混沌との決着

 

序、苦渋の決断

 

闇夜の中、巨大なコンクリートの建物が姿を見せる。

背丈はさほどでも無いのだが、森の中に浮かび上がるその姿は、正に圧倒的。一昔前まで存在していた、要塞と呼ばれるものに近い。

これから、ジョーが攻略しなければならない敵拠点だ。

木陰に隠れたまま、ジョーは装備の最終点検に取りかかった。メインウェポンとして持ち込んでいるアサルトライフル、FN SCARは問題なし。弾丸は、必要ない。ジョーの能力で補うことが出来る。

スターライトスコープで、要塞の周囲で警備をしている相手の様子を確認。

人間としか思えない存在だが。しかし、その異様な出で立ちが、尋常な人間では無いと教えてくれる。

その衣服は。

西洋の歴史の汚点。最悪の独裁政府、ナチスドイツのものだ。ナチスの関係者は未だに生きている者もいる。だが、あのように巨大な要塞を、しかもこのフィールド内に建設することなど、不可能だ。

つまりアレは、人では無いとみて良いだろう。

人間の歴史は常に血塗られている。

殺し合いに始まり、殺し合いに終わる。人間という生物の精神はまるで進歩しないのに、技術ばかりがそうやって進んでいく。相手を如何に効率よく殺せるか。それが、文明の発展に大きく寄与してきた、基礎原理だ。

そして、この世界では。

能力を持つ者と持たざる者が、長い歴史の間、ずっと対立を繰り返してきた。

現在、軍でも入ることが不可能な異空間、フィールドと呼ばれる人外の土地が世界中に存在する。其処を攻略する事を生業としている者達を、フィールド探索者と称する。彼らは多くの場合特殊な能力を持ち、通常の人間とは比較にならない戦闘能力を有している。

しかしフィールド探索者は、通常の人間に比べて、数が圧倒的に少ない。両者の水面下での争いは、総合的には互角。

結局現在では、長年の苦労の末にどうにか同化政策が採られているが。皆の奥底には、厳然とした対立意識が渦巻いている。

だから、こういった事例は、特例の面倒を呼び込みかねない。

可能な限り迅速に処理する必要がある。あまり大勢のフィールド探索者を、此処に投入するのも難しい。

厄介だな。

ジョーは呟くと、状況を更に細かく確認していく。

手榴弾はまだかなりストックがある。

しかし、内部に潜入するとなると、すぐに使い切ってしまうだろう。そんなことよりも、問題は、敵の人数がかなり多いという事だ。

潜入するにしても、敵は油断が無い。非常に重厚かつ緻密な、万全と言って良い警備を敷いている。見た感じ、かなり旧式の武器を使っているようだが、それでもジョー単独で制圧するのは難しい。此方は近代兵器を持ってきているとは言え、相手は人数が多い上、人間では無い。弾丸を浴びても、一発や二発なら耐え抜く可能性が高い。急所を貫かないと倒せないだろう。勿論、少人数が相手なら、即死させる自信もあるが、支援が無い状態で要塞に守られた敵を相手にすると、厳しいと言わざるを得ない。

内部に潜入する方法は無いか。

監視のローテーションを割り出すべく、木陰を廻りながら、観察を続ける。

だが、やはり人間では無いからか。ローテーションがどうも読めない。体力が並の人間とは比較にならない可能性が高い。

様々な角度から、要塞を確認する。だが、まるで侵入する隙が見いだせない。

内部に控えている人数も、監視に当たっている兵士の様子を見る限り、百や二百で足りるかどうか。

この状況で攻撃を仕掛け、敵を制圧するのは、映画に出てくる特殊部隊の超人でさえも不可能。ましてや、あの要塞の奥には。最悪の場合、近年この星で活動を活発化させている、異星の邪神と呼ばれる存在がいる。消耗しきった状況で、邪神にぶつかったらアウトだ。

そもそも今回の目的は、威力偵察であって、攻略では無い。偵察の結果、抜き差しならぬ状況である事が判明してしまったから、ジョーは悩んでいた。

しかし、時間が無いのも事実。出来れば、攻略はしておきたかったのだが。この戦力差は、かなり厳しい。

時計を見て、引き上げることを決断。

増援を加えて叩くべし。それも、信頼出来る少人数だけで、可能な限り時間を短縮して。

敵歩哨が手にしている銃は旧式のものだが、それでもどのような改造がこのフィールドで行われているか分からない。このまま攻撃して、突破できる可能性は著しく低い。此処でジョーが死ねば、それが確認されるまでの時間が、大幅なロスとなってしまう。

自分が傷つくことよりも、ミッションの失敗の方が、ジョーには懸念事項となる。それが本職の戦士としてのあり方だと、思ってもいる。

音も無く、ジョーはその場を離れる。

既に敵要塞の規模と、敵の配置は頭に入れている。これから増援を加えて叩くのならば、攻略は最小限の時間で出来るはずだ。

密林を抜けると、突然荒野に出る。

この突拍子も無い空間構成こそ、人外の土地であるフィールドの証。

敵を警戒しながら、可能な限りの速度で戻る。

出口が見えてきた。こういう所が、一番危ない。狙撃手が潜んでいる可能性もある。ましてや此処は、何があってもおかしくない空間なのだ。

狙撃を行いうる場所を徹底的にチェックしてから、その場を離れる。

空間の外に出ると、国連軍の兵士達が待っていた。

荒野から、一転である。

町中の、軍ベースの中に出る。周囲は鉄条網で覆われており、プレハブの兵舎が林立していた。

この理不尽さがフィールドの特色だ。その中と外では、根本的に世界が違っているのである。

此処はP国の片田舎。

今回のフィールドは、発生してすぐに対策が開始された。国連軍が動き、たまたま近くにいたジョーが呼ばれたのだ。

戦闘態勢をとき、銃を下ろす。ようやく、多少は緊張を緩めることが出来る。フィールドの出口から急ぎ足で離れながら、ジョーは携帯電話を取りだした。時計代わりにも役に立つ。

偵察開始から、七時間が経過していた。

「お疲れ様です。 攻略はどうなりましたか」

「敵の規模が大きく、攻撃は難しい。 増援を加えて、一気に攻略する」

すぐに、C社に連絡を入れた。

この世界、フィールド探索者達は、仕事を得るため、更には身を守るために。フィールド探索社と呼ばれる企業体を作っているのが普通だ。

ジョーが所属しているC社は、世界最強のフィールド探索者であるMが所属するN社につぐ規模を誇り、人脈も広い。

営業の人間を、すぐに携帯電話を使って呼び出す。

待機していたらしい営業は、すぐに出た。

「ジョーさん、首尾は」

「単独での攻略は極めて難しい。 増援を」

「分かりました。 10時間ほどで、そちらに二名が到着します」

名前を聞いて、一人に関してはなるほどと納得。

つまり、上層部は。

異星の邪神が絡んでいる可能性が大きいと、判断したわけだ。

すぐに会議が行われ、国連軍の司令官らに、フィールドの内部状況を説明する。主に荒野が主体だが、中心部は密林。完全武装した人間に見える住人が多数存在しており、中心部には密林と要塞が存在する。

何カ所かにはクレバス状の崖があり、トーチカらしき構造物も。

トラップも多数存在していた。

「トラップの確認もしていれば、おそらく既に侵入には気付かれているだろう」

「スーパージョー。 あんたの腕でも突破は不可能か」

「不可能では無いが、著しく可能性は低いと判断した。 確実にフィールドを攻略するためには、増援を加えて一気に叩くのが望ましい」

司令官が鼻白むのが分かった。

スーパージョーというのは、ジョーのあだ名だ。フィールド探索者にはいわゆる二つ名が外部から付けられることが多いのだが、その一つ。

貧弱な能力にもかかわらず、歴戦の経験で難関フィールドを攻略してくることから付けられた名である。

それを知っているからこそ、司令官は不快そうなのだろう。

「十時間後に、増援二名が到着する。 それまで休憩して、英気を養う。 何かあったら、携帯に連絡して欲しい」

「分かった。 しかしあんたはスーパージョーなのに」

「超人兵士など、映画の中にしか存在しない。 ミッション攻略の可能性を上げるのは、当然のことだ」

一刀両断にすると、ジョーは与えられているプレハブの宿舎に戻った。

ベットに横になると、すぐに眠ることが出来る。

どこでも眠ることが出来るが、これは訓練の成果だ。一眠りしてから食事を済ませ、顔を洗ってリフレッシュする。

時計を確認すると、予定通り丁度八時間が経過していた。

与えられているデスクに向かい、攻略のプランを策定する。敵が気付いていれば、当然重厚な迎撃陣地を構築しているとみて良い。此方に来る二人の戦闘力を加味すれば、正面から蹴散らすことも不可能では無いが。

だが、それでも。さらなる危機が訪れる可能性も高い。敵は可能な限り効率的に削るべきだ。

一時間ほどで、作戦の策定が終わる。

後は、増援が来たら、可能な限りの速度で攻略を終わらせなければならないだろう。

いずれにしても、増援に、異星の邪神は任せてしまうことが出来る。敵軍の攻略だけを念頭に動けば良いので、ジョーの負担はかなり小さくなった。

正面突破さえ、可能かも知れない。

どの作戦を採用するかは、既に決定した。

後は増援が来るのを待つだけだ。

それにしてもこの無理な作戦、あの時を思い出す。母国とF国が代理戦争をした、あの地獄を。

戦場には英雄などいなかった。

それなのに、英雄に祭り上げられたあの戦い。ジョーはあの時、戦争には何も美しいものなどないと、悟ったのかも知れない。

だが、結論として、ジョーにはこれ以外出来ることがない。

生きていくためには、戦場に身を置くしか無いと言う矛盾。ジョーの人生とは、一体何なのだろう。

携帯電話が鳴る。

どうやら、来たようだった。

「援軍が到着しました」

「すぐに向かう」

ヘリのローター音は、此処からも聞こえている。予想通り、輸送ヘリを使って此処まで来たか。

すぐにヘリは着地。

現在、国連軍は色々とおかしな事になっている。内部告発が行われ、事もあろうに一部が異星の邪神とつるんでいたことが判明。誰が具体的に関与していたのかの洗い出しが進む一方、告発の切っ掛けとなったフィールド探索者との緊張状態が悪化している。

元々、国連軍は現在こそフィールド攻略で副次的な役割を果たしてくれてはいるが。フィールド探索者とは、長年の抗争の歴史がある。

いつ、また火花を吹いてもおかしくない状態だ。

ヘリがそんな中、すぐに動いてくれたのは嬉しい。国連軍の中には、上層部の権力争いを苦々しく思っている者も少なくない。

そういった気骨ある者達が、率先して動いてくれたのだろう。

ヘリのパイロットに敬礼して、増援を出迎える。

一人は十代半ばに見える女性。アジア系だから、余計に若さが目立つ。もっとも彼女の場合、実際にはジョーと同年代だ。

スペランカー。

絶対生還者、神殺しの二つ名を持つフィールド探索者である。非常に貧弱な肉体能力しか持ち合わせていない上、頭も決して良いとは言えない。反面、その所有する凶悪な能力によって、幾つものフィールドを叩き潰してきた立役者だ。

しかしその本当の恐ろしさは、たとえ相手が邪神であっても、コミュニケーションを成功させる柔軟な思考にあると、ジョーは見ている。

実際スペランカーの周囲には、多くの人間が集まっており、ジョーも悪い印象は受けたことがない。今は以前攻略した浮遊大陸アトランティスの事実上の指導者として、各国からも着目されている存在だ。

「ジョーさん、お久しぶりです」

「ああ。 もう一人は」

「すぐに来ます」

スペランカーはあまり戦術の知識も無く、戦闘では活躍を期待出来ない。ただし邪神に対しては絶対的なアドバンテージがあるので、其処まで送り届ければいい。敵に拘束されることだけ気をつければ、問題は無いだろう。

もう一人は、バリバリの武闘派だ。

ジープが、ベースの脇に付ける。どうやら、急ぎで駆けつけてきたらしい。近場にいるとは聞いていたが、確か仕事中だったはず。

営業が話を付けてくれたのだろう。

ジープから、がしゃんがしゃんと音を立てて降りてきたその男は、中世の騎士といった出で立ちだ。重厚なプレートメイルを身につけ、腰には剣をぶら下げている。

現在、E国における最強のフィールド探索者。サー・ロードアーサー。

本物の爵位を持つ「騎士」である。悠然たる髭を蓄えたアーサーは、ジョーを見ると上機嫌に右手を挙げた。

「おお、スーパージョー。 久方ぶりであるな」

「元気なようで何よりだ。 仕事は」

「既に片付けてきた。 幸い、楽な内容であったでな」

からからと豪快に笑うアーサーだが。

しかし、ジョーは見抜いていた。おそらく、連戦の疲弊がある。だが、今回のフィールドはスピード勝負だ。彼にも休憩無しで出てもらわなければならないだろう。

アーサーは超一流のフィールド探索者で、今回の任務でも主力として戦ってもらわなければならない。

疲弊が溜まった状態だが、今回は休んではいられないのだ。もしも長引くと、色々と面倒な存在が動く可能性が高いのである。

すぐにミーティングを始める。

会議室に来てもらい、ジョーが作成したフィールドの地図を見せる。更に、作戦についても説明する。

会議に参加している軍人達は、皆不満そうだ。無理もない。

軍はあくまで補助。

今回のフィールドは、村のすぐ側に出現した。その際に避難を行い、住民が入り込まないように周囲をベースで囲んだ。

後は前線で戦う者達のために、物資を補充。

その立場がつらいことは、元軍人であるジョーもよく承知している。だが、今のまま世界が動くと、極めておかしな事になりかねない。

国連軍の上層の中には、ジョーに密かに接近しようという者まで出てきている。実際、幾つかの話を、今まで断ってきた。

会議はジョーが滞りなく進め、作戦も説明し終える。

スペランカーが小首をかしげていた。此奴は頭が悪いが、勘は鋭い。或いは、気付いたのかも知れない。

この作戦には、大きな裏がある。

これから攻略しなければならないのは、ただのフィールドでは無いのだ。

「以上。 これより作戦遂行する」

立ち上がり、ジョーは軍式の敬礼をした。

一刻も早く、フィールドを解体しなければならない。一度戻ったことで、大きな時間のロスが生じた。

此処からは、寝ている暇も無い。

全力で、敵陣を突っ切らなければならなかった。

 

1、荒野の旗

 

フィールドの内部は、冷たい風が吹きすさんでいた。風の中には細かい砂が含まれており、迂闊に目を開けることも出来ない。

荒野。

フィールドに入ってすぐに出迎えてくれる、荒涼たる地形。周囲は森が鬱蒼とした、シュバルツバルトの名残だというのに。この辺りの異常性、理不尽さが、正にフィールドそのものだ。

ヘルムの庇を下げながら、アーサーが周囲を見回した。

フィールドに入ったばかりだというのに。

敵の動きは、予想以上に速い。

「スペランカー殿、頭を下げられよ。 弾丸が飛んでくる」

「え?」

「とうに囲まれておる」

アーサーが手を振ると、周囲に無数の盾が降ってきて、地面に突き刺さる。アーサーの能力、ウェポンクリエイト。自分の体重以下の質量なら、武器を自在に作り出す事が出来る。勿論体力をその度に消耗するらしいが。

瞬く間に、遮蔽物が無い荒野に簡易陣地が作られる。

流石だ。世界でもトップレベルのフィールド探索者の実力は伊達では無い。あの最強の男、Mでさえ一目おくだけのことはある。

ジョーは降ってきた盾の一つに身を隠すと、此方に来るように誘導。

周囲を囲んでいる戦力は、軽装備らしい。足音、気配、話し声、それら全てから、情報をかき集めていく。

戦車の類は、今のところいないようだ。

スペランカーの足下に、いきなり銃弾が突き刺さる。

アーサーが、更に盾を増やした。

「ふむ、狙撃手の腕は、さほど良くないようであるな」

「だが数が数だ」

「蹴散らすか」

「慎重に対応する」

持ち込んできている銃は、アサルトライフルに、拳銃二丁。これに加えて手榴弾と、レーションを数日分。さほどの重装備は、持ち込むことが出来なかった。せめてロケットランチャーや対物ライフルくらいは持ってきたかったのだが。

ただし、今手にしているFN SCARは、7.62x51mm NATO弾仕様の大口径型。多少の怪物程度は、腕次第で充分に仕留められる。フィールド内には様々な怪物が跳梁跋扈している事が多く、このフィールドでも人型の連中の正体は怪物である可能性が極めて高い。また、この銃は狙撃も行えるほど精度が高く、各国で高い評価を得ている。

ジョーが手にしているのは、その中でも最新鋭の実験モデルだ。モジュールの取り替えでグレネード弾まで発射できる。実践での評価テストを、今回の作戦では兼ねている。

もっとも、少し触っただけで、ジョーは調整が必要だと考えていた。

砂塵の中、敵がまた発砲してきた。

アーサーが展開している無数の盾にはじき返されて、弾丸が彼方此方に飛ぶ。ヘルメットを被り直しながら、スペランカーがとてとてと特徴的な足音で、ジョーの隠れている盾の側にまで来た。

「ジョーさん、どうして急いでいるの?」

「気付かれていたか。 だが、会話は最小限にしろ」

盗聴器が、服なり装備なりに仕込まれている可能性がある。

何しろ、このフィールドは。

かっての、この地域の。歴史の闇そのものを示す存在である可能性が高いからだ。

敵が射撃を繰り返しながら、近づいてくる。足音は規則的で、まるで砂塵を苦にしていない。

ゴーグルは準備してきてある。既にジョーはスペランカーに手渡して、装着させた。もたもたと不慣れな様子で装着しているが、別に捕まらなければそれでいい。スペランカーには、盾と邪神への対処以外には期待していない。

冷酷な考えかも知れないが、戦場では現実的に思考を進めなければ、死ぬ。

砂塵の中、敵が見えた。

狙撃。

頭を撃ち抜かれた敵が、膝から崩れる。応射があった。盾に弾かれて、弾の殆どが軌道をそらす。

後方からも来ていると、アーサーが警告。敵は足音を殺して近づいてきているが、ジョーも察知はしていた。

「少し散らしておくか?」

「力の無駄遣いはするな」

「応、任せておけ」

アーサーが、虚空に無数のたいまつを出現させる。この砂塵の中でも、火が消える様子が無い。

放物線を描いて飛んでいったたいまつが、着弾。盛大に炎を噴き上げた。

爆炎の中、数体の人影が、距離を置こうと下がる所に、振り向いてジョーが狙撃。数体を仕留める。

弾丸を装填。

足音は、怖れずに近づいてきている。

そろそろ、狙撃から、制圧に切り替えるか。ジョーが銃のモードを切り替えると同時に、敵がどっと盾の陣地になだれ込んできた。

乱戦になる。

躍り込んできた一人を、即座に蜂の巣にしつつ、跳び下がる。周囲は銃弾が飛び交っているが、ジョーは即座に振り返り、二人を打ち倒した。

アーサーが剣を振るい、見る間に数人を斬り伏せた。

銃を乱射しながら走ってくる一人。横っ飛びに跳ねながら、弾丸の雨を浴びせる。蜂の巣になり、前のめりに倒れる敵。更に跳ね起きながら、一人を射殺。

その間、脇腹、肩、右腕に、それぞれ二発ずつ弾丸がかすめていた。

アーサーの至近後ろから、敵が銃をぶっ放そうとする。

其処に割って入ったスペランカーが、代わりに蜂の巣になった。あの銃、StG44か。アサルトライフルの最原型となったものだ。

倒れたスペランカー。だが、気にする必要は無い。

即座に、スペランカーを撃った奴を、アーサーが切り伏せる。

「すまぬな、スペランカー殿」

心臓を撃ち抜かれて即死したはずのスペランカーが、少しすると、身じろぎして、呼吸をはじめる。

何度観ても驚かされる光景だ。

更に二人を倒した時には、敵の襲撃は止んでいた。

立ち上がったスペランカーは、服の埃を払いながら、苦笑いしていた。

これが、スペランカーの身を覆う特殊能力、海神の呪い。身体能力、知能の著しい低下と引き替えに、十代半ばの年齢固定と、不死を実現する。正確には死ぬと、周囲の物質を吸収して蘇生する。攻撃によって死んだ場合は、攻撃者から損害部位を補填して蘇生する。

このため、スペランカーは日常生活でもたびたび死ぬほど脆弱だが。このような人外の魔境に来ても、生きていられるのだ。

今倒した敵達にしても、動きは熟練兵並だ。ただし単純な身体能力の話である。銃の扱いは、さほど優れているとは言えない。狙撃はかなりお粗末だった。

ジョーは自分の傷を確認しつつ、敵の死体を見聞する。

やはり、間違いない。

エンブレム、武装、何よりもその衣服。鍵十字のバッチまで、身につけている。これは露骨すぎるほどだ。

「ふむ、ナチ親衛隊か」

「ああ」

ナチス親衛隊。

かって、ヨーロッパに存在した最悪の独裁政府の、中枢部隊。独裁者ヒトラーの周囲を固めた、忠誠心が高い戦力である。人員には優秀な兵士が多いドイツ軍の中でも、更にエリートが選抜され、強大な戦闘力を誇った。しかしながら暴虐を率先して振るったため、同じドイツ軍の中でさえいとまれた存在でもあった。ヒトラーの手足であった関係上、多くの戦争犯罪にも関与している。

勿論、ナチスドイツの親衛隊兵士が、このような形で襲ってくる筈が無い。敗戦によって劫火に沈んだヒトラーの帝国と共に、多くの親衛隊兵士が死に、残りも再起はかなわなかった。

しかも、それから70年近くが経過しているのだ。

もう少し死体を調べてみるが、どうやら人間では無い様子だ。見かけは人間に近いのだが、全体的に異様な特徴が見て取れる。

指の間に水かきがあるのが、その際たる特徴だろう。

どの死体も、微妙に人間とは異なっている。中には、無数の牙を生やしたものまでもが、存在していた。

これならば、先ほどの身体能力にも、納得がいく。

しかも近代兵器を使いこなすとなると厄介だ。最古参の突撃銃といえど、充分に人間を殺傷できる力を持っている。

死体は二十程度を確認できた。一個小隊規模だ。

「攻撃部隊が、この程度で済むはずは無いな」

「縦深陣を敷いて待ち構えていると考えてよかろう」

「アーサーさん、ジョーさん」

スペランカーが何か見つけたらしく、手を振っている。歩み寄ると、まだ息がある奴がいた。

ただし、ジョーが容赦なく叩き込んだ弾丸が、体中に食い込んでいる。間もなく死ぬだろう。

そのままとどめを刺そうかと思ったが、スペランカーに止められる。

「貴方、邪神の眷属だね。 貴方の支配者は誰?」

「き、きさま。 ほ、ほんとうに、にんげん、か」

「出来れば、戦わずに済ませたいの。 教えて」

此奴は。

この状況で、戦闘を回避できるとでも本気で思っているのか。実際、幾つかの邪神を相手に、交戦を諦めさせ、降伏させた手腕もあると聞いているが。今回は、それとは状況が違っている。

E国をはじめとする国に存在する幾つかの組織が、既に動いている。

その中には、非常に危険な連中も含まれている。もしも、この件が表沙汰になり、その全容が知られれば。

下手をすれば、経済圏が一つ、丸ごと吹き飛びかねない。

「這い寄る……混沌」

人間型の怪物の目から、光が消えた。

どうやら、スペランカーを呼んで正解だったようだ。もっとも、彼女の方でも、此処のことを探知していた節がある。

「行くぞ。 いずれにしても、敵の群れを突破しなければ、先には進めない」

「ジョーさん」

「邪神については任せる」

スペランカーは何か言いたそうにしていたが、今回の件は速攻で処理しなければ非常に危険だ。

おそらくはそれを理解した上で、ニャルラトホテプの本体も、此処に潜んだのだろう。

ジョーが最初に此処に出向いたとき、焦燥しきった地元の住民から、聞かされたのだ。この町には、かってナチが遺産を隠したという伝説があると。

そんなものは伝説に過ぎないだろう事くらい、ジョーも分かっている。

だが、もしも、それを邪神に本当にされたら。

連中には、それが出来るだけの力が存在しているのだ。

アーサーが、スペランカーを気遣いながらついてくる。手には、先ほど出現させた盾の一つを持っていた。

「ジョー殿。 今回の件、スペランカー殿に詳しく話した方がよかろう」

「今はその時間が無い」

「焦りは負けに直結すると我が輩は思うが」

「貴殿も分かっているだろう。 今、俺たちが、非常にまずい案件に関わっていることくらいは。 急いで此処に巣くった阿呆を処理しないと、EUが転覆しかねない」

「確かにそれは同意であるが」

アーサーが眉をひそめた。

この男は、見かけのけったいな鎧と裏腹に、極めて聡明だ。ジョーが言っていることくらいは理解できるはずだが。

一体何を懸念している。

スペランカーは、確かに高い周囲との親和性を持つ。スペランカーの周囲には、多くのフィールド探索者が集まっているのも事実だし、実際ジョーも信頼している。だが、この案件は、それとはまた、次元が違う問題なのだ。

同じE国人なら、アーサーにも分かるはずなのだが。どうして、懸念を示しているのか。それが、ジョーには理解できない。

この地域に住む人間にとって、ナチという言葉が、どういう意味を持っているのか。それを理解できていないわけでもあるまい。

磁石を観ながら、進む。

足を止めたのは、気付いたからだ。敵が待ち伏せている。

此処の地形は待ち伏せに最適だ。

前方に、大きな丘があり、しかもU字をしている。敵は、堂々と其処に布陣していた。重機関銃も据え付けているようだ。

敵陣は此方を丘から見下ろす形になっていて、簡単には突破できそうに無い。しかもこちら側からは、射線を遮られる場所に、敵が布陣している。更に言えば、迂回して進めば、背後を突かれる。

攻撃し、制圧するほか無い。

既に敵は此方に対する防衛体制を整えている。敵陣は、可能な限り潰して行かなければならないだろう。

この丘も、前に来たときは、敵がいなかった。

最初から多めの兵力が動員できていれば、こんな面倒は無かったのに。しかし、最初にジョーがこのフィールドに来ていたから、偵察自体は上手く行ったのだと思うと、まだ事態はマシだとも言える。

世の中は、上手く行かないものである。

周囲を回って、敵の防備を確認していく。唯一、丘がなだらかになっていて攻めこみやすい場所には、複数の重機関銃が据え付けられていて、非常に守りが硬くなっている。此方は距離を取っているが、近づけばたちまち察知されるだろう。

相手は戦略も戦術もしっかり理解しているとみて良い。

化け物といって馬鹿には出来ない。以前アトランティスで戦ったのと同じ、知性のある亜人だ。

「このような敵陣を、一つずつ抜いていかなければならぬとは、難儀であるな。 スーパージョー」

「やむを得ん」

スペランカーを一瞥する。少し離れてついてきているが、泣き言を言うような気配は無い。

戦闘で敵を殺した事についても、頭の切り替えはとっくに出来ている。この辺りは、見かけ通りの小娘では無いので、ジョーとしても安心できる所だ。

攻撃をする事に決める。スペランカーを手招きして、アーサーにもプランを説明。二人の同意を得られた。

もっとも、ジョーが提示した案は、極めてスタンダードなものだ。これ以上の案は、思いつかない。というよりも、この場には思いつける人間がいないだろう。

手榴弾を取り出し、ピンを引き抜く。

そして、三つを同時に全力で投擲した。

爆発が巻き起こり、重機関銃の周囲にいた敵兵が、まとめて吹っ飛ぶ。かつて手榴弾は、複数をまとめて戦車に投げつけて破壊することが出来たと言うが、それは装甲が薄かったからだ。

手榴弾は、爆発の破壊力で敵を倒すのでは無い。飛び散る破片で敵を殺傷する武器へと変化している。

「GO!」

突入開始。

頭を低くして、突入する。

アーサーが、敵陣に連続して、先ほど使ったたいまつを叩き込む。凄まじい火柱が上がり、敵が悲鳴を上げて逃げ惑う。混乱している敵の中に躍り込むと、ジョーはアサルトライフルをぶっ放し、制圧射撃に取りかかる。倒れている敵を踏み越え、陣の奥に。

敵は、やはりナチの格好をしている。

砂塵の中とは言え、戦場は戦場。一瞬の判断が、勝負を分ける。容赦なく敵を打ち倒して行くジョーに、アーサーが追いついてきた。

降り注ぐ剣が、迎撃態勢を取ろうとする敵兵を、次々貫く。

スペランカーはアーサーの側をついて離れず、しっかり自分の身を守ることに終始していた。

それでいい。ジョーは一瞬だけ視線をスペランカーと合わせると、敵を屠り続ける。再び手榴弾のピンを引き抜くと、放り投げる。柵の向こうにいた敵が、数人まとめて消し飛んだ。

本当なら迫撃砲を使いたい所なのだが、それを持ち込めるほどの重量的余裕が無い。或いはアーサーが作れるかも知れないが、近代兵器を完璧に再現できるとは思えない。手榴弾の投擲に関してはそれ相応の腕前があるし、代替手段は整っていたから、それで良かった。

奇襲は成功。

だが、スペランカーが、予想外の行動に出る。

電子手帳を使って、ドイツ語で呼びかけたのだ。

「投降して! 武器を捨てれば、命は取りません!」

まだ抵抗を続けている敵の反撃が、露骨に鈍くなるのが分かった。ジョーは目についた相手を容赦なく打ち倒していたが。

しかし、手を上げている敵が数名出ると、流石に舌打ちして銃口を下げざるを得なかった。

アーサーが縄を取り出すと、手際よく縛り上げはじめる。

銃の状態と、自分の怪我について確認。弾が数発掠っているが、致命傷にはなり得ない。ただし、確実に傷は増えてきていた。

それにしても、劣勢とは言え、ナチ親衛隊がこうも簡単に降伏に応じるとは。

此奴らは、ナイーブな問題に踏み込んでいるだけで、ただの怪物、と言う訳なのだろうか。

「私が尋問するから、ジョーさん、周囲を警戒して」

「……時間は無いぞ」

「うん」

スペランカーは、さっきの戦いで被弾していない。アーサーがしっかり守りきったから、だろう。

降伏したのは数名。残りは全てが、ジョーとアーサーの苛烈な攻撃に倒れた。

周囲を警戒しながら、捕縛した敵を確認する。

やはり、微妙に人間とは異なっている。

耳がとがっていたり、眼球が青く濁っていたり。口の中には、鋭い牙が並んでいる者もいる。

服を脱がせれば、更に人間とは違っているかも知れない。

しかし、アトランティスに足を運んだこともあるジョーは、いわゆる奉仕種族の思考が、人間よりもむしろ善良である事を知っている。彼らは邪神に仕えるという最上位命令に従う特性さえ除けば、むしろ純朴で真面目な民である。

此奴らまでそうなのかは、判断が出来ないが。

「お、お前は。 神の力を感じるぞ」

「私の体内には、ダゴンさんと、ニャルラトホテプさんの一部がいるの。 話を聞かせて欲しいんだけれど、いいかな」

「……神の力には逆らえない。 何が知りたい」

任せておいて、問題は無いか。

ジョーに対しては口を割らないだろう連中も、スペランカーに対しては口が軽くなる。実際、体内に二匹も邪神を飼っているという話だ。それならば、奉仕種族に対して、強制力を持っていても不思議では無いか。

此処から、どう進軍するかが問題だ。

密林までは、さほど距離も無いが。

まだ、敵の迎撃が何カ所かである事が想定される。幾つかの場所には、監視のトーチカも作られている事が、先の偵察で確認できていた。

勿論この陣地への奇襲も、敵は察知しているとみて良いだろう。

「ジョーさん」

スペランカーが呼んでいる。

残り時間は、著しく少ない。

 

2、闇のその闇

 

スペランカーから見て、ジョーは妙に焦っていた。

普段のジョーは、寡黙で重厚で、歴戦の男というに相応しい存在感を放っている。だが、今日のジョーは、どうもその重みが感じられない。

スペランカーとて知っている。

この地域で、ナチスという言葉が、どういう意味を持つか。それは、いうならば史上最悪の独裁政府の一つ。

歴史上最悪の独裁者の一人に率いられた、恐怖そのものの象徴だった。

だが、どうしてジョーは、こうも解決を焦っているのか。

それが分からない。

何より、奉仕種族の人達も、何故ナチスの扮装をさせられているのか。このフィールドに潜んでいるのがニャルラトホテプ、それもかなり中枢に近い存在である事は、よく分かったのだが。

尋問を終えると、縛り上げた奉仕種族の人達を、陣地の奥の方へ隠す。

「後で、迎えに来るから。 しばらくはこれで我慢して」

「俺たちは、殺されるのか」

人と違う姿をしていても。

その思考回路は、人にとても似通っている。アトランティスで、奉仕種族に常に接しているから、知っている。

彼らはむしろ純朴な民だ。

武器を持たされることもまた多い。それはおそらく、純朴だからが故なのだろうと、スペランカーは以前、アーサーに聞かされもした。

ジョーの質問していた事について、スペランカーはよく分からない。

だが、話を聞いているうちに、ジョーの眉が曇っているのは理解できた。想定していた答えと、違っていたから、だろうか。

「スペランカー殿。 行こうか」

「うん……」

アーサーに促され、先に進み始めたジョーに続く。

ジョーは時々磁石で方角を確認しながら、先へ行っている。歩みに殆ど迷いは無いが。しかし、やはり焦っているようにしか見えない。

「アーサーさん。 ジョーさんは、どうしてあんなに焦っているの?」

「今回の件はな、大変にデリケートな社会的問題を内包しておる。 場合によっては、政府の一つや二つ、転覆しかねないスキャンダルが発生しかねないほどのな」

「そんなに……」

「ああ。 ジョーは、物事を点では無く面で捉えることが出来る大人だ。 それが故に、我が輩にも、ジョーの焦りは理解できる。 腐敗があったり、闇を抱えているにしても、国家が転覆したら、路頭に迷い混乱に泣かされる人々の数は計り知れぬからな」

なるほど、焦りの理由は、何となく理解できた。

今までの戦いでもそうだが、ジョーは個人を一切戦場では出さない。必要に応じて、大人としての裁量で、全てを回していたように思える。

だが、其処に、はじめて焦りが生まれたことで。

或いは、個人としての部分が、戦場で出てきてしまっているのかも知れなかった。

アーサーが足を止める。

意味は、即座に理解できた。

ジョーが態勢を低くし、側の岩陰に身を移す。また、敵の防衛線という訳か。

こんもりとした土盛りが見える。

半円の中からは、大砲が覗いていた。アーサーが、トーチカだと説明してくれた。いわゆる簡易陣地だという。ただし、多くの場合は極めて堅固で、場合によっては戦車砲の直撃にも耐え抜くとか。

しかも、その土盛りが複数。

かなり厄介な状況だ。

「先までは無かったトーチカか」

「ああ、急造のものだろう。 こうも敵の動きが速いとはな」

「突破するの?」

「そのほかにはあるまい」

戦車砲は完全に埋まっている訳では無い。

此方を覗くための銃座もあるし、多少の柔軟性を持たせるためか、わずかに溝が掘られてもいる。

つまり、其処に手榴弾を投げ込めばいい。ジョーは手短に説明してくれた。本来は空爆や戦車砲での攻撃など、多くの戦術が確立されている。しかし、今回は手数があまりにも少ない。

アーサーの武具は、人ならぬ者には効果が大きいが、近代兵器を相手にするには不向きな点も多い。

ジョーが、手榴弾を用いて潰すのが、一番効率的だろう。

だが、針の穴を通すコントロールが必要となる。

轟音。

敵が、発砲してきた。これほど迅速に気付くとは。アーサーが無言で、盾を出現させる。最初の射撃は、荒野の遙か向こうを爆砕した。だが、二発目、三発目が、確実に此方に近づいてきている。

ジョーが、無言のまま手榴弾を投擲。

一投目は外した。トーチカの至近で爆発。トーチカに埋まっている大砲は、それで此方の位置を完璧に特定したらしい。

アーサーが出現させた盾が、一撃で粉砕される。

他のトーチカも、此方に狙いを定めはじめていた。ジョーが、二つ目の手榴弾を、投擲。

今度は、上手く行く。

吸い込まれるようにして、手榴弾がトーチカの前面に掘られている溝に入る。内側から、火を噴き、トーチカが崩れる。

無言のまま、ジョーが手招きする。

岩陰から移動。迂回するようにして、別のトーチカの前にまで出る。

不意に、後ろから銃撃。

ジョーの体を弾がかすめるのが分かった。トーチカで此方を引きつけておいて、後ろからも敵が回り込む、という事か。

振り向いたジョーが、荒野に銃弾を撃ち放つ。土煙が舞い上がる中、敵も応射してくる。

それだけではない。トーチカの大威力砲弾も、次々に此方に襲いかかってくる。ジョーが飛び退くと同時に、隠れていた岩が木っ端みじんに消し飛ぶ。

アーサーが出現させた盾が、周囲に展開。

ジョーを守るが、しかし。

ジョー自身は、崩れ伏している。今の爆発に、やられたらしい。駆け寄ろうとするスペランカーを、アーサーが制止。

倒れたままのジョーが、手榴弾を取り出すのが見えた。

アーサーはたいまつを虚空に出現させると、敵が来ていると思われる方向に、多数投擲する。

砂塵の中、爆炎が巻き起こり。

そして、複数の人影が浮かび上がった。

この様子からして、ジョーの進撃路は、完全に読まれていたとみて良いなと、アーサーがぼやく。

あの奉仕種族達の中に、よほど優れた指揮官がいるのか、或いは。

人間の特性を知り尽くした、ニャルラトホテプが直接指揮を執っているのかも知れない。どちらにしても、厄介だ。

ジョーが、倒れたまま、手榴弾を絶妙なモーションで投擲。

二つ目のトーチカが、内側から火を噴き、沈黙した。

残りのトーチカからもまだ砲撃があるが、かなり位置が悪いらしく、至近弾さえない。無数の盾を展開したアーサーが、周囲に短剣をばらまきはじめた。たいまつの炎で姿を照らされた挟撃部隊が、次々ナイフで撃ち抜かれていく。ただしこれは牽制だ。あくまで敵の浸透さえ阻めば良い。

立ち上がったジョーが、再び手榴弾のピンを引き抜く。

ジョーはスペランカーから見ても、かなり傷だらけになっている。それでも、ジョーは自身を、まだ動く生態兵器と見なして戦っているようだった。

三つ目のトーチカが爆破されると、残ったトーチカから、敵がばらばらと飛び出し、逃げ出しはじめた。

戦い利あらずと判断してくれたのだろう。

スペランカーが飛び出す。

ジョーの死角に一人、敵が飛び出してきたからだ。

手を広げて、行く手を塞ぐ。

奉仕種族の兵士は、かなり大柄だった。まるで熊のよう、という表現が、これほど似合う者は無いだろう。

手にしているのは、普通は持ち運べそうに無い、巨大な機関銃らしき武器だった。あんなもので不意打ちされたら、ジョーだって危ない。

彼はスペランカーを観ると、青い目を見張り、そして蹈鞴を踏んで逃げ出す。

後方の敵も撤退した事を確認したからか、アーサーがこっちに来る。兜を再出現させて被っているのは。おそらく、弾を喰らったからだろう。アーサーの兜は、敵の攻撃を受けると、パージしてダメージを殺すような造りになっている。兜も同じだった、という事か。

アーサーは西洋人らしく、既に髪が薄くなり始めている。だが、そのくらいのことで、現代の騎士であるアーサーのすごみや強さが、いささかも損なわれることは無い。兜を被り直すと、アーサーがジョーに手を貸して、立たせた。

「貴殿らしくも無い。 普段ならば、この程度の背後からの奇襲くらい、察知できるだろう」

「結果論だ。 今は敵を撃退できた、それだけでよしとする」

「いかんな。 貴殿はその戦闘経験値と、冷静な頭脳あっての存在だ。 能力が貧弱であっても、幾多の戦場から生き延びてこられたのも、スーパージョーとまで言われるのも、それがゆえだろう。 そのような焦りに支配されたままだと、死ぬぞ」

アーサーの言葉は、騎士の格好をしたきのいいおじさんのものではなかった。

ジョーと同格の、歴戦の戦士としてのものだ。説教するのではなく、諭すような口調であったが。

スペランカーは、心配せず、その様子を見ていた。

アーサーに対する信頼も。何より、ジョーに対する信頼もあるから。

わずかに張り詰めた空気だが。ジョーの方が、先に引いてくれた。

「この少し先に密林がある。 そこで傷の手当てをして、善後策を協議する」

「それが良かろう。 我が輩としても、貴殿の戦闘経験はあてにしているのだ。 これからの戦いに、勝つためにな」

「ああ」

ぶっきらぼうに応えるジョーだが。きっと、アーサーの言葉は届いてくれていると、スペランカーは信じる。

敵は当然、密林でもゲリラ戦を仕掛けてくるだろう。ジョーが予想外の苦戦をしている様子から見て、一度撤退した判断は正しかったという事になる。今回の戦いでは、増援はない。スペランカーも、ジョーとアーサーのやりとりを聞いて、如何に政治的な爆弾がこのフィールドに内包されているか、理解はしているつもりだ。

歩いていると、不意にまたジョーが足を止める。

また奇襲かと思ったが、違う。

いきなり足下に、巨大なクレバスがあった。しかも、遙か向こうに、橋が架かっている。ジョーの様子からして、これは以前には無かったものだろう。

橋は長く、もしも力尽くで渡ろうとすれば、相当な敵の抵抗があるのは確実だ。四方八方から狙撃されてもおかしくない。

普通の怪物がいるフィールドと、今回は違う。

むしろ今回のようなフィールドこそ、軍隊の出番では無いかと、スペランカーは思う。だが、此処は政治的爆弾の塊だ。そう言う意味でも、軍は投入できないのだろう。もどかしい。

アーサーが、少し戻って、陣を作って策を練ろうと提案。

ジョーはしばし橋を見つめていたが、そうするほか無いだろうと、提案を飲んだ。

 

周囲にアーサーが盾を展開して、陣を作る。これで奇襲を受けても、即座に三人が捕まることはないだろう。

傷を受けていないアーサーが見張りをしている間、ジョーは自分の傷の手当てを、黙々としていた。

表情は、いつもと変わらない。

スペランカーは、ジョーが機械兵士とあだ名されているのを知っている。スペランカー自身は、ジョーには血肉が通っていて、時には後進を導く事もある男気のある人物だと理解しているが。周囲には、あくまで寡黙に戦い続けるジョーが、人間離れしているように見えてしまうのだろう。

ジョーは人間だ。

「ジョーさん」

「何だ」

「今回の戦いに勝つことができたら、此処の奉仕種族達を、アトランティスに迎えてあげたいの。 勿論、戦いに手心を加えろ、とは言わないよ。 あくまで、奉仕種族達を操っている黒幕をやっつけた後の話」

「……お前は、むしろまっとうな人間より、変わり者やはぐれ者に心が動くようだな」

「否定はしないけれど」

隣に腰を下ろす。

既にかなりの数、ジョーは傷を受けている。中にはぱっくり傷口が裂けていて、すぐには血が止まらなそうなものもあった。

痛くないのかと聞いたら、当然痛いと返された。

自分の中で、ダメージを自己完結できるほどに、精神を錬磨しているのだ。文字通り、戦士としての肉体。

この人が、貧弱な能力でも、数多のフィールドを突破することが出来てきた理由であろう。並の兵士では、百人いてもこうは行かないはずだ。

勿論、今回のフィールドも、普段だったら此処まで苦戦はしないはず。

手当が終わったようで、ジョーが上着を着込む。

防弾アーマーもつけているが、既に相当なダメージがある様子だ。

アーサーが戻ってくる。

「橋の向こうに、百三十前後おる。 どうやら、先の戦いで撤退した者達も含めて、総力戦を挑むつもりなのであろう」

「配置は」

「良くないな。 いわゆる水際殲滅の構えだ」

「……」

ジョーが、地図を広げて、クレバスの線を引く。

おそらく迂回している時間は無いだろう。しかし、クレバスの底におりて、向こう側に渡るのも、かなり難しい。

此処はフィールドだ。

クレバスの底が、溶岩まみれであったり。或いは、本当に底なしである可能性も、否定は出来ないのである。

しかし橋は鬼門だ。

「味方に高空戦力があればなあ。 我が輩でも、空軍がいれば圧勝できると、一目で分かる状況なのだが。 戦闘ヘリ一機でも充分であろうに」

「援軍を要求している暇は無い。 これ以上、此処に人を入れるわけにも行かない。 狙撃で敵を片付ける」

長距離狙撃用に、ジョーがアサルトライフルのモジュールを換えていた。当然、敵もそれに対応してくるだろう。

「アーサー。 橋に陣取り、突入してくる敵を防いで欲しい」

「ふむ、狙撃戦に持ち込むか」

「スペランカーは攪乱だ。 とにかく、敵の動きを止めてくれると助かる」

「うん、分かった」

少しずつ、ジョーの冷静さが戻ってきているようだ。

だが、スペランカーとしては、このメンバーだけで、突破できるかは不安だ。近代戦の専門家であるジョーは確かにいるが、敵にはニャルラトホテプという人間を知り尽くした邪神がついている可能性が高い。

いや、奉仕種族達は、基本命令に従うことしか許されない存在だ。

つまり、実質的には。

ニャルラトホテプに、命を使ったチェスを挑まれているに等しい、というわけだ。

それにしても分からない事が、一つある。

少し前に、スペランカーは宇宙の中心の邪悪という、邪神達のコアとなる存在の正体について知った。

ニャルラトホテプの目的についても。

今、どうしてニャルラトホテプは、こんなデリケートな問題に踏み込んできた。自分を倒させる目的なのだろうか。

以前取り込んだ、ニャルラトホテプの一部は、解析不能と返答してきている。

つまり、実際に会ってみないと、分からない、ということか。

ニャルラトホテプは複数の人格を持ち、それぞれが独立して行動しているというが、だからといって統一性が無い存在だとは思えない。

何か、企みがある筈だ。

クレバスの側にまで出る。

ジョーは地面に腹ばいに伏せると、早速一発射撃をする。敵陣の様子は見えないが、続けざまに撃っている様子を見る限り、有効打になっているのだろう。

アーサーは悠然と橋の辺りにまで歩いて行く。

橋を渡ってくる敵を、こちら側で迎え撃つ。

武器の性能は、ここ数十年で飛躍的にアップしている。だから、その性能差を行かせる戦術を駆使する。

そう、ジョーは最後に言っていた。

黙々と狙撃を続けるジョー。

敵陣からも応射があるようだが、明らかに届いていない。橋の方にいる敵が、大きな大砲を持ち出してくるのが見えたが、その周囲にいる兵士がばたばた倒れていく。ジョーが立て続けに狙撃しているのだ。

アーサーは今のところ、橋を塞いでいるだけでよい。敵の混乱はまだ収まっていないし、ジョーの狙撃は正確無比だ。敵陣は文字通り、一方的な殺戮の雨に晒されている。これでは、どれだけ屈強な奉仕種族でも、対抗できないだろう。

「アーサーさん」

「うむ」

「私が、橋の向こうにまで行くよ。 援護して」

「分かった。 ジョー、聞こえていたな。 我が輩は、スペランカーどのを援護して、橋を渡りきるまで周囲の敵を制圧する!」

ジョーは無言で、右手だけ挙げた。

GOという意味だ。そのまま、ジョーは狙撃を続ける。

スペランカーは、常人のように走れない。身体能力が、其処まで低いからだ。幼い頃、父が最高のプレゼントだと信じてくれた海神の呪いは、そうまでスペランカーの体をむしばんでいる。

不老不死。

その代償は、大きい。

普通の人なら、それこそ子供でも追い越せるような速度。ひょこひょこと、スペランカーは橋を渡っていく。

最近、被保護者のコットンも、スペランカーよりは走るのが速くなった。

その内、見かけの年でも追い越されるだろう。

途中、二度狙撃されて、その場に崩れ落ちる。

だが、蘇生しては、また立ち上がり、走る。敵に明らかな動揺が走っているのが、その度に分かった。

橋を渡りきる。

奉仕種族の兵士達が、立ちふさがる。

だが、横っ面から、ジョーの狙撃が彼らを襲った。側頭部を撃ち抜かれ、次々と人形のように倒れていく。

更に、遅れてアーサーも橋を渡り終えた。

露骨に怯む奉仕種族の戦士達に、アーサーが眼光を叩き付ける。

「もはや勝ち目は無い。 降伏せい!」

「だ、だまれっ!」

ひときわ大柄な兵士が吼えた。一杯勲章を付けている。それに、鍵十字のバッヂを、とても誇らしそうに、身につけていた。

アーサーを制止して、スペランカーが歩み寄ると。

兵士は、露骨に畏れを抱く。

翻訳機能がある電子手帳を操作して、ドイツ語で会話を開始。かなりゆっくりだが、最近はようやく操作をスムーズに行えるようになってきた。

「貴方が、指揮官?」

「そうだ。 な、何故人間が、神々の力を内部に宿している!」

「後で説明するから、武器を捨てて。 今、時間が無いの。 降参しないなら、みんな助けられない」

「ど、動揺するなっ!」

震えながら、指揮官らしい兵士が、銃を引き抜く。

いわゆるハンドガンだが、とても大きい。銃口は、正確にスペランカーの眉間に向けられていた。

おそらく、恐怖から動揺しているのでは無いだろう。

主君と違うタイプの邪神の力を観て、体の制御が上手く行かなくなっているのだ。

呼吸を整えると、敢えて丁寧口調に切り替える。

「私はスペランカー。 アトランティスの顔役をしています。 降伏するならば、このフィールドにいる奉仕種族の皆を、助ける準備があります」

「な……」

「アトランティスには、既に何種類かの奉仕種族を保護しています。 もはや、邪神の命令に振り回されずに、生きていけるようになります」

兵士達の目に、露骨な動揺が走る。

だが、司令官は、もはやどう表現して良いのか分からない感情を、目に讃えていた。恐怖、絶望、混乱、困惑。

その全てが一体となって、司令官を襲っているようだった。

ジョーは狙撃を止めてくれている。

おそらく、スペランカーが説得をしていることに、気付いてくれたのだろう。

突然、司令官が痙攣して、身をのけぞらせる。

強い力を感じる。

きっとこれは。

「困るなあ。 私の部下に、唾を付けるつもりかい?」

「這い寄る混沌、ニャルラトホテプさんの中枢だね」

「そうとも。 私の一部を喰らったり、好き勝手をしてくれたのは君か。 今回は、丁度良い。 そこにいる映画スターと騎士崩れと一緒に、私の所まで来るがいい。 降伏など、それまでは認めないさ」

破裂した。

今まで、司令官だった奉仕種族が。

その場で、木っ端みじんに吹き飛んだ。

悲鳴を上げながら、他の兵士達が逃げ惑う。中にはパニックを起こして、銃を乱射する者もいた。

側頭部が、次々撃ち抜かれる。

ジョーが攻撃を再開したのだろう。アーサーが即座に盾を展開し、スペランカーを背後に庇った。

「なるほど、人間の感情をかき乱す方法を熟知しておるわ。 スペランカー殿、此処からも戦えるか?」

「……っ」

大丈夫と言いたいが。

本当に、相手が奉仕種族を家畜以下にしか考えていないのを悟って、スペランカーもあまり気分は良くない。

だが、此処で怒っていたら、相手の思うつぼだ。

異星の邪神は、自身のルールを設定して、それに相応しい行動を取る者が多い。人間のルールとは外れていることが多いが、それでも一種の誇りを持っている者達が大半を占めている印象がある。

ニャルラトホテプは、人間に近い。つまり、手段を選ばないし、美学も無い。

その出自も、この間知った。だから、それは当然のことだと分かってはいる。だが、それでも。

目の前で、人間の詐欺師が拍手するような卑劣な行いをされると、流石に怒りがこみ上げてくる。

ジョーが最後に、橋を渡ってきた。

武装解除を、これからは促すことが出来ない。

かといって、敵を放置していては、後ろから撃たれる可能性がある。

アーサーが、手短に、今起きたことをジョーに説明する。ジョーは問題ないと、感情を動かす様子も無く、応えた。

「可能な限り速く、ニャルラトホテプ本体の元へ、スペランカー殿を届けよう。 そのほかに、このフィールドを潰す術は無いと、我が輩は思うが」

「ああ、そうだな」

ジョーが、来るように促してくる。

橋を越えてしまうと、不意に密林が見えてきた。

この中に要塞があるという。

嫌と言うほど、ニャルラトホテプの気配が、近づいてきている。しかも今までに交戦したニャルラトホテプとは、気配が根本的に違っている。

四元素神と呼ばれる他の高位邪神達も、恐ろしい力を持っていた。

だが、この力は、少し性質が違う。より強いというのではない。何というか、より嫌らしい印象だ。

きっと、これは死闘になる。

スペランカーも、無事にはすまないだろう。それに、倒してしまってはいけない。どうにかして、屈服させるか、体内に取り込むか。どちらかを満たせなければ、この星に邪神達の始祖であるアザトースが来てしまう。それでは駄目だ。アザトースの元に、スペランカーが出向く方法を採りたい。

そのためには、ニャルラトホテプを屈服させる必要がある。

ジョーはジョーで、この星のことを第一に考えてくれている。

利害は、一致するはずだ。

密林に入ると、不意に空気が変わった。周囲の湿気が増し、辺りには甲高い鳥の声が響きはじめる。

先ほどまでは荒野だったとは思えない。

別の場所に、舞い込んでしまったかのようだ。

「ジョーさん、もうニャルラトホテプさんの本拠は近くかな」

「この奥に要塞がある。 それにしてもニャルラトホテプとやらは、一体何が目的でこのようなことをしている」

「きっと私達を怒らせるため」

「何……」

ジョーが、見る間に顔を険しく歪める。

ニャルラトホテプは、アザトースをこの星に呼び、倒させるつもりだ。それが、他の邪神達とは決定的に違う所。

人間にも勝てると思える戦力。

それに、近代史の暗黒の中の暗黒であるナチスドイツを引っ張り出してきたこと。

そして何より、卑劣な行為を繰り返して、身近に戦力を集め、問答無用に倒させようとしていること。

頭が悪いスペランカーにも、それらが何を示しているかくらいは理解できる。

今までも、ニャルラトホテプは、様々な蠢動をしてきた。おそらくは、最強の存在であるMと、アザトースをぶつけるために、準備をしていたのだ。

だが、未来から来たシーザーによって、全てが暴露された今。Mはニャルラトホテプへの攻撃から、一時的に手を引いてくれている。

戦略を切り替えたのだろう。

自身を倒させるという点では変わらない。

だが、人類の暗部を直接えぐり出すことで、人間側に総力戦を挑ませようとしている。此処にいるニャルラトホテプは、おそらく本体。外にいる兵力は、釣りのための餌に過ぎない筈だ。

自分の言うことを盲目的に聞くしか無い奉仕種族に、そんな仕打ちをすることも許せないが。

「なるほど、社会の弱点を、正確に把握しているようだな」

「ジョーさん、一つ聞かせて。 どうして、ナチスドイツが今出現すると、そんなに大変なの?」

「お前はJ国の出身か。 ならば知らないのも無理は無いが、ナチスドイツは今でもヨーロッパ圏では生きている」

「え?」

組織として生きている、と言う意味では無いと言う。

元々、ヨーロッパは修羅の世界だった。

戦争が日常茶飯事に起こり、世界一気性が荒い白色人種が互いに殺し合って、結果世界最強の武力を得るに至った。

ヨーロッパの主要構成民族であるゲルマンは、間違いなく世界最強の戦闘種族だ。あらゆる動物の中で、攻撃性と知性と破壊力のバランスが最も高い次元でまとまっている。

ヨーロッパにおける政治制度の変遷は、その戦闘的性質に寄与する部分が大きい。そして世界に進出する手段を彼らが得たとき、白人系文化で世界が席巻されたのも、無理は無い事なのだろう。

現在でも、その影響は強い。

ナチスドイツは、そんな西欧文明が産んだ、最悪の徒花だと、ジョーは言った。そして、今でも。

その時に生まれた闇は、世界の裏側に満ちているという。

「そもそも、ナチスドイツが誕生したのは、第一次大戦でドイツが敗戦し、その余波で記録的な不況に襲われたためだ。 問題はその後。 どこからナチスが膨大な軍資金を準備したのか、あれだけの戦力を整えたのか、分かっていないことがあまりにも多すぎる」

「ジョーさんは、どう考えているの?」

ジョーが足を止めた。

密林の中に、トラップが張り巡らされているという。

回避しながら、進んでいく。

殿軍は、アーサーがしっかり固めてくれていた。

「おそらくは、世界的な戦争を起こすことを目的とした者達が、ナチスの裏側で動いていたのだろうな」

「死の商人、という奴?」

「いや、そんな単純な話では無い。 実際には武器の売買は、世間一般で思われているほど、儲からないそうだ」

そして、ナチスの役割は。

ヨーロッパ全土どころか、世界全体を巻き込んだ戦争の後も、終わることは無かった。

ドイツはそうそうに、全ての戦争犯罪の責任はナチスのせいと宣言し、全ての責任をその関係者に押しつける事で、回避を行った。

そうした結果、ナチスという存在は、完全に宙ぶらりんとなったのだ。

明確なる悪として。

実際、最悪の独裁政府の主要部分として、ナチスが行った戦争犯罪は計り知れないほどだ。

だが、戦争が行われている以上、どこの国家でも、同じように様々な暗部を抱えているのも事実。

それらの事実を無視した、極めて都合が良いナチスという「悪」が、此処に誕生したのだ。

まるで、そこにいた者達は、血の通った人間では無かったかのような風潮が、この世に出現した。

そして、その裏側で。

巨大な闇が、今でも動いているというのだ。

主に、膨大な金が、それには関与している。ナイーブな政治問題として、歴史の闇が作り上げられ。

それがビジネスとして活用されるのは、今も昔も同じ。

勿論、人間の歴史上、ナチスは最も「邪悪」に近い存在だっただろう事は疑いない。だが、それは人間が行ったという事を、この宙ぶらりんの環境が、全て隠してしまい。それは氷山となった。

氷山は蓋となり、その下に流れる真っ黒な金の動きを隠す働きをするようになったのだ。

未だに、ナイーブな問題としてナチスが上がるのは、その被害を受けた人があまりにも多いからと言う理由もある。

だが、それ以上に。

最も世界で邪悪な連中のビジネスにとって、これ以上も無いほど都合が良い存在だから、という理由もあるのだ。

「戦争を本気で嫌っているのは、戦う術なき弱き者達だ。 だが、ヨーロッパの富豪、アメリカのパワーエリートなど、桁違いの資金を保有している連中にとっては違う」

戦争そのものが儲かるのでは無い。

戦争によって起きる副次的な、様々なものが、彼らの儲けにつながるのだと、ジョーは断言した。

アーサーは何も口を挟んでこない。

つまり、ジョーの説明が、正しいという事なのだろう。

かっても今も、歴史上嫌われた存在は、決まって特色が共通していた。大寺院にしても門閥貴族にしても、そして財閥も。

桁違いの財力を持ち、世界を裏側から好き勝手にしてきた連中だと言うことだ。そしてそう言う者達が、世界でもっとも邪悪な存在に近い事は、疑いが無い。かってその牙城を崩そうとした男がいたが、しかし彼の理想はむしろ黒幕側に取り込まれ、好きなように利用されるという悪夢のような結果に終わった。その後、彼の思想は、むしろ過激思想の旗手となってしまった。

世界を裏側から動かしている連中は、今も昔も、それだけ桁外れに凶悪だという事だ。

勿論、世界のために、このような黒幕が必要なことも、ジョーは知っている。

しかし、彼らの論理はむしろ動物に近い。

極端な弱肉強食。

つまり、其処には人間社会と最も隔絶した、文字通り野獣の掟があるのみだ。

おかしな話である。

人間社会の最高部にある存在が、最も人間社会から離れた論理で動いているのだから。

だから、彼らは賢者であると同時に愚者。

人類の発展と自分たちの繁栄が天秤に懸かったら、躊躇無く自分たちを選ぶ。

そう言う者達だ。

倫理観念など、彼らには存在していない。

自分たちの利益に叶うと考えれば、核兵器でも平気で用いる。それが彼らの真実なのだ。

「もしも、このフィールドが長時間存在し、新生ナチスなどと喧伝でもされれば、世界の裏側で蠢くビジネスは、一気に凄まじい加速を見せるだろう。 国の一つや二つは簡単に消し飛び、仮にアザトースとやらをどうにか出来ても、世界大戦の発生は避けられない事態になる可能性さえある」

「つまり、どうあっても手段を選ばず、倒させるつもりというわけだな」

「酷い……」

スペランカーは、思わず目を伏せる。

歴史の闇というのも生やさしい、地獄のような出来事を。更に好き勝手に踏みにじって、己のために利用するなんて。

二次大戦を知らない世代として、スペランカーは生まれたが。

全世界を巻き込んだかの総力戦がどれだけ酷い出来事であったか位は、理解しているつもりだ。

「そのような外道であっても、コミュニケーションを試みるのか、スペランカー」

「ジョーさん」

「人間の社会には矛盾がたくさんある。 奴はそれを知り尽くした存在だ。 それでも、やるつもりか」

頷く。

コミュニケーションというのは、本来そういうものだ。

漫画などのキャラクターは幸せだ。自分と相性が良い存在とだけ、仲良くして、それで仲間が友達がと言っていれば良いのだから。

スペランカーだって、ニャルラトホテプが嘲笑いながらやった事は許しがたい。たとえ、その出自と、存在が抱えてきたものを知っているとしてもだ。それでも、これから、やらなければならないのだ。

コミュニケーションを取るというのは、そう言うことである。

「分かった。 ならば、俺が奴の所まで道を開く」

「ジョーさん」

「それでこそ、貴殿だ」

話をずっと黙って聞いていたアーサーが。ようやく安心したかのように、口を開いた。

やっと此処から、本番には入れそうだ。

密林を、後は無言で、ひたすら進む。

この先に、要塞がある。

その奥に、ニャルラトホテプが、潜んでいる。

 

3、知り尽くした者

 

罠に掛かったのは、たったの三匹。

ニャルラトホテプとやらは、すでにそれを把握しているだろう。そして、奴がやるべき事は、決まっている。

この三匹、つまりジョーとアーサー、それにスペランカーを。己の巣から、生かしては帰さないことだ。

そうすることで、人間側はより大戦力を、このフィールドに投入せざるを得なくなる。それはたとえ勝っても負けても、人間側の世界に、破滅的な混乱を世紀単位で引き起こすだろう。

ただし、スペランカーがいきなり来たのは、ニャルラトホテプとしても誤算の筈だ。既に分身を二体も潰している上に、四元素神のうち、三柱の滅びに関わっている、筋金入りの神殺し。しかも、手練れが二人、護衛についている。

ニャルラトホテプは、様々な戦略的選択肢を、此方から削っていった。

かといって、奴が一方的に有利な訳では無い。

ジョーは、スペランカーを一瞥した。

元々若々しいアジア系、その上J国人。子供にしか見えないが、この女をニャルラトホテプと一対一の状況にさえ持ち込ませれば、どうにか出来るはず。勿論、どうにも出来ない場合も想定して、手は打っておかなければならない。

ブービートラップを避け、或いは排除しながら、密林を進む。

時々木に登って、状況を確認。

やはり、間違いない。

木を降りると、ジョーは後方の二人を手招きした。

「やはり、十字砲火の焦点に誘い込もうとしているな」

「ふむ、敵の気配は感じぬが」

「間違いない。 おそらくは、あの辺りで、我々を一網打尽にするつもりだ」

ジョーが顎でしゃくったのは、要塞の麓。

そう判断したのは、地形からだ。それにトラップの配置も、何より敵が姿を見せないことも。

斥候さえ配置されていない。

此方の動きを誘導して、大戦力を一気に投入して片を付けるつもりか。

おそらく、邪神の力か何かで、此方の動きを常時把握しているからこそ、出来ることなのだろう。

「対策は」

「裏口に回る」

此処からの会話は、電子手帳を使って行う。文字を書いて、二人に見せる。

ハンドサインを事前に決めておけば良かったのだが、其処までの事は期待していない。特にスペランカーは、即座に把握するのが不可能だろう。だから、支給品であるこれがまだ壊れていないうちに、利用する。

「裏口に回るというのは冗談だ。 そのまま、真っ正面から突っ切る」

「今のはブラフか」

「相手に読まれると思うけど……」

「別にそれは構わない。 正面攻撃を仕掛けるのは、俺だけだ」

裏口の場所については、既に把握済み。

ただし、かなり守りが分厚い。

「密林での戦闘であれば、あの程度の数ならいなせる。 アーサー、お前は後方から、スペランカーと共に要塞に潜入して欲しい」

「ふむ、我が輩に任せると」

「要塞内部の構造は未知数だ。 俺は正面から敵を突破しつつ、内部での合流を目指す」

既に、頭は冷静だ。

さっき、スペランカーと話して、不思議と頭が冷えた。

スペランカーはきちんとジョーの話を理解して、その上で話を進めた。ジョーも大人だ。そういう態度を取って貰えれば、譲歩も出来るし相手と協調をするつもりにもなる。何より、不思議な感覚だ。

スペランカーとは何度も共闘したが、じっくり話したのは、はじめてかも知れない。

周りの人間が、スペランカーに対する態度を見る間に軟化させていくのを何度も見てきたが。

此奴はおそらく、昔からまれに優れた指導者にみられる存在。

他者を引きつけるカリスマの所有者、という事なのだろう。

アトランティスの経営を事実上していると聞いていたが、それで問題が起きているとは聞いていない。

自分の頭が悪いことを自覚して、他人に頼ることを厭わないから、出来ることなのか。

「ジョーさん、無理は……大丈夫そうだね」

「任せておけ。 俺は戦場を幾多渡り歩いて来た。 支援が無い状態での単騎特攻がどれだけ無謀かは理解している」

まず、ジョーが仕掛ける。

その後、火力に物を言わせ、アーサーが後方を突破。混乱に乗じて、ジョーも前面を突破する。

その後は連携して要塞内部の敵を無力化し、傲然とふんぞり返っているニャルラトホテプに鉄槌を下すだけだ。

作戦としてはシンプルだが、これでいい。

特殊部隊の精鋭のような、統率が取れている面子では無い。戦闘力が高いアーサーと、邪神に対する必殺の力を持つスペランカー。この二人なら、むしろ柔軟な作戦を支持した方が、上手く行く。

歴戦の勘が、ジョーにこのおおざっぱな作戦こそが最適解だと告げていた。

「必ず、生きて合流する」

「うむ。 グッドラック」

同じE国人同士、敬礼は共通していた。

そのまま、ジョーはアサルトライフルを担ぎ、前線へ進む。敵はまだ姿を見せないが、だいたいどこで仕掛けてくるかは、想像がついていた。

頭が完全に冷えている。

いつもと同じように思考し、動く事が出来る。

それでようやくジョーはフィールド探索者としては一人前だ。

幾つ目の、大きな木を抜けたときだろうか。

反射的に、身を木に隠す。複数の弾丸が、木に突き刺さった。集弾率がかなり高い。敵は奉仕種族だろうに、歴戦の精鋭並みの狙撃である。先まで戦っていた連中とはものが違う。同じ奉仕種族の中でも、精鋭だろう。ジョー自身も、狙撃銃に切り替えると、速射。手応え。一人は撃ち落としたか。

だが、次の瞬間、予想通り四方八方から弾が飛んできた。前方、要塞やその影に、敵が潜んでいる。

この弾の数からして、おそらく百五十から二百はいる。

その全てが手練れと見て良い。狙撃の精度がかなり高く、動きを止めたら一瞬で頭を撃ち抜かれる事確定だ。

降り注ぐ銃弾の雨。

下がりながら、ジョーは二発、三発と立て続けに弾を敵に叩き込む。わずかに姿を見せたら、その瞬間に敵かどうかを判断し、撃ち抜く。移動し続けるのは敵がおそらく大威力の砲をほぼ確実に持ち出してくるからだ。

爆音。

轟音と共に、数本の木がへし折られた。

戦車砲か。コンクリで分厚く囲まれた要塞である。戦車砲クラスの銃座くらい、備えていても不思議では無い。

幸い、此処は密林だ。

敵が追いすがってくるのが分かる。陣を崩した敵を誘い出しながら、突出した者を一体ずつ仕留めていく。振り向いて、速射。一体の顔面を貫く。また一体を撃ち抜く。勿論、応射も凄まじい。

見る間に、被弾が増えていく。

足を肩をかすめる弾丸。

敵の射撃精度は高い。密林の中に此方はいるのに、ほぼ正確に撃ってきている。追撃してきている敵の数も、決して多くは無い。百人以上は陣形を崩さず、その場からジョーを狙い撃ってきていた。

下がりながら、アサルトライフルに切り替える。

ジョーの能力は、弾丸の補充。

このため、銃のマガジンを持ち歩かなくて良いという利点がある。手榴弾や補助武器の重量を増やすことが出来るのは、このためだ。

フィールド探索者としては、あまりにも貧弱な力。弾を補充できると言っても、銃器の損耗までは抑えられない。ずっと撃ち続けていれば、やがて馬鹿になる。そんな制限だらけの特殊能力だが。

それでもジョーは、これで幾多の戦場を渡り歩いてきたのだ。

数体の敵が、闇の中躍り上がってくるが、ジョーの方が先に反応する。その場で立て続けに蜂の巣にし、更に下がる。

まだ追いすがってくる。

だが、追いつかせはしない。その場で撃ち抜き、打ち倒す。

銃弾の降り注ぐ音が、相変わらず凄まじい。ヘルメットに直撃。ただし、角度が斜めだったため、弾くことが出来た。

ボディアーマーの損傷もかなり酷くなりつつある。

しかし、屈することは無い。此処で陽動をしっかりやらなければ、あの歴戦の猛者アーサーでも、敵の後方を突破できるかは分からないからだ。下がりつつ、ジグザグに木々の間を走り、追いすがってくる敵を削り取り、減らしていく。敵は勇敢だ。というよりも、勇敢に作られているのだろう。

反吐が出る。

どこの国も、狂信的な思想に支配されると、やる事は同じだ。

人間性を奪い、機械に仕立て上げていく。

そしてニャルラトホテプは、その行為が如何に非効率か理解した上で、嘲笑いながら部下達を木偶に仕立てている。

クズがと、ジョーは吐き捨てながらも。

だが、それでも冷静さを保っていた。今まで多くのフィールドを渡り歩いて来た。戦場で、感情を乱すことがどれだけ命取りになるか、熟知している。さっきまで、それを忘れそうになっていたが。

目の前、至近に、ゴリラのような大柄な奴が飛び出してきた。

飛びかかってくる。

飛び退いて、その腕を避けるが、相手の動きは想像以上に俊敏だった。手に持ったナイフを、閃光が走るほどの勢いで振るってくる。

アサルトライフルで、第一撃は弾くが、二撃、三撃と、服を切り裂かれる。

舌打ちしたジョーは、下がりつつ、牽制射撃。だが、巨体を軽やかに動かし、飛びかかってくる敵。

頸動脈を、ナイフがかすめた。

一瞬の隙を突いて、強烈な蹴りが来る。吹っ飛ばされた。

闇夜の中、大男の額に、目が浮かび上がる。

奉仕種族なのだ。人間と違う性質を備えていても、おかしくはない。反射的に、アサルトライフルをぶっ放すが、残像を残して逃げられる。だが、その時には、既に勝敗は決していた。

ジョーが即座に引き抜き、撃ったデザートイーグルの弾丸が。

奉仕種族の男の、腹を貫いていた。動いた先を読み切ったから、出来た技だ。

わずかに動きが止まる。それだけで充分。

ハンドガンを左手に、右手のアサルトライフルで蜂の巣にする。どうと倒れた大男を一瞥だけすると、今の戦いのダメージを冷静に吟味しながら、ジョーは走る。まだ大勢の敵が追いすがってきている。

敵の一部を、トラップ地帯に誘導。落とし穴に落ちたり、ワイヤートラップに引っかかって、数名が悲鳴を上げる。其処へ、手榴弾を投げ込む。戦場では容赦をしている余裕は存在しない。

再び、腕を、銃弾がかすめた。

今のは皮膚の一部をえぐり取っていった。振り返りざまに、速射。打ち倒す。

銃身がかなり熱くなってきている。追撃してきている敵も減ってきたが、まだまだ危険な状態だ。

腹に直撃弾。

運良く防弾チョッキで止まるが、それでも鈍器で殴られたような衝撃が来る。また一発。普通の兵士だったら、身動きできなくなるところだ。

ジョーにとっても、充分に痛い。射撃の精度が、一秒ごとに落ちていくのが実感できる。

射撃も近くなってきている。

闇夜の中での、死闘は続く。

まだ、追いすがってきている敵の数は、五十を超えている。もう少し減らさないと、アーサーとスペランカーは苦労するだろう。

走りながら、木の幹の影に逃げ込む。

数名が追いすがってきた。一瞬、ジョーを見失って、右往左往する。それが命取りだ。アサルトライフルだけを出して、全員を撃ち抜く。そしてすぐにその場を離れる。飛んできたロケットランチャーの弾丸が、一瞬前までジョーが伏せていた木を木っ端みじんに吹き飛ばしていた。

そういえば、確かナチスドイツも、パンツァーファウストというロケットランチャーを装備していたはず。

闇の中、一瞬だけ姿を見せた敵兵を撃ち抜きながら、ジョーは走る。

一瞬たりとも、休ませて貰えそうには無い。

再び、直撃弾。

今度は脇腹。防弾チョッキを貫通して、肉に食い込んだ。

内臓に傷は無いと冷静に判断しながら、ジョーは敵を撃ち抜く。また一発、直撃弾が来た。

 

呼吸を整えながら、ジョーは弾丸を、持ち込んでいる消毒済みピンセットで引き抜いた。

追いすがってきていた敵部隊は全て倒した。

更に伏せていた敵の狙撃も続け、反撃は著しく減少している。そろそろ、敵の要塞内部に、アーサーとスペランカーが潜入したはず。

呼吸を整えながら、体に食い込んだ最後の弾丸を引き抜いた。

消毒を手早く済ませる。

防弾チョッキはボロボロで、もう役には立たないだろう。辺りには敵兵の死骸が点々としている。

どれもこれもが、無念そうな形相で、事切れていた。

この者達も、奉仕種族とは言え、悔しいとも悲しいとも思うだろうに。ただし、兵士の使い捨ては、邪神の専売特許では無い。したり顔で偉そうなことをほざいている人間も、多くがやってきた事だ。

特定の思想や宗教を植え付けることで思考力を奪い、敵を殺戮する兵器と化す。

神の力で直接言うことを聞かせるのと、それは何ら変わりが無い行為だ。

スペランカーに聞いたが、ニャルラトホテプという存在は、というよりも異星の邪神という者達は、むしろ人間に極めて近しい性質を持っているという。確かに、以前からそうは感じていた。

その中でも、ニャルラトホテプは。特に人間の中でも愚かしく邪悪な部分を、その身に宿しているという事なのだろう。

不快だが、認めるほか無い。

この下劣なやり口、多くの戦場で、人間がやってきた事と同じだ。いつの時代も、どこの地域でも。人間の卑劣なやり口に、変わりは無かったのだ。

かなりの血肉を失ったジョーは、手早く携行食を口に入れる。火を通さなくても食べられるタイプだ。非常にまずいが、体力を手早く補給するには、これが最適である。

少し休憩を入れながらも、様子を見て、敵の位置を特定。隙を見ては狙撃していく。地味な狙撃戦が続くが、敵の射線に入らないように、細心の注意は払っている。敵の反撃が、目だって鈍くなってきている。そろそろ、アーサーとスペランカーが、内部で暴れはじめている頃だろう。

敵から鹵獲した兵器は、周囲に並べてある。

無傷の携行ロケット砲もあった。

そろそろ、夜が明ける。敵の要塞に据え付けられている銃座は、一通り確認してある。幾つかは、既にロケット砲を叩き込んで無力化した。それによって生じた死角は把握している。だが、まだ少し、突入には足りない。

残っている鹵獲ロケット砲は二門。

元々ジョーの能力は、せいぜいアサルトライフルか、良くて軽機関銃くらいまでしか機能しない。ロケットランチャーの弾を補充することは不可能だ。

何より、痛みがそろそろ限界値に近い。

これ以上痛みが増すと、狙撃の精度に問題が生じてくるだろう。それだけ集中力が乱されるからだ。

危険は承知で、やるしかないか。

木から顔を出して、携行ロケット砲を叩き込む。

銃座の一つに直撃、爆発。もう一つを、同じようにして潰す。

これで、比較的広い死角が確保できた。

後は、破壊した銃座の一つから、内部に乗り込むだけだが。敵は常識外の存在である邪神だ。どのような罠を仕込んできているか、分からない。

まだ抵抗を続けるつもりの敵が、激しく発砲している音がする。

降伏などしたら、爆散してしまうと思えば、無理もない。ジョーは、顔を歪めてアサルトライフルを撃ち続けている敵の側頭部をスコープに捕らえると、引き金を引いた。頭を撃ち抜かれた兵士が、その場で崩れた。

敵は既に半減、要塞前面での迎撃を諦めたと見ていい。

此処からは、要塞内部での戦い。

それは、外での戦いよりも、遙かに厄介なものとなる。今度は地の利が敵にあるからだ。

身を低くして、ジョーは走る。

途中、此方を探そうと出てきた斥候を発見したので、即座に撃ち抜き、全滅させる。茂みに身を隠すようにして、走る。

銃座の一つが近づいてきた。

充分に入る事が出来る。内部は先ほどロケット砲を叩き込んだから、吹き飛び焦げたミンチ肉で満たされていた。

飛び込み、戸を蹴り開ける。

コンクリで作られた要塞の内部は、予想以上に手狭だった。ぶら下がっている蛍光灯は色が落ち始めており、辺りはまるでゴシックホラーのような色合いである。敵兵は、今のところ見当たらない。

ジョーは、先に潜入している二人と合流すべく、要塞の中を進み始めた。

 

要塞は地下へ深く深く伸びていた。

彼方此方に、規則性無く階段があるが、エレベータは存在していない。していたとしても、危険すぎて使う事は難しいだろう。

小高い丘に存在した地上部分は、ごく一部であったらしい。内部には訳の分からない怪物の死体が点々としていて、それらはアーサーとスペランカーが処理したものだろう。とはいっても、スペランカーには戦闘力がない。アーサーが、おおかたは倒したのだなと、ジョーは判断しながら、進んでいた。

希に生き残りはいるが、数も少なく、ジョーで充分に対処できた。

それにしても、途中までは敵の追撃があったのに。この領域まで来ると、殆ど追いすがってくる相手がいない。

怪物の死体が、増えてきている。

そろそろ、追いつく頃だろう。

かなり大きな怪物が死んでいた。その周囲には、銃を持った奉仕種族の死骸が、点々としている。

ここで、激戦があったらしい。

振り向きざまに、叫びながら突進してきた一人を撃ち抜く。

万歳をするような格好で地面に身を投げ出した敵は、即死していた。そろそろ、この銃も限界か。

ジョーは様々な新型兵器の実戦投入試験をしているが、これは収入の補助になるからだ。所属しているC社から斡旋されているという事もあるのだが、誰よりも近代兵器の扱いに熟知している歴戦の傭兵の評価は頼りになると言うことで、様々な軍事会社からは、次のフィールド攻略でこれを使って欲しい、あれを使って欲しいと、確実に依頼が舞い込んでくる。

面倒なのは、仕事が終わった後で、レポートを書かなければならない点だが。

戦闘時は、文句を言っている暇も無い。銃身の状態を確認しつつ、通路の前後を警戒。前方で、戦闘音がした。そろそろ、追いつく頃だろう。

廊下に、血が点々としている。

部屋に入り込んだ所で、息絶えた敵を発見。胸にランスが突き刺さっていた。この状態でも、這って逃げようとしたのか。

部屋の奥の方に、隠れて震えている子供を見つけた。

おそらく、奉仕種族の家族だろう。今は、声を掛けている暇も、手を下す余裕も無い。此方に拳銃を向けていたが、あの態勢、しかも怯えきった様子で、当たるはずも無い。一瞥だけして、扉を閉めた。

ドアが、大きく開け放たれている部屋を見つける。

中に、話をしている気配。明らかに、この状況で考えられる事は、一つしか無い。

どうやら、追いついたらしい。

部屋に躍り込むと、スペランカーが、此方を一瞬だけ見た。アーサーがジョーを観て頷く。デスクについているのは、ひときわ大柄な男だ。部屋の四隅には、形容しようも無いほどよく分からない姿の怪物が、死骸となって転がっていた。

男の胸には、多くの勲章がついていた。

ふと気付く。

男は、相当な高齢だ。それに、よく見ると、人間だろう。かなり顔は年老いているが、しかし体は不自然なほどに筋肉質で、頑健に見える。これは一体、どういう状態なのだろう。

ひょっとして、この男は。

「偉大なる第三帝国の復興が出来なかった事は残念だ。 私のことは、この場で殺すがいい」

「第三帝国?」

スペランカーが小首をかしげている。アーサーが、ドアの方を見張りながら、小声で教えてくれる。

「先ほどから、同じ事しかいわぬでな。 二度、拳銃を使って自身の頭を撃ち抜こうとして、我が輩が止めた」

「貴様、何者だ。 既に二次大戦から70年近くが経過している。 当時のナチの幹部は、全員が墓の下だ」

「私は、総統の意思を継ぐ者だ」

「いや、それはあり得ない。 貴様、年は」

ジョーが言うと、見る間に男の顔色が変わっていった。

流石にこの男、100歳以上という事は無いだろう。白色人種は老いるのが速い。どうみても。

「きゅ、九十三」

「ええと、戦争が終わったのが、確か1945年だから……」

「終戦当時、二十五か。 SSのエリートでも、精々佐官。 その状態で、ヒトラーと謁見する機会があったとは思えぬが」

アーサーが捕捉してくれる。

しかも、ジョーが観たところ、実際には九十三より若いはずだ。それならば、可能性は一つしか無い。

「貴様、ヒットラーユーゲントのメンバーだな。 それも、終戦間近には第12SS装甲師団にいたのではないのか」

「え?」

完全に、男の手が止まった。

震えたまま、下を見ている。スペランカーが、それ以上の追い打ちをしようとしたジョーを制止した。

ヒットラーユーゲント。

ドイツの若者達を加盟させ、そして忠実な手先とするべく動いた組織だ。最終的には、全てのドイツの若者が加盟させられた。

勿論、独裁者の忠実な手先に洗脳する、というばかりの場所では無かっただろう。

だが終戦間際は、優秀な人員を選抜して親衛隊と一緒に戦わせたり、或いはヒトラーから激励を受ける場面もあったという。

ヒットラーは、戦略でも戦術でも並以下の能力しかなかった。しかし、アジテーターとしては文字通り希代の天才だった。部下を呼び、激励し、演説するその姿は凄まじく。とくに若者の心に多大な影響を与える技量には、文字通り神がかったものがあった。

ヒットラーは、優秀な部下を見抜き、権限を与える度量さえあれば、或いは世界征服まで最も近いところまで行けたかも知れない。それだけ、魔的な魅力を、有していた男だった。

この老人も。

戦後、七十年近くも、ヒットラーの演説の呪縛に囚われていたというわけか。

「わ、私は、総統から、第三帝国復興の密命を」

「まって、お爺さん。 今、そんな事をして、何になるの。 本当は、違う事を、したいんじゃないの?」

スペランカーの言葉に、老人は口をわなわなとふるわせた。

「わ、我々の、戦いを……」

無駄にしたくない。

闇に葬りたくない。

死んでいった皆のことを、無かったことにしたくない。

そう、老人は落涙した。ジョーはもう口出ししない。スペランカーが、なだめ、話をさせていく。

「大丈夫。 お爺さんは、闇に魅入られていただけ。 外に出て、全てを話そう。 何も、無駄になんかならないよ」

「きっと、裁判に掛けられて、殺される……。 私だって、人間だったんだ。 ナチにいたからって、ダーティワークばかりしていたんじゃないんだ。 戦士として、最後まで、戦ったんだ」

「それなら、私が保護する。 大丈夫だから、落ち着いて」

その言葉には、不思議な優しさが籠もっている。

お人好しが。ジョーは内心、その甘さに呆れた。

だが、スペランカーは、それだけのことが出来る力を今や手にしている。勿論スキャンダルになるだろうが、当然対応策を練ることも出来るはずだ。甘いだけの理想論では無い。

いや、まて。

まさか、ニャルラトホテプの罠の一つか。

老人は力なくうなだれた。この頑健な肉体、きっとニャルラトホテプの力の影響なのだろう。

アーサーが、見る間に眉を怒らせていくのが分かった。

「孤独な老人をたぶらかし、過去の悲しみをほじくり返し、己の目的に利用するとは」

「待って、アーサーさん。 怒ったら、思うつぼだよ」

そういうスペランカーも、いつもより声が低い。

怒っているのだろう。

此奴が怒るところを、ジョーは見たことが無い。どれだけ凄惨に邪神に嬲られても、平然としていたのに。

ジョー自身は、どうだろう。

むしろ、今までの焦りが、消えていくのを感じていた。

二人が出て行くのを見送ってから、老人に話しかける。

「俺は戦場を渡り歩いてきた。 多くの友が死に、忘れられていった。 貴方の気持ち、少しは分かるつもりだ」

「そうか……」

「あの娘は信頼出来る。 心を強く持って、貴方をたぶらかした奴が倒されるのを、待っていろ。 後は、俺とアーサーと、あの娘が。 貴方の名誉を守る」

「名誉か。 命なんぞ、どうでもいい。 家族にさえ相手にされず、ずっと閉じ込められて腫れ物として扱われてきたのだ。 私にとって、一緒に戦った友達の思い出と、その名誉だけが、人生だった。 その全てが、社会では肯定することが許されないものだった」

老人の涙は、いつの間にか止まっていた。

行ってくれ。

そう、老人は告げた。

あの老人とジョーは、何が違うのだろう。ただ、戦いに勝った側と、負けた側だ。敗戦の時、一兵士に過ぎず、まだ二十歳にもならなかったあの老人に、なんの責任があると言うのだろう。世界を動かしている経済という化け物に振り回されて、人生を浪費し、その全てを否定されてしまった孤独な人格。

ジョーはいたたまれないと思った。

そして、はっきり理解できた。

邪神などという存在も。結局、人間の想像を超えていないと言うことを。今までも、スペランカーの話で、概要は知っていたが。それでも、今頭で、しっかり理解できた。

スペランカーは、どうするつもりなのだろう。

階段を見つけたので、降りていく。酷く長い階段だ。明らかに上層の要塞部分と、構造が合致していない。やがてぐるぐると曲がり始めた。コンクリ製の螺旋階段。こんな状態で無ければ、笑いがこみ上げてくるかも知れない。

下から、露骨に異様な空気が漂い来ている。

邪神がいるとすれば、此処だろう。

ジョーは二人に追いつく。

スペランカーの少し後ろを歩きながら、アーサーは此方を見た。

「我が輩が、スペランカー殿の支援に廻る。 ジョー殿は横やりを防いで貰えるか」

「任せろ」

「スペランカー殿。 具体的な作戦について、打ち合わせよう」

「作戦なら、あるよ。 アーサーさん」

スペランカーが、電子手帳を見せてくる。

ジョーは唖然としたが。或いは、スペランカーの能力を思えば、最適かも知れない。

「好機は何度も無いが、いけるか」

スペランカーが頷く。

ジョーは、何だか、すっきりした気分で、頷き返していた。

 

4、リミッター解除

 

要塞の最深部。

かなりの段数、階段を下りていくと、それは存在していた。

広い空間だ。

天井はドーム状。それも、野球場が入るほどに広い。本来はこのような空間、地下に作るのは極めて難しいのだが。

その辺りは、邪神の力でどうにかしたのだろう。

そして、中心部に、それはいた。

以前見たハスターより、若干小さい。だが、全身は真っ黒で、無数の触手が生えており、その吸盤の一つ一つにおぞましい顔がついている。小さいといっても、全長は軽く八十メートル以上はあるだろう。

水生生物の特徴を備えた、巨大な邪神。

おそらくアレは、間違いなくニャルラトホテプとやらの中枢だ。ニャルラトホテプは今まで分身体を多数世界にはびこらせ、中には人間そのものの姿をした者もいて、その多くが暗躍してきたというのだが。

それら分身と、あの中枢は、根本的に次元が違う存在、という事だろう。

「さて、ようやく来たか、神殺し。 私が用意したもてなしは、どうであったかな」

ばらばらと、多数の奉仕種族が出てくる。

ホール状の空間の彼方此方に、通路がつながっていて、そこから入ってきたのだ。数は、三十、いや四十はいる。全員が二次大戦時の銃器で武装している。

スペランカーが進み出た。

「さあ、私が憎いか? 殺してみたいか?」

「その結果、この星にアザトースさんが呼ばれて、そしてMさんと戦う事になる?」

「分かっているではないか。 そもそも、今回貴様が来たのに、私が逃げなかったのは、何故だと思う」

不意に、地面が光り始める。

アーサーが飛び退き、逃げるように叫ぶ。それは、奉仕種族達に対して。

呆然としているうちに、奉仕種族達の体も、光り始めていた。

「貴様! 自身の奉仕種族を、どこまで虐待するつもりだ!」

「どういうことだ、アーサー!」

「あの外道、奉仕種族達を贄にして、大威力の術式を発動するつもりだ! おのれ、させてなるものか!」

アーサーが地面に剣を突き立て、魔術を阻害しようとする。

ジョーも即座に対応。

懐に入れておいた、とっておきを取り出す。

神に対して、有効打となる弾丸。原理はよく分からないが、ジョーにも扱える、対神用の切り札の一つ。

即座に、ニャルラトホテプの中枢に叩き込む。デザートイーグルからの射撃だが、数発がめり込み、巨大な風穴を作った。

だが。

「ひひゃはははは! その程度の拙い技で、神の術式を阻害できるとおもうてか! 三下の雑魚ならともかく、この私は! 四元素神の中でも、もっとも中心の邪悪に近しい存在、ニャルラトホテプなるぞ!」

悲鳴を上げながら、奉仕種族の戦士達が、服だけを残して塵になっていく。

スペランカーの全身が、同時に光り始めた。

「神殺しぃ! 貴様の身を覆う不老不死の術式、この場で解除してくれよう! ならば、貴様に出来るのは、命を賭けてこの私と、刺し違えることだけになる! さすれば、アザトースと戦えるのはMだけとなる! Mと戦えば、さしものアザトースも死ぬ! アザトースの死という大変革が、この世界にもたらされるのだ! そのためなら、私の命など、くれてやろう!」

とどろき渡る奉仕種族達の悲鳴。最後の一人が、溶けるように消えていった。

まずい。スペランカーの能力が、この場の戦いにおける核だったのだ。それが潰されてしまえば、本当に相打ちするほかに手は無くなってしまう。

ありったけの、対神弾を叩き込む。

触手を吹き飛ばし、体中に風穴を開けてやる。だが、それでも、術式の展開は止まらない。アーサーが顔中から滝のように汗を流し、その鎧を黄金に替えつつ、更に様々に武器を空中から出現させ、地面に突き刺す。

アーサーは魔術をフルに展開するとき、黄金の鎧に切り替えることを、ジョーは知っている。つまり、全力で邪神の術式を邪魔しようとしている訳だ。

弾が、尽きる。

舌打ち。勿論、予備くらいは持ってきているが、それでも即座に装填は出来ない。アサルトライフルに切り替え、巨体に無数にある目に叩き込んでやる。だが、至近で弾が弾かれるのが見えた。

駄目か。

だが、この程度で、諦めるわけにはいかない。

手榴弾を引き抜くと、数個まとめて投擲。敵の視界を、爆発で塞ぐ。

「今だ、一時撤退する!」

スペランカーに走り寄り、抱えてその場を離れようとした瞬間、吹き飛ばされた。

数十メートルは飛ばされただろうか。

まるで台風にもてあそばれた人形のように、地面に叩き付けられる。触手が一本しなり、ジョーを吹っ飛ばしたのだ。

万事休すか。

その場にいた四十名ほどの奉仕種族の戦士達は、とっくに全て塵になっていた。

ニャルラトホテプが、高笑いを続けながら、スペランカーに向けて吼え猛る。

「さあ、神殺しの技をふるって見ろ! さもないと、お前の後ろにいる他の二人も、私の前にひとたまりも無く……」

ぼんと、いい音がした。

それが、邪神の触手が吹っ飛ぶ音だと理解したときには。状況は一変していた。

 

アーサーが、唖然と立ち尽くしている。

無造作に踏み込んだスペランカーが、見本のような綺麗な蹴りを、ニャルラトホテプの体に叩き込むと。まるで達人が子供用のサンドバッグを全力で蹴ったかのように、黒い巨体が拉げ、歪んだ。

そのまま黒い邪神は吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられる。

一番驚いているのは、ニャルラトホテプだろう。

「は? え……?」

「その程度じゃ、死なないよね」

スペランカーが、残像を残して動く。

馬鹿な。

あのMでも、此処までの事は出来ないはずだ。

スペランカーが、ニャルラトホテプの至近に。そして、素手で拳のラッシュを叩き込む。拳を叩き込む度に、この空間に巨大な振動が巻き起こる。

そして、ニャルラトホテプの体が爆ぜ、千切れ、吹っ飛ぶ。その度に再生はしているようだが。これは。

一方的だ。

「おのれえええっ! 小賢しいわああっ!」

瞬間的に、ニャルラトホテプが、巨大な火球を出現させ、頭上からスペランカーに叩き付け……ようとした。

軽く素手で弾くスペランカー。

気がついたときには、ジョーは反射的に爆風から顔を庇っていた。明後日の方向の壁辺りで、その火球が爆裂したのだ。何が起きたか、すぐには理解できないほどの、あり得ない光景だった。

ジョーも邪神との戦いには何度も参加した。

だが、此処まで一方的な光景は見たことが無い。Mでさえ、ハスターを相手にしたときには、一時的に別世界に封印されたほどなのである。

ニャルラトホテプが空間を転移して、天井近くに出る。

だが、その時には、既にスペランカーが後ろに回っていて、踵落としを叩き込む。

ホールのど真ん中に、巨大なクレーターを造り、ニャルラトホテプがめり込む。

滅茶苦茶にもほどがある。

一体、何が起きている。

奴の言葉が正しいのであれば、スペランカーはその基礎能力である海神の呪いを失ったはずだ。

何故、あのような、狂気じみた力を手にしている。

「アーサー!」

「……なるほど、そういうことか」

「何が起きた」

「スペランカー殿の身を覆う呪いは、いわば最低最悪のリミッターだった、ということなのだろう。 つまり、それを解除すれば、どうなるか」

デタラメなラッシュを、スペランカーが一方的に叩き込んでいる。

その間に、ニャルラトホテプも魔術の類で反撃しているようだが、そもそも当たらないし、直撃しても効く様子が無い。

恐怖の悲鳴を、ニャルラトホテプが上げる。

特大の雷撃を浴びたスペランカーが、服だけ焦がして、平然としているのを見て、ついに精神が限界を超えたらしい。

「お、おま、おまえっ! な、何者だっ!」

ニャルラトホテプの顔面らしき場所に、スペランカーの拳がめり込む。頭の後ろから、盛大に中身が噴き出す。ニャルラトホテプが、悲鳴を上げながら、這いずって逃げようとする。逃げる途中も、考えられない速度で詠唱を行って、魔術を雨霰と叩き付けているようだが、ことごとく効果が無い。

触手を掴んだスペランカーが、邪神を前後の地面に激しく叩き付けた。怪獣を幼児が叩き潰しているかのような、あまりにも無体すぎる体格差の戦いだ。それなのに、スペランカーが負ける気がしない。

一方的な殺戮の餌食になるニャルラトホテプ。その度にぐちゃぐちゃに引きちぎられ、吹き飛ぶ肉。

あの温厚なスペランカーが、薄笑いさえ浮かべて凶刃と化した拳を叩き込みまくっている。性格まで凶暴化しているのか。

アーサーが舌打ちした。

「いかんな。 あの様子だと、殺しかねん」

「殺すとまずいな」

「うむ。 だが、今のスペランカー殿の戦闘力は、あのMと同等かそれ以上だ。 尋常な手段では、止められん」

アーサーが視線で指す。

地面に書かれた魔法陣は、まだ生きている。ニャルラトホテプが、入念に準備したほどの術式だ。当然だろう。

それにしても、殺されようとこのような真似までしたのに、意気地が無い事だ。いや、少し違うのかも知れない。

ニャルラトホテプは、自分が死んだ後の事まで、見据えていたのか。

だから、此処でスペランカーが圧勝してしまうとまずいと考え、それでパニックになったという事か。

「この魔法陣を破壊する」

「何か出来る事はあるか」

「あれを防いでくれるか」

また、ばらばらと通路から敵が沸いて出てくる。同胞があれだけ悲惨な扱いを受けたというのに、まだニャルラトホテプに従うつもりなのか。いや、従うほかに何も出来ないのだろう。

哀れな者達だ。

「分かった。 だが、あまり長くは、もたないぞ」

「うむ。 三分というところだな」

無言で、ジョーは出る。

先ほど、長距離を投げ飛ばされ、地面に叩き付けられたダメージが深刻だ。肋骨も二本折れている。

それ以外にも、既に体の状態は限界。装備もほぼ使い果たしている。

「神を守れ!」

「その神に……」

ジョーはアサルトライフルの引き金を引いた。

「守る価値など無い!」

死闘の渦に身を巻き込みながら、ジョーは思う。

軍を退いて、英雄という名を捨てて。そしてこの仕事を始めてから、ずっとこうだと。だが、それがいい。

悲鳴を上げて、敵が倒れる。

アーサーの邪魔はさせない。

何より、スペランカーの邪魔も。

手を汚すのも、傷つくのも。自分が率先してやればいい。

何発も、弾丸を喰らう。

もはや、痛みもなくなりつつある。

血を流しすぎた。

だが、それでも。ジョーは立ち、敵を防ぎ続けた。

 

スペランカーは、狂熱が冷めていくのを感じた。

足下には、ずたずたに引き裂いたニャルラトホテプ。酷い姿。呼吸を整えて、周囲を見る。

アーサーが、地面に剣を突き立て、片膝をついて、此方を見ていた。

スペランカーの呪いを打ち消した魔法陣を、アーサーが砕いたのだ。

「どうだ、やったぞ。 我が輩の力、見たか」

「ありがとう、アーサーさん」

流石だ。

素直に凄いと思った。

地面でもがいているニャルラトホテプは、既に瀕死だ。そして、アザトースの記憶を見たスペランカーは知っている。

神は、自分で死ぬ事が出来ない。

「ニャルラトホテプさん」

「こ、殺せ。 呪いが戻った今、貴様は、私を、躊躇無く殺せるはずだ。 さあ、殺して、楽に、してくれ」

首を横に振る。

そして、手をさしのべた。

「これが戦いだよ。 こんな風に、残酷で、悲惨で、残虐なのが、戦いなんだよ。 こんな事は、もう止めよう。 それに、アザトースさんが、どれほど悲しい現実の上に誕生したか、私は知ってる。 だから、一緒に助ける方法を、探そう」

「……っ!? り、理解できん! 何故、そこでそういう結論が出せる! 貴様は、貴様は……正真正銘の化け物かっ!」

人間じゃ無い。

お前のような奴は、正常じゃ無い。我々以上に異常だ。

悲鳴混じりの声を、ニャルラトホテプが上げる。

スペランカーは、疲弊しきったその体を掴む。そして、目を閉じた。

ニャルラトホテプの本能が、スペランカーの体内にいる自身の分身を察知。そして、生存するために、吸収される路を選んだ。無数の人格があるが故に、疲弊しきったその時には、制御が出来なくなる。本能が、強く出る。

スペランカーの中にいるニャルラトホテプの分身体が、教えてくれたことだ。

今度こそ、恐怖からの悲鳴を、ニャルラトホテプが上げていた。

ありえない。こんなことは。私の策が、こんな訳が分からない化け物にやぶられるなんて。理不尽は我ら邪神の専売特許。どうして、どうして理不尽で人間が私を上回るのだ。こんな理不尽は、世界の法則に反している。

わめき散らしていたニャルラトホテプだが、その声は整合性を欠いた。スペランカーには、その声が、哀れでならなかった。

異星の邪神は、人間そのもの。特にこのニャルラトホテプは、人間のおぞましい闇そのものだった。

悲鳴はやがて小さくなり、消えていった。

呼吸を整える。

ニャルラトホテプ中枢を吸収したから、分かる。もはや、世界にニャルラトホテプの分身は、存在していない。

これで、スペランカーは、ニャルラトホテプを文字通り従えたことになる。門の神であるヨグ=ソトースを通じて、アザトースの所へもう一度赴くことが出来るはずだ。

殺すためでは無い。

その存在を、救わなければならない。

宇宙の歴史上、最大最悪の国家犯罪の犠牲者である、ただ一つの人格アザトース。殺す方が、ずっと簡単な救済になるかも知れない。だが、スペランカーは決めたのだ。その悲惨すぎる存在を、救うのだと。

流石に、四元素神の取り込みは、酷い疲弊をもたらした。

体中がだるい。

だが、まだやる事がある。アーサーが肩を貸してくれるといったが、首を横に振る。これは、自分でやらなければならない。

この場への介入をずっと防ぎ続けてくれていたジョーが銃を下ろした。その全身は傷だらけ。立っていられるのも不思議なくらいだ。

奉仕種族達も銃を下ろす。彼らは、自身の主君が変わった事に、即座に気付いたようだった。一斉に傅く彼らに、スペランカーは最初の命令を下した。

「まず、貴方たちの総司令官に祭り上げられていたおじいちゃんを助けてあげて。 みんなはその着ている古い軍服を脱いで、燃やしてしまって。 でも、おじいちゃんの所持品だけは、大事にトランクにしまうんだよ」

「仰せのままに!」

「その後は、アトランティスに行こう。 みんなも、そこで他の奉仕種族と、一緒に暮らせるよ」

この激戦の中、生き延びた奉仕種族達は、どうして良いのか分からず、互いの顔を見合わせていた。

だが、これから家族と一緒に暮らせること。理不尽な命令は出されないことを知ると、顔をくしゃくしゃにして泣いた。

好戦的な者達がいる事を、スペランカーは知っている。

それが悪いことだとは思わない。

しかし、戦いたくない人を、戦わせない。それが、スペランカーがするべき、絶対、だった。

 

フィールドが消える。

スペランカーが、降伏した奉仕種族の者達をぞろぞろつれて現れると、流石に兵士達は度肝を抜かれたようだった。彼らは人間に似て、決してヒトではない。

ジョーはアーサーに肩を借りて、此処まで来た。

今回の戦いは、今までで一番つらかったかも知れない。自分もまだまだ未熟である事が、よく分かった。

結局、戦ってもいないナチスの呪縛に囚われていたのは、自分も同じだったのだから。

老人を一瞥する。既に逆らうつもりは無い様子だった。

側に来た兵士に指示を出す。

「すぐに軍用の大型輸送機を。 皆、アトランティスに輸送する」

「は。 しかしあの老人は……」

「フィールドを支配していた邪神に傀儡にされていた。 体も弄られていたし、アトランティスの者達に診察してもらった方が良いだろう」

ジョーがそういえば、兵士達は納得する。それだけのカリスマが、スーパージョーという名にはある。別の形で英雄となっている今、その虚名を利用する。それだけだ。

フィールドの残りを漁っていた者達もいたが、何も出てこない。

スペランカーが燃やさせた後、アーサーが徹底的に破壊したのだから当然だ。此処には何も無かった。ナチスを語る組織など、最初から存在しなかったのだ。

そう言う見解以外には、出しようが無い。

つらそうにしていたスペランカーだが、ジョーには何も言葉は無い。むしろ、声を掛けても邪魔になるだけだろう。

ジョー自身も、これからしばらくは病院だ。

C社直属の医師に、無茶のしすぎだと、さぞ怒られることだろう。だが、それも自業自得。何より生き延びたのだ。それだけで、充分と言えた。

輸送ヘリが来た。

スペランカーが、奉仕種族達を先に乗せる。念のため、アーサーも途中まで同行するという。

最後にヘリに乗り込もうとするスペランカーと、視線が合った。

「ジョーさん」

「何だ」

「もう、大丈夫?」

ジョーは、やはりかなわないなと思った。

「ああ。 もしも俺の手がいる時は、いつでも呼んでくれ」

我ながら不器用に、わずかだけ。

ジョーは笑顔を戦友に向けた。

 

(終)