無垢なる始まり

 

プロローグ、闇の奥底

 

闇の奥底で、小さな思念が蠢いていた。 その思念の周りには、無数の意味をなさぬ思念が飛び回り

小さな思念に力を与えていたが、足りず、飢えさせていた。

暫く何も変化がなかったが、数時間の後、影のように透き通った老人がそばに歩み寄り傅いた。

思念は、ただそれを単純に見た。 そして、相手の存在を認識した。

この世界に来た時から、乾きをわずかづつ癒してくれた人。 目的を与えてくれた人。

そして、何よりも、自分の存在を、生まれて初めて認めてくれた人・・・

それが脳裏の中で激しく巡り、小さな思念は行動した。

「おぉ・・・おおおおお・・・・おおおおおおおおおおおおおおおおぉ・・・・」

小さな思念が咆吼した、否、何かを喋ろうとしたのだが、それは声にならなかったようだ。

老人はそれを優しい瞳で見上げていた、目の前にある、小さな思念の作る体を見上げていた。

「復活は近いな。 我らが至福、今度こそ誰にも破らせはせぬ・・・」

透明な老人の体が消え、後には何も残らなかった。 思念は再び眠りについた。

消える瞬間、老人の瞳が、凄まじいまでの妄執と復讐心に満ちていた事など、知るよしもなく。

 

 

1、雪が降る町

 

大陸の要地であり、無数の街道が交錯していた場所に、その街はあった。

街の名はドゥーハン。 街を有する王国と、同じ名を持つその疲弊しきった土地には

夏だというのに雪が止むことなく深々と降り、周囲の街道は完全に崩壊、或いは兵によって封鎖され

かって宝石に例えられたその栄光は影も形もなく、今はただ瓦礫と血臭と冷たさだけがあった。

街の中央にあった王城は、堅固なる名城として知られ、また美しさでも知られていたが

一年前に天より降った<閃光>によって跡形もなく消し飛び、跡地には暗い闇が開けている。

街の建物も、殆ど全てが城と同じ運命をたどり、或いはもっとおぞましい運命を強いられた。

<閃光>は城を単純に消し飛ばしたのではなかった。 空間をゆがめ、暗き深い穴を作りだし

城の殆どを、自分の子である暗き穴へ、異形へと歪めながら引きずり込んだのである。

周囲の施設も多くが穴の中に引きずり込まれ、中でも街の郊外にあった刑務所

街の北を固めていた堅固な要塞、それに墓地はその全てが地下に落ちた。

また、<閃光>は気候すらも歪めた。 温暖な気候で知られたドゥーハンは、今や極寒の地であり

雪は溶けることなく、陽は差すことなく、唯一の救いは凍らず流れ続けている河だが

それもこの気候では、いつまで続くか分からない。 河が凍ったら、水の入手も困難になるだろう。

現在、この街にあるのは、閃光で大きく崩壊したものの、かろうじて営業している東区の寺院

復興がならず放棄されている西区、その片隅で崩壊を免れた小さな店が幾つか

他には街の外区に設置され、最近大繁盛している<訓練場>という施設

そして、街の中央部分にある、<ドゥーハンの迷宮>と呼ばれる穴である。

穴の中には無数の異形の怪物が確認され、その殆どが人に害をなす事も実証されている。

そしてそれらの中には、強力無比を歌われ恐れられる神の敵<魔神>の眷属も姿もあった。

精鋭を持って知られる王国軍は、惨劇から辛うじて脱出した女王オティーリエの直接指揮の元

事態を解決すべく、何度も迷宮の攻略を試みたが、いずれも死者を量産するばかりで成果上がらず

志ある者達は、さっさとこの街を捨て王国首都機能の移動及び再構築を申し出たが

相手にされず、市民の間にも不審と流言が飛びかい始め

その中に、ドゥーハン周辺の冒険者達の食指を動かす噂があった。

すなわち、迷宮の最深部には、どのような願いも叶う<魔神の宝>があるという物だった。

もしそうなら、六千万を越す民を抱える世界大国であるドゥーハンの女王が

賢王の名を恣にしていた彼女が、盲目的に迷宮にしがみついている理由も分かるのだ。

やがて、軍だけでの迷宮攻略をあきらめたオティーリエは、在野の人材による迷宮攻略を認めた。

封鎖が一部解除されると同時に、街に多くの冒険者が流れ込んだ。 そして、現在に至る。

街には雪が降り続き、今、その中で、事態打開の鍵になる人物が歩いていた。

 

雪の中、歩いていたのは女性だった。 黒い長髪に、澄んだ湖のような蒼い目が特徴的で

とりあえず美人の部類には入るだろうが、あくまでとりあえずであり、絶世のというほどではない。

むしろ幼さが多分に顔に残っている事からも、可愛い女の子と言った方が、しっくりする容姿であろう。

年齢は大人と子供の丁度間、少女と呼ばれるには少し無理が出始めている年頃であろう。

体つきは小柄で、雪が降っているというのに肌着しか付けておらず、靴も履いていない。

目は虚ろであり、周囲を時々思い出したように見回したが、その度に悲しみにくれ、視線を戻していた。

驚くことに、本人にも悲しみの理由が分からないのだ。 何故なら、彼女の記憶はあやふやであり

いつから自分が雪の中を歩いているのか、そもそも今が何月なのかさえも分からなかった。

基本的な生活知識、最低限の食事におけるマナーや、言葉、それにアティという名

そして、迷宮に行かねばならないと言う、何にも優先した強烈な気持ちは頭の中にあるが

何故そうなのかという肝心の記憶が、心の中から完璧なまでに抜け落ちているのである。

彼女の背には、また奇妙な物があった。 長さにして一メートル五十センチを超す剛剣であり

歴戦の戦士、それも力を自慢にする戦士が愛用することで知られる剣で、首砕きと通称される。

雪の中、そんな重い物を背負いながら、全く歩調を乱すことなく、素足でアティは歩んでいたが

やがてその前に、人影が現れた。 滲み出るような殺気と、雪以上に白い長髪が特徴の人である。

顔は良く見えないが、女性のようであった。 年はアティより十歳位上だろう。

何かにつけてぼんやりとしているアティに対して、万事引き締まった印象を与える人物で

腰には首砕き程ではないが、かなりの重量を持つ剣があり、一目で歴戦の剣士と分かる威圧感を持つ。

視線が交錯した。 数秒の沈黙、それを破ったのは剣士だった。

「お前がアティか?」

数秒の沈黙の後、娘は頷いた。 剣士はしばしの沈黙の後、微妙な表情を浮かべた。

「・・・私は・・・そうだな、<剣士>とでも呼ぶがいい」

再び、沈黙が場を満たした。 吹雪すら、それを破れないかのような沈黙だったが

今度は娘が、その氷をうち砕いた。

「何故、私を知ってるの?」

おっとりした言葉遣い、ゆっくりした口調。 全てが剣士と正反対であった

驚愕が剣士の顔に浮かび、そしてすぐに消えた。 頭を振ると、剣士は再び口を開く

「・・・そうだな、女神の導きとでも言うか

気まぐれで移り気な運命の女神が、昨晩私の夢に現れ、面白いことを言い残していったのだ

そうか、お前がアティか。 ふふ・・・私はもう・・・」

自嘲気味なその言葉に対し、アティの顔に浮かんだのは優しい笑みだった。

薄着で、しかも素足で、雪の中を歩いて寒いであろうに

それを全く感じさせない、暖かく包み込むような微笑みであった。

奇妙な会話であった。 だが、強烈な印象と親近感を、それぞれ互いに与えていたのである。

剣士は言葉に応えず、羽織っていた黒いマントをアティに掛けてやり、そして表情を殺しつつ言った。

「西区の、ギルティという酒場で待っている。 気が向いたら来い」

剣士の姿は、すぐに見えなくなった。 雪の中に溶けるかのようであり

それを見届けると、アティは思い出したように肩に手を回し、呟いた。

「ふぃ・・・・・寒い。」

周囲を見回すアティの目には、先ほどよりも若干理性に近い物が宿っていた。

それは統一された意識であり、だがその意識には目的が無く、再び娘は雪の中を歩き出し

前から走ってきた、ローブを着こなした活発そうな少女と正面衝突した。

小さな悲鳴が一つだけ上がり、ローブの少女は壁にでもぶつかったようにはじき飛ばされていた。

ぼんやりと夢でも見るかのように転んだ少女を見ていたアティは、忘れていたかのように手を差しだし

転んだ娘の服に付いた雪を払ってやりながら、先ほどと同じように笑みを浮かべていた。

「あー、大丈夫? 痛くない?」

「痛いに決まってるじゃない! 何こんなクソ寒い中つっ立ってんのよ!だらだら喋ってないで

もっとはきはき喋ったらどう?大体今ので買ってきたおわんが壊れたらどーするわけ?」

立ち上がった少女は、アティを見下ろす形で、指を差しながら一気にまくし立てた。

少女は可愛らしい顔立ちであったが、きつい雰囲気が愛らしさを台無しにしており

その言葉には句読点が極端に少なく、とにかくゆっくり喋るアティとは対照的で

思い切りまくし立てた後、少女はアティの格好を見て小首を傾げた。

アティは言葉に圧倒されたわけでもなく、ただマイペースのまま微笑み続けている。

「何アンタこんな雪の中で耐寒訓練でもしてるわけ?見たところ冒険者みたいだけど宿は?」

「えーとね、冒険者かどうかも私分からないし、宿もないよ。」

唐突にそのとき、少女は先の激突のことを思い出した。 あのとき少女ははじき飛ばされ

アティは微動だにしなかったが、それは体の重心を完璧にコントロールしている証拠である。

何の理由でこんな格好をしているかは分からないが、この娘の身体能力が高いことは疑いないし

見たところ、かなり強力そうな剣も装備し、おっとりしてはいるが素質はありそうである。

一応冒険者として修行を積んだことがある少女は、それらを即座に判断し

そしてある計算を浮かべると、アティに向け営業スマイルを浮かべた。

「ねえあたし宿屋経営してるんだけどアンタ泊まっていかない?」

「あー、いいの? ありがとう。 おじゃまさせてもらうね。」

 

1,背を押すは宿

 

「ただいまー。てゆっても誰もいないけどね」

ドアを開け、ランプに火を付けると、少女は何やら喋りながら、アティを改めて見やり

近くの席を勧め、そして雪の上を歩いてきたアティの素足を見ながら言った。

アティはアティで、進められると遠慮無く椅子に座り、結構図々しい所を見せている。

「それ治療してあげようか?凍傷になったら大変だよ。てゆうか痛くない?」

「あー・・・そういえば。 少し痛いかな」

のんびり喋るアティにいらだった少女が、無言のままアティの足先をつかみ、足の裏をのぞき込む。

案の定そこには霜焼けができており、その痛々しさに思わず少女は眉をひそめた。

「アンタどーしてこれでそんな平気な顔してられるのよ!」

「え? んーとね、でも大丈夫。 これくらいだったら、我慢できるよ。」

驚いたように少女が顔を上げ、微笑み続けるアティと視線を正面から合わせた。

そして視線を外すと、数秒の無言の後、静かに呪文を唱え始めた。

店の外にかかっている、<冒険者の宿・ヘルガ亭>と書かれた看板が、魔法の明かりを受けて輝き

少女の掌からあふれ出た光が収まった時、アティの霜焼けは綺麗に消えていた。

「終わった。今の魔法、回復魔法のフィール。

凄いのになると石化とかも直せる回復魔法もあるんだけどあたしじゃ最下位のフィールが限度」

「あー、ありがと。 ずいぶん楽になったよ。」

ばつが悪そうな顔をしていた少女は、ふいと視線を外し、アティに背中を向けつつ言う。

「ねえ、奥に風呂があるから入ってきなよ。温泉だから待たなくても入れるよ。

・・・それとあたしの名前はヘルガ。一応司教の資格持ってる。」

「そう、じゃあ、言葉に甘えさせてもらうね。」

別にヘルガが裕福なわけでもない。 この場所にあった宿屋は、<閃光>で従業員が全滅してしまい

そこにヘルガが住みついて、勝手に宿の経営を続行しているのである。

無論国の許可など得てはいないが、現在はそんな所まで国も気が回らず

警察組織も、引退した冒険者や生き残った街の住民の有志で作られた自警団くらいしかないため

ヘルガの勝手な経営が文句を言われることはなく、同時に自分の身は自分で守らなければならない。

幸いと言うべきか、<閃光>によって犯罪組織も壊滅してしまっていたため、若干安全ではあったが

たまに迷宮から現れた魔物が住民を襲うことがあり、油断は決してできない。

元々小規模な宿だった為、温泉以外に大した見せ物もなく

部屋の数も少なく、二十人も客が泊まったら満員で、しかもヘルガ一人では捌ききれないだろう。

ヘルガの言った<司教>という職業は、このあたりの冒険者が就く一般的な物である

<戦士>、<盗賊>、<魔法使い>、<僧侶>、<騎士>、<侍>、<忍者>、<司教>

この八つが、冒険者のスタンダードな職業とされていて、前半に比べて後ろの四つは条件が厳しく

一般的には<上級職>と呼ばれているが、実際にはそれぞれ一長一短があり、特に傑出した職業はない。

このほかに、一般的な種族である<人間>、<ドワーフ>、<ノーム>、<エルフ>、<ホビット>

等による格差も出てくるのだが、平均的能力を持つ人間のヘルガには、あまり関係ない事だった。

司教と呼ばれる職業の特徴は、緩やかな速度で<魔法使い系><僧侶系>と呼ばれる二系統の魔法を

修行さえすれば使えるようになり、最終的には魔導のエキスパートになること。

更に豊富な知識を生かして、正体の分からない道具の正体を見極める事の二つである。

ヘルガはどちらの系統も基本的な魔法しか使えないから、素質があって最初から司教だったのだろう。

三十分ほどして、風呂からアティが上がってくると、ヘルガは彼女に服を貸してやり

そして上から下まで見回しながら、微妙な笑みを浮かべていた。

「分かってると思うけど宿賃と服のレンタルはただじゃないわよ。

でも貴方次第じゃ、迷宮に行くのに装備と若干の資金も用立てしてあげる」

「あー、意味がよく分からないんだけど?」

困ったように頭を掻くアティの後ろに回り込むと、ヘルガは素早く巻き尺で体のサイズを測り

物置に行くと、以前パーティを組んでいた女盗賊が使っていた、古い皮鎧を引っ張り出してきた。

「こういう冒険者相手の宿ってね、繁盛するには幾つか条件があるの。売りになる何かがあったり

これはサービスとかの事だけど他の条件の中に有名な冒険者が根城にしてるって事があるのよ」

一息にそれだけ言うと、まだ困惑しているアティに向かって、肩を叩く。

「鈍いなもう。借金をチャラにしてあげるからここ根城にして冒険者しろって事よ

冒険の戦利品をよこせとか過去を教えろなんてちゃっちいことは言わないから安心しなさい。

アンタさっきぶつかって分かったけど肉体能力は凄く高い。今はともかく冒険者としては化けると思う」

「あー。」

まだ困ったように頭を掻いているアティに、ヘルガは皮鎧を付けてみるように言うと

ソファに座り、くたびれ果てている皮鎧を、何故か手慣れた様子で身につける娘を見ながら微笑む。

「どーせアンタ金なんて持ってないんでしょ?だったらこのビジネス受けちゃいなさいよ

それに迷宮に用があるからここに来たんでしょ?後方支援のパートナーがいても悪くないと思うわよ」

「あの・・・うん。それは分かったんだけど、そんな強引に決められても」

皮鎧は体に合い、しかし困惑しながら、指をつきあわせつつ、アティは上目遣いにヘルガを見た。

本人は全く意識していないだろうが、それは実に可愛らしい仕草であり

思わず心中でヘルガは舌打ちしたが、髪をかき上げ、商売人にふさわしい笑みを浮かべた。

「ここでてアンタ行く当てあるわけ?どーせ用があるんだから経緯なんてどーでもいいじゃない

それにあたしの言うことが聞けないってんなら宿賃と風呂代払ってもらうけど?」

勝負あったと言うべきか、経験の違いと言うべきか。

急所を突かれた形のアティは自分の負けを認め、ヘルガの強引な提案を受け入れることにした。

 

2,街における、はじめの一歩

 

冒険者ギルドという組織は、世界各地に広く支部を置いている大型組織であり

ここドゥーハンにも、当然のように支部がある。 それは<閃光>を受けても潰れることなく

冒険者達が流れ込んできてからは、却って活気を得、現在でも問題なく運営は行われていた。

ここの仕事は主に三つ。 冒険者の登録と、技能の向上、それに仕事の斡旋である。

ドゥーハンのギルドの場合、行っている業務は前の二つである。 仕事の斡旋は幾つかある酒場に任せ

近来比類無いほどの凶悪さを誇る<ドゥーハンの迷宮>に挑む冒険者を記録し

可能な限り彼らが生きて帰れる確率を上げるため、様々な戦闘技術の開発、向上に力を注いでいる。

建物は幾つかの部分に分かれている。 新米の冒険者志願者を訓練する施設が東棟だが

一応力のある冒険者ばかりが流れ込んでくる今は、殆ど使用されていないのが現状だ。

西棟は戦闘技術向上室を含む、様々な施設があり、現在はここを主力としてギルドは動いており

その一室、冒険者登録室を、小一時間も迷ったあげくにアティが訪れた。

ギルド長は年老いたドワーフの戦士で、岩のような肉体はまだ健在であり

側にいた戦士から視線を外すと、アティの全身を視線でなめ回し、そして言った。

「冒険者ギルドに何のようだ、お嬢ちゃん」

「あー、冒険者として、登録しに来ました。 登録しないと、迷宮に入れないそうなので」

ドワーフ戦士の眼光は凄まじく、気の弱い物だったら必ず身じろぎしていただろう。

だがアティは全く動じずにそれを受け止め、髭を掴みながら戦士は笑った。

「ほう、そうかそうか。 じゃあ、まずアンタの実力を見せてもらおうか。 適正云々はその後だ

得物はそれ・・・ほう、良い物を持っている。 その首砕きでいいな?」

「・・・? 一体、何をするの?」

「すぐに分かる。 こちらだ、ついてこい」

ドワーフ戦士に代わって声を発したのは、隣にいた長身の戦士であり

細身ながら均整のとれた彼の種族は人間のようで、名を聞かれるとロッドと名乗った。

周囲には様々な施設が点在しており、冒険者達が実戦さながらの厳しい訓練をしていたり

迷宮の地図を前に何やら討論していたり、アティにとっては珍しい光景が繰り広げられ

お上りのように周囲を興味深げに眺めていた彼女は、何度も怒られた。

やがて、アティが連れ込まれたのは、円形の闘技場のような場所であり、床は土になっていた。

周囲には何人かの冒険者がおり、塀の上からアティを眺め、小声で何やら会話していた。

「これからここで、魔物を殺してもらう」

戦士は一言だけそういい、まっすぐアティが顔を見上げたので、一瞬だけ眉を動かしたが

咳払いをして、行うことの説明を始めた。

「優しさは、冒険者だけでなく人としても重要なことだが、冒険者には厳しさと冷徹さも重要だ。

そして、装備のない相手を絶命させるだけの戦闘技術も、どんな職に就くとしても必要になってくる。

お前はその大剣を振るって、今から現れるオークを叩ききればいい。 それだけだ

ちなみに、ここには有能な新人を求めて、冒険者が何人も来ている。 名を売りたいのなら頑張る事だ」

戦士の言葉が終わると同時に、棒で追い立てられるようにして、小柄な人影が闘技場に入ってきた。

それはゴブリンやコボルトと並ぶ、最も数の多い亜人、オークであった。

オークは豚のような顔をしている亜人で、一応言葉を理解できる程度の知能を持つが

性質は基本的に凶暴であり、徒党を組んで人間を襲うことがあり、数が揃えば侮れない。

国家を作るほどの組織力はないが、小集落は国内にいくつも確認され、繁殖力も旺盛で

時々住民と衝突を起こすが、国家を滅ぼすほどの力はないので

特に害が酷い場合を除いては、放置されているのが現状だ。

人権は基本的に認められていないが、ごくまれに人と仲良くなる例もあるようである。

オークはドゥーハンの迷宮内に多数確認されているが、元々彼らはこういう場所に生息する事が多く

同時によほど餌がない時を除いて人里には殆ど近寄らぬので、一般人とは摩擦が起こり難い。

彼らの大きさは、通常人間の子供ほどで、普段は簡単な武器で武装していることが多いが

今アティの目の前にいるオークは、丸腰で、完全に怯えきっていた。

アティは無言のまま、首砕きを抜きはなった。 驚くべき事に、片手で、全く危なげなく持っている。

そして後ろにいるロッドへと顔を向けると、静かに言った。

「ねーねー戦士さん、あの子、丸腰じゃアンフェアだから、武器をあげてくれる?」

「そのオークは、町に出てきてさんざん盗みを働いたあげく、小さな子供に大怪我をさせた

人間で言ってもそのまま死刑にされる所だ。 馬鹿を言っていないでさっさと殺せ」

「あー。 でも、やっぱりアンフェアだもん。 そのままじゃヤダ。」

いつの間にか、先ほどのギルド長も、闘技場の上に現れ、様子を見ていた。

先ほどから、ギルド長はアティの身体能力に気づいており、戦いぶりを楽しみにしていたのだが

剣を手にしても全く様子が変わらない所を見て、若干失望したように眉をひそめていた。

超一流の剣士は、皆剣を抜くと全く表情が変わる。

ギルド長には、それがよく分かっており、アティの様子が緊張感も感じない、素人の物に思えたのだ。

ロッドは渋々短刀をオークに渡した。 怯えきったオークに、アティは左手で頭を掻きながら言った。

「ごめんねー、こんな戦いにかり出して。

でもね・・・もし貴方が私に勝てたら、解放してあげるって。」

オークは、アティの言葉を理解したようで、小さな目の奥に凶暴な光を輝かせた。

無論ロッドはそんなことを一言も言っていないのだが、これは最後の希望という奴であり

しかも頭に完全に血が上っていたオークは、舌なめずりをすると奇声と共に突進した。

鈍い音と共に、大剣に短刀がはじかれ、同時に見物人達の間から失笑が上がる。

大剣の持ち味は、間合いに入った相手を強烈無比な圧力と速度で一刀両断することにあり

つまり、基本的な戦法は攻撃重視の一撃必殺。

今アティがやったような、剣の刃を利用して攻撃を受け流すというようなことは、邪道になるのだ。

「おっとっと、えーと」

呟きつつ、アティは二度目の突進を受け流し、三度目の突進も受け流した。

三度目の攻撃を受け流した頃から、ギルド長の顔つきが代わっていた。

アティの動きが、最初は素人同然だった動きが

たった三回の攻防で、大剣の使い方といい、足捌きといい、目に見えて良くなって来たからである。

周囲の三流冒険者達は気づいていなかったが、太い腕を組み、ギルド長は考え込む。

どうもアティの動きが、学習していると言うよりも思い出して良くなっているように彼には見えたのだ。

四度目の攻撃で、業を煮やしたオークは、体ごとアティにぶつかっていったが

未熟ながらも素早い足裁きでアティはそれをかわし、今度こそ冒険者達の間から失笑が止む。

そして、オークが疲れ果て、動きが鈍った瞬間、アティの剣が斜めに一閃した。

だが剛剣は全く見当違いの方向を叩き、地面を抉って土埃を巻き上げた、再び観客の間に失笑が戻る。

奇声を上げ、再びオークが突進する、だがその突進は、今度こそ正確に振り上げられた一撃により

短刀を見事に吹き飛ばされ、無様に尻餅をつくことで止まった。

「殺れー! ぶっ殺せー!」

興奮した観客がわめいた、どの世界にも、無意味な流血を好む下郎は存在しているものである。

次の瞬間、アティが振り下ろした大剣は、オークの脳天をたたき割る・・・ほんの数センチ前で止まり

失神したオークは泡を吹いて地面に伸び、ギルド長の方に勝者は振り返った。

「あー、外しちゃった。 こんな状況から殺しても、意味無いと思うから、逃がしてあげても良い?」

寸止めしておいて外した。 完璧にずれた言葉を発しながら、アティは平然と笑っており

その言葉を聞き、ギルド長は数ミリ体を後ろに泳がせていた。

完璧に意志の元制御された肉体がなければ、今の寸止めは絶対に不可能な技である。

ましてこの娘が使っているのは、重量三十sを超す首砕き、ギルド長にはその意味がよく分かっていた。

「・・・分かった。 まあいいだろう。

ギルドはお前を正式に冒険者として認める。 そのオークは、迷宮に逃がしてやるから安心しろ」

「えへへへへへ、感謝しまーす」

頭を掻きながら、マイペースに微笑むアティの声には、それほどの感銘もないように聞こえたが

実際にはかなり嬉しかったようで、宿に戻ってからも暫くにこにこしていた。

アティは正式に<戦士>としてギルドに登録され、冒険者と認められた。

「無邪気な娘ですな。 あれであの迷宮に挑もうというのだから、心配ですが」

アティが去った後、ロッドが言う、その表情は微妙で、何とも判断が付かなかった。

言葉を聞きながらギルド長はある人物のことを思い出す。 そして、ゆっくり口を開いた。

「雰囲気があんまりにも違うから気づかなかったが、あの娘、誰かに似ていたな」

「誰にですか? 高名な冒険者で、あれに似た者がいましたか?」

「・・・いや、何でもない。 忘れろ」

ギルド長が思い描いていたのは、凄まじい冷酷さで合理的な戦いをする剣士であり

やがて違うだろうと判断すると、ロッドに適当にごまかして娘のことを忘れた。

そんなことは知らず、宿に戻ったアティが剣士に言われたことに気づいたのは、翌日のことであった。

 

3,迷宮までの道は遠く

 

ギルティの酒場は、崩壊した西区の店の一つを、ヘルガ同様流れ着いた冒険者ギルティが改装した物で

酒と食事を楽しむ場所と言うよりも、情報交換と依頼斡旋及び報酬の仲介の場である。

マスターのギルティは騎士であり、かってはドラゴンスレイヤーとして名をはせたことがある。

騎士という職業は、戦士よりも若干成長が遅いものの、それに迫る肉弾戦棟能力を持ち

また僧侶には及ばないものの、数々の僧侶系魔法を使いこなすことができる。

何より最大の利点は、騎士用に開発された、聖なる力を持つ数々の武器防具を装備できることであり

同じ<上級職>の<侍>に比べ、攻撃能力では劣るものの、防御力では完全に上回っている。

故にパーティリーダーを努めることが多い職業であり、ギルティも例に漏れず名リーダーであった。

このような店を経営できるのも、現役時代に築いた人脈のおかげであり

ギルドも、混乱している状況下で、冒険者達がまとまっているのは彼のおかげだと認めている。

そういう場所であるから、店はもう昼過ぎには開いていた。 店に入ったアティが周囲を見回すと

何人かの冒険者がおり、テーブルでカードをしていたり、或いは酒を飲んだりしていたが

ドワーフが強烈な酒を本気で楽しんで飲んでいる他は、どの種族も酒は程々にして

迷宮や依頼に関する、様々な情報を収集することに力を入れているようだった。

本来だったら、来る必要もないはずなのであるが、どうもあの剣士が言うことが気になったようで

アティは開店一番、すぐに店を訪れ、剣士を捜したのである。

「毎度毎度すまねえなあ、ウォルフ。 次も頼むぞ」

「いえ、力になれて良かったです。 次もよろしくお願いします。」

マスターと話していた少女が、身を翻してアティの方に近づいてきた。

少女の髪はクリーム色で、ショートカットがかわいらしさを引き立てている。

年は十代半ばだろう、その腰には何やら刀をぶら下げていて、身のこなしには全く隙がない。

軽装で刀をぶら下げている所を見ると、職業は<侍>だろう、しかも相当な手練れである事は疑いない。

この業界では、実力さえあれば子供でも尊敬されるし成り上がれる、だから子供の冒険者も少なくなく

店でもウォルフが馬鹿にされている様子もなく、周囲からは敬意を払われているようだった。

アティの隣を通り過ぎる瞬間、一瞬だけ、ウォルフはアティに視線をやると丁寧に礼をし

テーブルで何やら騒いでいた小柄なホビットに声をかけると、一緒に店を出ていった。

その動きには無駄が無く、しばらくアティは顎に指を当てぼんやりしていたが

やがてマスターに歩み寄り、頭を掻きながら口を開いた。

「あー、すみません。 人を捜してるんだけど、手続きはどうするの?」

「ん? ああ・・・お前さん、<剣士>さんに言われていた娘か?」

微妙に可愛らしい動作で小首を傾げるアティに、マスターは剣士の特徴を言い

雪の中で見た姿に特徴が全て符合することを確認し、娘は軽く頭を下げた。

「えへへへへへ、昨日忙しくて、すっかり来ること忘れてたの。 ごめんなさい」

「いや、あちらさんも気にすんなって言ってたよ。

そこの席開いてるからすわりな。 酒が良いか、ジュースが良いか?」

「あー、うん。 ジュースがいい。」

マスターはリクエストを聞くと、手慣れた動作でよく冷えたオレンジジュースを出した。

最近女王の命令で、街道の封鎖が一部解除されて冒険者がこの地に流れ込んだ時

同時に冒険者相手の商人達も幾らかがここに入り込み、物資の致命的な不足は解消されている。

特に食料の類は、冷蔵庫が全く必要ない状況からも分かるとおり保存が利くため

値段は<閃光>による破壊直後に比べて下がり、大分皆の生活が楽になっているのが現状だ。

「早速だが、アンタあの<剣士>様が、どーゆーお方だか知っているか?」

ジュースを飲むアティに、興味深げな視線を注ぎながらマスターが言う

だがアティは視線を受けても全く動ぜず、コップを両手でもったまま、首を横に振った。

「あの方はな、街がこんなになってから、冒険者ギルドに様々な<アレイドアクション>を教えてくれ

迷宮の中の情報や、魔物の強さ、それにトラップなんかの事も色々教えてくれる。

実力は間違いなくマスタークラス。 ここにいる全員が一斉にかかっても、勝てるかどうか怪しいな。

なんかキャスタってオークをつれてるそうで、そいつは迷宮の中で冒険者相手の店を開いているそうだ。」

「ふーん、凄い人なんだね。 それで、その人が私に何のようなんだろ」

あまり感銘を受けていないアティに、マスターは若干失望を覚えたようではあるが

商売柄表情を隠す事はうまいようで、全く表情を変えずに続けた。

「アンタに対して、伝言を預かってる。 それとここの冒険者達を教えてやって欲しいって話だ」

「ふーん、そうなんだ。 ありがと、教えてくれる?」

ジュースを飲みながら、アティはマスターを見た。 大きく頷くと、マスターは解説を始めた。

「この町で今最強といわれる冒険者は、さっきお嬢ちゃんとすれ違ったあの子だ

名前はウォルフ。 人間の侍で、いつもホビットの盗賊のダニエルをつれて、冒険してる

最下層まで行けるほどの実力だそうだが、何故か全く魔法は使おうとしないらしい。

実力は多分、あの剣士さんにも迫るはずだ。 本気で怒らせると相当に怖いらしいから気ぃつけな

現在、依頼の達成率は94.5%。 しかも、本人のミスで依頼を失敗したことはただの一度もねえ

ただ、職人気質だそうで、依頼を一つでもうけている間は他の依頼は全く受けねえ、困った子だ。

冒険者じゃねえが、クイーンガードのクルガンって奴がいる、こいつも凄まじい強さだ。

エルフの忍者で、相当な実力者だが、誰ともなれ合わないそうだ。

ま、最も此奴はいつも国の命令で動いてるらしいから、アンタには関係ないよな」

それだけ言うと、マスターは向こうのテーブルに視線を送った。

「次は中堅どころだな。 今いる連中で中堅といえば・・・

あっちはギース。 そこそこの腕を持つ戦士で、最近は地下七階でうろついてるらしい

それで、そっちの男がアオバ、侍だ。 有能な男で、居合いの腕は相当な物だそうだ。

そっちの姉さんがオルフェ、戦士だが、僧侶から転向したそうで、高度な僧侶魔法を使いこなす

二人ともかなりの使い手だな。 結構頻繁に他の奴ともパーティを組んでるから、声かけてみな

あいつらの他に中堅といえば、アンマリーって女司教に率いられた三人組が結構手練れで

依頼の達成率も高いが、正直言おう、こいつらには近寄らない方が良い」

首をすくめるように、マスターは言った。 アティは首を傾げて、次の言葉を待った。

マスターはその後、この場にいない一流の冒険者を十人ほど上げて、それぞれ特徴を言っていったが

やがて声を潜めると、アティに囁きかけるように言った。

「それと、迷宮では魔物よりたちの悪い人間が二人いる。 此奴らにあったら気を付けろ。

一人は爆炎のヴァーゴ。 人間の魔術師で、マスタークラスの実力者だが、とにかく危険な女だ」

「あー、えーと。 どう危険なの? 冒険者を襲って食べちゃうとか?」

さらりと暴言を吐いたアティに、マスターは苦笑しつつ応えた。

「とにかくガキなんだよ。 気に入らない相手はその場で、本気で殺しちまう上に

気の弱そうな魔物をてなづけて、自分の周囲に侍らせてやがる。

金要求されたら素直に渡した方が良い。 命には代えられねえからな。」

「ふーん・・・えへへへへ、でもね、私渡すほどお金無いの。 会ったら大変だね」

「そうか、じゃあできるだけあわないようにするしかねえな。

もう一人の危険人物はナチって侍だ。 此奴にあったらとにかく逃げろ。

気が違ってて、目に映る生物は片っ端から殺しにかかるそうだ。

何でも迷宮で肉親を失ったとかで、それで心がおかしくなったらしい。

しかも奴が所有している刀は村正・・・最強の名を恣にする最高の刀だ。

本人の腕はそれに加えて超一流だそうだ。 とにかくこういう連中とは、絶対に戦いは避けろ」

分かっているのかいないのか、アティは二度頷いた。 周囲の喧噪は、いつの間にか静まっていて

ドワーフの戦士に代わって、ポニーテールの少女が何人かの冒険者と話し、残念そうに首を振っていた。

少女は侍のようで、暫く周りと話をすると、頭を二三回振って酒場を出ていった。

「次はアレイドアクションだな。 聞いたことはあるか?」

「ん・・・・えーとね」

その言葉を聞いた瞬間、アティの頭の中に何やら閃光が走った。 だがそれは一瞬のことであり

頭を振り払って雑念を追い払うと、娘はマスターに続きを言うように促した。

「アレイドアクションってのは、小隊単位の小集団における戦法をより洗練した物のことだ。

連係攻撃や、連携防御、様々な物があるが、これを完璧に修得したパーティになると、段違いに強いぞ

戦法が根本的に違ってくるんだ。 個人能力が高いパーティは、一人の力を生かすように戦うが

アレイドアクションを極めたパーティは、全員が一匹の巨大な獣のように、躍動して敵と戦う

今では、いろんなパーティがアレイドアクションを取り入れているが

普及したのは偏に剣士さんのおかげだ。 あのお方の御陰で、冒険者の生還率は飛躍的に増してるな」

「ふーん、そうなんだ。 ジュースおかわり。 えへへへへへ、このジュースおいしいよー」

無邪気な笑顔で空のコップを差し出したアティ、毒気を抜かれた体で、マスターは代わりを差し出した。

「最後に、剣士さんの伝言だ。 地下一層の最奥でアンタを待っているそうだ」

それを聞くと、無言のままアティはジュースを飲み干した。

そして周囲を見回し、さっき一流どころといわれた者以外の何人かに視線を這わすと、振り向いた。

「えーとね、こんな無知な三流冒険者の、私の仲間になってくれる人、あの中にいる?」

「そこまでは面倒みきれねえな。 ただ、一時的な仲間でいいんなら、そういう依頼が入ってるぜ

こっちは二人とも二流だが、初心者には気があうかもしれねえな」

妙な親近感をアティに覚え始めていたマスターは、老いながらも今だたくましい手で紙を差し出す。

差し出された紙には、リカルドという名と、グレッグと言う名が書かれていた。

 

紙を受け取ると、アティは一旦宿に戻ることにして、帰路につき始めた。

ヘルガから借りた靴の御陰で、もう雪の上を素足で歩く必要はないが、それでも寒い事には変わりなく

だが本人の表情は全く変わらず、時折通り過ぎる人や、周囲の物に興味深げに視線を送りながら歩く。

やがて彼女の興味は、崩れかけた屋根の寺院に移っていた。

寺院はドゥーハンが<閃光>で吹き飛ぶ前に建っていた物の一つで、大聖堂ほどの大きさはないが

<儀式魔法>を行使するだけの設備は整っており、仲間を失いながらも何とか生還したパーティが

魔法による仲間の復活を頼むべく、高い金にも文句を言いながらも、足繁く通う場所である。

アティが興味津々の様子で寺院を覗くと、そこでは祭壇に何人かの人だかりができており

今まさに高度の僧侶魔法で復活した仲間を囲んで、感激の涙を流して喜んでいるようだった。

実は、いま復活できた男は極めて運がいい。

パーティによっては死んだ時点で遺棄してしまう所もあるし、復活しようにも失敗する可能性もある。

ただ、今寺院でやっていたような<儀式魔法>の場合は、成功率も極めて高いのだが

その代わり日に数度しか行う事ができず、しかも<生きる意志>と<生命力>が不足すると生き返れぬ。

「お嬢ちゃん、新米冒険者かね?」

アティが振り返ると、人の良さそうな老僧呂が立っていた。 どうやら信仰心熱く善良な男のようで

表情には下心もなく、優しさと使命感で全身が充ち満ちている。

「あー、うん。 少し興味があったから、覗いてみたの」

「そうか、ここだけの話だが、ここにはできるだけ来ないようにしなさい。

怪我をしないように注意するのが、そういう心がけが、一番怪我を減らすんだ。」

妙な違和感が、話しているアティの心の中で炸裂した。 それが何かは決定的には分からなかったが

頭を振ると、娘は僧侶に無理な笑顔を作って見せた。 僧侶は話している相手の変化には気づかず

奥に自身も視線を走らせると、どういうつもりか、儀式魔法について説明を始めた。

後で判明するのだが、彼にはアティくらいの年の娘がおり、それで必要以上に親切にしていたのだった。

「今行っていたのは儀式魔法と言う、特別な魔法だ

儀式魔法というのはね、四人以上の術者が、三十分以上の詠唱と、魔法陣及び魔導器を使う魔法で

攻撃魔法では小さな星を振降らせたり、他のでは雨を降らせたりするものもあったそうだ」

「じゃあ<閃光>も、儀式魔法なの? 街がこんなになっちゃって、酷い事になってるよ」

「そうだね、そうだったのかもしれない。 いずれにしろ、あれは人為的な災害だと私は思う

寺院に伝わっているのは、儀式魔法の中でも最も簡単な物だ。 一人の人を生き返らせる

確率は100%じゃない。 でも、一人だけの術者で、迷宮の中でも使える物より遙かに確率は高い

・・・おっと、失言だった。 仮にも聖職者の私が、人の命を確率ではかってはいけないね」

僧侶は生真面目に十字架を切ると、後は二言三言話して、寺院の中に戻っていった。

暫くアティはそこで立ちつくしていた。 何かが、絶対的な違和感が頭の中に残っていた。

やがて、彼女は自分でも気づかぬうちに歩き出し、寺院を離れていた。

あの男に罪はない、そんな事は分かり切っているのに、嫌な気持ちで一杯になりそうだったからである。

 

帰り道には、ヴィガー商店という、冒険者相手の総合店がある。

どういう訳か薬の類は一切扱っていないのだが、武器、防具、マジックアイテムが棚に所狭しと並び

冒険者が装備を調えるには、ここ以上の場所はない事もあり、そこそこに繁盛している。

だが時間帯が悪かったのか、アティが店にはいると、客は誰一人おらず

店の奥で主人が、名剣と言われる<ブレード・カシナート>を磨いていた。

主人は流石に冒険者を相手にしているだけあり、すぐにアティに気付き、手を止めて

数秒の間に相手が初心者冒険者であると見抜き、愛想笑いを浮かべた。

「いらっさい。 お嬢さん、何をお探しかね?」

「あー。 えーとね、靴を探してるの。」

「靴かね? ふむ・・・」

主人は棚を探ると、幾つかの靴を取り出してきた。

靴の専門店ではないので、サイズが揃っているわけではないが、いずれもただの靴ではない。

迷宮の悪路を歩くため、または足先に対する攻撃を防ぐため、様々な工夫が凝らされ

中には装着者のスピードを増幅する魔法がかかった物もあるが、想像を絶するほど高い。

「軽装の大剣使いとは珍しいな。 それとも、鎧には金が回らないのかな?」

「うん、それもあるんだけど」

靴を一つ一つ物色しながら、アティは笑顔で素直に認めた。

やがて頑丈で軽いだけが取り柄の靴に目をとめ、上や下から眺め回し始める。

靴には防御力強化の為だけの魔法がかけられ、革製といえど鉄製並みの防御力を有しており

それだけに高く、値段は普通の鎧か、それ以上もした。

加速能力が付いた靴ほどではないが、十分に値が張る一品である。

魔法防御力の優れた靴もあったが、それは桁違いに高価で、今のアティには到底手が届かぬ品であった。

「お嬢ちゃん、靴も良いがね、ああ勿論足元を固めるのは悪くない。

でもその余裕があったら、まず皮鎧でも、魔法によるプラス修正がついたのか

それとも鎖帷子を付けた方が良いぞ。 大剣使いは、どうしてもスピードが殺されるからな。

開き直ってプレートメイルに変えた方が良いかもしれんぞ。 本当はそれが一番いいんだが」

心配げにアティを見ながら、主人は言った。 流石に今日の客が明日死んだら気分が良くないのだろう。

だが聞いているのかいないのか、アティはやがて靴を試着すると、何度か地面を蹴って笑みを浮かべた。

「これいいな。 おじさん、これちょうだい。」

「あ、ああ。 ・・・まあいいがな。 命は大事にするようにな。」

実は今の買い物で、ヘルガに渡された金のほぼ半分を使ってしまいながらも、アティは平然と笑み

店を出ていこうとしたが、ふと主人は彼女を呼び止め、何かを投げて渡した。

「廃棄しようと思ってたんだが、やる。 少しはマシになるだろ」

「何、これ? 手袋?」

アティが渡されたそれを見ると、金属製の手袋のような形をしていた。

指先は出るようになっており、全体的に傷が多く、使い込まれていた事が実感できる。

大きさはアティの小さな手にぴったりであり、古くても現役で使えるように整備されていた。

「手甲って奴だ。 ナイフくらいはそれで弾ける

接近戦がずいぶん有利になるはずだから、付けとけ。 大分それでも良くなるはずだよ」

「えへへへへへ、ありがと。 おじさん、また来るね」

暖かい笑みを見送ると、主人はため息をついた。

あの娘には、妙な親近感を覚える。 それはいいのだが、危なっかしくて見ていられぬのが事実であり

思わず彼は、心中にて呟くのを忘れなかった。

「ああ、また来い。 絶対に最初の探索で死んだりするなよ」

 

4,迷宮へ

 

翌日の朝、アティはいよいよドゥーハンの迷宮に足を踏み入れた。 側には、忍者と戦士がいる。

忍者は気が弱そうな男で、グレッグという。 <勇気を取り戻させて欲しい>という曖昧な依頼で

現在、アティと一時的にパーティを組んでいるのである。

何でもこの男、一度迷宮の中で死にかけていらい、度を超して臆病になってしまったそうであり

今では迷宮の一階も一人でうろつく事ができず、酒場に依頼を持ち込んだのである。

端から見れば情けない依頼かもしれないが、まっとうな冒険者の中に彼を笑う者はいなかった。

何故なら迷宮で恐怖を味わった事があるからであり、それで発狂した者も少なくないからだ。

忍者という職業は、極限まで鍛え上げた肉体と精神を駆使し、スピードで敵を圧倒する戦闘タイプだが

それが臆病になってしまっては、本来の力を出し切れない。 彼の苦労は切実だと言えただろう。

寡黙で、何かと周囲に目を配る戦士はリカルドという。

<信頼を教えてくれ>という曖昧な依頼で、一時的な仲間になった。

以前合理主義者のパーティに属しており、地下三階まで行った事もあるそうだが

仲間を助けて命令外の事をしたらそれでお払い箱になってしまい、人間不信になったそうである。

しかし、彼の能力程度では、一人で迷宮をうろつく事など到底できず

悩んだ末、酒場に依頼を持ち込み、アティが籤を引いたのである。 彼の事を笑う者もまたいなかった。

そして、アティの前には、<剣士>がいた。 剣士の側にはオークがおり、三人を交互に見ていた。

どうも剣士はアティが来る事を確認するために待っていたようで、視線を合わせるとわずかに笑った。

「三人か、上出来だ。 私は迷宮の第一層の奥にいる。 そこでアレイドアクションを教えてやろう」

「えへへへへへー、ありがと。 それで、お願いがあるんだけど」

続きを言うように剣士が促すと、アティは頭を掻きながら言った。

「何で、私の事を知っていたのか、色々してくれたのかも、教えてくれる?」

「・・・・まずは私のいる所まで来い。 全てはそれからだ」

剣士の姿が消えた。 魔法でも使ったのか、それとも別の手段か。

オークは姿が消えず、しばらくアティを見ていたが、やがて手を差し出した。

「オダはキャスタっていうだ。 あんだ、街で悪さして

ころさでそうになってたピピンをたすけてくでたってきいただ。 奴に代わって礼をいうど」

「あー、力に差があったから、殺さないですんだだけだよ。」

「それでもうれしいだ。 オダは迷宮の中でお店してるから、良かったら店も来て欲しいだ。

オダも剣士様のとこでまってるから、必ず来るだど!」

アティの手を握ると、キャスタは身を翻して、迷宮の奥にかけていった。

「ふー、緊張した。」

アティの隣で、グレッグが天を仰いでため息をついた。

剣士の事は彼も知っており、臆病になっている事もあって、相当に緊張したらしい。

そして、いつも通り疑わしげな視線を、リカルドがアティに差す

「しかし、あの剣士が親しげに話すとは、貴公は一体何者だ?」

「あー、ごめんね。 私それ分からないんだ。」

「・・・まあいい。 信頼が取り戻せればそれで良い。

今のパーティでは前衛も後衛もないな。 さっさと行くぞ」

それだけ言うと、リカルドは視線を外し、先に歩き出した。

尻込みするグレッグの背中を叩くと、アティはそれに続き、迷宮の探索が始まった。

 

凶悪無比な迷宮と言っても、地下一階はさほど強力な魔物がいるわけでもなく

だがそれほど楽に進ませてくれるわけでもなく、探索はそれなりに困難を極めていた。

まず、最初に姿を現したのは不定形の生き物だった。 不定形といえど、打撃は十分に効くので

もぞもぞ蠢く相手を、皆で一生懸命叩き潰す事になり、最初の戦闘は幕を開けた。

このような相手では、戦術も何もない、各個に相手を撃破してゆくだけである。

「此奴らはバブリースライム、迷宮で一番弱い連中だが、とにかく数が多い奴らだ」

「ふーん、そうなんだ。 知能とかはないの?」

「無い。 餌を求めて、貪欲に何にでも食いついていく。

恐怖も何もないから、死ぬまで相手に向かっていく。 倒すしか他に方法はない」

リカルドは無機的にそう答えた。 頭に手をやると、アティは手近なスライムを叩き潰した。

<忍者>のグレッグは、素早い動きを見せ、両手に持った短刀で、素早く周囲の敵を倒し

やがて三十匹ほどいたスライムが全滅すると、結果的な撃破数は彼が一番多かった。

だが、それを誇るでもなく、敵を倒し終えると蒼い顔で片膝をつき、ため息をついた。

「大丈夫? 怖いんだったら今日は帰ろうか?」

「・・・いや、いい。 多分大丈夫。」

グレッグの背中をさすってやりながら、アティは振り向く、リカルドの表情は微妙で

唐突に視線を向けられ、少しだけ顎を引いたが、表面上は平静を保った。

「リカルドさん、周囲を見張ってて。 お願いね。」

「あ、ああ。 でも、俺にそんな事を頼んで良いのか?」

「うん。 リカルドさん、絶対に期待に応えてくれると、私は思うよ」

笑顔を向けられて、リカルドは咳払いをした。 そして、言われたとおり周囲を見張り始める。

根は素直な男であり、それが正面から信頼していると言われ、嬉しかったのであろう。

しかもリカルドは、ここ最近特に、相手の下心に敏感になってきているが

アティの台詞には全くそれがなかったので、素直に従う気になったと言う事もあった。

「大丈夫だ、もう大丈夫だ。」

気恥ずかしそうに、グレッグは立ち上がった。 そして、決意を瞳に湛えて言う。

「・・・この近くに、私が死にかけた場所があるんだ。 寄り道になるが、行ってくれないだろうか?」

 

二人でグレッグをガードするようにして、少し離れた地点まで行き、そこにある扉を開けると

そこには広場があり、天井が吹き抜けになっているため、あたりには雪が降り積もっていた。

広場の正面には、何やら祭壇のような物があり、妙に手入れが行き届いている。

特にめぼしい物が辺りにあるわけでもなく、故に魔物の類はいなかったが

グレッグの表情は青ざめており、扉を見張るリカルドと

心配しているのかいないのか彼を見るアティに見送られ、ゆっくり広場の真ん中へと歩き出した。

「ここだ、ここで私は、横たわっていた。

ミッションが終わって、帰還しようと急いでいた。 そして、油断から不意の一撃を受けてしまった」

自分が倒れていた場所へと歩み寄るグレッグの表情は暗く、やがて地面に手をついた。

「世界が暗くなって来た。 そう、自分以外の何もかもが分からなくなってきたんだ

・・・これが死だと思った。 ・・・そうしたら、急に怖くなってきた・・・・」

いつの間にか恐怖にすくむ忍者の側にはアティがいて、恐怖に竦む彼を見つめていた。

荒い呼吸で暫く冷や汗を掻いていたが、グレッグはやがて、すがるように顔を上げた。

「・・・たまたま通りかかった冒険者の御陰で、一命を取り留めた時・・・

私は、ただの臆病者に成り下がっていた・・・私は・・・臆病者になってしまったんだ」

「グレッグさん、私、思うんだけど」

周囲が沈黙に満ち、リカルドも二人のやりとりを見ていた。 頭についた雪を払うと、アティは微笑む。

「すぐに克服しようとしても、無理な物は無理だよ。 だから、ゆっくり立ち向かおう?

私だったら、いつでも愚痴を聞くよ。 無理しないで、少しずつ進んで行けばいいよ」

「・・・すまない・・・少し楽になったよ」

青ざめた顔の中に、わずかに笑みを浮かべて、グレッグが言った。

その肩を叩くと、リカルドの方を見て、アティは言う。

「今日は戻る? 無理があったら良くないし」

「いや、大丈夫だ。 ・・・少しずつリハビリをするためにも、まだまだ進みたい」

そう言ったのは、リカルドではなかった。 驚くべき事に、グレッグだった。

立ち上がった彼の目には、少しずつ芽生え始める、アティへの信頼感があった。

 

迷宮の地下一層は、さほど分岐点が多いわけでもなく

多少の枝分かれもあれど、最終的には一本の大きな道で、奥に続く簡単な構造になっている。

その途中には、王宮直属の精鋭騎士が何名か勤める詰め所があり

クイーンガード長の魔導師レドゥアに守られて、女王オティーリエがいる事も良くある。

だが、今日に限っては、女王は不在だった。 駐在の騎士が、三人を見ただけだった。

不死の魔物が出現し、危険度が格段に増す地下二層以降は、ここで許可をもらわないと入れない。

そして、三人の前で、椅子に座って憂鬱そうにしている僧侶も、その許可を貰いに来ている者だった。

「こんちわ。 こんな所で何してるの?」

「何って・・・」

いきなりな相手の台詞に面食らった僧侶の名はサラ。 浅黒い肌と鳶色の瞳が特徴の女性で

一応の修練を積んだ僧侶らしく、聖衣の着こなしも様になっている。

興味深げに騎士の一人がやりとりを見たが、すぐに視線を逸らした。 サラは頭を振ると応えた。

「地下で苦しんでいる不死者達を浄化するために、探索許可状を貰いに来たのよ。

貴方達は冒険者? 見た所戦士系だけみたいだけど、それとも全員上級職なの?」

いわゆる上級職である<騎士>は僧侶系魔法を、<侍>は魔法使い系魔法を

そして<忍者>は簡単な両系統の魔法を、それぞれ使いこなす事ができる。

故に下級職はいらないと考え、上級職だけでメンバーを組む者もいるが、それは浅はかだ。

直接攻撃と魔法攻撃を同時にできる者などいないのがその理由で、戦闘では<何でもできる>者より

<何かに秀でている>者がそれぞれ役割分担してこそ、十と十の力を足して二十になるのだ。

無論全員が上級職という強力な熟練パーティもいるが、それでもそれぞれに役割は決まっていて

戦略的に装備と配置をしており、上級職だけだから強力などと言う事はあり得ない。

そう言う事情から、初心者パーティかとサラは思ったのだが、アティは頭を掻きながら言った。

「えへへへへ、違うよー? そっちのグレッグさんは忍者だけど、私とリカルドさんは戦士だよ

メンバーを集めようにも、この人達しか、私の仲間になってくれなかったの。」

「そう、私も護衛の方がいなくて困っていた所だわ。」

彼ら同様、所詮初心者。 相手に妙な親近感を覚えたサラは、まじまじとアティの姿を眺めた。

大剣使いであるというのに、着けている鎧は皮鎧、しかもショルダーガードは無く、年季が入っている。

右手には手甲を着けているが、下半身はズボンであり、妙に靴だけが豪勢なのが奇妙である。

他の二人、リカルドという戦士と、グレッグという忍者が、それなりの装備であるのに対し

全体的にちぐはぐとした、いやむしろ異質な物を感じる。

ひょっとすると、アティは理論よりも勘で、自分にあっている装備をしているのではないか

元々僧侶であり、かなり鋭い所があるサラは、そんな事を感じ取ったのである。

「・・・よければ、私も仲間に入れてくれないかしら」

その言葉は、単純な興味のさせる事か、或いはアティの将来性を見込んでの事か。

「ほんとー? ありがとー!」

サラの両手を握って、アティは無邪気に上下に振った。

想像以上に力が強いので、サラは振り回され、一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔に戻った。

「よ、よろしくね、アティさん、リカルドさん、グレッグさん」

「・・・よろしく」

「了解した。 短期か長期かは分からぬが、とりあえず共闘しよう。」

満足げにその様子を見ると、アティは握っていた手を離した。

サラの手に、強力で暖かな握力の感触が、いつまでも残った。

 

その日の探索では、結局迷宮第一層の最奥まで行く事は敵わなかった。

理由は途中で交戦したコボルトと、アティにあった。

「気を付けて。 敵がいるようだ」

グレッグの声がかかるのと、全員が緊張するのは同時だった。 そこはアーチ状の通路であり

吹き抜けになっているため、周囲には雪が降っていて、視界が非常に悪い。

そして前方からは、小柄な影が二体近づいてきた。 亜人の中で特にオークと仲が悪いコボルトだった。

コボルトは犬のような顔をした小柄な亜人で、オークとほぼ能力的に拮抗しており

しかも生息域が同じ為、種族レベルで血みどろのいがみ合いをしている。

このドゥーハンの迷宮でも例外ではなく、オークと良く交戦している姿を見かけるが

今日はコボルトだけで現れたようであり、向こうはまだこちらに気づかず、何やら話していた。

「オメェがいけねんだぞ! あんなガキの口車に乗って、インチキ魔法剣買いくさって!」

「うっせえ! お前だって喜んでたじゃねえか! くそったれが・・・何が、何でも切れる剣だ!」

金属が石とぶつかる鈍い音と、それがへし折れる甲高い音が響いた。

既に戦闘態勢を整えているアティらの前に、なおコボルトは近づいてくる。

「オレたち・・・ヴァーゴ様に殺されるぞ」

「預かった金を無駄にしちまったもんなあ・・・何とか工面しねえといけねえなあ・・・」

それだけ言うと、ようやくコボルトは人間に気づいた。 そして、犬の顔を歪めて笑った。

意味は明白である、コボルト二体は即座に剣を構え、人間めがけて飛びかかった。

だが、人数が二倍の上に、一応の訓練を受けているグレッグとリカルド

それにクロスボウを装備しているサラが支援しては、勝ち目などあるはずもない。

コボルト二体が、武器を吹き飛ばされ、地面に叩き付けられるまで丁度十秒。

腰を抜かして、地面にへばっているコボルトに、アティは手を差しだし、頭をなでた。

「痛い思いさせてごめんね。 私達も、あげるお金無いから、帰ってくれる?」

必死にコボルトは頷き、アティが手を離すと飛ぶようにして逃げていった。

そして、次にアティが取った行動が問題だったのである。

「逃げちゃったね。」

「・・・・! 何をしているのだ、貴公!」

リカルドが絶叫した、当然の話で、アティは虱まみれの手で、頭を掻いていたのだ。

それに気づいたサラは呆然と事態を見守り、グレッグに至ってはその場で硬直している。

「あー、えへへへへへへ、頭に触ったらまずかった?」

「あーでもえへへへでも無い! 何を考えているんだ! 少しは考えてから行動しろ!」

真っ赤になってまくし立てるリカルドの前で、アティは相変わらず笑顔のまま頭を掻く

「うー?」

「うーじゃない! あーでもえへへへでもうーでもない! もうちょっと何て言おうか

乙女としての恥じらいというか、身辺への配慮というか!」

その後二時間三十分間に渡って、リカルドの<乙女の身辺配慮講座>及びそれに付随した説教は続き

結局疲れ果ててしまったパーティは、帰還を余儀なくされたのである。

帰ってきたメンバーが増えているのを見て、宿のヘルガは喜んだが

結局リカルドは不機嫌なままで、宿に帰ってからもなにやらぼそぼそとつぶやき続けていた。

ただ、彼は一抹の不安を覚えてはいたが、一方でアティへの不審や疑心は綺麗に消え去っていた。

あまりにも<一般常識>から離れた行動が、驚きと同時に不審を取り去る作用を果たした。

それは紛れもない事実であり、リカルドの依頼は実の所、この時点で半分は達成されていたのであった。

 

5,信頼と連携と

 

二度目の探索は、最初からサラが加わっていた事もあり

一回目よりも大分スムーズに事が運び、前日の半分の時間で、最終到達地点まで辿り着く事ができた。

それ以降は再び一本道が続き、やがてアティが不意に足を止めた。

同時にグレッグも異常に気づき、周囲を見回す。 次の瞬間、通路の前後から、盗賊が現れた。

前方に五名、後方に三名。 五名の内には異様な殺気を放つ男がいて、どうもそれが首領らしい。

こういった盗賊は、冒険者盗賊とは根本的に違う存在で、実力によって呼ばれ方が異なる。

<閃光>で壊滅したドゥーハンであり、多くの犯罪組織も運命を共にしたのだが

その一部はこうやって地下に潜り、初心者冒険者や、オークやコボルトを痛めつけて生計を立てている。

この盗賊団は中でも凶悪で、金品どころか命まで奪い、死体を食らって生きている連中だった。

故にそもそも交渉する気など無いらしく、視線は人間ではなく食物に対する物だった。

「どうする、戦うしかなさそうだぞ」

「うん。 えーとね、どうしよっかな。 ・・・・・。

リカルドさん、後方の防御お願い。 グレッグさんは私と一緒に前を攻撃、サラさんは援護。」

アティは振り向きもせず、そう言った。 意外にも素早く戦術を組みたてたので、リカルドは驚いたが

無駄口は叩かず、剣を抜きはなって後ろに立つ。

「わざわざ敵が厚い方につっこむ理由は?」

不安そうにグレッグが言ったが、アティは無言で首砕きを抜き、地を蹴った。

それが戦闘開始の合図となった。 八人の盗賊が一斉に走り出し、一人がクロスボウを構えるが

サラの予想外に正確な射撃で胸板を打ち抜かれ、血反吐を吐いて倒れた。

リカルドは長剣を振り回し、盗賊を牽制する事に終始し、敵の追撃をそう易々と許さず

前方につっこんだグレッグは、ナイフを二閃させ、一人の腕の腱を切断、一人の指を全て切り落とした。

予想外に相手が手強い事を悟ると、盗賊達に動揺が走り、だがそれだけで勝利は来ない。

「てめえら、出てこい!」

首領がわめいた、同時にリカルドの相手をしていた三名の後ろから、更に十名の増援が現れる。

そして首領の脇に控えていた男が、シミターを抜き、グレッグに奇声を上げながら躍りかかった。

一瞬でグレッグに倒された二人とは段違いに素早い動きだった。 ブッシュワーカーと呼ばれる盗賊で

初心者殺しの異名を持ち、普通の盗賊と思って侮った冒険者は、たちまち倒される程の強敵である。

だがグレッグは、一応の訓練を受けた忍者である。

冷静に相手の攻撃を読みつつ、素早く的確に応戦する。 そうすれば、勝てない相手ではない。

鋭いシミターの一撃を、的確に受け流しながら、グレッグは叫んだ

「なるほど、薄いのはこっちだった訳か。 リカルド殿、こちらを撃破したらそっちにすぐ向かう!」

「まかせておけっ! こちらは俺が支える!」

リカルドが、狭路を利して、サラと共に敵を阻む。

流石に時間稼ぎがせいぜいだが、リカルドも一応の訓練を受けた冒険者、そう簡単には倒されぬ。

その隙に同時に二人が、首領ともう一人がアティめがけて襲いかかった。

鈍い音が響いた。 アティが首砕きの鞘を掴み、思いきり一人に叩き付けたのである。

剣の刃が当たったわけではないが、下手な棍棒で殴られたより効いたようで、盗賊が鼻血を出して倒れ

だがその隙に首領が懐に潜り込み、手慣れた動作で、鋭いナイフをアティの脇腹に突き刺した。

流石に手慣れた一撃は、くたびれ果てた皮鎧では防げず、アティの神経に火花が散った。

鞘が地面に落ち、乾いた音を立てる。 鮮血が、その上に飛び散った

サラにも、グレッグにも支援する余裕はない。 リカルドに至っては、支援して欲しいほどである。

そのまま首領はナイフを力任せに引き抜き、前のめりになるアティの頸動脈を切断しようとしたが

次の瞬間、殆ど本能的に飛んできた肘撃ちをもろに喰らい、たたらを踏んで数歩下がる。

たかが肘撃ちだが、大剣を自在に振り回すアティの肘撃ちである。

相当に効いたようで、頭をふり首領はわめいた

「ぐがっ! 悪あがきしやがって、今楽にしてや・・・」

それが最後の言葉になった。 俯いていたアティが、顔を上げる。

首領が息をのむ、何故ならそこにあった目は、純粋な、純粋な殺意だけで構成されていたからだ

凄まじい踏み込み、迷宮にその音が響く、地面がへこみ、頑丈なはずの強化靴が悲鳴を上げ

筋肉が、細身の体に秘められた、実戦的でかつ完璧に意志の元統制された筋肉が躍動し

首砕きが、水平から若干上向きの角度で、うなりを上げながら、斬った。

いや、それは生やさしすぎる表現だった。 首領の体は、上下に完全に分断され

上半身は奇矯で理解不能な音を立て、内蔵と鮮血をばらまきながら五メートルほども飛び

壁にぶつかって、頭もろとも砕けた。 首砕きは斬ったのではなく、吹き飛ばしたのだ。

脳漿が糸を引き、頭蓋骨の破片や飛び出した眼球もろとも、壁を伝って流れ落ちた。

下半身はその場で数秒立っていたが、やがて後ろ向きに倒れ、数度の痙攣の後動かなくなった。

凄まじい踏み込みが、しっかり靴跡の形で、ぬれてもいない地面に残っていた。

「シャアッ!」

グレッグが叫び、ナイフがブッシュワーカーの喉を切り裂き、初心者殺しは白目をむき、死んだ。

そしてアティに歩み寄り、ナイフで受けた傷を見て蒼白になった。

盗賊は首領が凄まじい一撃で惨殺されたのを見て、既に逃げ始めている。

最後の一人がわめきながら走り去るのを見とどけると、リカルドとサラもアティに走り寄った。

「大丈夫か!?」

俯いているアティ、 脇腹からは鮮血が流れ、慌ててサラが魔法を唱え始める。

首砕きには鮮血が巻き付き、返り血が皮鎧を染めている。 やがて、娘は顔を静かに上げた。

「・・・あー。 私、今どうしてた?」

無言のまま、リカルドは壁と床を指さした。 そこには原型を留めていない無惨な死体があった。

それを見ても、アティは別に動揺するでもなく、静かに言った。

「・・・そっかあ、殺しちゃったんだ、私」

「気にしないでいい。 どうせ貴方が殺さなくても、いずれ冒険者の誰かに殺されていたさ」

グレッグの慰めを聞いて、血みどろの手で頭を掻く。

いつもと同じ表情、同じ笑顔。 だが、やがて小さなつぶやきが漏れた。

「ごめんね・・・私がもっと強ければ、死ななくても良かったのにね・・・」

その場の全員が目をそらし、アティの顔を見ないようにした。

冒険者として必ず通る道ではあるが、やはり楽な道とは言い難い。 しばしの間、娘は無言であったが

暫くすると、背伸びをして深呼吸し、アティは振り向いた。

「いこっか。 剣士さん、待ってるだろうしね」

彼女がどういう表情をしていたかは、結局誰にも分からなかった。

 

地下一層の最奥には、大きなホールがあり、吹き抜けの上部には小さな部屋が設置され

螺旋階段が、中央部の巨大な柱を取り巻いている。 その下で、剣士は待っていた。

「更に一人増えたか。 ・・・しかも、彼らの信頼を大分得たようだな」

全員を見回すと、開口一番剣士は言った。

先ほどの戦闘で、勘による物だろうが敵の伏兵を見抜き、的確な戦術判断を下した事は

サラの信頼を得るに十分であり、またそんな重要地点を任せてもらったリカルドも、信頼を強めている。

確かに普段はぼんやりしているが、先の判断は十分に称賛に値する物であり

グレッグに至っては、この仕事を一時的な物と考えるのを、既に放棄しているようであった。

無邪気に喜ぶと、アティは頭を掻いて、いつものように言った。

「えへへへへへ、ありがと。 ・・・じゃあ、何で私に良くしてくれたのかとか、教えてくれる?」

「・・・悪いが、それは今の時点では、まだ教えられない。」

「あー。 何で?」

当然の応えに、剣士は数瞬の沈黙の後、顔を上げて答える。

その表情は巧妙に隠され、見えなかったが、わずかに寂しさを湛えているようにも感じられた。

「すまないな。 今の私には、それをする権利がないのだ。

・・・アレイドアクションの事に移りたいのだが、いいか?」

「うん。 でも・・・・いつか、教えてくれる?」

その言葉には、隠されない寂しさがあった。

親近感を覚えた相手に突き放されるのは、純粋な娘には辛いようであり、寂しい事だったのだろう。

何から何まで対照的な二人であったが、どこか似ている所もあった。

腰につけていた剣を外し、地面に先端を突き立てると、剣士は迷いを払うように言った。

「アレイドアクションには、それぞれに対する信頼と、熟練が絶対に不可欠だ

本来なら修得には時間がかかるのだが、今回はそれがない。 故に、必要な技だけを教える

基本の攻撃、防御、対魔法の技をそれぞれにだ。 応用技は、実戦で修得していけ

ギルドでも、有料で教えているはずだ。 どの技も必ず役に立つから、丁寧に修得していけ」

頷いた四名を見渡すと、剣士は指を鳴らした。 どうも知人らしい侍が、ゆっくりと奥から現れた。

かなりの力量を持つ侍らしく、圧倒的な戦意を身に纏っていて、動きには隙がない。

「まず最初に教えるのは、基本の攻撃技、ダブルスラッシュだ。

この侍は、今のお前達がどうやっても勝てる相手ではない。 だが、二人が同時に連携して攻撃すれば

一矢を報いるどころか、倒す事も不可能ではない。 具体的な方法は・・・」

侍は前衛の三名に、それぞれ訓練用の剣を渡し、自らもそれを取った。

剣士は具体的にどうするかと言う所で、両者のスピードを均一にする事、それに攻撃の際の移動

足裁きなどが重要である事を説明し、そして訓練に入った。

 

数時間の後、何とかダブルスラッシュの修得に成功した三人は、床にへたり込んで汗を掻いていた。

やはり苦労したのは、二人の息を合わせる事であり、特にパワー型のアティとスピード型のグレッグは

どうしても攻撃時の息が合わず、十二回目にしてようやく成功し、二十回目で成功率が80%を超えた。

一方で防御能力に長じた物があり、平均的な能力を持つリカルドは、さほど苦労する事もなく修得し

器用な所を見せていたが、だが彼には特に売りがないのも事実であり、本人は嬉しくないようだった。

剣士は侍に礼を言うと、息が上がっていた皆の疲れがとれるのを待ち、次の訓練に移った。

「次の技は、マジックキャンセルだ。 これに必要なのは、タイミングと冷静な分析力

いかなる魔導師も、そう悪魔でさえも、呪文を発動させるには詠唱が必要になる。

そしてその時は、どのような存在とて無力だ。 高位や、最高位の悪魔になると話は違うそうだが

ともあれ、殆どの相手は、タイミングを合わせた一撃で呪文を中断させ、大打撃を与えられる。」

剣士が指を鳴らすと、奥から騎士が一人、戦士が二人、そして魔導師が一人現れた。

いずれも手練れらしく、動きには隙がない。 特に魔導師は、凄まじい魔力を身に纏っていた。

「当然敵側の前衛は、それを防ごうとする。 故に、味方の前衛は、敵の前衛の目をそらし

その隙に、後衛の者が、石なり矢なりで詠唱中の魔導師を叩く。

ダブルスラッシュ以上の信頼と連携が必要だ。 努々も油断するな。」

 

マジックキャンセルの修得は、そのまま一日を要した。

わざとらしい動きでは、相手の前衛はすぐに狙いを見抜くし、何よりタイミングが難しい。

油断した瞬間に前衛が崩されたり、魔導師が呪文詠唱を完成させてしまったり

成功しても、魔導師によけられてしまったりで、修得には困難を極めたが

一日も過ぎた頃には、ほぼ九割以上の確率で発動できるようになり

それを見ると、今度は騎士にも魔法を使うように剣士は指示し、訓練は延々と続いた。

故に、最終的に技を修得した頃には全員が疲れ切って、再び床にへたり込んでしまった。

「良し、休憩だ。 あちらに簡単な結界があるから、中でキャンプを張って休め

貴公ら、ご苦労だった。 いつも世話になるな」

アティ達を休ませると、剣士は知り合いらしいパーティに声をかけ、労をねぎらった。

リカルドとグレッグ、そしてサラは極限の疲労から、さっさと休みに入ったが

アティは床に座って、足をのばしたまま、ぼんやりと剣士を見ていた。

「どうした、お前も休め。 最後の技はさほど大変ではないが、休む時には休む癖を身につけろ」

「あー。 うん。 ・・・いろんな人が、剣士さんを慕ってるんだな、と思って。」

「・・・私はそんな価値のある人間ではない。 むしろ、憎まれるべき人間だ」

何故自分がそんな、本音からの言葉を吐いたのか、剣士には分からなかったが

アティの不可思議な視線を感じて、咳払いをした。

久しぶりに心を見せたのが気恥ずかしかったのか、或いはもっと別の深刻な理由か

剣士は視線を逸らし、額に手を当てて、ため息をついた。

「早く休め。 私は二三日寝なくても大丈夫なように鍛えているが、お前はそうではあるまい」

「・・・うん。 でも、剣士さんも休んだ方が良いよ。」

「馬鹿を言うな、私が目を光らせておかねば、何がここに現れるか分からぬ。

ここの更に奥には、地下二階へ続く階段と、騎士の詰め所があるが

彼らとて、いつもいるわけではない。 不死者の群れに襲われて、骨だけになりたいか?」

素直にアティが首を横に振ったので、剣士は苦笑した。 キャスタが見たら驚いただろう。

ここまで剣士が感情を見せるのは久しぶりであり、滅多に見られる事ではないからだ。

アティが結界の中に消えると、白い髪に手を当て、剣士は何やら呟く。

その声は誰にも届かず、周囲に寂しさと悲しさだけが満ちていた。

 

6、新しい伝説の始まり

 

翌日の朝から始まったのは、フロントガードという技の習得だった。

「フロントガードは、基本にしてもっとも堅固な防御技だ。

前衛が完全に攻撃を捨て、特殊なフォーメーションを組む事で、敵の攻撃を防ぐ技で

基本的な防御能力は上昇するし、その間に後衛が強力な魔法を駆使し、敵を殲滅できる。

特筆すべきは、敵の攻撃を精密に見る事で、様々な効果を持つ毒の注入を防ぎ

そして何よりも恐ろしい攻撃、エナジードレインを防ぐ事ができる所にある。」

「エナジードレインって何?」

小首を傾げたアティ、流石に肉体能力がずば抜けて高いだけあり、筋肉痛も残っていないようだが

サラやグレッグ、それにリカルドも少し疲れが残っているようで、動きに若干精彩がない。

「うむ、不死者の中でも上位の連中や、高位の悪魔が得意とする危険な能力だ。

相手に手を触れ、生命力を直接吸い取る事で、相手の肉体能力を継続的に下げてしまうのだ

冒険者達の間では、レベルが下がるとそれを称する。 奴らの攻撃には、細心の注意を払え」

「あー。 うん。 分かった」

具体的な説明を剣士は始めた。 そしてそれが一通りすむと、再び話し始める。

「フロントガードは、こつさえ覚えてしまえば今までのどの技よりも簡単だ。

前衛がそれぞれを信頼していれば、特に問題はない。 だが一人が崩れたら、一気に全員崩されるぞ」

皆の顔を均等に見回すと、剣士は再び後方を向き、そして何かを呼んだ。

奥から、無数のオークが現れた。 彼らはキャスタの子分で、皆剣士の言う事を良く聞いた。

「これから彼らがラッシュというアレイドアクションをかけるが、フロントガードはラッシュも防ぐ。

だんだん人数を多くして行く。 最終的には、二十人のラッシュ攻撃を防ぎきれ」

剣士の声と共に、オーク達が一斉に身構えた。 そして吼えると、まず五匹がかけだした。

 

「・・よし。 お前達はこれで最も基本にして、最も重要なアレイドアクションを修得した」

周囲にへたばるオーク達、その真ん中に立ち、剣士は淡々と言った。

そして全員にサラでも到底不可能な、強力な回復魔法をかけると、オーク達にも声をかける。

「ご苦労だったな。 ・・・ところで、キャスタはどうした。 奴も来るはずだろう」

「それが、キャスタ親分は、途中でヴァーゴに見つかってしまって、つれてかれただ・・・」

「・・・何故、それを早く言わなかった!」

オーク達とへたり込むアティが、思わず剣士を見上げた。

「でも、親分は、アレイドが終わるまでは、絶対にそれをいっちゃあなんねえって、おいら達に」

「そうそう、そう言ってたよ。 キャハハハハハ!」

第三者の声が、場に突如割り込んだ。 リカルドが最初に立ち上がり、アティもホールの奥を見据える。

そこには、けばけばしく露出度が高い衣装を付け、全身に白粉を塗りたくり

顔には奇怪な化粧をして、数匹のコボルトを引き連れた女魔導師がおり、周囲に殺気をまき散らし

コボルト達の中には、縄で縛られて、うなだれているキャスタの姿があった。

「ヴァーゴだ! ヴァーゴがきただ!」

「・・・爆炎のヴァーゴ!」

オーク達が怯えきった声を上げ、一斉に剣士の後ろに逃げ込んだ。

隣では、ヴァーゴの悪名を知るリカルドが、剣に手をかけて硬直している。

グレッグに至っては、怯えきってしまい、視線が泳ぎ、体は震えていた。

「なーにが墓参りで地下四階に行ってるだよ、このバカ!」

彼らをあざ笑い、ヴァーゴはキャスタを蹴飛ばした。

無惨に地に這うオークを、コボルト達が真似して蹴飛ばし

そして、それを楽しそうに見やると、ヴァーゴは危険なまなざしを剣士に向ける。

「さ、分かってるだろ。 魔神の宝の情報を、今日こそ教えてもらおうか」

「・・・最下層に、お前の求める物など何一つ無い。 何度も繰り返し言ったはずだ

お前の力なら行けるには行けるが、行けば確実に後悔する。

そこにあるのは虚無だけだ。 地獄を見たくなければやめておけ」

「はっ、ふざけてんじゃ無い! 宝を独り占めしようたって無駄だね」

剣士の言葉を、ヴァーゴは聞こうともしなかった。 そして、楽しそうに周囲に視線を配り

アティにも視線を向けたが、鼻で笑い飛ばして剣士に視線を戻す。

それを見届けると、剣士は目をつぶり、アティ達に言った。

「アレイドアクションを実戦で試す時が来たな。 キャスタは私が助ける

ヴァーゴは強いが、教えた技を的確に使いこなせれば勝てる。」

「キャハハハハハハ! あたしに勝つ? そこの三流、新米、屑冒険者が、たった四匹で?

殺りたいなら殺ってやろーじゃないの!」

「あー。 うん、分かった。 頑張ってみるね」

首砕きを抜き放つアティ、表情に怯えも逡巡も無く、それを見てリカルドも剣を抜き

怯えきっていたグレッグも、静かにナイフを構えた。 体は震えていたが、視線は戦意を保っている。

「・・・行くぞ!」

剣士が吼え、アティが頷く。 同時に二人は地を蹴り、ヴァーゴも杖を構え、戦闘が始まった。

 

「行くよ、ひよっこども! キャハハハハハハハ!」

杖を構えると、ヴァーゴは走った。 杖と言ってもただの杖ではなく、戦闘用に様々に工夫され

打撃能力は、メイスに劣らず、しかもヴァーゴは相当な熟練者である。

最初に切り込んだグレッグ、そしてリカルドを軽々捌くと、杖とアティの大剣がぶつかり合い

そしてはじきあった。 一歩退くと、アティは素早くサインを出し、ヴァーゴが攻勢に転じた。

「くだらん作戦なんて、あたしには通用しないねっ!」

杖の先端部が、軽快な音と共に二つに割れ、中から鋭い針が飛び出した。

針は奇怪な液体にぬれており、誰の目にも毒が塗ってあると分かる。

奇声と共に、ヴァーゴはアティに飛びかかり、そして的確な防御にはじき飛ばされた。

驚きを顔中に浮かべるヴァーゴ、アティが使ったのはフロントガードだった。

他の誰に攻撃しても、結果は同じだっただろう。 それほど三人の守りは堅かった。

「おのれ、だったら!」

ヴァーゴがわめくと、手に光が集中する。 そして凄まじい勢いで、呪文がくみ上げられていった。

魔法使い系最強の魔法、<メガデス>であった。

その破壊力は凄まじく、発動すればホールの中にいる者全てが消し炭になることはほぼ疑いあるまい

しかも、これ程の早さで唱えられる魔術師はそういない、ヴァーゴの力量は疑う余地の無い所であろう。

だが、呪文が完成しようとした直前、ヴァーゴの肩にクロスボウの矢が突き立ち

のけぞったヴァーゴは、呪文を中断させられ、忌々しげにマジックキャンセルを行ったサラを見た。

「アンタ、ふざけんじゃないよっ! 魔法使いの詠唱中に攻撃するなんて、卑怯だろっ!」

ボウガンの矢に手をかけ、ヴァーゴは力任せに引き抜く、その目に凶熱が宿る

だが、そのとき勝負は既に決まっていた。 両側からグレッグとリカルドが、一気に切り裂いたのだ。

強力な守護魔法に守られたヴァーゴも、この一撃、ダブルスラッシュには耐えられず、後ろに吹き飛び

叫び声と共に顔を上げた彼女の鼻先には、アティのつきだした首砕きが光っていた。

「勝負、ありだね。 命は取りたくないから、引いてくれる? お願い。」

「・・・・この、この三流っ!」

白粉の上からも、はっきり分かるほどヴァーゴは真っ赤になったが

周囲を見ても、既にコボルト達は剣士に一掃され、尻尾を巻いて逃げに入っている。

ヴァーゴは剣を引いたアティの前で、弾かれるように立ち上がり、叫んだ。

「アンタの顔、覚えたっ! 次にあった時は、手加減無用だからね! 覚悟しとけっ!」

「うん。 私の名前はアティだよ。 次にあった時も、頑張るから」

「な、何を考えている! そいつに名を教えてどうするんだ!」

微笑んだまま名を名乗るアティに、リカルドが言うが、当然何も効果はない。

ヴァーゴは壮絶な笑みを浮かべると、地面に転がった杖をひっ掴み、駝鳥よりも速く闇に消えていった。

 

「剣士様、剣士様!」

ふと我に返ったアティが振り向くと、片膝をついた剣士に、必死にキャスタが呼びかけていた。

コボルトに傷つけられたのではない。 剣士は胸を押さえ、冷や汗を掻いて青ざめていた。

事態を理解したアティが、困惑し頭を振ると、駆け足で剣士に寄った。

「・・・体、悪かったんだ。 ごめんね、私、もっと早く来れば・・・」

「いや、それは関係ない。 お前に基礎を教えられた、それで気がゆるんだのだ

これで、思い残す事はない。 そう考えたら、長年酷使してきた体が・・・ごほっ!」

「どうして、どうしてそこまで・・・私に、私なんかにこだわるの?」

アティの声に、剣士は顔を向け、そして笑った。 キャスタが息をのみ、そして剣士は言う。

「迷宮に行かなくてはいけない、そう言う使命感に、お前の心は満ちているな?」

「うん。 どうしてか分からないけど、そうだよ」

「迷宮の最奥へ行け。 ・・・お前の探す物がそこにある

記憶も・・・・過去も・・・・ごほっ! ごほごほごほっ!」

アティの表情が一瞬影を帯び、そして驚きにそれが取って代わった。

必死に体を支えるキャスタとアティの前で、剣士の姿が薄れて行くのだ。

その声は徐々に薄れていったが、やがて霧の向こうから響くような響きが、ホールに満ちた

「・・・そこへ行けば、私が何者だったのかも・・・分かるはずだ・・・・

そしてそのとき、また私は・・・・」

剣士が消えた。 皆の中に沈黙が満ち、やがてキャスタがそれをうち破った。

「剣士様、オダにも、体が悪い事かくしてただ。 ・・・もう、長くない事、しってただ」

「ごめん・・・私・・・」

「アンタはわるくねえだ。 ・・・・剣士様、笑ってただ! 嬉しそうだっただ!

オダがどんなに冗談言っても、みんながどんなに楽しい話しても、絶対に笑わなかったのに!

剣士様が笑うの、助けてもらっていらいはじめてみただ・・・オダ、嬉しいだ。

でも、嬉しいのに・・・嬉しいのに・・・涙が、とまんねえだよ・・・」

そう言うと、キャスタは泣いた。 オーク達も泣き始め、場は悲しみに満ちた。

「・・・一旦帰ろう。 体力的にも限界だし、少し休みたいよ」

皆から顔を背けて、アティは言った。 誰もそれに異議を唱える者はいなかった。

街に帰る彼らを、キャスタはしばし見送っていたが、やがて涙を拭き、行動を起こす。

剣士の作った店を守り、理由はしらねど剣士が見込んだ者を、少しでも助けるために。

・・・爆炎のヴァーゴが、アティによって退けられた噂が、キャスタによって街に広まる。

それにより、止まっていたドゥーハンの時間が、再び流れ始めたのだった。

                                 (続)