螺旋階段

 

序,迷宮の滝

 

迷宮第五層は、水平面の広がりは無きに等しいのに、凄まじい高低差を持つという意味で

非常に珍しい構造で、他の階層とは一線を画している。

この階層はマッピングが非常にやりづらく、また戦闘も困難を極めるので

冒険者泣かせの階層として、結構広く知られていて、しかもこの辺りから大型の魔獣が現れ始め

連携がとれず、個人能力だけ優れているパーティは、進むのが厳しくなり始める場所である。

激しくも、美しい流れを見せる巨大な滝。 それが第五層の中核をなす存在であり

それを筒状に取り巻く第五層は、奇異な構造であるが、同時に息をのむほど壮大で

一説には〈閃光〉が二つの場所を同時に引きずり込み、出来たとも言われている。

引きずり込まれた場所、一つはエルフの森にあったという〈神厳の滝〉

今ひとつは、ドゥーハン郊外にあった、オークが多数住む事で有名だった廃鉱〈深暗の孔〉である。

それを裏付けるかのように、この階層にはオークの大集落があり

王と呼ばれる巨大なオークがいて、冒険者を襲撃したり、逆に取り引きしたりしている。

その王の元を、魔神数体を連れた男が訪れた。 男はユージン公爵と名乗ると、単刀直入に切り出した。

「我が配下となり、兵を出せ」

ユージン卿は、レッサーデーモン二体と、得体が知れない小さな魔神を連れていた。

それはヘルマスターと呼ばれる強力な魔神で、一個中隊の兵士を一体で全滅させるほどの強さを持つが

個体数が少なく、また非常に強烈な闇の気を好むので、迷宮上層には滅多な事では出てこない。

無茶な契約の末、ユージンは、高位魔神との契約にすら成功していたのである。

オークの王は当然反発した。 その代償として、五十人の手下を殺された。

王は震え上がり、五百の兵を出す事を約束し、ユージンの軍門に下った。

アティが地下五層を二回目に、そして本格的な探索のために訪れる、三十一時間前の出来事である。

一度一線を越えてしまうと、歯止めが利かなくなる者は多いが

ユージンはその代表であり、側近達は、彼の精神が既に理性を失いつつある事に気付きはじめていた。

こんな事で、一体誰に勝つのか。 仮に勝った所で、何をするのか。

アインズは文句なしの名将で、例え魔神を味方に付けても、簡単に勝てる相手ではない。

そして、彼女の上司のクルガンはドゥーハン最強の忍者で、これまた簡単には葬れまい。

クイーンガード長レドゥアも、凄まじい魔力の持ち主で、実力はそこいらの魔神では歯が立たないし

仮に彼らを倒しえたとしても、地上ではおそらく五十万以上の兵と魔導戦力と共に、大陸一の戦上手

ドゥーハン軍総司令官オッドクラードが、手ぐすね引いて待ちかまえている事であろう。

戦術家としてはアインズに及ばぬオッドクラードも、戦略家としては文句なしに大陸最高で

もし凶報がもたらされれば、勝つための手は、ありとあらゆる箇所に打つに決まっている。

更に、もしもオッドクラードを倒しえたとしても。

オティーリエ女王がかって敷いていた以上の善政を行えねば、民衆はユージンに従いなどしないのだ。

最近は様子がおかしいが、歴代でも屈指と言われる善政は、人心を掴んでおり

女王陛下のためなら命も捨てるという者は掃いて捨てるほどいる。 クルガンもその一人であるが

重要なのは末端の民衆にそれが多いと言う事で、それがユージンにはこれ以上もない障壁になるのである。

冷静に考えてみれば、これだけの不安要素がありながら、それでもユージンは一線を踏み越えた。

それには、恐ろしいほどの勇気が必要だった事だろう。

魔神の圧倒的な力に、いかなる手を使ってもすがりたくなるのは、当然だったかも知れない。

いずれにしろ、ユージンが臆病者ではない。 その一事だけは、確かな事実だった。

臆病者であれば、そもそも魔神との契約など出来ないし

それに、世界国家であるドゥーハンに反逆して、迷宮をうろつく事など出来ない。

だが、その勇気こそが、彼を破滅に導いていくのも事実だった。

ユージンの顔は、凶熱を帯びてはいたが、同時に青ざめていた。

彼が魔神とどんな契約を交わしたのかは分からないが、相当に無茶な要求をのんだのであろう。

それは心身共に負担を強いる行為であったろうから、青い顔も当然であるといえたかも知れない。

地下六層に配下の魔神やオーク兵を集結させながら、ユージンは何か遠くへ思いをはせていたのだった。

誰も彼には、自主的に近寄ろうとしなかった。 今では、側近の配下達でさえそうだった。

 

1,エルフの里

 

ドゥーハンは優れた魔導技術を誇る世界国家である。 その中枢である王都は〈閃光〉で壊滅したが

王都の近くには、街道から離れる形で森があり、エルフ達が集落を作って住んでいる。

これはドゥーハンの魔導技術の中枢をエルフが担っていた故で、故に市民権が彼らには当然与えられ

初代ドゥーハン国王は、王都を建設する際、わざわざ森には手を掛けない事を法で制定さえして

以来オティーリエを含む歴代の王、女王達も、積極的に保護に当たって来た。

王都の広さには及ばないものの、森は湖一つ、滝一つを内包する広大な物で

中にはエルフの生活する無数の集落と、ドゥーハン軍が駐屯する小型の要塞があった。

(この要塞は、エルフ族の同意を得て、最低限の戦略的拠点として構築された物だった)

だが現在は〈閃光〉により森の三割強が消滅、神厳の滝をはじめとする多くの自然が傷つき失われ

生き残った長老の指揮の元、今エルフ族は、森を覆った障気をうち払わんと全力を挙げていた。

要塞は辛うじて破壊を免れたが、兵士達は迷宮の周囲に殆どが出払っており

今は五十名程度の、最低限の駐屯兵だけがおり、閑散としている。

ミシェルは、エルフ族の中でも特に潜在的な魔力が高く、またある理由から

長老に迷宮の探索、及び〈閃光〉の情報収集を命じられ、現在もそれに当たっている。

それらの事情を説明しながら、ミシェルは森の奥へと進んでいた。

後ろにはアティ、リカルド、グレッグ、それにサラとヘルガがいて

彼らの根拠地は現在無人で、本日休業の看板を掲げていた。

この行動を提案したのはミシェルで、受け入れたのはアティであったが

たまには迷宮探索以外の日(つまり気休め)があっても良いと言う台詞で、皆が動く事となった。

「・・・あー、そうなんだ。 ミシェルさん、大変だね」

「いえ、お姉さまのような強くて素敵で格好良いお方が、側で守ってくださいますから平気です」

「それはそうとミシェル、要するにお前、俺達の側でスパイをしていたのだな」

リカルドが不穏な視線で、事実を性格に指摘し言った。 アティはそれに対し、まっすぐ視線を向ける。

「あー、リカルドさん。 でも、私達を何度も何度も助けてくれたし、信頼してくれてるじゃん」

「だがな、アティ。 裏切りではある。」

鋭い口調で、リカルドはミシェルを刺した。 その言葉に傷ついたように、ミシェルが顔を下げたが

アティはその視線の先に出、ミシェルを庇うと、首を横に振る。

「私、それでもいいよ。 みんなのために、命がけで手伝ってくれてるんだから

少しくらい裏があったって、それはそれでいいよ。 ミシェルさんは、私達の大事な仲間なんだし」

「お姉さま・・・・」

アティの台詞は、いわゆるきれい事に属する言葉であった。

だが、それで不快感を全く感じさせないのは、彼女に邪気という物が存在しないからで

ミシェルはその言葉を聞くと、本当に満たされた気分を感じ、心が熱くなるのを実感したのである。

そして、厳密にはきれい事ではなかった。 何故なら、自身でそれを実行し、現実にしてきたからである。

それを見ながら、ヘルガは肩をすくめていた。

彼女はアティの行動が、戦術的に最も優れた選択肢である事を悟ったからである。

軍事戦略ではなく、政治戦術の部類にはいる事だが、つまりヘルガと得意分野が違うが

それでも充分に見習うに値する事で、ヘルガは今見た光景を脳裏に留め置く事を決めていた。

戦術での効果を戦略的な布石に結びつける事が出来る事象で、彼女にとっても有用だったからだ。

頭をかき、無垢な笑みを浮かべるアティを見ながら、ヘルガは目を細め、相手を冷静に分析する。

あの娘の最も凄い所は、おそらく何の悪意もなく、計算もなく、あれを選択している所だろう。

つまり戦略的では無く、あくまで戦術的でありながら、結果として良い戦略的効果を上げている。

文句なしの、選択の天才。 そして、それに悪意のない直感が、その力に拍車を掛けている。

しかも、単純に優しいだけで主体性のない小娘でない事も、今まで聞いた戦術展開で明らかである。

想像以上の傑物を見つけたのかも知れないと、ヘルガはアティの小さな背中を見ながら考えていた。

そう、アティはどちらかと言えば小さな娘だ。 年下のヘルガと比べても、そう大きな背丈でもない。

しかし内包する小宇宙は、大きな男どもより遙かに広大で、そして深みがある。

その深淵の部分が、どうなっているかは分からない。 今見えているのは、表の部分

限りなく無垢で、暖かい、皆を癒す部分だけ。 そして、それは充分に称賛を受けるに値する物だった。

森はいつまで経っても開けなかった。 何故なら、長老の集落も、森と一体化して中にあったからである。

入り口からたっぷり一時間以上が経過していた。 枯死した木が、この辺りでも多く

魔力を感じさせる妖精の類や魔法生物も姿を見せず、荒廃した印象が目立った。

流石に枯死していない、だが弱った様子の大きな木の前で、ミシェルは足を止め、上方へ声を掛けた。

「長老様、ミシェル、ただいま戻りました。」

「・・・ご苦労。」

短い返答と共に、年老いたエルフが現れた。 白髪だが、髭は生やしておらず、眼光は鋭い。

長老はアティを一瞥すると、数秒間言語活動を停止し、やがて頭を振って背中を向けた。

「・・・奥に入ってくれ。 詳しい話はそこでしよう」

 

長老の家は、木の空洞を利用した物であり、だが快適な生活空間に整備され

内部には、無数の本が所狭しと並べられ、しかし木を圧迫しないように巧妙に計算され置かれていた。

今には大きな丸テーブルが置かれていて、エルフの若い娘が紅茶を運んできた。

濃厚な甘い香りがする茶で、家の内部に満ちる緑の臭いと混じり合い

それが茶の風味を引き立てる、隠し味的な要素にもなっていて

茶菓子として出されたケーキが美味だった事もあり、客人達は皆一様に満足していた。

ミシェルは奥で、アティとの今までの冒険と、彼女らが信頼するに値する存在だと長老に説明し

そしてまだ未公開の情報を話し合い、それから戻ってきた。

長老はミシェルがアティの隣に座り、クリームだらけの口をハンカチで拭こうとし

サラにどつかれるのを横目で見ながら、アティの前に座った。

アティは頭をかきながら、サラに言われて口のまわりをハンカチで拭っていたが

長老が咳払いをし、席に着くと、表情を改めてエルフの老人を見つめた。

「私の名はフォーン。 この森の、エルフ達の長老をしている」

「えーと、私はアティです。 よろしくお願いしまーす」

「・・・単刀直入だが、貴方達は何故迷宮に潜る?」

ふいに長老が、真剣な質問を発した。 これに関して、明確な答えを持つのはアティだけだ。

グレッグやリカルドは、魔神の宝とやらに興味がある事はある。

サラは、それにミシェルは、この悲惨なドゥーハンの状況を打開できればいいと考えてもいるが

それらは、〈出来ればいい事〉であって、〈絶対にやりたい事〉ではない。

苦しむ者達には悪いが、命を賭けてまでそうしたいとは考えていないのが事実である。

一方で、彼らが信頼するアティはどうか。

そう、アティには、首砕きを振るうリーダーには、彼らとは違う明確な目的がある。

「あー、えーと、何て言ったらいいのかな。 えへへへへへ、変な話だけど、私、知りたいんです」

「知りたい? 何をだ」

「私が、誰なのかを。」

視線で続けるように促し、長老は紅茶を一口啜った。 不満そうな顔をしたのは、若干ぬるかったからで

アティの発言自体には興味があり、そのまっすぐな瞳には心惹かれていた。

「・・・私、最初は、迷宮に行かなきゃいけないって、漠然とした気持ちしかなかったんだけど

それで、みんなと一緒に、その漠然とした何かを知りたいと思って、迷宮に入ったんだけど・・・」

不器用に言葉を紡ぎながら、アティは、湯気が揺れる紅茶の水面に視線を移した。

「でも、一層の最後で、私のために、剣士さんって凄い人が、命をかけて色々教えてくれたの

それから、私、自分が誰なのか知りたくなって・・・絶対知らなきゃいけないって思い始めて・・・

この町を、良くするためにも知らなきゃいけないような気がするから、迷宮に潜るの。

こんな私に、みんな付いてきてくれるから、私頑張らなきゃいけないよね

えへへへへへへへ、それが理由。 兎も角、私、知らなきゃ・・・いけないの。」

「成る程。 随分と正直に物を言う娘だな」

そういって、長老はミシェルに笑顔を向けた。 彼にも、アティの良さが分かったのだ。

「お前には邪気が全くない。 そう言う輩には、危険な者もいるが、お前にはそれを感じない。

ミシェルがお前に全てを預けようとするわけだ。 良かろう、情報の幾らかを提供しよう。

お前が知ろうとする行為は、我らに利益をもたらすはずだ。」

全ての情報を、とは長老は言わなかった。

また、ミシェルと話し合った事についても長老は明かす気が無いようであった。

それを敏感に悟ったのは、リカルドだけだったが(アティは気付いているのかどうか分からなかった)

全くそれには関係なく、長老は静かに話し始める。

「〈閃光〉と呼ばれる惨事で、ドゥーハンが壊滅したのは誰もが知る事だ。

だが、〈閃光〉について、以外に知られていない事実がある」

「それは具体的には、どういう事なのだ?」

「〈閃光〉が発生したのは、今回が初めてではない、と言う事だ」

アティが小首を傾げると、長老はミシェルに指示し、分厚い本を取ってこさせた。

魔法で封印が施されたそれは、分厚い歴史書で、それをひもときながら長老は続けた。

「最初は今より八百二十七年前。 同じくドゥーハンの、今は廃棄されている旧都で発生した。

それから分かっているだけで、今回のも併せて計四回、〈閃光〉によってカタストロフが発生している。」

「では、原因も分かっているのか?」

リカルドの口調は、あくまで話を進めると言う感じではき出されていた。

何故なら、言葉を吐いた当人にも、長老が原因を知らない事を悟っていたからである。

知っていればミシェルをわざわざ迷宮に派遣しないだろうし、解決のため動いているはずだからだ。

「原因は分からない。 だが、一回目の〈閃光〉は、当時のクイーンガードによって解決されたようだ

しかしどう解決されたかは分からない。 最高機密で、我らにも情報が伝わってこないのだ」

クイーンガードという語句を聞くと、アティが一瞬視線をわずかにずらしたが、誰も気付かなかった。

ドゥーハンの兵士達の中で、王を守る物をキングガード、女王を守る物をクイーンガードと言い

およそ千年前にドゥーハンが成立してから、現在に至るまで運営され続けている制度である。

どちらにしても、なれるのは超一流の使い手だけであり

クイーンガード及びキングガードになることは、武人たる者の、最高の名誉として知られているのである。

実際にこの二つから、伝説的な勇者が何人も輩出されている。

「それだけでは何もわからんな。 他に我らに有用な情報はないか?」

「・・・これは確認情報ではないのだがな、どうも〈閃光〉に関わっているのは・・・神らしい」

「神? というと、サラが信仰しているあれか?」

リカルドはそう言い、頬をふくらませたサラがそれに反論する。

「慈愛と光に満ちた偉大なる至高神が、そんな事をするわけないわ。

きっとそれを行ったのは、邪教の神か、古代の神ではないかしら?」

「それはどうかな。 神とはそんなに絶対的な光に満ちた物か?

以前聞いた話だと、その神の手下である天使とやらが、非道の行いをすることが珍しくないそうだぞ

それに神が絶対なら、ドゥーハンがこのような悲劇に見舞われる事も、戦争が起こる事もないではないか」

「あー、えーと、二人とも。 長老さんが話を続けたがってるよ?」

アティが静かに、だがはっきり言うと、サラとリカルドは押し黙り、議論を辞めた。

その手の議論には無数の結論があり、決まった答えなど無い。 結局は感情的な水掛け論になるしかなく

不毛な議論になるのは見えきっていて、無意味な感情的な対立を招くのが明白だった。

それに気付き、リカルドもサラも黙った。 二人とも、感情の整理が出来る大人だから出来た事だった。

長老はそれを確認すると、咳払いをして話に戻った。

「サラ殿と言ったか、貴方の言われたとおり、今私が言ったのは教会で信仰される至高神ではない

・・・わずかに名を残すそれは、〈武神〉と呼ばれているそうだ

私は様々な記録を調べたが、この存在〈武神〉は、いかなる邪教の神でも、古代の精霊神でもない

余程秘されてきた存在なのか、或いは新しい神なのか」

「新しい神?」

不快感に眉を寄せ、サラが聞き返すと、長老は頷いて続けた。

さほど熱心ではないが、サラは教会に所属していて、やはり邪教の類には不快感を感じるのだろう。

「今より遙かに魔法文明が進んでいたのが、先ほど話題になった八百年前前後だ

そのころ、外法とされた儀式魔法の中には、人工生命や、人工霊的存在を作り出す物があったそうだ。

・・・つまり、その度が外れた強力な物を使えば、神を作り出すのも不可能ではなかったかも知れない。」

長老が言い終えると、サラは口を手で押さえて考え込み、グレッグはメモを一旦止めてアティを見た。

皆がその示唆された存在の強大さに閉口してしまったのだ。

その事に気付いたのか、あるいは素での行動か、アティは頭をかきながら言った。

「・・・長老さん、他の可能性はないのかな。

そんなスゴイのだったら、私達にどうこうできるか分からないよ」

「他の可能性か? 或いは儀式魔法で、強力な召還魔法を駆使したのかも知れないな

異世界の神の中には、魔神以上に残虐な者も少なくないそうだ。 そう言った者が来たのかも知れない

そう言う連中なら、おそらく元の世界にいた頃よりずっと弱いはずだ。 人間でも勝ち目は充分にある。

もっとも、伝説に残るような勇者が、これまた伝説に残るような武器を持ったら、の話だがな」

さらりと言い放つと、長老は疲れたように笑った。

今のはあくまで一般論である。 現世の神も、先ほどリカルドが指摘したとおり

実際会ってみなければ、どんな者か知れたものではないからである。

「クイーンガードが何とか出来たのだから、人知を超越したような相手では無かろう

それに〈閃光〉で確認された高密度魔力は儀式魔法の行使による物、超越存在が正体ではないだろう。

いずれにしろ、私はこの森を何とかするためにも、その武神を叩かねばならない

私は私で行動するが、ミシェル、お前はこの方達と行動し、逐一状況を報告するように

アティ殿、今までミシェルの目的を告げずにいた事は謝る。

だが、どうかこの娘を今まで通りに扱ってくれないだろうか。

クイーンガードほどではないが、魔法の腕と、潜在能力は保証するが」

この時、長老が何故クイーンガードなどを引き合いに出したのか、分かる者はミシェルしかいなかった。

「うん。 ミシェルさん、これからも私達を助けてくれる?」

「勿論です、お姉さま。 不肖私、例え地獄の底まででも、お供いたします」

「えへへへへへ、ありがと。 長老さんも、色々と教えてくれて嬉しいよ。

お礼は、私達の情報で良ければ、幾らでも教えてあげるね」

冷や冷やしながら言葉を聞くリカルドの前で、アティは言い放ち、長老は静かに笑った。

「分かったとも、アティ殿。 では、帰りは転送魔法でお送りしよう

・・・これは最近我らが復活させた〈失われた魔法〉でな、一般人に行使するのは珍しいのだぞ」

そういって自慢するフォーン長老の顔に、初めて人間らしい笑みが浮かんだ。

互いに秘した事はまだまだある。 だが、この会見が、長老に良い印象をもたらしたのは事実だった。

 

2,仇と敵

 

宿に戻ると、ヘルガは早速仕事を再開した。 休みと言っても、やる事は幾らでもあるからだ。

グレッグは先ほどの会見の情報を、メモの中から拾い出し、整理し始め

その隣では、サラとリカルドが、先ほど行使された〈転移魔法〉について話し合っていた。

全員を魔力が包んだ次の瞬間、世界が万華鏡のような光の渦に包まれ、何も分からぬうちに森の外にいた。

マロールと呼ばれる転移魔法よりも、遙かに強力であり、おそらく数十人を転移する事も可能であろう。

おそらく長老の先ほどの台詞からしても、軍事目的等に利用されたのではないか

いやもっと建設的な目的で使用されたのだろうと、勝手な憶測でリカルドとサラは話し合っており

二人の会話には参加せず、ぼんやり考えていたアティは、不意に顔を上げた。

「ミシェルさん。 外いこ。」

「お姉さまが私を指名していただけるなんて・・・感激です」

頬に手を当て、顔を赤らめながらミシェルが言い、それを見てサラが露骨に嫌そうな顔をしたが

アティが何をミシェルに求めているか大体察し、肩をすくめて視線を外した。

外は雪が降っており、大地は白一色に化粧されている。 コートを羽織ると、二人は外に出ていった。

少し前までは、こんなコートを買う余裕もなかったのだが

丁寧で誠意ある依頼解決が、若干の金銭的余裕をもたらしていたのである。

 

「お姉さま、どこへデートに行くのですか?」

「あー、えーとね。 ・・・デートじゃないの。 ごめん。 教えて欲しい事があるんだけど。」

酒場への道程で、アティは立ち止まり、ミシェルは蒼白になって俯いた。

いつかは聞かれると分かり切っていたのに、いざ聞かれるとそれは雷光の矢となって精神を直撃した。

「〈ソフィア〉さんて、誰?」

「・・・・。」

ミシェルは黙り込んでしまった。 アティは優しい視線をそちらに向け、じっと相手の回答を待った。

ふり落ちる雪が、エルフの魔術師の頭に、白い点を散らしはじめ

やがてそれが目立つほどになると、アティは歩み寄り、静かにそれを払った。

一瞬怯えて首を縮めたミシェルは、優しいアティの行為に気付くと、落涙しながら言った。

「・・・ごめんなさい。 地下五層の最後で、それはいいます

そこに、ある物が在るはずですから。 それをみながら、絶対に言います。

だから・・・今は許してください」

「うん。 気持ちの整理が付いたらで良いよ。

昨日から、その人が夢に出てくるようになったの。 とても辛そうな顔をしてたり、優しく笑ってたり。

その人が出てくると、私の中が凍る・・・そして悲しくなるの。

・・・もし、どうしてもいいたくないのなら、その時はいいよ。

私が強要して、悲しい思いをさせたら、ミシェルさんに悪いもん」

心底悲しそうな表情で、アティは言った。 この娘は、感情がすぐに表に出る。

それは弱点ともなったが、この娘の長所の一つである事も確かであった。

既にアティの中では、ソフィアという少女が、名前と顔共に一致し鮮明な映像となっている。

それはエルフの、おそらく僧侶で、儚げでだが純粋な優しさを内に秘め

どこかアティに似て、感情を表に出し、自分よりも他人を心配する性格のようだった。

いや、違う。 どこか、アティとは違う。 しかし、同じようにもとれる。

違いは微少で、同時に極大にも思える。 小と大が入り交じり、混錯している。

それを敏感に感じ取っているからこそ、アティはより困惑し、混乱するのだった。

頭を振って、何か言いかけたアティの耳に、悲鳴が届いた。

視線を鋭く動かすと、その先にはあろう事か不死者がいて、今正に市民に襲いかかろうとしていた。

数は四体、ロッティングコープスが一体、ゾンビが三体であるが

まわりの者達は右往左往し、悲鳴を上げるばかりで、全く役に立ちそうにない。

襲われている少女も、さっさと逃げればいい物を

目の当たりにした不死者に腰を抜かしてしまっているらしく、惚けたようにその場でへたり込んでいる。

「ミシェルさん、一人ずつやっつけるよ! 私が引きつけるから、クレタで一人ずつお願い!」

「分かりました。 お姉さま、気を付けてくださいませ!」

「うん。 まずは・・・」

首砕きを抜き放つアティの顔に、緊張が張り付いている。

ゾンビだけなら良いが、地下四層で一度だけ遭遇したロッティングコープスは、動きが敏捷な上

攻撃魔法まで使いこなす強敵で、しかも人肉を好んで食べる厄介な性質の持ち主である。

雪を蹴って、アティは駆けだした。 ゾンビの一体が気付き、緩慢に濁った目をそちらへ向ける。

次の瞬間、振り下ろされた首砕きが、その頭部を見事に粉砕したが

所詮魔法がかかっていない武器での一撃では、いくら強烈でも魔法中枢を破壊する事敵わず

ゾンビは何事もなかったかのように、頭部の名残を首に貼り付けたまま振り向き

他の不死者達もめいめい振り返ると、襲っていた少女をうち捨ててアティに襲いかかった。

次の瞬間、ミシェルがクレタを発動させた。 市街地と言う事もあり、あまり強力な魔法は使えない。

特に使用が不可能なのは広範囲攻撃魔法で、故に此処では威力が低い対個体用魔法

たとえば攻撃魔法の中でも最も廉価で威力が低い、クレタ程度しか使用できない。

だが優れた魔力の持ち主であるミシェルの放ったクレタは強烈で、破壊力は申し分なく

火の粉をまき散らしながら、頭部を失ったゾンビを直撃し

相手を一瞬で火だるまにし、魔法的中枢を破砕して灰にした。

「ミシェルさん、焦らないで一人ずつお願い!」

ゾンビ二体にロッティングコープスを同時に相手にしながら、アティが吐いた台詞がそれであった。

無論同時に複数を相手にせず、巧妙に立ち回ってはいるが、一対三ではそれにも限界がある。

まして地面は雪が積もっており、走り回るほど地面の状態が悪くなり、不利になるのだ。

アティの指示を聞くと、ミシェルはアティの覚悟を察して真剣に頷き

深呼吸し、再びクレタを唱えはじめる。 その表情に焦りはなく、だがこれ以上もないほど真剣であった。

ここで彼女が動揺したり、焦ったりすれば、アティの信頼を裏切る事になるからで

そうすれば、自分の何より大事な人を、またミシェルは失ってしまう事になるのだ。

ゾンビはそうでもないが、ロッティングコープスの攻撃は敏捷かつ鋭く

しかも爪には麻痺毒を仕込んでいる。 鋭い攻撃が立て続けにアティに襲いかかり

もう一体のゾンビが火だるまになり、灰になった直後、ついに防御がうち破られた。

攻撃が直撃したのは、右腕の上腕部であった。 だが仕込まれていた麻痺毒は強烈で

ハンマーで殴られたような衝撃をアティは味わい、続いて強烈なしびれと脱力感を感じた。

「お姉さま! お姉さまーっ!」

へたり込んだアティを見て、起こった事態を正確に察し、スタッフを取り落としてミシェルが叫ぶが

無論そんな事で、事態が好転するはずもない。

最終的に事態は好転したが、それはミシェルが叫んだからではない。 別の理由からであった。

首砕きを取り落としたアティの髪を掴むと、ロッティングコープスは自分の顔の高さまで引っ張り上げ

残忍な笑いを浮かべ、動けないアティの顔面に鋭い牙をたてようと

糸を引く涎を垂らしながら、大きな口を開けたが

それは果たせなかった、一つの華麗且つ鋭利な光が阻止した。

アティにかぶりつこうとしたロッティングコープスの頭を、鋭くだが無造作に日本刀が貫いたのである。

それは魔力の輝きを帯びており、不意を付かれた不死者は絶叫し、燃え上がって灰になっていった。

もう一体のゾンビは、閃光がごとき剣撃の前に無力であり、一瞬にして切り裂かれ灰になった。

「大丈夫? しっかり!」

不死者を屠った者の声がアティに届いたが、無論動けるはずもなく

慌ただしく駆け寄ってきたミシェルが、アティに解毒剤を飲ませ

(幸いと言うべきか、ミシェルには不幸と言うべきか、何とかアティはそれを自力で飲む事が出来た)

やがて体の自由を回復したアティは、助けた相手を、静かに見上げた。

「あー、ありがと。 助かったよ。」

「・・・・・。」

見つめられた相手は、何故か黙り込み、視線を逸らした。

それは女侍だった。 年代はおそらくミシェルと同じくらいで、そこそこ高価そうな和服を着ている。

どちらかと言えば童顔だが、優しげな目が印象的な美人で、束ねた黒髪が実につややかである。

そのあたりは尋常な美少女であったのだが、尋常で無い点があった。

身長の高さが度を超しているのだ。 大女と形容する以外に、個性が表せないほどだ。

おそらく身長は百八十五センチを軽く超すだろう。 そこらの男を頭半分凌ぐ長身であり

周囲の市民の女性達から比べると、頭一つ分大きい。

アティは感心したようにそれを確認すると、無邪気に言った。

「うわー、おっきい人。」

「・・・っ! 失礼!」

大柄な娘は真っ赤になると、刀を鞘に収め、雪の降る街の向こうへ駆けだしていった。

それを見ると、二秒ほどの沈黙をおき、アティの顔が見る間に青ざめた。

「あー。 しまった、傷つけちゃった。 謝らないと・・・ととっ!」

「お姉さま、無理をしてはいけません」

「だいじょう、ぶ。 大丈夫だよミシェルさん。 あー、えーと。」

慌てて立ち上がろうとしたアティは、まだ毒が抜けきっていなかったのか転びそうになり

ミシェルに支えられてようやく立ち上がると、周囲の人に視線を走らせ

あの娘を知る人がいないか、ミシェルと協力して聞き始めた。

そして、六番目に聞いた、襲われていた娘の父親らしい人物が、有力な証言をしてくれた。

「あれはヒナさんってお侍様だよ。 何でも自警団に入ったけど、馴染めなくってでてったとか。

腕はさっき見せたとおり、お墨付きらしいんだが」

「そっか。 ・・・酷い事言っちゃったよ。 もう、私のバカ!」

深刻な後悔を顔に浮かべたアティは、自分の頭を一つこづくと、ミシェルを連れて酒場に向かった。

鈍いようでありながら、人の心には妙に鋭いアティは、何故ヒナが傷ついたか正確に洞察していたのだ。

一方でミシェルはアティに手を握られている事を大喜びして、今戦闘を終えたばかりにもかかわらず

にこにこしながら雪の道を走り、周りの者に気味悪がられていた。

無論というべきか、やはりと言うべきか、彼女は何故ヒナが傷ついたのかなど、わかりもしなかった。

そしてその日、酒場では、結局ヒナの有力な情報を得られなかったのである。

 

ヒナは体こそ大きいが、それほど胆力に恵まれた娘ではなかった。

元々人の視線を気にする質で、しかも異常なほどに身長が伸びるようになってからは

背が高い事がそのままコンプレックスになり、トラウマにさえなり

自分に向けられる奇異の視線が、やがて嫌悪から恐怖に変わっていった。

剣技は兄に匹敵するほどの腕前だったが、そんなもの何の慰めにもならなかった。

そんな生活中、彼女の心の支えは、優しい兄と可愛い弟。

優しく強い兄は、ドゥーハン軍でも指折りの侍で

その兄の背中をついて回る年の離れた弟は、ヒナにとって弟と言うより子供のような存在だった。

彼女らはドゥーハンに直接暮らしていなかったため、〈閃光〉による被害の直撃を受けなかったが

だが軍人である以上、オッドクラードの指揮下で、大挙進入してきた敵国軍と戦うか

(もっとも、オッドクラードと麾下の将軍達、それに精鋭として知られるドゥーハン兵の活躍で

ドゥーハン国境から五キロ以上進入できた軍はなく、殆どが一戦にして叩き潰され這々の体で逃げ帰った。

最強の将軍の一人であるアインズが、迷宮攻略に専念できるのも、後方が安全だという理由があるのだ)

迷宮攻略に向かうかは、必然だった事だろう。

そして、悲劇は起こった。 第二次迷宮攻略戦は、アインズ将軍の指揮によって行われた戦いで

アインズは善戦し、実に地下九層まで兵を進め、しかもその大半を生還させる事に成功している。

だが結局の所は失敗に終わり、特に最前衛の部隊は、魔神達との戦闘で大きな被害を受けた。

その際、不幸な事に、ヒナの兄ナチは弟と共に、グレーターデーモンに遭遇してしまったのである。

グレーターデーモンは地上に現れる魔神の中では、最強クラスの実力を持つ文字通りの怪物で

殆どの呪文を無効化する特殊なオーラに身を包み、鋼がごとき強大な筋肉で武装し

体躯は六メートルにも達し、爪はそれぞれが下手な剣より遙かに強力である。

その戦闘能力は想像を絶し、複数がいれば、高位の魔神でさえ戦いたがらないだろう。

ヒナの弟は、幼いながらもさほど弱くなかったのに、それなりの実力はあったというのに

グレーターデーモンの爪で、たった一撃で襤褸雑巾の様に切り裂かれ

大事な弟を失ってしまったナチは、精神に異常をきたし、現在は殺人鬼と化して迷宮をさまよっている。

ヒナは拠点にしている宿の自室で、膝を抱えて座り、怯えるようにじっとしていた。

彼女は復讐したかった。 しかし、そんな行為が何の意味もない事も知っていた。

ヒナは、アインズの事を恨んではいない。

彼女の指揮は見事で、敗戦にもかかわらず殆どの兵が生還できたのだ。

本当のところは、全ての元凶であるグレーターデーモンも恨んでいないかも知れない。

立場が違えば、自分だって同じ事をしたかも知れないのだ。

命のやりとりの場で、弱い相手に手を掛ける事を躊躇したら、待っているのは次の瞬間の死だ。

実戦を知り、かつ卓絶した実力がありながら、アティのように考える者の方が珍しいのであって

グレーターデーモンは、むしろ人間的な、ごく常識的な判断をしたのだ。

分かり切ってはいた、だが、ヒナはけじめを付けねばならなかった。

そのためにも、怖くて仕方がない町に出てきたのだ。

顔を叩き気合いを入れ直すと、髪をしばり、ヒナは決意を新たにした。

この日、ヒナとアティの道は瞬間的に交われど、結局重なる事がなかった。

だが、彼女らの道は、遠からず重なる。 前から決められていたように、偶然の紡ぐ糸は

一人一人をその流れに巻き込み、やがて時という織物に織り込んでいくのだった。

 

3,滝での再会

 

地下五層は、今日も雄大な滝の姿を訪れる者達に見せつけ、傲然と迷宮内にて佇んでいる。

美観であれば迷宮で随一と呼ばれるこの場所は、美しさと厳しさを併せ持つ場所でもあり

〈ゲイズハウンド〉や〈ワイバーン〉に代表される大型の魔獣が出現し、危険度は高い。

アティが二度目に訪れたときも、それは変わっていなかった。

滝は五層入り口の遙か上方から始まり、途中二度ほど大きな岩にぶつかってステップし

岩場に張り巡らされている足場をかすめた後、銀糸をまき散らしながら最下部の湖に自らを投擲している。

湖の中には魚もいるが危険な魔獣も住み着いており、透明度は高くとも水浴びは無理である。

足場は曲がりくねりながら延々と下方に向かってのび、途中何度か坑道の中を通って

最終的には地下六層の入り口がある最下部に伸びていて、そこで終わっている。

つまり、長々と続く足場を延々と下れば、そのまま次の階層に進める構造である。

だが、そう簡単にはいかない。 途中で魔物に出くわしたら、まず戦闘を回避できないし

足場を踏み外そうものなら、下の岩場に叩き付けられてミンチになるか、湖に落ちて魔獣の餌になるか

どちらか二つの結果しかなく、そのいずれであっても待っているのは死である。

つまりここは、道に迷う心配がない代わりに、それを補ってあまりあるほど危険な場所なのだ。

高低差は約百メートル。 足場は坑道に在った物を、人間や住んでいるオークが改造した物で

魔獣や巨人が歩いても大丈夫な広さと強度が、一応の所はある。

最上部からアティは、手すり越しに下を見下ろした。

滝を螺旋状に囲むようにした足場が、深淵の闇に向け、延々と下り

遙か上方の孔から差し込む日が、今が昼である事を告げ、深淵に一点の明かりを刺していた。

「ふえー、高いね。」

「高低差は百メートルほどあるそうです。 足場は脆くなっている所もあるそうなので、気を付けて。」

心配そうにグレッグが言い、サラに視線を向けた。 その顔に、若干の不安が張り付いている。

ショートカットルートを通ってきたとはいえ、数度の戦闘を既に行っており、万全の体勢ではない。

それに、アティの様子が少しおかしい。 それを敏感に感じたグレッグは、若干の不安を味わったのだ。

サラの顔を見たのは、アティの様子に結局の所サラが一番詳しいと思ったからであり

視線を振られたサラは数秒考え込むと、アティを一度見直し、やがて静かに頷いた。

「アティさん、大丈夫? 何か問題があるのなら、引き返した方がいいかもしれないわよ」

「あー、えーとね。 えへへへへへへへ、大丈夫。 私の事で、みんなに迷惑かけないから。」

反論を封じ込むと、アティは先頭に立って歩き出した。

彼女の中で問題になっていたのは、昨日迷惑を掛けたヒナの事と、ソフィアという少女の事である。

既にヒナの事は、宿に戻ってから皆に相談し、グレッグが情報を集める事を請け負ったが

やはり釈然としない物を感じるようで、今日も朝からぶつぶつと呟いてため息をついていた。

また、ソフィアという少女の件に関しては、ミシェルも一枚噛んでいるようであり

一昨日辺りから、若干様子がおかしい。 もっとも、ミシェルが変なのは何時もの事だという話もあるが。

下の方で閃光がはじけた。 悲鳴が轟き、大きな影が真っ逆様に落ちていった。

水音がするまで、少し時間がかかった。 下を見ていたアティは、顔を上げると小首を傾げた。

「あー、どうしたんだろ」

「冒険者と魔物が戦っているんでしょう。 さあ、急ぎましょう。」

グレッグは、アティの調子が悪い事を確信していた。

そして、その間は自分が今以上に頑張らなければいけないとも決意していた。

それはリカルドもサラも同じ事であり、二人は決意に満ちた表情で、静かに頷いたのだった。

 

最初の数百メートルは、単純な道が続いた。 一応手摺が在る場所もあるが、全ての場所がそうではなく

また魔物の数も決して少なくなく、二時間を経過した頃には既に三度の戦闘を経ていた。

アティの調子が悪い事に気付いていた他の者達は、率先してその苦労を減らすように心がけていたが

いざ戦闘になるとアティの戦術的指揮は何時もと比べて全く衰えておらず、皆を安心させた。

だが、道を歩いているときは何時も以上にぼーっとしているようだったので

リカルドがグレッグに何やら耳打ちし、忍者は率先して前に立ち、周囲を警戒していたが

やがてある曲がり角でとまり、皆を手招きした。

「あー。 グレッグさん、どしたの?」

「アティ殿、あれを。」

別に身を隠すでもなく声を落とすでもなく、グレッグが言い

不審そうにアティがグレッグの視線の先に自らの視線を重ねると、そこには見覚えがある者がいた。

「えーと、あれは確か」

「アティどん! お久しぶりだど!」

視線の先にいた者が先に気付き、手を振ってどたどた走りながら近づいてきた。

それは地下一層で、剣士と一緒にいたオーク、キャスタであった。

 

「ここがオダの店だ。 バッシー! ピピン! アティどんにお茶をお出しするだど!」

通路の脇にある、比較的大きな空洞にはいりながらキャスタが言い

中にいたオーガーと、小柄なオークが、準備するために店の奥に駆け込んでいった。

周囲には珍しい武具や道具が並び、それらは丁寧に整備されていて

翼を持つ眼鏡を掛けた小柄な娘が金勘定をしていて、アティに視線を一瞬だけ向けたが、すぐに戻した。

出された席に皆が座るのを確認すると、キャスタはアティの手を握り、上下に振った。

「ほんとに此処までこれただな! さすがはけんしさまが見込んだだけのことはあるだ!」

「あー、えーと、私だけの力じゃなくて、みんなの御陰だよ」

「謙遜するな、アティ。 お前の力は充分に大した物だぞ」

アティに対し、リカルドが生真面目に言ったので、アティは頭をかきながら苦笑した。

やがて巨大なお盆に小さなグラスを五つ乗せ、オーガーが戻ってくると、キャスタは丁寧にそれを並べ

最近どうだったか、怪我はしていないかなど、順番に皆に話を聞いていった。

溢れるばかりの元気が、周囲に浸透する。 それは、太陽が如き明るい輝きとなって、皆の心を照らした。

これが疲弊しきった〈剣士〉の心を癒していたなどとは、流石に誰も気付かなかったが

純粋で元気なオークの振る舞いは暖かで、皆は一様に楽しい時間を過ごしたのである。

やがてリカルドが、周囲に陳列されている剣や、鎧に視線を止めると

それをめざとく見つけたキャスタは、胸を張って自慢した。

「それは、けんしさまが見つけてきた武具だど。 けんしさまが冒険者に売っていいって言ったから

オダはそれを売ってるど。 みんな、凄く強い武器ばかりだど。」

「確かに凄い武器が揃っているな。 ・・・これは、ブレード・カシナートの初期型か?」

ひときわ光を放つ剣をリカルドが手に取り、上下から眺め回すと、キャスタは頷いた。

ブレードカシナートは、初期型と後期型で大きく形状が異なる。

見かけよりも実践的な能力を追求した初期型に対し、後期型は実能力より見かけを重視しており

故に生粋の冒険者は前期型を好み、貴族は後期型を好む傾向がある。

(後期型でもそこいらの剣より遙かに強力だが、やはり前期型と後期型では威力に雲泥の差がある)

以前ユージン卿が、リカルドに見せびらかすように身につけていたのは、案の定後期型だった。

「〈ぶれーどかしなーと〉だど。 でも、普通の戦士や騎士に使いこなせる武器じゃないど」

「分かっている。 まだまだ今の俺には、分不相応な武器だな」

事実であったので、特に気を悪くするでもなく、リカルドは応え

それでも玩具を与えられた子供のように、目を輝かせ、ブレード・カシナートを眺めていた。

このような事など余技に等しかったであろう剣士の実力。 それはキャスタの誇りでもあった。

グレッグは無関心を装っていたが、視線を時々、魔法がかかった鎖帷子に送っており

それに気付いたサラは内心肩をすくめ、グレッグから男と言う生き物の単純さを改めて感じていた。

「あー、えーと。 ねえねえ、キャスタさん。

もし、私達がもっと力を付けてきたら、此処にある武器の幾つか譲ってくれる?」

ふいにアティが発言した。 その場の全員が彼女に注目し、キャスタが応える。

「勿論だど。 その時は、是非オダを頼りにして欲しいど」

「うん。 頼りにしてるよ。」

アティが浮かべた純粋な笑みを見て、ミシェルが今日はじめて嬉しそうにした。

 

幾つかの情報を手に入れた後、アティはキャスタの店を後にしたが

その際、以前訓練場で助けたピピンというオークが、アティに何かを手渡した。

「これはオイラの宝物だす。 前に助けてもらったとき、お礼も言えずにすいまそん。」

「ん? いいよそんなの。 えへへへへへへへへ、困ったときはお互い様だしね

で、これ何? 大事なたからものだったら、私もらえないよ」

「いいんだす。 これはアティさにあげよう思って、今まで大事にとっていたんだす」

そう言って不器用に礼をし、ピピンが手渡したのは、小さな宝玉だった。

それは重厚な魔力の輝きを放っており、サラはその正体をすぐに悟って息をのんだ。

「騎士の宝玉!?」

「そうだす。 冒険者にそう呼ばれていただす。」

自慢げなピピンの声に応えるかのように、宝玉が光を放った。

「貴重なものなの?」

「ええ。 失われた古代の魔法で作られた貴重なマジックアイテムよ。

充分に経験を積んだ冒険者を、職業を問わずに騎士にクラスチェンジさせる特殊効果を持っていて

能力低下もおこさないから、非常に便利なマジックアイテムだわ」

一度だけそれを見た事があるサラは、瞳に浮かんだ興奮を隠せず言った。

「あー、ピピンさん、本当にいいの? こんなステキなもの」

「これをアティさにあげる事が、オイラのたのしみだったす。

喜んでもらえる顔を見る事が、楽しみだったす。 だから、遠慮無くもらってほしいのだす」

「うん。 分かった。 ありがとう、ピピンさん」

アティの心底嬉しそうな笑顔を見て、オークは感激に目を潤ませ

差し出された手を握って何度も上下にふり、大喜びしていたが

キャスタに呼ばれ、残念そうな顔をすると、渋々店の中に戻っていった。

「純粋な奴らだな、オークってのは。 見ているこちらまで暖かくなる。」

目を細めてほほえましい光景を見ていたリカルドが言うと、アティは懐に宝玉をしまいながら応える。

「あー、そうだよね。 でも、純粋ってのは優しいのと同時に残酷なんだよ」

「・・・ああ、分かってる。 分かってはいるさ。」

歩き出したアティの背中に向け、リカルドは呟いた。

その後ろから歩み寄ってきたグレッグが、サラとミシェルを手招きし、言葉短かに言った。

「アティ殿に言うべきか迷ったが、取りあえず貴公らには告げておく。

丁度昨日くらいから、オーク王の様子がどうもおかしいらしい。

コボルト王と共に、相当数の兵力を地下六層に集結させているそうだ」

「・・・魔界にでも攻め込むつもりか?」

「いや、どうも魔神を従えた人間の男の軍門に下ったらしい。」

眉を寄せると、グレッグは歩き、アティの後を追いながら続ける。

付いてくる皆を見ながら、アティを除く全員の耳に声が届くよう、丁寧に調節して。

「おそらく、その男はユージン卿だ。 リカルド殿、貴公が遭遇したあの男だ」

「ほう。 となると、ドゥーハン軍、いやアインズ将軍も黙ってはいないな。

女王陛下がどういう決断を下すかは分からないが、まず間違いなく開戦を命じるだろうな。

迷宮の中でまた戦が起こるのか。 ・・・しかも人間同士の間で」

無論、リカルドはオティーリエの身柄を、ユージンが確保しているなどとは知らない。

グレッグは大量の情報を整理し、そうではないかと疑念を抱いてはいたが、確信はしていなかった。

それに気付いていたのは、今のところサラだけだった。 しかし、彼女も口に出す真似はせず

一度だけアティにその可能性を示したが、他の者には黙っていた。

「あの人、そんなに悪い人には見えません。 むしろ、追いつめられている様に見えました。」

ミシェルの言葉を聞くと、リカルドは小首を傾げ、サラが咳払いをした。

「グレッグさん、アティさんにも説明して置いた方が良いわね。

あの子はボケに見えるけど、きちんと世間の理は分かってるから、泥よけを必要とはしないわ」

「・・・うむ、そうだな。 分かった。 やはりそれが一番賢明だろう」

忍者と一緒に走り出すミシェルを視線で送りながら、サラはため息をつき、リカルドに耳打ちした。

「何で、ミシェルさんがそんな事分かるかって、思ってない?」

「ああ、その通りだ。 どういう事なのだ?」

「彼女が同じ境遇だからよ。 ソフィアさんって人、あの子にとって相当大事な人だったに間違いないわ

それにアティさんの具体的な正体も、あの子は確実に知っているわね。

言い出すのが辛くて、自分を追いつめて。

今、相当辛いはずよ。 アティさんがリーダーじゃなければ、とっくに精神疲労で倒れてるでしょうね」

サラの口調が責める要素を秘めていたので、リカルドは更に困惑し、やがて理解して舌打ちした。

「そうか、配慮が足りなかったな。」

「ええ。 ミシェルさんの精神的ケアは、アティさんに任せて置いた方が良いわ。」

サラの視線の先で、アティがグレッグの報告を聞き、真剣な顔で何度か頷いていた。

先ほどのオーク達の行為で少し元気が出たか、ミシェルの顔にも少し元気が戻り、若干活気が出ている。

今の状態を維持し、問題にけりを付けねばならない。

それを敏感に察し、サラは自然と歩調が緊迫を帯びるのを感じていた。

 

4,素顔

 

第五層の中層、足場から坑道に入り、少し進んだ所に冷泉がある。

それはかなり大きな泉で、青く水は澄んでおり、血に飢えた魔物もいない。

理由は泉自体にいわゆる〈聖なる力〉が備わっているからで、かつてエルフの森にあったこの泉は

それ自体が聖なる力を発散しており、不浄なる者達は近づく事が出来ないのだ。

故に此処は冒険者やオークが憩いの場として使っていて、今日も客がいた。

澄んだ目を持つ、紅い髪の娘で、透けるような白い肌の美女であったが

非常に気が弱そうで、事実動作は何かにつけておどおどしており、しきりに周囲を伺っていた。

それは、魔物に対する恐怖ではなく、むしろ人間に対する恐怖であったのだが

そんな事を分かる者などおらず(そもそも見ている者がいないのだから当然ではあるが)

娘はおもむろに着衣を脱ぎ捨て、水浴びをはじめた。

この泉がある場所は、〈閃光〉による転移の影響で、坑道の一部とつながって

結果、蟻の巣の一室のような形状となり、ドアによって外部と仕切られている。

それ故か、リラックスした表情で娘は水浴びを澄ませ、水から上がろうとした。

次の瞬間。 ドアが乾いた音と共に開き、一人の娘が入ってきた。

その娘に、水浴びしていた美女は見覚えがあった。 両者の視線が交錯し、先に発言したのは娘だった。

「あー。 ・・・・えーと。 お取り込みちゅうでした? ごめんなさい」

「・・・・・・キャアアアアアアアアアアアアアア!」

娘、アティの顔に美女が投げた盥が炸裂した。 しりもちを付いたアティに、次々に物が投げられ

後から入ろうとした者達が、事態を察し、そのまま回れ右をして部屋を出ていく。

「あいた、いたいたいたあっ! ごめんなさい、出てくよ、だからやめて!」

「キャー! イヤー! 出てって! 出てってー! バカー!」

慌てて部屋を出てドアを閉めたアティのすぐ横に、包丁の刃がドアを突き破って飛び出した。

その場にへたり込むと、額の汗を拭い、アティは暢気にため息をついた。

「女の子同士なのに、あのヒト何あんなに恥ずかしがってるんだろ」

「お姉さま、大丈夫ですか? 瘤がお出来になっていますよ」

「あー、大丈夫だよ、このくらい。 悪い事しちゃったなあ・・・」

暢気な声は、やがて遠ざかっていった。

息も荒く、タオルで体を必死に隠していた娘は、やがて安全を確認すると静かに上がり

泉の片隅に置いてあった着物を取り、身につけていった。

まだ瑞々しい肌に、過剰なほどの白粉を塗り、素顔を消していき

それを終えると、気が弱そうな美女の姿は消え失せていた。 其処にいたのは・・・

「あのガキ・・・三流・・・低能がアアアア!

良くも、良くもこのあたしに生き恥をかかせたなアアアアアア!」

壁を鋭く殴りつけたその魔導師は、アティと地下一層で死闘を演じた相手であった。

即ち爆炎のヴァーゴ。 瞳に炎を宿すと、ドアを蹴り開け、足音も高く地面を蹴りつけながら外に出る。

そして左右を見回しながら、忌々しそうに、何かを呼び始めた。

「ドゴルゲス! ゴロ! タマ! 出てきな!」

「ヴァーゴ様、さっき悲鳴が聞こえたけど、どうしたんだな?」

低い声に続けて、更に二つのうなり声がした。 現れたのはポイズンジャイアントと、魔獣だった。

魔獣はゲイズハウンドと呼ばれる大型魔獣で、相手を一瞬だけ硬直させる〈ゲイズ〉という能力を有し

元々の攻撃力も高く、冒険者達の間でも名高く、警戒されている。

実は、彼らはヴァーゴの悲鳴には気付いていた。

だが、部屋に入ったら確実に殺される事が目に見えていたので、黙って事態を静観していたのである。

「今から人間を一匹ぶっ殺すよ! あたしについてきな!」

「ヴァーゴ様、穏やかじゃないな。 水浴びを見たくらい、許してあげればいいのではないんかな?」

次の瞬間、口答えしたポイズンジャイアントに、ヴァーゴが右掌を向け

三百キロを越す巨体が、放出された魔力波を浴び、宙に舞って壁に叩き付けられ、地面にずり落ちた。

それは、狭範囲に指向性の強い魔力波を放つ、フォースと呼ばれる魔法だった。

本来は僧侶系の魔法なのだが、ヴァーゴには使いこなす事など造作もなかったようだ。

「わ、わるかったんだな。 とても痛かったんだな、だから許して欲しいんだな」

「分かればよろしい。 さっさと行くよ、着いてきな!」

さっきを周囲にまき散らしながら、ヴァーゴは歩き出し、ゲイズハウンドが後に続く。

それを見送ると、ゆっくり立ち上がり、ポイズンジャイアントは独語した。

「ヴァーゴ様も、少し気が短すぎるんだな。」

ポイズンジャイアントは、わざとゆっくりヴァーゴを追い始めた。

彼が歩き始めたとき、坑道の向こうでは、既に戦いの音が響きはじめていた。

 

「待ちな! 三流!」

鋭い声にアティが振り向くと、其処には溶鉱炉が如き殺気を湛えたヴァーゴがいた。

背後では、既に臨戦態勢に入っているゲイズハウンド二匹が、低いうなり声をたてていた。

そこは先ほどの部屋から少し離れたホールで、足場にほど近い。

広さは十メートル四方ほどで、広さも高さも戦いに申し分ない場所であった。

「あー、えーと、爆炎のヴァーゴさん。 久しぶりだね」

「さっきはよく・・・ゴホン。 此処で会ったが百年目だよ。 ぶっ殺してやるから覚悟しな!」

既にアティの左右には、グレッグとリカルドが進み出ていた。 目を細め、アティは静かに応えた。

「どうしても? どうしても戦わなくちゃいけないの?」

左右にサインを出すアティを見て、ヴァーゴは凶暴な笑みを湛えた。

「見せてやりな! ゴロ、タマっ!」

二匹の目が光り、アティの動きが停止した。 〈ゲイズ〉であった。

それは一瞬の停止にすぎないが、その機を逃さず

二匹の魔獣が地を蹴り、弧を描くような軌跡で、アティに迫った。

リカルドとグレッグが反応するよりも速かった。 二匹は鋭い一撃で、アティをはねとばした。

「魔獣がダブルスラッシュだと!」

「落ち着いて! 落ち着いて戦えば、絶対に勝てるから!」

リカルドの驚きに、壁に叩き付けられたアティは埃を払いながら立ち上がり、再び首砕きを構えた。

背中を強打したようだが、致命傷にはほど遠い。 相変わらず呆れるほど頑丈な体であった。

それを見て、安心した前衛の二人は、落ち着きを取り戻し、それぞれに武器を構える。

だが、ヴァーゴもそれだけで終わりではない。 印を組むと、殆ど瞬間的に魔法を完成させていた。

「ハッハア! これでもくらいな! クレタ!」

高位魔導師、その中でも傑出したヴァーゴにとって、下位の魔法など詠唱する必要もないのだろう。

生み出された火球は大きく、マジックキャンセルの暇さえなく、立ち上がったアティを直撃した。

「お姉さま!」

「落ち着きなさい! いい、アティさんの指示に従って動くのよ!」

ミシェルを叱責するサラの声にも、若干の焦りが浮かんでいたが、だが絶望はない。

リカルドとグレッグが同時に動き、ゴロと呼ばれたゲイズハウンドを左右から切り裂き

次の瞬間、ミシェルが、最大級の攻撃魔法を発動させていた。

「ジャクレタ!」

爆炎が周囲を舐め尽くした。 圧倒的な炎の渦は、二匹のゲイズハウンドを、そしてヴァーゴを飲み込み

周囲に破壊と殺戮をまき散らして、そして収まった。

それは魔法協力というアレイドアクションだった。 サラはミシェルの魔力増幅に精神を注ぎ

ミシェルの詠唱速度、更に呪文威力を増幅し、共に撃ち放ったのである。

第五層へ出撃する直前、資金の七割を費やして修得したアレイドであった。

「チイっ! こんな強力な魔法を使える奴が混じっていたなんて、予想外だったね!」

ヴァーゴが咳き込みながら舌打ちした。 身に纏った対魔法オーラで威力を軽減した物の

ダメージは無視できる物ではなく、ゴロとタマも倒れこそしなかったが相当なダメージにもがいていた。

次の瞬間、煙を突き破るように躍り出たアティが、首砕きを一閃、ゴロの眉間を叩き割ったのである。

皮鎧にかかった強化魔法の効果で、多少クレタのダメージは軽減していたが、大ダメージは免れず

(頑丈なアティも、魔法には耐性がない。 今までの戦闘が、それを証明している)

だが眼光が衰えておらず、青い血にまみれた首砕きを構え直すと、再び仲間達にサインで指示を出した。

忘れていたようにゲイズハウンドが倒れ、ヴァーゴの視線に危険な光が宿った。

「おのれ、小賢しい! 最初から自分を囮にするつもりだったね!」

「あー、うん。 ヴァーゴさん、絶対に私を狙ってくると思ったから。

リカルドさん、グレッグさん、おっきなイヌさんをお願い。 私はヴァーゴさんを叩く。」

既に指示を出しているから、これは心理的効果を誘った戦術である。

つまりヴァーゴは相手の言葉を真に受けるか、罠だと考えて別の手を取るか、考えなくてはいけないのだ。

これだけでも、ヴァーゴは追いつめられた事になる。 的確な判断に、リカルドは呟きつつ走った。

「グレッグ、さすがはアティだな!」

「うむ。 さすがは我が主君! 行くぞリカルド殿!」

言葉通りヴァーゴへ向かったアティを見ながら、グレッグは応えた。

アティが首砕きを振るい、ヴァーゴが応戦する。 二人の娘の間に、剣撃が生み出す火花が満ちた。

一太刀二太刀交えただけで、ヴァーゴは舌を巻いた。 戦闘技術が、前に戦った時とは比較にならない。

常識離れしたパワーから繰り出される故、一撃一撃が凄まじい重さで、しかも疾さも水準以上である。

繰り出してくる技も優れ、他の技術も見事と言うほか無い。

短期間の間に、アティは以前と比べ物にならないほど実力を付けていたのだ。

だが、今はまだ、ヴァーゴに分があった。 戦士としても、ヴァーゴがまだアティより上だった。

生じた一瞬の隙に笑みを浮かべると、ヴァーゴはアティを弾き飛ばした。

この瞬間、ヴァーゴは、アティが真実を言ったと確信した。

「もらった!」

倒れたアティに右手を向け、ヴァーゴはクレタを発動させようとした。

視界の隅でタマが倒れるのが見えたが、アティさえ倒してしまえば勝利は得たも同然だ。

だが、それは敵わなかった。 後ろに殺気を感じたヴァーゴが、殆ど本能的に飛び退くと

一瞬前まで彼女の首があった地点を、鋭くリカルドの一撃が通過していた。

アレイドアクション、バックアタックであった。 サラとミシェルが放った火球を浴びたタマを

グレッグが攻撃してトドメを刺し、その間にリカルドはヴァーゴの背後に回り込んでいたのだ。

地面に倒れ込んだヴァーゴは、弾かれるように立ち上がったが、眼前には首砕きが突きつけられていた。

アティは口の端から血の糸を引いていたが、気力は衰えず、言葉もいつもの調子であった。

「私の勝ちだね。 死なせたくないから、武器を捨てて。 お願い」

「クソっ! クソクソクソっ! 三流が、低能が! 何であたしが負けるんだよ!」

「あー、えーと。 負けを認められるうちは大丈夫だよ。 だから、武器を捨てて。」

歯ぎしりしたヴァーゴが、再び何か言おうとした瞬間、場に巨大な岩が投げ込まれた。

一瞬の隙が生じ、ヴァーゴはそれを逃さなかった。 もはや交戦をあきらめ、さっさと場から逃げ出す。

それを見届けると、アティは大岩へ向かい、それを全身の力で押した。

「うっそ、動いた・・・」

驚愕の声を上げたのはサラだった。 アティは大岩を、驚くべき事に一人の力で押しのけたのだった。

岩はホールの真ん中にあり、明らかに交通の邪魔であったが、隅に押しのけられてそれもなくなった。

「サラさん、フィールズお願い。 ふいー・・・結構厳しかったね」

「そろそろ撤退を考えた方が良いかも知れませんな。

我らが進入したショートカットルートから、もう大分距離があるし、帰路を考えると少し厳しいでしょう」

「お姉さま、お怪我をなさったのですか? 不肖私が、お口をお拭きいたしま・・・」

ミシェルの頭に拳をうち下ろし、サラがフィールズを唱えた。 皆がいつもの調子に戻ってきていた。

「・・・俺は、このまま五層の最深部まで進むべきだと思う」

ふいにリカルドが言った。 視線を向ける皆に、彼は臆せず応えた。

「アティ、ミシェル。 調子がいいうちに、お前達の事に決着を付けておいた方が良いだろう

俺はそう思う。 何、帰り道くらい、俺とサラとグレッグで何とか切り開くさ

さっきの戦いでもそうだったが、俺達はアティ、お前がいないと戦力を十分に発揮できない

だったら、多少危険を冒しても、お前の体調を万全にした方が、俺達のためにも良いはずだ」

「あー、えーと。 そんなの悪いよ。」

「私は構わないわよ? アティさん。」

困惑したアティに、サラが言った。 グレッグも頷き、一瞬影を落としたミシェルもそれに続いた。

決断が正確でしかも早いのが、アティの長所の一つである。 今回もそれは変わらなかった。

「・・・分かった。 じゃ、行こ。

これ以上迷惑掛けられないからね。 うん。 じゃ、これが解決したら、みんなに美味しい物おごるね」

そう言って笑顔を向けたアティは、煤にまみれていたが、目映いばかりの光彩に満ちていた。

 

「ヴァーゴ様、お怪我がないようでよかったんだな」

巧く逃げ延びたヴァーゴを見て、ポイズンジャイアントのドゴルゲスは言い

ヴァーゴは感謝の言葉を吐くでもなく、壁に拳を叩き付け、吐き捨てた。

「あのガキ、どんどん強くなってやがる。 次は戦力出し惜しみしたら勝てないね・・・」

「でも、ホントは仲良く慣れそうなんだな。 あの子、悪い子じゃないんだな」

ポイズンジャイアントに、凄まじい殺気が叩き付けられた。 だが巨人は動じなかった。

「ヴァーゴ様、短気は損気なんだな。 あの子と仲良くして、ヴァーゴ様に損はないんだな」

「知った風な事を言って・・・・!」

身を翻すと、ヴァーゴはさっさと前に歩き出した。 ドゴルゲスは無言でその後について歩き出した。

彼は以前、危地にあった自分を、圧倒的な魔力で助けてくれたヴァーゴを尊敬していた。

だから、ヴァーゴのためには何でもするつもりだった。 嫌われても、苦言を言うつもりだった。

周りの魔物と違い、ドゴルゲスだけは、恐怖ではない理由でヴァーゴに従っていたのである。

それを知ってか知らずか、ヴァーゴはドゴルゲスを一番の部下にしていた。

この二人は、そう言う仲だった。 ヴァーゴも本当は、自分の欠点に気付いていたのかも知れない。

 

5,記憶の滝壺で

 

更に四度の戦闘を経て、アティはついに第五層の最下部に辿り着いた。

側には地下六層の入り口もあるが、流石に進む気になれず

アティはへたり込むと、周囲を見回し、ため息をついた。

周囲に魔物の姿はないが、湖の中はどうだか知れた物ではない。

滝壺から水しぶきが舞い上がり、虹が美しい姿を周囲に見せていても、魔物は厳然としているのだ。

「帰りは大変だぞ。 少し休んで置いた方が良いな。 湖には近寄らずにな」

リカルドが汗を拭った。 祝福の剣は抜きはなったまま、壁により掛かってため息をつく。

体力的に一番余裕があるグレッグが、見張りをするべく警戒に立ち、周りに視線を配った。

最下部は相当の広さがある空間だった。 見えているだけでも数百メートル四方の空間は

見かけ以上の広がりがあり、水際は岩場になっていて、また水から離れた所にはキャンプの後があった。

それはアインズが第二次迷宮攻略戦の際、拠点にした場所の名残であり

三百名ほどの兵が拠点専守防衛のために残り、攻略の中間地点として機能したのである。

そのキャンプ跡地の中、壁際の一点に、水が沸き出す場所があった。

綺麗に整備されたその場所は、周囲に雑草が生えていて

キャンプの際に水を補給するために使用されたのが明らかで、現在もその用をなす事は明白である。

「形、こんなに変わって・・・でも・・・間違いありません・・・」

ゆっくりミシェルがそちらに歩み寄っていった。 アティも、その後に続いた。

「ここ、何・・・?」

「ここは、ソフィアお姉さまが大好きだった場所です

小さな時から、女の人しか好きになれなくて、周りから爪弾きにされていた私・・・

男の子も、女の子も気味悪がって。 石を投げられた事もありました。

そんな私を、唯一まともに人として扱ってくれたのは、ソフィアお姉さまだけでした。」

ミシェルはかがみ込み、雑草をかき分けはじめた。 手が汚れるのも構わず、かき分けていった。

そして、小さな花を見つけると、涙を浮かべた。 そして、止め止め無くあふれ出る涙に顔を覆った。

「良かった・・・ありました・・・ソフィアお姉さまが、好きだった花・・・

こんな過酷な環境でも、生き残っていました・・・・良かった・・」

アティの中で、何かが鼓動していた。 ソフィアという娘に対する、自分の中の感触が脈動している。

何かが記憶の彼方で弾けようとしている。 それは、大事で、そして悲しい何かだった。

後ろで、サラとリカルドが、視線を送っているのを、アティは感じていなかった。

この場所を見た時から感じていた何かが、彼女の中で、今大きく、いや本来の大きさに戻ろうとしている。

「ソフィアお姉さまは、この場所が好きでした。

クイーンガードになってからも、此処が好きでした。 私以外には、ここに一人しか呼びませんでした」

「・・・!」

頭痛を感じたアティが、片膝をついた。 水の中から、光が一粒、そして二粒、音もなく浮き上がった。

蛍だった。 薄暗い迷宮の中、数こそ少ないが強烈な存在感を持ち、蛍は舞った。

頬を一匹が照らし、アティは顔を上げ、更に痛烈な精神的負荷を感じて目眩を覚えた。

「ソフィアお姉さまは、光僧侶と呼ばれるクイーンガードでした

その祈りの力は絶大で、在る事件の時には、百を超す不死者を一瞬で地に返したそうです」

目をこすり、ミシェルはアティに向き直った。 彼女の目には決意があり、だがためらいもあった。

「お姉さま。 ・・・私、今聞いたとおりレズです。 正真正銘、本物の同性愛者です

それでも、私を仲間として認めてくれますか?」

「・・・ミシェルさん。 ミシェルさんは、私達の仲間だよ

何度も助けてくれて、何度も助けた。 私はミシェルさんが何であっても、仲間だと思ってる」

疲労に冷や汗をかいた顔で笑顔を向けると、本当だよ、とアティは付け加えた。

そして、沈んだ表情で俯いているミシェルの肩を叩いて、そして言った。

「レズだとか、そんなの関係ないよ。 みんなにそれぞれ好きな物があって、嫌いな物があって。

どうしようもない物があって、どうにか出来る物があって。

みんなにそれがあるのに、ミシェルさんだけ辛い思いする事無いよ

私はミシェルさんの、えーと、その、愛とかそーゆーのには応えられないけど

でも、ミシェルさんは私の仲間だよ。 だから、私は、ミシェルさんを守る!」

リカルドは笑みを浮かべて頭をふり、サラは肩をすくめた。

正直ついていけないが、だがアティの言った事に反発する気もなく、正しさを認めざるを得ないのだろう。

ミシェルにとって、その言葉はこの上もない癒しとなった。

瞳に決意を宿すと、ミシェルは頷き、核心に触れる決意をした。

「ソフィアお姉さまが、ここにその人を連れてくるようになったのは、一年ほど前からでした

私は一度も喋った事がありませんでした。 最初はその人、凄く冷たくて、何も喋りませんでした

でも、時間が経つと、少しずつ、ソフィアお姉さまだけには心を開くようになってきました。

黒髪で、澄んだ蒼い目の持ち主でした。 鋭利な刃物のような鋭い目つきで、合理的に考え

必要なら、眉一つ動かさず、子供でも殺しかねない目をしていました」

アティは何も言わなかった。 ミシェルは、真剣さを目に湛えて、更に続けた。

「私が知っているのは、昔のその人だけです。 閃光が起こった後に、どうなかったかは知りません

でも、最後に会った時は、〈今〉に少しだけ似ていました。

決意と、信念を秘めた、だけど優しい瞳をしていました」

そして、ミシェルは一度だけ大きく呼吸をすると、言論の爆弾を投下した。

「その人の名は、〈竜剣士〉ハイム=アティラーダ

クイーンガード最強と言われた剣士です

・・・お姉さま、貴方です。 間違いありません」

空間が凍結したかと思われた。 アティは、それほど強烈な記憶の奔流に襲われていた。

 

ソフィアが笑っていた。 儚げで、そして優しい笑みを浮かべている。

「やっと、笑ってくれたね。 嫌われてるかと思ってた」

「嫌う?」

冷たい声。 これ以上もないほど冷たい声。 それが自分の声だと気付いて、アティは戦慄した。

嫌うという感覚すらなかった自分。 冷たく凍り付いていた心。

人間を全て駒として認識し、〈父さん〉にしか心を開かなかった自分。

それが何故なのかまでは分からない。 〈父さん〉が誰かも分からない。

だが、ソフィアが大事な人である事は理解できはじめていた。

記憶が混乱し、時間軸さえ定かではない順番で、流れはじめた。

「私ね、これから戦いに行くの。

辺境の村で、たくさんの不死者が現れて、女王様が私に退治を命じられたの。」

「・・・怖くないのか?」

「勿論怖いわ。 でも、女王様は無茶な命令を絶対に出さない。

私の事を信頼してくださったから、この命令を出したの。 勿論、在る程度の軍も一緒よ」

それが何時の事だったかは分からない。 だが、心を開く契機となった出来事だった。

「・・・ソフィア!」

「え?」

自主的に喋ったのは、初めてだった。 今までは、自主的に何かする事さえなかった。

今まで? それまでは一体何をしていた? それは思い出せなかった。

冷たい声が口から漏れ出た。 だが、言葉の中身自体は暖かかった。

「死ぬな。」

「・・・・ええ。 生きて帰ってくるわ」

ソフィアが手を振った。 そして、背中が遠ざかっていった。

「・・・行かないで・・・行かないで・・・・・」

アティの中で声が反響し、〈閃光〉がはじけた。 以前見た忍者、クルガンが何か叫んでいる。

光に包まれる、そして消え去るオティーリエ女王。 何か呪文を行使するソフィア。

「行かないで・・・・!」

闇の中で、アティは叫んでいた。 そして、最後に絶叫した。

「もう、私を一人にしないで!」

 

目を覚ましたアティは泣いていた。 皆が、彼女を見下ろしていた。

「・・・目が覚めたか。 言いたい事はいろいろあるだろうが、兎も角良かった」

「アティ殿、目が覚めて良かった。」

リカルドとグレッグが言った。 サラも涙を拭うと言った。

「良かったわ。 ・・・まずは地上に帰りましょう。 記憶を整理するのはそれからよ。」

「お姉さま、お姉さま・・・」

ミシェルの言葉に心配を感じたアティは、半身をおこすと、目をこすりながら言った。

「あー、えーとね。 大丈夫、何があっても私は・・・変わらないよ」

感極まって抱きつこうとするミシェルを、サラがどつき倒した。

そして咳払いをすると、グレッグが改まった表情で言った。

「朗報です。 地下五層から、一気に地上に戻れるショートカットルートがあります」

「ホント? あー、そっか。 ひょっとして、私が寝てる間に見つけたの?」

忍者が首を横に振り、不思議そうにアティが小首を傾げ、そしてその時はじめて第三者に気付いた。

それはドゥーハン忍者部隊の、以前会った隊長だった。

「事情は分からぬが、大変だったようだな。 こちらも地下六層に集結する敵との戦闘準備で大変だ

それで、提案がある。 重要度Cの戦略拠点に、レッサーデーモンが巣くっていてな、撃破して欲しい

我らだけでも倒せる事は倒せるが、今は戦力を少しでも温存したいのだ

奴を倒していただけたら、地上へのショートカットルートを使っても良いよう取りはからおう」

アティは立ち上がると、静かに頷いた。 そして、皆に振り返った。

「みんなで生きて帰ろ。 行くよ。」

その表情は、笑顔は、いつものアティの物だった。

全員が各の武器を取り、頷く。 地下六層から流れくる血の臭いなど、誰も気にせず。

彼らの連携は見事で、レッサーデーモンは苦もなく撃破された。

だが、本当の死闘は、これから始まるのである。

アティの記憶は、〈閃光〉の真実、それに事態の解決に直結している。

今やその場の全員がそれに気付いており、そして迷宮攻略への意気込みを新たにしていた。

ドゥーハンの中で回る運命の歯車が、また加速をはじめた、その瞬間であった。

(続)