それぞれの戦い

 

序、炎の迷宮

 

カルマンの迷宮は、階層ごとに姿を変え、それに共通するパターンはない。特に変化が著しいのは、地下三層と四層である。

人工物である事が一目で分かる地下三層に対し、地下四層はあまりにも荒々しい。精緻な芸術品から、自然神が大鉈を振るった創造物への転換。冷たく静かな土地が、荒々しく激しい息づかいをする場所へと化す。沈黙が、咆吼に。眠りが、躍動に。全てが急激に変化するのである。無論、其処は迷宮と言うよりも、ダンジョンと言うべき場所だ。人間の創造物である割合よりも、自然が産み出した生産物である割合が遙かに高いからだ。

ただし、全てが、自然神の寵愛を受けた場所というわけでもない。

奥へと潜っていくと、此処がむしろ、かっては精緻な芸術品であったと分かる。人間の作った脆弱な代物であったのを、自然神の産物である圧倒的な力が破壊したのだとも。一つはっきりしているのは、此処を作った者達が今はおらず、魔物達が代わりに住み着いている、という事だ。

何カ所には騎士団の詰め所もあり、補給路の確保に血道を注いでいるが、上手くいっては居ないのが現状だ。騎士団長が来てから随分情況は良くなったのだが、地下四層以降は、かろうじて現状維持が出来ている、というのが関の山の情況である。騎士団長が来る前は、地下一層や二層ですら苦労していたのだが、現在は三層まではかろうじて何とかなっている、くらいの状態に改善している。逆に言うとせいぜいその程度で、まだまだ、膨大な軍勢を奥に通過させるパイプとしては心許ない。ドゥーハンの騎士団の一部だけが、守護者であれば。

今カルマンの迷宮は、人間同士の間でも、火花を散らす場へと化そうとしていた。

 

ドゥーハン王都を、これ以上もないほど統率された部隊が行進していく。武者達はいずれも徒であり、いずれも黒く塗装された鎧を着ていた。先頭には、案内らしきドゥーハン騎士が一人。彼のすぐ後ろには、大きく黒龍を染め抜いた旗を持った、屈強な黒騎士が続いていた。規模は百人弱。騎士が三十人ほど、その他に軽装の者が十人ほどおり、残りは非武装だった。だが、非武装の者すらもが、黒き着衣に身を包んでいた。それに注がれる民衆の視線は寒い。中には、露骨な敵意を向ける者も少なくなかった。観衆の中から、子供が興味にかられて進み出ようとし、母親が慌てて抱え逃げ去った。今は同盟国であるのだが、誰もがその国旗と、意味を知っていたからである。

その国の名はサンゴート。ベノア大陸最強の武力を、かっては誇った国である。バンクォー戦役の原因でもある大国で、同戦役でもっとも甚大な被害を受けた土地でもある。現在はドゥーハンに従属同盟し、荒れ果てた国土の復興に当たっているのだ。

戦役の際、この国の黒騎士団は戦場で悪鬼の如く暴れ回り、敵対する者と見れば幼子だろうと容赦なく手に掛けた。適度な冷酷さは支配に適当だが、その行動は少し過剰だった。いつのまにか、武威を怖れて見て見ぬふりをしていたエストリアや、日和見を決め込んでいたハリスも次々にドゥーハンに寝返り、圧倒的な大軍が黒騎士団を飲み込んでいった。加えて、英雄オルトルードの率いる騎士団が、サンゴート軍を各地で粉砕していったのである。追いつめられたサンゴート王は各地に散っていた軍を招集、最後の決戦に望みを託した。そして、決戦が行われ、完膚無きまでに破れたサンゴートは本土へ撤退、和平を受け入れたのである。この時、戦役の原因である先代サンゴート王は死亡しているが、その経緯については諸説ある。というのも、決戦の前に巨大なカタストロフが起きたという情報があり、ドゥーハン軍およそ三千、それにサンゴート軍およそ四千が、忽然とこの世から姿を消したからである。ちなみに、サンゴート王の死亡はオルトルードが確認しているが、彼は戦いの経緯について詳しい事を現在まで語ろうとはしない。そこを除けば、オルトルードの的確な指揮によって、サンゴート軍は完膚無きまでに粉砕されている事が、複数の客観的証言によって確認済みなのだが。戦い自体は、ドゥーハン及び連合軍三十六万が、サンゴート軍二十七万八千と交戦。前後の小規模戦闘も含めると、ドゥーハン軍は行方不明の者達も含めておよそ二万を戦死させ、八万ほどを負傷させた。対しサンゴート軍は死者だけでも十四万という有様で、追撃戦の途中でも負傷者が脱落し、降伏した者も多く、サンゴート本土にたどり着いたのはわずか三万にすぎなかった。サンゴートが未だに形を残しているのは、オルトルードが降伏したサンゴート軍を寛大に扱ったからであり、もし王が復讐に猛り狂う部下をけしかければ、同国はもはやこの世になかった可能性も高い。

現在、サンゴートはドゥーハンに従属同盟していると同時に、内部をハリスに食い荒らされている。ジェルミ寺院という天主教寺院が政権の中枢に食い込んで、利権を貪っているからである。新王は利発だがまだ若く、老獪な彼らに振り回されるばかりで手も足も出ない。ゆえに、かっての武威はもうない。だが、それを残念だと思うドゥーハン人は居ない。それが民衆の視線の意味であった。

黒い騎士団の中に、唯一騎馬武者が居た。強烈な威厳とカリスマを備えたそれは、ドゥーハン王城を見上げ、口の端をつり上げていた。

「見ておれ。 必ず我がサンゴート騎士団、武名を取り戻して見せよう」

それは王に対する、一種の宣戦布告であった。数日間の休養の後、彼らはほぼ同規模の後続部隊複数と合流し、実戦戦力を百五十名程まで増員すると、迷宮へと足を進め、闇へ潜って行く事となる。

 

1,ファルーレストの静かな一日

 

不機嫌そうに椅子に座っているファルの眼前には、派手なファッションの、ヒューマンの娘が座っていた。頬には入れ墨を入れ、髪は明らかに染めており、衣装も華美だ。腰にぶら下げているショートソードと、時々見せる隙のなさが、彼女が冒険者である事を証明はしていた。だがファルとしては、あまり好きにはなれない人種だった。

この娘の事を、ファルは良く知っている。リディ=ヴァレンシュタイン。各地の酒場でよく見られる、ベノアン新聞と呼ばれるタブロイド紙の編集長だ。情報量とその正確性は所詮タブロイド紙なのだが、抜群のセンスと、話題を先んじて集める嗅覚、それに大手の新聞でも掴めなかったようなスクープを時々ものにしてくるため、一部では密かな人気のある誌である。そしてリディは、自らカルマンの迷宮に潜って情報を集めている事で、一部の冒険者の間では有名人なのだ。また、彼女の書く記事は基本的に公平で、思想的に偏っていない事も魅力の一つになっている。記事に間違いがあった場合、丁寧に謝罪を行う姿勢も、冒険者達からは好感を得る一因となっているようだ。

ただ、ファルはこの娘を嫌いである。というのも、彼女が恩を感じているオルトルード王をこき下ろした事が一度や二度ではなく、一度は忍者ギルドをコテンパンにこき下ろした記事をベノアン新聞に載せたからである。政治や体制への批判は、法で認められているとはいえ、ファルにはかなり腹立たしかった。しかもそれが余計にいらだたしいのは、決して根も葉もない誹謗ではなかった点だ。ファルにしてみれば、認めざるはえないのだが、出来れば会いたくない相手であった。だが、エイミがわざわざ連れてきてくれた相手だし、むげに扱うわけには行かなかった。エイミは渋るファルに、こういったのだ。

「広域に発信される情報を扱える人間を味方に付けるのは、ギルドにとっても、なによりおねえさまにとっても有益なはずですわ」

ぐうの音も出ない正論である。決して軟弱ではないエイミだからこそ、吐ける現実的な言葉であった。すでにエーリカが隙のない交渉を済ませており、今後一号ごとに一人ずつのインタビューを乗せていく事に決まっている。三日前はエーリカの番であったから、まだ良かった。しかし今日は、ファルの番であったのだ。その上エーリカの記事は好評で、今回の記事も売れ行きが期待されているという。ファルにしても、エイミの言葉が全くの正論だと言う事は、内心で認めている。ギルドの為にもなると知っている。ファルは、真実と感情が並列した場合、苦しみながらも真実を選べる人間だった。だから、インタビューを受ける事を、渋々ながら承知したのである。

もうすぐインタビューを始めるというリディは、にこにこしながら色々準備している。その傍らには、助手らしきオークが、小さなメモ帳にペンを走らせていた。むっつりしたままのファルに、エイミが小声で囁きかけてくる。

「おねえさま、笑顔、笑顔」

「そういわれても、他人に笑顔など向けた事などない。 はっきり言って、どうしていいのやら分からないぞ」

切実なファルの言葉である。実際問題、コミュニケーションスキルが他者に比べて著しく劣るこの娘は、上手な笑顔の作り方など知らないのだ。ましてや、苦手な相手に営業スマイルを作る事など、もってのほかである。その点、エイミは姉よりもずっと優れていると言える。姉が剛なら妹は柔。良く分担しあった姉妹であった。

「でも、そのままだとギルドの事をきっと悪く書かれてしまいますわ」

「むう、それは困る。 仕方がない、何とかしてみよう」

「はーい、そろそろよろしいかしら?」

「ああ、始めてくれ」

リディの言葉に、奥歯をかみ、ファルは無理に笑顔を作った。かなり不自然な笑顔だが、むっつりしているよりはいい。はらはらしながら情況を見守るヴェーラやコンデの事は何処吹く風で、リディは質問を始める。

「では最初に。 ファルーレスト=グレイウインドさん。 冒険者を始めたのは何時ですか?」

「六年前だ」

「成る程、となるとベテランになるわけですね。 忍者ギルドに入られたきっかけは?」

「師に世話になったからだ」

しばし考え込んだ後、リディは少しずつ切り込んでくる。ファルは笑顔を何とか維持していたが、不機嫌ぶりは隠しきれず、オークの助手はずっとファルを見ながらびくびくしていた。

「ファルーレストさんはとても美人ですね。 男の人にさぞもてるのでは?」

「興味がない。 あまりにもしつこい男は投げ飛ばす」

「あらあら、それでは婚期を逃してしまいそうですね」

「別に構わない。 結婚だけが女の幸せでもあるまい」

リディはずっと同じ表情を維持しているが、しかし言葉にはある種の殺気が徐々にこもり始めていた。ある形は違うが、この娘は間違いなく武人に属する存在だと、ファルは悟っていた。幾つか他愛ない質問を経て、徐々に彼女は質問を深くしてゆく。

「今後の展望を、何か考えておられますか?」

「そうだな、当面はまず魔女を屠り去る事を考えている。 その後は妹の援助をしながら、仲間や大事な者を守っていきたいな」

「へえ、明確な希望があるんですね。 逆に、何か現状に不満はありますか?」

「今後は更に迷宮の深部に入る事になるが、情報が少なすぎる。 できればもっと多く情報が入ると嬉しいな」

ファルの言葉にはよどみがない。それに対し、リディは探りやフェイクも入れた言葉を連続して投入してくる。なるほど、これがこの娘にとっての戦いなのだと、ファルは自然に悟る事が出来ていた。激しいフェイントやカウンターを入れつつ、相手の能力を探り合い、必殺の一撃を叩き込む。戦いと何が違うというのか。そう思えば、リディに対しての警戒感が、少しずつファルの中で薄れていった。まだ、親近感が沸き上がるほどではなかったが。

「なるほど。 でもそれは、忍者ギルドではなく、もっと大きなギルドに入れば解決出来るのではありませんか? 貴方ほどの実力なら、侍でも戦士でも思うがままでしょうに」

「それは考えていない。 私は忍者であり、栄達はギルドと共にある。 効率は関係ない」

「分かりました。 質問を変えますが、好きなものは? 食べ物、色、それに何か一つ」

「そうだな……まず色は黒が好きだ。 食べ物は、アシュレットスープだな」

アシュレットスープというのは、数種の野菜と少量の肉を軽く炒め、少し苦みが強い香辛料で味付けして一晩煮込んだスープで、手間はかかるがとても美味しい食べ物である。ギルドに入ってから師匠に、仲間と一緒にごちそうされたのがなれそめである。ファルはこれほど美味しいものがあるのかと感心し、それ以来すっかりスープを食べるのが楽しみになった。エイミは料理がヘタだったし、自立してからもろくなものを食べた事がなかった彼女にとって、その味は衝撃的だったのである。ただし手間がかかるので、そういつもは食べられないし、スパイスの配分は最後まで師匠が教えてくれなかった。難しいミッションの後に師匠が振る舞ってくれるこのスープは、ファルには数少ない楽しみの一つだった。懐かしいスープの味を思い浮かべながら、寡黙な忍者は質問の残りに答える。

「好きなものか。 そうだな。 難易度の高いミッションをこなした後の達成感かな」

「ふふ、分かりました。 以上でインタビューを終わらせて貰います」

メモ帳をしまうと、リディは興味津々と言った様子で、ファルに改めて微笑みかけてきた。それはさっきまでの戦闘的な微笑みではなく、何処かいたずらっ子のような要素を秘めていた。

「とても面白い人だわ、貴方」

「そうか? こんなつまらん人間そうはおるまい」

「いえいえ。 一見冷徹なようなのに、実はとても義理堅い。 完璧なようなのに、話してみるとあっちこっちでぼろが出る。 強いのに何処か未成熟で、美人なのに男が大っ嫌い。 一見クールなようで、とても生真面目。 こんな面白い記事の題材、上級の冒険者にもそうはいないわよ」

「褒められているのやらよくわからぬな」

「褒めているのよ、手放しで。 他のみんなのインタビューも終わったら、また貴方を記事にさせて貰うわね。 ふふ、今日は得しちゃった」

うきうきしながら、リディはオークの助手を連れて引き上げていった。小さくため息をついたファルに、エイミがお冷やと濡れタオルを出してくれた。

「お疲れさまですわ、おねえさま」

「すまないな。 しかし、別の意味で今後手強い敵となりそうだ」

額の汗を拭いながら、ファルは今後の事を考えて、心中舌打ちしていた。今後、エイミの言葉通り、ギルドの為にもチームの為にも、ああいった者とは付き合わなくてはならない。苦手意識はなくなったが、戦うのはそれなりに骨だ。

ふとファルが顔を上げると、エーリカが笑顔でのぞき込んでいた。不審を感じて少し退くファルに、初々しい僧侶は、腰に手を当ててにんまりした。

「ファルさん、終わった?」

「ん? ああ、今終わった」

「大丈夫よ、あの手合いは愚僧やエイミさんが引き受けるから。 というよりも、ファルさんには戦う事に全てを注いで欲しいわね」

「そうか……すまないな」

背負うものを分担してくれるエーリカの言葉。ただ、ファルは静かに感謝だけしていた。

 

今日は久しぶりに設けられた休日である。ただし、ずっと寝ているわけには行かない。リーダーであるエーリカはギルドや彼方此方の酒場に仕事を探しに出かけたし、ヴェーラもロベルドも近くの広場に修行をしに行った。コンデはジルにたたき起こされて、現在は厳しい監視の中瞑想を行って魔力強化に徹している。見張りを緩めるとすぐにさぼろうとするのは、この老人の悪い所であるが、それも含めてファルには信頼出来るチームメイトであった。やはり、共に死線を潜り続けるというのは大きい。

自室で瞑想した後、広場に出て軽く体を動かす。アレイド開発に使っているのとは違う、一人で訓練する時に使う広場だ。より静かで、より広い、理想的な場所である。魔力視強化瞑想はほぼ軌道に乗り、今ではだいぶ魔力の流れを視認出来るようにはなった。ただ、今はまだまだ攻撃の精度が、見える敵の魔力集約点に必中させるほどではない。一方で、聴覚強化呼吸法はほぼ完成の域に達した。ファルは天才だが、これに関してはもうヴェーラやロベルドも同じ事だ。コレを完成させているだけでも、ファルのチームは他の冒険者よりも有利だと言い切って良い。

エーリカはここ数日、魔力を拡散する術を開発し、コンデと共同で実行する練習に仕事の合間を見て明け暮れていた。本人曰く、魔力拡散陣、だそうである。今日も仕事帰りに訓練するのは間違いない。それである以上、ファルも負けてはいられない。筋肉を動かし、関節を回し、しばし基礎作りに励んだ後、目を細めて周囲を見回した。

鍛えれば鍛えるほど、実戦を潜れば潜るほど。まだまだ先が見えてくる。実戦で鍛えた筋肉は、それほど太くは見えず、逆にしなやかに内蔵される。案外体が細いファルであるが、同じ背丈の男子よりも力はずっと強い。ただ、純粋なストレングスに関しては、どうしてもロベルドには劣る。最近はヴェーラも力を付けてきていて、敵との間合いを計る術はむしろファルよりも上手いほどだ。目をつぶったファルは、仮想敵を思い描く。此処暫くはガスドラゴンと戦っていた。勝率は四割と言った所である。仲間の支援も考えれば九割を超すのだが、一人での戦いならまずまずと行った所だ。しかし一方で、イメージトレーニングでも、以前戦った(うごめくもの)だという巨大な怪物には、全く勝てなかった。あれはまだまだ一人でどうにか出来る相手ではない。呼吸を整えながら、ファルは構えを取り、ゆっくり目を見開いた。否、心の中で目を開いた。ガスドラゴンが、其処には巨大な姿を見せつけ、佇立していた。周囲は迷宮、地下三層。広さも高さも、この巨大な敵との交戦に充分だった。

地下三層の探索をほぼ終えた現在、カルマンの迷宮におけるガスドラゴンとの交戦経験は三回。他の迷宮での交戦経験もあるのだが、カルマンに住んでいるガスドラゴンはそれよりも二周りも大きく、別物と考えるべきなのでカウントはしていない。一回目は救助作業も入っていたから、逃げるに徹した。二度目、三度目は皆と連携して撃破した。その時の経験から、ガスドラゴンの戦闘能力は頭に叩き込んでいる。静かに間合いを詰めていくファルに、ガスドラゴンは口から炎の舌を伸ばしながら、轟くような声で絶叫した。ファルは動じない。ドラゴンも、無意味に間合いを詰めては来ない。じりじりと、少しずつ距離が縮まる。ある一線までは静かな戦いが続くが、それは静から動へと急転換した。

不意にファルが動く。数度リズミカルにステップして左右にぶれながら、走って間合いを詰める。超短時間の寿命を残像が全うする中、叩き付けられるのは、筋肉の固まりである長い鞭、尻尾だ。斜め上から跳び来るそれを、潜るようにして、飛び込むようにして、像を残しながらかわす。地面で一回転して跳ね起きる足下を、すぐに尻尾が通過していった。その尻尾の鱗がはじけ飛び、竜が悲鳴を上げる。体を起こしていた竜が、前足を倒れざまに叩き付けてくる。下がるのと、ドラゴンが口を開くのは同時である。火花が散るような攻防の、此処が勝負所だ。尻尾をかわす際に、抜き打ちした刀はそのまま切れ味鋭い身を空気にさらしている。ぐっと目を凝らし、ドラゴンの体を流れる魔力の流れを視る。狙いが定まる。そして、灼熱のブレスが開放される。イメージトレーニングの際、二度、此処で丸焼きにされた。たたん、と小気味よく音を立て、二度ステップするように、横へと跳びずれる。そして最後の踏み込みの際に力を充填し、最初に壁を、続いて敵の体を二度蹴って高く跳躍した。ドラゴンが驚愕の咆吼を上げる。首の上に乗ったファルは、そのまま魔力の集約点へと、一息に刀を突き降ろしていた。最初の一撃で、手首ほどの深さまで刀がめり込む。両足を絡みつかせてドラゴンの首を支え込み、暴れる竜の上で強引に重心を安定させる。一度、此処で放り出されて破れた。しかし、二度と同じ轍は踏まない。そのまま突き刺さった刀へ、慎重に、だが力強く肘で一撃を叩き込んでいた。

ドラゴンが白目を剥いて崩れ落ちる。飛び離れたファルは、しばし様子をうかがってから、刀を引き抜いた。そして竜から歩き去る過程で不意に振り向き、飛来した尻尾を斬り払っていた。尻尾の先端部は刀も同様の鋭さである。切り飛ばされたそれは、くるくる回転しながら遠くへ跳んでいった。半身をもたげたドラゴンは無念そうにファルを見ていたが、程なくまた崩れ伏し、今度こそ絶息した。

ファルが本当に目を開け、木の枝に掛けておいたタオルで額の汗を拭った。これで二十一回戦って、九勝した事になる。無論イメージトレーニングでの話だが、それにしても最近は五連勝という好成績である。このまま反応速度や判断力を強化していきたい所であった。少し体を動かしてみる。ファルほどの使い手になると、現在どれほどの実力があるか、具体的に把握出来るようになる。着実に強くはなっている。だが以前交戦したうごめくものにはまだまだ勝てないし、個人としてもマクベインや師にはまだまだ及ばない。先は果てしなく遠かった。小さく息を吐くと、事前に戦略を練っていた通りに、着実に、だが地味なトレーニングを始めた。

 

一時間ほど地味だが激しい鍛錬をした後、街へ出る。汗が風に心地よい。肌を伝う汗を時々拭いながら、だいぶ地理を覚えた街をファルーレストは歩く。少し上気した肌は実に色っぽいのだが、本人だけがそれに気付いていない。

最初は忍者ギルドに行き、軽く情報交換をしてから、幾つかの店を回る。大した収穫はないが、これは仕方がない。最初から期待していないし、逆に言うと突発的に良い情報が入っていたら儲けもの、くらいに考えているのだ。

最後に向かうのはイーリスの家である。前回の探索で入手した神像の検査の他、今日は先にフリーダーも向かわせている。錬金術ギルドを信用していないファルは、いざというときの為に、イーリスにもフリーダーを診せているのだ。錬金術ギルドの契約に、他の錬金術師に検査させてはいけないというものはない。もっともそれに関しては、ファルも理由は痛いほどよく分かっていた。

怪しい煙を散々放出しているイーリスの家は、外壁が不気味に変色していて、目立つ。周囲の人間は相変わらず其処を避けていて、ファルが入っていくのを見て何やら陰口を叩いていた。無論、ファルの知った事ではないし、気にもしない。ドアを開けると、濛々たる煙が吐き出される。咳き込みながら煙を払うと、相変わらず趣味がよい内装が現れ、ファルはその中へ呼びかけた。

「イーリス! 私だ」

「ファル? 今手が離せないの。 勝手に上がって!」

「そうさせて貰う」

ぶっきらぼうに言って、ファルは煙が違うのに気付いた。何というか、鼻を刺すような薬品臭がしないのである。そうではなくて、今日は単純に焦げ臭かった。窓を幾つか開けて煙を逃がし、発生源と思われる部屋に入る。其処では、いつもとは別の意味での地獄絵図が展開されていた。

部屋の中央にテーブル一つ、その上に大皿一つ。更にその上に盛られているのは、怪しい煙を留め止め無く放つ黒い固まりであった。煤で顔を汚したイーリスと、真っ黒になったエプロンをしているフリーダーが、さながら他人事のように会話していた。

「おかしいなー、この火加減で良かったはずなのに」

「当機はもう少し早めに火力を弱めるべきだと主張いたしました」

「うーん、そうだったかしら?」

「はい。 五度主張いたしましたが、聞き入れては頂けませんでした」

冷静沈着なフリーダーの突っこみにも、イーリスは全く動じない。この娘は基本的に、作業にはいると他人の言葉を一切聞かなくなる傾向がある。悪気があってしている事ではなくて、単純な地なのである。トラウマの為対人交流を避けてきた彼女は、著しくコミュニケーションスキルが低い。ファルよりも更に低いほどだ。どういうわけかフリーダーには心を許してくれているのだが、理由はファルには分からなかった。しかし、心を許しては居ても、コミュニケーションスキルが高い者ほどの配慮はしてくれない。良いも悪いも無く、たんにそういう娘なのである。まあ、それが社会的には「悪い」と言う事になるのだが。

「うーん、そうなの。 それは悪かったわ」

「錬金術用のかまで焼き菓子を作ろうとしたのも原因ではないかと当機は愚考いたします」

「あらあ、あのかまの扱いなら、私は何処の錬金術師よりも詳しいのよ」

「そろそろいいか? 二人とも」

延々続くやりとりを、ファルの咳払いが停止させた。事態は後から来たファルにも一目瞭然であった。要は止せばいいのに焼き菓子を錬金術用のかまで作ろうとして、大変な事態になったらしい。付き合わされたフリーダーは文句こそ言っているが、顔に不満は出ていない。

「ごめんね、ファル。 で、用件は何だっけ?」

「フリーダーの治療に関する情報と、この間の黒食教神像に関する研究結果だ」

「あ、そうだったね。 ごめん、フリーダーちゃん、これ片づけてきてくれる?」

「ゴミ箱に捨てれば良いのですか?」

「ううん、台所に置いてきて。 後でお花さん達の肥料にするから」

見れば、庭には不気味な花が山ほど咲き乱れていた。視線を一度だけ其方にやり、静かに戻すと、ファルは台所に大皿を持っていくフリーダーの背中を見ながら言う。口の端がつり上がりそうになるのを、押さえるのに少し苦労した。

「で、あの子がどうして回復魔法を受け付けないか分かったか?」

「分かったよ」

「本当か」

「要はあの子、体中物凄く強力な耐魔法媒体なの。 ちょっと技術が凄すぎて解析は出来ないんだけど、多分体に魔法をそのまま染みこませている感じだと思う。 エンチャント(魔力付与技術)のもっとも進化した形態だと思った方がよいかな。 耐魔無効化オーラを身に纏ってる、グレーターデーモンに匹敵する耐魔法防御力を、あの子は持ってるんだよ。 これは誇張じゃないよ」

フリーダーはオートマターだと、ギョームは言った。嫌な予感を頭から追い払うと、ファルは続けて情報の提示を求める。イーリスは頷くと、指折り続けた。

「だから回復魔法は一切駄目。 多分補助魔法も、あの子自身にはかからないと思うよ」

「そうだな……今までで経験済みだ」

「うん。 それといざというときは攻撃魔法も防げるけど、ファルはあの子にそんな事をさせたくないよね」

「無論だ」

即答した忍者に安心して頷いた、臆病者の錬金術師は、綺麗に切りそろえた髪を撫でながら言った。こればかりは良く整えられたおかっぱの髪の毛が、耳のすぐ側で小さく揺れる。

「それと、治療はうちじゃ無理。 ギルドの人達が言った事は正しいよ。 あの子を回復させる最高級栄養液は、使い回せるけど、手に入れる事自体がとても難しいの。 産地も凄く狭い。 あの子を浮かべられるほどの量を入手維持出来るのは、世界広しといえどもドゥーハンの錬金術ギルドだけだね」

「そうか……分かった」

「うん。 ……それと、黒食教の神像だけど、多分千年くらい前のものだね。 一カ所抉られてるんだけど、凄い力だよ。 人間がやったとはとても思えない」

無言でファルは天井を見つめた。自分がやはり危険すぎる所に踏み込んでいると、悟らざるを得なかったからである。

「残留魔力とかは、後でもっと詳しく調べてみる。 これは今回の焙烙」

「いつもすまないな。 とても役立っている」

「ううん、ファルが持ってきてくれる研究資料、少し弄れば凄く高く売れるんだ。 だから気にしないで」

「マイマスター・ファルーレスト。 作業が終わりました」

少し視線を傾け、フリーダーを確認したファルは、指先で何度か机を叩いた後、立ち上がった。

「帰るぞ、フリーダー」

「はい、マイマスター」

「もう帰るの? 焼き菓子、多分次は上手に出来るよ」

「いや、今日はいい。 また次に作ってくれ」

「うん」

とんでもない皮肉に聞こえかねない言葉であったが、ファルが言う限りそれはない。手を振ると、無邪気な友人の元を、ファルはフリーダーを伴って後にした。道すがら、小さなフリーダーは、最小限の角度でファルの顔をのぞき込む。笑顔よりも、動作自体がどうしても可愛らしくて、ファルは母性本能を押さえるのに結構苦労した。

「マイマスター、ファルーレスト」

「うん?」

「イーリス様が普通のかまで作った焼き菓子を、先ほどマスターがおいでになる前に、ごちそうになりました」

「美味しかったか?」

「分かりません」

小さく苦笑すると、ファルはフリーダーの頭を軽く撫で、宿へと戻っていった。束の間の平和な一日からも、戦いは抜けてくれなかった。だがファルにしてみれば、別にそれで構わなかった。

ファルはいつも、戦いと背中合わせに立っていた。別に今後もそれで良かったし、情況を儚んだ事はない。これ以上もないほどファルは戦いに向いていて、それ自体も決して嫌いではなかったのだから。

 

2,ベテランと若造

 

ロベルドは、今の仲間達を気に入っている。エーリカは多少暴力的だが自分の意見を尊重してくれるし、ファルーレストは寡黙だがバランス良く強く、義理堅く真面目だ。ヴェーラはバランスが取れた戦士で、勇気も業も高い位置にあり、コンデはやる気に少し欠けるが魔力は充分で、腕も確かだ。フリーダーは幼いのに、正確に仕事を実行する、一種の仕事人的な雰囲気がある。

まあ、そういった戦闘能力面で、ロベルドは皆を気に入ってはいた。だがそれだけではない。仲間として、彼らを信頼もしていた。加えて、幸運もあった。もしドワーフがもう一人でもチーム内にいれば、ロベルドかそいつがチームを出る事になっただろう。ロベルドは、チーム内にドワーフが居なかった事を、今はとても感謝していた。死線を潜り続けた仲間を、ドワーフが他にいるという理由だけで、失いたくなかったからだ。事実彼はフリーダーが加入するまでは、エーリカが他にドワーフをいれると言い出さないかと、内心びくびくしていたのだ。

今泊まっている宿にも、何人かドワーフ冒険者はいる。彼らとロベルドは出来るだけ顔を合わせないし、口も利かない。伝統を何より重視する彼らと議論したり、揶揄されるのが不快だからである。ドワーフ族は優れた技術を持っているが、一方で非常に頑固だ。ノーム族とはなんとか共存がはかれているのだが、他の種族とは仲が慢性的に悪い。特に長年迫害を繰り返してきたヒューマン族とは、今ようやく和解が成立したという印象である。ここドゥーハン王都には山ほどドワーフの建築があるが、それはドワーフの指導者であるベルタンがオルトルード王の盟友であり、共存を皆に呼びかけているからである。実際問題、ハリスやサンゴートでは、ドワーフ建築は殆ど見る事が出来ないのだ。そういった優れた技術力が、逆にドワーフ達を高慢へと押し上げ、多種族との協調をやりにくくしている、とも言える。

そしてそれによって無言の被害を受けているのは、他の種族だけではない。ドワーフ達の中でも、削り取るような痛みを強制されている者がいるのだ。例えば、ドワーフの子供に、未来の選択肢はほとんど無い。職人になるか、軍人になるか、冒険者になるか。これだけであると言っても良い。しかも男性はこれでもまだましで、特に冒険者等の選択肢が無く、出身地に残る事となった女性ドワーフは悲惨だ。早くから結婚し、夫を支える良き母である事を強制される。そしてそれに見返りはほとんど無い。かっての富国強兵策の名残がこれだ。その制度によって、確かに社会レベルでの分業が出来たが、同時に社会そのものが硬質化してしまったのである。まあもっとも、余程豊かな社会でもなければ、他の人間種の間にも、「恋愛結婚」だとか「自由恋愛」などというものは存在し得ないのだが。

ロベルドは、そんなドワーフ社会が大嫌いだった。ドワーフが成人になったら、半強制的に延ばさせられる髭も、敵意の的だった。だからロベルドは、髭を殆ど伸ばしていないのだ。それを揶揄するドワーフの戦士と喧嘩になった事は一度や二度ではない。ロベルドに考えを変える気はなく、今後も摩擦が起こるのはほぼ規定事項だった。だが一方で、この青年はドワーフが持つ技術そのものを敬愛してもいた。彼が住んでいた古い社会が、その高い技術を産み出し続けてきた事も知っていた。

だからロベルドは、イライラする事が多かった。同胞は嫌いだが、憎みきる事も出来ない。チーム内で、洞窟内での知識を求められれば、悪い気はしない。実際、それが役に立った事は一度や二度ではなく、ロベルドの悩みを加速するには充分だった。青年は全てを否定も出来ず、無論肯定も出来ず、板挟みになって苦しみ続けていたのである。苦しみはストレスになって、じわじわと蓄積し続けていた。戦いで発散することも出来る為、爆発するまで溜まる事はなかなかなかったが、全くなかったわけでもない。前回は丁度、ファルのチームに入るときのこと。そして今、また若きドワーフは爆発していた。

 

最近エイミの宿には、そこそこの腕を持つ冒険者が出入りするようになってきた。地下二層まで普通に潜れる者も多いし、三層を縄張りにしている者達もいる。その中に、五層まで行って生還してきたと、いつも自慢しているドワーフの戦士が居た。ブロッドというその冒険者の腕は実際悪くなく、ギルドでもかなり名を広めている強者である。

だが、わずか数週間で地下四層まで達したファルのチームに比べて、ブロッドの歩みが亀のように遅いのも事実であった。ロベルドがこの宿を拠点にし始めてから、今に至るまで。ブロッドが地下六層に達したという噂は聞いていない。それは即ち、ぐんぐん追い上げているロベルドを、ブロッドが敵視するには充分だと言う事である。実際問題、ロベルドはブロッドに始まらず、他のドワーフから白眼視されている。男の象徴である髭を伸ばさず、先輩である彼らに挨拶しようともせず。つまり、先輩達からは(若造がいい気になっている)ように見えるのだ。

その日、ロベルドは帰ってきたファルと一言二言話して、自身の修行成果について自慢げに語った。実際ロベルドは優れた潜在能力を度重なる実戦で鍛え上げており、また聴覚強化呼吸法をきちんと身につける事によって、感覚も鋭くなっている。Wスラッシュの精度は、修得したての頃とは比較にならないし、フロントガードも問題なくこなせる。そしてここ数日は、暇を見てヴェーラやフリーダーと新アレイドの開発に勤しんでいた。その新アレイド、SJアタックがほぼ完成したので、ロベルドはファルに自慢していた。

「これが完成すれば、また戦術の幅が広がるぜ」

「確かに面白い発想だな。 だが、攻撃実行者には危険も大きいぞ」

「其処が問題なんだよな。 ただ、俺としては」

「ガキがピーチクパーチクうるせえな。 酒が不味くなるだろうが」

ロベルドが言葉を留めて暴言の主を見ると、それはブロッドだった。ドワーフのベテラン冒険者は白けきった目でロベルドを見ており、酒も入っていた。酔眼を揺らしながら、ブロッドは敵意むき出しの言葉をはき出す。

「若造は部屋にでもひっこんで、ママに本でも読んで貰っているがいい。 目障りだ」

「何だと、この……」

「放っておけ、ロベルド。 相手にするだけ無為だ」

ぴしゃりと言い捨てて、ファルが手を横に振る。しかし、ブロッドの挑発は続いた。

「だいたい、髭もないガキがいっぱしの大人のつもりか? 余程教育が悪かったようだな」

「……!」

「貴様の母親がどこの売女かしらんが、クズである事は間違いなさそうだな。 髭を生やすなんて、基本的な事も教えられなかったんだからな」

て、てめえっ!

憤然と立ち上がったロベルドは、同じように立ち上がったブロッドとにらみ合った。背は少しロベルドが高いが、経験は相手の方が上だ。周囲がさっと退き、場に殺気が充満する。一触即発のその場を修めたのは、意外な人物だった。進み出てきたのは、いつも通りの笑顔を浮かべたエイミである。

「喧嘩をするなら止めませんわ」

「ああん?」

「ただし、外でやってください。 此処で喧嘩をしたら、壊したもの全て弁償して貰いますわよ。 ギルドにも通報させて頂きますわ」

「ちっ! おい若造! 表に出ろ!」

こういった宿はギルドと提携していて、仕事の斡旋にも一役買っている。故に、エイミが提案した妥協案に、ブロッドは従わざるを得なかった。顎をしゃくって、床を踏みならしてブロッドが出ていく。ファルは薄く目を細めると、腰に手を当てた。

「手を貸そうか? 正直私も今のはかなり腹が立った」

「……先に言っておくぜ、ファルーレスト。 母さんを侮辱した奴は、何処の誰であろうとゆるさねえ。 あのクソ野郎は、俺が叩き潰す!」

「まあ、存分にやるんだな。 今の貴公なら、油断しなければ勝てる相手だ」

「そうか、ありがとな!」

ロベルドが宿を飛び出し、仇敵を追う。ブロッドは、いつもロベルドが修行をする広場で待っていた。上着を地面に放り捨て、回すその肩には力瘤が盛り上がっている。実戦で鍛えた筋肉と、トレーニングで作った筋肉が混じり合い、鋼鉄の肉体を作り上げているのだ。ロベルドも慌ただしく上着を脱ぎ捨て、ショートレンジで敵と向かい合う。周囲には外野がわらわら集まっていたが、ロベルドには関係なかった。彼の仲間も、ブロッドの仲間も、遠巻きに戦況を見つめている。数度地面を靴裏で擦ると、ロベルドは低く腰を落とした。ファルの戦い方を見て、身につけた構えだ。ブロッドはそのまま少しだけ体を低くし、手を少し前に出し、タックルに備える。

「いくぜええええっ!」

「こい、若造ぉおおおおっ!」

筋肉に蓄積された力が爆発し、破壊の弾丸と化したロベルドが突撃した。

 

ファルほど洗練された体術は使えないが、ロベルドの腕も確実に上がっている。攻撃の際の間合いのはかり方、タイミングの取り方、力のかけ方。単にパワーがあれば勝てるというような戦いは、ここずっと無縁であった。いずれも厳しい敵との死闘ばかりで、嫌でも実力は増した。いつもはハードすぎると不満も漏らしたが、今日ばかりはそれが有り難かった。

「おらあああっ!」

「ぬおおっ!?」

最初からタックルに備えていたというのに、ブロッドは蹈鞴を踏み、タックルを受け損ねる。そのままロベルドは素早く腰に組み付き、摺り足で斜め前に回り込みつつ、重心を崩しにかかる。だがブロッドはその時点で態勢を立て直し、肘をロベルドの頭に打ち込む。二度、三度、そして四度目の肘打ちと同時に、ロベルドが踏ん張った。

「む、むううっ!」

ついに重心を崩す事に成功し、ブロッドを地面に押し倒す。そのままマウントポジションに移ろうとするロベルドだったが、此処は経験の差がものを言った。ブロッドは一瞬の隙をついて、(若造)を蹴飛ばし、はじき飛ばす事に成功したのである。はじき飛ばされたロベルドは受け身を取って立ち上がり、埃をゆっくり払う。対し、遅れて立ち上がったブロッドは、もう息が上がり始めている。

「流石に簡単にはかてねえな」

「当たり前だ! 若造!」

汗を飛ばし絶叫すると、今度はブロッドから仕掛けてきた。だが、ロベルドは自然体のまま、突撃してくるブロッドを見やり続ける。よそから見ても分かるほどに、ブロッドの顔に焦りと困惑が浮かぶ。そのままベテラン冒険者はショルダータックルを仕掛けるが、ロベルドは呼吸を整え、タイミングを計るのに徹した。呼吸法で聴覚を鋭敏にすると、他の感覚もとぎすまされ、世界がクリアに見えてくる。そのクリアな感覚の中、流れに逆らわず踏み込む。相手の斜め前に。そして、体の位置をずらし、相手の力も利用し、地面に叩き付けていた。ファルほど見事には行かないが、綺麗に決まった投げ技であった。

「ぐおおおああっ!?」

「もうやめとけ。 もうアンタに勝ち目はねえよ」

「だ、だまれえええっ!」

ロベルドはわざと倒れている相手に追撃をしなかった。戦っている内に、どういう訳かどんどん冷静になっていったからだ。戦う時ほど冷静であれ。エーリカの指示で今まで勝てては来たが、死闘の中で、それは経験則として体に刻まれていた。だが、冷静になったからといって、怒りが発散されたわけではない。起きあがってくるブロッドを前に、静かにロベルドは構えを取り直し、地面を硬く強く踏みしめた。顔を泥だらけにして突撃してくるブロッドが、憎々しげにではなく、むしろ哀れに見えた。

「どりゃああああっ!」

凄まじい音が響いたのは、ブロッドのタックルがロベルドに直撃したからである。時間が止まったように見えたのは、ロベルドだけにではなく、ブロッドにでもあったのは間違いない。タックルの勢いを殺しきり、後ろに流しきり、殆どロベルドは元の位置で立っていたからである。ブロッドは怯えるように、ロベルドの腰を掴んだままあがいたが、見苦しいだけだった。

「悪いな、俺の勝ちだ。 アンタは、年取ったからじゃなくて、奢ったから、若造に負けたんだ。 俺は若造だが、死ぬほどの戦いを延々潜り続けてきた。 アンタはベテランかも知れねえけど、それに胡座かいちまった。 だから、俺が勝った。 それだけだ」

「く、くそ、くそおおおっ!」

「母さんを侮辱した事は絶対にゆるさねえ。 だが、正直今のアンタをこれ以上痛めつける気はしねえな。 やめるんなら、もう勘弁してやるぜ」

「ふざけ……」

「そう言うだろうと思ったよ」

ブロッドの頭に手を当てると、ロベルドは容赦なく、敵の全身を地面へと叩き込んでいた。渾身の怒りを込めて。

 

翌日から、ロベルドをバカにするドワーフのベテラン冒険者は居なくなった。しかし、彼はあくまでチーム内の一人に過ぎない。エーリカには頭が上がらなかったし、まだまだファルには勝てる気がしなかった。エーリカの指揮能力には毎度頭が下がるし、ファルの戦闘能力は尊敬に値する。特にベテランという言葉に胡座をかいていないと言う意味で、ファルは彼の目標でもあった。

じっと手を見る。腕は上がったが、まだまだ先は遠い。チーム内で足を引っ張らないようにしつつ、最終的な目的の為に、一歩ずつ頑張っていくしかない。そのためには、自信は当然必要だが、ベテラン意識はむしろ敵だ。

「奢ったら負けだな……」

「うん? どうしたのだロベルド」

「あん? ああ、なんでもねえよ。 さあ、今日も頑張るか!」

力瘤を作ってヴェーラに応えると、ロベルドは皆に続いて宿を出た。今日も、地の底にある魔の空間が、冒険者達を待っていた。

 

3,炎の中で

 

地下三層も光度の高い空間だが、地下四層はそれをも凌ぐ。ロミルワなどの、光源となる魔法がほとんど必要ないほどである。理由は簡単で、地下三層とは異なる。それを見る為には、地下三層から下って、地下四層へ入ればいい。そうすれば誰にでも目撃出来る。ファルも最初それを見た時は、予備知識があっても、思わず息をのんだ。そして今でも、戦慄と感慨が混じった複雑な気分に見舞われる。ファルは無愛想だが、感性が鈍いわけではない。事実こういった圧倒的な自然を見せつけられると、心は少なからず振動し、それは余波となって後にも体にも少なからざる影響を及ぼす。

地下三層から繋がる階段を下り終えると、其処には巨大な熱気が存在している。左右にあるのは、広い広い空間、そしてそれを埋め尽くす煮立った溶岩だ。溶岩は縁の方こそ黒ずんで固まっているが、それ以外の場所は所々煮たって蒸気を吹き上げ、ごぼごぼと恐ろしげな音を立てている。左右に広がる溶岩の中、奥へと延びる細い乾燥した土が、唯一の通路だ。有毒ガスが出ていないのが救いだが、溶岩の中に落ちたら、ドラゴンだろうと助からない。此処に来たのは二度目だが、何時来ても、この光景はファルを圧倒するのだった。

安全地帯とも言える場所は、幅七メートルほどだが、端の方は何があるか分からない。蒸気が噴き出して来でもしたら、何が起こったかも分からない内に黒こげだ。魔物が生息している事は確認済みなので、さっさと奥へと走り抜ける。百メートルほど狭い道を走ると、其処から少し状況が変わる。左右を少し不安げに見やりながら、コンデが言った。老魔術師の手元は、わずかばかり震えていた。

「相変わらず恐ろしいところじゃのう。 さて、今日はどちらへ行くのかの」

「昨日はあっちに行ったから、今日はこっちに行きましょうか」

「やれやれ、骨が折れる事じゃな」

エーリカが満面の笑みで、右側の(通路)を指さす。暫く進んだ辺りから安全地帯が太くなり、左右に分かれるのだ。その後天井も低くなってきて、洞窟のようになってくる。まだ右は未確認だが、少なくとも左はそうであった。同時に傾斜も出てきて、安全地帯のすぐ側を、川のように溶岩が流れていく。人工物が出てくるのも、この辺りからである。黒ずんだ陶器の破片が散らばり、建物の残骸らしきものも彼方此方にある。此処から、本当の地下四層が始まる。迷宮としての、地獄の階層が。

今まで立体的な階層が続いてきたが、地下四層はとても平面的な場所だ。溶岩がもたらす灯りの中、障害物がなければ、視界の果てまで同じ高度で空洞が続いている。途中からもっと天井が低くなって、たまに灯りも必要になってくるのだが、其処まではまだだいぶ距離がある。手差しで遠くを見やりながら、ヴェーラが言う。

「取り合えず、近くに敵影はない。 これで空が見えれば、本日は晴天なりといったところだな」

「それにしてもよ、いい加減面倒くさいな。 だいぶ道は覚えたけどよお、もうちっとこう、短縮出来ねえかな」

「上級の冒険者は、階層をとばせるショートカットルートを利用しているという噂があるが、噂の域を出ない。 仮にあるとしても、騎士団も必死に探しているのに見付かっていないのだから、発見は難しいだろう。 まあ、地道にやっていくしかない」

「それが賢明ね。 それに、そうやって考えておけば、いざショートカットルート見つけた時に嬉しいわよ」

さらりと今後の探索方向性を言葉に含ませながら、エーリカが皆を先へ進むよう促す。やがて天井が目に見えて低くなり、(空間)から(通路)へと、情況が変動していく。複雑に絡み合い始めた通路をファルがマッピングし、トラップの有無を調べて、皆の安全を確保する。地下二層等でもそうであったが、人が通る所とそうでない所の差が実に激しい。特にベテランになれば成る程、(危険な)場所は避けるので、成長は遅れるし強力な魔物は野放しになる傾向が強いのだ。

地面がむき出しの床には、軽石が散らばっている事が珍しくない。来た時にもエーリカと話したのだが、一何処の迷宮には溶岩が充満したはずだ。つまり、である。現在はこれでも溶岩が後退して、探索が(やりやすく)なっているのである。右手を見ると、広い空間になっていて、そこは滝壺とかしていた。大きく広い穴の底には、プールのように溶岩が溜まっていて、滝のように流れ込んでもいる。ただし、その速度は水に比べるとだいぶ緩慢だ。ファルが腰を落として鯉口を切ったので、皆が一斉に構えを取る。大きな羽音が、無数に近づき来ていた。

「ボーリングビートルよ! 気をつけて!」

エーリカの警告もまどろっこしいと言わんばかりに、大きな昆虫が場に入り込んできた。それぞれ人間の子供ほどもある巨大な無脊椎動物は、自然の法則を無視するように、速く空を駆けて迫ってくる。口は明らかに肉食性の構造で、涎をまき散らしながらである。数は二十体ほどであるが、相手は頑丈で、空を移動する事が出来るのだ。

此方にとって右手は死地なのに対し、敵は全方位での攻撃が可能だ。このままでは不利すぎる。エーリカが無言で皆にサインを飛ばし、陣形を組み替える。前衛にフリーダーを出した扇形の陣で、攻撃よりも専主防御、あるいは迎撃殲滅の為の態勢だ。そして後退し、追いすがってくるボーリングビートルの一団を、全員がしっかり足を踏みしめて戦える場所へと引きずり込む。もう情況から言って包囲されるのは避けられないが、ならばせめて戦いやすい場所へと移動しなければならない。少し戻ると、ちょっと広い空間がある。そこで壁を背にすると、エーリカはコンデに指示を出し、自らも詠唱を開始した。相手が飛べる以上、例えばゾンビを相手にしている時のような、単純なフロントガードは相性が悪い。対空攻撃も視野に入れた迎撃殲滅をしなければならない。事実、エーリカからそうするように指示が飛んだ。抜刀したファルに、無数のボーリングビートルが迫ってくる。それは大顎をおし開き、跳び食いついてきた。

切り伏せると見せかけて、不意に体をずらし、頭を下から蹴り上げる。不可思議な悲鳴を上げて、天かける軌道を強引にずらされたボーリングビートルは態勢を崩し、壁に自らつっこんで首をへし折った。隣ではヴェーラがハルバードを的確につっこみ、あるいは振り下ろし、二匹、三匹と巨大な甲虫を叩き潰していく。斧と槍を組み合わせた形状のハルバードは、突くにも振り下ろすにも大きな威力を発揮するのだ。ロベルドはフリーダーのすぐ側に立ち、近づいてくる輩を率先して叩き潰す。彼の場合レンジが短いから、ギリギリまで敵の接近を待ち、タイミングを合わせて(打ち返す)と言った方がよい。突進してきたボーリングビートル達は、その運動エネルギーを分厚い大斧の刃と頑強なロベルドの肉体に受け止められ、そればかりか跳ね返され吹き飛ばされていった。フリーダーはロベルドに背中を預ける形で、後衛に上から迫ろうとする相手を、ボウガンで牽制し、可能な場合には叩き落としていた。

ただし、敵もやられっぱなしではない。元々頑強な生き物である。体の構造が脊椎動物に比べて単純な分、彼らの生命力は高いのだ。叩き落とされても、すぐにはしなない。頭を半ば潰されても、平気で起きあがり、また羽を振るわせて舞い上がる。そればかりか仲間の血で興奮し、攻撃は一秒ごとに荒っぽくなってきた。顎を激しく鳴らし、食いついてこようとする一匹を、ヴェーラが必死に押さえ込む。上空からの攻撃に対処している間に、足下に瀕死の一匹が潜り込み、飛びついてきたのだ。ロベルドは二体に交互に襲いかかられ、舌打ちしながら斬り払っていた。呆れたのは、頭に二本もボウガンの矢を受けながら平気で飛び回っている個体で、コンデの頭上に落ちかかってきた其奴を、気合いと共にエーリカがフレイルを振り回し、叩き潰す。流石の外骨格も鎧を着た相手に致命傷を与える為作られた武器には弱く、頭部を全壊させ壁に叩き付けられ、痙攣の末動かなくなった。それにしても、冷静な判断力は流石だ。エーリカはフレイルを振って血を落とすと、再び詠唱に戻る。

ボーリングビートルは顎だけでなく、羽や足も鋭く尖っているし、棘もある。顎で食いつかれる事だけは避けながらも、それらによるひっかき傷は皆の体に増えていった。自らも、二の腕に軽傷を負ったファルは、手近に迫った一匹の頭に蹴りを連続して叩き込み、止めに忍者刀で突き刺しながら言った。後ろを見ている余裕などはない。

「そろそろまずいぞ」

ヴェーラは何とか下から食いついてきた一匹を蹴飛ばしたが、今度は上から来た奴に体当たりされ、脇腹を押さえて戦っていた。フリーダーも矢を装填するのが間に合わず、ちらちらとファルを見てくる。形態変化の許可を求めているのは明白だ。ロベルドは一匹を踏みつけて押さえながら、頭上にホバリングしている一匹を何とか叩き落とそうとしているが、上手くいっていない。踏んでいる一匹が羽を振るわせて顎を鳴らしているので、其方にも注意を払わないといけないからだ。加えて、手詰まり状態の味方に対し、敵はまだまだ多くが健在である。数匹がまとまってヴェーラに殺到しようとした所を、ファルが焙烙を投げつけ、追い払う。火だるまになったのは直撃した奴だけで、それも地面に落ちてから随分長い事もがいていた。焙烙を投げつけたファル自身、そろそろ呼吸が乱れ始めているし、小さな傷は随分作られた。

ようやく、コンデがクルドを発動した。巨大な氷の柱が何本も、跳び来るボーリングビートル達に降り注ぎ、押しつぶし、捻り殺し、破片が砕け散る。タイミングは完璧であり、しかも前に壁が出来て対応がしやすくなった。

「おせえぞ、エーリカ!」

「そういわないの。 こっちだって、虫が飛んできて大変だったんだから」

文句を言いながらも、ロベルドは足下の一匹に体重を掛け、踏みつぶした。だが頭を下げた彼に飛びついてきたもう一匹が、彼を体当たりして転ばせる。立ち上がろうとするドワーフに更に昆虫は迫るが、ショートソードを抜いたフリーダーが、真横から首の関節に刃を突き込んで撃退する。しばしもがきながらホバリングしていた巨大昆虫は、フリーダーが剣を力任せに抜くと、地面に落ちて体液を零しながら息絶えた。

「ありがとうな!」

「恐縮です」

礼を言うフリーダーの頭上から、更にもう一匹が躍りかかり、今度は組み伏せた。そのまま悲鳴も上げないフリーダーの首の後ろに昆虫は噛みつこうとした。が、更にその後ろから、ファルが目に炎を燃やしながら素手で頭を掴み、力任せに、逆に首の関節に忍者刀を突き込んでいた。派手に昆虫の体液が吹き上がる。だが命無くした昆虫の足は、頑強にフリーダーの鎧や服に絡みついていた。

敵は残り少ない。しかし今無理に剥がしていたら、フリーダーも怪我をするし、味方の戦力もがた落ちだ。ファルは敵の血にまみれた手で焙烙をまた取り出すと、空中で旋回している虫たちに投げつけ、容赦なく叩き落とした。

「しばらくじっとしていろ。 すぐに助ける」

血油がべっとりついた忍者刀を振り、ファルは手近にいる、残り少ない敵の一匹へと、躍りかかった。味方が攻勢に転じ、勝負が付くまでは、まだ少しかかりそうであった。ファルの視線の隅で、一際大きな一体が、ヴェーラとロベルドのWスラッシュに屠られる様が見えた。

 

戦場は程なくして、昆虫の死体で埋まった。所々香ばしい匂いが立ち上っているのは、火炎系の魔法や焙烙が肉を焼いた個体である。かぐわしき香りは普段こそ好ましいが、今はむしろ状況を悪化させる敵である。いつそれに釣られて、別の魔物が現れるか知れたものではないからだ。応急処置をして、すぐにこの場をはなれねばならない。皆、エーリカの周囲に集まるのは、彼女が修得したフィールズの魔法を受ける為だ。半径六メートルほどにいる存在を回復するこの魔法は、実際問題かなり使い勝手がよい。ただし、それなりに消耗も大きいし、何より戦闘時には使いづらいのが玉に瑕だ。下手なタイミングで使うと、敵まで回復させてしまうのである。

「たかが虫の分際で、手強い相手だったな。 頭を潰しても、あんなに元気に動き回るとは。 不死者も驚くだろう」

「構造が単純だからこそ、肉体は頑強になる。 昆虫はなかなか侮れない相手だぞ」

「はいはい、ヴェーラさんもファルさんも、無駄口叩かない。 心清き水の乙女神よ、汝我らの前に具現化し、そのたおやかなる腕で皆の体を浄化したまえ。 祝福の光を現したまえ。 フィールズ!」

最初に迷宮に入った頃にエーリカが使ったフィールよりも、ずっと強い光が全員の体を包む。フリーダーだけは傷が治らないが、これは仕方がない事だ。先ほど戦闘が終結してから、随分と虫の束縛を外すのが大変だった。一部の爪は、鎧を破って、肌を傷付けていた。フリーダーの快復力はかなりのものだが、それでも回復魔法には遙か劣る。男性陣を回れ右させて、エーリカが包帯を巻く中、腰を落としてファルがエーリカの顔をのぞき込む。うす白い肌に浮かんだ傷は痛々しく、どうもファルは心が締め付けられた。戦いであり、命をかけたやりとりをした以上当然の事なのだが、どうしても割り切れなかった。

「大丈夫か?」

「はい。 問題ありません。 戦闘続行には支障ありませんし、回復にもそう時間は掛かりません」

「そうか」

「……?」

フリーダーが少し困惑した様子でファルを見た。ファルは適当にごまかすと、皆に少し遅れて、戦いの場をはなれた。

 

平面的であっても、探索が楽だというわけでは到底無い。何しろ今までの階層以上に構造がしっちゃかめっちゃかであり、これと言った法則性がないのである。此処に比べれば、三層などほとんど格子目に等しい。それでも、奥へと進んでいくと、変化はそれなりに生じてくる。

床に石畳が混じり始めた。壁にも、手を加えた跡が見え始める。割れた石畳の破片を拾ったロベルドが、首を横に振った。

「コレは駄目だな。 一度高い熱を受けて、加工や細工が変質しちまってる。 すぐには何処のもんかって判断出来ねえよ」

「それにしても、どうしてこんな危険な所に、人が手を加えた形跡があるのだ? 虎の巣穴に家を造るよりも危険な気がするぞ」

「さてね。 火を崇める宗教ってのは昔から少なくなかったし、何か理由があったんじゃねえか? 今の時点じゃ、判断材料が少なすぎるぜ」

「何にしても、私で預かっておく。 後でイーリスに渡さねばならない」

ロベルドから石畳を受け取ると、ファルは大事に懐にしまった。大事な焙烙の供給源である。無為にするわけには行かない。

数度の激しい戦闘を経て、六人は奥へ進んでいく。やがて、徐々に人工物の割合が増え始めた。だがどんなに人工物が多い空間でも、溶岩の爪痕は生々しく残っていた。石を積んで作った建築らしいのだが、内装などが丸ごと消失している上に、普通の部屋の中を平然と溶岩が流れたりしているので、進退の判断が難しい。マッピングが比較的楽なのは、ファルには嬉しい事であったが、それにしてもこんなのたくり回ったダンジョンは初めて見るものだった。

「情報収集がこれほど困難なダンジョンは、他にそう無いだろうな」

「そうだな、骨組みだけが残っていて、後はみんな焼けてしまった印象だ。 正直、建物の残骸と言うべきなのかも知れない」

「今の時点で、何か分かる事はない? ロベルド」

「そうだなあ。 意外と建物はしっかり造られてると思うぜ? 石の組み方は、今の時点で判断する限り、そう古い形式じゃねえ。 多分、三層よりは新しい遺跡だろうな」

古さも新しさも階層によって支離滅裂。ますますアウローラの意図が分からない。奴はいったい何をしに、この地に現れたのか。何の為に、ドゥーハンを危地に陥れているのか。ただ楽しんでいるのか、それとも。

ファルが顎をしゃくって、皆が其方を見る。初めて立体的な構造が、この階層で現れた。上り階段である。ただ、この階層の構造から言って、一体何処へ出るのかは見当も付かない。階段そのものもかなりすり減っていて、上までいけるか、正直分からない。手すりに至っては、触れるだけで崩れ落ちそうであった。

「私が先に行ってみてくる。 何かあったら、下に小石を落とす」

「気をつけてね」

「……無論だ」

階段の上からは、障気が吹き付けてくる感触があった。ファルは目を細めると、足下に注意しながら、一歩一歩階段を登っていった。

 

長い階段だった。随分と登ったが、まだまだ先は見えない。時々トラップに注意しながら、慎重に道を切り開いていく。上に行けば行くほど、壁は汚れ、人工物臭がするようになってきた。どうやら下の方を蹂躙したらしい溶岩も、此処まではこれなかったらしい。歩きながら、ファルは先ほどの事を思い出していた。どうもフリーダーが傷つくと、心が痛むのだ。エイミが泣いているのを見ると、計り知れない憤りが溢れてきたのと、何処か似た感触だった。戦いである以上、傷つくのは当たり前だ。ボーリングビートルは死んで、此方は生き残った。命をかけての駆け引きが行われた以上、勝った側も無傷ではすまされない。敗者は勝者の糧となり、更なる勝者を巡って戦いが繰り返される。それは戦いの場と言うよりも、生存の場で繰り返されてきた宿業である。その中で生きている以上、割り切らねばならない。傷つくのは当然だと。それなのに、傷つくのを見るのはいやだった。それは我が儘というものであり、戦いにマイナスの影響を与えるのは間違いない。我が儘など、追い出さねばならない。今後生き残る為には。幼いフリーダーはそれが出来ている。ファルが出来なくて、どうするというのだ。出来なければ、一人でも出来ない者がいれば、皆死ぬ。それがこういった場所に生きる者の宿命だというのに。

しばしの葛藤を終えると、ファルは再び歩き出す。埃がうっすら積もった上に、幾つか足跡が付いている。ホビットにしては大きすぎ、人間にしては太すぎる。ドワーフのものだ。足跡から言って、新しい上に、相当な使い手である。しばしして、上から戦いの音が響き始めた。目を細め、ファルは音へ向かって間合いを詰め始めた。

階段の上には、小さな部屋があった。大勢で交戦するには少し狭い部屋だ。其処には三人の先客がいて、一対二の死闘を演じていた。数が少ない方は、どうやら足跡の主らしきドワーフ。そして数が多い方は、ある意味伝説的な怪物だった。交戦中の三人から気配を隠しながら、ファルは心中にて呟いていた。

「ワーウルフか」

巨大なバトルアックスを振り回して、老年の域に入っているドワーフが交戦しているのは、狼と人間が半々に混じり合ったような怪物であった。二足歩行しているのだが、頭部は狼のものであり、全身は茶色の長い毛に覆われている。ズボンを穿いていて、手は人間のそれに構造が似通っているが、筋肉の付き方は根本的に異なっている。一体は長刀を、一体はトンファーを手にして、左右から代わる代わるドワーフの戦士を襲撃していた。人狼とも呼ばれるこの怪物は、特殊な条件で人間から半獣へと変身し、超絶的な戦闘能力を発揮するようになる。しかも特殊な肉体構造から、魔法のかかった武器でないと致命傷を与えられない。バトルアックスという大味な武器で戦士はそれに良く立ち向かっているが、不利はやはり否めない。一息に倒されていないのが、むしろ卓絶した実力を示しているとも言える。

実のところ、人間と犬が混じった様な姿をした存在は、他にもいる。此方はラウルフと呼ばれていて、ベノア大陸では超少数民族だ。ワーウルフが魔法生物に近いのに対して、ラウルフは常識的な生き物で、斬られれば普通に死ぬ。信仰心の厚さには定評があり、別の大陸では僧侶の多くを占めているという話である。

交戦は激しく、戦士は徐々に追いつめられていく。すぐに飛び出さないのは、罠の可能性があるからだ。トラップの一種として、救援を求めるような音声や映像で騙し、近づいてきた者を陥れる、というものがある。スキュラと呼ばれる怪物などは、この典型例で、泉等で無数の大蛇に襲われる少女を装うのだが、実は彼女の腰の下が無数の大蛇になっているのである。しばし観察した末、ファルは救援する事に決めた。ただし、仲間を呼ぶのは少し後である。もしトラップだった場合、此処で仲間を呼んでは芋蔓式に全滅しかねないからだ。問題は武器だ。焙烙だけでは、少々相手にするのが心許ない相手である。これに関しては、罠ではないと確認した時点で、皆を呼ぶしかない。

部屋に入り込むと、ファルは抜刀し、戦士に斬りかかろうとしていた長刀使いの人狼を蹴り倒した。もう一体が喉を慣らしつつ慌てて後退し、一瞬だけ戦闘が収まる。ファルはトンファー使いと間合いを計りながら、戦士の方に視線を向けず言った。

「加勢する」

「うむ? 俺一人で充分だが、まあいい。 頼むぞ」

戦士は不器用に言うと、印を数度組み替え、ザイバを唱えた。ファルは少し驚いたが、刀にかかった魔力は本物である。人狼が立ち上がってくる。状況は二対二に変動し、そして再び動き始めた。

 

4,近き確執

 

キャンプを張ってファルの帰りを待っていたエーリカは、近づいてくる足音に気付いて、慌てて立ち上がった。チームメイトも当然すぐにそれに習う。数は単体ではなく複数、しかもかなり戦い慣れている。緊張する五人の前に、十人ほどの集団が現れた。

半数はドゥーハン騎士団であった。しかし、残り半数は、黒い鎧を着た見た事もない連中である。ひっと小さな息を漏らしたのはコンデであった。ヴェーラも眉をひそめ、エーリカに至っては正体を即座に察し、呟いていた。それは、ドゥーハン人にとっては、いやベノア大陸に住む殆どの者にとっては、今でも深い憎悪の対象にいる存在だったからである。

「サンゴート黒騎士団……」

エーリカが気配消去結界を解除したのには理由がある。ドゥーハン騎士の一人は、以前共同戦線を張ったリンシアだったからである。それもそう低いポジションではないらしく、他の騎士達に自然に指示を出している。彼女はキャンプを解除したエーリカに気付くと、皆に率先して挨拶してきた。

「エーリカさん、これは奇遇です。 以前はお世話になりました」

「いえいえ。 それよりも、其方は?」

「ああ、彼らですか。 サンゴート騎士団は同盟に基づき、今回の迷宮攻略の手助けをしてくれる事になりました。 実際装備も訓練も優秀で、大いに助かっています」

「ふうん」

エーリカの視線が寒いのは当然だ。エーリカ自身、彼女の故郷にあった生々しい戦の後を良く覚えている。医療寺院を焼き討ちし、ろくに歩けもしない病人を蒸し焼きにし、幼い娘を面白半分に殺した鬼畜共。それらの恐怖は怒りを伴ってドゥーハン人の心に焼き付いており、世代が変わってもいまだ薄れてはいないのである。

「急いでいますので、これで失礼いたします。 今後も仕事を依頼するかも知れませんので、その時はよろしくお願いいたします」

「ええ、勿論。 贔屓にしてくれると助かるわ」

もう一度丁寧に礼をすると、騎士団は迷宮の奥へと歩き去っていった。確かに今の黒騎士団は良く訓練されているのが一目で分かるし、無意味な殺戮に酔っていないのも分かる。だが、あまりすぐには歓迎出来そうにないのも事実だった。コンデが壁に背を預けてため息をつく。おそらくサンゴートによる破壊の渦中を生きたであろう彼の、味わった恐怖は想像に難くない。

「エーリカ様」

「うん? どうしたの?」

「小石が落ちてきました。 マスターからの救援要請だと愚考します」

フリーダーの言葉は、皆の気持ちを切り替えるに充分だった。釈然としないであろうヴェーラも、表情を引き締め、ハルバードを握り直している。エーリカは皆を見回すと、冷静に言った。

「トラップにはまった可能性もあるから、慎重に行くわよ。 みんな、気を引き締めて!」

 

連続して金属音が響く。地面を蹴る音が連続し、空中で肉体がぶつかり合う。二つの影が地面に着地し、立ち上がるが、片方には余裕がない。余裕がないのは、ファルの方だった。対し、トンファー使いのワーウルフは、舌なめずりする余裕さえ見せている。

トンファーは剣にとって、とういうよりも斬撃にとって非常に相性が悪い武器だ。両手に持つこの棍は、片手で斬撃をガードし、もう片手で相手に突きをくれる戦い方を基本とする。手に添えるように持つ事によって斬撃はとても防ぎやすく、その構造は実に良く出来ている、といえる。重量のある斬撃には対抗出来ないが、剣には充分である。そのトンファーを使うワーウルフに、ファルは攻め込む事が出来ず、いたずらにダメージを増やすばかりであった。ドワーフの戦士も、蓄積していたダメージもあり、五分の戦い以上にはなっていない。エーリカ達に救援要請は出したが、たどり着くまで、まだ時間がある。

「グルアアアッ!」

人狼が跳躍する。高く高く空に舞う。肉体能力は確実にファル以上だ。飛び降りざまに繰り出してくるトンファーの一撃を、何とか体をひねってかわすが、続けて斜め下から抉り込むように一撃が跳んでくる。何とか刀で防ぎきるが、腕に来る負担が尋常ではない。更に次の瞬間、驚くべき柔軟な肉体から後ろ回し蹴りが放たれ、ガードしきれなかったファルが蹈鞴を踏む。続けて跳んでくる変幻自在の攻撃に、ファルは防戦一方であった。

「むう、手強いな……」

「くはははは、どうした? 威勢のわりには、どうと言う事もないな」

「ほざけ、畜生」

「フン! 人間が、小生意気な口を引き裂いてやる!」

人狼の動きが更に速さを増す。この人狼、トンファーだけではなく、体術も相当なレベルである。文字通り両手両足その全てから致命傷を繰り出せるのだ。柔軟な体は鞭のように撓り、上から下から、斜め上から真ん中から、間断なく攻撃が飛んでくる。ファルは下がりながら、ガードする。ガードする事に心血を注ぐが、しかしガードしきれない。

「ハアアッ!」

気合いと共に人狼が放った前蹴りが、容赦なくファルの体を吹き飛ばした。壁に強烈に叩き付けられた忍者は、背骨が鳴る音を確かに聞いた。口から苦痛の悲鳴が漏れたのは、実に地下二層での、うごめくものとの対戦以来か。壁をずり落ちるファルに、容赦なく人狼は歩み寄ってくる。その体に、殆どダメージはない。

体術のレベルは、ファルとそう大差がない。違うのは肉体能力と、武器の相性だ。ゆっくり立ち上がるファルの体を舐めるように見回して、人狼が嗜虐的な光を目に宿す。

「人間にしては良く鍛えているな。 待ってろ、すぐ引き裂いてむさぼり食ってやる」

「……どうやら、貴様を殺すのに躊躇は必要ないようだな」

「まだ言うか、ただの肉の分際で!」

沸騰したワーウルフは、凄まじい勢いで、十メートルほども後退した。助走距離を取ったのである。そして体を低く沈め、全身の筋肉をバネとかし、高く跳躍した。

 

ワーウルフという存在は、元々長命種だが、最初から(ワーウルフ)という魔法生物がいるわけではない。トンファー使いの人狼である、(彼)にもかっては名前があり、ヒューマンとしての人生があった。それが一変したのは、三百年ほど前の話である。スラッドホルスと呼ばれる国で暮らしていた彼は、かってはただの農夫だった。妻はいなかったが支えるべき年老いた両親が居て、当然生活があり、そのために身を粉にして働いていたのである。

黒食教が国に蔓延していたのは、随分昔からで、それにも違和感はなかった。生贄を捧げるだの儀式をするだのという連中は、上層部の一部だけで、実際そんな目に遭うのは、ホームレスや旅人、それに犯罪者だった。(まっとうな)生活をしている一般人には関係がなかった。あの日が来るまでは。

大きな儀式が行われるという噂は、彼も聞いていた。黒食教の神官が村に来て、彼を地下にある神殿へと連れて行った時も、致命的な不安を覚えはしなかった。どうも他国との戦が迫っていて、様々な実験をする必要があると言う事だった。彼の他にも大勢が連れてこられていて、様々な事をされていたが、殆どちょっと魔法を掛けられるくらいだったので、彼も不審は覚えなかった。実際、それを受けて普通に戻ってきた隣人が何人もいた。だが、それが致命的な事だったのである。

彼自身も、なにやら変な魔法を掛けられた。それが人狼と化す魔法だったのである。どうやら被害を受けたのは、彼と、その後の被実験者だったらしいと、後で知る事になる。それに前後して、神殿に溶岩が流れ込んできた。阿鼻叫喚の中、異形とかした彼は逃げ回り、何とか生き残る事が出来た。溶岩が退いて、外に出られるようになるまで三十年かかった。何処か奇怪な洞窟と繋がったらしく、魔物が神殿に入り込んできて、弱い者からどんどん食われていった。人間のままだった生存者は一人も生き残れなかった。そして三十年耐え、何とか外に出てみると。故郷はもう滅び、何も残ってはいなかったのである。村は滅んだ後立て直され、知らない奴らが住み着いていた。国は邪教を崇めた末に滅んだと聞かされた。それほど長い時間も掛からずに、人狼である事がばれ、人間達に追われ、彼は再び神殿に逃げ込むしかなかった。彼の他に神殿を出た者も、全員が同じ目にあった。

彼の中で、人間に対しての憎しみが膨らんでいったのも、その頃からだった。確かに異形に化したが、それは外的要因によるものなのだ。何故受け入れてくれない。何故許してくれない。何故追う。何故殺そうとする。俺が何をしたと言うんだ。人間世界を、夜闇に紛れてさまよいはしたが、彼を受け入れてくれた者など一人も居なかった。

人間を食ってみると、美味しいと気付いたのも、その頃だった。怒りにまかせて殺した人間を、土に埋めて、一日くらい経ったら掘り出して食べる。程良く腐ると肉が旨い事は知っていたが、人肉も例外ではなかった。

心身共に怪物となった(彼)であったが、それを育て上げたのは。無理解と偏見が蔓延する、人間社会そのものだった。この地下深い迷宮に戻った彼は、似たような境遇の者と群れをなし、入り込んでくる人間を殺す事に至上の喜びを見出すようになっていた。仲間意識などと言うものはない。ただ人間に復讐出来ればいいのだ。そのためには頭数が揃っていればそれでいい。事実、彼は何度も自身の楽しみの為に、(仲間)(同族)を見殺しにした。今隣で戦っている人狼も、自身の楽しみを充足させる為の、捨て駒に過ぎなかった。もっとも、(戦友)も同じように思っているのは明白だったから、これはお互い様であったが。

人狼は跳躍する。現在交戦している人間はかなり手強いが、もう勝利まで後一歩だ。肉を食いたいと言うよりも、憎悪をぶつけたい。オスもメスも関係ない。殺して、引き裂いて、少しでも憎しみを発散させたいのだ。引き裂いてやる。殺してやる。肉を食って……。

閃光が爆発した。強烈な爆圧で吹き飛ばされ、体を焦がされ、何が起こったのか、(彼)は必死に把握しようとした。激しく地面に叩き付けられた彼は、全身をむしられるような苦痛に掴まれ、声にならないうめきを上げた。

 

焙烙を投げつけたファルは、埃を払って立ち上がりながら、呼吸を整えていた。ここぞと言う時に跳躍する敵の悪い癖は、既に見切った。それに、まだまだ不利だが、他にも幾つか見切った事はある。

例えば、敵は腕こそ良いが、業がかなり荒い。我流である事は一目瞭然だ。もし此処がきちんと練られた流派の業なら、もうファルは生きていない。我流の甘さを利し、業や癖もだいぶ読む事が出来た。今まで一方的に攻められはしたが、今後同じ轍は踏まない。体に受けた打撃はかなり大きいが、致命傷は尽く避けている。煙を引きながら床に落ちたワーウルフが、唸りながら立ち上がる。今度はファルが、低い態勢から間合いを詰めた。蹌踉めきつつも、人狼が踏み込んで、一撃を叩き込んでくる。ガン、と凄い音がしたのは、ファルがそれを刀の柄で受け止めたからだ。そのまま体を低く沈め、驚く人狼の顎を、強烈に掌底で突き上げていた。

「ぬ、ぬおおおおっ!」

続けて胴に回し蹴りを叩き込み、間をおかず脇から肩に掛けて一息に切り裂く。血しぶきが飛び、悲鳴を上げたワーウルフが蹈鞴を踏む。焙烙が利いて、だいぶ反応速度が鈍っている。

「おのれえええええっ!」

「シャアッ!」

両者ともに、同じタイミングで回し蹴りをたたき込み、互いに弾きあう。だが、少しだけ人狼の方が大きく蹌踉めく。パワーでファルが勝ったのではない。力の作用点を見切ったのだ。困惑する人狼に、連続してファルが蹴りを叩き込む。更に刀を振り下ろすふりをしながら、不意に寸前で止め、拳を肺に入れる。苦痛の息を吐き出したワーウルフの側頭部に手加減無しの回し蹴りを叩き込み、片膝を突いた相手に、今度は自分が跳躍して、容赦なく踵落としをぶち込んだ。

「ご、ごおおおおっ!?」

頭を押さえて体を揺らす人狼から、一歩離れ、ファルは構えを取り直す。攻めきらなかったのは、逆転を狙って敵がトンファーを左手で構えていたからだ。もう一撃踏み込んでいたら、カウンターの痛烈な一撃を貰っていたのは間違いない。そのまま焙烙を取り出すふりをすると、人狼は大きな口を開け、飛びつくようにして迫ってきた。連続して繰り出されるトンファーは、最初見た時こそ厄介だったが、今では充分防ぎきれる。刀の柄で連続して弾き、あるいは腕その者を蹴りや当て身で弾きながら、ファルは言う。

「随分と憎しみが溜まっているようだな」

「うるせえ、ぶっころす、ぶっ殺してやる!」

「いうだけは易い。 どうした、実行して見ろ!」

風を切って繰り出された後ろ回し蹴りが、態勢を低くしたファルの頭上を通り過ぎた。そのまま一回転したワーウルフは、驚くべき柔軟さを利して今度は蹴り上げてきたが、そのままファルは腿を押さえ、腹を一文字に掻き切った。余裕もなく、悲鳴を上げながら後退するワーウルフに、容赦なくファルは、剣を斬撃から刺突に切り替え、踏み込んだ。もう急所は既に見えている。

ワーウルフの胸に、ファルの刀が潜り込んでいた。

 

眉をひそめたファルが剣を引き抜き、数歩飛びずさる。ワーウルフは呆然と、穴が空き、しかし塞がりつつある胸を見やっていた。なるほど、致命傷を与えられなかった理由がよく分かった。ザイバの魔力が切れていたのである。こうしてみると、コンデの魔力は結構大した物なのだと、再確認出来る。コンデが唱えたザイバなら、多分狼男を二人くらい倒せただろう。

しかし、致命傷を与え損ねたとはいえ、もう狼男に負ける事はない。見れば、もう一体も、気合いと共に戦士が振り下ろしたバトルアックスに両断されていた。両手を床に着き、大きく肩で息をするワーウルフを一瞥すると、ファルは刀を鞘に収めた。

「今回だけは見逃してやる。 失せろ」

「……! き、貴様、情けのつもりかっ!」

「その通りだ」

「ぐっ! ち、畜生、畜生っ!」

歯ぎしりするワーウルフを見るファルの瞳は、際限なく冷たい。慈悲から見逃したようには、誰がどう見ても思えまい。ファルはハンカチを取りだして、付いた埃を拭いながら、ついと顔を背けた。

「貴様を見ていると、鏡に石を投げているようで気分が悪い」

「ふ、ふざけ……! がはっ! げはあっ!」

「死にたければ勝手にしろ。 別にどうしても生かして帰したいわけでもない。 ただし、楽に逝けるなどと思うなよ?」

ファルの前で、大量に吐血した人狼が倒れ込む。いくら人外の回復力を持つと言っても、内臓を数度に渡って傷付けられ、心臓も抉られているのだ。もしコレで向かってくるなら、死ぬまで蹴りを叩き込み、焙烙で丸焼きにするだけだった。何度か立ち上がろうともがく人狼の下に、見る間に血だまりが広がっていった。

「戦士殿、怪我は?」

「俺は鍛え方が違うからな、こんな事ではびくともせん。 それよりお前さん、随分其奴に殴られていたのではないか?」

「致命傷は全て避けた。 それに回復術を持つ仲間がそろそろ駆けつけてくる。 問題は一つもない」

「ちいいくしょおおおおっ!」

ファルが戦士から視線をずらし、スローな動作で向かってくる人狼を見やる。対応しようとしなかったのは、その必要がなかったからである。階段から飛び出した矢が、人狼の手を貫く。ぎゃっと悲鳴を上げた獣人は、無念の声を上げながら、部屋の外へと逃げ出していった。

「ごめんなさい、遅くなったわ」

「いや、だいたいこんなものだろう。 新アレイドの実験は成功か?」

「ばっちりよ。 後少し実験すれば、実戦投入出来るわ」

部屋に入ってきたのは、ボウガンを構えたエーリカであった。アレイド牽制射撃。発想自体は、攻撃を仕掛けてくる敵に飛び道具を見舞い、その出鼻をくじくというシンプルなものだ。ただしアレイドであるにはそれ故の所以がある。攻撃を受ける側はわざと無防備を装って敵を引きつけ、射撃をする側は聴覚強化呼吸法で感覚をとぎすまし、敵が攻撃に出る一瞬を撃つのである。味方との高度な連携がないと出来ない業であり、同時にワーウルフが冷静さを取り戻していればひっかからなかったであろう業でもあった。

エーリカに続いて、他の者達も部屋に入ってくる。最後に入ってきたのは、殿であったロベルドであった。そして、彼が入ってきた瞬間、場の雰囲気が変わった。

「おお、ロベルドっ!」

「……! て、てめえ……!」

懐かしさに目を細め、歩み寄ろうとする戦士。露骨に嫌悪を浮かべ、後ずさるロベルド。いや、嫌悪というのなどまだ生ぬるい。若きドワーフの戦士のまなこに浮かぶは、憎悪だった。それに好対照だったのは、憎悪の炎が向く先だ。年老いた戦士のまなこには、親愛と心配が浮かんでいた。

「ロベルドの知り合いか? 戦士殿」

「おお、ロベルドの仲間であったか。 これは愚息が迷惑を掛けた」

「! ええっ!?」

「にわかには信じがたいな。 確かに我らには、ドワーフの見分けは付けがたいが」

困惑してヴェーラが言ったのも無理はない。此処までロベルドがいやがっていては、そういう感想が漏れるのも当然だ。ロベルドの親だと名乗った戦士は、改めて皆を見回し、自己紹介した。

「俺はドワーフ連合の長、ベルタン。 其処のロベルドの父親だ」

「巫山戯るなっ!」

「……? どうしたの?」

「俺は、てめえを、てめえを親として認めた事など一度だってねえ!」

「まって、待ちなさい。 話が見えてこないわ」

エーリカが掴みかかろうとするロベルドを、結構簡単に押さえ込んで引きはがす。ファルは小さく嘆息すると、キャンプを張るべく皆に促し、自身も作業を開始した。体の節々が痛むのだが、回復魔法を掛けて貰えるのは後になりそうであった。

 

ベルタンと言えば、ファルも知っているドワーフ達の長だ。揶揄する意味でも、ヒューマンは彼をドワーフの王などと呼んでいるが、実際は実力評価制度によって選ばれたコミュニティの長というのが正しい。殆どの場合世襲にはならず、結果組織の質が維持されてきた。王ではないが、それでもその権力は結構大した物で、彼の名前が刻まれたブランドも少なからず存在する。何を隠そうファルが愛用している手裏剣も、その一つなのだ。

キャンプの隅っこと隅っこに座った二人のドワーフを、心配げに交互に見ているのはコンデである。ロベルドは不満そうだったが、エーリカが笑顔で見ているので、強くは出られなかった。当然の話である。誰であろうと、流石にもう学習して当然だ。ベルタンは自身が本人である事を幾つかの品で証明してみせる。決定打だったのは、彼が取りだした見事なブレスレットである。神業的な装飾と共に、ドワーフの長しか許されない文様が刻まれていた。

「そんなもん取り出さなくても、てめえがベルタンだってのは、みんなわかってんよ」

「そうねえ。 偽物にしては、体から発散する闘気が並じゃないものね」

「いやはや、冷や汗が出るわい。 流石に俺も、もう全盛期の力はないからな」

「それでも充分に強い。 多分素で私より強いだろう」

その言葉を聞くと、ヴェーラは何故か頷いて納得した。ファルの実力は、どういう訳か彼女の中で良い指標となっているらしい。皆が納得したのを見回すと、ベルタンは言った。

「……ロベルドの仲間になら、話しても良いだろう。 それに忍者のアンタ、あんたほどの実力者が居るチームなら、将来性もあろうというものだ。 俺は実のところ、もう連合の長ではない。 多分来月には、ゲランファールが正式に長として通達されるだろう」

「ゲランファール?」

「聞いた事がある。 戦士としてよりも、まるで天界から降りてきたような、神々しい彫刻を作る事で有名な男だ。 わがササンにも、その神業が伝わっている」

「うむ。 それで俺は、一戦士としてこのカルマンに来た。 魔女を、倒すためにな」

妙な話であった。ファルの目から見ても、まだまだベルタンは充分に現役だ。千人のドワーフ戦士を集めれば、その誰よりも確実に強いだろう。にもかかわらず、何の為に危険なカルマンに挑むというのか。

「不思議な話だと思っておろう。 だが、俺には重要な事だ」

「どう重要なんです?」

「盟友を……オルトルードを救いたいんだよ。 彼奴は変わってしまった。 あの悲惨な戦いが終わった後に、鬼が心に住んでしまった。 魔女が現れてから、ますます酷くなってきていやがる。 だから、せめて俺が、出来る事をしなければならねえんだ」

今、自分は伝説的な戦士と話している。ファルのチームの皆は、それを自覚していた。それに反発を覚えた者がいる。ロベルドだった。彼は露骨に不機嫌になり、ついと顔を背けてしまった。

それを悲しそうに見ながら、ベルタンは話を続けた。

「あまり多くは話せないが、これだけは覚えておいて欲しい。 俺は……ただ、盟友を助けたい。 それだけなんだ。 そのためなら命だってなんだって掛ける。 それが俺の美学で、流儀なんだ」

 

ベルタンは軽く四層の事で情報交換をすると、時々ロベルドの方を見ながら去っていった。エーリカに連絡先を渡していったのは流石と言うべきだが、それにしてもその背中は寂しかった。

「ま、何があったか、多くは聞かないわ」

「そうしてくれ。 俺は彼奴と同じ空気を吸うのだっていやなんだからな」

ファルは無言でロベルドを見ていた。これは一朝一夕で蓄積した憎しみではない。発散するのも大変だし、それが蓄積しすぎれば害にもなる。小首を傾げていたフリーダーが、ファルの袖をくいくいと引いた。

「マイマスター・ファルーレスト」

「うん?」

「ロベルド様、苦しそうですね」

「……そうだな」

フリーダーの言葉は、妙にうなずけるものがあった。エーリカに促され、ファルは歩き出した。迷いを振り払うように、迷宮の奥へと。

 

5,小さな衝突

 

大魔導師ウェズベルは、あてがわれた自室で無数の書類に目を通していた。いずれもが庶民では見る事も出来ないし、見てもそもそも理解出来ない高級な情報ばかりだ。やがて大魔導師は安楽椅子に深く掛け、大きく息を吐き出した。

「ウェズベル様、大丈夫なのだわさ?」

「おお、ポポーか。 これはまた、良い薫りだのう」

「ウェズベル様が大好きなアンスレイトン茶だわさ。 今日は砂糖も奮発したんだわさ」

砂糖は比較的高い調味料だ。特に上品な甘みを持つ、モスレット黍から作られる黒糖は高い。その黒糖をふんだんに入れた茶は、至上の贅沢としてロイヤルやノーブルに愛好されている。まあ、この老人の場合、誰にも負けないほど身を粉にして働いているのだから、多少の贅沢は許されてしかるべきだ。しばし茶を楽しんだ大魔導師は、傍らにいる助手に言った。

「ポポーよ、長い間世話になったな」

「……! ウェズベル先生!?」

「魔女は強い。 それに、奴の目的が、今ならおぼろげながら分かってきた。 である以上、奴が強い理由にも納得がいく。 無論勝つつもりだが、五体満足のままでは帰れぬだろうな」

「そ、そんな……先生、先生! 私、嫌だわさ!」

すがりついてくるポポーの頭を、皺だらけの手で撫でながら、長き時を生きた伝説は語る。

「若き頃、奴と戦い、生き残ってより五十年。 もう充分に儂は生き、楽しんだ。 これから生きる若い者に、そろそろ道を開いてやらねばならない。 分かってくれ、ポポー」

「せ、先生、先生……」

「それに……誰よりも救いを必要としているのは……おそらく魔女自身だ。 だから、儂は命をかけてあ奴と戦う。 そうせねば、許しては貰えまいよ」

「せ、先生の、先生のバカーっ!」

泣きながらポポーが部屋を飛び出していった。自分を祖父のように慕ってくれた娘を安楽椅子の上から見送ると、老人は書類を整理し、静かに黙祷して、全ての未練を断ち切った。

翌朝早く。老人は迷宮へ、死地へと、出陣したのであった。

 

地下五層の深部で、十人ほどの人影が戦っていた。交戦しているのはゲイズハウンドと呼ばれる魔獣で、巨体と凶暴性、更に危険な特殊能力と、三拍子揃った厄介な相手だ。そのゲイズハウンドを、さながら紙細工のように斬り倒していく者が一人。雄々しい大鎧に、似つかわしくない巨大なリボン。リボンに束ねられた髪が揺れるたびに、ゲイズハウンドが絶叫を上げて倒れ伏す。ドゥーハン軍の侍、アオイであった。

「見事だな。 だが、我々も負けぬ!」

目をぎらぎらと輝かせ、突進するのは黒い鎧を身に纏った猛者達。そしてドゥーハン騎士団。不幸なゲイズハウンドたちは見る間に叩き潰され、切り伏せられ、かっては生きていた肉塊へと変わり果てていった。

「いかがなものかな、ベルグラーノ卿」

「うむ……見事である、としか言いようがないな」

戦いの場を、少しはなれてみていたのは、護衛の騎士達に囲まれた二人の人物。一人はドゥーハン騎士団長ベルグラーノ。今一人は、サンゴートの王室関係者であった。名前は、ヴァイル=ドゥーリエ。現在サンゴート最強、いや世界最強の一角を囁かれる騎士である。ベルグラーノとどちらが強いかという噂は、今や兵士達の間では定番となっていた。

ベルグラーノは最初、迷宮での戦闘に適するか分からないと言う理由で、サンゴート騎士団の協力を拒もうとした。だが王は騎士団の協力を認め、苛立ちを交えて、ベルグラーノは実戦訓練を行うように提案した。その結果がコレである。サンゴート騎士団は、ドゥーハン騎士団に全く劣らぬ手練れ揃いだ。同じ数なら、互角の戦いになる事は疑いない。

「我がサンゴートの武威、理解して頂けましたかな?」

「……認めざるを得ない」

「ならば、もう一つ認めて頂きましょうか。 魔女と、うごめくものを屠るのは、我々しかいないと言う事を」

騎士団長が目を見張り、慌てて咳払いした。あくまでヴァイルはにやにやとし続けている。何処まで知っている。いや、誰に知らされた?騎士団長の胸の内で、慣れぬ打算があまり統率されていない渦を描き、やがて不器用な男は諦めた。彼にはこういった駆け引きは苦手だった。

「王に協力を認められているのだろう? ならば我らとしても、拒む理由はない」

「多謝である、ベルグラーノ卿」

「ただし、あくまで我らの指示通り動いて貰う。 その代わり、魔女の首を取るチャンスは、きちんと回すつもりだ」

「それで問題ない。 では、失礼する」

両者の視線が敵意を含んで絡み合い、そして弾きあった。互いに実力者でありながら、認めあえない事は多い。これがその一つの事例であった。ついと背中を向け、黒騎士達に囲まれて歩き出したヴァイルを睨み付けながら、ベルグラーノは決意していた。

「サンゴート騎士団の加入で、おそらく五層までの情況は安定しよう」

「は、はあ、まあ。 戦力的にも、そうなるかと」

「転移の薬を、ギルドを介して街に流通させろ。 それと、えり抜きの一個小隊を揃えよ」

絶句した部下の前で、ベルグラーノは五層を見回した。そして彼は、うっすら口ひげの生えた口の端をつり上げたのである。

「私も出るぞ。 サンゴートの死神共に、先を越されてたまるものか」

 

王宮の奥では、相変わらず英雄王が床に臥せっていた。彼が顔を上げたのは、ゼルが指名した後継者の気配を察したからである。今度の忍者は、戦闘能力こそ大したレベルでは無いのだが、情報収集力は実に優れている。特に市井のゴシップを仕入れてくれるのは嬉しい。先日聞かされた犬と太った男の話などは、思わず声を殺して笑ってしまったほどであった。ゼルが頼りになる剣だとすれば、この忍者はとても楽しいおもちゃ箱だった。

「ライムよ、何用だ」

「あ、ばれちゃいましたかあ? 今度はばれない自信があったんだけどなあ」

「ははは、そうかそうか。 それよりも、用件は何だ?」

「んー、サンゴート騎士団は意外に大人しくしています。 ただ、ベルグラーノ様は自身精鋭を募って、五層を足がかりに本格的な探索に乗り出すつもりみたいです」

扉の向こうから、陽気な声で、深刻な話がされる。オルトルードは小さく頷くと、今度は質問を投げかける。

「見込みがある者は?」

「まずは大魔導師ウェズベル様、それに天使連れたランゴバルド様。 今度来たサンゴートのヴァイル様、スタンセル将軍子飼いのアオイ様、それにベルグラーノ様と、この間から一人で探索してるベルタン様。 その他には、ええと……」

「誰か、素晴らしい使い手が現れたのか?」

「ええと、まだ発展途上なんですけど、二ヶ月で地下四層まで到達した者達が居ます」

オルトルードは布団を避けて、体を少し起こした。肺が抗議して小さな咳が出るが、それを押し殺す。扉の向こうの声が、少し慌てた。

「わ、わっ! だめですよお、王様」

「かまわぬ。 続けてくれ」

「ええと、エーリカって僧侶に率いられたチームです。 チーム内には、私の同期の忍者も居るんですよ。 今までに何度か騎士団員の危機を救ったり、困難な情況から生還したりしています。 多分無理をすれば、地下六層くらいまでは今の時点でいけるかも知れません」

「今後も監視を続けてくれ。 ……もう疲れた。 下がってくれ」

無言のまま気配は消えた。王は静かに目を閉じると、犠牲にし、またし続けている者達に思いをはせていた。

「許して欲しい……愚かで無力なわしを」

それは、何年ぶりにこぼれたかも分からない、本心からの弱音であった。

 

(続)