慢心と自信、覚悟と進歩

 

序、惑いの地

 

迷宮地下三層は、〈閃光〉がドゥーハンを吹き飛ばした際、巨大な空間亀裂を起こし

郊外にあった要塞を三分割し、地下に引きずり込んだ場所で

他の三分の一は地下七層、地下九層にそれぞれ分割して存在している。

地下三層は、最も巨大な空間亀裂の影響からか、凄まじいまでに地形が歪みきっており

柱は曲がり、通路はあらぬ方向にへし曲がり、外敵撃退用のトラップも出鱈目に散らばり

また要塞司令官ケンウッド中将が、異変の際に崩れてきた壁の下敷きになって圧死した事もあって

(彼の死体は、後に冒険者によって発見された)要塞にいた兵士二千は、異変と同時に士気を失い

あふれ出てきた魔物にも襲われて、誰一人として地上に帰ってくる事ができなかったという。

しかもここは、数日ごとに定期的なペースで階層そのものの構造が変わってしまうため

地下二層から降りてきた冒険者が、自分の正面に地下四層への階段がある事を発見して呆然としたり

逆にいつまで経っても下層への階段を発見できずに泣く泣く引き返したりと

様々な逸話を残し、現在では〈惑いの迷宮〉と呼ばれている。

出てくる魔物は地下四層からはい出てきた下等な不死者及び、生物系の魔物が中心だが

中にはドゥーハン崩壊の際、心が壊れてしまった兵士や、ここに住み着く盗賊などもおり

純粋な危険度は、地下二層を凌ぐ。 地下四層には及ばないが、着実に魔物は強くなっているのだ。

そして、ここから出現する、生物たちの王がいる。

時に神としてあがめられ、或いは悪魔として恐れられ。

空を鋭い翼で切り裂き、口からは炎を吐く。 頑丈な体に、強固な鱗を纏い

鋭い爪は、鎧などでは到底防げない。 圧倒的な力を持つ、文字通り〈王〉たる一族。

その中で最も弱く、最も小さな眷属が、ここには現れる。

今日もその咆吼が、闇に轟く・・・

 

1,焦燥

 

リカルド=ドレフェスは熟練した戦士であり、アティと一緒に旅をするようになってからは

その常識的な頭脳を生かし、いつも無邪気で危なげなリーダーを補助するべく、必死に努力している。

大剣首砕きを水車のごとく振り回すアティに比べ、地味で目立たないが

その技はとにかく堅実で、確実に立ちはだかる敵を屠り去ってきた。

地味で堅実で、とにかく失敗が少ない。 それが彼の長所であったと言えるかも知れないが

完璧な存在などいない事と同様、当然の事ながら彼も失敗をする。

それが地下三層の探索では、致命傷に近い痛手となるのだった。

 

「地下三層は、何処にトラップがあるか分からない危険な場所だ

他にも、構造が数日に一度変化し、地図は何の意味もない。 其れを念頭に置くべきだろうな」

恒例である出発前の会議で、リカルドはそう言った。 迷宮で実際に目で見た知識は、これが最後であり

これ以降は、彼にとっても未知の領域になるわけだから、その口調は静かながら真摯だった。

「あー、うん。 じゃ、私ね、三層じゃグレッグさんの後ろについて歩くから、罠があったら教えてね」

「あ、ああ。 分かった。 私もトラップに関してはある程度の知識がある」

「では、私はお姉さまの側で、トラップからお姉さまをお守りします

魔法系のトラップだったら、私が防ぎきって見せます。 安心してくださいませ。」

いつもの調子で、アティはそう答え、グレッグがどぎまぎしながら応じ

何故か隣の席でべったりくっついているミシェルが、最後に言葉を締めくくった。

このエルフの少女は、地下二層で会って以来、独自の情報網を駆使してアティの事を調べ上げ

恐るべき事に、翌日にはヘルガの宿に押し掛けてきた者で

パーティへの参入を申し出、アティはその場で了解した。

優れた魔力を持つエルフ族にふさわしく、有能な魔術師であったが

同時に少々趣味が変わっているようで、アティにべたべたとくっつきぱなしである。

それは単純に相手を慕うという行為以上の何かがあり、アティはのほほんと応じていたが

サラなどは背筋に悪寒を覚えていた、おそらくは生理的にあわないのだろう。

人間としては非常に魔力が優れているサラも、魔術師魔法に関してミシェルには敵わないが

代わりに彼女には僧侶魔法もあるし、冷静でアティの言葉に的確な行動ができる長所がある。

それに関してはミシェルがまだ未知数なのは確かで、しかもアレイドアクションの修得も不明なので

今日の探索は迷宮に入る前に冒険者ギルドの訓練場で、アレイドアクションを修練し

地下二層で戦力調整を行った後、もし余裕があれば地下三層に踏み込むという物になっている。

何にしても、有能な五人目が加われば、今後の迷宮探索に大きな武器になる。

今まで後衛のサラが戦闘時何もかも担当していた魔法も、これからは二人で担当する事で

随分楽になるのである、サラがもしバッドコンディションに落ちても、ミシェルという保険もできる。

「あー、そうだ。 偵察部隊の人たち助けて、結構お金貰ったよね」

ふいにアティが発言し、皆が振り向いた。

国家関係の仕事だけあり、確かに今までとは桁違いの報酬があり、また大きな宣伝効果になったようで

酒場で依頼を受けに行ったグレッグに、冒険者達は好奇の視線を向け

マスターは、前回依頼を確認しに行った時より、数段上の難度を持つ依頼を幾つか提示してきた程である。

自分の実力を過大評価していないグレッグは、その中から最も簡単で確実な依頼を幾つか受け

この男が慢心を知らない、慎重派としてパーティに得難い人物だと言う事を証明していた。

「そうだな。 使い道はどうする」

「んーとね、とりあえず、みんなの武器防具でしょ、お薬でしょ、それとアレイドアクション。

前にグレッグさんが言ってたけど、冒険者ギルドで、有料で教えてくれるんだよね」

「アティ、それを言ったのは俺だ。」

「私もそう記憶しているが・・・」

咳払いをしてリカルドが言い、グレッグも頷いた。

一瞬流れた気まずい沈黙を、再びアティがうち破る。 素直に過ちを認め、笑いながら舌を出して。

「あー、うん。 えへへへへへへへへ、リカルドさん、ごめんね。 私頭悪いから」

「・・・それは別にいい。 それよりも、アレイドアクションはギルドでも国家機密がどうとかで

そう安くは教えてくれない。 覚えられたとして攻撃防御魔法、これらのいずれか一つだろうな」

リカルドの言葉は、アティに判断を促す物であった。

確かに本人も言ったとおり、アティの頭はさほど良くはないが、戦場での素早い戦術判断は確かで

こういった場所での判断力も、常人に比べ明らかに優れていると言っていい。

それは新参者のミシェル以外、全員が肌にしみて知っているので、リーダーの座は揺るがないし

今後も、リカルドやグレッグが自分で決断しようとする事はなく、アティに最終判断を仰ぐだろう。

本当の意味で、リーダーに最も必要な物は、優秀な頭脳ではなく、卓越した戦闘力でもない。

的確な判断力と、其れに責任を取る事ができる責任感、この二つである。

これに関してアティは完全に合格点であったから、例え多少普段は間抜けな言動があっても

こういった場合、信頼感から自然と決断を任されるのである。

「リカルドさん、それぞれどういう特色があるの?」

「攻撃系のアレイドアクションは集中攻撃、防御系は牽制射撃、魔法系が呪文集中陣だ。

ギルドで聞いた話によると、集中攻撃は前衛全員で敵に集中攻撃をするアレイドで

だが別に一撃必殺をねらえるわけでもなく、ダブルスラッシュの方が使い勝手が良いそうだ。

牽制射撃はマジックキャンセルの物理攻撃版、呪文集中陣は魔法の威力を増幅し、拡散させるとか」

「そうなんだ。 じゃ、牽制射撃にしよう。」

殆ど即答したアティに、流石にグレッグとリカルドが不審の目を向け、ミシェルが好奇の視線を向けた。

サラに至っては落ち着いた様子で、腰に手を当てて事態を見守るヘルガの隣の席で、茶を啜っていた。

「なぜだか理由を聞かせてくれないか? アティ殿」

「あー、うん。 死神との戦いの時、私達の被害結構大きかったよね

あれはマジックキャンセルが発動しなかった時よりも、死神の攻撃自体が痛かったからだと思う。

今後も凄く強い人が出てきたら危ないから、覚えておこうかなって。

えへへへへへ、攻撃は当分ダブルスラッシュだけで良いよね。 息も合ってるし。

魔法も、サラさんにミシェルさんのが加わるから、鬼に金棒だと思うもん。」

「相変わらず、考えていないのか考えているのかよく分からんな

これで扉を引きちぎったりしなければ、我々の苦労ももっと減るのだが」

苦笑しつつ納得してリカルドが言った。 今日の朝、寝ぼけたアティは、自室の扉を開けようとして

鍵がかかっている事に気づかず、低血圧なので寝ぼけていると力の加減ができない事もあり

外に出ようと無理な力を掛けた途端、金具が吹っ飛んでドアを引きちぎってしまったのだ。

そう言った所では相変わらず頼りない。 おそらくこれからも頼りないままだろう。

しかしながら、純粋な戦闘に関しては、戦術判断だけではなく戦略判断もできる事がこれで実証され

後は他の者達が、武器装備面や、探索面での戦略判断を手伝ってやればいい。

・・・或いは、それは間違っているかも知れない。

これは単純に持って生まれた判断力のなせる技で、選択肢を出されなければ選べなかったかも知れない。

ともあれ、アティのリーダーとしての価値は、優れている上に、まだまだ発展途上で天井知らずであり

これからの行為が更にそれをあげるか下げるか、まさに神のみぞ知る、である。

「じゃ、いこっか。

ヘルガさん、多分明日の朝早くには帰ってくるから、よろしくお願いね。」

この言葉は守られなかった。 この探索は、始まって以来初めてスケジュールの狂う探索となったのだ。

 

ギルドでのアレイドアクション修得は、専門の引退冒険者が教習を行い

それなりの料金を払っている事もあり、スムーズに修得は進み、二時間ほどで修得は完了した。

ミシェルも、マジックキャンセルを修得、サラと共に牽制射撃も修得したが

実戦ではまだ試していないため、ミシェルを苦手視しているサラとのコンビネーションに不安が残る。

無論サラは相手が苦手でも、戦闘時には頭が切り換えられる大人だが

ミシェルはどうか分からないし、それに今まではそうでもこれからはどうだか分からない。

ギルドを後にする時、アティは敏感に其れを感じ取ったようで

ヴィガー商店にたどり着くと、いつものようにサラに武具を選んで貰いながら

笑顔で、ミシェルに聞こえぬほどの低音量で、話しかけた。

「あー、ねえねえサラさん、ミシェルさん苦手?」

「正直、得意じゃないわね。 貴方も身の危険とか感じないの?」

アティが笑顔を湛えたまま小首を傾げたので、サラはサブウェポンを選びながらため息をついた。

奥ではグレッグが具足を選び、リカルドは長剣の手入れをしながら、ブレードカシナートに目を輝かせ

ミシェルは武器攻撃は考えていない様子で、防御結界を張るためのマジックアイテムを探している。

このエルフの娘は、積極的というか何というか、昨日いきなり宿に押し掛けてきた後

ずっとアティにべったりし、夕食が終わると、皆の前で唐突にこう宣った。

「お姉さま、お疲れでございましょう? 不肖私が、お背中をお流しいたします。」

これを聞いてサラは思わず吹き出した。

基本的に女性は男性に比べ、親しい者とのスキンシップを多く求める物だが

この少女のは度が過ぎているし、何かサラの観念からは危険な要素を含むのは明白だ。

だが、更に壮絶だったのはアティの返事である。

「うん。 アリガト。 ねえねえ、みんなも一緒にお風呂はいる?」

なんと言っても良識派であるグレッグとリカルドが、タイミングを計ったかのように一緒に吹き出し

何故か分からないで笑顔を向け続けているアティの頭頂部に、ヘルガがお盆を振り下ろした。

結局風呂に入ったのは、皆一人ででの事だった。

「正直貴方、あの子と一緒にお風呂に入ったら、何されてたか分からないわよ」

「そうかなー。 ・・・でもね、サラさん、あの子本当は寂しがりやさんだと思うよー?

具体的に何でかって言われても分からないけど、そんな気がする。」

手渡されたダガーを振り回して、軽すぎると返したアティは、変わらずの口調で言い

サラはもっと重いダガーを手渡すと、腰に手を当てながら応じる。

「・・・まあ、貴方があの子と共闘する事を決めたんだから、私達に意義はないわ

貴方の判断は今までずっと正しかった。 だから今は結果が見えなくても、私は貴方に従います」

「ありがとう、サラさん。 えへへへへへへへ、嬉しいよー

で、このナイフ、どうするんだっけ?重さ的には丁度良いけど」

重さ的に丁度良いと言ったが、そのダガーは同じ種類の武器の中では最大級の重さを持ち

子供では多分持ち上がらない。 アティの力がいかに常識はずれかよく分かる事象であろう。

「それはサブウェポンっていって、接近された時に防衛用に使うの。

貴方みたいに大剣を振り回すタイプは、前もあったけど、接近されるともろいでしょ?

勿論私達が、簡単には敵を懐に入れさせないけど、保険をかけておいて損はないわ」

「あー、そうなんだ。 じゃ、これから危ない時には使うようにするね。

色々気を遣ってくれてアリガト、サラさん」

まっすぐ視線を向けられ、優しい笑みを浮かべられて、サラは癒されるような気分を味わう。

意図してか意図しないでか、アティは振り向くと、買い物している仲間達に言った。

「リカルドさん、グレッグさん、ミシェルさん。 そろそろ行こう!」

 

相変わらず負の気配を放ち、障気が充ち満ちている地下二層は

前に七十体近い不死者を滅ぼしたのにもかかわらず、全く様相が変わらず

後から後から沸いて出るように、ゾンビやアンデットコボルトが出現した。

これらの不死者には、恐怖という感情がそもそも無いため、どれだけ仲間が倒されてもひるまないし

何より人間など餌にすぎないから、対話の余地など無い。

前方に展開している不死者は、約三十体。 大剣を抜き放つアティを、ミシェルが制止した。

「ここは私にお任せ下さいませ、お姉さま。」

「あー、うん。 分かった。 頑張って」

フロントガードを指示し、ミシェルの動作を待つアティを見て

リカルドが若干の不安を浮かべながら其れに従い、彼の横ではグレッグが有無を言わさず従っている。

自分が信頼の元にある、それを感じたミシェルは、アティの危うさを感じると同時に

嬉しさも感じ、目を閉じると、呪文詠唱を始めた。

不死者達は、独特の歩調で、腐臭をまき散らし、腐った体を引きずりながら歩み寄ってくる。

彼らの前方で、炎が弾けた。 だが、歩みは止まらなかった。

「炎の魔神イフリートよ。 我求むは汝が息吹き、汝が鉄槌、汝が怒り!

そは炎、渦となりて、我が敵を滅ぼし、千々に砕き、灰燼に帰せ!」

エルフの少女の回りに、身から溢れ出た凄まじい魔力が渦巻き、それは大気中のマナと魔法的に融合

やがて指先に、呪文の力を借りて収束熱量となり、物理的に具現化した。

「ジャクレタ!」

それは炎と言うよりも、もはや爆発に近かった。

アティら五人を守護結界が覆った直後、眼前で閃光が爆裂し、灼熱が不死者達を飲み込んだ。

一瞬の閃光が収まった後、不死者は既に二十五体を失い、残りも全て半身不随になっていたのである。

「高位の火炎魔法ジャクレタね・・・凄い破壊力だわ」

炭と化し、直後に灰になっていく不死者を見て、サラが呟くように言う。

彼女もギルドで新しい魔法を幾つか仕入れたが、これは完全に役者が違う。

このエルフの少女が、中堅のパーティでも充分にもてはやされる強さを持つ事が、これで明白となったが

だが流石に消耗も激しいようで、額の汗を拭うと、ミシェルは微笑んで見せた。

「どうでしょう、お姉さま。」

「うん。 凄いよ。 でも疲れたでしょ? 後は私達が何とかするから、休んでて」

「まて、そう言うわけにはいかん。 丁度敵戦力は減った事だし、アレイドの実戦投入をした方が良い」

迫るアンデットコボルトを睨みつけながら言ったのは、リカルドだった。

グレッグは無言のままナイフを構え、アティの指示を待っている。

この気弱な忍者にとって、既にアティは主君同様になっているようである。

アティは頭をかきながら、「あー」とか「うー」とか言って考えていたが、やがて大剣を抜き放つ。

「ダメ。 今回は、ミシェルさん休憩だもん。

サラさん、武器に魔法かけて。 それと、牽制射撃サラさんが試してみて?」

「分かったわ。 普通に戦って、私はタイミングを計るから」

サラの言葉に応えるように、魔力を帯びた首砕きが振り下ろされ、アンデットコボルトを粉砕した。

隣では釈然としない様子でリカルドが長剣を振るい、グレッグが短剣を繰ってゾンビを刺している。

やがて、新規アレイドの実戦投入に丁度良い機会が来た。

ゾンビを叩き潰したアティが体勢を崩した瞬間、アンデットコボルトが何やら毒が塗られた剣を振るい

それは完全に隙をつく形になって、アティの右側面から振り下ろされたのだ。

グレッグもリカルドも間に合わぬ瞬間、サラのクロスボウが矢を放ち

獲物を捕らえたと確信した不死者の右目に、鋭い音と共に矢が突き立つ。

一瞬後、強烈に踏み込んだアティが、右下から左上に振り上げるようにして、首砕きを一閃させ

アンデットコボルトは上下泣き別れになり、吹っ飛んで転がり、やがて動かなくなった。

ほぼ同時に、最後の一体がグレッグとリカルドのダブルスラッシュで倒され、安全が確保される。

「あー、サラさん、ありがと。 助かったよ」

「いいえ。 これで牽制射撃が、実戦で役立つ事が確認されたわね」

「どうする? 一旦帰る?」

ふいに不可解な言葉を発したアティに、皆が顔を見合わせた。

その言葉の意味を理解しているのは、どうやらミシェルだけであり、申し訳なさそうに顔を下げたが

リカルドは首を振り、長剣を鞘に収めると、アティに鋭い視線を送った。

「何を引き返す理由がある。 俺はこのまま進むべきだと思うが?

情報によると、地下三層はまだ構造変化までしばらく時間がある。

入った途端に地形が変わるような事はないし、余力がある以上、探索すべきではないのか」

「うーん。 気が進まないけど、どうしても進みたい?」

「さっきからよく分からない事を言うな。 俺達はプロフェッショナルだろう?

だったら気分次第で探索を考えていいのか? それは違うはずだ!」

リカルドの言葉は正論であり、やがてアティは頭をかきながら、答えた。

「あー、そうだよねー。 うん。 リカルドさん正しいよ。

じゃあ、余力を残して、いざとなったらすぐ退却しようね」

「言われるまでもない、今までもそうしてきたじゃないか」

何故か今日は、リカルドはやけにアティに突っかかった。

先頭に立って、地面を蹴りつけるように歩き行くリカルドは、どうも焦っているように見えた。

 

2,一生の不覚

 

「何だ・・・何が起こった・・・」

頭に手をやり、リカルドは立ち上がった。 周囲は冷たい空気が満ち、幸い魔物の気配はしないが

安全にはほど遠い。 周囲にはアティもグレッグも、そしてサラもいなかった。

「お姉さま!? お姉さまはどこですの?」

困惑しきった声が響き、リカルドが視線をやると、そこには今までの落ち着きは何処へやら

慌て、焦燥を顔中に浮かべ、おろおろするばかりのミシェルがいた。

今までの、ませた表情は何処にもなく、あったはただ恐怖に直面する無力な少女そのものの顔であり

素人冒険者がシュート(階層をつなぐタイプの落とし穴)に落ちて下の階層に行ってしまい

慌て、怯え、戸惑っている様子に良く似ていた。

「落ち着け、落ち着くんだ。 お前の魔力なら、ここから生還する事ぐらいたやすいだろう」

「無理ですわっ! だって、もう半分も残っていませんものっ!

今のトラップ中和でもかなり消耗しましたし・・・」

リカルドは絶句した。 そして、混乱する頭脳を、何とかまとめていく。

結論が出た時、彼は愕然とするほか無かった。

思い出してみれば、地下三層に入った途端、妙な光がパーティを包んだ。

グレッグが何か叫んでいたのを、思い出せるような気がする。 そして、目が覚めると此処にいた。

つまり、彼らは罠を踏んだ。 あの様子からして、十中八九テレポーターだろう。

テレポーターは、罠にかかった者を適当な場所に強制転送してしまう、危険な魔法系トラップであり

もし石等の重い物質がある所に転送されると、物質と体が融合してしまい、その場で死を迎える事になる。

取りあえず、運良く彼らは助かった。 アティ達も助かっている事を祈るしかない。

周囲の様子から、此処が地下三層であることは明白であり、皆も地下三層に飛ばされていると思いたい。

一方で、ミシェルの様子はどういう事か。 先ほどのアティの様子から判断して・・・

おそらく、アティに良い所を見せるため、必殺技と言っても良い高位魔法を無理に披露したのだろう。

結果、ミシェルは魔力の半分以上を使ってしまい、殆どもうまともな魔法など使えないに違いない。

勘の鋭いアティはそれを察し、先ほどあんな事を言ったに間違いなく

そして、リカルドが罠を踏んだのには、もう一つの要因があった。

それを理解し、常識的な思考力を自分のうりにする戦士は、ミスが少ない事が長所である男は

全ての原因を察して、胃に穴が開く思いを味わった。

「何て事だ・・・俺の・・・俺の・・・これは俺の・・・」

「やだ・・・どうしましょう・・・このままでは、私・・・お姉さまも・・・

い・・・いやああっ! お姉さま、お姉さま・・・・!」

ふと気づいて、リカルドは顔を上げた。 蒼白になっているミシェルは、パニックに陥っており

このままでは、優れた魔力も生かせず、ただのお荷物にならざるを得ない。

撤退するにしても、アティ達と合流しないと無理なのは明白であったし

地下三層の魔物は、着実に地下二層の怪物より強い、つまり早急に対策を練らないと生き残れない。

頭を振ると、リカルドは頭を切り換えた。 アティに謝るのは後だ、今は生き残らなければいけない。

その結果、張り倒されても、パーティを放り出されても文句は言えない。

だが、今後の戦力にもなるこの少女を、今失うわけには、絶対に行かなかった。

アティは普段怒らないが、怒った時はさぞ怖いだろう。 平手も、実際の痛みより遙かに痛いだろう。

罪悪感が痛みを増幅するからだ。 やがてリカルドは観念し、口を開いた。

彼は気づかなかったが、覚悟を決めた瞬間、彼は脱皮に近い形で一歩成長したのである。

「落ち着け、落ち着くんだ。 アティは必ず三層で、俺達を捜している。 合流する手だてを練ろう」

「そんな・・・だからって・・・どうすれば良いんですの・・・」

「まずキャンプだ。 気配消去結界を張ってくれ。 そうしてくれれば、簡単な休憩所を俺が作る

次に其処を拠点にして、周囲がどうなっているか探索する。

その過程で、少し休んでおいてくれ。 さっきのジャクレタ程でなくても、攻撃魔法は使えないと厳しい

最後に、俺達が近くにいる証拠を、さりげないレベルで周囲に残していく。

これは少し危険だが、仕方がない。 グレッグなら気づいてくれる事を祈るしかないな。

その後は、定期的に周囲を見回っていこう。」

冷静なリカルドの台詞は、鎮静剤の役割を充分に果たした。

涙さえ浮かべかけていたミシェルは、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻し、静かに頷いた。

 

「あー、此処何処ー?」

リカルドから大分離れた地点で、アティが頭をかきながら立ち上がると

側に倒れていたサラとグレッグが、頭をかきながら周囲を見回す。

すぐ近くに、地下二層への階段があった。 彼らにはテレポーターの効果が発動しなかったのだろう。

冷静なようで動転していたリカルドは気づかなかったが、それはミシェルの守護魔法の結果であった。

「あれー、ミシェルさんと、リカルドさんがいないよー」

「・・・アティ殿、リカルド殿が、テレポーターを踏んだ様だ」

指を唇に当てて、周囲を見回す大剣使いの少女に、沈鬱な表情で、グレッグが言った。

目撃者であるサラも、静かに、だが断固として頷いた。

しかしアティは、自分の装備が無事である事を確認すると、笑みを浮かべた。

「そうなんだ、えーと、さるも川に流れるって奴だね」

「それを言うなら河童の川流れですな。 ・・・アティ殿、これからどうする?」

「あー、うん。 決まってるでしょ? リカルドさんと、ミシェルさんを助けに行くよ。」

何を当然の事をと、アティは視線でグレッグに言った。 大きく延びをするリーダーに、何の迷いもない。

「リカルドさんはミスしたかも知れないけど、だから何?

細かいミスなんていつもみんなしてるし、それがいけないなら、ドア引きちぎった私なんてもう死刑だよ。」

それを聞くと、グレッグがふと優しい表情を目の奥にひらめかせた。

これだから、自分に絶対的に欠落している物を持っているから、彼はアティをリーダー以上に考え

命令を絶対的に信頼し、命を預ける事ができるのだ。

「分かった。 では、三層を端から順番に探していこう。」

「うん。 サラさん、総力戦になると思うから、準備して。 ごめんね」

「いいえ、私は構わないわ。 ・・・急ぎましょう、今は一刻が惜しいですものね」

グレッグ同様に感じたサラが笑みを浮かべ、クロスボウの調子を確認すると、立ち上がった。

奥の空間から、無数の何かが押し寄せてくるような気配がする。

アティの目がそちらに向き、グレッグが短剣を構えると、待っていたようにそれは現れた。

肉食性の大型甲虫ボーリングビートルと、同じく肉食性の魔法生物ドラゴンフライだった。

数はそれぞれ二十体前後。 鋭い羽音が、潮のように押し寄せてくる。

さほど大きくはないが、貪欲な事に間違いはなく、非常に危険な生き物である。

「あー、正面から戦うには数が多すぎるね。 あっちの狭い通路におびき寄せて、一気に叩こ。

逃げても地獄の底まで追ってきそうだし、叩いちゃわないと」

「分かったわ。 一気に決めるわよ」

リカルドらから大分離れた所で、死闘が始まった。

特に知能らしい知能も無い昆虫たちは、獲物が逃げ出したのを見ると、押し合いへし合い追い始め

やがて狭い通路に入り込むと、我先に食らいつこうとした。

そこで振り向くと、アティは反撃を開始した。

首砕きが轟音をあげ、二匹のボーリングビートルをまとめて叩き潰し

更にグレッグが、ナイフをひらめかせ、ドラゴンフライを地面に叩き付けた。

連続して繰り出される反撃に、昆虫たちも黙っていない。 ドラゴンフライは非常に威力は低いものの

炎のブレス攻撃を行う事ができ、一斉にボーリングビートルごと焼き尽くそうと炎を吐いた。

またボーリングビートルも、狭い通路に入り込んだ相手に、先に出た者から順に牙を突き立てようとした。

それに対し、アティはひたすら耐えた。 グレッグも、フロントガードの姿勢を取って耐えた。

そして、待ちに待った、サラの魔法が発動した。

「汝が住処は雲、雲海、大いなる白き海!

我汝を此処に呼び出す、そしてその力を解放せり。 意のままに、暴れ狂え、高貴なる鳥サンダーバード!

その爪に、卑俗なる者をかけるがいい! ザティール!」

狭い空間に、白い雷撃が荒れ狂い、反響して周囲を灼熱させた。

密集体勢だった昆虫達はそれをかわす事などできず、一撃にして焼き尽くされ

香ばしい匂いをたて地面に落ち、足をひくつかせ、すぐに動かなくなった。

雷撃系攻撃魔法のザティールであった。 中位魔法であり、破壊力はジャクレタに遠く及ばないが

使い方を工夫すれば、今のように一瞬で敵に壊滅的な打撃を与える事が可能なのである。

これはサラがギルドで修得した魔法で、切り札にするべく覚えた魔法だった。

サラは魔力を順調に伸ばしており、もう少し修練すれば更に強力な魔法を使えるようになるだろう。

「ふいー、危なかったね。 グレッグさん、大丈夫?」

「私は、三カ所に傷を受けたが、何とか大丈夫だ。」

右の二の腕にボーリングビートルの大顎で噛みつかれたアティは、三カ所ほど噛みつかれたグレッグを見

サラは休む間もなく回復魔法を発動しようとしたが、グレッグがそれを制止し、自分で回復魔法を使った。

大顎による噛み傷だけでなく、火傷もある。 回復を惜しむわけには行かない。

四度の回復魔法で、何とかダメージは回復したが、代わりにグレッグの魔力は残り半分程になった。

「急ごう。 多分リカルドさん、ミシェルさんも、心細いと思うから」

「分かった。 私の後に次いで歩いてくれ。 二度と罠にはかからぬ」

「ええ。 とにかく、今は一秒が惜しいわ」

不意に真剣な表情になったアティに、グレッグとサラは、自分たちも真剣な表情で答えた。

 

3,それぞれの心

 

黙々と救援を待つための準備をするリカルドには、今までの彼には無い表情があった。

結界を張った後は、する事も無いミシェルは、ぼんやり膝を抱えてその様子を見守っており

表情には覇気の類が一切無い。 無力で、闇に怯える、或いは雷に怯える幼児のようだった。

単独で迷宮をうろついていたはずの少女が、こうも脆いとは、リカルドにも予想外である。

人は守る者ができて強くなるとはいうが、常にそうとは限らない。

故郷に家族を残してきた兵士は、当然遠征中に逃げ出そうとするかも知れないし

戦いで命を失う事を恐れ、臆病になるかも知れない。 それは文字通り人それぞれだ。

ミシェルの場合はどうなのだろうか。 このエルフの少女は、何故こうも取り乱したのだろうか。

リカルドはどうしてもその理由が分からず、ため息をついた。

実際の所、理由は簡単だった。 今まで、ある人を失って以来ずっと孤独だった少女が

ようやく見つけた信頼できる存在と、離ればなれになってしまったからである。

ミシェルは行動的に見えるが、実際は楽な方に流れてきただけであり

真の意味で行動的だとは、到底言えない。 むしろ、行動に臆病な部類に入るのだろう。

現にミシェルは、中堅のパーティに入っていれば地下五層、或いは地下六層をうろつける力があるのに

一人で地下二層をうろついて、程度の低い不死者を倒していただけである。

文字通り、それは力の無駄使い以外の何者でもなかった。

ミシェルにしてみれば、そうやって依存する相手を捜していたのだろうが

アティに会えたのはただの偶然であり、積極的な行動の結果ではなかった。

「準備は終わった。 取りあえず、周囲の地形を確認するから、俺と来てくれ」

リカルドが咳払いの後言うと、ミシェルは緩慢に顔を上げ、歩き始めた。

どうもそれなりに広い部屋の片隅に、彼らは飛ばされたらしい。 幸い今のところ魔物の気配はなく

周囲の地形は問題なく把握され、簡易マッピング用紙に記録されていった。

「ハンディタイムはあるか?」

「ええ。 でも・・・何に使うんですか?」

ハンディタイムとは、魔法で作った時計のような物である。

精度は時計より劣るが、軽くて小さくて何より丈夫という利点があり、冒険者に愛好されてきている。

エルフ族の村で作られるのだが、製造法は不明で、現在も人類が製造に成功した例はない。

故にエルフ族の冒険者は標準的に所持しているのだが、人間にはそれほど出回っていないのである。

「ここ地下三層は、正確には七十七時間に一度構造が変化するそうだ。

前に構造が変わったのが、探索前の情報で丁度今から二日少し前くらい。

と言う事は、形態変化まで残る時間は二日前に構造が変わったとすると二十九時間。

まあ、実際には、大体二十時間くらいだろう」

「と言う事は・・・」

「二十時間経っても助けが来なければ、助かる確率は一気に減少する、と言う事だ」

ミシェルがひくりと肩を振るわせ、吐息を漏らした。

「大体構造は分かった。 俺達のいる部屋まで、二つの部屋がつながっている。

現在の所、どちらにも魔物はいない。 外は通路になっているが、できるだけ出ない方が賢明だろうな

・・・取りあえず、魔物が進入したら分かるように仕掛けをしておこう

もし入って来た事が分かっても、やり過ごせるようならやり過ごす。

それに戦闘の音が聞こえたら、すぐに確認する、アティかも知れないからな。 以上、何か質問は?」

「いえ、常識的判断で、非の打ち所がございません」

ようやく少し落ち着きを取り戻してきたミシェルが肩をすくめ、リカルドが頭に手をやった。

「俺にはこれしか取り柄がないからな。

グレッグは少し気が弱いが、素早いし、トラップや情報戦に通じている。

アティは判断力が何より凄い。 馬鹿力よりも、あれが彼奴の売りなんだろうな

それにサラも、素直で冷静で、的確にアティの指示を実行できる・・・

お前は多少頭が悪いが、魔力は文句なしに一級だ。 今後の活躍が期待できるだろう」

「まあ。 それは女の子にいう台詞では無いと思いますよ」

ようやくミシェルの顔に赤みが差し、肩をすくめて見せた。

二人とも大分冷静になってきた証拠で、やがてリカルドは腰を上げた。

「外の通路の壁に、私の名を刻んでこよう。

二つの部屋の外通路のどちらにもだ。 もしグレッグが通ったら、絶対に見つけてくれるはずだ」

「私もご一緒いたします。 此処にいては、少し心細いですから」

先ほどから休んでいたため、何とかザティールを撃てるくらいまでミシェルの魔力は回復していた。

愛用のスタッフを持って、淡い光を放つ石を何カ所かに着けたローブを着ている彼女は

ようやく自信を取り戻した様に見え、笑顔にもいつもの明るさが戻っていた。

 

通路に出た彼らは、運良く魔物に襲われるような事もなく、少し離れた壁に名前を刻むと

そそくさと簡易拠点に戻り、魔物の気配がない事を確認して一息ついた。

それから数時間は、とにかく何も起こらなかった。

一度などは、鎧の音を立てて外を何かが通過していったが、明らかに靴音等がアティではなかったため

リカルドは外に出ず、結果としてそれが命を救う事になった。

外を通り過ぎていったのは、心の壊れてしまったドゥーハン兵で

冒険者の間では、〈マイナーダイミョウ〉と呼ばれるクラスの実力を持つ侍だった。

目はとうに正気を失い、既に映る物全てが敵に映る。

しかも、数は四人であり、リカルドとミシェルでは、到底勝ち目がない相手だった。

無論攻撃魔法を炸裂させれば勝てるが、一斉に斬りかかられ、魔法を唱える前に倒されてしまうだろう。

侍の振るう〈刀〉は破壊力が大きく、一撃は鋭い。 とてもミシェルが耐えられる物ではない。

事態が動いたのは、更にそれから四時間が経過してからであった。

ドアが蹴り開けられ、一人の男が進入してきた。 貴族特有の、高貴を通り越して高慢な表情

屈強ではあるが、どこか生命力と力強さが感じられない体型。

身は高価で強力なマジックアイテムで固め、腰には名剣ブレード・カシナートの後期型を下げていた。

部屋の中を見回し、リカルドとミシェルを確認すると、男は鼻でせせら笑った。

「おや? たった二人で迷宮探索か?」

「違う。 仲間の救援を、今此処で待っている」

リカルドの答えを聞くと、男は再び笑った。 男の手には、既に息のない兵士が抱えられていた。

「ユージン卿、そちらの者達は・・・」

「良い。 敵意のない先客だ」

部屋に遅れて入ってきた屈強そうな戦士が、リカルドとミシェルを見て剣に手をかけたが

ユージン卿と呼ばれた男は、手を振って制止すると、高位の僧侶魔法を唱え始めた。

後方では相当の熟練者と思われる魔術師と侍と戦士が、油断無くリカルドとミシェルの様子を伺っていた。

「戦乙女ヴァルキリーよ、彼の者の魂、汝が車に乗せ、ヴァルハラへと運ばんと欲す魂。

しかしながら、汝が慈悲にて、今ひとたびの機会を与えよ、この愚かなる魂に、今ひとたびの機を」

「凄い・・・最高位僧侶魔法カテドラルですか・・・」

ミシェルがあふれ出る光に、思わず口を手で押さえ、呆然とその光景を見守った。

カテドラルはミシェルが口にしたとおり、最高位の僧侶魔法の一つであり

儀式魔法を除けば、最高の精度で死者復活を行う事ができる。

しかも、それを唱えているのは僧侶ではない、どう見ても騎士である。

である以上、このユージン卿と呼ばれた男が、想像以上の実力者だと誰にも判断が可能だった。

やがて、光が収まると、兵士は息を吹き返した。 だが、ユージン卿は冷たい目でそれを見ていた。

「次はない。 もう一度死んだら容赦なく遺棄していくからそう思え」

「は、はっ! 申し訳ございません」

「そこの者達、邪魔したな。」

リカルドとミシェルにも冷たい目を向けると、鼻でせせら笑い、ユージン卿は部屋を出ていった。

「ああいう輩は好かんな。 俺の故郷にいた貴族も、あんな感じでろくな奴じゃあなかった」

もういない相手にリカルドは毒づき、ドアを閉めると剣の手入れを始めた。

アティは違う、絶対に違う。 それが今の彼を、彼の心を支えている重要な柱だった。

 

地下三層は、同じような〈惑いの迷宮〉である七層や九層に比べ、大分狭いが

それでも総合的に見れば、かなりの広さがある。

グレッグは先頭に立って歩きながら、全身を耳にして、周囲の状況に気を配っていた。

彼はそれなりに経験を積んだ忍者だったから、この状況下ではおそらくリカルドがうろつかず

一カ所で救援を待つ事、またミシェルも同様の行動を取る事を予測していた。

流石に二人が一緒にいる事までは予想できなかったが、である以上何かしらの目印や

自分たちの痕跡をいる場所の周囲に残している事はほぼ疑いなく、それを探すべく壁に視線をやり

床を慎重に確認し、精神をすり減らしながら歩いていた。

探索開始から約九時間。 グレッグは地下三層の約三分の一を踏破し

四度の戦闘と、六度のトラップ及び宝箱発見を経て、魔力の殆どを使い果たしていた。

サラも大分魔力を消耗し、疲労の色が濃い。

元々魔法が使えないアティは、額に汗を浮かべており、最も激しく前線で戦っていたため

細かい傷は多く、疲労も隠しきれない。

やがて小部屋を見つけ、簡単な休憩に入った所で、アティが地図をのぞき込んだ。

「ねえねえグレッグさん。 迷宮をはじっこから探索すると、時間がかかるね」

「仕方がないのです。 私には、これがリカルド殿を発見できる一番いい方法だと思えますゆえ」

「あー。 そうだよね・・・」

不意に考え始めたアティは、グレッグが地図に矛盾点が無い事を確認しきった所で、再び発言した。

「ねえねえグレッグさん、端っこから探すのも良いけど、方針変えて通路からさがそーよ。」

「通路から? しかし通路で救援を待っているとは考えにくいですが」

こまめな性格のグレッグは、端から順番に何でもこなしていく事が多かった。

それは普段では間違いなく良い事だったが、だが大雑把なアティは、却ってその性格に

こういう状況での閉塞と、袋小路に近い限界を見つけたのである。

「うん。 でも、こういう部屋で待ってるって事は、近くを通りかかれば気づくんじゃないかな」

「なるほど、それはそうですな。 それに、全部の通路を調べれば、三層の広さと、探索の目星も付く」

「確かにそれはあるわね。 だけど、必然的に魔物との戦闘の確率も上がるわよ」

サラの言葉は、リカルドのいない分を補うような冷静で常識的な台詞だった。

だがアティの返事は、それを撃ち抜いて方針の変更を決定させたのである。

「うん、だからいいんだよ。

近くで戦闘になれば、きっとリカルドさんも気づく。 万事問題なし!

いつもお世話になってるリカルドさんを助けるためなら、少しくらい危なくたってしょうがないよ

それにミシェルさんだって、きっと怖がってるだろうし、私達が助けないでどうするの?」

「・・・確かにその通りですな。」

「ええ。 私もそう思うわ。 となれば善は急げよ、早く出発しましょう」

状況が静から動に移行する、これが機となった。

 

4,戦士の覚悟

 

テレポーター発動から丁度十三時間が経過した。

ユージン卿が去ってから、二度ほど魔物がリカルドとミシェルが潜む部屋に進入したが

いずれもどうと言う事のない小物で、何とか撃退する事ができた。

だが、二度目の魔物を撃退した後、考えられる内で最悪の事態が発生したのである。

ドアのすぐ外で、風を切る音と、巨大な何かが着地する音がし

すぐ外で、ボーリングビートルの強固な外皮が、かみ砕かれ、飲み込まれる音が響いた。

ミシェルもリカルドも、隣の部屋に対比し、息を殺している。 音の主が何か、明白だったからだ。

「まずいな・・・・ガスドラゴンだ」

息をのんだリカルドが独語した。 ミシェルは印を握りしめ、いつでも魔法を放てるよう準備していた。

世界にはびこる竜族は、大きく下位、中位、高位の三つに分類され

高位の者は人語を解するどころか神に匹敵する力を持ち、中位の者も人の力の及ぶ存在ではない。

何とか人間が対抗できるのが、下位の竜族達であり

吟遊詩人の物語で、英雄に退治されるのは、大体この下位の竜族達である。

いずれにしろそれほど数が多い存在はないし、人間が思っているほど凶暴ではないが

何事にも例外はあり、特に下位の竜族にはその例外が多い。

今ドアの外にいるガスドラゴンは、下位の竜族の中でも最も数が多く、力がない種族であるが

体長は七メートルを超え、鱗は生半可な剣など通さない上、牙、爪、いずれも強大な破壊力を有し

挙げ句の果てに、毒ガスのブレス攻撃を行う事さえできる。

知能もそれなりに高く、何より凶暴である。 幸い、魔法を使う事ができないが

初心者パーティが勝てる相手ではない。 アティ達と合流しても、勝率は七割に達するかどうか。

「お姉さまが、正面からあれに会ってしまったらどういたしますか?」

「・・・そのときは援護に出る。 だが、今は息を殺していろ」

リカルドの声は真剣そのもので、表情にも妥協がない。

そして、ミシェルが視線を逸らした瞬間、冷や汗を拭っていた。

ガスドラゴンは手近な獲物を食べ尽くすと、咆吼を周囲に轟き渡らせた。

ドラゴンフライやボーリングビートル、ジャイアントトードといった魔物が

それを聞くと我先に逃げて行き、そして少しして何かが地面に横たわる大きな音がして。

その後は、規則的な息づかいの音が響く。 尻尾を壁にでも打ち付けているのか、轟音も時々響いた。

「・・・寝ちゃったみたい・・・ですね」

「まずいな・・・入り口の一方が、これで塞がれてしまった」

忌々しげに呟くリカルドは、もう一方の部屋を調べるべく移動し、愕然とせざるを得なかった。

不幸は重なると言うべきか、今までが単純に幸運だったのか。

そちらの外には、おそらく七体以上ものマイナーダイミョウが陣取り

どうやら部屋に入る気はないようだが、しとめた何か獲物を捌いて、通路の真ん中で食事をしていた。

部屋に入る気はないと言っても、それはただ今だけの事。 いつ部屋に入ってくるか分からない。

正に万事休す。 リカルドは息を殺しながら隣の部屋に戻り、ミシェルに状況を告げた。

「どうやらこれまでだ。 マイナーダイミョウの方は、はっきり言って勝ち目がない

寝ているガスドラゴンの脇を通って、撤退できるか掛けるしかないな」

「分かりましたわ。 でも・・・」

「でも、何だ」

怪訝そうに眉をひそめたリカルドに、ミシェルは悪戯っぽく笑みを浮かべて見せた。

「お姉さまは必ず来ます。 だから、ギリギリまで粘ってみましょう」

 

ミシェルの予言は当たった。 グレッグを先頭に、アティ達三人は、すぐ側まで来ていたのだ。

グレッグが足を止め、アティが続いて足を止め、サラが二人の肩越しに、こわごわ前をのぞき込むと

そこには体を丸め、寝息を立てているガスドラゴンがおり、側には扉があった。

何かに気づいたグレッグが、慎重に歩み寄り、壁を調べる。

そこにはリカルドの付けたまだ新しい傷があり、ミシェルの名も刻まれていた為

気弱で忠実な忍者は大きく頷き、アティの方に振り向いた。

「間違いない、そちらの扉の中に、リカルド殿はいる。

周囲の残留物からしても、ガスドラゴンに殺された可能性は低い。

ガスドラゴンの餌になったのは、先ほど私達が戦った昆虫・・・ボーリングビートルですな」

「あー。 グレッグさん、ドラゴンさんと、交渉はできるかな。

何か食べ物とかあげるから、其処をどいてください、みたいな。」

「まず無理ね、それは。」

サラがアティの言葉を断ち割り、首を横に振った。

「中位以上のドラゴンなら兎も角、賢いとはいえせいぜい動物並みのガスドラゴンと交渉なんて無理よ」

「そっかあ。 じゃあ起きないようにこっそりリカルドさん助けて、みんなで逃げよう。」

「いや・・・そうも行かないと私は思う」

逃げ逃がしげにグレッグが言い、ガスドラゴンをにらみつける。

先ほどから竜は規則的な呼吸をしているが、それは寝たふりをしている時の呼吸に相違なく

おそらくガスドラゴンは、敵対行動に入った瞬間、ブレス攻撃を仕掛けてくる。

いつ目を覚ましたかは分からないが、或いは最初から全てに気付き、寝たふりをしていたのかも知れない。

この辺は流石に竜族と言うべきだろう、油断は絶対にできない相手だった。

「あー、そっか。 じゃあ、グレッグさん、抜き足差し足で、扉開けてくれる?」

「正気か? アティ殿、間合いに入った瞬間・・・」

グレッグが言葉を中断したのは訳がある、アティが笑みを浮かべ、彼を見ていたからである。

普段の生活では殆ど何も考えていないアティではあるが、こういう場所での判断力は比類無い。

グレッグは数度視線を壁や床に這わせると、冷や汗を拭い、頷いた。

「分かった。 では・・・行って来る。 援護を頼みます。」

のほほんと笑みを浮かべ続けるアティに、小さく声を掛けると

気弱な忍者は、最初の一歩を踏み出し、二歩めも踏みだし、徐々に徐々に間を詰めていった。

やがて、彼の危惧は的中する。 間合いに入った瞬間、凄まじい勢いでガスドラゴンが身を起こし

口を大きく開けると、グレッグを丸飲みにしようと、一気に躍りかかったのである。

 

轟音が轟いた。 壁がびりびりと振動し、ガスドラゴンの咆吼が響き続ける。

それはリカルドの鼓膜を直撃し、ミシェルに至っては怯えきって思わず身を竦ませた。

隣の通路にいたマイナーダイミョウ達が、食事を中断し、我先に逃げ出していくのが分かる。

そして壁一枚を隔てた隣の通路では、凄まじい死闘の音が連続して炸裂した。

「お姉さま! これはきっとお姉さまです!」

「・・・一か八かだ。 飛び出すぞ、ミシェル!」

音が遠ざかった一瞬の隙を逃がさず、リカルドは先に扉の外に踊り出し、ミシェルを引っ張り出す。

眼前に広がった光景に、リカルドは息をのんだ。

ガスドラゴンに首砕きを突き立て、自分も壁に押しつけられ、アティが苦悶の表情を浮かべているのだ。

竜がグレッグに躍りかかった一瞬、剣を抜いたアティが躍りかかり、顎に首砕きを突き立てたのである。

もしその場で戦闘を開始したり、サラに呪文詠唱をさせたりしたら

ガスドラゴンはほぼ確実にブレス攻撃を行ったはずで、確実に状況は今以上に不利になっただろう。

グレッグに気を取られたガスドラゴンに大ダメージを与えたとはいえ、決して状況は良くない。

だがこれが、選びうる最前の選択肢であったは疑いない。

無論充実した力量があれば、更に良い選択肢もあっただろうが・・・

「アティ! 大丈夫か!」

「えっと、大丈夫じゃないけど、何とか大丈夫!」

相変わらずのアティの返事に、リカルドは一瞬だけ安心し、すぐに気を引き締める。

凄まじい力がぶつかり合って、ガスドラゴンの顎からは鮮血が吹き出し

壁に押しつけられているアティの鎧からも、間断なく異音が響いている。

素早く尻尾を振り回すガスドラゴンに、グレッグは近づけず、ミシェルやサラも呪文詠唱はしてはいるが

呪文を解き放つチャンスを見いだせず、状況は徐々に悪化しつつある。

アティも何とか首砕きを杭のように利用して、噛みつかれる事は避けているが、それにも限界が近い。

ガスドラゴンの口からは、凶暴な吐息と、ガスが間断無く漏れており

やがて状況は点から点へ跳躍した。 おそらくこのままでは膠着状態になる事を悟ったガスドラゴンが

壁からアティを離すと、大きく振り回して、地面に叩き付けたのである。

「・・・・っ!」

想像を絶する苦痛に、声を失い、アティの意識が遠くなる。

勝利を確信したガスドラゴンが、口を開き、上から食いつこうとし

無限にも思える一瞬、リカルドの脳裏に、何かが走った。 隣では、グレッグが、既に駆けだしている。

「グレッグ! アティを回収しろ!」

「!? 了解したっ!」

走りながらの叫び、躊躇無く長剣を抜くと、リカルドはそれをつきだした。

竜族の表皮は堅い、普通に攻撃しても、余程の名剣か

いまアティが使っている、重量級の首砕きでもない限り打撃らしい打撃は与えられない。

しかし、どんな相手にも、絶対に弱点はある。 そして、リカルドはその位置を知っていた

ガスドラゴンの顔は半ば朱に染まっていたが、剣はそれに向け情け容赦なくまっすぐ延び

正確に、その右目を貫いた。 ガスドラゴンの動きが急停止し、絶叫が迸った。

一瞬おいて、グレッグがアティに飛びつき、数度転がってガスドラゴンからはなれる。

ガスドラゴンには首砕きとリカルドの長剣が突き刺さり、鮮血を周囲にばらまいており

勢いよく振り回されて壁に叩き付けられたリカルドが、血の混じった唾を吐き捨てると、叫ぶ。

「今だ、やれ! サラ! ミシェル!」

「ええ。 分かったわ! これでも喰らいなさい、ザティールッ!」

「同じくっ! よくも、よくも私のお姉さまに、痛い思いをさせましたね! ザティールッ!」

暗い通路を、閃光が漂白した。

二人の唱えた雷撃魔法は、容赦なくガスドラゴンに襲いかかり

突き刺さっていた首砕きと、リカルドの長剣を介し、直接ガスドラゴンの体内に注ぎ込まれた。

「ル・・・グゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

断末魔の悲鳴が響き渡り、ガスドラゴンの尾が力無くたれた。

頭から体から煙を上げながら、凶暴な竜はたたらを踏んで数歩歩き、そして前のめりに倒れ込む。

地面に響く音が、竜の死を告げた。 鱗の間から上がる煙は、奇妙に食欲をそそった。

 

目を回していたアティは、サラに数度頬を叩かれて目を覚ました。

隣では肋骨二本を折られたリカルドが、既に回復魔法を受け、青ざめた顔で苦笑していた。

来る途中にアティが開けた宝箱に、偶然転移の薬が入っていたため

帰りは心配がない。 貴重な薬だが、こんな状況で使用を惜しむ輩はケチを通り越して低能だろう。

体を強打しているが、骨に異常はないし、内臓も大丈夫である。 勿論、脳の方にも異常はない。

呆れるほど頑丈な体だと、診察したサラは、安堵と苦笑を同時に浮かべながら言った。

「あー。 リカルドさん。 ミシェルさん。 無事で良かった。」

「そんな・・・お姉さま。 私は大丈夫ですから、御自分の心配をなさってくださいませ」

「アティ、すまなかった。 今回の危機は、全て俺が招いた災厄だ。

責任はいかようにもうける。 遠慮無く俺を裁け」

嬉々としているミシェルに比べ、リカルドの様子は沈みきっており

目を閉じ、観念しきった表情で彼が言うと、アティは小首を傾げる。

隣では、感極まったミシェルが抱きつこうとして、サラに襟首を捕まれて引き戻されていた。

「何言ってるの? 謝るのは私だよ。

ごめんね、遅れて。 もっと早く来れば、ドラゴンさんも死なずにすんだのにね」

起きあがろうとしたアティは、サラに制止され、彼女の膝枕に頭を乗せたまま苦笑した。

「失敗なんて、私いつもしてるよ。 今回だって、先走って、こんなに痛い目にあったし」

「違う!  ・・・違うんだ。」

リカルドは深刻な表情で俯いた。 皆の意識が集中している事を悟ったグレッグは

一人立ち上がり、周囲を警戒する事にした。

誰か一人はそうしないと、奇襲された時対応できないからだ。

グレッグの行動など目に入っていないリカルドは、膝をつき、言葉を紡いだ。

「俺は・・・俺は慢心していた。 自分が優秀だと思っていた。

アティ、お前より、俺の方が優秀だと、心のどこかで思っていたんだ。

でも、お前は凄い勢いで強くなってるし、迷宮の知識も、真綿が水を吸い込むように吸収してる

俺は焦った、今のままじゃあパーティに居場所が無くなると思った。

慢心が、それを加速した。 俺の肥大化したプライドが、背を押した!

それで・・・焦って・・・あんな失敗をしたんだ。

テレポーターで飛ばされて、俺の失敗にミシェルを巻き込んで、俺は初めて自分の馬鹿さ加減に気づいた

俺に此処にいる資格はない! お前に殴られても、殺されても文句は言えない!

だが、ミシェルは許してやってくれ。 此奴は今後もパーティに必要だし、有能だ

だから・・・アティ・・・頼む・・・悪いのは全て俺なんだから・・・」

「リカルドさん・・・」

リカルドは、いつもの調子のアティの声を聞き、完全に覚悟を決めた。

目をつぶる彼の額に、アティの手が辺り、ついで指先が当たった。

「でこ、ぴん。 えへへへへへへへ、お仕置きおしまい。」

事態が理解できない皆は、回復魔法が完全に効ききらず、膝立ちしているアティを見続けた。

アティはまっすぐリカルドを見つめると、いつものように純粋で優しい笑みを浮かべた。

「あー。 あのね、リカルドさん、私本当は分かってたの。

ミシェルさんが魔力半分くらい使い切ってる事も、リカルドさんが凄く焦ってた事も。

だから本当は私の方が責任重大だったんだよ。 意地でも止めれば、こんな事にはならなかったんだから。

でもね、リカルドさんが納得しないし、ミシェルさんも寂しいと思ったから・・・

だから、本当は私の責任も大きいの。 差し引きで、リカルドさんにはでこぴん。」

サラが最後の回復魔法を使い、額に手を当ててため息をついた。

ようやくそれを受けるとアティは立ち上がる事ができ、延びをしながら言葉を続けた。

「失敗なんて、みんなそれぞれしてるんだと、私は思うよ。

だからそんなのもういいよ。 頭切り替えて、次の事考えよう?」

「しかし、俺は・・・常識しか口にできない無能者だ・・・」

「リカルドさん、私にはねー、貴方が必要なの。

私頭悪いし、常識知らないし、無鉄砲だし。 だから常識知ってて、ブレーキ掛けてくれる人が必要なの。

リカルドさん、遠慮しないで文句言ってくれるから、いつも助かってるんだよ。

だから、お願い。 私をこれからも助けて」

差し伸べられた手。 甘さではなく、優しさから差し伸べられた手。

まっすぐな瞳、純粋で、それでいて優しい。 暖かい、暖かくて救われる笑み。

それを感じた時、リカルドは涙を抑えきれず、手の甲でこすって男泣きに暮れた。

「ああ・・・俺で良いなら、俺の力で良いなら・・・遠慮無く使ってくれ・・・!」

「アティ殿、リカルド殿。 水を差すようで悪いが、前方に二十ほどのドラゴンフライが出現した。

しかも、その後ろには更に増援がいる可能性もあるようだ。 指示を願います」

「あー、うん。 そう、じゃあ、まずそっちの部屋に撤退。

それで、キャンプに使った用具を回収してから、転移の薬で迷宮から撤退しようね。」

ドラゴンの血に濡れた首砕きを鞘に納めると、アティはまず自分が率先して扉を開け

疲れ切っているミシェルを先頭に、他の者達も中に逃がすと、最後に自分が部屋に入った。

ドラゴンフライは香ばしい匂いを周囲にまき散らしている竜の死体に飛びつくと、一心不乱に貪り始め

数匹が扉を乱打したが、それもやがて収まり、肉を貪り食う音に取って代わった。

一番体力的に余裕があるグレッグが、素早く荷物をまとめていく。 アティは扉につっかえ棒をすると

ゆっくり後退し、隣の部屋の安全も確認し、一番背後で周囲を警戒する。

何度か扉を叩く音がしたが、破るには至らない。

多少の落ち着きを持って状況を見やるアティに、グレッグが声を張り上げた。

「アティ殿、荷物は回収した!」

「うん。 じゃ、かきゅうてきすみやかとかに撤退!」

アティは身を翻すと、一度だけ振り向き、そして皆と緒に撤退した。

扉を破り、部屋に進入してきたドラゴンフライ達は、獲物がいない事を知って順番に部屋から出ていった。

振り向いた時、彼女はドラゴンに詫びたのだった。 甘いかも知れない、だがそれがアティなのだった。

 

5,影

 

翌日は半分を休憩に費やし、残りは再び地下三階の探索に費やされた。

今までは、少し無理をして進んでいたという事情もあったし

力を付けながら、じっくり探索を勧めていくべきだという結論に達した事もあった。

その過程で地下二層をくまなく調べていったが、どうもショートカットルートの類は見つからず

地下三層へ行くには、毎回苦労しながら進むしかないと言う結論が出た。

ミシェルも反省したか、いきなり最終奥義を撃ち放つような真似はせず

堅実に進む事に専念し、ほぼ完璧に余力を残したまま、地下三層に辿り着いた。

当然と言うべきか、やはりと言うべきか、既に構造は変わっており、マッピングの苦労は水泡に帰したが

それがこの〈惑いの迷宮〉の特色であるから、仕方がないと言うしかないのだった。

「アティ、取りあえず、何を目標に探索する?」

「んーとね、ガスドラゴンさんに、問題なく勝てるようになるまで。」

さらりと言い放つと、アティは首砕きを抜きはなった。 それを見て、グレッグとリカルドが剣を抜くが

一足遅く、周囲は影のように進み出てきた者達に、一瞬にして取り囲まれていた。

数は十人以上、しかも動きは明らかにプロフェッショナルの物で、全く隙が見あたらない。

壁を背にし、何とか後衛のサラとミシェルを守ったのは流石と言うべきだが

囲まれている以上、撤退は無理だし、とれる戦術も非常に限られてくる。

相手は忍者特有の黒装束、徽章を付けており、それはドゥーハン兵特有の物だった。

周囲に殺気が満ち、一触即発の空気が漂う中、相手の正体を悟ったグレッグが戦慄に身を震わせた。

「ドゥーハン忍者部隊・・・」

「・・・冒険者か。 失礼をしたな。」

隊長らしい忍者兵が目を細めると、殺気が退いた。

彼らには彼らの事情があり、敵には容赦できないのである。 態度が厳しくなるのも致し方なかった。

「あー。 ううん、いいよー。 どっちも怪我無かったから、別に良いよ」

「そうか。 では我々は失礼する・・・

念のため言っておくが、我らを見た事は口外するな。 口を封じたくはない」

冷徹な光を目の奥に輝かせると、隊長は手を一降りし、忍者達は鋭い動きで闇に消えていった。

統制された動き、正に疾風がごとし。 兵の一人が何かを運んでいるようだったが、良くは見えなかった。

「あー、随分ぴりぴりしてる人たちだったね」

「極秘任務中なら仕方がない事ですな。 無事に帰してくれただけでもありがたいと思わねば」

グレッグの返事に、アティは頭をかくと、再び虚空をにらみつける。

その先には今度こそ正真正銘の魔物がおり、地響きをたて、ゆっくり歩み寄ってきた。

ガスドラゴンであった。 大きさは昨日の個体と大差なく、能力は殆ど同じだろう。

「もしドラゴンさんが、戦意無くして逃げるようだったら逃がしてあげるよ。

リカルドさん、私とダブルスラッシュ! サラさんとミシェルさんは牽制射撃!」

首砕きを構えるアティの瞳に、いつもと同じ、苛烈な戦術家の光が宿った。

 

地下四層。 その一角に、不死者を完全に寄せ付けない強力な結界が張られており

中には忍者兵が三十名ほどいて、中心にいるエルフの忍者に報告をしていた。

彼らから少し離れた結界の端に、退屈そうな女魔術師がいたが

周りの者は非礼を咎める事もなく、ただそれが普通であるかのように振る舞っていた。

魔術師の背には薄い羽が生えていて、身長は子供ほどしかない。

人間でもエルフでもない。 無論ドワーフやノームとは違い、ホビットでもない。

彼女はこの辺りでは希少種族に当たる、フェアリーと呼ばれる種族だった。

魔力においてはエルフをすら凌ぐが、見かけに違わず体力がないので、戦闘時には絶対に援護が必要で

だが的確に援護をし、その優れた魔力を戦闘に投入すれば、絶大な破壊力を期待できる種族である。

「第一小隊、報告します。 ユージン卿及び女王陛下の姿、地下三層には無し!」

「うむ、分かった。 地下四層の探索にかかれ。 ただし、第二小隊と一緒にだ

不死者は遭遇し次第殲滅! 補給は気にせず容赦なく叩け!」

エルフの忍者は頷き、その部下で小隊の隊長らしい忍者は頭を下げると後ろに下がった。

代わりに前に出たのは、先ほどアティにくぎを差した忍者だった。

「第二小隊、報告します。 結界維持装置、無事に搬送完了しました。」

「良し、アインズ将軍に渡せ。 まだこの結界キャンプは使用する」

敬礼すると、忍者は退屈そうにしているフェアリーの魔術師に、搬送してきたマジックアイテムを渡した。

勇将として知られるアインズ将軍が、フェアリーの、しかも魔術師だ等と知るものは少なく

しかも戦場での活躍ばかり知られているから、普段はこんなに怠惰な娘だ等とは誰も想像できないだろう。

だがアインズの頭脳は間違いなく一級品で、彼女が指揮しているが故、現在も忍者兵に犠牲者はない。

これがクルガン一人の指揮であれば、既に死人が相当数出ているであろう。

もっともアインズも、初期の迷宮攻略戦では手痛い失敗をしているのだが

それを反省し、次の戦いに生かせる能力を持ち合わせていたので、問題は今のところ無い。

続けて三人目の忍者が前に進み出た。 後ろにいる忍者の数名が、負傷しているようだった。

「不死者の掃討任務完了しました。 しかし、結界の外を見ての通り・・・」

周囲では、ライフスティーラーと呼ばれる不死者が、虚ろな目で結界を見ている。

だが入る事はできず、ただぼんやりと、此方を見るばかりだった。

仮に魔法攻撃をしても、この結界はびくともしない。 地面も清められていて、結界内に危険はない。

「すぐに沸いて出てくるな。 だが、一度灰にした不死者は復活しない。

それは証明済みだ。 決して無駄ではない。 怪我人の介護、及び後方への搬送を行え。」

敬礼して下がった忍者、それを境に、三つの小隊はそれぞれの任務を開始した。

やはり集団統率は慣れないのか、それを見届けると、クルガンはため息をついた。

「俺はさっさと一人で探索に出たいのだがな、アインズ」

「我が儘言うの、全く。 司令はそれで良いかも知れないけど、部下はみんな死んじゃうの。」

「分かっている。 だから貴様の指示通りやっているではないか。」

忌々しげにクルガンは吐き捨て、フェアリーの魔術師から視線を逸らした。

彼の目には焦燥がある、彼にはいくつもの疑問があり、女王を救出する事で確認できると思っていたのだ。

そう、現在女王は迷宮の地下深くにいる。 警備の隙をつき、拉致されたのである。

その犯人が、王位継承権を持つ公爵ユージン卿である事は分かっており

彼が何やら地下三層から五層辺りで工作している事も判明しているが、組織長の悲しさか

クルガンは忌々しい貴族の首を、今だに刎ねに行けなかった。

「まあ、落ち着くの。 ユージンも、どうせすぐに女王陛下は処分できないの」

「何故そう分かる?」

「ユージンは公爵と言っても、支配する土地はやせていて、動員できる戦力はせいぜい二万。

しかもあの辺りはここしばらく戦争もなく、いざ戦いになれば一発で我々に押しつぶされるの。

だから奴にとって、この迷宮と女王陛下の身柄は何より大事な盾なの。」

論理的に納得したクルガンは、吐息を漏らして地面を見た。

やはり彼には単独行動こそが向いていた。 多くの者の命を配慮し、行動に責任を持ち

兵士達の長所を生かし、弱さを補って、故郷に帰してやる今の仕事には向いていなかった。

だが、それを顔に出しているクルガンに、アインズは肩を叩いて笑った。

「そんな顔はしないの。 司令は良くやっているの。

向いていないと思っても、充分向いているの。 ただ・・・」

「ただ、何だ。」

「・・・油断は禁物なの。 まず第一に、ユージンが地下七層以下に潜ったら、もう簡単には追えないの

それに・・・もし奴の目的が、ドゥーハンの支配ではなく、別の所にあったら・・・」

眉をひそめるクルガンに、アインズは可愛らしい栗色の巻き毛を弄くりながら続けた。

「女王陛下は、必要なくなった時点で処分されるかもしれないの。」

クルガンの目に危険な光が宿った。 絶対忠誠を誓う相手に対する、不敬な発言だと思えたのだろう。

更にユージンへの怒りがそれを加速したようであり、アインズは肩をすくめると、結界の強化にかかり

周囲の不死者達は熟練した忍者達の手でたちまちにして一掃され、探索任務が再開していた。

しばらくは戻ってくる忍者もおらず、沈黙が続いたが、やがて歩哨が息せき切って戻ってきた。

彼は第五層の探索任務を行っている第五小隊の伝令で、その表情には歓喜があった。

「報告します! 地下五層から地上へ直通する通路を発見しました!」

「でかした! よし、早速その旨地上の本隊に連絡しろ!

各部隊にも伝令、作戦を次の段階に進める!」

立ち上がったクルガンの目には、鋭い光が宿っていた。

女王に絶対忠誠を誓う最強の忍が、今猛る疾風となり、反逆者を追おうとしていたのだった。

(続)