不死者の巣窟で回る歯車

 

序、司教アンマリー

 

闇の中で、三名の冒険者が戦っていた。 一人はずば抜けて長身の戦士で、鋭い剣捌きが鮮やかであり

今一人は盗賊で、素早い一撃で着実に敵をしとめていた。

そして三人目は司教で、誰から見ても分かるほど凄まじい魔力を身に纏い、今呪文を詠唱していた。

周囲の不死者達が、濁った目でそれを見つめ、何体かは呪文詠唱を対抗するように行い

また何体かは司教に麻痺毒を仕込んだ爪を立てようと歩み寄っていたが、その度に撃退されている。

魔法がかかった武器を振るう盗賊と戦士のコンビネーションは息が合っており、その信頼が感じられ

やがて、それに応えるかのように、司教の魔法が完成した。

「ジャクレタ!」

火炎系最強の攻撃魔法が空間に炸裂、対抗するように唱えられていた不死者の詠唱を消し飛ばし

周囲の敵を一瞬にして塵と化し、閃光と爆発で辺りを覆い尽くした。

やがて顔を上げた司教の顔は、まだ幼さが残ってはいるが、文句なしの美少女であり

彼女を護衛していた冒険者達は、不死者を一掃した凄まじい火力に口笛を吹き、畏敬の意を司教に示した。

「ヒャッホウ! やったなマリー! 相変わらずすげえぜ!

これならこの階層のこきたねえ死体どもを、全部焼き肉にするのも不可能じゃねー!」

「オスカー、何度も言わせないで。」

「へ? 何だよ」

「私、乱暴な言葉遣いの人は嫌いよ」

高揚に満ちた場が、その言葉だけで一瞬にして鎮火し

オスカーと呼ばれた盗賊は見る間に青ざめ、涙すら流し始めた。

「悪かった、悪かったよまりぃいいいいいい!

だから、だから嫌いだなんていわないでくれえええええええっ!」

「知らないわ、そんなの」

「ま、まあまあ、許してやってくれ、マリー。 オスカーにも、悪気が、あったわけでは、ないのだから。」

大泣きする盗賊をフォローするように、戦士がやたらのんびりした口調で言ったが

司教はふいと盗賊から視線を逸らし、戦士に向けても言葉の平手打ちを放った。

「リューン、それは貴方の意見じゃないでしょう?

・・・何度言ったら分かるの? 私、自分の意見が無い人って、見ていて虫酸が走るの」

「っ・・・・! わ、悪かった。 俺も、ちゃんと、自分で、考えるようにするから、許してくれ。」

困惑する巨漢から興味なさげに視線を逸らすと、司教は冷たく言い放った。

「知らないわ、そんなの。 先に進むわよ、ぐずぐずしているようなら置いていきますからね」

「「ま、待ってくれ、マリー!」」

盗賊と戦士が声を合わせて同時に叫び、大慌てで先にさっさと進んでいく司教を追っていった。

この高圧的かつ、あまりにも性格が悪い司教の名はアンマリー。

ブライトウェルという、司教の名門として高名な一族の出身者で、自他共に認める一流の冒険者である。

現在ドゥーハンにいる司教達の中でも、最強の座を確実に争う実力者で

魔力はエルフ族の魔法使いにも劣らず、戦術判断力も確か、何より肝が据わっているが

それらの長所を全て台無しにしてしまうほど性格が悪いので、冒険者達からは倦厭され

今いる仲間(下僕?)二人と行動するようになるまでは、一人での探索も多かったという。

一緒にいる二人は知らない、アンマリーが何を求めて、この迷宮に入っているか。

ブライトウェル家の者達しか知らない、アンマリーが何故閃光が落ちた直後から

執拗に迷宮に潜り続け、戦いを続けているのか。

やがて彼女は、不意に足を止め、前方に出現した影を見やった。

そしてその正体に気が付くと、不敵に笑みを浮かべ、情報の交換を始めたのであった。

 

1,成長と前進と生じる不安

 

地下三層で、ガスドラゴン相手に、アティら五人は今激しい戦闘を行っていた。

最初戦った時は二人戦闘不能者を出した程の強敵だが、今は勝手が違う。

起死回生とばかりに、追いつめられたドラゴンがガスを吹き出し、それは敵をなぎ払い尽くすが

既にそれは読まれており、ミシェルが展開した魔力の防壁に阻まれて届かず、竜は悔しそうに咆吼した。

本来この魔法は、こういう用途で使うのではないのだが

タイミングさえ合えばブレスを防御する事も可能で、アティはそのタイミングを正確に読んだのだ。

「グレッグさん、ルカルドさん! ダブルスラッシュ!」

「承知! アティ殿!」

「了解した、行くぞグレッグ!」

前衛のリカルドとグレッグが同時に地を蹴り、左右に分かれて攻撃を行う。

連携しての攻撃には、おそらくコンマ五秒の差も無かった事であろう。

ガスドラゴンが左右からの打撃によろめき、反撃しようと右へ首を伸ばしたが、それこそ罠であった。

ダブルスラッシュ自体が単なる陽動攻撃であり、目的はアティからドラゴンの視線を逸らす事だったのだ。

三十キロを超す重量級の大剣首砕きがうなり、ガスドラゴンの側頭部を凄まじい勢いではり倒し

ドラゴンは大きくよろめき、そして倒れ、悔しそうにうなると足を引きずって逃げ出していった。

その後ろを追い撃つような真似はせず、アティは首砕きを鞘に収めると、静かに額を拭った。

「流石ですね、お姉さま! 不肖私、またしても惚れ直してしまいました」

「あー、えーとね、うん。 もっと私、頑張らないとね」

頬に手を当てて、うっとりした様子でミシェルが言い、アティが頭をかきながら応じる。

此処四日間、彼らは能力向上のため、地下三層で激しい戦闘を繰り返していた。

一気に進むのに無理が出てきた事も痛感していたし、何より情報も実力も足りない。

アティは攻撃以上に防御をグレッグとリカルドから教わり、実戦で覚えていき

(いや、やはり思い出すという方が正しい表現であっただろうか。 それほど彼女の修得は早かった)

またグレッグは早さを、リカルドは全般的な能力を、更に伸ばすべく努力を重ね

サラとミシェルは魔力の向上に励み、いずれ劣らぬ早さで力を付けていった。

探索を終えて帰還すると、アティはグレッグかリカルドをつれて必ず酒場に行き

地下四層の情報収集を行うと同時に、簡単な依頼を少しずつ受けては、丁寧にこなしていった。

これはグレッグの発案であった。 死闘であった最初の地下三層探索から生還すると

翌日の朝、彼はアティに対し、こう説明したのである。

「情報を収集するには、信頼が大切。

街の酒場で効率よく情報を収集するには、依頼を丁寧にこなし、信頼を積み重ねていくのが大事ですな。

同時に、依頼をこなしていけば財布も暖かくなる。 多少時間はロスしますが、良い事だと思いますが」

「あー、うん。 みんなはどう思う?」

グレッグの言葉を聞くと、アティは皆に振り返った。

「俺には異存がない。 俺自身も、もっと情報が欲しいし、何より実戦で修練がしたい。

お前の足を引っ張るのではなく、役に立つには今の肉体能力ではまだまだ足りないからな」

「私にも異存はないわ。 もっと実力を付けないと、下層にはとても行けないし。

それに私達は元々そんなに人脈があるわけでもないから、人脈を築くのは大事な事だわ」

リカルドとサラは口々に言い、ただミシェルは頷いた。

「うん、じゃあグレッグさんの意見採用ね。

えへへへへへ、ありがと、グレッグさん、良い意見出してくれて」

「い、いや、そんなでもない」

顔を赤らめ、グレッグは頭をかいた。

忠誠を捧げると決めた相手であり、本来はもっと高圧的もしくは絶対的に口を利かれても問題ないのだが

しかし対等の立場で口を利いてくれるのは、彼にとって不快な事ではなかった。

今も、それに代わりはない。 グレッグは周囲を素早く確認し、危険がない事を告げると

アティは頷き、自分も周囲に警戒しながら口を開いた。

「えーと、そろそろ充分だよね。

ミシェルさんはジャクレタ二回使えるようになったし、サラさんもフィールズに慣れてきたし。

リカルドさん、剣の調子はどう?」

「上々だ。 前の剣もくたびれていた所だしな」

視線を向けられたリカルドは、鞘に収めた〈祝福の剣〉に注意を移し、微笑んで見せた。

昨日新たにヴィガー商店で購入したこの剣は、そこそこの力を秘めた魔法剣であり

地味ながらも堅実な攻撃力を有し、使いようによってはドラゴンに打撃を与える事も可能である。

無論名剣ブレード・カシナートには到底及ばないが、力量にあった剣としてはこれが最上であろう。

リカルドとしては、熟練者等という小さな器に我慢していた自分に吹っ切りを付ける事もあり

長年愛用してきた長剣を倉庫にしまい、新たに必要な剣を手に入れたという事情もあった。

サラが新たに修得したフィールズは、いわゆる広範囲回復魔法で

本人を中心に、直径六メートルの円内に存在する全生物を弱回復する効果を持つ。

故に敵を回復しないように、使用には細心の注意が必要だが、もともと沈着なサラはそれをわきまえ

アティも特性を説明の末理解していたので、すぐに使い方のこつを覚えた。

ついでアティはグレッグに視線を移した。 グレッグは振り向き、だがすぐに視線を闇の奥に戻す。

「私の短剣はまだ大丈夫だ。 前衛にいる以上は、この武器で問題ない」

「そう。 えーとね、じゃあ今日は一旦戻ろう

明日から、地下四層の探索にはいるよ。 だから、今日は余裕持って帰るの。」

アティが言うと、全員が頷いた。 進みたい気分もあったが、アティの判断が間違った事はないし

地下四層からは三層以上に魔物が強くなるのだから、慎重な行動をするのに越した事はないのだ。

「・・・? サラ殿、どうした?」

ふと立ち止まったサラに、グレッグが振り向き、眉をひそめた。

普段はアティにべたべたしようとするミシェルを見ると、露骨に生理的な嫌悪感を示す彼女が

流石に迷宮内で腕を組もうとはしないまでも、アティにくっついているミシェルに文句を言わず

無言のまま、何かを考えているのを不審に思ったからだ。

サラはグレッグの言葉に顔を上げると、頭を振って笑顔を見せた。

「何でもないわ。 さあ、早く帰還しましょう」

「こういうのは出過ぎた真似かも知れないが、アティ殿は信頼できる。

だから、私に話せなくても、アティ殿に話せば楽になるかも知れない」

サラはその返答を聞くと、適当にごまかして頭を切り換えた。

相談できるわけがない。 何故なら、そのアティをどうも頼りすぎているような気がしたからである。

現実主義者のサラは、何度もアティを危ういと感じた。

しかし、その危うさが、今まで大きな実績を上げてきたのも確かだった。

そして、自分にない力を持つアティが、自分を導いてくれる事も。

自分にできる事を、サラは把握していた、しかしそれは本当のところどうなのであろうか。

ひょっとすると、できると思いこんできた事にすぎないのではないだろうか。

本当はアティの可能性の上にあぐらをかいて、何も考えていないのではないだろうか。

地下三層の出口を見上げて、サラは階段に足をかけながら、なおも考え込む。

戦略はヘルガに及ばず、戦術と実戦指揮はアティに頼りっぱなし、そして魔力はミシェルに及ばず。

ご意見番はリカルドがいるし、情報を集め、そしていざという時、最終的な盾になるのはグレッグだ。

翻って自分はどうか、どうなのであろうか。

リカルドの補助と、ミシェルの補助をしているだけ。 回復魔法も、今でこそ必要だが

パーティの力量が更に充実してきたら、当然絶対ではなくなる。

伝説に残るような魔導師でもなければ、攻撃魔法と回復魔法を同時には放てないのだ。

故に戦闘では、中途半端な位置に立たざるを得ないのである。

自分の中途半端さを、急に再確認したサラは、やりきれない気分を味わったが

それをすぐに頭から追い出し、帰路の安全を確保すべく、臨戦態勢に戻った。

居場所。 自分の居場所。

アンデットコボルトをディスペルで撃破しながら、サラは心中で、そればかり考えていた。

 

サラの悩みをよそに、アティはすんなり迷宮を出、ヘルガの宿に急いでいた。

相変わらずドゥーハンは望まぬ雪化粧を施され、辛うじて人が住んでいる場所はあかりが漏れ

ちらつく雪がそれすらも覆い尽くそうとし、住民は面倒くさげに、落ち来る白を処理するのだった。

街では最近、奇怪な出来事が立て続けに起こっている。 何処から現れたか、不死者が住民を襲い

死者が出る事件が、複数回連続して起こったのだ。

冒険者達の間では、地下四層の不死者達が地上まで上がってきたと言うのが定説だが

だが地下二層の入り口は騎士団によって封じられ、また冒険者達は日常的に一層を行き来しているのだ。

街に現れた不死者はいずれも小物で、最高位の物でもロッティングコープス程度にすぎず

現る度に撃破され、灰にされてはいたが、住民達の不安は募る一方であった。

冒険者達の後方支援をしている住民達が不安になれば、当然支援体制も滞るわけであり

酒場のマスターは、事態を重要視したギルドマスターから依頼を受け、情報収集に当たっていた。

依頼はグレッグを介して、アティの元にも来ていた。

それを突然に思い出したアティは、白い息を吐きながら、一歩遅れて付いてきている仲間達を見た。

「あー、そうだった。 街、今日は平和だね」

視線の先の街は、ただ白くそして静かである。 勿論酒場は今日も繁盛しているし

幾つかの店は稼働しているし、それら以外も当然動いているが、喧噪というレベルにまでは達していない。

「話によると、冒険者の中から何人かを募って、自警団に協力させているとか。

ただ私が見る所、彼らは迷宮の中に行くのは実力的に無理なので

こういう所で小遣い稼ぎをしている連中ですな。 実際に役に立つかは疑わしいでしょう」

「同感ね。 まあ、最低限の訓練を受けているだけマシでしょうけど」

グレッグの言葉にサラが街へ視線をやり、ため息をついて言った。

実際、彼女もグレッグも、少し前まではその連中と大差ない実力だったのだが

今はアティに引っ張り上げられる形で、豊富な実戦もあり、実力を伸ばしてきている。

少し前までの実力を思い出し、サラは嘆息したのだった。

「ただ、俺が聞いた話によると、一人だけ腕が良いのがいるんだそうだ」

祝福の剣に付いた雪の粉を払いつつ、リカルドが言葉を受けた。

アティにいつものようにまっすぐ視線と笑顔を向けられると、再び剣を腰に付けて続けた。

「名前は確か、ヒナ=アカツガワとか言ったか。

名刀〈菊一文字〉を持つ女侍で、剣も魔法も使いこなす名手らしいが、どうも良い噂がないらしいな。」

「その者の事なら私も聞いた。 何でも性格的な問題が大きくて、集団行動が苦手だとか。

それは兎も角、今日も空気が冷える。 体を冷やさないように、アティ殿」

「うん、ありがと。 えへへへへへ、帰ったらヘルガさんの晩ご飯が待ってるね」

ヘルガの料理は逸品である。 ヘルガが冒険者を断念したのは

自分に料理の才能や商才を含めた、こういった類の後方支援系の才能が沢山備わっていた事が一因で

冒険者としての才能が代わりに少なかった事もあり、辞めるのにはそれほど抵抗はなかったようだ。

アティの知名度は、少しずつ確実に上昇している。 今まで殆ど客が来なかった宿も

最近はちらほら客が来るようになり、ヘルガはメイドを雇う予定をたてていた。

既に投資分の結果は充分に出ていると言える。 ただ、これ以上の業績拡大を狙うなら

潜りの営業を辞めるべきであり、宿の拡張を行うべきでもあり、修理も行うべきでもあった。

その具体的な手段を、あれこれとヘルガは考えているようだった。

「所で、アティさん」

「ん? サラさん、どうしたの?」

「なんで今頃そんな事言い出すの?」

サラの言葉に、アティは一瞬沈黙すると、頭をかきながら笑った。

「あー、えーとね。 えへへへへへ、今まで忘れてたの」

本来なら怒られる所であるが、その笑みには何故か皆を安心させる物があったのだった。

サラは複雑な面もちでアティの頭を一つ叩くと、自分が先頭になって、宿への帰路を急いだ。

 

翌朝、いつものように出発前の事前会議が行われた。

宿に別の客がいる今では、居間は使わず、倉庫に使われていた一室を改造して使っているが

椅子は足りず、全員古道具屋で買ってきたパイプ椅子を使用するのが通例になっている。

スポンサーであるヘルガが黒板の設置された前の最上席に座り、後はめいめい勝手な場所に座るが

いつもアティの横はミシェルが独占しており、その隣はサラの特等席となっていた。

これはミシェルがアティにべたべたしたがり、それをサラが阻止するためで

その図式が完成してからは、もうずっとこの状況は変動していない。

「じゃあ会議を始めるわよ。グレッグ何か情報はない?」

「朗報が二つ。 一つは地下三層の構造についてですが

十時間ほど前に帰還した冒険者の話では、地下四層の入り口と地下三層の入り口が極めて近い位置にあり

時間から計算して、まだ構造変化は起こっていない様子です」

グレッグの言葉に、リカルドが頷き、アティは頭をかきながら言った。

「あー、と言う事は、絶好の地下四層攻略日和とかだね」

「はい、そう言う事です。

もう一つの朗報は、ショートカットルートの発見です。

最近、地下四層と地下二層をつなぐ道が発見されたそうです。 何でも極めて分かりにくい位置にあり

しかも間に扉があって、複雑な開錠の技術を必要としたため、今までは開けられなかったそうですが

上級パーティの一つが徹夜で開錠に挑戦、何とかこじ開けたそうです。」

グレッグはアティにまっすぐ見つめられると照れるくせに、どういう訳かその奇怪な台詞は平気で返せる。

リカルドが咳払いをして、ヘルガが視線をそちらに移した。

「と言う事は、そのルートを使うか、地下三層を通るかだな」

「そうも行かない。 何故なら、二層からは極めて見つけにくい位置にあり、位置も特定できない。

地下四層の方の位置は何とか確認したが、それも結構大金を要した」

敬語を使わずグレッグが言い、リカルドは頷いた。

最近グレッグは、アティに対して敬語を使うが、他の者には対等の口調で接する。

その意味する事は明白だが、アティはさっぱり気付いていないようで、それが端から見ると面白い。

リカルドにしても、既にアティに対して絶対の信頼を抱いているから、それを笑う事もできなかった。

何にせよ、そんないつもの事は放って於いて、リカルドは考え込んだ。

となると、地下二層でその扉を探すか、いつも通りのルートで進むかだが

それを決めるのは当然アティである。 あくまで彼とサラの仕事は、常識論を提示する事だ。

今までのパターンからして、若干サラの方が慎重論を唱えるようだが、時々過激な発言をする事もあり

何にせよリカルドとは違う発言をする事が多いので、提示される意見に幅がでるのである。

「では、アティ。 俺は地下三層を経由した方が良いと思うのだが」

「あー、うん。 えーとね、サラさん、ミシェルさん、グレッグさん、ヘルガさんはどう思う?」

サラは賛成した。 その言葉は短く、アティは小首を傾げた。

ミシェルの発言はいつも決まっている。 顔を赤らめ、頬に手を当てながら、こういうのだ。

「不肖私、お姉さまの行く所なら何処へでも行きます」

そして、今回もそれは同じだった。 グレッグも沈黙の末賛成し、ヘルガはただ無言で頷いた。

「んー、じゃ、地下三層を経由しよう。

えへへへへ、結局それが確実だよね。 じゃ、グレッグさん、次は地下四層の敵を教えて」

「了承。 地下四層の魔物は、下級の魔族、不死者を中心に

ガスドラゴン、大型昆虫などが出現しますが、中でも厄介なのは、シェイドと言う不死者ですな」

「しぇいど?」

「それ自体の能力はたいしたことがないのですが、エナジードレインの力を有するそうです」

聞き返したアティに、グレッグは答えた。 室内に緊張が走った。

蓄えた戦闘技術をフイにしかねないエナジードレインは、下手をすると死よりも厄介で

当然冒険者達には忌み嫌われ、それを使う魔物も出現次第倒されるのが常である。

しかもこのシェイド、力は弱く魔法も使わないのだが、厄介な事に気配が薄く

物陰や背後から奇襲してくる事が多いので、冒険者に嫌われる事、蠅やゴキブリのごとしであった。

アティは暫く指を唇に当てて考えていたが、やがて頭をかきつつ笑った。

「うん。 じゃ、でてきたら最優先でやっつけようね。

他に今は方法がないし、それ以上の事を考えても仕方がないよ」

「アンタらしい考えだわね。何にしろ補助魔法くらいは強化して於きなさい」

ヘルガの言葉の前半はアティに向けられた物で、後半はサラとミシェルに向けられた物だった。

それは理にかなった言葉でもあったから、ギルドで一ランク上の補助魔法を修得する事が決定され

そして会議は終わった。 地下四層へアティらが足を踏み入れたのは、その三時間後の事だった。

 

2,不死者の寝床

 

地下四層は、雰囲気的に地下二層と似ていたが

障気と腐臭が比較にならず、全般的に淡い靄がかかっていて、周囲には墓が無数に乱立していた。

ここは街の郊外にあった墓場が、〈閃光〉によって丸ごと転移してきた場所であり

埋葬されていた死者の多くが不死者として蘇り、冒険者に牙をむく存在となっている。

周囲の墓にも、不自然な穴が開いている物が数多くあり、辺りには骨や腐肉が散らばっていた。

蠅が飛んできて、アティはそれを追い払ったが、地上にいるものの数倍も大きいので驚いた。

迷宮に働いている不可思議な力は、こういう小動物にも及んでいるらしい。

周囲に散らばっている腐肉にたかる蛆も、まるで芋虫のような大きさで、体をくねらせては肉を貪り

それをこれまた地上にいるものよりも数段大きな補食性の昆虫がとらえ、かみ砕いて食べていた。

頭の中に不意に浮かんできた違和感と悲しみを押さえると、アティは顔を上げ、四層の奥を見据えた。

「ねえねえグレッグさん、点々とあかりがあるね」

「先に来た冒険者達が、元から墓場に設置されていた松明を管理しているそうです

近くで戦闘が行われたら壊れてしまいますが、使える物は再利用して、周囲を見やすくしているとか」

「へー、そうなんだ。 ・・・・・。」

「ちょっとアティさん、何処行くの!」

物珍しそうにアティは周囲を見回し、一人で歩いていきそうになったので、サラが慌てて引き留めた。

此処は未知の場所である、一人で行動して隊列を崩したりしたら、何が起こるか分からない。

しかし、アティはそんなサラの心配をよそに、何かを探すように周囲を見回し

心配したグレッグが咳払いをすると、サラに話しかけた。

「サラ殿、様子がおかしい。」

「え? どういう事?」

「アティ殿が前に盗賊に刺されて、相手を一撃で両断した事があったが、その時に似ている」

地下一層の出来事を思い出し、グレッグは頭を振った。

あのとき、アティはいつも以上の剛力と、いつもならあり得ない凄まじい残虐性を発揮し

敵を躊躇無く両断し、血煙の下に屠り去った。

リカルドは舌打ちすると慌てて駆けだし、ミシェルがその後を追い、先行するアティの横に並んだ。

二人は呼びかけたが、アティは虚ろな目で遠くを見て、口中で何やら呟いており

周囲は見えていないようで、困惑した二人をよそに、ただ一点をめがけて歩いていた。

やがて、彼女は歩みを止めた。 慌てて走り寄ってきたサラとグレッグにも視線を向けず

アティは汚い墓の一つに触れ、その埃を丁寧に払っていくと、唐突に正気に戻った。

「あれ・・・・あれ? 私、どうしたの?」

「正気に戻られたか、アティ殿。 何かに憑かれた様でしたぞ」

「うん・・・何か、此処知ってるような気がしたの。

誰かと来て、お花を供えた様な気がする。 ・・・誰だっけ。 女の子だったと思うけど・・・」

顔を上げると、アティはまっすぐな視線を向け、サラの顔をまじまじと見つめた。

困惑する司教に、小首を傾げる。

「あー、えーと。 サラさん、じゃないよね」

「・・・私は貴方と会ってまだ時間がない。

〈閃光〉の発生した時には、私はドゥーハンにはいなかったわ。

それに地下四層に来るのは初めてよ。 だから絶対に、前に墓で会っていたなんてあり得ないわ」

墓は立派ではあるが、手入れはされておらず、苔が生えていた。

論理的なサラの答えに、アティは困り切った様子でミシェルを見たが、ミシェルも首を振った。

この間も、グレッグは周囲に気を配り、マッピングを行っていて

それに気付いたサラは、責務を果たしている忍者の姿を見て、改めて自分の悩みを増幅させた。

「ねえ、アティさん。 もう少し具体的に、どういう事か分からない?」

「あー。 うん。 えーとね・・・」

自分でもどうしてそんな言葉がでたのか分からないままサラが言うと、アティは頭をかき

いつものように「あー」とか「うー」とか言いながら考え、頭の中に浮かんだ情景を整理し始めた。

「えーと・・・・・・春、だと思う。 ここが、綺麗でね、立派なの。

周囲のお墓も綺麗で、喪服を着た人たちがちらほらいるんだ。

側で歩いているのは女の子。 うん・・・私より年下で、エルフだと思う。 耳がね、とがってるの。

・・・・どうしたんだろ。 それ以上は分からない。 どんな女の子だったのか、全然分からない。」

「抽象的すぎるわ。 もっと他の事は分からない?」

「・・・女の子、泣いてるの。 あれ? でも私ね・・・泣いてないや。

どうしたんだろ。 悲しくも嬉しくもない・・・あれ? 私・・・私だよ・・・ね・・・これ・・・

何だろ、凄く冷たい。 体の中が冷たい。 ・・・・世界が・・・せ・・・ま・・・・い?」

次の瞬間、アティの頭の中に電撃が走った。 一つの大事な名が、二つの大事な名になり

しかしそれにはブロックがかかり、どうしても思い出せない。

思い出せるのは〈あの女〉という、限りなく冷たい台詞。 〈あの女の部下〉という、限りなく冷酷で

相手の尊厳を無視し、そもそも相手を人と見なしていない台詞。

だがそれは一定の物で無いように思えた。 否定と肯定、困惑と秩序、憎悪と愛情が激しく渦巻く。

それらを統合したのが達成感であり、そしてそれに覆い被さるように後悔が思考を支配し

アティの全身から冷や汗が流れ出し、視野が急速に狭窄した。 サラの前で、アティは手を地面に付いた。

指先が地面を抉り、土を掴む。 握り拳から土が漏れ、ならされていた地面に小さな溝と山を作る。

アティの瞳孔はこれ以上もなく開いていたが、だがしかし何も見えていなかった。

冷や汗が額から地面に垂れ落ち、即興で作られた小さな小さな山の標高を下げる。

否、否、否、否、否、否、否、否、否、否! それは否!

頭の中で単一の文字が反響し、分からない少女の顔が、一瞬だけ露わになり

次の瞬間、ブロックがかかっていた名前の一つが、鋭く弾けた。

頭の中で閃光が炸裂する感触を覚え、アティは頭を抱え、その口からは自然と解放された名が漏れていた。

「そ・・・・・ふぃ・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・?」

その名を聞いて、ミシェルが蒼白になったが、誰もそれには気付かなかった。

鋭くサラとアティを呼ぶ声がして、額に汗を浮かべてアティは顔を上げた。

名を呼んだのはリカルドで、サラは既に立ち上がり、前方を見据えている。

彼女の前方には、数体の幽霊と、十体以上のゾンビがおり、奇声を上げながら歩み来ていた。

幽霊はスピリットと呼ばれる不死者で、実体が無く、攻撃魔法を得意としている。

ゾンビは地下二層に現れた物と大差ないだろうが、しかし彼らのせいで、スピリットには攻撃が届かない。

勿論意図的にやっている事ではないのだろうが、結果的に厄介な布陣になっており

アティは額の冷や汗を拭うと、唇をかみ、首砕きを抜きはなって皆に声を放った。

「サラさん、ミシェルさん、魔法!」

そう言って、アティは二つの指示を後衛の二人に送った。 サラは頷くと、呪文の詠唱を開始する。

ミシェルは攻撃魔法を唱え始め、その体からは端から見ても分かるほどのオーラが放出され始めた。

そして、作戦指示の一瞬の隙をつくかのように、不潔な爪をふるってゾンビが突進してきた。

アティは防御に徹し、リカルドとグレッグが応戦にでる。 リカルドの新しい剣は堅実な切れ味を見せ

見る間に二体のゾンビを叩き潰し、その隣ではグレッグが短剣をふるってゾンビをうち倒している。

「ヒヒ・・・ヒヒヒヒヒヒヒ・・・・ヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

スピリットが声をあげ、アティが顔を上げた。 それが詠唱だと気付くより早く、攻撃魔法が炸裂した。

数体の幽霊が、同時に同じ魔法を発動させたのである。

「ザティ・・・・・・イイイイイイイイイイィイイルゥ!」

暗い地下四層に光が弾け、雷撃が横殴りにアティ達を襲った。

前衛三人を貫いた雷撃はそれなりに強烈で、リカルドは肩肘を付き、体力のないグレッグは体勢を崩す。

その時ようやくサラとミシェルの魔法が完成した。

ミシェルの頭上に具現化した火球は、圧倒的な熱量を持ち、鋭い叱責の声と共に飛ぶ。

「燃やし尽くしてあげます! ザクレタ!」

弧を描くようにして飛んだ火球が炸裂した。 それはゾンビを焼かずに、幽霊に命中したのであった。

奇声を上げ、幽霊が消えてゆく。 ただの炎なら通じないが、ミシェルが放ったのは魔法の炎であり

しかも優れた魔力を持つ彼女の火球は、相当に強烈であった。 一体を残して、幽霊は焼き尽くされた。

だが生き残った一体は、呪文詠唱を今また完成させようとしていた。

ゾンビの攻撃は、守勢に回った前衛を激しく責め立てており、今魔法攻撃を受ければ危険である。

だが、それは無かった。 幽霊は、呪文を唱えきる事ができなかった。

何故なら、サラが自分のボウガンに補助魔法を掛け、マジックキャンセルを仕掛けたからである。

魔力を帯びた矢が、今ザティールを放とうとした敵を貫き、おぞましい悲鳴を上げ幽霊はかき消える。

そしてそれを見届けたアティは振り向き、親指を立てて笑って見せた。

「えへへへへへ、ありがと。 助かったよー。

じゃあ、そのまま牽制射撃に移って。 援軍が現れる前に叩くよ!」

保険をかける戦術を見事に成功させたアティは、ゾンビに向き直り、首砕きを構えた。

戦闘が勝利に終わるのは確実であったが、それでも手を抜かず

敵全員を成仏させるつもりであるのが、決意となって現れており、表情の奥に見てとれた。

ゾンビは程なく全滅し、アティの表情に、先ほどの虚脱は残っていなかった。

 

その後二度の戦闘をこなし、アティは地下四層の六分の一ほどを踏破していた。

周囲の状況は全く代わり映えがせず、コンパスがなければ危険きわまりない。

既に入り口は見えないから、もし此処で自分の位置が把握できなくなれば待っているのは死だ。

グレッグの作業は重要かつ急を要し、いつになく緊張しながら忍者はマッピングを行っていた。

途中には、彼が話題にあげたシェイドも現れた。 ただ、今回は数が少なく

偶然此方が先手をとれたので、容赦ない攻撃を浴びせて倒す事ができた。

だが、シェイドは地下五層にも標準的に出現するため、今後も油断は禁物である。

ふいに足に何かが当たり、アティが下を見ると、そこには手甲が転がっており

その中には白骨化した手の骨が入っていて、近くには鎧を着た兵士の白骨死体があった。

骨は茶色に変色し、もう蛆でも食べる場所がないほど、肉は残っていなかった。

「あー、兵隊さんだね・・・」

「第一次迷宮攻略戦で、ドゥーハン軍の兵士達は、第四層で撤退を余儀なくされたそうだ。

地上戦ではならぶ事なき勇猛さを誇るドゥーハン軍も、地下の閉鎖空間では力を発揮しきれず

軍の半分ほどは順番待ちするような形で中に入れず、逆に先頭部隊は殆ど壊滅してしまったらしい。

勇将アインズ将軍も参加していたようだが、敗北は止められなかったようだ。

もっとも、この戦いでは、アインズ将軍は参謀みたいな形で、指揮は別の将軍が執っていたらしいがな。

勇将の名にふさわしく、さっさと逃げたりそもそも迷宮に入らなかった他の将軍と違い

アインズ将軍は最後尾で、最精鋭を指揮して撤退戦を支援し

実に自分の部隊の七割を生還させたそうだ。 俺から見ても、勇将の名は彼女にこそふさわしいな」

自分の台詞に喜びを覚えるような形でリカルドが言った、勇気ある行動は彼の目指す所だったからだ。

しかし彼は、アインズがフェアリーの娘だ等と知らず

容姿で相手を判断する傾向がどうしてもあるため、実際に会ったら落胆するだろう。

身勝手な話だが、それが人間である。 リカルドも、それが汚い事だとは分かってはいるが

表層の思考と深層心理は全く別の次元の話で、それを完全に整理整合できたら人ではない。

「凄いね。 でも、残りの兵隊さん達は死んじゃったんだよね。」

笑顔の中に悲しみを湛えてアティが言うと、リカルドは咳払いし、死体に頭を軽く下げて黙祷した。

グレッグは周囲に気を配りながら、やはり頭を下げ、一瞬だけ黙祷を捧げた。

この死体が第一次攻略戦の時の物かは分からないが、少なくともアインズの功績を誇れる相手ではない。

根がまじめなリカルドは、自分の行動に恥ずかしささえ覚え、こういう行動が自動的にでたのであろう。

「私が弔うわ。 ミシェルさん、手伝って」

「え、ええ、分かりました。 お姉さま、炎の魔法を使ってもよろしいですか?」

「あー、うん。 お願い。」

何故か先ほどから沈んでいるミシェルの問いにアティは応え、自分も黙祷を捧げた。

しばらくは沈黙が流れたが、それは意外な闖入者によってうち破られた。

「おや、いちいち死体に黙祷しているの? 無駄な事をするのね」

可愛らしい声と共に、文句なしの美少女が闇から現れる。 司教アンマリーだった。

後ろには腰巾着の二人組が、憮然とした様子で、アティの方を伺っていた。

 

3,最悪の性格

 

アンマリーの言葉は猛毒を含んでいた。 相手の非合理性を指摘するもので、聖職者の言葉とも思えない。

だが、それに対する返事は、純粋で、毒を含んではいなかった。

「あー、うん。 そうだよ。

兵士さん、かわいそうだし、寂しそうだし。 私達にできるんだから、楽にしてあげてるの。」

毒のある言葉にも、平然とアティは笑みを浮かべ、アンマリーは毒気を抜かれた体でそれを見た。

アティの対応は、今までにないタイプの反応だったからだ。

こういう事を言うと、大概は露骨に反感を示すか、無視してくるのだが

そもそも嫌みが通じず、そればかりか純粋な笑顔で応じてくるのは、アティが初めてだった。

サラによる弔いが終わり、周囲に満ちていた霊気が若干弱まった気がしたが

そんな事など全く気にせず、胸に手を当て、アンマリーは再び言葉を続けた。

「私の名はアンマリーよ。 よろしくね。 優しい優しい理想主義者さん」

「私はアティだよ。 此方こそよろしく」

相変わらずアティの返事には、邪気が全くない。 アンマリーは品定めするようにアティを眺め回し

頭の中で幾つかの思考をくみ上げると、次の言葉を紡ごうとしたが、盗賊のオスカーが割って入った。

「あん? てめえごときが、マリーと対等のつもりか? 頭ぐらい下げろってんだよ!」

「オスカー。」

アンマリーが視線さえ向けずに言うと、オスカーは体を硬直させ、口を閉じる。

「いつもいつも、話に割り込むなって言っているでしょう?

それに何度も言わせないで。 乱暴な言葉で喋る人は嫌いよ」

「・・・・っ、ご、ごめんよマリー! 許してくれ! 俺が悪かった!

次からは、次からは絶対に気を付けるようにするから!

だから、だからお願いだから嫌いだなんて言わないでくれっ!」

「知らないわ、そんなの。」

呆然とするアティ以外全員の前で、アンマリーは平然と言い放ち、オスカーはさめざめと泣いていた。

オスカーと違い、学習能力があるリューンは、今アンマリーに意見したら何言われるか分からないと悟り

箱亀のように首をすくめて甲羅さえ閉じるような勢いで、縮こまって様子を見つめていた。

巨漢の青年が小娘に怯えきっているのも端から見れば不思議だが、絶対に逆らえない存在は誰にでもおり

信仰だったり、欲望だったり、金だったりするが、この男にとってはそれがアンマリーなのである。

邪魔が入らなくなった事を確認したアンマリーは、咳払いをすると、整った顔に笑みを浮かべた。

「貴方達冒険者でしょう? 情報交換しない?」

「情報交換? えーとねえ。」

グレッグの方を見たアティは、忍者が首を横に振るのを見た。

アンマリーの性格の悪さは、冒険者達の間でも有名である。

当然情報収集担当のグレッグの耳にもそれは入っており、様々な武勇伝が伝わっていた。

早い話、もし此処でイエスと言えば、ろくでもない取引を持ち出されるのは分かり切っていたのだ。

何でも他愛ない情報で所持金の半額を請求されたとか、断ったら半殺しにされたとか

いきなり攻撃魔法を叩き込まれたとか、恐ろしい話は枚挙に暇がない。

グレッグとしては、アティを野獣のごとき相手の餌食にさせたく無かった事もあり

それにアティの交渉手腕には正直期待していなかったから、そもそも交渉しない事を進めたのである。

アティの言葉は、純粋が故に心を打つ。 だが、ある意味実戦よりも壮絶な交渉戦では役立つとは思えず

彼女を信じるが、同時にある程度その姿を把握しているグレッグとしては

意見を求められた以上、こういう返事をせざるを得なかったのだ。

忍者の反応を見たアティは、唇に指先を当て考え込んだが、やがて頭をかきながら応える。

「えへへへへ、ごめーん。 あのね、今、情報足りてるんだ」

次の瞬間、場が一気に殺気だった。 アンマリーが両手で口を押さえ、涙を流し始めたからである。

「そ・・・そんな・・・私が・・・せっかく・・・・情報を提供してあげようと思っていたのに・・・」

「て、てめえっ! よくもよくもよくもマリーを泣かせやがったなあ!」

「ゆるせんな、万死に、値する、行為だ。」

問答無用で盗賊のオスカーが短剣を引き抜き、リューンもそれに習ってグレートソードを抜いた。

どうやらこの二人にとって、女性とはアンマリーだけらしく

可愛らしい動作で小首を傾げているアティにも全く感銘を受けず、短い叫び声と共に斬りかかってきた。

アンマリーは泣きつつも、二人の暴走を一切止めようとはしない。

それを見ると、素早くアティは何かのアレイドを発動する指示を後ろに出し、首砕きを抜いた。

ナイフは容赦なく急所を狙って突き出されたが、アティは冷静に首砕きを振るい、刃を寝かせて受け流し

続けて繰り出された第二撃を、手甲を使って弾くと、殆ど反射的に肘撃ちを放ち、オスカーを叩き伏せた。

ついでリューンが、容赦なくグレートソードを振り下ろす。

狙いは正確で、早さ、重さ共に申し分ない。 鋭い一撃が、アティの振り上げた首砕きとぶつかり合い

火花を散らして、互いに大きく弾き合った。

二人は素早く飛び退いて、間合いを計る、どちらも優れた使い手故に、相手の力量はすぐに分かったのだ。

だが、戦いは意外な形で終わった。 疾風のごとき影が、リューンの後ろを取り

弾かれるように立ち上がったオスカーが、舌打ちして動きを止める。

おとりを利用して背後を取る、バックアタックというアレイドアクションだった。

補助魔法の強化を行うと同時に、余裕のある資金を使って、冒険者ギルドで修得した物だった。

「そこまでだ。 それ以上やるなら、俺達も容赦しないぞ」

オスカーは、眼前にリカルドがつきだした祝福の剣を見た。

リューンの背中にも、普段とはうってかわって怒りの表情のグレッグが刃を突きつけており

戦いは終わったと判断したアティは、首砕きを鞘に納め、静かに笑った。

「あー、えーと。 アンマリーさん、私達冒険者同士なんだから、仲良くしようよ。

それに此処、お墓だよ? あんまり酷い事したら、切ない事言ったら、死んだ人たち悲しむよ。」

「・・・・・。」

アンマリーは泣きやんでいた。 息をのむ皆の前で顔を上げると、誰をも魅了するような笑みを浮かべる。

「・・・素敵。 強いのね、貴方。 ウチの馬鹿二人とはえらい差よ」

「「マ、マリー!?」」

動揺しきった声を腰巾着の二人が上げ、同時にミシェルが眉にしわを寄せた。

アンマリーはつかつかアティに歩み寄ると、いきなり両手で手を握って、上下に振った。

「あー、えーと、え?」

「今度お会いする時が楽しみよ。 さようなら、アティさん。

オスカー、リューン! 行くわよ。 ぐずぐずしているようなら置いていきますからね」

「待ってくれ、マリー! て、て、てめえ、覚えてやがれよっ!」

さっさと先に行くアンマリーを見て、動揺しきったオスカーが、捨て台詞を残して駆け去り

リューンは大剣を鞘に収めると、困惑しきった表情を浮かべ、アティの顔をもう一度見ると去っていった。

常識人であるリカルドはため息をつくと、首を横に振った。

「何なんだ、彼奴らは一体。」

「ライバル出現ですね・・・油断できません」

ミシェルがリカルドに合わせるように言うと、不穏な光を両目に宿したサラが

皆が止める暇もなく、躊躇無く魔法書をその頭へ振り下ろした。

サラは、自分の居場所について、少しずつヒントを得始めていたが

まだそれに気付いてはおらず、だがストレスは少しずつ消えつつあった。

 

地下四層の最深部で、アンマリーは足を止めた。 眼前に浮き上がってくる人影に気付いたからである。

人影は周囲に何体かの魔物を従えており、アンマリーに気付くと凶暴な笑みを湛えた。

「マリー、こんな所でどうしたのさ」

「ヴァーゴ、貴方こそ。 いつもは地下九層をうろついてるのに、こんな浅い階層で何しているの?」

アンマリーの前にいたのは、爆炎のヴァーゴだった。 アンマリーに劣らぬ最強の実力者の一人であり

地下一層では、(剣士)にアレイドアクションを教わったアティと、死闘を演じた相手でもある。

一対一では、アティに勝てる見込みは全くない。 ただし、仲間と連携すれば話は別だ。

「ユージン卿を知ってるかい?」

「ええ、あの権力狂ね。 最近上の方でごそごそ何かしていたけど、アレがどうかしたの?」

「目的が分かったんだよ。 アンタだったら買うと思ってね」

そう言って、ヴァーゴは片手を差し出した。

アンマリーは視線をオスカーに移し、盗賊は懐から袋を取り出し、渋々渡した。

袋を開け、重さを確認したヴァーゴが愉快そうに笑うと、訓練されているのか魔物達が一斉に笑い

そして笑いを止めると、精密機械のように一瞬の遅れもなく、笑うのを辞めた。

「契約を、行使していたのさ、あのボンボンは」

「それって、まさか魔神や高位不死者との契約?」

ヴァーゴは表情で問いを肯定し、スタッフを地面に突き立てると続けた。

本来杖は魔法を増幅するために使うのだが、この女魔術師の使う物は純粋な接近戦も可能な代物で

金に糸目を付けずに強化され、結果凶悪な破壊力を持ち、大量の血を吸ってきたのである。

「そう言う事。 地下一層から四層までのめぼしい契約魔法陣は、尽く回ったみたいだよ。

その御陰で、側近の他に、今じゃポイズンジャイアント連れてる。

地下六層のヴァンパイアロードや、五層のグレーターデーモン、七層のヘルマスターも回る気みたいだね

さっき、六層でインキュバスと契約しているのを見た。 男があんなのと契約してどうするんだか」

「へえ、それは好都合よ」

アンマリーが笑った。 それはむしろヴァーゴが常に浮かべる、凶暴な笑みに近かった。

強力な巨人族、しかも最強を誇るポイズンジャイアントの名を聞いても、動じる様子はない。

「それにしても、アンタも魔神を片っ端から殺してどうするつもりなんだい?

それに魔神と戦う時のアンタの力、尋常な物じゃない。 そろそろ教えてくれても良いんじゃないのか?」

「残念だけど教えられないわ。 何にせよ、情報ありがとう。 行くわよ、オスカー、リューン

・・・あ、そうそう。」

不意に足を止め、アンマリーが振り向いた。 オスカーとリューンは、慌ててつんのめっていた。

「面白そうな駒を見つけたわ。 今はまだまだだけど、近い内に相当の使い手になるわね

人が良いから、面白いように利用できそう。 これからの成長が楽しみね」

「あん? アンタが人を褒めるとは珍しいね。」

「褒めていないわ。 頭も良さそうで悪いし、腕もまだまだ。

確か、名前はアティとか言っていたわ。」

その名を聞いた途端、ヴァーゴが全身から凶暴な殺気を放ち、立ち上がった。

放出される殺気は圧倒的で、周囲の魔物達が怯えきり、吼えたり縮み上がったりしたので

それを見たオスカーは腰を抜かし駆け、リューンに支えられ、青い顔で吐息を付いた。

アンマリーはその様子を見ると、一瞬で何が起こったか把握し、笑みを浮かべる。

「その様子じゃこっぴどくやられたみたいね。 油断して一人で立ち向かったりしたの?

アレイドを修得しているパーティに一人で戦いを挑んだらダメって、あれほど言ったでしょう

やっぱりヴァーゴ、貴方ってお馬鹿さんなのね」

冷静に図星を指されて、ヴァーゴは歯ぎしりし、スタッフを岩に叩き付けた。

魔力の固まりが飛び散り、スパークして辺りの地面や壁を焦がす。

自分の近くに鋭い魔力波がぶつかっても、アンマリーは平然としていた、その笑みには余裕があった。

「落ち着きなさい。 そんな事だから、ど素人に遅れを取るのよ。

あの子は多少器用だけど、どう考えても総合力じゃ貴方の敵じゃないわ。

貴方は優秀な魔術師だけど、冷静さを欠くのが最大の弱点ね。 それさえなければ圧倒的に強いのに。」

明らかに年長者に見えるアティを平然と(あの子)呼ばわりし、アンマリーは言ったが

さして感銘を受けた様子もないヴァーゴは、身を震わせ咆吼した。

「黙れっ! 彼奴はあたしがコロス! 邪魔したら承知しないからね!」

その言葉に肩をすくめ、アンマリーは地下五層へ消えていった。

暫くヴァーゴは周囲の魔物に八つ当たりしたり、壁を蹴りつけたりしていたが

やがて近づき来るドゥーハン忍者部隊と、その長クルガンの気配を敏感に察知すると

舌打ちして魔物達をせかし、アンマリーの後を追うように地下五層に降りていった。

いかに彼女といえど、ドゥーハン忍者部隊を正面から相手したいなどとは絶対に思わないし

ましてその中に、充分に畏怖に値する戦闘力を持つクルガンが混じっているのでは

リスクが大きすぎるため、戦いを避けようとするのは当然の判断だった。

五層の入り口で、ヴァーゴは一度だけ振り向き、そして一人ごちた。

「こんな所まで降りてこれるようになったのかい、あのど素人が・・・

殺しがいが出てきたよ。 何にせよ、次は絶対に生かして返さないからね・・・」

その声は聞こえるはずなど無かったが、ヴァーゴにはどうでも良かった事であろう。

後は二度と振り返らず、ヴァーゴはさらなる下層へ消えた。 五層の入り口からは、滝の音がしていた。

 

4,疾風のクルガン

 

グレッグの足が、地下四層の半ばほどで止まった。 そろそろ魔力を半分ほど使い

撤退を考え始める頃だったので、アティは小首を傾げ、忍者にまっすぐ視線を向けた。

「あー、グレッグさん。 どしたの?」

「え、ええ。 情報にあったショートカットルートですが、この辺にあるはずです。

巧妙に偽装されてはいるそうですが、時間さえ頂ければ見つけて見せます。」

奇怪な冗談には免疫ができてきた彼も、アティの純粋でまっすぐな視線には相変わらず免疫が無く

わざと視線を逸らして、そう言った。

リカルドもあの視線には免疫が無かったから、同じ立場なら同じ反応をしたかも知れない。

ミシェルだったら大喜びするだろうが、さっきアティが呟いた名前を聞いてから、彼女は若干元気が無く

不思議そうにサラが見る中ため息をついて、ぼんやりと先の方を見つめていた。

「うん、いいよ。 じゃ、私達が見張るから、お願いね」

「了承しました。 十分以内で片づけましょう」

頷くと、グレッグは道具を取り出し、周囲の壁や床を慎重に探り始めた。

何処にスイッチがあるか分からないし、壁に魔法的なトラップが掛かっている可能性もある。

グレッグの調査は手慣れていたが、忍者の探査能力は盗賊に劣る事もあり

完璧は期待できない、だがここではグレッグに期待するしかない。

アティはグレッグを信頼しきって、周囲の警戒に神経を注いでおり

それを一回だけ振り向いて確認した忍者は、満足そうに笑みを浮かべ、調査に戻った。

「アティ、念のため、周囲にトラップを設置しておこう

設置は俺がやる。 簡単な物しか設置できないが、充分に奇襲は防げると思う」

「あー、そうだね。 うん。 じゃ、リカルドさん、お願い」

「了解した。 未探索区域との境界に、特に厳重に張っておこう」

手袋を外すと、リカルドはリュックから道具を取り出し、作業にかかった。

トラップの知識は、リカルドが最近趣味から実用レベルまで高めた物で

仕掛ける方は本職のグレッグも舌を巻く程の技術がある。

一方で、流石に自分が仕掛けたトラップは解除できるが、以前テレポーターを踏んだように

他人が、しかも玄人が引っかかるように巧妙に仕掛けた罠を見抜く事はできない。

仕掛けを作る事に集中し始めたリカルドを見ると、アティはサラに振り向き、言った。

「私ね、奥を見張るから、サラさんはミシェルさんと一緒に来た方を見張って。」

「分かったわ。 ・・・・ねえ、アティさん」

「うん? 何?」

サラの言葉に、首砕きに手を掛けかけたアティの動きが止まり、笑みを浮かべた。

「さっきはごめんなさい。 私があんな事言わなければ、辛い事思い出さないですんだのに」

その言葉に、誰よりも反応したのはミシェルであり、再び蒼白になって立ちつくしたのだが

少なくともサラは気付かず、言葉を続けた。

「私、役に立たないわよね・・・そればかりか、足を引っ張ったりして・・・」

「あー、何言ってるの? サラさん、私、さっきの事でお礼言わなきゃいけなかったのに」

不意にまじめな顔になって、アティが言った。 今度は黙り込んだのはサラだった。

「私、サラさんがあそこで遠慮無く言ってくれなければ、あの子の名前思い出せなかったと思う。

確かに少し辛かったけど、思い出せずに逃げてたらもっともっと辛かったよ」

その言葉を聞くと、グレッグは一瞬手を止めて静かに笑い

リカルドも、良い意味で感心して、頭を振って作業に戻っていた。

アティは決してサラを邪魔だとか、役に立たないだなどとは考えていない。

リカルドはサラの事を頼りにしているし、ミシェルだってグレッグだってそうだ。

それはサラ以外の、つまり他者の客観的視点から見れば明らかであるのだが

だがこれは本人の気持ちの問題であり、本人がどうコンプレックスにけじめを付けるかの問題であるから

二人は口を出さず、成り行きを見守っていた。 少し様子がおかしいミシェルも、黙っていた。

あの時、遠慮無くアティに思い出すように、逃げないように言えたのは

同年代の女性であるサラだからである。 物好きにもアティに気があるグレッグや

アティの事を大事に考えている上に、異性であるリカルドでは、遠慮して言えなかっただろう。

まして、年下であり、精神的にアティを凌駕しえないミシェルでは、絶対に無理だった。

アティの仲間達は、少なからずコンプレックスを持っている。 そして、それをアティに癒されてきた。

今度はサラの番であると、癒されてきたグレッグとリカルドは悟っていた。

「サラさん、私ね、心も弱いし、さっきアンマリーさんに言われたように、理想主義者かもしれない。

だから、サラさんがさっき逃げないように言ってくれて、本当に嬉しかったんだ。

これからもお願い。 私が逃げそうになってたり、落ち込んでたりしたら、遠慮無く背中ひっぱたいて。

それに、私以外の人が落ち込んでた時もお願い。」

「・・・うん。 分かったわ。

ありがと、アティさん。 私、此処にいて良いのね。 貴方の仲間で良いのよね」

アティはただ無言で頷き、サラは癒されたように笑みを浮かべると、ため息をついた。

本当に、心底嬉しそうに。 まるで子供のように、さながらアティを鏡に映したように。

彼女がこんなにも嬉しそうな顔をしたのは、ドゥーハンに来てから、初めての事だった。

リカルドのトラップの設置が終わり、グレッグが何かのスイッチを見つけた。

それを作動させると、壁の一部が横にスライドし、上に登る階段が姿を見せる。

その途中には鉄格子がはまっていたが、情報通り既にこじ開けられ、道は解放状態になっていた。

「・・・間違いない。 上は地下二層ですな。」

グレッグが偵察に向かい、すぐに帰ってきて笑みを湛えた。

だがアティの視線はまっすぐ奥に向けられており、手は首砕きにかかっていて

ただごとではないと悟ったグレッグは、通路から飛び出すと、短剣を引き抜いてポジションに着く。

「グレッグさん、何か来たよ。 気を付けて!」

「・・・魔神!」

アティの言葉に、グレッグは身を硬直させた。 リカルドも、全身に緊張をたたえ、剣を抜いている。

トラップは既に作動していたが、いずれも致命傷を与えるどころか

近づき来る者達の強固な皮膚にはじき返され、相手の引き立て役になるにとどまっていた。

「ガーゴイルだ。 数は四体。 最下級の魔神だが、油断するな!」

「あー、えーと・・・・うん。 決めた。

サラさん、ミシェルさん。 時間はかかっても良いから、最強の攻撃魔法をぶつけて!

みんな、まずフロントガード! 続いてグレッグさん、バックアタック。

その後、最前列の相手をダブルスラッシュ。 一人ずつやっつけるよ!」

闇の中に浮かぶ四対の赤い目は、徐々に羽音をたてながら、此方に近づきつつある。

複数の場合は、ガスドラゴンも避けて通る、強靱な魔神は、人間を見つけると咆吼した。

その叫び声は凄まじく、サラは思わず眉をしかめ、ミシェルに至ってはスタッフを取り落としかけた。

赤い目が、闇に残像を残して揺れる。 凶暴な光が、闇を蹂躙し、鋭い叫びと共に躍りかかってきた。

「何やってるの! しっかりしなさい!」

「は、はいっ!」

鋭い叱責は、サラの発した物だった。 ミシェルはスタッフを握り直すと、呪文詠唱を始める。

殆ど同時に、ガーゴイルは高度を上げ、斜め上から鋭い爪を前衛三人に同時に振り下ろしてきた。

ガーゴイルは岩のような表皮を持つ悪魔で、鋭い爪と翼を持つ。 容姿は一般人の想像を裏切らず

そのまま悪魔という言葉を絵に描いて、恐怖で色づけし、悪夢で形取った様な姿をしている。

魔法も使えない最下級の魔神だが、その実力はそれなりで、現に振り下ろされた一撃は強烈であった。

鈍い金属音が響き、重い衝撃が走る。

それを押し返せたのはアティだけで、他の二人は地面にもんどりうって転がり

素早く立ち上がったが驚愕は隠せず、冷や汗を拭って何とか第二撃を捌いた。

「重い! 何て重さだ!」

叫んだのはリカルドである。 そう叫ぶ事で、相手の注意を引きつけると言う事もあった。

案の定ガーゴイルはグレッグから視線を外し、アティに押し返された一体の背ががら空きになる。

滑るように近づいた忍者は、アティの一撃と呼応し、その背中に短剣を貫き入れたが

致命傷にはならず、他のガーゴイルに囲まれそうになり、何とかバックステップして距離を取った。

ミシェルとサラの魔法は、まだ完成しない。 アティは重い一撃を捌きつつ、タイミングを見て叫んだ。

「今だよっ! ダブルスラッシュ!」

「おうっ! 行くぞグレッグ!」

リカルドは叫び、恐怖で冷や汗を流しているグレッグは、半瞬遅れて地を蹴ったが

攻撃の瞬間は、流石に息を合わせ、二人で同時にガーゴイルを切り裂いた。

「ルゴオオオオオオオオオオオッ!」

咆吼した魔神は、それでもまだ倒れず、鋭い爪の付いた腕を振り回したが

接近したアティが、轟音と共に首砕きを振り下ろし、その頭を叩き潰した。

頭を叩き潰されては、強靱な生命力を持つガーゴイルも、流石にひとたまりもなく

朽ち木が崩れるように、魔神の体は横に倒れ、アティの後ろに転がった。

仲間の一体が倒れると、ガーゴイルは再び空に浮き上がり、グレッグに集中攻撃を開始した。

即座に防御力に一番難がある相手を見抜いたわけであり、その辺りは流石にそこいらの魔物とは違う。

だが、戦闘はそこで終わった。 疾風のごとく飛来した影が、ガーゴイルを切り裂いたのである。

影は複数で、動きは速く、且つ猛々しかった。 ガーゴイル三体は見る間に滅多切りにされていき

地面に落ち、痙攣の末に動かなくなった。 影は停止すると、静かに振り向いた。

それは忍者だった。 長らしい男はエルフの忍者で、筋骨隆々としており、その体には無駄な部分が無く

そして明らかに魔法がかかった鈍く光る短刀を持ち、眼光は鷹よりも鋭かった。

彼こそ、忍者の頂点に立つ男、疾風クルガンであった。

「冒険者か。 ガーゴイル程度に手こずるとは、まだまだ修練が足りないようだな。」

短刀を振るって返り血を落としたクルガンの周囲で、何人かの忍者達が、立ち止まって此方を見た。

彼らは、音に名高いドゥーハン忍者部隊だった。 数は十人ほどであるから、一個小隊であろうか。

その中には以前会った小隊長もおり、アティは彼を見て、頭をかきながら言った。

「あー、えーと。 ありがと。 えへへへへへへ、御陰で助かったよ。」

「共に迷宮の魔物どもと戦う以上、礼には及ばぬ。 あまり無理はせぬようにな。」

純粋な反応をするアティを覚えていた小隊長は、目を細めて言ったが

彼らの長の反応は全く違っていた。

クルガンは品定めするように、全員を見ていたが、アティを見てから目つきが変わった。

「貴様は・・・・っ!」

「あー、え? わ、何! 何するの!」

いきなり襟首を捕まれたアティが、困惑しきった声を上げたが

忍者は全くそれに構わず、視線を更に鋭くし、片手でつるし上げて壁に押しつけ居丈高に怒鳴った。

あまりに圧倒的な怒気であったため、周囲の者が割って入る暇もなかった。

「何故、貴様が生きている! 何故、彼奴が死んで貴様は生きているんだ!

多少雰囲気が変わっても俺の目は誤魔化せないぞ! 貴様、応えろっ!」

「痛い、痛いよ! 誰? 私、貴方なんて、し・・・」

困惑と混乱をまぶしてはき出された言葉が、途中で止まったのには訳がある。

アティの視線が、クルガンの視線と合った瞬間、頭の中で何かが弾けたからだ。

以前、女王に会った時と近い感触だった。 だが、今回は以前と違う要素があった。

それは安心である。 何故か、アティはクルガンの切り裂くような視線を見た瞬間、安心を感じたのだ。

一方で、クルガンは虚脱状態に陥った相手に眉をひそめた。

もしアティが、さっきクルガンが(貴様)と悪し様に罵った相手なら

こんな反応を見せるはずはなく、即座に手を振り払ったか、或いは別の反撃をしてきたはずからだ。

空白は長く長く続いたように思え、やがて彼は手を離していた。

壁をずり落ち、アティは目に涙を浮かべて、無力に咳き込んだ。

怒りは雲散霧消し、クルガンは困惑さえ感じながら、アティに吐き捨てた。

「お前は・・・誰だ・・・・俺が分からないだと・・・・貴様は・・・・・・!」

「ごほ、ごほごほっ! 酷いよ、何でいきなりこんな事するの?」

「応えろっ! 貴様は一体何者だ!」

見上げたアティの視線と、見下したクルガンの視線が、正面からぶつかり合った。

クルガンは驚いた。 その視線には、純粋な要素しかなかったからである。

そんな事は、あり得ない事だった。 彼の知識では、それは絶対に、断じてあり得ない事だった。

乾いた音が響いた。 今度は虚脱状態に陥ったクルガンが、サラに頬をひっぱたかれたのだ。

サラの表情は怒りに満ちていて、クルガンの困惑を増幅した。

その顔は、親友を不当に傷つけられた者が、絶対的な怒りに満ちた時に見せる顔である。

彼の知識では、これも絶対にあり得ない事であり、あり得るはずのない事だったからである。

驚くべき事に、この時頭一つ小さなサラが、クルガンを圧倒していたのだ。

「・・・初対面の相手に何て事をするの?

貴方が誰だか、何処の何様だか知らないけど、最低ね。 さあ、彼女に詫びなさい!」

「クッ! ・・・・悪かった。

俺の名はクルガンだ。 この辺りは、まだまだ魔物も多い。 気を付けて進むんだな。」

背中を向け、肩を小刻みに震えさせながら、クルガンは吐き捨てた。

理も非もない男だったら、苛立ちついでに相手を屠っていただろうが

流石にドゥーハン最強の、クイーンガードの一員だけあり、その辺りはわきまえているようだった。

だが、釈然としない様子で、一度だけ振り向くと、闇に消えていった。

忍者達もすぐにその後を追ったが、前に会った小隊長だけは残り、申し訳なさそうに頭を下げた。

彼は一度会ったアティに若干の好意を感じていたようで、故にクルガンの行動はショックだったのだろう。

「失礼した。 クルガン様は、普段は絶対にあんな事はしない、誇り高い方なのだが

それにしても、一体どうしたというのだ。 確かに、普段から少し血の気は多い方なのだがな」

「あー、えーとね。 いいよ、もう。 少し痛かったけど、怪我はなかったし」

サラに助けおこされ、頭をかきつつアティが言った。

実際、万力のような力で壁に叩き付けられたのにもかかわらず、実際に怪我らしい怪我もなく

相変わらず呆れるほど頑丈な体は健在で、割って入れなかった三人はそれを見て安堵の息を付いた。

「クルガン・・・って言ったよね、あの人」

「うん? そうだ。 あの方こそ、疾風クルガン。 忍者の頂点に立つ方だ」

「・・・知ってるような気がする、あの人。 でも、わかんない。」

申し訳なさそうに言うアティを見て、小隊長は目を細め、やがてため息をついた。

「クルガン様と何があったが知らぬが、できるだけ近づかぬ方がよいだろう。

あの方はとにかくひたすらに強い。 レッドドラゴンを一人で屠ったという伝説の持ち主で

しかもその実力は、今でも完全に健在だ。 刺激して、無意味に怒らせないようにな」

「うん。 心配してくれてありがとう」

素直に応えるアティを見て、小隊長は頷き、闇へ消えていった。

「・・・さ、もう少し進んだら帰ろう。 サラさん、フィールズ掛けて」

「ええ、分かったわ。」

「あー、それと、さっきは助けてくれてありがと。 えへへへへへへへ、私ね、凄く嬉しかったよ

私なんかのために、本気で怒ってくれて。 前にグレッグさんが、私を助けてくれた時も嬉しかったけど

リカルドさんが、私達の事を真剣に考えてくれた時も嬉しかったけど

今回も凄く嬉しい。 ありがとね、サラさん。」

アティが浮かべたそれは、限りなく純粋で、限りなく暖かい微笑みだった。

サラは自分の中のコンプレックスが、完全に消滅するのを感じた。

自分が、アティに必要とされていると、確信したからである。

それは過信でなく、自惚れでもない。 パズルの一片が、あるべき箇所にはめ込まれたような感触だった。

このパーティに入って、アティに未来を掛けて良かった。

そう、心の底から、サラはこの時思ったのだった。

 

5,重なる妄執

 

地下六層で、公爵ユージン卿は、会心の笑みを浮かべていた。

現在、彼の元には三十体以上の魔神と、貴重な人質、それに無数の魔物がおり

今や完全に、ドゥーハン軍を正面から迎え撃てるだけの準備が整ったからである。

彼は権力亡者であったが、同時に憂国の士でもあった。 確かに民を愛する心は持ち合わせており

だが権力への渇望はそれ以上に強く、いかなる手段を用いても権力が欲しいのだった。

今までは、オティーリエ女王がしっかりした間は、その野心も封殺されていたが

現在は、その野心は完全に解放され、迷宮の中で障気を発しながらのたうち回っているのだった。

権力欲という欲望ほど、それがない者には理解できない欲望も珍しい。

それは理屈ではなく、本能に近い。 これを持った者は、実際に確固たる政策の青図など無くとも

権力を奪いたがり、それを持つ者を妬み、あらゆる工作を仕掛けたくなるのである。

ユージンはその傾向が特に顕著で、それが一部の冒険者達には知られ、嘲笑を買っていたが

彼らを公爵は対等な存在どころか、人とさえ見なしていなかったから、嘲笑を受けても何も感じなかった。

「ユージン卿、魔神の一柱が、気になる事をもうしております」

「何だ、申して見よ」

配下の一人が跪き、言うと、ユージン卿は鷹揚に具体的な内容を求めた。

確かにその身からは高貴さと威厳が滲み出ており、外見だけは王としてふさわしかっただろう。

「オティーリエ女王の事なのですが・・・」

その後、部下が発した言葉は、ユージンを驚愕させ、計画を変更させるに充分だった。

この瞬間であったかも知れない、彼の行動が、計画というレールを外れ、暴走し始めたのは。

 

「あー、ねえねえ、凄いよ! 見て見て!」

地下五層の入り口で、暢気な声が響いた。 声の主はアティで、地下五層の様子を見て感嘆したのだ。

そこは滝だった。 雄大を極める風景で、落差は優に百メートル以上もあろうか。

滝の周囲は、螺旋状に足場が下っていて、彼方此方に洞窟が口を開けていた。

「・・・ここは、閃光の際、エルフの森から消滅した場所です」

今までずっと黙っていたミシェルが、その時急に発言した。 そして顔を上げると、アティを見つめる。

「神厳の滝。 エルフの森の中で、最もマナの密度が濃く、最も美しかった場所・・・

こんな所にあったなんて・・・こんな姿になってしまって・・・」

「・・・そうか、そんなに大事な場所だったのか」

リカルドが言うと、涙を流し始めていたミシェルは、ハンカチで涙を拭って首を横に振った。

「違います。 滝もそうですが、もっと大事な思い出の場所なのです。

ソフィアお姉さま・・・私・・・やっと此処まで来ました。」

「そふぃ・・・あ? ・・・・その人・・・・その人は・・・・」

「・・・・やっぱり、お姉さまは、アティお姉さまは・・・・

詳しい事は滝の一番下でお話しいたします。

私が何故迷宮に潜ったか、ソフィアお姉さまがどういった方だったのかは、そこでお話しいたします」

アティを見ながら、視線を逸らさずミシェルは言った。

その表情には、隠していた事をうち明けようとする決意があった。

「今は帰ろう。 これから地下五層に挑むのは自殺行為だ。」

リカルドが片手をあげ、現実的な提案をした。

度重なる混乱にぼんやりしていたアティは、頭を振ると、その提案を受け入れたのだった。

今後、彼女はユージンの策略と、ドゥーハン軍の戦闘のまっただ中に巻き込まれるのだが

そんな事よりも重要な事が、地下五層にて、明らかになろうとしていたのだった。

 

迷宮の最深部。 異様な雰囲気漂う空間で、老人がチェスの盤に向かっていた。

その側には強力な存在の気配が充満しており、その中の一体が、巨大な羽音をたてながら降りてきた。

「計画は順調だ。 駒はどれも予測通りに動いている

流石だな、我らが盟主ながら、お主の策略のあざとさには毎度恐れ入る」

喋ったのは魔神マイルフィック。 最大級の大きさと戦闘力を持つ、最強の魔神の一人である。

無論魔界に行けば彼を凌ぐ魔神など幾らでもいるが、それらは例外なく天界から目を付けられており

自由に地上に出られる魔神の中では、文句なしに彼が最強だろう。

「しかし、不安要素がないわけでもない。 一時期姿を確認した(異要素)の施した策が気になる」

続いて喋ったのは、白銀の鱗を持つ、小山のような巨竜だった。

その言葉を受けて、小柄な人影が肩をすくめてみせた。

「相変わらず慎重だな、お前は。 まあ、我らが盟主のお手並みを拝見しようではないか」

「・・・ヴァンパイアロード。」

老人が振り向き、声を発した。 額に手を当てていた小柄な人影が、静かに視線を向けた。

「監視を強化しよう。 (異要素)の干渉以上に、計画の微調整が効くようにな。

我らが楽園の建設、何者であろうと絶対に、二度と邪魔させてはならぬ。」

老人以外の三体は真摯に頷き、具体的な策を老人から告げられると、ヴァンパイアロードは笑った。

「了解。 早速遊んできますよ」

「くれぐれも気をつけてな。 油断だけはするな。」

返事をせずに、吸血鬼の王、不死者の中の不死者は消えた。

他の二体もめいめい休息に戻り、一人残った老人は再びチェス盤に戻った。

「・・・チェックメイト。」

一つ駒を動かし、彼は呟いた。 そして、その顔には、想像を絶する妄執が浮かんだ。

ユージンの物などとは比較にもならぬ、純粋で、凶悪で、負の力に満ちた凄まじい妄執が。

(続)