伝説の都と現実と

 

序、うごめくものの横顔

 

うごめくものオルキディアス。七体居るうごめくものの中で、ラスケテスレルと並ぶ中堅の存在である。そしてその役目は、他の者達と違い、マクロ的な資源確保ではなく、ミクロ的な混乱の誘発にある。ただし、大きな意味を持つミクロな混乱だけを産み出す職人でもある。特殊な存在であるという点では、信号弾の役割を果たすラスケテスレルと同じであり、異色である点も同じである。

上位のスケディムやマジキムがロードローラーだとすれば、彼はパイルバンカーだ。最終殲滅者の降臨に先駆けて、下準備をする為だけに彼は生まれくる。彼の作業には、慎重な判断力と知識が必要とされる。マジキムと並ぶほどの、高度な知性と知識を与えられているのはその辺りが理由である。また、彼は食欲も他のうごめくものに比べて著しく少ない。この辺りは彼の存在理由自体に原因がある。

だから、彼が生を受けて最初にする仕事は、状況の分析だ。不完全な体を、現地で色々材料を調達して補いながら、彼方此方を歩き回り、調べ回った。そして彼は結論した。どうして呼び出されたか分からない。おかしい、と。

確かに条件は揃っているし整っている。しかし、それがどうしても人為的に整えられたとしか思えないのである。文明的にはそう進んでいるはずもないし、可能性として予測される、天界及び魔界の干渉も最小限だ。それなのに、どうも嫌な予感がする。何か巨大な罠に、誘い込まれているような印象であった。まあ何にしても、罠など噛み破るだけの話である。身の程知らずの愚か者共には、それ相応の痛みを与えてやるだけの話であった。どちらにしても、彼が呼び出された時点で、この文明の命運など決まっている。

混乱を起こす前に、幾つか排除しなければならないものがあった。一つは僅かながらに干渉をしてきている天軍と魔軍だが、連中に手を出すにはまだ早い。もう一つは以前採集した文明の残り香だが、此方は技術自体が殆ど残っていないので、僅かな危険因子を幾らか処理するだけで充分であった。保険として、それなりの威力を持っていた最終兵器は破壊しておこうとオルキディアスは決めた。ただ、マジキムにも歯が立たなかった文明の最終兵器など、最終殲滅者の前に立ち塞がっても意味がないし、せいぜい保険程度のことであったのだが。

オルキディアスはしばし力を蓄えると、三日ほどして本格的に動き始めた。まず向かうのは、人類側に戦力になりうるものの排除である。人間達が地下五層と呼ぶ場所にそれがある事はもう調査済みなので、まずは其処を重点的に狙う。そして二日ほどの調査の後、笑止な事実が明らかになった。

最終兵器は、以前壊れたまま、修復されていなかったのである。

ひとしきりオルキディアスは笑った。最終兵器オグは破砕されたままであり、現在の文明でその修復は不可能であった。後はまだ戦闘目的の兵器がいくらか残っていたから、それを処分せねばならなかったが、もう最大の障害は取り除かれたと言っても良かった。

昔からオルキディアスは油断する悪癖があった。目的を達成すると、どうしても緊張を解いてしまうという欠点があった。それによって一度完膚無きまでの敗退を喫したというのに、どうしても直そうとはしなかった。自分の力に自信を持っている事が、悪癖に対しての目隠しとなり、耳栓となり、改善を放棄する根元となっていたのである。

地下五層を順番に周り、オルキディアスは調査を続けた。たまに人間の冒険者とぶつかる事もあったが、姿を隠してやり過ごした。オルキディアスの仕事はあくまでミクロな要素の粉砕であり、雑魚を殲滅する事などに興味はなかったからである。嫌みなまでに美しい青年は、楽な仕事だとたかをくくってしまい、迷宮を悠々と歩き回っていた。

やがて、彼が無数にはなっていた監視用端末の一つが、地下五層の一部に異変が起こった事を伝え来た。その映像を見ると、彼は口の端をつり上げ、可能な限りの速度で其方へと走り始めた。

 

地下十層で状況の分析に当たっているアウローラとその部下達は、オルキディアスの挙動を逐一掴んでいた。最初は隠密行動していたオルキディアスだが、オグの破壊体を発見して以来すっかり油断してしまい、今は気配が駄々漏れになっている。実際問題、得意とする任務に就かせればこれ以上ない破壊力を発揮する存在なのだが、それ以外は詰めが甘く、与しやすい相手であるのは間違いなかった。アウローラが最初に撃破した相手であり、もっとも憎むうごめくものオルキディアス。にもかかわらず、魔女本人が何処か憎めない奴なのだと零した事があるが、監視に当たっている者達は皆認識を同じくしていた。モニターをのぞき込むパーツヴァルに、心底楽しそうにアインバーグが応じる。

「オルキディアスの奴、ドゥーハンやサンゴートの騎士団には関心がないようだな」

「数字でしか物事が判断出来ないアホだから、それは仕方があるまいて。 ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」

「頭の方が凡愚とはいえ、その戦闘能力は決して油断出来るものではない。 此方が油断して、其処から崩されたら本末転倒だ。 気を抜くなよ」

ネクロマンサーの肩を叩いて釘を差すと、パーツヴァルは奥の部屋に向かった。其処ではだいぶ傷を回復させたアウローラが、テーブルを前にして茶にしていた。極端な猫舌であるパーツヴァルは、どうしてもリズマン以外の人類種がたしなむ茶という奴が苦手だった。否定するつもりはないのだが、以前面白半分に飲まされて酷い目にあって以来、茶の匂いを嗅ぐだけで嫌悪感に包まれるのである。咳払いしたパーツヴァルに、アウローラは静かに顔を上げた。

「状況を説明して」

「オルキディアスは現在、地下五層でおそらくオートマターの残りを処理する為に動いている。 未だ天軍側の干渉は認められないし、魔界側は動向も掴めない」

「わかりやすい奴ね。 此方が予想した以上でも以下でもないじゃない」

「しかし、今後の動向次第では、取り返しが付かない事態になる可能性もある。 処理するなら、すぐに俺が向かうが?」

パーツヴァルの言葉に、アウローラは首を横に振る。そして、放っておくように、強く付け加えたのだった。

 

1,志

 

錬金術ギルドに足を運ぶのは、ファルには苦痛だった。フリーダーが好きなように体を弄くられるのを見るのは辛かったし、フリーダーがそれに嫌悪を示さないのも痛々しかった。時々涎さえ零しながら、怪我をしたフリーダーを実に楽しそうに治療するギルド長ギョームを何度殴りつけたくなったか知れない。天才は変人の別称だと言う事を知ってはいても、嫌なものは嫌だった。

迷宮で非常に厳しい冒険をこなした直後だというのに、ファルは休む事もせず、フリーダーが治療されている部屋の隅に席を借りて、一人茶を啜っていた。結構濃いめに入れた茶で、カフェインが濃く、眠気覚ましには丁度良かった。透明なシリンダーに充たされた液に沈められたフリーダーは目を閉じたまま微動だにしない。少しずつ怪我が治っていくのが分かるほどに、彼女の快復力は強い。ファルもどちらかと言えば回復力には自信があるのだが、フリーダーのそれは桁が違っている。回復魔法を受け付けないと言う点を考慮してもである。事実、今回の探索で受けた肩の傷などは、常人であれば一生跡が残るほど深い物だったのに。半透明の液体に浮かぶフリーダーの背中からは、もう傷跡が消えようとしていた。

やがて、作業が一段落する。いそいそと近づいてきた人影に顔を上げると、満面の笑みを浮かべたギョームであった。ファルが咳払いすると、意図を察したギルド長は、それはもう饒舌に喋り始める。

「いやはや、実に激しい戦いを経験してきたようで何よりだ。 これからもあ……あの子をどんどん活用して、データを集めてきてくれたまえ。 それに聞いた話によると、地下五層の深部で武神オグの残骸を発見したそうではないか。 すばらしい、すばらしいなあ君達の能力は。 あの子を託した私としても、実に鼻が高いよ、うん」

「……」

「ああ、あの子については何の問題もないよ。 明日からはまたじゃんじゃん戦わせてくれたまえ。 あの子自身も、それを生き甲斐にしている事だしなあ」

「……一つ、聞きたい事がある」

舌を引っこ抜きたい衝動を抑えて、ファルは出来るだけ平静を装って言った。元々人間は、特に学者肌の人間は、ヒューマンと言わずエルフと言わず、他者に知識をひけらかすのが大好きだ。エルフであるギョームも例外ではなく、何でも聞いてくれたまえと、滑稽なほどに胸を張って見せた。

「では聞く。 オートマターとは、結局の所何なのだ?」

「ううむ、それか。 実はまだ資料が集まりきっていなくて、よく分かっていないのだが……発見された資料の分析から、幾つか仮説は立ててある」

「具体的に聞きたい」

「仮説の一つは、自動で動く機械というものだ。 現在でも魔法や熱を動力にして動く簡単な機械は存在しているが、それとは全く次元が違う存在になるな。 エネルギー源は人間と同じ食物で、しかも自立的に思考を組み立てて行動する。 ディアラント文明では、人と全く能力が変わらぬ機械を創る事が出来た、と言う事なのだろう」

ファルは納得しなかった。フリーダー自身の言葉を総合しても、彼女がディアラントから来たのはもう間違いがない。確かに、どうやって七千年の時を克服したのか、肉片が集まって生まれ出たうごめくものの体内から何故出てきたのか、分からない事は山積みだ。が、持っている知識から言っても、その特性から言っても、彼女がディアラントの出身者である事は間違いないのだ。故に、ギョームが大前提としているディアラント文明の所産であるという点に関しては、ファルも異論がない。ただファルとしてみれば、造血機能を持っていたり、食物を採って体力の素にしたりするという特性が、機械の持つものだとは信じられないのだ。あの巨人を見た後でも、である。

「他に仮説は?」

「ううむ、これを言うと、君は怒りそうなのだが」

「言わないともっと怒るぞ」

「言う、言うから首を絞めないでくれ! あの、そのだな」

ファルの握力から開放して貰ったギョームは、咳き込みながら、ちらちらとフリーダーに視線を送りつつ言う。

「あの子は、元人間かも知れない」

「……!」

「僅かに見付かった資料に、プラハフという記述がある。 どうもこれが、オートマターのもっとも大事な材料らしいのだが、コレの正体の説の一つが、ディアラント人以外の人間というものだ。 私を始めとした一部しか支持していないのだがな。 もし人間だとすると、残念極まりない。 如何に強力な完成品が出来ようとも、王は量産を許してはくれぬだろうからな」

悪気はないのは分かっている。だが、ファルは一生ギョームとは友になれそうもなかった。此奴は材料が人間だったとして、と仮定した後に、だから量産出来ないのが残念だとほざいたのである。悪気がないのが余計に腹立たしい。このエルフの錬金術師は、非常に純粋な男だ。そしてそれが故に、途轍もなく危険な存在でもあるのだ。ファル自身は一般人が大嫌いだが、それとこれとは話が別だ。大体フリーダーくらいの年頃の子供達が、怖気が走るような実験をされてオートマターにされる事を想像しただけで、ファルは理性が消し飛びそうになった。

後幾つかの説を聞くが、どれもファルにはしっくり来なかった。やがて透明な容器からフリーダーが引き上げられ、研究員達に体を拭かれ始めた。まだ彼女は眠っていて、目を覚まそうとしない。白衣を着せようとする連中を制止すると、ファルはさっきエイミに持ってきて貰った洋服を採りだして、フリーダーに自分で着せてやる。母性の強いファルは、こういう時に随分心が安らぐ。だが決して気は緩めないので、表情は鋭いままだ。静かに寝息を立てているフリーダーを背負うと、ファルはギョーム以外の研究員(連中は案外気が良い奴だと知れている。 しかし、才能は残念ながらギョームに全く及ばない)に礼をし、研究所を後にした。名残惜しそうにフリーダーを見ているギョームを無視して

 

ようやく錬金術ギルドを出る事が出来たファルは一息ついたが、まだまだ仕事はある。忍者ギルドにも、イーリスの所にも顔を出して、情報を集めておかなければならない。疲れはさっきギルドでじっとしていた事によって少し取れたので、これはやっておかねばならなかった。仲間達に甘える時は甘えるつもりになっていたファルだが、今はその時ではないと考えていたのである。

フリーダーを背負っている際のファルは、冬眠前のヒグマ並に獰猛になっている。宿への帰り道にて、花屋の少女に因縁を付けていたチンピラ五人を問答無用で路地裏に引きずり込んで半殺しにした程である。震えながら礼を言う少女に適当に頷くと、返り血も落とさず、血走った目でファルは帰り道を行く。周囲の一般人を潜在的な敵と見なしている上に、守るべき対象が無防備なのでそういう精神状態になってるのだ。ただ、本人もそれを自覚していて、出来るだけ人間があまり居ない所を通るようにはしている。

ファルは一旦宿に戻り、自室のベットにフリーダーを寝かせた。優しく布団を掛けてやると、心配そうに声を掛けてきたエイミに出かけてくる事を告げ、宿を出る。まだ体の節々が痛いし、本格的な休息も取りたいのだが、体力の限界まではまだしばらく余裕がある。問題はこの半日ほどで判明した数々の忌むべき事であり、それがもたらす精神への負担が大きかった。肩を掴んで腕を回すと、ファルは後一仕事をすますべく、急ぎ足で歩み始め、不意にかけられた声に気付いて振り向く。

「ファルさん」

「エーリカ殿、どうした?」

「どうしたも何も、何するつもり?」

「まだ少し余裕がある。 情報収集をしてくる」

心配そうにしているエイミを連れて宿を出てきたエーリカは、ファルの言葉を聞くと、頭を掻きながら嘆息した。

「それは後で良いわ。 リーダー命令よ。 今は休みなさい」

「……何故だ?」

「顔真っ青よ。 多分貴方の感覚じゃあ全然大丈夫なんでしょうけど、私から見たらドクターストップよ。 無論その状態でも戦わなければならない時もあるけど、今はそうじゃないわ」

「……」

素直に言う事を聞く気になったのは、何故か良く分からなかった。

部屋に戻ると、フリーダーがベットの上で寝息を立てていた。安らかな寝顔である。布団をもう一度かけ直してやり、自身は床で眠りにつく。考えてみればフリーダーは彼女の部屋においてくれば良かったのだが、そんな気が不思議と回らなかった。昔、エイミと一緒に暮らしていた時は酷い生活だったが、それでも幸せだった。今も自分の目的の為に全力で生きているから幸せだが、それとは別種の幸せを当時は持っていた。

 

目が覚めると、外は日が落ちていた。部屋は薄暗く、布団を押しのけて起きあがると、まだ少し頭痛がした。ベットを見れば、フリーダーはいない。不安に思うよりも、安心感が先に立つのに気付いて、ファルは少し嬉しかった。エイミが居ない時、いろんな冒険者と組んで彼方此方を旅した。しかし宿で休んでも、飲んで正体を無くしても、決して心そのものは休まらなかった。今は違う。この宿にいれば、大事な人が居なくなっても、安心出来る。きっと宿の何処かにいるはずだから。以前スラムで暮らしていた時は、似た状況で取り乱した事もあったのだが。

居間まで降りると、其処ではカップを傾けているエーリカと、花柄のワンピースを着せられてその向かいに座っているフリーダーが居た。当たり前の光景なので、もう何も想わない。やはりこの場所は、安心感が違った。

「フリーダー」

「はい、ファル様」

「少し席を外して欲しい」

「はい。 分かりました」

素直に返事をしたフリーダーだが、居間を出ていく時に少し名残惜しそうに此方を見ていた。コップの中身エーリカがを飲み干すのと、さっきまでフリーダーが温めていた席にファルが座るのはほぼ同時。落ち着いた動作で懐から手帳を採りだし、笑顔のままエーリカは言った。

「で、あのロリコンギルド長に、何吹き込まれたの?」

ファルが(吹き込まれた事)を話し始める。エーリカは一通り話を聞き終えて情報を纏めると、ロベルドとコンデとヴェーラを呼び、額を付き合わせて話し合う。腕組みして様子を見守るファルは、いままでと違い、これといった不安を覚えはしなかった。

やがて話し合いが一段落し、エーリカは頬を掻きながら、腕組みして目をつぶっているファルに言う。

「で、貴方はこれからどうしたい?」

「どうもこうも、正しい推論は正しい資料から導き出される。 ギルド長がいったのは、あくまで少ない資料から推測したものに過ぎず、これと言った根拠もなければ説得力にも欠ける」

「まあ、そうだよな」

「小生も同感じゃのう。 ギルド長に悪意はないが、その言葉を鵜呑みにする事は出来まいて」

「ただ、今後情報を得ていったとして、その先に闇より深い絶望が満ちている可能性も否定は出来ないぞ。 火神アズマエルに今夜加護を祈っておくが、偉大なる神も全能ではないからな。 ファル殿、最悪の事態が目前に広がったらどうする?」

頷くロベルドとコンデと、自身も頷きながら極めて現実的な言葉を吐くヴェーラ。ヴェーラは敬虔な神の僕であるが、それは彼女が現実主義者である事と矛盾しない。戦いを通じて形成された現実主義と、信仰心がくみ上げた神への信頼は、(神が全能ではない)と考える事によって食い合いを生じない。ヴェーラが信仰している宗教は多神教で、そう言った点では天主教に代表される一神教よりもずっと柔軟性は高い。褐色の女騎士が吐く言葉を受け止めきって後に、ファルは言う。決意を言葉に乗せて。

「……何にしても、どんな絶望が広がっていても、だ。 私はフリーダーを世間の偏見から守りきる。 何が彼女を殺そうとしても、私が敵を排除する」

「ん、要は、貴方自身はフリーダーの正体が何であろうと関係ない訳ね?」

「無論だ」

「なら問題ないわ」

エーリカは立ち上がり、手を叩く。部屋の戸が開き、フリーダーが入ってきた。少し不安そうにファルの顔を見上げたが、ファルが笑顔を返したので、ぱっと安心して表情を和らげた。ファル自身も、この仲間の間でなら、別に笑顔を作る事に抵抗はなかった。

「これから地下五層を徹底的に探索して、ディアラントと、オートマターの資料を洗い出すわよ」

「いいのか?」

「いいわよ。 どうせ今の実力じゃアウローラには勝てないし、もっと深い階層に挑むには幾らでも経験とスキルがいるわ。 あんな巨大なオグが隠されていたほどだもの。 あの階層には、まだまだ謎があるに違いないわ」

無言で、ファルはエーリカに頭を下げていた。この者達と仲間になれて本当に良かったと、その時心から思っていた。

フリーダーの為に、そんな危険を冒してくれるのは、真に信頼している証拠だ。勿論フリーダーのためだけではないことも分かってはいるが、それでもこの言葉は大きかった。彼らなら、例え世界全てが敵に回っても、フリーダーやエイミの為に、ファルと共に戦ってくれる。そんな気がした。

 

翌朝。すっかり疲れが取れたファルは、さっぱりした表情で出かけて情報収集を済ませ、皆に驚かれた。忍者ギルドの先輩達は、驚きを隠さずにこう言った。

「どうしたのだ? 随分今日は機嫌が良いな」

いつものように怪しい実験をしていたイーリスは、ファルの顔を見て小首を傾げた。

「どうしたの? まるで邪神が払い落とされたみたいにすっきりしてるよ?」

入荷した新製品のチェックをインセルスとしていたルーシーは、新しい武具が入ったか見に来たファルを見て、少し驚いた様子で言った。

「何か良い事でもあったの? 随分穏やかな表情じゃないのよ」

ファルはそれらに対して、表情を変えずに、ただこう応えるのみであった。

「何でもない。 ただ、少しばかり状況が好転しただけだ」

 

2,老人の過去

 

「コンデ様」

庭でこそこそと隠れていた少年がひくりと肩を振るわせて、ゆっくり振り向いた。かなり立派な絹服を着た、一目で育ちがよいと分かる少年だ。振り向いた先にいるのは、腰に左手を当てた、鋭い目つきのメイドの少女である。膝が笑うのを実感しながら、少年は応えた。

「あ、あの、メラルタ、なに?」

無言のまま、少女は右手を挙げ、割れた壺の破片を見せる。蒼白になったコンデが首を横に振る。メラルタと呼ばれたメイドは口の端をつり上げる。

「わかりやすいですね、コンデ様は」

「ち、ちが、違う。 ぼく、ぼく割ってない! 割ってない! 遊んでて、手がすべって落としたりとかしてない!

「なるほど、あれほど私が口を酸っぱくしていったにもかかわらず、廊下で遊んだ挙げ句、手をすべらせて割ったのですね」

コンデが縮み上がる。メラルタの全身から青白いオーラが立ち上っており、大股で歩み寄ってくるからだ。腰が抜けた少年を、片手で軽々つり上げると、鬼のような形相でメラルタは言った。

「お仕置きです」

 

場面は切り替わる。青年に成長したコンデが、魔法陣の上で座禅を組み、複雑な呪文を詠唱していた。淡い光が彼を覆い、やがて魔法陣そのものが光り出す。光が詠唱に合わせて踊り、暗い部屋の中を飛び回り、やがて一つにまとまっていく。コンデの眼前に置かれた、鈍い光沢を放つひと振りの剣へと。

「オン……!」

気合いと共に印を切ったコンデは、目を開け、呪文が失敗したのに気付いて肩を落とした。彼が試していたのは、エンチャントの術である。剣に魔力を付与する事で、剣そのものの切れ味を増し、不死者を退治出来るようにしようとしたのだ。だが魔力は拡散してしまい、剣には留まらなかった。肩が凝ったので、コンデは大きく嘆息し、気分を変えようと、カーテンを開けようとした。

「コンデ様?」

「あ、メラルタ。 あの、あのさ」

「また失敗したんですか?」

「うん。 呪文は間違っていないはずだったんだけど」

つかつかと部屋に入ってくると、素早く要領よく彼の妻がカーテンを開ける。そして落ちている剣を拾い上げると、二度三度素振りして、剣先に視線を這い登らせる。

「……」

「どうしてか分かった?」

「単純に集中力が足りないだけです」

「やっぱり。 はあ、僕ってだめだなあ」

メラルタは目を細めると、剣を床に置き、コンデの肩を優しく叩いた。

「頑張りましょう。 最初は誰だって上手くいかないんですから」

「……ごめんな、僕みたいなのじゃなくて、幾らでもいい男と結婚出来ただろうに」

「私は男の出来でコンデ様を選んだわけではありません。 もっと自分に自信を持ってください」

窓から差し込む光の中、メラルタの笑顔は、コンデにはただまぶしかった。

 

コンデ=イリキアは臆病な老人である。若い頃は勇猛であったかと言われれば、周囲の人間は揃って首を横に振る事疑いない。彼は若い頃から臆病であり、故に財産を守りきり、子供や孫に受け継がせる事が出来た。臆病だと言うのは、決して悪い要素ばかりではないのである。無論勇気があるにこした事はないし、臆病なだけでは何も出来ない。だが、根本的な性質がどちらかと言えば臆病という点は、決してバカにした事ではない。

家名復興の為にジルと一緒にドゥーハンに出てきて、彼女に尻を叩かれながら迷宮に入って、いつの間にか一流と言って良い冒険者の仲間入りを果たしていたコンデ。最近は識別ブレスレットから得た知識を利して、新しい技を開発する事に楽しみも覚え始めている。この間実用化した、魔法の威力を超広範囲に拡散するアレイド、(呪文拡散陣)も。同時に実戦投入して効果を収めた、超高速化詠唱(魔法速射)も。エーリカの手助けを得たとはいえども、コンデが協力しなければ到底完成し得ないものばかりであった。

臆病ではあっても、それなりに才能を持ち、ちゃんとした指示を受ければ力をふるえる存在。それが現在のコンデである。ぎりぎりの戦いや、圧倒的な敵との死闘を経て、最近はだいぶ根性もついてきた。さび付いていた魔力も磨き上げられて、今までは無理だとギルドに言われていた高位の術も扱えるようになってきた。だが、根本的な臆病さは克服出来ていない。周囲はそれを気にしていないが、コンデ自身は、何時かは克服したいとも思っていた。そんな風に思ってはいたが、時は無情に過ぎ、実力はつき、やがて小さな古巣に体は入らなくなってくる。コンデはそれが多少人より遅かったが。

宿に戻ってきたコンデはため息をつき、体の節々の痛みを呪った。今日の探索もハードであった。エーリカの指示で極限まで魔力を酷使させられ、老骨を鞭打って走り回り、飛んでくるトマホークが眼前ではじき返される。正直エーリカのパーティでなければ二度も三度も死んでいる。特に最近は敵が後衛を積極的に潰しにかかってくるので、有能なフリーダーのサポートや、エーリカの的確な指揮がなければ、確実に明日の朝日が拝めない。事実冒険者ギルドに行ってみると、地下五層くらいから後衛の死傷率が非常に高いとかで、上位の術が使える魔術師や僧侶は引っ張りだこになっていると言う事であった。さもありなん、あのケンタウルス共のトマホークは、夢に見るほどの恐怖である。回転しながら唸りを上げて飛んでくる斧は、トラウマになりそうなほどに恐ろしい。

「お疲れさま、みんな。 今日はこれで解散よ」

「やれやれ、ようやくじゃのう。 ジル、茶を入れてくれ」

「コンデ様、今日も皆の足を引っ張らなかったでしょうねえ」

「小生は小生に出来る事をやっているでな。 足は引っ張っておらぬよの?」

こわごわ老魔術師が皆を見回すと、エーリカは笑顔のままで微動だにせず、ヴェーラは苦笑していた。フリーダーに笑顔を向けると、幼い顔立ちの凄腕スナイパーは、真顔で言った。

「問題ありません。 いつもと同じで、少し攻撃魔法発動のタイミングが遅い他は

「そ、そんな。 し、しかし、大丈夫じゃろう?」

「まあ、問題になるほどではないな。 詠唱が瞬き一つ早ければ、もう少し皆の怪我が減るかも知れないがな

「そうねえ。 ただこればかりは、反応速度もあるし、仕方が無いわね」

ファルに続いてエーリカも言う。頬を膨らませてコンデを睨むジル。哀れな老人は、がっくりと肩を落とし、泣き真似をしながら自分の部屋に向かった。

「よよよ、皆酷いのう。 小生は傷ついたので、茶を飲んで寝るぞ」

「ごめんなさい、コンデ様がご迷惑を」

「大丈夫よ、迷惑に何てなってないから」

ジルが頭を下げて、ぱたぱたとコンデを追ってきた。コンデ自身は、どうしても自分に自信が持てないから、おどけながらも今の言葉に少しだけ傷ついていた。

コンデの部屋は老魔術師らしく内装を弄ってあり、宿の一室とは思えない。壁には黒いシルクの布が掛かっており、其処には魔力を増幅する魔法陣が特別製の白インキで書かれている。床には瞑想用の魔法陣が書かれたカーペットが敷かれ、周囲には淡く光を放つ燭台が四つ。ベットの脇には敏が幾つか置かれ、その中には苦いが良く効く魔法薬が詰められ、寝る前には必ず服用しているのだ。彼方此方に高級なマジックアイテムや、防犯用の工夫も凝らしてある。故郷にいた頃から、没落王家であるコンデの家には結構泥棒が来たので、この手の工夫は必須だったのだ。もっとも妻が生きている頃は殆ど心配の必要がなかったのであるが、それを今嘆いても仕方がない。

部屋に茶のかぐわしい香りが漂い始めた。コンデの数少ない趣味が茶だ。ジルはそれを良く知っていて、非常にいい手際でいつも入れてくれる。ジルの茶はコンデの自慢だった。きつい事を無表情で言うフリーダーも、この茶を認めてくれるので、コンデは嬉しかった。

「コンデ様、お茶が入りましたよ」

「おうおう、すまぬの」

「今日は元気が出るように、少し砂糖を多めにしておきました。 用があるのなら、ベルを鳴らしてください」

言うまでもない話だが、ジルの入れる茶は美味い。亡き妻仕込みなのだから当然の話だ。隣室に下がったジルに礼を言うと、コンデは静かになった部屋で、亡き妻を思いながら茶を啜った。幼なじみで、生前も今も全く頭が上がらない存在である妻を。

 

地下五層はコンデが経験した中でも最も恐ろしい場所である。以前フリーダーが不覚を取って川に落ちたり、騎士団が階層を掌握出来ずに足踏みしていたり、そういった事象は伊達でも何でもない。事実此処より恐ろしい迷宮は、地上の何処を探してもほぼ無いであろう。もしあるとすれば、噂に聞く各地のディアラント遺跡くらいであろうか。

妻に誇れる男になりたい。最近はそんな不相応な考えも抱き始めている。他の皆が全然平気な顔で、地下五層を歩いているのに、彼自身はまだびくびくしている。そんな状態であるというのに。不相応だと自分でも分かる。改善しようと思っては居ても、なかなか出来ない。

臆病だというのに、コンデは古風な男の価値観を持つ者だった。優れた決断力と判断力を持ち、皆をまとめ上げて引っ張り、自身の夢を叶える。そんな男に憧れていた。その思考からすると、どうしても彼は自身に自信を持てず、故に誇りも持てなかった。理想と自分自身の現実が、あまりにもかけ離れすぎていたからである。長く生きて、内面を良く見つめているコンデは、自分自身という存在を鏡より良く知っていた。それがますます彼を臆病にした。

周囲の青黒い壁は、少なくとも味方ではない。遙か先の天井まで伸びる青黒い不思議な物質は、強烈な圧迫感を常に放っているが、安心感とは無縁である。大聖堂の壁がもたらす、圧倒的な開放感と安心感とは正に対極。こわごわと辺りを見回し、首をすくめてついていくコンデの前で、エーリカが足を止めた。殆ど同時に皆が足を止め、ファルに至っては既に気配を極薄にしている。

「今日は随分また入り口の方まで出ているわねえ」

「敵かの」

「だろうな。 多分ケンタウルスだ」

「やれやれ、また彼奴らか。 恐ろしいのう」

愚痴をこぼしながらも、すぐに戦闘態勢に切り替わるのは、もう半ば習性である。以前うごめくものと交戦した事もあり、そういった覚悟自体は出来ている。びくびくしてはいるのだが、怯えきって何も出来ないとか、そういった醜態とはもう無縁だ。臆病である事と、戦いに臨めない事は別問題なのだ。コンデは気付いていない。彼自身は臆病であっても、周囲から見れば充分に一人前の冒険者であり、武人であると言う事を。

結構狭い通路だが、それでも三人が横に展開する事が出来る。少し前方が下り坂になっている所まで移動し、敵が徐々に近づいてくるのを待つ。フリーダーがクロスボウを構え直して、注意を促すが、その必要もない。エーリカを見ると、すぐに指先のサインで、唱える呪文を指示してくれた。エーリカは頭がいい。亡き妻に匹敵するか、或いはそれ以上であろう。指示してくれた呪文は実に的確で、文句の一つもないコンデは、杖を横に構え詠唱を開始した。

詠唱と同時に精神がとぎすまされ、気分が高まってくる。その分呪文を唱え終わった直後の反動が大きいのだが、それは仕方がない。隣でエーリカが印を素早く組み、アレイドの態勢に入る。同時にびゅんと凄い音がして、回転しながらトマホークが前方の闇から飛んできた。しかもそれは一つではない。跳躍し、一つ、二つとロベルドが叩き落とす。更にもう一個をヴェーラが叩き落とした瞬間、ロミルワの光がケンタウルスの群れを照らし出した。

ケンタウルスというと知的で高貴な獣人というイメージがあるのだが、この迷宮に住むそれは全く違う姿をしている。全身は灰色で、頭には髪の毛が無く、肌は薄く湿っている。気味の悪い入れ墨をまんべんなくまぶした肉体はどちらかと言えば筋肉質だが、脂肪も多くだらしなく横に広がってもいて、高貴さとは無縁だ。速力自体は出るのだがそれ以上に荒々しい。足も太く毛だらけで、蹄は大きく逞しい。スマートな競走馬と人間が融合した姿を想像していた者は落胆していじけてしまうほどに、男臭く暑苦しい姿をしているのだ。無論ケンタウルスは、落胆する暇を与えてくれるほど弱い相手ではない。

「きおおおおおおおおおっ!」

甲高い声を上げて、ケンタウルスが突進してくる。トマホーク部隊を後ろに従えて、槍や大剣を持った連中が、高さを武器に攻め寄せてくるのだ。印を組んでいたコンデの中に、魔力が流れ込み、詠唱を加速する。それに合わせて特殊に組み直した詠唱を続け、通常の半分ほどの速度で完成させると、コンデは杖を少し斜めに傾け、開いた手を前に突きだした。

「受けてみよ! クルドッ!」

斜め上から、人体大の氷塊が四つ、ケンタウルス達に襲いかかる。直撃した二つは苦もなく相手を潰し、そうでない物も地面に激突して四散し、周囲に氷の槍を降らせた。悲鳴を上げてのけぞるケンタウルスの胸に、ヴェーラが手慣れた様子でハルバードを抉り込む。ササン出身の彼女は、当然徒で騎馬兵と戦う術も身につけているのだ。ファルは左右に素早くぶれながら敵に接近し、通り抜けざまにのど頸をかっきる。ロベルドはそのまま肉の弾丸と化して、動きを止めたケンタウルスに突進し、体当たりして地面に叩き付けた。

数体を失ったケンタウルスは若干後退し、トマホークを放りつつ、前衛が身を低くしての突撃に切り替えてきた。空からの爆撃と地面からの突撃を同時に行う、いわゆる雷攻撃(ライトニングアタック)である。ササン軍がかって得意とし無敵を誇った戦法だが、魔物達の間では常識でもあるのだ。さもありなん、非常に実用的な戦い方であり、何処で発明されても無理はない。相当な技量が必要な作戦でもあるのだが、それをケンタウルスは充分にクリアしていた。

怒濤の如くケンタウルスが迫ってくる。敵ながら実に息のあった連携であり、上り坂の上にいるとはいえ、チャージされると面白くない。クルドを唱え終わり、肩で息を付いているコンデに、エーリカが次の指示を出してくる。頷くと、汗を飛ばして、老魔術師は次の印を組み始めた。フリーダーはコンデを狙ってくるケンタウルスを狙撃してトマホークを投げる前に潰し、トマホークが彼らの手を離れた場合は、先日ファルに買って貰った槍を素早く振るって、コンデへの直撃をガードする。鉄製の槍はかなり重いのだが、フリーダーは遠心力も利して、見事に使いこなしていた。半回転しながら叩き落とす様は、少し危なっかしいが、しかし健気で心強い。エーリカはというと、飛んでくるトマホークを引きつけてから避ける余裕も見せていて、集中攻撃の恐れがない以上危険はない。前衛ががっしりと陣形を組み、並んでチャージしてくる敵に備えているのを見ながら、コンデは冷静に呪文をくみ上げていく。彼らなら、一度や二度チャージされても耐えてくれる。フリーダーなら、飛んでくるトマホークを防いでくれる。その安心感が、コンデの集中力を高め、そして呪文を完成させた。

「おおおおおぉおおおおっ!」

ロベルドが叫び、防御態勢を組んだ三人に、ケンタウルス達がぶつかる。緩やかな坂を上ったうえに、砕けた氷を踏んでいた為スピードが落ちていたが、それでも相当な衝撃をもたらし、2メートルほど屈強なロベルドが飛ばされた。ファルは勢いを殺して後ろに飛んだが、それでも完全に着地出来ずに、二度ステップしてやっと態勢を立て直す。ヴェーラも似たような状況で、褐色の騎士はチャージの第二陣を睨み付けながら言った。第一陣はきびすを返し、坂の下へと戻っていく。

「早くしろ! 我らの堅陣も、そう長くはもたぬぞ!」

「分かってる! もう少し引きつけて!」

エーリカはまだ発動を指示しない。コンデは冷や汗を掻きながら、発動の瞬間を待つ。怒濤の馬蹄と共に、第二陣の三騎が横一線になって突撃してくる。同時に、ひっきりなしに前衛後衛関係無しにトマホークが飛んできて、フリーダーもそろそろ捌ききれなくなってきた。ファル達三人が構えを取り直すのと、敵との相対距離が縮まりきるのは殆ど同時。もう一度くらいはチャージを防ぎきれるかも知れないが、そうしたら坂の上まで登りきって、更には平らな道に押し出されてしまう。そうなると第三撃のチャージは破壊力をまし、まず防ぎきれない。厄介な事に周囲には曲がり角もないし、状況は決して良くない。コンデは杖を横に構え、攻撃指示の瞬間を待つ。額から汗が、滝のように流れ落ち続けた。怖いが、恐ろしくて震えが止まらないが、信頼はより勝るのだ。

「今よ!」

「おうっ! まかせい!」

少し遅く思えるタイミングで指示が来た。しかも狙いはチャージを掛けてくる敵ではなく、その少し後ろだ。水飴のように練り上げた魔力を使って、巨大にふくれあがった火球を敵に向ける。当然数本のトマホークがさせじとばかりに飛んでくるが、跳躍したフリーダーが右に旋回し、最初の一本を槍の柄で、続く二本目を石突きで、更に着地してからも回転して最後の一本を穂先で、力尽くではねのけた。コンデはそのファルに迫る流麗な動きに感嘆しながら、一息にブーストされたザクレタを開放した。

荒れ狂った炎の槍は、巨大な空気の平手と、けたたましい音響も友としていた。チャージを掛けようとしていた敵第二陣は竿立ちになり、引き返そうとしていた敵第一陣はそれとすれ違おうとした第三陣もろとも粉々に消し飛ぶ。更にクルドで作り出された氷柱が溶け、大量の蒸気が発生し、ただでさえ薄暗い迷宮通路に充満する。ファル達が右往左往する第二陣のケンタウルスを容赦なく斬り倒すのを横目で見ながら、エーリカがすぐに指示を飛ばす。それに従って、マリオネットを繰るように、コンデはロミルワの光球を地面すれすれまで落とし、敵のいると思われる方向へ跳ばした。敵もロミルワを飛ばしていたが、光球は頭上で旋回するばかりである。

低く構え、腰を落としたフリーダーが、霧の向こうでうごめく影に、クロスボウの矢を撃ちはなった。悲鳴が上がり、敵が崩れ落ちる音がする。敵もトマホークを投げてくるが、これは元々命中精度を犠牲にして、動きと重さで勝負する武器だ。その上投射軌道が湾曲しているので、距離が分からないと何の役にも立たないのである。素早く矢を際装填して連続して発射するフリーダーのクロスボウは、それに対して命中力と貫通力で勝負する武器だ。くわえて直線的に飛ぶので、相対的な方角がある程度分かればどうにかなる。この状況では、距離がはかりにくい上に、敵の位置が正確に分からないとどうにもならないトマホークは正に無用の長物。それに対し、フリーダーのクロスボウは一方的に逃げ回るケンタウルスを仕留めていった。無論並の技量で出来る事ではないが、フリーダーの実力なら造作もない事であった。

戦いは程なく終わった。肉体よりも精神の疲労でがっくり肩を落としたコンデは、今回も命があった事を、密かに天主教の神に感謝した。フリーダーの技は華麗で正確だが、それにしても眼前で弾かれるトマホークはやはり怖い。しかも傷を負わない事を最優先するので、目や顔と紙一重の空間をトマホークが飛んでいくのも珍しくないのだ。シルクのハンカチで額を拭いながら、コンデはキャンプを張るファルに言う。

「今日はどの辺に向かうのじゃな?」

「北東部を探索する。 あの辺りには、巨大な空間がある可能性がある」

「北東部というと、どの辺じゃろうての?」

フリーダーが用意良く地図をとりだし、示してくれた。立体的にはさほど高さのない階層だが、その分横にとんでもなく広い。判明している部分だけでドゥーハン王都の一区画はあるかと思われるほどであり、川は流れているわ迷路同然に入り組んでいるわで、先がどうなっているのか全く見当が付かない。しかも今日探索しようと言う北東部は、騎士団詰め所がない方向であり、冒険者も滅多に向かわない難所である。

ファルがバックパックから転移の薬を取り出す。どす黒い色の薬を素早くチェックするファルを、斜め後ろからエーリカがのぞき込んだ。

「取り合えず、転移の薬は大丈夫?」

「まだ試験中の薬であるし、過信は禁物だが、きちんと湿気も断ってある。 マニュアルに従うなら使用に問題はない」

「ファル殿、そのじゃな、小生が預かっておこうか?」

「問題ない。 それにこれは錬金術の産物だから、私の方が知識もある」

好意的に解釈してくれたファルが、コンデの申し出をやんわりと断ってくれた。この辺り、つんけんしていてもファルは結構優しい。厳しい者なら、此処で罵っていてもおかしくない所だ。

傷の手当てをキャンプですませる。先の戦いでケンタウルスのチャージを受け止めた前衛は、フロントガードの態勢であったとはいえかなりの打撲を受けている。頑丈なロベルドはともかく、てこの原理で強烈な突撃を受け止めたヴェーラは、右腕をかなり痛めていて、エーリカの治療を受けながら顔をしかめていた。それが済んだら、一度最短距離にある騎士団詰め所に向かう。この間騎士団長と軽くチームを組んでから、騎士団との親密度が上がっていて、情報交換を積極的に行うようになっている。今日は騎士団の中で最も好意的なリンシアはいなかったが、以前ポポーの魔の手から庇った中年の騎士が代わりに詰めていて、今日は特に何も報告を受けていない事を教えてくれた。詰め所を覆う結界の中で、先ほどの戦いで受けた傷の回復状態をチェックして、本格的な探索へと移行した。

全く未知の、予想も出来ない空間へはいるというのは、誰でも恐ろしいものだ。この迷宮に満ちる圧倒的な邪気は、冒険を楽しむ等という余裕を与えてはくれない。平面的な迷宮ではあるのだが、坂や曲がり角は結構多く、その反面何もない直線通路が延々と続いていたりもする。それが終わった直後に、非常に短い通路の左右に山ほど部屋が並んでいたりするのだから、ただでさえマッピングが苦手なファルが寡黙になるのも無理はない話であった。ただファルは苛立ちを仲間にぶつけたりはしないので、其処はコンデとしても有り難い。

数度の戦いを経て、迷宮の奥へ奥へともぐり行く。相変わらず青黒い壁が左右に立ちはだかり、精神衛生的には決して良い場所ではない。そんな中、ファルが一言呟く。

「……。 まずいな」

「ん? 迷子にでもなったか?」

「いや、それは大丈夫だ。 だが、これを見て欲しい。 先ほどの区画から、この有様だ」

ファルの手の中にある方位磁針は、酒に酔ったかのように、ふらつきながら激しいワルツを踊っていた。

方位を確認する魔法は、コンデの持ち技の中にもある。どちらかと言えば非戦闘向きの魔法の方がコンデには得意なのだ。これは没落王家であったコンデの家系が、財産に余裕がある連中を相手に、秘術で占い等を時々していた事に原因がある。実際生活のたしくらいにしかならなかったのだが、それでも旧イリキア王家の者達は顧客開発の為に必死だったのである。その過程で非戦闘向きの魔法も多く覚え、結果的に余計な技ばかりが身に付いていったのであった。

実際問題、先祖伝来の技など、そんな程度のものでしかないのである。

「小生が一応方位を確認する術を持っておるが、試してみるかの?」

「そうねえ。 取り合えず、リスクはどんな感じになるの?」

「消費魔力はほんのちょっとじゃな。 しかしの、これは詠唱に時間がかかる術でのう、戦闘中や忙しい時に唱えるのは無理じゃのう」

「なら、余裕がある時に試してみましょう。 今はまだ良いわ」

エーリカが手を横に振るのと同時に、迷宮の奥から、無数の足音が聞こえ来る。どうやら、余裕がある時は、まだまだ先の事であるようだった。

 

地下五層を探索するようになってから、日帰りで迷宮から出られなくなる事が多くなってきた。ファルなどは結構平気な顔をして石の床に寝ているのだが、どうもコンデには辛い事であった。枕が変わっても睡眠が浅くなるのだから、石の床の上ではどうなるかなど言うまでもない。だが若い娘が平気な顔で耐えているのに、年長者が文句を言うのも大人げないので、黙って耐える事にしていた。

見張りはロベルドとヴェーラ、それにエーリカが三交代で立つ事になっている。丁度いい大きさの部屋が見付かったので、八度目の戦闘を消化した後に一休みする事にしたのであるが、いつもエーリカの決断は的確と同時に急である。

扉に奇襲防止用のトラップを仕掛けたファルが、欠伸をしながら部屋の隅に行く。フリーダーがぱたぱたと何とも可愛い足音でそれを追いかけ、座って地図や備品の確認をし始めたファルの手伝いを始める。おやつにしようと思い、菓子を取り出し始めたコンデは、腰に手を当てたエーリカが見下ろしているのに気付いて、小さく息をのんだ。

「な、何かの?」

「さっきの魔法、試してみてくれる?」

「お、おう、そうじゃったの。 じゃあ、おやつは」

「後にして頂けると、愚僧も助かるわねえ」

満面の笑顔を浮かべたエーリカは、相変わらずの絶大なる威圧感を放っており、コンデは逆らえなかった。逆らったら何をされるか分からないからである。おやつを脇に置いて、コンデは床に紙を置き、その上に手早く魔法陣を書く。呪文で魔力を練り上げて使うタイプではなく、魔法陣の補助を借りて発動させる魔法なのだ。このタイプの魔法は、複数人数が長時間かけて練り上げるいわゆる儀式魔法に多いのだが、こういった簡単な魔法も一部属している。理由は簡単で、研究されていないからである。

「地精よ、思慮深き汝の助け今求め訴えたり。 我の行くべき道を、その温かなる手にて、確かに指し示したまえ」

コンデが詠唱を続け、ゆっくり皺だらけの手を紙の上に翳すと、淡い光が魔法陣に添って浮き上がった。やがてその上に大きな二等辺三角形が具現化し、少しずつ揺れながら、一点を指し示す。ファルが側に寄ってきて、地図を見ながら小さく頷く。

「確かにそれが指す方向が北だ。 地図上では間違いない」

「へえ、どういう仕組みなの?」

「これはじゃな、ずっと地下深くにある地脈という流れを利して、方角を調べておるのじゃ。 磁石よりもずっと正確に北を指す事が出来るのじゃぞ」

三角形が消え、コンデが自らの肩を叩く。この術の最大の欠点は、消耗がとても大きい事だ。クレタの火球をすら凌ぐ魔力を消耗する為、余程ヒマな状況でもない限り、使う機会はほとんど無い。おやつを頬張るコンデは、無意識に甘いものから先に手を伸ばしていた。

「実用性が薄い術なのに、良く覚えていたわねえ」

「うむ。 これはばあさんの役に立とうと思うて、若い頃に必死に覚えた術の一つじゃからのう」

「へえ。 そう」

エーリカはそれ以上何も言わなかった。ジルやコンデのかねてからの態度から言っても、亡き妻がどれほど大事な存在だったのか、知っているはずだから。今度こそおやつにしながら、コンデは静かに嘆息していた。

 

若い頃からとろい男だった。覚えは悪く、度胸はなく、根性もない。好きな女の子が出来ても、声の一つも掛けられず。欲しいものがあっても、もじもじするばかりで何も言えない。そんな彼に嫁いでくれたのは、幼なじみの気が強い二つ年上の娘。いつも姉のように彼を見守り、友達としても理解者としても、笑って背中を叩いてくれた存在だった。コンデ自身は結構異性が好きだったのに、浮気の一つも出来なかったのは、妻が怖くて怖くて仕方がなかったからである。ありとあらゆる条件において、コンデは妻に劣っていた。腕力、魔力、技術力、発展性、人間性。唯一勝っていたのは、黴が生えた家柄と、たかがしれた財力のみ。それも近くに住むドゥーハン貴族の屋敷を見て育てば、誇りになど思おうとは間違っても考えない程度の代物に過ぎなかった。

イリキア王家が滅亡した理由は、彼の故郷の人間なら誰でも知っている。多くの人間は(自滅同然に滅んだ魔導の一族)としか知らないが、当地では結構有名な笑い話なのだ。かって小国ではありながら、それなりの技術力を誇った国を統治していた一族は、百五十年ほど前に、なんと鏡一つの為に滅びたのである

もともとイリキアは、旧ドゥーハンとユグルタのほぼ中間点にあり、両者の本土から遠いという理由から独立を保っていた国であった。土地の特産品もなく、戦略的価値も低く、両強国から見て攻略価値が低いというのも、独立を続けられた要因でもあった。どちらかと言えばユグルタよりの姿勢を続けながら、イリキアは百三十年ほどの年を生き延び、そして鏡事件が起こる。

滅亡当時のイリキア王は若い男だった。そして小国が独立を保つには、大きなプライドと確固たる態度が必要だとも考えている男だった。それは決して間違いではないのだが、ものには限度がある。こういった弱小国は、様々な手を状況次第で柔軟に打ちつつ、面従腹背で事態に対しないと生き残る事は出来ない。誇りを民が持つのは大事だが、それによって政策が硬直化するような小国は存在を継続出来ないのである。そんな現実を理解出来ない彼は自国の威厳を保つ為に、誇りの主軸となる存在が必要だと考え、ある作戦を実行に移したのである。それが、自国の技術を結集したマジックアイテムの作成であった。

そのマジックアイテムには兎に角贅沢な能力が要求された。色々試行錯誤して意味不明の実験が繰り返された結果、鏡が適当だという結論が導き出され、作り上げられた。膨大な予算が費やされ、側近は皆青ざめて王に忠告したのだが、鏡を創る事自体が自己目的化していた王は聞く耳を持たず、国家予算を湯水のように費やして鏡を作り上げた。そうして出来たのが、(嘘を見抜く)(かかっている魔法を見破る)(将来の姿をある程度予想する)等々、国家予算を費やす意味がよく分からない機能を山ほど盛り込んだ鏡であった。最終的には、縁の素材もミスリルなどの豪華なもので創り、芸術的にも一応は素晴らしい出来になった。

鏡を完成させた王は、白けた目つきの国民に、自信満々でそれをお披露目した。そして周辺各国に、イリキアはこれほど凄い技術を持っているのだと、胸を張って宣伝し回った。別に今までの状態でも、わざわざ軍を出して攻略するほどの戦略的価値がなかったのに、王はそれを理解していなかった。他者を刺激する要素がなかったから潰されずに済んでいたと言う事を、王は気付いていなかった。彼は国家を維持するに相応しい誇りが得られたと信じ、しばし大喜びして上機嫌であったという。だが、それが破滅の幕開けであった。宣伝文句の中に、ユグルタの技術より凄いなどと言うものを混ぜていた為、当のユグルタが激怒したのである

当時のユグルタ王カルフラーフは即位したばかりで、十代半ばでありながら、切れ者として有名であった。同時にかなり気が短い青年であり、ユグルタの技術より凄い云々の噂を聞くと、口の端をつり上げた。そして冷酷な命令を下したのである。彼としては、練習台として丁度いい実戦の相手が必要だという理由もあった。

ユグルタがイリキアに手切れを要求したのはその直後であった。混乱するイリキアに、ユグルタは二つの選択肢を突きつけた。国家として鏡の噂を否定し、謝罪するか。それを拒否し、大陸六大国の一つユグルタの軍勢に踏みにじられるか。国王は悩み、謝罪を拒否した。国家の誇りのシンボルとして創った鏡の噂を否定する事は、つぎ込んだ予算が無駄になると思ったからである。当時紛争を抱えていた上にユグルタが本気だと知ったドゥーハンはイリキアの要請に出兵を拒否し、小国の命運は決まった。

幸運だったのは、エストリアやギルテンから在位五十一年の間に膨大な領土をむしり取り、ユグルタの領土を倍増させた英雄王の手腕が予想以上だった事である。加えて国民も、鏡云々の為に死ぬのはごめんだとばかりに、圧倒的な大軍が侵攻してくるのを見てさっさと降伏した事である。交戦日数は僅か二日。ろくな戦いもなくイリキアはユグルタに滅ぼされ、その七十年後にドゥーハンとユグルタの条約によって、ドゥーハン領になる事となる。

そんな情けない過去を、イリキア王家は持っていた。

幸いの事に、潔く降伏した事や、私財を戦争難民に分け与えた事によって、何とか王家は民衆による圧殺を免れ、現在まで続いている。今はドゥーハンから貴族の末席に加えられてはいるが、実質的な政務は中央から派遣された政務官が執り行っており、単なる捨て扶持に過ぎない。周囲の民衆が見る目も覚めていた。コンデも虐げられはしなかったが、あまり暖かくない家庭環境で育った。父は良家から嫁いできた妻の尻に敷かれっぱなしであったし、兄妹は皆遠くで暮らしていた。他家の養子になったり、ドゥーハンやユグルタの首都で官僚になったり、ほとんどコンデは顔も知らない。ただ、寂しい想いだけはせずに済んだ。彼が七歳の時に、後の妻になるメラルタがメイドとして雇われたからである。

幾つも荘園を抱えるような上級貴族の場合、使用人と雇い主の関係は、雲の上下になる。しかしイリキア王家のような貧乏貴族の場合は、当主が道ばたで物を売る事さえあり、あまり関係は遠くない。現在の貴族と庶民に殆ど差がないドゥーハンと違い、コンデが幼い頃のドゥーハンはまだまだ貴族が我が世の春を謳歌していたが、それでもイリキア王家は貧しく、それが結果的にコンデには幸運だった。更にイリキアは優秀な人間の血を欲してもいて、ありとあらゆる分野で優れた能力を見せたメラルタは、コンデの妻には打ってつけであったといえる。無論、コンデとメラルタの関係が良好だった事も婚姻の条件になった。実際問題、当時のイリキア王家に、他者に何かを強要するような力なぞ無かったのである。

コンデが姉同然であり友達であり絶対逆らえない存在でもあるメラルタと正式に結婚したのは、十六歳の時であった。貴族としては別に珍しくもない年齢である。それから、コンデの尻に敷かれ続ける人生が始まった。だがコンデは、それを呪いもしなかったし、嫌でもなかった。コンデ自身はメラルタを愛していたし、メラルタもコンデを愛していた。どうやら尻に敷かれるのは、イリキア王家の末裔が持つ宿業であり、それで困る者は誰もいなかった。

幸せな数十年が過ぎ、メラルタが死ぬと、コンデには何もなくなってしまった。今思えば、ジルがコンデの尻を叩いてドゥーハン王都へ送り出したのは、悲しみ老け込みそうになっているコンデを心配したからかも知れない。

 

持ってきたおやつの最後を食べながら、コンデは一人ごちていた。過去はコンデの全てだった。逆らえなかったが、愛していた妻との思い出は、コンデの宝物だった。

「ばあさんは、今考えても凄い人じゃったのう」

傾いていたイリキア王家の財政を何とか切り盛りし、子供達を育て上げて。メラルタが色々してくれたから、今コンデが迷宮で家名の復興などに現を抜かしていられるのだ。ジルだって、メラルタを慕っているからこそ、コンデについてきてくれたのだと、老魔術師は考えている。

無論、メラルタは生きている頃から、コンデによる家名復興を考えてくれていた。戦闘用だけではなく色々な術を覚えたのも、彼女に尻を叩かれたからである。コンデは今もメラルタを愛している。だからこそ、家名復興を彼女の為にも成し遂げたかった。一見使い道が無さそうな術でも、今までの探索で役に立つ事が結構あった。

役に立たなく見えても、実用性が薄く見えても。これらの術は、コンデの大事な思い出と一緒にあった。だから忘れるわけには行かなかった。幼い頃の思い出は、もやがかかったように忘れかかっているものもある。だからこそに。メラルタと覚えた術だけは、死ぬまで一緒にいたかった。

「さ、そろそろ休める人は休んで」

エーリカが手を叩きながら言う。コンデはおやつをいれていた袋、メラルタがずっと昔に創ってくれた袋を大事に懐にしまうと、横になって、四苦八苦しながらも眠りについたのであった。

 

3,小さな謎と静かな怒り

 

壁を何度か叩いていたファルが、皆を手招きした。一番最初に駆け寄ったフリーダーに、足下の出っ張りを踏むように指示して、自身は壁のふくらみへと手を伸ばす。そしてタイミングを合わせて一緒に押すと、行き止まりに見えた通路の壁がせり上がり、下から扉が出現した。暇そうに欠伸をしていたロベルドが、軽く手を叩いた。

「おおー。 ようやく先に進めそうだな」

「まだ待て。 あの扉にも、罠が仕掛けてあるかも知れないからな」

手袋をもう一度はめ直し、ファルは新たに出現した扉へ向け歩き始める。磁石が通用しない区域に入ってから、トラップの数が数割増になり、そこら中によく分からないギミックが設置され始めていた。この辺りには何かある。皆がそれを直感的に感じ始めていた。

扉に向かったファルが、それが開かない事に気付くまで六秒。鍵穴の類はなく、取っ手はあるのだが回しても押しても引いてもびくともしない。流石にこの手のトラップには慣れてきたので、ファルは一度扉から離れ、マップを片手に冷静に周囲を観察し始めた。エーリカは脇から地図をのぞき込みながら、むしろ楽しそうに言った。

「どう? 開きそう?」

「……この辺り一帯にスイッチを配置した大がかりな扉かも知れない」

「へえー。 だとすると、何かありそうねえ」

「何にしても、もう少し調べてみないと何も言えない」

大がかりな仕掛けを配置した扉を装った心理的トラップという可能性も否定出来ない。事実、そういった強烈な肩すかしの後は、簡単なトラップにでも引っかかりやすいものなのだ。

この辺りは、短くて狭い通路が連続していて、殆ど高低差や段差はない。所々に部屋が配置されてはいるが、中には何も残っておらず、たまに埃まみれの布の残骸がある程度であった。周囲の地形は嫌に特徴的で、空白を埋めていくと、やがて六芒星になった。建築的に意味があるとは到底思えない構造ではあるが、この階層事態が意味不明な作りになっているので、此処ばかりが異常なわけではない。六芒星の頂点にはそれぞれ小部屋が配置されていて、中央には先ほどの開かない扉が配置されているのだ。取り合えず中にいた魔物の掃討を終えると、ファルは腕組みして考え込んだ。

「やはり、コレはどう考えても、各部屋に仕掛けがありそうね」

「そう見せかけて、ただの心理的トラップの可能性もある」

「一つ分かっているのは、火神アズマエルの助力でもない限り、ローラー作戦を掛けている余裕はないと言う事だけだな」

ファルの心理を先読みするように、ハルバードを振って鮮血を落としながらヴェーラが言う。今部屋にいたのはオーガ一体だったが、それでも決して楽な戦いではなかった。もしローラー作戦でありとあらゆる手段を講じていくとなると、これから先も延々、決して弱くない魔物との戦いが想定される事となる。この周囲の地図を完全にするだけで四回の交戦を経過し、コンデの魔力は既に半分を切っているのだ。補給物資もそうそう多くは残っていないし、一度戻るとなると時間のロスが大きすぎる。

ただ実際問題、現在目的面で競合しているような冒険者はいない。この階層までこれる冒険者は皆強者揃いだが、そもそも地理が悪すぎる此方には殆ど誰も来ないのだ。そう言った意味では、一度戻って態勢を立て直すというのは、手段の一つとして考えられる。無論、此処は後回しにして、他を調べるという選択肢もある。

「戻って一回じっくり考えるか、このままごり押しするか、考えどころだな」

「この部屋はどうなっているの? 何か魔法の類はかかってる?」

「うーむ、そうじゃのう。 少なくとも小生には感知出来ぬの」

「物理的なスイッチの類は何処を探しても無かったし、それだと手の打ち用はないわね」

わいわいと話し合う仲間達を置いて、ファルはもう一度入念に部屋をチェックしたが、本当に何もない真四角な部屋で、疲労が増えるだけであった。へこみや出っ張り、模様の類すらないのである。単なる四角い箱で、まるで刑務所の一室だ。実際問題、周囲の壁と同じ青黒い素材で部屋が形作られている為、天井が低く扉で区切られていなければ行き止まり以外の何者にも見えない。無言のままファルが床を蹴りつけていたのは、調査行動からではなく、単純に苛立っているからであった。しばし親の敵が如く(もっとも、ファルにとってそれは微妙な表現だが)床を蹴りつけていたファルは、靴の事を考えて行動を止め、床に座り込んで頬杖を突いた。すぐに隣でフリーダーが膝を抱えて、ファルの顔をのぞき込む。

「ファル様、どうなされましたか?」

「どうもこうも、行き詰まった」

「先ほどの扉を開けたいのですか?」

「皆でそうする為に先ほどから探索活動をしていたのだ」

フリーダーは小首を傾げると、壁の一点、扉から見て丁度正対している場所を指さす。

「スイッチはあります。 osdhpiodbgy式の、lsoqshdidタイプのものですが」

「? なんだそれは。 何処にある」

「……ひょっとして、sdjfowepuhfasodhi以上の波長は見えないのですか?」

「何の話だ」

いつのまにか、隣で腕組みしてエーリカが聞いていた。フリーダーも少し困っている様子で、言葉を必死に変換すべく脳細胞をフル活用している状況が窺えた。

「ねえ、フリーダーちゃん。 波長って何の事かしら?」

「光は波長によってその存在を変えます。 そして、一定以上の波長が、ファル様には見えないようなのです」

「多分それ、愚僧にも見えていないわ。 フリーダーちゃん以外の全員にもね。 その波長って、いわゆる霊的なものなの?」

「霊的なものではありません。 どちらかと言えば、錬金術をずっと発達させた分野になると思います」

エーリカはそのまま手招きして、見張りに就いているヴェーラ以外の二人も手元に招き寄せた。そして懐から紙、しかもかなり大きなものを取りだし、床に広げる。

そして素早く方位を示すNと、周囲の地図を其処へ掻き込んでいった。通路は六芒星のそれぞれ一片になっていて、南部の交錯点中央部から北に延びた通路をまっすぐ進み、丁度星の真ん中に先ほどの扉がある。

「スイッチって、どういうものなの? 具体的に教えて?」

「はい。 この型式のスイッチは、説明に応じて順番にレバーを上下する事で指定の動作を実行します。 レバーの上下は、立体式の映像に触れるだけで可能ですので、当機が行います」

「説明は?」

「それが暗号になっていまして、七カ所のスイッチそれぞれに説明が飛んでいました」

フリーダーは小さな指を、星の頂点六つ、それに真ん中の扉の上へとすべらせる。ロベルドは顎に申し訳程度に生やした髭をさすり、鋭い眼光を鋳込んだ。

「……まあ、お前の言う事を信じねえわけじゃねえ。 だが、あんまりにも詳しすぎやしねえか? 一体お前は何モンなんだ」

「当機は、現在文明で言うオートマター。 戦闘タイプオートマターフリーダーです」

「そりゃ、俺がてめえの事をドワーフだって名乗るようなモンだ。 オートマターって言う事は疑わねえけどよ、どーして何でもかんでも知ってるんだよ。 ディアラントの住人だって事も、俺はもう疑ってねえよ。 でもな、ドゥーハン人がドゥーハンの事を全部知ってる訳じゃねえ。 俺が言いたいのはそう言う事だよ」

「殆どのデータは記憶hdfiosqqigから引きだしたものです。 ashdasiした旧マスターの意図は、当機にはわかりかねます」

無表情に言うフリーダーだが、最近は少しずつ感情が増してきていて、困惑がファルの目にもはっきり見て取れた。

「ともかく、よ。 この子も分からない以上、そんな事を問いつめても仕方がないわ」

「お、おう。 ……確かにそうだな、すまねえ。 困らせちまったな」

「で、フリーダーちゃん。 それぞれの部屋にどんな説明があったか覚えてる?」

「はい。 この文明の言葉に翻訳すると、こんな感じになります」

意味不明の文章が、紙の上に七つ書き出された。パズルである事は明らかだから、後はどう組み合わせていくかである。それぞれのスイッチには、以下のような文章が刻まれていた。

中央部のスイッチには、(我は不動の存在。 他者の言葉に耳を貸すな。 下)

北部頂点のスイッチには、(日を求め、一つ山を越えた者は土の火を愛する。 下)

北東部スイッチには、(我ら全て、目覚めの方向へ一つずつずらせ。 上)

南東部スイッチには、(我が心と共にある存在を、神の元へと近づけよ。 上)

南部頂点のスイッチには、(影と共に我はあらん。 下)

そして南西部スイッチには、(我は大いなる地が王と一心同体。 上)

最後の北西部スイッチは、(我に体無し。 風吹けばそに従い、埋めればやがて腐れ行く。 下)

文章を一通り読み終えて、コンデは腕組みし、小首をひねる。ファルはもう法則性に気付き、頭の中でパズルを解き始めていた。

「ううむ、これは一体どういう事なのじゃろうのう」

「あれ? コンデさん、分からない?」

「……つまりは、こういう事だ」

地図上でファルが指をすべらす。それを見て、コンデが指を鳴らして満足げに頷くまでは、二十秒以上の時を要した。

 

呆然としているのはファルだけではなかった。隣に立っているロベルドもぽかんと口を開けっ放しであり、ヴェーラは居心地が悪そうに明後日の方向を見やっていた。一人楽しそうなのはエーリカのみで、正直その神経にファルは感嘆していた。

「面白いわね、この階層」

「面白いというか、何というか……」

先ほどまで扉があった所には、今やぽっかり穴が開き、階段が奈落の底へ向け伸びていた。つまり扉自体がフェイクであり、何ら意味を為さないギミックだったのだ。先ほど真面目に扉を開けようと四苦八苦したファルは、拳を固めてわなわな震えていたが、取り合えず皆知らないふりをした。

椅子を巨木へ叩き付け折るような音と共に、ファルが拳を青黒い壁へと叩き込んでいた。コンデが素早くエーリカの後ろに隠れ、爛々と目を光らせるファルを見てヴェーラもロベルドも一歩下がる。

「私の苦労は何だったのだ……」

「ま、まあ、気にするなって、なあ」

「火神が貴公の努力を認めて、仕掛けを作動させている時にアクシデントを起こさなかったのだと、私は確信している。 だから怒るな」

「怒ってなどいない」

必死にファルをなだめるヴェーラとロベルドに、静かに怒るファル。ファルは怒っても暴力を他者に振るったり、わめき散らしたりはしないが、代わりに焼け石のように静かに果てしなく熱を内包させる。妙なもので、このチームに入ってから随分と感情を発散する事が多くなった事実に、ふとファルは気付いていた。何しろ怒っている事に、他の連中が皆気付いているのだから。それに、このメンバーになら、別に弱みを見られても良いとファルはこの時思っていた。

「はいはい、もう良いでしょう? さっさと先に進んで、調査を進めるわよ」

「……分かった」

もう一度壁を殴ると、ファルは率先して闇深い階段を下りていった。階段は壁以上に滑らかであり、摩擦を増やす為らしい素材が縁に貼り付けられていて、転ぶのを防ぐ仕組みになっていた。壁の素材もそうだが、所々摩耗しているこれも、全く正体が掴めない。フリーダーに聞いても、どうせ現在の文明にあるはずもないので、ファルは言いかけて止めた。

遙か下から、風が吹いてくる。同時に強烈な薬品臭と、埃と黴の臭いがした。

この時ファルは、怒りが急に冷えていくのを覚え、代わりに途轍もなく嫌な予感を覚えていた。以前、ラスケテスレルとポポーが呼んだうごめくものと交戦した時と非常によく似た、膠の海を泳ぐような、濃密極まる嫌な予感であった。

 

4,オートマターの真実

 

階段を下りきったファルは、思わず無意識で刀に手を伸ばし、深呼吸して気持ちを落ち着けた。嫌な予感が消えず、増幅されるばかりであったからだ。そこは、今までカルマンの迷宮で見た中でも、最大級の広さを持つ部屋であった。

四方、ゆうに二百メートル以上。天井も通路並に高く、奥までロミルワの光が届かないほどだ。しかも何もない殺風景な部屋というわけではなく、特に端の方には何かあるのが薄明かりの中よく見える。この状況だとドラゴンがダース単位で襲ってきてもおかしくないのだが、取り合えず周囲は静かで、生き物の気配がしない。また、不死者が放つ、独特の冷気も感じない。にもかかわらず、嫌な予感だけは山盛りなのである。

「……この部屋は、一体なんだ?」

「生産工場に似ていますが」

「何のだ」

「オートマターです」

フリーダーの言葉に、その場の全員が一斉に彼女を見た。驚いたフリーダーは固まってしまい、それを背後に庇いながら、ファルは言った。

「何を見てそう思うのだ、フリーダー」

「はい。 向かって彼方に生産ラインらしきものが、彼方に物資保管庫らしきものがあります。 以前当機が造られた工場に、規模こそ違いますが構造はよく似ています」

「……詳しく調べてみましょう」

エーリカが会話を断ち切り、自ら積極的に歩き出した。この状況で分散するのは自殺行為だから、皆階段に注意を払いながら、慌てて陣形を保って彼女を追う。やがてたどり着いた其処には、長方形の板が無数に並び、椅子のような突起物がそれに添ってたくさん設置されていた。板の左右には、錬金術ギルドにあるような奇怪な装置が並んでおり、その先には更に大きな機械がある。いずれにしても、現在の文明で作れない物である事は、一目で明らかだ。板の素材ですら、見た目よく分からない。滑らかでありながら軽く、手の甲で叩いてみると軽妙な反響音が帰ってくる。匂いを嗅いでみると、何か血の臭いらしき物が感じられた。ファルの隣で長方形の板を上から下からのぞき込みながら、エーリカが言う。コンデはふむふむと唸りながら、板を調べるのに夢中になっていた。

「フリーダーちゃん、此処は一体何を行う場所なの?」

「其方から搬出された完成品のオートマターを検査する場所だと思います。 ただこの長さだと、当機が作られた工場よりも、随分粗い検査になるようですが。 ただ、一度に大量生産する事が可能だと思います」

「……」

「コンデさん、あっちを調べるわよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、おおう!」

拳を固めて俯くファルの前で、コンデの襟を掴んでエーリカが歩き出す。彼女の行く先には、無数の透明な容器と、大きな大きな箱があった。透明な容器には液体が詰まっていて、分厚く埃が表面を覆っていた。中には何か入っているのが分かる。フリーダーは保管庫だと言った。生唾を飲み込んで、ファルが手袋を外そうとする。その肩をエーリカが掴んだ。

「貴方は見ない方がいいわ、ファルさん」

「どういう意味だ」

「良いから、少し下がっていて。 ロベルド、ヴェーラさん、コンデさんも。 フリーダーちゃん、こっちに来て」

「はい」

どうしてか動悸が速くなる。エーリカが布を取りだし、透明な容器に積もった埃を拭い始める。やがて、ファルは理性が大きく揺れ、巨大な音を立てて崩れ始めるのを感じた。

動機の音が、激しく体を揺さぶる。スラムで暮らしてきた彼女は、嫌と言うほど人の業を見てきた。冒険者になってからも、人間がどういう生物かは嫌と言うほど思い知らされてきた。そして知っていたはずだった。いつも事態は最悪の更に下を行っていると言う事を。それなのに、それだというのに。エーリカの声さえ、僅かに震えていた。エーリカが感情を乱している事が、どれほど凄まじい事か、ファルはとっさに気づけなかった。それほどに、内側から鳴り響く痛みは大きかった。

「フリーダーちゃん、これは一体なに?」

「素材のサンプルだと、保存容器に書いてあります。 オートマターの性能は素材によって大きく変わりますので、特に優秀な素材はこうやって保存して、最重要機の製造に用いるのです」

「素材……素材……だと……。 か、神よ……! 偉大なる火神よ、お答え下さい! こんな事が、こんな事が許されて良いのか……!」

「なんてこった……あの変態野郎の言葉は……本当だったっていうのか!」

ファルは視線を外せなかった。うす濁った容器の中に浮かぶ存在から。

無数のチューブらしき物を差し込まれ、まだ原型を保ったまま液体の中に浮いているそれは。紛れもなく、人体だった。

お……おおおおお……うぉおおおおおおおおおおあああああああああああああっ!

恐怖ではない。悲しみでもない。絶対的な怒りが、ファルの理性を内側から突き破った。理性を喪失して猛り吠えるファルは、目にもとまらぬ速さで抜刀し、側の板を斬り倒した。簡単に切り倒せた板が斜めに倒れ、埃を舞い上げて床に接吻する。板の側にある機械に、そのまま拳を叩き込む。スパークが走り、機械が悲鳴に似た音を上げた。血まみれの手を引き抜くと、多くの魔物の首を蹴り折ってきた必殺の一撃を叩き込む。大きくひしゃげた機械が炎を上げ、更にファルは咆吼した。

フリーダーは元人間だ、元人間だ! こういう所に連れてこられて、体を弄くられて、無理矢理オートマターにされた! 感情を希薄にされ、常人場慣れしたポテンシャルを与えられ、兵器とされた! 本人の意思に関係なく、意志に関係なく、意志に関係なく、意志に関係なく、意志に関係なく! 強制されて!

無数の言葉がファルの中で荒れ狂う。誰かが羽交い締めにしようとしたが、それを力尽くで振り払う。長方形の板を蹴り折り、更には拳で割り砕く。刀がすっぽ抜けたが、そんな事はどうでも良い。壊してやる、壊してやる、全部壊してやる!こんな呪われた場所は、全て壊してやる!暴走した感情が赴くまま、ファルは破壊の竜巻とかし、全てを壊してやろうと殺意と凶器を振るい続けた。誰かが服を掴んだようだが、そんな事は関係ない。全て壊すまで止まる物か、止めてたまるか!フリーダーの、フリーダーの為にも、こんな所、こんな所、破壊し尽くしてくれる!ファルの怒りは、堰を切って溢れ、全てを飲み続けた。そんな中、聞き慣れた誰かの声が響く。

「やめなさい!」

「だまれええええっ!」

やめろといっているんだボケがあああああっ!

「がっ!?」

凄まじい勢いで、視点が下に移動した。激しく床に体が叩き付けられ、怒りが吹っ飛んで霧散していく。荒い動悸で、それでも立ち上がろうとするファルに、顔に彼女以上の怒りを湛えた誰かが、静かにだがはっきりと言った。

「フリーダーちゃんが、泣いているわよ!」

「!」

ファルがはっと、自分を掴んでいる小さな手に気付く。暴れ狂う自分に抱きついた者が居た事には気付いていたが、それが誰かまでは分からなかったのだ。フリーダーはファルに必死に抱きついて、泣いていた。両目から涙をこぼし落として、震えていた。怒りが急速に萎んでいった。

「フリーダー……すまない……体を打ったの……か……!?」

「涙が流れたのは、どうしてか当機にも分かりません。 ただ、痛くて泣いたのでは……ないようです。 どうしてか、ファル様が理性を喪失して暴れているのを見たら、涙がこぼれてしまって。 と、当機も、理性を喪失してしまうとは、情けない限りです」

「……!」

「……暫くそこで頭を冷やしなさい。 コンデさん、ヴェーラさん、ロベルド、少し手伝って」

自分を殴り倒したエーリカの声が、再びあの呪わしい容器の方へ遠ざかっていった。困惑する三つの視線がファルをさした後、慌てて走り去っていった。ファルはただ、涙零すフリーダーを、抱きしめ続けることしかできなかった。

 

何もない部屋の隅に移動してから、エーリカはファルの方を見た。反省して俯くファルに、エーリカは言った。ファルは落ち着きを取り戻したが、隣で心配そうに見上げるフリーダーの顔は、どうしてか見る事が出来なかった。深い罪悪感が、そうさせてはくれなかったのだ。

以前からファルは、怒りを冷静に抑える事が出来た。しかしその分、一度たがが外れてしまうと、どうしてもそれを押さえる事が出来なかった。フリーダーが、守るべき大事な存在が泣いているのに気付かないとは、なんたる不覚。情けなさに、涙がこぼれそうであった。

「調べてみたけど、だいたい状況は分かったわ。 ファルさん、聞く覚悟は出来た?」

「聞かせてくれ。 今聞かなければ、どうせ後に行くほどストレスを蓄積するだけだ」

「うん、いい判断ね」

エーリカの声は優しい。ファルはもう覚悟を決めている。もうフリーダーに、あの荒れ狂う鬼神としての姿は見せられないと。怒らないなどとは別に思わない。だが、如何なる時も理性を保とうと、ファルは心の何処かで決意していた。

ファルが落ち着いているのを見届けると、エーリカは言う。彼女の視線は、怒る時は際限なく怖いが、優しい時は春の日差しのように温かかった。

「以前聞いた話、ギルド長の説が正しいわ。 奥にあった大きな箱、あの中には白骨化した人間の残骸が山ほど入っていたわ。 オグがあった事と言い、恐らく此処は人間や、その他の材料を加工して、オートマターに変える施設だったのね」

「なんたる冒涜的な。 ディアラント人は悪魔の化身かの」

「そうかしら? 辺境では奴隷の売買が当たり前だし、場所次第では今でも彼らは物を言う道具なのよ? ドゥーハンにも幾らか居る人買いは人間をモノとして扱うけど、彼らクズにはそれが普通の事なの。 無論絶対に許される事じゃないけど、連中も外道ではあっても人間よ。 愚僧自身も、人買いから足を洗って、真人間に戻った奴を知ってるし、その逆だって知ってるわ。 むしろああいった連中が存在すると言う事を認めないと、人間の本質は見えてこないわ。 人間って生き物は、残念だけど、大きな力を得ると周囲から搾取したがる存在なの。 弱者に暴力を振るって悦に入りたがるどうしようもない生き物なの。 例外はいるけど、それはあくまで少数に過ぎないわ。 その対象は自然だったり、力を持たない人間だったり、色々だけどね。 ディアラント文明でも、恐らくそれは変わらなかったはずよ。 築いている存在が、人間である以上は、ね」

「……話を続けてくれ」

刃物のようにとぎすまされ、砂漠のようにドライな人間観を披露するエーリカに、ファルは言う。自分でも驚くほどに、声は冷静であった。

「この工場の様子からして、ディアラント人には罪悪感などなかったでしょうね。 さっきフリーダーちゃんが言っていたように、平和な時は身の回りの世話をさせる目的で、植民地からかり集めた奴隷を加工して使っていたのよ。 そして何かしらの脅威、多分うごめくものが現れたから、戦闘目的でも大量生産した。 流石にどうして現れたかとか、それは分からないけどね」

「……俺はディアラント文明に憧れてた。 はっきり言ってよ、すげえ場所だと思ってた」

今度話に嘴をつっこんだのはロベルドだった。彼は蒼白になったまま、床を太い腕で殴りつける。

「俺達の思想に、凄いものは凄い心を、とぎすまされた精神があってこそ作り出せるって物があるんだ。 だから達人は尊敬されるし、こんなすげえものを山ほど創ったディアラント人は素晴らしい奴らなんだろうなって思ってた。 天国だなんて事は流石に信じていなかったけどよ、それに近い場所じゃねえかって思ってたんだ。 ……でもよ、でもよ……浅はかだったな……俺」

「技術と心は関係ないわ。 愚僧の師匠なんて、それは良い腕の医療僧だったけど、守銭奴で女たらしで、最低の外道だったんだから」

「……ハハ。 此処を見てると、嫌でしょうがなかったドワーフの社会が、天国に思えてきやがるよ」

「落ち込むのは後よ。 やる事はまだ幾つかあるわ」

皆が暗い表情になっている中、エーリカは鉄のようだった。笑顔を浮かべ続け、リードし続ける。やはり皆の中で、この娘こそが最強である事は、リーダーに最も相応しい事は、一目瞭然であった。

「彼方に、動いては居ないけど、完成品らしいオートマターが何機かあったわ」

「!」

「フリーダーちゃん、オートマターになった人間は、元に戻せるの?」

「それは不可能です。 当機を始め、オートマターは感情を暗示によって制御され、使用者に都合がよいように構築されています。 また肉体も様々な技術で変質させられ、人間とは違う存在になっています」

立て板に水のフリーダーの言葉を聞いて、ヴェーラが口を押さえて目を背けた。フリーダーは、何を当然の事を、と言わんばかりに喋っている。つまり、である。それに対して、今自分が言った事に対して、何ら感慨も憎しみも持っていないのだ。

「でもフリーダーちゃんは、少しずつだけど感情を見せてくれるようになってきたわね」

「……よく分かりませんが、当機の場合は急に大量生産されたため、暗示が充分でなかった可能性があります。 ただ、この工場のオートマター達は、設備のレベルから考えても、ほぼ間違いなく完璧な暗示を掛けられています。 くわえて、一度完全停止したオートマターは、脳細胞の殆どを死滅させています。 もし動かせたとしても、それは不死者に近い存在だと愚考します」

「……そう。 悲しいけど、選択肢は他に無さそうね」

エーリカはわずかにだけ悲しそうな表情を浮かべて立ち上がった。そして、さっき歩き回っていた方角に視線をやりながら言った。

「調査した後に、この場所を騎士団と錬金術ギルドに報告するわよ」

「! 説明してくれ」

「もうオートマター化した人間は元に戻せない。 しかも此処にいるオートマターは理性も命もなくしていて、ただの機械になっている。 それならば、魔女を倒す為に、今後の人類の力にする為に、利用するほか無いわ」

「か、彼らの境遇を、分かっていて言っているのか!」

「愚僧はこれでも、理解力に関しては自信があるわ」

懇願するように言うヴェーラの言葉を、鋼鉄の防壁が一蹴した。不動のリーダーであるが故に。彼女は、まるで魔神のように恐ろしかった。いざとなったら、幾らでも率先して自らの手を汚してみせる。それが出来ない人間には、リーダーというポジションそのものがつとまらないのである。問題は、その(いざというとき)の判断基準だけだ。

「ただし、フリーダーちゃんみたいに心を無くしきっていないオートマターが居たら、その時は別の手段を講じましょう」

「時々私は、エーリカ殿が恐ろしくなる」

「愚僧だって、この性分は好いていないわ。 ただね、誰かが生き残る為には、誰かが犠牲にならないといけないの。 肉を喰わずに生きていける? 野菜だって命を持って生きているのよ? 歩けば虫を踏んでしまうし、雑草を除かなければ家にも住めないわ。 勿論無駄な排除は良くないけど、生きる為皆戦っている以上、手を抜くわけにはいかないの」

エーリカの言葉に反論出来る者は、誰もいなかった。

最後にエーリカは、ファルの方を見た。ファルはしばしためらった後、フリーダーの方へ視線をやる。

「フリーダー」

「はい、ファル様」

「私は、エーリカ殿の言葉に、逆らう要素を見つけられない。 恨まないでくれ」

「当機はファル様と共にある事だけが望みです。 恨むなど、とんでもない事です」

フリーダーの曇り無い笑顔は、事実を知ったファルには痛々しかった。ロベルドとヴェーラが無言で立ち上がり、ファルもそれに習う。今まで内臓を撫でていた嫌な予感が実体を伴ったのは、その瞬間であった。

 

5,うごめくもの、再び

 

闇の中から、足音が近づいてきた。本能的に危険を察知したファルが抜刀するのと、皆が武具を構えるのは一拍違った。無論ファルの方が早い。陣形をくみ上げるのと、人語で声が響くのは、殆ど同時であった。

「ようやく見つける事が出来ました。 君達には感謝していますよ」

闇の中から浮かび上がったのは、何とも美しい顔立ちの男だった。随分とんちんかんなセンスの継ぎ接ぎの服を着ているが、腰まで伸びた黒髪と言い、何処かの女王のような整った顔立ちと言い、総合的にはまず美しいと言って良い部類にはいる。額に縦に裂けた目がなければ、誰も人間だと思って疑わなかったであろう。

「貴方、何者?」

「名乗る名前などありませんよ。 君達には死んで貰いますから」

その言葉はあまりに自然に吐かれた。そして自然に受け入れられたのは、男が放つ圧倒的な殺気が故だ。

「油断するな。 アホな格好だが強いぞこの男」

人の事を言えないほど個性的な格好をしているくせにヴェーラが言って、深く腰を落として、ゆっくり摺り足で迫る。ロベルドも逆方向からそれに習った。ファルはゆっくり相手を伺いながら、仕掛けるタイミングを計ったが、どうしてかまるで隙がない。これは大変な相手だと悟る前に、敵がアクションを起こした。

右手をゆっくり振り、地に向けると、手の内に三つ又槍が出現したのである。しかも刃の部分が相当に巨大で、並の腕力ではどうにもならないと一目で分かる。軽々とそれを振り回すと、男はノータイムでまずヴェーラに突撃してきた。

雷のような突きであった。なんとかヴェーラは柄を寝かして防ぐ事が出来たが、力任せに横に振られた一撃には対処出来ず、そのまま棒でも投げるかのように飛ばされる。突きのフォームもまるで達人の理想型で、ファルは唸ると一旦バックステップして、突撃を掛けたロベルドを支援すべく気配を消す。そしてそのまま摺り足で反時計周りから、敵の斜め後ろに回り込んだ。

「おおらあああああああああっ!」

全身これ砲弾と化し、ロベルドがバトルアックスと共にタックルを掛ける。それに対し、男は三つ又槍を二つに折った。石突きと刃がそれぞれ光を放ち、盾になるのは同時。片方はタワーシールド、もう片方は一の腕に付けるような丸盾だ。男はそのまま、少し下がりながらタワーシールドでロベルドの突進を受けきり、一撃を引きつけつつ、充填した力を一点に凝縮して丸盾でカウンターのシールドバッシュを掛けた。シールドバッシュとは盾で強打する事であるが、これがなかなか威力にしても速さにしてもバカにならない。呻いて弾かれるロベルドに、更に当て身を喰らわせて吹っ飛ばすと、男は無言でファルに向き直ってきた。

「随分気配が薄いですね。 特異能力者ですか?」

「修練によるものだ」

「ほほう。 それはそれは」

鋭い音と共に、下段から間を詰めたファルのローが地面を擦らんばかりの勢いで空を斬る。跳躍した男に二本の矢が、横殴りに襲いかかる。フリーダーとエーリカの援護射撃だ。だが男は左手の丸盾で軽々受け流すと、今度は再び右手のタワーシールドを三つ又槍に変化させ、ファルに真上から叩き付けてきた。横に跳ね飛んだファルの首筋を、紙一重で槍の穂先が通過する。敵が着地し、数歩バックステップするのと、ファルが焙烙を取り出すのは同時。封を切り、投げつけたそれは、男を爆炎で包んだ。

「効いたか?」

「……いや、駄目だな」

息をのむヴェーラの前で、服さえ焦げていない男が、余裕綽々の体で現れた。エーリカが印を切り、増幅ザイバが発動する。皆の武器が淡い光を帯びるが、それで勝率が上がったと思った者は誰もいなかった。

「さて、今度は私から行きますよ」

片手を天に向け、男が手に新しい武器を具現化させる。二つの筒を重ねたようなもので、ゆっくりそれをロベルドに向ける。ロベルドは後衛をカバーする位置に居たから、避けようとせず低く構える。それに対し、意外な人物から言葉が飛んだ。

「ロベルド様! 筒の軌道上から離れてください!」

「! 分かった!」

フリーダーの言葉にロベルドが飛び離れるのと、後衛がめいめい左右に散るのは殆ど同時。鉄の筒が火を噴き、その遙か先にある壁が火花を上げた。しかも、あれほど頑丈な壁に穴が開いている。生唾を飲みこむロベルドに、更に男は連続して(何か)を放つ。二撃目、三撃目が容赦なく打ち込まれ、三撃目の破片がロベルドの脇をかすって、頑強なドワーフの肉体を削り取った。間を詰めたヴェーラの一撃を盾で受け止め、当て身で跳ね飛ばしながら半回転し、男は筒の先端を転んだロベルドに向ける。ファルが最大速度で襲いかかるが、間に合わない。

「ぐあっ!」

「まずは一匹」

筒が火花を噴いた。

 

男が少し驚いた様子で、煙上がる筒を上に向けた。何か円筒形のものが、それからこぼれ落ち、床で金属音を立てる。彼の視線の先には、右腕を大きな盾に変化させたフリーダーが、ロベルドの前で立ち塞がっていた。

形態変化五式、シールドモード。主に要人護衛の為の耐魔法形態であり、以前フリーダーがファルに説明した五形態の一つである。分厚いシールドには、十以上のへこみが出来、煙を上げていた。

「どういう事だ? 何故オートマターが現文明の人間に使われている?」

「おおおおおぁあああっ!」

男の言葉を遮るように、ヴェーラが横殴りに一撃を叩き付ける。それを盾で受けた男に、今度はフリーダーがシールドバッシュを、それにタイミングを合わせてファルが跳躍した。跳躍して一撃を避けた男に、その軌道を読んだファルが回し蹴りを叩き付ける。ガードの上からとはいえ、初めて一撃が入り、男は呻いて体勢を崩す。其処へエーリカの射撃が入り、凄まじい勢いでクロスボウボルトが男に襲いかかった。確実に入ったと皆思ったが、矢は男の前で軌道を変え、明後日の方向に飛んでいった。男は口の端をつり上げると、ファルを力任せに弾きつつ、何かを振り下ろすような動作をした。刹那の後、巨大な空気の固まりが、その場にいた全員を上から叩き伏せていた。

悲鳴も上がらない。最も激しく地面に叩き付けられたファルは、背骨が悲鳴を上げるのを聞いた。強い、途轍もなく手強い。何とか立ち上がろうとするロベルドは頭から血を流し、ヴェーラは鮮血が溢れる左腕を押さえ、まだ立ち上がれない。エーリカが肘で体を起こしながら、憎々しげに言った。

「なあるほど、今の矢の動きで分かったわ」

「……」

「貴方、うごめくものね。 今の非常識な矢の動きは、前にラスケテスレルって奴と戦った時に見た、特殊な防御方法によるものでしょう」

男は無言のまま、口の端をつり上げた。皆の背に等しく戦慄が走った。何とか立ち上がったエーリカが、口の端の血を放って置いて、静かに言った。

「総員、総力戦用意。 全力でかかるわよ」

 

まるで印を組むように、複雑な指示を飛ばすエーリカに、立ち上がりつつ皆が頷く。男は肩をすくめると、周囲に散らばったファルのチームを一人ずつ見ながら、雑言を零す。

「今の攻防で、圧倒的な力の差は感じただろう? 何故逃走を図らない?」

「うふふふ、その理由は簡単よ」

「ほう? 聞かせて貰おうか?」

「勝てるからよ。 確実にね」

男の表情が凍結した。案外簡単な挑発に乗るものだと、皆の中で一番難しい指示を貰ったファルは、痛む体を低く低く沈めた。フリーダーは前衛に来ており、既に形態を通常状態に戻している。前衛4,後衛2の攻撃重視ポジションだが、相手の性質を考える限り当然だとも言える。

「雑言を……!」

「あら? お互い様だと思うけど?」

「八つ裂きにしてやるぞ、薄汚い人間のメスが!」

「ふうん、随分前の奴とは違うのねえ。 前ぶっ殺したうごめくものなら、喰ってやるとか言いそうなのにね」

男が再反論しようとするのと、ロベルドが突進するのは同時。慌てて振り向いた男は、そのまま先ほどの筒を向けるが、素早くロベルドはサイドステップし、逆方向からヴェーラが突撃する。素早く其方に銃口を向けようとする男に、コンデが速射式のクレタを叩き込み、紅蓮の火柱が闇に明かりをともす。炎を蹴散らし、男が吠える。同時に間合いを詰めたロベルドとヴェーラがWスラッシュを掛けたのは、その瞬間だった。

「ぐ、おおおおおっ!」

男が苦痛に顔を歪め、慌てて左右に盾を展開して一撃を防ぐが、運動エネルギーまでは殺せない。エーリカは素早く矢を装填しながら、更に雑言を浴びせかける。

「攻撃魔法は通用しない代わりに、物理攻撃は充分効くみたいねえ」

「だまれえええっ!」

よろけながら下がった男は、エーリカが放った矢を体をひねって避けると、再び左右に回ったロベルドとヴェーラを視線で追いつつ、ファルやフリーダーにも注意を怠らない。まるで後ろにも目がついているような対応力だ。ロベルドの突撃を受け流し、突き掛かってきたヴェーラのハルバードを脇で挟むと、顔面に肘打ちを見舞う男に、ファルが真後ろから気配を消して突撃する。男はファルに向き直り、手に再び三つ又槍を具現化させる。激しい衝突が予期された次の瞬間、そのままファルはバックステップし、男を紅蓮の炎が包む。再びコンデの速射式クレタである。怪訝そうに眉をひそめながら男は炎を振り払い、硬直して慌てて横に飛び退く。

今の瞬間、ロベルドの肩を借りて高く高く跳躍したフリーダーが、ランスモードに形態変化し、頭上から脳天を砕かんばかりの一撃を叩き込んできたからである。床が凄まじい爆音と共に砕け、横に転がる事を余儀なくされた男が、つっこんできたヴェーラの一撃を蒼白になってかわす。そして、満を持してファルが、斜め上からの回し蹴りを叩き込んだ。ファルは口の端をつり上げた。先ほどから何度かに分けてエーリカがハンドサインで知らせてきたとおりである。この男は相手の生体魔力で位置を把握している。だから、こうして魔力の炎でコーティングしてやれば、それでダメージは与えられなくとも、大きな隙ができるのだ。一撃は完璧なタイミングである。完全に入るかと、ファルは思った。

「!」

不意に世界が捻れた感覚であった。回し蹴りは空を切り、ファルは明後日の方向に態勢を崩しながら着地する。男はもう余裕もなく跳躍し、手を高く挙げる。その時であった、真横から、彼に氷柱が叩き付けられたのは。口から血を吐いた男が吹っ飛び、数度バウンドして転がった。速射式クルドを放ったコンデが額の汗を拭い、エーリカが更に複雑な指示を飛ばしながら、雑言で男を追いつめる。

「見え見えよ、貴方の行動、それに能力も。 その防御能力が無敵なら、わざわざ皆の攻撃を避ける必要もないですものね。 おそらくその防御能力、フリーダーちゃんの形態変化と同じく時間制の代物でしょう。 発動すれば攻撃を完璧にそらせる代わりに、一定時間は防御能力がゼロになる。 だからリスクの大きい大攻撃を直後に放って来る」

「ぐ、お、おのれ、おのれええええ!」

「はっきりいってねえ、貴方、前のうごめくものよりずぅーっと戦いやすいわ。 だってバカですもの」

おのれえええええええっ! エサが、エサ如きがふざけるなああああああああっ!

理性もない奴よりバカだなんて、なかなか狙って出来る事じゃないわ。 ある意味才能ね、それ」

ロベルドさえ唖然とするほどの暴言を吐きながら、エーリカは挑発を繰り返す。男は跳ね起きると、夜叉のような顔で、全身に纏う魔力を強化していく。ファルは額の汗を拭うと、精神を集中し、男の周囲を流れる魔力と、発せられる音に全神経を集中した。男の周囲の魔力は、さながら穴を開けた桶の中の水が渦巻く如く、流れ込み吸い寄せられている。そして、男は喋っていないが、不可思議な音がする。詠唱に間違いない。目を見開いたファルは、武具を構えなおした皆と共に、エーリカの指示を反芻しながら次の攻撃に出るべく動いた。

詠唱が高まり、そして頂点に達する瞬間を狙い、体を半回転させて遠心力で加速した焙烙を投げつける。以前ラスケテスレルに投げ焙烙を叩き込んだほどではないが、タイミングは完璧だ。男は焙烙を避ける事すら出来ず、炎の中に消える。更に速射式のクルドが頭上から叩き込まれ、男は氷塊の下に消えた。情け容赦ない攻撃だが、皆エーリカが指示したとおりの位置まで詰め、息を殺している。誰もが知っているのだ。今の連撃で、敵が倒れていない事は。静寂は、魔の息吹の前触れだった。

「ぐるあああああああああっ!」

氷を砕き、先ほど空中から男が放ったような衝撃波が辺りを襲った。カミソリのような空気の束は、構えていた冒険者達を他愛もなく投げ飛ばし、地面に叩き付ける。苦痛の声を漏らしたロベルドは、両腕から血を流しながら体を起こす。ヴェーラはハルバードを杖によろけながら立ち上がる。フリーダーを庇ったファルは肋骨が数本折れたのを感じながら半身を起こし、心配げに自分を支えるオートマターに微笑みを返す。

「……まだいける。 心配するな」

見れば今の一撃をまともに受けたコンデは腰を抜かして地面にへたり込んでおり、エーリカも満身創痍でそれでも気丈に敵がいる方を睨み付けている。彼女は指示で皆に伝えていた。敵の正気を失わせ、先に最大奥義を不完全な形で出させると。

氷を砕き、ボロボロの男が飛び出す。目にはもはや正気が無く、口から泡を吹きながら突進してくる。真っ正面からそれを迎え撃つのはロベルド。彼はこの男との激しい交戦に加え、二度の空気攻撃をどちらも至近から受け満身創痍だが、それでもまだまだ目には気力がみなぎっている。

「来い、道化野郎っ!」

「邪魔だ、どけ!」

男の手に長く太い三つ又槍が再び出現する。そのまま男は、雷光の如き突きを走りながら摺り足で叩き込んでくる。人間業ではないが、ロベルドはそのまま態勢を低くし、鎧を槍の穂先にぶちあてて強引に跳ね上げ、無理矢理懐に入り込んだ。そして、そのまま猛烈なタックルを敢行する。相互加速の一撃は、長身の男を蹌踉めかせ、吐血させる。白目を剥いた男は、だがすぐに態勢を立て直し、ロベルドに膝蹴りを叩き込み、そして頭を押して、地面に叩き込んだ。

次の瞬間、男の脇腹を、深くヴェーラのハルバードが抉っていた。苦痛の声を漏らしながら男は体の位置を冷静にずらして致命傷を避け、そのまま竜巻のように回ってカウンターの回し蹴りをヴェーラの背に叩き込んだ。地面につっこんで動かなくなるヴェーラには目もくれず、男は焦りに満ちた顔をエーリカに向けた。

今までの攻防から、男がフリーダーかエーリカ、コンデの魔法攻撃組を警戒しているのは明らかだ。冷静に立ち位置をずらしながら、ファルはじっと男を観察し続ける。そして必殺の瞬間に備え、全ての神経をとぎすませる。肋骨の痛みや、全身の軋みなどどうでも良い。今は此奴を倒し、この呪わしい場所から抜ける事が先だ。フリーダーを守り、この場所を脱出する為だったら、ファルはどんな痛みにも耐えるつもりだった。

「くだらん時間稼ぎをしおってぇええええっ!」

吠えたけり、男は踏み込みざまに、三つ又槍を詠唱中のエーリカに叩き付ける。素早く横に動いたフリーダーが間に入り込み、男が氷を砕いた時には盾に変えていた右腕で、それを強引に跳ね返す。三度に渡る形態変化で、フリーダーはもう限界に近い。汗を飛ばし、尻餅こそつかなかったが、片膝をついて体勢を崩す。顔は蒼白で、動悸も荒い。男は新しく出現させた三つ又槍を投げつけようとしたが、間合いを詰めたファルが、ローからの一撃を半回転しながら放ち、更に飛んで避けようとした男にハイキックを叩き込んだ。男は避けきれず、先ほどヴェーラが抉った箇所にファルの靴先が食い込んだ為、悲鳴を上げて吐血したが、流石にまだまだ屈しない。体勢を崩しながらも三つ又槍を投げ、立ち上がろうとするフリーダーを跳ね飛ばしたのである。流星の如く飛び来た破壊の槍をフリーダーは受けきれず、小さな悲鳴を上げて地面に投げ出された。更に着地ざまに、ファルに彼女のものより更に鋭いローリングソバットを叩き込んではじき飛ばす。ファルは受けきれず、地面に叩き付けられ、地面に二度バウンドして転がった。息が詰まるほどの衝撃であり、だがまだ意識を手放すわけには行かない。倒れたまま拳を固め、最後の一手に出ようとするファルの前で、男がエーリカを睨み付ける。片膝をついたままのコンデと、額から血を流しながら印を切り終えたエーリカが、呪文を完成させたのはその瞬間だった。

「はああああああああっ! 喰らいなさい!」

人の身長の半分ほどもある巨大な光球が、エーリカの気合いと共に飛ぶ。バレッツの術だが、エーリカとコンデが残った魔力を全てつぎ込んだ一撃だ。男が目を見張り、叫ぶ。

「……でかい! おのれ、呪文を二人がかりで増幅するだと!」

もう余裕も何もなく、男は青龍刀を具現化し、気合いと共に振り下ろす。光球と刃がぶつかり合い、凄まじい火花を散らして競り合った。やがて、青龍刀が無念そうに音を立て、折れ砕けた。そして競り勝ち、わずかに変形した光球が男に炸裂……しない。光球はまるで自ら避ける用に、男の手前で軌道を変え、天井に爆裂して轟音をばらまいた。

「は、ひゃははは、はははははははは! 私の、私のか……」

男の右脇腹に、刀が突き刺さっていた。刀は斜め上に向けて突き刺さり、二の腕ほども男の体に入り込んでいた。

今までファルはわざと攻撃の手を抜き、激しい反撃を敢えて受けつつ、男の魔力収束点を探る事に終始していたのだ。エーリカが切り札に考えたのは、フリーダーでもなければコンデや自身の最大威力呪文でもない。ファルの、未完成ながら、正に一撃必殺の威力を持つ、クリティカルヒットだったのである。だから意図的に、ファルの攻撃を抑えめにする指示を飛ばし続けていたのだ。ファルにしてみれば物足りなかったが、しかし自分の腕を完璧に信じてくれたのは、少し嬉しかった。

エーリカの最大攻撃を退けぬき、切り札の結界を使い終わり、致命的な隙ができた男に、ファルの刃は無惨なまでに正確な牙を剥いた。ファルが見切った魔力集約点に、刃は0.1ミリの誤差もなく突き刺さっていた。男がゆらりと前に倒れ、白目を剥き、地面に激突した。

「……ま……まだ……早い……」

男の口から、かすかに言葉が漏れる。

「死にたい……死にたい……でもまだ……死ぬわけには……私は……死にたい……でも死ね……な……」

男の体が崩れていく。美麗な顔も、長い髪も、皆等しく。そこには最初から何もいなかったかのように、塵となって消えていった。

 

6,決断

 

地下十層のアウローラの部屋では、オペレーター達が驚きの声を上げていた。オルキディアスが六人一チームの人間達と交戦し始めた事は分かったのだが、何と人間が勝ったのである。まだ不完全体とは言え、元の六割程まで力を回復していたオルキディアスにである。アウローラに手傷を負わせた大魔術師ウェズベルを素体とし、ディアラント大戦で厳重に警護された要人を三十六人も抹殺し、百体以上のオートマターを屠り去ったオルキディアスをである。小声で囁き合う部下を睨み黙らせると、パーツヴァルは笑い続けているアインバーグに言った。

「……人間共も、なかなかやるではないか」

「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ。 確かに、想像もできなかったのう」

「なあ、アインバーグ」

「ん? どうした、無骨なるリズマンよ。 ん? ん?」

「いや、何でもない」

ひょっとしたら、アウローラを救える者が現れたのかも知れない。そんな事を言っても、笑われるだけだと分かっていたから。敢えて誇り高い戦士は、その言葉を飲み込んだのであった。

パーツヴァルはしばし悩んだ後、誰にもその言葉を言わない事に決めた。必要となったら言えばよい。無骨な彼は、そんな風に考えて、饒舌となる事を避けたのであった。

 

戦いが終わり、場に静かな空気が戻ってきた。座り込んだまま、エーリカが皆を見回す。つまり、である。恐るべきエーリカが、立ち上がれないほど消耗していると言う事だ。

「みんな、生きてる?」

「なんとかなー。 俺はまだ、ダンスが踊れるくらいだぜ」

「わ、私だって、きっと早口言葉……が喋れるはずだ。 きっと、な」

「ハハ、無理すんなよ。 俺だってホントは踊れやしねえよ」

乾いた笑いを、地べたに蛙の如くはいつくばったままロベルドが言い、ラッコのように伸びたままヴェーラが受け流す。比較的余裕があるフリーダーが何とか立ち上がり、埃を払って階段の方を見た。

「此処をそのままにしておくと、魔物やよからぬ輩が入り込むと思いますが」

「分かってる。 とりあえず、魔物が来たらもうどうにも出来ないから、皆で固まって休息を取るわよ。 いつでも転移の薬を使えるようにして、ね」

「何か情けねえな、俺達」

「こんな時に贅沢は言っていられない。 死にたくなければ、早く集まるんだ」

刀を拾ったファルにも、余裕は欠片もない。蛞蝓が這うような速さで六人は集まると、正座して次の命令を待つフリーダーを見ながら、改めて死闘を行った部屋を見回した。

「のう、これからも、この迷宮ではこんな現実が見えてくるのかの」

「コンデ爺さん、アンタみたいな年寄りでも、真実を見るのは怖ええのか?」

「怖いとも」

「……そうか。 そうだよな。 言うまでもねえはずだよな」

ロベルドが寝ころび、天井を見上げた。先ほどエーリカのバレッツが直撃して、大きく砕けた天井を。

「なあ、あいつ、バカじゃ無かったよな」

「そうね。 でも、決して利口でもなかったわ。 一番相手を怒らせる方法は、言われもない雑言じゃなくて、自分でも気にしている事を抉ってやる事よ」

「相変わらずエーリカ殿は恐ろしいな。 それにしても、あの恐るべき戦士の名前、聞けなかったな。 あのような輩でも、風に吹かれ塵になってしまうと哀れなものだ」

「あら? 分からなかったの? 彼奴の名前、きっとオルキディアスよ」

そういえばファルも思い出した。以前ポポーが見せてくれたうごめくもの七種の中で、額に第三の目を持つ人型の個体が居たのである。ポポーが見せてくれたのは二十秒ほどだったのだが、その短時間で全部覚えるとは、流石天才。あまり今後も迂闊な事は言えないと、ファルは襟を正す思いであった。

しばしして、無言のままファルは立ち上がると、痛む右足を引きずりながら、先ほどフリーダーがランスモードで開けた大穴の所まで歩み寄った。そして砕けた穴の中央に、側で拾った鉄棒を突き込み、隙間にねじ込んで、強引に固定した。

あの男の、うごめくものオルキディアスのものではない。此処で死んだ人間達の、加工されて戦いの中で散っていたであろうオートマター達の墓標。こんな処置しか出来ないが、ファルには何も黙って見ている事は出来なかった。黙祷し、軽く礼をしたファルに、遠くからエーリカが呼びかけてくる。

「ファルさん、一度戻るわよ。 早くして」

「分かった。 そう急かないでくれ。 私だって、痛くてたまらないのだ」

何でそんな言葉が出たのか、ファルにも分からなかった。だがエーリカは遠目でよく分からなかったが、喜んでいたようであった。

二日後。騎士団と錬金術ギルドはファル達に案内され、この場所に到達する。数体のオートマターが回収され、ファル達には高額の報酬と、もう一つ大きな名誉が与えられる事となる。

それはファルが尊敬し、いやドゥーハン人の殆どが憧れて止まない生ける伝説、オルトルード王との直接対面であった。

 

(続)