い

 

コンデは乱れる呼吸と魔力の低下を実感しつつ、歩み来るエルフの術者を見据えた。来る前にメガデスは修得したが、この状態では勿論使えない。まあもっとも、一人の人間大の敵にメガデスを使おうなどと考える輩は、間違いなく素人だ。

敵は細面の、足取りが何だか掴みづらい相手だ。動きはとても上手く、エーリカやフリーダーの射線から上手く身を外しつつ、確実に近づいてくる。時々ちらちらとフリーダーが視線を配ってきているのを確認するが、アウローラの牽制で一杯一杯のようだし、果たしていざというとき前衛になって貰えるかどうか。コンデは何とかスリングの小石を前に飛ばせるくらいで、敵と近接戦闘など全く出来ない。敵もエルフだし、それほど筋肉質ではないが、もし普通の兵士並みの格闘戦等能力を持ち、なおかつ接近戦で挑んでくるつもりなら、コンデに勝ち目はない。ただでさえ、サイデルのザクレタを受けた事で体はまともに動いてくれないのだ。敵の出方を見ながら、じりじりと下がろうとするコンデ。不意に壊れた笑い声が飛んできて、老魔術師は驚いた。

「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ、その様子だと、最近メガデスをようやく覚えた、というところだな? んン?」

「……」

「随分老成な魔術師ではないか。 その年でカルマンに挑み、新しく術を覚えるなど、なかなか出来る事ではないな。 ちと、頭のねじが緩んでないと出来ないのう。 ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」

ナチュラルにバカにしている言葉が飛んでくるが、コンデはあまり気にしない。恐がりな彼だが、悪罵には耐性がある。この点に関しては、亡き妻に鍛えられたからだ。

「名を聞いておこうか、老魔術師。 ワシはアインバーグ=ブライト=クルーゼル」

「小生は、コンデ=イリキアじゃ」

ゆっくり右手を挙げるアインバーグに対して、コンデも杖を構え直す。叱責が飛んできたのは、次の瞬間であった。

「右に飛ぶ!」

「!」

飛び退いたコンデが、体をかすって飛んでいく何かに気付いて青ざめた。慌てて敵を観ると、僅かに親指が動いた。再び、何か光って飛んでくる。今度は横に転がり、何とか直撃を避ける。後方のクリスタルの壁に何かぶつかり、弾かれて飛び散った。

「指弾、じゃな。 すまぬな、エーリカ殿」

「……多分、連射出来る弾数は五か六。 早く起きないと、顔に穴が開くわよ」

指弾。硬貨や金属を指の力で弾く事で、相手に向けて飛ばす技能だ。熟練者になると樫の板に穴を開けるほどの破壊力を発揮すると言われ、今アインバーグが見せた技こそ正にそれに値する。エーリカはコンデに顔も向けない。つまり、今対峙しているのが、それほど厳しい相手だと言う事だ。わたわたと起きあがったコンデは、杖を構えたまま、もう少し下がる。にやにやしたまま、アインバーグはその様を見ていた。無様な事この上ないが、何とか弾をかわす事だけならできる。今まで超高速で動き回る敵と戦い続け、高速の世界に慣れた結果だ。杖を振り回して戦うような事は出来ないが、不格好に逃げる事だけなら、何とか様になっていた。そして後衛はそれでよいのだと、エーリカに常々コンデは言われていた。にしても、マジックキャンセルの恐ろしさが、今ならよく分かる。詠唱中にさっきの指弾を打ち込まれたらどうなるか、はっきり言ってぞっとしない。

「案外健脚だの、コンデ老」

「ドラゴンだのヒドラだのと戦い続ければ、嫌でもそうなるでな」

「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ、違いない。 積み上げた事によって得られた強さ、ワシは嫌いではないぞ?」

詠唱は出来ない。更に言えば、近づくのもまずい。じりじりと距離を取りながら、必死にコンデは事態打開の方策を考える。最強の敵と対峙しているエーリカにこれ以上負担を掛けるわけには行かない。見たところ指弾は連射出来ると言っても、一秒間に五発とか、非常識な速度では出来ない。また射出時の方向もあまり柔軟に操作はできないようで、その辺りは救いだ。必死に策を練るコンデであったが、敵はそんな余裕など与えてはくれなかった。そのまま袖を振り、小さな袋を取り出す。まずい、とコンデが思い、慌てて杖を構えようとするが、躊躇してしまう。その間にもアインバーグは袋を下に向け、どうやら砂鉄らしい黒い粉がぼろぼろとこぼれ落ちた。輝くクリスタルの床に巻かれた砂鉄の上で手を翳し、アインバーグは詠唱を始める。

錬金術の最大の弱点は呪文発動に媒体が必要な事で、様々な術を唱えようとすると大量の媒体を持ち歩く必要が生じてくる。腕がよい使い手には、周囲の状況から最適の媒体をあり合わせの品で集めてしまう者がいる。しかしそれにも限界がある。上級の術になればなるほど複雑な条件の媒体が必要で、その辺で見付かるようなものではないからだ。最上級の攻撃術アリクス等は、七種類の鉱物を用いなければならないとかで、錬金術師の中にはその利便性の悪さからこれを用いない者さえ居る。錬金術は以上のように不便な系統の術だが、その代わり媒体さえあれば魔術師魔法よりもずっと詠唱は短く、術の完成は早い。

「砂鉄に集う闇の意志よ、我が手元にて破壊の刃をなさん……」

砂鉄から黒い魔力が溢れ、アインバーグの手元へ集まっていく。彼はもったいぶって、まるで攻撃を誘うように隙だらけに腕を上げつつ、唄うように囁いた。

「ナグラ!」

指弾とは基本的に速度が違った。反射的にガードポーズを取るのが精一杯だった。アインバーグの手から放たれたエネルギーの固まりは、直線的にコンデを襲った。術者の魔力に比例した威力の弾を放つ下等な術だが、見ての通り速さと威力は折り紙付き。軌跡を見切る事さえ出来なかった。蹌踉めくコンデに、更に砂鉄から魔力を絞り出すアインバーグの姿が映る。コンデも覚悟を決めてクレタを唱えようとしたが、その矢先に指弾が飛んできて、頬を切り裂きながら後ろに飛んでいった。連続して、更に四つ指弾が飛んでくる。慌てて回避行動を取るのが間に合わなかったら、額に穴が開いていた所だ。下がろうとするコンデの前でアインバーグは悠々と第二の術をくみ上げ、コンデに叩き付けてくる。今度はガードポーズを取っても耐えきれず、老魔術師は大きく吹き飛ばされ、壁に叩き付けられてずり落ちた。

「ぐ、ううっ!」

「どうした? まだまだ、終わりではあるまい?」

慌てて這い避けるコンデの後ろで、壁が鋭い音を連続して立てる。アインバーグは指弾の間合いを保つべく近づき、間合いの円周上で正確に止まった。何とか立ち上がるのが精一杯で、それ以上の事は出来なかった。アインバーグは更に術を唱え、コンデも合わせて術を唱えようとするが、その矢先再び指弾が飛んでくる。一発が肩を掠め、二発が耳の一部を削って壁で跳ねた。跳弾の一発が背中に当たり、思わず呻くコンデの前で、更にアインバーグが次の術を唱える。先の手を尽く読まれている。優秀なリーダーのお陰で、レールの上を走るが如く戦ってきたツケが出ていた。世でいう団結の力とやらには、こういう致命的な欠点があるのだ。

コンデの視界に、エーリカのハンドサインが飛び込んできた。再び飛んできたナグラに吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられながらも、コンデは杖を上げ、強引に詠唱を開始する。せせら笑ったアインバーグは躊躇なく指弾を放ってくる。這うようにして、慌てて逃げるコンデ。幾つかの指弾が彼を傷付ける。再び詠唱しようとするアインバーグの前で、コンデは再び自らも詠唱し、また指弾から逃げる。エルフの錬金術師は悠々と間合いを詰めてくる。それを二度繰り返した結果、最高の好機が訪れた。

「!」

逃げたコンデを追い、足を進めようとしたアインバーグが舌打ちした。彼の前には、幅一メートル、高さ三十センチほどの大きさのクリスタルが転がっていたのである。隆起部分があるのは確認していたはずだが、コンデに、それにエーリカとフリーダー、それにファルに注意するあまり、足下がおろそかになっていたのは明白であった。体勢を崩すと指弾は撃てない。しかし、コンデは既に指弾の有効射程外だ。しかも、近づこうとすれば問題なく距離を取れる。躊躇するアインバーグの前で、コンデは必死に詠唱を続ける。しばしの躊躇の後、アインバーグは袖から袋を出し、赤銅色の粉末を床にばらまいた。広範囲にばらまいたそれに手を翳しながら、彼は詠唱する。

「異界の住人どもよ、我の召喚に応え、姿を見せよ。 此処に汝らが求む、甘くたおやかな果実あり! ガルディ!」

ばらまいた赤銅の粉が淡い光を発し、見る間に円を形作っていく。その中からどす黒い異形共が這い出してきた。今では使い手も少ない召喚の術だ。異形共は大きな蜘蛛であり、一匹一匹がヒューマンの子供ほどもある。なるほど、盾にもなるし、攻撃に耐えきればそのまま剣にもなる。良い判断だが、コンデも負けるわけには行かない。敵に遅れる事1.5秒、コンデも練り込んだ術を発動した。

「砕き散らせ、我が敵を! クルド!」

出現したばかりの蜘蛛たちとアインバーグに、巨大な氷柱が降りかかる。急いで唱えたからだいぶ威力は落ちているが、人間大の相手には是で充分だ。肉が潰れる嫌な音が響く。数匹の蜘蛛は待避に成功し、右往左往した後、跳ね飛びながらコンデに迫ってきた。コンデは下がりながら、もう棒になりかけている足を叱咤激励し、何とか弱威力のクレタを発動させる。一匹目、二匹目、三匹目。必死に逃げ回りながら詠唱し、火球を放つ。恐ろしく早い敵と戦い続けた結果、この程度の相手に当てる事自体は造作もない。しかし、牙に掛けられたときのことを考えると、生きた心地がしなかった。近づこうとする奴から優先して、火球を放つ。炎を喰らった蜘蛛が火だるまになり、足を縮めて地面で焦げていく。最後の一匹を丸焼きにした頃には、もう体力的にも限界であった。大きく肩で息を付く彼に、アインバーグの声が降りかかる。

「やるな……老体」

「そろそろ、決着を付けようかの」

「息が上がっているようだが? ひゃっひゃっひゃっひゃひゃ、まあいい」

コンデが顔を上げると、アインバーグが歩み来ていた。多分クルドの破片によるものか、肩から脇腹に掛けて大きな傷が出来ていて、ローブが紅く染まっている。それに、歩調が少しおかしい。先ほどの一撃で、見かけ以上の損害を受けているのは明々白々。勝機を見出したコンデは、ゆっくり杖を上げ、堂々と詠唱を開始した。もうエーリカの指示はないが、使う術など決まっている。今まで一番多く使い、勝利を引き寄せてきた最高の技。術の高位下位は関係がない。

術の得意不得意は、術者の性格が影響すると言われている。激しい性格の持ち主は、炎の術を得意とする。静かな性格の術者は、氷の術を得意とする。絶対ではないが、そう言った傾向は確かにある。その法則で行くと、臆病なコンデには防御系や補助系の術が合いそうなものである。しかし現実にコンデが最も得意とし、エーリカが一番多く発動の指示を回してきた術は、冷気の術であった。臆病で、恐がりで、逃げる事ばかり考えていたコンデだが、その本質はどうだったのだろうか。詠唱をくみ上げていく。敵も袖から袋を出し、中身をぶちまけ、手を翳す。中身まで見ている精神的余裕はない。ザクルドやジャクルドを唱える時間も余力ももう無い。

「其方は冷気の術だな。 ならば此方は、火術で行かせて貰おう!」

「うむ……!」

滝のように垂れ落ちる汗。こんな中、どうして集中力を維持出来るか、コンデ本人にも分からなかった。地獄のような環境で、文字通りの悪魔どもと戦い続けて鍛えられて。だから強くなった。背負っているものがあるからではない。エモーショナルな力など、経験と鍛錬に裏打ちされた力の前では芥同然だと、もう知っている。だがコンデの脳裏には、彼を信じ、心配し続け死んでいった妻の姿が、鮮やかに映っていた。

『小生は、小生は……!』

クルドの詠唱が完成する。同時に敵も、巨大な火球を完成させていた。敵に宿る狂気を移すように、火球は禍々しく紅く、燃えさかっていた。だが、裏付けない狂気ではない。奴にも当然背負うものがある。勝つのは、一人しか居ない。

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」

叫び声が重なる。コンデが敵斜め上方に出現させたクルドを撃ち放つのと、アインバーグが右手を前に出し、火球を直線的に発射するのは全くの同時だった。発射と同時に、両者ともに回避行動に入る。コンデはもう避けきれる自信がないから、杖を構え直し、もう堂々と火球を受け止める態勢に入った。その枯れ果てた腕に、誰かの手が添えられた、そんな気がした。火球に覆われていく視界の隅、アインバーグが地面を直撃したクルドの破片を浴び、横殴りに倒れる姿が映る。今になってみると、さっきのクルドで左腕が動かなくなっていたのが分かる。それを全く感じさせない様子で、あそこまで冷静に詠唱を行って見せたのだ。敵ながら、天晴れであった。

『うむ。 小生はお前の為にも負けぬ! 行くぞ、メラルタ!』

巨大な火球に向け、残る魔力の全てを向ける。妻が、微笑んだ気がした。

一瞬の衝撃の後、コンデは激しくクリスタルの壁に叩き付けられ、意識を失った。だがその顔には、為すべき事を為し遂げた、満足が浮かんでいた。

 

3,決着の時

 

周囲の戦況を冷静に見やりながら、アウローラは小さく息を吐いていた。どうやら、何とかぎりぎり合格点と言う所か。ようやく肩の荷が下ろせると思った彼女は、本格的な攻勢に出る事を決意した。部下が倒された事による悲しみはない。破れた際に滅ぶ恐怖はない。そこが、アウローラ足る所以であり、自覚している冷酷性でもあった。自分にたいしてすら際限ないまでに冷酷な魔女。彼女はゆっくり、フリーダーに歩み寄っていく。両者の間にある空気が帯電していく。それがはじけた。

無言のままアウローラが走る。残像を残しながら、一挙にフリーダーへ間合いを詰めていく。エーリカが冷静にハンドサインを飛ばしているのを見るが、気にしない。迎撃にクロスボウボルトが飛んでくる。先ほどから確認しているが、鏃の一部にミスリルを使った、非常に強力な矢だ。刺さったら相当な大打撃を受ける。至近で危うくはじき返すと、アウローラはフリーダーの懐に飛び込んでいた。まずはクロスボウを手刀ではねのけると、それを予期していたフリーダーが空いた手でショートソードを閃光の如く引き抜き、斜め下から刃を抉り込んで来た。体を低くしてそれを避けつつ、フリーダーをエーリカとの射線上に持ってくる。クリスタルの床に、今跳ね飛ばしたクロスボウがぶつかり、乾いた音を立てる。エーリカはそれを予想して既に間合いの円周上を走っているが、その移動も予期した上でである。フリーダーが斜め上から刃を叩き付けてきて、跳ね飛びながら詠唱を開始、エーリカが放った矢を間一髪ではじき飛ばす。最初から今の詠唱はフェイクだ。頭の中でカウントをしながら、フリーダーへ間を詰める。連続して飛んでくるショートソードの刃を右左に避けながら、五秒のカウントが終了。アウローラの白い右手は、音もなく長さ一メートルほどの白銀の刃へ変じていた。魔法戦闘タイプのオートマターであっても、是くらいはたやすい。激しくフリーダーの刃と、アウローラの手剣がぶつかり合い、火花を散らす。良い腕だ。相当な強敵と戦い続けたのは間違いない。戦闘タイプのオートマターは取得した経験によっていくらでも化ける。自分がそうであったように。無言のまま繰り出した蹴りが入るが、受け流されたという感触が強い。はじき飛ばしたフリーダーは何度かバックステップしながら衝撃を殺し、最後点で力を充填して、先以上の速度で斬りかかってきた。再び刃に火花が散り、アウローラは態勢を低くしながらそれを跳ね上げる。頭が一瞬前まであった地点を、フレイルの容赦ない一撃が通過していた。流石エーリカである。今の攻防の隙に、間合いを詰めて必殺の一撃を打ち込んできていたのだ。並の使い手なら、此処で頭を砕かれている所だが、アウローラはそんな真似はしない。回転しつつ斜め後ろにいるエーリカに当て身を浴びせ、更にその勢いで斜め下からフリーダーの横顔に回し蹴りを叩き込む。二人が地面に叩き付けられるより早く詠唱開始。だが違和感を覚えて、反射的に右腕を振る。鈍い痛みが走った。何とか飛んできたクロスボウボルトは弾いたのだが、弾いた瞬間に掌を傷付けられたのだ。ウェズベルと言い、此奴らと言い、人類の基礎的な戦闘力は確実に昔より上昇している。見れば地面に倒れつつ腰に付けていたクロスボウを抜き今の瞬間に射撃を成功させたエーリカが、にいと笑みを浮かべていた。着地したアウローラは、跳ね起きてすぐに斬撃を叩き付けてきたフリーダーの一撃を立ち位置を変えて受け流しながら、エーリカの実力を素直に頭の中で賞賛した。

「まだやる? もう三対一よ?」

「世迷い言を。 この程度では、まだまだ不十分だわ」

再びさしのべられる手をはね除けると、フリーダーに手剣を斜め上から、更に横から叩き付け、腰を払いに行く。フリーダーは強いが、まだまだアウローラの方が役者が上だ。苦悶の表情を浮かべたオートマターの真左ががら空きになる。蹴りを入れたい所だが挑発には乗らない。そのままガードしている右側から、力尽くで回し蹴りを叩き込む。思わぬ力業に吹っ飛んだフリーダーは、転がりつつも落ちていたクロスボウを掴む。だがそれを放つ前に、アウローラは天高く飛んでいた。エーリカはまだ矢の装填が間に合わない。振り仰ごうとするフリーダーだが、一瞬遅い。アウローラは斜め上から躊躇無くフリーダーに蹴りを抉り込んでいた。ガードが遅れたフリーダーは大きく吹っ飛び、壁に全身を強打して動かなくなる。強烈な殺気を感じたのは、その瞬間だった。エーリカがハンドサインを出していたのには気付いていたが、それの意味する所を読み違えていた。

「しまった!」

アウローラの脇腹に鈍痛が走る。閃光の如く側を走り抜けたファルーレストが、刀を振り、血を落としていた。嫌に色素が薄い血を。ファルーレストはゆっくり振り向くと、刀を構えなおし、尋常ならざる殺気を目に宿しながら言う。フリーダーを傷付けられたと言うよりも、戦い終結への意気込みがより強く感じられた。

「真っ二つにしてやろうと思ったのだが、流石だな」

「そう簡単に、私を斬れると思った?」

「いや、これで上出来だと思っている。 ……此処からは、私が相手だ」

立ち上がろうとするフリーダーを視線で制すると、ファルーレストはじりじりと間合いを詰めてきた。……強い。これなら、策士エーリカがここぞに投入するのもよく分かる。この娘は、正に人中の武神。アウローラが今まで見た中で、間違いなく最強の使い手であった。やっとこれで死ぬ事が出来る。やっと楽になる事が出来る。アウローラの中で、歓喜が押さえきれなくなってきた。

「うふふふふ、やっと、やっと……」

「……行くぞ」

「来なさい」

剣にしていた右手を元に戻すと、アウローラは構えを取る。エーリカもクロスボウに矢を装填し直し、構える。負傷しているし、二対一だが、丁度いいハンデだ。大胆に間合いに踏み込んでくるファルーレスト。その距離が縮まった一瞬、神舞が始まった。

 

ファルが見た所、アウローラは大胆に間合いを開いている感じであった。何というか、自分の勢力圏に入り込む事に対して、これといった嫌悪を感じていない気がする。どうぞ踏み込んできなさい。そんな事を言われているように、ファルは感じた。無理もない話である。その全身には、実力に裏打ちされた圧倒的な自信が満ちあふれていた。

挑発になら、いくらでも乗るつもりであった。エーリカがこのタイミングに介入を要請した理由が、今のファルにはよく分かる。突発事故がない状況で、全力でアウローラに対してぶつかって欲しいというのだ。エーリカ自身も隙を見て援護攻撃をするつもりだろうが、彼女はこの後に備えて余力を温存している。実際この後の事を考えると、倒れたまま動かないロベルドやヴェーラ、それにコンデとフリーダーの状態も考え、これ以上エーリカに無理をさせるわけには行かない。今の奇襲で脇腹に傷を負わせたとは言え、まだまだ油断出来る相手ではないアウローラに、これからファルが自分の実力で致命傷を与えるか、戦闘能力を喪失させねばならないのだ。

難題であった。同時に、越えるべき壁でもあった。此処で彼女がアウローラを倒せば、忍者ギルドの名声は一気に高まる。それにこの迷宮で彼女が練り上げた、聴覚強化呼吸法と魔力視瞑想法をふんだんに使った戦闘術を交えれば、ギルドは一気に躍進出来る。返しきれない恩を、何とか返す事が出来そうだ。

アウローラは楽しそうに笑っている。ファルも殺し合いの前だというのに、何処か嬉しかった。最強の敵と相対していると言う事、人生の目的に一区切りを付けられそうだと言う事、様々な思惑が混沌となり、渦を為し、最終的に歓喜を呼んでいたのだ。

戦闘開始のきっかけは、本当に僅かなものであった。アウローラが僅かに、脇腹の傷に注意を移したのだ。瞬間、ファルは動いていた。

アウローラが顔を上げるのと、ファルの刃がその死角から迫るのはほぼ同時。閃光が走り抜いた時には、アウローラは跳躍、刃を足下に見下しながら飛び退いていた。詠唱はせず、そのまま斜め後ろに飛び退く。音もなく間合いを詰めたファルが、まずは腰を落として、開いている左手で突きを入れる。アウローラは避けもせず、それを掌で受け止める。そのままファルは拳を引き、連続して突きを見舞う。眉をひそめたアウローラは、二発目までを掌で受け止め、三発目は下がってかわそうとする。其処へ踏み込んだファルが下段へのローに不意に切り替え、アウローラのつま先を弾いた。

「!」

僅かに体勢を崩したアウローラが無理に身を捻り、飛んできた矢をはじき返すのと、ファルが流れるように魔女の視界の死角に潜り込み、国光を突き出すのは同時。絶対に避けられない間合いだが、アウローラはそのまま回転しつつ、手刀で突き込まれた国光の峰を打って軌道をそらし、ファルの態勢を逆に崩しつつ回し蹴りを放ってきた。流石にこれには為す統べなく、ファルはガードが遅れ、跳ね飛ばされて地面に叩き付けられる。アウローラの追撃は更に続き、上空から怪鳥が如き蹴りを放ってきた。転がって避けつつ、ファルは思う。強い。流石に七千年生きていると言うだけあり、判断力がずば抜けている。とっさの状況での対応力も度が外れている。身体能力はどうにか五分か、アウローラが若干上。リミッターを強制解除すれば瞬間的に上回る自信があるが、それがきれた瞬間ファルは敗北する。跳ね起き、ファルは国光を振るい、アウローラと激しく打ち合った。奴は手刀で、名刀無双なる国光と渡り合ってくる。二合、三合、五合、八合、十五合。火花散り、床を踏みしめ、両雄はぶつかり合う。アウローラの手刀がファルの頬を掠め、ファルの国光がアウローラの左肩を掠めた。互いの隙に付け入り、刃を叩き込もうとする。拳を繰り出し、蹴りを放ち、激しくぶつかり合う。幾つかが掠め、幾つかは全く掠りもせず、幾つかは受け止められる。体力の削り合いが愚である事は承知している。だが、一撃一撃に必殺の気合いを入れているにもかかわらず、相手を捉える事が出来ないのだ。苛立ちを押さえて、状況から考え得る最善の戦術を実行に移し、敵を屠ろうとする。だがいずれも効果を示さない。効果を示しても、致命傷にはほど遠い。最高の使い手同士の腕比べは、美しく、そして何処か悲しかった。

ファルが飛び退くのと殆ど同時に、アウローラも距離を取る。肩で息をして、呼吸を整えるファルに対して、アウローラはフリーダーのように右手をランスモードに変えてきた。流石に戦闘タイプのオートマターではなくとも、決戦兵器として使われただけある。殆ど消耗している様子はない。していたとしても、此方からは見えない。体の何カ所かに軽傷を負ったファルは、体力的にこれで随分不利になった。まあ、アウローラは人間では考えられないほどの魔力を持っているわけだから、体力だってそうであっても不思議ではない。態勢を低くするアウローラ。ファルは小さく息を吐くと、国光を鞘に収め、髪を首の後ろで縛り上げ、上着を脱ぎ捨てた。相手が勝負に出てきた以上、此方も余力を出し惜しみなどしていられない。だが、ファルは少し疑念を感じた。返事など期待せずアウローラにぶつけてみると、意外な事に言葉が返ってきた。

「今のまま、消耗戦を続けていれば、有利なのではないか?」

「あら、そうでもないわよ。 貴方が見ている以上に、私は疲れているの。 そもそも魔法を完封されるっていうハンデを負ったのが、随分久しぶりなのだから。 さび付いた体術をklliuwlkashidfiの中から引っ張り出してくるのだって、一苦労なのよ」

「よく分からないが、さび付いた体術というわりには、見事な腕だ」

「ありがとう。 素直に褒め言葉として取っておくわ」

ファルは褒めたつもりなど無い。事実この体術に人間離れした魔力が加われば、うごめくもの達を屠り去ってきたのも納得出来る。本当の強者と言っていい。だからこそに、逆にアウローラの狙いは読めている。そして、それをやられた場合、全滅するか全滅させられるかの勝負になると言う事も。アウローラが読まれた上で、敢えて行動を進めていると言う事も。此処で躊躇するような輩ならいらない。そういう意思表示なのだと、自然に分かる。エーリカが立ち位置をずらし、態勢を低くする。ファルも精神を一気に集中し、全潜在能力を解放していく。勝負は一瞬、いや二瞬だ。最初の一撃と、来るべき次。これをどうにかすれば、ファルの勝ちだ。

今までにない、刺すような闘気が周囲を覆い尽くしていく。クリスタルの壁や床に罅が入っていきそうな、そんな感覚。ファルが発したものと、アウローラが発したものがぶつかり合い、混じり合って周囲ではじけているのだ。うごめくものと戦った時に感じたような、破滅的な殺気とはまた違う。あれは捕食者の殺気だった。今感じているのは、同格の敵手としての殺気。アウローラの全身から、巨大な魔力が吹き上がり、右手のランスが更に鋭くなり、鋭利な棘が生えていく。ランスの真骨頂はスピードと重量を利した突撃にある。例えば騎馬兵がランスでチャージを行う場合、自らも厳しく鎧、馬にも鎧を付け、最高速度で突進するが、此処での問題は速さではなく重さだ。チャージに使う馬の体重はおよそ一トン。それに加えて、鎧等の重量が軽く二百キロ以上。これが時速数十キロで突撃した時の破壊力を想像してみると良い。それは即ち、小さな家が、そのまま敵に突撃するようなものなのである。

フリーダーの使うランスモードは、明らかに重量以外の何か、例えば本人の力やディアラント文明の産み出したハイテクノロジーでそれを補い、強大な破壊力を産み出している。それより優れているとしか思えないアウローラのランスモードは、破壊力も間違いなくフリーダーのものより上であろう。時間に対する感覚が研ぎ澄まされていく。空気の流れまでもが、微細に感じられる。来る。そう思った瞬間、アウローラが動いていた。

風を切り裂くという表現があるが、そんなものなど生ぬるい。風を無理矢理こじ開けて、空気さえ蹴散らし、アウローラが走ってくる。ファルが今まで見た事もないほどの速さだ。分かっていたのに、分かり切っていたのに、避けきれない。何とか、体の中心を、ランスの軌道上からそらすのが精一杯だった。脇腹に走る鈍痛、空中に投げ出される感覚、そして壁に叩き付けられる。激突の瞬間、エーリカが援護射撃をしてくれなければ、確実に体を真っ二つにされていた。空白の瞬間。それを乗り込え、床に自らの身体を投げ出し、アウローラを視線で追う。アウローラは居た。やはり、予想通りだ。遙か遠くの壁の手前で、左手で印を組み、詠唱に入ろうとしている。奴の狙いは、ランスモードで突撃、此方に対応能力の限界を超えたダメージを与えつつ後方へ突破。一定の距離を取り、本命である魔法攻撃に切り替える事だ。エーリカは必死にクロスボウのワイヤーを巻いている。今の援護射撃を成功させただけでも凄いが、矢を再装填する前にアウローラの魔法は確実に飛んでくる。ファルは呼吸を落ち着ける。そして、走った。

アウローラが空気を蹴散らして走るというなら、ファルは風と一緒に走る。風の流れの中に身を置き、それを避けながら走る。極限まで高めた感覚は、聴覚強化呼吸法にも後押しされ、空気の流れさえ聞き分けた。床の何処を踏めば加速出来るか、加速しきった意識の中で感覚的に理解し、走る。アウローラが見る間に近づいてくる。奴の詠唱が終わろうとしている。掌を此方に向ける。尋常でないほどの魔力が集まった、赤熱した掌を。させるわけには行かない。抜刀したファルが刀を構えなおし、突貫する。距離がゼロになる。

ファルの方が、ほんのコンマ一秒、いや更に十分の一だけ、早かった。

ファル自身も気付かないまま、いつのまにか彼女はアウローラをクリスタルの壁に串刺しにしていた。極限の速さの中研ぎ澄まされた国光はクリスタルさえ貫き通し、アウローラを串刺しにして射止めていた。アウローラの、これ以上もないほど整った唇から血が漏れ零れた。断末魔はなかった。致命傷だと一目瞭然だった。アウローラは、とても静かに笑った。

「ふ……ふふ……うふふふ……ふふふふふふふふ」

「どうしても、これしか、無かったのか?」

「……そうよ……やっと……これで……」

アウローラの手から魔力の光が失せていく。彼女の胸から乾いた音がして、小さな金属片がこぼれ落ちた。いつのまにかランスモードを解除したアウローラの手が、ゆっくり上がって、震えているファルの手を撫でた。冷たい感触だった。

「これで、この世界の人間は、愚かな過ちを……精算出来る」

「任せておけ。 私たちが、必ず成し遂げる」

「……その金属片を、フリーダーに渡して。 後は、あの子に……」

アウローラの手が落ちた。ファルの頬を、涙が一筋伝って落ちた。

 

4,うごめくものの正体

 

地下十層入り口。ブレスを吐き散らし、暴れ狂っていたパイロヒドラも、ついにその動きを止める時が来た。巨大な氷柱を山と浴びせられ、雷の魔法で肌を焼かれ、身動き取れなくなったのだ。ポポーによる冷撃魔法ジャクルドと、エミーリアによる雷撃魔法ジャティールが、完璧なタイミングで同時発動したのである。複数の首がのたうち回り、申し訳程度にブレスをまき散らす。片膝を突いていたリンシアが、数度失敗しながらも何とか立ち上がる。そして、地面に右手を突いていたベルタンと頷きあった。勝機である。

まずはベルタンが走る。息子から譲り受けた大斧を振るい上げ、最も手前にあったパイロヒドラの首を跳ね飛ばす。もう一本の首が真上から躍りかかってくるが、これは跳躍したリンシアが体当たりし、僅かにずれた所へ聖騎士の剣を突き立てる。更に剣で傷口を抉りながら着地、立ちはだかるもう一本の首をはね飛ばす。大量に血がぶちまけられ、ヒドラが絶叫した。切り口の肉が蠢き、見る間に再生していくが、その速度は確実に落ちてきている。激しい痛みを覚えながら、リンシアが叫ぶ。

「アオイさん! 今です!」

「分かっている。 任せて」

鞘に収めていた村正を、居合いの要領で抜き放つ。マクベインを倒した時に見せた、村正の居合いによる妖気放出術だ。巨大な妖気の刃が、二人が開けた穴を驀進、ヒドラの体を直撃した。悲鳴をあげながら、残った首が地面に倒れ、巨体が続いて崩れ臥す。轟音が響き、死闘の終わりを告げるカーテンコールとなった。

「はあ、はあ、はあっ!」

大量の血にまみれながら、リンシアが剣を杖に、どうにか身を起こした。皆似たような状況だ。パイロヒドラと戦っているうちに集まってきた敵増援の死体が、周囲には山と散らばっている。ストーンフライの死骸もあったし、巨大なミミズの亡骸もあった。まだ動いている連中に刃を突き立てとどめを刺しながら、アオイが言った。

「リンシア殿、どうするの? 後を追う?」

「いいえ。 撤退しましょう」

聖騎士の剣を鞘に収めると、リンシアは周囲を見回した。もう敵の気配はない。此方で引きつけられる連中は全て片づけた。後はファル達にやって貰うしかない。アウローラとの交戦が始まったとしたら、もう行っても役に立てるかは分からない。それに、ベルタンはヒドラの血を少なからず浴びていたし、ポポーは魔力を使い果たして床にへたり込んでいた。戦力的にも、この奥へ進めるかは微妙な所だ。

「是から地上に戻り、やる事はいくらでもあります。 帰ってきた彼らの負担を増やさないように、道を整備して置かねばなりません」

「……そうか、そうだな」

リンシアの理性的な言葉に、ヴァイルがベルタンに肩を貸し、共に立ち上がる。彼らの戦いは、此処で終わった。後はファル達の戦いであった。

しばしの時を経て。地下十層に入り込んだ人間は、その数を半分に減らしていた。一チームがかたづけの後、地上へ帰還したからである。

 

戦の場の奥にあった戸を開けると、見た事もない機械が立ち並ぶ空間があった。金属かどうかも分からない長方形の机の上に、四角い箱が立ち並び、その一面は光り怪しい文字を写しだしている。箱からは線が延び、それは無数に絡み合いながら一方向に伸び、大きな箱へと繋がっていた。部屋には白衣を着た者達が多数詰めていて、入ってきたファル達を見て憎悪と敵意が混じった視線をぶつけてきた。その中の一人、最も年老いた男が歩み寄ってくる。ファルは刀に手を掛けたが、すぐにそれを下ろした。戦闘力も戦意も持ち合わせていない事が確実だったからである。良かったとファルは思う。リミッター強制解除の反動で、頭の中で異音が響き渡っているような状態だったからだ。

「アウローラ様の死は、此方で確認しました。 以降我々は、あのお方のご意志に従い、あなた方をサポートいたします。 まずは治療を行わせて頂きますので、此方に……」

「……順番に説明して。 まず、この機械群は何? 貴方達は何者?」

「この機械群は、アウローラ様が再現した、ディアラント文明の産物です。 うごめくものを今まで監視するのに用いていました。 私たちはアウローラ様に助けられ、彼のお方を助ける事を心に決めた者達です」

エーリカが頭を掻いて、お願いしますと言うと、白衣を着た者達はいそいそと治療に取りかかる。重傷者をかついで、白いベットが並んだ真っ白い部屋へと運んでいく。大丈夫なのだろうかとファルは思ったが、長老らしきものは言った。

「時間がありません。 本当はこんな戦いをしないで頂きたかったのですが、アウローラ様は何度緊急事態を告げても動いてはくれませんでした。 痛恨の極みです」

「時間がない、だと?」

「イザーヴォルベット、あなた方が言ううごめくものの首魁アシラが、覚醒しようとしています」

「それは大変な事なのか?」

「アシラは今まであなた方が倒してきたうごめくものとは物が違います。 アウローラ様を倒したあなた方でも、何とか相手に出来るのは第三段階まで。 その先にある「採集形態」になってしまったら、もう打つ手はありません。 ベノアは奴に食い尽くされてしまうでしょう」

部屋に運び込まれてきたパーツヴァルが、アウローラを殺したファルを憎々しげな目で睨んだが、すぐに視線を外した。

「後で、貴様の目で見てみるが良い。 其奴の言葉が本当だと、すぐに分かるだろう」

「いや、貴公ほどの戦士がそうまでいうのなら、間違いないのだろう。 ……私も、治療を頼む。 残り時間はどれほどだ?」

「奴が第三段階を超えてしまうのは六時間ほど後だと思われます。 二時間で何とか回復は完了させます。 二時間であれば最悪の予想でも第二段階までと思われますので、総力戦を挑めば何とか」

「分かった。 じゃあ、治療しながらで良いから、うごめくものについてあなた方が知っている全てを説明してくれる? 愚僧達も、出来るだけ戦略上の準備はしておきたいの」

「それなら、当機が行います」

担架で運ばれてきたフリーダーが、エーリカを見上げながら言った。先ほどまで手にはあのアウローラが落とした金属片が握られていたのだが、以前九層で見た金属片のように、もう手を変形させて体内に取り込んだようであった。フリーダーは何か聞き慣れない機械を白衣の男の一人に要求した。傷ついた皮鎧を脱いで、肌着だけになると、何とか一人で奥へと歩く。錬金術ギルドにあったような、大きなシリンダーが奥にあって、多少ふらつきながらもそれに入りつつ、左側にある大きな黒い板を指さす。男が指定したのは、その板だった。

シリンダーに栄養液が充たされていく。フリーダーが黒いコードを右手に刺し、目を閉じ、栄養液に身を任せる。それと同時に、黒い板の様子が一変した。腕組みしたアウローラの姿が、それに映り込んだのである。ファルは驚いたが、板に映像がでているだけだと、立体感の無さから判断出来た。タンカで運び込まれた者達は、ベットにて治癒を受けながら、板に視線を移していた。

「……この映像が見られていると言う事は、もう私は死んだと言う事でしょうね」

アウローラが言う。白いベットに腰掛け、回復魔法の光を受けながら、ファルは映像となったアウローラに視線を注いだ。

「今から、私が七千年がかりで暴いたうごめくものの正体を、此処にいる全員に説明するわ。 是を見た者達は、絶対に奴らを倒して。 それが、私たちが犯した過ちを精算出来る、唯一の方法よ」

「その過ちによって作られた貴公が、死ぬ事はなかったではないか。 アウローラよ」

ファルの言葉は、もう届かない。しかし回復魔法を掛けている白衣の女が、目尻を拭っていた。彼らが扱う回復魔法は精神力も回復出来るようで、すぐにではないが、じりじりと頭痛が収まっていくのが感じられた。だが、安らぐ時間など全くなかった。アウローラが、驚くべき事を言ったからである。

結論から言うと、うごめくものは、哀れな家畜よ

「家畜、ですって……!?」

「順を追って説明しましょう。 何故うごめくものがこの世界に来たか、この世界で何をしているのか、そして何故死にたがるのか」

もはやアウローラの言葉に口を挟むものなどいなかった。真実という名の、地獄の扉は、今此処に開かれたのである。

 

ディアラント文明末期の事。暴走した同文明は楽しむ為だけに異界に穴を開け、面白そうな存在を捕獲しては闘技場で殺し合わせていた。色々な世界に穴を開けていた以上、いつかそれが起こるのは必然であった。

「私はその世界の事を、仮にXと呼称しているわ。 ディアラント文明は、ある日Xにゲートをつなげてしまったの。 Xは、特に変わった事のない世界だったわ。 不思議な外見の生物も居ないし、特に強力な生物も居ない。 ディアラント文明の人間は、少なくともそう判断したの。 ただ一つ、致命的な見落としをしながら」

豊満な胸の前で腕を組んでいたアウローラは、それをほどき、肩をすくめてみせる。

「様々な検証の結果、その世界には文明がある事が判明したわ。 それも、ただの文明なんかじゃない。 一人一人の人間が、星を一つ一つ保有しているような文明よ。 天界や魔界は我々の世界と比較にならないほど文明が発達しているけど、Xと来たらそれらとも比べものにならないほど文明が発達しているの。 そんな文明だったから、密度が薄くて、ディアラント人は自分がとんでもない連中とアクセスしてしまったという事に気が付かなかった。 しかし、Xはディアラント人のアクセスを覚えていた」

後は雪崩を起こすかのようであった。X文明は、ディアラント文明及び周辺の文明を調べ、何ら存在の価値を見出さなかった。何しろ、Xにある文明は一人一人の寿命が数十万年、いやそれ以上に達しているような超越的存在である。一人一人が神以上の力を持っている世界だと言っても良い。二十年やそこらで政権が滅んだり、進歩せず延々と下らない殺し合いを続けているような文明を見て、素晴らしい場所だと思うであろうか。ましてやアクセスの目的が、自らの快楽の為に、殺し合わせる生物を見つけようなどというとんでもない代物で、なおかつX文明の人間もそのターゲットに入っていたのだ。

「幸い、X文明の人間はディアラント文明の人間を憎まなかった。 ただし、今の人類で言うと、そうね。 牧草地くらいにしか考えなかった。 栄養のある土壌に乱雑に生えたただの草。 それがX文明の人間による、ディアラント文明の認識だったの。 良く貴方達の世界で、文明的に劣った存在を(蛮人)等と言って軽蔑するわよね。 X文明の人間に至っては、我々はもはや同じ人間ですらなかったわけ。 ただ、これはディアラント人も似たようなものだったから、お互い様かしら。 うふふふふふふふ」

アウローラの乾いた笑い声が痛い。人間という生物が、どれほど価値観の違う存在になれるか。それを試しているような事象であった。

「そして、多分X文明の人間にとって、牛を飼う……いや多分そんな高等な事じゃないわね。 薪を集めるとか、そんな感触。 そんな感触に基づいて、無駄な殺し合いが常に行われているベノアから、せめてエネルギーだけでも回収しようと言う事を考えた者がいたのね。 そうしても何の問題もないとでも考えたのでしょう。 どうせ殺し合いは日常的に行われているのだから。 そうして、イザーヴォルベット、うごめくものは作られ、現世に降臨したの」

「何て……こったよ」

ベットの上で話を聞いていたロベルドが、蒼白になっていた。ディアラント文明の人間の愚かさが、とんでもない存在との接触と、とんでもない怪物の招聘を招いてしまった。それをよそから見るような徹底した客観性で突きつけられたのだ。無理もない話である。エーリカも爪を噛みたそうな表情で、アウローラを見つめていた。

「うごめくものは、以下の事だけを考えて作り出された生命体よ。 まず第一に、ベノアにある文明がある程度人口を増やしたら降臨する。 この時の判断基準は、文明内部でうごめく人間の負の感情よ。 これが一定以上になると、自動的に出現するように作られているの。 第二に、降臨したら文明そのものを食らいつくす。 そう、彼らは人間を殺すと言うよりも、文明とその産物を主に喰らうの。 人間が文明の恩恵を多く得て強くなっていたり太っていたりする場合は、人間も彼らの餌の対称となるわ」

アウローラは背後に様々なグラフを出現させ、説明に移った。いずれも論理的な説明で、データに基づいた発言には大きな説得力があった。やがて、細い棒を取りだしたアウローラは、この部屋の前にあった立体映像とやらに似たものをつつきながら言う。

「そして、最後に。 エネルギーを充分に摂取した、すなわちたっぷり人間とか文明とかを食べた彼らは、こうなるの」

産まれる前の胎児のように、膝を抱えて丸まったその姿。その姿が端から崩れ、溶けるように消えていった。

「見て通りよ。 良く正体は分からないけど、何か高密度のエネルギー塊を作り出して、異界に、X文明のある土地へと転送するの。 それを彼らは、(死)と称するわけ。 そう、何度も聞いているはずよ。 (死にたい、まだ死ぬわけには行かない)と。 これが彼らの目的なの。 彼らにとっての至上命題は、エネルギーを大量に集めてX文明のある土地に転送する事。 それを成し遂げる事が(死)なの。 是を為す前に、倒されるわけには行かない。 だから彼らと戦うと、必死に抵抗するの。 彼らにとって、目的を為す前の死は最も恥ずべき死なのよ。 この迷宮は、かってうごめくものが現れたり、膨大な負の力が集まった土地を結合した存在よ。 地下一層はかって黒食教の本部があった土地で、多くの人間が生贄として殺された。 二層、三層、四層はいずれもうごめくものによって滅ぼされた土地や、出現した土地。 それを負の力が増すほど下に行くように、私の魔術の力で連結しているの。 五層以降は貴方達も分かっているとおり、ディアラントの名残。 その中でも、もっとも激しくうごめくものの攻撃を受けた土地を連結しているのよ。 これはもう知っているかも知れないけれど、負の力は、連結するとどんどん強くなろうと集まる傾向があるの。 そしてそれを調節してやる事により、うごめくものを引きずり出す事に成功したわ。 そして、弱める事にも。 奴らが体を構築するのに必要なタイプの負のエネルギーはもう分析済みだったから、それを此方で少し弄ってやれば良かった。 それに奴らが現れた所で、この迷宮の中に、食べるものなんてないものね。 うふふふふふふ」

ファルは吐き気を覚えていた。何というおぞましい話か。ディアラント文明の人間にしても、その高度な文明にしても。人の価値観とは一体何処まで変わるものなのか。人は何処まで命を軽視出来るのか。吐き気に続いて、悪寒すら覚える。うごめくものたちは、死にたい死にたいと考えながら、ずっと死に続けなければならないのだ。永久の死の鎖、破滅の連鎖。これを地獄と言わずに何というのか。アウローラは淡々と続ける。

「何て非道な、とか思っている? しかしそれはどうなのかしらね。 例えば、牧畜の事を考えてみて。 貴方が牧草地の草であったらどう思う? きっと人間の事を、このX文明の連中が如く、おぞましく恨めしい連中だと思うはずよ。 或いは野菜だったらどうかしら? 食べる為だけに育て、いらなければ捨てる。 そんな事をされたらどう思うか、考えてご覧なさい。 難しいかしら? うふふふふふふふふ。 きっと単純な価値観しか知らない人間には、難しいでしょうね」

アウロ−ラの指摘は更に続く。冷酷で、容赦ない告発だった。

「面白い事を教えてあげる。 うごめくものがもし出現しなかった場合を考えて、ベノアの人口推移をシミュレーションしてみたの。 結果はステキだった。 変動は誤差5%にも達しなかったわ。 要するに人類は放っておいても、うごめくものがもたらすような破壊と虐殺を勝手に延々と繰り返すの。 残念だけど、人間というのは、所詮その程度の存在なのよ。 きっと、X文明の連中も、その辺りを計算してうごめくものを設計したのでしょうね。 過剰に搾取して土壌を殺してしまうのではなく、適度に収穫して継続的な収入を考えるのが農業ですものね。 それに、ディアラント文明は放って置いても百年程度で資源を使い果たして滅んでいたわ。 そして力を使い果たしたら彼らがどうなったか、考えるまでもないでしょう」

告発はやがて、断罪へと移った。もし気が弱い者であれば、此処まで展開されたあまりにも凄まじい現実の前に、気死していたやも知れない。

人間が自らを至上の存在だと思うのは、それが人間によって築かれた文明によって培われた価値観に基づいて生きているからよ。 ディアラント人がそうであったように、X文明の人間がそうだったように。 そして、貴方達が、牧草を刈る事や牛に喰わせる事を何とも思わないように。 人間という生き物は、基本的に公平にものを考えるように出来ていないの。 彼らは一方的に悪しき存在なのではないと、把握して置いた方がいいでしょうね。 少なくとも貴方達となら、同じ孔のモグラと言って間違いないわ

「確かに、それは間違いないでしょうね。 ただ……」

エーリカは静かに目に炎を宿しながら言う。アウローラが聞いていないのを承知の上で。

牧草にだって、食べられない為に葉を研いで、牛を傷付けたり、人間を追い出したりする権利はあるわ。 そう、愚僧達にも、抵抗する権利はあるのよ

良く言ったぜエーリカ! 俺も、全く同じ意見だ。 俺達は連中から見たら草かもしれねえ。 だがだからって、ほいほいと喰われてたまるか!

私も同感だな。 確かに敵を一方的な悪と言う事は出来ないだろう。 我々の本質が邪悪であることも否定はしない。 しかし、それでも生きる為にあがく権利は誰にでもある

小生は、そうじゃな。 大筋は皆の意見と同じじゃ。 多くの人間は確かに愚かだと思う。 だがそうではない者達だっている。 小生は、ばあさんや、ジルや、大事な人達の為にも、命を賭けてみたいのう

私は、火神アズマエルの導きによって此処にいる。 だが、その導きを選択したのは私の意志だ。 如何に現実が下水の汚泥よりも汚くとも、私は最後まで負けぬ

聞こえていないはずなのに、どうしてかアウローラは。エーリカの言葉も、ロベルドの言葉も、ファルの言葉も、聞くように黙り込んでいた。静かな沈黙の中、アウローラは静かな笑みを口の端に浮かべていた。

「貴方達が肯定的に言うか、否定的に言うか分からない。 けれど先に言っておくと、私は人間が嫌いよ。 当然の話。 私が人間を好いているとでも思った? 長く生きれば生きるほど、更に人間が嫌いになってきたわ。 今後もこれが解消される事は無いでしょうね、永遠に」

誰も何も言わない。アウローラの言葉は静かに、だが重い響きを持って続く。

「けれど、私の部下達は好き。 時々関わってきた中にも、好きな人間もいたわ。 そんな人達を助ける為に、私はうごめくものを滅ぼす最終兵器を作り上げた。 それが、闇の炎。 アンカーシュ。 もし生きているなら、彼らに渡しなさい」

長老格の白衣の男が立ち上がり、球体を持ってきた。赤子の頭ほどの大きさであり、透明な球体の中、黒い炎がうごめいている。

「うごめくものの本体は、私たちの世界と、X文明の世界の中間点。 世界ではなく、空間ですらない場所に巣くっているわ。 それを根本的に滅ぼし、異界との孔を塞ぐのが、この闇の炎。 原理だけで三千年掛かったわ。 これを、アシラを倒した直後、奴の頭上にある(孔)へと放り込みなさい。 それで、全てが終わるわ」

アウローラの言葉は、そこで中断するように止まった。しばし考え込んでいる様子であったが、魔女は最後に、と付け足してから言う。

「もし出来るのなら、私の部下達を傷付けないであげて。 彼らの処遇は魔界政府と話が付いているから、放っておけばこの世界を出ていくわ。 そしてもう一つ。 ……出来れば、アシラを憎まないであげて。 私は心にあるプログラムの呪縛から逃れられなかったし、個人的にもあの存在を憎んでいた。 だけど、出来れば貴方達は憎まないであげて欲しい。 それが、最後のお願い」

わずかに言葉を句切ってから、アウローラはいった。

「アインバーグ、パーツヴァル。 ありがとう。 私に尽くしてくれて」

映像が切れた。隣でパーツヴァルが男泣きしていた。ファルは天井を見上げると、任された仕事の重さを感じながら、呟いていた。

「……アウローラ、貴方の悲しい連鎖は、私達が断つ。 安心して眠れ」

それが感傷に過ぎないと、ファルは分かっていた。だがどうしても、言わねば気が済まなかった。アウローラの部下達に、泣いていない者は少なかった。これが勝利の重みだった。勝者が背負うものであった。

「絶対に勝つわよ」

エーリカの言葉に異を唱える者はいなかった。まだ回復の途中であったが、この時既に、最後の戦いは始まっていたのである。

 

5,アシラの降臨

 

アシラが体を作る。本体からの指令により、幼生体が急速に終結し、体を形作っていく。本体が危険を察知したのだ。本体を脅かしうる存在が、この世界に誕生していると。ならば少し無理をしてでも、この世界に根付く文明を平らげなければならない。それが、彼女が今までにない速さで、採集形態へと変じようとしている理由であった。

この世界の人類にこれといった強化や変化は見られなかったのに、どうしてかここ数百年、不意に人類の進歩が早くなってきている。人類の文明攻防スパンがある程度の時間を確保出来るようになったら、(理性的な文明の誕生)を認め自動消滅するようにプログラムされているうごめくもの本体だが、それまでは定期的に採集を行い、文明を白紙に戻すように動く。それが彼らに根付いたプログラムであった。人生の目的であり、軌道であった。

「死にたい……早く死にたい……」

アシラの呟きが響き渡る。ざわざわ、ざわざわと、体が蠢く。採集形態まで後少し。採集形態になってしまえば、もう敵はない。早く、早く早く。焦る心が、より身体の構築を加速した。当然、それには無理が伴っていた。

「ぐ、うう、ぐう!……うう?」

アシラの巨体が蹌踉めいた。周囲に無数の雷が放たれ、無差別に何もかも焼き尽くす。体の一部の構成が甘かったのだ。慌てて幼生体が集まり、補修していくが、それでも大幅な時間的ロスになった。苛立ちと焦りが高まっていく。それによって空間が削り取られ、飛び散っていく。アシラは吠え猛り、痛みを周囲に訴えかけた。

「おおおおおおお、うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

死なせろ、死なせろ、死なせろ、死なせろ。声にならない叫び。声にならない渇望。アシラの中で蠢く心が、迅速なる死を求めている。今度こそ死ねるはずだ。今度こそ、究極の死に到達出来るはずだ。アシラはそう信じ、体を構築していく。

うごめくものは常に痛みに襲われている。死なねばそれから逃れる事は出来ず、高位の者ほど痛みは激しい。それが凶暴性を増す原因となり、目的へも駆り立てる。アシラが感じている痛みは、尋常なものではない。今すぐ体を構築し、暴れ、全てを食らいつくして死にたい。それをずっとこの存在は我慢し続けてきたのだ。

「はあ、はあ、はあっ……!」

何とか体の再構築が終わる。急ピッチで再び構築作業に取りかかるが、アシラは焦っていた。この焦燥感もプログラムの一つである。

彼女は、哀れな家畜であった。多くのプログラムに縛られ、エネルギーを生み出す為だけに生きている存在だった。

吠え猛る声が、異空に響き渡る。アウローラが作った檻の最下部、もっとも頑丈なる場所に、悲しみと怒りと慟哭が混じり合った咆吼がとどろき渡る。

「……!」

アシラが顔を上げた。自らの危機だと判断した存在が近づいてくるのを感じたからである。切り裂いた空間から、ヴェフォックスとアンテロセサセウを呼び出し、迎撃に当たらせる。まだ敵を近づけるわけには行かない。今近づけさせては、また死ぬ事が出来ないのだ。

「妾は……死ぬのだ!」

アシラは憎々しげに言い、再び咆吼した。異空にて、滅びの存在が、今正に降臨しようとしていた。

 

(続)