曝される真実

 

序、終末の始まり

 

後の世で、〈閃光〉と単純に呼ばれる事件が、発生したのは夏の暑い日の事であったが

その日以降、ドゥーハンの住民は暑さに悩む必要はなくなった。

何故ならその殆どが死者の列に強制的に並ばされ、生き残った者達も極寒地獄に放り込まれたからである。

現在は軍の努力もあり、何とか余所との狭い通路が出来てはいるが

ベノアの宝石と呼ばれたかっての面影は、今は存在していない。

町の殆どは単なる瓦礫の山とかし、復旧は未だ進まず、活気は戻りそうもない。

ドゥーハンの上層部では何度も遷都の動きが出たが、肝心の女王が迷宮攻略にうつつを抜かす状態では

それも遅々としてならず、他の場所での混乱が収まったのにもかかわらず

王国自体はまだ、〈閃光〉の呪縛から逃れられずにいるのである。

しかしながら、それだけ忌まわしい〈閃光〉であるのに、その真実について知るものは殆どいない。

何が起こったのか、何が行われたのか。

隕石が振ったという説も在れば、魔導実験の失敗という説も浮上した。

だが、それらはいずれも真実に到達するにはほど遠い仮説であり、現実の毛の先にも触れてはいなかった。

その現実に、一番近い娘が、今ドゥーハンにいる。

彼女、アティは今、いよいよ満を持し、ドゥーハンに出現した迷宮の地下八層へ挑もうという所だった。

そこには全ての真実があった。 全ての現実があった。

そして、この世で最も深い闇の、一端が露出していた。

地獄、とそれは呼ばれる事がある。 最も深き闇が、最も悲しみに満ちた心が

全てを見んとする者の前に、その身を曝そうとしていたのである。

 

「うむ。 そうだ。 転送の準備をしておけ

相手はクイーンガード二人だ。 調整は念入りに、徹底的にしておくのだ」

通信用の魔導器に、レドゥアが何やら語りかけている。

ここは地下八層の中央部である。 周囲には結界が張られ、魔物の進入を防いでいたが

流石にこの辺りの魔物ともなると、その戦闘力は桁違いで、流石の忍者部隊といえど楽には進めず

数を十分の一に減らしている事、護衛の任務もある事を考え、慎重すぎるほどの速度で進んでいた。

やがてクルガンが戻ってくると、レドゥアは魔導器をしまい、考え込むそぶりをした。

勿論、先行して地下八層の調査を行い、ある物を見た事など告げるはずもない。

「長、やはり上の進入口はダミーに間違いない。

念入りに調べてきたが、地下十層への入り口は見あたらなかった。」

「そうか、ご苦労だったな。 少し休むが良い」

「そうさせて貰う。 女王陛下は無事か?」

全く無防備な背中をレドゥアに見せて、クルガンは歩き始める。

この辺りは、彼が小部隊の隊長になれても、師団クラスの大軍の指揮が無理な事を示していたが

それには当然長所もあるので、彼の器が小さい事にはならないだろう。

「ああ、無事だ。 これからは今まで以上に厳しい戦いになる、ゆっくり休んでおけ」

「そうだな。 クッ、それにしても忌々しい魔物共だ!」

誇り高き純粋な武人。 それはつまり単純な男。

せせら笑うと、レドゥアは結界の様子を確認し、そして自らも眠りについた。

 

「それにしても興味深い事象だな。 これが全て事実だというのか?」

地下八層地下部、薄暗い部屋で、ユージン卿が傍らにいる人影に語りかける。

その周囲には何体かのレッサーデーモンと、レッサーヴァンパイアが警戒に当たっており

時々近寄ってくる魔物と小競り合いを起こしては、敵味方の鮮血を浴びてそれに酔っていた。

「そう言う事です。 ご満足いただけましたか?」

「そうだな、満足した。」

皮肉まみれの返答にそっけなく応えると、ユージンは更に歩を進める。

何やら死肉を奪い合っていたレッサーデーモンとレッサーヴァンパイアが顔を上げ、慌てて従った。

彼らとしても、この階層で孤立する事は絶対に避けたい事なのだろう。

「私の目的を果たすには、少しは役に立つやも知れぬな。 だが、当面は先に進む事で手一杯だ」

「そうですな・・・小うるさい鼠も着いてきている事ですし」

「ほう? 良かろう、貴公に任せる。 適当に処理しろ」

最強の護衛であるヴァンパイアロードに、臆する事もなくそう命ずるユージンは、やはり臆病者では無い。

軽く頭を下げると、吸血鬼の王は、かき消すように姿を消した。

「最後に生き残るのはこの私だ・・・」

誰にも向けないユージンの呟きが、その空虚感を埋めるように宙に広がり

鼻を鳴らすと、狂気の騎士は、地下八層の最深部へと歩を進めていったのだった。

 

1,大事なもの

 

地下七層から帰還したアティは、久しぶりに余裕のある休息を取る事が出来

充分に体力を回復し、爽やかな空気の中で目覚めを迎えていた。

低血圧のアティは、基本的に朝には弱い。 特に、普段は利点となる剛力が凶器になる。

何しろ、全くと言っていいほど力加減が出来ないので

今までもドアを引きちぎってしまったり、座ろうとして椅子を分解してしまったり

様々な失敗をしでかしてきたが、本日の失敗は特に凄まじい代物だった。

「あー、みんな、おはよー。

・・・・ん? みんな、どうしたの?」

今に降りてきて、あくびと共にあいさつをしたアティは、皆の視線に気付き小首を傾げる。

場の雰囲気に顔を上げたヒナなどは、吹き出して青ざめる始末であり

咳払いをすると、最初にリカルドが、アティに声を掛ける。

「どうした、その顔、手! 血だらけだぞ!」

「お姉さま、お怪我ですか? いたくありませんか?」

心配そうなミシェルの声に、寝ぼけ眼でアティは自分の手を見た。

其処には、朱があった。 手の半分ほどが、ついさっき吹き出した物かと思われる鮮血に染められ

その血は頭から滴っている物らしく、顔の半分ほどをも朱に染めていた。

数秒それを見ていたアティは、別に驚くでもなく、いつものように笑顔で言う。

「あー、えーと・・・血だらけだね」

「血だらけだね、ではない! 一体何があったのだ!」

他人事のような事を言うアティに、いつものようにリカルドが噴火する。

「えーとね。 何だろ。」

「手も血だらけって事は、何らかの理由で頭を怪我して、触ったんじゃないの?

取りあえず回復魔法を掛けるわ。 椅子に座って。」

「それそれ。 さっき頭をかいたら、何だか〈がり〉っていったの

それから頭が痛くなったんだけど、そっか、血が出てたんだね」

サラはため息をつくと、簡単な回復魔法であるフィールを唱え始めた。

最下位の回復魔法とは言え、この程度の傷ならすぐに修復できる。

回復魔法の光がアティの体を包むのを横目で身ながら、形容しがたい顔でリカルドが言った。

「もう少し自分の体を大事にしてくれ。」

「それに、痛いっていうなら、早めに言って頂戴。」

ミシェルが取ってきた布で血を拭いてやりながら、サラは言う。

この辺りの、全く自分に配慮しない性格は、アティが好きな者達には、いつも心を締め付ける要素だった。

「あー、えーとね。 でも我慢できるから。

それに私の体なんてどうでも良い物の事で、みんなに迷惑掛けて悪いよ」

「前も言ったけど、迷惑だなんて思っていないわ

それに、貴方の体は〈どうでも良い物〉じゃないわよ。 もっと自分を大切にして」

不意に手を打つ音がして、視線を皆が向けると、壁に手をついてヘルガがこちらを見ていた。

「会議始めるわよ。」

皆は頷くと、気を引き締めた。 この会議をおざなりにするわけには行かないからである。

 

「地下八層は、二層構造になった特殊な階層です」

酒場から戻ってきたグレッグが、会議室のテーブルの上に広げた地図を指さしながら言った。

宿の経営は軌道に乗り始め、従業員も数名いる。 経済的に余裕が出てきたので

ヘルガは幾つかの家具を買い換え、このテーブルもその一つであった。

「上の階層は平面的かつ障害物の無い平らな場所で、地下九層への入り口が無造作に配置されています

そして下の階層は、複雑なテレポーターと無数の小部屋が組み合わされ、非常な危険な場所です

しかしながら、上にある地下九層への入り口はトラップだという説もあり

複雑な構造の下の階層に、本当の地下九層への入り口が在るという噂も根強く、軽視できません」

「それに、地下七層を楽に越えられれば良いが、そう簡単にもいかないだろうしな」

前回の探索で、地下八層への入り口は、非常に簡単に発見できた。

だが、地下七層は一定時間置きに構造が変化する特殊な迷宮で、既にその変異時間は超過しており

今潜った所で、確実に地下八層へ到達できるという保証はない。

「地下八層に入るに当たって何か重要な事は他にないの?」

ヘルガの言葉に、グレッグは視線を地図から外し、幾つかの情報を頭の中で整理しながら返答した。

「そうですな、現在判明している情報では・・・

この階層辺りから、上級の不死者が出没する事があるそうです。

中には高位の攻撃魔法を使いこなす輩や、エナジードレインを操る者もいるとか」

「じゃあフロントガードが必須になるわね。大丈夫?」

そう言ってヘルガは視線をアティに移した。 アティは二秒ほど沈黙した後、小首を傾げる。

「大丈夫だよ? ヘルガさん、どうしたの?」

「・・・いや。なんでもない。」

ヒナがもしまだアティを信頼していなかったら、彼女はここまではっきり大丈夫だと言わないだろう。

それを察し、ヘルガは着席した。 これは単純にフロントガードだけの問題ではなく

戦力としてヒナが問題なくなった事を示すから、総合力の飛躍的な強化も意味しているのだ。

その後は、具体的な探索案に話が移ったが

第八層の地下部を中心に探索する事をアティが言い出したので、リカルドが何故かと問いただした。

「まず地下九層へ行ってみてはどうなのだ? あくまで噂は噂かも知れないのだぞ」

「あー、えーとね。 うん、そうなんだけど・・・

この間地下七層へ行ったとき、少しだけ地下八層覗いたよね

そうしたら・・・なんか知らないけど、懐かしい感じがしたの」

「懐かしい・・・感じですか?」

グレッグが思わず聞き返し、アティは頷いた。

「うん、そうなの。 地下八層には何かあると思う。 凄く大事な何かだと思うんだ」

「お前の記憶は、真相解明の鍵だからな。 行ってみて損はないか・・・

なあサラ、どう思う?」

「あ、え、私? ・・・ええ、良いと思うわ。」

眉をひそめたリカルドに、サラは曖昧に応えると、視線を逸らした。

「じゃあ決まり。もういい加減五層まで戻るの厳しくなってくるから転移の薬は用意しなさい」

それだけ言うと、ヘルガは宿の業務に戻っていった。

リカルドとグレッグも席を外し、それを確認すると、サラはアティに向き直る。

「アティさん、悪いけど、ちょっと右手を出してくれる?」

「? これでいい?」

差し出された右手をサラは掴み、念入りに調べた。

彼女は僧侶の修行をしただけあり、単純な医術も身につけている。

結果、問題はなかった。 安堵のため息をつくサラに、アティが不思議そうな顔をした。

「あー、えーと。 どうしたの?」

「ええ、もしもと思ったんだけど

貴方が無茶な体の使い方をして、亀裂骨折の類があったら良くないなと思ったの。

大丈夫よ。 貴方の体は私が思っていたよりもずっと頑丈だわ」

それだけ言うと、サラは不意に真剣な表情に戻る。

「お願いだから、苦しいときは私達に言って。

貴方は私達全員にとって大事なの。 貴方が傷ついたり、苦しんだりしたらみんなが悲しむわよ」

「・・・うん、ありがと。」

サラが本当に自分を信頼してくれる事を悟って、アティは心の底からの礼を言った。

地下八層で、まもなく地獄の祭典が開催される。 そのような事、分かるはずもなく。

いつものように、むしろ良として、地下八層の探索は始まったのである。

 

2,裏切りの地下八層

 

転移の薬は現在、新品の鎧とほぼ同等の価格で、しかも確実に入るとは限らぬため

かなりの貴重品となっており、店頭にはなかなか並ばず、並んだ所ですぐに売り切れてしまう事が多い。

これに目を付けたある冒険者が始めたのが、転移の薬の販売である。

この冒険者は地下二層をどうにか歩ける程度の実力しかなかったが、転移の薬が売り物になる事を知ると

地下一層、地下二層を中心に探索、転移の薬だけを狙って冒険を続け

苦労の結果、現在は豊富な在庫をそろえる事に成功している。

ここでなら確実に転移の薬が手にはいるのだが、値段はギルド公認店の三倍という高値であり

しかも迷宮内の少しわかりにくい場所に在るため、それなりの冒険者でなければ利用できない。

地道で着実な調査の結果、グレッグはこの場所をついに突き止め

法外な値段で売られていた薬を、幾らか値切って入手してくる事に成功した。

当然ながら出費は膨大で、前回の地下七層探索で得た収入が、これでほぼ消えてしまったが

転移の薬がある事は、迷宮深部の冒険に於いて、大きなプラスになるのである。

ショートカットルートを通り、地下五層から地下六層へはいり

戦争の惨禍が生々しく残る地下六層を経由して、地下七層へ進むと、そこの様子は様変わりしていた。

一定時間ごとに構造が変わる。 その事実が、アティの前に突きつけられたわけである。

既に数回戦闘を行っており、無駄足を踏んでいる余裕はない。

地下八層の魔物は強く、構造は複雑な事が分かっているから、無駄は破滅に直結しているのだ。

「忌々しい階層だな。 前に作った地図がこれで無駄か」

吐き捨て、リカルドは地図を丸めて握りつぶした。

以前探索した際は、長方形の素直な構造だったのに、今回は螺旋状に通路が延びており

しかも上下に段差が分かれている所すらあり、簡単に下への通路は見つかりそうもなかった。

「どうします? アティ殿」

「あー、うん。 えーとね、一つずつ通路を探していこう。

此処で悩んでいても意味がないし、議論した所で仕方がないよ」

「それもそうでございますね。」

ヒナが積極的に喋ったので、皆驚いたが、当人は全くそれに気付いていない。

つまり、自然にアティを信頼し、発言できるようになってきているのである。

ここに来る途中でも、自然にアレイドアクションを成功させる事が出来たヒナは

〈お荷物〉から、〈重要な戦力〉に変貌しており、アティとしてもそれは感じているはずだ。

「じゃ、進もう。 大丈夫、きっと進めばいい事があるはずだよ」

壁を一打ちすると、アティは率先して歩き始めた。

その背中には、皆を信頼させる物が確かにあり、進む活力へと変貌させたのであった。

そして意外に早く、四つ目の通路を曲がった所で、地下八層への入り口が姿を見せたのである。

「ほら、良い事があった。」

嬉しそうに言うアティの笑顔は、誰から見てもまぶしかった。

誰もが、その笑顔を曇らせたくないと、この時感じたのであった。

 

地下八層は、迷宮内部にもかかわらず、光が満ちている不思議な空間であった。

強力な魔法の効果か、或いは別の効果か、ともあれ地上部分は地上と同じく光が満ちている空間だった。

床には不思議な模様が刻まれ、柱が乱立している。

そして中央部分には無造作に地下部分への階段が設置され、更に向こうには地下九層への入り口がある。

周囲は地下六層には及ばないものの、かなりの広がりと奥行きがあり、魔物が堂々と歩き回っていた。

「奥の方に誰かいるよ。 気を付けて」

首砕きを抜き放ち、アティが言う。 一瞬遅れて武器を構える皆の前に、レンが急ぎ足で現れた。

「ん? 貴公らは・・・そうか、ここまで来る事が出来たのか」

「あー、えーと。 レンさん、だったっけ?」

レンはゆっくり頷くと、奥の方へ視線を移した。 そこで剣音が響いており、時々爆発音も響いていた。

「悪いが、手伝って欲しい。 魔物の掃討戦を行っているが、数が多くて手こずっているのだ

当然報酬は出す。 今は手伝いを選んでいる場合ではないのでな」

「うん、分かった。 損はないと思うし、いいよ。」

「それにしても、先ほどまではおとなしくしていたのに、急に群れで現れてな

私はこちらの方に伏兵がいないか探りに来たのだが、貴公らがいるとは運が良かった。」

走り出すレンの前では、戦闘の音が間断なく響いている。

魔物はキメラと呼ばれる、獅子と山羊と竜の合成魔獣が数体

それに加えて、ライフスティーラーと呼ばれる強力なゾンビが十数体であり

奮戦しているのはやはりクルガンで、キメラの急所に一撃を叩き込み

躍りかかってきたライフスティーラーを打ちのめし、獅子奮迅の活躍を見せている。

一方レドゥアは戦況を冷静に見つめ、時々妙に簡単に高位魔法を発動したりしているが

戦いの帰趨を左右する気はないようで、必要な分だけ加勢しているような雰囲気であった。

魔物は確実に数を減らしているが、流石にこの階層ともなると個体個体の能力が違う。

一人の忍者兵が、キメラに捕まって頭をかみつぶされ、断末魔を上げると動かなくなり

舌打ちしたクルガンは、女王の方を見て叫んだ。

「ここですらこの有様! 一旦引き、体勢を立て直しましょう!」

女王は応えない。 それどころか、忍者兵の死にも全く興味がないようだった。

「陛下っ! どうか、どうかお聞き下さい!」

「クルガン様!」

レンの声にクルガンが回避行動を取ろうとするが、一瞬遅い。

キメラが剛腕を振るい、クルガンを弾き飛ばしたのである。 エルフの忍者は床にたたきつけられ

更に止めを刺そうとしたキメラが、その頭に向け獅子の腕を振り下ろす。

その瞬間、アティが火のような勢いで、首砕きと共に突進した。

水平に構えられた首砕きは、主人と共に一本の矢のごとく、まっすぐキメラの側頭部に跳び、貫く。

側頭部を貫かれたキメラは、絶叫と共に倒れ、周囲に地響きが響き渡った。

「サラさん、ミシェルさん! 魔法協力! グレッグさんは牽制射撃!

ヒナさん、リカルドさんとダブルスラッシュ!」

指示を飛ばすと、アティは既に補助魔法がかかっている首砕きを振るい、ライフスティーラーを粉砕した。

その脇では、既に忍者兵の攻撃で傷ついていたキメラを、ヒナとリカルドが左右から切り裂き

ヒナを攻撃しようとしたライフスティーラーを、グレッグの手裏剣が迎撃、弾き飛ばしていた。

そして、充分な詠唱と援護を受けたミシェルが、満を持して攻撃魔法を発動する。

「我が守護神は航海の神、そして雷の神、たけき戦神トール!

その大いなる力にて、今この忌まわしき者達へ、裁きの鉄槌をくださん!

たたきつぶせ、トールハンマーよ! ジャティール!」

最高位の雷撃魔法、ジャティールが、爆発的な光と音と共に、魔物達の中心に炸裂した。

魔法的中枢を破砕されたライフスティーラーが、壊れた人形のように地面に倒れ込み

致命傷を受けたキメラが、竜の首を振り回し、轟くような絶叫を上げて倒れ伏す。

今のが決定的な一撃となり、勢いづいた忍者兵達は、勇気を奮い起こして魔物達を掃討し

数分後、周囲で猛威を振るっていた魔物達は、勝ち目がないと見なして逃げ出した。

だが、代償も大きい。 既に忍者兵の内三名が死し、五名が重軽傷を負っている。

無傷なのは二名のみで、しかも彼らも疲労困憊の状況にあり

もはや、これ以上進むのが不可能なのは、誰の目にも明らかであった。

「クッ、誰が貴様らに助けてくれと言った!」

立ち上がったクルガンは、アティを見るなりそう言った。

だが、サラが口を開く前に、クルガンに反論した者がいた。

「お待ち下さい。 彼らに加勢を頼んだのはこの私です」

「レン! 貴様、何という余計な事を!」

心底忌々しげに言うクルガン、その目には怒りよりも、むしろ屈辱が充ち満ちていた。

彼も今アティが加勢しなければ、全滅していた事は分かっていたのだ。

だからこそ、だからこそに屈辱はふくらんだ。

「恐れながら、この者達は常に誠意在る行動を見せ、卑劣な事はした試しがございません

司令が何故此処まで憎悪するのかは分かりませぬが、何かの間違いではないのでしょうか」

「あー、えーと。 レンさん、もういいよ。

クルガンさんが私を嫌いな理由は分からないけど、私を庇ったりしたら、貴方の立場が悪くなるよ」

そう言ってアティは片膝を着いているレンの肩に手を置き、前に出るとまっすぐにクルガンを見つめる。

「あの、余計な真似だったらごめんなさい。

私達は地下八層の探索をしたいだけなの。 邪魔をしないって約束するから、通っても良い?」

その視線を見て、クルガンは違和感を感じた。

動揺が心に走る、自分の行為が、とんだ勘違いの産物ではないかと思い始めたのである。

彼は元々盗賊団の首領で、オティーリエ女王に拾われて、踏み外していた道から立ち直り

以後は女王に最も忠実で、最も強固な盾として、恩を全力で返してきた。

だから、〈あの事件〉を目撃した以上、アティを絶対に許す事が出来ないと考えていたが

もしそれが単なる勘違いの産物だとすると、その感情は見当はずれの極めて迷惑な代物となる。

困惑をクルガンが浮かべたのを感じ、アティは小首を傾げた。

そして、不意に近づいてきた足音を感じ、視線を逸らしたアティの前に、レドゥアが現れた。

左手で杖を持ち、右手で何かを弄んでいる。 それが転送系の魔導器だとは、誰も気付かなかった。

「貴様は、地下八層の深部へ行こうというのか?」

「うん、そうだよ」

「ならば生かしておくわけにはいかないな。 ここでクルガンもろとも死んでもらおうか」

「なっ! 長、どういう事だ!」

クルガンの驚愕には応えず、レドゥアは右手を振った。

反射的にミシェルが対魔法結界を張るが、忍者兵達までは庇いきれず

周囲を異様な空気が覆ったかと思った時には、既に遅し。

狂気を目に湛えた忍者兵達が、うなり声を上げながら立ち上がっていた。

 

「行くぞ。 遅れるな」

レドゥアのその言葉は、女王に向けて発せられた。

しかも女王は無礼を咎めるどころか、従順にそれに従い、地下部の階段に向け歩き出す。

精神操作にかかったのかとクルガンは思ったが、目は正気である。 つまり自主的に従っている・・・!

「女王陛下!」

クルガンは叫んでいた。 困惑を顔中に浮かべ、すがるような声で叫んでいた。

それは、アインズ将軍に、彼が頼まれていた事でもあった。

「貴方は、ドゥーハンの民が愛しくないのですか!

民が貴方の帰還を待っていると、どうして気付かないのですか!」

一瞬だけ、女王は振り向いた。 その表情を見て、クルガンは絶望した。

何故なら、その言葉を女王はそもそも理解しておらず、興味も示していない事が明白だったからである。

忍者兵達は、正気を喪失しながらも、手に武器を持ち、ゆっくりこちらへ近づいてくる。

その様を見て、クルガンが顔を上げた。 レンが声を掛けるまでもなく、気を持ち直したのである。

「気を付けて! 後ろからも来るよ!」

首砕きを抜き放ち、アティが注意を促した。 後方に、転送用の魔法陣が出現し、何かが姿を現す。

その姿を見て蒼白になったのはヒナだった。 ミシェルも口を手で押さえ、声も出ない様子である。

それは無数の人間を組み合わせた、生命を侮辱する存在だった。

肉で作った人工生命体で、〈フレッシュゴーレム〉と称される存在であり

下法の中の下法、最悪の術の一つとして忌み嫌われ、禁忌とされる術によって生み出された命だった。

顔面は最低三人の人間の顔が継ぎ合わされ、肩からも一つ顔がつきだしている。

右腕に比べて、左腕は異様に太く、途中から二本の腕が組み合わされていて

肩の小さな顔の横からは、小さな腕がつきだし、異様なうなり声と共に肉を振るわせていた。

臭気も凄まじく、一体何体の人体を継ぎ合わせて作ったのか、想像もつかない。

「・・・こちらは俺とレンに任せろ。 せめて此奴らに、人としての死をくれてやらねばならん

司令官としてな。 ・・・俺がしてやれる最低限の仕事を、果たさねばならん!」

忍者兵達に向かい、クルガンが武器を構えた。

アティはそれに視線を送ると、妙な信頼感が芽生えるのを感じ、そして仲間達に言った。

「みんな、あの人達、楽にしてあげよう!

ヒナさん、ミシェルさん、大丈夫? あの可哀想な人達、見て戦える?」

「大丈夫です・・・お姉さま・・・何とか、戦って見せます。 安心して下さいませ」

「私は・・・大丈夫でございます。 ご心配なく!」

フレッシュゴーレムが両腕を振り上げ、複数の声色が重なったような絶叫を上げた。

それが戦いの合図となり、忍者兵達も一斉に地を蹴り、死闘が始まった。

 

「ミシェルさん、グレッグさん! 魔法協力!

サラさんはマジックキャンセル、ヒナさん、私とダブルスラッシュ行くよ!」

巨体を揺るがせ、突進してくるゴーレムを前に、アティは全くひるまずに冷静に指示を出すと

前衛の二人と一緒に、タイミングを計って駆けだした。

それに対し、ゴーレムは左腕を振り上げると、リカルドめがけて振り下ろす。

間一髪、避けたリカルドは、その拳が地面にめり込み、石の破片を飛ばすのを至近で見た。

「何て奴だ、冗談ではないぞ!」

「大丈夫、動きは早くないよ! ヒナさん! 今っ!」

アティが叫び、ヒナとタイミングを合わせて、フレッシュゴーレムを左右から切り裂く。

続いてミシェルがザクレタの魔法を完成させ、ゴーレムに容赦なく叩き付けた。

火だるまになったゴーレムが、異様な臭気を上げる。 だが、それくらいで倒れる相手ではなかった。

肩に着いていた顔が、何やらぶつぶつ呟いているのに、サラが気付いたときにはもう遅い。

「汝風の精霊、全てを運び、全てを導き、全てを切り裂く気まぐれなる者よ

汝が悪意、我くみ取らん。 それ即ち刃とかして、我が敵を奈落へ運ぶ導きとなれ

死への旅路を! アモーク!」

かまいたちを発生させ、敵に叩き付ける魔法、アモークが炸裂した。

マジックキャンセルをサラは掛けていたが、流石に全ての顔まで注意が行かず

魔法は何の障害もなく発動し、後衛の三人に襲いかかった。

「きゃあああああああああっ!」

魔法発動直後のミシェルが、もろに一撃を受け、悲鳴を上げて倒れ伏す。

グレッグもサラも被害は深刻だが、ミシェルは全身に切り傷を受け、気絶して床に倒れ伏した。

しかも、状況はさらなる悪化を見せた。 フレッシュゴーレムの傷が、見る間に回復していくのである。

火傷は溶けるように消え、切り傷も埋まっていく。

このゴーレムには、常識外のリジェネーション能力が備わっているようだった。

「サラさん、回復魔法! グレッグさん、マジックキャンセル!

気を付けて、この人達、物理攻撃と同時に魔法が撃てるみたいだよ!

ヒナさん、リカルドさんと右腕をダブルスラッシュ!」

全く動揺を浮かべないアティの冷静な指揮が、状況の悪化にもかかわらず士気を保つ。

率先してアティが駆けだし、ヒナとリカルドがそれに続いた。

「ええい、やああああああっ!」

叫び声と共に、アティは跳躍した。 そのまま、肩に着いている顔に向け、首砕きを振り下ろす。

だが冷静にゴーレムはそれを迎撃、細い方の左腕が首砕きに正面から打ちあたり

鈍い金属音と共に、アティは弾き飛ばされた。

何か強力な魔法金属でも仕込んでいるのか、鮮血が吹き出しながらも、細い左腕はまだ肩に着いている。

もう腕としての用は為さない様子であったが、元々防御用につけられた訳だから

充分に〈道具〉として、それは意味を為したのだ。

そして、何とか受け身を取って着地するアティに、太い方の左腕が振り下ろされた。

「ギギャアアアアアアッ!」

ゴーレムが絶叫したのは、右腕をヒナの菊一文字が抉り、リカルドの一撃が致命傷を与えたからである。

絶妙のタイミングで切り裂かれた右腕は、中途から地面に落ち

体をゴーレムがそらしたタイミングを見計らってアティも横に跳ね、致命的な左腕の一撃を避けた。

「サラさん、回復魔法はまだ!?」

「少しかかるわ、時間稼ぎをお願い!」

跳ね起きると、アティは困ったように頭をかいた。

切断された右腕から、気色の悪い細い器官が数本延び

先ほどの打撃で切断された部分に触れると、泡を大量に発しながら、傷口の修復にかかったのである。

出血は見る間に止まり、器官は落ちた右手に延び、徐々に傷口に引き寄せていく。

これでは、時間が経てば経つほど戦況は不利になる。 短期決戦に切り替えるしか、方策はないだろう。

「リカルドさん、ヒナさん、もう一度ダブルスラッシュ! 今度は左腕を狙って!

グレッグさん、マジックキャンセル!」

首砕きを構えると、アティは駆け出す。 ヒナとリカルドがそれに続き

不利を悟ったゴーレムが、腹に左手をやり、その部分の肉を一気に引き裂いた。

おぞましい光景だった。 其処から飛び出してきたのは、内臓でも血でもなく

異様な粘液にまみれた、無数の顔だった。 それらは一斉に虚ろな目で敵をにらむと、奇声を上げた。

「キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!」

ゴーレムの周囲に、想像を絶する魔力が集まっていく。 複数の口で、同時詠唱を行い

強力な魔法を繰り出し、一気に片を付けるつもりであろう。 勿論心理効果も含んでいるのは間違いない。

アティはそれを見ると、頭を振った。 あまりに酸鼻な光景が、一瞬の迷いを産んだのだろう。

しかし、それは敗北につながらなかった。

グレッグの投射した手裏剣が、ゴーレムの腹からはみ出した顔の一つに突き刺さったからである。

呪文詠唱が一瞬止まり、乱れる。 それは虚脱した時間を、補って余りある隙だった。

「今だ、アティ殿!」

グレッグの声と同時に、アティは体ごとゴーレムにつっこんだ。

そのまま、腹からはみ出している顔へ、首砕きを下段から一気に叩き込む。

肉が潰れる音が響いた。 急所となっていた腹を貫き、首砕きの刃は背中へと飛び出した。

串刺しになってもゴーレムは屈せず、左腕を振るってアティを弾き飛ばし

だがそれが隙になって、ヒナとリカルドの一撃が、肩に着いていた首をはねた。

アティは壁に叩き付けられ、背骨がきしむ音を聞きながら、床にずり落ちたが

ゴーレムにはそれを追撃する余裕はなく、絶叫しながら体を揺すっている。

流石にはねられた首は再生できないようで、ゴーレムは大きくのけぞり、腹の剣に手を掛けたが

その時点で、ゴーレムは気付くべきだったろう、自分がその剣を抜く事に集中し過ぎている事に。

そして、不意に敵の攻撃が止まり、敵の方で魔力が高まっている事に。

ふと顔を上げた肉の巨人が見たのは、同時に同じ呪文を唱える、アティとサラだった。

「「貫け、そしてうち砕け! フォース!」」

二人が同時にはなったフォースは、魔法協力で増幅された物ほどではないにしろ

弾道交差点で巨大で強力な光の弾となり、ゴーレムの頭部を、粉みじんに粉砕したのだった。

二秒ほどの沈黙の後、フレッシュゴーレムは仰向けに倒れた。 そして、二度と再生しなかった。

 

「これで・・・最後だ!」

クルガンが忍者兵の最後の一人を倒した。 首をはねられた兵士は、押しつけられるように地面に崩れ

血だまりを作りながら痙攣していたが、やがて動かなくなった。

「俺は此奴らに司令官らしい事をしてやれただろうか・・・・レン」

後ろで戦っていたレンに、クルガンは声を掛けた。 レンは首を横に振ると、短刀を鞘に収めた。

「・・・及第点だと思います。 少なくとも、このまま逃げるよりは、遙かにマシだったでしょう」

「そうか・・・すまないな・・・・地獄で待っていてくれ」

顔を背けて言うクルガンの拳は静かに震えていた。 あまりにも、認識するには辛い現実だった。

さっきのレドゥアとオティーリエのやりとりの意味は、クルガンにも分かりすぎるほど分かっていた。

もし女王が本物なら、レドゥアのあのような暴言、許して於くはずがない。

また、もし女王が記憶を失っていたとしても、今度はレドゥアがあのような態度で接するはずはない。

何故ならレドゥアはオティーリエの教育係を務めた事もあり、娘同然に大事にしていたからである。

無論女王が成人してからは臣下として接していたが、それにしてもあのような口調で接するはずがない。

つまり、あれはオティーリエ女王ではなく、良く似た別人だと言うことになる。

先ほどアティと戦っていたような、禁忌の技術で作り出した生物なのか

それとも、良く似た人物に、特殊な訓練を施してそうさせていたのかは分からない。

だが、彼が今まで忠誠を誓っていたのは、全てを捧げた女王ではなく、別の人間だと言うことになる。

それは、クルガンにとって、これ以上もないほどの絶対的な屈辱だった。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

俺は、俺は! 今まで何のために戦ってきた! 此奴らは何のために死んだんだ!

天よ、応えろ! 誰か、誰でも良い、応えてくれ! うぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

天を仰ぎ、クルガンは絶叫した。 そして、男泣きに頬をぬらした。

 

3,記憶の倉庫

 

念のためゴーレムの亡骸を焼却し、アティは複雑な面もちで振り向いた。

クルガンは暫く地面を見たまま微動だにしなかった。 レンも声を掛けづらいようで、遠くを見ている。

ミシェルはサラの回復魔法もあり、既に目を覚ましていた。

サラはその後すぐにアティに回復魔法を掛けたが、もとより頑丈なアティはすぐに回復し

自分よりミシェルの介抱をするように頼んで、自身はゴーレムの処理に向かったのだった。。

いつものように、ミシェルはアティに膝枕をして欲しかったとごね

サラにどつき倒されていたが、何しろいつもの事なので、誰も気にしなかった。

「あー、えっと。 クルガンさん、大丈夫かな」

「放っておけ。 今までさんざん言いがかりをつけて、喧嘩を振ってきた相手だ」

「それは違うよ、リカルドさん。 クルガンさんは、理由があって私に文句を言っていたんだと思うよ

だから、クルガンさんも普通の人だよ。 意地悪しないで、困ったときには助けてあげようよ」

リカルドはため息をつくと、勝手にしろと言い捨てて、ついと視線を逸らしてしまった。

アティの言葉は正論である。 だが、普通だったらあれだけの事があった後で正論など言えない。

執拗にアティを傷つけ、敵意をむき出しにしてきたクルガンを、リカルドは好いてはおらず

今も酷薄な言葉を吐いた事に、後悔の類は覚えていない。

むしろ、大人げない事を自覚しつつも、ざまあみろとさえ思っているのだ。

当然ながら、クルガンには最大限の警戒を解こうとはしない。

「おい、グレッグ」

「分かっているとも。 アティ殿に手を出したら、今度こそゆるさん」

軽く視線をかわし会うと、二人はクルガンの方へ歩いていくアティの背中を見送った。

クルガンが何かしたら、即座に飛び出せる用意をして、静かに呼吸を整える。

アティはそんな事には気付かず、むしろ無防備に、クルガンの方に歩いていった。

「クルガンさん、ちょっと良い?」

「・・・何だ。 俺を笑いたいのか? 同情でもするつもりか!」

「あー、えーとね。 そうだよ。 同情が、そんなに悪い事なの?」

思わぬ言葉にクルガンは顔を上げた。 アティは不思議そうに、クルガンに向けて続ける。

「困っている人に、弱い立場の人に同情する事が、そんなに悪い事なの?」

「それは尊厳の冒涜だ! プライドを傷つける行為だ!」

「そう考えるのも本当かも知れないけど、じゃあ困っている人達はどうすればいいの?

スラムで暮らしてる人達はどうすればいいの? 病気で困っている人達はどうすればいいの?」

アティは目を伏せた、その状況を、身に染みて知っているようなそぶりだった。

「可哀想だって同情する人がいれば、彼らは少しでも楽になるんだよ?

プライドが命より大事な人はそれで良いかも知れないけど、そうじゃない人はどうするの?

それに、プライドが命より大事だったとしても

同情など受けるくらいなら死んでしまった方がマシだなんて、傲慢な考えだと思うよ。

だって、貴方の命は貴方だけの物じゃないでしょ?

貴方が死んじゃったら、悲しむ人はたくさんいるんだよ。 自分が知らないだけで。」

アティの口調は柔らかく、ゆっくりとしている。 それでいて、聞き手の心を掴む物があった。

「私、クルガンさんに同情する。 だから助けてあげる

クルガンさんが死んじゃったら、レンさんも、死んじゃった忍者兵の人達も悲しむよ」

「よ、余計なお世話だ!」

「うん、そう思うかも知れないね。 でも、私はクルガンさんを助けてあげるモン

だってそれが、みんなのためだと思うから」

黙り込み、下を見たクルガンに、アティは続けた。

「ねえ、クルガンさん。 女王様、それにレドゥアさん、先に行っちゃうよ

それに・・・ここって、きっと真実が分かる場所だと思う。

何でレドゥアさんが酷い事したのか、何で閃光が起こったのか、分かるかも知れないよ」

「・・・・何故、そんな事が分かる」

「あー、えーとね。 ここ、なんか知ってる気がするの

・・・うん。 ここ、私知ってる。 ここに大事な物が、きっとあると思う・・・」

クルガンはその言葉を聞くと、アティの目を見た。 誰よりもまっすぐに、こちらを見る目だった。

「・・・レン。 今から書状を書くから、表のアインズ将軍に届けて欲しい

俺は今から、謀反人となったレドゥアを追う。 俺が戻ってくるまで待機していろ。

此奴の戯言は兎も角、レドゥアは追わねばならないからな」

「了解しました。 今より任務に就きます。」

嬉しそうにレンは頭を下げ、書状を受け取ると、転移の薬を使用して地上への帰途へ着いた。

クルガンは慎重に表情を隠しながら、アティに向けて声を掛けた。

「行くなら早くしろ。 ただし、もしも貴様がこの事件の元凶だったら

・・・容赦なく斬るからな。 覚悟しておけ」

「そうだね。 じゃ、行こうか。」

首砕きを鞘に収めると、アティは先に立ち歩き始めた。 自分の家を歩くように、無駄のない様子だった。

 

地上部分と異なり、地下八層の地下部分は、薄暗くひんやりした空間であり

周囲には冷気が満ち、強力な魔物の気配が、彼方からも此方からもする。

そして、部屋の何カ所かが歪んでいる。 空気が歪んでいて、向こうの景色が歪に見えるのだ。

これは実際に空間が歪んでいる場所で、中にはいると別の場所へ強制転移させられる。

危険な罠でもあるが、そもそも最初に入った部屋ですら、出口も扉もない四角い箱で

この罠を利用しない限り、先に進む事は出来ない。 危険で、かつ狡猾な罠であった。

「お姉さま、あまり道を間違えると、とんでもない事になりませんか」

「あー、えーとね。 大丈夫だよ。 まず最初はね・・・多分此処。」

「ちょっと待て、アティ。 そんなに簡単に進んで良いのか?」

リカルドの危惧はもっともの事であった。 ヒナも心配そうに刀を抱えて見ていたが

アティは振り向くと、何時もと変わらぬ表情で返した。

「大丈夫だってば。 だって、ここ、私のおうちだもん」

「・・・・何!」

「入って、思い出せたの。 ここ、ずっと私が暮らしてた所が、そのまま迷宮に潜った所だよ

この罠も、辺りの家具も、同じまま。 魔物さんが少し荒らしているけど、絶対に間違いないよ」

アティの言葉を聞くと、クルガンが眉をひそめ、不審と怒りを露わにする。

「そういえば、ここは俺も覚えがある。 運命のある日、踏み込んだ場所に良く似ている

そうか、貴様はやはり・・・!」

短刀を抜き放とうとしたクルガンが、舌打ちと共に動きを止めた。

ヒナが菊一文字を抜き放ち、喉に突きつけたからである。

グレッグも舌を巻くほどの素早さで、しかも予備動作が見あたらない。 洗練された一刀だった。

一瞬遅れて、ミシェルもスタッフを構え、リカルドも剣に手を掛けた。

「まだ話は分かりませぬ。 無意味にアティ様に害を為すなら、私たち全員がお相手する事になります」

「お姉さまに手をあげた貴方が、一緒にいるだけで本当は吐きそうなのです

もしこれ以上手を出そうというなら、黙ってはいませんから!」

「そう言う事だ。 俺もアンタは大っ嫌いだ。

クイーンガードだろうが何だろうが、アティに手を出してみろ、八つ裂きにしてやるからな!」

かってならともかく、現在の彼らの戦闘力は、クルガンでも軽視できないレベルに成長しており

しかもクルガンは先ほどキメラの一撃をもろに受け、それが戦闘力に足かせを掛けている。

ミシェルも相当なダメージを受けてはいるが、総合的に見て戦ったらクルガンに勝ち目はない。

険悪な雰囲気が漂う中、それをうち払ったのは当のアティだった。

「あー、えーとね。 ここで喧嘩してもしょうがないよ

先に進もう。 この先には、真実がある・・・多分間違いないから。」

「そうだったな。 それを見てからも遅くはないか。」

リカルドが剣を納め、ついとクルガンに背中を向けて歩き出した。

精神的に追いつめられている事もあり、クルガンは舌打ち以上の反応は出来ず、後に続いた。

 

歪んだ空間は、無数の物体が飛翔する奇怪な場所であった。

そこはトンネル上になっており、周囲は光の粒や、得体の知れない物体に充ち満ちていて

足を踏み外せば文字通りどうなるか分からないので、皆アティの背に続いて、無言で急いで進んだ。

不意に視界が開け、元の空間に戻る。

元々気が弱いグレッグは冷や汗を拭き、サラが前で周囲を見回しているアティに声を掛ける。

「アティさん、大丈夫? ここは知ってる場所?」

「うん。 ここね、多分・・・私のお部屋だった所だと思う」

「これが、貴様の部屋だった所?」

クルガンが不審と疑惑を全面に出したのも、当然の事であったろう。

女の子らしいぬいぐるみも花もないその部屋は、周囲に無数の拷問道具と、武具と、的がたてられていて

中央にあるのは寝床一つ、後は何もなく、所々血の跡が点々と飛び散っていた。

広さは意外と広く、一人で暮らしていたとは思えない。

アティは「あー」だの「うー」だのと言いながら、いつものように考え込み、そして部屋の隅を見た。

「お姉さま、記憶の方は・・・」

「あー、えーとね。 うん、ここが私のお部屋だったってのは分かったんだけど・・・

後は全然わかんないや。 でもね、この先に行けば分かるかも知れない。」

ミシェルの言葉に淡々と応えると、アティはまた不意に歩き出し、部屋の隅に消えた。

また奇妙な空間に入り込み、先に進む。 今度は先ほどより若干長く、そして複雑な工程だった。

そして同じく、突然に通常空間に復帰する。 そこは長い通路で、先客がいた。

数体のライフスティーラーが、地面に転がるレッサーデーモンの亡骸を貪り食っていたのだ。

不死者の中でも、ライフスティーラーはかなり強く、凶暴な部類に入る。

生者から生気をエナジードレインと言う形で啜り取り、死体は貪り食う。

特に女子供の死体が好物のようで、冒険者の間ではその残虐さが恐れられていた。

彼らは人間共を見ると、既に少し古くなった死体をうち捨て、涎を垂れ流しながら躍りかかった。

「分かってはいたが、簡単には進めそうもないな」

「うん。 前衛はフロントガード! サラさん、ディスペルして!

ミシェルさんとグレッグさんは魔法協力! 一気にやっつけるよ!」

無駄のない戦いで、確実に敵を屠っていくアティの戦いぶりを見ながら、クルガンは困惑していた。

あれだけ見事にアレイドアクションが成功するという事は、アティが皆に信頼されている良い証拠であり

しかも人間的に出来ている(とクルガンには思える)サラのような人物の心も掴んでいる。

もしアティの本性が、クルガンが思うような卑劣で下劣な物であったら

何故彼奴らは、ああも見事な連携が出来るのであろうか。 命を捨てて、一丸となって戦えるのだろうか。

クルガンは、先ほどのアティの言葉が、頭の中で反響する感覚を覚えた。

彼の違和感と困惑は、徐々に無視できぬほど大きくなり、確信へと変化していった。

即ち、自分の考えは間違っていたのでないか、と。

 

七番目の部屋に辿り着いたとき、既にアティ達は四度の戦闘をこなし、消耗も馬鹿にならなくなっていた。

その部屋自体はそれほど広くなかったが、中央に巨大な水晶が安置され、奇妙な光を放っており

取りあえず、辺りに魔物の類はいない。 今までの部屋に比べて、印象的な部屋だった。

アティは部屋の中を見回すと、小首を傾げる。 暫く考えた後、部屋の中央にある水晶に触れた。

それが、彼女の記憶の、封印を解くきっかけとなった。

辺りを光が満たし、風景が一変する。 セピア色の光景が、全員の脳裏に直接送り込まれた。

同時に送り込まれた意識体がいる、妙な格好の妖精だった。

「あーら今晩わぁ。 今度のお客さんは、随分可愛い子ねえ

さっきのかわいげがない爺や、頭きれた貴族よりもずっとマシさね」

そう言って、妖精はキセルをふかした。 背中に羽は生えてはいるが、若い娘などではなく

かなりの年増である。 煙を吹きかけられた気がして、アティは嫌そうに顔をしかめた。

「おばさん、何ー?」

「・・・おばさん? まあいい、お嬢さんとか呼ばれるよりもマシか。

それにあたしの意志と、映像の伝達は関係ないしね。 アンタ、名前は何?」

「私? 私はアティだよ」

「そうか、アティか。 あたしはフラウローズ。 この記憶の倉庫の、管理をしている者さ」

無論この間、リカルドやグレッグ、ヒナとサラとミシェル、それにクルガンの脳にも映像が届いていたが

彼らは映像の管理者たるフラウローズに干渉する事を、会話する事も許されず

ただセピア色の中の、アティと妖精のやりとりを、どこか夢見心地で見ているだけだった。

「ここにはこの世界の記憶がある。 まあ、此処で見れるのはその一部だがね

閃光ってアンタ達が呼んだ事件で、世界の記憶の全てが収まる場所と、一時的なつながりが出来たのさ

まあもっとも、それが出来たのには、閃光だけじゃなくて

その前に、既にここでそれと結合する実験を行っていたからみたいだけど・・・

アンタ達は確かアカシックレコードとか呼んでたかな、まあどうでも良いわな」

「世界の記憶が在るって言うことは、私が誰なのか、どうしてこんな事になったのかも分かるの?」

「おお、分かるよ。 退屈しのぎに丁度良いから、全部見せてやろうじゃないの

アンタ記憶がないのかい、それならここで何で記憶喪失なのか、自分が誰なのかも全部分かるよ」

景色が動き始めた。 高速で、後ろに流れていき、見る間に変化していく。

流れの激しい川のように、全てが削り取られ、全てが巻き上げられ、全てが流れ落ちていく。

その流れは更に速さを増し、やがて無数の線になり、閃になり

だがある点を越えると、再び速度を落としていった。

「この事件を起こした張本人様のお出ましだ。 要はまじめすぎた善人の悲劇という奴さ

しかも不幸な事に、此奴は頭が良かった。 馬鹿だったら悲劇も起こらなかったのにな」

アティの頭の上に腰掛けると、フラウローズがキセルを吹かした。

そこは質素な石造りの部屋で、周囲の調度品は良く使い込まれていて

愛着と年期を感じさせ、誰の目にもこの部屋の主が几帳面で善良な人物だと理解できた。

部屋の戸を開け、年老いた司教が入ってきた。 彼の顔は、疲労と絶望に満ちていた。

 

司教の仕事ぶりは、善良で模範的な物だった。

優しく弱者をいたわり、怪我人を癒し、病人を助ける。

そして、理不尽な死を受けた者に、第二の機会を与える。 それらを自らのプライドに掛けて行い

心底からの親切を持って弱者に接し、皆に好かれ、皆に愛されていた。

しかし、彼自身には不満があった。 それは、自分の仕事に対する不満ではない。

彼は自らが信じる神自身の酷薄さが、冷酷さが、どうしても許せなかったのだ。

強盗に殺された少年の死体が、司教の懸命な蘇生魔法にもかかわらず、ロストした。

ロストとは、魂が現世にとどまる事が出来なくなり、いわゆる成仏をする状態で

これを蘇生魔法の失敗で起こしてしまうと、肉体は瞬時に一握りの塵となり

魂もあの世に行ってしまうため、儀式魔法を使おうが何をしようが、二度と蘇生をする事は出来ない。

この時代は現在よりも遙かに魔法が発達していたが、例外は蘇生魔法で

熟練者でもせいぜい蘇生率五割、世界有数の使い手であるこの司教でさえ、七割に満たなかった。

泣き崩れる遺族は、司教に不満を言いはしなかった。 だが、司教は深く心を痛め、自室にて嘆いた。

「神よ・・・今日もまた、生きるべき命を無為に御許へお召しあそばされるか。

どうして貴方はそう不公平なのだ。 善良な者は常にこの世で虐待され、悪辣な者だけが富貴を得る。

全知全能なら、何故困っている弱者を助けてくださらない。 より弱き者を救ってくださらない。」

神像を見上げると、司教は頭を振り、不満をこぼし続けた。

「人を試すためと聖書にはある。 しかし、だからといって、物には限度があるのではないか

貴方のなさりようは、あまりにも無情だ。 私は、貴方を信じ続けてきたが・・・だが・・・」

その時はまだ愚痴で済んだ。 だが、悲劇はその一月後に起こった。

彼の元に、無惨な遺体が運ばれてきた。 それは、結婚を翌日に控えた新婦で

結婚式を挙げる教会を下見するため、この近くを通りかかった所、不意の土砂崩れに襲われ

馬車ごと下敷きになり、新婦は即死、新郎も右目と右足を失う大怪我を負っていた。

「神よ、この者達は未来在る若者。 世界に光を導くべき貴方の尊き御子!

私は死んでも構わない、全力を尽くす! 故に、故にその御手で、彼らをお救い下され!」

司教は今まで培った全ての技術、全ての魔力を注ぎ込み、蘇生魔法を使った。

そして失敗した。 彼の力量は世界でも有数のレベルだったから、これは単に運が悪かったのである。

新郎も死んだ。 塵になった新婦を見た彼は、全ての生きる気力を失い、数日後に息を引き取ったのだ。

自然死では、まして死者に生きる気力が残っていなければ、蘇生魔法は使う事が出来ない。

これが、司教の心に、徹底的なまでの、神への不信を産んだのである。

「・・・・可哀想」

アティが口を両手で押さえ、そう呟いた。

司教は自らの無力を呪い、神を呪い、そして現世の理を呪った。

それからの数日間、心理的葛藤が繰り返され、部屋に閉じこもった彼は、闇の中で一つの結論に達した。

 

「何故世の中は矛盾に満ちている? 何故生きるべき者が死なねばならない?

神は何故、より弱き者を助けない? まじめな者ばかりが不幸にあり、不快な愚物ばかりが栄達を得る。

何故だ? 何故神は人の思いに応えない? 何故なのだ!」

拳を机に叩き付け、司教は叫んだ。 その老いた頬には、涙が光っていた。

「聖書には、人を試すためとある。 より大きな場所に、誇り高き者に、神の愛は注がれているとある。

だが、それなら何故、あのような無意味な事故が起き、未来在る者達が死んでいくのだ!

現世に価値は無いというのか? それは否! それは断じて違う!

今、〈今生きている〉事を、真剣に行い、戦い抜いた者こそが、最も強く、最も誇り高い!

なのに、何故その機会さえ与えない! 誰もが貴方を信じ、貴方の愛を認めているというのに!

誰もが貴方に信仰心を捧げ、貴方にひれ伏すというのに! 何故なのだアアアアアアアアアアアア!」

涙が机に垂れ落ちる。 司教の目が凶熱を帯び、そして不意に静かになった。

「そうか・・・そういうことか・・・ようやく分かった。」

声から凶熱が消えた。 そしてそれは、目と心に移動した。

「神は無能だ。 人の信仰心ばかりを無為に貪る、貪欲な卑劣漢だ

・・・だから矛盾もでる。 だから、必死に理詰めで覆い隠そうとする。

本当は何も出来もしないのに、信仰心だけ集めて、腹をふくらませたい下劣漢。 それが神だ!

聖書など、宗教を政治に利用するべく作られた、おぞましくもくだらない愚物に過ぎぬ!」

立ち上がった司教は神像を見据えると、手をつき、フォースの魔法を叩き込んだ。

一瞬で粉々になった像の破片を踏みつけ、数度踏みにじると、彼は妄執に満ちた笑みを浮かべた。

「ならば、そのような無能な神の代わりに・・・

全ての存在に平等で、全ての存在に祝福をくださる、美しく力強い神を作り出せばいいのだ

そしてその神の元に、平等で完全な世界を作ればいい!」

笑い声が響く、長年愛用してきた聖書を、躊躇無く暖炉に放り込みながら、司教は別の存在となった。

神を信じ、それに心酔し、臣従する存在から

まったく正反対の、神を否定し、それを殺し、新たな神を作る存在へ変貌したのである

世界でも有数の力を持つ司教である彼には、その具体的なノウハウも分かっていた。

幾つかある並行世界から、強力な精神生命体を儀式魔法で召還し、意識にプログラムすればいいのだ。

そして彼はそれを実行した・・・・最初の〈閃光〉がこうして起こった。

 

当時既にドゥーハンは成立してから幾らかの時が経過しており、クイーンガードの制度もあった。

だが、世界国家の規模は確保しておらず、故にこの事件は国家的なレベルでの痛手となった。

辺境の一都市で起こった〈閃光〉は、それ自体が多大な被害をもたらし

それに加え、司教が召還した神〈武神〉は各地で魔物の群れを従えて暴れ回り、血の雨を降らせていた。

後の世で原因不明の魔導災害とされているこの事件で、実に三百万人強の人間が命を落とし

多くの儀式魔法が失われ、一部地域では天候の逆転すら起こった。

武神は特殊な、複数の性質を持つ神だった。 列挙すると以下のような物である。

 

1・自分の支配地域に特殊なフィールドを張る。

その際に凄まじい爆発が起きるため、フィールド内にいる者はほぼ全滅する。

これが〈閃光〉と呼ばれた現象の正体である。

 

2・フィールド内で死んだ者は、永久に成仏する事がなく、ただ〈ある〉事を強要される。

自分が死んだ事に気付きさえしなければ、擬似的な肉体も与えられ、物理的に行動する事も出来る。

ただし、自らの死に気付くと、或いは全てに満足すると、強制的に成仏する事になる。

 

3・そして最終的に、その魂は武神に取り込まれ、永遠の存在となる。

魂を武神から解き放つには、武神を倒す以外に方法がない。

 

大体以上である。 武神の強さは取り込んだ魂の量に比例するため、その力は強大を極めたが

ドゥーハンの力を結集した特殊な儀式魔法の行使により、そのフィールドを一時的に中和する事に成功

勇躍敵地に乗り込んだクイーンガードと軍の精鋭達が、ついに武神をうち倒したのであった。

ドゥーハン軍は引き上げ、場には静寂が戻った。 司教も、クイーンガードの手にかかり、命を落とした。

しかし、司教は死しても、滅びてはいなかったのである。

「おのれ・・・愚者達め・・・理想社会の意味を知らずに、無駄に抵抗しおって・・・

愚劣で卑劣な、無能な神に従い、偉大なる神を封じるとは、愚かさにも程があると知れ・・・」

霊体と化した司教が、もはや妄執のみと化した顔に憎悪を塗りたくり、吐き捨てた。

その背後には、三つの強大な闇の影が、静かに控えていた・・・

「一旦休憩しようか、いい加減疲れたろ。 続きが見たくなったら、また水晶に触れな」

フラウローズの声と同時に、映像は消えた。 現実世界に戻った皆の顔からは、血の気が引いていた。

「ちょっと待て・・・と言う事は何か・・・」

わなわなと震えながら、リカルドが言った。 グレッグが必死に平静を保ち、それに続く。

「ドゥーハンにいる者達は、後から来た者達を除いて、皆死人と言うことか!?」

「それに、もっと良くない事もあるわよ。 私達の中にも、その死人が混じっているかも知れないわ

しかも、ずっと迷宮に潜っていた私達は、全員がその候補者になるのよ」

サラの言葉が、禁句を付いた言葉の槍が、一気に場の空気を凍結させた。

「い・・・いや・・・・・私・・・・死にたくありません・・・・いや・・・・!

助けて・・・・助けてお姉さま・・・・!」

「落ち着いてミシェルさん。 大丈夫、大丈夫だから。」

ミシェルの肩に手を置き、アティが言う。 流石にアティに抱きつき、泣くミシェルを誰も咎めない。

アティは周囲を見回し、ゆっくりミシェルを床に座らせ、微妙な笑顔を浮かべた。

「まだ、誰かが死んだかどうかは分からないよ。 だから、絶望するのはやめよう」

「し、しかしアティ様・・・」

激しく動揺し、ミシェル以上に困惑しているヒナが言うが、アティはそれでも静かに首を振った。

「あー、えーとね。 そんな事よりも、大事な事があるよ。

まだ、事実は完全には分かってないんだから、そこに、希望があるかもしれないよ。

だから、あきらめるのは早いよ。 泣くの、やめよう。」

記憶が戻り始めたアティであったが、その口調も、立ち振る舞いも、以前と全く代わらない。

それは少しずつ周囲の不安と絶望を溶かし、落ち着かせていく事に成功した。

「少し休憩したら、またクリスタルに触るよ。 大丈夫、きっと大丈夫だよ

雪の降る土地にも、いつかは陽が差すんだから。 だから、大丈夫。」

アティは笑みを浮かべた。 かってソフィアが浮かべた笑みと、それは良く、とても良く似ていた。

 

4,心に陽が差し込み、全てが焼き尽くされる日

 

アティがクリスタルに触れると、映像は再び高速で動き始め

やがてそれは先ほどと同じく、視認できないほどの速さになった。

光の棒がアティの横を通り過ぎ、後方に飛び去っていく。 やがてそれは線になり、縞になり

在る一点を越えるとまた前ぶれも無く速度を落として、見えるようになった。

「今度はアンタの番だよ。 ほら、アレがアンタだ。」

フラウローズの声に、目をこすっていたアティが顔を上げると、視線の先には小さな女の子がいた。

年は五歳かせいぜい六歳、黒い髪に蒼い目で、髪質も顔立ちも、どこか今のアティに通じる物がある。

所在なげに膝を抱え、教会の前の石段に座り込んでいる、その少女の周囲に親はいない。

あたりは典型的なスラム街で、ホームレスやストリートチルドレンがふらついていて

少女には一顧だにせず、ごみ箱を漁ったり、小さな古靴を奪い合ったりしていた。

アティの心臓が上下に激しく揺れた。 心と視界も、激しく揺れた。

「あ・・・あれ・・・・」

「・・・ドゥーハンのオティーリエ女王が即位する前の話さ。

女王の先代の王は、中興の祖って言われてね、腐敗と停滞を一掃した名君だったけど

悲しいかな、一人の目と手じゃ届かない場所も、どうにも出来ない事もあるんだよ

あの子の父親はスラムに暮らすたちの悪いヒモでさ、母親はその一時的な女だった。

ろくでなしの父親と分かれた後も、その母親は何とか切り盛りしてあの子を育ててたけど

年と、どうにもならないスラムの暮らしと、それに新しい男が、子供を捨てさせる決意をさせたのさ」

別に悪人だから子供を捨てたわけではない、と暗にフラウローズは言うと

今までにないほど激しい頭痛に襲われ、片膝を付いているアティの額を軽く蹴った。

「根性が無いね。 まだまだこれからだよ」

「うん。 ・・・分かってる。」

健気に頷いたアティは、子供に視線を戻す。 教会から人が出てきて、子供を見つけて立ち話を始めた。

「またか。 確かに孤児の養育は国が補助金を出してはくれるが・・・」

「ここは神の教えを説く所であって、慈善団体ではないのだがな。 困った物だ

親としての自覚を持てない輩が多すぎる。 邪魔で育てられないなら子供など作らねば良いのに」

子供が顔を上げた。 呆然と、愕然と言葉を吐いた者を見る。

立ち話をしていた二人は、子供の視線を浴びてやや狼狽し、作り笑いを作って見せた。

「辛かったろうね、さ、もう心配いらないよ。」

上辺だけの言葉、内心は面倒くささで一杯の、嘘で塗り固められた慈善の心。

子供の観察力は大人が考えているよりも遙かに鋭い。 少女は立ち上がると、首を横に振った。

「捨てられた」

少女の心の中に、その一言が木霊した。 洞窟の中で反響するように木霊した。

困惑する大人に背を向けると、制止の言葉も聞かず、少女は全速力で走り始めた。

そして呆れた事に、聖職者二人は、彼女を追おうとさえしなかったのである。

「捨てられた。 邪魔だから。 捨てられた。」

子供の純粋な心に、その言葉は何よりも大きく響いた。

「捨てられた。」

更に、残酷に、心の中で声は反響する。

「育てられないから」

とうとう少女は泣き出した。 だが、声は更に大きくなっていった。

「邪魔だから。 いらないから。 無駄だから。 だから捨てられた」

涙が流れ落ち、少女の頬に川を作る。 元々乏しい体力を使い果たし、少女はへたりこんでしまった。

両手を顔に当て、泣く。 誰も助けてくれない、誰も許してくれない、誰も必要としてくれない。

純粋な心を、残虐な言葉が踏みにじり、消えようのない傷が付けられていく。

だが、それも長続きしなかった。 少女が顔を上げると、其処には体の透けた不思議な老人がいたのだ。

今まで見た事もない光景に、泣く事も忘れた少女が、アティに良く似た動作で小首を傾げると

老人は全く本心からの同情を浮かべ、少女を腰をかがめて抱きしめ、背中をさすってやった。

「可哀想にな、さぞ悲しい思いをしたのだろうな」

実体は希薄なはずなのに、不思議な暖かみを感じて、少女は心を許し、再び泣き始める。

「だめだ、そいつに心を許すんじゃない!」

叫んだのはリカルドだった。 グレッグがその肩を掴み、首を横に振る。

「ワシが嬢ちゃんの親になってやる。 だから、泣くんじゃない・・・」

「うん・・・・・・」

少女が頷くと同時に、二つの影はスラムの路地裏から姿を消した。

言うまでもなく、老人は司教だった。

 

少女が連れて行かれた先は、どこか暗い、不健康な雰囲気が漂う神殿だった。

そこは司教が数百年を掛けて、自分や志を同じくする同志と作り上げてきた本拠地であり

今まで小規模な〈閃光〉による実験を繰り返し、武神の能力を完全に把握した彼らが

絶対の自信と信念を持って、必勝の気合いと共に構築した場所であった。

そして、今いる地下八層に、驚くほど雰囲気が似ていた。

「嬢ちゃんでは呼びにくいな。 名前は? ワシの名はウィンベル=オルフォルンと言う」

「わたしは、ハイム=アティラーダと言います」

「そうか、ハイム。 ここがこれからお前の家だ」

そう言って笑みを浮かべたウィンベル司教の心には、確かにハイムを利用しようとする心もあったが

同情心と優しさもあり、それが勘の鋭いハイムの心を許させ、慕わせて行った要因となった。

そこで行われたのは、生ける殺戮兵器の製造だった。

魔法的見地、科学的見地から考えられた、食事レベルからの肉体増強

古今東西、ありとあらゆる戦闘技術の習得

ハイムに魔法の才能は無かったが、それは必要な魔法だけを重点的にカバーする事で補った。

また、苦痛の克服のため、様々な拷問も経験し、毒物への耐性をつけるために色々な毒も飲んだ。

無論それらは激しい苦痛を伴ったが、大好きな「父さん」のためでもあったし

何より親に捨てられた事が、誰よりも強烈なトラウマになっているハイムにとって

それらは〈絆〉を維持するための、命よりも大事な作業でもあった。

計画的に育てられたハイムは、背が伸びきる頃には、常識外の剛力と卓絶した剣技

それに多種多様な暗殺術と、頑丈な肉体を身につけており、代わりに豊かな感情を喪失していた。

結果、誕生したのは、人類最強の戦闘兵器であった。

ウィンベル司教はハイムを道具として考えてもいたが、同時に愛娘だと思ってもいたので

暇さえ在れば自分の思う所を語り、親子の時間を多く持つようにしていた。

「ハイム、世界は醜い。 何故だと思うか?

それはな、それぞれの存在が私利私欲で好き勝手な事を行い

人間以上に身勝手で傲慢なな神を崇拝して、自分のみの利益を計っているからだ。

そのため、下らぬ差別は蔓延し、争いは絶えない。

ワシは、全き平等な世界を築く! 武神の元に、全ての存在に平等で、全ての存在に慈悲を注ぐ世界を!」

その考えは多分に主観的ではあったが、同時に事実の一面を鋭く抉ってもいたので

反論や否定で、〈論理的〉にねじ伏せる事は不可能であったろう。

ウィンベル司教の思想の影響を色濃く受けながら、ハイムの心は一元化した物へとなっていき

最終的には目的のためには手段を選ばない、極めて主体性のない物へと代わっていった。

そして彼女は、ウィンベル司教の命で、クイーンガードになるべくドゥーハン王都へ侵入したのである。

 

クイーンガードは実力第一の制度で、何年かに一度公募するのだが

合格率は数万分の一という厳しさであり、その凄まじい試験内容が世には良く知られている。

だが、人類最強の戦闘能力を持つハイムには、そんな試験を突破する事など何の問題もなく

ごく自然な形で、クイーンガードに就任し、女王と対面する事が出来た。

当時のクイーンガードは四人。 クイーンガード長の〈聖剣〉フレーテと、〈大魔導師〉レドゥア

〈光僧侶〉ソフィア、それに〈疾風〉クルガンである。

呼び名と裏腹に、〈聖剣〉フレーテは、欲深く嫉妬深い男で

公式の場での誠実な対応から、名クイーンガード長と呼ばれていたが、実情は皆に忌み嫌われており

しかも王室や貴族のスキャンダルを独自のスパイ網で掴んでおり、暗然たる権力を有していた。

「これが、醜い世界だ」

ハイムはそう感じた。 そこに、ウィンベル司教からの最初の命令が届いた。

「フレーテを殺せ。 手段は問わぬ」

それは、暗殺術の達人であるハイムには、苦にもならない仕事だった。

〈醜い世界〉への反発が、それに拍車を掛けた。

ハイムはフレーテの寝室に忍び込むと、怠惰と堕落に慣れた相手が、叫び声を上げる暇もなく暗殺した。

 

フレーテの後を継いだ(と言うよりも、現役に復帰した)レドゥアは

権力に殆ど興味が無く、フレーテがクイーンガードの間にさえ張り巡らせていた監視網は消滅した。

これでハイムは動きやすくなり、誰にも気付かれぬまま王都を調べ、ウィンベル司教に逐一報告した。

女王の護衛任務も、全く問題なくこなした。

肝心のウィンベル司教が、暗殺の命令をまだ伝えてこなかったと言うこともあるし

しばらくは様子を見るようにと言う命令が伝えられてもいたので、手を出す必要がなかったのだ。

ハイムの圧倒的な戦闘力は評判になり、〈竜剣士〉と程なく呼ばれるようになったが

同時にその極寒のブリザードが如き眼差しと、容赦なく魔物を叩き殺す残酷さも有名になった。

そんな中、ハイムはソフィアと接する機会を持つようになった。

「なんだこいつは」

ハイムの、ソフィアに対する第一印象がそれであった。

優れた魔力を持ち、それが評価されてクイーンガードになっているのはハイムにも分かった。

だがどじで間抜けでうすのろで、行動が非効率的な事この上ない。

そう冷徹にハイムはソフィアを評価し、論評にも値しない相手として頭の中で処理していた。

当然ソフィアに向ける視線は絶対零度であったが、彼女はそれでも根気よくコミュニケーションを図り

他人に興味を持とうとしないハイムの心を、溶かそうと努力していった。

それを邪魔していたのは、ハイムの心の中にある絶対氷壁、〈世界は醜い〉という前提であった。

 

ハイムがクイーンガードになってから、一年が経過した。

その間、ソフィアの優しさと暖かさは、徐々にハイムを困惑させるようになってきていた。

非合理的で、非効率的なその行動。 だが、それが何故か心を和ませる。

日々の行動から溢れる優しさ、暖かさ。

それはどうも心地よく、いつの間にかソフィアの側にいる時間が増えていた。

同じ事がオティーリエ女王との間にも起こった。

オティーリエはまだ若い女王で、だが卓絶した政治力を持ち、気高さを持ち合わせた名君の器で

その絶対的な信念に裏付けられた行動力、危地にも動じず冷静に判断できる精神力は高く評価され

暗殺の対象として冷酷な視線を向けていたハイムも、その能力は買っていた。

だが、なら何故世界から腐敗は消えない? 世界は醜いままなのだ?

ハイムの頭の中で疑問が生じる。 それは建設的な疑問とは言えなかったが、ともあれ疑問が生じたのだ。

女王は誰の言葉にも真剣に応えた。 勿論、ハイムの言葉にも真剣に応えた。

「世の中には、絶対なんて物は一つもありません。

だから私は、世の中から不実を少しでも減らすために、努力を怠らないのです」

宗教の、特に支配に特化した宗教の基本原理は、絶対悪と絶対善の設定である。

神を捨てたウィンベル司教も、それから逃れる事は出来ず、当然ハイムもその影響を色濃く受けていた。

だが、女王の言葉は、ハイムにはすぐ嘘ではないと理解できたため、彼女を困惑させる事になった。

「あの女」

と、ハイムは女王を頭の中で呼んでいた。 だが、「あの女」が気高く誇り高い心の持ち主で

決して汚れて等いない事を、ハイムは悟り、混乱した。

「世界は、絶対的に汚れているのではないのか?

しかし、世界には、あるいは醜くない部分も在るのではないか?」

ハイムは誰よりもウィンベル司教を大事に思っていた。 だから、二つの考えの板挟みとなり

苦悩して、自分でも気付かぬ内に、心の氷は少しずつ溶け始めていった。

そんなおり、辺境で不死者が大量に発生し、クイーンガードの出動が要請された。

選ばれたのはソフィア一人。 護衛の軍勢と共に旅立つ彼女を、出陣前にハイムが訪ねた。

視線は以前よりも大分暖かみが増してはいるが、相変わらず冷たい。

にも関わらず、ソフィアはハイムを歓待し、いつものように笑顔を浮かべて言った。

「私ね、これから戦いに行くの。

辺境の村で、たくさんの不死者が現れて、女王様が私に退治を命じられたの。」

「・・・怖くないのか?」

「勿論怖いわ。 でも、女王様は無茶な命令を絶対に出さない。

私の事を信頼してくださったから、この命令を出したの。 勿論、在る程度の軍も一緒よ」

「・・・ソフィア!」

「え?」

自主的に喋ったのは、初めてだった。

冷たい声が口から漏れ出た。 だが、言葉の中身自体は暖かかった。

「死ぬな。」

「・・・・ええ。 生きて帰ってくるわ」

ソフィアが笑っていた。 儚げで、そして優しい笑みを浮かべている。

「やっと、笑ってくれたね。 嫌われてるかと思ってた」

「嫌う?」

「ううん、何でもない。」

ソフィアが手を振った。 そして、背中が遠ざかっていった。

この時だった、ハイムの心に、ソフィアの暖かさが刻印として刻みつけられたのは。

やがてソフィアは生きて戻ってきた。 不死者百体以上を、一度のディスペルで地に返したのだという。

周囲はその桁違いの力を賞賛したが、別の反応をした者が二人いる。

「良く帰ってきましたね。 ご苦労様です、ソフィア」

そう言って、優しく肩を叩いたのはオティーリエ女王だった。

「・・・良く帰ってきたな」

そう言って、不器用に喜んで見せたのはハイムだった。

「うん。 ただいま。」

微笑んだソフィアの顔は、何時もアティが見せる物のように、まぶしく無垢で、暖かかった。

この時、ハイムの頭の中で、二人に対する呼び方が代わった。

「あいつ」が「ソフィア」に、「あの女」が「女王陛下」に。

それはウィンベル司教への思いとの板挟みを、更に加速させていく事になる。

 

ソフィアとは、それから徐々に親密になっていった。

丘の上に連れて行かれたとき、ハイムは眼下に広がる世界を見て、美しさを感じた。

その時決定的に、「世界には美しい部分もある」と悟ったのだった。

氷に閉ざされた心が、ソフィアの光に満ちた暖かさで、徐々に他人を受け入れるようになり

幼き頃以来封印していた自主性と、自らの心が、大きく確実に育て始める。

ハイムは、不器用に笑顔さえ浮かべるようになっていた。

だが、平和なときは長続きしなかった。

ウィンベル司教が、女王を暗殺ではなく、捕獲して連れてくるようにハイムに命じたのである。

悩みながら、ハイムは拒否した。 そして司教に、女王の事を詳しく話し

彼女となら和解がはかる事が出来るはずだと説明したのだが、聞き入れられなかった。

致命的な破局は、すぐに訪れた。

ソフィアを捕獲した司教が、女王とハイムの前に現れ、こう言い残して消えたのである。

「愚かな・・・弱みは作るなとあれほど言っただろう」

ウィンベル司教は、悲しみを顔に浮かべていた。 彼が消えた後、女王はハイムに視線を向けた。

「話してもらえますね。 貴方が何かを隠しているのは悟っていましたが・・・」

ハイムは頭を振った。 板挟みの感情が、どう行動するかを迷わせていたのである。

だが、やがて彼女は決意した。 どちらも、彼女は失いたくなかったのである。

「分かりました。 全てをお話しいたします」

女王に決然と膝を屈したハイムの顔は、決意に満ち、誰にも曲げられない強さがあった。

 

「私は女王です。 それは、全ての民の命を預かり、責任を持っていると言う事を意味します」

全てを聞いた後、女王はそう言った。 そして処断を待つハイムへ、静かに優しく声を掛ける。

「私は、貴方を信頼します

何故なら、貴方は命をかけて、私を守ってきたのだから

私をその司教の所に案内しないさい。 二人で命をかけ、彼女を取り返しましょう」

「そんな、危険すぎます」

「大丈夫です、貴方が守ってくれるのでしょう?」

オティーリエは笑っていた。 心から自分を信じてくれる事を悟り、ハイムは心が熱くなった。

路地裏で司教に拾われたときと、同じ感覚が心を見たし、目の前の人物への忠誠が絶対になる。

「貴方はもう、道具ではありません。 司教の愛娘であっても、それ以下の者では断じてありません

自分の意志で行動しなさい、竜剣士ハイム。」

「自分の意志とは、どういう物でしょうか」

ハイムの言葉は、純粋な物だった。 女王は彼女の肩を叩き、決然たる意志力を瞳に宿す。

「自分の意志とは、自分で決定する事です。

それを出来る者は、実はそれほど多くありません。 皆がそれを出来るわけではないのです。

責任をとれ、決断を出来る者の周りに、人が集まるのはそのせいです

自分の意志を持ち、誇り高くありなさい。 貴方は・・・貴方です。 誰の物でもない貴方です

もし、それが行えるのなら、貴方はもう、道具でも、心弱い少女でもありません」

「はい・・・陛下。」

頭を下げたハイムの頬には、涙が伝っていた。 幼女の頃以来、凍結していた感情がまた一つ戻ってきた。

 

神殿は暗く、無数の不死者が蠢いていて、かっては心地よかった空気も

今では生じた疑問を増幅させ、不信を覚えさせる物でしかなかった。

ウィンベル司教は、大広間で待っていた。 後方には、ヴァンパイアロードとマイルフィックも見える。

今一体の幹部、ホワイトドラゴンはこの事件の時、重要な用事で場を外していたのである。

前に進み出ると、ウィンベル司教は、ハイムに向けて目を細めた。

その後ろでは、それなりに上級のヴァンパイアが、ソフィアを捕まえて口を押さえていた。

「良くやった、ハイム。 さあ、女王を渡せ」

「父さん。 ソフィアを、返して欲しい」

「・・・女王を渡すのだ、二度はいわん」

更に一歩、司教は前に出た。 冷や汗を流すハイムの前に、オティーリエが立ちはだかった。

「下がりなさい! この娘は、貴方の道具ではありません!」

「そのように思った事は無い。 ハイムは我が娘だ、オティーリエ女王よ」

「本当の事を言いなさい、私人としてはそうかも知れませんが、公人としてはそう思っていないでしょう」

司教が明らかに不快感を顔に表し、女王をにらみつける。 だが、オティーリエは一歩も引かない。

「貴様ら汚れた世界の醜い政治が、この娘のような被害者を産んだのだろうが、女王よ!」

「だから私は、この世界を美しくするべく、時を惜しんで努力してきたのですよ

政治にいたらぬ部分が在るのは承知しています、しかしそれは、絶対に改善して見せます

人類全てが努力すれば、腐敗は消せます。 私は、そう信じて、今ここに来ています!」

「戯言を! ハイム! 早く女王をとらえるがいい!」

これ以上の会話は無駄だ。 そう悟った司教がハイムに命じるが、愛娘の反応は彼の予測を裏切った。

剛剣ドラゴンキラーを抜き放つと、司教に悲しい眼差しを向け、決意を込めて言い放ったのだ。

「父さん、確かに世界は醜い。 しかし、そうではない部分もあるのだ

それを体現していたのが、陛下と、其処にいるソフィアだ。 彼女らと、貴方の理想は共存できるはずだ

だから、ソフィアを返してくれ、父さん! 私は、どちらにも、剣を向けたくない!」

「そうか・・・お前までがわしの行動を間違いだと言うのだな・・・・」

「父さん、それは違う。 だが、今やっている事は間違っている!」

ハイムの悲痛な叫びは、司教に届かなかった。

甘いなと視線を落とすマイルフィックとヴァンパイアロードに左右を挟まれ、ウィンベルは嘆息した。

「そうか、やはり逆らうのか。 全てがわしに逆らうのか・・・」

「父さん!」

「だが・・・もう遅い。 全ては・・・計算の上だ!」

ウィンベル司教が手を振り、一斉に魔物がハイムとオティーリエに襲いかかった。

小娘二人と油断した彼らの顔が驚愕に歪むに、さほど時間はかからなかった。

剛剣ドラゴンキラーが一閃し、たったの一撃で頑丈なはずのガーゴイルを叩き潰す。

左右から躍りかかったシェイド二体が、重さを苦にもしないハイムの剣技の前に両断され

更に上空から飛びかかったレッサーデーモン数体が粉砕されると、攻め手は目に見えて怯んだ。

巧妙に立ち位置をずらし、ハイムを前衛に据えながら、女王が唱えている呪文の正体を悟り

司教ウィンベルは、慌てて防御結界を張り、ヴァンパイアロードとマイルフィックもそれに習った。

「全ての根幹をなす白と黒よ。 その力、大いなる力、此処に全てを召還せり!

神の御名のもと、邪神の嘲笑のもと、我その力を得、此処に解きはなたん!」

「伏せろ、者共! メガデスだ!」

「閃光よ、風と共に解放され、全てを蹂躙するがいい!

焼き尽くせ、滅ぼせ、そして飲み込め! メガデス!」

降臨した破壊の塊が、全てを焼き尽くすのを見ると、ハイムは傲然と走り

ソフィアをとらえていたヴァンパイアを一刀両断、素早く後退して女王と合流しようとする。

その時、後ろに回っていた魔物の一体が、女王に襲いかかり

ハイムは無言のまま跳躍すると、魔物の喉を貫き倒し、倒れているオティーリエに振り向いた。

「貴様、何をしているか!」

唐突に、場に第三者の声が入り込んだ。 ソフィアが視線を逸らすと、そこにはクルガンがいた。

クルガンの目からは、ハイムが倒れた女王に剣を向けているように見えたのである。

もともとハイムを怪しいと思っていた彼は、騒ぎを聞きつけると何人かの部下を連れて此処に駆けつけ

魔物達を蹴散らして此処に辿り着き、その光景を見たのである。

〈ハイムは何かを企んでいる〉、その固定観念に凝り固まった彼には、その光景は自説を裏付ける物で

大体に於いて、人間という生き物は(勿論エルフもそうだが)自説に、正しいと思える証拠が加わると

それを正しいと信じて、他の情報を受け付けなくなってしまう傾向がある。

クルガンの乱入は、司教には好機だった。 素早く左右に視線を移すと、同志は満足げに頷く。

場の中央にある魔法陣には、充分な魔力が満ち、儀式魔法を行使するには条件が整っていたのである。

「いけない!」

ウィンベル司教から噴き上がる、凄まじい闇の魔力を感じて、ソフィアが素早く印を組み始める。

だが、その場の全員を救うには、あまりにも時間がなかった。

視界に入った二人に、ハイムとクルガンに、彼女は魔法を掛けるしかできなかった。

「これで終わりだ。 武神は完全な形で、世界を導く!」

司教の言葉と同時に、〈閃光〉が発生した。 凄まじい爆圧が、ドゥーハン王都を塵にしていく。

人の肉体と魂が切り離され、再構築していく。 建物が吹き飛び、噴水が消し飛び

砂の城が溶け崩れるように、美しさを歌われた王城が、分解して飛び散っていった。

街路に人の影が焼き付き、その直後に街路自体が熱に融解、消滅していき

水路は一瞬で干上がり、忘れていたように発生した轟音が、残った物を消し飛ばしていった。

その破壊の影響は天にも及び、この地の天候のシステムが、根本的に壊れていき

ソフィアが、ハイムが、オティーリエ女王が美しいと思った物が、尽く壊れ、消え去っていった。

ハイムは、最後にソフィアが笑うのを見た。 かき消えながら、彼女は言っていた。

「ハイム・・・笑って・・・・そして生きて・・・」

ソフィアの声が残響し、ハイムの心を満たしていった。

 

5,和解

 

クリスタルの映像は終わった。 アティは床に倒れ、頭を抱えていたが

やがて立ち上がり、皆に向けて言った。 サラなどは、その顔を直視できなかった。

「ごめんね。 希望、無かったね」

「いや・・・そんな事は良い。 お前が無実だと分かったから、それで良い」

「アティ殿、気になさいますな。 必ずやソフィア殿や陛下の敵、我らで討ちましょうぞ」

「あー、えーとねー。 うん。 有り難う、リカルドさん、グレッグさん」

アティは不意に視線を逸らし、拳を振るわせ始める。

「・・・記憶を取り戻さなくちゃいけないわけだよね

そう思うわけだよね。 私、こんな大事な事、今まで忘れ果ててたんだから」

地面に涙が落ち、小さな染みを作った。 目をこすり、手の甲で涙を拭くと、アティは床に拳を着いた。

「女王様、ソフィアさん、ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・・!」

「どうして謝るの? 貴方は悪くないわ」

場に満ちた暖かな声。 泣くのを辞めたアティが上を見ると、其処には懐かしい姿があった。

「ソフィア・・・さん・・・」

「ハイム、いや、今はアティね。 涙を拭いて、泣き顔なんて貴方には似合わないわ。

悪かったのは私も同じよ。 女王陛下を助けられれば、こんな事にはならなかったのに」

「うん・・・有り難う」

ソフィアは素直に涙を拭くアティを見ると、誰もを癒す暖かい笑みを浮かべる。

そして場にいる全員を順番に見ると、クルガンの姿を見つけ、ゆっくりと近寄っていった。

「クルガン、良かった。 無事だったのね

貴方の事だから、迷宮に無理に挑んで、命を落とすのではないかと心配していたわ」

「いや・・その。 俺にそんな勇気はなかった。」

その言葉を聞いた瞬間、アティの心に強烈な違和感が生じた。

記憶が戻るときの違和感にそれは非常に良く似ていて、不思議な感覚を生じさせた。

まだ、謎は何一つ解けてはいない。 そんな感触を覚えるアティは、嬉しさでそれをねじ伏せ

体が透けている、つまり死を自覚して霊としてこの地にとどまっているソフィアに、再び視線を向けた。

ソフィアも指を唇に当てているアティの視線に気付き、言葉を続ける。

「私、最後にもう一度だけ、貴方に会って伝えたい事があったの

陛下は武神に魂をとらえられ、苦しんでいるわ。

私も此処に長くとどまりすぎたから、まもなく武神に取り込まれてしまうの」

「うん。 じゃあ・・・」

「武神を倒すしか、陛下を助ける方法はないわ」

ソフィアの体が透け始める。 元々薄かった体が、更に希薄になっていく。

〈最後〉を悟ったソフィアは、アティの体に両手を回すと、抱きしめるような動作をした。

「貴方と一緒に過ごせた時間、とても楽しかった。

ごめんね・・・・こんな形で、別れるなんて辛すぎるよね・・・」

「私も・・・ハイムもそう思ってたと思う。 ソフィアさん・・・・」

ソフィアが更に希薄になっていき、声が小さくなっていった。 アティは決意をすると、叫んだ。

「ソフィアさん!」

「ハイム・・・・?」

「あー、えーと。」

生じたのは迷い。 感謝することが多すぎて、何を言って良い物か分からない。

二秒ほどの沈黙の後、結論は出た。 それはおそらく、最良の選択肢だった。

「・・・有り難う・・・・私に心をくれて」

アティは笑った。 ソフィアが暖かい笑みを浮かべたように、消えゆく友を笑顔で送り出した。

それがどれほどの努力を要するか、どれほどの悲しみを押し殺さねばならないか。

場にいた者全ては、涙をこらえ、アティの背中を見ていた。

そしてソフィアは、実に安らいだ表情で、消えていったのであった。

ソフィアが消えてしまうと、アティは床にへたり込んだ。

だが、泣かなかった。 絶対に、泣こうとはしなかった。

「私・・・泣かない・・・・泣かないから。」

 

地下八層の出口は、それから程なくの場所にあった。

テレポーターは何カ所か経由しなければならなかったが、距離的には短く

魔物も少なかったので、グレッグは問題なくマッピングを終えた。

地下十層へは、爆炎のヴァーゴや、〈剣士〉他、ほんの数人しか辿り着いていない。

また、この地下九層への真の入り口も、彼ら以外に見つけた者はいない事であろう。

つまり、この先は、真の未知なる世界となる。

「俺は一旦引き返し、アインズ将軍と善後策を協議する」

地下九層の入り口を確認すると、クルガンはそう言い、引き返し掛けて振り向いた。

「ハイム、いや、今はアティだな。

・・・全て俺の誤解だった。 謝って済む事ではないが、兎も角謝罪させてくれ」

「あー、えーとね。 いいよ、クルガンさん。 これから仲良くしてくれれば」

「調子が狂う事を言う奴だ。 一発でもぶん殴ってくれれば、却って気が楽なんだがな」

すっかり立ち直っているように見えるアティは、小首を傾げると、クルガンに近づいていき

笑顔のまま、右の拳を振るった。

それほど力を入れたようにも見えなかったのに、クルガンはもろに吹っ飛び

床に叩きつけられて二回バウンドし、顔面から床につっこんで数メートル進み

心配してサラが近づこうとするまで、身動き一つしなかった。

「・・・上等だ。 これくらいの痛みがある方が、却って俺としては気分がいいほどだ」

明らかに無理をしながら立ち上がるクルガン、その姿は妙にユーモラスで

冷徹非情な孤高の忍びの姿は無く、本人もそれに気付いて、苦笑しながら言った。

「俺の力、お前の好きなように使ってくれ。 それが俺の、お前への誤解に対する償いだ。」

「えへへへへへへへ、有り難う、クルガンさん。」

すっきりした顔でクルガンは転移の薬を使い、地上へと引き上げていった。

「私達も戻ろ。 一旦体勢を立て直そうよ」

振り向いたアティの顔は、直視できないような、悲しみに満ちた物ではなく

さっき消える際にソフィアが浮かべていた、誰もを癒す物に近かった。

迷宮の深奥は、間近に迫っている。 それを感じさせない、自然体の微笑みであった。

 

地下八層の一角。 そこでは人外の戦いが始まろうとしていた。

「ほう、鼠の正体は貴方でしたか。」

「そういうことです。 ところで貴方、今度は一体、何を企んでいるんですか?」

部下を引き連れ、不敵に笑うヴァンパイアロードの前に、既に刀を抜きはなったウォルフがいた。

巻き込まれないように、若干離れてダニエルが見守る中、両者の間の殺気が徐々に高まる。

「そうですねえ、私に勝てたら教えてあげましょうか」

「そうします。 ダニエル、下がっていなさい」

「心配しないでも、頼まれても近づかないよ。 雑魚はオイラがどうにかするけどさ」

その言葉が引き金となった。 二つの影が、残像を残して跳躍し、交錯する。

地下八層に、常軌を逸したレベルでの戦いが巻き起こった。

それは後に事態の収束に、少なからざる影響を及ぼす事になる。

(続)