死臭漂う、罪人がねぐら

 

序,地下二層

 

ドゥーハンの迷宮地下二層は、丸ごと街の郊外にあった刑務所が取り込まれている場所で

死臭と凄まじい邪気が充満し、不死者、俗に言うアンデットモンスターの巣窟である。

ここから、迷宮の危険度は格段に上昇する。 魔物が危険になるのは当然の事

構造が突然にして複雑化し、魔物達には特殊能力が備わり、特に不死者が備える麻痺攻撃は

確実に冒険者の自由を奪い、また攻撃魔法を操る魔物さえも出現するようになるのだ。

一度に出現する魔物の数も、この辺りを境に増え始め、連係攻撃を行う者まで出現し始めるため

ここが境目になって、攻略をあきらめる冒険者と、迷宮を侮って屍になる冒険者

それに、きちんと対策を練り、結果生き残る冒険者に別れていく。

そんな危険な場所で、今何かが蠢いていた。 近くにいる不死者達が、我先に逃げ出して行く何かが。

獲物を求め、それは咆吼する。 危険すぎる、そして冥すぎる闇の叫びだった。

 

1,頼りなく、だが不変の

 

剣士が不可解な消え方をしてから、アティは宿に戻るまで一言も口を利かず、皆は心配したが

翌日の朝は至って元気なもので、二人前の朝食を平らげ、平然と迷宮探索の準備に取りかかった。

「アティ、大丈夫?」

「うん? 何が?」

心配そうにサラが声をかけると、アティは何故心配するのかと視線を返し

それ以上は追求できず、女僧侶は黙ってしまった。 リカルドは愛用の長剣の手入れを黙々としており

グレッグは、昨日の夜にヴィガー商店に寄り、買ってきた魔法がかかったナイフをチェックしている。

場が沈黙に包まれるのを見て、腰に手を当ててそれを眺めていたヘルガが、咳払いをした。

「ごほん。 皆の衆注目」

オーナーの言う事には逆らえず、皆が振り向くと、ヘルガは白けた視線を向けている。

「あんたらこれから地下二層に行くんでしょ?情報収集は大丈夫なわけ?」

「俺は前に地下三層まで行った事がある。 情報なら多少の持ち合わせがある」

次の瞬間、ヘルガの振り下ろしたお盆が、リカルドの頭を直撃した。

呆然と見守るサラとグレッグの前で、同じく事態が分からず硬直しているリカルドに向け

若くしてこの店の主を勝手に務める娘は、再び咳払いをした。

「だったらそこのボケリーダーはじめ他の奴に安全な場所つまりここで解説しときなさい!

大体見たところ魔導師もいないようだけどよくそれで地下二層に行く気になれるもんだわ」

「あー。 ヘルガさん、何で魔導師が必要なの?」

ヘルガの言葉を遮ったのはアティであった。 グレッグは既に新品のナイフをさやに収め

サラは困惑した様子で、事態の推移を見守っている。

元々サラは、辺境の村から出てきた世間知らずである。 素質があったので、冒険者ギルドで訓練し

二ヶ月がかりで僧侶の資格を得たが、こなした冒険の数は片手の指で数えるほどで

つまり早い話が、アティと大差ないド素人である。 人生経験も豊富だとは到底言えない。

頭自体は決して悪くないが、頭だけ良くても経験が伴わなくては使いこなせない。

故に、サラにもヘルガの言葉の意味は分からなかった。 リカルドは、頭をさすりながら言う。

「地下二層から出現する不死者は、普通の武器で攻撃しても極めて効率が悪い。

奴らは完全に破壊するか、僧侶の使う浄化<ディスペル>で成仏させるか

魔法で魔法的中枢を破壊し動きを止めるか、魔法がかかった武器で同様の事をしないと倒せない」

「あー。 凄く面倒くさい相手だね」

他人事のように言うアティの言葉には緊迫感という物が感じられないが、だがいつもの彼女らしく

それを聞いて皆は少しだけ安心し、リカルドは視線を少しだけずらして続けた。

「それだけなら良いが、もっと下の層には実体のない不死者も出るそうだ

こういう連中には、もはや完全に武器攻撃は無意味だ。 しかも、例外なく魔法攻撃が得意だと聞く。

と言うわけで、力押しではこの先進めない。 魔法使いの援護は最低でも必要になるだろう」

「となると、魔法使いか司教を酒場で探す?」

「難しいな、それは。」

発言したのはグレッグだった。 皆の視線が集まると、少し顔を下げたが、すぐに発言を続けた。

「キャスタが我らを宣伝してくれた御陰で、大分人材は集まってきているとは思う。

でも今は、本当に実力がある者じゃなくて、有象無象の連中がアティ殿の名を目当てで集まってるはずだ

こんな連中を急に入れても、役に立つとは思えない。 却って混乱するだけでは無いのかな」

「ふーん。 そう・・・そうかもしれないね」

フォークを空で揺らしながら、アティは答える。 考えているのかそうでないのか判断は付かないが

ふとアティはサラに視線を向け、微笑んだ。

「あー。 サラさんはどう思う?」

「え、私? 私は・・・・その・・・・」

彼女は先ほどから、独自に何かを考えていた。 それを発言する機会が回ってきたわけだが

いざ発言すると勇気がいるようで、数瞬の沈黙が流れる。

「・・・私、司教になります」

やがて発言した彼女の言葉は、皆を驚かせるに十分だった。

リカルドなどは思わずその場で立ち上がり、傍観していたヘルガも唖然と口を開けている。

サラは自分の発言が予想外の反響を示した事に、自分が一番驚いたようで、困惑しきっていた。

「そんな中途半端な能力で司教になるのか?」

一番驚いたリカルドが、最初に言った。 困惑すると多弁になるのがこの男の特徴らしい。

転職という行為は、様々なリスクを伴うため、基本的には最初の職をある程度習熟してから行うのだが

サラの言葉は、その常識を根本的に無視していた。 それ故に、常識人の彼には驚きとなったのだ。

「でも、まだ私、僧侶としてもひよっこです。 ですから、良い機会だと思うんですが」

「確かに、どちらの系統の魔法も司教は使える。 だが、その修得速度は非常に遅いのだ。」

リカルドの常識論は的を得ており、サラは首を縮こませたが、彼女に助け船を出した者がいる。

「いいじゃん。 サラさんが、そうしたいっていうんだから。」

にこにこと笑みを浮かべたままで、そう言ったのはアティだった。

黙り込んだリカルドに、テーブルに載った野菜をフォークで刺しながら、更に言う。

「だったら、司教になった後の利点と、みんながどうするか考えた方が良いんじゃない?」

「確かに、その通りだ。 その方が、効率的でもあるし、大体方法が他にない」

「えへへへへへ、ありがとー。」

グレッグの言葉に心底嬉しそうに笑うアティ、ヘルガが心中で舌打ちし、サラが安心して胸をなで下ろす。

やがて、グレッグが手を挙げ、追加して発言をはじめた。

「・・・う、うむ。 喜んでいただけてありがたい。

具体的な今後の策としては、まずサラ嬢に基本の攻撃魔法と補助魔法をを覚えてもらうとして

我々にも、低下したサラ嬢の回復能力を補う工夫が必要だ。

リカルド殿、アティ殿が騎士になるのは無理が大きすぎる。 私が簡単な回復魔法を修得して対応しよう」

「戦略としてはそれで良いな。 だが、長期的な戦略にはなりえん。

将来的には俺とアティのどちらかが騎士になった方がいいだろう。」

リカルドは喋りながら、より建設的な方向に、より仲間をまとめる方向に

少しばかりの発言で持っていく事に成功したアティの能力を、心中で認めはじめていた。

おそらくそれは、計算しての事ではないだろう。 盗賊との戦闘で見せた、勘と、もう一つの力。

複雑な状況下で、正しい選択肢を的確に選ぶ事ができる才能がなせる技なのだろう。

ふとリカルドがアティを見ると、彼女は無邪気な顔で、頬に野菜の破片をくっつけながらサラダを頬張り

見かねたサラが、ハンカチで汚れ放題の顔を拭いていた。

「さてそろそろいい?」

ヘルガが、状況が収まったらしい事を確認すると目を細めた。

そして、何やら袋を取り出すと、机の上に放り出す。 金属音が、重なって響いた。

「あんたらあたしの予想以上にできるみたいだから追加資金渡しとく。無駄遣いしちゃだめよ」

「ありがたい。 まず我々としては・・・」

リカルドとグレッグの視線が、同時にアティに向いた。 娘は小首を傾げると、ナイフを置いた。

 

現在、魔法の修得は、スタンダードな物に限っては<契約>によって可能となっている。

これは冒険者ギルドの努力のたまもので、使用価値の高い魔法を厳選して研究し

その魔法的構造を完璧に解析する事に成功したためであり、必要な条件さえ整っていれば

ギルドに料金を払い、一日で修得する事が可能になっている。

ただし、修得するのと使えるのでは話が別だ。

下位の魔術師が高位の攻撃魔法を使おうとすると、高確率で<バックファイヤ>と呼ばれる逆流を起こし

敵に飛ぶどころか自分に魔法が跳ね返ってくる現象が、多数報告されている。

高位の魔法でそんな事になれば、一撃で味方は全滅する。 そのような事態だけは避けねばならない。

故にギルドでは、魔法を教える際に本人の魔法行使能力を分析、調査し

絶対に使いこなせると判断した魔法だけを教える決まりがあり、徹底して遵守されている。

また、高度な魔法は魔力の消耗も凄まじく、そうそう簡単に使える物でもないので

冒険者側も良く決まりを守り、無理な魔法の修得は慎み

結果、ギルド成立初期に頻発した<バックファイヤ>による事故は、現在殆ど無くなっている。

サラは魔法を修得するべく、アティと共にギルドに向かい、その間グレッグとリカルドは連れ立ち

酒場に行って、情報収集を行っていた。

忍者というのは本来情報収集をするスパイ集団が、その洗練された現実的且つ実践的な戦闘技術を高め

十分に世界にその価値を認めさせ、表に出た職業であり、故に情報収拾は得意中の得意とする所だ。

各国も、今や軍に忍者による特務部隊を置く事は常識としており

ここドゥーハンの物は特に精鋭として知られている、それを率いるのが以前アティが耳にしたクルガンだ。

ただこの<疾風>クルガン、個人の戦闘力には傑出した物があるが、集団を率いての戦闘は苦手で

故に戦闘の指揮を執るのは、正規兵50万からなるドゥーハン軍の総司令官オッドクラードや

彼からクルガンの戦術顧問兼戦略顧問として貸し出されている、勇将として知られるアインズ将軍が多い。

実のところ、グレッグも忍者を多く輩出した一族の出身なのだが

精鋭揃いのドゥーハン軍忍者部隊に入るほどの実力は無く、冒険者として、或いは貴族の密偵として

日陰と日向を交互に歩きながら、その人生を過ごしていた。

確かに一流の冒険者とは言えないが、大きなトラウマは抱えてはいるが

駆け出しのサラやアティとは比較にならない経験の持ち主であり、経歴も長い。

そんなグレッグは、昔は極端に無駄口が少なかった。 だが今は、どういう風の吹き回しか

口数が少しずつ多くなりつつあり、酒場で一通りの情報収集をすませると、口を開いた。

「なあ、リカルド殿。 アティ殿の事だが」

「・・・面白い奴ではあるな。 だが、不安が多い。」

リカルドは即答すると、宿に戻る足を速めた。 正確には、目を離す事が心配だと言うべきなのだろう。

アティがヴィガー商店で行った買い物を聞いて、思わずのけぞったのは記憶に新しい。

彼がその場にいたら、絶対にそんな事はさせなかっただろう。 まさに頭の痛い痛恨時であった。

鋭い勘と的確な判断力を持つ反面、アティは極めて自分に無関心で

虱まみれの手で頭を掻いたり、軽装の相手に痛恨とも言える一撃を喰らったりと

今の時点で、既に危険信号が灯っている。 こういう所は、周囲がサポートしてやらねばならないだろう。

確かにアティは鈍いが、攻撃の中核である事は疑いなく、リーダーとしても問題がない。

それにアレイドアクションを戦闘の中心に据えていくとなると、彼女の存在は更に大きくなってくるのだ。

「なんだかんだ言って、我らはアティ殿を信頼しはじめているのかもしれぬな」

悩む様子を見てグレッグが言うと、リカルドは数秒黙り込み、それから答えを返す。

「・・・しかし、彼女は一体何者なのだ。」

「わからん。 いつものほほんとしているが、実は自分に対する探求心は人一番強いのかも知れぬな。

記憶がない、というのは味わった事がないが、どのくらい辛いのだろう」

周囲を流れるは風、今日は幸い雪が降っていないが、その代わり風が冷たかった。

雪を踏む音も、風にかき消されて聞こえない。 リカルドはため息をつき、頭を振った。

「まあ、サラには買うべき物を指示してあるから大丈夫だろう

迷宮の最奥を、俺達が覗く事ができるかも知れないな。」

「・・・そうだな。 私にもそれは興味がある。

魔神の宝とやらも、剣士の言っていた事も気になるし、是非辿り着きたい所だ」

冒険者らしい好奇心に目を輝かせると、グレッグは帰路に向かう足を速めた。

 

ヴィガー商店に入ってきたアティを見て、店主は少しだけ安心したようだった。

先日の買い物の事は覚えているし、鈍い様子から心配していたのだが

仲間を連れて、しかも最初の探索から生還する事ができたようなので、安心したのである。

「どうだ、お嬢ちゃん。 靴の様子は順調か?」

「あー。 うん。 踏み込みの時に変な音がしたけど、今のところは大丈夫だよ?」

「どれ、見せてみろ。 簡単な修理ならしてやる」

サラの目の前で、アティは何のためらいもなく靴を脱ぎ、店主に渡した。

地べたにそのまま立っているアティを見て、サラは驚いたが、当の本人は全く自覚が無く平然としている。

店主は靴を上下から眺めていたが、やがてかなりの圧力で圧迫された跡を見、無言のまま修理にかかった。

この靴は重戦士の強力な踏み込みに耐えられるように調整されているのだが、かかった圧力はそれ以上で

靴の底にあちこち過負荷がかかった跡があり、店主はそれを修理しはじめる。

「嬢ちゃん、一体何を攻撃したんだ? 金具が曲がってるぞ」

「うんとね、盗賊の親玉さん。 ・・・あまり思い出したくないけどね」

店主は無言で頷くと、靴の修理を終えた。 この様子からして、真っ二つになったか、粉々に砕かれたか

いずれにしろ、その盗賊の親玉とやらは、ろくな死に方もできなかったであろう事は疑いない。

やがて靴の修理は終わり、サラが咳払いをして、話を切りだした。

「ええと、すみません。 アティさん用に、鎧を見繕ってもらえませんか?」

「やっとその気になったか。 強化した皮鎧と、プレートメイルとどっちが良い?

パワー重視の重戦士になるなら、プレートメイルがお勧めだ。 嬢ちゃんなら着こなせると思うぜ?

でも、あくまでスピードにこだわりたいんなら、皮鎧や、それに鎖帷子って手もあるがな

にしても、常識人の仲間ができてよかったじゃねえか。」

どういう訳か、自分のことのように楽しげに言う店主は、店の棚を順次指さし

魔法で強化してある皮鎧と、安物ではあるが一応強固な防御力を持つプレートメイル

それに魔法で強化している鎖帷子を、それぞれ示して見せた。

防御力はプレートメイルが一番強固で、皮鎧が一番弱い。 しかし、値段は順番が正反対になる。

それほど魔力付与(エンチャント)の技術は難しく、金がかかるのである。

一例を挙げれば、製造に高度なエンチャントの技術を必要とする

名剣と言われる<ブレード・カシナート>などは、庶民が一生働いても買えないほどの値が付くし

騎士用の最高位の防具として高名な<聖なる鎧>等は、城一つと交換できるほどの価値があるという。

「えー、私これがいいー。 最初に貰った鎧だし・・・」

「我が儘言わないで下さい、アティさん。 あんな攻撃で大ダメージを受けては困るんですから」

文句を言うアティを着替え室に連れて行くと、サラは幾つかの鎧を順番に着せていった。

まず、最初にアティが試着したのはプレートメイルだった。

これは重騎士が着るような全身鎧とは違い、上半身を中心に覆う物だが、それでも十キロ以上もある。

超重量の鋼鉄の鎧を着ても、アティは平然と歩いているように見えたが

腕を上げたり下げたりして、やがて頭を下げた。

「動きにくいよ、これ。」

「それは承知の上よ。 防御を重視して、接近してきた相手を大剣で叩き潰すのが重戦士だもの」

「あー。 うん。 分かるけど・・・でも、これ私に合わないと思う」

ため息をつくと、サラはプレートメイルを店主に返し、今度は鎖帷子を取り出した。

そのとき、アティはその場でプレートメイルを脱ごうとしたので、慌ててサラが試着室に連れ込んだが

アティは何故サラが慌てているのか分からず、暫く小首を傾げていた。

意外に軽いのが鎖帷子の特徴であるが、魔法で強化していてもプレートメイルに比べて防御力は落ちるし

また、これでもまだ重いようで、やがてアティは首を横に振る。

超重量の首砕きを腰に着けたまま、平然と歩いているアティでも、当然力に限界はあるのだろう。

或いは本能的に、自分が力を発揮できる限界の重さを悟っているのかも知れない。

「ごめんね、サラさん。 我が儘言って」

「ううん。 自分の感覚を信じて我が儘になるのは大事な事だと思う。

今度はこれね。 魔法で強化してはいるけど、防御力自体は今までの物に劣るわ」

サラが店主から受け取ったのは、要所を金属で補強し、強化の魔法をかけた皮鎧であり

軽量化に重点を置いているため、今までの二つに比べて軽く、そして動きやすい。

問題は鎖帷子に比べて、一段階上のエンチャントを行っている故に、非常に高価な事だった。

故に若干の魔法防御力も有してはいるが、コストパフォーマンスは悪く

冒険者の間では、<盗賊>や<忍者>、それに魔法を使う職業が愛用するくらいである。

暫くアティは鎧を着けたまま腕を回したり、延びをしたりしていたが、やがて首砕きを掴むと

外に出て、雪の中素振りをはじめた。 小気味よい音が、虚空の中響き、やがてアティは笑顔を浮かべた。

「えへへへへへ、これがいい。 おじさん、これくれる?」

「あ、ああ。 はは、喜んで貰って嬉しいよ」

満面の笑みを向けられて、店主は咳払いをし、サラに料金を告げた。

この娘の行動は、いちいち計算されていないのに、相手を良い方向で困惑させる力があるようだった。

 

「アティさん、予定通りギルドに寄っていきましょう」

「うん。 サラさん、何の魔法を覚えるの?」

興味津々の瞳を向けられて、サラは返答に一瞬詰まった後、咳払いをして発言する。

どうもこの娘と話していると、ペースを崩されて巻き込まれる。 不快ではないが、困惑は隠せない。

「火炎系の簡単な魔法と、武器に魔力を一時的に注入する魔法を・・・

できれば雷撃系の魔法も修得したいのですが、高いし、不死者には効き目が薄いので」

「そうなんだ。 お金足りる?」

「大丈夫です。 先ほどの買い物用のお金と、別々にしておきましたから」

それだけ言うと、サラはギルドの扉をくぐり、アティは相変わらず珍しそうに周りを見ながらそれに続く。

以前入った所とは別の所だからであるが、やはり目立つようで、周囲の冒険者には失笑する者もいた。

「アティさん、恥ずかしいから辞めてください!」

「どうして? 私、珍しい物大好きだよ。 サラさんは違うの?」

純粋な瞳で正面から見つめられ、サラは周囲の視線もあって、困惑して二の句が継げなくなってしまい

手を掴んで引っ張るアティのなすがまま、ギルドの奥へと引きずられていった。

ギルドの奥には魔術師、僧侶、司教用のトレーニングセンターが設置されており

魔法の修得用魔法陣も、同様に設置されている。

騎士になるか、侍になるかすれば、アティも世話になる所であるし

ほんの数時間前には、グレッグがここで簡単な回復魔法を修得していった。

司教は魔法使いと僧侶の両系統の魔法を使える職業だが、そのために複雑な契約を執行する必要があり

それ時間はさほど時間がかからないのだが、生体エネルギーやマナの関係などで

転職すると<基本値>まで能力値が減少する、これは他の職業についても全て同じである。

アティと一緒に受付で簡単な手続きを済ませると、サラは頼れるが頼りないリーダーに咳払いした。

「私はこれから三十分ほど手続きをしてきますが、あまりうろうろしないでくださいね」

「あー、うん。 分かったよ」

本当に正直にアティはその後、サラが出てくるまでベンチに座って腰掛けていた。

 

帰り道、雪を踏みながら、司教になったサラにアティは語りかけていた。

「サラさん、これからも苦労かけるけど、お願いね」

「いえ、これも私のためですから」

その後は沈黙が続いた。 アティは一度沈黙すると話しかけない限りいくらでも黙っているタイプなので

(根暗とは正反対のタイプだが)若干気まずくなったサラは、咳払いして話を続ける。

「えっと、あの、迷宮の一番奥まで行けると良いですよね」

「行けるよ。 あの凄い剣士さんが見込んでくれたんだもん。」

「過去・・・知りたいですか?」

二人の足が止まった。 サラは一瞬後、自分の発言を後悔していたが、アティは無邪気に笑った。

「うん。 私、雪の中を歩いてた前の記憶がないから・・・

サラさんって、どんな女の子だったの? 私、色々知りたいな」

「ええと・・・普通の女の子ですよ。 魔物もいない、特に災害もない、小さな小さな村の。」

サラは切なそうに言った。 確かに、それは完全な事実だった。

それは、危険な場所で暮らす者にとっては理想郷とも言える場所だったかも知れないが

だが同時に、そこにすむ者にとっては何の希望もない、閉鎖された社会なのだ。

決して野心的だったわけではないが、外の世界をみたいと常々サラは考えていた。

その思いは思春期の頃大きくなり、成人する頃には不動の物になり

やがてサラは両親の反対を押し切って、都会の親戚を頼り、冒険者ギルドに入って修行した。

元々才能があった彼女は、見る間にその能力を伸ばし、数ヶ月で冒険者の資格を得て

簡単な冒険を二つ、先輩冒険者とこなした後、意を決してこのドゥーハンに流れてきた。

そして、現実に直面する事になったのである。 ここは、こなす事ができた簡単な冒険など

全く塵芥に等しい、地獄に等しい迷宮だったのだ。

彼女も名を知る高名な冒険者が、既に十人以上も死んでいる。 簡単な依頼を受けて、迷宮に入ったら

命がけの冒険になり、目の前でかなりの実力を持つ先輩冒険者が、八つ裂きにされて死んだ。

辛うじてサラは生き残れた、だがその心には大きく深いトラウマが残ったのである。

アティにあう直前の出来事だった、それ故にサラは冒険者を続けるか辞めるか迷っていた。

そんな気持ちで地下二階に行けば、死んでいたのはほぼ疑いないだろう。

それは、サラ自身もよく分かっていた。 故に、今回の転職は、賭けでもあったのである。

ここにいるアティに、サラは自分にない物を見た。

純真の中に、いざとなったら意地でも意志を曲げない強さを持ち、誠実で心暖かい。

多少頭が悪い所はあるが、それは皆でカバーしていけばいい事だ。

先ほどはサラの決意を尊重してくれたし、意見をまとめる事もできるし

戦闘の際には的確な戦術判断ができる、確かに異色ではあるが、彼女はリーダーとしては問題がない。

元々頭が悪くないサラは、それを悟っていた。 そして、この娘に賭けてみようと思ったのである。

どんな冒険者とも異質が故に、妙に熟練していないが故に、そして類い希なる潜在能力を持つが故に。

それが、サラが司教になろうとまで考えた理由だった。

 

「仕事が入ったぞ。 二つは地下一層で達成できる物で、サラが司教に慣れるには丁度良い

一つは地下二層でないと無理な物だ、これは本腰を入れてかからないと駄目だろうな

いずれも報酬はマジックアイテムだが、これをこなせれば俺達への依頼も増えてくるだろう」

ヘルガの宿に戻ったアティとサラに、開口一番にリカルドが言った。

アティは首砕きについた雪を落とすと、無邪気な笑みを浮かべた後真顔になり、言う。

「うん、ありがと、リカルドさん。

明日はサラさんの能力調整に地下一層、明後日からは地下二層に挑もう」

「うむ、それで問題ないと私も思う。 サラ嬢は?」

「ええ、私はかまわないわ」

グレッグとサラの言葉と共に、全員が頷いた。 迷宮攻略の本番が、このとき始まったのである。

 

2,白昼夢

 

翌日の探索は、地下一層の構造を徹底確認する事、それにサラの魔法の実戦投入に費やされた。

サラの魔力は生来的な物で、火炎の魔法はそれなりの効果を示し、それを喰らった巨大蛙は丸焼きになり

また一時的な武器強化は、アティ、リカルド、グレッグ、いずれの武器にも効果を示し

実戦レベルで使用可能な事が実証され、安堵の内に終わった。

依頼の一つは地下一層に生えてくる薬草を採取する事、今ひとつはある地点に巣くったハーピーの駆除で

いずれも問題なく実行され、途中で<転移の薬>という秘薬まで発見できた。

この薬、遺跡全体に張り巡らされている特殊で強力な魔力フィールドを解析した結果

複数の魔導師が共同研究で作り出した物であり、使用者と半径六メートル内の全てを迷宮の入り口に戻す。

同様の魔法もあるにはあるのだが、それは一度使うと忘れてしまうと言う強烈な精神副作用があり

しかも高位魔法で、加えて使用すると装備していた道具が全て失われてしまうため

この迷宮に入る冒険者は使用しない。 代わりにこの薬が、迷宮内で多用されている。

ただし、当然の事ながらそれほど安価な物ではないし、どの場所でも確実に使えるわけではないので

過信しすぎるのは禁物であり、あくまで保険として用いられるのが常だった。

「これで一層の最奥まで探索した事になる。 マッピングは完璧か、サラ。 矛盾点はないか」

「ええ、大丈夫。 この地点のショートカットルートを確保できたから

地下二層に行くとなると、大幅に時間の短縮ができると思います」

「あ、一つ問題がある」

急に手を挙げ、グレッグが発言した。 皆の視線が集まり、恥ずかしそうに頭を掻きグレッグは言った。

「私達の中に探索許可証を持つ者がいない事だ。 このままでは地下二層におりられん

騎士団の詰め所で、そろそろ担当者が帰って来るという話を聞いたから、今行けばいるかも知れない」

「うん、そうだね。 流石グレッグさん。 じゃあ、帰りも遠回りして帰ろう」

素直に感心して笑顔を向けるアティに、グレッグは頬を赤らめ、リカルドが咳払いをした。

「いい加減に慣れろ。 俺はそろそろ慣れてきたぞ」

 

騎士団の詰め所に行くと、そこは今までと違って活気があり、守衛の騎士がアティを見て咳払いをした。

「今、クィーンガード長と女王陛下が此方に来ている。 無礼の無いように気を付けろよ」

「クィーンガード長?」

小首を傾げたアティに、騎士は一瞬不審の目を向けたが、やがて来たばかりの駆け出しなのだろうと判断

目を細め、妙に優しくなって、説明をはじめた。

どうやら、優越感を相手に対して抱くと、急に優しくなるタイプの男のようだった。

「クィーンガード長は、名をレドゥア様という。

この国で最強の、おそらく世界でも五指に入る大魔導師だろう。

世間に普及している魔法の殆ど全ては使いこなす事ができ、数多くの禁呪にも通じていると聞く。

その卓越した手腕は魔法以外にも向けられ、女王陛下の教育係をお勤めにもなり

あの忌まわしい<閃光>で、<竜剣士>ハイム様、<光僧侶>ソフィア様が行方不明になられてからは

流石に戦闘及び探索任務は疾風クルガン様に任せながらも

自身は魔法面の任務と女王陛下の護衛を行っておられる、有能で偉大な方だ」

「ふーん、凄い人なんだね」

「そうとも、俺の最終目標だが、到達するのは無理かもしれんな」

そういうと、騎士は大笑いしかけてやめた。

仮にも女王が隣の部屋で控えているのに、大声で騒いだら首が飛びかねないからであり

それをわきまえる分別を持っている騎士は、再びアティを見ると、自分より背が低いのを見て頭をなでた。

「ま、お嬢ちゃんみたいなのも、努力すればきっと大物になれる。 頑張るのだな」

「えへへへへへ、ありがと。 嬉しいよ」

リカルドとグレッグに殺気を向けられているのにも気づかず、騎士は満足そうに頷くと、奥へ引っ込んだ。

どうも直前の相手に対する判断はできても、大局的な判断はできないようであり

と言う事は、おそらく小隊長レベルで出世は止まりであろう。

仮に戦闘力が高くても、それでは軍団レベルの指揮は不可能であり、向いていないからである。

もしコネクションがあるなら出世もできるかも知れないが、その時は部下が不幸な目に遭うだろう。

アティはアティで全く気にしていないようで、そればかりか純真に喜んでいたようでさえあり

何やら機嫌が急に悪くなったリカルドと、落ち着きの無くなったグレッグに小首を傾げると

思い出したかのように、安堵に胸をなで下ろしたサラに振り向いた。

「サラさん、で、手続きってどうやるの?」

「冒険者ギルドに登録されている者なら、誰でも大丈夫のはずですけど」

「二人とも、下がって。 下がるんだ」

二言三言かわしていたアティとサラに、グレッグが慌てた声をかけた。

慌てた様子に二人が振り向くと、そこには神経質そうな男と、高貴を通り越して無機質な女が立っていた。

「女王陛下の御通りであるぞ、下がれ。」

男が口を開くと、威厳と威圧感が物質化したかのように、二人に被さった。

この男こそ先に話題になった<大魔導師>レドゥアであり、と言う事は、女は女王オティーリエだろう。

高貴な美しい顔立ちを持つ女性で、まだ若いのに厳然たる威圧感を持ち、支配者の雰囲気が周囲に漂い

だがそれには実体がないような感触があり、妙に空虚な雰囲気が周囲を満たしていた。

慌てて脇に下がって跪くサラ、だがアティは非常な違和感を感じ、まじまじと前に立つ女を見た。

「下がれと言っておろうが・・・ん?」

怒声をあげかけてレドゥアの声が止まった。 彼の知る人物と、アティの顔がよく似ていたからだ。

しかしあまりにも雰囲気が違う上、得物も違うため、咳払いをしてただにらみつけるに止まった。

それを見ると、軽く頭を下げ、アティはようやく下がった。

そして、女王は無関心そうに、何事もなかったように、四人の前を通り過ぎていった。

強烈な違和感が、アティの中で渦巻く。 何かがおかしい、何かが狂っている、何かがねじ曲がっている。

地面を見たまま、ずっと何かを考え込んでいる、或いは白昼夢を見ているようにも思えるアティ。

仲間は皆心配したが、それ以上の不安要素はレドゥアだった。 無礼を働いた彼女を叱責するでもなく

暫く侮蔑するように、或いは咎めたてるように視線を注いでいたが、やがて後方の騎士に振り向いた。

「こ奴らは何者だ」

「はっ。 新米の冒険者で、地下二層へ行く許可を得ようとここへ来たそうであります!」

敬礼して発言したのは先ほどの騎士だった。 レドゥアは数秒の沈黙の後、鼻を鳴らして視線を逸らす。

「まあ、処罰するほどの事でもあるまい。 問題がなければ許可証を出してやれ」

「はっ! 了解しました!」

担当の騎士が敬礼し、四人に小さなプレートを渡していった。

騎士の表情は複雑で、困惑しているようだった。 アティはまだ、白昼夢から立ち直れずにいた。

 

「お前達は運がいい。 レドゥア様は決して酷薄な方ではないが、甘い方でもない

罰金刑くらいは出されていたかも知れなかったが、何もされずに良かったな」

そう言ったのは、先ほどの騎士とは違う、許可証を発行する係の騎士だった。

この騎士は先ほどの高慢な者とは違い、万人に平等な雰囲気を持ち、目には強烈な信念の光がある。

口調も落ち着いていて、身のこなしには隙がない。 実際、かなりの実力者であろう。

「全く、本当に時々この娘には冷や冷やさせられる」

リカルドが呟くと、グレッグも今回ばかりは同感だと頭を縦に振った。

一方で、サラは毅然たる態度をアティが取ったように思ったようで、楽しそうに言う。

「でも、あの威圧感の前で平然としていたのは凄いわ」

「確かに、そうかもしれないな。 だが、これからは気を付けるのだぞ」

「えへへへへ・・・分かりました。 ごめんなさい」

流石に白昼夢から立ち直ったアティが恥ずかしそうに、しかも素直に謝ったので、騎士は表情をゆるめた。

そして四人を再び見やると、少し腕組みして考え込み、そして顔を上げた。

「君たち、地下二層に行くなら仕事を頼まれてくれないか?」

「うん、いいよ。 どういう仕事?」

即答したアティに、リカルドは冷や冷やしたようだが、騎士は好ましい事だと思ったようであった。

「軍の偵察部隊が、一小隊消息を絶っている。

今まで問題なく任務をこなしている部隊で、失うのは我々としても非常に惜しい。

もし身動きできない状態になっているのなら、救出してきて欲しい。

・・・もし全滅していたのなら、その報告もして欲しい。 報酬ははずむぞ」

それだけ言うと、騎士は慎重に事態を見ているリカルドに、軍の偵察部隊の特徴を書いた紙を渡し

アティの肩を叩いて、短いが心のこもった激励の言葉をかけると、仕事に戻った。

釈然としない物を残しながらも、この日の探索はこれで終わった。

翌日からは、予想以上の苦労が、皆を待っている事など、誰も知らずに。

 

3,不死者の巣窟

 

宿に帰還した四人は、めいめい自分の事をし始め、サラは温泉に入って疲れた体を休めたが

風呂から上がってホールに出ると、首砕きを抱きしめ、ソファに座ったまま黙っているアティがいた。

「アティさん?」

不審そうにサラが声をかけると、アティはいつにもなくまじめな表情で振り向いた。

そして、困惑しきった表情で、呟くように言った。

「私、あの人知ってる。 でも知らない・・・

違う。 絶対に、あんなの違う。 おかしい、絶対におかしい・・・でも理由が分からないの」

「え? ・・・どういう意味ですか?」

「わかんない・・・だから苦しいの。 ごめんねサラさん、こんな事聞かせて」

無理に笑顔を作ってみせるアティに、サラは言葉を詰まらせた。

その日、その後、結局アティは一言も発する事がなかった。

そのままであれば皆が心配したであろうが、翌朝のアティは全くいつもと変わらぬ笑顔を見せており

故に何の問題もなく、地下二層の探索は始まった。

 

地下二層の雰囲気は、地下一層とは全く違っていた。

一層の最深奥で、騎士が長居をしないよう警告したが、この雰囲気ならそれも当然であろう。

周囲は腐臭と殺気に満ち、時々人ならぬ者の咆吼が轟く。 壁には薄く発光するキノコが無数に生え

ふと足元を見れば、何かの腐肉が転がり、蛆がたかってネズミと一緒に貪り食っている。

目を背けたサラの顔が蒼い、この様子では例え実力があっても、一人で来れば何もできなかっただろう。

「ここは元々刑務所だった所で、数百年分の怨念が溜まったまま、地下に引きずり込まれたのだそうだ」

「あー、そうなんだ。 えへへへへへへへ、リカルドさん、情報が詳しくていつも助かるよ」

「地下三階までしか分からないから、頼られても困る。」

短く言うと、リカルドは視線を逸らした。 それをみて、不思議そうにアティが小首を傾げた。

地下二層は中央に大きな吹き抜けがある復層構造で、全体的にはほぼ正方形をしており

エレベーターやリフトが何カ所かにあり、故に構造は複雑を極めている。

吹き抜けの周囲にある通路からは、外側に向かって何本も短い通路が延び、その先には小部屋があり

中には囚人や看守のなれの果てである死体が数多く転がり、だが同時に価値のある宝があったりもした。

七つ目の部屋に入った所で、客が現れた。 グレッグが警告の声を上げ、皆が振り向くと

そこには猫と人間を足したような奇妙な怪物が、四つ足の姿勢で此方をにらみつけていた。

数は三頭、いずれも視線は此方に向き、短く断続的にうなり声をあげている。

「ボギー・キャットだな。 気を付けろ、かなりの強敵だぞ!」

「うん。 わかった。 何とか戦闘は避けられない?」

首砕きを抜き放ち、構えるとアティが言った。 グレッグが短剣を構えつつ、首を横に振る。

「顔こそ人に似てはいるが、此奴らは腐肉や人肉が好物の怪物だ。

美味しそうなケーキに食べないでと言われて、躊躇する獣がどれだけいる? アティ殿」

「あー、私は食べないかな。 だってかわいそうだもん」

「まあ、世界でも貴方だけだろう。 そんな風に考えるのは。

・・・此方が絶対的に強ければ逃げていくかも知れないが、そううまくはいかないだろうな」

その言葉が引き金になった。 二頭のボギー・キャットが地を蹴り、一頭が少し遅れてそれに続く。

動きは先日戦った盗賊より遙かに早く、一瞬の間にアティとの間を詰め、鋭く爪を振るい

ナイフのような爪が三本、虚空に鋭い軌跡を描き、鈍い音が響く。

グレッグとリカルドにも、同時に怪猫が襲いかかり、爪を振るった。

アティの鎧に、薄く線が三本入った。 前の鎧だったら、鮮血が噴き出していただろうが

流石に今度の鎧は魔法で強化されているだけあり、致命傷には至らない。

直撃を喰らったアティは顔をしかめると、真横に飛んだ怪猫に横殴りの一撃を浴びせたが

剣閃は残像を斬った。 戦い慣れているようで、怪猫は毛を数本失っただけで、飛び退いて咆吼した。

だが次の瞬間、サラが放った火球が猫を直撃、怪物は奇声を上げ、火だるまになって倒れる。

後ろでサラが呪文詠唱をしているのを見越しての、横殴りの一撃だったのか、それは分からないが

アティは視線を素早く苦戦中のリカルドに送ると、立ち位置をずらし、一気に踏み込む。

リカルドも同時に動き、ダブルスラッシュが綺麗に発動した。 剛剣一閃、そして長剣一閃。

ボギー・キャットは左右から致命傷を浴びて、壁に吹き飛び、鮮血をまき散らして動かなくなった。

グレッグと交戦していたボギー・キャットは、それを見ると一旦後退し

勢いを着けると、凄まじい速度で、リーダーと判断したアティに襲いかかり

鋭く長い爪が一閃し、アティの右腕から鮮血が吹き出す。

そして、反転して攻撃しようとボギーキャットが振り向くと、グレッグが投擲したナイフが側に刺さり

一瞬動きが止まった怪猫に、うなりをあげて首砕きが炸裂した。

叩き潰されて絶命した猫の怪物から剣を抜くと、顔をしかめてアティは傷を押さえた。

何かたちの悪い病気が含まれている可能性もあるし、何より痛いのであろうか。

敵の絶命を確認すると、グレッグは傷を見て簡単に消毒し、安堵の息をつく。

「大丈夫、たちの悪い病気の類は持っていないと思う。

一応念のためだが、サラ嬢、後で診察しておいてくれないか?」

「ええ、分かったわ。 アティさん、大丈夫? まだ探索を続ける?」

短く頷くと、アティは目を閉じて回復魔法を受けた。

修練の必要があると思ったのか、ただ単純に痛かったのか、それとも死んだ敵の事を考えたのか

いずれにしろ、口に出しはしなかったので、誰にもその真意は分からなかった。

 

地下二層最上層部の探索を大体終えると、テラスに手をかけ下を見下ろし、アティが呟いた。

「リカルドさん、地下二層のお仕事って、何だったっけ」

「行方不明になった偵察隊の探索と、凶悪犯の生死の確認だ」

周囲を油断無く見回しながら、リカルドが答え、そして眉をひそめた。

「何故今更聞く? 忘れた訳ではあるまい」

「えへへへへ、実は忘れてました。 ごめんなさい」

あきれかえってリカルドは頭をふり、だが続いてのグレッグの台詞に表情を引き締めた

「さっきの言葉だと、ここが沈んで生き残った人がいるみたいな感じがするな

酒場での情報でも、そんなものは無かった。 どういう事なのだ?」

「そういえばそれもそうだな この様子だと、生き残れた者はいそうもないのにな」

周囲の彼方此方に、引きずり込まれた際の凄まじい変化の後が生々しく残っていて

ひしゃげて潰れたベッドもあったし、崩れた鉄格子の跡もあった。

そしてそれらの下には、潰れた死体が少なくなく、変色した骨の眼窩が虚空をにらんでいた。

更にその後この迷宮に溢れかえった異形の事を考えれば、生き残れた人間はどれほどいるのだろうか。

「ねえねえ、もう一度その凶悪犯さんの事教えてくれる?」

「・・・いいだろう。 奴の名はギルマン。 いわゆる快楽殺人者で、辺境の村を中心に荒らし回り

若い娘ばかり二十人以上も、切り刻んで殺した屑だ。

奴は刑務所の深奥に幽閉され、閃光の直前に処刑が決まったそうだが、閃光で有耶無耶になってしまった

それで、被害者の遺族から依頼が来たそうだ。」

「生きてるって噂でもない限り、そんな事する必要無いと思うのだけど・・・」

サラが周囲の惨状を見ながら言うと、グレッグが同意した。 リカルドは腕組みをして考え込む。

「或いはそうかも知れないな。 被害者の遺族の間で、そう言う噂があるのかも知れない。

建物が上下逆さになっている様子はないから、奴の独房は二層の最深部だろう」

「じゃ、早速下に行ってみよっか。 サラさん、余力は大丈夫? まだ魔法使える?」

「ええ、まだまだ余裕よ。」

綺麗に話を締めくくったアティに、サラは頷き、立ち上がって埃を払った。

下の方は、更に禍々しい気配が強い。 表情を引き締めると、アティは階段の手すりに手をかけた。

 

連続した二つの階段を下りると、そこは凶悪犯の収容される頑丈な独房がならんでおり

脱獄を容易にさせないため、周囲は迷宮になっており、彼方此方にトラップさえ仕掛けてあった。

その辺りでリカルドの足が止まった。 ここは彼にとって因縁の地であったからだ。

「どうしたの、リカルドさん」

「・・・ここで俺は、ミッションを失敗したんだ」

全員が黙り込んだ。 リカルドの拳は小刻みに震えており、闇をにらみつける視線も鋭い。

魔物に喰われそうになってる仲間を助けて、彼は首になった。 そして、二人だけで地上まで戻り

それからしばらくは酒浸りの生活が続いて、アティに会うまでは怠惰と逃避が持続していた。

「あー、リカルドさん。」

「何だ。」

振り向いたリカルドの前で、アティはいつものように頭を掻いていた。 そして、静かに言う。

「私は、リカルドさんを絶対に見捨てないし、絶対に裏切らない。

約束するよ。 だからー、えへへへへへ。 指切りげんまんしよ。」

「指切りげんまん? ・・・お前らしいな。」

影ある表情に苦笑いを浮かべると、言われるままリカルドは指切りをし、不器用そうに視線を逸らした。

一瞬和やかな空気が流れたが、それはすぐに断ち割られた。 グレッグが独房を発見したのである。

その独房には、ギルマンの名札が朽ちかけつつもあり、鉄格子には鍵がかかっていた。

鍵自体は壊れていなかったので、数秒グレッグが調べ、すぐに結論を出した。

「問題ない。 少し時間をくれれば、開けてみせる。

・・・奥には死体が見える。 鑑識プレートもついているようだ」

「あー、うん。 じゃ、時間を稼げば良いんだね

プレート確保して、さっさと撤退しよう」

アティが首砕きを抜きはなった。 隣では、リカルドが長剣を抜き放ち、前方に視線を固定する。

水が滴る音に、何かを引きずる音が加わった。 周囲の腐臭と悪意が濃くなり、それが姿を見せる。

不死者であった。 体はとうに死に、腐っているのにもかかわらず、悪霊が憑依しているのか

それともネクロマンサーと呼ばれる、死者を操る魔術を専門とする魔術師にでも操られているのか

腐った足を引きずりながら、虚ろな目で前を見ながら、歩いてくる。

その体に残るは、ただ生者への憎悪。 生者への食欲。

内蔵を引きずりながら歩いてくる者も、頭にこびり付かせた髪の毛を揺らしながら歩いてくる者も

いずれも奇怪な叫び声を断続的にあげながら、ゆっくり確実に迫って来た。

数はコボルトの不死者<アンデッドコボルト>が十五、人間の不死者<ゾンビ>が十と言った所であり

しかも、後方には更に増援がいる可能性もある。 あまり長居はできないであろう

「奴らの動きは鈍いが、爪に麻痺毒を仕込んでいる奴もいる! 油断するな!」

「サラさん、私の首砕きに補助魔法お願い。 攻撃魔法は、できるだけ温存して」

「分かりました。 ・・・炎の精霊サラマンダーよ、我が主君の声になり、代行者となり裁きを下せ

我汝に命ず、執行せよ! 悪しき命を猛き爪にて絶て! ザイバ!」

サラの呪文詠唱が終わると、アティの持つ首砕きの分厚い刀身に、淡い輝きがまとわりついた。

数回素振りをすると、重さが変わらない事を確認したのか、アティは笑った。

「リカルドさんは防御お願い。 私が攻撃して、できるだけ数を減らしていくから」

「了解した。 行くぞ!」

二人はほぼ同時に地を蹴った。 先頭のゾンビが手を伸ばすが、首砕きの轟音の方がより早く

腐敗菌と蛆のよって柔らかくなっているゾンビは、一気に腰まで切り下げられた。

同時に腐汁が周囲に飛び散り、サラが小さく悲鳴を上げ

魔法的中枢を破壊されたゾンビは、ゆっくりと地面に倒れ、動かなくなった。

間髪おかず、ゾンビに比べ素早いアンデッドコボルトが、俊敏さを生かし左右からアティに襲いかかるが

左の一匹をリカルドが押さえ込み、右の一匹に横殴りの一撃をタイミング良くアティが浴びせる。

柔らかくなっている皮鎧ごとアンデッドコボルトは上下に泣き別れになり、上半身は後方に吹っ飛んだ。

見るもおぞましい、無惨な光景が展開されたのはその直後であった。

あろう事か他の不死者達が、動かなくなった不死者を喰らいはじめたのである。

腐肉を食べる音が響く、もはや動かない不死者は、他の不死者にとっては食物なのだろう。

アティとリカルドと交戦する数体以外は、全てが地面にはいつくばって食事に没頭し

蛆虫がこぼれ、腐汁が飛び散った。 血が出るわけではないが、それはあまりにも凄惨な光景だった。

「ひ・・・酷い! 何て事なの!」

サラが嘔吐感を覚え、地面にうずくまった。 気の弱いグレッグも、しばし作業を中断して青ざめている。

それをうち破ったのは、アティの一撃だった。

とどろき渡る轟音、凄まじい一撃が、リカルドが押さえていた一匹を叩き潰したのである。

食事に夢中になっていた不死者達も人間達も、等しく顔を上げ、アティに視線を集中した。

「あー、えーとね、予定変更。 ・・・この人達、全員楽にさせてあげよう。

グレッグさん、作業後回し。 サラさんも、帰りの余力以外は全部使っちゃって。

それとリカルドさんの剣に魔力注いで。 全員で、一気にやっつけるよ」

「分かった。 総力戦だな・・・望む所だ!」

サラも青ざめた顔で頷き、グレッグも前線に躍り出た。

不死者達も食事を中断し、数で圧倒しようとばかりに、狭い通路の中三列縦隊を組んで押し寄せてくる。

その数は当初より更に増え、およそ四十。 剣を中段に構えると、アティが咆吼した。

「やあああああああああああっ!」

声と同時に振り下ろされる剛剣、薙がれる長剣、的確に叩き込まれる短剣。

フロントガードとダブルスラッシュを交互に行い、不死者は次々に倒れていくが

敵も然る者、恐怖を感じない不死者の抵抗は激しく

数度目の攻防で一瞬の隙をつかれ、グレッグが鋭い爪の一撃を受け、後方に下がったが

直後、アティとリカルドが前線の二匹を息を合わせて蹴り倒し、数匹が折り重なって倒れ

絶妙のタイミングでサラが火球を叩き付ける、結果一気に数体の不死者が葬り去られた。

だが、残りは滅びた仲間の死体を踏みつけ、何事もなかったかのように前進してくる。

サラが精神を集中し、ターンアンデットを行うが、未熟な彼女の浄化では目立った効果はなく

数度のターンアンデットで、倒れた不死者はわずか三体。

あまりの効率の悪さに、サラはターンアンデットをあきらめ、余力を惜しまず魔法を唱えはじめた。

二時間ほどの死闘で、不死者の数は残り十数体になったが、増援は次から次へ現れていたため

周囲には、およそ五十体分の不死者が倒れている。 麻痺毒を受けたリカルドを、サラが必死に回復し

その間、三列のままじっくり攻めてくる相手を、アティと前線復帰したグレッグが迎え撃つ。

だが、その動きは確実に鈍くなっている。 リカルドも、麻痺毒が抜けた所で一気に戦況は変えられない。

それを分析したグレッグが、アンデッドコボルトの小剣を弾きながら、アティに言う。

「駄目だ、退こう! このままでは、私達もこの連中の仲間入りだ!」

「絶対に退かない。 退かないもん!

・・・この人達、元は人間とコボルトだよ。 殺してあげないと、楽になれないんだったら・・・

楽にしてあげなくちゃ、楽にしてあげなくちゃいけないよ」

「しかし、私達の後方からも現れたら確実に全滅だ! サラ嬢の余力だって・・・」

だが、グレッグは困惑せざるを得なかった。 アティが、静かに笑ったからである。

そして眼前に迫ったアンデッドコボルトを、凄まじい一撃で叩き潰し、奥に視線を向けた。

当初よりは威力も落ちているが、その破壊力はまさに絶大であり

一撃でミンチになって、魔法中枢を破壊された不死者は、数度の痙攣の後動かなくなる。

四回ザイバをかけ直した刀身は、腐汁に濡れながらも、魔力の輝きを放っていた。

「・・・私、この奥に行きたい。 色々、分からない事を確認したい

だから・・・ここは退かない! ここで退いたら、最後まで行けない気がするから!」

リカルドが立ち上がった。 その表情には笑みがある。

既に余力を考えない戦いで、彼も体力を消耗しきっており、アティもかなり限界に近いようだったが

それだというのに、皆ふてぶてしく笑う。 感情無いはずの不死者達が、一瞬鼻白んだ様に見えた。

不死者も、残りは十体を切っている。 覚悟を決めたグレッグが、ため息をついた。

そして死闘は、不死者の最後の一体がアティの大剣に両断されるまで続いたのである。

 

翌朝、アティは宿屋のベッドで寝ている事に気付き、頭を掻きながら体を起こした。

周囲を見回すと、首砕きもきちんとあり、下からは朝食の匂いがする。

そして部屋にヘルガが入ってきて、パジャマのままぼんやりしているアティを見て肩をすくめた。

「朝ご飯できたわよ。 全く無茶苦茶してこの先命がいくつあっても足りないわよ」

「あー。 ・・・えーと、ヘルガさん、私どうしたの?」

「どうしたも何も地下二層で不死者の大群と気絶するまで戦って転移の薬で帰ってきたのよ」

右手を腰に当て、アティを見下ろすヘルガの視線は微妙だった。

同じ状況だったら絶対に逃げていたであろう自分、鈍い中に強烈な意志の力を秘めるアティ

それぞれに様々な思いを寄せ、考えているのだろう。

枕を抱きしめ、困った様子で自分を見ているアティを、ヘルガはこの時羨ましいと思っていたのだろうか。

「・・・ともかく鑑識プレートは回収して依頼は達成されたわよ

あのプレートは一度囚人に付けられると死ぬまではずせない魔法的な物でギルマンの死は確認されたわ

報酬はこれ。 うけとっときなさい

金銭的な報酬の七割は私がリカルドから受け取ったわよ。投資の返済だってさ」

ヘルガが投げてよこしたのは、小さな指輪だった。 魔法によって危険関知機能が付加されており

冒険者の間では<アラームリング>と通称され、珍重されている。

実際に音が鳴るわけではなく、装着者の精神に警告するのだが、効果は似たような物であろう。

ヘルガは部屋を出ると、頭に手をやって何か呟いた。

自分が、予想以上の大器であり、同時に予想もつかない行動をする娘の面倒を見る事になった事を

今更ながらに思い知らされたからであり、それに喜びを感じ始めている自分に気づいたからである。

「らしくないな・・・私らしくもない」

ヘルガは階段を下りていった。 下では、他の者達が皆起き出しており、アティを待っていた。

それを見て、ヘルガは自分の感じた事の正しさを、再確認したのだった。

 

4,闇に巣くう者

 

地下二層の探索は再び始まった。 行方不明になった偵察部隊は、主に地下四層を探索している部隊で

故に地下二層程度で行方不明になるのも不可解な話であり、生存している可能性は確かにあった。

昨日と違い、既に転移の薬はない。 幾つかの収穫品はあったが、それらの中にも含まれてはいない。

だが今回は前回よりも情報が豊富にあるという利点があり、一概に有利不利は決められないだろう。

数回の軽い戦闘を最小限のダメージで勝ち抜くと、四人は不死者との死闘を行った地点まで辿り着いた。

「あー、ねえねえ、おかしいよここ。 絶対にヘン。」

「何がおかしいの?」

額に手を当て、周囲を見回すアティの不可解な言動にサラが地面を見ると、肉塊が綺麗に片づいていた。

数十人分の腐敗した死体が転がっていた床は、染みこそ残れど綺麗になり、戦いの痕跡はない。

「誰かいる、皆、気を付けて」

グレッグの声が飛び、全員が一斉に武器を構える。 奥に人影があり、それが振り向いたからである。

どちらかと言えば小柄な人影ではあるが、油断はできない。 人影は、徐々に近づいてきた。

リカルドが鋭く視線を向け、短く言い放つ。 サラも、クロスボウの照準を人影に向けていた。

「止まれ! 貴様は何者だ」

「あの、怪しい者ではございませぬ故、武器をお納め下さいませ」

妙に丁寧な口調と共に、人影が明かりの下に現れた。 エルフ族の少女で、手には杖を持っている。

エルフ族は<疾風>クルガンも属する人間の友好種族であり、本来は森に住む一族ではあるが

最近は人里で暮らす者も多く、人間社会にとけ込んでいる。

その高度な魔力と裏腹に、体力面では人間より劣り、それ故に戦士系の職業には向かないのだが

あくまでそれには個人差があり、クルガンのように忍者の頂点を極めている者もいる。

昔は最多数種族である人間と対立も絶えなかった種族だが、数百年単位の努力により

双方が徐々に歩み寄りを進めた結果、今では人種の一つとして完全に認知され

人間と混血が可能な事から、祖先は同じとも言われており、研究は双方から盛んに行われている。

この辺ではあまり見かけないが、異国の地ではフェアリーと呼ばれるもう少し小柄で

更に強力な魔力を持つ種族も、人間種族として認められている。

此方は残念ながら人間との混血は不可能だが、思考回路は殆ど人と変わらない。

ともあれ、エルフの少女は慇懃に礼をすると、まじまじと四人を見つめた。

「冒険者の方でございますか?」

「あー、うん。 そうだよ。」

いつもの調子で答えると、アティは軽く自己紹介をし、警戒の色を残しながらも皆それに習う。

それをみて安心したのか、少女は胸に手を当て、わずかに目を伏せて挨拶した。

「わたくしはミシェル=サーガイアと申します。 長老の命令で、この迷宮を調査に来ています

一応冒険者の資格を持っていて、魔術師をさせていただいています。」

「あー、そうなんだ。 で、この辺を綺麗にしたのは貴方なの?」

「ええ。 わたくしが、炎の魔法で亡骸を燃やし尽くしました

不死者に使用された亡骸は、完全に滅びると灰になって周囲に飛んでいくのです」

さらりと吐かれた言葉であるが、リカルドとサラはそれから少女の能力を悟り、驚きを禁じ得なかった。

あれだけの腐肉を燃やし尽くしておいて、この少女にはまだ余裕がある様子であり

おそらく潜在的な魔力は相当な物があるだろう。 多分優れた魔法の使い手であるサラよりも上のはずだ。

二人の視線に気づいているのか気づいていないのか、ミシェルと名乗った少女は続けた。

「あなた方が、あの不死者達に安らぎを与えてくださったのですか?」

「・・・あー、うん。 そーだよ。」

頭を掻きながらアティが言う、その表情に影が差すが、元来無邪気であるらしいミシェルは

それを聞くと目を輝かせ、アティの手を掴んでいった。

「す、すごいです! 七十体近い不死者を、わずか四人で倒すなんて・・・

なんというか、強くて、格好良くて、素敵! 是非アティ様を、お姉様と呼ばせてくださいませ!」

「え、おねえさま? あー、えーと。 んーとね、あれだよあれ。 そうそう、あれ。

あの、ミシェルさんは、どうしてここに来ているの?」

「ミシェルさんだなんて、お姉様水くさい・・・

わたくしのことは、ミシェルと呼び捨てにしてくださいませ」

頬を赤らめてもじもじとそして心底楽しそうにいうミシェルに、何故かサラの背中に悪寒が走ったが

アティはマイペースに掴んでいる手を離させると、咳払いをした。

「で、どうしてここに来ているの?」

「死神の、調査のためです」

「死神? ていうと、あの鎌もってて死んだ人を迎えに来る?」

鸚鵡返しに聞き返したアティを、グレッグの咳払いが遮った。

どうしたのかと視線を向けるリーダーに、忍者は一瞬躊躇して、その後言葉を吐く。

「最近の噂に、この辺り・・特に地下二層と四層に<死神>がでるという噂がある

エルフ族がわざわざ人員を派遣している事からして、噂は本当のようだ、アティ殿

ここに出る死神は、冒険者を無理矢理死に至らしめ、魂を奪い去っていく者のようで

正体は分かっていない。 私の調べでは、そんなところか」

「ありがと、グレッグさん。 で、ミシェルさんは、どんな情報をつかんでいるの?」

まっすぐ純粋な視線を向けて微笑むアティに、ミシェルは陶酔したような表情になったが

サラの咳払いを受けて正気に戻ると、真剣な表情になる。

「この迷宮は、私が幾つか調査した中でも、最も強固な闇の力が渦巻いています

そう言う場所には、一般の者とは全く違う、貪欲で<邪悪>な死神が現れる・・・」

それだけ言うと、少女はふと視線を逸らした。 調査員だけあり、それなりの分別はあるようで

自分の持つ情報を全て明かせる段階ではないと判断し、発言をそこで辞めたのだろう。

「とにかく気を付けてくださいませ。 お姉様のような素敵な方を失うのは、世界の大きな損失ですから」

「あー、うん。 ありがと。」

アティの言葉に頷くと、少女は身を翻して地下一層の方へと駆けていった。

暫く気まずい沈黙が流れ、頭を掻きながら、アティが言った。

「変わった子だね。 私、お姉様なんて、はじめて言われたよ」

「あれは変わっていると言うよりヘンタイっていうの。」

きょとんとしているアティの前で、リカルドとグレッグが頷いた。

サラは頭を振ると、三人を押すようにして、更に奥へと進むように促した。

 

地下二層最深奥の構造は複雑を極め、また魔物の数も周囲に比べて非常に多く

取りあえずの構造把握ができた頃には、かなりの戦力消耗を強いられていた。

アラームリングを付けているのは、生来的に鋭い感覚を持つアティとグレッグではなく

どちらかと言えば感覚的に一番鈍い、サラであった。

勿論常人よりは、魔法を扱う職業上遙かに鋭いのだが、忍者や歴戦の戦士や

それに動物的な勘を持つ、アティには到底及ばない。 的確な判断だったといえ

事実危険探知はより効率よくなり、何度も奇襲を避ける事に成功し

戦力消耗を強いられてはいても、何とか奥まで進む事ができたのである。

「あれが地下三階への階段だ。 四階へのショートカットルートもあるという話だが・・・」

「あるとしたら隠し扉の向こうかな。 壁を全て調べていくのは少々骨だぞ」

階段を前にし、リカルドが言うと、今までの苦労を考えてグレッグが併せる。

今までは調査の為もあり大変であったが、直線距離はそれほど長くはないため

寄り道さえしなければ、魔物さえ現れなければ、辿り着くのにそれほど苦労はしないだろう。

「あー、それで、行方不明の人たちはどうしたのかな」

「この様子だと、魔物の餌になった可能性が高いな・・・

あちらのホールはまだ調べていないが、そこで何らかの立ち往生をしている可能性もある」

サラと一緒にマップをのぞき込んでいたリカルドが問いに顔を上げ、鉛筆で奥の方を指さす。

そこには薄暗いホールがあった。 天井は遙か遠くであり、明かりも到底届かない。

位置的には、今までの吹き抜けの真下になる。 上が見えないのも、四階分の高さがあれば当然の事で

一つ上の階にかかっていた吊り橋だけが、辛うじて視認できた。

「そのホールは、通称腐肉の山・・・」

アティが振り向くと、グレッグが青ざめた顔で言葉を紡いでいた。

「酒場での情報だと、はじめてここまで到達した冒険者も、流石に入る気がしなかったそうだ。

閃光で地下に引きずり込まれた刑務所の中の者達が、魔物や災害に追われてここまで逃げ込み

そして食料や物資を奪い合って殺し合い、魔物にも襲われてここで皆死んでいたのだそうだ。

死体が山となって周囲に転がり、腐臭が漂ってさながら地獄の光景だったと聞く」

「あー、そうなんだ・・・じゃあ、あの不死者達も」

「ここから出てきた者も多いだろう。

ただ、となると不死者を退治していたのは私達だけではないから、今は多少安全かも知れない

・・・まあ、不死者が本格的にはい出してくるのは地下四層からだそうだから、言い切る事はできないが」

言葉半ばにして、アティはホールの中に進み出ていた。 周囲には確かに凄惨な戦闘の後があり

今は骨と化した屍が無数に転がっていて(それらを白骨とは言えない。

変色したり、肉がこびり付いたりしていたからだ)鼠や蠅が周囲を我が物顔で闊歩している。

ホールの周りには数本の通路が延びているが、マップを見ると、探索済みの通路につながっているか

あるいはそれほど先がない事が分かる。 つまり何かしら小部屋に通じているか、袋小路になっているか

どちらかであり、最終的に探索すればすむ事であろう。

「あー、これは・・・酷い・・・・辛かっただろうね・・・」

腰をかがめて、アティが屍の一つを見つめた。 それは妙に新しい死体であり

興味を引かれたのであるが、次の瞬間、通路の一本から鋭い声がかかった。

「何をしている! 早くホールから出るんだ!」

「え? 誰? 何がどうしたの?」

「・・・軍人か? 危険があるのか?」

素早く剣に手をかけたリカルドが、通路の先にいる人影を確認し、誰何すると

どうも軍人らしいその侍は、怯えきった様子で、続けて退去を促す。

「奴が来る! ホールの外にいれば襲われない! 速く逃げるんだ!」

「クルシイ・・・イタイ・・・・タスケテクレ・・・・・シニタクナイ・・・・・・

チガ・・・チガコンナニデテイル・・・ナイゾウガハミダシテ・・・タスケテ・・・」

第三者の声が、突然にして全員の脳に響き渡る。 精神に対し直接的な干渉が行われているのだ。

軍人が怯えきった声を上げ、反射的にアティらが背中合わせに立つと、声は更に大きくなってきた。

「イヤダ・・オレハマダイキタイ・・・ワタシハコンナトコロデハシネナイ・・・・イヤダ・・・イヤダ・・・・イヤダ・・・・!

イヤダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「来るぞ、<死神>だ!」

軍人の声が引き金になり、部屋の中央の床に空間の歪みが発生した。

それは穴のようであり、とてつもない深みを持ち、中から悲鳴と苦痛の声が漏れだし

空間の穴に手をかけ、大きな人影が這いだしてくる。 身長三メートル、骨張った手に肉がそげ落ちた腕

体には黒い布を纏い、顔面には複数の目があった。 ふと見れば、体も無数の部品が組み合わさっていて

随所に顔のような部分があり、それらは皆苦悶の表情を浮かべる骸骨であった。

鎌はもっておらず、代わりにアティの首砕き以上もあろうかという巨大な剛剣を持っている。

これぞ間違いなくミシェルの言った<死神>であろう。 虚ろな目が、アティをにらんだ。

「サラさん、補助魔法お願い!」

「冗談じゃない、アティ殿、これと戦うつもりなのか!?」

相手の姿に怯えきってしまっているグレッグが、逃げ腰になりながら言うと

それに賛同したリカルドが、短く、だがはっきりと首を縦に振る。

「同感だ、逃げよう!」

「そうです、にげましょう!」

「絶対ヤダ。 私、一人でも戦うもん

私達が逃げたら、あの人達も死んじゃうんだよ? サラさん、リカルドさん、グレッグさん!」

首砕きを抜きはなったアティは、既に不退転の決意で地を踏み、蠢く<死神>を凝視している。

最初に屈したのはサラだった。 全員に補助魔法をかけ、ついでリカルドが舌打ちして剣を抜く。

怯えきっていたグレッグは、頭を抱えて何かを呟いていたが、やがて決然と顔を上げ、叫ぶ。

「私は、私は、私はっ! そうだ、恐怖を克服するんだ!

ア、アティ殿! 指示を頼む! フロントガードか! ダブルスラッシュか!?

早くしてくれ! 怖くて、怖くて、腰が引けて、逃げ出しそうなんだ!」

「うん。 まずフロントガードで受け流して、それからダブルスラッシュで攻めるよ

頑張って! 私が、みんなを死なせないから!」

「ルゥウウウウウオオオオオオオオオオオオオォォ!」

会話を咆吼で遮り、死神が宙に浮いた。 そして、腕を振り上げ、アティめがけて剛剣を振り下ろす。

鈍い音が三度、同時に響いた。 剣が三つに分裂し、前衛の三人を同時に襲ったのである。

アティの足が、鋭い衝撃に押され、下がった。 グレッグに至ってははじき飛ばされていたが

いずれも攻撃を受け流す事に成功し、間髪入れずにアティとリカルドが反撃に移った。

宙に浮く相手へのダブルスラッシュは始めてであった、故に踏み込みが足らず

ダブルスラッシュは致命傷を与えるには至らず、死神は苦痛の声を上げながらも倒れない。

一瞬おいて、跳ね起きたグレッグが、短剣での一撃を脇腹に浴びせると、死神の体から黒い霧が吹き出す。

そして、床に剣を差すと、死神は闇の底から響くような声で、意味不明の言葉を高速で発し始めた。

「サラさん、マジックキャンセル!」

「ティーーーーーーーーーーィィィいいいいいル!」

アティが叫ぶが、一瞬遅い。 次の瞬間、完成した雷撃魔法が、横殴りに前衛の三人を直撃した。

凄まじい閃光が迷宮に満ち、鎧が焦げる匂いが充満し、たまらずアティは倒れ伏した。

鼠が蠅が、危険を悟った小動物達が、我先に逃げ出していく。

そして逃げ遅れた生き物達は、もがき苦しみ、命を落とし、見る間に黒く変色し萎んでいった。

「逃げろ、逃げるんだ!」

先ほどの侍が叫ぶ、だがアティは剣を杖代わりに立ち上がり、再び死神をにらみつける。

今の一撃でかなりのダメージを受けてはいたが、精神的には屈していない。 侍が驚愕の声を上げた。

次の瞬間、叫び声と共にサラが火球を放ち、それは鋭い音と共に死神の腹を直撃した。

「アティさん、今よ!」

「あー、うん。 えっと、リカルドさん、グレッグさん、ダブルスラッシュ!」

先行して駆け出すアティに、何とか立ち上がったリカルドとグレッグが頷き、遅れて駆け出す。

死神は火球の直撃が効いているようで、床に差した剛剣を抜くと、のけぞって咆吼していた。

怪物が吼えると言うよりも、声が無数に聞こえるような奇怪な咆吼だった。

ダブルスラッシュを行う二人が、死神を更に切り裂き、その咆吼を更に大きくしたが

死神の腕が伸び、箒のように広がって、斬りつけてきたリカルドを弾き飛ばし

ついで青ざめて硬直したグレッグを、人形でも投げるように吹き飛ばした。

そして間髪入れず、時計回りに後ろに回り込んでいたアティが跳躍し

大上段に振りかぶった首砕きを、渾身の気合いと共に振り下ろす。

魔力纏いし大剣一閃、死神の頭頂部に、叩き落とすような一撃が炸裂し

身長三メートルに達する死神の巨躯が、凄まじい閃光と共に、左右に分かたれていった。

周囲には今まで以上の絶叫がとどろき渡り、誰もが勝利を確信した瞬間、死神の右手がアティを掴んだ。

その剛力は彼女以上で、凄まじい握力と骨が鳴る音に顔をしかめるアティに

半ば溶けながら、動物的な動作で、伸び上がるように死神が顔を近づける。

「サミシィ・・・・・クライ・・・・・タスケテ・・・・・タスケテ・・・・タスケテクレヨォ・・・・・・」

「アティ殿から離れろ! この、怪物っ!」

グレッグが放った短剣が、溶け行く死神の右顔面に突きたち、それが致命傷になった。

暗い穴の中に、死神が溶け落ちて行き、そして短剣とアティが地面に転がる。

全員が勝利を悟ったのは、実にそれから五分ほどもしてからの事であった。

 

「・・・あれは、多分死神の本体ではないじゃろうの」

戦闘終わって後、申し訳なさそうに通路から這いだしてきた偵察部隊の者達は

回復魔法を得意とする僧侶アラベラに、侍タイガ、司教のオックスという面々であった。

言葉を吐いたのは司教のオックスだった。 生真面目そうな女性の僧侶アラベラは、無言で皆を治療し

流石に熟練した回復魔法は強力で、リカルドやグレッグはすぐに全快

死神に圧迫されて意識を失いかけていたアティも、程なく立ち上がる事ができた。

「本体ではない? どういう事なの?」

「おそらく、あれは死んだのではなく、逃げただけじゃ。

死んだ時に発せられる、魔法的な断末魔がなかったし

本体は・・・多分迷宮の深奥で健在なはず。 今の奴とは比較にもならない力と共にの・・・」

戦慄を隠し得ない様子で、オックスは言った。 サラは肩に手を回して震えを押し殺し、ため息をついた。

「グレッグさん」

「アティ殿、何だ?」

突然声をかけられ、グレッグが振り向くと、アティは疲労の中に笑みを浮かべていた。

「あー、えーとね。 格好良かったよ。 もう、誰も貴方を臆病者なんて言わないよ。

えへへへへへ、これからも頑張ってね。」

手を差しだし、アティは笑っていた。 顔を赤らめながらグレッグはその手を握ったが

いたってアティは天然であり、全く恋愛っけはないようで、ふいと手を離す。

笑顔は天性の物で、一人にだけは決して向かない。 何故ならアティはそういう娘だからだ。

悪気があるわけでも、男心を弄んでいるのでもない。 心が、単純に純粋であるだけなのである。

それを悟って、グレッグは物凄く悲しそうな顔をしたが、仕方がない事だと思って視線を逸らした。

その様をみると、老司教オックスは目を細め、そして腰を上げた。

「やれやれ、お嬢ちゃん、こんな情けない儂らのためにすまなかったの

一旦儂らは地上に戻って、ある情報を報告せねばならん。 帰りは一緒に行こう。

何、あの死神でもなければ、この辺の雑魚なら儂らにも充分手に負える。

今度は儂らが嬢ちゃん達を守る番じゃ。 熟練の技、見せてやろうぞ」

「あー、うん。 えへへへへへへへ、ありがと、おじいちゃん。」

「ほっほっほっほっほ、そうかそうか。 タイガ、マドルトの死体を運んでくれ

奴は忍者じゃが、それなりに体は頑丈じゃて、多分寺院で生き返れるじゃろう

では、我らを助けてくれた者達のために、今度は我らが頑張るとしようかの」

 

この依頼の達成は、アティ達に、更に大きな流れをもたらす事になる。

そしてそれは、この迷宮の深奥に潜む物、周囲にて蠢く物に寄り深く関わっていく契機になるのだが

流れ行く物に気づく事もなく、死神の先兵を倒したアティは、地上へ戻り行く。

宿で、ミシェルが待ちかまえている事など知らずに、自分の持つ過去がどのような物も知らずに。

ほぼ同時刻、ドゥーハン忍者部隊に招集がかかり、<疾風>クルガンが臨時指揮所に姿を見せていた。

兵員は百五十名ほどだが、その戦闘力は兵一千にも匹敵すると言われる、精鋭中の最精鋭。

地上でも最強の特殊部隊の一つが、今迷宮に向け動き出していた。

(続)