高き空への飛翔

 

序、地獄と小鳥

 

待ち望まれる音があった。

場所はアフリカの最貧困国。国際支援団体の病院。

国際支援団体の病院でさえ、常に危険にさらされ、周囲を帯銃した警備員が彷徨いているその国で。待ち望まれるその音とは。

羽音であった。

カラシニコフだけならともかく、多数のRPG7で武装したゲリラが横行するその国では、危険すぎてヘリや飛行機での輸送など、簡単にはできない。だから、常にワクチンが不足する。特にマラリアの小児用ワクチンの不足は深刻で、救えない子供が毎日大勢出るような有様だった。過激化する民族紛争は、連日のように死者を大量生産し、弱者である子供など蹂躙されるだけの存在に過ぎない。

それを一部ながらも解決したのが。

グレート・マムと呼ばれる存在だったのである。

闇の中、舞い降りる羽音。木陰で待機していた白衣の医師が駆け寄ると、木の枝の上で、青い翼を持つ鳥が、丁度今枝に留まる所であった。空色の翼を持つその鳥は、小鳥と言うには大きすぎ、小型の猛禽ほどもサイズがある。ただし嘴や爪はさほど鋭くなく、肉食性ではないことが見て取れる。

この鳥こそが、グレート・マムである。

首からぶら下げているのは、密閉式のワクチンボックス。器用にボックスを外すと、鳥は人間の言葉で喋った。

「今日の分。 確かにこれで全部届けたよ」

嘴で、ボックスを落とす。医師は慌てて下でキャッチした。黒い手は苦労をあまり知らないため、筋肉も無く、弱々しい。

神経質に翼を手入れしていた鳥は、目に強い知性の光を宿している。それだけではない。至近で見るとよく分かるのだが、全身には歴戦の猛者であることを証明する、無数の傷跡があった。この鳥が、どれだけの死闘をくぐり抜けてきたのか。病院スタッフには、想像も出来ない程である。

「グレート・マム。 今日も危険な中、ありがとう」

「礼などいいさ。 私に礼を言っている暇があったら、さっさとこの馬鹿げた乱痴気騒ぎを解決するんだね。 無意味で非生産的なことこの上ない。 地面を蠢く虫だって、もう少し世界で有意義に生きているよ」

不機嫌そうな声だが、この小鳥は今まで二百三十回に渡り、フィールドと呼ばれる超危険地帯を経由することで、ワクチンの輸送を成功させている。人間では危険すぎて入ることが出来ないその場所を、確実に抜けてくる歴戦の猛者。

医師は、その鳥がなぜ其処までの実力を持っているか、詳しくは知らない。ただ、世界でもまれに見る、鳥のフィールド探索者だという話だけは聞いていた。

医師が、必要なワクチン類の目録が入った袋をボックスに入れて、鳥の首に掛ける。面倒くさげに何度か羽ばたいてボックスの位置を調整した鳥は、枝の先になっていた赤い木の実を口に入れると、そのまま飛び去る。夜闇など、ものともしていない。もはや鳥という生物の限界を、遙か超越しているとも言える。

やがて、病院には静寂が戻った。

このワクチン輸送により、救われる人間は多くいる。

だが、それを快く思わない連中がいるのも事実だ。

対立部族の子供を助けていると言うことで、この病院を目の仇にしている民兵の組織がある。名はアパ・カルタ。国外にも名を知られている、凶暴きわまりない悪鬼のごとき連中だ。病院の周辺は強力な軍部隊が展開しているから手を出せないが、輸送しているヘリや車は、何度も襲撃を受けた。被害の深刻さに耐えかねて、病院側が国連に、グレート・マムの出動を申請したのが先々月。それから、一気に状況は好転したかに見えたのだが。

医師が病院内に戻り、ワクチン類を倉庫に入れると、院長が来た。今は明星さえない早朝。院長は本来なら、シフトで寝ている時間帯である。何かあったのだ。

「エマリ君。 拙いことになった」

「アパ・カルタが気付いたのですか」

「どうもそうらしい。 国連軍からの警戒連絡があったのだ」

院長がそう額の汗を拭いながら言った。

この、地獄の別名ともなっている小国に、さらなる嵐が吹き荒れる予感が、一介の国連からの派遣医師であるエマリの心中を駆け抜けた。

国連軍が、あまりにも酷い現状に、平和維持部隊を派遣するという連絡は来ている。A国の軍勢を中心とした精鋭で、ゲリラの鎮圧にも多くの実績を上げている。この小国では、武装民兵組織と言っても多寡が知れている。鎮圧は、そう時間を掛けずに出来ることだろう。

だが、その前に、この病院を守りきることが出来るかどうか。

病院は、怪我人や、病人を治療する所だ。

医療具や薬品を、作成する場所ではない。

どちらも消耗品である以上、病院は物資が絶えず補給されなければ、機能しない。そうしなければ、誰も救うことは出来ないのだ。

医者とは不便な職業だ。

人を救う職業でありながら。道具、時間、スタッフ、そのいずれが欠けても、人を救うことは出来ない。

そして今。時間と道具は、決定的に不足していた。

病院にはこの瞬間にも、マラリアを始めとする凶悪な病に冒され、栄養を得られず死に瀕している子供達と、対人地雷や戦闘に巻き込まれて手足を失った子供、或いは武装解除はされたが、何時暴れ出してもおかしくない兵士達が担ぎ込まれている。

医師の戦いは、永遠に続くのだ。

それがせめて、多少は緩和されれば。エマリは、今後の状況が、少しでも良くなるようにと願った。

それが、多分かなえられないことだと知りつつも。

 

1、偉大なる母と脆弱なる者

 

ヨーロッパの片隅。かって東欧と呼ばれた地域の沿岸部に、通称鳥の島と呼ばれる不思議な空間がある。

広さはJ国とほぼ同等。正確には離島ではなく、潮の満ち引きによって隔絶される一種の出島だ。厳しい気候の東欧にしては、暖流があるため比較的温かく、四季がはっきりしている、奇跡的なバランスの上に浮かんでいる島である。

かってから生物学者の間では、不思議な生態系が築かれていると噂になっていた土地である。だが、東西冷戦の影響で殆ど調査は入ることが出来ず、冷戦終了後もその島を領土にしている国が石油利権に起因する紛争で大荒れに荒れたため、長らく幻の秘境となりはてていた。

21世紀、その歴史にも転機が訪れる。暴君とも言われた独裁者が倒れ、資源枯渇によって紛争が一段落したため、ようやく調査の手が入ることになったのである。長年幻となりはてていた生態系にメスが入ることとなったのだが、其処で多くの生物学者達が驚愕することとなる。

島には伝承で散発的にのみ語られていた、異常な光景が広がっていたのである。

非常に肉食性が強く、空を飛ぶ鳥を襲って補食することがある大型の啄木鳥。後ろ足が発達していて五メートルほども跳躍し、肉食性が強いネズミの一種。カンガルーネズミと呼ばれるポケットマウス科の齧歯類、もしくはトビネズミ科の齧歯類に似ていたが、サイズが四十センチ近く、遺伝子調査の結果固有の科が設立された。さらには、平均体長が十センチを超える世界最大級の雀蜂など、独特の種が多く存在していた。それら自体は大型の猛禽類を頂点とする生態系のバランス上問題がなかったのだが、一種類だけ。

この異様な生態系の中で異彩を放ち、過剰なまでに繁殖している種が存在したのである。

それが、この島の固有種である、スズメ科に属すると判明した「トウオウルリオオスズメ」であった。雀科の中では大型の種類で、翼長は五十センチから七十センチ。小型の猛禽類に匹敵するサイズであり、食性は雑食。果物を好むが、特に雛を育てている時には、飛翔している蛾をよく捕らえて餌とする。

この鳥には、特筆すべき特徴が二つあった。

二年ほどの国際共同チームの研究の結果、それらの恐るべき特徴が明らかにされた。

一つは知能である。

鴉の一種には、小石などを使って獲物を砕いたりし、食べやすくするなどの高い知能を示す種類がいる。集団で狩りをしたり、外敵を集団で襲うこともある。一種の社会性を示すこともあり、極めて知能が高い動物の一種として評価できる。

だが、この鴉に匹敵するサイズの小鳥は、正真正銘道具を使うのである。

自生しているキノコの一種を器用に頭上から叩きつけることによって、サイズが倍近い鷲を撃退する光景が、何度となく目撃されている。また、倍近い速度を持つハヤブサの動きを先読みして、木に突っ込ませたり、その爪をかわしたりする光景が何度となく見られており、知能の高さが伺えた。

また、鳥同士でのコミュニケーションも優れていて、子育てを行う際には周囲を警戒する個体や集団で外敵を追い払う個体などが分業し、非常に高い確率で雛を成鳥にまで育て上げていた。その一方で根源的な繁殖率そのものは決して高くはなく、それがこの鳥によって島が埋め尽くされない、原因の一つとなっていた。

いずれにしても、鳥の常識を完全に越えた存在である。一時期学会はこの鳥の研究成果に沸騰し、否定的な学説から陰謀説まで数多くの反論も飛び交った。しかし、四年ほどの多方面からの研究の結果、当初の想定以上の知能がほぼ確定的だと判明すると、以降は反証も下火になり、建設的な研究に移行するようになった。

もう一つの特徴については、遺伝子の解析の結果判明した。

それは、この島にいる非常に知能が高い鳥たちに。共通の先祖がいるらしい、という事であった。

人間のミトコンドリアを解析した結果、どうやら偉大なる母とも呼べる通称「ミトコンドリア・イヴ」と呼ばれる存在がいたらしい事は、既に判明している。このトウオウルリオオスズメにも、似たような存在がいたらしい。しかも、どうやらこの異様な知能の高さは、その一個体から受け継いだものらしいと、判明したのである。

化石を解析した結果、仮に「グレート・マム」或いは「マミー」と名付けられたその個体の同時代以前のトウオウルリオオスズメは、決して賢い鳥では無いことが判明した。社会性を思わせる子育てとは無縁であるし、道具を使いこなすこともない。何より図体ばかり大きくて、動きも鈍く、特に啄木鳥とカンガルーネズミ、更に機動性が異常に優れている大型雀蜂たちの好餌となり、繁栄どころか絶滅寸前まで追い込まれていたことが分かったのである。

文字通り、グレート・マムは種を救った歴史的な英雄とも呼べる存在だったのだ。一説には、その遺伝子を受けた子は百を超えたとも言われている。

これは、遺伝子学者達にとっての、重要なブレーク・スルーとなった。恐らくは突然変異個体だと思われるグレート・マムの研究を進めれば、或いは歴史上まるで進歩を見せない愚劣なる人類の未来を切り開くことが出来るかも知れない。

それはいわゆる遺伝子操作人類、デザイナーズチルドレンなどの研究につながるとして、危険視する向きもあった。クローニングの倫理的な問題を上げて、反対する者も多く出た。しかしながら、実際に膨大な商業的利益を上げられることを何名かのノーベル賞学者が示すことにより、研究が進められることとなった。最低でも数十兆円という予想利益の数字を見て、反対派を国が押さえ込んだという事もあった。

やがて、遺伝子工学の粋を集めて、グレート・マム再生計画が立ち上げられた。主要国からも出資が行われ、複数の大学で同時に計画が進行。やがてJ国のK大学と、A国のH大学で、ほぼ同時に成果があがり、それらを統合することで、グレート・マムの遺伝子が完全に再現された。

後はトウオウルリオオスズメの受精卵にそれを封入するだけであったのだが。

此処で、一つ大きな事件が起こった。

具体的な理由は分からない。実際に孵化するに到ったグレート・マムは、驚くべき特徴を備えていたのである。

人間並みの知能を備え、口をきくことが出来たのだ。

もちろん、実在したグレート・マムがそんな特徴を備えている訳がなかった。実際に見た者などいないとは言え、いくら何でもそれはおかしすぎる。突然変異の遺伝子を、無理矢理よみがえらせた事による、神罰ではないかと呟く者さえもいた。科学の先端を集めた大学でも、時に人類はそんな迷信に囚われる。

いずれにしても、一年足らずで成長したグレート・マムは。様々な研究に晒された後。人権を取得し、史上初の鳥によるフィールド探索者として、空を舞っていた。

 

通常の人間では入ることさえかなわない危険地域。巨大なクリーチャーが闊歩し、邪悪な異界の神が降臨し、現世とは違う法則が支配する土地のことを、フィールドと呼ぶ。スペランカーは、そのフィールドを攻略することを生活の糧にしている、探索者と呼ばれる人間の一人だ。一応プロであり、それなりに実績を積んでいる。

ヘルメットを被った彼女は、一見すると十代半ばの東洋人に見える。半袖のシャツとズボンから伸びた手足は細く、筋肉は薄く、動きは鈍く、とても百戦錬磨の強者とは思えない。だが、彼女は確かに、どんな歴戦の猛者でも生還できない地獄を、何度となく潰してきた、この業界でも有名な存在だ。

脆弱な体に、貧弱な頭脳。

それにもかかわらず、彼女が確実に生還する理由は。その身に纏うおぞましい呪いにあった。幼いころ、父に貰った不老不死という名の呪いが、スペランカーを縛っている。副作用として、何かあるとすぐ死ぬし、何も身につかないし、頭も悪い。そして、何よりも。十代半ばにしか見えない状態のまま、大人になってしまった。

今日もスペランカーは、仕事のため母国を離れて、今乾いた大地に立っている。絶対生還者という迷惑な二つ名のために、今日もまた危険きわまりない仕事に出なければならないのだ。そして、今回共同で戦うことになる戦士と、合流した。軽く挨拶をした後、改めて相手の姿を見る。

スペランカーが見上げる先にいる鳥、グレート・マムは。人間であるスペランカーから見ても、疲れ切っているように思えた。

全身は美しい瑠璃色。種族の正式名は流石に思い出せないが、青だったか瑠璃だったかが入っていたような気がする。スペランカーの残念な記憶力では細かく思い出せない所が悲しい。

正式名はマミーというらしいのだが、フィールド探索者の中では、古株である彼女に敬意を表し、グレート・マムと呼ぶのが通例となっていた。

彼女はかなり古参のフィールド探索者だ。彼女が人間外の種族によるフィールド探索者、という存在の道を切り開いたとも言えるため、業界では有名である。しかし、如何に頭が良くて、膨大な経験を積んでいるとはいえ、所詮は鳥。戦闘能力は並の人間、しかも子供以下にしか備えていないし、武装も限定的。フィールドに挑むことは出来ても、攻略をすることはまず不可能で、主に担当は輸送か偵察になってくる。それが恐ろしく優秀であるが故、今日に至るまで、不動の座を確保しているのである。

すらりと伸びた尾羽には、汚れが染みついている。手入れし切れていないのだ。しばし見つめていたスペランカーに気付いたか、グレート・マムはしゃべり出す。口調は落ち着いていて、まるで海賊の女船長だ。声も低い。

「どうかしたかい?」

「あ、いえ。 お疲れのようでしたから」

「何、この程度。 普段は楽させて貰ってるからね。 今はむしろ稼ぎ時さ」

格好よい台詞である。鳥から発せられているとはとても思えない。

彼女がフィールドに挑む理由を、スペランカーは聞いている。多分、どの人間のフィールド探索者も敬意を払うのは、その理由が故だ。孤高の戦士でありながら、彼女は博愛の徒でもあるのだ。

それにしても暑い。此処はアフリカ大陸で、しかも最も暑い地域なのだから当然だ。普段と違って半袖半ズボンにしているのは、そうしないとぱたんぱたん死ぬことになるからである。

額の汗を拭いながら、スペランカーは早く夜が来ないかなと思った。

出撃まで、だいぶ時間がある。

「今回、あんたは陽動だって? あんたの噂は聞いているよ。 また随分と、痛い目にばかり遭うそうじゃないか」

「あ、私、頭も良くないし、運動神経も駄目ですから。 これくらいしか、出来る仕事がありませんし」

「そう自分を卑下するもんじゃないよ。 あんたの噂は私も聞いてるが、そう悪いものはないね。 もうちょっと自分の仕事を誇りに思えばいいのさ」

そう言いながら、グレート・マムは風切り羽の手入れをした。翼の裏側は白くなっており、それを丁寧に嘴で掃除していく。

鳥の体は飛ぶことに特化していて、逆に言えばそのほかの殆どを捨てているという。つまり、翼は鳥にとって本当に大事なものなのだ。ちょっと調子が悪くなると、飛ぶ速度や、旋回性能が落ちる。

もしも、それが敵に追われている時だったら。

確かにそう考えると、鳥が念入りに、執拗なまでに翼をチューニングするのも、納得が行く話だ。

足音がもう一つ。

グレート・マムの食事を手にした、国連軍の軍人だ。曹長の階級章を付けている。

今回、露骨に戦闘能力が低いスペランカーと、グレート・マムだけがフィールドの探索を行うのには、とある理由がある。

それは、フィールド探索者の不文律にも関わることであった。

「飯だぞ」

「ああ、其処に引っかけておいてくれ。 後は適当に食べておく」

「そうかよ。 次の荷物は三時間後だ。 それまで、適当に休んでおけよな」

国連軍の軍人は、露骨にグレート・マムを侮蔑した目で見ていた。流石に文句を言おうかとしたスペランカーに、彼女が言う。

「あんたが怒る事じゃあない」

「でも」

「いいから、あんたも休んでおきな。 自分でも分かってるんだろ? そんな細い手足で、これから地雷原に突っ込むんだ。 慣れてるって言っても、辛いことに代わりはないんだからさ」

鼻を鳴らすと、職員は枝に乱暴に食事を引っかけ、帰っていった。

軍人の中には、フィールド探索者を良く思わない人間も多い。世界に多数ある、或いは発生することがあるフィールドは、人間の最大の利点である知恵も武器も通用しない魔境だ。戦車を持ち込もうが戦闘機を突っ込ませようが通用しないのである。それが故に、軍人の価値が低く見られることもある。

だから、フィールド探索者に代表される能力者達は、古来から気を配ってきた。フィールド探索者という存在そのものが、現在では完成したそのあり方の一つだとも言える。

その苦労の一端を、古参であるグレート・マムは知っているのだ。

そしてあの軍人さんは、それが故に。フィールド探索者を良く思っていない。そして対立は、いつでも火種を含んでいるのだ。

この国は、地獄と周辺諸国から呼ばれているという。

地獄の中に、また別の地獄がある。やりきれない話であった。

別の軍人さんが来た。此方は少尉の階級章を付けていて、若干フィールド探索者に好意的である。

「スペランカーさん。 作戦会議を行いますので、此方に」

「あ、分かりました。 グレート・マム。 それでは、私、行きます」

「気をつけてね」

「其方こそ」

再びグレート・マムは翼の手入れを始めた。今度は器用に翼の上側の汚れを取っている。嘴で汚れをとるだけではなく、時には足も使っているようだ。器用だなと思いながら、赤茶けた土の上を歩く。

豊かな生態系が広がっているサバンナや密林になっている地域を例に出すまでもなく、何もアフリカ大陸の全土がこんな有様という訳ではない。だが、不遇な大陸であることは事実だ。

途中、何度か自動小銃を構えた警備兵とすれ違う。反応は両極端であった。ぺこぺこ挨拶をして回る内に、軍基地の内部に。クーラーが効いている箇所はごく一部で、他は蒸し風呂のように暑かった。

司令部にはいる。

スペランカーがヘルメットを取ると、周囲の士官らしいおじさん達が、あまり好意的ではない視線を向けてきた。どうも司令部に行けば行くほど、スペランカーらフィールド探索者を嫌っている率が高いらしい。国や軍組織によって違うのは分かっているが、それにしても少し肩身が狭かった。

さっと、この国の地図が配られる。

J国の約二倍の広さを持つこの国は、南北に細長い内陸の国家である。そして現在、ソラ族とウミ族と呼ばれる二つの民族が、壮絶な死闘のさなかにあった。

理由については、以前知り合った歴戦の戦士、アーサーさんにメールで参考文献を教えて貰った。その中の幾つかを来る途中に呼んで、大まかには知ることが出来た。

かって、この土地では。ソラ族が支配社会層であり、ウミ族はそれに仕える奴隷階級であったという。社会的矛盾も少なくはなかったが、それでもそれなりに平和であり、あまり無体な悲劇はそう起こらなかったという。

問題は、この国に、白人の国家であるS国が乗り込んできた後のことであった。

典型的な西洋列強であったS国は、国内に安価な労働力を持ち込むため、圧倒的すぎる暴力的戦力と、詐欺同然の手口でこの国を侵略した。多くの人々が奴隷として連れ去られ、異国の地でものをいう道具として酷使され、死んだ。国の内部でも、巨大なプランターによる酷使によって、多くの人々が死んだ。

逆らえば殺された。

この当時、西欧の人間は、アフリカの人間を、いや他の人種全てを、一種の動物くらいにしか考えていなかった。その虐待は苛烈を究め、凄まじい虐待の中、ウミ族もソラ族も全てを奪われた。

更に植民地支配を効率化するために、ウミ族とソラ族の間に、意図的な差別が作りだされた。これは何処の植民地でも行われていることで、不満を逸らすための定番的な政策である。だがこれが、後に大きな悲劇をもたらすことになる。

やがて世界大戦が終わると、S国の支配も緩み、独立の気運が高まることとなる。

アフリカの年と言われた大独立動乱のさなか、この国も激しい独立戦争を起こした。もとより列強の座から転落して久しかったS国の脆弱な軍隊に、独立運動軍を押しとどめる力はなく。やがて、たたき出され、すごすごと本国目指して帰っていった。

問題はその後である。

何処のアフリカ独立国でもそうだが、運命は大まかに二つ用意されていた。

一つの運命は、白人を完全に追い出すこと。この場合、白人の持っていた技術や資本までもが消え去ることになってしまった。もう一つの運命は、白人から支配は取り返すが、その代わりある程度の優遇措置を残すこと。

この場合は腐敗構造が残ってしまうと言う欠点があるが、技術も資本もそのままになることが多かった。

もとよりアフリカに対する侵略は、資源が目当てであった場合が殆どである。人間とは現金なもので、金と誇りであれば殆どの場合金を選ぶ。特に企業という組織体制の場合は、それが顕著である。

悩んだ末に、この国は前者の運命を選んだ。それだけ、長年支配と略奪に民が苦しんでいて、植民地政策を採った白人への憎悪が強かったのである。

結果、途轍もない大不況が国を襲った。

平和は来たかも知れない。しかし、誰もが食べていけない状態に陥ってしまったのだ。

膨大な資源があったとしても、それを換金できる技術が無ければ意味を持たないのである。

飢餓は人々の心を荒ませる。この原因を作ったのは、ソラ族だとウミ族の者達は思った。事実それには一理あった。この国に来た白人達を、己の利益を元に歓迎し、国を乗っ取られた責任はソラ族にあったからだ。更に、差別がその偏見を後押しした。

かといって、そのまま皆殺しにされる訳にもいかない。

数は圧倒的にウミ族が多かった。しかしソラ族も手元には、白人達が残していった、世界的には二線級でも、この国でならば充分に圧倒的な実力を誇る兵器群があったのだ。

最初に手を出したのはどちらかは分からない。

分かっているのは。

一世代半に渡って互いに殺し合いを続けた結果、もはや両者の殺意と敵意は、取り返しがつかない段階まで進行してしまっている。そう言うことであった。

もはやこの国の政府は機能しておらず、二つの民族がそれぞれに民兵組織を立て、敵対民族を殺し続けているのが現状である。現在国連の平和維持部隊は、両者の勢力圏のど真ん中に基地を構えることによって、両者を牽制している。しかし勢力圏内では、対立部族の虐殺が日常的に発生している状態で、越境してのテロ攻撃も後を絶たない。何と、この時期に発生したフィールドでさえ、中立地帯扱いして使用していかなければならないという有様なのだ。本来超危険地帯として知られるフィールドが、皮肉なことに、民族紛争の防波堤となっているのである。

だから、スペランカーもグレート・マムも、フィールドの攻略など求められてはいないのだ。

各国からの食糧支援と、荒れ果てた国土の再生計画について、司令官が今説明している。だがそれらを実施するには、両民族の武装解除が必要不可欠だ。現在一万を越えるカラシニコフとRPG7が国内に出回っているという最悪の状況で、対人地雷も彼方此方に満遍なく敷設されている。

あまりにも悲惨すぎる状況に、現在国連軍がA国の精鋭を中心とした二師団の出兵を予定してくれているのだが、それも来月までは来られない。

中立地帯にある国際支援団体の病院は、現在かろうじて安全を確保できている国連軍空港から少し離れてしまっている。これは細い橋のように、両勢力の間に伸びている中立地帯の真ん中に建てられているからで、そうしないとどちらの民族も救えないのである。

しかも今、頭に血が上りきっている両民族は、どちらも病院を敵視している。敵対民族の子供を救っているというのが、その理由だ。相手の民族を、皆殺しにすることしか考えていない鬼畜が、両民族の首脳部を独占してしまっているのである。まるで先が見えない地獄の紛争と、どれだけ殺しても食料が足りない飢餓が、その現状を許してしまっている。命がけで各地を回り、医療に従事している国際支援団体の職員でさえ、襲撃されることがあるほどなのだ。

ともかく、病院に医療物資を輸送するには、コンボイと呼ばれる強烈に武装した部隊を動員するか、或いはフィールドを抜けるしかない。

初期はコンボイを使って医療物資を輸送していたのだが、これは当然のように何度も出来る事ではなく、その上中途で敵の攻撃を受けることが著しく多い。実際何度かRPG7による攻撃を受けて、IS国から貸与されている超防御重視戦車メルカバまでもが撃破されたことがあり、今ではコンボイによる輸送の回数を減らし武装を強化することで対応している。

ただしそうなってくると、たださえ乏しい物資が、更に病院で不足することとなってしまう。何しろ、運んでいるのは医療物資だけではない。殆どは食料であったり、他の生活必需品なのだ。小児用のミルクも不足が深刻化している。

これに対抗するために、呼ばれたのがグレート・マムだ。

彼女はフィールド探索者として、フィールドを突破して、毎日少量ずつ医療物資を病院に運ぶという作戦に従事。それは今まで巧く機能していて、充分なワクチンと医療物資を配達することが出来ていた。

しかし、である。

スペランカーも、自分が呼ばれたことで、どうもそれが上手く行かなくなりつつある事は理解できる。

なにやら続けられている作戦会議の内容は、全く理解できなかった。ただ、おおまかに、何処をどう守るのかを話し合っているのかだけは分かる。今この国に派遣されている国連軍は一個連隊に過ぎず、空港周辺と中立地帯を守るのが精一杯の人員しかいない。連隊と言うことで指揮官も中佐に過ぎず、ちょっと貫禄が不足しているのが、シロウトであるスペランカーにも分かった。

見たところ、あまり士気は高くない。国連軍は、何度かあった宇宙人や異世界との交戦の結果、何処の軍隊よりも優先的な装備を渡されてはいる。しかしそのどちらとも刃を交えていない現状、国際紛争の調停や、平和維持活動が行動の中心となっている。スペランカーから見れば、それはとても誇りある活動なのだと思うのだが。生粋の軍人だと、それを汚れ仕事と感じてしまうのかも知れなかった。

「そこで、スペランカーどの」

「あ、はい」

「貴方は此処から此処を突っ切って、ワクチンの輸送をしてもらいます。 ただし、事前に話してあるとおり、これは陽動です」

分かっている。陽動のためにスペランカーは呼ばれたのだ。

そもそもフィールド探索者の絶対的なルールの一つとして、人間の紛争に関与してはならないというものがある。

これは圧倒的な能力を持つフィールド探索者がもしも兵器として活用された場合、既存の技術では歯が立たず、世界のシステムが崩壊してしまうからだ。現在最強のフィールド探索者である、I国の元配管工の凄まじい戦闘能力を例に出すまでもない。かって、数百年前。自分や家族を迫害した国家を、まとめて滅ぼしたフィールド探索者も実在したほどなのである。

しかし、如何にフィールド探索者の能力がずば抜けていると行っても、通常の人間は圧倒的に数が多い。もしも総力戦を行えば、最終的に負けるのはフィールド探索者の方だ。

だから、フィールド探索者達は会社やコミュニティを作って、自分の身を守ってきた。N社もC社もそうやって出来たし、グレート・マムを同僚として保護することを提言したのも、フィールド探索者のコミュニティだ。紛争には関与しないというのも、フィールド探索者としてプロ認定された時に、最初に身につける常識の一つである。

今回は、医療活動の一環と言うことで、グレーゾーンながら、かろうじて参加が国連に承認されている。その代わり、戦闘能力が低く、特に広域殲滅能力が無い能力者をという要請もあった。

だから、スペランカーが選ばれたのである。

そして、国連は、スペランカーを輸送人としてあまり有能だと思っていない。今回スペランカーは新しいフィールド探索者が来たという情報を民兵達に流し、正面から地雷原を突破することで、その注意を引く役目だ。本命はあくまでグレート・マムである。

当然何十回と死ぬだろう。今から憂鬱になる任務であった。

「歴戦のスペランカーどのをこのような簡単な任務に繰り出すのは、とても心苦しいのですが」

「あ、私とても弱いですし、頭も悪いですから。 陽動になるか不安ですが、頑張ってきます」

「これはご謙遜を。 数ヶ月前に、巨大幽霊船クィーン・ルルイエ号を撃沈するのに一役買ったと、皆の噂になっていますよ」

にやにやと嫌らしい笑いを中佐が浮かべている。知っていて言っているのだろう。あれはバルン族の戦士グルッピーと、E国最強のフィールド探索者アーサーがいたからこそ出来たのだと。

居心地が悪くて頭を掻くスペランカーの元に、頑丈な最新素材で作られた鈍色のポシェットが出される。地雷ぐらいでは壊れない強度を持つポシェットであり、これを見せびらかしながら、中立地帯の一部にある地雷原を通って、病院に向かうこととなる。

「それと、民兵に掴まったら覚悟してください。 どんな残虐な目に遭わされるか分かりません」

頷くと、スペランカーは部屋を出た。

多分掴まるんだろうなあと思うと、やはり憂鬱であった。

 

2、迎撃者の影

 

星の位置を見て、時間が来たことを悟ったグレート・マムは。翼の間から顔を抜いて、首に掛かっているワクチンを確認した。

J国の技術で作られた、超小型無線から声がする。スペランカーとか言う小娘からの連絡だ。

「グレート・マム。 そろそろ出発の時間ですけど、大丈夫ですか?」

「分かってる。 あんたはそろそろ地雷原?」

「はい。 ちょっと蚊が多くて、難儀してます」

破裂音がしたので、びっくりしたが、何事もなかったかのようにスペランカーは話してくる。

「あ、私に掛かってる呪いが蚊に発動しただけです。 血なんか吸ったら、間違いなくああなるのに。 どうして寄ってくるのかなあ」

「そうかい。 まあ、所詮蚊だからね。 あんたのことだから、マラリアも問題ないかい?」

「大丈夫です。 というより、それで死にたくても、たぶん死ねません。 じゃあ、そろそろ危険地帯なので、無線切ります」

「頑張ってきな」

無線が切れた。翼を何回か羽ばたかせて、調子を確認。飛ぶには全く問題ない。

鳥は大型化が進むにつれて、飛ぶのが難しくなる。ただ軽く空に体を持ち上げるだけで飛翔状態に持ち込むことが出来る小鳥と違い、大型の鳥になってくると飛ぶまでに長距離の助走が必要になってくる場合も多い。

グレート・マムの種族は、その中間だ。ある程度力を込めて跳躍しないと、飛ぶことが出来ない。速度が出るまでも時間が掛かる。

だから、飛ぶ時が一番危ない。

周囲を丁寧に確認してから、グレート・マムは、空に舞い上がった。

体が浮き上がった後、急激に落ちかかる所を、羽ばたきつつ、調整する。落下する中で速度を上げて、気流に乗り、体を持ち上げる。

何度か羽ばたいている内に、軌道が安定。後は思った通りの高度に上がるまで、何度か羽ばたいて、調整を行っていく。

風もしっかり読まないと行けない。殆どは本能に任せてしまえるのだが、時々は経験で補わないと墜落してしまう。最大限の集中をしなければならない瞬間だ。

鳥も昆虫と同じで、小型だと飛翔へのリスクが少ないのである。中型の鳥であるグレート・マムにとって、空は味方でも何でもない。ただ其処にあるだけのものであって、力を借りるわけでもなく、支配するのでもない。それは大型の猛禽にとっても同じ事だろう。鳥にとって、空を支配しているなどという感覚はないのだ。

何度か羽ばたいて、ようやく安定軌道に乗る。

安定軌道に乗っても、安心するのは早い。ここからが問題なのだ。

鳥の最大の天敵は鳥、特に猛禽だ。だが今は夜である。夜間に特化した梟などの一部の種を除き、夜は猛禽を警戒しなくても良い。梟に到っては基本的に動きの止まった相手を奇襲するスタイルを取っているため、飛ぶ時にはあまり気にしなくても良い相手だ。一方、昼間は猛禽を警戒して森の中を比較的低めに飛ばなければならないが、そうなると蛇による奇襲を受けることがある。滅多にあることではないが、この辺りにはブラックマンバと呼ばれる世界最速の超強力な毒蛇が住んでおり、しかも攻撃性が著しく強い。襲われたら即座に死ぬと考えた方が良いだろう。

故に、夜は森の上。

昼は森の中を飛ぶ。

この辺りには固有種の隼がいるが、連中のいなし方なら本能のレベルで体に刻み込んでいる。もっとも、今は夜だ。あまり危険はないだろうが、それでも油断はしない。今まで、例外的な事象に遭遇して死にかけたことなど幾らでもある。

時々上空に気を配りながら、グレート・マムは飛ぶ。既に数限りなく飛んできたルートだ。気流から動物の棲息まで、完璧に把握している。だからこそ。気を配るのだが。

膨大な彼女の戦闘経験が異常を読み取った時。既に体は急角度に下を向き、夜闇の森に突っ込んでいた。

ほんの一瞬だけ遅れて、彼女が今までいたルートを、獰猛な羽音が蹂躙していた。繊細にして傲慢、凶暴にして鋭いその羽音は。

森の中を低空で飛びながら、グレート・マムは舌打ちした。

「夜だってのに、ずいぶん元気な隼だね」

森の上を旋回している隼は、一羽ではない。四、五、六、更に増え続けている。

その上、獲物を探す旋回体勢に入っている様子からして。どうやらこの闇の中でも、見えている様子であった。

一旦小さな木の枝に留まると、周囲に大型の百足、毒蛇がいないか念入りに観察する。そして、敵がいないことを確認してから、首に付けている無線のスイッチを押した。スペランカー当てではなく、連絡先は司令部だ。

「此方司令部」

「あたしだ。 敵の迎撃戦力に遭遇した」

「何。 場所は何処ですか」

「フィールドにこれから入る所だ。 敵は隼が最低でも十。 いや、この様子だと、更に数は多いだろう」

つまり敵は、スペランカーに気を取られていないか、或いは両方を同時に迎撃する作戦に出たか、という事だ。

複数の戦線で同時に攻勢に出るのは愚の骨頂だが、今のところグレート・マムが懸念すべきは、敵がどれくらいの戦力を有していて、これからどれくらいの迎撃布陣を突破しなければならないか、と言うことだ。

病院にものを届ける事自体には、あまり興味がない。

重要なのは、これが仕事と言うこと。そして仕事をこなせないと、大きな痛手があると言うことだ。自身の命だけではない。もっと大きな複数のものが失われる。だから、少なくとも、仕事を失敗して死ぬ訳にはいかないのである。

「夜間に、隼ですか!?」

「あたしも驚いている所だ。 兎に角低空を進んで、これからフィールドにはいるが、無理だと思ったら引き返す。 スペランカーの方はどうだい」

「あちらは順調な様子です」

何が順調か。死んでも死なない肉体と呪いを使って、地雷原に突入するのである。何回死ぬのか、見当もつかない。

その上周囲は残虐なことで知られるソラ族の民兵組織、アパ・カルタの領土と接している。もし連中に捕らえられた時、どんな目に遭わされるかと思うと、気の毒でならない。多分死ぬことはないのだろうが、発狂してしまわないか不安だ。連中は対立部族を皆殺しにすることしか考えておらず、余所の国の人間も同じ目に遭わせて良いと本気で思っているのだ。

スペランカーも心配だが、今は兎に角進まなくてはならない。空には更に隼が増えている。百を超える飛行によって、この辺りの地形は、枝の一本に到るまで把握したグレート・マムだが。それでも、あらゆる角度から此方を探していると思われる敵に対応するため、細かい跳躍を連続して枝を渡ると、葉の陰を伝ってフィールドへと進む。

夜目が効くという、常識外の隼だ。フィールド内部にも、平然と入り込んでくるかも知れない。

次の木に飛び移ると、全身を目に耳にして、周囲を探る。特に危険なブラックマンバは、とりあえずいない。しかし、この森には相当数の個体が棲息しているはずで、連中の鋭敏な熱探知装置であるピット器官は、グレート・マムが射程圏内に入れば即座に捕捉するだろう。そして音もなく忍び寄り、音よりも速いと錯覚させるほど素早く襲いかかってくる。ブラックマンバも、食べなければ死ぬのだから。連中が凶暴なのは、それだけ餌が少ないという、過酷な環境の裏返しである。

いないと判断して、次の木に。

夜の闇の中、青い羽毛を持つ鳥は。

音もなく、自らよりも遙かに素早い陸空の強者達の目をかいくぐりながら、先へ進んだ。己の仕事を、こなすために。

 

かって村であった小高い丘で腹ばいに伏せ、暗視ゴーグルで森の方を見ていた少年がいる。

現地のソラ族出身の鳥使い。この土地の言葉でカル・メチアと呼ばれる存在の末裔。名前はジラトルと言った。裸の肩には大きな隼が留まっており、周囲には三十を超える隼が旋回を続けている。ズボンだけしか着衣はないが、この辺りでは当たり前だ。気候もあるのだが、ズボン一つと履き物を持っていれば裕福な方というのが事実なのである。

そして、すぐ側には、カラシニコフを手にし、ガムをかみ続ける、アパ・カルタの民兵達が群れていた。彼らが、ジラトルに敬意など払っていないことは、その獲物を見るライオンのような目を見れば明らかであった。

事実、この国の隅で細々と伝えられてきた、鳥を操る異能をジラトルが持っていなければ。何をされていたか分からない。家族は既に、悲劇と惨劇の中で、血祭りに上げられてしまっている。

悔しい。しかしこの異能では、勝てる相手ではない。

彼らのリーダー格、仲間内からゴンゴと呼ばれている男が、顔を近づけてきた。顔には、手榴弾の爆発を受けた時に出来たという、もの凄い向かい傷が残っている。鼻は半分取れてしまっていて、大きな空洞を顔に作っていた。ゴンゴとは古い言葉で悪しき神とか悪魔を意味するらしいのだが、少なくともその凄みだけは、あだ名に負けていなかった。

「どうなった、小僧」

「今、捕捉しましたが、初撃は外しました。 継続して追撃中です」

無言でゴンゴが顎をしゃくる。兵士の一人が、側に並べている檻の中に、カラシニコフの銃弾を叩き込んだ。断末魔の悲鳴が上がる。そして、周囲の折から、恐怖の声と慟哭が聞こえた。

檻の中には、ジラトルの村の人間達が、膝を曲げて入れられている。ゴンゴは敢えてゆっくりガムを噛みながら言う。

「ウミ族の血が混じった汚らわしい貴様らを生かしてやっているのも、お前の能力があるからこそだと、忘れてはいまいな。 小僧」

「わ、忘れていません」

「またミスをする度に、一人ずつ死ぬ。 覚えておけ」

奇声を上げながら、檻の中にカラシニコフの銃弾を叩き込んでいた男が、おぞましい笑顔をジラトルに向ける。彼らに犯され尽くして、ジラトルの婚約者は壊れてしまった。両親はとっくの昔に蜂の巣にされ、アパ・カルタ首領が飼っているライオンの餌にされてしまった。

彼らはウミ族を滅ぼすと公言している組織である。混血の人間に対しても、その残虐性は向けられる。

周囲を見渡せる好位置にあるこの村が襲われ、混血だという理由で民が虐殺された事実が、その腐った理念を雄弁に証明している。

「もう一匹は」

「そ、そちらは地雷原に向かっています。 まっすぐです」

「何だと?」

軍基地から、無防備な女が一人。多分東洋人らしいのが出てきたことは、既にジラトルも掴んでいた。その女は如何にもなポシェットを腰に付けていて、しかも地雷原にまっすぐ向かっている。

基地を出る時、軍関係者が止める様子はなかった。そうなると、軍の関係者が、何かしらの作戦に従事している可能性が高い。だが、その理由と、行動の目的がよく分からない。しかもどういう訳か、軍はその女に護衛を付けていないのだ。

病院などと言うもので、ウミ族の子供や怪我人を治療していることを、アパ・カルタの者達は良く思っていない。それどころか、絶対に許さないとさえ公言している。だから、医療品を輸送する車列を襲撃もするし、ワクチンや物資を鳥を使って輸送していると確認してからは、今まで軍での偵察任務に駆りだしていたジラトルに、全力での排除までさせている。

女はどうも、鳥に変わる輸送任務を行っているとしか思えない。

しかし、歴戦の猛者ならば、わざわざ地雷原に突入する訳もない。それどころか。どこからどう見ても、女の動きはシロウトそのもので、時々何もない所で転んでさえいる。とてもではないが、この国に来るような存在だとは思えない。

しかも、地雷原を抜けた先にはフィールドがある。如何に命知らずのアパ・カルタ構成員とはいえ、フィールドには足を踏み入れない。

最初は足を踏み入れもしたのだが。どんな武装をしても、どんな人数を駆りだしても、瞬く間に全滅してしまうので。今では流石に、中にはいるようなことはなかった。

「あ」

「何だ」

「女が地雷を踏みました」

仕掛けてあるのは対人地雷の中でも、特に強力な奴だ。病院が出来てからは、殺傷能力が高いものばかりを厳選してばらまいている。

普通、対人地雷というものは、相手を怪我させて、治療させるために仕掛けるものである。だから、足が無くなる程度の爆発はしても、命までは奪わないように威力を調節している。

だがアパ・カルタの者達は、兎に角相手への憎悪が先に立っている。だから、相手が死ぬような特注の地雷を必ずばらまく。中には、地雷を開けて火薬を増やしてから埋めているような者までいる。

それなのに。

爆発が収まってしばしすると。女は何事もなかったかのように、歩き出した。

「何だ! 何があった!」

「わ、分かりません! 女が、何事もなかったかのように、歩き出して! それで!」

「巫山戯るなよ! 地雷は踏んだんだろうな!」

「間違いありません! 爆発だって見ました!」

暗視ゴーグルをひったくられる。舌打ちしたゴンゴが、部下達に声を掛ける。多分フィールドの手前で、女を捕捉するつもりだろう。女をどうしても良いと、ゴンゴが言っているのが聞こえた。あの女は運が悪い。本当に、この連中は獣も同然なのだ。人間を殺すことを心底から喜んでいる連中ばかりである。

隼のジルタが短く鳴いたので、頭を撫でてやる。此処は空気が悪すぎる。隼はデリケートな鳥だ。唯でさえ周囲は血の臭いでおかしくなりそうなのに、これではあまりにもジルタに気の毒すぎる。

暗視ゴーグルを覗いていたゴンゴが、呻く。

多分、また女が地雷を踏んだのだろう。

そして、また何事もなかったかのように歩き出した、と言う訳だ。

地雷を納入している業者の名を罵りながら、ゴンゴがカラシニコフを引っ掴む。多分、自らあの女を捕らえに行くつもりなのだろう。国連軍が周囲で待ち伏せしていないことは、ジラトルが確認済みである。

ひょっとして、噂に聞くフィールド探索者ではないかと、ジラトルは思った。人間離れした異能の持ち主であることが多いフィールド探索者は、常識外の能力を展開してみせることが多いという。ジラトルのような雛とは根源的に違う存在だ。

そうなると、余計に拙いかも知れない。

確かアパ・カルタはケシの密売で資金を作っており、その金で中立地帯にある邪魔なフィールドの排除をC社に依頼し、拒否された経緯がある。もちろん病院に直接テロを仕掛ける目的を看破されて断られたのだ。自分が全面的に正しいと考えているゴンゴを始めとするアパ・カルタ上層部はそれを恨みに思っている。相手がフィールド探索者だと知れたら、どんな暴挙に出るか分からない。

知らせて上げるべきなのかも知れない。

でも、逆らったら、もっと多くの人が殺される。ただでさえ、一回敵を見失っただけで、一人撃ち殺されたのだ。

頭を抱えて、震える。心配そうに、空を舞う彼の友たちが、それを見つめていた。

 

2、乱戦の中で

 

何だか分からないが、隼が急に動きを乱した。

四つめの木に移ったグレート・マムは、それを好機と見た。フィールド内部も、この森と同じく、内部構造を大体把握している。フィールドに入り込んでしまえば、敵を攪乱できる可能性が高い。

更に言えば、夜間だというのにあのように隼たちが飛び回っているのもおかしい。恐らくあれは、フィールド探索をするにはあまりにも非力かつ経験未熟な、雛能力者の仕業だろう。なれば、フィールドに入り込めば、相手を一気に攪乱できる可能性も高い。

問題は、スペランカーの方だ。

陽動役といえど、妙に気になる。能力がある意味強力な分あまり成長性がない様子であるし、いざとなったら救出に行くべきかも知れない。いずれにしても、隼が動きを見だしている間に、距離を稼がなくてはならない。

枝を蹴り、跳躍。

翼を拡げ、森の中を低空飛行で、最大速度で飛ぶ。一瞬でも気を緩めれば、木の枝にぶつかって失速し、隼に発見されるだろう。見れば、空を旋回する隼の数は既に四十を超えている。もっとこれから増える可能性は、極めて高いとも言える。

ブラックマンバを見つけたが、気付かないうちに脇を通り過ぎる。口の中が真っ黒である世界第二位の大きさを誇る毒蛇は、側を飛び抜けたグレート・マムに気付いたが、噛みつこうと首を伸ばした時には、既に射程圏外であった。

遺伝子に刻まれた記憶が故に知っている。

この瑠璃色の体は、空から自分を狙う猛禽類を欺くためのもの。

そして白い腹部は、下から自分を狙う肉食獣を攪乱するためのもの。

だがそれも絶対ではない。その程度でごまかせていては、肉食獣達は飢え死にしてしまうからだ。

一瞬の勝負の中で、僅かな攪乱は生きてくる。

隼は気付かない。

大幅に時間はロストしたが。ついに、フィールドの辺縁である、目印にしている木に辿り着いた。

小型のキツネザルが住み着いている木だが、別に小鳥を襲う事も考えにくく、何より今は留守にしていた。ゆっくり動悸を整える。鳥が空を飛ぶには、何より恐ろしいまでの体力がいる。

人間を最初に見た時思ったことは、移動に体力が必要なくて羨ましい、という事だった。鳥にとっては、移動さえもが、命がけの行為なのだ。それだけ、空を舞うという行動には、巨大なリスクが伴うのである。人間は鳥が空を飛び、自由を謳歌しているとでも思っているらしいが、とんでもない話なのだ。

顔を上げる。

空気がよどんでいる。此処から南北四キロ、東西七キロほどに渡って、フィールドが形成されている。

なぜ出来たかとかは、調査が入らないと分からないだろう。

分かっているのは、この中が全長十メートルに達する怪物達が闊歩する魔境である、という事だ。クリーチャーどもは人間に似ていて、全身に入れ墨を入れており、複頭であったり、六対の腕を持っていたりと、古代の巨神じみた姿をしている。

そして彼らは人間を喰う。

武装していることに慢心して、中に入り込んだアパ・カルタの構成員達が、近代兵器の通用しない怪物達の餌食となって、ぱくぱくごくんと喰われるのを、グレート・マムは一月ほど前に目撃した。

近代兵器でも手に負えない化け物ども。だが巨神達は大きすぎるが故に。そして巨体に慢心しているが故に。グレート・マムにはむしろ行動しやすい場所であった。

さて、行くかと呟く。

もう一度、空を見た瞬間であった。

反射的に体が動く。

今まで留まっていた枝を、隼の爪が抉っていた。

どうやら捕捉されたらしい。

同時に十を超える隼が降下してくる。しかも隼は、かなりの急角度で、空中機動を可能とする強力な飛翔能力を持っている。さながら急降下爆撃を仕掛けてくる零戦のような隼の編隊。

それに対し、グレート・マムは木の枝を何度か蹴って、曲線を中心とした動きで、そのままフィールドに飛び込む。

ぐにゃりと、周囲の空間が歪む感覚。

後続に、数十、いやそれ以上の隼が、続く気配があった。

 

頭を振ってスペランカーが立ち上がる。

今度の地雷は強烈だった。多分十メートルくらい吹っ飛ばされた。対人地雷は怪我をさせることが目的の兵器であり、それを何度となく喰らう事で体に覚えさせてきた。それなのに、どういう訳か。

此処の地雷原に埋められている対人地雷は、相手を殺そうとしているとしか思えない。否、そうなのだろう。

話には聞いていたが、民族同士の憎悪の深さを思って慄然とする。地雷とは相手の力を削ぐ戦術に基づく兵器だ。怪我人が出ると、それを介護する人間、物資が必要になってくる。それ故に、相手の力を効率よく削ぐことが出来る。おぞましいまでに非人道的な兵器だが、その効果故に世界中でばらまかれている最悪の存在だ。近年では航空機からばらまくことが出来るタイプまでもが出回っている。

だが、この地雷は、根本的にそれらとは違う。多分火薬を弄ってある。

相手を怪我させるためではなく、正真正銘殺すのが目的で。

土を払って立ち上がる。既に踏んだ地雷は七つ目だ。残虐だというアパ・カルタの連中は、もうとっくに気付いているだろう。今まで目玉を抉り出されたりとか爪を剥がれたりとか、散々痛い目にあった事があるスペランカーは、拷問など怖くない。むしろ相手に同情してしまう。いずれにしても、陽動に乗せなければならない。ある程度は逃げ回る必要があるだろう。

と、思った瞬間。

かつんと、いい音がして。

意識が吹っ飛んだ。

どうやら狙撃銃で頭を吹き飛ばされたらしいと気付いたのは、地面で目を覚ましてからである。周囲に、怒号が交錯している。体を起こそうとして、また鋭い痛み。膝にライフル弾が直撃したらしい。

「つっ!」

「ギャッ!」

悲鳴が聞こえた。

足を撃ち抜いて、捕らえようとでも思ったのだろう。再生しつつある足を見て、スペランカーは歎息した。

幼いころに、父が自分のことを思ってくれたプレゼント、不老不死の呪い。この呪いには、厄介な特性がある。

死んだ場合、自動で体を再生して蘇生させるのだが。

もしも肉体に欠損部分が出ると、周囲のものから補うのだ。そして、何かによって殺された場合。殺した相手から、その欠損分の肉体をえぐり取るのである。

それこそが、悪意に満ちた海底の神の呪いが所以。呪いであるが故に、発動能力は概念的なものであり、相手の強弱関係なし。

そして、非力な身体能力と貧弱な頭脳で、危険きわまりないフィールドに挑める理由でもある。

半身を起こすと、頭をぐちゃぐちゃにぶちまけて、地面に転がっているゲリラらしい男が見えた。黒人というと屈強な長身を思い浮かべてしまうが、小さな背丈で、気の毒なほどに痩せていた。

ぎゃあぎゃあと周囲に叫んでいる男がいた。多分狙撃手か何かが潜んでいると思っているのだろう。此処がまだ地雷原であることを忘れて、突っ込んできた男が一人。自分たちが仕掛けた地雷に吹っ飛ばされて、宙を舞った。宙を舞うほどの火薬が仕込まれているのである。もちろんスペランカーもろとも即死だ。

意識が戻ってくる。だが、状況は好転していない。銃を撃つ音が散発的に響く。着弾は減ってきたが、思わず叫んでいた。

「止めて! 死んじゃうよ!」

叫ぶが無駄だ。多分意味も通じていないだろう。

胸に風穴が開く。また誰かがカラシニコフで撃ってきたのだ。しかも連続して。体中が穴だらけになった。吐血して、地面に叩きつけられる。遠のく意識の向こうで、また断末魔が聞こえた。いい加減気付けばいいのにと、ぐわんぐわん鳴る頭の奥で思う。意識が飛んで、また気付くと。鬼のような形相で、カラシニコフを顔の至近に突きつけた男が、何か叫いていた。動くなとか、降伏しろとか、味方は何処にいるとか、見当違いの台詞を叫んでいるのだろう。

銃身を掴むと、相手は露骨に怯えた。

服の再生も始まっている。それを見て、おびえが加速している様子であった。

「だから、止めて! 気付いて! 私を撃ったら、死んじゃうんだってば!」

尻餅をついた男が、叫く。

同時に、生き残っていた者達が、飛び散るようにして逃げ始めた。

カラシニコフを置いて、最後に残った男も散っていった。大きくため息をつくと、スペランカーは立ち上がった。

彼らの足跡を辿って、地雷原を出る。途中、五体を満足にとどめていない見るも無惨な死骸が点々としていた。スペランカーを恨むのは別に構わないが、これの「報復」として無差別テロでも起こされたらたまったものではない。

無線は幸い壊れていなかった。一部カラシニコフの銃弾で削れてしまっていたが、流石に頑丈に出来ている。

「スペランカーです。 聞こえますか」

「此方国連軍」

「良かった。 通じた」

「何かありましたか」

比較的好意的なオペレーターだったので、スペランカーはほっと一息ついた。

状況を説明しながら、地雷原を出る。さっき、スペランカーの足を撃ったゲリラが、砕けた足を押さえてひいひい言っていた。生き残りがいたというのは、良いことだ。手慣れた様子から言って、散々人を撃ってきたのだろうし、これくらいの報いも仕方がない事である。

「襲撃を受けましたが、うーん。 勝手に大きな被害を出して、逃げていきました」

「敵の被害は」

「死体がばらばらになっちゃっているのも考えると、五人から六人くらい……あ、七人です。 襲撃者はその三倍くらいでした。 一人、生きて側に転がっています」

酸鼻な光景である。七人とカウントできたのは、引きちぎられた右腕を発見したからだ。それには砕けた肩も付随していたので、まず持ち主は生きていない。

ふと空を見上げると、十羽、いやそれ以上の猛禽が旋回していた。夜だというのに、である。

不安になる。同じようにグレート・マムの周囲も、多く隼がいるのだとしたら、危険だ。

「すぐに捕虜を抑えるための人員を回します」

「気をつけてください。 私を見て、容赦なく撃ってきました。 多分、なんとかって民兵の組織だと思います」

呻きながらもカラシニコフに手を伸ばしていたので、銃身を踏んづける。絶望的な状況に、気の毒なくらい顔をゆがめたので、可哀想になってしまった。

ブラスターを取り出すと、額に向ける。

「えーと。 ふ、フリーズ。 動かないで」

何か叫んでいる。多分、誇りある戦士は、降伏などしないとか、そんな所だろう。

頭が痛い。本当の誇りを以前何度も見てきているスペランカーは、どうにかして諭してあげたかったが。言葉が通じない以上、それも出来ない。どのみち、男はもう何も出来なかった。

やがて、国連軍が来た。

そして、喚き散らす捕虜を連れて行く。あの様子なら死ぬこともないだろう。猿轡を噛ませていたのは、自殺対策に違いない。ぼろぼろの着衣を見て、一旦戻るかと国連軍の士官が言うが、スペランカーは首を横に振る。あの猛禽が気になって仕方がない。

グレート・マムの負担を減らすためにも、もっと陽動に腰を入れなければならなかった。

ポシェットだけを交換すると。ゲリラ達が逃げていった方向へ、スペランカーは歩き出した。

呆然と、国連軍の兵士達は、それを見送った。

 

フィールドにはいると、グレート・マムは羽ばたき、奇怪な蔦が絡み合う密林の中に飛び込んだ。既にこの辺りはフィールドの内部。植生までもが禍々しく変容し、虎視眈々と獲物を狙う存在と化している。

速く精確に飛ぶことが出来る故に、隼の翼はデリケートで、融通が利かない。臆すことなくフィールド内部まで追いかけてきた隼たちは、至近の奇怪な森を見て急上昇し、上空へと躍り上がった。危険を本能的に察知したのだ。

蠢く蔦に囚われないように、高度を落としながら、入り組んだ森の中を飛ぶ。木に絡みつく蔦には薔薇を思わせる無数の棘が生えており、一瞬の油断が死につながる。此処で翼を傷つけると言うことは。救助が絶対に来ないという事を意味しているのだ。スペランカーは陽動任務中であろうし、他のフィールド探索者が来ているという話は聞いていない。

無数の隼が、高度を維持して、此方を探しているのが分かる。

何度か蔦を蹴って加速しながら、複雑な森の中を飛ぶ。足音。フィールドに住み着いている巨人が、無数の隼を見て、何事かと出てきたのだろう。頭が三つある巨人は、頭の一つずつに四つの目玉を有しており、口は頭ではなく腹に着いている。彼は不思議そうに空を舞う隼の群れを見つめていた。手を伸ばしても届かない。

だが、隼たちは、はじめて見る巨大な怪物に度肝を抜かしたらしく、更に高度を上げる。警戒する鳴き声をかわしているのが分かる。怯えきっている彼らの様子は、グレート・マムにとって好都合であった。

しかし、この密林は本来避けるべき地形だ。それぞれの枝が蔦が肉食性で、留まる位置を間違えると、それだけで死に直結する危険な森である。彼らが反応しない程度の動きをして今誤魔化しているが、いつ臭いや何やらで襲ってくるか分からない。そして初速が遅い此方は、向こうの反応に対応しきれるか分からない。

枝を移りながら奥へ。無数に着いている棘が感覚器で、食虫植物のようにそれに反応して動くことを、何度かの実験で掴んでいるグレート・マムは。隼たちに対して、若干有利になったとはいえ、慢心はしていなかった。

根比べだ。

下手に動いた方が死ぬ。

此処は、そう言う場所だ。

隼が数を増してくる。最初は数十だったのが、更に増援がフィールドに入り込んでくる。しかも最初から高空を維持している状態で、やはり何かしらの能力者が、隼たちを支援しているのは目に見えていた。

巨神も少しずつ集まり始めている。

駆逐されたはずの外の生物が、大挙してフィールドに入り込んできたのが面白いのだろうか。

奇怪にねじくれた手を伸ばし、無数の目を蠢かせて隼を見つめている彼らの姿には、もはや神々しさはない。

「これが、おぞましいって奴なんだろうね。 まるで救いを求める餓鬼の群れだ」

この国が、こんな事になってしまっているから、このようなフィールドが出来てしまったのかも知れない。

そうなるとこの巨神達は、怨嗟が形を為したものなのだろうか。

いずれにしても、人間のことはよく分からない。グレート・マムにとって大事なのは、同胞だけだ。人間が、そう考えているのと、同じように。殆どの人間が同胞とそれに近しい存在だけを特別視し、或いは神格化さえしていることを、グレート・マムは滑稽に思っている。他の動物も、知性を持ったら同じように振る舞うことが、明らかだというのに。何が万物の霊長か。

あの巨神達は、人間の滑稽な戯画ではないか。

枝を飛び移り、低空で飛び始める。

隼たちの数はますます増え、多分二百を超えていた。

それはすなわち、高空から敵を捕捉するのに特化したハンターが二百以上、最適な位置からグレート・マムを狙っていると言うことを意味する。いつまでも逃げ込んだ位置にいたら、確実に捕捉される。

自分より何倍も速く動き回る虫を捕らえることが、動きさえ読めば容易なように。

その逆は、更に容易な事なのだ。

かといって、密林を飛び出す訳にも行かない。下手に動けば、あっという間に隼たちの爪に掛かってしまうだろう。

隼の一部が、ゆっくり高度と位置をずらし始めている。面倒なことに、相互に監視位置を担当し合っている様子だ。多分、連中を操っている人間の手によるものなのだろう。恐ろしいまでの執念だ。

能力者としては未熟なのだろうが、その執念だけは本物だ。

執念が生き残るのに重要なことを知るグレート・マムは。素直に、自分を追い詰めつつある敵を賞賛していた。

さて、どうするか。

そう呟いたグレート・マムは、枝から飛ぶ。後ろから迫っていた蔓が、悔しそうに軋みを上げて、空でもがいていた。

この森は点々とフィールド内での遮蔽を確保してくれてはいる。

しかし、それも絶対ではない。

何カ所かは、森を抜けて飛ばなければならない。隼たちは多分高空から、いち早く森の構造を掴んでいるはずで、辺縁を見張ることに全力を傾けることだろう。何かしらの隙が出来るのを、森の中で位置を少しずつずらしながら、狙うしかない。

それは結局の所、野生の中で生きてきたグレート・マムにとって、日常の光景。

狙われながら狙い、逃げながら追う。そして獲物を雛に与えて子孫に命をつなぐ。

多少形態は異なっていても。今行っているそれは、大して日常と変わりなかった。

 

怯えるジラトルの前で、鬼相を湛えて戻ってきたゴンゴが、いきなり檻の中の人質を撃ち殺した。悲鳴が上がる中、更にもう一人を撃ち殺す。それだけではない。カラシニコフを徹底的に叩き込んで、ミンチにしていた。

凄まじい血の臭いが漂う中、檻に入れられた女の子の慟哭が響く。ゴンゴは歯茎をまくり上げると、吠えながらもう一人を撃ち殺した。カラシニコフを乱射する凄まじい音が、響き続ける。

「うるせえんだよ、屑があっ!」

それから、泡を吹いた顔を、ジラトルに向け直す。いきなり殴られて、地面に押しつけられた。背中を踏まれる。背骨が軋んだ。

「げほっ! うっ!」

「てめえ、敵の伏兵を見逃しやがったな! 国連軍の犬どもが、一個中隊、いや二個中隊は潜んでやがったぞ! 狙撃で七人死んだ! 七人もだ!」

「そ、それはあり得ません!」

だって、見ていたのだ。

誰も、潜んで等いなかった。ゴンゴ達は文字通り自滅したのだ。隼たちはそう報告してきた。理由は分からないが、多分あの女の何かしらの能力によるものだろう。地雷を踏んでも平然としていたことにも、それはつながっているに違いない。

殴る蹴るの暴行をしばし受けた後、胸ぐらを掴まれ、吊し上げられた。口の中には、血の味しかしない。

抵抗できない所を、更に腹を殴られる。

そして、投げ出された。

肩に留まっていた隼のジルタは、危険を察知したか、上空に既に逃れていた。それに、暴力を受けたことで、一瞬隼たちとの精神的なリンクが切れてしまった。隼たちは混乱して、右往左往しながら飛び交っている。それを見て、流石に頭が冷えたか、ゴンゴは暴力を止めた。

「次に見逃しやがったら、檻の中にいる屑どもを皆殺しにしてやるからな!」

「あ、相手は僕と同じ、異能の持ち主です!」

叫んでから、しまったと思った。

忘れていたのだ。アパ・カルタが、フィールド探索者に逆恨みを抱いていたことを。この国を出たら、連中にテロを仕掛けてやると、息巻いてさえいたことを。

ゴンゴが顔を近づけてくる。

半分無い鼻が、顔に奇怪な空洞を作っている。生きながらにして髑髏になったかのような不気味さで、怖くて体が震えるのを止められなかった。

「詳しく話せ、小僧」

嗚呼。

ごめんなさい。ゆるして。無惨に殺される貴方を、救うことが出来ない。

心中で謝る。アパ・カルタの連中がどれだけ残虐か。どれだけ無慈悲か。僕にはどうにも出来なかった。僕は、愚かで無力で、そして今、罪人にさえなってしまった。

あの女の人は、まだ大人になっていないようにも思えた。それなのに、これからアパ・カルタは全力で彼女を殺しに掛かるだろう。それだけで済むかどうか。どれだけ残虐に殺すかを、嬉々として考えるに違いない。

輪姦されて殺された婚約者の事や、惨殺された家族のことを考えて、ジラトルは落涙した。サディスティックに笑みを浮かべながら、ゴンゴは、出来るだけの人数を集めるように、周囲に命令をしていた。

 

3、対決

 

スペランカーは額の汗を拭いながら、山を登る。

正確には山道を行く。体にまとわりついてくる蚊が鬱陶しい。時々周囲で爆発するその儚い命を思って、ため息が漏れる。

いっそ残虐な性格だったら、楽だったかも知れない。

何か勘違いしている人間もいるが、残虐というのは一番楽な路の一つだ。何しろ相手のことを一切考える必要がないからである。思考から逃避し麻痺した末の、一つの末路。それが残虐だと、スペランカーは考えている。たゆまぬ訓練によって其処に行き着く場合は、生き抜く戦術の一つになりうるかも知れない。だが、世界に満ちている残虐の殆どは、ただの逃避と思考停止の結末だ。

それではいけないと、スペランカーは思う。

あの母が自分にしたような仕打ちを、他の人や生き物に味あわせてはいけない。ネグレクトによる飢餓地獄を体験して育ったスペランカーは、強くそう思う。

靴は何とか元に戻った。着衣までも再生するスペランカーの身を覆う呪いだが、着衣に関しては完全ではない。地雷でドカンドカン吹き飛ばされる間に、再生が追いつかなくなるのではないかと心配はしていた。だが、多少ボロボロにはなったが、どうにか大丈夫だ。エアインの頑丈なスポーツシューズなので、山歩きもそれほど苦にはならない。

さて、この辺が良いか。

そう思って、スペランカーは大きな丸石に腰を下ろした。空には、多くの猛禽が舞っている。山と言っても、周囲は枯れ果てていて、殆ど木々もない。森が広がっている地域も、あるようなのだが。この辺りでは、戦闘に次ぐ戦闘で、森は積極的に焼き払われているのかも知れなかった。

無線が鳴る。グレート・マムからだった。かなり電波の状態が悪い。もうフィールドの内部なのだろう。辺縁にいて、かろうじて電波が通じている、という所か。

「大丈夫かい? スペランカー」

「はい。 何とか」

「そうか。 今、百羽を超える隼に追撃を受けていたんだけどね、不意に連中の動きが鈍った。 あんた、何かやったのかい?」

「……」

心当たりは、ある。

さっき逃げ散っていったアパ・カルタの民兵達が、もしもそう言う能力者を操っているのだとしたら。腹いせに虐待を加えたのかも知れない。

動物使いの能力者は数限りなくいるし、中でも鳥を操る異能というのはもっともポピュラーで、幾らでもいると聞いている。

そうなってくると、さっきからやけに見かける隼についても合点がいく。あれを通して、能力者は見ているのだろう。スペランカーや、グレート・マムの事を。ただ、もしも暴行を受けているのだとすると、待遇は著しく悪いのかも知れない。

問題は、彼を通じて、此方がフィールド探索者だとばれるかも知れないと言うことだ。

そして此方の行動次第では、血迷ったアパ・カルタの面々が、その能力者を惨殺するかも知れない、という事である。

連中を見ている限り、まともな会話が通じる相手だとは思えなかった。もちろん過酷すぎる紛争地域での環境が、其処まで彼らをゆがめてしまったのだろうが。

思考を切り替える。今重要なのは、如何にして彼らの気を、グレート・マムから逸らすこと。

何しろ既に大規模な追撃が掛かっているらしい状況である。此方からもある程度踏み込まなければ、負担を緩和することだって出来ない。

ある程度説明をすると、グレート・マムは声を落とした。

「大丈夫かい? あんたはそれで。 本当に、何をされるか分からないよ」

「大丈夫です。 慣れてますから」

「……もっと自分を大事にしな。 陽動は嬉しいけれど、ほどほどにね」

通信が切れる。

立ち上がったスペランカーは、額の汗を拭った。此処からは山を下りる事になる。今わざわざ山越えをしているのは、それが病院への最短ルートだからだ。この山はもろにアパ・カルタの勢力圏らしいのだが、故に陽動は意味を持ってくる。だが、それだけで良いのかと、スペランカーには思え始めていた。

あまり荒事は得意ではないし、好きでもない。

だが、此処は少し無理をするべきではないかと、スペランカーは考え始めていた。

 

通信を切りながら舌打ちをする。

グレート・マムは人間の手によって、現世に復活した。科学技術とやらの恩恵だが、しかし。分からないことは幾らでもある。特に人間の思考回路は、何度分析してみても理解できない部分が多々あった。

同種の子供を殺すために偏執的な攻撃を仕掛けている民兵達。猛獣のように、将来の競争相手になるからというのならまだ分かるが、単に思想的な理由からだという。そして、スペランカーのように特異能力を持っているとはいえ、本人は到って無力な小娘を、危地に追い込んで仕事だからと嘯いている国連軍の連中。それに対して、酷い仕事だと抗議さえもしないスペランカー。

自分は良い。この仕事をすることで、守れるものがあるからだ。だが、スペランカーに、そんなものがあるのか。話を聞く分だと、存命中の母とも上手く行っていないようだし、自分の幸せをもっと追求しても良いのではないかと思ってしまう。

空を見上げる。

隼たちは、いまだ健在だ。

さっきまで混乱していた隼たちの隙を突き、空を見上げている巨神達の下を潜るような形で、森の切れ目を抜けた。そして、さっきよりも更に危険が大きい森の中をゆっくり進みながら、連絡を入れていたのだ。

だが、次は同じ手も通用しそうにない。

隼たちは既に統制を立て直したばかりか、更に数を増やしている。そればかりか、徐々に大胆になってきていて、森に住む怪異達の射程距離を見切るつもりか、徐々に低空飛行をするようになり始めていた。

相手が如何に未熟であっても、種として隼にはかなわない。

もしも発見されて、物量作戦でなりふり構わず潰しに掛かられたら。それを思うと、ぞっとしなかった。もしも人間があの隼を操っているとなると、更に面倒なことになる。殆どの人間にとって、動物は食料か、道具以下でしかない。

巨神達は更に数を増やしており、森の上空を飛んでいる隼を物珍しげに見つめている。中にはまだ不器用に手を伸ばしている者もいるが、殆どは動きを伺うようになってきていた。隼も、巨神達が、高空を旋回しているだけなら危険がないことに気付いたのか、少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。

時間が経てば経つほど、グレート・マムには不利な状況になりつつあった。

森の辺縁まで来た。この辺りでは、もう無線も通じないことを、確認済みである。

フィールドのほぼ中央部である。大きく円形に森が切り取られていて、その中心には、胡座をかいたひときわ大きな巨神がいる。単眼で、身長は三十メートルを超えるかも知れない。黒い肌を持つ逞しい男で、当然のように全裸であった。威風堂々たる全裸のその姿は、ギリシャ時代に作られた大理石彫刻のように、完璧な美さえをも錯覚させる。

彼の口元は強く引き結ばれ、空を旋回し続ける隼たちを見つめている。

隼たちは、恐らく此方の動きを読み始めたのか、中心の巨神の周囲に集まり始めている。数は二百をとうに超えている。この近辺だけでこれである。能力者が操作している数は、多分五百を超えていることだろう。

あの中心の巨神は、他とはものが違う。病院へ物資を運ぶ途中にも、何度か襲撃を受けたほどだ。動きは巨体に反比例して若干鈍いが、その反応は決して悪くなく、何度も胆を冷やさせられた。

それに、今は空にあれだけの数の隼がいる状態だ。少しくらい隙が出来ても、簡単に仕掛けることは出来ない。

枝を蹴って、別の枝に。また、留まっているグレート・マムに気付いたらしいからだ。あまり同じ位置にとどまっていると、危険が更に増す。

森の切れ目は、距離にして四百五十メートルという所か。グレート・マムの平均飛翔速度は時速四十五キロ。最大加速すれば六十キロを超えるが、中型鳥類の悲しさか、初速がそれの足を引っ張っている。

つまり、四十秒ほどは時間を作らないといけないわけだ。

しかもそれは直線距離での話であって、あの巨神の事を考えると、迂回することも考えなければならない。一分は欲しい所だ。

だがその一分は、スペランカーが相当危険なことをしなければ、手に入らないだろう。

少しずつ、隼たちが大胆になってきている。不意に、巨神の一体が、立ち上がると、跳躍した。四本も足がある巨神であり、跳躍高度は凄まじい。かなり低くまで降りてきていた隼の一体が、彼の伸ばした手に弾かれて、大きく飛行軌道をずらした。鋭い隼の悲鳴が上がる。

しかし、隼たち全体は落ち着いたもので、まるで隙がない。

特に、一回り大きい個体がさっき入ってきてから、統制の取れ方が尋常ではない。まるでよく訓練された空軍だ。巨神達も、その個体を見つめているが、手を出しかねている様子であった。

雛を育てる時には、気をつけないとならない事が幾らでもある。

獲物を捕らえる時に、敵の姿を見失ってはならない。

獲物を得てからも、巣の位置を知られてはならない。

天敵から身を隠しつつ、雛を育てる。それだけなのに、成し得ない個体が幾らでもあるのが、自然界の厳しさだ。

だから、機会を測るのには慎重になる。木の枝と同化し、気配を完全に殺し、機会を待つグレート・マムの眼前で、その努力を嘲笑うような光景が現出した。

不意に、胡座をかいていた一番大きな巨神が立ち上がる。

その単眼が、グレート・マムを見つめている事に、気付く。

目があった。目が合ってしまった。

その瞬間、単眼の巨神は、天をも貫くような、凄まじい雄叫びを上げた。

びりびりと空気が振動する。圧倒的な殺気が迸り、裂帛の叫びが、空間さえも切り裂くかと思えた。

心臓が、小さな胸の中をはね回る。

落ち着け。

そう自分に言い聞かせるが、巨神は此方に向けて、歩き出している。飛び出したくなるのを、必死にこらえる。

周囲の食虫植物たちでさえ、その気迫に押されたか、動きを止めてしまっている。隼たちも、あまりの迫力に、流石に度肝を抜かれてしまっている様子であった。好機、間違いなく千載一遇の。

だが、動けない。

否、動くべきではない。今動いたら、あの単眼の巨神に、蚊のように叩きつぶされてしまうだろう。

ゆっくり、巨神が近寄ってくる。巨大な二本の足を交互に動かして、歩み寄ってくる。

その威厳は今や、絶対的な死の予感となって、グレート・マムの全身を掴み、捻り上げていた。彼女が潜んでいる森さえもが、縮み上がっているかのようだ。

それでも、グレート・マムは考える。これを、好機として生かすべきだと。生かすためには、もっとあの巨神を近づけさせるべきだと。現に、隼たちの絶対警戒網に、巨神という要素がほころびを作っている。

あと一つ、何か要素があれば。

震える体だが、まだ心は死んでいない。むしろ、逸る心を押さえ込む。

そして、その隙は。

今まで理性と強運で生き残ってきたグレート・マムの眼前に、落ちかかってきた。

 

隼の目を通じて、見た。一度見失った相手を。

躊躇はあった。だが、檻に入れられた村の人々のことを考えると。報告せざるを得なかった。

心中にて血涙を流しながら、ジラトルは言う。

「発見しました。 南の山を横断して、病院に向かっています。 座標は……南南東、約七百」

「そうかそうか」

精確な位置を知らせるジラトルの声にゴンゴは唇をまくり上げた。その唇も、半ばが既に無い。残虐非道の怪物じみた性格に、その容姿が更に拍車を掛けている。ジラトルには分かる。相手がフィールド探索者と知ったことを、好都合と思っているのだ。

いずれ殺して回る相手である。残虐非道であっても、歴戦の戦術家であるゴンゴにとっては、またとない機会という訳だ。

しかも、どうやら国連軍がフィールド探索者を呼んだらしいと言う情報は、ゴンゴを通じてジラトルも知っている。

フィールド内に入り込んだ隼たちの状況は、うっすらとしか分からない。多分フィールドの境界では、情報が遮断されるのだろう。そちらは中に送り込んだ相棒ジルタに任せるほかない。

「スナイパー1、射撃準備」

「了解」

先進国の水準では一世代前の品だが、E国軍から横流しされた高精度の軍用スナイパーライフルを持たせた狙撃兵が、早速配置につく。さっきあのフィールド探索者を狙撃したのとは、格上の狙撃手だ。距離は一キロ半。

そしてゴンゴにとって、彼は捨て駒に過ぎない。

「スナイパー1、敵を確認。 射程に入りました」

「効力射。 撃て」

此処からは、音は聞こえない。隼を通じて、結果だけを見た。

まず胸を、続いて頭を撃ち抜かれたフィールド探索者が、倒れ伏す。山道を歩いていた彼女は、一言も発することなく、多分撃ち抜かれたことさえ理解できず、息絶えた。

殆ど間をおかずして、狙撃手の頭と胸が、綺麗に爆ぜ割れていた。痙攣はすぐに治まり、ただの肉塊だけがその場に転がった。

そして、僅かな時を経て。

死んだはずのフィールド探索者が、何事もなかったかのように立ち上がる。スターライトスコープで様子を見ていたゴンゴは、有能な部下を失ったことを何とも思っていない様子で、待機している観測手に語りかける。

「観測手。 今の結果を分析できたか」

「観測手1。 着弾、跳弾、確認できません」

「観測手2、同じく」

「ほう」

スナイパーの死体を確認させるゴンゴ。死体は撃たれたのではなく、肉を刮ぎ落とされたようになっていた。

続いて、次の狙撃手に、また狙撃させる。

「次は殺すな。 右足を千切れ」

スナイパーの側に控えていた男が、何の躊躇もなく、行動にはいる。彼らは己の命を何とも思っていない。完全に感覚が麻痺してしまっている。得体が知れないフィールド探査者に対して、何の躊躇もなく挑んでいるのがその証拠だ。

「効力射、撃て」

隼の目を通じて、また見る。

フィールド探索者の足が、軍用狙撃ライフルの容赦ない破壊力の前に、撃ち抜かれ、引きちぎれて吹っ飛んだ。

同時に地面に倒れた彼女がもがいている。

だが。

続いて、スナイパーが悲鳴を上げた。彼の足も、同じように吹き飛んでいたからだ。

それだけではない。フィールド探索者の足は、何時のまにか元に戻っている。観測手の報告を聞いて、口の端をつり上げるゴンゴ。

「そう言うことか。 読めた」

念のために、ゴンゴは言う。今度は左足を撃ち抜けと。

この男は、部下を念のために、で使い捨てる。既に、右足を失った部下は、「慈悲」と称して撃ち殺されていた。

完全に狂っている。

恐怖で、歯の根が合わない。此処まで人間は頭がおかしくなるものなのか。それを一切止めようともたしなめようともしない他の民兵達。集団で狂気に感染しているとしか思えない。

檻の中で、ついに我慢できなくなったのか、子供が泣き始めた。それを見て、ゴンゴは何か残酷な事を思いついたらしい。

女の左足を撃ち抜いたスナイパーは、直後に左足を失った。それでも、ゴンゴはにやにやしていた。

「あの女、多分そのまま捕まえる分には無害だ。 網でも引っかけて、そのまま縛って連れてこい」

「どういう事ですか?」

「見ていて分からなかったのか? 攻撃した分が、そのまま返ってるんだよ。 意味はわからねえけど、フィールド探索者特有の能力って奴だろ。 ひひひひひ、原理さえわかっちまえば、もう怖くも何ともねえ」

ゴンゴが何を思いついたのか、分かった。

この男の精神が、既に完全に抑えが効かなくなり、異常きわまりない状態になっていることも。

人間は。

何処まで落ちることが出来る。

何処まで狂うことが出来る。

問いに、応えはない。

凶暴な顔の、ゴンゴの部下達が走り出す。彼らは上司の言葉を理解していたのだろうか。いずれにしても、共通していることは。今から若い女を痛めつけられるという餌に興奮し、涎を垂れ流している、という事であった。

やがて、彼らが、フィールド探索者の女に猛獣捕獲用の網を被せて、引きずってきた。

ジラトルは、目の前が真っ黒になるのを感じた。

女が何か言っている。口調は妙に冷めていて、怖がってもいないし、むしろ哀れみが感じ取れた。

網を担いでいたゴンゴの部下が、突然悲鳴を上げる。腕が折れたらしい。地面で転げ回って悲鳴を上げるその部下を、ゴンゴは笑顔のまま撃ち殺した。

「馬鹿が、言っただろうが。 怪我をさせたら、それがそのまま返ってくるんだよ。 ソラ族の戦士に、馬鹿はいらねえ」

今まで淡々としていた女の声に、不意に怒気が宿る。ゴンゴはまるで動ぜず、部下達に命じて、女を網から引っ張り出させ、そして縛らせた。近くの木に縛り付けられた女は、刺し殺すような目でゴンゴを見つめていた。

そして、ジラトルは気付く。

恐怖のあまり、数分にわたって、隼たちとのリンクを切ってしまっていたことに。

 

隼たちの中心にいた個体が、露骨に飛行軌道を乱した。それに伴い、空を覆い尽くさんばかりに飛んでいた隼たちが、一斉に乱れる。

勝機。

二秒の観察の結果、グレート・マムはそう判断した。

何があったかは分からない。スペランカーが、何かしらの陽動をこなしてくれたのだと、好意的に解釈。そのまま枝を蹴り、飛んだ。上空の隼が、二羽、此方に気付く。そして、鋭い鳴き声を上げた。

同時に、歩み来ていた単眼の巨神が、拳を振り上げる。

かまわない。まるで山のような巨体に、まっすぐ突っ込む。中型の鳥類であるグレート・マムであるが、今回は関係ない。相手が大きすぎることが、却って利になる。人間が蚊を叩くのに苦労しているのと、同じ事だ。

数羽の隼が、同時に降下開始。それに続いて、百羽を超える隼が、一斉に急降下攻撃の体勢に入った。

まるで、隼の滝。

彼らの目指す先には、グレート・マム一羽のみ。

巨神の、幅二メートルはある拳が、振り下ろされる。

その時、グレート・マムは翼をすぼめて、最大加速から急降下に移っていた。

刹那の瞬間。

拳を掠めるようにして。

グレート・マムは爆煙の中に、身を躍らせていた。

無数の石つぶてが体を叩く。羽を打ち、肌を切り裂く。足を叩く。鋭い痛みが全身を掴み、捻り殺されるような恐怖が襲ってくる。

巨大な石。至近に迫ってきたそれを、辛くもかわす。

巨神の殺気。

拳が外れたことに気付き、振り返って、グレート・マムに気付いたらしい。

その肩を掠めるようにして、隼の先陣が来る。

隼の飛行速度は時速九十キロオーバーにも達する。急降下して獲物を襲う時は、実に時速三百キロを超える場合もあるが、ただしそれは獲物だけを狙えて、天敵がいない状況に限られる。隼はあの単眼の巨神を警戒しているから、其処までの速度で飛べない。

だが、それでも。グレート・マムの最大加速六十キロの、1.5倍である。

見る間に距離が縮まる。

煙を突破。後方は、まるで隼の弾幕だ。爪に掛かったら、一巻の終わりである。

最初の一羽が来た。先陣を切ったのは、まだ経験が浅そうな若い個体だ。殺気が非常に分かり易く迫ってくる。

不意に地面に急加速して、石を掴む。そして、真後ろから正直に追ってきた所へ、至近で石を離した。顔面に石が直撃した隼は、鋭く悲鳴を上げ、後続の一匹と激突、きりもみ回転をしながら地面すれすれまで落ち、其処で必死に態勢を立て直した。

単眼の巨神が吠える。

群がる隼たちを、手を振るって追い払おうとする。

他の巨神達も、奇怪な体を揺すって、集まり始めていた。三羽目が、そんな中追ってくる。グレート・マムは急角度で、その一匹の足下へ飛び込む。

そして、足の裏が地面を踏む寸前に、すり抜けた。

流石に面食らった三羽目は、必死に旋回して、巨神の足との激突を避ける。

後、二十メートル。

殺気。

見る。

どうやら、リーダー格らしい、一番大きな隼が、目に炎を燃やしながら、迫ってきていた。

良いだろう。

来るがいい、若造!

左右に、もう十匹以上が展開し、逃げ道を塞ぐ。上空も同じく。まるで、巨大な蛇が、丸呑みにしようと迫ってきているかのようだ。

5メートル。

迫ってくる、隼のリーダー。

2メートル。

見える。無数の蔦が、蠢きながら、状況の帰趨を伺っている。

50センチ。

蔦の切れ目を見つけて、飛び込もうとした瞬間。

隼の爪が、したたかにグレート・マムの背中を傷つけていた。

 

部下が傷つくことも意に介さず、スペランカーを捕らえさせた民兵の指揮官。その下劣な行動に、スペランカーは心底からの怒りを感じていた。

今まで、いろんな地域に足を運んできた。

紛争地域で、今回と似たような仕事をしたこともある。貧しい国では、人々の心までもが貧しくなる実例も、何度となく見てきた。

だが、仕方がない状況であると言っても。どうしても、許してはいけない一線はある。その一線を、あの民兵の指揮官は超えてしまった。

乱暴にスペランカーを引っ張っていた同僚の骨が折れたことで、流石に暴力的な行動をストップした彼の部下達。それを見下していた民兵の指揮官は、何か叫ぶ。周囲には、大きな鳥かごのような檻が多く置かれていて、中には貧しそうな半裸の人々が入れられていた。中には全裸の人もいるようだった。

そして、この血の臭い。

既に残虐な暴力の餌食となり、幾つかの檻の中の人は、返らぬ存在となってしまっている。

ぎりぎりと、歯を噛む。

以前、フィールドの魔的な存在に、酷い拷問を受けたことがあった。その時はむしろ相手に哀れみを感じた。

だが、今度は違う。

正真正銘の怒りを感じてしまう。

ふと、見る。

民兵達に囲まれて、如何にも場違いな、小柄な少年がいる。カラシニコフを突きつけられ、スペランカーと目が合うと、さっと視線を逸らした。なるほど、分かり易い。多分、鳥使いはあの子だろう。

がちゃんと音がした。

檻の一つが開けられて、小さな女の子が引っ張り出されたのだ。上半身は裸で、ズボンと粗末なサンダルしか身につけていない。目には恐怖だけが宿っていた。六才くらいかと思ったが、発展途上国は栄養状態が悪く、先進国ほど子供の育ちが良くないことを思い出す。もっと年を取っているかも知れない。

その女の子の小さな手に、場違いなほど大きなコンバットナイフが握らされる。刃渡りは十五センチを超えているだろう。

なるほど、何をさせようとしているのかが、よく分かった。

教えてやる必要はないだろう。

父が不老不死をスペランカーにプレゼントするために呼び出した海底の邪神は、あまりにも嘲笑的な存在だ。彼の呪いは、此方の思うとおりには動かない。人間が困るように困るように、発動するのである。

縛られた手を何度か動かして、わざと手首に傷を作っておく。痛いけど、関係ない。頭の悪いスペランカーだが、このくらいの知恵は働くし、自分の能力は把握している。

がたがた震えていた女の子が、ゆっくり歩み寄ってくる。マラリアのワクチン接種を受けているか、不安だ。手にしているナイフもぶるぶる震えていて、まともに扱えるとは、とても思えなかった。

彼女の背中にはカラシニコフが突きつけられている。

そして、周囲の鳥かごのような檻に入れられた人質にも。

けたけたと、民兵の指揮官は笑っていた。本物の鬼畜。外道の中の外道だ。大きく息を吐くと、スペランカーは叫んだ。

「この外道っ! 恥知らずっ!」

言葉など、通じていないことは分かっている。

手を何度か動かしておく。それを悟らせないように、もう一度叫ぶ。

「悪魔っ! 護民の戦士だって言うなら、誇りはないの!?」

女の子は、滂沱の涙を流しながら、歩み寄ってくる。見ると、足にはかなり酷い怪我の跡が幾つもあった。足だけではない。全身、くまなく傷がついている。考えたくないような内容の傷も、あるようだった。

怒りに瞳孔が開くのを感じる。人間とは、何処まで落ちることが出来るのか。正義を主張する人間は何処までも愚劣に残虐になれると聞いたことがあったが、その最悪の形での実例を見せられてしまうと、人間そのものを嫌いになりそうになる。

この民兵達も、国際的な暴力的侵略によって全てを滅茶苦茶にされ、飢餓の中で、対立民族を恨むしかなかったというどうしようもない事情があったはずだ。多くの貧困国で起こっている紛争と、同じ状況である。だが、今やその悲しみは外道の嘲弄にすり替わり、主張する正義の名の下、鬼畜の所行を許容する腐肉の塊となりはててしまった。

淡々と民兵の指揮官が呟く。殺せとか、言っているのだろう。捨て駒がどれだけ死のうが、知ったことではないと言うことだ。

女の子は、スペランカーに怯えきっている。ナイフの切っ先は、獲物を求めることも出来ず、かたかたとふるえ続けていた。

怒りを押し殺すと、女の子に笑みを向ける。

「大丈夫。 私はへいきだから、気にしないで」

女の子が、ナイフを振り上げる。

馬鹿な奴。

地獄に堕ちろ。それが貴方には相応しい。

そう、民兵の指揮官に。最大級の怒りを、スペランカーは向けていた。

 

一度、地面に叩きつけられたが、足の力で無理に跳躍。まるで獣の顎を思わせる魔の森に、グレート・マムは飛び込んでいた。隼たちは追ってこられない。森の至近で急上昇に転じ、上空で旋回を開始する。

背中の傷は深い。翼への傷もである。

人間達が飛行機で空を舞うまでにえらい苦労をしたことからも分かるように、鳥の翼というものは、非常に繊細な機構の塊だ。無理に羽ばたけば、折れる。更に悪いことに、血の臭いに反応して、周囲の蔦が蠢き始めていた。

そして、足音が近付いてくる。

単眼の巨神は、諦めていない。フィールドの出口まで、まだ二キロほど。

あと一キロも行けば、また無線が使えるようになるはずだ。だが、だからといってどうなるというのだ。

戦闘能力が低いスペランカーに、巨神の相手は辛すぎる。戦闘タイプのフィールド探索者が二人か三人いれば何とかなるだろうが、現在C社もN社もこの国のフィールド攻略にはストップをかけている状態だ。

体の血が、急速に抜け落ちていくのを感じる。

目が霞む。

そもそも、こんな仕事を始めた理由は。

それを思い出すと、力も出る。

奮い立たせる。気力を絞り出し、生きようとする。

翼を広げて、駄目になってしまった羽を何枚か抜く。跳躍。地面すれすれを飛びながら、距離を縮めていく。

「あたしとしたことが、てんで情けないじゃないか。 数がいくら多いからって、あんな若造の爪に掛かるなんてさ」

かって、故郷の島で、隼との交戦経験はそれこそ山と積み上げた。

あんな若造とは比較にならない、老練な個体との戦闘経験だって、数十ではきかない。狙われた状態から逃げ切ったことだって、同じ回数ある。

それを誇りに、再び飛ぶ。後ろで、血を浴びた蔓が、奇怪な軋り音を上げていた。

首から掛かっているジェラルミンのケースが重い。

ふと、失策に気付く。

いつの間にか、森と森の切れ目を、飛んでいたのだ。

万事休すか。

そう思うよりも先に。

驟雨がごとき隼の群れが、直上から殺到しつつあった。その速度は、ゆうに時速三百キロを超えていた。

情けないね、我ながら。

そう、グレート・マムは自嘲していた。

 

4、結末

 

ゴンゴは、フィールド探索者が連れてこられる時に、周囲の部下達に言っていた。

屑どもにも、使い道が出来たと。

ジラトルは、全身の悪寒を押し殺しながら、それを聞いていた。

捕虜にしているウミ族や、周囲に捕らえている混血の者達、今檻に入れられている者達を、あのフィールド探索者を傷つけるために使う。

奴は意図せぬ相手が傷つくのを見て、血涙を流し、負け犬となって吠えるだろう。それを見るのが、とても楽しみだと。そして屑どもをフィールド探索者が処分するという既成事実を作り、国際社会に売り込むことさえ出来る。

高名な中東の組織との関係を作れば、一気に圧倒的な資金と、膨大な火器、爆弾を手に入れることが出来る可能性も高い。

そうなれば、この国にいるウミ族の屑どもを皆殺しにし、場合によってはこの腐った世界を造っている列強諸国に核を撃ち込むことさえ可能になる。そう、嬉々としてゴンゴは言っていた。

完全に精神を病んでいる鬼畜の戯言だ。忘れている。彼が頼みにしようとしている中東の組織は、ムスリム以外は人間だと見なしていないと言うことを。だが、そんな指摘は出来ない。

カラシニコフを向けられて、言われる。

鳥は、どうしたと。

今、追い詰めていると応える。ゴンゴは、嘘を見抜くのが著しく得意だから、逆らえない。そうかと、半分しか残っていない鼻を天に向けて、ゴンゴは、涎を拭った。今まさに、ジラトルの村の少女が、涙を流しながら、フィールド探索者に、ナイフを振り上げる。

フィールド探索者はむしろ静かで、まるで動じていない。さっきまであれほど激高していたのに、不思議だ。ゴンゴが細かく刺し方を指導。外したら、一人殺すと言った。

磨がれたコンバットナイフが、フィールド探索者の肩口に突き刺さった。コンバットナイフは異様に鋭く、肩の骨を貫通して、柄まで潜り込んだ。

骨肉を切り裂き抉った感触に、恐怖して尻餅をつく女の子。

ああ。あの子は。今、死ぬのか。

目を閉じて、ひたすら謝る。すまない。僕が、無力であるから。君を救えなかった。婚約者の妹だったのに。

ぱんと、鋭い音を立てて、ナイフが折れる。

そして、同時に。

ゴンゴが絶叫した。

何が起こったのか、顔を上げて確認する。ゴンゴの肩から、大量の鮮血が噴き上げていた。

それだけではない。埃を払いながら、フィールド探索者が立ち上がるではないか。

縛っていたはずの縄は切れて無くなってしまっている。どうしてだ。どうして、あの頑丈な縄が切れた。肩を回しながら歩いてくる彼女の手には、玩具のような奇怪な銃器が握られていた。

肩から大量の血を流して、地面で転がり回るゴンゴ。部下達が一斉にカラシニコフを構える。フィールド探索者は、腰を抜かしている女の子を庇うように前に出ると、目に炎を宿して叫ぶ。何を言っているかは分からないが、撃ってみろとか、守ってみせるとか、そんな所だろう。

あんな細い女が。残虐性に心を麻痺させてしまっている、百戦錬磨の民兵達を圧倒している。圧倒しているのだ。

流石に学習したか、発砲しようという輩はいない。息を呑む。ゴンゴが白目を剥いて、泡を吹いている。あの凶暴な悪魔が。今、死に瀕しているというのか。

フィールド探索者が、こっちを見た。

ふと、それで気付く。

今の、自分の立ち位置は。ひょっとすると。

視線はもう外されている。にらみ合いが続く中、徐々にゴンゴの悲鳴が小さくなっていく。医師を呼ぼうとする民兵はいない。みな、敵がどう動くか分からないので、身動きできずにいるのだ。

やるべき事を、ジラトルは思う。怖い。だが、今やらなければ、全てが。全てが、終わってしまう。

今、他の民兵の意識は、ジラトルから外れている。

あの女の人が、この好機を作ってくれたのだ。

「ジルタ!」

叫ぶ。

フィールド内で戦っている、友を自制させるために。

そして自身は、此方に残している二百羽ほどに呼びかけて、一斉に村周辺にかき集めさせる。怒号が飛び交う中、ジラトルの行動に気付く民兵はいない。夜闇が、優位を加速する。

ほどなく。

無数の隼たちが、村の頭上に集まり始めた。

 

ついに逃げ切れないか。そうグレート・マムが思った瞬間、傷口に隼の爪が食い込んでいた。

最初に傷を付けてくれた奴と同じ個体である。

しかも、まだ森まで四メートル以上もある。

そして、爪が食い込んで、離れない状態になった以上、もはや逃れる術はなかった。

隼は、獲物を地面なり海面なりに叩きつけることで殺し、あとでゆっくり拾いに来る。その時速三百キロを超えることさえある圧倒的な加速度で叩きつけられて、生きていられる鳥類などいない。百戦錬磨であるグレート・マムも同じ事だ。

経験の浅い多くの若鳥が隼に殺された。

動きを読めれば、どうにかなる部分もある。だが、どうしてもあの速度と機動性能には、対抗できないのだ。

種としての絶対的な違いがある。経験でも、それは埋めきれない。逆に言えば、そうでなければ、隼は種として存続できない。

ましてや、この絶望的な状態では。

不意に。

圧力が無くなる。

全力で羽ばたいて、森に逃げ込む。

隼たちが、一斉に頭上に舞い上がり、離れ始めていた。

それだけではない。まるで一匹の大蛇のように空で列を作り、フィールドから脱出を始めているではないか。

何が起こった。

最初に思いついたのは、あのとろそうなスペランカーの仕業だと言うことだ。ついに、能力者の喉に手が届いたのか。或いは、何かしらの方法で、屈服させる事に成功したというのか。国連軍の特殊コマンドが、情報から抑えることに成功したのか。

いずれにしろ、今が、恐らく、最後の好機だ。

背中の傷は深い。後ろからは、まだ単眼の巨神と、その眷属達が追ってきている。フィールドを出れば、彼らは存在できない。体からこぼれ落ちる血。急激に体力が失われてきているのが、よく分かる。

だが、やらざるを得ない。

やらなければならないのだ。

人間と契約した。

故郷の生態系を保持し、外部からの生物の侵入を防ぐこと。安定した環境を、人間の出来る範囲で保つこと。

それが。グレート・マムの唯一の望み。契約の、全て。

同族が暮らしやすい環境は、故郷にしかない。だから、圧倒的な侵略能力を持つ人間を押さえ込めば、同族は安泰なのだ。人間が好きな、余所の支配だとか勢力の拡大だとかには興味を持てない。ただ、自分の子孫達が、安らかに暮らせれば、それでよい。

どのみち自分はあり得ない生命。

子孫達を護るために、今一度生を受けた存在。

自分を保全するよりも、今繁栄している子孫達を護ることの方がずっと大事。そう、グレート・マムは考える。

産んだ子供達の事は、皆覚えている。

いくらかは死に、残りは空に送り出した。

生き残りは皆、子孫を残し、今に至っている。それを護るというのならば、どんなことでも、グレート・マムには耐えられる。

だから、飛べるのだ。

墜落した。

にじり寄ってくる、無数の蔦。

何度か跳ねて、加速しながら、また飛ぶ。

自分としたことが、情けない。よたよたした飛び方で、まるで初陣の小娘のようだった。心臓が限界を訴えてきている。視界が霞む。翼に力が失われてきている。

だが、それでも飛ぶ。

無様なまでに翼を動かす度、血が飛び散る。体が、温度を調節できなくなっているのがよく分かる。

光が見えてきた。

空を舞っているのは、巣立たせた愛しい子供達。餌を与えないとすぐに餓死してしまった。最初の数羽は、そうして悔しい思いもした。だが、他は皆、確実に育て上げていった。絶望と涙を糧として。

森を抜ける。

後ろでは、巨神達が、悔しそうに咆吼しながら、森をぐちゃぐちゃに潰していた。

見れば、もう隼はいない。

いつの間にか、フィールドも抜けていた。

見える。

病院が、すぐ至近にあった。

彼処だ。彼処に辿り着けば、任務は終わる。そうしたら一旦待機状態に戻り、それから。

思考が途切れた。

後は、ただ砂色の光景が、何処までも広がっていた。

 

アパ・カルタの民兵達の頭上から、無数の鳥が降り注ぐ。そう、それは、巨大な鳥の形をした蛇が、人間を襲い、飲み込むような光景だった。対応できた兵士など一人も居ない。しかも鳥たちは、躊躇無く武器を持つ手を掴み、啄み、まず動きを塞ぎ、更に顔にとりついて、視界も奪った。

持ち上げられる兵士までいる。人間の体重を空に持ち上げるのに、どれだけのパワーがいるか、言うまでもないことだ。鳥使いの少年は本気だ。やっと、自分のもてる力を、理解できたのだろう。

スペランカーは、素早く瀕死の敵ボスに走り寄ると、ブラスターを向ける。轟き渡る怒号と悲鳴の中、それは著しく簡単だった。

無線を手に取る。

「此方、スペランカー。 国連軍R国本部、応答してください」

「スペランカー、此方国連軍。 どういたしました」

「今、アパ・カルタ指揮官、および配下民兵を確保。 すぐに捕縛用の部隊を送ってください! 一個中隊は必要です」

「……了解! すぐにも!」

一瞬驚きの声が混じるが、すぐに喜びがそれに取って代わった。

この国の病根は深い。過激派の一つを潰しただけで、どうこうなる訳ではない。ソラ族の過激派だけが悪いのではなく、ウミ族にも同程度の極悪非道な過激派が複数存在している。

国連軍が、さっさと本隊を派遣してきた上で、貧困を解決する策を実行しなければ、幾らでもこのような鬼畜は湧いてくる。なぜなら、多分このような存在こそが、人間の本能の顕現だからだ。

ちらりと、アパ・カルタの指揮官を見る。

なぜこの男に、直接呪いによる打撃が通ったのか。

それは、あの女の子が、呪いに「道具」と見なされたからだ。

スナイパーライフルやカラシニコフに打撃が通っていないことからも分かるように、呪いは道具に対して、直接体に刺さりでもしない限り報復しない。つまり、スペランカーを殺そうとか害そうとか考えていた場合に、初めて打撃が通る。

この男は、状況だけ見て、機械的に呪いが報復していると考えたのだろう。違う。この呪いの主である海底の神は邪悪で、冷笑的で、狂気に満ちている。人間を嘲笑い、常に馬鹿にしている神が、その意図通りに動くものか。

フィールド探索者として最下層のスペランカーでさえこの通りである。他の、特に戦闘タイプのフィールド探索者に、自爆テロなど通じる訳がない。

スペランカーは、アパ・カルタ指揮官の至近まで歩を進めた。そして、見下ろす。

この男には、一番苦しい死に方をして貰う。

「私、兎に角色々な死に方をしてきたよ。 焼死、溺死、ショック死、圧死、爆死。 その中で、一番苦しい死に方って、なんだと思う?」

言葉が通じないことが分かった上で、スペランカーはブラスターを突きつけたまま、言う。

「それはね、毒でも窒息でもない。 目の前に、希望をぶら下げられて、それがどうしても手に届かなくて。 じわじわ、死んでいく。 そんな死だよ」

ほほえみかける。

この男には、見えている。地獄の苦しみの中、スペランカーが向けている銃が。そして、その笑顔が。

あの銃が、苦しみから解放してくれるかも知れない。

あの笑顔なら、医師を呼んでくれるかも知れない。

そんな希望を、スペランカーは踏みにじる。敢えて、踏む。己がしてきたことを、償わせるために。

ひい、ひいと、漏れている男の呼吸が。徐々に小さくなっていく。スペランカーは、周囲の阿鼻叫喚にも表情を崩さず、言った。

「撃ってあげない。 医者だって呼んであげない。 でも、良かったね。 それで少しでも、貴方が犯した多すぎる罪の一部を償うことが出来るんだから。 極限まで、目の前にぶら下げられた希望にすがりつこうとしながら、苦しんで死んで。 それが貴方の出来る、唯一の償いなんだから」

流石にスペランカーも、この男を許してやる気だけは起こらなかった。

やがて呼吸は小さくなり、そして消えた。

痛い思いをしてブラスターを使わなくても済んだのは僥倖。

だが、鬼畜が一人死んだ所で、この国の病根は、消えた訳ではない。

ほどなく、国連軍が大挙して押しかけてくる。隼の群れに身動きを封じられていたアパ・カルタの民兵達は皆その場で拘束され、非人道的な扱いを受けていた村人達が保護される。彼らは中立地帯に移送されて、其処で国連軍の護衛を受けることになった。敬礼する国連軍兵士達に目礼。

移送されていく鳥使いの少年が、通り過ぎる際に一礼した。

グレート・マムは無事だろうか。それが気に掛かるが、今は少年を責める時ではない。それに、むしろこの子は勇気を振り絞って、よくやってくれた。

アパ・カルタ指揮官の死骸が運ばれていく横で、スペランカーは無線を取る。

グレート・マムの応答はない。

何度無線に声を掛けても、結果は同じだった。

まだ、フィールドの中にいるのかも知れない。

そう強弁して心を落ち着かせようとする。だが、なかなか、上手く行かなかった。

 

5、偉大なる母

 

目を覚ますと、透明なケージの中にいた。

グレート・マムはゆっくり翼を動かして、まだ痛みが残っていること、死なずに済んだらしいことに気付く。首からかけていたワクチンのケースはなくなっていた。

「あ、起きた!」

子供の声。

無邪気そうな、病院着の子供が、満面の笑みを浮かべている。グレート・マムは愛想を振りまく元気もなかったので、ただ首を動かして、医師を捜した。どうやら、病院までは、辿り着くことが出来たらしかった。

いつもワクチンを受け取る若い医師が現れる。

「グレート・マム! 目覚めましたか!」

「生憎死にはしなかったようだね」

「良かった! 貴方が命がけで運んでくれたワクチンのおかげで、今日も助かった子供がいます! 子供達のためにも、貴方を死なせる訳にはいかなかった!」

「そうかい」

感動に、若干醒めた声で返す。ただ、子供達が助かったと言うことに関しては、良かったと思う。このくだらない乱痴気騒ぎがさっさと収まれば、もっと効率よく子供達も助かるのだろうに。

周囲を見回す。

どうやら人間達と同じ部屋であるらしい。子供が多かったが、大人の病人も、好意的な視線を向けてきていた。若干こそばゆい。

部屋に、呼ばれて入ってきたのは。スペランカーだった。子供みたいな笑顔で、小走りで駆け寄ろうとして、案の定手前ですっころぶ。そして完全に停止。見ていて不安になったが、何とか自力で立ち上がると、ちょっと恥ずかしそうに歩み寄ってきた。

「えへへー、転んじゃいました。 ご無事でしたか?」

「見ての通りだよ。 何があったのか、話してくれるかい?」

スペランカーは話す。控えめに、自分がアパ・カルタを潰したと言うことを。彼女が死に追いやったアパ・カルタ幹部は、事実上のリーダーであり、その死によって過激派アパ・カルタは崩壊。事実上機能していない国軍でも抑えられる程度の存在にまで弱体化し、既に掃討が終了したという。

医師が付け加えてくれる。アパ・カルタが倒れたことで、若干この国の混乱も収まった。だが、まだ全体では、酷い内戦状態が続いているとも。

あまりにも足りていない物資と富。そして不公正すぎる内情。何よりも、食料に比してあまりにも多すぎる人。

様々な理由が、内戦の終結を阻んでいる。そして、それが故に。まだ当分、中立地帯として重要なフィールドは潰すことが出来ないという。

「フィールド内には、何がいるんですか?」

「巨人達だったね。 目が一つの奴とか、腕がたくさんある奴とか。 色々いたね」

「それは、この国の神々なのではありませんか」

医師が言う。或いは、そうなのかも知れない。

もしそうだとすると、あまりに愚かな子孫達に対する怒りに化けて出たのかも知れなかった。

「どっちにしても、怪我が治ったら、すぐにまた仕事をしなければならないみたいだね」

 それは、どうしようもない事実。

 だが、別に構わない。それが仕事であるからだ。そして、仕事をこなせば、唯一の望みはかなうのだから。

「すみません。 次のコンボイが到着する時に、医療物資はかなり補給できます。 その後に、お願いします。 それまでは、此処の子供達の話し相手にでもなってやってください」

見れば、右手がない子供、左足がない子供、目が片方無い子供もいた。

いずれも戦災だろう。自然の摂理で失われた四肢ならば仕方もないだろうが、これは大人の腐った事情によって奪われた未来だ。

それなのに、子供達は笑っている。喋る鳥が、珍しいらしかった。

「分かった。 そんな任務で良いならば、幾らでも受けてやるさ。 どうせ、この翼は直さなければ使い物にならないからね」

医師があたまを下げる。

少し、こそばゆかった。

 

国連軍の本部に出てから、スペランカーは貸与されている寮に戻った。と言ってもそれほど上等な代物ではなく、軍基地の片隅に建てられたプレハブである。それでも士官待遇なのだから、兵士達の状況が伺える。

ベットにごろりと横になる。そしてため息一つ。

結構、フィールド探索者コミュニティの上層から、絞られたのだ。

フィールド探索者は、紛争に介入してはいけない。

人間同士の戦争に、関与してはならない。

今回は、攻撃を受けた末での反撃だから、許されたことだ。もしもこれ以上この国にとどまり、民兵と交戦したりすれば、それだけで資格を剥奪され、仕事を干されかねない。それは困る。

飢えは、トラウマだ。

今でも、一番怖いのは、痛いことでも酷いことをされるのでもない。飢えることなのだ。

ドアをノックする音。いつの間にか寝てしまっていたらしく、ベットの上で目を擦りながら起きた。裸足のまま1DKの玄関に出てドアを開けると、あの鳥使いの少年が、肩に隼を載せて立っていた。

そして、おもむろに土下座する。バランスを崩した隼が、何度か不満そうに羽ばたいていた。

ぽかんとするスペランカーの前で、少年はたどたどしい英語で言った。

「J国では、無茶な事を頼む時に、こうすると聞きました」

「へ? う、うん」

「僕を弟子にしてください。 もう無力は嫌だ。 貴方のような強さと、二度と外敵に村を蹂躙させない力が欲しい、です」

しばらく困り果てていたスペランカーだが。腰を落として、頭を掻きながら言った。

「顔を上げて、ジラトルくん」

「……」

近くで見ると、幼さが残る少年だ。しかし、目には強い意志の光が宿り始めている。少年から、男になりつつある顔だ。

「君にはフィールド探索者のコミュニティから、誘いの声が掛かってる。 私よりずっとずっと優れた使い手が、鍛えてくれるよ」

「僕には、先生が良いです」

「強さが欲しいなら、学ぶ相手を選んでちゃ駄目だよ」

少年は若干落胆した風でもあったが、しかしスペランカーの言葉を理解したのだろう。やがて、その場を去っていった。

スペランカーは思う。ああいう少年が、この国を変えていかなければならないのだろう。しがらみにがんじがらめにされた大人達よりも。

生き抜いて、この国を良い方向へ変えて欲しい。

もし良くなったら、また此処に来たい。

その二つは、今のスペランカーが、切に願う事であった。

そして、この国が平和になったのなら。

あの口が悪いグレート・マムと。一緒に観光をしたい。そう思った。

 

(終)