粉砕者マジキム

 

序、背徳者の過去

 

睨み合いはほんの一瞬だった。すぐに戦いが始まった。

サンゴート騎士団が吠えたけり、ハリスの僧兵と護衛兵達を切り伏せ、叩きのめし、殺戮した。まさに阿鼻叫喚。指揮をしている大天使は余裕の体だが、しかしハリス側が不利なのは誰の目にも明らかだ。精神操作されている僧兵や護衛兵にも容赦なく剣を振るうサンゴート騎士達の目には、戦闘がもたらす高揚と、同等の狂気が蠢いていた。

ランゴバルド枢機卿は、阿鼻叫喚の渦を背に、早足でカルマンの迷宮地下八層を、奥へ奥へと歩いていた。側にはもう誰も従ってはいない。切り札である大天使すら、戦場においてきた。そしてアサシン共には、別の任務を与え、行動させている。

「予想よりも早く追いついてきたな」

爪を噛みながら、ランゴバルドは呟いていた。うごめくものが以前出現した場所は、二カ所とも既に突き止め済みだ。しかし、今現れようとしている場所は、まだ分かっていないのである。苛立ちが募る。地下八層は確かに広大な迷宮だが、数日間の時間的アドバンテージを、こんな形で無にされてしまった苛立ちは、どうしても押さえきれない。まだだ、こんな所で邪魔をされるわけには行かない。神を見るまでは、死んでも死にきれない。世界を敵に回してまで、こんな所を彷徨いている意味が無くなってしまう。心中で苛立ちを回転させ攪拌しながら、ランゴバルドは呟いていた。

「急がなくては、急がなくては、急がなくては」

背徳者となった枢機卿は、覚束ない足取りで、闇の奥へと歩いていた。彼は意味のない言葉をぶつぶつと呟いていたが、その中には、彼の基幹となる語句も混じっていた。

「神を、私は見るのだ」

枢機卿の言葉を聞く者は、誰もいなかった。かってと同じように。

ランゴバルド枢機卿は、ハリスにおいて珍しい、才能によって落ちぶれた家門から叩き上げた布教僧である。彼の出身は名門とされていたが、数世代に渡って枢機卿クラスを排出しておらず、没落した家門だった。ハリスにおいて、実力が要求される医療僧はともかく、特に高位の布教僧は血筋によって地位が決定される事が多い。そんな中、ランゴバルドの存在はある種異質であった。

バンクォー戦役の時代に青年期を過ごした彼は、同時代に生きたオルトルードと同じタイプの人間であった。豊富な才能と、戦乱の時代を生きる事によって培われたすぐれた経験の蓄積により、未来を切り開いてきた存在である。事実ランゴバルドは、出身や家に全く愛着を持っていない。愛着を持っているのは、その政治的手腕と才能。即ち、茨の道を切り開いてきた、己の実力であった。

 

少し神経質そうな子供が、哲学書を読みふけっていた。大きな黒い目には、鋭すぎる知性の光が宿り、迂闊にのぞき込んだものを切り裂きそうである。椅子にきちんと腰掛けて、だぶだぶの宗教衣に身を包んだ彼は、ランゴバルドといった。気の弱そうな女性が、彼を斜め後ろからのぞき込み、言う。

「ランゴバルド、お勉強ははかどっている?」

「うん。 はかどっているよ」

「またそんな本を読んで。 神への感謝を忘れてしまうわ」

「……心配ないよ、かあさん」

子供らしくもない、腹に何物も抱えた笑みを返すと、ランゴバルドは読書に戻った。

幼い頃のランゴバルドは、信心深い子供ではなかった。親が心配するほどに利発すぎる子供であり、どんな教師もその優れた素質を絶賛した。だがその一方で、熱心な天主教徒である両親が心配するほどに、信仰心には恵まれていない存在であった。高位の僧侶の家でも、神像に悪戯をしたり、宗教書に落書きをしたりといった事をする子供は少なくない。しかしランゴバルドの場合は、それとは少し違っていた。大人の言う事に反発したり、疑問を抱くというレベルであれば、何処の子供でも普通に行う事だ。しかし彼の場合は、神への疑問を哲学的なレベルから抱いていたのである。

神を、正確には天主教の教義を疑いもしない純粋な両親。激しい知能のひらめきから、無数の書物を読んでも満足出来なかったランゴバルドは、神聖な物ではなく、ただの読み物として天主教の聖典を読みふけっていた。それはある意味背徳的な行動であった。宗教はどうしても妄信というものを要求する。理論的に読み解くという事自体が、宗教に対しては反逆行為の一種となるのである。おかしなものであった。宗教とは人を救うべき物だ。その一方で、人に木偶になる事も要求する。それに利発なランゴバルドは、誰にも教えられることなく気付いていた。その二律背反は、幼いランゴバルドの心の中で、既に大きな影を落とした。特に幼い時分には、特定の社会正義を持っていると、後の人生の指針としやすい。だがそういった物の実の無さを、幼いランゴバルドは既に知っていたのである。彼の心に(正義)は無かった。ある意味彼は極めて早熟な人間であり、アンバランスに老成した精神の持ち主であった。故に宗教にはまり込む事もなく、庇護者である親の命令に従って僧侶になりはしたが、信仰心など皆無であった。指針が無かったが故に、彼の人生は迷走を極める事となるのだが、その基礎は幼少期に既に完成していたのである。

運命とは皮肉な物で、彼には誰よりも明らかに優れた才能があった。天主教が独自に発展させた召喚術に関しての才能は、特に素晴らしかった。十年に一度の逸材であったのだ。彼は同僚の誰よりも頭が良く、誰よりも魔力が強かった。家門だけ立派な周囲の盆暗共を内心見下しながら、彼は見る間に地位を高めていった。おりしもサンゴートのカール王が暴走を開始し、ハリスもその嵐に巻き込まれていた時期であったから、彼のような抑止力レベルでの戦力は教皇庁にとっても貴重だったのである。二十三才にして彼は枢機卿となる。正に異例の出世であった。

天主教では、特に布教僧に対しては様々な戒律を設け、過度に快楽的な事を禁止している。娼婦を買う事や酒を飲む事などがそれに当たるが、実際にはそれは殆ど守られていなかった。神湯(酒)等という隠語があるように、高位の僧達は自分の行為だけは誰にもばれていないと思いながら、密かに戒律を破っていたのである。ランゴバルドには、神罰が下るかも知れないとびくびくしながら(悪事)に身を染める彼らが滑稽でならなかった。そんな彼も、宗教そのものをバカにしていたわけではない。天界という存在があるのを知っていたし、天使を呼び出しては神の事を聞くのも怠らなかった。主に戦闘に従事する天使を呼び出す事に関しては天下無双であったランゴバルドは、天主教教会の神聖性を主張する為に呼び出す見栄えだけ良い天使にはあまり興味を示さなかった。彼の目当ては、あくまで実在する存在。脚色された存在ではなかったのである。天使達は、皆ランゴバルドのさえ渡る知性に辟易しつつも、様々な事を教えてくれた。その一つが、神についての詳細であった。天界の王である神は、天主教に対する信仰心を餌にして力を得ている。そこまではランゴバルドも知っていた。だが納得もし、笑止でもあったのは、人間が作った神話が尽く嘘であった、という事である。考えてみれば当たり前の話で、異世界の事を人間が知るわけもない。天使達が表面上神話や聖書を肯定しているのは、信仰心という餌を得る為であり、それ以上でも以下でもないのだ。神は天使達の代表者に過ぎず、強力な力を持ってはいるが全知全能などではない。そればかりか、何度も代替わりさえしている。ランゴバルドは天主教僧侶の中で、唯一人それを知った。

そうして、ランゴバルドが何の信仰心も持ち合わせぬまま、時は過ぎていった。それが一変し、非常に歪んだ形ながらも、信仰心がランゴバルドの心の中にて大きな位置を占めるようになるのは、彼が三十を過ぎた頃。バンクォー戦役が佳境にさしかかり、ドゥーハンにオルトルードが颯爽と登場する頃であった。

丁度その頃、ハリスにも、バンクォー戦役の火の粉は飛来していた。辺境はサンゴート騎士団によって蹂躙され、各地で守備兵は為す統べなく粉砕されていた。圧倒的なサンゴート軍に対抗する術を持たないハリスは、嵐が過ぎ去るのを待つように、サンゴートを刺激しないよう務めるに留まっていた。彼らが特に臆病であったわけではない。この当時、カール王は人語が通じる相手とすら認識されておらず、人肉を好んで食べると信じられていた。その恐怖神話は、伝達する社会的階級に差別がなかった。貴族も民衆も等しく彼を怖れていたのである。後にある社会学者が論文を纏めるのだが、彼が人肉を食べた歴史的な事実もあって、民衆の間では魔神か何かの眷属だとかなり後の時代まで信じられていたのだ。文字通り、泣く子も黙る存在だったのである。そんな中、オルトルードの手によって足並みを揃え始めたドゥーハンと手を結ぶ事をいち早く提言したのがランゴバルドであった。そして及び腰の周囲をリードし、彼は卓越した行動力で暗躍を開始した。

同じ動きを見せているエストリアと密約を結び、オルトルードとも連携してタイミングを見計らい、まず行動を起こさせる事に成功。エストリア軍はサンゴート軍を背後から急襲し、谷底に追い落として壊滅的な打撃を与える事に成功した。ほとんど間をおかずに、密かに訓練させておいた部隊を投入したハリスは、今までの日和見が嘘のような勢いで、辺境を彷徨いているサンゴート軍を圧倒的な戦力に物を言わせ撃破していった。その主力は他人に任せ、ランゴバルド自身は別行動を担当した。あくまで危険度が高い敵主力はオルトルードなどの他人に任せ、自分はゲリラ戦による攪乱のみを担当する。それがランゴバルドのやり方であった。元々戦闘経験などなかった彼だが、軍事顧問や傭兵の意見を良く採り入れ、見る間に自らの力量を増していった。三ヶ月もゲリラ戦の指揮を執った頃には、彼は歴戦の指揮官と化しており、サンゴート軍の補給基地を既に十数カ所も潰す事に成功していたのである。彼方此方に手を広げていたサンゴート軍は、各国の総反撃にあい、更にランゴバルドのゲリラ戦にて補給線を寸断され、各地で潰走状態となりつつあった。戦は理念や信念で行う物ではなく、計算し尽くした戦略に基づいて、戦術を行使するものだ。その理論を戦いで確固たるものとしていたランゴバルドは、思わぬ方面からの奇襲にて、己の根幹を揺さぶられる事となる。それは、理屈を超えた、超絶的な力の存在であった。

 

炎が森を包む。蒼白な部下達に囲まれて、唖然とするランゴバルド。生まれて初めて、彼は困惑していた。

「馬鹿な……ありえん」

呟きは、炎のうめき声に揉まれ、消えていった。

事の起こりは、敵の補給基地を潰すべく出撃したランゴバルド隊が、前戦に進軍していた敵の小部隊を発見した事に始まる。敵は百人隊が四つ、サンゴート軍としては最小の兵力編成であり、充分に撃破可能な相手である。おりしも敵の補給基地は守りを固めているという話であったし、もし其方に合流されると攻撃の際に邪魔となる。そう判断したランゴバルドは、敵が森林地帯にはいるのを待って、背後から奇襲を掛けたのである。そして、僅か三時間の後。彼が率いていた二千の部隊は、たかが四百の敵に壊滅状態に追い込まれていた。確かにゲリラ戦がメインではあったが、それでも豊富な実戦経験を積んだ部隊が、得意とする森林戦で、である。敵は僅か四百。四百のうち、三百九十九まではどうという事もない。事実、奇襲によって敵の二割半は討ち取ったのだ。問題は、その中に一匹混じっていた、人間の皮をかぶった悪魔の存在であった。奴は今日、百人以上のハリス軍兵士を斬り、血の海に沈めたのである。その異常な戦いぶりは、ランゴバルドも遠めがねで確認した。震えが体の奥から迸り上がるのを、こらえられなかった。奴の勢いは味方の混乱を呼び、瞬く間に潰走状態へ追い込んだ。あり得ない話であったが、しかしこれは紛れもない現実であったのだ。

「枢機卿閣下、撤退を。 味方は壊滅状態です」

「……」

「これ以上の損害を出すと、補給基地を襲撃するどころではなくなります。 撤退を!」

必死な部下の声は、ランゴバルドの耳には届かなかった。彼は遠めがねで、逃げ遅れたハリス兵を嬉々として切り伏せる、黒衣の死神を見続けていた。誰もが知っている、バンクォー戦役という台風の中心。サンゴート王カールという、死神の姿を。少数の部隊と共にいる敵の王を発見したのである。本来なら僥倖となるはずだったのだが、その王がカールである以上、それは不幸へと転嫁してしまう。カールを見たら絶対に戦うな。すぐに逃げて、態勢を立て直せ。状況が連合軍有利になっている現在ですら、その言葉は暗黙の了解として、全軍の兵士が知っている事であった。ランゴバルドはその意味を、間近で目撃する事となったのである。

「総員、撤退せよ」

二千の兵のうち二百以上を失ったランゴバルドは、部下の声に反応したからではなく、自身の判断でそう告げた。撤退の最中、更に二百以上をハリス軍は失った。ランゴバルドの自信が、木っ端微塵にうち砕かれた瞬間であった。今まで、世の中は全て理屈によって動いているとランゴバルドは考えていた。確かにそれは一面では正しい。しかし、その理屈は、必ずしも「人間の理屈」とは限らない。枢機卿は、サンゴート王カールの姿を見て、その事実を知ったのであった。

何とかバンクォー戦役を生き残ったランゴバルドは、ハリスにて枢機卿の中でもトップクラスの影響力と発言力を得る事に成功した。彼を次代教皇に、という話も持ち上がったのだが、彼は積極的に動こうとせず、以降二十年以上、教皇にはならずハリスの裏権力者として過ごしてきた。ただ、それには幾つか理由がある。教皇は世襲制でここ数百年切り盛りされており、如何にハリスで功績並ぶ者無きランゴバルドであっても、無理になろうとすればそれなりの摩擦が予想される事。教皇になると、今後はあのオルトルードと真っ正面から渡り合わねばならず、少なからず消耗が予想される事。そして最も重要であったのが、彼の心境変化であった。

バンクォー戦役から生還してから、彼は数多の書物を読みふけった。そして、神という存在の定義について、もう一度調べ直してみたのだ。その結果、彼の中では今までと異なる結論が産まれつつあった。

神とは、古代には絶対者でもなければ、人と遠い存在でもなかった。一神教の絶対神はそれこそ至高なる存在であるが、それは政治に利用するにはそれが一番都合がよいからだ。もともと一神教が人々の間から自然発生したわけではない。その正体は、社会の上層部に位置する人間が、施政をスムーズにする為に、数百年がかりで試行錯誤し編み出していったシステムだ。すなわち一神教の神は、比較的新しい存在であり、本来人間が頭上に抱いていた神とは違うものだ。本来人々が感じていた神は、自然と一体であり、或いは人間が己の存在を超越したものであった。様々な古代宗教の神話を読みふけった結果、その結論に達したランゴバルドは、ならば神は何なのだろうと、話を進めた。そして、ある結論に達したのである。

神とは、変革者であると。

自然にしても、超人にしても。それはただあると同時に、或いは気紛れに、或いは使命感から、動けば膨大な結果を周囲にもたらす。雷、嵐、地震、津波。神格化されたそれら自然現象が、人間が及ばぬ力を持っている事など、幼児ですら知っている。また、膨大な何かを為し得た存在が、死後神格化される事は珍しくもない。敵の大軍を寡兵で退けた将。偉大なる建築物を完成させた王。新しき発見を行い、社会に新風をもたらした者。見よ、現在の英雄オルトルードを。彼は既に神格化され、その名前にすら民草はひれ伏している。見よ、サンゴートのカール王を。死してなお彼の名は恐怖の代名詞とかし、その名を唱えれば泣く子はだまり、犬は尻尾を丸めて逃げ出すではないか。神とは、何か巨大な事を為す存在。天界にふんぞり返り、人間を見下し、何もせぬ天使共の王など、この人間社会の神では断じてない。それはただの張りぼてであり、変革が行えない以上ただの木偶に過ぎないのだ。そんな静かでだが激しい結論を、ランゴバルドは胸の内にてくみ上げていた。そして、自身がそれになれない事も、悟っていた。

神が見てみたい。ランゴバルドはそう思うようになった。神と言っても、オルトルードや、カールのような、小さな変革を行う程度の小神ではない。世界そのものに光を、或いは破壊を投げかける、巨大にて究極の神を見たい。性質などは問わぬ。その存在だけを、ただランゴバルドは欲していた。焦がれていた。いつしか、愛してさえいた。

だから、カルマンの迷宮に、彼は来たのである。この巨大な危機の奥にいる、全てを変革する神を見る為に。最初はアウローラがそうではないかと、ランゴバルドは思っていた。しかし今は結論を異としている。アウローラは能動的にこの迷宮を作ったが、行動そのものは受動に過ぎない。様々な事象から、ランゴバルドはその事実を分析、理解していたのである。ならば、彼が目指す神は、アウローラをこうまで駆り立てた存在。そしてそれは、考えられる限り一つしかない。そう。あのうごめくものだ。

ランゴバルドは、もはや部下すら連れず、迷宮の奥へ奥へと向かう。神は彼一人の為だけにいれば良い。神は彼一人だけが見る事を許される。神に恋いこがれた彼だけが、神へと到達する事を許される。ランゴバルドは、自己宗教ともよべる、天主教とは別の思考に基づいて、今は動いていた。そして、狂信者に特有の事だが、彼の中にもう論理と理性は存在していたかったのである。彼は同類の中でも希有な、自己の信念に対する狂信者だった。

 

1,疾風の刃

 

今日の錬金術ギルドは、いつもと雰囲気が違っていた。眠っているフリーダーを背負ってギルドを訪れたファルは、妙な空気を敏感に感じ取り、心中にて身構えていた。いつも負傷したフリーダーを連れて行くと、必ず現れるギョームが今日は姿を見せない。代わりに良心的な対応をいつもしてくれる、中堅どころの女錬金術師が受付でファルを出迎えてくれた。彼女は確かに研究員長レベルのポストに就いている人間だが、珍しい事もあったものである。ファルは特に考えるでもなく、脊髄反射的に聞いていた。彼女らしくない行動には、単なる気紛れも多く含まれていたが、一方でヴァンパイアロード戦の疲労がまだ溜まっていたから、という理由もある。

「何かあったのか?」

「はい、明後日があるものの納品の日でして。 ギルド長は数日前から掛かりっきりで、今は最終調整を終えて、仮眠を取っております」

何を納品するのか聞いてみたくなったが、それはそれ、これはこれである。培養液を充たした容器のある部屋に案内して貰い、すぐにフリーダーの治療を初めて貰う。容器の中に入れられ、培養液に浮かべられたフリーダーは、見るも無惨なほどに傷ついていた。致命傷を避けているのは流石だが、ファルは心が痛んだ。

ヴァンパイアロードのあの凄まじい攻撃、今思い出しても身の毛がよだつ。ファルがあの攻撃を貰っていたら、一撃で潰されてミンチになっていただろう。原理はよく分からないが、あれが魔力を利用した攻撃である事ははっきりしている。故にフリーダーは生き残ることができた。回復魔法が全く効果を示さないフリーダーが、強力な耐魔能力を持っている事は告げられているし、今生きているという事象自体がそれを証明している。ただ、疑問が残らないわけではない。ディアラント人共は、どうしてこんな不便な様式に、フリーダーの体を弄くったのだろうか。其処まで考えて、ファルは頭を振り、雑念を追い払った。どうせディアラント人共の事だ、ろくな理由でない事は目に見えている。ファルは思考を閉じると、腕組みして仮眠に入った。エーリカに回復魔法は掛けて貰ったが、体力の消耗は激しいし、まだ体中痛いのだ。少しでも眠って、疲れを取っておく必要があった。

透明な容器の中では、培養液が泡立っている。ごぽごぽと小さな音がしていて、時々管を通したフリーダーの呼吸音も響来ていた。フリーダーは弱音を吐かない。ファルもかなり強情な方だが、痛い時には痛いという。これは痛みが肉体が発する警告だからで、警告が出ていると言う事はそれなりに体が傷ついているのだ。痛い事は伝えるが、悲鳴も上げないし、弱音も吐かない。ファルもその点は全く同じなのだが、フリーダーが同じ事をしているのを見ると、どうしてか悲しくなる。

眠りに入ろうとするファルだったが、どうしてか今日は雑念が多く、なかなか意識を落とせなかった。普段はこんな事はないのだが、やはりこれも疲れが故か。多少苛立ちを覚えるファルに、今度は外圧が掛かり、睡眠を阻害する。しばらく容器の周囲にある操作器具を弄っていた女錬金術師が、額の汗を拭いながらファルに振り返ったからだ。

「今日はまた、派手にやられましたね。 何と戦ったのですか?」

「ヴァンパイアロードだ」

「ヴァ……! 嘘……!」

「本当だ。 地下八層で、総力戦の末に仕留めた。 手強い相手だった」

事実を喋っているわけだし、別に是は秘密でも何でもない。社会的地位や知名度の低い人間が吹聴したなら笑い者になるだけだが、今回はドゥーハン騎士団及び、その騎士団長という証人が居る。ファルにしてみても、今後の忍者ギルドの栄達を考えると、積極的に吹聴することはあまり気が進まないにしても、噂をばらまくくらいの事はやっておきたい。考えてみると、ヴァンパイアロード級の魔物を仕留めたチームに所属する忍者は、恐らくファルが初めてだろう。これは結構凄い事なのかも知れないな、と思う一方、凄い事だという自覚そのものは全くない。エーリカの指揮の下戦って、六人が六人皆己のポジションをきちんと守り、高度な連携を駆使して勝った。誰が欠けても勝てなかった。だからこれは、ファル一人の勝利ではなく、ファル達六人の勝利だ。それが故に、却って実感は薄いのだ。

目を輝かせて話をせがむ錬金術師に、ファルは真実九割五分、記憶欠損による補完五分と言う感じで、話をした。アジテーターの才能がある人間なら、ここで誇張を三割くらい入れる所だが、そうした上でリアリティを保つ自信がファルにはなかった。もう眠気も失せてしまったし、興味津々の錬金術師と、ファルは話す事にし、しばし時間を潰す事に終始したのであった。勿論、その間フリーダーが苦しそうにしていないか、辛そうにしていないか、視線を移す事を忘れない。

話が一段落すると、うんうんと頷きながら聞いていた錬金術師は、ふと不思議そうに小首を傾げた。

「ところで、ファルーレストさん」

「うん?」

「どうしてそんなに淡々と話せるの?」

「どういう意味だ」

目を細めたファルに、錬金術師は慌てて弁解した。

「あ、そうじゃないの。 ただ、ね。 冒険者の武勇伝を聞くと、大抵誇らしそうに語ったり、嬉しそうにいうものだから」

「そう言う事か。 それは、些細な事だ」

なるほどと思ったファルは、別に誇るでもなく、胸の内を僅かだけ披露する。

ファルは別に戦いの勝利そのものにさほど喜びを感じていない。というよりも、戦いとは究極的には殺し合い及びつぶし合いだ。そうでないものはスポーツであって、戦闘ではない。戦いにおいてはどちらかが勝ち、どちらかが負ける。負けた方は、或いは命を失い、或いは信念を失い、或いは財産や生活の糧を失い、勝者に道を譲る事となる。どんな風に美化しようと、どんな風に取り繕おうと、それが事実なのだ。だから、勝ったことそのものに対しては、それほど喜びを覚えては居ない。以前フリーダーに語ったように、勝って生き残った者の後ろには、負けて脱落した者達が大勢居るのだから。ヴァンパイアロードを悪く思う事も無ければ、勝って良かったとも思わない。奴だって、自らの人生を継続したいから、必死に刃を振るったのだ。不死者が自然の摂理から反しているだのという理屈には、ファルは全く興味がない。不死者であろうとなんだろうと、対等に戦った相手であり、それ以上でも以下でもないのだ。

「……不思議な人ね、貴方」

「戦いに命をかける以上、それがどういう意味を持つものなのか、それくらいは把握しておくのが当然だろう。 私はブラフを行う事はあっても、敵を侮辱するつもりはないし、存在を否定するつもりもない」

だから、別に勝っても嬉しいわけではない。それがファルの主張であった。錬金術師は、改めてみると、ファルより少し若いくらいの娘だ。この若さでこのポストという事は、かなり才能のある人材なのであろう。彼女は眼鏡を心持ち人差し指で押し上げると、意表をついてきた。

「でも、悲しいわけでもないのね」

「ふむ……そういえば、特に悲しいと思った事もないな」

「やっぱり不思議な人だわ、貴方」

「不思議不思議と言うな」

眉をひそめたファルを、錬金術師は遠慮無く笑った。怒る気もしなかったので、治療が終わったフリーダーを容器から引き上げると、ファルはさっさと宿へ戻った。既に陽は傾き、紅い光で周囲を染めながら、山の裾へと隠れようとしている。エイミにすぐ寝ると告げ、階段を登る。背負ったフリーダーは、静かに寝息を立て続けていた。

「悲しい……か」

周りと同じである必要はない。ファルはそう思っている。というよりも、一般の人間を根本的に信用していないから、彼らと必要の範囲外で合わせようなどとは最初から思わない。相手を倒した後に喜ぶ事や、屍を積み上げておいて正義を主張する事を、別に不快だとも思わない。そう言った行為が(一般の)人間にとって当たり前であるとファルは認識しているのだ。今更そんな事に腹を立てても仕方がない。もっとも、そう言った理屈をエイミやフリーダーに押しつけようとする奴がいたら、躊躇無く首をへし折るつもりだが。人間は趣味や主義主張で他者の命を容易に奪う生物だ。である以上、その理屈に基づいて何かしようというのなら、容赦なく反撃して叩き潰すだけの事であった。不思議な事に、多くの(一般人)は、(正義)を、自身に向けられたときのことを全く考えていない。(正義)によって異端者を罰する事をこの上もなく愛しているくせに、自身が他者の(正義)を受けたり、或いは自身の(正義)をそのまま返されたりした時には不平不満を言う。だからファルは、今でも(普通の人間)を絶対に好きになれない。だから、根本的な所で合わせようとも思わない。

フリーダーを彼女の部屋のベットに寝かせて、自身も自室のベットに横になる。流石に宿での安心感は大きく、すぐに眠気が脳を支配し、ファルは夢の世界へと落ちていった。

 

翌朝、ファルが宿の裏庭で筋肉をほぐしていると、エーリカが呼ぶ声が聞こえた。洗濯中のエイミとジルに断って宿に戻ると、中堅どころの階級章を付けた騎士がおり、ファルと既に揃っている他五名を見回しながら、出来るだけ抑えた声で言う。

「君達に、スタンセル将軍から召喚状が来ておる。 今日中には必ず顔を出すように」

「スタンセル将軍?」

「王都の防衛に当たっている将軍だ。 階級は大将で、幾つかの要塞の指揮権と、およそ二万の兵を保有しているはずだ」

「……地図は同封してある。 出来るだけ早く来るようにな」

ロベルドの言葉に、ファルが的確に補足する。説明の必要を感じないと思ったらしく、小さく咳払いして、騎士は宿を出ていった。そういえば前回の探索時にベルグラーノ騎士団長が、近々お呼びが掛かるかも知れないと言っていた。

手早く正装に着替えると、すぐに軍本部へと向かう。騎士団本部の隣にある軍本部は、多少兵士達が苛立っている様子こそあれど、全体的には平穏な雰囲気であった。軍本部らしく、小さな要塞といった趣のある建物であり、塀は高く、魔法による結界も十重二十重に張り巡らされている。この結界を作ったのは故ウェズベル師だとか、ファルはいつか誰かに聞いた事があった。召喚状を入り口の兵士に見せて、奥へと通して貰う。以前白に招かれた時ほど緊張しないが、それでも無駄口を叩く者は居なかった。

以前ファルはサンゴートに行った事があるが、向こうの軍事施設は兎に角無骨な作りであった。それに対して、エストリアの軍事施設は兎に角華美で、無駄が多いと聞いている。周囲を見回してみると、ドゥーハン式はその中間だ。質素過ぎもせず、華美過ぎもしない。強いていうなら、実用重視。案内の兵士も重鎧を着ておらず、城内の警備兵に比べるとだいぶ鎧のグレードが落ちた。半刻ほど風通しが良く涼しい控え室で待たされた後、応接室へと通された。其処には檜製の大きな机があり、三つのものがならべられていた。一つは小振りな刀で、ざっと見た所良く形状が考え抜かれている。もう一個は先端に宝石が埋め込まれた杖で、ファルが見た分でも強力な魔力を含んでいた。もう一個は油紙の上に転がされていて、ざっと見た所指輪にも見えるが、それにしては少し大きすぎる。ロベルドの親指にぴったり合いそうなサイズで、少なくとも女性の指には大きすぎた。

全員立ったまま待つ前に、大将の階級を付けた老人と、無言のまま侍アオイが現れる。そういえば、アオイはスタンセル大将の養女だという話であった。スタンセルはしばし六人をみやると、アオイに振り向き、小さく頷いた。アオイは進み出て、皆に頭を下げる。今日の彼女は大鎧ではなく、村正も腰に付けず、士官や秘書が室内で着るドゥーハン軍官正式服を身につけていた。トレードマークの馬鹿でかいリボンも、うなじの下当たりで控えめに髪を結び、いつもほどの存在感はない。大鎧を着ていないアオイの姿は新鮮であったが、考えてみればいつも武装しているわけもなく、普段はこういった服装の方が多いのかも知れない。アオイは不器用に少しだけ笑むと、社交辞令に移った。

「今日はお呼びだてして申し訳ありません」

「此方こそ、大将閣下の召喚に預かり、光栄です」

「早速ですが、用件に移らせて頂きます。 其方の三品を、あなた方に譲渡させて頂きます」

アオイは説明を続ける。これらの品が、故ウェズベル師が、これぞと思った人間に渡すよう、スタンセル大将に預けたものであること。過去の戦いで、何度か直接ファル達の戦果を見るに、最適の人材だと判断した事。もう一本あったウェズベル師の遺産は、騎士団長が使っている事。ヴァンパイアロードとの戦いの前、騎士団長が振り回していた聖騎士の剣がそれなのだろうと、ファルは悟った。

「どうぞ手にとって下さい」

「失礼しますわ」

エーリカが率先して手を伸ばし、まず小振りな刀を手に取る。鯉口を切って鞘から引き抜くと、それは随分質素な作りとなっていた。相手を切り裂くと言う事だけを考えた作りで、陽光を浴びて淡く発光している。エーリカが無言でファルに手渡す。ファル自身見てみると、刃は非情に滑らかで、魔力を帯びている。何より非常に軽く、心に吸い付くような一体感であった。

「国光か」

小型の刀の中では、最も優れた作品と噂される逸品の名を、ファルは呟いていた。二十年ほどの製作期間の中、数十本が鋳造された刀である。かなり古い作品の一つだが、その破壊力は高名であり、小型刀にもかかわらず様々な伝説を残している。これはエンチャントが施されている事からいっても、国光本人が相当な力を入れて作った代表作だろう。大型の刀を愛する侍には補助武器として使用されてきた国光だが、並の大型刀よりも遙かに威力がある。村正をメインウェポンに、この国光をサブウェポンに戦えれば最高だろうと、いつだか有名な侍が言い残したそうだが、まだ実現した話はファルも聞いていない。それほどの貴重品なのだ。

ファルの愛刀は、痛みが激しい。卓絶した技量で今まで持たせてきたが、ドラゴンやデーモンを数限りなく屠ってきたわけだし、いつ折れてもおかしくない。愛刀は次の戦いが終わってから打ち直そうと考え、国光の刀身を上から下から眺めやるファルの横で、エーリカは宝石がついた杖をコンデに手渡した。皺だらけの手で杖を受け取ったコンデは、杖を撫で、宝石を触りながら、記憶を絞り出すように言った。

「ふむふむ、これは確か、何処かで噂を聞いた事があるのう」

「高名な作品なの?」

「うむ、確か……何じゃったかいのう。 銘は……ラインス=フローベロール」

年代物と思える杖の柄には、流ちょうな文字で名前が彫り込んである。ラインス=フローベロールと言えば、ファルも聞いた事がある超高名な冒険者だ。三百年ほど前に活躍した女僧侶で、史上最強の名も高い女性である。凄まじい力を持っていたらしく、現役を引退するまでヴァンパイアなどの高位の連中も含めた不死者を四桁以上片づけたとか。最後は田舎に引きこもり、道具にエンチャントをする事で生計を立てたとか言う話であった。そのラインスの杖だとすると、非常に強力な効果が期待出来る。

「あの、エーリカ殿。 小生がこれを本当に頂いてしまってもよろしいのかの?」

「いいわよ。 ただし、その投資に見合う成果を上げて貰うけど」

「やれやれ、プレッシャーじゃのう。 しばらく研究させてくれ。 凄い力を秘めておるようじゃが、すぐにそれを引き出せるか分からぬからの」

エーリカは頷きながら、最後の無骨な指輪らしきものを手に取った。しばし上下からそれを眺めていたが、やがてアオイに向き直る。

「これはいったい何?」

「さあ、ウェズベル師は、何もそれぞれについて言わなかったそうですので」

「此方で検証が必要になってくるわね。 ヴィガー商店にでも持ち込もうかしら」

「ちょっと見せてくれないか? 偉大なる火神アズマエルの伝承に、似たようなものがでてくるのだ」

「へえ。 どう?」

ヴェーラがエーリカから指輪らしきものを受け取り、褐色の指で摘んでしばし形状を見やる。

「どうだ、何か分かったか?」

「ふむ、伝承にある偉大なる火神アズマエルが愛用していた杯に近いな。 杯そのものというよりも、それの口を模した一種のアミュレットのようだ」

「杯? 何でそんなものを模すんだよ」

「宗教では杯を重要な神具として扱う事が多い。 理由は宗教によってざまざまなのだが、偉大なる火神アズマエルの場合は酒が好きで、そのために杯を重要な神具としている」

小さな鎖を取り出すと、ヴェーラはそれを(杯)に通し、ネックレスにした。

「エーリカ、これを貰っても構わないだろうか」

「そうねえ。 成果を上げられるのなら、ね」

「それは大丈夫だ。 こんな偉大なものを得られれば、私の力は天にも届こう。 偉大なる火神アズマエルよ! 私に加護と力を!」

感涙を流しながら、拳を固めて天を仰ぐヴェーラ。話が一段落した所で、今までずっと黙っていたスタンセルが、ようやく口を開いた。

「ウェズベル師の意志に関しては、気にする事はない。 かの御仁は、あくまでかの御仁であり、君達ではない。 敵討ちなどを強要しないから、安心したまえ」

「スタンセル閣下、有り難うございます」

「うむ。 この混乱を納める為に、我が軍も出来る事をしたい。 本当なら迷宮に軍を送り込み、騎士団と君達を援護したいのだが、王に許可されていないでな」

スタンセルの好意は素直に有り難いが、迷宮の下層に一般の兵士をいくら送り込んでも無駄死にさせるのは目に見えている。マロールという集団空間転移を行う魔法が古代にはあったと言う事だが、それも絶えて久しい。ファルがいつもお世話になっている転移の薬はその限定効果版であり、帰る事は出来ても行くことは出来ない。軍にやって貰うことは、治安の安定と、周囲の整備だけで十分だ。事実この状況で、周囲の五国が攻め込んでこないのも、軍ががっちり状況を固めているからだ。もしドゥーハンに隙あれば、我こそは大陸の覇者たらんと、他の五国がいつでも牙を剥いているだろう。この王都にだって、他国の間者が結構入り込んでいるのだ。

「スタンセル閣下。 迷宮の外における貴方の活躍で、愚僧達は安心して迷宮の攻略に専念出来ます。 きっと騎士団も、閣下に感謝しているはずです」

「うむ、そうか……」

「義父上、私もそれに関しては同じです」

アオイがファル達に賛同し、小さく頷いたスタンセルは、立ち上がるとドゥーハン軍式の敬礼をした。

「うむ、では我が義娘と、君達に迷宮のことは託そう。 汝らに軍神の加護あらん事を」

 

帰り道を、六人で歩く。まだ昼になっていないが、通行人は多く、冒険者も多かった。スタンセルは決して闇雲にファル達を支援したわけではない。彼の目的を果たす為に、強力なマジックアイテムを仲立ちにして、仕事を仲介してもらったという方が正しい。ただし命が掛かっているわけだから、手は絶対に抜けない。将軍にしても、ファル達を選ぶのに、それは検討に検討を重ねたことであろう。

ファルにしてみれば、こういった割り切った協力関係の方が都合が良かった。スタンセル将軍に、別に嫌悪感や苦手意識は無いが、あまり知らない人間とは基本的に関わりたくないのである。オルトルード王のような例外を除けば。となりでるんるん歩いているエーリカを見て、ファルは理解出来なかったが、別にそれはどうでも良い事であった。

「ねえ、ファルさん」

「うん?」

「嬉しくない? 信頼を得たから、こういう仕事を任されたのよ」

「ん、そうだな。 私としては、仕事を丁寧にきちんとこなし続けた結果、信頼を得たのだと思っている。 だから特に嬉しいと言うことはない」

別にファル個人がではなく、こなしてきた仕事が評価されたのだ。そういう応えに対して、エーリカは小さく首を振った。

「あの将軍、ずっと愚僧達を観察していたわ。 きっと態度次第では、評価はしてくれなかったでしょうね」

「その辺はよく分からないから、コメントは避ける」

「ファルさん、貴方は自分で思っているよりも、ずっと他の人に信用されて、頼られているのよ。 貴方自身がね」

「私を頼ることに何か利益でもあるとは思えないが……エーリカがいうなら、そうなのだろう」

気のない返事は、どうしても実感が湧かないからだ。ファルには分からない。フリーダーやエイミ、それに今のチームメイトには、個人レベルで信頼して貰っていると思っている。だが外の者には、例えそうだったとしても、どう信頼されているのか分からないのだ。

「別にファルさんは今のままで良いと思うわよ。 でも、時間を掛けて、他人がどう自分を見ているか、少しずつ理解して欲しいなあ」

「理解は嫌と言うほどした。 幼い時分にな」

「んー、当時と今は根本的に違うわよ。 第一に、貴方を愚弄出来る人間なんて、もう周囲にはいないわ」

「確かにな。 俺にも実感は最近までなかったんだが、ギルドに行ってみて驚いたぜ」

話に割り込んできたロベルドが、後ろ手で今通り過ぎていった冒険者を指した。どうやらドゥーハンに来たばかりらしい、着慣れていない鎧が目立つ。彼らはファルが見ていることにも気付かず、羨望の眼差しを送ってきていた。地下八層に足を運んでいるばかりか、騎士団の信頼篤く共闘までしているファル達のチームは、既に冒険者チームの中でも最も有名で、尊敬される物の一つとなっているのだ。

「フリーダー」

「はい、何でしょうか、ファル様」

「ああいった視線は、最近感じるか?」

「ここ三ヶ月ほど、ネガティブな視線も感じますが、ああいったポジティブな視線もより多く感じます。 当機よりも、ファル様はそれを多く向けられていると統計では出ています」

そうか、と応えると、ファルは複雑な気持ちを覚えて天を仰いだ。その瞳には、安堵と混乱、若干の怒りと寂寥が浮かんでいた。

戦って、戦って、戦い続けて。荒野になり果てるまででも戦い続けたファル。戦いそのものは別に嫌いではないし、むしろ好きだ。しかし、周囲が代わってきているなどとは、まるで考えもしなかった。エーリカとロベルドとフリーダーの指摘で、いつしか周囲が、以前とは全く違ってきているのに、今更ながらファルは気付いた。だが、その先に何があるのか迄は、まだ考えられない。

「さあ、明日は再出撃よ。 みんな、じっくり休んで、英気を養っておくようにね」

どうしてか、エーリカのその言葉には、とても深い安心を得られた。別に戦いに逃げるつもりはなかったが、これに関してはもう少し時間を掛けて考えたかったのだ。もしエイミもフリーダーも差別されずに済むのなら、これ以上嬉しいこともない。差別しようとするモノを実力で排除出来るのなら、正に万々歳である。しかし、その万々歳の状況が、既に来ていると言われても、どうしてか実感が湧かなかった。

宿がもう見えてきた。フリーダーの頭に何気なしに手を置いて、ファルは歩く。伴わない実感と一緒に。

 

2,侮れぬ道

 

カルマンの迷宮。この迷宮に住む者は、単純な肉体能力で言えば、殆どが人間を凌いでいる。最近は丁寧な探索と綿密な事前調査によって、下層の魔物は大体やり過ごせるようになったが、それでも危険度に代わりはない。ファル達は人間であり、槍や剣で貫かれれば死ぬ。魔法によって強化した防具を身につけることによって、攻撃魔法による打撃は軽減している。しかし、内臓を潰されたり、貫通されたりしては流石に死ぬのだ。

地下四層。神殿部分の中にある比較的広いホールに、巨大な斧を振り回すファイヤージャイアントが六体。何回も戦ってきた相手であるし、ジャイアントの中では中堅程度の実力だが、それでも人間を遙か上回る体格と、度はずれた耐久力を持つ魔物だ。その上知能も高い。これほどの数のジャイアントと遭遇したのは、今回が初めてである。敵はまだ此方には気付いておらず、我が物顔に斧を振り回して、きゃあきゃあ逃げ回る経験の浅い冒険者を追いかけ回していた。冒険者の方は編成だけ見ると攻防にバランスが取れた六人チームだが、これでは四層をうろつけるのがおかしいほどの実力だ。肉体能力はともかく、連携は取れていないし、何より圧倒的な巨体のジャイアントを見て怯えきってしまっている。ホールの東半分ほどは溶岩のプールになってしまっており、其処に落とされる可能性も大だ。その気になれば、今のうちに此処をやり過ごすことも出来るが、エーリカはそうは言わなかった。

「最小限の損害でやり過ごしたい所だけど、そうも行きそうにないわねえ」

「戦うつもりか?」

「無論よ。 恩ってのは、売って損はないわ。 今は何をさしおいても急ぐという程の状況じゃあないしね」

「相変わらずだなテメーは。 まあ、きれい事だけ言って助けられない奴よりかはなんぼかましだぜ」

ロベルドに微笑み返すと、エーリカは手早くハンドサインを出す。殆ど考え込む時間はなかった。エーリカの作戦立案能力は、度重なる死闘で磨きに磨かれて、間違いなく円熟の域に達している。フリーダーがクロスボウを構え、ロベルドとヴェーラがいつでも出られるように腰を落とす。ファルは懐から焙烙を取りだし、コンデは貰ったばかりの杖を横に構えた。最近ファルは知ったのだが、魔術師は術を使う際、杖を縦に構える流派と横に構える流派があり、前者が主流なのだという。前者は安定した態勢で術を唱えられる為に命中率が高く、後者は術そのものの威力を上げることが出来るのだとか。コンデは臆病で、術の命中率自体は決して高くない。少なくとも、この迷宮に入った直後では、相当に低かった。以前エーリカが教えてくれたのだが、余裕のある戦闘で、わざと難しい標的を狙う指示を出し、練習を重ねたのだという。事実絶対的な命中精度を必要とする場合を除いて、コンデの攻撃魔法射撃にあまりエーリカはケチをつけなくなってきている。

「行くわよ!」

エーリカの言葉と同時に、ファルが柔らかく焙烙を投擲した。それは冒険者達を溶岩のプールの縁まで追いつめたジャイアント達の鼻先に柔らかく飛び、そこで炸裂する。顔面の至近で焙烙が爆発しては、流石にジャイアントも悲鳴を上げて仰け反る。

「きゃあああああっ!」

しかし、呆れたことに、冒険者達の悲鳴の方が大きかった。特に僧侶らしい女性は怯えきってしまって、頭を抱えてへたり込んでしまった。

「手間が掛かる! こっちの通路に逃げ込め! 後は我々がどうにかする!」

ヴェーラが手を振った時には、既にロベルドとファルが飛び出し、フリーダーが連続してクロスボウボルトを敵に叩き込んでいた。振り返ったジャイアントの右目に、もう一体の頸動脈に、更に最初の一体の左目に。次々と容赦なく矢が着弾する。余裕の戦いぶりを見せていた巨人達は彼ら以上の手練れの乱入に驚き、それに乗じてファルが跳躍、抜刀した。溶岩の光を受け、刃が紅く輝く。乱反射した光が、辺りに無数の赤い点を作り、踊らせる。そのままファルは、斧を地面に降ろしたままだった巨人へ肉薄、斧の背を蹴って巨人の肩に到達。そして背中側へ飛び抜けつつ、頸動脈を斬り割った。下では、威勢がいいロベルドの叫び声と、分厚いバトルアックスの刃が肉に潜り込む音がした。フリーダーに両目を打ち抜かれた巨人が、ファルに頸動脈を切り裂かれた巨人が、ロベルドにアキレス腱を斬られた巨人が後ろ向きに地響き立てて倒れるのが殆ど同時。フリーダーに頸動脈を射抜かれた一体は、顔を真っ赤にして矢を引き抜き、もう一矢を斧ではじき飛ばしつつ、怒りの咆吼を上げた。反撃の態勢を取った巨人達は、摺り足で下がってファルとロベルドから間合いを取りつつ、逃げ延びた初心者冒険者達を見て舌打ちし、そして一斉にへたり込んでいる女僧侶に視線を注いだ。まずい。そうファルが思った瞬間、彼らの一体が、馬鹿でかい斧を女僧侶に振り下ろしていた。

「おおおおおおおおおっ! ぜらあああああああっ!」

後ろで、ロベルドの絶叫と、巨人の悲鳴が聞こえる。一瞬前に響いた物凄い音は、恐らく速射式クルドが、巨人の頭蓋骨を砕いたか、頸骨を折ったか。ゆっくり下にいる女僧侶を庇いながら体を起こしたファルは、脇腹に走る鈍痛を覚えて眉をひそめた。鮮血が、傷口から溢れ出ていた。

今の瞬間、飛び出したファルが女僧侶を抱えて飛ぶ。しかし、自分一人が飛び避ける時ならともかく、お荷物を抱えていては、いつものスピードを発揮出来ない。巨人の振り下ろした斧は、女僧侶をミンチにする代わりに、敢えて薄くしているファルの鎖帷子と、その下の肉と皮を切ったのだ。致命傷は避けたが、結構傷は深い。それでも立ち上がるファルに、震えた必死な声が下から飛ぶ。

「そんな、そんな傷で! じっとしていて下さい!」

「意見は、それに相応しい実力を得てからだ」

絶句した僧侶には目もくれず、刀を構え直す。側には、頭を砕かれた巨人の死体が転がっていた。その側には、巨人の頭より一回りも大きい氷塊の姿。クルドの威力が明らかに上がっている。これなら、ザクルドを使えば巨人の集団を一撃に殲滅出来るかも知れない。最後の一体を、ロベルドとヴェーラが交互に左右から攻め込んでいる。巨人はまるで風車のように巨大な斧を振り回して二人を遠ざけると、大きく仰け反りながら息を吸い込む。ファイヤージャイアントは、ブレスと呼ばれる強烈な火炎の息を敵に吹き付ける能力を持っている。その破壊力は、ガスドラゴンの頑強な装甲でも、喰らったらただでは済まないほどだ。無言のままファルは数歩前に踏み込み、刀を投擲していた。

巨人が蹈鞴を踏み、数歩下がる。彼の胸には、ファルが投擲した刀と、フリーダーが放ったクロスボウボルトが突き刺さっていた。以前クリティカルヒットを浴びせた時に見きった、ファイヤージャイアントの体に存在する致命点だ。巨人の口から、炎が固まりとなって、何度か吹き出す。それは地面をこがし、壁にぶつかって爆ぜ、天井にぶつかって砕けた。巨人は白目を剥いて、壁に倒れ込む。喉が泡立ち、焦げる匂いが周囲に満ち始めていた。昔はあれほど手こずらされたタフな相手だが、弱点や急所を知り尽くしている事は大きい。ため息をついたファルは、血が流れ出ている脇腹を押さえながら、びっこを引きつつエーリカ達の所へ戻っていった。右往左往する僧侶は、駆けだしてきた彼女の仲間達に任せたままで。経験が浅い彼らは、迷宮の中であるにもかかわらず、大声で喋る。

「大丈夫か? 怪我はなかったか?」

「わ、わたしは大丈夫。 でも、あの人が」

腰を下ろし、横になったファルは、無言で手当をするエーリカに全て任せた。側ではフリーダーが油断無くクロスボウを構えて警戒に当たり、ロベルドが刀と使えそうな矢を抜いて持ち帰ってきていた。経験の浅い冒険者達は、まだ何か言い合っていた。

「すげえ、噂は本当なんだな……とんでもねえ強さだ」

「でも、四層の魔物に深手を貰ってるぜ?」

「い、いや、でも相手はジャイアントで、しかもとっさの行動で……」

「貴方達」

エーリカの静かな、だが強烈な圧迫感を含んだ言葉に、冒険者達が硬直する。回復魔法を発動させたエーリカは笑顔で、故に怖かった。

「この階層には、もう少し力を付けてから来なさい。 次は死ぬわよ」

「は、はい!」

「後は愚僧達に任せて、もう今日は戻りなさい」

痛みが引いていく中、ファルはエーリカのやり方を、スマートだなと思った。エーリカはきっと、半分くらいしか彼らのことを心配していない。もう半分は打算で行動しているはずだ。だがそれを悟らせず、自然に後輩達を納得させる言葉を選ぶことが出来る。ファルはリーダーにはなれないと、今更ながらに思った。

応急処置を済ませて、急いでその場を後にする。どの階層の魔物でもそうだが、基本的に皆貪欲だ。この巨人の死体も、次に来た時には綺麗さっぱり無くなっているだろう。つまり、間もなく此処には新手の魔物が押し掛けてくる可能性が高い。五層に行って、其処の結界で本格的に治療するまでは、出来るだけ本格的な交戦は避けたかった。

浅い階層でも、手腕が劣る相手でも。ファルが人間である以上、条件が悪ければ殺される。それを如実に示している戦いであった。

 

五層の詰め所には、ドゥーハン騎士団がぴりぴりした様子で詰めていた。エーリカが詰め所に入ると、敬礼して状況を話してくれたが、笑顔の奥には隠しがたい緊張が張り付いていた。

「どうしたの?」

「はい。 どうもサンゴート騎士団がランゴバルド枢機卿率いる宰相派の残党と交戦状態に入ったらしく、何名かの重傷を負ったサンゴート騎士がつい先ほど転移の薬で戻ってきたそうです」

「戦況は悪いの?」

「彼らは話してくれません。 ただ、損害からいって、勝ったのは間違いないようですが、一方でランゴバルドが確保されたという情報もまだ入ってはおりません」

頷くと、エーリカは本格的な治療に入った。ファルはきちんと致命傷を避けたしエーリカの手腕自体も増しているから、作業にはそれほど時間も掛からなかった。数時間此処で休憩する事を決めてから、エーリカは更に騎士に話を聞き込んでいった。ファルは用意されている簡易寝台に横たわると、看護の為に控えている騎士に聞いた。

「リンシア殿や、騎士団長はどうしている?」

「今日は六層と七層を回っているようです。 まだ地図上の空白が多く、地固めをしっかりするとかで」

流石は騎士団長、地味だが確実な行動である。ファル達も出来れば見習いたい所だが、エーリカは今日も八層まで潜ることを告げている。騎士に礼を言うと、ファルはすげなく目を閉じて眠りについた。今日は悩みがないせいか、すぐに落ちることが出来た。次に目を覚ましたのは、起きようと思っていた出発直前であった。慣れたもので、ヴェーラもロベルドも、同じようにして用意された別の寝台で眠っていたらしい。ファルが身を起こすと、皆大あくびしながら歩いてきた。

「ファル、どうよ調子は」

「まあまあだ。 まだ痛みはあるが、探索の邪魔になるほどではない」

浅い階層の魔物相手に怪我をすることは、別に珍しくない。本命の階層を探索する際に、休憩時間を多く取るのも、疲労回復と同時に回復を万全にする為なのだ。もうすぐ出かける時間だ。ファルは刀を抜き、そして眉をひそめていた。先ほどの戦いが、どうやら致命傷になったらしい。罅にまでは至っていないのだが、刀を通る空気中の魔力が乱れている。罅よりずっと細かい傷が、刀身に無数に走っているのだ。ロベルドも流石に本職、一目で痛みを見抜いたらしく、静かに言った。

「……もう、そろそろ寿命だな」

「ああ、随分頼りになったが、そろそろ駄目かも知れないな。 今日は慣れたこれで通すが、次の探索からは国光を使う事にする」

「何、俺が戦いが終わってからでも打ち直してやるよ。 ずっと愛用してきた思い入れのある刀なんだろ?」

「ありがとう。 そうしてもらう」

刀は消耗品だ。破壊力がある分刃が分厚いグレートソードなどに比べて、ずっと耐久力は劣るのだ。武器としての心構えが違うのだから仕方のない部分もあるが、それでも長い間愛用してきた武器、壊れてしまうのは残念なことであった。

「そいつ、無銘か?」

「一応銘はある。 だが、無名職人の銘だから、無銘も同じだな」

この刀を打った鍛冶師のことをファルは知らない。だが感謝はしている。

最近は色々な雑念が来る。過ぎた戦いを語る時、嬉しそうでも悲しそうでもないと言われたこと。刀に迫りつつある寿命。それは人間らしいことなのだとエーリカは言うが、ファルには何処か煩わしかった。

更に七度の戦いを経て、地下八層へはいる。以前と同じように消臭作業をしてから、無味乾燥した階層の探索を始める。その奥に何があるのか、まだまだ分からない。ただ、エーリカの表情は緊張に満ちていた。

何しろ、あのヴァンパイアロードが逃走を決断するほどの存在、(イザーヴォルベット)とやらがいるのは間違いないのだから。そしてそれが十中八九うごめくものの別名であることを、皆が無言のうちに悟っていた。

 

3,血の海へ

 

自己狂信者ランゴバルドが足を止めた。気付いたのだ。神が網を張り、獲物を待つ領域に到達したと言うことを。後ろには、おいおい集まってきた何人かのアサシンが居る。彼らは優れた生存本能から、危険地域を悟り、これ以上進もうとはしなかった。ランゴバルドが彼らに与えた任務は、辺りを付けた場所の探索だった。そしてアサシンが帰ってこなかった場所を回った結果、正解を引いたのである。

ランゴバルドは用心深い人間である。彼は様々な魔術に精通しており、それで身を守ることに余念がなかった。世界最高の魔術師であった故ウェズベルも、保身に関してだけはランゴバルドに及ばなかったであろう。今でもランゴバルドは、三重、四重の防壁を常に周囲に展開しており、その気になればメガデスを防ぎきることすら出来た。その圧倒的な防御能力があるからこそ、こんな深い階層を一人歩くことが出来るのだ。

「やはり、此処であったか」

周囲を見回したランゴバルドが、アサシン達を置いて、二歩、三歩と進む。足下で、何度か煙が上がった。口の端をつり上げると、ランゴバルドは虚空へ語りかける。

「こんな方法で、私を取り込むことは出来ませぬぞ、神よ」

「……」

「どうしましたかな? そのままでは、現世に干渉出来ぬのでしょう? くくくくくくっ」

「……汝は、何者だ?」

抑揚のない声が響き渡った。ランゴバルドの足下で、ざわざわ、ざわざわと、無数の虫がうごめくような音がした。闇の中で、無数の黒い何かが蠢いている。周囲には、ピンク色の肉塊が、山と積まれていた。声は、その肉塊の中から、足下から、空中から、何処からでも響いてきていた。

「私はランゴバルド。 変革者を求むるものにございます」

「変革者だと?」

「はい。 世で神と呼べるものは、世界を変革し、或いは変革しうるものだと、私は考えております。 そして貴方なら、世界を根元レベルから変革することが可能である……違いますかな? 故に私は貴方に会いに来ました。 うごめくものよ」

「くくくくくくっ……面白い奴だ。 己が定義した神と、我が一致すると。 だから、ここへ来て、我を見てみたいと。 くくくく、くくくくくく。 力を欲しがってきたもの、特定の異性を手に入れたくて来たもの、復讐を成し遂げたく来たもの、さまざまな人間を見てきたが、貴様ほど愚かしく、そして賢いものは初めてだ」

空中、いやそこら中から笑い声が響来る。ランゴバルドは全く動じず、そして更に語る。後ろでは、アサシンが危険を悟って、逃げようとじりじり下がっていた。

「貴様の哲学的思考はよく分かった。 実に興味深い。 それで、何を望む? 我に喰い殺されることか? 我を使って、世そのものを変えようとしているのか?」

「そんな俗物的なことは望んでおりません」

「ほほう?」

「我が目的は、神とあり、神とともに変革すること……私と意識を共になされませい、うごめくものよ。 さすれば我が肉体など、いくらでも供物に捧げましょう」

僅かな沈黙の後、静かな笑い声が空に響き渡った。それは徐々に大きくなり、やがて狂気を含み、爆発した。

「ひひ、ひひゃははははははは! 面白い、これは面白い! ただ我と共にあることだけが、貴様の望みだというか! よかろう、その願い、叶えてやろうではないか!」

口の端をつり上げると、ランゴバルドは自らを覆っていた防壁を解く。同時に、無数の黒い何かが、彼の全身を押し包んだ。肉を溶かし、骨を砕き、みしみしと湿気を含んだ音が周囲に響続ける。恐怖を知らぬはずのアサシン達が後ずさる。しかし、彼らは逃げ切れはしなかった。小さな悲鳴が、その場に響いた。そしてその後は、肉を喰らう音が、ずっとその場を支配していた。むしゃむしゃ、むしゃむしゃ、むしゃむしゃ、むしゃむしゃ……。

 

ただ壁となることを強要され、意識もないままサンゴート軍に立ち向かったハリス僧兵と護衛兵達は、程なく皆殺しの目にあった。当然の話である。ドゥーハン騎士団と肩を並べるとさえ言われるサンゴート騎士団と真っ正面からぶつかり合って、戦闘能力が低い僧兵を主力にするハリスの者達が勝てるわけがない。指揮をしていた大天使はいつのまにか雲隠れしており、既に影も形もなかった。

「ランゴバルドは何処へ行った!」

血の海に立ち、勝利にわく騎士達の中で、苛立った声をあげた者がいる。彼らの指揮官である、ヴァイル=ドゥーリエであった。まだ血に濡れている剣を振り、彼女は苛立ちを隠そうともしなかった。僧の血を辺りに振り散らし、彼女はわめく。

「我が方も既に少なからぬ被害を出している! このままおめおめランゴバルドに逃げられては、サンゴート騎士団の名折れぞ!」

「は、はっ!」

「すぐに奴を追え! 逃がそうものなら皆打ち首だ!」

居丈高に言うヴァイルの目には、疲労と焦りが浮かんでいる。ようやくドゥーハン騎士団を出し抜く好機にあるというのに、様々な事象からどうも目立った武勲を上げられないと言うのが、その理由であった。既に八層に来て数日が過ぎており、騎士達の疲労も激しい。まだ切り札は温存しているが、デーモンを始めとする強大な魔物共の相手をすることによって、日ごとに多大な被害を強いられている。そして、彼女を焦らせた最大の要因が、ドゥーハン騎士団が、あのヴァンパイアロードを仕留めた、という話であった。冒険者と協力しての末だと言うことだが、歴史上ロード級のヴァンパイアを仕留めた人間の数が二桁に達しないことからも考えて、その功績と名声の大きさは説明の必要もないほどだ。既に彼女の麾下にいる騎士は二十名。既に十名が死んだり重症を負って転移の薬で帰還したりして、離脱している。五層まで戻れば兵員の代わりはいるが、彼らと合流している時間はなかった。

八層の奥は、入り口とうってかわって複雑に入り組んでおり、逃げ込まれるとすぐには探し出せない。犬か何かがいればよいのだが、そんなものは連れてきていない。連れてきていても真っ先に魔物の餌だからだ。焦るヴァイルの眼前で、時間ばかりが無駄に過ぎていく。無論、魔物は退いてくれない。戦って撃退するしかない。

四チームに再編成した部下達は、ヴァイル共々文字通り四方に散った。一チームの構成人数が減っていることもあり、危険度は嫌が応にも増しているが、騎士達は皆必死だった。

闇の中、真っ黒に塗装された鎧の一軍が駆ける。猟犬を思わせるその姿だけは、バンクォー戦役の頃から衰えていなかった。

 

結局、六層でも七層でも、騎士団長率いるドゥーハン騎士団最精鋭とファル達はかち合わなかった。流石に毎度毎度共同戦線を張ることも出来ない。というよりも、彼らの力をあてにして戦略を組むほどエーリカも愚かではない。

前回の探索によって、八層のマッピングはかなり大幅に進んだ。ゼルに提供して貰った分もあるのだが、構造が兎に角単純で、しかも平面的な為、非常に記録しやすかったのだ。ファルはマッピングが早いほうではないが、それでもこの階層のような超単純構造の迷宮であれば、苦労はなかった。

それにしても、隅々まで調べてみると、改めてこの階層の無味乾燥ぶりがよく分かった。隅の方の部屋には、一部前回の探索でユナが隠れていたような箱が放置してあるのだが、それをのぞくと全く何もない。彷徨いている魔物が何を食べているのかも、正直よく分からない。地下二層などでも魔物は迷宮の彼方此方に巣を作っていたが、それらしいものが全く見あたらないのである。

ヴァンパイアロードと交戦した部屋辺りで、迷宮は収束している。奥に進むには、未だ激しい戦いの痕跡が残るかの部屋を突破するしかない。其処には、へし曲がった戸が未だ生々しく残り、壁の彼方此方に凄まじい戦いの痕跡である裂け目や焦げ跡があった。奥にある扉の辺りには、黒い煤が一面に付着している。最後の最後で、ファルがヴァンパイアロードを蹴り上げ、刀に籠もった最大出力ジャクレタが炸裂したのがあの辺りだ。ヴァンパイアロードは滅びたが、負の障気は周囲にまだまだ充満している。煤が張り付いている辺りには、得体の知れない虫が無数に張り付いて、ぎちぎちと音を立てていた。

「あまり長居はしたくないな」

「ああ。 火神アズマエルも、この様な所はあまり好まないだろう」

「……そうね。 急いで抜けましょう」

エーリカが僅かに考え込み、しかし突破を許可した。ファルは頷いて一人先行し、虫たちが張り付いている下を通って戸を抜け、部屋を突破し、慌てて足を止めた。其処には、今までとは全く異質の光景が広がっていた。

まず、下は床ではなかった。地面であった。下には土が敷き詰められ、驚くべき事に雑草が生えている。天井は今まで以上に高く、上からはうっすら光が差し込んでいた。六層のように、天井が見えないと言う程ではなく、天井の存在はきちんと目視出来る。しかしながら、上には空があるのではないかと、ファルは一瞬だけ錯覚していた。足先で少し蹴ってみると、雑草はきちんと音を立てて揺れた。前の部屋が緩衝剤になって、薄明かりがあることに気付かなかったのだ。奥行きは広く、壁によって仕切られていない。しばし足下を蹴った後、ファルは皆を手招きした。驚いたのは皆も同じであった。ロベルドはお上りさんよろしく野原になっている周囲を見回し、ヴェーラはハルバードの石突きで地面を何度も叩いた。

「おお、随分雰囲気が変わりやがったな」

「というよりも、異常だ。 一体此処は、どういう場所なんだ?」

「……ユナさんの言葉によると、奥には生活感のある場所も、て話だったわよね。 この奥、どうなっているのか全く見当がつかないわ。 気をつけて進まないと」

最後に進み出たエーリカが手を叩いていう。その言葉に警告が含まれていたのは、ファルだけではなく皆が感じ取ったことであった。

陣形を維持したまま慎重に進む。野原に見える空間はずっと続いていたが、やがて遠くに色々なものが見えてきた。水音もする。野原に橋が架かっていて、その下を小川が流れていた。橋の向こうは下が土ではなく、今までの場所と同じく金属か何かよく分からない素材で作られており、歩くとかつんかつんと大きな音がした。しかし、再び無機質な場所に戻ったかというと、そうでもない。石畳を敷いた舗装道路のように、橋の幅と同じだけの狭い場所の床が整備されており、他は全て土だった。ただし、今までと違って雑草は生えていない。そして小川を越えた向こう側には、小さな建造物が無数にひしめいていた。

小さな建造物は、以前六層で見たものに酷似していた。家具等は中に残っていなかったが、自動式ドアとやらがついていたし、間取りなどは人間が暮らすことを考慮した作りになっていた。

「素材さえ違えば、普通の村みたいな場所だな」

「解せぬな。 何でそんなものを地下に作る必要がある。 さっきまでの空間は一体なんだ?」

「恐らく、地下避難生活空間だと思われます」

「地下避難生活空間?」

聞き慣れない言葉であった。地下に墓地を作ったり神殿を造ったりする事は、別に文化的行動というレベルでなくとも、いくらでも実例が存在する。また、地下に逃れて危難を避けるという行動も、普通に行われている。ファルも忍者としての修練を受けている際に、洞窟へ逃げ込んだ際の注意事項や、実際の生活方法などを訓練して覚えた。しかし、それはあくまで緊急避難であって、生活ではない。特殊な場所によっては、半分地下の生活空間に住む場合もある。しかしそれはあくまで半地下だ。完全なる地下、例えばこの地下八層のような場所ではない。

「この間、地下七層で得たデータにありました。 ディアラント文明末期、うごめくものによる攻撃が苛烈になってきた為、一部の人間は、地下に生活空間を建造し、其処に逃げ込む計画を立てたと。 先ほどまでの空間は、恐らく生活物資の貯蔵施設。 この辺りは、地下での生活によるストレスを軽減する為の、リラクゼーション施設であると推測出来ます」

「フリーダー、ちょっと待て。 こんな狭い空間に、ディアラント人共は逃げ込むつもりだったのか?」

「いえ、おそらく人数的には最大でも千人程かと思われます」

「ちょっと待て。 残りはどうな……」

「いや、それ以上は言うな。 恐ろしいのう、いやはや、悲しいのう」

コンデがロベルドの言葉を遮り、頭を横に振った。ファルにも、彼らの一部が他の全員を見捨て、自分たちだけ助かろうとしたのはすぐに分かったのだ。彼らの身勝手さに腹が立つようなことはなかった。ファルにしてみれば、それが普通の人間の、普通の行動に見えたからだ。滅んだのは自業自得だと思った。そして、普通の人間には生涯絶対に迎合しないとも。フリーダーの肩に手を置くと、ファルは必然的な疑問点に触れる。

「フリーダー、それにしては食糧貯蔵がかなり少なかったようだが」

「恐らく、大量の食料を運び込む余裕がなかったのだと思います。 それに……」

フリーダーはゆっくり視線を動かし、(村)の奥。大きな穴が空いている地点を指さした。

「多分、逃げ込んだ者達は皆殺しにされています。 あの穴は、内側からの攻撃によるものです」

「自業自得だな……ざまあねえぜ」

ロベルドがいい、手を翳してみた。確かに内側から地面がめくり上がるようにして、大きな穴が空いている。のぞき込んでみると、下は遙か深い。ロミルワを飛ばしてみると、軽く三十メートル以上はあった。下は先ほどまでの(倉庫)のように、前面覆われた無機質な空間になっている。違うのは、底の方に水が溜まっていることであろう。降りられない高さではない。はいつくばってそれを見ていたファルは振り返ると、エーリカにいう。

「どうする? 此処から降りてみるか?」

「ん、そうね。 方法の一つとしては確保しておきましょう」

確かに、下が水という状態を考えると、危険が大きすぎる。人間は水の中では、想像以上に動きが取れないのだ。それにサンゴート騎士団が奥にいるという事を考えると、この下である可能性は低い。此処を下った形跡がないからである。

幸い魔物の姿はない。村を奥へ奥へと進む。しばし進むと、大きな建物が見えてきた。地下六層で散々見たような、山にも迫りそうな大きさの建物だ。それを見上げながら、ファルはようやく気付いていた。

「……此処には、生活感があるな。 僅かだけだが」

「あん? それがどうしたよ」

「いや、何でもない。 先を急ぐぞ」

どうしてか、生活の跡を感じたファルは、少しだけ安心していたのだった。だが、その安心は、建物に近づけば近づくほど薄れていった。周囲には先ほどの穴のような破壊痕が満ち始めたからである。

やがて、六人の眼前に、巨大な建物はそびえ立った。見上げてみると、構造は柱に近い。扁平だが、この階層の床と天井をつなぎ、その間を無数に切り分けている。外側は滑らかに緩やかに曲線を描き、中央部が僅かに膨らんでいる。どこだかの文明の古代遺跡でよく見られる意匠だ。そう思った瞬間、ヴェーラが言った。

「ドルセニア式の柱みたいな作りだ」

「ほほう、というと、これがあの名高いササン古代王朝の」

「無論そうではないが、構造的には似ている。 ……ササンの民は、何処かでディアラント人と繋がっているのやもしれないな。 火神アズマエルは、ディアラント人の狂態を見てどう嘆かれたのだろうか」

ヴェーラは自分のことのように嘆く。コンデはふんふんと頷きながら、知識欲を充たす為か、首を横にひねったり下からのぞき込んだりして、建物を見続けていた。

 

大きな建物の内部は、それそのものが迷宮になっているほどに広大であった。地上部分だけでも、以前地下六層で見たどの建造物よりも巨大である。中の動力は半分ほど生きていたが、半分は死んでいた。灯りの存在はまばらであり、何より辺りの破壊痕が凄まじい。しかも、並の破壊痕ではない。壁が丸ごと抉られていたり、部屋がそのまま消えていたり。建物の窓から外を見ると、凄まじい光景が広がっていた。自分たちが来た方の、丁度反対側が其処からは見えたのだが、ファルは思わず息をのんでいた。

画名、破壊。作者名、うごめくもの。

あの、最大出力ジャクレタでも砕けなかった壁が木っ端微塵に砕け、外側から岩が飛び出して、この空間に潜り込もうとしている。その岩も、転がってきたら巨人がぺしゃんこにされそうなサイズのものばかりだ。何か巨大な筒にでも抉られたような破壊痕が辺りには充ち満ち、手当たり次第に周囲のものを削り取った跡があった。幸いなのは、その破壊痕はずっと古いもので、切断面は摩滅し、抉削点は崩れ、その本領の全てを見せなかった、という事にある。

正直、こんな事が出来る相手とは戦いたくない。幾ら何でも、荷が勝ちすぎる。瞬間的にファルはそう思ったが、頭を振って雑念を追い払う。戦う時になったら、その時はその時だ。鍛えた技もあるし、エーリカの頭脳もある。勝ち目がいくら低くとも、差し違えてでも何とかする。こんな事が出来る奴が地上に出た時の悲劇、考えるのもおぞましい。歴史上、うごめくものによって滅んだ国が幾つもある事を、今更ながらファルは事実だと知った。

建物の各階は階段によって複雑に絡み合っており、簡単には奥へ進めなかった。五層以来の複雑な迷路だとも言える。彼方此方廊下が岩でふさがれたり、天井が崩れて潰されたりしており、それが探索の困難さに拍車を掛けていた。加えて、中はまさしく魔物の巣窟であった。八層入り口部分を彷徨いていた魔物共は、七層から入り込んだ連中が三割ほど、残りは此処から湧いてきたのだろうと、ファルは推測した。何しろ中は巨人が立って歩けるほど天井が高く、奥行きも広い。それはどういう事に繋がるかというと、建物の内部をデーモンやら巨人やらが我が物顔に闊歩することに繋がるのだ。

八度の戦いを経て、一度入り口当たりまで戻って態勢を立て直すことを皆が検討し始めた頃。ファルはそれを見つけた。丁度建物の六階。中央部分にある、巨大な円形のホールでのことである。そのホールは、周囲を光が透過する素材で覆われており、しかも光が差し込んで煌めくように注意深く設計されている。中央部には丸く大きなオブジェがあり、どうやら噴水だったのだろうと推測出来る。破壊に会い、周囲の光が透過する素材がずたずたに引きちぎられむしられる前であれば、さぞや美しい場所だったことだろう。部屋の入り口の側には、滅多切りにされた蒼い肌の巨人が、血まみれになって転がっており、肉を小さな魔物がむさぼり食っていた。これはファル達も何度か交戦したフロストジャイアントという巨人で、四層に多くいるファイヤージャイアントより数段実力が上の手強い魔物だ。体が一回り大きく頑強で、魔法も殆ど通じず、そして強烈な冷気のブレスの能力も持っている。それを倒したと言うことは、サンゴート騎士団の実力は結構侮れない事を示している。そして巨人の亡骸だけではなく、この円形のかって美しかった場所は、人間の死体で充ち満ちていた。一つ死体を転がしてみると、既に死後硬直している。服装からして、ユナの同僚だ。いずれもサンゴート騎士が愛好する剣による傷を受けたり、強力な攻撃魔法を受けて絶命している。死体を囓っていた雑魚魔物を視線で追い払うと、ファルは死体をカウントし、ユナが言っていた同僚の数とほぼ同数だと言うことに気付いた。一部は殆ど原型も残っていなかったから、カウントには熟練の技を要した。

「どうやら、サンゴート騎士団は此処でランゴバルドを捕捉したようだな。 そして勝利し、奴の手下を皆殺しにした」

ランゴバルドが死んでいないことは、ありとあらゆる状況証拠が裏付けていた。そしてもう一つ。おそらく、大天使もまだ存命中である。奴が本気で戦ったとしたら、先ほど騎士に聞いたサンゴート騎士団の損害が少なすぎる。死体の散らばった状況や、周囲の戦闘痕から、エーリカが冷徹に事実を割り出していた。

「勝利したと言うよりも、おそらくはランゴバルドが部下達を捨て駒にしたのね。 自分が逃げる為だけに」

「ひでえな。 本当に僧侶のやることなのか?」

「聖職者だって人間よ。 むしろ、腐敗した聖職者は、腐敗した普通の人間よりも質が悪いことも多いわ。 布教僧の中でも、教皇庁の上層部の連中は戒律で禁止されている酒肉を平気で食べているそうだし、娼婦を堂々と買うこともあるそうよ。 戒律を口にし、立場が下の人間にはそれを強要しながら、自分たちは平気で破る。 そんな連中のことだもの。 何をやっても不思議じゃないわ」

「ユナが可哀想だ。 これじゃあ、あんまりじゃねえか。 一体世の中は、どうなっていやがるんだ!」

ロベルドが壁を殴りつけた。罅が入り脆くなっているそれは、拳の形に砕け、ぼろぼろと崩れ落ちた。洗脳が解けなければ、ユナもほぼ間違いなく此処に転がっている死体の仲間入りをしていたのだ。しかもランゴバルドの、時間稼ぎの為だけに。

味方の消耗は大きい。もしこの先に進み、ランゴバルドを追うと、かなり大きなリスクを背負うこととなる。奴のことだから、切り札の二枚や三枚隠していてもおかしくない。その上、ほぼ間違いなく大天使が健在であり、ジョーカー的なその存在は決して軽視出来ない。ファルは周囲に警戒を絶やさぬまま言った。

「どうするんだ、エーリカ。 退くなら、今が潮時だぞ」

「……そうねえ」

上の階から響いてきた爆音が、皆の口を閉ざした。ホールの縁に行って上を見上げると、先ほどまでは無事だった壁が吹き飛び、大穴が空き、濛々と煙が吹き出していた。これはひょっとすると、一フロアが丸ごと吹っ飛んだかも知れない。そんな錯覚を抱かせる、凄まじい爆発だった。皆が視線を天井に釘付けにしているなか、フリーダーが言う。瞳の奥には、恐怖が宿っていた。

「様子がおかしいです、ファル様」

「うん?」

「尋常ではない殺気が、上のフロアから漂ってきています。 それはどんどん強くなっています」

小さな猿のような魔物が、悲鳴を上げながらファル達の脇をかけ去っていった。美味しいごちそう(死体)に目もくれず、である。百足のように地面を這う魔物も、鳥のように天かける魔物も。皆、ファル達が居る建物から或いは這い出し、或いは飛び出し、奇声を上げながら逃げ散っていく。殆ど同時に、ずしんと、強烈な圧迫感が振ってきた。思わず生唾を飲み込み、きっと上を見上げ直す。この感覚、覚えがある。オルキディアス戦で感じたものよりもずっと強い負の感触。ラスケテスレル戦で感じた、血も凍る恐怖の噴出。見よ、建物の外を。デーモンですら、我先へと逃げ散っていく。ジャイアントが斧を取り落としそうな勢いで、必死の形相で、駆け散っていく。蒼白になったロベルドが、ヴェーラとコンデと共に泡を吹いた。ファルも逃げ散る魔物と、上から降り来る凄まじい圧迫感に、無言のまま拳を固めるばかりであった。

「や、やべえ、やべえぜ!」

「た、確かに! か、火神アズマエルよ! 汝の哀れなる子に加護を!」

「エーリカ殿、その、あれ、あれじゃ! 三十六計逃げるにしかずじゃ! その、早く撤退しよう」

黙れ

エーリカの言葉は強くも大きくもなかった。だが瞬間的に、降り来る殺気を無力化するほどの凄まじい効果を示し、逃げに入ろうとする仲間達を沈黙させた。エーリカは唇に指先を当てて考え込んでいたが、やがて比較的冷静さを保っているファルに向けて言う。

「おそらく、うごめくものがまた現れようとして居るのね」

「以前ポポーに見せて貰った七種の中の、どれか一つがか?」

「あれから愚僧もファルさんが持ってきた資料を纏めてみたのだけど、七種のうち二種、ヴェフォックスとアンテロセサセウは、上位三種のうごめくものが量産して使う兵士のような存在らしいわ。 以前愚僧達は二種を屠っていて、確認した限りどちらも下位のうごめくものじゃない。 ということは、それ以上の圧迫感を生じさせる存在となると、マジキム、スケディム、アシラという三体のどれか一種という事ね。 そしてそれは、まず間違いなく、この階層を穴だらけにした張本人よ」

生唾を飲み込む音が、ファルの耳まで届いた。ファルだってそうしたい。

「ヴァンパイアロードは、此奴を予想していたのか」

「そう言うことでしょうね。 出現してから、急速に力を増し続けたラスケテスレルの例もあるわ。 急がないと、手遅れになるかも知れない」

「それは、つまり」

「みんな少し疲れているかも知れないけど、見逃すわけには行かないわ。 今を逃せば、手に負えなくなる可能性が高いもの。 さあ、行くわよ! こんな事を出来る奴を、地上に出したらお終いだわ! ドゥーハン王都は、いやベノアそのものが焦土になるわよ!」

エーリカが走るように手を振り、皆決意と共に頷いた。我先に逃げ出していく魔物達に、逆行するように走る。目指すのは、殺気が、負の気配が、強くなっていく方向。上へ、上へ。先ほど吹っ飛んだのは、恐らく六フロア上。相変わらず非常に広い建物だが、具体的な目標設定が出来たことで、ぐっと歩みが楽になる。上からは、ひっきりなしに巨大な爆発音が響いている。片方がうごめくものとして、誰と戦っているのかは知らないが、それでも結構長時間持っている、という事は確かなようだ。建物が揺動する。天井材の欠片が落ちてくる。柱が崩れ、倒れる。あまり長時間、この中で戦い続けるのは危険だ。落ちてくる天井材をハルバードで払い落としながら、ヴェーラはネックレスにした火神の祭器を握りしめる。ファルもバックパックに入れたままの国光を抜くべきか少し考えたが、結局は断念した。いきなり国光を実戦投入して、何かしらの不安要素が働いたらまずい。

階段にさしかかる。同時に、上で途轍もない破壊の音が響き渡った。激しい揺れが起こり、階段の上から埃やら小石状の床の破片やらが降ってくる。少し痛いが、無視して階段を駆け上がる。後一フロアだ。気配はどんどん強くなっている。それに反比例するように、爆発音は減り、振動も減り始めている。何が起こっているのか、見なくてもよく分かる。

サンゴート騎士団が、滅びようとしているのだ。どうしてか、うごめくものがサンゴート騎士団に滅ぼされようとしているという考えは浮かんでこなかった。

やがて、喚声や、悲鳴が聞こえ始めた。それはどんどん近づいてくる。走る、走る。悲鳴を押しのけるようにして、六人一丸となって駆ける。

不意に視界が開けた。そこは、血の海だった。

 

4,潰える誇り

 

ランゴバルドを追跡していたサンゴート騎士達が足を止めたのには、無論理由がある。床にはいつくばっているアサシンを見つけたからである。顔中に冷や汗を掻いた其奴は、冷静に剣を抜くサンゴート騎士に手を伸ばし、蚊が鳴くような声で言った。感情を殺し、任務を全てに優先する訓練を受けているはずのアサシンが、恐怖を隠すことも出来ないでいた。

建物で言うと十三階になる其処は、東を透明な板で覆った、光が良く差し込む感じがよいホールだった。かってはさぞ心癒される光景が広がる場所であったのだろう。中央部分は半分崩落し掛かっており、巨大な天井材が積み重なって鎌倉のようになっている。崩れかけた建材の奥は闇と化し、その奥に何がいるのかは視認出来ない。

「た、たすけ、たすけて、くれ……」

ずるずるとアサシンが動く。前にではなく、後ろにだ。何かに引きずられている事に気付いた騎士は、無言のまま指を鳴らす。後ろに控えていた魔術師が杖を振り、数秒の詠唱の後、アサシンへ火球を放った。引きずられていくアサシンに火球は直撃……しなかった。何か巨大な平らなものではり倒したように凄い音を立てて、空中ではじけて消えてしまう。弾かれた火球が瓦礫の一部を崩し、光が敵の正体を晒した。アサシンが絶望の悲鳴を上げる。彼の全身には、黒い触手が無数に絡みついていた。そして触手がはえていたのは、もがくアサシンの後ろにある、巨大な蠢く固まりであった。それは鬱陶しそうに抵抗するアサシンを無理矢理引っ張り込む。手を伸ばすアサシンは、ひいひいと哀れな呼吸を上げながら、固まりに引きずり込まれていった。悲鳴はすぐに聞こえなくなった。

「何だあれは」

「さ、さあ。 しかし、今まで見たどんな魔物でもないようですが……!」

「味方に合図だ! 少し下がって様子を見るぞ!」

頷いた魔術師が、特徴的な音を立てる術を発動し、味方を呼び寄せるべく詠唱を始める。騎士達は安全だと思える地点まで後退し、武具を構える。全員の鳥肌が逆立つような威圧感が、まるで突風のように襲い来たのは、直後のことであった。あまりにも超絶的な威圧感に、何人かは剣を取り落としそうにさえなった。同時に、聞き慣れた笑い声が炸裂した。

「く、くくくふ、ふふふ、ふふ、ははは、ふはははは、ははははははは!」

「ら、ランゴバルド!?」

「くっくっくっくっく、神よ、素晴らしい! これが変革者! これが改変者! 貴方と一体になることが出来て! 私は、幸せだ!」

「な、何だ、あの化け物はランゴバルドだというのか!」

騎士達の隊長がうわずった声で言うが、誰も応えられない。軍靴の音と共に、他の騎士達が駆けつけてきた。おいおい数が揃い始める。幸いにも、ハリス僧達との戦い以降、減った者はいないようであった。威圧感を気にもせず、ゆっくり前に進み出たのはヴァイルである。この辺りは、傲慢であっても流石は司令官といった所だ。蠢き続ける黒い固まりを見たヴァイルは、部下の耳打ちに頷くと、自信たっぷりに嘲笑した。

「随分無様な姿になり果てたものだな、ランゴバルドよ」

「姿ぁ? くひゃはははははは、ひゃひゃひゃひゃひゃ! 神は! これより、形を為される! 見がよい愚民どもよ、世界を改革する存在の御姿を!」

黒い固まりの周囲に積まれていたピンク色の肉が、自分の意志があるかのように這いずり、固まりへと引き寄せられていく。ヴァイルは部下に指示を飛ばし、攻撃魔法を叩き込ませようとした。妥当な判断である。相手が普通の存在であれば。五人連れてきている魔術師が、揃って詠唱を行い、ほぼ同時にクルドを発動した。詠唱完了と同時に空に出現した巨大な氷柱がいつつ、唸りを上げて、斜め下にいる敵へと飛ぶ。それは巨大な質量を持って、形を為しつつあるランゴバルドを直撃……しない。先ほどアサシンの眼前で弾かれた火球のように、至近で跳ね返されてしまう。板を砕くような音と共に、弾かれた氷柱が床を直撃し、一部は脆くなっている床を貫通して更に聞き難い鈍音をあげた。眉をひそめたヴァイルは、声のトーンを落としていった。

「まさか、貴様。 それはうごめくものか!?」

「それ、だと!? 恐れ多いぞ、小便垂れの小娘がああっ!

ばつん、と音がした。同時に殺気がそのまま衝撃波となり、物理的圧力さえ生じさせていた。周囲の透明な板に罅が走り、思わずヴァイルも騎士もガードポーズを取る。

「このお方はイザーヴォルベットが一柱、マジキム様である。 たたえるが良い、祝福するが良い! 世界を改革しうる、強大なる神の復活を!」

「瓦礫を崩せ! 形を為す前に、少しでもダメージを与えろ!」

冷静にヴァイルが指揮を飛ばし、積み重なっている天井材の脆くなった部分を狙ってクレタが飛ぶ。二つ、三つ、炸裂する火球が、瓦礫の山を激しく揺さぶる。やがて負荷に絶えきれなくなった瓦礫の山が、雪崩を打って蠢き形を為すマジキムを直撃した。質量は先ほどのクルドの非ではない。あんなものの直撃を受ければ、ドラゴンだってひとたまりもない。更にヴァイルは後ろに素早く指示を飛ばすと、もう少し下がるように部下達に命令した。うごめくものについては、ヴァイルも多少知識がある。カルマンの迷宮に来る際、様々なつてから得た情報により、それとの戦闘が起こりうる事は予測していたので、準備は怠らなかったのだ。

破壊者うごめくものは、サンゴートにも二度出現している。カール王が死んだのも、戦場に現れたうごめくものの仕業だという話もあるが、それはまだサンゴートでは未確認のことだ。

一度目は五百年前。現れたうごめくものは暴れるだけ暴れて、人口十万ほどの都市を壊滅させてから姿を消した。二度目は四百三十年ほど前。人口二万ほどの都市が壊滅、およそ三万の軍が討伐に向かった。その時三十体ほど現れたうごめくもののうち、二体を撃破することに成功している。その際に軍の半数は戦死したが、しかし教訓と多くの情報は残った。大きな被害を出した二度の歴史的事実に備え、サンゴート軍は多くの研究を行い、幾つかの成果を上げている。ヴァイルも、うごめくもの七種類のことくらいなら知っている。実際にサンゴートに現れたのはそのうちのアンテロセサセウだが、他の連中にも応用が利くはずだと確信していた。

うごめくものの強さは、攻撃力よりも、むしろ圧倒的な防御力にある。アンテロセサセウは巨大な芋虫のような姿をしているが、体の前面に不可視のシールドを展開する能力を持ち、前面からの攻撃であればメガデスですら傷一つ付けられない。鎧を着た兵士を丸ごと溶かしてしまう強力な酸の唾液と、人間の数倍の速度で発動出来る攻撃魔法が主力の武器であるが、そちらは上級のドラゴンや魔神でも普通に持っている程度の攻撃力だ。ただし弱点があり、後方からの攻撃であれば、多少の傷を付けることが出来る。それにある程度以上の負荷を与え、シールドを貫通することが出来れば、致命傷を与えることも不可能ではない。そういった事実をふまえ、サンゴート軍はうごめくものの防御を貫通すべく、切り札を用意していたのである。

瓦礫が軋み、内側から何かがせり上がってくる。巨大な瓦礫をものともせずに押しのけ、姿を見せる。騎士達から恐怖の声が挙がる。それは不思議な存在だった。

一見すると、それには顔のようなものがついていた。顔の左右からはねじくれた角が生え、二つある目は爛々と光り、口元には何の表情もない。体は見えない。殻、いや拘束衣らしきもので身を包み、両手を体の中心でクロスさせている。瓦礫を押しのけるでもなく、殆ど音も立てずにそれはせり上がってくる。むしろそれを(避けた)瓦礫が地面と激突し、立てる音の方が騒々しかった。ヴァイルを中心に騎士達が防御陣を組む。強力な魔法が掛かった黒い剣を敵に向け、ヴァイルは叫ぶ。

「最大増幅メガデス準備! 発動まで時間を稼げ!」

瓦礫の中、マジキムの姿が浮かび上がっていく。背丈は軽く六メートル、いや八メートル以上もある。それが文字通りのことだと気付くのには、少し時間が掛かった。拘束衣で体を縛り上げたマジキムは、文字通り浮いていたのだ。翼もないのに、魔法を使っている様子もないのに。そして奴は、唐突に動いた。

光が一条、走った。それがマジキムの目から放たれたと気付くまで一秒。そして、ヴァイルの隣に立っていた騎士の上半身が消えているのに気付くまでもう一秒。生唾を飲み込む騎士が、後ろの透明な板に大穴が空いているのに気付くまで更に一秒。遠くで巨大な爆発音が響くまで、もう一秒。

「ちっ、復活したてでは、こんなものか。 出力一割以下とは、情けない話だ」

全く口を動かさず、むしろ体を揺らしてマジキムは言う。声は奥から響いてくるようであり、そしてランゴバルドのトーンも微妙に混じっていた。拘束衣の各所が盛り上がる。そして其処から、はじけるようにして、数十本の太い触手が伸びる。

「散開しろ! 機動力を武器して攻めるんだ!」

指示を飛ばしたヴァイルの横を、唸りを上げて触手が飛んだ。触手は無数のごつごつした突起に覆われていた。突起からは更に細く小さな触手が、じわじわとゆっくり伸びていく。棍棒のようになっている先端部はそれ自体が大きな殺傷力を持っていて、当たるだけで周囲のものを砕き散らした。悲鳴を上げる騎士の頭を吹っ飛ばした触手は、もう一人の体に絡みつき、一息に捻り潰す。鎧が砕け、肉が引きちぎれる音が響く。しかしサンゴート騎士団も反撃を開始する。ぱっと散ると、襲ってくる触手にめいめい刃を叩き付け、槍の穂先をねじり込んだ。だが触手に当たろうとする武具は目前で弾かれ、或いは跳ね返されてしまう。悠々と触手がうごめきながらサンゴート騎士団に襲いかかる。ヴァイルは黒い魔剣を振るって、二本、三本と触手をはじき返しながら、手早く指示を飛ばす。しかし、どう考えても敵の方が一枚上手だ。そのまま奴は大きく仰け反ると、体を回転させながら辺り一帯を触手でめった打ちに打ち据える。まるで台風のようなその凄まじい攻撃に、騎士達は或いは吹き飛び、或いは首を跳ね飛ばされ、悲鳴を上げ地面に転がる。士気の高いサンゴート騎士団はそれでも諦めず、必死に敵に食らいつく。回転を止めたマジキムの正面からそれ、先ほど放った光の攻撃を受けぬようにしながら、触手へ向かい、或いは隙を見て本隊を叩かんと瓦礫を踏み越えて迫る。彼らの後方で、魔術師達は必死に詠唱を行い、切り札足る術をくみ上げていた。

「くらええええっ!」

敵の懐まで潜り込んだヴァイルが、大上段からの一撃を叩き込む。彼女が手にしているのは夜魔の大剣といわれる剛剣であり、持ち主の生命を啜ることによって切れ味と破壊力を増す魔性の武具である。デーモンの鱗すら切り裂くそれは、乾いた音と共に跳ね返される。二度、三度と斬撃を叩き付けても同じだった。

「ちいっ! 効かぬか!」

「ひひひひひ、無駄だっ!」

至近から、横薙ぎに触手の一撃を脇腹へ叩き込まれ、ヴァイルは吹っ飛んで地面に叩き付けられ、瓦礫にぶつかって止まった。慌てて駆け寄る騎士に助け起こされながら、ヴァイルは部下達を叱咤する。数人が倒されてはいるが、まだまだ過半は健在だ。乱戦が続き、じりじりと騎士達の数が減っていく。そんななか、ついに待ちに待った瞬間が来た。詠唱を続けていた魔術師の一人が、ヴァイルに向け叫んだのである。

「詠唱完了! 行けます!」

「良し! 皆、下がれっ!」

「ほう?」

触手の攻撃を払いながら、騎士達が攻撃を開始する。余裕の体で浮かんでいるマジキム。魔術師達五人の全身から、強烈な魔力が吹き上がった。五人はそれぞれが五芒星の頂点に立っており、互いに魔力を増幅しあっていたのだ。そして彼らが唱えていたのは、魔術師魔法の頂点に立つ究極破壊魔法メガデス。しかも互いに威力を増幅しあって、五人同時に放つ。単純な破壊力は、通常のメガデスに比して十二倍から十三倍。人類が現在作れる、正に究極の攻撃手段だ。その破壊力は、単純破壊力で言えば人類の扱える術の中で最強を誇る錬金術の元素融合術アリクスでも、足元にも及ばない。

「覚悟しろうごめくものよ! 此処が貴様の永眠の地だ!」

「面白い……!」

マジキムの顔は微動だにせぬ。笑みを浮かべるでもないし、怯えるでもない。しかし、愉悦を湛えたと、どうしてか分かった。その意味を知るまで、殆ど時間がないことを、サンゴート騎士団の者達は知らない。ヴァイルが水平に構えた剣を、突き出しながら叫ぶ。

「撃てええええっ!」

五人の魔術師が、同時に火力を完全解放する。場の色彩が消え、音が消え、指向性を持たされたエネルギーの固まりがマジキムの至近で炸裂した。騎士達が耳を塞ぐ。この手の強烈な攻撃力を持つ術は、術者の周囲にある程度の防御能力を持つ結界が同時に張られるのだが、にもかかわらず本能的に。

静寂が破れた。殺戮的な光が周囲を踏みにじり、物理的な破壊力すら持つ音の洪水の後、炎と熱が乱舞した。爆発はフロアの天井を軽々と貫通し、横方向にも数百メートルの広がりを見せ、自らが通り抜けた場所にあったものを尽く融解、或いは気化し、或いはプラズマ化し、散り散りバラバラに砕いてまき散らした。主要な柱以外は全て溶け散り、その影は床に伸びながら焼き付いた。ようやく人間に理解出来る爆音が轟いたのは、その直後。それはしばらく、遠雷のように、轟き続けていた。

 

最初に立ち上がったのはヴァイルだった。剛胆な彼女ですら、この光景の前では床に伏せざるを得なかったのだ。結界が消え、猛烈な熱気が吹き込んでくる。数フロアが消し飛んだというのに、建物そのものは崩れる様子も見せず、ディアラント文明の頑強さを誇示していた。

マジキムがいたあたりは、濛々と煙が包んでいた。誰もが勝利を確信する中、ヴァイルの顔色は優れない。サンゴート騎士団の中でも突出する実力を持つ彼女は、気付いてしまったのだ。敵の気配が弱まりはしたが、それは一時的な事に過ぎないと。むしろ、敵は今の一撃を耐え抜いてしまったのだと。

くく……くくくくく……くけきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ、きけけけけけけけけけけけけけけ!

完全に正気を踏み外した笑い声。サンゴート騎士団の生き残り達が、事態を察して後ずさる。恐れを知らぬ者達の中から、哀れな悲鳴が漏れた。煙が晴れていく。

まさか、出力が一割以下に押さえられているとはいえ、この私がこんな下等文明の人間如きに手傷を負わされるとはなあ……ひひひひひ、ひひひひひひひ!

煙の中から、マジキムの巨体が姿を見せる。頭部や、クロスしていた腕らしき部分は綺麗に消し飛んでいた。超増幅メガデスは、奴の防御を貫通していたのだ。ならば、この奇怪な笑い声は、何処から出ているのか。楕円形の巨体は、無数の触手を揺らしながら、宙に浮いている。ぶちりという音がしたのは、誰もが聞いた。それが拘束衣の前面にある紐が千切れ外れていく音だと言うことにも。そしてそれが続くうちに、サンゴート騎士団は、最初からそれが(拘束衣)などではないことに、顔や手がただの飾りであった事に気付いた。

「ひっ……!」

悲鳴を上げたヴァイルを、誰が責められようか。マジキムの嬌笑が爆発した。

褒美に、私の真の姿を見せてやろう! 七代後までもその恐怖を喧伝し、地獄にて己の経験を誇るがよいわ!

紐が全てはずれ、楕円形の体が縦一文字に避けた。裂け目には巨大な乱杭歯がずらりとならんでおり、それを内側から押し開くように、三十本はあろうかという舌が、外へ向けちろちろとゆれている。そう、此奴は最初から超巨大な口だったのだ。頭や手に見える部分はただの飾り。そして、この姿をさらした以上、奴は、もう、もう人間の手に負える存在ではない……!無言のままそれを悟ってしまったヴァイルは、悲鳴を上げてしまうのを避けられなかったのだ。

影が焼き付いている床に、三十本以上の触手が纏めて突き刺さった。その先端部が妖しい光を放つ。涎を垂らしながら大きく口を開けたマジキムの姿がぶれた。サンゴート騎士団は反応も出来ない。

けけけけけけ、くけきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃー!

床が砕けた。冗談のような光景だった。無数の触手を使って全身をバネのように弾かせたマジキムが、瞬間的に前衛の騎士達を飛び越え、後ろにいた魔術師達を、床ごと挟み喰ったのだ。悲鳴など上がらない。瞬間的にプレスされた状態で、そんなものを上げる暇などあっただろうか。むしろ悲鳴を上げたのは、蒼白になって振り返り、肉が混じった床材をかみ砕きながら更に攻撃態勢に入るマジキムの姿を見た騎士達であった。もはや彼らの顔から、戦意は消し飛んでしまっていた。

う、うわああああああああああああああああああああああっ! た、たすけてくれえええええええええっ!

ヴァカが。 逃がすか、骨付き肉どもが

散り散りに逃げようとするサンゴート騎士団。触手が唸りを上げて彼らを襲う。巨大なあぎとが情け容赦なく開き、上からかぶりつく。一方的な虐殺が始まった。

 

5,粉砕者

 

ファルが階段を駆け上がりきって最初に見たのは、綺麗に平らになったフロア。床には黒白のまだら模様が出来ており、それが影が焼き付いたものだと理解する前に、視界に巨大な怪物が飛び込んでくる。巨大な口が宙に浮かび、それから無数の触手が生えた化け物は、もぐもぐと口を動かし続けていた。一歩後ずさり、慌てて刀を抜きながらファルは言う。違う、今までの魔物とは、根本的な圧迫感が違う。

「なんだ、あれは……!」

「形状からいって、おそらくマジキムね。 驚いたわ、拘束衣みたいな服は、真の姿を隠蔽する為のものだったのね」

マジキムの触手が唸り、這うようにして逃げていた黒騎士の頭が吹き飛んだ。もうサンゴート騎士団は殆どが全滅し、黒白まだらの床上に血の海を作る材料と化している。床にはいつくばり、頭を抱えて震えているのは、あの恐れを知らないヴァイルではないか。

「総員、総力戦用意!」

全力で掛かることを告げるエーリカの声は、何処か静かだった。暴れ回るマジキムが、此方に気付く。ゆっくり宙を進んでくる奴に気付いた。ロベルドもヴェーラも、覚悟を決めて武具を構えた。エーリカのハンドサインは、まずは様子見をはかるものであった。指示を出し終えたエーリカは、静かに黒い瞳をヴァイルに向ける。

「其処の黒騎士。 悪いけど、助けている余裕はないわ。 生き残りたかったら、自力で安全圏まで逃げる事ね」

新手の骨付き肉が来たな。 ほう? 貴様らはラスケテスレルやオルキディアスを倒した者と生体波動が一致している。 こいつらよりは、楽しめそうではないか、くくくくく、くけきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!

「うおっ! 喋りやがったぜ!」

「面白いじゃないの。 そっちの方が、却ってやりやすいわ!」

相手がどうやって喋っているかなど気にもせず、エーリカは不敵に進み出る。そのあまりに堂々とした動作は、恐怖を知らぬようであり、だが鷹のように鋭く周囲の状況を計り続けていた。マジキムが一瞬動きを止め、面白そうに様子をうかがう。巨大なうごめくものが感じている興味が、触手の震え方からすら伝わってくる。エーリカが口を開いた時、口だけが笑っていた。

「はじめまして。 貴方がマジキムかしら?」

私の名を知っているか、骨付き肉どもよ

「単刀直入に言わせて貰うわ。 貴方達、うごめくものとは一体何者なの?」

「イザーヴォルベット、うごめくもの、そう我らを呼ぶお前達が呼ぶ者であり、それ以上ではない」

妙に哲学的な返答であった。名前を呼ぶだけではなく、何かしらのきっかけをもって人が彼らを呼び寄せている、と言うのが意訳か。低く構えるファルの前で、エーリカはもう一歩進むと、周囲に油断無く気配りし、観察を続けながら言う。ファルの頬を汗が伝う。敵の威圧感は圧倒的で、平常心を保つのが至難の業だ。まだ攻撃開始のハンドサインは来ない。しばし考え込むふりをした後、エーリカは更に言う。

「貴方達にとって、死とは何?」

くはははは、それを私に聞くか。 汝らの死によってのみ、我らの甘美なる夢は叶えられる。 我らは喰い、死に向かわねばならない。 それが故に我らは存在し、我らは創造され、我らは生きる。 故に、我らは死ぬわけにはいかない

「つまり、貴方達にとって、死には二通りある訳ね。 一つは終末点としての死、一つはそれを阻害され生じる死。 前者のみを望み、後者は絶対に避けたい。 なるほど、オルキディアスの台詞に、それで説明が付くわ」

そうだ。 そして貴様らの死こそが、我の甘美なる死をもたらしてくれる。 我が糧になるがよい、骨付き肉どもよ!

「お生憎様。 貴方の夢を叶えてあげられないのは残念だけど、まだまだ死にたくもないし、死んであげる理由もないわ」

ヒャハハハハハハハハ、ならば我が手によって散華せい!

エーリカが攻撃開始の指示を飛ばした。同時に六人が散開し、まずファルとロベルドが突っ込む。それを迎撃したのは、マジキムの無数の触手であった。

ファルの前に立ちはだかる歪でごつごつした触手は、途中で何股にも枝分かれしている。エーリカはその先端部に気をつけろと、ハンドサインを飛ばしてきていた。先端部は棍棒のように丸くなっていて、細かい突起が無数に生えていた。確かに当たったら極めて痛そうだが、エーリカの注意はそれだけでは無さそうであった。戦場にある無数の傷。死体の位置や破壊痕から、すでに敵の攻撃をある程度読み、それを元に作戦を組み立ててきているのかもしれない。エーリカならそれくらい平気でやりかねない。

横殴りに飛んできた触手を飛び越え、直後に真上から降ってきた触手を横に転がってかわす。触手の先端が鈍い音を立て、床に大きな音を立ててめり込んだ。周囲の魔力流から、高速で振動しているのだとファルは見て取った。そのまま側にある触手に刃を突き立て、切り裂きながら敵本体へと迫る。不意にその刃が弾かれる。触手の揺れが消えていた。弾かれ方も、触手が動いたからと言ったような物ではなく、殆ど空間に拒絶されたような勢いであった。手に強烈なしびれが走り、一旦刀を鞘に収めると、動きが遅くなったファルに無数に迫ってきた触手を見据える。動きを読む為だ。最初は上、右、フェイントの左、そして右。四本の触手が、殆ど間髪入れず、ファルがいた地点を直撃した。濛々と煙が上がる。

煙を突き破って、ファルが飛び出す。最初の一撃が肩をかすっていて、服が少し破けていた。何とか直撃は避けたが、四本全てはかわしきれなかった。多少脇腹が痛み、それが全力での動きを阻害していたが、それは言い訳にはならない。敵の本体の至近まで迫る。焙烙を引き抜いたファルは、印を喰いきり、柔らかくそれを投擲した。殆ど同時に、反対側に回り込んだロベルドが、浮かぶ敵の後ろから、強烈なチャージを掛ける。だが、敵が露出した感情は、むしろ歓喜である。

お、おおおっ! ひひひひひ、流石に、ラスケテスレルを倒しただけはあるな! 面白い、面白いぞ! けきゃきゃきゃきゃ!

十カ所以上で、同時に金属音めいたものが響く。触手が先端を振動させて、床に突き刺さったのだ。ファルが本能的に危険を察するのと、今まで微速移動していた敵本体がぶれるのは同時。ぶれるほど高速で動いたのだ。ドラゴン以上の巨体で、である。ロベルドは唖然として蹈鞴を踏み、慌てて下がる。ファルにしても、動きを追いきるのが精一杯であった。何もない空間で、焙烙が忘れていたように炸裂する。それをあざ笑うように、空気が唸りを上げた。

「ひいいいいっ!」

「任せろっ! 火神よ、私に加護を!」

コンデをエーリカとフリーダーが抱えて跳び、間髪入れずにマジキムが巨大な口を上げ、コンデがいた空間を床材ごと文字通り食いちぎっていた。何とか逃れようとする三人を、巨大な触手が唸りを上げて追い討ちする。その時立ちはだかったのがヴェーラであった。ハルバードを縦にし、太い触手の追撃を、文字通り体を張って止める。パワーが上がっているというよりも、自己暗示を掛けて潜在能力を全て引き出している感じだ。フリーダーがクロスボウを連射し、しかしその矢が尽く敵の寸前で弾かれた。先ほどのファルと同様に、ヴェーラも味方が安全圏に脱する前に、跳ね飛ばされる。空間に拒絶されているかのようであった。彼女が動き、太い触手を根本から切断しようとした瞬間であった。

「せええあああっ! 喰らいなさい!」

後退しながら、エーリカが速射式のバレッツを放つ。今までのものより二周りは大きい。コンデの杖が変わってから、老人の術は威力が明らかに増しているが、それに影響されたのであろうか。それはヴェーラを絡め取ろうとした触手の根元に着弾し、はじけた。その影響で大きく触手は揺れる。しかし、どうしたことか、傷一つつかない。立ち上がるヴェーラに駆け寄りながら、ファルは再び抜刀していた。そして迫る触手を一本切り伏せ、もう一本をはじき返した。立ち上がったヴェーラもハルバードを構え直し、ファルと背中をあわせて、うねうねと迫り来る触手を斬り払った。ロベルドが太い触手へチャージを掛けているが、再び跳ね返されてしまう。うごめくものと二度戦っているファルは、もうこの時点で気付いていた。敵が特殊な結界を使いこなして、此方の攻撃を防ぎ続けていると。しかも、今まで戦った二体とは、また別の結界であるとも。ラスケテスレルの張った結界のように、攻撃の瞬間に消えるわけでもない。オルキディアスの張った結界のように、空間そのものを曲げてしまうわけでもない。

「特殊な結界か? 厄介だな」

確認する為に言い、ファルは後退しながら、すがりつく触手を撫で斬り、しかし弾かれる。触手は決して速くないが、余裕を持ってかわせるほどでもない。斬り払おうとすると今のように弾かれる時もあるし、刃が通る時もある。刃が通る時の手応えはかなり脆いのだが、はじき飛ばされる時は本当に硬い。まだ観察が必要だ。エーリカに必殺の作戦を立てさせる為にも、ファルはシミュレーションを行う必要がある。まだまだ、様々な角度から攻撃をして、色々試して行かねばならない。再び焙烙を取りだし、投擲しながら下がる。投げつけた焙烙は敵の至近で弾かれた。触手が動いて、弾かれ自由落下に移る焙烙をはじき飛ばす。触手の一部が弾け散るが、意に介していない様子だ。跳ね返された焙烙が爆裂するのとほぼ同時に、ロベルドが今の防御行動を行った触手の根元に、バトルアックスを叩き付けていた。しかし、その分厚い刃も、やはりはじき返されてしまう。再び焙烙を引き抜いたファルは、今度は二本、僅かなタイムラグを付けて投げつけながら、迫ってくる触手を斬り払う。今度は触手に浅く入ったが、すぐにまた(拒絶)され、はじき返される。わずかな時間差をつけて焙烙が爆発する。煙の下からは、当然のように無傷な敵が現れる。触手はだいぶ傷ついているが、それもじわじわと回復しているし、これではじり貧だ。

太い触手が八本、地面からゆっくり引き抜かれ、微妙な回転運動をしながら真上から降ってきた。上は人間にとって死角であり、簡単にかわすことは出来ない。

「ファルさん、右! ヴェーラさん、左! ロベルド、後ろ!」

弾かれたようにファル達が跳ぶのとほぼ同時。床を砕いて、触手が地面に潜り込む。エーリカの指示通り動いて何とか今の一撃をかわした三人に、マジキムの狂気に満ちた笑い声が覆い被さった。

けきゃきゃきゃきゃ、今のをかわすとは、やるじゃねえか。 なら、これならどうだ?

地面に突き刺さっていた触手が蠕動する。床に罅が入り、砕けた床材が飛び散る。慌てて下がるファル達に、触手の周囲の床が砕け、礫となって襲い掛かってきた。数が数であり、避けきれるわけがない。しかも全方位からの攻撃である。頭と急所を庇うのが精一杯であった。全身に鋭い痛みが走り、腹に直撃したこぶし大の礫が、食道に血を逆流させる。誰かの悲鳴、倒れる音が響いた。

「ぐああっ!」

顔を上げたファルの眼前で、倒れたままのヴェーラに巨大な触手が迫っていた。このままでは潰される。額を血が伝い、視界を塞ぐが、手の甲で拭って無理矢理走る。比較的大きな床材を踏んで跳躍、真横からヴェーラに迫る触手に蹴りを浴びせた。分かっていたとおり、ファルと結界は大きく弾きあい、空中で姿勢を崩す。背中に衝撃が走り、今度は前に体が押し出され、床に思い切り突っ込んでいた。

「ファル!」

「……だい、じょ、うぶ、だ!」

何とか受け身は取ることが出来た。しかし、全身の骨が砕けたかのような衝撃であった。必死に呼吸を整え、ヴェーラに助け起こされながら、ファルは今何が起こったのか聞いた。床に数滴の血液が垂れ落ちる。弾かれたファルを、後ろから迫ってきた触手が捉えようとして、弾きあったのだという。不可解なことであった。敵は結界を自在に操作出来ないのか?それとも結界に特殊な性質があるのか?敵が、敵本体が空へ高く浮き上がる。天井がもう無い中、空へと微速回転しながら。再び触手の先端が振動し始め、僅かに残っている柱や、壁の残骸に突き刺さる。ぎりぎりと、マジキムが体をねじる。触手の先端部が光り始める。まずい、本能的にファルは悟った。

攻城用の巨大クロスボウを撃ち放つような音と共に、敵が飛んだ。触手をバネとして使い、回転をかけた己の体を、下へ向け、人間達に向けて撃ち込んだのである。わざわざ、小さな目標を狙う必要もない攻撃であった。

けけけけけ、けきゃきゃきゃきゃきゃきゃ! 砕けろ、肉共がああああ!

衝撃が来たのは、敵の狂った笑いと同時であった。

 

「ファルさん、ファルさん!」

エーリカの声がする。意識の奥から響いてくる。混濁していた意識が、徐々にクリアになっていく。何とか生きている。全身の凄まじい痛みが、それを実感させてくれた。

遠くから、いや近くから、剣戟の音が響いてくる。どこからかは分からない。右からか、左からか。うっすら目を開けたファルの視界に、額から出血し、法衣の左半分を血に染めているエーリカの姿が映った。その側では、クロスボウを構え、何かに向け連射しているフリーダーの姿もある。少し離れて、必死に詠唱を続けるコンデの姿もある。

「どれくらい……寝ていた?」

「五分弱」

「勝ち目は……見付かったか?」

「勿論。 愚僧を誰だと思っているの?」

エーリカは痛々しい傷を額に残したまま、笑顔を浮かべた。その言葉が、どれほど心強いか。今までの戦闘で勝機を感じることはなかったが、今のエーリカの台詞で、正に光明が見えてきた。右腕に殆ど感覚がないのに、体を起こしながら気付く。見れば上腕部から激しく出血した跡があった。エーリカの回復魔法で何とか動かせるようにまで回復したのであろうが、そうなる前はどんな有様だったのか、出来れば想像したくない。

「ロベルドとヴェーラさんには、時間稼ぎをお願いしているわ。 そして貴方とフリーダーちゃんには、これからやって貰うことがあるの」

フリーダーに関しては、そのやることの見当がついていた。彼女が七層の最深部で手に入れたという道具で、新たに知識を増やし、形態変化のバリエーションを追加したのは、ファルも知っている。一度だけ実戦でも見せて貰った。リスクは非常に大きいが、確かに決まれば、奴でも一撃で屠ることが出来るかもしれない。

「いや、多分一撃では無理よ。 フリーダーちゃんのあの形態でもね」

「……となると、やはりマジックウェポンか?」

マジックウェポンとは、ヴァンパイアロードを屠り去ったあのアレイドだ。昨日エーリカが名前を付け、既にハンドサインに組み込んでいる。特性は武具に魔法の力を込め、特定時間後に武器を中心として炸裂させるものだ。相手の防御の内側へダイレクトに攻撃をたたき込める為、制約が多い一方で、当たれば一撃必殺だ。

「ええ。 そして、貴方には、辛い選択をしてもらうことになるわ」

エーリカが説明する。確かにそれは、ファルにとっては辛い決断であった。だが、もう迷いはない。

「分かった、やろう」

「……説明は一回よ。 出来るだけ、すぐに覚えてね」

立ち上がったファルは、右手を垂れ落ちる血を、手を振って落とす。そして、様々に感慨深く、愛刀を引き抜いた。

「敵の結界の性質は、もう分かっているわ」

「何だ?」

「速度よ。 彼奴の結界は、一定以上の速度を持つ全ての物を、遮断する性質を持っているわ。 そして、奴の狡猾な所は、その結界を一点に集めることも、触手の一点に集中することも出来る、ということなの」

エーリカは今までの戦いの中から割り出した結論を、そう要約した。言われてみれば、ファルにも思い当たる節がある。触手を切り裂きながら走った時、ある一点から不意に拒絶され弾かれた。あれは要するに、刃の速度が一定を超したからだ。奴が(跳ぶ)時に、触手の先端が光った。あれはその部分に触手を固定し、全身を飛ばす時の跳躍台の足場代わりに利用したからだ。奴の触手の先端部分は、それ自体が非常に頑強に出来ている。それを一定速度以上のものを全て遮断する結界で覆えば、確かにそれも不可能ではない。そういえば、自由落下に移った焙烙をわざわざはじき飛ばしたのにもそれで説明が付く。その状態だと、結界を透過してその内側に入り込まれる可能性があるわけだ。そしてそこに、奴を攻略するカギが隠されている、とも言える。

「チャンスは一回よ。 フリーダーちゃん、大丈夫? いける?」

「はい。 最大限に力を尽くします」

フリーダーの方が、今回に限ってはずっと危険が大きい。しかし、他に方法がないことも、ファルは知っている。

「マジックウェポンを使った際、フリーダーは大丈夫か?」

「賭けるしかないわ」

「……分かった。 あのヴァンパイアロードの一撃を防ぎきったのだ、賭ける価値はあるだろう。 許せ、フリーダー。 だいぶ痛い思いをすると思う」

「当機はファル様の為なら、戦闘続行不能になってもかまいません。 多少の肉体的損失など、問題ありません」

迷い無く言うフリーダーの頭を撫でると、ファルは刀を構えなおした。文字通り、勝負は一瞬だ。詠唱を終えたコンデが、杖の先を撫でながら、敵を見据える。この時、全ての準備は整っていた。

「作戦開始!」

エーリカのハンドサインが、勝負の時を告げた。ファルはぼろぼろになっている上着を脱ぎ捨て、髪の毛を後ろで束ねなおした。

『すまないな』

そして、詫びた。

 

ヴェーラとロベルドは、単純な連携に関しては、ファルとフリーダーのそれにも勝る精度を持つ。Wスラッシュも非常に上手いし、単純なパワーの大きさもあって、破壊力も段違いだ。敵の注意を引き、攻撃を引きつけるという点でも、二人は他に冠絶した物を持っていた。無数の触手が迫る中、二人は背中を合わせ、必死に敵を斬り払う。数本の触手が、束になって真上から二人を襲う。ロベルドは腰を落とし、力任せに斧を下から叩き付けながら、じりじりと摺り足で横にずれ、一撃を耐え抜いた。巨大な触手が床を叩く。石礫を全身に浴びながらも、無数の傷から出血しながらも、ロベルドは後ろで戦っているヴェーラに憎まれ口を叩く。

「おいヴェーラ、まだ行けるか?」

「大丈夫だ。 まだまだやれる! お前こそ、息が上がっているのではないか?」

「へっ、バカを言うな! 俺はまだまだ、全然……」

マジキムが周囲の、穴だらけになった床に触手を突き立てる。まずい、と思った瞬間、奴の本体がぶれる。触手の位置から言って、狙いは二人だ。残念なことに、もう避けきる余力がない。奴の巨大すぎる口が左右に開き、無数の舌が揺れる。涎が周囲にこぼれる。二人とも、硬直したように動けない。奴の姿がかき消える。次の瞬間、虚空で爆発が起こり、悲鳴が上がった。

マジキムの体が、ロベルドとヴェーラの上で停止していた。そしてその本体の一部からは煙が上がり、深い傷が出来ていた。生唾を飲み込んだ二人は、慌てて飛び離れる。上着を脱ぎ、髪を束ねたファルが、二人の視線の先で、ゆっくり呼吸を整えていた。それを見て、二人は事態を悟る。エーリカを見ると、細かい指示が飛んできていた。

お、おのれええええええ! 小賢しい骨付き肉どもがああああああああ!

明らかに焦りを含んだマジキムの声。二人はそれを聞き、勝利を確信していた。

 

シャアアアアアアアアッ!

マジキムの怒りの咆吼が轟く。ファルは今の一撃で、奴の結界の正体がエーリカの読み通りだと確信した。高速機動する際には、今のように本体からは結界を外しているのだ。そのため、焙烙でも傷を与えることが出来る。

無数の触手が、ファルに向け飛んでくる。ロベルドとヴェーラにも、大量の触手が迫る。ファルは精神を集中、残る力の全てを賭け、動く。最初の一撃を屈んで避け、残像を残しながら走る。二撃目、三撃目、四撃目、速く動いている触手のみを狙って斬りつけつつ、敵の本体に迫る。作戦の骨子は、二つの極大攻撃。それを成功させる為には、此処で派手に動き回る必要があった。

おのれええええっ!

体の一部から煙を上げながら、更にマジキムの動きが活発化する。触手の動きは精密さを増し、パワーも増す。向こうも本気になったのだ。今までよりも更にえげつない、計算し尽くした動きで迫ってくる。人間がどうしたら攻撃を避けきれないか、知り尽くした動きだ。だが、ファルの動きも、ロベルドのパワーも、ヴェーラの暗示によって潜在能力を完全解放したスキルも、もう既に人間の常識を越えている。真横から叩き付けられた触手を、屈み、左手で跳ね上げつつ斬る。鮮血が顔に掛かる前に跳ね退き、上から飛んできた触手を飛び避ける。浅く斬る。そして跳ね返され、その反動すら利用して敵の本体へ迫る。本気では斬らない。落ちた瞬間、敵が結界を効果化したのを知っているからだ。

貴様らぁああ、本当に人間か! 人間の能力値を、超越しているぞ!

マジキムの声が、余裕を失う。動揺も失う。本気で楽しんでいる。三度地面でバクテンし、斜め上から飛んできた触手を避け、屈んでいたロベルドの背を借りて大跳躍する。そして、あんぐりと口を開けたマジキムの至近で、柔らかく焙烙を投じる。無論口の中へ。そして自らは、最大速度で奴の結界を斬りつけ、その反動を利して安全圏に逃れる。だが、マジキムは想像以上の動きを見せる。無理矢理触手で焙烙を掴み、それを吹き飛ばされつつも本体を守る。そして飛び避けるファルに対して、大上段に振りかぶった太い触手を叩き付けてきた。吹き飛んだファルは、遙か遠く、崩れている壁の中に消えた。煙が吹き上がる。

「おおおおおおっ!」

「ぜあああああああっ!」

ロベルドとヴェーラが左右から武具を敵本体に叩き付け、弾かれて蹈鞴を踏む、その瞬間、奴の触手の一本が伸び、自らの死角にいたフリーダーの足を掴んでつり上げた。その手には、封印を解除した投げ焙烙がある。逆さ釣りにつり上げ、振り回して投げ焙烙を建物の外に落とさせると、マジキムは笑いながら、巨大な口の中へフリーダーを放り込んだ。

けきゃきゃきゃきゃ、素晴らしい陽動攻撃だったな! しかし、私の方が二枚上手だ!

「最大出力、解放。 ヘッジホッグモード、フルブラスト!」

な……!

口を閉じ、フリーダーをかみ砕こうとしたマジキムが停止する。音が止まる。

そして、フリーダーの全身から伸びた無数の針が、口の中、即ちマジキムの内側から、奴の全身を貫いていた。針はいずれも二の腕ほども太さがあり、マジキムの体を完全に貫通、奴を覆う結界で折れ砕けて、二重三重にうごめくものの全身を突き刺し貫いていた。

ヘッジホッグモード。自らを巨大な針の固まりとかし、周囲にある全てを貫きさる。ある意味究極の殲滅形態であり、フリーダーが修得した最新の形態変化。体力消耗も最大だが、しかし威力は、正に必殺。フリーダーはマジキムが彼女を口に入れる時間を事前に正確に計算し、完璧なタイミングで形態変化を起動させたのである。

……、……、……! ぎゃあああああああああああああっ!

絶叫が轟く。巨体が蹌踉めく。内側から圧迫された触手が数本纏めて千切れ、或いは床に落ち、或いは床の穴から遙か下の階へ落ちていき、或いはもう無い透明な外壁のあった所から、建物の外へと落ちていった。だが、マジキムは全身から赤黒い血を垂れ流しながらも、何と態勢を立て直した。そして、自らの内にいるフリーダーへ、口をぎりぎりと閉じながら圧力を掛ける。全身を穴だらけにされているというのに、何という行動。凄まじい精神力、凄まじい執念である。常軌を逸した圧力に、フリーダーがくぐもった声を漏らす。

「ん、んん……っ!」

おおおおおおっ! させるかあああっ!

ロベルドが、ヴェーラが、躍起になって攻撃を叩き付けるが、結界はびくともしない。

けきゃきゃきゃきゃきゃ、ぐひゃひゃひゃひゃひゃ、惜しかった、惜しかったなあああっ! 私は、死にたい! ようやく、死ぬことが出来る! そのためには、まだ此処で死ぬわけには行かないのだ! 貴様らの最後を祝ってやろう! そして、我は死ぬことが出来る!

「そうはいかん。 忌ね、マジキム」

あり得ない人の声がした。ファルの声だ。ファルは傷だらけの全身に鞭打って、飛び下がる、同時にロベルドもヴェーラも。それを見て、マジキムはようやく全てが作戦行動の内であったことに気付いたらしい。ヴェーラとロベルドの闇雲な攻撃も。そして、今度こそ死角から仕掛けられた、致命的な陽動攻撃にも。

最初からファルは計算尽くで弾かれたのだ。着弾地点まで計算しきって、である。先にダメージが少なそうな場所に辺りを付けて、結界の反射速度まで計算し尽くして飛んだのは、リミッター強制解放状態の超思考加速を利用した。そしてそこであらかじめ待っていたコンデに、刀に最大出力のジャクレタを仕込んで貰った。後は簡単。フリーダーのヘッジホッグモードによる最大攻撃の隙に、気配を完全に消して敵の死角に潜り込み、フリーダーが付けた傷に、優しくゆっくりと刀を差し込む。肝を冷やしたのは、刺している最中に敵が動かないか、ということであった。二人の攻撃は、そもそも奴の動きを固定する為のもの。そして、今刀を差し込み終え、カウントが終了した。

お、おおおおおおっ! おのれ、おのれええええ、おのれええええええええっ! まだ、まだ、まだ死ぬわけには行かない! 今死んだら、死ぬことは出来ない! だから、まだ、まだ負けるわけに、負けるわけには……! ぎいやあああああああああああああああああっ!

く、くくくくくく、くははははははははははははっ! 私は、幸福なり!

ファルの刀が発光し、ジャクレタが発動した。その火力は、マジキムが自身で張った結界の中で何十度と反復し、結界に守られなければ大した強度を持っていない奴の体を、完膚無きまでに蹂躙した。最初、其処にはただの光の球が出現した。だが、それから五秒後、球がはじけた。

「伏せろっ!」

ヴェーラが慌ててファルの上に覆い被さる。リミッター強制解放状態で動き回り、余力を喪失したファルは動く力も残っていなかったから、有り難くその助けに甘えることにした。メガデスにも劣らぬ光と炎の乱舞は、球がはじけてから十秒ほども続いた。火力は明らかにヴァンパイアロード戦時より向上していた。

それが終わった時、戦場に残っていたのは、焦げて穴だらけの鎧をきて、うつぶせに横たわっているフリーダー。うごめくものマジキムの姿は、もはや欠片も残っていなかった。

 

フリーダーの鎧は、触れると崩れてしまった。少し色が抜けている髪の毛を始め、全身は酷く熱くなっていたが、本人は何とか意識もあり、錬金術ギルドに運び込めば助かりそうであった。乾いた音がして、ヴェーラに体を起こして貰ったファルの側に、粉々に砕けた愛刀の鍔が転がって来た。こうなることは分かっていた。元々限界が近かった上に、今回は威力が内にこもる爆発をもろに浴びたのだ。鍔を拾い上げると、静かに接吻し、ファルは懐に入れた。打ち直すことは、もう出来なかった。

「……厳しい戦いだったな」

「ああ。 私は大事な刀も失ってしまった。 今まで三百回以上の戦いを共にくぐり抜けた仲間だった」

沈黙の中、ファルは最後に聞いたランゴバルドの声に言及した。

「ヴェーラ、気付いていたか? ランゴバルドの最後の声」

「ああ、マジキムのそれに混じって、聞こえていたな。 奴は、何故幸せだといったのだろうな」

「分からん。 だが……」

ランゴバルドの声は、確かに狂気に満ちていたが、何処か本当に幸せそうであった。奴は本当に幸福を感じていたのだ。最低の奴ではあったが、最後に幸せであったと言うことが分かると、何処か救われたような気がした。奴は何を見たのだろうか。何を望み、叶えられたのだろうか。ファルはもう何も残っていない故人に、僅かだけ思いを寄せた。

エーリカがまだ残っている死体や、此処で死んだものの為に、祈りを捧げている。ロベルドが背中に布で包んだフリーダーと、それにファルの上着を拾い上げて、肩で息を吐いた。足下は覚束ないが、しかしたいしたものだ。あれだけ攻撃を貰っても、まだ立つことが出来るのだから。最大出力ジャクレタに全力をつぎ込んだコンデは、精神力を使い果たし、視界の隅で真っ白に燃え尽きていた。

放心している者達がいた。サンゴート騎士団のヴァイルと、数名の生き残りである。へたり込んでいたヴァイルは、僅かな恐れを伴って言う。

「あの究極増幅メガデスでも倒せなかった相手を……」

「戦いは総合力よ。 力だけじゃあ、充分とは言えないわ」

「……私は、慢心していたようだな」

まだ恐怖醒めやらぬ様子で、ヴァイルは肩を落とした。恐怖に身動き出来なかった自分を恥じているのか、或いは。エーリカが後始末が終わり次第、転移の薬で帰還することを皆に告げる。勝った後は、その先のことを考えなくてはならない。そういう事を出来る者が居るから、ファル達はスムーズに迷宮攻略に専念出来るのであった。

地下八層が再び静寂に包まれる。だが、全ての闇が消えたわけではなかった。

 

6,深き場所へ差す光

 

地下十層。アウローラの部屋では、オペレーター達が画面に見入り続けていた。

「……マジキムの消滅を確認」

確認したように、誰かが言う。先ほど、スケディムの活性化を確認したというのに。安堵が皆の表情に浮かんでいるのは、どうしたことか。鶏冠を揺らして、パーツヴァルが部屋を出ていく。含み笑いを浮かべ、アインバーグがその背を見送った。

パーツヴァルは隣室にはいると、そこで頬杖をついてモニターを見やっていたアウローラに言う。相手が知っているのを、承知した上で。

「アウローラ様。 信じがたいことだが、あのマジキムが、人間によって倒された」

「そう。 ふふふ……予想よりも、ずっとやってくれるわ」

「それと、スケディムの活性化が確認された。 後はコアさえ到着すれば、奴は世に現出する。 そして、その後は……」

「いよいよ最終殲滅者の降臨ね。 ふふ、やっと目的が果たせるわ……」

アウローラが大事そうに持っているのは、闇の炎と呼ばれるものだ。黒いこぶし大の球体で、光を当てるとどろりとした内部が僅かに見える。彼女が数百年がかりで開発したものだと、パーツヴァルは聞いている。そして、主君が、もうあまり長く生きるつもりも無いことも。だが、パーツヴァルは存在的な主君としてアウローラを愛していた。死なせたくはない。何としてでも生き残らせたいと考えていた。いざというときは、その意に反することをしたとしても。

「アウローラ様、次はどうするのだ?」

「……賭けてみましょう。 これなら、分の悪い勝負ではないわ」

パーツヴァルの表情が険しくなる。アウローラの望み通りの事態なのは分かる。七千年も、この時を待っていたことも知っている。しかし、死につなげることはないではないか。

無言のまま、パーツヴァルは部屋を出る。酒を呷る彼の表情は、ずっと晴れなかった。

 

王宮には、様々な部屋がある。王が謁見するのは一室のみだが、特殊な相手と面会する場合には、公式の謁見の間以外にも用いられる場所があるのだ。例えば、一般には倉庫と認識されている、城の東端にある小屋などは、まさにそれであった。

護衛を連れた王の前で、錬金術師ギョームが頭垂れていた。彼の後ろには、表情のない奇妙な人影が合計十五。ギョームは多少緊張しながらも、震えを押し殺していった。

「以上、十五体の完成型オートマターを納品させて頂きます」

「うむ。 ……ご苦労であったな」

「ははーっ」

大げさに床にはいつくばるギョーム。彼の顔は恐怖と歓喜、達成感に充ち満ちていた。

ついに以前ファル達が地下五層で発見したオートマターが完成したのだ。これらのオートマターは既に生体活動を停止したものを、ネクロマンシーの秘術によって動くように改良したものだ。形態変化の能力はないが、魔法は通用せず、なおかつ人間を遙かに越えた運動能力を持ち合わせている。切り札としては充分な実力を持つ存在であった。

王はギョームを帰すと、自室へ人目に付かぬよう歩きながら、ライムへ問う。

「ライム、状況はどうなっている?」

「ええと、騎士団は今七層と八層を重点的に調べ、地固めを続けています。 騎士団長率いる最精鋭は、八層の魔物と五分以上に渡り合っているようです」

「うむ。 例の冒険者達は?」

「ファルさん達は、八層でうごめくものを撃破したそうです。 いやー、同期として、鼻が高いです。 ただ、同じ戦いでヴァイル氏率いるサンゴート騎士団はほぼ壊滅、行動力を喪失してしまいましたが」

「……うむ。 引き続き情報収集を続けよ。 彼らが九層に達したら、すぐに知らせるようにな」

無言のままライムは姿を消す。王は軍務大臣であるカーディナルを呼ぶと、幾つかの書類を出すように指示し、自らは部屋に戻って瞑想を始めた。

今後、事態の打開をはかる為、打つ手はいくらでもあった。九層までたどり着けば、アウローラとの契約の一部が成就する。その時には王女を地上に戻し、それから様々なことを行わせねばならない。辛い決断もしなくてはならなくなる。

この時の為、ドゥーハンの基礎は徹底的に固めた。一人や二人暗君が出た程度では小揺るぎもしないほどに、きちんと作り上げた。この国が、彼の手を離れたときのために。そして彼が死んだ後、もしうごめくものが野放しにされたとしても、人類が生き残る希望を作り上げる為に。

最後の時が近づいている。しかしまだ、王は眠るわけには行かなかった。

 

大天使マリエルは空に浮き、戦いの舞台となった建物の外から全てを見ていた。マジキムが敗れ去る所も、それを倒した人間達の圧倒的な連携も。真っ正面から戦ったら勝ち目はないなと、彼女は冷静に判断した。

「さて、どうしたものかしらね」

実のところ、マリエルは現在の肉体に未練など無い。負けた所で天界に戻るなり転生するなりするだけのこと、そんなのは別にどうでも良いことだ。問題は、そんなことではない。完全な形でうごめくものの力を手に入れる為、どうしたらよいか、ということであった。

人間ながら、ランゴバルドは天晴れであった。結局の所、奴の(神を見たい)という欲求を叶えたのだ。あの人間共は、特にファルーレストと言う忍者は、後の世で武神とでも呼ばれることであろう。世に変革をもたらし、特に忍者という存在を一気にメジャーに押し上げること間違いない。前は客観的に見たから、その力を実感出来なかっただけのこと。奴は主観によって、身に浴びた力の凄まじさを悟ったのだ。何しろ、マリエルだって、出来れば戦いたくない相手だ。その実力は、もうどう客観的に見ても、人類最強だ。

うごめくものの力を手に入れたとして、連中と戦うことになるのは出来れば避けたい。戦うとしたら、ある程度力を蓄えてからが望ましい。

美しい金髪を掻き上げると、マリエルは薄ら笑みを浮かべた。そして翼をはためかせ、真ん中部分が吹き飛んだ建物の上へと向かう。最上部にある降り階段が、地下九層へと通じているのだ。空間が捻れていると言っても、まことに天の邪鬼な構造であった。

マリエルが消え、八層には死の静寂が戻った。そしてにわかに九層は、熱気を帯び始めたのである。うごめくものの一柱、スケディムが潜む、死の神殿が。

 

(続)