破壊の巨兵
序、闇の中の戦い
うごめくもの七体の中で、知能を持っているのは三体。アシラとマジキム、それにオルキディアスである。それに対して、知能を持たないものは四体。アンテロセサセウとヴェフォックス、それにラスケテスレルに加えて、スケディムだ。何故知能が与えられていないかというと、理由は簡単である。必要ないからだ。
面を制圧し、組織的な抵抗を排除するアンテロセサセウ。高空からアンテロセサセウの制圧行動を支援するヴェフォックス。この二体は、動く敵さえ潰していけばそれで目的を達成出来てしまうため、知能を与えられていない。カギの役割を果たすラスケテスレルにも、特に知能は必要ない。彼らに存在するのは、死を達成したいという強烈な渇望のみ。渇望が強烈であるが故に、その行動は苛烈で、果てしなく冷酷だ。そしてスケディムだが、これは敵の戦略兵器を撃破する目的の為だけに存在している。敵の組織的抵抗を粉砕するマジキムと連携しながら、必要とされる地点に投入され、暴虐の限りを尽くす。彼の結界も、それに合わせた性質を持っており、元々のタフさを後押ししていた。
スケディムはタフなだけではなく、兎に角貪欲な存在である。その巨大な体躯もあるのだが、単純な食欲に関してはうごめくものの中でもトップに位置する。彼は喰らい、貪り、その原初的な行動によって敵の交戦意欲をそぎ取っていくのだ。戦略レベルで敵の、いや敵文明の力を削ぐために、マジキムは知能を残したまま戦い、スケディムは知能無く本能のまま暴れる。二体のうごめくものは互いの弱点をカバーしあい、膨大な戦果を上げるのである。事実ディアラント文明の組織的な抵抗は、この二体の前に沈黙した。ただ、スケディムはあくまでマジキムと組む事によって膨大な戦果を上げる事が出来る存在であり、ディアラント文明崩壊後期に、同文明のVIPが逃げ込んだシェルターにてマジキムが具現化覚醒するまでは、さほど効率的に暴れる事が出来なかった。
スケディムは今、現世への出現を行うべく、せっせと肉体構築に必要な部品を集めている。マジキムが居ない事は既に理解しているが、そんな事は関係がない。居ないのは別に今だけの事だし、スケディム本人の目的はあくまで破壊して暴れる事であり、その優先順位はマジキムと連携して効率的な破壊を行う事より高いのである。故に、条件が整った現在、スケディムは覚醒に向け急ピッチでの材料確保に勤しんでいた。
そんな彼の元に、コアとなるべき素材が現れた。
九層の深奥に降り立った大天使マリエルは、蠢き続ける無数の肉片を見て舌なめずりした。覚醒が近い事を隠そうともしないその貪欲さ。幼生体にもかかわらず感じる常軌を逸したその能力。探していた存在に間違いなかったからである。
「へえ、これが……」
黒い幼生体が、ざわざわと音を立てて這い寄ってくる。見かけだけは他のうごめくものと大差がないが、此奴らの持つ能力は段違いだ。スケディムは単純な戦闘能力だけならうごめくものでも最強を誇り、肉体の頑健さは他の追随を許さない。当然、這い寄る幼生体も、基本的な強度が違っている。周囲に展開した防御結界で鬱陶しいそれを弾き散らしながら、マリエルは中枢がある方へと歩み寄っていく。結界の浸食速度が想像以上に速い。ただそのまま喰われてやるつもりはない。まず交渉して、最終的には意識を乗っ取り、次の段階へ進むつもりであった。
ゆっくり敵の中枢へ歩むマリエルが、強烈な頭痛を覚えて蹌踉めいた。苛立ちと怒りが、マリエルの頭に叩き付けられてきたのだ。本能しかない相手であり、故にその統一された思念は頑強を極め、脅威であった。並の天使であればひとたまりもなく意識を滅ぼされてしまっただろう。だがマリエルは唇を噛みきって耐え抜き、口から血を流しながらゆっくり顔を上げた。痛い。痛いが、気持ちがよい。蠢く肉体が、巨大な固まりとなり、此方へにじり寄ってくる。恐るべき光景のはずなのに、どうしてかそれを見ると、心が打ち震えた。そのままにしておけば、自分の肉体を完膚無きまでに破壊される。それを考えると、あまりの悦楽に何処かおかしくなりそうであった。
秩序の世界、天界。能力と家柄によって能力が決められ、社会的な風潮は絶対であり、法を破る者には厳罰が加えられる。化学文明は進歩しているが、排他的で、他の存在を一切認めない狭い世界。そこで産まれ育ったマリエルには、何処か常軌を逸した所が、幼い頃からあった。ずっと好きだったのは虫の足を千切って遊ぶ事だった。虐めをしている子供を見ると心が騒いだ。なぜなら、そんな輩には何をしても良いからである。虐められている子供を助けるという大義名分の元、いじめっ子を半殺しにしてマリエルは満足した。相手を半殺しにするという事自体に、マリエルは快感を感じていたのである。そんな彼女には当然誰も近づかなかったが、別に何の苦にもならなかった。孤独が全く苦痛にならない存在はいるが、マリエルはその一人であった。
マリエルは正真正銘のサディストであったが、それだけではなかった。一度彼女は廃屋で遊んでいる時に地震にあって、瓦礫の下敷きになった事がある。そして十三時間に渡って暗闇に閉じこめられたのだ。普通の存在ならトラウマになる所だが、彼女は違った。助け出したレスキュー隊員に、むしろ食ってかかったのだ。
「どうしてこんな楽しい所から引っ張り出したのよ!」
そう言って怒りを顔中に湛える彼女の右腕は複雑骨折し、傷口からこぼれ落ちた血は全身にこびりついていた。肋骨は折れ、肝臓は傷つき、肺には穴が空いていた。だが、マリエルはそれを楽しいと思っていた。痛みも、恐怖も、マリエルにとっては愉悦の元だったのである。
いつから壊れていたのか、マリエルは覚えていない。ネグレクト(育児放棄)を行った彼女の母親が原因であったのか、それとも酒を飲んでは穏やかな姉に暴行した父が原因だったのか。鉄拳を日常的に浴びせられ、満足な食事も出来ず。馬鹿な両親が揃って事故で死に、里親に引き取られた時に、もうその人格が出来ていたのは間違いない。マリエルが気付いた時には、強い感情そのものが愉悦の根元となっていたのである。過剰な暴力、皆無な愛情。それらが重なった結果、精神は自己防衛機能として、与えられる負のストレスをプラスに転化するよう無理で強引な転換を自発的に行った。それは生きる為には必要であったが、同時にあまりにも無茶な手術であった。その結果、性格形成を行う前に、彼女は歪み、ひしゃげ、壊れてしまったのだ。しかも不幸な事に、マリエルは天界でも一二を争う戦闘と殺戮の天才だった。良心の呵責などあるわけもない。殺す事はそれ自体が快楽であり、痛めつける事は喜びであり、肉を引きちぎる音は甘美だった。大人になれば成る程その傾向は強くなり、軍ですら彼女をもてあました。魔界との戦争が冷戦状態になり、和平交渉が行われている今、彼女の存在は爆弾と同じであった。天軍は悩んだ末に、彼女を人間世界に派遣し、天界の邪魔になる存在を其方でいくらでも殺して良いという密命を与えて厄介払いした。ランゴバルドと契約したのも、同じく壊れた空気を感じたからである。狐と狸の化かし合いと言った雰囲気も嫌いではなかったが、そんなものは二の次だった。何もかもを侮蔑していたマリエルにとって、一番大事なのは、己の事であった。確かにマリエルはとんでもなく頭が回る。知能指数は非常に高い次元にある。しかしその一方で、その根元にあるのは、どす黒い闇の固まりであった。どす黒い闇の固まりは、自らの闇を更に肥大させようと望む。うごめくものと一体化して、その力を自らのものにする。そして心ゆくまで暴れ回る。それこそ、マリエルがずっと求めていた刺激的な遊びであった。マリエルにとって原初的な闇こそが絶対命題であり、それを究極的なレベルで充たせる最強の破壊媒体は、うごめくものだったのである。別にマリエルは天界を征服しようとか、魔界を焦土に変えようとか、そんな大それた事は考えていない。心ゆくまでぶっ壊したい。ただ、望みはそれだけであった。幸い、天界が派遣してきたうるさい目付役共も既にこの世にない。彼女の暴走をくい止める者など、もはやこの世の何処にも居ないのである。
スケディムの幼生体はかなり凶暴で、マリエルが展開している防御結界に果敢に食いつき、それを削り取ってきていた。周囲には小山のように幼生体が積み重なり、うごめきながら絡みついてきている。このままだと、遠からず結界を食い破られる。スケディムへのアクセスを急ピッチで進めながら、マリエルは若干の焦りも感じていた。
何度かの強制アクセスの結果、ついにマリエルはスケディムの精神に触れることが出来た。それはマリエルと似て、暗い、あまりにもどす黒い代物であった。若干人工物っぽいのが気にはなったが、急いで同化融合を進める。支配するのが理想だが、最悪共存でも良い。支配出来なくても、何百年がかりかで乗っ取ってやれば良いだけであり、これといって問題はなかった。何カ所かの結界に罅が入り、幼生体が潜り込もうとしてきている。周囲の障気によって強くなっている幼生体共は、常識外にまで力を付けていた。現世で構築したこの肉体などどうでも良い。可能な限り心を落ち着かせ、スケディムの中へ自らの心を紛れ込ませていく。やがて、その作業が何とか軌道に乗った時。ついに結界が壊れた。怒濤の如く潜り込んでくる幼生体が、マリエルの体を食い尽くしていった。
地下九層。闇のまた闇の奥で、その戦いは密かに行われ、そして終わった。勝者はなかった。スケディムは体のコアとなる素材を手に入れたが、それは予想より力を宿していなかった。精神を既に別へ移していたのだから当然である。マリエルはスケディムの思考を完全には制御出来なかった。スケディムの幼生体の動きが予想以上で、結界を遙かに速く食い破られたからである。
そうして誕生したのは、スケディムでありながらスケディムではなく。マリエルでありながらマリエルではない。何とも奇怪な存在であった。闇に相応しいそれは、腕をたかだかと上げ、かって魔界の建造物だった地下九層に、歓喜の雄叫びを轟かせたのである。
1,出陣・合流・追跡開始
完全武装の重みを楽しむように、オルトルードがカルマンの迷宮を歩く。地下一層だが、久しく戦場に出ていない体には戦意が懐かしく、そして高揚を産んだ。その周囲に展開しているのは、表情がない不思議な兵士達。彼らは高級な防具に身を包み、例外なくカシナートの逸品を腰から下げ、背中には魔力の掛かった矢を納めた矢筒とクロスボウを背負っている。これこそ実戦投入に成功したオートマターである。ネクロマンシーを利用している為、残念ながら自我を持たせる事は出来なかった。だが騎士団員を凌ぐ戦闘力を持たせる事には成功し、命令に忠実に極めて的確に動く存在には仕上がった。彼らなら、きっとうごめくものを屠り去る助けになってくれる。そうオルトルードは確信していた。
一糸乱れぬ動きで、オートマター達が顔を上げた。前方に無数の光る目が現れたからである。コボルドが十数体、オーガが二体。肩慣らしには丁度良い相手であった。大剣を引き抜くと、オルトルードは自ら地を蹴り、オートマター達が洗練された動きでそれに合わせて敵に躍りかかる。或いは槍で、或いは斧で、コボルドがそれを迎撃する。しかし速さが基本的に違う。残像すら残しながらオートマターが飛びつき、躊躇無く首を跳ね飛ばし、或いは首を掴んでへし折り、頭に致命的な踵落としを叩き込む。あまりの戦力差に、オーガがきびすを返して躊躇無く逃げに入るが、その背には既にオルトルードが追いすがっていた。跳躍し、芸術的な角度で剣を振り下ろす。オルトルードの大剣が産む光の滝が、オーガの巨大な頭蓋を、殆ど抵抗無く砕いていた。周囲に散らばる無数の死骸。逃げ出す暇すら無く、背を向けて倒れている死体はほとんど無かった。剣を振って血を落としながら、オルトルードは言った。
「損害を報告せよ」
「当方、損害無し。 損失物資無し」
「うむ。 このまま探索を続行する」
満足して頷くと、オルトルードは自ら先頭に立って再び歩き始めた。出だしは上々。この者達と、対うごめくもの用に準備した数々の切り札。必ずや大望をはたさんとする王の決意は固かった。
アウローラがうごめくものの魔の手からオルトルードを助け出したのは、およそ二十年前の事。しばし音沙汰がなかった彼女が現れたのは、国民に強烈な印象を与えたあの(式典)の少し前の事であった。執務中の部屋でオルトルードが考え事をしていると、彼女は音もなく部屋に現れた。気配を察して顔を上げたオルトルードは、来るべき時が来た事を悟り、大きく嘆息した。
「現れたか、アウローラよ」
「うふふ、嬉しいわ。 その名前、気に入っているのよ」
妖艶に微笑むと、魔女は王都に迷宮の入り口を開く事を告げた。場所は郊外にある小さな遺跡。なんでも、その遺跡が迷宮の入り口を開くのには最適なのだという。しばし考え込んだ後、王は手を叩いて部下を呼んだ。余裕の体でその様子を見守るアウローラの前に、緊張した面もちのゼルが現れる。王はゼルに王女を呼んでくるように言うと、アウローラに向き直る。
「少し、提案がある」
「何かしら? 今更要求を飲めないなんて言わせないわよ」
「無論そんなつもりはない。 余も、この戦いがどれほど重要かは充分に知悉しているつもりだ。 少しばかり、茶番に付き合っては貰えないだろうか。 国民に総力戦の到来と、恐怖の存在を示しておく必要があるのだ」
続きを促すアウローラに、王は頷くと、静かに話し始める。この度執り行われる王女の婚約式典にアウローラが現れ、恐怖の種をまき散らすという、戦いの幕開けとなる茶番劇の概要を。話を聞き終えると、アウローラは目をつぶり、茶目っ気たっぷりに肩をすくめた。こうしてみると、破壊の魔女と言われるアウローラは、とても人間くさい存在だ。
「うふふ、酷い親ね、貴方は」
「オリアーナには既に話してある。 あやつも武門の娘、既に覚悟は出来ておる。 もともと宰相は線が細すぎて、何かしらの試練を通さぬと危なくて国政を任せられぬ。 いずれにしても、何かしらの試練をあやつらには課せねばならなかったのだ」
遅れて部屋に入ってきたオリアーナ王女は、アウローラと話し込むオルトルードを見て、全ての事情を察したようだった。オルトルードは娘に静かに頭を下げると、言った。
「すまぬな、オリアーナ。 愛する者と引き離す事となる」
「いいえ、お父様。 自らが為さねばならぬ事は承知しております。 国民の為、いやベノアの未来の為に、目先の愛情を優先するつもりはありませんわ」
国民皆に愛されるオリアーナは、そう動かし難い決意を込めて言う。やはりこの娘は、線が細く見えても、オルトルードの娘であった。虎の娘はやはり虎だ。アウローラはどうしてか寂しそうに笑うと、王の手に不思議な形のカギを残し、かき消すようにいなくなった。
それからは、本当に色々な事があった。元々の計画通り、迷宮には様々な人間を投入し、内部には一切干渉しなかった。その結果、犯罪者やサンゴート騎士団までもが、迷宮内で跳梁跋扈することとなった。宰相は自らの闇に食らいつくされ、大いにオルトルードは嘆く事となったが、それもまた一つの通過儀式であった。激しい暗闘によって鍛えられた結果、内部で動く人間達の能力は飛躍的に跳ね上がった。アウローラから供与されたブレスレットの能力を手に入れた冒険者は殆ど居なかったが、それでも彼らの能力は基礎的な所から跳ね上がっていたのである。仮に現在最高の力を持つエーリカのチームが敗れ去ったとしても、まだ後続を期待出来る程に。この迷宮で戦った者達は、きっとベノアの未来を明るいものとしてくれる。そうオルトルードに確信させてくれる程に。
迷宮各層の騎士団詰め所では、騎士達が例外なく同行を申し出たが、皆断った。騎士団は正に虎の子であり、いざというときに最後の盾としてうごめくものと戦って貰わねば困るのだ。国境で各国に睨みを利かせている将軍達にも、既に書状は送り済みである。オルトルードにもしものことがあった場合、馬鹿な事を考える国が出ない保証はない。今後は第一級の警戒態勢をとり、事態が沈静化した後、オリアーナに忠誠を誓ってもらう。その際に、中核としてまとまる存在として、ベルグラーノと騎士団の存在は必要不可欠であった。特に迷宮の中で鍛えられた最精鋭は、後に必ずやこの国の為に、最高の働きをしてくれるであろう。
二層を過ぎ、三層に入る。冒険者ギルドや騎士団から提供された地図は完璧な出来だ。地図の出来に加えて、ゼルやライムと練り上げた攻略のスケジュールが、最小限の被害での最大限の攻略効果を実現した。恐れを知らぬオートマターと共に魔物を駆け散らしながら、オルトルードは迷宮の闇へ闇へと歩を進めていく。魔物は徐々に強くなっていくが、カシナートの装備に身を包んだオートマターと、雷神の剣と呼ばれる剛剣を振り回すオルトルードの前にはまだまだ敵とは成り得なかった。四層の巨人も、ガスドラゴンも、組織化されたオートマターの群れと、ベノアで最も多くの戦いを経験したオルトルードの振る大剣の前には無力であった。逃げまどうワーウルフを蹴散らし、立ち塞がるケンタウルス共をなぎ払い、王は周到な準備を重ねた結果を周囲に示し続けていた。
六層の最奥、新しく作られた騎士団詰め所で、王は一時休止をオートマター達に命じた。緊張する騎士達に、楽にするよう言うと、王は用意してきた果実酒を煽った。若い頃、戦場ではもっとずっと強い酒を呷り、戦意を高揚させたものであった。というよりも、そう言った行為で魂を奮い立たせないと、背中合わせの死には立ち向かえなかったのだ。オルトルードは見かけよりもずっと慎重な人間であり、なおかつ思慮深い。思慮深ければ思慮深いほど、死は怖くなる。今でこそ心を落ち着かせ平常心で戦いに挑む事が出来るが、四度目の実戦くらいまでは、酒は命綱だった。今は逆に余裕の現れとして、実戦前に軽くアルコールをたしなんでいる。かってと今では、完全に状況が異なるのだ。此処でも王は騎士達に同行をせがまれたが、静かに謝絶した。王はあくまで孤独に、彼の戦いを完遂すべく進んでいた。
再び進み始めた王の前に、今までとは比較にならない七層の強大な魔物達が立ちはだかる。八層へ進むと更に魔物は強くなり、デーモンを始めとする強大な敵との交戦で、オートマターも一体、また一体と倒れ始めた。戦闘力を失ったオートマターは多めに用意してきた転移の薬で地上に戻してやる。これは無駄死にするのが分かり切った相手を同行させられないと言う人道的問題もそうだが、彼らが着ている装備が使い捨てられるほど安価なものではないという理由もある。コストを考えずに戦は出来ない。
やがて、多少疲労しながらも、王は地下九層にたどり着いた。オートマターは二体減り、二体が負傷していた。十三体にまで減ったオートマターに囲まれ、王は巨大な扉を見上げる。扉には、アウローラの情報通り鍵穴が二つ。そのうち一つは、王が持っているカギと、ぴたりと一致した。後は、現在人類最強の存在である、エーリカのチームを待つばかりである。円陣を組み、周囲に展開するようオートマター達に指令すると、王は静かに息を吐いた。周囲の障気は尋常なものではない。常人なら、それだけで気死している所である。
敢えて王が早く来た理由は幾つかある。その一つは、実戦の勘を最大限取り戻しておく事である。どちらにしても、この扉を開けてからは、エーリカ達と行動を共にする事となる。彼らの能力が既に王を凌いでいるのは分かり切っているから、今の内に溝を埋める努力をしておかねばならないのだ。
闇から浮き上がるようにして、魔物が現れる。数体のピットフィーンドに、デーモンがその数倍の数だ。肩慣らしには少し厳しい相手だが、手強い方が実戦の勘を取り戻すには都合がよい。不敵に口の端をつり上げると、王は床を蹴り、紅い体を持つ魔神へと躍りかかっていった。
オルトルードがピットフィーンドと刃を交え始めたのとほぼ同時刻。
王宮に王女を護送した騎士団長は、王の出陣と王女の帰還に驚く列臣に事情を説明し、混乱を最小限に治める事に成功した。これは別に彼が優れた政治力を積極的に発揮したわけではなく、リンシアが事前に彼方此方手を回して準備をし、ゼルがそれを影から助けたからである。ベルグラーノはその発言力を利用して、不満と不安を押さえ込み、部下達がお膳立てした御輿の上に王女を押し上げたに過ぎない。だが、それが出来たのは、彼だけであったのもまた事実であった。ゼルの指示でライム達情報収集忍者は彼方此方を駆け回って情報を収集伝播し、リンシアは騎士団のつてを使ってその援助を行った。迷宮での苦しい戦いが、そう言った際の組織的行動を助けており、誰も自分の本当の気持ちがどうのこうといった子供じみた駄々をこねはしなかった。ベルグラーノも、かってほど政治に対する生理的な嫌悪感を示さず、走り回るリンシアに文句を言う事もなく、きちんと自身の任務を把握してそれに基づいて動いた。そうして、半日ほどの混乱の後、王女が出陣した王の代理を務める状況が出来上がったのである。それからは王女が実際に諸臣の意見を聞きながら政務を始めたが、どの決済もいちいち立て板に水を流すようで、補助についていた宮廷魔術師達が殆ど口を出す隙がないほどであった。それを見て安心するベルグラーノを、ゼルが別室に招く。騎士団長に、全ての事情が知らされたのは、その直後の事であった。
宮廷に戻ってきてから、ベルグラーノは王が最精鋭のみを連れて出陣したとは聞いていた。だが何処に出陣したか問いただす暇など無かった。何しろ事態が異常すぎたので、冷静な判断力が消滅しており、事態に後手後手に対処するのが精一杯だったからである。それでもその後手対処に完璧に当たれたのは、騎士団長の内在する並ならぬ手腕を示すよい見本であった。しかし、後手であり、流されて動いていた事に代わりはない。王女の指示と、部下達の報告と、家臣達の説得と。あれよあれよという間に時が過ぎていき、ようやく一段落した時には、かなりの時が流れ去った後であった。休憩を取るべく居間で茶にしていたベルグラーノは、はたと現在の事態の異常さに気付いて立ち上がり、リンシアを呼ぼうとして思いとどまり、代わりにゼルを呼んだ。呼びつけられたゼルは、露骨にばれたかと顔に書いたので、ベルグラーノは沸騰した。ベルグラーノも単純すぎるが、ゼルのこういった場面ですら他人をからかって遊ぶ性癖は、もはや病気に近い。ベルグラーノは沸騰すると若き日の地が出る。戦場をはい回っていた頃の、王に拾われる前の地が。
「貴様! 何度俺を騙せば気が済む!」
「そういわれても困りますよ、騎士団長。 だって聞いていなかったでしょう」
「おおのれっ! かかる無礼の数々、もはや堪忍ならぬ! 其処になおれ! 斬り捨ててくれる!」
「騎士団長、どうか気をお鎮め下さい!」
慌てた騎士達が後ろから騎士団長に組み付き、ゼルから引きはがすまで相当な苦労を要した。荒く息をつく騎士団長。ゼルは騎士達に下がるよういうと、目を細めた。
「……まあ、もう言っても良い頃でしょう」
「全てを、話してくれ。 私も、もう知っていなければならない時だ」
「辛いですよ。 それでも良いのですね?」
怒り収まらぬ様子で、騎士団長は頷いた。ゼルはしばしその顔を眺めていたが、やがて大きく嘆息した。
「仕方がない。 これからこの国を共に支えねばならない相手を敵に回すわけにはいきませんからな」
「……」
「陛下はね。 自らカルマンの迷宮に出陣なされたのですよ。 うごめくものを確実に滅ぼす為にね」
「なっ……!」
思わず絶句した騎士団長だが、考えてみれば合点がいく話だ。更にゼルが王は実のところ極めて頑健だと話したが、それにはもはや驚きを感じなかった。何故にわざわざ王女を今連れて来させたのか。そして、この異様に整った準備の数々。家臣達を説得するのにはそれなりに手こずるかとベルグラーノは考えていたのだが、一番手強そうな何人かがあっさり了承した為、説得作業は随分スムーズに進んだのだ。裏から、既に入念に手が回されていた。この時が来る事を想定して。わなわなと震えるベルグラーノは、自嘲気味に言った。
「知らぬは、俺だけだったと、いう事か……!」
「人材の特性の問題ですよ、騎士団長。 もし貴方に真実を知らせていたら、絶対に陛下の側を離れようとはしなかったでしょう。 アウローラと戦ってでも、殿下を連れ戻そうとしたでしょう」
「……」
更にゼルは、今までの王と魔女との契約を、かいつまんで騎士団長に話していった。うごめくものによって、まもなくベノアが危機に立たされる事。王はいかなる犠牲を払っても、どんな手を使ってもうごめくものを滅ぼす決意を固めた事。その誓いの証として、王女は迷宮に人質として置かれた事。そして今まで出した犠牲の責任を取る意味もあり、全力で最前線に立とうとする王の姿。騎士団長の顔色は赤から土気と徐々に化していき、やがて拳を机に叩き付けていた。
「俺は……俺は……!」
「別に気に病む事はありませんよ、騎士団長。 人にはそれぞれ得手不得手があります」
「そう言った問題ではない! これは、全て俺が招いた事ではないか! 俺は、俺は、なんて愚かであったのだ!」
騎士団長は絶叫した。政治をきちんと学ばねばならないと知っていたのに。その意味を知っていたというのに。ベルグラーノは自己の嗜好からそれを怠り、それどころか拒否すらし。結果この世で最も敬愛する男の、最も大事な戦いに同行出来なかった。最も辛い時間を共有出来なかった。政治を汚い大人の世界と決めつけ、人間の本質が取り引きされる場所だという事実を無視し続けた結果、こんな報いが帰ってきたのである。政治が汚いのではない。政治は道具に過ぎない。それを扱う人間が汚いから、政治は汚くなるのである。そんな簡単な事も理解しようとせず、現実を無視し続けた結果、ベルグラーノの頭上には雷が落とされたのであった。
ベルグラーノは、結局どんな理由があろうと、王と同行は出来なかっただろう。だが、もし彼が政治を毛嫌いしていなければ、きっと王に最後は事実をうち明けられていたに違いない。最も大事な戦いに赴く王に、最後の言葉をかけて貰えなかった。拳を再び机に叩き付け、ベルグラーノは男泣きした。
大量の返り血を浴びたオルトルード王が顔を上げた。今回の戦いの核となる者達の接近に気付いたからである。彼は仕留めたスレイプニルの死体に腰掛け、激しい戦いで傷つきながらも生き残ったオートマターに、ハンカチで顔を拭かせながら言った。
「予想よりも速かったな」
「陛下、ご無事ですか?」
忍者ファルーレストが言う。どうしてか少し疲れているように見えるが、その身から放っている圧倒的な威圧感と戦意に衰えはない。彼女に加え、戦士ロベルド、騎士ヴェーラ、僧侶エーリカ、魔術師コンデ、そして現在に生き残っている戦闘型オートマター、フリーダー。ああ、何と言う事か。自分が育て上げたとはいえ、此処までの人間がこの世に実在するとは。気配だけで、足運びだけで、呼吸だけで、彼らの実力がよく分かる。戦士としての本能が疼く。王は、心の奥底で、一度彼らと戦ってみたいと思った。だが理性が、その這い上がる本能を押さえつけた。軽い葛藤を押さえながら、王は皆を見回し言った。
「何、実戦の勘を取り戻す為に、わざと早く到着したのだ。 それにこの程度で倒れるような存在など、うごめくものに勝てるわけもない。 君達が気にしなくても良い」
ゆっくり立ち上がる彼の身には、溢れんばかりの気力と生命力がたぎっていた。それは、人生最後の光だった。
彼には分かっていたのだ。年齢的にも、もう正気を保ち、ベストを尽くせるのが、是で最後だと言う事を。人はどうしても年老い、衰える。偉大な傭兵が年老いて判断力を失い、若き日には絶対しなかったような失敗を繰り返すのを、オルトルードは何度も見た。ブレインを多めに置くこと。更にシステムの構築に力を注ぎ、特定個人が独裁を行えないようにすること。そういった数々の手によって、自身の衰えをカバーする準備はしていたが、それでも万全とは言えない。何より、国民は彼の手による平和と治世に慣れきってしまっている。今後の危機に対処するには、そろそろ王無しのこの国に耐える準備をして貰わねばならなかった。オルトルードの脳裏には、うごめくものを倒した後も伸び続ける、大樹ドゥーハンの雄々しい枝が浮かんでいた。オルトルードは決して一つだけの理由で、最前線に立つ覚悟を決めたのではない。最大量の情報の中から、最大多数の最大幸福を産み出す選択肢を選んだのである。そのためには、自らが犠牲になる事など、些細な事であった。
オートマターは十体に減っていた。傷ついた者を転移の薬で戻しながら、王は鍵穴を視線で指す。進み出たエーリカが、ファルに見守られながら、手にしたカギを穴へと差し込む。扉が地鳴りのような音と共に揺れ始め、上から崩れるように消え始めた。扉自体も薄くなっていき、やがて其処には何もなかったかのように、消えた。王は静かに、枯れ果てた苦笑を浮かべていた。
「アウローラらしいな」
「こんな所に遊び心を盛り込むなんて。 なかなか侮れないわね」
「……障気が一段と強くなった。 いるぞ、奥にうごめくものが」
ファルの言葉に、皆の表情が瞬時に引き締まる。十七の足音が、地の底よりも闇が深いパンデモニウムを、静かに進み始めた。
2,パンデモニウムの守人
セントラルパンデモニウムの深奥で、巨大な闇の障気の固まりがうごめきはじめた。それに時同じくして、アウローラが作った扉が壊れ、外界への出口が開放された。あの扉が壊れたと言う事は、うごめくものを倒しうる存在が育ったという事になる。セントラルパンデモニウムの深奥、くすんだ色合いのシャンデリアがぶら下がる巨大な広間にて、事態の推移を見守っていた存在が、それに気付いた
「どれ……どれほどの力を持つ者か、確かめさせて貰うとしようか」
無数にある尻尾を揺らして、ゆっくりとそれが体を起こす。金色の鱗に覆われた、何とも威厳ある魔神であった。魔界の深奥に住む、エルダーデーモンと呼ばれる存在だ。そして彼は七千年以上も前に、この建物を作り上げた者でもある。
ゆっくりと巨大な手を挙げると、広間の壁際にいた人影が、巨大な剣を手に立ち上がる。数は四体。目には感情がないが、しかし筋肉の動きと言い気配の殺し方と言い、なかなかに侮れぬものを持っていた。
「客人を出迎えよ。 一切手加減はいらぬ」
四つの人影は無言で頷くと、その場からかき消えた。座り直して頬杖を突くと、エルダーデーモンは呟いた。
「さて、どんなものかな……」
扉の奥にはただひたすらに長い通路が広がっていた。ファルは警戒しながら、ゆっくりと左右を見回し探る。前回の探索で判明した事だが、この建物は案外正直な構造になっている。中央の巨大な通路を軸に、左右に細い通路が何本も定期的に延び、その先は潰れていなければ大概小部屋に繋がっている。通路の太さは全く変動が無く、何処までも奥までも、ずっと同じ太さで続いていた。
同じ場所を行ったり来たりしないよう、時々壁に印を残し、慎重に進む。振り返ると、王はオートマター達と一緒に、少し遅れて着いてきていた。体力を消耗したなどと言う事はなく、背後を守ってくれている感じで、ファルは少しだけ表情が緩むのを覚えた。エーリカが足を不意に止め、皆がそれに習う。
「妙ねえ……」
「何がだよ」
「ええとね。 この建物、少し長すぎやしないかしら」
「印は付けて来てるじゃねえか。 ループはしてねえぜ。 間違いなく」
ロベルドが後ろ手で、先ほど壁にファルが刻んだ模様を指さした。先ほどからループを警戒して、何度か来た道を戻って確かめている。それによれば、確かに間違いなく同じ道をずっと進んできている。ファルもロベルドと同意見だ。今までねじ曲がった空間を何度も見てきたが、今回、少なくともループはしていないと言える。一度エーリカの指示で壁際によって防御態勢を取りながら、話を続ける。王はと言うと、若き天才僧侶の考え込む姿を、興味深げに見やり続けていた。ロベルドも今までエーリカの手腕を散々見続けてきたわけだし、否定的な事を口にはしながらも、エーリカの英断を待っている様子が見て取れた。ファルを含めた全員が、エーリカの頭脳を信頼しているのだ。
脇道にそれての探索は暫くしていない。これは大まかな構造を先に把握してからが望ましいというエーリカの意見からの行動であった。実際問題、この階層に住み着く魔物達の凄まじい戦闘能力を考えると、それが一番合理的である。ファルだって、こんな所に長居したいなどとは絶対に思わない。
「幻覚の類と言う事はなさそうじゃの」
「いや、それに関しては分からない。 この間の宰相のように、皆が騙されるような幻覚術を使う奴も居る可能性がある」
「当機も違和感は感じません。 ただ長い通路だという可能性が高いとは思いますが」
「ねえ、コンデさん。 ロミルワをずっと先まで飛ばしてくれる?」
不意にエーリカが言い放った言葉に、コンデは目をしばたいた。灯りを最小限にして奇襲を警戒しているのに、わざわざ敵に発見されやすいような行動を取れと言うのだから無理もない話だ。だが、コンデは逆らわず、もう一つロミルワを出すと、奥へ飛ばした。しばしそれを視線で追っていたエーリカは、指先で四角い枠を作ってのぞき込んだりし、やがて小さく手を打った。
「そう言う事か」
「何が、そう言う事なんだよ」
「確かに魔法とかでループはしていないわ。 でもね。 この通路、螺旋状に曲がりながら、徐々に下へ下へと潜っているのよ。 灯りを遠くまで飛ばしてみて分かったんだけど、奥は僅かにこっちより天井が低く、壁が右に少しずれているわ。 恐らくこの建物は、まるで栓抜きのように、ずっと地下まで曲がりくねりながら潜っているのね。 ただ、その螺旋の円周があまりにも大きいから、端からは分からなかったのよ」
途方もない話であった。となるとこの階層、凄まじい長さを誇る通路を、延々と進んで行かねば奥まで辿り着けない可能性がある。都市丸ごと一つが収まっている地下六層を見た時にファルは唖然としたが、この階層はそれより更に質が悪い。一本道の通路が続いていると言う事は、その途中で魔物と交戦する事を避けられないのだ。幾らかはやり過ごす事が出来るかも知れないが、何しろ此処を彷徨く魔物と来たら、並の騎士では十人束になっても戦えるか怪しいと言ったレベルの実力だ。そうやすやすと、見逃してくれるはずもないであろう。
「当機が入手している建物の構造では、そのようにはなっておりませんが……」
「じゃあ、今まで通ってきた通路も、フリーダーちゃんの情報通り? 情報よりずっと長いのではないかしら?」
「はい。 既に情報にある地図を遙か超過しています」
「なら、それは信用出来ないわ。 でも、そうなると、他の情報もだけど……」
しばし考え込んだ後、フリーダーは右手に手をやり、しばし目をつぶって静止した。やがて顔を上げた彼女は、不思議そうに小首を傾げた。
「更新時間及び当機の前の接触時間が地図だけ微妙に異なっています。 外のものは七千三百年ほど前に更新されそれっきりですが、地図だけは六千八百年ほど前に更新されています。 知識のある何者かが、loasdhiwehを突破して、データ上の地図を書き換えたのではないかと、当機は推測いたします」
「それが出来るのは、どんな奴だ」
「ファル様? 質問の意味が理解出来ません」
「……例えば、オートマターなら可能か?」
ファルの言葉に、きょとんとしたのはロベルドとヴェーラであった。コンデはそわそわして周囲を伺い通しで話を聞いていなかったし、王は腕組みして無言で会話を見守っている。エーリカは軽く手を打つと、なるほどと呟いていた。
「特殊なl;ashifiwegfyを的確にlajfhdfjhoした機体であれば可能かと思われます。 しかし、現在当機以外のオートマターで、自我を残している個体があるとは……。 数々のディアラント遺跡の状態から考えても、あり得るとは思えません」
「……そうか、分かった」
「お役に立てて嬉しいです」
ファルは唇を噛み、フリーダーから顔を逸らした。直視出来なかった。フリーダーに面と向かってアウローラがそうだとは言えなかった。これから状況次第では、フリーダーの境遇を誰よりも出来る唯一の存在を破壊しなければならないのだ。そしてフリーダーの戦闘能力から考えても、七千年を生きているアウローラの実力が桁違いであり、おそらくウェズベル師を退ける事が可能、程度では到底ないと言う事も。
一度休憩する事が決定され、近くの小部屋を蹴り開け中に躍り込む。中には何もなく、まるで刑務所のような無個性な箱であった。全員入ってから扉に簡単なトラップを仕掛け、キャンプと無音結界を張り、見張りに誰が立つかを決める。ヴェーラが見張りになる事がすぐに決まり、ロベルドが皆に断って外に出るのを見送りながら、エーリカが小声で言った。
「ファルさん、いつ気付いたの?」
「つい先頃だ。 ……一体、この世はどうなっている」
「さあて、ね。 ただ分かり切っているのは、人間は可哀想な犠牲者でもなければ、哀れな被迫害者でもない。 むしろ世界に対する加害者なんだって事だけね」
いつもながら、エーリカの言葉に容赦はない。冷酷な現実主義者を自認するファルでも、時々ぞくりとさせられる。エーリカは間違いなく天才だ。多分頭脳戦に掛けては、彼女の上を行く存在などいないだろう。しかしその一方で、天才であるが故にそもそも物事を客観的に見えすぎてしまうのではないかとファルは分析している。しかしだが、それも推測に過ぎない。底が知れず、計り知れない。そんな怖さが、エーリカにはある。ひょっとして、エーリカは自分が人類に敵対する事となったら躊躇無く人類を滅ぼすのではあるまいか。そんな空想を、ファルは抱いていた。
「フリーダーちゃん、あの様子じゃ知らないでしょ。 どうするの?」
「……そうだな。 時期を見て言うつもりだ」
「もう、そう時間は残っていないわよ」
そんな事は分かっている。分かってはいるが、ファルはとても臆病になっていた。どんな魔神やドラゴンを相手にしても臆する事なきファルが、この事に関しては、まるで別人のように臆していた。ファル自身も、それには当然気付いている。このままでは迷宮攻略に支障をきたすと考えた彼女は、大きく嘆息して、手を額の辺りで振って気持ちを入れ替えた。
「まずはこの階層の事を考えよう。 螺旋通路を下っていけば、何時かは最深部に着くだろう。 しかし、それでは時間も掛かりすぎるし、何より危険だ」
「転移の魔法や、或いは何処かに非常通路があるのかしらね」
「その可能性が極めて高いな。 ちょっと俺なりに調べてみたんだが」
部屋に戻ってきたロベルドが、不意に話に割り込んできた。勿論拒む理由はない。
「通路は普段なら全く支障がないほどに、僅かに傾いていやがるな。 俺でも気付かないほど微少にだ。 更に曲がっている角度から考えると、面白い事が分かったぜ。 驚くなよ。 通路が一回転するまでに、王都の一区画を端から端まで進むほどに歩く事になるぜ」
「なるほど、それじゃあ魔神といえども不便すぎて生活出来ないわね」
「そう言うこった。多分何処かに、一気に下へ抜けられる非常階段とかそういうのがあるはずだぜ。 あるって考えるのが自然だな。 それに通路をまともに進んでたら、命が幾つあっても足りねえよ」
実際問題、この階層に巣くう魔物の実力が例え地下一層レベルでも、今の話を聞く限り通路をまともに進んでいくと対処が厳しい。事実はそうではないのだから、真面目に通路を進んで攻略するのは、自殺行為を通り越して不可能だ。
「そうなると、彼方此方にある部屋を片っ端から調べ、更に壁も調査する必要があるな」
フリーダーの言葉を信じるならば、彼女の手に入れた地図はあてにならない。その一方で、もし非常階段なり魔法による転送装置なりを発見出来れば、一気に九層最深部に到達出来る可能性がある。合流してから既に二度の戦闘を経ている。一層から八層までに関しては、休憩を挟んだとはいえ合計十三回の戦闘を行っている。物資、体力を総合的に考慮して、消耗は少なくない。更に無音結界がまず役に立たないこの状況下では、出来るだけ戦いは避け、強敵に全力を持ってぶつかりたいのだ。
その後、細かい話を丁寧に詰めていく。それが一段落した頃、ずっと黙って話を聞いていたオルトルードが、重苦しく口を開いた。
「話は決まったかな?」
「はい。 通路の探索はこの辺りにして、今後は周囲に散在する部屋の探索に移ります」
「うむ、そうか。 余は君達に探索のプランは任せる事にする。 存分に腕を振るうがよい」
「陛下の意見を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」
エーリカの言葉に、王は少し考え込んだ。皆の視線が集まる。戦いに生きる者なら、オルトルードがどういった決断をするのか興味があって当然だ。無論それに関しては、ファルも同じだ。
「そうさな、余であれば……一度入り口まで戻って、其処から各部屋を交互に回っていくだろうな」
「と、いいますと」
「もし余がこういった構造の建物を造るとしたら、入り口かもしくはその近辺に、下階へ通ずる通路なり階段なりを作るだろう」
バランスが取れた意見である。エーリカも時々皆が驚く決断を下す事があるが、それも緻密な計算に基づいての事だ。情報が限定された条件下では、王の判断はベストであると言える。確かに遠回りになるが、ロベルドの話によると此処は一巻き目の半分ほど迄来ていると言う事だから、下手をすると此処から今まで来たのと同じくらいの距離、部屋を延々と周り、中に潜んでいる魔物と戦う事になる恐れが高い。
ただ、結果的に王の意見をチームが採用する事はなかった。エーリカは、この時点で王よりも豊富な情報と手札を持っていたからである。
「フリーダーちゃん。 五層で見たような、我々には見えない光の図とかは見あたらない?」
「それでしたら、投射装置が廊下の壁に埋め込まれていました。 装置はまだ生きていて、通路に様々な模様を描きだしていました。 この部屋に関しては、スタッフルームと入り口に書かれていました」
「それだ。 非常階段とか、下に降りられそうな奴はなかった?」
「確か入り口側にありましたが、それは外からめり込んだらしい岩に押しつぶされて使えなくなっていました。 それも含めて重要施設を示すものもなかったので、黙っていたのですが。 探す為には、この先に進むしかないと当機は推測します」
そういえば扉を越えてすぐの地点で、岩が壁からはみ出し、部屋を一つ潰してしまっている場所があった。この恐るべきパンデモニウムも、こんな状態に落ちる際に、様々な天変地異に見舞われたのは容易に推測出来る。しばし考え込んでいたオルトルードは感心して何度も頷いていた。
「なるほど、オートマターにはそんな能力もあるのか」
「というよりも、古代ディアラント人には普通に備わっていたもののようです。 愚僧共には見えない色を見る力で、人間以外には持っている者も少なくないのだそうです。 当時の文明は、それを見る能力がある事前提で成り立っていたようです」
「ディアラント人の傲慢さも、その辺に一端があったのだろうな。 修練で身につけたものでさえ、人は過剰な力を得ると簡単に道を踏み外す。 ましてや生まれついて過剰な能力を持っていた場合、それが如何に危険な事か、いうまでもなかろう」
オルトルードがそれを自然に知っていた事で、ファルは少し驚いた。傭兵と冒険者を何度も行き来したと聞いていたが、それだけで彼の知識が生半可な経験から産み出されたものではないと分かるからだ。ディアラント遺跡を相当に潜り込んでいないと、今の結論は決して出てこない。
「休んだら、その非常階段に向けて急ぐわよ。 時間を短縮出来るなら、少しでもそう努力しないと危険だわ」
先ほどから、肌がちりちりするような障気が下から漏れ来ている。エーリカの声には多少の焦りが含まれていたが、ファルもそれは同じだった。むしろこの部屋は寒いのに、肌が汗ばむ。
何か、とんでもない存在が、地下にて産まれようとしているのだ。人でもそれが分かるほどの、恐るべき何かが。
3,魔界の騎士と
六人は一丸となり、迷宮の中を疾走する。その後ろから、オルトルード王とオートマター達が、息も切らせず着いてきた。殆ど周囲に音も漏らさず、一同は風のように長く長く伸びる通路を走り抜けてゆく。わずかに湾曲し加工しながら、地下へと伸びていく闇の螺旋の中を。膨大な数の魔物が満ちる通路だが、長さが長さであり、幸い密度は大したことがない。その中を、一気に駆け抜ける。先頭に立つファルは、抜き身のままの国光をぶら下げており、敵を先行発見しては反撃の間無く切り伏せた。その中には魔神ピットフィーンドや魔馬スレイプニルもいたが、一度に遭遇する数が少ないし、一度戦った相手に対する強さに関してファルの右に出る者は居ない。弱点が分かった相手に対しては、もうクリティカルヒットを決めるのはお手の物だ。その技はもはや芸術の域を越え、神技の域にまでに達していた。無論ロベルドやヴェーラも驚くべき速さで敵に襲いかかり、ファルが討ち漏らした相手を即座に切り伏せる。後衛の出番がないほどだ。ハンディキャップマッチを色々経験してきているのも大きい。聴覚強化呼吸法や魔力視瞑想法で肉体を強化しきっているという点以上に、そもそも経験という点に関して、この六人の右に出る者は存在しない。
「ありました。 非常階段です」
フリーダーが小声で皆に警戒を促す。ついに目的の場所を見つけたのだ。ファル達六人は素早く扉の周りに展開し、無言のままファルがそれの調査に取りかかる。オルトルードは雷神の剣を引き抜いて、短く警戒の声を発した。その周りに、風のようにオートマター達が展開した。
「急げ。 何か来る」
嵐のような叫び声が響きた。ファルは頷き、トラップの類を調べていき、カギについても調べ上げていく。やがて問題ないと判断したファルは、皆に警戒を促してから扉を蹴り開けた。扉の向こうに、大きな気配が四つある事に気付いていたからである。扉を蹴り開ける時は、力を入れすぎても入れなさすぎても行けない。扉の蝶番の強さと、扉自体の重さに合わせて力を加減せねば成らず、この辺りは熟練した前衛が行うのが常だ。軍でも室内での戦闘を行う事を想定して、そういった訓練をしている。当然、最前衛で戦い続けたファルは、この辺りも問題ない。が、誰にでも失敗はある。この時ファルは少し力を入れすぎた。開ききった扉は、最開点で跳ね返って、戻ってきた。だがファルは優れた仲間達を持っている。扉が中途半端に戻り、人が纏めて中に入ろうとするには狭い隙間になった頃には、六人全員が部屋に入り込んでいた。オートマターの一体が扉を開きなおし、先陣と後陣を有機的に接合した頃には、前後にて戦闘が開始されていた。
扉の中で待ちかまえていたのは、黒い鎧に身を包んだ騎士達であった。身長は二メートル半に達し、筋骨も逞しく、肌がひりひりするような威圧感を叩き付けてくる。このサイズの亜人なら嫌と言うほど戦ってきた相手であり、身長に対する威圧感はないが、一目で分かる。この騎士共は途轍もなく強い。騎士達は左手に体を覆い隠すほどの巨大なタワーシールドを持ち、左手には山刀のような湾曲した獲物を手にしている。鎧も棘が多い禍々しいデザインで、所々髑髏や臓物をあしらったデザインとなっていた。一瞬何処かの軍の特殊戦闘部隊崩れか何かと思ったが、違った。杖を構えながら、コンデは静かに言う。
「気をつけい。 こ奴らは、レイバーロードじゃ」
「レイバーロード、だと。 これは恐るべき相手が出てきたものだな。 火神アズマエルよ、今この恐るべき敵との戦いを、汝に捧げます!」
ヴェーラが言い、ネックレスの先に着いている杯のリングを握りしめた。ファルもエーリカのハンドサインを確認すると、改めて恐るべき敵と向かい合う。レイバーロード。古代より歴史の大動乱時に現れ、凄まじい破壊力を振るって猛威をまき散らしてきた謎の存在である。殆どは迷宮の奥底にて確認されるばかりだが、ディアラント以降にあった幾つかの文明の最盛期には、地上にてその姿が確認された事もある。高位の僧侶魔法に加えて、絶倫の武勇を振るうその実力は有名である。邪教の神官だとか、闇に魅入られた騎士だとか、様々な正体が噂されているが、現在定説となっているのは魔界の騎士だというものだ。動乱を観察するなりつけ込むなりするために、魔界が先兵として精鋭の騎士を派遣してくる。それがレイバーロードだというのだ。じりじりと間合いを計りながら、ファルは敵の力量を全身に感じ取っていた。強い。下手に間合いを詰めれば、恐らく一瞬で首を跳ね飛ばされる。間合いの計り合いは、常人が見当もつかない高度なレベルで行われ、先に手を出したのはレイバーロードの方であった。
「ゴオウッ!」
野太い声を発して、ファルの前にいた一体が、脳天から一撃を振り下ろしてきた。真横にかわそうとするファルだが、レイバーロードの剛剣はその重さからは信じられない速さで角度を変え、地面すれすれで跳ね上がって、斜め下から回避行動を取ったファルを襲う。地面を踏みしめ、体を低くするファルの髪を数本切り散らしながら、レイバーロードの剣は空を切り裂いた。無言のまま摺り足でファルは踏み込もうとするが、レイバーロードは無理矢理に体を捻り、タワーシールドを巨大な壁と叩き付けてきた。喧嘩殺法として知られる、シールドバッシュと呼ばれる技だ。普通巨大なタワーシールドでは絶対に出来ないのだが、人間をとっくに超越しているレイバーロードにその常識は全く当てはまらないのであった。それを確認しながらファルは舌打ちし、巨大な盾に一撃される前に横っ飛びして地面に転がり、跳ね飛んで距離を取る。距離を取らせまいとレイバーロードは追撃を掛けてくるが、フリーダーが放った矢を盾で受けとめ、それで隙ができる。瞬間の隙に過ぎないが、ファルには充分だ。手裏剣を投じながらもう二歩下がり、敵が手裏剣を自らの剣で跳ね飛ばしている間に、安全圏に逃れる事に成功した。
「ちいっ!」
舌打ちしたのはロベルドだ。ヴァンパイアロードをも蹌踉めかせた彼のタックルを、レイバーロードはタワーシールドでいなしている。流石に難なくとは行かないようだが、しかし必殺にもならない。ロベルドはめった打ちに叩き付けられる猛攻をなんとかバトルアックスで弾きながら、反撃の好機を伺っている。ヴェーラはいつものように、アズマエル神の加護を受けているという自己暗示を掛けてトランス状態を人為的に作り出し戦っているが、その神域の技を持ってしても、レイバーロードを圧倒するまでには行かない。更に、前衛を押さえている三人の後ろには、ずっと膝を突いて詠唱をしている一体もいる。フリーダーが何度もクロスボウを叩き込んでいるが、その度に的確に盾で弾いてしまい、なかなか詠唱を止められない。分厚い装甲が、距離がある事もあって、なかなか有効打を与えさせてはくれないのだ。再び突っ込んできたレイバーロード。横薙ぎに振るわれる剛剣を柔らかく飛び越えると、地面近くで二度サイドステップし、振り向こうとするレイバーロードの脇腹に横殴りの蹴りを叩き込む。何というか、物凄く分厚い鉄の鎧の感触が、足に伝わってきた。プレートメイルというものは基本的に鉄の塊であり、重さによって動きが阻害されるというジレンマを常に抱えているが、それにしてもこの厚さはただ事ではない。体術では、余程上手くやらない限り致命傷は与えられない。舌打ちしたファルは、にいっと笑って猛攻を駆けてくるレイバーロードを上手く誘導しながら、隙を見て焙烙を取りだし、印を喰いきって後方で詠唱中の一体に投げつけていた。炸裂した焙烙が、紅蓮の炎でレイバーロードを包み上げる。しかし、炎を鬱陶しいとばかりに斬り破って、ほぼ無傷のレイバーロードが、爛々と目を光らせながら現れる。奴は剣をたかだかと上げると、天に向かって叫んだ。剣には、既に巨大な魔力が収束していた。
「アモーク!」
剣に集まっていた巨大な魔力が解き放たれ、暴力的な風の固まりとなり、ファル達を襲う。僧侶系の高位攻撃魔法、アモークだ。体が軽いファルははじき飛ばされて壁に叩き付けられ、ずり落ちる。風には真空の刃が少なからず含まれ、忍び装束は何カ所と無く切り裂かれていた。当然一部は素肌を切り裂き、鮮血を滴らせている。意識が遠くに行きかけるが、この程度で屈するわけには行かない。立ち上がろうとするファルに、抗しがたい勢いでレイバーロードが突進してくる。無言でその顔面に焙烙を投げつける。爆発が巻き起こり、それを貫いて突撃してくるレイバーロード。どれほどの魔力が致命傷になるか熟知しているのだ。轟音と共に振られた剣。だが、その先に既にファルは居ない。唖然とするレイバーロードの兜の上に、ファルが降り立つ。今の瞬間に真横にそれ、壁を蹴って舞い上がり、視界の外から兜の上に躍り出たのだ。そして敵が対応する前に軽く前に身を乗り出し、敵の後頭部を蹴る。流石に兜を強打されて蹌踉めくレイバーロード。ファルの視界の隅で、傷ついたエーリカが速射式のクレタをコンデに指示して放ち、灼熱の炎で敵を包んでいた。速射式のクレタといえど、その破壊力も今までとは比較にならない。ロベルドの対戦相手も、ヴェーラの対戦相手も、鎧から煙を上げている。そして今、振り返ったファルの対戦相手も、再び炎に包まれていた。
「ゴアアッ! グアアアッ!」
ファルは剣を振り回す奴からバックステップして距離を取りつつ、再びアモークを唱えようとする後衛のレイバーロードに、二本目の焙烙を叩き付ける。部屋自体の温度がどんどん上がっていく。準備は整った。炎に包まれつつも、二射目を放とうとするレイバーロードの目に、フリーダーが絶妙のタイミングで放った矢が突き刺さる。
「アモー……グアアアアアアアッ!」
発動し駆けた魔力が居場所を無くし、かまいたちが指向性を無くして爆発した。これがバックファイヤと呼ばれる魔法逆流現象であり、様々な系統の魔法が整備された今は極めて希な現象である。ファルも狙ってそれを行わせた事例は、此処で始めてみた。至近にいた発動者であるレイバーロードは、鎧を引きちぎるようにしてむしられる。いくら頑強なプレートメイルといえども、外側からこういった圧力が掛かる事など想定していない。生白い肌が露出した時、ファルは少し驚いたが、相手は人外だと承知している。目が三つであろうと四つであろうと、不思議ではない。蹌踉めくレイバーロードに、更にフリーダーが追撃の矢を叩き込むが、ロベルドと距離を取った一体が下がって、盾で矢を受け止めた。追おうとするロベルドに、ヴェーラが交戦していた相手が微妙に立ち位置をずらし、二人を同時に相手にしようとする構えを見せる。加勢に向かおうとするファルに、そうはさせじと今まで交戦していたレイバーロードが追いすがってきた。一体がサポートに入った後衛のレイバーロードは、第三射のアモークに取りかかろうとしている。何度もフリーダーが矢を射かけているが、それも盾に阻まれ届かない。詠唱中ならともかく、そうではない状態で、レイバーロードに矢をクリーンヒットさせるのはフリーダーでも無理と言う事だ。忌々しい情報だが、分かっているだけそれでもましだ。
ファルは鎧が赤熱しているレイバーロードの猛攻をいなしながら、詠唱中のレイバーロードを見やる。既視感のある相手だ。剥がれた鎧の内側から除く素肌は生白く、そして不思議な事に、痛みを感じてはいてもそれに体を縛られていない。こういった反応を見せる存在を、ファルは知っている。レイバーロードの振るう剣は早く、いなすだけで体力が削り取られていく。それだけでなく、先ほど貰ったアモークによる傷は存外に深く、それによる体力の消耗も激しい。もう少し、もう少しだ。視界の隅で、エーリカとコンデの詠唱を見ながら、ファルは叩き付けられた回し蹴りを、体を低くして避けきる。だが、レイバーロードは驚くべき身のこなしをもって態勢を立て直し、シールドバッシュをかけてきた。回避しきれなかったファルはもろにはじき飛ばされ、地面に叩き付けられて転がる。剣を振り上げながら、迫ってくるレイバーロード。ファルは肩肘をついて体を起こしながら、何とか回避行動を取ろうとするが、間に合わない。ついにその時が来た。
「これでも喰らうがよい! ザクルド!」
ザクルド、冷気系の攻撃術である。かって、地下七層でヒドラを屠り去った、複数の氷柱を降らせる大技だ。しかも魔法増幅付きのそれは、全く無音のままで、レイバーロード達を踏みつぶしていた。
「はあ、はあ、はあっ!」
意識の集中が切れ、ファルは何とか立ち上がりつつも、全身の汗が鮮血と共に流れ続けた。ファルが戦闘態勢を崩さないのには、当然理由がある。
「ゴオアアアアアアアッ!」
氷柱に潰されたレイバーロード共が、氷をはじき飛ばしてその身を現す。だが、鎧はボロボロに崩れ、もう原形を残していない。先に執拗に効きもしない熱攻撃を浴びせたのもこのためだ。熱破壊によって、頑強な鎧を破壊する為である。陳腐で古典的な手段だが、効果的だから長く使われてきた技でもある。奴らは頼みの鎧を砕かれ、生白い人間に似た姿を現し、怒りの咆吼を上げる。ファルは地面を蹴る。今までの戦いで、既に敵の魔力集約点は見切り済みだ。残る力を掛けて、地面を蹴り加速する。分厚い装甲に頼り切っていた以上、それが無くなった時の動揺は大きい。案の定、拳の切れも軌跡も滅茶苦茶で、本当に今まで交戦していた相手と同じかと、ファルは眉をひそめた。そして、敵が振り下ろした太い拳をかいくぐり、国光を分厚い胸板に突き立てていた。
「ゴギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
断末魔の絶叫が響き渡る。兜が砕け、頭が露わになる。そこにあった、髪を、ファルは見た。間をおかずロベルドとヴェーラも今一体をうち倒し、更に詠唱専門の一体を護衛していた一体がフリーダーの矢を喉に貰って崩れ伏す。最後の一体に、どうしてか色素が薄い血を滴らせながら、ファルは歩み寄っていった。
「装甲は最強だったが、それに感覚が通っていないのが致命的だったな」
レイバーロードは逃げようともしない。どうしてか、迫る死を怖れてもいない。だからといって容赦する理由はない。ファルは腕がへし折れ、足も一本失って、なお悲鳴も上げぬ一体に歩み寄り、無言のまま刺し貫いた。
後背に安全圏を確保したファル達は、すぐにオルトルード王の守っていた後衛に援護に回る。激しい戦いの後だが、文句など言ってはいられない。オルトルード王の前には、分厚い甲羅を持つ大きなカニが十体以上もいる。円状のその甲羅は直径三メートルを遙かに越し、鋏の長さも二メートル近い。まるで生きた装甲だ。大きい分動きはさほど早くないが、その分遠心力を生かした力強い動きで鋏を振り回してきており、既にオートマターは何体も倒されていた。しかし、如何に装甲が分厚いと言っても、目をやられては意味がない。的確に敵の目を潰し、後はカシナートの武具を振るって襲いかかるオートマター達に任せるといった戦法を取りながら、オルトルード王は此方も見ずに言った。彼の周囲には、既に原形を残していないカニが、痙攣しながら七匹以上転がっていた。
「其方は片づいたか!?」
「はい、加勢します!」
「うむ!」
力強い動きで振るわれるカニの巨大な鋏。それを何とか避けつつ、相手の勢いも利して、カニの関節に鋭い一撃を叩き込むオルトルード。数秒の激突の末、カニの鋏は関節から大きく千切れた。白い液体を垂れ流しながら下がろうとするカニだが、ロベルドが猛烈なチャージを浴びせ、装甲が鈍い音と一緒にへし砕ける。
「おお。 素晴らしい。 父をもう越えたか!?」
「ありがとうよ、陛下!」
ロベルドは更に前に出て、一体、また一体と敵を屠る。完全に勢いが代わり、不利を察したカニ達は、泡を吹き吹き逃げていった。追撃する意味も理由も残存体力も見いだせなかったファルは、負傷者を収容しながら、最後衛に立って部屋の戸を閉めた。何とか静かになった部屋に逃げ込んだファルは、へたり込むように床に崩れていた。
「誰かしらね、此処に防衛線を引いていたのは」
「やはり、そう思うか?」
オートマターの何体かを転移の薬で戻しながら、オルトルードが言う。彼は高度な力を持つ魔法の回復薬を沢山持ってきていて、惜しげなくそれを提供してくれた。回復役を飲み干すと、随分体が楽になる。それに加えてエーリカの治療を受けながら、ファルは奥にある何かを見やった。
部屋の奥には、透明な筒状の何かがある。多分、それが非常階段だ。無事だったオートマター達が防衛体制を取り、急いでエーリカが治療を進める中、ファルはフリーダーに言う。
「あれが、非常階段か?」
「いえ、あれはqlpwqmosadfqewhfqwです」
「エレベーター!? そ、それはエスカレーターと似たようなものかっ!?」
「原理的には似ていますが、別のものです。 乗った者を上下に搬送する装置で、あれは恐らくl;saodifghを利用したタイプです。 五層にもあったような昇降機と同じ能力を持つ機械ですが、此方は数十階を上下する事を前提とした作りです。 六層にもあったのですが、其方は機能していませんでした。 これの機能は、今から調べてみます」
語感が似ているので反射的に恐怖を感じたファルに、フリーダーはあまり慰めにならないフォローをしてくれた。悪気がないのは知っているから、別に不快ではない。大きく嘆息するファルに、エーリカは包帯を巻きながら言った。
「相変わらず、エスカレーター嫌いねえ」
「半分は貴公のせいだぞ、エーリカ」
「はいはい、ごめんなさい。 でも、貴方にもそういう可愛い所があって、愚僧は安心だわ」
お終いと言いながら、エーリカは中級の回復魔法を腕に掛けてくれた。特に痛みは覚えていなかったのだが、魔力の流れは乱れていて、危険な事は知っていた。先日のロベルドとの意見交換以来、自分の体の魔力流を観察する事に、ファルは今まで以上に留意していた。結果、今まで以上に肉体の能力を強化できることには成功している。無論短期間での事だから、ロベルドの域には到底至らないが。
痛みも引いたし、体力の損耗も最小限に抑えられた。他の者が治療されるのを横目で見ながら、ファルはエレベーターだとか言う代物に歩み寄る。それの側は深い溝になっていて、巨大な穴の中から、透明なチューブが上下に遙か先まで伸びている形になっていた。また、エレベーターとやらを取り巻くように螺旋階段がくっついており、これも上下に際限なく伸びていた。深い深い闇の先まで、フリーダーの言葉を信じるなら、これで一気に行けるのだろうか。フリーダーはずっとそれを弄り続けており、近づいてきたファルに気付いても、顔も上げない。機械を弄っている時の、フリーダーの癖だ。
「どうだ、動きそうか?」
「問題ありません。 ただ、下に着いた際に、奇襲が予想されます」
「それは仕方がない。 覚悟して乗り込むしかないだろう。 深さによっては、其方の階段を使う事も手だが」
「それはおすすめ出来ません。 このqlpwqmosadfqewhfqwは、今が地下二階だとすると十五階まで続いています」
いちいち脅威的な数字が飛び出してくる。九層に入った時点で見えていた建物は、文字通り氷山の一角に過ぎなかったわけだ。地下深くまで伸び続ける螺旋の通路。魔神の恐ろしい力が、それだけでも分かる気がした。治療を終えたオルトルードが、鎧をがしゃがしゃと言わせて、二人に歩み寄ってきた。会話を聞いていた彼は、無精髭が生い茂った顎を撫でながら言う。
「オートマターを何体か偵察に出そう。 エレベーターと言ったか、これの扱いはそれほど難しいものなのか?」
「いえ。 操作は幼児にでも可能な簡単な代物です」
「ならば問題ないだろう。 簡単な意志疎通は出来るように調整してある。 数体には防衛線を引かせておけば、我々が乗り込む際には更に安全だろう」
「……」
フリーダーを前にして、オルトルードはそんな事を言う。少し悲しかった。自我を持っていないとは言え、頭脳は死滅しているとは言え。フリーダーを前に、そんな合理的な台詞を吐けるオルトルードは、やはり英雄王だった。王が言う事が合理的だとはファルも分かる。ファルだって、同じ立場ならば、同じ策を取る。しかし、悲しいものは悲しかった。
「ファル様、解析が完了しました」
全く気にしていない様子で、フリーダーが顔を上げる。その顔には、とても優しい、ファルが好きな微笑みが張り付いていた。
王が無事だったオートマター達を呼び込む。数は八体。七体がまず下で防衛線を張り、一体が報告に戻る。オートマターは能力も高いが、何よりその抗魔能力によって、大概の攻撃魔法に耐え抜く。その能力の高さは、マジキム戦で増幅ジャクレタに耐え抜いたフリーダーによっても証明済みだ。
全員の治療が済んで後、作戦行動が再開された。チューブの全面にある透明な戸が音もなく開き、中にある透明な板にオートマター達が乗る。戸が閉まり、空気が漏れる音がして、音もなくオートマター達が下へ降りていく。落ちているのではない。板が下に動いて、搬送しているのだ。それを見送りながら、エーリカがファルに言った。
「ファルさん、気付いていた?」
「ああ」
ぶっきらぼうに言い、ファルはそれ以上会話を続ける意志がない事を示した。彼女は気付いていた。魔法自体によって、レイバーロードが決して傷付かなかった事を。アモークでダメージを受けた際も、それもはじけ飛んだ鎧に傷付けられたからだ。魔法という点では、ザクルドにすら耐え抜いた。それにあの薄い肌、最後に見えた髪の色が、フリーダーに酷似していると言う事を。あれはほぼ間違いなく、オートマターだ。ただ自我がなかった事から、多分今オルトルード王が連れている連中と、同質の存在であろう。魔界がディアラント文明と同質の技術を持っていると、これで判明した事になる。一体何者なのかはまだ分からないが。
エレベーターが戻ってきた。オートマターはたどたどしい動作で、口を開いた。
「危険ハアリマセン」
「うむ。 先発隊を追おう」
全く臆することなくオルトルードがエレベーターに乗り込む。ひょっとすると、今まで探索したディアラント遺跡で、同じものを見た事があるのかも知れない。六人は王に続いてエレベーターに乗る。透明な床板は非常に硬く、しかし踏んでみると軽い感触であった。
扉が閉まると、流石に緊張する。音もなく床板が下に動き始める。体重が軽くなったような気がしたのは、ほんの一瞬のみ。後は音もなく、周囲の光景が上へかっ飛んでいくのを、呆然と眺め続けるばかりだった。乗り込んだのと同じような場所を通過する事十三度。やがて、エレベーターは音もなく止まった。エレベーターの外には、オートマター達が無言のまま防御陣を作っており、後続の到着にも反応を示さなかった。
「ご苦労」
「陛下?」
「ん、フリーダーを見て、余が失礼な事をしていたのに気付いてな」
そう言ってオートマター達をねぎらい、前に進み出るオルトルード。やはり彼には、忠誠心を刺激するものがあると、ファルは思った。
4,スケディム=マリエル
部屋を出ると、上層階と代わり映えのない光景が広がっていた。しかし、それは見かけだけの事であった。まず第一に、エレベーターの出口にあった部屋は、入り口にあった部屋より二周りほど大きかった。床に手を着いて、色々と調べていたロベルドが、小さく頷いた。
「……傾斜が無くなってやがる」
「それに見て。 通路の外側の扉が、一つもなくなっているわ」
歩き出すと、今までとの相違点も色々見えてきた。確かに通路の外側には、一切扉が無くなっている。内側の扉も数を減らしていて、フリーダーに聞くと、表札がないと言う。一旦通路を小走りに駆け抜ける。しばし行くと、通路の外側に扉がない事の原因が分かった。
外側の壁に大きな切り込みが入っていて、其処に短い通路と壁が見えていた。通路に踏み込んでみると、薄い壁を隔てて、通路が何処までも延びていた。要するに、この場所は、螺旋状に降りてきた通路の内側に、円状に存在しているのだ。となると、この内側にある部屋に、何かあるのは間違いなさそうだ。しばし進むと、エレベーターのあった部屋に戻ってきた事からも、その考えは間違っていない事が証明された。
無言でファルが扉に進み出て、皆がそれを守るように左右に展開する。扉には鍵も掛かっておらず、トラップもなく、軽く押すだけで開いた。扉の内側には、広い広い空間が広がっている。この円形の通路の内側全てがこの部屋になっていると、ファルは自然に判断した。中央部には、うっすらと輝く何かが上下に見える。上部にあるのは、恐らく大きなシャンデリアだ。その下部にあるのは……エレベーターによく似ている。
進み出ると、部屋の真ん中部分は大きな空洞になっていて、手すりが付いていた。真ん中にあるのはやはりエレベーターで、再び地下にまで伸びている。思わずファルが剣に手を掛けたのは、物凄い障気を感じたからである。周囲に音はないが、地下から溢れてくるこの異常な障気は、冷や汗を全身に浮かばせるのに充分であった。あのマジキムにも匹敵する存在が、間違いなく地下にいる。何か言おうと口を開いたのは、恐怖心を隠す為であったのは否めない。それに対して、意外な事態が発生した。
「ふむ、思ったよりも大勢来たな」
「誰だ!」
「儂か? 儂はクライヴ=ハミントン。 この建物、お前達がかってセントラルパンデモニウムと呼ばれるものを作った存在だよ」
戦闘態勢を取る皆の前に舞い降りたのは、金色の魔神であった。体高は六メートル以上。巨人を凌ぐ圧倒的な体格に、全身から迸る凄まじい魔力。生唾を飲み込みながら、コンデが言う。
「エ、エルダーデーモン! 並の魔神を束にしてもかなわぬほどの力を持った、人界に現れた事がある魔神の中では最強の一柱じゃ!」
「もう今更何が出てもおどろかねえよ。 で、そのエルダーデーモンとやらは、俺達の前に何しに出てきやがった!」
「ふふふ、元気の良い若者だな。 儂にも息子が魔界におるが、可愛い盛りでな。 今日みたいに出かけてくると、おみやげを買ってとせがみよる」
慇懃に魔神は言った。失礼な様子はなく、年老いた魔神は理性的だという噂をファルは頭の中で再確認していた。
「お前達は、イザーヴォルベットを屠りに来たのか?」
「そのつもりだ。 奴らをのさばらせ、人の世を滅ぼさせるわけには行かない」
ファルにとって大事な人達もそれによって死ぬから、そうはさせない。人類社会とエイミやフリーダーの命が天秤に掛けられたら、間違いなく後者を選ぶファルの言葉だ。だからこそに、重みがそれにはあった。
「奴らはただ倒しただけでは滅びぬ。 ただ、アウローラが開発したアレを用いれば、今後恒常的に奴らの存在を失わせる事が出来るかも知れないが……」
「で、そのイザーヴォルベット、即ちうごめくものは何処にいるの?」
「おお、そうだったな。 奴は今、この下で覚醒を初めておる。 お前達の実力で倒すなら今しかないだろう。 可能性は恐らく三割を切るだろうが」
驚くべき事に、魔神は道をあけてくれた。
「先ほどの戦い、見せて貰った。 お前達の能力は明らかに人間を超越している。 それでも、三割以下の勝率だ。 構わないのだな?」
「構わない。 ただ、幾つか貴方に聞きたい事があるわ。 奴をぶっ殺すまで、此処で待っていて貰える? 何、そう時間は取らせないわ」
臆する事もなくそう言うエーリカに、魔神は愉快そうに頷き、早く行けと促す。ファルは最後まで奇襲を警戒して魔神から目を離さず、エレベータにも一番後に乗った。先ほど一度乗ったとは言え、透明な板が何処までも続く闇の其処へと向かう光景は、幻想的であり恐ろしくもある。
何の前触れもなく、エレベータが止まった。エレベーターは、心の準備をする時間など、与えてはくれなかった。戸が開くと、物質化しそうなほどに濃い障気が、まるで冷風の様に流れ込んできた。
「行くわよ」
エーリカが促してくれなければ、進めたかどうか、怪しいものだった。だが、皆歩き出す。避けられぬ戦いへと。
そこは九層入り口やパンデモニウムの外に嫌と言うほどあった黒い結晶が床中にまぶされているという事以外、何もない場所。周囲は何も見えない。否、遠くまで何もないので、何かあるとは認識出来ない。ただただ、異常な障気のみが満ちあふれている。正に此処は闇の底であった。がしゃがしゃと武具を鳴らして展開するオートマター達。雷神の剣を引き抜きながら、オルトルードが緊張を顔に湛えた。コンデがエーリカに促されてロミルワの光を何発か打ち上げる。巨大すぎる気配によって、敵がどちらにいるかはもう分かっている。光によって、それが照らされる。うごめき、形を為していく、小山のような姿が。大きい。マジキムも巨大だったが、今現世に降臨しようとしている奴は、更に大きい。更に今までの経験から言って、特殊な防御結界を張っているのは間違いなく、普通に攻めても通用しないのは明白だ。こんな奴に、人の子が立ち向かえるのか。生唾を飲み込むファル。覆い被さるように、エーリカの声がした。
「総員、総力戦用意!」
頷くと、全員一丸となって、闇の固まりへ向けかけ出す。敵の存在を認めた敵は、ゆっくりと体を起こしていく。身長はおよそ八メートル強。ジャイアントを軽く凌ぐ体躯だ。全体的には猿に似ている。長く伸びた前足の先は、人間の手に酷使している。対して折り畳まれた足は、人のそれよりは猿に似ていた。全身には毛が無く、薄黄緑の体は淡く発光していた。背中には鋭い棘が無数に生えており、天を冒涜するように四方八方へ伸びている。だらしなく開いた口は、象を丸飲みに出来そうなほどに大きかった。奴の息づかいが、此処まで届く。間合いを計るどころではない。ファル一人では、どう戦ったものかすら分からなかっただろう。
「形状からして、此奴がスケディムね。 洒落にならない大きさだわ」
「んン……? ちっ、やはり貴方達が来たか」
どう反応していいものかよく分からなかったが、スケディムの口からは、確かに女の子の声がした。とんでもなく冷酷で、全てを外側から見ている声。エーリカのものと性質が何処か似ているが、彼女と違うのは、完全に何かを踏み外していると言う事だ。スケディムの口からは、淡々と苛立ちが漏れ続ける。それは会話の為にはき出された言葉ではない。ただ、己の苛立ちを吐露しただけのものであった。返答を最初から求めていない会話だった。
「もう少し時間をおいてくれれば勝率はもっと上がったのにねえ。 正直此処まで早く此処にたどり着くとは、思っていなかったわ」
「その声は、確か聞き覚えがあるぞ。 ランゴバルドが連れていた大天使マリエルだな」
「ご名答。 流石に一国の王、良い記憶力だわ」
けたけたという気味が悪い笑い声をかき消すように、不意にフリーダーが放った矢が、奴の目向けて飛ぶ。奴は軽く腕を上げて、矢を受け止めた。手首の辺りには、確かに矢が刺さった。マジキムとは結界の性質が違う事だけは、今の一撃で分かった。しかし、解せないのは、どうしてか矢が刺さったと言う事だ。余程未熟な状態なのか、それとも何か恐ろしい罠が隠されているのか。観察を続けながら、エーリカが言う。表情に、余裕はない。
「貴方ほどの存在なら、天界に帰るなりいくらでも選択肢はあるのではないの? 何でわざわざうごめくものに取り込まれたりしたわけ?」
「貴方の知った事ではないわ……といいたいけれど、ふふふ、特別に教えてあげる。 ただ単純に、何もかもぶっ壊したいからよ。 私は子供の頃に心を歪んで作ってしまってね、壊す事が、殺す事が好きで好きで仕方がない。 天軍に厄介払いされてコッチに来て、魔神を好きなだけ殺し放題の日々も楽しかったけど、正直それも飽きてきた。 そこに、久方ぶりにイザーヴォルベットが現世に降臨すると言うじゃないの。 是を逃す手はないと思ったわ」
マリエルの言葉に狂気はない。心そのものが、狂気云々以前に、根本的に曲がりくねっているのだ。ファルは奴の落ち着いた言葉を聞きながら、それを理解した。
「壊して、殺し尽くして。 その先には何かあるとでも?」
「うふふふ、壊し尽くす、等というちんけな事に興味はないわ。 適当に壊して回っても、何しろゴキブリ並の生命力を持つ人類だもの。 私が帰ってきた頃には、しぶとく文明を再興しているでしょう。 何度でもぶっ壊せるというものだわ。 それも飽きたら魔界に乗り込むのも天界に殴り込むのも良し。 私に容姿など関係ない。 何もかも壊し、それを続けられれば、後は何もいらない。 うふふふふふ」
「可哀想な天使ね、貴方は」
「ふふふふ、ありがと。 勿論好きなだけ抵抗して構わないわよ。 私に欲望のまま壊しまくる権利があるのと同時に、貴方達にも生きる権利があるものね。 あはははははははははははははははははは、ひはははははははははははははは!」
同情の余地はない。殺されてやる必要もない。だが、エーリカの言葉には理解があった。ファルも分かった。この天使がどんな人生を送ってきたのか。その結果、どんな風に心が歪んで壊れてしまったのか。天使は同情など蚊ほどにも感じないだろう。だが、此奴を無慈悲に憎む事は、ファルには出来そうになかった。
「さあて、そろそろ始めましょうか。 んン?」
巨大な、長い長い腕が、無造作に振り上げられる。そして、今までの理性的な声からは想像も出来ない、暴力的でプリミティブな咆吼が響いた。
「ゴガアアアアアアアアアアアアアッ!」
瞬間的に、筋肉が緊張する。跳ね飛ぶのが一瞬遅れていれば、全員ミンチになっていた所だ。素早く後退する後衛。今の腕の一撃から、必死に間合いを計らんとする前衛。王は剣を抜くと前衛に加わり、オートマターに支援攻撃を命じてマントを翻した。長い長い戦いが、始まった瞬間であった。
スケディムが立ち上がると、威圧感は決定的なものとなった。息をのむ前衛諸君に、躊躇無く遠慮無く長い前足が叩き付けられる。ファルは必死に飛び退く。こんな巨大な腕の一撃、かすっただけで大打撃になる。オートマターはクロスボウを構えて、フリーダーに習うように援護射撃を開始した。無数の矢が飛び、ゆっくり進み出てくるスケディムに次々突き刺さる。そう、抵抗無く突き刺さるのである。
「どういう事だ、これは。 火神アズマエルよ、どうか哀れなしもべに英知を与えたまえ!」
「案外弱い、等と言う事はないな」
「うむ。 余もそれはあり得ぬと思うが……」
再び右腕が振り下ろされる。続けて、左腕が飛んでくる。かなり早い、というよりも一撃ごとに体の動かし方を学習している感じだ。ラスケテスレル戦でも感じた焦燥感が、ファルの体内を駆け上がる。此奴らは、一秒ごとに強くなっていくのだ。轟音と共に振り下ろされる腕が、徐々に早くなっていく。砕かれた黒い結晶が宙を舞い飛び、無数の細かいナイフとなって地面に次々突き刺さった。コンデが速射式のクレタを放つ。火球がスケディムの顔面にぶつかる。紅蓮の火炎がはじけ飛ぶ。僅かに焦げた顔を上げて、うごめくものが吠え猛る。その隙に接近したロベルドが、ヴェーラと息を合わせて、奴の右足を左右から切り裂く。刃は綺麗に通り、鮮血が吹きだした。
「妙だ、どういう事だ。 攻撃が全部通りやがるぞ」
「奇怪だな。 油断するな!」
今までのうごめくもの共の凄まじい防御能力から考えて、上位にいる此奴がそれらに劣るとはとても思えない。ロベルドの焦燥は当然の事であった。更に、ファルも奇怪な事に気付いていた。先ほどから此奴の生体魔力流は一定していないのだ。今でも完全な形で見える訳ではないから、魔力流はとぎれとぎれの形で見てきた。それを観察眼によってつなぎ合わせて、集約点を見切って突いてきたのである。しかしこのスケディムは、魔力流がぶつ切りであり、有り体に言えば殆ど見えない。舌打ちするファルの横で、雷神の剣を上段に構えた王が、ゆっくり進み出た。
「余が仕掛けてみよう」
剣を覆うオーラが質量を増す。雷神の剣はその名の通り、雷の力を宿した名剣である。古代ディアラントの遺跡から発見された一級品で、雷の力で剣そのものの動きも加速するし、柄についているボタンを利すれば、中級の雷撃魔法に匹敵する一撃を放つ事も出来る。スケディムは近づいてくる王を見やり、余裕の体でいる。ゆっくり剣先を下げた王は、紫電を刀身にまとわりつかせ、文字通り雷が如き速さで振り下ろした。同時に、雷の矢が、束となってスケディムの巨躯に躍りかかる。その収束率、中位の雷撃魔法であるザティールを凌ぎ、上級の雷撃魔法であるジャティールに迫るものであった。紫電が直撃するその瞬間、初めてスケディムの防御結界が発動した。
雷撃が、光の幕に吸い込まれる。同時に違和感を感じたファルが飛びずさった。周囲が暑くなったような気がする。王も、ロベルドもヴェーラも違和感を覚えたようで、続いて飛び退いた。スケディムは首を左右に傾けて、ぽきぽきと威圧的に鳴らしながら言う。
「あははははは、流石は英雄王。 素晴らしい手練れね。 雷神の剣を使う奴は今まで何人か見てきたけれど、これほどの雷は初めて受けたわ」
雷神の剣からは、雷の光が消えている。ためていた雷を全て放出したのだから当然の話だ。じりじりと距離を取りながら、王は言う。
「貴様……!」
「クロスボウの矢が」
踏んだ物に気付いて、ファルは舌打ちしていた。同時に、奴の表皮が蠢き、何かを吹き出す。遠くに飛んだそれは、オートマターの一体が放ったクロスボウの矢であった。奴の黄緑色の肌が、文字通り蠢いている。ロベルドとヴェーラが足に穿った傷も、クレタが顔面に作った火傷も、溶け去るように消えていく。再生能力が高い敵は今までに何度も見てきたが、どうしてか嫌な予感がファルの中では渦巻いていた。少なくとも、一つ分かっている事がある。それをファルが口にする前に、スケディムが大きな口から言った。
「自己能力の解析終了。 これから、本番に移行するわよ。 アハハハハハハハハ!」
「来るぞ!」
スケディムの姿が、かき消えた。周囲の空気が奴のいた場所に吸い込まれるような独特の感覚。それが何を意味するか、ファルは悟り、叫んだ。
「散れえええええっ!」
次の瞬間、巨体が今まで立っていた位置と同じ場所に、着地していた。同時にとんでもない衝撃と揺れが、周囲を襲う。奴は右に動いたのでも左に動いたのでもない。バネのような足を使って、そのまま真上に飛び、体重を全部掛けて床に衝撃を与えたのだ。他愛なくはじき飛ばされたファルは、自らを叩き潰さんと迫る、巨大な掌を眼前に見た。同時に、ランスモードに右腕を変化させたフリーダーが、突撃を仕掛ける。一閃の光となったフリーダーと、スケディムの腕がぶつかり合う。光が弾け、ファルが今出来た隙に飛び退く。同時に、猛烈な熱気が吹き付けてきた。弾かれたフリーダーを、奴は巨大な足で踏みつぶそうとする。いや、それは違った。慌てて回避行動を取り、振り下ろされた足から回避したフリーダーが転がりながら左手に持ったクロスボウで反撃しようとした時、スケディムの姿は既に消えていた。
再び、猛烈な衝撃と振動が襲いかかってくる。奴は今度は、オートマター達の真ん中に飛び降り、着地の際に数体を踏みつぶし、更に逃げようとする数体を長い腕でなぎ払っていた。速射式のクレタが飛ぶが、残像を掠るに過ぎない。奴が再び飛ぶ。何処に着地するか分からない。空を見上げるファルは、奴の力がそれだけではない事を知って戦慄した。無数の火球が、頭上から容赦なく降り注いでくる。それは無数の爆発を呼び、周囲を破壊と殺戮で埋め尽くした。上空からの火球の連射。何とか起きあがれないフリーダーを抱えて隕石群の如く降ってくる火球から逃れようとしたファルは、再び至近に着地したスケディムが産み出した衝撃と幕圧によってはじき飛ばされていた。
「くっ、あああっ!」
「ち、ちっきしょおおおっ!」
なんたる機動力。なんたる攻撃力。強すぎる。これではドゥーハン軍が総掛かりであっても、勝てるか疑わしい。叫んだロベルドが突進し、戦斧で奴の足を傷付ける。鮮血が吹き出すが、傷口は液体のようにうごめく皮膚によって見る間に埋まり、奴の鞭のように長い尻尾が上からロベルドを打ち据えた。回避し損なったロベルドは斧ごと地面に叩き付けられ、更に振り回されて遠くに投げ飛ばされる。オルトルード王が生き残ったオートマターに命じて援護射撃を命じながら、自らは奴に向かって間を詰める。それと時間差を付けてヴェーラが逆側から間を詰めるが、再びスケディムは残像を残して跳躍。跳躍の瞬間、絶倫の技量でエーリカが速射式のフォースを叩き込むが、それも腹に直撃こそすれど奴の動きを止めるには至らない。
再び、着地の獰猛な衝撃が襲いかかってくる。周囲の黒い結晶がその度に砕け、吹っ飛び、飛び散り、舞い散る。こんど、奴はエーリカとコンデの側に着地していた。慌てて駆け寄るが、間に合わない。エーリカは何とか飛び退いたが、逃げ遅れたコンデに、スケディムは容赦なく掌で一撃を与えようとしていた。コンデが着ているローブは魔法でかなり強化されている逸品だが、それでも此奴の攻撃には耐え切れまい。何本かの矢が奴の腕に突き刺さるが、止まらない。コンデが叩きつぶされんとした、その瞬間。飛び込んだのは、オルトルード王であった。
王は剛毅な戦いを見せた。飛び込みつつ、奴の手の下にファルから受け取っていた焙烙を投げ、コンデを抱える。そして爆圧に背を押されながら、死の掌の握手を逃れたのである。炎を纏ったスケディムの掌が地を叩いた時、彼のマントは黒く焦げていた。ゆっくりと、スケディムが巨大な顔を王に向けた時には、ファル達はもうなんとか態勢を立て直していた。奴の猛攻によって相当な打撃は受けているが、皆の目に敗北感はない。
「助かりましたぞ、陛下」
「それは勝ってから聞こう。 エーリカよ、何か勝算はあるのか!?」
「……五分五分、ですわ、陛下」
大きく肩で息を付くエーリカも、繰り返された着地の衝撃によって、黒い結晶の破片を浴び、地面に跳ね飛ばされ、衝撃波に飛ばされ、相当に傷ついていた。だが額から流れてくる血を拭う彼女は、わざとスケディムに聞こえるように言う。
「ただ、奴の能力は、もう解析しましたわ」
「へえ、それは面白い」
大天使の愉悦に満ちた声がする。マジキムもそうだったし、此奴もそうだが、相手が抵抗する事を露骨に楽しんでいる節がある。自らが傷つく事も意に介していないので、一種の趣味なのではないかと思うのだが、戦いを決して否定しないファルにも少し理解しがたい存在だった。理解出来ないからと言って否定する一般人共と一緒にならないとファルは誓っているが、それでも接していて違和感を覚えるのは事実であった。
「貴方達に破れるなら、この体もその程度の代物。 私もその程度の存在。 別に未練なんて、何一つ無いわ。 さあ、どうぞ何でもやってご覧なさい。 やらせてはあげないけど。 あはははははははははははは」
笑い声を残しながら、奴が再び飛び上がる。奴は知っている。跳躍し、猛威を振るい、跳躍し、猛威を振るう。その反復行動が自らにおける最強の戦法であり、それを繰り返すだけで確実に勝てると。中途半端に頭が良いものなら却って策に溺れてしまうものだが、スケディムと一体化した大天使は力の使い方を知っている。それだけに非常に厄介だ。周囲に散りながら、ファルはエーリカのハンドサインを見た。奴の結界の驚くべき性質。フリーダーを前衛にすえた、4×2のフォーメーションに移行する事。残った火力を全て使い、短期決戦に持ち込む事。段階を追って敵の防御を突破する事。更に幾つかの細かい指示を受け、了解の返事を返す。王に対する伝言も、ファルは承った。同時に、奴が飛び降りてくる。爆圧が、戦場を覆った。
「余も、そろそろ年だな……」
生き残ったオートマターに助け起こされながら、王が立ち上がる。足下が覚束ない。翌年には、と思っていたが、もう限界が来たのかも知れない。強力な魔法で守護されているのにもかかわらず、ボロボロに傷ついた鎧。未だ充電が完了せず、光が不十分な雷神の剣。そして何よりも、激しい戦いに真っ先に疲弊し、若者達の手助けが出来ぬ老いた体。口惜しいと思いながらも、再び激しく拳をロベルドに叩き付けているスケディムに向け歩き出す。防戦一方のロベルドは、いつ奴の拳をまともに喰らってもおかしくない。
だが、その眼前に、走り来たファルーレストが跪いた。額から血を流し、それが止まる気配がない。他にも全身酷く傷つき、痛々しい有様であった。目に映る闘志は、未だ衰えていないが。
「陛下」
「ん、ファルーレストか。 今加勢に向かう」
「作戦と、敵の詳細を説明します。 良く聞いてください」
目を見張る王。エーリカの言葉ははったりではなかったというのか。ファルは苦笑すると、説明を始めた。
「奴の防御結界は、どうやら特定威力以上の攻撃を全て遮断し、熱に変えて周囲に撒くようです。 今までのあらゆる状況証拠が、それが真だと告げています」
「なるほど、確かに頷ける話だ。 しかし、何とも厄介だな」
確かに、王にも頷ける解析結果であった。それにしても、本当に厄介な話である。奴の結界が特定威力以上の攻撃を全て弾くとなると、どんな大魔法も奴には通じず、それどころか熱となって返って来るのだ。メガデスなど唱えようものなら、発動者も次の瞬間には丸焼けだ。
「更に奴は、表皮の一部を液状化し、傷ついた箇所を分散して回復する能力を持っています。 先ほど我々の攻撃を受けても意に介さず、クロスボウボルトを抜き去って見せたのもそれによるものです。 大威力の攻撃は結界ではじき、小威力の攻撃は受けても平気なので意に介さない。 そして超機動力を生かして敵を屠る。 それが奴の戦闘スタイルです」
「む、なるほど」
「そこで、我々は奴の弱点を突きます。 作戦は、具体的には三段階になります」
ファルは戦況を見やると、王へ声を落として説明した。淀みなく説明される作戦に、王は変更を加える箇所を見いだせなかった。
「良し、それなら余も最大限の参加をさせて貰う」
「生き残りましょう。 ドゥーハンには、まだ陛下の力が必要です」
「そうか、余の決意を知っていたのだな」
「これでも、戦に生きてきた者ですから」
顔を上げないファルに、王は自らが何故こういった決断をしたのか話してやりたかったが、そうもいかない。一瞬の判断が勝敗を分けるこの戦場で、迷いを与える事はドラゴンのブレスを浴びせるに等しい。
「まずは、奴を倒す。 全てはそれからだ」
オルトルードの瞳に、勝機と、決意が燃え上がる。必ずやこの未来創る若者達の為に、道を切り開くと。そのためには、全盛期に匹敵する動きをしなければならないが、それは残った力を全て賭ける事によって何とかしてみせる。少なくとも、この若者達は必ず生きて帰さねばならない。ドゥーハンの、ベノアの未来の為にも。
「行くぞ、たけき忍者ファルーレスト! 奴を屠り去る!」
「はっ!」
もう少しで充電が完了する雷神の剣を構えると、王はファルと共に、前線へ駆けだした。
5,礎
長大な腕が、真上から飛んでくる。それを避けても、今度は尻尾が横殴りに襲いかかり、転がって避けた所に、ねらい澄ました横殴りの一撃。猛攻を受け、下がりつつ何とか凌ぐロベルド。そしてヴェーラ。作戦通りといえど、先ほどの尻尾の一撃は痛烈に効いており、動きがいつもより遙かに重いのが、走り寄るファルにも見えていた。走りながら、ファルは焙烙を懐から引き抜く。作戦開始である。
エーリカがさっきハンドサインで指示してきた作戦は三段階。一段階目では、ファルは一撃目を叩き込んですぐに、奴の背後に回り込む事になる。理由は簡単で、奴の弱点は背中の何処かにあると、既に見当は付いていたからだ。ただ、見当は付くと特定出来るでは大きな差がある。ロベルドも、ヴェーラも頷く。今回の攻撃は、連携が決め手になる。如何に短時間に多数の攻撃を叩き込むかで、勝負が決まるのだ。
「はああああっ! 貫け、そしてうち砕け! フォース!」
「むうっ!?」
最初に攻撃の口火を切ったのはエーリカだった。速射式の分裂型フォースを放ったのである。七本の光の矢が、轟音と共に空間を蹂躙し、同時にスケディムの体に直撃する。三本は腹に、残りは一本ずつ四肢に。同時にファルが投擲した焙烙が奴の腹部にて炸裂し、オルトルードが突撃しながら指示を出し、オートマター達が一斉にクロスボウを撃ち放つ。全身に無数の矢を受けながらも、スケディムは動じない。更に突撃したロベルドが、王とタイミングを完璧に合わせてWスラッシュを敵右足に入れ、更に間をおかずヴェーラがハルバードを足首に叩き込む。ばちりと音が鳴ったのは、ロベルドが叩き込んだバトルアックスの近辺だった。あのくらいのレベルで、防御結界はもう発動するのだ。
だが、同時に二十を超す攻撃を貰ったというのに、スケディムは平然としている。体中から出血しているが、それは各自小さな傷である。果物の種をはき出すようにクロスボウボルトの矢をはき出す。
「こんなものが効くと思っているの?」
「さあ、どうでしょうね! フリーダーちゃん!」
「! ……?」
死角から回り込んでいたフリーダーが、なぎ払ってきた尻尾をかいくぐり、懐に飛び込む。その両手は、ランスモードでもなければレイピアモードでもシールドモードでも無く、普通の状態だ。彼女はそのまま、刺さっている矢の一本を蹴り上げ、傷を深々と抉って拡大する。すぐに回避するフリーダーに眉をひそめながら、スケディムは跳躍した。全員が散開する。ファルはそれを確認しながら、エーリカにハンドサインで伝言する。
「問題ない、位置は特定した。 傷口の回復状況と、肌の流動速度もだ」
「了解! 第二段階に移るわよ!」
頷く間もなく、無数の火球が降ってくる。爆発が連鎖して巻き起こり、ファルの殆ど至近に炸裂した。回避行動を取る暇も、受け身を取る余裕もなく、ファルは黒い結晶にもろに背中から叩き付けられた。背骨が軋み、吐血する。同時に、奴が空から降ってきて、激しい音と共に着地。吹っ飛んだ黒い結晶が飛び散り、辺りに衝撃波と破壊の悪意をばらまく。ファルが叩き付けられていた黒い結晶に細かい罅が入り、砕け、割れた。ファルは細かい破片と一緒に背中に倒れ込んだ。気絶するほどの痛みが全身を覆っている。だが、此処で負けるわけには行かない。まだまだ、まだまだだ。震える足で、何とか立ち上がる。もう一度、火球による爆撃と、着地による衝撃波のコンビネーション攻撃をやられたら負ける。ファル以外の皆も、立っているのがやっとの状況である。そしてファルは、何とかリミッターの強制解除を、作戦時間ぎりぎりでやる分しか、体力も精神力も残っていないのだ。
決着の時は近い。第一段階の攻撃は、見当を付けた背中から違う地点を総攻撃する事により、流動式肌を其方に移動させる事。是によって背中の皮膚は薄くなり、魔力集約点を見る事が出来た。続いては、第二攻撃だ。コンデが杖を横に構える。そして、王も剣を高く構える。スケディムは非常に高い機動能力を持っているが、連続してジャンプは流石に出来ず、飛ぶ前には必ず充填時間を必要としている。奴が着地して、酷い損害を追いつつも、皆全力を振り絞って躍りかかる。倒れている暇など、もうないのである。ファルも上着を脱ぎ捨てると、髪を荒々しく首の後ろで縛り上げた。第二段階と第三段階はセットになった作戦行動だ。皆による第二段階が成功した直後が、ファルの出番になる。残った精神を全て集中する。視界が狭窄していく。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
皆の叫びが、重なった。
「くらえい、小生の渾身の一撃を! はああああっ!」
最初に飛んだのは、コンデの増幅クレタだった。もはやそれはザクレタを遙かしのぎ、局地的な火力だけならジャクレタに近い代物であった。それは奴に直接当たらなかった。奴の至近で弾け、炎の舌となって体を舐め尽くす。思わず仰け反るスケディム。同時に、皆が動く。
「せええい、あああああああっ! 死にやがれ、猿野郎ーっ!」
ヴェーラの背を借りて、ロベルドが跳躍した。彼は全身弾丸となり、今クレタが直撃した中心点を、猛烈な勢いで直撃する。結界が作動するぎりぎりの、最大限の攻撃力。その勢い、正に火の如し。残った炎を駆け散らし、ロベルドは黄緑の肌に自らの身を食い込ませる。悲鳴を流石にあげたスケディムは、残っているオートマター達の放った矢が、尽く彼の腹、今ロベルドが攻撃を叩き込んだ一点に刺さるのを見た。蹌踉めきながらも、その数本を弾く。だが、本命はその後に来た。今日二度目の、最後の力を込めたフリーダー。手は既にランスモードとなっており、矢を払った事で開いたスケディムの腹に、計算し尽くした一撃を叩き込む。流星が如きその一撃を前にして、皮が破れ、千切れ、飛び散り、派手に血液がまき散らされる。汗を散らしながら、スケディムは愉悦を言葉の形にしてはき出した。
「へえ、面白い! この戦況で結界の性質を見抜き、一点にピンポイントの爆撃をかけてきたか! 素晴らしい対戦相手! 私は幸せよおっ!」
びゅんと腕が一閃し、回避しようとしたフリーダーを跳ね跳ばした。直撃はしなかったが、掠っただけで充分だった。他愛なく飛ばされたフリーダー。その下を、充電完了した雷神の剣から放たれた、紫電の雷が蹂躙する。それはフリーダーが抉った腹の傷を直撃、肉を焼いてこがし、火花を上げた。
「グオアアアアアアアアアアアアアアッ!」
身をよじり、鮮血を垂れ流しながら、スケディムが絶叫する。だが、すぐに傷は消え去っていく。しかし、王の攻撃は二段階のものだった。冷静にヴェーラの肩を借りて跳躍、雷神の剣を腹へと突き刺したのである。傷口をそれは更に深く深く抉り、一部は内臓すら露出した。だが奴は、攻撃の切れ目を冷静に見切り、王を躊躇無く跳ね飛ばすと、たかだかと跳躍した。もう一撃、高空からの爆撃と着地衝撃波を浴びせれば勝てる事を知っているのだ。この辺りの判断力、獣に出来る事ではない。逃げるのではない、攻撃を受けつつも最大の反撃をするつもりなのである。表情から言っても、追いつめられているという感覚すら恐らくは無い。恐怖を明らかに楽しみ、戦いに勝つ為に何をも犠牲にする意識が行動から漏れ出ていた。凄まじい加速度に、体中の肌を集めて再生している腹の傷から、引っ張られるようにして鮮血がこぼれる。スケディムが違和感に気付いたのは、その瞬間であった。
皆の猛攻を横目で見ながら、全神経を集中したファルは走った。時間さえが、粘つくように流れていく超加速の思考。自らの体の限界まで酷使し、空気抵抗を極限まで殺して走り、敵の視界を考慮して、ついに背後へと回り込む。フリーダーが跳ね飛ばされる。だが、構っている暇はない。計算尽くだ。出来るだけ奴の体に触れないよう、数度の跳躍で、目的の地点にまで達する。先ほど見切った、奴の魔力集約点。首の後ろにある、一点だ。同時に、奴が跳躍する。物凄いGが、ファルの全身に掛かった。リミッターを強制解除していなければ、他愛なく吹き飛ばされ、振り落とされてしまっていただろう。
見る間に地面が遠くなっていく。第二段階の目的は、ピンポイント攻撃によって、奴の最弱点を突く……事ではない。奴の流動皮膚を腹、即ちこの地点から離れた一点に集め、魔力集約点の守りを薄くする事であった。そのためには、ピンポイント攻撃が意味を為さない地点に加えられては駄目だ。奴が生命の危険を感じうる場所に、陽動として加えられねばならない。そして今、ファルは国光を冷静に振り上げ、薄くなった皮上から、奴の構造弱点、即ち魔力集約点に突き刺したのである。
「……! ご、が、ぐああああああああああああっ!」
「忌ね……!」
たまらず悲鳴を上げるスケディム。皮膚が見る間に弱点の周囲に集まってくるが、刺したままの国光に、ファルは更に杭を打ち込むような一撃を全身のバネを使って与えた。罅が、走るようにスケディムの全身に広がっていく。だが、まだ壊れない。唖然としつつも、ファルは更にもう一撃を叩き込む。首筋に取り付いたファルを捉えようと、奴の長い手が迫ってくる。その瞬間、跳躍の最頂点に達した。がくんと、スケディムがバランスを崩す。手の動きが、止まった。僥倖に小さく息を吸い込むと、ファルは最後に残った力を、全て国光へと叩き込んだ。スケディムの全身を、光の罅が覆い尽くす。それが断末魔の叫びと重なった。
「……あ、あははは、はははははははは、ははははは!」
落ち行くスケディムの体が分解していく。流動式の皮膚が体を離れ、上へ飛んでいく。軽いからそうなるのではなく、空気抵抗の問題だ。その中で、スケディム、いや大天使の笑い声は続いていた。
「なるほどねえええ。 構造の弱点を粉砕する技を使う為に、全員の総力を結集したピンポイント爆撃をかける。 やってくれるわねええ」
千切れた目玉が体を離れて上に飛んでいった。ファルももう、この巨体に捕まっている事が出来なくなりつつある。落ちたら多分死ぬ。本当だったら、一撃を与えて飛び離れるはずだった。だがファルは、確実にスケディムを倒す為、敢えて跳躍中に刺す事を選んだ。
「あははははは、堅実なようで、最後に仲間を最大信頼してないと出来ない技を使ってくるとはねえ。 やられたわ。 私、貴方達の事、嫌いじゃないわよ。 だから、なおさら壊してあげたいけど、もう無理なようね。 あはははははははは」
「貴様の境遇は、分からないでもない。 私も、私の妹も、ろくな人生を送ってこなかった。 ろくな環境に生きてこれなかった。 ……同情は出来ないが、貴様の境遇は理解しているつもりだ」
「うふふふふ、小便たれの小娘に言われちゃったわ。 あは、うははは、へははははははははははは、さようなら。 楽しかったわよ。 ま、幸い私は大天使だし、魂はこんな程度じゃ滅びない。 スケディムと混じっちゃったけど、それもまた一興。 転生して、また別の体でも探すとするわ。 きひゃははははははははははははははは……」
大天使の笑い声と共に、スケディムの体が燃え上がる。他のうごめくもの同様、灰になっていくのだ。物凄い速さで、地面が迫ってくる。覚悟を決めたファルは、目を閉じた。周囲で、灰になったスケディムが分解していく。輝きながら、灰は空に溶け、消えていった。
「ファル様!」
フリーダーの声。衝撃が一つ。そして少しして、闇の中、もう一つ衝撃があった。
「畜生、打ち合わせと違う事やりやがって!」
空を見上げ、ロベルドが叫んだ。跳躍したスケディムに、ファルがくっついていってしまった事は、その場の全員が気づいていた。エーリカによる大胆な戦力陽動を見て唖然としているオルトルード王だけが、次の対応に移れていない。この時であった。王は、自らの判断力が既に致命的な所まで衰えている事に気づいたのは。
「助けるわよ!」
「私が一番傷が浅い! 下でクッションになるのは私の仕事だ。 火神アズマエルよ、我に力を! ファルを救う力を与えたまえ!」
「お前だけに任せてられるか! 俺もまだ行ける! 二人でクッションになるぞ!」
「当機が角度を合わせて、空中で落ちてきたファル様をキャッチします。 そうやって速度を殺せば、ヴェーラさんにかかる負担が小さくなります」
「ええ、やって頂戴! コンデさんは私と速射式でアモーク行くわよ! 風圧で、少しでも落下の衝撃を殺すの! 威力が強すぎるとかまいたちによる傷が致命的になるから、調整には気をつけて!」
「おう、まかせておけい!」
王は生唾を飲む。彼らは、上でファルがスケディムを倒し、生きた状態で落ちてくる事を前提で話をしているのだ。それを即座に全員が可能と判断し、通じた状態で最善の策を練っている。これは仲間の絆とか、そういった不確実で曖昧なものがもたらすものではない。信じられないほど多数の苦境を共に潜り、一緒に戦ってきた経験がもたらす行動だ。信頼は、互いの完璧な能力把握から産まれている。精神的なつながりがそれに一助しているのは確かだが、彼らの連携を創っているのは、それ以上に圧倒的なまでの戦闘経験だ。彼らは経験を通じて、文字通り己を完璧に知っているのだ。
生き残ったオートマター達にスクラムを組むように命じる事。それだけが王に出来た事だった。
きらきらと輝きながら、大量の灰が降ってくる。それに混じって、意識がない様子のファルも落ちてきた。スクラムを組んだオートマター達の肩を蹴って、フリーダーが跳ぶ。彼女は、正確にファルをしっかり両手で抱え、クッションになるべく下で構えているロベルドとヴェーラの元へ飛ぶ。計算に僅かにずれがあったらしく、失速する。だが、間に合ったエーリカの速射アモークが、最小限の風圧で彼女らを下から押し上げ、更にロベルドとヴェーラが正確に着地地点に走り寄り、二人を受け止めた。
「はあ、はあ、はあっ! ぐうっ!」
蒼白になって跪いたのはエーリカだ。彼女は速射式とは言え散々大きな魔法を撃っていたし、消耗が大きいのは当然だ。ロベルドもヴェーラも今の衝撃が耐久限界点だったようで、地面に倒れて動けない。フリーダーも、ファルに抱きついたまま身動きしない。慌てながらも、コンデが王の方へ叫んだ。
「陛下、小生らに薬を分けて貰えませぬかの!」
「う、うむ!」
余は老いた。王はそう自嘲し、そして納得もした。オートマターに、残った魔法の回復役を全て供与するように命じると、彼は決めた。
「余が出来るのは、此処までだな。 後は、今の余に出来る事をせねばなるまい」
どっかと腰を下ろす。そうすると、不思議と精神的にも楽になってきた。老いからくる焦りが、確実に王を追いつめていた。彼の眼前で、魔法薬を飲み干したエーリカが、のど元までこぼれた液体を拭きもせず、皆の治療に取りかかる。コンデも慌ててその手伝いに向かい、王も小さく頷いた。
「良し、戦場仕込みの治療術、見せてやるとしようか。 お前達も手伝え」
王は決めた。今すぐに死なない事を。ただし引退する事を。もう、準備も段取りも整っている。政治の実権をオリアーナに移し、自身は引退する。時々はアドバイスをしても良いが、後は若い者達の仕事だ。添え木をして、包帯を折れた腕に巻き、残った精神力を駆使して回復魔法を唱える。彼は戦士だが、医療僧並の回復魔法を修得しているのだ。ただこれは、平和な時代に身につけた技能である。手当は一刻一秒を争う。
「ありがとう」
「はい?」
「君達のお陰で、考えが変わりそうだ。 余は老い、疲れていた。 そして、もうこの先、君達と共に進む事は出来ない」
「! それでは」
「ああ、死ぬ気はもう無い。 ただし、引退する。 一度戻り、そして余の退位とオリアーナの即位を宣言する」
「へい……か……」
オルトルードを、うっすらと目を開けたファルが、寝たまま見上げていた。王は驚いた。この娘は、滅多に家族以外には笑顔を見せないと聞いていたからだ。それなのに、ファルは笑っていた。目に涙を浮かべて。
「怪我人は眠っていろ。 後は、余達で何とかしておく」
「陛下だって、傷だらけではないですか」
「英雄王を舐めないで貰おうか。 確かに余は老いた。 だがこの程度の傷で、どうにかなるような柔な体ではない」
ファルの笑顔に、王は自らも笑顔を返していた。
「さっきの魔神の話を聞けないのは心残りだけど、一度戻りましょう。 これ以上の迷宮滞在はもう無理だわ」
エーリカの言葉に反論する者はいなかった。死闘の場は、程なく静かになり、物言わぬ黒い結晶のみがその場で光り続けていた。
6,英雄王の退位
スケディムを倒し、帰還していった人間達。エルダーデーモン、クライヴ=ハミントンは静かに嘆息していた。まさか、本当にあのスケディムを倒してしまうとは。奴らは魔神の防御結界を解析無効化する力を備えていて、彼らではいくら束になって掛かっても勝てない存在だ。だから、アウローラの話に乗ったのだが、まさか本当に人間が倒してしまうとは。
彼が小さく指を鳴らすと、その姿は見る間に縮み、一人の中年男性がその場に出現していた。ヒューマン種の人間とどう見ても変わらない姿であり、王都を歩き回っても何の問題もない。歩き出そうとした彼の背中から、艶っぽい女の声が響いた。
「クライヴ、何処へ行くつもり?」
「彼らの元へ。 彼らは、我らの持つ真実を知る権利があるだろう」
振り向いたクライヴの視線の先には、二人の人物。魔女アウローラと、その護衛である戦士パーツヴァルがいた。アウローラは、エレベーターの周囲にある吹き抜けの手すりに腰掛け、なまめかしく足を組んでいた。吹きぬけになっている其処からは、死闘の舞台になった地下九層最下階を覗く事が出来る。満足そうにスケディムが消え去った其処を見やると、アウローラは唇に指先を当てた。
「分かっていると思うけど、あまり、余計な事は教えないでね。 私も、彼らに憐憫を掛けられるような事態はいやよ」
「貴公は誇り高いからな。 分かっている。 その辺りは、敢えてぼかしておくさ」
「それにしても、貴方が人間に興味を持つなど珍しい。 どういう風の吹き回し?」
「それは貴公も同じだろう。 何、悪いようにはしないさ」
パーツヴァルが何か言い足そうにしているのに、クライヴは気づいていた。クライヴは知っている。パーツヴァルが雌雄や種族ではなく存在的な愛情をアウローラに注いでいて、その死を望んではいない事を。クライブだって、アウローラの死など願っていない。だから、多少善処したいと思っているのだ。しかし善処をした所で、アウローラは決して喜ばないだろう。其処が難しい所なのだ。
「いよいよ、奴を討つ時が近いわ」
「……」
「奴を討つ為なら、私の命などどうなっても良い。 それだけは、覚えておいて」
アウローラの言葉に、迷いは何一つ無かった。それが、クライヴには、少し悲しかった。魔界の軍人である彼は、命をかけて戦う意味を良く知っている。だが、アウローラのそれは少し異なっている。彼女の場合は、根元になっている感情が、プログラムによって産み出されているのだから。
「クライヴ様、どうか、頼む」
「……」
そう言って頭を下げるパーツヴァルの顔を、クライヴは見る事が出来なかった。
オルトルードが王宮に戻り着いたのは、もう夜になった頃であった。オートマター達を錬金術ギルドに収容し、ファル達とそこで別れてからの事だ。ファルは重傷を負ったフリーダーと一緒にいると言う事で、怪我を引きずってずっと付き添っているのだという。彼ら若き者に後は任せる事にしたが、王自身が出来る事はまだまだいくらでもある。例えば、支援部隊の編成などがそうだ。ベルグラーノやゼルは出せないが、騎士団の精鋭や、冒険者の精鋭を募って、彼らのサポートをさせなければならない。
迷宮の入り口で騎士達が王の無事な姿を見て号泣した。もう、流石に彼らが着いてくるのを拒む理由はない。入り口を守る人員を残し、王宮まで護衛して貰って、灯りつく宮殿に帰り着く。もう帰る事はないだろうと思っていた、我が家に。
「陛下」
「おお、ベルグラーノ。 ゼル。 皆も、出迎えご苦労であった」
宮殿に入り、真っ先に現れたのは騎士団長であった。若々しいその頬には、涙が伝っていた。隣にはゼルも控えている。
「陛下、今まで申し訳ございませんでした。 これからは臣らが、陛下の施政を全力でお助けいたします」
「いや、これからは、お前達が施政を行っていくのだ。 オリアーナと共にな」
その意味を悟り、顔を上げた騎士団長。ゼルはその肩に手をやり、力強く頷いていた。王は誰かを捜していたが、目的の人物が走り寄ってくるのに気づき、表情をほころばせた。左右に双子の魔術師を従えた、オリアーナ。愛すべきドゥーハンの娘。
「父上! 父上!」
「おお、オリアーナよ。 ドゥーハンの娘よ」
「父上……もう、もう死ぬなどとは、思わないでくださいまし」
「迷惑を掛けたな、我が愛しき娘よ」
飛びついてきた娘を抱きしめ、ひとしきり肉親の抱擁を楽しむオルトルード。やがて、彼は娘を引き離すと、その肩に手をやり、立ち並ぶ家臣達に力強く宣言した。
「余は、今日をもって王位を退き、後見人となる! そして王位を継ぐのは、我が愛娘、オリアーナである。 皆、オリアーナに忠誠を、この国を末代まで支える事を誓え!」
圧倒的な威厳に、家臣達が跪く。オリアーナは頷くと、父王が持ってこさせた王冠を受け取り、跪いてそれを頭上に抱いた。
王は新たに思う。散っていった者達への償いはしなければならない。うごめくものを倒した後、この国に更なる繁栄と数百年の栄光をもたらしてこそ、その償いになる。そのためには、まだまだやらねばならぬ事がいくらでもある。家臣達に笑顔を向けるオリアーナを後ろから見やりながら、王冠が無くなって軽くなった頭で、オルトルードはそう考えていた。
オルトルード王、退位。その噂は瞬く間に王都を席巻した。更に、王女が実は生きていたと言う事。彼女の死は錬金術の仮死状態を作り出す薬によって偽装されたもの、その後は何者かによって迷宮に監禁されていた事等が王の手で正式に発表された。更に王は病による不予と判断力の低下を理由に、オリアーナに王位を譲り、自らは後見人となる事を宣言した。
歴史的には、一連の(カルマン動乱)における最後の公的事件とされる。だが現実にはこの時点でまだうごめくものは全て滅びておらず、解決すべき問題はまだまだあった。
このあまりにも衝撃的な発表は一時の混乱を産み、だが比較的スムーズに収束していった。情報の流れをライムを始めとする優秀な情報収集系忍者が掴んでおり、上手く操作して沈静化へと持っていったからである。彼らの戦闘能力は決して高くないが、それでも歴史的に果たした、そして今後果たしていく意義は大きかった。
スケディムの死と、オルトルード王の退位。二つの大きな節目により、カルマンの迷宮内部の状況と、ベノア大陸での情勢は、大きく変動していく事となる。地獄の戦いに、ようやく終わりが見え始めていた。だが、楽観は出来ない。カルマンの迷宮内部には、まだ最強のうごめくものが潜んでいるからだ。
ディアラント文明崩壊より七千年。人は奴の恐怖を忘れ去ってしまった。最終殲滅者、アシラの恐怖を。奴によって食らいつくされた、文明の嘆きを。そして、アシラ自身の、深い深い嘆きを。
(続く)
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