バアルの嘆き

 

序、失われた座

 

古くにそれは神ではなく、神々だった。

古い言葉で主を示す言葉であるバアル。

多数の信仰が割拠した地にあった、多数の神々。それらを日本で神様、というような感覚で、古くはバアルと呼んでいた。

故にバアルは単独の神でもなければ、後の時代に一神教徒が勘違いしていたような単一の悪魔でもない。

バアルは多数の性質を持っているが。

そもそも多数の神だったのだから当たり前である。

その中の一つが。

やがて一神教徒によって、唯一絶対の神として持ち上げられた。

自分たちだけが正義。

そういうおぞましい思想を掲げた連中は、他の信仰を徹底的に弾圧していった。それは周囲からも袋だたきにあう。

一度は追放されたが。

どういうわけか、この者達が、やがて世界で最大の信仰を集めることになるのだ。

多様性がどうのこうのと今世界では言っているが。

その多様性を完全に無視して。

ただ一つの神だけが正しく。

それを信仰していれば何をしてもいい。

そういう馬鹿を従えるための信仰が、世界に蔓延した。

元バアルだったというべきか。今では信仰を失ってしまい。一神教によって悪魔にされてしまった者。

ベルゼバブ。

巨大な蠅。翼にドクロ。

あまりにも有名なその絵のおかげで、蠅の魔王とされることが多いが。

他のバアルと同じように、元は神だった存在である。

今では魔界と言われる世界にて。

重鎮をしているのだが。

ある程度フリーハンドで裁量を任されており。現時点で魔界を支配しているルシファーに従う立場でありながら、自由に動ける存在ではあった。

今ベルゼバブが見ているのはテレビだ。

現時点では、動きやすいように太めの男性の姿をとっている。

バアルと言っても元が多様なので、農耕神だったり太陽神だったりと色々なルーツを持っているが。

ベルゼバブは生け贄を捧げられる神であった。

それが故に、生け贄に集っている蠅を揶揄してこの姿にされたと言われてもいるらしいのだが。

どうでもいい。

元々一神教でも子供を生け贄に捧げるような要求を神はしていたし。

ベルゼバブが生け贄を理由におとしめられるいわれはない。

そもそも勝手にエジプトから押しかけてきたあげく、土地を奪い取って身勝手な信仰を押しつけ、現地の民の大量虐殺を命じたような輩が作り上げた信仰だ。

そんなカスみたいな代物に。

悪魔とされたこと自体が、不愉快だった。

テレビに映っているのは、人間世界のSNSとかいうものだ。

魔界よりも混沌としていて。

それぞれ好き勝手なことをほざき。

いい加減な情報が飛び交っている。

悪魔は情報生命体である。

それは元々の神も同じ。

人間は神は上位次元世界の生命体と思い込んでいるようだが、実態は真逆。ベルゼバブがそうであるように、悪魔も神も、基本的に二次元世界の生命体だ。だから、情報はごはんになる。

昔は三次元世界に出かけていって、其処で情報を食っていたのだが。

今ではこうしてネットを引いてくるだけで、良質で混沌な食事を得られる。

ただし、ルシファーに言われている。

あまり食べ過ぎないようにと。

自分のあり方を失ってしまうからだ。

元々信仰なんてものは、人間が作り出したものだ。

時代によって代わっていく。

同じ一神教でも、場所によっては全然違う。

悪魔の扱いだってそれは同じだ。

だから、混沌の局地にあるSNSなんてものは、見ていてはいずれ腹を下す。テレビを切ると、ベルゼバブは伸びをした。

虎皮の服と、牙だらけの口で大あくびをしながら。

「ベルゼバブ様」

「いかがしたか」

ソファで横になろうとしたベルゼバブは、身を起こす。

部屋の外にいるのは、気配からしてアドラメレクか。

同じバアル系統の存在だが、こっちは元太陽神だ。

地獄の議長だとかサタンの衣装係だとか、いい加減な設定を一神教で付け加えられたあげく。

今ではロバがクジャクの羽を背負っているような姿にされている。

それなりの上位悪魔だが。

元々一神教とは関係もないのに堕天使扱いされ。

それが故に、一神教徒を反吐が出るほど嫌っていた。

部屋に入らせる。

伊達男を気取っているアドラメレクだが、元は同じバアルであり、あっちは太陽神である。

神格は決して低くない。

何かあったのかと、ある程度居住まいを正して聞く。

「どうも地上できな臭いことが始まっているようでしてね」

「ほう?」

「ルシファー様はまだ指示を出しておられませんが、我々は独自に動いておいた方がよいかと思います」

「そうだな……」

アドラメレクによると、既に天使が動き出しているという。

地上の動乱があるたびに。

今では一神教の走狗である天使が介入している。

天使も元が多神教の神だった者が多い。

ゾロアスター教で作られた概念である天使は、一神教に取り入れられ。さらにはギリシャ神話のキューピッドやニケなど影響を得て、複数回の変遷を経て、今の姿になっていったが。

元々は多数の翼に多数の目を持ち。

怪物そのものの姿をしていた存在だった。

それを知っているベルゼバブは。

信仰を広める過程で、美の化身みたいな姿に変えられていった天使を見て、失笑しかない。

ましてや神だけが正義であるとされる一神教である。

天使はどんどん没個性にされ。

神の走狗たることを求められる。

一神教の神は明確に人格を持っており、依怙贔屓もすれば気にくわない天使を冷遇だってする。

全知全能の、全てに愛を注ぐ存在だったら。

そんなことはしないはずだが。

自分らで書いた聖典に書かれているそれらの矛盾を、人間どもは無視しているのが滑稽だった。

「四大や七大の姿は確認されているか」

「いえ、それらが出てきていたら、流石にルシファー様が出てこられるかと」

「ふむ、まだそうなると威力偵察の段階だな。 何がおきようとしているかはわかっているのか?」

「いえ。 こちらも雑多な堕天使を出して調べてはいるところです」

しばし考え込んでから、ベルゼバブも何体かの配下を派遣することを約束。それで頷くと、アドラメレクは戻っていった。

場所は日本。

またか。

東西に分かれた人間の陣営の狭間にある国。

最近は停滞が著しいが、たかがしれた島国にしては、独立した文化を持つ強力な国家だ。

住んでいる人間は自分を過小評価しているようだが。

世界に与えている様々な影響は、同クラスの国家としては世界屈指である。

そういうこともあって、今では悪魔も天使も、多数が日本で暗躍している。

勿論日本の神々は、それをよく思っていない。

場合によってはぶつかることになるかもしれなかった。

ともかく、何体か部下を呼び出しておいて、それで指示を出す。

今の時点では、何がおきようとしているか確認しろ。

現地の者も含め、他の悪魔とは連携しろ。

天使との交戦はできるだけ避けろ。

後始末が大変だから、できるだけ人間も殺すな。

そう命令して、部下達をいかせる。

こいつらはこれでかまわないのだが。

問題は更に雑多な部下達だ。

そういうのは人間を軽率に襲う。

悪魔といわれて恨んでいる者もいる。

それに、である。

座というものがある。

簡単に言うと、この世界の精神的なルールを決めるものだ。

それは神々が今までは実力で得ていたのだが。今は一神教の神が座についている。

この座で、我以外の神格は悪魔であるというルールが精神的なものとして拡散された。

これが人間にもある程度影響を与えた。

勿論多神教は現在にも生き残っていることからもわかるように、これが与えた影響は限定的だ。

必ずしも世界の全てを変えたわけではない。

だが、それでも影響は与えている。

悪魔達にもだ。

悪魔の中には、これによって知恵を奪われたと考えるものもいる。

実際には、知性なんて普通にどの悪魔にも宿っている。

問題となっているのは知性と言うより神性の変質なのだが。

それにしたって、多神教の神は普通に宿している。

つまるところ、座の影響は所詮その世界で主要な知的生命体の無意識に影響するものであって。

それ以上でも以下でもない。

地球をいきなり氷河期にしたりするような力は有していない。

神も悪魔も。

結局は人間に依存しているのだ。

だから悪魔らしく残虐に振る舞うのは別にかまわないが。

人間を殺しすぎると、弱体化は避けられない。

今の時代は、天使も悪魔も強大だが。

それはあまりにも多数の人間がいるから、というのが理由として大きいのである。

とりあえず、何がおきているのかは、後でベルゼバブも確認しに出向かなければならないだろう。

色々と面倒なことだった。

 

数日後。

またSNSを見ていると、続報が来る。

今度来たのはバエルだった。

同じくバアル系統の悪魔である。他にもバアル系統の悪魔はなんぼでもいる。そもそも一神教の神もバアル系統なのだ。

中東起源の悪魔には、バアル系統がいくらでもいるのである。

バエルは蜘蛛のような体に頭を三つ乗せているという、大変に気色が悪い姿をさせられている存在だが。

それも人間の書いた想像図によるものだ。

元々は普通にバアルとして神々の一角だった存在で。

一神教の神を絶対する連中が、自分らの神を否定されると涜神だのなんだのとわめく癖に。

こうやって他の神をおとしめて笑っているのを見て。

極めて不愉快に思っている悪魔の一人だ。

だから敢えて、普段はその姿を保ち、怒りを忘れないようにしている。

それはそれとして、バエルも人間体をとることができるのだが。

なお、悪魔としての格はベルゼバブとほぼ同じだ。

ただ知名度的に、今はベルゼバブの方が序列が上である。

「ベルゼバブ、地上の件は聞いているか」

「ああ、少しだけな。 今の時点ではまだあまり大きな情報をつかめてはいないが」

「わしの部下が情報を集めてきた。 それによると、何でもバアルを一つの神として、よみがえらせようという動きがあるとか」

「はあ」

ベルゼバブとしてはそうかとしかいえない。

バアルは一つの神ではない。

一神教のせいで勘違いされがちだが、そもそもとして多数の信仰の神がそれぞれバアルなのである。

だから、それに関しては呆れるしかない。

呆れているのを見て、バエルも三つある頭で嘆息していた。

「多神教の概念を理解できない一神教徒のせいで、バアルという単一神格が存在し、それが悪魔の親玉みたいに考えられているのは遺憾だな」

「しかもそのせいで生まれた神格までいる」

二人で嘆息する。

現在、主神クラスの神々は「魔神」とよばれる存在に分類されているのだが。

その中にバアルがいる。

これはカナン地方の主神がそうだと説明されているようだが。実際にバアルは一柱の主神を示す言葉ではない。

それもあって、元のカナンの主神のバアルとも違う、元々一体の神であった強大な存在、みたいな勘違いが為されている。

他の文化を否定ばかりしているから、こういう勘違いの産物が生まれてくる。

堕天使扱いされていないだけましなのかもしれないが。

「それでどうする」

「元々いないものをよみがえらせてもな。 我々が仮に合体でもしたとしても、それは中東に昔割拠した神々を強引にひとまとめにした上に、それを悪魔としてゆがめたもの、くらいにしかならんぞ」

「ああ、その通りだ。 馬鹿馬鹿しい話だが」

「だが人間にはそうでもないか」

バエルに見せる。

確かにその傾向がある。

バアルという神について言及しているSNSでの書き込みがある。やはり単一の神のように勘違いしている。

バエルはいらだちを隠せないようだが。

まあ、仕方がないか。

ましてやこれで生じてしまった「バアル」は、ベルゼバブを半身とか呼んでいる。

はっきりいって。

迷惑である。

だれがだれの半身か。

もともとベルゼバブ自体がバアルの一柱だったのだ。他のバアルと合体なんぞさせられるいわれはない。

信仰は広がる過程で、分裂と合体を繰り返す。

神と悪魔に分かれたり、別々の悪魔をひとまとめにしたりといったことがおきる。

これらは歴史的に人間の信仰におきてきたことなのだが。

少なくともベルゼバブは、これ以上滅茶苦茶にされるのは勘弁願いたいと考えているのだった。

「それでどうする。 早めに我らが出るか」

「ルシファー様に話しにいくか。 全く面倒な話だ」

「……」

とりあえず、アドラメレクとベルフェゴールも誘う。

どちらもバアル系統の神だ。

実を言うと、天使扱いされている存在にも、元バアルはなんぼでもいる。

あの四大天使の中にすら混じっているほどだ。

だから、バアル同士で争うことになるだろう。

中東での戦闘を日本に持ち込むのか。

勿論雑多な信仰の神々だったのだ。当然、それらの信仰での争いはあった。

だが今では、元バアルの中でもっとも強大で最も排他的な、四文字の神を相手に。少なくとも悪魔扱いされたバアルは、一丸となっている状態である。

魔界のいかにもな王城では。

玉座に着いたルシファーが、うんざりした顔で頬杖を突いていた。

三対の翼を持つ美しい半裸の青年という感じの姿だが。

それもあくまで姿の一つに過ぎない。

場合によっては三つの頭を持って地球の深部の穴を塞ぎ、罪人を永遠にガムみたいにかみ続けるとか言う姿にもなる。

それはルシファー様にも罰ゲームのような気がするが。

一神教徒が考えることはよくわからない。

状況をベルゼバブらが合同で説明すると、ルシファー様はまたかとぼやいた。

まあここのところ、日本での問題はちょっと発生頻度が高い。

流石にうんざりしているのだろう。

「いかがなさいますか」

「貴公らがまとめて出て行ったら、それこそ大天使どもも出てくるだろう。 混乱が大きくなれば、ただでさえ不安定な世界情勢が一気に崩壊に向かいかねん」

「それは確かにそうでありますな」

「そうなればいいのに」

ぼそりとアドラメレクがつぶやく。

人間に対する恨みが蓄積しているのはわかるが、ベルゼバブは大きく咳払いしていた。だから、人間が滅んだら神も悪魔も道連れなのである。

新しい知的生命体が誕生するかもわからないし。仮にそれが信仰を作り出すにしても。

其処にここにいる面子がいられるかどうかなど、わかった話ではないのだ。

よく信仰では全知全能とかいうふざけた言葉が出てくるが。

そんなもん、理論的にも実現できない。

所詮悪魔も天使も、そして神も。

人間の想像の域を超えられない存在でしかないのだ。

「ベルゼバブ」

「ははっ」

「今回は貴公に任せる。 くれぐれも、穏便にな」

「わかりました」

とりあえず、他のバアル系の悪魔からも部下をある程度借り受ける。

それで地上に出る。

地上では、ベルゼバブはいくつかの反社団体をまとめる大物としての姿を持ってはいる。ただこれも、実際に人間がやっている邪悪の限りに比べると、ままごと遊びだとベルゼバブは思っているが。

地上に出るとき、かりそめの肉体を得る。

マグネタイトという物質を利用して形作るのだが。

地上で活動している部下が、実際にはただのタンパク質であるマグネタイトを用意してくれているので、比較的受肉は簡単だ。

ただし、強大な力を得るには、たくさんのタンパク質がいるのだが。

地上で人間の姿をとると、ベルゼバブは黒スーツにネクタイを締めながら、サングラスを手に取る。

いかにもな極道が其処に出現していた。

服ごと具現化するくらいは、別に難しくもない。

なお、偽装のため人間の子供を養子にしているのだが。

この子供がとにかくかわいくて、接しているときにはどうにも顔が緩んでしまうのは秘密だ。

跪く部下達に、早速指示を出す。

「まずは情報収集だ。 馬鹿なことをやっている奴をあぶり出せ」

「承知」

さっと手慣れた部下達が散る。

さて、ここからだ。

できるだけ大事にしないように。ルシファー様も、今は争いは望んでいない。それは、ベルゼバブも同じだった。

 

1、主従は実は違う

 

人間の反社でもあるまいし、ベルゼバブは格好だけ似たようなことをして、基本はデスクワークをする。

一応いくつかのペーパーカンパニーを回しているのだが。

本業は実のところ、農家の経営である。

今の時代農家は高齢化が激しく、しかも非常に排他的なこともあって。特にこの国では、問題が多発している。

ベルゼバブは手が空いている部下を回して、農業をさせており。

暴れないとストレスがたまると嘆いている悪魔達を、農業で効率よくストレス発散させていた。

働いた後に食べる野菜はうまい。

そう凶暴な設定をつけられている悪魔が笑顔で言っているのは滑稽だが。

実のところ、ベルゼバブも全く同じ意見である。

これはおそらくだが、悪魔としてではなく、バアル時代の名残であるのだと思う。

まあ、滑稽でもなんでもいい。

ともかくペーパーカンパニーの経営よりも、農家をやっている方が実は面白かったりする。

それに、畑が主戦場であれば、天使とやり合ったときも被害が小さくて済む。

だいたい食べ物を粗末にする奴は許せないし。

そういう意味でも戦意は高まるというものだ。

ある程度のデスクワークを済ませると、SNSを解析させていた部下が来る。まあ部下だが、養子みたいなものだ。

部下にはベルゼバブが悪魔だとは知らせていない人間も多い。

来たのは、孤独だったハッカーである。

まだ中学生だが、今はここで住み込みで疑似親子みたいなことをしている。

虐待家庭から救い出したのだが、孤児院でもひどい扱いをされていたので、今は引き取っている。

もう一人いる、幼い方の養子の世話をしてもらったりもするが。

普段は情報の解析が主だ。

「おっちゃん、とりあえず情報をまとめておいたよ」

「そうか。 どれ」

双葉というその娘は、頷くと仕事に戻る。

重度の対人恐怖症だが、妹分のもう一人の養子とはうまくやれているようで、ベルゼバブとしてもそれはありがたい。

或いはだけれども。

どこかで似通った境遇だと理解しているのかもしれない。

SNSでの情報を集めた限り、やはりバアルに対する情報がかなり集まり始めているようである。

いくつか、バアルを題材にした創作などもアニメ化したりしているようだ。

だが、内容はいずれもが完全に間違っているというか。

そもそも中東全域の神全般のことを指すと理解している者はほとんどいないようだ。

まあ、人間は興味がないことには、まるで理解を向けないし、覚えようともしない生物である。

数日前に教わった学問を、すぐに忘れてしまう子供も珍しくない。

双葉はとりあえず学校に行かせる。

とんでもなくできる子なので、朝飯前にこれくらいの仕事はやってのけるのだ。

ただ、流石にいきなり社会復帰は無理なので、体調が良いときなどに少しずつ学校に行かせている。

勉強については恐ろしくできるので、実際問題出席日数が足りない以外は、成績はとてもいいようだった。

体育以外は。

集めた情報を前に、ベルゼバブはうなる。

いずれにしても、バアルの印象を高めようとしている戦略はわかる。

しかしだ。

魔神バアルとして存在しているカナンのバアルのなれの果ては、現在呼び出してもそこまでうまみがない。

座に昔ついていたことがある存在だが。

はっきりいって弱体化が著しいのだ。

だとすると、誰が、何のためにこんなことをしている。

いくつか情報を見繕っていると、気になるものを見つけた。

「元々は強大だったバアルは、あまたに引き裂かれた。 引き裂かれたバアルが一つになるとき、その存在はあらゆる神を凌駕するほどのものとなる」

何を言っていると、ベルゼバブはぼやく。

今の人類文明は、オリエントを起源としている。

そういう観点で、神話的なルーツが多数オリエントにあるのは事実だ。

現在世界には大まかに二系統の神が存在していて、牛の神と蛇の神がそれに当たる。

バアルは牛の神の系統だ。

蛇の神の系統はもっと古い神々で、今ではドラゴンとして知られるような存在の祖達である。

東洋ではまだまだ主神格の座にいる場合も多いが、西洋では悪役とされていることが多い。

それらを加味しても。

別にバアル信仰をまとめても、最強になどならない。

古い神が強いというなら、もっと先によみがえらせるべき存在はいくらでもいる。

始祖の巨人の元祖ともいえるティアマトや、それを打ち倒した最強の暴風神マルドゥークなど。

これらの神の方が、後の神々に対するアーキタイプとして世界に多大な影響を及ぼしているのだ。

腕組みして、それから考え込む。

いずれにしても、バアルが合体すると超強くなるという思想を作り出して。

それを広めることで。

本当にする。

信仰なんてふわっとしたものだ。

過去に実際にどのような信仰が存在したかなんて、大多数の人間にとってはそれこそどうでもいい。

だから、今バアルに対する馬鹿みたいな言説を広げ。

それを主体とした「バアルの合一」を図るとしたら。

その先にある狙いはなんだ。

ともかく、情報がいる。

夕方近くまで仕事を続け、現場にも出る。

現場と言っても畑である。

トラクターで畑を耕す。

このときは、流石に農業用の服に着替える。

周囲の農家はあまりいい視線をこちらに向けてこない。とにかく思想が一から十まで閉鎖的なのだ。

勿論高い技術力を持つ者もいるが。

それなら連携して、その技術を用いてもっと大きな稼ぎにつなげて、人を呼び込めばいいものを。

ベルゼバブは部下達と働きながら、いくつかの畑を仕上げ、夜には家に帰る。

双葉はもう戻ってきていた。

「お帰りおっちゃん」

「ただいま。 朝日は?」

「おっちゃんの部下達がさっきまで面倒見てたよ。 起こしてこようか?」

「いや、もう眠ったのなら良いだろう。 寝かせておきなさい」

朝日はベルゼバブが面倒を見ている子供だ。まだ四歳である。

部下には非常食とか見られているようだが、れっきとした子供として育てているつもりである。

勿論魔族に育てるつもりなどない。

それについては双葉も同じだ。

双葉と朝日はそこそこに仲がよくて、見ていて安心できる。ゲームなども仲睦まじくやっているようだ。

ただ双葉がろくでもないネットミームとか教えているようで、今から色々といやな意味での英才教育が施されてしまっているが。

双葉は放っておくとすぐにジャンクフードとかばかり食べるので、なんとベルゼバブは手料理を覚えた。

蠅が手を擦る足を擦るなどという言葉があるが。

それを考えた人間もびっくりだろう。

ちなみに蠅の魔王というのはあくまで概念に過ぎないため、ちゃんと衛生的に普通の料理をしている。

当たり前である。食べさせるのは人間なのだから。

ただしエプロンを着けてチャーハンを作っているベルゼバブを見て、部下の悪魔が無言で視線を背けることがあるが。

「おいしいか」

「おいしいよ。 おっちゃん、器用だよね」

「まあそうだな。 それでどうだ。 何か進展はあったか」

「ちょっと裏口から攻めなければならないかもだけれど、なんか怪しいカルト教団が動いてるっぽい」

カルト教団か。

ロウ勢力……四文字の神の直下の天使達や神々のことだが。

そういった連中が運営しているカルト教団は普通に存在している。カオス勢力……ロウ勢力に相対している悪魔達の勢力が運営しているそれもしかり。

実際今、ベルゼバブも農業とか真面目にやっているのである。

噂によると、孤児院で優しい院長先生をしている天使がいるらしい。それも天界では馬鹿にされるほど神から疎んじられている者なのだとか。

色々とよくわからないものだ。

「警察に足を掴まれないでやれるか」

「うーん、言われてるほど警察は無能じゃないし、ちょっと難しいよ。 それに相手がどれくらいサイバー戦できるかよくわからないし、とにかくちょっかいをかけてみるだけでもリスクは高いと思う」

「いつもだったら平気でハッキングをしかけるお前が随分と大胆だな」

「いやいや、ほとんどの場合ハッカーは実際には相手のデータセンターに足を運んで、内部から情報を探ったりするのが真相だったりして」

双葉が苦笑いする。

実のところ。

情報生命体であるベルゼバブは、人間が使っている電子的防御なんか紙くずのように貫通できる。

二次元生命体であるため。むしろそっちの方は得意分野なのだ。

だが、それをやった場合。

相手も二次元生命体だった場合にややこしくなる。

そこで双葉の出番だ。

双葉は非常に能力が高いハッカーとしての側面も持つが、あくまで人間の領域を超えていない。

それで仮に相手に天使の息がかかっていたり。

或いは大魔王麾下にいない独立勢力の悪魔だった場合でも、いきなり全力で殺しに来たりはしない利点がある。

逆襲を仕掛けてきた場合は、ベルゼバブが対応する。

人間をベルゼバブは甘く見てはいない。

勿論、神々もだ。

天使達に関しては軽蔑はしているが、それでも無能だとは思っていない。何体かの最高位天使は、ベルゼバブだって戦いたくない相手だ。

ちょっと行儀悪くあぐらをかいている双葉。

女らしくしろとはいわない。

元々他人をとても怖がっていた。虐待が原因だ。

それもあって、ベルゼバブをおっちゃんと呼んでくれるまで随分とかかったのだ。信頼関係を崩すことはあまりしたくない。

双葉も学校に半日行ければ良い方で、まだとても周囲とはなじめない。

成績がなまじ良いこともあって、余計に難しいようだ。

周囲の女子が人間としてこちらを見ていないのがわかるとか。

教師も何かあるたびに文句を言うとか。

ベルゼバブは、色々と聞かされていた。

それでは学校を避けるのも仕方がない。場合によっては学校を変えるしかない。

「無理をしない範囲で少しずつ情報を集めてくれ。 別に急ぎはしない」

「うっす。 それはそれとおっちゃん、ハーゲンダッツくいたい」

「わかった、明日買ってこよう。 二人分でいいな」

「うん!」

まあ、この辺りは子供らしくていいものだ。

それにベルゼバブもハーゲンダッツは好きなので、実は三人分買ってくることになるだろう。

それからしばらく二人でデスクを挟んで作業をする。

ベルゼバブは部下から来るメールを、人間を遙かに超える速度と精度でさばき続けていた。

 

翌日、畑に出ていると、スマホに双葉からのメッセージが届いていた。身内で共有できるそういうソフトだ。

内容は極めて簡単で理解は数秒でできたが、それについては言わないようにしておく。

双葉は薄々ベルゼバブが人間ではないことに気づいている節があるし、それで関係を壊したくない。

人間ではないベルゼバブだが。

信仰と関係ないところにいる人間をいたずらに傷つけたくはないし。

双葉のことは心底から心配もしているのだ。

「おっちゃん、ちょっとまずいかもしれない」

「どうした」

トラクターで畑を耕しながらスマホを片手だけで操作する。

これに関してはガラケーの方が性能が上だなと思いつつ。

双葉はおそらくキーボードを叩いている。返信の速度が尋常ではない。

「調査してた団体、普通じゃない。 ベル様とかいうやっべえ神様を真面目に信じてるくさい」

「ベル?」

「そうらしい。 今、いくつかの監視カメラから情報を集めてるんだけど、ベル様とかいう神様に東京を捧げるとか、物騒な話してる」

「……わかった。 一旦引き上げるんだ。 痕跡は残さないように」

双葉もやばいと判断したのだろう。

わかったと即答して、即座に作業に移ったらしい。

指笛を吹く。

しゅんと音を立てて、トラクターの周囲に部下達が集まっていた。農家の人間に見えるが、皆それなりのランクの悪魔である。

「これから実地調査を開始しろ。 指定座標は……」

双葉と通信する間に、その見ているデータの具体的な座標については確認した。かなりセキュリティは強固だが、東京の一角だ。

あの辺り、特に山手線の内側辺りは、霊的な問題もあって極めて強力な霊的結界を張りやすい。

それは逆に言えば。

簡単に人間を閉じ込める陸の孤島を作り出せると言うことだ。悪魔だろうと、神だろうと。

「抵抗が予想されますが」

「まずは威力偵察だ。 ベル様というのがなんだか知らないが、場合によっては叩き潰す。 兵は神速を尊ぶ。 いけ」

「了解」

しゅんと音を立てて部下達が消える。

何事もなかったかのように、ベルゼバブはまた、トラクターで畑を耕し始めた。

程なくして、ボランティアで草刈りをしている老人達が畑の畦に来た。軽く話をする。

今年は何がよくできた、何が駄目だと、いくつかのことを教えておく。

いつも草刈りをする老人達は、結構良い仕事をしてくれるのだ。これくらいはベルゼバブからも教えておきたい。

老人達は礼を言うと、戻っていく。

ベルゼバブは、それを見送ると、双葉に連絡。

例の件からは即座に調査を中止するように、と。

これは生存確認も兼ねている。

即座に双葉が、わかったと返事をしてきた。

双葉は大丈夫、と。

さて、ここからが問題だ。

メールをいくつか身内向けに送っておく。バエルやベルフェゴール、それにアドラメレクなどにだ。

どうもいやな予感がする。

まさかとは思うが、ベルとかいうのはバアルのことではあるまいな。

名前をわずかに変えることで、存在そのものをずらしたり、性質を扱いやすくすることは呪術ではよくあることだ。

特にこの国では、その呪術に特化している。

悪魔も神も、土地に影響を受ける。日本で活動している以上、天使や四文字の神ですらそれは例外ではない。

バアルが主導しているのならまだいいのだが。

もっと面倒なのが裏にいる可能性は否定できない。

トラクターで作業をしつつ、いくつかの手を打っておく。しゅんと音を立て、部下の一人が戻ってきていた。

「ご注進」

「うむ」

「問題となっている組織は翔門会というものですな。 正式に確認してきました。 どうやら天使の匂いがします」

「面倒なことになったな」

バアルが絡んでいる可能性が高いのに、ベルという名前。

まさか神を意味するエルをバアルと重ねているのか。

だとすると、超巨大な呪術を始める可能性が高い。バアルどころか、バアル由来の悪魔まとめて支配するような。

それが実際におきた場合。

あまり良い結果にはならないだろう。

「対応に動いた方が良いな。 私が陣頭指揮を執る。 お前は即座にルシファー様に伝達を」

「はっ」

部下がかき消える。

ベルゼバブは、今日は遅くなること、朝日の面倒を頼むことを双葉にメールで連絡しておく。

そして冷静にトラクターを格納庫にしまうと。

戦場になる可能性がある地点に、歩き始めていた。ただし、もはや人間が認識できる速度の範疇外で、だが。

移動しながら、情報を複数同時に確認し整理する。これは元々情報生命体だからできることだ。

肉の体はむしろおまけ。

戦闘も基本的に二次元由来のルールで行うことが多い。

ただし、所詮は情報生命体。

情報を作り出す側。観測する生命体にさじを投げられたら、破綻するのは神も悪魔も同じだ。

それについては、人間は弱くてもろいとか侮っている部下にいつも言い聞かせている。

所詮悪魔程度、人間の思念から生み出されている存在だ。

個の人間に勝てるかもしれないが、人間を調子に乗って皆殺しにしたりすれば、一気に悪魔も神も衰退する。

待っているのは破滅だ。

人間とはどうしても、ある程度うまくやっていかなければならないのである。

程なく、東京に到着。

ビル街の合間に、既に数体の大物悪魔が集まってきていた。

事態を知ったか、天使も集まってきている。

ただし、人間の姿でしか接触はしない。

悪魔が実体化するのは、余程のこと。それも本来の姿で実体化するのは、大混乱を引き起こす。

下級の悪魔だったらたまにやることだが。

それは獣と同じで駆除対象だ。

あくまで人間がいて存在できている。それを知った上で、色々と活動しなければならないのである。

しばしのにらみ合い。

相手は白い服やらスーツやらで統一している集団。

対してこちらは雑多な者達だ。

やがて、相手側から歩み来る。

かなりの大物天使だ。恐らくは七大天使の誰かだろう。

ベルゼバブも歩み出る。

数メートルを開けて、互いに足を止めていた。

「まさかこうも早く嗅ぎつけてくるとはな、蠅の王。 蠅だけに腐臭には敏感と見える。 餌を求めてやってきたか」

「ちょっとそれは違うな。 わしとしてもこの場での大規模な争いは望んでいない。 ましてや貴様ら、バアルを曲解してまとめて制御に置こうとしていまいか」

「!」

「そうか、やはりな。 この国の呪術を用いて、バアルという神格に対する勘違いも利用しての大規模呪術か。 確かにお前達天使からすれば、「主の試練」だので人間をふるいにかける好機か? 馬鹿馬鹿しい。 ただでさえ世界の情勢はよくない。 これ以上引っかき回しても、下手をすると人間が滅びに向かうだけだ。 その先にあるのは共倒れであろう」

冷静に指摘する。

ふっと笑った相手は、レミエルであるらしい。

まあ、どうでもいい。

七大天使ともなると、まともにやりあうとベルゼバブでも無事では済まないのだが。ここでは相手もやり合うつもりはなさそうだ。

「面白い計画だと思ったのだがな。 くだらんカルトを一つ乗っ取ることに成功したから、それでやってみる価値はあると思ったのだが」

「くだらんカルトはどうでもいいが、自分たちで争乱を起こして、人間を試す。 相変わらずだなそのやり口の悪辣さ」

「お前達に言われたくはないさ。 中東の混沌は今でもよく覚えている。 何しろ私も、元は」

「……」

天使の概念はゾロアスター教によってもたらされたものだ。

そして一神教に都合が良いものはそのまま天使とされ。

気にくわない神格は悪魔として設定された。

ほとんどの天使……四大や七大ですら、元はバアルだったものが複数いる。レミエルだって、例外ではない。

ましてやレミエルはエグリゴリの一角に数えられたりもする、どちらかと言えば出自が怪しい天使の一体だ。

此奴自身も、天界での出世のために色々と必死なのだろう。

「それでやり合うかね」

「いや、やめておこう。 こちらとしても、一度手を引く。 お前が出てきた時点で、この場の戦力での収束は難しかろう」

「……」

「ではな、蠅の王」

天使どもが去って行く。

なんとかいうカルト団体は、これは勝手に自壊するだろう。一応後で確認はさせる。面倒な呪術とかが残ったままだと厄介だからだ。

増援を呼んで、さっさと調査する。

悪魔の中には、人間社会で活動して、問題の調整役をしている者も多い。

先にレミエルと嫌みの応酬をしたように、人間が滅びると悪魔も神も滅びてしまうからである。

所詮は情報生命体だ。

アティルト界なんてたいそうな場所に住んでいても、実態は人間が想像したものを超えないのである。

だから調整役は必要になる。

皮肉な話だが、天使どもにも似たようなことをしている連中がいるとか。

たまに無言で悪魔と協力して、問題を起こしている人間に対処することもあるそうだが。まあ、あくまでたまにだ。

カルト団体の調査を終えたのは、四日後。

もし発動していたら、かなり厄介なことになっていた呪術のノウハウを消して、後は警察にでも任せる。

記憶を消すだけで、信者には特に何もしていない。

こんな集団に入ったような連中だ。意志薄弱で、この世の悪辣さに耐えられなかったのだろう。

それを責めるつもりは、ベルゼバブにはなかった。

 

2、波紋

 

天翔会だとかを片付けてから、数日。

しばらくは人間世界にいるつもりだ。勿論ルシファー様に声をかけられたら、即座に魔界に戻るが。

新聞を読んでいると、朝日が来る。

まだかわいい盛りの子供だ。絵本を読んでほしいという。

まあ、休日だ。

それもいいだろう。

なんでも食べる青虫の絵本を読む。はっきり言って恐ろしい生物だとベルゼバブは思ったが、朝日は喜んでいる。

よくわからんな。

そう思いながら、これもこれもと渡される絵本を順番に読む。

双葉はそれを見ながら、自作らしいパソコンのキーボードを叩いていた。時々悪態をついている。

何かオンラインのゲームでもやっているのだろう。

他人に度を超した迷惑をかけたり課金さえしなければ好きにやっていい。

そう告げた後、双葉は案外と大真面目にその言葉を守っている。

或いはだが。

親の死後、色々見てきた大人に対して、思うところがあるのだろう。約束を守れば、きちんと答えるベルゼバブを見て。

自分から嘘をつきたくないと考えているのかもしれなかった。

昼少し前から、軽く三人で外に出る。

双葉はともかく、朝日はベルゼバブが人間ではないことに多分気づいていない。肩車すると、うれしそうである。

しばらくは外を歩く。

この辺りはちょっと山深いが、代わりに自然も豊かだ。

古くはこういった場所から、素朴な信仰が現れた。

それは危険な獣などもあっただろうが、現在のような大量虐殺を煽るような先鋭化した思想ではなかった。

山奥の因習村などというものもあるにはあるが。

それだって、元は純粋な信仰だったものが。

人間のコミュニティで煮詰められ、ゆがんでいったのが実態である。そう考えてみると、こういう場所は誰にとっても心のふるさとだといえる。

「おっちゃん、山の中歩くのしんどいんだけど」

「そういうな。 たまには多少は歩け」

「へいへい……」

不服そうに口をとがらせる双葉だが。

案外一緒に歩くのはいやではなさそうだ。

そのうち朝日がおねむになってきたので、家に戻る。途中、連絡があったので、朝日を双葉に任せる。

細い双葉は、脱力した朝日を背負うのにも苦労していた。

なんというか、もうちょっと動いた方が良いだろう。

「どうした」

「どうにも、この間片付けた件できなくさいことがおきていましてね」

「……わかった。 情報を送ってくれ」

「はい」

連絡をしてきたのは、直下にいる悪魔の一体だ。

普段は警官として警察に潜り込んでいるが。

不正とかしない、極めて真面目な警官をしている。周囲からの声も、とても評判がいいそうだ。

そんなものである。

悪魔の警官の方が、よっぽど人間の警官より真面目で真摯に仕事に取り組んでいたりするのだ。

おかしな話ではあるが。

「おっちゃん、あのさ……」

「少し待っていろ」

ブルブル生まれたての子鹿みたいに足が震えている双葉。まあ、脱力した子供は重いから仕方がない。

そのまま潰れる前に、代わってやらないといけないだろう。

ささっと連絡を入れておく。

双葉から朝日を引き取ると、ぐったりしていた。

「はー。 子供って重いわ」

「お前がお嫁に行く日がいつかはわからないが、その後はお前が背負うことになる。 子育ては今のうちから経験を積んでおくといいぞ」

「それ、セクハラにならね?」

「うん? よくわからないが、セクハラなのか」

人間という生物は、そもそも三世代で知恵を保存することで発展に成功した種族である。これは神格としては比較的新しいベルゼバブでも知っている程度のことだ。

だから子供のうちから幼い子供の面倒を見ておいて、それを自分に子供ができた時に経験として生かす。

そういうことができた。

もっとも、家社会に問題があったのも事実ではあるのだが。

しかしセクハラと扱われるのはちょっとどう反応して良いのかわからない。

「ともかくあたしはしばらく嫁なんかいかないから!」

「そうか。 お前のウェディング姿、楽しみなんだがな」

実際問題、姿をロンダリングすることもあって、ベルゼバブはそう長い間人間世界には同じ姿格好ではいない。

人間の女と恋仲になったこともあったが。

それはあくまで人間の肉で恋仲になっていた。

ベルゼバブとしての正体は知られていないし、できた子供だって人間の子だ。

悪魔と人間の子といっても、現実はそんなものである。

というわけで、ベルゼバブとしては、双葉がウエディングで去るのは楽しみであるのは本当だ。

ただ、結婚制度が急速に崩壊している上。

この難しい上に頭がよすぎる子を、誰かが嫁にしたいかと思うかは微妙なところではあろうが。

家に戻ると、双葉はアイスを食べに冷蔵庫に。

まあ、太るくらいならいいか。

今、枯れ木みたいに痩せている。

少なくともダイエットとか言う無駄なことが必要な体型ではない。

手慣れて朝日を寝かせると。

ベルゼバブは、ちょっと仕事をすることを双葉に告げておく。

まあ、朝日に何かあることもないだろう。

自室に入ると、完全防音にして、部下と連絡する。

ここからが本番だ。

何人かを同時に派遣して、場合によってはベルゼバブも動く。

ルシファー様が地上に来るような時は、本当に本当に最後だ。そういうときは、国が複数吹っ飛ぶ。

今の時代だと数十億単位で人が死ぬ。

その後のことを考えると、避けたい事態だ。

ただ、どうしようもない場合はベルゼバブも腹をくくる。そして悪魔らしい悪魔として振る舞う。

勿論世話になった人間や、世話をしている人間には愛情もあるが。

それはそれ、これはこれである。

「なるほど、どうやら八咫烏が動き出したか」

「はい、遅すぎるほどですが。 厄介ですよこれは」

「そうだな……」

八咫烏。

この国の対魔組織である。

かなり強力な日本神話系の能力者が集っていて、この国ではほぼ一強。完全なロウよりではなく、あくまで人間の利益を追求して動く集団だ。

これに対して日本ではファントムソサエティという混沌の組織や、同じくガイア教団というものが暗躍はしているが。

今の時点では八咫烏が強く、押さえ込まれている。

このパワーバランスに関して、ベルゼバブは関与するつもりはない。

ファントムソサエティはエグリゴリが動かしている組織であり、魔の側に世界が傾くように仕掛けてはいるのだが。

それはそれ。

もしも上から指示があれば助ける。

そのくらいの間柄である。

「ガイア教団やファントムソサエティは」

「どちらも後手ですね。 人間の間で多少血を見るかもしれませんが、大物悪魔がドンパチとはならないでしょう」

「お前はどうする。 八咫烏の腕利きには、悪魔と気づく者もいるのではないか」

「まあその時はさっさとケツまくってにげまさあ。 流石にまだまだ人間のデビルサマナー程度に遅れはとりません。 へへ」

だといいのだが。

一旦連絡を整理してから、自身は畑に出る。

双葉は一瞥だけしたが、仕事だと察したのだろう。

ベルゼバブも一瞥だけして、すぐにその場を離れる。畑を手入れする振りをしながら、話を続ける。

「八咫烏はどれくらい人員を出してきている」

「幹部はいないっすね。 駆け出しのが何人か。 それほど大事だと気づいていないのか、それともフェイクか」

「いやな予感がするな。 最悪の場合は即座に撤退しろ」

「イエッサ……」

通信を切る。

その場に移動すべきかと思ったが、少し遅かった。

巨大な気配が出現する。

一瞬だけだが、多分誰かしら大物神格が顕現したのだ。膨大なマグネタイトを消費して、だろうが。

しかも一瞬で姿を消した。

土地になじんでいる様子からして、おそらく日本神話の神格だ。

ベルとかいうふざけた名前でバアルを制御して、一気にその力をまとめようという呪術にたどり着いたのか。

念入りに消しておいたつもりだったが。

もしそうだとすると。

今の力で、何かしたのかもしれない。

部下の一人と連絡が取れない。

大丈夫だと言っていた奴だ。

舌打ちする。

これはやられたな。

新人のサマナー達はあくまで囮。大物を狩りに、ベテランが出てきていたと言うわけだ。

「ベルゼバブ様、これは」

「即時撤退! それぞれ己の身を守れ!」

「は、はいっ!」

連絡を入れる。さて、何人生き残れるか。

八咫烏の大物サマナーは手強い。

数世代前には、ルシファー様と互角以上の戦いを繰り広げた者までいる。人間は侮れない。

ベルゼバブだって部下を殺されれば気分は悪いが。

精神生命体はそう簡単には滅びない。

死んでも魔界である程度再生は可能だし。

ダメージを受けたとしても、時間さえかければ元に戻れる。たちの悪い呪いでも仕込まれたり。

信仰などが消滅しない限りは。

これに関しては天使でも同じだ。

奴らの場合は天界で同じことがおきるだけ。

結局、人間に依存しているのは、こういった生命線レベルでの話なのである。

部下達を逃がしてから、ベルゼバブは時間稼ぎに出る。

問題が発生した地点近くまで行く。

町中はまずい。

廃工場近くの監視拠点の一つ。

周囲に人はいない。

おびき寄せるなら、草ぼうぼうの空き地であるここ以外にない。

大きな神格の気配は既にないが。

ベルゼバブは、反応していた。

手刀で、背後から振り下ろされた日本刀をはじき返す。

それから、振り返りつつ数合、刃を散らした。

火花が散るような斬撃で、思わず口笛を吹いていた。

そして、この顔は見覚えがある。

100年近く前に戦ったことがある。

古めかしい学生帽。

まだ二十前だろう、若々しい顔。

だがその顔には感情が薄く、目つきだけは異常に鋭い。

そして肩に乗せている黒い猫。

手にしているのはハンドヘルドコンピューターではなく、管狐を入れる管。

葛葉ライドウ。

それも、今の世代のライドウではない。歴代最強と言われる奴だ。何らかの転機に呼ばれては、色々な平行世界や時間軸に出張ってくる有名人。

神魔による致命的な破壊を防ぐ目的で動いている、名物男だ。

ルシファー様が部下にほしいと、負けたのにもかかわらず面白がっていたっけ。確かにびりびりと殺気が来る。

舌なめずりすると、手招きする。

此奴を引きつけておけば、被害を減らせるだろう。

ライドウの肩に乗っている黒猫が言う。ライドウが答える。

「油断するなライドウ。 こやつは」

「ああ、わかっている」

「今回の一件、既に後始末まで終えておいたつもりだったのだがな。 貴様が来たと言うことは、何かしらのイレギュラーがおきていたのか?」

「黙れ」

これまた古めかしい拳銃を取り出すと、連射してくるライドウ。リボルバーの拳銃だが、破壊力そのものより対魔の殺傷力に特化している。全てはじいた瞬間、懐に入られていた。刀を振り上げてくる。

すごい剣筋だと、ベルゼバブは舌を巻く。

すっと下がりつつ、二の太刀、三の太刀をはじき返す。

ライドウは管を投擲。

背後に出現したのは、かなりの大物悪魔ばかりだ。

悪魔は自分より弱い相手には従わない。

ライドウはあれらの大物悪魔を地力で従えていると言うことである。

「戦う気はないんだがな」

「東京を滅ぼすつもりだった癖に、よくいったものだ」

「お前を相手にするのであれば、この姿では役不足だろう? それを承知で、敢えて交戦している。 それが全てなのだがな。 それに真の姿を解放したら、この辺りが廃墟になるぞ」

「それで脅しているつもりか」

統率された動きで、囲んでくるライドウの仲魔。

どれもとてもではないが油断できる相手ではない。

さて、どうする。

一旦倒されてやれば、それで納得するか。

だが、待てと黒猫が言っていた。

それでピタリと皆止まる。

「ベルゼバブだな貴様は。 貴様ほどの大物悪魔が出てきているのに、確かにあらゆる全てがちぐはぐだと思っていた。 本当に戦うつもりはないのか?」

「そうなるな。 ええと、ゴウトとか言ったか」

「ほう。 悪魔にもわしは知られていたか」

「そこのライドウがそれだけ警戒されていると言うことだ。 情報は悪魔の間でも共有されている」

ひりついたにらみ合いの末。

ライドウは刀を納めていた。

ただ、仲魔はまだ気を張っている。

どうやら結界を展開しているらしく、周囲の人間が、荒れ地とはいえ気づいている様子はない。

「情報交換といこう。 わしは大天使レミエルが関わっていたカルト団体を片付けた。 そいつらはバアルの力を悪用して、東京を破綻させるつもりだった」

「……俺がここに来たとき、バアルが既によみがえりつつあった」

「何……っ!」

「幸いよみがえりたてだったからな。 切り札を展開して即座に打ち倒した。 あれは渇望していた。 もし具現化させていたら、数万の人々が犠牲になっていただろう。 それどころか、東京が魔界に落ちていたかもしれない」

バアルというと、一神教で一つの神として誤解された方のあれか。

そう問うと、ライドウは頷く。

ライドウも悪魔退治の専門家だ。

それくらいは当然知っている。

ベルゼバブだって、元バアルだったということも。

「バアルはどうにか倒したが、貴様の配下達の気配があったからな。 対応に来たと言うわけだ」

「勘違いされると困るが、わしは混沌の勢力にいるが、それはあくまであのいけすかない四文字の神と、奴隷同然の存在と成り果てた天使達が気にくわないからだ。 無秩序な殺戮と混乱など望んでおらん」

「悪魔の割に良心的なことだ」

「勿論わしは悪魔だからな。 ルシファー様がそうせよとおっしゃられれば、そうもするがな。 今はその時ではない」

しばしのにらみ合いの末。

ライドウが殺気を納める。

正直ほっとした。

こいつとまともにやりあったら、おそらく負けるし。

当面は魔界で再生に注力しなければならなかった。

その場合、朝日達を信頼できるとはいえ部下に任せなければならなかった。

朝日は泣くだろうし。

双葉だって、やっと心を開いてくれ始めていたのだ。

あまり良い気分はしない。

「わかった。 本当のようだな。 確かに貴様の言動はおかしい。 それで腑に落ちる」

「それでなぜバアルが。 「バアル」をおかしな言葉遊びでもてあそんでまとめてコントロール下において、東京を破綻させようという計画をレミエルが立てていたのはわしも知っているが。 その後始末はしてきたつもりだったのだがな」

「ベルゼバブよ、貴様もまだ人間の観察があまいな。 天使や悪魔が立てる陰謀など、人間が日々繰り広げているものに比べたらままごと遊びよ。 天翔会などというカルトは、所詮は隠れ蓑に過ぎなかったのだ」

「何かいやな予感はしていたが、その黒幕がバアルを呼んだのか」

ゴウトと呼ばれている黒猫は、詳しくはわからんと言う。

いや、これは教える気がないと言うことだろう。

まあいい。

「わしは正式に手を引く。 くれぐれも、片付けるのであればしっかり片付けてから戻ってくれ」

「……わかった」

すっと互いに飛び下がる。

ライドウが手持ちの仲魔をあらかた管に戻すと、全く隙なく姿を消していた。

厄介な相手だ。

距離をある程度とってから、部下達に連絡を入れる。

倒されず魔界に戻ったのは半数ほど。

短時間で、半数がやられていたということだ。

呻く。

まあ、行き違いがあったのだ。これは仕方がない。それにライドウがこれだけ見的必殺で来るのも仕方がない。

この国では、明治維新とやら以降、ずっと他の国から神魔が入り込んで悪さを続けてきたのだ。

それを見ていれば、あれだけ殺気を全身に充溢させるだろう。

倒された者達は、幸い魔界で再生できそうだ。

厄介な術とかかけられたりすると、それもかなわなかったりするのだが。

いずれにしても、もう少し調査が必要になる。

そしてそれは、ベルゼバブの部下が出向いたり、ベルゼバブ自身が動くわけにはいかないだろう。

既に人間側が相当に警戒している。

これ以上、大物悪魔が出向いても、話をこじらせるだけだからだ。

人間界で活動している悪魔に連絡を入れる。

ただ、その悪魔は別に大物ではない。

人間界に溶け込んで、人間に混じって生きることを選んだものだ。

精神生命体である悪魔だが。

たまにそういった生き方を選ぶ者がいるのである。

ベルゼバブはそういった、人間側からもある程度許容されている下級の悪魔達ともネットワークを構築している。

情報を集めるときには、活用していたし。

そういった悪魔達がどうしても表だって手に入れられない物資がほしいときには。

ベルゼバブが融通していた。

「調査を頼みたい」

「ベルゼバブさんが直々にですか」

「ああ。 報酬については弾む」

「わかりました。 ひょっとして、さっきの激しい戦いの件ですかね。 こっちでもちょっとだけ余波を感じましたが」

苦笑い。

此奴は本当に戦線を離れて等しいのだなと思う。

本気でライドウとやりあっていたら、あんな程度が激しいものか。

さっきのは小競り合いどころか。じゃれあいにすらならないレベルだった。

具体的な調査内容を伝える。

探偵業をしているそいつは、通話越しに頷いたようだった。

「バアルが復活しかけた、ねえ」

「知っての通り、わしもバアルだがな。 カナンの主神バアルを主軸に、一神教が作り上げた邪神としてのバアルだ」

「わかっています。 現在バアルといえばだいたいそれですからね。 バアルがこの国でいう神様くらいの意味で使われていたことなんて、興味があるごく一部の人間しか知らない。 だから一神教が作り上げたバアルのイメージが、どうしても精神世界に影響を与えてしまう」

その通りだ。

だから色々厄介なのだ。

人間を恨む悪魔や神も多いが。

それは、作り出しておいて、勝手な風潮でもてあそばれれば、気分だってよくない。

それについては、バアルの半身とかいう変なイメージを植え付けられ始めつつあるベルゼバブも苦々しく思っている。

そもそもベルゼバブもバアルなのであって。

カナンのバアルとは別人であり、半身もクソもないのだ。

「ともかく調査は頼むぞ。 報酬についてはきちんと現金で用意しておく」

「ありがたい。 若い奴はすぐに電子マネーを改ざんして使ったりして、八咫烏に目をつけられますからね。 マネーロンダリングの必要さえない汚れていない現生が、一番使えます」

「うむ……」

頼む相手は、あくまで人間世界での生活を選んでいる。

それには人間世界のルールが必須だ。

ベルゼバブも、生活にはなんだかんだできちんと稼いだ金を使っている。

それを天使などは嘲笑しているようだが。

そもそも人間の規律を守る側が、手本を示さないのはどうかともベルゼバブは思う。

部下をある程度は失った。

更に、まだ真相はよくわかっていない。

とりあえず解決するまでは、まだまだ時間がかかりそうだった。

 

3、恨みは幾重に

 

とりあえずベルゼバブは一度魔界に戻ると、ルシファー様のところに出向く。

他のバアル達も誘ったのは、情報共有も兼ねている。

ルシファー様に、何がおきたのかを説明すると。

玉座にいるルシファー様は、ふむとうなっていた。

「早々に天使どもが手を引いたにもかかわらずバアルがよみがえったというのは解せないな。 あのライドウが姿を見せたと言うことは、それが嘘ではなかったとみて良いだろうしな」

「は。 現在調査を進めていますが、ちょっとまだ何がどうといった話はできない状態です。 他の天使が関与していたとは思えず、誰かしらの混沌の悪魔が動いていたとも思えませんので」

「だとすると人間か? 確かにゴウトとやらの言うことにも一理はある。 ライドウほどの使い手は滅多にいないが、それでも強い奴は時々突然変異的に姿を見せる。 ベルゼバブ、くれぐれも油断するな」

「承知しました。 それでは失礼させていただきます」

その場から、さっと姿を消す。

さて、ここからだ。

大魔王の城を後にすると、他のバアル達と話す。

皆、あまり機嫌はよくなさそうだ。

「言葉遊びの果てにわれらをまとめてコントロールし、それで人間に試練を与えるとかいうくだらん計画を天使どもが?」

「今の時点ではその可能性が高いと言うだけだ。 或いは誰かが別にそれを考え出して、天使どもはそれを利用しただけの可能性もある」

「くだらん!」

不快そうに言ったのはベルフェゴールだ。

最近はトイレに座った老悪魔のイメージがついてきているベルフェゴールだが、元々はそんな悪魔ではなかった。

なんでトイレとぼやいている姿も時々見られる。

人間の思念に縛られると、こういう訳がわからない姿にされることもあるのだ。

バエルが嘆息した。

「我々は人間とともにあっただけなのにな。 生け贄の風習は確かによくなかったが、どうしてここまで同じバアルであった四文字の神におとしめられなければならないのか」

「自分は正しいと人間が言うには、他の全てが間違っているとする必要がある。 ただそれだけのことだ」

「……」

バエルは悲しそうに三つの頭全てで頭を垂れる。

咳払いしたのは、アドラメレクである。

「それでベルゼバブ殿、我らの助力は必要でしょうか」

「いや、不要だ。 ライドウが引いたと言うことは、恐らくはゆがんだ形でカナンのバアルがよみがえる恐れはない。 後始末をまとめて、レポートを書いて出すだけ。 それはわしがやっておく」

「すまないな、色々と」

バエルが悲しそうに言う。

バエルも一神教の悪魔としてはそれなりに高名だが、別に元は邪悪の権化でもなんでもなかったのだ。

どうしてこんな扱いを受けなければならないのか。

そう嘆く気持ちは、ベルゼバブにもよくわかるのである。

ともかく解散してもらう。

そして、これから。

まずは地上に出て。色々と、忙しく動き回らなければならなかった。

 

朝日を遊園地に連れて行く。

人混みはまだ苦手だと言って、双葉は一緒に来るのを拒否。

現在の不景気だとあまり遊園地だって人気ではないのだが。それでも人はそれなりに来ている。

朝日はどうにか歩ける、くらいなので。

基本は手を引いて、一緒に見て回ることになる。

部下も連れてきているが、遠くからの監視にとどめている。

幼い子供は、いきなり飛び出したりすることがある。

それで遊園地で迷子にでもなられたら、色々困るのだ。

「おとうさん、あれ乗りたい!」

「おう、あれだな。 なになに、エキサイティングマウンテン? 二時間も待つのか……」

「二時間?」

「すまないな朝日。 あれに乗るには時間がかかるが、それでもいいか?」

それに問題がもう一つある。

あれはジェットコースター系のものだが、確か身長制限とかがあったはずだ。調べてみると、朝日は残念だが少し足りない。

それを告げると、思い切りむくれる。

「すまない、まだ朝日の背丈だと乗れないのだ」

「どうして!」

「背が足りないと、危ないんだ」

「むー!」

機嫌を損ねたか。

仕方がない。

アイスでも食べさせてやる。不機嫌だった朝日だがアイスを見ると多少は機嫌を直してくれた。

ほっとする。

今のこのときだけは。

ベルゼバブも、娘の行動に一喜一憂する父親である。

たとえ血がつながっていなくても、相手が人間でなくてもだ。

連絡が来た。

雇っている例の探偵をしている悪魔からだ。

朝日がアイスを食べているのを横目に、スマホを操作して、人間ではあり得ない速度で文字を送り、やりとりをする。

わざわざ文字を打つなんて迂遠なことはせず。

スマホに干渉して、そのまま文字をメッセージとしてやりとりする。

この程度は。

情報生命体であるベルゼバブにはたやすい。

「調査を進めていますが、今八咫烏の息がかかっている警官が多数動いています。 例の天翔会には目もくれずに、東京のあちこちにある霊的な要所を調べているようですね」

「家康公が南光坊天海に指示して配置したという例の奴か」

「そうです。 四天王もそれに応じて、何やら動いているようです」

だとすると、思ったより大事だ。

四天王は仏教における四柱の守護神達で、よく方角守護のために用いられる。その点では、道教における四神と同じだ。

東京では霊的な要地に寺を建てていて、四天王がそれぞれを守護している。

これが強力な結界を作っており。

それらが健在なうちは、四文字の神だろうが、ルシファー様だろうが、うかつに手は出せない。

壊す方法はいくつかある。

結界を狂わせたり。四天王を倒したり。

或いは核ミサイルなどで、物理的に結界を破綻させたり、などなどだ。

いずれにしても極めて乱暴な方法であり。

それで結界を破ったところで、東京をどうするのかという問題もある。

ただ、東京都民をまとめて生け贄にすれば、まあ大体の神格は呼び出せるだろう。四文字の神も例外ではない。

だから今までにルシファー様の配下や、或いは大天使が。

東京を巡って、色々とろくでもない陰謀を繰り広げてきた歴史がある。

それで八咫烏も、ぴりついている訳だ。

「他にわかったことはあるか」

朝日の口の周りをハンカチで拭いてやりながら、もう一つの手でスマホ操作を続ける。マルチタスクはちょっと苦手なのだが。まあ情報生命体なので、電子戦関係だったら難しくない。

スマホみたいな電子機器は悪魔にとっては完全にカモなので。

はっきりいって使いこなすのは難しくもなんともなかった。

「少なくとも破綻をこれから起こすのは難しいと思いますね。 日本神話系の神々も健在ですし、国際情勢も色々きな臭いといってもそれでも即座に衝突するほどではないと見て良いでしょう。 各国の核ミサイルを天使達が抑えているのは周知ですが、それをいきなりぶっ放すとしても今は機ではないと思いますね」

「同感だが、もう少し調べてくれ。 わしもレポートを書かなければならないからな」

「わかりました」

連絡を終える。

朝日は多少機嫌が直ったか。

いくつかのアトラクションを楽しんだ後、水族館に行く。

動物園よりすいている上に、良くも悪くも陸上の悪魔であるベルゼバブとしても、見ていて興味深い生物がたくさん展示されている。

節足動物は地球のありとあらゆる場所に進出したが。

昆虫は海にだけはほぼいない。

どうしても蠅と結びつけられてしまうベルゼバブとしても、海の世界の生物はとても興味深い。

朝日は静かにしなければいけないと言い聞かせると、ちゃんと聞く。

まあ、いつもきちんと構ってやっているからだとは思うが。

まあ、それでも苦労は絶えない。

夕方になって、家に戻る。

既に疲れて寝ていた朝日をベッドに寝かせると、夕食を作る。

双葉にも料理は教えようとしたのだが。

とても食べれるような代物を作れなかった。

まあ、双葉はとてもスペックが高い子なので。

料理ができなくても、別に構わない。

「おっちゃん、朝日は喜んでた?」

「ああ。 ただ、なんとかマウンテンとかいうのに乗れなくてな。 再来年くらいには、多分乗れるだろう」

「ああ、あのえげつないGがかかりそうな。 あたしはああいうの苦手っすわ」

「まあ、苦手なことは仕方がない」

人間の間でも、ストレス発散にいいという意見と、できれば乗りたくないという意見に分かれるらしい。

ベルゼバブはどうしてこれがいいのかよくわからないし、乗っても怖くもなんともないので。

まあ虚無の時間を過ごすだけなのだが。

まあ朝日が喜んでくれるならそれでよかった。

今日はそこそこ奮発して、それなりにいいものをだす。

朝日はもう夕食を帰り道で済ませたが、それは力尽きることをベルゼバブが予想していたからだ。

遊園地をいやだといっても、一日放っておいた双葉にある程度面倒を見るのも、今のベルゼバブの仕事ではある。

双葉はそれに、放っておくとジャンクばかり食べるので、こうやってちゃんとしたものを食べさせないといけない。

しばし夕食を食べてもらってから、軽く話す。

「双葉からみてこれといった事件はあったか」

「いや、特に気になることはなかったかな。 国際情勢は相変わらずみたいだけど。 国会中継とかコントだし」

「はっはっは。 あれを見て民主主義より専制主義がいいとかいう人間もいるが、専制主義はあれよりもっとひどいぞ」

「見てきたようにいう。 いや、おっちゃんだったら見てきてたりして」

にししと双葉が笑う。

ベルゼバブが情報通なのを、こういう風に時々揶揄してきているのだが。

最近は本当に見てきたかどうか、探りを入れているようにも見える。

双葉は人間関係の構築が上手ではなくて、三者面談とかで教師に色々と言われたりもする。

勉強はものすごくできるが、もうちょっと協調性を持つようにしてほしい、と。

その協調性とやらは、スクールカーストとかいう代物を受け入れて、クラスの「一軍女子」とやらのご機嫌をひたすら伺い、目をつけられないようにすることか。

そう指摘すると、教師は黙り込んだっけ。

双葉は不登校気味だが、クラスにあるえげつない上下関係を強いるスクールカーストをとことん嫌っており。

勉強だけして成果を出して、後は誰とも口を利かないことを信条にしているようである。

双葉は家庭が最悪な状態で破綻して、その後引き取られた先で散々虐待を受けたこともある。

大人のことは信用していないし、同世代の人間なんか敵にしか見えていない。

助けるのがもう少し遅れていたら、もっとハッカーとして危ない橋を渡るようなまねをしていたかもしれない。

おそらく中学はろくな内申を書かないだろうが。

双葉にやらせたIQテストで、尋常ではない数値をたたき出していたこともある。

最悪、米国の学校でも紹介してやるつもりだ。

何もろくでもない学校で、我慢しなければならない理由はない。

双葉はそういうベルゼバブの意図を理解しているのはわからない。

ただ、気を許してきているからこそか。

裏切られるのが、怖いのかもしれなかった。

「とりあえず、また軽く仕事を頼むかもしれない」

「うっす。 でも、今度は何をもらおうかなー」

「あまり高いものは困るぞ」

「にしし、わかってるって」

まあ、今の時点では関係が破綻することはないか。

ただ、双葉は頭が良い。

ベルゼバブからぼろを出さないように、今はとにかく気をつけなければならなかったが。

 

数日、畑をトラクターで耕しながら、情報を集める。

やはり四天王寺の辺りをずっと八咫烏と、関係する警察が洗っていたようだった。

まあ、今の時点では気にしなくてもいいだろう。

問題は、これからである。

部下から連絡が来る。

というか、直接部下が来た。

トラクターに蠅が止まる。

かなり大きな蠅だ。

ゾロアスター教の悪魔であるドゥルジだ。

蠅を司る存在として、互いにある程度意識し合う存在だったのだが。今では部下に入れている。

神格としての古さは相手の方が上だ。

それもあって、あまり雑には扱えない相手でもある。

「ベルゼバブ、子育てごっこを楽しんでいるようだな」

「そうだな。 昔からだ。 人間とある程度混じって過ごすのは楽しいぞ。 今はあの子らが、立派に大人になって、結婚していくのが楽しみだ」

「ホホホ、それで悪魔としての覇気も維持しているのだから面白い。 すっかり腑抜けになっているようだったら、あの娘らを食ろうてやるのも一興なのだが」

「朝日と双葉に手を出してみろ。 どのような目にあうか、わかっておろうな……」

本物の殺気が一瞬ぶつかり合うが。

ふっと引いたのはドゥルジである。

さすがはこの辺りは超が着くほどの古豪。

ベルゼバブも手を焼くほどの古参悪魔だ。

「冗談だ。 それで、進展があったぞ」

「うむ、聞かせてくれ」

「今回の件、動いていたのはどうやらファントムソサエティからもはぐれたデビルサマナーの一人であるらしくてな」

「ファントムからもか」

強ければなんでもいい。

そんなカオス勢力特有の、アホらしい理念に基づく動きをするのがファントムソサエティだ。

だから強い奴はどんな外道だろうが受け入れられる。

そういうのを見ていると、ベルゼバブは違うだろうとため息をついてしまう。

しかもだ。

そんなベルゼバブも呆れるような組織から放逐されたというのか。

「一体何をそいつはやらかした」

「幹部の女を寝取ったそうだ」

「くだらん……」

「ああ、全くだ。 万年発情期の人間らしいな」

ドゥルジもどちらかというと不義とかを司どる悪魔なのだが、それでも限度があるというものだ。

そしてこの手のただれた行動をする輩を、人間は「人間らしい」だの「格好良い」だのと賞賛する傾向がある。

苦労して法治主義を発展させても。

どうしても行き渡らない理由である。

ともかく、ずっと皆アホに振り回されていたわけだ。

踊る阿呆に見る阿呆とはこのことか。

たまに行動力がある阿呆が、とんでもない事態を引き起こしたりするものだが。

これはその典型例だといえる。

カナンの歪んだバアルも、こんな形で復活させられたらたまったものではなかっただろう。

ましてや、ベルゼバブ達まで、それに巻き込まれる可能性があったというのか。

「そのアホか。 ベルがどうのとかいう下らんことを言い出したのは」

「正確にはそのデビルサマナーが、配下の悪魔達と連携して、少しずつ動いていたようだな。 それが元々あった亀裂に作用して、今回のような大騒ぎになってしまったようだ」

「……」

堤防は蟻の穴から崩れる、という奴か。

元々色々あった亀裂に、うまい具合にそいつの行動が合致してしまった。

或いは言葉を用いる呪術の専門家であったのかもしれない。

「で、そいつは」

「既に死んだようだ。 天使が恐らくは、計画だけ奪って始末した。 ただし、その動きの全てまでは天使も把握できていなかった。 だから、計画だけを奪ったつもりが、バアルが後になって変な形でよみがえりかけたのであろうよ」

「……」

なるほど、それはライドウも短時間ではわからなかったはずだ。

ベルゼバブも内心呆れたが。

ともかくドゥルジを下がらせる。

ドゥルジは配下の悪魔を蠅の権化として大量に従えており、情報収集という観点では類を見ない。

だから不遜な物言いをしても、ある程度は寛容に振る舞わなければならない。

ただ、一応双葉と朝日に連絡は入れておく。

双葉は午前中は家で、午後から気が向いたら学校に行くと言っていた。

まだ家にいるようだ。

ただ遊んでいるだけではなく、勉強はきちんとやっている。朝日の世話も、してくれている。

無事なようで、安心した。

そのままトラクターを動かす。

こういうのは複数の農家で買って、順番に使っていくことが多い。

ベルゼバブは自前で持っているが、それでも他の農家に貸すことはしている。

悪魔としての契約はしない。

近所の農家にもある程度恩を売っておいて、情報源として使うためだ。意外な人間が、意外な人脈を持っている。

それはベルゼバブも、よく知っていることだった。

トラクターを、そんな農家の一人に貸して。

そして引き上げてくる。

双葉が無言で机に向かっている。

知っている。

学校に行くべきかで悩んでいるのだ。テストやそれらの類はもう片付いたようである。

双葉は頭が良い。よすぎる。

それもあって、余計に反感を買いやすい。

性格もかなりひねくれている。

だからなじみづらい。

実は、学校でテストがある日とかは、うるさい同級生に絡まれる可能性も低いので、嬉々として双葉は学校に出る。

それ以外は、本当につらそうである。

「学校まで付き添おうか」

「いや、いいよ。 おっちゃんにそんなことで迷惑かけられない。 だけど、学校に入れなくて、逃げ出しても、怒らないでくれる」

「怒らない」

「……うん」

昼寝している朝日の世話を引き継いで、そのまま双葉は学校に行く。

そして夕方までちゃんと授業を受けてきた。

散々嫌がらせをされたと、ぼやいていた。

こういうとき、なぜか親が関与するとそれは悪みたいな風潮があるらしい。そんな風潮が、学校を地獄に変えていると思うのだが。

いずれにしても、双葉は時々朝日をうらやましそうに見ている。

明確に学校で嫌われないタイプだと、なんとなしに知っているからだろう。

「よく頑張ったな」

「ひどい目にあった。 あたしに友達がいたら、こんな風にはならなかったのかな」

「友達友達いうが、実際に心を許せる対等な友人なんて、持っている人間はそうそういない。 それを持っている人間は、宝を手にしたのと同じだ。 だから、特段不幸なわけじゃない」

ちょっとフォローになっていなかったか。

ともかく、友達がいないから半人前だとか、そういうことはない。

スクールカーストの内部でガチガチに縛られている今の学校では。

なおさら友達なんてできないだろう。

「いっそ、学校以外で友達を作ってみるか」

「無理無理! 怖くて話しかけられない!」

「理不尽な学校で苦しんでる子供は意外と多い。 話があう奴がいるかもしれないぞ」

だが、知らない相手と会うこと自体が双葉が怖いらしいとすぐに気づく。

双葉は母子家庭で。

母親も同じような超がつく天才だった。

だが、その研究を盗むためにろくでもない陰謀が周りでおき。双葉の母親は殺された。しかもそれをやった連中は、双葉の尊厳を徹底的に汚すような遺書をねつ造したあげく、葬式で読み上げて笑っていたらしい。

それらのカスは、ベルゼバブが後から居場所を突き止めて、全部殺して食らってしまったが。

双葉が知らない人間を怖がるようになったのも、ベルゼバブにはわかるのだ。

「わかった。 わしが誰か知り合いに似たような境遇の同世代の子供がいないか探してみる。 それでまずはネットゲームか何かで話して、気があったら実際に会ってみると良いだろう」

「おっちゃん、大丈夫?」

「相手についてはわしが見てくる」

「……そう」

まつげを伏せる双葉。

ちょっと不安ではあるが、まあ恐らくは大丈夫だろう。

さて、大詰めだ。

馬鹿が暴れたあげくに、バアルそのものが東京に具現化しかけたと言うことはわかった。

ただ、本当に後始末が済んだかまではまだわかっていない。

ライドウの気配はない。

だとすると、もう破滅的な事態に発展するとは思えないが。

それでも、どうにかして後始末はしなければならなかった。

 

東京に出向く。

ベルゼバブ一人で、である。

配下を連れているとどうしてもばれやすくなるが、ベルゼバブ単独であったら、気配を消すのは難しくない。

四天王寺を見て回る。

異教の神の領域だ。

かなり力を削られるが、それでもどうにか見て回ることはできる。既に警察や、八咫烏の人員は引き上げたようだった。

周囲を調べる。

なるほど、わかってきた。

四天王寺の一角が、経年劣化で歪んでいる。

管理を怠った結果だ。

笑い事ではない。

一神教でも、近年は教会なんかいかない人間が増えてきていると、天使が嘆いているという話だ。

そして一神教への雑な信仰は。

天使だけではなく、悪魔にも影響を与えるのだ。

バアルへの信仰は既に絶えて等しい。

中東では一神教が、ユダヤ、キリスト、イスラムと宗派は違えどほぼ独占しており。バアル信仰はどれも徹底的に根絶された。

まあそもそも一神教がバアル信仰なのだが、それを一神教は忘れてしまっている。

多神教への攻撃性は一神教の強烈な弊害の一つであり。

おかげでベルゼバブらバアルは、悪魔への恐れという形でしか信仰心を得られない。

それは非常にまずい状態で、歪んだ形にバアルが果てていくのも仕方がないし。

一神教徒の信仰が堕落していくのは、天使だけではなく悪魔も堕落させることになるのである。

ベルゼバブが知っているだけでも、十度ほど。

ルシファー様が一旦地上に大破壊を引き起こし、人間達の数を絞るべきではないかと提案したことがある。

それらの全てが計画で止まるか。

或いは人間に阻止された。

天使は悪魔の行動を阻止するどころか、信仰心を高めるために利用しようとすることばかりだった。

そんなものだ。

これは他人事ではないな。

そう思って、ベルゼバブは修復された四天王寺の一角を見つめる。

じきに本格的な修理は行われるのだろうが。

寺そのものを観光スポットにしようとしてはいるのだろうが。

それもまた、うまくいっているとは言いがたい。

とりあえず、原因はわかった。

今は結界が歪んでいるからベルゼバブも入ることができたが、ここで悪さをするつもりはない。

なし崩しに衝突、みたいなことをして、無駄に部下を死なせる気はない。

自分の命はあまり勘定には入れていない。

人間と比べて命なんて安いものだからだ。

だからといって、部下の命を雑に扱うつもりはない。

この辺りは、人間の影響を受けているのかもしれない。

元はバアルだったのだ。

慈悲もなにもない悪魔ではなかったのだ。

それくらいは、残っているつもりだ。

一度戻る。

レポートを書くと双葉に告げて、書庫にこもる。

可能な限り精密にレポートを仕上げていくが、スマホに着信。

マルチタスクで見るが。

双葉からだった。

「おっちゃん、レポート書くときいつも苦労してるだろ。 面白い動画の詰め合わせ送っといたから、気晴らしに見れ」

「そうか、助かる」

返信を即座にすると、レポートを書き上げていく。

紙のレポートでもいいのだが。

PCに直に干渉して、そのままワープロソフトを用いて一気にレポートを仕上げていく。

このPCは双葉が組んだタワー型だが。凄まじい性能で、不満を感じたことは一度もない。

人間社会に居場所がなくなったら。

魔界に受け入れたいと思うほどだ。

ただ、双葉は頑張って人間と打ち解けたいと苦心している。

ベルゼバブが告げたのだ。

ろくでもない人間は多いが、なかにはまともな人間もいる。

だから、諦めないで頑張ってみるといい。

そう告げたのが、大きかったのかもしれない。

だが、対人関係は運だ。

特に今の社会は、善良な人間ほど搾取されやすくなっている。真面目な人間は馬鹿の代名詞となりつつある。

それもあって、まともな人間が減っているのも確かだ。

双葉が運を引き当てることができれば良いのだが。

そう、心配になる。

動画は見るのではなく、ベルゼバブは情報で摂取する。

なかなかに面白い動画が確かにそろっている。

今でも新しい文化は生まれ続けている。

それを理解できて、面白い。

ただ、どうしても刹那的な文化がはやっているようにも思うので。ベルゼバブは、それはもったいないと感じるが。

黙々とレポートを仕上げながら、部下に食事を作るように指示を出しておく。

信頼できる部下だ。

双葉も最初は怖がっていたが、今では顔を見るなり姿を消す、などと言うこともなくなった。

「仕上がったな」

レポートが上がった。

後はこれをルシファー様に直に提出するだけだ。

伸びをする。

まあ、以降問題が発生することはそうそうはないだろう。大きめの問題が発生すると、それで結構ロウもカオスも、力を使うものなのだ。

提出はすぐではなくてもいい。

とりあえず、後は双葉と朝日の面倒を見るか。

書斎から出て、レポートが終わったことを告げる。双葉は朝日にゲームを教えていたが。

いきなり双葉がやっているような難しいオンラインゲームではなく、簡単な知育系のものから教えているようだ。

知育系の玩具も与えたのだが、朝日は素の頭が良いらしく、結構早くに解いて飽きてしまう。

それもあって、今ではオンラインでのIQテストや知育系のゲームを探してきては、一緒に遊んでいるようだった。

「おねいちゃん、これわからない……」

「もう少し頑張ってみろ。 ヒントはだな。 ここに注目するんだ」

「こうやって、こう?」

「おお、いいぞ。 その調子だ」

割と良いお姉ちゃんをしているので、目を細めて様子を見る。

双葉も悲惨なことにならなければ、恐らくはもう少しまともな家庭環境で頑張れたのかもしれないのに。

そう思って、少しだけ悲しくなった。

ともかく、無言で夕食の準備に取りかかる。

色々片付いたので、今日は奮発するとしよう。

それなりに料理のレパートリーはある。

だから、二人が不満を口にしたことはなかった。

明日は魔界に行って、レポートを提出してくる。

それで、しばらくは穏やかに生活できるだろう。そう、ベルゼバブは判断していた。

 

4、バアルはまだ闇の底に

 

ルシファー様に電子データとしてレポートを提出する。

勿論情報生命体なので、ぱっと目を通して、それで終わりである。

頷くと、ルシファー様は頬杖を突きながら、ベルゼバブに言う。

「問題が悪化するようならば、いっそ私が出ることも考えていたのだがな」

「恐縮です。 引っかき回した方がよかったのであれば、わしがそうしたのですが」

「いや、よい。 ライドウが来ていたのだろう。 引っかき回す判断をしていたら、お前が討ち取られていたかもしれなかった。 ライドウは強いぞ」

「ええ、確かにあれほど強い人間はそうそう見ませんな」

軽く話してから、退出する。

それから、バアルであった悪魔達と、軽く話した。

アドラメレクが、不愉快そうに言う。

「時にベルゼバブ、貴方は人間を飼っているそうですね。 供物とするつもりなのであれば、どう育てるのか教えてくださいな」

「死ぬか?」

「おっと。 気に障ったのであれば失礼」

「二度とそのようなことを言うなよ。 わしが人間の面倒を見ているのは、わしの勝手だ。 わしが面倒を見ている人間は、わしの大事なものだ。 もしも手を出したりしたら、千々に引き裂いてくれる」

それは敢えて聞こえるように、他にも言っておく。

バアルだったことよりも、一神教での悪魔扱いに引っ張られて、誇りを失ったものは多いのだ。

ただの獣同然に落ちてしまったものもいて。

ベルゼバブはそういったバアルを見ると、嘆いてしまう。

アドラメレクもそういった堕落傾向が強いバアルの一柱だ。

もとは太陽神だったのを、誰が信じるだろう。

バエルが咳払い。

魔界に落とされたバアルの中ではベルゼバブと並ぶ長老格だ。

だから、言葉には重みがある。

「時にベルゼバブよ、地上を引っかき回す判断はルシファー様は口になさっていたか」

「いや、今回はライドウが出てきていたでな。 撤退の判断は正しかったとおっしゃっておられたよ」

「そうか。 我らが再び神として信仰を受け、元の姿を取り戻すのはいつになるのだろうな」

「わからん。 悪魔合体の秘技を使えば或いは……」

悪魔合体。

人間が作り出した悪魔を合体させ、それによって姿を変えたり、新しい悪魔に変える秘術。

今ではこれを活用して、地上に具現化したり。

或いは古い姿を取り戻すことをもくろんでいる者もいる。

例えばアスタロトは、昔これによってイシュタル神としての姿を取り戻し、今ではそれを為したデビルサマナーを寵愛しているそうだ。

イシュタルに寵愛された男はだいたい悲惨な末路をたどるのだが。

そのデビルサマナーが女だったこともある。

意外とうまくやれているそうである。

「ただあれは、デビルサマナーが強大でないと、話にもならんからな。 わしを従えられたデビルサマナーも、数えるほどしかおらん」

「そうであったな。 我々ほどになると、ごくわずかか」

「人間に期待しなければならないのも癪ですね」

「その人間に信仰されたいのだろう。 少しは柔軟に考えろ」

やはり堕落傾向があるアドラメレクに釘を刺しておく。

それで、一旦解散して、家に戻る。

魔界の奥底には、まだまだバアルがいる。

もう名前を失ってしまったものも。

信仰がどういうものだったか忘れてしまったものさえも。

精神生命体は、人間からの信仰を失えば、ただの獣と化してしまうことが多い。古代神格から、信仰を経て変遷していくのが神々だが。

それでも、なくなってしまうのは致命的なのだ。

地上に戻る。

家で、双葉が誰かとボイスチャットで親しげに話していた。

勿論邪魔をするつもりはない。

エプロンを着けて昼飯を作り始める。今日は土曜だし、どこかに二人と出かけたいものだが。

畑仕事は、二人とも嫌がるだろう。

ボイスチャットが終わった。

「双葉、昼飯のリクエストはあるか」

「なんでもいいぞ。 おっちゃんのおいしいし」

「おいしいー!」

朝日がうれしそうに言うので、目を細める。

蠅の王がこうして料理を人間の子供のために作っているのは、おかしなことに見えるかもしれないが。

古くは神と人間は信頼関係にあった。

祈りに答えて豊作や富をもたらす。

そういう簡単なものだった。

だが、人間が政治に利用するようになってから、あり方は変わっていった。

ベルゼバブは、こういった状況にいると。

古き神であった頃を思い出すのだ。

奮発してオムライスを作る。

ケチャップで絵を描いてほしいと朝日に言われるので、うさぎさんを描いてやる。これも練習したのだ。

「相変わらず引くくらいうまいなおっちゃん」

「そうか。 まあ練習したからな」

「一瞬おっちゃんがメイド喫茶で働いているの想像しちゃったよ。 なんてもの想像させるんだ」

「そう言われてもな。 ほら朝日、ゆっくり食べなさい。 双葉は何かリクエストはあるか」

いらないと言われたので、そのまま出す。

誰と話していたのかと聞くと、オンラインゲームで知り合った人間らしい。同じように引きこもりがちだが、話していて頭は同じくらい良いことが伝わるので、気が合うという。

同性で同年代と言うこともあり。

FPSとかいうゲームで共闘しているうちに気があって、それでたまにそれ以外でも話しているそうだ。

「ただ、向こうがぐいぐい来て、結局なし崩しに話し始めたんだよなー。 それに、まだ正直信用できない」

「ゆっくり見極めていけば良い。 今はそうする時間だ」

「そっか。 おっちゃん、優しいな」

「大人としてのアドバイスだ」

人間は自分の価値観でしかものを見ない傾向が強い。

少し前の事件でも、人間が見たいようにものを見ることを利用した問題が起きていたっけ。

それは介入する必要もなかった。

いずれにしても、今ベルゼバブは。

小さくとも、人間の信頼を受け。

人間に施しをする。

古いバアルの形であることができている。

それで十分だ。

「連絡だ。 二人とも、たべていなさい」

席を外すと、連絡を受ける。

問題かもしれない。

まあ、何があっても、二人を巻き込むことはしたくはないな。

そう電話を受けながら、ベルゼバブは考えていた。

 

(終)