超文明の足跡
序、音無き土地にて
カルマンの迷宮地下六層は、今までの階層とは根元的に異なった場所である。異常としか思えない技術力で創られた建物が無数に建ち並び、しかもそれらの殆どが朽ちずに残っているのだ。天井も遙か先まで高く高く、この空間は地下ではなく、何処か世界から切り取られた場所ではないのかと訪問者を錯覚させる。平面的にも遙か遠くまで続いていて、果てを見た者は誰もいない。この階層が、現在冒険者達が到達している最下層なのだ。これより先に関しては確定情報もない。シムゾン隊が全滅して以来、この先は闇の中であった。
この階層は、音無き土地とも言われている。というのも、この階層辺りから気配を消して近寄ってくる魔物が珍しくもなくなるからである。ガスドラゴンより二周り大きな巨体を誇るブルードラゴンや、人の精気を啜って糧にする夢魔達も、並の冒険者では気配すら察する事が出来ない。無言のまま立ち並ぶ建物の間で、無音のまま激しい戦いが展開される事も少なくない。
今もまた、無音のまま、激しい戦いが其処にあった。
騎士リンシアが、眉をひそめて同僚を見た。腕を磨く事にしか興味が無く、騎士団が指示するまま魔物を退治してきた侍アオイ。スタンセル大将の養女であり、彼から貸し出された最強の刀。一見近寄りがたく、無口で、ただひたすらに強い存在。でも奥へ踏み込んでみると、子供が好きで方向音痴で、色々な事に結構可愛い反応を示してくれる。リンシアは決して彼女の事を悪く思っていなかったから、つい声を荒げていた。一人で六層の奥へと向かうと言い張る侍アオイを。
「アオイさん!」
「止めても無駄よ。 私は一人でも奴を追う」
彼女が急にそんな事を言いだしたのは、騎士の一人が情報を持ち帰ってきてからである。宰相側と情報のやりとりをしていた彼は、黒衣の男の話をしていた。青白い顔で、屈強な戦士を何人も従えた、幽鬼のような男。その話を聞いた途端にアオイの顔色は変わり、リンシアの前で騎士に激しくその時の話を問いつめた。その時からであった、アオイがおかしくなったのは。急に落ち着きが無くなり、どうでもいい魔物との戦いで怪我をしたり、いつも確実に行っている仕事を失敗するようになった。そして今である。何というか、彼女らしくもなく気負っているようにリンシアには見えた。
「どうしても、一人で行くつもりですか?」
「これは私の問題。 皆を巻き込めない」
「……もう少し詳しく話を聞かせてください。 内容次第なら、私たちだって協力しますから」
「しかし、それは」
「仲間だから、なんて陳腐な言葉で止めるつもりはありません。 貴方を失うと、私たちは地下五層でもっと苦労する事になるんです。 この階層を攻略出来るかどうかも不安になるし、魔女にだって手が届かなくなるかも知れません。 貴方の力は、貴方だけのものではないんです」
しばし唇を噛んでいたが、アオイはやがてリンシアに向き直った。
「この迷宮に、大量殺人犯が潜っている。 私が務めていた孤児院を焼き討ちし、可愛い子供達を虐殺した悪鬼が。 私は彼奴を許せない。 いいえ、私は彼奴を斬る為に侍になり、この村正を握った」
「……! その者の名前は?」
「マクベイン=ルーダン。 今は宰相一派の手駒として働いてる国際指名手配犯よ。 単独行動しているという話だから、今なら闇討ち出来る。 私は彼奴を、この手で、村正で絶対に斬る」
俯きながら言うアオイに、しばし考え込んだ後、リンシアは言った。
「分かりました。 それが本当なら、協力します」
「しかし、私に協力すれば、宰相一派に喧嘩を売る事になる」
「今のアオイさんの言葉が本当なら、何をしでかすか分からないそんな奴を野放しには出来ません。 それにマクベインという男に事実関係を吐かせれば、宰相一派の行動をある程度制限出来ます。 宰相も知らずにその男を使っている可能性もあります。 危険は大きいですが、やってみる価値はあると思います。 ただ、騎士団長に相談してから、になりますけど」
アオイはじっと俯いていたが、すまない、と一言だけ言った。
やがて、詰め所でリンシアが騎士団長と話し終え、戻ってきた。渋い顔をしている騎士団長を背にリンシアは、策を弄してみましたと、別に悪気がある様子でもなく微笑んで見せたのだった。
1、王との対面
ドゥーハン王都の中央にそびえ立つ巨大な建物こそが、ベノア大陸最大の国家にして大陸の動乱を収めた最大の功労主たるドゥーハンの王城である。壮麗ではあるが、実はその半ばが大幅に改装されており、一部の秘蔵品を除いて多くの美術品が処分された事は有名だ。それらは旧時代の搾取の象徴であり、多くの民の血税を変換した結果得られた財産であったからだ。現在は王城の中も整理整頓され、内部のシステムも大幅に合理化されており、あらゆる意味でかなり風通しがよい場所となっている。以前は憎しみの対象であった巨城は、今や民衆の誇りたる場所へと脱皮を果たしたのである。規模はサンゴートの黒刃城に及ばないし、古さはハリスの教皇庁に到底及ばないが、それを不満に思う者は一部の貴族だけであった。
内部の構造にも若干手が加えられている。謁見の間は二カ所に設けられ、入り口付近に簡単な政務を行う場所が移転された為、だいぶ利便性が良くなった。それに伴って入り口近くの部屋のうち、幾つかの不要な部屋が整備され、其方に騎士や兵士が詰める事となった。国家的な式典等が行われる大広間は、逆に一つに統一され、此方も以前に比べて大きく利便性が向上している。何しろ以前は国家や貴族の家格によって使う広間を四つの中から決めており、決めるの自体にも時間がかかったし、それによる下らない争いが絶えなかったのだ。丁度円状に大広間が配置されている事から、会議は回るなどと言う陰口が叩かれたほどである。そういった悪弊を一掃したオルトルード王の手腕は、現在だけならず後世でも賞賛される事ほぼ疑いない。何しろ、彼の上げた政治的業績と来たら、誰が見ても明らかであったのだから。
それらの事情は、一般常識としてある程度の年齢を持つドゥーハン人皆が知っている事である。
「で、実際に見てみると、流石に大きいわねえ」
入り口で、巨大な城門を見上げてそう呟いたのはエーリカだった。事実城門はさながら崖のような大きさで、並の射手では上まで矢が届きそうもない。エーリカは最近ファルが聞いた話によると、生粋のドゥーハン人である。教布僧団の方ではハリス出身かどうかが内部での待遇に関係するという話であるが、医療僧団の方では、一部のポストを除いてそう言う事もない。そのためかどうかは分からないが、彼女は自分の出身を偽る事がなかった。ちなみにファルはドゥーハンの出身だが、出自に全く興味がないので、生まれた場所の座標、位にしか考えていない。
入り口で警護の兵士に騎士団からの紹介状を渡し、側の受付で手続きをする。城門の外に設置された小屋の中にある待合室は良く整頓されていて、兵士達が生真面目な表情でいきかっていた。しばし待たされた後、兵士が敬礼して、奥へと通してくれる。巨大な城門は一杯に開いていて、一般民家の主柱ほどもあるかんぬきが、内側に立てかけられていた。
兵士達は実戦配備だが、これは騎士団の話によると各自自主的に行っている、という事であった。何でもいつ迷宮攻略の任務が出ても対応出来るようにしているとかで、そう言う意味で兵士達の士気が高いのは一目瞭然である。やがて奥から大佐の階級章をつけた上級士官が現れ、先頭に立つエーリカに礼をし、奥へと案内を始めた。
今日は皆鎧を着ず正装だ。エーリカは医療僧の正衣である白ローブを着こなしていたし、ヴェーラはいつもより凄い民族衣装に身を包んでいた。コンデは重そうな絹服を着て、時々地面を擦りながら歩いている。フリーダーはエーリカがさんざん着せ替え人形にした末、今はフリルやら襟やらのついた小綺麗な服を着込んでいた。ファルはと言うと、当然のように忍び装束である。ただ髪の毛はそのままにするわけにも行かないので、頭の後ろでポニーテールに縛り上げた。
「分かってると思うけど、中で無駄口なんて叩いたらはり倒すわよ」
「ああ、わかってるよ」
「しかしまあ、神の庭が如き壮大な建物だな。 しかしこれでも世界最高ではないというのだから恐れ入る話だ」
「どちらにしても、あまり周囲を見回すな。 我々の株を落とす事になる」
ファルの言葉に少し驚いたようにヴェーラが振り向き、ファルは小首を傾げた。
「どうした?」
「いや、何の影響もないのだな。 正に武人の鏡とでも言うべきか。 恐れ入る」
「……私事と公事は別だ」
「はい、そろそろ会話ストップ」
エーリカが笑顔で振り向いたので、ファルは小さく頷いて口を閉じた。
城の中は無音だった。兵士達は呼吸すらしていないかのように音を立てず、壁際に立って槍を空へ構えている。意外にも知られていない事なのだが、決してこの王城にいる兵士達は精鋭ではない。無論要所には精鋭が詰めているが、こうやって突っ立っている兵士達は新米や中堅どころの者ばかりなのだ。彼らは此処で軍の規律を叩き込まれ、訓練場で一通りの修練を受けてから、国境なり各地要所なりに派遣されていく。基礎を身につけた彼らは、或いは実戦で、或いは指揮官の訓練で、やがて世界最強の精鋭へと成長していくのだ。つまり二線級の部隊が今居る連中なのだが、なかなかどうして、それでもきっちり仕事をこなしている。
しばらく天井の長い通路を歩いていくと、やがて最初の建物を抜ける。天井付きの野外通路をしばし歩く。左右には噴水やら樹木やらが並べられ、庭師が鋏を振るっていた。ファルが視線を向けると、庭師が帽子を取って礼をしてきたので、小さく黙礼だけする。男嫌いのファルだが、別にこういった最低限の儀礼も嫌なわけではないのだ。
幾つか曲がり角を通り過ぎると、最初に入ったよりも更に大きな建物が見えてきた。大佐が階級章を付け直して、襟を直し、奥へと歩き出す。ふとファルがさっき庭師が居た方向を見やると、尖塔が四つ、ただ高く空へ伸びているのが見えた。城壁の方にある尖塔は、勿論見張り台だが、そのうちの幾つかは高貴な罪人を幽閉するのにも使うという事だった。良く子供向けのおとぎ話では、そう言った所から逃げ出して大暴れする姫君や王子様の話があるが、見た瞬間あの尖塔では無理だと分かる。坊ちゃん嬢ちゃんが脱走を考えられるような高さではとても無い。ベットのシーツを破いてロープにして、それを伝って降りるなどと言うのはもってのほかだ。
こういった所で迷子になったりすればだいぶ子供らしいのだが、フリーダーは時々珍しいものに視線をやるだけで、全くはぐれる事無く後をついてくる。むしろはぐれそうなのはコンデで、あっちへふらふらこっちへふらふらし通しである。もし此処に彼の亡き妻が居たら、耳を引っ張られている事だろう。
本殿にはいると、流石に内装が桁違いに豪華になった。明らかに高名な芸術家のものと思われる品が客に見せつける為に並べられ、蝋燭をともす燭台にまで丁寧な彫刻が施されている。これでもだいぶ処分したというのだから驚きである。やがて、謁見の間に出た。玉座が向こうにぽつんとあり、屈強な騎士が数名その周囲に佇立している。広く長い広間の左右には一定間隔で槍を持った兵士がおり、数はかるく百人を超す。ファルは眉をひそめて、小声でエーリカに言った。
「おかしいな」
「うん? 何が」
「護衛が少なすぎる。 これでは、組織的に攻めてこられたら守りきれないぞ」
確かに兵士達が立つ間隔は少し広い。エーリカはしばしその辺を見回してから、眉に指先をあて、肩をすくめた。
「じゃあ恐らく、噂通りなのよ」
「うん?」
「王様は多分寝室に臥せっていて、警護の主力はそっちにいるのよ。 あの精力的で勤勉な王様がその有様だと、本当に病状は酷いみたいねえ」
「……それは悲しい事だな」
ファルにとって、オルトルード王は恩人である。直接的な面識はないが、王の政策がエイミを救ってくれた以上、恩義を何かしらの形で返さなければならないとも思っている。今やっている事ぐらいで恩が返せるとも思っていない。恩を返す前に王に死なれてしまっては、ファルとしてもとても悲しいのである。
跪くように大佐から指示が来る。エーリカを先頭に、後の五人は並んで跪く。例え弓矢を持っていても暗殺が難しい距離だ。この辺りは、警備が多少薄くなっているとはいえきちんと考えられている。やがて、侍従に支えられて王が場に現れた。
「オルトルード王のお越しである。 顔を上げられよ」
言われたままに少し顔を上げると、ファルが恩義を感じ続けてきた人物が其処にいた。大陸を平和に導いた最大の功労者、英雄王オルトルードの雄々しき姿が、其処にはあったのである。
不思議な事に、感極まるとか、涙がこぼれると言った類の感動はなかった。大恩人との対面なのだが、これからも命をかけて働き続けようと考えている人との対面なのだが。ファルは小さく息をのむと、視線を王の顔から僅かに下げた。自分の感性が無礼だと思ったからである。それなりに感激してはいた。しかし、しかしである。圧倒的な感情の爆発は、どうしても起こらなかった。
冷静に分析してみると、ファルは、オルトルード王という人格よりも、彼が築き上げてきた業績にこそ恩義を感じていた。だから血の通った王に対面しても、感動が薄かったのやも知れない。何にしてもそれは、単なる推測の域を超えず、本心はファル自身にも分からなかった。王はしばし皆の顔を見回すと、多少ひび割れてはいたが、良く威厳を練り込んだ声を張り上げた。声には確かに圧倒的なカリスマがあり、ファルは認識を上方修正する。
雄偉な体を持つ王であったが、傭兵王として前線を駆け回っていた頃の精悍さは、もうない。やつれているのが絹服の上からも明かで、髭や髪に白いものも混じっている。まあ、年齢的にはもうそろそろ老域に入る人なのだから、それも無理のない話である。しかし、腰に履いている大振りの刀は、並のものより遙かに大きい。顔色は普通であったが、これは化粧をしている可能性が高いと、遠目にもファルは観察していた。それにしても、鋭い目から放たれる光に関しては、流石と言うほか無い。愛娘を失っているというのに、王は老いただけで病に屈せず持ちこたえているように見えた。否、この王以外の一体誰が、魔女の呪いに起因する病に此処まで抵抗出来るだろうか。
「大義である、冒険者エーリカ及び、その仲間達よ」
王は侍従に渡された巻物を開くと、其処に書かれていた事を淀みなく読み上げる。騎士団への協力、今回のオートマター工場発見(此方は旧世紀の遺産とぼかされてはいた)、地下五層での魔物撃破多数などにより、恩賞を授ける、と。
恩賞の入った袋は、それだけで結構価値のありそうな絹製である。袋の上からも、金貨のふくらみが見て取れる。頭を垂れ、エーリカは躓く事も舌を絡ませることもなく言う。
「王直々の賜りに感謝いたしますわ」
「うむ……。 今後も活躍を期待しておるぞ。 ところで……」
王の視線が自分に向いたので、ファルは驚いて体を少し浮かせていた。王はしばしファルを観察すると、少し節くれ立っている手で自らの顎を撫でた。
「そなた、なかなかに腕が良さそうだな。 不思議な格好だが、職業は?」
「忍者です。 陛下」
忍者という言葉に、誇りを込めてファルは応えた。人生の目的が、また一つ達成出来たように、ファルは思った。
「そうか。 忍者か。 ……苦労したであろう。 良く其処まで技を練り上げたな」
「はい」
徐々に、王への帰依が高まっていく気がした。王の言葉に、ファルの忠誠心を得ようなどと言う下心がなかったのも、その一因であった。王は素直にファルの苦労を理解し、それを認めてくれていた。
「余の為に戦う事を強制はせぬ。 おのが栄光と未来の為にこれからも精進せよ。 それが結果として、この国と民の為になればそれでよい」
王はそう締めくくり、後は細かい指示を侍従に任せて、自身は引き上げていった。
宿に戻った後、ファルはしばしぼんやりとしていた。会った瞬間はさほど感じていなかった高揚が、体の芯から沸き上がってくるかのようである。いつも指定席にしている、居間の隅のテーブルについて頬杖をつき、王が掛けてくれた言葉の一つ一つを反芻する。それは異性に対して発情した娘の感覚とは少し違う。正確には、焦がれていたものの出来が予想以上だった者が抱く、一種の達成感に近かった。
王は忍者を知っていた。その苦労も知っていた。ファルの師匠が王に重用されているのだから当然とも言えたが、それにしても嬉しかった。今まで築き上げてきた労苦が、あいたいと思っていた相手に公認されたのだから。黒麦芽酒を傾けていたファルは、エーリカが向かいに座るのに気付いた。無言で代わりをエイミに告いでもらい、杯を傾けながらファルは言う。
「どうした? エーリカ殿」
「いい気分の所悪いんだけど、いい?」
「仕事か?」
「ええ。 アオイさんって侍の事、覚えてる?」
アオイと言えば、地下五層でフリーダーが川に落ちた時知り合った侍だ。無論ファルも良く覚えている。かなり腕が良い侍で、世界最強の刀である村正を腰につけていた。大鎧という雄々しい格好ながら、頭に付けたばかでかいリボンが印象的な娘であり、それが脳裏で甦る。
「あのアオイ殿がどうしたのだ?」
「ええ。 騎士団からのご指名よ。 彼女が地下六層で行方不明になったらしいわ」
「アオイ殿の事だ、いつものように迷子になったのではないのか?」
「いいえ、そうではなくて。 彼女と一緒に、リンシアさんと、後何人かの騎士も一緒に行方を断ったらしいわ。 それで、うちに仕事を頼みに来たそうよ」
確かにそれは難事である。ファルが知る限り、あのアオイに勝てる相手はそうそういない。しかもしっかりしているリンシアが一緒に付いていて行方を断ったというのなら、確かに一大事である。
騎士団はあの勇猛な団長ベルグラーノの下、確かに精鋭だが、しかし絶対的に人員が足りない中四苦八苦してやりくりしている。しかも地下六層までいける人員はその中でも一握りだ。そんな最精鋭を一片に失ったら、今後の探索どころか、地下五層の維持すらままならなくなっていく。サンゴート騎士団に大きな顔をさせない為にも、騎士団は彼らに死んで貰っては困るのだ。
「詳しい経緯を聞かせてくれるか?」
「それが騎士団から直接来た依頼なのに、殆ど背後関係がしっかりしていないのよね」
「何かきな臭いな」
「逆に言うと、それだからこそ、依頼達成の暁には得る物も大きいのじゃないかしら?」
笑顔のままでエーリカが言う。ファルにしてみれば、もうこの時点で彼女が何かを掴み、意図的に伏せているのが分かっていた。エーリカは確かに一種の女狐だが、だが同時に味方を裏切る事はしないという安心感もあるから、ファルは嘆息して騙される事にした。
「私は依頼を受ける事に賛成だ」
「そう。 ならばこれで全員賛成ね。 明日の朝、一番に地下六層へ向かうわよ」
いよいよ、情報すら殆ど出てこない難所への挑戦である。騎士団ですら最近探索を始めた場所であり、行った事がある者は口をつぐむか、過剰に誇りにする階層。行き方は分かるが、少しだけまだ不安もある。地下五層よりも更に危険な場所であるのは確実であり、自らの腕が通じるか多少心配ではあった。
「大丈夫。 私たちならいけるわ」
「……そうだな」
エーリカの自信に満ちた言葉を聞くと、どうしてかそれが本当の事のように思えてくる。ファルは残った黒麦芽酒を一気に呷ると、もう寝ると言い残して、自身の部屋に戻っていった。
あの王の為なら。ドゥーハンそのものは別にどうなっても良い。其処に暮らす民衆がどうなろうと知った事ではない。しかし、ファルが恩を感じ続けてきたあの王が守るドゥーハンの為であれば。ファルは戦っても良いと、今は思っていた。
2,いにしえの魔都市
実は、地下五層に行けるチームであれば、地下六層へ行くのは容易である。騎士団が幾つか置いている詰め所によって通り道がガードされているのもあるのだが、根本的な通路自体が短いのだ。途中にある難所と言えば、以前フリーダーが転落した橋くらいであり、其処を越えてしまえば地下六層への階段はすぐ其処なのだ。
だが、そうして地下五層を飛ばして地下六層へ向かった冒険者のチームは、殆ど生きて帰れない。地下六層の魔物は根本的な能力が地下五層を徘徊する連中よりも高く、しかも知能が高い。加えて地下六層は冒険者達の常識を遙か越える作りであり、戸惑っているうちに魔物に倒されてしまう事が珍しくない。高名な冒険者のチームがそうして何度も全滅し、ギルドの幹部達は蒼白な顔を集めて相談した結果、地下六層へ赴く際には注意するべく冒険者達に布告した。実際問題、地下五層で一番恐ろしいトラップは、地下六層への通路自体が作り出す心理的な陥穽なのである。
また、地下五層までの通路自体も罠となっている。地下五層へ到達出来るチームであっても、其処まで進む間に、どうしても少なからず魔物との交戦を経験せざるを得ない。スルー等の魔法で交戦を避ける方法、途中で多めに休憩を採る方法等もあるのだが、どちらも短所があって確実な方法ではない。スルーではそれなりの魔力を消耗する事になり、使いすぎるとメインアタッカーになる魔術師が強敵との戦いで木偶の坊と化す。休憩に関しては、弱めの敵といえども奇襲を受ければ面白くないし、かといって警戒を欠かさないと殆ど休む事が出来ない。そう言う意味では、スルーが使えなくとも、鋭い勘を持つファルが所属している、彼女のチームは得をしているのである。地下五層で休憩を取れるのも、忍者として専門技能を持ち、鋭い勘で魔物の接近を察知出来るファルがいてこそなのである。専門のシーフに比べてトラップの解除等は苦手だが、逆にこういった戦闘探索面ではずっと得しているのだ。
ただ、得していると言っても、それが完璧なアドバンテージになるわけでもない。ファルのチームが地下六層へ到達した時には、やはりそれなりに消耗していた。相当な回数戦ったとはいえ、ファイヤージャイアントもケンタウルスもやはり手強い。何度かの避けられない戦いを経た後、到達した地下六層は、文字通りの異界であった。
地下五層から降りる下り階段の途中から、既に傾向はあった。階段の左右に立ちはだかっていた青黒い壁が、無数の光る文字に覆われ始め、それが天井にまで達した辺りから、壁の材質が金属らしきものへと代わり始めたのである。らしきというのは、フリーダーしか材質が分からなかった地下五層の壁同様、誰もその正体を理解出来なかったからである。ロベルドは手の甲でしばし壁を叩いていたが、やがて肩をすくめて首を横に振った。フリーダーは聞かれて何か聞き慣れない素材を言ったが、案の定誰にも理解出来なかった。
そして、今ファルが立っている此処が、地下六層である。
途轍もなく広い空洞であった。今までの階層と根本的に違うのが、階層そのものが空洞になっている、という点である。天井は遙か上で、ロミルワの光球を飛ばしても全く見えない。そして最大の特徴が、壁と呼べる物が存在しない事である。
周囲には無数の建物が建ち並んでいる。建物と言っても、そう見える存在、というのが正しいかも知れない。というのも、現在の常識を遙かに越える形をしているからである。あるものは瓢箪のように中央部が膨らみ、明らかに重心が中央からずれているのに安定している。地面には土ではない不思議な物質が敷き詰められ、蹴ってみると音を吸収してしまう。触ってみるとひんやりとしていて、剣でつついても多少傷が付くくらいである。道の左右に立ち並ぶ細い棒の先端部は曲がって水平になった後膨らんでおり、此方に関しては何を意味する存在なのか全く分からなかった。
「これは建造物なのか?」
通路ではなく、迷宮でもなく。誰もいない街の中、に近い情況である。ファルは一番近い建物まで歩いていくと、それを構成している物質に目を凝らしてみた。窓はどんな硝子よりも澄み、壁はどんなヤスリで研いでも此処まで滑らかにはならないほど美しい。軽く叩いてみると、陶器の杯を突いたような、澄んだ音がした。ファルが飛びずさって腰を落とし刀に手を掛けたのは、不意に建物の戸が開いたからである。触れてもいないのに、引き戸のように横へずれたのだ。空気が噴き出す音がして、戦闘態勢を整える皆の前で、フリーダーが小首を傾げた。
「どうしましたか? ファル様」
「何を言っている。 気配は感じなかったが、何が現れてもおかしくはない」
「これは自動式ドアです。 ファル様が前に立ったために開いただけです」
「自動式ドア、だと?」
ファルが睨み付けている間に、ドアは再び横にスライドし、何もなかったかのように閉じた。無言のままエーリカが前に出て、ドアにある程度まで近づくと、また独りでに開く。腰に手を当ててドアを見ていたエーリカは、視線を動かさないまま後ろのフリーダーに問いかけた。
「ねえ、フリーダーちゃん。 原理は良いから、これの機能教えてくれる?」
「はい。 機能としては、ある程度まで人が近づくと、自動的にドアが開いて中に客を迎い入れる仕組みになっています」
「それって、防犯上とかの問題はないの?」
「民家には普通自動式ドアをつけません。 お店や施設の場合は、夜間や休日に作動しないよう設定するのですが……」
しかし現に自動式ドアとやらは動いていた。エーリカと交代したロベルドが開閉を続けるドアを見ながら、足先で地面を何度か叩く。
「なあ、フリーダー。 此処もディアラントなのか? 五層とはどう違うんだ?」
「五層は恐らく、政府管理下にあったプラントだと当機は推測しています。 此処は設置されている施設からして、恐らく都市です」
「じゃあ、この変な建物は、店なのか? 普通の店に、こんな訳がわからねー装備がしてあるってのか?」
「ディアラントの都市部では、店舗における自動式ドアの配備普及率が八割を超えていました。 特殊な用途の店で、自動式ドアを設置していない場所が一部あった程度です」
「となると、この街に何かあったのね。 それにしても七千年経っても稼働しているなんて、恐ろしい技術だわ」
エーリカは腕組みしてしばし考えていたが、やがて通路の向こうを指さし、皆を促した。騎士団の依頼によると、リンシアとアオイは六層北部の巡回任務に向かい、消息を絶ったと言う事であった。北部には城並の大きな建物があり、その内部を探索する予定であったのだという。
「まずは依頼通り、北部を探してみましょう」
「同感だ。 建物の中には、魔物が巣くっている可能性が高い。 無駄な戦いを避ける為にも、奇襲を受ける可能性が低い通路を行った方が良いな」
ファルの言葉は論理的であったし、異を唱える者はいなかった。だいたい、此処まで意味が分からない技術で作られている以上、建物の中にも何があるか分からない。そんな所で戦うのは、幾ら何でも不利すぎる。
マッピングがとても難しい状況の中、ファルは四苦八苦しながら地形を記録していき、北へと進む。途中道がせり上がり、別の道と立体交差する。ファルの進む道は他の道より二十メートルほど坂道を経てせり上がると、後は同じ高度を維持して、ずっと先まで続いた。道が高くなっているというのに、それは案外扁平で、太い柱で時々支えられている他は空に浮いているような感触である。吊り橋のようにも見えるが、全く揺れないし、地面がそのまま浮き上がったように安定している。端から下をのぞき込んだロベルドが、大きくため息をついた。
「駄目だ、俺らの技術とでさえ根本的にレベルが違うぜ。 どうやってこのばかでかい道をあんな柱で支えてやがるのか、全く見当が付きやがらねえ。 この道の強度からしても、重さは相当なはずなのによ、クソッ!」
「ロベルド、見てご覧、ほら」
エーリカが指し示した先には、今立っているような高い道から通路が延び、天まで届くような建物へと伸びている光景が広がっていた。しかも一つや二つではない。この街は、立体的に交差した道を使い、三次元的に建造されているのだ。都市の設計構想からして、現在の常識を遙か超越してしまっているのだ。これを造った連中の本性を知らなければ、ため息をつきたくなるほど美しい光景である。
「これなら、ディアラントに来た人が、理想の都なんて書き残すのも無理はないわね」
「しかしの、この街の連中は……」
「それ以上は言うな。 技術と精神は別だと、もう皆分かっている」
コンデが失言に気付いて口を塞ぐ。ファルは不思議そうに自分を見上げているフリーダーの頭に手を置くと、再び不思議な道を歩き始めた。
奥へ行くと、少しずつ街が荒れ始めた。今まで幾何学的でさえあった通路の所々に、死体や糞や廃棄物が見え始めた。遠くの空(というかは微妙だが)を、巨大な翼を上下させて、ブルードラゴンが飛んでいく。そして近くにある幾つかの建物は、見当も付かないやりかたで、えぐり取るように破壊されていた。ただし破壊痕は新旧様々であり、中には煙を上げているものさえあった。
伝承に従うなら、いにしえの都は蠢くものの手によって滅ぼされた。ただ感触としては、今まで二度交戦した連中の実力は桁違いであっても、これほどの文明を滅ぼし去るほどかどうかは正直疑問を抱かざるを得ない。これほどの文明を築いている以上、建造出来た武具も保有していた魔術も、現在とは根本的にレベルが違う事に疑う余地はない。一夜にして文明を滅ぼしたなどと言う伝承はあくまで伝承だとしても、である。オートマターを生産する力を持っていた文明が、ラスケテスレル程度に滅ぼされるとは、どうしてもファルには考えられなかった。
「そろそろ何か出てくるだろうとは思ったが」
「また随分と、さながら雲霞の群が如く大勢現れたな。 我々を盛大に歓迎してくれて、感謝の言葉も無いほどだ」
ヴェーラが新しく買い入れたハルバードを振って、不敵に笑う。ロベルドも更に大きなバトルアックスを購入し、その手応えを感じるように軽く素振りし、敵をねめつけた。最近はいちいちファルが警告しなくとも、皆戦闘態勢を取ってくれる。周囲の建物から、或いは建物の間から。ぞろぞろと現れ来たのは、首のない騎士達。いずれも漆黒の鎧に身を包み、各々の右手には大剣を、そして空いている左手には自らの首をぶら下げている。数は二十体近い。デュラハンと呼ばれる不死者である。非常に怨念が蓄積された古戦場等でしか出現が報告されない強力な存在で、その実力は、並の冒険者なら聞いた途端に逃走を図るほどだ。
エーリカが素早く左右を見回し、ハンドサインで指示を出す。頷くと、コンデが印を切り、呪文を唱え始めた。じりじりと近づいてくる不死の騎士達は、足運びも気配の消し方も一流だ。実力的には、ドゥーハンやサンゴートの騎士に全く見劣りがしない。騎士団がこの階層で四苦八苦しているのも無理のない話であった。結界を張った詰め所を作るには、専門の技術者を其処まで連れて行く事が必須であり、作業時間も軽く半日に達する。即ちこういった強力な魔物から、非戦闘員を半日守りきらねばならないのだ。地下五層ですら、最重要拠点に四カ所しか詰め所がないのも、その辺が理由である。ましてやこの迷宮では、例え地下一層でも油断は出来ないのだ。
合図になったのは、デュラハンの一体の行動だった。そのままなんの前触れもなく、摺り足での間合い侵攻から、ダッシュでの突撃に切り替えてきたのである。予備動作無しの攻撃はかなり危険だが、これもその一種といえる。一息に大剣を振りかぶり、騎士はファルに大上段の剣撃を、唸りと共に叩き込んできた。髪を数本散らされつつも、ファルは右に摺り足で避けつつ、通りざまに騎士の腹を撫で斬った。
同時に、他のデュラハン達が殺到してくる。ファルは二度バックステップして騎士の間合いから逃れると、仲間達の後に続いてそのまま全速力で逃走を開始する。一撃を浴びせてやった騎士も、多少蹌踉めいただけで剣を受け流し、すぐに仲間達と一緒になって追撃を開始してきた。最後衛をフリーダーに任せると、ファルは加速して一気に先頭に出る。同時にコンデが走りながら印を切り終え、ザイバの術を完成させていた。それを待っていたかのように、逃走方向の建物の間から、何体かのデュラハンが姿を見せる。明らかに、事前に待ち伏せしていたのだ。
淡く光る刀を再び抜き、前を遮るように現れたデュラハンに跳び蹴りを浴びせる。着地したまますべるように身を躍らせ、身を低くして横殴りに振られた大剣をかいくぐると、体のバネを最大限に生かし跳ね、奴が持っている首を両断した。悲鳴を上げて倒れ、塵に成り行く騎士は無視して、大剣での一撃を受け流してタックルでデュラハンを弾くロベルドを横目に、立ち上がろうとする今蹴倒した一体に視線を凝らす。そして相手が突きだした大剣に鎖帷子を削られながらも素早く横へずれ、脇腹から胸へ抉り上げるように切り裂いていた。高音域の悲鳴をあげながら、デュラハンは塵になっていく。同時にヴェーラがロベルドの押さえている一体に容赦なくハルバードの刃を突き込み、絶息させる。それによって退路が確保され、再び全員が逃走に移った。連続してフリーダーが追撃してくるデュラハン達にクロスボウを叩き込んでいるが、顔を狙えば着実にガードしてくるし、鎧に当たれば致命傷を与えられないしで、もう十本以上の矢を打ち込んでいるにもかかわらず一体も倒せていない。
敵の戦い方は、獅子のそれに近い。獅子は自らより足が速い草食獣を狩る際、群れで連携して、必殺の死地へと相手を追いつめていく。エーリカがわざとそれに乗ったのはファルにも分かっていたが、何故にそんな事をするか迄はまだはかり切れていない。しかも逃走経路は、進行経路とは微妙に異なっており、何度も冷や冷やさせられた。
四度の待ち伏せを突破したファルが振り向くと、追撃を掛けてきている敵が二倍前後に増えていた。しかも統率が取れていて、無秩序に追ってくるような事はない。真っ青になったヴェーラが見なかった事にして逃走に戻り、ファルは自分もそうしたいのを我慢してエーリカへ言う。
「あんな数、手におえないぞ!」
「あれ、この辺に伏せていた敵全部よ。 この際纏めて掃除しておきましょう」
「だから、どうやって!」
逃走経路を工夫して、前に出る敵を最小限にする。そして待ち伏せが失敗し、肩すかしを食らった敵が慌てて追いすがってきた。その程度の事情はファルにも分かったが、分かったのと処置出来るのはまた話が別になる。この環境では、増幅ザクレタ等を使っても火力が拡散してしまい、纏めて倒せるとは思いがたいし、逃げている間に他の敵集団が現れる可能性も否定出来ない。ジグザグに逃げ回りながら、何とか敵の追撃をつかず離れず引きつけ続け、坂を駆け上がり、あの高い通路に出る。敵はまだまだ余裕の様子でついてくる。それに対して、特にコンデはもう限界だ。だがエーリカはコンデの懇願に聞く耳を持ってくれない。疲労を引きずって皆暫くまっすぐ逃げ、それが永遠に続くかとファルが思った頃、不意にエーリカが転進を指示してきた。
吊り橋のように高い位置に設置されている道から、横に伸びている細い通路。その直前で、不意に速射式クレタを一撃、更にファルも焙烙を一発撃ち込んで煙幕を作る。それが晴れた時、周囲からファル達の姿が消えていた。つかず離れずついてきていたデュラハン達は、しばし聞いた事もない言葉で話し合っていたが、やがて数体のグループが先頭になって細い通路に入り込み、他の連中は散開し始めた。予定通りである。狭い通路に纏めて入り込まない所などは、上層の魔物達とは格が違う証拠である。やがて、分岐通路の先にある建物の入り口で、待ち伏せていたファルはアクションを起こした。先遣隊の一体が悲鳴を上げて吹っ飛び、足をすべらせて通路から落ちていった。ドアの内側、正確には上に伏せていたにファルが、逆上がりの要領でドアに飛び込みつつ、デュラハンの胸に不意打ちの蹴りを叩き込んだのである。そのままバクテンして飛びずさり、無言でつっこんできた一体の鋭い剣撃を捌きながら、建物の奥へと逃げ込む。それを追撃しようとした連中の背中に連続して矢が突き立ち、悲鳴を上げて何体かが灰になっていった。ロープを使って高架道路の下に張り付いていたフリーダーが這い上がり、ファルを追撃しようとしたデュラハンに奇襲を浴びせたのである。様子を見守っていたデュラハン達が、また数体固まりになり、味方を支援しようと通路を渡って突撃する。その瞬間であった。
高架道路本道で出を伺っていたデュラハン達の中央で、灼熱の地獄が具現化したのである。猛烈な爆風が、内側からデュラハン達の集団をうち崩し、叩きのめす。屈強な死霊騎士達は、或いは吹き飛び、或いは火だるまになり、或いは道から落ちていった。道の横から、エーリカが顔を出し、ヴェーラがコンデを引っ張り上げる。そしてロベルドが斧を構え直し、混乱する敵へと突撃を敢行した。事態を理解出来ないデュラハン達は、総反撃に出たファル達の猛攻の前に、殆ど抵抗出来ずに撃破されていった。
逃げ腰になる一体を腰の辺りまで切り下げながら、ファルは流石だと思う。敵の知能程度を計算に入れ、敵主力の待ち伏せを回避して引っ張り出し、一番戦いやすい所へ逆に引きずり込む。引きずり込む際も、ファルとフリーダーが囮になって先遣隊に打撃を与えて、其方に敵の注意が向いた瞬間に本命の攻撃を叩き込む。エーリカは先ほどこの道を通る際、横がどうなっているかきちんと確認し、伏せられる事を知っていて、今の作戦で利用したのである。何度も思う。絶対に敵には回したくないと。正直な話、多少の能力的なアドバンテージがあったとしても、勝てる気がしない。
エーリカの指示は熾烈を極め、敵が反撃に出ようとする先手先手を取った。集まろうとするデュラハンには火球が飛び、まとめて吹き飛ばす。反撃に転じようとする個体には死角からフリーダーの放った矢が突き刺さる。逃げようとする者は放っておき、右往左往している者を交戦の意志を捨てない者の側に蹴込む。リーダーらしい少し大きな個体が必死に指示を飛ばしていたが、それも実を結ばない。先手先手を打たれ、状況を悪化させるばかりである。地団駄踏む彼(体型から言って彼である)に、薄く輝くハルバードを振って塵を落とし、ヴェーラが近づいていった。
「貴様の信じる神は?」
「そんなものはいない」
「ならばアズマエル神の裁きを受けて、塵になるが良い。 来世は不死者になどならぬ事を祈るのだな」
場を浄化の閃光が包み、炎に包まれていたデュラハンが、くるくる回りながら落ちていった。流石にリーダーはディスペルに耐え抜き、やがて観念したのか、手にしているグレートソードを構え直す。他のデュラハンのものより二周りも大きな剛剣だ。
グレートソードは斬る事よりも叩き潰す事に主眼が置かれた武器で、鎧が発達した文明が故に作り出された剣でもある。要するにその凄まじいパワーが故、鎧の上からでも、当たれば相手に打撃を与える事ができるのだ。場所によっては致命傷である。鎧ごと相手を切り伏せるようなパワーを誇る常識外の使い手もいるのだが、それはあくまで例外である。ゆっくり間合いを詰めるヴェーラとデュラハンのリーダー。ファルはヴェーラの後ろから斬りかかろうとした一体に、先日オルキディアスから貰ったようなローリングソバットを見舞い、本人に気付かれぬまま戦いの援護をした。ファルがそのデュラハンが脇に抱えた首に刀を突き込み、塵にした時には、既に戦いが始まっていた。
無言のまま踏み込んだヴェーラが突き、ハルバードをひねるようにして斜め下から抉り込む。しかも並の使い手が直線的に突くよりも速い。一撃目を剣で弾いたデュラハンだったが、返す刀で飛んできた刃を避けきれず、舌打ちして刀を斜めにして受けるもよろめき、片膝を突く。ヴェーラは好機とばかりにハルバードを振り回し、敵の剣の押さえから解放すると、そのまま敵の逆側から石突きではたき、それを籠手で防いだ相手に対し、力尽くでハルバードの軌道を捻り変え、頭上からの一撃を叩き落とした。不死の騎士はそれを避けきれず、とっさに籠手を上げて防ぐも、ハルバードの刃は本来首がある位置に薄く突き刺さった。
「ぐ……うっ!」
呻いたデュラハンが首を手放す。そして両手で刺さったハルバードを押し戻し、横転して抑圧からのがれさった。放り出された首は不思議な事に、道路にも落ちず空中に浮かび続けていた。グレートソードを両手で握り直すと、騎士は構えを取る。剣を空に向け、左足を前に出し、右足を折って膝を地面から僅かに浮かせる。サンゴートの騎士が、本気で決闘を申し込む際のポーズだ。それは何の因縁か。サンゴートの騎士が不死の世界に落ち込み、かって滅びた都で死霊騎士として迷い続けていたのか。
「名のある騎士と見受ける。 俺はサンゴート王スバイゼラ麾下一級騎士ボルトス=アレルレイン。 騎士の誇りをかけた全力での勝負を申し込む」
「私はササン族騎士ヴェーラ=ムワッヒド。 勝負、確かに受けた」
もう周囲での戦いはほぼ決着していた。フリーダーがクロスボウを構えようとするが、最後の一体を既に倒したファルが、手を横に振ってそれを制止する。エーリカを見ると、小さく肩をすくめて、皆に状況を見守るように指示した。スバイゼラと言えば、三百年も前のサンゴート王だ。三百年も迷い続けた騎士が、今最後の誇りをかけて、挑もうとしている。不器用な事だと、少し離れてファルは思った。
激突が始まった。跳躍したヴェーラが、連続してハルバードを叩き込み、今までとはうってかわって鋭い動きでボルトスがそれを受ける。閃光が交錯し、剣戟がぶつかり合い、火花が散る。風を斬り、刃が唸り、叫ぶ。周囲に散らばった剣や鎧を上手く避けつつ、ヴェーラが突き、ボルトスが受け流し、逆に胴を狙って横殴りの一撃を撃つ。ハルバードを縦にしたヴェーラがそれを受けつつ素早くバックステップする。態勢を立て直そうとするヴェーラだが、今の間にボルトスが、水平に剣を構えて突進してきていた。紙一重で何とか鋭い刃は避けたものの、鎧の重さで運動エネルギーを割増された猛烈なタックルをまともに喰らい、ヴェーラは吹っ飛んだ。中から塵が漏れている鎧や、折れて散らばっている剣を蹴散らして、道を擦ったヴェーラは、しかし口の端に伝った血を拭って立ち上がる。擦り傷だらけだが、戦意が衰える様子はない。再び構えを取り直すヴェーラとボルトスの間が戦意に帯電し、そして爆発した。
ヴェーラが前に出る。摺り足で間合いを詰めながら三度、連続して突きを見舞った。かっての仲間だった鎧を踏みしだきながら、それ全てをボルトスが受けた。だが、三つ目を受けた瞬間、ヴェーラのハルバード、槍と斧が重なった形状の武具の間に、グレートソードの刃が潜り込んだ。ヴェーラはそれを軽くひねると、竜巻のように全身の筋肉を旋回させ、ねじるように跳躍し、咆吼した。以前、舞を舞った時のように。
「AAAAAAAAAA、UAAAAARAAAAAAAAAA!」
極限まで撓ったハルバードが、グレートソードの刀身と噛み合い、そしてかみ砕いた。へし折ったのだが、獣同士が食い合い、一方が一方の喉を食いちぎったようにそれは見えた。へし折れたグレートソードを見て、しばしの沈黙の後、ボルトスは言った。
「……討て。 いい冥土のみやげが出来た」
「来世では、不死者などに落ちぬ人生を歩めると良いな」
ヴェーラの繰り出した一撃が、かって騎士だった不死者の胸に容赦なく潜り込んだ。デュラハンが燃え上がり、そして崩れていく。どうしてか安堵の声が、ファルには聞こえた気がした。
ボルトスがいた場所には塵しか残らなかった。風に吹かれて飛んでいく騎士の魂を見ながら、ヴェーラは無言のまま指で不思議な印を切ると、ササン語で何か呟いたのだった。
勝負は付いた。道の上は大量の塵が舞い、朽ち果てた鎧や武具が所狭しと散らばっていた。四十三体いたデュラハンのうち、逃げ延びたのは七体に過ぎなかった。
ファルが小さな建物の中をのぞき込むと、そこは生気無いがらんどうの空間だった。家具らしきものもなく、人が住んでいた形跡もない。床を踏むと、大量の埃が舞い、コンデが咳き込んだ。二階建ての小さな家らしき建物だが、これについては、かっては家だったと称するのが正しい。見かけは全く朽ちていないのに、内部の腐食は別の意味で凄まじかった。此処に誰か住んでいた気がしない。人の痕跡が、生活臭が、ゼロにまで後退してしまっている。ピラミッドでさえ、何かしらの生物的痕跡が残っていたというのに。むしろ経過年数に相応しく朽ちていたピラミッドの方が、何処か健康的な印象があった。
入り口の側に立っていたファルが、自動式ドアの停止を確認した。さっきエーリカがフリーダーに指示して、機械を弄って貰ったのである。透明なドアを小突いてみると、結構強度はあるが、それでもデュラハンの大剣を防ぎきるほどではない。正直言って、安堵して休める場所とは言い難い。
結界を張ってキャンプを作ると、交代で見張る人員を決める。さっきボルトスとの戦闘で、背中や脇腹に幾つも怪我をしたヴェーラは寝転がってエーリカの治療を受けており、リラックスして特権を甘受している。先ほどの戦いで奮戦した彼女は最初から偵察警備の員数外だ。壁に背中を預けて座ると、脇腹をさする。どうもこの位置がファルのウィークポイントらしく、浅い傷を貰う事が多かった。無論急所はいつも外すのだが、冒険に行くたび、確実に傷が増えていた。今日も軽い打撲を貰ったし、古傷が痛む気がする。今まで倒してきた敵の怨念が、此処に宿っている気がする。まあ、ファルにしてみれば、それくらい克服出来ない負ではなかった。腕組みして目をつぶるファルに、エーリカが回復魔法を唱えながら言った。
「もう少し北に行くと、塔があるそうよ。 目的の建物は、そのすぐ側らしいわ」
「ドゥーハン城の尖塔よりも高いのだろうな」
「そうね。 悔しいけど、ディアラント文明の技術力は認めざるを得ないわね」
「皆無事だと良いのだがな。 アオイ殿とリンシア殿が揃っていて行方不明になるとすると、デュラハンどころの騒ぎではないぞ」
最初会った時、魔女に襲われて負傷していたリンシアは、深く付き合ってみれば見るほど実は相当なやり手なのだと分かるようになった。剣技や回復魔法の腕はそこそこ、超一流とはいかないのだが、頭も悪くないし、判断力も優れている。何より大きいのはその性格で、控えめでブレーキとして非常に優れた人材なのだと、年上の騎士達は皆褒めていた。そのリンシアが妖刀村正を振るうアオイと組み、何人か騎士も加えれば、その実力はファルのチームにそうそう劣らないはずだ。奥に何がいるのか、気を引き締めて行かねばならない所である。
「ねえ、きな臭いと思わない?」
「どういう事だ?」
「……ん、いいわ。 多分発見まではあまり心配しなくて良いと思うわよ。 ただ、きっとその後が大変ね」
意味不明の台詞を吐くと、エーリカはヴェーラの治療に戻る。淡い光が傷を癒していくが、回復魔法は万能でも絶対でもない。怪我を治せば疲労は肉体に蓄積するし、痛みは消せても精神のダメージは消えない。過剰な痛みは人格に歪みを生じさせる事もあるし、そうやって出来た精神的な傷を治療する回復魔法はまだこの世に存在していない。要所だけを鎧で固めているヴェーラは、怪我を治す時にあまり脱がなくて良いのが探索の時利点になっている。男女混合のチームで、ごてごてと服を着込んでいる者が居ると、治療が大事になる。男のみ、或いは女のみのチームが少なくないのは、その辺が理由の一つである。額の汗を拭うと、エーリカはフリーダーからガーゼと包帯を受け取り、傷口に手際よく巻いた。
外に見張りに行っていたロベルドが戻ってきた。偵察任務等はファルの仕事だが、ざっと外を見回る程度なら、今はもう誰でも行える。ロベルドは五層で使っていたよりも一回り大きなバトルアックスを壁に立てかけると、胡座をかいて皆を見回す。
「あったぜ、でかい塔」
「そう。 どんな様子?」
「ああ、言われたとおり、すぐ側に城みてえなでけえ建物がある。 ただ、な。 ずっとブルードラゴンの奴が近くを飛んでるから、戦うにしてもやり過ごすにしても、工夫がいるぜ」
イメージトレーニングの相手として、ガスドラゴンとファルは良く戦っている。何度戦っても手強い相手で、今でも勝率は十割とは行かない。ましてブルードラゴンはガスドラゴンよりも大きく知能も高い。青竜族は冷気のブレスを吐く事が出来、それは使い方次第では炎のブレスよりも厄介だ。そして一番厄介なのは、上空から襲われた場合対処が非常に難しいと言う事である。地上で戦ってもかなり手強いのだが、爆撃をかけられたら手のうちようがない。何とかして交戦に入る前に叩き落とすか、策を弄して地上に引きずり降ろすしかない。
「とりあえず、上空から攻撃された際の対処策を考えておかねえと、話にならねえだろうな」
「小生のザクレタで叩き落とすのはどうじゃの?」
「建物の上と下に別れて、下にいる方が相手を引きつけて、上にいる方が翼を傷付けてはどうだろうか」
ああでもないこうでもないと話し合う皆には加わらず、ファルは少し考え込んでいた。魔力の流れを乱さぬように動き、それの集約点を突く。それには重さよりも速さをより重視すべきであり、邪魔なモノは出来るだけ排除する必要があった。特に此処暫く感じているのが、少しでも重さを減らしてみたい、と言う事である。刀の鞘を捨ててみれば、少しでも動きが良くなる可能性がある。鎖帷子も軽量化してみたい。一撃一撃の爆発力は速さと遠心力で補い、巨大な敵は魔力集約点を確実につく事によって倒す。もしそれを完璧に実行出来れば、最終的には鎧どころか、刀ですら必要なくなるかも知れない。魔力集約点に対しての攻撃を極めていけば、或いは素手でもドラゴンに立ち向かえるかも知れないのだ。今は絵空事に過ぎないが、余裕を見て少しずつ試していきたい事であった。
見張り番ではないファルは一眠りする事にした。小さく欠伸をして、皆の意見交換をバックコーラスにしながら、いつの間にかファルはまどろみの沼に落ちていた。
3,シスターと侍と殺人鬼と炎と
法衣を着ているのは、嫌に目つきの鋭いシスターだった。剣呑な表情は慈愛の欠片もなく、腰を落として花を摘んでいるのに、殺伐とした雰囲気すら漂っている。彼女は器用に花輪を作り上げると、泣いていた女の子の頭に被せてあげる。泣きじゃくっていた女の子はこわごわとシスターを見上げたが、照れているのか、シスターはついと余所を向いてしまった。
そのまま腰を上げたシスターは、孤児院へ歩き出す。二十人以上の子供達がいるその孤児院では、老院長に代わって彼女が殆どの家事雑事をこなしていた。炊事洗濯、子供達の学問、幾らでもやることはある。不機嫌そうに肩を叩きながら、シスターは冷たい水を汲んで持ち帰り、山ほどある洗濯物を黙々と処理し始めた。時々額を拭う手は荒れてはいるが、瑞々しい活力に満ちあふれている。
丁寧に洗濯物を物干し竿に掛け、一息ついたシスターは、青空を見上げた。近くで子供達が遊んでいる。楽しそうな声がする。シスターは嬉しかった。剣呑な目つきと裏腹に、彼女は子供が大好きだった。愛情表現はとても下手だったが、子供が笑っているのが彼女にとっての幸せだった。
子供達が、何人か連れ立って来た。比較的年長の、判断力や行動力を身につけ始めた子供達だ。子供達はひそひそと何やら話をしていて、やがて一番年長の女の子が皆にせかされて前に出る。怪訝さに眉をひそめるシスターに、彼女は恐る恐るつつみを差し出した。
「シスター! シスターアオイ!」
「なに?」
「誕生日おめでとう! これ、みんなで作ったんだよ!」
そういえば誕生日だったのだ。誕生日である事よりも、子供達がしてくれた行為の方がアオイは嬉しかったが、どうにもそれを表現出来なかった。包みを開けてみると、其処には大きな大きな、一生懸命作ったらしいリボンが収まっていた。不格好だが、それはとても温かかった。
「ありがとう。 大事にする」
「あ……シスター」
「うん?」
「笑ってくれた」
アオイはいつも笑っているつもりだったのだが、今初めて子供がそう言った事に気付いた。苦笑するのと同時に、アオイは思った。そうか、世間一般では、これを笑顔というのかと。アオイは幸せを感じた。こわごわと子供を抱きしめると、随分と温かかった。
それから僅か数日後の事である。所用で出かけていたアオイは、明々と燃え上がる孤児院を見た。ただ事ではないとすぐに悟り、買った物を入れていたバスケットを取り落とし、駆け出すアオイ。近づけば近づくほど、状況は絶望的になっていった。
孤児院が燃えていた。天をも焦がせと炎が上がり、にやつきながら屈強な男が子供に刃を振るっていた。小さな抵抗力もない命は、皆血を流して地に這っており、誰一人身動き一つしなかった。一目で息がないと分かる、無惨な亡骸の群れ。呆然とするアオイは、無意識のまま、燃える孤児院の中に足を踏み入れていた。柔らかい物を踏んだ。それは、肘の先から切り落とされた子供の手だった。男の凶暴な笑い声が耳を打つ。アオイの頭の中で、何かがはじけた。
無言のまま、側に落ちていた鉄の棒を手に取っていた。ゆっくりそれを振り上げ、炎の中笑っている男に後ろから近づいていく。男が気付いて振り向いた時にはもう遅い。天才とうたわれたアオイの剣術は、棒を持っても遜色なかった。無為な暴力を天主教は戒めていたが、そんな事は知った事ではなかった。
「うあああああああああああああああっ!」
躊躇無く振るった鉄棒が、男の側頭部を砕いていた。そうして、初めてアオイは人を殺した。傭兵共が敵の来襲に慌てて剣を取ろうとするが、反応が遅い。血濡れた鉄棒を振り回し、一人の頸椎をへし折り、更には目に突っこみ、脳まで抉り込む。無口だったアオイは吠え、暴れ、荒れ狂い、その場で七人の男を殺した。
大量の返り血を浴びたアオイは、炎の中、肩で息を付いていた。涙が流れない事が腹立たしかった。異常なほど冷静だった事が許せなかった。ひん曲がった血まみれの鉄棒を捨て、まだ息があった一人の胸ぐらを掴み上げる。燃え落ちた梁が、すぐ側に大きな音を立てて崩れた。
「何が、目的で、こんな事をしたの?」
「へ、へへ。 ルプルツ族のガキなんか庇うから、天罰が下る……ぎゃああああああああああああっ!」
「応えなさい。 何が、目的?」
男が悲鳴を上げたのは、アオイが耳をちぎり取ったからである。静かな怒りで、アオイの肉体はリミッターを外してしまっていた。歪に千切れた血が滴る耳を放り捨てると、アオイは更に問いつめ、必要な事を聞き出していった。耳だけでなく、腕の肉をむしられ、指を捻り千切られると男は急に素直になり、全てを話し始めた。
この傭兵団を率いているのはマクベイン=ルーダン。戦闘も得意だが、それ以上にダーティ−な任務を好む男で、正真正銘の異常者である。今回も健康な子供の死体が欲しいとかで、嬉々として子供を殺して回ったという。奴は適当な死体を幾つか見繕うと、それを回収し、あとは臨時で雇った、今アオイが皆殺しにした連中に任せて去っていったのだという。男達はその後、生き残っていた子供達を嬉々として殺戮したのである。劣等民族は腐敗の元凶だとか彼らのせいで内乱が続くだとかそういう理由を男は訴えたが、アオイの耳には入らなかった。主犯は此奴らとマクベイン。それだけ聞けば充分だった。下らない差別に興味など無かった。子供達を守ろうともしなかった無能な神に対する信仰も、孤児院と一緒に燃え落ちてしまっていた。命乞いをする男の両目をえぐり取り、燃え落ちる孤児院の中に放り捨てると、アオイは外に出た。彼女の背後で、完全に燃え尽きた孤児院が崩れ落ちていった。男の断末魔など、それこそどうでも良い事だった。
「マクベイン=ルーダン……」
ようやく涙がこぼれ始めた。リミッターを外して暴れさせた体が痛み始めた。血の臭いがし始めた。肉が焦げる匂いがし始めた。今まで戦いのみに向いていた精神が、平常に戻り、異常さを体が感じ始めたからである。
「許さない……絶対に……殺してやる」
炎を背に、アオイは誓った。彼女にとって初めての生き甲斐であった孤児院を焼き、可愛い子供達を殺した悪鬼を滅して、仇を取る事を。
故郷に戻ったアオイは僧職を捨て、新たに侍としての資格を取って、冒険者ギルドに登録した。やがてその鬼神が如き働きぶりがスタンセル大将の目にとまり、彼の養女として重要な仕事に投入されるようになった。秘蔵の品であった村正を預けられたのも、その実力を買われての事であった。
何処の世界でも、何時の時代でも。親の手を離れる子供は珍しくもない。両親が死んだ場合もあれば、両親に売り飛ばされた場合もある。戦乱に巻き込まれた場合が最も悲惨だ。そう言った子供達は、最も運が悪ければスラムなどで餓死する事になるし、逆に比較的幸運に恵まれれば孤児院等で世話を受け、大人になる事が出来る。
ハリス教国は最初、自分たちに忠実な兵隊や僧侶を作る目的で、国家的プロジェクトとしての孤児院経営を始めた、と言われている。しかし現在では、多くの僧侶が自主的に修道院等で孤児の面倒をみており、私財をなげうって孤児院経営に力を注ぐ上級僧侶も珍しくない。高名な僧侶の中には、孤児院運営資金を稼ぐ為に冒険に身を投じた者だって少なくはないのである。
アオイも、かってはそんな僧侶の一人だった。
無口で近寄りがたい雰囲気を放っていたのは、昔から同じである。ドゥーハン辺境部、ブルストラスラト州の中産階級に生まれたアオイは、幼い頃から孤立しがちであり、友人の数も少なかった。言葉数が少なく、周囲の誤解を解こうとする気も無く。虐めを受けなかったのは、つけ込む隙がなかったからである。才能に関しては誰もが認めるものをもち、剣技に関しても魔法に関しても、並の人間では彼女に太刀打ち出来なかった。
彼女の両親は軍人になる事を期待したが、その希望は叶えられなかった。アオイは年を経るたびに子供好きになり、いつしか未だ混乱から立ち直れないグルテンにて孤児院を経営したいと考えるようになっていたからである。無口で非社交的な分凄まじい集中力を有していたアオイは、あっさり上級医療僧及び上級布教僧の免許を取得し、孤児院に務めるべくグルテンに向かった。其処では、彼女の想像以上の悲劇が待っていた。
既に安定期に入ったベノア大陸の中で、グルテンだけがいまだ暗黒の中にある。そういった風評は誇張でも何でもなかったのである。四年前から始まった悲惨な内戦は終わる気配も見せず、宰相派と軍務大臣派に別れての凄惨な殺し合いが続いていた。対立する二つの民族をそれぞれ味方に付けた宰相と大臣の手によって戦いは激しさを増し、ドゥーハンの休戦調停すら受け入れられない有様だった。オルトルード王は平和維持軍の派遣をハリスとユグルタと協議していたのだが、主権をまだ放棄していない上に、プライド高い事で有名なグルテン王室が干渉を拒否した為、交渉は難航していた。そんな状況下、戦災孤児はちまたに溢れ、明日をも知れぬ悲惨な状況が続いていたのである。
アオイが孤児院に勤める事になった頃には、それでも内戦は下火に向かいつつあった。だが戦災孤児は多く、その殆どが路上で悲惨な死を遂げていた。天主教僧侶の多くがグルテン入りし、孤児救済に当たっていたが、とても手が足りない状況であった。そんな中アオイは必死に働き、三年がかりでようやく孤児院の経営は軌道に乗りつつあった。子供達にも笑顔が戻りつつあり、アオイは仕事に遣り甲斐を感じ始めていた。そして、破滅が訪れたのである。
暴力と、凶暴な欲望による破滅が。
民族的な対立が裏にあるとアオイは聞いていたが、今でもそれ以上の詳しい経緯は知らない。内乱に乗じて暴れ回っていた傭兵団の一つが、アオイの勤めていた孤児院を焼き討ちしたのが、今でも夢に見る事実である。
今、アオイは闇の中にいた。様々な者がしているとおり、敵討ちという行為を否定する事は簡単だ。だが大事な何かを理不尽な力によって奪われた者の行為を、そうでない者が否定することに意味があるのだろうか。それは所詮強者の弁であり、相手を自分の理屈で否定しているだけだ。少なくともそれは理解とは違う。敵討ちを批判する者に山ほど会ってきたアオイだが、心を動かされる事は一度としてなかった。形だけの理解と、上辺だけの説教はうんざりだった。
今のアオイは、怒り猛る鬼神だった。普段はその怒りを内側に抑えておける。しかしマクベインの存在を近くに感じた今、それを押さえきるのは不可能だった。手が震える。刀の声が聞こえる気がする。村正がアオイの殺気に呼応しているのだ。
「アオイさん!」
顔を上げると、リンシアが目に不安を湛えてのぞき込んでいた。
「大丈夫よ、心配ない」
「……もうすぐ、エーリカさんやファルーレストさんが来ます。 だから」
「色々ごめんね。 ……大丈夫、何があっても、奴を斬るまでは死ねないから」
「敵を討ったら、どうするんですか?」
「……まだ、考えてない」
リンシアのため息が聞こえた。だがアオイには、気にならなかった。リンシアは信頼出来るとアオイは考えている。だがリンシアにだって、自分の行く道を否定させる気はなかった。マクベインは殺す。それを邪魔する者も許さない。アオイが行くのは、血塗られた修羅の道であった。
……ファルとアオイは似ていた。根本的に能力は高いのだが、愛情表現は下手だし、不器用だし、周囲からは避けられがちだった。ただ、アオイは自分に正直だった。また、弱みを隠そうとする事もなかった。これはアオイの場合、保護者サイドの人間に裏切られなかった事に原因がある。
ファルがつんけんしているのは、基本的に八割方地なのだが、その一方で他人を意図的に寄せ付けないようにもしているのだ。心を許せる相手以外は全部潜在的な敵になりうると考えている上に、保護者に裏切られたトラウマから基本的に他人を信用していない。そのため余所で弱みを見せる気がなく、結果子供の前では理性と本能がぶつかり合って不機嫌モード等という珍妙な状態になる。逆にアオイの場合、精神の深奥で他人を信用している為、弱みを晒す事に抵抗がない。つまり彼女の行動は全てが地である。意図して他人を寄せ付けないようにしていると言う事はない。比較的保護者に恵まれた環境で幼少期を過ごした為、トラウマを持っていないのだ。比較してみると、二人とも不器用なのだが、アオイはファルよりも更に人間関係の構築が下手だと言える。故にアオイは子供の頃は孤立して、余計にカラに籠もる事が多くなった。理解者からしてみれば、アオイがとても可愛いのは、その辺が原因だ。本来、アオイはとても天真爛漫な人間なのである。根本的に屈折してしまっているファルは、だからこそアオイが少し羨ましいのである。臆面無く大好きな子供に対して、愛情を示せるアオイを。
それは強さとか弱さとかとは別の次元の問題だ。違うからこそ、互いに敬意を示す事が出来る。アオイも、自分を御せる強さを持ったファルに敬意を示している。両者は似たもの同士だが、互いの違う所を尊敬しあっていた。
友情とは微妙に違ったが、こういった精神的交友関係も、またあるのだった。その先に続く道が、自己の責任によって紡がねばならぬ織物である点に関しても、二人は共通していた。道が茨に覆われ、果てしなく厳しいという点でも。そして他人の手による薄っぺらな救いなど、必要としていない点でもである。
アオイにとって、敵討ちは全てだった。ファルにとって、報恩と大事な者達が全てであるように。
4,共同戦線
上空を旋回しているブルードラゴンは、やがて近くの高い塔の頂上部分へ降りていった。其処には無数の廃材やらが積み上げられ、鳥の巣のようになっている。事実それは巣なのだと、降り立ったドラゴンの様子から明かである。建物の影からそれを伺っていたファルは、他にドラゴンが居ない事、気配を隠している敵が居ない事を慎重に割り出すと、後ろに隠れている皆に向け、招く動作をして、自らも道へと飛び出した。六人は一丸になって走る。声を立てずに、二百メートルほど先にある、目的の建物の入り口へと。
「やれやれ、しんどいのう!」
「コンデ爺さん、静かにな! 奴に気付かれる」
時々振り向いて最後尾を確認しているフリーダーは、何も警告を発してこない。フリーダーの職人芸に関しては、チームメンバーの全員が信頼する所であり、安心感は絶大だ。やがて、建物の入り口に到達する。ドゥーハン城に匹敵する、或いはそれ以上に巨大な建物だ。積み木を重ねたような角々した建物で、芸術性は感じられないが、しかし見た目相当な規模である。
入り口は透明なドアだが、カギはかかっておらず、開けられる事をさっきファルが確認している。素早くドアを開けて中に飛び込むと、蠢く人影が見えた。腐り果てた肉体を引きずるそれは、ライフスティーラーと呼ばれる不死者だ。強力な不死者で、ゾンビなどよりずっと動きが素早く獰猛で、魔法を使う事も出来、高い確率で爪や牙に麻痺毒を仕込んでいる。厄介なのはゾンビよりも更に貪欲な事で、奇襲を受けたりして囲まれるとまず助からない。以前戦ったマミーと同等に危険な存在だ。不死者が居た時に備えて、既にザイバの魔法は唱え済みだ。六体居るライフスティーラーの懐に飛び込むと、魔力の流れを乱さぬよう、羽毛をイメージしながらファルは抜刀する。そして敵の寸前に足を着くと、そのまま体を旋回させ、遠心力をパワーに変え、ライフスティーラーの喉を撫できった。まるでダンスのような足運びだと、ふとファルは思った。
「速攻で仕留めるわよ!」
「おうっ! まかせとけっ!」
フリーダーだけでなくエーリカまで前に出て、フレイルを振るってライフスティーラーの頭を叩き潰す。ドアの性質が性質である為、時間を掛けると背後からドラゴンの追撃が飛んで来る可能性があるのだ。
ライフスティーラーは敏捷である。二体目に対峙した相手はファルの袈裟懸けの一撃を苦もなく避けると、酔ったような足運びで、ゆらりと後ろに逃げ、半回転しての第二撃も避けてみせる。足運びを利して左にずれるファルは、そのままジグザグにステップして間合いを詰めるが、ライフスティーラーはタイミングを計って蹴りを叩き込んで来た。鋭い蹴りだ。避けきれないと判断したファルは、多少の傷を受けても敵を倒すべきだと判断した。踏み込んだ足を軸足に、体を軽く浮かせる。どんと物凄い音がして、腰の入った蹴りが決まった。
よろめき、数歩下がったファルが片膝を突く。その手には刀がない。刀は、塵に成り行くライフスティーラーの胸に埋まっていた。敵のカウンターに更に合わせて、もう一重のカウンターを入れたのだ。ただしそれが故に、蹴りを避ける事は出来ず、ガードの上からとはいえ打撃を受ける事となった。肺が軋む。ゆっくり呼吸を整え、転がっている刀を拾い上げると、ファルは目を閉じて今の戦いの流れをもう一度反芻した。一度一度の戦いを反芻し記憶し次に生かすのは、いつもファルがする事だった。周囲の戦いは既に終わっており、エーリカが敵の増援が居ない事を確認して、奥への進撃を指示してくる。頷くと、ファルは腹が痛いのを我慢して、皆の先頭に立って走り出した。後ろから、ドラゴンの咆吼が聞こえる。ファルが振り向くと、ドアの向こうで、ブルードラゴンが無念そうにこっちを睨んでいた。
「何とか間にあったな」
「後は予定通りだ。 ある程度奥までまっすぐ進んだら、周囲を探索して、拠点に出来そうな部屋を探す」
「確かに天井無き場所でドラゴンと交戦するよりは多少安全だが、都合良くあればよいのだが。 火神の加護を祈るばかり……」
ヴェーラが言葉を止め、足を止めたのには理由がある。彼女の目の前で、前にある横路から傷ついたライフスティーラーが飛び出し来、それを追ってきた人影が首を後ろから跳ね飛ばしたからである。塵になっていくライフスティーラーにはもはや構わず、ヴェーラは驚きの声を上げていた。
「リ、リンシア殿!?」
「良かった、無事に辿り着けたのですね。 お待ちしておりました」
幅広の剣を振るって返り血を落とすと、リンシアは剣を鞘に収めた。彼女の後ろから、ぞろぞろと何人か騎士が現れる。いずれも遭難していたとは思えない様子だ。無言のまま腕組みしたファルは、エーリカに寒い視線を向けた。鉄壁のリーダーは、笑顔のままそれに全く動じない。
「……なるほど、最初から知っていたな?」
「推測はしていたわよ。 それだけだけどね」
「お、おい、どういうことだよ!?」
「つまり我々は担がれたのだ。 多分彼らが、公に出来ぬ任務を実行する手助けとしてな」
「ごめんなさい。 ただ、どうしても手が欲しかったんです」
リンシアの礼が、ファルの言葉の正しさを裏付けていた。事情をようやく飲み込めた様子のロベルドが、地団駄を踏んで背中を向ける。彼は後ろで事態を見守っていたフリーダーの片手を掴んで、引き寄せ、目を爛々と光らせた。
「おい、お前は分かってたのか?」
「はい。 エーリカ様の様子から、大まかな予想は出来ていました」
「……! なんつーか、なんつーかなあ!」
何度か地面を蹴りつけると、ロベルドは壁を叩いて、黙り込んでしまった。ヴェーラは小首を傾げていたが、やがて手を打つ。コンデはおどおどしながら、不機嫌そうにぶつぶ呟き続けるロベルドを見やった。
先ほどの遭遇線で受けた傷を治しながら、大体の事情を小さな部屋で聞き終える。要するにアオイの独走に乗じて、騎士団と宰相側の権力争いに一定の決着を付けよう、という事なのだと、ファルは結論した。実際問題、サンゴート騎士団が参戦してきている以上、ドゥーハン内部での力関係ははっきりさせる必要はある。本来あの明晰な王がその辺りをしっかりさせないはずはないのだが、ともあれ騎士団が其処までしようと言うのなら、事態は深刻なのだと分かる。アオイは話の途中、ずっと部屋の入り口に立って、外への警戒に当たっていた。簡易気配消去結界は張ってあるのだが、先ほどの様子からして、魔物が襲って来る事も珍しくないのだろう。
「しかし、マクベイン=ルーダンとは、何処かで聞いた名だな。 ファル、貴公は知っているか?」
「知っている。 ダーティーワークを得意とする傭兵団の長で、発覚しているだけでも三十五の虐殺事件に手を貸している。 あまりにもやりすぎた為、部下達共々捉えられて、最重要機密刑務所に収監されていると聞いていたが」
「経歴は分かったわ。 能力等は知らない?」
「詳しくは分からないが……使い手としては超一流だと聞く。 それに、確かネクロマンシーに造詣が深いそうだ」
この辺の情報は、最近調べ上げたものである。忍者ギルドもファルの実力と知名度が上がるに連れて深度の情報を公開してくれるようになってきて、その一つがこれであった。アオイは話には加わらなかったが、時々ファルの方を見ていた。やはりマクベインの話には、興味が向くらしい。
「アオイ殿は、何か詳しい話を知らないか?」
「ずっと追い続けてきた私も、彼奴の詳しい姿は知らないの。 部下達でさえ知らないって話だから」
「……ねえ、もしかして、そいつっていつもローブを被っているとか? 肌は土気色で、墓土の匂いとかしてない?」
アオイの表情が強張った。騎士の一人が気を利かせてくれて、見張りにつく事を提案してくれる。アオイはいそいそとそれを受けて、エーリカの前に正座した。
「何処で彼奴を見たの?」
「それで間違いないの?」
「ええ。 彼奴はいつもそんな格好をしていて、部下達でさえ素顔を知らないそうよ」
「そうか……それは恐ろしい事じゃのう」
杖を磨いていたコンデが、アオイにきっと睨まれて少しのけぞり、呼吸を整えてから話に戻る。
「アオイ殿、奴は恐ろしい存在じゃ。 地下一層で小生達は奴にあったのじゃが、小生にはその時、奴の正体が分かってしもうての。 出来れば関わり合いにはならない方がよいのじゃが」
「奴は一体、何者なの!?」
「不死者の中の不死者。 死の王にして、闇の魔導王。 幸いな事に、まだ完全体ではないようじゃが……」
「それは一体、何なの!」
「ちょっと、アオイさん、落ち着いて」
興奮したアオイが、詰め寄るようにしてコンデに聞き、たまりかねてリンシアが割って入った。びくびくしながら、コンデは周囲を伺い、やがて死ぬほど恐ろしい事を隠そうともせずに言った。
「奴はもう、人と呼べる存在ではないの。 あの魔力の波動、障気、小生の家に伝わる書物に書かれていたものと一致しておる。 奴は……リッチじゃな。 十中八九」
死者を冒涜する魔術を得意とし、不死者を創造する魔術師達を、ネクロマンサーと言う。そして死者を不死者に変え、己の意のままにする術を、ネクロマンシーという。禁忌の道に足を踏み入れたネクロマンサー達は、一見するとただの堕落者にも思えるが、実はある目的を目指して日々研究に明け暮れている。その目的とは、最強の肉体と、永遠の寿命を得る事。生き物として永遠の時を生きるのではなく、死を超越した者として、我が物顔に存在する事。それが彼らの願いなのだ。高名なヴァンパイアはその完成形態の一つである。人間を超越した能力を持つ夜の王の名は、冒険者なら誰もが知っている。様々な弱点を持ってはいるが、魔神にも匹敵する圧倒的な実力を持つその存在は、確かに人を捨てても手に入れたいと思う者が出てもおかしくない、ある意味美しくさえある破壊の顕現だ。また、レッサーヴァンパイアとして普通の人間をヴァンパイア化する事も出来、その利便性は非常に高い。特にヴァンパイアロードと呼ばれる連中になってくると、時には魔界で貴族になる事もあると、伝承では伝えられている。
そしてリッチは、ヴァンパイアと並んでネクロマンサー達が夢想する、究極形態の一つである。自ら人を捨てる事により、生前の数倍の魔力を持ち、悠久の時を生きるようになった存在。ただでさえ、リッチ化の術が使えるネクロマンサーは超一級の使い手である。それが更に数倍の魔力を持つようになった時、それがもたらす破壊力がいかなるものか、想像に難くはない。
無論ファルもリッチの存在は知っている。しかし、それはあくまで伝説的な存在としてであって、実際に会った事はない。まさかあのローブの男がそうだったとは。元々気弱なコンデが震え上がるのも無理はない。今だって、戦いたいとは思わない。
「はて、妙ねえ。 そんな存在が、あの程度の実力で済むのかしら?」
「あ、あの程度の実力ってなあ!」
いつの間にか機嫌を直していたロベルドが、エーリカの暴言に食ってかかった。彼の顔は蒼白であるが、無理もない話だ。隣では同じく蒼白になったヴェーラが、ロベルドに同意してうんうんと頷いている。何しろ地下一層で初めてあのローブ男と遭遇した時、ファルでさえ硬直して、エーリカの叱責があるまで身動き一つ出来なかったのだ。だが、怯えきっているロベルドやヴェーラに対し、平然とエーリカは言い放つ。
「何にしても、この間会った実力なら、前ならともかく今なら勝てるわ。 愚僧達の実力は、地下一層を歩いていた時とは比較にならないのよ」
「そ、それは確かに……そうだが」
「奴は私が斬る。 邪魔はしないで欲しい」
「駄目です、アオイさん。 今の話からして、奴は不死者や傭兵団を連れている可能性があります。 余裕があったらとどめを刺すのは譲ります。 でも、それ以上の事は考えない方がいいですよ。 雑念が入ったら負けます、確実に」
確かに皆の実力は、地下一層にいた頃とは比較にならないほど上がっている。だがそれでも、騎士団と高度の連携をして、初めて勝利を考える事が出来る相手だ。今後のためにも、もし強力なリッチに迷宮を彷徨かれると面倒な事この上ない。大体奴は名うての猟奇殺人鬼、何をしでかすか分からない。それに確かにエーリカが言うとおり、この任務を成功させれば、大きな貸しを騎士団に作る事が出来るのだ。
「リンシア殿」
「はい、なんでしょうか」
「奴がいる場所に、見当は付いているか?」
「はい。 ここ数日調べた結果、どうもこの建物の周囲に居る可能性が高いみたいなのです。 何かを探している事までは分かっているのですが、それが具体的になんなのかまでは分かりません」
小さく嘆息して、ファルは立ち上がった。傷の痛みは引いている。動く分には、もう何の問題もない。
「行って来る。 この辺りにいるというのなら、数時間で探し当ててみせる」
「だ、大丈夫ですか?」
「倒しに行くのではなく、隠密行動を取るだけだ。 ただし一人で行くと少し効率が悪いから、伝達役が必要だ。 フリーダー、行くぞ」
「はい、ファル様」
アオイは自分が行きたそうな顔をしていたが、やがて俯いて視線を逸らした。このミッションには、マクベインを殺したいほど憎んでいる彼女では不向きである事を、自然に察してくれた事に間違いない。
「……ファルーレスト殿」
「?」
「奴は強い。 無理をしないで」
ふっとファルは表情を緩めていた。小さく頷くと、彼女はフリーダーと共に、部屋を静かに飛び出した。
5,マクベイン
マクベインは部下達を連れ、地下六層の一角を歩いていた。周囲には彼が作り上げた不死者達が固め、並の魔物では近づく事も出来ない。また上級のネクロマンシーを修得しているマクベインは、何体かの特別強力に作った不死者が視認したものを、自分でも見る事が出来るのだ。だが、その彼をしても、この階層にいるはずのものは発見出来なかった。
マクベインは実のところ、武神オグを誰よりも発見した人物である。彼は部下の不死者達を使ってオグを発見したのだが、枢機卿が直接探索に乗り出すまでずっと黙っていた。なぜなら、あの壊れたオグを見た際の宰相の反応が、手に取るように予想出来たからである。マクベインは宰相に雇われていて、彼が簡単に壊れてしまっては困る立場だった。現在は枢機卿が宰相の尻を引っぱたいている状態だから良いのだが、そうでなくなっては困るのだ。幾ら彼が優れた使い手でも、ドゥーハンそのものを敵に回しては勝ち目など無い。現に数年前、王が派遣した捕縛団に抵抗した末捕まったのだ。まだまだ宰相という防御壁は、彼にとって必要だった。その望みが如何に壊れた物であろうとも。
マクベインはバンクォーの戦役の最中、ベノア大陸が地獄の動乱に包まれている時に生まれた。出身は腐敗の極にあったドゥーハンである。物心ついた時には、壊れた街の中で、人骨をおしゃぶりにして生きていた。父親と呼ばれる男は居た。それはマクベインに暴力を振るうような事さえなかったが、同時になんの世話もしなかったので、一人で生きていく事を余儀なくされていた。
町に住んでいる連中は、皆幽鬼のようにやせ細っていた。無気力でいじけていて、地虫のように日陰で暮らし、はいつくばるようにして草を噛んで生きていた。戦争で働き手は皆取られてしまい、しかも貴族が可能な限り税を搾り取り、加えて合戦に巻き込まれた結果、街がこうなったのである。恨むとか呪うとか、そんな感覚さえ、マクベイン達は持ち合わせていなかった。何かを考える気力さえ、誰も持ってはいなかった。
人肉を喰って命をつないだ事など数え切れないほどだ。犬や猫、それに鼠はごちそうだった。そうやって必死に生きてきたマクベインは、やがて貴族に拾われた。その貴族は街をこの様にした一因が自分にあるとは考えもせず、貧しいものを何人か見繕って屋敷に連れて行った。そしてペットとして飼ったのである。鎖でつなぎ、エサを与えて、自分が気に入った服を着せて遊んだ。そして飽きたら捨てた。腐敗の極にあったドゥーハン貴族は、そんな連中だった。
投げ与えられるエサを食べて気力を養いながら、マクベインは貴族の心に取り入る事に成功していった。三年がかりで彼は貴族のお気に入りとなり、鎖を外させる事に成功した。そして隙を見て貴族を殺し、屋敷に火を放って逃げたのである。
彼は貴族が憎かった。根本的に別次元の生活をし、無意味なまでに優遇された連中が憎かった。初めて彼が身につけた感情が、憎しみだった。そしてその次に身につけた感覚こそが、生への執着だった。
貴族の屋敷から持ち出した本の中に、ネクロマンシーの基礎知識を記した物があったのは、彼にとって不幸だったのか幸福だったのか。それには既存の生への冒涜と、永遠への執着が狂おしいほどに記されていた。それは存在への絶対肯定から産み出された書物であった。自身の生きている意味どころか、存在すら実感出来なかった彼にとって、それは正に天の声となった。それは存在を肯定していた。そればかりか、永遠に生きる術をさえ記していた。マクベインは多くの死に包まれて生きてきた。今後も死を積み上げて生きる事に抵抗など無かった。他人を踏みにじり、自らの糧にして何が悪いというのだ。生き物はみんなやっている事だし、大体この世界の上層部にいる連中は皆そうではないか。
本を貪るように読み、マクベインは笑った。生きていいと告げてくれるその本に愛を注いだ。相手の事を一切考えていないし、道徳律など持ち合わせていないマクベインは、人を殺す事にも何の躊躇いもなかった。すぐに殺しの腕は達人の域にまで高まった。傭兵を選んだのは、自身の嗜好に極めて都合がいいからである。マクベインは、かって彼がされたように、他者の生を否定して、それに酔った。弱者を虐殺して、ネクロマンシーを試した。マクベインは部下に、自分と同じ匂いがする者ばかりを選んだ。いつしか、彼の傭兵団は、悪魔と称されるようになっていた。
マクベインは生を否定する術を利しながら、同時に生への信奉者でもあった。ただし彼にとっての生は自己のものだけであり、他者の生についてはそれこそどうでも良かったのである。だからこそ永遠に生きたかった。だからこそ、まだ宰相に死んで貰っては困るのである。
宰相が探しているのは、公式には死んだとされている人だ。だがマクベインを始め、ごく一部の人間は知っている。その者は生きている。理由はよく分からないのだが、宰相の話では死んだと言う事にされて、この迷宮に隠されたと言う事であった。うごめくものにすら造詣が深いマクベインでさえ、この迷宮については分からない事が多すぎた。あの英明な、悔しいが敵に回しても勝ち目のない王が愚鈍な動きばかり見せているのも解せない。どうして宰相如き青二才を放任し、事態を混乱させるばかりなのか理解出来ない。笑い話だが、もしマクベインが王の立場なら、とっくに宰相を更迭するか殺すかしている。だが王がそうしない以上、最大限に利用するだけの事であった。
床に魔法陣を書き、幾つかの探索系魔術を試していたマクベインが、成果を得られず立ち上がる。其処へ丁度戻ってきた何人かの部下達が、肩をすくめながら報告した。
「ボス! この建物の探索がおわりやしたぜ!」
「首尾は?」
「それが、どうやら此処も違うみたいでして。 女どころか、雌猫一匹いやしません」
「それは残念ですねえ。 仕方がありません。 次の建物に……」
マクベインは言葉を止めると、ゆっくり周囲を見回した。そして手を横に振り、部下達に言い放った。
「どうやら鼠が現れたようです。 総員戦闘配備につきなさい」
不死者の一体を羽交い締めにし、喉を掻き斬り、更に胸の中央に刃を後ろから差し入れる。悲鳴を上げる事も出来ず、ライフスティーラーは塵になっていった。正面からの遭遇線ならともかく、完全な隠密機動ならこんなものだ。刀を振ってぬらぬらした液体を落とすと、ファルは眼下の光景を見下ろした。
今彼女が立っているのは、拠点にしている大きな建物の、四つ東隣にある小さな家屋の五階だ。五階と言っても各階は驚くほどにコンパクトで、その辺りからしても技術の違いがうかがい知れる。窓には透明な硝子ではない何か不思議な素材がはめ込まれていて、其処から下をのぞき見る事が出来た。下にあるのは、扁平だが、かなり横に広い建物である。其処を中心に、斥候らしい不死者が相当数彷徨いているのだ。マクベインが居るなら其処だと、ファルは見当を付けていた。しばらく窓の構造をフリーダーに聞いていたファルだが、やがて視点を一点に固定する。
「まずいな……」
「ファル様、どうしたのですか?」
「フリーダー、さっき見かけた四階の出口から出て、皆の所に知らせろ。 マクベインはあの建物にいる。 私が見張っているから、突入の機会を逃すな」
頷いたフリーダーが駆け出すのと、刀をファルが抜き放つのは同時である。ファルには、今立つ場所を包囲するように迫り来る魔力流の乱れが、手に取るように見えていた。そのまま体を低くして、微妙に立ち位置をずらしていく。やがて、敵の先陣が場に姿を見せた。
ゾンビであった。ただし、一体ではなく、続々と現れ来る。場にはまだ現れていないが、ファルの後ろからも十体ほどの集団が迫ってきている。前方は今のところ七、八、十一。この建物に潜り込んだ敵は、全部で三十ほどと言った所か。ゾンビは動きが鈍く、足運びや気配の殺し方を知らないので、ファルくらいの使い手になるとその程度は即座に判断出来る。魔力視強化瞑想法をほぼマスターした今なら、はっきりと見えるのだ。そういった動きによって、如何に場の魔力流が乱れるのか。第六感というものの仕組みを論理的に理解したファルには、それは勘の産物ではない。視認可能の現実だ。
建物からフリーダーが逃れた。先ほど四階で見つけた戸は、外に出た後建物の外を這うようにして伸びている階段に繋がっている。多少魔物が居ても、フリーダーならきちんと対処出来るはずだ。迫ってくるゾンビに刀を向けたまま、ファルは懐から焙烙を取りだし、封印を噛み切った。
紅蓮の炎が、後ろから迫り来るゾンビ達を包み、狭い通路を蹂躙する。ファルは見もしないで、後ろ手に投げつけたのだ。そして爆風に押されるように体を浮かせ、すべるように廊下を走って、先頭のゾンビに躍りかかった。
刀を一閃させ、一体の首を跳ね飛ばす。腕を伸ばしてきた二体目の懐に潜り込み、胸を一突きにする。刀を腐肉から抜くと、崩れ行く死体になったゾンビを、敵に向けて蹴飛ばす。ゾンビは普通腐肉になった味方をエサだとしか思わない。だが今交戦している連中は、ごちそうになった仲間には見向きもせず、唸りながら次々と歩み寄ってくる。腕を切り飛ばし、回し蹴りで首を蹴り折る。明後日の方へ首を曲げたゾンビが転び、もう一体が足を滑らせる。だがそれを奇貨として腕を伸ばしてきて、もう少しでファルの黒装束を爪が抉りそうになった。あまり余裕もなくバックステップしたファルは、二度跳ねながら焙烙の封印を喰いきり、二発目を後ろにまた投げつけた。爆発が起こるが、空撃だとファルは悟る。
『手応え無しか。 やはりな』
心中で呟いたファルは、まだまだ現れ、襲ってくるゾンビを睨み付ける。間違いなく、誰か相当なネクロマンシーの使い手が指揮を執り、ゾンビを操作している。そうでなければこうも組織的に攻めてこないし、エサに見向きもせず襲ってきたりはしない。技に溺れたな、マクベイン。心中にて呟くと、ファルは更に敵を引きつけるべく、小さく息を漏らし、眼前の敵へと突撃した。
目を閉じているマクベインの心中で、映像が一つ、また一つと消えていく。包囲した敵は、以前四十体ほどの不死者に襲わせたチームの一人、あの忍者だ。確か名前はファルーレスト。そういえば、風の噂で地下六層まで到達したと聞いていたが。それにしても、腕の向上は素晴らしい。以前とそう大差ない戦力に襲わせているのに、まるで苦にしていない。ゾンビでは足止めにしかならないと悟ったマクベインは、数度腕を交差させて、大げさな印を切った。同時に、巨大な肉の塊が、うめき声を上げながら立ち上がった。
相変わらずゾンビは組織的に、的確に襲ってくる。ファルが背後に作った炎の壁を強行突破するような真似はせず、前に分厚い壁を作って、それ自体を武器に攻めてくるのだ。徐々に疲れてきたファルは、歯をむき出しに掴みかかってきた一体を肩投げにして炎に放り込むと、その隙に間を詰めてきたもう一体の顔面に刃を突き立てる。そろそろザイバも切れる頃であるし、体力の無駄遣いも出来ない。第一にファルの仕事は、敵の戦力を少しでも此方に引きつける事だ。
懲りずにゾンビがまた一体、仲間の死体を踏み越えて迫ってくる。刀を鞘に収めると、腐敗した爪を紙一重でかいくぐり、僅かに残っている服を利し背負い投げを掛ける。後ろに作った炎の壁は、それ自体が即席の火葬場と化しており、人肉が焦げる匂いが辺りに充満していた。煙はもうむせるほどに廊下に充満しており、呼吸も辛くなり始めていた。疲労も激しく、頭を振ると、不死者の血と混じった汗が飛び散った。
「ウガアアアアアアアア!」
「五月蠅い。 燃え尽きろ」
突っかかってきた一体を引きつけて袖を掴み、足を払ってやる。腐敗した足が折れ砕け、そのまま滑るようにファルが作ったオーブンに直行する。残っていたゾンビが引き始めるのと、下階から何か大きなモノが現れるのは同時だった。
複頭を持つ、オーガのゾンビであった。腕も両肩からそれぞれ二本ずつぶら下げ、手にはフレイルやグレートアックスなど、破壊力が大きなモノばかり手にしている。腹部には人間の頭が据え付けられ、終始笑い声を盛らしながら、目をくるくると回していた。その後ろからは、もう一体、正体が分からない影が歩み寄ってくる。煙を抜いて現れたそれは、なんとファイヤージャイアントのゾンビだった。眼球が残っていないその顔に、かっての威厳はもう存在していなかった。更に、炎の壁の向こうにも、敵の気配がする。完全に囲まれた。呼吸が激しくなり、押さえきれない。肩で息を整えながら、ファルは必死に冷静を保つ。
『もう限界だな。 フリーダーはまだか? そろそろのはずだが……』
濛々と立ちこめる煙の中、じりじりと間合いを計り合う。窓に小石がぶつかったのは、その瞬間だった。嘆息すると、ファルは窓の下にある金具を外し、外側に大きく透明な板を弾いた。すると焙烙でも割れなかった頑強な透明板が、嘘のように外へとはずれた。
「ガアアアアアッ! グルアアアアアアッ!」
二体の巨大不死者が、足音を響かせて殺到して来る。ファルは懐からカギ縄を取り出すと、窓に引っかけ、外に身を躍らせた。風の中、ファルの体は宙に浮き、激しく建物の外壁に叩き付けられる。受け身の上からも強烈な痛みが走るが、痛がっているヒマはない。そのままロープを掴む握力を緩め、一気に下まで降りる。ロープから火が散りそうな熱が伝わり、愛用の革手袋が、着地した時にはすり切れていた。ファルが飛び退くのと、彼女がいた場所をジャイアントのブレスがなぎ払うのは殆ど同時だった。
「悪いな。 そこで死んでいろ」
言い捨てて、ファルは駆ける。今こそ反撃の時だった。マクベインが居る建物からは、もう激しい戦いの音が響き始めていた。
6,怨念、決着
マクベイン傭兵団とドゥーハン騎士団が激しく刃を交える横で、エーリカのチームがわらわらと現れる不死者を撃退し続けている。その横では、妖刀村正を構えたアオイが、自然体で立っている仇敵と相対していた。ずっと追い続けた殺人鬼、彼女の可愛い子供達を殺したマクベインと。数体の不死者を紙細工のように斬り倒した村正は、もう腐食した液体に塗りたくられていた。
「とうとう追いつめたわ、マクベイン! この時を、一体どれほど待った事か!」
「はて。 貴方は誰ですか?」
「グルテンで孤児院に務めていた者よ。 私は貴方を、孤児院を焼いた悪鬼を斬る為、今まで生き続けてきた!」
「グルテン、グルテンでねえ。 覚えがありすぎて、正直思い出せませんよ」
それは揶揄するでもなく、嘲るでもなく、ごく自然な言葉としてはき出されていた。急角度で眉を跳ね上げたアオイに、マクベインは肩をすくめて見せた。
「貴方は、今まで食べた小魚の数を覚えていますか?」
「小魚……小魚ですって!?」
「小魚より人間の命が貴重だとでも? それは人間の視点から見た、傲慢な思い上がりですよ。 猛々しいお嬢さん」
マクベインが右手をゆっくり挙げ、指先をすりあわせて音を出す。同時にファイヤージャイアントのゾンビが、うなり声を上げながらアオイの前に進み出てきた。マクベインの不死者はストックの限度を知らないようで、次から次へとわき出してくる。
「私にとって、人間はネクロマンシーの実験台に過ぎません。 子供を殺す事なんて、それこそ日常の一部です。 あなた方が朝食に焼いた小魚を食べ、昼食に焼いた豚肉を食べるようにね。 である以上、それを悔い改めろとか言われても、笑うしかありませんよ」
「この下郎……!」
「おや? 貴方だって今まで私を斬る為に、さんざん殺生を重ねてきたのではありませんか? 生きる為に他者を殺めるのは自然の摂理です。 そう言う意味では、私と貴方は同じ穴の狼でしょう。 くだらん薄っぺらな道徳観念に基づいて、貴方に文句を言われてもねえ」
一見マクベインの理屈は無茶苦茶にも見えるが、それなりの筋は通っている。ただしその理屈を通すなら、自分が殺されても何の文句も言えない。アオイは凄絶な笑みを浮かべると、吐き捨てた。
「……そうね。 ならば貴方の理屈に合わせてあげる。 私は侍として、この村正の切れ味を試してみたい。 だから貴方を斬る」
「ふふ、それでいいのです。 人は所詮嗜好によって人を殺せる生き物。 その方が、ずっと自然でよろしい。 今の貴方になら、私も五分の勝負を挑んでみたい。 死にたくはありませんがね。 はっはっは」
後ろから襲いかかってきたゾンビを振り向きもせず両断すると、アオイは村正を構え直す。マクベインは土気色をした顔で笑うと、ジャイアントのゾンビをけしかけた。
ファルが建物に突入すると、不死者の残骸が辺りには散らばり、濛々と奥からは煙が漂い来ていた。激しい戦いの音がする。誰かの断末魔が上がり、重い物が倒れる音がした。
建物は非常に素直な構造である。内部は巨大なホールが容積の殆どを占めていて、その周囲に小さな部屋が幾つかある状態だった。大ホールの一部は平らにせり上がっており、それ以外の場所は僅かに傾斜している。これで椅子が並んでいたら劇場に近い構造だと、走りながらファルは思った。
魔力の流れに身を乗せ、最小限の動きで走る。音は殆ど立たず、風もならない。そのまま刀に手を伸ばし、目に入った不死者を、通り抜けざまに撫で斬る。背中から真っ二つにされたライフスティーラーは、今正にドゥーハン騎士に延ばそうとしていた手を天に向け、絶叫しながら塵になっていった。騎士の礼も聞かず、ファルはそのまま奥へ走る。彼女が引きつけていた不死者達が、時間を掛ければ此処に戻ってくる。あまり時間的な余裕はない。ようやくエーリカ達が見え、安心したファルは、ロベルドと斬り結んでいたデュラハンの脇腹に豪快なミドルキックを入れた。蹌踉めいた死霊騎士は態勢を立て直そうとするが、聴覚強化呼吸法によって一気に集中力を極限まで高め、ロベルドと息を合わせて踏み込み、斜め前と、斜め後ろから、完璧なタイミングで二撃を決めた。絵に描いたような理想的な状況で成功したWスラッシュであった。横転して塵になっていくデュラハンを踏み越え、フォーメーションに加わりながらファルは言う。丁度刀にかかっていた魔力が切れたのが、その瞬間であった。
「待たせたな」
「いいえ、まだまだ戦いは始まったばかりよ。 状況は?」
「強力な不死者二体が此方に向かっている。 マクベインは不死者を好きに操る事が出来るようだ。 しかもおそらく、不死者が見ているものをある程度把握している。 ただ不死者に精密な指示を出すには、ある程度距離が近くなければならないようだ」
「想像以上に手強いわね。 アオイさんだけに任せてはおけないわ」
そういってエーリカは、増幅したディスペルを密集した敵陣に叩き込んだ。悲鳴を上げて焼き崩れる不死者達を見ながら、休み無く次の指示に入る。
敵は強弱様々な不死者が三十体ほど、それに加えて戦い慣れた戦士が十人ほどいる。戦士達はマクベイン配下の傭兵団であろう。彼らはリンシア率いるドゥーハン騎士団と互角に戦っており、その戦力は交戦相手に見劣りしない。くわえて、不死者は次々と彼方此方から集まり来ており、減る様子がない。押し寄せる不死者を次々に切り伏せ、フリーダーが魔法を唱えようとする個体を優先して潰しているが、それにも限界がある。ライフスティーラー共は時間差を付けて詠唱し、そのうちの幾つかを潰し損ねる。結果、何発かの火球がファル達の側に着弾し、炎に包まれた手を振ってロベルドが舌打ちした。
「ちいっ! いい加減きりがねえぜ!」
交戦中の部屋には沢山の出入り口があり、其処から不死者が法則無く入り込んでくる。敵の増援を待ち伏せしようにもなかなか出来ず、騎士団は奇声を上げて襲いかかってくる傭兵達にかかりっきりで、不死者にまでは手が回らない。それでも隙を見てはリンシアがディスペルを時々発動し、不死者達を光の波動で焼き尽くしていた。マクベインはと言うと、ジャイアントのゾンビと交戦しているアオイを、せり上がった(舞台)から、文字通り高みから見物中である。バトルアックスでの一撃をよけ損ねた騎士が横転し、とどめを刺そうとした傭兵のこめかみにフリーダーが放った矢が潜り込む。倒れた騎士も深手を負っていて立ち上がれない。場にいる人間は着実に減り行き、不死者が占める割合が一秒ごとに増えていった。増幅ザイバを発動させながら、エーリカが言う。
「このままだと、じり貧からなぶり殺しにされるだけよ。 状況を打開する方法は、一つしかないわ」
「マクベインの撃破だな」
「ええ。 ファルさん、疲れてる所悪いけど、頼むわ!」
「問題ない」
煌々と輝く光に覆われた刀を一振り二振りし、眼前に立ちはだかったゾンビを蹴り倒しながらファルが頷く。素早い指示が飛び、無言のままヴェーラとロベルドが壁を切り開きにかかる。リンシアが此方を見て状況を察し、素早く手近な傭兵に膝蹴りを叩き込むと、蹲ったそいつには目もくれず、かなり無理してディスペルを発動してくれた。浄化の光が数体の不死者を焼き尽くし、マクベインとファルの間に通路が出来る。それを塞ごうとする不死者の胸に、フリーダーの放った矢が突き刺さった。隙ができたリンシアが、唸りながら立ち上がった敵傭兵の鋭い剣撃を受けそこねて蹈鞴を踏むが、構っている暇はない。
ファルは走り、一気に敵中を突破した。その背を後押しするように、今度はコンデが放った速射式クレタが、数体の不死者を焼き尽くしていた。
巨大な斧を振り回して、ジャイアントゾンビがアオイに攻めかかる。アオイは華麗な足捌きで匠に立ち位置をずらし、敵が斧を振り下ろした瞬間に合わせて、村正を一息に切り上げていた。落ちかかる鉄の滝と、登り上がる光の刃。激突は一瞬であった。一見細いが、流石に妖刀である。分厚い斧に実力で競り勝ち、相手を半ばからへし折っていた。
「……はああっ!」
そのまま返す刀で、アオイは村正を力任せに振り下ろしていた。袈裟に両断されたジャイアントのゾンビが、口から腐敗し濁った泡を吹いて、地面に沈み込むように倒れていった。腐った肉体から蛆が逃げていく。刃の先を、アオイがマクベインに向けた。
「待たせたわね」
「いえいえ、お構いなく。 それに待たせていたのは、貴方だけではありませんから」
アオイがファルには視線を向けず、小さく舌打ちした。ファルは髪を掻き上げると、ここに来る途中で斬り倒した不死者達の肉汁を落としつつ、ゆっくりアオイに並ぶ。
「サポートは任せろ」
「……余計な事を。 でも、感謝するわ」
ファルが体を沈み込ませるのと、アオイが上段に構え、マクベインへ突進するのは同時であった。相変わらず間近で見ると凄まじい威圧感だが、以前と違い、それに触れただけで身動きできなくなるようなことはない。ただし魔力の流れを視る事が出来るようになったと言う事は、奴の周囲を覆うまがまがしい魔力も可視になったことも意味する。油断すれば飲まれる。突撃するアオイ、腰からサーベルを抜くマクベイン、両者に注意を払いながら、ファルはゆっくり立ち位置を横にずらしていく。
コンデが言ったとおりマクベインがリッチだとすると、メガデスなどの桁が外れた破壊力を持つ上級魔法を自在に使いこなす可能性がある。そのため、奴の周囲の音を聞き漏らすわけには行かない。かといって、ファルの位置を考えると、不死者に対する処置もおろそかにするわけには行かないのだから難儀だ。
「覚悟おおおおおっ!」
青紫に輝く村正が、空を斬りながらマクベインに迫る。刀が纏う妖気は、マクベインの全身を覆うそれに勝るとも劣らない。一歩退いたマクベインが、軽く洋刀を振り上げて、強烈な一撃を受け流す。そのまま滑るようにアオイは村正を跳ね上げるが、マクベインは斜め下から襲いかかってきた斬撃を、予測していたように仰け反ってかわす。そして音もなく立ち位置をずらし、アオイをファルとの間に持ってこようとする。上手い戦い方だ。その過程で連続して突きを繰り出し、アオイを牽制する事も忘れていない。
「ほらほら、どうしました? そんな事で私は倒せませんよ?」
「黙れ!」
安い挑発にアオイが叫ぶが、流石に我を失う所までは行かない。足下を狙った剣撃をマクベインは軽々と押さえ込んだが、同時に距離を詰めたアオイは、悪鬼に体当たりを敢行していた。
大鎧が激しい金属音を立て、余裕の体で戦っていたマクベインの顔が流石に強張る。アオイはそのまま踏み込んで、至近からの胴への一撃を狙ったが、ずっと観察を続けていたファルが慌てて叫ぶ。マクベインの頬には、薄笑いが張り付いていた。
「下がれ!」
「!? ぐ……ああああっ!」
強烈な打撃音と共に、アオイがはじき飛ばされ、舞台上で数度転がって止まった。吐血しながら立ち上がる彼女の大鎧には、胸の辺りに大きな穴が開いていて、肩当ても剥がれかけていた。欠損箇所からは煙が上がっているが、マクベインが魔法を唱えた形跡はない。アウローラですら、魔法を唱えた時には超短縮されていたとはいえ、その形跡があったとリンシアに聞いている。一体如何なる手品を使ったのか。
更に深くマクベインに視線を凝らす。どうも奴の周囲を覆う魔力の動きが変だ。更に一歩下がると、ファルは如何なる事態にも対応出来るよう身を低くしたまま、何とか構えを取り直すアオイを見やった。
「ほう、これを喰らって立ち上がるとは。 やりますねえ」
「いったい、何をしたの……!」
「さあ、何でしょう」
おどけてみせるマクベイン。アオイはさっきの一撃を警戒し、じりじりと慎重に間合いを詰める。ファルは懐から焙烙を取り出すと、何の前触れもなく、無造作にマクベインへと放った。効くとは最初から思っていない。音もなく飛んだ焙烙だが、流石にマクベインは気付いてマントで叩き落とし、爆発に包まれた。轟音と炎の中、アオイが再び斬りかかる。素早く横に動いて自らも斬りかかる機を狙いながら、ファルは気付いていた。一本の、やや湾曲した棒のような物が、斜め上からアオイに襲いかかる様に。焙烙を投げつけたのは、魔力流に指向性を持たせて、敵の攻撃の正体を探る為だ。
「伏せろ!」
「!」
今度はアオイの対応が速い。髪を数本散らされながらも態勢を低くし、逆袈裟に一撃を叩き込まんとする。柔らかくそれを受けながら、マクベインはファルにぞっとするような視線を送り、風がなる。来る。避けられない。本能的に察知したファルはバックステップしながらガードポーズを取る。激しい衝撃が腹部を襲い、衝撃を殺していたとはいえ、罅が入るほど激しくファルは壁に叩き付けられていた。
「ぐあっ!」
「ふむ……見えているのですか? ひょっとして……」
「よそ見など、させない!」
不意に刀を引いて均衡を崩すと、アオイは横向きに敵の懐に滑り込み、大鎧に激しくサーベルを打ち当てながら、抉り込むようにショルダータックルを浴びせた。数歩下がるマクベインに、上段から追撃の一撃を叩き込む。が、その村正の一撃は、マクベインの肩の上三十pほどで止まってしまった。唖然とするアオイに、再び先ほどの不可視の一撃が叩き込まれ、派手に吹っ飛ばされる。舞台の、マクベインが立っている位置と丁度逆側の壁に叩き付けられたアオイは、それを壊しながらずり落ちた。激しい痛みを何とか気力で押さえ込みつつ立ち上がったファルは、ようやく敵の攻撃の正体を推測する事が出来た。
滑るようにマクベインが近づいてくる。途中不意に加速するのを見て、ファルは自身の推測を確信へと昇華させた。横薙ぎに飛んできたサーベルを刀の鍔で受け止めると、引かずに前に出て、顔面にヘッドバットを喰らわせる。流石に呻いたマクベインから今度は全力で引く。足下の床が吹っ飛ぶ。そして四回バックステップし、舞台の上に飛び乗ると、マクベインを睨み付けながら、口の端の血を拭って言った。全身が痛い。あまり余裕はない。
「アオイ殿、起きているか?」
「まだ、まだ大丈夫よ」
「……奴の攻撃の正体が分かった」
会話を悟らせないように、わざと念入りに口の周りを拭きながら、ファルは自力で立ち上がるボロボロのアオイに続けた。
「物理干渉能力を持つほどの高密度な魔力で作り上げた骨だ」
「骨? 骨ですって?」
「奴の肩を覆うように、巨人の物ほども大きい肩胛骨があり、其処から腕の骨が生えている。 接近戦で使ってきたのは腕の骨だ。 しかも単純軌道なら、飛ばす事も戻す事も出来るようだ。 間近にいるアオイ殿を攻撃する時は、一度引っ込めてから、凄まじい勢いで繰り出していたようだな」
それで今までの不可解な攻防に結論がつく。マクベインもマクベインで、今のファルの頭突きは結構精神的に効いたようで、苛立ちながら歩み寄ってくる。呼吸を整え、額から伝ってきた血を拭うと、ファルは続ける。
「どうやら攻撃時には充填時間が居るらしい。 付け入るなら其処だ」
「分かった。 なら、彼奴が避けざるを得ない攻撃を浴びせる。 其処を叩いて」
「……いいのか?」
「無論、とどめは私にちょうだい」
口の端をつり上げると、ファルはアオイの説明を手短に聞き、舞台から飛び降りた。
アオイが腰を落とし、村正を鞘に収める。そしてファルが垂れ落ちてきた鮮血を拭いながら、自身は刀を抜き、敵から隠すように背中へ構える。今までの戦いから分かるように、マクベインは接近戦に関しても相当な実力者だ。だが、激しい攻防を交えた結果、幾つか弱点も発見出来ている。
「シャアッ!」
叫びながら、ファルが地面を蹴り、ジグザグに間合いを侵略していく。残像さえ残しながら、蹴り上げられた地面が埃を舞わせる様は、幻想的なまでに美しい。だが、流石にマクベインは歴戦の猛者だ。ファルの動きにも全く動じず、中段にサーベルを構え続ける。見る間にファルの残像は彼に迫り、そして追い越した。交錯の瞬間、なで切りにしようとしたファルの刀と、サーベルの刃がぶつかり合い、激しい火花を散らす。背後に回ったファルは、振り返ろうとするマクベインより速く相手の背中につき、急角度に向きを変えて背中から貫こうと刃を向け、また不意に急角度に向きを変えて、横に跳ねる。彼女が居た位置を、巨大な魔力骨が抉り去ったのは、その瞬間だった。魔力骨はそのまま低高度から地面を擦りつつ、ファルの足を打たんと迫る。回転を続けるマクベインは、中央にいる為動きが最小限でよい。骨の大体の射程を知るファルは走りつつ徐々に距離を取り、投射された一撃を横っ飛びにかわして見せた。マクベインが目を見張ったのは、舞台上のアオイの挙動にである。
「せあああああっ!」
ずっと集中していたアオイは、気合いと共に目を見開き、抜刀していた。居合いと言われる技だ。本来軽装の相手を倒す為の技で、鞘の中で刃を滑らせ高速化して、敵の対応速度を超えた一撃を繰り出す。その派手さから有名なのだが、実際には、居合いの初太刀は相手の動きを止める為のものであり、本命はその後の通常斬撃なのだ。また重装の相手にも通じない為、実はそれほど実戦的ではない技なのだ。しかし村正で使うと、通常の居合いと異なる技が生まれる。膨大な妖気を蓄えたこの刀で超速の斬撃を見舞うと、それは巨大な妖気の刃を飛ばす必殺術となるのである。破壊の力を秘めた刃が、回転し続けて結果動きを止めていたマクベインに襲いかかる。バギン、と凄まじい音がしたのは、おそらくガードに使ったもう一本の魔力骨がへし折れた音。このままなら本体を守っている肩胛骨も行ける。真剣になってマクベインは跳躍し、飛び来る村正の妖気から逃れ去るが、自由に飛ぶほどの余裕はない。彼は後方の壁に向けて飛ぶしかなかった。その壁に追いすがった妖気が着弾し、建物自体が揺動する。村正の居合いは、建物の一角の壁を、その辺りにいた不幸な不死者もろとも両断していた。
壁の、大きな亀裂が入ったすぐ上に、マクベインが張り付いている。大きく肩で息を付く彼の真横に、今のタイミングを待っていたファルがいた。
「!」
「忌ね」
「ぐがあああああああああああああああっ!」
光り輝く刀を振るい、ファルは壁を蹴り、斜めに跳躍した。そして通り抜けざまに、ついにマクベインを撫で斬る。マクベインが初めて、腹の底から響くような絶叫を上げた。殆ど同時に、アオイが渾身の力で村正を振り下ろし、刀身に残っていた妖気を全て飛ばした。初撃ほどの凄まじさはないが、それは怨嗟と歓喜の声を上げながら、軌道上の全てに切断と破壊をまき散らし、飛ぶ。再度轟く建物の悲鳴。膨大な量の埃が舞い上がり、真っ二つに切り下げられた壁がゆっくりずれていく。その片方はバランスを崩し、軋みながら舞台の上へと倒れ込んだ。伝説になっているだけあり、物凄い破壊力だ。間一髪で着地したファルは、埃の向こうから差し込む薄い光を見て、冷や汗を拭っていた。一歩間違えればマクベインごと真っ二つにされていた所である。ギリギリの攻撃であったが、何とか成功した。手応えも充分にあった。現にマクベインの両足は、舞台の上に無惨な姿となって転がっていた。
ファルもアオイも表情を緩めていないのは、まだ終わりでない事を本能的に知っていたからだ。アオイは今の一撃で殆ど力を使い果たし、村正を杖に身を起こすのがやっとだ。ファルも無理をして動いた為全身が痛い。体力的にも、もう限界に近い。頭から流れてくる血も、さっきから止まらず、気力を奪う一因となっていた。
「なかなかやりますねえ。 この姿をさらすのは、ドゥーハン騎士団に追いつめられて、捕らえられた時以来ですよ」
声が響く。
「どうやら、私も、いわゆる年貢の納め時のようですねえ」
埃が晴れていく。
「でも、ただでは倒されませんよ」
けたけたと笑う声がした。顔を上げたファルは、あまりにもおぞましい物を見た。
其処には生首だけがあった。朽ちた生首のみが、宙に浮いていたのである。首の下からは乾涸らびた内臓がぶら下がっており、其処から少し離れて、細い干物のような腕が、肘の先からだけ浮かんでいた。腰から下は先ほど付けた傷で半減しており、ボロボロの腰布を巻いた腰部が僅かに内臓の先に引っかかっている。その他に体と呼べる物は何もない。そしてより強力に放出されている魔力の形作る物を、今ファルははっきり見ていた。
骨という推測は確かに会っていた。だがマクベインは魔力で作った骨で身を守っていたのではない。昆虫のように、体そのものを支えていたのだ。肩胛骨の下には肋骨があり、風に吹き飛ばされそうな本体をガードしている。足の骨は切断されてしまってはいるが、かってはそれを利して歩いていた事は容易に推測出来る。魔力のみで生きている存在。それが今のマクベインだった。
「なるほど、コンデ老が不完全体だと言っていたのは、こういう事か。 魔力は凄まじいが、体そのものはあまりにも貧弱すぎる。 これでは文字通りの生ける屍ではないか」
「……哀れな奴」
「ハハハハハ、結構な御批評で。 でもねえ、お二方。 私はこの体を気に入っているのですよ。 自分で作り上げた不死の標本をね。 これを造る為に私は数限りない命を飲み干してきた。 これの為に私は数限りない戦いを経験してきた。 貴方達とそう言う意味では同じだ。 その強さを得る為に、貴方達は一体どれだけの敵の命を踏みにじってきた?」
少なくとも、マクベインの目に狂気はなかった。彼は生粋のネクロマンサーだった。完全なる自己肯定の徒だった。故に、その言葉は自分勝手であっても、間違っては居なかった。暗い道ではあっても、まっすぐだった。
「だから、私から見て、この体は美しい」
体を覆っていた魔力の肋骨が開き、槍のように尖ったその先端をファルとアオイに向ける。同時に内臓がぶらんと垂れ、気色の悪い黒汁が散らばった。
「だから私は生き残り、この世の終わりまで存在してみせる」
「……ファルーレストさん、下がって」
「そうだな。 譲ってやる」
ゆっくり歩いて、ファルは後ろへ下がった。彼女にも、アオイにも、そしてマクベインにも。もう分かっていた事だ。決着は既に付いている。マクベインが放っている魔力は、滅びの前の輝きだ。後は如何にして、各々が精神的な決着を付けるか。
ゆっくり歩いていくアオイ。骨が飛んできて、彼女の体に突き刺さる。脇腹を刺され、肩を刺され、足を刺され。だがアオイは止まらない。やがて無口な侍は七カ所を貫かれながらも、マクベインの眼前にまで来た。そして、大上段に村正を構えた。
「さよなら、マクベイン」
「ふん……まあ、仕方がないでしょう。 私は他人の命を踏みにじり、自分の命を長らえる事を信条にしてきたのですから。 他人にそれをされても、文句を言える立場にはないでしょうね。 ……斬りなさい」
こくんと頷くと、アオイはもう動けないマクベインを両断した。
7,一つの戦いの終わり
激しい交戦が行われていた建物が揺れる。入り口から、無理矢理に巨大な不死者数体が入り込もうとしているのだ。ファルを追撃して来ていたオーガのゾンビ、それにファイヤージャイアントのゾンビもである。激しい戦いで傷ついた建物を、巨大な不死者共が揺さぶる。激戦で雑魚をほぼ掃討したが、もう戦う力もほとんど無くしていた騎士団員達が、怯えを漏らした。
マクベイン傭兵団最後の一人を、ロベルドが叩き斬る。だがそれは殆ど相討ちであって、敵の剣もロベルドの脇腹に深々突き刺さっていた。苦痛の声を漏らして倒れるロベルド。周囲には敵もいないが、戦闘能力を残した味方も殆どいない。やせ我慢をして立っているエーリカでさえ、汗が止まらず呼吸が乱れっぱなしなのだ。ヴェーラは仰向けに倒れたまま動けず、コンデは座り込んだまま立ち上がれない。フリーダーは形態変化で暴れ回っていた分反動が大きく、エーリカと背中をあわせて剣を構えてはいたが、もう立っているのもやっとの状態だった。
エーリカが騎士団と、入り込もうとしてきている不死者をみやり、大きく嘆息した。騎士団員も皆青息吐息で、リンシアは地面で伸びて身動きしない。それでも指示を立っているフリーダーに出すのは流石か。
「残りちょっと。 やってやろうじゃないの、フリーダーちゃん」
「余裕です」
「そ、余裕よ。 来なさい。 ぎったんぎったんにぶっ潰してやるわ!」
言葉の形を伴った空元気は、結局敵に届かなかった。敵が崩れ、ただの死体へとなっていったからである。同時に大きく嘆息したフリーダーとエーリカが、床に尻餅をついていた。今の言葉が空元気だったと言う事は、二人の表情が証明していた。
「良かった。 ファルさん、勝ったわよ」
「流石はファル様です。 当機はファル様に仕える事を誇りに思います」
「でも、もう少し速く勝って欲しかったわねえ。 えらいしんどかったわ」
「当機も同感です。 この様な数の相手とは、二度と戦いたくありません」
彼女らが経験してきた中でも、もっとも多くの敵との乱戦は、こうして終わりを告げた。
マクベイン傭兵団は此処に壊滅した。生き残っていた者は騎士団によって捕縛され、転移の薬で地上に出てから牢に収監された。宰相一派との関連を聞き出せるかは難しい所だが、それでも連中の好き勝手な行動を今後掣肘出来る。少なくとも、マクベインの能力から考えて、宰相は片腕を失ったに等しい。力を持てば好き勝手な事が出来る。逆に力がなければ多くの人間は野望を諦める。騎士団長は頭に包帯を巻いたリンシアの報告を聞き終えると、満足そうに頷いて、ざまあみろと小声で呟いた。リンシアは騎士団長の挙動に苦虫を噛みつぶしたような顔をしたが我慢した。精神的に幼すぎるこの欠点さえなければ、素晴らしい上官なのだから。
騎士団員も二人重体で寺院に担ぎ込まれたが、何とか死は免れた。ただ一月ほどは前線復帰が不可能な状態である。他の騎士達やリンシアも結構深手を負ったので、今後暫くは自主的に浅い階層で勤務する事に決めていた。結果的に、しばらく地下六層以下の探索任務は規模を縮小せざるを得ない。報告を終えたリンシアが下がろうとすると、ベルグラーノは思い出していった。
「それにしても、エーリカ殿の働きは流石だな」
「はい。 ファルーレストさんを始めとする彼女の仲間達は、皆一騎当千の強者達です」
「今後積極的に共同戦線を張っていきたい所だ。 彼女らと協力すれば、近いうちに魔女へ手が届くやも知れない」
それに関しては手放しで同感だったので、リンシアは大きく頷いた。少しずつ、迷宮内の状況は好転しつつあるように思えた。
一度街に戻り、借りている宿に着くと、アオイが来ていた。彼女も包帯まみれで酷い有様だったが、目の光は衰えていなかった。彼女はぎこちなく頭を下げて、不器用に敬語で言った。
「今回は世話になったし、礼をしに来ました」
「ううん、アオイさん、貴方の力があってこそ、我々は有利に事を運べたんですよ」
「……これからも、この悲惨な事態が解決するまで、刀を貴方達の為に振るう事を誓います。 遠慮無く、私と村正を使ってください」
アオイの肩を叩くと、リンシアは手を引いて、彼女を違う宿へと案内した。礼を言うべき相手は、他にもいたからである。
ほどなく。夕闇の中、私服のリンシアとアオイが、クライツラ協会所属冒険者宿NO89の前にてファルに礼を言う姿が見られた。アオイにとって、確かにこの時一つの戦いが終わったのである。そしてそれは、新しい道を見つける為の、新たな戦いの始まりでもあった。
地下六層の一角。特殊な結界が張られ、厳重に保護された其処に、忍者ゼルが戻ってきた。彼は出迎えたエルフの双子に飴をあげると、自身は結界の最奥へ入り、其処にいた女性に頭を下げた。小さいながらも良く整えられた部屋である。整った容姿のフェアリーであるゼルが其処にはいると、良く栄えた。
「ご機嫌麗しゅう。 姫様」
「状況はどうなっていますか?」
「何チームか、地下六層までこれる人材が育ちつつあります。 特に以前報告した私の弟子は、着実に腕を伸ばしていて、頼もしい忍者になりました」
「……それによって、この悲惨な戦いが終わる日は、来るのですか?」
「其処まではまだ分かりません」
姫君と呼ばれた美しい女性は、悲しげに眉をひそめた。絶世のと言うほどではないが、誰もを虜にする優しい姿の持ち主だった。その憂いに満ちた顔を見ていたゼルは、不意に指を鳴らした。
「……そうですね、少し試してみます。 大望を果たせる者かどうかを」
「あまり無茶はなさらないでください」
「ご安心を。 引き際も限界も心得ています故」
深々と礼をし、部屋を出る。ゼルはそのまま、笑顔で手を振る双子に微笑み返し、結界を出た。一歩結界を出てしまえば、其処は人外の住む魔境だ。ゼルほどの使い手でも、一瞬たりとも油断出来る場所ではない。戦闘態勢を崩さぬまま、ゼルは呟いた。
「あのマクベインを屠るとは、なかなかだ。 もし私に勝てるのなら、その時は……」
笑いがこぼれてきた。髪を掻き上げて、ゼルは自分に言う。
「何、まだ引退するには若い。 弟子にちょっかいを出すだけ、それだけさ」
古豪と言うにはまだ若い、達人の持つ精悍さが、その姿には宿っていた。まだまだ、彼は戦いを止める気はなかった。それは武人が持つ、愚かで悲しい性であった。
(続)
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