狂気沈み行き、武神覚醒す

 

序、偉大なる剣士の最後、無垢なる冒険者の誕生

 

地下九層を、全身傷だらけの剣士が、剛剣ドラゴンキラーを杖代わりにし

荒く息をつきながら、地上へ向け歩いていた。

圧倒的な戦闘力を誇るその剣士も、ヴァンパイアロードやホワイトドラゴンと一人で戦える訳ではなく

敵本拠への攻撃は何度行っても成功せず、今回も失敗に終わったのだった。

剣士が膝から崩れ、地面に手を突いた。 鮮血がこぼれ落ち、汗と一緒に地面に染みを作る。

明らかな致命傷を、彼女は受けていた。 剣士は、もはや自分が長くない事を悟ってはいたが

ここで止まるわけには行かない理由があり、最後の精神力を振り絞ってまた歩き出す。

だが、自分の体をこれ以上もなく現実的に分析できるよう〈作られた〉彼女は、絶望に勝てなかった。

「これまでか・・・・」

膝から崩れ、剣士はついに倒れた。 その頭の中を、走馬燈のように想いが駆けめぐり

まだ髪が黒かった頃の大事な人達が、思考の隅でほほえみかけてきた。

「・・・・陛下・・・ソフィア・・・・・すまない・・・・・・仇は・・・・・討てなかった・・・・

キャスタ・・・・すまない。 私は・・・・戻れそうに・・・・・ない・・・・・・・・」

剣士の青い瞳から、急速に光が失われていった。

彼女の呼吸と命の鼓動は、地下九層で、志半ばにて、永久に停止した。

 

次に彼女が目覚めたのは、薄暗い不思議な空間だった。 周囲には見た事も聞いた事もない機械が並び

低い音を立てて稼働し、一種独特な雰囲気を作り出している。

剣士は身を起こし、剛剣ドラゴンキラーがあるのを確認し、安堵の息をついた。

それにしても、異様な空間だった。 彼女の知る、どのような物とも違う世界。

空気からして違うというのか、勘が鋭い剣士には、その異様さが肌を通して伝わってくるのが分かった。

頭を振り、雑念を払おうとする彼女に、笑みを浮かべて歩み寄ってきた者がいる。

それはクリーム色の短い髪を綺麗にまとめた、可愛らしい少女だった。

ドラゴンキラーに手を掛けた剣士は、相手に敵意がないのを察し、すぐにそれを納めた。

「・・・ここは何処だ。」

「私の研究室です。 そのまま死なせるのは、もったいないので連れてきたんです」

「では、私は生きているのか?」

剣士の言葉に、少女は首を横に振った。

「いえ、もう死んでいます」

短い沈黙。 剣士は掌を見つめ、違和感を感じて目を静かに閉じた。

「・・・そうか、武神の力で、死にきれないのか」

「死を自覚しているのに、執念が体を実体化させています。 素晴らしい精神力です」

「素晴らしくなど無い。 結局私は、志を遂げる事が出来なかったのだ」

剣士は俯き、握り拳を固めて地面を殴りつけた。 少女はその様を冷静に見、静かに目を細める。

「私と、取引をしませんか? このままでは、死んでも死にきれないでしょう」

「・・・貴様に何が出来るというのだ?」

「貴方に、今ひとたびの機会を。

無償というわけには行きませんし、貴方自身に機会を与えるわけではないですけど」

剣士は下を見た。 周囲の様子からして、この少女がただ者ではない事は分かっている。

先ほど気がついたが、凄まじい戦闘力の持ち主である事が

ちょっとした動きからだけでも判断可能であり、多分実力は剣士を凌ぐ。

また、嘘を付いている様子は微塵もない。 やがて、剣士は目に光を宿らせた。

「話を・・・聞かせて貰おうか。」

「此方の条件は、貴方の体です。 貴方の体が欲しいです」

「意味がわからん。 どういう事だ」

剣士の目に剣呑な光が宿ったのを見て、慌てて少女は訂正した。

「正確には、欲しいのは、貴方の体の情報です。 貴方ほどの力を持つ人間はまずいませんし

その情報を解析すれば、確実に私の役に立つんです。

情報を取る事、それを好きに利用して良い事、それが私の条件です」

「・・・いいだろう。 元々私の体など価値無き物。 いくらでも好きにするが良い。

で、私の体を差し出したら、何をしてくれるというのだ」

「ドゥーハンに希望を。 貴方の分身を、生きている状態で町に送り出します」

剣士が理解できないと表情で言ったので、少女は苦笑し、右手を翻した。

光が迸り、剣士の体の中を通り抜ける。 体の中の全てを、剣士は覗かれている気分を味わい

やがてそれが一段落すると、少女は手を叩き、近くの機械に複雑な指示を出した。

淡い光のフィールドが、円筒形の機械を包み、中の時間が加速して流される。

円筒形の機械の中に、小さな肉が現れ、やがてそれは人の形を無し、見る間に大人へとなっていった。

それをみて、剣士は少女のする事を悟った。 そして、俯きながら言う。

「・・・駄目だ。 このままでは駄目だ。」

「? 具体的に言ってください」

「私の分身を作った所で、結果は同じだ。 無謀に迷宮に挑み、命を落とすに決まっている。

私が敗れたのは、足りない物があったからだ」

肌着だけをつけた機械の中の人影は、既に剣士と同じ肉体年齢に調整されていた。

ただし、無理矢理に酷使はされていないので、髪は黒い。 そして、遙かに若く見える。

自分がいかに体を酷使し、老けさせていたか、剣士は悟った。

良く考えてみれば、彼女はまだ二十歳になるかならないかの若さだ。

それがまるで老成した人物のように思考し、行動している。

密度の濃い人生だったと言えばそうかもしれないが、しかしあまりにも凄まじい人生だったのも事実だ。

分身には、まだ表情がなかった。 少女は、剣士の目を真っ直ぐに見つめ、興味深げに聞く。

「貴方には、何が足りなかったんです?」

「ソフィアのような、皆に愛される心だ。 多少力は落ちても、甘い奴に成り下がってもかまわん

彼奴のような、皆に愛される心が在れば、その娘は・・・きっと武神を倒せる

逆に、それがなければ、例え私の倍以上強くても、結果は同じだ」

「なるほど、ではそうします。 記憶も封印しておきますが、よいですね」

剣士が頷き、少女は魂無き娘に、複雑な情報を流し込み始めた。

ベースは剣士の記憶、心、魂。

そして、その記憶にあるソフィアという娘の心から、分析される優しさを

思いやりを、戦いに無駄ではあっても人として必要な物を、抽出して詰めていく。

それは機械的な作業ではなく、魂の抽出だった。 剣士の記憶から、或いは世界の記憶から

情報を引き出し、物理的な記憶として詰めていく。 そして、剣士の過去は、意図的に封じた。

しかし、消したのではなく封じたのだから、何かの拍子で蘇る事も在るだろう。

その後は、この娘の努力次第だ。 その時人が変わるかも、積み上げていく物次第だろう。

「・・・これが・・・私か。 信じられんな」

安らいだ顔。 優しい表情。 自分でありながら、自分と全く違う娘。

膝を抱えた、黒髪の娘を見て、剣士はひとしきり嘆息していた。

「この子の名前は? 貴方と同じでは色々と問題がありますから。

名前は貴方が付けてください。 貴方の娘と同じですから」

「・・・・アティでいい。」

「自分の名字を短縮するんですか? 分かりました。 では、後はこの娘次第です

いってらっしゃい、アティ。」

膝を抱えた娘の腕の間に、首砕きが出現する。 それは少女からの選別だった。

「私になかった物を持てば・・・・大事に出来れば・・・・きっと大丈夫だ。」

剣士は呟く。 アティが光に包まれ、消えた。

 

雪の中、アティが身を起こす。 肌着だけしか付けておらず、手元には首砕きがある。

「・・・・あー、えーと。」

のんびりした動作で、周囲を見回す。 そして、おもむろに立ち上がり、首砕きを拾って歩き出した。

雪の中を歩く彼女を、剣士は見守る。 自分の分身の、人生の始まりを。

剣士の人生が終わった。 後は幾らか残った時間を使って、身辺を整理し

アティに自分の技・・・基本だけでも・・・・教えておかねばならない。

そして今、ここにアティの人生が始まった。 彼女はまだ、自分が巻き込まれる運命など知らない。

雪の中歩く背中を剣士は見つめ、やがて意を決して自分も歩き出したのだった。

・・・現在、アティはいよいよ地下九層を攻略し、地下十層に挑もうとしている

これは丁度その、半月ほど前の話であった。

 

1,十層へ

 

迷宮地下十層は、雰囲気的に地下八層に近く、何故か明かりが満ちている不思議な空間で

ポイズンジャイアント、フロストジャイアントを初めとする上位の巨人族や

ヴァンパイア、それにドラゴンゾンビに代表される上級アンデット

それにレッドドラゴン等の竜族が闊歩し、しかも無数の小部屋を空間の歪みがつなげていて

探索は困難を極め、爆炎のヴァーゴ他辿り着いた者は少数いるが、攻略した者は一人もいない。

その深奥で、蠢く影が四つ。 二つは巨大で、二つは等身大。

ウィンベル司教と、ヴァンパイアロード、マイルフィック、ホワイトドラゴンであった。

司教をリーダーとする、彼らは同志だった。 この事態の糸を裏からたぐる、黒幕であった。

「情けない事だな、ヴァンパイアロードよ。 たった一人の人間に部下もろともコテンパンにされた上に

ハイムの処理にも失敗しただと? 裏でごそごそ画策した揚げ句がそれか」

巨大な魔族がそう蔑み、ヴァンパイアロードが憤怒に顔を紅くした。

「おのれ、マイルフィック!」

「よさんか、バカ者共」

ウィンベル司教が一喝し、黙り込んだ二人に咳払いする。

「・・・そんな事よりも、例の駒は」

「これ以上もないほどの狂気に満ち、此方へ向かっています。 理想的な素材に成長しました」

「よかろう、計画の第二段階を発動する。 抜かるなよ」

ヴァンパイアロードは頭を下げ、その場から消えた。 小山のような巨体を持つ竜が、それを見送る。

「ソレニシテモ、ヤツハイッタイナニヲカクサクシテイタノダ?

ダイタイ、ハイムニハ、タシカニチメイショウヲアタエタハズダ。 ナゼイキテモドッテクル」

「知るか、そのような事。 なんにしても、我らの連携にヒビを入れるような事は謹んで貰わねばな」

マイルフィックが忌々しげに言い、ホワイトドラゴンが静かに頷いた。

この者達は、元人間という点で一致している。 マイルフィックは、外見こそ魔族であるが

その朽ちた肉体を儀式魔法で再生し、極限まで強化した人の魂で乗っ取ったものなのだ。

ホワイトドラゴンは、元々自分の肉体にこだわらず、最強の力を求めてこの姿になった。

ヴァンパイアロードは、各地で略奪したネクロマンシーの秘術を集め、自らを作り上げた。

いずれも武神の底知れぬ力の一端を抽出し、その手助けにしている。

司教の腹心だった彼らは、その思想に共鳴し、その作業の手助けをこの数百年間してきた。

そしてそれは今、薄暗い陰謀は今、その実をつけようとしていたのである。

「我らが理想世界はもう目と鼻の先だ。 皆の者、最後まで全力を尽くそうぞ」

司教は言い、もう実体無く、霊体となっている右手を掲げた。

「理想世界に!」

「「理想世界に!」」

唱和された声は信念に満ち、必勝の気合いに満ちていた。 それは暗い情熱の結晶であった。

満足げに頷くと、司教は迷宮の闇に心を凝らし、最後の詰めの準備を始めた。

 

広い広い空洞をゆっくり、流動体の中を落ちるようにゆっくり、落ちていくような感覚。

またこの夢。 ぼんやりしたまま、アティはそう思っていた。

記憶が回復してから、彼女は昔の夢を見なくなり、代わりにこの夢を見るようになった。

昔の事はもう、確固として胸の中に居場所を確保している。 大事な過去は取り戻したのである。

それである以上、今度はそれを大事にし、礎にして未来を作らねばならない。

そういった事を無意識的に考えているからか、アティはこの夢をよく見るようになっていた。

「サビシイ・・・」

声が響く。 光が乱舞する中、その巨大な光の塊から、不可思議な声が漏れ聞こえる。

「サビシイ・・・・サビシイ・・・・」

「何が寂しいの? どうして寂しいの?」

手を広げて、ゆっくり落ち、髪をなびかせながらアティが問う。

すると光の塊にその声が届いたか、それはしばし声を止め、別の言葉を発した。

「ノゾムコトヲシテアゲテルノニ・・・ミンナノゾンデイルノニ・・・」

「えっと、それでも寂しいんだね?」

アティはその意味を聞き返すような事はしなかった、その言葉の意味は後で考える事が出来るからだ。

光の塊が、それ故に寂しいと言っている事が、彼女には重要だと思えたのである。

戦闘時と常時で、彼女の思考回路の回転速度は著しく異なるが、今は戦闘時並みに働いていた。

それが何故かは、アティには分かっていた。 この声が重要な存在だと、勘が彼女に告げているのである。

「サビシイ・・・」

「じゃあ、私の所においでよ。 一緒に、どうしたら寂しくなくなるか考えよう?」

声が止まった。 光は相変わらず乱舞し、巨大な光の塊は胎動しているが、音が消えたような気がした。

果てしない恐怖があふれ出した。 アティが思わず手で、陽光を遮るようにそれを避けようとする。

「コワイ・・・ヤダ・・・・・!」

「・・・・! あー、えっと。 落ち着いて。 話し合おう?」

「ヤダ・・・・モウヤダ・・・・! シンジナイ・・・・!」

来る。 それが来る。 アティはガードポーズを取り、衝撃に備えた。

「・・・・・・・コナイデ・・・・・・・・・・!」

閃光が炸裂し、周囲が光の洪水に飲み込まれた。 壁が揺れ、飛び交う光が我先に逃げ出し

そして、世界が弾けた。 一瞬後、アティはまたベットの下に落ちている自分を発見し、ため息をついた。

「誰なんだろう・・・凄く寂しそうな声だったけど・・・」

頭を掻きながらアティは言い、やがて思い出したように立ち上がり、カーテンを開けた。

雪が外ではちらついている。 今日はそれほどの分量ではないが、毎日毎日飽きずに良く降る。

目を細め、アティは普段着に着替える。 自分の体を傷つけないように、他の道具も傷つけないように

ゆっくり、慎重に。 時間はかかっても良いから、丁寧にそれを行う。

爪は丁寧に切ってある。 体を無為に傷つけないように、風呂上がりにまめに切っているのだ。

「貴方の体は、どうでも良い物なんかじゃないわ」

サラの言葉は、彼女にはとても嬉しい一言だった。 だから、二度と同じ失敗を繰り返したくない。

自分を大事だと思ってくれる人がいる、それはアティにはこれ以上もない癒しだった。

「・・・誰だったんだろう・・・会わなきゃいけない気がする・・・」

アティは呟き、寝間着の最後のボタンを外した。 大きな雪の塊が、屋根から落ちて音を立てた。

 

ドゥーハン軍本営には、アインズ将軍の指示の元、地下九層へ向かった冒険者達から情報が集められ

その地図がくみ上げられ、ほぼ八割が完成を見ていた。

地下十層への道も、その中にある。 細かい座標のデータを、クルガンが精鋭と共に採取に向かい

先ほどそれを完了し、表へと帰還してきた。 これで、迷宮深奥へ一気に入り込む事が可能になった。

「アインズ将軍、これで一気に迷宮を攻略できますな」

「いや、普通の兵士を幾ら送り込んでも、これ以降の階層では通用しないの。

それにここに大軍を送り込んで負けたら、退路はないの。 全滅したくなければ、万全を期すの」

副司令の言葉に、アインズは腕を組み応えた。 確かに兵力を送り込む事は可能だが、帰還は出来ないし

何より深部の魔物の実力は、今此処にいる兵士達を十人束にしても敵うとは到底思えない。

それを身に染みて知っているアインズは、強力な魔物を倒す訓練を率先して行っていた。

また兵士達の中から精鋭を選抜して、冒険者に訓練を依頼、決戦への準備を整えている。

彼女の腹心のグスタフの死が、オルフェの手で伝えられてきたのがその時だった。

最精鋭の指揮を任せ、死なせてしまった宿将。

安らかに逝く事が出来たと聞き、アインズの顔がわずかにほころんだ。

そして数秒間の黙祷を捧げ、宿将の冥福と、自分の信じる精霊神への感謝を行った。

自分がいるのは、所詮は流血の道、死を合理的に考えなければならない非道の場所。

それを改めて思いだし、そんな中安らかに逝く事が出来たグスタフを思い、複雑な気分を味わったのだ。

アインズは頭を降って考えを切り替え、副司令へ鋭い光を帯びた視線を向ける。

「副司令。 〈道〉の座標変更を指示、地下十層入り口へ固定。 冒険者の使用を許可」

「了解しました」

「それと、アティという冒険者はどうしてるの?」

「どうでしたかな、副官殿に聞いてみましょう」

副司令が困惑し、手を叩いて副官を呼ぶ。 メイリーはすぐに現れ、敬礼しながら言った。

「地下九層を攻略した際の疲れで、宿で休んでいる模様です」

「そうなの。 無理をせず、休む事を知っている奴なら、何も言う事はないの」

手を振ってメイリーを下がらせる。 アインズの心配は杞憂に終わったようだった。

休まずに無理な挑戦を繰り返すような輩なら、着目する価値はない。 どんなに強くても確実に自滅する。

アインズは視線を外に向け、ちらつく雪を見やった。 もうすぐこの雪が溶けるか、この地が滅ぶか。

それに、自分がスポンサーとして以上の関与が出来ないのが腹立たしくはあったが

ユージンの軍に止めを刺したのは確かだし、まあ及第点と言う所であろう。

もし滅ぶなら、遷都の後の事後処理に軍事面から参加しなければならないし

滅ばなくても、結局この都は捨てなければならない。

この都を立て直すより、他に幾らでもある首都に相応しい場所を整備した方が、遙かに安くつくからだ。

この安くつくというのは、国家予算レベルでの話である。 普通の金銭とは一緒に出来ない。

立て直すとしたら、この痛手を克服してからだ。

国家は小揺るぎもしなかったが、無視できる痛手ではない。

そして、そうなったとしても、もうこの地が首都となる事はないだろう。

アインズは天幕に戻り、中央への報告書類や、様々な事務処理を始める。

その手際は見事で、余人の及ぶ事なき鮮やかさであり、溜まった書類は見る間に決済されていくのだった。

ふとアインズは筆を止め、苦笑した。

不真面目怠惰が本分の自分が、急にまじめになったのがおかしかったのだろう。

雪は静かに降り続け、着実につもり続けている。

その中、アインズは伸びをすると、再び仕事に戻ったのであった。

 

 

2,愛着の終末

 

地下十層。 迷宮でも最深部に位置し、強大な魔物が群れを為して現れる魔境。

魔界に等しい危険地帯であり、入るだけで猛烈な障気が精神を侵し、気の弱い者には狂死をもたらす。

辿り着いた冒険者はごく少数。 その情報は希少にて、しかも信頼度が薄い。

しかしそれでもグレッグは、先に地下深層攻略部隊の詰め所へ行き、わずかながら情報を集めてきた。

それが可能になったのは、アインズ将軍の手による〈道〉の設置が大きかった。

「忍者部隊からの情報では、地下九層の魔物達は特に目立った動きはしていないようです。

また、地下十層への〈道〉の使用許可が出たようで、何人かの冒険者が勇躍して乗り込んだとか」

「それでどうなった?」

「・・・芳しくはない。」

リカルドの言葉に、グレッグが頭を振る。

アティの言葉には敬語であるが、リカルドの言葉にはため口である。

その口調が重いのは、逃げ帰るように戻ってきた冒険者の惨状を目にしたからである。

一流の冒険者であるのに、歴戦の強者であるのに。

ある者は腕を失い、ある者は剣を半ば折り砕かれていた。

そしてそれ以上に深刻だったのが、自信を完膚無きまでに粉砕されていた事であろう。

それらの事実は地下深層の魔物の強さを見せつけ、気の弱いグレッグに躊躇いを覚えさせるに充分だった。

消沈している忍者に、アティが絶妙のタイミングで助け船を出す。

「えっと、グレッグさん。 十層がどんな所かは聞けた?」

「それは勿論。 入り口近辺しか入れなかったようですが、内部の構造は地下八層地下部分に近いとか。

小部屋が連続して続き、空間の歪みでそれが繋がっているらしいです。 ただし、魔物の強さは・・・」

「それは、今までも同じだったよ。 私達、みんな確実に強くなってる。

だから、絶対に進めるよ。 頑張ってみよう」

皆がその言葉に頷いた。 ミシェルなどに至っては、ついに魔力が規定値を超えたので

これからギルドへ行き、メガデスを修得しようと考えていたのだ。

サラも同様の理由で、ジャクルドを覚える事にしている。

ヒナとリカルドは昨日手合わせしてみて、自分たちの成長に驚いていた。

自分の力は、味方に向けてみて初めて分かるものだ。 彼らは確実に一流の冒険者に成長していた。

グレッグもそれは同じだ。 情報収集を終えてから、彼は手裏剣の投擲をしてみたが

その速さ、精度、忍者部隊の者達に引けを取るどころか、彼らの教官が務まるほどだった。

これ程に力量が高まったのは、力の拮抗した相手と、ギリギリの戦いを続けてきたからだ。

全力での戦いと、それがもたらす緊張感。 極限状態での精神集中により、目覚める潜在能力。

それらは全員の力を確実に押し上げ、自信と勇気へつなげていったのである。

他にも細かい確認をすると、ヘルガが咳払いをした。

「後はやる事分かってるわね」

「うん。 お店行って、ギルド行って」

「・・・そろそろあの店の品なら一番高いのでも手が届くわよ。」

冷静に投げかけられた言葉に、アティが小首を傾げ、ヘルガは笑った。

「行ってきなさい。それで帰ってきなさい。お金は幾らかかっても良いから」

 

ヴィガー商店は、アティがこの町に来るずっと前から存在していた。

その中に陳列されている商品の内、冒険者が買おうとしても、店主が決して売らない品があり

それは〈開かずの箱〉と呼ばれる黒い箱の中に密封され、厳然たる威圧感を醸し出していた。

誰も中身を見た者はいない。 剣だとか槍だとか、様々な噂が流れていたが、真実とは違った。

店主は最近、妙な違和感に悩まされていた。

何か忘れているような、何か大事な事があるような、そんな気がするのだ。

凄まじい勢いでの成長を見せるアティが来てから、その困惑は加速度を増し、違和感を煽る。

最近は妙な頭痛や、激しい閃光のイメージが脳裏をよぎり、苦悩をかき立てていた。

ドアを開けて、アティが入ってきた。 他の者達は、今酒場やギルドに行っている。

店主は激しい頭痛をねじ伏せ、営業スマイルを浮かべた。

「よ、よう、嬢ちゃん。 良く来たな」

「えへへへへへ、こんにちわ。 店主さん、早速で悪いんだけど」

「ん? 何だ?」

アティは笑みを浮かべ、視線を陳列棚に這わせる。 この店の品揃えは決して良いとは言えないが

良い物がないわけではなく、時々途轍もなく高い品が平然と陳列されていたりする。

一通り視線を棚に這わせると、アティは唇に人差し指を当てながら言った。

「このお店で一番いい品って、どんな子なの?」

「おお、そっか。 そろそろそれを買えるだけの財力が付いてきたんだな」

アティは毎度の冒険で、迷宮からそれなりによい武具を持ち帰ってくる上客である。

その実力は店主から見ても、もう充分に一流で、不足となる武器防具など無い。

しかし、彼にとって嬉しいのは、それら以上に武具の能力を完璧に使いこなしてくれる事だろう。

武具がきちんと使われ、その結果壊れるのは、むしろ名誉な事なのだ。

壊れるよりも、使われずに錆び付いてしまう方が、店主には悲しい事なのだった。

「一番高いのならそこのアックス・オブ・デストラクションだが、それはドワーフ専用だしな。

いや、いや。 パワー云々の問題じゃなくて、魔法的な波長が合わないんだよ。

ウチにあるカシナートは後期型だから、嬢ちゃんはおろか他のメンバーでももう役不足だ。

嬢ちゃんに一番合った品と言えば・・・そうさな、やはりこれか」

店主はブラックボックスに触れた。 その瞬間、電流のような感覚がその手に走った。

思わず彼は箱を取り落とし、大きな音がした。 唇に指先を当てて、アティが小首を傾げる。

「あー、えっとね。 どうしたの?」

「いや、何でもない。 これがその箱だ。 そうか、ついにこれが渡せる日が来たんだな」

妙な感覚は、店主の苦悩と困惑を増幅させていた。 ひもを解く指は震え、手は間断なく違和感を覚える。

だが、彼はやらねばならないと思っていた。 体の芯から、使命感と、熱い感覚が迸ってくる。

「俺はな・・・」

封印を解きながら、店主は話し始める。 アティは目を細めて、その様子を見守った。

「体が弱くて、接近戦専門の冒険者になれなかった。 魔法の才能もなくて、サポートも無理だった。

でも、英雄へのあこがれは消えなかった。 だから、冒険者の手助けをしたかった。」

「店主さん、それでこのお店を開いたんだね」

「そうだ。 それで今、俺の前には英雄がいる。」

小首を傾げるアティに、店主は笑いかける。 冷や汗が全身を伝うが、彼は決して辛くなかった。

「お前さんの活躍は、英雄そのものだ。 絶対に、地下最下層へたどり着けるはずだ

俺は英雄にはなれなかったが、せめて英雄の手助けをして死にたかった

・・・せめて、俺は英雄を見る目があった人でありたかった」

箱が開いた。 中に入っていたのは、銀色の小さな靴だった。

「履いてみろ、嬢ちゃん。」

「えっと、うん。 この子が、一番良い宝物なの?」

店主は大きく頷く。 その場で靴を脱ぎ、〈宝物〉を履くアティに、彼は目を細めた。

「精玉石の靴。 最高級の儀式魔法でエンチャントを行い、装着者の足への負担を軽減」

「わあ、すっごく軽いよ!」

目を細める店主の前で、アティは本当に嬉しそうに、くるくると身を翻して回った。

「更に最高級の素材で作ってあるから、そう簡単には壊れんぞ。 魔法にも若干の耐久性がある。

思いっきり踏み込んで見ろ。 そうだな、そいつで、首砕きでこれをぶった切ってみな。

今のその靴なら、剣の威力を最大限に引き出せるはずだ。

遠慮はいらねえ。 俺は嬢ちゃんの、いや、アティ。 お前さんの今の力を見たい」

店主が、店の奥から案山子を出してきた。 アティは頷き、首砕きを抜き放つと、構えた。

凄まじい轟音と共に、アティは完璧な動作で踏み込み、剛剣を振り下ろす。

剣は光の塊となり、案山子に落ちかかった。 そして一瞬でそれを粉みじんに粉砕し、地にめり込む。

忘れたように破裂音が響き渡り、案山子の破片が飛び散った。

その破壊力、雷光がごとし。 実戦で鍛えられた技は、微少な無駄を廃し、芸術的とも言える美しさで

積み上げられた経験が、肉体能力と剣と一体となり、凄まじいまでの破壊力を醸し出している。

もはや〈剣士〉と比べても、アティは実力的にさほど遜色がない。

振り返ると、アティは笑った。 その笑みには、皆を暖かくさせる物が確かにあった。

「すごいよこれ。 この子、本当に貰って良いの?」

「ああ。 ・・・・ただで良い、持っていけ。

くくっ・・・良かった・・・・・お前さんは本当の英雄だ。 俺の目に、狂いはなかった・・・」

立ちつくしたまま、店主の目からは涙が伝い、地面に落ちた。

彼は自分が英雄の前にいて、その手助けをした事を確信し、全てに満足したのである。

アティは、店主の変調に気付いていた。 そして目をこすると、彼に言う。

「店主さん・・・」

「おお・・・喜んでくれるか。 嬉しいよ・・・俺はもう・・・・何の悔いもない・・・・

俺はもう死んでいたんだ。 戦いでも何でもない、情けねえ事に階段から落ちて死んだんだ。

・・・そんな情けない死に方をした自分が・・俺は・・・許せなかった・・・

英雄になれずに、いやそれはいい。 せめて俺は英雄に会いたかった!

会いたくて、手伝いたくて・・・・俺は・・・・・・

でも、もうこれで・・・・人生に・・・・まんぞく・・・・・・・でき・・・・」

「あー、えっと。」

アティは思考を巡らせ、光に包まれていく店主を見た。 そしてソフィアが消えたときと同じく、笑った。

「店主さん。 私、店主さんを忘れない。

名前・・・教えて。 絶対・・・・絶対忘れないから・・・」

「俺は・・・ヴィガー・・・・ヴィガー=マックスウェルだ・・・」

「・・・・マックスウェルさん、有り難う。 とても良くしてくれて、助かったよ」

店主、ヴィガー=マックスウェルは、笑った。 そして光の中へ消滅した。

誰もいなくなった店の中で、アティは視線を地面に落とした。 そして再び目をこすり、呟く。

「私・・・泣かないって決めたから・・・泣かない・・・・

それでいいよね・・・ソフィアさん。 私・・・絶対に泣かないから・・・

良かったんだよね・・・これで・・・・マックスウェルさん、楽になったよね・・・・

笑顔で送った方が・・・涙で送る・・・・よりも・・・・・」

光の玉が、ヴィガー商店の天井を突き抜け、雪降る空へと昇っていった。

そして、二度と地上へ戻ってくる事はなかった。

 

3,決着

 

〈道〉を抜ける感覚は、広い穴の中をゆっくり落ちていくような感覚に近い。

周囲を飛び交う光の線が、移動の速さを示してはいるのだが

目を瞑ると、むしろゆっくり落ちるような感覚がして、どうも実感がわかないのである。

転送までかかる時間はおよそ十二秒。 地面を確認し、第十層の入り口を確認すると、グレッグは言った。

「何があるか分からない故、気をつけてくだされ。」

「そうですね、中に凄まじい邪気が渦巻いています。 今までの比ではありません」

「しかし、考えてみれば当たり前の事だよな」

二人の悲観を、リカルドが蹴飛ばした。 そして、サラが目を瞑ってそれに続いた。

「そうね。 それにアティさんがいれば、相手が何でも負ける気はしないしね」

「やだなあ、照れるよ。 私じゃなくて、みんなの力だってば」

「ご謙遜を。 アティ様、さあ行きましょう」

ヒナが、引っ込み思案のヒナが、驚くべき事を言った。 ナチが見たらさぞ驚く事だろう。

まだ人の視線は怖がる彼女も、アティの側にいると顔を上げ、毅然と歩く事が多くなった。

アレイドの際に完璧に信頼されていると言う事、彼女の頭痛の種を取り去ってもらった事が

そのままトラウマの除去につながり、アティへの信頼を産み、ヒナを強くしたのだ。

確かにヒナは、一人では何も出来ないタイプではあった。 しかし、信頼できる誰かの側にいる事で

非常に大きな力を発揮し、常人よりも遙かに有能になる事の出来る娘であった。

頭一つ大きいヒナを見上げると、アティは決意を込めて頷いた。

 

未知の地点と言うこともあり、グレッグが先頭に立ち、トラップを探りながら歩いていく。

最初の部屋は七つもの空間の歪みが点在している場所だったが、そのうち四つは互いに繋がっており

実質先に進むは三つだけで、その一つにアティは踏み込む事を決意した。

〈道〉に比べて、随分荒々しい通路だった。 激しく視界が上下し、揺動し、それが収まると

六人はそこそこに大きな広間に出て、そこには先客がいた。

現在ドゥーハンで最強の冒険者の一人、爆炎のヴァーゴだった。

「まさかアンタら、此処まで来るとはねえ・・・」

「ヴァーゴさん、お久しぶり。 元気だった?」

「うるさいっ! 此処であったが百年目だ、今度こそぶっ殺してやる!」

凄まじい殺気を叩き付けられても、アティは動じない。

ヴァーゴの後ろには、ポイズンジャイアントのドゴルゲスが控えていて、困ったように言った。

他の魔物達は、今日は連れていない。 典型的な遭遇戦だったのである。

「ヴァーゴ様、落ち着くんだな。 冷静にならないといけないんだな」

「黙れっ! 先にぶっ殺されたいか!」

「それより、ヴァーゴさん。 地下八層を通ってきたんでしょ?」

「それがどうした!」

剣に手を掛けるリカルド、困惑しながら様子を見守るヒナの前で、アティは小首を傾げる。

「じゃあ、見たでしょう? ・・・もうやめようよ、私達が戦っても何の意味もないよ」

「あん? 何を言ってる?」

「えっと。 ・・・クリスタルに触れてみた?」

「あんなモン無視した! 金になりそうもなかったんでね。

それよりも、勝負をつけようじゃないか・・・あたしの力、今度こそ見せつけてやるよ!」

困ったようにアティが眉をひそめたので、ヴァーゴはますます激高した。

そして、スタッフを取り出し、鋭く振る。 先端から毒の針が飛び出し、凶暴な笑みが映る。

それを見て、ようやくアティが首砕きを渋々という感じで、心底困り果てた様子で抜きはなった。

「どうしても、どーしても戦うの?」

「当たり前だっ! それとも、怖じ気づいたか?」

「・・・分かった。 じゃあ、一対一で戦おう。 ヴァーゴさんが倒したいのは、私だけでしょう?」

その言葉を聞いた途端、ヴァーゴの顔が勝利を確信して歪んだ。

アレイドアクションが使えなければ、アティなど敵ではない。 彼女は未だにそう思っていた。

過去二回の戦いで、確かにヴァーゴの戦闘能力はアティのそれを遙かに凌いでいた。

今回も、相当成長している事は予測していた。 それでも、まだまだ自分の方が上だと思っていたのだ。

ヴァーゴの強さは、魔導師として超一流であると同時に、戦士としても一流以上である事に起因する。

その強さは確かに圧倒的で、自信も正当なものだった。

彼女は失念していた、自分以上の戦士が相手の場合、そんな強さなど通用しないと言う事を。

自信に足下をすくわれ、見事なまでに失念していたのである。

基本的に魔術師は接近戦に向かない。 戦士としての修練を積む事で、その弱点を補う事は出来るが

相手がそれ以上の接近戦の名手の場合、大魔法など持ち腐れの宝に過ぎないのだ。

強大な魔導師を、駆け出しの戦士が倒した話など、世界中至る所に転がっている。

それは事実を、魔術師が援護あってこそ初めて真の力を発揮できる事実を、如実に示していただろう。

「墓穴を掘ったね。 覚悟しな!」

「みんな、下がって。 危ないよ。」

アティが軽く身を沈め、首砕きを構える。 ヴァーゴが笑い、高速で呪文詠唱を始めた。

墓穴を掘ったのが、本当は自分だ等とは、露ほどにも気付かずに。

 

軽い音が響いた、アティが地を蹴ったのだ。 そのまま軽快に、同じ音が響き続ける。

忍者ほどではないが、その動きは速く、三十キロもある首砕きを持っているとは到底思えない。

走り来るアティが、耐魔法能力に劣る欠点があることを、ヴァーゴは既に知っている。

その情報は正しい。 現在もアティの耐魔法能力は、彼女のパーティの中で最低であり

凄まじい魔力を誇るヴァーゴの、しかも大魔法が直撃した日には、一撃で戦闘不能に陥るだろう。

流石に距離から言っても、大魔法を唱えるわけにはいかないが、相手故普通の魔法で充分である。

充分に引きつけ、爆炎の魔術師は笑みを浮かべた。 そして、溜めた魔力を解き放つ。

「燃え尽きろっ! ザクレタ!」

「貫け、そしてうち砕け! フォース!」

同時にアティが叫び、魔力の塊を放つ。 二つの魔法がぶつかり合い、火花を散らした。

「アハハハハハ! バーカ! あたしの魔法をアンタが相殺できるわけ・・・」

「ないよねっ! 分かり切ってるよ!」

魔法がぶつかり合った瞬間、一気に加速したアティが、ヴァーゴの至近まで迫っていた。

精玉石の靴が、速さを増幅している。 先ほどより数段早く、アティが迫る。

ヴァーゴが驚愕にその顔を歪め、必死に対策を考えるが、既に間は詰められた。

背後でフォースが敗れ去り、それをうち砕いて飛んだザクレタが壁に激突するが、もはや何の意味もない。

アティにして見れば、魔法を防げなくとも、ほんの半秒押さえておければ良かったのだ。

ヴァーゴは肉弾戦における戦闘力でも、普通の戦士よりは遙かに勝る。

頭脳よりも体が先に反応し、彼女は鋭く戦闘用のスタッフを振り下ろす。

だが、アティからの反作用は強烈だった。 踏み込み、そして首砕きを振り上げる。

首砕きは跳躍の一瞬、床を切り裂き火花をあげ、その疾さを一気に加速した。

・・・正に雷。

スタッフは壊れはしなかった、だが一撃で弾き飛ばされ、回転しながら宙を舞った。

指がちぎれるほどの衝撃に、ヴァーゴは舌打ちし、だがまだ屈せず

クレタを唱えようと体制を整えるが、一瞬遅い。

アティは恐るべき事に、雷の如き勢いで振り上げた首砕きを、空中で静止させた。

凄まじい反動を受け流し、静止させ、流れるように次の攻撃へと移行する。

身をひねったアティの後ろ回し蹴りが、ヴァーゴの腹に容赦なく炸裂した。

数メートルの距離をヴァーゴは吹っ飛び、壁に叩き付けられる。

アティは手加減したようだが、ハンマーで殴られたような衝撃がヴァーゴを掴み、壁に亀裂が走った。

「ぐっ、このっ・・・・・・・!」

ヴァーゴの声が止まった。 彼女が顔を上げた瞬間、轟音が響いたからである。

首のすぐわき、ほんの半ミリの場所。 首砕きが壁に突き刺さり、壁の破片が地面にこぼれ落ちる。

即座に間を詰めたアティが、容赦なく振り下ろしたのである。 分厚い刃の光が、容赦なく網膜を灼く。

腰を抜かして倒れ込んだヴァーゴの上で、アティは苦もなく首砕きを壁から引き抜き、鞘に収めた。

彼女の後ろで、ヴァーゴのスタッフが地面に落ち、二回跳ねて床に転がった。

ヴァーゴの心胆を寒からしめたのは、凄まじい音と共にあった、アティの視線である。

蔑ずむわけではない。 軽蔑するわけではない。

圧倒的な集中力が産む、絶対的な平常心。 興奮もせず、淡々とアティは戦っていたのだ。

それが可能だったのは、敵が格下の相手だったから。

魔導師としての力を生かせば、無論勝負は分からないが、一対一の戦いでは絶対に勝てる相手だったから。

それが、アティの視線に籠もっていた。 だからヴァーゴは戦慄したのである。

「なんで・・・・なんでなんだ・・・・・・」

ヴァーゴの目から涙がこぼれ始めた。 困惑するアティに、爆炎の魔術師は叫んだ。

「何であたしが負けるんだ! アンタみたいなヒヨッコの、甘ちゃんの! 成り上がりに!」

「それは一対一の戦いじゃ、私が有利だったからだよ。 戦い方次第じゃ、ヴァーゴさんの方が強いよ」

「黙れっ! だまれだまれまだれーっ!」

目に凶熱を宿し、ヴァーゴはわめき散らした。 歩き寄ってきたドゴルゲスが、困ってアティを見た。

少し離れて、リカルドとグレッグも困った様子で見守っている。

女性陣は流石に慣れたもので、もう少し離れ被害を避けていた。

「あたしがここまで来るのに、どれだけ苦労したと思ってるんだ!

何の楽しみもない産業もない下らない村から飛び出して、裸一貫で飛び出して

魔法使いのエロ爺に弟子入りして、セクハラに耐えながら必死に魔法勉強してっ!」

「あー、えーとね。 ヴァーゴさん?」

「乞食の真似した事もあったし、体売った事だってあった!

初めて魔法が出来たとき、どんなに嬉しかったか! アンタにその気持ちが分かるかっ!

アンタみたいな常識外の才能を持つ、異常な奴に分かるか!?

一人で魔物だらけの洞窟に放り出されて、悪魔と戦った事もあった!

シーフに根こそぎ金取られて、草喰って生き延びた事だってあったんだ!

あたしは強くなりたかった! だから何でもした! どんな事だってしたっ!」

「でもね、ヴァーゴさん。 ポイズンジャイアントさん困ってるよ。

愚痴だったら、幾らでも後で聞くよ。 でもここは迷宮だよ、だから落ち着こうよ

落ち着かないと、危ないよ。 ここ、凄く深い階層なんだから・・・」

本気で心配するアティの言葉に、ヴァーゴは涙を流しながら、言葉の最後の一つを吐き出した。

「何でもしたのに・・・・なんで負けるんだよ・・・・アンタなんかに・・・・

勝ってたのに・・・・どうして一ヶ月もしないで追い越されるんだよ・・・・・畜生っ!」

うなだれたまま、ヴァーゴは立ち上がった。 そして、ゆっくり歩いていき、スタッフを拾った。

「あたしの負けだ。 ドゴルゲス、行くよ・・・」

「ヴァーゴ様、もう泣かないで欲しいんだな。 今負けても、次に勝てばいいんだな」

「うん、そうだよ。 えへへへへへ、でも、次も負けないよ」

ヴァーゴが振り返った。 そして思い切りあかんべえをすると、吐き捨てた。

「アンタなんか、大っきらいだっ!」

空間の歪みに駆け込むヴァーゴを見て、リカルドが形容しがたい声で言う。

「何処まで自分勝手な・・・ガキかあの女は」

「しかし、これで当分は戦いを挑んでこないだろう。 我らとしては助かるではないか」

グレッグが肩をすくめた。 周囲に静寂が戻り、誰もいない空間が戻ってきた。

広間には二つの空間の歪みがあり、それぞれに別の色の光を放っていた。

 

4,狂気のダンス

 

レッサーデーモン数体と、レッサーヴァンパイア十数体を連れ、ユージンは地下十層最深部を歩いていた。

側には少し前に戻ってきたヴァンパイアロードがおり、長い通路を歩きながら、〈主君〉に語りかける。

「ところで、ユージン卿。 迷宮を制圧した暁には、いかなる政策を行うのですかな?」

「・・・貴様には関係のない事だ」

「くっくっく、確かに。 これは失礼いたしました」

素っ気ない応えにヴァンパイアロードは笑い、肩をすくめた。

ユージン卿がもはや本能の赴くままに行動しているのを、吸血鬼王は既に悟っている。

後は、生け贄にするために、巧妙に精神を操作してやればいい。

最後の空間の歪みは、禍々しく赤紫に輝いていた。 ユージンは何の躊躇いもなく、足を踏み入れた。

一瞬の虚脱の後、あったのは巨大な建物の入り口だった。 巨大な扉がそびえ立ち、奥の様子は見えない。

周囲に満ちているのは、異様な空気。 血の臭いにも、腐臭にも似ていた。

貴族の鈍磨しきった精神に、不意に明瞭さが戻った。 彼は、自分が何の前に来たか悟ったのだ。

「ここが・・・最下層の、最深部か」

「そうですとも。 あの扉の向こうに、偉大なる玉座があります」

ユージンの目に、狂喜が輝いた。 そして、ヴァンパイアロードが一気にその場の雰囲気を冷凍する。

「ですから、貴方の旅は終わりです」

吸血鬼達が一斉に殺気を放つ。 レッサーデーモンが脅威を感じて、ひとかたまりに集まった。

レッサーデーモンとレッサーヴァンパイアの戦闘力はほぼ拮抗している。

しかし、現在はその場にいる個体数が違う。

ユージンは視線を周囲に這わせ、自嘲的な笑みを浮かべた。

「・・・何のために、私との契約を受けた」

「生け贄を育てるためですよ。 何人かいた候補の中で、貴方が最有力候補でした。

そして、一度たがが外れると、貴方は理想的な反応を示した・・・」

ヴァンパイアロードの演説は、淡々と続いた。 銀髪の美青年は、怖気が走るような愉悦を顔に湛える。

「〈死神王〉のコアとして、貴方は理想的だ。 早速俎上に乗って貰いましょうか」

「・・・断る。 私は迷宮の支配者になるのだ!」

「やれ」

ヴァンパイアロードの命令は簡潔を極めた。 おそらく、既に細かい指示は与えてあったのだろう。

鋭い牙をむき、一斉にレッサーヴァンパイアがレッサーデーモンに躍りかかる。

実力は五分、だからむざむざ倒れはしない、しかしながら数の絶対数が違う。

吸血鬼の一匹が鋸のような牙をむき出しにして、魔神の肩にかぶりつき、肉を食いちぎった。

噴き上がる鮮血、絶叫して隙を見せる魔神に、次々と吸血鬼はかぶりつき、地面に引きずり倒し

生きたまま肉をちぎり、内蔵を引っ張り出し、鮮血を啜り、骨をしゃぶった。

瞬く間に魔神達は生きたまま八つ裂きにされ、ひくひくとまだ動いている間に喰われた。

骨を囓る音、内臓を奪い合う音、肉を引きちぎる音。

地面に広がる血溜まりに群がった吸血鬼共が、それを舐める音が周囲に広がった。

ユージンの目の前で、レッサーデーモンの生首を、ヴァンパイアロードが囓っている。

頭蓋骨を巨大な牙でかみ砕き、脳みそをさもうまそうに貪り喰い

地面に落ちた目玉を、別の吸血鬼が飲み込んでかみつぶした。

その隣では、凄まじい音を立てながら、骨をそのまま吸血鬼がかみ砕き、胃に収めていた。

新鮮な獲物は、生きた肉は、人間のものだろうと魔神のものだろうと彼らには御馳走だ。

血だけを啜るような上級吸血鬼と違い、下級の吸血鬼は食人鬼そのもので

故に血みどろのその姿は、下手な悪魔よりも恐ろしい。

十分もせずに、何の痕跡も残さず、ユージンを守っていた下級魔神達はこの世から消えた。

舌なめずりして、吸血鬼達が立ち上がる。 ユージンが剣を抜くと同時に、血塗れの悪鬼達が飛びかかる。

卓越した剣技で、貴族はその三体までを倒した。 だが、それでおしまいだった。

両側から同時に飛びついた吸血鬼が、有無を言わさず牙を立て、ユージンの両腕を食いちぎったのだ。

貴族にとっては、絶望的な苦痛だった。 今まで大きな怪我をした事もなく、親に殴られた事もなく

要領よく立ち回ってきた彼には、あまりにも巨大な恐怖と苦痛だった。

恥も外聞もなく、ユージンは耳を覆いたくなるような悲鳴をあげた。

「ぎぃぎゃああああああああああああああっ!」

「ほう、バカでも狂人でも血は赤いですね。 其処までだ、取り押さえろ」

地面に落ちた腕を貪り食う吸血鬼達が、渋々それを捨て、貴族を押さえつけた。

ヴァンパイアロードが腕を振ると、巨大な扉が音もなく開く。 中には荘厳な空間があった。

「立ちなさい。 玉座に案内してあげますよ」

せせら笑った吸血鬼王が、ユージンを立たせ、無理矢理歩かせる。

地面にこぼれ落ちた血が、二本の綱となって跡を残し、その後に続いた。

無数の柱が立ち並ぶそこを、ユージンは歩かされる。 やがてヴァンパイアロードの同僚達が姿を見せた。

「ホウ、コヤツカ。 シカシコノテイドノチカラデ、メイキュウヲシハイシヨウトハショウシナ・・・」

「ふははははは、まったくだな。 しかし、狂気の分量は申し分がない。 司教殿、始めましょうか」

「うむ・・・ヴァンパイアロード。」

ウィンベルが顎でしゃくると、銀髪の吸血鬼王はユージンの髪を掴み、視線を無理矢理上げさせた。

「見るが良い。 これがお前の玉座、〈死神王〉だ」

「ひ、ひっ、ひぎっ、ひっ・・・・!」

もはや苦痛から、完全に狂気に落ちているユージンの瞳に映ったは、迫り来る無数の黒。

周囲に声が満ちる。 それは、地下二層で、アティが聞いたものと良く似ていた。

コワイ・・・クルシイ・・・イヤダ・・・マダ・・・・マダシニタクナイ・・・・・・・

周囲に満ちる負の気配を感じ、ユージンはのけぞって血泡を吹いた。

イヤダ・・・マダ・・・オレハイキル・・・・イキルンダ・・・・イヤ・・・イヤダ・・・

声は無数に重なり合い、互いを増幅し、そしてやがて形を為した。

死神だった。 ただしそれの大きさは、あまりにも巨大。 おそらく、巨人達よりも更に大きい。

そして、密度も濃い。 全身を流動しているのは、恐怖と苦痛に満ちた無数の顔だった。

タスケテクレエエエエエエエエエエエエエ! イヤナンダアアアアアアアアアアアアア

ウォオオオオオオオオオオオオオオオオ! ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

ユージンの目が、これ以上もないほど大きく開かれ、歩み寄ってくる死神王を凝視する。

やがて、巨大な髑髏を重ねたような死神王の腕が、狂気に落ちた貴族を掴む。

そして、顔に近づけ、数秒なめ回すように眺めると、おもむろに口に放り込んだ。

肉を砕き、骨を潰す嫌な音が周囲に響く。 断末魔の悲鳴は、少なくとも外には漏れなかった。

数秒後、肉の塊を飲み込んだ死神王が停止し、その巨大なる体が小刻みに震え始めた。

「・・・・成功ですな」

「うむ、作戦の第二段階は成功したな。 第三段階に移るぞ」

ヴァンパイアロードが言い、司教が頷く。 やがて、死神王の顔が二つに割れ、新しい顔がせり上がった。

「ヒヒ・・・・ヒィヒヒヒヒヒヒ・・・・・・ヒャッハハハハハハハハハハハ!」

新しい顔が哄笑し、周囲に先ほどとは比較にもならない、強大な闇の気が吹き荒れる。

「この迷宮は、コノメイキュうは、こノわたシのモノダアアアアアアアあああアぁ!

ひヒャ、ヒひャハハハ、ヒャーハハハハははははハハハハハ!

私は、ワタシは王になった! こノ迷宮の、オうニナったンだ! ひゃーははハハはははハ!」

その顔は、生前とは違っていた。 狂気を、余すことなく表にさらけ出していたからである。

死神王のコアとなったのは、ユージン=フォン=レレイラ公爵。

目の焦点は既にあっておらず、口からは涎を垂れ流している。 そして、白い歯を剥き出して笑った。

「イヒャ・・・・ヒャヒャ・・・・・・・・ヒャハハハハハハハ! ヒャーハハハハハハ!

ワタシは王だ、オウの中の王だ、王だ、だから王で、王なのだ・・・ハハハハハハハハ!」

「無様な。 まあ、バカには丁度良い末路だな」

冷酷に吐き捨てると、ヴァンパイアロードは失笑した。

広間には、いつまでもユージンの無様な、それでいて哀れな笑いが響き続けたのだった。

 

「ヴァーゴ様、落ち着くんだな。 いくらヴァーゴ様でも、この階層で突出したら危険なんだな」

「うるさいっ! ・・・うるさいよ・・・・ドゴルゲス」

急速に狂熱を萎ませ、ヴァーゴは言った。

負けた事はさほど重要ではない。 問題なのは、彼女自身が負けを認めた事だった。

アティはあれほどの戦いの後、手を差し伸べてきた。 打算も計算もなく、ヴァーゴに同情したのだ。

あの娘は戦闘の際、二手先三手先を読んで手を打っているような感じをヴァーゴは覚えていた。

だがしかし、先ほどのアティに、それは感じられない。

だからこそヴァーゴの敗北感は、これ以上もないほどに膨らんだのである。

「ヴァーゴ様、アティは悪い人じゃないんだな。 きっと、仲良くできるはずなんだな」

「・・・なあ、ドゴルゲス。」

遠くに魔物の咆吼を聞きながら、ヴァーゴは壁により掛かった。

「何で、あたしは負けたのさ」

「それは・・・多分、アティが一生懸命頑張ったからだな。 昔のヴァーゴ様みたいに」

驚いてポイズンジャイアントを見上げ、ヴァーゴは絶句した。

ドゴルゲスは冷静に自分の主君を見据えて、言葉を続ける。

「今のヴァーゴ様じゃなくて、熱気に満ち頑張ってた昔のヴァーゴ様なら、勝負は分からなかったんだな」

「そうか・・・・あたしは、いつのまにか自分の名前と強さにあぐらを掻いてたのか」

遠慮無く巨人が頷いたので、爆炎の魔術師は苦笑した。

そして、これが二人が生きて交わす最後の会話となった。

風がなり、巨大な影が現れる。 流石に慣れたもので、ヴァーゴはすぐさま臨戦態勢を整えた。

影が声を発する。 それは理知的であり、故に危険だった。

「ほう・・・貴様が爆炎のヴァーゴか」

「デカブツが、見かけに反して知能はあるようだね。

あたしにブチ殺されたくなければ、さっさと帰ってママの膝で震えてな!」

「ふっ・・・能力値は以前の測定時と全く同じか。 二ヶ月間で全く成長していないのだな」

闇から抜け出すようにして、その影が全身を見せる。

魔神だった。 グレーターデーモンよりも更に一回り大きい、銀白の巨大なる魔神。

冒険者の間では伝説的な存在であり、その圧倒的な実力は畏怖の対象となってきた。

正確にはその抜け殻を人間の魂が動かしているのだが、無論そんな事などヴァーゴに分かるはずもない。

「我が名はマイルフィック。 名前ぐらいは聞いた事があるだろう? 爆炎の魔術師よ」

「・・・ああ、天の神に散り散りに砕かれた、情けない骨抜き野郎ってね」

スタッフを振り、ヴァーゴが呪文詠唱を始める。 ドゴルゲスが前衛に立ち、油断無く敵を見据えた。

「第三段階の適任者は、貴様かアンマリーかウォルフか、と思っていたが、これは駄目だな。

覇気がない、気力がない。 全く期待はずれだな。 屑が、処分してしまうとするか」

意味不明の台詞を履き、マイルフィックが前に歩む。 指先から長大な爪が伸び、それを電流が伝った。

「やかましいっ! メガデス!」

叫びと同時に、ドゴルゲスとヴァーゴを守護結界が覆い、眼前で光の塊が炸裂した。

最高位の攻撃魔法メガデス、しかもそれをエルフ以上の凄まじい魔力を誇るヴァーゴが唱えるのである。

破壊力は文字通り絶大、レッドドラゴンさえこれを受けてついに立ち上がれなかったほどだ。

猛烈な煙が周囲を覆い、熱が壁を、天井を灼く。 勝利を確信したヴァーゴが笑った。

「情けないねえ、それで終わりかい?」

「誰が終わりだと?」

煙が晴れ、現れるのは・・・全く無傷のマイルフィック。

高位の魔神が持つ能力、耐魔無効化オーラによって、メガデスの威力を全て中和したのである。

このオーラを凌ぐ魔力で攻撃すれば、無論倒す事が出来るのだが

残念ながら、人がこの魔神の魔力を越える事は不可能である。

マイルフィックが一歩を踏みだし、明らかな同様がヴァーゴの表情に走った。

それを見て、銀白の魔神は呪文詠唱を開始した。 周囲のマナが、台風のように吹き荒れた。

「我望むは高貴なる破壊。 その槍は必殺にて、誰にも越えらぬ孤高が存在」

マナが収束し、形成す。 光の槍が五本、中空に出現した。

「天かける王よ、投擲せよ! 蹂躙し、そして全てを業火に納めるがいい」

「ヴァーゴ様! 逃げるんだな! はやく、はやくにげるんだなっ!」

相手との絶対的な力の差を悟ったヴァーゴは、がたがたと震えるばかりで、何の要領も得ない。

覚悟を決めたドゴルゲスは、両手を広げた。 そして、主君の前に立ちはだかる。

マイルフィックが、淡々と、そして容赦なく呪文の最後の一節をくみ上げた。

「貫け、そしてうち砕け。 フォース・オブ・グングニル!」

巨大な光の槍が四本、うなりをあげて飛んだ。 そしてそれらは、すべてドゴルゲスを無惨に貫いた。

紫色の血が飛び散り、一瞬の虚脱の後、ヴァーゴが絶叫した。

「・・・・・っ! ドゴルゲス! ドゴルゲスーっ!」

「・・・・・・・・はや・・・・く・・・・・・にげ・・・・・・」

ポイズンジャイアントの頭部を、続けて飛来した最後の槍が、容赦なく粉砕する。

周囲に脳みそが、頭蓋骨の破片が飛び散り、ヴァーゴが意味不明の絶叫をあげながら駆けだした。

マイルフィックが翼を広げ、追おうとする。 だが、その時倒れたドゴルゲスの血が、魔神に掛かった。

美しく頑強な鱗が煙を上げ、嫌な臭いをたてた。 潔癖症の魔神は、舌打ちして慌てた。

「ちいっ! 我が鱗が! おのれ、下等な巨人風情がっ!」

マイルフィックの魔法が、巨人を粉々に消し飛ばした。 既にその時、ヴァーゴの姿は周囲になかった。

息も荒く、マイルフィックは壁を殴りつけ、そして目に嘲笑を宿らせる。

「ふん・・・・まあいい。 これではもう立ち直るのは不可能だろうしな。」

マイルフィックの姿が消えた。 後には、これ以上もないほど濃厚な血の臭いが残っていた。

 

5,扉へ

 

「リカルドさん、いくよっ!」

アティが叫び、リカルドとタイミングを合わせ、一気にフロストジャイアントを両側から切り裂く。

更にヒナが跳躍、菊一文字で巨人の喉をかっきり、サラの放ったフォースが止めを刺した。

獣が一体、巨人を叩き伏せるようにすら見えた。 アレイドは流れるように成功したのである。

轟音と共に倒れる霜の巨人を見ながら、アティは汗を拭い、グレッグに語りかける。

「あー、えーと。 グレッグさん、これで何回目だったっけ」

「戦闘自体は七回目です。 今までで、少なくとも十二の部屋を通過しました。」

「それにしてもたちの悪い階層だな。 転移の薬がなければ生きて帰れる気がしないぞ」

ファイアージャイアントより格上のフロストジャイアントを、効率よく倒せた事で

自分の力の上昇を実感しているリカルドが、肩を回しながら忍者に言う。

その言葉に悲壮感はない。 マッピングをしているグレッグと、何よりアティを信頼しているからだ。

グレッグはそれを受けて頷き、壁に小さく模様を刻んだ。

彼はいちいち部屋にはいると、コンパスで方角を確認、丁寧にマッピングを行い

今までの肯定で通った空間の歪みが何処に通じているか正確に把握、細かくそれを書き記していく。

忍者というとその圧倒的な肉体能力から繰り出される、華麗な技を想像する者が多いが

本来はこういう任務が主であって、グレッグはそれを黙々と果たす事の出来る男だった。

「所で、グレッグ。 先ほどから、何度か同じ部屋を通っているような気がするが、気のせいか?」

「いや、その通り。 空間の歪みの行く先を確認するために、何度か同じ部屋を行き来した」

「じゃあ、この階層の構造は、大体把握したの?」

サラの言葉に、グレッグは頷いた。 やがて彼は、指を部屋の隅にある空間の歪みに向けた。

「おそらくは、あそこが更に奥へ進む道かと。 アティ殿。

あの奥にもまだまだ通路が続いているかも知れませんが、確実に進む事が出来るでしょう」

「ん・・・ちょっとまって。 誰か出てくる」

アティの言葉通り、空間の歪みが鈍く輝き、中から何かがはい出てきた。

先ほど戦ったレッサーヴァンパイアほどの大きさで、薄汚れている。

皆が一斉に構えるが、アティは冷静だった。 目を細め、小首を傾げてそれを見た。

「ヴァーゴさん。 良かった、あの様子じゃ怪我してないか心配だったけど、無事だったんだ」

「あんたは・・・・あんたは・・・・・・・・」

必死に這いながら逃げてきた様子のヴァーゴは、アティの顔を見ると脱力し、床にへたり込んでしまった。

手がわなわなと震えている。 先ほどとは違う意味の涙が、地面にこぼれ落ちた。

「ドゴルゲスが・・・・やられちまったよ・・・・あたしをかばって・・・・・」

「ポイズンジャイアントがそうも簡単に倒されたのか?」

「相手は何者だったのでございますか?」

リカルドとヒナが口々に言い、ヴァーゴは口調に怯えを含んだまま、銀白の魔神の名を口にする。

「・・・マイルフィック」

 

歪みの先には、もう魔神はいなかった。 ミシェルが胸をなで下ろし、それを見て皆が武器を降ろす。

壁の染みが、ドゴルゲスの残骸だった。 それしか、ポイズンジャイアントは残っていなかったのだ。

まるで子供のようにおどおどしながら、ヴァーゴが部屋に入ってきた。

そして壁の染みを見て息をのみ、拳を振るわせて嘆息する。

「・・・・これしか、残らなかったのか」

「命をかけての、対等な立場での戦いだから、仕方がないよ」

即答し、アティは首砕きを鞘に収めた。 せめてと思い、サラが前に出て、弔いを始める。

「ヴァーゴさん、悲しい?」

アティがヴァーゴの前で膝をつき、ハンカチを差し出した。

すっかり意気消沈している爆炎の魔術師は、差し出されるままにそれを受け取り、涙を拭く。

「ドゴルゲスさん、大事な人だったんだね」

「・・・死んでみて分かったよ。 あたしは、アレの事を信頼していたんだ。

あいつは恐怖からじゃなくて、あたしに本物の忠誠を誓ってた。 本当にあたしを心配してたんだ

だからあたしは・・・アレの事を・・・・」

嗚咽の声を上げるヴァーゴの背中をさすりながら、アティは続ける。

「あー、えっと。 どうしてドゴルゲスさんは、そこまでヴァーゴさんを心配してくれたのかな」

「あいつは優しすぎたんだ。 無駄な殺しは絶対にしなかったし、弱い奴には手を掛けなかった。

それに・・・・あたしが最初にあったとき、あいつを助けたのも・・・・原因かも知れない」

「じゃあ、ドゴルゲスさんの心を尊重してあげよう?」

ヴァーゴがアティを見上げた。 アティの顔には、自然な微笑みが浮かんでいる。

「えーと、今までみたいに、酷い事ばっかりしてたら、きっとドゴルゲスさん悲しむよ。

過去は縛られるものじゃないけど、同時に捨てて良いものじゃないんだから。

他の人のために涙を流せるんだから、ヴァーゴさん本当は良い人だよ。

だから、もう酷い事はやめよう?」

「・・・・・・。」

ヴァーゴが言葉を詰まらせ、視線を逸らした。

反論は出来そうもなかったし、何よりそうしたいと思ったからだ。

アティが皆に何故信頼されているか、ヴァーゴは理解できた。 アティは全てに於いて〈地〉なのだ。

確かに戦闘時は苛烈で容赦ない戦術を組み上げ、通常時も無意識下で計算している節があるが

こういう台詞はその計算の結果ではない。 正真正銘の本心を吐露したものなのである。

そして何より、アティが自分を本気で心配してくれている。 ヴァーゴはそれを悟った。

また、別の意味での涙を流した。 嬉しくて、ヴァーゴは三度泣いたのである。

「分かった・・・・もうあいつが悲しむような事はしない」

「そうか、よかったんだな。 これでおれは悔いなく逝けるんだな」

思わず顔を上げたヴァーゴ、彼女の眼前には、不器用に笑みを浮かべ、光に包まれたドゴルゲスがいた。

「アティさん、礼を言うんだな。 ヴァーゴ様の優しさ、引っ張り出してくれて嬉しいんだな」

「ううん、違うよ。 ヴァーゴさんは本当の心を取り戻しただけで、それは貴方の御陰だよ」

「そんな、照れるんだな」

頭を照れくさげにかくと、ドゴルゲスの輪郭が薄れていき、その姿は希薄になっていった。

「ドゴルゲス・・・あんた・・・」

「ヴァーゴ様、おれは先に逝くんだな。 でもヴァーゴ様は、まだこっちにきてはいけないんだな。

おれ、ヴァーゴ様の部下で幸せだったんだな。 だから、悔いはないんだな・・・」

「バカをお言い。 あたしが、そう簡単に死ぬわけないだろう」

涙の中に笑みを浮かべ、ヴァーゴは言った。 満足げに頷くと、ドゴルゲスは消滅したのだった。

「・・・・世話になったね」

事の真相を聞くと、ヴァーゴはただそれだけ言った。 そして去り際に振り向き、静かに言う。

「この借りは必ず返す。 必要になったら呼びな」

「あー、えーとね。 うん・・・分かった。 そうさせて貰うね」

アティは手を振り、ヴァーゴを送った。 その姿が消えると、ため息をつき、迷宮の奥を見据える。

その先には、明らかな邪気がわだかまっていた。 ついに地下十層の最深部が眼前になったのである。

 

空間の歪みを抜けて最初の出迎えは、十数体のレッサーヴァンパイアであった。

先ほどまでユージンに付き従い、その腕を食いちぎった連中である。

此奴らさえ倒せないような輩など、〈第三段階〉には無用だと、司教達が判断した故の配置であったが

無論そんな事なぞ知るよしもないアティは、素早く後方にサインを出し、地を蹴った。

一斉にヴァンパイア達が咆吼し、ある者は魔法を唱え、ある者は牙をむきだし、躍りかかる。

それに対し、素早く前衛三人がフロントガードを組み、後衛が呪文詠唱を開始

狭隘な地形を利して敵の攻撃を払いのけながら、転機を待つ。

「キシャ、シャアアアアアアアアアアア!」

複数のヴァンパイアが呪文を完成させ、その破壊力を解き放った。

灼熱の業火がアティ達を包み、踊り狂う。 それが消えた瞬間、片膝を付いたアティが、剣を振るった。

前衛は今の攻撃でかなりの打撃を受けたが、その目は全く闘志を失って等いなかった。

「ミシェルさん、今っ!」

頷き、グレッグと魔法協力したミシェルが、一気にため込んだ火力を解き放つ。

「ジャクレタ!」

アティの眼前に、光の壁が出現した。 とても吸血鬼達と同じ魔法だとは思えない凄まじさだった。

あまりの高熱に、それが爆発だったと悟るには、遅れて吹き荒れた爆風と炸裂音が必要だったほどである。

レッサーヴァンパイアの内実に七体が瞬時に焼き尽くされ、魔法中枢を破壊されて消滅した。

残りは耐魔無効化オーラで何とか凌いだものの、ダメージは無視できうるものではない。

続いてサラが、呪文を発動した。 それは攻撃補助系としては最高位の魔法だった。

「我求めるは絶対なる光の加護、正義を奉ずる御手の一端!

その光魔を灼き、屈服させ、浄化の光に押しつつむ物なり

降臨せよ! 天の叢雲! そして我らが卑俗なる武器に、その大いなる一端を分け与えるが良い!

包み、切り裂き、そして勝利を! ダイバ!」

アティの首砕きを、淡い光が押し包む。 彼女は汗を拭って立ち上がると、次の指示を出した。

奇声を上げながら襲いかかる、生き残りのヴァンパイア達。

その一体の顔面に、グレッグの投擲した手裏剣が、非情なまでに正確に突き刺さる。

それも淡い光で包まれていて、つまり魔法中枢を破壊する力を持つ武器へと変貌していた。

不死者として致命傷を受け、絶叫しながら吸血鬼は灰になっていった。

更に一体が大ダメージを貰ったのを見て吸血鬼達が突撃に二の足を踏み、その隙をアティは逃さない。

精玉石の靴で地を蹴り、一体をなで切りに、更に一体の頭を叩き割った。

分厚い刀身を持つ首砕きが唸る。 その全ての能力を引き出された剛剣が、吼えて敵を討つ。

今やアティと首砕きは一体となって、体の一部として敵を討っていた。 その破壊力は、推して知るべし。

隣ではリカルドが卓越した剣技でレッサーヴァンパイアをねじ伏せ、ヒナが一撃必殺の剣で敵を斬る。

だが敵は、レッサーといえどもヴァンパイアである。 高位の不死者は、流石に容易には屈してくれない。

生き残っていた最後の一体が、絶妙のタイミングでジャクレタを発動した。

爆炎が周囲を包み、轟音を響き渡らせる。

それが収まると、流石にダメージの大きいアティは地面に手をついていて、だが闘志は未だ衰えない。

鼻白んだヴァンパイアの眼前で、アティは首砕きを杖に立ち上がった。

「ヒナさん、行くよっ!」

更にもう一発、アティにとっては致命傷になりうるジャクレタを唱えようとしていた吸血鬼が

同時に駆けだしたアティとヒナを見て、後方に飛んで攻撃を避けようとするが、それは罠だった。

既にバックアタックの指示で後ろに回り込んでいたリカルドが、軽く剣を振るだけで事は終わった。

自分からその剣先に首を差し出した形になったレッサーヴァンパイアは、悲鳴も残さず滅びたのだった。

アティの側にサラが駆け寄り、回復魔法を唱え始める。

比較的ダメージの小さい後衛の三人は、目の前に広がった威容を見て、驚きを隠せない様子だった。

前衛の三人は、かなりダメージが大きく、まだそれを見上げる余裕はないはずだったが

アティはそれを直視し、立ち上がって言葉を漏らす。

「そっか、ついに来たんだ・・・」

「ここが、第十層の最深部ですか? アティ殿」

「あー、えーとね。 うん、多分間違いないと思うよ」

彼女の眼前には、冥府を模した模様を刻んだ、巨大なる門があった。

中からは、今まで味わった事がないほどの障気が溢れ来る。 異界としか思えない異常な空気だった。

 

サラが額を抑え、頭を振る。 そろそろ彼女は限界が近く、それはミシェルも同じはずだ。

ダイバの効果は、今だ首砕きに張り付いている。 アティは回復がすむと、躊躇無く門へと進んだ。

巨大な門は、高さにして八メートル強、幅にして五メートルほどもある。

大仰な呼び鈴は山羊の頭を模していて、取っ手が着いているが、それは四メートル程の高さに付いていて

アティが首砕きを振り上げても、全く届かなかった。

その様を見て、リカルドとグレッグが同時にヒナを見たが、次の瞬間サラが二人の頭に鉄拳を振り下ろす。

「ごめんね、バカ男共ときたら、デリカシーが無くて」

「いえ、大丈夫でございます。 しかし困りました、どうしたらよいのでしょう」

「私がヒナさんに肩車をしていただいても、とても届きそうにありませんね」

女性陣の会話を聞きながら、グレッグが痛む頭をさすり、周囲の警戒に当たり始めた。

障気と裏腹に、辺りに魔物の姿はない。

空間の歪みの辺りは狭い通路になっているが、門の前はホールになっていて、左右に小部屋があった。

小部屋の中は既に荒らされていた。 これは迷宮にこの地点が引きずり込まれる前に

既に荒らされたのであり、先に此処まで到達した冒険者はいない。

暫く考え込んでいたアティは、やがて視線を周囲を探るグレッグに向け、笑みを浮かべた。

「あー、えっとね。 ねえねえ、グレッグさん。 ちょっとこの門調べてくれる?」

「了解しました。 少しお待ち下さい」

「うん、おねが・・・・うわっと!」

天井から先ほどのジャクレタの影響か、小さな破片が落ちてきた。

それに驚いたアティが転び、扉にもろにぶつかる。 次の瞬間、それはきしみながら開いていた。

巨大な扉が、音もなく開く。 中が見えるほどではないが、それは確かに動いていた。

「アティ、お前・・・人知を越えた馬鹿力だと思ってはいたが・・・・」

リカルドがもはや説明不可能な事態に、唖然とした声を絞り出すが、アティは頬を膨らませた。

「もう、幾らなんでもそんなわけないじゃん。 あー、えーと。 ちょっとこれに触れてみると・・・」

扉はアティが少し力を入れただけでも簡単に動き、サラやミシェルでも充分に動かせた。

「羽のように軽いですね。 多分軽量化の魔法が掛かっているのだと思います」

「というと・・・相手は中にはいる事を拒まないと言う事。 どういうつもりかしら」

「そんなの、行ってみないと分からないよ」

アティはゆっくり扉を押し開いた。 向こうには、何処までも続く広い広い通路があった。

 

6,吼え猛る死神王

 

通路の左右には、円柱が無数に立ち並び、それぞれに上から下まで精巧な彫刻が施されていて

荘厳な雰囲気を、いや虚仮威しの荘厳さを後押しし、傲然とふんぞり返っていた。

その幅は広く、通路ではなく長いホールと言っても差し支えないかも知れない。

魔物は存在しない。 だがアティは首砕きを鞘に戻さず、皆はその意味を嫌と言うほど理解していた。

「・・・・タスケテクレ

声が響く、グレッグが慌てて周囲を見回すが、誰もいない。

コワイ・・・・・クルシイ・・・・・・イヤダ・・・・・・・・・・マダシニタクナイ・・・・・・・・・!」

再び声が響き、困惑するグレッグの肩を、アティが叩いた。

「・・・気をつけて。 死神さんが出てきたときと、同じ現象だよ」

「と言う事は、本体のお出ましか」

「あー、うん。 多分そうだと思う」

アティとリカルドの会話にグレッグがため息をつくと、全身を耳に警戒を開始した。

フォーメーションを保ち、六人は歩く。 長い長い通路を、ゆっくり奥へと歩いていく。

その途中も、声は聞こえた。 その度にグレッグは周囲を見回し、四度に渡って冷や汗を拭った。

果てしなく長く感じられた空間の先には、ひときわ禍々しい色の空間の歪みが存在し

そこには玉座が設置され、そしてある人物が立ちつくしていた。

「・・・ハイムよ、来たのはお前だったか」

振り向き、その人物、ウィンベル司教は嘆息した。 アティは悲しみを両目に浮かべ、剣を向ける。

「もうやめようよ。 父さんの理想は大事だと思う。 世界には、汚い部分が在るんだと思う。

だけど、もうこれ以上壊さないで。 父さんは、美しい物まで壊しちゃってるよ!」

「この世は間違っている。 変革のためには、多少の犠牲は仕方がない事だ」

「多少の犠牲? 多少の犠牲ですって!?」

アティを押しのけ、サラが前に出た。 そして唇を噛み、ボウガンを向けて言い放つ。

「貴方の過去は私も見せて貰ったわ! 思い出しなさいよ、何で貴方がこんな事を始めたのか!

この汚い世の中に鉄槌を下すためでしょう? ええ、それ自体は否定しないわ。

私も神様の不平等さにはほとほと愛想が尽きかけてたから、それ自体は否定しない! でもねっ!」

サラの瞳に熱が籠もった。 あくまで冷然とする司教に、サラは更に言葉を叩き付けた。

「今の貴方がやってるのは、その汚い世界の一番汚い奴らがやってるのと同じ事よ!

自分の理想のために他人を犠牲にして、それを世界の為って言葉でごまかす!

貴方は自分の命をかけているだけ連中よりマシだけど、本質的には同じだわ!

この子が、どれだけ苦しんだと思う? 貴方の理想と世界の狭間で、どれだけ苦しんだと思ってるの!

貴方、ハイムを娘と思っていたはずよね! だったら貴方・・・」

「だったら、わしはなんだというのだ?」

「父親失格よ。 改革者なんかじゃ到底無いわ、典型的な駄目親父よっ!」

サラが言葉を詰まらせたのは、アティの悲しげな視線を向けられたからである。

「あー、えっとね。 私を庇ってくれるのは嬉しい。 凄く嬉しいよ。 でもね・・・

サラさん、父さんをそんな風に言わないで。この人は、私の紛れもない、たった一人の親なんだから」

「・・・恥ずかしくないんですか? 貴方、こんな優しい娘を、アティお姉さまを悲しませて」

心底からの怒りを込めて、ミシェルが続けた。 だが、司教は感銘を受けなかった。

「だからどうした。 変革には犠牲が付き物だと言っただろう。 理想社会のため、わしは鬼となろう」

「貴方は・・・悲しい人でございますね」

ヒナの言葉は、おそらく司教の決意を指したのだろう。 目を瞑り、霊体ウィンベルは静かに手を振った。

「計画の第三段階を実行させて貰う。 先ほどの様子から見て、お前達でも充分だろう。

ヴァーゴかアンマリーかウォルフを使うつもりだったが、計画は一刻を争うのでな。

別に充分な能力さえ在れば、誰でも構わぬわ。

来い、ユージンよ。 貴様の玉座を脅かす愚民共が現れたぞ」

「おぉおおおおおおお・・・・・おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

ワタシの・・・・私の玉座を・・・・・奪いに・・・・・・・きただと・・・・!」

空気が凍った。 凄まじい障気が周囲から吹き出し、慌てて後退を指示したアティの眼前で

地面に黒い魔法陣が出現、巨大な何かがその中からせり上がってきた。

「・・・そうか、ついに化け物に成り下がったか、バカ貴族」

リカルドが吐き捨て、せり上がってくる巨大な化け物、死神王ユージン卿を見据えた。

ユージンは、既に正気を完璧に喪失している。 見るも無惨な表情を浮かべ、意味不明の言葉を垂れ流し

時々嬌笑を漏らしては、焦点の合ってない目で周囲を見て、何がおかしいのかまた笑い続けた。

「父さんが、この人をこんなにしたの?」

アティは司教を見つめた。 その時、初めて司教は動揺を浮かべた。

「計画のためには仕方のない事だ。 理想のために、わしはいかなる策でも実行するのだ」

「そう。 ・・・分かった。 じゃあ私、この人を助ける。 それで父さんの理想を止める!」

アティが言い、まだダイバの光が巻き付く首砕きを向け、静かなる決意を確固たる物にする。

「私、父さんの理想と共存できるかも知れないと思ってた。 でも、これはもう無理だよ。

父さん、私父さんの理想を認められない。 いや、違う。 理想は分かるんだけど、行動は認められない!

だって、人をこんなにして、悪い人だったかも知れないけど、こんな酷い事して!

どんな理想社会が来るの? 誰が幸せになれるの?

これを喜ぶ神様が武神なら、その神様が作る世界が理想社会なら、認めない! そんなの認めないモン!」

アティが此処まで相手の事を否定した事はない。

武神でさえ、会わなければどうとは言えないと断言した娘が、此処まで苛烈に相手を否定したのだ。

場の者達は、驚愕に包まれた視線を彼女の頬に向けていた。

やがて、司教が激発した。 それに対し、サラとグレッグが目に怒りを宿して立ちはだかる。

「だ、だまれだまれっ! お前は結局、わしに逆らうのではないかっ!」

「逆らわれて当然よ! 人を人形みたいに思わないで!」

「アティ殿は我らの宝だ! 決して、貴様の都合がいい道具ではない!」

「やかましいわっ! もうどうでもいい! 第三段階の実行は他の奴でも充分だ!

ユージンよ、此奴らをひねり殺せ!」

激高した司教がわめき散らし、巨大な体躯を揺らして死神王がアティに歩み寄る。

地下十層最深部にて、狂気の貴族の、凄まじいまでの狂咆が響き渡った。

 

アティは今まで三十を超えるアレイドアクションをギルドで修得したが、その殆どは実戦能力に欠け

その中から使える物だけを取捨選択して、現在は使用している。

例を幾つか挙げると、ダブルスラッシュや、フロントガード、バックアタック

それに魔法協力に牽制射撃、マジックキャンセル等で

剣士が最初に教えた物が、この中に全て含まれている。 剣士も役に立つ物だけを選択して教えたのだ。

しかもこれらは幾らでも応用が利く優れたアレイドで、基本にして至高の存在である。

無論たまに他のアレイドも使う事もあるが、それはあくまでトリック的な攻撃の際に使うに過ぎない。

実践に適さないアレイドの例としては、次のような物がある。

ゲイルスラッシュという攻撃用アレイドアクションが存在するが、これは相手の重さが軽めで

しかも動きが鈍くなければ使えない上に、前衛三人が全て攻撃に参加せねばならず

その上三人が普通に攻撃した方が余程効果が高いという、文字通り意味不明の代物で

一度だけアティは試してみて、すぐに使用をあきらめた。

今回の戦闘でも、アティは基本に沿って戦っている。 奇策を繰り出すのが強さではなく

的確な攻撃を、地道に繰り出してこそ確実に勝てる事を、彼女は知っているからである。

今まで彼女がたてた策は、みな王道に沿った物だ。 突拍子もない戦術も戦略も一つもない。

それらは組み合わせれば無限の可能性を産み、そして余程異常な状況でなければ、それで充分なのだ。

驚くべき奇策というのは、実は大概に於いて、戦術戦略の王道に沿って作られている物が殆どで

それが超絶的な奇異さを持つのは、素人から見てスケールが大きすぎるからであろう。

軍師として天才で在ればあるほど、熟練していればしているほど、基礎を非常に重視するのである。

確かに非常に特化した状況に於いては、主力以外のアレイドも出番があるのだろうが

これはやはりクイーンガードの専売特許、門外不出の秘技という閉鎖的な性格が産んだ一種の凝りで

それを標準的に使いこなすのが無理なのは、ある意味仕方がない事なのかも知れない。

「サラさん、グレッグさん! 魔法協力! ヒナさん、リカルドさんとダブルスラッシュ!

ミシェルさんは詠唱! 内容はね、これ!」

アティが指示を出し、同時にサインを出す。 使うアレイドは普通だったが、内容が普通でなかった。

疑問の言葉が出る前に、アティは走る。

少し遅れて前衛の二人が続き、それを見た死神王が巨大な剣を振りかぶった。

剣の長さは五メートルほどもある。 それは斬首刀の形状をしていて、無数の顔が浮き出ていた。

「イヒャ・・・・ヒャヒャハハハハハハハハハハ! オウニ逆らう不届キものが・・・!

シネエエエエエエエエエエエ! 砕け散り、懺悔しろぉおおおおおおおおお!」

台風が如き、大いなる風の音。 死神王ユージンが、剣を振るったのである。

同時に凄まじい闇の障気が吹き出し、周囲を蹂躙した。 無数の悪霊が、奇声を上げながら周囲を飛び

駆けだした三人は体を低くして耐え、後衛もそれに習った。

流石に大きいだけあり、動きは若干鈍い。 アティは立ち上がると、鋭く敵の足に斬りつけ

続けてヒナとリカルドが、一糸も乱れぬ優れた連携で、一気にダブルスラッシュを決める。

次の瞬間、彼女らの剣を覆っていた光が消えた。 アティが後退し、巨大なる死を見つめる。

死神王の傷が見る間にふさがっていった。 異常と言うほか無い回復力であった。

当然人間を元にしているのだろうから、無敵とまでは行かないだろうが、これは恐るべき敵であろう。

「やっぱり、たくさんの魂がくっついてるだけあって、凄く頑丈だね。

少しくらい斬ってもびくともしなさそう、こまったな・・・」

「暢気な事を言うな、アティ! 打つ手はあるのか?」

「・・・このままじゃあの人可哀想だから、早くしないと。

あー、えーとね。 リカルドさん、大丈夫だよ。 絶対に負けないから」

アティが言い終えると同時に、サラが魔法協力で増幅された呪文を発動した。

「切り裂き、そして勝利を! ダイバ!」

短い振動音と共に、スパークすら繰り返しながら光の塊が首砕きにまとわりつく。

剣の太さが何倍にもなったように見え、それを下段に構えると、アティは次の指示を出した。

「行くよ、リカルドさん! バックアタック! ミシェルさんは詠唱続けて、サラさんは魔法協力!」

「ヒヒ・・・・アレイドか・・・・あれいどだと言うのかアアアアああああ!

ならば、これを、偉大なる王の風をくれてやる! ヒヒャハハハハハハハハハ!」

死神王が絶叫した。 そして剣を振り上げ、その先端部に光が集中していく。

詠唱している様子もなく、本体に隙は見えるが止める暇もない。 無数の死霊が、詠唱を行っているのか。

呪文はほんの数秒で完成した。 そして、その効果を余すことなく解き放つ。

「ヒャハァ! 砕け散れ、アモーク!」

鎌鼬が暴風となって、アティ達に襲いかかった。 その破壊力、以前戦った死神の比ではない。

殆ど一瞬にして大ダメージを受けたアティが、それでも立ち上がる。 剣の光は、瞳の炎は未だ衰えない。

跳躍し、横に首砕きを振るう。 光の刃が死神を切り裂き、更に後ろに回ったリカルドが追い打ちする。

ヒナが続けて勢いに乗った一撃を加え、ユージンが泡を吹きながら二歩後退すると

サラが魔法協力で増幅された呪文を、満を持して発動した。

「切り裂き、そして勝利を! ダイバ!」

光の剣。 そう称するほか無いほどに、アティの首砕きは洗練された魔力に覆われ、スパークを繰り返す。

死神王が哄笑する。 そして、再びアモークの呪文を発動した。

強烈な鎌鼬に、円柱が吹っ飛び、瓦礫が飛び散る。 全身に切り傷を負ったアティが、片膝を付く。

特に前衛の者達のダメージが大きい。 リカルドなどは兜を吹き飛ばされ、頭から出血していた。

死神王の傷は、また溶けるように塞がっていく。 戦況は悪くなる一方であった。

「まずい、このままじゃあやられるぞ!」

「大丈夫・・・だいじょぶ! サラさん、魔法協力! ミシェルさん、詠唱続けて!

私達はまた攻撃! 今度はヒナさん、行くよダブルスラッシュ!」

「はい、分かりましてございます!」

またしても、指示には回復魔法が含まれない。

サラは不安に眉をひそめるが、アティの指揮で戦闘に負けた事はなく、それが彼女に信頼感を産ませる。

三度攻撃が行われ、それはまた効果を示さない。

先以上に膨れあがった光の剣は、大きく死神を傷つけるが、その体はすぐに修復されてしまうのだ。

ユージンは笑い、笑い続けた。 動きは鈍く、アティに打撃は当てられそうもないが

有り余るほどの魔法攻撃能力が、彼に敗北を感じさせないのだろう。

その狂気に満ちた瞳の中を、魚のように無数の霊魂が泳ぐ。 剣を振り上げると、それも霊で出来ている。

体中を無数に覆う髑髏は、うめき声を上げ、きしむような音を立て、苦しさを周囲に振りまいていた。

「ヒヒ・・・・・ヒヒャアアア! 愚民が、しねええええええっ! 王の裁きで、死ぬノダアアあ!」

ユージンが剣を振り下ろし、無数の小さな鉄片がアティ達に降り注いだ。

アティが立ち上がり、両手を広げる。 後方にいた、サラとミシェルを庇ったのだ。

鉄片、正確には小さな無数の霊体がアティを直撃し、鈍い音を立てる。

流石によろめく彼女の口の端から、血が伝っている。 肋骨が何本か折れたか、傷ついたか。

だが、まだ気力は衰えない。 その瞳には、あくまで真っ直ぐで、強力な意志力が宿っている。

そして、その時、ついに彼女の策が完成を見る。

絶対的な回復力を持つ相手なのだから、それを凌ぐ攻撃で一瞬にしてけりをつけるしかない。

アティはそう判断して、繰り返し補助魔法を指示したのである。

途中攻撃を繰り返させていたのは、戦略構想を悟らせないための陽動戦術であり

実際、先ほどの攻撃力でピンポイントに打撃を繰り出されていたら、連携を崩されていた事は疑いない。

「切り裂き、そして勝利をっ! これで最後よ、ダイバ!」

サラが三度、ブーストされたダイバを発動した。 強烈な魔力波が、皆の武器を包む。

光の巨大な槍が三本、場に出現した。 アティの首砕きから、リカルドの祝福の剣から

そしてヒナの菊一文字からそれらは発生し、天井すら突かんばかりの長さで光の奔流を延ばしていた。

その流れの周囲は、驚異的な量のマナが渦巻き、激しくスパークが繰り返されている。

アティはもはや声には出さず、仲間にサインで指示を出した。

その表情で、これが最後のチャンスだと、皆一様に悟った。

それはユージンも同じだった。 敵のかってない攻勢を悟り、死神王はわめき散らした。

「イヒ・・・・ヒヒヒヒヒ・・・・わたしは・・・・わたシは王だ・・・・おウなンだ・・・・!

だからこの迷宮はワタシだけの物だ・・・・愚民が・・・・・サガれぇえええええええええええ!」

ユージンが絶叫し、呪文を高速で唱え始める。 それは僧侶系最強の呪文だった。

おそらく生前の彼が、最も得意としていた魔法だったのだろう。

「我ここに契約し、導き手たる印を呼ぶ。 聖天使ミカエルよ、我にその高貴なる翼を貸したまえ!

美しく偉大なる炎の天使の名において、我はここに願う。 聖なる印が、全てを従える事を!

吹き飛ばせ、そして圧倒的なる勝利を! スティグマ!」

同時に発動した呪文がある。 アティの指示で、ミシェルが満を持して発動した呪文だった。

そしてそのタイミングは死神王ユージンよりも、わずかに、だが確実に早かった。

「焼き尽くせ、滅ぼせ、そして飲み込め! メガデス!」

満を持しての一撃、それはスティグマと相殺しあった。 双方の魔力差から考えて妥当な結果だったが

相殺した位置が、死神王の眼前だった事が勝負を決めた。

むしろ二つの極大魔法の威力をもろに受ける事になったユージンは、今まで以上に無様な絶叫をあげた。

前衛三人が、同時に走る。 濛々たる煙をかいくぐり、一気に敵との間を詰める。

リカルドとヒナが左右に分かれ、長大な光の剣となった愛剣を、斜めに死神王に叩き付けた。

それは絶対的な魔力量で、弱体化した死神王の両足を粉砕、ユージンの背が縮む。

そして、アティが踏み込む。 血が混じった汗が飛ぶが、そのような事全く関係ない。

完璧な、おそらく剣士が見ても感嘆するほどの芸術的な無駄のなさで、死神の眼前にて踏み込む。

そして、全身の筋肉を躍動させ、首砕きを振り下ろした。

死神王の巨大な体躯に、亀裂が走った。 その全身は、既に左右二つに分かたれている。

ユージンの後方の床に、光が奔り、砕けた石畳が吹っ飛んで飛び散った。

「ワタシは・・・・まけ・・・・ない・・・・王に・・・・この迷宮の王に・・・・・・

ヒ・・・・ヒヒ・・・・・ヒギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

死神王の断末魔と、ガラスが割れるような音が重なった。

そして、司教の計画の「第三段階」は此処に完成を見たのである。

 

7,深淵へ

 

滅びた死神王は、真っ黒な塊になり、地面に沈み込んでいった。 ユージンが現れる様子もなく

自分が〈はかられた〉事を悟ったアティは、傷だらけの顔を上げ、ゆっくり司教を見据えた。

ウィンベルは、疲れ切った視線を娘に向け、静かに息を吐き出す。

「死神王を倒させる事。 それが〈第三段階〉だったのだよ

これで武神は復活する。 ご苦労だったな、我が娘よ」

「貴様が、アティを娘と呼ぶんじゃないっ! この恥知らずの外道野郎がっ!」

「あー、えっと。 リカルドさん、お願いだから止めてよ。

私、父さんがそんな風に言われても全然嬉しくない。 凄く悲しいよ」

「・・・・ちっ。 分かったよ。 お前がそう言うなら・・・・やめるがな。」

「有り難う、リカルドさん。 父さん、どういうことだか説明してくれる?」

殺気立つリカルドを押さえ、遠くに行きかける意識を必死に保ちながら、アティは言った。

その額には先ほど鉄片が直撃した痛々しい傷跡があり、頬も大きく切り裂かれて血が流れ落ちている。

戦場では顔がどうのとは言っていられないが、それでもこの傷は惨たらしい。

流石にギリギリの戦闘の最中では、とっさに顔を庇う等の行動はとれないのだろう。

司教はまだハイムを、つまりアティを娘だと思っていた。 だから、静かに声を絞り出す。

「死神はな、中途半端に死を自覚した魂の集まりだ。 武神は死を自覚しない魂を具現化させるが

中途半端に、何となく死を悟ってしまった者は死神となり、仲間を集めようとする。

こんな屑でも、魂は魂で、そして武神の復活には重要な要素だった。

何度かの実験で、私達はそれの有効利用法について考えた。 そして、狂気に満ちた魂でそれを制御し

武神へ流し込み、その力にする事を思いついたのだ」

「つまり、ユージン卿は終始お前の掌で踊らされていたのか!」

グレッグの言葉に、何の感銘もなく司教は頷き、ゆっくり空間の歪みに向けて歩き始める。

だが、それは唐突に閉じた。 司教は眉をひそめ、そして全てを悟った。

「そうか・・・奴め、わしに取って代わるつもりで、準備をしていたのか

奴が策動していたのは、チャンスの割り出しのため・・・この機会を待つためか・・・」

ウィンベル司教は、妙に晴れ晴れとした気分になるのを感じていた。

彼は理想世界の実現のため、命をかけていた。 理想世界の王になる事など、二の次の事だった。

理想社会が出来、そのために死ぬなら良いと思っていたから、その事態が来て安心を味わったのだろう。

アティ達の剣には、今だブーストされたダイバの魔力がまとわりついている。 斬られれば死ねる。

司教は振り向くと、静かに嘆息し、計画の深淵を話し始めた。

「迷宮内で何度も戦争を起こさせたのも、魔界から魔神共を召還したのも。

全ては魂を集めるためだ。 その意味では、グレーターデーモンに代表される魔神共も

それにユージンに代表されるバカ共も、お前達冒険者達もよく働いてくれた。

後二十四時間と言う所だ。 武神は復活する。 この地に理想世界が築かれる時が来たのだ」

「あー、えーと。 この地にって事は、世界を征服する気なんて無いの?」

「我が目的は、あくまで理想世界の構築だ。 ここに人も神も魔も干渉できない理想世界が出来ればいい

・・・斬れ。 わしは自分の罪を否定しない。 それがあるというのなら、素直に受けよう」

アティが一歩を踏みだした。 司教が目を瞑り、娘に斬られる瞬間を待つ。

「父さん・・・私が父さんを許せないのは・・・」

アティが司教の霊体に近づく。 そしてそれに触れ、抱きしめるような動作をした。

「本当は自分だって間違ってるって分かってるのに、自分の心を殺して、悪い事をし続けて。

それで自分だけ責任をとって、今消えようとしてる事・・・・」

「ハイム・・・・お前・・・・」

「みんなが責任を取るべきなのに、武神なんて責任を取ってくれる、決断してくれるもの作って

本当は悲しいのに、本当は辛いのに、理想なんてつまんない言葉で自分をごまかして来た事・・・・」

司教が目を細め、娘の温かみを感じ、そして涙を流した。

一体何年封印してきた感情なのか、彼にも分からない。 だが、それはまだ厳然と存在していたのである。

「もうやめよう・・・充分に父さんは苦しんだよ。 だから・・・もうやめよう。」

「お・・・・・おおお・・・・お・・・わしは・・・・・わしは・・・・・・・・」

司教の体が、光に包まれ始める。 アティは涙を必死にこらえながら、笑みを浮かべた。

「有り難う、お父さん。 私、お父さんが育ててくれたから、この場にいるんだよ」

「・・・・・ハイム・・・・・ハイム・・・・・! すまない・・・・・・・すまなかった!

おお・・・やすらぐ・・・・わしは・・・・こんなにも・・・・・・・安らぎを欲していたのか・・・」

消滅した。 ウィンベル司教は、長年の妄執から解放され、ここに消滅したのだった。

 

緊張の糸が切れ、想像を絶する苦痛に耐えてきたアティが、前のめりに倒れ込んだ。

慌てて皆が駆け寄り、その身を抱き起こす。 うっすら目を開けたアティは、あり得ない人を見た。

「・・・剣士・・・・さん?」

「久しぶりだな、アティ。 ・・・そして司教を救ってくれて、礼を言う」

薄い輪郭のその人物は、アティに向けて苦笑した。 白髪の、青い目をした最強の冒険者の一人。

素性は誰も知らず、地下一層でアティにアレイドアクションを教えてくれた人物。

消えてしまったはずなのに、此処にいる。 アティはその意味を悟り、ため息をついた。

「あー、えっと。 伝えたい事があって、残っててくれたんだね

武神に取り込まれてしまうのも、厭わないで・・・」

「いや、それは構わない。 今から私が真実を告げよう」

剣士は胎動する時空の歪みを見据える。 おそらくあれが開くとき、武神は復活するのだろう。

「私の名を教えてやろう。 私の名は・・・ハイム=アティラーダという」

「「「「「!」」」」」

アティを除く全員が、一斉に息をのんだ。 アティはぼんやりする意識を引き戻し、苦笑してみせる。

「そっか・・・やっぱり剣士さん、私だったんだね」

「これが、お前が生まれるまでの私の記憶だ。 取っておくがいい」

ドラゴンキラーを地面に突き立て、ハイムが言い、光の玉をアティに向けて飛ばす。

それが傷が生々しく残るアティの額の中に潜り込むと、ついに記憶は完全な物となったのである。

閃光の発生から、約十四ヶ月。 何をしていたか、分からなくて当然だった。

そもそもその間の記憶など、初めから無かったのだから。

アティはハイムのクローンだった。 ただし、魂と記憶と人生を共有した複製だった。

剣士は地下八層を通るとき、意図的にソフィアの魂が待つ場所を避けていた。

何故なら、〈必要だった〉からである。

そして、冷酷に全てを判断できる自分を、ハイムは決して好いてはいなかった。

「・・・私が憎まれるべき存在だというのが分かっただろう。

私はお前の人生を、最初から鎖で縛ってしまった。 果たせなかった事を、押しつけてしまった。

万死に値する罪状だ。 私は、許されるべき存在ではないのだ」

「ううん、違うよ」

自然な笑みがアティに浮かぶ。 血と傷にまみれていても、その笑みは嬉しかった。

「えっとね、御陰で私、みんなに会えたんだモン。 えへへへへへ、だから剣士さん、私大好き

だから、そんなに自分を責めないで・・・私。」

「そうか・・・自分に慰められるとは、我ながら情けない話だ

だが、嬉しいぞ。 何だかソフィアに慰められているような気分だ・・・」

苦笑した剣士の輪郭が、ぼやけ、消え始める。 ついに最後が来た事を悟り、彼女は嘆息した。

「武神は、陛下の魂をコアに制御を行っているはずだ。

そして奴は復活したてなら、まだ人の手に負えるはず。 決してあきらめるな。

・・・・時間だな。 私は絶望に勝てなかった。 だがお前は違う。 ・・・・負けるな」

天を仰ぐ剣士が、揺らぎ、消えてゆく。 最後の瞬間、彼女は優しく笑ったように見えた。

司教と同じように、剣士は消滅した。 ただし向こうとは違い、武神に取り込まれたのである。

しばらくは場を沈黙が覆ったが、やがてサラが咳払いした。

「・・・宿で詳しい事情、私達にも分かるように聞かせてくれる?」

「うん。 一旦戻って、最後の決戦の準備しよう。 これで、最後だよ・・・ほんとうに」

「ついに、深奥に手が届くか・・・熟練者などと言っていたら、絶対に無理だったな」

リカルドが、自分の手をじっと見た。 グレッグが無言で転移の薬を取り出し、ミシェルが周囲を見回す。

ヒナは目を瞑り、何かを呟いたが、それは周囲には漏れなかった。

やがて転送の光が場を包み、アティは地上へと帰還した。 最後の戦いの前の、ひとときの休息のために。

 

8,それぞれの思い

 

爆炎が荒れ狂い、魔神達を焼き尽くす。 アンマリーは、地下九層でいつものように暴れていた。

魔神の悲鳴を聞くその目には、明らかに愉悦が湛えられ、可愛らしい顔を毒々しく彩る。

そしてふと彼女は顔を上げた。 何の脈絡もなく、行動したように側からは見えた。

「ふうん・・・あの子、素晴らしいじゃない」

「マリー、そんなにオレの今の一撃良かったか?」

「いや、多分、俺の、攻撃の、方だ」

腰巾着二人が期待に目を輝かせ、口々に言う。 アンマリーは冷然とそれを見据え、吐き捨てた。

「オスカー、リューン。」

二人が硬直する。 そして、背中に冷や汗が流れる。

「私、無意味にしゃしゃり出てくる人は嫌いよ」

「悪かった、悪かったよまりぃいいいいいいい!」

「だから、許してくれ。 嫌いだなんて、言わないでくれ。 お願いだ」

「知らないわ、そんなの。 一旦地上に戻るわよ・・・・ふふ、面白くなりそう」

一人でさっさと歩き出すアンマリーを、泣きながら腰巾着二人が追う。

いつもの光景、そしてこれからも繰り返される光景であった。

 

「ん・・・・どうやら時は熟したみたいです」

そういって、ウォルフは立ち上がった。

地下十層で、近くには苦もなく倒されたレッドドラゴンの死骸があった。

「なあ、姉御。 ひょっとして、最後の決戦が近いのか?」

「ええ、そう言う事です。 ダニエル、一端帰りましょう」

ダニエルが妙に悲しそうな表情を浮かべ、そして頷いて転移の薬を取り出す。

ウォルフは短くまとめたクリーム色の髪の毛に触れると、静かに苦笑した。

「鬼と出るか蛇と出るか、見届けるとしましょう。 私も当事者の一人ですからね」

 

ドゥーハン軍陣地で、クルガンは部下達の様子を確認し、満足げに頷いていた。

十五名の忍者兵と、アインズから貸し出された十名の最精鋭。 訓練も指揮も申し分ない。

「司令!」

レンが向こうから駆けてくるのが見えた。 クルガンはその報告を聞き、大きく頷いた。

「いよいよだな・・・・汚名を返上し、借りを返すときが来た!」

頬の痣をなでると、クルガンは二十五名の部下達に振り返り、そして言った。

「最後の決戦だ! 迷宮に巣くう怪物共を叩きのめし、ドゥーハンに平和を取り戻す時が来た!」

「おおっ!」

兵士達のあげた声は、高揚し勇気に満ちている。

「奴らは手強い! しかし、我らには負けられぬ理由がある!」

当然敵にもそれがある事くらいはわかりきっている。 だが、あえてクルガンは続けた。

「我らの魂、見せつけてやろうぞ! 全員一体となり、敵を討つ!」

司令の元気が戻った声に、レンは大きく頷き、満足げに目を細めていた。

 

「司教殿が成仏したか」

魔神マイルフィックが、面白くもなさそうに言った。

ホワイトドラゴンが、それを受けるように、吸血鬼王に不信を含んだ視線を向ける。

「デ、ヒョットシテキサマガリーダーヲキドルツモリカ?」

「実力から言っても、私が司教殿の代理だろう。 違うか?」

自信満々のヴァンパイアロード。 マイルフィックとホワイトドラゴンは、顔を見合わせ失笑した。

「別に構わぬ。 誰がリーダーだろうと、理想世界さえ来ればいい」

「タダ、キサマヲリーダートシテミトメロトイウナラ、ジョウケンガアル」

「何だ、言って見ろ」

ホワイトドラゴンが、長大な首をねじ曲げ、吸血鬼王に鋭い侮蔑に満ちた視線を鋳込む。

「キサマノシッパイノシリヌグイヲシロ。 ウォルフヲホウムレ。」

「・・・・!」

「勝てぬ訳はあるまい? 何しろ、実力からしてリーダーに相応しいのだろう?」

しばしの沈黙。 やがてヴァンパイアロードは、静かに頷いた。

「良いだろう・・・私が奴を屠る」

彼らの後ろで、光の塊が胎動している。 死神王を吸収した事で、更に巨大になった光の塊が。

「サビシイ・・・・」

小さな声が、その中から漏れた。 だが、それは誰の耳にも届きはしなかった。

(続)