雪溶け
序、武神
武神は初めからドゥーハンに存在した神族ではなく、幾つもの世界を渡り歩いてきた存在だった。
今でこそ強大な力を持ち、魂を吸収する精神生命体だが、最初は全く違う存在だったのである。
一番最初、それは小さな子供だった。 両親を事故で失い、優しい引き取り手もおらず
〈親切にも人道的観念から引き取ってくださった〉遠縁の親戚の家で邪魔者扱いされる子供だった。
何しろ〈親切にも〉引き取って貰ったため、この子供は〈恩〉を返す事を強要されていた。
幼くして家事を押しつけられ、食事は残飯のみで、衣服も使い古しの切れ端の集まり。
しかも〈親切で人道的な〉親戚の一家は、自分達の素晴らしさを宣伝する材料としてこの子を使い
よそ行きの場合だけは良い服を着せ、その一挙一動を監視していた。
故に外で不要な発言をする事など許されず、もししてしまった場合は容赦ない制裁が待っていた。
嫌だ。 子供は何よりも強くそう念じた。 その世界では否定され、だが厳然と存在していた力が
徐々に増していくその思念に反応し、異変をもたらす。 空間に歪みが生じ、願いが叶えられたのである。
子供は、生まれた地を離れ、異世界に移動したのだった。
だが、そこも安住の地ではなかった。 想像を絶する悪環境、血なまぐさい場面、怖気奔る生物。
子供は念じた、嫌だ、と。 そしてまた別の世界に移動した。
それが何度も何度も繰り返された。 そして、いつの間にか子供の存在は大きく変質していた。
器が喪失し、心が肥大した。 広く、巨大に、際限なく強く。
同時に思念は単純化し、神と言っていい力を持つようになった。
だが孤独だった。 そしてさまよい歩いていた〈それ〉に、司教がアクセスしたのである。
〈それ〉は喜んだ。 自分の価値を認めてくれた存在と、生まれて初めてあったからである。
ウィンベル司教の願いは複雑であった、だがその概要は〈それ〉にも理解できた。
即ち、皆が望む事がかなえられる世界。
全力を振るって、武神と呼ばれるようになった〈それ〉は、その作業に終始した。
人類の種としての望み〈永遠〉を、自分に可能な限り忠実にかなえる作業に、自分なりに没頭した。
無数の精神の塊が、彼女の周りを漂った。 少しは寂しさが紛れるかと〈それ〉は思った。
だが違った。 魂達は、誰一人として武神に心など開こうとしなかったのである。
そればかりか恨みや悲しみばかりが満ちた。 理解できず、武神は困惑して苦しんだ。
寂しさだけが募っていった。 再び訪れた孤独は、以前のよりも更に深く、重く思われた。
そんなおり、再びアクセスしてきた者がいる。
それはクイーンガードだった。 魔法的な解析で武神の正体を知った彼らは、親切そうに近づき
〈それ〉が心を許した瞬間、儀式魔法で強烈な魔力波を叩き込んでその中核を砕いたのである。
武神が展開するフィールドの正体は、武神その物の精神だったのだ。
残ったのは武神の外郭だけだった。 それはクイーンガードにも充分に手に負える相手だった。
武神の本体である精神は大打撃を受け、弱体化し、司教の庇護に置かれて数百年を過ごした。
そして今、ついに復活の時を迎えようとしていたのである。
「ブシンノチュウカクセイシンハアンテイシテイルカ?」
マイルフィックに、ホワイトドラゴンが尻尾を揺らしながら聞くと、銀白の魔神は静かに笑う。
「申し分ないな。 寂しがっているようだが、元々これに自分で思考し行動するほどの勇気はない」
彼らは武神を道具としか見ていない。 最初に一神教を作った人間も、同じ考えであったかも知れない。
支配のための道具、理想世界構築のための道具。
神すらをも生け贄にし、自らの礎にする。
やはり世界で最も恐ろしい生物は、人である事に間違い在るまい。
「アトハ、アノバカキュウケツキヲショブンシテシマウダケダナ。 マッタクテマガカカル」
「司教殿も仕方がない。 あやつの叛意は何度も指摘しておいたのにな。
まあ、理想に目がくらんだ者に足下は得てして見えぬものだ。
後は我らが現実的に理想世界を作ればいい。 司教殿のためにも、な」
二体の哄笑が響き渡った。 この二体は人間の頃からの親友で、吸血鬼王を個人的に嫌っていた。
笑いを止めると、ホワイトドラゴンは目に微妙な光を宿らせる。
「・・・トコロデ、ヤハリアノ〈イヨウソ〉ノショウタイハ、ウォルフダロウナ。
ダトスルト、レイ=ガルスガヤブレルコトモアリウルガ、ソノトキハドウスル?」
「この世界で奴が〈破れる〉事はありえんよ。 あったとしても、敵に必ず手傷を負わせるだろうよ
後は武神の手で処分してしまえばいい。 二匹まとめて一緒にな。
残りの連中の始末だが、ハイムは予想よりも遙かに強いぞ。 おそらく前よりも更に腕を上げている。
それにレドゥアもどう動くかわからん。 あの男の魔力はあなどれん、手を打つ必要が在ろう」
「レドゥアハクイーンガードノキロクヲヨンデイルノダロウ? コサセテシマエバヨイデハナイカ」
ホワイトドラゴンの言葉に、マイルフィックは考え込み、目の奥に微妙な光を宿す。
「フム、レドゥアはそれで片づくか。 問題はハイムとそのほかの連中だが・・・」
「ミカクセイトハイエ、ブシンノチカラハヤツヲゲキタイスルニハタルダロウ。
シンパイナラ、ハイムジタイハブシンニマカセテシマオウ。
マダシンパイナラブシンニトウタツスルマエニテゴマヲツカッテチカラヲソギ、ヘイリョクヲケズリトリ
サイシュウテキニワレラデブシントキョウゲキスレバイイ。 コウリツテキニカテルダロウ」
「それしかないだろうな。 ふっ、最善を尽くすとしようか、盟友」
二体は頷き合い、武神を見上げた。 光の塊が、覚醒の時を待って脈動していた。
1,決戦の前に
迷宮地下五層。 神厳の滝を包み込むようにして存在する、縦に長い階層。
攻略してから一週間ほどしか経っていないのに、もう随分前の出来事のようだと、アティは思った。
入り口近くにある店が、彼女の目的の場所だった。 そこには、もう一人の自分の支援者であり
今は迷宮内で冒険者相手の店を開いている、オークのキャスタがいるのである。
オーク王は前回の迷宮攻略戦で大打撃を受け、今は夜の鴉のように大人しくしており
魔物達も若干精彩を欠き、威圧感が随分薄れているように感じてアティは延びをした。
「あー、えーと。 ここって、こんなに安全な所だったっけ」
「アティ様、油断してはいけません。
高名な勇者が、油断から弱い魔物の手に掛かった話は、枚挙に暇がございません」
「うん、分かった。 考えてみれば、ついさっきまでここの魔物と全力で戦ってたんだもんね」
アティが素直に謝り、気を引き締めたので、ヒナは表情をほころばせた。
螺旋状に続く足場は健在で、取りあえず魔物の姿も周囲には見えない。
「キャスタの店か。 そういえば、ブレードカシナートの前期型があったよな」
「氷の鎖帷子もあった。 あれらを譲っていただければ実に心強い」
「もう、玩具を取りに行くんじゃないのよ、二人とも」
サラが目を輝かせるリカルドとグレッグに釘を差し、アティに続いて歩き出す。
ミシェルは目を瞑って慎重に周囲の邪気を探ると、静かに頷いて、駆け足で皆に続いた。
地下十層から帰還したアティは、全ての真実を皆に話した。
剣士がハイムであり、自分がその最後の意志で作られた分身である事。
本当の意味での人ではなく、その複製である事。
そして、それでもいいなら、最後までついてきて欲しいと言った。
誰も離脱を言い出す者はいなかった。 そればかりか、誰もがそのような事でアティを卑まなかった。
これはアティが今まで積み重ねてきた、信頼の結晶であり
酷薄なリーダーなら、こうはいかなかっただろう。
アティは嬉しさに目頭を拭うと、最後の決戦の準備をすることを明言し
最後に武装を整えるため、剣士の忘れ形見でもあるキャスタの店へ行く事を提案したのだ。
キャスタの店まで障害らしい障害はなかった。 足場は頑強だったし、強力な魔物も出現しない。
途中で現れたゲイズハウンドは、アティが鼻面を首砕きで叩き付けるだけで逃げ出していった。
誰も追撃はしなかった。 追いつめられた獣はえてして想像を絶する力で反撃してくるし
何よりもアティが、弱者に思いのまま力をぶつけるような戦いを好まなかったからである。
絶対勝てる戦いで、相手を殺す理由はないのだ。
キャスタの店は、前と同じだった。 若干武具が減ってはいたが、それは供給が無くなったからで
以前アティ達が目をつけていた武具は、皆売られずに残っていた。
「アティどん、ついに決戦だか!」
「うん。 最下層まで辿り着いたよ。 ・・・後は最後の決戦。 これで終わりだと思う」
キャスタが目を輝かせ、アティの手を引いて奥に皆を案内した。
「けんしさまのねがいをかなえるときがきただな! ついに、きたんだな!
おかねはいいだ。 好きなだけもっていってほしいだ!」
「んー、えっとね。 じゃ、みんな一個だけ、気に入ったものを持っていっても良い?
それと、お金は払うよ。 みんな死にに行くんじゃなくて、生きて帰るために戦うんだから」
その言葉を聞いて、誰か一人が不意に俯いた。 だが、誰もそれには気付かなかった。
「アティどん、やさしいだな。 分かっただ、気にすむようにしてほしいだ」
キャスタが頷き、オーガのバッシーに商品のリストを持ってこさせた。
リカルドは真っ先に剣の陳列棚に行き、ブレードカシナート前期型を手に取った。
鞘から抜くと、それは迷宮内であるというのに眩く輝き、圧倒的な一体感を彼にもたらす。
数度素振りをしてみて、リカルドは満足げに頷いた。
そして、祝福の剣に触れて目を瞑り、心中で礼を言った。
グレッグはおっかなびっくり強力な防御力を持つ〈氷の鎖帷子〉を手に取り、試着してみた。
これは強力なエンチャントを施され、最良の材料で製造された鎖帷子であり
当然使いこなすには優れた技量が必要だが、この忍者には今や充分それが備わり
二度ほどの試験攻撃に、鎖帷子はその強固な防御力を見せつけたのである。
ミシェルは奥に陳列されていたスタッフを手に取った。
基本的にスタッフは、威力が無いに等しいが、代わりに本人の魔力を高めてくれる効果を持つ。
このスタッフ〈小凍の杖〉も例外ではなく、優れた潜在能力を持っていた。
それを手にした途端、体の中から溢れてくる力を感じて、ミシェルは思わず呟いていた。
「素晴らしい力・・・これなら、充分にお姉さまを守れます!」
サラは皆から離れ、一人奥へ歩いていった。 彼女はサポートと回復に徹する事に決めていたから
特定の能力を伸ばすよりも、サポートに使える、もしくは強力な回復力を持つアイテムを探していたのだ。
奥の棚に、適当な品があった。 真っ赤な指輪で、手に取ったサラはその力を感じて目を瞑った。
指輪自体に、相当量の魔力が籠もっている。 属性は水で、攻撃には向かないが
おそらくこれを付ければ、回復魔法の力を相当に増幅できるであろう事は疑いの余地がない。
〈深紅の指輪〉を手に取り、サラは皆の所へ戻っていった。
ヒナはグレッグと一緒に防具を見て回っていて、やがて一つの護符の前で足を止め、それを見つめた。
歴戦の侍が身に持つであろう気迫が、それから溢れるばかりに伝わってくる。
手にしたヒナは、圧倒的な精神集中と、さえ渡るような高揚感を覚え
それを抱きしめたまま天井を見つめ、やがて嘆息して静かに視線を降ろした。
〈侍の護符〉と呼ばれるマジックアイテムだった。
作られた経緯は不明だが、歴戦の侍の記憶を封じたものだとかで
装着者本人の力を、特に侍の力を増幅し、その攻撃に更なる冴えと切れをもたらすものであった。
アティは皆から離れ、無心に棚を探っていた。 武器を変えるつもりはなかったし、鎧を変える気もなく
靴はこれで問題がない。 要するに本人も、何を貰ったものか分からなかったのだ。
しばらくは無言のまま彼女は棚を漁っていたが、やがて小さなアミュレットに目をとめ
がらくたの山の中から、それを引っ張り出した。
「アティどん、それがいいのか?」
「あー、えっとね。 うん、これって一体何なの?」
「エンチャントした魔法を、ぞうふくするアイテムだど。 確か砂丘のアミュレットとかいう・・・
使用にはほんにんのまりょくを必要とするし、地味だからだれもほしがらないど」
アティは唇に指先を当て、しばし考え込んだ。
十秒ほど考え抜いたすえに、彼女は手を打つ。 そしてキャスタに笑みを向けた。
「これ頂戴。 私、これでいいや」
「すてきなけんや、よろいがたくさんあるのに、そんなんでいいのか?」
「・・・私の首砕きは、剣士さんの形見も同じなの。 鎧も、これ以上重くなっちゃったら動きづらいよ
だから、これでいい。 えへへへへへ、キャスタさん、心配してくれて有り難う」
皆は既に外に集まっていた。 アティは精算をすませると、キャスタに向けて微笑みかけた。
「あー、えっとね。 絶対に生きて帰ってくる。 だから、心配しないで」
アティが去ってから、キャスタは目をこすり、そして言った。
「わかったど・・・・けんしさまがアティどんを選んだわけが・・・」
アティはそのまま地下六層に向かった。 そして其処を抜け、地下七層へ入り込む。
途中何度か魔物との戦いになったが、苦もなく撃退する事が出来た。
リカルドのブレードカシナートは素晴らしい切れ味を見せ、ブルードラゴンの鱗を紙の様に切り裂く。
魔法耐性以外の弱点を克服したアティは、素早く鋭い一撃を遠慮無く繰り出す。
またヒナは、更に洗練された一撃を、想像を絶するほどの正確さで敵に叩き込む。
後衛の出番が無いほどだったが、アティは全体の連携を重視したので、グレッグやサラは牽制射撃を
ミシェルは増幅された魔力を確かめるように魔法を放ち、迷宮に光の花が咲く。
無論、逃げ出す魔物は追わない。 何故ならそれが彼女らの戦い方だからだ。
地下七層の深奥で、目的の相手は現れた。 グレーターデーモン、ヘイゼル=ハミントンだった。
まだ警戒心を隠せないリカルドやサラの前で、巨大な魔神は地響きたてて降り立つと、鋭い視線を向けた。
「アティヨ、ワザワザココニキタトイウコトハ、イヨイヨカ」
「あー、うん。 決戦が近いの。」
「ソウカ。 ・・・ジュッソウアタリデキョウレツナショウキガウゴメイテイルガ
ヒョットシテ、アレガサクレツシタトキガデバンカ?」
頷いたアティに向け、グレーターデーモンはわずかに首を傾け、そして背中を向ける。
「ワカッタ。 ブジントシテソンケイデキルオマエノタメ、オレハイノチヲカケヨウ。」
「本当に良いの? 凄く厳しい戦いになるよ。」
アティが声を掛けに来たのは、そうせねばヘイゼルがすねると思ったからである。
断られても仕方がないし、むしろ渋るようならやめさせようとアティは思っていたのだ。
だが、ヘイゼルの決意は固かった。
「マカセテオケ。 オレハオマエノタメナライノチヲナゲダシテモオシクハナイ。
アノブジングスタフヲマエニシテ、オレハナニモシテヤルコトガデキナカッタ。
ブジンデアルナチヲクルワセテシマッタノニ、オレハソノジョウキョウヲタノシンデシマッタ。
オレヲブジントシテノミチニモドシテクレタノハオマエダ。 ダカラ、オレハオマエノタメニタタカウ」
しばしの沈黙。 アティはやがて、優しく暖かい笑みを浮かべた。
「えへへへへ、有り難う。 でも、死ぬなんて言わないで」
「・・・ソノヤサシサコソガ、オマエノツヨサノヒミツナノダロウナ。
ワカッタ。 オレハシナヌ。 イキテオマエノチカラニナロウ」
哄笑し、飛び去るグレーターデーモンを見送り、アティは指先を唇に当てた。
「後はヴァーゴさんだね。 何処にいるのかな」
「爆炎のヴァーゴでしたら、地上にいると言う話です。 宿で意外にも大人しくしているとか」
「あー、えっと。 じゃ、一旦帰ろう。 次は酒場に行かないと」
理由を言わずに、アティは皆に集まるように指示を出した。
転移の薬は、まだ幾つか残っている。 グレッグはそれを取り出すと、惜しむ事なく使った。
地上では雪がちらついている。 今日の雪は、普段よりも若干多いようで、雪かきをする市民が目立った。
酒場は今日も盛況で、冒険者でごった返していて、誰が入ろうと皆知らん顔であったが
アティが入っていくと、流石に視線が集まる。
ヒナはそれを受けて入り口で硬直するが、サラが視線を遮って咳払いをして、彼女を庇った。
この辺りのサポートの巧さは、戦闘で培った技術に基づく物であろう。
他の者達は、空いている席を見つけると、めいめい座り、軽食を注文し始める。
そしてそれを確認すると、アティはマスターの所へ歩いていった。
「マスター、こんにちわ。」
「おう、アティか。 そろそろ状況も大詰めになってきたな。 聞いたぞ、十層の深部まで行ったって?」
「あー、えーとね。 それは良いの。 そんな事より、ちょっとお願いがあるんだ。 それも大急ぎで」
そう言って、アティはヘルガから預けられていた金の内、残っていたものを全てカウンターに置いた。
金貨が互いにぶつかり合って、金属音を立て、数人の冒険者が此方を見た。
「お前さんからの依頼か。 で、どんな内容だ?」
「これから、武神と決戦するの。 あ、武神ってのは閃光を起こした神様なんだけど
手伝ってくれる人がいると助かるんだ。 で、状況は凄く厳しいから、強い人が良いんだけど・・・」
周囲がざわめきだつ。 マスターは老いて尚たくましい腕を組み、考え込んだ。
「お前さんの手助けになりそうな奴というと・・・」
「我々が受けよう」
不意に挙がった声に、マスターが視線を向けると、オルフェとアオバが立っていた。
「我々はアティに恩がある。 今回の戦いで、命をかけてそれを返そう」
「それでこそお嬢様です。 グスタフ閣下もお喜びでしょう」
「有り難う、オルフェさん、アオバさん。 でも、絶対に無理はしないで」
更に声が挙がった。 奥の方で、珍しく大人しく飲んでいたアンマリーだった。
「そんな大金、独り占めにさせるのはもったいないわ。 私達も受ける」
アンマリーはつかつか歩み寄ると、アティの手を掴み、上下に振った。
「素晴らしいわ。 やっぱり私の見込んだとおりだったのね。 此処まで来るなんて」
「あー、えーと」
「「ま、まりー!」」
悲しそうに叫ぶ腰巾着二人を放って置いて、アンマリーは金貨をわしづかみにした。
「じゃ、これは頂いていくわ。 時間は?」
「えっとね、後十一時間後くらいに入り口が開くの。 だから十時間後くらいに、〈道〉の前に来て」
「了解。 オスカー、リューン。 ぐずぐずしているようなら置いていきますからね」
アンマリーは根城にしている宿へと去り、慌てて部下(下僕?)二人がその後を追った。
呆れたように、オルフェがその背中を見つめる。
自分と全く違う人種は、箱入りのお嬢様には別の生物のように見えるのだろう。
「アンマリー、よく分からない奴だ。 我々もその時間で待っている。 行くぞ、アオバ」
オルフェも金貨を受け取ると、その場を後にした。 アオバは何度も頭を下げ、それに従う。
「私も受けます」
いつの間にか後ろに立っていたウォルフが、笑みを浮かべていた。 傍らにはダニエルの姿もある。
「えっと、話すのは初めてだね。 本当に良いの、ウォルフさん」
「ええ。 私にも、貴方と同じく決着をつけなくてはいけない相手がいるんです」
「そっかあ、分かった。 じゃあ、お願い、ウォルフさん。 でも、絶対に無理はしないでね」
「貴方こそ。 では私も、集合時間にまた来ます」
アンマリーより控えめの分量、金貨を受け取ると、ウォルフはその場を後にしていった。
「しかし、これは凄いメンツだな。 これだけ集まれば、何が敵でも勝てるんじゃねえか?」
マスターが呟き、去っていくウォルフの背中を視線で追った。
「マスター、後ヴァーゴさんにも声掛けてくれないかな」
いちいち皆に礼を言っていたアティが、振り向き言う。
マスターは考え込んで、その後静かに頷き、金貨を回収して微妙な表情を浮かべた。
「・・・なあ、アティ。 お前さん、この戦いが終わったらどうするんだ?」
「あー、えっとね。 私ね、この都を元に戻そうと思ってるんだ」
即答は意外な反応だったらしく、マスターは驚きに目を見張る。
「少しずつでもいいから、私の大事な人達が〈美しい〉って思った頃の都に、戻していきたいの
まず森に木を植えて、瓦礫を片付けて、川を綺麗にして、住んでくれる人達を捜して」
「そうか、実現すると良いな」
・・・戦いが終わった後の英雄には、大概過酷な運命が待っているものだ。
アティにそれが降りかからない事を祈りつつ、マスターは応えた。
いつものようにオレンジジュースを飲むと、アティは店を後にする。
外の雪はますます量を増し、決戦前の町の色を、更に深く白く染め上げていった。
ヘルガの宿に戻ってくると、ヘルガが豪勢な料理を準備して、待っていてくれた。
「いっとくけどこれは前祝いよ」
そう言ってヘルガは、秘蔵のシャンパンを開けた。
酒を飲むのが初めてのアティは、大喜びしてそれを口にしたが、見る間に真っ赤になり
閉口して料理を食べる事に専念した。 凄まじいまでに酒に弱いのは、どうも体質のようである。
「ねえ、リカルドさん」
「何だ、サラ。 このエビは俺のだぞ」
「そんな事どうでも良いわよ。 貴方、この戦いが終わったらどうするの?」
皆が一斉に黙った。 アティは明確なビジョンを持っているが、他の者達はどうなのか。
「俺は・・・そうだな。 アインズ将軍の所で働きたい。 お前達はどうなんだ?」
「私は、そうね。 しばらく此処にいて、アティさんと一緒に暮らすわ
それが終わったら、ギルドで働こうかしらね」
「私はお姉さまのそばにいます。 ええ、それ以外に考えられませんから」
決意を持って言うミシェル。 ヒナが顔を上げ、それに続いた。
「私は実家に戻ります。 兄の弔いを正式に済ませたら・・・その後はその時考えます」
「グレッグ、お前はどうする?」
「すまぬ、まだ決めていない」
グレッグはそれだけ言い、視線を逸らしてしまった。
リカルドもそれ以上は追求せず、代わりにヘルガを見た。
「お前さんはどうするんだ?」
「あたしは決まってる。この宿をギルド公認の全国チェーン最大手宿にする!」
笑い声が起こった。 まあ、ヘルガの商才なら、無理ではない夢であろう。
ひとときの楽しい宴会は、すぐに終わった。 決戦前に、休息を取り損ねるわけには行かないからだ。
夜半から雪は本格的に降り始め、白い絨毯でドゥーハンを包み込んでいった。
こうして、決戦前の一日は過ぎ去ったのである。
2,異空への導き
アティは三度、同じ夢を見た。 広い空洞をゆっくり落ちていき、光の塊と対話する夢である。
光は更に大きくなり、周囲を飛ぶ光球は数を減らしていた。 アティは目を細め、相手をよく観察する。
脈動する巨大な塊は、以前と違い、形をなしはじめている。
それは人であった。 とても巨大な、力強く、だが若干空虚に見える、武装した人の姿。
「サビシイ・・・」
同じ声が響く。 アティは相手の正体を、この時ついに悟った。
「あー、えーと。 ・・・ひょっとして、武神さん?」
「ブシン・・・ワタシノナ・・・・ワタシヲヨブノハ・・・・ダレ?」
「私は・・・私はアティ。」
声が止まった。 以前と同じように、果てしない恐怖が溢れてくる。
「シラナイ・・・・コワイ!」
「待って。 私、貴方に怖い事なんてしないよ」
「ウソバッカリ・・・ソウイッテマエモチカヅイテキタクセニ・・・! マエモイジメタクセニ!」
声が明瞭さを増し始める。 響くような高音だったそれが、段々低くなり、明確な意志を帯び始める。
やがてそれは、幼い女の子の声になっていた。
「・・・わたしに・・・ちかづかないで!」
「あー、えーとね。 でも、それじゃあ寂しいままだよ」
アティの返事に、声は押し黙る。 そして今度は、すすり泣きの声が漏れ始めた。
「どうしてわたしにいじわるするの? みんなでわたしをりようして、いじめて!」
恐怖が止まらない。 堤防に穴があくように、最初は少しずつ、徐々にたくさん、着実に多く漏れ出す。
アティはガードポーズを取り、衝撃に備える。
これ以上の対話が無理なのは、前二回の経験からも明らかだった。
「こないで・・・・・・・・っ!」
三度世界が弾けた。 またベットから落ちている自分を発見して、アティは頭を掻きながら起きあがった。
「そうか・・・・そうだったんだ・・・・」
独語しながら、アティは頭を掻く。 彼女は、武神の正体と、その行動の理由を今悟ったのである。
外はまだ暗く、雪かきをする音も聞こえない。 充分な睡眠を取ったアティは、全快した体で延びをした。
着替えたアティを待っていたのは、既に武装し、手裏剣の状態をチェックしているグレッグと
既に宴会の後を片付け、新しい料理を作りおえたヘルガであった。
他の者達も、順番に降りてくる。 ミシェルはコートを羽織っており、少し眠そうであった。
朝食は栄養バランスを考え、おいしさを二の次に作られたものであり、若干味気なかったが
体力を付けるのと体を温めるには充分で、皆の元気を引き出すには充分だった。
「それにしても・・・」
残った時間に身を任せながら、リカルドはソファに座り、静かに呟く。
「いよいよ最後か。 俺は此処まで来る事が出来たのが、未だに信じられん」
「あー、えーとね。 リカルドさん、最後じゃないよ」
「ん? だとすると、これが始まりなのか?」
アティは首を横に振る。 そして、リカルドの視線を受けて、静かに口を開く。
「これは分岐点だよ。 私達がこの状況を終わらせるか、武神がこの地を好きなようにするか」
「そうか・・・確かにそうだな。 しかしお前の下で戦えば、負ける気はしない」
「みんなで揃って、この宿に帰ってこよう。 その後は、その後の事だよ」
ヘルガが手を叩く。 ついに時間が来たのである。
「忍者部隊から連絡が来てる。貴方の攻撃に連携して行動してくれるそうよ」
「そっか、ひょっとしてグレッグさんが連絡してくれたの?」
「申し訳ない、アティ殿。 しかし、これが有効だと思ったのです故」
「ううん、有り難う。 さ、絶対生きて此処に戻ろう!」
忍者は手裏剣を全て懐に収め、頷いた。 他の者達も、めいめいに武具を手に取り、立ち上がる。
六人は雪の降る町へと出た。 ドゥーハン軍陣地は煌々と明かりが灯り、集蛾灯のように目を引きつける。
既に陣地ではクルガンとレンに率いられた忍者部隊と、アンマリー一味
アオバとオルフェ、ウォルフとダニエル、それに腕組みして少し皆から離れたヴァーゴが待っていた。
ヴァーゴは目を瞑って黙り込んでいたが、アティが現れると、凶暴な笑みを浮かべた。
「約束だ。 何でも命じな」
「有り難う、ヴァーゴさん。 じゃあみんなと一緒に、武神と戦って」
〈道〉に最初に入り込んだのは、アティだった。
リカルドとヒナがその後に続き、一呼吸置いて後衛が続く。
地下十層の入り口に固定された道の出口は、地下九層の熱気を受けながらも健在であり
使用中の落下間も、妙にゆっくりした移動も、以前と同じであった。
前と完全に同じ地点に出た事を確認したアティは、周囲を見回し、おもむろに首砕きを抜く。
「簡単には抜けさせてもらえそうもございませんね」
前方に立ちはだかる魔物の群れ、十体以上のキメラ、その倍以上のレッサーヴァンパイア
三体のドラゴンゾンビ、七体のデーモンを確認したヒナが、菊一文字を抜きはなって言う。
後続の冒険者達が、続々と場に実体化した。 更に忍者部隊と、クルガンとレンが場に躍り出る。
「アティ、どうする? 強行突破か?」
「あー、うん。 そうするしかないと思う。 でも無理しないで、危なくなったら逃げてね」
クルガンの言葉にアティは応え、皆にサインを出すと、率先して地を蹴った。
同時に魔物達が咆吼し、牙をむきだし、爪を振るい、凶暴な殺気と共に突進してきた。
グレッグとサラが魔法協力し、ダイバを発動する。 剣にまとわりついた光を、アティは縦横に振るった。
キメラが頭をたたき割られ、レッサーヴァンパイアが三体、流れるような剣技で切り裂かれる。
アティの動きは精玉石の靴で加速されているが、強さをもたらすのはそれだけではない。
剣技自体の切れももはや超一級のレベルであり、世界全体でも五指に入るだろう腕前だった。
ブレードカシナートを振るってリカルドが、菊一文字を繰ってヒナがそれに続き
アティの左右を守りながら、卓越した剣技で敵をなぎ払った。
敵の注意が集中したアティを援護するように、忍者部隊が魔物へ正確無比な攻撃を投擲する。
側面からの思わぬ攻撃にレッサーヴァンパイアが次々に倒れ、生き残りは猛り狂い
お返しとばかりに、ジャクレタを忍者部隊に向け発動した。
炎の塊が忍者部隊の中央で踊り狂い、数名の忍者が重傷を負い、僧侶達が回復魔法に取りかかる。
戦闘は激しさを増し、血なまぐさい終末の宴は此処に始まった。
ほんの数分の戦いで、アティは獅子奮迅の活躍を見せ、三体のキメラ、七体の吸血鬼を屠り去り
更に光り輝く首砕きを振るって、ドラゴンゾンビを叩きのめし、地に這わせた。
その傍らで、アンマリーが発動した攻撃魔法が敵に炸裂し、容赦なく焼き尽くしていく。
ウォルフが圧倒的な剣技で敵を切り裂き、その傍らでダニエルが要領よく弱めの敵を叩いていた。
アオバとオルフェは的確な連携を見せ、着実に敵を倒していく。
ヴァーゴは呪文を使うまでもないとばかりに、危なげなくスタッフで敵を叩きのめしてゆく。
ドゥーハン最強の精鋭達の苛烈で非情な攻撃の前に、魔物達は見る間に数を減らし
半包囲され、叩き潰され、程なく全滅すると思われた。
だが、その時後方から警戒の声が掛かった。 声は緊迫しており、余裕はない。
「四時方向より敵襲! 数はおよそ三十!」
「ちっ! 増援か!」
忍者部隊を指揮していたクルガンが、魔物の血を大量に吸った自慢の魔法短刀〈疾風狼〉を振り
迎撃を命じようとしたが、レンがその手を止め、首を横に振った。
「司令はアティ殿と、奥へお進み下さい
我らが命に掛け、ここは通しはしません。 後方はお任せあれ!」
「しかし、レン!」
クルガンの肩に手が置かれた。 忍者が振り向くと、肩を叩いたアティが首を横に振る。
既に新手の魔物達と、忍者兵が激しい戦闘を行い、阿鼻叫喚が繰り広げられていた。
「お願い、レンさん。 でも無理は絶対にしないで」
「アティよ、時間は掛かってもここで敵を叩いた方が良いのではないか?」
「これは此方を消耗させる敵の策です。 新手を叩けばまた新手が、それを叩けば更に増援が
次から次へと現れて、時間を無駄に消耗するだけです」
前方の敵部隊の、最後に残っていたドラゴンゾンビの首を叩き落としたウォルフが、クルガンに向け言い
そして事態を悟った孤高の忍は、歯がみしながら、視線をレンからそらした。
「クッ! 卑劣な・・・・! すまぬ、レン! 此処は任せる! 絶対に生きて俺に再会しろ。
これは命令だ。 俺より先に逝ったりしたらゆるさんからな!」
「もとよりそのつもりです。 行くぞ! 此処を断固死守する!」
「おおっ!」
レンの声に忍者部隊の者達が唱和し、敵に向かっていく。 その中には、オルフェの姿もあった。
「アティ殿、我らは此処で彼らと戦います。 御武運を!」
「アオバさん、オルフェさん、レンさん、頑張って。 生きて、また町で再会しようね!」
敬礼し、主君に従い敵につっこむ侍を見送ると、アティはきびすを返し、十層の奥へと走り出す。
クルガン、ウォルフとダニエル、アンマリー一味、それにヴァーゴが後に続いた。
グレッグの地図は既に書き写され、皆に配られている。 迷うことなく、一同は十層の奥へ進み
途中の魔物達による抵抗を撃砕しながら、着実に死神王ユージン卿と戦った場所へ近づいていく。
その過程で、ドゴルゲスが命を落とした地点を通過した。 ヴァーゴは目を瞑り、一人何かを独語したが
誰の耳にもそれは届かず、アティは一瞬だけ視線をそちらに向けたがすぐに戻した。
巨大な門が姿を見せたのは、程なくの事だった。 ミシェルが前に進み出て、きゅっと唇を噛んだ。
「気をつけてくださいませ、この先に強力な障気が渦巻いています」
「時間通りに、たどり着けたと言う事か?」
リカルドの言葉に、ミシェルは首を横に振る。
「それもありますが、おそらく有力な敵、多分高位の魔神がいます」
アティが無言のまま巨大な戸に手を掛けた、それは以前と同じように、羽のように軽かった。
そして、その向こうの光景も同じだった。 無数に並ぶ柱、延々と続く通路。
その最奥だけが前と違っていた。 奥には、紅く肥満した体を持つ、巨大な魔神がいたのである。
肉の塊としか評しようのないそれは、鋭くとがった翼と、肥満はしながらも頑強な肉体を持ち
圧倒的なオーラを身に纏い、不貞不貞しく床に座り込んでいた。
後方には、胎動する空間の歪みが見える。
魔神はアティを最初に見据え、他の者達を見、そして傲然と声を絞り出した。
「やれやれ、俺様が呼ばれたのはこんな屑どもを処理するためか? ちっ、低く見られたもんだぜ」
「・・・・カコデーモン!」
「あぁン? 俺様の名を知ってるのか? 屑にしてはよく勉強してるじゃねえか
まあ暇つぶしには丁度良いか。 まとめてひねり潰してくれるわ、ワレェ!」
カコデーモンと呼ばれる強力な魔神は、ミシェルの言葉にこともなげに応えた。
アンマリーが失笑し、前に進み出ようとしたが、高速で迫る轟音がその足を止める。
飛び来るは青い巨大な影、それは偉大なる拳を繰り出し、紅い魔神へと叩き付けた。
超重量級の拳を受け、流石のカコデーモンも吹っ飛び、柱に叩き付けられ濛々たる砂塵を巻き起こす。
地面に降り立った拳の主、グレーターデーモンのヘイゼル=ハミントンは、静かに佇んでいたが
やがてアティに向け、呆然とする他の者達に向け、振り返った。
「ヤクソクドオリ、タタカイニハセサンジタ。 コノミグルシイデブハオレガタオス
ウシロハマカセロ、アティ。 コノデブヲハジメトシテ、ダレニモオマエノジャマハサセン」
「まあ、素敵。 アティさん、貴方魔神にもお友達がいるのね」
「えへへへへ、うん。 ヘイゼルさん、お願い。 頑張って、でも無理はしないで」
皮肉まみれのアンマリーの台詞にも、アティは頭を掻きながら嬉しそうに応じた。
煙をうち破り、紅い顔を更に紅くして、カコデーモンが躍り出る。
毛むくじゃらの剛腕から繰り出された拳を、腕をクロスさせて防御すると、ヘイゼルは叫んだ。
「オレハシナン! アティヨ、キサマモシヌデハナイゾ!」
「うん。 大丈夫、絶対帰ってくるから! 行くよ!」
アティが二体の魔神が戦う脇をすり抜け、率先して空間の歪みに飛び込んだ。
他の者達が全員後を追うのを見届けると、ヘイゼルはにいと顔を歪め、再びカコデーモンを殴り飛ばした。
拳の直撃を二度も受けたカコデーモンは、血の混じった唾を吐き捨てると、凄まじい殺気を敵に向けた。
「おう、グレーターデーモンよぉ。 俺様に喧嘩を売るってこたあ、覚悟は出来てるんだろうなあ!」
「ソチラコソ、サッサトニゲテイレバイイモノヲ。
ホレタアイテヲマモラントスルモノノチカラ、トクトミセテヤロウ! ユクゾ!」
「あん? あの蟻みてーなチビの事か!?
ワレが人間如きにほれるたあ、おもしれえギャグじゃねえか!」
「オレハブジントシテノアティニホレタ。 ソシテイマ、ソノタメニコブシヲカケル!
ワガノゾミハシュラドウノセイハ、コノタタカイデソレヲナス!」
激しい音が響き、魔神の強大な肉体がぶつかり合う。 壁が砕け、柱が折れ飛び、千切れ舞う。
常軌を逸した重量級の戦闘は、何時終わるとも知れぬ展開で続いた。
空間の歪みを抜けた先は、水晶のような素材で作られた宮殿だった。
周囲の空気が違う。 この世のものとは、根本的に違う雰囲気であった。
道は一本で、奥へ伸びている。 グレッグが周囲を探り、罠がない事を確認した。
宮殿と言え、違和感はある。 天井が其処には存在しないのだ。
代わりに空にあるのは、緑褐色の異様な雲が流れゆく空。 此処を異世界と悟らせるには充分だった。
「あー、えーと。 そっか・・・分かった」
「何が分かったのだ、アティ?」
「うん。 此処は多分、武神の力で作り出した世界だと思う。
父さんはきっと、此処を独立した世界にして、理想世界をつくろうとしたんだよ」
リカルドの言葉にアティは応え、数秒沈黙した後、首砕きを奥へ向けた。
「だからいるよ・・・一番奥に、武神が」
宮殿は、沈黙をもってその言葉に応えた。 そして、自身は輝きと共に佇立し続けたのである。
3,武神の元へ
異界の空の元に建つそれは、城ではなく宮殿だった。
防衛機構が存在せず、周囲はひたすら華美に作られている。 今までの迷宮が防衛機構であり
それで充分と司教が考えていたのか、或いは武神とその配下達の力に絶対的な信頼を抱いていたのか。
今となっては知るべくもないが、ともあれ構造は一本道で、迷うおそれは全くない。
ホールがあって、通路がある。 そして通路を抜けると、またホールがある。
それを三回繰り返した時に、異変が起こった。 第一の守護者が姿を見せたのである。
「時間がないわ、アティさん!」
腕組みをして嫌みに骨の玉座に座るヴァンパイアロードを見て、サラが叫んだ。
吸血鬼王は、十数体の配下を連れている。
レッサーヴァンパイアだけでなく、高位の吸血鬼もいるようで、その布陣は堂々たるものであり
負けるとは思えないが、戦えば相当な時間のロスは回避できまい。
焦るサラを押しのけて、ウォルフが進み出た。 そして名も分からぬ刀の鯉口を切ると、アティに言う。
「私はこの方とここで決着をつけます。 ダニエルを連れて行ってください」
「ごめん、ウォルフさん。 お願いするね」
「いえいえ、御武運を。 さあ、望み通りに戦ってあげます、吸血鬼王」
駆け去ったアティを見送ると、ヴァンパイアロードを見据え、ウォルフは言った。
対し、吸血鬼王は面倒くさげに手を振り、吸血鬼達が一斉に躍りかかった。
閃光が奔った。 数体の吸血鬼が紙のように両断され、瞬く間にほぼ同数が後を追う。
爪を繰り出した姿のまま、牙をむいた姿のまま、吸血鬼は灰になり、地面にしみこんでいった。
これは流石に常軌を逸している。 アティよりも更に強いかも知れない。
とにかく隙が無く、とにかく堅実に強い。
背中を見せず、一体一体着実に切り裂き、二体以上を同時に相手にせず戦い続ける。
マニュアル通りの戦いだったが、それは完璧に守れば圧倒的な強さを発揮するものなのだ。
慌てた吸血鬼達は魔法攻撃に切り替えるが、ウォルフのマントは魔法攻撃を全て中和してしまう。
レッサーヴァンパイアではない、上級の吸血鬼達はそれなりに保ったが、それもそれなりでしかなかった。
鼻白むヴァンパイアロードの前で、部下が全滅するまで丁度十分。
だが、不死者の中の不死者は慌てる様子がない。 悠然と立ち上がると、不敵に笑って見せた。
「相変わらず出鱈目に強いな、化け物冒険者。」
「お褒めにあずかり光栄です。 それで、どんな芸を見せてくれるんですか?」
「ふん・・・果てしない悪夢と言った所かな」
吸血鬼王が指を鳴らすと、周囲の空間が歪み、生き物の体内のような場所へと変わっていった。
周囲は粘液で濡れ、肉の壁は血管をまとわりつかせて蠕動し、時々何かの液体を吹き出している。
「悪趣味ですね」
「お褒めにあずかり光栄だ」
笑顔のままいうウォルフに、どす黒い凶悪な笑みを返すと、ヴァンパイアロードは柔らかく宙に舞った。
再び宮殿は同じような構造に戻り、通路とホールが交互に現れ、それが続いた。
魔物はいない。 その代わりに、時々蛍のような光が飛んでいるのが、各所で目撃された。
そして七つ目のホールで、第二の守護者が現れたのである。
そこは一見普通のホールに見えた。 だが、アティが足を踏み入れて、周囲を見回した瞬間風がなる。
危機を悟ったアティが、地面に伏せようとするが、鋭い風の刃はその動きよりも速い。
鮮血が飛び散り、床を紅く塗装した。 そして、忌々しげに声が響く。
「マエノハイムハ、コレデシトメラレタノダガナ・・・コンドノハイムハウンガイイナ」
「生憎だな、此奴には仲間がいる。 だから隙をついても、完璧に死角をつく事など無理だ」
「貴様が何者かは知らぬが、アティ殿を害させはせぬ!」
刃が飛び来るよりも一瞬速く、アティを床に倒したグレッグとクルガンが、同時に顔を上げた。
血は二人の背中から、一文字に走った傷から流れていた。
速さに置いては二人ともアティより上回るだけあり、致命傷には至らない。
鼻を鳴らすと、声の主が宙から滲み出るように現れた。
白銀の鱗を持つ巨竜、ホワイトドラゴンであった。 今の一撃は、風でなくこの竜の尾によるものだった。
「マアイイ。 コレデシトメラレルトハオモッテイナカッタカラナ・・・」
「ホワイトドラゴンか・・・白銀の暴竜だな。
此奴を倒す事が出来れば、俺は後世に名誉と名を残す事が出来る」
下位の竜族で最強の力を持ち、世界一のドラゴンスレイヤーですら恐れる竜の名を口にすると
不敵にクルガンは立ち上がり、アティを助け起こすグレッグに笑いかけた。
「武神は譲ってやる。 だが、この名誉だけは貴様らには譲れん。 さっさと先に行け」
「そーゆー事さ。 あっと、オイラも混ぜて貰うぜ?」
ナイフを抜いて、笑顔の奥に殺気をちらつかせながらダニエルが前に進み出た。
「姉御は、あのヴァンパイアロードを一人でしとめるんだ。
オイラだってオマケ付きでも、此奴くらいは倒したいもんだからね」
「・・・まあいいだろう。 足は引っ張るな」
「ごめんね、二人とも。 ホワイトドラゴンさん、私・・・いや、私達負けないよ。 負けないから」
「フン、ブシンノモトニタドリツイタトコロデ、キサマニショウキナドナイワ」
走り去るアティの背中に捨て台詞を吐くと、ホワイトドラゴンは巨大な体を起こした。
その背中には無数の棘が並び、長大な尻尾は体のバランスを取って静かに揺れている。
口の奥には高熱の炎が燃え、瞳には暴力的な光が揺れていた。 翼は大きく、空すら飛べそうである。
いや、実際に飛ぶ事が出来るのだ。 巨体が宙に浮き上がり、強風を浴びつつ孤高の忍びは苦笑した。
「非常識な・・・まあいい、来い!」
構えを取る二人の目に、敗北感も悲壮感もない。 ホワイトドラゴンが炎を吐き、場が閃光に覆われた。
同じ構造が再び始まり、二度の階段を経ると、周囲の異様さは加速を始めた。
マナの密度が増し、雲の流れが速くなる。 蛍のような光が増え、空には雷が幾度も走った。
「お姉さま、これは・・・」
「あー、えっとね。 うん、時間がないんだとおもう。 急ごう」
言い放ったアティが、首砕きを抜き放つ。 一瞬遅れて、皆がそれに習った。
地響き立て、場にマイルフィックが降臨した。 巨大な魔神は敵を見回すと、鼻を鳴らして失笑した。
「随分数を減らしているな。 それに、そんな負け犬が戦力になるのか? ふははははははは!」
「・・・アティ、行きな。 此奴は、あたしが越えるべき壁なんだ」
スタッフを振り、ヴァーゴがアティに笑いかける。 優しい笑みなどではなく、凶暴さを湛えてはいたが
しかしそれには隠された暖かさがあり、アティは頭を掻いて頷いた。
「ごめん、頑張って、ヴァーゴさん」
「私も参加してあげますわ。 感謝して貰いましょうか」
アンマリーが進み出た。 腰巾着の二人に、端から決定権は与えられていない。
「だって、こんな美味しい獲物、独占させるのはもったいないんですもの・・・うふふ」
「あんたとは腐れ縁だね。 好きにしな、だけど止めはあたしが刺す!」
アティを送り出し、二人は既に臨戦態勢を整えている。 魔神マイルフィックは、翼を広げて哄笑した。
「雑魚が何匹いようが、大差はないと思うがな・・・まあいい、その不敵さに免じ、挑戦を受けてやろう!」
「その減らず口、すぐに引き裂いてやる!」
強大なマナが収束し、爆裂した。
凄まじい火力を誇るヴァーゴの指先から繰り出される炎が、周囲の壁を焼き尽くす。
圧倒的な破壊力を持つアンマリーの攻撃魔法が完全解放され、床や壁を粉砕し、魔神に迫る。
戦闘は一瞬ごとに苛烈さを増し、憎悪に後押しされ、妥協のない次元で続いた。
異空と呼ぶべきであったのだろうか。 その異世界の奥、武神のすぐ側に、何かが実体化した。
マロールと呼ばれる〈失われた魔法〉を駆使し、空間を飛んで一気にここに辿り着いたそれは
マントを払ってゆっくり立ち上がると、傍らの人影にむけ、冷徹に声を掛けた。
「行くぞ」
声の主は、ドゥーハン最強の魔導師、レドゥア=アムルセイ。
かってのクイーンガード長であり、今はドゥーハンに反旗を翻した男である。
彼は今まで、この地点の座標を割り出す作業を、ドゥーハン郊外の秘密研究施設で行っており
先ほど細かい座標の特定に成功、今ここに辿り着いたのである。
レドゥアが空を見上げると、其処には光の塊があった。 脈動し、周囲を飛ぶ光を吸収し続け
今この瞬間にも、大きくなり続けていた。 光の元に歩み寄ると、レドゥアは嘆息する。
大魔導師は何かの本を手にしていた。 それをおもむろに開くと、しおりを挟んだページを見た。
「間違いないな、これが武神だ」
4,最後の戦いの始まり
アティが異空の最奥に辿り着いたのは、レドゥアがそこに辿り着くのとほぼ同時だった。
巨大な光の塊が、中空で脈動している。 そして、その下に、それを見上げる人影が二つ。
一斉に武器を構えようとする仲間を制止し、アティは歩き出した。
しきりに何かを調べていたレドゥアだったが、近づき来る気配に顔を上げ、真っ直ぐ相手を見据えた。
「ハイム・・・」
「レドゥアさん、何をしにここまで来たの?」
数秒の沈黙。 アティの背後では、何かあったら飛び出せるようにと、ヒナとリカルドが構えているが
そのような事など意に介さず、老魔導師は鼻を鳴らし、問いに答える。
どうやら、アティに敵意がない事を、更には戦ってもロスになるだけだと悟ったのだろう。
流石にクイーンガード長を務めただけあり、この状況でも冷静さにさび付きは生じていないようだった。
「陛下を取り戻す。 それがワシの目的だ」
「あー、えっと。 どういう事?」
「お前も知っているかも知れないが、陛下の魂はその忌々しい光の玉に捕まっている。
ワシは陛下を取り戻し、そのホムンクルス・・・陛下の魂無き肉の器に移す。
その結果、陛下は命を取り戻す」
アティは首を横に振った。 そして、〈魂無きオティーリエ女王〉を見て、レドゥアに視線を移した。
「レドゥアさん、死んだ人は帰ってこないよ。」
「帰ってくる! そして、陛下が戻ればドゥーハンは再び元の姿を取り戻す!」
「あー、うん。 ひょっとするとそうかもしれない。 でも、その人はどうなるの?」
アティの視線の先にいた人影が、ひくりと体を震わせた。
俯くその〈器〉に、レドゥアは冷徹な視線を向け、言い放った。
「それは器に過ぎない。」
「違うよ。 お母さんから生まれなくても、人は人だよ。 だって、私だってそうなんだから」
アティの言葉に、レドゥアが目を見張った。 優しい微笑みを浮かべ、アティは続ける。
「私、みんなが好き。 心だってあると思う。 私、人間じゃないの?
お母さんから生まれなければ、人は人じゃないの? だったら、人って一体何?」
「・・・それは・・・・しかし・・・」
「陛下は死んじゃったの。 そして、もう帰ってこない。
命は一個だけで、世の中の何処にも代わりはない。
輪廻転生や、魂の不滅があったとしても、人生は一つなのに代わりはないよ。
・・・・だから、命は大事なんだよ、多分。 何をしても、もう陛下は戻ってこないよ」
押し黙ったレドゥアは、忌々しげにアティを睨んだ。
そして大きく息を吐き出すと、再び武神を見上げ、何かの魔導器を取り出した。
「それでもワシは、自分の愛するドゥーハンのため、陛下を取り戻す
悪魔と呼ばれようと、外道と呼ばれようとかまわぬ。」
「あー、えっとね。 そんなの無益だよ。 その人、レドゥアさんの事を信じてついてきたんだよ?
あんまりにもかわいそうだよ。 陛下だって、そんな事されてもきっと喜ばないと思う・・・」
レドゥアの表情が強ばる。 自分よりも、この娘がオティーリエ女王と親密だったのを思い出したのだ。
老魔導師は、女王の教育係だった、自分の子供と考えていた。
しかし、やはりそれは他人の関係に過ぎなかった。 肉親と言うには、どこか空虚な関係だった。
アティはため息をつくと、微妙に小首を傾げて老魔導師を見た。
「それに、一体どうやって陛下の魂を取り戻すの?」
「・・・クイーンガードの残した記録がある。 こいつは・・・武神は子供だ」
ようやく話題が変わって安心したか、レドゥアは蕩々と語り始める。
無論彼は、ホワイトドラゴンとマイルフィックの会話の内容など知らない。
自分が完全に彼らの予想内での行動をしている事など気付かず、マリオネットに過ぎない事など知らず
クイーンガード長は手を広げ、魔導器の力を解放した。
「クイーンガード達は、その弱い心につけ込んで、武神を撃破する事に成功した
今回も精神的な弱さは変わっていない。 必ず屠る事が出来る」
「絶対無理だよ。 やめた方が良いよ、レドゥアさん!」
レドゥアが手を振り、アティの足下に雷光が炸裂した。 凄まじい魔力が、その身から噴き上がる。
「レドゥアさん・・・・」
「それにもう遅い。 既にアクセスは開始された」
剣を抜くリカルドを、再びアティは制止した。 そして起こる事から目を逸らさじと、毅然と顔を上げる。
彼女には分かっていた、レドゥアの行動が絶対に失敗する事が。
だが、目を逸らしてはいけないとも思ったので、現実を直視する事にしたのだ。
クイーンガード長の体が燃え上がった。 頭を押さえ、目をこれ以上もないほど大きく見開き、叫ぶ。
心につけ込もうとアクセスした瞬間、拒否されて、強烈な魔力波を逆に体内へ叩き込まれたのである。
「何故・・・・何故だ! ぐ・・・・ぐおぁああああああああああああっ!」
「子供は、恐怖には全力で反撃する。 裏切られた事は、忘れない。 ・・・・だから・・・
もう、同じ手は絶対に通じないよ・・・対話は出来ないよ・・・
武神はやっつけるしかない。 悲しいけどそれしかないよ」
「レドゥア! レドゥア!」
〈魂無き器〉が、レドゥアに抱きついた。 体が燃えるのも厭わず、抱きしめ、その胸に顔を埋める。
二人の体は燃え上がり、生ける松明と化した。
世界最強の魔導師の一人だったレドゥアにも、もうどうしようもなかった。
「ワシは・・・・」
自分の体を省みず命を落とした〈魂無き器〉を見て、初めてレドゥアは自分の間違いを悟ったようだった。
空を見て、嘆息する。 そして、自分と共にある体を抱きしめて、涙を流した。
「愚かだった・・・・すまなかった・・・・・・ゆるして・・・・・・く・・・・・れ」
やがて炭とかし、二つの体は地面に崩れ落ちた。 小さな光が二つ、その場から舞い上がる。
そしてそれは巨大な光の塊に吸い込まれ、二度と外に出てくる事はなかった。
中空で滞空していた光の塊が、ゆっくり降りてくる。
「サビシイ・・・・」
六人の頭に、等しくその声は響き渡った。 光の塊が、徐々に人の形を無し、質量を伴い始める。
「サビシイ・・・モットタクサンタマシイガホシイ・・・・イッショニイテクレルヒトガホシイ・・・・」
「来るよ・・・リカルドさん、ヒナさんとダブルスラッシュ!
サラさん、ダイバ。 グレッグさん、マジックキャンセル。 ミシェルさん、これを詠唱して」
人の形が、徐々に硬質のものへと変わっていく。 それは、武神が一番強いと思った形だった。
全体的なフォルムは、巨大なる神像と言うに相応しい。 手にした巨大な剣、厳しくよろった全身
たくましい筋肉に覆われた体躯、そして虚ろな視線。
全身は黄金色の輝きを放ち、威圧感は今までのどんな魔物よりも凄まじかった。
顔つきは厳めしく、柔らかさが感じられない。 三つの目が、それぞれに動いて周囲を睨む。
周囲を漂うマナが、武神へと吸い込まれ行く。 そして体を起こした武神は、一歩、また一歩を踏み出す。
大きさはそれほどではない。 前回戦った死神王に比べて、一回り小さいくらいだろう。
だがどのような能力を持っているかは見当もつかないし、弱い等と言うことはあり得ない。
「大丈夫、だいじょぶ! 絶対勝てる、だから頑張ろう!」
「おうっ! 任せておけ!」
「感謝してございます、此処まで連れてきていただいて。」
「お姉さまのために、私死力を尽くします。」
「アティさん、大丈夫よ、みんな勝てるって信じてるから!」
「我らの命、アティ殿に救われたも同然! ここにて、その恩を返すときですな!」
皆の信頼は、アティの力だった。 目を閉じ、深呼吸すると、彼女は首砕きを振るった。
最後の戦いが、此処に始まる。 それはいかなる結末を呼ぶのか、誰にも分からなかった。
地面を最初に蹴るのはやはりアティ。 リカルドとヒナが左右に分かれ、グレッグが敵に集中する。
武神が動く。 それは相当に速く、やはり死神王よりも数段手強い相手だと皆に悟らせるには充分だった。
繰り出された拳が地面を砕き、振り下ろされた剣が宙を薙ぐ。
サラがダイバを発動し、皆の剣に光が宿る。 何とか第一撃をかわしたアティが、首砕きを叩き付けた。
だが金属音と共に、頑強な表皮がそれを跳ね返す。
リカルドのブレードカシナートも、ヒナの菊一文字も効果を示さず、乾いた音が響き渡る。
だが、誰もあきらめようとはしない。 今まで必ず勝利をもたらしてきたアティが、此処にいるからだ。
続いての指示をアティが出す。 堅実で、確実な攻撃を繰り出す指示である。
武神の目が光り、炎の塊が発生した。 それはその場で破裂し、無数の破片となって飛び散る。
生じた炎の矢が周囲に降り注ぎ、時ならぬ流星雨にそれは見えた。
炎の渦に耐え抜き、アティは再び首砕きを振るう。 その意志力に、陰りは微塵も見えなかった。
5,死闘
地下十層入り口での戦闘は、熾烈を極めた。
忍者部隊は善戦し、エース格のレン、それにアオバとオルフェの奮戦もあって
次々に現れる敵の増援を撃退し、叩き伏せ、既に炎渦巻く地に屍山血河を築いていた。
何回目の光景だろうか、レンの振るった短刀が、キメラの頸動脈を切り裂く。
噴き上がる赤い血を視界の隅にも止めず、次の相手と渡り合い、数合の攻防の後相手を粉砕する、
オルフェとアオバのコンビネーションは文句のつけようが無く、吸血鬼達を次々と屠り去り
だが流石に四回目の増援が現れた頃には、疲労はピークに達し、汗を拭って吐き捨てた。
「一体何体控えているのだ! これではきりがないぞ!」
「お嬢様、アティ殿もおそらく相当な敵と戦っているはず! 此処が踏ん張りどころでしょう。
それに一回ごとに増援は数を減らしています。 もう敵にもそれほど余裕はないはず!」
既に僧侶達も回復魔法を使い切り、魔術師達も殆ど魔力を使い切って辟易している。
苦闘の末、魔物の最後の一体をレンが倒すと、皆の表情に安堵が浮かんだ。
だが、それが凍り付く。 またしても、新たな援軍が現れたからである。
今度の相手は、レッドドラゴンが一体、更にレッサーヴァンパイアが十体ほどである。
レンが疲れ切った視線をアオバに向け、オルフェに向けた。 ここで、最後の力を結集するしかない。
「レッドドラゴンは我らに任せろ、お前達は吸血鬼を倒せ!」
「承知!」
忍者兵達が頷き、最後の気力を振り絞って吸血鬼の群れへと突進していった。
レンは圧倒的な巨体を誇る赤竜に、アオバとオルフェと共につっこんだ。
目に嘲笑を浮かべると、竜は炎を吐き散らし、更に轟音と共に尻尾を叩き付ける。
動きが鈍っているアオバが尻尾の直撃をもろに喰らい、壁に叩き付けられ動かなくなる。
鋭く振り下ろされた爪を何とかレンはかわしたが、返す一撃で弾き飛ばされ、苦悶の声と共に転がる。
二人が打撃を受けている間に、距離を詰めたオルフェが
渾身の一撃でレッドドラゴンの表皮を打ち抜くが、到底致命傷には至らない。
彼女も一呼吸置いて弾き飛ばされ、無惨に地面に転がった。
レッドドラゴンは凶暴な笑いを口の端に閃かせると、大きく口を開け、炎を吐こうとした。
その瞬間、起きあがったレンが手裏剣を投擲、それは見事にオルフェが付けた傷に突き立った。
「ルガアアアアアアアッ! おのれ、人間!」
絶叫したレッドドラゴンは、忌々しげに手裏剣を抜くと、敵をにらみつける。
そして鼻白んだ。 アオバも、オルフェも、レンも、怯えるどころか全く闘志は衰えていなかったのだ。
「壁蝨共が・・・余程我を怒らせたいものと見えるな・・・」
殺意を刺激された赤竜は、ゆっくりと三人に向け歩み寄る。 レンは目を細めると、静かに言った。
「奴の口を、無理に開かせる事が出来ますか?」
「やってみましょう」
「そんな事で良いなら、やってやろう。 しかし、そう長くは・・・保たないぞ」
レッドドラゴンは、アティですら手こずった相手である。
この竜は、アティと戦ったものより一回り小さいが、それでも楽には勝てないだろう。
要するに、正攻法では到底彼らに勝ち目はない。
勝機があるとすれば、それは常識外の奇襲技で攻めた時であろう。
それは普段は遺棄すべき手段であり、しかも二度と通用しないのだが、ここではその一度が重要なのだ。
侍であるアオバと、元僧侶であるオルフェは、当然魔法を使う事が出来る。
余裕を持って歩き来る竜。 二人はタイミングを合わせ、魔法を発動した。
「サロメ!」
それはオルフェの魔法。 僧侶系の中では下位に位置するもので、相手の口を塞ぐものである。
何とかそれは効果を示し、竜は停止した。 更に、アオバが敵の鼻面に向け、続いての攻撃を放つ。
「ザクレタ!」
火竜に炎の魔法は、極めて効果が薄い。 だが炎の塊は、敵の鼻面に何とか炸裂した。
これで竜は呼吸が出来なくなる。 サロメが切れた瞬間に、大きく口を開くはずだ。
だが、今までの攻撃は、極めて精度の低い攻撃である。
サロメは効く確率が低く、ザクレタも破壊力は大きいが命中精度自体は高くない。
無論ヴァーゴ級の魔術師ならば問題なく百発百中できるだろうが、アオバにそれは無理だ。
つまり、二つ同時に成功したのは奇跡に等しい。
練度自体も、敵の動き自体も予測が他に幾らでも出来る、〈はずだ〉の域を出ない攻撃であった。
しかし、竜は此方を著しく侮っている。 限りなく長く思える一瞬の後、転機は訪れた。
アティなら絶対に取らないであろう不確実な策は、見事に成功したのである。
竜は敵から注意を逸らし、魔法効果の消滅と同時に大きく口を開け、空気を吸い込む。
この竜はたまたまこう行動したが、そのまま攻撃に移られたらオルフェ達に勝ち目はなかっただろう。
レンが跳躍する、そして大きく開いた口に向け、手裏剣を複数投擲した。
ドラゴンの急所は口の奥。 驚きに顔を見開く竜の体内に、二発の手裏剣が吸い込まれていった。
手裏剣には毒が塗られているが、効く保証もない。 着地したレンは、飛び離れ奇跡が起こるのをまった。
停止したレッドドラゴンが、ゆっくりと崩れ落ちる。 白目をむき、轟音をたてて地面と接吻した。
「やった・・・・」
オルフェが床に手をつき、冷や汗を拭う。
余力は欠片も残っていない。 もう一度やれと言われても無理だ。
「やりましたね、お嬢様」
アオバが振り向くと、忍者部隊も敵に対して、辛くも勝利を収めていた。
「・・・・我らの・・・勝ちですな」
同じく冷や汗を拭い、レンはへたり込んでいた。 それを最後に、敵の増援は現れなかったのである。
しかし、アティを支援に向かう余裕もない。 その場で倒れ込み、彼らは体力の回復を待った。
轟音と共にグレーターデーモンが拳を繰り出し、カコデーモンの顔面をはり倒す。
蹈鞴を踏んだカコデーモンだが、すぐに体勢を立て直し、敵の腹部に強烈なブローを叩き込んだ。
よろめくグレーターデーモンを追撃しようとするが、そう巧くはいかない。
接近した紅い魔神は、鋭く体を起こした青い魔神のヘッドバットを喰らい、今度は自分が蹌踉めく。
鼻血を垂れ流しながら、二体の魔神は同時に両腕を繰り出し、互いのそれを迎撃した。
一撃一撃が風のうなりを、途方もない威力の衝撃のぶつかり合いを産む。
足下の石畳は、既に完膚無きまでに割れ砕け、原形を留めていない。
周囲の壁や柱も、アティと死神王戦のダメージに加え、今の打撃を受けて、殆ど壊滅状態だった。
グレーターデーモンの右手を、カコデーモンの左手が掴む。 そして左手を右手で掴む。
全身の筋肉をバネに、両手の平を力の集約点として、敵に向ける。 両者の足下の床が鈍い音を立てた。
二匹の動きが停止するが、その実今まで以上の力がぶつかり合う。 五秒の停滞の後、静が動へ移行した。
「おおおおおぉおおおおおおっ! くたばれや、ワレェっ!」
不意にカコデーモンが体を低くし、グレーターデーモンの下に身を沈め、回転しながら投げ飛ばす。
巴投げと呼ばれる技であった。 ヘイゼルは大きく飛ばされ、壁に叩き付けられて大穴を穿った。
逆さにずり落ちる敵を見ながらも、カコデーモンに余裕はない。
止まらぬ鼻血を手の甲で拭いながら、忌々しげに言った。 彼の形が悪い鼻は、完全に折られていた。
「たかが人間のために、随分頑張るじゃねえか、ああん?」
「タトエマオウデアロウガカミダロウガ、アノムスメノジャマヲスルモノハユルサヌ!」
血走った目でカコデーモンはヘイゼルをにらみつけた。 敵の行動が彼には理解できなかったのだ。
「なんでそこまで、そないな一生懸命に戦うんや、ワレェ! 気味悪いでぇ!」
「オマエニハ、イノチヲカケルベキソンザイハイルカ?」
「・・・・いるわけないやろが」
「オレニトッテハ、〈ブ〉コソガソレダ。」
今の巴投げで、形勢はほぼ五分になった。 だが全身のダメージをものともせず、青い魔神は立ち上がる。
「はん、時代遅れの戦闘マニアが、何を寝ぼけた事ぬかしとるかァ!」
「ジダイオクレ? ダッタラドウシタ。 オレハシンジルブノタメニ、イママデスベテヲカケテキタ」
瓦礫を埃のように払い、グレーターデーモンは笑った。 全身傷だらけであるというのに。
「シカシ、ヤハリヒトリデハゲンカイガアルモノダ。
アティトイウムスメニアッテ、オレノツイキュウガアキラカニマチガッテイタコトヲサトラサレタ。
オレハ、ヤサシサナドトイウカンジョウニトラワレナガラモ、オレイジョウノシュラデアルアノムスメ
アティノブニホレタ。 ダカラソノタメ、イノチヲカケソノセヲマモル!」
「抜かしおったなあワレェ! 遊びは終わりや! 耳から手ェつっこんで、奥歯ガタガタ言わせたらあ!」
翼を広げ、二体の魔神が舞い上がる。 そして、中空にて凄まじい打撃を応酬した。
鋭く繰り出されたグレーターデーモンの拳が、カコデーモンの腹にめり込み
その一瞬後、繰り出された反撃が顔面を捕らえる。
後ろ回し蹴りが炸裂し、サマーソルトキックが敵を襲い、地面に叩き付けられた二体が瓦礫を舞いあげた。
一撃ごとに、爆弾が炸裂するような音が響き、周囲が破壊される。
「ワレェ! 俺様はなあ、貴様みたいな戦闘バカが大っきらいなんやぁ!」
「キグウダナ、オレモキサマガキライダ。
ナンノシンネンモビガクモモタズ、タダムイニハカイヲフリマクバカガ。
キサマノヨウナムノウナデブハ、マカイノオクデヤサイヅクリデモシテオトナシクスルガイイ!」
「そのデブにさっきからてこずってんのは何処の猿じゃボケェ!」
両者の繰り出した拳が、双方を同時に捕らえ、互いを吹き飛ばす。
壁にあいた穴は、既に片手の指では数え切れない。 起きあがると、魔神達は目の奥に光を宿す。
口の周りの血を手の甲で拭うと、手先で相手を挑発しながら、カコデーモンは凶笑した。
「どうや・・・そろそろ決着いこうやないか! このままじゃあ勝負つきそうにもあらへんしな」
「・・・イイダロウ。」
二体の魔神は慎重に間合いを取りながら、距離を取る。
ヘイゼルが自身の右腕に左手を添え、一瞬の後それが巨大に膨れあがった。
対し、カコデーモンは、拳法家のような構えを取り、体内に気をため込む。
帯電し続ける空気、空間に満ちていく殺気。 それが飽和点に達する瞬間が、戦闘開始の合図だった。
最初に仕掛けたのは、グレーターデーモンだった。 轟腕一閃、膨れあがった右腕を叩き付ける。
対しカコデーモンは左腕を振り上げ、それをガードした。 強烈な破砕音が響き、骨が折れ砕ける。
踏み込むと、紅蓮の魔神は右腕で掌底を叩き込もうとした。 同時に、深蒼の魔神が尻尾を振るう。
蒼い魔神の尾は鋭い槍となり、カコデーモンを貫く。
だが、掌底もグレーターデーモンの中枢に届いていた。
「「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」
二体の咆吼が響き渡り、右腕での第二撃をヘイゼルが、掌底での第二撃をカコデーモンが繰り出す。
光の滝が、それぞれ指向性を伴って、両者に向け伸びる。
片や青い剛なる一撃、片や紅い柔なる一撃。
閃光が弾け、交錯は一瞬で終わった。 渾身の一撃は、最後の掌底は、わずかに届かなかったのである。
一方剛腕での打撃は、カコデーモンの頭蓋を粉砕していた。
鮮血をぶちまけ、深紅の魔神が後ろに倒れる。 この場の戦いでの、最後の轟音が轟き渡った。
「・・・デブトイッタノハテイセイシヨウ。 マカイデモウイチドアイマミエタイモノダ」
「けっ・・・・次も勝てるなんて思うんじゃねえぞ・・・・
・・・・なんで俺は負けたんだよ・・・」
頭を半ば砕かれ、地面に這いながらも、カコデーモンは未練たらしく敵に問いかけた。
グレーターデーモンは視線を向けると、壁に寄りかかり、静かに嘆息する。
「・・・コレハコタイニヨルノダロウガ、ジョウキョウニモヨルノダロウガ
スクナクトモオレハ、ジブンイジョウニキチョウナモノノタメニツヨクナレタ。
ソンケイスベキブジンノセヲマモル、ソレガドレダケカンビナコトカ。
ブジントシテ、ドレダケココロオドラサレルコトカ。 ソレヲマモリヌキ、シュラドウヲセイハシタカラ
・・・コンカイ、オレハカツコトガデキタ」
「けっ・・・戦闘狂が・・・・」
「ヒテイハシナイ。 ダガ、オレハダカラカツコトガデキタノダ。
ジブンノタメデハナク、シンジルモノノタメニタタカッタカラ、キサマニカツコトガデキタノダ」
カコデーモンは応えなかった。 そのまま消滅し、魔界へと帰っていった。
グレーターデーモン、ヘイゼル=ハミントンは、それを見届けると、壁により掛かったまま目を閉じる。
アティの助けには向かえそうもない。 しかし、約束がある以上死ぬわけにも行かない。
彼には休息が必要だった。 全ての力を使い果たした今、休息を取るべきだと判断したのである。
6,異空の下で
武神の攻撃は苛烈を極めた。 その口が開くと、巨大な火球が出現し、容赦なく周囲に降り注ぎ
振り下ろされる剣は正確で且つ速く、前衛のリカルドとヒナの気力を削り取るには充分だった。
そして何よりも恐ろしいのが、その防御能力である。 今までの攻防で、アティは七度に渡る打撃を
正確に同じ場所に叩き込んだが、傷は付けども防御をうち砕く事敵わず。
また絶妙のタイミングでミシェルが発動したメガデスも、その強大な表皮に阻まれ有効打にならなかった。
しかも、関節部への攻撃は、的確に防御してくる。 これは正直言って付け入る隙が見あたらない。
武神の表皮は、いやその体は全て魂で構築されている。 温度は時に高く、時に低く
熱破壊による攻撃は通用しそうもない。 絶望に包まれ掛ける皆に、アティは言った。
「大丈夫、剣士さんの言葉を思い出して! 必ず付け入る隙があるから!」
「しかし、アティ! 今までの攻撃は、全て通用・・・・!」
「リカルドさんっ!」
一瞬気を逸らしたリカルドに向け、武神が剛剣を振り下ろした。
アティは素早く戦士を突き飛ばすと、ダイバの魔力がまとわりつく剣を振るい、振り来る光を迎撃する。
金属音が響き渡り、首砕きに両手を添え、なんとかアティはそれを耐え抜いた。
全身の筋肉を利し、アティは剣を支える。 武神は更に力を込め、アティが苦悶の声と共に片膝を付いた。
不意に剣に掛かる力がゆるんだ。 代わりに武神が巨大な拳を繰り出し、それはアティを直撃した。
壁に叩き付けられ、アティは背骨のきしむ音を聞いた。 星が視界を占拠し、鮮血が口の中に溢れてくる。
なんとかこの娘は今の一撃を耐え抜いたが、それでも大打撃は免れぬ、他の者なら即死だっただろう。
「おのれ、デカブツっ!」
激高したリカルドが、ヒナと連携して、一瞬停止した武神に斬りつける。
火花が散り、鬱陶しそうに武神は後退し、ほんのわずかだけ時間を作る事が出来た。
アティは震える膝で立ち上がると、ウィルの魔法を発動した。 なんとか、それで傷だけは回復するが
失われた体力は戻ってこない。 しかし、彼女の気力は衰えを見せなかった。
「お姉さま、大丈夫ですか?」
心配そうなミシェルの言葉に頷くアティは、口の中に血の味を覚えながら、再び首砕きを構える。
此処で負けるわけには行かないのだ。 一緒に戦ってくれている者のためにも、負けるわけには行かない。
しかし、現実的に考えて、この怪物を大人しくさせる方法はあるのだろうか。
これ程に表皮が堅いというのは、一カ所さえ破ってしまえば必ず付け入る隙を生み出せるはずだ。
問題はその方法であるが、今までの情報を総合して考えると、アティには思い当たる節があった。
「剣士さん!」
不意の呼びかけ。 アティは首砕きを振るうと、強烈に踏み込み、八度同じ場所に一撃を叩き込んだ。
「見て! 私、こんなに腕を上げたよ! 剣士さん、だから頑張って! 絶対に勝てるから!」
皆に目配せし、サインを出すとアティは続けた。 武神は咆吼し、火球を連続して繰り出してくる。
援護するように、グレッグとサラが魔法協力してフィールズを唱え、今までのダメージを回復した。
グレッグは氷の鎖帷子の御陰で、ダメージが少ない。 魔法協力はスムーズに、素早く成功した。
しかも、サラは回復量を深紅の指輪で倍複しており、回復の力はかなり大きい。
「ジャクレタっ!」
ミシェルが最も得意とする魔法を発動した。 しかも、それはスタッフの力で増幅されているのだ。
武神の周りで炎が踊り、巨神は初めて苦しそうに悶えた。
「ソフィアお姉さまっ! 見てください! 私は、弱虫だったミシェルはこんなに腕を上げました!」
「ヤダ・・・ヤダヤダヤダ! コワイ・・・コナイデ・・・・!」
返礼に、強烈な思念波が帰ってきた。 頭を押さえて蹲るアティは、唇を噛んでそれを振り払った。
今度はリカルドが、ブレードカシナートを叩き付けながら、呼びかける。
それは、以前彼が所属していたパーティの、リーダーの名だった。
最近その死を彼は知った。 そして、今こそその因縁に決着をつけるときだった。
「レイウェス、見ているか! 俺は間違っていなかった! 見ろこの剣技をっ!
俺はアティを信じ、仲間を信じ、此処まで強くなれた! 貴様にも見せつけてやる!
どうだ、悔しいかっ! だったら貴様も戦ってみろっ!」
火花が散り、外皮がついに大きく傷ついた。 続いて、ヒナが呼びかける。
「迷宮内の戦いで、命を落とした兵士の皆さん! 私達、必ず勝てます!
いきます・・・アカツガワ流剣術奥義、青龍双乱舞!
見てください、この一撃を! そして、戦ってください!
そして、チゼン! 姉さんは負けない・・・だから貴方も頑張って!」
鋭い剣撃が右へ左へ二閃し、リカルドの付けた傷に塩をなすりつけた。
侍の護符が、その威力と精度を押し上げている。 激しい火花が、傷を大きく、更に広げていった。
弟の名を呼ぶ彼女の目は、過去を清算すべく燃え上がっていた。
そこには、他人の視線を恐れ、コンプレックスに振り回される、心弱き娘の姿はない。
そして、首砕きを向け、再びアティが呼びかける。
続いての指示を出し終えた彼女は、希望が皆の瞳に戻るのを見ていた。
「陛下! 女王陛下! 今楽にしてあげます、助けてあげますっ! だから頑張って!
レドゥアさん、力を貸して! 陛下のために!」
サラがダイバを発動する、そして強化された光を振るい、アティは九度同じ場所に首砕きを叩き付ける。
ついに九度目の正直が、実を結んだ。
激しい音と閃光と共に、武神の胸の中央、鎧の真ん中に穴があいたのである。
その防御は度重なる呼びかけが故か、弱体化し始めている。
しかし半狂乱になった武神は、火球を連射し、剣をむやみに振り回し、荒れ狂い始めた。
「これからが本番だよ! リカルドさん、バックアタック!
サラさん、ジャクルド! ミシェルさんは詠唱、グレッグさんは牽制射撃!」
汗を拭うと、アティは冷静に指示を出した。 そして、再び率先して地を蹴ったのである。
巨大な剣が鋭く振り下ろされる。 短い叫び声と共に、アティはそれを迎撃した。
ウォルフの鋭い一撃が、ヴァンパイアロードの体を切り裂いた。
しかし、吸血鬼王は笑いながら消滅する。 そして、無傷なまま別の場所から現れた。
一体何度目の光景か、もう数える事も出来ないほどであった。
不死者としての本体を切り裂かれる前に、吸血鬼王は逃げているのだ。
再生途上を攻撃すれば打撃を与えられようが、一人しかいないのでそれは無理だ。
異様な空間での、悪夢の戦闘は延々と続いており、心の弱い者なら既に気死していただろう。
だが、ウォルフは冷静に剣を振り、そして流石に疲労が見え始めていた。
再び振るわれた剣が、正確に吸血鬼王を両断する。 しかし、やはり効果を示さない。
そして新しく出現した吸血鬼は、一気に間を詰め、連続して攻撃を繰り出す。
ついに、吸血鬼王の攻撃がウォルフを捕らえた。 柔らかく、だが途轍もなく重い打撃が冒険者を襲う。
ぬめぬめする壁に叩き付けられた彼女を、更に無数の光の玉が襲撃し、吐血させた。
蹌踉めくウォルフを、風を切って突進し間を詰めた吸血鬼王の膝蹴りが捕らえた。
膝をつき、咳き込む少女に、遠慮のないラッシュ攻撃を決めた銀髪の吸血鬼が冷徹な目を光らせた。
「一度攻撃が入ってしまえば、哀れなほど脆いな
ここは私の世界だ。 いかに貴様が強かろうと、この世界で私の勝ちは揺るがぬ」
「・・・どうやら、私の負けのようです。 折角だから、冥土のみやげに聞かせていただけませんか?」
「ふん、あきらめの良い事だ。 良いだろう、なんでも聞いて見ろ」
哀れっぽく立ち上がり、血の付いた口を拭うと、ウォルフは言った。
「貴方にとって、理想世界ってなんなのですか?」
「意志無き世界だ。 全てが支配者の制御に置かれ、残りは全て奴隷の世界だよ」
唖然としたウォルフに、吸血鬼王〈レイ=ガルス〉は嬉々として続けた。
「それが世の中の為政者がどれだけ憧れる世界か、貴様には分かるか?
愚民共は支配者の偉大な言葉を聞き、それに基づいて行動すればいい。
支配者は鈍重な屑どもの一挙一動に惑わされず、思うままに偉大な意志を満たす事が出来る。
武神を使えば、それが可能なのだ。 そして、私は世界で最も偉大な王の一人となろう!」
「国家とは、相対的な意志の実現を目指す集団でしょう? 弱者のためにあるものでしょう?」
「笑止! まるで幼児の戯れ言だな!」
本当に失笑すると、吸血鬼王は陶酔を目に湛えながら続けた。
「民衆などというのは、愚かで定まり無く、右往左往しては支配者に迷惑ばかり掛ける屑だ
連中は家畜であり、偉大なる存在に対する足かせに過ぎない。
国家は強者のものであり、弱者はただ奴隷であればいい! それが世界の本質なのだよ」
それは決してオリジナリティのある考えではない。
文明が爛熟した地では、政治をそのように考える輩は珍しくもない。
大体に独裁者と呼ばれる為政者は、多かれ少なかれこういった考えに基づき行動しているのである。
「偉大なる王に全てをゆだね、民衆は奴隷としての本分を満たす事が出来る。
連中に思考回路など必要ない! どうせ連中は楽をし、自分の権利を主張する事しか考えないからだ!
支配者だけが思考力を持ち、奴隷であるその他全てを効率的に維持管理し統制する!
これこそ理想世界だ。 これこそ素晴らしき世界だ。 そして、これが世界の本質というものだ!」
傲岸不遜を極める言葉。 それは正真正銘の本音だった。
この吸血鬼は、相手に完全に勝ったと思うと、手の内を曝す悪癖があるのだった。
「そうですか、どうやら潰しに掛かって正解だったようです」
ため息をつくと、ウォルフは立ち上がった。 レイ=ガルスは笑いながらその様を見守った。
「貴様に何が出来る? これから想像も出来ないほどの汚辱と屈辱をあじあわせ
転生さえ許さず、無限の地獄の中で弄んでやろう。 貴様を待っているのは、惨めな死以外にない!」
「リミッター、解除。」
ウォルフの呟きと同時に、場の空気が代わった。 軽口を止めた吸血鬼王の顔が、驚愕に歪む。
周囲に吹き荒れるは光の力。 圧倒的な威圧感が、巨人が小人を踏みつぶすような圧迫感が
不死者を襲い、彼は恐怖すら感じながら、慌ただしく周囲を見回した。
「き・・・・きさま・・・・なんだその異常な力は・・・・」
「私は貴方の言う理想世界の調査のため、ここに来ました。
アティを手助けしたのは、その程度の反発で崩れるような柔な理想社会では意味がないからです。
そして、貴方に接近したのは、理想社会の構造と本質的な理念を知るため。
しかし、先ほどの貴方の言葉で、調査の結果は出ました」
数歩下がる吸血鬼王の前で、ウォルフはマントを外し、床に投げ捨てた。
名も分からない刀は、それ自体が光を放ち、吸血鬼王の網膜を圧迫した。
「きさま・・・人間ではないな・・・! しかし、不死者でも天使でも悪魔でもない・・・」
「論ずるに値しません。 全力で潰します。 私を本気で怒らせた相手は、久しぶりです」
怯えの声を上げて、無惨に恐怖を顔中に浮かべ、銀髪の美青年は更に数歩を下がる。
一方で、ウォルフにもそう余裕があるわけではない。 限界装置を解除したのは良いのだが
これ程の力を、異世界で振るうのは彼女にとっても大きな負担で、そう長くは戦闘を続けられないのだ。
つまり、勝負は一瞬。 相手の正体を悟ったレイ=ガルスが、怯えきった声を上げた。
「そうか・・・聞いた事がある。 生き物でありながら、生き物としての限界装置を外し
理想という鎖で自らの時間を縛り、永劫の地獄を生きる事を選んだ存在・・・」
肩を回すウォルフを、両の瞳に写し、吸血鬼王は絶叫した。
「超越者・・・・!」
「行きます。 踊りなさい、細雪!」
勝負は一瞬、必死の吸血鬼王の反撃は、空しく空を切る。
手刀での一撃も、光弾の乱射も、優れた体術も、いずれも効果を示さない。
瞬く間に間は詰められた。 息をのむ吸血鬼の前で、ウォルフは今動員できる力を全て注ぎ込み
完璧な動作で踏み込むと、袈裟懸けに相手を切り裂く。
先ほどの一撃とは、根本的な速さが違う。 絶叫した吸血鬼王は、自分が灰になっていくのに気付いた。
不死者としては何よりも大事な、命も同様である、魔法的中枢が損傷したのである。
「ひ、ひあああああっ! 私が、私の体が、いぎゃああああああああああっ!」
それは奇しくも、彼が徹底的にバカにしていたユージン卿の末路と良く似ていた。
更に止めの一撃を、ウォルフが振り上げた。 三つに分かたれ、吸血鬼は無様な悲鳴を上げる。
「ぎぃゃあああああああああああ! いやだ、助けてくれ! なんでもする、だから、だから!」
「貴方は王の器ではないです。 上に立つ器ではないです」
「悪かった、だから・・・・・」
レイ=ガルスの瞳が、指を鳴らすウォルフを映し出した。 これ以上もなく大きく、鮮明に。
次の瞬間、傲慢なる吸血鬼は死んだ。 灰になり、周囲に漂い、やがてそれすら残さず消えていった。
天を仰ぎ、ウォルフは嘆息する。
力を使い切ってしまい、この世界で体を維持するのが困難になってきたのだ。
「武神が倒れるか否かは人次第ですね。 私は余所から見守るとしましょう
・・・人は支配されるものではないです。 理想の国は皆で作るものなんですから」
彼女の姿も、溶けるようにその場から消えた。 そして、後にはなんの痕跡も残らなかった。
白竜は的確な攻撃を繰り返し、クルガンの力をそいでいった。
その動作は無駄が無く、呆れるほど効率的で、奢ることなく確実な攻撃を繰り出してくる。
レッドドラゴンよりも、数段上の相手だった。 歯がみし、孤高の忍びは空に浮く竜を見上げた。
「おのれ・・・卑劣な戦い方をしおって! 降りてこい!」
「ブジントモオモエヌコトバダナ。 カクジツニカツタメノセンリャクヲクムノハトウゼンダロウ」
鼻で笑うと、数発の火球を白竜は繰り出し、その内の一つがクルガンの至近に炸裂した。
「ぐがっ!」
爆発の衝撃波と、瓦礫の破片を受け、クルガンは吹っ飛ぶ。
それを見届けると、ゆっくり白竜は翼を羽ばたかせ、地面へと降りてきた。
今までの攻撃を要領よく避け続けていたダニエルが、何かを決意して頷き、クルガンを見た。
「エルフのおっさん!」
「おっさん!? 俺の事か?」
まだ二十代の彼には、辛い渾名であろう。 ダニエルは真剣な表情で、なおも続ける。
「なあなあ、彼奴の動きを止めたら、倒せるか?」
白竜が地面を蹴り、凄まじい勢いで迫ってくる。
クルガンが立ち上がり手裏剣を投擲する。 だがその軌道を冷静に見切り、白竜は全てかわした。
赤竜よりも一回り大きく、長大な爪を振り上げ、ホワイトドラゴンは二人に迫ってきた。
轟音と共に振り下ろされる爪、それは普通の斧よりも遙かに破壊力があり、風を切る。
そして、地面を強烈に叩き、激しい音と共にそれを切り裂いた。
辛うじて今の一撃をかわしたクルガンは、だが冷や汗が背を拭うのを感じていた。
例のごとくダニエルは逃げて無事だが、その表情に余裕は見られない。
続けて、かってハイムを倒した尻尾の一撃が、横殴りにクルガンを襲う。
なんとかクリーンヒットは避けたが、完全に回避するには至らず。
それはついに、孤高の忍を鋭く捕らえた。
大きく吹き飛ばされ、クルガンは壁に叩き付けられた。
彼は素早いが、アティほど頑丈ではない。 鮮血を口から漏らし、壁からずり落ちるクイーンガード。
追い打ちをホワイトドラゴンが掛ける。 連続して吐き出された火球が、次々とクルガンに向け飛ぶ。
その内七発までを彼はかわしたが、最後の一撃はかわしきれなかった。
火球が炸裂し、孤高の忍の視界が紅蓮に包まれた。
「オワリダナ・・・ヨクヤッタガ、ココマデダ」
ホワイトドラゴンは失笑すると、武神の方へ意識を向けた。
予想通りレドゥアは倒れたようだが、一方でアティの能力は彼の想像以上であり
その的確で堅実な攻撃の前に、元々心強くない武神は、かなり手こずっているようだ。
また、ヴァンパイアロードは倒れたものの、ウォルフもこの世界から消えている。
彼とマイルフィックにとって、予想通りの展開と言ってよいだろう。
後は武神とアティを挟撃し倒せば、この地に理想世界がやってくるのである。
「だいじょうぶ・・・だったかい、おっさん・・・」
「お・・・前・・・」
ホワイトドラゴンが振り向く、クルガンは炭になってはいなかった。
直撃の瞬間、ダニエルがタックルを敢行し、忍者を救ったのである。
ダニエルの背中は、真っ赤に火傷し、爛れている。
要領よく立ち回る事を信条にする、この盗賊らしくもない負傷であった。
「何故だ・・・何故俺を庇った!」
「へへ、いいじゃんかよ、そんなの。
そんな事よりおっさん、オイラが彼奴の動きを止めたら、確実に倒せるかい?」
クルガンはその目に決意を見た。 そして、静かに頷いた。
白竜は振り返り、尻尾を揺らして出方を伺っている。 その目は冷静で、油断や隙は見あたらない。
盗賊は人を食った目に、微妙な光を湛えると、静かに声を絞り出す。
「オイラの名前はダニエル。 覚えといてくれよ」
少年が死ぬ気である事を悟り、クルガンは止めようとしたが、果たせなかった。
彼は武人であり、決意を重視したかった。 相手が子供でも、その意志は尊重したかったからである。
〈疾風狼〉を構え、クルガンは立ち上がった。 全神経を集中して、深呼吸する。
その傍らで、親指を立て微笑んたダニエルが、地面を蹴って白竜へと走った。
鼻を鳴らすと、白竜は首をひねり、迫り来るダニエルに連続して火球を吐きかけた。
異空の下、光の華が間断なく咲く。 地面が爆発し、壁が吹き飛ばされ、瓦礫と熱をまき散らす。
その内の一発が、ダニエルの至近をかすめた。 そして右腕をちぎり飛ばした。
だが、ダニエルの突進は止まらない。 更に的確なタイミングで繰り出された尻尾の一撃を飛び越え
三度振り下ろされた爪をかいくぐり、ダニエルは白竜の体を蹴ってその上に登った。
「オノレ、ガキガ! ワガカラダカラオリロッ!」
爪での攻撃は、無傷でかわす事が出来なかった。 ダニエルの頬と腹に、鋭い傷が残っている。
太股で竜の背中を挟んだ盗賊は、にいと笑みを浮かべると、残った左手でジャケットをはぎ取った。
其処にあったのは、無数の爆弾だった。 小さなもの、大きなもの、威力のあるものないもの。
そして腹の中央には、クレタの魔力を封じた呪札が貼り付けてある。
「バカナ、トウゾクガナゼソノヨウナフゴウリナタタカイヲスル!」
羽で白竜はダニエルを殴りつけたが、血塗れになりながらも少年盗賊は屈しない。
そしてもう見えない目で、それでも敵を見据えながら、肺の奥から声を絞り出す。
「決まってるじゃん、そんな事。 オイラ、もう死んでるんだから」
竜が絶句した。 淡く光を帯び始める少年の腹の呪札が、マナの集中を受け、スパークを始める。
「オイラ、姉御に拾われて、今まで生きてきた、いや生きてたと思ってた。
でも、それは人生の余韻に浸ってただけなんだよ、多分。
オイラ、姉御のために何かしたかった。 だって、こんなオイラを真剣に心配してくれた人だぜ?
だから、おっさん達の為に何かして、この世を去りたい。
どうせこのまま武神が消えたら、オイラも消えるんだ。 だから、絶対に何かしてやるんだ!」
「ヤメロ、ヤメナイカアアアアアアアアア!」
白竜の声から冷静さが消えた。 既に彼は、クルガンが元の位置から消えている事も気付いていない。
「コゾウ、コノママワレラガカテバ、キサマハリソウセカイデシフクノトキヲスゴスコトニナル!
ダカラヨセ! ワレラニシタガイ、ホコヲオサメヨ!」
「へへっ、やなこった! 大体姉御が見込んだ人が負ける訳ねーだろ!
あばよ、おっさん! オイラの名前、歴史に残しとけよっ!」
ダニエルの声が、爆音にかき消された。 激しい光が、ホワイトドラゴンの背中にて荒れ狂った。
翼が切り裂かれ、鱗が大きく傷つく。 衝撃波も馬鹿には出来ず、白竜が苦痛に咆吼した。
「少年、いやダニエル! お前の意志、絶対に無駄にはせん!」
クルガンが跳躍した。 そして練りに練った一撃を、白竜の首筋に向けて繰り出す。
閃光は一回、交錯は一回、着地も一回。 孤高の忍が短刀を振るい、鮮血を落とした。
「オノレ、オノレオノレオノレェ・・・・・・! グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
頸動脈から大量の鮮血をぶちまけ、白竜が咆吼する。 クルガンの全精力を込めた一撃は、鱗を切り裂き
皮膚の下の動脈を正確に割り出して、一息に叩ききったのである。
白銀の鱗を深紅に染めながら、竜は蹈鞴を踏む。 そして、やがて前のめりに倒れた。
血溜まりが床に広がっていき、クルガンは手を地面についた。 彼も、既に限界に来ていたのだ。
「・・・死ぬわけにはいかん・・・だがアティよ・・・助けにも向かえそうもない・・・」
竜に五秒遅れて、忍者も地面に伏した。 そして、意識を失った。
アンマリーとヴァーゴは、ドゥーハンに滞在する冒険者の中でも、屈指の実力者であり
その魔力は度が外れていて、今まで殆どの魔物を苦もなく焼き尽くしてきた。
最近はミシェルとサラが恐るべき勢いで力を伸ばしているが、まだ魔力では二人に及ばないだろう。
また、アンマリーの腰巾着(下僕?)であるオスカーとリューンも、実際には一流の使い手で
主君の足を引っ張った事は一度もなく、見事な連携と優れた剣技で敵を確実に倒してきた。
しかし、彼らをしても、この魔神は相手が悪いように思われた。
魔神マイルフィック。 グレーターデーモンと死闘を演じたカコデーモンを凌ぐ使い手であり
ポイズンジャイアントを一蹴する魔力、絶大な防御力、共に他の追随を許さない。
数度の攻防で、アンマリーの魔法、ヴァーゴの魔法、いずれも効果を示さず
オスカーとリューンによる攻撃も、的確に防がれ、したたかに反撃されていた。
また、魔法攻撃も凄まじい。 ヴァーゴは相当なダメージを受け、傷だらけになって肩で息をついていた。
「これは、少し勝ち目がないわね。 ヴァーゴ、どうする?」
冷ややかな目を、アンマリーがヴァーゴに向けた。 しかし、帰ってきた答えは彼女の想像を絶した。
「逃げたいなら好きにしな。 あたしはここで、此奴を倒す!」
「一体どうしたの? おばかさんな貴方らしくもない反応よ?」
ヴァーゴが凄絶な笑みを浮かべる。 そして、スタッフを振るって、マイルフィックを睨みつけた。
「アティはね、あたしを救ってくれたんだ。
ドゴルゲスを此奴に殺されて、立ち直れなくなってたあたしを助けてくれたんだ。
道を見失い、迷走していた私を、きちんと導いてくれたんだ!
だから、その恩を今度はあたしが返す番だ! 借りたままってのは性に合わないんだよっ!」
「ふ・・・ふふふふふ・・・・ふふふふふふ・・・・あははははははははははは!」
「ま、まりー?」
「どうした、マリー!」
困惑する二人の腰巾着の声に、アンマリーは構わず笑い続けた。 そして肩をすくめる。
「いやね、失礼。 こういうおばかさんが一番強いのよ、この世の中で。
まさかヴァーゴがそんな風になるとは思ってなかったから、思わず笑っちゃったわ」
「バカで結構! おい魔神、そのバカが今から仕置きしてやる、覚悟しな!」
「一体どうやって? 先ほどから私に有効打など一度も浴びせていないだろう」
うんざりしきったマイルフィックが応える。 彼はアンマリーを見たのは初めてだったが
妙な違和感を感じて、先ほどから警戒していたのだ。
アンマリーが両手を広げる。 そして、あり得ない光景が広がった。
その背中から、純白の翼が二対生えた。 そして、唖然とする皆の前で、光の粒子が周囲に舞った。
強烈なオーラが噴き上がり、魔神のそれを中和する。 思わずのけぞり、マイルフィックは呻いた。
「貴様・・・天使か! しかも、ただの天使ではないな」
「ご名答・・・ふふふふ。 ヴァーゴ、貴方のおばかさんぶりに免じて、今回だけはつきあってあげる。
私の名は、アンマリー=ブライトウェル。 でも、本当の名前は・・・」
荘厳なオーラが、周囲に光の波動をまき散らす。 そして、可愛らしい唇が核弾頭を場に投げ入れた。
「大天使マリエル。 名前くらいは聞いた事があるでしょう? マイルフィック」
「・・・聞いた事があるぞ。 人間に転生を繰り返しながら、地上にいる魔神を殺戮し続ける狂気の天使
天界のヒットマン、その座を利して面白半分に血に酔う殺戮者・・・」
マイルフィックの目が恐怖に揺れた。 だが、すぐに持ち直して不敵に笑う。
「しかし、ここは私の世界だ。 その力、半分も発揮できまい!」
アンマリーは手を振り、マイルフィックも右手を相手に向ける。 強烈なオーラが相殺しあう。
だが、魔神の言葉通り、やはり若干アンマリーが不利なようだった。
「ヴァーゴ、彼奴の耐魔無効化オーラは私が封じるわ。 オスカー、リューン、隙をつくって」
「すげえ、すげえぜマリー! なんて綺麗なんだ!」
「天使とは、こんなにも、美しいものなのか! 了解した、すぐにやろう!」
単細胞な二人は、マイルフィックの言葉よりも、目の前の美に魅せられた。
二人は意気を合わせ、見事な連携でマイルフィックに躍りかかる。 その動きは先よりも鋭さを増し
また魔神の動きが鈍くなっている事もあって、先とはうってかわって面白いように一撃を入れた。
「ヴァーゴ、私も長時間は彼奴のオーラを押さえきれないわ」
「ああ、分かってる、勝負は一瞬だろ」
ヴァーゴは目を瞑り、全身の魔力を集中して呪文詠唱を開始した。
周囲のマナが吹き荒れ、収束していく。 呪文の内容は、勿論彼女が最も得意とする物だった。
「うぉのれ、うっとうしいっ!」
マイルフィックがわめき、ジャクルドの魔法を発動した。
氷の柱が、アンマリーへ向け飛び、殺意を空にまき散らす。
それが天使の胸を貫く寸前、オスカーとリューンがその前に立ちはだかった。
「「うぉおおおおおおおおおおおっ!」」
氷の槍を抱きかかえるようにして、二人はその突進を止めた。
両腕から鮮血を垂らし、全身に凍傷を負いながら、オスカーが振り向く。
「マリー・・・無事か?」
「オスカー、リューン。 前から聞きたかったんだけど、どうして実りようのない恋のために努力するの?」
絶対零度を下回るアンマリーの台詞。 しかし、オスカーは静かに笑って見せた。
「それは、俺がマリーを好きだからだ。」
「どんなに、冷たくされても、どんなに、酷く扱われても、俺達は、マリーが好きだ。
だから、命をかける! ・・・・・・・・・ぬうん!」
二人が一息に氷の槍を折り砕いた。 その両腕は、回復しなければ使い物になるまい。
だが、二人はその無惨な様となっても、後悔を覚えていないようだった。
続けて、マイルフィックがアンマリーへ攻撃を放つ。 容赦なく飛び来る無数のフォース。
だが、二人は身を挺して愛する天使を庇う。
業を煮やしたマイルフィックは、ドゴルゲスを屠ったオリジナルの呪文を唱え始めるが
しかしそれが発動する事は、残念ながら金輪際なかった。
殺意の天使の表情に、わずかに笑みが、皮肉ではない別の感情に基づく笑みが浮かんだ。
そして、その両手がマイルフィックへ向けられる。
銀白の魔神が、明らかなひるみを覚えた。 彼のオーラが、全て中和されたからである。
アンマリーは、大天使マリエルは、保有するオーラを瞬間的に爆発させ、全て相手へ叩き付けたのである。
「おのれ、最後の悪あがきか!」
「そうでもないさ。 その防御が無くて、メガデスに耐えられるか?」
いつの間にか、マイルフィックの側面に回り込んでいたヴァーゴが、全ての魔力を解き放つ。
ドゴルゲスの仇討ちではない。 恩人の背中を守るために、彼女は全てをかけたのである。
「そんな状態で、この間の必殺魔法を放てるか?」
「おのれ、おのれおのれおのれえっ! 人間が、人間風情が!」
「あら、貴方も人間でしょう?」
アンマリーの声に、マイルフィックの動きが停止した。 殺戮の天使が、嘲笑を両目に閃かせる。
「貴方の波動、微妙に悪魔の物とは違うもの。 数百年も掛けてお馬鹿な計画実行してたのね、ご苦労様。
貴方の敗因は、自分を人でない物と錯覚した事よ・・・うふふふふ、おばかさん」
「なんでも良い、死になっ! メガデス!」
断末魔の声は無かった。 銀白の魔神の恐怖の表情は、熱と光に飲まれ消えた。
無防備状態で極大魔法の直撃を受け、木っ端微塵になる魔神。
ヴァーゴは全ての魔力を使い果たし、アンマリーも力の殆どを使い果たして、その場にへたり込んだ。
「・・・勝ったわね」
「ああ・・・・アティ、借りは返したよ・・・・」
四人は同時にではないにしろ、めいめい倒れていった。 この場での戦いも、これにて決着した。
7,決断、そして・・・
武神とアティ達六名の戦いは、佳境を迎えていた。
素早くだが整合性のない武神の攻撃は、連続して繰り出され、被害は無視しうる物ではない。
だがアティは冷静に反撃し、打撃を与え、着実に武神を叩いていった。
最初は無敵かと思われた武神の鎧にも、今や無数の傷が付いている。
そして、ひときわ凄惨なのは、胸の中央にアティが渾身の一撃で穿った大穴だ。
武神の状態に比して、アティの状態がいいわけでもない。 リカルドは右手に大やけどを受け
ヒナは胴に二カ所火球を受けている。 ミシェルは後一発大魔法を撃てるか撃てないかだろう。
サラももう回復魔法を使い切り、ジャクルドかダイバを放てるか微妙である。
そして、最もダメージが大きいのはアティだ。
先ほどのクリーンヒットもあるが、それからも率先して最前衛に立ち続けたため
相当な手傷を現在負っている。 おそらく、後一発大きな火球を貰えば、立ち上がれないだろう。
首砕きには血が伝っている。 腕には無数の傷があり、鮮血が止まらず流れ落ちている。
額にも大きな傷があり、口の端からも鮮血が伝っている。
だが、誰一人あきらめようとする者はいない。
全員の瞳には闘志が燃え、敗北や恐怖を感じる者は、この場に誰一人としていなかった。
武神はアティの一撃で、致命傷に近いダメージを受けている。
中央の穴、そこに打撃をもう一度叩き込めば、確実に勝てる。
アティはサインを出し、次の攻撃を指示した。 これが、最後の攻撃であることは明白だった。
「リカルドさん、ヒナさんとダブルスラッシュ! サラさん、グレッグさんと魔法協力してダイバ
ミシェルさん、最後の攻撃魔法。 一番自信があるのでお願い」
数度のダイバで、アティの首砕きにはまだ青い光がまとわりついている。
青く輝く剣を振るい、アティはゆっくり歩き始める。 ヒナが、リカルドがそれに続く。
最後の攻撃である以上、二人は囮だ。 アティは自身がピンポイントで胸の中央を狙うつもりだろう。
攻撃のタイミングは、サインで既にアティが指示済みである。
全員が、心を一つにする。 そして、最後の攻防が始まった。
武神の胸に、白い影が浮きあがる。 大きなダメージを受け、コアが正面にせり出してきたのだ。
その人影が、胸の穴を塞ぐ。 両手を胸の前で組み合わせた、裸のオティーリエ女王が。
「卑劣な・・・・!」
リカルドが叫ぶ。 それを手で制止して、アティは静かに言った。
「多分、武神さんが意識してやってる事じゃないと思う。 作戦は続行するよ」
「しかし、アティ様。 陛下を斬れるのでございますか?」
「・・・私、たくさん魔物さんを殺してきた。 命をかけての戦いだからって、許せる事じゃないよ」
顔を上げたアティ、視線はオティーリエ女王に向き、吐息が漏れる。
「だから、陛下を助けるためなら・・・陛下を斬る。 他の人に、これは任せられないモン」
「・・・分かった。 行くぞヒナ!」
自分が率先して手を汚す事、責任を取る事。 それはリーダーの仕事の一つである。
どれほどの悲しみを押し殺し、アティがそれを受けたか。 しかも、それを本人は直視しようとしている。
ここで躊躇したら、リカルドのプライドは地に落ちる。 彼風に言えば、男ではなくなる。
コマ送りのように、ゆっくり時間が動き始めた。 まず最初に仕掛けたのは、武神だった。
体を軽く反らし、巨神が吼えると、今までにないほどの数の火球が発生する。
その一部が、弾幕となって、その足下へと降り注いだ。
無数の爆発が視界を覆う。 アティが首砕きを向け、頷いたミシェルが最も得意とする魔法を発動した。
「ジャクレタ!」
それはミシェルの、全身全霊を込めた渾身の一撃だった。
残る魔力の全てをつぎ込んだ炎の最上級魔法は、数発の火炎を飲み込んで爆発し
踊り狂って煙を上げ、苦痛にもがく武神の視界を完全に塞いだ。
続いてダイバが発動する。 そして、ヒナとリカルドが同時に地を蹴った。
彼らの剣に光がまとわりつくのと、ジャクレタが発生させた煙幕を突破するのがほぼ同時。
陽動部隊の仕事は、本体から気を逸らさせる事だ。
それである以上、最低でも有効打は与えなければならない。
無茶苦茶に振り回される剣が、リカルドの兜を飛ばした。 ヒナの髪飾りも飛び、長い髪が空に散る。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
「せえええええええええええいっ!」
二人の叫びが重なり、武神の両足に閃光が走った。 ブレードカシナートと、菊一文字が空を舞う。
その輝きは、ダイバに後押しされ、傷を抉り、黄金の光が吹き出す。
のけぞり、武神は絶叫した。 タイミングを見計らい、アティが駆け出す。
距離は見る間に縮まり、策は成功を見るかと思われた。 だが、武神が一気に身を起こす。
そして、走り来るアティに向け、特大の火球を三発撃ち放ったのである。
しかも一発は直撃コースだった。 かわす余裕はない、万事休すかと皆が思った。
だが、その時動き得た者がいる。 アティの前に回り込み、火球の直撃を受けて燃え上がる。
「グレッグさん・・・・!」
両手を広げ、火球からアティを守った忍者は、笑った。 そして、体を前傾させる。
ためらうわけには行かない。 ここで躊躇すれば、グレッグの思いを無駄にする事になるのだ。
忍者の体を踏み台にして、アティは飛んだ。 グレッグは満足そうに、燃えつつ地面に倒れる。
サラとミシェルが駆け寄るが、それを見ている余裕はない。
跳躍したアティは、中空で砂丘のアミュレットを掴み、首砕きに当てた。
オティーリエが目を開く。 アティと目が合う。
そして、笑って自分の運命を受け入れ、両手を差し出した。
柔な肉に首砕きがめり込む音が響いた。 アティの両目から、涙がこぼれ落ちる。
「私・・・・泣かない・・・・泣かないから・・・・・!」
無理矢理感情をねじ伏せ、アティは唇を噛み、アミュレットに全ての魔力を注ぎ込んだ。
女王の体に突き立ち貫いた首砕きの青い輝きが、更に増し、光が周囲に迸る。
暴れ狂う武神が、周囲に火球を吐き散らしていた武神が、動きを止めた。
「陛下・・・・・ごめんなさい・・・・・っ!」
最後の力を振り絞り、渾身の力を込めて、アティは首砕きを更に女王の体にめり込ませた。
細く白いからだがのけぞり、血泡を吹く。 だが、その表情は奇妙に安らかだった。
武神の体に、光の筋が無数に走る。 それは罅から発した物で、やがて全身へ波及していく。
「イヤ・・・・・イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
武神の絶叫が響き渡り、世界を光が漂白した。
光の中、アティは体を起こした。 周囲を見回しても、誰もいない。
「あー、えーと。 どこだろ、ここ。」
妙に暢気ないつもの口調で、アティは立ち上がった。 周りは白一色の世界で、地面も壁もない。
うっすら煙が出ていて、足下は見えにくい。 空は無く、周囲と同じ真っ白の天井だった。
すすり泣きの声がした。 アティが頭を巡らし、その主を発見する。
青いワンピースを着た、五歳くらいの女の子だった。 黒髪に黒目で、アティと肌の色が良く似ている。
歩み来るアティを見上げ、女の子は立ち上がった。 そして、涙を拭きながら言う。
「どうしてみんなわたしをいじめるの? わたし、いっしょにいてほしいだけなのに・・・」
アティは少女の正体を悟った、この子が武神なのだと。
「あのね、武神さん。 みんな、貴方の事をいじめたいわけじゃないよ」
「だっていじめるもん! わたし、みんなのおねがいをかなえてるのに、なんでいじめるの」
再びみいみいと泣き出す少女に小首を傾げると、アティはその手を取り、自分の胸に押し当てた。
武神が実体化している事から、この世界はおそらく精神の世界だと、彼女は理解していた。
自分の見てきた不死者達の姿を強く思い描く。 口で言っても分からないと、アティは思ったからである。
殺意に支配され、迷宮を徘徊し、冥府魔道に落ちたナチ。
部下のため迷宮を徘徊し、肉の塊と化して理性を失ったダグラス准将。
死神、ゾンビの群れ、吸血鬼達、生者の肉を喰らうおぞましい不死者の姿。
見る間に武神の顔が青ざめた。 そして、今までとは違う涙が流れ始める。
「分かった? 貴方のしてきた事」
「・・・・ごめんなさあい・・・・・ごめんなさああああい!」
へたり込み、武神は泣く。 アティはその顔を見つめながら、静かに続けた。
「あー、えーとね。 不老の時ってのは、みんなが望んでる事だと思う。
でも、世の中には、かなえちゃいけない願いってのがあるんだよ・・・」
得てして自分の罪を認めると、人は素直になる事が出来るものだ。
武神はアティの言葉に頷き、止まらない涙を拭い続けた。
「人は限られた命だから、一生懸命生きてる。 不老不死は、或いは得ても良いのかも知れないけど
今の人には荷が重すぎるよ。 みんな、それでおかしくなっちゃったんだよ」
「ごめんなさい、ごめんなさあい! うう、ぐすっ、ひっく・・・」
武神の中には、ソフィアやオティーリエに関するアティの記憶も流れ込んでいた。
アティに対する果てしない罪悪感で、武神は顔を上げられなかった。
腰を落とし、アティが少女の顔を正面から見る。 武神は怯えを感じ、涙を拭って謝ろうとした。
だが、アティの反応は予想を裏切った。 そのまま、少女を抱きしめたのである。
「・・・・・・!」
「あー、えっとね。
辛かったんだね、ずっと一人で。 でも、もうこんな事しないって約束してくれる?」
「うん・・・・ぐすっ・・・・・・約束する・・・」
アティは武神の目を真っ直ぐに見据えた。 そして、静かに問いかける。
「反省した?」
「ごめんなさい・・・・ごめんなさああい・・・・・もうしない・・・もうしないよぉ・・・」
「・・・よく言えたね、武神さん。 ご褒美あげる」
少女を抱き上げ、アティは首砕きを鞘に収めた。
そして、暖かく優しい、誰もを和ませる笑みを浮かべる。
「私が、ずっと貴方の側にいてあげる。 私も、色々な罪を犯してきたんだから。
だから、二人で一緒に頑張ろう? どんなに時間は掛かっても、貰った物を返していこう?」
少女は悟った、この人が絶対自分を裏切らないと。 自分の反省が、この上もない成果を生んだと。
アティの胸に顔を埋め、武神は泣いた。 その頭をなでるアティは、静かに目を瞑り、嘆息した。
「戦い、終わったよ・・・みんな・・・・」
再び光が弾け、世界が色を帯び始めた。
「アティはあの中か! 無事なのか!」
「落ち着きなさい、そんな事応えられないわよ!」
中空に浮かぶ、白い光の塊。 武神が倒れ、代わりに発生したそれは、アティを飲み込み
脈動もせず、ただそこに厳然と存在し続けている。
地面には、グレッグが倒れている。 そして、その周囲を淡い光が覆い始めていた。
「グレッグ・・・お前・・・」
「いや、いいのだ。 もう分かっていた・・・私は既に死んでいたのだ」
忍者は目を瞑る、何にしてももう助かる術はない。 受けた傷は助かるものではないからだ。
「私は無能な貴族や雇い主の下で働いてきた。 途中色々な物を見てきた。
醜い世界だと思った。 でも・・・絶対に命を捧げられるアティ殿に最後に仕えられ、幸せだった。
悔いはない。 いや・・・悔いがあるとすれば・・・・」
「お姉さまっ! お姉さまーっ!」
ミシェルの叫びに、全員が光の塊を見上げる。 それが収束し、アティが降りてきた。
その背には紅い翼が生え、傷は全て塞がっているが、アティに間違いはない。
地に降り立ったアティは、目を開け、駆け寄ってくる皆を見て、優しく笑った。
「あー、えっとね。」
「いや、良く帰ってきた!」
「お姉さま、良かった・・・・無事で・・・・」
「アティ様、良く戻ってきてくださいました」
「・・・アティさん、グレッグさんが」
サラが咳払いし、皆を黙らせた。 沈鬱な彼女の視線の先には、倒れ光に包まれるグレッグがいた。
「アティ殿・・・ご無事でしたか」
「えへへへへ、ただ今。 なんか背中に生えちゃったけど、多分収納式だからだいじょぶだよ」
そう言う問題かとリカルドが言いかけて、口を噤んだ。 そう言う状況ではないからだ。
意図的に、無理して明るくアティが振る舞っているのは、誰の目にも明らかだった。
アティが目を細め、涙を拭う。 グレッグの側に跪いて、静かに言った。
「ごめんね・・・私を庇って」
「いや、いいのです。 私はもう死んでいたのですから
あの雪の中で・・・私は死んだのでしょう。 しかし、アティ殿に仕える事が出来て幸せでした」
グレッグの体の光が強くなり、輪郭が薄れ行く。 最後を悟って、皆が涙をこらえた。
「・・・最後にお願いが・・・・アティ殿・・・・」
「うん? 何?」
「私のためだけに・・・・笑ってくださいませんか・・・・
それだ・・けで・・・・わたしは・・・・・しあわせ・・・・・・・です・・・」
「・・・・・・・・。」
アティは唇を噛み、視線を逸らした。 そして、心中で誓いを反芻する。
「私・・・泣かないから・・・」
目をこすり、アティは笑った。 そして、感情をねじ伏せて言う。
「これでいい? グレッグさん」
「・・・・ありがとう・・・・・わたしは・・・・・・しあわ・・・せ・・・でし・・・た」
消滅した。 気は弱かったが忠実で、アティのために全てをなげうてた忠臣は、ここに真の死を迎えた。
周囲は光が乱舞し、いずれもが天に向け飛び始めている。 アティはゆっくり歩き出し、皆が後を追った。
地上に出た皆は、小高い丘に登った。 ドゥーハンが光に包まれ、無数の光が天へ登ってゆく。
アインズ将軍の陣地でも、兵士が次々と光の塊になり、天へ飛び始めていた。
目を瞑り、アインズは彼らの冥福を祈った。 外では幹部達が呆然とその様を見続ける。
人ばかりか、建物までが光に包まれる。 そして、町の中央部は、更地へと変貌していった。
分厚い雲が割れ、光が差し始める。 その光に導かれるように、数十万の魂が飛んでいった。
虚心のまま空を見上げるアティの前に、幾つかの魂が来た。
「良くやったな・・・アティ。」
剣士の、竜剣士ハイムの魂だった。 傍らにはソフィアの魂もいる。
「おめでとう・・・貴方ならできると思っていたわ・・・」
アティは笑顔を作る。 必死に感情を殺し、笑顔を作る。
「ううん・・・お礼を言うのは私の方。 ありがとう・・・・」
二つの魂は、笑顔のまま天へ溶けていった。 そして、更に別の魂が現れる。
「解放してくれて礼を言う・・・すまなかったな」
ユージン卿の魂だった。 心からの礼を言うと、彼は天へ消えていった。
最後の魂が現れた。 それは、オティーリエ女王の魂だった。
彼女は言葉を必要としなかった。 アティを抱きしめ、そして背中を叩くと、笑顔のまま天へ消えた。
光の乱舞が終わるまで、およそ数時間を必要とした。
「ごめん・・・私の方・・・・見ないで・・・・」
肩を振るわせ、アティが言った。
リカルドも、ヒナも、サラも、ミシェルも、視線をアティに向けられなかった。
「誓い・・・・守らなきゃ・・・・・守らなきゃ・・・・・・・・・!
笑顔で送らなきゃ・・・・笑顔で・・・・・・・・・」
彼女の足下で、雪が溶け始める。 熱い涙が数滴、その上に落ち、それをほんのわずかだけ加速した。
「涙・・・とまんないよ・・・・涙で送るより・・・笑顔で・・・送らなきゃいけないのに・・・」
「もうみんな行ったわ。 それに私達の前なら泣いて良いのよ」
サラが前に一歩進み出た。 アティは涙に濡れた顔で振り向き、彼女に抱きついた。
「ごめん・・・・でも・・・涙・・・とまんないよ・・・!」
「いいのよ・・・私達だって、泣きたいんだから」
アティは泣いた。 皆の前で泣いた。 そしてこれ以降、彼女が涙を見せる事は二度となかった。
生き残った忍者部隊、レン、オルフェとアオバ、アンマリーとオスカーとリューン
ヴァーゴとクルガンが、アティを見つけ、そして駆け寄ってくるのが見えた。
アティは涙を拭い、手を振って彼らに応えた。 戦いが終わった事を知らせるために。
エピローグ
新緑の大地を踏み、リカルド=ドレフェスはドゥーハンに戻ってきた。
今の彼の肩書きは、イナ女王のクイーンガードである。
堅実な剣技と、熱い性格から〈鉄剣〉と呼ばれる事が多く、彼もその呼び名を気に入っていた。
エルフの森が、以前来たときよりも遙かに復興している。
荒れ地だった場所に木が生え、川が清流を取り戻し、花畑が道の左右に出来ていた。
「リカルドさん!」
自分を呼ぶ懐かしい声に、彼は振り向き、そして笑顔を浮かべる。
「サラ、久しぶりだな。 皆は元気か?」
「ええ。 ミシェルさんもクルガンも。 それにアティさんも貴方が来た事を聞けば喜ぶわ」
「そうか。 あいつはまた土いじりをしてるのか?」
リカルドの言葉に、サラは頷く。 そして土手を降りながら、リカルドを案内した。
雪が数年前に積もっていたとは思えない暖かい雰囲気の道。
かっての繁栄はないが、だが落ち着いた雰囲気で、通る者を和ませた。
峠を越えると、復興しつつある旧ドゥーハン王都が見えた。
ここは交易の中心地だから、自然と復興はされるのである。 これは別にアティの功績ではない。
無論彼女は復旧作業でめざましい活躍をしたが、それはあくまで一人の働きとしてだった。
迷宮は今も厳然と存在し、それを目当てにする冒険者もいる。 町へは人が入り、そして出ていく。
その過程で金銭が周囲に落ち、潤いを呼ぶ。 だから自然と復興する。
経済戦略上重要な土地だから、ここは王都になったのだ。
そして今も、経済戦略的な重要性は衰えていなかった。 だから自然と人は戻り、復興は戻りつつある。
サラは町の郊外に向け歩いていった。 アティ達の家は、其処にあるのだ。
「アティも、アインズ将軍の誘いを受ければ良かったのにな」
「あの子は軍人よりも冒険者が向いてるわよ。 それに、今やってる仕事はもっと向いてるわ。
ほら、ここよ。 ここが私達みんなの家」
戸を開けると、そこにはヒナがいた。 そしてリカルドを見て表情をほころばせる。
奥から料理を持ったヘルガが出てきて、相変わらずの早口で減らず口を言ったが
それは彼女なりの歓迎だったので、誰も文句は言わなかった。
しばらくは昔話に花が咲く。 ヒナは戦いの後実家に戻ったが、時々ここへきてはアティを手伝っている。
ヘルガはサラを助手に宿の業務を続けていて、今七つ目のチェーン店の開業に動いている所だった。
クルガンは引退し、今はサラの夫になっている。 ミシェルは相変わらずアティにべったりだった。
「これでグレッグがいればな・・・」
不意にリカルドがいい、周囲はしんとなった。
「良い奴だった。 気は弱かったが」
「うん・・・そうね」
沈鬱な雰囲気。 それをうち払うようにヘルガが手を打ち、そしてサラに言った。
「アティに会ってきなさいよリカルド。 案内してあげて」
「そうね、そうしましょっか」
エルフの森は武神の敗北と同時に、その三分の一が荒れ地とかし、木自体が消滅してしまったので
今は鬱蒼としたという雰囲気はなく、かなり奥の方まで日が差し込んでくる。
倒木や枯れ木も多く、かっての美しい森は見る影もない。
そんな中、軽快な音が響く。 エルフの若者達と一緒に、有志の人間達が森を元に戻しているのだ。
エルフの次期長老と噂される程に優れた魔術師に成長したミシェルが、皆の指揮を執り
倒木を片付け、川を整備して、新しい木を植えている。
驚くべきは、その中に人の姿をとったヘイゼル=ハミントンがいる事だろう。
アティとミシェル以外の誰も正体に気付いていないが、彼はアティの背後を常に守りたいと思い
わざわざ人の姿をとって迷宮から出てきたのである。 その働きは黙々と、それでいて律儀だった。
そんななか、鋭い音が響いた。 そして、ミシェルの声が後を追う。
「素敵です、お姉さま!」
剛剣首砕き。 竜や魔神すら屠るそれは、今は枯れ木の切り倒しや、分解に力を発揮していた。
常識外の剛力から繰り出される一撃は、太い倒木を瞬時に両断し、簡単に粉砕し
またその使い手は軽々と重い岩や木をどけて、作業の中心人物となっていた。
その娘、アティが振り返る。 久しぶりに訪れた、懐かしい仲間の気配を察して。
「アティ! 元気だったか!」
「リカルドさん・・・・」
汗を拭い、笑みを浮かべる彼女の顔は、武神と融合してから全く変わっていない。
笑顔は優しく、暖かく、まぶしい。 しかしあまりにも桁違いの力を見て、男達は近寄らないのだった。
ミシェルが仕事の一時中断を指示し、アティはやりかけの仕事を見事な手際で終わらせてしまうと
リカルドと一緒に来た皆の顔を見回し、笑顔を浮かべた。
アティは皆を促し、かってソフィアと一緒に登った丘へと登る。
そこからは、かって彼女の心にあった氷の塊に、決定的な亀裂を入れた風景が一望できたのだが
今はその半分ほどしか残っていない。 風が吹き、小石が転がり、乾いた音を立てた。
「もうこんなに復旧したのか。 後少しだな、アティ」
リカルドが建設的に言うと、アティは頷く。 そして首砕きを地面に突き刺し、目を瞑った。
「見て・・・ソフィアさん。 陛下。 私、貴方達の御陰で、こんなに素敵な仲間を手に入れたよ。
私、世界を美しいと思う。 汚い所も確かにあるけど、美しい所も絶対あると思う
だから、私の出来る事をして、美しい所を取り戻すの
私、グレッグさんが、みんなが命をかけてくれただけの事はする。 絶対に、もう泣かない」
風がアティの髪をなで、静かに流れていく。 アティは目を開けると、空を見た。
ソフィアが、其処で微笑んだような気がした。
「見守っていて・・・みんな」
心の中で呟くと、アティは首砕きを鞘に収め、皆を促してその場を後にした。
やがてこの地は完全な復旧を見る。 そしてアティは、不幸な老後を送らなかった希有な英雄となった。
旧王都の復旧完了後の消息は不明だが、彼女が迫害を受けなかった事だけは確かである。
何故なら彼女は、戦いを本質的に好んでいたわけではなかったのだから。
平和の中に生きられる、極めて珍しい英雄だったのだから。
後の世で、決して彼女の評価は高くはない。
しかしそれは、彼女が不幸であった事を必ずしも意味しなかったのである。
エルフの森に、枯れ木を倒し、新しい木を植える音が響き続ける。
それに伴い、川のせせらぎが戻り、花の香りが戻り、緑の柔らかさが敷き詰められていく。
ソフィアが、オティーリエ女王が愛したこの地の、蘇る音、生命力が戻る音。
それは新しい命の呼び声となり、全ての生き物の心を癒していくのだった。
(終)
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