黒き王墓

 

序、戦わぬ魔術師

 

世の中には、様々な変わり種、と呼ばれる人種がいる。あくまで小威力の高速剣技に拘る侍や、自らの攻撃は考えず味方の防御にのみ徹する戦士、それに回復術よりも攻撃術に重きを為す僧侶などである。エルフの魔術師である、メラーニエ=ヴェンツェルもその類だった。

エルフの魔術師、というと、カルマンの迷宮に集う冒険者の中ではスタンダードな存在に分類される。魔力が潜在的に高いエルフ族は反面肉体が脆弱で、前衛職には向かず、逆に後衛職であれば圧倒的な破壊力を発揮する。まだ幼いメラーニエだが、仮にもエルフであるし、彼女と数才しか年が違わない冒険者は少なくない。冒険者ギルドに登録し、仲間を集えば、簡単に何処かのチームに紛れ込む事が出来たであろう。しかし、そうはならなかった。

メラーニエは、病的な恐がりで、人見知りする少女だったからだ。声も小さく、殆ど知らない人とは喋らない。そればかりか、人混みを見ると尻込みしてしまって、街へ出る事もほとんど無かった。そう言った点では冒険者ファルーレストの親友であるイーリスに似たものであったが、イーリスにとって恐いのは人間と犬だけなのに対し、メラーニエは全般的な他者を皆怖がっていた。強烈なトラウマを有しているイーリスと違うのは、単純に胆力が優れていない、という事に限った。

彼女の相方であるフェアリーのミリーは、何度か何処かの冒険者チームにはいるように促してきた。しかし、メラーニエは首を横にいつも振った。ミリーの言う事は常に聞いたメラーニエも、この事だけは頑なに拒んだ。無理に何処かのチームに紹介しようとすると、メラーニエはさめざめと泣いた。そして、暫く口をきかなくなってしまった。

しかし、冒険者として彼女が全く上手くいっていなかった、というわけではない。メラーニエは強力な潜在能力を持っていて、特に(スルー)と呼ばれる気配消去魔法に関しては、玄人はだしの実力を持っていた。魔術師を初めてから、ただ一つの魔法だけとはいえ、極め上げたのだからたいしたものだと言える。このスルーを駆使して、弱い魔物の背後に回り込み、一体でいる所を狙ってあまり得意ではないが強力な攻撃魔法を叩き込む。そして、彼らの所持品を奪ってギルドなり冒険者と提携した店なりに売る。そうしてメラーニエは、冒険者としてミリーと一緒に生計を立てていた。ミリーは盗賊としてそれなりのスキルを持っていて、メラーニエとのコンビは理想的とも言えた。恐がりのメラーニエであったが、ミリーと一緒であればそれなりに戦えたし、収入も決して悪くはなかった。

だがそれにしても、限界というものはある。所詮この二人は、そこそこに腕のある、子供に過ぎなかったからだ。

地下三層にまで達した二人は、この階層の魔物に右往左往するばかりであった。ジャイアントやドラゴンがうごめくこの階層では、もう小手先の業など通用しないのである。スルーを見破られそうになった事も一度や二度ではないし、弱そうに見えた相手を奇襲して、反撃を受けて酷い目にあった事も少なくなかった。泣きながら騎士団の詰め所に逃げ込む事もあり、ほぼ情況は行き詰まっていた、とも言えた。迷宮内に仕掛けられた罠も一日ごとに凶悪となり、ミリーには手に負えなくなりつつあった。

起こるべくして、その事件が起こったのは、必然とも言えた。

 

「メラーニエ、今日は頑張ったね」

「頑張ったね、じゃないよぉ。 恐かったよ」

地下三層の半ばほど迄戻った二人が、今日の探索を切り上げて戻ってきた。今日、メラーニエは的確な奇襲を成功させ、ブッシュワーカー三人を屠り去る事に成功したのである。彼らは金貨を持っていて、その額はここ一週間で得られた分を遙かに上回っていた。だが、人を殺した事に代わりはない。メラーニエは泣いて泣いて、今ようやく落ち着いた所であった。

地下三層は入り口で大きなホールにさしかかり、其処から放射状に通路が延びている。通路の一つを使って二人は奥へ進み、今戻ってきた。通路に入る際、二人は中から戻る足跡がほとんど無い事に不審を覚えはしたが、結局探索に踏み切った。この辺りが、子供であるが所以であった。

小さな音がした。メラーニエが蒼白になって足を止め、ミリーが振り向く。次の瞬間、巨大な扉が落ちてきた。扉はミリーに向けて落ちかかり、悲鳴を上げたのはむしろメラーニエだった。

「きゃあああああああっ!」

巨大な地響きが周囲を圧し、すぐに静かになった。へたり込んでふるえるメラーニエの肩を、慌てて扉から飛び退いたミリーが、優しく抱いて慰める。

「大丈夫、メラーニエ。 あたしは無事だよ、無事だから」

「恐いよ、恐いよぉ……」

「大丈夫、大丈夫、もう扉は落ちて……」

メラーニエの言葉が止まった。扉は完全に出口を塞いでいた。退路は断たれたのである。加えて、更に良くない事態が起こった。通路の奥から、ガスドラゴンが巨体を揺らし威容をまき散らし、足音を響かせてやってきたのである。スルーはまだ効いていたから、ドラゴンは二人を発見出来なかった。メラーニエもミリーもこの時ようやく、どうしてこの通路から出てくる足音がないのか悟った。この狡猾な竜は、この罠がある事を知っていて、此処で常に待ち伏せていたのである。探索で疲れて、油断した冒険者が、この罠で立ち往生する所を狙っていたのだ。

ドラゴンは長い首を振って周囲を見回すと、目を細めて、手当たり次第に匂いを嗅ぎ回った。もう涙が止まらず、悲鳴を上げそうになるメラーニエの口を、必死に蒼白なミリーが塞ぐ。スルーはきちんと効いていて、二人を発見出来なかったドラゴンは、忌々しげに吠え猛った。

グオルアアアアアアアアアアアアアッ!

通路を揺らす程の雄叫びだった。そして気絶したメラーニエと、気絶しそうになるミリーの目の前で、ドラゴンは通路を塞ぐように寝そべり、尻尾を揺らしながら居座ってしまったのである。太い尻尾が壁を叩くたびに、物凄い音がして、埃が落ちてくる。

多分、ガスドラゴンは何かがいる事には気付いたが、場所は特定出来なかった。だから退路を塞いだ。その推測が、ミリーには自然に出来た。目を回しているメラーニエの肩を強く抱きながら、ミリーは素早く紙に字を書き留め、落ちてきた扉の間から、通路の向こうへと延ばした。

『誰か来て。 お願いだから、あたし達を助けて』

背中の薄い羽すら真っ青にしながら、ミリーは強く強く願った。自分のみ助かろうと言う気はさらさら無かった。メラーニエが助からなければ意味がなかった。

ドラゴンがゆっくり尻尾を揺らしている。眠っているように見えるが、タヌキ寝入りなのは確実だ。ミリーは目を回しているメラーニエを強く強く抱きしめて、救援を待った。来るかも分からない、来てもどうなるかも分からない救援を。

 

1、天才の表裏

 

昔は良かった。何も考えないで、何もしないで、ただ夢だけに向かっていれば良かった。年を取って視野が広がって、世界が見えてくると、それだけでは生きていけなくなってきた。何故世界がそうなっているのか。何故こんな事が起きてしまうのか。何故自分は無力なのか。何故世界は変わらないのか。

多くの人間はそこで諦めてしまう事を、エーリカは知っていた。あまりにも人間が出来る事と、正確には凡人が為し得る事と、世界の波には巨大な差があるからである。多くの夢持つ若者が挫折し散っていく。エーリカが挫折しなかったのは、たまたま常人よりも巨大な生命力を持っていて、それをフル活用したからだった。

そして今、エーリカはそれを出来る環境にいた。

 

現在、ファルのチームは地下三層の探索を続けている。まだ力不足であると言う事が、その主たる原因である。此処しばらくの戦いで、皆めきめきと実力を増してはいるが、まだまだジャイアントには相当に手こずるし、他の魔物にも楽勝とは言えない。また、この階層はまだ冒険者の手が入ってない場所が彼方此方にあり、そう言った場所には手つかずの宝物が少なからずあった。さっさと先に進みたがるロベルドやヴェーラの意見を押さえて、エーリカは探索を続ける事を決定しており、今もそれに変更はないのである。以前、エーリカの方針に背いて手痛い目にあったロベルドは、最近は自身の意見をそれほど強く押し出さない。手ひどい目にあったと言う事もあるのだが、エーリカを信頼していると言う事も大きいのだ。

「いたたたたた!」

「我慢しなさい!」

「この位の傷、大したこと無いじゃネエかよっ!」

「へえー、そう。 じゃあこうなりたい?」

いつもの問答が始まった。地下三層を探索していたファルのチームは、先ほど十体を越すオークの集団と交戦した。元々出会い頭の戦いだった上に、優秀な装備を持つ戦い慣れた敵にチームは苦戦し、勝ちはしたもののロベルドが軽い怪我を負った。敵の武器には糞汁が塗られていて、今慌ててエーリカが治療に当たっていたのである。

エーリカがバックパックから取りだしたのは、傷口が化膿した患者のスケッチだった。あまりにもリアルなそのスケッチを見て、ヴェーラが呻き、コンデはひっと情けない悲鳴を漏らした。ロベルドは顎が外れたように、呆然と口を空け通しだった。

「前に愚僧がみた患者よ。 こ・う・な・り・た・い・の・ね?」

ごめんなさい。 治療をお願いします

満足げに頷くと、エーリカは患部を縛り、清潔な布で汚濁を拭き取ってから消毒し、縫合して回復魔法を掛ける。とんでもなく手際の良い動作であり、なかなかにして、並の医療僧の手際ではない。ただ、少し乱暴なのが玉に瑕ではあった。

「ドワーフは体が頑丈な分、化膿したり病気になると大変なんだから。 肉体を過信してはダメよ」

「……ああ。 すまねえ」

「ほら、終わったわよ。 取り合えず宿に戻った後に、もう一度回復魔法を掛けて仕上げね。 それまでは、右手を庇って戦いなさい」

ロベルドの肩を叩くと、エーリカは立ち上がり、周囲を見回した。今の間に、ファルはフリーダを連れて周囲の偵察を終えており、丁度戻ってきてエーリカに報告した。彼女の後ろには、フリーダーが薄紫の瞳で、少しこわごわと、探るようにエーリカを見ていた。

「周囲に敵影はない。 トラップは簡単なのが二カ所あったが、潰しておいた」

「ファルさん、さっきの、ガンって音何?」

「ああ、二つ目のトラップを解除し損ねてな。 金属の容器が振ってきて、私の頭を直撃した。 ただそれだけだ。 それによって魔物が寄ってきた形跡はない」

「そう、それならいいわ」

ファルの油断無い言葉に頷くと、エーリカは他に何かしら問題がないか確認し、それを終えた後に探索を再開した。彼女は実に優秀なリーダーである。多少乱暴な所はあるが、戦術家としてはまず問題がないし、戦略の重要性も理解していて、判断力も決して悪くない。何より最大の利点は胆力が人並み優れている点であろう。

実際問題、医療僧としてエーリカを凌ぐものなど、それこそ幾らでもいる。だが彼女を凌ぐリーダーとしての素質を持つ医療僧は殆どいない。彼女を、不動の、優秀なリーダーにしているのは、胆力と判断力にあると言って良い。だが、それは意外な事に、生来のものではなかった。

エーリカは手を叩き、皆を見回す。この動作を彼女がする時、軽く指針を示す時だと決まっている。

「さあ、今日は一端戻るわよ」

「了解した。 まだ少し体を動かし足りないのだが……」

「戦力が低下した以上仕方がないだろうな。 ヴェーラ卿、明日また来ればよい事だ」

「それもそうだな。 たまには少し楽な日があっても良いか」

苦笑したヴェーラが、この間報酬で得た新品のハルバードを杖に立ち上がる。地下三層の半ばほどで、チームは探索を切り上げる事を決め、退路を進み始めた。そして、三層の入り口に差しかかった時、ファルが足を止めた。

「どうしたの? ファルさん」

「違和感がすると思ったら、通路が一つふさがっている」

ファルの言葉に釣られてエーリカが視線を移すと、成る程、八つある通路の一つがふさがっていた。落盤に遭ったわけではなく、戸が降りてきた様子である。以前にも二度、同じ情況を見た事があった。小首を傾げるエーリカより先に、ファルが手袋をはめ直し、其方へ歩き始める。エーリカは素早く周囲に指示を出し、一端結界を張ってキャンプを創ると、警戒をとかぬまま言った。

「一方通行の扉、と言う事はないわよね」

「いや、違うな。 今調べてみる」

一方通行の扉とは、こういった難度の高い迷宮で時々報告される、質が悪い罠である。一見普通の通路や扉なのだが、振り返ってみると今通った其処には壁があるばかりで、引き返す事が出来ないのだ。エーリカはその変種かと、目の前の現実を疑ったのだが、ファルは違うと即答し、調査を続けている。やがてファルは、紙切れを一つ携えて戻ってきた。ぶっきらぼうに差し出されたそれには、救難を求める文字が書き込まれていた。

『閉じこめられてしまいました。 助けてください。 ドラゴンがいて、何時見付かるかも分かりません』

字面は必死で、エーリカは眉をひそめた。

「インクの乾き具合や、我々の探索時間から考えて、恐らく一時間以内に書かれたものだ」

「へえ、じゃあまだ生きている可能性が高いわね」

「罠じゃねえのか?」

「勿論、その恐れは充分にあるわね。 どうするか、思案のしどころだけど」

少し考え込んだエーリカは、今の紙の裏に文字を書き足し、ファルに頼んだ。ファルは小さく頷くと、ふさがっている通路の方に戻り、しばしして戻ってきた。手には、更に字が書き足された紙があった。

「まだ無事のようだな」

「ならば、助けに向かうべきね」

「リスクは大きいぞ。 迷宮に住み着いた強盗どもの罠という可能性は拭いきれないし、罠でなくとも奥にはドラゴンがいる可能性が高い。 それに、我々は決して無傷ではない」

「でも、あの扉の向こうには、フリーダーちゃんと同じ境遇の人がいるかも知れないわよ」

むうと呻いて、ファルは負けを認めた。薄情で無愛想のように見えて、彼女は助けを求められる事に弱いのだ。それを知っているエーリカは、其処を的確について、自身の意見を通した事になる。

にしても、この行動は、実際には非合理的であるといえる。というのも、実際には殆どの場合、罠にかかった冒険者は自分で始末を付けねばならないからだ。超危険地帯であるカルマンの迷宮に挑む以上、自身の命を捨てる覚悟をしておくのは当然の事だ。だが、エーリカは、決めた事をやり通そうと考えていた。理由は簡単である。

多少厳しい状況でミッションをこなす事により、味方の戦力強化を的確に図る事が出来るからだ。リスクは無論承知の上である。今後山ほどリスクがのしかかってくるのだから、こんな情況くらいはねのけられる底力がチームには必要なのだ。実のところ、今までの戦いでも、エーリカは少しずつ戦況を厳しくしたり、わざと難度の高い道を選ぶ事が少なくなかった。結果、味方は強く逞しく成長し続けたのである。恐らくそれに薄々ファルだけが気付いているが、エーリカとの間には無音の信頼関係があったので、別に問題はない。ファルにしても、恐らく分かった上で受け入れている。そう、エーリカは分析していた。

エーリカは優しいだけのお人好しではない。無論全てを計算によって行っている冷血漢でもない。彼女は遭難者に同情はしていたが、一方で、それだけで行動を決定した訳ではないのである。救助には、味方にとっての利もあるのだ。無論、救助した相手に対して、恩を着せる事が出来るという副次的な効果もあった。しばし初々しい笑顔で考え込んでいたエーリカは、振り向きもせず、ファルに手を指しだした。

「地図」

「現時点では、こうなっている」

ここ数日、八つある通路を一つずつ丁寧に調べていくという方針を、チームは採っていた。逆に言うと、今の遭難者の立場に、いつなってもおかしくなかったわけである。最初は放射状に、対称に延びていた通路であったのだが、奥へ進めば進むほど構造は異なっていた。中には以前助けたリンシアが言及し、少しだけ一緒に足を踏み入れた、三層上層部分への繋通路もあった。

しばし地図を見ると、エーリカは眉をひそめ、難しい顔で皆を見渡す。

「パターンに相当するものはないわね」

「一つだけあるとすると、それぞれの通路が、別の通路に繋がっている可能性がある、それだけだな。 まるでモグラの巣に迷い込んだようだ」

「今ふさがっている通路へ、内側から向かえるルートがあるかも知れない訳よね。 でも、それだけでは漠然としすぎているわ」

「リンシアの言葉を覚えているか?」

不意に違う話をファルが振ってきた。小さく手を打つエーリカに、ファルは頷いた。

「三層上層部を通ると、三層入り口から出口までショートカット出来るという噂があるという話だったわね。 と言う事は」

「試してみる価値はあるだろう。 何にしても、損にはならないはずだ」

 

塞がっている通路の両隣は、左右共にまだ最奥まで探索し尽くしていない。左隣の通路はそもそも足を踏み入れていないが、代わりに他の通路を探索した結果、ほぼ確実に其処へ通じるだろう通路が発見されていて、地図上でも残った余白が少ない。右隣の通路に関しては、かなり奥まで探索を終えている。その途中で三層上層への階段が二つあり、少しだけどちらも、上も調べた。奥行きはかなりあり、一端探索を諦めて後退したのだが、此方を調べてみればひょっとすると遭難者のもとに辿り着けるかも知れない。

探索の実行決定と同時に、フォーメーションの変更も行われた。右手を負傷しているロベルドが後衛に下がり、フリーダーからクロスボウを受け取る。フリーダーは逆に前衛に出て、エーリカが予備に保管していたショートソードを受け取った。これはファルが刀を喪失した際の武器にするべく取っていたものであり、フリーダーが振り回すには申し分ない大きさであった。ロベルドはクロスボウを構えながら、少し不満げに言う。

「まさか俺が後衛に下がるとはなあ。 一応気をつけるけどよ、背中に当たったら勘弁な」

「訓練を見る限りでは、ロベルド様が的を外す確率は極低いと思います。 誤爆の確率は更に低いと、当機は分析いたします」

「嬉しい事を言ってくれるじゃねえか。 あんがとな、フリーダー」

「光栄です」

無骨だが結構好意的な微笑みを浮かべてロベルドがいい、単調だが軟らかい表情でフリーダーは応える。何というか、フリーダーの言葉遣いを、彼女の優しい暖かい表情が緩和している雰囲気である。年にしては表情の作り方が上手すぎるが、今のところエーリカは、これといった違和感を感じない。何にしても、フリーダーは立派に戦力になっているし、皆にもなじめている。それはチームにとって良い事であった。

通路を進む。一度進んだ道だとは言え、油断は禁物である。通路の所々には、戦いの跡である煤や血痕があったが、拭うと簡単に落ちた。幸いな事に、魔物が現れる事もなく、三層上層部への階段へたどり着く事が出来た。問題は、この先であった。

「何度来ても緊張するな。 此処は、さながら……」

「いわゆる王族の墓地だな」

「う、うむ」

周囲の壁は薄く発光し、其処には鳥や蛇の模様が無数に刻まれていた。空気自体は冷え渡り、奥行きはあくまで遠く、闇は深い。通路は今までよりもずっと広いが、それは同時に隊形の取り方が難しい事も意味しているのだ。天井も高く、そして通路は今までに比べてずっと通りやすく、構造もわかりやすい。その代わり、周囲に満ちた魔物の気配が尋常ではない。

彼方此方には無数の部屋があり、其処には荒らされた墓、それに侵入者の亡骸が横たわっている。トラップも多くが生きていて、不運な侵入者を串刺しにしてやろうと常に牙を研いでいるのだ。

ただ、エーリカとしては、これは願ってもない情況だと言えた。また新しい情況で戦う事が出来る。指揮官としての自身を鍛える事も出来るし、皆の戦力強化も図る事が出来る。そしてそれらが積み重なった先には。迷宮の深奥と、アウローラの首が見えていた。

この危機的状況を打開するには、焦ってばかりでは駄目だ。基礎を一歩ずつ踏み固め、皆の力を少しずつ高め、最後にそれを爆発させるしかない。アレイドはそれを確実に後押ししてくれる。心を繋がらせつつある皆の結束も、それを確実なものにしつつある。率先して前に一歩踏み出すと、エーリカは初々しく、拳を固めていった。

「さあ、行くわよ」

 

2,限りない輪

 

巨大な空洞で、複頭の怪物が吠え猛る。その体には無数の傷。相対するは、巨大な魔力に身を包む老人。体の大きさは十倍以上もあるというのに、怪物は終始老人に押され通しであった。

怪物の名はパイロヒドラ。自らに有利な条件だったとはいえ、大陸最強を誇るドゥーハン騎士団を三度に渡って退けた猛者である。老人の名はウェズベル。世界最強の名を恣にする魔術師である。パイロヒドラの悪名も決して低くはなかったが、しかしウェズベルの前では霞んでしまう。ヒドラの咆吼は、何処か恐怖を押し殺しているように聞こえた。それに対し、ウェズベルは余裕綽々で前に出る。彼を守るべき存在であるはずの侍も騎士も。気圧されるように少し横に退いた。

「どうした。 それで終わりかな?」

「ググググウウウウウウウウウウォオオオオオアアアアアアアア!」

殺気を爆裂させたパイロヒドラが、四つの頭から同時に極太のブレスを吐きだした。四本の火線はまっすぐウェズベルに延び、だが老人は慌てず手を動かす。ほんの三アクションで、並の魔術師の最高位冷撃魔法かとも思えるクルドが発動した。巨大な氷注が複数降り注ぎ、ブレスに打ち当たって相殺する。膨大な煙が出現し、其処へ向けて老魔術師は容赦なく二撃目のクルドを叩き込んだ。悲鳴が響き、肉を抉る音と、巨体が膝をつく音がした。後ろで情況を見守っていた騎士団員が、生唾を飲み込んでいた。それに比べて、彼らを統率する立場のゼルは岩壁に背を付いて、腕組みして冷静に情況を見守っていた。

「さ、流石はウェズベル師……」

「へえ。 殆ど間をおかずしての連続魔法発動。 しかも詠唱を最大限までに短縮し、その上狙いを殆ど外さず打ち当てている。 流石はウェズベル師。 だけど……」

それで、魔女に通じるのか?

その言葉を聞いて、騎士団員達が呆然とする中、ゼルは小さく欠伸をした。濛々たる煙が晴れ行き、片膝を付いたパイロヒドラの惨状が明らかになってきた。もう再生能力がどう見ても追いつかない。ウェズベルは珍しく長い長い詠唱を始め、杖を持った右手を前に、左手を心持ち後ろ、体の脇当たりに構える。弓を構えているかのようにも、それは見えた。

「とどめじゃ……」

巨大な光の矢が、老人の手から延び、杖で狙いを固定される。身をよじって逃れようとするパイロヒドラに、もう交戦の力は残っていない。哀れっぽい悲鳴を上げる怪物に、容赦なく巨大な魔力の圧縮矢が投擲された。

「フォース・オブ・グングニル!」

閉鎖空間に、光の雷が炸裂した。

 

戦いが終わった。最も、後半は殆ど虐殺と言うべき内容であったが。圧倒的な力を見せつけた魔術師ウェズベルは殆ど息も乱していない。ゼルは背中を壁から離すと、控えている騎士団員達に、片手をひらひらと振って見せた。目にはどうも読みづらい、何を考えているか分からない光が宿っていた。この辺りが、騎士団長が彼を警戒する所以なのであるが、本人は指摘されても何処吹く風であった。

「じゃあ、私は先に帰っているから、お前達は師を護衛して一端地上まで戻るように」

「は、はっ!」

部下に短く的確で間違えようがない命令を出すと、ゼルは闇へ向け歩き出そうとした。それを止めたのは、今まで怪物と戦っていた古豪であった。

「何処へ行くつもりかな。 フェアリーの忍者よ」

「何、野暮用ですよ。 それに師の実力であれば、この階層から戻る事など、仮に一人でも容易でございましょう?」

「なっ! 貴様、師を侮辱するつもりか!?」

「止せ、コロウタ」

横に延ばされた、老人の枯れ枝が如き手は決して太くなかったが、それでもコロウタと呼ばれた侍を即座に停止させる力があった。小さく頷くと、ゼルは皆を残して、一人迷宮の奥へと消えていった。ウェズベルの隣に控えている騎士が、忌々しげに吐き捨てた。

「気味が悪い奴だ」

「しかし、腕は確かだな。 正直、本気で戦えば、わしとてどうだか分からぬわ」

「ご冗談を、師」

「わしが冗談を嫌いだと知らぬ訳でもなかろう。 さて、忍者殿の言葉通り、我らは一端戻るぞ。 この迷宮の魔物の実力は分かった。 おそらく深部は、魔界に相当する危険さじゃろうな。 魔女と戦うには準備が入りようじゃ。 何にしても、戻らねばならぬわ」

最強の忍者に続いて、最強の魔術師も闇へと歩き出す。護衛の者達は、慌ててその後を追うのであった。

 

ゼルが足を止めたのは、それからしばらくして、地下六層での事であった。騎士団にとって未知の場所である此処も、彼にとっては探索中の一階層に過ぎない。彼が足を止めたのは、淡く蒼く光る壁に囲まれた、少し広い部屋での事であった。部屋の中央には噴水があり、場違いとも言える、繊細な美しさを見せていた。

「流石に少ししつこいぞ? いい加減に出てきたらどうだ?」

声に対して、反応はない。肩をすくめると、ゼルはゆっくりと懐へ手を伸ばし、口の端をつり上げる。

「六人、いいや七人か。 前に戯れで生かして帰してやった奴がいたが……その程度の実力で私を倒せると思ったのか?」

「……黙れ」

ようやく反応があった。ゼルの周囲から、取り囲むようにして、七人の黒装束が現れる。格好からして、アサシンと呼ばれる専業暗殺者だ。忍者とは逆に、大陸の西方に端を発する職業暗殺集団であり、此方は忍者と違ってずっと古くから国家に使われている。ダーティーな仕事を得意とする彼らは、特に腐敗した権力者に重宝され、闇世界にはギルドも存在している。意外な事に各ギルドごとの仲はとても良い。しかしそれには、酸鼻な理由がある。創設期に仲間内の血みどろの死闘で、一度アサシンそのものが滅びかけたからなのだ。

ゼルが見た所、このアサシン達はハイマスターと呼ばれる上級クラスである。このクラスのアサシンは確実に仕事をする代わり、雇用料金がとんでもなく高い。それを七人も揃えるとなると、自ずとバックは搾られてくる。そしてそのバックに、ゼルは心当たりがあった。

「宰相殿か? 吐けば一人くらいは生かして帰してやるぞ?」

「シャアッ!」

一斉に七人がゼルへと躍りかかってきた。しかし、仕掛けた側よりも、仕掛けられた側の方が、反応が遙かに早かった。ゼルは瞬間的にバクテンすると、二度目のバクテンで少し高く飛び、呆気に取られたアサシンの一人を飛び越し、壁に張り付いた。ゆっくり羽を振るわせて微弱な浮力を生じさせ、そのまま壁の半ばに張り付き、逆に力を充填させる。羽を利しているとはいえ、常識外の肉体能力である。壁には踵だけをつけ、浮力と重力とそれのみでバランスを取っているのだ。如何に鍛え抜いているか、この動作だけでも知る事が出来る。文字通り、己の体の全てを制御し、知り尽くしているのだ。

だが、流石にアサシンも並の使い手ではない。それぞれすぐに獲物を構え直し、残像が出来るほどの速さでゼルに迫る。ゼルは背中の薄い翼を振るわせると、左右から躍りかかってきた先頭の二人の一撃を屈んでかわし、前に飛び出してつっこんできた一人の顔面に掌底を見舞うと、そのままのけぞったアサシンの頭頂部を軸に天高く跳躍した。

「まずは一人」

アサシンの一人の頭が炸裂した。最初にゼルが飛び越したものであった。飛び越した瞬間、ゼルは呪札に加工した高級焙烙を後頭部に貼り付けたのである。そして今、時限式のそれが炸裂したのだ。頭部を失った一人が倒れるのと、その隙をついてゼルが突撃するのはほぼ同時。彼は一番包囲が薄い右手に跳ぶと、体を旋回させ、反応が一瞬遅れたアサシンの首を、斜め下から抉り込むように蹴り折っていた。速さがアサシン達に比べて一割ほど勝っている。肉体能力はそれほど圧倒的に買っているわけではないのだが、背中の羽を利用して加速減速を自在にしているのだ。ゆっくりと地面に降り立ったゼルの前で、頭部を爆裂させ、三人目が命を落とした。これは顔面に掌底を浴びせたものであった。回避行動と同時に、頭頂部に焙烙呪札を貼り付けていたのだ。

見る間に戦力を半減させたアサシンは、それでも戦意を失わず、前後左右にゆっくり展開する。ゼルの恐るべき体術を知っても退かないその姿勢は、客との信頼関係が産み出している。暗殺者が逃げ出したとあっては、今後ギルドに依頼を持ち込むものがいなくなってしまう。場合によっては実行者を始末する事さえある。それに関しては、今後忍者ギルドが発展していけば、同じ事態に陥る可能性もあった。

ようやくこの時、ゼルが構えを取る。四人のアサシンがゆっくり周囲を回りながら、仕掛けるタイミングを伺うが、なかなか踏み込めない。後ろでさえ隙がないのだ。否、時々隙は見せているのだが、それが罠か本当の隙か判断が付かないのである。

長い長い時の後、最初に動いたのはゼルだった。そのまま二歩、後ろに下がる。真後ろにいたアサシンが反応するのと、ゼルが跳躍するのは丁度同時。しかも跳躍する際に羽を使い、微妙に移動軌道速度を不規則に変化させつつ、である。自らの種族特性を最大限に生かした動きである。突き出されたナイフを紙一重でかわしながら、通り抜けざまに、顔面へと肘打ちを叩き込む。三人が一気に取り押さえようとゼルに飛びついてくるが、それが最後の瞬間だった。三人が、奥にある扉から見て一直線上に列ぶ。同時に、ゼルが指を鳴らした。

「御苦労様」

爆音と共に飛来した高密度の炎の固まりが、三人のアサシンを纏めてなぎ払っていた。間髪入れずに、ゼルが最後の一人の顎を蹴り砕いていた。

無言で倒れるアサシンの頭を踏みつけ、蹴飛ばして転がすと、ゼルは援護攻撃があった方へと視線を向けた。

「リュート、エミーリア、わざわざすまなかったね」

「ううん、いいの」

「ううん、別に良いの」

「「あのお方の、ご命令だから」」

通路から現れたのは、声も姿もそっくり同じエルフの子供だった。面白い事に、二人の間にある見えない線を境に、左右対称で動いている。どう考えても双子である。ゼルは今蹴り倒したアサシンが完全に死んでいるのを確認すると、他の者達の死体と一緒にまとめて、部屋の隅に転がしておいた。これで、後は魔物が勝手に始末してくれる。エルフの双子は、完璧なまでに左右対称でくるくると周りながら言う。

「あのお方、体調はだいぶ良いわ」

「あのお方、王様をとても心配しているわ」

「「だって王様、とてもお加減が悪いと言う話だから」」

「仕方がない事だよ、こればかりはね。 それよりも、此方も進展があった。 ウェズベル師とランゴバルド枢機卿が町に到着した。 ウェズベル師は強いが、魔女を倒すのは少し難しいな。 一方でランゴバルド卿は天使を連れてる。 見たところ、とんでもない手練れだ」

「「やだー、こわいー」」

双子はきゃっきゃっと鈴を鳴らすような声で笑った。この二人は、若いがドゥーハンに使えるエルフの魔術師として指折りの使い手だ。危険察知能力はきちんと備えているし、先ほど程度の相手なら撃退出来る実力もある。苦笑したゼルは、不意に真面目な顔になる。

「宰相は恐らく、今後地下五層まで降りてくるつもりだろう。 地下五層であれが宰相に発見されると、ほぼ確実にあのお方を浚いに来るだろうね。 今まで以上の戦力を投入してね。 絶対に、あのお方が此処にいる事を悟られるな」

「うん、分かってる」

「うん、分かってるわ」

「「だって、あのお方は」」

「はい、其処まで。 あり得ない事だが、敵にも私以上の使い手が入るかも知れないからね。 帰る時は今まで以上に厳重に気をつけて、な」

手をつないで仲良く迷宮の奥に消えていく双子の魔術師を見送ると、ゼルはもう一度監視者がいない事を確認して、部屋を出ていった。今度は、彼自身も戻り、王に経過を報告する為に。

 

ゼルの危惧は当たった。正確には、ゼル以上の使い手がいたのではない。だが、ある意味それより厄介な相手に、情況はのぞき見されていたのである。

倒れたアサシンの一人、最後に顎を蹴り砕かれた者が立ち上がる。屍肉を漁りに来ていた魔物達が顔を上げるが、すぐに死体漁りに戻った。これは危険な相手に手を出すより、今の食事を優先した方がよいからである。かっての仲間がむさぼり食われる音を背に、元アサシンだった死体はふらつくように歩き、やがて地下五層に達していた。そこで待っていたのは、深く闇色のローブを被った男であった。周囲には屈強な、だが一目で闇の世界に生きる者だと分かる男達が控えている。

「御苦労様でした」

フードの男は、アサシンの死体に手を伸ばし、頭を掴んだ。頭蓋骨がみしみしと音を立て、糸が一本切られたマリオネットのように死体が踊る。闇に包まれた男は一人頷いていたが、やがて指を小さく鳴らし、それと同時に肉人形の糸は全て切れた。

「やれやれ、保険のつもりでしたが、正答だったようですね」

「どういたしますか? ボス」

「どうもこうも。 宰相様には、今暫く黙っておきましょう」

「へへへへっ、足下をすくえそうなんですかい?」

闇色のローブの下で、死体の肌色をした男は、口の端をつり上げた。その全身からは、何もしなくても、冷気が漂い続けていた。

「それもありますが、今はまだ我々の戦力が完全ではありません。 枢機卿様が到着し、充分な戦力が整ってから行動に出ましょう。 出し抜けるかどうかは、宰相様の器次第、でしょうね」

闇色のローブの男は、部下を促し歩き出したが、ふと足を止める。そして一瞬だけアサシンのゾンビに視線をやったが、すぐに戻し、また歩き始めたのだった。

 

戦いに生きる者達の中では、鉄則になっている事がある。この世界、上には上が幾らでもいるのである。

「ふむ、気付かれたかな?」

カルマンの迷宮の外、宿に巣くった老妖怪が、机の上にある魔法陣に手をかざしながら呟く。妖怪の名はランゴバルド枢機卿という。この手の術はハリスでもどちらかと言えば忌み嫌われるタイプに属するのだが、この老人は何の躊躇いもなく使っていた。政治的手腕よりも、むしろその超絶的な術の才能でハリスの枢機卿まで登り詰めた人物である。名門出身というだけでなく、実力を兼ね備えていたからこそ、バンクォーの戦役前後の大混乱期に枢機卿へと抜擢され、今もその座を確保しているのである。その傍らでは、件の人物である宰相ウェブスターが、腕組みして鼻を鳴らしていた。

机の上には、映像が映り続けていた。先ほどまでは、ゼルに撃退されるアサシン達の姿が。そして今は、ウェブスターの部下であるマクベインに使役される生きた死体と成り下がったアサシンの姿が。マクベインに若干不審を抱かせはしたが、解除解析は出来ないほど深く繊細に監視用の術を盛り込んだのは、ランゴバルドであった。

ウェブスターは映像を睨み付けると、舌打ちして言う。

「汚らしい野犬が。 やはり下らぬことを考えているようだな」

「まあまあ。 野犬とはそう言うものですし、あまりお気にはなさらぬよう」

「分かっている。 だが、腹立たしい事に代わりはない!」

魔法陣が書かれた机を、宰相が拳で叩き付けた。有能さで知られた若き宰相の顔に、余裕と呼べるものは存在しない。彼は忌々しげに部屋の中を歩き回ると、やがて壁に拳を叩き付けた。

確かにランゴバルドの腕前は大した物である。だが、流石にゼル。今ウェブスターが知っている以上の事は口走らなかったし、何より奴を確実に屠れる人材が現時点では存在しない。先ほどの戦いぶりを見る限り、マクベインをぶつけても正直五分か。

情報はある。情報はあるのだが、此処まで限定された条件だと、投入出来る人材があまりにも少ない。騎士団の連中は団長と王に絶対の忠誠を誓っているし、並の使い手では幾ら投入しても迷宮内では役に立たない。うぞうぞと迷宮にもぐりこんでいる冒険者共の中に、使えそうな人材はあまり無い。まして完全に手足となって動く者など、今の時点では見当も付かなかった。

「自分の足で、地下五層にそろそろ向かうべきときだな」

「おやおや、政務はどうなさるのですかな」

「そんなもの、あの男がくみ上げたシステム内の役人達が勝手にやるわ! 宰相、はっ、宰相か! これほどにまで宰相が必要ない国など、他にないだろうなっ!」

ウェブスターが爆発した。彼にとって禁句となる言葉を、枢機卿が遠慮無く吐いたからである。ドゥーハン国宰相ウェブスターは知っていた。彼があの男と吐き捨てたオルトルード王が作り上げたシステムが、想像以上に強固である事を。本来なら王の代わりに政務を執る宰相というポジションが、実際にはもう無くても大丈夫である事を。強固なシステム内で、相互監視の中役人達は働いており、不正は出来ず士気も高い。そんな情況だからこそ、若造である彼が、宰相になれたと言う事を。

いや、なれたのではない。お情けで、宰相にして貰ったのである。

王は彼の正体を知っている。その上で、お情けで宰相にしてくれたのだ。ウェブスターは受けた仕事の範囲内でなら、幾らでも有能に働いた。それで、敏腕だと言われた。だが、彼は知っていた。自身の器が、到底オルトルードには及ばないと言う事を。英雄王が築き上げたこの国は、文字通りの千年王国。一度や二度のカタストロフや、暗君が出たくらいではびくともしない強固な国である。彼ではどう背伸びしても、王には到底及ばないのである。嫌と言うほど、ウェブスターはそれを知っていた。

王への怒り、憎しみ、それらが赤熱の溶岩となり、破壊的な蒸気を吹き上げながら、心の中でうごめいていた。まだ若いウェブスターは、それを制御する事が出来なかった。まして、自身の正体を知っている、今となっては。情けを掛けられているという事実が、彼にはどうしようもない屈辱だったのである。

「あの男は、必ず私が引きずり降ろす!」

「無音結界の中とは言え、感心しませんなあ。 まあ、私は当初の約束を果たして貰えれば、それで構いませぬから」

「分かっておる! 分かっておるわ!」

若き台風の猛威を、軽くあしらい続けるのは、流石に年の功か。ランゴバルドは、苛立ちつつ書類を書き始めたウェブスターを、冷ややかな眼差しで見つめ続けていた。

 

3,地下三層の真実

 

アースジャイアントが三体、我が物顔に通路をのし歩いていた。戦っても勝てない相手ではない。しかし、もう三度の激烈な戦いを経て、ファルは少し疲労を覚えていた。エーリカが戦いを避けるように指示を出してくれた時は、正直安心したほどである。チームは今、通路から離れた部屋に身を潜め、息を殺していた。

地下三層上層部に入ってから、魔物の数が目に見えて増え、しかも強力になった。下層では滅多に現れなかったジャイアントはぞろぞろ出てくるし、不死者も格段に強力になっている。特に凶悪なのは、先ほどから頻繁に姿を見せる、ミイラ男であった。

一般にマミーと呼称されるこの不死者は、名前通り全身にミイラを巻き付けていて、西方の古代文明の墓がある辺りに出現する事がある。動きは鈍いのだが、古代文明の遺産だけあり、強力な魔法がかかっていて、下手なアンデットよりも遙かに強い。そのマミーが先ほどから、頻繁に姿を見せるのである。しかも此奴らは、火炎系の魔法が殆ど通用せず、いちいち斬り倒さねばならないので厄介であった。ただ、どういう訳か此奴らは生者の肉に興味を見せず、故に鋭い歯でかぶりついてくるような事はない。また、今までの戦いでは一度に大した数が出てこなかったので、袋だたきにする事で何とか倒せていた。

「敵、通過いたしました」

「分かっている。 さて、エーリカ殿、どうする?」

「少し休んでから探索に戻るわよ。 それにしても、聞いていた以上に厄介だわ。 コンデさん、今の内に精神力回復しておいて」

「お、おう。 そうじゃのう。 年寄りにはしんどい道じゃったわい」

「おいおい、お前もまずいんじゃないのか?」

ロベルドが指摘するとおり、先ほどから魔法が効き難いマミーとの戦いで、他の者以上にエーリカは疲弊している。フリーダーは予想以上に頑張って戦っているが、やはりロベルドが後衛に下がった穴は大きいのだ。青い顔を振って、何か言いかけたエーリカに、ファルは言った

「此処は私が見張る。 エーリカ殿は、少し休んでいてくれ」

「しかし、依頼人も、いつまで持つか分からないわよ」

「だが、此方まで全滅しては本末転倒だ」

「……。 分かったわ。 少し休むから、その間にマップを見て、今後の探索のプランを立てて置いて」

それだけいうと、エーリカは部屋の隅に移動した。フレイルを傍らに置くと目を閉じ、ほんの数分で寝息を立て始める。なかなか大した物である。床に地図を広げると、ロベルドは薄くだけ髭を生やしている顎を撫でながら言った。

「なあ、少し腑に落ちないんだけどよ、この地図」

「私の地図が気に入らないと言うのか?」

「そうじゃねえって。 ファルーレスト、お前、方角はきちんと計ったか?」

「どういう意味だ?」

ロベルドは下層と上層の地図を並べて、ふむと唸った。上層の地図はまだまだ断片的で、どれも階段に添ってばらばらに散っている。それは、それぞれがてんでバラバラの方向に延びていて、首尾一貫した特徴がない。一番面積があるのは、今探索している周辺だが、それらを全て並べてみても、これと言った特色が見あたらなかった。

「いや、な。 俺らドワーフは知ってのとおり地中生活に適した種族だ。 だから光に頼らず、ある程度位置方角が分かるって言う特性を生来的に持ってるんだよ。 勿論絶対じゃねえし、個人差もあるけどな。 だから言えるんだが、記憶を辿る限り、方角が逆になっているかもしれねえ」

「ふむ……」

「当機のメモリーにも、同じ記録が刻まれています。 ロベルド様の発言は正しいです」

「となると、この迷宮の階段と同じく、空間が魔術によってさながら蔦のように絡み捻れているのかもしれないな」

ヴェーラの言葉に、ロベルドとファルがはっと顔を上げた。ファルはもう一度部屋の外を探り直すと、視線をロベルドに向けず言う。

「迂闊だった。 もし位置方角関係が階段の上下でばらばらになっていれば、私の書いた地図は役に立たない」

「気にすんな。 知らなきゃどうしようもねえよ。 そんな事よりも、見てみな。 俺の予想じゃ、こうなるぜ」

そう言って、ロベルドは幾つかある地図のピースを並べ直してみせる。すると、其処には綺麗な四角形の隅が浮かび上がってきた。

実のところ、下層の構造も、最周辺を辿ると四角形になるのである。上層部の構造は、それより少し小さな四角形になるのだ。ファルは外にも時々注意を払いつつ、言う。

「なるほど、正四角錐だな。 三層入り口にあるような、な」

「確かにその通りだ。 この美しくも少し冷たい形状は、どこかで聞いた事があるような気がするぞ」

「王墓ピラミットだ。 間違いねえ。 形状もそうだが、この中の模様や、使われている技術から言って間違いねえはずだ」

「ピラミットというと、西方の古代文明の所産である、あれか。 マミーが多く出るわけだな」

「ああ。 俺らドワーフが作って、その後構造を知るものは皆殺しにされたらしい」

無言のまま、皆は天井を見つめた。一般にピラミットと呼ばれる王墓を作った古代文明は、ディアラントよりも二千年ほど新しい文明であり、死体をミイラに加工して保存した事でも高名だ。それの所産となるものは様々にあるが、特にピラミットとミイラは一般の人間も知っているほどに有名である。わざわざ亡骸を加工するのは、死後の復活を信じる宗教観からだともいうが、まだ諸説入り乱れて結論が出ないのが現状だ。また、ミイラは高価な薬の材料ともなり、それを専門に狙う盗賊も存在するほどである。フリーダーはしばし地図を見つめていたが、やがてその上で指を走らせた。指先は紙の上で、三つ隣ずつ星形を作りながら動いていく。

「階段の位置関係に、法則性があるかも知れません。 この階段が、此方に。 この階段が此方に。 となると、救出対象がいうる階段に最も近いのは」

「お、案外近いな」

「絶対ではありませんが、可能性は低くありません」

フリーダーが指を止めた辺りは、位置的に見て、この部屋からそう遠くない場所であった。

欠伸をして、エーリカが実にタイミング良く目を覚ます。彼女はコンデを起こしながら、膝の埃を払い落とした。

「もうまとまった?」

「問題ない。 それにしても、ロベルドは案外博識だな。 知の泉が湧いてくるようではないか。 感心したぞ」

「ちげえよ。 ……こういうのは、俺らドワーフにとっては必修科目なだけだ」

ロベルドの顔に影が差したので、それ以上は誰も聞かなかった。

 

ロベルドとフリーダーの言葉は当たった。実験的に近くの階段を下りてみた所、フリーダーが予測したとおりの地点に出たのである。なるほど、これは法則性さえ分かっていて、なおかつ三層上層を彷徨くアースジャイアントやガスドラゴンをどうにか出来る実力があれば、地下四層へ相当にショートカットする事が出来る。地下深くまで潜れている、上級の冒険者の中には、利用している者がいてもおかしくはない。

階段を登り、前方を確認して警戒を怠らぬまま、ファルが言った。最後尾はフリーダーが固めていて、時々油断無く後ろを見張っている。まだ幼いのに、いっぱしの冒険者顔負けの手際だ。

「忍者ギルドに報告しても良いか? これは恐らくギルドにとっても間違いなく有用だろう」

「別に良いわよ」

「それにしても、鉱山の次は王墓か。 アウローラの奴、いったい何を考えてやがるんだ?」

ロベルドの不審も、もっともであった。法則性が見あたらないと言うよりも、むしろ危険なダンジョンばかり意味もなくつなげているようにも思えるからだ。鉱山の次は王墓。更にその次には何が来るのか。ファルが入手した情報によると、灼熱の迷宮だという話だが、それも実際に見るまでは何とも判断が出来ない。

「ひょっとすると、黒食教に何か関係があるのか?」

「黒食教は確かに古い宗教だけど、この王墓が作られたような時代に信仰されていたのかしら? その可能性は低いと思うわよ」

「お前が知らないようなら、うだうだ考えても仕方ねえな」

「違いないわ」

再び危険地帯である三層上層部に出る。先ほど再編成した地図によると、大体の上層部面積は割れている。外側をぐるっと囲むように太い通路が走っており、真ん中には大きな空洞があって、その中は複雑に通路が絡み合っているのだ。文字通りの迷宮となっている下層に比べると、魔物の能力は高いが、構造そのものはとても素直だといえる。

それには利点も欠点もある。通路が太い分、奇襲攻撃を受ける可能性はとても低いのだが、その代わり魔物に遭遇してしまったら高確率で戦う事になる。先ほどジャイアントとの交戦を避けられたのは、たまたまファルが早期発見に成功したからで、そうでなければ大きく時間と体力をロスしていただろう。ただでさえ先ほどから交戦が重なっているのだ、これ以上の無駄な戦いは避けないと、依頼者が危険である。

「速攻で叩き潰すわよ!」

エーリカが声を荒げたのは、階段の手前と言う所で、前方より無数のうめき声が聞こえ来たからである。半数ほどはゾンビだが、残り半数は厄介なマミーである。双方合わせ、数は軽く三十体を超す。しかも此処は通路が広く、下手をすると囲まれる。更には、近くには逃げ込めるような部屋もないし、連中は階段を塞いでいるのでやり過ごす事も出来ない。叩き潰すほかにないのである。

刀の鯉口を切ったファルは、今回は左翼である。右翼にはヴェーラが入り、中央にはフリーダーが入っている。ショートソードと言う事で武具の火力は低めだが、なかなかどうして、きちんと剣を構えて戦力になっている。また、ファルがぎりぎりまで肉体変化は使用するなと伝えている為、今日はまだ一度も使っていない。そのため体力はかなり温存していて、いざというときは切り札になりうる。流石にロベルドほどの破壊力と防御性能は無いが、きちんと前線で戦える実力だ。コンデがザイバを唱え、皆の武具が淡い光に包まれる。敵は呻きながら、じっくり前進して間合いを詰めてきた。

「ゆっくり後退しながら戦力を削り取るわよ。 左右に回り込まれないように気をつけて!」

「厳しい戦いになるな」

「ガアアアアアアアアッ!」

先頭に立ったマミーが、埃まみれの包帯を巻かれた腕を振り上げ、もう片方の腕を槍のように付きだしてきた。魔法で強化されているらしく、その強度はなかなかたいしたものだ。後退しながら、ショートソードでフリーダーが一撃を捌くが、剣にぶつかった時に鈍い音がする。これは体に食らうと、確実に骨がいかれる。鎧の上からでも、相当な打撃が来るのは確実だ。やはり打撃がかなり重いのか、フリーダーは少し目を細め、少し体勢を崩す。更に、振り上げた腕を振り下ろしてくるマミーの首を、ファルが気合いと共に叩き落とした。剣を無言で突きだし、フリーダーがとどめを刺す。後から後からやってくる不死者に踏まれ、マミーは潰れ、粉々に砕けていった。肉汁を滴らせながら、ゾンビがどんどん迫ってくる。あしらいつつ、踏み込んできた奴のみを切り伏せ、じりじりと下がる。こういう時有利なのは長柄武器を手にしているヴェーラだ。ハルバードを振り回してゾンビをなぎ払い、間合いを上手く取りながら、彼女は叫んだ。

「速く援護を!」

「任せなさい! コンデさん!」

「おうっ!」

素早く印を組み替え、コンデが額から汗を飛ばす。その間、ファルの横に回り込もうとしたゾンビを、冷静なロベルドの射撃が跳ね飛ばしていた。ザイバがかかった矢を受けた不死者は崩れ、地面に沈み込んでいった。

戦いは着実であり、確実であった。じりじりと下がりつつ、ついにコンデが術をくみ上げ、気合いと共に放ったのである。杖先に溜まった巨大な火球は火の粉をまき散らしながら空を疾走し、紅蓮の炎を巻き上げながら炸裂した。一瞬の無音の後、轟音が辺りの世界を完全に制圧し、産み出された爆風が全てを薙いだ。ゾンビが悲鳴を上げながら吹っ飛び、焼け崩れ、千切れ砕ける。ファルは反射的にフリーダーを庇い、ヴェーラはガードポーズを取りつつ、爆風に備えて片膝を付く。ファルの隣を吹き飛ばされたゾンビの首が、顎をかたかた鳴らしながら転がっていった。魔法協力付きとは言え、ザクレタも、威力が確実に上昇している。これならば火炎系の最上級魔法であるジャクレタに迫る破壊力を有しているやも知れなかった。

しかし、敵は半減したが、壊滅はまだしていなかった。燃え上がる炎の中、ゆっくりマミーが歩いて抜け出してきたのである。揺れ、一秒ごとに姿を変える炎の中、影が無数に、壁へ天井へ千切れとび、さらには数を増していった。十、十二、十三。火球の直撃を受けた一体を除いた全てが無事であった。ゾンビはもう戦力を残していないが、流石にマミーはモノが違う。色を変え続ける炎をものともせず、彼らは歩み寄り続けて来た。地面でもがいているゾンビの頭を踏みつぶし、先頭に立っている一際大柄なミイラ男が、真っ黄色に変色した歯をむき出した。手には古代文明の所産らしき、鷹を模したらしい豪華な装飾のある長柄武器を手にしている。また、額には、少し古めかしいが非常に使い込んだ鉄の板をはめていた。鉢金に近い形状である。彼の他にも、半数ほどのマミーが武器を手にしていた。

「侵略者ドモヨ、去レ!」

「ほう? 言葉を喋る事が出来るのか?」

「去レバ永劫ノ苦シミヲ受ケズトモ良イ。 ダガ去ラネバ、貴様ラニ待ツノハ呪イト破滅ト知レ」

一瞬だけ沈黙が場を包んだが、髪を掻き上げたエーリカが一旦戦闘停止の指示を出し、探るようにマミーへと言う。

「我々はただ通りたいだけよ。 其処の階段へいきたいのだけど?」

「ナラヌ! コノ神聖ナル王墓ヨリ去レ! コレ以上ノ狼藉ハ許サヌゾ!」

「一番の狼藉を働いているのは、私たちじゃなくて、此処に好き勝手な細工をしたアウローラだと思うけど? それに、私たちにも生活があるの。 貴方達のねぐらを荒らしたのは悪いけど、この世界は死者だけのものではないのよ」

「黙レ! 去ラヌト言ウノナラ、死ヲ持ッテ報イサセテヤロウ!」

それは交渉ではなく、高圧的な一方的通告であった。確かにマミーらのねぐらを荒らした非はあるが、エーリカの言った事にも一理はある。通告が決裂した以上、戦いは避けられない。うなり声を上げた大柄なマミーが、驚くべき高さまで跳躍した。同時に、ファルも跳躍する。そして、空中で二人は交錯した。それが合図となり、マミーが一斉に殺到してくる。人間が走るほどではないが、ゾンビよりはずっと速い。

交錯の瞬間、ファルは大柄なマミーの脇腹を深々抉っていた。しかしマミーの戦闘能力は全く健在であり、りゅうりゅうと槍をしごいて突き掛かってくる。腕は悪くないし、しかもタフだ。もう余裕もなく本気になって、連続して跳んでくる穂先を弾きながら、ファルは叫んだ。

「此奴は私が引き受ける! 他は頼むぞ!」

「分かったわ! ロベルド、前衛に出て! 右手は出来るだけ気をつけてね!」

「形態変化を使わねば厳しいと思いますが」

「いいからそれは温存して! コンデさん! 魔法協力行くわよ!」

指示を飛ばすエーリカを横目に、ファルはじりじりと隊列から離れた。このマミーが他の連中とは別物だと、彼女は敏感に悟っていた。正直、指揮を執られると非常に厄介だと、本能レベルで察していた。他の連中から引き離しておく必要があった。

「ルガアアアアアッ!」

吠え猛るミイラ男が、仁王立ちになり、槍を頭上で旋回させる。焙烙の効き目が薄いのは分かり切っているし、此処は業で敵を凌駕するほか無い。しかも此奴は他のアンデットと違い、魔法が掛かった武具でもそう易々とは仕留められそうにない。腰を低く落とし、摺り足で徐々に近づいていくファルに対し、ミイラ男は踏み込み、轟音を伴う斜め上からの斬撃を叩き付けてきた。非常に避けにくい一撃である。刀を寝かせて一撃を逸らし弾きつつ、間合いを取り直すファルに、連続してミイラ男は斜め上からの斬撃を叩き込んできた。先ほどと間合いが違う。驚いたファルは慌ててバックステップしたが、髪の毛を数本散らされていた。続いての一撃はさっきに比べて間合いが短く、逆に次はまた長い。ひゅうひゅうと鳴る槍の柄が、一秒ごとに間合いを変えて迫ってくる。軽く頬を裂かれ、眉をひそめたファルは、戦法を変えた。不意に踏み込むと、刀を両手で持ち直し、密着状態から鍔で槍の柄を受け止めたのである。一瞬の均衡状態が訪れ、かたかたと震える互いの武器に目をやり、ファルは納得した。

「成る程、仕込みがあるのか」

「グオオオオオオッ!」

「一カ所だけ妙に埃が少ないな。 振り下ろす瞬間に仕込みを発動させて、少し槍の長さを調節していたのか。 面白い業を使うな。 しかも音がしないから気付かれにくい」

次の瞬間、マミーの蹴りが綺麗にファルに入っていた。ファルは一瞬宙に浮き、更に追撃とばかりに、マミーの槍の柄が彼女を叩き伏せた。地面に叩き付けられたファルに、とどめとばかりにマミーが逆手に持った槍を振り下ろしてくる。槍の穂先が、風を斬ってファルに迫った。そして、地面を強烈に叩いていた。一瞬速く横に転がったファルが、立ち上がりざまに抜き打ちをマミーの足に見舞っていたのである。三度バックステップしたファルは、今の一撃で痛みが走る腹を押さえながら、更にじりじりと後退した。口から伝った血を拭うと、ファルは味方の情況に視線をやった。

「んっ……」

小さく呻いたのはフリーダーである。ファルの代わりに右翼に回った彼女は、体格が上のマミーが繰り出す巨大なハンマーでの一撃を捌ききれず、防戦一方になっていた。今のうめき声も、何とかハンマーをかわした所を横に回り込まれ、かわしきれずに脇に軽く蹴りを受けたからであった。ガードはしたがダメージは殺しきれなかった様子だ。視線を戻すと、少し足を引きずりながら、マミーがゆっくり此方へやってくる。集中し、瞑想法によって強化した魔力流の探知をする。複雑に、絡み合うように、マミーの体内を流れる魔力は流れていた。集中箇所は、少し見ただけでは分かりそうもない。

非常に微妙なポイントになるのだが、魔力集中している箇所は敵の急所だと、ファルは実戦から悟っていた。以前のジャイアント戦で実効を上げてから、何度か試してみて、それが真実だとも確信していた。

「ウォオオオオオオオオッ!」

勇ましい雄叫びと共に、再びマミーが槍を繰り出してくる。もう行使すべき戦術は決まっている。ファルは刀を防御のみに使ってじりじりと壁際へ下がる。そして、敵の蹴りをかわした瞬間、わざと隙を作ってみせる。それも露骨にではない。攻撃に出るふりをして、わざと体を泳がせて見せるのだ。案の定、敵は踏み込んで、猛烈な一撃を突き込んできた。肉体能力である程度は上回っているが、槍使いとしての相当な技量もあり、手を抜いたら即座に死ぬ。ファルは本気になってそれをかわすが、地面に転がるのを余儀なくされた。壁を強烈に槍が撃つ。音が少しさっきと違う。跳ね上がりざまに、もう一撃抜き打ちをマミーの足へと入れてやる。だが、それでも足にとって致命傷にならないのは流石だ。ファルは内心感嘆しながら、距離を素早く的確に取る。そして焙烙を懐から取りだす。呪札を口で引きはがす。躊躇無く敵へと投擲する。

爆発が巻き起こり、炎がマミーの全身を舐め尽くす。しかし、何事もなかったように、まとわりつく火の舌を振り払って、マミーは歩み寄ってきた。

「無駄ダ! 我ニ炎ハ……」

「通じぬだろうな」

風が鳴った。乾いた木が、砕ける音がした。今までに倍する速度で間を詰めたファルが体を半旋回させ、驚くマミーの槍の柄を蹴り砕いたのであった。仕込みである槍の強度を、強烈な一撃を壁なり床なりに叩き付けさせる事で減殺し、焙烙の爆圧でとどめを刺し、最後の仕上げに蹴り砕く。唖然とするマミーは、一瞬の虚脱から立ち直ると、密着状態から膝蹴りを叩き込んできたが、ファルはそれを空いている左掌で柔らかく受け止めていた。

「悪いが、体術は私の方が二枚ほど上手だ。 武具を使った戦いなら、貴様の方が一枚私より上だったがな」

「グ、ググッ! オ、オノレエエエエッ!」

「哀れな魂よ、束縛から解き放たれろ。 ……墓を荒らし、これからも荒らす事にはなるだろうが、それに関しては詫びておく。 すまなかったな」

至近からだと、マミーの体を流れる魔力がよく見えた。それが集まっている、結合点も。

それ以上は語る事もなく、ファルは相手の頸動脈に刀を叩き込み、腹まで一気に切り下げていた。結合点は、その途上にあった。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

断末魔の絶叫が、迷宮にとどろき渡った。ファルが刀を鞘に収めた時、彼女が交戦していた強大なマミーは既に塵となり、風に吹かれ散っていた。塵の中残った鉢金を拾うと、生前はほぼ確実に名のある戦士だったであろう彼に対し、誇り高き女忍者は静かに黙祷していた。

 

「おらああっ! これでも喰らいやがれっ!」

雄々しいロベルドの咆吼と共に巨大な戦斧が振り下ろされ、マミーを頭から胸まで一撃で切り砕いていた。乾燥したマミーにこの手の重量武器は天敵と言って良い。今日彼は腕を負傷こそしていたが、この戦いだけでもう既に四体のマミーを屠り去っていた。ヴェーラも体重を掛けた横殴りの一撃でマミーを粉砕、横には回り込ませなかった。後衛は時々ザイバを補給しながら、様々な魔法を試しているのだが、あまり成果を上げる事が出来なかった。マミーにかかっている魔法が非常に強力なので、これは仕方がない事であった。

そして前衛の三名の中で、不利なのがフリーダーだった。形態変化を使えば話は別なのだが、現在彼女が使っている得物は火力の低いショートソードだ。その上、マスターであるファルは主戦場から少し離れた所で、敵と総力戦を演じている。何か策があるようだが、一方で此方を援護する余裕がないのは一目瞭然だ。

フリーダーの精神には、幾つかの命令がインプットされている。マスターの言葉を至上のものとする事。マスターの直接指示を受けられない場合、至近にいる、マスターの所属する団体内で最も地位が高い存在の命令を受ける事。意見を呈する事はしても、命令には絶対逆らわない事。そして、それらに疑念を抱かない事。

先ほど、脇腹に一撃を浴びせてきた軽量のマミーは、どうやら元肉弾で戦う使い手であったらしい。軽いフットワークを生かして、正面に展開したハンマー使いのマミーと連携し、的確にブローや蹴りを打ち込んでくる。

「ゴルアアアアアアアアッ!」

「キシャアアアアアッ!」

連携して、再び二体が一撃を打ち込んできた。後衛の位置を考えると、これ以上下がるわけには行かない。無言のままフリーダーは突撃、ハンマー使いの懐に潜り込むと、先ほど付けた傷に深々とショートソードを叩き込んでいた。押されはしていたが、決して相手を無傷のまま済ませていたわけではないのだ。ショートソードは柄まで相手の体に潜り込み、踏ん張ると、フリーダーは一気に相手の体内を切り上げる。ハンマー使いはのけぞり、埃の混じった絶叫を上げながら、塵になっていった。

今の一撃は、無論の事ながら、横に回り込もうとしていたマミーに対しては無防備になる側面も秘めていた。同時に、後衛への攻撃を自分で引き受ける意味もある。案の定、正面の敵を滅ぼした瞬間、脇から破壊力のある中段蹴りが跳んできた。ガードしている暇など無い。小柄なフリーダーは、だが重心を移す事で、隣で負傷しているにもかかわらず血戦しているロベルドに迷惑を掛けないように、何とか踏みとどまった。しかし、その代償は大きかった。めきりと嫌な音がして、肋骨が折れた。内臓に刺さるのは避けたが、しかし今後は動きが限定される。何とか振り返り、更なる一撃を繰り出そうとしていた肉弾闘士マミーに対抗しようとした瞬間、巨大な魔力の固まりがそれを粉々に吹き飛ばしていた。

「大丈夫? フリーダーちゃん!」

「ダメージは受けましたが、致命傷ではありません」

「ごめんね、術を練り上げるまで少し時間がかかったわ!」

魔法協力で増幅したバレッツを放ったエーリカが、続けざまの詠唱に入る。バレッツは魔力弾を放つと同時に、ある程度の物理衝撃を相手に与える術だ。エーリカならすぐにコレに気付く可能性が高いとフリーダーは計算したが、マスターや、それに近い立場の存在に疑念を抱く事は許されない。すぐに態勢を立て直し、唸りながら迫ってくる一体の槍を弾き返し、距離を取ろうとした。だが敵はフリーダーの負傷を敏感に見抜いていて、かなり強引に間合いを詰めてきた。とっさにフリーダーは相手の体に剣を突き立てたが、致命傷にはならない。そればかりか、敵は剣を我が身に突き立て、肉を削らせながら、密着状態にまで持ち込んできた。黄色い歯をむき出したマミーが彼女の肩を掴み、床に押したおさんとする。対応策が見付からず困り果てたフリーダーは、マミーの首が消し飛び、ミイラが風に吹かれて散っていくのを少し意外だと思いながら見つめた。支援をしてくれたのは、隣にいたロベルドだった。今ミイラ男の首を跳ね飛ばした大斧を構え直し、ロベルドは新しい敵と相対しつつ、多少おどけて言う。

「つらいなら言えな。 悲鳴だって上げて良いし、助けだって求めて良いんだ。 怪我人はお互い様だしよ! 何よりお前に大怪我させたら、ファルーレストに殺されるからな!」

「支援感謝します」

「いいって事よ! ほら、また来るぞ!」

二人は前から突撃してくる、新手のマミーに向き直る。そして、冷静に対処し、後衛の支援を待った。

そして、敵司令官を倒したファルが合流し、エーリカの増幅バレッツが最後のマミーを粉々にするまで、持ちこたえたのである。

 

4,フリーダー奔走

 

目的の階段を下りると、其処は未知の地点だった。しかしコンパスが示す方角や周囲の形状から言って、ほぼ間違いなく狙い通りの場所である。コンパスをしまうファルは、皆に壁際へ寄るよう促した。強大な敵の気配を察知したのである。

「ガスドラゴン?」

「間違いないだろうな。 しかも、移動しないで停止している」

「寝ているのではないか? 蛇のように静かに近づいて、奇襲は出来ないだろうか」

「……いや、この寝息は、狸寝入りだ。 それはほぼ確実に無理だな」

フリーダーは時々脇腹を押さえながら、周囲の警戒を怠らない。ファルは小さく頷くと、ガスドラゴンの方向へ集中する。

「人間、もしくはそれに類する存在の気配は存在しない」

「もう遅かったのか?」

「いや、それならガスドラゴンが待ち伏せている理由がない。 気配を消すのがかなり上手いのだろう」

「何にしても厄介ね。 出来れば交戦は避けたいわ」

エーリカの言葉に、ロベルドもヴェーラも頷き、何よりコンデは強く頷いた。今までに繰り返されてきた死闘で底力自体が上昇しているのは事実だが、それにしても疲労が激しい。さっきのマミー共は手強かったし、帰り道の事も考えねばならないからだ。その上、いざとなった場合の頼りである、騎士団の詰め所は少し遠い。

ガスドラゴンが相手である以上、よしんば救出作戦に成功しても、階段に逃げ込むのは厳禁である。ブレスで追い討ちされれば、確実に丸焼きだ。ドラゴンの向こうで隠れている者達の支援を諦めないのであれば、残る手は一つ。総力戦で、敵の防御反撃能力を上回る打撃を与え、一息に屠り去るしかない。無言のまま、ファルは焙烙を取りだした。残る焙烙は後二つである。後の事を考えれば、出来れば一つだけでケリをつけたい所である。

「ところで、ファルさん」

「うん?」

「今まで黙っていたのだけど、気付いていないみたいだから、教えておこうと思って」

焙烙の状態を確認する手を止めたファルに、エーリカは悪戯を思いついた子供のような表情で言った。

「多分、文字や文章から言って、遭難しているのは子供よ」

「……本当か」

「うふふふ、やる気出たでしょ」

「意味がよく分からないが、早めに救出せねばならないな」

あきれ顔のコンデが、ヴェーラに肩を叩かれて嘆息した。今までわざと黙っていたのは間違いない。恐ろしいリーダーの下に着いたものだと、彼の顔には書いてあった。

「フリーダーちゃん、形態変化で、一番威力のある奴は?」

「破壊力、という点でしたら、ランスモードになります」

「体の方は大丈夫か?」

「今の時点や、変化の段階では問題ありません。 ただ、ドラゴンの攻撃を受けた場合、恐らく当機は致命的に破損します」

「それに関しては私たちも同じよ。 ……勝負は一瞬よ」

エーリカが表情を引き締めたので、それに従って全員が頷いた。皆が一か八かの血戦を覚悟した。

 

ところが、である。件の地点に近づく途上で、情況に変化が生じた。ファルが足を止めたのに釣られて、皆が足を止める。ファルは顎をしゃくって、フリーダーを側に呼んだ。長身のファルを見上げる幼子に、忍者は壁を後ろ手で指さし、小さく頷いた。エーリカはしばしそれを見ていたが、やがてあまった紙に字を書いて、掲げて見せた。

「どうしたの?」

「隠し扉だ。 風が不自然な方向から吹き込んできている」

「発見出来そう?」

「私一人では難しいが、フリーダーに手伝って貰えればすぐだろう。 上手くいくと、敵を迂回出来る可能性がある。 ……出来れば、遭難者の安全も考慮すると、迂回策を取りたいのだが」

しばし筆談すると、エーリカは頷き、ロベルドとヴェーラを近くに呼び寄せて、小声で辺りをうろうろするように頼んだ。無論それは陽動だ。最初は小首を傾げていたが、本当に周囲をうろうろし始めた二人を視界の隅で確認すると、ファルは壁を探り始める。風が吹き込んできている場所はすぐに特定できたが、問題は隠し扉の構造である。どうやって開けるのか、しばし考え込むファルの袖を、フリーダーが引いた。そして、さっき受け取った紙に、さらさらと書いた。結構達筆なのは、本で文字を覚えたからか。

「マイマスター、ファルーレスト。 此方ではないでしょうか」

「ふむ、可能性が高いな。 ロベルド、済まないが、この出っ張りを持ち上げてみてくれ」

見れば、壁に少しだけ不自然な出っ張りがある。手で招かれたロベルドは頷くと、無言のまま全身の力を込め、出っ張りを持ち上げた。しばしの苦闘の後、彼はフリーダーから紙をひったくり、汚い字で書き殴った。

「うごかねえよ、びくとも!」

「分かった。 感謝する」

「おう、気にすんな」

うろうろに戻ったロベルドを見送ると、ファルは出っ張りを、体重を掛けて踏みつけてみた。手応えはない。今度は罠に警戒しながら、押してみる。やはり、手応えはない。仕方がないので、駄目を承知で、ファルは引っ張ってみた。やはり、微動だにしなかった。額に浮かんだ汗を拭うと、ファルは再び袖を引くフリーダーに気付く。

「わずかにずれた気がします」

「そうか。 となると……」

靴の爪先で、こんこんと出っ張りを蹴ってみる。今度は真横からである。……正解だった。出っ張りは横にずれ、それと逆方向に、音もなく壁が動く。出っ張りを動かしきると、ファルでは少し通るのが難しい小さな隙間が、床の近くに出来た。

「これは、一体どういう用途の穴だ?」

「当機が見てきます」

「気をつけてな。 そして、急いでくれ」

皮鎧と剣を脱ぐと、フリーダーは穴に潜り込んだ。そして結構器用に(はいはい)しながら、穴の奥へと消えていった。

 

フリーダーは、小さな通路を進む。はいはいで進む。穴は徐々に下っていて、壁にはスロープが着いていた。そして、奥へ行けば行くほど、明かりが弱くなっていった。

やがて、穴は終わり、不意に広い場所に出た。其処はかなり大きな空間で、三層下層、上層、更にその上までぶち抜くような高さがあり、全体的には円筒形であった。底まではすぐ近くで、壁の周囲には、今フリーダーが通ってきたような穴が無数に空いている。彼女が今いるあたりの高度にずらりと列んでいる他は、高度的に上層にあるであろう辺りにもずらりと。そして、空間の最頂点辺りにも、一つぽつんと空いていた。穴にはどれも蓋が付いていて、手動で開閉出来る。彼女の丁度向かい辺りには、例外的に通路並の大きさがある穴があって、扉が付いていた。

底に降りると、そこには何かの残骸が無数に転がっていた。自分が出た穴の横に印を付けると、その一つを拾い上げて、フリーダーは正体を分析した。五秒ほどの分析の結果、出た結論はごみ、であった。また、辺りには箱らしきものの残骸が多く転がっていた。蓋は臭気が逆流するのを防ぐ為。穴についていた溝は、これらの箱を効率よく此処に落とす為。そして空間の一カ所に空いている大きな穴は、三層の何処かに出る、ゴミ搬出口であろう。天井を見上げると、蓋が一つ付いていた。近くには壁に刻みつけられた梯子もある。何故王墓にこんな中央ゴミ集積所があるのかは、フリーダーには理解出来なかった。殆ど使われた形跡もなかったし、第一実用的ではない。

しばし考え込んだフリーダーは、任務を思い出して、隣にある穴へと潜り込んだ。今度は高く高く上がっていくスロープを、(はいはい)で登る。位置的には、大体問題がない。やがて、穴の最後にたどり着いた彼女は、壁にあったボタンを横にずらし、出口を開けた。

外には、通路が広がっていた。違うのは、さっきに比べ、位置的に少し高い事であろう。また、スイッチの位置も高く、子供の背丈ではまず届かないし、何よりとても分かりにくい。すり減ってしまっていて、外のスイッチは稼働するかも分からない。右を見れば、ガスドラゴンが丸くなって規則的に息を立てている。左手を見れば、気配を殺した二人の子供が、震えながら縮こまっていた。どうやっているのかフリーダーには分からなかったが、どうしてかドラゴンに気付かれないでいる。しかし、下手に動くと、それも過去形になる。戻るべきかと考えたフリーダーであったが、一度穴の中に戻ると、紙に急いで文字を書いた。

紙をそのまま投げると、多分気付かれてしまう。一旦穴の底に戻り、積もった綿埃を山ほど集めて、紙をそれで包む。そしてもう一度スロープを登り、隠れている二人組の側に投擲した。

上手く紙は当たった。すぐにフリーダーは隠れる。連絡方法は、あの紙に書いておいた。後は相手が機転を効かせてくれるかどうかであった。

五分ほどの沈黙の中、フリーダーは闇の中で、体を縮めてじっとしていた。緊急時の防御態勢を取っていたときのことを、彼女は思いだした。感情は暗示と手術によって殆ど取り除かれていたのに、どうしてかとても心細かった。マスターが激しい戦闘の中で死んだからかも知れない。闇の中、体中が酸に浸食されていき、死が間近なのが分かった。いよいよ最後かと、覚悟した時、はき出された。そしてマスターが手をさしのべてきた。

新しいマスターにそのヒューマンがなったのは、精神に刻みつけられた暗示効果の結実である。だが、その暗示以上に、フリーダーはあの人が新しいマスターで良かったと思った。嬉しいという感情はもう無いが、最善だという以上に、どうしてか良かったと思ったのである。

マスターは何より強いし、言葉を尊重してくれる。それに、さっきのように、時々心配もしてくれる。自身を人間としてみるなと暗示を掛けられていたフリーダーには、それは少しとまどいを覚える事だった。彼女が自らを私と呼ばないのも、それを制作者に禁じられていたからだ。だが、どうしてか、尊重されて悪い気分はしなかった。

長い長い沈黙の後、壁が鳴った。フリーダーは慎重に戸を開け、子供が二人、こわごわと此方を見ているのを確認した。ドラゴンの様子を確認すると、先にとろそうなエルフの子供を、急いで穴に引きずり込む。そして一旦穴の底まで彼女を連れて行き、すぐにもう一人を回収に戻ろうとし、足を止めた。子供はおろおろとしていて、目に涙をためていた。これは、どちらかと言えば、フリーダのマスターだった人間達の反応に近い。そう言う場合、フリーダーには義務があった。義務は暗示によって、遂行を決定されていた。

「此処にいて下さい」

「う、うん」

「すぐ戻ります。 危険ですから、動かないようにしてください」

蒼白になったエルフの少女は、叩頭虫のように激しく頷いた。フリーダーはもう一人を助けに戻る。壁を開けると、もう一人はエルフではなくフェアリーで、若干要領が良さそうであった。彼女を通路に引っ張り込む途中で、ドラゴンが此方を見た。気付かれたのだ。通路の奥に乱暴に引っ張り込み、急いで壁を閉じる。どしん、と物凄い音がして、通路が揺動した。ドラゴンが、尻尾か何かで壁を叩いたのは間違いない。フェアリーの子が、頭を抱えて小さな悲鳴を漏らした。狭い通路の中でもつれ合ったまま、フリーダーは必死にボタンを押さえ、フェアリーの子に小声で言った。

「急いで。 このままでは身動きが取れません」

「う、うん! ごめん、ごめんね」

「出来れば悲鳴は上げないでください。 奴に気付かれます」

妙な気分になる。かって子供は、特に乱暴な態度で彼女に接してきた。そんな子供に、こう対等な口を利かれると不思議だった。フリーダーは奥へ這いずろうとするフェアリーを手助けすると、ボタンを固定し、素早く後ずさった。もう一度、どしんと、大きな揺れが来た。

 

どしんと、揺れが来た。通路全体が、小刻みに振動し、それが収まった。ロベルドが舌打ちし、思わずヴェーラがハルバードを構えていた。ロベルドがファルから紙をひったくり、素早く文字を書き入れる。

「まずいな、ヤロウ、暴れてやがるぜ」

「落ち着いて。 様子を見ましょう」

「し、しかし、いいのか?」

「あの子には、もし交戦状態になったときのために、焙烙を持たせてあるわ。 それが発動したら、動くわよ。 それまでは黙っていて」

ロベルドが驚いてファルを見ると、少し落ち着かない様子ではあったが、忍者は頷いた。

しばしの沈黙の後、もう一度どすんと凄い音がした。今度は天井の埃が降ってくる。だが、皆は信じて待った。

 

小さな嫌な音がした。フリーダーにはそれがはっきり聞こえた。振動によって、ロックが外れたのだ。壁を削るような音がする。ドラゴンが、前足なり歯なりで、壁の穴をこじ開けようとしているのは明白だ。

「ごめんなさい。 少し乱暴に行きます」

「へ、ええっ!? きゃああっ!」

下っているスロープの途上で、フリーダーは先行しているフェアリーの少女を蹴り落とした。悲鳴を上げながらスロープを滑っていくフェアリーに続いて、フリーダーも身を躍らせ、摩擦力を出来るだけ減らしながらスロープを滑り降りた。

こんな時の為に、出口は開けてある。最初にフェアリーの少女が空間に頭から突っこみ、数メートルを滑って盛大に埃を巻き上げた。その0.7秒後に、通路につっこんだフリーダーは、脇腹を押さえながら着地に成功。おろおろしているエルフ少女を押しのけ、出口を閉じる。次の瞬間であった。

「……っ!」

フリーダーも、流石に少し目を細めた。閉じた扉の間から、炎の帯が数条、虚空を走った。扉がどういう熱さになっているかなど、言うまでもない事だ。ドラゴンが通路にブレスを叩き込んだのである。一瞬遅れていれば、全員が黒こげであった。

エルフの子は、みいみいと泣き出してしまった。幸い扉は溶接されてしまい、もう一度ブレスが来ても何とか耐えられる。もう一度だけなら、であるが。蒼白になって右往左往するフェアリーの子へ、フリーダーは促した。

「隣の通路へ。 最後にあるボタンを左に動かせば、脱出出来ます」

「貴方はどうするの! 早くしないと死んじゃうよおおっ!」

「当機は最後まで残ります。 急いでください」

再び押さえている扉に圧力がかかる。手の皮が焼け、剥けてしまったのは明らかだ。殺気より少し多く、炎が虚空に延びる。フェアリーの子は涙を拭うと、泣いているエルフの子を促して、指定した通路に飛び込んだ。それを見届けると、フリーダーは自身のダメージを確認しながら、服の袖についた火を消しつつ、通路に入って扉を閉めた。

向こうの空間から、彼女が押さえていた扉が吹っ飛んで、炎が中に充満する音が聞こえた。小さく嘆息すると、フリーダーは慌ててスロープを這い登る二人を追って、通路を進んでいった。手は痛い。だがそれよりも、ミッションを遂行出来た方が良かった。また妙な気分になった。マスターが何を言ってくれるかと思うと、暗示によって封印された感情が、心の何処かで動いた。

 

「うああああん、怖かったよぉおおお!」

「はいはい、もう大丈夫よー。 だから急ぎましょうねえ」

通路から出るなりエーリカに飛びついてきたのは、以前依頼を受けたメラーニエだった。特に顔見知りのエーリカを見ると、もう泣いていたエルフの少女は感極まってしまったようであった。フェアリーのミリーは蒼白になっていたが若干冷静で、助け出されながら言う。

「あの子、あの子が!」

「フリーダーがどうした」

「私たちのせいで、きっとおててにひどい火傷しちゃったよおお! ごめんなさい!」

「……急いで撤退してくれ。 ドラゴンが、何時こっちに来るか分からない」

厳しい表情のまま、ファルが言う。二人はもう皆の援護を受けているから大丈夫である。別に自分になついてくれなくても良い。助けを求められたら、助ける。それはファルが好きでやっている事だから、別にそれに好結果など求めていないのだ。子供は確かに好きだが、自身の嗜好を押しつける気など、この冷静な忍者には端から無かった。いや、そもそも彼女は、そのような結果が帰ってくる事など、最初から期待していないのである。

階段を固まって登っている際に、追撃のブレスを受けては危険である。エーリカは頷くと、二人を連れて階段へと走り、他の者達もすぐに従った。ほどなく、フリーダーが通路に出てきた。彼女を引っ張り出すと、ファルは静かに言った。

「手を、見せて見ろ」

「マスター、しかし、今は撤退が先ではありませんか?」

「いいから。 掌を見せて見ろ」

無言でフリーダーが指しだした手は、真っ赤に水ぶくれていた。ファルは俯くと、腰をかがめてフリーダーを抱きしめながら、少し震える声で言った。

「良くやった。 さあ、皆の所へ戻ろう」

「ありがとうございます」

ドラゴンの気配が近づいてくる。感傷に浸っている暇はない。二人は頷くと、急いで階段に逃げ込む。そして、最大限の速度で、それを登りきったのであった。

「グルアアアアアアアアアッ! ガアアアアアアアアアアアアアッ!」

階下からは、無念そうな、心底無念そうなドラゴンの雄叫びが聞こえた。階段からは二三度炎が吹きだしてきたが、もうとっくに皆脇に避けている。やがて、階下のドラゴンの気配は消えた。

 

5,王の間

 

メラーニエとミリーは落ち着くと、改めて皆に礼を言った。ファルはわざとそっぽを向いていたが、可愛い子供にはどうしても興味が行くらしく、時々(不機嫌モード)のまま視線をちらりちらりと送っていた。それに思い切り怯えながら、メラーニエは言った。

「ごめんなさい、助けて頂いたのに、殆ど御礼も出来ません」

「ううん、いいのよ」

「あの、そこでなんですけど……私のスルーを、もし良ければ、魔術師の方にお教えさせて頂きます」

「おう、それは嬉しいのう。 あの術はまだ時間が無くての、覚えておらんかったのでのう」

少し控えめに笑うと、メラーニエはコンデとキャンプの隅に行き、色々と技術的な話をし始めた。それを見ながら、ミリーは言う。

「今日は本当に助かったわ。 それで、今日はメラーニエのスルーで、帰り道を楽にしてあげる。 あれでもあの子のスルーは一級品だから、きっと役に立てると思うよ」

「なら、少し悪いんだけど、ちょっと役に立ってくれる?」

「へ? あ、あの……」

「うん。 ちょっと調べてみたい事があるから、スルー使って暫く付き合ってくれる?」

皆が一斉にエーリカを見た。まだ探索しようと言うのか。確かにドラゴン戦を回避した為に多少余力はあるが、にしても恐るべきバイタリティである。胡座をかいていたロベルドは、大きく嘆息すると、吐き捨てた。

「何調べたいんだよ」

「さっきフリーダーちゃんから聞いたんだけど、やはり三層にはもう一層ありそうなのよね。 今なら結構楽に調べられると思わない?」

「そう……だな」

メラーニエのスルーは結構伊達ではない。例えば、キャンプでは常に気配消去結界を張っているのだが、それにも限界はある。現に三層に入ってからは、何度かジャイアントに存在を察知された。しかし今は、ジャイアントがキャンプに全く気付かず脇を通り過ぎていく。これならば、確かに探索がある程度容易になる。まあ、嚔したり、転んだりしたら、その時の結果は分からないが。

コンデとメラーニエが戻ってきた。メラーニエはミリーの隣にぱたぱたと走っていき、小声で何かを話し始める。別に陰口を叩いている様子はない、元来とても内気な印象だ。

「で、コンデさん、どう?」

「駄目じゃな。 確かにスルーそのものは少し修練すれば小生にも使えそうじゃが、あの子のスルーは少し特別品じゃの。 要はあの子、スルーに最大限適応した特性の持ち主なわけじゃ。 それに、魔力も優れておるし、スルーだけなら世界一の使い手になれるかもしれぬの」

「じゃあ、なおさら、今日の内にやってしまいましょう」

「やれやれ、骨が折れるのう」

肩を落としたコンデが立ち上がるが、エーリカの生命力は、再び皆をやる気にさせていく。手に包帯を巻いたフリーダーは、小首を傾げて言った。彼女は大丈夫だと言ったのだが、もう後衛に下がる事が決定されていた。戦力的には、依然厳しいままである。

「しかし、何処を探索するのですか?」

「可能性があるのは、おそらく此処ね」

ファルが書いた地図のうち、未探索の大きな空洞が残っているのは、三層上層の中央部だけだ。その中央部も、先ほどフリーダーが見つけた空洞によって、かなり面積が削られている。更には、三層最上層部の位置関係や規模も、それによってある程度は分かる。

「分かった。 しかし、そこを調べて駄目なら、戻ろう」

「そうね、フリーダーちゃんギルドに連れて行かないといけないし、ロベルドの腕も本調子じゃないものね」

ファルは頷き、キャンプを片づけると、率先して自分から歩き始めた。隊形を整え直し、皆が後を追った。

 

未探索の地域は、やはり通路が複雑に延びていて、途中にはマミーを始めとする魔物がうごめいていた。だがメラーニエのスルーは大した物で、そのどれにも通過は悟らせなかった。すぐ後ろでマミーが歩いている中、ファルは突き当たりの壁を睨んで呻いた。地図的には、やはりこの辺りに何かありそうである。

「やはり此処か?」

壁には様々な模様が刻まれていて、文字らしきものも多い。コンデが周囲を見回し、そして言う。

「かっては強力な呪いがかかっていたようじゃのう。 今はもう安全じゃて」

「分かるのか? コンデ老」

「小生も古い魔術師の家系に属しておるからの。 魔法と違って、呪いとは結構繊細なものなのじゃ。 この呪いはかなり強力じゃが、もう王家を誰も敬わぬ状態となっては、長続きしなかったのじゃろうな。 恐らく千年くらい前には、もう無力化されておったじゃろう」

「信じよう。 少し下がっていてくれ。 物理的な罠があるかもしれん」

壁を調べながら、ファルは呟いた。どうしても技量的な問題から、本職の盗賊よりは遅いので、ミリーが途中から手伝う。フリーダーも手伝いを申し入れたが、ファルは気持ちだけで充分と謝絶した。

「しかし、哀れな話だ。 ディアラントといい、此処といい。 猛き者もついには滅びるのだな」

何カ所かで音がした後、ファルが突きだしたナイフが、壁に潜り込んだ。引っこ抜くと、ナイフは元のままある。しばしそれを調べていたファルが皆を招く。そして、壁へ何の躊躇もなく歩き、それを文字通り通り抜けた。

「成る程、偽装か」

「ひゅう、面白れえな。 これは多分、古代文明の魔法だろ。 俺らの技術じゃねえ」

壁の向こうには、当然のように、上へ上へと延びる階段があった。そしてそれを登り終えると、八人は小さな部屋に出た。

それは、今までの部屋とは、露骨に作りが違っていた。壁際には魔法で保存されたらしき、美しきタペストリーがあり、宝物が並べられていた。だがその半ばほどは、痛々しく傷つき、あるいはあるべき場所になく床に転がっている。中央には巨大な棺が安置されている。棺へ歩み寄ろうとしたロベルドを、コンデが止めた。

「やめておいた方がよいぞ。 あれはどう見ても、この王墓の主の棺じゃろう。 それにあそこだけは、呪いが別物じゃ。 まだ生きておるわ」

「ひゅう、すげえ根性だな」

「執念というべきかもしれないな。 まるで蛇蝎の如しだ」

「で、これは何だ?」

床を二度叩いたファルに釣られて、皆がそれを見た。黒く禍々しい、巨大な魔法陣。周囲には、もう朽ちてはいるが、儀式の跡が残っていた。

王の棺は、魔法陣によって汚されていた。床を周り、周囲の形状から、やがてエーリカは結論を出していた。

「この形状は、間違いないわ」

「分かったのか?」

「黒食教よ。 此処で黒食教徒が、儀式を行ったんだわ」

皆をあざ笑い、王を冒涜するように。魔法陣の隅には、少し欠け、だが黒光りする、黒食教の神像が転がっていた。神像をファルがバックパックに入れる。不安げに、ミリーとメラーニエは辺りを見回していた。壁の魔法の光だけが、煌々と輝き続けている。明かりに顔を照らさせながら、ロベルドが不審を顔中に湛えた。

「……一体コレは、どういうことなんだ?」

「小生がエーリカ殿と少し調べてみよう。 皆は少し棺から離れて欲しい」

「分かった。 何だか、異国の王、執念深い者とは言え、少し可哀想だな」

ヴェーラが吐き捨てた言葉は、皆の心理を静かに代弁していた。

 

幾つか資料を回収すると、皆は無言で部屋を出た。盗賊であるミリーでさえ、宝物を持ち帰ろうとは言い出さなかった。何というか、そう言う事をしていい雰囲気ではなかったからである。王は確かに、強大な呪いで身を守っていた。しかし、同時にそうせざるを得ないほど、哀れな存在だったのだ。部屋にあった、幾つかの調度品を見ると、どれも豪華だが空虚だった。王の末期の孤独は、誰の目にも明らかだった。

このピラミッドの完成度から言って、王が相当な手腕の持ち主であったのは間違いない。恐らく国を富み栄えさせ、民衆に慕われた名君だったはずだ。しかし、彼自身は報われたのだろうか。

あるいは、報われたかも知れない。民の繁栄を見る事が彼の誇りだったのであれば、まず間違いなく彼は幸せだったはずだ。しかし死後、彼はまた報われない存在となってしまったのである。業績は永遠に評価されないのだから仕方がないとはいえ、しかし哀れであった。盗掘は、出来れば避けようと言う結論を、皆が無言のまま出していた。現実主義者のファルも、あまり此処からは宝物を持ち出したくなかった。ただ彼女は、幾つか時代特定や状況分析の為に、金や銀ではなく、魔法で保存されていた書物をバックパックに入れていた。

帰り道を歩きながら、コンデが言った。地下二層に入っているが、スルーのお陰で此処でも危険はない。それに此処の魔物なら、仮に襲われても、もう問題なく撃退出来る。

「あの魔法陣じゃがの」

「分かったのか?」

「大まかに、じゃがな。 あれは、恐らく呪いの力を吸い取り、うごめくものを呼び出そうとしたのじゃろうな。 下手をすると、成功した可能性さえある」

「つまり、分かった事があるの。 少なくとも、地下三層では、黒食教が後だった、と言う事よ。 元々強烈な闇の力があって、そこで黒食教が儀式をした」

一同はしんとなった。ファルはバックパックから取りだした神像を上下から眺めつつ、言った。

「一度、イーリスに詳しく話を聞いてみる。 また、忍者ギルドの皆にも、情報の提供を頼んでみるつもりだ」

「この間地下二層で殺りあったバケモンがうごめくものだとすると……一体何が起こっていやがるんだ」

迷宮の闇に、ロベルドの問いは沈み込み、消えていった。誰もそれに応えられる者がいなかったからである。

この迷宮で何が起こっているのか。把握し切れている存在は、深淵にいる黒曜の魔女のみ。最強の魔術師も、天使を従える法師も、世界最大の国家の宰相も、傭兵の冷酷な長も、騎士団長も、卓越たる忍者も。皆、そこへは、遙かに届かなかった。

 

(続)