永劫なる蜘蛛の迷宮

 

序、終わらないその場所

 

無数の鏡が配置されている。どこまで行っても、あるのは鏡ばかりだ。

元々足がそれほど速くないグリンは、ぺたぺたと音を立てながら、必死に此処から抜け出そうとしていた。

一緒に迷い込んだマロンもそれは同じ。

早くここから出て、ブリザードが吹きすさぶあの故郷に戻りたかった。厳しい環境かも知れないが、彼処こそがグリンの故郷。心が安らぐ場所なのだ。

断じて、この鏡だらけの場所では無い。

しかし、一体どれだけ進めば、ここから出られるのか。

鏡の中に、恋人が見えた。

同時に、見たくも無いものも。

炎の塊が、後ろから迫ってくる。通路を一杯に塞ぐようにして、それはじりじりと、確実に愛する者を焼き尽くそうと背後から来ていた。

あいつには、何をやっても通用しない。それはとっくの昔に知っている。

だから、急げと、ジェスチャーを送ることしか出来なかった。

鏡の中に写ってはいるが、後ろに愛する者はいない。勿論、炎の塊もだ。そして、鏡の中に、自分は写っていない。

これは、正確には鏡では無い。

異常な世界を映し出す、別世界への扉なのだ。

手を触れる。

鏡の向こうの恋人も、それに習う。

同時に、世界が光に包まれる。

今度こそ、抜けただろうか。呼吸を整えながら、ゆっくり納まっていく光の中、周囲を見回した。

駄目だ。

また、鏡の迷宮が広がっている。自分たちの苦労をあざ笑うように。

もはや、何度この迷宮を突破したかわからない。百を軽く超えているのは確実である。

鏡のずっと向こうに、愛する者が見える。また、協力して、互いに触らなければここからは出られない。

もたもたしていると、どんどん邪悪な迷宮の住人が現れる。現に既に、その気配は背後からしていた。

振り返る。

通路を一杯に塞ぐほど巨大な蜘蛛。全身がまだら模様で、巣を張るタイプなのに積極的に獲物に襲いかかってくる獰猛な奴だ。

懐から取り出すのは、スプレー。

ただのスプレーでは無い。備えている特殊能力にて具現化したもので、この迷宮の怪物達を撃退することが出来る。

ただし、炎の塊には通用しないが。

牙をむき出しに飛びかかってくる蜘蛛に、スプレーを浴びせかける。蜘蛛はもがく。

やがて、足を縮めた蜘蛛は、ひっくりかえって転がった。大きさが大きさだから、ただただおぞましい。

ため息をつくと、迷宮の奥を目指す。

早く、この忌まわしい場所から、抜け出すために。

ぺたぺたと足音を立てながら進む。既に、もう自分が取り返しがつかないことになっている事はわかっている。だが、具体的にそれがどう取り返しがつかないのかは、どうしてかよく分からない。

それでも、グリンは前に進み続けた。

 

1、名も無き危険フィールド

 

赤い髪の子供が、歓声を上げながら辺りを走り回っている。

緑なす草原だが、普通の草ばかりでは無く、魔力を帯びた凶暴な捕食者も結構いる場所である。

だが、子供は幼くとも魔女見習いだ。どこが危険で、どこが安全かは、殆ど本能で判断できるようだった。

スペランカーは目を細めて、その様子を見つめる。

此処は、アトランティスと呼ばれる場所。かって邪神が定座とし、スペランカーが盟友と撃滅することによって平穏を取り戻した大陸。

今は、彼女にとって第二の故郷であり、受け入れられる居場所となっていた。

「すくすくと育っているようですな」

「うん。 子供は元気が一番だね」

側にいる半魚人の長老に返す。彼は、元々邪神達に奴隷として使われていた、この大陸の住人だ。

スペランカーが邪神を撃破してからは、その側に付き従っている。スペランカー様と呼ぶのには、流石に苦笑いしてしまうが。

箒に跨がると、子供はふわりと空に舞い上がる。

ああやって、毎日電池が切れるように体力が尽きるまで、徹底的に遊んでいる。今まで彼女がいた過酷な環境を忘れるように、人生を謳歌していた。それでいい。幼い頃ネグレクトで生き地獄を味わったスペランカーは、あの子がどれだけの過酷な闇の中にいたか、何となく理解できる。

だから、出来るだけ今はのびのび遊んで欲しい。

そろそろ学校などにも行って欲しいとは思っている。アトランティスでも、学校は開く予定がある。

まずは外の世界の窓口となっている空港近くに。このアトランティスの未来を担う半魚人達の子供達と、外から来た人間の子供達が、一緒に学べる施設を作る予定だ。入るとしたら、其処に、だろう。

どれだけのびのび育っても、同世代の子供がいないのでは、孤独である。

衝突するにしても、友達になるにしても、やはり同世代で、同性が最初は一番良い。

勿論、これを計画したのはスペランカーでは無い。このアトランティスの発展計画に、スペランカーは殆ど口を出していない。

ただし、決済は求められる。

だから、よほどおかしいものについては、今後はじく必要があるだろうとは感じていた。

また、人間の弁護士とかが、法的なものが云々と自分を売り込もうとしてきているが、今の時点では断っている。

まだアトランティスが生む利権がさほど大きくないというのが、周辺国との摩擦に発展しない最大の理由だろう。だが、それでも。いずれ法律の専門家や、知的犯罪への対処法を考えていかないと、周辺国になぶり者にされてしまうだろうことは容易に想像がつく。

或いは、国連辺りから、顧問を招くしか無いかも知れない。

子供が戻ってきた。

「楽しかった! すっごく!」

「そう、良かったね」

「でも、おなかすいた……」

「うん、お昼ご飯にしようね」

手を引いて、戻る。長老と、護衛の半魚人やミイラ男の戦士達も、一緒についてきた。

良く笑うようになった子供と一緒に、住み込んでいる神殿に。ギリシャ風の意匠が施されたその一角が、生活空間となっている。

「スペランカー様」

テーブルに着こうとしたところで、耳打ちされる。

不安そうにこちらを見ている子供に、大丈夫だよと言い残して、別室に。

話があるらしいのは、長老であった。ただし、引き継ぎは済んでいるらしい。

「私がコットン様についていましょう」

「お願い」

気むずかしい子供だが、長老にはそれなりになついてくれている。

名前をつけたのも長老だ。孫が出来るくらいの年になると、どんな狷介な人物も丸みが出てくるという話はあるが、多分長老はそれなのだろう。コットンを随分かわいがってくれている。

長老の、ひれが生えた背中を見送ると。執事である骸骨の戦士が一礼した。

「仕事の話にございます」

「うん。 どんな仕事?」

「オーストラリア南方の小島で、二十年ほど前から処理されていないフィールドがございます。 此処の攻略の話です」

「二十年も前から?」

特殊な事情が無い限り、フィールドは基本的に適宜処理されていく。

かってのアトランティスのように危険度が高すぎたり、或いはクレイジーランドのように特殊な目的で管理されているフィールドであったりする例外を除くと、順番に専門の探索者が処理していくのが普通なのだ。

二十年も放置されていたと言うことは、よほどの事情があるフィールドか、或いは危険度が低いか。そのどちらかなのだろう。

その予想は当たった。

「本来、これはとても危険度が低いフィールドで、外縁も安定しており、住人の立ち入りを禁止するだけで良かったのです。 貧しい住人にはフィールド探索者を呼ぶ金もありませんでした。 それで長らく放置されていたのですが。 しかし、事情が先月激変いたしました」

「何があったの」

「どうやら、このフィールドの奥で、異星の神が力を蓄えているらしいという事が判明いたしました」

一気に、空気が張り詰めた。

異星の神。

この星では無く、別の世界から来た異形の存在。この世界で暗躍している力ある者達。

この世界を支配するほどでは無いが、その残虐な力は圧倒的で、並のフィールド探索者では歯が立たない。この世界最強のフィールド探索者Mのような例外は別として、簡単に勝てる人間はまずいない。スペランカーも交戦経験が何度かあるが、楽に戦えたことは一度も無かった。

スペランカーの力の元となっている海神の呪いも、それに無関係では無い。このアトランティスも、その異星の神々によって作られた拠点だった。

確かに、そんな事情が明らかになってしまえば、放置は出来ない。対処しなければ、何が起こるかわからない。

「うん、行くしか無さそうだね。 それで、今回の参戦する面子は?」

「こちらになります」

リストを渡される。

それほど凄い人は多くないが、二人ほど知り合いがいる。そのうち一人は超一流で、信頼出来る。

アトランティスの一件以来、異星の神々の動きが活発化しているという噂もある。

神殺しとか過分なあだ名をつけられ始めているスペランカーは、そういう事情となると、当分は彼方此方に引っ張りだこだろうか。

「コットンをお願い。 あの子、まだ心がしっかり固まっていないから」

「わかっています。 長老をはじめとして、我ら皆が面倒を見ます。 学校についても、話を進めておきますが故、ご安心を」

「ありがとう。 頼りにしているから」

ぺこりと頭を下げてくれた執事に、こちらも一礼。食卓に戻る。

やはり、コットンには聞かれた。お仕事で、出かけるのかと。

嘘を言うのは嫌だから、応える。

「うん」

「スペランカーさんしか出来ないことなの?」

「そうなんだ。 だから、行ってくるね」

悲しそうに目を伏せていたコットンだが。不思議とこの子は、ぐずることが無い。

或いは怖いのかも知れない。

もしスペランカーに見放されたら、またあの暗黒の生活に戻ってしまうのでは無いかと、思っているのだろうか。

だとしたら悲しい話だ。

「大丈夫。 私、生きて帰ることだけは定評があるんだから」

「うん。 信じてる」

行ってらっしゃいと、コットンは言う。

生きて帰らなければならないと、スペランカーは思った。

 

空港から、飛行機に乗る。今回も、護衛を申し出たアトランティスの戦士達には、残ってもらうことにした。

彼らには充分良くしてもらっている。これ以上世話を焼かれると、色々駄目になりそうだからと言うこともある。それ以上に、アトランティスの復興と発展に皆で頑張って欲しいというのも大きい。

数時間のフライトの後、オーストラリア大陸に到着。空港で別の飛行機に乗り継ぐ。最初のジャンボでは無く、セスナだ。

二十人ほどの小さな飛行機であり、揺れも大きい。何度も何度も乗っている内に死ぬ。

スペランカーの体を覆っている呪いの影響だ。

スペランカーは、幼いときにこの呪いを受けた。それは父の願いでもあった。

不老不死になる代わり、虚弱体質になる上に頭も悪くなると言う、大変に迷惑な代物である。

死んでもすぐに蘇生するのだが、その代わり蘇生時は電気ショックのような痛みが走る。そして、死んだときに体に欠損部分が出ると、周囲から補填する。そして悪意ある攻撃によって体が欠損すると、攻撃者から自動補填するのだ。

この力のおかげで、スペランカーは食事をしてこられた。

フィールド探索者として、毎回何百回もそれ以上も死にながらがんばり、いくつものフィールドを潰してこられたのも、この力のおかげともいえる。

だが、やはり今でも、死ぬのは嫌だし痛いのも怖いのも嫌いだ。

それでも行くのは、これしか自分に出来る仕事が無いからである。

セスナで揺られること、十時間以上。幾つかの空港を経て、現地に到着。他のメンバーは別ルートで来ているらしく、途中の飛行機で会うことは無かった。

「おお、スペランカーどの! 久しいな!」

手を振って、がっしゃんがっしゃんとプレートメイルを鳴らしながら近づいてくる大柄な人影。スペランカーとしても最も信頼出来る戦士の一人、騎士アーサーだ。

E国最強のフィールド探索者としても知られ、敬意を込めサーの称号をつけて呼ばれるほどの人物である。実際にE国の女王から貴族としての待遇を受けてもいる。

早速握手され、シェイクされる。相変わらず、体ごと振り回されそうな力強さ。彼ほどのフィールド探索者が来ているのである。今回の件が如何に問題視されているかは明らかであった。

「最近ますます活躍しておられる様子で何よりだ。 友人として鼻が高いわ」

「ありがとうございます。 アーサーさんは、今ついたところですか?」

「我が輩はな。 というよりも、先ほど軍基地に連絡してみたが、貴殿で最後だ」

空港を一緒に歩く。

童顔で小柄なスペランカーと、大柄でしかも鎧姿の男が並んでいると、流石に周囲の目を集めるらしい。何か恐ろしいものを見たとでも言うように、十字架を切る現地の男性が、視界の隅に入った。

空港の外では、軍の装甲車が待っていた。

元々装甲車は戦闘能力のある歩兵輸送車両だとかこの間説明を受けたが、内部は案外に広くて、冷房まで掛かっている。隅っこにちょこんと膝を抱えて座ったスペランカーの横で、アーサーが説明をしてくれる。

「今回は、一旦仮設のキャンプで作戦会議を行い、それから内部に侵入する。 詳しく調べてみてわかったが、どうもこの事件は根が深いようでな」

「根が深い、ですか」

「後で話す」

装甲車が何度か大きく揺れた。この辺りの道路は、流石に殆ど舗装されていないらしい。

軍基地に着く。

急造のものらしく、バリケードの中はプレハブだ。井戸は掘られているが、まだ軍人さんもそれほど多くない。

真ん中にある司令部も、外から見えるほど距離が近かった。RPG7などで直接狙えるのでは無いかと、心配になってしまった。

プレハブの司令部に入り、二階へ。

司令部はさほど広くも無く、案内された部屋もしかり。会議室のようだが、真ん中の折りたたみ式テーブルが部屋の大半を占めてしまっていて、椅子を並べると殆ど余裕が無い。天井の蛍光灯も、西欧のプレハブにしてはかなり低めだった。本当に急あしらえの施設なんだなと、スペランカーはちょっと内心でおかしかった。

既に攻略チームだという面子が揃っていた。全部で五名。スペランカーとアーサーを加えれば、七人という大型攻略チームである。

殆どは中堅から新人で、スペランカーが知る大物はいない。親友でありスペランカーの後輩でもある川背がいればとても心強かったのだが、彼女は今別件対応中だ。ただし、隅の方で、腕組みしている不機嫌そうな知り合いを発見。

本多宗一郎。

この間一緒に、たちが悪いフィールド、クレイジーランドを攻略した新人である。

あれからかなり頑張っていろいろなフィールドを攻略しているらしい。多分目を覚ましたという恋人のためにも、お金を稼いでいるのだろう。まだ十代の半ばだが、落ち着いた雰囲気はとてもそうは見えない。

スーツを着てきているわけでも無く、実戦を考慮してか頑丈そうなジーンズにアーミールックのシャツを着込んできている。勿論この間のように、プロテクターも持ち込んでいるのだろう。

隣に座って話しかけてみる。

「お久しぶり、宗一郎君」

「ああ。 久しぶりだ」

「リルちゃんは元気?」

「元気すぎるくらいだ。 学校でも今はなじめているようで、問題は起こっていない」

宗一郎は、どうしてかスペランカーと一定距離を置こうとしているようだ。年頃故かなと思ったのだが、追求はしない。

アーサーは最上座に座った。この面子から言って、今回のリーダー格だから当然だろう。スペランカーも最近は名声が過分になってきているが、それでも彼にはとても及ばない。しかもアーサーの場合は、実力も伴っているのだから当然だ。

部屋に、国連軍の大佐が入ってくる。

ホワイトボードを引っ張り出すと、大佐は説明を始めた。

そもそも、この島は国としても所属が曖昧だという。オーストラリアの領土内ではあるらしいのだが、他にも幾つかの国が所有権を主張しているだけで無く、住民の中には独立国を主張する人間も多いのだとか。

そんな状況である。場合によっては、テロが吹き荒れる地獄のような紛争地帯と化していただろう。しかしながらテロや紛争に発展しないのは、島に資源が無いからだ。ただでさえ小さい島の上に、利権をあさろうにも富が無い。オーストラリアからも遠すぎる上に、固有種の生物もおらず、何より寒すぎて観光にも向かない。故に、この島の危ういバランスはどうにか保たれている。

閉塞しきった島なのだ。此処は。

それが幸いしているともいえたが。

「今回、これだけの大型チームを発足させた理由は、ここにいる異神の正体がはっきりしているからです」

「それは珍しいな」

アーサーが言う。

アトランティスのような特例を除くと、こんな大型チームが組まれることは滅多に無い。多くの場合、一人から三人というのが相場である。そもそもフィールド探索者を呼ぶのには著しい大金が掛かる。だから、予算の中でやりくりするには、人数を絞るしか無いのだ。

しかも、この資源も無い島である。

やはり、これだけの大型チームが組まれたのには、理由があったと言うことか。

「ここにいるのは、アトラク=ナクアと呼ばれる存在です。 異神の中では姿が確認されている珍しい存在で、百三十年前に一度当時のトップフィールド探索者に撃退されています」

「詳しく聞かせてもらおうか」

「はい。 特徴は蜘蛛のような大きな姿。 基本的に巣を作ってそこから出てくることは無いのですが、その巣が問題でして」

映像が出される。

其処には、無数の鏡のようなものが乱立する、奇怪なフィールドがあった。しかも鏡には、蜘蛛の巣が縦横無尽に掛かっている。

鏡で出来た何かのアトラクションが、蜘蛛の巣に覆われてしまった。そんな印象を受ける場所であった。

少し前までは、こんな状態では無かったそうである。

こんな状態になったのは、少し前。それまではフィールドと言っても普通の森で、流石に中に一般人が入ったら生きては出られないものの、さほど見かけからしても異常な場所では無かったそうだ。

二十年前に二人組のフィールド探索者が入って、それから出てこなかったこともあり。住民達は此処に近寄らず、事故も起こらずに今に至っているという。

「だが、それが急激に変貌を遂げた、と」

「はい。 そして、先ほど名を上げた神が以前作っていたフィールドと、此処の特徴が酷似しておりまして」

「そいつは、それほど大物の邪神なのか?」

挙手した宗一郎が言う。

もう少し丁寧な口の利き方をした方が良いかなとスペランカーは思ったが、大佐さんは気にしていないようだ。

「実は、異星の神としてはさほどの大物では無いようなのですが。 以前交戦したフィールド探索者によると、世界を滅ぼす術式をくみ上げているのだそうです」

「世界を滅ぼす、だと。 それは座視できぬな」

「はい。 話によると、「橋を架けている」のだとか。 その橋が完成したときに、世界は滅ぶそうでして」

確かにそれはゆゆしき話だ。

この世界には、能力と、更に原初の形である術式が存在している。そして、異星の神が二十年がかりで展開している術式となると、「世界が滅ぶ」というのが具体的にどのような現象かはわからないにしても、確かに一刻の猶予も無い。

わかっている限りの、フィールドの情報がホワイトボードに張り出される。だが、そもそもずっと放っておかれたフィールドだ。実際に中がどうなっているかは、文字通り入ってみるまでわからないだろう。

アーサーが皆を見回す。圧倒的な迫力がある。

彼は既に、戦士としての表情になっていた。

「我が輩とスペランカーどのが主力となって行動するしかあるまいな。 異星の神は、我らで必ずや撃滅する」

「俺も行く」

宗一郎が挙手する。

確かに彼の突破能力は魅力的だ。アーサーの殲滅力と合わされば、一気に敵の中を抜けられる可能性も大きい。

宗一郎はスペランカーを見て、無表情なまま言う。

「あんたには前に世話になった。 今度は俺が、あんたのために道を作る」

「ありがとう。 頼もしいよ」

笑顔を向けるが、やはりにこりともしない。

まあ、嫌われたわけでは無さそうだし、ずっと苦しい暮らしをしていたとも聞く。だから、気にはしない。

遠くから響いてくるような声で、ずっと黙っていた宇宙服のようなスーツを着ている人物が言う。

「では、余は陽動と言うことで良いな」

「うむ。 後二人か三人で、出来るだけ、我が輩達突入チームの後方の退路を確保して欲しい」

「ンー。 そうなると、三チームに、分かれる、必要があるな」

「はい! 僕たちが陽動をします。 ぶっ壊して廻るのは得意ですから」

めいめいに名乗りを上げ、チーム分けが為される。

退路を確保することを申し出てくれたのは、王と呼ばれる人物だ。実際に王というわけでは無く、若干の揶揄がこもっている。爆発物を使う戦士なのだが、火力があまりにも大きすぎて、敵味方共に巻き込んでしまうことが多い。その破壊力から「王」と、敬意と皮肉を込めて呼ばれている。

そのせいか、常に全身を宇宙服のようなスーツで覆っており、素顔は全く見えない。また、いつの間にか王という呼び名にあわせて、余と一人称を変えたそうだ。意外にお茶目な人物なのかも知れない。

彼ともう一人、マッドエックスと呼ばれる小型戦闘カーを操る人物が、後方での退路確保を行ってくれることとなった。彼の戦闘カーは一見するとごてごてしている車なのだが、かなり小回りがきくらしく、幾つかのフィールドで機動力を武器に戦ってきているという。ただ、乗っている人物は正体不明だ。会議でも、ヘルメットを被っていて、素顔を一切露出しなかった。

噂によると、ロボットではないかという説まであるらしい。実際喋るときには、変声機らしい「ン−」という音が入る。単語も不自然に離れていて、たどたどしい。

陽動を請け負ってくれる二人は、地球の反対側で暮らしているイヌイットのカップルである。常にアザラシの毛皮で作った防寒服を身に纏っている、小柄な二人だ。

寒冷地での戦闘を得意としていて、得物は巨大なハンマーである。カップルならではのコンビネーション戦闘を得意とすると思われがちなのだが、実際にはあまり仲が良くない事で知られているらしい二人で、いつもフィールドで喧嘩しているのだという。戦闘能力自体はかなり高いらしく、故にはた迷惑なことでも知られていると言うことだ。

どちらにしても、皆中堅どころとしてはそこそこに腕が立つ。変に名前が知られてしまっているスペランカーよりも、ずっとむしろ頼りになるのでは無いかと思える。

今回は胸を借りるつもりでいこう。そうスペランカーは思った。

「よし、それではその編成で行くぞ。 今回は時間が無い。 各々方、総力戦となるが故に、覚悟して戦場に臨んでいただきたい」

「応ッ!」

全員が唱和する。

ちょっと恥ずかしかったが、スペランカーもそれに併せた。

 

2、鏡の森

 

凄いエンジン音だなと、スペランカーは隣にいる車を見て思った。

マッドエックス。レーシングカーのようにも見えるが、特有の細さは無い。怪物や戦闘車両とも戦える強固な装甲に、オフロード仕様のタイヤ。それに多少こすってもまるで気にならないようにか、表面はごつごつしていた。

上には「王」が乗っている。彼が手にしているとてもごつい巨大な銃器は、軍用のミニミ重機関銃を更に独自強化した特注品であるらしい。元々分隊支援火器と呼ばれる強力な兵器である。しかも、彼の切り札はもっと強力なのだとか。彼が破壊力において「王」と呼ばれるのも納得である。

まがまがしいまでの重武装だ。

マッドエックスについての逸話は、会議が終わった後アーサーに聞いた。かってフィールドを悪用していた犯罪組織に乗り手が恋人を殺され、その復讐のために作り上げた戦闘マシーンであるらしい。乗っている人物の顔は見えないのだが、それはさっきの会議の時も同じだ。ずっとレース用のヘルメットらしきものを被っていて、全く素顔を見せてくれなかった。今でもそれは同じである。

彼は復讐が果たされた後も、車を相棒として活動しているらしい。

「ええと、お名前はなんと呼べばいいですか?」

「ンー。 あんたの方が、フィールド探索者としては、格上だろう。 俺に、敬語なんか、使わなくて良い」

とりつく島も無い返事である。

だが、敬意を払ってくれているのはわかった。そうなれば、こちらもそれに応えなければならないだろう。

ベースを出て、森に。

森に一歩入ると、空気が露骨に違っていた。

既に此処はフィールドなのだと、肌で感じ取れる。それだけではない。異様なものは、それだけではなかった。

「気をつけよ。 足下だ」

アーサーが言うと、皆が足を止めた。

足下に、何か光るものがある。アーサーが槍を手元に具現化させた。ウェポンクリエイトと呼ばれる、彼の能力である。自分の体重以下の武器防具なら、体力と引き替えにいくらでも作り出すことが出来るのだ。

槍先で光るものをつつくアーサー。

同時に、周囲から殺気がほとばしる。

殆ど無言のまま、王がミニミをぶっ放した。凄まじいバースト音が轟き、辺りの樹木が木っ端みじんに砕け飛ぶ。咆哮するミニミが黙ったとき、其処には巨大な蜘蛛の亡骸があった。

体だけでも二メートル以上はあるだろう。おぞましいまでに巨大な蜘蛛だ。

まだら模様で、口元には鋭い牙がある。ただ、フィールドに生息している怪物としては、むしろ小型かも知れない。

「なるほど、蜘蛛の神のフィールドと言うだけのことはあるな」

「おっかないですね」

「蜘蛛は振動に非常に敏感だ。 足下にある探知用の糸を踏むと、問答無用で飛びかかってくるぞ。 気をつけられよ」

森の入り口からしてこれである。

内部では、更に苛烈な歓迎が待っているだろう事は、容易に予想できた。

そのまま、森の奥へ。

無線はすぐに使い物にならなくなった。これは普通のフィールドよりも、格段に危険度が高いかも知れない。

森の動物は既に全滅しているようだった。辺りには既に、蜘蛛の巣が露骨に見えるようになっている。フィールド化していても動物はたくましく生き延びていることもあるのだが、この様子では。

所々、団子状に丸められた動物の亡骸が見える。

「蜘蛛は相手の体内に消化液を注入して、溶かして喰う」

「でも本来は、生態系の守り手、なんですよね」

「そうだ。 我が輩も、本来の蜘蛛は嫌いでは無いが、これだけ力を得てしまうと、ただの自然の破壊者に代わってしまうようだな」

蜘蛛は地中から水中まで、あらゆる場所に適応した対応力の高い生物なのだと、アーサーは歩きながら教えてくれる。

スペランカーは背が高いアーサーについて歩く。

最前線に、スペランカーはいなければならない。他のメンバーの被害を、少しでも減らすために、である。

頭上から、巨大な蜘蛛が躍りかかってきた。

さっきと同じ品種だ。だが、その牙がアーサーに届く前に、宗一郎が蹴り上げたサッカーボールが、巨大な腹部を直撃していた。

声の類は上げない。地面にバランスを崩して落ちた蜘蛛に、アーサーは無言で作り出した剣を振り下ろしていた。

大量の粘液が飛び散る。異臭もひどい。

がさがさと、辺りで音が響き始めた。無数の蜘蛛の気配が、見え隠れし始めている。

奥の方は、蜘蛛の巣のカーテンが掛かっているような状態だった。更に、ちかちかと何かが瞬いているのが見える。

戻ってきたサッカーボールを胸でブロックして受け止める宗一郎。舌打ちが聞こえた。

「凄い数だな……」

「強行突破しかあるまい」

「ンー。 引き受けよう」

エンジン音をふかして、マッドエックスが前に躍り出る。王が腰だめして、ミニミをぶっ放し、周囲に凄まじい破壊と殺戮をばらまき始めた。

大量の蜘蛛は、怯えることも無く、上から前から後ろから躍りかかってくる。ミニミの火力を持ってしても、一見すると対処しきれないようにも見えた。だがその銃身が咆哮するたびに、蜘蛛の長大な足が吹き飛び、体に穴が開き、粘液がぶちまけられる。

アーサーが巨大な斧を複数出現させる。

「GO! Fire!」

かけ声と共に、回転しながら斧が前方の蜘蛛に突き刺さり、両断し、突破口を作った。任せる、とは言わない。

既に事前に決めたことだからだ。

「行くぞ、スペランカー殿。 宗一郎」

「応!」

宗一郎がそれに続いて、サッカーボールを強烈に蹴り込む。

彼の能力は、己のダメージに比例して打撃力を増すという単純なものである。しかし、以前見た時よりも、通常状態でのパンチ力が格段に増している。蜘蛛に直撃したサッカーボールが、その表皮を打ち砕き、粘液をばらまくのをスペランカーは見た。

アーサーに続いて、小走りで行く。

もはや糸が縦横無尽に絡みつき、周囲の全てが蜘蛛の巣のような有様だ。風が吹いても、葉が揺れることも無く、木々がざわめくことも無い。

蜘蛛の巣は、むしろ美しいものなのだが。

やはりアーサーが言ったように、過ぎたるは及ばざるがごとしという奴なのだろう。これは異境だ。

だが、スペランカーは思う。

ひょっとすると、人間の街も、他の動物にはこう見えているのでは無いのだろうか。

靴の裏に、蜘蛛の巣が張り付いてくる。

振り向くと同時に、組み付かれた。鋭い痛み。意識が飛ぶ。

気がつくと、蜘蛛がのけぞり、横転して足を縮めていた。首筋に致命的なダメージを受けたからだろう。

宗一郎が手を貸してくれたので、立ち上がる。

倦怠感がひどい。毒が入ったからだろう。

「大丈夫か?」

「何とか。 宗一郎君は?」

「俺はロードアーサーの側にいるからな。 それにあんたが囮になってくれてもいる」

少し足下がふらつく。

気がつくと、周囲は、森では無くなっていた。蜘蛛の巣だらけの森だったのに、いきなり風景が変わっている。

フィールドでは良くある事とはいえ、少し驚いた。

「完全に、蜘蛛神とやらのテリトリーに入ったようだな。 各々方、油断召されるな」

アーサーが、蜘蛛を斬ったらしい大剣を振るい、粘液を落としながら言う。

これは、どういう環境だろうか。

周囲は、無数の鏡が林立している。しかしながら鏡をのぞき込むと、自分の姿はないのである。

床がある。

奇妙な模様が刻まれていた。象形文字のような、渦巻き模様のような。天井も、壁も同じだ。

アーサーが腰を落とし、床に触れながら呟く。

「強烈な魔力を感じる。 なるほど、この迷宮そのものが、蜘蛛神とやらが作り上げている術式を兼ねているようだな」

「下がってろ」

宗一郎が、いきなりサッカーボールを鏡に全力で蹴り込んだ。

耳を塞いだが、鏡は割れない。

サッカーボールも、柔らかくはじき返されて、床に転がったようだった。

続いてアーサーが、巨大な斧を出現させる。バトルアックスと呼ばれる奴だろう。全身位もある大きな斧だ。それを無言で、床に振り下ろす騎士。

だが、斧は火花を散らし、はじき返されていた。

「なるほどな。 多分物理的な攻撃は無為だと見て良かろう」

「アーサーさん。 やっぱり奥に進むしかありませんか?」

「……そうだな。 スペランカーどの、貴殿は何か感じるか?」

「はい。 私の中にいるダゴンさんと同じ力を感じます。 でも、どういうわけか、とても微弱です」

かってスペランカーは、異神の一柱であるダゴンを、ある契約の下体内に取り込んだ。

それで異神の力を明確に感じられるようになったのだが。しかし、これはどういうことなのだろう。

死にかけている、というわけではないようなのだが。

「微弱、か」

「何か思い当たることが?」

「ふむ、歩きながら話すとしよう。 先に進むぞ、少年」

「わかった」

不用意に壁や床に触らないように、座り込んで休憩を取っていたらしい宗一郎が立ち上がる。

いつの間にか、一人前のフィールド探索者になっているようで、安心した。

 

マッドエックスの上部に据えられたミニミが咆哮し終える。

周囲には、無数の蜘蛛の亡骸が散らばっていた。数は三十を超えている。蜘蛛は死んだふりを出来るほど器用な生物では無いので、一時的な殲滅は完了したと見て良いだろう。上部に乗っている王に、声をかけるマッドエックス。

「ンー。 王よ、周囲の様子は」

「静かになったな。 この辺りの蜘蛛どもは、殲滅したと見て良いだろう」

「じゃ、そろそろ別れようか」

声を掛けてきたのは、ハンマーを持ったイヌイットのカップル、男の方である。

機敏な動きで周囲を走り回り、蜘蛛を殴り殺してまわっていた此奴らは、間違いなくフィールド探索者としてはそれなりの実力者だ。ハンマーも木で出来ている割には強力で、蜘蛛を一撃で殺戮するに充分な破壊力を示していた。実際、水風船でもつぶすように蜘蛛の体を粉砕していた。これも、能力の一つなのかも知れない。

此奴らの仕事は陽動。それに対して、王とマッドエックスの仕事は退路確保だ。

「ンー。 蜘蛛の巣の、粘着性は、高い。 気をつけろよ」

「わかっている。 そちらも武運を」

女の方が言葉短く言うと、二人は蜘蛛の巣だらけの森に消えた。

マッドエックスが進み始める。車体の上で腰を下ろした王が、呟いた。

「火には気をつける必要がありそうだな」

「ンー。 む? そう、だな」

「余が能力は火力に関連するものだ。 運用が難しいな」

蜘蛛の巣がどれだけ燃えるのかはよく分からないが、確かにその危険性はある。そして、アーサー達を追尾しようと思った瞬間だった。

その危惧が、突如現実のものとなった。

突然、視界の隅が燃え上がったのである。あわててミニミの砲口を向けなおす。

そちらには、巨大な炎の塊がいた。

燃え上がる森の一角。それは巨大な蜘蛛の姿をとっていながら、しかし炎であった。オフロード仕様の車が激しくスピンし、バックする。同時に王が射撃の火蓋を切った。

だが、相手は炎。

装甲車の分厚い防壁をも突破するミニミの銃弾が、ことごとく効果を示さない。

だが、それもまたフィールドでは珍しいことではない。舌打ちしながら、王は叫んでいた。

「だったら此れでも食らうがよい!」

取り出したのは、グレネードランチャーである。擲弾筒と呼ぶ場合もある。爆発力の強い弾丸を打ち出す装置で、バズーカ砲などもこれに類する。

バックしながら、グレネードを叩き込む。

炸裂。

爆発に、周囲の蜘蛛の巣が激しく燃え上がる。その中を、まるで応えていない様子の炎が、のそり、のしりと歩いてくる。

八本の長い足は獲物を刈る刃のように研ぎ澄まされ、そして動きが予想以上に早い。こちらは全力でバックしているのに、距離がどんどん縮まってくる。否、これは。

「ンー。 前進するぞ、王」

「承知した!」

車体の上で、王が伏せる。

同時に、バックから急発進に転じた。急激な速度の変化に、炎の蜘蛛が前足をあげるが、遅い。

同時に、マッドエックスの車体に、淡い光の幕が生じていた。

マッドエックスの能力、バリアホイールである。

突撃を敵に仕掛けるとき、七秒だけバリアを発生させることができる。とはいっても、実際には壁などにぶつかったときに車体を保護するために用いており、攻撃に使うことはめったにない。

入り組んだ道などでも傷つかない理由は、この能力にあるのだ。

突貫、貫通。

炎の蜘蛛を抜け、反対側に出た。王が炎を振り払う。

そして、振り返る。唖然とした声を、王が上げた。

「後ろを見ろ!」

「ンー。 ……む?」

後方の確認を、バックミラーで行い、マッドエックスも絶句していた。

一瞬でばらばらになった炎が、元に戻っていく。しかも、距離が離れない。この現象、おそらく魔術によるものだろうということは見当がつく。

つまり、陽動に敵は引っかからず、こちらを主体として攻撃してきている可能性がある。あるいは、イヌイットの二人組も攻撃を受けているのだろうか。

ミニミが再び咆哮。だが、砲弾を無駄に消費するばかりだ。舌打ちした王が、宇宙服のようなスーツの一部にすえつけてある爆弾をはずす。ダイナマイトに近い形状をしているそれを使った場合の被害を、マッドエックスは知っていた。

「ンー。 それを使う気か」

「そうだ。 爆消しかあるまい」

「……。 ンー。 そう、だな」

主に油田火災などで用いられる方法だ。火の上で爆発を生じさせることにより、炎の周囲の空気を吹き飛ばし、鎮火する。うまくいけば効果は絶大である。

問題は、それを行う王の能力にある。

「ンー、いけるのか」

「やってみるしかあるまい」

炎の蜘蛛が、徐々に近づいてくる。

ゆっくり動いているようにしか見えないのに、着実に距離が狭まってくるのがおぞましい。

王が爆弾のピンを引き抜く。

ダイナマイトに近い形状だが、使い方は手りゅう弾だ。

「全力加速!」

タイヤが鋭い音を立てて回転した。そして、炎の蜘蛛が、投げ放たれた爆弾を見上げる。

同時に。

車体が浮くような感覚があった。

すさまじい爆発が、後方で引き起こされたのである。

ふと気づくと、普通に車は進んでいた。ブレーキをかけて、一旦とまる。エンジンの負荷がすさまじい。

「……やったか。 ンー」

「どうにか、消し飛びはしたようだ」

王が、装甲服の上から、汗をぬぐうような動作をした。一旦周囲を確認する。カーテンのように蜘蛛の巣がかかった森の中、敵性勢力は、いない。

だが、あれ一匹で済むとはとても思えない。

「ロードアーサーがどちらにいったか、つかめないか」

「ンー。 今、検索中、だ」

データベースから、居場所を割り出す。

レーダーに、そのとき反応があった。

周囲に、すさまじい数の何かがいる。それが、三十を超えるさっきの炎蜘蛛だとわかり、マッドエックスは絶句していた。

「ンー。 これはこれは、盛大な歓迎だ」

「だが、これをこちらで引き受ければ、ロードアーサーの作業は楽になる。 少しでも敵をひきつけ、突破作戦の成功率を上げるぞ」

王が叫ぶ。

そして、また爆弾のピンを引き抜いた。

作戦は変わってしまったが、まあそもそもこちらの目的は突入の支援である。これはこれで良かった。

 

アーサーが辺りを見回している。どうやら、完全に迷ったようだった。少し遅れてついてきている宗一郎が、足を止めた。

「今、鏡の中に何かいた」

「え?」

「青い姿だ。 ペンギンか?」

この森は、南極に近い島にある。確かにペンギンがいてもおかしくは無いか。

アーサーに道中聞かされたのだが、ペンギンは何も南極だけに生息しているわけでは無いらしい。寒流があればある程度生きて生けるそうで、かなり暖かい島にも生息している種類がいるそうだ。

空を飛ぶ力を失った代わり、海を泳ぐ力を手に入れた鳥。

それがペンギン。だから、決して無力な存在では無いのだとか。

だが、この陸の上では状況が違う。水中生活に特化したペンギンは無力に等しい。南極でも、他のどこでも、ペンギンは基本的に陸上性の猛獣が少ないところで巣を作って生きているのだ。

「こんな所に迷い込んだのだとしたら、気の毒な話だな」

「……アーサーさん、なんだかおかしいと思いませんか?」

「む?」

「なんだか口じゃ説明できないんですけれど、力が全然近づいてこないんです。 さっきから、力の感じる方に歩いているのに」

しかしながら、同じ所をくるくる回っているというのとは、また違うのである。

何というか、ベルトコンベアーの上を逆送しているような感じとでも言うのか。少なくとも、まっすぐ進んでいるとは思えない。

視界の隅、何かが横切る。

今度はスペランカーにも見えた。ペンギンだ。

だがどちらかというと、青い配色で、自然のものとは思えなかった。まるで戯画のようである。

「アーサーさん」

「今のは我が輩にも見えたな。 そういえば、視界の隅を青いのが時々行き来していると思ったが、あれであったか」

「それだけじゃない。 さっき、ピンク色のも見えた気がした」

ピンク色。

それはますますおかしい。宗一郎が言うのだから嘘では無いのだろうが、そうなってくると、野生のペンギンとは思えない。

極小の確率として、心ない人間にいたずらされた個体が生き残っていたというのもあり得るが。しかし、それも実際にはどうなのだろうか。

「何かの罠の可能性があるな。 各々方、油断召されるな」

「待って、なんだかそれどころじゃ無さそう」

アーサーの言葉を遮る。

不意に、闇の気配が濃くなってきた。

鳥の羽ばたく音がする。ペンギンは羽を泳ぐために変えており、羽ばたくのは水をはじくため。こんな音はしない。

振り返ると、見えた。

青い鳥だ。物語に出てきそうな小鳥では無く、まがまがしいほどに大きい。大型の猛禽ほどもあるだろう。

そして、鳥がアーサーとスペランカーの間を通り抜けた瞬間。

世界が、上下反転していた。

 

頭を振りながら立ち上がる。

スペランカーは、どうやら気絶していたらしかった。それだけではない。全身が、若干熱い。

何か、干渉してきている存在がいる。

今まで、邪神ののろいが満ちた空間に入ったことはあった。その時も、こんな感触は無かった。つまり、明確にスペランカーにターゲットを絞り、干渉をしてきていると言うことだ。

立ち上がる。

そして、愕然とした。

鏡の中に、アーサーと宗一郎がいる。振り返っても、当然二人はいない。

鏡に駆け寄る。鏡を叩くが、当然向こうへは行けなかった。

「アーサーさん! 宗一郎君!」

紙を突きつけてくる宗一郎。鏡文字で、書かれている。

気絶している間に、色々試してみたが、鏡は割れないし、そちらにも行けない。

つまりは、分断されたのだ。

分断されることは、最初から想定していた。だから動揺しない。

一応さんざん訳がわからないフィールドで苦難は味わってきたのである。この程度では、今更びっくりもしていられなかった。

「これから我々は、独自に移動してみる。 スペランカー殿は、邪神を目指して欲しい」

紙にそう書かれていたので、頷く。鏡文字だったので、ちょっと解読が大変だったが。

しかし、これはほぼ間違いなく邪神によるものだと見て良いだろう。迎撃の兵隊も、当然出てくるだろうし、厄介な話である。

いや、待て。

ヘルメットを被り直すと、鏡を叩く。気づいたアーサーが振り返った。

メモ帳を取り出して、書いてみせる。

「状況がおかしいです。 このままだと、どれだけ歩いても異神さんの所にはたどり着けないかも」

「ふむ、何か名案は」

「……」

そう言われると弱い。だがアーサーも、このまま歩くのは無為だと感じたらしい。

ふと、気づくと。

足下に、ペンギンがいて、見上げていた。青いペンギンだ。

しかも、動物園で見るような奴では無くて、漫画に出てくるような丸っこくて可愛い造形である。

しかも、体色はパステルブルー。

「! アーサーさん」

アーサーの側には、ピンク色のペンギン。スペランカーの様子を見て、気づいたようだった。

ペンギンに触ってみる。

体温は高い。臭いはなんだか非常に独特であった。有り体に言えば、良いにおいとは言いがたい。

アーサーが、紙に書いてくる。

「そちらにいるピンク色のペンギンは……」

「ちょっと待った。 アーサーさん、こちらには青いペンギンが」

「何だと!?」

何度見ても、スペランカーを見上げているのは、青いペンギンである。

だが、アーサーは慌てて書き足してくる。

「いや、こちらからはピンク色に見える」

「この手帳の色は」

「茶色だが」

「……?」

宗一郎が、小首をひねるスペランカーを見て、咳払いした。

そして、手帳に慌ただしくなにやら書き始める。

「ひょっとしたら、これが脱出のヒントじゃないのか」

 

3、青と赤のふたつ星

 

人間を、久しぶりに見た。

グリンが歩み寄ると、随分大きな人間に見えた。話しかけようとしたが、どうしてか声が出ない。

頭を撫でられる。スペランカーと名乗られた。

相手の手が、とても冷たいように感じた。

向こうにはマロンもいる。マロンも、大きな人間二人に挟まれていた。何が起こっているのだろう。

そういえば。

何時から、自分はペンギンになったのだろうか。

仰ぎ見る。人間は、明らかにグリンを、ペンギンを見る目で見ていた。人間を見る目では見ていなかった。

気づく。ずっと此処をさまよいながら、気づけなかったことに。否、変化があまりにゆっくりだったから、いつしか変化に慣れてしまい、それが普通のことになってしまっていた。

そうだ。いつの間にか、自分もマロンも、人間では無くなっていた。

嗚呼。どうしてこのようなことになってしまったのか。

鏡を挟んで手を触れると、別の場所に飛ばされることに気づいた。それから、ずっと脱出を求めて、それをやってきた。そうしていれば、いつかは脱出できると思ったからである。

だが、何百回と諦めずに繰り返してきたそれが、こんな破滅を生んでしまったというのだろうか。

多分マロンも気づいたはずだ。自分が置かれてしまった悲劇に。

思わず、グリンは天に向けて絶叫していた。

人間が驚くのがわかった。そうだ、私はもうグリンでは無くて、ペンギンだ。しかも戯画のようにデフォルメされ、二本足でよちよちと歩くことで愛玩される、ひ弱で無力な動物に過ぎない。

能力は。

手元に、能力を具現化させる。

これだけは、無事か。

「どうしたの?」

人間、ヘルメットを被った背の低い女が、心配そうに話しかけてくる。

ついと視線を背けた。人間の姿をしていると言うだけで、妬ましかったからである。だが、人間は腰を落として、こちらを抱きしめてくる。暴れて逃げようとしたが、離してくれなかった。

「どうしたの? 貴方から、異界の神様の気配がするよ」

違う。

私は邪神では無い。人間だ。そう言おうとするが、勿論声などは出るわけも無かった。

これほどの屈辱があるだろうか。

こんなフィールド、簡単に突破できると思って、マロンと一緒に来てみればこの有様だ。一体外ではどれだけ年月が経ったのか。空腹を覚えないということは、体が既に人外どころか、自然の法則を逸脱してしまっているという事の証拠では無いか。

マロンも、泣いているようだった。

しばらく、立ち尽くす。

人間の女が立ち上がり、紙に何か書き始める。

このペンギンさんから、邪神の気配がするとか書いてあった。嗚呼、やはり私はもう、人間などでは無いのだろうか。混乱する頭の中で、全てがねじ曲がっていく。

呼吸が乱れて、何度も人ならぬ声が漏れた。こんなにやかましい騒音なのか、ペンギンの鳴き声は。

何もかもが情けなくて、何も見えなかった。

不意に、女が立ち上がる。そして、グリンを守るようにして立ちふさがった。

蜘蛛だ。巨大な蜘蛛。

この迷宮で、何十何百と遭遇して、そのたびに逃げたり葬ったりしてきた相手だ。

「下がっていて」

下がると言っても、どうするのか。

そもそも此奴、戦闘タイプのフィールド探索者なのか。どう見ても、大して動けるようには見えない。

蜘蛛はしばしかちかちと顎を鳴らして女を見ていた。

だが、飛びかからない。何か躊躇させるものが、女にはあると言うことなのか。手を広げて突っ立っている女は、どうしてか妙な安定感を備えている。蜘蛛は、それを恐れているのか。

「貴方を傷つけたくないの。 下がって」

蜘蛛は、鋭く牙を鳴らした。

数瞬のにらみ合いの末、蜘蛛が女に飛びかかる。もろくも押し倒された女の首筋に、蜘蛛の牙が突き刺さった。

即死だろう。

スプレーを使って撃退しようと思ったとき、今度は蜘蛛に異変が起こる。

首筋に穴が開き、大量の粘液が噴き出す。もがきながら下がろうとした蜘蛛だが、あれは致命傷だ。

その場に転がって、足を丸めて動かなくなる。

女は何事も無かったかのように立ち上がる。首に、傷など無かった。

「あいたたた、もう。 何で話を聞いてくれないんだろう」

脳天気な事をほざきながら、女は埃を払う。蜘蛛を見ると悲しそうに眉をひそめている辺りも含めて、よく分からない。

まだ少し女は鏡の向こうの二人組と話をしていたが、何か決まったらしい。頭を撫でながら、言う。

「ごめんね。 ちょっと貴方と一緒にいても良い?」

どういうことだろうか。

訳がわからないグリンに向けて、女は続ける。

「貴方が、このフィールドを作った邪神さんへの突破口だと思うの。 何か心当たりは無いかな」

この女。

本気でペンギンがそれを話すとでも思っているのだろうか。しかもわざわざ腰を落として、目線を合わせてくる。

貴様より、私はずっと年上だと絶叫したくなったが、我慢する。不快感が胸までせり上がってくるが、それを示す方法が無かった。

女が鏡の向こうの相手と紙に何か書いて会話しながら、進み始める。

ぽてぽてと歩く女は、やはりどう見ても戦闘経験者だとは思えなかった。

 

通路を埋め尽くして迫ってくる、炎の蜘蛛。

さっきの蜘蛛と同じく、こちらを明確に敵だと認識している様子だ。やり過ごすことは出来ないだろう。

スペランカーはヘルメットを取ると、頭をかく。

こういう一撃必殺の狩りをするタイプの猛獣は、対処自体は楽だ。

スペランカーの体を覆っている海神の呪いは、悪意ある攻撃によって死に至った場合、攻撃者から欠損部分を補填する。毒にさえ我慢すれば、相手が即死するわけで、丸呑みにされたり体を食いちぎられたりするよりも、ずっと楽に蘇生とその後の作業が済ませるからだ。

だが逆に言えば、攻撃を仕掛けてきた相手も即死すると言うことも意味している。あまり、スペランカーはそれを好まなかった。

ペンギンが下がる。距離を取るのは賢明なことだ。

鏡には、不思議な事に蜘蛛は写っていない。アーサー達が今頃どんな風に行動しているか。打ち合わせ通りに行っていれば良いのだが。

さっき、宗一郎が指摘したことは、確かに目から鱗だった。

そして、今回の炎の蜘蛛との遭遇が、それを裏付けている。予想通り、今度はさっきよりも強力で足止めになる奴を、差し向けてきたのだから。

 

このペンギンが、明らかに邪神にとって何か重要な存在になっている。

そして、それはほぼ確実に、今アーサー達によって邪魔されてしまっていた。

此処までの結論は、宗一郎が出した。そして、その予想通りに。戦闘能力が明らかに低いスペランカー側に、せかすように蜘蛛が現れた。

アーサーは歩きながら、側をとぼとぼと歩いているピンクのペンギンを見つめる。

このペンギンが何者なのかはわからない。邪神の僕なのか、或いはもっと違う何かなのか。

わかりきっているのは、明らかに知性があること。

さっき見せた絶望の涙は、ペンギンが見せるには高度すぎる感情だった。アレを見て、アーサーも宗一郎の推理が間違っていないことを確信したのである。

そして、その次に、邪神が何をしてくるかも、だいたい推理は出来ていた。

だから、わざと声に出して言う。

「さて、宗一郎。 そろそろスペランカー殿が敵と接触した頃だろうな」

「ああ。 この迷宮を作っている奴は、スペランカーさんを邪魔だと思っているだろうからな。 足止めをするはずだ。 そしてペンギンと引き離そうとする」

ペンギンが、驚いたように足を止めた。

アーサーを見上げてくる。ピンク色のペンギンなんて、アニメにしか出てこないだろう存在に見上げられるとちょっと不思議だ。幼い女の子がこの場にいたら、可愛いとか喜びそうだ。

あいにくアーサーには、恋人はいても子供はまだいないから、そんな風に見つめられても困るだけだが。

「だがこっちには切り札がある。 スペランカー殿に邪神がかまけている間に、一気に奴の足下まで迫るとするか」

「ああ。 それが良さそうだな」

宗一郎とは、事前に打ち合わせした。

この会話も、全て想定通りである。もしも、仕掛けてくるとしたら、そろそろだろうか。

来た。

そう思ったときには、周囲は無数の蜘蛛の巣に覆われた、薄汚れた迷宮とかしていた。とっさに十字架を出して、聖なる力による障壁を作り、ペンギンが側から引きはがされるのを防ぐ。

そして、口の端をつり上げた。

「まだ甘いな、邪神! 貴様の行動は手に取るように読めている!」

此処までは、だが。

おそらく、ペンギンに延々と何かをさせることが、邪神にとっての術式なのだ。

実際、術には完成までに、詠唱だけでは無く様々な動作や行動を伴うものがある。多くの虫に共食いをさせる巫蠱術などはその典型例である。

だから、まずはペンギンを引きはがし、手元で保護する。

そうすれば、奴の術式は完成しない。そしてほぼ予想通り、焦って介入を試みてきた。

こういうときは根比べだと、アーサーは知っていた。そしてスペランカーの指摘でそれを思い出してからは、後は簡単だった。

だが、相手も痩せても枯れても邪神である。ここからどう出てくるか、まだわからないところがある。

ペンギンが怯えているのがわかる。

さっと宗一郎が、アーサーと背中合わせに立った。サッカーボールを地面に何度かぶつけ、バウンドさせている。

「後ろは任せろ」

「ふふん、そうか。 我が輩の背後を守るか」

なかなかに生意気な若造だ。だが、この短い時間に、随分頭の切れを上げている様子で感心できる。

周囲に浮かび上がる無数の気配。

そして、それを縫うようにして、迫る青い鳥。さっきと同じように、こちらを分断することで、混乱させようとする意図が見え見えだ。

振り返りざまに、アーサーは槍を投擲。

鳥は一撃目はかわしたが、直後アーサーが体の周囲に無数に出現させたナイフによる一斉射撃はどうにも出来なかった。

全身にナイフを突き立てた青い鳥が、絶叫しながら蜘蛛の巣に突っ込む。

ぴくぴくと痙攣している鳥を無視して、周囲から無数の蜘蛛が歩み寄ってきた。

既に辺りは鏡の迷宮でさえ無い。最初に入った、蜘蛛の巣だらけの森だ。

遠くで爆発音。

「どうやら、敵は予想以上に余裕が無いようだのう。 どう見る、若き戦士」

「いや、スペランカーさんとの交戦に、全力を注ぐつもりなのかも知れない。 事実、スペランカーさんがいない」

「ふむ、冷静な判断だ」

ペンギンがおろおろと辺りを見回している。だが、その手に不可思議なスプレーがあるのを、アーサーは見落とさなかった。

やはり、此奴は。

飛びかかってくる蜘蛛。二匹同時。

跳躍した宗一郎が、強烈なボールによる打撃を蹴り込む。頭を陥没させた蜘蛛が、バランスを崩し、地面に突っ込んだ。

アーサーはトゥーハンデッドソードを具現化させると、それで一刀両断に正面から来た蜘蛛を斬り伏せる。

周囲の敵は、どんどん数を増していく。

これは、しばらくは耐えないといけないだろう。それだけではない。

辺りに、赤い炎のようなものが見え始めた。見ると、炎で出来たおぞましい蜘蛛の姿をした怪物である。

さて、此処までは予想通り。

出来るだけペンギンを殺さないように、こちらの分断と抹殺に全力投球してきた。しかも本体を見せずに、だ。

長い時を経ている邪神らしい狡猾な行動だが、しかし。

焦っているせいか、思考が読みやすい。

今度は三匹同時。凄まじい跳躍力を見せて、真上から躍りかかってくる。

ペンギンを掴むと、アーサーは前に跳躍。宗一郎は頭上の一匹を叩き落としつつ、横っ飛びに逃れた。

だが、辺りは蜘蛛の巣だらけである。

足下は大変に粘着性が強い糸が彼方此方に張られており、縦横無尽の活躍とはいかない。切り、たたきのめし、払いのけ、次の蜘蛛を倒す。

だがその間に、着実にこちらの動きは鈍っていくのだ。

それに対して、敵は殆ど無尽蔵に沸いてくる。

心なしか、動きも速くなってきているようだ。

「ちいとばかり、本気を出すとしようか!」

アーサーは叫ぶと、己の切り札を出すことにした。

鎧が金色に輝き始める。

フィールド探索者の中でも屈指の殲滅力を誇る騎士アーサー、本領発揮である。

 

にらみ合いが続く。

炎の蜘蛛は、一歩も退かない。それはつまり、此処を通すと非常にまずいという事を意味している。

しかし、攻撃もしてこない。

どうしてかは、わからない。何かを待っていると言うことか。

周囲の邪神の気配が、急に濃くなった。本能的に悟る。これは、スペランカーの処理に、全力を挙げてきた、ということだ。

どうしてか、やはり焦っていると見て良い。

宗一郎は冷静に頭が働けば、こうも賢いのだと悟って、驚かされる。これはきっと、将来はかなり名が知れたフィールド探索者になるだろう。

羽音。

ペンギンに飛びついて、抱きしめる。やはりこう来たか。

鳥が、直前まで迫っていた。だが、スペランカーごとペンギンを転移させては意味が無いのだろう。慌てて踏みとどまると、空高く舞い上がっていた。

旋回し始める青い鳥。

周囲の光景が、露骨に代わっていく。

無数の心臓らしきものがうごめき、壁という壁、床という床に目がびっしりとついていた。人間のものにそっくりな目を見て、ペンギンが流石に恐怖の悲鳴を上げた。

鳥の動きをしっかり見ながら、ペンギンの耳元にささやく。

「いい、私がどうなっても、絶対に側から離れないで」

ペンギンの震えが納まるまで、しっかりスペランカーは相手を抱きしめていた。宗一郎の言葉が正しいなら、この子は多分フィールド探索者のなれの果てだ。スプレーを使うような動作を何度かしていた事や、妙に人間くさい反応、それにこのデフォルメされた漫画のような姿や体色から言っても、ほぼ間違いないだろう。

ペンギンから、手を離した瞬間。巨大な炎の蜘蛛が飛びかかってきた。

全身が燃え上がるのがわかる。焼死はかなり苦しい死に方であり、スペランカーは思わず呻く。

意識が戻った瞬間、また死ぬ。燃やされている。なるほど、千日手に持ち込めると判断したわけだと、遠のく意識の中で思った。

無数の蜘蛛が、姿を見せるのがわかる。きっとペンギンを浚うつもりなのだろう。

燃え上がる蜘蛛が、絶叫しながら四散する。

わずか数秒の間で何度殺されたかわからないが、結果はこうだ。悪意による死には、肉体強制補填のカウンターが待っている。それが精神生命体でも同じ事だろう。あの蜘蛛はかなり強力な怪物のようだが、命が一つである以上、耐えられるわけが無い。無数の命が集まったような存在であれば、話は別なのだが。

立ち上がろうとするところに、大きな蜘蛛が飛びついてくる。

しかし、押し倒すだけで噛みついては来ない。学習してきたか。蜘蛛の巣でも掛けられたら身動きが取れなくなる。

だが、その時。

蜘蛛が悲鳴を上げながら、飛び退いていた。

ペンギンが手の先に、スプレーを持っていた。ペンギンの翼で、どうやってものなど持っているのかはよく分からない。

だが震えながらも立ち尽くすペンギンは。

その手に、蜘蛛を撃退したらしいスプレーを持っていたのだ。

鋭い叫び声が上がる。

次々に躍りかかる蜘蛛たち。ペンギンを殺すのでは無く、捕らえるのが目的だろう。スペランカーはペンギンの背中に入ると、手を広げて叫ぶ。

「駄目! やらせない!」

蜘蛛が、飛びつこうとして逡巡する。だがその隙が、致命的なものとなった。

ペンギンが多少緩慢ながら旋回し、周囲にスプレーを撒き始めたのである。その霧を浴びた蜘蛛たちは、悲鳴を上げてのけぞり、足を縮めて転がった。巨体が、冗談のように、である。

蜘蛛たちが、下がる。

ペンギンが、苦しそうにしていた。

「大丈夫?」

ペンギンはこちらを向かない。

代わりに、あいている方の手を器用に使って、虚空にあかんべえをしてみせた。きっと見えているのだろう。何か、得体が知れない存在が。

スペランカーは、ぼろぼろになった服とヘルメットの状態を確認。相変わらず、こういう死に方をすると、恥ずかしい格好になる。リュックは結構無事だったが、それでも中身は焼け焦げていた。

ブラスターを取り出す。

「いるんでしょ、みているんでしょ? そろそろ出てきてよ、神様!」

この神様は、さほど力がある存在では無いらしい。それは何となくわかる。

だが、どうもやり方がかんに障る。このペンギンがフィールド探索者だとすると、何十年も此処に閉じ込めて、苦しめてきたのだとわかるからだ。

スペランカーが今まで見てきた異星の邪神達は、残虐だったり非道だったりはしたが、それでも堂々と雄々しく戦った。要所では自分で出てくることが多かったし、戦うときには残酷ではあっても紳士的だった。己の力を、最大限までぶつけてくる奴らだった。

だから、スペランカーは怒りを刺激される。

いつの間にか、周囲には何も無くなっていた。気味の悪い床と壁の模様はそのままだが、それだけである。

こちらが隙を見せるのを待つ作業に出たか。

ますます、いらだちが募った。

その時。

空間に、ひびが入る。文字通り、それは空間がひび割れるという、不可解な現象だった。しかし、この現象には、予備知識がある。

やっと、来たか。

空間が、砕けて、姿を見せたのは。二人のイヌイットだった。

 

ポポは北アメリカに存在する少数民族、イヌイット出身のフィールド探索者である。かってはエスキモーとも呼ばれていた一族だ。これは元々は違ったのだが、現在では「生肉を食う奴ら」というような蔑称であり、ポポ達はイヌイットで通すようにしている。実際にはエスキモーという大規模な集団の中にイヌイットという少数民族が存在する形であって、他にも幾つかの類似種族が存在する。

厳しい凍土の生活では、野菜が得られない。このため、アザラシの肉や内臓を生で食べる必要があり、それでビタミン類を補給している。このことが差別につながったのである。実際、西欧の文化が入ってきてからは生肉食が減り、その代わり体のバランスを崩す者が増えてしまった。

いずれにしても、貧しい民だ。

だから、能力を持って生まれたポポは、婚約者のナナと一緒に、フィールド探索者として外貨を稼いで廻っていた。

元々寒冷地出身の二人である。寒冷地のフィールドとは抜群に相性が良く、今までもいくつもの難関フィールドを潰してきた。それに何より、厳しい環境で育ってきたからしたたかに頭も働く。

今回のフィールドに足を踏み入れて、ポポは最初に気づいた。これは作戦通りに行かないだろうと。

敵の戦力が「王」とマッドエックスに集中しだしたときに、方針を変えることにしたのも、柔軟な戦力運用の意味を肌で知っていたからである。

激しい戦闘をこなしている「王」を横目に、ポポは言う。

「じゃあナナ、僕たちは退路の確保に廻ろうか」

「賛成。 反対要素は無い」

「りょう、かい」

ナナは口数が極端に少ない。

婚約者と言っても、ナナとは決して仲が良いわけでは無い。かってはそうでもなかったのだが、両親が婚約を決めてからは途端に態度が硬化した。

近年は一神教に基づく倫理観が入ってきていることから、イヌイットの伝統的な観念が揺らいできている。元々過酷な環境から、姥捨てや間引きが行われていた社会であったが、それも今は無い。

良い部分が増えてきている部分で、悪い部分も増えてきている。

飲酒によって体調を崩す者はかなり多いし、様々な犯罪にも対応できていない。伝統的なスキルを持つ人間は減る一方で、それなのに若者が新しい力を得てきているという訳でも無い。

過酷な環境で得られた良い部分も無くなってきている。情けない話だが、それがイヌイットの現状なのだ。

だから、外貨を稼ぐというだけでなく、ポポはナナと一緒に頑張る。皆の手本にならなければならないからだ。

一緒に行動したくないと時々言うナナも、仕事の時だけはきちんと連携を取ってくれる。これもみんなのためだと言いながら。

恋愛感情は、あるのかどうかよく分からない。

そもそもが恋愛感情という奴も、一神教の普及と同時に持ち込まれた概念だ。それまでは親が決めた適切な相手と結婚をするだけだった。個人の感情が入る余地は無かった。それが悪いかどうかも、よく分からない。世間ではまるで悪の枢軸のように言われているが、自由恋愛というのが必ずしも上手く行かないというのは、ポポも実例としていくつも見てきているからだ。

ポポはわからない。ナナが自分を好きなのか。だが、いずれにしても。戦場で、雑念は命取りだった。

敵を避けて、森の中を移動する。

周囲を見て回るが、やはりこれは複層型のフィールドだろう。先に行ったアーサー達は、敵によって空間的な隔離を受けたとしか考えられない。

ならば、空間の壁を壊すだけだ。

ただ、それは機会を見計らわなければならない。

しばらく周囲を確認して廻る。

ナナはシャーマンとしてのスキルも持っている。要するに、世界を形作る精霊と呼ばれる現象そのものに干渉する術式の使い手と言うことだ。

木彫りの像を手に、辺りを見回るナナ。

やがて、彼女は頷いた。

「少し離れて。 来る」

「わかった」

蜘蛛の巣だらけの木陰に身を隠す。

かなり向こうで、不意に空間が歪んだ。そして、飛び出してくるアーサーと、宗一郎。それに、ピンク色のペンギン。

同時に、周囲に無数に現れる蜘蛛と、炎の塊。

アーサーが暴れ回り始める。E国最強と言われているだけあり、文字通りちぎっては投げ千切っては投げという大暴れぶりである。殲滅力に関してはあのMでさえ一目置いているという話は聞いていたが、確かに凄まじい。

ナナに肩を叩かれる。

「こっちだ」

「ん」

アーサー達を背に、移動。

本来、雪原で獲物を狩ってきたイヌイットは、ハイドスキルのスペシャリストだ。噂に聞くニンジャにだって引けを取らない自信がある。見張りらしい蜘蛛が要所要所にいる。だが、その視界を的確に見切り、死角をついて進む。音も立てない。

気配も残さない。

それどころか、臭いも、である。

ポポに言わせれば、街の中など痕跡の塊である。場合によっては気配まで読んで、ポポは獲物を狙う。場合によっては隠れる。

すぐ側を、体重一トンを超えるシロクマが通過することもあった。アザラシの至近まで近づいて、射殺したこともあった。

いずれもが、動物の裏を掻くに掻いて、成し遂げたことばかりである。

ナナも勿論ついてくる。自分に拮抗するハイドスキルの持ち主であり、優秀なハンターだからこそ、動向を許しているのである。能力が同じだと言うだけでは、フィールドでは生き残れない。

空間のゆがみを、発見した。

おもむろに、木槌を振り上げる。柄の長さは1.2メートル、重量十七キロ。戦闘用としても充分な重さと破壊力がある槌だ。それだけではない。ほぼ同じサイズのものをナナも持っているが、これらは二人の共通した能力を支える鍵となっている。

「粉砕!」

叫ぶと同時に、槌を空間のゆがみに振り下ろす。

ばきんと鋭い音と共に、槌がはじき返される。

ポポとナナの能力は、ゆがみの固定化である。

つまり、自然的に異常な存在を、個体としてとどめるのである。それを槌で粉砕することにより、相手を打ち倒す。また、ゆがみが固体化されることにより、超常的な物体も破壊しやすくなる。

動物にも用いることが出来るし、そもそもこの強烈な木槌である。まともに食らえば、骨が砕ける程度では済まない。人間の場合、陥没骨折で済めば良い方で、当たり所によっては即死だ。

「もう一丁っ!」

槌を振り下ろす。

罅が更に拡大した。ばらばらと、崩れ始める。

今度はナナが槌を振り上げた。そして、一気に振り下ろす。

空間のゆがみが、砕け散る。罅が縦横に走り、一気に空間が塗り替えられていく。

そして、スペランカーの姿が見えた。

無数の蜘蛛に囲まれている。背中にかばうようにしているのはペンギン、しかもデフォルメした、青い肌をした奴だ。

無言でナナが蜘蛛に飛びかかる。背後からの敵に驚いた蜘蛛が振り返る前に、槌がその体を一撃していた。

蜘蛛の異常な部分が粉砕され、大量の鮮血がぶちまけられる。混乱する蜘蛛に、どこから取り出したか、青いペンギンがスプレーを浴びせた。蜘蛛は逃れようとするが、一撃必殺の威力を持つらしく、跳ね飛んだところで足を丸めて転がる。スペランカーが、ペンギンを捕らえようと躍りかかった蜘蛛に、手を広げて立ちはだかる。

蜘蛛がスペランカーの前で、ぴたりと止まった。

その隙に場に潜り込んだポポが、ペンギンを掴むと、さっと跳躍。跳躍しつつ体を旋回させ、槌を振り回した。

ペンギンを後ろから掠おうとしていた蜘蛛の頭部が吹っ飛び、粘液が辺りに散らばる。

それだけではない。

ペンギンが、スプレーを撒き始めた。蜘蛛の巣が、見る間に溶けていく。

勝った。

ポポはこの瞬間、確信していた。

だが、それは。押しつぶすような、とんでもない密度の殺気を浴びるまで、だったが。

 

4、蜘蛛の神

 

いつの間に、そこにいたのか。

スペランカーは、二匹のペンギンと一緒に、その場にいた。

イヌイットの二人の戦士も、側に倒れている。意識が無い様子だ。スペランカー自身も、頭がかなり痛かった。

森の中では無い。

むしろ宮殿のように思える。しかも、この意匠は見たことがある。

アトランティスに建てられている、スペランカーも住むあの神殿。それとそっくりだった。

アーサーと宗一郎の姿は無い。

あの二人が簡単にやられるわけは無いと、自分の言い聞かせながら、立ち上がろうとする。

ふらふらする。

まともに立ち上がれない。

何だろう、この感覚は。久しぶりに感じる、とてつもない倦怠感。ダゴンに何万回と殺されたとき以来かも知れない。

膝から、がくりと倒れてしまう。

ふと意識が戻ると、全身に冷や汗を掻いていた。一瞬で、とんでもないダメージを受けたのか。或いは、もっと別のことなのか。

呼吸を整える。

とにかく、宗一郎が言っていたことが本当なら、ペンギンをそろえてしまうとまずい。

それなのに、ペンギンは二羽とも、側に転がっている。

何度か失敗しながら、立ち上がる。石の冷たすぎる床が、気持ちいい。いつの間にか、床に倒れ込んでいた。

おなかは、別に空いていない。

体のダメージが、極限に達してしまっているのだと、理解できた。

「この空間の中で、動けるだと?」

声がした。妖艶な女性の声である。

苦労しながら、視線を向ける。

宮殿の奥から、かさかさと何かが歩く音。優雅さにはほど遠い。

姿を見せた。

蜘蛛だ。

しかもさっきまで交戦していたのとは、根本的にものが違う。全身が真っ黒で、艶やかであるほどの闇に身を覆っている。体中には細かい毛がびっしり生えていて、歩く音をそれで緩和しているようだった。

間違いない。この蜘蛛が、突入前に聞かされた、アトラク=ナクアだろう。

思い出せない。一体何が起こったのか。

確か、青いペンギンを守っていたはず。ペンギンを抱えて、イヌイットの戦士ポポが跳躍するところまでは見た。

その後、ペンギンが激しい攻撃を周囲に加え、蜘蛛も、蜘蛛の巣も、片っ端から処分していた。

だが、その後だ。

何か、来た。見たわけでは無い。感じたのだ。そして、それきり、意識がぷつりと消えた。

いつの間にか、蜘蛛の神様に見下ろされていた。汗をぬぐおうとするが、上手に出来ない。地面に押しつけられそうになっている、そんな気がした。それくらい、体が重いのである。

「貴方が、蜘蛛の神様?」

「わらわがアトラク=ナクアだ、人間。 いや、わらわが同胞を体内に飼い、呪いを受けし者」

大きさは、他の蜘蛛とあまり差が無い。本体が二メートル半ほど、足の長さはその倍くらいだろう。

喋っているのでは無く、頭の中に直接話しかけてきている。他の神々も、似たようなことをしてきた気がする。

「一体、何が目的なの?」

「それはこちらの台詞だ。 わらわの術式を邪魔した罪、万死に値するぞよ」

「世界を滅ぼそうとする術式、でしょう」

「この星を生け贄に、宇宙の中心に座する白痴を滅ぼす術式だ」

そんな名前を、以前アトランティスを支配していたザヴィーラという存在から聞かされた。多分とても偉い神様か悪魔か、そんな者なのだろう。

異星の神々の理屈についてはわかった。

だが、そんなものを認めるわけにはいかない。

立ち上がる。

足下はふらつくが、寝てはいられない。

「こんな星にしがみつく、瞬くような寿命の愚劣な者どもを守ってなんとする。 貴様らは確かに強い力を持つ者もいるが、所詮こんな星に価値など無い」

「それは、貴方に言われることじゃない、よ」

「ほう?」

「確かにどうしようも無い星かも知れないけれど、寿命が短いとか、愚かだとか、そんなのは滅ぼす理由にならない!」

人間は、醜いとか気持ち悪いとかで、容易に他の存在を否定する。

そんな生き物が、万物の霊長などでは無い事は、スペランカーも知っている。

だが、かといって、よそから来た存在に、一方的に否定される謂われも無い。

「それで、そんな体でわらわに勝つつもりかえ」

「貴方の術式には、後ろの二人が必要なんでしょう?」

ぴたりと、蜘蛛が動きを止める。

忌々しそうに、カリカリと音を立てた。気づく。真っ黒い蜘蛛の体の彼方此方に、人間のものによく似た目があるという事に。

やはり、邪神なのだ。

ブラスターを引き抜いた。同時に、蜘蛛の姿が消える。

気がつくと、前のめりに倒れていた。蜘蛛の周囲に、黒いオーラが見える。蜘蛛はゆっくり左に回り込もうとしている。

「ほう、千万に切り刻んでやったが。 それにこの呪い、クトゥルフに起因するものか」

「そのくらい、何でも無い……!」

「ならば心が折れるまで、徹底的に、引き裂き、嬲り、八つ裂きにしてくれよう」

閃光が走る。

スペランカーは、ダゴンと戦ったとき以上の不毛な戦いになる事を、この時覚悟していた。

 

最後の蜘蛛を打ち倒すと、アーサーは額の汗をぬぐう。

不覚だった。

さっき、とてつもない殺気が一瞬ほとばしった。その瞬間、ピンクのペンギンを側から拉致されたのである。

方法はわからない。

蜘蛛の中には、投げ縄のように粘着性の強い糸を用いる種類がいる。そういった技が使われたのかも知れない。いずれにしても、気がついたときには、ペンギンはもういなかった。

鳥の化生では無い。

エンジン音。近づいてくるのは、マッドエックスだった。王も無事である。

「サー・ロードアーサー。 無事であったか」

「応。 だが不覚よ。 事態の混乱を収拾できる可能性がある者を、拉致されてしもうたわ」

側に、宗一郎が着地する。木の上に上って、そこからサッカーボールを蹴り込んでいた少年は、周囲を見回す。

「俺は見た」

「む、拉致される瞬間か」

「ああ。 投げ縄のように糸が飛んできて、この辺りに吸い込まれた。 魔術的なものだと思う」

そうなると、アーサーの管轄だ。

そもそも今回は、最低でも専門の術者が一人は必要だという話だったのだ。それが諸処の事情で誰も出られず、結局「魔術にも知識がある」アーサーが出張ることになった。

だがアーサーの使っているのは、主に攻撃系の術式ばかりであって、本来魔術師が得意とするような幻惑や策略とは縁遠いものである。

黄金の鎧を使ったことにより、体力的にも消耗が激しい。

懐から取り出したチョコレートをかじりながら、アーサーは早速腰をかがめて調査に入る。

「ンー、周囲に敵影は無し」

「しかし、フィールドは維持されている。 つまり、敵にとっては、このフィールドはさほど重要では無かった、という事だろう」

「ンー、なるほど。 しかし、世界に、影響を及ぼす魔術は、そんなによその世界で、ほいほいと、使えるものなのか?」      

マッドエックスの指摘に、アーサーは首を横に振る。

何かしら、世界そのものに大きな影響を及ぼそうとするのであれば、必ずや密接に関わらなければならない。

それは神が使おうが人間が使おうが関係ない。魔術の鉄則だ。というよりも、魔術も何も関係なく、何かを行うときの鉄則だろう。

その接続点が、この森である事は間違いない。

「すまんが、王よ。 貴殿の火力で、この森を焼き払って貰えぬか」

「それは随分乱暴だな」

「もはやこの森は死んでいる。 生態系は崩壊しているし、一度焼き払わないとどのみち再生は無理だ」

この森が出来るのに、どれだけ時間が掛かったか。それを考えると忸怩たるものも感じる。

だが、今はより大きなもののために、行動しなければならない。

「マッドエックス殿は王の手伝いを頼む」

「ンー、うむ、森を走り廻りつつ、辺りを焼き払えば良いのだな」

「頼むぞ」

マッドエックスが、スキール音も高々に走り去る。たちまち、辺りから凄まじい爆音が轟き始めていた。

「俺は上から状況を見る」

「うむ。 そして我が輩は、と」

木の上に登っていく宗一郎を横目に、アーサーはさっきペンギンが消えたという場所へ歩み寄った。

何の変哲も無い空間だ。

だが。

無線を出す。やはり予想通り使えた。無線の向こうにいる、国連軍の士官と話す。

「こちらアーサー」

「サー・ロードアーサー、ミッションオーバー?」

「いや、まだだ。 それよりも、今我が輩がいる場所の座標は」

地図を広げながら、報告を聞く。

そして、やはりなと呟いた。

此処は、フィールドの中心だ。

 

派手な爆破作戦が行われている。

火力が大きすぎて、揶揄も込めて王と呼ばれているとは聞いていた。しかし宗一郎が見たところ、そのあだ名はなかなかに的を得ている。

凄まじい火力に、森が焼き払われていく。吹き飛ばされていくとでも言うべきなのかも知れない。

そして、時々マッドエックスが、明らかに巻き込まれ掛かっている。

或いは、能力の制御が出来ないのかも知れない。

破壊力などを重視している能力の場合、自分でもある程度しか制御できない事があるという。多分王の能力がまさにそれだ。

森の上から、状況を視認。

そして、アーサーに、気づいたことを話す。

「何か模様のようなものが見える!」

「やはりな! どんな形だ!」

「わからないが、森の地下に埋まっているようだ!」

爆音が、右から左へと移動していく。王が景気よく森を爆破蹂躙している。これだと、ハリウッド映画でも使えそうだなと、ちょっとのんきなことを宗一郎は考えていた。

程なく、森の半分ほどが消えて無くなる。

形が、見えてきた。

巣だ。蜘蛛の巣。非常に美しい。

蜘蛛の巣というものは、計算し尽くされた存在だと、さっきアーサーに聞いた。蜘蛛という生物が世界中に適応している芸術的な存在であるらしいのだが、巣は特に傑作なのだという。

確かにまがまがしいと言うよりも、美しく感じた。

 

串刺しにされた。

何度も瞬間的な死と蘇生を繰り返しながら、スペランカーはそれを悟っていた。

蜘蛛のような姿をした神は、あらゆる方法でスペランカーを徹底的に殺しまくった。既に数千回は死んだはずだ。万さえに達しているかも知れない。

蘇生するが、腹に蜘蛛の足が刺さったままである。宙ぶらりんの状態で、またすぐに死ぬ。

「ふうむ、恐ろしく頑丈だのう。 それにこの呪い、蓄積していくとかなり厄介だ」

放り捨てられたらしい。地面でバウンドする。

意識が戻ってくると、ぐっと押さえ込まれていた。吐息をのど元に感じる。これは、消化液を兼ねているという毒液を注入されたのか。

「どろどろに溶かしたくらいではらちがあかんな。 どれ、次は……」

頭が激しく痛む。

がんがんする。だが、手にはブラスターがある。蜘蛛の糸で押さえ込まれているようだが、しかしこの蜘蛛は解析できていないはずだ。スペランカーの呪いの特性を。

腹に何かが入ってくる感触。

思わず呻く。

けたけたと笑う声。蜘蛛神が、また何かしたか。

「わらわの子らの苗床となれ! そのまま永久に喰われ続け……」

飛んだり戻ったりする意識の中で、蜘蛛が怒りに吠えるのがわかった。子蜘蛛にスペランカーを食わせようとしたのだろうが、神でも無い存在にそんなことをさせれば、瞬く間にボン、だ。

右手は。

動く。何度も激しい暴力を加えているらしい蜘蛛が、何か叫んでいる。

「どうして! どうして思い通りにならない!」

思い通りに。

世界の中心にいる白痴とやらを滅ぼすことに、どうしてそんな大きな意味があるのか。

「わらわは、ただ幽閉されしこの神殿から出たいだけだ! アザトースなる名で慈悲深くも存在を隠されしものめ! わらわが臨むのは、貴様の束縛からの解除だけ! ただ、外に出たい! 出たい! 出たい!」

だから殺してやる。そう金切り声を上げる蜘蛛の神。

自分の血が、凄く一杯辺りにぶちまけられ続けているのに、スペランカーはどうしてか冷静だった。

この空間が、何かはわからない。

だが、力が、どんどん弱まってきているのだけはわかる。暴力なんか怖くない。嫌だし嫌いだが、怖いとは思わない。

母に見捨てられ、何万回と餓死することに比べれば、何でも無いからだ。

すっと、あいている右手を伸ばす。

蜘蛛の牙に触れた。多分スペランカーを、何千回も殺した牙だが。なんだか気の毒だった。猛毒に濡れた恐ろしい武器の筈なのに、何故か哀れでひ弱なものに見えた。

「なんの、つもりだ」

「寂しいんだね」

「人間、貴様……!」

「この空間に満ちていた力の正体がわかったよ。 貴方の、悲しい心、だったんだ、ね」

黙れと、蜘蛛の神が絶叫した。

その体を覆っている黒い霧が、どんどん強くなっていく。秒単位で、何十回、或いはそれ以上も殺されているのだろう。ダゴンの時も同じ現象が起こっていた。蜘蛛神の力で呪いのカウンターを防いでいるのだ。だが、それが防ぎきれなくなったとき、一斉に闇の力が蜘蛛神の体を蹂躙する。

視界の隅。

見える。意識を取り戻したイヌイットの二人。それに、ペンギン。

壁にたたきつけられる。ガチガチと顎を鳴らしながら、蜘蛛の神は叫んでいた。

「そうだ! わらわは追放されし神格! 幽閉されし神格! この辺境の、戦闘力ばかり高い無知で無能な生物共が割拠する異界に、至高なる白痴に閉じ込められしもの! それだけが、わらわにあるもの! わらわは、それだけなのだ! それだけしか、わらわにはないのだ!」

だから出られない。

だから、外に分身を派遣しても、力は限定的になってしまう。

見たい。感じたい。外で生きたい。

この孤独な神殿は、もう嫌だ。そう、わめき散らす蜘蛛の神。

再び、手を伸ばす。

自分を滅茶苦茶に破壊しまくっているだろう牙に、触れた。

「楽に、なりたいの? それとも、自由に生きたいの?」

「どちらもだ!」

かわいそうだなと、スペランカーは感じた。

わかる。

この蜘蛛が、激しく荒れ狂い、スペランカーに全てを向けている間に。

準備は全て整ったのだと。

 

グリンは立ち上がる。

否、此処で立ち上がらなければ、戦士では無かった。

会話は、全て聞こえていた。そして、今まで自分たちが何をしていたかも、わかった。

側にいるマロンが、頷く。

ペンギンになってしまっても、意思は通じていた。

「これから、私とマロンが、秘術を行う」

「っ……!?」

グリンが喋ったことに、人間二人が絶句した。少しずつ、蜘蛛の神の呪いが弱まり始めているのだ。

ペンギンから、人間に戻れるかはわからない。だが、喋ることだけは、出来るようだった。

「あなた方は、邪魔を防いでくれ」

「……急げ。 弱っているとはいえ、相手は神だ。 長くは保たないぞ」

女の方が、木槌を構える。男の方も、少し遅れてそれに習った。

マロンを見る。

変わり果てた姿になってしまった、恋人を。

グリンとマロンは、ずっと迷宮を走り回っていた。思えば、走らされていたのだ。

そして、鏡を挟んで触れあうたびに、世界が変わった。そうしている内に、いつか外に出られると思っていた。

違ったのだ。

あれは、魔術的な行動。蜘蛛の巣を、一本ずつ張っているに等しかったのだ。

そして、それがある一定ラインに達したとき、おそらく蜘蛛の神は、敵意をむき出しにしていたアザトースとやらに、致命的な一撃を。自分の、積もりに積もった恨みと悲しみを、ぶつけることが出来たのだろう。

地球を、生け贄にすることで。

それは、谷に橋を架けているに等しい行動だ。

だが、あのスペランカーという戦士が、森に入ってきた使い手達が、それを台無しにした。

びしりと、空間にひびが入る。

この空間が、壊れようとしている。蜘蛛が、流石に気づく。

既に全裸になってしまっているスペランカーが、壁からずり落ちる。辺りはまるで、爆撃でもされたかのような有様だ。蜘蛛神もやっと気づいたのだろう。

周囲の、凄まじい有様に。

もはや其処は荘厳な神殿でも、蜘蛛神の巣でも無い。ただ、破壊し尽くした、廃墟だった。

「AAAAAAOOOOOOAAA! GYAAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAA!」

もはや、意味さえ為さぬ絶叫を、蜘蛛神が上げる。

それは、絶望を、何億倍にも凝縮したような、だが何処かで自分の運命を悟った声だった。

 

アーサーは、確信する。

此処だ。

此処が、魔術の中心だ。

蜘蛛の巣についてのデータを、急いで調べた。そして、蜘蛛の巣が張られる方法についても、だ。

森の地下にある魔法陣は、既に完成しかけていた。その基点。最初に、蜘蛛の巣が張られ始めた場所を、探し当てた。

此処を破壊すれば、蜘蛛神の魔術は完全に効力をなくす。

アーサーは、己にとって最強の武器を具現化させる。それは、一見するとペンダントにも見える。

だが、愛する人からもらった、最強の武器なのだ。

鎧を金色に。全身を包む凄まじい魔力。残り全ての力を、この一撃に込める。

無線に話しかける。今回、戦場を共にした者達に。

「我が輩が此処に、総力での一撃を叩き込む。 それと同時に、皆は蜘蛛の巣の中心部となっているそれぞれの場所に、全力での攻撃を叩き込んで欲しい」

「応っ!」

「各自時計合わせ。 十秒後、行くぞ」

宗一郎と、王と、マッドエックスが問題なしと応じる。

さて、後はスペランカーたちだ。必ずや、やってくれると信じている。

アーサーは頷くと、無線を放り捨てる。そして、己の全ての力を、最強の武器に叩き込み、解き放っていた。

蜘蛛の森が、光に包まれる。

何かが、粉々に壊れた音がした。

 

5、切られる糸

 

蜘蛛が、グリンとマロンに気づく。

そして、もはやスペランカーをうち捨て、まるで突進するサイのような勢いで躍りかかってきた。

イヌイットの戦士二人が、その前に立ちはだかる。

「とりゃあああっ!」

男戦士の木槌が一閃、振り下ろされた足とぶつかり合う。激しい火花が散るが、吹き飛んだのは蜘蛛の足だった。

更に、懐に入った女戦士が、木槌を振り上げる。

粘液をまき散らしながら、蜘蛛が浮き上がる。だが、蜘蛛が魔力を全身から放出し、二人をはじき飛ばした。

だが、受け身を取って立ち上がる二人。

グリンは、マロンと手をつないだ。

二人の能力は、すなわち破邪。

この世ならざる者に致命打を与える、聖水を作り出す力だ。

だから、蜘蛛を一撃で屠ることが出来た。この世ならざる蜘蛛の巣も、打ち砕くことが出来た。炎の蜘蛛には相性が悪かった。相手に触れる前に、蒸発してしまうからだ。

しかし、それが故に生け贄には最適だったのだ。

つないだ手から、聖水がしたたり落ちていく。まばゆいばかりの光が、それに籠もっている。

聖なる力が故に、それを効率的にコントロールすれば、自分の力以上の糸を張ることが出来る。

魔術的な儀式で凝縮されたグリンとマロンの力は、あの蜘蛛神にとっては、己を幽閉した存在に対する、復讐の刃の一端に出来るものだったのだろう。だから二十年も、この迷宮をさまよわせたのだ。

聖水が、徐々に形を為していく。

木槌が一閃して、また蜘蛛の足を一本へし折る。だが無事だった足が、女戦士をはじき飛ばして、壁にたたきつけた。

とどめを刺そうと、残像を残しながら這い寄る蜘蛛神の前に、男戦士が躍り出る。

豁然、顎と木槌がぶつかり合った。二合、三合、渡り合う。

目を閉じる。

そして、術式の最後の一節を唱えた。

「光は光に、闇は闇に帰れ。 我らが光の神子を、今此処に具現化せん!」

「闇を滅ぼす剣よ、此処に!」

目を開ける。

其処には、小さな小さなペンギンの雛がいた。とても無力そうな、愛らしい小さな塊。

だが、蜘蛛が、振り返る。そして、驚愕に目を見開いた。

「お、おの、おのれええええええっ!」

わかるはずだ。

これは、二十年分の、二人の力を凝縮した、最後の切り札ともいえる術式。

よちよちと、雛が蜘蛛神に歩み寄っていく。逃げようとする蜘蛛神を、ここぞと反撃に出たイヌイットの戦士達が、左右から木槌で打ち据えた。

「これで」

「仕舞いだっ!」

おそらく、それが彼らにとっての真の切り札。

木槌はもとから超常的破壊力を備えていたようだが、蜘蛛の体内で、何十倍にもそれが増幅されたのが、見てわかった。

更にこの時、蜘蛛の全身から、粘液が噴き出した。

わかる。多分術式が、外で木っ端みじんに破壊されて、そのダメージが蜘蛛神にフィードバックしたのだ。

蜘蛛の足が、何本もへし折れる。体を旋回させて、戦士二人をはじき返すのが、蜘蛛に出来た最後の抵抗だった。

その時既に、雛は小さな羽をはためかせて、蜘蛛の至近まで飛び寄っていたのだ。ペンギンに出来ることでは無いが、まあそれはご愛敬だ。

そして、蜘蛛神に、もう逃げる力は。足は。残っていない。

「あ、ああああ、あああああああああっ! あああぎゃああああああああっ! く、くくく、来るな、くるなあああああああっ! ひぎゃああああああああああっ!」

小さなくちばしが、蜘蛛神の額をつつく。その瞬間、蜘蛛神の体を覆っていたまがまがしい黒いオーラが、その全身を獰猛にむさぼり尽くす。

蜘蛛神の全身が、木っ端みじんに吹き飛んだ。

終わった。そう、グリンは確信した。

不浄な肉片が、美しい光に浄化されていく。

そして、その光を浴びながら、グリンとマロンは、やっと気づく。自分が無駄にしてきた時を、ようやく役立てる事が出来たのだと。

 

空間に穴が開いていた。不自然にそこから外の光景が見えている。焼け野原になっていた。

神殿からは、これで出られるだろう。蜘蛛神は出られないかも知れないが。

スペランカーに、イヌイット戦士の女性の方が、コートを着せていた。見事な全裸になるまで、徹底的な攻撃を加えられたのだ。その割には、不思議な事に、左手におもちゃみたいな銃は握ったままだった。

この女、どうやら殺されると、死んだときに受けたダメージを周囲から、或いは攻撃者から補填するらしい。蘇生時に服もある程度は再生するようだが、全部とは行かない様子で、それでこう激しく徹底的に殺されると、いずれは全裸、というわけだ。

グリンはスペランカーに、ぺこりと一礼。コートだけを裸の上から来ていたスペランカーは、ほほえむ。

「ありがとう。 最後の切り札になってくれて」

「いや、むしろこれは、我らが傲慢が招いた災厄だ。 我ら二人は当時でも優れたフィールド探索者だったが、それが故に驕ってしまった。 今後は、この年月の分だけ償いをしていきたい」

「……」

ぽかんとした様子で、スペランカーはグリンを見ていたが。

やがて、申し訳なさそうに頭を掻きながら笑う。

「ごめんなさい、そういえばずっと年上の、ベテランさん、なんですよね」

「気にするな。 我らはもはやペンギンだ。 いずれ人に戻ることがあっても、それはずっと先のことになるだろう」

神殿は、既に完全に朽ち果てている。

この豪華な内装は、蜘蛛神の力によって支えられていたのだろう。むしろ蜘蛛神は、幽閉されたこの孤独な巣を、せめて飾ろうと思っていたのかも知れない。

そう思うと、悲しい奴だとも感じる。

スペランカーは裸足で辺りを歩き回っていた。ぼそりとイヌイットの男戦士が言う。

「なんだか貧弱な体だなあ。 色気のかけらもねーや」

「バカ!」

女戦士の方が後頭部をどつき倒した。仲が悪そうだが、妙に息が合っている、ほほえましいカップルである。女戦士はコートを脱ぐと、予想以上に小柄で童顔だ。ただしきりりとした眉と、鋭い目が、意志の強さを感じさせる。

スペランカーが、腰をかがめた。

其処には、弱り切った蜘蛛がいた。手のひらほどもある。大きい事は大きいのだが、もはや無害そのものだ。

誰にでもわかる。

これが、あの蜘蛛神の末路だ。

「潰しちゃおうよ、スペランカーさん。 踏んじゃえば一発でしょ」

「待って。 する事があるから」

「えー? 早く帰ってお野菜が食べたいよー」

珍しいことを言うイヌイットの男戦士。そういえば、イヌイットはビタミン不足を生肉で補っているはず。外に出れば野菜を食べたくなるのかも知れない。

女戦士の方がなだめに入る。

「すみません、スペランカーさん。 此奴バカなので」

「ひどいよナナー」

「黙れ。 スペランカーさんは神殺しの二つ名を持つベテランだぞ」

恥ずかしそうにスペランカーの方が恐縮しているのを見て、マロンがくすくすと笑った。グリンはそれを見て、胸が一杯になる。

今はペンギンでも、かっての妻の笑顔を思い出す事が出来る。

そういえば、この迷宮に入ったときは十代だった。今は人間に戻れたとしても、三十過ぎだろう。

「ほほえましいですね、あなた」

「そうだな。 だが、話を進めてもらおう。 スペランカー殿、それで、する事とは何なのだ」

「うん。 この神様、よそからの力で閉じ込められているみたいなんです。 だから、よそからの力を断ち切りに行くつもりです」

「えっ!?」

驚いたが、スペランカーは小首をかしげた。

「もう、この神様に力は残っていませんよ。 力を断ち切っても、その事実に変わりはありません」

「し、しかし」

「こっちかな。 うん、間違いない」

スペランカーがぺたぺたと歩いて行く。イヌイットの戦士達も、仕方が無いという風情で、ついていった。

神殿の一番奥。

其処には、なにやら得体が知れない塊があった。

肉の塊、なのだろうか。それをかたどった石像だ。球形で、無数の触手が生えていて、その周囲には取り巻きらしい太鼓やらトランペットやらを持つ姿がある。肉の塊の石像の周囲に、絵として書かれているそれらが、一つ一つが度しがたいまでにおぞましい邪悪的存在なのだと、一目でグリンも理解した。

これほどまがまがしいものを見るのは初めてである。

東洋の仏教にある曼荼羅。それを悪魔に置き換えて、最大限までに侮辱的に作ると、こうなるのかも知れない。

「これが、宇宙の中心に座する邪悪、なんだね。 正確には、その力を媒介している装置なんだ」

蜘蛛が身を縮める。

スペランカーが、おもちゃのような銃を石像に向ける。

「二三日は目覚めないと思いますから、運んでください」

「何をするつもりか」

「この武器、相手と私の命を、等価に消し去るものなんです。 どういうわけかはわからないですけど、邪神さん達は命のある道具を作りたがるみたいでして。 これの石像も、きっと、そんな道具の一つです。 だからこうやって壊せます」

スペランカーは、付け加える。

「この蜘蛛神さんは、もう無力です。 私がアトランティスに連れて帰りますから、潰さないであげてください」

「……」

「お願い、出来ませんか」

「いや、命の恩人である貴方の頼みだ。 我らに異存は無い。 それに、そいつもそんな姿で余生を過ごすことになるのだ。 充分な罰だといえるだろう」

専門家であるからわかる。この蜘蛛神が力を取り戻すことは、もう無い。

どれくらい生きることが出来るかはわからない。だが、この星を滅ぼすような術式を使ったり、人間をむさぼり喰いまくったりすることは出来ないだろう。力を取り戻すことが出来ても、それは限定的なはずだ。

頷くと、スペランカーが、石像を撃つ。漫画みたいな光線が出たが、破壊力は劇的だった。

彼女の発言通り、おぞましい石像は木っ端みじんに吹き飛んだ。

同時に、神殿に残っていた、まがまがしい気配が消える。後ろ向きに倒れたスペランカーを、ナナと呼ばれた女戦士が抱き留め、担ぎ上げる。

神殿が揺れ始めた。

早めに脱出しないと危ないだろう。

このかりそめの空間は、程なく存在としての死を迎える。それは、消滅という形でだ。

「さ、出よう」

「はい、貴方」

「蜘蛛神、アトラク=ナクア。 私の上に乗れ」

グリンが手をさしのべ、蜘蛛を頭の上にのせる。

そして、恋人と手をつないだまま、外へ駆けだした。

焼け野原だが。

しかし、陽が昇っている。

陽を見るのは、一体いつぶりなのだろう。感動で、目の前が曇る。

崩れ落ちる神殿を後に、グリンは思う。たとえ人間に戻れなかったとしても、恋人と、いや妻と一緒に、今後どれだけ掛かっても、償いをしていこうと。

外では、鎧姿の戦士と、まだ年若い少年と、車と、なんだかわからない全身スーツみたいのをきた者達が待っていた。

さあ、帰ろう。

鎧姿の戦士が、髭だらけの顔で、そう笑った。

帰りましょう、あなた。

マロンが、そう言った。

 

6、新しい光

 

緑の草原。

青い空。

ああ、これが空気というものなのか。

此処は、アトランティス。

アトラク=ナクアは、力を失った。代わりに自由を得た。

此処は邪神のゆりかごとして作られた土地。もはや邪神の手を離れた土地でもある。

まだ、力は回復しない。回復しても、せいぜい身を守るくらいまでがせいぜいだろう。

テレパシーで意思を伝えることは、できるようになっていた。

自分を頭の上にのせているのは、赤い髪の人間の子供である。魔術の心得があるらしく、妖精にまとわりつかれている。空を飛ぶことも出来るようだった。

「素晴らしい。 空のなんと青き事よ。 草の緑色はいと目に優し。 風はこうもかぐわしかったのか。 わらわは、もう何もいらぬ。 もう何も求めぬ」

「アトラク=ナクア様」

歩み寄ってきたのは、半魚人の長老だ。

手を出されたので、その上に移る。

「また、お知恵をお借りしたく」

「やれやれ、スペランカーに頼り切っているというのは本当らしいな」

「情けない話ですが。 あの方は、我らの支柱なのです」

「ふむ、悔しいがあの強さは認める。 最初はわらわに怒りを抱いていたようだが、本質を知った後は、どれだけわらわに殺されても、わらわに対する態度も、考えも変えなかった。 真の強さというのは、ああいうのをいうのだろう。 それで、何を教えれば良い」

どうしてだろう。

長老について歩いてくる子供が、にこにことほほえんでいる。

「どうした、何がおかしい」

「ママの事、褒めてくれたから」

「おまえの血縁的な母親では無かろう」

「うん。 でも、あの人がわたしのママだって、決めてるから。 あ、内緒だよ。 いつか、わたしの口から、ママになってくださいっていうんだから」

頬を赤らめる子供。ほほほと、目を細めて長老が笑う。

もう一度、蜘蛛神は空を見上げた。

宇宙の中心にいる邪悪は、ただ「閉じ込められ、世界を滅ぼす」という「要素」のためだけに、アトラク=ナクアを作った。そして「慈悲深く」も、感情をわざわざ与えた。

知っていたのだ。閉じ込められることで、狂気に犯されると。

それを、あいつは、スペランカーは壊した。

結果として、アトラク=ナクアの、邪神としての力は永遠に失われた。だが、それでもう良かった。

「そろそろ目覚める頃だろう。 行ってやれ。 おまえの顔を見れば、あいつも喜ぶはずだ」

「えっ? うん!」

ぱたぱたと、子供が駆けていく。浮遊する妖精が、それに続いた。

「この世界には、まだまだ災厄が来る。 だが、あの者がいる限り、或いは」

「……」

長老は応えない。

既に、それを確信しているからかも知れなかった。

 

(終)